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小熊秀雄全集-5
詩集(4)小熊秀雄詩集2
小熊秀雄
III
茫漠たるもの
茫漠たる不安のために
私は必死となる
野であり、山であり、村落であり、海であり、
都会であり、村であり、空中であり、
地下道である。
すべての上に住み、
すべての中に住む、
そして何処にも不安がある、
そしてその不安を私の力で埋めようとする、
私はそれが出来るか、
私は知らない、
簡単明瞭な私の答へよ、万歳、
いま私は仕事の最中
突然衝動的に一米突とびあがる、
この異様な感動は
いつたい私の脳の
何番目の抽出《ひきだ》しにあつた奴か、
私は今それを調べてゐる、
抽出しにはかう貼紙がされてゐる、
――匂ひはロマンチック、
――性質はプロレタリア、
それでよし、それでよし
私の精神の処方箋、
私は単なる掃除人のやうであつていゝ
右から左へ、
精神を移す、
悪臭ある汚穢なるもの、
喧噪なるもの、不自然なるもの、
雑多な性質と、無性格、
天を掴む飛躍と、地をさらふ脱落
私のひとふきの喇叭に
あらゆる素材よ、飛んで来い、
そして美事に整列してくれ、
――宿命はつらいし、
――運命は信じ難い、
そのことだけを考へても
すぐ二三時間は経つてしまふ、
それを喜べ、
喜ぶことは良いことである、
私の絶望上手は、
精神の貧しさを悲しんでゐる、
高邁な精神には縁のないことを
つくづく考へる、
愚劣な精神の労働にも
異常な感動を覚えることはどうしたことか、
その時生き甲斐をかんじ
そのとき茫漠は去り、
友の哀れむべき精神の工場から
濛々と不安のけむりが
立ちあがつてゐるのを見る、
あゝ、その煙りは昼は灰色にみえ
夜は赤く美事に空に映つてゐる、
友は知らない、
その美しさを、
私だけがそれを見てゐる
私の美しさは私が知らない、
だが友達がそれを見てゐてくれるやうに、
友よ、たがひに信じよう、
恐るべき時代に生れ合したことを――、
歴史の空白を
吐息と、われらが糞尿と
言葉の塵芥と、血と、
むなしい労働と、小さな反抗とで埋めよう、
すべて意味深し、
それでよし、
私は誰よりも軽忽でありたい、
私は我等の勝利の万歳をまつ先に叫ぶ、
私は偉大な唖呆の役を買ふ、
水蒸気は濃霧だ、
その中に我等の意志は停船してゐる、
不安は霧だ、混濁だ、
この茫漠たる中で
君は化粧する時間など持つな、
ただ君の警笛のために
君の咽喉《のど》のために
絶叫する機会を与へてやれ、
まもなく霜が来る
さまよへ私の魂
春から冬までたどりつけ
私は季節の渡り者
髪は女のやうに乱れ、
こゝろもまたそのやうに乱れる、
そして男の中に、男と生れたことが
幸福であるか
ふしあはせであるかわからない、
もし良い世界がやつてきたら
私のやうな女性的なものは
なんの必要もないだらう、
ただ今はあらゆる男たちも
女でさへも
尚男性的に
生活に憤らねばならない
魂を怒りに勃発させることは
一人でも多い方がいゝのだから、
いくたびも春から冬まで
さまよふ
甘やかされてゐる男のために
罰はいつぺんにやつてくる、
我々はそれを怖れよ、
生活の中から正しい答へを
ひき出さなければならない
もう間もなく霜がくる、
葉は凍えようとしてゐる、
伊達《だて》なマントは綺麗だ
だが包まれた体ははげしくふるへてゐる、
ヴォルガ河のために
ヴォルガ河よ、
わが友よ。
流れよ
私は君を見たこともなければ
また君の流れの響をきいたこともない
ただ君が悠々たる水のかたまりを
陸続として
どこからともなく下流にむかつて
押しだしてゐることを知つてゐる、
しかも君は我々の住む同じ星の下にあつてである、
星、瞬くものは数億であつて
君の流れの響もまた無限である、
ヴォルガよ、
春はこゝに一片の花を押し流して
岸辺、岸辺に、その花を寄せ、
また岸から引離して
水と花びらとは気の向いたまゝに
連れ立つて行くであらう、
そして君の水面をすべる船には
見るからに質朴で頑丈な船人が
じつと水面をいつまでも見ながら
あるときは君にさからひ、
あるときは君に柔順であるだらう、
もりあがるヴォルガの感情
それに答へ得たところの
こゝに平凡な様子をした男が
偉大な河に竿さして
降るのを私は想像する、
あゝ、ヴォルガ河よ、
君はかつて幾度か裂けたであらう、
君はきつと怒りとウメキのために
立ちあがつたであらう、
あの時銃は沈み
河底の泥に今でも深く突立つてゐる
ムセ返る火薬の匂ひは
君の流れの上に
かげらふのやうに漂つた
うなだれて逃げる百姓の群を追つて
肥えた馬にのつた騎兵の一隊は
ヴォルガの岸辺で百姓達を
ことごとく滅ぼしてしまつたであらう、
そのときヴォルガよ、
お前は、それらのことを目撃した、
お前は怒つた、
歴史を流す河として
さまざまの事実を正しく反映した、
いまヴォルガ河よ、
沈着な河として
私達の喜びをお前へ披露することができる、
岸に倒れた百姓は
ロシアの百姓であつて
また決してロシアの百姓ではなかつた、
世界の百姓として――、
ヴォルガ河を枕として永遠に眠つた。
すでにして月は
イルミネーションとして君を飾る
君の沿岸に咲く野花の
なんとことごとく君の為めの花輪であらう、
すべてを冷静に眺めてきたヴォルガよ、
沈着な河、ヴォルガよ、
君はいま歴史を貫く国を
貫ぬいてゐる、
正義の河と言へるだらう。
泣上戸に与ふ
いまこそ悲鳴を精一杯あげる時だ、
いまこそ君の体から、肉の袋から
悲しみをすつかり
搾り出してしまふ時だよ、
誰にむかつて君は悲しむことを
はばかつてゐるのか――。
敵に向つて遠慮するのか、
それとも味方に向つて遠慮してゐるのか、
あゝ、それはお可笑しい、
遠慮するなどといふことは――。
曾つて荒々しく味方を
鼓舞した偉い人々は何処にゐるのか、
何をしてゐるのか、
何故――あの時のやうに
芝居の花路にさしかゝつて来ないのか、
民衆は、それを待つてゐる――。
それとも悲劇は敬遠し
喜劇だけは買つて出ようといふのか、
おゝ、同志よ、
階級の役者よ、
舞台をそのやうに選り好みしてはいけないのだ、
幕間なし、休憩なしの芝居のために
永久に
友よ、舞台を去る勿れ、
君よ、喜怒哀楽をぶちまけよ、
われらの運命、それは、
味方にも敵にも看視されるもの
悲壮を愛するものは悲壮に歌へ、
高く時代の煙りの中に立て
より多く煙りにむせべ、
けふの真実に悲しむのは
明日への用意のためだ、
悲しみの週間、まもなく終り、
その時沈黙をまもつてゐるものは
罪悪とならう、
その時こそあらゆる人々は
悲哀をうたはない、
だが今は精一杯悲しんでをいたらいゝ、
明日勇壮に歌ひたいために
私は悲しむ、
けふの真実を――。
私は接近する
かけ声をもつて
幾度勝利を約束し
幾度失敗したことであらう、
それでいゝのだ、
その為めにこそ
これら勝敗のめまぐるしさにこそ
私は生き抜くことに愛着をおぼえる、
その繰り返しのために――、
飾りたてた言葉をふりかざして
高らかに私は叫ぶ
愚鈍であつた今日一日の
生活のために唾をひつかける、
率直であり、聡明であつた日のために祝ふ、
たくさんの薔薇は咲いてゐる
だが私はその匂ひを嗅ぐひまをもたない、
私はそれが憤懣だ、
だが私はどうして薔薇を憎まれよう、
匂はぬ花へも私は鼻をもつてゆく、
私は行動的であり
攻勢的でありたい、
これらの態度を愛す、
あらゆるものは近づいて来ないだらう、
我々が近づいて行くのだ、
あらゆる未発見の
とりのこされた
遠慮勝な
逃げ去るものに
私は接近し、追つてゆけばいゝ、
突撃し、
私は言葉をふりかざして
これらの醜いもの、美しいもの、
味方をも、敵をも、
あらゆるものを捉へてゆけば満足だ、
そこには勝敗の悔はない、
手をふれるに先だつて
花弁《はなびら》が散らうと何事だらう、
私は少しも残念とは思はぬ、
時には無人の野をゆくごとくゆく、
私は行動に
愛着をはげしくおぼえるだけだ、
生々《なまなま》しい顔をした友よ、
生き抜けよ、
君の期待が
君の処に飛び込んで来るのを待つな、
愛する黒い鳥よ
気取つた、高慢ちきな、
常識的な世界に住む人々の
窓へ顔つきだして
醜い黒い鳥は悪態を吐いた、
この鳥の友情は理解されない、
――それで結構、
さういつて鳥は
最後の毒舌を吐いて飛んでゆく、
愛する黒い鳥よ、
お前は何処に飛んで行つた
私もお前の世界へ行かう。
あらゆる人間の言葉を
忘れてしまひにお前に尾《つ》いてゆかう、
そこではあらゆる激越な正義的な、
公然たる主張をゆるされるところ
すばらしいかな、
お前の国のお前の言葉を私は理解した、
私はお前のやうに歌はう、
曾つて人間界で使つたことのないやうな
独創的な言葉をもつて歌ふために
人間の世界に帰つて来よう、
そこでは私の歌が
何の内容もないといふ批評を受取りに、
そしてお前のやうに
人々の窓を片つ端から覗きあるかう、
ウルシのやうに黒い、
ただそのことだけで私は沢山だ、
光沢のある羽を見せびらかすだけで沢山だ、
鳥よ、
あいつらはお前や私のやうな
光沢をもつてゐない人種だ、
灰色の外套を着て、
灰色の帽子をかぶつて、
灰色の町へ遊びにでかける、
灰色の議論をして、
灰色のベッドに潜り込む、
彼等は色彩のついた夢をみる本能も
力量ももつてゐない、
彼等はだんだんと
精神の痴愚の世界へと
ずるずると陥ちこんでゆく
鳥よ、
お前と私とは単純な不吉な、
理解されない叫びをあげつゝ
彼等の死を祝ふさ、
歌へ、
巨大なわが精神の羽ばたきよ、心臓よ、
お前醜い鳥よ、
光沢のある歌うたひよ、
お前と私とは運命の予言者であり、
傍観者であること恥ぢない、
宇宙の二つの幸福
地球は母であり、
母のふところよ、
インテリゲンチャよ、
だが君は真の母の愛を知らない、
自分で子守歌をうたひ、
自分でスヤスヤと眠つてゐる、
世話のいらない
お前インテリゲンチャよ、
あゝ、お前は何か悪い夢を見たのか、
何をしくしく泣いてゐるのだ、
労働者たちは仕事場で
鉄に一つの打撃を喰らはした
そのときケチな悲しみは飛んでしまつた、
綿々としてつきない
インテリゲンチャの苦痛の声に
労働者たちはただ苦々しさと
軽い嫉妬を感じてゐるだらう、
――全く君等は幸福な奴等だと、
宇宙には今たつた二つの
幸福だけが残つた
一つは君等の『泣いてゐる時間』と
地球の外から
二つの階級の争ひを見物してゐる星と、
そしてインテリゲンチャ達は
涙で光つた眼をして星をみあげ
ボードレール風に歌ふだらう
――ある夕べ、われ星に云へり
汝ら幸ひに見えじ、と
あらゆるものを否定し去つて
その跳《は》ねかへりの苦しみを
背負こんで泣いたらいゝ、
人間が生きるかぎり
夢はつづくから、
夢の断たれる日まで
幸福に泣いてゐたらいゝ、
君の心臓に風邪をひかせろ
手を拡げて立つてみろ
君はまるで
聖十字架そつくりぢやないか、
宿命論者臭く
ものおもひに沈んでゐる
智識階級は一米突実現をあるいた、
労働階級が十米突歩るく間に、
植物的諦《あきら》めの若さは
東洋的若さだ、
私は動物的若さをもつて
喰らひ、遊び、労働し、恋し、
そして闘ふ、
君も恋し給へ、
心臓が強くなるよ、
シャンと頭をあげて路をゆく
習慣もつけたまい、
市街戦の敵は高い窓にもゐる、
バルザック風に堂々と肩をそびやかし、
バイロンのやうに火薬をもてあそべ、
ロダンのやうに軽々と女をもちあげよ、
あらゆる動物的
あくどさのために友よ、乾杯しよう、
トルコ風呂の湯気の中の
ブルジョアジイ、
溶鉱炉の傍のプロレタリアート、
労働者のやうに
動物的に肉体を酷使できる
インテリゲンチャがゐるとすれば偉い、
これらのインテリも稀《まれ》にゐる、
だが多くは労働者への
秋波《ながしめ》で一生を終り
自分で気が済んで死んでゆく、
怖るべき
軽蔑すべき
階級的良心の合理化よ、
真に労働としての
智識の行動化のために
もつとも完全なインテリ的であれ、
真綿でくるんだ
君の心臓に風邪をひかせろ、
歯をもつて雷管を噛め、
そして思想を爆発させろ、
政治と文学
私は私の従順性を単純にうけいれて
くれる理想の時代がやつてきたら
私はあらゆるものに
屈服しても後悔しないだらう、
だが今はさうはいかない、
愚劣な政治性が
いかに世間に横行してゐるか、
そしてこれは
作家の単純さや素朴さ
従順さを音を立てゝ喰つてしまふ、
そして口を拭つていふ
――この作品は案外うまくなかつた――と、
しかも喰はれる鼠は
死を前にしてながいこと
惨酷に猫のために玩具《おもちや》にされた、
私の従順性は
けつして軽忽に政治に引渡さない、
あらゆるものが今一人として
政治的に武装されてゐないものがない、
愛されること――、
それは決してこびることでない、
政治と文学に就いて
我々はもつとたがひに反撥する
正しい理由をみつけださう、
――政治に可愛がられる文学
とんでもない話だ、
作品の社会性の点検
まづそれを自分一人でやつてのけよ、
それこそ政治性との無言の一致だ、
それで結構だ、
単なる政治はまだ私の詩より汚ない、
政治も文学も
今は一つの桶に入つてゐる
二つの汚れものだ、
クリーニング屋は
まだ開業わずか一年だ。
詩からの逃亡者に与ふ
詩作からの逃亡者が
今日、詩から――評論へ、
詩から――小唄作りに逃げてゆく、
賢明なものは無言で
そして謙遜に去つてゆく
愚劣なものは言ふ
――三十にして詩を書いてゐる
奴のツラがみたい、と
み給へ、なんと濛々とたちあがる
詩からの逃亡者の詩の罵倒を、
彼等がかつて詩を書いたこと
それは若さの出来心であつた、
生殖器が元気のよい間だけ
彼の詩は幾分ピンと立つてゐた、
だがどうだ、今ではもう
自分で自分の品物をもち扱ひかねてゐる、
そして彼は詩に失望し始めた
彼の生活へ通俗的なシタタリが落ちてきたとき、
彼は前足を散文にひつかけた、
後足は詩に残つてゐた、
そしてやがて彼にとつて混沌たるドブを
身ぶりたつぷりで越えた、
跳ねこえるとき彼は後足で砂を
我々の顔にかけた、
そして逃亡者は言ひ合はしたやうに
逃亡の理由をいふ
――詩ではとても飯が喰へない、と
彼等は何故もつと正直に言へないのだらう、
――詩は若さの過失であつた、と
舌へ労働を命ず
太陽の直射の中にたたずんで
朝は、歌うたひ
昼は、飯くひ
あゝ、夜は眠る然も熟睡である
プロレタリアートの
薔薇をどこに紛失したか
君は知つてゐるか、
それは小鳥が咬へて行つたか
誰かが盗んだか、
いづれも正しい、
労働への感動は失はれた
お前の花はそのためにしぼんだ、
とり戻せ
プロレタリアートは
あらゆる薔薇を、
美しいものを
労働の中から発見せよ、
あゝ、私は歯をむき出して
ものをしやべる人種である
その美しさを誰が知らう、
口をつむんだお上品な方々には
私の素直さはお嫌ひだ
ばくはつする口の労働
舌の早さよ、
考へてゐることは即ち
しやべつてゐることと同じだ、
しやべつてゐることは
勿論――考へてゐることだらう、
私はその方法を採る、
私の詩は尖塔《せんとう》にひつかゝつた
月のやうに危なかしいものではない
夜ふけて、月がまはれば
尖塔もぐるぐるまはる、
そして朝には離ればなれになつてしまふ、
私の詩は空を掃く
嵐のホーキか、
唾液ですべる私の舌は
機械油で滑る車輪のやうに労働する。
春は青年の体内から
永遠に歌ひ継《つ》げ
我等の歌をもつて
夜から暁へのリレー
死ぬものから――生きるものへ
バトンを手渡せ
だまるな、饒舌《ぢやうぜつ》をもつて
敵を圧倒せよ、
牡丹のやうに美しく咲いて
美しく散れ
いゝ加減、政治上の敗北に
のたうち廻ることを
インテリゲンチャに贈呈しろ
過去は過去のみ何ものにも非ざるぞ――。
苦痛に就いては
我等に偉大なる忘却の精神がある、
おゝ、青年よ、
平然と過失を
犯すことは青年の権利だ、
われらは過失を目標としてゐない、
だが過失を怖れては
何事も為し得ないだらう、
再び握れ、熱いものを、
春は青年の体内から――、
氷の中に閉ぢこめられるな
べんべんと季節の
やつてくるのを待つな、
精神の春をもつて
季節の春を迎へ撃て、
いつまでも君は
政治と文学との問題で
待合風にイチャツイテゐるのだ、
いつまでも母親を失つた
児のやうにひがむな
君は君の頭の中に
組織委員会をつくつたらいゝ、
プロレタリアの運命よ、
ひしとお前の寄り添ふときに
恋人のやうに愛することができる、
だがとほく離れてみるとき
お前はみじめだ、
あゝ、若さの情熱のために
われらは、われらの運命を
手離すことができない、
火花のやうに稼ぎださう
友よ、私が愚劣な人間であるか、
賢明な人間であるか証明してくれ、
私はわからない、
何んにも知らない、
私はそろそろ憎まれだした
私が歓呼をあげるが、
誰も歓呼をあげない、
私は勝利をみた、
だが君は何処にも勝利をみないといふ、
私はそれでは夢をみたのだらうか、
君が敗北の現実をみてゐる時間に
私が勝利の夢をみてゐるといふのか君よ、
そして君は憎しみの鍬で
私のところの煉瓦を砕きにやつてくる
私の粗暴な愛は愛ではないのか、
感動は疲労しない、
そして私は火のやうに稼ぎだす
それは空騒ぎではなく
鬱積されたものを
相手の顔の上へ嘔吐するのだ、
怒りの情熱は
いつの場合も空つぽの顔《ママ》を充実させる、
才能の最後の一滴の
したたりをもだし切ることができるだらう、
忘れてゐた言葉、
それは一ぺんに召喚される
憤れ、理由を押したてゝ、
自由に憤るもの、
それは良い旗手だ、
巧者な闘ひ手だ、
君よ獲物を
とらへたときの、蜘蛛の
情熱を想像し給へ、
あのやうに言葉の綾をもつて
敵を捉へなければならない、
針を立てないハリネヅミ
鳴りださないガラガラ蛇、
これらの同居人は
闘ひのアパートから追ひ出してしまへ、
攻勢にでないもの、
それは無用の長物だ。
空騒ぎではなく
我等はこの情熱に
歌うたはせねばならない、
けふ私の頭は空つぽになつてゐた
しかし私は才能を信ずる
私は決して絶望しない、
私はいつも分相応な
憤怒の対象をみつけるから、
弱きものよ、
君も、いゝ憤りを発見したまへ、
すると君はいつぺんに
怒る男性がいかに
美しいかといふことを経験するだらう、
それはほんとうに立派だ、
試みに愛するものに
適宜に怒つて見給へ、
君は一層彼女に慕はれるだらう、
憤れよ、
金属性の時計に
私の心臓は激しく対立する
そして私は勝手に私の心臓に
時の目もりする
二十四時間ではない
はかり知れない時の目盛りを、
われわれは
我々の時間を充実して頑固でありたい、
私は愚劣さの火花を散らしながら
愚直に行動
することが一番好きだ、
君はそれに眼をそむけてゐた、
だがたまり兼ねて憎みだした、
私は勝利の盲信者であつてもいゝ、
私を変質者とみても構はない。
不謹慎であれ
わたしがはげしい憤りに
みぶるひを始めるとき
それは『あらゆる自由』
獲得の征途にのぼつたときだ、
その時、私は不謹慎でなければならない、
不徳でも
また貪慾でもなければならぬ、
悪い批評を歓迎する、
下僕共は主人の規律を守らうとして
過去の調和と道徳とを愛する、
『人間が犯し得るあらゆる不善[#「不善」に傍点]は
いづれも皆公然と聖書[#「聖書」に傍点]に記されたる
もののみならずや?』――ブレイク
聖書もまた喰ひたい
私が犯す不善は
聖書の中に書かれてないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、
歴史はまだまだ聖書に
かゝれない偉大な不善を犯すだらう
然もその不善は
あくまで独創的で
我々のものでなければならない。
公衆の前で
感情も肉体も
あらゆるものを動員せよ、
ピアノは強く叫んでゐる
公衆の前で――、
手は鍵《キイ》をたたいてゐるとき
足がペダルを踏んでゐる、
そして頭が拍子をとつてゐる、
そのやうに
君は精神も肉体も
あらゆるものを調子よく動員せよ、
恐れるな、
君がどのやうに強烈に
公衆にむかつて
叫びだしたとしても
ハラワタなどが
飛び出す心配が
決してないだらうから、
口を結んでゐることは
決して意志的だとは限らない
間違ふな、
沈黙と、忍耐とを
口を結ぶのは
苦痛を堪へるその時だけだ、
口を開かせるにも足りない
小さな苦痛はお芽出たい
私は言葉の
追撃砲をもつてゐる
君も何か武器をもて
機関銃でも
曲射砲でも、
野砲でも、
君は銃口を開きつ放しで
間断なく弾をおくれ、
我々は鉄ではない
我々は生きた人間だ
我々はどのやうに叫んでも
射撃のために銃身の焼けることなどはない。
我等は行進曲《マーチ》風に歌へ
おのれの技術の未熟さを棚へあげろ
ロクでもない詩人は
日本語を呪ふ――。
ソビヱットへ生れかはつたら
果して彼は立派な詩が書けたか
私は保証ができない
彼はいふだらう、
どうもロシア語は韻律的ではないと――。
ぜいたく者奴が、
何処へ生れようが同じことだ、
情熱のないものには歌がない
君に教へてやらう、
どうして日本語がリズムを生むかを、
敵を発見したもののみが
感情が憎悪のために湧きたつのだ、
君は日本語の韻律に絶望した
そして言葉の孕んでゐる現実に
たよつて詩を書くことを主張する、
なるほど、なるほど、
言葉がリズムを背負こんで
君を訪ねてきたときだけ君は歓迎する
鶏がネギを背負つて
鍋にとびこんできたら
さぞ君は嬉しからう
だが何事もさうお誂へ向きにはいくまい、
君は新しい言葉、新しい形式を
鐘と太鼓で探しに行つたらいゝ、
我々にはそんな暇がない
我々は今日の問題について
今日の言葉をもつて歌ふのだ、
若いプロレタリア詩人よ、
我々は彼等のやうに
言葉に対して宿命論者であるな、
彼等は千万年もドモれ、
我等は
日本語に良きリズムの花を咲かせよ
我等はすべて
行進曲《マーチ》風に歌へ。
鶯の歌
それを待て、憤懣の夜の明け放されるのを
若い鶯たちの歌に依つて
生活は彩どられる
いくたびも、いくたびも、
暁の瞬間がくりかへされた
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
だが、唯の一度も同じやうな暁はなかつた、
さうだ、鶯よ、君は生活の暗さに眼を掩ふなかれ
君はそこから首尾一貫した
よろこびの歌を曳きずりだせ
夜から暁にかけて
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
新しい生活のタイプをつくるために
枝から枝へ渡りあるけ
そして最も位置のよい
反響するところを
ほうほけきよ、ほうほけきよ、
谷から谷へ鳴いてとほれ
既にして饑餓の歌は陳腐だ
それほどにも遠いところから
われらは飢と共にやつてきた
悲しみの歌は尽きてしまつた
残つてゐるものは喜びの歌ばかりだ。
幼稚園を卒業し給へ
続け、私の勝利の歌に、
君の歌が、
君の歌に、また私の歌は引継がれる
そして今日我々はバンザイを
揃つて叫ぶことに躊躇するな、
おゝ、友よ、私と共に
ブラボーを絶叫しよう、
君や我々は自分の純情をまもるために
実に立派な狡猾さをもつてゐる、
この狡猾さを
誇示するときに
あらゆる敵はまた好敵手として
敵の狡猾さをもつて立ち現はれる、
古い狡猾に対するに
新しい狡猾さをもつて答へてやるとき
我々の微笑もまた
彼等の眼には鬼のやうに恐ろしく見えるだらう、
更に我々は
この微笑をしだいに
憎悪の表情にかへてゆくとき
彼等の狡猾さは
単なる小賢しさであることを暴露しつゝ
最後の決戦を我々に向つて挑《いど》む
敵の千の表情と
万の感情の種類とを、
我々は我々のものとしなければならない、
単なる純情といふものが、
いかに愚劣であるかといふことに
気づいた瞬間
我々は始めて
戦術家の仲間入りができたときだ、
早く我々はこれらの
幼稚園を卒業しろ、
狡猾、悪行、憎悪、大胆、横柄、執拗
あらゆるこれらの敵のものを
我々のものと、財産としろ、
我々は彼等に
身をもつて接近しなければならない、
そして彼等と接吻を
した瞬間に彼等の舌を
噛み切ることを決して忘れるな。
決して淋しがるな
私は空想する力を信じてゐる
もつとも強度の空想を――、
健全か、君の思想は
それでは君は
高い塔の上から飛び下りて
自殺してしまふ力も
湖水を一文字に
ヨットの快速力で横断する
行動力もあるだらう、
俗に超自然と
名づけられてゐる行為も
君は為しとげなければならない、
夢見よ、
夢と現実との区別を
忘れてしまへ、
人間は階級に捧げられたものだ、
槍の上の我等の首は
尚且つ敵を睨む力があるだらうから、
最後に於いても
最大の精神の凝固をもつて
敵に当れ、
ましてや我々は
生きたる肉体の力を
決して過小評価してはいけない、
あらゆる涯まで
戦ひの精神を飛ばせ、
肉体を酷使せよ、
そして悔えるな、
たたかひの歌を
人間が聴いてゐなくても失望するな、
ミソサザイ許りが聞いてゐても
決して淋しがるな。
私の事業
物の黒白を見極めようとして
あまりに眼が
動揺してゐる、
事情が切迫してゐるから
私は急速に
私の立場を極めなければならない、
然しそんなことは不可能だ、
私はただ素直に
生活を泳いでゆかう、
根気よく、
長い間かゝつて
私自身の階級を説明してゆかう
あゝ、私はやつとの思ひで
生活は疲れてはゐるが、
生活から倦怠だけは
追つ払つてしまふことができた、
それはすばらしい事業であつた、
仕事はいま始まつた許りだし
労働者を啓蒙するなどといふ
大それた自惚を私はもつてゐない、
労働者にむかつて
話しかけるとき
もつとも臆病に細心になる、
そして彼はまるで私と反対だ、
彼は労働者にむかつて
自分の立場を説明し切らずに
威猛高に階級のことを説得しようとする、
思想のチグハグな人間は
一方の肩を
きまつてそびえさせるものだ、
私にとつては
平原のかなたから
嵐のやうな幸福や自信が
襲つて来るのを待つてはゐない、
襲つてくるもの――、
それは嵐のやうな
はげしい自己反省である。
子供のやうに歌ふ
私は最大にわが儘に歌つてゆかう、
人々はみんな我儘をしたいのだから
私はその見本帳をつくつてゆかう、
批評家は私の我儘に
やきもちを焼いたらいゝ、
私が失策したとき
私が没落したとき
オーケストラは一斉に鳴れよ、
私は人喰人種から
一足とびにプロレタリアートになつたやうに、
私はあらゆる本能的なものを利用するのだ、
私は単純で哲学的でないといふ、
私の哲学は――、
犬に喰はれてしまつた、
若し、私の哲学を
批評家よ、君は探し出したいならば、
脱糞するところまで、
犬のケツを尾いてあるいたらいゝ、
われらは単純で直裁な路を
虎視眈々と
ねらふ群集の一人として
光栄あるマークを胸につけてゐる、
あゝ、クン章よ、マークよ、
胸のものよ、
私は子供のやうにそれを誇つてゐる、
一日よ、
朝のすがすがしさと、
夕焼の美しさよ、
バイオリンと
セロの取つ組み合ひよ、
感動もつて私の一日は高鳴る
私は君達に合唱する
我儘と自由は
我等にとつて同意語であれ、
私の我儘の見本帳は
まだまだ薄い。
お前可愛い絶望よ
絶望よ、
お前が襲つてくるときは
実に美しい、夕陽のやうにきれいだ、
マリヤーピンの絵の色のやうに赤い、
激動を伴ふからお前は綺麗だ、
強烈だからお前は美しい、
すぐ死を考へることができるから嬉しい、
そして地球は広いから
絶望のために七転八倒して
くるしんでも私は邪魔にならないだらう、
絶望よ、お前はさまざまな姿で
私の処へ、毎日でも訪ねてきておくれ、
私は歓迎しよう、
私はお前が訪ねてくるたびに
死を考へ、生を考へ、
そして私はこの二つのことを
こころから歌ひつくして悔恨はない、
お前がやつてくると私は怒る、
そして敵といふものの正体をはつきり見る、
私の中の敵、
敵の中の私、
混んがらがつた敵味方の中から
絹の布をピリリと引きさくやうに
敵の部分を引きちぎることができる、
私は絶望を大変可愛がつてゐる人間だ、
龍よ、お前と私とは闘はう、
誰だ、
私と龍との間に
なまじつかな人間が仲裁に入るのは、
私はシヱ[#「ヱ」の小文字]クスピアの「リヤ王」のやうに
――龍と怒りの中に入るな、
と私のたたかひの本能に
水をさす者を罵しるだらう、
敵と私との間にゐるものは絶望よ、
お前はどんなに私をふるひたたせるだらう、
私の怒りは塩のやうに
ナメクジを溶かしてしまひたい、
私はリヤ王のやうに憤りしやべり、
画家ゴヤのやうに髪の毛を逆立てゝ
口から泡をふいて仕事をしたい、
絶望よ、
お前は可愛い奴だ、お前をヒシと
抱き緊めるとき
私の心臓は手マリのやうに弾んでくる、
不幸がこのやうに私を激させてゐる、
呼吸《いき》を吐くべきときに吸つたり、
吸ふべきときに、息を吐いたり、
不規則な心臓の鼓動よ、
動乱の世界の私の歌うたひよ、
いつになつたら一層良い環境で
私に喜びの歌をうたはせてくれるだらう。
IV
孤独の超特急
触れてくれるな、
さはつてくれるな、
静かにしてをいてくれ、
この世界一脆い
私といふ器物に、
批評もいらなければ
親切な介添《かいぞへ》もいらない、
やさしい忠告も
元気な煽動も、
すべてがいらない
のがれることのできない
夜がやつてきたとき
私は寝なければならないから、
そこまで私の夢を
よごしにやつて来てくれるな、
友よ、
あゝ、なんといふ人なつこい
世界に住んでゐながら、
君も僕も仲たがひをしたがるのだらう、
永遠につきさうもない
あらそひの中に
愛と憎しみの
ゴッタ返しの中に
唾を吐き吐き
人生の旅は
苦々《にが/\》しい路連れです、
生きることが
こんなに貧しく
こんなに忙しいこととは
お腹《なか》の中の
私は想像もしなかつたです。
友よ、
産れてきてみれば斯くの通りです、
ただ精神のウブ毛が
僕も君もまだとれてゐない、
子供のやうに
愛すべき正義をもつてゐる、
精神は純朴であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ、
私は混線してますます
感情の赤いスパークを発す、
階級闘争の
君の閑日月の
日記を見たいものだ、
私の閑日月は
焦燥と苦闘の焔[#「焔」の火へんを炎にしたうえで、へんとつくりをいれかえた字、焔の正字と同字]《ほのほ》で走る、
孤独の超特急だ、
帰ることのできない、
単線にのつてゐる
もろい素焼の
ボイラーは破裂しさうだ。
月の光を浴びて
私の悲しいと思つたときに、
月がのぼつてきた、
自然は私のもの人間のもの、
なんといふお誂らへ向きだらう、
そして私の機嫌はいつぺんになほつた、
大股に歩るきながら
そして私は考へるのだ、
とにかくわれわれは
敵に憎まれる必要がある、
その必要のためにのみ
貴重な口を開け、
大事な足を前に出せ、
傍若無人の行為は許されてゐるのだ、
――傍若無人はいけない、
といふものがあれば、それは味方ではない敵だ、
退屈な月夜を
泣いて暮らすのはいゝ気分だ、
だがそれは斯ういふ時世には
少しもつたいないだらう、
我々にとつて
もつとも解放的な夜といふものは
相手を嫌がらせる歌をつくつたり
計画を樹てたりすることだ、
毎日悲しく、
毎日嬉しい、
こゝろの中はいりまじつて
まるでよごれものさ、
私はいま自分の心を
西洋流に洗濯してゐる、
東洋流に
だらだらと一日中苦しまない、
だらだらと一日中、はしやがない、
悲しみも苦しみも
じつと堪へてゐる
一週間目毎に
かためてをいていつぺん[#「いつぺん」に傍点]にゴシゴシ洗ふ、
おゝ、この美しい
月夜のために我々は
冷静でをられるか、
我々の解放の時間は
先づ自分の手によつて
自分の周囲から
つくり出さなければならないから、
立つてゐる私に月が光りと影を与へるやうに――、
あいつは頭の中では
たえず労働者をほめてゐる
でなければ労働者にコビてゐる
あいつは頭の中では
月は美しいと思つてゐる
でなければ自然への追従だ、
心では月や労働者を
美しいと思ひながらも
美しく歌ふ力のないものよ、
おゝ、君はそのために苦しむのは正しい、
我々の新しい美学を打樹《た》てるために
苦しむのは良い
だが君の苦しみは
とかく退屈へ引継がれる、
人生の雑種として
どうせ私は殖民地生れ
混血児なんだ、
お気にさはつたら
御免なさい、
理解できなかつたら
勝手にしやがれ、
私は人生の雑種として
節操がない
すべての男とすべての女の
腹の中に
私は胤《たね》をおろさう、
私の可愛い子供が殖えるやうに
私の思想をバラ撒《ま》かう、
私の無礼な性格は
私のせいではない
諸君よ、
私の父親を恨んでくれ、
私は日本酒と洋酒と
ちやんぽんに飲む、
コスモポリタンだ、
どつちの国籍に属する酒が
私を酔はしたか
お医者もわかるまい、
日本的現実も
ソビヱット的現実も
わたしにとつては区別がない、
ただ癪にさはるのは
足の立つてゐるところの現実が
私に貧乏を押しつけたことだ、
そのことだけで
私は単純に怒る、
私は酔つて頭が混乱してゐるのに、
奴は道徳的平静を
しんみり味つてゐる
良い身分だ、
海に囲まれたこの島国で
私は三十五年間
現実と和睦してこなかつた
今更楯《たて》つくことはやめられぬ
舌はもの食ふばかりでついてゐない
噛み切るためにもついてゐる、
太陽は空をうろつき
下界では
日本のアスファルト舗道を
右に左に千鳥足
私は思想のタテヨコと
嘔吐《へど》をもつて
さんざんに汚すばかりだ。
自然物に就いて
疑りぶかい眼をもつて見たから
夕闇の中に白く咲いた
おどろくべき大きさの
夕顔の白い花にも私は驚ろかなかつた、
私はこの花を平然とみてゐたとき
私の眼は白痴であつたのだ、
あらゆる事物に就いての
階級的観方といふものは
いつも単純であつていけないと考へこんでゐたから
私はいつもひがんでゐた、
あらゆる美しいものを
一応疑つてみてゐた
それは決して私の過失ではない、
私はどんなに細心と
おづおづとして
遠慮ぶかく自然や人間を見てゐただらう、
今ではすべては解決した、
自然は私に
何の犠牲的なものを要求する
権利ももつてゐないことを知つたとき
私は馬のやうに
自然の花をむしやむしやと喰つてしまふ
ことができるやうになつた、
樹よ、花よ、山岳よ、
あらゆる自然物よ、
一見厳《いか》めしさうにみえて
お前謙遜なものよ、
お前人間の生活の傍《かたはら》にあつて
たつたいまお前の上に夕陽が落ちた、
なんといふ美しさよ
私のものよ、
自然物よ、
私はお前を美しい事実として
歌ひ尽さなければならない、
歌ふとき
プロレタリアはお前のオゾンを吸ふ、
山よ、お前へ懐疑の
曳綱をつけて引つぱつたとき私は負けた
私がお前の樹の中へとびこんで
勢《ママ》いつぱい反抗を絶叫したとき
自然のあらゆる物音は私に調和した、
自然よ、お前は我々のやうに
無垢な心をもつてゐる
自然よ、私が曾つて少しでも
お前を功利的にながめたことを
ゆるしてくれ、とがめてくれるな、
お前の美は我々の本能的な眼に
依然として美しいものとして答へてくれる、
敵よりも、より多く、
お前の美しさに我々が感動するとき
お前はその時我々の好意をうける、
お前は我々の味方になる
私はお前を恋人のやうに見る、
お前のうつり変りの
はげしい感情に
我々は絶えず敏感になるだらう、
そしてお前を守るために
お前を愛するために
私は私の恋仇と私の敵と
あくまで戦ふであらう。
人魚
私が眠らうとするとき
崖の下では波音が鳴つてゐた、
そして私は眠りにおちた――、
時間が経つた。
私がふと目覚めたとき
崖の下ではやつぱり
波音が鳴つてゐた、
しかしその波は新しい波であつた筈だ、
現実よ、おゝ、私を洗ふものよ、
襲ふものよ、
お前はいつも
そのやうに新しいのだ、
波は一切のものを
鷲掴みにしようとする
真青な大きな手のやうにも見えた、
私は岸に立つて海をみながら言つた、
――波よ、
私の詩人はどうして
次ぎ次ぎと底から湧いてくる
お前の新しい歌と合唱ができないのか――と
すると波はわめいた、
――アンデルセンの人魚を見れ、と
その時人魚は海の中から現れた、
月に照らされながら――、
彼女は海の中の現実を見落した、
しづかに陸に上つてきた、
彼女の欲するものは
未知の世界であつた、
憧れの地上であつた、
彼女は海の中では
到底みることのできない
美しい花や、樹木や、鳥や、人間が
どのやうな形のものか知りたかつた、
人魚は陸を歩るいた、
しかし地上とは――、
到底想像してゐたほど美しくなかつた、
また到底堪へることができないほど
痛いものであつた、
一足ごとに足の裏は
茨か針を踏むやうに痛んだ、
私も人魚のやうに
生活の苦痛を踏まう、
未知の世界を憧れよう、
それは未知の世界を
海の中にではなくて
陸の上に求めよう、
波よ、私にかぶされ、
お前の塩分の為めに
私の身体はピンと引き緊められようから、
我は人魚のやうに――、
地上よ、
現実よ、
新しいお前の針を踏まう
私はお前に激烈に愛されよう。
私は激烈にお前を愛してやらう。
階級の教授
なんて私は私を蔑《さげす》むことが
不足してゐるのか、
そのことのできない間は
私の生活は
私の芸術は
犯罪にすぎない、
おゝ、人間は
なんて嘘をいふことに
馴れすぎてしまつたのか、
あいつの小説は
なんて難解極まるのだ、
なぜ我々に
やさしく運命に就いて
解説を与へないのか、
なんて表現は
検事の論告に馴れ切つてしまつたのか、
なんて、なんて馬鹿々々しい、
菜の花から油がとれることを
忘れてしまつたのか、
彼は土臭い人間のために、
たつたひとことでもしやべつたか、
刑務所の中の物語りはもう沢山だ、
いつまでパルチザン物語りでもあるまい、
ドニヱブロストロイの
掘鑿機のひゞきはやんで
流れはとつくに
海に注いでゐる、
たゞ我々の国の人間の精神は
貫通されてゐない、
真実は
嘘の岩石の間を
辛《から》うじてセセラギのやうに流れてゐる、
可哀さうな
細々とした真実よ、
おゝ、私は個人主義のために
立派に苦しんでゐる、
他人を教唆する権限を
誰から与へられたか
彼は知らない
それは怖ろしいことだ、
だれが君を階級の教授に任命したか、
だれが辞令をいつもつてきたか、
君は勝手に教壇に立つてゐるだけだ、
蔑《さげ》しめよ、
自己を、
教へる資格があるかどうか反省しろ、
個人主義を卒業しない、
君はアカデミーだ、
まづそれを苦しみ悲しめ。
酔つ払つたり歌つたり
二六時中歯を喰ひしばる程の
憤懣などはない、
さうした憤懣が私に詩をつくらせない、
民衆は、果してのべつに不幸だらうか、
民衆の中に
たくさんの不幸も見た
だがまた沢山の幸福も見た、
酔つ払つたり、歌をうたつたり、
キネマを見たり、闘つたり、
散歩したり、女を可愛がつたり、
こんなことはみんな人間のすることなんだ、
忘れてはいけない、
我々は単なる清教徒的プロレタリアで
あつてはいけないことを、
民衆の生活の中から
ピュリタンを、
しかめつつらの深刻癖を
とりのぞいてやりたいものだ、
楽しい歌をもつて私はハシャグから
民衆はますます
生活をたたかひぬく
図々しさをもつて
私の歌に合唱してくれ
私の憤りは
よき相手を発見したそのときだ
私は二十四時間の憤りを
たつた一時間で粉砕できる
残つた時間をみんな
民衆の喜びのために使ふ、
幸福な歌ひ手
そのやうな衝動的詩人だ、
また二十四時間の幸福を粉砕し
一時間で苦痛の歌にまとめあげる、
そのやうな不幸なマルキストだ
そのやうな激情の詩人だ、
これからは民衆はもつと気儘になるだらう、
そして会話の声も
ずつと高くなるだらう、
男は勿論、
思ひがけない程女たちは強くなり、
男たちは益々露骨に
女を可愛がるやうになるだらう。
詩の俳優
ああ、私をして
この有頂天から突き落せよ、
私は詩の俳優なんだ
演技がまづけりや笑つてくれ給へ。
私はこれから気取るのだ、
私は女のやうに半襟を選むんだ、
私は自分の部屋での
苦しみで不足して
のこのこ舞台の上にまで呻きにゆくんだ。
この恥さらしのために
誰がカッサイをしてくれるか、
私は誰をひきつけることができるか、
君は立派だ、
君は男らしいわが友よ、
貴方は美しい、
貴方は女らしい、わが恋人よ、
私の俳優にとつて
なんと豊富な観客の数だらう、
私にかつさいをするもののために
私は狂気になりさうだ。
私に焼けた鉄の棒を呑ましてくれよ、
民衆よ、わが馭者よ、
私をブッ倒らせるほど
つかひまくれ、
私のグループは
すでに手順が揃つた、
彼は幕引き
慎重なる態度で
私が真実に
涙をながした瞬間に幕をひいてくれる、
某は銅鑼たたき、
なんと情熱的なる狂ひタタキよ、
某々は衣裳掛り、
私に紗のウスモノを着せたり
鉄のヨロヒを着せたり忙がしい、
猛る観客のために
舞台には奔馬をひきだす、
血を欲する観客のために
私はほんとうに血を流してみせねばならぬ、
観客よ、
私にほんとうに死ねといふのか、
――あいつは変な存在だし
足手まといな三文役者だ、
とつとと血を流せ
と君は言ふのか、
まてしばし
わが友よ、民衆よ、
私の詩人にいま暫らく
生き永らへさせよ、
私をして焔[#「焔」の火へんを炎にしたうえで、へんとつくりをいれかえた字、焔の正字と同字]のセリフを
舞台から吐かせろ――。
いまや私は決闘の時間だ、
私に悠々閑々たる
たたかひの時間を与へよ、
いまや私は食事の時間だ、
舞台の上のレストランだ、
ビールはほんものだし、
ブクブク泡の立つた奴だ、
私はこいつをグイとひつかけて
幾分酔ふ、
滑稽なコロッケに
憂鬱なソースをかけて喰ふ
私の演技の
こまかいところを買つてくれよ。
ウラルの狼の直系として
――自由詩型否定論者に与ふ――
お前詩人よ
己れの才能に就いての
おもひあがり共よ
天才主義者よ
腹いつぱい糞尿のつまつて立つた胴体よ、
君等の詩は立派すぎる
おゝ、りつぱとは下手な詩を書くことだ、
私は才能などといふものを
君たちのやうに盲信しないから
君たちのやうな立派な下手さで詩をかゝない
真実を語るといふことに
技術がいるなどとは
なんといふ首をくくつてしまふに
値する程の不自由な悲しさだらう、
すばらしいことは近来
人間たちがどうやら
苦しみと喜びの実感を歌ひだしたことだ、
悪魔は腹を抱へて笑つてゐる
日本の詩人もどうやら
地獄に墜ちる資格ができた――と
フレー、フレー日本の詩人、
醜態をいち早く現はしたものが
詩人としての勝だ
私は醜態を
真先にさらけ出してそして勝つた、
気取り屋と、嘘吐きと、こけおどかしと、
頭も尻尾もない散文詩型から
足をちよつと出してみたり
手を一寸だしてみたり
そのうごき廻る格好は
アミーバそつくり
そもそもこれらの
蟻地獄の詩型の苦しみは
散文へのナガシメから出発した、
私のやうに極度に
馬鹿な頭で
単純な苦痛の訴へ手は
智識の複雑な方々には
到底お気に召すまい
おゝ、才能あるもろもろの詩人よ、
醜態と過失を
永久に犯すことを怖れてゐる神よりも
王よりも立派な人たちよ、
すべてこれらの人々の言はれることは立派である
配列よく、位置よく、
おどろくべきは
動乱と激動の渦中にあつて
自由詩を軽蔑なさる、
そして新律格、新韻律の詩型とやらを
つくると宣言する、
私は諸君のやうに
詩と散文の雑種ではない、
私は自由詩の純粋種だ
つまりウラルの狼の直系さ
詩型の秩序と韻の反覆は
当分あなたにおまかせしよう、
底本:「新版・小熊秀雄全集第2巻」創樹社
1990(平成2)年12月15日第1刷
入力:八巻美恵
校正:浜野智
1998年9月1日公開
1999年8月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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