青空文庫アーカイブ

小熊秀雄全集-1
短歌集
小熊秀雄


幻影の壺

けだものの子

産科院よるのさびしさ夕食の鈴のしづかに鳴りにけるかな

おぎや……たかくさびしく産科院けだものの子のうまれけるかな

けだものの子はかたくもろ手を胸にくみしつかりなにかにぎり居るかも

うすら毛のけだものの子は四つ足をふんばりにつつ呼吸づきにけり

けだものの子は昼としなればひそまりて小鼻かすかにうごめけるかも

おそるおそるけだものの子の心臓のあたりに指を触れにけるかな

けだものの子は瞼かすかにうごかしつ外面の草の戦《そよ》ぐきくかな

けだものの子は生れながらにものを食《お》す術《すべ》しりたればうらがなしかり

黒薔薇はなにか予言《かねごと》まむかいのけだものの子にいひにけるかな

けだものの子はとつぜんに手足ふり狂乱となり泣きにけるかな

けだものの子は現世いやとかぶりふり土ひた恋ひて泣きにけるかも

ひえびえの秋風ふけばけだものの子にも感づとふるひけるかな

入りつ日をけだものの子はあびしかばうぶ毛金毛となりにけるかも

ひそかにひそかにけだものの子のその親を柩《ひつぎ》のなかにいれにけるかな

ひそかにひそかにけだものの子のその親の柩は門をいでにけるかな

入りつ日のかがやく野辺のさいはてにあかき柩はかくれたるかな


河豚《ふぐ》の腹

ひろがれる靄うみにみち沖のへに鐘鼓ひまなくなりしきりなり

あまりにもいろ濃き空よ見つむれば紫紺《しこん》堕《お》つるとおもはるるかな

海ぎしに河豚の腹などたたきつつこどもごころとなりにけるかな

なぎさにいで貝のかけらを千万にくだけど遂にけむりとならず

童子らは青藻のかげの夜光珠《やこうしゆ》の粗玉《あらたま》などをさがすなりけり

鶺鴒《いしたたき》ひねもす岩に尾をたたき砂地《すなぢ》だんだんくれにけるかな


悲しき夢

支那人は黄なる歯をみせ鞭《むち》をあげさてこれよりと言ひいでしかな

ぬば玉の闇よりぱつとあらはれし青き男はわれなりしかな

いろ青き天鵞絨服《びろうどふく》のつめたさを素肌にきれば秋が身にしむ

ましろなる顔の瞼《まぶた》をくまどりて鏡にむかひ笑ふわれなり

窪みたるまなこしみじみ愛《いと》ほしと鏡にむかひ摩《さす》るわれなり

くるはしき踊りにつかれ天鵞絨《びろうど》のゆかに倒れてねむるわれなり

『現身《うつしみ》のうれしき糧は酒なり』とまなこにつげといふはわれなり

この床に踊りつかれてねいるごといのちをはれば満足ならむ

こもり居て親をおもへば金鼓《きんこ》うち踊るわれなり歌ふわれなり


聖人《ひぢり》のまね

日の落つる丘に手をくみ眼をつぶり聖人《ひぢり》のまねをなしにけるかな

まねなれど聖人《ひぢり》の真似《まね》のたうとけれ海にむかひておもふことなし

めをつぶるひぢりの腹にしんしんとさびしくひくく潮鳴りきこゆ

にせものの聖人は腹のすきければ聖人をやめてたちにけるかな

眼ひらけば入日は海にひろがりてあかくするどく眼に沁みしかな

にんげんのこころとなりてたちあがり着物の土を払ひけるかな

つぶる眼のまぶたあかるく入つ日は海にかがやきしづかなるかな


潜水夫《もぐり》

寒天をたたえしごとき重々し海のうねりに潜水夫《もぐり》あらはる

みな底のもぐりの男かなしけれ妻のポンプをたよるなりけり

築港《ちくこう》の真昼の砂にさかしまに潜水夫《もぐり》の服のほされたるかも

ぶくぶくと水面に泡《あわ》のたちければ潜水夫の死ぬとおもひけるかな


国境

山道に赤き苺《いちご》の雨にぬれいろあざやかにこぼれあるなり

たえがたきうらさびしさにゆきずりの野草にふれぬ露にぬれつつ

みかへればはるかわが村一望のうちにおさまり河遠白く

らんまんに盆花さける隣国に一歩ふみいれなみだながしぬ


雑詠

朝の湯の湯気のくもりに老人がしんじつひたり念仏もうす

土手にゆけば土手の臭《にほ》ひのかなしけれ萌えてまもなき青草の土手

ダッタンの海のくろきに白鳥のうかべば羽のそまるとおもふ

春の夜の窓の硝子に頬よせて海のあかりにみいるなりけり

ひつそりとあたりしづかに風凪ぎの海のなぎさに砂音きこゆ

船子どもは声をそろへてくらがりの沖に夜網をおこすなりけり

ぬば玉の闇にかがり火たく船のふなばら赤く海にうつれり


晩秋の街

苦心して男のはりし赤きビラいま風きたりはぎてゆけるかも

十字路にけふもかがまりくるい女《め》はごみ箱のかげあかきもの食《は》める

犬の顔まぢまぢみれば犬もまたまぢまぢわれのかほをみしかな

すたすたとまぢめの顔しくろき犬旅するごとく街あゆむかな

なかなかに朝靄はれず酒造場の大いなる桶の箍うつきこゆ

大道のせともの売は皿と皿すりてさびしき音たてしかな

しろ服のあまたのなかに冬服のひとりまじりてさびし夜の街

街をゆき女の肌にわがさ指ふれておもはずおどろきしかも


畠の恋

太陽にそむきてさきし向日葵《ひまわり》はその咎《とが》にして萎《しを》れたるかも

よくはずみ侏儒の手まりのごとくなり豆鞘わればころがりいづる

わかものの畠の恋は黍殻《きびがら》をたばかされなと風ふきしかな


黄金の果実

けだものの子は大人《をとな》となりぬ一本《いつぽん》も毛のなきことが悲しかりける

黄金《きん》の実をつまむてだてをけだものの大人がよりてかたるなりけり

いささかの黄金《きん》の木《こ》の実のいさかいにけだものは刀ぬきにけるかな

いささかの黄金の木の実のいさかいにけだもの一匹《いつぴき》斃れたるかな

つめどもつめどもけだものどもは黄金《きん》の実《み》を足ることしらずけふも摘みをり

うら悲しけだものどもは黄金《きん》の実《み》をひた恋ひしゆえ傷《きづ》つきにけり

うら悲しけだものどもは銀の実をひたこひにけり嘘いひにけり

うら悲しけだものどもは銅の実をひたこひにけり首くくりけり


友を焼く

うつむきてみなもの言はず火葬場のしじまに骨を拾ふなりけり

友の歯をひとつふたつとかぞへつつ白木の箸にひろふ火葬場

友焼きてかへる花野の細道に草鞋《わらんぢ》の紐とけにけるかな

杳かなる花野のもなかいつぽんのすぐたちの木に烏とまるも

火葬場は曼珠沙華《ぼんばな》の秀《ほ》にかくれたりはるかにしろきけむりたつ見ゆ

夕ざりて河のどよみを茄子の馬胡瓜の馬が流れたりける


十字路

朝の陽は障子《しようぢ》あかるくいちめんに照りかがやけばまなこくらみぬ

ひたすらに爆竹をうつなりわいをしてみたき日ぞ空をながむる

朝まだき靄にきこえてすがすがし法華《ほつけ》の太鼓しづかなるかも

にんげんにうまれしといふ悔恨をつくづくかんぢ涙ながしぬ

にんげんの子がうまれしと紅白《こうはく》のまんまろの餅《もち》おくり来しかな

朝の湯のくもりがらすに女湯のをんなのあたまうつりけるかな

からんからん茶椀をならしみつれどもさびしさ癒《いえ》ずひとり飯《いひ》食む

ひからびし手をもて母が炊ぎたる尊《たふ》とき飯《いひ》ぞしみじみと食す

一すぢのしろき道なりそのかみは君と手をとりすぎし道なり

路のべの赤き小石をてにとりて息ふきかけて見はみつれども

なにがなしに素足となりてわが街をあゆむこころのおきにけるかな

町角の湯屋にうどん華《げ》さきしてふ噂もいつかきえにけるかな

朝顔は咲きて萎《しぼ》みてくりかへしころりと鉢に散りにけるかな

さてこれよりいづこにゆかむ十字路に立ちてあたりを見まはせしかな

少年のこころとなりて石塊《いしころ》を路上ころころころがしてゆく

街なかにあたりうかがひ呼子笛ひとふきふけばこころおさまる

谿越えてあの山こえて帰るてふ飴屋おもへば笛きこえ来し

かつかつと足音たかく橋の上人形のごとうごく兵隊

つつましく日本《にほん》のをんな菊の花もちて街ゆくふさはしきかな

嘘つきのたくみの友とさ夜ふけに語《かた》りあひけりうそとしりつつ

子らがみな一列にならびつぐみたる口元みればお可笑かりける

鳥さしの児の帽子のひさしま日をうけしろく輝やきうごかざるかも


尾張屋爺 思ひ出

杣夫なる尾張屋爺はさむらいの成《な》れの果《は》てなり剣術を知る

新聞をまるめて爺と仕合しぬをりをり禿をたたくなりけり

杣夫なる尾張屋爺はさむらいの成れの果てなり忍術を知る

忍術をみせよと爺にせがみたり外面《とのも》はしきり吹雪するなり

眼をつぶり尊《たふ》とげのこといひたれど蟇《ひき》はもいでず鼠もいでず

酒のめば水遁火遁忍術をなすといひしがついにせぬなり

飯食みてをればとどろと裏山に爺が大樹を倒せしひびき

かんじき……を履きて爺は朝はれの雪の林にいりにけるかな


秋の船旅

船客に道化師まぢりほろほろと横笛なりぬ秋のふな旅

山遠き小能登呂《このとろ》の浜まひる日に青くかがやき草もゆるみゆ


踊る烏

なやましき夏の真昼のへんげものからす輪となり踊るなりけり

なやましき烏の踊りみぎり足いちぢるしくもあげにけるかな

ちよんちよんと二《ふた》足三《み》足かた足で歩みしろ眼をつかひけるかな

からす等のへんげの踊りみてあれば胸がくるしくなりにけるかな

恋の歌うたふ男のきまぐれを烏はかあとわらひけるかな


愛奴部落

のぞきたるアイヌの家にいたましく鮭《さけ》の半身《はんみ》のつるされしかな

和子《しやも》の子の愛奴《あいぬ》に悪口いひければ毒矢《ぶしや》木ひくぞとわらひけるかな

山焼けの遠火のけむりたなびきてかすみのごとくみゆるなりけり

草丘をのぼりつくればアイヌの実茶色つぶつぶ敷かれたるかも


大館町 思ひ出

秋田に住む叔母がましろきつやつやのかほなどおもふ雨のひるかな

通草とりの子ははろか山道種ふきてすぎるみゆかな頭をふりにつつ

通草とりの子にあけびをひとつくれと言ひくれざりしかもさびしかりける

色白き河原の石の反射などまなこを閉ぢておもふなりけり

河岸のうすくらがりに蝙蝠《こうもり》を追ひてこどもらいまだかへらず

縞蛭は日ぐれの沼にうごくなり吸血のすべしるがかなしき

夕暮れの沼のあさどのおぐらきに水しはつくり蛭うごくなり


馬小舎

馬小舎のうまがきり藁食す音のとどろひびきて頭にのぼるかも

床にゐて馬小舎の馬が屋《は》梁《り》を噛む癖を叱りてねいるなりけり

押切りをたくみに使ふ若者に指などきるなといひかけしかな

切り藁にほそり木まぢりゐるけらしぽきと音して手応へしかな

馬小舎の飼ばの桶に庭鳥が卵をひとつ産みてあるかも


大根畠

山蔭に薄陽をあびて大根をほればもろ手のつめたかりける

しんしんと地がなるごとし大根をほる手をとどめ土にかがみぬ

夕ざれば地の冷えまさりこんこんとつづけて咳のいでにけるかも

現世に大根が生きてゐることのお可笑かりけりうごかぬ大根

夕闇のなかにましろくつみあげし大根がみな土にきえゆく


月夜

あゆみつつ夜更の空をみあぐれば電信柱にかかる月かも

らんらんと尊とや月はまづし家の屋根いちめん照らすなりけり


さびしさ

そのかみの悪性《あくしよう》男なきてをり女供養《くよう》と泣きてをるなり

たえまなく胸の扉《とびら》をあかき衣《い》の侏儒《しゆじゆ》らけふしもたたくなりけり

八畳のそのまんなかにあかき林檎ひとつころがしみつめたるかも

わかき我なにのはずみかしはがれし悪魔の声しはつとおどろく

ひたすらにわが身いとしと銭湯《せんたう》に脚気《かつけ》の脛《はぎ》をさすりけるかな

かなしきはここの酒場のこのブランあまりに弱き味覚なるかも

むらさきの縁取《へりと》りコップたちのぼるココアの湯気のしろき夜かな


丘に立ちて

ひとり死ぬるさびしさなどをおもひつつ狭霧《さぎり》の丘にたちつくすなり

丘にたちしみじみ夕日あびにつつ満《み》ち足《た》らふまでなきにけるかな

なきなきていささかひもじくなりければ草の実つみて頬ばりしかな

荒磯《あらそ》べの石ころみちのでこぼこを馬車たかなりてすぎるみゆかも

うらぎりの君のにくさに草の実をつぶせばあかき血のながれたり

フレップを摘まむとすればその色の処女《おぼこ》にあらず君の乳のいろ

食人鬼の童のごとし童らは草の実食みて口あかきかも


母と逢ひて

いたいたしくやせほそりたる吾《あ》の母の人力《じんりき》車にのるをながめたるかも

うれしくてうれしくて吾《あ》はなきにけり幌《ほろ》ををろせといひにけるかな

うれしくてうれしくて吾はいくたびも洟《はな》をかむなり飯《いひ》食《を》しにつつ

わが母のいつとせ前の疳症《かんしよう》のひたいのすぢののこりたるかも


子供王国

童子ひとりおもちやの弓をひきしぼり矢叫けびたかくはなちけるかも

だんだらの道化の帽子かむりたる童子はついになきにけるかな

いちにんの童子は煙草のむまねをなしてゐるなり悲しからずや

いちにんの童子は童女と草つみて夫婦《めをと》ごつこをするがかなしき

童子らのなすことをじつとみてをれば草にかぎろひうすらたつみゆ


場末印象

なにかしらかなしきものの澱《をど》みゐる場末の空気吸《すへ》ばさびしも

壁土をこねる男のさむげなる素足をみつゝすぎにけるかも

はるか来てふとみかへれば壁土をこねる男は煙草すふなり

壁土をこねる男の顔みしが顎鬚《あごひげ》のみのみゆるなりけり


旅愁の歌

誰にともなくほほゑみなげて船橋をわかき女の降りけるかな

憂鬱のなすことつきて謹厳のをとこも小唄うたふ船旅

船人はかなしき鐘鼓《しようこ》うつになれたくみにうちぬ小能登呂岬《このとろみさき》

こんぺきの海の平らさ波しろくゆくともみえずランチはしりぬ

少年の日の積木のごとくあたらしき家々みゆる真岡の港

あまりにも草の色よく海岸にみいりてしばしふるさとおもはず

親すてしかなしふな旅船底にかへれかへれと潮騒きこゆる

ふるさとにみゆるに堪へず船室にいれどかなしや丸窓にみゆ


風鈴と風

炎天や風なきまひる風鈴をつるせば風の起りけるかな

あまりにも四周しづけく魔人きてゆりうごかせよこの天地《あまつち》を

あまりにも四周さびしく風鈴を買はむこころの起きにけるかな

風鈴のゆれるをみつつしみじみと解熱《げねつ》の薬のみにけるかな


咲ちやん

いきどほり心《うら》にしもて裏の児の咲ちやんをよびあそびけるかな

お可笑《かし》けれおみな子なれば母ぶりて人形などを抱くなりけり

さんだんにうねりてみゆるお河童《かつぱ》の髪ゆりていまし駆《かけ》りくるかな

女なればうちまたにあゆむ咲ちやんのちさき足袋はましろなるかも

おはぢきにわざと負ければうれしきと手ふり足ふり踊るなりけり


金魚と死

霜ふればしんじつ命愛《は》しとおもひ金魚に死ねといひにけるかな

千べん万べん命のかぎり玻璃鉢の金魚はあはれ尾鰭《をひれ》うごかす

くれないの金魚は体かたむけてあはれ大きく水のみしかな

六匹の金魚いつしか一匹となりし朝なり雪ふりしかも

なにもなき金魚の鉢のさびしさに炉石《ろろし》おとせば底に鳴るかも


酒場と南京玉

おのれてふ男はついに酒をのむことを知りしがさびしさはます

冷えまさる秋の夜更けに酒のめば懐さむくなりにける哉

銀色の尻《しり》振《ふり》時計《とけい》しりふるをみつつに酒をのめばさびしも

酒肆《さかみせ》の女のつなぐ青赤の南京玉はよくひかるかも

青赤の南京玉を灯《ひ》のもとにひとつひとつにつなぐ淋しさ

さやさやと秋の葉ずれの音たてて南京玉のよくころぶかも

栗色の丸テーブルに酒代《さかしろ》の銀貨ををけばころげたるかも


広野

野にたちてひとさし指をたかくあげとまる小蜻蛉《こあきつ》とらへけるかも

眼もはるの野の一角に風おきぬ盆花ちりぬあかく小さく

ほろびたる秋の草花手にとりて月のひかりにすかしみるかな

ほそりゆく道の極みにひろびろの野をみいだして走りけるかも

はるばると来はきつれども平原にあゆむあてなし草に坐りぬ

さびしきは村の端《は》づれのはねつるべ半円ゑがききしるなりけり

風わたる野の枯草のいたましさ折りて抱《いだ》けど顫《ふる》ひやまぬかも

ゆきづりにつみし稲穂のつぶつぶをしみじみ噛みてあゆみけるかな

朝の陽の苺のあかさ眼にひろひ山いつさんにくだりけるかな

黄昏れの山上にきて街みれば電灯ぱつとともりたるかな

山に立ち街みをろせばたくさんの魔術師街をあゆみ居るかも

ぴろろろろクラリオネット夕暮れのしづけさやぶり街に流るる

うづくまり松の根もとの蟻をみるゆき逢ふごとに低頭《じぎ》をして居る

山狭の土の窪みにくさぶきの屋根かたぶけてすまへるか人は

もの言はぬ男のごとく焼山の樹々すくすくとたちにけるかな

児らふたり霞網もちむかつ山にうごけるがみゆ真白き帽子

みはるかす畠のあら土うねうねを赤くくまどり陽は落ちにける

どよもして汽車はすぎにけるそのあとはあたりしんしん静かなるかも

土手下に蛙《かはず》ころころなきいでぬさみしらにまた口笛をふく

やめよ子等しら樺の樹のかははぐをいたいたしきぞあかき肌みゆる

樹の樹皮《じゆひ》に木虫みつけぬ児ら焼きてよろこびて食《は》む疳の妙薬


幻影の壺

ましろなる沼の白鳥とろ壺にまぢかくをりて壺みかへらず

もろもろのけだものどもは泥壺をまるくとりまき吠えにけるかな

赤猫のあやしき舞ひにどろ壺はかすかにかすかにゆらぎけるかな

そのかみは蛇《じや》は壺をいだき死せるかな青き蛇紋のうかびあるなり

どろ壺の底をのぞけばむらさきのかなしみの精たまりあるかな

しんしんともろ手につたふ泥壺のどろのぬくみのなつかしきかも

彫刻のなきどろ壺はなめらかに青くさびしく月にひかりぬ


養鶏場にて

雌鶏はゆきつもどりつ鶏小屋に陣痛するとなきにけるかな

めんどりは陣痛するとみづからの腹のにほひをかぎにけるかな

どよもしてみな走りゆくにくらしさ食卵のくせ鶏らはしりぬ

愛《いと》しければ鶏の餌にもと雪ほりてキャベツ畠のキャベツをさがす


折々雑記

夜となれば酒をひた欲るつぶら眼の夢遊病者となりにけるかな

しづか夜の辻うら売りを愛ほしとおもひしづかに酒のみしかな

悲しさよわれにむかひて鳴きてゐる虫の言葉をきく耳もたず

蟋蟀の鳴く音止めむと叢《くさむら》を夜露にぬれてゆれどやまずも

ていねいに夜の小路《こうぢ》の大き石はぎてみたれど蟋蟀は居ず

夜の街鉞《まさかり》もちて男ゆくふつとおそれのわきにけるかな

連れだちてあゆむ汝《な》が母みめよきを妾腹《しようふく》の子よ悲しからずや

夜の街うつろにものを言ふごとく声ひびかせて人すぎにける

われ死ぬるときのさまなど夜の床に夜着をかむりておもひけるかな

差押へその赤紙をみつめつつ兄はへらへら笑ひけるかな

へらへらと笑ひし顔のさびしかり青くつめたくみえにけるかも

酒のみて歌をうたふを淫乱とおもふな女さびしければぞ

寂しさは沼の水泥にうづもれし壺のこころのごとき夜の更け

虫のごと呼吸たへるまで秋さむの河岸にいで歌をうたはむ

いねがたく詩集手にとり表紙画のあをき壺などかなしめるかな

科《とが》もなき妹《いも》をしかりしそののちのさびしきこころ夕雲をみる

この弱きをとこの血潮吸はむとし夜蚊はせまりぬ眉の間に

去《い》ねといひ去《い》なぬといひてかの君と争そひしこともうれしきひとつ

ゆるせ君きみ魔となれと山奥に大樹たたきて呪ひたること

この花を愛すといひて白薔薇に触るれば花のちるがかなしき


疎林落陽

うらがれの林にたてばしんじつに露はつめたくおもはれしかも

うつくしく疎林《そりん》くまなく陽はてりぬここにをとこは首くくりせむ

うつうつと林にいれば蔓草《つるくさ》の首くくりせといひにけるかな

首くくれば親がなくぞとたれさがる蔦《つた》にむかひていひにけるかも

かなしかるものの化身のみえかくれひそかにわれにせまるとおもふ

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その他短歌

炉石を弄る

瘡《きず》つきし野獣の如き風鳴《かざな》りの
心細さよ
炉の石をいぢる
   ×
なるがままに
委《まか》してをけといふ情《なさけ》なき
心となりし二三年かな
   ×
そと触れてもものに
怖づてふ自《みづか》らの
かなしき性《さが》をひとりさびしむ
   ×
床屋より帰れば従妹
しげしげと顔をみるなり
二階にあがる


七夕

七夕の柳ひきづつて行つたばかりの路だ

河原の石白々とせきれいの尾も白い

ほとほと[*後半の「ほと」は二倍の踊り字使用]と困《こ》うじ果てたるわたしの生活

そつとして置け女、恋ごころ、こはれる


真つすぐな街

美瑛町のまつすぐな街に立つてゐる女憎らしい

入浴をそそる午後の陽にしんみり坐つてゐる

珠を拾つてみたい幅広い夜の街

いつぴきのけもの街を馳けぬけた深夜のひととき

ごむ靴を穿いた子供の気持である

愛しうてならない馬が街を通つた

歩るいてゐるのが不思議でならず足をながめる

拳銃を欲しくてならない女を撃つ拳銃でないのです
[#「七夕」「真つすぐな街」は自由律俳句]

無神論者の歌へる

共産主義、無政府主義、社会主義、みなくだらなしただなんとなし舌触りよし
   ×
人なみに妻を娶りて子を産みてさてそのつぎのおそろしきかな
   ×
争ひて頬をうちしが争ひて髪をきりしが妻は妻なり
   ×
子の愛を感ぜずと強く言ひきりてそれは嘘なり弱きダダイスト
   ×
神よこの一人の無神論者を救ひ見よとたんかきりしが多少淋しし
   ×
あらん限りの手段《てだて》もて妻を虐《しひた》げる之を称して倦怠期といふ
   ×
脱走の男の如く土埃たてて街ゆく自動自転車《おーとばい》かな
   ×
函館の修道院が焼しといふ新聞を見て嬉しくなりぬ
   ×
金のなきこの生活がさ程にも不思議にあらず不平をいふな
   ×
黴菌の如く子が殖へるごとしそそくさと袴をつけて外出をする
   ×
妻と子が家畜の如く見ゆるなりつつましく朝の味噌汁を吸ふ
   ×
酒飲めば酒に溺れる男なり教会の門に小便をする
   ×
小つぽけな墓を立ててやらんと思へり子が死ねば夫婦別れの約束をする
   ×
野菜畑の野菜の中にただずみて野菜になればよしと思へり
   ×
赤十字の白きベッドに血を吐きし友を見舞へるが友はほほゑまず
   ×
大いなる赤き球の如き月夜なり叛乱の旗のごとくのぼりて

短冊の歌
うつくしや美瑛の菓子屋の店先のコンペートの赤青の色
(姉の枕元に掛けてあった短冊の歌)


第二回旭川歌話会詠草

草丘は雪に掩はれこの朝はまつたく冬となりにけるかな


第四回旭川歌話会詠草

裏道の石の壁をばよぎりたり入日はあかるく足もとを照らす


第五回旭川歌話会即詠
早春(上)

み冬つきて春べとなりぬ庭松の囲ひの癖も眼にわづらはし


第六回旭川歌話会記

庭さきに馬をひきだし毛を揃へ馬耕の用意するか農夫等

第九回旭川歌話会詠草

牧小屋の真上の空はくもりぞら白雲疾くかげをさをめり

第十回旭川歌話会詠草

わが屋戸の壁にのびたる花豆のかげりにあれば色あせてけり


怪鳥
――層雲峡温泉に遊びて――

峡添《かいそへ》に路をひらくと男等はしげりにこもり高き声たつ

崖下をとをりて仰ぐ眼に紅葉深山《みやま》をいでゝ峡はあかるし

昼ながらま近く来鳴く怪鳥の羽音にしんといやしづむ山

樹をうちて羽音も荒き怪鳥のすがたをみむと息を凝らしつ

湯煙を顔にうけつゝ真青《まさを》なるつぼの湛《たゞ》へにかゞまりゐるも

たぎれども色すみ透る湯のつぼにしづむ土鼠《もぐら》のその白き足

山路に這ひもあがるとトカゲの尾きらゝと石に青光るなり

あたらしき樋《とひ》をふせつゝ湯けむりをあびる男の打つ杭の音

手拭を肩にかけゆく長廊下外面《とのも》は霧にこもりしづもる

おりしづむさ霧をかんじひたりゐて肌にさらめく湯のこゝちよき

提灯をもつは女か温泉《ゆ》の宿の闇の山坂ゆきかへるなり


北海旅歌

(1)十一年振りの旭川
はるばると来て清浄無垢を学びたり朝あけに見るヌタクカムシペの山

色あせてはためき寒し応召の屋根の上なる日の丸の旗

喫茶部《きつちやぶ》のツンとすました女故《ゆゑ》またコオヒイのうまき味かな(北海ホテル茶房にて)

久しぶりでホテルの酒房にでんぐりかへりあゝ道徳がなけらばと思ふ

いちめんのたんぽぽの野の美しさ触れてもみれば散りしぶりたる
(神楽《ら》岡《をか》)

旭川友あり姉あり酒もあり心弱ければ剣《けん》を恐るる

旭川雪よりいでてなを白き女の街よ去りがたきかな

(2)農村ところどころ

わつさむ[*「わつさむ」に傍点]の空の紺碧眼にしみて百姓と空と瞼を去らず

窓もない百姓小屋のおそろしき暗さの中に子供らが住む

つつましく店番をする女ありかどに大きく『出征兵士の家』

噛めばかたくなめれば甘き落花糖うのみにすればのどつまりする

水田の泥にうづまり動く人赤き帯故娘と知るも

昼よりも明るきほどの月夜なりおもひ消せども浮びくる顔

あふむきてふくゴールデンバットの煙りなり北海道の重き夜具かな


(3)美瑛村に泊る

山は雪、町は暑さのはげしさよ美《び》瑛の人はおだやかにして

硫黄山暁かけて段落《たんらく》にクリイム色の靄はかゝりぬ

朝あけのもやにうつなり大太鼓十勝の原は肌寒くして

師団山、兵ら斜面のトーチカにうてやうてうて気のすむまでに

とをくより就寝ラッパきこゆなり夜眼にもしるき白つつじの花

夜の更けの警備の兵の着剣を青くてらすはタングステンの月

はたとやむ蛙の声よ旅に来て美《び》瑛の街の中天の月

(4)塩狩駅にて

平原の百姓小屋の物乾しのこれが人間の着る着物かな

この冬は薪木とる山なしといふ北海道の百姓の暮らし

眼をもつて追へどはてなきこの原のどこに行つても鮮人がゐる

鮮人よ、日本のユダヤ、さすらひて口と土地とに生きつづくなり

親切をつくせる女しほかりで下車てしまへりそれきりのこと
(塩狩駅にて)

慾望の果てに疲れて旅すれば眼にうつりしはとき知らずの花

朝やけは朱と紫のだんだらに山を染め分け明けんとするも

(5)名寄町にて

幅広き名寄《よろ》の町に降りたちて煙草屋の娘に路をたづねる

屋根低き名寄の町に風荒れぬ呼吸ひそめつつ人ら住めるも

黒百合のはげしき色を眼にすゑて昔の女にくみはじめぬ

味気なや旅の心に鳴るものはかたくつめたきトンカツの皿

新しきことにおどろくゆたかさの眼をして咲くは三色菫

朝早く騎馬一頭は駈けすぎぬ緋色の夜具の乾されたる街

夜更けまで光散らして蹄鉄をうつ馬もあしたは徴発されん

(6)旅情雑詠

けんぶち[*「けんぶち」に傍点]の木材置場、木の木口これがみんな百姓の頭だ(剣淵所見)

雲立ちてらんる[*「らんる」に傍点]の駅の荒々しさ旅立ちゆくも薄情にあらず(蘭留駅にて)

小使が欠食児童の名を呼びて弁当をくばる村の学校

のみながらウドの酢の物まくらへば旅するものの心やすらふ

生きぬけばつよき風よりなほ強しうなだれて咲くおだまきの花

純情の同志を生みしこの街よ今野大力はいま世にあらず
(今野は旭川出身、旧『戦旗』編輯者)

ヱピリット、ホスゲンと特務曹長声高し汽車で語るは戦術の話

(完)旭川にて

旭川こゝに一人の女をみいだせり不安募りきて旅立ちいそぐ

愛すれば苦しき町とかはりけり空澄める町にすみかねるなり

去りゆけど思ひはいつもとどまらぬ石狩川の白き堤防

北海に愛歌をつくるめでたさを友よ責めるな真実なれば

ぱつちりと東京行のきつぷ切られけりやうやく帰る心となりぬ

石狩の少女の胸の白さかなとをくとどろく鉄橋の汽車

動揺をあたへて去れどゆるし給へときくれば咲く鬼げしの花


旅歌

鎌倉にて

横顔は多少美し大仏の背中に窓があいてゐるとは

さほどまで美男にあらず鎌倉の大仏さまは喰は(せ)ものなり

逗子にて

生きるにも死ぬにも不便なところなり逗子の汀は遠あさなれば

逗子の海波のくらさの折返しくだけ光るは夜光虫かな

手の上に消えるともせぬ夜光虫つめたくひかる虫の心かな

風荒れもいつかはやまるときあらんゆれてやすまぬ樹の心かな

小坪にて

小坪にて川島浪子と逢ひにけり汀で犬とたはむれてゐし

美瑛にて

ゆらゆらと千城橋の行きかへり風にふかれて吸ふ煙草かな
(煙草を吸へば味のよきかな)
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小熊秀雄略年譜

一九〇一(明治三十四)年 九月九日、北海道小樽市に生まれる。父は三木清次郎、母は小熊マツ。マツが未入籍のため、出生届は出されず。
一九〇四(明治三十七)年 十月、母マツが死去。戸主となる。一二月二六日、小熊マツ私生子として入籍。父清次郎は新たにナカを後妻として迎える。のち、父母とともに北海道稚内へ、さらに樺太へ移住。
一九一二(明治四十五)年 この頃、秋田県に住む伯母のもとに一〜二年間引き取られ、養育を受ける。
一九一六(大正五)年 樺太泊居(トマリオロ)の高等小学校二年を一五歳で卒業。卒業後、漁師の手伝い、養鶏場の番人、炭焼きの手伝い、呉服屋の行商人などの職業を転々とする。
一九二一(大正十)年 徴兵検査をきっかけに小熊マツの私生子であることを知り、以後、三木姓を捨てて小熊姓を名乗るようになる。
一九二二(大正十一)年 北海道旭川新聞社に見習記者として入社(翌年の説もある)。文才を認められ、社会部の記者となる。
一九二五(大正十四)年 二月、旭川市崎本富三郎三女、崎本ツネコと結婚。四月に夫人とともに上京するが、七月、旭川に戻る。上京中に雑誌『愛国婦人』に童話を発表。
一九二六(大正十五)年 一月、長男焔誕生。
一九二七(昭和二)年 旭川新聞の文芸欄の担当となり、詩、童話などを連載。
一九二八(昭和三)年 六月、旭川新聞社を退職。妻子をともなって上京し、間借り生活を始める。雑誌社や業界新聞で働き、生活の糧を得る。雑誌『民謡詩人』に作品を発表するようになる。
一九二九(昭和四)年 都内長崎町(現豊島区長崎二丁目)に転居。晩年まで続く長崎、池袋界隈の暮らしが始まる。
一九三〇(昭和五)年 プロレタリア詩人会に加わり、雑誌『プロレタリア詩』一〇月号に「スパイは幾万ありとても」を発表。
一九三二(昭和七)年 プロレタリア詩人会が日本プロレタリア作家同盟(ナップ)へと発展的解消をし、これにともなってナップに参加。
一九三三(昭和八)年 ナップ末期の詩集『戦列』に「母親は息子の手を」を発表。秋、新井徹、遠地輝武らと同人詩誌『詩精神』創刊準備を開始。
一九三四(昭和九)年 二月、『詩精神』創刊号に「馬上の詩」を発表。続いて、「ゴールド・ラッシュ」(四月号)「瑞々しい目をもって」(六月号)「しゃべり捲くれ」(九月号)「乳しぼりの歌」(一〇月号)などの作品を次々に同誌上で発表。また、『現実』に「綱渡りの現実」を、『文芸』に「移民通信」を、『一九三四年詩集』に「プラムバゴ中隊」を発表するなど、精力的に活動する。また、この頃「池袋モンパルナス」の住人の一人である洋画家寺田政明との交友が始まり、デッサンの手ほどきを受ける。(「池袋モンパルナス」については宇佐美承による同題のノンフィクションに詳しい。)
一九三五(昭和十)年 五月に『小熊秀雄詩集』を耕進社から、六月には長編叙事詩集『飛ぶ橇』を前奏社から刊行。自ら「しゃべり捲くれ」と吠える詩人は「生涯中に身の丈ほどの詩集」を積み重ねるという目標に従って精力的な創作を続け、「ヴォルガ河のために」(『詩精神』五月号)「私と風との道づれの歌」(『詩精神』七月号)などの諸作を次々に発表する。一一月、詩人と漫画家による諷刺誌『太鼓』の同人となる。
一九三六(昭和十一)年 「しゃべり捲くれ」をきっかけに新定型詩を標榜する北川冬彦らと対立。奔放な詩風が詩壇に影響をもつようになる。この年、「パドマ」(『詩人』二月号)「シャリアピン」(『詩人』三月号)「馬車の出発の歌」(『詩人』八月号)などを発表。また、「文壇諷刺詩」を読売新聞に連載する。この他、「日比谷附近」や短編小説を『中央公論』に発表するなど旺盛な活動が続いたが、十月、創作の拠点の一つであった『詩人』が廃刊となる。
一九三七(昭和十二)年 七月の日華事変勃発と相前後して左翼系の文学誌が壊滅状態となり、発表の場が急速に狭まる。帝大新聞、三田新聞、都新聞などに文芸時評、文化時評を発表。この年、池袋の喫茶店でデッサンの個展を開く。
一九三八(昭和十三)年 この頃から喀血が始まり、咳と痰に悩まされるようになる。雑誌『詩と美術』に詩とともに展覧会評を書くようになり、美術批評の分野にも進出。
一九三九(昭和十四)年 雑誌『塊』に参加し、長編詩「託児所をつくれ」(五月号)、「諷刺大学生」(八月号)などを同誌に発表。この頃、湯浅芳子と共同でプーシキンの詩の翻訳を完成させているが、原稿は散逸。
一九四〇(昭和十五)年 活動の中心を雑誌『現代文学』に移し、「偶成詩集」(一月号)「逍遥詩集」(三月号)「流民詩集」(四月号)「通信詩集」(六月号)など多数の作品を発表。しかし、健康状態は急速に悪化し、一一月二〇日朝五時、東京都豊島区千早町一の三〇番地のアパート東荘の自室で死去。享年三九歳。翌二一日、落合火葬場で荼毘にふされる。遺骨は多摩霊園二四区内に埋葬された。なお、没後七年を経過した一九四七(昭和二十二)年、生前すでにまとめられていた『流民詩集』が三一書房から刊行された。

※ 略年譜作成にあたり、『小熊秀雄全詩集』(思潮社)に収録されている遠地輝武氏による年譜を参照させていただいた。(浜野)


底本:「新版・小熊秀雄全集第1巻」創樹社
   1990(平成2)年11月15日第1刷
入力:浜野智
校正:八巻美恵
1998年8月10日公開
1999年8月28日修正
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