青空文庫アーカイブ

彫刻家の見たる美人
荻原守衞

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)如《や》うな

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)滿ち/\
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 美人彫刻家として有名なのはまづ佛蘭西の、ゼロームを推さねばなるまいが、其彫刻は矢張り端麗とか、優美とかに重きを置いたクラシカルのもので、美人を其まゝ美人として現はしたものは希臘の昔に溯らねばならぬ。希臘には雄壯なることアポロのやうなものもあるが、又ミローや、メディスのヴィナス、デアナの如《や》うな美しい女神もある。
 さて斯かる美人を彫刻せんには、藝術家は何ういふ態度に出づべきものであらうか。豫め自分の心の中に、こんな美人を拵へて見やうと考へて、それに類似したモデルを探してかかるのであらうか。此れが考を要するところである。成程其中には隨分こんな考で以て、やつてる人はないでもない。何うも彼《あ》のモデルは胴がよかつたが頸がわるいので、他から頸を求め、顏は又別のモデルを使つたが、鼻が低かつたもんだから、鼻丈けは又他に求めたといふ風に、寄木細工の樣にして美人の彫刻を出來《でか》した例もないではない。これは然し私には受取りかねる。ロダンは「生命は美である」(Life is beauty.)といつてる通り、唯に形其まゝを寫したゞけでは美ではあるまい。必ずや、最も深酷なる觀察を下して、其内部に充實して居る生氣を十分に遺憾なく發輝したところに必ず美の觀念が起つて來るものと思ふ。今いふた通り、ミローのヴィナスは實に一點非難するところのない美人である。といつたところが、これは強《あなが》ち、彼のやうな美人を作らうとして色々と想像を廻ぐらして遣つたものではあるまいと思ふ。必ずや其當時の希臘婦人といふものはあのやうに美に富んで居つて、それを其まゝに内容や、精神までも遺憾なく寫された故に、自ら彼のやうな美人となつたのである。生命の十分に働いてるところには、如何なるものにも美は自らにして備はり、自らにして認めらるべきものである。つまり自然界といふものは、作られてあるものである。完全なる形となつて存在するものである。だから、我々も此自然界以上の何物をも作ることは出來ない。唯自然界を寫すに止まるもの、表はすに止まるものである。
 かくいふと全く一種の自然主義となつて、全然主觀なるものを沒却して了ふやうなことゝなるが、實はさうではない。藝術は又一面に於て、何うしても人格の顯はれを隱す譯には行かない。自然界は此人格を通じて表はれて來る。ミレーのものは貴族でも其間に質朴なる百姓の面影を宿し、バンダイクが描くと、百姓でも貴族の風格が備はる。私が米國に留學中に極く纎弱な優美な、恰かもシャンペン酒の看板にでもなりさうな美人の繪を手本にして畫を描いたことがあるが、ブリッヂマンといふ教師はそれを見て、之れならば全然洗濯女である。お前は到底《とて》も此樣な纎弱《デリケート》なものには適しないといはれたことがあるが、何うしても其の人の人格は隱す譯にはゆかぬ。であるから、到底私共には、彼の所謂美人の彫刻をやらうとしてもそれは不可能のことである。唯自然界における何ものにも、最も嚴肅にして深酷なる觀察を下して、私の目に映り來るところの生命を寫すところに美を認めるのである。
 で、美人の彫刻と稱せられるものは頗る多い。然しそれは直ちに彼の所謂美人ではない。埃及のルーブルに於ける木彫の「若き女」の如き、最近の佛蘭西のメヨルのものゝ如き、何れも美人として名高いものではあるが、然し見たところで決して其顏は所謂輪廓的の美人ではない。彼の有名な美人彫刻家ロダンなどに至つては殊にさうである。其中年に彫つた「淑女の肖像」といふの丈けは、端麗で閑寂であつて幾分例外の氣味があるが、其他は、最も有名な、「海邊の乙女」でも、「春の神祕《ミステリー・オブ・スプリング》」でも、「ロメヲ・エンド・ヂュリエット」でも、「フランチイスカ・ボール」でも、「接吻《キス》」でも、其題目は非常にデリケートなものであるに拘らず、作物を一貫して何處かに壯大なところ、優美ではなくて壯美の滿ち/\てるものがある。其顏の如きは實に可笑《をか》しなものがあつて、美人とは何うしても受取れぬやうではあるが、それでも何處とはなしに美人としての傑作たるを許さぬことが出來ないやうに出來てる。であるから彫刻家の目には、世間にいふ絶世の美人も、苫屋の海婦も同じに映つて來る。唯其精神、其内容が如何に深酷に寫されてるか否やに於て、始めて美醜の區別が生じて來るのである。觀音樣といひ辨天樣といひ、ヴィナスといひ、それが名打《なうて》な傑作であるといふ以上には、必ず曲線や、慈愛に富んでる微笑が、如何にも生き/\して命あるものであらねばならぬ。であるから、彫刻家の立場になると、美人を彫刻するのも、勞働者を彫刻するのも、其苦心に於いては、毫も差別のあるべき筈はない。
 然し若し、所謂輪廓上の釣合が好い美人のモデルとしては、日本人と西洋人の何方が適當して居るかと問ふものがあつたら、それは何うしても西洋人を推さなければなるまい。勿論、耳目鼻口宜しきを得、骨格に於ても一點非難するところがないからとて、直ちに美人として受け取れぬものもある。又それと反して何んだか不釣合で、一ツ/\としては一向完全ではないが、然し總體に於ては、何んとなしに美しく見えるものもあるから、一概に西洋人の釣合が好い所以を以て、モデルとして適當だとはいへぬが、概していへば、日本人よりは恰好の好いことは爭はれない。之れは日本人は婦女子となれば、これまで成るべくは外に出でないで、内に居つても、始終膝を折つて足を多く使はないやうに仕向けられたものだから、脚の方は發達して居らんが、割合に胴の方が長い。それで何うも立つたところを見ても無恰好で、工合が惡るい。顏の輪廓なども、西洋人の方は、多年の經驗が旨く表情的になつて、曲線も端麗に出來てるが、日本人は之れと反對に、昔から成るべくは喜怒哀樂を外に出さないといふやうな、女大學流の教育を受けて來たものだから、自然に表情も鈍ぶくて、一般に顏がのつぺりとして締りがない。いくら贔屓目でも、恰好とか容貌とかいふ意味に於ては、あまり好いモデルはないであらう。



底本:「日本の名随筆40 顏」作品社
   1986(昭和61)年2月25日第1刷発行
   1989(平成元)年10月31日第7刷発行
底本の親本:「彫刻真髄(新装版)」中央公論美術出版
   1978(昭和53)年5月
※「遣つた」の「遣」、「十分に」の「に」、「外に出で」の「で」には、底本では、原稿不鮮明のため、読みとりに確信が持てないとの注記が入っています。
※「斯かる美人」の「か」、「受取りかねる」の「り」、「美に富んで」の「に」を、底本は「〔 〕」で囲んで示しています。
入力:渡邉 つよし
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
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