青空文庫アーカイブ

女王
野口雨情

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)何時《いつ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)糸|紡《ひ》き車で

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)ねんねこ歌[#「ねんねこ歌」に傍点]
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 何時《いつ》、誰が創《つく》つたのか、村にはずつと古くから次々に伝へられてゐる歌詞《うた》がありました。村の母親達はそれをねんねこ歌[#「ねんねこ歌」に傍点]のやうにして小さな子供たちに歌つてきかせてゐるのでした。
 トム[#「トム」に傍点]ちやんのお母さまが学校に勤めるやうになつてから、それを作曲して学校の児童《こども》達に歌はせるやうにしました。歌は「愛の歌」と名づけられました。今ではその歌がだんだんに伝へられて、この郡の小学校では何処《どこ》へ行つても歌はないところはないやうになつてゐました。
 村のお祭に八幡様の森で児童達が合奏するこの歌は、どんなに村人の心を和げ又慰めたことでせう。

  娘姿で 駒鳥は
  糸|紡《ひ》き車で
  糸紡いた
   シヤラシヤラ ビンビン
   糸紡いた

  糸は何糸 愛の糸
  愛の糸より
  糸はない
   シヤラシヤラ ビンビン
   糸はない

  森の少女《をとめ》も 駒鳥の
  糸紡き車で
  糸紡いた
   シヤラシヤラ ビンビン
   糸紡いた

  歌を唄ひば 愛の歌
  愛の歌より
  歌はない
   シヤラシヤラ ビンビン
   歌はない

 村祭の日が近づいてまゐりました。子供達はお宮の森の、とある広ツぱへ集つて、いろいろとお祭のお準備《したく》をしてゐました。花笠を造つたり、小さな山車《だし》を慥《こしら》へたり、山車の屋根を飾る挿花《さしばな》を考へたりして、キヤツキヤツ[#「キヤツキヤツ」に傍点]と騒いで居るのでした。
「女王はどうしたの、遅いなア」
「やつぱり先生が悪いんだツか」
 そんな話が子供達の間に交されると、皆が忙《せは》しさうな手を休めて、瞳を話の中心点に集めるのでした。
「葛原《くづはら》先生、学校随分長く休んだツせ」
「病気、悪いのかなア」
「悪いんさ。でなきやトム[#「トム」に傍点]ちやんと疾《とつく》に来るもの」
「みんなで行つてみよか」
「ウム、それ好いや。女王が居んぢや、ちつとも面白く無え」
「花輪が出来たんか」
「まだ野菊が足りねえ…トム[#「トム」に傍点]ちやん処へ行く前にみんなで野原へ寄《よつ》て行かう」
「ああ、それがいいや。行こ、行かう」
 村の少年少女《こどもたち》は造りかけた山車《だし》や花笠や造花《つくりばな》をお宮の拝殿に蔵《しま》へ込んで、ゾロゾロ[#「ゾロゾロ」に傍点]と石の階段を野原の方へと降りて行くのでした。
「女王」といふのは毎歳《いつも》の村祭に、山車《だし》の上に乗《の》さつて花輪を捧げ持つ、子供達の王様を謂ふのでした。それは、毎歳少年少女が八幡宮の森に集つて人選をするのでしたが、「女王」になる者は第一品行が方正で、学科の出来がよくて、多くの少年少女《こどもたち》に信用が無ければなりませんでした。トム[#「トム」に傍点]ちやんが女王に選《えらば》れてからもう今年で三年、村の少年少女は毎年の秋を何の相談もなく「女王」をトム[#「トム」に傍点]ちやんに決めて居るのでした。「女王」は少年少女にとつて無上の名誉でした。またその親達の身にとつても可なりに強い喜びでした。
「女王」に贈る花輪は、少年少女《こどもたち》が皆で野の草花を採り集めて造る約束でした。野原に行くと、野菊や藤袴や、みやこ草や、みそはぎやが錦絵のやうに咲き乱れてゐるのでした。まめ菊[#「まめ菊」に傍点]の大輪を見つけ出して高く捧げて喜ぶ少年《こども》など、野は秋のよろこびに満ち充ちてゐました。
 花輪が出来上ると、トム[#「トム」に傍点]ちやんと仲よしのしげの[#「しげの」に傍点]さんがそれを持つ、そしてそれを取り巻く皆が「愛の歌」を合唱《コーラス》しながらトム[#「トム」に傍点]ちやんのお家の方へ繰り出すのでした。
 トム[#「トム」に傍点]ちやんが、窶《やつ》れたお母さまの、いまスヤスヤ[#「スヤスヤ」に傍点]と眠つた枕辺《まくらもと》に、静かにお坐りしてゐる時に、遠くから少年少女のコウラスが聞えてきました。
「あ、友達《みなさん》だわ」
 トム[#「トム」に傍点]ちやんはさう言つて、静かにお母さまの枕許を抜足しました。トム[#「トム」に傍点]ちやんは、村の少年少女が、花輪を持つて自分を迎へに来たことが解つたのでした。で、子供達の騒《さわぎ》が、お母さまの静かな眠りを醒《さま》すことを恐れたのでした。
 トム[#「トム」に傍点]ちやんが茅葺屋根の潜戸《くぐり》を開《あ》けると、遥に唱歌隊がこちらに近づいて来るのが見られました。向ふでもトム[#「トム」に傍点]ちやんを見つけました。
「やア、女王、女王」
 少年隊《こどもたち》は駈け出しました。
 少年少女《こどもたち》が近《ちかづ》くと、トム[#「トム」に傍点]ちやんは手を上げてこれを制しておいて、自分の方からダラダラ[#「ダラダラ」に傍点]坂を下の方へ駈けて行きました。
 皆は皆熱心にトム[#「トム」に傍点]ちやんの顔を凝視《みつめ》て立ち停りました。後の方にゐた丈《せ》の小さい子供は、トム[#「トム」に傍点]ちやんの顔がよく見えないので、他人《ひと》の袖の下から顔を出したりなどしてゐました。
「トム[#「トム」に傍点]ちやん、これ貴女《あんた》の花輪よ」
 とまづしげの[#「しげの」に傍点]さんが口を開きました。
「しげのさん、有りがたう。みなさん有りがたう…」
 トム[#「トム」に傍点]ちやんはさう謂《い》つて眼をしばたたきました。
「先生悪い?」
 年嵩《としかさ》な少年が声を低めてさう問へました。
「ええ。……」
「トム[#「トム」に傍点]ちやん、「女王」になれない?」
 皆は心配げに尋ねました。
「……え、今年の「女王」はしげの[#「しげの」に傍点]さんにして頂戴、私はお母さんとこ離せないの……」
「そんなに悪い? 困るなア」
「……」
 折から「夕べの祈りをせよ」と訓《おし》ふるようなお寺の鐘が、静かに静かに聞えてまゐりました。
「ゴオーン……」
と、重く沈んだその韻《ひびき》は、霧のやうに拡つて、森から村へ、村から野原へ、鐘はゆるやかに流れて行くのでした。
 皆が顔を上げると、夕陽の輝きが野を辷《すべ》つて、この一団の少年少女の群を赤く照らしました。



底本:「日本の名随筆50・歌」作品社
   1986(昭和61)年12月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第8刷発行
底本の親本:「定本 野口雨情 第六巻」未来社
   1986(昭和61)年9月発行
入力:加藤恭子
校正:今井忠夫
2000年10月27日公開
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