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新美南吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)石太郎《いしたろう》が

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)屁|弟子《でし》である

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)すいこ[#「すいこ」に傍点]
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 石太郎《いしたろう》が屁《へ》の名人であるのは、浄光院《じょうこういん》の是信《ぜしん》さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉《はるきち》君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁《へ》こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、屁で引導《いんどう》をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ[#「すいこ」に傍点]屁(音なしの屁)ぐらいは、お経《きょう》の最中にするかもしれない。
 また、ある家の法会《ほうえ》で鐘《かね》をたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。これも、おとながおもしろ半分につくったうそらしい。だが、これだけはたしかだ。是信さんは、正午の梵鐘《ぼんしょう》をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶっぱなすことができるということである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。
 石太郎が是信さんの屁|弟子《でし》であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像させた。茶色のはん点がいっぱいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、洗いふるしたねずみ色の着物の背《せ》をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあいに耳がばかに大きい、まるでふたつのうちわを頭の両側につけているように見える、きたない着物の、手足があかじみた石太郎。
 きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくり返しながら、屁《へ》の修業《しゅぎょう》をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。
 石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、大きいのをひとつたのむと、ちょっと胸算用《むなざんよう》するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがときをつくるような音を出すこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかしいとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり――つまり、調子をとりながら出すのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
 しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名まえは、十の指にあまるくらいだ。
 石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。下級生でさえも、あいつ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての義憤《ぎふん》を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである。
 石太郎の家は、小さくてみすぼらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻をつき、ヘど[#「へど」に傍点]が出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。
 どこかへかせぎに出ているおとっつあんが、ときどき帰ってくる。おっかあは、早く死んでしまって、いない。石太郎は、ポンツク(川漁《かわりょう》)にばかりいく。とってきたふなや、どじょうを、じいさんにたべさせる。また、買いにいけば、どじょうやうなぎを売ってくれるということである。
 石太郎の着物は、いつ洗ったとも知れず、あかでまっ黒になっている。その着物に、家の中のあの貧乏《びんぼう》のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやってくる。そのうえ、注文されなくてもかれは、ときおり放屁《ほうひ》する。
 みんなは、石太郎のことを、屁《へ》えこき虫としてとりあつかっている。石太郎のほうでも、そのほうがむしろ気楽なのか、一どもふんがいしたことはない。生徒ばかりでなく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、石太郎は、だんだんじぶんでも虫になっていった。かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたり分のつくえをあたえられていたが、授業中にあまり授業に注意しなかった。たいていは、ナイフで鉛筆に細工《さいく》していた。またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。屁の注文をうける場合のほかは。かれは、いつもぐにゃぐにゃし、えへらえへらわらっていた。
 春吉君は、一ど、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。
 それは五年生の冬のことである。三年間受け持っていただいた、年よりの石黒先生が、持病《じびょう》のぜんそくが重くなって、授業ができなくなり、学校をおやめになった。かわりに町から、わかい、ロイド眼鏡《めがね》をかけた、かみの長い藤井《ふじい》先生がこられた。
 春吉君の学校は、かたいなかの、百姓《ひゃくしょう》の子どもばかり集まっている小さい学校なので、よそからこられる先生は、みな、都会人のように思えたのだった。藤井先生をひと目見て、春吉君はいきづまるほどすきになってしまった。文化的な感じに魅《み》せられたのである。石黒先生もよい先生であったが、先生は生まれが村の人なので、ことばが、生徒や村のおとたたちの使うのとほとんど変わらないし、年をとっていられるので、体操《たいそう》など、ちっとも新しいのを教えてくれない。走りあいか、ぼうしとりか、それでなければ、砂場ですもうをとらせる。いちばんいやなのは、話をしている最中に、せきをしはじめることである。長い長い、苦しげなせき。そして、長いあいだ、さんざ苦労をしたあげく、のどからやっと口までうち出したたん[#「たん」に傍点]を、ポケットに入れて持っている新聞紙のたたんだのの中へ、ペッペッとはきこみ、その新聞紙を、まただいじそうにポケットにしまうのである。
 さて、藤井先生が、はじめて春吉君の教室にあらわれた。はじめて生徒を見る先生には、生徒は、みないちように見える。よく、それぞれの生徒の生活になれると、それぞれの生徒の個性がはっきりしてくるが、顔を最初見たばかりでは、わからない。だれがりこうで、だれがしようもないあほうであるかも、わからない。
 藤井先生はまず、教卓《きょうたく》のすぐ前にいる坂市《さかいち》君にむかって、「きみ、読みなさい」といった。それは読み方の時間だった。「きみ」ということばが、春吉君をまた喜ばせた。なんという都会ふうのことばだろう。石黒先生はこんなふうにはよばなかった。先生は、生徒の名を知りすぎていたから、「源《げん》やい読め」とか、「照《てる》ン書け」とかいったのである。
 坂市君が読んでいきながら、知らない字をのみこむようにしてとばしたり、あいまいにごまかしたりすると、石黒先生はそんなのをほったらかしておかれたのに、わかい藤井先生は、いちいち、え、え、と聞きとがめられた。そんなことまで、春吉君の気にいった。もうなにからなにまで、この先生のすることはよかった。
 藤井先生は、坂市君から順順にうしろへあてられた。四人めには、春吉君がひかえている。春吉君は、この小さい組の級長である。春吉君は、きりっとした声をはりあげて、朗々《ろうろう》と読み、未知のわかい先生に、じぶんが秀才であることをみとめてもらうつもりで、番のめぐってくるのを、いまやおそしと待っていた。
 いよいよ春吉君の番だ。春吉君は、がたっとこしかけをうしろへのけ、直立不動のしせいをとり、読本《とくほん》を持った手を、思いきり顔から遠くへはなした。そして、大きくいきをすいこみ、いまや第一声をはなとうとしたとたん、つごうのわるいことが起こった。ちょうどそのとき、藤井先生は、机間巡視《きかんじゅんし》の歩を教室のうしろの方へ運んでいられたが、とつじょ、ひえっというような悲鳴をあげられ、鼻をしっかとおさえられた。
 みんながどっとわらった。また、屁《へ》えこき虫の石が、例のくせを出したのである。
 なんというときに、また、石太郎は屁をひったものだろう。春吉君は、すか[#「すか」に傍点]をくらわされたように拍子《ひょうし》ぬけして、わらえもしなければおこれもせず、もじもじして立っていた。
 藤井先生はまゆをしかめ、あわててポケットからとり出したハンケチで、鼻をしっかとおさえたまま、こりゃひどい、まったくだ、さあまどをあけて、そっちも、こっちもと、さしずされ、しばらくじっとしてなにかを待っていられたが、やがて、おそるおそるハンケチを鼻からとられ、おこってもしょうがないというように、はっはっと、顔の一部分でみじかくわらわれた。だがすぐきっとなられて、だれですか、今のは、正直《しょうじき》に手をあげなさいと、見まわされた。
 石だ、石だ、と、みんながささやいた。藤井先生は、その「石」をさがされた。そして、いちばんうしろの壁《かべ》ぎわに発見した。石太郎は、新しい先生だからてれくさいとみえて、つくえの上に立てた表紙のぼろぼろになった読本《とくほん》のかげに、かみののびた頭をかくすようにしていた。
 立っていた春吉君は、そのとき、いい知れぬ羞恥《しゅうち》の情《じょう》にかられた。じぶんの組に、石太郎のような、不潔《ふけつ》な、野卑《やひ》な、非文化的な、下劣《げれつ》なものがいるということを、都会ふうの、近代的な明るい藤井先生が、どうお考えになるかと思うと、まったく、いたたまらなかった。
 藤井先生は、相手を見てすこしことばの調子をおとしながら、いろいろ石太郎にきいたが、要領を得なかった。なにしろ石は、くらげのように、つくえの上でぐにゃつくばかりで、返事というものをしなかったからである。
 そこで近くにいる古手屋の遠助《とおすけ》が、とくいになって説明申しあげた。まるで見世物の口上《こうじょう》いいのように、石太郎はよく屁《へ》をひること、どんな屁でも注文どおりできること、それらには、それぞれ名まえがついていること等等《とうとう》。
 春吉君は、古手屋の遠助のあほうが、そんなろくでもないことを、手がら顔して語るのを聞きながら、それらのすべてのことを、あかぬけのした、頭をテカテカになでつけられた藤井先生が、どんなにけいべつされるかと思って、じつにやりきれなかったのである。
 一年おきにやってくる、町の小学校との合同運動会でも、春吉君は、石太郎の存在をうらめしく思った。その日には春吉君の学校は、白いべんとうのつつみを背中《せなか》にしょって、半里ばかりの道を、町の大きい小学校へやっていく。大きなりっぱな小学校である。木づくりの古い講堂があり、えび茶のペンキでぬられた優美な鉄さくが、門の両方へのびていっている。運動場のすみには、遊動|円木《えんぼく》や回旋塔《かいせんとう》など、春吉君の学校にはないものばかりである。ここの小学校の生徒や先生は、みな、町ふうだ。うすいメリヤスの運動シャツ、白いパンツ、足にぬったヨジウム。そして、ことばが小鳥のさえずりににて軽快だ。
 春吉君は、一歩門内にはいるときから、もうじぶんたち一団のみすぼらしさに、はずかしくなってしまう。なんという生彩《せいさい》のないじぶんたちであろう。友だちの顔が、さるみたいに見える。よくまあこんな、べんとう風呂敷《ふろしき》をじいさんみたいにしょってきたものだ。まったくやりきれないいなかふうだ。
 こういう意識《いしき》が、運動会のおわるまで、春吉君の中でつづく。ちょっとでも、じぶんたちのふていさいなことをわらわれたりすると、春吉君はつきとばされたように感じる。町の見物人たちのひとりが、春吉君のことを、まあ、じょうぶそうな色をしてと、つぶやいたとしても、春吉君は恥辱《ちじょく》に思うのである。町の人がおどろくほどの健康色、つまり、日焼けしたはだの色というものは、町ふうではなく在郷《ざいごう》ふうだからだ。
 ある人びとは、保護色性《ほごしょくせい》の動物のように、じき新しい環境《かんきょう》に同化されてしまう。で、藤井先生も、半年ばかりのあいだに、すっかり同化されてしまった。つまり都会気分がぬけて、いなかじみてしまった。洋服やシャツはあかじみ、ぶしょうひげはよくのびており、ことばなども、すっかり村のことばになってしまった。「なんだあ」とか、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、春吉君がそのことばあるがため、じぶんの故郷《こきょう》をきらっているような、げびた方言を、平気で使われるのである。春吉君が、藤井先生も村の人になったということをしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶんのある日だった。
 午後の二時間め、春吉君たちは、校庭のそれぞれの場所にじんどって、水彩の写生をしていた。小使室のまど下に腰をおろして、学校のげんかんと、空色にぬられた朝礼台と、そのむこうのけし[#「けし」の傍点]のさいているたんざく型の花だんと、ずうっと遠景にこちらをむいて立ってる二宮金次郎の、本を読みつつまき[#「まき」に傍点]をせおって歩いているみかげ石の像とをとりいれて、一心に彩筆《さいひつ》をふるっていた春吉君が、ふと顔をあげて南を見ると、学校の農場と運動場のさかいになっている土手《どて》の下に腹ばって、藤井先生が、なにか土手のあちら側にむかってあいずをしていられる。
 いちはやく気づいたものがもうふたり、ばらばらとそちらへ走っていくので、春吉君も画板《がばん》をおいてかけつけると、土手の下に、水を通ずるため設けてある細い土管の中へ、竹ぎれをつっこんでいる先生が、落ちかかって鼻の先にとまっている眼鏡《めがね》ごしに春吉君を見て、
「おい、ぼけんと見とるじゃねえ、あっちいまわれ。こん中にいたち[#「いたち」に傍点]がはいっとるだぞ。今こっちからつっつくから、むこうで、屁《へ》えこき虫といっしょにかまえとって、つかめ。にがすじゃねえぞ」
と、つばをとばしながらおっしゃった。
 むこう側へこしてみると、なるほど、屁えこき虫の石太郎が、このときばかりはじつにしんけんな顔つきで、そこのどろみぞの中にひざこぶしまではいって、土管の中へ、右手をうでのつけねまでさし入れている。うでをすっかり土管の中につっこんでいるので、しぜん頭が横むけに土手の草におしつけられ、なにか、土手の中のかすかな物音に、耳をすまして聞いているといった風情《ふぜい》である。
 じき近くにあるあひる小屋にいる二わのあひるが、人のけはいでひもじさを思い出したのか、があがあとやかましく鳴きだした。
 春吉君は、どろみぞの中へとびこんでいく気にはなれなかったし、石太郎が土管のあなを受け持っているからには、よけいな手だしはしないほうがいいので、ほかのものといっしょに見ていた。
「ええか、ええかあ、にがすなよおっ」
という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎はだまって、依然《いぜん》、土手の声に聞き入っていたが、やがて、土手についていたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだかと思うと、土管の中から、右手を徐々《じょじょ》にぬきはじめた。
 首ねっこを力いっぱいにぎりしめられていた大きないたち[#「いたち」に傍点]は、窒息《ちっそく》のためもうほとんど死んだようになっていて、土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶらさがったが、すこし石太郎が手をゆるめたのか、なにかかき落とそうとするように、四|肢《し》をもがいた。するとそのとき、どろみぞからあがっていた石太郎は、ちくしょうと口ばしって、目にもとまらぬ敏捷《びんしょう》さで、いたちを地べたへたたきつけた。
 ぼたっと重い音がして、古いたち[#「いたち」に傍点]は、のびてしまった。春吉君は、いつも水藻《みずも》のような石太郎が、こんなにはっきり、ちくしょうっという日本語を使ったこともふしぎだったし、こんなにすばしこい動作《どうさ》ができるということも不可解な気がした。
 それはともかく、そのとき春吉君は、藤井先生が、このかたいなかの、学問のできない、下劣《げれつ》で野卑《やひ》な生徒たちに、しごく適した先生になられたことを感じたのである。といって、べつだん失望したわけでもない。けっきょく、親しみをおぼえて、それがよかったのだ。
 藤井先生は、石太郎ととらえたあのいたちを、ヘびつかみの甚太郎《じんたろう》に、二円三十銭で売った。その金で、小使いのおじさんと一ぱいやったという話を、二、三日して春吉君は、みんなからただおもしろく聞いた。先生はまだ独身で、小使室のとなりの宿直室で寝起《ねお》きしていられたのである。
 教室でも先生が変化したことは、同じことだった。坂市君や、源五兵衛《げんごべえ》君や、照次郎《てるじろう》君などが、知らない文字をうのみにして読本《とくほん》を読んでいっても、最初のころのように、え、え、と、優美にとがめるようなことはされなくなった。年よりの、ぜんそくもちの石黒先生と同じように、知らんふりしてズボンのポケットに両手をつっこんで、つくえのあいだを散歩していられるのであった。
 こういうぐあいに、すべての点で藤井先生はいなかの気ふうにならされ、のみならず、いなかふうをマスターするようにさえなったのだが、石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ屁《へ》にだけは、あくまで妥協できなかったのである。
 情景はおおよそ、次第《しだい》がきまっていた。まず最初にそれを発見するのは、石太郎の前にいる学科のきらいな、さわぐことのすきな、顔ががま[#「がま」に傍点]ににている古手屋の遠助《とおすけ》である。かれは、先生のまじめなお話などいささかもわからないので、どんなに、クラス全体が一生けんめいに先生の話に傾聴《けいちょう》しているときでも「あっ、くさっ、あっ、あっ」といいだす。
 すると、教室のその一|角《かく》から、「あっ、くさっ、あっ、くさっ」という声が、波紋《はもん》のようにひろがり、ざわめきだす。すると藤井先生は、あわててハンケチを胸のポケットから出す。(あまり倉卒《そうそつ》にとり出すので、頭髪《とうはつ》をすく小さいくしが、まつわってとび出したこともある)ハンケチで鼻をしっかりとおさえる。鼻声で、まどをあけろ、まどを、そっちも、こっちもと、下知《げち》なさる。
 それから南のまどぎわへ歩いていって、外の空気をすうために、ややハンケチをおはなしになる。藤井先生のいつもきまった動作がおもしろいので、生徒らは、男子も女子も、ますます、くさいとさわぐ。すると、古手屋の遠助が、きょうは大根屁《だいこんぺ》だとか、きょうはいも屁だとか、きょうは、えんどう豆屁だとか、正確にかぎわけて、手がら顔にいうのである。
 みんなは、遠助の鑑識眼《かんしきがん》を信用しているので、かれのいったとおりのことばを、また伝えはじめる。
「あ、大根屁だ。大根くせえ」
というふうに。ようやく喧騒《けんそう》が大きくなったころ、先生は、
「だれだっ」
と一かつされる。一同はぴたっと沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた顔をつくえに近くさげて、左右にすこしずつゆすっているのである。
 その静寂《せいじゃく》の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいうとなく、石太郎よりもっとも遠い一角より起こってくる。藤井先生は黒板のうらがわにかけてある竹のむちを持って、つかつかと石太郎のところへいき、いいかげんにしとけと、むちのえ[#「え」に傍点]で、石太郎のこめかみをこづかれる。そのときは先生も、石太郎と協力してとった古いたち[#「いたち」に傍点]の代で、一ぱいいけたことは、忘れていられるように見えるのである。
 こういう情景は、もうなんどくり返されたかしれない。いつも判でおしたかのごとく同じ順序で。
 秋もはじめのころの、学校の前の松の木山のうれに、たくさんのからすがむれて、そのやかましく鳴きたてる声が、勉強のじゃまになる、ある晴れた日の午後であった。
 春吉君たちは、六時間めの手工《しゅこう》をしていた。その日の手工は、かわら屋の森一君がバケツ一ぱい持ってきたねんどで、思い思いの細工《さいく》をするのである。
 春吉君は茶のみ茶わんをつくっていた。ほんとうの茶わんのように、土をうすく、しかも正しい円形につくることは、なかなかよういではない。すでになんべんも、できあがった茶わんが意にみたず、ひねりつぶし、またはじめからやりなおしていた。そしてついに、こんどこそはと思われる逸品《いっぴん》ができあがりつつあった。春吉君は、細心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの凹凸《おうとつ》をならしていった。
 すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかの、いっさいのことを忘れていたが、ふとわれに返った春吉君は、「しまった」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、なにか重いものが下腹いったいにつまっている感じで、ときどき、ぷつぷつと豆のにえるような音もしていたので、ゆだんすると屁《へ》をするぞと、心をいましめていたのだが、ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。おかげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気をともなっているはずだと、春吉君は思った。
 うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならびの席にいる源五兵衛《げんごべえ》君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物――たぶん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくっつけようと努力している。うしろの照次郎君も、与之助《よのすけ》君も、それぞれの制作に余念がない。
 すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠助が、あ、くせ、と、第一声をはなった。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四方に伝わった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。
 いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、寸分《すんぶん》ちがわぬことが。
 春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。
 やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁《だいこんなっぺ》だといった。なんという鋭敏《えいびん》な嗅覚《きゅうかく》だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
 やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、
「だれだっ」
とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、面《おもて》をふせた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に蝟集《いしゅう》するように、きょうは、じぶんにそそがれているのだと思いながら。
 いまにどこからか、春吉君だという声が起こってくるにそういない、と思った。そういうふうにすっかり観念《かんねん》していたので、石だ、石だ、というあやまった声があがったときには、じぶんの頭上に落ちてくるはずのげんこつが、わきにそれたように、ほっとしたきみょうな感じになった。
 顔をあげてみると、意外にも、みんなの視線は、春吉君に集中されておらず、やはり石太郎の方にむいているのだ。
 藤井先生が、黒板のうらにかかっているむちをとって、つかつかと石太郎の前に歩いていかれる。春吉君の心の底から、正義感がむくっと起きてきた。じぶんだといってしまおうか、しかし、だれひとり、じぶんをうたがってはいないのである。ここで白状するのは、なんともはずかしい。先生が石太郎の席に達するまでのみじかい時間を、春吉君の中で正義感と羞恥心《しゅうちしん》とが、めまぐるしい闘争をした。それが春吉君の動悸《どうき》を、鼓膜《こまく》にドキッドキッとひびくほど、はげしくした。そして、しばらく正義感がおさえられた。
 反射的に、ねんどを親指と人さし指の腹ですりつぶしながら、春吉君は見ていた。石太郎はいつもと変わらず、てれた顔をつくえに近くゆすっている。いまに、おれじゃないと弁解するかと、春吉君がひそかにおそれながらも期待していたのに、その期待もうらぎられた。石太郎は、むちでこめかみをぐいとおされ、左へぐにゃりとよろけたが、依然《いぜん》てれたような表情で、沈黙しているばかりである。
 春吉君はよぎなく、じぶんの罪を白状させられる機会は、ついにこなかった。これでさわぎはすんでしまった。一同は、ふたたび作業にとりかかった。
 しかし春吉君だけは、事がまだ終末にいたっていない。気持ちにせおいきれぬほどの負担ができてしまった。春吉君には、こんな経験は、生まれてはじめてといってもよい。春吉君はいままで、修身の教科書の教えているとおりの、正しいすぐれた人間であると、じぶんのことを思っていた。
 今、じぶんが沈黙を守って、石太郎にぬれぎぬをきせておくことは、正しいことではない。じぶんは、どうどうというべきである。いまからでもよい。さあ、いまから。そう口の中でいいながら、どうしても立ちあがる勇気が出ないのであった。
 春吉君はくやしさのあまり、なきたいような気持ちになってきた。それをはぐらかすために、できあがっていただいじな茶わんを、ぐっとにぎりつぶしたのである。
       *
 まったくこれは、春吉君にとって、この世における最初の、じぶんで処理せねばならぬ煩悶《はんもん》であった。それは家へ帰ってからも、つぎの日学校にふたたびくるまでも、しつこく春吉君のあとをつけてきた。たいていのなやみは、おかあさんにぶちまければ、そして場合によっては少々なけば、解決つくのだが、こんどは、そういうわけにはいかない。
 だいいち、どういっておかあさんに説明したらいいのか。雑誌がほしいとか、おとうさんのだいじな鉢《はち》をわってしまったとかならば、かんたんにじぶんのなやみを知ってもらえるが、これはそんなやさしいものではない。複雑さが、春吉君の表現をこえている。屁《へ》をひった話などしたら、まっさきにおかあさんはわらいだしてしまうだろう、とても、まじめにとってくれぬだろう。
 春吉君は、ただじぶんの正しさというものに汚点がついたのが、しゃくだった。ちょうど、買ったばかりの白いシャツに、汚泥《おでい》の飛沫《ひまつ》をひっかけられたように。
 石太郎にすまないという気持ちや、石太郎はぎせいに立ってえらいなという心は、ぜんぜん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき高潔《こうけつ》な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない。
 また石太郎は、なんどむちでこづかれたとて、いっこう骨身《ほねみ》にこたえない。まるで日常|茶飯事《さはんじ》のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必要はないわけである。
 むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだと思うと、かれがうらめしいのである。
 しかし、ときが、春吉君の煩悶《はんもん》を解決してくれた。十日もすると、もうほとんど忘れてしまった。
 だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
 うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いや、おそらくは、だれにもいままでに、春吉君と同じような経験があったにそういないと考えられる。
 そういうふうに、みんな狡猾《こうかつ》そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君は、それらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちが、せちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きていくのは、この少年たちが、ぬれぎぬをものいわぬ石太郎にきせて知らん顔しているのと、なにか、にかよっている。しぶんもそのひとりだと反省して、自己嫌悪《じこけんお》の情がわく。だが、それは強くない、心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きていくためには、肯定《こうてい》されるのだと、春吉君には思えるのであった。



底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2001年9月4日公開
2001年10月15日修正
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