青空文庫アーカイブ
創作家の態度
夏目漱石
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)観方《みかた》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が先年|倫敦《ロンドン》におった時、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]
-------------------------------------------------------
演題は「創作家の態度」と云うのであります。態度と云うのは心の持ち方、物の観方《みかた》くらいに解釈しておいて下されば宜《よろ》しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざまの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。ところがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解しているとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ加えてあったんで、少し驚いたくらいであります。我々は教育の結果、習慣の結果、ある眼識で外界を観、ある態度で世相を眺め、そうしてそれが真《しん》の外界で、また真の世相と思っている。ところが何かの拍子《ひょうし》で全然種類の違った人――商人でも、政事家でもあるいは宗教家でも何でもよろしい。なるべく縁の遠い関係の薄い先生方に逢《あ》って、その人々の意見を聞いて見ると驚ろく事があります。それらの人の世界観に誤謬《ごびゅう》があるので驚くと云うよりも、世の中はこうも観られるものかと感心する方の驚ろき方であります。ちょうど前に述べた我々が月の恰好《かっこう》に対する考えの差と同じであります。こう云うと人間がばらばらになって、相互の心に統一がない、極《きわ》めて不安な心持になりますが、その代り、誰がどう見ても変らない立場におって、申し合せたように一致した態度に出る事もたくさんあるから、そう苦になるほどの混雑も起らないのであります。(少なくとも実際上)ジェームスと云う人が吾人の意識するところの現象は皆|撰択《せんたく》を経《へ》たものだと云う事を論じているうちに、こんな例を挙《あ》げています。――撰択の議論はとにかく、その例がここの説明にはもっとも適切だと思いますから、ちょっと借用して弁じます。今ここに四角があるとする。するとこの四角を見る立場はいろいろである。横からも、竪《たて》からも、筋違《すじかい》からも、眼の位置と、角度を少し変えれば千差万別に見る事ができる。そうしてそのたびたびに四角の恰好が違う。けれども我々が四角に対する考は申し合せたように一致している。あらゆる見方、あらゆる恰好のうちで、たった一つ。――すなわち吾人の視線が四角形の面に直角に落ちる時に映じた形を正当な四角形だと心得ている。これを私の都合の好いように言い換えると、吾人は四角形を観る態度においてことごとく一致しているのであります。また別の例を申しますと彫刻などで云う foreshortening と云う事があります。誰でも心得ている事でありますが、人が手でも足でも前の方に出している姿勢を、こちらから眺めると、実際の手や足よりも短かく見えます。けれども本来はあれより長いものだと思って見ています。だから画心のない吾々《われわれ》が手や足を描こうとすると本来そのままの足や手を、方向のいかんにかかわらず、紙の上にあらわしたくなる。あらわして見るとどうも釣合がわるい。悪いけれども腹が承知をしないで妙な矛盾を感ずる。小供のかいた画を見るとこの心持ちが思い切って正直に出ています。これもこの際都合のいいように翻訳して云いますと、吾々が手や足の長さに対する態度はちゃんと申し合せたように一致していると云う事になります。
してみると世界は観様《みよう》でいろいろに見られる。極端に云えば人々《にんにん》個々別々の世界を持っていると云っても差支《さしつかえ》ない。同時にその世界のある部分は誰が見ても一様である。始めから相談して、こう見ようじゃありませんかと、規約の束縛を冥々《めいめい》のうちに受けている。そこで人間の頭が複雑になればなるほど、観察される事物も複雑になって来る。複雑になるんではないが、単純なものを複雑な頭でいろいろに見るから、つまりは物自身が複雑に変化すると同様の結果に陥《おちい》るのであります。これを前の言葉に戻して云うと、世が進むに従って、複雑な世界と複雑な世界観ができて、そうして一方ではこの複雑なものが統一される区域も拡《ひろ》がって来るのであります。
そこで創作家も一種の人間でありますから各々《めいめい》勝手な世界観を持って、勝手な世界を眺めているに違ない。しかしながらすでに創作家と云う名を受けて、官吏とか商人とか、法律家とかから区別される以上は、この名称は単に鈴木とか、山田とか云う空名と見る訳には行かない。内実においてそれ相当の特性があって他の職業と区別されているのかも知れない。だから、この人々の立場を研究して見たらば、多少の御参考になりはすまいかと思ってこの演題を掲げた訳であります。
そこで、この問題を研究するの方法について述べますと、第一には歴史的の研究があります。これは創作家の世界観の纏《まとま》ってあらわれた著作そのものを比較して、その特性を綜合《そうごう》した上で、これに一種の名称(自然派とか浪漫派とか)を与えて、それから年代を追ってその発展を迹《あと》づけるのであります。いわゆる文学史であります。この間中からして、日本で大分自然派の論が盛になりましていろいろの雑誌にその説明などがたくさん出て、私なども大分利益を受けました。我々日本人が仏蘭西《フランス》の自然派はこう発達したの、独乙《ドイツ》の自然派は今こんな具合だのという事を承知したのは、全くこの歴史研究の御蔭《おかげ》で至極《しごく》結構な事と思います。
ただこの種の研究について私の飽き足らないところを云うと、あるいは下のような弊がありはすまいかと思われます。
(一)[#(一)は縦中横] 歴史の研究によって、自家を律せんとすると、相当の根拠《こんきょ》を見出す前に、現在すなわち新という事と、価値という事を同一視する傾《かたむき》が生じやすくはないかと思われます。すべての心的現象は過程であるからして、Bという現象は、Aという現象に次いで[#「次いで」に傍点]起るのはもちろんであります。したがってBの価値はBの性質のみによって定まらない、Bの前に起ったAと云う現象のために支配せられている事ももちろんであります。腹が減るという現象が心に起ればこそ飯《めし》が旨《うま》いという現象が次いで起るので、必ずしも料理が上等だから旨かったとばかりは断言できにくいのであります。そこで吾々はAと云う現象を心裡《しんり》に認めると、これに次いで起るべきBについては、その性質やら、強度やら、いろいろな条件について出来得る限りの撰択《せんたく》をする、またせねばならぬ訳であります。ちょうど車を引いて坂を下りかけたようなもので前の一歩は後の一歩を支配する。後の一歩は前の一歩の趨勢《すうせい》に応ずるような調子で出て行かなければ旨《うま》く行かない。人間の歴史はこう云う連鎖で結びつけられているのだから、けっして切り放して見てもその価値は分りません。仰山《ぎょうさん》に言うと一時間の意識はその人の生涯《しょうがい》の意識を包含していると云っても不条理ではありません。したがって人には現在が一番価値があるように思われる。一番意味があるごとく感ぜられる。現在がすべての標準として適当だと信じられる。だから明日《あした》になると何だ馬鹿馬鹿しい、どうして、あんな気になれたかと思う事がよくあります。昔《むか》し恋をした女を十年たって考えると、なぜまあ、あれほど逆上《のぼせ》られたものかなあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理の当然で、実に自然で、絶対に価値のある事としか思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果《いんが》に束縛されているのはもちろんであります。現代の仏蘭西《フランス》人が革命当時の事を考えたら無茶だと思うかも知れず。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件を想像しても、ああ熱中しないでもよかろうくらいには感ずるだろうと思います。がこれが因果であって見れば致し方がない。ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦《あせ》るのは、多少|他《ひと》の疝気《せんき》を頭痛に病むの傾《かたむ》きがあるように思います。ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。というものは現に研究している事が自分の歴史なら善《よ》かろうが人の歴史である。人はそれぞれ勝手な因を蒔《ま》いて果を得て、現在を標準として得意である。それを遠くから研究して、彼の現在が、こうだから自分の現在もそうしなければならないとなると、少し無理ができます。自己の傾向がそこへ向いていないのに、向いていると同様の仕事をしなければならなくなる。云わば御付合になる。酷評を加えると自分から出た行為動作もしくは立場でなくって、模傚《もこう》になる。物真似《ものまね》に帰着する。もとより我々は物真似が好きに出来上っているから、しても構わない。時と場合によると物真似をする方がその間の手数と手続と、煩瑣《はんさ》な過程を抜きにして、すぐさま結局だけを応用する事ができるから非常に調法で便利であります。現に電信、電話、汽車、汽船を始めとして、およそ我国に行われるいわゆる文明の利器というものはことごとく物真似から出来上ったものであります。至極《しごく》よろしい。人に餅《もち》を搗《つ》かして、自分が寝ながらにしてこれを平げるの観があって、すこぶる痛快であります。がこの現象をすぐ応用して、文学などにも持って行ける、また持って行かなければならないと結論しては、少し寸法が違ってるように思います。と云うものは理学工学その他の科学もしくはその応用は研究の年代を重ねるに従って、一定の方向に向って発達するもので、どの国民がやり出しても、同程度の頭で同程度の勉強をする以上は一日早くやれば早くやった方が勝になるような学問で、しかも一日後れたものは、必ず、一日早く進んだものの後《あと》を(一筋道である)通過しなければならない性質のものであります。歩く道が一筋で、さきが進んでいる以上は、こっちの到着点も明らかに分っているんだから、できるだけ早く甲《かぶと》を脱いで降参する方が得策であります。真似をすると云うと人聞《ひとぎき》が悪いが骨を折らないで、旨《うま》い汁を吸うほど結構な事はない。この点において私は模傚に至極《しごく》賛成である。しかし人間の内部の歴史になると、またその内部の歴史が外面にあらわれた現象になると、そう簡単には行きませんようです。風俗でも習慣でも、情操でも、西洋の歴史にあらわれたものだけが風俗と習慣と情操であって、外に風俗も習慣も情操もないとは申されない。また西洋人が自己の歴史で幾多の変遷を経て今日に至った最後の到着点が必ずしも標準にはならない。(彼らには標準であろうが)ことに文学に在《あ》ってはそうは参りません。多くの人は日本の文学を幼稚だと云います。情けない事に私もそう思っています。しかしながら、自国の文学が幼稚だと自白するのは、今日の西洋文学が標準だと云う意味とは違います。幼稚なる今日の日本文学が発達すれば必ず現代の露西亜《ロシア》文学にならねばならぬものだとは断言できないと信じます。または必ずユーゴーからバルザック、バルザックからゾラと云う順序を経て今日の仏蘭西《フランス》文学と一様な性質のものに発展しなければならないと云う理由も認められないのであります。幼稚な文学が発達するのは必ず一本道で、そうして落ちつく先は必ず一点であると云う事を理論的に証明しない以上は現代の西洋文学の傾向が、幼稚なる日本文学の傾向とならねばならんとは速断であります。またこの傾向が絶体に正しいとも論結はできにくいと思います。一本道の科学では新すなわち正と云う事が、ある程度において言われるかも知れませんが、発展の道が入り組んでいろいろ分れる以上はまた分れ得る以上は西洋人の新が必ずしも日本人に正しいとは申しようがない。しかしてその文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟《りくつ》はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙《ドイツ》、英吉利《イギリス》もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません。
もっとも日本だって孤立して生存している国柄《くにがら》ではない。やっぱり西洋と御付合をして大分ばた[#「ばた」に傍点]臭《くさ》くなりつつある際だから、西洋の現代文学を研究して、その歴史的の由来を視て、ははあ西洋人は、今こんな立場で書いてるなくらいは心得ておかなくっちゃなりません。たとえ夢中に真似《まね》をするのが悪いと云っても、先方の立場その他を参考にするのはもちろん必要であります。文学は前《ぜん》申したような特色のものではありますが、その特色の中《うち》には一本調子に発達する科学の影響がたくさん流れ込んで来ますから、定数として動かすべからざるこの要素が、いかに科学の進歩に連れて文学の各局部を冒《おか》しているかを見るのは、科学思想の発達しない日本人が、いたずらに自己の傾向ばかりふり廻していては、分らないので、そう頑張《がんば》っていてはついには正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出するかも知れません。
して見ると歴史的研究は前のような弊もあるが、けっして閑却すべからざるものでありますから、私の希望を云うと、歴史を研究するならばその研究の結果して、綜合的《そうごうてき》に現代精神とはこんなもので、この精神がないものはほとんど文学として通用しないものだと云う事を指摘して事実の上に証明したいのであります。私の現代精神と云うのは、今月もしくは先月新らしくできた作物そのものについて、この作物は現代精神をあらわしている云々というような論じ方ではありません。過去一二世紀に渡って、(もしくはもっと溯《さかのぼ》っても、よろしい)、人の心を動かした有名な傑作を通覧してその特性(一つでなくてもよろしい。また矛盾|併立《へいりつ》していても差支《さしつかえ》ない)を見出して行く事であります。そうすると一年や十年の流行以上に比較的永久な創作の要素がざっと明暸《めいりょう》になるだろうと思います。少なくとも吾々の子もしくは孫時代までは変らない特性が出てくるだろうと思います。もし標準が必要とあるならば、これでこそ多少の標準ができるとも云い得るでしょう。こう云う手数をして現代精神を極めたからと云って、それより以前に出たものには現代精神がないと云う訳にはならない。たとえばダンテの神曲に見えるような考を持っている人は今の世にはたくさんない。また神曲の真似《まね》をした作物を出そうと云う男もありますまい。しかしあの神曲のうちから、現代精神を引き出せばいくらでも出て来るにきまっている。今の人の心に訴える箇所はすなわち現代精神であります。デカメロンそのままを春陽堂から出版したって読み手はないにきまっている。しかしあの中に現代精神すなわち種々な点において吾人を動かす自然派のような所はいくらでもあります。ずっと昔に溯《さかのぼ》ってホーマーはどうです。全体から云うとむしろ馬鹿気ている。誰もイリアッドが書いて見たいと云う人もあるまいが、そのイリアッドがやはり現代の人に読み得るところ、読んで面白いところ、読んで拍案の概があるところ、浪漫的《ロマンチック》なところ、が少なくはなかろうと思う。こう考えて見ると作物は時代の新旧ばかりで評をするよりも現代精神にリファーして評価すべき事となります。そうしてこの現代精神は実を云うと、読者がめいめい胸の中にもっている。ただ茫乎漠然《ぼうこばくぜん》たるある標準になって這入《はい》っているのだから、私の申出しはこの茫乎漠然たるものを歴史的の研究で、もっと明暸に、もっと一般に通用するものにしたいと云う動議にほかならんのであります。諸君の御存じのブランデスと云う人の書いた十九世紀文学の潮流という書物があります。読んで見るとなかなか面白い。独乙《ドイツ》の浪漫派だとか、英吉利《イギリス》の自然派だとか表題をつけて、その表題の下に、いくたりも人間の頭数を並べて論じてあります。これで面白いのでありますが、私が読んで妙に思ったのは、こう一題目の下に括《くく》られてしまっては括られた本人が押し込められたなり出る事ができないような気がした事です。英吉利の自然派はけっして独乙の浪漫派と一致する事は許さぬ。一点も共通なところがあってはならぬと云わぬばかりの書き方のように感じられました。無論ブランデスの評した作家はかくのごとく水と油のように区別のあったものかも知れない。しかしながら、こう書かれると自然派へ属するものは浪漫派を覗《のぞ》いちゃならない。浪漫派へ押し込めたものは自然派へ足を出しちゃ駄目だと、あたかも先天的にこんな区別のあるごとく感ぜられて、後世の筆を執《と》って文壇に立つものも截然《せつぜん》とどっちかに片づけなければならんかのごとき心持がしますからして、ちょっと誤解を生じやすくなります。さればといってこの二派が先天的に哲理上こう違うから微塵《みじん》も一致するものでないという理窟《りくつ》も書いてなし、また理論上文芸の流派は是非こう分化するものだとも教えてくれない。ただ著者が諸家の詩歌文章を説明する条《くだ》りを、そうですかそうですかと聞いているようなものでありました。しかしこれは少し困る。例《たと》えば学派を分けてあれは早稲田派だ、これは大学派だとしてすましているようなものであります。それほど判然たる区別があるかないか分らないが、よしあったにしても早稲田派と大学派は或る点において同じ説を吐いてはならないと圧《お》しつけるのみか、たとい実際は同じ説でも、なに違ってるよ。早稲田だもの、大学だものとただ名前だけできめてしまう弊が起りやすい。私の現代精神の綜合《そうごう》と云うのは、この弊を救うためで、一方ではこの窮窟な束縛を解くと同時に、名に叶《かの》うたる実を有する主義主張を並立せしめようとするためであります。
けれども、こういう研究は私にはちょっと臆劫《おっくう》でなかなかできないから、歴史的に行くと自然現代の西洋作家を実価以上に買《か》い被《かぶ》る弊《へい》が起りやすいだろうと思います。そこで歴史的研究以外の立場から創作家の態度を御話する事にしました。
(二)[#(二)は縦中横] もう一つ歴史的研究に対して非難したいのは、ちと哲学者じみますが、こう云う事であります。すべての歴史は与えられた事実であります。すでに事実である以上は人間の力でどうする事もできない。儼《げん》として存在しているから、この点において争うべからざる真であります。しかしながらこれが唯一《ゆいいつ》の真であるかと云うのが問題なのであります。言葉を改めて云うと人類発展の痕迹《こんせき》はみんな一筋道に伸びて来るものだろうかとの疑問であります。もしそうだと云う断定ができれば日本の歴史すなわち西洋の歴史、西洋の歴史すなわち希臘《ギリシャ》の歴史と云う事に帰着します。けれども多数の人は、これら各国の歴史を皆事実と首肯すると共に、ことごとく差違あるものと見傚《みな》すだろうと考えます。もっともこの各国の歴史から共通の径路を抽象して人類の発展の方向は必ず[#「必ず」に傍点]、こういう筋を通るものだとは云われましょう。しかしそれだからといって日本も、支那も、英吉利《イギリス》も、独乙《ドイツ》も、同じ現象を同じ順序に過去で繰《く》り返《かえ》しているとは参らんのであります。あまり雲を攫《つか》むような議論になりますから、もう少し小さな領分で例を引いて御話を致しますが、日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古《けいこ》しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛《なげう》っておいて、西洋の画を今の通|打《う》ち遣《や》っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢《であ》う事があるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿《うたまろ》や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああ云う風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受けるし、歌麿がいなかったら、風俗画の様子もよほど趣が異なっているでしょう。すると同じ絵の歴史でもラファエルが出ると出ないとで二通り出来上ります。(事実が一通り、想像が一通り)風俗画の方もその通り、歌麿のあるなしで事実の歴史以外にもう一つ想像史が成立する訳であります。ところでこのラファエルや歌麿は必ず出て来なければならない人間であろうか。神の思召《おぼしめし》だと云えばそれまでだが、もしそう云う御幣《ごへい》を担《かつ》がずに考えて見ると、三分の二は僥倖《ぎょうこう》で生れたと云っても差支《さしつかえ》ない。もしラファエルの母が、ラファエルの父の所へ嫁に行く代りにほかの男へ嫁《とつ》いだら、もうラファエルは生れっこない。ラファエルが小さい時腕でも挫《くじ》いたら、もう画工にはなれない。父母が坊主にでもしてしまったら、やはりあれだけの事業はできない。よしあれだけの事業をしても生涯人に知らせなかったらけっして後世には残らない。して見ると西洋の絵画史が今日の有様になっているのは、まことに危うい、綱渡りと同じような芸当をして来た結果と云わなければならないのでしょう。少しでも金合《かねあい》が狂えばすぐほかの歴史になってしまう。議論としてはまだ不充分かも知れませんが実際的には、前に云ったような意味から帰納して絵画の歴史は無数無限にある、西洋の絵画史はその一筋である、日本の風俗画の歴史も単にその一筋に過ぎないという事が云われるように思います。これは単に絵画だけを例に引いて御話をしたのでありますが、必ずしも絵画には限りますまい。文学でも同じ事でありましょう。同じ事であるとすると、与えられた西洋の文学史を唯一の真と認めて、万事これに訴えて決しようとするのは少し狭くなり過ぎるかも知れません。歴史だから事実には相違ない。しかし与えられない歴史はいく通りも頭の中で組み立てる事ができて、条件さえ具足すれば、いつでもこれを実現する事は可能だとまで主張しても差支ないくらいだと私は信じております。
そこで西洋の文学史を唯一の真と認めてかかるのは誤っていると、私は申したいのでありますが、ただそれだけなら別にここに述べ立てる必要もない。いざとなると西洋の歴史に支配されるかも知れませんが、普通頭の中で判断すれば西洋の文学史と日本の文学史とは現に二筋であって、両方とも事実で両方とも真であるのは誰が見ても分りやすい事でありますから、その辺はどうでも構いません。また一般に申して西洋の方が進んでいるから万事手本にするんだと言う人があっても構いません。私も至極《しごく》御同感であります。ただ歴史の解釈を私のようにした上で、西洋を手本にしたら間違が少なかろうと思うのであります。そうしないと弊が出てくる。そうしてその弊に陥《おちい》って悟らずにいる事があります。
たとえば十九世紀の前半に英国にスコットなる人があらわれて、たくさん小説をかきました。この人の作が一時期を画するような新現象であるために世人はこれをロマンチシズムの代表者と見傚《みな》しました。それで差し支ないのですけれども、一度こういう風に推《お》し立てられると、スコットは浪漫主義で浪漫主義はスコットであると云う風にアイデンチファイされるようになります。アイデンチファイされると、スコットの作に見《あら》われた要素はことごとく浪漫主義を構成するに必要でかつ充分(necessary and sufficient)なものと認められます。なるほどスコットの作中には中世主義もあります、冒険談もあります。種々な意味に解釈される浪漫主義の特色を含んでおりますが、困る事には多少の写実的分子も交っているのです。ところが写実主義というものは別に旗幟《きし》を翻《ひる》がえして浪漫派の向《むこう》を張ってるんだから、両々対立の勢のためにせっかくスコットのもっている写実的分子を引き抜いて写実派の中へ入れてやる事ができなくなってしまう。また写実派の中に散見し得る浪漫的分子を切り放して、浪漫派の中に入れる事も困難になってしまう。そこでこの名称のために誤まられて彼らの作品は精製した金や銀のように純粋な性質で自然に存在していると思うようになります。ところが実際は大概まざりものなのであります。だから本来を云うなら、ここに浪漫主義なら浪漫主義、自然主義なら自然主義の定義があって、何人の作物でも構わないからして、この定義に叶《かな》っただけを持って来てこの主義のうちへ打《ぶ》ち込むのが当然であろうと思われます。例えば白なら白と云う属性の概念があって、白墨、白紙、白旗、雪などという出来上ったもののうちから白と云う属性だけを引き抜いてこの概念の下に詰め込むのが至当でありましょう。しかるにただ色だけが白いからと云って、色の白いものは形や質や温度その他のいかんに関せずことごとく白のうちへ入れて、しかも外へ出る事を許さなかったら、統一のできるのは白という属性だけであるにも関せず、人はすべての点において統一されているかのごとく誤解を抱《いだ》くのであります。白いものは白で区別しても差《さ》し支《つかえ》ないから、これと同時に、形や質の点においても区別して、一個の具体を二重にも三重にも融通の利《き》くように取り扱わなくっては真相には達せられんはずであります。また一例を云うと、ここに一人の男がある。この人は学校へ出る。その時には教師の仲間へ入れて見なければなりません。筆を執《と》る。その時には著作家の群《むれ》に伍《ご》するものと認めるのが至当であります。家へ帰る。すると夫とも親ともして種類別をしなければならない。この人は一人であるけれどもこれほどの種類へ編入される資格があるのであります。作物もその通りであります。これを分解し、これを綜合《そうごう》して、同一物のある部分を各適当な主義に編入するのが穏当《おんとう》であります。そんな錯雑した作物がないと云うのは過去の歴史だけを眼中に置いた議論でこれから先に作物の性質が、どのくらいに複雑な性質をかねてくるかを窮《きわ》めない早計の議論かと思います。よし過去の作物だけについて検して見てもその作全体もしくはその人の作物総体をある一主義のもとに一括し得て妥当と認めらるるほどの単調なものばかりはないはずであります。しかるに歴史に束縛されるとこの分類が旨《うま》く行かない。なぜと云うと文学史で云う何々主義と云うのは理論から出たのでなくして、個人の作物から出たのであって、その作物の大体を鷲攫《わしづか》みにして、そうしてもっとも顕著に見える特性だけを目懸《めが》けて名を下したまでであります。元祖がすでにそうであるからして、継いで起るものの分類も、みんなこの格で何主義のもとに押し込められてしまう。厳正な類別でなくって、人別になってしまう。厳正な類別をやるには人を離れて、作をほごして、出来上ったものを取り崩《くず》してかからなければなりません。因襲の結果歴史的の研究はこの方法を吾人に教えないのであります。つまりは幾通りとなく成立し得べき歴史のうちで実際に発展した歴史だけに重きを置いて、しかもほとんど偶然に出現した人間の作そのものを全《まった》き成体で取り崩《くず》す事のできないものと見傚《みな》した上でその特色の著るしきものだけに何主義の名をもってする弊であります。だからこの際理論の方から這入《はい》れば成立し得るあらゆる歴史に通用する議論が立てられますし、またはユーゴーとか、バルザックとか云う名前で代表している作物を、一塊《ひとかたま》りの堅牢体で、塊まりとして取り扱うよりほかに手のつけられないものだと云う観念を脱する便宜もあり、また従来実際に発展した歴史から出て来た何々主義より以外には主義は存在し得べからざるものであるとの誤解もなくなるだろうと思います。
(三)[#(三)は縦中横] もう一つ歴史的研究についての危険を一言単簡に述べておきたいと思います。主義を本位にして動かすべからざるものと見ますと、前《ぜん》申した通り作家(すなわち作物《さくぶつ》)を取り崩してかからんと不都合が生ずるごとく、作家(すなわち作物)を本位として動かすべからざるものとすると、今度は主義の方にもって融通をつけなければなりますまい。融通をつけると云うと、一つの作物のうちには同時にいろいろな主義を含んでいる場合が多い、少なくとも含んでいる場合があり得るのですから、かような作物を批評したり分解したり説明したりする際には、一主義のもとに窮窟《きゅうくつ》に律し去る習慣を改めて、歴史的には矛盾するごとくに見傚されている主義でも構わないから、これを併立せしめて、いやしくもその作物のある部分を説明するに足る以上はこれを列挙して憚《はば》からんようにしなければ、やはり前段同様の不都合に陥る訳であります。しかし歴史的関係から作物はそれ自身に whole なものとして取り扱われておりますし、何主義と云う名はこの whole な作物を掩《おお》う名称として用いられておりますから、妙な現象が起って参ります。ここに甲の人があってAと云う作物を出す。するとこの作物にB主義と云う名がつく。(多くの場合においてはこう一言に纏《まと》められないにもかかわらず)次に乙なる人が出て来てA′[#「A′」は縦中横]と云う作物を公けにする。すると批評家がAとA′[#「A′」は縦中横]の類似の点を認めて、やはりB主義に入れてしまう。あるいは作家自身が自らB主義と名乗る場合もありましょう。どちらでも同じ事であります。第三に丙《へい》と云う男が出てA″[#「A″」は縦中横]を書く。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次《ぜんじ》にAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]まで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似《まね》を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸《かか》った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩《おお》われてしだいしだいに流転《るてん》して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺《ず》れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱《じょうらん》を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉《ばしょう》が死んでから弟子共が正風《しょうふう》の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻《ひるが》えすのは、天下を挟《はさ》んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中《かちゅう》から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹《けいせき》だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫《ごう》も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′[#「A′」は縦中横]とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降《くだ》ってAn−1[#「An−1」は縦中横、「n−1」は上付き小書き]とAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]とを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支《さしつかえ》ないようなものの、最初のAと最終のAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]を対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うようです。モリスはチョーサーに似ていると云います。そのチョーサーは詩人ではあるが写実派と云う方が適当であります。すると浪漫主義を中世主義と解釈せぬ以上はスコットとモリスとを同じ浪漫派に入れるのが妙になって来ます。今度はモリスとゴーチェを比較する。誰が見ても同じ範疇《はんちゅう》では律せられそうもない。それでも双方共浪漫家で通用しています。ある人の説によると仏蘭西《フランス》の自然派は浪漫派を極端まで発展させたもので、けっして別途の径路をたどるものではないと申します。そうなると自然派は浪漫派の出店みたようなものになってしまいます。イブセンを捕《つら》まえて自然派だと云う人があります。どうもイブセンとモーパサンとはいっしょにならないように思われます。そうかと思うとイブセンを浪漫派だと申す人があります。しかしイブセンとユーゴーとはとうてい同じ畠《はたけ》のものじゃないようであります。要するに二三の主義をどこまでも押し通して、あらゆる作物をどっちかへ片づけようとする無理から起ったものじゃないかと考えられます。イブセンならイブセンを本位として、説明するには、在来の何々主義(しかもそのうちの一つ)で足りると思うのは、また足りなければならないと思い定めてかかるのは、やはり歴史的研究の弊を受けたものではなかろうかと愚考致します。それで少々出立地を変えて見たら、この窮屈を破ると同時にこの曖昧《あいまい》をも幾分か避けられるだろうと思います。
(四)[#(四)は縦中横] もう一つ申して本題に入るつもりでありますが、これは純粋なる歴史的研究とは云えないかも知れません。今まで述べた三カ条はみな文学史に連続した発展があるものと認めて、旧を棄《す》てて漫《みだ》りに新を追う弊とか、偶然に出て来た人間の作のために何主義と云う名を冠して、作そのものを是非この主義を代表するように取り扱った結果、妥当を欠くにもかかわらずこれをあくまでも取り崩《くず》しがたき whole と見傚《みな》す弊や、あるいは漸移《ぜんい》の勢につれてこの主義の意義が変化を受けて混雑を来《きた》す弊を述べたのであります。ここに申す事は歴史に関係はありますが、歴史の発展とはさほど交渉はないように思われます。すなわち作物を区別するのに、ある時代の、ある個人の特性を本《もと》として成り立った某々主義をもってする代りに、古今東西に渉《わた》ってあてはまるように、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性をもってする事であります。すでに時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性をもってすると云う以上は、作物の形式と題目とに因《よ》って分つよりほかに致し方がありません。まず形式からして作物を区別すると詩と散文とになります。これは誰でも知っている事で改めて云うほどの必要も認めません。詩と散文と区別したからと云って創作家の態度がちょっと髣髴《ほうふつ》しにくいのです。分けないよりましかも知れないが、分けたところで大した利益も出て来ないようです。次に問題からして作物の種類別をすると、まず出来事を書いたものを叙事詩(これは希臘《ギリシャ》の作を土台にして付けた名だから、我々は叙事文と云っても構いません)と名づけたり。自己の感情を咏《えい》じたものだから抒情詩(これも抒情文としてもよろしい)と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。あるいは静物を模写するんで叙景文と号するような分類法であります。この分類になると多少細かになりますから、詩と散文の区別より幾分か創作家の態度を窺《うかが》う事ができて、ずいぶん重宝ではありますが、これとても与えられた作物を与えられたなりに取り扱うだけで、その特性を概括するにとどまってしまいやすいから、それより以上に溯《さかのぼ》って、もう少し奥から、こう云う立場で、こう変化すると小説ができる、こう変化すると抒情詩ができるとまでは漕《こ》ぎつけていないのが多い。そこまで漕ぎつけない以上は、頭から、結果と見られべき作物を棄《す》てて源因と認めべき或物の方から説明して、溯る代りに、流を下ってくる方が善い訳になります。つまり角《つの》があるから牛で、鱗《うろこ》があるから魚だと云う代りに、発生学から出立して、どんな具合に牛ができ、どんな具合に魚ができるかを究《きわ》めた方が、何だか事件が落着したような心持が致します。
私が創作家の態度と題して、歴史の発展に論拠を置かず、また通俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の区別を眼中に置かないで、単に心理現象から説明に取りかかろうと思うのはこれがためであります。
それで創作家の態度と云うと、前申した通り創作家がいかなる立場から、どんな風に世の中を見るかと云う事に帰着します。だからこの態度を検するには二つのものの存在を仮定しなければなりません。一つは作家自身で、かりにこれを我《が》と名づけます。一つは作家の見る世界で、かりにこれを非我と名づけます。これは常識の許すところであるから、別に抗議の出よう訳がない。またこの際は常識以上に溯《さかのぼ》って研究する必要を認めませんから、これから出立するつもりでありますが、今申した我と云うものについて一言弁じて後の伏線を張っておきたいと思います。もっとも弁ずると申しても哲学者の云う“Transcendental I”だの、心理学者の論ずる Ego の感じだのというむずかしい事ではありません。ただ我と云うものは常に動いているもので(意識の流が)そうして続いているものだから、これを区別すると過去の我と現在の我とになる訳であります。もっともどこで過去が始まって、どこから現在になるんだと議論をし出すと際限がありません。古代の哲学者のように、空を飛んで行く矢へ指をさして今どこにいると人に示す事ができないから、必竟《ひっきょう》矢は動いていないんだなどという議論もやれないでもありません。そう、こだわって来ては際限がありませんが、十年前の自分と十年後の自分を比較して過去と現在に区別のできないものはありませんから、こう分けて差《さ》し支《つかえ》ないだろうと思います。そこで――現在の我が過去の我をふり返って見る事ができる。これは当然の事で記憶さえあれば誰でもできる。その時に、我が経験した内界の消息を他人の消息のごとくに観察する事ができる。事ができると云うのですから、必ずそうなると云うのでもなければ、またそう見なくてはならないと云うのでもありません。例《たと》えば私が今日ここで演説をする。その時の光景を家《うち》へ帰ってから寝ながら考えて見ると、私が演説をしたんじゃない、自分と同じ別人がしたように思う事もできる――できませんか。それじゃ、こういうなあどうでしょう。去年の暮に年が越されない苦しまぎれに、友人から金を借りた。借りる当時は痛切に借りたような気がしたが、今となってみると何だか自分が借りたような気がしない。――いけませんか。それじゃ私が小供の時に寝小便をした。それを今日考えてみると、その時の心持は幾分か記憶で思い出せるが、どうも髯《ひげ》をはやした今の自分がやったようには受取れない。これはあなた方も御同感だろうと思います。なお溯《さかのぼ》りますと――もうたくさんですか、しかしついでだから、もう一つ申しましょう。私はこの年になるが、いまだかつて生れたような心持がした事がない。しかし回顧して見るとたしかに某年某月の午《うま》の刻か、寅《とら》の時に、母の胎内から出産しているに違いない。違いないと申しながら、泣いた覚もなければ、浮世の臭《におい》もかいだ気がしません。親に聞くとたしかに泣いたと申します。が私から云わせると、冗談《じょうだん》云っちゃいけません。おおかたそりゃ人違いでしょうと云いたくなります。そこで我々内界の経験は、現在を去れば去るほど、あたかも他人の内界の経験であるかのごとき態度で観察ができるように思われます。こう云う意味から云うと、前に申した我のうちにも、非我と同様の趣で取り扱われ得る部分が出て参ります。すなわち過去の我は非我と同価値だから、非我の方へ分類しても差し支ないと云う結論になります。
かように我と非我とを区別しておいて、それから我が非我に対する態度を検査してかかります。心理学者の説によりますと、我々の意識の内容を構成する一刻中の要素は雑然|尨大《ぼうだい》なものでありまして、そのうちの一点が注意に伴《つ》れて明暸《めいりょう》になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入《はい》る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃《そろ》っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据《すわ》らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然《ばくぜん》たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹《ひ》くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装《いしょう》を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前《ぜん》申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の場合でありますが、時間の経過上についても同様の事が申されます。しかしこれを説明するとくどくなりますから略します。また想像で心に思い浮べる事物もほぼ同様に見傚《みな》されるだろうと考えますから略します。それから前に申した例は単に分りやすいために視覚から受ける印象のみについて説明したものでありますから、実際は非常に区域の広いものと御承知を願います。
まず我々の心を、幅のある長い河と見立ると、この幅全体が明らかなものではなくって、そのうちのある点のみが、顕著になって、そうしてこの顕著になった点が入れ代り立ち代り、長く流を沿うて下って行く訳であります。そうしてこの顕著な点を連《つら》ねたものが、我々の内部経験の主脳で、この経験の一部分が種々な形で作物にあらわれるのであるから、この焦点の取り具合と続き具合で、創作家の態度もきまる訳になります。一尺幅を一尺幅だけに取らないで、そのうちの一点のみに重きを置くとすると勢い取捨と云う事ができて参ります。そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き[#「向き」に傍点]案排《あんばい》もしくは向け[#「向け」に傍点]具合がすなわち態度であると申しても差支《さしつかえ》なかろうと思います。(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年|倫敦《ロンドン》におった時、この間|亡《な》くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子《しゃくし》を拾って来る。もっとも日本の飯杓子《めしじゃくし》のような大きなものではありません。小供の玩具《おもちゃ》にするブリッキ製の匙《さじ》であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀《ていねい》に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠《すく》なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳《くわ》しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立《こんりゅう》されたかのごとく思われます。
こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極《きわ》めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。
まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜《べんぎ》のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜《よろ》しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点《がてん》が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。
時々|酒問屋《さかどんや》の前などを御通りになると、目暗縞《めくらじま》の着物で唐桟《とうざん》の前垂《まえだれ》を三角に、小倉《こくら》の帯へ挟《はさ》んだ番頭さんが、菰被《こもかぶ》りの飲口《のみぐち》をゆるめて、樽《たる》の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口《ちょく》に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。商売柄《しょうばいがら》だけに旨《うま》い事をするなと見ていると、酒の雫《しずく》が舌へ触《さわ》るか、触らないうちにぷっと吐《は》いてしまいます。そうして次の樽からまた同じように受けて、同じように舌の先へ落しては、次へ次へと移って行きます。けれども何遍同じ事を繰《く》り返《かえ》してもけっして飲まない。飲んだら好《よ》さそうなものですが、ことごとく吐き出してしまいます。そこで今度は同じ番頭が店から家《うち》へ帰って、神《かみ》さんと御取膳《おとりぜん》か何かで、晩酌をやる。すると今度は飲みますね。けっして吐き出しません。ことによると飲み足りないで、もう一本なんて、赤い手で徳久利《とくり》を握って、細君の眼の前へぶらつかせる事があるかも知れません。まずこの二た通りの酒の呑み方(もっとも一方は呑み方ではない、吐いてしまうから吐き方かも知れませんが)――吐き方なら吐き方でもよろしい。この呑み方と吐き方を比較して見ると面白い。研究と申すほどの大袈裟《おおげさ》な文字はいかがわしいが、説明のしようによると、なかなかえらく聞えるようにできますから御慰《おなぐさ》みになります。まず第一には、御店《おたな》で舐《な》めた酒と、長火鉢《ながひばち》の傍《わき》でぐびぐびやった酒とは、この番頭にとって同じ経験であります。もっとも焼酎《しょうちゅう》とベルモット、ビールと白酒《しろざけ》では同じ経験とも申されませんが、同種、同類、同価の酒を店で吐いて、家で飲んだとすれば、吐くと飲むとの相違があるだけで、舌の当りは同じ事だと見るのが順当だから、つまりこの男は同じ味覚の経験を繰り返した訳になります。ここまでは誰《だれ》が見ても同じ経験であります。それならどこまでも同じだろうかと云うと、違っています。店で試しに口へ当てて見るのは、この酒はどんな質《たち》で、どう口当りがして、売ればいくらくらいの相場で、舌触りがぴりりとして、後《あと》が淡泊《さっぱり》して、頭へぴんと答えて、灘《なだ》か、伊丹《いたみ》か、地酒《じざけ》か濁酒《どぶろく》かが分るため、言い換《かえ》れば酒の資格を鑑別するためであります。これが晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日《きょう》の酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研究している訳でも何でもありゃしないのです。だから九十銭が一円でもただ旨《うま》く飲めさえすりゃ結構なんです。こういう点から云うと、両方が変っています。酒の味を利用して酒の性質を知ろうというのが番頭の仕事で、酒の味を旨《うま》がって、口舌の満足を得るというのが晩酌の状態であります。双方とも同じ経験に違いない。ただその経験の処置が異なっています。言葉を換えて云うと同様の経験について、眼の付け所が違う、注意の向け方が違っている。最後にこの講演に大事な言葉を用いて申しますと、態度[#「態度」に傍点]が違っております。(ここのところが少しヴントなどと違ってるかも知れません。ヴントのような専門の大家に対して異説を立てるのははなはだ恐縮ですが、私のは、こう行かないと説明になりませんから、こうしておきます。またこうしても、実際上|差支《さしつかえ》ないと信じます)
もう一歩進んで、この態度が違っていると云う事を説明しますと、番頭の方は酒の味を外へ抛《な》げ出す態度であります。すなわち自分の味覚をもって、自分以外のもの、(最前申した非我)の一部分を知る料に使うのであります。譬喩《ひゆ》で云うと、酒の味が舌の先から飛び出して、酒の中へ潜《ひそ》んで落ち着く方角に働くのであります。晩酌の方はこれが反対の方向に働いております。非我のうちに酒と云うものがあって、その酒が、ある因縁《いんねん》で、外から飛び込んで来て、我を冒《お》かした、もしくは我が冒されたと承知するのであります。詰《つづ》めて云うと、一は我から非我へ移る態度で、一は非我から我へ移る態度であります。一は非我が主、我が賓《ひん》という態度で、一は我が主、非我が賓と云う態度とも云えます。番頭から云うと酒の味自身が酒の属性になるのだから、これを属性的の経験とも云えましょう。晩酌から云うと酒の味が自己の幸不幸(あまり大袈裟《おおげさ》なら快不快)になるんだから感受的とでも云えましょう。洋語で云うと affective と申したら妥当だろうと思います。あるいは番頭の、自己にあらざる酒に重きを置く点から云えば客観的態度とも名づけられましょうし、晩酌の、自己に受くる刺激を、密切な自己の一部分と見傚《みな》す点から云えば、主観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云って善《よ》かろうと思いますし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろうと思います。(ここに云う両主義は便宜のため私が拵《こしら》えたのだから、かの心理学の一派を代表する主意説とは切り離して見ていただきたい)
これでたいてい御分りになったろうと思いますが、なお念のために、もう少し複雑で時間の経過を含んでいる例を御話ししておきたいと考えます。かつて西洋の石版業の事を書いたものを見た事がありますが、その中に彼らの技巧は驚ろくべきものだとありました。なぜ驚ろくべきものかと申すと、彼らは原画を一目見るや否や、この色とこの色を、これだけの割合で、こう混ぜれば、この調子が出ると、すぐに呑《の》み込んでしまう。それからその通りにやる、はたしてその通りの調子が出る。まずこんな具合なんだそうです。ところが画工の方はどうかと云うと、まず腹の中で、ここへこんな調子を出して、面白味を付けようと思う。それから絵の具を交ぜる――もしイムプレショニストなら単純な色を並べて、すぐに画布へ塗り付ける。そうして思い通りの調子を出す。今この両人を比較して見ますと、ある手段に訴えて、目的(すなわち思い通りの色)に到着するのだから、そこまでは同じ事と見傚《みな》して差支《さしつかえ》ないのです。しかし両人が工夫の結果同じ色彩に到着しても、到着した時の態度は大に違うと云わなければなりません。画工の方はこの色彩を楽しむのであります。いい effect が出たと云って嬉《うれ》しがるのであります。この楽みを除いては、いろいろの工夫を積んでこの結果に達するまでの知識は無用なのであります。しかしこの知識をある意味において自得していないと、どうあってもこの結果が出せない。出せなければ楽しむ訳に参らんからやむをえずこの過程を冥々《めいめい》のうちにあるいは理論的に覚え込むのであります。しかるに、石版屋の方では、注文を受けて原画と同じような調子を出せば、それで万事が了するので、その結果が網膜《もうまく》を刺激しようが、連想を呼び起そうがいっこう構わんので、必竟《ひっきょう》ずるに彼の興味は色彩そのものに存するのであります。何と何と何がどんな割合に調合されてこの色彩が出来上ったんだなと見分けがつけばよろしいのであります。したがって彼の重んずるところは色彩から受ける楽《たのし》みよりも、いかにしてこの色彩を生じ得るかの知識もっと纏《まと》めて云えばこの色彩の知識にあると云っても無理ではありません。さてこの両人も出来上った色を経験すると云えば同じ経験をしたに違いない。ただ石版屋の方はこの経験を我から放出して、非我の属性たる色と認め、かつ属性として他の色と区別するに引き易《か》えて、画家は同一経験を、画面より我に向って反射し来《きた》ったる一種の刺激と見傚し、この色がいかに我を冒《おか》すかの点にのみ留意するのであります。だから石版屋の方を客観的態度で主知主義とし、画工の方を主観的態度で主感主義と名《なづ》けてよかろうと思います。
まずこれで客観、主観、主知、主感の解釈ができましたが、これは極めて単純なる経験について云う事で、その経験は一の全《まった》き経験でありますから、この経験に対する注意の向け方、すなわち態度一つで、こう両面に分解はできますようなものの、この両極端の態度を取って、いずれへか片づけなければならないように人間が出来上っていると思うのは中庸《ちゅうよう》を失した議論であります。分りやすいためにこそ、こう截然《せつぜん》たる区別はつけましたが、こう明暸に離れる場合は、あらゆる場合の両端に各《おのおの》一つずつしかないと合点《がてん》しても間違ではなかろうと思います。その中間に横《よこたわ》っている多数の場合は皆この両面を兼ねているでしょう。もし兼ねているのが不都合ならば或る比例において入り交っていると云うが好いでしょう。
そうすると私は、何だかいらざる駄弁を弄《ろう》した、独《ひと》りよがりの心理学者のようになります。それでは少々心細いから、もう少しこの両方面を研究して御話ししたいと思う。すなわちこの単純な経験において両面を区別しておく方が適当であると御納得《ごなっとく》の参るように、この両面が漸々《ぜんぜん》右と左へ分れて発展する結果ついには大変違ったものになりうると云う事を説明したいと思います。
説明はなるべく単簡《たんかん》な方が宜《よ》ろしいから、ここに一つの物でも、人でもあるとする。この物か人は与えられたものとします。すると、以上の両態度でこれに対すると、これを叙述する方法が双方共にどう発展するかという問題であります。
その前にちょっと御断わりをしておきますが、ここではAならAを与えてあると見て、その与えられたAをいかに叙述して行くかと云うのですから、叙述家にAを撰択する権利がない事になります。しかしながら前に我々の心を幅のある河に喩《たと》えた時、この川幅の一点だけが明暸《めいりょう》になるから、明暸になった一点だけが意識の焦点になって、他は皆|茫々《ぼうぼう》の裡《うち》に通過してしまう。そうしてその焦点は注意のもっとも強い所にできる、そうして注意はすなわち態度であると申しました。だから心の態度は撰択淘汰《せんたくとうた》の権を有しております。ここにAを与えられたとするのは、心の態度にAを撰択する権利がないと云う意味ではありません。すでに撰択せられたるAについての話であります。
本来ならば前に申した両態度がいかなる風に、いかなる性質の焦点を作るかを論じなければならんはずであります。しかしそうすると大変複雑な問題になりますし、また撰択の態度は、すなわち撰択されたものを叙述する態度と同じ事で、双方とも傾向に相違はないと考えます。前に云った色好きの浅井先生のような人に、エストミンスター・アベーが眼に着いたとすると、先生は自分の勝手でこの寺院を撰択した訳になりますが、さてこれを叙述する段になれば(腹の中で叙述しても、口で叙述しても、または筆で叙述しても)撰択した時の態度をもって細かに局部に向うだけの事であります。ただ叙述の際にある連想だとか、ある概念だとかある記号だとかアベー以外の材料をもって来て、アベーの色を説明するかも知れませんが、説明の道具に使われる材料もまた同じ態度で撰択《せんたく》したものでありますから、つまりは同じ事だろうと思います。(もっとも例外は出て来ます。態度が中途で代る事もあり得ます。しかしこれは些細《ささい》の事として御見逃しを願いたい)
そこでAを与えられたものと見て、これを叙述する様子がだんだんに分れて遠ざかるところだけを御話しをしたい。Aそのものは何だか分らないのですが、これを叙述する方法は主知(客観)の態度に三つ、主感(主観)の態度に三つ、そうして両方を一つずつ結びつけて対《つい》にする事ができるかと思います。当っている当っていないはもちろん大切でありますが、比較すると、よく対がとれているところに私は興味があるのでありますし、叙述となるとすでに文学の領分に、いつの間にか這入《はい》っておりますから、私の思いついたままを御参考に供します。
第一段は叙述が、一歩客観主観の両面へ展開した時の状態で、この左右の扉を対と見るところに興味があるのであります。この時期における客観的叙述を私は perceptual と名づけようかと思います。すなわち前に申した酒の味よりもやや複雑な感覚的属性が纏《まと》まって一体を構成しているものを、綜合《そうごう》された一体と認めて、認めたままを叙述する意味に用いるつもりであります。例《たと》えばここに洋卓《テーブル》があると、この洋卓は堅い、黒い、ニスの臭《におい》のする、四角で足のある、云々と一々にその属性を認めて、認めた属性を綜合《そうごう》して始めて叙述が成立する訳であります。ところがかように属性を結びつけると云う事が、前に申した酒の味のときよりも一層客観性をたしかにする事だろうと思われます。と云うものは視覚、聴覚その他を単に主観的態度で取り扱っていると色はついに色で、音はどこまでも音で、この色とこの音は同一体の非我が兼ね有していると云う事実には比較的|無頓着《むとんじゃく》でいられます。したがって色も非我の属性であり、音も非我の属性であると云う以上に、この色もこの音も同一非我の属性であると綜合すれば、前よりは一段とその物の存在を確《たし》かにする意味になるから、客観的態度に重きを置いた叙述と云わねばなりません。ただ注意すべき事はこの際主観的分子が無くなったと解釈してはならんのであります。現に色を視、音を聞く以上は、この経験を綜合して我以外に抛《な》げ出すと、抛げ出さざるとに論なく、色も音も依然として、一方では主観的事実であります。
これで私のいわゆる perceptual な叙述の意味は大概御分りになりましたろう。ところが、属性が複雑になるに従って、叙述が長たらしくなります。長たらしくなると、叙述をする当人も迷惑であり、叙述を聴くものは一度に纏《まと》めかねるようになります。したがってこの叙述を簡単にするためには、勢い叙述されべき物に類似のもので、聞く人の頭の中に、すでに纏って這入《はい》っているものを持ち出して代理をさせるのが便利になります。例えば※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》を見た事のない西洋人に※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]を説明するよりも赤茄子《あかなす》のようだと話す方が早解りがするようなものであります。もちろんこの代理になる赤茄子の考が先方の頭のなかになくては駄目で、考がある以上は、その考え次第では、第二段に述べる conceptual な叙述を予想した事になりますが、これはその場合に至ってなるべく不都合のないように説明してみましょう。とかくにこの代理のものを用いると云う事は、純粋の叙述ではない、方便であるから、あまり厳密に考えると少しは破綻《はたん》が出そうであります。しかし実際的にはほとんど、私の主意を害する事のないのみか、かえって私の考を明暸に御分らせ申す結果になりますから、こう致しておきたい。のみならず、こうしておくと、片一方の主観的の方と比較するときに大変な好都合になるのであります。
そうすると、帰着するところは、perceptual な叙述のもっとも簡便な形式は洋卓《テーブル》は唐机《とうづくえ》のごとしとか、※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]は赤茄子のごとしとか、驢《ろ》は騾《ら》のごとしとか、すべて眼に見、耳に聞き、手に触れ、口に味わい、鼻に嗅《か》いで得たる形相《ぎょうそう》をもって叙述する事になります。その一般の形式をAはBのごとしとしておきます。
Perceptual な叙述に対する、主観的方面の叙述は何であるかと云うと、私はちょっと名前に窮するから、しばらく在来の修辞学に用いている直喩《ちょくゆ》(simile)という語を借用致します。しかし全然従来の simile とも思われないようですから、そのつもりで聞いていただきたい。普通修辞学者の説によると、似たものを似たもので説明するんだそうです。これだけならば※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]を赤茄子で説明したり、洋卓を唐机で説明するのと別段の相違もないようです。ところが実際の例を見ると、大分これとは趣を異にしているのがあります。あの人の心は石のようだ。あの男は虎のようだ。などと云うのがあります。そこでは私は第一段の主観的叙述をあらわすに simile と云う字を借用しました。これは普通 simile の下に取り扱われている叙述のあるものが、私のいわゆる第一段の主観的叙述と同傾向を有しているからと云うだけに過ぎません。さて今申した、あの人の心は石のようだと云う例をとって、調べて見ると、心と石を並べても比較しようがありません。またあの男は虎のようだと云う例にしてもその通り、虎と人間とはとうていいっしょになりようがない。けれども別に無理とも思わないで使っています。してみるとどこか似たところがあるに違ない。その似たところを考えて見たらこの両面の叙述の差が判然するだろうと思います。人の心を石に比較するのに、比較にならんように思うのは、我々が石についての経験を、我から非我の世界に抛《な》げ出す態度、すなわち我以外に一塊の動かすべからざる石と名づくるものが存在していると見傚《みな》すからではありますまいか。すでに抛げ出されて石と名づけられたる以上、我の態度が我から非我に向って働らく以上は、石はどこまでも石で、どうしても人の心に比較されよう訳がないのであります。我々の石についての経験は堅いとか、冷たいとか、素気《そっけ》ないとかいう属性から構成されているのは無論でありますが、いやしくもこの属性が石の属性で、石の意義を明暸ならしむるものと相場がきまってしまえば、もう融通は利《き》きません。どうしても石を離れる事ができなくなります。石を離れる事ができないとすると、まるで性質の違った心を形容する訳には参りません。堅いのは石が堅いので、冷たいのもやはり石が冷たいんだから、その堅さ冷さを石から奪って、心に与える訳には参りません。しかしひとたび立場を変えて、その堅さ冷たさを石から[#「から」に傍点]経験したとすれば、自分が石を認めたんでなくって、石が自分を冒《おか》したとすれば、冷たいのは自分の冷たさで、堅いのも自分の堅さであるから、ひとたび石の経験に触れるや否や、石を離れて冷たい、堅いと云う心持ちだけになるから、いやしくもこれと同じ心持を起すものならば、移して何へでも使う事ができます。それで、あの人の心は石のようだと云う叙述が意味のあるものとなります。これは全く性質の違った比較をする場合で、むしろ極端であります。比較するものと比較されるものとの属性が一点もしくは一以上の諸点において、似ていれば似ているだけ客観的比較に近づく訳ですからして、漸々《ぜんぜん》 perceptual の叙述に縁がついて参ります。例《たと》えば先刻のあの人は虎のようだというような simile でも石と心の比較に比べると、幾分かは perceptual の方面へ向いております。なぜと云うと、虎は動物であり、人も動物であるという点において、すでに客観的価値のある比較であります。何も動物と云う概念がなくても構いません、寝るところが似ている、物を食うところが似ている、歩くところが似ている以上は、客観的価値があります。いくら皮膚が似ていなくっても、足の恰好《かっこう》が似ていなくっても、髯《ひげ》の数が似ていなくっても、似ているところがあるだけそれだけ客観的価値のある比較であります。しかしながら、もし以上の点において類似を主張するならば、よりよき類似を主張する比較物はいくらでもあるはずであります。例えばあの人は父に似ているとかまたは母のごとしとか云う方が虎のごとしと云うよりも遥《はる》かに穏当《おんとう》であります。立派な perceptual な叙述ができるはずであります。しかるにこれを棄《す》てて客観的価値のもっとも少ない[#「客観的価値のもっとも少ない」に傍点]虎を持って来たのは、すべての不類似のうちに獰猛《ねいもう》の一点を撰択[#「撰択」に傍点]してもっとも大切な類似と認めたからであります。さてこの撰択[#「撰択」に傍点]は前に云った通り我々の注意できまるので、云い換えると我々の態度で決せられるのであります。ではこの際の態度は客観か主観かと云う問題になります。獰猛《ねいもう》を客観的に虎の属性と見傚《みな》せば獰猛はついに虎の獰猛であって、どうしても虎を離れる事はできません。その代り人間の獰猛もまた客観視する事ができますからして双方共我を離れたものとして比較ができます。しかし同一経験の方向を逆にして虎より受くる獰猛、人より受くる獰猛として、双方から来る心持だけを比較すると、主観の態度であります。だからこの場合においては、両方に見る事ができて、両方共正しいのであります。しかしながら実際はどうかと云うと、個人の習慣及びその時の模様によって、変化のあるのは無論でありますが、多くの場合に、多くの人が、多く主観の方に重きを置いているように思われます。だから私はこの種の比較に用いる虎なら虎を、客観的価値のもっとも少ないものであると云う訳で、また客観的価値のある局部をも主観的態度で注意する傾向があると云う訳で、この方面の叙述と見るのであります。石の例と虎の例でも分るごとくすでに主観の程度には厚薄があります。なお進んで月が鎌のようだと云う叙述に至るとまた一歩 perceptual の方へ近づいております。(面倒だから解剖は致しません)。かようにして漸々客観的価値を増すに従って、ついには perceptual の叙述に達するのであります。
Perceptual の叙述と、simile(私のいわゆる)との対はまずかようなものであります。前者は客観で知を主とし、後者は主観で感を主とするのが特性であります。しかし常態を申すと双方が幾分か交り合っている事は、例に因《よ》って説明した通であります。
これから第二段の対に移ります。第二段の片扉《かたとびら》で客観態度の方を conceptual な叙述と名づけたいと思います。それから片扉の主観態度の方をやはり在来の修辞学の言葉を借りて metaphor としておきます。意味はこれから説明します。
あるものを二度見てははああれだなと合点するのを recognition と申します。二度以上たびたび見て、やっぱりあれだなと承知するのを cognition と申します。もし一つものをたびたび見る代りに同種類の甲乙をたびたび見た上で、やはり同種類の丙《へい》に逢った時、これはこの種類の代表者もしくはその一つであると認めるのは conception の力であります。隣りの斑《ぶち》はこうであった。向うの白はこうであった。どこそこの犬はこうであったの経験が重なると、すべての犬はこうであったと纏《まとま》って参ります。それがもう一層固まると、こうであったが変じて、かくあらねばならぬとまで高じて参ります。かくあらねばならぬとなった時に、犬なら犬全体に通じての考ができます。かくあらねばならぬ考だから、本人はまだ見ぬ犬にも、いまだ生れぬ犬にもこれを適用致します。さてこの概念を抱《いだ》いて往来を歩いていると、たちまちわんと吠えられる事があります。当人はさっそくにははあ鳴いたな。これ犬なりと断じます。私はこのこれ犬なりの叙述を conceptual な叙述と申したいのであります。犬は一匹であります。耳が垂れて、尾が巻いて、わんわん云う声を出しているかも知れません。しかし単にそれだけ見たり聞いたりしただけでは、種属全体に通用する犬と云う断案は出て来ません。だからこの際における犬は、頭の中に前から存在している犬の一匹もしくは代表者であります。固《もと》より頭のなかに這入《はい》っている犬は、犬と云う名前で這入っているか、または抽象的な関係的知識になって這入っているだけだから、形を具えてはおりません、形を具えている犬はいつでも代表的な一匹の犬になってしまうのは無論でありますが、個々特別の場合を綜合《そうごう》して成立ったものであるという点において、すでに密切な主観的意味を失っております。personal element が亡《な》くなっております。犬はかくあるべきものという事を云い換えると、すべての人は犬をかく考うべきはずだという事になります。すなわち他人はどうでも自分はこうという立場を離れております。誰にでも通用するもの、結局は客観的にたしかなものという事になります。それだから犬の概念は頭の中にあるだけにもかかわらず、その価値は頭以外すなわち非我の世界に抛出《なげだ》されて始めて分るものであります。その代り例の主観的な分子は、perceptual の叙述に比べると全く欠乏して参ります。ただ吾人の知識が非我の世界において広くなったと云う事は云われます。けれども犬と云えば、すぐに一匹の犬を思い出すのが通例であるから、理窟《りくつ》からいうほど主観的分子は欠けていない場合が多いので、その点においては第一段の perceptual な叙述とつながっております。(この場合においてもこれは犬なりというのはもっとも単簡なる形式を撰《えら》んだものであります)。
今度は対《つい》の片扉なる主観の方面すなわち metaphor に移って申します。これは御承知の通り simile の変化したもので、修辞学者は大胆なる simile と評しております。あの人の心は石のようだと云う代りに、あの人の心は石だと断じ、あの人は虎だと云い切る類《たぐい》であります。第一段の比較に対して、ここでは心を石と同一視し、人を虎と同一視するのであります。だから simile よりも一層客観的不類似の点を無視した訳になります。だからその点において一層主観的態度の叙述と見傚《みな》して差支《さしつかえ》ありますまい。(その他の点は simile の所と同様の議論でありますから略します)
第三段になると妙な対ができると思います。ここになると双方共が象徴に帰してしまうのであります。本来を云うと、犬と云うのも記号で、心を石だと云うのも一種の象徴でありますから、第三段になって正式にあらわれるのはすでに前から胚胎《はいたい》しておったものであります。客観の態度から出る象徴の、もっとも面白い例は数字の記号であるものを代表する事であります。例えば x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]とあればこの関係で円を叙述する事になるそうです。私の知っている数学者はこの式さえ見れば円が眼に浮ぶと云いました。恐ろしいものです。しかしこの式の意味を解しても、円が眼に浮ぶようになるのはちょっと暇がかかるだろうと思われます。それから x=A cos 2πnt は一種の振動をあらわしたり、λ=597μμ とあると光波の長さで光の色をあらわすのだそうで、まことに不可思議の至のように思われますが、いずれも長くかかって説明すべきものを、手数を省《はぶ》くために、かようにつづめたものであります。だから比較的に非常に込みいった、客観的関係が畳み込まれているには相違ありません。それがためこれらを了解する非我の世界における知識は大分広く深くなるでありましょうが、その代り我《が》自身だけに関する経験すなわち主観の部分は全くないと云っても差し支ありません。ただし x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]はいかな円でも円でさえあればあらわしているのだから、取《とり》も直《なお》さず円の概念に当ります。のみならずある人はこの式を見ればすぐに一個の円が眼に浮ぶと云うのですから、この人にとっては、この公式は perceptual な叙述の代りにもなります。まことに重宝な式であります。しかしいかな数学好きの友人もこの式を見て好い心持だとか不愉快だとか申さない所をもって見ますと、主観的方面の叙述とはほとんど縁がない式のように思われます。これから翻《ひるがえ》って主観の方の象徴を述べます。これは歴史的に申すと、私の知らない仏蘭西《フランス》の詩人や何かを引用しなければなりませんので、少々迷惑致します。しかし前もって申し上げた通り、これは文学史上の御話でないのだから、相成るべくは手製の例で御勘弁を願いたいと思います。つまりは、この態度にかなっていれば、どんな例でも構わんくらいで御聞き下さい。すでにあの人の心は石のようだと云っても、あの人の心は石だと云っても、石をもって心を代表するという点から見ますと、やはり主観方面に属する一種の象徴に違ありません。けれども、それが一歩進んで、心と石を並べないで、石と云ってすぐ心を思い起させる叙述に至ったときに、私はこれを始めて第三段の主観的象徴と申したいと思います。もちろん形式はこの叙述に叶《かな》っていましてもいっこう主観の分子を含んでおらんのがありますがそれは御注意を致しておきます。例えば茶柱が来客を代表したり、嚏《くさめ》が人の噂《うわさ》を代表したりするようなものであります。これは偶然の約束から成立した象徴でありますから、ここに云う種類には属しない訳であります。もっとも器械的の象徴も馬鹿にならんもので、習慣の結果茶柱を見て来客の時のような心持になったり、嚏をして、人の噂を耳にするような気分が起る人がないとも限りません。そう云う人にはこんな象徴もやはり主観的価値のあるものであります。だから本人の気の持ちよう一つでは、仁参《にんじん》が御三どんの象徴になって瓢箪《ひょうたん》が文学士の象徴になっても、ことごとく信心がらの鰯《いわし》の頭と同じような利目《ききめ》があります。なお進むと、烏鳴《からすな》きが凶事の記号になったり、波の音が永劫《えいごう》をあらわす響と聞えたり、星の輝きが人間の運命を黙示する光りに見えたりします。こうなると漸々主観的価値が増してくるのみならず、解剖の結果全く得手勝手な象徴でないと云う事も証明ができます。このくらいならばまだ、大した事はありません。第二段第一段とつながっているくらいのものでありますが、層々展開して極端に至ると妙な現象に到着します。ちょっとその説明を致します。我々は我々の気分(主観の内容)を非我の世界から得ます。しかし非我の世界は器械的法則の平衡を待って始めて落ちつくものであります。もしこの平衡を失えばすぐに崩《くず》れてしまいます。したがって自分がこういう気分になりたいと思った時に、その気分を起してくれる非我の世界の形相が具《そなわ》っておらん事があります。つまり非我の世界を支配する器械的法則が我の気分に応じて働いてはくれません。そこでこの法則の運行と、自分の気分と合体した時、すなわち自分がかくなりたいとかねがね希望していたかのごとき気分を生ずるときの非我の形相を、常住の公式に翻訳しようとするのが我々の欲望であります。例えば時鳥《ほととぎす》平安城を筋違《すじかい》にと云う俳句があります。平安城は器械的法則の平衡を保って存在しているのだから、そうむやみに崩れてはしまいません。それすら明治の今日には見る事ができません。いわんや時鳥は早い鳥であります。またその鳥が筋違に通るところも、始終《しじゅう》はありません。おやといううちに時鳥も筋違も消えてしまいます。消えてしまう以上はその時の気分になりたくってもちょっとなれないから、平安城を筋違にという瞬間の働きをさも永久の状態のごとく、保存に便にするように纏《まと》めておきます。さてかように纏った気分が(客観的に云うと形相)だんだん頭のなかへ溜《たま》って参ると仮定します。そうしてそれが入り乱れるとします。広くなり深くなると見ます。すると一種奇妙な気分になります。この気分を構成する一部一部は、非我の世界にこれに相応する形相を発見しもしくは想像する事ができますが、この全体の気分に応じたものを客観的に拈出《ねんしゅつ》しようとするととうてい駄目であります。花でも足りない。女でも面白くない。ああでもない、こうでもない、ともがくようになります。これを形容して、よく西洋人などの云う口調を借りて申しますと、無限の憧憬《しょうけい》(infinite longing)とかになるのでしょう。私は昔し大学におった頃この字を見て何の事だか分りませんでした。それでもありがたがってふり廻していました。今でも実は分りません。私は解釈だけはできますが、本当のところ infinite longing と云うものを持っていないのだから、是非もございません。しかし私のように説明すればともかくも形容の詞《ことば》なのですから、それで差支《さしつかえ》ございますまい。とにかく、そんな形容を使わなければならない気分が起りまして、煩悶《はんもん》致します。煩悶してどうか発表したいとするが発表できない。できないでしまえばそれまででありますが、せめて不完全ながら十の一でもあらわそうとすると、是非とも象徴に訴えなければなりません。十のものを十だけあらわさないで――あらわさないと云っては間違になります。あらわせないのです。でやむをえず一だけにしてやめておく叙述であります。無論気分を気分としてあらわすなら、大に悲しいとか、少々|嬉《うれ》しいとか云うだけで、始めから表わせる表わせないの議論をする必要がないのですが、この深いような、広いような、複雑なような気分の対象を、客観的なる非我の世界に見出そうとすると十の気分を一の形相で代表させて、残る九はこの象徴を通じて思い起すようにしなければなりません。しかしながら元来これは本人すら無理な事をしているのですから、他人にはよほど通用しにくくなる訳であります。一を聞いて十を知ると云う事がありますが、一を見て十を感ずる人でなければできない事です。しかも一を見て十を感ずる、その感じかたが、云いあらわした本人と一致しているかどうかに至るとはなはだむずかしい問題であります。要するに象徴として使うものは非我の世界中のものかも知れませんが、その暗示するところは自己[#「自己」に傍点]の気分であります。要するにおれ[#「おれ」に傍点]の気分であって、非常に厳密に言うと他人の気分ではない、外物の気分では無論ない。という傾向のあるところから、この種の象徴を主観的態度の第三段に置いて、数学の公式などの対と見立てました。(シモンズの仏蘭西《フランス》の象徴派を論じた文のなかに、こんな句があります。「我々が林中の木を一本一本に叙述するの煩《はん》を避けて、自然を怖《おそ》れて逃がれんとするがごとくもてなすと、ますます自然に近くなります。また普通の俗人は日常の雑事を捉《とら》えて実在に触れていると考えておりますが、これらの煩瑣《はんさ》な事件を掃蕩《そうとう》してしまうと、ますます人間に近くなるものであります。世界に先《さきだ》って生じ、世界に後れて残るべき人間の本体に近づくものであります」この人はまたカーライルの語を引用しています。「真正の象徴は明らかにまた直接に、無限をあらわしている。無限は象徴によって有限と合体する。眼に見えるようになる。あたかも達せらるるかのごとくに見える」この二人の言葉は多少 infinite longing と同じく、いささか形容の言葉のようにも思われますが、御参考のために、ここに引いておきます)
これで主観客観の三対|併《あわ》せて、六通りの叙述の説明を済ましました。そこでこれだけ説明すればあらゆる文学書中に出て来るすべてのものを説明し尽したとはけっして申すつもりではありません。しかしながらこれだけ説明すれば、吾人の経験の取扱い方の一般は分るだろうと思います。客観主観の両態度の意味と、その態度によって、叙述の様子がだんだんに左右へ離れて行く模様が分るだろうと思います。それが普通の人の分れ具合でまた創作家の分れ具合であります。だからつまるところは創作家の態度も常人の態度も同じ事に帰着してしまいます。何だつまらない、それがどうしたんだとおっしゃる方が、あるかも知れません。なるほどつまらない。私もつまらないと思います。しかしここまで解剖して見て始めてつまらない事が分ったので、それまでは私も諸君と同じようにいっこう不得要領であったのです。しかしつまらないながらもこういう事だけは云い得るようになりました。この六通りの叙述は極端から極端までずうとつながっています。どこで、どれが終って、どこで、どれが始まったと云う事ができないように続いています。それをほかの言葉で翻訳すると、客観主観いずれの態度にしても、このうちの一と通りに限らねばならないという理由もなし、また限ったが便利だという事もなし、その時その場合で変化しても差支《さしつかえ》ないのみならず、変化するのが順当で、変化しなければ窮窟《きゅうくつ》であると云う事だけはたしかのように思われます。もっとも客観の極端に至ると科学者だけに通用する叙述になり、主観の極端になると、少数の詩人のみに限られる叙述になりますから、例外になります。しかし常人はこの両極の間を自由勝手にうろうろしているものであります。そうして創作家もまた常人と同じようにその辺のいい加減な所を上下しているものであります。
そこで、かの西洋の文学史に起った何派もしくは何主義というものは、その傾向から推《お》して、これらの客観的態度の三叙述、もしくは主観的態度の三叙述の左右へ排列されるものだろうかと思います。まず写実派、自然派、のようなものは前者に属し、浪漫派、理想派などと云うものは後者に属するのではなかろうかと思います。私はこれらの諸派を歴史的に研究して、こんなものだと断定するのではありません。私が創作家の態度を極端まで左右に展開さしてその傾向を確めていると、西洋にはこういう派がある、ああいう派があるという話だから、それならばとその性質を大略聞いて見て、それならば、私の解剖した両翼の方へその派の名前を結びつけて排列してみよう、見ればこう左右に割って置かれはしないかというまでであります。したがって私はこの解剖によって、歴史的に起った自然派や浪漫派の定義を下す意は毛頭ありません。すなわちこの左右の両翼が自然派もしくは浪漫派とアイデンチカルのものという考はまるでないのであります。私は心理状態の解剖から出立する。だからできるだけ単純にまたできるだけ根本的に片づけ得るように解剖して来たのであります。しかるにかの自然派もしくは浪漫派と名《なづ》くるものはその中に含まれたる多くの書物の特性をあらわしておって、大分複雑であるのみならず、その内容を形づくっている文章がすでに純粋に[#「純粋に」に傍点]何々派をあらわしておらんから、とうてい私の展開させた両翼と全然一致しようがないのであります。けれども大体の傾向を云えば、こう分布排列しても無理はないと思います。
ところで普通の人間は今申す通り、この両極端の間をうろついております。それのみならず、この六通りのうちの一叙述をえらんだところで、えらんだのは当人で、これを聞くものまたは読むものはその隣りの叙述と受取るかも知れません。例えば月が眉《まゆ》のようだという叙述を本人は perceptual と思って述べていても、聞く人は simile と受けるかも知れません。第三者がこれを見て、どっちが間違っているとも評されません。双方共正しいとしなければなりません。そこでこう云う事は云われないでしょうか。自然派と浪漫派とは本来の傾向から云うとやはり左右に展開しているようですが或るところになると、どっちとでも解釈ができるもので、要は読者の態度いかんによって決せられるものだと云う事は。一句や二句の例ではありません。ちと比例を失するような大きな例になるかも知れませんが、ちょっと御判断を願うために御話を致します。独乙《ドイツ》で浪漫主義の熾《さかん》に起った時、御承知の通り、有名なカロリーネと云うシュレーゲルの細君がありました。この細君が夫《おっと》の朋友《ほうゆう》のシェリングと親しい仲になりまして、とうとう夫と手を切って、シェリングといっしょになります。しかもその時この女は自分の手紙のうちに、縁はこれにて切れ申|候《そうろう》。始めより二世かけてとは固《もと》より思い設けず候と書きました。しかもシュレーゲルといっしょになったのがすでに二度目なのですから、シェリングの所へ行くと三度目の細君になるのです。それで亭主の方はどうかと云うと、離婚を申し込まれた時は侠気《きょうき》を起してさっそく承知したのみならず、離別後も常にシェリングと親密な音信をしていたそうであります。もう一つこんな御話があります。東京近傍の在ですが、ある宿《しゅく》に一軒の荒物屋がありまして、荒物屋の向うに反物屋がありましたそうで。ところがその荒物屋の神《かみ》さんが、どういう仔細《しさい》か、その家《うち》を離別致して、すぐ向うの反物屋へ嫁に行ったそうです。それで、嫁に行った明くる日から、店先へ坐《すわ》って、もとの亭主と往来を隔《へだ》てて向きあっているんだそうです。私にこの話をして聞かせたものはあさましいと云わぬばかりな顔をして、田舎《いなか》のものは呑気《のんき》なものだと云って笑っていました。この二つの話を取って調べて見ますとよほど似ております。しかし前のは浪漫派の中心で起った事で、後のは――何派だかちょっと困りますが、まあ自然派の作にでもありそうに見えます。しかし事実はどうしても同じなんだから致し方がない。それじゃ同じものが、どうして浪漫派になったり、自然派になったりするんでしょう。まあ説明するとこんな訳じゃありませんか。浪漫派の人は主観的傾向に重きを置くもので、愛はその傾向のもっとも顕著なるものでしたがってもっとも神聖なものであります。愛と云う分子があればこそ結婚とか夫婦|同棲《どうせい》とかいう形式の内容に意味がある訳だから、この内容がなくなる以上は、どんな形式だって構やしません。三下《みくだ》り半《はん》を請求する方もその覚悟、やる方もその了見《りょうけん》だから双方共|洒然《しゃぜん》として形式のために煩《わずら》わされないのであります。ところが反物屋の方になると愛に重きを置いた出来事かも知れないが、始めから愛のない結婚で出ても引いても同じ事なのかも知れない。それはどう解釈するにしても、我々はそう云う動機を見るのじゃない、普通の約束的の徳義を破壊した行為だという点を認めるのであります。徳義を棄《す》てた露骨の人性かもしくは野性がそのまま出た所作《しょさ》だと見るのであります。カロリーネの方は離縁したり結婚したりするのを善い事、美くしい姿と思ってやるのです。反物屋の神《かみ》さんはそんな事を考えちゃ――まあいないでしょう。だから見るものの方でも、そんな人間もあるかね、はあそうかねと一つの事実として認めるのであります。だからこの二つの話を叙述する時には、ただ叙する時の態度が違うのであります。ところがさっき申した通り「眉《まゆ》のような月」と云う叙述が、どっちの態度にもなる訳ですから、この結婚問題の叙述もまたどっちの態度にも受け取られるかも知れない。いくら反物屋の神さんを書いても主観的の叙述だと人が読むかも知れず、カロリーネの嫁入事件を写しても客観的の叙述だと解されないとも限りません。して見ると自然派と浪漫派もある場合には、客観主観の叙述が合し得るごとくに合し得るものと見ても差支《さしつかえ》ない、かと思います。(もっともこれは一句や二句の叙述でありませんから、「眉のような月」のように、きっぱりとは参りません。ただ両態度の傾向を推《お》して極端まで持って行った御話ですからその辺は御斟酌《ごしんしゃく》を願います)
これは一つの態度が両様に認められ得ると云う例でありますが、もう一つ前節の最初に申した我々の態度は常に両極の間をぶらついて、いるもので、けっして片っ方づけられるものでないと云う事を御話をしてそれから、議論の歩を進めたいと思います。これも分りやすいためになるべく単簡《たんかん》に通俗な例で説明致します。普通用談の際は無論雑談の際でも、我々は滅多《めった》に主観的な叙述を用いてはいないと思っています。詩的な、浪漫的な句は筆を執《と》って紙にでも咏懐《えいかい》の辞を書き下す時に限るように考えています。ところが実際は大違で、談笑の際|始終《しじゅう》この種の叙述をやっております。腹の虫が承知しないなどと云うのもその一つであります。腹のなかに虫はおりません。よしおったところで、承知しない虫はおりません。承知しない虫がいたって誰が相談なんかするものですか。あるいは腹が立つと申します。腹が立つと云ったって、元来|坐《すわ》りもしない腹が立ちようがないじゃありませんか。あるいは眼が廻るとも云うようですが、今日までまだ眼玉の廻転している人に逢《あ》った事がありません。それにもかかわらず三句とも皆通用しています。これは皆主観的態度で話し主観的態度で聞いているのであります。この態度で話せばこそ、聞けばこそ通用するのであります。大袈裟《おおげさ》に云うと御互が浪漫派だから合点ができるのであります。簡単を尊んで、短かい句だけで説明しましたが、もっと長くなっても精神に変りはありません。この態度で行く方が大分便利な事があります。その代り徹頭徹尾浪漫派ではやはり辟易《へきえき》します。「君富士山へ登ったそうじゃないか」「うん登った」「どんなだい」「どんなの、こんなのって大変さ」「どうして」「まず足は棒になる、腹は豆腐になる」「へえー」「それから耳の底でダイナマイトが爆発して、眼の奥で大火事が始まったかと思うと頭葢骨《ずがいこつ》の中で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。少々気が触れてるんじゃないかしらといささか警戒を加えたくなります。してみると、我々の文句長く云えば叙述はやっぱり前に説明した六通りの中間を左へ出たり右へ出たりして好い加減に都合の好いところで用を足しているに違ない。創作家もやっぱりその通りであります。論より証拠《しょうこ》自然派でも浪漫派でも構わないから、一冊の本を取って来て、一句ごとに五六頁順々に調べて見ると分ります。浪漫的な句はたくさん出て来ます。浪漫的な句が嫌な人だって、腹を立てちゃいけない、眼が廻っては怪しからん、是非腹の虫を殺してしまえとまで主張する人はないでしょう。浪漫派の書物もその通り、けっして、のべつ浪漫ずくめでは済まないのです。諸君は、あるいは、そりゃただ句の話じゃないか、一篇一章もその議論で行けるかいと御尋ねになるかも知れません。さよう一篇一章一巻となると私も少し困却致します。しかし降参する必要もないだろうと思います。と云うのは私の考では一句でも叙述、二句でも叙述、三句続いても叙述の気なので、しかもその叙述には前に説明したような種類以外の叙述すなわち回想とか批判とかいうものまでも含められるだけ含めるつもりなのですから、応用はこれで思ったよりも存外広いのであります。
ここで一歩進めます。客観的態度の三叙述を通じて考えて見ますと、いずれも非我の世界における(冒頭に説明したごとく我も非我と見傚《みな》す事ができますが)ある関係を明かにする用を務めております。知識を与うるのが主になっております。だからして一言にして云うと真[#「真」に白丸傍点]を発揮するのが本職であります。本職と云う意味は、同時に主観的の内職もできると云うつもりで用いた言葉であります。もしこの内職がある程度まで併行《へいこう》していなければ、この種の叙述の価値は大分減じます。大学の教授が私立大学をやめると収入がよほど違うようなものであります。現に真[#「真」に白丸傍点]専門の x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]氏のごときに至っては、ほとんど文学を休《や》めて、理学の方で月給を貰わなければ立行かん姿であります。ただ真を本職とする創作家のために都合の好い事は真そのもに付着している別途の感情を有している事であります。例えば(前の例で説明して見ますと)※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]《かき》は赤茄子《あかなす》のごとしと云うと無論 simile を内職の内職くらいにしておりますが、本職は固《もと》より※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]の性質を明かにするためです。※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]を葡萄《ぶどう》や梨《なし》と区別するためであります。今※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]を赤茄子で説明すると、その説明がうまくできたかできないか、よく※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]をあらわし得たか得ないか、うまい比較物をもって来たか来ないか、※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]と赤茄子が実によく似ている似ないで、はあなるほどと思う程度が大分違います。このはあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]が何時でもいろいろな程度で食っ付いて廻るのであります。simile の方でもこのはあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]は無論必要でありますが、それは内職で、本業を云うと、石の冷たさ堅さを自得して、その自得した気分で人の心を感ずるのでありますから、石と人の心を比較してどこまで妥当なりや否やはむしろ第二義の問題かも知れないのであります。※[#「柿」の正字、第3水準1-85-57]と赤茄子の例はもっとも簡単なものでありますが、もう少し複雑になると、このはあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]だけで一篇の小説ができます。(因果律《いんがりつ》を発揮した場合)。これに反して馬琴《ばきん》のような小説は主観的分子はいくらでもありますが、この方面の融通が利《き》かないから、つまりは静御前《しずかごぜん》は虎のごとしなどと云う simile を使っているようなもので、ついに読む事ができなくなるのであります。君の云うはあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]はなるほど分ったが、そりゃやはり主観じゃないかと云われるかも知れない。そうだと申すよりほかに致し方がないが、これは客観的関係を明めるにつけて出るので、似る、移る、因が果になる等の事実を認めて感心した時の話であって、すでに明らめられたる客観的関係を味うのとは方向が違うのであります。三勝半七酒屋《さんかつはんしちさかや》の段《だん》というものを知らないから、始めて聞いて見てははあと感心するのと、もう一遍酒屋を聞いて来ようかと出かけて、ははあと感心するのとは、同じ感心でも、性質が違います。この客観的に非我の関係を明めるにつけて生ずる付属物を intellectual sentiment と云います。付属物とは下等なものという意味ではありません。否むしろこの方が文学の領域内では必要なのであります。しかし客観的態度を主として、真の発揮に追陪《ついばい》して起るものでありますし、かつは創作家の態度を主観(主感)、客観(主知)と分けた以上は、今またこの intellectual sentiment を主観の部に編入するといたずらに混雑を引き起しますからやはり附属物としておきます。それでも少し混雑して御分りにくいかも知れません。私の説明の下手なところは御詫《おわび》を致します。(場合に依っては intellectual sentiment と云うのがあまり仰山《ぎょうさん》でありますが面倒だから、これですべてを兼ねさせます)
客観すなわち主知の方は以上の通りであるが、主観すなわち主感の方はと申すと、真を発揮するに対して、美、善、壮に対する情操を維持するか涵養《かんよう》するか助長するのが目的であります。この三者の解釈は詳《くわ》しく述べる事ができません。美と云う事を大きく解すると、善も壮も掩《おお》っても構いません。のみならず真をさえ包んでもいいでしょう。それは人の勝手であります。受持の範囲をきめて名をつけるだけの事であります。私はごく単純に耳目を喜ばす美しいもの、美しい音くらいで御免蒙《ごめんこうむ》ります。もっとも美醜を通じて同範囲のものを入れます。善もその通り善悪を通じ含ませるのみならず、直接に道徳に関係のない希望とか、愛とかいうものも入れるつもりです。壮は意志の発現(発現でなくっても発現のポテンシャリチーを認めた時も無論入れます)に対する情操を入れます。上は壮烈もしくは壮大より下は卑劣もしくは繊弱に至るまで入れます。するとこれは前の善の範囲に或所まで入り込みます。すべての感情が多くの場合において意志を促《うな》がすもの、または意志に変化する傾向のあるものとの学説に従えば、この二|範疇《はんちゅう》はある点においていっしょに出合うものでしょうが、壮とは行為|所作《しょさ》に対するこちらの受け方を本位として立てたので、善とは善悪その他の諸情そのものに対するこちらの受け方を本位として立てた、範疇のつもりであります。御相談では片っ方へ編入してもよろしゅうございます。それから人間の所為を離れていわゆる物質界に意志の発現もしくはそのポテンシャリチーを認めた場合には、この意志は変じて物理上の energy のようなものになります。少なくとも人間の意志とは趣を異にして参ります。かように壮の発現もしくは潜伏が物質界に移るとすると、美の範疇と接近して参ります。それ故時宜によっては、これも美のなかへ押し込んでも構いません。まず不完全ながら善、美、壮、の解釈はこうと致して、この三者に対する我の受け方を叙述するのがこの方面の文学の目的であります。ところが我の受け方は千差万別に錯雑して参りますが、総括すると快不快の二字に帰着致します、好悪の二字に落ちて参ります。すなわち善に逢《あ》って善を好み、悪を見て悪を悪《にく》み、美に接して美を愛し、醜に近づいて醜を忌《い》み、壮を仰いで壮を慕い、弱を目して弱を賤《いや》しむの類であります。固《もと》より善、美、壮の考は人により時により、相違はあります、また、三が冒《おか》し合わないとも限りますまい。現に前に述べたカロリーネの話でも愛に従うのを善とすれば、あの話を読んで充分満足の気分になれましょうし、また夫《おっと》に従うのを善とすれば、どうも不快な話になります。しかしどう浮世が引《ひ》っ繰《く》り返《かえ》っても、三者に対する情操のない世はないはずで、いかに無頓着《むとんじゃく》な人間でもこの点において全然好悪を持っていない人はありません。もしあれば社会が維持できないばかりであります。一歩進んで云えば社会は改良できない訳であります。器械的の改良すなわち法律が細かくなるとか巡査の数を殖《ふや》す事はできますが、肝心《かんじん》の人間の行為を支配する根本の大部分を閑却して世の中が運転する訳がありません。これがために、これらの情操を維持し、助長する事を目的にする文学が成立するのであります。
私は客観主観両方面の文学の目的とするところを一言述べました。ここに目的と云うのは叙述家自らが、叙述以前にかかる目的を有しておらなければならんという意味ではありません。その結果だけがこう云う目的に叶《かな》っているだけでもいっこう差支《さしつかえ》ないのであります。我々が結婚するようなもので、何も必ず子を産む了見《りょうけん》で嫁を貰うとは限りません。しかし事実は多くの場合において、あたかも子を産む事を目的にして結婚をしたように見えます。さればといって子孫を作る目的で嫁を貰ってならんと云う理由もありませんから、結果が同じならどうでも構わないでしょう。私はこの目的を眼中に置かないで、おのずからこの目的に叶《かな》うような述作をやる人を art for art 派の芸術家と云いたいと思います。俗に art for art 派と云うと何だか、ことさらに道徳を無視する作家のみを指すようですが、たとい道徳的情操を鼓吹《こすい》したって、始めから、この目的を本位として、述作にとりかからずに、出来上った結果だけがおのずからこの目的にかなっていたらやはり art for art の作家かと思います。ユーゴーの攻撃のごときは固《もと》より歴史的にああいう必要もあったのでしょうが、私のように解釈したらあれほど議論をする必要もなかろうと思います。同時に最初から一定の目的をもって出立したって構わない訳かと存じます。普通この立場を非難する人の説はこうなんだろうと思います。作そのものが芸術家の目的であるのに、作以前にある目的を立てておいて、その目的のために、作を道具に使えば無理ができるから、作の価値に影響を及ぼしてくるところに弊《へい》がある。――はたしてこうならば至極《しごく》ごもっともであります。しかしあらかじめ胸中にある目的を立てるのと、作そのものを目的にするのとはこの場合において、そんなに判然たる区別はありません。刀は人を殺す道具であります。すると人を殺すという所作《しょさ》が目的になります。だから二つのものは全く違います。しかし斬《き》るという働きを考えたらばどうでしょう。方便でしょうか目的でしょうか。刀を使うという方から云えば方便でありますが、殺す方から見れば、目的にもなりましょう。云い換えると、斬ると云う働きが一歩進むごとに、殺すと云う目的が一歩ずつ達せられるので、斬り了《おわ》った時に目的は終局に帰するのだからして、斬るのと殺すのはそう差違はありません。述作と述作の目的とは斬ると殺すくらいの差じゃなかろうかと思います。述作そのものを方便としたって、方便と共に目的も修了せられる訳ではないでしょうか。少なくとも、今述べたような目的をもってならば最初からその心得で述作に取りかかっても、ただ述作だけを目懸《めが》けて取りかかっても同じ事だと私は思ってるのであります。だから art for art 派でも、そうでなくっても差支《さしつかえ》ない。要するに述作の目的は以上のように区別ができると云うのであります。
述作の二態度とその目的とするところは今申した通でありますが、ただ御注意までに一言しておきたいのは、こんな事であります。こう分けるとちょっと、一方に属するものは、他方に属してはならん。どっちか片づけて旗幟《きし》を鮮明にしなければ済まないように見えるかも知れませんが、そう見えてはかえって迷惑なので、すでに誤解を防ぐためカロリーネの例や馬琴の例をひいて、機会のあるたびに二三度弁じておきましたが、改めて御断わりを致しておきたいのは、真を写すものは純粋なる真のみを写してはいません。またおられんのであります。またいかに情緒に訴える人でも全く真を離れての叙述は――少なくとも長い叙述は――できないのであります。ズーデルマンのマグダと云う脚本をつい近頃になって読みましたが、これはマグダという女が、父の意に悖《もと》って、押しつけられた御聟《おむこ》さんを嫌《きら》って、家を出奔《しゅっぽん》した話であります。さて家を飛び出してから諸所を流浪《るろう》する間に、ある男と親しい仲になって、子を生んで、それからその男に棄《す》てられます。男はマグダの故郷に帰って、立派な紳士になりすましていると同時に、マグダは以太利《イタリー》で有名な唄《うた》い手《て》になる。回《めぐ》り回って故郷へ興行に来る。父母と和解する。ところが流浪中の不品行が曝露《ばくろ》して、また騒動が起ろうとすると、昔《むか》し棄《す》てた男が出て来て正当に婚儀を申し込む。ここでめでたく市が栄えれば平凡極まる趣向でありますが、いざという間際《まぎわ》になって、聟《むこ》になろうという男が昔の事――互の間に子があると云う事――だけは、今の身分にかかわるから、どうか公けにしずにおいてくれと頼む。マグダはここまでは納得したようなものの、そんな関係を内々にして夫婦になれるものかと大いに怒って、どう頼んでも聞き入れない。父は御前が承知してくれないと、家の恥辱になる。いたずら娘を持ったと云われては、世間へ顔向けができない。妹だって御前の身内だと云われては、誰も貰い手がない。だから、どうか承知して男の云う事を承知してやれと逼《せま》る。マグダはどうあっても聞かない。父はついに憤死する。これが結末であります。この一段があるので、昔から見馴《みな》れた恋愛談の陳腐《ちんぷ》なものとは趣を異にするようになりますが、結婚問題が破裂するところがあればこそはあなるほどと云わせる事ができるのです。はあなるほどというのは取も直さず新らしかったと云う意味であります。新らしい因果《いんが》を見てもっともだ今の世の中にはこんな因果があるだろうと思うからです。今の人々の腹の中には行為にこそ、ここまで出さなくっても、約束的な姑息《こそく》手段に堪《た》えないで、マグダと同じような似たものが、あるだろう、あり得るはずだと認めるだけの眼をもって読んで行くからであります。この点においてこの劇は固《もと》より真を発揮したものであります。しかしこの劇はそれだけよりほかに能事のないものであろうかと考えてみますると、大にあるでしょう。第一はこの相手の男の我儘《わがまま》なところ、過去の非を塗《ぬ》り潰《つぶ》して好い子になろうと云う精神が出ているから、読者はその点において憎悪《ぞうお》とか軽蔑《けいべつ》とかの念を起さなければならないはずでしょう。しかし世の中は虚偽でも上部《うわべ》さえ形式に合っていれば、人が許すものだから、互の終りを全くして幸福を得ようとするには、過去の不品行を蔵《かく》すに若《し》くはないという男の苦心を察して見ると多少は気の毒であります。どこまでも習慣的制裁を墨守して娘の恥を雪《そそ》ぐためには、ともかくも公けに結婚させてしまわなければならないと思い乱れる父親にも同情があります。最後に娘が一徹《いってつ》に、たとい世間からどう云われても、社会的地位を失っても、そんな俗習に圧《お》しつけられて、偽わりの結婚をして、可愛い子を生涯《しょうがい》日蔭ものにするのはけっしていやだと、あくまでも約束的習慣に抵抗するところは、たといその情操に全然一致しない人までも、幾分か壮と感ずるでしょう。この数者があればこそ劇も面白くなるのでありますが、これは、みんな主観の方の情操であります。これで見ますと真だけの作と思ってたものに存外、他の分子が這入《はい》っている事が御分りになりましょう。これに反していかに主観的の作物でも全然真を含んでいないものはありません。もし含んでいなかったらとうてい読み得ないにきまっています。かの infinite longing ですらこれを叙述する時には単に吁《ああ》とか嗟乎《ああ》では云いつくせないので、不足ながら客観的形相をかりてこれを髣髴《ほうふつ》させようとするのであります。それについてこんな話があります。これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。以太利《イタリー》のさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留《とうりゅう》しておりました時、妙齢の埃及《エジプト》の美人に見染《みそ》められまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁《いいなずけ》の娘があるので、いよいよ結婚の期が逼《せま》った頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳《ひ》いている上に忽然《こつぜん》とかの美人があらわれました。身体《からだ》も服装も透《す》き通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮《あざや》かであります。ただ常よりは非常に蒼白《あおしろ》いのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷《ふなばた》を見上げながら美くしい声で唄《うた》をうたいました。それが奇麗《きれい》に波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄《ものすご》い心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑《すべ》って、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入《はい》って行って、とうとう行き方知れずになったとありました。――話はこれでおしまいです。私はこの話を読むと何となく妙な気分になりました。その気分が妙になるところにこの話の価値はあるのですから、どの畠《はたけ》のものであるかは分っております。しかし真には乏しい。実事物語としてかいてありましたが、どうもその方の価値は乏しい。真とか真でないと云う事は、たくさんの人の経験が一致して存在していると認めるか、また天下に一人でもいいからその存在を認めたものがあって、これが真だと云った時に、他のものがこれを認識しなくてはならんものであります、また本人は真だと証明し得るものでなくてはなりません。出来得るものならば実験ででも証明し得るものの方がたしかには相違ないのであります。ところがこの幽霊談になるとなかなか容易には証明できない。できるようになるかも知れませんが、今のところではまず嘘《うそ》に近い方であります。しかしながら胸中の恋とか、なつかしさとか云うものは、たとい人に見せられないまでも、よし人が想像してくれないまでも、また好い加減に甲、乙、丙、丁のだれの胸の中にも存在しているんだろうぐらいに推察しているにもかかわらず、自分だけにとってはこれほどたしかなものはありません。これほど切実な経験はありません。だからやっぱり真だろうと云われると、ごもっともと云わなければなりません。ただ自分に真なものすなわち人に真なものになって、始めて世間に通用する真が成立するのだから、この切実な経験を誰が見ても動かすべからざる真にもり立てようとするには、これを客観的に安置する必要が起って参ります。そこで私はこの演説の冒頭に自分の過去の経験も非我の経験と見傚《みな》す事ができると云ってあらかじめ予防線を張っておきました。刻下の感じこそ、我の所有で、また我一人の所有でありますが、回顧した感じは他人のものであると申しました。少なくとも自分に縁故のもっとも近い他人のものとして取り扱う事ができると申しました。愛と云うと一字であります。自分の愛と人の愛と云えば、たとい分量性質が同じでもついに所有者が違って参ります。愛の見当《けんとう》が違います。方角が違います。したがって自己の過去の愛と他人の愛とは等しく非我の経験と見傚し得ます。この点において主観的なる愛そのものを一歩離れて眺める事ができます。ただ困る事は、時により場合により増減があって、変化の度が著るしく眼につくんで、それがため客観的価値が大分下落致します。のみならず悲しい事には、いくら客観的に見る事ができても、客観的に写す事ができない性質のものであります。ある坊さんに、あなたちょっと魂を手の平へ乗せて見せておくれんかと云われて、弱った人があります。これが私なら、魂と云う字を手の平へ書いて坊さんに見せてやろうと思います。それと同じ事で客観的に愛が見られるなら、客観的に愛を書いて見ろと云われるなら、ただ愛[#「愛」に白丸傍点]とかいて見せます。甘[#「甘」に白丸傍点]いとか、辛[#「辛」に白丸傍点]いとか書くのと同じ意味で書いて見せます。白[#「白」に白丸傍点]いとか黒[#「黒」に白丸傍点]いとかいう意味で書いて見せます。しかし愛[#「愛」に白丸傍点]の一字じゃいけないから、もっと長く分るように書いて見ろと云われるなら、それじゃ小説でもかこうと申します。それが茶かすようで気に入らなければ、そんな無理を云わないで、誰それの愛を書けと明暸《めいりょう》に所有主を示して貰《もら》いたい、いくら僕が愛の客観的存在を認めても、ただの愛はかけない、根こぎにして引っこ抜いた愛だけはかけない、根こぎにして引っこ抜いた鉢植《はちうえ》の松を描《か》けという難題と同じ事だからと云ってごめんこうむります。それじゃ主観の叙述はほとんどなくなる訳だとまたおっしゃるかも知れませぬが、前から何遍も申す通り無論あるところでは主観も客観も双方一致しているので、書き手の心持、読み手の心持で判ずるよりほかに手のつけようのない場合がいくらでもあります。だから形式の上ではついに要領を得なくなります。しかしちょうど好い機会だから、今の幽霊の話を説明かたがたこの疑点をも明らかにしておきましょう。今申すごとくたとい愛の客観的存在を公認しても、これを叙述する時には、その愛の所有者と結びつけなければなりません。五官に訴え得るように取り扱わなければなりません。同時に愛を主観的の経験としてもやはり同様の手段に訴えなければ叙述ができません。しかしそれだから同じ事に帰着すると結論するのは少し誤っております。前の方は非我の事相のうちに愛を認めて、これを描出《びょうしゅつ》するので、後の方は我の愛を認めたる上、これを非我の世界に抛《な》げ出すのであります。すなわちその本位とするところは、我が味うところの愛という情操で、この無形無臭の情操に相応するような非我の事相を創設[#「創設」に白丸傍点]するのであります。非我の事相は自然から与えられたもので、一厘も動かすべからずとして、その一分子たる愛を叙して来るのと、我の切実に経験する愛を与えられたるものとして、もっとも適当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立《こんりゅう》するのとの差になります。したがって両者はある点において一致するのはもちろんでありますが、極端に至ると大に趣を異にするのであります。先ほど述べた幽霊の恋物語のようなものはその極端の例の一つだと思います。ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終《おお》せるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基《もとづ》いた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈《はげ》しくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります。例《たと》えば今の話しでも、もし船のあとを跟《つ》けるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟《きせき》になります。幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然の法則を破っております。いくら、かくあれかしと思ったって、冗談《じょうだん》じゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛《な》げ出すかも知れません。(西遊記、アレビヤン・ナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなものの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自《おのず》から御明暸になりましたろう。すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然《せつぜん》と片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから、積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子がいかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。
客観、主観、両態度の目的と関係はほぼ説《と》きつくしましたから、これから両者の特性について少し述べたいと思います。すでに両者の関係やら目的を述べる際にも自然の勢で、不知不識《しらずしらず》の間にこの問題に触れているのはもちろんでありますから、その辺は御斟酌《ごしんしゃく》の上御聞を願います。
さて客観的態度から出た句もしくは節、もしくは章、大きく云えば一篇――そう純粋に行くものでないのはたいてい御分りになりましたろうが、まああると仮定して――それからかの歴史的に発達した自然派写実派――これも厳密に議論したら純粋のものが、あるかどうか存じませんが、まああるとして、この二派をこの方面に編入しておいて論じます。もっとも自然派も写実派も、真本位ではないと主張されると、それまでで、やめにするだけであります。または真本位だけれど御前のいわゆる真じゃないと云われると、やっぱりやめにしなければなりません。がたいていのところで真の解釈は折合がつきそうに思いますし、かつ歴史を眼中に置かないで立てた私の議論と、全く歴史的に起った流派とを、結びつけられれば、結びつけて考えますと、大分諸君にも私にも興味があるからこう致したので、よしや自然派や写実派がこの部門から脱走致しても、私の議論はやっぱり議論になるだろうとは思われます。そこでこの部門の主要な目的は前に申すごとく真を発揮するに存する事は別に繰《く》り返《かえ》す必要もございますまい。すでに真が目的である以上は好悪《こうお》の念を取りのけなければなりません。取捨と云う事を廃《よ》さなくってはなりません。と云うと諸君はこうおっしゃるかも知れない。真が目的なら真を好むのだろう、よし好まないまでも、偽を悪《にく》む訳だろう。真を取り偽を棄《す》てるのは自然の数《すう》じゃないか。なるほどそうであります。しかし文字の上でこそ真偽はありますが、非我の世界、すなわち自然の事相には真偽はありません。昨日は雨が降った、今日は天気になった。雨が真で、天気が偽だとなると少し、天気が迷惑するように思われます。これを逆にして、それじゃ雨の方が偽だと云っても、雨の方が苦情を云うだろうと思います。だから大千世界の事実は、すでにその事実たるの点においてことごとく真なのであります。この事実は真だから好きだ、この事実は偽だから嫌《きらい》だと、どうしても取捨はできない訳であります。真偽取捨の生ずる場合は、この客観の事相を写し取った作物そのものについてこそ云われべきものであります。詳《くわ》しく云えば、傍観者がこの作物を自然そのものと比較するとき、もしくは甲の作と乙の作とを自然を標準として対照する時に始めて真偽ができ、取捨ができ、好悪が生ずるのであります。だから客観的態度で叙述した詩文には偽があるかも知れません、またあるはずであります。けれども客観的態度で向う世界には、偽は始めから存在しておらん、少なくとも真だけだとしなければ、最初から真の価値を認めないのと同様の結果に陥《おちい》ります。だからいやしくも真を本位として筆をとる以上は好悪の念を挟《はさ》む余地がない事になります。したがって取捨はないと一般に帰着致します。たとえば隣りに醜くい女がいる。見ても厭《いや》になるとおっしゃる。それはどうでも御随意でありましょうが、いくら醜くっても何でも現にいるものはいるに相違ありません。醜くいから戸籍に載せないとなった日には、区役所の調べはまるで当にならない事になります。偽りになります。気に喰わない生徒だからと云って点数表から省《はぶ》いたら、学校ほど信用のできない所はなくなるでしょう。して見ると、真を写す文字ほど公平なものはない。一視同仁の態度で、忌憚《きたん》なく容赦なく押して行くべきはずのものであります。ブルンチェルがバルザックを論じたうちにこんな句があります。自然派作家には、蛆《うじ》よりも象の方を大切だと考える権利がない。もちろん生物学上の発達から云ったら、象の方が重要な位地を占めているかも知れないが、何もこれは自然派作家が自分の意志で随意に重要にした訳ではない。――面白い句であります。(ブルンチェルのバルザック論はもちろん一人の著者についての議論でありますから系統的に理論は述べてありませんが、こういう点に関してはなはだ有益の参考書でありますから御一読を願います。この取捨のない意味なども、実はバルザック論のところどころにあるのを私が、纏《まと》めて布衍《ふえん》して行くくらいなものであります。この人は同書にまた、我《が》、浪漫派、抒情主義などと云う字を使って説明をしております。しかし二者を截然《せつぜん》区別のあるごとく論じているのが欠点かと思われます。)すでに公平無視の立場でありますから、問題の撰択《せんたく》がない。撰択がないと云うのは、意識界に落つるものがことごとく焦点になってしまうと云う訳ではありません。意識界のどの部分も比較的自由に焦点になり得ると云う意味であります。毛嫌《けぎらい》をしないと云う事であります。あるものだけに注意が向いて、その他には頑強《がんきょう》の抵抗があって、気が向けられないというような状態におらない事を指すのであります。だからもう一つ言葉を換えて云うと叙述すべき事相に自己の評価を与えて優劣の差別をつけないと云う事にもなります。例《たと》えば美くしい女と差し向いになる。――ありがたい。――女が恋の物語をする。――嬉《うれ》しい。――ところで急に女が欠伸《あくび》をする。――と急に厭《いや》になる。厭になったからと云って、そこだけ抜きにしてしまったら、抜かしただけが事実に叶《かな》わなくなる。しかし事実を書くからには、真を写すと云うからには、いたずらに好悪の念だけで欠伸を棄てべきものではないはずでありましょう。真に妨げなきものとして略すとこそ云うべきでありましょう。また別の例を挙《あ》げて見ますと、ここに一人の医者があります。ある患者の病症を確《たしか》めるために検尿《けんにょう》をやる、あるいは検便をやる。わきから見るとずいぶんきたない話であります。しかし本人は別に留意する気色もなく、熱心に検査をする。尿なり便なりの成分を確めるまでは是非やります。もし、きたないから好加減《いいかげん》にしてやめると云う医者があったらそれこそ大変であります。医者の職分を忘れたものであります。医者ばかりではありません、学者でもそうであります。動物学者が御苦労にも泥溝《どぶ》の中から一滴の水を取って来て、しきりに顕微鏡で眺めています。たくさん虫が見えるでしょう。しかしみんな裸体に違ない、のみならず時々はいかがわしい状態をするかもしれない。覗《のぞ》き込んでいる動物学者がこの有様を見て、いやこれは大変だ風紀に害があるから、もう研究をやめよう。と云う馬鹿もないでしょうが、あったらどうでしょう。非常に道徳心の高い動物学者には相違ないでしょうが、しかし真理の研究者としてはほとんど三文の価値もないと申さなければなりません。文学者もその通りかと存じます。真を目的とする以上は、真を回避するのは卑怯《ひきょう》であります。露骨に書かなければなりません。大胆に忌憚《きたん》なく筆を着けなくっては、真に対して面目のない事になります。(この点において善、美、壮に対する情操と時々衝突を起す事は文芸の哲学的基礎において述べましたし、前段においても一方が強くなると、一方が弱くなる事実を例証しましたから御記憶を願います)けれども真に向って進む人が必ずしも好悪のない人とは申されません。真に向って進む間だけ好悪の念を脱却するのであります。尿を検査する医師がいつでも尿に無頓着《むとんじゃく》とは受け取れません。無頓着ならば食卓の上に便器があっても平然として食事ができるはずであります。虫の交尾するところを研究する動物学者だって、虫以外の万事までにその態度を応用する勇気はないでしょう。ただ真を研究する時だけ他を忘れ得るほどに真に熱中するのであると解釈しなければなりません。真を写す文学者もこの医者や動物学者と同じ態度で、平生は依然として善意に拘泥《こうでい》し、美醜に頓着し、壮劣に留意する人間である事は争うべからざるの事実であります。柳は緑、花は紅、そのほかに何の奇があると云います。しかし実際はこう素気《そっけ》ない世の中ではありません。柳に舟を繋《つな》ぎたくなったり、花の下で扇を翳《かざ》したくなるのが人情であります。
そこでこう云う事が起ります。真を描く文学は、真を究《きわ》めさえすればよろしいとなる。その結果他の情操と衝突しても、まあ好いとする。――読者の方では好いとしないかも知れませんが――しかしながら真は取捨なき事相であります。公平の叙述であります。好悪の念を離れたる描写であります。したがって褒貶《ほうへん》の私意を寓《ぐう》しては自家撞着《じかどうちゃく》の窮地に陥《おち》いります。ことに作以外の実際において、約束的にせよ善に与《くみ》し悪を忌《い》み、美を愛し、醜を嫌うものが、単に作物の上においてのみ矛《ほこ》を逆《さかさ》まにして悪を鼓吹《こすい》し、醜を奨励《しょうれい》する態度を示すのは、ただに標準を誤まるのみならず、誤まった標準を逆に使用している点において二重の自殺と云われても仕方がありますまい。書籍を買う条件で国から為替《かわせ》を取り寄せて、これを別途に支弁するからが、すでに間違っているのに、使い道もあろうに身を持ち崩《くず》すために使い果したとあっては、申し訳が立つ立たないの段ではありません、頭のよくない人だと云われても仕方があるまいと思います。幸い今日の日本には、こう云う作家は見当《みあた》りませんが、自然派の趨勢《すうせい》一つでは、向後この種の作物がいつ何時あらわれて来ないとも限りませんから、御互に用心をしたら善かろうと存じていささか愚存をつけ加えました。
真を写す文学の特性はほぼこれで明暸《めいりょう》になりましたから、進んで善、美、壮を叙してこれに対する情操を維持しもしくは助長する文学の特性に移ります。しかしこれは前段と相待って分明になるべき関係的のものでありますから、私の申し上げべき事の影法師はすでに諸君の御認めになったはずであります。すなわち客観的態度の公平なるに対して、この態度の不公平――不公平と云うとおかしく聞えますが、好悪《こうお》に支配せられる事であります。意識の幅の一カ所だけが焦点にならなくてはならないのが原則で、この焦点は注意できまるのでありますから、もし好悪が注意に関係するとすれば、好悪のはげしいものには注意が余計集まる訳になります。したがって好悪が焦点を支配致します。さてこの意識の内容を紙へ写す際には好は好、悪《お》は悪で判然と明暸に意識された事でありますから、勢い悪の方すなわち嫌《きらい》な事、厭《いや》なもの、は避けるようになるか、もしくはこれを叙述するにしても嫌いなように写します。厭だと云う意味が分るようにして写します。最後には自己の好きなもの、面白いものを引き立てるための道具として写します。したがって叙述が評価的叙述になります。もっとも評価はあらわでない含蓄的の場合が多いかも知れませんが、ともかくも好悪《こうお》の両面を記述して、しかも公平に記述すると云う事は、あたかも冷熱の二性を写して、湯と水を同一視しろと云う注文と同じ事で、それ自身において矛盾であります。もし双方を叙する以上は勢い評価せねばならぬ事となります。のみか、たとい好きな方面だけを撰《えら》ぶにしても、撰ばれたものがことごとく一様の価値として作者の眼に映らない以上は、やはり表向きでも、内々でもいいから、評価のあらわれるようにしなければなりません。この意味で(差等をつけると云う意味)、この種の文学ではブルンチェルのいわゆる無取捨と云う事が不可能になるのであります。撰択《せんたく》と云う事が、あながちに甲はとる、乙は捨てると云う意味だと思うと誤解が生じやすうございますからちょっと弁じておきました。こう云う性質の文学であるからして、この種の文学には、真を写す文学に見出し難い特徴が出て参ります。すなわち作物を通じて著者の趣味を洞察する事ができると云う便宜《べんぎ》であります。もし我々の趣味がいわゆる人格の大部を構成するものと見傚《みな》し得るならば、作を通して著者自身の面影《おもかげ》を窺《うか》がう事ができると云っても差《さ》し支《つかえ》ないでありましょう。それで著書の趣味が深厚博大であればあるほど、深厚博大の趣味があらわれる訳になりますから、えらい人がこの種の文学をかいて、えらい人の人格に感化を受けたいと云う人が出て来て、双方がぴたり合えば、深厚博大の趣味が波動的に伝って行って、一篇の著書も大いなる影響を与える事ができます。しかし個人に重きを置かない社会にあっては、ヒーローを首肯《うけが》わない世においては、自他の懸隔《けんかく》差等を無視する平等観の盛んな時代においては、崇拝畏敬の念を迷信の残り物のごとく取り扱う国柄《くにがら》においては、思うほどの功果の出て来ないのはもちろんであります。したがって著作家は立派な趣味を育成したり、高尚な嗜好《しこう》を涵養《かんよう》したり、通俗以上の気品を修得する事が不必要になって参ります。つまりは事相に対する評価を、世間が著作家に対して要求しないからであります。御前方は真相を与えればいい、評価の方はこちらで引き受けるからと云う読者ばかりになるからであります。我々の知りたいのは事実である、著者は事実を与える媒介者《ばいかいしゃ》として、重きを置く必要はあろうが、著者自身の人格や、趣味や、評価は、かえって迷惑だと云う読者ばかりになるからであります。迷惑は聞えておりますが、迷惑と感じる人が、各々自己に相当の評価的標準を具して、その標準で評価しつつ作に向うか向わないかが疑問であります。もし向わないとすると、(全然この態度を滅却《めっきゃく》する事は不可能でありますが、もし真を本位として著作に向うと、思ったよりも評価的神経は遅鈍になります)その結果は人間がだんだん不具になります。自己の趣味は――趣味のない人は全然ありませんが――同趣味のものと、接触するために、涵養《かんよう》を受けるので、また異趣味のものに逢着《ほうちゃく》するために啓発されるので、また高い趣味に引きつけられるがために、向上化するのであります。そうして世の中の運転は七分以上この趣味の発現に因《よ》るのでありますから、この趣味が孤立して立枯《たちが》れの姿になると、世の中の進行はとまります。とまらない部分は器械のように進行するのみであります。「誰さんは金が欲しいために、奥さんを離別しました」「そうか、それも一つの事実さね」「あの男は芸者を受け出すために泥棒をしたそうです」「はあ、それも一つの事実さね」「誰さんは、ちっとも約束を守らないで困りますよ」「なるほどそれも一つの事実だね」――こう事実ずくめで、ひどい奴《やつ》だとも感心な男だとも思わなかった日には、懐手《ふところで》をして、世の中を眺めているだけで、善にも移らないし、悪をも避けないし、壮挙をも企て得ないし、下劣をも恥じないし、花晨月夕《かしんげっせき》の興も尽きはてようし、夫婦としても、朋友《ほうゆう》としても、親子としても、通用しない人間になるでしょう。
ここまで来て、気がついて見ると、客観、主観両方面の文学には妙な差違が籠《こも》っております。純乎《じゅんこ》として真のみをあとづけようとする文学に在《あ》っては、人間の自由意思を否定しております。たとえばここに甲があって、ある憤《いきどお》りの結果、乙を殺す。罪を恐れて逃げる。後悔して自殺する。と仮定すると、憤りが源因で人を殺して、人を殺したのが源因で、罪を恐れるようになって、それがまた源因になって、後悔して、後悔の結果ついに自殺した事になりますから、かくのごとく層々発展して来る因果の纏綿《てんめん》は皆自然の法則によってできたものと見なければなりません。殺すのも、恐れるのも、悔ゆるのも、自殺するのも、けっして当人が勝手にやった訳ではない。殺して見ると、厭《いや》でも応でも恐れなくっちゃいられなくなり、恐れると、どんなに避けようとしても悔恨の念が生じ、悔恨の念は是非共自殺させなければやまないように逼《せま》って来る。この階段を踏んで死ななければならないような運命をもって生れた男と見傚《みな》すよりほかに致し方がなくなります。さっき用いた言葉で分るように申しますと、この男の所作《しょさ》は評価を離れたものになります。毀誉褒貶《きよほうへん》の外に立つべき所作であります。柳は緑花は紅流の死に方であります。したがって人殺しをした本人を責める訳にも、自殺をした本人を褒《ほ》める訳にも参らなくなります。もし責めるなら自然を責めなくってはなりません。褒めるにしても自然を褒めるより致し方がなくなります。人間に義務を負わせる代りに、神か何かに義務を負わせなければならなくなります。ところが情操を本位とする文学になると、好悪《こうお》があり、評価があるんだから、篇中人物の行為は自由意志で発現されたものと判じてかからなければならない。右へも行ける。左へも行ける。のに彼は右を棄《す》てて左へ行った。だから、えらいとなります。感心だとなります。彼自身の意志の働らきで、やった行為であればこそ、その行為者に全部の責任を負わせる事ができ、できるからその責任者たる当人が責められる資格もあり、また褒《ほ》められる資格もあるのであります。もし自分がやったんじゃない、因果《いんが》の法則がしでかしたのだと、たかを括《くく》っていたらば、行為そのものに善悪その他の属性を認め得るにしても、行為をあえてしたる本人には罪も徳もない訳になります。こうなって来ると人間の考が大分違って来なければなりません。自分は自然に生みつけられて、自然の命ずる通りをやるんだから、罪を犯しても、悪を働らいても仕方がない。恨《うら》んでくれるな、嫉《ねた》んで貰うまいと落ちて来る。だから大きな顔をして、不都合な事を立ちふるまうようになるでしょう。それでは御互が迷惑する。社会が崩《くず》れて来る。文学の目的が直接にこの弊《へい》を救うにあるかどうかは問題外としても情操文学がこの陥欠《かんけつ》を補う効果を有し得る事はたしかであります。しかもこの情操の供給を杜絶すれば、吾人に大切な涵養物《かんようぶつ》を奪われたると一般で日に日に痩《や》せ果《は》てるばかりであります。
両種の文学の特性は以上のごとくであります。以上のごとくでありますから、双方共大切なものであります。けっして一方ばかりあれば他方は文壇から駆逐してもよいなどと云われるような根柢の浅いものではありません。また名前こそ両種でありますから自然派と浪漫派と対立させて、畳を堅《かと》うし濠《ほり》を深こうして睨《にら》み合ってるように考えられますが、その実敵対させる事のできるのは名前だけで、内容は双方共に往ったり来たり大分入り乱れております。のみならず、あるものは見方読方ではどっちへでも編入のできるものも生ずるはずであります。だから詳《くわ》しい区別を云うと、純客観態度と純主観態度の間に無数の変化を生ずるのみならず、この変化のおのおののものと他と結びつけて雑種を作ればまた無数の第二変化が成立する訳でありますから、誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、そう一概に云えたものではないでしょう。それよりも誰の作のここの所はこんな意味の浪漫的趣味で、ここの所は、こんな意味の自然派趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、その指摘した場所の趣味までも、単に浪漫、自然の二字をもって単簡《たんかん》に律し去らないで、どのくらいの異分子が、どのくらいの割合で交ったものかを説明するようにしたら今日の弊《へい》が救われるかも知れないと思います。今日の日本の批評は山県は長州人だ大山は薩州人だというような具合に傾《かたむ》いていはしないかと考えられます。それよりも山県はこんな人、大山はこんな人と解剖しまた綜合《そうごう》する方が二元帥を評する適当の方法かと存じます。それでも長州薩州は地図の上で動かすべからざる面積を持っておりますから、まだ混雑が少ないようですが、歴史の流を沿うて漂いついた二派は名前は昔の通りですが内容は始終《しじゅう》変っておりますからなお不都合であります。だから、もし作物を本位としないで、主義を本位とするならば主義の意義を確然と定めて、そうしてその主義のもとに、その主義に叶《かな》う局部(作物《さくぶつ》の)を排列して、この主義の実例とするが適当だろうと思います。一つの作物と、一つの主義をアイデンチフワイしなければ気がすまないような考は是非共改める事に致したいと思います。これから先き文学上の作物の性質は異分子の結合でいよいよ複雑になって参りますから、幾多の変態を認めなければならないのは無論の事であります。したがって、二三の主義を終古一定のものとして、万事をこれで律せんとするのみならず、律せんとする尺度の年々に移り行くのを咎《とが》めないのは、将来出現の作家には不便宜の極で、かつ批評家の無責任を表白するものではないかと存じます。
客観、主観両面の目的、特性、必要、関係等はほぼ述べ終りました。以上は大体の御話であります。固《もと》より普遍的の論で一般に通ずる説とは信じますが、今日の日本においていずれが比較的必要かと云うと、少しは特別の問題になりますから、この点を一応調べた上、演説の局を結ぼうかと思います。情操文学の目的は情操を維持し、啓発し、また向上化するにあるとは私の前に述べた通りであります。さて与えられたる情操は与えられたる事相に附着しております。たとえば孝と云う情操は親子の関係に附着しております。ところが親子の関係は社会上複雑な源因からして、わが日本では著るしく変って参りました。この関係が変われば、孝と云う情操の評価もしだいに変らなければならない訳になります。しかるに旧来の親子関係に附着したままの評価を与えて、孝を叙述していると、在来の孝心を維持するか、もしくは不孝のものを啓発するか、または一層孝心を深くするための叙述になります。今日は孝の時代でないから親を粗末にして好いと誰も云うものはありませんが、昔のように絶対的評価をつけて叙述するのは、どうでありましょう。孝と云う字は現に勅語にもあって大切な情操には相違ございませんが、昔日のように親が絶対的権威を弄《ろう》する事を社会の有様が許さない以上は、多少その辺に注意を払った適度の評価をしなければなりますまい。もしこれを在来のままで絶対評価をもって叙述すると時勢後れになります。せっかくの目的が達せられなくなります。昔は親のために身を苦海に沈めるのを孝と云ったかも知れない。今日の我々から見ても孝かも知れないが、よし娘が拒絶したって、事柄《ことがら》が事柄だから不孝とは思いますまい。それだけ孝の評価が下落したのであります。これを西洋人に云わせると、頭からてんで想像し得られないと云います。西洋へ行くと孝の評価がまた一段下がるのであります。こういう風に評価が変って行くのはつまるところ、前に云った社会状態の変化に基《もとづ》いた結果にほかならんのでありますから、この状態の変化を知りさえすれば、旧来の評価を墨守する必要がなくなります。これを知らねばこそ煩悶《はんもん》が起ったり矛盾が起ったりして苦しむのであります。こういう時に誰か眼の明きらかな人が、この状態の変化を知[#「知」に白丸傍点]らせる、――すなわち客観的に叙述すれば、読者ははあなるほど[#「はあなるほど」に傍点]と思うので、大変な解脱《げだつ》になります。(こんな単純な場合では解脱にもなりますまいが、まあ例ですからそのつもりで御聞きを願います)それで読む人はありがたがる。書く人は成功する。ばかりじゃない、傍《はた》から見ても、旧来の評価を無理に維持しようとする情操文学よりも必要の度が多いでしょう。
次に日本では情操文学も揮真文学も双方発達しておりませんのは、いくら己惚《うぬぼれ》の強い私も充分に認めねばなりませんが、昔から今日《こんにち》まで出版された文学書の統計を取って見たら、無論情操文学に属するものが過半でありましょう。のみならず作物の価値から云ってもこの系統に属する方が優《まさ》っているようであります。それは当然の事で客観的叙述は観察力から生ずるもので、観察力は科学の発達に伴って、間接にその空気に伝染した結果と見るべきであります。ところが残念な事に、日本人には芸術的精神はありあまるほどあったようですが、科学的精神はこれと反比例して大いに欠乏しておりました。それだから、文学においても、非我の事相を無我無心に観察する能力は全く発達しておらなかったらしいと思います。くどくなりますから、例も引きませんが、これだけで充分|御合点《ごがてん》は参るだろうと存じます。これを別方面の言葉で云うと、子はみんな孝行のもの、妻は必ず貞節あるものと認めていたらしいのであります。だから芝居でも小説でも非常な孝行ものや貞節ものが、あたかも隣り近所に何人でもいるかのごとき様子であらわれて参るのみならず、見物や読者もまた実際にいくたりでも存在しているうちの代表者だと云わぬばかりの顔つきで、これに対していたのであります。いたのでありますと云うと私が元禄時代から生きていたように当りますが、どうもそうに違いないと思います。あんな芝居や書物を見る人は、真面目《まじめ》に熱心に我を忘れて釣り込まれていたに違ないんでしょう。それでなければ今日まで伝わる前にとくに湮滅《いんめつ》してしまうはずであります。そうすると、ある御嬢さんは朝顔になったり、ある細君は御園になったり、またある若旦那《わかだんな》は信乃や権八の気でいたんでしょう。そりゃ満足でしょう。自己の情操を満足させるという点から云ったら満足に違ない。自分ばかりじゃない、自分の子や女房や夫をこんなものだと考えていたら定めし満足に違いない。もっともあの時代に出てくる悪党はまた非常なものでとうてい想像ができないような悪党が出て来ますが、これは善人を引き立てるためなんだから、こちらには誰もなろうと志願するものはないから安心です。それじゃ善と悪の混血児《あいのこ》はというとほとんど出て来ないんだから、至極《しごく》単簡《たんかん》で重宝であります。こう云う訳で一家町内芝居へ出てくるような善人で成り立っていたのであります。それじゃ天下太平なものでありそうだのに、やっぱり夫婦喧嘩《ふうふげんか》も兄弟喧嘩もありました。あったに違なかろうと、まあ思うのです。しかもこの喧嘩が彼らが完全なる善人であったと云う証拠《しょうこ》になるから、不思議であります。ちとパラドックスになり過ぎますが、およそ喧嘩のもとは御互を完全の人間と認めて、さてやってみると案外予期に反するから起るのであります。だから喧嘩をするためには理想が必要であります。次にこの理想と実際とは一致しているものだと認める事が必要であります。今日も喧嘩は毎日ありますが、何も理想的人物でないから癪《しゃく》に障《さわ》るというような野暮《やぼ》は中学生徒のうちにも、まあないようで至極《しごく》便利になりました。その代り人間の相場はいささか下落致したようなものの結句こっちが住み安いかのように存ぜられます。ところが旧幕時代には、みんな理想的人物をもって目され、理想的人物をもって任じていたのでありますから、大変窮屈でございましたろう。何ぞと云うと、町人のくせになかと胸打などを喰います。女房のくせに何だむやみにふくれてなどとどやされます。子供のくせに何だ親に向って口答をしてなどとやり込められます。とかく何々のくせにと、くせが流行した世の中であります。癖に[#「癖に」に傍点]の流行《はや》る世の中ほど理想の一定した世の中はないのであります。町人はかくあるべきもの、女房はかくすべきもの、子供はかく仕えべきものと、杓子定規《しゃくしじょうぎ》で相場がきまっております。もっともこれは双方合意の上でなければ成立しない訳でありますから、町人の方でも、子供の方でも、女房の方でも、どんな理想的人物をもって予期されても、立派にその予期を充《み》たすつもりでいたのであります。したがって自分は天下一の孝行者で、天下一の貞女で、天下一の町人――は、ちとおかしいが、何しろ立派なものと心得ていたんでしょう。この己惚《うぬぼ》れていれば世話はない。たいていの事が否応《いやおう》なしに進行します。万事が腹の底で済んでしまいます。それで上部《うわべ》だけはどこまでも理想通りの人物を標榜《ひょうぼう》致します。ちと偽善になるようですが、悪徳の天真瀾漫《てんしんらんまん》よりは取り扱いやすいから結構です。中には腹の底で済んだなとさえ気がつかないでいるものもたくさんあったそうです。
この有様で御維新まで進んで参りました。それから科学が泰西から飛んで参りました。今日《こんにち》まで約四十年立ったので、大分趣が変って参りました。科学の訓練を経た眼で、人を見たり、自分を見たりする事が大分|流行《はや》って参りました。しかしこの精神が一般に行き渡っていないため、かつはあまり大切でないため今日まであまり進歩しておりません。なぜ大切でないかと考えて見ると面白いのであります。自分で自分の腹の中を検査して見ると、そう自慢になる事ばかりはありゃしません。自分ながらあさましい事もたくさん出て来ます。しかしいくら浅間しいものが見当った見当ったと云って触れて歩いたって、自分の恥になるばかりで、あまり発明家として尊敬を払っては貰えません。だからせっかく発見しても黙ってる方が得策であります。骨を折って、探がし当てて、自分一人で気持をわるくして、そうして苦《にが》い顔をして塞《ふさ》いでいるのも、あまり景気のいいものでもありませんから、つい遠慮が無沙汰《ぶさた》になりがちで、吾身で吾身が分ったような、分らないような心持でその日その日とぶらついております。こうしていれば、いつまで己惚れていたって、変事が起らない限りは大丈夫、己惚れつづけに己惚れて死ねますから、せっかく土をかけた所を掘り返して腐った死骸《しがい》をふんふん嗅《か》いで見るなんて、むく犬の所作《しょさ》をするには及ばん仕儀になります。私もその一人であります。私の妻もその一人であります。折々はあれでも令夫人かと思う事もありますから、向うでも、あれがわが郎君かと愛想をつかす事もあるんでしょう。それでも私は立派な夫《おっと》のつもりですましていますから、奥方の方でも天下の賢妻をもって自任しておられる事と存じます。かようの己惚《うぬぼれ》は存外多いもので、諸君まで私共の仲間へ引き入れるのは恐縮でありますが、なるべく勢力範囲を拡張しておく方が勝手でありますから、遠慮のないところを申しますと、滔々《とうとう》たる天下皆然りと申しても差支《さしつかえ》ないかも知れません。腹の奥の方では博士を宛にしていながら、口の先では熱烈な恋だなどと云うのがあります。そうかと思うと持参金が欲しいような気分を打ち消して、なにあの令嬢の淑徳《しゅくとく》を慕うのさとすましきっています。それで偽善でも何でもない、両方共|真面目《まじめ》だから面白いものです。そこで我々のような観察力の鈍いものは、なるべく修養の功を積んで、それから、大胆な勇猛心を起して、赤裸々《せきらら》なところを恐れずに書く事を力《つと》める必要が出て参ります。
それでは今日の文学に客観的態度が必要ならば、客観的態度によって、どんな事を研究したらよかろうと云う問題になります。私は私の気のついた数カ条を御参考のために述べて、結末をつけます。
第一は性格の描写についてであります。これは小説とか劇とかに必要なもので、作家がこの点において成功すれば、過半の仕事はすでに結了したものとまで思われております。そこで俗に成功した性格とはどんなものかと調べて見ると活動の二字に帰着してしまいます。またどう考えてもこの二字以外には出られないように思います。しかし、活動にもいろいろあるがいかなる意味の活動か一と口に云えるかと聞かれると、少し臆断《おくだん》過ぎるようですが、私はこう答えても差支《さしつかえ》ないと考えます。普通の小説で、成功したものと称せられている性格の活動は大概矛盾のないと云う事と同一義に帰着する。これを他の言葉で云いますと、ある人が根本的にあるものを握っていて、千態万状の所作《しょさ》にことごとくこのあるものを応用する。したがって所作は千態万状であるが、これを奇麗《きれい》に統一する事ができる。しかもこれを統一するとこのあるものに落ちてしまう。なお言い換えると、描写された性格が一字もしくは二三字の記号につづまってしまう。勇気のある人、親切な人、吝嗇《りんしょく》な人と云った風に簡単になる、すなわち覚えやすくなる。まあ、こんなものではなかろうかと思います。つまりは、一篇の小説に一定の意味があって、この意味を一句につづめ得るのを愉快に思うように、同じく一句につづめ得る性格をかき終せたものが成功したような趣が大分あります。しかしこの意味で成功した性格は、個人性格の全面を写し出したものではありません。(特別の場合を除いては)個人の全面性格のある顕著な特性を任意に抽出《ちゅうしゅつ》して、抽出しただけを始めから終まで貫ぬかして、作家にも読者にも都合のいい性格を創造したものであります。しかも自然の法則に従って創造したものではなくって、小説の世界に便宜《べんぎ》を与うるために、ある程度まで自然の法則を破って、創造したものであります。普通の場合において、個人の性格中のある特性が、その個人の生涯《しょうがい》を貫ぬいている事は事実であります。がこの特性だけで人物が出来上っておらん事も事実であります。のみか、この特性に矛盾反対するような形相をたくさん備えているのが一般の事実であります。だから諺《ことわざ》にも近侍の眼から見れば英雄もまた凡人に過ぎずと申します。極めて簡単で例にならんほどの例でありますが、人事には大変冷淡な人が、健康だけには恐ろしく神経過敏に見える事があります。家族には無愛想極まっても朋友《ほうゆう》にはこの上なく叮嚀《ていねい》な男もございます。こう云う点を詳《くわ》しく調べてみたらば、あるいは矛盾のある方が自然の性格で、ない方が小説の性格とまで云われはしますまいか。
そこで小説家、戯曲家うちでもこの点に注意し出して、ついに矛盾の性行をかくようになりました。そうして読者もこれを首肯するようになりました。柔順であった妻君が、ある事情のもとに、急に夫《おっと》に反抗して、今までに夢想し得なかった女丈夫になるというような例であります。しかしこれは在来の叙述を一歩複雑の方面へ進めたものに過ぎません。と云うのは、明かに矛盾した特性をことさらに並べて、対照の結果読者の注意をこの二焦点に集注するからであります。だから性格の複雑という事だけを眼中に置いて見ると、これはまだまだ単調のものであります。だからあくまでも客観的に性格の全局面を描出しようとすれば、今までの小説や戯曲にあらわれたよりも遥《はる》かに種々な形相が出て来る訳であります。そうして形相が異なるに従って、相互の間に一致がないように見えて来るのは、やむをえぬ結果であります。したがって描写が客観的に微妙であればあるほど、纏《まと》まりがつかぬ性格ができやすいでしょう。一言にして蔽《おお》う事のできない性格になりやすい、記憶に不便な性格になりやすいでしょう。要するに大変できのわるい、下手にかいた性格のように見えてくるでしょう。従来のかき方は、ここに風邪《かぜ》を引いた人があるとすると、その人の生涯《しょうがい》を通じて、風邪を引いた部分だけを抽《ひ》き抜《ぬ》いて書くのですから、分りやすく明暸《めいりょう》になる代りにははなはだ単調にして有名なる風邪引き男が創造されてしまいます。本来を云うと病気の時と、丈夫な時と、病気でも丈夫でもない時と三通りかいて、始めてその人の健康の全局面が、あらわれると云わなければなりません。しかし、そうすると、どうしても散漫に見えます。要領を得ないように見えて来ます。風邪でもこの通りですが、性格はこれよりも遥《はる》かに複雑であります。例えばAなる性格の第一行為をA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]とすると、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]からして類推のできるA2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]を順次に描出して行けば、全局面は無論出て来ない。たいていは一特質の重複に近くなります。もしA1A2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]が因果の法則で連結されておって、この諸行為の内容に密接な類似を示すときは、重複が変じて発展となります。発展ではあるがA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]が基点であって、そのA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]は全性格の一特性であるからして、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]の発展もまた全性格の発展と見傚《みな》す訳には参りません。私はこの種の重複でも発展でも文学上価値のないものと断言するのではないのですが、そちらはすでに大分ある事だから、全性格の描写と云う方に客観的態度をもって少しく進んでみたら開拓の余地がたくさんあるだろうと思います。その代り在来の小説を読んだ眼から見れば、散漫になります、滅裂になりやすいです、または神秘的に変じましょう。しかし吾人が客観的描写に興味を有してくると、漸々《ぜんぜん》この散漫と滅裂と神秘を妙に思わないような時機が到着しはせまいかと思われます。言葉を換えて云うと形式の打破をある程度まで意に留めなくなりはせまいかと考えるのです。しかし一応は御断りを致しておきます。吾々の世界はすでに冒頭において述べた通り撰択《せんたく》の世界であります。光線にしても、音響にしても、一定の振動数以上もしくは以下のものは、見る事も聞く事もできない有様でございます。性格の全部と云ったところで、全部がことごとく観察され得るとは申しません。無論比較的と云う文字を挿入《そうにゅう》して御考を願うよりほかに致し方がありません。それから客観的態度で時間の内容を写して行くと(ある一物につき)この連続が因果《いんが》になるには相違ありませんから、いくら散漫でも滅裂でも神秘でも因果を離れるとは申されません。ただその因果が、因果の律にまとめられるほどに、経験上熟知されていないから、散漫で滅裂で神秘と見るまでの事であります。だからこの種の因果の経験を繰《く》り返《かえ》して、その中から因果の律を抽象する事ができると同時に、散漫は統一に帰し、神秘は明白になります。(性格の描写に関連して研究の価あるのはムードの観察であります。ムードの描写は昔の小説にはほとんどないと思います。しかもこのムードから面白い行為が出て、たしかに興味のある結果を生じます。ムードと性格の関係その他は今は述べません。また述べられるだけに頭が整っておりません)
性格の解剖についでは、心理状態の解剖であります。最も性格と関係があるのは無論でありますが、一言にして云うと今日の人の心的状態は昔《むか》しの人の心的状態より大分複雑になっておりますからして、同一の行為でも、その動機が遥《はる》かに趣を異にしている訳で、そこを観察したら、充分開拓の余地があると申す意味でございます。例《たと》えばここに一人の男があって人殺しをする。なぜ人殺しをしたかと云うに人殺しが目的ではない、ほんの方便で、人殺しをしたあとの心持ちを痛切に味わってみたいというような芸術家が出て来たとするならば――まだあんまり出ないようですが――どうでしょう。いくら説明したって元禄時代の人物には分らないにきまっている。というものはこの男の人殺しに対する評価は、人殺しから生ずる自己の心裏《しんり》の経験に対する評価より遥かに相場が安いのであります。平たく云えば人殺しと云う事をさほどわるく思っていない。のみならずわざと罪を犯しておいて、犯したあとの心持を痛切に味わうというような込みいった考えはとうてい大石良雄や室鳩巣《むろきゅうそう》などに分るものではありません。もちろん今の人にでも分らんかも知れませんが、今の人ならばほぼ想像はつきますから、それまで複雑なのに違ありません。また恋と云う一字でもこの頃になると恋という一字では不充分なくらい種類ができはしまいかと思われます。すでに沙翁《さおう》のかいたものでも分ければ幾通りにも分けられる恋が書いてありますが、近代に至るとその区別がますます微細になりはせぬかと思われます。ゴンクールの書いたラフォースタンと云う小説のなかにはこんなのがあります。有名な女優があって、この女優がある英国の貴族と慇懃《いんぎん》を通じたままそれぎり幾年か音信不通の姿でおりましたところ、貴族の方では急に親が死んで、莫大《ばくだい》の遺産を相続するような都合になったので、今は結婚その他の点についても何人も喙《くちばし》を挟む事のできない身分でありますから、多年恋着していた婦人を正式に迎えるのはこの時と云うので、狂うばかりに喜んで、仏蘭西《フランス》へ渡りますと、女の方も固《もと》より深い仲の事でありましたから、泣いて分れたその日の通り大事に男の事を思いつづけていた折で、無論異存のあるはずはございません。めでたく結婚致します。それだけだとこれも陳腐《ちんぷ》なのですが、これから先が山であります。さて結婚をしてみると夫の方では金に不足のない身ではあるし、女房を女優にしておくのは何となく心配ですから、もう廃業したら善かろうと云う相談を持ちかけます。ところが細君の方はもともと役者が性《しょう》に合っている訳なんだからかどうか分りませんが、何となく廃《や》めたくなかったのであります。しかし可愛い男の云う事だから、厭《いや》な心を抑えて亭主の意に従います。それから二人で非常な贅沢《ぜいたく》をやります。嬉《うれ》しい中でいっしょになって、金を使いたいだけ使うんだから、幸福でなければならないはずですが、そこが妙なもので、細君が女優をやめてからというものは何となく気色が勝《すぐ》れなくなります。いくら夫が機嫌《きげん》をとっても浮き立ちません。と云って固々《もともと》憎《にく》い男ではないんだから粗略にする訳はない。しんそこ夫の事はいとしく思っているのであります。ただ心が陽気になれないだけなのですが、夫の方では最愛の細君の一顰一笑《いっぴんいっしょう》も千金より重い訳ですから、捨ておかれんと云うので慰藉《いしゃ》かたがた以太利《イタリー》へ旅行に出かけます。しかるに男は出先で病気に懸《かか》ります。細君は看病に怠りはございませんが、定業《じょうごう》はしかたのないものでとうとう死んでしまいます。その死ぬ少し前に例の通り細君が看病のため枕辺へ寄り添いますと、男はいつになく荒々しい調子で、手をもって細君を突き退《の》けるばかりに、押し返して、御前は必竟《ひっきょう》芸術家だ。本当の恋はできない女だと云うのです。それが結末であります。御前は必竟芸術家だ本当の恋はできない女だ。これが一種の恋でありましょう。有名なルージンの恋も普通一般の恋ではありません。ルージン一流の恋であります。ズーデルマンの書いたフェリシタスの恋などはもっとも特色を帯びた一種の恋のように思います。これが日本の昔であってみると、大概似たもののように見えます。八重垣姫《やえがきひめ》の恋も、御駒才三の恋も、御染久松《おそめひさまつ》の恋も、まあ似たり寄ったりであります。なぜ似たり寄ったりかというと、異種類の恋はなかったと解釈する事もできますしまた、観察力が鈍かったからだと断定する事ができますが、まず両方と見ておきましょう。がまずざっと、こんな訳でありますから、かように複雑になりつつある吾々の心のうちをよく観察したら、いろいろ面白い描写ができる事だろうと思います。
あまり長くなりますから、あとはなるべく手短かに指摘して通り過ぎるくらいに致します。次には、人生の局部を描写して、これを一句にまとめ得るような意味を与える事であります。落語家のいわゆる落ちをつけた小説のようなものになります。これは近頃大分流行致しておりますから、別段|布衍《ふえん》する必要もございますまい。ただ御注意だけに留《とど》めておきます。前の例などもここに応用ができます。「御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない」これが一篇の主意の落着するところであります。ただし落ちを取る目的は綜合《そうごう》にあるので、前の二カ条は解剖が主でありますから、目的の方角は反対になります。だからちょっと区別しておきました。
次には、人生において、容易に注意を払っておかなかった現象、したがって滅多《めった》にない事という意味にもなりますが、この方面にも大分新らしい材料がある事と思われます。この間友人からこんな話を聞きました。その男の国での事でありますが、ある芸妓《げいしゃ》がある男と深い関係になっていたのだそうで。その両人がある時船遊びに出ました。そこいらを漕《こ》ぎ廻った末、都合のいい磯《いそ》へ船をもあいまして、男が舟を棄《す》てて岸へ上りました。ところが岸辺に神社か何かあると見えて、磯からすぐに崖《がけ》になって、崖のなかから石段が海の方へ細長くついております。男はその石段を登ったんだそうです。女は船のなかから、石段を上って行く男の後姿を見ていたそうです。その後姿を見ていた時、急に自分の情夫に愛想をつかしてしまったんだと友人は話しましたが、その源因は私にも、友人にも、本人の芸者にも無論分りません。これと類似の例をゼームスの宗教的経験と云う本や、スターバックの宗教心理学で見た事がありますが、個人の経歴譚《けいれきたん》として聞いたのはこれが始めてであります。これはあまり突飛な例かも知れませんが、こんな経験で文学の形になってあらわれておらないものが大分あるだろうから、そういう研究をしたら材料はずいぶん出て来はすまいかと思っております。
このほか因果の関係で人の気につかなかった事やら、類型を脱した個性をかく方面やらいろいろあるだろうと思いますが、この三四カ条は理論上これこれに分れると云うのでなくって、ただ思いついた事を列《なら》べたまででありますが、どこで切っても同じ事でありますからこれでやめておきましょう。しかし今日の吾邦《わがくに》に比較的客観態度の叙述が必要であると云う事は、向後何年つづく事か明らかには分りません。西洋では illuminism が盛《さかん》に行われた、十八世紀の反動として十九世紀の前半に浪漫的趣味の勃興《ぼっこう》を来《きた》しました。それが変化してまた客観的態度に復して参りました。二十世紀はどうなるか分りません。この二潮流が押しつ押されつしているうちに、つまりは両方が一種の意味において一様に発達して参ります。そうして発達した両方が交り合って雑種の雑種というようなものが、いくらでもその間に起って参ります。右へ行ったり左へ寄ったりするのは、つまり態度だけの話で、この態度から出る叙述はけっして繰《く》り返《かえ》されるものではありません。どこか変って参ります。杜撰《ずさん》ながら自分の考では、世間一般の科学的精神が、情操の勢力より比較的強くなって、平衡を失いかけるや否や、文壇では情操文学が隆起して参りますし、また情操の勢力が科学的精神を圧迫するほどに隆起してくると、客観文学が是非とも起って参る訳だと考えます。文壇はこの二つの勢力が互に消長して、平衡を回復し、回復するかと思うと平衡を失して永久に発展するものでありましょう。であるから同時同刻にせよ西洋の文学にあらわれた態度が、必ず日本の態度の模範になる理由は認められません。前段に申した今日|吾邦《わがくに》における客観文学の必要とは、我邦現在の一般の教育状態からして案出した愚考に過ぎんのであります。しかしながら、やはり同一の立場から見て、ほとんど純客観に近い態度の文学を必要と認めるほど情操の勢力は社会を威圧しているようには思われませんから、いたずらに客観にのみ重きを置く文学は不必要に近いように思われます。維新後今日までの趨勢《すうせい》を見ますと、猛烈なる情操に始まって四十年間しだいしだいに情操の降下を経験しておりますから、現時はまだ客観に重きを置く方を至当と存じますが、向後日清戦役もしくは日露戦争のごとき不規則なる情操の勃張《ぼっちょう》を促《うな》がす機会なく日本の歴史が平静に進行するときは、情操は久しからずして科学的精神の圧迫を蒙《こうむ》る事は明らかでありますから、情操文学は近き未来において必ず起るべき運命をもっている事と存じます。ただし未来の情操文学はいかなる内容をもって、いかなる評価をなすやに至っては固《もと》より測《はか》りがたいのはもちろんでありますが、それまでに発展した客観描写を利用してこれを評価の方面に使うのは争うべからざる運命と存じます。これを結末の一句としてこの講演を終ります。
[#地付き]――明治四十一年二月東京青年会館において述――
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。
入力:柴田卓治
校正:大野 晋
2000年8月24日公開
2004年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前のページに戻る 青空文庫アーカイブ