青空文庫アーカイブ

模倣と独立
夏目漱石

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)図《はか》らず

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大分|縁故《えんこ》の深い学校であります。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「者/火」、第3水準1-87-52]
-------------------------------------------------------

 今日は図《はか》らず御招きに預《あずか》りまして突然参上致しました次第でありますが、私は元この学校で育った者で、私にとってはこの学校は大分|縁故《えんこ》の深い学校であります。にもかかわらず、今日までこういう、即ち弁論部の御招待に預って、諸君の前に立った事は御座いませんでした。尤《もっと》も御依頼も御座いませんでした。また遣《や》る気もありませんでした。ただ今私を御紹介下さった速水《はやみ》君は知人であります。昔は御弟子で今は友達――いや友達以上の偉い人であります。しかし、知り合《あい》ではありますけれども、速水さんから頼まれた訳でもありません。今度私が此処《ここ》に現われたのは安倍能成《あべよししげ》という――これも偉い人で、やはり私の教えた人でありますが――その人が何でも弁論部の方と御懇意《ごこんい》だというので、その安倍能成君を通じての御依頼であります。その時私は実は御断りをしたかった。というのは、近来頭の具合が悪い。というよりも、頭の働き方がこういう所へ参って、組織立った御話をするに適しないようになっております。――一口に言えば、面倒臭《めんどうくさ》いので、一応は御断りを致したのであります。けれども私の断り方がよほど正直だったので、――是非遣らなければならないならば出るが、まあどうか許してもらいたい――こういう風に返辞をした。ところが是非遣らなければならんから出ろ、というのです。後から考えると、余り私が正直過ぎたと思います。尤《もっと》も、是非遣らなければならんというのはどういう訳だ、といって問い詰めるほどの問題でもありませんから、遣らなければならんものとして出て参りました。安倍君は君子であります。頼んだ事は引き受けさせようという方の君子。速水君も君子であります。これは頼まない方の君子、遠慮された方の君子でありますが。そういう訳で今日は出ましたので、演説をする前に言訳《いいわけ》がましい事をいうのは甚《はなは》だ卑怯なようでありますけれども、大して面白い事も御話は出来ないと思いますし、また問題があっても、学校の講義見たように秩序の立った御話は出来|兼《か》ねるだろうと思います。安倍君|曰《いわ》く、何を言ったって構いません、喜んで聴いているでしょう。
 それに、私は此校《ここ》で教師をしていたことがあります。その時分の生徒は皆恐らく今|此所《ここ》には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔《こうえい》といいますか、跡続《あとつ》ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々|虐《いじ》めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほど旨《うま》く行かなかった。
 私は教師としてこの学校に四年間おりました。のみならずその以前には、貴方がたのように、生徒としてこの学校に――何年間おりましたか知らん――落第したと思っちゃいけません。元々私は此所《ここ》へ這入《はい》って来たのじゃない。この学校が予備門といって丁度一ツ橋|外《そと》にありました。今の高等商業のある界隈《かいわい》一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所《そこ》へ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図《ぐずぐず》している内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗り込んだ者は私――だけではないが、その一人は確かに私である。われわれの教室は本館の一番北の外《はず》れの、今食堂になっている、あそこにありました。文科の教室で。それが明治二十二年位でした。その時分の事を今の貴方がたに比べると、われわれ時代の書生というものは乱暴で、よほど不良少年という傾き――人によるとむしろ気概《きがい》があった。天下国家を以て任じて威張《いば》っておった。われわれの年配の人は、いつも今の若い者はというような事をいっては、自分たちの若い時が一番偉かったように思っているけれども、私はそうは思わない。今でもそうは思わない。貴方がたの前に立ってこうして御話をするときは、なおそう思わない。貴方がたの方がわれわれ時代の者よりよほど偉い。先刻《さっき》から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥《はる》かに大人《おとな》しい、能《よ》く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯《いたずら》の例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔《ざんげ》するために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処《あすこ》に教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間《あいま》合間に砂糖わりの豌豆豆《えんどうまめ》を買って来て教場の中で食べる。その豌豆豆が残るとその残った豌豆豆を先生の机の抽斗《ひきだし》の中に入れて置く。歴史の先生に長沢市蔵という人がいる。われわれがこれを渾名《あだな》してカッパードシヤといっている。何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘《ギリシャ》の地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間の内幾回となく繰り返す。それでカッパードシヤという渾名が付いた。この長沢先生の時間と覚えておりますが、その先生がカッパードシヤカッパードシヤとボールドへ書くので、そのカッパードシヤを書こうとしてチョークを捜すために抽斗を明けると、その抽斗の中から豆ががらがらと出て来たというような話がある。これは先生を侮辱《ぶじょく》した訳ではありません、また先生に見せるためにわざわざ遣ったのでもありませんが、とにかくよほど予備門などにおったわれわれ時代の書生の風儀《ふうぎ》は乱暴でありました。現にこの学校の中を下駄《げた》で歩くのです。私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度|杉浦重剛《すぎうらしげたけ》先生が校長で此所《ここ》の呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出《はりだ》しが出ました。学校の中を下駄を穿《は》いて歩いてはいけない。それは当然の事ですが、わざわざ貼り出さなければならんほど下駄を穿いて歩いていたものと私は考える。然《しか》るに貼出しがあって暫くしても、私は下駄を穿いて歩いていた。或日の事、丁度三時過ぎです。今頃で、もう誰もいまいと思って、下駄を穿いて、威張って歩けと思って、ドンドン歩いて行った。すると廊下を曲る途端《とたん》に杉浦重剛さんにパタリと出会った。私は乱暴書生ではない。極《ご》く気の小さい大人しい者である。杉浦さんに出会ってどうしたと思います。私は急に下駄から飛び降りた。飛び降りたばかりではありません、飛び降りていきなり下駄を握って一目散《いちもくさん》に逃げ出しました。だから一口も叱られもせずまた捉《つか》まえられもせずに済んでしまった。これは唯自分で覚えているだけで人に話した事はありません、今日初めて位のものでありますが、この間《あいだ》或所で杉浦先生に久々《ひさびさ》ぶりで御目に掛った。大分先生も年を取っておられる。その時私が、先生こういう事を覚えて御出《おい》でですか、私は下駄を穿いて歩いてこうこうだったと御話したら、杉浦さんは、いやそれはどうも大変な違いだ、私は下駄を穿いて学校を歩くことは大賛成である、穿いちゃあならんという貼出しが出たのは、あれは文部省が悪い。とかく文部省はやかましい事を言うが、私はその下駄論者だったと言う。私も驚いて、杉浦さんが下駄論者だと仰《おっ》しゃるのはどういう訳ですかと聞くと、先生の曰《いわ》く、そもそも下駄は歯が二本しかない、それでいくら学校の中を下駄で歩いたところで、床に印する足跡というものは二本の歯の底だけである、しかるに靴は踵《かかと》から爪先《つまさき》まで足の裏一面が着くじゃないか。もしこれが両方とも同じ程度に汚すのであるならば、学校の床を汚す面積は靴の方が下駄より遥かに偉大である、だから私はその下駄で差支ないということを切《しき》りに主張したが、どうも文部省の当局が分らないから、それでやむをえずああいう貼出しをした。それじゃ私は逃げる所《どころ》でなかった大いに賞められて然《しか》るべきであった惜しい事をした、といって笑った。その時分は杉浦さんも二十八位でまだ若かったから暴論を吐いて文部省を弱らせたのでしょう。下駄の方が宜《よ》いという訳はないと考えるのです。まあそういうような時代を貴方がたが想像したら、随分乱暴な奴が沢山おったということが御分りになるでしょうが、実際今よりも悪い悪戯《いたずら》な奴が沢山おった。ストーブをドンドン焚《た》いて先生を火攻《ひぜめ》にしたり、教場を真闇《まっくら》にして先生がいきなり這入って来ても何処も分らないような事をしたり、そういう所を経過して始めて此校《ここ》へ這入ったものであります。
 それから此校《ここ》に二年ばかりおって、大学に入って、大分御無沙汰をして、それから外国に行きまして、外国から帰って来て、復《ま》た此校《ここ》へ這入った。故郷へ錦《にしき》を着るというほどでもないが、まあ教師になって這入った。そうして初めて教えたのが、今いう安倍能成君らであります。此校《ここ》を出て、大学を出て、諸方を迂路《うろ》ついている時に教えたのが、此処《ここ》にいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生《ひょうはくせい》でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統《ほんとう》に啓発するほど教えなかったが、教場に立って先生と呼ばれ、生徒と呼んだことは確かにある。なお自白すれば、熊本に来たてであります。私の前に誰か英語を受持っておって、私はその後を引受けた。エドマンド・バークの何とかいう本でありますが、それは私の嫌《きらい》な本です。これ位解らない本はない。演説でも英吉利《イギリス》人が解るものならば日本人が字引を引いて解らないことはないはずである。が、実際解らない本です。その解らない物を教えた時に丁度速水君が生徒だったから、偉くない偉くないという考えが何時《いつ》までも退《の》かないのかも知れません。それでその後英語も大分教えて年功《ねんこう》を積みましたが、速水君に断りますが、その後発達した今日の私の英語の力でも、あのバークの論文はやはり解らない。嘘だと思うなら速水君があれを教えて御覧になれば直《す》ぐ分る。――こんな下らない事を言って時間ばかり経って御迷惑でありましょうが、実は時間を潰すために、そういう事を言うのであります。大した問題もありませんから。
 それで、先刻演題という話でしたが、演題というようなものはないから、何か好加減《いいかげん》に一つ題は貴方がたの方で後で拵《こしら》えて下さい。チョッと複雑過ぎて簡単な題にならんような高尚な事なんだろうと思う。何か御話しようと思いましたが、実は先刻申上げたような訳で、時間もなし、今日も人が来ますし、チッとも考えられない。それだからいう事は余り大した事ではありません。が、もう少しの間、極《ご》く雑《ざっ》としたところを御話して御免|蒙《こうむ》る事にしましょう。
 私はこの間《あいだ》文展《ぶんてん》を見に行きました。(私は御存知の通り、職業が職業ですから、御話する事は一般の事でも、あるいは文芸ということが例になったり、またその方から出立《しゅったつ》する事が多いかも知れませんから、その方に興味のない方《かた》には御気の毒ですが、まあ仕方がない、御聴きを願います。)で、今申しましたように、この間《あいだ》文展を見に行きました。それで文展を見てチョッと感じました。どうも私は文部省の展覧会に反対をしたり、博士を辞したり、甚《はなは》だ文部省に受けが悪い人間でありますが今度の文展も公《おおやけ》には書きませんでしたが、どうも大変面白くありませんでした。殊に私は日本画の方で、まあそうだと思います。西洋画の方についてもいえばいえますが、その方は後にして置いて、日本画の方について申します。
 一向《いっこう》面白くなかった。あの画の内どれを見ても面白くない。中には例外はありますけれども、どれを見ても面白くない。唯面白くないといっても分らぬから、訳をいわなくちゃならんが、どれを見てもノッペリしている。ノッペリしているという意味は御手際《おてぎわ》が好いというので、褒《ほ》めているのかといえば、そうではない。悪く言う意味で、御手際が大変好いのです。言葉を換えていえば、腕力はある、腕の力はある。それじゃ何処が悪いかと言えば、頭がない。頭がなくて手だけで描いている。職人見たようなものである。そうまでいうと御気の毒だから、それだけは公にしません。――これだけ公にしていれば沢山だが――私は別に画家や文展の非難を遣《や》っているのではありません、画家を個人的に悪口を言っている訳ではありません。ただ感じた事についてチョッと必要だから申すのでありますが、唯ノッペリとしている。例えばシミ[#「シミ」に傍点]がなく、マダラ[#「マダラ」に傍点]がなく、ムラ[#「ムラ」に傍点]がなく、仕上げが綺麗に出来ている。ああいう手際というものは、丁稚奉公《でっちぼうこう》をして五年十年|遣《や》らなければ出来ないでしょうけれども、それ以外に何かあるかと聞かれても、私には分らない。丁度人間でいいますと、やはり紳士というものに能《よ》く似ていると思う。紳士とはどんな者かというと、紳士というものは、唯ノッペリしている。顔ばかりじゃありません。マナーが――態度及び挙止動作《きょしどうさ》が――ノッペリしている人間で、手を出して握手をしたりする。下層社会の女などがよくあの人は様子《ようす》が宜《い》いということをいうが、様子が宜い位で女に惚れられるのは、男子の不面目《ふめんぼく》だと思います。様子が宜いというのは、人を外《そ》らさないということになる。唯|御座《おざ》なりを言うということになる。余りブッキラボーでない、当《あた》り触《さわ》りが宜いというので御座います。鮮《あざや》かで穏かで寔《まこと》に宜い。それは悪い事とは思いません。そういう人に接している方が野蛮人に接しているよりは宜い。一口感情を害しても直《す》ぐに擲《なぐ》られるというような人より宜い。それを攻撃する訳じゃありませんが、しかしそれだけでは人格問題じゃない。人格問題じゃないというのは――随分悪い事をして、人の金をただ取るとか、法律に触れるような事をしないまでも非道《ひど》いずるい事をしたり、種々雑多な事をやって、立派な家に這入って、自動車なんぞに乗って、そうして会って見ると寔《まこと》に調子が好くて、品《ひん》が好くて、ノッペリしている。そうして人格というものはどうかというと、余り感服《かんぷく》出来ない人が沢山ありましょう。それが紳士だと思ってはいけません。けれどもそういう者が紳士として通用している。つまり人格から出た品位を保っている本統《ほんとう》の紳士もありましょうが、人格というものを度外《どがい》に置いて、ただマナーだけを以て紳士だとして立派に通用している人の方が多いでしょう。まあ八割位はそうだろうと思います。それで文展の絵を見てどっちの方の紳士が多いかというと、人格の乏しい絵だ。人格の乏しい絵だといって、何も泥棒が絵描になっているというような訳ではない。そういう侮辱の意味じゃない。けれども尊敬した意味じゃ無論ない。大変どうも頭が――何といって宜《よ》いか――気高《けだか》いというものがない。御覧になっても分る。気高いということは富士山や御釈迦様《おしゃかさま》や仙人などを描いて、それで気高いという訳じゃない。仮令《たとい》馬を描いても気高い。猫をかいたら――なお気高い。草木禽獣《そうもくきんじゅう》、どんな小さな物を描いても、どんなインシグニフィカントな物を描いても、気高いものはいくらもあります。そういうような意味の絵にはどうも欠乏し切っているのが文展である。これを逆にいうと、そういう絵を排斥しているのが文展である。こういう訳であるから、それが一列一帯にチャンと御手際だけは出来ておらないといけない。御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対していわゆるゼントルマンに比較して考えたのであります。
 それからその次に或《ある》人が外国から帰って展覧会を開いた、それを見に往きました。二人でありました。その一人の絵を見ると、油絵で西洋の色々な絵を描いている。アンプレッショニストのような絵も描いている。クラシカルな、ルーベンスなどに非常に能《よ》く似たような絵も描いている。仏蘭西《フランス》派であるが、あれを公平に考えて見ると、彼《あ》の人は何処《どこ》に特色があるだろう。他人《ひと》の絵を描いている。自分というものが何処にもないようですね。巧《うま》い拙《まず》いにかかわらず、他人の描いたようなものはいくらでも描くんですが、それじゃ自分は何所《どこ》にあるかというと、チョッと何所にあるか見えないような絵を展覧会で見せられました。その次にもう一つの外国から帰った人の絵を見た。それは品《ひん》の宜《よ》い、大人《おとな》しい絵でした。それで誰が見ても、まあ悪感情を催さない絵でありました。私はその中の一つを買って来て家の書斎に掛けようかと思いました。が、止《よ》しました。けれども、まあ買っても宜いとは思いました。何故買っても宜いといいますと、相当に出来ているからです。内へ持って来て掛けるのは何故かというと、英吉利風《イギリスふう》の絵なら絵を、相当に描きこなしておって、部屋の装飾として突飛《とっぴ》でない、丁度平凡でチョッと好《よ》かろうと思ったから買って来ようかと思ったけれども、買って来ませんでした。その人の絵は誰が見ても習った絵だということが分る。習って或《ある》程度まで進んだ絵である。それだから見苦しくない、ということは分る。その代りその作者を俟《ま》って初めて描けるような絵は一つもないのです。例えばその内の一《ひとつ》を選んで内に掛けるにしても、その特別なる画家を煩《わずら》わさないでも、外《ほか》の人に頼んでも、それと同じような絵が出来そうな絵でありました。それから私はもう一つ見ました。これは日本にいる人で、日本にいる人の或《ある》外国の絵でありました。前の二つは帝国ホテル及び精養軒《せいようけん》という立派な料理屋で見ました。御客様もどうも華やかな人が多い。中には振袖《ふりそで》を着ている女などがおりました、あんな女などに解るのかと思うほどでした。第三に見たのは、これはどうも反対ですね。所は読売新聞の三階でした。見物人はわれわれ位の紳士だけれども、何だか妙な、絵かきだか何だか妙な判《はん》じもののような者や、ポンチ画の広告見たような者や、長いマントを着て尖《とが》ったような帽子を被《かぶ》った和蘭《オランダ》の植民地にいるような者や、一種特別な人間ばかりが行っている。絵もそういう風な調子である。見物人も綺麗な人は一人もいない。どうもその絵はそれで或程度まではチャンと整《ととの》うてはいないと思います。しかし、自分が自分の絵を描いている、という感じは確かにしました。しかしその色の汚い方の絵は未成品《みせいひん》だと思います。それだから同情もありそれを描いた人に敬意も持ちますけれども、わざわざ金を出して内に買って来て書斎に掛けようと思わない絵ばかりでありました。
 こういう風に色々違う絵があるからして、その点から出立《しゅったつ》して御話をしましょう。――それで文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁《ていさい》にしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それが旨《うま》く行けば聴かれそうな演説である。巧《うま》く行かなければそれだけの話である。まあどういう風に片付けるかという御手際の善悪などはどうでも宜《よ》いのですから。
 人間という者は大変大きなものである。私なら私一人がこう立った時に、貴方がたはどう思います。どう思うといった所で漠然たるものでありますが、どう思いますか。偉い人と速水君は思うか知らんが、そんな意味じゃない。私は往来を歩いている一人の人を捉《つか》まえてこう観察する。この人は人間の代表者である。こう思います。そうでしょう神様の代表者じゃない、人間の代表者に間違いはない。禽獣《きんじゅう》の代表者じゃない、人間の代表者に違いない。従って私が茲処《ここ》にこう立っていると、私はこれでヒューマン・レースをレプレゼントして立っているのである。私が一人で沢山ある人間を代表していると、それは不可《いか》ん君は猫だと意地悪くいうものがあるかも知れぬ。もし貴方がたがこういったら、そうしたら、いや猫じゃない、私はヒューマン・レースを代表しているのであると、こう断言するつもりである。異存はないでしょう。それならば、それで宜《よろ》しい。
 同時にそれだけかというとそうでもない。じゃ何を代表しているかというと、その一人の人は人間全体を代表していると同時にその人一人を代表している。詰らない話だがそうである。私はこうやって人間全体の代表者として立っていると同時に自分自身を代表して立っている。貴方がたでもなければ彼方《かなた》がたでもない、私は一個の夏目漱石というものを代表している。この時私はゼネラルなものじゃない、スペシァルなものである。私は私を代表している、私以外の者は一人も代表しておらない。親も代表しておらなければ、子も代表しておらない、夫子《ふうし》自身を代表している。否《いな》夫子自身である。
 そうすると、人間というものはそういう風に二通りを代表している――というと語弊《ごへい》があるかも知れませんが――二通りになるでしょう。其処《そこ》です其処です、それをいわないと能《よ》く解らない。
 それでこのヒューマン・レースの代表者という方から考えて、人間という者はどんな特色、どんな性質を持っているか。第一私は人間全体を代表するその人間の特色として、第一に模倣ということを挙げたい。人は人の真似をするものである。私も人の真似をしてこれまで大きくなった。私の所の小さい子供なども非常に人の真似をする。一歳違いの男の兄弟があるが、兄貴が何か呉《く》れろといえば弟も何か呉れろという。兄が要《い》らないといえば弟も要らないという。兄が小便《しょうべん》がしたいといえば弟も小便をしたいという。それは実にひどいものです。総《すべ》て兄のいう通りをする。丁度その後から一歩一歩ついて歩いているようである。恐るべく驚くべく彼は模倣者である。
 近頃読んだ本でありませんがマンテガッツァの『フィジオロジー・エンド・エキスプレション』という本の中にイミテーションということについて例を沢山挙げてありましたが、私は今|一々《いちいち》人間という者は真似をするものであるということの沢山な例を記憶しておりませんが、茲処《ここ》に二つ三つあります。例えば、一人の人が往来で洋傘を広げて見ようとすると、同行している隣りの女もきっと洋傘を広げるという。こういう風に一般に或《ある》程度まではそうです。往来で空を眺めていると二人立ち三人立つのは訳はなくやる。それで空に何かあるかというと、飛行船が飛んでいる訳でも何でもない。けれども飛行船が飛んでいるとか何とかいえば、大勢の群集が必ず空を仰いで見る。その時に何か空中に飛行船でも認めしむることが出来ないとも限らない。
 それほど人間という者は人の真似をするように出来ている情けないものであります。それでその、人の真似をするということは、子供の内から始まって、今言ったような些末《さまつ》の事柄ばかりでない、道徳的にもあるいは芸術的にも、社会上においてもそうである。無論流行などは人の真似をする。われわれが極《ご》く子供の内は東京の者はこんな薩摩飛白《さつまがすり》などは決して着せません。田舎者でなければ着ないものでした。それを今の書生は大抵皆薩摩飛白を着る。安いからか知りませんが、皆着るようになった。それから一時白い羽織《はおり》の紐《ひも》の毛糸《けいと》か何かの長いのをこう――結んで胸から背負って頸《くび》に掛けておった。あれも一人|遣《や》るとああなるのであります。私たちの若い時は羽織の紋《もん》が一つしきゃないのを着て通人《つうじん》とか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるようになった。それも大きなのが段々小さくなったようだが、近頃どの位になっているのか。私は羽織の紋が余り大きいから流行に後《おく》れぬように小さくした位それほど流行というものは人を圧迫して来る。圧迫するのじゃないが、流行にこっちから赴《おもむ》くのです。イミテーターとして人の真似をするのが人間の殆ど本能です。人の真似がしたくなるのです。こういう洋服でも二十年前の洋服は余り着られない。この間《あいだ》着ていた人を見たけれども可笑《おか》しいです。あまり見っとも宜《よ》いものではない。殊に女なんぞは、二十年前の女の写真なんぞは非常に可笑しい。本来の意味では可笑しいとは自分で思っていないけれども、熟々《つくづく》見ると、やはり模倣ということに重きを置く結果、どうもその自分と異《ことな》った物、あるいは世間と異ったものは可笑しく見えるのであります。そういう風にそれを道徳上にも応用が出来ます。それから芸術上は無論の事ですね。そんな例は沢山挙げても宜《よ》いけれども、時間がないから略して置きます。とにかく大変人は模倣を喜ぶものだということ、それは自分の意志からです、圧迫ではないのです。好《この》んで遣る、好んで模倣をするのです。
 同時に世の中には、法律とか、法則とかいうものがあって、これは外圧的に人間というものを一束《ひとたば》にしようとする。貴方がたも一束にされて教育を受けている。十把一《じっぱひと》からげにして教育されている。そうしないと始末に終《お》えないから、やむをえず外圧的に皆さんを圧迫しているのである。これも一種の約束で、そうしないと教育上に困難であるからである。その約束、法則というものは政治上にも教育上にもソシャル・マナーの上にもある。飯を食べるのにサラサラグチャグチャは不可《いけ》ないという。そういうのはこれは法則でしょう。それから道徳の法則、これは当り前の話で、金を借りればどうしても返さねばならぬようになっている。それから芸術上の法則というのがある。これがまた在来の日本画だとか、御能《おのう》だとか、芝居の踊りだとかいうものには、非常に究屈《きゅうくつ》な面倒な固《かた》まった法則があって、動かすことが出来ないようになっております。それらの例を一々挙げると宜いのですが、それは一々挙げません。例を省《はぶ》くと詰らないものになりますが、早く済みますから、詰らなくして早く切り上げてしまおうと思う。
 それから、法則というものは社会的にも道徳的にもまた法律的にもあるが、最も劇《はげ》しいのは軍隊である。芸術にでも総《すべ》てそういうような一種の法則というものがあって、それを守らなければならぬように周囲が吾人《ごじん》に責めるのであります。一方ではイミテーション、自分から進んで人の真似をしたがる。一方ではそういう法則があって、外の人から自分を圧迫して人に従わせる。この二つの原因があって、人間というものの特殊の性というものは失われて、平等なものになる傾きがある。その意味で私なら私が、人間全体を代表することが出来る資格を有《も》ち得るのであります。
 私は人間を代表すると同時に私自身をも代表している。その私自身を代表しているという所から出立《しゅったつ》して考えて見ると、イミテーションという代りにインデペンデントという事が重きを為《な》さなければならぬ。人がするから自分もするのではない。人がそうすれば――他人《ひと》は朝飯に粥《かゆ》を食う俺はパンを食う。他人は蕎麦《そば》を食う俺は雑※[#「者/火」、第3水準1-87-52]《ぞうに》を食う、われわれは自分勝手に遣《や》ろう御前《おまえ》は三|杯《ばい》食う俺は五杯食う、というようなそういう事はイミテーションではない。他人が四杯食えば俺は六杯食う。それはイミテーションでないか知らぬが、事によると故意《こい》に反対することもある。これは不可《いけ》ない。世の中には奇人《きじん》というものがありまして、どうも人並の事をしちゃあ面白くないから、何でも人とは反対をしなければ気が済まない。中には広告するためにやる奴もある。普通のことでは面白くないから、何か特別な事をして見たいというので、髪の毛を伸ばして見たり、冬|夏帽《なつぼう》を被《かぶ》って見たり――それは此処《ここ》の生徒などにもよくある。が、あれは無頓着《むとんじゃく》から来るのでしょう。人が冬帽を被《かぶ》っているという事に気が付けば自分も被りたくなるでしょう。故意に俺は夏帽を被るといった日にはよほど奇人《きじん》となる。私のここにインデペンデントというのは、この故意を取り除《の》ける。次には奇人を取り除ける。気が付かないのも勘定《かんじょう》の中に這入らない。それじゃあどういうのがインデペンデントであるか。人間は自然天然に独立の傾向を有《も》っている。人間は一方でイミテーション、一方で独立自尊、というような傾向を有っている。その内で区別して見れば、横着《おうちゃく》な奴と、横着でない奴と、横着でないけれども分らないから横着をやって、まあ朝八時に起きる所を自然天然の傾向で十時頃まで寐ている。それはインデペンデントには違いないが、甚《はなは》だどうも結構でない事かも知れません。それは我儘、横着であるが自然でもある、インデペンデントともなるけれども、これも取り除《のぞ》けということになる。最後に残るのは――貴方がたの中で能《よ》く誘惑ということを言いましょう。人と歩調《ほちょう》を合わして行きたいという誘惑を感じても、如何《いかん》せんどうも私にはその誘惑に従う訳に行かぬ。丁度《ちょうど》跛を兵式体操《へいしきたいそう》に引き出したようなもので、如何せんどうも歩調が揃《そろ》わぬ。それは、諸君と行動を共にしたいけれども、どうもそう行かないので仕方がない。こういうのをインデペンデントというのです。勿論それは体質上のそういう一種のデマンドじゃない、精神的の――ポジチブな内心のデマンドである。あるいはこれが道徳上に発現して来る場合もありましょう。あるいは芸術上に発現して来る場合もありましょう。精神的になって来ると――そうですね、古臭《ふるくさ》い例を引くようでありますが、坊さんというものは肉食妻帯《にくじきさいたい》をしない主義であります。それを真宗《しんしゅう》の方では、ずっと昔から肉を食った、女房を持っている。これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人《しんらんしょうにん》に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢《こんてい》のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。言葉を換えて言えば親鸞は非常なインデペンデントの人といわなければならぬ。あれだけのことをするには初めからチャンとした、シッカリした根柢がある。そうして自分の執るべき道はそうでなければならぬ、外《ほか》の坊主と歩調を共にしたいけれども、如何《いかん》せん独り身の僕は唯女房を持ちたい肉食をしたいという、そんな意味ではない。その時分に、今でもそうだけれども、思い切って妻帯し肉食をするということを公言するのみならず、断行して御覧なさい。どの位迫害を受けるか分らない。尤《もっと》も迫害などを恐れるようではそんな事は出来ないでしょう。そんな小さい事を心配するようでは、こんな事は仕切《しき》れないでしょう。其所《そこ》にその人の自信なり、確乎《かくこ》たる精神なりがある。その人を支配する権威があって初めてああいうことが出来るのである。だから親鸞上人は、一方じゃ人間全体の代表者かも知らんが、一方では著《いちじる》しき自己の代表者である。
 今は古い例を挙げたが、今度はもっと新しい例を挙げれば、イブセンという人がある。イブセンの道徳主義は御承知の通り、昔の道徳というものはどうも駄目だという。何が駄目かといえば、あれは男に都合の宜《よ》いように出来たものである。女というものは眼中《がんちゅう》に置かないで、強い男が自分の権利を振り廻すために自分の便利を計るために、一種の制裁なり法則というものを拵えて、弱い女を無視してそれを鉄窓《てっそう》の中に押し込めたのが今日までの道徳というものであるといっている。それでイブセンの道徳というものは二色《ふたいろ》にしなければならぬのである。男の道徳、女の道徳というようにしなければならぬ。女の方から見ますれば、それが逆にまあならなければならないというのです。その思想、主義から出発して書いたものがイブセンの作の中にある。最も著しい例は、『ノラ』というようなものであります。それがイブセンという人は人間の代表者であると共に彼自身の代表者であるという特殊の点を発揮している。イミテーションではない。今までの道徳はそうだから、たといその道徳は不都合であるとは考えていても、別に仕様《しよう》がないからまあそれに従って置こう、というような余裕のある、そんな自己ではない。もっと特別な猛烈な自己である。それがためイブセンは大変迫害を受けたという訳であります。無論事実|不遇《ふぐう》な人でありました。それのみならずあの人は特殊な人で、人間全体を代表しているというより彼自身を代表している方がよほど多い。そこで国を出て諸方を流浪して、偶《たま》に国へ帰っても評判が宜《よ》くないから、国へは滅多《めった》に帰らなかった。或時国へ帰って来た。国へ帰っても家がないから宿屋に泊っている。その時ブランデスという人がイブセンが来たから歓迎会を開こうというと、イブセンはそんな歓迎会などは御免蒙ると言っている。しかし折角《せっかく》の催しで人数も十二人だけだからといって、漸《ようや》くイブセンを説《と》き伏せた。面倒を省くためにイブセンの泊っている宿屋で、帝国ホテル見たようなところで開くということになり、それでいよいよ当日になって丁度宜い時刻になったから、ブランデスはイブセンの室に行ってドアーをコツコツと叩いて、衣服の用意は出来たかと外から聞いたら、イブセン曰《いわ》く衣服などは持っておらぬ、自分は決して服装などは改めた事はない。シャツを着ている。シャツといっても露西亜辺《ロシアへん》では家の中ではこんな冬の日には温度が七十度位にしてある。本でも読む時は上衣をとっている。外に出る時はこういうものを着るでしょう。それでシャツを着ているのは宜いが、皆んなは燕尾服《えんびふく》を着て来ているのだからというと、イブセンは自分の行李《こうり》の中には燕尾服などは這入っていない、もし燕尾服を着なければならぬようなら御免蒙るという。御客を呼んで、その御客が揃《そろ》っているのに、御免を蒙られては大変だから――そんなことを言わないでどうか出てもらいたい、それじゃ出るという事になったが、ブランデスが実は十二人だった所が、段々と人数が殖《ふ》えて二十四人になったというと、そんな嘘を吐《つ》くならもう出ないという。実に手古摺《てこず》らされたということをブランデス自身が書いている。そんな事で色々面倒なことがあった末、ようよう連れて行ってチャンと坐らせた。ところが大将《たいしょう》大いにふくれていて一口も口を利かない、黙っている。まだ面白い話があるけれどもまあこれ位で切り上げてしまいましょう。とにかく人間を代表しても獣《けだもの》を代表しても、イブセンはイブセンを代表していると言った方が宜い。イブセンはイブセンなりと言った方が当っている。そういう特殊な人であります。この話は幼稚でありますが、今のイブセンの道徳の見解からいっても、イブセンはイミテーションという側の反対に立った人といわなければならない訳であります。
 それで、人間にはこの二通りの人がある。というと、片方と片方は紅白見たように別れているように見えますが、一人の人がこの両面を有《も》っているということが一番適切である。人間には二種の何とかがあるということを能《よ》くいうものですが、それは大変間違いだ。そうすると片方は片方だけの性格しか具《そな》えていないようになる。議論する人はそういう風になるから、あとがどうも事実から出発していない議論に陥ってしまう。とにかく二通りの人間があるということを言うが、これはこの両面を持っているというのが、これが本統《ほんとう》の事でしょう。いくらオリヂナルの人でもイミテーションの分子を何処かに持っている。イミテーションの側に立って考えると、これはどういう人がイミテーターかというと、要するにイミテーターというものは人の真似をする。それだから自分に標準はない。あるいはあっても標準を立て通すだけの強い猛烈な勇気を欠いているか、どっちかなのである。しかしながらインデペンデントの側の方は、自分に一種の目安《めやす》がある。アイデアル・センセーション、それが個人的になっておって、とにかくそれを言い現わし、それを実行しなければいても立ってもどうしてもいられない。風変《ふうがわ》りではあるが、人からいくら非難されても、御前《おまえ》は風変りだと言われても、どうしてもこうしなければいられない。藪睨《やぶにら》みは藪睨みで、どうしても横ばかり見ている。これはインデペンデントの方の分子を余計|有《も》っている人である。だからこういう人というものは寔《まこと》に厄介《やっかい》なもので、世の中の人と歩調を共にすることは出来ない。おい君湯に行こう、僕は水を被《かぶ》る、君散歩に行かないか、俺は行かない座禅《ざぜん》をする、君飯を食わんか、僕はパンを食う、そういうようなインデペンデントな人になっては手が付けられない。到底一緒に住む事は困難である。しかし人に困難を与えるから気の毒な感じがないかというと、そうではない。唯そんな事は考えていられないのでしょう。それが本統のインデペンデントの人といわなければならぬ。厄介ではあるけれども、イミテートする人あるいは自己の標準を欠いていて差《さ》し障《さわ》りのない方が間違いがなくて安心だというような人に比べれば、自己の標準があるだけでもこっちの方が恕《ゆる》すべく貴ぶべし――といったらどんな奴が出て来るか分らぬが、事実貴ぶべき人もありましょう。とにかくインデペンデントの人にはまあ恕すべきものがあると思うです。
 元来私はこういう考えを有《も》っています。泥棒をして懲役《ちょうえき》にされた者、人殺をして絞首台《こうしゅだい》に臨《のぞ》んだもの、――法律上罪になるというのは徳義上の罪であるから公《おおやけ》に所刑《しょけい》せらるるのであるけれども、その罪を犯した人間が、自分の心の径路《けいろ》をありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、総《すべ》ての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。それをしか思わせるに一番|宜《よ》いものは、ありのままをありのままに書いた小説、良く出来た小説です。ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということを行《おこな》ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳《くどく》に依って正《まさ》に成仏《じょうぶつ》することが出来る。法律には触れます懲役にはなります。けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分に清められるものだと思う。私は確かにそう信じている。けれどもこれは、世の中に法律とか何とかいうものは要《い》らない、懲役にすることも要らない、そういう意味ではありませんよ。それは能《よ》く申しますると、如何に傍《はた》から見て気狂《きちがい》じみた不道徳な事を書いても、不道徳な風儀を犯しても、その経過を何にも隠さずに衒《てら》わずに腹の中をすっかりそのままに描き得たならば、その人はその人の罪が十分に消えるだけの立派な証明を書き得たものだと思っているから、さっきいったような、インデペンデントの主義標準を曲げないということは恕《ゆる》すべきものがあるといったような意味において、立派に恕すべきであるという事が出来ると、私は考えるのであります。
 しかしこういう風にインデペンデントの人というものは、恕すべく或時は貴《たっと》むべきものであるかも知れないけれども、その代りインデペンデントの精神というものは非常に強烈でなければならぬ。のみならずその強烈な上に持って来て、その背後には大変深い背景を背負った思想なり感情なりがなければならぬ。如何となれば、もし薄弱なる背景があるだけならば、徒《いたずら》にインデペンデントを悪用して、唯世の中に弊害を与えるだけで、成功はとても出来ないからである。
 此処《ここ》に成功という意味についても説明を要する。また強い背景という事についても説明を要するが、強い背景というものは何だというと、それは別なものではありません。例えば私なら私が世の中の仕来《しきた》りに反したことを、断言し、宣言し、そうしてそれを実行する。その時に、もしそれが根柢のない事を遣《や》っているならば、如何に私自身にはそれが必然の結果であり、私自身には必要であろうとも、人間として他の人のためにならない。何らの影響を与える事が出来ない。何らの影響を与える事が出来なければ、私は文字に現われたるインデペンデントであって、その文字に現われたるインデペンデントなことをして、最後に文字に現われたるインデペンデントで死ななければならない。人には何らの影響を与えざるのみならず、そのインデペンデントは人の感情を害し、法則というものに一種の波動を起して、人に一種の不愉快を醸《かも》させるに過ぎないのであります。それではどんな風な深い背景を有《も》っていなければならないかというと、例えば非常に個人主義のような仏蘭西《フランス》革命でも、明治改革でも宜《よろ》しゅう御座います。徳川家が将軍に成《な》った末で余り勢いは強くなかったけれども、とにかく将軍というものが政権を持っておってその上に天子様《てんしさま》がおられるという。これは一般の法則でないという処から、習慣的に続いて来た幕府というものを引っ繰り返したというのは、その引っ繰り返るという時の人の胸中《きょうちゅう》に同情があって、その同情を惹《ひ》き起すという事が出来なければ、あれは成功は出来ないのである。だから徒《いたずら》にインデペンデントということは不可《いけ》ない。人間の自覚というものは一歩先へ先へと来るものである。一歩遅れたら人より一歩遅れて歩行《ある》かなければならない。人は相当の時期が来ればその通りになるべき運命を持っているのだから、一歩先に啓発しなければならぬ。それが強い深い背景といえばいえる。それがなければ成功は出来ない。
 成功ということについて歴史などの例を挙げたが、誤解されるといけないからここに手近い例をもう一つ挙げて置きたい。学校騒動があってその学校の校長さんが代る。この学校ではありませんよ。そうすると後に新しい校長さんが来ましょう。そうしてその学校騒動を鎮《しず》めに掛《かか》る。その時は色々思案もやりましょう計画も要《い》りましょう。刷新《さっしん》も色々ありましょう。そうして旨《うま》く往《い》けばあの人は成功したといわれる。成功したというと、その人の遣口《やりくち》が刷新でもなく、改革でもなく、整理でもなくても、その結果が宜いと、唯その結果だけを見て、あの人は成功した、なるほどあの人は偉いということになる。ところが騒動が益《ますます》大きくなる。そうすると今まで遣《や》ったその人の一切の事が非難せられる。同じ事を同じように遣っても、結果に行って好ければ成功だというが、同じ事をしても結果に行って悪いと、直ぐにあの人の遣口は悪いという。その遣方《やりかた》の実際を見ないで、結果ばかりを見ていうのである。その遣方の善《よ》し悪《あ》しなどは見ないで、唯結果ばかり見て批評をする。それであの人は成功したとか失敗したとかいうけれども、私の成功というのはそういう単純な意味ではない。仮令《たとい》その結果は失敗に終っても、その遣ることが善いことを行い、それが同情に値いし、敬服に値いする観念を起させれば、それは成功である。そういう意味の成功を私は成功といいたい。十字架の上に磔《はりつけ》にされても成功である。こういうのは余り宜《よ》い成功ではないかも知らぬが、成功には相違ない。これはテンポラルな意味で宗教的の意味ではない。乃木《のぎ》さんが死にましたろう。あの乃木さんの死というものは至誠《しせい》より出《い》でたものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。乃木さんの死んだ精神などは分らんで、唯形式の死だけを真似する人が多いと思う。そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんは決して不成功ではない。結果には多少悪いところがあっても、乃木さんの行為の至誠であるということはあなた方を感動せしめる。それが私には成功だと認められる。そういう意味の成功である。だからインデペンデントになるのは宜いけれども、それには深い背景を持ったインデペンデントとならなければ成功は出来ない。成功という意味はそう言う意味でいっている。
 それで人間というものには二通りの色合《いろあい》があるということは今申した通りですが、このイミテーションとインデペンデントですが、片方はユニテー――人の真似をしたり、法則に囚《とら》われたりする人である。片方は自由、独立の径路を通って行く。これは人間のそのバライエテーを形作っている。こういう両面を持っているのではありますけれども、先ず今日までの改正とか改革とか刷新とか名のつくものは、そういうような意味で、知識なり感情なり経験なりを豊富にされる土台は、インデペンデントな人が出て来なければ出来ない事である。もしそれが出来なかったならば、われわれはわれわれの過去の歴史を顧《かえり》みて如何に貧弱であるかということを考えれば、その人は如何にわれわれの経験を豊富にしてくれたかということが能《よ》く分るのであります。その意味でインデペンデントというものは大変必要なものである。私はイミテーションを非難しているのではないけれども、人間の持って生れた高尚な良いものを、もしそれだけ取り去ったならば、心の発展は出来ない。心の発展はそのインデペンデントという向上心なり、自由という感情から来るので、われわれもあなた方もこの方面に修養する必要がある。そういうことをしないでも生きてはいられます。また自分の内心にそういう要求のないのに、唯その表面だけ突飛《とっぴ》なことを遣《や》る必要は無論ない。イミテーションで済まし得る人はそれで宜《よろ》しい。インデペンデントで働きたい人はインデペンデントで遣って行くが宜しい。インデペンデントの資格を持っておって、それを抛《ほう》って置くのは惜しいから、それを持っている人はそれを発達させて行くのが、自己のため日本のため社会のために幸福である。こういうのです。
 繰り返して申しますが、イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルの人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。画かきの人の絵などについて言っても、そう新しい絵ばかり描けるものではない。ゴーガンという人は仏蘭西《フランス》の人ですが、野蛮人の妙な絵を描きます。仏蘭西に生れたけれども野蛮地に這入って行って、あれだけの絵を描いたのも、前に仏蘭西におった時に色々の絵を見ているから、野蛮地に這入ってからあれだけの絵を描くことが出来たのである。いくらオリヂナルの人でも前に外の絵を見ておらなかったならば、あれだけのヒントを得ることは出来なかったと思う。ヒントを得るということとイミテートするということとは相違があるが、ヒントも一歩進めばイミテーションとなるのである。しかしイミテーションは啓発するようなものではないと私は考えている。
 それから、イミテーションは外圧的の法則であり、規則であるという点から、唯|打《う》ち毀《こわ》して宜《よ》いというものではない。必要がなくなれば自然に毀れる。唯、利益、存在の意義の軽重《けいちょう》によって、それが予期したより十年前に自《みずか》ら倒れるか、十年後に倒れるかである。またオリヂナルの方が早く自然に滅亡するか、イミテーションの方が先に滅亡するかであって、大した違いはない。片方だけを悪いとは決して言わない。両方とも各※[#二の字点、1-2-22]《おのおの》存在するには存在すべき理由があって存在しているのである。殊に教育を受ける諸君の如きものに向って規則をなくしたらとても始末が付かない。また兵式体操なども出来ない。子供の内は親のいうことばかり聞いておっても、段々|一人前《いちにんまえ》になって来るとインデペンデントというものは自然に発達して来る。また発達しても然《しか》るべきような時期に到着するのであります。一概《いちがい》に唯インデペンデントであるということを主張するのではないのであります。
 けれども近来の傾向を見て、世の中の調子を見て、大体はインデペンデントに賛成である。今日の状況を以て学校の規則を蔑視して自分勝手にしろというのではありません。それは別問題ですが、今の日本の現在の有様《ありさま》から見て、どっちに重きを置くべきかというと、インデペンデントという方に重きを置いて、その覚悟を以てわれわれは進んで行くべきものではないかと思う。われわれ日本人民は人真似をする国民として自《みずか》ら許している。また事実そうなっている。昔は支那の真似ばかりしておったものが、今は西洋の真似ばかりしているという有様である。それは何故かというと、西洋の方は日本より少し先へ進んでいるから、一般に真似をされているのである。丁度あなた方のような若い人が、偉い人と思って敬意を持っている人の前に出ると、自分もその人のようになりたいと思う――かどうか知らんが、もしそう思うと仮定すれば、先輩が今まで踏んで来た径路を自分も一通り遣《や》らなければ茲処《ここ》に達せられないような気がする如く、日本が西洋の前に出ると茲処に達するにはあれだけの径路を真似て来なければならない、こういう心が起るものではないかと思う。また事実そうである。しかし考えるとそう真似ばかりしておらないで、自分から本式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期はもう来ても宜《よろ》しい。また来るべきはずである。
 日露戦争というものは甚《はなは》だオリヂナルなものであります。インデペンデントなものであります。あれをもう少し遣っておったならば負けたかも知れない。宜《よ》い時に切り上げた。その代り沢山金は取れなかった。けれどもとにかく軍人がインデペンデントであるということはあれで証拠立てられている。西洋に対して日本が芸術においてもインデペンデントであるという事ももう証拠立てられても可《よ》い時である。日本は動《やや》もすれば恐露病《きょうろびょう》に罹《かか》ったり、支那のような国までも恐れているけれども、私は軽蔑している。そんなに恐しいものではないと思っている。これはあなた方を奨励するためにこういうことを言っているのである。それからまた日本人は雑誌などに出るちょっとした作物《さくぶつ》を見て、西洋のものと殆ど比較にならぬというが、それは嘘です。私の書いた小説なども雑誌に出ますが、それをいうのじゃない。間違えられては困る。それ以外のもので、文壇の偉い人の書いたものは大抵偉いのです。決して悪いものじゃありません。西洋のものに比べてちっとも驚くに足らぬ。唯|竪《たて》に読むと横に読むだけの違いである。横に読むと大変巧いように見えるというのは誤解であります。自分でそれほどのオリヂナリテーを持っていながら、自分のオリヂナリテーを知らずに、あくまでもどうも西洋は偉い偉いと言わなくても、もう少しインデペンデントになって、西洋をやっつけるまでには行かないまでも、少しはイミテーションをそうしないようにしたい。芸術上ばかりではない。私は文芸に関係が深いからとかく文芸の方から例を引くが、その他においても決して追《お》っ着《つ》かないものはない。金の問題では追っ着かないか知らぬが、頭の問題ではそんなものではないと思っている。あなた方も大学を御遣《おや》りになって、そうして益《ますます》インデペンデントに御遣りになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければ不可《いけ》ない。蒸返《むしかえ》しの新しいものではない。そういうものではいけない。
 要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切である、どっちも大切である。人間には裏と表がある。私は私をここに現わしていると同時に人間を現わしている。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後に喰っ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。
 文展を見てもどうもそっちの方が欠乏しているように見えるので、特にそういう点に重きを置いて、御参考のために申し上げたような次第であります。
[#地から2字上げ](第一高等学校校友会雑誌所載の筆記による)
[#地付き]――大正二年十二月十二日第一高等学校において――



底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
   1998(平成10)年7月24日第26刷発行
※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。
入力:柴田卓治
校正:双沢薫
2001年3月26日公開
2004年2月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ