青空文庫アーカイブ
倫敦塔
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)倫敦塔《ロンドンとう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ただ一度|倫敦塔《ロンドンとう》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)かいつぶり[#「かいつぶり」に傍点]が
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二年の留学中ただ一度|倫敦塔《ロンドンとう》を見物した事がある。その後《ご》再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断《ことわ》った。一度で得た記憶を二|返目《へんめ》に打壊《ぶちこ》わすのは惜しい、三《み》たび目に拭《ぬぐ》い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
行ったのは着後|間《ま》もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固《もと》より知らん。まるで御殿場《ごてんば》の兎《うさぎ》が急に日本橋の真中《まんなか》へ抛《ほう》り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家《うち》に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕《あさゆう》安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾《わ》が神経の繊維《せんい》もついには鍋《なべ》の中の麩海苔《ふのり》のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。
しかも余《よ》は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛《あて》もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々《こわごわ》ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達《ようたし》のため出あるかねばならなかった。無論《むろん》汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多《めった》な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦《ロンドン》を蜘蛛手《くもで》十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披《ひら》いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点《がてん》の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。
「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来《きた》るに来所《らいしょ》なく去るに去所《きょしょ》を知らずと云《い》うと禅語《ぜんご》めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家《わがや》に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後《あと》はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失《しっ》したる中間が会釈《えしゃく》もなく明るい。あたかも闇を裂《さ》く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地《ここち》がする。倫敦塔《ロンドンとう》は宿世《すくせ》の夢の焼点《しょうてん》のようだ。
倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎《せん》じ詰めたものである。過去と云う怪《あや》しき物を蔽《おお》える戸帳《とばり》が自《おの》ずと裂けて龕《がん》中の幽光《ゆうこう》を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆《さか》しまに戻って古代の一片が現代に漂《ただよ》い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。
この倫敦塔を塔橋《とうきょう》の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古《いにし》えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺《なが》め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は灰汁桶《あくおけ》を掻《か》き交《ま》ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている。壁土を溶《とか》し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理《むりやり》に動いているかと思わるる。帆懸舟《ほかけぶね》が一|隻《せき》塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に停《とま》っているようである。伝馬《てんま》の大きいのが二|艘《そう》上《のぼ》って来る。ただ一人の船頭《せんどう》が艫《とも》に立って艪《ろ》を漕《こ》ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の欄干《らんかん》のあたりには白き影がちらちらする、大方《おおかた》鴎《かもめ》であろう。見渡したところすべての物が静かである。物憂《ものう》げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を軽蔑《けいべつ》するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史の有らん限りは我のみはかくてあるべしと云わぬばかりに立っている。その偉大なるには今さらのように驚かれた。この建築を俗に塔と称《とな》えているが塔と云うは単に名前のみで実は幾多《いくた》の櫓《やぐら》から成り立つ大きな地城《じしろ》である。並び聳《そび》ゆる櫓には丸きもの角張《かくば》りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の紀念《きねん》を永劫《えいごう》に伝えんと誓えるごとく見える。九段《くだん》の遊就館《ゆうしゅうかん》を石で造って二三十並べてそうしてそれを虫眼鏡《むしめがね》で覗《のぞ》いたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上りはしまいかと考えた。余はまだ眺《なが》めている。セピヤ色の水分をもって飽和《ほうわ》したる空気の中にぼんやり立って眺めている。二十世紀の倫敦がわが心の裏《うち》から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻《まぼろし》のごとき過去の歴史を吾が脳裏《のうり》に描《えが》き出して来る。朝起きて啜《すす》る渋茶に立つ煙りの寝足《ねた》らぬ夢の尾を曳《ひ》くように感ぜらるる。しばらくすると向う岸から長い手を出して余を引張《ひっぱ》るかと怪《あや》しまれて来た。今まで佇立《ちょりつ》して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい牽《ひ》く。塔橋を渡ってからは一目散《いちもくさん》に塔門まで馳《は》せ着けた。見る間《ま》に三万坪に余る過去の一大磁石《いちだいじしゃく》は現世《げんせ》に浮游《ふゆう》するこの小鉄屑《しょうてつくず》を吸収しおわった。門を入《はい》って振り返ったとき、
[#ここから2字下げ]
憂《うれい》の国に行かんとするものはこの門を潜《くぐ》れ。
永劫の呵責《かしゃく》に遭《あ》わんとするものはこの門をくぐれ。
迷惑の人と伍《ご》せんとするものはこの門をくぐれ。
正義は高き主《しゅ》を動かし、神威《しんい》は、最上智《さいじょうち》は、最初愛《さいしょあい》は、われを作る。
我が前に物《もの》なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいの望《のぞみ》を捨てよ。
[#ここで字下げ終わり]
という句がどこぞで刻《きざ》んではないかと思った。余はこの時すでに常態《じょうたい》を失《うしな》っている。
空濠《からほり》にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形《まるがた》の石造《せきぞう》で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立《きつりつ》している。その中間を連《つら》ねている建物の下を潜《くぐ》って向《むこう》へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔《しゅとう》が峙《そばだ》つ。真鉄《まがね》の盾《たて》、黒鉄《くろがね》の甲《かぶと》が野を蔽《おお》う秋の陽炎《かげろう》のごとく見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上《へきじょう》を歩む哨兵《しょうへい》の隙《すき》を見て、逃《のが》れ出ずる囚人の、逆《さか》しまに落す松明《たいまつ》の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心|傲《おご》れる市民の、君の政《まつりごと》非なりとて蟻《あり》のごとく塔下に押し寄せて犇《ひし》めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖《そ》来《きた》る時は祖を殺しても鳴らし、仏《ぶつ》来《きた》る時は仏を殺しても鳴らした。霜《しも》の朝《あした》、雪の夕《ゆうべ》、雨の日、風の夜を何べんとなく鳴らした鐘は今いずこへ行ったものやら、余が頭《こうべ》をあげて蔦《つた》に古《ふ》りたる櫓《やぐら》を見上げたときは寂然《せきぜん》としてすでに百年の響を収めている。
また少し行くと右手に逆賊門《ぎゃくぞくもん》がある。門の上には聖《セント》タマス塔が聳《そび》えている。逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや娑婆《しゃば》の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての三途《さんず》の川でこの門は冥府《よみ》に通ずる入口であった。彼らは涙の浪《なみ》に揺られてこの洞窟《どうくつ》のごとく薄暗きアーチの下まで漕《こ》ぎつけられる。口を開《あ》けて鰯《いわし》を吸う鯨《くじら》の待ち構えている所まで来るやいなやキーと軋《きし》る音と共に厚樫《あつがし》の扉は彼らと浮世の光りとを長《とこし》えに隔《へだ》てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の餌食《えじき》となる。明日《あす》食われるか明後日《あさって》食われるかあるいはまた十年の後《のち》に食われるか鬼よりほかに知るものはない。この門に横付《よこづけ》につく舟の中に坐している罪人の途中の心はどんなであったろう。櫂《かい》がしわる時、雫《しずく》が舟縁《ふなべり》に滴《した》たる時、漕《こ》ぐ人の手の動く時ごとに吾が命を刻まるるように思ったであろう。白き髯《ひげ》を胸まで垂れて寛《ゆる》やかに黒の法衣《ほうえ》を纏《まと》える人がよろめきながら舟から上る。これは大僧正クランマーである。青き頭巾《ずきん》を眉深《まぶか》に被《かぶ》り空色の絹の下に鎖《くさ》り帷子《かたびら》をつけた立派な男はワイアットであろう。これは会釈《えしゃく》もなく舷《ふなべり》から飛び上《あが》る。はなやかな鳥の毛を帽に挿《さ》して黄金《こがね》作りの太刀《たち》の柄《え》に左の手を懸《か》け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、軽《かろ》げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を覗《のぞ》いて、向う側には石段を洗う波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の竣功《しゅんこう》以来全く縁がなくなった。幾多《いくた》の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔《むか》しの名残《なご》りにその裾《すそ》を洗う笹波《ささなみ》の音を聞く便《たよ》りを失った。ただ向う側に存する血塔《けっとう》の壁上に大《おおい》なる鉄環《てっかん》が下《さ》がっているのみだ。昔しは舟の纜《ともづな》をこの環《かん》に繋《つな》いだという。
左《ひだ》りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇《しょうび》の乱《らん》に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人を薙《な》ぎ、鶏《にわとり》のごとく人を潰《つぶ》し、乾鮭《からさけ》のごとく屍《しかばね》を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番のような箱があって、その側《かたわ》らに甲形《かぶとがた》の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立っている。すこぶる真面目《まじめ》な顔をしているが、早く当番を済まして、例の酒舗《しゅほ》で一杯傾けて、一件《いっけん》にからかって遊びたいという人相である。塔の壁は不規則な石を畳み上げて厚く造ってあるから表面は決して滑《なめらか》ではない。所々に蔦《つた》がからんでいる。高い所に窓が見える。建物の大きいせいか下から見るとはなはだ小さい。鉄の格子《こうし》がはまっているようだ。番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけている傍《かたわ》らに、余は眉《まゆ》を攅《あつ》め手をかざしてこの高窓を見上げて佇《たた》ずむ。格子を洩《も》れて古代の色硝子《いろガラス》に微《かす》かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがて煙のごとき幕が開《あ》いて空想の舞台がありありと見える。窓の内側《うちがわ》は厚き戸帳《とばり》が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は漆喰《しっくい》も塗らぬ丸裸《まるはだか》の石で隣りの室とは世界滅却《せかいめっきゃく》の日に至るまで動かぬ仕切《しき》りが設けられている。ただその真中《まんなか》の六畳ばかりの場所は冴《さ》えぬ色のタペストリで蔽《おお》われている。地《じ》は納戸色《なんどいろ》、模様は薄き黄《き》で、裸体の女神《めがみ》の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草《からくさ》である。石壁《いしかべ》の横には、大きな寝台《ねだい》が横《よこた》わる。厚樫《あつがし》の心《しん》も透《とお》れと深く刻みつけたる葡萄《ぶどう》と、葡萄の蔓《つる》と葡萄の葉が手足の触《ふ》るる場所だけ光りを射返す。この寝台《ねだい》の端《はじ》に二人《ふたり》の小児《しょうに》が見えて来た。一人は十三四、一人は十歳《とお》くらいと思われる。幼なき方は床《とこ》に腰をかけて、寝台の柱に半《なか》ば身を倚《も》たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱《ひじ》を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩《としかさ》なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金《きん》にて飾れる大きな書物を開《ひろ》げて、そのあけてある頁《ページ》の上に右の手を置く。象牙《ぞうげ》を揉《も》んで柔《やわら》かにしたるごとく美しい手である。二人とも烏《からす》の翼を欺《あざむ》くほどの黒き上衣《うわぎ》を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付《まゆねはなつき》から衣装《いしょう》の末に至るまで両人《ふたり》共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。
「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想《おも》い見る人こそ幸《さち》あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる……」
弟は世に憐れなる声にて「アーメン」と云う。折から遠くより吹く木枯《こがら》しの高き塔を撼《ゆる》がして一度《ひとた》びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪のごとく白い蒲団《ふとん》の一部がほかと膨《ふく》れ返《かえ》る。兄はまた読み初める。
「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日《あす》ありと頼むな。覚悟をこそ尊《とうと》べ。見苦しき死に様《ざま》ぞ恥の極みなる……」
弟また「アーメン」と云う。その声は顫《ふる》えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方《かた》へ歩みよりて外《と》の面《も》を見ようとする。窓が高くて背《せ》が足りぬ。床几《しょうぎ》を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧《こくむ》の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠《ほふ》れる犬の生血《いきち》にて染め抜いたようである。兄は「今日《きょう》もまたこうして暮れるのか」と弟を顧《かえり》みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独《ひと》り言《ごと》のようにつぶやく。弟は「母様《ははさま》に逢《あ》いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神《めがみ》の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。
忽然《こつぜん》舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然《しょうぜん》として立っている。面影《おもかげ》は青白く窶《やつ》れてはいるが、どことなく品格のよい気高《けだか》い婦人である。やがて錠《じょう》のきしる音がしてぎいと扉が開《あ》くと内から一人の男が出て来て恭《うやうや》しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。
「否《いな》」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟《おきて》なればぜひなしと諦《あきら》めたまえ。私《わたくし》の情《なさけ》売るは安き間《ま》の事にてあれど」と急に口を緘《つぐ》みてあたりを見渡す。濠《ほり》の内からかいつぶり[#「かいつぶり」に傍点]がひょいと浮き上る。
女は頸《うなじ》に懸けたる金《きん》の鎖《くさり》を解いて男に与えて「ただ束《つか》の間《ま》を垣間《かいま》見んとの願なり。女人《にょにん》の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。
男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の体《てい》である。かいつぶり[#「かいつぶり」に傍点]はふいと沈む。ややありていう「牢守《ろうも》りは牢の掟《おきて》を破りがたし。御子《みこ》らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く覚《おぼ》して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然《そうぜん》と鳴る。
「いかにしても逢う事は叶《かな》わずや」と女が尋《たず》ねる。
「御気の毒なれど」と牢守《ろうもり》が云い放つ。
「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。
舞台がまた変る。
丈《たけ》の高い黒装束《くろしょうぞく》の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔《こけ》寒き石壁の中《うち》からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧《もうろう》とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧《わ》いて出る。櫓《やぐら》の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背《せ》の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど寝覚《ねざめ》の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏《うら》で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事|止《や》めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞《し》める時、花のような唇《くちびる》がぴりぴりと顫《ふる》うた」「透《す》き通るような額《ひたい》に紫色の筋が出た」「あの唸《うな》った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件《いっけん》と手を組んで散歩する時を夢みている。
血塔の下を抜けて向《むこう》へ出ると奇麗な広場がある。その真中《まんなか》が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので昔《むか》しの天主である。竪《たて》二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼《すみやぐら》が聳《そび》えて所々にはノーマン時代の銃眼《じゅうがん》さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位《じょうい》をせまったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って彼が天下に向って譲位を宣告したのはこの塔中である。その時譲りを受けたるヘンリーは起《た》って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の援《たすけ》を藉《か》りて襲《つ》ぎ受く」と。さて先王の運命は何人《なんびと》も知る者がなかった。その死骸がポント・フラクト城より移されて聖《セント》ポール寺に着した時、二万の群集は彼の屍《しかばね》を繞《めぐ》ってその骨立《こつりつ》せる面影《おもかげ》に驚かされた。あるいは云う、八人の刺客《せっかく》がリチャードを取り巻いた時彼は一人の手より斧《おの》を奪いて一人を斬《き》り二人を倒した。されどもエクストンが背後より下《くだ》せる一撃のためについに恨《うらみ》を呑《の》んで死なれたと。ある者は天を仰《あお》いで云う「あらずあらず。リチャードは断食《だんじき》をして自《みずか》らと、命の根をたたれたのじゃ」と。いずれにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である。
階下の一室は昔しオルター・ロリーが幽囚《ゆうしゅう》の際|万国史《ばんこくし》の草《そう》を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭《ひざがしら》で結んだ右足を左《ひだ》りの上へ乗せて鵞《が》ペンの先《さき》を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見た。しかしその部屋は見る事が出来なかった。
南側から入って螺旋状《らせんじょう》の階段を上《のぼ》るとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本におったとき歴史や小説で御目にかかるだけでいっこう要領を得なかったものが一々明瞭になるのははなはだ嬉しい。しかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。ただなお記憶に残っているのが甲冑《かっちゅう》である。その中《うち》でも実に立派だと思ったのはたしかヘンリー六世の着用したものと覚えている。全体が鋼鉄製で所々に象嵌《ぞうがん》がある。もっとも驚くのはその偉大な事である。かかる甲冑を着けたものは少なくとも身の丈《たけ》七尺くらいの大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を眺《なが》めているとコトリコトリと足音がして余の傍《そば》へ歩いて来るものがある。振り向いて見るとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと云うと始終|牛《ぎゅう》でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。絹帽《シルクハット》を潰《つぶ》したような帽子を被《かぶ》って美術学校の生徒のような服を纏《まと》うている。太い袖《そで》の先を括《くく》って腰のところを帯でしめている。服にも模様がある。模様は蝦夷人《えぞじん》の着る半纏《はんてん》についているようなすこぶる単純の直線を並べて角形《かくがた》に組み合わしたものに過ぎぬ。彼は時として槍《やり》をさえ携《たずさ》える事がある。穂の短かい柄《え》の先《さき》に毛の下がった三国志《さんごくし》にでも出そうな槍をもつ。そのビーフ・イーターの一人が余の後《うし》ろに止まった。彼はあまり背《せ》の高くない、肥《ふと》り肉《じし》の白髯《しろひげ》の多いビーフ・イーターであった。「あなたは日本人ではありませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話をしている気がしない。彼が三四百年の昔からちょっと顔を出したかまたは余が急に三四百年の古《いにし》えを覗《のぞ》いたような感じがする。余は黙《もく》して軽《かろ》くうなずく。こちらへ来たまえと云うから尾《つ》いて行く。彼は指をもって日本製の古き具足《ぐそく》を指して、見たかと云わぬばかりの眼つきをする。余はまただまってうなずく。これは蒙古《もうこ》よりチャーレス二世に献上《けんじょう》になったものだとビーフ・イーターが説明をしてくれる。余は三たびうなずく。
白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に分捕《ぶんどり》の大砲が並べてある。その前の所が少しばかり鉄柵《てつさく》に囲《かこ》い込んで、鎖の一部に札が下《さ》がっている。見ると仕置場《しおきば》の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通《かよ》わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ据《す》えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中《ぼうちゅう》に写らぬ先に、白き斧《おの》の刃《は》がひらりと三尺の空《くう》を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が一疋《いっぴき》下りている。翼《つばさ》をすくめて黒い嘴《くちばし》をとがらせて人を見る。百年|碧血《へきけつ》の恨《うらみ》が凝《こ》って化鳥《けちょう》の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に楡《にれ》の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。傍《そば》に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺《なが》めている。希臘風《ギリシャふう》の鼻と、珠《たま》を溶《と》いたようにうるわしい目と、真白な頸筋《くびすじ》を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉《からす》が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が寒《さ》むそうだから、麺麭《パン》をやりたい」とねだる。女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫《まつげ》の奥に漾《ただよ》うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か独《ひと》りで考えているかと思わるるくらい澄《すま》している。余はこの女とこの鴉の間に何か不思議の因縁《いんねん》でもありはせぬかと疑った。彼は鴉の気分をわが事のごとくに云い、三羽しか見えぬ鴉を五羽いると断言する。あやしき女を見捨てて余は独りボーシャン塔に入《い》る。
倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲酸《ひさん》の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立《こんりゅう》にかかるこの三層塔の一階室に入《い》るものはその入るの瞬間において、百代の遺恨《いこん》を結晶したる無数の紀念《きねん》を周囲の壁上に認むるであろう。すべての怨《うらみ》、すべての憤《いきどおり》、すべての憂《うれい》と悲《かなし》みとはこの怨《えん》、この憤、この憂と悲の極端より生ずる慰藉《いしゃ》と共に九十一種の題辞となって今になお観《み》る者の心を寒からしめている。冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と定業《じょうごう》とを天地の間に刻《きざ》みつけたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき文字《もんじ》のみいつまでも娑婆《しゃば》の光りを見る。彼らは強いて自《みずか》らを愚弄《ぐろう》するにあらずやと怪しまれる。世に反語《はんご》というがある。白というて黒を意味し、小《しょう》と唱《とな》えて大を思わしむ。すべての反語のうち自《みずか》ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。墓碣《ぼけつ》と云い、紀念碑といい、賞牌《しょうはい》と云い、綬賞《じゅしょう》と云いこれらが存在する限りは、空《むな》しき物質に、ありし世を偲《しの》ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷《いた》ましむる媒介物《ばいかいぶつ》の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫《ほうまつ》の身を嘲《あざけ》る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後《あと》は墓碑《ぼひ》も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉《こ》にして西風の強く吹く日大空に向って撒《ま》き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。
題辞の書体は固《もと》より一様でない。あるものは閑《ひま》に任せて叮嚀《ていねい》な楷書《かいしょ》を用い、あるものは心急ぎてか口惜《くや》し紛《まぎ》れかがりがりと壁を掻《か》いて擲《なぐ》り書《が》きに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章を刻《きざ》み込んでその中に古雅《こが》な文字をとどめ、あるいは盾《たて》の形を描《えが》いてその内部に読み難き句を残している。書体の異《こと》なるように言語もまた決して一様でない。英語はもちろんの事、以太利語《イタリーご》も羅甸語《ラテンご》もある。左り側に「我が望は基督《キリスト》にあり」と刻されたのはパスリユという坊様《ぼうさま》の句だ。このパスリユは千五百三十七年に首を斬《き》られた。その傍《かたわら》に JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない。階段を上《のぼ》って行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも頭文字《かしらもじ》だけで誰やら見当《けんとう》がつかぬ。それから少し離れて大変綿密なのがある。まず右の端《はじ》に十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に骸骨《がいこつ》と紋章を彫り込んである。少し行くと盾《たて》の中に下《しも》のような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時も摧《くだ》けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人を尊《とうと》べ。衆生《しゅじょう》をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬《うやま》え」とある。
こんなものを書く人の心の中《うち》はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体《からだ》は目に見えぬ縄で縛《しば》られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹《とまつ》した人々は皆この死よりも辛《つら》い苦痛を甞《な》めたのである。忍ばるる限り堪《た》えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても起《た》ってもたまらなくなった時、始めて釘《くぎ》の折《おれ》や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏《うち》に不平を洩《も》らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、号泣《ごうきゅう》、涕涙《ているい》、その他すべて自然の許す限りの排悶的《はいもんてき》手段を尽したる後《のち》なお飽《あ》く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。
また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子《ヤソこうし》以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理窟《りくつ》も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋《つな》がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に控《ひか》えておった。いかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの胸裏《きょうり》に起る疑問であった。ひとたびこの室《へや》に入《い》るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人《ひとり》しかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今に亘《わた》る大真理は彼らに誨《おし》えて生きよと云う、飽《あ》くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪を磨《と》いだ。尖《と》がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた。一をかける後《のち》も真理は古《いにし》えのごとく生きよと囁《ささや》く、飽くまでも生きよと囁く。彼らは剥《は》がれたる爪の癒《い》ゆるを待って再び二とかいた。斧《おの》の刃《は》に肉飛び骨|摧《くだ》ける明日《あす》を予期した彼らは冷やかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦《よこたて》の疵《きず》は生《せい》を欲する執着《しゅうじゃく》の魂魄《こんぱく》である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に背《せ》の毛穴から身の内に吹き込むような感じがして覚えずぞっとした。そう思って見ると何だか壁が湿《しめ》っぽい。指先で撫《な》でて見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると真赤《まっか》だ。壁の隅からぽたりぽたりと露の珠《たま》が垂れる。床《ゆか》の上を見るとその滴《したた》りの痕《あと》が鮮やかな紅《くれな》いの紋を不規則に連《つら》ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方から唸《うな》り声さえ聞える。唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を洩《も》るる凄《すご》い歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が二人《ふたり》いる。鬼の国から吹き上げる風が石の壁の破《わ》れ目《め》を通って小《ささ》やかなカンテラを煽《あお》るからたださえ暗い室《へや》の天井も四隅《よすみ》も煤色《すすいろ》の油煙《ゆえん》で渦巻《うずま》いて動いているように見える。幽《かす》かに聞えた歌の音は窖中《こうちゅう》にいる一人の声に相違ない。歌の主《ぬし》は腕を高くまくって、大きな斧《おの》を轆轤《ろくろ》の砥石《といし》にかけて一生懸命に磨《と》いでいる。その傍《そば》には一|挺《ちょう》の斧が抛《な》げ出してあるが、風の具合でその白い刃《は》がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立って砥《と》の転《まわ》るのを見ている。髯《ひげ》の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参《にんじん》のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬《くびき》り役も繁昌《はんじょう》だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨《と》ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の主《ぬし》が答える。これは背の低い眼の凹《くぼ》んだ煤色《すすいろ》の男である。「昨日《きのう》は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが頸《くび》の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を転《ころ》ばす、シュシュシュと鳴る間《あいだ》から火花がピチピチと出る。磨ぎ手は声を張り揚《あ》げて歌い出す。
切れぬはずだよ女の頸《くび》は恋の恨《うら》みで刃が折れる。
シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風に煽《あお》られて磨ぎ手の右の頬を射《い》る。煤《すす》の上に朱を流したようだ。「あすは誰の番かな」とややありて髯が質問する。「あすは例の婆様《ばあさま》の番さ」と平気に答える。
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生える白髪《しらが》を浮気《うわき》が染める、骨を斬られりゃ血が染める。
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と高調子《たかぢょうし》に歌う。シュシュシュと轆轤《ろくろ》が回《ま》わる、ピチピチと火花が出る。「アハハハもう善《よ》かろう」と斧を振り翳《かざ》して灯影《ほかげ》に刃《は》を見る。「婆様《ばあさま》ぎりか、ほかに誰もいないか」と髯がまた問をかける。「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、可愛相《かわいそう》にのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真黒な天井を見て嘯《うそぶ》く。
たちまち窖《あな》も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の真中《まんなか》に茫然《ぼうぜん》と佇《たたず》んでいる。ふと気がついて見ると傍《そば》に先刻《さっき》鴉《からす》に麺麭《パン》をやりたいと云った男の子が立っている。例の怪しい女ももとのごとくついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いたように云う。女は例のごとく過去の権化《ごんげ》と云うべきほどの屹《きっ》とした口調《くちょう》で「犬ではありません。左りが熊、右が獅子《しし》でこれはダッドレー家《け》の紋章です」と答える。実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いてますます不思議な女だと思う。そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力が籠《こも》って、あたかも己《おの》れの家名でも名乗《なの》ったごとくに感ぜらるる。余は息を凝《こ》らして両人《ふたり》を注視する。女はなお説明をつづける。「この紋章を刻《きざ》んだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟のごとき語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の周囲《まわり》に刻みつけられてある草花でちゃんと分ります」見るとなるほど四通《よとお》りの花だか葉だかが油絵の枠《わく》のように熊と獅子を取り巻いて彫《ほ》ってある。「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬《にんどう》が描《か》いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上に塊《かたま》っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると珊瑚《さんご》のような唇《くちびる》が電気でも懸《か》けたかと思われるまでにぶるぶると顫《ふる》えている。蝮《まむし》が鼠《ねずみ》に向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を朗《ほが》らかに誦《じゅ》した。
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Yow that the beasts do wel behold and se,
May deme with ease wherefore here made they be
Withe borders wherein ……………………………………
4 brothers' names who list to serche the grovnd.
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女はこの句を生れてから今日《きょう》まで毎日日課として暗誦《あんしょう》したように一種の口調をもって誦《じゅ》し了《おわ》った。実を云うと壁にある字ははなはだ見悪《みにく》い。余のごときものは首を捻《ひね》っても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う。
気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼《じゅうがん》のある角を出ると滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に書き綴《つづ》られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき画《かく》で、小《ちいさ》く「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺《そそ》がぬ者はあるまい。ジェーンは義父《ぎふ》と所天《おっと》の野心のために十八年の春秋《しゅんじゅう》を罪なくして惜気《おしげ》もなく刑場に売った。蹂《ふ》み躙《にじ》られたる薔薇《ばら》の蕊《しべ》より消え難き香《か》の遠く立ちて、今に至るまで史を繙《ひもと》く者をゆかしがらせる。希臘語《ギリシャご》を解しプレートーを読んで一代の碩学《せきがく》アスカムをして舌を捲《ま》かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見《そうけん》するの好材料として何人《なんびと》の脳裏《のうり》にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。
始は両方の眼が霞《かす》んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡《そうがんきょう》の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色《けしき》がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端《はじ》には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬《また》たくまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停《とま》る。男は前に穴倉の裏《うち》で歌をうたっていた、眼の凹《くぼ》んだ煤色《すすいろ》をした、背《せ》の低い奴だ。磨《と》ぎすました斧《おの》を左手《ゆんで》に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾《ハンケチ》で目隠しをして両の手で首を載《の》せる台を探すような風情《ふぜい》に見える。首を載せる台は日本の薪割台《まきわりだい》ぐらいの大きさで前に鉄の環《かん》が着いている。台の前部《ぜんぶ》に藁《わら》が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎《ようじん》と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩《くず》れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣《ほうえ》を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色《こんじき》の髪を時々雲のように揺《ゆ》らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉《まゆ》の形、細き面《おもて》、なよやかなる頸《くび》の辺《あた》りに至《いたる》まで、先刻《さっき》見た女そのままである。思わず馳《か》け寄ろうとしたが足が縮《ちぢ》んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探《さぐ》り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前《さいぜん》男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分《すんぶん》違《たが》わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫《おっと》ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺《ゆ》り越した一握《ひとにぎ》りの髪が軽《かろ》くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真《まこ》との道に入りたもう心はなきか」と問う。女|屹《きっ》として「まこととは吾と吾|夫《おっと》の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後《あと》ならば誘《さそ》うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹《くぼ》んだ、煤色《すすいろ》の、背の低い首斬り役が重た気《げ》に斧をエイと取り直す。余の洋袴《ズボン》の膝に二三点の血が迸《ほとば》しると思ったら、すべての光景が忽然《こつぜん》と消え失《う》せた。
あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化《ば》かされたような顔をして茫然《ぼうぜん》と塔を出る。帰り道にまた鐘塔《しゅとう》の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻《いなずま》のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡って後《うし》ろを顧《かえり》みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。糠粒《ぬかつぶ》を針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵《こうじん》と煤煙《ばいえん》を溶《と》かして濛々《もうもう》と天地を鎖《とざ》す裏《うち》に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。
無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が鴉《からす》が五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心|大《おおい》に驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です。昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあの鴉はいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちに打《ぶ》ち壊《こ》わされてしまった。余はまた主人に壁の題辞の事を話すと、主人は無造作《むぞうさ》に「ええあの落書《らくがき》ですか、つまらない事をしたもんで、せっかく奇麗な所を台なしにしてしまいましたねえ、なに罪人《ざいにん》の落書だなんて当《あて》になったもんじゃありません、贋《にせ》もだいぶありまさあね」と澄《す》ましたものである。余は最後に美しい婦人に逢《あ》った事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に軽蔑《けいべつ》した口調《くちょう》で「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらいの事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何すこぶる別嬪《べっぴん》だって?――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと険呑《けんのん》ですぜ」ととんだ所へ火の手が揚《あが》る。これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。
それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた。
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この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半《かはん》想像的の文字《もんじ》であるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄を撰《えら》んで綴《つづ》り込んで見たが、甘《うま》く行かんので所々不自然の痕迹《こんせき》が見えるのはやむをえない。そのうちエリザベス(エドワード四世の妃)が幽閉中の二王子に逢いに来る場と、二王子を殺した刺客《せっかく》の述懐《じゅっかい》の場は沙翁《さおう》の歴史劇リチャード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるる場を写すには正筆《せいひつ》を用い、王子を絞殺《こうさつ》する模様をあらわすには仄筆《そくひつ》を使って、刺客の語を藉《か》り裏面からその様子を描出《びょうしゅつ》している。かつてこの劇を読んだとき、そこを大《おおい》に面白く感じた事があるから、今その趣向をそのまま用いて見た。しかし対話の内容周囲の光景等は無論余の空想から捏出《ねつしゅつ》したもので沙翁とは何らの関係もない。それから断頭吏《だんとうり》の歌をうたって斧《おの》を磨《と》ぐところについて一言《いちげん》しておくが、この趣向は全くエーンズウォースの「倫敦塔《ロンドンとう》」と云う小説から来たもので、余はこれに対して些少《さしょう》の創意をも要求する権利はない。エーンズウォースには斧《おの》の刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出来事のように叙してある。余がこの書を読んだとき断頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役が磨《と》いでいる景色などはわずかに一二頁に足らぬところではあるが非常に面白いと感じた。のみならず磨ぎながら乱暴な歌を平気でうたっていると云う事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるに足《た》るほどの戯曲的出来事だと深く興味を覚えたので、今その趣向そのままを蹈襲《とうしゅう》したのである。但《ただ》し歌の意味も文句も、二吏の対話も、暗窖《あんこう》の光景もいっさい趣向以外の事は余の空想から成ったものである。ついでだからエーンズウォースが獄門役に歌わせた歌を紹介して置く。
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The axe was sharp, and heavy as lead,
As it touched the neck, off went the head!
Whir―whir―whir―whir!
Queen Anne laid her white throat upon the block,
Quietly waiting the fatal shock;
The axe it severed it right in twain,
And so quick―so true―that she felt no pain.
Whir―whir―whir―whir!
Salisbury's countess, she would not die
As a proud dame should―decorously.
Lifting my axe, I split her skull,
And the edge since then has been notched and dull.
Whir―whir―whir―whir!
Queen Catherine Howard gave me a fee, ―
A chain of gold―to die easily:
And her costly present she did not rue,
For I touched her head, and away it flew!
Whir―whir―whir―whir!
この全章を訳そうと思ったがとうてい思うように行かないし、かつ余り長過ぎる恐れがあるからやめにした。
二王子幽閉の場と、ジェーン所刑の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を一言《いちげん》していささか感謝の意を表する。
舟より上《あが》る囚人のうちワイアットとあるは有名なる詩人の子にてジェーンのため兵を挙《あ》げたる人、父子|同名《どうみょう》なる故|紛《まぎ》れ易《やす》いから記して置く。
塔中四辺の風致景物を今少し精細に写す方が読者に塔その物を紹介してその地を踏ましむる思いを自然に引き起させる上において必要な条件とは気がついているが、何分かかる文を草する目的で遊覧した訳ではないし、かつ年月が経過しているから判然たる景色がどうしても眼の前にあらわれにくい。したがってややともすると主観的の句が重複《ちょうふく》して、ある時は読者に不愉快な感じを与えはせぬかと思うところもあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日)
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底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年8月31日公開
2004年2月28日修正
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