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坑夫
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)いくら歩行《あるい》たって

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(例)無論|端折《はしお》ってある。

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+禺」、第3水準1-15-9]
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 さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生《は》えていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行《あるい》たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨《にら》めっ子《こ》をしている方が増しだ。
 東京を立ったのは昨夕《ゆうべ》の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥《くたび》れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇《くらやみ》の神楽堂《かぐらどう》へ上《あが》ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚《さ》めたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押《ひらお》しにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精《せい》がない。
 足はだいぶ重くなっている。膨《ふく》ら脛《はぎ》に小さい鉄の才槌《さいづち》を縛《しば》り附けたように足掻《あがき》に骨が折れる。袷《あわせ》の尻は無論|端折《はしお》ってある。その上|洋袴下《ズボンした》さえ穿《は》いていないのだから不断なら競走でもできる。が、こう松ばかりじゃ所詮《しょせん》敵《かな》わない。
 掛茶屋がある。葭簀《よしず》の影から見ると粘土《ねばつち》のへっつい[#「へっつい」に傍点]に、錆《さび》た茶釜《ちゃがま》が掛かっている。床几《しょうぎ》が二尺ばかり往来へ食《は》み出した上から、二三足|草鞋《わらじ》がぶら下がって、袢天《はんてん》だか、どてら[#「どてら」に傍点]だか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。
 休もうかな、廃《よ》そうかなと、通り掛りに横目で覗《のぞ》き込んで見たら、例の袢天とどてら[#「どてら」に傍点]の中《ちゅう》を行く男が突然こっちを向いた。煙草《たばこ》の脂《やに》で黒くなった歯を、厚い唇《くちびる》の間から出して笑っている。これはと少し気味が悪くなり掛ける途端《とたん》に、向うの顔は急に真面目《まじめ》になった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相に出《で》っ喰《くわ》したものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思う間《ま》もなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所に据《す》えたまま、白眼《しろめ》の運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻から額《ひたい》とじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽の廂《ひさし》を跨《また》いで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へ降《さが》って来た。今度は顔を素通りにして胸から臍《へそ》のあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口《がまぐち》がある。三十二銭|這入《はい》っている。白い眼は久留米絣《くるめがすり》の上からこの蟇口を覘《ねら》ったまま、木綿《もめん》の兵児帯《へこおび》を乗り越してやっと股倉《またぐら》へ出た。股倉から下にあるものは空脛《からすね》ばかりだ。いくら見たって、見られるようなものは食《く》ッ附《つ》いちゃいない。ただ不断より少々重たくなっている。白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、とうとう親指の痕《あと》が黒くついた俎下駄《まないたげた》の台まで降《くだ》って行った。
 こう書くと、何だか、長く一所《ひとところ》に立っていて、さあ御覧下さいと云わないばかりに振舞ったように思われるがそうじゃない。実は白い眼の運動が始まるや否《いな》や急に茶店へ休むのが厭《いや》になったから、すたすた歩き出したつもりである。にもかかわらず、このつもりが少々|覚束《おぼつか》なかったと見えて、自分が親指にまむしを拵《こしら》えて、俎下駄を捩《ねじ》る間際《まぎわ》には、もう白い眼の運動は済んでいた。残念ながら向うは早いものである。じりじり見るんだから定めし手間が掛かるだろうと思ったら大間違い。じりじりには相違ない、どこまでも落ちついている。がそれで滅法《めっぽう》早い。茶屋の前を通り越しながら、世の中には、妙な作用を持ってる眼があるものだと思ったくらいである。それにしても、ああ緩《ゆっ》くり見られないうちに、早く向き直る工夫はなかったもんだろうか。さんざっ腹《ぱら》冷《ひや》かされて、さあ御帰り、用はないからと云う段になって、もう御免蒙《ごめんこうぶ》りますと立ち上ったようなものだ。こっちは馬鹿気《ばかげ》ている。あっちは得意である。
 歩き出してから五六間の間は変に腹が立った。しかし不愉快は五六間ですぐ消えてしまった。と思うとまた足が重くなった。――この足だもの。何しろ鉄の才槌《さいづち》を双方の足へ縛《しば》り附けて歩いてるんだから、敏活の行動は出来ないはずだ。あの白い眼にじりじりやられたのも、満更《まんざら》持前の半間《はんま》からばかり来たとも云えまい。こう思い直して見ると下らない。
 その上こんな事を気にしていられる身分じゃない。いったん飛び出したからは、もうどうあっても家《うち》へ戻る了簡《りょうけん》はない。東京にさえ居《お》り切れない身体《からだ》だ。たとい田舎《いなか》でも落ちつく気はない。休むと後《うしろ》から追っ掛けられる。昨日《きのう》までのいさくさが頭の中を切って廻った日にはどんな田舎だってやり切れない。だからただ歩くのである。けれども別段に目的《めあて》もない歩き方だから、顔の先一間四方がぼうとして何だか焼き損《そく》なった写真のように曇っている。しかもこの曇ったものが、いつ晴れると云う的《あて》もなく、ただ漠然《ばくぜん》と際限もなく行手に広がっている。いやしくも自分が生きている間は五十年でも六十年でも、いくら歩いても走《かけ》ても依然として広がっているに違いない。ああ、つまらない。歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出すために歩くのではない。抜け出そうとしたって抜け出せないのは知れ切っている。
 東京を立った昨夜《ゆうべ》の九時から、こう諦《あきらめ》はつけてはいるが、さて歩き出して見ると、歩きながら気が気でない。足も重い、松が厭《あ》きるほど行列している。しかし足よりも松よりも腹の中が一番苦しい。何のために歩いているんだか分らなくって、しかも歩かなくっては一刻も生きていられないほどの苦痛は滅多《めった》にない。
 のみならず歩けば歩くほどとうてい抜ける事のできない曇った世界の中へだんだん深く潜《もぐ》り込んで行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもう代《よ》が違っている。手を出しても足を伸ばしても、この世では届かない。まるで娑婆《しゃば》が違う。そのくせ暖かな朗《ほがら》かな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭《ひかげ》から呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々《ばくばく》たるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。
 この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業《じょうごう》の尽きるまで行く手を塞《ふさ》いでいてはたまらない。留まった片足を不安の念に駆《か》られて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだ訳《わけ》になる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埓《らち》が明くはずがない。生涯《しょうがい》片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇《やみ》になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。
 意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立て罩《こ》めている。これでは生甲斐《いきがい》がない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……
 不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。後《あと》からぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきん[#「どきん」に傍点]ともぞっ[#「ぞっ」に傍点]ともしない。どきん[#「どきん」に傍点]とでもぞっ[#「ぞっ」に傍点]とでも勝手にするが善《い》いと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日《あした》になるか明後日《あさって》になるか、ことに由《よ》ったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支《さしつかえ》ないと高《たか》を括《くく》っていたせいかも知れない。華厳《けごん》の瀑《たき》にしても浅間《あさま》の噴火口《ふんかこう》にしても道程《みちのり》はまだだいぶあるくらいは知らぬ間《ま》に感じていたんだろう。行き着いていよいよとならなければ誰がどきん[#「どきん」に傍点]とするものじゃない。したがっていっその事を断行して見ようと云う気にもなる。この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきん[#「どきん」に傍点]としない程度において免《まぬか》れる望があると思えば重い足も前に出し甲斐がある。まずこのくらいの決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的《めあて》に歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのを責《せめ》てもの慰藉《いしゃ》と心得るようになって来る。ただし目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少くとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。
 ただ暗い所へ行きたい、行かなくっちゃならないと思いながら、雲を攫《つか》むような料簡《りょうけん》で歩いて来ると、後《うしろ》からおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれて見ると性根《しょうね》があるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずるためと云う意識さえ持たなかったのは事実である。しかし振り向いて見て始めて気がついた。自分はさっきの茶店からまだ二十間とは離れていない。その茶店の前の往来へ、例の袢天《はんてん》とどてら[#「どてら」に傍点]の合《あい》の子《こ》が出て、脂《やに》だらけの歯をあらわに曝《さら》しながらしきりに自分を呼んでいる。
 昨夕《ゆうべ》東京を立ってから、まだ人間に口を利《き》いた事がない。人から言葉を掛けられようなどとは夢にも予期していなかった。言葉を掛けられる資格などはまるで無いものと自信し切っていた。ところへ突然呼び懸《か》けられたのだから――粗末な歯並《はなら》びだが向き出しに笑顔を見せてしきりに手招きをしているのだから、ぼんやり振り返った時の心持が、自然と判然《はっきり》すると共に、自分の足はいつの間にか、その男の方へ動き出した。
 実を云うとこの男の顔も服装《なり》も動作もあんまり気に入っちゃいない。ことにさっき白い眼でじろじろやられた時なぞは、何となく嫌悪《けんお》の念が胸の裡《うち》に萌《きざ》し掛けたくらいである。それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味《あたたかみ》を帯びた心持で後帰《あとがえ》りをしたのはなぜだか分らない。自分は暗い所へ行かなければならないと思っていた。だから茶店の方へ逆戻りをし始めると自分の目的とは反対の見当《けんとう》に取って返す事になる。暗い所から一歩《ひとあし》立ち退《の》いた意味になる。ところがこの立退《たちのき》が何となく嬉《うれ》しかった。その後《のち》いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到《いた》る所に転《ころ》がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘《うそ》をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏《まとま》ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古《てこ》ずるくらい纏まらない物体だ。しかし自分だけがどうあっても纏まらなく出来上ってるから、他人《ひと》も自分同様|締《しま》りのない人間に違ないと早合点《はやがてん》をしているのかも知れない。それでは失礼に当る。
 とにかく引き返して目倉縞《めくらじま》の傍《そば》まで行くと、どてら[#「どてら」に傍点]はさも馴《な》れ馴れしい声で
「若い衆《しゅ》さん」
と云いながら、大きな顎《あご》を心持|襟《えり》の中へ引きながら自分の額のあたりを見詰めている。自分は好加減《いいかげん》なところで、茶色の足を二本立てたまま、
「何か用ですか」
と叮嚀《ていねい》に聞いた。これが平生《へいぜい》ならこんなどてら[#「どてら」に傍点]から若い衆さんなんて云われて快よく返辞をする自分じゃない。返辞をするにしてもうん[#「うん」に傍点]とか何だ[#「何だ」に傍点]とかで済したろうと思う。ところがこの時に限って、人相のよくないどてら[#「どてら」に傍点]と自分とは全く同等の人間のような気持がした。別に利害の関係からしてわざと腰を低く出たんじゃ、けっしてない。するとどてら[#「どてら」に傍点]の方でも自分を同程度の人間と見做《みな》したような語気で、
「御前《おまえ》さん、働く了簡《りょうけん》はないかね」
と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、藪《やぶ》から棒《ぼう》に働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えて善《い》いか、さっぱり訳《わけ》が分らずに、空脛《からすね》を突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手を眺《なが》めていた。
「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」
とどてら[#「どてら」に傍点]がまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況《じきょう》を会得《えとく》するようになった。
「働いても善《い》いですが」
 これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。
 自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振り向いてどてら[#「どてら」に傍点]の方へあるき出したのだから、歩き出しながら何となく自分に対して憫然《びんぜん》な感がある。と云うものはいくらどてら[#「どてら」に傍点]でも人間である。人間のいない方へ行くべきものが、人間の方へ引き戻されたんだから、ことほどさように人間の引力が強いと云う事を証拠立てると同時に、自分の所志にもう背《そむ》かねばならぬほどに自分は薄弱なものであったと云う事をも証拠立てている。手短《てみじか》に云うと、自分は暗い所へ行く気でいるんだが、実のところはやむを得ず行くんで、何か引っかかりが出来れば、得《え》たり賢《かしこ》しと普通の娑婆《しゃば》に留まる了簡なんだろうと思われる。幸いに、どてら[#「どてら」に傍点]が向うから引っかかってくれたんで、何の気なしに足が後向《うしろむ》きに歩き出してしまったのだ。云わば自分の大目的に申し訳のない裏切りをちょっとして見た訳になる。だからどてら[#「どてら」に傍点]が働く気はないかねと出てくれずに、御前さん野にするかね、それとも山にするかねとでも切り出したら、しばらく安心して忘れかけた目的を、ぎょっと思い出させられて、急に暗い所や、人のいない所が怖《こわ》くなってぞっとしたに違ない。それほどの娑婆気《しゃばけ》が、戻り掛ける途端《とたん》にもう萌《きざ》していたのである。そうしてどてら[#「どてら」に傍点]に呼ばれれば呼ばれるほど、どてら[#「どてら」に傍点]の方へ近寄れば近寄るほど、この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える。最後に空脛《からすね》を二本、棒のようにどてら[#「どてら」に傍点]の真向うに突っ立てた時は、この娑婆気が最高潮に達した瞬間である。その瞬間に働く気はないかねと来た。御粗末などてら[#「どてら」に傍点]だが非常に旨《うま》く自分の心理状態を利用した勧誘である。だし抜けの質問に一時はぼんやりしたようなものの、ぼんやりから覚《さ》めて見れば、自分はいつか娑婆の人間になっている。娑婆の人間である以上は食わなければならない。食うには働かなくっちゃ駄目だ。
「働いても、いいですが」
 答は何の苦もなく自分の口から滑《すべ》り出してしまった。するとどてら[#「どてら」に傍点]はそうだろうそのはずさと云うような顔つきをした。自分は不思議にもこの顔つきをもっともだと首肯《しゅこう》した。
「働いても、いいですが、全体どんな事をするんですか」
と自分はここで再び聞き直して見た。
「大変|儲《もう》かるんだが、やって見る気はあるかい。儲かる事は受合《うけあい》なんだ」
 どてら[#「どてら」に傍点]は上機嫌の体《てい》で、にこにこ笑いながら、自分の返事を待っている。どうせどてら[#「どてら」に傍点]の笑うんだから、愛嬌《あいきょう》にもなんにもなっちゃいない。元来《がんらい》笑うだけ損になるようにでき上がってる顔だ。ところがその笑い方が妙になつかしく思われて
「ええやって見ましょう」
と受けてしまった。
「やって見る? そいつあ結構だ。君|儲《もう》かるよ」
「そんなに儲けなくっても、いいですが……」
「え?」
 どてら[#「どてら」に傍点]はこの時妙な声を出した。
「全体どんな仕事なんですか」
「やるなら話すが、やるだろうね、お前さん。話した後で厭《いや》だなんて云われちゃ困るが。きっとやるだろうね」
 どてら[#「どてら」に傍点]はむやみに念を押す。自分はそこで、
「やる気です」
と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。云わばいきみ[#「いきみ」に傍点]出した答である。大抵の事ならやって退《の》けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気です[#「気です」に傍点]と云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろう[#「だろう」に傍点]に変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危《あや》しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。
 そこでどてら[#「どてら」に傍点]は略《ほぼ》話が纏《まとま》ったものと呑《の》み込んで
「じゃ、まあ御這入《おはい》り。緩《ゆっ》くり御茶でも呑《の》んで話すから」
と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてら[#「どてら」に傍点]の隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神《かみ》さんが妙な臭《にお》いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口《がまぐち》には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると
「君、煙草《たばこ》を呑むかい」
と、どてら[#「どてら」に傍点]が「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角《かど》が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢《うすぎた》なく垢《あか》づいた上に、びしゃりと押し潰《つぶ》されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖《そで》のないどてら[#「どてら」に傍点]だから、入れ所に窮して腹掛《はらがけ》の隠しへでも捩《ね》じ込んで置くものと見える。
「ありがとう、たくさんです」
と断ると、どてら[#「どてら」に傍点]は別に失望の体《てい》もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢《つめあか》のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺《しわ》だらけになって、太刀《たち》のように反《そ》っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙《けむ》が出る。際《きわ》どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。
「御前さん、幾年《いくつ》になんなさる」
 どてら[#「どてら」に傍点]は自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、儲《もう》かるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。
「十九です」
と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。
「まだ若いんだね」
と口のゆがんだ神さんが、後向《うしろむき》になって盆を拭《ふ》きながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。独《ひと》り言《ごと》だかどてら[#「どてら」に傍点]に話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてら[#「どてら」に傍点]は、さも調子づいた様子で、
「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」
と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几《しょうぎ》を離れた。
 正面に駄菓子《だがし》を載《の》せる台があって、縁《ふち》の毀《と》れた菓子箱の傍《そば》に、大きな皿がある。上に青い布巾《ふきん》がかかっている下から、丸い揚饅頭《あげまんじゅう》が食《は》み出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、傍《そば》へ来て、つらつら饅頭《まんじゅう》の皿を覗《のぞ》き込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるや否《いな》や足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色《きいろ》い油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目《でたらめ》にできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点《はんてん》が、晴夜《せいや》の星宿《せいしゅく》のごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易《へきえき》してしまって、ぼんやり皿を見下《みおろ》していた。
「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日《おととい》揚げたばかりだから」
 かみさんは、いつの間《ま》にか盆を拭いてしまって、菓子台の向側《むこうがわ》に立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太《ふしぶと》の手を皿の上に翳《かざ》して、
「まあ、大変な蠅だ事」
と云いながら、翳した手を竪《たて》に切って、二三度左右へ振った。
「上がるんなら取って上げよう」
 神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹の箸《はし》で、饅頭をぽんぽんぽんと七つほど挟《はさ》み込んで、
「こっちがいいでしょう」
と木皿を、自分の腰を掛けていた床几《しょうぎ》の上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿を眺《なが》めながら、どてら[#「どてら」に傍点]に向って
「一つどうです」
と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてら[#「どてら」に傍点]が一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてら[#「どてら」に傍点]は
「や、すまない」
と云いながら、何の苦もなく一番上の奴《やつ》を取って頬張《ほおば》っちまった。唇《くちびる》の厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更《まんざら》でもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的|奇麗《きれい》なのを摘《つま》み出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中から苦《にが》い餡《あん》が卒然として味覚を冒《おか》して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑《ふ》へ呑《の》み下《くだ》してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてら[#「どてら」に傍点]はこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利《き》かない。働く事も儲《もう》かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸《いき》を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬《またた》く間《ま》にどてら[#「どてら」に傍点]のためにしてやられたのである。
 いかに逡巡《しりごみ》をするほどの汚《きた》ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障《さわ》らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐《ちんぷ》の真理になってしまったが、その時は饅頭《まんじゅう》を食いながら少々|呆《あき》れたくらい後《あと》が食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてら[#「どてら」に傍点]である。このどてら[#「どてら」に傍点]が事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代《おかわ》りを貰《もら》った。
 今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几《しょうぎ》の上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張《ほおば》った。するとどてら[#「どてら」に傍点]も、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてら[#「どてら」に傍点]がまた一つ頬張る。互違《たがいちがい》に頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてら[#「どてら」に傍点]が手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。
「君だいぶやるね」
とどてら[#「どてら」に傍点]が云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手《しょて》にどてら[#「どてら」に傍点]の方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果が与《あずか》って力あるようだ。ところがどてら[#「どてら」に傍点]の方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気《こうき》であった。だから自分は何だかどてら[#「どてら」に傍点]に対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲を攫《つか》むようにどてら[#「どてら」に傍点]にも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると
「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」
と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日《おととい》揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものを嫌《きらい》だとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。――
「うちの御饅《おまん》は名代の御饅だから、みんなが旨《うま》がって食べるだよ」
 神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、
「旨い事この上なしだ」
とどてら[#「どてら」に傍点]が云ってる。本当なんだか御世辞なんだかちょっと見当《けんとう》がつかなかった。とにかく饅頭はどうでも構わないから、肝心《かんじん》の労働問題を聞糾《ききただ》して見ようと思って、
「先刻《さっき》の御話ですがね。実は僕もいろいろの事情があって、働いて飯を食わなくっちゃならない身分なんですが、いったいどんな事をやるんですか」
とこっちから口を切って見た。どてら[#「どてら」に傍点]は正面の菓子台を眺《なが》めていたが、この時急に顔だけ自分の方へ向けて
「君、儲《もう》かるんだぜ。嘘《うそ》じゃない、本当に儲かる話なんだから是非やりたまえ」
と、またぞろ自分を君|呼《よば》わりにして、しきりに儲けさせたがっている。こっちへ向き直って、自分を誘い出そうと力《つと》める顔つきを見ると、頬骨の下が自然《じねん》と落ち込んで、落ち込んだ肉が再び顎《あご》の枠《わく》で角張《かくば》っている。そこへ表から射し込む日の加減で、小鼻の下から弓形《ゆみなり》にでき上った皺《しわ》が深く映っている。この様子を見た自分は何となく儲《もう》けるのが恐ろしくなった。
「僕はそんなに儲けなくっても、いいです。しかし働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです」
 どてら[#「どてら」に傍点]の頬の辺《あたり》には、はてなと云う景色《けしき》がちょっと見えたが、やがて、かの弓形《ゆみなり》の皺を左右に開いて、脂《やに》だらけの歯を遠慮なく剥《む》き出して、そうして一種特別な笑い方をした。あとから考えるとどてら[#「どてら」に傍点]には神聖な労働と云う意味が通じなかったらしい。いやしくも人間たるものが金儲《かねもうけ》の意味さえ知らないで、こむずかしい口巧者《くちこうしゃ》な事を云うから、気の毒だと云うのでどてら[#「どてら」に傍点]は笑ったのである。自分は今が今まで死ぬ気でいた。死なないまでも人間のいない所へ行く気でいた。それができ損《そこな》ったから、生きるために働く気になったまでである。儲《もう》かるとか儲からないとか云う問題は、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介《やっかい》になってる時分からなかった。どころじゃない儲主義《もうけしゅぎ》は大いに軽蔑《けいべつ》していた。日本中どこへ行ってもそのくらいな考えは誰にもあるだろうくらいに信じていた。だからどてら[#「どてら」に傍点]がさっきから儲かる儲かると云うのを聞くたんびに何のためだろうと不思議に思っていた。無論|癪《しゃく》には障《さわ》らない。癪に障るような身分でもなし、境遇でもないから、いっこう平気ではいたが、これが人間に対する至大の甘言で、勧誘の方法として、もっとも利目《ききめ》のあるものだとは夢にも想《おも》い至らなかった。そこで、どてら[#「どてら」に傍点]から笑われちまった。笑われてさえいっこう通じなかった。今考えると馬鹿馬鹿しい。
 一種特別な笑い方をしたどてら[#「どてら」に傍点]は、その笑いの収まりかけに、
「お前さん、全体今まで働いた事があんなさるのかね」
と少し真面目な調子で聞いた。働くにも働かないにも、昨日《きのう》自宅《うち》を逃げ出したばかりである。自分の経験で働いた試しは撃剣《げっけん》の稽古《けいこ》と野球の練習ぐらいなもので、稼《かせ》いで食った事はまだ一日もない。
「働いた事はないです。しかしこれから働かなくっちゃあならない身分です」
「そうだろう。働いた事がなくっちゃ……じゃ、君、まだ儲けた事もないんだね」
と当り前の事を聞いた。自分は返事をする必要がないから、黙ってると、茶店のかみさんが、菓子台の後《うしろ》から、
「働くからにゃ、儲けなくっちゃあね」
と云いながら、立ち上がった。どてら[#「どてら」に傍点]が、
「全くだ。儲けようったって、今時そう儲け口が転がってるもんじゃない」
と幾分か自分に対して恩に被《き》せるように答えるのを、
「そうさ」
と幾分かさげすむように聞き流して、裏へ出て行った。このそうさ[#「そうさ」に傍点]が妙に気になって、ことによると、まだその後《あと》があるかも知れないと思ったせいか、何気なく後姿《うしろかげ》を見送っていると、大きな黒松の根方《ねがた》のところへ行って、立小便《たちしょうべん》をし始めたから、急に顔を背《そむ》けて、どてら[#「どてら」に傍点]の方を向いた。どてら[#「どてら」に傍点]はすぐ、
「私《わたし》だから、お前さん、見ず知らずの他人にこんな旨《うま》い話をするんだ。これがほかのものだったら、受合ってただじゃ話しっこない旨い口なんだからね」
とまた恩に被《き》せる。自分は、面倒くさいからおとなしく、
「ありがたいです」
と四角張って答えて置いた。
「実はこう云う口なんだがね」
と、どてら[#「どてら」に傍点]が、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。
「実はこう云う口なんだがね。銅山《やま》へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」
 自分は何か返事を促《うなが》されるような気がしたけれども、どうもどてら[#「どてら」に傍点]の調子に載《の》せられて、そうですとは答える訳に行かなかった。坑夫と云えば鉱山の穴の中で働く労働者に違ない。世の中に労働者の種類はだいぶんあるだろうが、そのうちでもっとも苦しくって、もっとも下等なものが坑夫だとばかり考えていた矢先へ、すぐ坑夫になれりゃ大したものだと云われたのだから、調子を合すどころの騒ぎじゃない、おやと思うくらい内心では少からず驚いた。坑夫の下にはまだまだ坑夫より下等な種属があると云うのは、大晦日《おおみそか》の後《あと》にまだたくさん日が余ってると云うのと同じ事で、自分にはほとんど想像がつかなかった。実を云うとどてら[#「どてら」に傍点]がこんな事を饒舌《しゃべ》るのは、自分を若年《じゃくねん》と侮《あなど》って、好い加減に人を瞞《だま》すのではないかと考えた。ところが相手は存外真面目である。
「何しろ、取附《とっつけ》からすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんと溜《たま》っちまって、好な事が出来らあね。なに銀行もあるんだから、預けようと思やあ、いつでも預けられるしさ。ねえ、御かみさん、初めっから坑夫になれりゃ、結構なもんだね」
とかみさんの方へ話の向《むき》を持って行くとかみさんは、さっき裏で、立ちながら用を足したままの顔をして、
「そうとも、今からすぐ坑夫になって置きゃあ四五年立つうちにゃ、唸《うな》るほど溜るばかりだ。――何しろ十九だ。――働き盛りだ。――今のうち儲けなくっちゃ損だ」
と一句、一句|間《あいだ》を置いて独《ひと》り言《ごと》のように述べている。
 要するにこのかみさんも是非坑夫になれと云わぬばかりの口占《くちうら》で、全然どてら[#「どてら」に傍点]と同意見を持っているように思われた。無論それでよろしい。またそれでなくってもいっこう構わない。妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出《しで》かした不都合やら義理やら人情やら煩悶《はんもん》やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日《きのう》までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和《おとな》しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆《さから》うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏《まとま》ったものは身体《からだ》だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日《きょう》とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆《はんぷく》を詰《なじ》られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝《ちょうほう》に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。
 同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目《ひいきめ》なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的《あて》にならないものはない。約束とか契《ちかい》とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯《たて》にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮《やぼ》の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強《しい》て圧《お》しかくして、知らぬ顔でやって退《の》けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨《うら》んだり、悶《もだ》えたり、苦しまぎれに自宅《うち》を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてら[#「どてら」に傍点]と神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。
 惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜《くや》しくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済《す》まなくって、世の中が厭《いや》になって、人間が棄《す》て切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてら[#「どてら」に傍点]に引っ掛って、揚饅頭《あげまんじゅう》を喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続《つなぎ》の取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸《めいりょう》でない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧《もうろう》と一団の妖氛《ようふん》となって、虚空《こくう》遥《はるか》に際限もなく立て罩《こ》めてるような心持ちであった。
 そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分は儲《もう》ける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟《りくつ》を捏《こ》ねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁《かんべん》しないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。
 何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、強《しい》て殺してしまうほどの無理を冒《おか》さない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容《あいい》れぬ法螺《ほら》を吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格に尠《すくな》からぬ汚点を貽《のこ》す恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。
 その上坑夫と聞いた時、何となく嬉《うれ》しい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅《うち》を飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、並《なみ》の働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬ間《あいだ》に心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、擦《ず》れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛《とっぴ》でもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にも叶《かな》う訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、坑《あな》の中で、日の目を見ない家業《かぎょう》である。娑婆《しゃば》にいながら、娑婆から下へ潜《もぐ》り込んで、暗い所で、鉱塊《あらがね》土塊《つちくれ》を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸《めいりょう》には無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人《ひと》の事としか受け取れない。
 そこで自分はどてら[#「どてら」に傍点]に向ってこう云った。
「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」
 するとどてら[#「どてら」に傍点]はなかなか鷹揚《おうよう》な態度で、
「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、私《わたし》が周旋さえすりゃきっとできる」
と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。
「長蔵《ちょうぞう》さんが口を利《き》きさえすりゃ、坑夫は受合《うけあい》だ」
 自分はこの時始めてどてら[#「どてら」に傍点]の名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男を捕《つらま》えて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字《あてじ》である。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当《けんとう》に向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのは異《い》な事だ。
 さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、
「じゃ、どうか何分願います」
と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかその辺《へん》はさっぱり分らなかった。
 何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてら[#「どてら」に傍点]の尻を床几《しょうぎ》から立てて、
「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度《したく》はいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」
と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体《からだ》よりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、
「何にも無いです」
と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心《かんじん》の揚饅頭《あげまんじゅう》の代を忘れている。長蔵さんは平気な面《つら》をして、もう半分ほど葭簀《よしず》の外に出て往来を眺《なが》めていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口《がまぐち》を出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、
「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄《おより》」
と云ったのを記憶している。その後《のち》坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんに尾《つ》いて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲まで埃《ほこり》を上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引き易《か》えて今度は存外早く片づいちまった。いつの間《ま》にやら松がなくなったら、板橋街道のような希知《けち》な宿《しゅく》の入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車《がたばしゃ》が通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、
「御前さん馬車へ乗るかい」
と聞くから、
「乗っても好いです」
と答えた。そうしたら今度は
「乗らなくってもいいかい」
と反対の事を尋ねた。自分は
「乗らなくってもいいです」
と答えた。長蔵さんは三度目に
「どうするね」
と云ったから、
「どうでもいいです」
と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。
「じゃ、歩く事にしよう」
と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃《ほこり》が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂《かぐらざか》くらいな繁昌《はんじょう》する所へ出た。ここいらの店付《みせつき》や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、
「ここは何と云う所です」
と聞いたら、長蔵さんは、
「ここ? ここを知らないのかい」
と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、
「お前さん、いったい生れはどこだい」
と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一《ひ》と口《くち》も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為《しょい》としては、少しく無頓着《むとんじゃく》過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性《たち》であった事が後《あと》で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、
「東京です」
と答えたら、
「そうかい」
と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。
 実を云うと自分は相当の地位を有《も》ったものの子である。込み入った事情があって、耐《こら》え切れずに生家《うち》を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当《つらあて》ばかりの無分別《むふんべつ》じゃない。何となく世間が厭《いや》になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮《あせ》れば焦慮るほど厭になる。揚句《あげく》の果《はて》は踏張《ふんばり》の栓《せん》が一度にどっと抜けて、堪忍《かんにん》の陣立が総崩《そうくず》れとなった。その晩にとうとう生家を飛び出してしまったのである。
 事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍《そば》にまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲《まわり》に親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲《ま》いている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁《いんねん》で自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である。自分は年の若い割には自分の立場をよく弁別《わきま》えていた。が済まないと思えば思うほど丸くなったり四角になったりする。しまいには形態ばかりじゃない組織まで変るようになって来た。それを第二の少女が恨《うら》めしそうに見ている。親も親類も見ている。世間も見ている。自分は自分の心が伸びたり縮んだり、曲ったりくねったりするところを、どうかして隠そうと力《つと》めたが、何しろ第一の少女の方で少しもやめてくれないで、むやみに伸びて見せたり、縮んで見せたりするもんだから、隠し終《おお》せる段じゃない。親にも親類にも目《め》つかってしまった。怪《け》しからんと云う事になった。怪しかるとは自分でも思っていなかったが、だんだん聞き糾《ただ》して見ると、怪しからん意味がだいぶ違ってる。そこでいろいろ弁解して見たがなかなか聞いてくれない。親の癖に自分の云う事をちっとも信用しないのが第一不都合だと思うと同時に、第一の少女の傍《そば》にいたら、この先どうなるか分らない、ことに因《よ》ると実際弁解の出来ないような怪しからん事が出来《しゅったい》するかも知れないと考え出した。がどうしても離れる事が出来ない。しかも第二の少女に対しては気の毒である、済まん事になったと云う念が日々《にちにち》烈《はげ》しくなる。――こんな具合で三方四方から、両立しない感情が攻め寄せて来て、五色の糸のこんがらかったように、こっちを引くと、あっちの筋が詰る、あっちをゆるめるとこっちが釣れると云う按排《あんばい》で、乱れた頭はどうあっても解《ほど》けない。いろいろに工夫を積んで自分に愛想《あいそ》の尽きるほどひねくって見たが、とうてい思うように纏《まと》まらないと云う一点張《いってんばり》に落ちて来た時に――やっと気がついた。つまり自分が苦しんでるんだから、自分で苦みを留めるよりほかに道はない訳だ。今までは自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいいような解決があるだろうと、ひたすらに外のみを当《あて》にしていた。つまり往来で人と行き合った時、こっちは突ッ立ったまま、向うが泥濘《ぬかるみ》へ避《よ》けてくれる工面《くめん》ばかりしていたのだ。こっちが動かない今のままのこっちで、それで相手の方だけを思う通りに動かそうと云う出来ない相談を持ち懸《か》けていたのだ。自分が鏡の前に立ちながら、鏡に写る自分の影を気にしたって、どうなるもんじゃない。世間の掟《おきて》という鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何よりの上分別である。
 そこで自分はこの入り組んだ関係の中から、自分だけをふいと煙《けむ》にしてしまおうと決心した。しかし本当に煙にするには自殺するよりほかに致し方がない。そこでたびたび自殺をしかけて見た。ところが仕掛けるたんびにどきんとしてやめてしまった。自殺はいくら稽古《けいこ》をしても上手にならないものだと云う事をようやく悟った。自殺が急に出来なければ自滅するのが好かろうとなった。しかし自分は前に云う通り相当の身分のある親を持って朝夕に事を欠かぬ身分であるから生家《うち》にいては自滅しようがない。どうしても逃亡《かけおち》が必要である。
 逃亡《かけおち》をしてもこの関係を忘れる事は出来まいとも考えた。また忘れる事が出来るだろうとも考えた。要するに、して見なければ分らないと考えた。たとい煩悶《はんもん》が逃亡につき纏《まと》って来るにしてもそれは自分の事である。あとに残った人は自分の逃亡のために助かるに違いないと考えた。のみならず逃亡をしたって、いつまでも逃亡《かけお》ちている訳じゃない。急に自滅がしにくいから、まずその一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見てもやっぱり過去に追われて苦しいようなら、その時|徐《おもむろ》に自滅の計《はかりごと》を廻《めぐ》らしても遅くはない。それでも駄目ときまればその時こそきっと自殺して見せる。――こう書くと自分はいかにも下らない人間になってしまうが、事実を露骨に云うとこれだけの事に過ぎないんだから仕方がない。またこう書けばこそ下らなくなるが、その当時のぼんやりした意気込《いきごみ》を、ぼんやりした意気込のままに叙したなら、これでも小説の主人公になる資格は十分あるんだろうと考える。
 それでなくっても実際その当時の、二人の少女の有様やら、日《ひ》ごとに変る局面の転換やら、自分の心配やら、煩悶やら、親の意見や親類の忠告やら、何やらかやらを、そっくりそのまま書き立てたら、だいぶん面白い続きものができるんだが、そんな筆もなし時もないから、まあやめにして、せっかくの坑夫事件だけを話す事にする。
 とにかくこう云う訳で自分はいよいよとなって出奔《しゅっぽん》したんだから、固《もと》より生きながら葬《ほうぶ》られる覚悟でもあり、また自《みずか》ら葬ってしまう了簡《りょうけん》でもあったが、さすがに親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢《すてばち》になっても長蔵さんには話したくなかった。長蔵さんばかりじゃない、すべての人間に話したくなかった。すべての人間は愚か、自分にさえできる事なら語りたくないほど情《なさけ》ない心持でひょろひょろしていた。だから長蔵さんが人を周旋する男にも似合わず、自分の身元について一言《いちごん》も聞き糺《ただ》さなかったのは、変と思いながらも、内々嬉しかった。本当を云うと、当時の自分はまだ嘘《うそ》をつく事をよく練習していなかったし、ごまかすと云う事は大変な悪事のように考えていたんだから、聞かれたら定めし困ったろうと思う。
 そこで長蔵さんに尾《つ》いて、横町を曲って行くと、一二丁行ったか行かないうちに町並が急に疎《まばら》になって、所々は田圃《たんぼ》の片割れが細く透いて見える。表はあんなに繁昌しても、繁昌は横幅だけであるなと気がついたら、また急に横町を曲らせられて、また賑《にぎや》かな所へ出された。その突当りが停車場《ステーション》であった。汽車に乗らなくっては坑夫になる手続きが済まないんだと云う事をこの時ようやく知った。実は鉱山の出張所でもこの町にあって、まずそこへ連れて行かれて、そこからまた役人が山へでも護送してくれるんだろうと思っていた。
 そこで停車場へ這入《はい》る五六間手間になってから、
「長蔵さん、汽車に乗るんですか」
と後《うしろ》から、呼び掛けながら聞いて見た。自分がこの男を長蔵さんと云ったのはこの時が始めてである。長蔵さんはちょっと振り返ったが、あかの他人から名前を呼ばれたのを不審がる様子もなく、すぐ、
「ああ、乗るんだよ」
と答えたなり、停車場に這入った。
 自分は停車場《ステーション》の入口に立って考え出した。あの男はいったい自分といっしょに汽車へ乗って先方《さき》まで行く気なんだろうか、それにしては余り親切過ぎる。なんぼなんでも見ず知らずの自分にこう叮嚀《ていねい》な世話を焼くのはおかしい。ことによると彼奴《あいつ》は詐欺師《かたり》かも知れない。自分は下らん事に今更のごとくはっと気がついて急に汽車へ乗るのが厭《いや》になって来た。いっその事また停車場を飛び出そうかしらと思って、今までプラットフォームの方を向いていた足を、入口の見当《けんとう》に向け易えた。しかしまだ歩き出すほどの決心もつかなかったと見えて、茫然《ぼうぜん》として、停車場前の茶屋の赤い暖簾《のれん》を眺《なが》めていると、いきなり大きな声を出して遠くから呼びとめられた。自分はこの声を聞くと共に、その所有者は長蔵さんであって、松原以来の声であると云う事を悟った。振り返ると、長蔵さんは遠方から顔だけ斜《はす》に出して、しきりにこちらを見て、首を竪《たて》に振っている。何でも身体《からだ》は便所の塀《へい》にかくれているらしい。せっかく呼ぶものだからと思って、自分は長蔵さんの顔を目的《めあて》に歩いて行くと、
「御前さん、汽車へ乗る前にちょっと用を足したら善かろう」
と云う。自分はそれには及ばんから、一応辞退して見たが、なかなか承知しそうもないから、そこで長蔵さんと相並んで、きたない話だが、小便を垂れた。その時自分の考えはまた変った。自分は身体よりほかに何にも持っていない。取られようにも瞞《かた》られようにも、名誉も財産もないんだから初手《しょて》から見込の立たない代物《しろもの》である。昨日《きのう》の自分と今日の自分とを混同して、長蔵さんを恐ろしがったのは、免職になりながら俸給の差《さ》し押《おさえ》を苦にするようなものであった。長蔵さんは教育のある男ではあるまいが、自分の風体《ふうてい》を見て一目《いちもく》騙《かた》るべからずと看破するには教育も何も要《い》ったものではない。だからことによると、自分を坑夫に周旋して、あとから周旋料でも取るんだろうと思い出した。それならそれで構わない。給料のうちを幾分かやれば済む事だなどと考えながら用を足した。――実は自分がこれだけの結論に到着するためには、わずかの時間内だがこれほどの手数《てすう》と推論とを要したのである。このくらい骨を折ってすら、まだ長蔵さんのポン引きなる事をいわゆるポン引きなる純粋の意味において会得《えとく》する事が出来なかったのは、年が十九だったからである。
 年の若いのは実に損なもので、こんなにポン引きの近所までどうか、こうか、漕《こ》ぎつけながら、それでも、もしや好意ずくの世話ずきから起った親切じゃあるまいかと思って、飛んだ気兼をしたのはおかしかった。
 実は二人して、用を足して、のそのそ三等待合所の入口まで来た時、自分は比較的威儀を正して長蔵さんに、こんな事を云ったんである。
「あなたに、わざわざ先方《さき》まで連れて行っていただいては恐縮ですから、もうこれでたくさんです」
 すると長蔵さんは返事もせずに変な顔をして、黙って自分の方を見ているから、これは礼の云いようがわるいのかとも思って、
「いろいろ御世話になってありがたいです。これから先はもう僕一人でやりますから、どうか御構いなく」
と云って、しきりに頭を下げた。すると、
「一人でやれるものかね」
と長蔵さんが云った。この時だけは御前さんを省《はぶ》いたようである。
「なにやれます」
と答えたら、
「どうして」
と聞き返されたんで、少し面喰《めんくら》ったが、
「今|貴方《あなた》に伺って置けば、先へ行って貴方の名前を云って、どうかしますから」
ともじもじ述べ立てると、
「御前さん、私《わたし》の名前くらいで、すぐ坑夫になれると思ってるのは大間違いだよ。坑夫なんて、そんなに容易になれるもんじゃないよ」
と跳《はね》つけられちまった。仕方がないから
「でも御気の毒ですから」
と言訳かたがた挨拶《あいさつ》をすると、
「なに遠慮しないでもいい、先方《さき》まで送ってあげるから心配しないがいい。――袖摩《そです》り合うも何とかの因縁《いんねん》だ。ハハハハハ」
と笑った。そこで自分は最後に、
「どうも済みません」
と礼を述べて置いた。
 それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場《ステーション》へ人が寄ってくる。大抵は田舎者《いなかもの》である。中には長蔵さんのような袢天《はんてん》兼《けん》どてら[#「どてら」に傍点]を着た上に、天秤棒《てんびんぼう》さえ荷《かつ》いだのがある。そうかと思うと光沢《つや》のある前掛を締めて、中折帽を妙に凹《へこ》ました江戸ッ子流の商人《あきゅうど》もある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりと開《あ》いた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網《かなあみ》の前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀《たち》のごとくそっくりかえった「朝日」を厚い唇《くちびる》の間に啣《くわ》えながら、あの角張《かどば》った顔を三《さん》が二《に》ほど自分の方へ向けて、
「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」
と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫《ごう》も上《のぼ》らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚《ぐ》の至《いたり》である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢《であ》うまでは無賃《ただ》で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜《ひそ》んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場《ステーション》へ来て汽車賃の汽[#「汽」に傍点]の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平《ひら》に同行を断ったのは、どう云う了簡《りょうけん》だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢《であ》ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々《われわれ》の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有《も》ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁《いんねん》で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯《しょうがい》その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙《こうぶ》った覚《おぼえ》がないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍《はた》から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒《おか》さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。
 それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽《うろた》えた。三十二銭のうちで饅頭《まんじゅう》の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔《のみこみがお》に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂《ずうずう》しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺《ほっぺた》が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥《しゅうち》の血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣《きづか》いはありゃしない。
 自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだから嘘《うそ》を吐《つ》く訳には行かない。嘘を吐きっ放《ぱなし》にして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際《まぎわ》で、吐けばすぐ露現《ろけん》してしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更《まんざら》の子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶《はんもん》をしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、
「少しあります」
と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。
「少しって、御前さん、いくら持ってるい」
と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着《とんじゃく》しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心《かんじん》の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ|〆《しめ》て三十二銭のうち、饅頭《まんじゅう》を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。
「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」
と正直なところを云うと、
「足りないところは、私《わたし》が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁《ていさい》がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭《いや》だから、懐《ふところ》から例の蟇口《がまぐち》を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐《わに》の皮で拵《こしら》えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物《ぜいたくもの》である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺《なが》めていたが、
「ふふん、安くないね」
と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、
「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」
と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込《ひとごみ》の中へ這入《はい》ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方《いまさきがた》までの長蔵さんは始終《しじゅう》自分の傍《そば》に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺《なが》めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦《く》に病《や》んでいると、やがて長蔵さんは平生《へいぜい》の顔つきで帰って来た。
「さあ、これが御前さんの分だ」
と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ
「ありがとう」
と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。
 それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物《できもの》だらけの、腐爛目《ただれめ》の、痘痕《あばた》のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家《うち》を逃亡《かけお》ちて、坑夫にまで、なり下《さが》る決心なんだから、大抵の事に辟易《へきえき》しそうもないもんだがやっぱり醜《きた》ないものの傍《そば》へは寄りつきたくなかった。あの按排《あんばい》では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面《きちょうめん》に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢《あ》った時なんぞは平生の自分にも似ず、※[#「口+禺」、第3水準1-15-9]《ぐう》の音《ね》も出さずに心《しん》からおとなしくしていた。議論も主張も気慨《きがい》も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓《ひも》じい時であったから、少しは差引いて勘定を立《たて》るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃《よ》そう。
 自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮《ふる》って、縦横《たてよこ》十文字に自分の心緒《しんしょ》を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔《むか》しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯《しょうがい》中に二度とありゃしない。二十《はたち》以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多《めった》やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日《こんにち》の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山|行《ゆき》だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦《ひきず》り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下《こっか》の事情と云うものは、転瞬《てんしゅん》の客気《かっき》に駆られて、とんでもない誤謬《ごびゅう》を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。
 自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想《あいそ》が尽きた。
「また山行きかね」
「ああまた一人連れて行くんだ」
「あれかい」
と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、
「まただいぶん儲《もう》かるね」
と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液《つばき》をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。
「泥棒が這入《はい》るとするぜ」
「こそこそがかい」
「なに強盗がよ。それでもって、抜身《ぬきみ》か何かで威嚇《おど》した時によ」
「うん、それで」
「それで、主人《あるじ》が、泥棒だからってんで贋銭《にせがね》をやって帰したとするんだ」
「うんそれから」
「後《あと》で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭|使《つかい》だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公《つねこう》の前《めえ》だが、どっちが罪が重いと思う」
「どっちたあ」
「その亭主と泥棒がよ」
「そうさなあ」
と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠《ねぶ》くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。
 寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々|朋友《ほうゆう》に咽喉《のど》を締めて貰う事がある。夏の日永《ひなが》のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活《かつ》を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治《あらりょうじ》を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損《そこな》う危険も伴《ともな》っていないから、心配のあるもの、煩悶《はんもん》の多いもの、苦痛に堪《た》えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚《たまもの》である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑《ひま》もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰《まるつぶ》しに潰していた。ところが眼《め》が覚《さ》めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込《ねこ》んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違《たがいちがい》にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽《ひょうきん》な冗談《じょうだん》を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見《りょうけん》じゃない。本気に真面目《まじめ》を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気《ばかげ》た感じだから滑稽《こっけい》のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想《かわいそう》に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目《まじめ》に抱《いだ》かねばならぬほど、その時の自分は情《なさけ》ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。
 自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家《うち》を出奔《しゅっぽん》したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだ[#「たんだ」に傍点]がむらむらと塊《かた》まって、頭の底から一度に湧《わ》いて来た。その速い事と云ったら、言語《ごんご》に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺《おぼ》れかかったその刹那《せつな》に、自分の過去の一生を、細大《さいだい》漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後《のち》聞いたが、自分のこの時の経験に因《よ》って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭《いや》な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直《すぐ》勘《かん》づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。
 その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人|這入《はい》って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更《か》えて窓へ首を出したり、欠伸《あくび》をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩《くず》し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他《ひと》に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間|外《はず》れだと考えた。袖《そで》が触《す》れ違って、膝《ひざ》を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒《ゆかり》もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰《あが》る。自分は急に陰気になって下へ降《さが》る、とうてい交際《つきあい》はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑《ぞうふ》が薄《うす》っ片《ぺら》な一枚の紙のように圧《お》しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹《へこ》んでいた。
 ところへ長蔵さんが、立って来て、
「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」
と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通《かよ》ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈《はげ》しくなると、なかなか思うように魂が身体《からだ》に寄りついてくれない。その後《ご》台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想《あいそ》を尽かされて、非常な難義をした事がある。何《なん》にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦《にが》い経験であった。
 長蔵さんのどてら[#「どてら」に傍点]の尻を嗅《か》ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿《しゅく》の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然《はっきり》するほど真直《まっすぐ》である。自分はこの広い往還《おうかん》の真中に立って遥《はる》か向うの宿外《しゅくはずれ》を見下《みおろ》した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯《しょうがい》中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡《りょうけん》になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸《ひ》く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場《ステーション》から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰《さた》で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍《にぶ》い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼《まなこ》を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間《ま》に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴《したた》るほどの山が、自分の眼を遮《さえぎ》りながらも、邪魔にならぬ距離を有《たも》って、どろんとしたわが眸《ひとみ》を翠《みどり》の裡《うち》に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。
 第一には大道砥《だいどうと》のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠《わだか》まりのない爽《さわやか》なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷《まご》つかせない。心配せずにこっちへ御出《おいで》と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼《きがね》をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後《あと》を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並《いえなみ》を見ると、――これは瓦葺《かわらぶき》も藁葺《わらぶき》もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配《こうばい》を纏《まと》められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜《はす》に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透《すか》して見ると、指の股《また》に這入《はい》ると思われるくらい低い。その途中に暖簾《のれん》が風に動いていたり、腰障子《こししょうじ》に大きな蛤《はまぐり》がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並《のきなみ》だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒《はんセコンド》で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭《めいりょう》である。
 前に云った通り自分の魂は二日酔《ふつかえい》の体《てい》たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場《ステーション》を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目《めくら》にさえ明瞭なこの景色《けしき》にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精《ふしょうぶしょう》に徘徊《はいかい》していた惰性を一変して屹《きっ》となるには、多少の時間がかかる。自分の前《さき》に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際《きわ》どい中間《ちゅうかん》に起った心持ちである。この景色はかように暢達《のびのび》して、かように明白で、今までの自分の情緒《じょうしょ》とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界《げかい》に対《むか》い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢《のん》びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光《ごこう》でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼《はっきり》した快感をもって、他界の幻影《まぼろし》に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外《はずれ》まで行かれる。たしかにこの宿《しゅく》を通り抜ける事はできる。左右の家は触《さわ》れば触る事が出来る。二階へ上《のぼ》れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸《ひとみ》のなかに受けながら立っていた。
 自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後《のち》これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
 見ると日はもう傾《かたぶ》きかけている。初夏《しょか》の日永《ひなが》の頃だから、日差《ひざし》から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜《はす》かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺《なが》めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下《くだ》ると、突き当りが山で、その山は方角から推《お》すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
 その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼《まっさお》で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼《あお》い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜《すぎひのき》の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝《こんもり》として、奥深い様子であった。自分は傾《かたぶ》きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓《ふもと》へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾《かたぶ》いて陰の方は蒼い山の上皮《うわかわ》と、蒼い空の下層《したがわ》とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他《ひと》の領分を犯《おか》し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃《くかく》が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。
 自分は昨夕《ゆうべ》東京を出て、千住《せんじゅ》の大橋まで来て、袷《あわせ》の尻を端折《はしょ》ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛《からすね》のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入《はい》ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家《うち》を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶《はんもん》があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品《ひん》の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗《のぞ》き込むようにして長い町を下《くだ》って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋《はたごや》とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち[#「やたいち」に傍点]流《りゅう》のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫《ごう》も支度《したく》をしそうにない。最前の我多馬車《がたばしゃ》の時のように「御前さん夕食《ゆうめし》を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色《けしき》がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好《かっこう》な所を見つけて、晩食《ばんめし》をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。
 自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻《さっき》の饅頭《まんじゅう》が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅《め》り込《こ》みそうな精神が、真直《まっすぐ》な往来の真中に抛《ほう》り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒《おか》して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋《さび》しいと見えて、しきりに縄暖簾《なわのれん》や、お|煮〆《にしめ》や、御中食所《おちゅうじきどころ》が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗《のぞ》き込むので、こっちはますます食意地《くいいじ》が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳《いちぜん》めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿《しゅく》はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外《しゅくはず》れへ出抜《ずぬ》けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着《ほうちゃく》した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤《すす》けた軒の腰障子《こししょうじ》に、肉太に認《したた》めた酒めし[#「酒めし」に傍点]、御肴[#「御肴」に傍点]と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めし[#「めし」に傍点]の字でも、御肴《おんさかな》の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌《もうろく》してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。
 自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強《がんきょう》の長蔵さんも今度こそ食いに這入《はい》るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺《うかが》うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗《のぞ》き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布《あかげっと》が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣《ひとえもの》一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり|〆《しめ》て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌《しの》いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。
 すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側《そば》へつかつかやって行って、
「お前さん、働く気はないかね」
と云った。自分が長蔵さんに捕《つか》まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆《か》られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆《しゅ》とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然《はんぜん》と覚《さと》った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人《いくたり》逢《あ》おうとも、版行《はんこう》で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭《あ》きもせず、長の歳月《としつき》やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶《はんもん》する気色《けしき》もなく、自分でなくっちゃ御前さん[#「御前さん」に傍点]をやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。
 その当時自分にこれだけの長蔵観《ちょうぞうかん》があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做《みな》して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序《じょ》の節《せつ》に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌《みぎ》りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
 自分は長蔵さんと赤毛布《あかげっと》の立談《たちばなし》を聞きながら、自分は長蔵さんから毫《ごう》も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔《しゅっぽん》して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々《うんぬん》するのは変挺《へんてこ》な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執《と》って人格と書き出したら、何となく馬鹿気《ばかげ》ていて、思わず噴《ふ》き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧《かえり》みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比《くら》べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
 と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴《おんさかな》の裏《うち》から飛び出した若い男を捕《つら》まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々|怪《け》しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
 坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業《かぎょう》だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚《さと》っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思《おもい》のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延《ひ》き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人《ひと》が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情《なさけ》なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君|儲《もう》かるんだぜと説得されている体裁《ていさい》を、自分が傍《わき》へ立って見た日には方《かた》なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒《さ》まして赤毛布を、つらつら観察していた。
 ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被《かぶ》ってる赤毛布ばかりじゃない、心底《しんそこ》から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布《あかげっと》よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口《せんくち》だから、もう少しこっちを贔屓《ひいき》にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯《せっぱ》詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有《も》っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大《おおい》につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。
 自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人《ふたり》の談判は見る間《ま》に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑《けいべつ》する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強《し》いて違うところを詮議《せんぎ》したら赤毛布を被《かぶ》ってるのと絣《かすり》を着ているとの差違《ちがい》くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓《ぐう》したつもりである。
 で、馬鹿が二人長蔵さんに尾《つ》いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見《りょうけん》ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後《のち》さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得《ふかとく》なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟《おおげさ》な法螺《ほら》だろうが、不可得《ふかとく》と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念《ねん》と云うもので心《こころ》じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気《のんき》な料簡《りょうけん》で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。
 とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻《さっき》のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰《もら》えばいい。――そうして吾《われ》ながら驚いたのは、どうも赤毛布《あかげっと》と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城《いばらき》か何かの田舎《いなか》もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋《いも》の事を芋《えも》と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張《かくば》った顎《あご》の、厚唇《あつくちびる》の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布《けっと》が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉《うれ》しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴《みちづれ》があって欲《ほし》い。一人で零落《おちぶ》れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推《お》して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦《ず》り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択《えら》ぶだろう。
 そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感《こっかかん》に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直《まっすぐ》な往来を真直に突き当りの山まで見下《みおろ》したもんだからようやく正気づいたのは前《まえ》申した通りである。それが機縁になって、今度は食気《くいけ》がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢《たいせい》を挽回《ばんかい》したと云うしだいになる。だに因《よ》ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑《の》み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋《いちぜんめしや》はもう通り越している。宿《しゅく》はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶《かな》いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。
「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」
「あの取附《とっつき》の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」
と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。
「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」
と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは
「そうかい。芋でも食うべい」
と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所《とこ》に芋屋があったもんだ。これを大袈裟《おおげさ》に云えば天佑《てんゆう》である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗《きれい》じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。
 やがて長蔵さんは両手に芋を載《の》せて、真黒な家《うち》から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、
「さあ、食った」
と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ
「ありがとう」
と礼を述べて、芋を眺《なが》めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠《や》せていて、湿《しめ》っぽそうで、それで所々皮が剥《は》げて、剥げた中から緑青《ろくしょう》を吹いたような味《み》が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹《いちもくさんたん》たるこの芋の光景に辟易《へきえき》して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中《いもちゅう》のヽヽとも云わるべきこの御薩《おさつ》を快よく賞翫《しょうがん》する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえ[#「おびえ」に傍点]たような気分で、おいきたと手を出し損《そく》なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。
 自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び
「さあ」
と、例の顎《あご》で芋を指《さ》しながら、前へ出した手頸《てくび》を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞《ふさが》ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描《えが》いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布《あかげっと》が拾った。拾ったと思ったら、
「この芋《えも》は好芋《えええも》だ。おれが貰おう」
と云った。それでこの男は芋《いも》を芋《えも》と発音すると云う事が分った。
 自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本|締《しめ》て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐《なつ》かしげに食いながら、いよいよ宿外《しゅくはず》れまで来るとまた一事件《ひとじけん》起った。
 宿《しゅく》の外《はず》れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄《もてあそ》ぶような法螺《ほら》七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨《うま》がったのかがおのずから分明《ぶんみょう》になる。さて水音に驚いて、欄干《らんかん》から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状《かっこう》がいかにも不作法《ぶさほう》にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配《こうばい》がついている。山から落ちた勢いをなし崩《くず》しに持ち越して、追っ懸《か》けられるように跳《おど》って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑《たき》を月賦《げっぷ》に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変|烈《はげ》しい。鼻《はな》っ端《ぱし》の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡《あわ》を噴《ふ》いたり、青い飴《あめ》のようになったり、曲ったり、くねったりして下《しも》へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向《あおむ》いて見たが、日向《ひなた》はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負《しょ》ってる山だけが目立って蒼黒《あおぐろ》くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日《いりひ》を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫《むらさき》でも黒でも蒼《あお》でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧《お》っ被《かぶ》さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界|一色《いっしき》の内に裹《つつ》まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日《いりひ》の方《かた》の局部の色として認めたから、局部から全体を唆《そその》かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑《ひま》があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍《そば》にいる茨城県の毛布《けっと》が羨《うらや》ましくなって来たくらいであった。
 すると橋の向うから――向《むこう》たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋《さむ》しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履《ひやめしぞうり》を穿《は》いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇《こしたやみ》の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛《しかけ》にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋《いも》を口へ宛《あて》がったなり、顎《あご》を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。
 小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布《あかげっと》よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路《こみち》を塞《ふさ》いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、
「おい、小僧さん」
と呼び留めた。小僧は臆《おく》した気色《けしき》もなく
「なんだ」
と答えた。ぴたりと踏み留《とどま》った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、
「芋《いも》を食わないかね」
と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前《さき》に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張《ほおば》った奴《やつ》を、唾液《つばき》も交《ま》ぜずに、むやみに呑《の》み下《くだ》すので、咽喉《のど》が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍《はた》で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑《うのみ》にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞《ふさ》がって、芋が食道を通り越すまでは呼息《いき》の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後《あと》の芋が、前《さき》の芋を追っ懸《か》けてぐいぐい胃の腑《ふ》に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間《ま》に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交《か》わさなかった。自分は腹の中《うち》で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓《ひも》じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍|餓《ひも》じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨《う》まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌《ぶあいきょう》な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分|傾《かたぶ》けて、高い山の黒ずんで行く天辺《てっぺん》を妙に眺《なが》めた時は、また可愛想《かわいそう》になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿《しゅく》とが、何か深い因縁《いんねん》で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体《もったい》をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年《ながねん》方々を流浪《るろう》してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化《ば》け損《そく》なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺《てっぺん》を眺めていた。
 すると長蔵さんがまた聞き出した。
「御前、どこへ行くかね」
 小僧はたちまち黒い山から眼を離して、
「どこへも行きゃあしねえ」
と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想《ぶあいそう》である。長蔵さんは平気なもんで、
「じゃどこへ帰るかね」
と、聞き直した。小僧も平気なもんで、
「どこへも帰りゃしねえ」
と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無《やどなし》に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据《すわ》った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐《あわ》れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲《もう》けさしてやるから」
と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布《あかげっと》と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏《まと》まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜《ゆず》らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合《やすうけあい》を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩《めまぐるし》いほど人が動いていても、動きながら、みんな根《ね》が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折《はしょ》って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿《しゅく》で、はからずも赤毛布《あかげっと》を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥《はるか》に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日《きのう》の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶《はんもん》も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論《もちろん》だが、煩悶の極《きょく》試みたこの駆落《かけおち》も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死《しょうし》の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横《じゅうおう》に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟《おおげさ》に考えないでも済む事を、さも仰山《ぎょうさん》に買い被《かぶ》って、独《ひと》りでどぎまぎしていた事実を指《さ》すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢《あ》い、小僧に逢って、両人《ふたり》の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜《たまもの》である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分よりよっぽど偉かったようだ。
 こう手もなく赤毛布がかかる。小僧がかかる。そう云う自分も、たわいもなく攻め落された事実を綜合《そうごう》して考えて見ると、なるほど長蔵さんの商売も、満更《まんざら》待ち草臥《くたびれ》の骨折損になる訳でもなかった。坑夫になれますよ、はあ、なれますか、じゃなりましょうと二つ返事で承知する馬鹿は、天下広しといえども、尻端折《しりはしょり》で夜逃をした自分くらいと思っていた。したがって長蔵さんのような気楽な商売は日本にたった一人あればたくさんで、しかもその一人が、まぐれ当りに自分に廻《めぐ》り合せると云う運勢をもって生れて来なくっちゃ、とても商売にならないはずだ。だから大川端《おおかわばた》で眼の下三尺の鯉《こい》を釣るよりもよっぽどの根気仕事だと、始めから腰を据《す》えてかかるのが当然なんだが、長蔵さんはとんとそんな自覚は無用だと云わぬばかりの顔をして、これが世間もっとも普通の商売であると社会から公認されたような態度で、わるびれずに往来の男を捉《つら》まえる。するとその捉まえられた男が、不思議な事に、一も二もなく、すぐにうんと云う。何となくこれが世間もっとも普通の商売じゃあるまいかと疑念を起すように成功する。これほど成功する商売なら、日本に一人じゃとても間に合わない、幾人《いくたり》あっても差支《さしつかえ》ないと云う気になる。――当人は無論そう思ってるんだろう。自分もそう思った。
 この呑気《のんき》な長蔵さんと、さらに呑気な小僧に赤毛布《あかげっと》と、それから見様見真似《みようみまね》で、大いに呑気になりかけた自分と、都合四人で橋向うの小路《こみち》を左へ切れた。これから川に沿って登りになるんだから、気をつけるが好いと云う注意を受けた。自分は今|芋《いも》を食ったばかりだから、もう空腹じゃない。足は昨夕《ゆうべ》から歩き続けで草臥《くたび》れてはいるが、あるけばまだ歩ける。そこで注意の通り、なるべく気をつけて、長蔵さんと赤毛布の後《あと》を跟《つ》けて行った。路《みち》があまり広くないので四人《よつたり》は一行《いちぎょう》に並べない。だから後を跟ける事にした。小僧は小さいからこれも一足|後《おく》れて、自分と摺々《すれすれ》くらいになって食っついてくる。
 自分は腹が重いのと、足が重いのとの両方で、口を利《き》くのが厭《いや》になった。長蔵さんも橋を渡ってから以後とんと御前さんを使わなくなった。赤毛布はさっき一膳飯屋の前で談判をした時から、余り多弁ではなかったが、どう云うものかここに至ってますます無口となっちまった。小僧の無口はさらにはなはだしかった。穿《は》いている冷飯草履《ひやめしぞうり》がぴちゃぴちゃ鳴るばかりである。
 こう、みんな黙ってしまうと、山路は静かなものである。ことに夜だからなお淋《さび》しい。夜と云ったって、まだ日が落ちたばかりだから、歩いてる道だけはどうか、こうか分る。左手を落ちて行く水が、気のせいか、少しずつ光って見える。もっともきらきら光るんじゃない。なんだか、どす黒く動く所が光るように見えるだけだ。岩にあたって砕ける所は比較的|判然《はっきり》と白くなっている。そうしてその声がさあさあと絶え間なくする。なかなかやかましい。それでなかなか淋しい。
 その中《うち》細い道が少しずつ、上《のぼ》りになるような気持がしだした。上りだけならこのくらいな事はそう骨は折れないんだが、路が何だか凸凹《でこぼこ》する。岩の根が川の底から続いて来て、急に地面の上へ出たり、引っ込んだりするんだろう。この凸凹に下駄《げた》を突っ掛ける。烈《はげ》しいときは内臓が飛び上がるようになる。だいぶ難義になって来た。長蔵さんと赤毛布は山路に馴《な》れていると見えて、よくも見えない木下闇《こしたやみ》を、すたすた調子よくあるいて行く。これは仕方がないが、小僧が――この小僧は実際物騒である。冷飯草履をぴしゃぴしゃ云わして、暗い凸凹を平気に飛び越して行く。しかも全く無言である。昼間ならさほどにも思わないんだが、この際だから、薄暗い中でぴしゃりぴしゃりと草履の尻の鳴るのが気になる。何だか蝙蝠《こうもり》といっしょに歩いてるようだ。
 そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息《いき》が切れる。凸凹はますます烈《はげ》しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落《かけおち》でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損《しそこな》いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛《つら》くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上|先方《さき》は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利《き》かない。まるで取附端《とっつきは》がない。やむを得ず呼吸《いき》を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後《あと》から神妙《しんびょう》に尾《つ》いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬《たとえ》に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。
 不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切《いっさい》神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友《ほうゆう》から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸《ふる》えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯《しょうがい》ロースの鍋《なべ》へ箸《はし》を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元《のどもと》過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪《け》しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘《うそ》である。こう云うと詭弁《きべん》のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘《しょうじきしょうめい》のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体《ふへんたい》のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押《ひらおし》に他人《ひと》を圧《お》しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟《りくつ》も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢《あ》わせて嬉《うれ》しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎《とが》めて、万事万端向うがわるいように噪《さわ》ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨《にら》んで、旗を揚《あ》げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪《にく》くって、困るもんだ。自分もあの時|駆落《かけおち》をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終《しじゅう》動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参《げんざん》しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転《るてん》と、あらゆる漂泊《ひょうはく》と、困憊《こんぱい》と、懊悩《おうのう》と、得喪《とくそう》と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚《たまもの》を有《も》っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙《しんびょう》なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時《なんどき》また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入《はい》ってくる。自分はますます神妙になった。
 この状態でだいぶ来た。何里だか見当《けんとう》のつかないほど来た。夜道だから平生《へいぜい》よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹《でこぼこ》の登りを膨《ふくら》っ脛《ぱぎ》が腫《は》れて、膝頭《ひざがしら》の骨と骨が擦《す》れ合って、股《もも》が地面《じびた》へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦《あきらめ》の体《てい》たらくから生じた結果ではない。五六間以上|後《おく》れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興《ふんこう》させた成行《なりゆき》に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後《うしろ》が見えたもんだ。ことに夜中《やちゅう》である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開《あ》いているなと、仰向《あおむ》いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便《たより》にゃならない。提灯《ちょうちん》なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布《あかげっと》が目標《めあて》である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布《けっと》、あの毛布と御題目《おだいもく》のように見詰めて覘《ねらい》をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳《くどく》なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標《めじるし》だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟《つ》いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留《と》まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人《しろうと》にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥《はるか》に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後《あと》になるんだろうと思って、草臥《くたび》れたら励ましてやろうくらいの了簡《りょうけん》があったんだが、かの冷飯草履《ひやめしぞうり》をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹《でこぼこ》路を飛び跳《は》ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵《かな》わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖《そで》と擦《す》れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌《かっぱつ》にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極《きわ》めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利《き》かない動物を想像して見ると分る。滅多《めった》にありゃしない。こんな動物といっしょに夜|山越《やまごえ》をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠《こうもり》のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布《あかげっと》がいたから、好《よ》いようなものの、蝙蝠とたった二人限《ふたりぎり》だったら――正直なところ降参する。
 すると長蔵さんが、暗闇《くらやみ》の中で急に、
「おおい」
と声を揚げた。淋《さむ》しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異《い》な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおい[#「おおい」に傍点]と人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇《くらやみ》で、人っ子一人通らなくって、御負《おまけ》に蝙蝠なんぞと道伴《みちづれ》になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚《あ》げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおい[#「おおい」に傍点]と来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間|後《うしろ》から行く自分の注意を惹《ひ》くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおい[#「おおい」に傍点]と右左りに当ったが、立ち木に遮《さえぎ》られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥《はるか》の先でおおい[#「おおい」に傍点]と云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、
「小僧やあ」
と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟《たた》られていたに違ない。この祟は翌朝《あした》になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何《なん》て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈《はげ》しく来た。
 ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂《ひとだま》の尻尾《しっぽ》のように、幽《かす》かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続《つなが》りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇《くらやみ》に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、
「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」
と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一《ひと》つ家《や》の前へ出ている。ランプが点《つ》いている。ランプの灯《ひ》が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布《あかげっと》がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。
 自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入《はい》って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日《こんにち》までまだかつてない。後《あと》から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜《ぬ》け掛《がけ》をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおい[#「おおい」に傍点]と云う声も小僧やあ[#「小僧やあ」に傍点]と云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。
 同勢《どうぜい》はこれでようやく揃《そろ》ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙《しんびょう》にしていると、長蔵さんは自分達を路傍《みちばた》に置きっ放しにして、一人で家《うち》の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶《な》けば馬小屋だ。何でも草鞋《わらじ》を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口《まぐち》は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉《た》ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝《みぞ》に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論|藁葺《わらぶき》で、その藁が古くなって、雨に腐《ふ》やけたせいか、崩《くず》れかかって漠然《ばくぜん》としている。夜と屋根の継目《つぎめ》が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜《もぐ》り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜《はす》に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫《さんまん》なものである。この男はたとい地震がゆって、梁《はり》が落ちて来ても、親の死目に逢《あ》うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。
 ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉《またぐら》から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間《ま》にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。
「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊《とま》って行こう。みんな這入るがいい」
 自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙《しんびょう》が急に破裂して、身体《からだ》がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明《あか》す事が、それほどの慰藉《いしゃ》を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御《ぎょ》しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏《かしこ》まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大《おおい》に嬉《うれ》しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴《ともな》ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例《たと》えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做《みな》す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界《きょうがい》に馴《な》らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺《まひ》さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳《くどく》だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日《こんにち》まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具《かたわ》だろう。人間であるからは、たまには怒《おこ》るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一|身体《からだ》の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立《おぜんだて》をするが至当じゃないか。
 自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩《なぬかななばん》引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合《ひきあい》に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘《うそ》だと思うなら、試験して見るがいい。他人《ひと》を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身《わがみ》で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落《おちぶ》れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上|分《わかり》ッこない。この理窟《りくつ》がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカ[#「タンカ」に傍点]を切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細《しさい》である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦《にが》い顔をして謝罪《あやま》っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹《おなか》が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮《きゅう》して濫《らん》して、達して道を行《おこな》って、惚《ほ》れていっしょになって、愛想《あいそ》が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰《さた》である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
 そこで元気のいい今の気焔《きえん》をやめて、再びもとの神妙《しんびょう》な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋《あばらや》でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来《がんらい》泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体《からだ》は蒟蒻《こんにゃく》のように疲れ切ってる。平生《いつも》なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切《はちき》れそうになるはずだのに、没自我《ぼつじが》の坑夫行《こうふゆき》、すなわち自滅の前座としての堕落と諦《あきら》めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬《たとえ》を借りて来ないと説明ができない。
 自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛《ゆる》んで、立ち切れない足を引《ひ》き摺《ず》って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布《あかげっと》はのそのそ這入《はい》ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履《ぞうり》の尻が勢よく踵《かかと》へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。
 這入って見るとぷんと臭《にお》った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着《むとんじゃく》であった。土間から上へあがる段になって、雑巾《ぞうきん》でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分|裸足《はだし》である。ひどい奴だと眺《なが》めていると、長蔵さんが、
「御前さんも下駄だから、御上り」
と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子《しょうじ》――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐《あぐら》をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布《あかげっと》が草鞋《わらじ》を脱いでいる。二人共腰から手拭《てぬぐい》を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間《ま》から茶と煙草盆《たばこぼん》を持って来た。
 主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆《あき》れ返《かえ》るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話《はなし》をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入《はい》った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋《のんきや》を銅山《やま》へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介《やっかい》になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。
 自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠《いねむり》を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損《うりそこな》って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然《はっきり》しなくなって、自然《じねん》と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋《あばらや》までも消えた時、こくりと眠《ねむり》が覚《さ》めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡《もちや》げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣《うっちゃ》って置くと、忽然《こつぜん》ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中《うち》に、影のような長蔵さんと亭主が膝《ひざ》を突き合せている。ちょうど、借《かり》がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額《ひたい》が長くって、斜《はす》に頭の天辺《てっぺん》まで引込《ひっこ》んでるから、横から見ると切通《きりどお》しの坂くらいな勾配《こうばい》がある。そうして上になればなるほど毛が生《は》えている。その毛は五分《ごぶ》くらいなのと一寸《いっすん》くらいなのとが交《まじ》って、不規則にしかも疎《まばら》にもじゃもじゃしている。自分が居眠《いねぶ》りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸《ひとみ》の底に映った。ランプが煤《すす》だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭《めいりょう》である。自分はこの明瞭でかつ朦朧《もうろう》なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟《とっさ》にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布《けっと》の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開《あ》いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯《ひ》があたるから、よく見ていると、藁葺《わらぶき》の裏側が震《ふる》えるように思われた。
 それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛《いっそくとび》に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開《あ》けても気は判然《はっきり》しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥《おちい》っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微《かすか》に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空《いっさいくう》に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚《さ》めた時は、もう居眠《いねぶ》りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎《よだれ》を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰《おとさた》を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否《いな》や、眼をあいて涎《よだれ》を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜《ゆうべ》の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然《せつぜん》と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当《あて》にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸《のび》をして、寝たまま握《にぎ》り拳《こぶし》を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦《こす》って、腕のありたけ出たところで、勢《せい》がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹《くぼ》んだ頬っぺたをぼりぼり掻《か》き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太《ねだ》が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘《ひじ》の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。
 こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布《あかげっと》ばかりである。これはまた呑気《のんき》なもんで、依然として毛布《けっと》から大きな足を出してぐうぐう鼾声《いびき》をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。――
「御前《おまえ》さん。おい御前さん。もう起きないと御午《おひる》までに銅山《やま》へ行きつけないよ」
 御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、
「おい、おい」
と揺《ゆす》り始めたんで、やむを得ず、毛布《けっと》の方でも「おい」と同じような返事をして、中途|半端《はんぱ》に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、
「じゃ、そろそろ出掛けよう」
と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛《つッか》けて、長蔵さんと赤毛布《あかげっと》が草鞋《わらじ》の紐《ひも》を結ぶのを、不景気な懐手《ふところで》をして待っていた。
 土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯《あさめし》を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢《ぜいたく》の沙汰《さた》のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做《みな》されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後《のち》この顛倒《てんとう》事件を布衍《ふえん》して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢|拵《こしら》えて、さも当然であるかの容子《ようす》で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
 すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
 飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、
「好いです」
と答えて置いた。すると長蔵さんは、
「食いたいかね」
と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性《こんじょう》が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立《しゅったつ》に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人《ふたり》にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無《やどな》しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒《さ》めて、夜が明けてるのに、汁の煙《けむ》も、漬物の香《におい》も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養《くよう》をする呑気屋《のんきや》で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸《さいわい》な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所《とこ》に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣《つ》けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺《ず》り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏《とぼ》しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励《しょうれい》されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。
 長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後《うし》ろを振り返ったが、
「熊《くま》さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」
と軽く力足《ちからあし》を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗《のぞ》いて見ると、昨夕《ゆうべ》うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団《ふとん》の下から出ている。この亭主は敷蒲団《しきぶとん》を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜《ゆうべ》見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠《こ》けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、
「いや、何にも御構《おかまい》申さなかった」
と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。
「寒かなかったかね」
とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは
「いいえ。なあに」
と受けて、土間から片足踏み出した時、後《うしろ》から、熊さんが欠伸交《あくびまじ》りに、
「じゃ、また帰りに御寄り」
と云った。
 それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足|後《おく》れて、小僧と赤毛布《あかげっと》の尻を追っ懸《か》けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣《な》れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午《ひる》までには銅山《やま》へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登《のぼり》になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘《うそ》のようでもあるが実際見渡して見ると四方《しほう》は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入《はい》る訳になる。この模様では銅山《どうざん》のある所は、定めし淋しいだろう。呼息《いき》を急《せ》いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興《すいきょう》で来たんだか浅間《あさま》しくなる。と云って都におりたくないから出奔《しゅっぽん》したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類《おやしんるい》の目に懸《か》からないように、朽果《くちは》ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継《つ》ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄《すご》いほど木を被《かぶ》っている上に、雲がかかって見る間《ま》に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句《あげく》は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面《はなづら》を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲《ま》き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻《さっき》の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後《あと》からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当《けんとう》がつかなくなる。立ちながら眺《なが》めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺《あたり》まで落ちかかった。長蔵さんは、
「こりゃ、雨だね」
と、歩きながら独言《ひとりごと》を云った。誰も答えたものはない。四人《よつたり》とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲《ま》かれるような、また埋《うず》められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭《かげ》で自分は世の中から隠したい身体《からだ》を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉《と》じ籠《こ》められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬《ほうぶ》られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌《あす》が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾《わ》が身《み》で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。
 しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔《へだ》てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布《けっと》が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてら[#「どてら」に傍点]が、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利《き》かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後《あと》になり先になり、殖《ふえ》もせず減《へり》もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾《はじ》かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。
 自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無《やどなし》である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴《みちづれ》になって登り一里、降《くだ》り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時《なんじ》だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過《ひるすぎ》とも云われるし、また夕方と云っても差支《さしつかえ》ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微《かす》かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主《からぼうず》になったり、ところ斑《まだら》の禿頭《はげあたま》と化けちまったんで、丹砂《たんしゃ》のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆《ひとふで》に抹殺《まっさつ》して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒《さ》めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応《こた》えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着《むとんじゃく》な性質《たち》である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒《おか》すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅《あかがね》を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、
「やっと、着いた」
と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦《こす》って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿《しゅく》とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔《こけ》の生えない、新しずくめの上に、白粉《おしろい》をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇《いとま》もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、
「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」
と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家《うち》が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿《は》げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引《ひ》き摺《ず》り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向《むこう》を覗《のぞ》き込んでるのを見て、
「好いかね、御前さん、大丈夫かい」
とまた聞き直したから、自分は、
「好いです」
と明瞭《めいりょう》に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念《けねん》がある様子であった。赤毛布《あかげっと》と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人《ふたり》は過去の因果《いんが》で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色《けしき》がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危《あぶ》ないなと睨《にら》まれていたのかも知れない。好い面《つら》の皮だ。
 それから四人|揃《そろ》って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中《うち》で一番いかめしい奴《やつ》を指《さ》して、あれが所長の家《うち》だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら
「こっちがシキ[#「シキ」に傍点]だよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキ[#「シキ」に傍点]と云う言葉をこの時始めて聞いた。
 よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキ[#「シキ」に傍点]なんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキ[#「シキ」に傍点]と云う言葉を明瞭《めいりょう》に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキ[#「シキ」に傍点]の方へ這入《はい》る事になった。鉄軌《レール》についてだんだん上《のぼ》って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳|二間《ふたま》で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽《あ》きずに上《のぼ》って行くと、今度は石崖《いしがけ》の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下《がけした》にあるんだから位地にも変りはないが、向《むき》だけは各々《めいめい》違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢《ぜいたく》は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応《いやおう》なしに、方角のお構《かまい》なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間《ま》にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外《そ》れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当《けんとう》がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキ[#「シキ」に傍点]と云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキ[#「シキ」に傍点]だなと感じた。しかしいくらシキ[#「シキ」に傍点]でも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキ[#「シキ」に傍点]とは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種|獰悪《どうあく》な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場《はんば》へ着いた。
 なぜ飯場と云うんだか分らない。焚《た》き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後《ご》飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒《べらぼう》め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突《けんつく》を食《くら》った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキ[#「シキ」に傍点]でも飯場[#「飯場」に傍点]でもジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]でも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多《めった》に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑《ひま》もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極《しごく》簡単でかつ全く実際的なものである。
 そう云う訳で飯場《はんば》の意味は今もって分らないが、とにかく崖《がけ》の下に散在している長屋を指《さ》すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人《ひとり》ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間《ま》にか、赤毛布《あかげっと》と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯《めし》を食うようになったんだなと後《あと》から気がついた。二人の消息はその後《のち》いっこう聞かなかった。銅山《やま》のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布《けっと》と、夕方の山から降《くだ》って来た小僧と落ち合って、夏の夜《よ》を後になり先になって、崩《くず》れそうな藁屋根《わらやね》の下でいっしょに寝た明日《あくるひ》は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏《まと》まりそうで、纏らない、云わばでき損《そこな》いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔《へだ》てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹《そうきゅう》の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣《おもむき》があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧《あいまい》な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果《いんが》の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中《うち》に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日《いちやはんにち》の画《え》の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神《かみ》さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記《しる》すだけである。小説のように拵《こしら》えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。
 赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実|極《きわ》めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地《しゅっしょうち》も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡《りょうけん》とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺《お》すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭《はんばがしら》は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛《まゆげ》の太くって蒼髯《あおひげ》の痕《あと》の濃い逞《たくま》しい四十|恰好《がっこう》の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、
「そうかい、それじゃ置いておいで」
とさも無雑作《むぞうさ》に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜《どがま》を台所へ担《かつ》ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々《はるばる》山越《やまごえ》をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中《うち》でこの飯場頭を恨《うら》んだが、これは自分の間違であった。その訳は今|直《すぐ》に分る。
 飯場頭と云うのは一《ひとつ》の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡《りょうけん》しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間《いっぷんじかん》に談判を結了した長蔵さんは、
「じゃ、よろしくお頼みもうします」
と云ったなり、赤毛布《あかげっと》と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後《ご》いっこう影も形も見せないんで、全く、置去《おきざり》にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶《あいさつ》もしない。それにしてもぽん引[#「ぽん引」に傍点]の手数料はいつ何時《なんどき》どこで取ったものか、これは今もって分らない。
 こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛《な》げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然《しょうぜん》としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩|出逢《であ》う、万事を心得た苦労人の顔である。
「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」
 飯場掛《はんばがかり》の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さん[#「お前さん」に傍点]で、厭《いや》になるほどやられた揚句《あげく》の果《はて》、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなた[#「あなた」に傍点]の昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日《おととい》までは立派にあなた[#「あなた」に傍点]で通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧《ていねい》で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後《ご》いろいろな目に逢《あ》って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦《す》れ枯《から》しの今日《こんにち》から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜《くちお》しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他《ひと》から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘《てまえかん》の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。
 こう云う訳で、飯場掛《はんばがか》りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然《しょうぜん》とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利《き》けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。――
「……まあどうして、こんな所へ御出《おいで》なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概|私《わたし》にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取《と》ッ附《つけ》坑夫になれて、金がうんと儲《もう》かるてえような旨《うま》い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」
 飯場頭《はんばがしら》はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸《さいわ》いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利《き》けるようになっていた。そこで自分はこう云った。――
「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲《もう》けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」
と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気《しょげ》ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹《ほらふ》きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着《だまさ》れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更《いまさら》どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚《ぐ》であった。幸い相手が、こう云う家業《かぎょう》に似合わぬ篤実《とくじつ》な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭《かしら》の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるです[#「僕は知ってるです」に傍点]を思い出しては独《ひと》り赧《あか》い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉《はらこまきち》である。今もって自分は好い名だと思ってる。
 原さんは別に厭《いや》な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭《あたま》を振り出した。その頭は大きな五分刈《ごぶがり》で額の所が面摺《めんずれ》のように抜き上がっている。
「そりゃ物数奇《ものずき》と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家《うち》を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時《いちじ》の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃《よ》すが好《よ》うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人《いくたり》も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通《なみ》のものの出来る業《わざ》じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過《くちすぎ》だけなら骨は折れませんやあ」
 原さんはここに至って、胡坐《あぐら》を崩《くず》して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排《あんばい》である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷《あわせ》はさっきの雨で濡《ぬ》れている。洋袴下《ズボンした》は穿《は》いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場《はんば》へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情《なさけ》ないのが寒いのと合併して急に顫《ふる》え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪《た》えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去《おきざり》にして、挨拶《あいさつ》もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口《がまぐち》を長蔵さんに取られてから、懐中《ふところ》には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒《ゆきだおれ》になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢《あ》えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際《つきあい》もある事だから、好い智慧《ちえ》を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑《ひま》な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好《すき》な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由《わけ》だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行《はんこう》で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露《みあら》わしたり、片方《かたっぽ》づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。
 弱輩《じゃくはい》な自分にはこの機合《きあい》がまだ呑《の》み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、
「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」
と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利《き》けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨《げんこつ》を拵《こしら》えて寒い鼻の下を擦《こす》ったように記憶している。自分はその前|寄席《よせ》へ行って、よく噺家《はなしか》がこんな手真似《てつき》をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。
「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
 旅費は無論ない。一厘たりとも金気《かなけ》は肌に着いていない。のたれ死《じに》を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭《わらじせん》でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺《す》りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥《れんち》も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁《ふていさい》な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒《ほ》められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地《きじ》はこれだから、これで差支《さしつかえ》ないなどと主張するのは、練羊羹《ねりようかん》の生地は小豆《あずき》だから、羊羹の代りに生《なま》小豆を噛《か》んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡《りょうけん》になったものかと、吾《われ》ながら愛想《あいそ》が尽きる。こう云う下卑《げび》た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥《はるか》に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯《しょうがい》練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
 自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭《はんばがしら》からわずかの合力《ごうりき》を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調《ととの》えてくれる金も、二三日《にさんち》木賃宿《きちんやど》で夜露を凌《しの》げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途《あてど》もなく流れ出さなければならないと、冥々《めいめい》のうちに自覚したからである。自分は屑《いさぎ》よく涙金《なみだきん》を断った。断った表向は律義《りちぎ》にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索《せんさく》すると、慾の天秤《てんびん》に懸《か》けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断《ことわ》ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」
「随分|酔興《すいきょう》ですね」
と原さんは首を傾《かし》げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、
「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」
と云った。
「帰るったって、帰る所がないんです」
「だって……」
「家《うち》なんかないんです。坑夫になれなければ乞食《こじき》でもするより仕方がないです」
 こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利《き》くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出《で》にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子《ひょうし》に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚《みな》しても差支《さしつかえ》なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌《しゃべ》る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。
 いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒《あべこべ》じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐《ちんぷ》でかつ時々|嘘《うそ》になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯《うなず》くだろう。
 自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日《おととい》家《うち》を飛び出す間際《まぎわ》までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落《かけおち》と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔《しゅっぽん》の時期を曖昧《あいまい》に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊《つちくれ》だか分らない坑掘《あなほり》になり下《さが》る目的の逃亡とは、何不足なく生育《そだ》った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛《か》みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否《いな》天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌《しの》いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目《まじめ》に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。
 妙な意地だか、負惜《まけおし》みだか、それとも行倒れになるのが怖《こわ》くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説《くど》いた。
「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐《かい》に、一日《いちんち》でも二日《ふつか》でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押《おし》を強く御厄介《ごやっかい》になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」
と昨日《きのう》茶店の神《かみ》さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴《ふいちょう》する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。
「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」
と原さんは何気なく裏の赤い山を覗《のぞ》くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合《そらあい》だ。この一瞬時に、自分の願が叶《かな》って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下《こっか》の志を遂《と》げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨《うら》めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。
「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日《あした》の朝シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易《なまやさし》い業《わざ》じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺《なが》めていたが、やがて、
「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好《よ》うがすかい」
と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。
「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」
と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。
「銅山《やま》にはね、一万人も這入っててね。それが掘子《ほりこ》に、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]に、山市《やまいち》に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子《ほりこ》ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働《したばたらき》ですね。シチュウ[#「シチュウ」に傍点]は早く云うとシキ[#「シキ」に傍点]の内《なか》の大工見たようなものかね。それから山市《やまいち》だが、こいつは、ただ石塊《いしっころ》をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負《うけおい》仕事だから、間《ま》が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年《ねん》が年中《ねんじゅう》三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分《ごぶ》は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団《ふとん》の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚|要《い》るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜《おさい》は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」
 実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更《いまさら》どうしたって否《いや》だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢《やせがまん》のつけ景気《げいき》のごとく響いたか、その辺《へん》は確《しか》と分らないが、何しろこの一言《いちごん》を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上《おあ》がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキ[#「シキ」に傍点]へ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場《はんば》を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日《いちんち》に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬《ともら》いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多《めった》にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥《くたび》れるだろう。こっちへ御上り」
 この逐一《ちくいち》を聞いていた自分はたとい、掘子《ほりこ》だろうが、山市《やまいち》だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
 そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出《おいで》なさい」
と云うから、好加減《いいかげん》に御辞儀をして、後《あと》から尾《つ》いて行った。小作《こづくり》な婆さんで、後姿の華奢《きゃしゃ》な割合には、ぴんぴん跳《は》ねるように活溌《かっぱつ》な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結《むすび》にむすんで、なけなしの髪を頸窩《ぼんのくぼ》へ片づけてその心棒《しんぼう》に鉛色の簪《かんざし》を刺している。そうして襷掛《たすきがけ》であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育《やまそだち》だからかしら。いや、飯場《はんば》だから優長《ゆうちょう》にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまい[#「なるまい」に傍点]で充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段《はしごだん》を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避《たじろ》いだ。
 胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数《たたみかず》は何十枚だか知らないが遥《はるか》の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重《ひとえ》の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節《なにわぶし》の席亭のような恰好《かっこう》で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々《だだ》ッ広《ぴろ》い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値《ねうち》は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏《いろり》が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯《ひきょう》な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩《じゃくはい》の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多《めった》に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒《いけど》られたんだから、この黒い塊《かたまり》を見るが早いか、いささか辟易《ひるん》じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支《さしつかえ》ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮《いしゅく》してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨《ほおぼね》がだんだん高く聳《そび》えてくる。顎《あご》が競《せ》り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺《つぼ》のように引ッ込んで、眼球《めだま》を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊《とっかん》展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々《りょうりょう》たるものである。劇《はげ》しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味《あたたかみ》とか、優味《やさしみ》とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛《どうもう》だ。不思議にもこの獰猛な相《そう》が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏《いろり》の傍《はた》の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間《ま》に獰猛な顔が十四五|揃《そろ》った。向うの囲炉裏を取捲《とりま》いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下《みおろ》していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避《ひる》んだ。
 この時婆さんが後《うしろ》を振り返って、
「こっちへおいでなさい」
と、もどかしそうに云うから、度胸を据《す》えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍《はた》まで来ると、婆さんが、今度は、
「まあここへ御坐《おすわ》んなさい」
と差《さ》しずをしたが、ただ好加減《いいかげん》な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊《かたま》りを避《さ》けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終《しじゅう》自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利《き》くものがない。取附端《とりつきは》を見出《みいだ》すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独《ひと》りぼッちで離れているのは、獰猛の目標《めじるし》となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段《はしごだん》を降りて行ってしまった。広い寄席《よせ》の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方《でかた》一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰《てもちぶさた》は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷《あわせ》一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼《た》いて獰猛共が囲炉裏《いろり》へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ[#「てれ」に傍点]隠《かく》しに襯衣《シャツ》の釦《ボタン》をはずして腋《わき》の下へ手を入れたり、膝《ひざ》を立てて、足の親指を抓《つね》って見たり、あるいは腿《もも》の所を両手で揉《も》んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心《しん》から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束《おぼつか》ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似《まね》をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞《なるみしぼり》の兵児帯《へこおび》を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃《かおぞろい》で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛《どうもう》で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮《あなどり》と、嘲弄《あざけり》と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端《とたん》に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、
「やに澄《す》ますねえ」
と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯《しゃが》れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質《たち》の言葉でないから――字で書くと普通のねえ[#「ねえ」に傍点]のように見えるが、実はなよ[#「なよ」に傍点]の命令を倶利加羅流《くりからりゅう》に崩《くず》したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀《ていねい》であった。ところが原さんは飯場頭《はんばがしら》である。頭《かしら》ですらこれだから、平《ひら》の坑夫は無論そう野卑《ぞんざい》じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口《あくたい》が藪《やぶ》から棒《ぼう》に飛んで来た時には、こいつはと退避《ひる》む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事|毒突返《どくづきかえ》したなら、袋叩《ふくろだた》きに逢《あ》うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄《あにい》に類似した言語は無論、尋常の竹箆返《しっぺいがえ》しさえ控えたのは、――相手にならないと先方《さき》を軽蔑《けいべつ》したためだろうか――あるいは怖《こわ》くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後《あと》の方らしい。とにかくも両方|交《まじ》ってたと云うのが一番|穏《おだやか》のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖《こわ》いものが沢山《いくら》もある。矛盾にゃならない。
 それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口《あくたい》を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡《りょうけん》と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山《やま》を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸《さいわ》いと嘲弄《ちょうろう》するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨《うら》みを、吾身《わがみ》一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入《はい》るまでは、自分こそ社会に立てない身体《からだ》だと思い詰めていた。そこで飯場《はんば》へ上《あが》って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟《いたばさ》みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰《てもちぶさた》と云うよりは、情《なさけ》ないほど不人情な奴が揃《そろ》ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴《ちくしょうめ》と思った。俗語に云う怒《おこ》った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切《せつ》なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包《くる》んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
 この悪意に充《み》ちた笑がようやく下火になると、
「御前《おめえ》はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所《でどころ》は判然《はっきり》分った。浅黄色《あさぎいろ》の手拭染《てぬぐいじ》みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向《うしろむ》きの胡坐《あぐら》のまま、斜《はす》に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜《けつまく》が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹《へこ》まして、愚弄《ぐろう》の笑いを洩《も》らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎《あご》でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主《がんにんぼうず》が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生《しょせ》ッ坊《ぼ》だな。大方《おおかた》女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体《ぜんてえ》この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰《けえ》れ。そんな瘠《やせ》っこけた腕でできる稼業《かぎょう》じゃねえ」
 自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合《はりあい》が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調《ととの》っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊《かたまり》を見るたびに、人数《にんず》やら、着物やら、獰猛《どうもう》の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂《あぶら》が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際《ひときわ》目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強《くっきょう》である。眉毛《まみえ》と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終《しじゅう》鼻眼鏡で圧《お》しつけてるように見える。そこに疳癪《かんしゃく》が拘泥《こうでい》していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利《き》いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲《もう》かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰《くいつめ》ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通《かよ》ったもんだが、放蕩《ほうとう》の結果とうとう、シキ[#「シキ」に傍点]の飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月《ひとつき》と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
 これは比較的|真面目《まじめ》な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派《どうあくは》もおとなしく交《まぜ》っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊《あらがね》を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙《こうせつ》のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯《よわい》されない人非人《にんぴにん》として、多勢《たぜい》の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込《つっこ》んで、獰猛組《どうもうぐみ》の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶《かな》っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹《つつし》んで耳を傾《かたぶ》けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄《ぐろう》の舌《した》がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟《おきて》があるから呑《の》み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分《きょうでえぶん》もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛《ひど》い目に逢《あ》うのが怖《こわ》いから、まあ聞いて見た。すると他《ほか》の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違《りょうけんちげ》えだ。早く帰《けえ》れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲《もう》けようたって、そう旨《うま》かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰《けえ》るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
 しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲《もう》けたいだろうが、そうは問屋で卸《おろ》さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦《あきら》めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
 この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊《かたま》っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢《ぐんぜい》が加勢したら大事《だいじ》である。自分は愚弄《ぐろう》されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離《はな》れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後《あと》を追掛《おっか》け、追ん廻わしているほど辛《つら》い事はない。なんでも敵に逢《あ》ったら敵を呑《の》むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截《き》って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅《か》がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦《しゃか》の空説法《からぜっぽう》である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説《ちんせつ》なら、なおさら言うだけが野暮《やぼ》になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
 自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳《ごぜん》を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間《ま》に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮《いしゅく》した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥《は》げた御膳《おぜん》の上に縁《ふち》の欠けた茶碗が伏せてある。小《ち》さい飯櫃《めしびつ》も乗っている。箸《はし》は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆《うるし》が半分ほど落ちて木地《きじ》が全く出ている。御菜には糸蒟蒻《いとごんにゃく》が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝《けさ》から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空《から》である。もし空でなければ、昨日《きのう》食った揚饅頭《あげまんじゅう》と薩摩芋《さつまいも》があるばかりである。飯の気《け》を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃《おはち》の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元《のどもと》まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交《ま》ぜっ返しも気に掛ける暇《いとま》なく、見栄《みえ》も糸瓜《へちま》も棒に振って、いきなり、お櫃《はち》からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数《てかず》さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸《はげばし》を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股《また》に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁《ふち》を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損《しくじり》を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸《はし》を休めて考えた。おそらく狐に撮《つま》まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢《つや》のない飯を一口|掻《か》き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液《つばき》に和《と》けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。
「面《つら》あ見ろ。いい様《ざま》だ」
と一人が云うと、
「御祭日《おさいじつ》でもねえのに、銀米《ぎんまい》の気でいやがらあ。だから帰《けえ》れって教《おせ》えてやるのに」
と他《ほか》のものが云う。
「南京米《ナンキンめえ》の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違《りょうけんちげえ》だ」
とまた一人が云った。
 自分は嘲弄《ちょうろう》のうちに、術《じゅつ》なくこの南京米《ナンキンまい》を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆《い》を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗《きれい》に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日《きのう》食った揚饅頭《あげまんじゅう》や、ふかし芋《いも》の方が、どのくらい御馳走《ごちそう》であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。
 茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛《よそ》う気にならなかったから、糸蒟蒻《いとごんにゃく》だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭《いや》なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後《ご》日に三度ずつは、必ずこの南京米に対《むか》わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣《な》れるに連《つ》れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳《はげぜん》に向って逡巡《しりごみ》した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更《まんざら》無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病《や》むところに廻《めぐ》り合わせて、現状を目撃したら、ことに因《よ》ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値《ねうち》は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
 南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗《しくじり》に対する冷評は、自然のままにして抛《ほう》って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥《かなだらい》を叩《たた》き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切《くぎ》って、拍子《ひょうし》を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄《きやり》の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄《うた》い囃《はや》して何物か近づいて来た。
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と一人が膝頭《ひざがしら》を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊《かたまり》がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達《のんびり》したせいか、自分もジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲《すもう》をとって暮らしていると云っても差支《さしつかえ》なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞《ふさ》がっている上から背伸《せえのび》をして見下《みおろ》すと、斜《はす》に曲ってる向《むこう》の石垣の角から、紺《こん》の筒袖《つつそで》を着た男が二人《ふたあり》出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧《お》しつぶして薄《うす》っ片《ぺら》にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後《うしろ》の禿山《はげやま》に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後《あと》から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節《なにわぶし》で咄喊《とっかん》するような稀代《きたい》な調子であった。
「おい金公《きんこう》はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴《どな》った。後向《うしろむき》だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間《ま》に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸《か》けて、首を捻《ね》じ向けると、――寝ている。薄い布団《ふとん》をかけて一人寝ている。
「おい金州《きんしゅう》」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴《どなり》つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎《むかえ》に出掛けた。被《かぶ》ってる布団《ふとん》を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那《せつな》、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄《ぞっ》とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居《たちい》のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯《ひげ》は幾日も剃《そ》らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛《どうもう》も、こう憔悴《やつれ》ると憐《あわ》れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖《こわ》くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極《きょく》全く怖《こわ》かった。
 病人は二人に支えられながら、釣られるように、利《き》かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数《たにんず》は、さも面白そうに囃《はや》し立てる。
「よう、金《きん》しゅう早く来いよ。今ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]が通るところだ。早く来て見ろよ」
「己《おら》あジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんか見たかねえよ」
と病人は、無体《むたい》に引き摺《ず》られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子《しょうじ》の角《かど》まで圧《お》しつけられてしまった。
 じゃじゃん、じゃららんとジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延《せいの》びをして見下《みおろ》した時、自分は再び慄とした。金盥《かなだらい》と金盥の間に、四角な早桶《はやおけ》が挟《はさ》まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾《しろかなきん》で包んで、細い杉丸太を通した両端《りょうたん》を、水でも一荷《いっか》頼まれたように、容赦なく担《かつ》いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄《うた》を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の意味を理解した。生涯《しょうがい》いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は葬式である。坑夫、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]、掘子《ほりこ》、山市《やまいち》に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節《なにわぶし》に唄《うた》って、金盥の潰《つぶ》れるほどに音楽を入れて、一荷《いっか》の水と同じように棺桶《かんおけ》をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否《いや》と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極《きょく》で、また冷刻の極である。
「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」
と云ってる。病人は、
「うん、見えたから、床《とこ》ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生《ごしょう》だから」
と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、
「よっしょいよっしょい」
と云いながら、刻《きざ》み足に、布団《ふとん》の敷いてある所まで連れて行った。
 この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はこの雨の中を敲《たた》き立てて町の方へ下《くだ》って行く。大勢は
「また雨だ」
と云いながら、窓を立て切って、各々《めいめい》囲炉裏《いろり》の傍《はた》へ帰る。この混雑紛《どさくさまぎれ》に自分もいつの間《ま》にか獰猛《どうもう》の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作《しょさ》でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷《あわせ》一枚ではとても凌《しの》ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微《かす》かな粒であるが、四方の禿山《はげやま》を罩《こ》め尽した上に、筒抜《つつぬ》けの空を塗り潰《つぶ》して、しとどと落ちて来るんだから、家《うち》の中に坐っていてさえ、糠《ぬか》よりも小さい湿《しめ》り気《け》が、毛穴から腹の底へ沁《し》み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。
 自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯《からか》われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻《さっき》のジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で不意に気が変った成行《なりゆき》として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑《ひやかし》の種が尽きたか、あるいは毒突《どくづ》くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。――
「あのジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はどこから出たんだろう」
「どこから出たって御《お》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
「ことによると黒市組《くろいちぐみ》かも知れねえ。見当《けんとう》がそうだ」
「全体《ぜんてえ》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になったらどこへ行くもんだろう」
「御寺よ。きまってらあ」
「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」
「そうよ、そりゃ寺限《てらぎり》で留《とま》りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違《ちげ》えねえ」
「だからよ。その行く先はどんな所《とこ》だろうてえんだ。やっぱしこんな所《ところ》かしら」
「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」
「己《おれ》もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」
「いくら地獄だって極楽《ごくらく》だって、やっぱり飯は食うんだろう」
「女もいるだろうか」
「女のいねえ国が世界にあるもんか」
 ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談《じょうだん》だと思った。笑っても差支《さしつかえ》ないものと心得て、口の端《はた》をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲《ま》いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘《うそ》としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉《まゆ》の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥《いちべつ》して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げて、シキ[#「シキ」に傍点]の中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡《りょうけん》でいる人間が――人間の器械で、器械の獣《けだもの》とも云うべきこの獰猛組《どうもうぐみ》が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用《いりよう》のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏《いろり》のぐるりに胡坐《あぐら》をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮《いしゅく》が手伝って、七分方《しちぶがた》でき上った笑いを急に崩《くず》したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席《よせ》を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様《びしゃもんさま》が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。
 この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸《うな》り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。
「金公《きんこう》苦しいのか」
と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、
「ううん」
と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、
「そんなに嚊《かかあ》の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更《いまさら》唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」
と、やっぱり囲炉裏の傍《そば》へ坐ったまま、大きな声で慰《なぐさ》めている。慰めてるんだか、悪口《あくたい》を吐《つ》いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶《あいさつ》――挨拶にもならない声を微《かす》かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合《かけあい》にならない慰藉《いしゃ》をやめて、囲炉裏の周囲《まわり》だけで舌《した》の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。
「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」
と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、
「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句《もんく》の附けようがねえ」
と賛成したものがある。
「若干《いくら》で抵当に入れたんだ」
と聞くと、向側《むこうがわ》から、
「五両だ」
と誰だか、簡潔に教えた。
「それで市《いち》の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」
 自分は囲炉裏の側《そば》に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋《わき》の下から汗が出る。
「金しゅうも早く癒《なお》って、嚊《かかあ》を受け出したら好かろう」
「また、市《いち》と入れ代りか。世話あねえ」
「それよりか、うんと稼《かせ》いで、もっと価《ね》に踏める抵当でも取った方が、気が利《き》いてらあ」
「違《ちげえ》ねえ」
と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝《ひざ》を並べて畏《かしこ》まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐《あぐら》に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長《ゆうちょう》ではなかった。
 その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂《あまだれ》の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇《や》んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固《もとよ》り締め切ってある。戸外《そと》の模様は分りようがない。しかし暗くって湿《しめ》ッぽい空気が障子《しょうじ》の紙を透《こ》して、一面に囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》を襲《おそ》って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然《ぼんやり》する。同時に囲炉裏の真中《まんなか》に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑《あな》の底へ滅入込《めいりこ》んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競《せ》り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点《つ》いた。
「飯でも食うべえ」
と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、
「飯を食って、また交替か」
「今日は少し寒いぞ」
「雨はまだ降ってるのか」
「どうだか、表へ出て仰向《あおむ》いて見な」
などと、口々に罵《ののし》りながら、立って、階下段《はしごだん》を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金《きん》さんばかりである。この金さんがやっぱり微《かすか》な声を出して唸《うな》ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳《かざ》して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体《からだ》は一枚の布団《ふとん》の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内《うち》唸《うな》り声《ごえ》も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向《むき》を易《か》えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森《しん》としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極《きょく》は怖《こわ》くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据《す》えてまた尻を落ちつけた。
 ところへ二三人、下からどやどやと階下段《はしごだん》を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺《なが》めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺《こん》か色の判然《はっきり》しない筒服《つつっぽう》を着ている。足は職人の穿《は》くような細い股引《ももひき》で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げている。のみならず二人《ふたあり》が二人とも泥だらけになって、濡《ぬ》れてる。そうして、口を利《き》かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を抛《ほう》り出すと、釦《ボタン》を外《はず》して、筒袖《つつっぽう》を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖《ひろそで》を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度《こんだ》のも濡れている。泥だらけである。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球《めだま》を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、
「手前《てめえ》は新前《しんめえ》だな」
と云ったものもある。自分はただ、
「ええ」
と答えて置いた。幸《さいわ》い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難《ぶなん》に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯《からか》う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨《にら》まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容《くつろ》いだ思いをして、囲炉裏《いろり》の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏《まと》まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想《もうぞう》がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気《かっき》に煽《あお》られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、
「草臥《くたび》れたろうから、もう御休みなさい」
と云われた。
 見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛《たすきがけ》のままである。いつの間《ま》に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳《か》け廻って、艶子《つやこ》さんになったり、澄江《すみえ》さんになったり、親爺《おやじ》になったり、金さんになったり、――被布《ひふ》やら、廂髪《ひさしがみ》やら、赤毛布《あかげっと》やら、唸《うな》り声《ごえ》やら、揚饅頭《あげまんじゅう》やら、華厳《けごん》の滝やら――幾多無数の幻影《まぼろし》が、囲炉裏の中に躍《おど》り狂って、立ち騰《のぼ》る火の気の裏《うち》に追いつ追われつ、日向《ひなた》に浮かぶ塵《ちり》と思われるまで夥《おびただ》しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、
「ええ」
と答えた。すると婆さんは後《うし》ろの戸棚を指《さ》して、
「布団《ふとん》は、あすこに這入《はい》ってるから、独《ひとり》で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」
と聞くから、また
「ええ」
と答えたら、婆さんは、それ限《ぎり》何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突《けんつく》を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通《さしずどお》り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅《うち》で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地《じ》は浅黄《あさぎ》である。模様は白である。その上に垢《あか》が一面に塗りつけてあるから、六分方《ろくぶがた》色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗《つ》き立ての伸《の》し餅《もち》を、金巾《かなきん》に包んだように、綿は綿でかたまって、表布《かわ》とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。
 自分はこの布団を畳の上へ平《ひらた》く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣《シャツ》だけになって、その間に潜《もぐ》り込んだ。湿《しめ》っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵《かかと》が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。みしりと音がするほど、関節が窮屈に硬張《こわば》って、動きたがらない。じっとして、布団の中に膝頭《ひざがしら》を横たえていると、倦怠《だるい》のを通り越して重い。腿《もも》から下を切り取って、その代りに筋金入《すじがねい》りの義足をつけられたように重い。まるで感覚のある二本の棒である。自分は冷たくって重たい足を苦《く》に病《や》んで、頭を布団の中に突っ込んだ。せめて頭だけでも暖《あったか》にしたら、足の方でも折れ合ってくれるだろうとの、はかない望みから出た窮策であった。
 しかしさすがに疲れている。寒さよりも、足よりも、布団の臭《にお》いよりも、煩悶《はんもん》よりも、厭世《えんせ》よりも――疲れている。実に死ぬ方が楽《らく》なほど疲れ切っていた。それで、横になるとすぐ――畳から足を引っ込まして、頭を布団に入れるだけの所作《しょさ》を仕遂《しと》げたと思うが早いか、眠《ね》てしまった。ぐうぐう正体なく眠てしまった。これから先きは自分の事ながらとうてい書けない。……
 すると、突然針で背中を刺された。夢に刺されたのか、起きていて、刺されたのか、感じはすこぶる曖昧《あいまい》であった。だからそれだけの事ならば、針だろうが刺《とげ》だろうが、頓着《とんじゃく》はなかったろう。正気の針を夢の中に引摺《ひきず》り込んで、夢の中の刺を前後不覚の床《とこ》の下に埋《うず》めてしまう分の事である。ところがそうは行かなかった。と云うものは、刺されたなと思いながらも、針の事を忘れるほどにうっとりとなると、また一つ、ちくりとやられた。
 今度は大きな眼を開《あ》いた。ところへまたちくりと来た。おやと驚く途端《とたん》にまたちくりと刺した。これは大変だとようやく気がつきがけに、飛び上るほど劇《はげ》しく股《もも》の辺《あたり》をやられた。自分はこの時始めて、普通の人間に帰った。そうして身体中《からだじゅう》至る所がちくちくしているのを発見した。そこでそっと襯衣《シャツ》の間から手を入れて、背中を撫《な》でて見ると、一面にざらざらする。最初指先が肌に触れた時は、てっきり劇烈な皮膚病に罹《かか》ったんだと思った。ところが指を肌に着けたまま、二三寸引いて見ると、何だか、ばらばらと落ちた。これはただ事でないとたちまち跳《は》ね起きて、襯衣一枚の見苦しい姿ながら囲炉裏《いろり》の傍《そば》へ行って、親指と人差指の間に押えた、米粒ほどのものを、検査して見ると、異様の虫であった。実はこの時分には、まだ南京虫《ナンキンむし》を見た事がないんだから、はたしてこれがそうだとは断言出来なかったが――何だか直覚的に南京虫らしいと思った。こう云う下卑《げび》た所に直覚の二字を濫用《らんよう》しては済まんが、ほかに言葉がないから、やむを得ず高尚な術語を使った。さてその虫を検査しているうちに、非常に悪《にく》らしくなって来た。囲炉裏の縁《ふち》へ乗せて、ぴちりと親指の爪で圧《お》し潰《つぶ》したら、云うに云われぬ青臭い虫であった。この青臭い臭気《におい》を嗅《か》ぐと、何となく好い心持になる。――自分はこんな醜い事を真面目《まじめ》にかかねばならぬほど狂違染《きちがいじ》みていた。実を云うと、この青臭い臭気を嗅ぐまでは、恨《うらみ》を霽《は》らしたような気がしなかったのである。それだから捕《と》っては潰し、捕っては潰し、潰すたんびに親指の爪を鼻へあてがって嗅いでいた。すると鼻の奥へ詰って来た。今にも涙が出そうになる。非常に情《なさけ》ない。それだのに、爪を嗅ぐと愉快である。この時二階下で大勢が一度にどっと笑う声がした。自分は急に虫を潰すのをやめた。広間を見渡すと誰もいない。金さんだけが、平たくなって静かに寝ている。頭も足も見えない。そのほかにたった一人いた。もっとも始めて気がついた時は人間とは思わなかった。向うの柱の中途から、窓の敷居へかけて、帆木綿《ほもめん》のようなものを白く渡して、その幅のなかに包まっていたから、何だか気味が悪かった。しかしよく見ると、白い中から黒いものが斜《はす》に出ている。そうしてそれが人間の毬栗頭《いがぐりあたま》であった。――広い部屋には、自分とこの二人を除《のぞ》いて、誰もいない。ただ電気灯がかんかん点《つ》いている。大変静かだ、と思うとまた下座敷でわっと笑った。さっきの連中か、または作業を済まして帰って来たものが、大勢寄ってふざけ散らしているに違ない。自分はぼんやりして布団のある所まで帰って来た。そうして裸体《はだか》になって、襯衣を振るって、枕元にある着物を着て、帯を締めて、一番しまいに敷いてある布団を叮嚀《ていねい》に畳んで戸棚へ入れた。それから後《あと》はどうして好いか分らない。時間は何時《なんじ》だか、夜《よ》はとうていまだ明けそうにしない。腕組をして立って考えていると、足の甲がまたむずむずする。自分は堪《こら》え切れずに、
「えっ畜生」
と云いながら二三度小踊をした。それから、右の足の甲で、左の上を擦《こす》って、左の足の甲で右の上を擦って、これでもかと歯軋《はぎしり》をした。しかし表へ飛び出す訳にも行かず、寝る勇気はなし、と云って、下へ降りて、車座の中へ割り込んで見る元気は固《もとよ》りない。さっき毒突《どくづ》かれた事を思い出すと、南京虫よりよっぽど厭《いや》だ。夜が明ければいい、夜が明ければいいと思いながら、自分は表へ向いた窓の方へ歩いて行った。するとそこに柱があった。自分は立ちながら、この柱に倚《よ》っ掛った。背中をつけて腰を浮かして、足の裏で身体を持たしていると、両足がずるずる畳の目を滑《すべ》ってだんだん遠くへ行っちまう。それからまた真直《まっすぐ》に立つ。またずるずる滑《すべ》る。また立つ。まずこんな事をしていた。幸い南京虫《ナンキンむし》は出て来なかった。下では時々どっと笑う。
 いても立ってもと云うのは喩《たとえ》だが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である。だから坐るとも立つとも方《かた》のつかない運動をして、中途半端に紛《まぎ》らかしていた。ところがその運動をいつまで根気《こんき》にやったものか覚えていない。いとど疲れている上に、なお手足を疲らして、いかな南京虫でも応《こた》えないほど疲れ切ったんで、始めて寝たもんだろう。夜が明けたら、自分が摺《ず》り落ちた柱の下に、足だけ延ばして、背を丸く蹲踞《うずくま》っていた。
 これほど苦しめられた南京虫も、二日三日と過《た》つにつれて、だんだん痛くなくなったのは妙である。その実、一箇月ばかりしたら、いくら南京虫がいようと、まるで米粒でも、ぞろぞろ転がってるくらいに思って、夜はいつでも、ぐっすり安眠した。もっとも南京虫の方でも日数《ひかず》を積むに従って遠慮してくるそうである。その証拠には新来《きたて》のお客には、べた一面にたかって、夜通し苛《いじ》めるが、少し辛抱していると、向うから、愛想《あいそ》をつかして、あまり寄りつかなくなるもんだと云う。毎日食ってる人間の肉は自然鼻につくからだとも教えたものがあるし、いや肉の方にそれだけの品格が出来て、シキ[#「シキ」に傍点]臭くなるから、虫も恐れ入るんだとも説明したものがある。そうして見るとこの南京虫と坑夫とは、性質《たち》がよく似ている。おそらく坑夫ばかりじゃあるまい、一般の人類の傾向と、この南京虫とはやはり同様の心理に支配されてるんだろう。だからこの解釈は人間と虫けらを概括《がいかつ》するところに面白味があって、哲学者の喜びそうな、美しいものであるが、自分の考えを云うと全くそうじゃないらしい。虫の方で気兼《きがね》をしたり、贅沢《ぜいたく》を云ったりするんじゃなくって、食われる人間の方で習慣の結果、無神経になるんだろうと思う。虫は依然として食ってるが、食われても平気でいるに違ない、もっとも食われて感じないのも、食われなくって感じないのも、趣《おもむき》こそ違え、結果は同じ事であるから、これは実際上議論をしても、あまり役に立たない話である。
 そんな無用の弁は、どうでもいいとして、自分が眼を開けて見たら、夜は全く明け放れていた。下ではもうがやがや云っている。嬉しかった。窓から首を出して見ると、また雨だ。もっとも判然《はっきり》とは降っていない。雲の濃いのが糸になり損《そく》なって、なっただけが、細く地へ落ちる気色《けしき》だ。だからむやみに濛々《もうもう》とはしていない。しだいしだいに雨の方に片づいて、片づくに従って糸の間が透《す》いて見える。と云っても見えるものは山ばかりである。しかも草も木も至って乏《とぼ》しい、潤《うるおい》のない山である。これが夏の日に照りつけられたら、山の奥でもさぞ暑かろうと思われるほど赤く禿《は》げてぐるりと自分を取り捲《ま》いている。そうして残らず雨に濡《ぬ》れている。潤い気《け》のないものが、濡れているんだから、土器《かわらけ》に霧を吹いたように、いくら濡れても濡れ足りない。その癖寒い気持がする。それで自分は首を引っ込めようとしたら、ちょっと眼についた。――手拭《てぬぐい》を被《かぶ》って、藁《わら》を腰に当てて、筒服《つつっぽう》を着た男が二三人、向うの石垣の下にあらわれた。ちょうど昨日《きのう》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の通った路を逆に歩いて来る。遠くから見ると、いかにもしょぼしょぼして気の毒なほど憐れである。自分も今朝からああなるんだなと、ふと気がついて見ると、人事《ひとごと》とは思われないほど、向《むこう》へ行く手拭《てぬぐい》の影――雨に濡《ぬ》れた手拭の影が情《なさけ》なかった。すると雨の間からまた古帽子が出て来た。その後《あと》からまた筒袖姿《つつそですがた》があらわれた。何でも朝の番に当った坑夫がシキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》る時間に相違ない。自分はようやく窓から首を引き込めた。すると、下から五六人一度にどやどやと階下段《はしごだん》を上《あが》って来る。来たなと思ったが仕方がないから懐手《ふところで》をして、柱にもたれていた。五六人は見る間に、同じ出立《いでたち》に着更えて下りて行った。後《あと》からまた上がってくる。また筒袖になって下りて行く。とうとう飯場《はんば》にいる当番はことごとく出払ったようだ
 こう飯場中活動して来ると、自分も安閑としちゃいられない。と云って誰も顔を御洗いなさいとも、御飯を御上がんなさいとも云いに来てくれない。いかな坊っちゃんも、あまり手持無沙汰《てもちぶさた》過ぎて困っちまったから、思い切って、のこのこ下りて行った。心は無論落ついちゃいないが、態度だけはまるで宿屋へ泊って、茶代を置いた御客のようであった。いくら恐縮しても自分には、これより以外の態度が出来ないんだから全くの生息子《きむすこ》である。下りて見ると例の婆さんが、襷《たすき》がけをして、草鞋《わらじ》を一足ぶら下げて奥から駆けて来たところへ、ばったり出逢《であ》った。
「顔はどこで洗うんですか」
と聞くと、婆さんは、ちょっと自分を見たなりで、
「あっち」
と云い捨てて門口《かどぐち》の方へ行った。まるで相手にしちゃいない。自分にはあっち[#「あっち」に傍点]の見当《けんとう》がわからなかったが、とにかく婆さんの出て来た方角だろうと思って、奥の方へ歩いて行ったら、大きな台所へ出た。真中に四斗樽《しとだる》を輪切にしたようなお櫃《はち》が据《す》えてある。あの中に南京米《ナンキンまい》の炊《た》いたのがいっぱい詰ってるのかと思ったら、――何しろ自分が三度三度一箇月食っても食い切れないほどの南京米なんだから、食わない前からうんざりしちまった。――顔を洗う所も見つけた。台所を下りて長い流の前へ立って、冷たい水で、申し訳のために頬辺《ほっぺた》を撫《な》でて置いた。こうなると叮嚀《ていねい》に顔なんか洗うのは馬鹿馬鹿しくなる。これが一歩進むと、顔は洗わなくっても宜《い》いものと度胸が坐ってくるんだろう。昨日《きのう》の赤毛布《あかげっと》や小僧は全くこう云う順序を踏んで進化したものに違ない。
 顔はようやく自力で洗った。飯はどうなる事かと、またのそのそ台所へ上《あが》った。ところへ幸《さいわ》い婆さんが表から帰って来て膳立《ぜんだ》てをしてくれた。ありがたい事に味噌汁《みそしる》がついていたんで、こいつを南京米の上から、ざっと掛けて、ざくざくと掻《か》き込んだんで、今度《こんだ》は壁土の味を噛《か》み分《わけ》ないで済んだ。すると婆さんが、
「御飯《おまんま》が済んだら、初《はつ》さんがシキ[#「シキ」に傍点]へ連れて行くって待ってるから、早くおいでなさい」
と、箸《はし》も置かない先から急《せ》き立てる。実はもう一杯くらい食わないと身体《からだ》が持つまいと思ってたところだが、こう催促されて見ると、無論御代りなんか盛《よそ》う必要はない。自分は、
「はあ、そうですか」
と立ち上がった。表へ出て見ると、なるほど上《あが》り口《くち》に一人掛けている。自分の顔を見て、
「御前《おめえ》か、シキ[#「シキ」に傍点]へ行くなあ」
と、石でもぶっ欠くような勢いで聞いた。
「ええ」
と素直に答えたら、
「じゃ、いっしょに来ねえ」
と云う。
「この服装《なり》でも好いんですか」
と叮嚀《ていねい》に聞き返すと、
「いけねえ、いけねえ。そんな服装で這入《へえ》れるもんか。ここへ親分とこから一枚《いちめえ》借りて来てやったから、此服《こいつ》を着るがいい」
と云いながら、例の筒袖《つつそで》を抛《ほう》り出した。
「そいつが上だ。こいつが股引《ももひき》だ。そら」
とまた股引を抛《な》げつけた。取りあげて見ると、じめじめする。所々に泥が着いている。地《じ》は小倉《こくら》らしい。自分もとうとうこの御仕着《おしきせ》を着る始末になったんだなと思いながら、絣《かすり》を脱いで上下《うえした》とも紺揃《こんぞろい》になった。ちょっと見ると内閣の小使のようだが、心持から云うと、小使を拝命した時よりも遥《はるか》に不景気であった。これで支度《したく》は出来たものと思込んで土間へ下りると、
「おっと待った」
と、初さんがまた勇み肌の声を掛けた。
「これを尻《けつ》の所へ当てるんだ」
 初さんが出してくれたものを見ると、三斗俵坊《さんだらぼ》っちのような藁布団《わらぶとん》に紐《ひも》をつけた変挺《へんてこ》なものだ。自分は初さんの云う通り、これを臀部《でんぶ》へ縛《しば》りつけた。
「それが、アテシコ[#「アテシコ」に傍点]だ。好《よ》しか。それから鑿《のみ》だ。こいつを腰ん所へ差してと……」
 初さんの出した鑿を受け取って見ると、長さ一尺四五寸もあろうと云う鉄の棒で、先が少し尖《とが》っている。これを腰へ差す。
「ついでにこれも差すんだ。少し重いぜ。大丈夫か。しっかり受け取らねえと怪我をする」
 なるほど重い。こんな槌《つち》を差してよく坑《あな》の中が歩けるもんだと思う。
「どうだ重いか」
「ええ」
「それでも軽いうちだ。重いのになると五斤ある。――いいか、差せたか、そこでちょっと腰を振って見な。大丈夫か。大丈夫ならこれを提《さ》げるんだ」
とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を出しかけたが、
「待ったり。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の前に一つ草鞋《わらじ》を穿《は》いちまいねえ」
 草鞋《わらじ》の新しいのが、上り口にある。さっき婆さんが振《ぶ》ら下げてたのは、大方これだろう。自分は素足《すあし》の上へ草鞋を穿《は》いた。緒《お》を踵《かかと》へ通してぐっと引くと、
「駑癡《どじ》だなあ。そんなに締める奴があるかい。もっと指《いび》の股を寛《ゆる》めろい」
と叱られた。叱られながら、どうにか、こうにか穿いてしまう。
「さあ、これでいよいよおしまいだ」
と初さんは饅頭笠《まんじゅうがさ》とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を渡した。饅頭笠と云うのか筍笠《たけのこがさ》というのか知らないが、何でも懲役人の被《かぶ》るような笠であった。その笠を神妙《しんびょう》に被る。それからカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げる。このカンテラ[#「カンテラ」に傍点]は提げるようにできている。恰好《かっこう》は二合入りの石油缶《せきゆかん》とも云うべきもので、そこへ油を注《さ》す口と、心《しん》を出す孔《あな》が開《あ》いてる上に、細長い管《くだ》が食っついて、その管の先がちょっと横へ曲がると、すぐ膨《ふく》らんだカップ[#「カップ」に傍点]になる。このカップ[#「カップ」に傍点]へ親指を突っ込んで、その親指の力で提げるんだから、指五本の代りに一本で事を済ますはなはだ実用的のものである。
「こう、穿《は》めるんだ」
と初さんが、勝栗《かちぐり》のような親指を、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の孔の中へ突込《つっこ》んだ。旨《うま》い具合にはまる。
「そうら」
 初さんは指一本で、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を柱時計の振子のように、二三度振って見せた。なかなか落ちない。そこで自分も、同じように、調子をとって揺《うごか》して見たがやっぱり落ちなかった。
「そうだ。なかなか器用だ。じゃ行くぜ、いいか」
「ええ、好《よ》ござんす」
 自分は初さんに連れられて表へ出た。所が降っている。一番先へ笠《かさ》へあたった。仰向《あおむ》いて、空模様を見ようとしたら、顎《あご》と、口と、鼻へぽつぽつとあたった。それからあとは、肩へもあたる。足へもあたる。少し歩くうちには、身体中じめじめして、肌へ抜けた湿気が、皮膚の活気で蒸《む》し返される。しかし雨の方が寒いんで、身体のほとぼりがだんだん冷《さ》めて行くような心持であったが、坂へかかると初さんがむやみに急ぎ出したんで、濡《ぬ》れながらも、毛穴から、雨を弾《はじ》き出す勢いで、とうとうシキ[#「シキ」に傍点]の入口まで来た。
 入口はまず汽車の隧道《トンネル》の大きいものと云って宜《よろ》しい。蒲鉾形《かまぼこなり》の天辺《てっぺん》は二間くらいの高さはあるだろう。中から軌道が出て来るところも汽車の隧道《トンネル》に似ている。これは電車が通う路なんだそうだ。自分は入口の前に立って、奥の方を透《す》かして見た。奥は暗かった。
「どうだここが地獄の入口だ。這入《はい》れるか」
と初さんが聞いた。何だか嘲弄《ちょうろう》の語気を帯びている。さっき飯場《はんば》を出て、ここまで来る途中でも、方々の長屋の窓から首を出して、
「昨日《きのう》のだ」
「新来《しんき》だ」
と口々に罵《ののし》っていたが、その様子を見ると単に山の中に閉じ込められて物珍らしさの好奇心とは思えなかった。その言葉の奥底にはきっと愚弄《ぐろう》の意味がある。これを布衍《ふえん》して云うと、一つには貴様もとうとうこんな所へ転げ込んで来た、いい気味だ、ざまあ見ろと云う事になる。もう一つは御気の毒だが来たって駄目だよ。そんな脂《やに》っこい身体《からだ》で何が勤まるものかと云う事にもなる。だから「昨日《きのう》のだ」「新来《しんき》だ」と騒ぐうちには、自分が彼らと同様の苦痛を甞《な》めなければならないほど堕落したのを快く感ずると共に、とうていこの苦痛には堪《た》えがたい奴だとの軽蔑《けいべつ》さえ加わっている。彼らは他人《ひと》を彼らと同程度に引き摺《ず》り落して喝采《かっさい》するのみか、ひとたび引き摺り落したものを、もう一返《いっぺん》足の下まで蹴落《けおと》して、堕落は同程度だが、堕落に堪《た》える力は彼らの方がかえって上だとの自信をほのめかして満足するらしい。自分は途上《みちみち》「昨日のだ」と聞くたんびに、懲役笠《ちょうえきがさ》で顔を半分隠しながら通り抜けて、シキ[#「シキ」に傍点]の入口まで来た。そこで初さんがまた愚弄《ぐろう》したんだから、自分は少しむっとして、
「這入《はい》れますとも。電車さえ通《かよ》ってるじゃありませんか」
と答えた。すると初さんが、
「なに這入れる? 豪義《ごうぎ》な事を云うない」
と云った。ここで「這入れません」と恐れ入ったら、「それ見ろ」と直《すぐ》こなされるにきまってる。どっちへ転んでも駄目なんだから別に後悔もしなかった。初さんは、いきなり、シキ[#「シキ」に傍点]の中へ飛び込んだ。自分も続いて這入った。這入って見ると、思ったよりも急に暗くなる。何だか足元がおっかなくなり出したには降参した。雨が降っていても外は明かるいものだ。その上|軌道《レール》の上はとにかく、両側はすこぶる泥《ぬか》っている。それだのに初さんは中《ちゅう》っ腹《ぱら》でずんずん行く。自分も負けない気でずんずん行く。
「シキ[#「シキ」に傍点]の中でおとなしくしねえと、すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《ほう》り込まれるから、用心しなくっちゃあいけねえ」
と云いながら初さんは突然暗い中で立ち留《どま》った。初さんの腰には鑿《のみ》がある。五斤の槌《つち》がある。自分は暗い中で小さくなって、
「はい」
と返事をした。
「よしか、分ったか。生きて出る料簡《りょうけん》なら生意気にシキ[#「シキ」に傍点]なんかへ這入らねえ方が増しだ」
 これは向うむきになって、初さんが歩き出した時に、半分は独《ひと》り言《ごと》のように話した言葉である。自分は少からず驚いた。坑《あな》の中は反響が強いので、初さんの言葉がわんわんわんと自分の耳へ跳《は》ねっ返って来る。はたして初さんの言う通りなら、飛んだ所へ這入ったもんだ。実は死ぬのも同然な職業であればこそ坑夫になろうと云う気も起して見たんだが、本当に死ぬなら――こんな怖《こわ》い商売なら――殺されるんなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《な》げ込まれるなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]とは全体どんなもんだろうと思い出した。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「なに?」
と初さんが後《うしろ》を振り向いた。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「穴だ」
「え?」
「穴だよ。――鉱《あらがね》を抛《ほう》り込んで、纏《まと》めて下へ降《さ》げる穴だ。鉱といっしょに抛り込まれて見ねえ……」
で言葉を切ってまたずんずん行く。
 自分はちょっと立ち留った。振り返ると、入口が小さい月のように見える。這入《はい》るときは、これがシキ[#「シキ」に傍点]ならと思った。聞いたほどでもないと思った。ところが初さんに威嚇《おど》かされてから、いかな平凡な隧道《トンネル》も、大いに容子《ようす》が変って来た。懲役笠《ちょうえきがさ》をたたく冷たい雨が恋しくなった。そこで振り返ると、入口が小さい月のように見える。小さい月のように見えるほど奥へ這入ったなと、振り返って始めて気がついた。いくら曇っていてもやっぱり外が懐《なつ》かしい。真黒な天井《てんじょう》が上から抑《おさ》えつけてるのは心持のわるいものだ。しかもこの天井がだんだん低くなって来るように感ぜられる。と思うと、軌道《レール》を横へ切れて、右へ曲った。だらだら坂の下りになる。もう入口は見えない。振返っても真暗だ。小さい月のような浮世の窓は遠慮なくぴしゃりと閉って、初さんと自分はだんだん下の方へ降りて行く。降りながら手を延ばして壁へ触《さわ》って見ると、雨が降ったように濡《ぬ》れている。
「どうだ、尾《つ》いて来るか」
と、初さんが聞いた。
「ええ」
とおとなしく答えたら、
「もう少しで地獄の三丁目へ来る」
と云ったなり、また二人とも無言になった。この時行く手の方《かた》に一点の灯《あかり》が見えた。暗闇《くらやみ》の中の黒猫の片眼のように光ってる。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》なら散らつくはずだが、ちっとも動かない。距離もよく分らない。方角も真直《まっすぐ》じゃないが、とにかく見える。もし坑《あな》の中が一本道だとすれば、この灯を目懸《めが》けて、初さんも自分も進んで行くに違ない。自分は何にも聞かなかったが、大方これが地獄の三丁目なんだろうと思って、這入って行った。すると、だらだら坂がようやく尽きた。路は平らに向うへ廻り込む。その突き当りに例の灯《ひ》が点《つ》いている。さっきは鼻の下に見えたが、今では眼と擦々《すれすれ》の所まで来た。距離も間近くなった。
「いよいよ三丁目へ着いた」
と、初さんが云う。着いて見ると、坑《あな》が四五畳ほどの大《おおき》さに広がって、そこに交番くらいな小屋がある。そうしてその中に電気灯が点いている。洋服を着た役人が二人ほど、椅子の対《むか》い合せに洋卓《テーブル》を隔てて腰を掛けていた。表《おもて》には第一見張所とあった。これは坑夫の出入《でいり》だの労働の時間だのを検査する所だと後から聞いて、始めて分ったんだが、その当時には何のための設備だか知らなかったもんだから、六七人の坑夫が、どす黒い顔を揃《そろ》えて無言のまま、見張所の前に立っていたのを不審に思った。これは時間を待ち合わして交替するためである。自分は腰に鑿《のみ》と槌《つち》を差してカンテラ[#「カンテラ」に傍点]さえ提《さ》げてはいるが、坑夫志願というんで、シキ[#「シキ」に傍点]の様子を見に這入っただけだから、まだ見習にさえ採用されていないと云う訳で、待ち合わす必要もないものと見えて、すぐこの溜《たまり》を通り越した。その時初さんが見張所の硝子窓《ガラスまど》へ首を突っ込んで、ちょいと役人に断《ことわ》ったが、役人は別に自分の方を見向もしなかった。その代り立っていた坑夫はみんな見た。しかし役人の前を憚《はばか》ってだろう、全く一言《ひとこと》も口を利《き》いたものはなかった。
 溜を出るや否や坑《あな》の様子が突然変った。今までは立ってあるいても、背延《せいの》びをしても届きそうにもしなかった天井が急に落ちて来て、真直《まっすぐ》に歩くと時々頭へ触《さわ》るような気持がする。これがものの二寸も低かろうものなら、岩へぶつかって眉間《みけん》から血が出るに違ないと思うと、松原をあるくように、ありったけの背で、野風雑《のふうぞう》にゃやって行けない。おっかないから、なるべく首を肩の中へ縮め込んで、初さんに食っついて行った。もっともカンテラ[#「カンテラ」に傍点]はさっき点《つ》けた。
 すると三尺ばかり前にいる初さんが急に四《よつ》ん這《ば》いになった。おや、滑《すべ》って転んだ。と思って、後《うしろ》から突っ掛かりそうなところを、ぐっと足を踏ん張った。このくらいにして喰い留めないと、坂だから、前へのめる恐《おそれ》がある。心持腰から上を反《そ》らすようにして、初さんの起きるのを待ち合わしていると、初さんはなかなか起きない。やっぱり這《は》っている。
「どうか、しましたか」
と後から聞いた。初さんは返事もしない。――はてな――怪我でもしやしないかしら――もう一遍聞いて見ようか――すると初さんはのこのこ歩き出した。
「何ともなかったですか」
「這うんだ」
「え?」
「這うのだてえ事よ」
と初さんの声はだんだん遠くなってしまう。その声で自分は不審を打った。いくら向うむきでも、普通なら明かに聞きとられべき距離から出るのに、急に潜《もぐ》ってしまう。声が細いんじゃない。当り前の初さんの声が袋のなかに閉じ込められたように曖昧《あいまい》になる。こりゃただ事じゃないと気がついたから、透《すか》して見るとようやく分った。今までは尋常に歩けた坑が、ここでたちまち狭《せま》くなって、這わなくっちゃ抜けられなくなっている。その狭い入口から、初さんの足が二本出ている。初さんは今胴を入れたばかりである。やがて出ていた足が一本這入った。見ているうちにまた一本這入った。これで自分も四つん這いにならなくっちゃ仕方がないと諦《あきら》めをつけた。「這うんだ」と初さんの教えたのもけっして無理じゃないんだから、教えられた通り這った。ところが右にはカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げている。左の手の平《ひら》だけを惜気《おしげ》もなく氷のような泥だか岩だかへな土だか分らない上へぐしゃりと突いた時は、寒さが二の腕を伝わって肩口から心臓へ飛び込んだような気持がした。それでカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を下へ着けまいとすると、右の手が顔とすれすれになって、はなはだ不便である。どうしたもんだろうと、この姿勢のままじっとしていた。そうして、右の手で宙に釣っているカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を見た。ところへぽたりと天井《てんじょう》からしずくが垂れた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》がじいと鳴った。油煙が顎《あご》から頬へかかる。眼へも這入《はい》った。それでもこの灯を見詰めていた。すると遠くの方でかあん、かあん、と云う音がする。坑夫が作業をしているに違ないが、どのくらい距離があるんだか、どの見当《けんとう》にあたるんだか、いっこう分らない。東西南北のある浮世の音じゃない。自分はこの姿勢でともかくも二三歩歩き出した。不便は無論不便だが、歩けない事はない。ただ時々しずくが落ちてカンテラ[#「カンテラ」に傍点]のじいと鳴るのが気にかかる。初さんは先へ行ってしまった。頼《たより》はカンテラ[#「カンテラ」に傍点]一つである。そのカンテラ[#「カンテラ」に傍点]がじいと鳴って水のために消えそうになる。かと思うとまた明かるくなる。まあよかったと安心する時分に、またぽたりと落ちて来る。じいと鳴る。消えそうになる。非常に心細い。実は今までも、しずくは始終《しじゅう》垂れていたんだが、灯《ひ》が腰から下にあるんで、いっこう気がつかなかったんだろう。灯が耳の近くへ来て、じいと云う音が聞えるようになってから急に神経が起って来た。だから這う方はなお遅くなる。しかもまだ三足しか歩いちゃいない。ところへ突然初さんの声がした。
「やい、好い加減に出て来ねえか。何をぐずぐずしているんだ。――早くしないと日が暮れちまうよ」
 暗いなかで初さんはたしかに日が暮れちまうと云った。
 自分は這《は》いながら、咽喉仏《のどぼとけ》の角《かど》を尖《とが》らすほどに顎《あご》を突き出して、初さんの方を見た。すると一間《いっけん》ばかり向うに熊の穴見たようなものがあって、その穴から、初さんの顔が――顔らしいものが出ている。自分があまり手間取るんで、初さんが屈《こご》んでこっちを覗《のぞ》き込んでるところであった。この一間をどうして抜け出したか、今じゃ善く覚えていない。何しろできるだけ早く穴まで来て、首だけ出すと、もう初さんは顔を引っ込まして穴の外に立っている。その足が二本自分の鼻の先に見えた。自分はやれ嬉《うれ》しやと狭い所を潜《くぐ》り抜けた。
「何をしていたんだ」
「あんまり狭いもんだから」
「狭いんで驚いちゃ、シキ[#「シキ」に傍点]へは一足《ひとあし》だって踏《ふ》ん込《ご》めっこはねえ。陸《おか》のように地面はねえ所《とこ》だくらいは、どんな頓珍漢《とんちんかん》だって知ってるはずだ」
 初さんはたしかに坑《あな》の中は陸のように地面のない所だと云った。この人は時々思い掛けない事を云うから、今度もたしかにとただし書《がき》をつけて、その確実な事を保証して置くんである。自分は何か云い訳をするたんびに、初さんから容赦なくやっつけられるんで、大抵は黙っていたが、この時はつい、
「でもカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が消えそうで、心配したもんですから」
と云っちまった。すると初さんは、自分の鼻の先へカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を差しつけて、徐《おもむろ》に自分の顔を検査し始めた。そうして、命令を下した。
「消して見ねえ」
「どうしてですか」
「どうしてでも好いから、消して見ねえ」
「吹くんですか」
 初さんはこの時大きな声を出して笑った。
 自分は喫驚《びっくり》して稀有《けう》な顔をしていた。
「冗談《じょうだん》じゃねえ。何が這入《へっ》てると思う。種油《たねあぶら》だよ、しずくぐらいで消《けえ》てたまるもんか」
 自分はこれでやっと安心した。
「安心したか。ハハハハ」
と初さんがまた笑った。初さんが笑うたんびに、坑《あな》の中がみんな響き出す。その響が収まると前よりも倍静かになる。ところへかあん、かあんとどこかで鑿《のみ》と槌《つち》を使ってる音が伝わって来る。
「聞えるか」
と、初さんが顋《あご》で相図をした。
「聞えます」
と耳を峙《そばだ》てていると、たちまち催促を受けた。
「さあ行こう。今度《こんだ》あ後《おく》れないように跟《つ》いて来な」
 初さんはなかなか機嫌がいい。これは自分が一も二もなく初さんにやられているせいだろうと思った。いくら手苛《てひど》くきめつけられても、初さんの機嫌がいいうちは結構であった。こうなると得になる事がすなわち結構という意味になる。自分はこれほど堕落して、おめおめ初さんの尻を嗅《か》いで行ったら、路が左の方に曲り込んでまた峻《けわ》しい坂になった。
「おい下りるよ」
と初さんが、後《うしろ》も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも気がつかず下《お》り出した。自分も負けずに降りる。路は地面を刻んで段々になっている。四五間ずつに折れてはいるが、勘定したら愛宕様《あたごさま》の高さぐらいはあるだろう。これは一生懸命になって、いっしょに降りた。降りた時にほっと息を吐《つ》くと、その息が何となく苦しかった。しかしこれは深い坑《あな》のなかで、空気の流通が悪いからとばかり考えた。実はこの時すでに身体《からだ》も冒《おか》されていたんである。この苦しい息で二三十間来るとまた模様が変った。
 今度は初さんが仰向《あおむ》けに手を突いて、腰から先を入れる。腰から入れるような芸をしなければ通れないほど、坑《あな》の幅も高さも逼《せま》って来たのである。
「こうして抜けるんだ。好く見て置きねえ」
と初さんが云ったと思ったら、胴も頭もずる、ずると抜けて見えなくなった。さすが熟練の功はえらいもんだと思いながら、自分もまず足だけ前へ出して、草鞋《わらじ》で探《さぐり》を入れた。ところが全く宙に浮いてるようで足掛りがちっともない。何でも穴の向うは、がっくり落《おち》か、それでなくても、よほど勾配《こうばい》の急な坂に違ないと見当《けんとう》をつけた。だから頭から先へ突っ込めばのめって怪我をするばかり、また足をむやみに出せば引っ繰り返るだけと覚ったから、足を棒のように前へ寝かして、そうして後《うしろ》へ手を突いた。ところがこの所作《しょさ》がはなはだ不味《まず》かったので、手を突くと同時に、尻もべったり突いてしまった。ぴちゃりと云った。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]を伝わって臀部《でんぶ》へ少々感じがあった。それほど強く尻餅《しりもち》を搗《つ》いたと見える。自分はしまったと思いながらも直《すぐ》両足を前の方へ出した。ずるりと一尺ばかり振《ぶ》ら下げたが、まだどこへも届かない。仕方がないから、今度は手の方を前へ運ばせて、腰を押し出すように足を伸ばした。すると腿《もも》の所まで摺《ず》り落ちて、草鞋《わらじ》の裏がようやく堅いものに乗った。自分は念のためこの堅いものをぴちゃぴちゃ足の裏で敲《たた》いて見た。大丈夫なら手を離してこの堅いものの上へ立とうと云う料簡《りょうけん》であった。
「何で足ばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だから、うんと踏ん張って立ちねえな。意久地《いくじ》のねえ」
と、下から初さんの声がする。自分の胴から上は叱られると同時に、穴を抜けて真直に立った。
「まるで傘《からかさ》の化物《ばけもの》のようだよ」
と初さんが、自分の顔を見て云った。自分は傘の化物とは何の意味だか分らなかったから、別に笑う気にもならなかった。ただ
「そうですか」
と真面目に答えた。妙な事にこの返事が面白かったと見えて、初さんは、また大きな声を出して笑った。そうして、この時から態度が変って、前よりは幾分《いくぶん》か親切になった。偶然の事がどんな拍子《ひょうし》で他《ひと》の気に入らないとも限らない。かえって、気に入ってやろうと思って仕出《しで》かす芸術は大抵駄目なようだ。天巧《てんこう》を奪うような御世辞使はいまだかつて見た事がない。自分も我が身が可愛さに、その後《ご》いろいろ人の御機嫌を取って見たが、どうも旨《うま》い結果が出て来ない。相手がいくら馬鹿でも、いつか露見するから怖《こわ》いもんだ。用意をして置いた挨拶《あいさつ》で、この傘の化物に対する返事くらいに成功した場合はほとんどない。骨を折って失敗するのは愚《ぐ》だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演舌《えんぜつ》と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代りいくら骨を折ってもやっぱり失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点《ぼろ》が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。いつかは初さんの気に入ったような演説をしたり、文章を書いて見たいが、――どうも馬鹿にされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。――それはここには余計な事だから、このくらいでやめてまた初さんの話を続けて行く。
 その時初さんは、笑いながら、下から、自分に向って、
「おい、そう真面目くさらねえで、早く下りて来ねえな。日は短《みじけ》えやな」
と云った。坑《あな》の中でカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を点《つ》けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。
 自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻《いなずま》のように歩いて、段々を――さあ何町《なんちょう》降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑《あな》の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨《ふく》らんでいるから、まるで酒甕《さかがめ》の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場《さくじば》と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡《ひろ》げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負《うけおい》仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上|食《くら》い込む事もある。こう云う訳で、シキ[#「シキ」に傍点]のなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構《おかまい》なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキ[#「シキ」に傍点]の入口こそ、平らでもあり、また一条《ひとすじ》でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路《えだみち》ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキ[#「シキ」に傍点]の中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻《あり》が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹《のむし》が本を食《くら》うと見立てても差《さ》し支《つかえ》ない。つまり人間が土の中で、銅《あかがね》を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキ[#「シキ」に傍点]の中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢《あ》わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極《きわ》めて淋《さみ》しいものである。自分は初さんに連れられて、シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》ったが、ただシキ[#「シキ」に傍点]の様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形《いなずまがた》に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢《あ》わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。
 見ると丸太《まるた》の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四《よ》つや丸太《まるた》で、軌道《レール》の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]が必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人《ふたあり》腰を掛けて、残る一人が屈《しゃが》んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺《つぼ》がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑《おさ》えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙《あ》げた。下から賽《さい》が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。
 三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が土の壁に突き刺してある。暗い灯《ひ》が、ぎろりと光る三人の眼球《めだま》を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固《もと》より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙《けぶり》を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。
 カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的|判然《はっきり》見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集《かたま》っていたから、なおさら変であったが、自分が這入《はい》るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺《つぼ》が見えたんである。壺の下から賽《さい》が見えたんである。壺と、賽と、三人の異《い》な叫び声を聞いた自分は、次に三人の顔を見たんである。よくはわからない顔であった。一人の男は頬骨《ほおぼね》の一点と、小鼻の片傍《かたわき》だけが、灯《ひ》に映った。次の男は額と眉《まゆ》の半分に光が落ちた。残る一人は総体にぼんやりしている。ただ自分の持っていた、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を四五尺手前から真向《まっこう》に浴びただけである。――三人はこの姿勢で、ぎろりと眼を据《す》えた。自分の方に。
 ようやく人間に逢《あ》って、やれ嬉《うれ》しやと思った自分は、この三|対《つい》の眼球《めだま》を見るや否や、思わずぴたりと立ち留った。
「手前《てめえ》は……」
と云い掛けて、一人が言葉を切った。残る二人はまだ口を開《ひら》かない。自分も立ち留まったなり、答えなかった。――答えられなかった。すると
「新《しん》めえだ」
と、初さんが、威勢のいい返事をしてくれた。本当のところを白状すると、三人の眼球が光って、「手前は……」と聞かれた時は、初さんの傍《そば》にいる事も忘れて、ただおやっと思った。立すくむと云うのはこれだろう。立ちすくんで、硬《かた》くこわ張り掛けたところへ「新めえだ」と云う声がした。この声が自分の左の耳の、つい後《うしろ》から出て、向うへ通り抜けた時、なるほど初さんがついてたなと思い出した。それがため、こわ張りかけた手足も、中途でもとへ引き返した。自分は一歩|傍《わき》へ退《の》いた。初さんに前へ出てもらうつもりであった。初さんは注文通り出た。
「相変らずやってるな」
とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げたまま、上から三人の真中に転がってる、壺と賽を眺《なが》めた。
「どうだ仲間入は」
「まあよそう。今日は案内だから」
と初さんは取り合わなかった。やがて、四《よ》つや丸太《まるた》の上へうんとこしょと腰をおろして、
「少し休んで行くかな」
と自分の方を見た。立ちすくむまで恐ろしかった、自分は急に嬉しくなって元気が出て来た。初さんの側《そば》へ腰をおろす。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]の利目《ききめ》は、ここで始めて分った。旨《うま》い具合に尻が乗って、柔らかに局部へ応《こた》える。かつ冷えないで、結構だ。実はさっきから、眼が少し眩《く》らんで――眩らんだか、眩らまないんだか、坑《あな》の中ではよく分らないが、何しろ好い気持ではなかったが、こう尻を掛けて落ちつくと、大きに楽《らく》になる。四人《よつたり》がいろいろな話をしている。
「広本《ひろもと》へは新らしい玉《たま》が来たが知ってるか」
「うん、知ってる」
「まだ、買わねえか」
「買わねえ、お前《めえ》は」
「おれか。おれは――ハハハハ」
と笑った。これは這入《はい》って来た時、顔中ぼんやり見えた男である。今でもぼんやり見える。その証拠には、笑っても笑わなくっても、顔の輪廓《りんかく》がほとんど同じである。
「随分手廻しがいいな」
と初さんもいささか笑っている。
「シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《へえ》ると、いつ死ぬか分らねえからな。だれだって、そうだろう」
と云う答があった。この時、
「御互に死なねえうちの事だなあ」
と一人《だれか》が云った。その語調には妙に咏嘆《えいたん》の意が寓《ぐう》してあった。自分はあまり突然のように感じた。
 そうしているうちに、一間《いっけん》置いて隣りの男が突然自分に話しかけた。
「御前《おめえ》はどこから来た」
「東京です」
「ここへ来て儲《もう》けようたって駄目だぜ」
と他《ほか》のが、すぐ教えてくれた。自分は長蔵さんに逢うや否や儲かる儲かるを何遍となく聞かせられて驚いたが、飯場《はんば》へ着くが早いか、今度は反対に、儲からない儲からないで立てつづけに責められるんで、大いに辟易《へきえき》した。しかし地《じ》の底ではよもやそんな話も出まいと思ってここまで降りて来たが、人に逢えばまた儲からないを繰り返された。あんまり馬鹿馬鹿しいんで何とか答弁をしようかとも考えたが、滅多《めった》な事を云えば擲《は》りつけられるだけだから、まあやめにして置いた。さればと云って返事をしなければまたやりつけられる。そこで、こう云った。
「なぜ儲からないんです」
「この銅山《やま》には神様がいる。いくら金を蓄《た》めて出ようとしたって駄目だ。金は必ず戻ってくる」
「何の神様ですか」
と聞いて見たら、
「達磨《だるま》だ」
と云って、四人《よつたり》ながら面白そうに笑った。自分は黙っていた。すると四人は自分を措《お》いてしきりに達磨の話を始めた。約十分余りも続いたろう。その間自分はほかの事を考えていた。いろいろ考えたうちに一番感じたのは、自分がこんな泥だらけの服を着て、真暗な坑《あな》のなかに屈《しゃが》んでるところを、艶子《つやこ》さんと澄江《すみえ》さんに見せたらばと云う問題であった。気の毒がるだろうか、泣くだろうか、それともあさましいと云って愛想《あいそ》を尽かすだろうかと疑って見たが、これは難なく気の毒がって、泣くに違ないと結論してしまった。それで一目《ひとめ》くらいはこの姿を二人に見せたいような気がした。それから昨夜《ゆうべ》囲炉裏《いろり》の傍《そば》でさんざん馬鹿にされた事を思い出して、あの有様を二人に見せたらばと考えた。ところが今度は正反対で、二人共|傍《そば》にいてくれないで仕合せだと思った。もし見られたらと想像して眼前に、意気地《いくじ》のない、大いに苛《いじ》められている自分の風体《ふうてい》と、ハイカラの女を二人|描《えが》き出したら、はなはだ気恥ずかしくなって腋《わき》の下から汗が出そうになった。これで見ると、坑夫に堕落すると云う事実その物はさほど苦にならぬのみか、少しは得意の気味で、ただ坑夫になりたての幅《はば》の利《き》かないところだけを、女に見せたくなかった訳になる。自分の器量を下げるところは、誰にも隠したいが、ことに女には隠したい。女は自分を頼るほどの弱いものだから、頼られるだけに、自分は器量のある男だと云う証拠をどこまでも見せたいものと思われる。結婚前の男はことにこの感じが深いようだ。人間はいくら窮した場合でも、時々は芝居気《しばいぎ》を出す。自分がアテシコ[#「アテシコ」に傍点]を臀《しり》に敷いて、深い坑のなかで、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《ひっさ》げたまま、休んだ時の考えは、全く芝居じみていた。ある意味から云うと、これが苦痛の骨休めである。公然の骨休めとも云うべき芝居は全くここから発達したものと思う。自分は発達しない芝居の主人公を腹の中で演じて、落胆しながら得意がっていた。
 ところへ突然肺臓を打ち抜かれたと思うくらいの大きな音がした。その音は自分の足の下で起ったのか、頭の上で起ったのか、尻を懸《か》けた丸太《まるた》も、黒い天井《てんじょう》も一度に躍《おど》り上ったから、分からない。自分の頸《くび》と手と足が一度に動いた。縁側《えんがわ》に脛《はぎ》をぶらさげて、膝頭《ひざがしら》を丁《ちょう》と叩《たた》くと、膝から下がぴくんと跳《は》ねる事がある。この時自分の身体《からだ》の動き方は全くこれに似ている。しかしこれよりも倍以上劇烈に来たような気がした。身体ばかりじゃない、精神がその通りである。一人芝居の真最中でとんぼ返りを打って、たちまち我れに帰った。音はまだつづいている。落雷を、土中《どちゅう》に埋《うず》めて、自由の響きを束縛《そくばく》したように、渋《しぶ》って、焦《いら》って、陰《いん》に籠《こも》って、抑《おさ》えられて、岩にあたって、包まれて、激して、跳《は》ね返されて、出端《では》を失って、ごうと吼《ほ》えている。
「驚いちゃいけねえ」
と初さんが云った。そうして立ち上がった。自分も立ち上がった。三人の坑夫も立ち上がった。
「もう少しだ。やっちまうかな」
と、鑿《のみ》を取り上げた。初さんと自分は作事場《さくじば》を出る。ところへ煙《けむ》が来た。煙硝《えんしょう》の臭《におい》が、眼へも鼻へも口へも這入《はい》った。噎《む》せっぽくって苦しいから、後《うしろ》を向いたら、作事場ではかあん、かあんともう仕事を始めだした。
「なんですか」
と苦しい中で、初さんに聞いて見た。実はさっきの音が耳に応《こた》えた時、こりゃ坑内で大破裂が起ったに違ないから、逃げないと生命《いのち》が危ないとまで思い詰めたくらいだのに、初さんはますます深く這入る気色《けしき》だから、気味が悪いとは思ったが、何しろ自由行動のとれる身体ではなし、精神は無論独立の気象《きしょう》を具《そな》えていないんだから、いかに先輩だって逃げていい時分には、逃げてくれるだろうと安心して、後《あと》をつけて出ると、むっとするほどの煙《けむ》が向うから吹いて来たんで、こりゃ迂濶《うっかり》深入はできないわと云う腹もあって、かたがた後《うしろ》を向く途端《とたん》に、さっきの連中がもう、煙の中でかあん、かあん、鉱《あらがね》を叩《たた》いているのが聞えたんで、それじゃやっぱり安心なのかと、不審のあまりこの質問を起して見たんである。すると初さんは、煙の中で、咳《せき》を二つ三つしながら、
「驚かなくってもいい。ダイナマイト[#「ダイナマイト」に傍点]だ」
と教えてくれた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫でねえかも知れねえが、シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》った以上、仕方がねえ。ダイナマイト[#「ダイナマイト」に傍点]が恐ろしくっちゃ一日だって、シキ[#「シキ」に傍点]へは這入れねえんだから」
 自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜《くぐ》って行く。満更《まんざら》苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑《あな》から坑へ抜け切って、陸《おか》の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這《は》ってるように感じたり噎《む》せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。
 いずれにしても苦いところを我慢して尾《つ》いて行った。また胎内潜《たいないくぐ》りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股《ふたまた》になっている。その条路《えだみち》の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片《いしころ》を抛《な》げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥《はるか》に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間《ま》に、側《がわ》へ当って鳴る音が、冴《さ》えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間《てま》がかかる。けれども一本道を、真直《まっすぐ》に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微《かすか》な遠くであっても、洩《も》らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……
 初さんが留《とま》った。
「聞えるか」
「聞えます」
「スノコ[#「スノコ」に傍点]へ鉱を落してる」
「はああ……」
「ついでだからスノコ[#「スノコ」に傍点]を見せてやろう」
と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋《わらじ》の踵《かかと》を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。
 折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍《そば》まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後《うしろ》へ抜く拍子《ひょうし》に、大きな箕《み》を、斜《はす》に抛《な》げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳|二畳敷《にじょうじき》ぐらいはあるだろう。箕に入れたばら[#「ばら」に傍点]の鉱《あらがね》を、掘子《ほりこ》が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立《つッた》っている。微《かすか》なカンテラ[#「カンテラ」に傍点]に照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡《ぬ》れて、濡れた所だけがきらきら光っている。
「覗《のぞ》いて見ろ」
 初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇《ちゅうちょ》した。これでさえ踏板が外《はず》れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛《と》び退《の》く手間《てま》が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地《ひらち》の十間にも当る。自分は何分《なにぶん》にも躊躇《ちゅうちょ》した。
「出ろやい。吝《けち》な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入《はい》るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応《こた》えていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退《ど》きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支《ささ》えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体《てい》を見て、すぐ傍《わき》へ避《よ》けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支《さしつかえ》なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退《しりぞ》いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑《けんのん》がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁《ふち》から二尺ばかり手前まで出て、足を揃《そろ》えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端《とたん》に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰《おとさた》もない。と思うと遠くでどさっ[#「どさっ」に傍点]と云った。俵は底まで落切ったと見える。
「どうだ、あの芸が出来るか」
と初さんが聞いた。自分は、
「そうですねえ」
と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子《ほりこ》もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業は要《い》るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前《めえ》が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛《な》げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心《かんじん》の穴へは這入《はい》りゃしねえ。そうして、鉱《あらがね》の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑《けんのん》だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」
と云い掛けると、ほかの男が、
「二三度スノコ[#「スノコ」に傍点]へ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」
と笑った。
 後戻《あともどり》をして元の路《みち》へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」
と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参《こうさん》したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落《いちだんらく》つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程《みちのり》はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙《ごめんこうぶ》ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生《へいぜい》築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩《くず》れる場合のうちでもっとも顕著《けんちょ》なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。
 前《ぜん》申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下《お》りようじゃないかと云う親密な情合《じょうあい》も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇《おどし》もあらわれていない。下りたかろうと焦《じ》らす気色《けしき》は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱《ぶべつ》の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜《ひそ》んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」
と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、
「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」
と穏かに同意の意を表《ひょう》した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風《びょうぶ》のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子《はしご》が懸《かか》ってる。勾配《こうばい》も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空《くう》にぶら下げたように、覗《のぞ》くと端《さき》が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛《しば》りつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、己《おれ》が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」
と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀《ていねい》な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙《しんびょう》に下りましょうと出たんで、幾分《いくぶん》か憐愍《れんみん》の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈《しゃが》んだ。と思うと、足からだんだん這入《はい》って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下《みおろ》した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損《そこ》なうかも知れない。面目ない事が出来《しゅったい》する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後《うし》ろ向《むき》になって初さんのように、膝《ひざ》を地《じ》につけて、手で摺《ず》り下《さが》りながら、草鞋《わらじ》の底で段々を探った。
 両手で第一段目を握って、足を好加減《いいかげん》な所へ掛けると、背中が海老《えび》のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直《まっすぐ》に立つと、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》が胸の所へ来る。じっとしていると燻《えぶ》されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更《か》えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提《さ》げてるカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多《めった》に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉《も》み潰《つぶ》されそうになる。親指へカップ[#「カップ」に傍点]を差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上|梯子《はしご》の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木《だんぎ》がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透《す》かして見ると、へな土が一面に粘《つ》いている。上《のぼ》り下《さが》りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗《のぞ》いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛《かじ》りついたなり、いきなり眼を閉《ねむ》った。石鹸球《シャボンだま》の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧《わ》いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞《めまい》のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡《とっち》て、死ぬ方が怖《こわ》くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑《あな》は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈《めまい》もしなかったんで、よくよく眸《ひとみ》を据《す》えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラ[#「カンテラ」に傍点]がまたじいと鳴った。保証つきの灯火《あかり》だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木《だんぎ》を握り更《か》え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子《はしご》は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜《つつぬけ》の穴だ。その代り今度は向側《むこうがわ》に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸《か》けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠《だる》くなって、足が悸《ふる》え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇《まっくら》だ。自分のカンテラ[#「カンテラ」に傍点]へはじいじいと点滴《しずく》が垂れる。草鞋《わらじ》の中へは清水《しみず》がしみ込んで来る。
 しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外《はず》しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆《さか》さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所《でどころ》はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染《にじ》み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚《さ》めると、また五六|頁《ページ》は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読《したよみ》をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸《さいわ》い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、
「どうだ苦しかったか」
と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、
「苦しいです」
と答えた。次に初さんが、
「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」
と奨励《しょうれい》した。次に自分は、
「また梯子があるんですか」
と聞いた。すると初さんが、
「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」
と好意的の笑《えみ》を洩《も》らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》で照らして見ると、下谷《したや》辺の溝渠《どぶ》が溢《あふ》れたように、薄鼠《うすねずみ》になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨《むざん》にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺《ごいさぎ》のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋《わらじ》の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭《ひれ》のような波が立つ。その片側がカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平《たいら》になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入《はい》って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜《くぐ》り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛《すね》まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝《ひざ》まで漬《つ》かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦《うず》を捲《ま》いて流れる。その渦がだんだん股《もも》の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑《あな》のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易《へきえき》した体《てい》もなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」
と後《うしろ》から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬《つ》かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒《おか》されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」
と、自分はたまらなくなったから、後《うしろ》から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身《わがみ》を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際《まぎわ》には単音《たんいん》の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚《はばか》るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を高く差し上げる。眸《ひとみ》を据《す》えると初さんの眉《まゆ》の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」
「いえ、この水が……」
と自分は、腰の辺《あたり》を、物凄《ものすご》そうに眺《なが》めた。初さんは毫《ごう》も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水《でみず》の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉《わた》る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、
「大丈夫でしょうか」
を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目《まじめ》になって、
「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前《あたりめえ》だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」
となかなか承知しないから、仕方なしに、股《また》まで濡《ぬ》らしてついて行った。たださえ暗い坑《あな》の中だから、思い切った喩《たとえ》を云えば、頭から暗闇《くらやみ》に濡れてると形容しても差支《さしつかえ》ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝《くろぶし》からだんだん競《せ》り上がって来る。今では腰まで漬《つ》かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体《からだ》が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内《ふちあんない》の所を海鼠《なまこ》のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞《ほら》のように深く開《ひら》いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場《さくじば》に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」
と聞いた。自分は、胸が水に浸《ひた》るまで、屈《こご》んで洞の中を覗《のぞ》き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微《かすか》な灯《ひ》を無理に広い間《ま》へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇《くらやみ》に圧倒されて、茫然《ぼうぜん》と濁っている体《てい》であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺《あたり》から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳《は》ね返ったものが、纏《まと》まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。
「這入《へえ》って見るか」
と云う。自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」
と答えた。すると初さんが、
「じゃ止《や》めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」
と但《ただ》し書《がき》をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案《あん》の定《じょう》釣り出された。
「明日《あした》っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」
「そうさなあ」
と考えていた初さんは、
「一昼夜に三回の交替だからな」
と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」
 初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」
「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」
「どうしてですか」
「好《い》いてえ事よ」
と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
「新前《しんめえ》は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」
と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。
「安心したか」
と初さんがまた聞いた。仕方がないから、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝《くろぶし》まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉《うれ》しかった。それから先は、とんとん拍子《びょうし》に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコ[#「スノコ」に傍点]から落ちて来た鉱《あらがね》を聚《あつ》めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキ[#「シキ」に傍点]の外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙《ごめんこうぶ》った。いくら面白く運転する器械でも、明日《あす》の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水に漬《つ》かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的|濡《ぬ》れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどは腫《ふく》ら脛《はぎ》まで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍《へそ》の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、※[#「易+鳥」、第4水準2-94-27]《いすか》の嘴《はし》と善《い》い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、
「もう済んだでしょうか」
と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子《はしご》の下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁《のが》れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀《しょく》の桟道《さんどう》と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道を逆《さかさ》に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然|脚気《かっけ》に罹《かか》ったような心持になると、思わず、腰を後《うしろ》へ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気《せんき》に引っ張られたとでも叙《じょ》したら善かろう。何しろ腰が伸《の》せない。もっともこれは逆桟道《さかさんどう》の祟《たた》りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌《ごきげん》が好いので、相手の寛大な御情《おなさけ》につけ上って、奮発の箍《たが》がしだいしだいに緩《ゆる》んだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、
「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁《へ》っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」
と云ったぎり、暗い所を潜《くぐ》って、どこへか出て行った。
 あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]はこう云うときに非常に便利になる。御蔭《おかげ》で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚《よご》れたりする憂いがないだけ、惨憺《みじめ》なうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へ倚《も》たせた。これより以上は横のものを竪《たて》にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体《からだ》が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方|相《あい》び合って、生死《せいし》の間に彷徨《ほうこう》していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭《ふめいりょう》であった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏《くら》くなる。と坑《あな》のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧《もうろう》のうちに合体稠和《がったいちゅうわ》して来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気《しゃばッき》であるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈《はげ》し過ぎて困る自分には――東京にも田舎《いなか》にもおり終《おお》せない自分には――煩悶《はんもん》の解熱剤《げねつざい》を頓服《とんぷく》しなければならない自分には――神経繊維の端《はじ》の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落《かけおち》が自滅の第一着なら、この境界《きょうがい》は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場《ステーション》である。自分は初さんに置いて行かれた少時《しばし》の休憩時間内に、図《はか》らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域を狭《せば》められた片輪の心的現象とは違う。一般の活動を恣《ほしいまま》にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最も淡《うす》い生涯《しょうがい》の中《うち》に、淡い喜びがあった。
 もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参《げんざん》した。
 というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプ[#「ランプ」に傍点]の灯《ひ》のように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生《へいぜい》十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度は零《れい》にならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉《うれ》しさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟《りくつ》から云うと、意識がどこまで降《さが》って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんと競《せ》りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中《あんちゅう》から躍《おど》り出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼を開《あ》いた。
 足の先が切れそうである。膝から腰までが血が通《かよ》って氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作《しょさ》になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠《しょうこ》には、眼を開いて、身の周囲《まわり》を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌《だいきらい》だ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取《だんどり》が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身《かげみ》につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚《うぬぼれ》の強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。
 そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭《めいりょう》になった。これから例の逆桟道《さかさんどう》を登らなくっちゃならない事も、明日《あした》から、鑿《のみ》と槌《つち》でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米《ナンキンまい》も、南京虫《ナンキンむし》も、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]も達磨《だるま》も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。
「ちったあ気分は好いか」
「ええ少しは好いようです」
「じゃ、そろそろ登ってやろう」
と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木《だんぎ》を捕《つかま》えて片足|踏《ふ》ん掛《が》けながら、
「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾《つ》いて来ねえ」
と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子《はしご》に託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後《うしろ》へ反《そ》れる。反れた重みは、両手で持ち応《こた》えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手の平《ひら》と五本の指で、この|〆高《しめだか》を握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇《まっくらやみ》に逆落《さかおと》しになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔《かえん》のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。
 二三度|上瞼《うわまぶた》と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲で擦《こす》ろうと思うが、あやにく両方とも塞《ふさ》がっている。自分は口惜《くやし》くなった。なぜこんな猿の真似をするように零落《おちぶ》れたのかと思った。倒れそうになる身体《からだ》を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚《もた》れるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]のじいと鳴るのも、足の底へ清水《しみず》が沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分《なんぷん》過《た》ったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけが霞《かす》んでくる。いくら瞬《まばたき》をしても駄目だ。湯の中に眸《ひとみ》を漬《つ》けてるようだ。くしゃくしゃする。焦心《じれっ》たくなる。癇《かん》が起る。奮興《ふんこう》の度が烈《はげ》しくなる。そうして、身体は思うように利《き》かない。自分は歯を食い締《しば》って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯《しょうがい》における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰《ずさん》ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。
 アテシコ[#「アテシコ」に傍点]を尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へ倚《よ》りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路《けいろ》を取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰《づまり》だと云う間際《まぎわ》になると、魂が割れて二様の所作《しょさ》をする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切《おおぎり》の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子《はしご》の下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途《さんず》のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数《てすう》を省《はぶ》いて、急に、娑婆《しゃば》の真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。
 ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢《あ》った。自分は初さんの後《あと》を追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心は焦《あせ》る、気は揉《も》める、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいに劇《はげ》しくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興《ふんこう》の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特《きどく》である。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端《とたん》に、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上《かつじょう》より死に入る作用と名《なづ》けている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠《しょうこ》発奮して死ぬものは奇麗《きれい》に死ぬが、いじけて殺されるものは、どうも旨《うま》く死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々《いまいま》しい、死んじまえと思った時は、手を離すのが怖《こわ》くも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当《しょうとう》した。
 自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃《ピストル》でも九寸五分《くすんごぶ》でも立派に――つまり人が賞《ほ》めてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳《けごん》の瀑《たき》まででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首を縊《くく》るのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目《まじめ》であったにしても、さほど差し逼《せま》ってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎《だんこ》として、現に梯子段《はしごだん》から手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔《けんかく》もあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢《ぜいたく》過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性《ほっさせい》の急往生を思いとまって、不束《ふつつか》ながら今日まで生きている。全く今はの際《きわ》にも弱点を引張っていた御蔭である。
 話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持|後《あと》へ引いて、手の握《にぎり》をゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴《さ》えない。待て待て、出てから華厳《けごん》の瀑《たき》へ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然と緊《しま》った。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が燃えている。仰向《あおむ》くと、泥で濡《ぬ》れた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折《ざせつ》すれば犬死になる。暗い坑《あな》で、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、鉱《あらがね》と同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑《けいべつ》されるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。
 左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指の痕《あと》のつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》は暗い中を竪《たて》に動いて行く。坑は層一層《そういっそう》と明かるくなる。踏み棄《す》てて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖《けんがい》からは水が垂れる。ひらりとカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を翻《ひるが》えすと、崖《がけ》の面《おもて》を掠《かす》めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。また翻《ひるが》えす。灯《ひ》は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外《はず》れて、がんがらがんの壁が眼に映《うつ》る。ぞっとする。眼が眩《くら》む。眼を閉《ねむ》って、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障《てざわりあしざわり》だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。
 それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑《てんゆう》で登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚《さと》った時に、坑の中へぴたりと坐った。
「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」
と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子《はしご》の上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、
「少し気分が悪《わ》るかったから途中で休んでいました」
と答えた。
「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」
「ええ、まあそうです」
「ふうん。じゃ明日《あす》は作業もできめえ」
 この一言《いちごん》を聞いた時、自分は糞《くそ》でも食《くら》えと思った。誰が土竜《もぐらもち》の真似なんかするものかと思った。これでも美しい女に惚《ほ》れられたんだと思った。坑《あな》を出れば、すぐ華厳《けごん》の瀑《たき》まで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんな獣《けだもの》を相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、
「よければ上がりましょう」
と云った。初さんは怪訝《けげん》な顔をした。
「上がる? 元気だなあ」
 自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目《あきめくら》め。人を見損《みそく》なやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀《ていねい》に、一言《ひとこと》、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつき方《かた》である。
「おい大丈夫かい。冗談《じょうだん》じゃねえ。顔色が悪いぜ」
「じゃ僕が先へ行きましょう」
と自分はむっとして歩き出した。
「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、後《あと》から尾《つ》いて来ねえ」
「そうですか」
「当前《あたりめえ》だあな。人つけ。誰が案内を置《お》き去《ざり》にして、先へ行く奴があるかい、何でい」
と初さんは、自分を払い退《の》けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つに這《は》ったり、背中を横《よこ》っ丁《ちょ》にしたり、頭だけ曲げたり、坑《あな》の恰好《かっこう》しだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生|中《ちゅう》っ腹《ぱら》で急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたり上《あが》ったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌を唄《うた》う。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、籠《こも》ったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云う勢《いきおい》で、根限《こんかぎ》り這ったり屈《かが》んだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当《けんとう》がついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然《ぼうぜん》とした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力《じりき》で日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年《ながねん》掘荒した坑《あな》だから、まるで土蜘蛛《つちぐも》の根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所に開《あ》いている。滅多《めった》な穴へ這入《はい》るとまた腰きり水に漬《つか》る所か、でなければ、例の逆《さか》さの桟道《さんどう》へ出そうで容易に踏み込めない。
 そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》を見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でも上《のぼ》りならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路《うろ》ついていたら、どこかの作事場《さくじば》へ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減に迷《まご》ついていた。非常に気が急《せ》いて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけは癒《なお》った。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排《あんばい》で、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪《かんしゃく》が起った。どうも歩けば歩くほど天井《てんじょう》が邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋《わらじ》の底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭を擲《たた》きつけて、せめて罅《ひび》でも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳《けごん》の瀑《たき》へ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子《ほりこ》が来た。ばらの銅《あかがね》をスノコ[#「スノコ」に傍点]へ運ぶ途中と見えて例の箕《み》を抱《だ》いてよちよちカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を揺《ゆ》りながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常な蒼《あお》ん蔵《ぞう》であった。この坑のなかですら、只事《ただごと》とは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵に違《ちがい》ない。それで口を利《き》くのが厭《いや》になった。こんな奴の癖に人に調戯《からか》ったり、嬲《なぶ》ったり、辱《はずか》しめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのが厭《いや》になった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡して擦《す》れ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は一つになった。気はますます焦慮《いら》って来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりに槌《つち》を振り上げて鑿《のみ》を敲《たた》いている。敲くたんびに鉱《あらがね》が壁から落ちて来る。その傍《そば》に俵がある。これはさっきスノコ[#「スノコ」に傍点]へ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子《ほりこ》が来て担《かつ》いで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心《かんじん》の本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコ[#「アテシコ」に傍点]を俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。鑿《のみ》を持ったままである。
「何をしやがるんでい」
 鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳には敲《たた》き込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。
 見ると、足の長い、胸の張った、体格の逞《たくま》しい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓《りんかく》がやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下《みおろ》した。口を結んでいる。二重瞼《ふたえまぶた》の大きな眼を見張っている。鼻筋が真直《まっすぐ》に通っている。色が赭黒《あかぐろ》い。ただの坑夫ではない。突然として云った。
「貴様は新前《しんめえ》だな」
「そうです」
 自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑《けいべつ》していたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、
「何でこんな所を迷子《まご》ついてるんだ」
と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極《みきわ》めた語調である。
「実は昨夕《ゆうべ》飯場《はんば》へ着いて、様子を見に坑《あな》へ這入《はい》ったばかりです」
「一人でか」
「いいえ、飯場頭《はんばがしら》から人をつけてくれたんですが……」
「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」
「先へ出ちまいました」
「先へ出た? 手前《てめえ》を置き去りにしてか」
「まあ、そうです」
「太《ふて》え野郎だ。よしよし今に己《おれ》が送り出してやるから待ってろ」
と云ったなり、また鑿《のみ》と槌《つち》をかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男に逢《あ》ったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その後《ご》人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐《あぐら》をかきながら、
「ちょっと待ちねえ。一服やるから」
と、煙草入《たばこいれ》を取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引《ももひき》に差し込んである上から筒袖《つつっぽう》が被《かぶ》さっていた。坑夫は旨《うま》そうに腹の底まで吸った煙《けむ》を、鼻から吹き出している間《ま》に、短い羅宇《らお》の中途を、煙草入の筒でぽんと払《はた》いた。小さい火球《ひだま》が雁首《がんくび》から勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋《わらじ》の爪先《つまさき》へ落ちてじゅうと消えた。坑夫は殻《から》になった煙管《きせる》をぷっと吹く。羅宇の中に籠《こも》った煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口を利《き》いた。
「御前《おめえ》はどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体《からだ》つきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」
「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」
とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹の内《なか》で畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀《ていねい》にしていたのとはだいぶん趣《おもむき》が違う。自分はただ洗い攫《ざら》い自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀《ていねい》に答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首を眺《なが》めていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口を開《ひら》いた。
 自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――彼《か》れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日《きのう》まで常住坐臥《じょうじゅうざが》使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持|頸《くび》を前の方に出して、胡坐の膝《ひざ》へ片手を逆《ぎゃく》に突いて、左の肩を少し聳《そびやか》して、右の指で煙管を握って、薄い唇《くちびる》の間から奇麗《きれい》な歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。――
「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤《いや》しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情《じょう》の時代だ。おれも覚《おぼえ》がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己《おれ》もそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情と己《おれ》の事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。咎《とが》めやしない。同情する。深い事故《わけ》もあるだろう。聞いて相談になれる身体《からだ》なら聞きもするが、シキ[#「シキ」に傍点]から出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」
と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキ[#「シキ」に傍点]を出られないためか、または今云い掛けたおれも[#「おれも」に傍点]の後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧《かいきゅう》と云うのか、沈吟《ちんぎん》と云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒い坑《あな》の中で、人気《ひとけ》はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球《めだま》に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれも[#「おれも」に傍点]を二遍繰り返した。
「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基《もと》で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容《い》れられない身体《からだ》になっていた。もとより酔興《すいきょう》でした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃《みのが》さない。おれは正しい人間だ、曲った事が嫌《きらい》だから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問も棄《す》てなければならない。功名も抛《なげう》たなければならない。万事が駄目だ。口惜《くや》しいけれども仕方がない。その上制裁の手に捕《とら》えられなければならない。(故意か偶然か、彼はとくに制裁の手と云う言語を使用した。)しかし自分が悪い覚《おぼえ》がないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしても己《おれ》の性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキ[#「シキ」に傍点]の中へ潜《もぐ》り込んだ。それから六年というもの、ついに日光《ひのめ》を見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかん敲《たた》いているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキ[#「シキ」に傍点]を出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手には捕《つら》まらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆《しゃば》へ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」
と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。
 自分は藪《やぶ》から棒《ぼう》の質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、昔《むかし》どころではない。一二年前から一昨日《おととい》まで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮《さえぎ》るごとくに、話の続きを始めた。
「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵|見悉《みつく》した。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐《おうと》を催《もよお》しそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くって狭《せば》い所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭《あかがねくさ》くなって、一日もカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の油を嗅《か》がなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日《にさんち》で突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想《かわいそう》だ。理想も何にもない鑿《のみ》と槌《つち》よりほかに使う術《すべ》を知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキ[#「シキ」に傍点]へ抛《ほう》り込まれるには若過ぎるよ。ここは人間の屑《くず》が抛り込まれる所だ。全く人間の墓所《はかしょ》だ。生きて葬《ほうぶ》られる所だ。一度|踏《ふ》ん込《ご》んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽《おとしあな》だ。そんな事とは知らずに、大方ポン引《びき》の言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人《いちにん》だ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、悔《くや》んだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」
 自分はただ一言《ひとこと》ある[#「ある」に傍点]と答えた。
「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」
 自分は黙っていた。
「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来て安《やす》さんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」
 安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情《りひにんじょう》を解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人に逢《あ》ったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、坑《あな》の中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟《きせき》のように思われた。大晦日《おおみそか》を越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云う諺《ことわざ》も記憶していたが、窮《きわ》まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿《つうふん》の焔《ほのお》で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻《ひるが》えし得るほどの力をもって、自分の耳に応《こた》えた。
 しばらくは二人して黙っていた。安さんは一応云うだけの事を云ってしまったんだから、口を利《き》かないはずであるが、自分は先方に対して、何とか返事をする義務がある。義務をかいては安さんに済まない。心底《しんそこ》から感謝の意を表《ひょう》した上で、自分の考えも少し聞いてもらいたいのは山々であったが、何分にも鼻の奥が詰って不自由である。しかも強《し》いて言葉を出そうとすると、口へ出ないで鼻へ抜けそうになる。それを我慢すると、唇の両端《りょうはじ》がむずむずして、小鼻がぴくついて来る。やがて鼻と口を塞《せ》かれた感動が、出端《では》を失って、眼の中にたまって来た。睫《まつげ》が重くなる。瞼《まぶた》が熱くなる。大《おおい》に困った。安さんも妙な顔をしている。二人ともばつ[#「ばつ」に傍点]が悪くなって、差し向いで胡坐《あぐら》をかいたまま、黙っていた。その時次の作事場《さくじば》で鉱《あらがね》を敲《たた》く音がかあんかあん鳴った。今考えると、自分と安さんが黙然《もくねん》と顔を見合せていた場所は、地面の下何百尺くらいな深さだか、それを正確に知って置きたかった。都会でも、こんな奇遇は少い。銅山《やま》の中では有ろうはずがない。日の照らない坑《あな》の底で、世から、人から、歴史から、太陽からも、忘れられた二人が、ありがたい誨《おしえ》を垂れて、尊《たっ》とい涙を流した舞台があろうとは、胡坐をかいて、黙然と互に顔を見守っていた本人よりほかに知るものはあるまい。
 安さんはまた煙草《たばこ》を呑《の》み出した。ぷかりぷかりと煙《けむ》が出た。その煙が濃く出ては暗がりに消え、濃く出ては暗がりに消える間に、自分はようやく声が自由になった。
「ありがたいです。なるほどあなたのおっしゃる通り人間のいる所じゃないでしょう。僕もあなたに逢《あ》うまでは、今日《きょう》限り銅山《やま》を出ようかと思ってたんです。……」
 さすが山を出て死ぬつもりだったとは云いかねたから、ここでちょっと句を切ったら、
「そりゃなおさらだ。さっそく帰るがいい」
と、安さんが勢いをつけてくれた。自分はやっぱり黙っていた。すると、
「だから旅費はおれが拵《こしら》えてやるから」
と云う。自分はさっきから旅費旅費と聞かされるのを、ただ善意に解釈していたが、さればと云って毫《ごう》も貰う気は起らなかった。昨日《きのう》飯場頭《はんばがしら》の合力《ごうりょく》を断った時の料簡《りょうけん》と同じかと云うと、それとも違う。昨日は是非貰いたかった、地平《じびた》へ手を突いてまで貰いたかった。しかし草鞋銭《わらじせん》を貰うよりも、坑夫になる方が得だと勘定したから、手を出して頂きたいところを、無理に断ったんである。安さんの旅費は始めから貰いたくない。好意を空《むな》しくすると云う点から見れば、貰わなければ済まないし、坑夫をやめるとすれば貰う方が便利だが、それにもかかわらず貰いたくなかった。これは今から考えると、全く向うの人格に対して、貰っては恥ずべき事だ、こちらの人格が下がるという念から萌《きざ》したものらしい。先方がいかにも立派だから、こっちも出来るだけ立派にしたい、立派にしなければ、自分の体面を損《そこな》う虞《おそれ》がある。向うの好意を享《う》けて、相当の満足を先方に与えるのは、こちらも悦《よろこ》ばしいが、受けるべき理由がないのに、濫《みだ》りに自己の利得のみを標準《めやす》に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である、乞食以上の人物でないと云う事実上の証明を与えるに忍びなかった。年が若いと馬鹿な代りに存外|奇麗《きれい》なものである。自分は
「旅費は頂きません」
と断った。
 この時安さんは、煙草を二三ぶく吸《ふか》して、煙管《きせる》を筒《つつ》へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て
「こりゃ失敬した」
と云ったんで、自分は非常に気の毒になった。もしやるから貰って置けとでも強いられたならきっと受けたに違ない。その後《ご》気をつけて、人が金を貰うところを見ていると、始めは一応辞退して、後では大抵|懐《ふところ》へ入れるようだが、これは全くこの心理状態の発達した形式に過ぎないんだろうと思う。幸い安さんがえらい男で、「こりゃ失敬した」と云ってくれたんで、自分はこの形式に陥《おちい》らずに済んだのはありがたかった。
 安さんはすぐさま旅費の件を撤回して
「だが東京へは帰るだろうね」
と聞き直した。自分は、死ぬ決心が少々|鈍《にぶ》った際だから、ことによれば、旅費だけでも溜めた上、帰る事にしようと云う腹もあったんで、
「よく考えて見ましょう。いずれその中《うち》また御相談に参りますから」
と答えた。
「そうか。それじゃ、とにかく路の分る所まで送ってやろう」
と煙草入《たばこいれ》を股引《ももひき》へ差し込んで、上から筒服《つつっぽう》の胴を被《かぶ》せた。自分はカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げて腰を上げた。安さんが先へ立つ。坑《あな》は存外登り安かった。例の段々を四五遍通り抜けて、二度ほど四つん這《ば》いになったら、かなり天井《てんじょう》の高い、真直《まっすぐ》に立って歩けるような路へ出た。それをだらだらと廻り込んで、右の方へ登り詰めると、突然第一見張所の手前へ出た。安さんは電気灯の見える所で留った。
「じゃ、これで別れよう。あれが見張所だ。あすこの前を右へついて上がると、軌道《レール》の敷いてある所へ出る。それから先は一本道だ。おれはまだ時間が早いから、もう少し働いてからでなくっちゃあ出られない。晩には帰る。五時過ならいるから、暇があったら来るがいい。気をつけて行きたまえ。さようなら」
 安さんの影はたちまち暗い中へ這入《はい》った。振り向いて、一口《ひとくち》礼を云った時は、もうカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が角を曲っていた。自分は一人でシキ[#「シキ」に傍点]の入口を出た。ふらふら長屋まで帰って来る。途中でいろいろ考えた。あの安さんと云う男が、順当に社会の中で伸びて行ったら、今頃は何に成っているか知らないが、どうしたって坑夫より出世しているに違ない。社会が安さんを殺したのか、安さんが社会に対して済まない事をしたのか――あんな男らしい、すっきりした人が、そうむやみに乱暴を働く訳がないから、ことによると、安さんが悪いんでなくって、社会が悪いのかも知れない。自分は若年《じゃくねん》であったから、社会とはどんなものか、その当時|明瞭《めいりょう》に分らなかったが、何しろ、安さんを追い出すような社会だから碌《ろく》なもんじゃなかろうと考えた。安さんを贔屓《ひいき》にするせいか、どうも安さんが逃げなければならない罪を犯したとは思われない。社会の方で安さんを殺したとしてしまわなければ気が済まない。その癖今云う通り社会とは何者だか要領を得ない。ただ人間だと思っていた。その人間がなぜ安さんのような好い人を殺したのかなおさら分らなかった。だから社会が悪いんだと断定はして見たが、いっこう社会が憎らしくならなかった。ただ安さんが可哀想《かわいそう》であった。できるなら自分と代ってやりたかった。自分は自分の勝手で、自分を殺しにここまで来たんである。厭《いや》になれば帰っても差支《さしつかえ》ない。安さんは人間から殺されて、仕方なしにここに生きているんである。帰ろうたって、帰る所はない。どうしても安さんの方が気の毒だ。
 安さんは堕落したと云った。高等教育を受けたものが坑夫になったんだから、なるほど堕落に違ない。けれどもその堕落がただ身分の堕落ばかりでなくって、品性の堕落も意味しているようだから痛ましい。安さんも達磨《だるま》に金を注《つ》ぎ込むのかしら、坑《あな》の中で一六勝負《いちろくしょうぶ》をやるのかしら、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を病人に見せて調戯《からか》うのかしら、女房を抵当に――まさか、そんな事もあるまい。昨日《きのう》着き立ての自分を見て愚弄《ぐろう》しないもののないうちで、安さんだけは暗い穴の底ながら、十分自分の人格を認めてくれた。安さんは坑夫の仕事はしているが、心《しん》までの坑夫じゃない。それでも堕落したと云った。しかもこの堕落から生涯《しょうがい》出る事ができないと云った。堕落の底に死んで活《い》きてるんだと云った。それほど堕落したと自覚していながら、生きて働いている。生きてかんかん敲《たた》いている。生きて――自分を救おうとしている。安さんが生きてる以上は自分も死んではならない。死ぬのは弱い。……
 こう決心をして、何でも構わないから、ひとまず坑夫になった上として、できるだけ急ぎ足で帰って来ると、長屋の半丁ばかり手前に初さんが石へ腰を掛けて待っている。雨は歇《や》んだ。空はまだ曇っているが、濡《ぬ》れる気遣《きづかい》はない。山から風が吹いて来る。寒くても、世界の明かるいのが、非常に嬉《うれ》しい。自分が嬉しさの余り、疲れた足を擦《ず》りながら、いそいそ近づいてくると、初さんは奇怪《けげん》な顔をして、
「やあ出て来たな。よく路《みち》が分ったな」
と云った。自分が案内につけられながら、他《ひと》を置き去りにして、何とかして何とか、てててててと云う唄《うた》をうたって、大いに焦《じら》して置いて、他が大迷《おおまご》つきに、迷《まご》ついて、穴の角《かど》へ頭をぶっつけて割って見ようとまで思ったあげく、やっとの事で安さんの御情《おなさけ》で出て来れば、「よく路が分ったな」と空とぼけている。その癖親方が怖《こわ》いものだから、途中で待ち合せて、いっしょに連れて帰ろうと云う目算《もくろみ》である。自分は石へ腰を掛けて薄笑いをしているこの案内の頭の上へ唾液《つばき》を吐きかけてやろうかと思った。しかし自分は死ぬのを断念したばかりである。当分はここに留《とど》まらなくっちゃならない身体《からだ》である。唾液を吐きかければ、喧嘩《けんか》になるだけである。喧嘩をすれば負けるだけである。負けた上にスノコ[#「スノコ」に傍点]の中へぶちこまれてはせっかく死ぬのを断念した甲斐《かい》がない。そこで、こう云う答をした。
「どうか、こうか出て来ました」
 すると初さんはなおさら不思議な顔をして、
「へえ。感心だね。一人で出て来たのか」
と聞いた。その時自分は年の割にはうまくやった。旨《うま》くやったと云うくらいだから、ただ自分の損にならないようにと云うだけで、それより以外に賞《ほ》める価値《ねうち》のある所作《しょさ》じゃないが、とにかく十九にしては、なかなか複雑な曲者《くせもの》だと思う。と云うのは、こう聞かれた時に、安さんの名前がつい咽喉《のど》の先まで出たんである。ところをとうとう云わずにしまったのが自慢なのだ。随分くだらない自慢だが訳を話せば、こんな料簡《りょうけん》であった。山中組の安さんは勢力のある坑夫に違ない。この安さんがわざわざ第一見張所の傍《そば》まで見ず知らずの自分を親切に連れて来てくれたと云う事が知れ渡れば、この案内者は面目を失うにきまっている。責任のある自分が、責任を抛《ほう》り出して、先へ坑《あな》を飛び出してしまったと分る以上は――しかもそれが悪意から出たと明瞭《めいりょう》に証拠《しょうこ》だてられる以上は、こいつは親方に対して済ましちゃいられない。となると後できっと敵《かたき》を打つだろう。無責任が露見《ばれ》るのは痛快だが――自分はけっして寛大の念に制せられたなんて耶蘇教流《ヤソきょうりゅう》の嘘《うそ》はつかない。――そこまでは痛快だが、敵打《かたきうち》は大《おおい》に迷惑する。実のところ自分はこの迷惑の念に制せられた。それで、
「ええ、いろいろ路を聞いて出て来ました」
とおとなしい返事をして置いた。
 初さんは半分失望したような、半分安心したような顔つきをしたが、やがて石から腰を上げて、
「親方の所へ行こう」
とまた歩き出した。自分は黙って尾《つ》いて行った。昨日《きのう》親方に逢《あ》ったのは飯場《はんば》だが、親方の住んでる所は別にある。長屋の横を半丁ほど上《のぼ》ると、石垣で二方の角《かど》を取って平《なら》した地面の上に二階建がある。家はさほど見苦しくもないが、家のほかには木も庭もない。相変らず二階の窓から悪魔が首を出している。入口まで来て、初さんが外から声を掛けると、窓をがらりと開けて、飯場頭《はんばがしら》が顔を出した。米利安《めりやす》の襯衣《シャツ》の上へどてら[#「どてら」に傍点]を着たままである。
「帰《けえ》ったか。御苦労だった。まああっちへ行って休みねえ」
と云うが早いか初さんは消えてなくなった。後《あと》は二人になる。親方は窓の中から、自分は表に立ったまま、談話《はなし》をした。
「どうです」
「大概見て来ました」
「どこまで降りました」
「八番坑まで降りました」
「八番坑まで。そりゃ大変だ。随分ひどかったでしょう。それで……」
と心持首を前の方へ出した。
「それで――やっぱりいるつもりです」
「やっぱり」
と繰り返したなり、飯場頭はじっと自分の顔を見ていた。自分も黙って立っていた。二階からは依然として首が出ている。おまけに二つばかり殖《ふ》えた。この顔を見ると、厭《いや》で厭でたまらない。飯場へ帰ってから、この顔に取り巻かれる事を思い出すと、ぞっとする。それでもいる気である。どんな辛抱をしてもいる気である。しかし「やっぱりいるつもりです」と断然答えて置いて、二階の顔を不意に見上げた時には、さすがに情なかった。こんな奴といっしょに置いてくれと、手を合せて拝まなければ始末がつかないようになり下がったのかと思うと、身体《からだ》も魂も塩を懸《か》けた海鼠《なまこ》のようにたわいなくなった。その時飯場頭はようやく口を利《き》いた。奇麗《きれい》さっぱりと利いた。
「じゃ置く事にしよう。だが規則だから、医者に一遍見て貰ってね。健康の証明書を持って来なくっちゃいけない。――今日と――今日は、もう遅いから、明日《あした》の朝、行って見て貰ったらよかろう。――診察場かい。診察場はこれから南の方だ。上がって来る時、見えたろう。あの青いペンキ塗りの家《うち》だ。じゃ今日は疲れたろうから、飯場へ帰って緩《ゆっ》くり御休み」
と云って窓を閉《た》てた。窓を閉てる前に自分はちょっと頭を下げて、飯場へ引返した。緩《ゆっ》くり御休と云ってくれた飯場頭《はんばがしら》の親切はありがたいが、緩くり寝られるくらいなら、こんなに苦しみはしない。起きていれば獰猛組《どうもうぐみ》、寝れば南京虫《ナンキンむし》に責められるばかりだ。たまたま飯の蓋《ふた》を取れば咽喉《のど》へ通らない壁土が出て来る。――しかしいる。いるときめた以上は、どうしてもいて見せる。少くとも安さんが生きてるうちはいる。シキ[#「シキ」に傍点]の人間がみんな南京虫になっても、安さんさえ生きて働いてるうちは、自分も生きて働く考えである。こう考えながら半丁ほどの路を降りて飯場《はんば》へ帰って、二階へ上がった。上がると案のじょう大勢|囲炉裏《いろり》の傍《そば》に待ち構えている。自分はくさくさしたが、できるだけ何喰わぬ顔をして、邪魔にならないような所へ坐った。すると始まった。皮肉だか、冷評だか、罵詈《ばり》だか、滑稽《こっけい》だか、のべつに始まった。
 一々覚えている。生涯《しょうがい》忘れられないほどに、自分の柔らかい頭を刺激したから、よく覚えている。しかし一々繰返す必要はない。まず大体|昨日《きのう》と同じ事と思えば好い。自分は急に安さんに逢《あ》いたくなった。例の夕食《ゆうめし》を我慢して二杯食って、みんなの眼につかないようにそっと飯場を抜け出した。
 山中組はジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の通った石垣の間を抜けて、だらだら坂の降り際《ぎわ》を、右へ上《のぼ》ると斜《はす》に頭の上に被《かぶ》さっている大きな槐《えんじゅ》の奥にある。夕暮の門口《かどぐち》を覗《のぞ》いたら、一人の掘子《ほりこ》がカンテラの灯《ひ》で筒服《つつっぽう》の掃除をしていた。中は存外静かである。
「安さんは、もうお帰りになりましたか」
と叮嚀《ていねい》に聞くと、掘子は顔を上げてちょいと自分を見たまま、奥を向いて、
「おい、安さん、誰か尋ねて来たよ」
と呼び出しにかかるや否や、安さんは待ってたと云わんばかりに足音をさせて出て来た。
「やあ来たな。さあ上《あが》れ」
 見ると安さんは唐桟《とうざん》の着物に豆絞《まめしぼり》か何《な》にかの三尺を締めて立っている。まるで東京の馬丁《べっとう》のような服装《なり》である。これには少し驚いた。安さんも自分の様子を眺《なが》めて首を傾《かし》げて、
「なるほど東京を走ったまんまの服装《なり》だね。おれも昔はそう云う着物を着たこともあったっけ。今じゃこれだ」
と両袖《りょうそで》の裄《ゆき》を引っ張って見せる。
「何と見える。車引かな」
と云うから、自分は遠慮してにやにや笑っていた。安さんは、
「ハハハハ根性《こんじょう》はこれよりまだ堕落しているんだ。驚いちゃいけない」
 自分は何と答えていいか分らないから、やはりにやにや笑って立っていた。この時分は手持無沙汰《てもちぶさた》でさえあればにやにやして済ましたもんだ。そこへ行くと安さんは自分より遥《はる》か世馴《よな》れている。この体《てい》を見て、
「さっきから来るだろうと思って待っていた。さあ上《あが》れ」
と向うから始末をつけてくれた。この人は世馴れた知識を応用して、世馴れない人を救《たす》ける方の側《がわ》だと感心した。こいつを逆にして馬鹿にされつけていたから特別に感心したんだろう。そこで安さんの云う通り長屋へ上って見た。部屋はやっぱり広いが、自分の泊った所ほどでもない。電気灯は点《つ》いている。囲炉裏《いろり》もある。ただ人数《にんず》が少い、しめて五六人しかいない。しかも、それが向うに塊《かたま》ってるから、こっちはたった二人である。そこでまた話を始めた。
「いつ帰る」
「帰らない事にしました」
 安さんは馬鹿だなあと云わないばかりの顔をして呆《あき》れている。
「あなたのおっしゃった事は、よく分っています。しかし僕だって、酔興《すいきょう》にここまで来た訳じゃないんですから、帰るったって帰る所はありません」
「じゃやっぱり世の中へ顔が出せないような事でもしたのか」
と安さんは鋭い口調で聞いた。何だか向うの方がぎょっとしたらしい。
「そうでもないんですが――世の中へ顔が出したくないんです」
と答えると、自分の態度と、自分の顔つきと、自分の語勢を注意していた安さんが急に噴《ふ》き出した。
「冗談云っちゃいけねえ。そんな酔狂があるもんか。世の中へ顔が出したくないた何の事だ。贅沢《ぜいたく》じゃねえか。そんな身分に一日でも好いからなって見てえくらいだ」
「代れれば代って上げたいと思います」
と至極《しごく》真面目に云うと、安さんは、また噴き出した。
「どうも手のつけようがないね。考えて御覧な。世の中へ顔が出したくないものがさ、このシキ[#「シキ」に傍点]へ顔が出したくなれるかい」
「ちっとも出したくはありません。仕方がないから――仕方がないんです。昨夕《ゆうべ》も今日も散々|苛責《いじめ》られました」
 安さんはまた笑い出した。
「太《ふて》え野郎だ。誰が苛責た。年の若いものつらまえて。よしよしおれが今に敵《かたき》を打ってやるから。その代り帰るんだぜ」
 自分はこの時大変心丈夫になった。なおなお留《とど》まる気になった。あんな獰猛《どうもう》もこっちさえ強くなりゃちっとも恐ろしかないんだ、十把一束《じっぱひとからげ》に罵倒するくらいの勇気がだんだん出てくるんだと思った。そこで安さんに敵は取ってくれないでも好いから、どうか帰さずに当分置いて貰えまいかと頼んだ。安さんは、あまりの馬鹿らしさに、気の毒そうな顔をして、呆《あき》れ返っていたが、
「それじゃ、いるさ。――何も頼むの頼まないのって、そりゃ君の勝手だあね。相談するがものはないや」
「でも、あなたが承知して下さらないと、いにくいですから」
「せっかくそう云うんなら、当分にするがいい。長くいちゃいけない」
 自分は謹《つつし》んで安さんの旨《むね》を領《りょう》した。実際自分もその考えでいたんだから、これはけっして御交際《おつきあい》の挨拶《あいさつ》ではなかった。それからいろいろな話をしたがシキ[#「シキ」に傍点]の中の述懐と大した変りはなかった。ただ安さんの兄《あに》さんが高等官になって長崎にいると云う事を聞いて、大いに感動した。安さんの身になっても、兄さんの身になっても、定めし苦しいだろうと思うにつけ、自分と自分の親と結びつけて考え出したら何となく悲しくなった。帰る時に安さんが出口まで送って来て、相談でもあるならいつでも来るが好いと云ってくれた。
 表へ出ると、いつの間《ま》にか曇った空が晴れて、細い月が出ている。路は存外明るい、その代り大変寒い。袷《あわせ》を通して、襯衣《シャツ》を通して、蒲鉾形《かまぼこなり》の月の光が肌まで浸《し》み込んで来るようだ。両袖を胸の前へ合せて、その中へ鼻から下を突込んで肩をできるだけ聳《そび》やかして歩行《ある》き出した。身体《からだ》はいじけているが腹の中はさっきよりだいぶん豊かになった。何の当分のうちだ。馴《な》れればそう苦にする事はない。何しろ一万余人もかたまって、毎日毎日いっしょに働いて、いっしょに飯を食って、いっしょに寝ているんだから、自分だって七日も練習すれば、一人前《いちにんまえ》に堕落する事はできるに違ない。――この時自分の頭の中には、堕落の二字がこの通りに出て来た。しかしただこの場合に都合のいい文字として湧《わ》いて出たまでで、堕落の内容を明かに代表していなかったから、別に恐ろしいとも思わなかった。それで、比較的元気づいて飯場《はんば》へ帰って来た。五六間手前まで来ると、何だかわいわい云っている。外は淋《さび》しい月である。自分は家《うち》の騒ぎを聞いて、淋しい月を見上げて、しばらく立っていた。そうしたら、どうも這入《はい》るのが厭《いや》になった。月を浴びて外に立っているのも、つらくなった。安さんの所へ行って泊めてもらいたくなった。一歩引き返して見たが、あんまりだと気を取り直して、のそのそ長屋へ這入った。横手に広い間《ま》があって、上り口からは障子《しょうじ》で立て切ってある。電気灯が頭の上にあるから影は一つも差さないが、騒ぎはまさにこの中《うち》から出る。自分は下駄《げた》を脱いで、足音のしないように、障子の傍《そば》を通って、二階へ上がった。段々を登り切って、大きな部屋を見渡した時、ほっと一息ついた。部屋には誰もいない。
 ただ金《きん》さんが平たく煎餅《せんべい》のようになって寝ている。それから例の帆木綿《ほもめん》にくるまって、ぶら下がってる男もいる。しかし両方とも極《きわ》めて静かだ。いてもいないと同じく、部屋は漠然《ばくぜん》としてただ広いものだ。自分は部屋の真中まで来て立ちながら考えた。床を敷いて寝たものだろうか、ただしは着のみ着のままで、ごろりと横になるか、または昨夕《ゆうべ》の通り柱へ倚《もた》れて夜を明そうか。ごろ寝は寒い、柱へ倚《よ》り懸《かか》るのは苦しい。どうかして布団《ふとん》を敷きたい。ことによれば今日は疲れ果てているから、南京虫《ナンキンむし》がいても寝られるかも知れない。それに蒲団《ふとん》の奇麗《きれい》なのを選《よ》ったらよかろう。ことさら日によって、南京虫の数が違わないとも限るまい。といろいろな理窟《りくつ》をつけて布団を出して、そうっと潜《もぐ》り込んだ。
 この晩の、経験を記憶のまま、ここに書きつけては、自分がお話しにならない馬鹿だと吹聴《ふいちょう》する事になるばかりで、ほかに何の利益も興味もないからやめる。一口《ひとくち》に云うと、昨夜《ゆうべ》と同じような苦しみを、昨夜以上に受けて、寝るが早いか、すぐ飛び起きちまった。起きた後で、あれほど南京虫に螫《さ》されながら、なぜ性懲《しょうこり》もなくまた布団《ふとん》を引っ張り出して寝たもんだろうと後悔した。考えると、全くの自業自得《じごうじとく》で、しかも常識のあるものなら誰でも避《よ》けられる、また避けなければならない自業自得だから、我れながら浅ましい馬鹿だと、つくづく自分が厭《いや》になって、布団の上へ胡坐《あぐら》をかいたまま、考え込んでいると、また猛烈にちくりと螫された。臀《しり》と股《もも》と膝頭《ひざがしら》が一時に飛び上がった。自分は五位鷺《ごいさぎ》のように布団の上に立った。そうして、四囲《あたり》を見廻した。そうして泣き出した。仕方がないから、紺《こん》の兵児帯《へこおび》を解いて、四つに折って、裸の身体中所嫌わず、ぴしゃぴしゃ敲《たた》き始めた。それから着物を着た。そうして昨夜の柱の所へ行った。柱に倚《よ》りかかった。家《うち》が恋しくなった。父よりも母よりも、艶子さんよりも澄江さんよりも、家の六畳の間が恋しくなった。戸棚に這入《はい》ってる更紗《さらさ》の布団と、黒天鵞絨《くろびろうど》の半襟《はんえり》の掛かった中形の掻捲《かいまき》が恋しくなった。三十分でも好いから、あの布団を敷いて、あの掻捲を懸《か》けて、暖《あっ》たかにして楽々寝て見たい、今頃は誰があの部屋へ寝ているだろうか。それとも自分がいなくなってから後《のち》は、机を据《す》えたまんま、空《がら》ん胴《どう》にしてあるかしらん。そうすると、あの布団も掻捲も、畳んだなり戸棚にしまってあるに違ない。もったいないもんだ。父も母も澄江さんも艶子さんも南京虫に食われないで仕合せだ。今頃は熟睡しているだろう。羨《うらや》ましい。――それとも寝られないで、のつそつしているかしらん。父は寝られないと疳癪《かんしゃく》を起して、夜中に灰吹をぽんぽん敲《たた》くのが癖だ。煙草《たばこ》を呑《の》むんだと云うが、煙草は仮託《かこつけ》で、実は、腹立紛れに敲きつけるんじゃないかと思う。今頃はしきりに敲いてるかも知れない。苦々《にがにが》しい倅《せがれ》だと思って敲いてるか、どうなったろうと心配の余り眼を覚まして敲いてるか。どっちにしても気の毒だ。しかしこっちじゃそれほどにも思っていないから、先方《さき》でもそう苦にしちゃいまい。母は寝られないと手水《ちょうず》に起きる。中庭の小窓を明けて、手を洗って、桟《さん》をおろすのを忘れて、翌朝《あくるあさ》よく父に叱られている。昨夜も今夜もきっと叱られるに違ない。澄江さんはぐうぐう寝ている――どうしても寝ている。自分のいる前では、丸くなったり、四角になったりいろいろな芸をして、人を釣ってるが、いなくなれば、すぐに忘れて、平生《へいぜい》の通り御膳《ごぜん》をたべて、よく寝る女だから、是非に及ばない。あんな女は、今まで見た新聞小説にはけっして出て来ないから、始めは不思議に思ったが、ちゃんと証拠があるんだから確かである。こう云う女に恋着しなければならないのは、よッぽどの因果《いんが》だ。随分憎らしいと思うが、憎らしいと思いながらもやッぱり惚《ほ》れ込んでいるらしい。不都合な事だ。今でも、あの色の白い顔が眼前《めさき》にちらちらする。怪《け》しからない顔だ。艶子さんは起きてる。そうして泣いてるだろう。はなはだ気の毒だ。しかしこっちで惚れた覚《おぼえ》もなければ、また惚れられるような悪戯《いたずら》をした事がないんだから、いくら起きていても、泣いてくれても仕方がない。気の毒がる事は、いくらでも気の毒がるが仕方がない。構わない事にする。――そこで最後には、ほかの事はどうともするから、ただ安々と楽寝がさせて貰いたい。不断の白い飯も虫唾《むしず》が走るように食いたいが、それよりか南京虫《ナンキンむし》のいない床《とこ》へ這入《はい》りたい。三十分でも好いからぐっすり寝て見たい。その後《あと》でなら腹でも切る。……
 こう考えているとまた夜が明けた。考えている途中でいつか寝たものと見えて、眼が覚《さ》めた時は、何にも考えていなかった。それからあとは、のそのそ下へ降りて行って、顔を洗って、南京米《ナンキンまい》を食う。万事|昨日《きのう》の通りだから、省《はぶ》いてしまう。九時の例刻を待ちかねて病院へ出掛ける。病院は一昨日《おととい》山を登って来る時に見た、青いペンキ塗の建物と聞いているから道も家《うち》も間違えようがない。飯場《はんば》を出て二丁ばかり行くと、すぐ道端《みちばた》にある。木造ではあるがなかなか立派な建築で、広さもかなりだけに、獰猛組《どうもうぐみ》とはまるで不釣合である。野蛮人が病気をするんでさえすでに不思議なくらいだのに、病気に罹《かか》ったものを治療してやるための器械と薬品と医者と建物を具《そな》えつけたんだから、世の中は妙だと云う感じがすぐに起る。まるで泥棒が金を出し合って、小学校を建てて子弟を通学させてるようなもんだ。文明と蒙昧《もうまい》の両極端がこのペンキ塗の青い家の中で出逢《であ》って、一方が一方へ影響を及ぼすと、蒙昧がますますぴんぴん蒙昧になってくる。下手《へた》に食い違った結果が起るもんだ。と考えながら歩いて来ると、また鬼共が窓から首を出して眺《なが》めている。せっかくの考えもこの気味のわるい顔を見上げるとたちまち崩《くず》れてしまう。あの顔のなかに安さんのようなのが、たった一つでもあれば、生き返るほど嬉しいだろうに、どれもこれも申し合せたように獰猛の極致を尽している。あれじゃ、どうしたって病院の必要があるはずがないとまで思った。
 天気だけは好都合にすっかり晴れた。赤土を劈《さ》いたような山の壁へ日が当る。昨日、一昨日の雨を吸込んだ土は、東から差す日を受けて、まだ乾かない。その上照る日をいくらでも吸い込んで行く。景色《けしき》は晴れがましいうちに湿《しっ》とりと調子づいて、長屋と長屋の間から、下の方の山を見ると、真蒼《まっさお》な色が笑《え》み割れそうに濃く重なっている。風は全く落ちた。昨夕《ゆうべ》と今朝とではほとんど十五度以上も違うようである。道傍《みちばた》に、たった一つ蒲公英《たんぽぽ》が咲いている。もったいないほど奇麗な色だ。これも獰猛とはまるで釣り合ない。
 病院へ着いた。和土《たたき》の廊下が地面と擦《す》れ擦れに五六間続いている突き当りに、診察室と云う札が懸《かか》って、手前の右手に控所と書いてある。今云った一間幅の廊下を横切って、控所へ這入《はい》ると、下はやはり和土で、ベンチが二脚ほど並べてある。小さい硝子窓《ガラスまど》には受附と楷書で貼《は》りつけてある。自分はこの窓口へ行って、自分の姓名を書いた紙片《かみきれ》を出すと、窓の中に腰を掛けていた二十二三の若い男が、その紙片を受取って、ありもしない眉《まみえ》へ八の字を寄せて、むずかしそうにとくと眺《なが》めた上、
「こりゃ御前か」
と、さも横風《おうふう》に云った。あまり好い心持ではなかった。何の必要があって、こう自分を軽蔑《けいべつ》するんだか不平に堪《た》えない。それで単に、
「ええ」
と出来るだけ愛嬌《あいきょう》のない返事をした。受附は、それじゃ、まだ挨拶《あいさつ》が足りないと云わんばかりに、しばらくは自分を睨《にら》めていたが、こっちもそれっ切り口を結んで立っていたもんだから、
「少し待っていろ」
と、ぴしゃりと硝子戸《ガラスど》を締めて出て行った。草履《ぞうり》の音がする。あんなにばたばた云わせなくっても好さそうなもんだと思った。
 自分はベンチへ腰を掛けた。受附はなかなか帰って来ない。ぼんやりしていると、眼の前にジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]が出て来た。金《きん》さんがよっしょいよっしょいと担《かつ》がれて来るところが見える。あれでも病院が必要なのかと思った。何のために薬を盛って、患者を施療《せりょう》するのか、ほとんど意義をなさない。こんな体裁《ていさい》のいい偽善はない。病人はいじめるだけいじめる。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は囃《はや》したいだけ囃す。その代り医者にかけてやると云うのか。鄭重《ていちょう》の至りである。
「おいあっちへ廻れ」
と突然受附の声がした。見ると受附は硝子窓の中に威丈高《いたけだか》に突立って、自分を眼下に睥睨《へいげい》している。自分は控所を出た。右へ折れて、廊下伝いに診察場へ上がったら、薬の臭《におい》がぷんとした。この臭を嗅《か》ぐと等《ひと》しく、自分も、もうやがて死ぬんだなと思い出した。死んでここの土になったら不思議なものだ。こう云うのを運命というんだろう。運命の二字は昔から知ってたが、ただ字を知ってるだけで意味は分らなかった。意味は分っても、納得《なっとく》がむずかしかった。西洋人が筍《たけのこ》を想像するように定義だけを心得て満足していた。けれども人間の一大事たる死と云う実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでいるシキ[#「シキ」に傍点]とを結びつけて、二三日前まで不足なく生い立った坊っちゃんを突然宙に釣るして、この二つの間に置いたとすると、坊っちゃんは始めてなるほどと首肯する。運命は不可思議な魔力で可憐な青年を弄《もてあそ》ぶもんだと云う事が分る。すると今までただの山であったものが、ただの山でなくなる。ただの土であったものがただの土でなくなる。青いばかりと思った空が、青いだけでは済まなくなる。この病院の、この診察場の、この薬品の、この臭いまでが夢のような不思議になる。元来この椅子《いす》に腰を掛けている本人からしてが、何物だかほとんど要領を得ない。本人以外の世界は明瞭《めいりょう》に見えるだけで、どんな意味のある世界かさっぱり見当《けんとう》がつかない。自分は、診察場と薬局とをかねたこの一室の椅子に倚《よ》って、敷物と、洋卓《テエーブル》と、薬瓶《くすりびん》と、窓と、窓の外の山とを見廻した。もっとも明瞭な視覚で見廻したが、すべてがただ一幅の画《え》と見えるだけで、その他《ほか》には何物をも認める事ができなかった。
 そこへ戸を開けて、医者があらわれた。その顔を見ると、やっぱり坑夫の類型《タイプ》である。黒のモーニングに縞《しま》の洋袴《ズボン》を着て、襟《えり》の外へ顎《あご》を突き出して、
「御前か、健康診断をして貰うのは」
と云った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、是非腹の内《なか》で云うべきほどの敬意が籠《こも》っていた。
「ええ」
と自分は椅子を離れた。
「職業は何だ」
「職業って別に何にもないんです」
「職業がない。じゃ、今まで何をして生きていたのか」
「ただ親の厄介《やっかい》になっていました」
「親の厄介になっていた。親の厄介になって、ごろごろしていたのか」
「まあ、そうです」
「じゃ、ごろつきだな」
 自分は答をしなかった。
「裸になれ」
 自分は裸になった。医者は聴診器で胸と背中をちょっと視《み》た上、いきなり自分の鼻を撮《つま》んだ。
「息をして見ろ」
 息が口から出る。医者は口の所へ手をあてがった。
「今度《こんだ》口を塞《ふさ》ぐんだ」
 医者は鼻の下へ手をあてた。
「どうでしょう。坑夫になれますか」
「駄目だ」
「どこか悪いですか」
「今書いてやる」
 医者は四角な紙片《かみきれ》へ、何か書いて抛《ほう》り出すように自分に渡した。見ると気管支炎とある。
 気管支炎と云えば肺病の下地《したじ》である。肺病になれば助かりようがない。なるほどさっき薬の臭《におい》を嗅《か》いで死ぬんだなと虫が知らせたのも無理はない。今度はいよいよ死ぬ事になりそうだ。これから先二三週間もしたら、金《きん》さんのようによっしょいよっしょいでジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見せられて、そのあげくには自分がとうとうジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になって、それから思う存分|囃《はや》し立てられて、敲《たた》き立てられて、――もっとも新参だから囃してくれるものも、敲いてくれるものも、ないかも知れないが――とどの詰りは、――どうなる事か自分にも分らない。それは分らなくってもよろしい。生きて動いている今ですら分らない。ただ世界がのべつ、のっぺらぽうに続いているうちに、あざやかな色が幾通りも並んでるばかりである。坑夫は世の中で、もっとも穢《きた》ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。どうでも構わないから、どうとも勝手にするがいい、自分が懐手《ふところで》をしていたら運命が何とか始末をつけてくれるだろう。死んでもいい、生きてもいい。華厳《けごん》の瀑《たき》などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度|咳《せき》をせくうちの命だ。ここまで運命が吹きつけてくれたもんだから、運命に吹き払われるまでは、ここにいるのが、一番骨が折れなくって、一番便利で、一番順当な訳だ。ここにいて、ただ堕落の修業さえすれば、死ぬまでは持てるだろう。肺病患者にほかの修業はむずかしいかも知れないが、堕落の修業なら――ふと往きに眼についた蒲公英《たんぽぽ》に出逢《であ》った。さっきはもったいないほど美しい色だと思ったが、今見ると何ともない。なぜこれが美しかったんだろうと、しばらく立ち留まって、見ていたが、やっぱり美しくない。それからまたあるき出した。だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向《あおむき》になる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖《ほおづえ》を突いて、自分を見下《みおろ》している。さっきまではあれほど厭《いや》に見えた顔がまるで土細工《つちざいく》の人形の首のように思われる。醜《みにく》くも、怖《こわ》くも、憎らしくもない。ただの顔である。日本一の美人の顔がただの顔であるごとく、坑夫の顔もただの顔である。そう云う自分も骨と肉で出来たただの人間である。意味も何もない。
 自分はこう云う状態で、無人《むにん》の境《さかい》を行くような心持で、親方の家《うち》までやって来た。案内を頼むと、うちから十五六の娘が、がらりと障子《しょうじ》をあけて出た。こう云う娘がこんな所にいようはずがないんだから、平生《へいぜい》ならはっと驚く訳だが、この時はまるで何の感じもなかった。ただ器械のように挨拶《あいさつ》をすると、娘は片手を障子へ掛けたまま、奥を振り向いて、
「御父《おとっ》さん。御客」
と云った。自分はこの時、これが飯場頭《はんばがしら》の娘だなと合点《がてん》したが、ただ合点したまでで、娘がまだそこに立っているのに、娘の事は忘れてしまった。ところへ親方が出て来た。
「どうしたい」
「行って来ました」
「健康診断を貰って来たかい。どれ」
 自分は右の手に握っていた診断書を、つい忘れて、おやどこへやったろうかと、始めて気がついた。
「持ってるじゃないか」
と親方が云う。なるほど持っていたから、皺《しわ》を伸《の》して親方に渡した。
「気管支炎。病気じゃないか」
「ええ駄目です」
「そりゃ困ったな。どうするい」
「やっぱり置いて下さい」
「そいつあ、無理じゃないか」
「ですが、もう帰れないんだから、どうか置いて下さい。小使でも、掃除番でもいいですから。何でもしますから」
「何でもするったって、病気じゃ仕方がないじゃないか。困ったな。しかしせっかくだから、まあ考えてみよう。明日までには大概様子が分るだろうからまた来て見るがいい」
 自分は石のようになって、飯場《はんば》へ帰って来た。
 その晩は平気で囲炉裏《いろり》の側《そば》に胡坐《あぐら》をかいていた。坑夫共が何と云っても相手にしなかった。相手にする料簡《りょうけん》も出なかった。いくら騒いでも、愚弄《からか》っても、よしんば踏んだり蹴《け》たりしても、彼らは自分と共に一枚の板に彫りつけられた一団の像のように思われた。寝るときは布団《ふとん》は敷かなかった。やはり囲炉裏の傍《そば》に胡坐をかいていた。みんな寝着いてから、自分もその場へ仮寝《うたたね》をした。囲炉裏へ炭を継《つ》ぐものがないので、火の気《け》がだんだん弱くなって、寒さがしだいに増して来たら、眼が覚めた。襟《えり》の所がぞくぞくする。それから起きて表へ出て空を見たら、星がいっぱいあった。あの星は何しに、あんなに光ってるのだろうと思って、また内へ這入《はい》った。金《きん》さんは相変らず平たくなって寝ている。金さんはいつジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になるんだろう。自分と金さんとどっちが早く死ぬだろう。安さんは六年このシキ[#「シキ」に傍点]に這入ってると聞いたが、この先何年|鉱《あらがね》を敲《たた》くだろう。やっぱりしまいには金さんのように平たくなって、飯場の片隅《かたすみ》に寝るんだろう。そうして死ぬだろう。――自分は火のない囲炉裏の傍《はた》に坐って、夜明まで考えつづけていた。その考えはあとから、あとから、仕切《しき》りなしに出て来たが、いずれも干枯《ひから》びていた。涙も、情《なさけ》も、色も香《か》もなかった。怖《こわ》い事も、恐ろしい事も、未練も、心残りもなかった。
 夜が明けてから例のごとく飯を済まして、親方の所へ行った。親方は元気のいい声をして、
「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨《うま》い口を見附《めっ》けた。飯場の帳附《ちょうつけ》だがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」
「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」
「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋《わらじ》だ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業《ちからわざ》じゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合《よりあい》だからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」
「結構です、やりましょう」
「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」
「それでたくさんです」
と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固《もとよ》り行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。
 翌日《あくるひ》から自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附《ちょうつけ》を始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑《けいべつ》していた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古《けいこ》を始めた。南京米《ナンキンまい》も食った。南京虫《ナンキンむし》にも食われた。町からは毎日毎日ポン引《びき》が椋鳥《むくどり》を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後《のち》東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。



底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年1月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年4月13日公開
2004年2月26日修正
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