青空文庫アーカイブ

彼岸過迄
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)身体《からだ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い間|抑《おさ》えられたものが

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+蝶のつくり」、第3水準1-87-56]
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     彼岸過迄に就て

 事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体《からだ》をぶっ通《とお》しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好《い》い機会《しお》に、なお二箇月の暇を貪《むさぼ》ることにとりきめて貰ったのが原《もと》で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執《と》らず、十一十二もつい紙上へは杳《よう》たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩《くず》れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
 歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口《いとぐち》を開くように事がきまった時は、長い間|抑《おさ》えられたものが伸びる時の楽《たのしみ》よりは、背中に背負《しょわ》された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉《うれ》しかった。けれども長い間|抛《ほう》り出しておいたこの義務を、どうしたら例《いつも》よりも手際《てぎわ》よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。
 久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充《み》ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬《むく》いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨《うま》いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物《さくぶつ》のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳《い》いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合《うめあわ》せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜《ひそ》んでいるのである。
 この作を公《おおやけ》にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派《ローマンは》の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜《ひょうぼう》して路傍《ろぼう》の人の注意を惹《ひ》くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。
 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴《ふいちょう》する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
 自分はすべて文壇に濫用《らんよう》される空疎な流行語を藉《か》りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気《げんき》があって自分以上を装《よそお》うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎《もたら》すのを恐れるだけである。
 東京大阪を通じて計算すると、吾《わが》朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物《さくぶつ》を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路《ろじ》も覗《のぞ》いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率《しんそつ》に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公《おおやけ》にし得る自分を幸福と信じている。
「彼岸過迄《ひがんすぎまで》」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空《むな》しい標題《みだし》である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持《じ》していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日《こんにち》まで過ぎたのであるから、もし自分の手際《てぎわ》が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企《くわだ》てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏《まと》まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨《うま》く行かなくっても、離れるともつくとも片《かた》のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支《さしつか》えなかろうと思っている。
[#地から2字上げ](明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)


     風呂の後

        一

 敬太郎《けいたろう》はそれほど験《げん》の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気《いやき》が注《さ》して来た。元々|頑丈《がんじょう》にできた身体《からだ》だから単に馳《か》け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸《かか》ったなり居据《いすわ》って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端《とたん》にすぽりと外《はず》れたりする反間《へま》が度重《たびかさ》なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪《しゃく》も手伝って、飲みたくもない麦酒《ビール》をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁《かいかつ》な気分を自分と誘《いざな》って見た。けれどもいつまで経《た》っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退《の》かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後《あと》からまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫《な》でながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外《はず》して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜《もぐ》り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟《つぶや》いた。
 敬太郎は夜中に二|返《へん》眼を覚《さ》ました。一度は咽喉《のど》が渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼が開《あ》いた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくや否《いな》や敬太郎は、休養休養と云ってまた眼を眠《ねむ》ってしまった。その次には気の利《き》かないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それから後《あと》はいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻煙草《まきたばこ》を一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷島《しきしま》の先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日脚《ひあし》に打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやく我《が》を折って起き上ったなり、楊枝《ようじ》を銜《くわ》えたまま、手拭《てぬぐい》をぶら下げて湯に行った。
 湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小桶《こおけ》一つ出ていない。ただ浴槽《ゆぶね》の中に一人横向になって、硝子越《ガラスごし》に射し込んでくる日光を眺《なが》めながら、呑気《のんき》そうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森本《もりもと》という男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨拶《あいさつ》をしたが、
「何です今頃|楊枝《ようじ》なぞを銜《くわ》え込んで、冗談《じょうだん》じゃない。そう云やあ昨夕《ゆうべ》あなたの部屋に電気が点《つ》いていないようでしたね」と云った。
「電気は宵《よい》の口から煌々《こうこう》と点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅多《めった》にした事はありませんよ」
「全くだ。あなたは堅いからね。羨《うらや》ましいくらい堅いんだから」
 敬太郎は少し羞痒《くすぐっ》たいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜《おうかくまく》から下を湯に浸《つ》けたまま、まだ飽《あ》きずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的|真面目《まじめ》な顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口髭《くちひげ》がだらしなく濡《ぬ》れて一本一本|下向《したむき》に垂れたところを眺めながら、
「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠《だる》そうに浴槽の側《ふち》に両肱《りょうひじ》を置いてその上に額を載《の》せながら俯伏《うっぷし》になったまま、
「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。
「何で」
「何ででもないが、僕の方で御休みです」
 敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽《ゆぶね》の側に突伏《つっぷ》していた。

        二

 敬太郎《けいたろう》が留桶《とめおけ》の前へ腰をおろして、三助《さんすけ》に垢擦《あかすり》を掛けさせている時分になって、森本はやっと煙《けむ》の出るような赤い身体《からだ》を全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡坐《あぐら》をかいたと思うと、
「あなたは好い体格だね」と云って敬太郎の肉付《にくづき》を賞《ほ》め出した。
「これで近頃はだいぶ悪くなった方です」
「どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ」
 森本は自分で自分の腹をポンポン叩《たた》いて見せた。その腹は凹《へこ》んで背中の方へ引《ひっ》つけられてるようであった。
「何しろ商売が商売だから身体は毀《こわ》す一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね」と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、
「今日は僕も閑《ひま》だから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか」と云った。すると森本は、
「ええ話しましょう」とすぐ乗気な返事をしたが、活溌《かっぱつ》なのはただ返事だけで、挙動の方は緩慢《かんまん》というよりも、すべての筋肉が湯に※[#「火+蝶のつくり」、第3水準1-87-56]《う》でられた結果、当分|作用《はたらき》を中止している姿であった。
 敬太郎が石鹸《シャボン》を塗《つ》けた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股を擦《こす》ったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気色《けしき》は見えなかった。最後に瘠《や》せた一塊《ひとかたまり》の肉団をどぶりと湯の中に抛《ほう》り込むように浸《つ》けて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、
「たまに朝湯へ来ると綺麗《きれい》で好い心持ですね」と云った。
「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入《はい》るんだからことにそうだろう。実用のための入湯《にゅうとう》でなくって、快感を貪《むさ》ぼるための入浴なんだから」
「そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億劫《おっくう》でね。ついぼんやり浸《つか》ってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤勉《まめ》だ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御負《おまけ》に楊枝《ようじ》まで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった」
 二人は連立って湯屋の門口《かどぐち》を出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕《ゆうべ》の雨が土を潤《ふや》かし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴上《けあ》げたりした泥の痕《あと》を、二人は厭《いと》うような軽蔑《けいべつ》するような様子で歩いた。日は高く上《のぼ》っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微《かす》かな波動を地平線の上に描《えが》いているらしい感じがした。
「今朝の景色《けしき》は寝坊《ねぼう》のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖《くせ》に靄《もや》がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透《す》かして見ると、乗客がまるで障子《しょうじ》に映る影画《かげえ》のように、はっきり一人《ひとり》一人見分けられるんです。それでいて御天道様《おてんとさま》が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」
 森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入《はい》って巻紙と状袋で膨《ふく》らました懐《ふところ》をちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴《スリッパー》の踵《かかと》を鳴らして階段《はしごだん》を二つ上《のぼ》り切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、
「さあどうぞ」と森本を誘《いざな》った。森本は、
「もう直《じき》午飯《ひる》でしょう」と云ったが、躊躇《ちゅうちょ》すると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無雑作《むぞうさ》な態度で、敬太郎の後に跟《つ》いて来た。そうして、
「あなたの室《へや》から見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手摺付《てすりつき》の縁板の上へ濡手拭《ぬれてぬぐい》を置いた。

        三

 敬太郎《けいたろう》はこの瘠《や》せながら大した病気にも罹《かか》らないで、毎日新橋の停車場《ステーション》へ行く男について、平生から一種の好奇心を有《も》っていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿|住居《ずまい》をして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話した試《ためし》もないので、敬太郎には一切がX《エックス》である。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取《と》り紛《まぎ》れて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕《よゆう》も出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立籠《たてこも》っているという縁故だか同情だかが本《もと》で、いつの間にか挨拶《あいさつ》をしたり世間話をする仲になったまでである。
 だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎《れっき》とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼《がき》が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神《さんじん》の祟《たたり》には実際恐れを作《な》していたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭《におい》が、箒星《ほうきぼし》の尻尾《しっぽ》のようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。
 女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒険譚《ぼうけんだん》の主人公であった。まだ海豹島《かいひょうとう》へ行って膃肭臍《おっとせい》は打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭《さけ》を漁《と》って儲《もう》けた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼《アンチモニー》が出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑口会社《のみぐちがいしゃ》の計画で、これは酒樽《さかだる》の呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。
 儲口《もうけぐち》を離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑摩川《ちくまがわ》の上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、巌《いわ》の上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州|戸隠山《とがくしやま》の奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲目《めくら》が天辺《てっぺん》まで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御参《おまいり》をするには、どんなに脚《あし》の達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚火《たきび》をして夜の寒さを凌《しの》いでいると、下から鈴《れい》の響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴の音《ね》がだんだん近くなって、しまいに座頭《ざとう》が上《のぼ》って来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨拶《あいさつ》をしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、後《あと》から来る盲者《めくら》がその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得《なっとく》もできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少し高《こう》じると、ほとんど妖怪談《ようかいだん》に近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭《くちひげ》の下から最も慇懃《いんぎん》に発表される。彼が耶馬渓《やばけい》を通ったついでに、羅漢寺《らかんじ》へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦《す》れ違った。その女は臙脂《べに》を塗って白粉《おしろい》をつけて、婚礼に行く時の髪を結《ゆ》って、裾模様《すそもよう》の振袖《ふりそで》に厚い帯を締《し》めて、草履穿《ぞうりばき》のままたった一人すたすた羅漢寺《らかんじ》の方へ上《のぼ》って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締《し》まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑を洩《も》らすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁口《べんこう》を迎えるのが例であった。

        四

 この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂《ふろ》から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜《くぐ》って来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎《けいたろう》に取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。
 その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌《い》む浪漫趣味《ロマンチック》の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松《こだまおとまつ》とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年《ていねん》未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中《うち》でも音松君が洞穴の中から躍《おど》り出す大蛸《おおだこ》と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃《ピストル》をポンポン打つんだが、つるつる滑《すべ》って少しも手応《てごたえ》がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸《こだこ》がぐるりと環《わ》を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯《からかい》半分に、君のような剽軽《ひょうきん》ものはとうてい文官試験などを受けて地道《じみち》に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩《たこがり》でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川《たがわ》の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行《はや》り出した。この間卒業して以来足を擂木《すりこぎ》のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。
 南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇抜《きばつ》過ぎるので、真面目《まじめ》に思い立つ勇気も出なかったが、新嘉坡《シンガポール》の護謨林《ゴムりん》栽培などは学生のうちすでに目論《もくろ》んで見た事がある。当時敬太郎は、果《はて》しのない広野《ひろの》を埋《う》め尽す勢《いきおい》で何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローを拵《こしら》えて、その中に栽培監督者としての自分が朝夕《あさゆう》起臥《きが》する様を想像してやまなかった。彼はバンガローの床《ゆか》をわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダに据《す》えつけてある籐椅子《といす》の上に寝そべりながら、強い香《かおり》のハヴァナをぷかりぷかりと鷹揚《おうよう》に吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天鵞絨《びろうど》のような毛並と黄金《こがね》そのままの眼と、それから身の丈《たけ》よりもよほど長い尻尾《しっぽ》を持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞《うずく》まっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算盤《そろばん》に取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護謨《ゴム》を植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手数《てすう》と暇が要《い》る。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金高《かなだか》が以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間|苗木《なえぎ》の生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜《くわ》えて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨|通《つう》は、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威嚇《いかく》したので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。

        五

 けれども彼の異常に対する嗜欲《しよく》はなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢に上《のぼ》して楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇《き》なあるものを、マントの裏かコートの袖《そで》に忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引《ひ》っくり返してその奇なところをただ一目《ひとめ》で好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。
 敬太郎《けいたろう》のこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語《しんアラビヤものがたり》という書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼は大《だい》の英語嫌《えいごぎらい》であったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫敦《ロンドン》に実際こんな事があったんでしょうかと真面目《まじめ》な顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手帛《ハンケチ》を出して鼻の下を拭《ぬぐ》いながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅子《いす》を離れてこんな事を云った。
「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈も自《おのず》から普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻待《つじまち》の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」
 辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡|極《きわ》まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕《ゆうべ》人殺しをするための客を出刃《でば》ぐるみ乗せていっさんに馳《か》けたのかも知れないと考えたり、または追手《おって》の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌《ほろ》の中に隠して、どこかの停車場《ステーション》へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖《こわ》がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。
 そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出会《であ》って然《しか》るべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽《あ》き果てた。毎日食う下宿の菜《さい》にも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方が纏《まと》まるとかすれば、まだ衣食の途《みち》以外に、幾分かの刺戟《しげき》が得られるのだけれども、両方共二三日前に当分|望《のぞみ》がないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊口《ここう》のための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばら銭《せん》を探《さが》して歩くような長閑《のどか》な気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦酒《ビール》を大いに飲んで寝たのである。
 こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御供《おとも》までして彼を自分の室《へや》へ連れ込んだのはこれがためである。

        六

 森本は窓際《まどぎわ》へ坐ってしばらく下の方を眺《なが》めていた。
「あなたの室《へや》から見た景色《けしき》は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾《すそ》に、色づいた樹が、所々|暖《あっ》たかく塊《かた》まっている間から赤い煉瓦《れんが》が見える様子は、たしかに画《え》になりそうですね」
「そうですね」
 敬太郎《けいたろう》はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱《ひじ》を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、
「ここはどうしても盆栽《ぼんさい》の一つや二つ載《の》せておかないと納まらない所ですよ」と云った。
 敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、
「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。
「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄《がら》にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄《いじ》くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描《か》いたもんですよ」
「何でもやるんですね」
「何でも屋に碌《ろく》なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」
 森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。
「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞《な》めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目《まじめ》に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟《おおげさ》に右左に振って見せた。
「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体《からだ》だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心《かんじん》なところで山気《やまぎ》だの謀叛気《むほんぎ》だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付《めっ》かりましたか」
 正直な敬太郎は憮然《ぶぜん》としてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待《あて》もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。
「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」
 森本はここまで来て少し首を傾《かし》げて、自分の哲理を自分で噛《か》みしめるような素振《そぶり》をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽《こっけい》とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣《ことばづかい》をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段《てだて》を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾《かし》げた首を急に竪《たて》に直した。
「どうです、御厭《おいや》でなきゃ、鉄道の方へでも御出《おで》なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」
 いかな浪漫的《ロマンチック》な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退《の》ける彼の愛嬌《あいきょう》を、翻弄《ほんろう》と解釈するほどの僻《ひがみ》ももたなかった。拠処《よんどころ》なく苦笑しながら、下女を呼んで、
「森本さんの御膳《おぜん》もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。

        七

 森本は近頃|身体《からだ》のために酒を慎しんでいると断わりながら、注《つ》いでやりさえすれば、すぐ猪口《ちょく》を空《から》にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱《ほて》ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹《ぼうちょう》するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若《へいどんじじゃく》たるもんだ。明日《あした》免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃《さかずき》に唇《くちびる》を付けて、付合《つきあ》っているのを見て、彼は、
「田川さん、あなた本当に飲《い》けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖《くせ》に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌《ろく》でなしのように蹴《け》なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光《ごこう》が逆《ぎゃく》に射すとでも評すべき態度で、気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1-87-64]《きえん》を吐《は》き始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1-87-64]であった。しかも敬太郎を前に置いて、
「あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候《そうろう》のって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴《おび》えないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うと噫《げっぷ》のような溜息《ためいき》を洩《も》らして自分の無学をさも情《なさけ》なさそうに恨《うら》んだ。
「まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿|同然《どうぜん》渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解脱《げだつ》ができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ」
 敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1-87-64]だの愚痴《ぐち》だのが多くって、例のように純粋の興味が湧《わ》かないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶を勧《すす》めながら、
「あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯呑《ゆのみ》を干してしまうとこう云った。
「そうですね。やった後《あと》で考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女気《おんなっけ》のある方を指すんですか」
「そう云う訳でもないんですが、あったって差支《さしつかえ》ありません」
「なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑談《じょうだん》抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑気《のんき》な生活は世界にまたとなかろうという奴をやった覚《おぼえ》があるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに」
 敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をして来る」と云って立ちかけたが、「その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間の気《け》がないんだもの」と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心を抱《いだ》いて、彼の帰るのを待ち受けた。

        八

 ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎《けいたろう》はとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段《はしごだん》を上《あが》って、彼の部屋の前まで来ると、障子《しょうじ》を五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転《ころ》がっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室《へや》に這入《はい》り込むや否や、森本の首筋を攫《つか》んで強く揺振《ゆすぶ》った。森本は不意に蜂《はち》にでも螫《さ》されたように、あっと云って半《なか》ば跳《は》ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現《ゆめうつつ》のたるい眼つきに戻って、
「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他《ひと》を愚弄《ぐろう》する体《てい》もないので、敬太郎もつい怒《おこ》れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫《いちとんざ》を来《きた》したも同然なので、一人自分の室《へや》に引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、また後《あと》から敬太郎について来た。そうして先刻《さっき》まで自分の坐《すわ》っていた座蒲団《ざぶとん》の上に、きちんと膝《ひざ》を折って、
「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。
 森本の呑気生活というのは、今から十五六年|前《ぜん》彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固《もと》より人間のいない所に天幕《テント》を張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担《かつ》いで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気《け》のありようはずはなかった。
「何しろ高さ二丈もある熊笹《くまざさ》を切り開いて途《みち》をつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇《まむし》がとぐろを巻いて日光を鱗《うろこ》の上に受けている。それを遠くから棒で抑《おさ》えておいて、傍《そば》へ寄って打《ぶ》ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉《さかな》と獣肉《にく》の間ぐらいだろうと答えた。
 天幕《テント》の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体《からだ》を埋《うず》めぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火《たきび》をして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳《かや》は始終《しじゅう》釣っていた。ある時その蚊帳を担《かつ》いで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬《すく》って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥《なまぐ》さくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。
 彼はまた山であらゆる茸《たけ》を採《と》って食ったそうである。ます茸《だけ》というのは広葢《ひろぶた》ほどの大きさで、切って味噌汁《みそしる》の中へ入れて煮るとまるで蒲鉾《かまぼこ》のようだとか、月見茸《つきみだけ》というのは一抱《ひとかかえ》もあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸《ねずみだけ》というのは三つ葉の根のようで可愛《かわい》らしいとか、なかなか精《くわ》しい説明をした。大きな笠《かさ》の中へ、野葡萄《のぶどう》をいっぱい採って来て、そればかり貪《むさ》ぼっていたものだから、しまいに舌《した》が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。
 食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸《ひさん》な物語もあった。それはみんなの糧《かて》が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺《さわべ》まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨《にわかあめ》で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負《しょ》って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向《あおむけ》に寝て、ただ空を眺《なが》めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。
「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便《りょうべん》とも留《と》まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。

        九

 敬太郎《けいたろう》は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次|茫々《ぼうぼう》たる芒原《すすきはら》の中で、突然|面《おもて》も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四《よ》つ這《ばい》になって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱《ひとかかえ》も二抱《ふたかかえ》もある大木の枝も幹も凄《すさ》まじい音を立てて、一度に風から痛振《いたぶ》られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。
「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう」と敬太郎が聞くと、「無論突伏していました」という答であったが、いくら非道《ひど》い風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどの勢《いきおい》があろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他事《ひとごと》のように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目《まじめ》になって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。
「おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用《やくざ》にゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全く嘘《うそ》のような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御出《おいで》なさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵討《かたきうち》じゃなしね、そう真剣に自分の位地《いち》を棄《す》てて漂浪《ひょうろう》するほどの物数奇《ものずき》も今の世にはありませんからね。第一|傍《はた》がそうさせないから大丈夫です」
 敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常調《じょうちょう》以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑《おさ》えたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、
「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭々《あきあき》してしまった」と投げ出すように云った。すると森本は比較的|厳粛《げんしゅく》な顔をして、
「あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤《おみくじ》めいた言葉がさほどの意義を齎《もたら》さなかった。二人は少しの間|煙草《たばこ》を吹かして黙っていた。
「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もう厭《いや》になったから近々《きんきん》罷《や》めようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ」
 敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他《ひと》の進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易《か》えて、世間話を快活に十分ほどした後《あと》で、「いやどうも御馳走《ごちそう》でした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。
 それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会を有《も》たなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんど稀《まれ》であった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒襟《くろえり》の掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟開《えりあき》の広い新調の背広《せびろ》を着て、妙な洋杖《ステッキ》を突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘入《かさいれ》に入れてあると、ははあ先生今日は宅《うち》にいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門《かど》を出入《でいり》した。するとその洋杖《ステッキ》がちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。

        十

 一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎《けいたろう》はようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。固《もと》より役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相《そう》して、何でも停車場《ステーション》の構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌日《あした》は帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。
 しまいに宿の神《かみ》さんが来て、森本さんから何か御音信《おたより》がございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟《ふくろ》のような丸い眼の中《うち》に漂《ただ》よわせて出て行った。それから一週間ほど経《た》っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱《いだ》き始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花《でばな》なので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計《はかりごと》のために、好奇家の権利を放棄したのである。
 すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子《しょうじ》を開けて這入《はい》って来た。彼は腰から古めかしい煙草入《たばこいれ》を取り出して、その筒《つつ》を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管《きせる》に刻草《きざみ》を詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸《ほとば》しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然《はっきり》向うからそうと切り出されるまで覚《さと》らずに、どうも変だとばかり考えていた。
「実は少し御願があって上ったんですが」と云った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから」と藪《やぶ》から棒につけ加えた。
 敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨拶《あいさつ》も口へ出なかったが、ようやく、「いったいどう云う訳なんです」と主人の顔を覗《のぞ》き込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火箸《ひばし》で雁首《がんくび》を掘っていた。それが済んでから羅宇《らう》の疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。
 主人の云うところによると、森本は下宿代が此家《ここ》に六カ月ばかり滞《とどこお》っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年《ことし》の末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家《うち》のものは固《もと》より出張とばかり信じていたが、その日限《にちげん》が過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音信《たより》も来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人の室《へや》を調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限り罷《や》められていたそうである。
「それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御出《おいで》か分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか」
 敬太郎はこの失踪者《しっそうしゃ》の友人として、彼の香《かん》ばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆賞《たんしょう》を懐《ふところ》にして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見做《みな》されては、未来を有《も》つ青年として大いなる不面目だと感じた。

        十一

 正直な彼は主人の疳違《かんちがい》を腹の中で怒《おこ》った。けれども怒る前にまず冷たい青大将《あおだいしょう》でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入《たばこいれ》から刻《きざ》みを撮《つま》み出しては雁首《がんくび》へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎《けいたろう》に与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管《きせる》を扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺《なが》めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治《たいじ》てやりたいような気がし出した。
「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒《と》といっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗《うしろぐら》い関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃《しつこ》く疑っているのは怪《け》しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡《りょうけん》がある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料《しゅくりょう》を滞《とどこ》おらした事があるかい」
 主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭|抱《いだ》いていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰《もら》いたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障《さわ》ったら、いくらでも詫《あや》まるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入《たばこいれ》を早く腰に差させようと思って、単に宜《よろ》しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯《かくおび》の後へしまい込んだ。室《へや》を出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色《けしき》も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。
 それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這入《はい》った。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審を抱《いだ》いた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上部《うわべ》は知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥《あせ》らない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気に狩《か》り歩《あ》るいていた。
 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食《く》ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈《きはちじょう》の袢天《はんてん》で赤ん坊を負《おぶ》った婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛《まゆげ》の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋《いき》な部類に属する型だったが、どうしても袢天|負《おんぶ》をするという柄《がら》ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂《まえだれ》の下から格子縞《こうしじま》か何かの御召《おめし》が出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面《そと》は雨なので、五六人の乗客は皆|傘《かさ》をつぼめて杖《つえ》にしていた。女のは黒蛇目《くろじゃのめ》であったが、冷たいものを手に持つのが厭《いや》だと見えて、彼女はそれを自分の側《わき》に立て掛けておいた。その畳んだ蛇《じゃ》の目《め》の先に赤い漆《うるし》で加留多《かるた》と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。
 この黒人《くろうと》だか素人《しろうと》だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉《まゆ》を心持八の字に寄せて俯目勝《ふしめがち》な白い顔と、御召《おめし》の着物と、黒蛇の目に鮮《あざや》かな加留多という文字とが互違《たがいちがい》に敬太郎の神経を刺戟《しげき》した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質《かおだち》は悪い方じゃありませんでした。眉毛《まみえ》の濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶《おも》い起しながら、加留多と書いた傘の所有主《もちぬし》を注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。

        十二

 好奇心に駆《か》られた敬太郎《けいたろう》は破るようにこの無名氏の書信を披《ひら》いて見た。すると西洋罫紙《せいようけいし》の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力《つと》めたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。
「突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷獣《らいじゅう》とそうしてズク(森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略である)彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代を滞《とどこ》おらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕の室《へや》に置いてある荷物を始末したら――行李《こり》の中には衣類その他がすっかり這入《はい》っていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲者《くせもの》故《ゆえ》僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏便《おんびん》に出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣|輩《はい》が食物《くいもの》にしたがるものですから、その辺《へん》はよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善《よ》くないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾《いかん》の至《いたり》だから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」
 森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めている由《よし》を書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽《たのしみ》にして待っているとつけ加えていた。そうしてその後《あと》へ自分が旅行した満洲《まんしゅう》地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹聴《ふいちょう》していた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長春《ちょうしゅん》とかにある博打場《ばくちば》の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血眼《ちまなこ》になりながら、一種の臭気《しゅうき》を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰《なぐさ》み半分わざと垢《あか》だらけな着物を着て、こっそりここへ出入《しゅつにゅう》するというんだから、森本だってどんな真似《まね》をしたか分らないと敬太郎は考えた。
 手紙の末段には盆栽《ぼんさい》の事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂《どうざか》の植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載《の》せておいて朝夕《あさゆう》眺《なが》めるにはちょうど手頃のものです。あれを献上《けんじょう》するからあなたの室《へや》へ持っていらっしゃい。もっとも雷獣《らいじゅう》とそうしてズクは両人共|極《きわ》めて不風流|故《ゆえ》、床の間の上へ据《す》えたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上り口の土間の傘入《かさいれ》に、僕の洋杖《ステッキ》が差さっているはずです。あれも価格《ねだん》から云えばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら」
 敬太郎は手紙を畳んで机の抽出《ひきだし》へ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出入《でいり》の都度《つど》、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。


     停留所

        一

 敬太郎《けいたろう》に須永《すなが》という友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌《だいきらい》で、法律を修《おさ》めながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義《たいえいしゅぎ》の男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、淋《さみ》しいような、また床《ゆか》しいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまで昇《のぼ》った上、元来が貨殖《かしょく》の道に明らかな人であっただけ、今では母子共《おやことも》衣食の上に不安の憂《うれい》を知らない好い身分である。彼の退嬰主義も半《なか》ばはこの安泰な境遇に慣《な》れて、奮闘の刺戟《しげき》を失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世間体《せけんてい》の好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。
「そう贅沢《ぜいたく》ばかり云ってちゃもったいない。厭《いや》なら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談《じょうだん》半分に須永を強請《せび》ることもあった。すると須永は淋《さび》しそうなまた気の毒そうな微笑を洩《も》らして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深《しゅうねんぶか》くない性質《たち》だから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景を有《も》たない彼は、朝から晩まで下宿の一《ひ》と間《ま》にじっと坐っている苦痛に堪《た》えなかった。用がなくっても半日は是非出て歩《あ》るいた。そうしてよく須永の家《うち》を訪問《おとず》れた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。
「糊口《くち》も糊口[#「糊口」は底本では「口糊」]だが、糊口より先に、何か驚嘆に価《あたい》する事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫徒《すり》にさえ会わない」などと云うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束縛《そくばく》だね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位地《いち》はどうでもいいから思う存分勝手な真似《まね》をして構わないかというと、やっぱり構うからね。厭《いや》に人を束縛するよ教育が」と忌々《いまいま》しそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真面目《まじめ》なのだか、またはただ空焦燥《からはしゃぎ》に焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言い募《つの》るので、「それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。
「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」
「ところがそうは行かない」
 敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜《もぐ》る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫《つか》んだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他《ひと》の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露《ばくろ》にあるのだから、あらかじめ人を陥《おとしい》れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者|否《いな》人間の異常なる機関《からくり》が暗い闇夜《やみよ》に運転する有様を、驚嘆の念をもって眺《なが》めていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永は逆《さから》わずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのを悪《にく》く思って別れた。けれども五日と経《た》たないうちにまた須永の宅《うち》へ行きたくなって、表へ出ると直《すぐ》神田行の電車に乗った。

        二

 須永《すなが》はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標《めじるし》に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上《つまさきのぼ》りに折れて、二三度不規則に曲った極《きわ》めて分り悪《にく》い所にいた。家並《いえなみ》の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影《みかげ》の上を渡らなければ、格子先《こうしさき》の電鈴《ベル》に手が届かないくらいの一構《ひとかまえ》であった。もとから自分の持家《もちいえ》だったのを、一時親類の某《なにがし》に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人《ぶにん》の活計《くらし》には場所も広さも恰好《かっこう》だろうという母の意見から、駿河台《するがだい》の本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎《けいたろう》はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板《てんじょういた》を見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継《つ》ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗《きれい》に明かな四畳六畳|二間《ふたま》つづきの室《へや》であった。その室に坐《すわ》っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目《ちょうなめ》の付いた板塀《いたべい》の上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺《てすり》から見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草《さぎそう》を眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。
 彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑《けいべつ》すると同時に、閑静ながら余裕《よゆう》のあるこの友の生活を羨《うら》やみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑《まだら》な興味を懐《ふところ》に、彼は須永を訪問したのである。
 例の小路《こうじ》を二三度曲折して、須永の住居《すま》っている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜《くぐ》った。敬太郎はただ一目《ひとめ》その後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味《ロマンしゅみ》とが力を合せて、引き摺《ず》るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗《のぞ》いて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉《もみじ》を引手《ひきて》に張り込んだ障子《しょうじ》が、閑静に閉《しま》っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺《なが》めていたが、やがて沓脱《くつぬぎ》の上に脱ぎ捨てた下駄《げた》に気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃《そろ》っているだけで、下女が手をかけて直した迹《あと》が少しも見えない。敬太郎は下駄の向《むき》と、思ったより早く上《あが》ってしまった女の所作《しょさ》とを継《つ》ぎ合わして、これは取次を乞わずに、独《ひと》りで勝手に障子を開けて這入《はい》った極《きわ》めて懇意の客だろうと推察した。でなければ家《うち》のものだが、それでは少し変である。須永の家《いえ》は彼と彼の母と仲働《なかばたら》きと下女の四人《よつたり》暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。
 敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外から窺《うかが》うというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文《あや》に二人の浪漫《ロマン》を織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳《ききみみ》は立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。艶《なま》めいた女の声どころか、咳嗽《せき》一つ聞えなかった。
「許嫁《いいなずけ》かな」
 敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚《めしたき》は下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語《ささや》いている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸《こうしど》をがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝《ひるね》をしている。女はそこへ這入《はい》ったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑《きつねつき》のようにのそりと立っていた。

        三

 すると二階の障子《しょうじ》がすうと開《あ》いて、青い色の硝子瓶《ガラスびん》を提《さ》げた須永《すなが》の姿が不意に縁側《えんがわ》へ現われたので敬太郎《けいたろう》はちょっと吃驚《びっくり》した。
「何をしているんだ。落し物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉《のど》の周囲《まわり》に白いフラネルを捲《ま》いていた。手に提《さ》げたのは含嗽剤《がんそうざい》らしい。敬太郎は上を向いて、風邪《かぜ》を引いたのかとか何とか二三言葉を換《か》わしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味を覚《さと》らない人のごとく、軽く首肯《うなず》いたぎり障子の内に引き込んでしまった。
 階段《はしごだん》を上《あが》る時、敬太郎は奥の部屋で微《かす》かに衣摺《きぬずれ》の音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈《くろはちじょう》の襟《えり》の掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞《たく》ましくしたという疚《や》ましさもあり、また面《めん》と向ってすぐとは云い悪《にく》い皮肉な覘《ねらい》を付けた自覚もあるので、今しがた君の家《うち》へ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心を圧《お》し隠すような風に、
「空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね」と云って、兼《かね》て須永から聞いている内幸町《うちさいわいちょう》の叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真面目《まじめ》に頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連合《つれあい》で、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有《も》っている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力を藉《か》りてどうしようという料簡《りょうけん》もないと見えて、「叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕は余《あんまり》進まないから」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。
 須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉《のど》を痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体《からだ》だしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余り望《のぞみ》を置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜《よろ》しく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。
 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯《いつわ》りなき事実ではあるが、いまだに成効《せいこう》の曙光《しょこう》を拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値《かけね》が籠《こも》っていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地《でんじ》を有《も》っていた。固《もと》より大した穀高《こくだか》になるというほどのものでもないが、俵《ひょう》がいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒《からさわぎ》でないにしても、郷党だの朋友《ほうゆう》だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽《あお》られている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家《ロマンか》だけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮《あざ》やかならぬ及第をしてしまったのである。

        四

 それで約一時間ほど須永《すなが》と話す間にも、敬太郎《けいたろう》は位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻《さっき》見た後姿《うしろすがた》の女の事が気に掛って、肝心《かんじん》の世渡りの方には口先ほど真面目《まじめ》になれなかった。一度|下座敷《したざしき》で若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶち壊《こわ》す道具になって、せっかくの問が間外《まはず》れになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。
 それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心に媚《こ》びるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路《こうじ》のために、賽《さい》の目《め》のように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんど戸《こ》ごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。
 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋《かなものや》の隠居の妾《めかけ》がいる。その妾が宮戸座《みやとざ》とかへ出る役者を情夫《いろ》にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言《だいげん》だか周旋屋《しゅうせんや》だか分らない小綺麗《こぎれい》な格子戸作《こうしどづく》りの家《うち》があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板《ボールド》へ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞《ひだ》を取った紺綾《こんあや》の長いマントをすぽりと被《かぶ》って、まるで西洋の看護婦という服装《なり》をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家《そこ》の主人の昔《むか》し書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭《しらがあたま》で廿《はたち》ぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当《かた》に取った女房だそうである。その隣りの博奕打《ばくちうち》が、大勢同類を寄せて、互に血眼《ちまなこ》を擦《こす》り合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負《おぶ》ったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主を迎《むかえ》に来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれと縋《すが》りつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣《あたり》の眠《ねむり》を驚ろかせる。……
 須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口を拭《ぬぐ》ってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。固《もと》よりその推察の裏には先刻《さっき》見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉《のど》が痛いから」と云った。さも小説は有《も》っているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶《あいさつ》に聞えた。
 敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気を利《き》かして隠したのか、彼にはまるで見当《けんとう》がつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡《りょうけん》か彼はすぐ一軒の煙草屋《たばこや》へ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜《くわ》えて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端《とたん》に、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入《はい》って来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちら跟《つ》いて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡《とおめがね》で世の中を覗《のぞ》いていて、浪漫的《ロマンてき》探険なんて気の利いた真似《まね》ができるものか」と須永から冷笑《ひや》かされたような心持がし出した。

        五

 彼は今日《こんにち》まで、俗にいう下町生活に昵懇《なじみ》も趣味も有《も》ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜《くぐ》れない格子戸《こうしど》だの、三和土《たたき》の上から訳《わけ》もなくぶら下がっている鉄灯籠《かなどうろう》だの、上《あが》り框《がまち》の下を張り詰めた綺麗《きれい》に光る竹だの、杉だか何だか日光《ひ》が透《とお》って赤く見えるほど薄っぺらな障子《しょうじ》の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面《きちょうめん》に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝《ようじ》の削《けず》り方《かた》まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆《たばこぼん》のように、先祖代々順々に拭《ふ》き込まれた習慣を笠《かさ》に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永《すなが》の家《うち》へ行って、用もない松へ大事そうな雪除《ゆきよけ》をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧《ばかていねい》に枯松葉で敷きつめた景色《けしき》などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐《ふところ》に、ぽうと育った若旦那《わかだんな》を聯想《れんそう》しない訳に行かなかった。第一須永が角帯《かくおび》をきゅうと締《し》めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄《ながうた》の好きだとかいう御母《おっか》さんが時々出て来て、滑《すべ》っこい癖《くせ》にアクセントの強い言葉で、舌触《したざわり》の好い愛嬌《あいきょう》を振りかけてくれる折などは、昔から重詰《じゅうづめ》にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合《できあい》以上の旨《うま》さがあるので、紋切形《もんきりがた》とは無論思わないけれども、幾代《いくだい》もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜《ひそ》んでいるとしか受取れなかった。
 要するに敬太郎《けいたろう》はもう少し調子外《ちょうしはず》れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日《きょう》の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿《しめ》っぽい空気がいまだに漂《ただ》よっている黒い蔵造《くらづくり》の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町《かきがらちょう》の水天宮様《すいてんぐうさま》と深川の不動様へ御参りをして、護摩《ごま》でも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊《きゅうへい》な真似《まね》を当り前のごとくやっている。)それから鉄無地《てつむじ》の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世《とうせい》に崩《くず》して往来へ流した匂《におい》のする町内を恍惚《こうこつ》と歩きたかった。そうして習慣に縛《しば》られた、かつ習慣を飛び超《こ》えた艶《なま》めかしい葛藤《かっとう》でもそこに見出したかった。
 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好《ものずき》にも自《みずか》ら進んでこの後《うし》ろ暗《ぐら》い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙《こう》むるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依《よ》っては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫《ロマン》が急に温味《あたたかみ》を失って、醜《みに》くい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭《くちひげ》をだらしなく垂らした二重瞼《ふたえまぶち》の瘠《やせ》ぎすの森本の顔だけは粘《ねば》り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮《あなど》りたいような、また憐《あわれ》みたいような心持になった。そうしてこの凡庸《ぼんよう》な顔の後《うしろ》に解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念《かたみ》にくれると云った妙な洋杖《ステッキ》を聯想《れんそう》した。
 この洋杖は竹の根の方を曲げて柄《え》にした極《きわ》めて単簡《たんかん》のものだが、ただ蛇《へび》を彫ってあるところが普通の杖《つえ》と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑《の》みかけているところを握《にぎり》にしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑《すべ》っこく削《けず》られているので、蛙《かえる》だか鶏卵《たまご》だか誰にも見当《けんとう》がつかなかった。森本は自分で竹を伐《き》って、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。

        六

 敬太郎《けいたろう》は下宿の門口《かどぐち》を潜《くぐ》るとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりも途《みち》すがらの聯想が、硝子戸《ガラスど》を開けるや否や、彼の眼を瀬戸物《せともの》の傘入《かさいれ》の方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入《でいり》の際視線を逸《そ》らしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入の傍《そば》を通るのが苦になってきて、極《きわ》めて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟《たた》られたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去に溯《さかの》ぼる嫌疑《けんぎ》を恐れて、森本の居所もまたその言伝《ことづて》も主人夫婦に告げられないという弱味を有《も》っているには違ないが、それは良心の上にどれほどの曇《くもり》もかけなかった。記念《かたみ》として上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、他《ひと》の好意を空《むなし》くする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。(おそらくはのたれ死《じに》という終りを告げるのだろう。)その憐《あわ》れな最期《さいご》を今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻《きざ》まれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口を開《あ》いたまま喰付《くっつ》いているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大袈裟《おおげさ》ではあるが一種の因果《いんが》のように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計《かっけい》とはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖に災《わざわい》されていなかったのである。
 今日も洋杖《ステッキ》は依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下駄箱《げたばこ》の方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分の室《へや》に上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音信《たより》の礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂浪者《ヴァガボンド》を知己に有《も》つ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取り紛《まぎ》れと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、その後《あと》へだんだん東京も寒くなる時節柄、満洲《まんしゅう》の霜《しも》や風はさぞ凌《しの》ぎ悪《にく》いだろう。ことにあなたの身体《からだ》ではひどく応《こた》えるに違《ちがい》ないから、是非用心して病気に罹《かか》らないようになさいと優しい文句を数行《すぎょう》綴《つづ》った。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するように旨《うま》くかつ長く、そうして誰が見ても実意の籠《こも》っているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨拶《あいさつ》に述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固々《もともと》恋人に送る艶書《えんしょ》ほど熱烈な真心《まごころ》を籠《こ》めたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにして前《さき》へ進んだ。

        七

 森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのは厭《いや》だし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎《けいたろう》は筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合の宜《い》いように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷獣《らいじゅう》の方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽《ぼんさい》を下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。
 敬太郎はいよいよ洋杖《ステッキ》のところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召《おぼしめし》だから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しい嘘《うそ》は吐《つ》けず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘入《かさいれ》の中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです」と好加減《いいかげん》な御世辞《おせじ》を並べて、事実を暈《ぼか》す手段とした。
 状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼を憚《はば》からなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂《たもと》の中に蔵《かく》した。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段《はしごだん》を下まで降り切ると、須永《すなが》から電話が掛った。
 今日内幸町から従妹《いとこ》が来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会って貰《もら》えまいかと電話で聞いて見たら、宜《よろ》しいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽喉《のど》が痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は「どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間|拵《こし》らえたセルの袴《はかま》を穿《は》いた上、いよいよ表へ出た。
 曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心《かんじん》の森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微《かす》かな火気《ほとぼり》を残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口を滑《すべ》って、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披《ひら》く様を想見して、満更《まんざら》悪い心持もしまいと思った。
 それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明神下《みょうじんした》へ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。
「どっちだろう」
 敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心を徒《いたず》らに刺戟《しげき》しただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這入《はい》ったあの女らしい。想像と事実を継《つ》ぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡立《あわだ》っていた自分の好奇心に幾分の冷水を注《さ》したような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。

        八

 彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永《すなが》の門口《かどぐち》まで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議《せんぎ》をすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直《まっすぐ》に神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹《いとこ》の家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行の辺《あたり》で下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。淋《さび》しい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦斯《ガス》に田口《たぐち》と書いた門の中を覗《のぞ》いて見ると、思ったより奥深そうな構《かまえ》であった。けれども実際は砂利を敷いた路《みち》が往来から筋違《すじかい》に玄関を隠しているのと、正面を遮《さえ》ぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分か厳《いか》めしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這入《はい》ったところでは見付《みつき》ほど手広な住居《すまい》でもなかった。
 玄関には西洋擬《せいようまが》いの硝子戸《ガラスど》が二枚|閉《た》ててあったが、頼むといっても、電鈴《ベル》を押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬太郎《けいたろう》はやむを得ずしばらくその傍《そば》に立って内の様子を窺《うか》がっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦硝子《すりガラス》がぱっと明るくなった。それから庭下駄《にわげた》で三和土《たたき》を踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方|開《あ》いた。敬太郎はこの際取次の風采《ふうさい》を想望するほどの物数奇《ものずき》もなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでも絣《かすり》の羽織《はおり》を着た書生か、双子《ふたこ》の綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、今《いま》戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服装《なり》をした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判然《はっきり》しなかったが、白縮緬《しろちりめん》の帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨拶《あいさつ》をする余裕《よゆう》も出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃至《ないし》六十代だろうがほとんど区別のない一様《いちよう》の爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対して有《も》たなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無気味《ぶきみ》を覚えるのが常なので、なおさら迷児《まご》ついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、「何か用ですか」と聞いた。丁寧《ていねい》でもなければ軽蔑《けいべつ》でもない至って無雑作《むぞうさ》なその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年嵩《としかさ》な男は思い出したように、「そうそう先刻《さっき》市蔵《いちぞう》(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜|御出《おいで》になるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯《せいいっぱい》言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかっても宜《よ》うござんす」と云った。敬太郎は篤《あつ》く礼を述べてまた門を出たが、暗い夜《よ》の中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。
 これはずっと後《あと》になって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人|碁盤《ごばん》に向って、白石と黒石を互違《たがいちがい》に並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石《いっせき》やった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心《かんじん》のところで敬太郎がさも田舎者《いなかもの》らしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末《てんまつ》を聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶《あいさつ》が丁寧《ていねい》過ぎたような気がした。

        九

 中一日《なかいちにち》置いて、敬太郎《けいたろう》は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支《さしつかえ》ないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的|横風《おうふう》なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末《ぞんざい》になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜《よろ》しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種|厭《いや》な心持がした。
 十二時かっきりに午飯《ひるめし》を食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳《ぜん》が、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急《せ》き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日《おととい》の晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作《むぞうさ》な取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌《あいきょう》のある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲《かが》めて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻《さっき》電話の取次に出たもののように、五分と経《た》たないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖《くせ》自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質《たち》であった。
 小川町の角で、斜《はす》に須永《すなが》の家《うち》へ曲《まが》る横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭《ひかげ》から日向《ひなた》へ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹《いとこ》のいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫《おっくう》な手数《てかず》をかけて、好い顔もしない爺《じい》さんに、衣食の途《みち》を授けて下さいと泣《なき》つきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥《はる》かに麗《うらら》かであったからである。彼は須永の従妹《いとこ》と田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方《さき》の人品は判然《はっきり》分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓《りんかく》だけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目《よめ》にも疑《うたがい》なく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量《きりょう》はあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭《ひなたひかげ》の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱《いだ》いていたのである。それを互違にくり返した後《あと》、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者《ぎょしゃ》を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。
 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入《はい》って行った。その声が確かに先刻《さっき》電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿《うしろすがた》を見送りながら厭《いや》な奴《やつ》だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立《つった》っていた。敬太郎も少しむっとした。
「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」
「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳《おぜん》などが出て混雑《ごたごた》しているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更《まんざら》無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪《しゃく》に障《さわ》っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先《せん》を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄《ひょうそく》の合わない捨台詞《すてぜりふ》のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍《そば》を擦《す》り抜けて表へ出た。

        十

 彼はこの日必要な会見を都合よく済ました後《あと》、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永《すなが》と彼の従妹《いとこ》とそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みに継《つ》ぎ合せつつある一部始終《いちぶしじゅう》を御馳走《ごちそう》に、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園の傍《わき》に立った彼の頭には、そんな余裕《よゆう》はさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所《ありか》をすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持は固《もと》よりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一《ちくいち》顛末《てんまつ》を話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間《ま》があった。須永の家《うち》の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子《しょうじ》は立て切ったままついに開《あ》かなかった。もっとも彼は体裁家《ていさいや》で、平生からこういう呼び出し方を田舎者《いなかもの》らしいといって厭《いや》がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎《けいたろう》は正式に玄関の格子口《こうしぐち》へかかった。けれども取次に出た仲働《なかばたらき》の口から「午《ひる》少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。
「風邪《かぜ》を引いていたようでしたが」
「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」
 敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入《はい》った。と思うと襖《ふすま》の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長《おもなが》の下町風に品《ひん》のある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」
 須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣《えどな》れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一《だいち》どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体《せけんてい》の好い御世辞《おせじ》と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失《な》くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙《からかみ》を締《し》めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉《さくら》を埋《い》けた火鉢《ひばち》を勧めてくれたりするうちに、一時|昂奮《こうふん》した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗《あきたぶき》を一面に大きく摺《す》った襖《ふすま》の模様だの、唐桑《からくわ》らしくてらてらした黄色い手焙《てあぶり》だのを眺《なが》めて、このしとやかで能弁な、人を外《そら》す事を知らないと云った風の母と話をした。
 彼女の語るところによると、須永は今日|矢来《やらい》の叔父の家《うち》へ行ったのだそうである。
「じゃついでだから帰りに小日向《こびなた》へ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃|無精《ぶしょう》になったようですね、この間も他《ひと》に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中《じゅう》から風邪を引いて咽喉《のど》を痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無《がむ》しゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着《むとんじゃく》でございますから……」
 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜《せがれ》の話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後《あと》へ喰付《くっつ》いて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。

        十一

 そのうち話がいつか肝心《かんじん》の須永《すなが》を逸《そ》れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母《おっか》さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋《ぜいたくや》のように敬太郎《けいたろう》は須永から聞いていた。外套《がいとう》の裏は繻子《しゅす》でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要《い》りもしないのに古渡《こわた》りの更紗玉《さらさだま》とか号して、石だか珊瑚《さんご》だか分らないものを愛玩《あいがん》したりする話はいまだに覚えていた。
「何にもしないで贅沢《ぜいたく》に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。
 須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切《とぎ》れるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継《つ》いだ。
「それでも妹婿《いもとむこ》の方は御蔭《おかげ》さまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来の弟《おとと》などになりますと、云わば、浪人《ろうにん》同様で、昔に比《くら》べたら、尾羽うち枯らさないばかりの体《てい》たらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」
 敬太郎は何となく自分の身の上を顧《かえり》みて気恥かしい思をした。幸《さいわい》にさきがすらすら喋舌《しゃべ》ってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてもの得《とく》として聞き続けた。
「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、務《つとめ》にでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着《むとんじゃく》であなた……」
 敬太郎はこの点において実際須永が横着過《おうちゃくすぎ》ると平生《ふだん》から思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。
「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入《はい》って算盤《そろばん》なんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵が嬉《うれ》しがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」
 敬太郎はこの時自分が今日何のために馳《か》け込むようにこの家を襲《おそ》ったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜《くぐ》らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞《せりふ》を云って帰る気でいたのに、肝心《かんじん》の須永は留守《るす》で、事情も何も知らない彼の母から、逆《さか》さにいろいろな話をしかけられたので、怒《おこ》ってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂《と》げ得なかった顛末《てんまつ》だけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。

        十二

「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎《けいたろう》が躍起《やっき》になって口を探《さが》している事や、探しあぐんで須永《すなが》に紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永の傍《そば》にいる母として彼女《かのおんな》のことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方《さき》で何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうと力《つと》めにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、間《ま》の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹《ぱら》を立てて悪体《あくたい》を吐《つ》いた事などは話のうちから綺麗《きれい》に抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返した後《あと》で、田口を弁護するようにこんな事を云った。――
「そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹《いもと》などもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々《おちおち》話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作《ようさく》さんいくら御金が儲《もう》かるたって、そう働らいて身体《からだ》を壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本《もとで》じゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧《わ》いてくるんで、傍《そば》から掬《しゃ》くい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴《つ》れて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急《せ》き立てる事もございますが……」
「御嬢さんがおありなのですか」
「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿《むこ》を取るとかしなければなりますまいが」
「そのうちの一人の方《かた》が、須永君のところへ御出《おいで》になる訳でもないんですか」
 母はちょっと口籠《くちごも》った。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、
「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達《とうにんたち》の存じ寄りもしかと聞糺《ききただ》して見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急《やきもき》思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度|退《ひ》きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、善《よ》くないという克己心《こっきしん》にすぐ抑えられた。
 母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体《からだ》だから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、緩《ゆっ》くり会ったら宜《よ》かろうという注意とも慰藉《いしゃ》ともつかない助言《じょごん》も与えた。
「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけば馳《か》けて帰って来て会うといった風の性質《たち》でございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」
 こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻《さっき》のようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今更《いまさら》それを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽軽者《ひょうきんもの》でございますから」と云って一人で笑った。

        十三

 剽軽者という言葉は田口の風采《ふうさい》なり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎《けいたろう》の腑《ふ》に落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口は昔《むか》しある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯は熱《ほて》り過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝《けげん》な顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻《ねじ》って暗くするんだと真面目《まじめ》に云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎《いなか》から出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違って捻《ひね》ったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然《しょげ》ずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家《うち》にも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真《ま》に受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいち点《つ》けっ放《ぱな》しで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門司《もじ》とか馬関《ばかん》とかまで行った時の話はこれよりもよほど念が入《い》っている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支《さしつかえ》が起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退屈紛《たいくつまぎ》れに、彼はAを一つ担《かつ》いでやろうと巧《たく》らんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯《いたずら》で、彼はその店から地方《ところ》の芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵《こしら》えた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすように艶《なま》めかしく曲《くね》らしたもので、誰が貰《もら》っても嬉《うれ》しい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日《あした》ここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。力《つと》めて真面目《まじめ》な用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩餐《ばんさん》の膳《ぜん》に向った時、突然思い出したように袂《たもと》の中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっと箸《はし》を下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読み下《くだ》すと同時に包んである写真を抜いて裏を見るや否《いな》や、急に丸めるように懐《ふところ》へ入れてしまった。何か急《いそぎ》の用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不得要領《ふとくようりょう》にまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せて馳《か》け出して、その思わく通りどこの何という家《うち》の門《かど》へおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主婦《かみさん》を呼ぶや否や、今おれの宿の提灯《ちょうちん》を点《つ》けた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺麗《きれい》な座敷へ通して、叮嚀《ていねい》に取扱って、向うで何にも云わない先に、御連様《おつれさま》はとうから御待兼《おまちかね》でございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙草《たばこ》を吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事が旨《うま》い具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋の傍《そば》へ行って間の襖《ふすま》を開けながら、やあ早かったねと挨拶《あいさつ》すると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯《いたずら》を話した上、「担《かつ》いだ代りに今夜は僕が奢《おご》るよ」と笑いながら云ったんだという。
「こういう飄気《ひょうげ》た真似《まね》をする男なんでございますから」と須永の母も話した後《あと》でおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪戯《いたずら》じゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。

        十四

 自動車事件以後|敬太郎《けいたろう》はもう田口の世話になる見込はないものと諦《あき》らめた。それと同時に須永《すなが》の従弟《いとこ》と仮定された例の後姿《うしろすがた》の正体も、ほぼ発端《ほったん》の入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮切《にえき》らないような不愉快があった。彼は今日《こんにち》まで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有《も》っていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、貫《つら》ぬき終《おお》せた試《ためし》がなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、向《むこう》で引き摺《ず》り出してくれたのだから、中途で動けなくなった間怠《まだる》さのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々《せいせい》した心持も知らなかった。
 彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、自《みず》から進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかに透《す》き徹《とお》るような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮《あざや》かに見えながら、自分だけ硝子張《ガラスばり》の箱の中に入れられて、外の物と直《じか》に続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息《ちっそく》するほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹《かか》っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日《こんにち》まで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託《くったく》しているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張《きば》る事さえ覚えれば、当っても外《はず》れても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日《こんにち》までついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。
 敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けの後《あと》の祭のような気がして、何という当《あて》もなくまた三四日《さんよっか》ぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭《やかんあたま》を攫《つか》むと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁《ご》を打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折《はらんきょくせつ》のある碁が見たいと思った。
 すると直《すぐ》須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢《つや》を着けて奥行《おくゆき》のあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他《ひと》の事を余計なおせっかいだと、自分で自分を嘲《あざ》けりながら、ああ馬鹿らしいと思う後《あと》から、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃《ひら》めいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的《ロマンチック》な或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関で怒《おこ》ったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。
 職業についても、あんな些細《ささい》な行違《ゆきちがい》のために愛想《あいそ》づかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方《かた》のつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んで煮《にえ》きらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑《さげす》まれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかり捕《つら》まえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。

        十五

 けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎《けいたろう》の思案には屈託の裏《うち》に、どこか呑気《のんき》なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎《せん》じつめるまでもなく当初から至極《しごく》簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度|籤《くじ》を引き損《そく》なったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道《ひど》い目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気《ねむけ》に抵抗する努力を厭《いと》いながら、文字の意味を判明《はっきり》頭に入れようと試みるごとく、呑気《のんき》の懐《ふところ》で決断の卵を温めている癖に、ただ旨《うま》く孵化《かえ》らない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃《のが》れなければという口実の下《もと》に、彼は暗《あん》に自分の物数奇《ものずき》に媚《こ》びようとした。そうして自分の未来を売卜者《うらないしゃ》の八卦《はっけ》に訴えて判断して見る気になった。彼は加持《かじ》、祈祷《きとう》、御封《ごふう》、虫封《むしふう》じ、降巫《いちこ》の類《たぐい》に、全然信仰を有《も》つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日《こんにち》まで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星《ほういきゅうせい》に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折《はしょ》って、鍬《くわ》を担《か》ついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、後《あと》から跟《つ》いて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあの乾《いぬい》に当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬《くわ》を下ろすつもりなら、肝心《かんじん》の時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊《うかつ》をおかしく思った。学校の時計と自分の家《うち》のとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後《ご》摘草《つみくさ》に行った帰りに、馬に蹴《け》られて土堤《どて》から下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我《けが》も何もしなかったのを、御祖母《おばあ》さんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭《おかげ》だこれ御覧《ごらん》と云って、馬の繋《つな》いであった傍《そば》にある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛《よだれかけ》だけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体《からだ》の具合や四辺《あたり》の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日《こんにち》に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。
 こういう訳《わけ》で、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占《だいどううらな》いの弓張提灯《ゆみはりぢょうちん》を眺《なが》めていた。もっとも金を払って筮竹《ぜいちく》の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然《しょんぼり》そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐《あわ》れな人に、易者《えきしゃ》がどんな希望と不安と畏怖《いふ》と自信とを与えるだろうという好奇心に惹《ひ》かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞《たちぎき》をする事がしばしばあった。彼の友の某《なにがし》が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩《わずら》っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来《ぜんこうじにょらい》の御神籤《おみくじ》をいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲《くも》散《さん》じて月重ねて明らかなり、という句と、花|発《ひら》いて再び重栄《ちょうえい》という句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗《きれい》に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者《うらないしゃ》の顧客《とくい》になる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。

        十六

 敬太郎《けいたろう》はどこの占《うら》ない者《しゃ》に行ったものかと考えて見たが、あいにくどこという当《あて》もなかった。白山《はくさん》の裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行《はや》るのは山師《やまし》らしくって行く気にならず、と云って、自分で嘘《うそ》と知りつつ出鱈目《でたらめ》を強《し》いてもっともらしく述べる奴《やつ》はなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わない家《うち》で、閑静な髯《ひげ》を生やした爺《じい》さんが奇警《きけい》な言葉で、簡潔にすぱすぱと道《い》い破《やぶ》ってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里《くに》の一本寺《いっぽんじ》の隠居の顔を頭の中に描《えが》き出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占《うら》ない者《しゃ》の看板にぶつかるだろうという漠然《ばくぜん》たる頭に帽子を載《の》せた。
 彼は久しぶりに下谷の車坂《くるまざか》へ出て、あれから東へ真直《まっすぐ》に、寺の門だの、仏師屋《ぶっしや》だの、古臭《ふるくさ》い生薬屋《きぐすりや》だの、徳川時代のがらくたを埃《ほこり》といっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡《もんぜき》の中を抜けて、奴鰻《やっこうなぎ》の角へ出た。
 彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父《じい》さんから、しばしば観音様《かんのんさま》の繁華《はんか》を耳にした。仲見世《なかみせ》だの、奥山《おくやま》だの、並木《なみき》だの、駒形《こまかた》だの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯《なめし》と田楽《でんがく》を食わせるすみ屋という洒落《しゃれ》た家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗《きれい》な縄暖簾《なわのれん》を下げた鰌屋《どじょうや》は昔《むか》しから名代《なだい》なものだとか、食物《くいもの》の話もだいぶ聞かされたが、すべての中《うち》で最も敬太郎の頭を刺戟《しげき》したものは、長井兵助《ながいひょうすけ》の居合抜《いあいぬき》と、脇差《わきざし》をぐいぐい呑《の》んで見せる豆蔵《まめぞう》と、江州伊吹山《ごうしゅういぶきやま》の麓《ふもと》にいる前足が四つで後足《あとあし》が六つある大蟇《おおがま》の干し固めたのであった。それらには蔵《くら》の二階の長持の中にある草双紙《くさぞうし》の画解《えとき》が、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄《げた》を穿《は》いたまま、小さい三宝《さんぼう》の上に曲《しゃ》がんだ男が、襷《たすき》がけで身体《からだ》よりも高く反《そ》り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆《がま》の上に胡坐《あぐら》をかいて、児雷也《じらいや》が魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡《てんがんきょう》を持った白い髯の爺さんが、唐机《とうづくえ》の前に坐って、平突《へいつく》ばったちょん髷《まげ》を上から見下《みおろ》すところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内《けいだい》には、歴史的に妖嬌陸離《ようきょうりくり》たる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎《かげろ》っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固《もと》より手痛く打ち崩《くず》されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠《こう》の鳥《とり》が巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡《りょうけん》が暗《あん》に働らいて、足が自《おの》ずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後《うしろ》から活動写真の前へ出た時は、こりゃ占《うら》ない者《しゃ》などのいる所ではないと今更《いまさら》のようにその雑沓《ざっとう》に驚ろいた。せめて御賓頭顱《おびんずる》でも撫《な》でて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上《あが》って、魚河岸《うおがし》の大提灯《おおぢょうちん》と頼政《よりまさ》の鵺《ぬえ》を退治《たいじ》ている額だけ見てすぐ雷門《かみなりもん》を出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もし在《あ》ったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好《かっこう》な飯屋《めしや》でも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎《あいにく》なもので、平生《ふだん》は散歩さえすればいたるところに神易《しんえき》の看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者《うらない》はまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図《くわだて》もまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前《くらまえ》まで来た。するとやっとの事で尋ねる商売の家《うち》が一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書《わりがき》をした下に、文銭占《ぶんせんうら》ないと白い字で彫って、そのまた下に、漆《うるし》で塗った真赤《まっか》な唐辛子《とうがらし》が描《か》いてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼を惹《ひ》いた。

        十七

 よく見るとこれは一軒の生薬屋《きぐすりや》の店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛《さしかけ》様のものを作ったので、中に七色唐辛子《なないろとうがらし》の袋を並べてあるから、看板の通りそれを売る傍《かたわ》ら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎《けいたろう》はこう観察して、そっと餡転餅屋《あんころもちや》に似た差掛の奥を覗《のぞ》いて見ると、小作《こづく》りな婆さんがたった一人|裁縫《しごと》をしていた。狭い室《へや》一つの住居《すまい》としか思われないのに、肝心《かんじん》の易者の影も形も見えないから、主人は他行中《たぎょうちゅう》で、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切《みきり》をつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方を覗《のぞ》くと、八ツ目鰻《めうなぎ》の干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚《たな》に載《の》せた古風の装飾もなかった。一本寺《いっぽんじ》の隠居に似た髯《ひげ》のある爺さんは固《もと》より坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断|文銭占《ぶんせんうら》ないという看板のかかった入口から暖簾《のれん》を潜《くぐ》って内へ入った。裁縫《しごと》をしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡《めがね》の上から睨《にら》むように敬太郎を見たが、ただ一口、占《うら》ないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見て貰《もら》いたいんだが、御留守《おるす》のようですね」と云った。すると婆さんは、膝《ひざ》の上のやわらか物を隅《すみ》の方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほど汚《よご》れた室《へや》ではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしい香《か》がした。婆さんは煮立った鉄瓶《てつびん》の湯を湯呑《ゆのみ》に注《つ》いで、香煎《こうせん》を敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗《らしゃ》がかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据《す》えて、そうして再び故《もと》の座に帰った。
「占《うら》ないは私がするのです」
 敬太郎は意外の感に打たれた。この小《ち》いさい丸髷《まるまげ》に結《ゆ》った。黒繻子《くろじゅす》の襟《えり》のかかった着物の上に、地味な縞《しま》の羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹《ぜいちく》も算木《さんぎ》も天眼鏡《てんがんきょう》もないのを不思議に眺《なが》めた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開《あ》いた銭《ぜに》を九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分を操《あやつ》っている運命の糸と、どんな関係を有《も》っているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出《いだ》された模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束《のうしょうぞく》の切れ端か、懸物《かけもの》の表具の余りで拵《こし》らえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦《てずれ》と時代のため、派手な色を全く失っていた。
 婆さんは年寄に似合わない白い繊麗《きゃしゃ》な指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列《みけた》に並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。
「さあ一生涯《いっしょうがい》の事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」
 婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。その後《あと》で胸算用《むなざんよう》でもする案排《あんばい》しきで、指を折って見たり、ただ考《かん》がえたりしていたが、やがてまた綺麗《きれい》な指で例の文銭を新らしく並べ更《か》えた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。

        十八

 婆さんはしばらく手を膝《ひざ》の上に載《の》せて、何事も云わずに古い銭《ぜに》の面《おもて》をじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明快《はっきり》纏《まと》まったという様子をして、「あなたは今迷っていらっしゃる」と云い切ったなり敬太郎《けいたろう》の顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。
「進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御出《おで》になった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末始終《すえしじゅう》御為《おため》ですから」
 婆さんは一区限《ひとくぎり》つけると、また口を閉じて敬太郎の様子を窺《うかが》った。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋舌《しゃべ》らないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一言《いちげん》に、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺戟《しげき》に応じて見たくなった。
「進んでも失敗《しくじ》るような事はないでしょうか」
「ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね」
 これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意《わざ》とらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。
「進むってどっちへ進んだものでしょう」
「それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただ最《もう》少し先まで御出《おで》なさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです」
 こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引込《ひっこ》む訳に行かなくなった。
「だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです」
 婆さんはまた黙って文銭《ぶんせん》の上を眺《なが》めていたが、前よりは重苦しい口調で、「まあ同《おん》なじですね」と答えた。そうして先刻《さっき》裁縫《しごと》をしていた時に散らばした糸屑《いとくず》を拾って、その中から紺《こん》と赤の絹糸のかなり長いのを択《よ》り出して、敬太郎の見ている前で、それを綺麗《きれい》に縒《よ》り始めた。敬太郎はただ手持無沙汰《てもちぶさた》の徒事《いたずら》とばかり思って、別段意にも留《とど》めなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さに縒《よ》り上げて、文銭の上に載《の》せた。
「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派手《はで》な赤と地味な紺《こん》が。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へと駆《か》け出してやり損《そこ》ない勝《がち》のものですが、あなたのは今のところこの縒糸《よりいと》みたように丁度《ちょうど》好い具合に、いっしょに絡《から》まり合っているようですから御仕合せです」
 絹糸の喩《たとえ》は何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、嬉《うれ》しいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。
「じゃこの紺糸で地道《じみち》を踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね」と敬太郎は向うの言葉を呑《の》み込んだような尋ね方をした。
「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一言《いちごん》で、是非共右か左へ片づけなければならないとまで切《せつ》に思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけ隔《へだ》たった別世界の消息なら、固《もと》より論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用の利《き》く点もあるので、敬太郎はそこに微《かす》かな未練を残した。
「もう何にも伺がう事はありませんか」
「そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません」
「災難ですか」
「災難でもないでしょうが、気をつけないとやり損《そこ》ないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です」

        十九

 敬太郎《けいたろう》の好奇心は少し鋭敏になった。
「全体どんな性質《たち》の事ですか」
「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」
「じゃどうして失敗《しくじ》らない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」
「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍|占《うら》ないを立て直して見て上げても宜《よ》うござんす」
 敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細《きゃしゃ》な指先を小器用に動かして、例の文銭を並べ更《か》えた。敬太郎から云えば先《せん》の並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけた後《あと》で、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。
「どうすれば好いんですか」
「どうすればって、占ないには陰陽《いんよう》の理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自《めいめい》がその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人《ひと》のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入《はい》るようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨《うま》く行きます」
 敬太郎は煙《けむ》に巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧《きり》のようなものだから、たとい嘘《うそ》でも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこう埒《らち》が明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言《ねごと》に似たものを、手拭《てぬぐい》に包《くる》んだ懐炉《かいろ》のごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子《なないろとうがらし》を二袋買って袂《たもと》へ入れた。
 翌日彼は朝飯《あさはん》の膳《ぜん》に向って、煙の出る味噌汁椀《みそしるわん》の蓋《ふた》を取ったとき、たちまち昨日《きのう》の唐辛子を思い出して、袂《たもと》から例の袋を取り出した。それを十二分に汁《しる》の上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然《ばくぜん》と瓦斯《ガス》のごとく残っていた。しかし手のつけようのない謎《なぞ》に気を揉《も》むほど熱心な占《うら》ない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心《あせ》る苦悶《くもん》を知らなかった。ただその分らないところに妙な趣《おもむき》があるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片《かみぎれ》に書いて机の抽出《ひきだし》へ入れた。
 もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日《きのう》すでに婆さんの助言《じょごん》で断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永《すなが》へ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末《てんまつ》を簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせ閑《ひま》な身体《からだ》だから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕《けんまく》は、綺麗《きれい》に忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶《あいさつ》もないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者《うらないしゃ》の言葉などに動かされて、恥を掻《か》いてはつまらないという後悔も交《まじ》った。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。

        二十

 電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今|直《すぐ》来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎《けいたろう》はすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛嬌《あいきょう》が足りない気がするので、少し色を着けるために、須永《すなが》君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手数《てかず》だから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引込《ひっこ》んでしまった。敬太郎はまた例の袴《はかま》を穿《は》きながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中折《なかおれ》を帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気を漲《みな》ぎらして快豁《かいかつ》に表へ出た。外には白い霜《しも》を一度に摧《くだ》いた日が、木枯《こがら》しにも吹き捲《ま》くられずに、穏《おだ》やかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突切《つっき》る電車の上で、光を割《さ》いて進むような感じがした。
 田口の玄関はこの間と違って蕭条《ひっそ》りしていた。取次《とりつぎ》に袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀《ていねい》に来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入《はい》ったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次の揃《そろ》えてくれた上靴《スリッパー》を穿《は》いて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜《けんそん》から、彼は腰の高い肱懸《ひじかけ》も装飾もつかない最も軽そうなのを択《よ》って、わざと位置の悪い所へ席を占めた。
 やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶《あいさつ》やら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶《あいさつ》した。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰《てもちぶさた》と知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入《まきたばこいれ》から敷島《しきしま》を一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。
「市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか」
 実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。
「すべての方面に希望を有《も》っています」
 田口は笑い出した。そうして機嫌《きげん》の好い顔つきをして、学士の数《かず》のこんなに殖《ふ》えて来た今日《こんにち》、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情を懇《ねん》ごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。
「何でもやります」
「何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう」
「いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛を逃《のが》れるだけでも結構です」
「そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。直《すぐ》という訳にも行きますまいが」
「どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御家《おうち》の――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私事《わたくしごと》にででもいいから、ちょっと使って見て下さい」
「そんな事でもして見る気がありますか」
「あります」
「それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか」
「ええなるべく早い方が結構です」
 敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。

        二十一

 穏《おだ》やかな冬の日がまた二三日続いた。敬太郎《けいたろう》は三階の室《へや》から、窓に入る空と樹と屋根瓦《やねがわら》を眺《なが》めて、自然を橙色《だいだいいろ》に暖ためるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装《よそお》って、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申《もう》し出《いで》以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺戟《しげき》に充《み》ちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼を掠《かす》めて閃《ひら》めくならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。
 すると四日ばかりして、また田口から電話がかかった。少し頼みたい事ができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手間が要《い》ってかえって面倒になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出す事にしたから、委細《いさい》はそれを見て承知してくれ。もし分らない事があったら、また電話で聞き合わしてもいいという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠眼鏡《とおめがね》の度がぴたりと合った時のように愉快な心持がした。
 彼は机の前を一寸《いっすん》も離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像を逞《たく》ましくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須永《すなが》の門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。
 やがて待ち焦《こが》れた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継《つ》がずに巻紙の端《はし》から端までを一気に読み通して、思わずあっという微《かす》かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的《ロマンチック》であったからである。手紙の文句は固《もと》より簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十|恰好《かっこう》の男がある。それは黒の中折《なかおれ》に霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着て、顔の面長《おもなが》い背の高い、瘠《や》せぎすの紳士で、眉《まゆ》と眉の間に大きな黒子《ほくろ》があるからその特徴を目標《めじるし》に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。同時に田口が自己の社会的利害を護《まも》るために、こんな暗がりの所作《しょさ》をあえてして、他日の用に、他《ひと》の弱点を握っておくのではなかろうかと云う疑《うたがい》を起した。そう思った時、彼は人の狗《いぬ》に使われる不名誉と不徳義を感じて、一種|苦悶《くもん》の膏汗《あぶらあせ》を腋《わき》の下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっと眸《ひとみ》を据《す》えたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分が直《じか》に彼に会った時の印象とを纏《まと》めて考えて見ると、けっしてそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内行《ないこう》に探《さぐ》りを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料簡《りょうけん》から出るとは限らないという推断もついて見ると、いったん硬直《こうちょく》になった筋肉の底に、また温《あた》たかい血が通《かよ》い始めて、徳義に逆らう吐気《むかつき》なしに、ただ興味という一点からこの問題を面白く眺《なが》める余裕《よゆう》もできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼された通りにこの仕事をやり終《おお》せて見ようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。

        二十二

 田口から知らせて来た特徴のうちで、本当にその人の身を離れないものは、眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》だけであるが、この日の短かい昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線の下《もと》で、乗降《のりおり》に忙がしい多数の客の中《うち》から、指定された局部の一点を目標《めじるし》に、これだと思う男を過《あやま》ちなく見つけ出そうとするのは容易の事ではない。ことに四時と五時の間と云えば、ちょうど役所の退《ひ》ける刻限なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人の数《かず》だけでも大したものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮に間もない左右の見世先《みせさき》に、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやら具《そな》えるやらして、電灯以外の景気を点《つ》けて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘定《かんじょう》に入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えて見ると、とうてい一人の手際《てぎわ》ではという覚束《おぼつか》ない心持が起って来る。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜降《しもふり》の外套《がいとう》に黒の中折《なかおれ》という服装《いでたち》で電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一縷《いちる》の望があるようにも思われる。無論霜降の外套だけでは、どんな恰好《かっこう》にしろ手がかりになり様《よう》はずがないが、黒の中折を被《かぶ》っているなら、色変りよりほかに用いる人のない今日《こんにち》だから、すぐ眼につくだろう。それを目宛《めあて》に注意したらあるいは成功しないとも限るまい。
 こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行って見る事だという気になった。時計を眺《なが》めると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前に向《むこう》へ着くとしたところで、三時頃から宅《うち》を出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶予《ゆうよ》がある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐っていた。けれどもただ眼の前に、美土代町《みとしろちょう》と小川町が、丁字《ていじ》になって交叉している三つ角の雑沓《ざっとう》が入り乱れて映るだけで、これと云って成功を誘《いざな》うに足る上分別《じょうふんべつ》は浮ばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸いついたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目指す人には会えまいという掛念《けねん》が、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっその事時間が来るまで外を歩きつづけに歩いて見ようかと思った。そう決心をして、両手を机の縁《ふち》に掛けて、勢よく立ち上がろうとする途端《とたん》に、この間浅草で占《うら》ないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざる謎《なぞ》として、ほとんど頭の外へ落してしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書きつけにして机の抽出《ひきだし》に入れておいた。でまたその紙片《かみぎれ》を取り出して、自分のようで他人《ひと》のような、長いようで短かいような、出るようで這入《はい》るようなという句を飽《あ》かず眺《なが》めた。初めのうちは今まで通りとうてい意味のあるはずがないとしか見えなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛抱強く考えさえすれば、こういう妙な特性を有《も》ったものがあるいは出て来るかも知れないという気になった。その上敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、何でも好い、ただ身の周囲《まわり》の物から、自分のようで他人《ひと》のような、長いようで短かいような、出るようで這入《はい》るようなものを探《さが》しあてさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決する事ができる訳になって、存外早く片がつくかも知れないと思い出した。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、全くこの謎《なぞ》を解くための二時間として大切に利用しようと決心した。
 ところがまず眼の前の机、書物、手拭《てぬぐい》、座蒲団《ざぶとん》から順々に進行して行李《こうり》鞄《かばん》靴下《くつした》までいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経ってしまった。彼の頭は焦燥《いらだ》つと共に乱れて来た。彼の観念は彼の室《へや》の中を駆《か》け廻《めぐ》って落ちつけないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の前に、霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着た黒の中折を被《かぶ》った背の高い瘠《やせ》ぎすの紳士が、彼のこれから探そうというその人の権威を具《そな》えて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのない髯《ひげ》を生《は》やした森本の容貌《ようぼう》を想像の眼で眺《なが》めた時、突然電流に感じた人のようにあっと云った。

        二十三

 森本の二字はとうから敬太郎《けいたろう》の耳に変な響を伝える媒介《なかだち》となっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴《ふちょう》に変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖《ステッキ》を聯想《れんそう》したものだが、洋杖が二人を繋《つな》ぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中を割《さ》く邪魔に挟《はさ》まっていると見傚《みな》しても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離《へだたり》があって、そう一足飛《いっそくとび》に片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらい劇《はげ》しく敬太郎の頭を刺戟《しげき》するのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、熱《ほて》った血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんと捕《つか》まえたのである。
「自分のような他人《ひと》のような」と云った婆さんの謎《なぞ》はこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ「長いような短かいような、出るような這入《はい》るような」というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖の中《うち》から探《さが》し出そうという料簡《りょうけん》で、さらに新たな努力を鼓舞《こぶ》してかかった。
 始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、「長いような短かいような」という言葉を幾度《いくたび》か口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜裏《ぬけうら》と間違えて袋の口へ這入《はい》り込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶《もだ》えているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出端《では》のない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしい途《みち》を探す方がましだとも考えた。しかしこう時間が逼《せま》っているのに、初手《しょて》から出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁喜《えんぎ》にして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としての杖《つえ》を離れて、握りに刻まれた蛇《へび》の頭に移った。その瞬間に、鱗《うろこ》のぎらぎらした細長い胴と、匙《さじ》の先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌首《かまくび》だから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲妻《いなずま》のごとく頭の奥に閃《ひら》めかして、得意の余り踴躍《こおどり》した。あとに残った「出るような這入《はい》るような」ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏卵《たまご》とも蛙《かえる》とも何とも名状しがたい或物が、半《なか》ば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑《の》み尽されもせず、逃《のが》れ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。
 これで万事が綺麗《きれい》に解決されたものと考えた敬太郎は、躍《おど》り上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡《から》んだ。帽子は手に持ったまま、袴《はかま》も穿《は》かずに室《へや》を出ようとしたが、あの洋杖《ステッキ》をどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊躇《ちゅうちょ》さした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘入《かさいれ》から引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今日《こんにち》となって見れば、主人に断わらないにしろ、咎《とが》められたり怪しまれたりする気遣《きづかい》はないにきまっているが、さて彼らが傍《そば》にいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提《さ》げて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁《まじない》に使う品物を(これからその目的に使うんだという料簡《りょうけん》があって)手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸《ぬす》んでやらなければ利《き》かないという言い伝えを、郷里《くに》にいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯子段《はしごだん》の中途まで降りて下の様子を窺《うか》がった。

        二十四

 主人は六畳の居間に、例の通り大きな瀬戸物の丸火鉢《まるひばち》を抱《かか》え込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬太郎《けいたろう》が梯子段の中途で、及び腰をして、硝子越《ガラスごし》に障子《しょうじ》の中を覗《のぞ》いていると、主人の頭の上で忽然《こつぜん》呼鈴《ベル》が烈《はげ》しく鳴り出した。主人は仰向《あおむ》いて番号を見ながら、おい誰かいないかねと次《つぎ》の間《ま》へ声をかけた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分の室《へや》へ帰って来た。
 彼はわざわざ戸棚《とだな》を開けて、行李《こり》の上に投げ出してあるセルの袴《はかま》を取り出した。彼はそれを穿《は》くとき、腰板《こしいた》を後《うしろ》に引き摺《ず》って、室《へや》の中を歩き廻った。それから足袋《たび》を脱《ぬ》いで、靴下に更《か》えた。これだけ身装《みなり》を改めた上、彼はまた三階を下りた。居間を覗《のぞ》くと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼鈴《ベル》も今度は鳴らなかった。家中ひっそり閑《かん》としていた。ただ主人だけは前の通り大きな丸火鉢に靠《もた》れて、上り口の方を向いたなりじっと坐っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らない先に、高い所から斜《はす》に主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上り口へ出た。主人は案《あん》の上《じょう》、「御出かけで」と挨拶《あいさつ》した。そうして例《いつも》の通り下女を呼んで下駄箱《げたばこ》にしまってある履物《はきもの》を出させようとした。敬太郎は主人一人の眼を掠《か》すめるのにさえ苦心していたところだから、この上下女に出られては敵《かな》わないと思って、いや宜《よろ》しいと云いながら、自分で下駄箱の垂《たれ》を上げて、早速靴を取りおろした。旨《うま》い具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出て来なかった。けれども、亭主は依然としてこっちを向いていた。
「ちょっと御願ですがね。室の机の上に今月の法学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取って来てくれませんか。靴を穿《は》いてしまったんで、また上《あが》るのが面倒だから」
 敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものでは到底《とても》弁じない用事なので、「はあようがす」と云って気《き》さくに立って梯子段《はしごだん》を上《のぼ》って行った。敬太郎はそのひまに例の洋杖《ステッキ》を傘入《かさいれ》から抽《ぬ》き取ったなり、抱《だ》き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲った角《かど》を、右の腋《わき》の下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下から杖《つえ》を出して蛇《へび》の首をじっと眺《なが》めた。そうして袂《たもと》の手帛《ハンケチ》で上から下まで綺麗《きれい》に埃《ほこり》を拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋《あご》を載《の》せた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力を顧《かえり》みて、ほっと一息|吐《つ》いた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、偸《ぬす》むように持ち出した洋杖が、どうすれば眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》を見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんに云われた通り、自分のような他人《ひと》のような、長いような短かいような、出るような這入《はい》るようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないで携《たず》さえているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうと袖《そで》に隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとの間《ま》、瘧《ぎゃく》を振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業《ごう》を煮やした先刻《さっき》の努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所作《しょさ》を紛《まぎ》らす為《ため》に、わざと洋杖を取り直して、電車の床《ゆか》をとんとんと軽く叩《たた》いた。
 やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通へ出たが、四時にはまだ十五分ほど間《ま》があるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストの傍《そば》から、真直《まっすぐ》に南へ走る大通りと、緩《ゆる》い弧線を描いて左右に廻り込む広い往来とを眺《なが》めた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういう風に検分した後で、彼はすぐ停留所の所在を確かめにかかった。

        二十五

 赤い郵便函《ポスト》から五六間東へ下《くだ》ると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の眼に入《い》った。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取り紛《まぎ》れて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握った上、また目標《めじるし》の鉄の柱を離れて、四辺《あたり》の光景を見廻した。彼のすぐ後には蔵造《くらづくり》の瀬戸物屋があった。小さい盃《さかずき》のたくさん並んだのを箱入にして額のように仕立てたのがその軒下にかかっていた。大きな鉄製《かねせい》の鳥籠《とりかご》に、陶器でできた餌壺《えつぼ》をいくつとなく外から括《くく》りつけたのも、そこにぶら下がっていた。その隣りは皮屋であった。眼も爪も全く生きた時のままに残した大きな虎の皮に、緋羅紗《ひらしゃ》の縁《へり》を取ったのがこの店の重《おも》な装飾であった。敬太郎《けいたろう》は琥珀《こはく》に似たその虎の眼を深く見つめて立った。細長くって真白な皮でできた襟巻《えりまき》らしいものの先に、豆狸《まめだぬき》のような顔が付着しているのも滑稽《こっけい》に見えた。彼は時計を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪瑙《めのう》で刻《ほ》った透明な兎《うさぎ》だの、紫水晶《むらさきずいしょう》でできた角形《かくがた》の印材だの、翡翠《ひすい》の根懸《ねがけ》だの孔雀石《くじゃくせき》の緒締《おじめ》だのの、金の指輪やリンクスと共に、美くしく並んでいる宝石商の硝子窓《ガラスまど》を覗《のぞ》いた。
 敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐木細工《からきざいく》の店先まで来た。その時|後《うしろ》から来た電車が、突然自分の歩いている往来の向う側でとまったので、もしやという心から、筋違《すじかい》に通を横切って細い横町の角にある唐物屋《とうぶつや》の傍《そば》へ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、先刻《さっき》のと同じような、小川町停留所という文字が白く書いてあった。彼は念のためこの角《かど》に立って、二三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万世橋《まんせいばし》の方から真直《まっすぐ》に進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸念《けねん》もなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足の向《むき》を更《か》えにかかった途端《とたん》に、南から来た一台がぐるりと美土代町《みとしろちょう》の角を回転して、また敬太郎の立っている傍でとまった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣鴨《すがも》の二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りを真直《まっすぐ》に突き当って、左へ曲っても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲っても先刻《さっき》彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれから後《あと》を跟《つ》けようという黒い中折の男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見当《けんとう》がつかない事になるのである。眼を走らせて、二本の赤い鉄柱の距離《みちのり》を目分量で測って見ると、一町には足りないくらいだが、いくら眼と鼻の間だからと云って、一方だけを専門にしてさえ覚束《おぼつか》ない彼の監視力に対して、両方共手落なく見張り終《おお》せる手際《てぎわ》を要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積りたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住居《すま》っている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気がつかずにいた自己の迂闊《うかつ》を深く後悔した。
 彼は困却の余りふと思いついた窮策《きゅうさく》として、須永《すなが》の助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前に逼《せま》っていた。ついこの裏通に住んでいる須永だけれども、門前まで駈けつける時間と、かい摘《つま》んで用事を呑《の》み込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいの間《ま》は取れるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込の中だから、手を挙げたり手帛《ハンケチ》を振るぐらいではちょっと通じかねる。紛《まぎ》れもなく敬太郎に分らせようとするには、往来を驚ろかすほどな大きな声で叫ぶに限ると云ってもいいくらいなものだが、そう云う突飛《とっぴ》なよほどな場合でも体裁《ていさい》を重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢してやってくれたところで、こっちから駆《か》けて行く間には、肝心《かんじん》の黒の中折帽《なかおれぼう》を被《かぶ》った男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。――こう考えた敬太郎はやむを得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。

        二十六

 決心はしたようなものの、それでは今立っている所を動かないための横着と同じ事になるので、わざと成効《せいこう》を度外に置いて仕事にかかった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、向《むき》の具合か、それとも自分が始終|乗降《のりおり》に慣れている訳か、どうもそちらの方が陽気に見えた。尋ねる人も何だか向《むこう》で降りそうな心持がした。彼はもう一度見張るステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊躇《ちゅうちょ》していた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずるととまった。誰も降者《おりて》がないのを確かめた車掌は、一分と立たないうちにまた車を出そうとした。敬太郎《けいたろう》は錦町へ抜ける細い横町を背にして、眼の前の車台にはほとんど気のつかないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後の横町から突然|馳《か》け出して来た一人の男が、敬太郎を突き除《の》けるようにして、ハンドルへ手をかけた運転手の台へ飛び上った。敬太郎の驚ろきがまだ回復しないうちに、電車はがたりと云う音を出してすでに動き始めた。飛び上がった男は硝子戸《ガラスど》の内へ半分|身体《からだ》を入れながら失敬しましたと云った。敬太郎はその男と顔を見合せた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当った拍子《ひょうし》に、敬太郎の持っていた洋杖《ステッキ》を蹴飛《けと》ばして、それを持主の手から地面の上へ振り落さしたのである。敬太郎は直《すぐ》曲《こご》んで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時|蛇《へび》の頭が偶然|東向《ひがしむき》に倒れているのに気がついた。そうしてその頭の恰好《かっこう》を何となしに、方角を教える指標《フィンガーポスト》のように感じた。
「やっぱり東が好かろう」
 彼は早足に瀬戸物屋の前まで帰って来た。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二三台を親の敵《かたき》でも覘《ねら》うように怖《こわ》い眼つきで吟味《ぎんみ》した後《あと》、少し心に余裕《よゆう》ができるに連れて、腹の中がだんだん気丈《きじょう》になって来た。彼は自分の眼の届く広場を、一面の舞台と見傚《みな》して、その上に自分と同じ態度の男が三人いる事を発見した。その一人は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポイントマンであった。最後の一人《いちにん》は広場の真中に青と赤の旗を神聖な象徴《シンボル》のごとく振り分ける分別盛《ふんべつざか》りの中年者《ちゅうねんもの》であった。そのうちでいつ出て来るか知れない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。
 電車は入れ代り立ち代り彼の前にとまった。乗るものは無理にも窮屈な箱の中に押し込もうとする、降りるものは権柄《けんぺい》ずくで上から伸《の》しかかって来る。敬太郎はどこの何物とも知れない男女《なんにょ》が聚《あつ》まったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じ出す一分時《いっぷんじ》の争を何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折の男はいくら待っても出て来なかった。ことに依ると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見つめて、眼のちらちらするほど一つ所に立っているのは、随分馬鹿気た所作《しょさ》に見えて来る。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やした先刻《さっき》の二時間を、充分|須永《すなが》と打ち合せをして彼の援助を得るために利用した方が、遥《はる》かに常識に適《かな》った遣口《やりくち》だと考え出した。彼がこの苦《にが》い気分を痛切に甞《な》めさせられる頃から空はだんだん光を失なって、眼に映る物の色が一面に蒼《あお》く沈んで来た。陰鬱《いんうつ》な冬の夕暮を補なう瓦斯《ガス》と電気の光がぽつぽつそこらの店硝子《みせガラス》を彩《いろ》どり始めた。ふと気がついて見ると、敬太郎から一間ばかりの所に、廂髪《ひさしがみ》に結《い》った一人の若い女が立っていた。電車の乗降《のりおり》が始まるたびに、彼は注意の余波《なごり》を自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分らない婦人を思わぬ近くに見た時は、何より先にまずその存在に驚ろかされた。

        二十七

 女は年に合わして地味なコートを引き摺《ず》るように長く着ていた。敬太郎《けいたろう》は若い人の肉を飾る華麗《はなやか》な色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦袢《じゅばん》の襟《えり》さえ羽二重《はぶたえ》の襟巻《えりまき》で隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮の逼《せま》るに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周囲《まわり》に何といって他《ひと》の注意を惹《ひ》くものを着けていなかった。けれども時節柄《じせつがら》に頓着《とんじゃく》なく、当人の好尚《このみ》を示したこの一色《ひといろ》が、敬太郎には何よりも際立《きわだ》って見えた。彼は光の抜けて行く寒い空の下で、不調和な異《い》な物に出逢った感じよりも、煤《すす》けた往来に冴々《さえざえ》しい一点を認めた気分になって女の頸《くび》の辺《あたり》を注意した。女は敬太郎の視線を正面《まとも》に受けた時、心持|身体《からだ》の向《むき》を変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳の所まで上げて、鬢《びん》から洩《も》れた毛を後《うしろ》へ掻きやる風をした。固《もと》より女の髪は綺麗《きれい》に揃《そろ》っていたのだから、敬太郎にはこの挙動が実《み》のない科《しな》としてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強いられた。
 女は普通の日本の女性《にょしょう》のように絹の手袋を穿《は》めていなかった。きちりと合う山羊《やぎ》の革製ので、華奢《きゃしゃ》な指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋《ろう》を薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋の皺《しわ》も一分《いちぶ》の弛《たる》みも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手頸《てくび》を三寸も深く隠しているのに気がついた。彼はそれぎり眼を転じてまた電車に向った。けれども乗降《のりおり》の一混雑が済んで、思う人が出て来ないと、また心に二三分の余裕《よゆう》ができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相間《あいま》相間には覚《さと》られないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。
 始め彼はこの女を「本郷行」か「亀沢町行」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押し潰《つぶ》されそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺《こら》えた方が差引|得《とく》になるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素振《そぶり》を見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちに傘《かさ》を広げる人のように、わざと彼の観察を避《よ》ける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露骨《むきだし》に女の方を見るのを慎《つつ》しんでいた。がしまいにふと気がついて、この女は不案内のため、自分の勝手で好い加減にきめた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起ったので、彼は逡巡《しゅんじゅん》する気色《けしき》もなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩き出して、二三間先の宝石商の窓際まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓硝子《まどガラス》に着けるように、中に並べた指環だの、帯留だの枝珊瑚《えださんご》の置物だのを眺《なが》め始めた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好意立《こういだて》をして、かえって自分と自分の品位を落したのを馬鹿らしく感じた。
 女の容貌《ようぼう》は始めから大したものではなかった。真向《まむき》に見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々《はればれ》しい心持のする眸《ひとみ》を有《も》っていた。宝石商の電灯は今|硝子越《ガラスごし》に彼女《かのおんな》の鼻と、豊《ふっ》くらした頬の一部分と額とを照らして、斜《はす》かけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪廓《りんかく》を与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰好《かっこう》のいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。

        二十八

 電車がまた二三台来た。そうして二三台共また敬太郎《けいたろう》の失望をくり返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時計を出して眺めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼は今更《いまさら》気がついたように、頭の上に被《かぶ》さる黒い空を仰いで、苦々《にがにが》しく舌打《したうち》をした。これほど骨を折って網を張った中へかからない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、他《ひと》を騙《だま》すためにわざわざ拵《こし》らえた婆さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋杖《ステッキ》も、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌々《いまいま》しさの種になった。彼は暗い夜を欺《あざ》むいて眼先にちらちらする電灯の光を見廻して、自分をその中心に見出した時、この明るい輝きも必竟《ひっきょう》自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興を覚《さ》ましながらまだそのくらい寝惚《ねぼ》けた心持を失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間になろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿を嘲《あざ》ける記念《かたみ》だから、帰りがけに人の見ていない所で二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突がねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。
 彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、また先刻《さっき》の若い女の存在に気がついた。女はいつの間にか宝石商の窓を離れて、元の通り彼から一間ばかりの所に立っていた。背が高いので、手足も人尋常《ひとなみ》より恰好《かっこう》よく伸びたところを、彼は快よく始めから眺めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心を惹《ひ》いた。女は自然のままにそれをすらりと垂れたなり、まるで他の注意を予期しないでいたのである。彼は素直に調子の揃《そろ》った五本の指と、しなやかな革《かわ》で堅く括《くく》られた手頸《てくび》と、手頸の袖口《そでくち》の間から微《かす》かに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一所《ひとところ》に立ち尽すものに、寒さは辛《つら》く当った。女は心持ち顋《あご》を襟巻《えりまき》の中に埋《うず》めて、俯目勝《ふしめがち》にじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの眼遣《めづかい》の底に、かえって自分が気にかかっているらしい反証を得たと信じた。彼が先刻から蚤取眼《のみとりまなこ》で、黒の中折帽を被《かぶ》った紳士を探している間、この女は彼と同じ鋭どい注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちに射《い》がけていたのではなかろうか。彼はある男を探偵しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間|余《あまり》をここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、何をするか分らない行動を、何のために探るのだか、彼には何らの考《かんがえ》がなかったごとく、どこの何物とも知れない女から何を仕出《しで》かすか分らない人として何のために自分が覘《ねら》われるのだか、そこへ行くとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩き出して見せたら向うの様子がもっと鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所の後《うしろ》を西の方へ動いて行った。もちろん女に勘づかれないために、彼は振向いて後を見る動作を固く憚《はば》かった。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝心《かんじん》の目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝子窓《ガラスまど》を覗《のぞ》いて、そこに飾ってある天鵞絨《びろうど》の襟《えり》の着いた女の子のマントを眺《なが》める風をしながら、そっと後《うしろ》を振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上ってもいろいろな人が自分を追越すように後《あと》から後から来る陰になって、白い襟巻《えりまき》も長いコートもさらに彼の眼に入らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分に疑ぐった。黒い中折の帽子を被った人の事なら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女の方はどんなつまらない結果に終ろうとも、最少《もうすこ》し観察していたかった。彼は女から自分が探偵されていると云う疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意して見ようという物数奇《ものずき》を起した。彼は落し物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近く来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにして窺《うかが》うと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻った事にはまるで気がついていない風に見えた。

        二十九

 その時|敬太郎《けいたろう》の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪《ひさしがみ》に結《い》っているので、その辺の区別は始めから不分明《ふぶんみょう》だったのである。が、いよいよ物陰に来て、半《なかば》後《うしろ》になったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲《おそ》って来た。
 見かけからいうとあるいは人に嫁《とつ》いだ経験がありそうにも思われる。しかし身体《からだ》の発育が尋常より遥《はる》かに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。それならなぜあんな地味な服装《つくり》をしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物の色や縞柄《しまがら》について、何をいう権利も有《も》たない男だが、若い女ならこの陰鬱《いんうつ》な師走《しわす》の空気を跳《は》ね返すように、派出《はで》な色を肉の上に重ねるものだぐらいの漠《ばっ》とした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺戟性《しげきせい》の文《あや》をどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたものの内で、わずかに人の注意を惹《ひ》くのは頸《くび》の周囲《まわり》を包む羽二重《はぶたえ》の襟巻だけであるが、それはただ清いと云う感じを起す寒い色に過ぎなかった。あとは冬枯の空と似合った長いコートですぽりと隠していた。
 敬太郎は年に合わして余りに媚《こ》びる気分を失い過ぎたこの衣服《なり》を再び後《うしろ》から見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大人《おとな》びた落ちつきがあった。彼はその落ちつきを品性と教育からのみ来た所得とは見傚《みな》し得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初々《ういうい》しい羞恥《はにかみ》が、手帛《ハンケチ》に振りかけた香水の香《か》のように自然と抜けてしまったのではなかろうかと疑ぐった。そればかりではない、この女の落ちつきの中には、落ちつかない筋肉の作用が、身体《からだ》全体の運動となったり、眉《まゆ》や口の運動となって、ちょいちょい出て来るのを彼は先刻《さっき》目撃した。最も鋭敏に動くものはその眼であろうと彼は疾《と》くに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする眼を、強《し》いて動かすまいと力《つと》める女の態度もまた同時に認めない訳に行かなかった。だからこの女の落ちつきは、自分で自分の神経を殺しているという自覚に伴《とも》なったものだと彼は勘定《かんてい》していた。
 ところが今|後《うしろ》から見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間に旨《うま》く調子が取れているように思われた。彼女《かのおんな》は先刻と違って、別段姿勢を改ためるでもなく、そろそろ歩き出すでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さを凌《しの》ぎかねる風情《ふぜい》もなく、ほとんど閑雅《かんが》とでも形容したい様子をして、一段高くなった人道の端《はじ》に立っていた。傍《そば》には次の電車を待ち合せる人が二三散らばっていた。彼らは皆向うから来る車台を見つめて、早く自分の傍《そば》へ招き寄せたい風に見えた。敬太郎が立ち退《の》いたので大いに安心したらしい彼女は、その中《うち》で最も熱心に何かを待ち受ける一人《いちにん》となって、筋向うの曲り角をじっと注意し始めた。敬太郎は派出所の陰を上《かみ》へ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番を楯《たて》に、巡査の立っている横から女の顔を覘《ねら》うように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後姿《うしろすがた》を眺《なが》めて物陰にいた時は、彼女を包む一色《ひといろ》の目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪《ひさしがみ》とを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論を弄《もて》あそんだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生々《いきいき》した一種|華《はな》やかな気色《きしょく》に充《み》ちて、それよりほかの表情は毫《ごう》も見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。
 やがて女の見つめている方角から一台の電車が弓なりに曲った線路を、ぐるりと緩《ゆる》く廻転して来た。それが女のいる前で滑《すべ》るようにとまった時、中から二人の男が出た。一人は紙で包んだボール箱のようなものを提《さ》げて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りると直《すぐ》に女の前に行って、そこに立ちどまった。

        三十

 敬太郎《けいたろう》は女の笑い顔をこの時始めて見た。唇の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初から眺《なが》めていたが、美くしい歯を露《む》き出しに現わして、潤沢《うるおい》の饒《ゆた》かな黒い大きな眼を、上下《うえした》の睫《まつげ》の触れ合うほど、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見惚《みと》れると云うよりもむしろ驚ろいて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中折《なかおれ》が乗っているのに気がついた。外套《がいとう》は判切《はっきり》霜降《しもふり》とは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎の眸《ひとみ》に投げた。その上背は高かった。瘠《やせ》ぎすでもあった。ただ年齢《とし》の点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人が寿命の度盛《どもり》の上において、自分とは遥《はる》か隔《へだ》たった向うにいる事だけはたしかなので、彼はこの男を躊躇《ちゅうちょ》なく四十|恰好《がっこう》と認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分が先刻《さっき》から馬鹿を尽してつけ覘《ねら》った本人がやっと今電車を降りたのだと断定しない訳に行かなかった。彼は例刻の五時がとうの昔《むか》しに過ぎたのに、妙な酔興《すいきょう》を起して、やはり同じ所にぶらついていた自分を仕合せだと思った。その酔興を起させるため、自分の好奇心を釣りに若い女が偶然出て来てくれたのをありがたく思った。さらにその若い女が自分の探す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ち終《おお》せたのを幸運の一つに数えた。彼はこのX《エックス》という男について、田口のために、ある知識を供給する事ができると共に、同じ知識がY《ワイ》という女に関する自分の好奇心を幾分か満足させ得るだろうと信じたからである。
 男と女はまるで敬太郎の存在に気がつかなかったと見えて、前後左右に遠慮する気色《けしき》もなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑を洩《も》らす事をやめなかった。男も時々声を出して笑った。二人が始めて顔を合わした時の挨拶《あいさつ》の様子から見ても彼らはけっして疎遠な間柄ではなかった。異性を繋《つな》ぎ合わせるようで、その実両方の仲を堰《せ》く、慇懃《いんぎん》な男女間《なんにょかん》の礼義は彼らのどちらにも見出す事ができなかった。男は帽子の縁《ふち》に手をかける面倒さえあえてしなかった。敬太郎はその鍔《つば》の下にあるべきはずの大きな黒子《ほくろ》を面と向って是非突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んで行って、何でも好いから、ただ口から出任《でまか》せの質問をかけたかも知れない。それでなくても、直《ただ》ちに彼の傍《そば》へ近寄って、満足の行くまでその顔を覗《のぞ》き込んだろう。この際そう云う大胆な行動を妨たげるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑ぐったかどうかは問題として、彼の挙動に不審を抱《いだ》いた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線の内に、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でない上に、嫌疑《けんぎ》の火の手をわざと強くして、自分の目的を自分で打《う》ち毀《こわ》すと同じ結果になる。
 こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会が廻《めぐ》って来るまでは、黒子の有る無しを見届けるだけは差し控えた方が得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人の後《あと》を跟《つ》けて、でき得るならば断片的でもいいから、彼らの談話を小耳に挟《はさ》もうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかに我胸に畳み込む事の徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折から出る結果は、世故《せこ》に通じた田口によって、必ず善意に利用されるものとただ淡泊《たんぱく》に信じていた。
 やがて男は女を誘《いざ》なう風をした。女は笑いながらそれを拒《こば》むように見えた。しまいに半《なか》ば向き合っていた二人が、肩と肩を揃《そろ》えて瀬戸物屋の軒端《のきば》近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩き出した。敬太郎は二三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改ためた。万一女に振り向かれても、疑惑を免《まぬ》かれるために、彼はけっして彼らの後姿には眼を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、故意《わざ》とあらぬ方《かた》を見て歩いた。

        三十一

「だって余《あん》まりだわ。こんなに人を待たしておいて」
 敬太郎《けいたろう》の耳に入った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答は全く聞き取れなかった。それから五六間行ったと思う頃、二人の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ち塞《ふさ》がりそうにした。敬太郎の方でも、後《うしろ》から向うに突き当らない限りは先へ通り抜けなければ跋《ばつ》が悪くなった。彼は二人の後戻りを恐れて、急に傍《そば》にあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片づけた。そうしてそこに並んでいる大きな硝子壺《ガラスつぼ》の中のビスケットを見つめる風をしながら、二人の動くのを待った。男は外套《がいとう》の中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身体《からだ》を横にして、下向きに右手で持ったものを店の灯《ひ》に映した。男の顔の下に光るものが金時計である事が、その時敬太郎に分った。
「まだ六時だよ。そんなに遅かあない」
「遅いわあなた、六時なら。妾《あたし》もう少しで帰《かい》るところよ」
「どうも御気の毒さま」
 二人はまた歩き出した。敬太郎も壺入《つぼいり》のビスケットを見棄ててその後《あと》に従がった。二人は淡路町《あわじちょう》まで来てそこから駿河台下《するがだいした》へ抜ける細い横町を曲った。敬太郎も続いて曲ろうとすると、二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門口《かどぐち》から射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんな家《うち》へ入《は》いられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝亭《たからてい》と云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入《でいり》をする家《うち》であった。近頃|普請《ふしん》をしてから新らしいペンキの色を半分電車通りに曝《さら》して、斜《はす》かけに立ち切られたような棟《むね》を南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒《ビール》の広告写真を仰ぎながら、肉刀《ナイフ》と肉叉《フォーク》を凄《すさ》まじく闘かわした数度《すど》の記憶さえ有《も》っていた。
 二人の行先については、これという明らかな希望も予期も無かったが、少しは紫《むらさき》がかった空気の匂う迷路《メーズ》の中に引き入れられるかも知れないくらいの感じが暗《あん》に働らいてこれまで後を跟《つ》けて来た敬太郎には、馬鈴薯《じゃがいも》や牛肉を揚げる油の臭《におい》が、台所からぷんぷん往来へ溢《あふ》れる西洋料理屋は余りに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、遥《はる》かに都合が好いと考え直した彼は、二人の身体が、誰にでも近寄る事のできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だと覚《さと》った。幸い彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺戟《しげき》された食慾を充《み》たすに足るほどの財布を懐中していた。彼はすぐ二人の後《あと》を追ってそこの二階へ上《のぼ》ろうとしたが、電灯の強く往来へ射《さ》す門口《かどぐち》まで来た時、ふと気がついた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上っては不味《まず》い。ひょっとするとこの人は自分を跟《つ》けて来たのだという疑惑を故意《ことさら》先方に与える訳になる。
 敬太郎は何気ない振をして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小路《こうじ》を一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身体《からだ》の中へ畳み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰って来た。それからその門《かど》を潜《くぐ》った。時々来た事があるので、彼はこの家《うち》の勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部屋がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない、大抵は二階で済むのだから、上《あが》って右の奥か、左の横にある広間を覗《のぞ》けば、大抵二人の席が見えるに違ない、もしそこにいなかったら表の方の細長い室《へや》まで開《あ》けてやろうぐらいの考で、階段《はしごだん》を上りかけると、白服の給仕《ボーイ》が彼を案内すべく上り口に立っているのに気がついた。

        三十二

 敬太郎《けいたろう》は手に持った洋杖《ステッキ》をそのままに段々を上《のぼ》り切ったので、給仕は彼の席を定める前に、まずその洋杖を受取った。同時にこちらへと云いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕の後《うしろ》から自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先刻《さっき》注意した黒の中折帽《なかおれぼう》が掛っていた。霜降《しもふり》らしい外套《がいとう》も、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。給仕がその裾《すそ》を動かして、竹の洋杖を突込《つっこ》んだ時、大きな模様を抜いた羽二重《はぶたえ》の裏が敬太郎の眼にちらついた。彼は蛇《へび》の頭がコートの裏に隠れるのを待って、そらにその持主の方に眼を転じた。幸いに女は男と向き合って、入口の方に背中ばかりを見せていた。新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位を崩《くず》す恐《おそれ》があるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿を眺《なが》めながら、ひとまず安堵《あんど》の思いをした。女は彼の推察通りはたして後《うしろ》を向かなかった。彼はその間《ま》に女の坐っているすぐ傍《そば》まで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向《むき》も改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢《はち》に植えた松と梅の盆栽《ぼんさい》が飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙《さじ》を落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横《よこた》わる六尺に足らない距離は明らかな電灯が隈《くま》なく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔《いさ》ぎいい光を四方の食卓《テーブル》から反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室《へや》で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉《まゆ》と眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子《ほくろ》を認めた。
 この黒子《ほくろ》を別にして、男の容貌《ようぼう》にこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も全く人並であった。けれども離れ離れに見ると凡庸《ぼんよう》な道具が揃《そろ》って、面長《おもなが》な顔の表にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合せた時、スープの中に匙《さじ》を入れたまま、啜《すす》る手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探偵という文字に普通付着している意味を心のうちで考え出して、この男の風采《ふうさい》態度《たいど》と探偵とはとても釣り合わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上に有《も》っていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる眼鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、余りにできが尋常過ぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこの宵《よい》の仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性質《たち》の仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑がわしくなった。
 彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺麭《パン》に手も触《ふ》れずにいた。男と女は彼らの傍《そば》に坐った新らしい客に幾分か遠慮の気味で、ちょっとの間《ま》話を途切らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われる頃から、また少し調子づいたと見えて、二人の声が互違《たがいちがい》に敬太郎の耳に入《い》った。――
「今夜はいけないよ。少し用があるから」
「どんな用?」
「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」
「あら好くってよ。妾《あたし》ちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他《ひと》を待たした癖に」
 女は少し拗《す》ねたような物の云い方をした。男は四辺《あたり》に遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。
「何しろ今夜は少し遅いから止そうよ」
「ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあ直《じき》じゃありませんか」
 女が勧めている事も男が躊躇《ちゅうちょ》している事も敬太郎にはよく解った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝心《かんじん》な目的地になると、彼には何らの観念もなかった。

        三十三

 もう少し聞いている内にはあるいはあたりがつくかも知れないと思って、敬太郎《けいたろう》は自分の前に残された皿の上の肉刀《ナイフ》と、その傍に転がった赤い仁参《にんじん》の一切《ひときれ》を眺《なが》めていた。女はなお男を強《し》いる事をやめない様子であった。男はそのたびに何とかかとか云って逃《のが》れていた。しかし相手を怒《おこ》らせまいとする優しい態度はいつも変らなかった。敬太郎の前に新らしい肉と青豌豆《あおえんどう》が運ばれる時分には、女もとうとう我《が》を折り始めた。敬太郎は心の内で、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好加減《いいかげん》に降参するか、どっちかになればいいがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、何かの機会《はずみ》に小耳に挟《はさ》んでおきたかったが、いよいよ話が纏《まと》まらないとなると、男女《なんにょ》の問答は自然ほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。
「じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい」と、やがて女が云い出した。
「あれって、ただあれじゃ分らない」
「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」
「ちっとも分らない」
「失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に」
 敬太郎はちょっと振り向いて後《うしろ》が見たくなった。その時|階段《はしごだん》を踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度に上《あが》って来た。そのうちの一人はカーキー色の服に長靴を穿《は》いた軍人であった。そうして床《ゆか》の上を歩く音と共に、腰に釣るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上って左側の室《へや》へ案内された。この物音が例の男と女の会話を攪《か》き乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ちつくまで中途に停止していた。
「この間見せていただいたものよ。分って」
 男は分ったとも分らないとも云わなかった。敬太郎には無論想像さえつかなかった。彼は女がなぜ淡泊《たんぱく》に自分の欲しいというものの名を判切《はっきり》云ってくれないかを恨《うら》んだ。彼は何とはなしにそれが知りたかったのである。すると、
「あんなもの今ここに持ってるもんかね」と男が云った。
「誰もここに持ってるって云やしないわ。ただちょうだいって云うのよ。今度《こんだ》でいいから」
「そんなに欲しけりゃやってもいい。が……」
「あッ嬉《うれ》しい」
 敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動は慎《つつ》しまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。すると勝手の上《あが》り口《くち》の方から、給仕《ボーイ》が白い皿を二つ持って入って来て、それを古いのと引き更《か》えに、二人の前へ置いて行った。
「小鳥だよ。食べないか」と男が云った。
「妾《あたし》もうたくさん」
 女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりは余計動かした。二人の問答から察すると、女の男にくれと逼《せま》ったのは珊瑚樹《さんごじゅ》の珠《たま》か何からしい。男はこういう事に精通しているという口調《くちょう》で、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解りもしない好事家《こうずか》の嬉《うれ》しがる知識に過ぎなかった。練物《ねりもの》で作ったのへ指先の紋《もん》を押しつけたりして、時々|旨《うま》くごまかした贋物《がんぶつ》があるが、それは手障《てざわ》りがどこかざらざらするから、本当の古渡《こわた》りとは直《すぐ》区別できるなどと叮嚀《ていねい》に女に教えていた。敬太郎は前後《あとさき》を綜合《すべあ》わして、何でもよほど貴《たっ》とい、また大変珍らしい、今時そう容易《たやす》くは手に入らない時代のついた珠《たま》を、女が男から貰《もら》う約束をしたという事が解った。
「やるにはやるが、御前あんなものを貰って何《なん》にする気だい」
「あなたこそ何になさるの。あんな物を持ってて、男の癖に」

        三十四

 しばらくして男は「御前御菓子を食べるかい、菓物《くだもの》にするかい」と女に聞いた。女は「どっちでも好いわ」と答えた。彼らの食事がようやく終りに近づいた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣り込まれていた敬太郎《けいたろう》に、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出た後《あと》の二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下りる事の不得策を初めから承知していた。後《おく》れて席を立つにしても、巻煙草《まきたばこ》を一本吸わない先に、夜と人と、雑沓《ざっとう》と暗闇《くらやみ》の中に、彼らの姿を見失なうのはたしかであった。もし間違いなく彼らの影を踏んで後《あと》から喰付《くっつ》いて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気のつかない物陰か何かで、待ち合せるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくに若《し》くはないという気になって、早速|給仕《ボーイ》を呼んでビルを請求した。
 男と女はまだ落ちついて話していた。しかし二人の間に何というきまった題目も起らないので、それを種に意見や感情の交換《とりやり》も始まる機会《おり》はなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れて行くだけに過ぎなかった。男の特徴に数えられた眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》なども偶然女の口に上《のぼ》った。
「なぜそんな所に黒子なんぞができたんでしょう」
「何も近頃になって急にできやしまいし、生れた時からあるんだ」
「だけどさ。見っともなかなくって、そんな所《とこ》にあって」
「いくら見っともなくっても仕方がないよ。生れつきだから」
「早く大学へ行って取って貰うといいわ」
 敬太郎はこの時|指洗椀《フィンガーボール》の水に自分の顔の映るほど下を向いて、両手で自分の米噛《こめかみ》を隠すように抑《おさ》えながら、くすくすと笑った。ところへ給仕が釣銭を盆に乗せて持って来た。敬太郎はそっと立って目立たないように階段《はしごだん》の上《あが》り口《くち》までおとなしく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、「御立あち」と下へ知らせた。同時に敬太郎は先刻《さっき》給仕に預けた洋杖《ステッキ》を取って来るのを忘れた事に気がついた。その洋杖はいまだに室《へや》の隅《すみ》に置いてある帽子掛の下に突き込まれたまま、女の長いコートの裾《すそ》に隠されていた。敬太郎は室の中にいる男女《なんにょ》を憚《はば》かるように、抜き足で後戻りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇の頭を握った時、すべすべした羽二重《はぶたえ》の裏と、柔かい外套《がいとう》の裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪先で歩かないばかりに気をつけて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんと刻《きざ》み足《あし》に下へ駆《か》け下りた。表へ出るや否や電車通を直ぐ向うへ横切った。その突き当りに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電灯の光を後《うしろ》にして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲ろうが、左へ折れようが、または中川の角に添って連雀町《れんじゃくちょう》の方へ抜けようが、あるいは門《かど》からすぐ小路《こうじ》伝いに駿河台下《するがだいした》へ向おうが、どっちへ行こうと見逃《みのが》す気遣《きづかい》はないと彼は心丈夫に洋杖《ステッキ》を突いて、目指す家の門口《かどぐち》を見守っていた。
 彼は約十分ばかり待った後で、注意の焼点《しょうてん》になる光の中《うち》に、いっこう人影が射さないのを不審に思い始めた。やむを得ず二階を眺《なが》めてその窓だけ明るくなった奥を覗《のぞ》くように、彼らの早く席を立つ事を祈った。そうして待ち草臥《くたび》れた眼を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりに欺《あざ》むかれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、先刻《さっき》から寒そうな雨を醸《かも》していたらしく、敬太郎の心を佗《わ》びしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのを幸いに、自分の役目として是非聞いておかなければならないような肝心《かんじん》の相談でもし始めたのではなかろうか。彼はこの疑惑と共に黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。

        三十五

 彼はあまり注意深く立ち廻って、かえって洋食店の門を早く出過ぎたのを悔《くや》んだ。けれども二人が彼に気兼《きがね》をする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生えたように腰を据《す》えていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞く訳には行かないのだから、よし今まで坐《すわ》ったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったと、ほぼ同じ事になるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子の廂《ひさし》へ雨が二雫《ふたしずく》ほど落ちたような気がするので、彼はまた仰向《あおむ》いて黒い空を眺めた。闇《やみ》よりほかに何も眼を遮《さえ》ぎらない頭の上は、彼の立っている電車通と違って非常に静であった。彼は頬《ほお》の上に一滴《いってき》の雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰好《かっこう》さえ分らない大きな暗いものを見つめている間《あいだ》に、今にも降り出すだろうという掛念《けねん》をどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真似《まね》を好んでやるのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋杖《ステッキ》にあるような気がした。彼は例のごとく蛇《へび》の頭を握って、寒さに対する欝憤《うっぷん》を晴らすごとくに、二三度それを烈《はげ》しく振った。その時待ち佗びた人の影法師が揃《そろ》って洋食店の門口を出た。敬太郎《けいたろう》は何より先に女の細長い頸《くび》を包む白い襟巻《えりまき》に眼をつけた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向う側を、先刻とは反対の方角に、元来た道へ引き返しにかかった。敬太郎も猶予《ゆうよ》なく向うへ渡った。彼らは緩《ゆる》い歩調で、賑《にぎ》やかに飾った店先を軒《のき》ごとに覗《のぞ》くように足を運ばした。後《うしろ》から跟《つ》いて行く敬太郎は是非共二人に釣り合った歩き方をしなければならないので、その遅過ぎるのがだいぶ苦になった。男は香《か》の高い葉巻を銜《くわ》えて、行く行く夜の中へ微《かす》かな色を立てる煙を吐いた。それが風の具合で後《うしろ》から従がう敬太郎の鼻を時々快ろよく侵《おか》した。彼はその香《にお》いを嗅《か》ぎ嗅ぎ鈍《のろ》い足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いので後《うしろ》から見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少|錯覚《さっかく》を助けた。すると聯想《れんそう》がたちまち伴侶《つれ》の方に移って、女が旦那《だんな》から買って貰《もら》った革《かわ》の手袋を穿《は》めている洋妾《らしゃめん》のように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起して、おかしいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ちどまったが、やがてまた線路を横切って向側へ越した。敬太郎も二人のする通りを真似《まね》た。すると二人はまた美土代町《みとしろちょう》の角《かど》をこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩き出して南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱の傍《そば》へ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合せたように敬太郎の方を顧《かえり》みた。固《もと》より彼のいる方から電車が横町を曲って来るからではあるが、それにしても敬太郎は余り好い心持はしなかった。彼は帽子の鍔《つば》をひっくり返して、ぐっと下へおろして見たり、手で顔を撫《な》でて見たり、なるべく軒下へ身を寄せて見たり、わざと変な見当《けんとう》を眺《なが》めて見たりして、電車の現われるのをつらく待ち佗《わ》びた。
 間《ま》もなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗った後《あと》から這入《はい》って、嫌疑《けんぎ》を避けようと工夫した。それでしばらく後の方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートの裾《すそ》を踏まえないばかりに引き摺《ず》って車掌台の上に足を移した。しかしあとから直《すぐ》続くと思った男は、案外|上《あが》る気色《けしき》もなく、足を揃《そろ》えたまま、両手を外套《がいとう》の隠袋《かくし》に突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだのだという事にようやく気がついた。実をいうと、彼は男よりも女の方に余計興味を持っていたのである。男と女がここで分れるとすれば、無論男を捨てて女の先途だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依託《いたく》されたのは女と関係のない黒い中折帽《なかおれぼう》を被《かぶ》った男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。

        三十六

 女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へ這入《はい》ってしまった。冬の夜《よ》の事だから、窓硝子《まどガラス》はことごとく締《し》め切ってあった。女はことさらにそれを開けて内から首を出すほどの愛嬌《あいきょう》も見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動き出した。二人の間に挨拶《あいさつ》の交換《やりとり》がもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南の方《かた》へ運び去った。男はこの時口に銜《くわ》えた葉巻を土の上に投げた。それから足の向を変えてまた三ツ角の交叉点まで出ると、今度は左へ折れて唐物屋《とうぶつや》の前でとまった。そこは敬太郎《けいたろう》が人に突き当られて、竹の洋杖《ステッキ》を取り落した記憶の新らしい停留所であった。彼は男の後《あと》を見え隠れにここまで跟《つ》いて来て、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新柄《しんがら》の襟飾《ネクタイ》だの、絹帽《シルクハット》だの、変《かわ》り縞《じま》の膝掛《ひざかけ》だのを覗《のぞ》き込みながら、こう遠慮をするようでは、探偵の興も覚《さ》めるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事に飽《あき》が来たと云ってはすまないが、前《ぜん》同様であるべき窮屈の程度が急に著るしく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折の男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵察の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寝ようかとも思った。
 そこへ男の待っている電車が来たと見えて、彼は長い手で鉄の棒を握るや否《いな》や瘠《や》せた身体《からだ》を体《てい》よくとまり切らない車台の上に乗せた。今まで躊躇《ちゅうちょ》していた敬太郎は急にこの瞬間を失なってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上った。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗客は自由に互の顔を見合う余裕を充分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五六人から一度に視線を集められた。そのうちには今|坐《すわ》ったばかりの中折の男のも交《まじ》っていたが、彼の敬太郎を見た眼のうちには、おやという認識はあったが、つけ覘《ねら》われているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持になって、男と同じ側を択《よ》って腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれる事かと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分も早速降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子を窺《うか》がった。男は始終《しじゅう》隠袋《かくし》へ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわが膝《ひざ》の上かを見ていた。その様子を形容すると、何にも考えずに何か考え込んでいると云う風であった。ところが九段下へかかった頃から、長い首を時々伸ばして、ある物を確かめたいように、窓の外を覗き出した。敬太郎もつい釣り込まれて、見悪《みにく》い外を透《す》かすように眺《なが》めた。やがて電車の走る響の中に、窓硝子《まどガラス》にあたって摧《くだ》ける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でし始めた。彼は携《たずさ》えている竹の洋杖《ステッキ》を眺めて、この代りに雨傘《あまがさ》を持って来ればよかったと思い出した。
 彼は洋食店以後、中折を被《かぶ》った男の人柄《ひとがら》と、世の中にまるで疑《うたがい》をかけていないその眼つきとを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、いらざる材料を集めるよるも、いっそ露骨《むきだし》にこっちから話しかけて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告した方が、今更|遅蒔《おそまき》のようでも、まだ気が利《き》いていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便法《べんぽう》を工夫し始めた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈しくなったと見えて、車がとまるとざあという音が急に彼の耳を襲《おそ》った。中折の男は困ったなと云いながら、外套《がいとう》の襟《えり》を立てて洋袴《ズボン》の裾《すそ》を返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上った。男は雨の中へ出ると、直《すぐ》寄って来る俥引《くるまひき》を捕《つら》まえた。敬太郎も後《おく》れないように一台雇った。車夫は梶棒《かじぼう》を上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車の後《あと》について行けと命じた。車夫はへいと云ってむやみに馳《か》け出した。一筋道を矢来《やらい》の交番の下まで来ると、車夫は又梶棒をとめて、旦那どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくら幌《ほろ》の内から延び上っても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のする中で方角に迷った。


     報告

        一

 眼が覚《さ》めると、自分の住み慣《な》れた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬太郎《けいたろう》には全く変に思われた。昨日《きのう》の出来事はすべて本当のようでもあった。また纏《まと》まりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「本当の夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴なっていた。それよりか、酔った気分が世の中に充《み》ち充ちていたという感じが一番強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革屋《かわや》も、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗の洋食店の二階も、そこに席を占めた眉《まゆ》の間に黒子《ほくろ》のある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話しに出て来る、どこにあるか分らない所の名も、男が女にやる約束をした珊瑚《さんご》の珠《たま》も、みんな陶然《とうぜん》とした一種の気分を帯びていた。最もこの気分に充《み》ちて活躍したものは竹の洋杖《ステッキ》であった。彼がその洋杖を突いたまま、幌《ほろ》を打つ雨の下で、方角に迷った時の心持は、この気分の高潮に達した幕前の一区切《ひとくぎり》として、ほとんど狐から取り憑《つ》かれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店の灯《ひ》で佗《わ》びしく照らされたびしょ濡《ぬ》れの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見廻して、はたしてこれが今日の仕事の結末かと疑ぐった。彼はやむを得ず車夫に梶棒《かじぼう》を向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じた事を記憶していた。
 彼は寝ながら天井《てんじょう》を眺《なが》めて、自分に最も新らしい昨日の世界を、幾順となく眼の前に循環させた。彼は二日酔《ふつかよい》の眼と頭をもって、蚕《かいこ》の糸を吐《は》くようにそれからそれへと出てくるこの記念《かたみ》の画《え》を飽《あ》かず見つめていたが、しまいには眼先に漂《ただ》ようふわふわした夢の蒼蠅《うるさ》さに堪《た》えなくなった。それでも後《あと》から後からと向うで独《ひと》り勝手《がって》に現われて来るので、彼は正気でありながら、何かに魅入られたのではなかろうかと云う疑さえ起した。彼はこの浅い疑に関聯《かんれん》して、例の洋杖を胸に思い浮べざるを得なかった。昨日の男も女も彼の眼には絵を見るほど明らかであった。容貌《ようぼう》は固《もと》より服装《なり》から歩きつきに至るまでことごとく記憶の鏡に判切《はっき》りと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持がした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、鮮《あざ》やかな色と形を備えて眸《ひとみ》を侵《おか》して来た。この不思議な影響が洋杖から出たかも知れないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨夕《ゆうべ》法外な車賃を貪ぼられて、宿の門口《かどぐち》を潜《くぐ》った時、何心なくその洋杖を持ったまま自分の室《へや》まで帰って来て、これは人の目に触れる所に置くべきものでないという顔をして、寝る前に、戸棚《とだな》の奥の行李《こうり》の後《うしろ》へ投げ込んでしまったのである。
 今朝《けさ》は蛇《へび》の頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢って、探偵の結果を報告しなければならないと云う実際問題の方が頭に浮いて来ると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後から宵《よい》へかけて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告に纏《まと》める段になると、自分の引き受けた仕事は成効《せいこう》しているのか失敗しているのかほとんど分らなかった。したがって洋杖《ステッキ》の御蔭《おかげ》を蒙《こうむ》っているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後をくり返した敬太郎には、まさしくその御蔭を蒙っているらしくも見えた。またけっしてその御蔭を蒙っていないようにも思われた。
 彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜着《よぎ》を剥《は》ぐって跳《は》ね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日《きのう》の夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室《へや》に上《のぼ》った。そこの窓を潔《いさ》ぎよく明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺戟《しげき》した後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項について力《つと》めて実際的に思慮を回《めぐ》らした。

        二

 突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎《けいたろう》は少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気が急《せ》くので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これから直《すぐ》行っていいかと聞くと、だいぶ待たした後《あと》で、差支《さしつかえ》ないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予《ゆうよ》なく内幸町へ出かけた。
 田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下駄《げた》が一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸物《かけもの》が二幅掛かっていた。湯呑《ゆのみ》のような深い茶碗《ちゃわん》に、書生が番茶を一杯|汲《く》んで出した。桐《きり》を刳《く》った手焙《てあぶり》も同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団《ざぶとん》も同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中に畏《かしこ》まって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないと見えて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎はやむを得ず茶色になった古そうな懸物《かけもの》の価額《ねだん》を想像したり、手焙の縁《ふち》を撫《な》で廻したり、あるいは袴《はかま》の膝《ひざ》へきちりと両手を乗せて一人改たまって見たりした。すべて自分の周囲《まわり》があまり綺麗《きれい》に調《ととの》っているだけに、居心地が新らし過ぎて彼は容易に落ちつけなかったのである。しまいに違棚《ちがいだな》の上にある画帖《がじょう》らしい物を取りおろしてみようかと思ったが、その立派な表紙が、これは装飾だから手を触れちゃいけないと断《ことわ》るように光るので、彼はついに手を出しかねた。
 こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たした後《あと》で、ようやく応接間から出て来た。
「どうも長い間御待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから」
 敬太郎はこの言訳に対して適当と思うような挨拶《あいさつ》を一と口と、それに添えた叮嚀《ていねい》な御辞儀《おじぎ》を一つした。それからすぐ昨日《きのう》の事を云い出そうとしたが、何をどう先に述べたら都合がいいか、この場に臨んで急にまた迷い始めたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙がしそうに声も身体《からだ》も取り扱かっている癖に、どこか腹の中に余裕《よゆう》の貯蔵庫でもあるように、けっして周章《あわて》て探偵の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るかとか、三階では風が強く当るだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子は至極《しごく》面白そうだけれども、その実つまらない事ばかり話の種にした。敬太郎は向うの問に従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めて行くうちに、暗《あん》に彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気がついた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、その訳《わけ》はまるで解らなかった。すると、
「どうです昨日《きのう》は。旨《うま》く行きましたか」と主人が突然聞き出した。こう聞かれるだろうぐらいの腹は始めから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、「どうですか」という他《ひと》を馬鹿にした生返事になるので、彼はちょっと口籠《くちごも》った後《あと》、
「そうです御通知のあった人だけはやっと探し当てました」と答えた。
「眉間《みけん》に黒子《ほくろ》がありましたか」
 敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。
「衣服《なり》もこっちから云って上げた通りでしたか。黒の中折《なかおれ》に、霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着て」
「そうです」
「それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね」
「時間は少し後《おく》れたようです」
「何分ぐらい」
「何分か知りませんが、何でも五時よっぽど過《すぎ》のようでした」
「よっぽど過《すぎ》。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」
 今まで穏《おだ》やかに機嫌《きげん》よく話していた長者《ちょうしゃ》から突然こう手厳《てきび》しくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。

        三

 敬太郎《けいたろう》は今まで下町出《したまちで》の旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る「君のためだから」という言葉も挨拶《あいさつ》も有《も》っていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。
「ただ私の勝手で、時間が来てもそこを動かなかったのです」
 敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐ崩《くず》して、
「そりゃ私《わたし》のために大変都合が好かった」と機嫌《きげん》の好い調子で受けたが、「しかしあなたの勝手と云うのは何です」と聞き返した。敬太郎は少し逡巡《しゅんじゅん》した。
「なにそりゃ聞かないでも構いません。あなたの事だから。話したくなければ話さないでも差支《さしつかえ》ない」
 田口はこう云って、自分の前に引きつけた手提煙草盆《てさげたばこぼん》の抽出《ひきだし》を開けると、その中から角《つの》でできた細長い耳掻《みみかき》を捜《さが》し出した。それを右の耳の中に入れて、さも痒《か》ゆそうに掻《か》き廻した。敬太郎は見ないふりをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の蹙面《しかめつら》を薄気味悪く感じた。
「実は停留所に女が一人立っていたのです」と彼はとうとう自白してしまった。
「年寄ですか、若い女ですか」
「若い女です」
「なるほど」
 田口はただ一口こう云っただけで、何とも後を継《つ》いでくれなかった。敬太郎も頓挫《とんざ》したなり言葉を途切《とぎ》らした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。
「いや、若かろうが年寄だろうが、その婦人の事を聞くのはよくなかった。それはあなただけに関係のある事なんでしょうから、止しにしましょう。私の方じゃただ顔に黒子《ほくろ》のある男について、研究の結果さえ伺がえばいいんだから」
「しかしその女が黒子のある人の行動に始終《しじゅう》入り込んでくるのです。第一女の方で男を待ち合わしていたのですから」
「はあ」
 田口はちょっと思いも寄らぬという顔つきをしたが、「じゃその婦人はあなたの御知合でも何でもないのですね」と聞いた。敬太郎は固《もと》より知合だと答える勇気を有《も》たなかった。きまりの悪い思いをしても、見た事も口を利《き》いた事もない女だと正直に云わなければならなかった。田口はそうですかと、穏《おだや》かに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気色《けしき》を見せなかったが、急に摧《くだ》けた調子になって、
「どんな女なんです。その若い婦人と云うのは。器量からいうと」と興味に充《み》ちた顔を提煙草盆《さげたばこぼん》の上に出した。
「いえ、なに、つまらない女なんです」と敬太郎は前後の行《い》きがかり上答えてしまって、実際頭の中でもつまらないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好い方だぐらいは固より云い兼ねなかったのである。田口は「つまらない女」という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解らなかったけれども、何でも頭の上で大濤《おおなみ》が崩れたような心持がして、幾分か顔が熱くなった。
「よござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て」
 田口はまた普通の調子に戻って、真面目《まじめ》に事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛末《てんまつ》を、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷衍《ふえん》して、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議な謎《なぞ》の活《い》きて働らく洋杖《ステッキ》を、どう抱《かか》え出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄《てがら》のなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うや否《いな》や四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不味《まず》いところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡泊《あっさ》り話して見ると、宅《うち》を出る時自分が心配していた通り、少しも捕《つら》まえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。

        四

 それでも田口は別段|厭《いや》な顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云う繋《つな》ぎの言葉を、時々|敬太郎《けいたろう》のために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です」と言訳をつけ加えた。
「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」
 田口のこの挨拶《あいさつ》の中《うち》に、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛嬌《あいきょう》が充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥を掻《か》かずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂味《たるみ》のできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。
「いったいあの人は何なんですか」
「さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました」
 敬太郎の前には黒の中折《なかおれ》を被《かぶ》って、襟開《えりあき》の広い霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着[#「着」は底本では「来」]た男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣《ことばづか》いといい歩きつきといい、何から何まで判切《はっきり》見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。
「どうも分りません」
「じゃ性質はどんな性質でしょう」
 性質なら敬太郎にもほぼ見当《けんとう》がついていた。「穏《おだ》やかな人らしく思いました」と観察の通りを答えた。
「若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか」
 こう云った時、田口の唇《くちびる》の角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまた塞《ふさ》いでしまった。
「若い女には誰でも優《やさ》しいものですよ。あなただって満更《まんざら》経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎は傍《はた》で自分を見たらさぞ気の利《き》かない愚物《ぐぶつ》になっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。
「じゃ女は何物なんでしょう」
 田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分り悪《にく》いです」と答えてしまった。
「素人《しろうと》だか黒人《くろうと》だか、大体の区別さえつきませんか」
「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革《かわ》の手袋だの、白い襟巻《えりまき》だの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括《すべくく》ったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。
「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿《は》めていましたが……」
 女の身に着けた品物の中《うち》で、特に敬太郎の注意を惹《ひ》いたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目《まじめ》な顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。
 敬太郎は先刻《さっき》自分の報告が滞《とどこお》りなく済んだ証拠《しょうこ》に、御苦労さまと云う謝辞さえ受けた後《あと》で、こう難問が続発しようとは毫《ごう》も思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へ競《せ》り上《あが》って行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。
「例えば夫婦だとか、兄弟《きょうだい》だとか、またはただの友達だとか、情婦《いろ》だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」
「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」
「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」

        五

 敬太郎《けいたろう》の胸にもこの疑《うたがい》は最初から多少|萌《きざ》さないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操《あやつ》って、それがために偵察《ていさつ》の興味が一段と鋭どく研《と》ぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男女《なんにょ》の間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血を有《も》った青年の常として、この観察点から男女《なんにょ》を眺《なが》めるときに、始めて男女らしい心持が湧《わ》いて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判切《はっきり》分らない代りに、男女という小さな宇宙はかく鮮《あざ》やかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一対《いっつい》の男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱《いだ》くほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一人《いちにん》であったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年齢《とし》の上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。
 彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこう弛《ゆる》んでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、纏《まと》まった形となって頭の中には現われ悪《にく》かった。それでこう云った。――
「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」
 田口はただ微笑した。そこへ例の袴《はかま》を穿《は》いた書生が、一枚の名刺を盆に載《の》せて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、「まあ分らないところが本当でしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。先刻《さっき》からよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好い機《しお》に、もうここで切り上げようと思って身繕《みづくろ》いにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれを遮《さえ》ぎった。そうして敬太郎の辟易《へきえき》するのに頓着《とんじゃく》なくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明瞭《めいりょう》に答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだ辛《つら》い思いをした。
「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」
 田口の最後と断《ことわ》ったこの問に対しても、敬太郎は固《もと》より満足な返事を有《も》っていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払う間にも何々さんとか何々子とかあるいは御何《おなに》とかいう言葉がきっとどこかへ交《まじ》って来るだろうと心待に待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、御互の名はもちろん、第三者の名もけっして引合にさえ出さなかったのである。
「名前も全く分りません」
 田口はこの答を聞いて、手焙《てあぶり》の胴に当てた手を動かしながら、拍子《ひょうし》を取るように、指先で桐《きり》の縁《ふち》を敲《たた》き始めた。それをしばらくくり返した後《あと》で、「どうしたんだか余《あん》まり要領を得ませんね」と云ったが、直《すぐ》言葉を継《つ》いで、「しかしあなたは正直だ。そこがあなたの美点だろう。分らない事を分ったように報告するよりもよっぽど好いかも知れない。まあ買えばそこを買うんですね」と笑い出した。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂闊《うかつ》に恥じ入る気も起ったが、しかしわずか二三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞《ほ》められた事も大した嬉《うれ》しさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。

        六

 敬太郎《けいたろう》は先刻《さっき》から頭の上らない田口の前で、たった一言《ひとこと》で好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふと萌《きざ》した。
「要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂闊《うかつ》なものに見極《みきわ》められる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をして後《あと》なんか跟《つ》けるより、直《じか》に会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手数《てかず》が省《はぶ》けて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです」
 これだけ云った敬太郎は、定めて世故《せこ》に長《た》けた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目《まじめ》な態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。
「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。
「それほどの考《かんがえ》がちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御頼《おたのみ》申したのは私《わたし》が悪かった。人物を見損《みそく》なったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味を有《も》っておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。止《よ》しゃあよかった……」
「いえ須永《すなが》君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しい思《おもい》をして答えた。
「そうでしたか」
 田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄《す》てたなり、それ以上に追窮する愚《ぐ》をあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。
「じゃどうでしょう。黙って後なんどを跟けずに、あなたのいう通り尋常に玄関からかかって行っちゃ。あなたにそれだけの勇気がありますか」
「無い事もありません」
「あんなに跟け廻した後で」
「あんなに跟け廻したって、私はあの人達の不名誉になるような観察はけっしてしていないつもりです」
「ごもっともだ。そんなら一つ行って御覧なさい。紹介するから」
 田口はこう云いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出が万更《まんざら》の冗談《じょうだん》とも思えなかったので、彼は紹介状を携《たずさ》えて本当に眉間《みけん》の黒子《ほくろ》と向き合って話して見ようかという料簡《りょうけん》を起した。
「会いますから紹介状を書いて下さい。私はあの人と話して見たい気がしますから」
「宜《い》いでしょう。これも経験の一つだから、まあ会って直《じか》に研究して御覧なさい。あなたの事だから田口に頼まれてこの間の晩|後《あと》を跟《つ》けましたぐらいきっと云うでしょう。しかしそれは構わない。云いたければ云っても宜《よ》うござんす。私《わたし》に遠慮は要《い》らないから。それからあの女との関係もですね、あなたに勇気さえあるなら聞いて御覧なさい。どうです、それを聞くだけの度胸があなたにありますか」
 田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答の出ないうちにまた自分から話を続けた。
「だが両方とも口へ出せるように自然が持ちかけて来るまでは、聞いても話してもいけませんよ。いくら勇気があったって、常識のない奴《やつ》だと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえ随分|会《あ》い悪《にく》い方《ほう》なんだから、そんな事をむやみに喋《しゃ》べろうものなら、直《すぐ》帰ってくれぐらい云い兼ねないですよ。紹介をして上げる代りには、そこいらはよく用心しないとね……」
 敬太郎は固《もと》より畏《かしこ》まりましたと答えた。けれども腹の中では黒の中折《なかおれ》の男を田口のように見る事がどうしてもできなかった。

        七

 田口は硯箱《すずりばこ》と巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書き始めた。やがて名宛《なあて》を認《したた》め終ると、「ただ通り一遍の文言《もんごん》だけ並べておいたらそれで好いでしょう」と云いながら、手焙《てあぶり》の前に翳《かざ》した手紙を敬太郎《けいたろう》に読んで聞かせた。その中には書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意に価《あたい》する事は少しも出て来なかった。ただこの者は今年大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けた上で、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松本恒三《まつもとつねぞう》様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真面目《まじめ》になって松本恒三様の五字を眺《なが》めたが、肥《ふと》った締《しま》りのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほど拙《せつ》らしくできていた。
「そう感心していつまでも眺《なが》めていちゃあいけない」
「番地が書いてないようですが」
「ああそうか。そいつは私《わたし》の失念だ」
 田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。
「さあこれなら好いでしょう。不味《まず》くって大きなところは土橋《どばし》の大寿司流《おおずしりゅう》とでも云うのかな。まあ役に立ちさえすればよかろう、我慢なさい」
「いえ結構です」
「ついでに女の方へも一通書きましょうか」
「女も御存じなのですか」
「ことによると知ってるかも知れません」と答えた田口は何だか意味のありそうに微笑した。
「御差支《おさしつかえ》さえなければ、おついでに一本書いていただいても宜《よろ》しゅうございます」と敬太郎も冗談《じょうだん》半分に頼んだ。
「まあ止した方が安全でしょうね。あなたのような年の若い男を紹介して、もし間違でもできると責任問題だから。浪漫《ローマン》―何とか云うじゃありませんか、あなたのような人の事を。私《わたし》ゃ学問がないから、今頃|流行《はや》るハイカラな言葉を直《すぐ》忘れちまって困るが、何とか云いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……」
 敬太郎はまさかそりゃこう云う言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬鹿みたように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非道《ひど》く冷かされそうなので、心の内では、この一段落がついたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口のくれた紹介状を懐《ふところ》に収めて、「では二三日|内《うち》にこれを持って行って参りましょう。その模様でまた伺がう事に致しますから」と云いながら、柔《やわら》かい座蒲団《ざぶとん》の上を滑《すべ》り下りた。田口は「どうも御苦労でした」と叮嚀《ていねい》に挨拶《あいさつ》しただけで、ロマンチックもコスメチックもすっかり忘れてしまったという顔つきをして立ち上った。
 敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰好《かっこう》のいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮《メーズ》の奥に引き込まれるような面白味を感じた。今日《きょう》田口での獲物《えもの》は松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯綜《さくそう》した事実を自分のために締《し》め括《くく》っている妙な嚢《ふくろ》のように彼には思えるので、そこから何が出るか分らないだけそれだけ彼には楽みが多かった。田口の説明によると、近寄|悪《にく》い人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話しがしやすそうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取扱う点にかけてなるほど老練だという嘆美《たんび》の声を見出した上、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の眼を射るようにちらちら輝やいたにもかかわらず、その前に坐《すわ》っている間、彼は始終《しじゅう》何物にか縛《しば》られて自由に動けない窮屈な感じを取り去る事ができなかった。絶えず監視の下《もと》に置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、けっして薄らぐ折はなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういう風に気のおける田口と反対の側に、何でも遠慮なく聞いて怒られそうにない、話し声その物のうちにすでに懐《なつ》かし味の籠《こも》ったような松本を想像してやまなかった。

        八

 翌朝《よくあさ》さっそく支度をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降り出した。窓を細目に開けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面に濡《ぬ》れていた。屋根瓦《やねがわら》に徹《とお》るような佗《わ》びしい色をしばらく眺《なが》めていた敬太郎《けいたろう》は、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止そうかとちょっと思案したが、早く会って見たいという気が強く起るので、とうとう机の前を離れた。そうして豆腐屋の喇叭《らっぱ》が、陰気な空気を割《さ》いて鋭どく往来に響く下の方へ降りて行った。
 松本の家《うち》は矢来《やらい》なので、敬太郎はこの間の晩|狐《きつね》につままれたと同じ思いをした交番下の景色《けしき》を想像しつつ、そこへ来ると、坂下と坂上が両方共|二股《ふたまた》に割れて、勾配《こうばい》のついた真中だけがいびつに膨《ふく》れているのを発見した。彼は寒い雨の袴《はかま》の裾《すそ》に吹きかけるのも厭《いと》わずに足を留めて、あの晩車夫が梶棒《かじぼう》を握ったまま立往生をしたのはこのへんだろうと思う所を見廻した。今日も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ちどまった時の心持はこの間とはまるで趣《おもむき》が違っていた。敬太郎は後《うしろ》の方に高く黒ずんでいる目白台《めじろだい》の森と、右手の奥に朦朧《もうろう》と重なり合った水稲荷《みずいなり》の木立《こだち》を見て坂を上《あが》った。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来の中をぐるぐる歩いた。始めのうちは小《ち》さい横町を右へ折れたり左へ曲ったり、濡れた枳殻《からたち》の垣を覗《のぞ》いたり、古い椿《つばき》の生《お》い被《かぶ》さっている墓地らしい構《かまえ》の前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当らなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角にある車屋を見つけて、そこの若い者に聞いたら、何でもない事のようにすぐ教えてくれた。
 松本の家はこの車屋の筋向うを這入《はい》った突き当りの、竹垣に囲われた綺麗《きれい》な住居《すまい》であった。門を潜《くぐ》ると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音は毫《ごう》もやまなかった。その代り四辺《あたり》は森閑《しんかん》として人の住んでいる臭《におい》さえしなかった。雨に鎖《とざ》された家《いえ》の奥から現われた十六七の下女は、手を突いて紹介状を受取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出て来て、「はなはだ勝手を申し上げてすみませんでございますが、雨の降らない日においでを願えますまいか」と云った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられつけている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞こえた。彼はなぜ雨が降っては面会に差支《さしつか》えるのか直《すぐ》反問したくなった。けれども下女に議論を仕かけるのも一種変な場合なので、「じゃ御天気の日に伺がえば御目にかかれるんですね」と念晴《ねんばら》しに聞き直して見た。下女はただ「はい」と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降る中へ出た。ざあと云う音が急に烈《はげ》しく聞こえる中に、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂を下《お》りながら変な男があったものだという観念を数度《すど》くり返した。田口がただでさえ会《あ》い悪《にく》いと云ったのは、こんなところを指すのではなかろうかとも考えた。その日は家《うち》へ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なく据《す》えつけられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須永《すなが》の家《うち》へでも行って、この間からの顛末《てんまつ》を茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落つけて、自分にも見当《けんとう》の立った筋を吹聴《ふいちょう》するのでなくては話しばいもしないので、ついに行かずじまいにしてしまった。
 翌日《あくるひ》は昨日《きのう》と打って変って好い天気になった。起き上る時、あらゆる濁《にごり》を雨の力で洗い落したように綺麗《きれい》に輝やく蒼空《あおぞら》を、眩《まば》ゆそうに仰ぎ見た敬太郎は、今日《きょう》こそ松本に会えると喜こんだ。彼はこの間の晩|行李《こうり》の後《うしろ》に隠しておいた例の洋杖《ステッキ》を取り出して、今日は一つこれを持って行って見ようと考がえた。彼はそれを突いて、また矢来《やらい》の坂を上《あが》りながら、昨日の下女が今日も出て来て、せっかくですが今日は御天気過ぎますから、も少《すこ》し曇った日においで下さいましと云ったらどんなものだろうと想像した。

        九

 ところが昨日と違って、門を潜《くぐ》っても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこの前目に着かなかった衝立《ついたて》が立っていた。その衝立には淡彩《たんさい》の鶴がたった一羽|佇《たた》ずんでいるだけで、姿見のように細長いその格好《かっこう》が、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意を促《うな》がした。取次には例の下女が現われたには相違ないが、その後《あと》から遠慮のない足音をどんどん立てて二人の小供が衝立の影まで来て、珍らしそうな顔をして敬太郎を眺《なが》めた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内と共に、硝子戸《ガラスど》の締《し》まっている座敷へ通った。その真中にある金魚鉢のように大きな瀬戸物の火鉢《ひばち》の両側に、下女は座蒲団《ざぶとん》を一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更紗《さらさ》の模様を染めた真丸の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へ坐《すわ》った。床《とこ》の間《ま》には刷毛《はけ》でがしがしと粗末《ぞんざい》に書いたような山水《さんすい》の軸《じく》がかかっていた。敬太郎はどこが樹でどこが巌《いわ》だか見分のつかない画を、軽蔑《けいべつ》に値する装飾品のごとく眺《なが》めた。するとその隣りに銅鑼《どら》が下《さが》っていて、それを叩《たた》く棒まで添えてあるので、ますます変った室《へや》だと思った。
 すると間《あい》の襖《ふすま》を開けて隣座敷から黒子《ほくろ》のある主人が出て来た。「よくおいでです」と云ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐ったが、その調子はけっして愛嬌《あいきょう》のある方ではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手に余り重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持を与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎は別段気がつまる思もせずにいられた。その上彼はこの間の晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違ないと思い込んでいたにもかかわらず、今会って見ると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素振《そぶり》は、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気兼《きがね》の必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言訳も一言《ひとこと》も述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断がつかなかった。
 話は自然の順序として、紹介者になった田口の事から始まった。「あなたはこれから田口に使って貰《もら》おうというのでしたね」というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのを一通り聞いた。それから彼のいまだかつて考えた事もない、社会観とか人生観とかいうこむずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世に著《あら》われない学者の一人なのではなかろうかと疑ぐったくらい、妙な理窟《りくつ》をちらちらと閃《ひら》めかされた。そればかりでなく、松本は田口を捕《つら》まえて、役には立つが頭のなっていない男だと罵《のの》しった。
「第一《だいち》ああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立った考《かんがえ》のできる閑《ひま》がないから駄目です。あいつの脳と来たら、年《ねん》が年中《ねんじゅう》摺鉢《すりばち》の中で、擂木《すりこぎ》に攪《か》き廻されてる味噌《みそ》見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」
 敬太郎にはなぜこの主人が田口に対してこうまで悪体《あくたい》を吐《つ》くのかさっぱり訳が分らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、毫《ごう》も毒々しいところだの、小悪《こにく》らしい点だのの見えない事であった。彼の罵《のの》しる言葉は、人を罵しった経験を知らないような落ちつきを具《そな》えた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変った人だという感じが新たに刺戟《しげき》を受けるだけであった。
「それでいて、碁《ご》を打つ、謡《うたい》を謡《うた》う。いろいろな事をやる。もっともいずれも下手糞《へたくそ》なんですが」
「それが余裕《よゆう》のある証拠《しょうこ》じゃないでしょうか」
「余裕って君。――僕は昨日《きのう》雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民《こうとうゆうみん》でないからです。いくら他《ひと》の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」

        十

「実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか」
「文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」
 松本は大きな火鉢《ひばち》の縁《ふち》へ両肱《りょうひじ》を掛けて、その一方の先にある拳骨《げんこつ》を顎《あご》の支えにしながら敬太郎《けいたろう》を見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本色《ほんしょく》があるらしくも思った。彼は煙草《たばこ》道楽と見えて、今日は大きな丸い雁首《がんくび》のついた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い煙を、まだ火の消えていない証拠として、狼煙《のろし》のごとくぱっぱっと揚げた。その煙が彼の顔の傍《そば》でいつの間にか消えて行く具合が、どこにも締《しま》りを設ける必要を認めていないらしい彼の眼鼻と相待って、今まで経験した事のない一種静かな心持を敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真中から左右へ分けているので、平たい頭がなおの事尋常に落ちついて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上足袋《うわたび》を白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法衣《ころも》を聯想《れんそう》させるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の眼に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風采《ふうさい》なり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。
「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」
 敬太郎は自《みず》から高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。
「奥さんは……」
「妻《さい》は無論います。なぜですか」
 敬太郎は取り返しのつかない愚《ぐ》な問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。
「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」
「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」
「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」
「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」
 敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒口《いとくち》に、革《かわ》の手袋を穿《は》めた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働らくので、元からそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんな事にまるで注意しない風で、困った敬太郎の顔を平気に眺《なが》めていた。もしこれが田口であったなら手際《てぎわ》よく相手を打ち据《す》える代りに、打ち据えるとすぐ向うから局面を変えてくれて、相手に見苦るしい立ち往生などはけっしてさせない鮮《あざ》やかな腕を有《も》っているのにと敬太郎は思った。気はおけないが、人を取扱かう点において、全く冴《さ》えた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎は図《はか》らず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然「あなたはそういう問題を考えて見た事がないようですね」と聞いてくれた。
「ええまるで考えていません」
「考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう」
「考えると云うよりむしろ興味があるといった方が適当かも知れません。興味なら無論あります」

        十一

 二人は人間として誰しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年歯《とし》の違だか段の違だか、松本の云う事は肝心《かんじん》の肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬太郎《けいたろう》の血の中まで這入《はい》り込んで来て、共に流れなければやまないほどの切実な勢《いきおい》をまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸に徹《とお》らないらしかった。
 こんな縁遠い話をしている中《うち》で、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露西亜《ロシヤ》の文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調達《ちょうたつ》のため細君同伴で亜米利加《アメリカ》へ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩迎《かんげい》やらに忙殺《ぼうさつ》されるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴《つ》れて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝露《ばくろ》した。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。
「露西亜と亜米利加ではこれだけ男女《なんにょ》関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細《ささい》な事件なんでしょうがね。下らない」と松本は全く下らなそうな顔をした。
「日本はどっちでしょう」と敬太郎は聞いて見た。
「まあ露西亜派でしょうね。僕は露西亜派でたくさんだ」と云って、松本はまた狼煙《のろし》のような濃い煙をぱっと口から吐いた。
 ここまで来て見ると、この間の女の事を尋ねるのが敬太郎に取って少しも苦にならないような気がし出した。
「せんだっての晩神田の洋食店で私はあなたに御目にかかったと思うんですが」
「ええ会いましたね。よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう」
 松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気がついたふりをするでもなく、話してもよし話さないでもよしと云った風の態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、または鷹揚《おうよう》な彼の生れつきから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。
「御伴《おつれ》がおありのようでしたが」
「ええ別嬪《べっぴん》を一人|伴《つ》れていました。あなたはたしか一人でしたね」
「一人です。あなたも御帰りには御一人じゃなかったですか」
「そうです」
 ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりととまってしまった。松本がまた女の事を云い出すかと思って待っていると、「あなたの下宿は牛込ですか、小石川ですか」とまるで無関係の問を敬太郎はかけられた。
「本郷です」
 松本は腑《ふ》に落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと云わぬばかりの松本の眼つきを見た時、敬太郎は面倒だからここで一つ心持よく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もし怒《おこ》られたら、詫《あや》まるだけで、詫まって聞かれなければ、御辞儀《おじぎ》を叮嚀《ていねい》にして帰れば好かろうと覚悟をきめた。
「実はあなたの後《あと》を跟《つ》けてわざわざ江戸川まで来たのです」と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。
「何のために」と松本はほとんどいつものような緩《ゆる》い口調で聞き返した。
「人から頼まれたのです」
「頼まれた? 誰に」
 松本は始めて、少し驚いた声の中《うち》に、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。

        十二

「実は田口さんに頼まれたのです」
「田口とは。田口|要作《ようさく》ですか」
「そうです」
「だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか」
 こう一句一句問いつめられて行くよりは、自分の方で一と思いに今までの経過を話してしまう方が楽な気がするので、敬太郎《けいたろう》は田口の速達便を受取って、すぐ小川町の停留所へ見張《みはり》に出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いた後の雨の中の立往生に至るまでの顛末《てんまつ》を包まず打ち明けた。固《もと》よりただ筋の通るだけを目的に、誇張は無論|布衍《ふえん》の煩《わずら》わしさもできる限り避けたので、時間がそれほどかからなかったせいか、松本は話の進行している間一口も敬太郎を遮《さえ》ぎらなかった。話が済んでからも、直《すぐ》とは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情を害した結果ではなかろうかと推察して、怒り出されないうちに早く詫《あや》まるに越した事はないと思い定めた。すると主人の方から突然口を利《き》き始めた。
「どうもけしからん奴だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬鹿だね」
 こういった主人の顔を見ると、呆《あき》れ返っている風は誰の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも現われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいの事は、彼に取って何でもなかったのである。
「どうも悪い事をしました」
「詫まって貰いたくも何ともない。ただ君が御気の毒だから云うのですよ。あんな者に使われて」
「それほど悪い人なんですか」
「いったい何の必要があって、そんな愚《ぐ》な事を引き受けたのです」
 物数奇《ものずき》から引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出て来なかった。彼はやむを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだという風な答をした。
「衣食に困るなら仕方がないが、もう止した方がいいですよ。余計な事じゃありませんか、寒いのに雨に降られて人の後《あと》を跟《つ》けるなんて」
「私も少し懲《こ》りました。これからはもうやらないつもりです」
 この述懐を聞いた松本は何とも云わず、ただ苦笑《にがわら》いをしていた。それが敬太郎には軽蔑《けいべつ》の意味にも憐愍《れんみん》の意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思をした。
「あなたは僕に対してすまん事をしたような風をしているが、実際そうなのですか」
 根本義に溯《さかの》ぼったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行がかり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。
「じゃ田口へ行ってね。この間僕の伴《つ》れていた若い女は高等淫売《こうとういんばい》だって、僕自身がそう保証したと云ってくれたまえ」
「本当にそういう種類の女なんですか」
 敬太郎はちょっと驚ろかされた顔をしてこう聞いた。
「まあ何でも好いから、高等淫売だと云ってくれたまえ」
「はあ」
「はあじゃいけない、たしかにそう云わなくっちゃ。云えますか、君」
 敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮を憚《はば》かるほどの男ではなかった。けれども松本が強《し》いてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、何か不愉快なある物が潜《ひそ》んでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起らなかった。彼が挨拶《あいさつ》に困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、「何、君心配しないでもいいですよ。相手が田口だもの」と云ったが、しばらくしてやっと気がついたように、「君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね」と聞いた。敬太郎は「まだ何にも知りません」と答えた。

        十三

「その関係を話すと、君が田口に向ってあの女の事を高等淫売《こうとういんばい》だと云う勇気が出悪《でにく》くなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かして上げよう」
 こういう前置を置いた上、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬太郎《けいたろう》を驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永《すなが》の母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めて呑《の》み込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間を極《きわ》めて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入った文《あや》でも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎《かげろう》を散らつかせながら、後《あと》を追《おっ》かけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。
「御嬢さんは何でまたあすこまで出張《でば》っていたんですか。ただ私を釣るためなんですか」
「何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今朝《けさ》御父さんから聞いたら、叔父さんが御歳暮《おせいぼ》に指環《ゆびわ》を買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃《にが》さないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先刻《さっき》からここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆棒《べらぼう》だね。わざわざそれほどの手数《てかず》をかけて、何もそんな下らない真似《まね》をするにも当らないじゃないか。騙《だま》された君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ」
 敬太郎には騙された自分の方が遥《はる》かに愚物《ぐぶつ》に思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、自《おのず》から赧《あか》い顔もしなければならなかった。
「あなたはまるで御承知ない事なんですね」
「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」
「御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが」
「そうさ」と云って松本はしばらく思案していたが、やがて判切《はっきり》した口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの箆棒の田口に、一つ取柄《とりえ》があると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯《いたずら》をしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻《か》きそうな際《きわ》どい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺麗《きれい》に始末をつける。そこへ行くと箆棒《べらぼう》には違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪辣《あくらつ》でも、結末には妙に温《あたた》かい情《なさけ》の籠《こも》った人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人で呑《の》み込んでいるだけでしょう。君が僕の家《うち》へ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略《さくりゃく》を、始めから吹聴《ふいちょう》するほど無慈悲《むじひ》な男じゃない。だからついでに悪戯《いたずら》も止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です」
 田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振舞《ふるまい》を顧《かえり》みる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨《うら》むよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏《うち》で一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審も自《おの》ずと萌《きざ》さない訳に行かなかった。
「あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあの方《かた》の前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです」
「そりゃ向うでも君に気を許さないからさ」

        十四

 こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼遣《めづかい》やら言葉つきやらがありありと敬太郎《けいたろう》の胸に、疑《うたがい》もない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青臭《あおくさ》い自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合点《がてん》が行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己《おの》れを信じていたのである。彼はただかような青年として、他《ひと》に憚《はば》かられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見縊《みくび》っていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思《おも》わくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。
「私はそんな裏表のある人間と見えますかね」
「どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか」
「けれども田口さんからそう思われちゃ……」
「田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶ騙《だま》されなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因果《いんが》だと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重《おも》に眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女に惚《ほ》れられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから」
 敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判切《はっきり》呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼を肯《うけが》わせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎《てっつい》で叩《たた》き込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫漠《ぼうばく》たる雲に対する思があった。批評に上《のぼ》らない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。
 同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹《さんごじゅ》の珠《たま》がどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前に坐《すわ》っているのは、大きなパイプを銜《くわ》えた木像の霊が、口を利《き》くと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣髴《ほうふつ》するに苦しむに過ぎなかった。彼が一方では明瞭《めいりょう》な松本の批評に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういう風に考えつつ、自分は頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並以下の人物じゃあるまいかと疑り始めた時、この漠然《ばくぜん》たる松本がまた口を開いた。
「それでも田口が箆棒《べらぼう》をやってくれたため、君はかえって仕合《しあわせ》をしたようなものですね」
「なぜですか」
「きっと何か位置を拵《こし》らえてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でも何でもありゃしない。それは責任を持って受合って上げても宜《い》い。が、つまらないのは僕だ。全く探偵のされ損だから」
 二人は顔を見合せて笑った。敬太郎が丸い更紗《さらさ》の座蒲団《ざぶとん》の上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝立《ついたて》の前に、瘠《や》せた高い身体《からだ》をしばらく佇《たた》ずまして、靴を穿《は》く敬太郎の後姿《うしろすがた》を眺《なが》めていたが、「妙な洋杖《ステッキ》を持っていますね。ちょっと拝見」と云った。そうしてそれを敬太郎の手から受取って、「へえ、蛇《へび》の頭だね。なかなか旨《うま》く刻《ほ》ってある。買ったんですか」と聞いた。「いえ素人《しろうと》が刻ったのを貰ったんです」と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢来《やらい》の坂を江戸川の方へ下《くだ》った。


     雨の降る日

        一

 雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎《けいたろう》もそのうちに取り紛《まぎ》れて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出入《しゅつにゅう》のできる身になってからの事である。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新らしい匂いを失いかけていた。彼は時々|須永《すなが》からその話を持ち出されては苦笑するに過ぎなかった。須永はよく彼に向って、なぜその前に僕の所へ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父が人を担《かつ》ぐくらいの事は、母から聞いて知っているはずだのにと窘《たし》なめる事もあった。しまいには、君があんまり色気があり過ぎるからだと調戯《からか》い出した。敬太郎はそのたびに「馬鹿云え」で通していたが、心の内ではいつも、須永の門前で見た後姿の女を思い出した。その女がとりも直さず停留所の女であった事も思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥かしい心持がした。その女の名が千代子《ちよこ》で、その妹の名が百代子《ももよこ》である事も、今の敬太郎には珍らしい報知ではなかった。
 彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされた後《あと》、田口へ顔を出すのは多少きまりの悪い思をするだけであったにかかわらず、顔を出さなければ締《し》め括《くく》りがつかないという行きがかりから、笑われるのを覚悟の前で、また田口の門を潜《くぐ》った時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑の中《うち》には己《おの》れの機略に誇る高慢の響よりも、迷った人を本来の路《みち》に返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいった風の、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でした訳でないから、怒《おこ》ってはいけないと断わって、すぐその場で相当の位置を拵《こし》らえてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていた方の姉娘を呼んで、これが私《わたし》の娘だとわざわざ紹介した。そうしてこの方《かた》は市《いっ》さんの御友達だよと云って敬太郎を娘に教えていた。娘は何でこういう人に引き合されるのか、ちょっと解《かい》しかねた風をしながら、極《きわ》めてよそよそしく叮嚀《ていねい》な挨拶《あいさつ》をした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時の事であった。
 これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はその後《ご》も用事なり訪問なりに縁を藉《か》りて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這入《はい》って、かつて電話で口を利《き》き合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内向《うちむき》の用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮する事も稀《まれ》ではなかった。出入《でいり》の度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種|間《ま》の延びた彼の調子と、比較的引き締《しま》った田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然と膝《ひざ》を突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交《まじ》らない談話に更《ふ》かしたのは、正月|半《なか》ばの歌留多会《かるたかい》の折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分|鈍《のろ》いのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのは厭《いや》よ、負けるにきまってるからと怒《おこ》られた。
 それからまた一カ月ほど経《た》って、梅の音信《たより》の新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出逢《であ》った。三人してそれからそれへと纏《まと》まらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上《のぼ》った。
「あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら」

        二

「実は僕も雨の降る日に行って断られた一人《いちにん》なんだが……」と敬太郎《けいたろう》が云い出した時、須永《すなが》と千代子は申し合せたように笑い出した。
「君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋杖《ステッキ》を持って行かなかったんだろう」と須永は調戯《からか》い始めた。
「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん」
 この理攻《りぜ》めの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。
「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって」
「今日は持って来ません」
「なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ」
「大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」
「本当?」
「まあそんなものです」
「じゃ旗日《はたび》にだけ突いて出るの」
 敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持って行って見せるという約束をしてようやく千代子の追窮を逃《のが》れた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したかの源因を話して貰う事にした。――
 それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過《ひるすぎ》であった。千代子は松本の好きな雲丹《うに》を母からことづかって矢来《やらい》へ持って来た。久しぶりに遊んで行こうかしらと云って、わざわざ乗って来た車まで返して、緩《ゆっ》くり腰を落ちつけた。松本には十三になる女を頭《かしら》に、男、女、男と互違《たがいちがい》に順序よく四人の子が揃《そろ》っていた。これらは皆二つ違いに生れて、いずれも世間並に成長しつつあった。家庭に華《はな》やかな匂を着けるこの生き生きした装飾物の外に、松本夫婦は取って二つになる宵子《よいこ》を、指環に嵌《は》めた真珠のように大事に抱《だ》いて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆《うるし》のように濃い大きな眼を有《も》って、前の年の雛《ひな》の節句の前の宵《よい》に松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、一番この子を可愛《かわい》がっていた。来るたんびにきっと何か玩具《おもちゃ》を買って来てやった。ある時は余り多量に甘《あま》いものをあてがって叔母から怒《おこ》られた事さえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁側《えんがわ》へ出て、ねえ宵子さんと云っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、何だね喧嘩《けんか》でもしやしまいしと云った。松本は、御前そんなにその子が好きなら御祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調戯《からか》った。
 その日も千代子は坐ると直《すぐ》宵子を相手にして遊び始めた。宵子は生れてからついぞ月代《さかやき》を剃《そ》った事がないので、頭の毛が非常に細く柔《やわら》かに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤沢《うるおい》の多い紫《むらさき》を含んでぴかぴか縮《ちぢ》れ上っていた。「宵子さんかんかん結《い》って上げましょう」と云って、千代子は鄭寧《ていねい》にその縮れ毛に櫛《くし》を入れた。それから乏しい片鬢《かたびん》を一束|割《さ》いて、その根元に赤いリボンを括《くく》りつけた。宵子の頭は御供《おそなえ》のように平らに丸く開いていた。彼女は短かい手をやっとその御供の片隅《かたすみ》へ乗せて、リボンの端《はじ》を抑えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと云った。母がああ好くかんかんが結えましたねと賞《ほ》めると、千代子は嬉《うれ》しそうに笑いながら、子供の後姿を眺《なが》めて、今度は御父さんの所へ行って見せていらっしゃいと指図《さしず》した。宵子はまた足元の危ない歩きつきをして、松本の書斎の入口まで来て、四つ這《ばい》になった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這になるのが例であった。彼女はそこで自分の尻をできるだけ高く上げて、御供のような頭を敷居から二三寸の所まで下げて、またイボンイボンと云った。書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子は頸《くび》を下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴《ふちょう》であった。後《うしろ》に立って見ていた千代子は小《ち》さい唇《くちびる》から出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。

        三

 そのうち子供がみんな学校から帰って来たので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かの華《はな》やかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、巴《ともえ》の紋《もん》のついた陣太鼓《じんだいこ》のようなものを持って来て、宵子《よいこ》さん叩かして上げるからおいでと連れて行った。その時千代子は巾着《きんちゃく》のような恰好《かっこう》をした赤い毛織の足袋《たび》が廊下を動いて行く影を見つめていた。その足袋の紐《ひも》の先には丸い房がついていて、それが小いさな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。
「あの足袋はたしか御前が編《あ》んでやったのだったね」
「ええ可愛《かわい》らしいわね」
 千代子はそこへ坐って、しばらく叔父と話していた。そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと、それが見る見る音を立てて、空坊主《からぼうず》になった梧桐《ごとう》をしたたか濡《ぬ》らし始めた。松本も千代子も申し合せたように、硝子越《ガラスごし》の雨の色を眺めて、手焙《てあぶり》に手を翳《かざ》した。
「芭蕉《ばしょう》があるもんだから余計音がするのね」
「芭蕉はよく持つものだよ。この間から今日は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山茶花《さざんか》が散って、青桐《あおぎり》が裸になっても、まだ青いんだからなあ」
「妙な事に感心するのね。だから恒三《つねぞう》は閑人《ひまじん》だって云われるのよ」
「その代り御前の叔父さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない」
「したかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内の御父さんよりか全く学者ね。わたし本当に敬服しててよ」
「生意気《なまいき》云うな」
「あら本当よあなた。だって何を聞いても知ってるんですもの」
 二人がこんな話をしていると、ただいまこの方《かた》が御見えになりましたと云って、下女が一通の紹介状のようなものを持って来て松本に渡した。松本は「千代子待っておいで。今にまた面白い事を教えてやるから」と笑いながら立ち上った。
「厭《いや》よまたこないだみたいに、西洋|煙草《たばこ》の名なんかたくさん覚えさせちゃ」
 松本は何にも答えずに客間の方へ出て行った。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補なうため、もう電気灯が点《とも》っていた。台所ではすでに夕飯《ゆうめし》の支度を始めたと見えて、瓦斯七輪《ガスしちりん》が二つとも忙がしく青い※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1-87-64]《ほのお》を吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合せに坐った。宵子だけは別に下女がついて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女は小《ち》さい朱塗の椀《わん》と小皿に盛った魚肉とを盆の上に載《の》せて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこは家《うち》のものの着更《きがえ》をするために多く用いられる室《へや》なので、箪笥《たんす》が二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据《す》えてあった。千代子はその姿見の前に玩具《おもちゃ》のような椀と茶碗を載せた盆を置いた。
「さあ宵子さん、まんまよ。御待遠《おまちどお》さま」
 千代子が粥《かゆ》を一匙《ひとさじ》ずつ掬《すく》って口へ入れてやるたびに、宵子は旨《おい》しい旨しいだの、ちょうだいちょうだいだのいろいろな芸を強《し》いられた。しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹念《たんねん》に匙の持ち方を教えた。宵子は固《もと》より極《きわ》めて短かい単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱られると、きっと御供《おそなえ》のような平たい頭を傾《かし》げて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍もくり返さしているうちに、いつもの通りこう? と半分言いかけて、心持横にした大きな眼で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子の膝《ひざ》の前に俯伏《うつぶせ》になった。
「どうしたの」
 千代子は何の気もつかずに宵子を抱《だ》き起した。するとまるで眠った子を抱えたように、ただ手応《てごたえ》がぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。

        四

 宵子《よいこ》はうとうと寝入《ねい》った人のように眼を半分閉じて口を半分|開《あ》けたまま千代子の膝《ひざ》の上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度|叩《たた》いたが、何の効目《ききめ》もなかった。
「叔母さん、大変だから来て下さい」
 母は驚ろいて箸《はし》と茶碗を放り出したなり、足音を立てて這入《はい》って来た。どうしたのと云いながら、電灯の真下で顔を仰向《あおむけ》にして見ると、唇《くちびる》にもう薄く紫の色が注《さ》していた。口へ掌《てのひら》を当てがっても、呼息《いき》の通う音はしなかった。母は呼吸《こきゅう》の塞《つま》ったような苦しい声を出して、下女に濡手拭《ぬれてぬぐい》を持って来さした。それを宵子の額に載《の》せた時、「脈《みゃく》はあって」と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手頸《てくび》を握ったが脈はどこにあるかまるで分らなかった。
「叔母さんどうしたら好いでしょう」と蒼《あお》い顔をして泣き出した。母は茫然《ぼうぜん》とそこに立って見ている小供に、「早く御父さんを呼んでいらっしゃい」と命じた。小供は四人《よつたり》とも客間の方へ馳《か》け出した。その足音が廊下の端《はずれ》で止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出て来た。「どうした」と云いながら、蔽《お》い被《かぶ》さるように細君と千代子の上から宵子を覗《のぞ》き込んだが、一目見ると急に眉《まゆ》を寄せた。
「医者は……」
 医者は時を移さず来た。「少し模様が変です」と云ってすぐ注射をした。しかし何の効能《ききめ》もなかった。「駄目でしょうか」という苦しく張りつめた問が、固く結ばれた主人の唇《くちびる》を洩《も》れた。そうして絶望を怖《おそ》れる怪しい光に充《み》ちた三人の眼が一度に医者の上に据《す》えられた。鏡を出して瞳孔《どうこう》を眺めていた医者は、この時宵子の裾《すそ》を捲《まく》って肛門《こうもん》を見た。
「これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうも御気の毒です」
 医者はこう云ったがまた一筒《いっとう》の注射を心臓部に試みた。固《もと》よりそれは何の手段にもならなかった。松本は透《す》き徹《とお》るような娘の肌に針の突き刺される時、自《おのず》から眉間《みけん》を険《けわ》しくした。千代子は涙をぽろぽろ膝の上に落した。
「病因は何でしょう」
「どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに云いようがないようです。どう考えても……」と医者は首を傾むけた。「辛子湯《からしゆ》でも使わして見たらどうですか」と松本は素人料簡《しろうとりょうけん》で聞いた。「好いでしょう」と医者はすぐ答えたが、その顔には毫《ごう》も奨励《しょうれい》の色が出なかった。
 やがて熱い湯を盥《たらい》へ汲《く》んで、湯気の濛々《もうもう》と立つ真中へ辛子《からし》を一袋|空《あ》けた。母と千代子は黙って宵子の着物を取り除《の》けた。医者は熱湯の中へ手を入れて、「もう少し注水《うめ》ましょう。余り熱いと火傷《やけど》でもなさるといけませんから」と注意した。
 医者の手に抱《だ》き取られた宵子は、湯の中に五六分|浸《つ》けられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見つめていた。「もう好いでしょう。余《あん》まり長くなると……」と云いながら、医者は宵子を盥《たらい》から出した。母はすぐ受取ってタオルで鄭寧《ていねい》に拭いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっとも前と変りがないので、「少しの間このまま寝かしておいてやりましょう」と恨《うら》めしそうに松本の顔を見た。松本はそれがよかろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。
 小《ち》さい蒲団《ふとん》と小さい枕がやがて宵子のために戸棚《とだな》から取り出された。その上に常の夜の安らかな眠に落ちたとしか思えない宵子の姿を眺《なが》めた千代子は、わっと云って突伏《つっぷ》した。
「叔母さんとんだ事をしました……」
「何も千代ちゃんがした訳じゃないんだから……」
「でもあたしが御飯を喫《た》べさしていたんですから……叔父さんにも叔母さんにもまことにすみません」
 千代子は途切《とぎ》れ途切れの言葉で、先刻《さっき》自分が夕飯《ゆうめし》の世話をしていた時の、平生《ふだん》と異ならない元気な様子を、何遍もくり返して聞かした。松本は腕組をして、「どうもやっぱり不思議だよ」と云ったが、「おい御仙《おせん》、ここへ寝かしておくのは可哀《かわい》そうだから、あっちの座敷へ連れて行ってやろう」と細君を促《うな》がした。千代子も手を貸した。

        五

 手頃な屏風《びょうぶ》がないので、ただ都合の好い位置を択《よ》って、何の囲《かこ》いもない所へ、そっと北枕に寝かした。今朝方《けさがた》玩弄《おもちゃ》にしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白い晒《さら》し木綿《もめん》をかけた。千代子は時々それを取り除《の》けて見ては泣いた。「ちょっとあなた」と御仙が松本を顧《かえり》みて、「まるで観音様《かんのんさま》のように可愛《かわい》い顔をしています」と鼻を詰らせた。松本は「そうか」と云って、自分の坐っている席から宵子の顔を覗《のぞ》き込んだ。
 やがて白木の机の上に、櫁《しきみ》と線香立と白団子が並べられて、蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》が弱い光を放った時、三人は始めて眠から覚《さ》めない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙の香《におい》が、二時間前とは全く違う世界に誘《いざ》ない込まれた彼らの鼻を断えず刺戟《しげき》した。ほかの子供は平生の通り早く寝かされた後《あと》に、咲子《さきこ》という十三になる長女だけが起きて線香の側《そば》を離れなかった。
「御前も御寝《おね》よ」
「まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね」
「もう来るだろう。好いから早く御寝」
 咲子は立って廊下へ出たが、そこで振り回《かえ》って、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖《こわ》いからいっしょに便所《はばかり》へ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯が点《つ》けてなかった。千代子は燐寸《マッチ》を擦《す》って雪洞《ぼんぼり》に灯《ひ》を移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋を覗《のぞ》いて見ると、飯焚《めしたき》が出入《でいり》の車夫と火鉢《ひばち》を挟《はさ》んでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。
 通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通夜《つや》をする人のために、わざと置火燵《おきごたつ》を拵《こし》らえて室《へや》に入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退《しり》ぞいた。その後《あと》で千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしく継《つ》いだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方|芭蕉《ばしょう》に落ちた響はもう聞こえない代りに、亜鉛葺《トタンぶき》の廂《ひさし》にあたる音が、非常に淋しくて悲しい点滴《てんてき》を彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てた晒《さらし》を取っては啜泣《すすりなき》をしているうちに夜が明けた。
 その日は女がみんなして宵子の経帷子《きょうかたびら》を縫った。百代子《ももよこ》が新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家《うち》の細君が二人ほど見えたので、小さい袖《そで》や裾《すそ》が、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯《すずり》とを持って廻って、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》という六字を誰にも一枚ずつ書かした。「市《いっ》さんも書いて上げて下さい」と云って、須永《すなが》の前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。
「細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。後《あと》から六字ずつを短冊形《たんざくがた》に剪《き》って棺《かん》の中へ散らしにして入れるんですから」
 皆《みん》な畏《かし》こまって六字の名号《みょうごう》を認《した》ためた。咲子は見ちゃ厭《いや》よと云いながら袖屏風《そでびょうぶ》をして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午過《ひるすぎ》になっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さしておやりな」と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱《だ》き起した。その背中には紫色《むらさきいろ》の斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠数《じゅず》を手にかけてやった。同じく小さい編笠《あみがさ》と藁草履《わらぞうり》を棺に入れた。昨日《きのう》の夕方まで穿《は》いていた赤い毛糸の足袋《たび》も入れた。その紐《ひも》の先につけた丸い珠《たま》のぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩具《おもちゃ》も足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊《たんざく》を雪のように振りかけた上へ葢《ふた》をして、白綸子《しろりんず》の被《おい》をした。

        六

 友引《ともびき》は善《よ》くないという御仙《おせん》の説で、葬式を一日延ばしたため、家《うち》の中は陰気な空気の裡《うち》に常よりは賑《にぎ》わった。七つになる嘉吉《かきち》という男の子が、いつもの陣太鼓《じんだいこ》を叩《たた》いて叱られた後《あと》、そっと千代子の傍《そば》へ来て、宵子《よいこ》さんはもう帰って来ないのと聞いた。須永《すなが》が笑いながら、明日《あした》は嘉吉さんも焼場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてしまうつもりだと調戯《からか》うと、嘉吉はそんなつもりなんか僕|厭《いや》だぜと云いながら、大きな眼をくるくるさせて須永を見た。咲子《さきこ》は、御母さんわたしも明日《あした》御葬式に行きたいわと御仙にせびった。あたしもねと九つになる重子《しげこ》が頼んだ。御仙はようやく気がついたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、「あなた、明日いらしって」と聞いた。
「行くよ。御前も行ってやるが好い」
「ええ、行く事にきめてます。小供には何を着せたらいいでしょう」
「紋付《もんつき》でいいじゃないか」
「でも余《あん》まり模様が派手だから」
「袴《はかま》を穿《は》けばいいよ。男の子は海軍服でたくさんだし。御前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい」
「持ってます」
「千代子、御前も持ってるなら喪服を着て供《とも》に立っておやり」
 こんな世話を焼いた後で、松本はまた奥へ引返した。千代子もまた線香を上げに立った。棺《かん》の上を見ると、いつの間にか綺麗《きれい》な花環《はなわ》が載《の》せてあった。「いつ来たの」と傍《そば》にいる妹の百代《ももよ》に聞いた。百代は小さな声で「先刻《さっき》」と答えたが、「叔母さんが小供のだから、白い花だけでは淋《さみ》しいって、わざと赤いのを交《ま》ぜさしたんですって」と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、「百代さんあなた宵子さんの死顔を見て」と聞いた。百代は「ええ」と首肯《うな》ずいた。
「いつ」
「ほら先刻《さっき》御棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ」
 千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと云ったら、二人で棺の葢《ふた》をもう一遍開けようと思ったのである。「御止しなさいよ、怖《こわ》いから」と云って百代は首をふった。
 晩には通夜僧《つやそう》が来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、三部経《さんぶきょう》がどうだの、和讃《わさん》がどうだのという変な話をしていた。その会話の中には親鸞上人《しんらんしょうにん》と蓮如上人《れんにょしょうにん》という名がたびたび出て来た。十時少し廻った頃、松本は菓子と御布施《おふせ》を僧の前に並べて、もう宜《よろ》しいから御引取下さいと断《こと》わった。坊さんの帰った後《あと》で御仙がその理由《わけ》を聞くと、「何坊さんも早く寝た方が勝手だあね。宵子だって御経なんか聴くのは嫌《きらい》だよ」とすましていた。千代子と百代子は顔を見合せて微笑した。
 あくる日は風のない明らかな空の下に、小いさな棺が静かに動いた。路端《みちばた》の人はそれを何か不可思議のものでもあるかのように目送《もくそう》した。松本は白張《しらはり》の提灯《ちょうちん》や白木《しらき》の輿《こし》が嫌だと云って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周囲《ぐるり》に垂れた黒い幕が揺れるたびに、白綸子《しろりんず》の覆《おい》をした小さな棺の上に飾った花環がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供が駆《か》け寄って来て、珍らしそうに車を覗《のぞ》き込んだ。車と行き逢った時、脱帽して過ぎた人もあった。
 寺では読経《どきょう》も焼香も形式通り済んだ。千代子は広い本堂に坐っている間、不思議に涙も何も出なかった。叔父叔母の顔を見てもこれといって憂《うれい》に鎖《とざ》された様子は見えなかった。焼香の時、重子が香《こう》をつまんで香炉《こうろ》の裏《うち》へ燻《くべ》るのを間違えて、灰を一撮《ひとつか》み取って、抹香《まっこう》の中へ打ち込んだ折には、おかしくなって吹き出したくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一二人棺につき添って火葬場へ廻ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢来《やらい》へ帰って来た。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨日《きのう》一昨日《おととい》の気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。

        七

 骨上《こつあげ》には御仙《おせん》と須永《すなが》と千代子とそれに平生《ふだん》宵子《よいこ》の守をしていた清《きよ》という下女がついて都合|四人《よつたり》で行った。柏木《かしわぎ》の停車場《ステーション》を下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずに宅《うち》から車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景色《けしき》も忘れ物を思い出したように嬉《うれ》しかった。眼に入るものは青い麦畠《むぎばたけ》と青い大根畠と常磐木《ときわぎ》の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々|後《うしろ》を振り返って、穴八幡《あなはちまん》だの諏訪《すわ》の森《もり》だのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指《ゆびさ》した。それには弘法大師《こうぼうだいし》千五十年|供養塔《くようとう》と刻《きざ》んであった。その下に熊笹《くまざさ》の生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂《たもと》をさも田舎路《いなかみち》らしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿が鮮《あざ》やかに千代子の眼を刺戟《しげき》した。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。
 火葬場は日当りの好い平地《ひらち》に南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、鍵《かぎ》は御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急に懐《ふところ》や帯の間を探り出した。
「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥《ようだんす》の上へ置いたなり……」
「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市《いっ》さんに取って来て貰うと好いわ」
 二人の問答を後《うしろ》の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものを袂《たもと》から出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永を窘《たし》なめた。
「市さん、あなた本当に悪《にく》らしい方《かた》ね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」
 須永はただ微笑して立っていた。
「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零《こぼ》すじゃなし」
「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」
「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気《のんき》な事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚《おぼえ》があって」
「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」
 御仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰をかけてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母の傍《そば》へ来て座に着いた。須永も続いて這入《はい》って来た。そうして二人の向側《むこうがわ》にある涼み台みたようなものの上に腰をかけた。清もおかけと云って自分の席を割《さ》いてやった。
 四人が茶を呑《の》んで待ち合わしている間《あいだ》に、骨上《こつあげ》の連中が二三組見えた。最初のは田舎染《いなかじ》みた御婆さんだけで、これは御仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多く利《き》かなかった。次には尻を絡《から》げた親子連《おやこづれ》が来た。活溌《かっぱつ》な声で、壺《つぼ》を下さいと云って、一番安いのを十六銭で買って行った。三番目には散髪《さんぱつ》に角帯を締《し》めた男とも女とも片のつかない盲者《めくら》が、紫の袴《はかま》を穿《は》いた女の子に手を引かれてやって来た。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、袂《たもと》から出した巻煙草《まきたばこ》を吸い始めた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上ってぷいと表へ出たぎりなかなか返って来なかった。ところへ事務所のものが御仙の傍へ来て、用意が出来ましたからどうぞと促《うな》がしたので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。

        八

 真鍮《しんちゅう》の掛札に何々殿と書いた並等《なみとう》の竈《かま》を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地《あきち》の隅《すみ》に松薪《まつまき》が山のように積んであった。周囲《まわり》には綺麗《きれい》な孟宗藪《もうそうやぶ》が蒼々《あおあお》と茂っていた。その下が麦畠《むぎばたけ》で、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒《うねうね》しているので、北側の眺《なが》めはことに晴々《はればれ》しかった。須永《すなが》はこの空地の端《はし》に立って広い眼界をぼんやり見渡していた。
「市《いっ》さん、もう用意ができたんですって」
 須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪《たけやぶ》は大変みごとだね。何だか死人《しびと》の膏《あぶら》が肥料《こやし》になって、ああ生々《いきいき》延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍《たけのこ》はきっと旨《うま》いよ」と云った。千代子は「おお厭《いや》だ」と云《い》い放《ぱなし》にして、さっさとまた並等《なみとう》を通り抜けた。宵子《よいこ》の竈《かま》は上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日《きのう》の花環が少し凋《しぼ》みかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜《ゆうべ》宵子の肉を焼いた熱気《ねっき》の記念《かたみ》のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊《おんぼう》が三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。畏《かしこ》まった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠《じょう》を抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開《あ》くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊《ひとかたまり》となって朧気《おぼろげ》に見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方に継《つ》ぎ足しておいて、鉄の環《かん》に似たものを二つ棺台の端《はし》にかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残《やけのこり》が四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供《おそなえ》に似てふっくらと膨《ふく》らんだ宵子の頭蓋骨《ずがいこつ》が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛《ハンケチ》を口に銜《くわ》えた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗《きれい》に篩《ふる》って持って参りましょう」と云った。
 四人《よつたり》は各自《めいめい》木箸《きばし》と竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨《はっこつ》を思い思いに拾っては、白い壺《つぼ》の中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白《あおしろ》い顔をして口も利《き》かず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎《あご》をくしゃくしゃと潰《つぶ》してその中から二三枚|択《よ》り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言《ひとりごと》のように云った。下女が三和土《たたき》の上にぽたぽたと涙を落した。御仙《おせん》と千代子は箸《はし》を置いて手帛《ハンケチ》を顔へ当てた。
 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱《だ》いてそれを膝《ひざ》の上に載《の》せた。車が馳《か》け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅《けやき》が白茶《しらちゃ》けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥《はる》か頭の上で交叉《こうさ》するほど繁《しげ》く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺《なが》めた。宅《うち》へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢《ふた》を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。
 やがて家内中同じ室《へや》で昼飯の膳《ぜん》に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。
「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝《ゆ》かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。
「非道《ひど》いわね」と重子が咲子に耳語《ささや》いた。
「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二《うりふた》つのような子を拵《こしら》えてちょうだい。可愛《かわい》がって上げるから」
「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡《な》くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」
「己《おれ》は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭《いや》になった」


     須永の話

        一

 敬太郎《けいたろう》は須永《すなが》の門前で後姿《うしろすがた》の女を見て以来、この二人を結びつける縁《えん》の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂《におい》があるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺《なが》める時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟《しげき》を与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果《いんが》のごとくに繋《つな》いだ。田口の家《うち》へ出入《でいり》するようになってからも、須永と千代子の関係については、一口《ひとくち》でさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直《じか》に観察しても尋常の従兄弟《いとこ》以上に何物も仄《ほの》めいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想《れんそう》に支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対《いっつい》の男女《なんにょ》として認める傾きを有《も》っていた。女の連添《つれそ》わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損《そこ》なった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。
 それはこむずかしい理窟《りくつ》だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻《ひね》ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯《さえき》から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏《まと》まらない先から、奥の委《くわ》しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然《ばくぜん》とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭《めいりょう》な答はでき悪《にく》いんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪《しゃく》に障《さわ》るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣《きづかい》がないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶《あいさつ》をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。
 これは敬太郎が須永の宅《うち》で矢来《やらい》の叔父さんの家《うち》にあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人《なんびと》と結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易《たやす》く右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻《まぼろ》しに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々《めいめい》のうちに繋《つな》ぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然《しか》るべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固《もと》よりそれは単なる物数奇《ものずき》に過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。

        二

 その日は生憎《あいにく》千代子に妨たげられた上、しまいには須永《すなが》の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎《けいたろう》は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑《しゅうとめ》になり終《おお》せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏《まと》めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
 次の日曜がまた幸いな暖かい日和《ひより》をすべての勤《つと》め人《にん》に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘《いざ》なおうとした。無精《ぶしょう》でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿《は》かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切《はっきり》した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
 この日彼らは両国から汽車に乗って鴻《こう》の台《だい》の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤《どて》の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々《はればれ》した好い気分になって、水だの岡だの帆《ほ》かけ船《ぶね》だのを見廻した。須永も景色《けしき》だけは賞《ほ》めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴《つ》れ出した敬太郎を恨《うら》んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆《あき》れたような顔をして跟《つ》いて来た。二人は柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の傍《そば》まで来て、川甚《かわじん》という家《うち》へ這入《はい》って飯を食った。そこで誂《あつ》らえた鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》が甘《あま》たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻《さっき》から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢《ぜいたく》なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎《いなか》ものだって云うだろう」
 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌《ぶあいきょう》なものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後《あと》は二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目《まじめ》になったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟《へんくつ》に傾くじゃないか」と調戯《からか》っても、須永は「どうも自分ながら厭《いや》になる事がある」と快よく己《おの》れの弱点を承認するだけであった。
 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透《みとお》して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂《うわさ》を皮切《かわきり》に須永を襲《おそ》った。その時須永は少しも昂奮《こうふん》した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨《うま》く纏《まと》まればいいが」と答えたが、急に口調《くちょう》を更《か》えて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐《ちんぷ》らしそうに説明して聞かせた。
「君は貰《もら》う気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
 話しはこんな風に、御互で引き摺《ず》るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際《きわ》どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更《か》えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖《ステッキ》を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側《えんがわ》へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇《へび》の頭を須永に見せた。

        三

 須永《すなが》の話は敬太郎《けいたろう》の予期したよりも遥《はる》かに長かった。――
 僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温《あた》たかい肉の塊《かたま》りに対する情《なさけ》は、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親を懐《なつ》かしいと思う心はその後《ご》だいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事も稀《まれ》ではない。一言《いちごん》でいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝《すぐ》れない、親しみの薄い、厳格な表情に充《み》ちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡の裏《うち》に見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌《ようぼう》と大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭《いや》な印象を、傍《はた》の人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝《いんうつ》な眉《まゆ》や額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯《たくわ》えていたのではなかろうかと考えると、父の記念《かたみ》として、彼の悪い上皮《うわかわ》だけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介《やっかい》にならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更《いまさら》改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言《こごと》をまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。
 父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際《まぎわ》になって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰《てもちぶさた》だから、一人|縁側《えんがわ》へ出て、蒼《あお》い空を覗《のぞ》き込むように眺《なが》めていると、白無垢《しろむく》を着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、供《とも》に立つものはみんな向《むこう》の方で混雑《ごたごた》していたので、傍《はた》には誰も見えなかった。母は突然《いきなり》自分の坊主頭へ手を載《の》せて、泣き腫《は》らした眼を自分の上に据《す》えた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡《おな》くなりになっても、御母さんが今まで通り可愛《かわい》がって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親《ふたおや》に対する僕の記憶を、生長の後《のち》に至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後《のち》しだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向って直《じか》に問い糺《ただ》して見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気が摧《くじ》けてしまうのが例《つね》であった。そうして心の中《うち》のどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子《おやこ》が離れ離れになって、永久今の睦《むつ》ましさに戻る機会はないと僕に耳語《ささや》くものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目《まじめ》な顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いに紛《まぎ》らしそうなので、そう剥《は》ぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。
 僕は母に対してけっして柔順な息子《むすこ》ではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆《さか》らった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができた後《あと》でも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子《おやこ》は生れて以来の母子で、この貴《たっ》とい観念を傷つけられた覚《おぼえ》は、重手《おもで》にしろ浅手《あさで》にしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕《はんこん》を遺《のこ》さなければすまない瘡《きず》を受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖《いふ》の念は神経質に生れた僕の頭で拵《こし》らえるのかも知れないとも疑《うたぐ》って見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。

        四

 父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまだ妻《さい》を貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲の善《い》い夫婦でも、時々は気不味《きまず》い思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点《しみ》を双方の胸の裏《うち》に見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人|苦《にが》く味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖《かんぺき》の強い割に陰性な男だったし、母は長唄《ながうた》をうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分《たち》なので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らの宅《うち》ほど静かに整《とと》のった家庭は滅多《めった》に見当らなかったのである。あのくらい他《ひと》の悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違《まちがい》ないものと信じ切っている。
 母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾《ふきん》をかけてだんだん光沢《つや》を出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充《み》ちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕が目《ま》のあたりに見ているあの柔和《にゅうわ》な母が、どうしてこう真面目《まじめ》になれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象《きしょう》で僕を打ち据《す》える事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請《せび》って同じ話をくり返して貰《もら》っても、そんな気高《けだか》い気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるで荒《すさ》み果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪《のろ》いたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいという望《のぞみ》を起すが、同時にその望みがとても遂《と》げられない過去の夢であるという悲しみも湧《わ》いて来る。
 母の性格は吾々《われわれ》が昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支《さしつかえ》ない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜《よろこび》はないのである。が、もしその僕が彼女の意に背《そむ》く事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。
 思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分に妙《たえ》ちゃんという妹《いもと》と毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布《ひふ》を平生《ふだん》着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父の亡《な》くなる何年前かに実扶的里亜《ジフテリア》で死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕は固《もと》より実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。宅《うち》へ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯《からか》われて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことに穏《おだや》かだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小《ち》さい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、初《はじめ》から覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計に他《ひと》を知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察に価《あたい》しないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。

        五

 だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日《こんにち》まで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安《めやす》に人を採《と》る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨《うらや》ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選《にんせん》の依託《いたく》を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有《も》っている。それだのに僕は動かなかった。固《もと》より自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込《ひっこ》み思案《じあん》なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃《はや》されたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏《まと》っていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修《おさ》めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性《しょう》に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺《のこ》して行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐《すわ》らないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。
 母は昔堅気《むかしかたぎ》の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務《つとめ》だというような考えを、何より先に抱《いだ》いている。しかし彼女の家名を揚《あ》げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然《ばくぜん》と、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後《あと》を追って門前に輻湊《ふくそう》するぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚《けが》さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰《もら》えるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。
 僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯《た》めずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私《ひそ》かに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯《さかの》ぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利《はばきき》でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹《いもと》に当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固《もと》より僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折《おり》快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一《ごいち》という男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。

        六

 とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆《きずな》があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固《もと》より天に上《あが》る雲雀《ひばり》のごとく自由に生長した。絆を綯《な》った人でさえ確《しか》とその端《はし》を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
 母は僕の高等学校に這入《はい》った時分それとなく千代子の事を仄《ほの》めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻《さい》という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩《けんか》をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟《しげき》を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠《しょうこ》には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒《おこ》ろうが泣こうが、科《しな》をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄《いとこ》に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象《きしょう》を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女《なんにょ》の牆壁《しょうへき》が取り除《の》けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜《よ》かろうと思う。
 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家《はにかみや》と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐《ふところ》に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥《はにか》んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力《つと》めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂《にお》わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱《だ》いたまま一人で温《あたた》めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂《うわさ》のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人《おとな》らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧《ていねい》に吟味《ぎんみ》する余裕《よゆう》ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹《いとこ》は血属だから厭《いや》だと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私《わたし》の好きな子で、御前も嫌《きら》うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利《き》かないような挨拶《あいさつ》をして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭《いや》かと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔《むか》し田口が父の世話になったり厄介《やっかい》になったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏《うち》に一縷《いちる》の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
 こういう事情で、今まで母一人で懐《ふところ》に抱《だ》いていた問題を、その後《のち》は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵《かえ》しつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。

        七

 僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺《あざ》むいてその日その日を姑息《こそく》に送っているような気がしてすまなかった。一頃《ひところ》は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰《もら》ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎《うと》んずるような素振《そぶり》を口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐《あわ》れむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾《かたむき》が著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白《あおしろ》い顔色とを婿《むこ》として肯《うけ》がわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質《たち》だから、物を誇大に考え過したり、要《い》らぬ僻《ひが》みを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委《くわ》しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚《はば》かりたい。ただ一言《いちごん》で云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後《ご》彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚《ぼ》けかかった空《むな》しい義理の抜殻《ぬけがら》を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支《さしつかえ》ないのである。
 僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
「市《いっ》さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくって優《やさ》しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手《きて》はあるまいな」
 僕が苦笑しながら、自《みずか》ら嘲《あざ》けるごとくこう云った時、今まで向うの隅《すみ》で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘《たし》なめるようなまた怖《おそ》れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍《そば》にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具《そな》えない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
 この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑《いさぎ》よしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩《も》らし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでも蟠《わだか》まりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳《わけ》なら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、私《ひそ》かに掛念《けねん》を抱《いだ》いたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得る極《きわ》めて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。

        八

 意地の強い僕は母を嬉《うれ》しがらせるよりもなるべく自我を傷《きずつ》けないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪《めい》や甥《おい》の中で、取り分け千代子を可愛《かわい》がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊《ねとま》りに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的|疎《うと》くなった今日《こんにち》でも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生《うみ》の親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入《でいり》をしていた。単純な彼女は、自分の身を的《まと》に時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨《うら》めしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。
 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞《ふさ》いでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我《が》を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌《きざ》すので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉《まゆ》を曇らすのがただ情《なさけ》ないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少|抑《おさ》えたのである。
 それで僕は千代子に関して何という明瞭《めいりょう》な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会《たま》には単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走《ごちそう》するからと引止められて、夕飯の膳《ぜん》についた。いつも留守《るす》がちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作《きさく》な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子《しょうじ》に響くくらい家の中が賑《にぎ》わった。飯が済んだ後《あと》で、叔父はどういう考か、突然僕に「市《いっ》さん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退《しりぞ》いた。二人はそこで二三番打った。固《もと》より下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石《ごいし》を片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草《たばこ》を呑《の》みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏《まと》まりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇《ちゅうちょ》もなくこう云った。――
「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」
 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々|真面目《まじめ》になって叔母さんにその話をするそうだ」
 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣《よな》れた人の巧妙な覚《さと》らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚《おろか》だと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣《よな》れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。

        九

 それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念《けねん》だけが問題なら、あるいは僕の気随《きずい》をいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻《ひる》がえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力《つと》め出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々《ぜんぜん》形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場《ひとちょうば》先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居を跨《また》ぎ出した。
 彼らの僕を遇する態度に固《もと》より変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとは故《もと》のごとく笑ったり、ふざけたり、揚足《あげあし》の取りっくらをしたりした。要するに僕の田口で費《つい》やした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかに偽《いつわり》の影が射して、本来の自分を醜く彩《いろど》っていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚《おぼえ》がただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃《そろ》って遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪《かぜ》を引いたと見えて、咽喉《のど》に湿布をしていた。常にも似ない蒼《あお》い顔色も淋《さび》しく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めて皆《みんな》出払った事に気がついた。
 その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑《いど》まなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否《いな》や、優しい慰藉《いしゃ》の言葉を口から出す気もなく自《おのず》から出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰《もら》ったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌《ぶあいきょう》に振舞っても差支《さしつかえ》ないものと暗《あん》に自《みず》から許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中《うち》にどこか嬉しそうな色の微《かす》かながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
 二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互の唇《くちびる》から当時を蘇生《よみがえ》らせる便《たより》として洩《も》れた。僕は千代子の記憶が、僕よりも遥《はる》かに勝《すぐ》れて、細かいところまで鮮《あざ》やかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったまま袴《はかま》の綻《ほころび》を彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸《もめんいと》でなくて絹糸であった事も知っていた。
「あたしあなたの描《か》いてくれた画《え》をまだ持っててよ」
 なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやった覚《おぼえ》があった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好《たしなみ》は、それから以後|今日《こんにち》に至るまで、ついぞ画筆《えふで》を握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟《しげき》が、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。
「見せて上げましょうか」
 僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分の室《へや》から僕の画を納めた手文庫を持って来た。

        十

 千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿《つばき》だの、紫《むらさき》の東菊《あずまぎく》だの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉《かき》の写生に過ぎなかったが、要《い》らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費を厭《いと》わずに、細かく綺麗《きれい》に塗り上げた手際《てぎわ》は、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。
「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」
 千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳《ひとみ》を僕の上にじっと据《す》えていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯《うけが》った。
「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」
「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」
 僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応《こた》えそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那《せつな》すでに涙の溢《あふ》れそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。
「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
 彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直《じき》に行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
 彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日《いちじつ》も早く彼女の縁談が纏《まと》まれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪《なみ》を打った。そうして毛穴から這《は》い出すような膏汗《あぶらあせ》が、背中と腋《わき》の下を不意に襲《おそ》った。千代子は文庫を抱《だ》いて立ち上った。障子《しょうじ》を開けるとき、上から僕を見下《みおろ》して、「嘘《うそ》よ」と一口|判切《はっきり》云い切ったまま、自分の室《へや》の方へ出て行った。
 僕は動く考《かんがえ》もなく故《もと》の席に坐っていた。僕の胸には忌々《いまいま》しい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄《ほんろう》に対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解り悪《にく》い怖《こわ》いものなのだろうかと考えて、しばらく茫然《ぼうぜん》としていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄《か》れて、咽喉《のど》が痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」
 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈《まえこご》みになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独《ひと》り彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶《あいさつ》を大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽《こっけい》も構わず暇がかかるのも厭《いと》わず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発《ちょうはつ》するような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲《こご》んだまま、おいちょいとそれを御貸《おかし》と声をかけて左手を真直《まっすぐ》に千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々《いやいや》をして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――

        十一

 こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその後《ご》何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉《つら》まえられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆《そそ》のかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段を憚《はば》からなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害で割《さ》く事のできない愛に陥《おちい》っていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。
 田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧《いれぢえ》同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利《イタリア》で一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりも遥《はる》かに興味が多かった。その話はこうである。――
 ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席に群《むら》がるすべての人から多大の尊敬と愛嬌《あいきょう》をもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊《はいかい》しているうち、どういう機会《はずみ》か自分の手巾《ハンケチ》を足の下《もと》へ落した。混雑の際と見えて、彼は固《もと》より、傍《はた》のものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床《ゆか》の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌《あいきょう》が必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉《ストーヴ》の傍《そば》まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩《も》らした。
 僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有《も》った以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉《まゆ》を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
 口の悪い松本の叔父はこの姉妹《きょうだい》に渾名《あだな》をつけて常に大蝦蟆《おおがま》と小蝦蟆《ちいがま》と呼んでいる。二人の口が唇《くちびる》の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口《がまぐち》だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇《ちいがま》はおとなしくって好いが、大蟇《おおがま》は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑《うたがい》を挟《さしは》さみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵《かく》しているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有《も》っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻《いなずま》に打たれたような思いをする。当りの強く烈《はげ》しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊《かた》まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺《とげ》だの毒だの腐蝕剤《ふしょくざい》だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈《はげ》しく怒《おこ》られても、僕は彼女から清いもので自分の腸《はらわた》を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高《けだか》いものに出会ったという感じさえ稀《まれ》には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。

        十二

 これほど好《よ》く思っている千代子を妻《さい》としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時|理由《わけ》も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強《し》いて沈黙のなかに記憶を埋《うず》める必要もないから、それを自分だけの感想に止《とど》めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪《た》えられないだろう。その光は必ずしも怒《いかり》を示すとは限らない。情《なさけ》の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰《かっこう》の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦《いすく》められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸《げこ》として、今日《こんにち》まで世間から教育されて来たのである。
 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦《てんぷ》の感情を、あるに任せて惜気《おしげ》もなく夫の上に注《つ》ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然《しか》るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指《さ》す事のできる権力か財力を攫《つか》まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支《さしつかえ》ないのである。僕は今云った通り、妻《さい》としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻《くす》ぶった性質《たち》なのだが、よし焼石に水を濺《そそ》いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重《はぶたえ》の足袋《たび》で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想《おも》い出す。叔父は素人《しろうと》学問ながらこんな方面に興味を有《も》っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕《つら》まえて「御前のような感情家は」と暗《あん》に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労《とりこしぐろう》をするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧《わ》き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人《いちにん》である。だから恐れる僕を軽蔑《けいべつ》するのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐《あわ》れむのである。否《いな》時によると彼女のために戦慄《せんりつ》するのである。

        十三

 須永《すなが》の話の末段は少し敬太郎《けいたろう》の理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍《はた》から彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価《あたい》しないくらいに見限《みかぎ》っていた。その上彼は理窟《りくつ》が大嫌《だいきら》いであった。右か左へ自分の身体《からだ》を動かし得ないただの理窟は、いくら旨《うま》くできても彼には用のない贋造紙幣《がんぞうしへい》と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占《つじうら》に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤《うるお》った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。
 須永もそこに気がついた。
「話が理窟張《りくつば》ってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌《しゃべ》っているものだから」
「いや構わん。大変面白い」
「洋杖《ステッキ》の効果《ききめ》がありゃしないか」
「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」
「もう無いよ」
 須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然《はっきり》しない雲の峰のように、頭の中に聳《そび》えて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前に坐《すわ》っている須永自身も、平生の紋切形《もんきりがた》を離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定《かんじょう》を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。
 柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の境内《けいだい》に来た時、彼らは平凡な堂宇《どうう》を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場《ステーション》へ来ると、間怠《まだ》るこい田舎《いなか》汽車の発車時間にはまだだいぶ間《ま》があった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯《たて》に須永から聞かして貰ったものである。――
 僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅《うち》の二階に籠《こも》ってこの暑中をどう暮らしたら宜《よ》かろうと思案していると、母が下から上《あが》って来て、閑《ひま》になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺《うみべ》を好まない性質《たち》なので、一家《いっけ》のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容《い》れて、材木座にある、ある人の邸宅《やしき》を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞《いとまごい》かたがた報知《しらせ》に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖《がけ》の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居《すまい》だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍《そば》で聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養《きぼよう》になってよかろうと忠告した。母は懐《ふところ》から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟《へんくつ》な僕からいうと、そう混雑《ごたごた》した所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒で厭《いや》だった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。

        十四

 母は内気な性分なので平生《へいぜい》から余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由が利《き》くようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅《うち》を空《あ》けたりする便宜《べんぎ》を有《も》たない彼女は、母子《おやこ》二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。
 鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄《かばん》を携《たずさ》えて直行《ちょっこう》の汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁《ひんぱん》な経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生《ふだん》よりは生々《いきいき》していた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場《ステーション》には誰も迎《むかえ》に来ていなかったが、車を雇うとき某《なにがし》さんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中《はたなか》の黄色い花を美くしく眺《なが》めた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣《おもむき》を具《そな》えた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句《あげく》、突然|唐茄子《とうなす》だと気がついたので独《ひと》りおかしがった。
 車が別荘の門に着いた時、戸障子《としょうじ》を取り外《はず》した座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣《ゆかた》を着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日《きのう》あたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入《い》って結構だとか、年寄の女だけに口数《くちかず》の多い挨拶《あいさつ》のやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干《さぼ》してくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程《みちのり》のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭《てぬぐい》を絞《しぼ》って金盥《かなだらい》の底を見ていると、たちまち砂のような滓《おり》が澱《おど》んだ。
「これを御使いなさい」という千代子の声が突然|後《うしろ》でした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍《そば》にある鏡台の抽出《ひきだし》から櫛《くし》を出してくれた。僕が鏡の前に坐《すわ》って髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体《からだ》を持たして、僕の濡《ぬ》れた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪《やぶ》から棒に後《うしろ》から彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。
「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日《おととい》また用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」
「ここにゃいないのかい」
「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方|吾一《ごいち》さんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」
 千代子は明日《あした》もし天気が好ければ皆《みんな》と魚を漁《と》りに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻《さっき》見た浴衣《ゆかた》がけの男の居所が知りたかった。

        十五

「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」
「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」
 僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校|朋輩《ほうばい》に高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮《と》った写真で知っていた。手蹟《しゅせき》も絵端書《えはがき》で見た。一人の兄が亜米利加《アメリカ》へ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。
「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。
「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。
「ええ」
 二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日《あす》魚を漁《と》りに行く時の楽みを、今|眼《ま》の当りに描《えが》き出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。
「高木さんもいらっしゃるんでしょう」
「市《いっ》さんもいらっしゃい」
 僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅《うち》に用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑《ごたごた》しているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹《きょうだい》の知っている高木という男に会うのが厭《いや》だった。彼は先刻《さっき》まで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃《のが》れて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖《こわ》がる性分なのである。
 僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍起《やっき》になった。彼女は僕を捉《つら》まえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対しては遥《はる》かに自由な言葉を使い得る特権を有《も》っていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に(ある時は善意ではあるが)威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君《タイラント》を羨《うらや》ましがっていた。
「えらい権幕《けんまく》だね」
「あなたは親不孝よ」
「じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね」
 百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人から齎《もた》らした返事もここに述べるのは蛇足《だそく》に過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。
 僕はやがてちょっと町へ出て来るという口実《いいまえ》の下《もと》に、午後の暑い日を洋傘《こうもり》で遮《さえ》ぎりながら別荘の附近を順序なく徘徊《はいかい》した。久しく見ない土地の昔を偲《しの》ぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんな寂《さ》びた心持を嬉《うれ》しがる風流があったにしたところで、今はそれに耽《ふけ》る落ちつきも余裕《よゆう》も与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平屋建《ひらやだて》の門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前に佇《たたず》んだ。それから後《あと》は全く何の目的もなしになお緩漫《かんまん》な歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。

        十六

 実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口の家《うち》に足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にも上《のぼ》らなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居《すまい》に何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒《おか》して外出したのだろう。僕は今日《こんにち》までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体《からだ》を動かしに来たという漠《ばく》たる感じが胸に射《さ》したばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、紛《まぎ》れもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。
 僕が別荘へ帰って一時間|経《た》つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀《ていねい》にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊《しま》った血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気に充《み》ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落《しゃれ》としか受取られなかった。
 二人の容貌《ようぼう》がすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対《おうたい》ぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹《いとこ》とか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲《ま》かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己《おのれ》を取扱かう術《すべ》を心得ていたのである。知らない人を怖《おそ》れる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏に棄《す》てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除《の》け物《もの》にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎《あいにく》僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染《おさななじみ》に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂《おうわさ》をしていたところでしたと云った。
 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨《うらや》ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎《にく》み出した。そうして僕の口を利《き》くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。
 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻《ひが》みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質《たち》だから、結局|他《ひと》に話をする時にもどっちと判然《はっきり》したところが云い悪《にく》くなるが、もしそれが本当に僕の僻《ひが》み根性《こんじょう》だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]《しっと》が潜《ひそ》んでいたのである。

        十七

 僕は男として嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]を起す機会を有《も》たなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極《しごく》太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚《おぼえ》はなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗《きれい》な顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。会《たま》にはその所有者になって見たいと云う考《かんがえ》も起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、酔《よい》が去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念《しゅうね》く美くしい人に附纏《つけまつ》わらせないものは、まさにこの酒に棄《す》てられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然|老人《としより》か坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥《おちい》る。が、あるいはそれがために恋の嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。
 僕は普通の人間でありたいという希望を有《も》っているから、嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、眼《ま》の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われた試《ためし》がなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]心を抑《おさ》えつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]心を抱《いだ》いて、誰にも見えない腹の中で苦悶《くもん》し始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らに跟《つ》いて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳を拵《こしら》えて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますます眉《まゆ》を暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕は固《もと》より応じなかった。高木の面前から一刻も早く逃《のが》れる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでに厭《いや》であった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上を眺《なが》めていた。姉妹《きょうだい》は笑いながら立ち上った。
「相変らず偏窟《へんくつ》ねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」
 千代子にこう罵《のの》しられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側《えんがわ》へ出て、二人のために菅笠《すげがさ》のように大きな麦藁帽《むぎわらぼう》を取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶《あいさつ》をした。
 二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気に充《み》ちた身体《からだ》を暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独言《ひとりごと》のように云って、不意に思い出したごとく、玉《たま》はどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活溌《かっぱつ》に動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹《きょうだい》のいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕は坐《すわ》っている席を動かなかった。

        十八

 高木の去った後《あと》、母と叔母はしばらく彼の噂《うわさ》をした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云って賞《ほ》めていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得た極《きわ》めて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜米利加《アメリカ》帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利《イギリス》で教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなく品《ひん》の善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。
 二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口を利《き》かなかった。ただ上部《うわべ》から見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨《うら》めしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。
 前後の模様から推《お》すだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話《うちあけばなし》を、僕ら母子《おやこ》に向って、相談とも宣告とも片づかない形式の下《もと》に、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠《うと》い母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹《きょうだい》は浜から広い麦藁帽《むぎわらぼう》の縁《ふち》をひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁《もどか》しがらせたのも嘘《うそ》ではない。
 夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場《ステーション》に迎えるべく母に命ぜられて家《いえ》を出た。彼らは揃《そろい》の浴衣《ゆかた》を着て白い足袋《たび》を穿《は》いていた。それを後《うしろ》から見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画《え》として普通以上にどんなに価《あたい》が高かったろう。僕は母を欺《あざ》むく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。
 途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止《と》めたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻《さっき》誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡《ためら》った。
「市《いっ》さんあなた時計持っていらしって。今何時」
 僕は時計を出して百代子に見せた。
「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」
「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたって詫《あや》まったらそれで好《よ》かないの」
 姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入《はい》って来て、姉妹に、どうも非道《ひど》い、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想《あいそ》の好い挨拶《あいさつ》をした。

        十九

 その晩は叔父と従弟《いとこ》を待ち合わした上に、僕ら母子《おやこ》が新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後《おく》れたばかりでなく、私《ひそ》かに恐れた通りはなはだしい混雑の中《うち》に箸《はし》と茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市《いっ》さんまるで火事場のようだろう、しかし会《たま》にはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静な膳《ぜん》に慣れた母は、この賑《にぎ》やかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上《のぼ》った一塩《ひとしお》にした小鰺《こあじ》の焼いたのを美味《うま》いと云ってしきりに賞《ほ》めた。
「漁師《りょうし》に頼んどくといくらでも拵《こしら》えて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐ腐《わる》くなるんでね」
「わたしもいつか大磯《おおいそ》で誂《あつら》えてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」
「腐るの」千代子が聞いた。
「叔母さん興津鯛《おきつだい》御嫌《おきらい》。あたしこれよか興津鯛の方が美味《おいし》いわ」と百代子が云った。
「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。
 こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩《ひとしお》の小鰺《こあじ》を好いていたからでもある。
 ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好《しこう》や性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方|有《も》っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似《まね》をしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺《ただ》して見ても判切《はっきり》云えなかったのだから、理由《わけ》は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具《そな》えているなら僕は大変|嬉《うれ》しかった。長所でも母になくって僕だけ有《も》っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継《つ》いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。
 食事の後《おく》れた如《ごと》く、寝る時間も順繰《じゅんぐり》に延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数《にんず》が増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折《ひとほねおり》であった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳《かや》に寝た。叔父は肥《ふと》った身体《からだ》を持ち扱かって、団扇《うちわ》をしきりにばたばた云わした。
「市《いっ》さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」
 僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉|下《くだ》りまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。
「これも一興《いっきょう》だ」
 疑問は叔父の一句でたちまち納《おさま》りがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日《あした》の魚捕《さかなとり》の事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目《まじめ》だか冗談《じょうだん》だか、船に乗りさえすれば、魚の方で風《ふう》を望《のぞ》んで降《くだ》るような旨《うま》い話をして聞かせた。それがただ自分の伜《せがれ》を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手《ききて》にするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶《あいさつ》をする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人《いちにん》として受答《うけこたえ》をするようになっていた。僕は固《もと》より行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声《いびき》をかき始めた。吾一もすやすや寝入《ねい》った。ただ僕だけは開《あ》いている眼をわざと閉じて、更《ふ》けるまでいろいろな事を考えた。

        二十

 翌日《あくるひ》眼が覚《さ》めると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路《みち》を辿《たど》りながら、時々別種の人間を偸《ぬす》み見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺《なが》めた。そうして僕も寝ている時は、傍《はた》から見ると、やはりこう苦《く》がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入《はい》って来て、市《いっ》さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促《うな》がすので、起き上って縁側《えんがわ》へ出ると、海の方には一面に柔かい靄《もや》の幕がかかって、近い岬《みさき》の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺《なが》め出したが、少し降ってると答えた。
 彼は今日の船遊びの中止を深く気遣《きづか》うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当《あて》にならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場《ふろば》の方へ行った。
 食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏《おだ》やかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆《おばあ》さんだけ残して、若いものが揃《そろ》って出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺《おじい》さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。
「今日はこれでも若いものの部だよ」
 叔父はこの言葉を証拠立《しょうこだ》てるためだか何だか、さっそく立って浴衣《ゆかた》の尻を端折《はしょ》って下へ降りた。姉弟《きょうだい》三人もそのままの姿で縁から降りた。
「御前達も尻を捲《まく》るが好い」
「厭《いや》な事」
 僕は山賊のような毛脛《けずね》を露出《むきだ》しにした叔父と、静御前《しずかごぜん》の笠《かさ》に似た恰好《かっこう》の麦藁帽《むぎわらぼう》を被《かぶ》った女二人と、黒い兵児帯《へこおび》をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺《なが》めた。
「市《いっ》さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。
「市さんに悪い下駄《げた》を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。
 僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足《かけあし》で迎《むかえ》に行って連れて来る事にした。
 叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹《きょうだい》を乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後《おく》れた事にいっこう頓着《とんじゃく》しない様子で、毫《ごう》も追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざと後《あと》から来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作《しょさ》だったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図を止《や》めてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪《こつぼ》へ這入《はい》る入口の岬《みさき》の所まで来た。そこは海へ出張《でば》った山の裾《すそ》を、人の通れるだけの狭い幅《はば》に削《けず》って、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。

        二十一

 彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後《うしろ》を振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎《とが》めると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪《いのしし》のように堅くなって後へ回らなかったのである。
 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被《かぶ》っていた麦藁帽《むぎわらぼう》を右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古《けいこ》でもしたものと見えて、海と崖《がけ》に反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。
 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後《のち》も呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上《あが》って来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套《がいとう》のようなものを着て時々|隠袋《ポッケット》へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺《なが》めていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除《レインコート》である事に気がついた。その時叔父が突然、市《いっ》さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚《あし》の下を見た。すると磯《いそ》に近い所に、真白に塗った空船《からぶね》が一|艘《そう》、静かな波の上に浮いていた。糠雨《ぬかあめ》[#「糠雨」は底本では「糖雨」]とまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈《ぼか》されて、平生《いつも》なら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色《ひといろ》に眺《なが》められた。そのうち四人《よつたり》はようやく僕らの傍《そば》まで来た。
「どうも御待たせ申しまして、実は髭《ひげ》を剃《す》っていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳《いいわけ》をした。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。
「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻《ばんから》なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套《レインコート》の下に、直《じか》に半袖《はんそで》の薄い襯衣《シャツ》を着て、変な半洋袴《はんズボン》から余った脛《すね》を丸出しにして、黒足袋《くろたび》に俎下駄《まないたげた》を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女《レデー》の前でも気兼《きがね》がなくって好いと云っていた。
 一同がぞろぞろ揃《そろ》って道幅の六尺ばかりな汚苦《むさくる》しい漁村に這入《はい》ると、一種不快な臭《におい》がみんなの鼻を撲《う》った。高木は隠袋《ポッケット》から白い手巾《ハンケチ》を出して短かい髭の上を掩《おお》った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅《うち》はどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕《ゆうべ》聞き合せに人をやった家《うち》の主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気《のんき》な教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨《うらや》ましく思った。
「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。
「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。
「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。
 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠《あみがさ》を被《かぶ》って白い手甲《てっこう》と脚袢《きゃはん》を着けた月琴弾《げっきんひき》の若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問《とい》をかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易《たやす》く教えてくれたので、みんながまた手を拍《う》って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺《わらぶき》の家であった。

        二十二

 この細い石段を思い思いの服装《なり》をした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍《はた》で見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭《はっきり》した考を有《も》っていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心《かんじん》の叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまで漕《こ》いで出るのかいっこう弁別《わきま》えないらしかった。百代子の後《あと》から足の力で擦《す》り減《へ》らされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己《おの》れを委《ゆだ》ねて悔いないところを、避暑の趣《おもむき》とでも云うのかと思いつつ上《のぼ》った。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間に暗《あん》に演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分の務《つと》めなければならない役割がもしあるとすれば、穏《おだや》かな顔をした運命に、軽く翻弄《ほんろう》される役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作《むぞうさ》にやって除《の》ける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際《てぎわ》を有《も》った作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐ後《あと》から跟《つ》いて上《あが》って来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙《ごめんこうむ》って雨防衣《レインコート》を脱ごうと云い出した。
 家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子《しゃくし》が一つ打ちつけてあって、それに百日風邪《ひゃくにちかぜ》吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬《めざと》い吾一の手柄であった。中を覗《のぞ》くと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上を指《さ》した。靄《もや》はまだ晴れなかったけれども、先刻《さっき》よりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的|判切《はっきり》見える中に、指された船は遠くの向うに小さく横《よこた》わっていた。
「あれじゃ大変だ」
 高木は携《たずさ》えて来た双眼鏡を覗《のぞ》きながらこう云った。
「随分|呑気《のんき》ね、迎《むか》いに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。
 婆さんは何|直《じき》ですと答えて、草履《ぞうり》を穿《は》いたまま、石段を馳《か》け下りて行った。叔父は田舎者《いなかもの》は気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんの後《あと》を追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪《いつつぼ》にも足りなかった。隅《すみ》に無花果《いちじく》が一本あって、腥《なま》ぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実《み》が云訳《いいわけ》ほど結《な》って、その一本の股《また》の所に、空《から》の虫籠《むしかご》がかかっていた。その下には瘠《や》せた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中を餓《う》えた嘴《くちばし》でつついていた。僕はその傍《そば》に伏せてある鉄網《かなあみ》の鳥籠《とりかご》らしいものを眺《なが》めて、その恰好《かっこう》がちょうど仏手柑《ぶしゅかん》のごとく不規則に歪《ゆが》んでいるのに一種|滑稽《こっけい》な思いをした。すると叔父が突然、何分|臭《くさ》いねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、断《た》えず千代子と話していた高木はすぐ後《うしろ》を振り返った。
「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」
 彼はそう云いながら、手に持った雨外套《レインコート》と双眼鏡を置くために後《うしろ》の縁を顧《かえり》みた。傍《そば》に立った千代子は高木の動かない前に手を出した。
「こっちへ御出しなさい。持ってるから」
 そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿《はんそですがた》を見て笑いながら、「とうとう蛮殻《ばんから》になったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意して眺《なが》めた。

        二十三

 船に乗るためにみんなが揃《そろ》って浜に下り立ったのはそれから約一時間の後《のち》であった。浜には何の祭の前か過《すぎ》か、深く砂の中に埋《う》められた高い幟《のぼり》の棒が二本僕の眼を惹《ひ》いた。吾一はどこからか磯《いそ》へ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。
「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁《ふなべり》から這《は》い上った。偶然の結果千代子と僕は後《あと》のものに押されて、仕切りの付いた舳《へさき》の方に二人|膝《ひざ》を突き合せて坐った。叔父は一番先に、胴《どう》の間《ま》というのか、真中の広い所に、家長《かちょう》らしく胡坐《あぐら》をかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応《いやおう》なしに叔父の傍《そば》に座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間《ま》と云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。
「どうですこっちが空《す》いてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐ後《うしろ》の百代子を顧《かえり》みた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁《うすべり》の上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬《しっと》を起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日《きのう》も今日《きょう》も同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵《みじん》も僕の胸に萌《きざ》さなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女を的《まと》に劇烈な恋に陥《おちい》らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐《ふとこ》ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他《ひと》から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に価《あたい》しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡《なび》かない女を無理に抱《だ》く喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕《きずあと》を淋《さみ》しく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。
 僕は千代子にこう云った。――
「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽《らく》なようだから」
「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」
 千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味《いやみ》と受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉《うれ》しさが閃《ひら》めいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露《ばくろ》する好い証拠《しょうこ》で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。
 昨日《きのう》会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船が磯《いそ》を離れたとき、彼は「好い案排《あんばい》に空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何を捕《と》るんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末《ぞんざい》[#ルビの「ぞんざい」は底本では「そんざい」]な言葉で、蛸《たこ》を捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。
「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。
「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。
 そうして湯屋の留桶《とめおけ》を少し深くしたような小判形《こばんなり》の桶の底に、硝子《ガラス》を張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込《つっこ》むように押し込みながら、海の底を覗《のぞ》き出した。船頭はこの妙な道具を鏡《かがみ》と称《とな》えて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍《そば》に座を取った吾一と百代子であった。

        二十四

 鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃ鮮《あざ》やかだね、何でも見えると非道《ひど》く感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、万《よろず》に高《たか》を括《くく》る癖に、こういう自然界の現象に襲《おそ》われるとじき驚ろく性質《たち》なのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのない極《きわ》めて平凡な海の底が眼に入《い》っただけである。そこには小《ち》さい岩が多少の凸凹《とつおう》を描いて一面に連《つら》なる間に、蒼黒《あおぐろ》い藻草《もくさ》が限りなく蔓延《はびこ》っていた。その藻草があたかも生温《なまぬ》るい風に嬲《なぶ》られるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺《うご》かした。
「市《いっ》さん蛸が見えて」
「見えない」
 僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込《つっこ》んだ。彼女の被《かぶ》っていたへなへなの麦藁帽子《むぎわらぼうし》の縁《ふち》が水に浸《つか》って、船頭に操《あや》つられる船の勢に逆《さか》らうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はその後《うしろ》に見える彼女の黒い髪と白い頸筋《くびすじ》を、その顔よりも美くしく眺めていた。
「千代ちゃんには、目付《めっ》かったかい」
「駄目よ。蛸《たこ》なんかどこにも泳いでいやしないわ」
「よっぽど慣れないとなかなか目付《めっ》ける訳に行かないんだそうです」
 これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶《おけ》を抑《おさ》えたまま、船縁《ふなべり》から乗り出した身体《からだ》を高木の方へ捻《ね》じ曲げて、「道理《どうれ》で見えないのね」といったが、そのまま水に戯《たわむ》れるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹《めだけ》の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜《くわ》えて、片手に棹《さお》を使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否《いな》や、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。
 蛸は船頭一人の手で、何疋《なんびき》も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆《みんな》珍らしがって、捕《と》れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽《あ》きて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草《たばこ》を吹かしながら、舟底《ふなぞこ》にかたまった獲物《えもの》を眺め始めた。
「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」
 高木はこう云って千代子を招いたが、傍《そば》に坐っている僕の顔を見た時、「須永《すなが》さんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなり直《すぐ》席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故《もと》の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。
「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」
 蛸は八本の足を真直に揃《そろ》えて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊《いか》のように黒い墨を吐《は》くのも交《まじ》っていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。
 叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃《たけかご》のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋《さむ》しいと思った叔父は、船をその一つの側《わき》へ漕《こ》ぎ寄せさした。申し合せたように、舟中《ふねじゅう》立ち上って籃《かご》の内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳《か》け廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼《あお》い光を鱗《うろこ》に帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透《とお》すように輝やいた。
「一つ掬《すく》って御覧なさい」
 高木は大きな掬網《たま》の柄《え》を千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己《おの》れの手を添えて二人いっしょに籃《かご》の中を覚束《おぼつか》なく攪《か》き廻した。しかし魚は掬《すく》えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網《たま》で叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択《よ》り出した。僕らは危怪《きかい》な蛸の単調を破るべく、鶏魚《いさき》、鱸《すずき》、黒鯛《くろだい》の変化を喜こんでまた岸に上《のぼ》った。

        二十五

 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下《もと》に、なお二三日鎌倉に留《とど》まる事を肯《がえ》んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好《よ》く落ちついているのだろうと、鋭どく磨《と》がれた自分の神経から推して、悠長《ゆうちょう》過ぎる彼女をはがゆく思った。
 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三《み》つ巴《ともえ》を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途《せんど》を予知したごとき態度で、中途から渦巻《うずまき》の外に逃《のが》れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏《まとい》を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見《もくろみ》があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心《しっとしん》だけあって競争心を有《も》たない僕にも相応の己惚《うぬぼれ》は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎《かげろ》ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚《うぬぼれ》をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩《わず》らわしさに悩んだのである。
 彼女は時によると、天下に只一人《ただいちにん》の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞《ふさ》いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮《しお》の満干《みちひ》はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退《とおの》いたりするのでなかろうかという微《かす》かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一《いつ》の意味に解釈し終ったすぐ後《あと》から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実《じつ》どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々《いまいま》しさを感じた例《ためし》も少なくはなかった。
 僕はこの二日間に娶《めと》るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭《いや》でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風《つむじかぜ》の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部《うわべ》から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲《おそ》って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃《きらめき》を物凄《ものすご》く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。
 僕は強い刺戟《しげき》に充《み》ちた小説を読むに堪《た》えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那《せつな》に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄《す》てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯《いそ》があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激《げき》して女が泣いた。後《あと》では女が激して男が宥《なだ》めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額《がく》があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果《はて》は立ち上って拳《こぶし》を揮《ふる》い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描《えが》かれた。僕はそのいずれをも甞《な》め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲《あざ》けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸《か》れて乾《から》びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。

        二十六

 僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟《しげき》を眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁《いら》つきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸の中《うち》に描いて見た。偶然にも結果は他の一方に外《そ》れた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着《むとんじゃく》とを、比較的容易に、淋《さみ》しいわが二階の上に齎《もた》らし帰る事ができた。僕は新らしい匂《におい》のする蚊帳《かや》を座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴《ふうりん》の音を楽しんで寝た。宵《よい》には町へ出て草花の鉢《はち》を抱《かか》えながら格子《こうし》を開ける事もあった。母がいないので、すべての世話は作《さく》という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳《ぜん》に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝《ひざ》の上に置いて、僕の前に畏《かし》こまった作の姿を見た僕は今更《いまさら》のように彼女と鎌倉にいる姉妹《きょうだい》との相違を感じた。作は固《もと》より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎《つつ》ましやかにいかに控目に、いかに女として憐《あわ》れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐《すわ》っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧《あか》い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利《き》いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢《かひ》の女らしいところに気がついた。愛とは固《もと》より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲《まわり》から出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。
 僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性《にょしょう》のある方面の性質が、想像の刺戟《しげき》にすら焦躁立《いらだ》ちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色《けしき》は折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一《いつ》にし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。
 僕は二階に上《のぼ》って書架の整理を始めた。綺麗好《きれいずき》な母が始終《しじゅう》気をつけて掃除を怠《おこ》たらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃《ほこり》の色を、目の届かない陰に見つけるので、残らず揃《そろ》えるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽《ふけ》ってみようという気楽な方針で蝸牛《かたつむり》のごとく進行した。作は時ならない払塵《はたき》の音を聞きつけて、梯子段《はしごだん》から銀杏返《いちょうがえ》しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾《ぞうきん》で拭いて貰《もら》った。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下《した》へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥《くたび》れたから煙草《たばこ》を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。
 作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草《まきたばこ》を呑み切った後《あと》でまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人《いちにん》の世界を妨《さま》たげられる虞《おそれ》なしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然|棚《たな》の後《うしろ》から発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側《むこうがわ》へ落ちたなり埃だらけになって、今日《きょう》まで僕の眼を掠《かす》めていたのである。

        二十七

 僕にこの本を貸してくれたものはある文学|好《ずき》の友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華《はな》やかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指《さ》して、ここに書いてある主人公は、非常に目覚《めざま》しい思慮と、恐ろしく凄《すさ》まじい思い切った行動を具《そな》えていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字《ドイツじ》が書いてあった。彼は露西亜物《ロシアもの》の翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗※[#「(漑−さんずい)/木」、第3水準1-86-3]《こうがい》を彼に尋ねた。彼は梗※[#「(漑−さんずい)/木」、第3水準1-86-3]などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬《しっと》なのだか、復讐《ふくしゅう》なのだか、深刻な悪戯《いたずら》なのだか、酔興《すいきょう》な計略なのだか、真面目《まじめ》な所作なのだか、気狂《きちがい》の推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々《はなばな》しい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽《ふけ》らない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味を有《も》たなかったからである。
 この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今|棚《たな》の後《うしろ》から引き出して厚い塵《ちり》を払った。そうして見覚《みおぼえ》のある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心に駆《か》られて、すぐその一|頁《ページ》を開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。
 ある女に意《い》のあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜《くわ》えて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段《てだて》として一種の方法を案出した。ある晩餐《ばんさん》の席へ招待された好機を利用して、彼は急に劇《はげ》しい発作《ほっさ》に襲《おそ》われたふりをし始めた。傍《はた》から見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場|裡《り》で、同じ所作《しょさ》をなお二三度くり返した後、発作のために精神に狂《くるい》の出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数《てかず》のかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、華《はな》やかな交際の色を暗く損《そこ》ない出してから、今まで懇意に往来《ゆきき》していた誰彼の門戸が、彼に対して急に固く鎖《とざ》されるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入《でいり》のできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落《けおと》そうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居《すまい》を敲《たた》いた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機を窺《うかが》った。彼は机の上にあった重い文鎮《ぶんちん》を取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友は固《もと》より彼の問を真《ま》に受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下《もと》に、瘋癲院《ふうてんいん》に送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末《てんまつ》を基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟《ひっきょう》正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然《りつぜん》として恐れた。

        二十八

 僕の頭《ヘッド》は僕の胸《ハート》を抑《おさ》えるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしい悔《くい》を遺《のこ》さない過去を顧《かえり》みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張《いじばり》という点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持《かんしゃくもち》だから、発作《ほっさ》に心を襲《おそ》われた人が急に理性のために喰い留められて、劇《はげ》しい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多《めった》に甞《な》めた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削《けず》る争いだという畏怖《いふ》の念から解脱《げだつ》する事ができなかった。
 それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のように軽《かろ》く見る彼は、理と情《じょう》との間に何らの矛盾をも扞格《かんかく》をも認めなかった。彼の有する凡《すべ》ての知力は、ことごとく復讐《ふくしゅう》の燃料となって、残忍な兇行を手際《てぎわ》よく仕遂げる方便に供せられながら、毫《ごう》も悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮を率《ひき》いて、満腔《まんこう》の毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いに羨《うらや》ましかった。同時に汗《あせ》の滴《したた》るほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかした後《あと》は定めし堪《た》えがたい良心の拷問《ごうもん》に逢うだろうと思った。
 けれどももし僕の高木に対する嫉妬《しっと》がある不可思議の径路を取って、向後《こうご》今の数十倍に烈《はげ》しく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似《まね》はしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却《ききゃく》しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐《ふくしゅう》が充分やって除《の》けられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞《たく》ましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥《はる》かに複雑なものに見えた。が、纏《まとま》って心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃《のが》れる事はできないのだと沈痛に諦《あき》らめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮《ぶんちん》を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開《あ》きながら見て、驚ろいて立ち上った。
 下へ降りるや否《いな》や、いきなり風呂場《ふろば》へ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過《ひるすぎ》なので、それを好い機会《しお》に、そこへ坐《す》わって飯を片づける事にした。給仕には例の通り作《さく》が出た。僕は二《ふ》た口《くち》三口《みくち》無言で飯の塊《かたま》りを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚《びっくり》した眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた
「いいや、大してどうもしない」
「急に御暑うございますから」
 僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶を注《つ》がして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑《ごたごた》するより宅《うち》にいる方が静《しずか》で好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。

        二十九

 僕は僕の前に坐《すわ》っている作《さく》の姿を見て、一筆《ひとふで》がきの朝貌《あさがお》のような気がした。ただ貴《たっ》とい名家の手にならないのが遺憾《いかん》であるが、心の中はそう云う種類の画《え》と同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄《ひとがら》を画に喩《たと》えて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏《かしこ》まっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆《あき》れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠《しょうこ》として、今日《こんにち》まで自分の頭が他《ひと》より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果《いんが》でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗《ちゃわん》を膳《ぜん》の上に置きながら、作の顔を見て尊《たっ》とい感じを起した。
「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」
「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」
「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」
「あっても智慧《ちえ》がございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」
「仕合せだ」
 僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。
 その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時|日《ひ》の限りかけた二階の縁に籐椅子《といす》を持ち出して、作が跣足《はだし》で庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降《お》りて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女の後《あと》に跟《つ》いて沓脱《くつぬぎ》から上《あが》ったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶《あいさつ》を取り替《かわ》す前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。
「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」
「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束《つか》ねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分で随《つ》いて来たのだと云って、作が足を洗っている間《ま》に、母の単衣《ひとえ》を箪笥《たんす》から出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通り豆《まめ》やかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに好《い》い気保養《きほよう》をしました。御蔭で」と云った。僕にはそれが傍《そば》にいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。
「泊って行くわ」
「どこへ」
「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎて淋《さむ》しいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」
 僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆《さか》らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭《いや》がる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。
「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」
「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」

        三十

「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰《もら》えば好かった」
「だから他《ひと》の云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好《い》いのに」
「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」
「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」
「云っても断られそうだったから」
「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭《いや》にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」
「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。
 僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木について齎《もた》らす報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏《おだ》やかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母|姪《めい》であった。彼らの各自《おのおの》は各自に特有な温《あたた》か味《み》と清々《すがすが》しさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。
 その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階に上《あが》って涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端《のきば》に七草《ななくさ》を描《か》いた岐阜提灯《ぎふぢょうちん》をかけて、その中に細い蝋燭《ろうそく》を点《つ》けた。熱いから電灯を消そうと発議《ほつぎ》した千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上《のぼ》った。柱に凭《もた》れていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月を看《み》るのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染《なず》んだ千代子が評した。僕は先刻《さっき》の籐椅子《といす》の上に腰をおろして団扇《うちわ》を使っていた。作《さく》が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆《たばこぼん》の火を入れ更《か》えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子《アイスクリーム》を盆に載《の》せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代《よ》に生れたように、卑しい召使の位置を生涯《しょうがい》の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女《レデー》としてふるまって通るべき気位を具《そな》えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起《た》って梯子段《はしごだん》の傍《そば》まで行って、もう降りようとする間際《まぎわ》にきっと振り返って、千代子の後姿《うしろすがた》を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍《そば》に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐《あわ》れに眺《なが》めた。
「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度《つど》卑怯だと遠くで罵《ののし》られるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下《じか》に高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切《はっきり》胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬《しっと》の作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡《りょうけん》で考えて見ても、どうもほかの名はつけ悪《にく》いようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮《きゅう》するよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏《みゃくはく》の上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深《しっとぶか》い訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言《いちごん》それにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去った後《あと》なお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚《はばか》らない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。

        三十一

 千代子の様子はいつもの通り明《あけ》っ放《ぱな》しなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利《き》いた。それは必竟《ひっきょう》腹の中に何も考えていない証拠《しょうこ》だとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑《けんのん》がって、詫《あや》まるように悲しい声を出して止《と》めるのが面白いと云った。その時母は半《なか》ば心配で半ば呆《あき》れたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機《かるはずみ》な真似をして。これからは後生《ごしょう》だから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止《よ》しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側《えんがわ》の椅子に腰を掛けている僕を顧《かえり》みて、市《いっ》さんもそう云う御転婆《おてんば》は嫌《きらい》でしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の隈《くま》なく落ちる表を眺《なが》めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をその後《あと》にきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺《ず》られなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。
 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更《ふ》けて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭に上《のぼ》せなかった。そこに僕ははなはだしい故意《こい》を認めた。白い紙の上に一点の暗い印気《インキ》が落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性《にょしょう》のうちで、最も純粋な一人《いちにん》と信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧《アート》を疑い出したのである。その疑《うたがい》が今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。
「なぜ高木の話をしないのだろう」
 僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚《おろか》さを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇《かん》が起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団《ふとん》を並べて、一つ蚊帳《かや》の中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟《ひっきょう》のつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえ厭《いや》になった。自分がまだ眠られないという弱味を階下《した》へ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。
 僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公《おおや》けにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅《うち》へ引込《ひっこ》んで交際《つきあい》さえしなければそれで宜《い》い。けれどももし親切を冠《かむ》らない技巧《アート》が彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥《おとり》に僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟《しげき》して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺《なが》めて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。
 僕は寝つかれないで負けている自分を口惜《くや》しく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、室《へや》の中に隙間《すきま》もなく蔓延《はびこ》る暗闇《くらやみ》が窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛に堪《た》えなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起《た》って室《へや》を明るくした。ついでに縁側《えんがわ》へ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽喉《のど》に受けただけであった。

        三十二

 翌日《あくるひ》はいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼が覚《さ》めた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏返《いちょうがえ》しの上へ白地の手拭《てぬぐい》を被《かぶ》って、長火鉢《ながひばち》の灰を篩《ふる》っていた作《さく》が、おやもう御目覚《おめざめ》でと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りに埃《ほこり》だらけの茶の間を爪先《つまさき》で通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越《かやご》しに覗《のぞ》いて見たら、目敏《めざと》い母も昨日《きのう》の汽車の疲が出たせいか、まだ静かな眠《ねむり》を貪《むさ》ぼっていた。千代子は固《もと》より夢の底に埋《うず》まっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目的《あて》もなく表へ出た。朝の散歩の趣《おもむき》を久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑沓《ざっとう》とに染めつけられない安息日のごとく穏《おだ》やかに見えた。電車の線路が研《と》ぎ澄まされた光を真直《まっすぐ》に地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早く覚《さ》め過ぎて、中有《はした》に延びた命の断片を、運動で埋《う》めるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃至《ないし》町にも見出す事ができなかった。
 一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、後《あと》から、色沢《いろつや》が好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。
「昨夕《ゆうべ》好《よ》く寝られなかったんでしょう」
 僕は千代子のこの言葉に対して答うべき術《すべ》を知らなかった。実を云うと、昂然《こうぜん》としてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家《アーチスト》でなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。
 三人が同じ食卓で朝飯《あさめし》を済ますや否《いな》や、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪結《かみい》が来た。洗《あら》い立《たて》の白い胸掛をかけて、敷居越《しきいごし》に手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨拶《あいさつ》をした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりを有《も》っていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶蝶《ちょうちょう》しくは饒舌《しゃべ》り得なかった。髪結はより効目《ききめ》のある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子は固《もと》より誰彼の容赦なく一様に気易《きやす》く応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受答《うけこたえ》をして話を勢《はず》ました。千代子の泳の噂《うわさ》が出た時、髪結は活溌《かっぱつ》で宜《よろ》しゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽古《けいこ》をなさいますと誰が聞いても拵《こしら》えたような御世辞を云った。
 妙な事を吹聴《ふいちょう》するようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母が乏《とも》しい髪を工面して、どうかこうか髷《まげ》に結《ゆ》い上げる様子は、いくら上手《じょうず》が纏《まと》めるにしても、それほど見栄《みばえ》のある画《え》ではないが、それでも退屈を凌《しの》ぐには恰好《かっこう》な慰みであった。僕は髪結の手の動く間《ま》に、自然とでき上って行く小さな母の丸髷《まるまげ》を眺《なが》めていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流に櫛《くし》を入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでに結《い》って御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出悪《でにく》かった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御結《おい》いよ久しぶりにと誘《いざ》なった。髪結《かみい》は是非御上げ遊ばせな、私始めて御髪《おぐし》を拝見した時から束髪《そくはつ》にしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさも結《い》いたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。
「何に結おうかしら」
 髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然|市《いっ》さんと呼んだ。
「あなた何が好き」
「旦那様《だんなさま》も島田が好きだときっとおっしゃいますよ」
 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍《どん》に聞こえた。

        三十三

 僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へ上《あが》った。僕のような神経質なものが拘《こだ》わって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所作《しょさ》をあえてする。僕は中途で鏡台の傍《そば》を離れて、美くしい島田髷《しまだまげ》をいただく女が男から強奪《ごうだつ》する嘆賞の租税を免《まぬ》かれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚《こ》びる好意を有《も》たなかったのである。
 僕は自分で自分の事をかれこれ取り繕《つく》ろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢《ながひばち》の傍《はた》で起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引き摺《ず》り落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎《にく》み自分で鞭《むち》うった。
 僕は空威張《からいばり》を卑劣と同じく嫌《きら》う人間であるから、低くても小《ち》さくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤《かっとう》を超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有《も》たない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物《きぶつがんぶつ》の名を加える非礼と僻見《へきけん》とを憚《はば》かりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥《こうでい》しない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪《あくそく》しない手を拱《こま》ぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品《ひん》が好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御蔭《おかげ》、年齢《とし》の御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係が逆《ぎゃく》なようで実は順《じゅん》に行くからでもある。――話がつい横道へ外《そ》れた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。
 僕は今いう通り早く二階へ上《あが》ってしまった。二階は日が近いので、階下《した》よりはよほど凌《しの》ぎ悪《にく》いのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前に坐《すわ》ったなりただ頬杖《ほおづえ》を突いてぼんやりしていた。今朝|煙草《たばこ》の灰を棄《す》てたマジョリカの灰皿が綺麗《きれい》に掃除《そうじ》されて僕の肱《ひじ》の前に載《の》せてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞鳥《がちょう》[#「鵞鳥」は底本では「鷲鳥」]を眺《なが》めながら、その灰を空《あ》けた作《さく》の手を想像に描《えが》いた。すると下から梯子段《はしごだん》を踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時に傍《そば》にあった書物を開けて、先刻《さっき》から読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。
「結《い》えたから見てちょうだい」
 僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。
「おかしいでしょう。久しく結わないから」
「大変美くしくできたよ。これからいつでも島田に結《ゆ》うといい」
「二三度|壊《こわ》しちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴染《なず》まなくって」
 こんな事を聞いたり答えたり三四|返《へん》しているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子で和《やわ》らげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判然《はんぜん》と云い悪《にく》い。こうだと説明のできる捕《とらえ》どころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気易《きやす》い状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対して抱《いだ》いた変な疑惑を、過去に溯《さかの》ぼって当初から真直《まっすぐ》に黒い棒で誤解という名の下《もと》に消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不味《まず》い事をしたのである。

        三十四

 それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せに上《あが》って来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りない躓《つま》ずき方をしたのである。
「早いね。もう帰るのかい」と僕が云った。
「早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで」と千代子が云った。
「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。
「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。
「高木さんも」と僕がまた聞いた。
 高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭に上《のぼ》すのをわざと憚《はば》かっていたのである。が、何かの機会《はずみ》で、平生《いつも》通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。
 僕が煮え切らないまた捌《さば》けない男として彼女から一種の軽蔑《けいべつ》を受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常に畏《おそ》れる点を、幸《さいわい》にして僕はただ一つ有《も》っていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見透《みす》かせない心の存在が仄《ほの》めくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これは公《おおや》けにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥々《めいめい》のうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。
 ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、「高木さんも」という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれを強《あなが》ちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮蔑《ぶべつ》が輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手《ひらて》で横面《よこつら》を力任せに打たれた人のごとくにぴたりと止《と》まった。
「あなたそれほど高木さんの事が気になるの」
 彼女はこう云って、僕が両手で耳を抑《おさ》えたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。
「あなたは卑怯《ひきょう》だ」と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃い眉《まゆ》が動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたま他《ひと》の指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、取《と》り繕《つく》ろって空《そら》っとぼけるものとこの問を解釈したらしい。
「なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか」
「解らないから聞かしておくれ」と僕が云った。僕は階下《した》に母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよく呑《の》み込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつ緩《ゆる》い調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。
「それが解らなければあなた馬鹿よ」
 僕はおそらく平生《いつも》より蒼《あお》い顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっと据《す》えた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこに止《と》まっていた事も記憶している。

        三十五

「千代ちゃんのような活溌《かっぱつ》な人から見たら、僕見たいに引込思案《ひっこみじあん》なものは無論|卑怯《ひきょう》なんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所作《しょさ》にあらわしたりする勇気のない、極《きわ》めて因循《いんじゅん》な男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……」
「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」
「しかし軽蔑《けいべつ》はしているだろう。僕はちゃんと知ってる」
「あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ」
 僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。
「あなたはあたしを学問のない、理窟《りくつ》の解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」
「それは御前が僕をぐずと見縊《みくび》ってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをした覚《おぼえ》はないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」
「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単に優《やさ》しい一図から出た女気《おんなぎ》の凝《こ》り塊《かたま》りとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女の唇《くちびる》を洩《も》れるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女は濡《ぬ》れた睫毛《まつげ》を二三度|繁叩《しばたた》いた。
「あなたはあたしを御転婆《おてんば》の馬鹿だと思って始終《しじゅう》冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……」
「そりゃ千代ちゃんの方だって……」
「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれで宜《よ》うござんす。何も貰《もら》って下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」
 彼女はここへ来て急に口籠《くちごも》った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まだ覚《さと》れなかった。「御前に対して」と半《なか》ば彼女を促《うな》がすように問をかけた。彼女は突然物を衝《つ》き破った風に、「なぜ嫉妬《しっと》なさるんです」と云い切って、前よりは劇《はげ》しく泣き出した。僕はさっと血が顔に上《のぼ》る時の熱《ほて》りを両方の頬《ほお》に感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。
「あなたは卑怯《ひきょう》です、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡《りょうけん》さえあなたはすでに疑《うたぐ》っていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたは他《ひと》の招待に応じておきながら、なぜ平生《ふだん》のように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻《か》いたも同じ事です。あなたはあたしの宅《うち》の客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」
「侮辱を与えた覚はない」
「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」
「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」
「男は卑怯だから、そう云う下らない挨拶《あいさつ》ができるんです。高木さんは紳士だからあなたを容《い》れる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」


     松本の話

        一

 それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍《はた》で見ていると、二人の関係は昔から今日《こんにち》に至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘《うそ》を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。
 あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極《きわ》めてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免《まぬ》かれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果《いんが》と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍《はた》のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対《いっつい》を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸《かも》す目的で夫婦になったと同様の結果に陥《おち》いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択《えら》ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行《なりゆき》に任せて、自然の手で直接に発展させて貰《もら》うのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要《い》らぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永《すなが》の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例《ためし》は何度もある。けれども天の手際《てぎわ》で旨《うま》く行かないものを、どうして僕の力で纏《まと》める事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。
 須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人|揃《そろ》ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡《りょうけん》では、市蔵の今日《こんにち》は全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有《も》っている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥《おい》に及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧《かえり》みて、この非難をもっともだと肯《がえん》ずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差支《さしつかえ》ない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏窟人《へんくつじん》のように見傚《みな》して、同じ眉《まゆ》を僕らの上に等しく顰《ひそ》めるのは疑もなく誤っている。
 市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲《ま》き込む性質《たち》である。だから一つ刺戟《しげき》を受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃《のが》れたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪《のろ》いのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のために斃《たお》れなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖《おそ》れを抱《いだ》くようになる。そうして気狂《きちがい》のように疲れる。これが市蔵の命根《めいこん》に横《よこた》わる一大不幸である。この不幸を転じて幸《さいわい》とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲《ま》き出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物を眺《なが》める心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優《やさ》しいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮気《うわき》にならなければならない。市蔵は始め浮気を軽蔑《けいべつ》してかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩々《へんぺん》たる軽薄才子になりたいと心《しん》から神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救う途《みち》は天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。

        二

 僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗《あん》に恨《うら》まれているが、僕自身もその点については疚《や》ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術《すべ》を心得なかったのである。ただ自分の好尚《こうしょう》を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべての禍《わざわい》の本《もと》になったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手を拱《こま》ぬいて、心の中《うち》で嘆息しただけであった。
 事実を一言《いちごん》でいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、極《きわ》めて安価な批評をすれば、生れついての浮気《うわき》ものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺戟《しげき》しだいでどうにでもなる。と云っただけではよく腑《ふ》に落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引き更《か》えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜《ひそ》んでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董《こっとう》を捻《ひね》くれば寂《さ》びた心持になる。そのほか寄席《よせ》、芝居、相撲《すもう》、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己《おのれ》なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物を有《も》っていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内に潜《もぐ》り込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨《うら》むのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。
 今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶《あいさつ》をしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花《いけばな》の歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝《すぐ》れないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼は妻《さい》とも仲が善《よ》かったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いに戸《ドアー》を開けると、彼は咲子の机の前に坐《すわ》って、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕を顧《かえり》みて、今こういう美人を発見して、先刻《さっき》から十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れて自《おのず》から愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂闊《うかつ》だと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼使《めづかい》をして僕の注意を怪しんだ。
 つまり僕は飽《あ》くまでも写真を実物の代表として眺《なが》め、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像を活《い》かしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併《あわ》せて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。

        三

 市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固《もと》より田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固《がんこ》なものであった。僕は女に理窟《りくつ》を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背《そむ》くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑《ふ》に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏《おだ》やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚《はば》からない婦人に共通な特性を一人前以上に具《そな》えていた。僕は彼女の執拗《しつよう》を悪《にく》むよりは、その根気の好過《よす》ぎるところにかえって妙な憐《あわ》れみを催《もよお》した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請《こい》を快よく引受けた。
 僕がこの目的を果《はた》すために市蔵とこの座敷で会見を遂《と》げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐《ちんぷ》なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説《くど》かれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉《く》れろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。
 僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏《まと》いつくに違ないと勘定《かんてい》して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻《ひるが》えさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子を貰《もら》おうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺《なが》めていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖《いふ》というと仰山《ぎょうさん》すぎるし、同情というとまるで憐《あわ》れっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手を諦《あき》らめてしまわなければならない絶望に、ある凄味《すごみ》と優《やさ》し味《み》をつけ加えた特殊の表情であった。
 市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌《きら》われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚痴《ぐち》を零《こぼ》すのかと窘《たし》なめるような調子で反問を加えた。
「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」
「じゃ誰が御前を嫌っているかい」
「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」
 僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌悪《けんお》の念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。
「おれが何で御前を悪《にく》む必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」
 市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼《あお》い顔をして僕を見つめた。僕は燐火《りんか》の前に坐《すわ》っているような心持がした。

        四

「おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥《おい》を憎《にく》む叔父があるかい」
 市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇《くちびる》を反《そ》らして淋《さみ》しく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透《すか》し見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりも優《すぐ》れた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚《ぐ》をなるべく慎んで外に出さない用心を怠《おこた》らなかった。けれども時々は、つい年長者の傲《おご》る心から、親しみの強い彼を眼下《がんか》に見下《みくだ》して、浅薄と心付《こころづき》ながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。賢《かし》こい彼は僕に恥を掻《か》かせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作《しょさ》をあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度《つど》彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。
「そりゃ広い世の中だから、敵同志《かたきどうし》の親子もあるだろうし、命を危《あや》め合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋《つな》がっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻《ひが》みがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍《はた》から見ていても不愉快だ」
「だから叔父さんまで嫌《きら》っていると云うのです」
 僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。
「僻みさえさらりと棄《す》ててしまえば何でもないじゃないか」と僕はさも事もなげに云って退《の》けた。
「僕に僻《ひがみ》があるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。
「あるよ」と僕は考えずに答えた。
「どういうところが僻んでいるでしょう。判然《はっきり》聞かして下さい」
「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」
「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」
「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」
「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子に度《ど》を失った。次に彼の眼の色を見て萎縮《いしゅく》した。その眼はいかにも恨《うら》めしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一言《いちごん》の挨拶《あいさつ》さえする勇気を振い起し得なかった。
「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独《ひと》りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体《からだ》も続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」
 僕は頬《ほお》を伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴染《なじ》んで今日《こんにち》に及んだ彼と僕との間に、こんな光景《シーン》はいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂奮《こうふん》した青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫然《ぼうぜん》として手を拱《こま》ぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有《も》たなかった。
「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間の中《うち》であなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生涯《しょうがい》の敵としてあなたを呪《のろ》います」
 市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。

        五

 僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑《うわすべ》りにならなければ必ず神経衰弱に陥《おち》いるにきまっているという理由を、臆面《おくめん》なく聴衆の前に曝露《ばくろ》した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏《ほとけ》ですましていた昔が羨《うらや》ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退《しり》ぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦《にが》い真理を承《うけたま》わらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫《つか》もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層|見惨《みじめ》に違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺《そそ》いだ。
 これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有《も》たない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からの行《ゆき》がかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。
 僕は誰にでも明言して憚《はば》からない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然に復《かえ》る落着《らくちゃく》を見る事ができるという主義を抱《いだ》いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日《こんにち》までに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に溯《さかのぼ》って、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間際《まぎわ》まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子《おやこ》の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。
 市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交《まじわ》りの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口《ひとくち》でいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言《いちげん》つけ加えると、本当の母子よりも遥《はる》かに仲の好い継母《ままはは》と継子《ままこ》なのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑《けいべつ》しても差支《さしつかえ》ないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括《くく》りつけられている。どんな魔の振る斧《おの》の刃《は》でもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖《こわ》がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。
 僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固《もと》よりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張の下《もと》に受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約《つづ》めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経《た》った昔の話だから、僕も詳しい顛末《てんまつ》は知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下《さが》った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向《おもてむき》自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛《いつく》しむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾々《われわれ》の見るごとく、最も親しい親子として今日《こんにち》まで発展して来たのだから、御互に事情を明《あか》し合ったところで毫《ごう》も差支《さしつかえ》の起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちな反《そり》の合《あわ》ない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までの睦《むつ》まじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限り彩《いろど》る事を怠《おこた》らなかった。

        六

「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻《ひが》みだ。解ったかな」
「解りました。善《よ》く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止《よ》しにしようよ」と云った。
「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩《わず》らわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖《こわ》かったです。胸の肉が縮《ちぢ》まるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋《さび》しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」
「だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない」
「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅《うち》へ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋《さむ》しくってたまりません」
「御母さんには黙っている方がよかろう」
「無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません」
 二人は黙然《もくねん》として相対した。僕は手持無沙汰《てもちぶさた》に煙草盆《たばこぼん》の灰吹《はいふき》を叩いた。市蔵はうつむいて袴《はかま》の膝《ひざ》を見つめていた。やがて彼は淋《さみ》しい顔を上げた。
「もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか」
「おれの知っている事なら何でも話して上げる」
「僕を生んだ母は今どこにいるんです」
 彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立《ひだち》が悪かったせいだとも云い、または別の病《やまい》だとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓《う》えた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生母《せいぼ》の最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺憾《いかん》な顔をして彼女の名前を聞いた。幸《さいわい》にして僕は御弓《おゆみ》という古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢《とし》を問うた。僕はその点に関して、何という確《しか》とした知識を有《も》っていなかった。彼は最後に、彼の宅《うち》に奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦朧《もうろう》としていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。
「何でも島田に結《い》ってた事がある」
 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦《あき》らめたという眼つきをして、一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋《うま》っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と云った。けれども御弓の菩提所《ぼだいじ》を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟《しんぎん》しながら、已《やむ》を得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」
「じゃ分らないでもよござんす」
 僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗《うらら》かな日脚《ひあし》の中に咲く大きな椿《つばき》を眺《なが》めていたが、やがて視線をもとに戻した。
「御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁《みより》のものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」
「全くそこだ。ほかに何にもないんだ」
 市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。

        七

 この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰藉《いしゃ》ではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功徳《くどく》を施こしたという愉快な感じが残ったのである。
「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」
 僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。已《やむ》を得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥《なだ》めておいた。
 僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫《くふう》した。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作《むぞうさ》であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。
「けれども必竟は本人のために嫁入《かたづ》けるんで、(そう申しちゃ角が立つが、)姉さんや市蔵の便宜《べんぎ》のために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」
「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交際《つきあい》をしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けた例《ためし》も有《も》たないのである。それで今日《こんにち》まで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂《うわさ》を耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛嬌《あいきょう》らしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖昧《あいまい》な男の事を僕はなお委《くわ》しく聞いて見て、彼が今|上海《シャンハイ》にいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母《ふぼ》が眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其男《それ》が好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別に考《かんがえ》を有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。
 僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托《くったく》しなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉を訪《たず》ねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕《ゆうべ》を僕と会食するために割《さ》かせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐《ばんさん》を食いながら、ひそかに彼の様子を窺《うかが》った。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更《まんざら》の虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情《なさけ》なそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖《こわ》くってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談《じょうだん》らしくもあり、また真面目《まじめ》らしくもあるこの言葉が、妙に憐《あわ》れ深い感じを僕に与えた。

        八

 若葉の時節が過ぎて、湯上《ゆあが》りの単衣《ひとえ》の胸に、団扇《うちわ》の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否《いな》や僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日《きのう》ようやくすんだと答えた。そうして明日《あす》からちょっと旅行して来るつもりだから暇乞《いとまごい》に来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨《すま》明石《あかし》を経て、ことに因《よ》ると、広島|辺《へん》まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的|大袈裟《おおげさ》なのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意を仄《ほの》めかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶《あいさつ》をした。そんな事に気を遣《つか》う叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立《たち》が及落の成績に関係のない別方面の動機から萌《きざ》しているという事を発見した。
「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎に坐《すわ》っている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已《や》めなかったのが感心だぐらいに賞《ほ》めて許して下さい」
「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支《さしつかえ》はないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」
「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。
「不愉快になるのか」と僕はむしろ厳《おごそ》かに聞いた。
「いいえ、ただ気の毒なんです。始めは淋《さび》しくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度《こんだ》の旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供《とも》をする気で留守《るす》を叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍《そば》を離れたらという気ばかりして」
「困るね、そう変になっちゃあ」
「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨《うま》くはいかないもんでしょうか」
 市蔵はさも懸念《けねん》らしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事を他《ひと》に尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏《うち》を憐《あわ》れに思った。上部《うわべ》はいかにも優しそうに見えて、実際は極《きわ》めて意地の強くでき上った彼が、こんな弱い音《ね》を出すのは、ほとんど例《ためし》のない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。
「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るが好《い》い。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」
 市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉《いしゃ》の言葉が、明晰《めいせき》な頭脳を有《も》った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。
「おれもいっしょに行こうか」
「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。
「いけないかい」
「平生《ふだん》ならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」
「じゃ止《よ》そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。

        九

 市蔵が帰った後《あと》でも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負《しょ》って立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻《さい》を呼んで、相談かたがた理由《わけ》を話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市《いっ》さんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、独《ひと》りで受合っていた。
「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」
「そうですとも、誰だってあなたの懐手《ふところで》ばかりして、舶来のパイプを銜《くわ》えているところを見れば、心配になりますわ」
 そのうち子供が学校から帰って来て、家《うち》の中が急に賑《にぎ》やかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えず冷《ひや》りとした。
 姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰《ぶさた》の詫《わび》やら、時候の挨拶《あいさつ》やらを長々しく妻《さい》と交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。
「市蔵が明日《あす》から旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。
「それについてね……」と姉はやや真面目《まじめ》になって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使った後《あと》だもの。少しは楽もさせないと身体《からだ》の毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉は固《もと》より同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪《た》えるかどうかを気遣《きづか》うだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有《も》っているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻《きざ》んで、「恒《つね》さん、先刻《さっき》市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。
「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙《おせん》」
「ええちっとも違っておいでじゃありません」
「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」
「どんななんです」
「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」
「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。
「姉さんの神経《きでん》ですよ」と妻も口を出した。
 僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得《なっとく》したらしい顔つきをして、みんなと夕食《ゆうめし》を共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉の傍《そば》に席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。
 僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来《やらい》まで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留《とうりゅう》するなら逗留する所から、必ず音信《たより》を怠《おこ》たらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。
 僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。
 僕を迎《むかえ》に玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、明《あく》る日は新橋へ見送りにも行かなかった。

        十

 約束の音信《たより》は至る所からあった。勘定《かんじょう》すると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書《えはがき》に二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻《さい》からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想《あいそ》もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多《めった》にあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚《みな》す女であった。そうして両方とも嘘《うそ》と信じて疑わないほど浪漫斯《ロマンス》に縁の遠い女であった。
 端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰《しょかん》に接し出した時さらに眉《まゆ》を開いた。というのは、僕の恐れを抱《いだ》いていた彼の手が、陰欝《いんうつ》な色に巻紙を染めた痕迹《こんせき》が、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮《あざや》かに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。
 彼の気分を変化するに与《あず》かって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方《かみがた》地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟《しげき》になったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑《なめ》らかで静かな調子が、鎮経剤《ちんけいざい》以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目《ききめ》が多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。――
「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微《かす》かな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭《いや》だと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖《こんぺいとう》のような調子を得意になって出します。そうして聴手《ききて》の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日《きのう》京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面《みのお》という紅葉《もみじ》の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川《たにがわ》があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部《クラブ》とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入《はい》って見ると、幅の広い長い土間が、竪《たて》に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦《しきがわら》で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵《こしら》えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦《かわら》を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足《だそく》に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆《おばあ》さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子《いす》に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入《はい》るや否《いな》や、友人の顔を見て挨拶《あいさつ》をしました。そうして『おや御免《ごめん》やす。今八十六の御婆さんの頭を剃《そ》っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫《な》でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧《かえり》みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気《のんびり》した心持がしました。僕はこういう心持を御土産《おみやげ》に東京へ持って帰りたいと思います」
 僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。

        十一

 次のは明石《あかし》から来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮《あざ》やかに現わしている。
「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草《たばこ》を呑んで海の方を眺《なが》めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣《さざなみ》さえ打たない静かな晩だから、河縁《かわべり》とも池の端《はた》とも片のつかない渚《なぎさ》の景色《けしき》なんですが、そこへ涼み船が一|艘《そう》流れて来ました。その船の形好《かっこう》は夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏《おだ》やかな形を具《そな》えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯《ちょうちん》がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐《すわ》っているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体《そうたい》がいかにも落ちついて、滑《すべ》るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父《おじい》さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固《もと》より御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊《ふねあそび》を実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川《あやせがわ》まで漕《こ》ぎ上《のぼ》せて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇《ぎんせん》を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要《かなめ》がぐるぐる廻って、地紙《じがみ》に塗った銀泥《ぎんでい》をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競《きそ》う光景は想像しても凄艶《せいえん》です。御祖父《おじい》さんは銅壺《どうこ》の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利《とくり》の燗《かん》をした後《あと》をことごとく棄《す》てさしたほどの豪奢《ごうしゃ》な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢《ぜいたく》なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点《はやがてん》なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托《くったく》していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦《にが》い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間《ほうかん》を大勢集めて、鞄《かばん》の中から出した札《さつ》の束《たば》を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀《ごしゅうぎ》とか称《とな》えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着[#「着」は底本では「来」]たまま湯に這入《はい》って、あとは三助《さんすけ》にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢|極《きわ》まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪《にく》みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行《しょぎょう》を見ると、強盗が白刃《しらは》の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫《おびやか》しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢《きょうしゃ》に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍《おど》り狂う人の、一転化の後《のち》を想像して、怖《こわ》くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気《うわき》になって行きます。賞《ほ》めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭《いや》な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶《なま》めかしい女の声も交《まじ》っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更《ふ》けましたから、僕も休みます」

        十二

「昨夕《ゆうべ》も手紙を書きましたが、今日もまた今朝《こんちょう》以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文《ふみ》をやる所がないものだから、已《やむ》を得ず姉と己《おれ》に対してだけ、時間を費《つい》やして音信《たより》を怠《おこた》らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執《と》りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰《もら》わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上《あが》って海を見下《みおろ》していると、そういう幸福な二人連が、磯通《いそづた》いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘《こうもり》を翳《さ》して、素足に着物の裾《すそ》を少し捲《まく》りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿《うしろすがた》を、僕は羨《うらや》ましそうに眺《なが》めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸《おか》に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透《す》いて見えます。泳いでいる海月《くらげ》さえ判切《はっきり》見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作《しょさ》が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」
「今度は西洋人が一人水に浸《つか》っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢《りゅうちょう》で羨《うらや》ましいくらい旨《うま》く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸《つ》けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執《と》って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦《すく》めるようにして拒《こば》みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱《だ》きました。女の跳《は》ねて水を蹴《け》る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇《ボート》を漕《こ》ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極《きわ》めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖《こわ》いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚《びっくり》して見せる科《しな》が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋《つな》いである和船に向って、船頭はん、その船|空《あ》いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走《ごちそう》を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒《ビール》だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心《かんじん》の御客はよほど威勢のいい男で、遥《はる》か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸《くろはだか》の浦の子僧を一人|生捕《いけど》っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根《こん》かぎりの大きな声で、阿呆《あほう》と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕《こ》ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇《ものずき》だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠《しょうこ》なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭《いと》わなくなったのも、つまりは考えずに観《み》るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已《や》まないのです。白帆《しらほ》が雲のごとく簇《むらが》って淡路島《あわじしま》の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸《ひとまる》の社《やしろ》があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑《ひま》があったらついでだから行って見ようと思います」


 結末

 敬太郎《けいたろう》の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入《はい》って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪《たんぼう》に過ぎなかった。
 彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓《りんかく》と表面から成る極《きわ》めて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充《み》ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間《すきま》が、瓦斯《ガス》に似た冒険|譚《だん》で膨脹《ぼうちょう》した奥に、彼は人間としての森本の面影《おもかげ》を、夢現《ゆめうつつ》のごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
 彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺《なが》めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋《つな》がれていながら、まるで毛色の異《こと》なったこの二人の対照を胸に据《す》えて、幾分か己《おの》れの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
 彼は千代子という女性《にょしょう》の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙《じょ》せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画《え》を見るようなところに、彼の快感を惹《ひ》いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃《のが》れるために已《やむ》を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱《いだ》いていたい意味から出る涙が交《まじ》っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐《あわ》れであった。彼は雛祭《ひなまつり》の宵《よい》に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐《かれん》に聞いた。
 彼は須永《すなが》の口から一調子《ひとちょうし》狂った母子《おやこ》の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有《も》つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果《いんが》に纏綿《てんめん》されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦《あき》らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
 彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟《ひっきょう》夫婦として作られたものか、朋友《ほうゆう》として存在すべきものか、もしくは敵《かたき》として睨《にら》み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆《か》って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜《くわ》えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委《くわ》しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審《つまび》らかにした。
 顧《かえり》みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日《こんにち》までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖《ステッキ》を大事そうに突いて、電車から下りる霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後《あと》を跟《つ》けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載《の》せて眺《なが》めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯《じぎ》であった。彼はそれがために位地《いち》にありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽《こっけい》の意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目《まじめ》な、行動に過ぎなかった。
 要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席《いくせき》かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々《ぜんぜん》深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入《はい》れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇《へび》の頭を呪《のろ》い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転《るてん》して行くだろうかを考えた。



底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年3月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月から1972(昭和47)年1月
※疑問箇所は、新潮文庫、角川文庫の両方で確認できたもののみを修正し、注記した。
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年9月18日公開
2004年2月27日修正
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