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大衆文芸作法
直木三十五

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(例)顧《かえりみ》る

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(例)正木|不如丘《ふじょきゅう》

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  第一章 大衆文芸の定義

 一体、定義というものを、物の進行中に、未だ完成されていない未発達の状態にある時は与える事はむずかしい。現在進行しつつある、発達の過程にはあるが未だ充分発達したとはいえない、大衆文芸に対して、現在のままの姿へ、定義というものを与えたなら――それは、与え得ても、直ちに不満足なものになって了うであろうと思われる。
 併し、もしその将来を想像して、かく成るべき物が、大衆文芸であるというのなら、現在と共に、将来を包含して一つの定義を下し得ぬ事もない。それを下すに就いては、現在と、将来の外に、大衆文芸の歩んできた過去の道をも顧《かえりみ》る必要がある。私は、その点からこの講義を始めて行きたい。
 現在、大衆文芸の名によって呼ばれている如き作品、及びその作家は、震災後に著しく発達し、大衆文芸なる名称も、従って亦その時代以後に使用されるに至ったものである。震災以前とて、その傾向が無いではなかったが、従来の型の如き型を破った髷物《まげもの》小説は、僅かに、指折ってみて、中里介山の「大菩薩峠」(都新聞)、国枝史郎の「蔦葛木曾桟《つたかずらきそのかけはし》」(講談雑誌)、白井喬二の「神変呉越草紙」(人情倶楽部)、大佛次郎の「鞍馬天狗」(ポケット)に過ぎなかったものである。
 然も、現在に於て、これらの作家は、大衆作家として第一流の名声を獲得しているが、その当時に於ては、殆《ほと》んど人の知る者無く、読書階級に於ては勿論、一般の人々にも迎えられていなかったものであった。
 震災後に於て、プラトン社より「苦楽」が出て、講談物を一蹴して、新らしき興味中心文芸を掲載すると同時に、この新らしき機運は大いに動いて来たのであった。そうして新聞社関係の人々は、こういう作品に、新講談という名を与え、文藝春秋、新小説の人々は、読物文芸という名によって呼んでいたのである。
 その内に、白井喬二が、大衆文芸という名称を口にし、同氏が擡頭《たいとう》すると同時に、この名称が一般化して、今日の如く通用する事になった。字義の正しさより云えば、大衆とは、僧侶を指した言葉であるが、震災前に、加藤一夫らによって、しばしば民衆芸術、即ち、現在のプロレタリア芸術論の前身が、叫ばれていた事があり、それと混同を避ける為に、熟語である「民衆」よりも、新しく、「大衆」という文字を使用したのであって、民衆も大衆も、多衆の意味であることに、何等相違はない訳である。
 そこで、嘗《かつ》て震災前に加藤一夫等によって始めて提唱された民衆芸術とは、如何に違っているのか、ということを明らかにしておく必要があると思う。その当時提唱された民衆芸術というのは、かの、ロマン・ローランが唱えた「民衆の芸術」を我が国へ輪入したのであった。彼等の主張は、民衆のための芸術を作らなくてはならない、ということにあった。それらの芸術は、民衆そのものの中から生産されるか、それとも民衆の中から生れなくとも、それが民衆のために書かれた芸術でなくてはならない、というのであった。即ち、彼等によって嘗て叫ばれ、そしてその後発達して今日のプロレタリア芸術論となった、民衆芸術というのは、目的意識的のものであった。処が現在我々が問題としている大衆文芸というのは、何ら目的意識的なものではなく、通俗的といった程の意味のものなのである。その究局に於ては同じであるかも知れない。しかし、その出発点を異にしている。そういうような定義の解釈の相違に過ぎないのである。即ち、現在のままに於て定義を下すなら、大衆文芸とは、震災後に於て現れたる興味中心の髷物、時代物小説である、という事ができる。
 しかし、現在では大衆文芸はややその範囲を通り越して、大衆の字義のままに探偵小説をもその中に含め、進んでは、文壇人以外の、芸術小説以外の、新旧一切の作をも、含めようとするまでになっている。
 ただ未だに、通俗小説の名は残されているが、それは通俗的現代小説を指した物で、大衆文芸も同じ新聞に載り乍《なが》ら、新らしき時代の物のみを、特に、通俗小説、又は、新聞小説と称しているが、この区別は甚だ曖昧なのである。
 例えば、中村武羅夫、加藤武雄は、通俗小説家であるが、国枝史郎が現代物を書いても、彼は大衆作家であり、三上於菟吉が、現代物、時代物二つ乍ら書くと、通俗作家とも云われ、大衆作家にも視られ、又、正木|不如丘《ふじょきゅう》は、現代物しか書かぬが、大衆作家であり、総てが文壇人関係者の常識よりなされたる区別故、厳密な意味に於ての区別は不可能である。
 従って、私は、この講義に於て、他の小説作法があって、それが、芸術小説、文壇小説を説くとするなら、大衆文芸の内へはその他の一切、即ち、科学小説、目的小説、歴史小説、少年少女小説、探偵小説等、総てを含めて、大衆の文字のままに定義していいと信じなくてはならぬ。
 それで、それらの総てを包含した物として、大衆文芸の定義を下すなら、
「大衆文芸とは、表現を平易にし、興味を中心として、それのみにても価値あるものとし、又は、それに包含せしむるに解説的なる、人生、人間生活上の問題をもってする物」と云いたいのである。

  第二章 大衆文芸の意義

 私は、次に、以上の定義に従って、大衆文芸の意義を説きたいと思う。それは、しばしば芸術小説との価値比較をされるが故にも必要であり、大衆文芸そのものの使命に就いても、知って置かねばならぬ事だからである。
 私は、問題を少し遠くの方へもって行く。人間は嘗て、太陽が吾々の周囲を出没していると信じ、人類を宇宙の中心と考えていた時代があった。
 又、神の子、仏の末裔《まつえい》であると信じ、宗教への情熱が、人間の中心となり、宗教家は人間の最高の者として、尊敬され、十字軍がしばしば起り、帝《みかど》は、自らを三宝《さんぽう》の奴《やっこ》と称された時代があった。
 然し、やがて宗教への情熱は醒め果て、人間が理智的に目覚めた時、人間の精神生活を指揮するものは、哲学であると信じられ始めた。洋の東西に於て、多くの哲学者達は、人間よ、かく行うべし、かく云うべし、かく考えるべしと、多くの哲理を示してくれた。だが、それによっても人間は救われなかった。
 その次に現れて、人間の感情と、理性とへ訴えたものは文学である。文学は、宗教の如く、非理性的でなく、哲学の如く理智のみで無く、感情を揺り動かし、理性を柔かく撫で、精神生活のリーダーたらんとしたのである。だが、トルストイ伯の、ドストエフスキイの、深刻なる文芸作品によって、然らば人間は? 救われたであろうか?
 目に文字なく、頭に思考する事なく、一日畑に、工場に汗して働く者達が卑く、深遠なる哲理を彼の書斎で考えている少数の選ばれし者のみが尊い、ということは、人間の考え方の一つの重大な誤りであった。精神生活のみが人間の唯一の生活ではない。精神生活のみが尊く、物質的生活が卑しいという事は、明らかに誤謬《ごびゅう》である。だが、まだ人間は、他の動物にない思索力を有するが故に、しばしばそれを過度に尊敬して来たし、現在でも一部分の者はしているのである。
 そして、この誤謬を直さんとする運動の一つが、社会運動である。人間全体の生活をよくする事は、文学に於てよりも、直接の社会運動による事が遥かに有力であると、発見したからである。文学は寧ろ社会運動に利用されようとするに到った。
 この思索の過重的尊重という事が、芸術小説の癌を為《な》している。それが如何に、低級、浅薄であろうとも、それのみを尊重して、興味ある事を除くという事が、精神生活に於ては尊いという風に考えられていた。
 一体、思索の尊さは、読書人がそれによって、感激する場合のみである。何の感激も与え無い、陳腐にして、常套的なる物が、余りに多く描かれ、過去の文学は既に感激を失って了った。現在、果してトルストイ伯の、ドストエフスキイの作品が人々に昔程の感激を読者に与えるであろうか。
 精神生活のみを尊重し、物質生活を卑しいと見ることの謬見であるのを、私は既に述べた。何故なら、物質生活こそが精神生活の根底であるから、私は、物質生活と精神生活と何《どち》らが尊いかと云うのではない。物質生活の安定あって、始めて精神生活が充分に為されるのである。その物質生活は、現在どうであるか。資本主義社会の矛盾によって大衆の物質生活は益々、極端に貧困化しつつある。現在の社会は、見よ、加速度的に混乱して行くではないか。それは一方、科学の異常な進歩と、交通機関の発達によって、生活も社会も、思想も刻々に変革されて行き、往古の如く同一状態に於て、半世紀、一世紀を送る悠長さを許さなくなって来たのである。
 社会はどうなるだろうか? 思想はどう結末するだろうか? 誰も今日、それに対して明快に答え得るものは無いのであろうか? 己の立っている土台が動いているのである。婦人は、封建的貞操を棄てんとしつつ、而《しか》も、それに代る道徳を見出し得ない。男子は、古き衣を脱いだが、新らしき着物を知らない。社会は、一革命を起さんとしつつも二つの勢力は対等に抵抗しあっているのである。
 今や、ヨーロッパ文明は沈消して、アメリカ資本主義のジャズ文明の洪水《こうずい》は、世界の人達を溺らそうとしている。人々は、或は、憤然として奥床しく、深淵なるものの犯されていくのを慨歎するであろう。しかも、慨歎しながらも彼等は共に、その世界に氾濫《はんらん》したアメリカ文化の濤《なみ》に捲込まれ、流されて行かざるを得ないのである。ラジオに、ジャズに、シネマが横行する。人々は、それに感染して、行く所を知らない。
 この加速度的な生活の目眩《めまぐ》ろしさは、人々が垂れこめて、深く思索にふける余裕を与えない。人々は我知らず、生活の苦しさから匍《は》い出んとして、瞬間的な享楽を求める。街にはシネマがある。赤い燈、青い燈、のカフエがある。街中の店という店ではラジオが呼んでいる。かくて、今や世界は未曾有《みぞう》の速力と混乱が到来した。この問題の一切は、やがて直接的な社会運動が解決してくれるであろう。
 だが、ここで、私は文芸に眼を転じよう。文学はこのあわただしさに耐え兼ね、面食《めんくら》った形である。それが、外の芸術と異なり、文芸は、時代を背景とし、時代意識を把握しなくてはならないものだけに、又、従来は、人間の永遠的感情を描かんとし、単に、人間の感情のみへ突入していただけに、外界の急激な変化より来る思想、感情の動揺に対して、手をつける事を知らぬ様である。言葉を換えて云うなら、文学史上、新らしく勃興して来た一つの文芸が、完成爛熟期に到達するためには、半世紀間或は一世紀間なりの文明の継続を必要としたのである。この社会の急激な変転に圧倒されて、遂にそれを一つの形式にまで作り上げる余裕が現在ではない。従って、従来の如き、人間の永遠性を深く凝視し、魂の底を握らんとする如き文学は、読者に迎えられないのみならず、又、描かんとする人にも、外界はあまりに騒がしくなりすぎているのである。アメリカがいい適例である。アメリカの資本主義は建国以来、実に急速に発展してきた。アメリカには現在、芸術と呼ばるべきものはない。
 十九世紀の末葉から二十世紀にかけて輩出した大文豪達、トルストイ、ドストエフスキイ、イプセン、等々の文芸が、既に現在の読者にとって刺戟《しげき》がなくなって了《しま》ったことは、再三述べた。人々は、最早、文芸を読むことによって生活をよくしようなぞという望みを失ったのである。民衆は、この七転八苦の物質的生活の苦悩から避《のが》れんとして、勢い享楽的なものを求める。そこで、そこに文学的欲求がある限りに於て、人々は通俗的文芸の出現を望むようになる。ここに通俗的なる文芸、大衆文芸の発生、隆盛がかもし出されるのである。
 この場合、勿論、科学の発達の中に含まるべきことではあるが、特に文芸に於て注意して置くべきは、印刷術の発達普及ということ、従って一般読者のレベルの向上、及び読書力の普及ということである。これが大衆文芸発達の一原因であるのは云うまでもないことである。
 芸術的小説の衰頽《すいたい》、大衆文芸の発展は、これを世界中、凡ゆる処に例をとることができる。フランスに於ては、今や洒落《しゃれ》文学といったようなものが全盛を極めているし、アメリカに於ては、前に述べたように、勿論、芸術小説は皆無と云っていい。独逸《ドイツ》に於ても、諸君が丸善へ行ったら一見してわかるように黄色本という奴が流行している。イギリスでは大衆文芸が全盛である。新興のロシヤに於てさえ当局がかくも文芸を奨励しているに拘らず、まだ偉大な新らしき時代のトルストイも、ドストエフスキイも出現しないように見受けられる。日本で円本の乱出のために芸術小説が行詰ったなぞというのは、浅薄《あさはか》な考え方であって、やはり日本も、世界の潮流に圧し流され、同じ原因から、既に芸術小説が行詰ったと見るのが正しい。もし、円本のために行詰ったというのが正しいとすれば、読者はその程度の欲求しかないことになり、かかる読者の欲求なりとすればそれは実につまらないことであり、一方作者は自身の芸術的無力を自覚して、小説を書くことを止めたがいいのである。だが、読者は決して、そんな欲求に甘じているのでは無い。きっと広汎な読者層は、芸術小説にあきたらず、寧ろ熱烈に大衆文芸を求めてやまないことを、事実が証明している。日本の特殊的な事情については後に述べる積りである。
 そこで、私が芸術小説の衰頽と云ったのは、決して滅亡を意味しているのではない。総て、物には、芸術にも、時代的な変遷というものがある。例えば、彫刻は何といっても希臘《ギリシャ》時代が最も発達していた。併しながら、彫刻という型の芸術は現在にも滅びずに残っている。他に例を挙げれば、現在アメリカには純粋絵画は存在せず、絵画はポスター絵画として描かれているに過ぎない。そんな意味で、私はここで、芸術小説の衰頽と云ったまでである。
 さて、最後に、特に日本の文芸史に関して一言しなければならぬ。それは、日本の大衆文芸の発達上、重大な一要因だからである。私は、この章の頭初に於て、人間はあまりに精神生活を過重評価したことを述べた。それは、世界の文明に後れて発達し、あまりにあわただしく世界文明を輸入したために、不消化の部分が可成残って、特に、以上のことが変態的に日本の文芸の発達の障害をなしたという事実である。繰返していうなら、日本に於て、特に、何の感激をも読者に与えない、陳腐にして常套なるものが、あまりに多く描れた。即ち、明治の末期より、大正、そして現在へかけての自然主義文学の輸入、跋扈《ばっこ》、従って極端なる、異常事件の軽蔑、興味の否定、そのために、日本の文芸は畸形《きけい》的発達を遂げた。その残滓《ざんし》が今も尚存在し、今度はかえって、日本の近代文芸の取材の行詰りをきたし、世界的な文芸衰微と合流して、芸術小説の不振を招く結果になったのである。この事は亦、日本に於ける大衆文芸発達の一原因となる。
 そうして、一方亦西洋文芸のあわただしい輸入のために充分の余裕がなかったことにも起因するのであるが、日本には芸術小説以外の他の種類の文芸の極めて少いことが最後に大衆文芸発達を将来した原因となって来るのである。
 西洋に例を取って見るのに、立志小説としては、マロックの「ジョン・ハリファックス・ゼントルマン」だとか、少年小説としては、スチブンソンの「宝島」だとか、アミーチスの「クオレ」だとか、マロオの「家なき少女」だとか。科学小説としては、ウェルズの諸作だとか、冒険小説風の読物としては、ハッガードの作品とか、トウエンの「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤの冒険」だとか、家庭小説としては、「黒馬物語」とか、ファラアの「三家庭」とか、ホオソンの「緋文字」とか、目的小説としては、「アンクル・トムス・ケビン」だとか、歴史小説としては、シェンキヰッチの「|何処へ行く《クオ・ヴァディス》」だとか、ヂケンスの「二都物語」だとか、伝奇小説としては「アラビヤン・ナイト」とか、ゴーゴルの「タリス・ブルバ」だとか、「ロビンソン・クルーソー」だとか、その他、「不思議の国巡廻記」と、ラムの「シエクスピア物語」とか、フェヌロンの「テレマック物語」とか、オルコットの「四少女」とか、キングスレーの「ハイぺシャ」とか、ヂューマの「黒いチューリップ」とか、探偵小説では、有名なルブランのアルセーヌ・ルパン物、コナン・ドイルのシャロック・ホームズ物、その他チェスタートン、フレッチャー等々。以上のような種類の文芸の傑作が、日本には、少くとも明治以後には皆無だといっていい。しかし、文壇小説の沈滞にあきたらず、以上の如き種類の文芸作品を痛切に欲求する事は、日本の読者も何ら変りはない。否、その畸形的な発展のために、かえって、助長されたかの感があるのである。
 かくの如くにして震災後日本に於ける大衆文芸は、勢すさまじく発達してきた。だがそれは未だ発達の最初の段階に過ぎないのである。現在ではその一部分が発達したに過ぎない。大衆文芸の発達は愈々これからである。髷物に、現代物に、そして少年少女小説に、探偵小説に、冒険小説に、伝奇|譚《だん》に、大衆文芸は愈々、広汎に、愈々深く、読者大衆の中に氾濫して行きつつある。この愈々混乱し速力を増す一方、大衆の貧困の激する処あくまでも娯楽的で、そして啓蒙的なものとしての、大衆文芸の発達は、増々将来に於て見るべきものがあるであろう。然も、大衆文芸に於ては、興味そのもののみにて、何ら目的物でなくしても、独立して成立つということを注意に止めて置いて欲しい。
 以上、私は大衆文芸の意義について述べて来た。で、次の講義には、日本の大衆文芸の歴史的発達過程から講義を続けようと思う。

  第三章 大衆文芸の歴史

 本章では、私は、日本の大衆文芸が如何なる歴史的過程を経て発展して来たか、について講じたいと考える。
 さて、一体、日本には、古代から大衆文芸と称《よ》んでいいような文芸作品が存在したのであろうか、という疑問が起って来るであろう。私の考えに依るならば、かの「竹取物語」とか、「宇治物語」とかなぞは、当時の通俗小説であったと見て、何等差支えないと思うのである。そういう見方でするならば、そこで又そんな見方で私は正しいと思うのであるが、その各々の時代の社会的条件に依って、仮令《たとい》その読者範囲が限定せられ、今日のように、否将来愈々そうであるだろうように、広大な読者層を持つことは不可能であったにしても、兎に角、私が最初に云った意味の、一般的な、興味中心の通俗的な文芸作品は、ずっと古くから我が国にもあることはあったのだと云える。
 だが、余り古い時代のことを、此処でぐずぐずと述べるのも本講座の目的では無いと思うから、私は、本講座に必要な限りに於て、ずっと近代に接近している江戸時代の通俗的読物の類から考察を進めよう。
 江戸時代の、謂わば大衆文芸は、次の十種類に分ち得ると思う。
 一、軍談物(難波戦記、天草軍記)
 二、政談、白浪物(鼠小僧、白木屋、大岡裁きの類)
 三、侠客物(天保水滸伝、関東侠客伝)
 四、仇討物(一名武勇伝、伊賀越、岩見重太郎)
 五、お家物(伊達騒動、相馬大作、越後騒動)
 六、人情、洒落本物(梅ごよみの類)
 七、伝奇物(八犬伝、神稲《しんとう》水滸伝)
 八、怪談物(四谷怪談、稲生《いのう》武太夫、鍋島猫騒動)
 九、教訓物(塩原太助の類)
 十、戯作(八笑人の類)
 此等、江戸時代の通俗小説類を一貫して見るのに、勿論当時の幕府の封建的支配の影響の下にあったためでもあるが、次のような諸点がそれ等の作品を通じての特徴として挙げられると思う。
 一に、当時の以上の作品は、凡て全然無批判であった。そして、
 二に、ある一つの型に、すっかり嵌《はま》り込んで了っていること。
 三に、概して、勧善懲悪を目的としていること。そして、そのために、屡々《しばしば》、事実が極端に曲げられ、或は誇張されている。且、歴史的事実の研究が、非常に不足していたこと。
 四に、空想的な、想像力がとても貧弱で、お話にならないこと。例えば、稍々《やや》江戸時代の雰囲気の出ていると思われる第十の「戯作」にしても、都会人中の極く狭隘《きょうあい》なサークル内の人達の生活を描いているのに過ぎないのである。
 それ等の欠点のためでもあり、亦、幕末から明治へかけての政変のためでもあるが、江戸時代の民衆の文芸は、幕府の末に到って遂に堕落し、みる影もなくなったのであった。
 では、次に明治時代にはいって、大衆的なる文芸として、先ず最初に何《ど》んなものが現れ出《い》でたであろうか。否、現れざるを得なかったか。
 提督ぺルリの来朝、幕府の倒壊。そして明治維新、開港となり甫《はじ》めて日本は数百年の怠惰|安佚《あんいつ》の眠りから覚めた。西洋の文物は続々として輸入され、封建的鎖国の殻を破った我が国は、忽ちにしてその風貌をあらため始めた。即ち遅ればせながら、西洋先進諸国に伍せんとして、日本の資本主義は、遂には不完成に終ったとは云え、隆々たる発展の端緒を開きはじめたのであった。かかる時、今とは違って、我国の新興勢力たりしブルジョアジイは、封建的残存物と対抗して、何を獲んとして居ったか。曰く、自由、平等! そして、自由民権が叫ばれ、議会制度を獲得せんとしたのであった。そのために、尊い民衆の血は流れ、処々に一揆の勃発を見た。
 此の血腥《ちなまぐさ》い時代を背景として、反動的な残存勢力の必死の反抗にも拘らず、西洋の先進諸国の物質文明、精神文明は新らしき進歩的思潮と共に、尚も滔々《とうとう》として輸入されつつあった。そして、当然、西洋の文芸も亦、従って輸入され、翻訳されたのであった。進歩的な人達に依って輸入されたそれ等の文芸作品が、当時の政治的風潮の当然の結果として、自由の思想を盛ったものが主であり、その思想の宣伝の意志の下に、先ず輸入され、翻訳されたのも不思議ではあるまい。こうして、かかる種類の宣伝小説、或は目的小説の翻訳が、近代の我国の大衆文芸の、否文学一般の先駆をなしたのであった。仮令、それ等が、文学史上より見る時、文学的な何等の功績を修め得ない程度の、非芸術的な価値の劣等なものであったとは云え――。
 トルストイの「戦争と平和」なぞ、その当時、「自由の旗名残の太刀風」の題下に翻訳されたのであった。その他主なるものの数種を挙げるならば、
 坪内逍遥訳、リットン「開巻悲憤概世士伝」、関直彦「春鶯囀《しゅんおうてん》」、井上勤訳、ジュール・ベルヌ「佳人の血涙」、モア「良政府談」、大石高徳訳「蒙里西物語」「共和三色旗」等々がある。
 以上のごとき、数多《あまた》の外国小説の翻訳に依って、我国の江戸時代よりの小説類に全く欠けていたものを外国文学中に発見し、外国小説の面白さをつくづくと感じた読者自身が、今度は、自ら創作欲に駆られて、書き初めたのであった。
 その主なるもののみを挙げるならば、
 東海散士柴四朗「佳人之奇遇」、「東洋之佳人」、矢野竜渓の「経国美談」、「浮城物語」、末広鉄腸の「雪中梅」、「花間鶯」、木下尚江の「良人の自白」、「火の柱」、内田魯庵の「社会百面相」等がある。
 之等は、凡て、翻訳小説と同じく、政治、社会、教訓、或は立志に関する宣伝小説であった。
 以後、時代の進歩とともに、西洋文明は愈々我が国民に消化され、その精神的な血となり肉となりはじめた。従って、翻訳小説も、愈々隆盛を極め、宣伝小説に限定されず、より広く、より一般化して、変態的ならざる、正常的な発達を遂げたのであった。
 そして、最初には、何よりも大衆に喜ばれ、理解され易い種類のものが翻訳され初めた。即ち「探偵小説」と「冒険小説」とである。そして、その当初に於ては、それ等探偵小説や、冒険小説の読者は、宣伝文学の訳者と同じ人の手になったのであった。
 主なる例を次に挙げよう。
 森田思軒の「探偵ユーベル」、「間一髪」、原抱一庵の「女探偵」、徳冨蘆花の「外交奇譚」、黒岩涙香の「人外境」等。
 では、何故、当時探偵小説が一般に喜ばれたのであろうか、と云うと、憶うに当時は、尚自由民権の叫ばれた直後であり、仕込み杖の横行した時代であったが故に、自然一般の空気がかかる風潮に影響されていて、従って探偵的興味が強く人心に働き、かかる情態に適応したものであって探偵小説が流行したものの如くである。
 現代を、探偵小説流行の第二期とするなら、当時は、方《まさ》にその第一期に当っていると云い得るだろう。その翻訳小説の盛大を極めたのと同時に、探偵小説の創作も、盛んに行われたのであった。
 例えば、「お茶の水婦人殺し」だとか、「大悪僧」だとか、「ピストル強盗清水定吉」、「九寸五分」、「因果華族」等が書かれた。
 併し、それ等創作探偵小説の愚劣さ加減と来ては、言語道断なものがあった。即ち、新聞記事中の事件は、直ちに小説に書きあらためられるのであって、例を挙げるならば、近頃の説教強盗といったような、当時世間を震撼《しんかん》させたピストル強盗清水定吉とか、稲妻小僧坂本慶次郎とかは、忽ち探偵小説となった。だから、探偵小説を創作すると云うよりは、寧ろ新聞記事の小説化と云った方が妥当であろうと思う。そして加之《しかのみならず》、事実を興味深く粉飾するために、何の小説にも一様に、護謨《ゴム》靴の刑事と、お高祖頭巾《こそずきん》の賊とが現れ、色悪と当時称せられた姦淫が事件の裏に秘《ひそ》んでいるのに極まっていた。
 以上のような、程度の低い、探偵小説は、やがて、当然行き詰らざるを得なかった。そうして、それに代って、冒険小説が勢力をもち始めた。
 此処に冒険小説とは、大人子供の如何に拘らず、興味深く愛読出来る冒険談、或は探険談と呼ばるべき種類のものを指すのである。それ等探険小説、或は冒険譚というものは、日本の嘗ての要素に全然無かった種類のものを含んでおって、小説そのものも、事件それ自身も、当時の人々の未知のものであり、無経験のものであり、空想だにもしなかったものであった。換言するならば、当時、日本の文芸にとって、全く新しき境地であり、開拓地であったのである。宜《むべ》なり、当時の新らしき文学を理解し、信奉する、主として若き、新進気鋭の徒は、悉《ことごと》くその方に走ったのであった。
「地底旅行」「海底旅行」「三十五日間空中旅行」等の、当時の人々の好奇心を煽り、空想力を楽しましめるに充分な読物が現れ、
 森田思軒は、「大東号航海日記」「大|叛魁《はんかい》」「十五少年」を書き、
 松居松葉は、「鈍機翁冒険譚」を発表し、
 菊池幽芳は、「大宝窟」「二人女王」を書き、
 幸田露伴は、「大氷海」を、
 桜井鴎村は、「三勇少年」「朽木舟」「決死少年」を、
 そして、
 押川春浪は、「武侠艦隊」「海底軍艦」「空中飛行艇」を発表して、世の喝采を博した。
 その他、
 スタンレーの「アフリカ探険記」、キャピテン・クックの「世界三週航実記」、「ロビンソン・クルーソー」、「不思議の国巡廻記」「アラビアン・ナイト」等が翻訳された。
 かくの如く、冒険、乃至《ないし》は探険小説の発達は、当時の少年文学に大きな刺戟を与え、少年文学が提唱された。即ち
 尾崎紅葉は、「侠黒児」を書き、
 巌谷小波は、「黄金丸」を発表し、
 川上眉山は、「宝の山」を、
 土田翠山は、「小英雄」を、
 与謝野鉄幹は、「小刺客」を書き、
 黒岩涙香に依って、「巌窟王」「噫《ああ》無情」が翻訳されたのであった。
 時代物としては、
 外山|ゝ山《ちゅざん》の、「霊験王子の仇討」(ハムレット)、「西洋歌舞伎葉列武士」が現れ、
 村上浪六は「三日月次郎吉」「当世五人男」「岡崎俊平」「井筒女之助」と彼の傑作を続々と発表し、
 塚原渋柿園は「最上川」を、
 村井弦斎は、「桜の御所」を報知新聞に書き、その他、「衣笠城」「小弓御所」を著した。
 加之《しかのみならず》、新聞小説も漸く盛んになり、
 恋愛物としては、
 蘆花の「不如帰」が著され、
 紅葉山人の「金色夜叉」が明治三十年に出でて、世に喧伝され、
 弦斎の「日出島」が出て、
 幽芳は、三十三年大阪毎日新聞に、「己が罪」を書いて世の子女を泣かせ、
 小杉天外は、「魔風恋風」を三十六年読売新聞に連載し、大倉桃郎は、「琵琶歌」を書いた。
 同時に、講談は、明治十一年に表れた「牡丹燈籠」を最初として、之又続々と新聞に連載された。
 以上のごとく、通俗小説は、明治三十年頃を絶頂として未曾有の盛観を極め、更に百花撩乱たるの観あること、今日の大衆文芸の盛んなること以上であった。今日の如きは大衆文芸の重要なる一分野である少年文学は全く見る影もなく衰えている。この当時の文壇と、震災以前、大衆文芸勃興以前の文壇とを比較して見るなら、如何に文壇小説がその後、尊ばれ、以外の文学が軽蔑され、衰えたかを一目瞭然と知ることが出来るであろう。例えば少年文学にしても、その分野に踏み止るもの小説唯一人であった。
 かかる文壇小説偏重の悪傾向は、如何なる原因より発し如何にして助長されたのであろうか。
 我々は、此処で、日本に稀なる四人の文芸批評家の出現を省《かえり》みなければならない。即ち、高山樗牛、森鴎外、坪内逍遥、島村抱月が之である。当時、我国には前述の如く、通俗小説以外に文芸は皆無であった。彼等四人の評論家は口を揃えて、文学の正統性を論じ、純粋文芸の必要を力説し、主張し、堂々たる文学論を戦わしたのであった。彼等の云わんとする処は正しかった。彼等は文芸を正道に帰さんと試みた。斯《か》くして、彼等の文学論は、遂に圧倒的な勢力を文壇に占めるに到って、世の文学者、作者は、今度は悉く通俗小説を棄てて彼等の下に馳せ参じたのである。以後、通俗小説に踏み止まったものは、今まで通俗小説を書き馴れて来た老人達のみで三十年以前から書き来《きた》った儘《まま》に、漸く消えなんとする通俗文芸の命脈を保っているに過ぎなくなった。
 樗牛、鴎外、抱月、逍遥四人の優れた評論家が唱えた処は、誠に正しかった。併し、その文学論は、今度は反動的に、文壇小説偏重の傾向を培い、文芸を文壇小説一種に限らんとする努力がなされるに到った。加うるに、日本に於ける自然主義文学運動が次第に盛んとなるや、この傾向を愈々助長促進せしめ、自然主義文学者に非ざれば、作家に非ず、とまで叫ばれるに至った。その後、文芸上の風潮は人道主義派、新理智派とそのイズムの色に変化はあったが結局彼等は、文壇小説以外の通俗文芸を度外視し去り、従って通俗文芸に対する、若き作家達の関心、努力は全く無くなって了ったのであった。このようにして、震災以前の大衆文芸は、沈滞その極に達した。
 蓋《けだ》し、今日の大衆文芸の隆盛は、必然的なものであって社会がかくも大衆的にならなくても、新らしい通俗文芸は当然起らねばならぬ機運にあったものだと云い得るのである。
 そこで、話は震災以後に移るのであるが、震災以後に於ても、本田美禅、岡本綺堂、前田曙山、江見水蔭、渡辺黙禅、伊原青々園、松田|竹嶋人《たけのしまびと》と云うような人達が通俗小説を相変らず発表しているのであるが、之等の人は、謂わば硯友社派の残存者達であり、文壇小説家としては落伍した連中であって、残念ながら新らしき大衆文芸の復活者とは決して云えないのである。
 復活以後の最初の作品として挙げるべきは、震災前即ち大正四五年に東京|都《みやこ》新聞に連載された、中里介山の「大菩薩峠」である。今日でこそ、大衆文芸の一典型とまで持囃《もてはや》されているが、発表当時は勿論、大正十二三年頃に到る迄は、その存在すら一般には認められなかったのであった。その他、国枝史郎は、講談雑誌へ「蔓葛木曾桟」を書き、白井喬二は、人情倶楽部へ「忍術己来也」を、大佛次郎はポケットに「鞍馬天狗」を書いていた。然も、之等も亦、殆んど全く人々の注目する処とはならなかったのであった。
 大正八九年頃、当時、私は「主潮」と謂う雑誌を編輯《へんしゅう》していたのであるが、その中で、私は「大菩薩峠」と、後藤宙外の大阪朝日新聞に書いた小説とを比較して、「大菩薩峠」の優れていることを賞讃したことがあったが、それも又一般の人々の認める処とはならなかったのである(以下、少々私自身の自慢のように聞えるかも知れないが、事実であるから何とも致しかたのないことだと思う)。その後、春秋社に這入《はい》った私が、喧嘩別れをして出た時に、大菩薩峠を置土産にして去ったのであった。
「苦楽」が発行されることになって、私が編輯の任に当った。そこで私は有名な文壇人達に同誌上へ通俗小説を書いて貰い、自分も書いた。それから大衆文芸の機運が漸く動き始めたと云っていいと思うのである。そこで、長谷川伸、平山蘆江、土師《はじ》清二、村松梢風、大佛次郎、吉川英治等が続々と新らしい大衆文芸を提供し、広汎な読者層が、之に応じ始めたのである。
 この新らしく勃興し来った大衆文芸が以前のそれと異る処は、次の諸点であろう。
 即ち、人物に人間性を与えたこと、物語が事実らしくなって来たこと、文章に新鮮味が加わったこと、等であるが、批判という点では、矢張り殆《ほと》んど欠乏していると云わなくてはならないであろう。
 震災後、起って来たプロレタリア文芸が、実に盛んになって、今日プロレタリア文芸理論の論議が喧噪《けんそう》を極めているのと同様に、将来を期待される大衆文芸も亦、今やその理論を一応は確立すべき時にまで立ち至っているのではないだろうか。新聞紙上に於ても、屡々《しばしば》大衆文芸が問題となっているのを、我々は見るのである。我々は、将来の発展の見通しをつけるためにも、大衆文芸理論を、兎も角も確立する必要があるのではなかろうか。
 併しながら、私は此処で、大佛次郎の、或は某々、等の大衆文学に関する論を或は反駁し、或は賛成して、議論を闘わそうとは思わない。唯、かかる過程を経て起って来た現在の日本の大衆文芸は、かく進んで行くべきであり又進んで行くであろう、と云うようなことをこの章の結論として一般的に述べるに止めたいと思うのである。凡ゆるものは、原因があって起り、そしてそれ自らが持つ最大限度には発展し得るものなのである。大衆文芸も亦、私が再三述べて来たように、一般的には、資本主義的な世界思潮の波に乗って生れて来、特殊的には我国に於ける自然主義文芸運動の変調的発展に堰き止められたために特に遅れて、併し反《かえ》って急速に、近頃になって再び新らしく起って来たのであった。そのことは、第二章の意義の処で可成り詳細に述べたと思うからここには云わないことにする。かかる必然的結果として文学の一部門中に誕生した大衆文芸は、従って芸術小説とは自らその性質を異にして広汎な読者層を包含する故に、階級的な特殊性を避けようとしても避け切れないものがあるのではないかとも思われる。勿論、現在、興味のみのもの、興味即ち事件の運びの面白さと謂ったもののみで、成立した大衆文芸が存在し得るのは事実だ。だが、大佛氏が云うように、現在の資本主義的ジャーナリズムが握っているように思われる所謂「大衆」が、その歴史的必然の途を踏んで階級の特殊性を愈々自覚して来る時、現にしつつあるごとく思われるが、その階級的分離の速度を強めて行くのは当然だからである。そして、作家それ自身もやはり社会生活をするものである以上、彼等自身何等かの色づけをされざるを得ないのではないだろうか。即ち、作家達個々の良心に従って、個々の大衆作家の描く作品そのものも変って来る訳ではある。だが、大衆作家が、大衆作家である所以《ゆえん》のものは、その作品があくまでも文壇的ではなく、大衆的、通俗的文芸作品でなければならない、と云うことは何等変りないのである。
 我国の大衆文芸は、その範囲未だ極めて狭く、鶴嘴《つるはし》の触れてない未採掘の分野は、尚尊い金鉱を蔵してその儘、我々の足もとに広く、深く横たわっていることを知らなければならないのである。そして、それ等を開拓して行くことこそ大衆文芸作家の任務であり、大衆文芸を益々盛んならしめる所以であろうと思う。
 で、私はこの章の最後に当って、大衆文芸の分類方法に関して、若干の意見を述べようと考える。そのことに依って、諸君に大衆文芸の分野でありながら、日本の大衆作家達が、全く手をつけていないような、然も広大な鉱脈を知らせることが出来るだろうからである。そして又、それ等こそは、大衆文芸を目指す諸君によって是非開拓されなければならない沃土《よくど》なのである。
 で、もし、日本の過去の作品のみを以《もっ》て分類するなら、第一に「軍記物」源平盛衰記とか、難波戦記とか――現在の例をとると、日米戦争未来記とか、秩父宮勢津子妃の愛読書だという「進軍」とかは、立派に大衆文芸の一分野を占めていいであろう。
 第二に「白浪物」又は「政談物」とでも呼ぶべき「鼠小僧」とか、大岡越前守の関係物とか。第三には「侠客物」第四に「仇討物」第五に「お家騒動」第六に「怪談物」第七に「伝奇物」第八に「教訓物」第九に「人情本」即ち、恋愛小説の類、第十に「戯作物」これらは総て、大衆文芸の中へ含まれて差支え無い物である。
 以上の分類法は、私が江戸時代の通俗小説を分類するの方法を適用して見たのであるが、之を、現在の言葉により現在の分類法を用いるなら、第一「探偵小説」第二「冒険小説」第三「少年、少女小説」第四「宣伝小説」この中には、政治、宗教、思想等、作によって目的を宣伝、流布せんとする物の一切が含まれてくるのである。第五に「歴史小説」第六に「伝奇小説」この両者の相違は後章に詳説する。
 第七に「スポーツ小説」この中へ、海洋又は山岳文芸を含めてもいい。第八に「立志小説」又は、修養、教訓小説と云っていいもの。第九に「花柳小説」第十に「滑稽、諷刺小説」第十一に「恋愛小説」第十二に「実譚小説」第十三に「怪異小説」第十四に「戦争小説」第十五に「英雄小説」第十六に「科学小説」と。こんな風に分類して行くなら、「競馬小説」「カフエ小説」「シネマ小説」……と何ういう風にでも分類ができる訳である。
 然し、もしこれを内容的に見るならば、ただ二つに帰してくる。その一つは、興味中心、娯楽的、即ち事件の起伏波瀾、変化の面白さのみによって、読ませようとする物であり、他の一つは、勿論、そういう点も十分に考慮されて居るが、純文芸の目的たる、人間及び人生、社会等の探究、解釈をも含めている物である。
 そこで、私は、次のように分類するのがいいのではないかと思う。
 一、時代物
 二、少年物
 三、科学物
 四、愛欲小説
 五、怪奇物(広い意味の探偵小説)
 六、目的、又は宣伝小説
 七、ユーモア小説

  一、時代物

 時代物は、これを伝奇小説と歴史小説に分類する。
 伝奇物とは、髷物であり、所謂大衆小説と称せられている処のものである。主として事件の葛藤、波瀾を題材としたものであって、従って興味中心的であり、多少は歴史的虚偽を交ぜても構わない種類のものである。
 現代の日本の大衆作家の作品の殆んど凡てはこれであると断言することが出来る。
 歴史小説と称ばるるものは、歴史的な史実の考証的研究の充分にされたものであって、歴史的事実は毫《ごう》も曲げずして、新らしき解釈を下した作品である。シェンキヰッチの「神々の死」等の諸作、フローベルの「サランボ」等の如きが例として挙げられ得るであろう。

  二、少年物

 主として想像力に基く一切の作品、大人の持っている分子の一切をも含めたものを、凡てこの題下に呼ぶのであって、怪奇物語、冒険、探険小説等々を包含するのである。例えば、「竹取物語」、「西遊記」、「アラビアン・ナイト」、スチブンソンの「宝島」、アミーチスの「クオレ」、マロオの「家なき少女」、トウエンの「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤの冒険」、「ロビンソン・クルーソー」、「不思議の国巡廻記」等。
 この種の創作には、殆んど我が国では手がつけられて居ないといってもいい。よき少年文学は、大人の文学作品の書ける上に、より充分な「空想力」が無ければ書くことは困難である。これを、只単に、年少の人の読物なりとして軽蔑し去る理由は少しも無いのである。それだけの理論さえ理解出来ずして、一端これを棄ててしまった文壇小説が益々|狭隘《きょうあい》な途に踏み込んでしまったのは当然と思われる。
 現在、少年、少女小説は、一の転換期にあるように観察される。嘗て、少年を喜ばした処の、空想力に依った科学的探険談は、現在の加速度的なテンポで進歩して止む処を知らない科学の知識によって書き改められるべき時に到達しているのである。この転換期に於ける少年文学は、科学と空想とが如何に巧みに結合するかによって解決されると思う。旧き一切のものは、新らしきものの材料となり得るであろう。もし、現在日本の文学界に最も必要な小説を求むるならば、私は第一に少年文学を挙げるに躊躇しないであろう。
 少女小説に到っても、同様である。現在の少女小説作家が、同性愛と古きセンチメンタリズム以外の何物も描き得ない時に、大人の愛欲生活の世界は、思想的にも経済的にも急速に変化しつつあるのである。かかる重大な危機に臨んで、果して現在の少女小説作家は如何に考えているのか、私は大方の少女小説作家諸君に問いたい。

  三、科学小説

 科学小説と称ばれる種類の作品例は、日本には皆無である。外国に例を取るなら、ハッガードの探険談。ウェルズの諸作品。近頃では、テア・フォン・ハルボウ女史のメトロポリスなぞが、そうである。科学の進歩発展した今日、日本にも当然創作されなければならないものである。私は現代に於ける進歩とは、科学の発展以外の何物でもあり得ない、と断言して過言ではあるまいと思う。精神文明、芸術的諸作品、と云ったものは頽廃しつつある。少くとも科学と比較する時は、退歩していると云い得るだろう。斯《かか》る時に当って、日本に未だ曾て科学小説の現れなかったというのは、日本人が如何に科学に対して無理解であったかを示すものである。と同時に、今後に於て科学小説の領域に全き発達の余地が残されていることをも指し示すものである。
 科学とは、単に機械に対する驚異というような狭い意味の言葉では、決してない。私の意見に依れば、人間の生活は、自然的倫理作用より科学的倫理作用に支配されるようになって来た傾向がある。と云うのは、科学は、必ずしも人間の要求する幸福を実現する方向にばかり進んでるのではない。人間は、自然的な人格作用として、人口の増殖と食物の増加を望む。この自然的倫理作用の命令に従って、科学が支配されるならば、一年中に米が三度取れるようになっているべきだ。然るに、科学の発見があるごとに、一つの傾向だけが雪だるまのように広がり、大きくなるのである。例えばテレビジョンの発明まで、享楽的方面にすばらしい発達を見せている。処が、享楽的科学の発達は、人口増殖とか食物問題とかとは、概して矛盾した結果を齎《もたら》す。つまり、人間的生活は人間の自然的欲望の倫理作用より科学的なる倫理作用に支配さるるに到るのである。この科学文明の歪んだ道を、正当に引き戻すためだけでも、科学小説は、今や立派な使命を持っていると、云えるのである。

  四、愛欲小説

 現在までの家庭小説は主として恋愛小説であった。殆んど凡ての文学は恋愛事件を含んでいるから、一切の文学は恋愛小説であるとも云える訳だが、特に愛欲のことを取扱った小説を大衆文芸の一部門として分けてもいいと思う。
 ただ、今後の作者が特に、恋愛を取扱う場合に注意すべきは、恋愛を科学的に考察することである。精神的恋愛、肉体的恋愛、という古くよりの二つの区別を信奉するものは、新らしき恋愛小説は書き得ないだろう。私をして云わしむるなら、恋愛は八種類に分類し得ると思う。参考のために、以下少しく、恋愛について述べよう。
 一、思春期的恋愛。この時代の恋愛は、ただ無闇な、盲目的な情熱にうかされるのであって、無批判的で、相手を選択する余裕がない。街角で出あった最初の異性が恋人である。恋愛は、本質的にかかるものではあるが、特にこの思春期に於ける恋愛は、情熱的で、無批判である。
 二、母性的恋愛。無自覚な、大多数の、日本の女性の恋愛は悉く、この種類に属するのであって、恋愛はそれ自身として独立していないのである。子供を欲しい事が、無意識的に動いて、異性を欲しがる処の恋愛である。かかる恋愛は、子供さえ出来れば、あらゆることに忍従するものである。
 三、性欲的恋愛。ある人々は恋愛で無いと云うかも知れないが、恋愛的な気持の一抹もないようなことは絶対に無いと云っていいから、恋愛の中に入れていいと思う。
 四、英雄崇拝的恋愛。必ずしも、その人を独占しようとするのではなくして、その人に、好意をもたれんことを望む。活動俳優に対するファンの気持。著名人物に交際を求める男女の恋愛心理といったものが、これに属する。
 五、社交的恋愛。殆んど之に同じもので、頗《すこぶ》る遊戯的な恋愛である。音楽会へ行く時の、競馬を見る時の、舞踏会へ行く時の相手といった、軽い携帯用の、ステッキのような恋愛である。
 六、同志的恋愛。コロンタイ女史の小説に表れるような最も新らしい型の恋愛であって、何よりも第一に、政治的に思想的に一致した意見によって同志として結ばれていなければならない。これは、労農ロシアの若きゼネレーションの中から必然的に生れたもので、近頃日本でも林房雄なぞに云々され、流行せんとする傾向があるが、本来はそんな軽率な、皮相的なものではないのであろう。

  五、ユーモア小説

 一体、ユーモアとは、現象の見方にある。人生に、到る処に絶えない数限りなき悲劇的現象を、喜劇的に見たものがユーモア小説なのである。だから需要は常にありながら作者が非常に、稀なのである。ユーモア小説作者の稀なことには、二重の不利が存在するからである。一つは、他から反感を抱かれ勝ちであること。そして、今一つは、作法上に非常に困難があるので、教養あるものに解るように書けば、無教養な人達にはその面白さなり諷刺なりが理解されない憂いがあり、教養少き人達の為に解り易くすれば、教養あるものからは駄洒落《だじゃれ》なぞと軽蔑されること。加うるに、我が国に於ける、かの畸形的な、自然主義文学の発達が作品に現れるユーモアを極端に軽蔑したことも、ユーモア作家の少いことの、そして、従って優れたユーモア小説の少いことの重大な原因をしているのである。現在、ユーモア小説作家としては、大泉黒石、佐々木邦の二人を除けば、皆無といっていいであろう。私の考えでは、かの夏目漱石の「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」は、立派なユーモア小説であると思っている。
 現在、世にユーモア小説として喧噪されているものの殆んど総ては、低級な言葉上の洒落とか、業々しく無理にユーモア的に歪められたる会話、故意に笑わそうと作られたるもののみである。かかるもののみがユーモア小説とされている現状に於て、我々は大いに考え直さなくてはならない。
 だが勿論、ユーモアには、言葉及び会話の自然的な可笑しさが重大な役目を持つのである。外国のユーモア小説が翻訳されても、面白さが半ばなくなるのもその為である。例えば、改造社の世界大衆文学全集で翻訳されているし、フィルムにもなって我国へ輸入されたから、読者諸君も知っているだろうが、亜米利加で驚くべき売れ行きを示しているアニタ・ルース夫人作の「殿御は金髪がお好き」というユーモア小説でも、原書で読むと、仲々面白い洒落《しゃれ》た会話が到る処に見出されて興味深いものがあるが、翻訳ではその味が全く無くなって、原書と比較にならぬ程面白くなくなっているのも、その故である。又、江戸時代の黄表紙が現在の言葉に翻訳されても、同様に面白味がなくなるのもそうである。
 そのように、ユーモア小説は、言葉が大切であるから、普通の小説家としての才能だけでは書けない。特別な才能が必要とされるのである。駄洒落や無理強いな可笑しさから一歩抜け出た作家の、ユーモア小説が現れれば、それは大したものだ。が併し、丁度漫画家が正道的な画家達から、軌道外の存在として見られるように、ユーモア小説家も、普通な小説家、所謂芸術小説家達から往々にして虐待される傾向があるのである。
 政治的な諷刺、社会に対する諷刺小読も、勿論、ユーモア小説の部類にはいる訳であるが、一面より見れば、小説の中に入れてもいいようである。

  六、目的小説

 或は、「宣伝小説」。先に、私は大衆文芸を内容的に分類すると、興味中心的な、娯楽本意の、事件の起伏、波瀾の興味によって読者を惹きつけようとするものと、以上のことは勿論であるが、所謂芸術小説のごとく、人間及び社会等の探究、解釈、換言するならばある何等かの思想を盛らんとするもの、以上の二つに帰することが出来ることを講じたと思う。目的小説、宣伝小説と称せらるるものは即ち後者に属する処の小説である。その中には、盛るに政治的宗教的、思想的内容をもってし、その作品に依って作者の思想を宣伝、流布しようとする物の一切の種類を含むのである。
 明治時代の、我国に海外文芸が輸入された当初に、翻訳され、制作された一切の通俗的小説が、当時の自由民権の思想に影響され、その政治的社会的思想を、積極的に流布し、宣伝する目的のもとに書かれた宣伝小説であり、その他立志の、或は教訓的な宣伝小説であった。坪内氏の訳になるリットンの「開巻悲憤慨世士伝」とか、井上勤訳する処のモアの「良政府談」とか、創作では、東海散士の「佳人之奇遇」、矢野竜渓の「経国美談」等々皆然りである。
 外国に例を求めるならば、マロックの「ジョン・ハリファックス・ゼントルマン」なぞは、立志的目的小説であり、ホオソンの「緋文字」は、宗教的、教訓的目的小説といい得るであろう。「アンクル・トムス・ケビン」は合衆国の奴隷解放を描いた宣伝小説であり、かのビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は、歴史的小説であるとともに、仏蘭西革命を書いた政治的社会的宣伝小説である。シェンキヰッチの「|何処へ行く《クオ・ヴァディス》」等の歴史小説でも、当時なお人心宗教に篤《あつ》かりし時代に於て、それは宗教的宣伝小説であった。トルストイの「戦争と平和」が明治時代に我国に翻訳されたのも、それが当時の社会状態に対する政治的な社会的な鋭い批判を含んでいたからであり、「復活」等が当時の帝政露西亜の政府の忌諱《きい》に触れて焼かれたにも拘らず、人心をかくも捉え得たのは、亦その政治社会に対する宣伝的要素を充分備えていたからである。トルストイの作品は、社会的目的小説であったと同時に、彼の哲学、そして宗教をも内容としたから、哲学的宗教的意味に於ける、宣伝小説でもあった。
 震災後から猛烈に、大衆文芸と、肩を並べて勃興して来た、当時の民衆文学、即ち今日のプロレタリア文学のごときも、プロレタリア的、革命的思想を民衆の間に広く宣伝せんとする意識的な宣伝小説である。外国ではかかる小説が可成りに広く深く民衆の中に根を張っている。露西亜のマキシム・ゴリキイとか、仏蘭西のロマン・ローラン、アンリ・バルビュッス、亜米利加合衆国のアプトン・シンクレア等の作品はそうである。その他、通俗読物として、ウイリアムス、梅原北明訳の「ロシア大革命史」、ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」等、挙げられるであろう。それ等は我国に於ても割合に広く読まれているようであるが、我国自身のプロレタリア文学は、反って未だ充分に民衆化されていないようである。我国のプロレタリア文学も、その意味でまさに転換期にあると云えるであろう。プロレタリア文学が、文壇的な大衆とは可成りにかけ放れた、狭隘な読者範囲に止っていて、その域を充分脱していないということは、プロレタリア文学の本来の目的に叛《そむ》くものであろうと思う。プロレタリア文学派の人達は、かかる自慰的な域から自身を解放して、文芸のもっと広い大道へ現れ、もっと広汎な読者層を捉えるべく、眼界を転じなくてはならない。林房雄君なぞが、近頃そのことを論じ、「大衆化」が問題とされ来ったのは、注目すべきことであろう。
 宗教が民衆の情熱でありし時代、哲学が民衆の指針でありし時代、それ等の時代には宗教的、哲学的目的小説が行われた。今や、社会の変革が民衆の声ならんとする時、まさに革命的宣伝小説は勃々たる隆興の機運にせまられている。
 その他に、戦争小説とも称ばるべき一群の通俗小説がある。我国の過去の作品を取ってみるなら、「源平盛衰記」「難波戦記」等の戦記物、日露戦役当時で謂うならば、「肉弾」、「此の一戦」等、現在では「日米戦争未来記」とか「進軍」といった類いの小説。これらは、戦争を、軍国主義を積極的に宣伝、鼓吹するものであるから、当然、宣伝小説の部門に入れられるべき性質のものである。

  七、怪奇小説

 私は、これを広い意味に於ける探偵小説、所謂《いわゆる》怪奇小説と称ばれるものも含むものである。共に、空想的疑惑、恐怖的な好奇心を唆《そそ》るものだからである。人間社会の宇宙の凡ゆる不可思議が残るくまなく科学的知識に依って解き得る時が来るまで、人間の生活をおびやかす物のみに対する人間の心理の、空想的疑惑、恐怖心は人間を誘惑するであろうし、人間社会から凡ゆる犯罪がなくなるまで、より科学的に深まりつつも、探偵怪奇に対する好奇心は人間の著しい魅力として残るであろう。尚人間それ自身は、現在では決して完全無欠ではない。例えば視覚は往々にして錯覚を生じる。錯覚とは知りながら、ある心理的状態においては、それが恐怖心を抱かすことがある。怪奇は、曾て怪奇なりしものが科学によって克服されればされる後から、愈々微妙に、複雑に、緻密にそれ自身を科学の隙間から突如として立ち現れ来るのである。一方、犯罪は愈々巧妙にして新《あらた》な方法で構成されていく。加うるにこの歪める現在の社会に於て、一方に莫大なる富のあくなき集積があると同時に、反面に貧困を愈々深刻化し広汎に拡がらせていきつつある。かかる時、犯罪は亦社会的に後を絶つべくも無いのである。
 エドガア・アラン・ポーの小説は、芸術小説の部類に含まるべきものながら、その題材は主として怪奇物語を取扱っている。我国で例を取れば、江戸川乱歩の傾向がそうである。探偵小説に至っては、益々科学的知識との結合は重大である。犯罪が愈々科学的に巧妙に行われると同時に、捜索も亦、科学的に緻密に行われる。ルブラン、ドイルより現在に至る探偵小説を吟味してみ給え。それが如何に科学を反映しているか。
 だから、怪奇小説に筆を染めんとする諸君は、よろしく何よりも科学的知識を、そこでそれと結合した特異な、豊富な空想力を涵養しなくてはならぬ。
 以上、私は概括的に、我が国大衆文芸の発達史、及びそれに加うるにその各々の種類を説明し終えた。文学は、今や世界的に転換期に到達している。ブルジョア文学よりプロレタリア文学への転換等よりもっと広汎な意味に於て。その二つを合せたものと云った意味でもない。もっと綜合的な、構成的なものへの転化の意である。成程、プロレタリア文学者は多少の科学的な考え方をするであろう。併し私の云うのは、もっとずっと広い意味に於ける科学的な知識、自然科学、社会科学全般に渡っての知識を包括して云うのである。経済、政治、その他一切の社会現象、人間の知識の凡てを、文学者が自らのものとした時、甫《はじ》めて十九世紀に全盛を見、以後次第に衰微した文学が再び勢よく発芽し、花咲き出《い》でるであろう。
 私が、以上を主張するのには、抑々《そもそも》次の三つの根拠を有するのである。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
一、赤露的言論の絶対的権威、無批判的受け入れ方、に対する批判。
一、無思想であり、無反省でありながら、然も恐しき実行力を、生活力を伝播していくアメリカニズムのジャズ文明に対する批判。
[#ここで字下げ終わり]
 そして以上の二つは、当面の世界の二大潮流である。最後に、
 一、自然的人間的作用の科学文明の発展進路に対する正当なる批判、が亦文学によってなされなくてはならぬと云うこと。
 つまり、世界中の距離が縮み、世界中の思想がインターナショナル的になり、世界の学問と学問との領域が益々接近しつつある今日、その各々のエッセンスを擢《ぬき》んで、理解し、其専門化して歪められたる方向を正しきに引き戻すのは、文学者の綜合的知識と批判を俟《ま》つの他は無い。かかる任務を果し得る文学は、より以上に構成的、綜合的でなくてはならぬと考える。以上の意味に於て、私は将来の小説は、「社会的小説」であると断言して憚《はばか》らないものである。
 もし、これを文学史的に観察するならば、嘗て人類が未だ宗教に情熱を有していた当時、文学が宗教と結び付いていたように、その後文学が哲学と結び付いたが如く、そこで、又文学者の人生観に依って、人類を救わんとした如く今日我々の情熱は社会制度の変革に燃えている。それと文学が結び付くことは、歴史的に必然なことである。そして次の時代に於て、文学が科学と結合するであろうことも亦文学の必然的な道程ではあるまいか。

  第四章 文章に就いて

 これより、愈々本論にはいる訳である。この章では、一般的に大衆文芸は、如何なる文章を適当とするか、を講ずる意《つも》りである。
 大衆文芸に於ける文章は、記述の明晰にして理解し易いことを、第一条件とする。つまり、「話すが如く書く」ことを根本原則とするのである。だから、出来得る限りに於て芸術上の技巧的な個人性を出さないように努めなくてはならぬ。何故なら、技巧の表現の個人性が深まれば深まる程一般の人々に解りにくくなるものだからである。芸術が言葉の表現にある以上、芸術家としては技巧上の個性と謂うものは当然現れるものではあるが、所謂芸術小説とは異り大衆文芸といわるる一般向きのものであるからには、表現上個人的特異性のあまり深まるようなことは避けなくてはならない。此のことは、古来屡々芸術家に依っても云われて来たことであって、仏蘭西の詩人レミ・ド・グルモンも「話すがごとく書くべし」と主張している。
 だから、芸術小説と大衆小説との分岐点は題材の如何にあるのでは無くて、寧ろその文章にあるのである。例えばエドガア・アラン・ポーの幾つかの奇怪なる物語は、まさしく大衆的に興味を惹くものではあるが、その文章はあくまで個性を発揮した、立派な芸術小説的なものである如き然りである。だから、ポーの文学的地位は芸術作家であって、決して通俗作家ではない。試みに、日本の現在に於て、最も特異な文章を書く芸術作家として、有名な、横光利一君の文章を引用して置こう。後に挙げるであろう処の、大衆作家の文章と比較されたら、面白いと思う。

[#ここから2字下げ]
 ナポレオンの腹の上では、今や田虫の版図は径六寸を越して拡《ひろが》っていた。その圭角をなくした円やかな地図の輪廓は、長閑《のどか》な雲のように美妙な線を張って歪んでいた。侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ荒された茫茫たる沙漠のような色の中で僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては、数千万の田虫の列が紫色の塹壕《ざんごう》を築いていた。塹壕の中には膿を浮べた分泌物が溜っていた。そこで田虫の群団は、鞭毛を振りながら、雑然と縦横に重なり合い、各々横に分裂しつつ二倍の群団となって、脂の漲った細毛の森林の中を食い破っていった。
 フリードランドの平原では、朝日が昇ると、ナポレオンの主力の大軍がニヱメン河を横断してロシアの陣営へ向っていった。しかし、今や彼らは連戦連勝の栄光の頂点で、尽く彼らの過去に殺戮《さつりく》した血色のために気が狂っていた。
 ナポレオンは河岸の丘の上からそれらの軍兵を眺めていた。騎兵と歩兵と砲兵と、服色|燦爛《さんらん》たる数十万の狂人の大軍が林の中から、三色の雲となって層々と進軍した。砲車の轍《わだち》の連続は響を立てた河原のようであった。朝に輝いた剣銃の波頭は空中に虹を撒いた。栗毛の馬の平原は狂人を載せてうねりながら、黒い地平線を造って、潮のように没落へと溢れていった。(「ナポレオンと田虫」)

 ――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦達が崩れ出した。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 退院者の後を追って、彼女達は陽に輝いた坂道を白いマントのように馳《か》けて来た。彼女達は薔薇の花壇の中を旋回すると、門の広場で一輪の花のような輪を造った。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 芝生の上では、日光浴をしている白い新鮮な患者達が坂に成って果実のように累累《るいるい》として横たわっていた。
 彼は患者達の幻想の中を柔く廊下へ来た。長い廊下に添った部屋部屋の窓から、絶望に光った一列の眼光が冷く彼に迫って来た。
 彼は妻の病室のドアーを開けた。妻の顔は、花弁に纏わりついた空気のように、哀れな朗らかさをたたえて静まっていた。」(「花園の思想」)
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 そこで、大衆文芸の文章は? くだけて云うなら、難渋な文章を書いてはいけない[#「難渋な文章を書いてはいけない」に傍点]のである。仮りに、今、手もとにある、同じ二月七日の夕刊から三つの例を次に取って見よう。諸君自身、吟味比較して読んでみ拾え。

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 四人の武士が集って、燭台の燈火を取り巻いていたが、富士型の額を持った武士が一人だけ円陣から抜けだしてふすまの面へ食っついたので、円陣の一所へ空所が出来て、そこから射し出している燈火の光が、ふすまの方へ届いて行って、そこに食いついている例の武士の、腰からかがとまでを光らせている。腰にたばさんでいる小刀のこじりが、生白く光って見えるのは、そこへ燭台の燈火が、止まっているがためであろう。と、その武士がうなされるようにいった。

「あのお方がズルズルとはって行かれる。若衆武士の方へはって行かれる。肩が食みだした。……ずっとそのさきに若衆武士がいる。……そう白の顔! 食いしばった口! 若衆武士は半身を縮ませている! ねらわれているちょうのようだ! ひ[#「ひ」に傍点]の長じゅばんがずれて来た。ズルズルとはって行かれる毎に、じゅばんのえりが背後へ引かれる! くび足が象牙の筒のように延びた。……左右の肩がむきだされた。象牙の玉を半分に割って、伏せたような滑らかで白い肩だ! ……焔が二片畳の上を嘗めた! あのお方の巻いていたしごきの先だ! ……だんだん距離がせばまって来た。でも五尺はあるだろう。……」(中略)
「私はお前一人と決めたよ! こういうことはこれまでには無かった! それは一人に決めたいような、私の好みに合った男が、見つけられなかったがためなのだよ、……お前は私には不思議に見える! 優しい顔や姿には似ないで厳かで清らかな心を持ってる。だから私には好ましいのだよ。私は是非ともその心を食べてかみ砕いて飲んでしまいたい!……お前は「永遠の男性」らしい。だから私は食べてやり度い! そうしてお前を変えてやり度い!」女の声の絶えた時、例の富士型の額を持った武士が、震える声でいいつづけた。
「今、若衆武士が右手をあげた。腰の辺へ持って行った。その手で帯を撫ではじめた。だがあの眼は何といったらよいのだ! 悲しみの涙をたたえていて、怒りの焔を燃やしている。……だがあの座り方は何といったらよいのだ。背後へ引こうとしていながら、同じ所から動かない。……とうとう距離は三尺許りになった。あのお方が腹ばって行かれたからだ!」
 そういう武士の後姿を、仲間の三人の美ぼうの武士達は、恐怖しながら見守った。
「すぐにあの男は悶絶するぞ。」
「さあ一緒に手を延ばそう。」「倒れないように支えて、やろう。」
――その時女の声が笑った。
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 これは、東京朝日新聞に連載されている国枝史郎の「娘煙術師」の一節である。この文章は、はたして「難渋な」まわりくどい文章でないだろうか。もっと明快な表現が出来ないものであろうか。同じ言葉を何度もしつこく繰り返す不必要な長ったらしい形容詞が到る処で使われている。文章が不自然で、生気がなく、従ってテンポがない。これはして見ると残念ながら悪文の適例である。では、次に――

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 永い用便を終って厠《かわや》を出た信長は、自然らしく話の序《ついで》に、近習等に向い
「たれか余の脇差の刻み鞘の数を云い当てて見い、云い当てた者には脇差を与える」
 と云う問題を出した。勿論受験者の中には蘭丸も居た。此の試験は大いに不公平である。試験官が問題を漏洩したとは謂《い》えぬが、受験者の一人を偏愛しての出題だと謂うことは出来る。信長ほどの大丈夫《だいじょうぶ》も同性愛に目がくらんで、時々こんなメンタルテストを試みたかと思うと、何とも云えぬ親しみを感ずる。
 近習等は我勝ちに答案を提出した。是も随分おかしな話である。まるで根拠が無しに、いくつと云うのだから当るはずも無く、当ってもマグレ中《あた》りである。占のようなもんだと謂いたいが、占だって占者に謂わせればドウして仲々大そうな根拠があるのだから、此の答案は先ず、占よりも以上に、あてずっぽうの方である。
 問う者も問う者なら、答える者も、こんにゃく問答以上の、やみくも問答に暫し市が栄えた。
 信長は快心の笑を浮かべつつ
「うむ、それから」と順々に答案を促して居たが、心の中では、この脇差を蘭丸に与うる時の自分の満足と蘭丸の喜びとを予想して、すこぶる幸福であった。
 ところが蘭丸は最後まで口をつぐんで答えようとしなかった。
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 これは同じ日の報知新聞の夕刊の矢田挿雲の「太閤記」の一節である。この文章は如何? これは、確かに解りいい文章である。然も一脈の諧謔味を湛えている。ユーモアに富んだ軽快な文章であると云える。大衆文芸の求める、よき文章の一例であろう。
 最後に、同じ報知新聞の、吉川英治の「江戸三国志」から引用しよう。

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 やっとそこらの額風呂の戸があいて、紅がら[#「がら」に傍点]いろや浅黄のれんの下に、二三足の女下駄が行儀よくそろえられ、盛塩のしたぬれ石に、和《やわ》らかい春の陽が射しかける午少し前の刻限になると、丁字風呂の裏門からすっと中に消え込む十八九の色子がある。
 曙染の小袖に、細身の大小をさし、髪はたぶさ[#「たぶさ」に傍点]に結い、前髪にはむらさきの布をかけ、更にその上へ青い藺笠《いがさ》を被って顔をつつみ、丁字屋の湯女《ゆな》たちにも羞恥《はにが》ましそうに、奥の離れ座敷に燕のように身を隠します。
 そこの小座敷には、初期の浮世絵師が日永にまかせて丹青の筆をこめたような、お国歌舞伎の図を描いた二枚折の屏風が立て廻されてあって、床には、細仕立の乾山の水墨物、香炉には冷ややかな薫烟が、糸のようにるる[#「るる」に傍点]とのぼっていました。
「おうお蝶か。きょうは来ぬかと思うていたが」
 ふと見ると、屏風の蔭に、友禅の小蒲団をかけて、枕元に、朱|羅宇《らう》のきせるを寄せ、黒八を掛けた丹前にくるまって居た男がある。
 日本左衛門です。――むっくりと起て「一風呂浴びて来るから、待っていてくれ」と、手拭をとる。
「ええ、ごゆっくり」
 お蝶はニッコとしながら、袴腰の若衆すがたで、何もかも打解けた世話女房のように、あたりの物を片づけます。
 この額風呂の庭には植込もかなり多いので、離れの一棟も母屋からは見透されません。手拭を持った日本左衛門は軽い庭下駄の音を飛び石に遠退かせて、向うに白湯気をあげている風呂場の中へかくれました。
 それを、濡れ縁の端から見送っていたお蝶は、彼の姿が隠れると、キッと眠くばりを変えて、部屋の四方を見廻しました。
(中略)
(そうだ! 今のうちに)
 彼女のひとみに、そう言うような意志のうごきが険しく見えたかと思うと、お蝶の手はすばやくそれを元の通り包み込んで自分の袖の下へ抱えようとしかけます。
 すると、不意に濡れ縁の障子が開きました。
「おやっ?……」
「あっ……」とお蝶はあわてて地袋の中へそれを戻して、何気ない顔を作ってひとみを上げますと、日本左衛門ではありません。
「こいつはいけねえ、座敷ちがいをしてしまった。へへへへへ、つい酔っているもんですから、飛んだ失礼をしてごめんなすっておくんなさい」
 無論、額風呂の客にはちがいありますまいが、作り笑いをした眼元に一癖のある町人が、ヒョコヒョコ頭を下げながらぷいと縁先から姿をかくしました。
 ですが、町人の去ったあとも、何時までもお蝶の胸は動悸が納まらないように、あの睫毛の濃い眼を見ひらいたまま、
「ああ、よかった……」
 と、暫く、胸騒ぎをおさえています。
 こうして、ある時は女のまま、ある時は若衆の男姿で、恋に寄せて、彼に近づいておりますが、もし今の挙動をあのけい眼な日本左衛門にちょっとでも見られたならば、もう彼女の運命も長くは無事で居られません。
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 非常に解り易い文章である。挿雲のそれの様にユーモアとか諧謔味は無い。だが正面から簡単明瞭に描きだすこの作者の表現には、作者独特の正統性と、加うるに柔らかな潤いをもっている。大衆文芸の文章法のよき手本の一つである。
 一般の人達が好むのは、要するに、文章の「朗らかさ」であり、「明快さ」である。大衆文芸の第一の使命が、むずかしい思想や論議を解説的に、通俗的に事件の興味によって、読者を惹きつけながら説明することがあるからには、文章は絶対的に、出来得る限り「話すように書くべし」という原則を破ってはならぬ。
 之を、芸術小説の例に取っても、菊池寛の作品が一般に持てはやされるのは、その一面に於て、明らかに彼の明快にして適確な、無駄のない文章が与《あずか》って力ありと謂わねばならない。もし、難かしい文章と明快な文章との価値比較をするような者があるとすれば、夫《それ》は全く無用なことで、馬鹿の至りであろう。何故なら、名文とは、難渋な表現、難解な形容詞を使った文章をのみ指すのでは絶対に無いからである。話すように書くことは、一見あたかも最も平易に見えるが、事実は、反対に最も困難なことであるのを、諸君は知るであろう。
 最後に、今一つ注意すべきことは、平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。矢田君に、文の独特の明快さがあるとすれば、吉川君にも亦彼自身の明快さがある。よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。要は明快であることだ。だが、これは一般論であって、その小説から文章だけを切り放して、内容と別個のものとして論じることは不可能なことである。以下、私は各論にはいるのであるが、そこで各種類の中に、内容と文章とを合せて詳論したいと思っているから、ここではこれ位に止めることにしよう。

  第五章 時代小説

 時代小説は、歴史小説と大衆小説に分類して考えられなければならないことは、先に一応説明を試みて置いた。
 即ち、伝記物、或は髷物、所謂現在の大衆小説と呼ばれるものは、正確なる時代的考証を全く欠き、何等厳密なる史的事実に基礎を置いて書かれてはいない。だから、歴史的にも、風俗的にも無意義であり、従って無価値である。
 処が、仮令《たとい》事件そのものは伝説上に置いても、考証学的知識に依って当時の風俗、歴史が適確に描かれ、その時代の空気を彷彿《ほうふつ》させるような作品であれば、これを歴史小説と呼んでもいいと思う。
 例えば、メレヂコフスキイの「神々の死」は、宗教小説であると同時に、立派な歴史小説であり、それと反対に、アンソニ・ホウプの「ゼンダ城の捕虜」なぞは大衆小説に入るべきものであるように――
 で、この区別は、講義の進行に従って、愈々明瞭になって来るであろう。

    一 歴史小説について

 顧るのに、由来日本には、歴史小説と認めらるべきものは一つもないようである。所謂、何々物語と称せられる軍記物の類いは、事件の推移を語るばかりで、その事件の真実そのものに対する洞察が全く無いのである。且、小説的構成がなされていない。
 それから、ずっと降って、江戸時代の作者のもの、明治年間の各大衆作家、例えば、弦斎、渋柿園、浪六等の達人の作品、更には現在の耀《かがや》ける大衆作家諸君の小説、それ等を検べても解るように、我国には西洋に於ける歴史小説の標準より観察して、歴史小説なるものの水準に達した作品は無いのである。
 歴史小説の第一条件として、歴史小説は大衆小説と違って、飽くまで厳正な史実の上に立っていなくてはならないと云うことが云える。史実上に立って、自分の描き出そうとする適当な世界をその史実の中に発見しようと努力すること、そこに歴史小説を書こうとする大衆作家のよき意図が見出だされるのだと思う。
 例えば、
 坪内逍遥氏の「桐一葉」、或は「沓手鳥孤城落月《ほととぎすこじょうのらくげつ》」とか、
 その他、
 真山青果氏の維新物の諸作品「京都御構入墨者」「長英と玄朴」「颶風《ぐふう》時代」。
 等は、歴史家としての専門的知識、並びに考証が充分になされていて、その史実を基礎として、史実を少しも歪曲《わいきょく》することなくして而も文学者としての正しき解釈を加えたものと見ることが出来るのである。
 然るに、一方、現在|瀰漫《びまん》するところの大衆作家諸君の作品は、史上実在の人物、例えば近藤勇の名前を方便上借り来って、史実を曲げ、気儘な都合よき事件を創造し、剰《あまつさ》え勝手なる幽霊主人公を自由自在に操り来り操り去る等、歴史小説としては許されざること甚だしきものが少くないのである。もし、斯ることが許容されてよきものとするならば、極端にいえば、題材を何も時代に取る必要なく、現代小説で書いても充分こと足りるし、その方がかえって楽なわけである。要するに歴史を取扱う意味が無い訳であろう。
 では、小説に於て、歴史に題材を選ぶことは、何を意味するのか。くだけて云うと何んな面白さがあるのだろうか。ということが、次に問題となって来る。つまり、題材を時代に取ることは、一方では人々の懐古的興味を湧かすと同時に、他方現代起りつつある事実で、自《おのずか》ら興味を惹かれる時、既に昔に起っている事実を持ち来って、現代のその事件に当篏《あては》めようとする所に、歴史小説の面白さがあるのだと云えよう。又は、一つの事件中の関係者に現代人と同じ心理を発見せんとする所に興味深いものがある、とも云えるだろう。即ち、歴史小説に於ては、それを適当な事件上に見出して、史家の研究の許されし範囲内に於ては史実の上に立ち、史家の研究範囲外なる人間性の発展と云う点に於て自らの独創性を発輝し、展開せしめ得るのである。だから、歴史小説を書かんとする大衆作家は、専門史家と同等の、或は以上の専門的知識、換言すると、当時の時代思潮、現在と異っている当時の地理的事実、風俗、習慣、言語、服装、食いもの飲みものの細末に到るまでの考証的知識が必要となるのであって、現在の怠惰な、安佚《あんいつ》な大衆文芸家と云って悪ければ、自然主義以後の日本の各作家、と云っても悪ければ、日本伝来の文人気質、云い換えれば学究的研究を軽蔑する文学者諸氏にはとても堪え切れない努力が要求される訳である。
 併し、大衆作家にして現在の大衆文芸の安価、狭隘さにあきたらないで前進せんと欲するならば、かかる歴史小説に進むより他ないのであるが、尚それ以上に、この程度の心得は、現在、並びに将来に於ける大衆作家として当然持つべきものであろうと考える。
 だからと云って、史家の研究せる範囲で描くということは、学界の定説を毀《こわ》さないという意味であって、それに捉われろということでは勿論ない。歴史家は歴史の事実上に於て必ずしも絶対権威ではない。だから史家の手のとどかない範囲外に出て、その延長を自然に感じさせ得るなら、そんな風な延長は許されるべきであろう。又、一連の事件に於ける史上のある人物を芟除《せんじょ》したり、或は、事件の史的事実を毀さない限りに於て、興味的に又は事件を紛争させる点から、伝説的な、姓名のみ実在して史実の不詳な人物に活躍させることもあるではあろう。それ等は全くその小説自体の歴史的空気を乱さない範囲に於て、即ち、史実を曲げない限りに於て、最大限度に許されてもいいことであると思う。
 以上、私は声を大にして、真の大衆作家の普通の教養としての学究的研究、考証的知識の必要、具備を叫んで来たのであるが、併しながら、この史的知識の涵養《かんよう》ということは、殊に日本に於て甚だ困難なのである。もし諸君が足利時代以前の歴史小説を書こうとするとしよう。すると、諸君は、幾多の興味ある題材の存在しているにも拘らず、その外観に歴史的光輝を与える、言語、住宅、衣服、食物、習慣、等に関しての伝記的書物の甚だ僅少なのに驚くであろうと思う。当時の上流社会のものはまだしも相当に残されているものがあり、それによって見、或は想像出来るのであるが、平民生活のものに至っては愈々少いことを痛切に感じるであろう。日本の史家の大部分が官僚であったが故に、当時の政治的中心の関係事項等は可成残されているに拘らず、全般的に於て欠ける処甚だ多いのである。この事実は、時代を遡《さかのぼ》るに従って愈々甚だしく、且簡単極るのである。
 で、それらを知るためには、何うすれば最も便利であるか、と云うのが重要な問題になるが、日本食物史、日本住宅史、日本旅行史等及び幾種かの、日本服装史等の、主として絵巻物に依るのが、当時の風俗を知るのに最も便利な方法であると思う。歴史風俗を検べるに当って、文書に依るよりも絵巻物に依る方が便利であるのは、階級の上下に渡って顕著な特徴がよく現れているからである。
 時代の空気を描出する点に於て、この外形的材料が不足していることは、日本に於ける歴史小説の未発達の力強い一因をなしていると云える。例えば、幾つかの支那の古事をさえその小説に描いている、精力的にして好学の作家、馬琴に於てさえ、日本の歴史的風俗に於ては甚だしい知識不足を暴露しているのである。
 然しながら、あらゆる努力を経た後に於て、尚不明な点があって、その不明な点が時代を現す上に必要であるとすれば、そんな場合に歴史小説家としての空想は作者の思うままに発揮されていいのである。
 私はその内二三の例をメレヂコフスキイの作品の中から取り来って見ようと思う。「神々の死」別名「背教者ジュリアン」は、基督《キリスト》教と希臘思想《ヘレニズム》の闘争時代である四世紀の羅馬《ローマ》に於ける史実を描いたものである。作者は彼の深奥なる哲学的及び文明史的なる知識を傾注して、描写の精細を極めている。例えば「地中海の海岸なるシリアの商港、大アンチオキヤ湾に臨んだセレウキヤの汚らしい、貧乏臭い町|端《はず》れ」をかく描いている。

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 ……家々は檻の様なものを乱雑に積み上げて、外側から粘土で塗りたくった丈に過ぎなかった。中には往来に面した方を、まるで汚らしいぼろ切れか蓆《むしろ》のような、古|毛氈《もうせん》で蔽っている家もあった。……半裸体の奴隷達は船の中から歩き板を伝って、梱《こうり》を担ぎ出して居た。彼等の頭はみんな半分剃り落されて、ぼう[#「ぼう」に傍点]の隙間からは苔の痕が見えた。多数の者は顔一面に黒々と、焼けた鉄で烙印が捺《お》されて居た。夫は Cave Furem を略した拉丁《ラテン》文字のCとFで、その意味は、「盗賊に注意せよ」と云うのであった。…鍛冶屋から鎚《かなづち》で鉄板を打つ耳を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》る様な音が聞え、鎔鉱炉からは赤く火影が差し、煤が渦を巻いて立昇って居た。その隣りでは真っ裸になったパン焼きの奴隷が、頭から足の先まで白い粉を被って、火気の為めに瞼を赤く火照らし乍《なが》ら、パンを竈《かまど》の中へ入れている。糊と皮の匂がぷんぷんしている開け放しの靴店では、亭主が中腰に踞《しゃが》んで燈明の光りで靴を縫い合せ乍ら、喉一杯の声を張り上げて土語の歌を唱って居た。……娼家の門の上にはプリアポスの神に捧げられた、猥らな絵を描いた街燈が点っていて、戸口の帷《とばり》――セントンを挙げる毎に、内部の模様が見透かされた。まるで厩《うまや》の様に小さな狭くるしい部屋がずらり[#「ずらり」に傍点]と続いて、その入口には一々値段が書き出してあるのだ。息の窒《つま》る様な闇の中には、女の裸体が白く見えて居た。……
[#ここで字下げ終わり]

 更に又、此の小説の冒頭に於けるカッパトキヤのカイザリヤ附近の小さな「安料理屋《タベールナ》」の有様は次のように描かれている。

[#ここから2字下げ]
 ……それは藁葺《わらぶ》きの茅屋《ぼうおく》で、裏の方には汚らしい牛小屋だの、鳥や鵞鳥を入れて庇のようなものがついている。内部は二間に仕切られていた。一方は平民室で今一方は身分ある客の為めに充てられて居た。……仕切りと云っても只棒を二本立てて、それに帷の代りに、フォルチュナーテの古い、色の褪せた上衣を渡したものに過ぎなかった。此の二本の棒……は嘗て昔は金箔を施してあったものだが、今ではもう大分前から方々に罅《ひび》が入ったり剥げたりして居る。
 仕切布で隔てられた清潔な方の室では、錫の鉢と幾つかの杯を載せた卓を前に控えて、此の家にたった一つしかない幅の狭い破れた寝台の上に、羅馬軍第十六連隊第九中隊長マルクス・スクーヂロが横になっていた。……同じ寝台の足下の方に、さも窮屈らしく恭々《うやうや》しげな恰好をして坐っていたのは、第八、百人隊長のブブリウス・アクヴールスという喘息《ぜんそく》持で赭《あか》ら顔の肥満漢で、天辺のつるり[#「つるり」に傍点]と剥げた頭には疎らな胡麻塩の毛を後ろの方から両鬢《りょうびん》へかけて撫で付けている。少し離れた床の上では、十二人の羅馬兵が骸子《さいころ》を弄《もてあそ》んでいる。
[#ここで字下げ終わり]

 ここで兵士の描写が出ているが、後半に出て来る羅馬軍と波斯《ペルシャ》軍との戦争は、頗《すこぶ》る興味のあるものであった。波斯軍は戦象と云うのを用いている。

 象軍は、耳を聾《ろう》する様な咆哮《ほうこう》を立てて、長い鼻を巻き上げながら、肉の厚い赤く湿った口をくわっ[#「くわっ」に傍点]と開くのであった。その度に、胡椒と香料を混じた酒の為めに、狂気の様になった怪物の息が、羅馬兵の顔にむっ[#「むっ」に傍点]とばかり襲うのであった。これは、波斯人が戦闘の前に、象を酔わすに用いる特別な飲料なのである。朱泥を以て赤く塗り上げ、それに尖った鋼を被せて長くした牙は、馬の横腹を突き破り、長い鼻は騎士を高く空中に巻き上げて、大地へ叩き付けるのであった。……背中には革で作った哨楼《しょうろう》が太い革紐でしばり付けられて、その中から四人の射手が、松脂《まつやに》と麻緒を填《つ》めた火矢を投げるのであった。――それに対する羅馬軍の防禦はと云うと、軽装したトラキヤの射手、パプラゴニヤの投石手、それにフルチオパルブリと称する、鉛を流し込んだ一種の投槍の上手なイリリヤ隊が立向う。彼等は象の眼をねらって槍を投げる。象は狂奔する。哨楼を縛りつけている革紐を断ち切る。射手は地上に投げ落される。そして巨大な怪物の足下に踏みつぶされる。
 波斯軍には鉄騎隊だとか車隊だとか云う恐ろしいものがある。鉄騎隊と云うのは、全身を鱗のような鋼の小札《こざね》で被っていて、只眼と口を除く外は殆んど不死身と云っていい位に武装した騎士達と、更に太い鎖で互に繋ぎ合って一団となってやって来るのである。車隊は、戦車の車軸や車輪に鋭い鎌を結びつけて、足の細い斑馬《ゼブラ》に索かせて突撃して来るのである。鎌に触れた羅馬兵は、まるで菜の葉の様に刻まれてしまう。こんな恐ろしい武器に対する羅馬軍の攻撃方法、楯隊の防禦戦、皇帝が駱駝《らくだ》に跨がって逃げる様子等、真に当時の残忍なる戦争が活々と描き出されている。
 前述の下層社会の描写に対して、上流社会の生活は、コンスタンチヌス皇帝の髯剃《ひげそり》の一状景を見れば充分であろう。でもう一度、長々しい引用を許して戴きたい。

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 理髪師は丁度神秘の儀式でも行う様な顔付をして居た。両側には、今帝国内で威勢並ぶものなき侍従長のエウセビウスを始めとして、様々の器や、塗料や、手拭や、塩などを捧げた無数の寝所掛りが並んでいた。其外に二人の扇持ちの少年が控えている。彼等は髯剃りの秘法が行われている間じゅう、六つの翼を持った天使の形をした、薄くて幅の広い銀の扇で皇帝を煽ぐのであった。
 理髪師はやっと右の頬を終って、左の方へ取り掛った。そしてアフロヂテの泡と呼ばれている、阿剌比亜《アラビヤ》の香水のはいった石鹸を丁寧に塗りながら、……皇帝の朝の化粧は終りに近づいた。彼は細い刷毛《はけ》を以て、金線細工の小箱から少しばかりの頬紅を取った。それは聖僧の遺骸を収める箱の雛形とも云うべき形をして、蓋には十字架がついていた。コンスタンチウスは信心が深くて、七宝の十字架や基督の頭文字《モノグラム》などが、あらゆる隅々の細々した道具についているのであった。彼の用いる紅は「プルプシマ」と云って紫貝を沸騰させて其の薔薇色の泡を精製した、一種特別の高価な品であった。……紫の間と呼ばれている部屋には、「ペンタビルギオン」という、上に塔の五つ並んでいる風変りの戸棚の中に、皇帝の衣裳が蔵《しま》ってあったが、此の部屋から宦官《かんがん》が皇帝の祭服を運んで来た。それは殆んど折ることの出来ない程ごわごわした、金や宝石で重い様な着物で、その上には羽の生えた獅子や蛇などが紫水晶で刺繍《ぬ》ってあった。……皇帝は大理石の廊下伝いに広間へ趣いた。宮中衛兵《バラチン》達は丈四尺もある長槍を立てて、まるで彫刻の様に粛然と二列に並んで立っていた。式部官が捧げて行く金襴で作ったコンスタンチヌス大帝の旗が、基督の頭文字を輝かせ乍ら、さらさらと鳴った。静粛官は行列の前を走り乍ら、手を振って敬虔なる静寂を命ずるのであった。
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 その他、|半獅半鷲の怪獣《グリフォン》の飾りのある神殿だとか、有名な浴場だとかの描写は何れも微細に亙っている。又、貴族の子弟がストイック主義に基いて教育せられ、固い寝床に寝せられる習慣、現代の人ほど裸体になることを恥としていない羅馬人の風俗等々、当時の生活状態は再び活々と浮び出される。
 作者メレヂコフスキイが、かくの如く当時の空気を彷彿せしめることを得たのは、一つには彼が南欧地方を巡遊したと云う経験を持っていたと云うことにもよるであろうが彼の学究的態度なり、その深奥な考証的知識なりは実に感嘆すべきものである。メレヂコフスキイを以て、二十世紀の歴史小説の大家とする所以も亦、ここにある。メレヂコフスキイは哲学者であり、宗教家である。又、詩人としての感情も、小説家としての立派な能力も持っているけれども、一八九五年に古代羅馬を描き出すには、それ等のものだけでは不充分である。歴史小説としての「神々の死」を不朽ならしめたものは、実に彼の歴史科学の、正確なる知識である。(上述、「神々の死」からの引用文は、何れも米川正夫訳、新潮社出版――大正十年――の邦訳によったのである)
 素より、歴史小説は、芸術的な小説であって、断じて、教科書風な、無味乾燥の記述ではない。けれども史実を無視した歴史小説はどんなにか読者に馬鹿馬鹿しさを与えることだろう。極端な例を採れば、若しも近藤勇が忠実なる勤王の武士であって、蛤御門の戦に討死すると云った風の小説が書かれたとしたら、どうだろう。読者は必ずや失望するだろう。芝居の場合なら観客は沸く[#「沸く」に傍点]に相違ない。こんな簡単な、周知の事実の場合には直ぐに気がつくが、多くの似而非《えせ》歴史小説は、大なり小なり、此のたぐいであることは、容易にわかるものではない。稍もすれば、大衆文芸が軽蔑されるのは、こんな荒唐無稽が禍いするのではないか。
 文学を志す者は、須《すべから》く従来の、伝統的な悪風を捨てて、「天才」の表面的模倣に暇を潰すよりも、科学を研究すべきである。歴史小説を書く者は、小説家であると同時に史家でなければならぬ。
 やがて、我国に於ても、真の歴史小説が生れるであろう。前記真山青果の維新物等には、そのよき意図が現れている。
 例えば、「颶風時代」の第三幕に於ては、文久二年十二月十三日の品川宿遊女屋土蔵相模に於ける、伊藤俊輔と志道《しじ》聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。「土蔵相模はその頃品川第一の妓楼という程ならねど、勤王有志殊に長州志士等の遊興せる家なり。位置は宿の中宿にありて江戸よりゆけば右側にあり」等は歴史的地理的考証を持つに非れば明言し得ざるところである。
 こういう事に就ての知識は、現在|纏《まと》められた書物が無く作家独自の研究によらねばならない。巷間民間の歴史に就て、日本の史学者の値は零《ゼロ》である。極く初歩の参考書を云うと、服装、風俗では、「歴世服飾考」「貞丈雑記」「近世風俗類聚」など、食物は、宇都宮黒滝氏の「日本食物史」、旅行は、鉄道省の「日本旅行記」吉田十三氏の同名の書。戦争に関しては、参謀本部の「日本戦術史」地理歴史の増刊「日本兵制史」、住宅に就ては「日本民家の研究」、武道では山田次朗吉氏の「日本剣道史」(剣道史は最近に自分も刊行する)「武術叢書」「剣道学」等。もし専門的になるなら「城かくの研究」とか「城下町の研究」「武家時代の研究」とか、猶徳川期の物では無数にあるが次の章に挙げる。

    二 大衆物について

 時代小説の今一つの種類、所謂、大衆文芸と俗に呼ばれているものについて――。
 これは、その他、髷物、新講談などとも呼ばれているのであるが、かかる通俗的な、種々な名称が与えられいるように、しかく通俗極まる小説を指すのである。
 大衆物は、いうならば現在の芸術小説――文壇小説の興味のなさに対する反動として生れて来、そして読書階級の欲求に投じたのである。従って、興味中心的であり、あくまで娯楽的にとどまり、その限りに於て、芸術的文学観の立場からは批評し得ないものであり、無価値に等しい低級な小説の類だと云っていい。所謂、小説の要素としての心理過程、社会史料、性格、思想なぞの描写に関しては、読む方も書く方も期待してはいないのだから、芸術的批評の適用され得ないのも当然のことといわねばなるまい。
 だから、可成|出鱈目《でたらめ》の事件もあり、荒唐無稽の人物も出没し、ただ専《もっぱ》ら、事件の波瀾重畳のみを本意として興味をつなぐ以外に何ものも見いだし得ないのである。
 この傾向に抗して、かの大佛次郎君なぞは大衆物に、より芸術的なもの、小説的なものを与えようと努力し、効果を挙げているし、その他にも次第にかかる傾向の作品が現れて来たようであるから、何れ大衆文芸が小説として評価されるときも近いであろうと思われる。
 現在の大衆文芸に関して、私は、今、興味中心、娯楽中心なぞと一口にいって了ったけれども、この意味を少し深く考えて見ると、次の二つに区別されるようだ。
 すなわち、恋愛と剣戟《けんげき》と。その二つの交錯が織りなす物語であって、その二つの要素以外に何もない。どの大衆物を見ても、その題材が以上の点で限られている以上、殆んどあらゆる点に於て制約されて来る。だから、どれを読んでも同じような事件と人物のために、遂に読者に厭かれてくるのは当然のことであろう。
 ところが、大衆文芸が(或は時代映画――剣戟映画が)、厭かれはじめながら、なお且、甘ったるい恋愛とチャンチャンバラバラを中心として、その命脈を保っているのはどうしてであるか――思うに、人間には常にかかるアムビシャスな、奇怪な、グロテスクな、謀叛的な、革命的な、そして英雄的なものを要求する傾向――本能の一面があるのではなかろうか。殊に、日本の文壇小説が自然主義に禍いされ、誤った、極限された方向へ突進んでこういう要素を取除いて了った、それがために愈々昂って来たところの以上のような要素への渇望に大衆文芸が投じたのではあるまいか。
 それと、今一つ、日本人には特に、一種の伝統的な剣戟の趣味がある。この著しい例は、殊に歌舞伎劇に見られる。世界中の芝居の中で、単に人を殺すことだけで独立して劇を形造っているようなものは、歌舞伎劇をおいて他にないであろう。例えば――
「団七九郎兵衛の長町裏の殺場」とか、
「仁木弾正の刃傷場」とか、或は、
「敵討襤褸錦《かたきうちつづれのにしき》」の大詰なぞ。
 以上のようなものは二人、もしくは三人がただ斬り合って殺すだけで、他に劇を構成する何ものも見出さないのである。勿論、そこには歌舞伎劇独特の形式美と感覚はあるが、その他に、日本人が殺人、流血に特殊な興味をもっているということが、その発達の少くとも一つの原因をなしていると考えられる。
 絵画でいうなら、かの芳年の非常に残忍な絵が一時非常に流行したことを憶い比べても、日本人という人種が単に好戦的な、惨酷な国民であるなぞというような表面的な見方ではなくして、我々には可成りに剣戟に対する一種特別な伝統的な感覚をもっている、と強調したいほどに思われるのである。
 否、シナ人とか、その他外国人とかが行う虐殺、拷問、死刑なぞは、日本人には到底堪えられないような惨酷さがあるのである。そういった実行的なことになると、日本人は反って割合にあっさりしているようである。ところが、芸術上では世界独特の剣戟殺人の形式と感覚を創造したのであった。
 こういう意味で、一口に剣戟は下等だ、いや反動的だと大ざっぱな言葉で片付けて了うことに私は反対するものである。歌舞伎劇に於て、かくまでも発達、完成された形式美と特殊な感覚とを味わい得ないものには、同時に、剣戟という一要素がなぜかくまで大衆小説を発達させ得たかに考え及ぶことは、とても不可能なことだろう。
 一般に、芸術的非芸術的を別にして小説をうける[#「うける」に傍点]ように、売れるようにするには、即ち通俗的に面白くするにはどんな要素を具備していたらいいだろうか、という問題にたち戻って考えよう。
 第一には、勿論、性欲――エロティシズムである。性欲を検閲の許す範囲内で充分センセーショナルに取扱う、即ち、所謂エロチックに、感覚的に描写する。その一方で哲学なり、思想なり道徳なりを説明する。これに加味するに剣戟をもってするならば、日本人の最も好むものになるだろう。俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のする大衆文芸を書こうというのなら、その呼吸さえ心得ておけば、うけること請合いである。成程、作家の芸術的良心はそれを許さないだろう。が、職業として、商売として、作品の商品価値をのみ狙うときは、一応心得ておくこともあながち不必要ではないだろう。
 そうした意味で大衆文芸を見、今一層深く考えてみるに、この上に「泣かせる」ことを加えることが肝要だ、ということが云えるだろう。芸術的作品にしても、通俗的作品にしても、芸術的作品価値は、第二の問題として、俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のして、よく売れたという小説をみるのに、すべて婦女子のみならず気の弱い男にも涙を催おさせた作品であるのを見るだろう。「金色夜叉」「不如帰」時代のもの殊に然りである。それらは、特に「泣かせる」ことで成功した。だが、今では、そんな風の「泣かせ方」ではすでに旧く、人はふり向くまい。将来はやるであろうところの「涙」は、たとえ同じ「涙」にしても、明るく、ほがらかで軽快で、ユーモアに富んだものでなくてはならぬ。そうした「泣かせ方」が、今後、読書階級の翹望《ぎょうぼう》を満す喜びの泉となるだろう。
 最後に、テンポの問題である。現在は、あらゆる意味で速力を要求している。電車より自動車、自動車より飛行機へと、その他科学の発達はテレビジョンの完成へまで急いでいるのだ。人間は科学に逐われて生活のテンポを速めている。それは亦、当然芸術へも影響する。芸術も亦、その内容形式ともにテンポを要求されて来ている。かの片岡鉄兵君の「生ける人形」(勿論、小説それ自身も現在に適した作品ではあるが、殊に)の新築地劇団の手になるレヴューの形式による劇化が素晴らしい人気を呼んだのもテンポと明快さの故であった。序であるが、菊池寛君の「東京行進曲」の映画化が外国映画を凌ぐ人気の中心になっているのも、その明るさ、明るい哀愁のためであると云えるだろう。大衆文芸も今や、テンポを持たねばならない。テンポを速めるといっても、何も無闇に速くすることを意味してはいない。緩急度を得て、しかも全体から見て場面のあきない変化と、軽快な速力で疾駆する爽快さを、読者に与えることである。
 さて、以上述べ来ったように、所謂大衆文芸に於て、現在最も欠乏しているのは、ほがらかさと涙であろう。恋愛と剣戟とそれに今講じたような要素を巧みに織雑《おりま》ぜるならば、現在のままでも大衆物はなお永続性をもっているに違いない。だが、そんな心掛けだけでは、勿論文学的――芸術的作品としては発達すべくもない。が、ただ職業上の、商品価値の点からいうなら、一般うけ[#「一般うけ」に傍点]することは請合いである。
 序に、一層商売的なことをいうなら、例の、所謂プロレタリア文芸の大衆化という問題でも、労働者階級は、表面的にみるならプロレタリアの根本問題、換言するなら一般大衆自身の問題といった本質的な問題を文学に求めようとはせず、教化の程度の低きその他の種々の生活上の事情から、彼らは反って娯楽的な読物を求めているのである。大体読書を自分の教養のために、向上のためにするのだと考えている人もないではない。が、非常に多数の人たちは読書を娯楽と考え勝ちなのである。自分の要求すべきことなぞを知らず、違った世界を見たがったり、自分の生活を慰め、忘れようとしたりせんがため、全然無関係な書物を読もうとする傾向は次第に強くなって来ている現在である。何といっても、探偵小説は何等生活に寄与するものを持っていないに拘らず、非常に一般に要求され、世界的な流行を見ているのである。このことは、注目に値いする事実である。こうした流行に対する注目、そしてそれに適当する骨[#「骨」に傍点]も是非、商売的には心得ておくべきであろう。
 と同時に、こういう無数の人たちの要求を正しい方向に導くためには、プロレタリア派の連中はその素材を非常に甘味《あま》い、オブラアトで包む必要がありはしないか。そんなことをするのは非階級的だとか何とか嗤うべきではない、と自分は考える。
 例えば、百姓一揆なぞを書くことも非常にいいと考える。現在の労働争議の詳細なことなぞはおそらく現代物として書きえない点が少くないだろう。ところが、一揆なぞになると随分詳細なことも書いて差支えないのである。
 由来、日本の検閲は映画にしても、文学にしても、現代物には厳しく、時代物になると非常に緩やかなのである。現代物に翻案しては絶対に駄目な、不許可なものでも、時代物としたら当然平気で通用するのである。
 プロレタリア作家が、今後こうした方面へ眼を付けるなら、よい大衆を読者とし得るし、従って商品価値もできるし、一挙両得だと思う。
 次のような参考書を読破したら、今日プロレタリア作家のみならず、あらゆる作家、大衆文芸作家が開拓し行くべき、又しなければならない無数の題材が、悲惨な、痛快な事実が到る処に転がっているのを見るだろう。
 黒正巌氏の、「百姓一揆の研究」とか、「日本農民史」「日本奴隷史」なぞが参考書として挙げられる。
 大衆文芸作家の開拓すべき豊富な資源の一つは此処にある。
 処で、中途な処で読者諸君に失礼だが、私が一寸断っておきたいことは、この講座も既に半を過ぎ、残る巻数も数少く、多忙のためとは云え筆者の怠慢をお詫びしなくてはならないのであるが、計画通りの分類に依ってダラダラと述べているだけの紙数もなし、私はこの暑いのに諸君を苦しめて尻切蜻蛉にして了うような無責任なものでもない。
 で、大体、肝心|要《かなめ》のことだけを講じ、後は他の諸氏の講義を参考にしていただきたく思うのである。大衆小説といっても小説であるからには小説の書き方に根本変りのあろうはずはない。特に、大衆文芸として必要欠くべからざる点は漏さず、その代りあまり重要でないと思われる点はさっさと飛ばしてテンポを速め、面白く、然も有益に、残る講義を諸君とともに続けたいと考える。御愛読を希望する次第である。では早速続けよう――。
 日本のみならず、外国の大衆文芸に於ても矢張り時代ものが多いのである。少くとも、今までのところでは時代物が勢力を占めているのである。ところが、我国の大衆文芸と異るところは、大抵のものが史実に基礎を置いていることである。「ウィリアム・テル」でも、「ポンペイ最後の日」でも、或は又「|何処へ行く《クオ・ヴァディス》」にしても、凡て然りである。
 且、取材の版図が非常に広汎に亙っていて、古代より最も近代に到る史実を題材としていること、日本の大衆作家のその取材を江戸幕末に限るのと雲泥の差ありと云わねばなるまい。この点は、将来の大衆文芸作家の心得るべき点である。
 外国の大衆文芸には、可成りに空想的な、事件本位な、換言するなら娯楽本位のものもあるが、それらが何れも史実にある程度の基礎をおいているという点から来る、「事実らしさ」という面白さは日本の一般の大衆文芸には発見出来ない強味に違いない。この点から見るに、我国の大衆作家はすべて、事件の面白さ、空想的趣味を、史上の人物に結び付けることの技巧が非常に拙劣なために、この強味――「事実らしさ」――を持つことが不可能なのである。
 それは、一体何に起因するか? といえば、云うまでもなく、歴史的知識の不足より来ていると見るの他はないのである。前節の「歴史小説」ほどの厳密さは敢て強要しないが、少くとももっと史的事実を考証し、研究する必要が充分にあると信じるのである。
 その中でも、最も重要な大衆文芸の要素となっているところの、「剣術」及び、「忍術」のことさえ、本当に調べて書いている大衆文芸作家は、殆んど少いといっていい。
「剣術」の参考書は前節に挙げておいた故に再び述べないが、「忍術」の参考書として、世間に可成り充分に流布されている「正忍記」一冊さえ読んでいないらしい大衆文芸作家が転がっているのには驚くにたえる。そうでなかったら、あんな馬鹿げた忍術は書けない筈なのである。大衆物が剣戟中心でありながら、剣術の知識もなく、人を斬る、又は斬られる者の瞬間の心理さえ書かないでいて、然も将来の大衆文芸を書こうと考えるなどは酔興に等しく、一寸無理な話といわねばなるまい。
 斬り合いの描写の変遷を見るのに、江戸時代の文学の、斬り合いの描写といえば、所謂、
「丁々発止、虚々実々の云々」の流儀に定っていたものであった。
 それが稍《やや》進んで、
「左の肩から袈裟懸けに斬り下げれば、血煙立てて打倒れた」
 といった文章にまで変化して来た。以下、二つ三つ例をとって見よう。
 諸君は、それらに於ける立廻りの描写を、諸君自らの眼で、私が述べる種々の点を参考にして批判研究していただきたく思う――。

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 その時、鏘然《そうぜん》と太刀音がした。
 一人の武士が頭上を狙い、もう一人の武士が胴を眼がけ、同時に葉之助へ切り込んだのを、一髪の間に身を翻《ひるが》えし、一人を例の袈裟掛で斃《たお》し、一人の太刀を受け止めたのであった。
 受けた時には切っていた。
 他流で謂う所の「燕返し」一刀流で云う時は、「金翅鳥《こんじちょう》王剣座」――そいつで切って棄てたのであった。
 金翅鳥片羽九万八千里、海上に出でて龍を食う――その大気魄に則《のっと》って、命名した所の「五点之次第」で更に詳しく述べる時は、敵の刀を宙へ刎《は》ね、自刀セメルの位置を以て、敵の真胴を輪切るのであった。敵を斃すこと三人であった――。

 町人は葉之助を突き飛ばそうとした。が、葉之助は頸首を捉えて、ギューッと地面へ押し付けた。
 突然武士が刀を抜いた。ヒョイと葉之助は後へ退った。刀は町人の首を切った。ヒーッと町人が悲鳴を上げた。
「しまった?」と武士は刀を引いた。
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 これは、国枝史郎君の「八ヶ嶽の魔神」の中の斬り合いの一節である。
 次の簡単な一行は、大佛次郎君の「鞍馬天狗」からの抜萃である――。

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 近藤勇は虎徹、中原富三郎は助広、刀も刀、斬り手も斬り手、じっと相青眼に構えて睨合った。
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 同じく、大佛君の「赤穂浪士」の一節――。

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 やがて、三人は、芝生の中央へ進み出た。
 目と目と、合う。その刹那に、霧のつめたく沈んだ宙に、三条の刀身が静に抜き放たれた。
 肌にしみるような静けさが、流れの音をのせてのぼって来た。互いに付け入る隙をうかがう敏捷な生き物のように、切先は暗い宙にはいまわって、かすかにゆれている。ひたひたと、こまかい波のように双方からのぼって来るかと思うと、合って、凝と無気味な目を据えて睨み合って静止する。
 突然その一つがさっとあお白く閃いて、一文字にぐっとおどり入る。その時初めて、刃のかみ合う音が起って、燃えた鉄のにおいがやみに散った。どうとばかり地響き打って相沢が地にたおれた。あせって、岩瀬が斬り込んだ。すぐ目の前に、肉薄していた敵手の顔が、白いのどをのぞかせて反りかえったのが見えた。その刹那に、岩瀬は、空をきって、はずみで不覚に泳ぎながら、右の腕に火のような一撃を受けている。立直った時自分の手がもはや刀をなくしているのを知った。
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 では、人口に膾炙《かいしゃ》している中里介山君の「大菩薩峠」の内から引例して見よう――。

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 竜之助は例の一流、青眼音なしの構えです。その面は白く沈み切っているから、心の中の動静は更にわからず、呼吸の具合は常の通りで木刀の先が浮いて見えます。
 竜之助に此の構をとられると、文之丞は忌《いや》でも相青眼。これは肉づきのよい面にポッと紅を潮《さ》して澄み渡った眼に竜之助の白く光る眠を真向うに見合せて、これも甲源一刀流名うての人、相立って両人の間にさほどの相違が認められません。
  ……………………
 その中に少しずつ文之丞の呼吸が荒くなります。竜之助の色が蒼白さを増します。両の小鬢のあたりは汗がポトポトと落ちます。今こそ別けの合図をと思う矢先に、今まで静かであった文之丞の木刀の先が鶺鴒《せきれい》の尾のように動き出して来ました。業をするつもりであろうと、一心斎は咽喉まで出た分けの合図を控えて、竜之助の眼の色を見ると、この時怖るべき険しさに変って居ました。文之丞はと見ると、これも人を殺し兼ねまじき険しさに変って居るので、一心斎は急いで列席の逸見利恭の方を見返ります。
  ……………
 一心斎は気が気でない、彼が老巧な眼識を以て見れば、これは尋常の立合を通り越して、最早果し合の域に達して居ります、社殿の前の大杉が二つに裂けて両人の間に落つるか、行司役が身を以て分け入るかしなければ、この濛々と立ち騰《のぼ》った殺気というものを消せるわけのものではない、今や毫厘の猶予も為し難いと見たから
「分け!」
 これは一心斎の独断で、彼は此の勝負の危険を救うべく鉄扇を両刀の間に突き出したが、其れが遅かったか、彼が早かったか
「突き」
 文之丞から出た諸手突きは実に大胆にして猛烈を極めたものでした。五百余人の剣士が一斉にヒヤヒヤとした時、意外にも文之丞の身はクルクルと廻って投げられたように甲源一刀流の席に飛び込んで逸見利恭の前に突伏してしまいました。
 机竜之助は木刀を提げたまま広場の真中に突立って居ます。

 井上真改の一刀は鍔元から折れて彼方に飛び、水もたまらず島田の一刀を肩先に受けて凄まじき絶叫をあとに残して雪に斃れる。それと間髪を容れず後から廻った岡田弥市の拝み討。島田虎之助は加藤主税を斬ったる刀を其の儘身を沈めて斜横に後ろへ引いて颯《さっ》と払う理屈も議論もない、人間を腹部から上下に分けた胴切りです。
[#ここで字下げ終わり]

 尚、最後に、大衆文芸ではない、変った例を、文壇の鬼才、横光利一君の作品、「名月」から取ろう。「名月」はそれ全体が既に石川五右衛門の狂った剣そのもののような姿を心理を、描いた好短篇である。

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 小兵衛の脇腹に師の鞘がぐッと当った。小兵衛は腹を圧えたまま、顔を顰《しか》めて立停った。が、漸く声だけは立てずに済ませると、小声で云った。
「先生、手ひどいことだけは、もうどうぞ」
「よしよし、だが、こちらに隙を造らそうとすると、そちらに隙が出来て来る。良いか」
「はい」
「俺はこれでも、まだお前の心はすっかり見えるわ。だが、小兵衛。覚悟は良いのう」
「何の覚悟でございます」
「覚悟は覚悟だ。俺は今に乱心するにちがいない。すればお前の命も危いぞ」
「先生」と云った小兵衛の声は慄《ふる》えて来た。
「お前は逃げようとしているな。逃げればお前の足は動かぬぞ」
「先生」
「ははア。またお前は俺を殺そうとして来たな」
「先生。そんなことは、もう仰言《おっしゃ》らずにいて下さい」
「よしよし。さあ来い」
 また二人は暫く黙って歩いていった。が、小兵衛は自分の心が手にとるように師の背中に映っているのだと思うと、自分の心の一上一下の進退が、まるで人の心のように思えて来た。
「先生」
「何だ」
「私はもう恐しくて歩けなくなりました」
「馬鹿な奴だ。お前は俺を殺せば良いのだ。ただ殺せ。遠慮は入らぬ。俺はいずれ、近々に太閤の奴にしてやられるにちがいないのだ」
「先生」
「俺は太閤に殺される位なら、今お前に殺される方が満足だ。良いか。やるのだぞ」
「先生、私をここで、お殺しなすって下さいませ」
「うむ、お前が俺を殺さぬなら、俺は今にお前を殺してやる」
 すると、小兵衛の顔は、月の中で俄に大胆不敵な相貌に変って来た。彼は師の後姿を見詰めながら、その背中に斬りつける機会を今か今かと狙い出した。と、二人は寝静った伏見の町へいつの間にか這入《はい》っていた。
 小兵衛は急に気が抜けると、額の汗が口中へ流れて来た。瞬間、前を歩く五右衛門の後姿も、それと一緒にホッと吐息をついた。と見る間に、再び、師はひらりひらりと体を左右にかわし出した。「そら、乱心だ」小兵衛は心を取り戻そうとしたときに、不意にひやりと寒けがした。すると、彼の片腕は胴を放れて路の上に落ちていた。
「やられた」と思った彼は、一散に横へ飛び退くと、人形師の家の雨戸を蹴って庭の中へ馳《か》け込んだ。が、続いて飛鳥のように馳けて来た五右衛門の太刀風が、小兵衛の耳を斬りつけた。と、彼は庭に並んだ人形の群れの中で、風のように暴れている五右衡門の姿をちらりと見た。
[#ここで字下げ終わり]

 我田引水のように聞えるかもしれないが、敢て手前味噌を云えば、拙作「由比根元大殺記」(目下「週刊朝日」連載中)の中の立廻りは、今までの大衆文芸のありふれた立廻りとは稍趣きを異にして、内面的にも外形的にも可成り「剣術」の正道に当嵌った描写を注意してやっている積りであるから、もし読者諸君に興味があるなら、読んで欲しいと思うということを附加しておく。
 文壇作家には、「調べた文学」を軽蔑する傾向があるが、大衆文芸に於て、調べた智識を軽蔑しては、大衆文芸の将来の発展は殆んど約束されないと考える。少くとも大衆文芸に於ては、「出来る限り調べ、然も出来るかぎり調べたことを表面に表わさないようにして、事実らしく描出すること」これが第一に肝要である。この標準に依って、先の数個の例を比較研究されたい。
 否、大衆文芸のみならず、あらゆる文芸は以後、益々綜合的となっていくであろう。ただ単に自分の生活を掘り下げて書くことばかりではなく、以外の世界を見た智識をもって書かなければ、小説は書けなくなる時が来るだろう。人間の個人的な精神生活は十九世紀の終りから二十世紀の初めで発達が止って了ったかの感がある。それ以後の人間生活は科学の発達による外面生活に引摺られていく有様である。我々の個人的な欲望、要求が如何に社会的、科学的外面生活に圧迫され、影響され来っているかは、諸君が一度諸君自身の生活を振りかえれば一目瞭然たるものがあるであろう。
 そうした意味で、個人的な、作家的な構想力のみにたよらず、広い世間から、読書から、史実から得た科学的智識の構想をかりて文学を創造することがなければ、将来の文芸は到底十九世紀末の文芸の塁を抜くこと、甚だ困難だろうと思われる。
 外国の現大衆小説に例を取って、考察を進めよう。例えば――
 コナン・ドイルの幾つかの探偵小説、幻奇小説「|失われた世界《ロスト・ワールド》」、「霧の国」なぞはドイルの深い科学的造詣からなった幻奇小説であり、有名なH・G・ウェルズが、小説家たる根底に、如何に科学者としての智識を誇っているかは、「タイム・マシーン」、「モリアン博士の島」、「月へ行った最初の人」のごときものから、「盲者の国」、「眠れるものの醒める時」、「見えざる王、神」のごとき社会批判の小説に到るまでの彼の作品が雄弁に彼の多智多能なるを物語っている。殊に、かの「文化史大系」に到っては、彼の広汎なる科学的智識をもってして甫《はじ》めて完成され得たものと云うべきである。おそらくは、今後大衆文芸の第一線に立つ人ではあるまいか。その他、ライダー・ハガード、ラインハルト、ウォルチイなぞの作品は、日本の大衆文芸作家の学ぶべき多くの点を備えているように考えられる。
 ハガードはすでに我国でも充分流布されているが、他の一人ウォルチイには、「紅※[#「くさかんむり/繁」、第3水準1-91-43]※[#「くさかんむり/(數−攵)」、第3水準1-91-21]《べにはこべ》叢書」があり、ラインハルトには、「七つの星の街」、「螺旋《らせん》形の階段」なぞがある。これらの人たちは、種々な意味で最近の科学的智識を吸収しており、殊にハガードの如きは、空想的にしてなお且学術的智識の匂い高き、我が大衆文芸作家のもって参考とすべき作家である。
 現在、日本の探偵作家を顧みても、純粋の作家である以外に、医者、科学者が比較的多数含まれているのは、矢張りその方面の智識なくしては探偵小説が書き得ないからである。
 自分自身の生活のみをただ視ている生活だけでは、勿論経験は必要であるがそれ以上の、それを科学的に基礎づける智識が備わっていなくては、いい作品は生れない。
 ジャック・ロンドンの諸作品、「シーウルフ」、「野性の叫び」、「ホワイト・ファング」、「バーニング・デイ・ライト」なぞも、その豊富な経験に充分な学術的研究の結果が加味されているのを見てもわかるだろう。
 最後に、日本の作家のスケールの小さいことは恥じなければならない現象である。或る作家は「心境小説」に閉じこもり、或る作家は、イージーゴーイングな、それ故低級な「大衆文芸」を書くことで満足している。
 外国の作家は、決してそうでない。バアナアド・ショウにしても、ウェルズにしても、ドイルにしても、皆、多種多様な小説に筆を染めている。そこで、彼らのスケールはもっとずっと壮大である。
 三上於菟吉が一日に幾枚かき飛ばすとか、中里介山の「大菩薩峠」が驚くべき大作とか、そんな気の小さいことでは駄目だと思う。日本の文壇作家は、どんどんもっと雄大なスケールの通俗小説を書いてもいいと思う。
 要は、小乗に安んじないで、勉強して小説のための予備智識を豊富に蓄えることだ。現状では日本の文壇も心細いこと甚だしい。
 そこで、ではあらゆる種類の文芸を――ここでは特に大衆文芸に限ってもいい――時代小説も、探偵小説も、恋愛小説も少年少女小説も、私が序講で分類したあらゆる種類のものを一括して、将来大衆文芸は――文芸は如何なる方向へ進むだろうか、を考えるとき、その方向を予言せよと云うなら、すべてを代表して「科学的傾向」へ、と私は断乎《だんこ》として答えよう。文芸は、将来科学的文芸の方向へ進むより他に途はないのである。
 このように考察して来るとき、次の講義で先ず何を講ずべきだろうかの問題も自ら解釈される。
 すなわち、私は次回に於て先ず、「科学小説」を講じようと思う。然る後に、他の種類のあらゆるものを一括して講ずるのが正しい順序であろうと思うから――。

  第六章 科学小説

 前章の結論に於て、私は諸君とともに次のことを見て来た。未来は科学のものだ。あらゆる小説は、将来益々科学的傾向をおびて来るだろうし、又必然的にそうならなくてはならないのであろう、と。では、「科学小説」とは?
 だが、現在我国には未だ、「科学小説」と呼べるべきものは存在していない。現在、我国の大衆文芸で最も圧倒的な顕著な効果を収めつつあるものは、諸君も眼前に見られる通り、「探偵小説」の流行である。これは、ただに我国のみの現象ではない。既に「科学小説」が立派に存在し、読者大衆を喜ばしつつある西洋諸国に於ても、我国同様、「探偵小説」は全盛を極めているのである。要するに、「探偵小説」の著しい流行は、近来、大衆文芸界に於ける世界的な現象なのである。
 然らば、この輓近《ばんきん》、「探偵小説」流行の現象は、一体何ういう風に解釈すべきなのであろうか。そういう点から問題を考えて見よう。そうして、その最も手近なところから出発して、「科学小説」へ進んでいこうと思う。
 読者大衆の「探偵小説」への欲求は、先ず何よりも次のような点から根本的には考えられるのではないだろうか。
 即ち、これ迄の文学に於て、人間の感情生活、換言するなら個人生活を描くことは、既に充分に書き尽されて了ったかの感が深い。それらを同じように主題とした文学は、小説は、もうこれ以上新らしく現るべくもなく、又読者の充分な興味を惹くことも出来ないであろう。何故なら、時代は十九世紀から二十世紀へ進んでも、人間の感情生活は最早本質的には何ら新らしいものを生じなかったからに他ならない。勿論、新らしい意味を含んだ、目新らしい主唱は当今、盛んに行われている。けれども、それらは要するに経済的、社会的、政治的な理論を多分に含んでいるのに過ぎないのであって、経済的、社会的、或は政治的見地から観察するときは、重大な意味をもって来るには違いなかろうが、感情的には本質的に昔と変った、全く新らしい何ものをも有しないと云っていいだろう。
 だが、成程、その点では十九世紀の文学に於ける揚合とは可成りに異ってきている。個人の生活に人間の社会生活を従属させていた十九世紀の文学、即ち、個人生活を主題としそれを説明し、解釈しようと試みた十九世紀の文学――小説と、個人生活が社会的集団生活に歪められ、そして個人生活よりも、より社会的生活を重要視している二十世紀、現在の文学――小説とは、当然異っていなければならない。勿論、十九世紀の文学にもそうした傾向は現れはじめていた。そして、由来人間の生活革命と云うことは漸次的に行われるものであって、政治変革といったもののように決して突変的ではあり得ない以上、前述のことは当然であるが、前世紀に於てはそういう傾向は非常に稀薄なものであって、尚、個人生活が基本をなしていた点、今日の社会的生活に個人的生活が従属させられているものとは全く異るのである。
 では、現在の社会的集団生活とはどんなものか。何が基本的であるか。これこそが問題なのである。現在、人間の進歩とは、最早や思想や哲学の進歩を意味してはいない。科学的設備が如何に完備されているか、それが現在では人間の進歩と同意義をなすに到っているのを、諸君は見るだろう。科学の進歩、これこそが現在の生活の基本的なものである。今日、人間の社会的生活に於て、個人の思想感情は殆んど科学的進歩に基く、眼まぐるしい社会の変化にひきずられている。このように個人生活が全く社会生活に従属せしめられてしまっている今日、今更、十九世紀の文学によって昂奮したり、慰められたりする訳は何処にもない筈だ。
 こうした、過渡的な時代に於ける文学――小説の問題が如何なる方向に、何処に解決の途を見いだすべきであろうか。そして、それより以前に、こうした期間にはぐくまれる文芸、――新らしく勃興の機運にある小説、――読者大衆に切実に要求される小説は、何んなものでなければならないだろうか。
 さて、問題は此処まで来た。では、そうした文芸は?――当然、理智的で、且科学的なものでなくてはならない筈だ。「探偵小説」が近来興り来った所以、そして又、それが将来如何なる方向に進み行くべきだろうか、まさしくその理由は根本的に以上の点に求められなくてはならない、と思う。その上、テンポが早く、刺戟が多く、現今の個人的生活、――感情生活に触れないで、それの煩《わずら》わしさに捕われないように娯楽的なもの、そうした小説の要求が、近代科学への興味と結びつくとき、そこに「科学小説」なるものが叫ばれて来るのは当然の帰結である。そこで、だから「探偵小説」は、その方向への一つの前提として、そしてやがては愈々科学的方向へと進んでいくべきものとして、興り来り、流行したと見るのが至当であろうと思う。
 我国を文学史的に観察しても、同じことが云える。日本では嘗て「科学小説」は「探偵小説」と並行して進んで来たのであった。先に、総論で挙げて置いたように、森田思軒をはじめ色々の人が「探偵小説」を翻訳した頃、既にスチブンソンの「宝島」、ベルヌの「海底二万哩」その他、「月世界旅行」なぞが盛んに読まれたものであった。鎖国のために科学に後れた我国の人たちは、新しい科学的智識に眼をみはり、それらを貪り読んだのであった。その後、黒岩涙香はウェルズを翻案し、菊池幽芳はハガードの冒険譚を翻案したりした。
 このように、「科学小説」は「探偵小説」とともに順調に発達して来たのであったが、充分に成果を見るに到らぬ以前に一|頓挫《とんざ》をきたし、一時衰頽せざるを得なかった。例の我国に於ける畸形的な自然主義文学思潮の発達のために他ならない。かくて、「科学小説」「探偵小説」は文芸の領域から放逐されて了った。
 併し、その間西洋諸国に於ては、「探偵小説」と並行して、科学的な怪奇小説、もしくは幻奇小説――ラインハルト、ハガードの作品のごときもの――が盛んに行われたのであるが、一方純粋な「科学小説」として、H・G・ウェルズ、ジャック・ロンドン、コナン・ドイルなぞの人たちの作品が、同時に読書階級のはげしい要求を満して来たのであった。
 このようにして、我国に於ては科学は充分大衆の智識とはならなかった。にも拘らず科学の驚くべき進歩、その輸入は、やがて再び我国の読者層にそれらに関する智識を要求させずにはおかなくなった。これら外国の風潮は、やがて再び輸入され、「探偵小説」は遂に現今、諸君が眼前に見るように隆盛を呈しはじめるに至ったのである。併し、「科学小説」は残念ながら、未だ未発達の状態に残された儘である。だが、当然「科学小説」も将来着目されて然るべきであり、その機運に向っているといわなければならないのである。
 だが、その困難な所以は、特に日本に於て困難な所以は、屡々繰返されたがごとくに、「科学小説」が非常に豊富な智識と空想力とを必要とすることである。日本の国民が一般に科学的智識に欠けていることは勿論であるが、特に今日の我国の文学者が科学的智識を深く研究しようなぞという殊勝な考えをもつもの皆無であり、現在のようなナマケモノでは、註文するのが反って無理だといわねばならない状態にある。これは憂うべきことに違いない。何故なら、将来の文学者たるものは、坐して、あらゆる智識から眼をそむけ、自分と自分の周囲をのみ眺めて、狭い世界を書いているだけでは何うしても駄目だからである。政治も、経済も、科学も、社会も、一切の専門的な智識をマスターし得、それらを綜合することに依って、作家としての一つの立派な見識を創造するに非ずんば、将来に於て印刷術による芸術――文芸は、近代科学そのものの力をかるラヂオや映画に圧倒されて了わねばならないであろうことは、予測するに決して難くはないのである。
 だから、未来ある若き人たちは「科学小説」を将来の綜合的な大きな文学の発生への必然的な一過程として、一段階として認識し、充分に注目する必要があると思う。それと同時に、もし諸君がかく考え来るならば、諸君は現代文学者の怠惰に抗し、それを文学者たるものの恥と心得、決然として立ちあがらねばならない時に到っているのではあるまいか。
 さて、現に存在している「科学小説」は次の三つの傾向によって分類しうる。
 その第一は、現在の科学の知識に基いて、それを奇怪な形に、一つの事件に結びつけて描いたもの。例えば――
 アサー・コナン・ドイルの「ロスト・ワールド」のごときものである。「ロスト・ワールド」は、既に映画化もされ読者諸君も御承知のように、南米の人跡未踏の内地に、前世界の動物である恐竜や飛竜や類人猿なぞが棲息している高地を探険する物語で、科学的智識に豊富なる空想力を加えて創造されたのである。その探険隊が帰還して倫敦《ロンドン》に於ける報告会を開催するや、実物の標本として取り出した飛竜の雛が忽ち会場の天井の高窓から飛び去って、聴衆が大騒ぎを演ずるなど、大衆的興味をも充分に備えている。
 或は、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」とか「海底旅行」などの諸作品もこの類に属するものであろう。その他ヘンリー・ライダー・ハガードの諸作品に見るような、地理学的基礎にたって、風俗上、動植物学上の智識を傾け、アフリカ内地の怪奇を描いたものも然りである。
 つまり、現代の科学の智識を基礎として想像し得る、天空、海中、地下、地上にありとあらゆる不可思議を興味深く書いた作品を含むのであって、多分にロマンチックな傾向を有する類いである。
 第二は、科学的智識に基礎を置いていること勿論ではあるが、加うるに多分の社会的な意義をも併せて含めている種類の作品。――
 その適例は、ジャック・ロンドンの諸作品、例えば「野性の叫び」のごときに見る。
「野性の叫び」は一匹の犬を主人公とした小説で、初めは富豪に愛育されていたが、人に盗まれ、売られ、虐使され或は北アラスカの荒涼たる氷原に橇《そり》を引き、或は愛犬家に撫育されて人の感情に鍛えられ、文化や野蛮の間に彷徨しながら、遂に天性の野獣性が眼覚め、狼群の長となる、ユニークな物語である。ロンドンは又、「アダム以前」という作品で、人間の原始生活を描写し、半獣生活に現代の過剰文化からの逃れ路を暗示している。
 その外、以上の点を基本としているには違いないが、興味一方で書かれたもの。例えば――
 バロウズの数種の「ターザン物語」、スチブンスンの「ブラック・エンド・ホワイト」「ジーギル博士とハイド氏」のごとき作品もこの種類に含まるべきものであろうと思う。
 最後の傾向として、次のごときものが存在する。
 即ち、H・G・ウェルズの諸作品に依って代表されるもの。例えば、「時の器械」に於て、彼ウェルズは一瞬にして数十万年を往復する器械を書き、「眠れるものの眼覚める時」で器械に囚われた社会を暗示的に書いている。
 この種の「科学小説」は、今の科学が未来に於て如何に発達していくであろうか。――将来の社会の科学的発達を深淵なる科学的智識の傾倒と、加うるに豊富なる空想力とに依って描出したものを含むのである。換言するなら、最も純粋なる「科学小説」を指示するのである。
 以上のような、三つの傾向を私たちは、当今行われている「科学小説」に見るのであるが、未だ今日では、これらの何れもが単に娯楽的な興味より含んでいない状態に置かれていて、そのレベルを抜く作品は殆んど無いといった有様なのである。併しながら、「科学小説」はもっと発展しなければならないし、又近き将来に於て、益々隆盛を見るに違いないのである。
 私は、次のように断言し得ると考える。即ち、正しい科学の発展の方向が優れた文学によって科学的に綜合され、統一され、暗示されて、正当に、明確に、科学の進歩すべき方向が指し示されるであろう時、その時こそ、かかる綜合的な一大文学は自ら社会革命の意義と任務を充分にその肩に担い得るであろう、と。
 何故か。今日の烈しい科学の発達の速度を見給え。この科学の行く処を知らない加速度的発達は、一般人の想像すら許さない有様である。将来の文学の一つの重大な意義と任務は、その科学の発達を読者大衆に説明し、指示することにあるといわねばなるまい。私は、一人のエジソンの頭脳によって、この人類社会の科学的進歩がどの程度に迄発達したか、――極言すれば、人類社会そのものがどの程度にまで進歩したか、――を考えるとき、私たちの社会に於て、マルクス主義者とか、或はその思想に反対する一切の保守主義者たちが唱えているような今日の諸学説が根本的に破壊され終るであろうことは、必ずしも空想ではあるまい、と思われるのである。科学の発達によって必然的にもたらされる処の膨大な機械産業化がその結果として多数の失業者を生じることは当然の話ではないか。そのことが現在、社会問題の根本になっている以上、それを解決するには、機械――ひいては科学そのものを否定するか、もしくは科学をより充分に発達させるか、その二つの途何れかの外には絶対にあり得ない訳である。だが、それは決して社会政策では根本的に救われるものではないと思われる。科学を否定することは、現在の文明を否定して原始に還ることを要求するものであり、従って人類の進歩の意味を全体的に認めず、歴史の轍を過去へ返そうと試みる空想家の考え方に外ならない。唯一つの正当な途は、人類の進歩を促すこと、即ち、科学をより完全に発達させようと現実に努力すること以外に絶対にあり得ない、という結論に達するのである。
 見給え。科学は、その発達の方向へ、表面的には徐々と然も見えざる加速度をもって着々と進みつつある。
 一例として、建築を例に取って考察して見よう。建築材料は、既に天然の材料を使わずに多くの人工的材料を使用するに到った。木造建築以外の建築は殆んど人工材料のみで建造され、然も、それら人工材料は天然の石材に比較して遥かに廉価であり、且堅牢である。こうした発達の趨勢《すうせい》は無限に存在しているのであって、従って、只、同様に長石類を研究することに依って、より以上に廉価なる材料が発見されようとしてさえいる現状である。それが完成された暁、我々の社会生活は一体どうなるだろうか。私たちがアメリカからの通信をラヂオで受けとるであろうように科学の進歩は、同時に、一坪十円の建築費で出来上る家屋を人類に提供して呉れるであろうことは、決して想像に難くはないのである。
 又、世界屈指の生産品として有名な、台湾の天然生産品である樟脳は、ようやく独逸の科学的生産品である樟脳にその市場を圧倒されようとしているのである。
 これら、その他無数の例は、すべて決して空想ではないのだ。否、今や空想ではなくなって来たのである。人工的生産品が天然品を圧迫して、私たちの生活に侵入しはじめたのは近々二十年来のことである。こうした無限の科学的発明が現実化されて、私たちの生活へどんどん直接に影響を及ぼして来るとき、果して私たちの――人類の生活は一体どんな風に改造され、変革されて来るのであろうか。これらを、適当な文学的形式で一般読者大衆に報告し、説明し、暗示し、指摘することは、文学者として決して無意味な仕事ではないと信じる。無意味どころか、頗る有意義な、文学者の一任務といわねばなるまい。こうした意味で、「科学小説」はつとに私の提唱するところなのである。
 少くとも私一個としての考えでは、今日のプロレタリア文学者たちが、彼らプロレタリアートの、全民衆の悲惨極る生活を描くと同時に、科学の発達が将来に於て、如何に彼らを救うか、彼らの生活を明るいものにするかを、それを描くことも必要ではないだろうかと敢て考えるのである。
 そこで、私が「科学小説」として要求する所の物は現在行われている「科学小説」の三種類のうち何れに属する物であるか。幻奇小説めいた物、怪奇を狙う作品、即ち第一類に属する、多分にロマンチックな作品でもなく又、人類社会に於ける科学的進歩に対して可成りな疑惑的、否定的な傾向の考え方をもち野蛮と原始を魅惑的に描く種類の、第二に属する物でもなく、寧ろ科学の社会生活への寄与を正当に表現する「科学小説」を要求するのである。
 勿論、娯楽的意味はある程度まで備えていなくてはならないが、科学による未来の人類社会生活の明るさ、といったものを描出するところの「科学小説」――換言するなら、第三の種類に属するもの、否、より以上のレベルに達した「科学小説」を主張するのである。もっと積極的にいうなら、将来の「科学小説」は、科学的進歩に対して、未来の人類の文化に対してもっと肯定的でなくてはならぬであろうとさえ考えられる。「科学小説」として、この章で私が特に強調し、主眼とする点は、正しく以上のような点なのである。そして、そうした意味の「科学小説」こそが純粋な「科学小説」であり、そして亦、真に未来の綜合的な一大文学への正しき一過程としての正統的な「科学小説」であると考える。
 参考書に就いて。我国には、先にも述べたように「科学小説」というものが皆無なのだから参考書として挙げるべきものがない。で、次に、先の三つの分類に従って、主なる外国の作品を挙げて置こう。未だ我国に翻訳されてないものも多いので、それらの訳名は、仮に私が付けたものであることを附記して置く。

 第一類に属するもの。
 コナン・ドイル。A. C. Doyle――
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The Lost World.(失われた世界)
The Poison Belt.(毒の帯)
Captain of the "Pole-Star."(北極星号船長)
The Land of Mist.(霧の国)
The Doings of Raffles Haw.(ラッフル・ホウ行状記)
[#ここで字下げ終わり]
 ジュール・ベルヌ。Jules Verne――
[#ここから3字下げ]
From Earth to the Moon.(月世界旅行)
Twenty Thousand Leagues under the Sea.(海底六万哩[#「六万哩」はママ])
Journey to the Center of Earth.(地中旅行)
The Mysterious Island.(不思議国)
[#ここで字下げ終わり]

 第二類に属すべきもの。[#底本では天付き]
 ジャック・ロンドン。Jack London――
[#ここから3字下げ]
Before Adam.(アダム以前)
The Call of the Wild.(野性の叫び)
Iron Heel.(鉄の踵)
"Star-Rover."(「スター・ロバー」)
[#ここで字下げ終わり]
 バロウズ。E. R. Burroughs――
[#ここから3字下げ]
Tarzan of the Apes.(類人猿ターザン)
The Return of Tarzan.(ターザンの帰還)
The Beast of Tarzan.(猛獣ターザン)
The Son of Tarzan.(ターザン第二世)
[#ここで字下げ終わり]
 その他、数種の「ターザン物語」あり。
 サミュエル・バトラー。Samuel Butler――
[#ここから3字下げ]
Erewhon.(エレホーン)
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nowhere を逆に綴ったのであって、彼の皮肉的理想郷を提示しているのである)[#「)」はママ]
[#ここで字下げ終わり]
   Erewhon Revisited.(エレホーン再訪問記)

 最後の種類に属するもの。
 ウェルズ。Herbert George Wells――
[#ここから3字下げ]
Time Machine.(時の器械)
The Food of God.(神々の糧)
In the Days of the Comet.(彗星時代)
First Man in the Moon.(月へ行った最初の人)
The Island of Dr. Morean.(モリアン博士の島)
War in the World.(世界戦争)
War in the Air.(空中戦)
The Wonderful Visit(不思議な訪問)
The Invisible Man.(見えざる人)
The Sleeper Awakes.(眠れるものの目覚むる時)
Tales of Space and Time.(空間と時間の話)
[#ここで字下げ終わり]
 エドワアド・ベラミイ。Edward Bellamy――
[#ここから3字下げ]
Looking Backward.(太古を顧て)
[#ここで字下げ終わり]

  第七章 探偵小説

「探偵小説」の歴史については、総論のところで充分に触れておいたし、又、その存在理由――何うして発展して来、そして現在の流行をみたか。又、将来如何なる方向へ進んでいくであろうか。換言するなら、「探偵小説」は過去から未来へつづく文学史の如何なる役目をする一鎖りであるだろうか、――は、前章で詳細に講じたのである。
 そこで、それらに関しては、再び貴重な頁を浪費すまい。ただちに、「探偵小説」はその特徴としてどんなものを含んでいなくてはならないか、に進もう。
 第一に、その物語が自然でなくてはならない。「探偵小説」に於て自然であるということは、その不自然さ、誇張が極めて現実性に富んでいなくてはならない。即ち自然に、もっともらしく読者に感じられねばならない、ということである。そのことは、勿論、科学的でなくてはならない、という意味も含んでいる訳である。即ち、「探偵小説」の第一特徴は、「現実性の豊富」ということである。犯罪の動機、探索の手懸りが、如何に些細な、又空想的なものであろうと、それが現実性をもって読者にせまらねばならない。
 第二に、サスぺンスということが、その特徴であろう。どうなるだろうか、犯人は誰だろうか、といった期待と不安を次から次へと読者にもたすように仕組まれていなくてはならない。犯人を意外な処に発見さすのもいい――ドウゼの「スミルノ博士の日記」、すべての登場人物を犯人らしく見せて五里霧中に彷徨《さまよ》わせるのもいい――ヴァン・ダインの「グリース家の惨劇」、次から次へと糸をたぐるように無限に思われるほどの人物を点出して、なお彼方に犯人をかくすのもいい――ルブランの「虎の牙」、兎に角、要は読者にサスペンスをもたしていくことが必要である。
 その為には、トリックが必要となって来る。伏線に伏線が重なりもつれ合う、そして読者が五里霧中になる。一つがもつれると、他が少しほぐれ、そして又その上に伏線が重なる、といった具合に、常にある部分の期待と期待につらなる不安――サスぺンスを持たせるためには、トリックが重要な役割をする。ルブランの探偵小説など御覧になるとすぐわかる。いうまでもなく、そのトリックは充分現実性を備えていなくてはならない。だから、第三の特徴として「暴露されないトリック」が挙げられるのである。
 以上のようなものが「探偵小説」の特徴として数えられる。「探偵小説」は、大衆文芸の一分野としても考えられるのであるが、それ自身又独立して「探偵小説」としての分野を展開している。即ち、次の三つの種類にわけて考えていいと思う。
 本格的「探偵小説」、文学的或は芸術的「探偵小説」及び大衆文芸的「探偵小説」――
 本格的「探偵小説」の中に含まれるのは、古い所では、コナン・ドイルの探偵作品、新らしい所では、現在人気の頂点にあるといわれている、かのヴァン・ダイン、又はウォーレスのごとき人の作品が挙げられるであろう。
 文学的なものとしては、チェスタートンの「ブラウン物語」のごときが挙げられるべきであり、大衆文芸的「探偵小説」としては、ルブランの作品が代表的なものであろうと思われるのである。
 だが、概して「探偵小説」の進み行くべき道をいうなら幾度も述べたごとく、将来は益々科学的になっていくであろう。科学の進歩のみが、新らしい現実性を将来の世界に生みだして行くであろうし、従って、トリックにも愈々科学が応用されるであろうことは当然である。科学の絶えざる進歩のみが、「探偵小説」を常に新らしいものたらしめ得るのである。例えば、殺人光線、小周波電波の利用、テレビジョン、テレボックスの如き新らしい科学的発明が、将来の「探偵小説」に使用されるであろう。そして、「探偵小説」はそれによってのみ、愈々多幸なる未来を有しているといっていいと思う。
 最後に、「探偵小説」に於ける日本と諸外国との相違について一言しよう。
 即ち、日本の作家は「探偵小説」を書くに当って種々の困難がともなうのである。
 それは、第一に、日本の家屋の構造が外国と異り、開放的であることである。このことは犯罪遂行その他に非常に困難なのである。
 第二に、日本の警察制度が世界無比に完全していることである。だから、あまり出鱈目が書けない。真実味がなくなって了うのである。例えば、アメリカのシカゴとかニューヨークなどの大都市の暗黒街は殆んど官憲の手がつけられない程である。諸君は、外国映画のクルップ・プレイで優れた映画が多いのを知っているだろう。官憲と無頼漢が機関銃で対抗しあったりすることは、我国では想像だも出来ないことである。こんなのを、直ちに日本に移植したりして、映画を造った処でそれが馬鹿馬鹿しいものになるであろうのと同様である。
 第三に、外国の「探偵小説」に私立探偵が活躍するのは警察制度が不完全であることに基いている。だから外国であれば、実際にあり得る現象であるが、日本では私立探偵などは社会的に認められるには到っていない。警察制度が完備していて、その余地がないからである。例えば、外国では、警部も、探偵も、刑事も、デテクチーブという言葉で代表される。その点、我国とは甚だ事情が違っているといわねばならない。
 こう云った種々の条件で、我国では「探偵小説」が非常に書きにくい状態におかれているのである。我国に、本格的ないい「探偵小説」が少いのも、以上のような理由のためであろう。
 序《ついで》に、この章で、今日流行している「実話物」に触れて置こう。
 一体、「実話」は、アンチ文学要求の一つなのであるが、これも亦、外国での流行から影響された結果なのである。我々は、ここでも外国と日本との差違を考慮に入れなければならない。
「実話」は外国に流行しはじめているのであるが、特にアメリカに於て最も盛んである。それは、如何なる理由によるかというと、アメリカの生活――社会生活、従って個人生活は実に、小説以上のものなのである。その多種多様であり、凡ゆる点でセンセショナルなことは驚くべきものがある。
 一例をとるならば、アプトン・シンクレアの小説を読んだなら、アメリカ大都市市政の腐敗が東京市政の腐敗などとは比較にならぬほど驚くべきものであり、又、タマニホールなどの策動の如何に深刻で計画的であるかは、我、田中首相の、政友会の出鱈目な、すぐ尻尾を出すような馬鹿げさ加減とは問題にならないほど凄いものであることを読者諸君は知るだろう。
 以上のように、外国の「実話」と我国の「実話」とは、従って、亦天地雲泥の差があるのである。日本の「実話」は、だから外国の「実話」ほどの興味を読者にあたえることが出来ない。それ故、「実話」の流行は、殊に我国では一時的なもので、決して永続性を持たないものといわねばなるまい。
「怪奇小説」については、前章「科学小説」の中へ含めてその第一の種類として説明したから、この章でははぶいたことを断って置く。

 第八章 少年小説と家庭小説

 総論のところで述べておいたごとく、「少年小説」は、大人《おとな》物の分類の一切を包含しているのであって、夫《そ》れに英雄と、空想と、驚異との織込まれたものである。だから、それは探偵小説でもあるだろうし、冒険小説であるときもあるだろうし、又英雄的でもあるだろう。ただ作者はあくまでも、少年少女の読物であることを考えねばならない。大人の読んでいい「少年、少女小説」というようなものを考えてはならないのである。何故なら、少年、少女の読物であってこそそれが存在価値をもって来るのであるから。かの「赤い鳥」の鈴木三重吉君の童話が失敗したのも、以上の点に心得違いがあったからで、結果は大人の読むための童話――「少年、少女文学」というディレンマに墜ったのであった。
 だから、「少年、少女小説」の文章に付いていえば、
 一、理屈を抜くこと。
 二、テンポを早くすること。
 三、地の文の少いこと。
 という、この三つの原則を遵守《じゅんしゅ》しなくてはいけない。「少年、少女小説」は絶対に少年、少女が読むために書かれねばならないのだ。
 例えば、立志小説として「ジョン・ハリファックス・ゼントルマン」なぞは代表的なものであろう。
 処が、ここに「家庭小説」とよばれる一つの文芸の一|範疇《はんちゅう》がある。然も「家庭小説」の意味は、我国と外国とは必ずしも同じではないのである。外国では、立派に「家庭小説」が存在する。「黒い馬」「家なき児」「クオレ」「三家庭」なぞは、この範疇に属するものである。
 処が、我国では、新聞小説が「家庭小説」と呼ばれていた。新聞小説でさえあれば、たとえそれが恋愛小説であろうが何であろうが、「家庭小説」だと考えられて来た。だから我国では、「家庭小説」が一定の概念を有していたのではなかった。これはあらためられねばならぬ。だから、これを外国にならって正しく認識するならば一切の「家庭小説」は将来に於て、「少年、少女小説」として最も要求せられるべきものだと思う。即ち、今まで、「家庭小説」とよばれていた種類のもの、ヂケンスの小説とか、その他前に挙げたものは、「少年、少女小説」の中に合流さるべきものである。その中には、「ユーモア小説」も「冒険小説」「探偵小説」も、一切の大人の小説の種類が含まれ、然もそれが少年、少女の読物として書かるべきことが要求されるのである。
 只、今日残された問題は、それら、「家庭小説」をも含む一切の「少年、少女文学」が、十九世紀以後傑作を出さないことである。之は何を意味するのであろうか。一は、時代の進歩、変遷が亦少年少女の上にも支配し、彼らの思想情操を激変させつつあるからである。現在の少年少女は、決して一世紀昔の少年少女の感情、思想を持っていない。より科学的であり、より刺戟をもとめ、より享楽的な欲求を持っている。彼らは新らしい何物かを求める。これは、都会の少年、少女に於て愈々然りである。処が、第二に彼らに何らかの方向を与えるべき文学者自身が、すでにこの激しい世相の変転の中に彷徨している。彼らは新らしい正しい道徳を与えることが出来ない。資本主義の爛熟とともに世間はますます無方向に、無道徳に乱れいきつつある。すべての文学よりも以上に、今、「少年、少女文学」は危機に瀕《ひん》していることを考えなければならない。これらは将来の文学の一つの重大な使命である。文学者は先ず自らを正しく認識しなおさねばならない。自らの位置をはっきり知らねばならない。その方向に就いては、私は「科学小説」のところで詳しく述べて置いた。
 何れにもせよ、未曾有の過渡時代に当って、すべての文学と同じく、その一環として、「少年少女小説」も亦、今一大転換期に立っていることは考えねばならぬ事実である。

  第九章 ユーモア小説

「ユーモア小説」の要求は、何よりも読書は娯楽である、という見地から出て来るものである。こうした見地は、近来いよいよ激しくなって来た。それ以外、何の理由もない。人生をうがっているとか、諷刺的であるとか等の何らかの人生的意味をもたす必要はないのである。大衆小説が興味だけで存在し得るのと同じ理由である。こう云うとモリエールの彼の有名な戯曲とか、セルバンテスのドン・キホーテなどは、「ユーモア文学」でないという説が出て来るのであるが、私は勿論、そういうものが「ユーモア文学」であるとは考えたくない。
 人生を喜劇的に表現しただけで、それだけでいいのである。ユーモアは徹頭徹尾ユーモアでなくてはならない。例えば、モリエールの作品は、読んで了った後に人生の滓《かす》が残る。「ユーモア小説」は読後に何んにも残らなくてこそいいのである。だから「ユーモア小説」はその国独特のものでなくてはならないし、作者自身にも凡ゆる事物に対する特殊な神経、――敏感性が必要なのである。モリエールの諷刺、シエクスピアの洒落は翻訳し得るであろう。だが「浮世風呂」等は翻訳して了っては大半の味わいは抜けて了う。従って、文学的にも永久的な価値が非常に少いものしか出来ないのである。言葉のニュアンスとかその国語独特の洒落とかは、かなり「ユーモア小説」には必要であって、然も翻訳出来ないものなのである。従って一般性もないわけである。
 例えば近年流行した俗語に、「いやじゃありませんか」という言葉があった。それは最も巧みに使うとき、人を失笑させることができた。と同時に、その流行のすたれた時、その言葉は無価値な、嫌味以外の何ものでもなくなる。
 又、例えば今日、「竹取物語」を「ユーモア小説」だといったとて、夫れを承認する人はないであろう。だが、「竹取物語」は当時の「ユーモア小説」に違いなかったのだ。その当時のユーモアが今日ではわからなくなっているのだ。その時代の風俗や、欠点、特徴なぞを最も誇張したもの、そうした作品は風俗の変化とともに滅ぶのである。
 以上のごとく、不偏普及的な「ユーモア小説」が要求されながら生命が短く、今日のごとき動揺時代には殆んど本当のユーモア作家もあらわれ難いのではないだろうか。
 今日、代表的なものといえば、やはりアニタ・ルースの「殿御は金髪がお好き」位であるが、それとてもアメリカの風俗特に近代女性の誇張であって、アメリカ人、アメリカを知るもののみに面白く読まれるのである。勿論、今日、日本のみならず諸国がアメリカ化されつつある点から見て、アメリカニズムは日本人のみならず世界中の人びとにもしたしみ易いであろうから、従ってある点までの普及性は有するであろうが、その翻訳に依る価値の半減はどうにも出来ない事実であろう。
 その他、アメリカには、撮影所の物語を書く、オクタヴァス・ロイ・コーエンとか、近代的なユーモア作者であるドナルド・オグデン・ステワードがいるし、英吉利《イギリス》には有名なウオドハウスがいる。カナダのリーコックも流行作家である。読者はそれらを参照されたい。

  第十章 愛欲小説

 嘗て、総論の処で、私は恋愛を八種にわけて置いたが、後で見ると六つしか挙がっていない。そこで、もう少し詳しく私の考えを述べて見よう。
 第一に、「思春期的恋愛」である。例えばゲエテの「エルテルの悩み」なぞはこれに属する恋愛であろう。現実の場合あのように純粋に長くは続かないだろうが、少くとも普通には二十歳位までの、盲目な、熱烈な、それでいて性欲的よりも感情的な、純情極まる恋愛である。ツルゲネフの「初恋」なぞもそうである。既に異性を知って了った男女には、もうこんな感情は再び見られないものである。
 第二の、「母性的恋愛」は、古い我国の女性の恋愛道徳の唯一つの規準であった。菊池幽芳なぞの「家庭小説」の女主人公はすべて之であった。之は、日本の女性の奴隷的な生活を端的に表したものに外ならない。現在でも、尚この古い殻は尊いもののように女性及び男性の頭にこびりついている。鶴見祐輔君の「母」なぞは可成りこんな恋愛観念が含まれているようである。だが、若い女性の生活の変化は次第にこんな型から抜け出ようとしている。何よりも良人がほしい、良人が出来れば全的に服従する。そして、その後の女性としての仕事は、母として子供を育てることだけである。だが、生活難はすでに経済的に良人を信頼するに足りぬものとした。一方女性は自らの職業を見出し、自ら生活する道を男性の手から奪った。こうした結果は、新らしい恋愛と結婚の道を彼女らに指し示しているのである。「母性的恋愛」は一つの美しかりし思い出になろうとしている。
 第三は、「性欲的恋愛」である。異性の体臭を知ったものは、必ずこうした恋愛感情を多少とも持つだろう。女を見ることがすでに姦淫である、という言葉はこうした意味で正しい。神さまは、性欲を掩う美しいベールとして恋愛感情を人間に与えたのであろう。だが、智慧の林檎を一たび口にした人間は、これを逆用した。人間の赤裸々な感情は一寸でも美しい異性に接すると性欲を持つのである。写実主義小説は多くこんな恋愛を解剖している。
 第四には、「尊敬的、崇拝的恋愛」である。これはそれ自身では非常に淡い、はかないものである。著名な作者に憧憬的な気持を抱くもの、アメリカの映画俳優に手紙を送ったりする類いの恋愛心理である。これは、ある機会には、他の恋愛に転化する。その例は、映画なぞにもよくあるし、実際にもある。
 第五は、「社交的恋愛」である。これは、又異った意味で軽い恋愛である。頗る遊戯的なものであり、皮相的なものではあるが、近代的という点では最もモダンな、新らしい恋愛の一種である。ダンスの相手、競馬見物の相手、音楽会や散歩の相手である。近代人が最も要求している恋愛関係で、殊にアメリカ映画なぞには幾らでも現れる。
 第六は、これこそ真に新らしい恋愛であるが、もっと深い、思想的な点から生れる恋愛関係である。同じ思想の下に共に働き、共に生き、共に主義のために闘う、そうした異性間の同志的な、その意味で熱烈な恋愛である。他から見れば、甚だ堅苦しい、窮屈なようであるが、本人同士にはそれこそ自由であり、正しい恋愛なのだ。そして、これこそは、女性を男性とひとしく一人の完全な人間として認めるものなのだ。ソ※[#濁点付き片仮名ヱ、1-7-84]ート・ロシアの法律とか、或は、コロンタイ女史の物語や、リベヂンスキイの「一週間」、ゴリキイの「母」なぞを読めばよく理解されるだろう。この恋愛は、先ず、ソ※[#濁点付き片仮名ヱ、1-7-84]ート・ロシアの若きゼネレーションから必然的に起ったのである。私はこれを「同志的恋愛」と呼ぶ。
 後の二つは、どうしてか載っていなかったのであるが――
 第七は、「友人的恋愛」である。これは、私の主張する処であるが、実際あり得るし、既に、エレスブルグの「ジャンヌ・ネイの愛」にも書かれている。仮令、主義主張は異にしようとも、お互いに精神的にも肉体的にも許して行こうとする恋愛関係である。私は、これこそが本当に自由ではないかと考える。
 第八は、「倦怠的恋愛」であって、これは生活に倦怠をおぼえはじめた中年期の男女の、或はデカダン的とも云うべき恋愛心理である。徳田秋声氏に於けるような、又は有閑夫人の青年学生に対するような、可成り遊戯的であって、熱烈な然も覚めれば跡かたもなくなるような場合の多い恋愛である。つまり、中年期の男女性が生活に刺戟を求める種類のものである。
 こうした八種の恋愛の内、「母性的恋愛」の外はすべて誤った悖徳《はいとく》的行為として斥けられ、怖れられ、蔑まれ、口にすることさえ禁じられていたものである。然も現実には存在した。ただ、「同志的恋愛」「友人的恋愛」「社交的恋愛」に至っては、正しく新時代の産物に外ならない。
「愛欲小鋭」は古い型と因習を破って躍り出なくてはならぬ。何故なら、世相は十九世紀とは一変した。今まで陰にひそんでいた恋愛関係は愈々露骨に表面に現れ、今までなかったような新らしい恋愛の型を創造した。「愛欲小説」こそはそれらを反映し、時代の尖端的神経と新らしい風俗を描きだす使命に駆られているのだから。「愛欲小説」こそは、その各々の時代の風俗史であり、その時代を彩る華やかな色彩でなくてはならない。
 されば、新らしい「愛欲小説」は、新らしい恋愛心理を、新らしい恋愛技巧を、新らしい型の女を、その中で創造しなくてはならないのだ。近代の「愛欲小説」は、こうした意味で純粋に都会的なものだといえる。だが、「都会的」だということは、銀座のプロムナードを歩くステッキガールを、断髪の女を、無批判に描くべしという意味ではない。勿論、ステッキガールも描かるべきであろう。だが、それをもっと現実に拉《らっ》して、もっと社会的、経済的根底から解剖して描くべきである。我々は、現在もっと現実性をもった女性を、もっと新らしい型の女性を知っている筈だ。それらを解剖して、それらに正しい方向を――決して古い型へ退却させるのではない。我々は、私が挙げた八種の恋愛を肯定しなければならないと同様にすべての新らしい型の女性を大胆に肯定しなくてはならない。――指し示すように、新らしい恋愛道徳を附加して描かねばならないのだ。
 例えば、「ラ・ギャランヌ」のごときマグダレンの「女」のごとき、或はコロンタイ女史の恋愛物語「赤い恋」や「恋愛の道」等のごときを読み給え。
 又、例えばアメリカ映画に現れるような女の生活は、その儘決してアメリカの女の実際上の生活ではない。映画上の創作である。併しながら、映画の上の創作は、ただちに実生活に影響する。つまりアメリカの生活を尖端的に純粋な形で映画が創作する、それが逆に実生活に反作用を起して、かかるスクーリン上の風俗が、こんどはアメリカ女性の生活の上に実際化されつつあるのである。
 こうした意味で、新しい「愛欲小説」は、その時代の風俗の流行のトップに、常に立っている覚悟で書かなければならない。「愛欲小説」は時代のショウウィンドウを飾る常に新らしき、それ故にこそ最も美しい流行着でなくではならないのである。

  結論

 考えて見れば、この少い頁数の中に充分に「大衆文芸作法」を盛ることは不可能なことであった。例証さえも充分に挙げる余裕がなかったことを残念に思う。私たちは小走りに此処まで来た。併し、大体に於て、見透しはついた訳だ。不満な点は、後の機会にゆだねて、私は一まず筆を措《お》かねばならない。
 で、結論として、私は次のことを諸君に告げる。
 第一に、現代人類は凡ゆる意味で、恐ろしく重大な転換期――変革期に立っている。だが、彼岸には、今、偉大な文化の時代が、創意が開けようとしているし、又開かねばならぬ時である。それらは、私たちの任務であるとともにより若き、青春に富める読者諸君の重い任務であるのだ。
 第二に、かかる時に際して、文芸は亦、それらの一環として、新らしい大文学の時代をひかえて、陣痛に悩んでいる。大衆文芸は、この時、その文芸の任務の一つを負って生れ、そして成長しつつあるのだ。大衆文芸は、如何なる方向へ進まんとするか進むべきか、――曰く、より「科学」の方向へ。
 第三に、然も、顧るに我国の文壇は、あまりにも狭苦しく、片寄っており、そして姑息《こそく》に沈滞していた。ために、小説の種類も亦、非常に少く、淋しかった。大衆文芸はこの単調を破って茫大な読者層に迎えられつつある。
 そして最後に、この科学の加速度的進歩と、思想的混乱――アメリカニズムとボルセヴィズムの無批判な吸収――のさ中にあって、今、将来の文芸こそが夫《それ》らを正しく認識し、指導し、方向を示すべく運命づけられているのをひしひしと感ずるのである。
 要は、より多種類の、より優れた文芸作品が創造されんことを、私は切望して止まないのである。



底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
   1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:大野晋、鈴木厚司
校正:門田裕志
2003年11月6日作成
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