青空文庫アーカイブ
イボタの虫
中戸川吉二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)一寸《ちよつと》の
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)長い間|手間《てま》どつた
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》を
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無理に呼び起された不快から、反抗的に、一寸《ちよつと》の間《ま》目を見開いて睨《にら》むやうに兄の顔を見あげたが、直《す》ぐ又ぐたりとして、ヅキンヅキンと痛む顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》を枕へあてた。私は、腹が立つてならなかつたのだ。目は閉ぢはしてゐても。枕許《まくらもと》に立つてゐて自分を監視してゐるであらう兄の口から、安逸を貪《むさぼ》ることを許さないと云ふ風な、烈《はげ》しい言葉が、今にも迸《ほとばし》りさうに思はれてゐたのだ。
兄は併《しか》し、急《せ》き立てて私の名を呼びつづけようとはしなかつた。もう私が目を醒《さま》したのだと知ると、熟睡のあとの無感覚な頭の状態から、ハツキリした意識をとり戻し得るだけの余裕を、十分私に与へてやると云ふ風に暫《しばら》く黙つてゐた。で、流石《さすが》に私も寝床に執着してゐる自分が恥ぢらはれて、目を見開いて了《しま》はうとするのだつたが、固く閉ぢられてゐた私の瞼《まぶた》は、直ぐには自分自身の自由にもならなかつた。ともすると兄の寛大に甘えて危く眠り落ちさうになつてゐた。
「起きろよ」
突然に又兄の鋭い声がした。劫《おびや》かされたやうに、私は枕から顔を放して、兄の顔を視守《みまも》つた。二言三言眠り足らない自分を云ひ訳しようとでもする言葉が、ハツキリした形にならないまま鈍い頭の中で渦《うづ》を巻いてゐた。
「いま――何時なの」
やがて、かう訊《き》いたのだ。が、併し、兄はそれには答へなかつた。私は一寸てれて机の上の置時計を見た。七時半であつた。
「二時間位しか、眠りやしない……」
私は半分寝床から体を這《は》ひ出しながら、口を尖《とが》らせながら、呟《つぶや》くやうに云つた。さう云ふ私を、兄は非難しようとさへしなかつた。
「兎《と》も角《かく》起きろ。――起きて、着物を着かへてキチンと帯をしめろ、たいへんなことになつたんだ」
かう、妙に沈んだ声で云ふのだつた。これは少し何時《いつ》もと様子が違つてゐると思つて、私はかすかな不安を覚えながら、節々の痛む体を無理に起して寝床から放れた。――帽子も被《かぶ》つたまま、オーバコートも着たままの、役所へ行きがけらしい兄の姿をもう一度よく視守つて、何か云はうとしてゐると、
「美代が悪いんだ」と、兄は怒つてでもゐるやうな恐《こは》い顔をして、押《お》つ被《かぶ》せるやうな強い口調で云つた。
「姉さんが?――姉さんには昨日僕あつたんだけれども……」
「昨夜一と晩で急にヒドく悪くなつたんだ。肺炎だと云ふんだが、妊娠中のことでもあるし、もう駄目らしい。今日午前中持つかどうか……」
キツパリと、あまり強い調子で云ふので一寸の間私は、兄の言葉に反問することが出来ずにゐた。さうして、心の中で兄を憎らしいものに思つてゐた。
「そんなことはありはしない。そんなことつてありはしない……」
暫くして、私は兄を責めでもするやうに、ワクワクしながら呟いた。けれども、興奮して、黙つて、ぼんやり突つ立つてゐる兄の顔を視守つてゐるうちに、私は、自分の言葉に少しも権威のないことを思はない訳に行かなくなつた。兄の言葉を信じない訳に行かなくなつた。さうして、不意に胸が塞《ふさ》がつてきた。――四五日前から、風邪《かぜ》をひいて寝てゐると云ふ姉には、昨日、原町の家へお金を貰《もら》ひに行つた時に、母から注意されたので、かへりに私は木村によつて姉を見舞つたのだ。その時、別に重態と云ふやうな様子は少しもありはしなかつた。それに……。
「医者が、もう駄目だと云ふの」
私は出来るだけ、気持を冷静に保つてゐようと努めながら訊いた。
「あゝ、さう云ふんだ」と兄は力のない声で、「俺《おれ》は、これから熱海《あたみ》のお父さんのところへと花子のところへと電報を打ちに行くんだ。そして、それから、もう一度医者に酸素吸入を頼んでくるつもりでゐるが、お前にも、頼みがあるんだ」
私は返事をしなかつた。着物を着かへたら直ぐ、木村へ馳《か》けつけてみようと思つてゐたのだ。
「――広小路へ行つてね、イボタの虫つてものを買つて来て貰ひたいんだ」
「イボタの虫つて……」
「俺もよく知らないんだがね」と、兄は云ひ憎さうな調子で、「売薬だがね、好く利《き》く薬なんださうだ。母《か》あさんが是非買つて来いと云ふんだから、買つて行けよ」
「だつて、そんなもの……」
肺炎で、妊娠してゐて、医者がもう駄目だと云つてゐると云ふ病人に、酸素吸入をやつてゐると云ふ病人に、下らない売薬なんて買つて行つたところでどうなるものかと、私は思はずにゐられなかつた。私は昨日木村へ寄つた時に、姉の病気を軽くみてろくに側にもゐなかつた自分が悔いられた。昨日に限つて、原町の家に宿《とま》らずにゐた自分が悔いられた。母にお金を貰つて、好い気になつて、呑気《のんき》に放埒《はうらつ》にすごした昨夜の自分が悔いられた。佐治を誘つて、十二時近くまで切通しの鳥屋で酒を飲んでゐたり、宿へ戻つてからも、隣室の谷崎潤一郎氏に誘はれて、竹久夢二氏や渡辺氏などと、明け方近くまで勝負事をしてすごした自分が悔いられた。
「でもね、買つて行つた方が好いだらう。母あさんがさう云ふんだから」
兄は、無理に強《し》ひると云ふ風には云はなかつた。私は兄を気の毒に思はない訳に行かなくなつた。普段から、私などとは比較にもならないほどに、売薬の効果などを信用しようとしない科学者の兄が、意固地《いこぢ》に自分を守らうとはしずにゐる。母の、あわてふためいてヒステリックになつてゐる様子なども思ひやられて、こんな場合に兄と、口論めいた口を利くのがイヤだと私は思つた。
「買ひに行つても好いけど……」
私は、急いで着物を着かへながら、何時《いつ》もの横着で一寸の間使に行き渋つてゐたのだと云ふ風に、兄の手前を装つた。
「行くかね」と、兄は微笑して、「――行くんならね、普通の生薬屋《きぐすりや》へ行つても駄目なんださうだ。広小路の先の、たしか黒門町あたりに、ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼屋が沢山|列《なら》んでゐるね、あそこで売つてゐるんださうだ」
「ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼屋だつて……。イボタの虫つて云ふもんなんだね」
私は、兄と目を見合して寂しく笑はずにはゐられなかつた。一瞬間、私の胸には、姉の危篤といふことから来る重ツ苦しい圧迫が、影を潜めてゐた。姉のために、ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼屋へ、時代錯誤の薬を買ひに行くと云ふ風な古めかしい使が、何か淡い哀愁を誘はれる好ましい仕草にも思はれたのだつた。
「ぢやそれを買つて、直ぐ木村へ行つてみませう。兎も角一緒にここを出ませう」
「うん。さうしよう。寒くないやうにして行かなくてはいけないぜ」
部屋を出て行かうとする私へ、背後《うしろ》から兄は、故意《わざ》と乱暴に外套《ぐわいたう》をかけてくれた。センチメンタルな愛情の表現を恥ぢると云ふ風に……。さうして私は兄と連れ立つて長い階段を下りて、菊富士ホテルを出た。
宿の前には、一昨日の晩から昨日へかけて降つた雪が、根雪になつたまま陽《ひ》を受けて弱々しく光つてゐた。私は飲み過ぎと寝不足とで頭がクラクラしてゐた。顔中の皮膚が硬張《こはば》つて、頬《ほ》つぺたが妙に突つ張りでもするやうな不愉快な気持でゐた。ぼんやり立つて、玄関で編上げの靴の紐《ひも》を結んでゐる兄を待つてゐたが、待つてゐると、何かしなければならないことが沢山あると云ふやうな、苛々《いらいら》した気持になつてきた。居ても立つてもゐられなくなつたのだ。――今日お昼時分に印刷屋から、「新思潮」の二月号が刷りあがつて来るはずである。佐治に、発送の手伝ひをすると約束をして置いたのだがと、それが一番重大な気がかりでもあつたやうに、思ひ出すと放棄《うつちや》つては置けないやうな気になつた。私は一寸の間迷つてゐたけれども、玄関に引返して、「用があつて佐治のところへよるから」と兄に云ひ置いて、直ぐ近所の、素人《しろうと》下宿の二階に住んでゐる佐治のところへ馳《か》けつけた。
その朝に限つて、到底まだ寝てゐることだらうと思つた佐治が、起きてゐた。もうキチンと座敷の中がとり片づけられて居、トランプをするために買つたと云ふ大きな一閑張《いつかんば》りの机が、座敷の真ン中へ、彼の花車《きやしや》な体をぐたりと靠《もた》せかけさせるために持ち出されてゐた。彼はパイプを啣《くは》へて、悠々《いういう》と青い煙を吐いてゐた。
「やあ」
佐治は、座敷の入口に立つてゐる私の姿を認めると、快活に呼びかけた。
私は彼の口から、彼の幸福さうな赤い顔に似合しいやうな浮々した言葉が、無造作《むざうさ》に浴びせかけられることを思ふと堪《たま》らない気がされた。昨夜の放埒《はうらつ》な記憶に触れずにすむためには自分の方から、何か先に口を切らねばいけないと思つて、暫《しばら》くの間云ふ可《べ》き言葉を頭の中で整理してゐた。
「……今日、雑誌の発送の手伝ひをするつて約束しておいたがね、今一寸前、兄貴がやつて来て、直ぐこれから家へ行かなくてはならない。木村の姉さんがね、死にさうなんだ。面倒だらうけど、雑誌の発送は君一人でやつてくれ給へ」
私は、佐治の顔を視守《みまも》りつづけながら、虚《うつろ》になつてゐる頭から一言一言絞り出すやうに、やつと、それだけ云ひ終つたのだ。云ひ終ると、一瞬間、佐治の赤い顔の皮膚が、目のふちと耳との部分を残して白くなつたやうに感じられた。佐治は黙つてゐた。私も黙つて彼の顔を視守りつづけた。が、到底自分の悲しみと関係のない彼なのだと思ふと、憎らしくなつて、もう何も外に云ふことはないと承知してゐながら、私は暫くの間ぢつと突つ立つたまま動かなかつた。ふと、雑誌のことが思はれて来る。今月号へ載せた、「犬に顔なめられる」と云ふ自分の小説の、後半の大事な部分が少しも書けてゐないことが思はれた。それは、四五年前の自分の、ヒドい放蕩《はうたう》な生活の中から自殺しそくなつた経験をぬきとつて、高潮《クライマックス》だけを手記と云ふ風な形式で書いたつもりであつたが、うまく行かなかつたので、その材料を書くことを期待してゐてくれた里見さんや野村などに、私は合はす顔がない気がされた。それで佐治に向つて弁解めいたことを云はうとしたが、云はうと思ふと、それが又馬鹿らしい気がし出してきて止《や》めた。
「発送は僕が一人でやつて置くよ。すぐ、うちへ行つたら好いだらう」
不意に、佐治にかう云はれて、私は又胸をワクワクさせた。小説のことなどを思ひ出したのが恥かしくなつた。ぐづぐづしてゐるうちに、ヒヨツと若《も》し姉が死んで了《しま》ひでもしたらどうしよう。と、私はそはそはして来て、何か出鱈目《でたらめ》な言葉をぶつぶつ呟《つぶや》きながら、佐治に挨拶《あいさつ》もしずに、あわてて階段を下りた。
戸外へ出ると、雪の上を渡つて来た冷たい風が、スーツと頬《ほほ》を吹いた。白い路《みち》の行手に、帽子を眼深《まぶか》に被《かぶ》つてうなだれたまま、オーバコートのポケットに手を入れてしよんぼり立つてゐる、兄のヒヨロ高い姿が目についた。私が追ひつくと、兄も列《なら》んで歩き出した。女子美術の前をだらだら下りて菊坂へ出ようとしたのである。
「郵便局は、ここからだと何処《どこ》が一番近いだらうね」
兄は、体を私へすりよせるやうにして云つた。
「さア、真砂町《まさごちやう》の停留所前にあるが……」
私は悲しい気持になつてゐた。熱海に避寒してゐる心臓の悪い父や、代々木に嫁《とつ》いでゐる気の弱い妹などが電報を受取つて、驚くさまなどが思ひ描かれてゐたのだ。が、悲しくはなつてゐても、私の気持はまだそんな風に、人の悲しみを思ひやると云ふ程度の余裕があつた。さうして、姉が死んだら、もし姉が死んだら、兄の結婚も延びて了ふだらうなどと、信代さんとの結婚が来月に迫つてゐた、兄のことなども一寸の間頭に浮んでゐたのだつた。と、不意に目の前の菊坂を、金色の造花や、銀色の造花を持つた人足が通つて行くのが見えた。続いてあとから、普通の花を持つた葬儀社の人足や、幌《ほろ》をかけた俥《くるま》などが幾つも幾つも通つて来たのだ。
ハツとして、「悪いものが通る」と、思はず私は呟いた。兄も私もやや暫く足をとどめて長い葬式の列をやり過さねばならなかつた。私は唇を噛《か》んでゐた。腹立しく足駄の先で路の雪を蹴《け》つてゐた。
葬式をやり過して了つたあとでは、兄も私も前より急ぎ足になつて真砂町の方へ坂を登つて行つた。姉の命が気づかはれて来るのを、私はどうしようもなかつた。死にはしまいか、死にはしまいかと思はれて来るのをどうしようもなかつた。で、癪《しやく》に触《さは》つて、故意《わざ》と逆に、「もう死んでゐるのだ。姉さんはもう死んで了つてゐるのだ」と、自分で自分に思ひ込ませようとした。心の底では、さう思ひ込ませてさへおけば、それが何時もの先走りした愚な私の思ひ過しになつて、木村へ馳《か》けつけた時分には、よくそんな病人にある奇蹟が起つてゐて、駄目だと医者に宣告された姉が危篤の状態から逃《のが》れてゐる、と云ふ風なことになつてくれさうなものだと、虫好く考へながら……。
電車路に出ると、「ぢや電報を打つて来るから」と云つて、兄は私とわかれて、真砂町の停留所の方へ行き過ぎようとした。
「兄さん」と、私は呼びとめてみたが、別に兄に用があると云ふのではなかつた。兄と分れることが淋《さび》しかつたのだ。ふりかへつた兄に、「いや、何でもないんだ」と云つて、三丁目の方へ歩き出した。弱々しい気持になつてゐた。俯《うつむ》いて歩いてゐると、疲れ切つた目の中に、チクチクとしみるやうに雪が光つた。私は急ぐ気力もなくなつてゐた。これから、ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼屋などへ薬を買ひに行かねばならないことが、下《くだ》らない道草の気がしてイヤでイヤでならなかつた。イボタの虫だなんて云ふ訳の解らない売薬が何で瀕死《ひんし》の病人に利《き》くはずがあらう。幾ら母の云ひつけであらうと、そんなものを買ひに行つてゐる間に若《も》し姉が死んで了つたらどうしよう。かう思ふと私は腹が立つてならなかつた。けれども、背後から、厩橋《うまやばし》行の電車が徐行して来た時には、私は乗ることに運命づけられてゐるかのやうに、その電車に飛び乗つて了はない訳に行かなかつた。
電車は満員であつた。本郷三丁目で留《とま》ると、下車する人々のために長い間|手間《てま》どつた。私は人に押され押され、車掌台に立つて往来を眺《なが》めてゐた。目の前に建て連《つら》なつた店々の屋根から、軒から、解けた雪の雫《しづく》が冷たさうにポタポタと落ちる。かつ[#「かつ」に傍点]と陽を受けて、雫に濡《ぬ》れた飾窓《ショウウヰンド》のガラスが泣いたやうにギラギラ光つてゐた。時折は、本郷|巣鴨《すがも》行や本郷|白山《はくさん》行の電車が、勢よく響を立てて赤門の方へ走つて行くのが見えたけれども、さうしてあれにさへ乗つて了へば、直ぐ木村の家へ行けるのだと思つたけれど、何と云ふ理由もなく私は、あんな勢の好い電車には到底乗ることが許されない自分なのだと云ふ風な気がして、何時までも動き出さない電車に苛々《いらいら》しながら、悲しい気持で車掌台に立つてゐたのだ。降りる人が降り切つて了ふと、待つてゐた人々が一斉にドヤドヤ乗り込まうとした。その人波の向うに、何処かの店の飾窓《ショウウヰンド》に沿つて、ぽつりと歩いて行く洋服を着た男が目についたが、それが、兄らしかつた。よく見てゐるとやつぱり、兄だつたのだ。私はもう矢も楯《たて》も堪《たま》らないやうな気がして来て、急いで車掌に十銭銀貨を握らせたまま電車を下りた。
「どうしたんだ……」
兄は私の姿を認めると、ギクリとしたやうにふり向いて云つた。
私は顔一杯に弱々しい微笑を湛《たた》へて、詰《なじ》られでもしたやうな、兄の強い口調をはぐらかして了《しま》はうと思つてゐた。
「電報をかけて来たの」
「いや、真砂町《まさごちやう》のは三等局で電報はかけられないんだよ。これから本郷局へ行く気でゐるんだが……」
「さう、ぢや本郷局の前まで一緒に行かう」
「歩いて行く気なのかお前……」
「えゝ」
と、曖昧《あいまい》に答へながら、媚《こ》びるやうに私は兄の顔を視戍《みまも》つてゐた。兄と一緒にさへ居られれば力強い気がされてゐたのだつた。
「駄目だよ。歩いて行つたんぢやおそくなつちまふだらう……」
兄はかう云つて、私の体に喰つついて来たが、ふと、私の外套《ぐわいたう》の前をキチンと合せてくれたり、一つもかかつてゐないボタンを、丹念に嵌《は》めてくれたりした。
「直ぐ電車で行つておいで……」
私は悲しくなつた。イボタの虫なんて買ひに行くのはイヤだと駄々をこねようと思つたが、へんに唇が歪《ゆが》んで来るばかりで、口を利《き》くことが出来なかつた。黙つて兄から顔を視守られてゐると、どう反抗しようもなくなつて来て、丁度先の電車が動き出さうとした機勢《はずみ》に、踵《くびす》をめぐらして、それに飛び乗つて了つたのである。
私は車掌台にやつと立つて、冷たい真鍮《しんちゆう》の棒につかまつてゐた。車掌や車中の乗客からジロジロ顔を視守られてゐるやうな、侮蔑《ぶべつ》されてゐるやうな、腹立たしい気持でゐた。それでも、何時《いつ》ものやうに私は、心の中で彼等を蔑視《さげすみ》かへす気力がなかつた。少し強い口調で何か言葉をかけられでもしたら、誰にでもベコベコ頭を下げて了ひさうなイヂケタ気持になつてゐるのだ。疲れてヘナヘナになつてゐる体を靠《もた》せかけるやうにして、窓のガラスに顔をぴつたりよせた。電車の震動につれて、歯と歯とがガクガク噛《か》み合せられ、寒いやうな緊張が、体全体に漲《みなぎ》つて来るのが感じられてゐたが、不意にもう姉は死んで了つてゐると云ふ風な気がして、目の中が熱くなつた。ぽつりと涙が落ちた。鼻筋をつたふ涙の、かゆいやうな感じを覚えたが、私は気恥かしくなつてそつぽを向いた。
――白い毛糸の、ボヤボヤした温かい襟巻《えりまき》に包まれながら、姉に抱かれながら、この、本郷の通りを俥《くるま》に乗つて走つてゐたことがある。小さい弟を抱きかばつてゐる、若い娘らしい姉の得意と喜びとをちやんと私は知つてゐた。知つてゐながら狡《ずる》い小さな私は、甘えて無邪気に眠つてゐるやうなふりをしてゐたのだ。姉の親友の、学習院だつたか附属だつたかの小学校へ通つてゐる、自分と同じ年位な弟さんを思ひ浮べて、明日から、姉のために、その品の好いおとなしい弟さんに出来るだけ自分を似せようと思ひながら……。十五六年も前の、そんな記憶がちらと頭に浮んで来た。――姉に、たつた一人の弟としてずつと後まで私は愛されてゐた。十から十三になるまでの間を私は東京の家から、父や母や兄弟たちからもぎ放されて、北海道の釧路《くしろ》で牧場を経営してゐる子供のない叔父の家にやられてゐたが、其の頃女学生だつた姉は、よくセンチメンタルな手紙をよこしては孤独な私を泣かせた。中学校に這入《はひ》るために私が、再び東京の家へ戻つて来た頃に、姉は木村の義兄と結婚したのだつた。中学生らしく生意気になつた私は、小さい子供の頃のやうなセンチメンタルな愛情を姉との間に保てなかつたけれども、姉に無関心で暮せるやうな時代は少しもなかつた。其の後五六年して私は放蕩を覚え、三日も四日も家をあけたあとで、荒《すさ》み切つた心になつて家へ戻つて来ることがよくあつたが、そんな時に、どんなにこつぴどく父に呶鳴《どな》られるよりも、母に泣きくどかれるよりも、さもさもきたならしい人だと云ふ風に、姉に顔を視守られることが、私には一番|辛《つら》いことだつた。姉は、併《しか》し、私が実際に放蕩の渦中にあつた時には流石《さすが》に顔をそむけてゐたけれども、あとでは私の前で、自分だつて此頃はもう相当の通人になつてゐると云ふやうに、芸者と云ふやうな境遇の女にも、好意を持つた話し方で話したりした。私は小遣銭がなくなつて、あまり頻々《ひんぴん》で母にも云ひ出せないといふ時に、きまつて姉の家へ行つた。姉は、姉子《あねつこ》の小さな達坊を私が抱くために来たのか、お金がなくなつてやつて来たのかを、敏感に察した。私の顔を見て笑ひ出して、黙つて、立つて行つて用箪笥《ようだんす》からお金を出して来てくれるといふことがよくあつた。私が、父や母の意志に反《そむ》いて作家として身を立てようと心をきめたことに就《つ》いても、父や母の悲しみを思ひやるといふ気持を除いては、私の仕事に姉はむしろ好意を持つてゐた。姉は小説好きだつた。六七年も前のことである。転任した義兄と一緒に長野へ行つてゐた姉のところへ、私は、釧路で送つた頃の少年時代の記憶を小説体の形式に書き綴《つづ》つて、三銭切手を五つも六つも貼《は》つたりして送つたことがあつた。それはただ姉に親愛を示したい気持から、無理にも自分の過去を悲しいものに色彩《いろど》つて書いたものだつたが、姉は感動して、――恐らくは書かれてゐたことの十倍二十倍もの想像を加へて読んだのであらう。二三日の間は、気が変になるまで泣き悲しんだ。あとでそのことを知つた兄から、馬鹿な真似《まね》をするものでないと叱《しか》り飛ばされて、余計なことをしなければよかつたと私も悔いたが、只《ただ》併し、自分の書いたものが人に感動を与へ得るといふことに就いては、その時始めて自信を持てたのだつた。其の後、私は野村から鼓舞され、里見さんに励まされたりして、三つ四つの習作をした。一つ一つ小説を書いてみる度に、私も幾らかづつは自分のやつて行かうとする仕事の目先が、明るくなつて行つた。去年の春、小さな単行本を出版した時にも、秋から、佐治や福田たちの仲間に加つて第五次の「新思潮」を始めてからも、私の書いたものが活字になる度に、喜んで読んでくれる極くわづかばかりの読者の中で、姉はもつとも熱心な読者の一人であつた。――これから、私は、沢山によい作品を書いて行かうと思つてゐる。好い作品の出来た時に、私のために喜んでくれる人々の中に、どうして姉を数へずに置けよう。私の愛する周囲の人々の中には、悲しいことに、お金まうけでもしない限りは、喜ばしてあげることの出来ない人もゐるけれども、姉は、姉なら、私が好い作品を書いたことだけでも喜んでくれるのだ。――死んではいけない。今は、何でも彼《か》でも死んではいけない。姉の愛に、好意に、私らしく報い得る時節の来るまでは、どんなにしても死んでくれては困ると、私は駄々ツ子のやうに心に思つた。冷たい真鍮の棒を、ギユツと強く握りしめながら。電車は、不意にずり落ちるやうに、切通しの坂を下つて行つた。
「死んでくれるな」
私は目をつぶつて、かう又姉のために祈らずにはゐられなかつた。姉に似て神経質な、臆病な、男の子らしくもなく色まで白い達坊のやんちや[#「やんちや」に傍点]な姿などが思ひ浮べられる度に堪《たま》らなくなつて、ほろ、ほろと涙を落した。強い気でゐようと思つても、胸から喉《のど》へ棒でもさされてゐるやうに、迫つてきて、啜《すす》り泣かずにはゐられなかつた。――やがて、広小路の停留場へ来て了つてゐた。
「もし、もす、貴方《あなた》切符を……」
電車を降りると、自分を呼んでゐる車掌の声が背後でした。私はふと気がついた。あわてて切符を買はずにゐた自分を思ひ出しながら。懐《ふところ》から蝦蟇口《がまぐち》をとり出したのだ。
「貴方にはたしか、三丁目で、十銭頂きましたですね……」
かういつて、車掌は、「かへり」の切符を私へ渡さうとした。珍らしく人の好い車掌のそんな行為までを、その時私は人前で辱《はづか》しめられたやうに感じて、赤くなつてゐた。乗換切符をくれろといふことも出来なくなつて、私は急いでそこを立ち去つた。
私は広小路の四辻《よつつじ》に立つて、品川行か日本橋行の電車が来るのを待つてゐた。暫く待つてゐたが、品川行も日本橋行もなかなかやつて来なかつた。私は苛々《いらいら》して来て、決心して、黒門町の方へと歩き出した。歩き出して暫くしてから、あとから電車が来はしたけれども、引返すのが面倒臭くなつて、そのまま私は歩いて行つた。
路はぬかつて歩き難《にく》かつた。解けかかつてグシヨグシヨした雪路は、気が急《せ》いてゐても、なかなか捗《はかど》らなかつたのだ。
「ヒヨツとすると今時分、姉さんは死にかかつてゐるのぢやないかしら……」
一歩一歩今自分が、姉の家とは反対の方向へ歩いてゐるのだといふ意識が、そんな風に思はせるのだつた。もうずつと遠く姉の家から隔つて了《しま》つた気がした。私は急《せ》いて、馳《か》け出した。
「さうだ。イボタの虫なんていふ妙な薬が、存外不思議な効果をあらはすかも知れない。何とも知れない……」かう思つて、私は一生懸命走つたのだ。が直ぐ走りくたびれて、馬鹿らしくなつて歩いて了つた。ぬかるみへ下駄をとられさうになる度に、兄と一緒に木村へ馳けつけて了はなかつたことが悔いられた。癇癪《かんしやく》が起つてきた。悲しみと癇癪とがゴチヤゴチヤに迫つてきて、私は外套のポケットへやんちや[#「やんちや」に傍点]に手を突つ込んだまま、涙で顔中ぬらぬらと濡《ぬ》れてくるのを拭《ぬぐ》はうともしずに、馳け出してみたり、馬鹿らしくなつて歩いてみたりしてゐた。
やがて、「元祖黒焼」と看板の出てゐる土蔵造りの店が、街《まち》の角に見えた。黒い漆地《うるしぢ》に金文字で書かれた毳々《けばけば》しい看板が、屋根だの軒だのに沢山かけられてゐる。私は劣《けおと》されて、その家には這入《はひ》り切れずに通り過ぎた。が、それでも暫《しばら》く行き過ぎてから、やや小さな「黒焼屋」の前に通りかかつて、やつと決心して、のめり込むやうに店の中へ這入つて行つたのだつた。
店の中には、この寒空に、羽織も着てゐない青んぶくれの番頭がたつた一人ゐた。帳場格子《ちやうばがうし》の間から一寸顔を出して、私の姿をジロジロ見上げた。
「へ、いらつしやいまし……」
私は赤くなつた。泣き顔をしながらあわててこの店へ飛び込んで来た自分が、顧みられたのだ。番頭から、てつきり、「ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼」をでも買ひに来た客と、きめられてゐやしないかと思はれたのだ。私は急《せ》き込んで訊《き》いた。
「君のところに、その、イボタの虫つていふ薬がありますかね」
「へ、ございます、ございますが、どれほどさしあげませう」
あまり平凡のもののやうに、番頭に云はれて私は却《かへ》つて面喰《めんくら》つたが、買ふ段になると、どんな風な計算で買ふものか、私にはまるきり観念がなかつた。
「一寸私に見せてくれませんか……」
番頭は立つて行つて、ガラスの瓶《びん》の中に一杯つめられてある虫を私に示しながら、「これでございますが」と云つた。――それは、背中の部分がイボイボして、毳々しい緑色で彩《いろど》られた一寸五分位な、芋虫を剥製《はくせい》にしたやうなものだつた。みてゐるうちに、私は、こんな気味の悪い虫を、到底姉になぞ飲ませられるものかと思つた。姉は、虫嫌《むしぎら》ひで、三十近くにもなつてゐながら、一緒に路を歩いてゐてヤモリだのトカゲだのを見ると、キヤツと声を立てて、小娘のやうに人にかじりついたりして来たりする人だつた。
「えへ、えへ、いらつしやいまし……」
不意に、格子障子があけられて、奥からゴマ塩頭のツルツルと滑つこい皮膚を持つた六十あまりの童顔のぢいさんが、店へ出てきて、私の前で手をついて、屁《へ》つぴり腰《ごし》をしながらペコペコ頭をさげた。
「へえ、これはイボタの虫と申しましてな、煎《せん》じて飲みますと、たいへんに効能のあるせき[#「せき」に傍点]どめ薬でありましてな、昨年来、世間に悪い風邪が流行《はや》り出しましてからはな、よく利く薬だと申して、上方様《うへつがた》などでも沢山にお求めになる方がございましてな……」
ぢいさんは、慣れ切つた調子でべちやくちや饒舌《しやべ》り出した。聞いてゐるうちに、私は又腹が立つてならなくなつた。やつぱり、鼻風邪位にしか利かない下らない売薬だつたと、思はない訳に行かなくなつたからだ。瀕死の病人のために、下らない売薬を買ひに来て時間つぶしをした愚劣さが思はれて、ムシヤクシヤして、怒つたやうな声を出した。
「これは、一匹幾らなんです」
私は顰《しかめ》ツ顔をして云つた、それでも、ここまで来て、買はずに帰るのも業腹《ごふはら》だつたので……。
「へえ、ありがたうございます。一匹拾銭といふことになつては居りますがな、その、七匹で六十銭といふことに願つてゐるのでございます」
かう、番頭が引きとつて云つた。
私は一匹だつてこんな虫に用はないと思ひながら、番頭に七匹買へば安いと云はれると、小切つて買ふことも出来ないやうな気持になつてゐた。
「ぢや七匹買つて置かう」
「へえ、へえ、誠にどうもありがたうございます」
私は、やがて、さも貴重品でもあるかのやうに、小さな桐《きり》の箱へ入れられたりしたイボタの虫を、番頭から受け取つて、ムカムカしながら戸外へ出た。
姉は心臓|痲痺《まひ》を起して了つてゐて、木村へ私が駆けつけた時分には、顔をみてももう私だとは解らぬらしくなつてゐた。私はイボタの虫の這入つた箱を母へ渡した。母は一寸|葢《ふた》をあけてみて、黙つて、涙ぐんだまま袂《たもと》へ入れた。姉は、義兄や、母や、兄や、前田の姉や、花子や、雪子や、私などに枕許《まくらもと》をとり囲まれて、眠るやうに死んだ。大正八年一月三十一日午前十一時である。イボタの虫は、木村の家や原町の家などで、お通夜《つや》や葬式などに風邪引きが沢山出来たので、母が飲ませようとしたけれども、誰もイヤがつて飲まなかつた。女中たちにさへ嫌はれてゐた。母がたつた一人、つい此頃まで、どうかすると思ひ出したやうに煎じて飲んでゐた。
[#地から2字上げ](大正八年五月)
底本:「現代日本文學大系 91 現代名作集(一)」筑摩書房
1973(昭和48)年3月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第12刷発行
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
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