青空文庫アーカイブ
大菩薩峠
山科の巻
中里介山
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蝉丸神社《せみまるじんじゃ》
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(例)外|寂《じゃく》ニ
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]共
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一
過ぐる夜のこと、机竜之助が、透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の蝉丸神社《せみまるじんじゃ》の鳥居から、今晩、またしても夢のように現われて来た物影があります。先晩は一人でしたが、今夜は、どうやら二人らしい。
その二人、どちらも小粒の姿で、ことによると子供かも知れない。石の階段をしとしとと下りて、鳥居のわきから、からまるようにして海道筋へ姿を見せた二人は、案の如く子供でした。いや、子供ではないけれど、ちょっと見た目には、子供と受取られてもどうも仕方がない。青年にしても、成人にしても、世間並みよりはグッと物が小さいのですが、事実上、子供でないことは、いま海道筋へ現われたところを、もう一応とくと見直しさえすれば、すぐにわかることで、第一、この夜中に子供が二人で、こんなところを夜歩きをするはずがないではないですか。
前なるが寒山子《かんざんし》、後ろなるが拾得《じっとく》、どこぞの宝物の顔輝《がんき》の筆の魂が抜け出したかと、一時は眼をみはらざるを得ないのですが、再度、篤《とく》と見直せば、左様なグロテスクではあり得ない。現実生命を受けた生《しょう》のままの二人が、今し海道筋に出ると共に、ひたひたと西へ向って歩み出したことは、前に机竜之助がしたと同じことですが、柳は緑、花は紅の札の辻へ来てからにしてが、あの時の妖怪味はさらに現われず、また一方、その前日にあったことの如く、追分を左に山城田辺に、お雪ちゃんだの、道庵先生だの、中川の健斎だのというものを送って、女軽業の親方が、さらばさらばをしたような風景もなく、二人は無言のままで、静粛な歩み方をして、深夜の東海道の本筋を西に向って行くのですから、ここ何時間の後には、間違いなく、京洛《けいらく》の天地に身を入れるにきまったものであります。
今日この頃は、京洛の天地に入ることの容易ならぬ危険性を帯びていることは、この二人も知らぬはずはあるまい。まして深夜のことです。今も深夜ですから、この歩調で歩いて行っても僅か三里足らず、京洛の天地は、やはり深夜の眠りから覚めてはいないはず。そうでなくても、海道筋の夜の旅はきつい。打見たところでは、有力な公武合体の保証があるというわけでなし、奇兵隊、新撰組の後ろだてがついているというわけでもないが、こういう人柄に限り、後ろから、オーイオーイと呼びかけて決闘を挑《いど》むという物すごいのも現われず、酒手《さかて》をねだる雲助霞助もてんから目の中へ入れては置かないから、不安なるが如くして、かえって安全なる旅路。
「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」
と後ろなるが呼びかけたのは、宇治山田の米友でありました。
「はい」
と、それを直ぐに受答えたのは、紛《まご》う方《かた》なき弁信法師でありました。
さては、御両人であったよな。グロの友公と、お喋《しゃべ》り坊主の弁信とが、真面目くさって連れ立って歩いているのでした。そんなら、そうと、最初から言えばいいのに。
驚いてはいけない。二人ともに足が地についている。決して、妖でもなければ怪でもない。弁信が先に立って、米友が後ろについて、二人連れでここまで来たのですが、今ぞ鳴くらん望月《もちづき》の、関の清水を打越えても、これやこの行くも帰るも、蝉丸の社をくぐって来ても、二人ともに口を利《き》かなかったものですから、寒山拾得の出来損いだろうなんぞと悪口を叩かれるので、最初から、弁信、米友でございと名乗ってしまえば、お馴染《なじみ》は極めて多い。
人によっては歓迎をしない限りはないのに、物々しく、無言の行をつづけて来たものですから、人が、なあーんだと呆《あき》れてしまう。
それのみではない、この二人のいでたちが、今晩は少し変っているのであります。
二
どう変っているかと言えば、今晩は弁信が笠をかぶっている。墨染の法衣《ころも》は変らないけれども、今日まで弁信という坊主は、旅をするに、全く笠をかぶらなかった坊主です。一つには、笠をかぶると、頭高《かしらだか》に負いなした生活のたつきの琵琶の天神がつかえる、その故障のために、よんどころなく、かぶり物を廃していたのかも知れないが、もう一つには、その自慢(!)の法然頭《ほうねんあたま》を振り立てるためには、素《す》であった方が見栄《みば》えがする。脱いで高紐にかけ――と言ったような、実用とダテ[#「ダテ」に傍点]の事情に制せられたのかも知れないが、今日の弁信は網代《あじろ》の笠をかぶっている。同時に、背中から頭高にかかった、雨と露と埃《ほこり》で汚れた、あやめもわかぬ袋入りの琵琶というものの存在が消滅して、その代りに、藁《わら》の苞入《つとい》りの四角な横長の箱と覚しきものを背負っている。
一方、宇治山田の米友に至ると、めくら縞《じま》の筒っぽはいつも変らないし、これは竹の皮の饅頭笠《まんじゅうがさ》をかぶっているが、この男が饅頭笠をかぶることは珍しいことではない。
最初、伊勢の国から東下《あずまくだ》りをする時代から、この種の笠をかぶりつけてもいるし、尾上《おべ》の後山《うしろやま》の復活の記念としての跛足《びっこ》は、今以てなおってはいないのだから、それは一目見れば誰でも、それ以外の何者でもないと感づかれるはずなんですが、つい、うっかりしていました。
二人が二人であるとわかってみれば、二人が二人であることに異議はないのですが、二人が二人ながらどういう径路をたどって、ここまで歩いて来たかということには、なお多大な問題が残されていると見なければなりません。
よって念のために、大菩薩峠の「農奴の巻」までさかのぼって、それを検討してみますと、弁信法師は、長浜から竹生島《ちくぶじま》へ渡って、一世一代の琵琶を奉納せんと志したが、どう間違ってか、竹生島ならぬ多景島《たけじま》(竹島)に漂着してしまいました。
弁信法師が、有縁則住《うえんそくじゅ》と抜からぬ面《かお》で多景島に納まり返っているところへ、農奴として処刑せらるべかりし米友が、両士に救われてそこへ身をかくすことになった――という因縁がある。そこまでは書物によって証明ができるが、では、この二人が、いつのまにどうして、あの島を抜け出して、この道へかかったか、それは誰も知った者がない。が、それをいちいち説明していると話が長い。しかし、トニカク、唐《から》天竺《てんじく》へ転生《てんしょう》したわけではない。多景島からは直径にしても、僅か十五里以内のこの地点を歩んでいるのだから、有り得ざることではないし、有り得べからざることでもありません。弁信の肩から生活のたつきの琵琶一面が消滅しているところを以てして見ると、その後、彼は目的を達して、多景島から竹生島に転航し、そこで首尾よく、彼が年来の大願としての琵琶を神前に奉納し了って、そこで、かくばかり肩がわりをしたのか、そうでなければ、竹生島へは渡らずに、つい今の先、この関の蝉丸神社へ一期《いちご》の思い出に納め奉ってしまったのか、そのいずれかであろうとは推察が届くのであります――竹生島にしても、蝉丸にしても、琵琶とは極めて縁が深い。そこへ一期の思い出を掛了《けりょう》し終るということは、物のためにも、器のためにも、人のためにも、極めてところを得たと言ってよいから、心配することはないのです。
何がさて、笠のことや、琵琶のことはどうありましょうとも、二人がこうして無事であっていてくれさえすれば、よいではありませんか。
三
そこで、米友の方から沈黙の第一声を破って、「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」と呼びかけてみたところで、これは弁信にはこたえられまい。明るい月夜であろうと、暗い闇夜であろうと、生れつき、明と暗とが不可分平等に賦与されてある弁信その人にとっては、現実には打って響く何物の経験がない、と見なければならない。では、「夢のような晩だなあ」と形容してみたところで、やっぱり弁信の感覚にはピンと来ないに相違ない。この法師には、明と暗とが不可分平等であるように、夢と現実との区別が、最初からはっきり[#「はっきり」に傍点]としていないのです。
よって米友の唱破第一声は、米友が米友としての詠歎に過ぎないのですが、それでも、その気分だけは弁信にもよくわかると見えて、それを素直に受入れて、「はい」と言ったきりで、明るいとも、暗いとも、夢に似ているとも、現実に近いとも、あえて肯否のいずれをも言明いたしません。やや暫く、足の方は小止みもないのにかかわらず、言葉がつづかない。
「はい」と言った応唱一声で、あとが続かない。この法師としては、また極めてめずらしいことです。本来ならば、沈黙は沈黙として、ひとたび舌根が動き出して、言説の堤が切れた以上は、のべつ幕なし、長江千里、まくし立て、おどし立て、流し立て、それは怖るべき広長舌を弄《ろう》するこのお喋り坊主が、ただ、「はい」だけで食いとまったことこそ、今までの中での最大驚異に価する。本文通り、乙者から言説のきっかけを投げられたが最後、「明るい晩と申しましても、夜は夜でございます、人の世そのものが、無明長夜の眠りでございまして、迷途覚路夢中行と、道元禅師も仰せになりました……」なんぞときめ出されようものならば、富楼郷《フルナ》といえども辟易《へきえき》する。それを今晩に限って更にせずして、ただ「はい」だけで納まるというのが、甚《はなは》だ異例を極めているのであります。
それにも拘らず、米友は重ねて言いました、
「弁信さん、おいらは京都を見るのは、はじめてなんだぜ」
「はい」
「おいらは伊勢者で、上方《かみがた》へは近いところの生れなんだが、かけ違って、江戸の方を先に見ちまったんでな」
「はい」
「東海道を下る時は一人だったんだ、駿河《するが》の国から連れが出来たにゃあ出来たけれども、それまでは一人ぽっちよ、東海道の目ぬきのところはみんな一人で歩いてらあな」
「はい」
「それからお前、一度、甲州という山国へ入り込んで、あすこの生活を少し味わったよ」
「はい」
「それから、また江戸へ帰ると今度は、道庵先生のおともをしてこっちへ来ることになったんだ、来る時は東海道を来たけれど、帰る時は木曾街道というわけなんだ」
「はい」
「お前も知ってるだろう、あの先生は世話の焼ける先生とっちゃあ」
「はい」
「それがまた、近江の胆吹山というところから道庵先生と離れて――おいらはお銀様のお附になったんだ」
「はい」
「そのまたお銀様というあまっこ[#「あまっこ」に傍点]が、イヤに権式の高えあまっ子[#「あまっ子」に傍点]でな」
「はい」
「道庵先生は、親方のお角さんとおいらとを乗換えて、別々に上方行きということになったんだが、おいらは弁信さん、お前と一緒に都入りをしようとは思わなかったよ」
「はい」
何を言っても、はいはいだから、米友が少しお冠《かんむり》を曲げ出しました。何を言っても、はいはい聞いてくれることは有難いようなものだが、こういちいち、はいはいでは、ばかにされているように思われる。せっかく自分が好意ずくで話しかけるのを、上《うわ》の空《そら》で聞き流して、眼中にも、脳裏にも、置いていないようにも取れる。まして平常《ふだん》、そういう無口な人柄ならばそれでも済むけれども、平常が平常、人が一口言えば二口の返し言ではない、千言万語が口を衝《つ》いて出でるお喋り坊主から、今晩に限ってこんなにあしらわれると、米友もいい心持がしない。そこで、今度は少し語調が荒っぽくなりかけて、
「弁信さん、何と言ってもはいはいでは、あんまり気がねえじゃねえか、ちったあ[#「ちったあ」に傍点]張合いのある返事でもしな」
「そういうわけではありませんのです、米友さん、悪くなく思って下さいな」
四
「お前《めえ》のことだから悪かあ思わねえがね、話しかけた方の身になってみると、はいはいだけじゃあつまらねえこと夥《おびただ》しいや」
「では、米友さん、お話し相手になって上げますから、もっとお話しなさいな」
改まってそう言われると、さて何から話し出していいか、米友が少しテレる。
米友が少しテレたので、弁信が仕手役《してやく》に廻りました。
「米友さん、私は今、考え事をしていたところなんです」
「何を考えていたんだ」
「いろいろのことを」
「いろいろのことと言えば……」
「それは世間のことと、出世間のことと――人間並みに申しますると、眼で見える世界のことと、眼で見えない世界のこととを考えておりました、人間並みではこれが二つになりますが、私にとっては一つなのです、私の眼には一切が見えない世界のみでございまして、見るべき世界がございません、ですから一つです、見える世界、見えない世界と、事わけをするのは、人間並みに五体整っている人のすることでありますから、私は仮りに世間のこと、出世間のことを二つに分けて申してみました」
さあ、むつかしくなり出した。これからの饒舌《じょうぜつ》の洪水が思いやられる! だが、これは頼まれもせぬに引出した米友に責めがある。せっかく沈黙の世界におとなしくしているものを、返事がなくては張合いがないのなんのと誘発した米友に、充分の責めがあるのであります。いわば眠っている獅子《しし》の口髯《くちひげ》を引いたようなもの、百千万キロワットの水力のスイッチをひねったようなものですから、今後の奔流は、米友御本人が身を以て防護に当るよりほか、受け方はありますまい。
だが、こちらもさるもの、一向にひるまない。
「二つにでも、三つにでも、わけて見ねえな」
世間とは何で、出世間とは何だと、野暮な追究を試みるようなことをしないで、三つにでも、四つにでも、千万無量にでも、分けられるものなら分けてみねえなという度量を示したものですから、弁信もさもこそとうなずきました。
「では、その世間の方から申してみますると、米友さんも御承知でしょう、今の世間は一方ならず騒がしい世間ではございませんか」
「騒がしいよ」
と米友が言下にうなずきました。
「今日の世界が、騒がしい世界でございますことは、米友さんにも充分おわかりのことと思いますが、それでは何が騒がしいとお聞き申してみたら、さすがの米友さんも返答にお困りでしょう」
「そうよな、騒々しい世間じゃああるけれど、何が騒々しいと聞かれると、ちょっと挨拶に困るなあ」
「その通りでございます――私たちの周囲に何の騒がしいことがございますか、後ろを顧みれば、逢坂、長良の山々、前は東山阿弥陀ヶ峯を越しますると京洛の夜の世界、このあたりは多分、山科の盆地、今の時は丑《うし》三ツ、万籟《ばんらい》が熟睡に落ちております、この静かな世界におりながら、私もこの世界が騒々しいと思い、米友さんも騒々しいと思う、誰が騒いでおりますか」
「誰も騒ぎゃしねえけれど、天下がいってえに騒々しいんだよ」
「なるほど、天下と申しますると、天《あめ》が下《した》のことでございますな。天下がいったいに騒がしいと申しますのは、つまり、天が下に住む人間畜生から、山川草木に至るまでが、みんな動揺しているから、それで騒がしいんでございましょう。ところが、今晩は風も吹かず、雨も降らず、この通り静かなのに、天下がいったいに騒がしいとは、何を証拠に米友さん、それを言いますか」
「何を証拠ったって、お前《めえ》、裁判官じゃあるめえし――」
米友が、そこで時代ばなれのした裁判官を引合いに出さなければ、そろそろ受けきれない事態に追い込まれて来たことがわかります。さりとて、弁信は、ソクラテス流の産婆術を以て、米友を苦しめんがために検問をかけたのではありません。自分の喋りまくる順序としてのプロローグに過ぎないのですから、直ぐに取ってかわって言いました、
「つまり、目に見える世界が騒がしいのではなく、目に見えない世界が騒がしいから、それで、なんにも知らぬ米友さんの心耳《しんじ》をさわがしてしまうのです、どんな静かなところへ置いても、この心の騒々しさは癒りません、その反対に、どんな騒がしいところへ置きましても、心が安定しておりますと、その静寂を乱すものはないのでございます。真常流注《しんじょうるちゅう》、外|寂《じゃく》ニ内|揺《うご》クハ、繋《つな》ゲル駒、伏セル鼠、先聖《せんしょう》コレヲ悲シンデ、法ノ檀度《だんど》トナル……」
弁信が物々しく、あらぬ方に向って拝礼をしました。
五
こうして、二人は前後して歩きつつあります。
本来ならば眼のあいた米友が先導をして、眼の見えない弁信がこれに従って行かなければならないのですが、この場合、絶えず弁信が先に立って、米友がついて行きます。言わず語らず、その超感覚に依頼しているものでしょう。
「だがなあ、今夜ここんところは静かだけれど、世間一体が静かというわけにゃいかねえなあ、江戸は江戸で貧窮組が出る、押込み強盗がはやる――辻斬りもたまにはある」
これは、この男の生々しい体験でありました。
「近江の国へ来て見れば百姓一揆《ひゃくしょういっき》がある、京都へ行けば行くで、また血の雨が降ってるというじゃあねえか、どっちへ廻っても世界は騒々しいのが本当で、今晩ここんところだけが静かだと言って、お前の言うように、目にめえ[#「めえ」に傍点]る世界が静かで、目にめえ[#「めえ」に傍点]ねえ世界が騒々しいんだとばかりは言えなかろう、世間は騒がしいんだよ」
と米友が附け加えたのは、体験から来るところの感覚なのであります。それを弁信が抜からず引きとって、
「その通りでございます、米友さんのおっしゃることに間違いはありません、ですが、米友さんはやっぱり、目を持っておいでですから、二つの世界にわけて見ることができるんですね、米友さんの眼でごらんなすった関東関西いったいの騒々しさと、今そういう騒々しさから全く離れて見ましても、なお、その心の騒々しさを感覚の上に残して、焦《じ》れておいでなさる、でござりますから、それ、どっちへ廻っても騒々しいとおっしゃるのに無理はございません。ところが私のように、目によって物の形を認めることができない身、物のあいろを識《し》ることのできない身になってみますると、世間が静かな時は、この心も静か、世間が騒がしい時は、この心も騒がしい、外の世界と内の世界とは、全く同じなんでございます、二つにわけて考えることはできません」
そう言うと、米友が存外|和《やわ》らかにそれを受けて、
「なんしろ、弁信さんに逢っちゃあかなわねえよ」
と言いました。
それは、ヒヤかしと茶化しの意味で言ったのではありません。引きつづいて米友が言うことには、
「てえげえの人は、この目で見る世界のほかに世界はねえんだ、目でめえ[#「めえ」に傍点]るもののほかにこの目で見《め》えねえものはめえ[#「めえ」に傍点]ねえんだ、ところが、弁信さんときちゃあ、眼がなくっても物がめえるんだから違わあな、それから、おおよその人は、この耳で物を聞くほかには聞けねえんだ、耳で聞けねえ音というものはありゃあしねえやな、ところが弁信さんときた日にぁ、耳がなくったって物が聞えるんだから大したものさ――弁信さんに逢っちゃあ敵《かな》わねえ」
とあっさり米友が甲《かぶと》を脱いだのは、この怖るべきお喋《しゃべ》りの洪水にかかっては受けきれないからしての予防線ではないのです。事実、米友は、弁信の見えざる世界を見、聞えざる音声を聞くことのかん[#「かん」に傍点]の神妙には降参している。
さればこそ、この不具者《かたわもの》に先《せん》を譲って、自分が後陣を承って甘んじている。米友に言葉の上で甲を脱がせはしたが、さりとて弁信は少しも勝ち驕《おご》るの色を見せず、首の包物の結び目に手をかけながら、ちょっと米友を振返って、
「米友さん、提灯《ちょうちん》をつけましょうかねえ」
「提灯なんざあ要らねえよ、今も言う通り、今夜は月も星もねえけれど、イヤに明るい晩なんだ、おいらは提灯は要らねえ」
米友が提灯の必要なくして、道が歩けるくらいなら、まして況《いわ》んや弁信をやです。ところが言い出した弁信は、更にその主張をゆるめることをしないで、
「いいえ、私共は要りませんにしても、向う様が――向う様がそそうをなさるといけません、向う様のお邪魔にならないまでも、無提灯で人里を歩くのは礼儀にかないません、つけて参りましょうよ、あの大谷風呂でお借りした提灯を――」
「無提灯で歩いちゃあ礼儀に欠けるというのは、どういうわけなんだ」
「昔、江戸では端唄《はうた》がございました、夜更けて通るは何者ぞ、加賀爪甲斐《かがづめかい》か、盗賊か、さては阪部《さかべ》の三十か、という唄が昔ございました、夜更けて無提灯で歩くものは盗賊か、盗賊改めのお役向に限ったものなのです、ですから、世間の人が、無提灯で暗《やみ》の中をうろうろ致していれば、盗賊と間違えられてもやむを得ないものでござります。夜、人をたずねるにも、人を送るにも、または自分ひとり歩きを致しまするにせよ、家々の定紋のついた提灯に火を入れることが礼儀でございまして、礼儀は即ち用心でございます」
「そういうわけなら、大谷風呂で借りた提灯を点《つ》けて歩くとしよう」
そこで米友が、腰にくくりつけていた一張の弓張提灯を取りおろして、丁々《ちょうちょう》と点火にとりかかりましたが、手器用に火がつくと、蝋燭《ろうそく》が燃え出し、鎖を引くと蛇腹《じゃばら》が現われて、表には桐の紋、その下に「山科光仙林」の五字が油墨あざやかに現われました。
六
提灯に火をつけたのも、その持役も、同じく米友でありましたけれども、この提灯持は、世間常例の如く先に立つことをせず、一足あとから、例によってはったはったと歩いて行きます。
如法暗夜ではない、如法朧夜といったような東海道の上り口を「山科光仙林」の提灯が、ゆったりゆったりと渡って行く。
逢坂、長良《ながら》を後ろにして、宇治、東山を前にした山科谷。しばらくすると米友が、はったと足の歩みをとどめて、
「やあ、何か唄が聞えるぞ」
と、耳朶《みみたぶ》の後ろから手笠をもって引立てて見ました。
「そうですね」
米友の耳に入るほどの音声で、その以前に弁信が聞きとめていないはずはありません。
「盆踊りかね」
「今はその季節ではありませんね」
「念仏講かな」
「そうでもないようです」
「祇園囃子《ぎおんばやし》てやつかな」
「そうでもありません」
「鳴り物が入ってるな」
「はい」
「やあ、突拍子《とっぴょうし》もねえ、高い声で歌い出しやがった――聞き取れるよ、文句が聞き取れるよ、じっとしていてみな、おいらの耳でも立派に、歌の文句が聞き取れるよ」
米友は、そこに暫く立ち尽して、耳朶に手をあてがったまま、心耳を澄まそうとしました。弁信も否み兼ねて、同じように立ちどまって、米友が歌の文句を耳にしかと聞き納めるのを待っている。
ややしばし、佇立《ちょりつ》して心耳を澄ました米友が、釈然として次の如く、高らかにその歌詞と音調とを学びました。
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宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗《みはた》じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
「威勢のいい唄だよ」
米友が附加して言いますと、弁信は先刻心得面に、
「あれは軍歌というものです」
「グンカてえのは?」
「兵隊さんが、声を揃《そろ》えて歌う歌なんです、あの威勢のいい歌を歌いますと、士気がおのずから勇んで参ります、その上に、歌の調子に合わせて、軍隊の歩調がよく調《ととの》います、それ故に、近ごろの洋式の調練では、笛や太鼓なんぞに合わせて、あの勇ましい軍歌をうたいます、多分兵隊さんが調練を致しているのでございましょう」
「そうすると、その兵隊さんが向うから、やって来る、弱ったなあ」
と、米友がここでガラになく弱音を吹きました。弱ったなあ、と言ったのは、何が弱ったのだかよくわかりません。よし、軍隊が繰出して来るにしてからが、それは歌詞にもある通り、朝敵征伐せよとの御旨《おむね》で繰出されて来るのであって、米友征伐に来るわけのものではないから、そんなに弱音を洩《も》らさなくてもいいはずなのですが、米友が、がっかりした調子で言ったものですから、弁信が気の毒がって、
「米友さん、心配なさりますな、あれは少々遠方で調練をしているのです、こっちへ来る気づかいはありません」
と言ったのは、弁信には、弱ったなと言う米友の心持がよくわかるからです。もし、調練の軍隊があの勢いで、こちらへ向って繰出して来た日には、弁信、米友の行先と正面衝突にきまっている。こちらでは衝突するつもりはないけれども、すべて公儀及び官僚の相手は米友にとっては苦手である。彼は今まで、そういう権勢と衝突しなくてもいいところで衝突し、誤解を受けなくても済むべきところを、誤解へ持ち込んでしまっている。最近、このつい隣国で、これがために重刑に処せられんとして、危うく一命を救い出された、いわば兇状持ちにひとしい身になっている。公儀及び官権を肩に着たものは苦手である。なるべくはこれと逢いたくない、できるならば逃避したい、という心持すらが、今の米友には充分に保有されている。それですから、弁信から、その危険の前進性なきことを保証されてみると、弁信の保証だけに信用して、ホッと胸を撫《な》でおろし、
「ドコで調練やってるんだい」
「あれはね、そうですね、鳥羽伏見あたりで歌っているのですよ、練習のために停滞して歌っているので、前進の迫力を持って歌う声ではありませんから、安心なさい」
「そうかね」
そこで、再々安心して、行手に向って歩みをつづけましたが、その軍歌の声は、いよいよあざやかに耳に落ちて来る。弁信の言うには、一所に停滞した声で、前進の迫力の声ではないとのことですけれども、米友の耳で聞くと、刻一刻に自分の耳元に迫って来て、いよいよ近づいて、いよいよ冴《さ》えて来る。どうして、あちらから歩武を揃えて堂々と前進し来《きた》る合唱でないとは言われません。そこで、米友が再び迷うて、弁信に向って駄目を押しました、
「弁信さん、大丈夫かエ、軍歌が、だんだんこっちへ近づいて来るような気持がするぜ」
「え、それは耳のせいと、風向きのせいでございましょう、実は以前と少しも変っておりません、鳥羽伏見あたりで稽古をしているのでございますよ」
「鳥羽伏見てのは、いったい、ドコなんだ」
弁信が、ひとり合点で言うものですから、米友が、確《しか》とその地理学上の根拠を突きとめようとしました。鳥羽は京都の南部に当り、伏見はこれよりやや東に隣り、道のりでは四里八町ということになっているけれども、距離はいずれこの地点から三里内外。
ところで、二人は追分から、右へ伏見道へそれず、山科に入り、四宮、十禅寺、御陵、日岡、蹴上、白川、かくて三条の大橋について、京都に入るの本筋を取るつもりであろうと思われます。
七
二人の立っている地点から見ると、後ろは逢坂の関から比良、比叡へ続く峯つづき、象ヶ鼻、接心谷、前は音羽山、東山、左へやや遠く伏見の稲荷山、桃山――その間の山科盆地をさまよっている。京の中心へも程遠からぬところ、東山を打貫きさえすれば、鳥羽も、伏見も、つい目と鼻の先にはなっているが、かくまではっきり軍歌の歌詞までが受取れるほどの地点とは思われぬ。だがこの場合、弁信の錯覚があるとないとにかかわらず、米友は一応その説明に満足し、また満足するよりほかに地理の観念を持たない身は、それに聴従するよりほかはなく、相ついで歩いているが、関の明神を出てからでも、もういく時にもなるのだから、相当道のりも捗取《はかど》っていなければならないのに、離れて第三者から見ていると、「山科光仙林」の提灯が同じところを行きつ戻りつしている。そうでなければ、グルグルめぐりをしているとしか思われない。さては京に入る前にドコぞ立寄るところでもあって、戸別《こべつ》家さがしでもやっているのか知らん。とにかく、二人は山科谷に彷徨《ほうこう》して、京へ直入の足は甚《はなは》だ怪しくなっているのですが、その間にも、例の、
[#ここから2字下げ]
宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
の軍歌は、いよいよ明亮《めいりょう》を極めて、絶えず、前から襲って来たものですから、米友もつい、そのリズムに捲き込まれて、いい気になってしまい、歩調までが勇み足になった上に、
[#ここから2字下げ]
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
と伴奏しはじめたかと見ると、興に乗じたか、提灯を地面に置いて、自分は道のまんなかに踏みはだかり、手にした例の振杖ではない杖槍を取って、中空に投げ上げ、それが落ちかかるやつを手早く取って受けては、またクルリと中空へ投げ上げる、右へ泳ぐのを左で受けたり、左へ流れるのを右で受けたりして、合《あい》の口拍子には、
[#ここから2字下げ]
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
とはしゃいでいる。
それに頓着をしない弁信は、委細かまわず突き進んで、やがて本街道から外れて、とある藪小路《やぶこうじ》に突き入ってしまいました。トコトンヤレを口ずさみながら、米友がそこに踏みとどまって、棒を弄《ろう》して以てあえて弁信のあとを追おうとしないのは、あらかじめ諒解があって、弁信は弁信としての当座の使命があり、その使命を果すべく自由行動を取り、米友は米友として、その待合せの時間を余戯でつぶしていると見ればいいのです。
弁信の姿が藪の中にすっかり没入したが、海道に踏みとどまる米友は、杖槍を中空にハネ上げたり、受け止めたり、ひとり太神楽《だいかぐら》の曲芸は以前に変らない。いや、以前よりも一層の興味をわかして、自己陶酔に落ちると、いつもする一流の型をつかいはじめました。
ひとたび藪蔭に身を没した弁信は、容易に姿を現わして来ない。
にも拘らず、米友が手練の入興はようやく酣《たけな》わになりまさって行って――ようやく忘我の妙境に深入りして行く。
[#ここから2字下げ]
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
口合いの口拍子だけは、いっかな変らない。惜しいことに、今晩もまた、無料無見物の中に、得意の秘術をほしいままに公開している、その陶酔境の真只中へ、
「米友さん、わかりました」
弁信が、竹の小藪の蔭から抜からぬ面《かお》を現わしました。
八
しばらく弁信法師に導かれて来て見ますると、久しく閉された柴の門に、今日この頃ようやく手入れをして、いささか人の住める家としたらしい、その前へ来ました。近よって米友が門の柱を見ると、三寸に四寸ほどの門札のまだ新しいのがかけられたのへ、提灯を振りかざして見ると「光仙林」――それは自分の提灯に記された文字と同じであることを知りました。
そこで来るべきところへ来たという安心がありました。
その門をくぐって、屋敷の中へ入って見ると、広いこと、門の外も同じ原っぱならば、門の中もまた同じような原っぱ。
さすがに門の外は、荒寥《こうりょう》たる自然の山科谷だけれど、門の中には相当に手入れをした形跡はある。自然の林と原野とを利用して、相当人間の技巧を加えたのが、久しく主に置き忘れられて、三逕荒《さんけいこう》に就き、松菊なお存するの姿にはなっていたけれど、これもきのうきょう開きならしたらしい旧径のあとは、人を奥へ導いて、この道必ずしも鳥跡ではないことがわかる。
「ずいぶん広い屋敷だ」
と、歩きながら米友もひそかに舌を捲いたくらいだから、門を入ってさえドコに人家があるのだか容易にわかりません。
「光仙林」ていうから林の名なんだ、だが門があって、表札が打ってあるからには、人の住むべき構えがなければならないということを、強く予想しながら、弁信にまかせて従って行くと、果して、一口の筧《かけひ》を引いた遣水《やりみず》があって、その傍に草にうずもれた低い家があったのです。
そこへ来て見ると、何よりも人の住んでいることに間違いのないという証拠は、幽《かす》かながら燈火の影がさしていることで、またも米友を安心させると、時を同じうして弁信のおとなう声を聞きました。
「御免下さいませ、関守様はこれにおいででございますか」
と案内を乞《こ》う声によって、中に人あることの見込みも確実ですが、ただちょっと、この際、米友の聞き耳を立たせたのは、弁信のおとなう声の中に、関守様と特に名ざしたことです。
関守といえば、その人の固有の姓、たとえば関口とか、関根とか、関山というような種類のものでなくて、関を守る人という意味の特別普通名詞であるに相違ない。
してみると、中なる人を関守氏と呼んだ以上は、ここは関だ、つまりお関所なんだ。お関所は幾つもある、東海道の箱根のお関所をはじめ、米友にはいくらもこれが出入りの体験がある。中仙道に至っては、道庵先生の従者として具《つぶ》さに、その幾つかを経歴して来たのだが、ついいま参詣した蝉丸神社《せみまるじんじゃ》というのも、あの辺がれっき[#「れっき」に傍点]とした古来の関だと聞いて来たが、別段、役人がいて手形を出せとも言わなかった。表向には逢坂の関というのがあって、その裏に小関がある。自分たちは小関越えをして来て、それから少しあと戻りをして、蝉丸神社へ参詣したと覚えているが、ドコをどう廻っても、お関所らしい役所はなし、手形を出せという役人もいなかったが、それではここがお関所なんだな、いわゆる逢坂の関というやつなんだな、それにしても、お関所にしては屋敷は広いが、表がかりが寒頂来《かんちょうらい》だ、お関所も時勢につれて、身代が左前になったから、こっちの方へ引込んで、隠居仕事に関代《せきだい》をかせいでいるのかも知れない――などと、米友が予想しながら、なお暫《しばら》く弁信の為さんように任せて待っていると、やがて、中から戸を押す物音があって、紙燭《しそく》を手にかざして、
「弁信殿か、よく無事で見えられたな」
障子のかげから、こっちへ姿を現わしたその人は、思いきや、関守には関守だけれども、不破の関守氏でありました。
九
不破の関守氏ならば、米友も旧識どころではない、つい近ごろまで、胆吹の山寨《さんさい》で同じ釜の飯を食っていた宰領なのですから、なあんだ、それならそれと言えばいいにと、少し苦い顔をしていました。
しかし、米友としては、向うでお化けに逢って、それを突き抜けて来たら、またここで同じお化けに出逢ったような気持で、出し抜かれた上に、先廻りをされて、ばあーっと言われたような感じがしないでもありません。
だが、そういうことは、弁信が先刻心得面であるから、米友はまず提灯をふき消すだけの役目をすると、人をそらさない関守氏は、
「友造君、よく無事で見えられたな」
と、弁信に対すると同一の会釈を賜わりました。ただ一方には弁信殿とかぶせたのに、今度は友造君と前置きをしただけの相違で、あとの会釈は一字一句も違わない音声と語調でありましたから、米友も納得しました。もし、これがいささかでも相違して、弁信に対しては客分、米友に対しては従者あつかいの待遇でもしようものなら、この男として、相当不快な感情を表わしたに相違ないが、その辺の呼吸は心得たもので、関守氏は一視同仁の会釈を賜わったのみならず、弁信を招ずるが如く米友をも招じ、二人ともに無事このところへ安着を賀する心持に優り劣りはなく、果ては二人のために洗足《すすぎ》の水まで取ってそなえてくれるもてなしぶりに、弁信はともかく、米友はいたく満足の意を表しました。
そもそも、この人と、それから青嵐居士との二人に助けられて、農奴として斬らるべき運命の身を救《たす》けられて、多景島までかくまわれ、ここで弁信に托して一命の安全を期し得たのは、つい先日のこと。
してみれば、二人をまたあの島から、この谷へ移動させるまでに肝煎《きもいり》をしていてくれたのもまたこの人、親切であって、ちょっとの抜りもない人だが、しかし、その親切ぶりと、抜りなさ加減に多少、気味の悪いところもある。あまりに抜身の手際があざやかなものだから、米友としては、いささか化け物を見るような感がないではない。
やがて、不破の関守氏は二人を炉辺に招じて、ふつふつと湯気を吐きつつある鍋の前に坐らせました。無論、自分もその一方の、熊の皮か何かを敷いた一席に座を構えているので、あたりを見れば短檠《たんけい》が切ってあって、その傍らに見台《けんだい》がある、見台の上には「孫子《そんし》」がのせてある。
その見台の上にのせてある書物を「孫子」だなと、米友が睨《にら》んだわけではない。本がのせてあるなということは、たしかに睨んだけれども、一目見て「孫子」だなと睨み取るほどの学者ではなかったのです。
ここへ来たのはホンの昨今であろうのに、もう十年も住みわびているような気取り方が、米友にはまたいささかへんに思われる。
加うるに膳椀《ぜんわん》の調度までが、一通り調《ととの》うて、板についているのは、前にいた人のを居抜きで譲り受けたのか、そうでなければ、お勝手道具一式をそのまま、あたり近所から移動して来たとしか思われません。
かく甲斐甲斐しく炉辺の座に招じて置いてから、不破の関守氏は、
「君たち、まだ夕飯前だろう、何もござらぬが手前料理の有合せを進ぜる」
と言って、膳部を押し出したのを見ると、お椀も、平《ひら》も、小鉢、小皿も相当整って、一台の膳部に二人前がものは並べてある、しかも相当凝っている。
「さあさあ、お給仕だけは御免だよ、君たち手盛りで遠慮なく食い給え、米友君、君ひとつ弁信さんに給仕をして上げてな、食い給え、食い給え」
鍋の蓋《ふた》を取って、粟《あわ》か、稗《ひえ》か、雑炊か知らないが、いずれ相当のイカモノを食わせるだろうと思ったところが、鍋の方は問題にしないで、黒漆の一升も入りそうなお櫃《ひつ》をついと二人の方へ突き出したものだから、米友が、この時も小首をヒネりました。
お膳の上を見直すと、小肴《こざかな》もある、焼鳥もある、汁椀も、香の物も、一通り備わっているのだが、はて、早い手廻しだなあと、いよいよ感心しているうちに、
「さて、食事が済んだら、弁信殿は女王様がお待兼ねだから、あちらの母屋《おもや》へ行き給え、米友君はここに留まって、拙者と夜もすがら炉辺の物語り」
さては女王様、即ちお銀様もここに来ているのか――いずれも熟しきった一味の仲間でありながら、米友はここにも、化け物が先廻りをしている、ドレもこれも化け物だらけという気分で、おのずから舌を捲きました。
自分がドノくらいの程度の化け物だか、そのことは考えずに……
十
やがて弁信法師だけが案内を受けた、この屋敷の母屋というべき構えは、平家建の低い作りではあって、すべて光仙林のうちに没却してはいますけれども、内容の数寄《すき》を凝らしたことは一目見てもそれとわかるのであります。
光悦筆と落款《らっかん》をした六曲の屏風《びょうぶ》に、すべて秋草を描いてある。弁信には見えないながら、見る人が見ると、すべてが光悦うつしといったように出来上っている。古い構えではあるけれども、相当手入れを怠ってはいなかったらしく、寂《さび》がついて、落着いて、その一室に経机を置いたお銀様の姿を見ると、室の主として、これもしっくり納まっている。
「林主様《りんしゅさま》、弁信法師が参りました」
「あ、そうですか」
とお銀様は、しとやかな言葉で、この法師を待受けました。
「お嬢様、弁信でございますが、はからぬところでお目にかかります」
「友造どんは、どうしました」
それを不破の関守氏が引きとって、
「あれも一緒に、無事これへ着きましたが、食事を済ませまして、とりあえず弁信殿だけをつれて参りました」
「弁信さん、そこへお坐りなさい、そうして今晩は、ゆっくりあなたと話がしたい」
「いずれ、急がぬ身でございますから」
「では、拙者に於てはこれにて御免――」
不破の関守氏は弁信を置きっぱなしにして、自身のわび住居《ずまい》へ帰ってしまいました。
お銀様の経机に向った周囲を見ますと、幾つかの封じ文が、右と左に置かれてある。机の上にも堆《うずたか》いほどの手紙が載せてある。察するところ、この手紙類を右から取っては左へ読みついで、ひたすらそれに読み耽《ふけ》っていたところらしい。弁信が来たものですから、手紙の方はそのままにして置いて、お茶の立前《たてまえ》にかかりました。
お銀様のお手前は本格であります。珍しくも手ずからお茶を立てて、弁信法師をもてなそうとするのであります。
「一つ、召上れ」
ふくさに載せて、わざわざ弁信の前に置かれたものですから、この法師もいたく恐縮しました。
差出された茶碗を見ると、これも光悦うつし、いや、うつしではない、光悦そのものの肉身の手にかけて焼き上げたもの――むやみに、うつしうつしと口癖になってしまってはお里が知れる。
「これはこれは、痛み入った御接待にあずかりまして」
例によって物堅い弁信法師の辞儀、お手前ともお見事とも言わないで、御接待と言いました。そうしてその言葉にかなう恭《うやうや》しい手つきで、茶碗を取って押戴いて二口飲みました。弁信法師も、お茶の手前の一手や二手は心得ているに相違なく、手振《てぶり》も鮮かに一椀の抹茶《まっちゃ》を押戴いて、口中に呷《あお》りました。
「お願いには、もう一椀を所望いたしとうござります」
お銀様はそれを喜んで、更に一椀を立てて弁信に振舞いました。
それを快く喫し終った弁信が、澄ました面《かお》を、いっそう澄ませて、
「たいそう落着いたお住居《すまい》のようでございますが、いつこれへお越しになりましたか、そうして、以前どなた様のお住居でございましたか」
「これが弁信さん、山科の光悦屋敷と申しまして、今度、わたしが引取ることになりました」
「あ、これがお話に承った光悦屋敷でございますか、そうして、居抜きのまま、そっくりあなた様がお引取りになりました、それは結構なことでございます、おめでたいことでござります」
「父が欲しいと申しましたが、わたしが引取ることになりました」
「ああ、そのお父様のことでございます、はるばる甲州路から京大阪の御見物と申すは附けたりで、実はあなた様を見たいばっかりで、おいであそばしたそうでござりまするな、お会いになりましたか」
「会いました」
「それは功徳をなさいました、本来ならば、子が親を見つがなければならないのに、あなた様ばかりは、親御にそむいた罪が重いにかかわらず、それでも、親は子を思いきれないで、わざわざこの上方まで見においでになる、それなのに、会うの会わぬのとおっしゃる、あなた様の御了見が間違っておりましたが、これは今更申し上げたとて甲斐のないことでございます、ともかくも、首尾よく御会見になりましたとやら、それはそれは何よりの悦《よろこ》びでござります」
「いいえ、別に、嬉しくも、おかしくもありませんでした、でも、会って悪いことをしたとは思いませんでした」
「そのはずでございます、子が親に会うのが何で悪いことでしょう、お父上様のおよろこびが察せられます。して、久しぶりで親子御対面のお談話《はなし》の模様はいかがでござりました」
「別に細かい話はありません、引合わせる人たちが立会の上で、大谷風呂の一間で会見を終りました、万事は不破の関守殿や、あのお角さんという仕事師が心得ているはずなのです、わたくしはただ大体だけの受答《うけこたえ》をしましたが、それでも、父は満足して別れました」
「その大体だけの受答というのが承りとうござります」
弁信法師は小賢《こざか》しく小膝を押進ませました。
十一
お銀様は、それを悪く謝絶をしませんでした。かえって、快く、むしろ弁信にも渡りをつけて置いてみたいような気持で、
「父は第一に、有野の藤原の家のあとをどうするかということを、わたしに責めました、あの家の血統といっては現在わたし一人、そのわたしが、こんなような人間ですから、家の存続ということが、父の死後までの関心第一である限り、その相談――ではない、詰責《きっせき》なのです、その唯一の血筋でありながら、家をも親をも顧みない私というものを責めるのは、責めるのが本来で、責めらるるが当然です、けれども、責められたからとて、叱られたからとて、今更どうにもなる私ではないということを、父も知っている、わたしも知っている、そこで第二段の条件になりました」
「と申しますると?」
「つまり、血統唯一の本筋である私というものが、家督の権利を抛棄《ほうき》する以上は、他から養子をしても異存はあるまいな、ということでありました」
「それも道理でございます」
「無論、わたくしに異存のありようはずはございません、宜《よろ》しきようにと、あっさり返事を致しました、そうしますると、では、その養子に就いてお前に何か希望条件があるかと、父がたずねましたから、いいえ、希望などは更にござりませぬ、そんなのがあるくらいなら、疾《と》うに私から推薦を致すなり、私自身が引きついでしまうなり致します、左様なことには一切白紙でございます、と父に向って申しました」
「それは、理非はとにかくに、あなた様らしい御返事でございました」
「しますとね、父が、よろしい、では、こちらのめがねで、しかるべき人を見立て、それに藤原家一切を引渡してしまっても、後日に至ってお前の文句はあるまいなと、駄目を押しますものですから、ええ、文句や未練などがあるべきはずのものではない、お父様のおめがねに叶《かな》った人がありますならば、御存分になさいませ、私はそれを喜んでお祝い申して上げますと申し上げました」
「なるほど、それも、まったくあなた様らしいお気持であり、あなた様らしい御返事でございます」
「その次に、財産の話が出ました、父が、念のために藤原家の現在の財産――土地家屋から、金銀宝物に至るまで、総計これだけあるから、念のために覚えて置くがよろしいと、番頭にその記入帳を取り出ださせ、それを私につきつけて説明をなさろうとしますから、私は、いいえ、すでに家督を抛棄したものに、何の財産の知識が要りましょう、捨てた本家の財《たから》を数えるような未練な心はさらさらない、その計算はお聞き申しますまい、その代り、評議で定まった最初から私のいただくべきものになっていた部分だけを、私にお頒《わか》ち下さればそれで充分です、それだけは私がいただいて、自由に使用させていただきましょう、それにしまして、家督を顧みぬ親不孝者には、それも相渡されぬということならば、一文もいただかなくとも結構です、万事、お父様のお心持次第――とこう申しますと、よし、わかった、と父が申しまして、別に用意を致して参りました一冊を、改めて不破の関守さんと、お角さんの手に渡しました――それで、キレイに万事の解決は済みました」
「それは、あなた様は済んだとお思いでしょうが、お父様は、この解決に、容易ならぬ不本意でございましたでしょう、でも、それよりほかになさりようのないお心持が、わたくしにもよくわかります」
「あなたには、父の心持はよくわかるかも知れませんが、私という女は、わからない女なのです」
「いや、わかり過ぎておいでになる――」
「いいえ、わかりません、わたしという人間は、天地間第一等のわからず屋でございます、それでいいのです」
お銀様の言葉が少し癇《かん》に立ってきたので、弁信はまた病気が出だしたなと思ったのか、広長舌を食いとめて、深く触れることを避けた心遣《こころづか》いがあります。そこで、なにげなく話頭を一転し、語気を一層|和《やわ》らげて、
「それで、なんでございますか、あなた様の代りにお家をおつぎになる相続人、果してお父様のおめがねに叶うお人がありまするやら、その辺に立入っての御相談はございませんでしたか」
「ありました」
お銀様は、きっぱり答えたので、弁信法師も少しくはずみました。
十二
「そのお方はどなた様ですか、あなた様の御親戚のうち、或いはお知合いの方で、まずあれならばと思召《おぼしめ》すようなお心当りがございましたか」
「いいえ、ちっとも知らない人です、なんでも連れ子をして、このごろ家に居候《いそうろう》をしていた他国者なんだそうですが、それを見込んで父が親子養子にすると申しますから、御存分に、身分素姓などのことをかれこれ申すくらいなら、最初から私が嗣《つ》ぎますと、私は言いきってしまいますと、この場はそうでも、後日ということもある、他人を相手のことだから、これに判をしなさい、父の認めたこれこれの養子に家督一切を譲っても、後日に至って毛頭異存のないというこの書附に判を押しなさいと、父が申しますものですから、ええ、ようござんすとも、ようござんすとも、判などは幾つでも、どこへでも捺《お》して上げますと、私はその証文へ自筆で名を書いて、女だてらの血判までしてやりました」
「あなた様のお名前を書き、血判までしておやりになりましたならば、その証文面をイヤでも一応はごらんになりましたでしょう、あなた様に成代《なりかわ》って家をおつぎになる、父上のおめがねにかなった新しい御養子というお方は、いったいどのようなお方でございましたか――せめてそのお名前くらいは」
弁信法師が念を入れて、根深くたしかめようとすると、お銀様が、
「本人の名は、与八とだけ書いてあるのを見ました、その傍に並べて、郁太郎《いくたろう》と書いてあったようです、郎という字かと思いましたが、郎太郎という名前もないでしょうから、あれは郁太郎――つまり親が与八で、子が郁太郎、それが私に代って、父の家を引きついで、寝かし起しをしてくれる親子養子になったことと思います」
「何とおっしゃいます、与八に、郁太郎――」
そこで、物に動ぜぬ弁信法師の語調が、いたく昂奮したような様子が歴々です、お銀様は言いました、
「わたしは、与八がどういう人で、郁太郎という子が誰の子だか知りません、知ろうとも思いません、ただあの二人が、これから藤原の家を踏まえて、わたしに代ってあの家を立ててくれることを、御苦労だと思っています、いいえ、立ててくれるのか、つぶしてくれるのか、それも知りたいとは思いません」
そうすると、弁信法師が抜からぬ面《かお》で答えて言うことには、
「その与八さんとやらは、おそらく、お家をつぶしてしまうでございましょう、また、潰《つぶ》されても悔いないと思えばこそ、あなたのお父様も、その二人を御養子になさる御決心がついたのです」
「いったい、家を起すの潰すのということが、私にはよくわかりません」
「左様でございますとも、諺《ことわざ》に女は三界《さんがい》に家なしと申しまして、この世に女の立てた家はございません、本来、女人《にょにん》というものは、物を使いつぶすように出来ている身でございまして、物を守って、これを育てることはできないものなのでございます、家を起すのは男の仕事でございまして、家をつぶすことは女の仕業《しわざ》なのです、もとより、すべての男が家を起すべきもの、すべての女が家をつぶすべきものとは申しませんが、この世に、女の起した家というものはございません、本来、女には家そのものがないのですから。たとえて申しますると……」
「コケコッコー」
弁信法師の饒舌《じょうぜつ》が、理窟に堕しつつも、これから夜と共に深入りをしようとする矢先に、つい近いところで鶏がけたたましく鳴きました。
ははあ、話は夜と共に深入りをしようとする時、はや世界は明け方に向ったのか。鶏の声々に引きつづいて、つい近い庭先で、一声のすさまじい犬の吠《ほ》ゆる声を聞きました。鶏の鳴き声は、ちゃぼの鳴き声でありましたが、犬の吠え方は、ついぞ聞いたことのない、鋭くして強い吠え方でありました。鶏犬《けいけん》の声は平和のシムボルでありますけれど、鶏は時を作るものだが、犬は時間を知らせるものではありません。不吉な夜鳴きでない限り、鶏の鳴く音は常態でありますけれども、犬の吠ゆるは非常態でなければならない。
そこで、この屋敷に相当|逞《たくま》しい犬が飼育されていることもわかり、その畜犬が物に触れて、いま声を立てたのだということもわかりました。犬が物に感じたというその物は、人間以外の何物でもありますまい。つまり、不時に、思いがけぬ人の気配《けはい》を感じたればこそ、畜犬が、主家の防備と、自己保存の本能のために叫びを立てたに相違ない。それを勘の強い弁信が聞き洩《も》らすはずはありません。
「犬がおりますな」
「ええ、強い犬がいます」
「誰か参りました」
「不破さんでしょう」
「いいえ、別の人です」
つついて、犬が立てつづけに吠える、その声は尋常の犬と違って、腹から出る音声を持っていて、この座の人の丹田にこたえるのみならず、おそらく、この静かな時、十町を離れたところでらくに聞き取れるほどの音量が、超感覚の弁信の耳に、いよいよこたえないはずはありません。
「変っておりますな、あの犬は、ただ犬ではありません」
「ただの犬ではありませんよ」
非凡なる犬といえば誰しも、ムク犬を思い出すが、ムクは今、太平洋の海の中にいるはずですから、まかり間違っても山科谷の間へ来るはずはありません。
ただ、お銀様だけが、ただの犬でないことを心得ているらしい。
鶏犬の声によって、この場の会話は甚《はなは》だ白けてしまいました。弁信法師のせっかくの広長舌も、なんとなく出端《でばな》を失い、光芒《こうぼう》を奪われたかのような後退ぶりです。
十三
一方、不破の関守氏は、米友を炉辺の対座に引据えて、これもしきりに物語りをしておりました。
不破の関守氏は座談の妙手である。これはお銀様のように、権威と独断を人に押しつけることをしないし、弁信のように、感傷と理論の饒舌《じょうぜつ》に人を悩ますようなことがありません。平談俗語のうちに、世態人情を噛みしめて話すものですから、米友もたんかを立てる隙《すき》がなく、これをして神妙に聞き惚《ほ》れて、しきりにうなずかせるだけのものはありました。
そのくらいですから、会話に興が乗っても、これが切上げの潮時をもよく知っている。この小男も相当疲れているであろうことを察して、程よく一室に入れて彼を寝かし、己《おの》れも寝について、そうして無事に暁に至りました。その時、犬の吠える声を聞くと、今まで熟睡していた米友が、ガバと身を起して、
「今、犬が鳴いたなあ」
犬ならば吠えるというのが正格であろうけれど、鳴いたと口走ったのは、それと前後して鶏の鳴いたその混線のせいかも知れません。次の間に寝ていた不破の関守氏も、もうこの時分、すっかり覚めておりました。
「誰か来たようだよ」
「いま犬が吠えたねえ、おじさん」
誰か来たか来ないか、そんなことは注意しないで、犬の音声だけが特に気がかりになるらしい。
「吠えたよ、だから、誰か人が訪ねて来たと思っているのだ」
「今の犬は、ただ犬じゃあない」
と米友は、ただこれ、犬にのみ執着している。
「ただ犬じゃねえ」
と不破の関守氏は、隣室から米友の口真似《くちまね》をして、
「すばらしい犬だ、起きたら君に見せてやる、それは二つとない豪犬だ」
「二つとねえ犬……」
「そうだ、朝の眼ざましにはあれを見てみるかい」
「早く見てえな」
米友は、たまり兼ねて、ハネ起きて、その犬を見たがる気配を関守氏が感じたものですから、
「まあ、待ち給え、逃げろと言ったって逃げる犬じゃない、起きてから、ゆっくり見給え」
「ただ犬じゃねえ、腹で吠えてやがる」
と米友は、半身を蒲団《ふとん》から乗出して、その犬の声にすっかり執着するが、不破の関守氏は犬の吠える声よりも、その吠える声によって暗示される何者かの来訪、それにしきりに注意を傾けているようです。
だが、暫くして、犬の吠える声は全く止まり、鶏の鳴く声だけが連続して聞えました。犬の吠ゆるは非常をそそるけれども、鶏の鳴く音は、平和と、希望を表わすこと、いずこも変りません。
非常の示唆《じさ》たる犬の警告が止んだのは、失火の静鎮から警鐘が鳴りをひそめたと同様で、つまり、何物か一応、外をうかがったものがあるにはあるが、この警告に怖れをなしたと見えて、直ちに引取って、危害区域外に立去ったから、この屋敷は安全地帯に置かれた。代って、平和の使徒が光明の先触れをしたまでの段取りで、かくて東天紅《とうてんこう》になり、満地が白々と明るくなりかけました。
不破の関守氏も朝寝坊の方ではないが、米友ときては、眼がさめたら、じっとしてはおられない。関守氏は、やおら起き出でて、筧《かけひ》の水で含嗽《うがい》を試みようとする時、米友はすり抜けて、早くも庭と森の中へ身を彷徨《ほうこう》させて、ちょっとその行方がわかりません。
山科の朝はしっとりと重くして、また何となく親しみの持てる秋でありました。
十四
かくて、宇治山田の米友は、光仙林の秋にさまよいました。
深山と幽谷の中にわけ入るような気分があって、心がなんとなく勇みをなすものですから、いい気になって、園林の間を歩み歩んで行くうちにも、我を忘れて深入りをしようとするわけでもない。
今日は、心置きなく自分の住宅区域の安全地帯に、誰|憚《はばか》らず遊弋《ゆうよく》することができる。この幾カ月というもの、米友の天地が急に狭くなって、あわや、この小さな五体の置きどころさえこの大きな地上から消滅しようとした境涯から、急に尾鰭《おひれ》が伸びたように感じました。
おそらく、自由という気持を、この朝ほどあざやかに体験したことはなかろうと思われる米友が、その自由の尾鰭を伸ばすには、かなり充分な面積を有するこの異様な光仙林の屋敷は、空気に於てあえて不足を与えない。
そこで米友は、いい心持で朝の散歩を思うままにして、どこにとどまるということを知らないが、さりとて、埒《らち》を越えるというのでもなく、行きては止まり、歩みては戻り、径《みち》の窮まらんとするところでは、杜《もり》を横ぎり、水の沮《はば》むところでは、これをめぐって、行きつ戻りつしていたが、誰あって咎《とが》むる人がない。
「広い屋敷だな」
その屋敷は何万坪にわたるか、米友には目算が立たないが、向うの丘山を越えても、なお地続きに制限はないと思われる。地所に制限はないと思われるが、米友の心にはおのずから制限があって、あまり遠くへふらついて、関守氏を心配させては済まないという道義感がついて廻るから、暫くして、また取って返して、住居の方へ戻って来ると、ぱったりと物置小屋の隅に異様なものを認めて、
「あっ!」
と舌を捲き、その途端に、例によっての地団駄を踏みました。
遽然《きょぜん》として彼の平静の心を奪ったところに、物がある、動く物がある。
いったん舌を捲いて地団駄を踏むと共に、彼は、それに吸いつけられたもののように、一足飛びに飛んで行って見ました。
物置小屋の傍らに、差しかけがあって、その下に、いる、いる、一頭の犬がいる。
しかも、その犬が断じてただ犬ではない。
「やあ、いたな!」
走り寄った弾丸黒子《だんがんこくし》の姿を見ると、そのただ犬でない犬が、唸《うな》るが如く、米友に向って吠えました。
「やあ、いたな!」
彼が、摺《す》りよるほどに近づくと、犬は続いて尾を振って吠えかける。その吠える声が、さきに米友が評した如く、「腹で吠えてやがる」という底力のある吠え声であることはよく知っているが、それが威嚇《いかく》の音声でないことは、多少とも尾を振っていることを見てもわかる。且つまた、犬を知り、犬を愛し、犬を理解することに於て、宇治山田の米友はまた一つの天才である。
「やあ、いたな!」
犬の傍へ寄ると、犬がまた米友に飛びついて来ました。飛びついて来たからといって、この異様な珍客に争闘を挑《いど》むのではない、これを懐かしがって心からの抱擁を試みんとするものらしい。
けれども、この抱擁が生やさしい抱擁でなかったことは、一見すると、米友がこの犬のために抱きすくめられてしまったとしか思われない。尋常ならば悲鳴をあげ助けを呼ぶべきほどの体制に置かれた瞬間、米友は更にひるむということを知らないで、抱きすくめられながら、それを抱きとめてあしらっている。
一見したばっかりの米友が、かくまで犬を愛するということは、犬にかけての天才であってみると不思議はないようなものだが、相手方の犬が、米友を一見しただけで、こうにも懐かしがるということは解《げ》せない。
本来、沈毅《ちんき》にして、忠実なる犬であればあるほど、人見知りをすべきはずのものである。真に沈毅にして、勇敢にして、忠実なる犬は、二人の主というものを知らない。主人以外の人の与うる物を食わない。主人以外の人には一指を触るることを許さないはずのものであるべきに、この犬――しかもただ犬でないと、最初から米友が極《きわ》めをつけてかかった非凡な犬が、こうまで一見の人になつき慕うとは、慕われてかえって物足りない。
人見知りをしない犬、節操を解しない犬、忠義ということを知らぬ犬、勇気なき犬、公娼《こうしょう》の如き犬ならば知らぬこと、米友ほどのものが、あらかじめ極めをつけた犬にしてこのことあるは何が故だ。
そういうことを考慮に置かず、ただ見ていれば、何のことはない、その非凡犬と、小男とが、必死になって、組んずほぐれつしているとしか見えない。血こそ流さないが、血みどろで格闘しているとしか思われない。
ことに、この犬がただ犬でない非凡の犬であることの証拠としては、その大きさが、たしかに人間の二倍はあること。米友は人並よりずんと小粒ではあるけれども、それでも成長した人間であって、身長こそ四尺であるが、体重は十貫を下るということはないのに、犬はその面積に於て、米友を抱きすくめて存在を失わせるほどの体格があって、しかも全身が、猛獣のような虎斑《とらぶち》で彩《いろど》られている。体格はどう見倒しても確実に、その男の二倍はあるから、体重としても二十貫を下るということはない。
ムクも非凡な犬ではあったが、その体格の非凡さに於ては遥かにムクを凌駕《りょうが》する。およそ今日まで、これほどの大きな、非凡犬を見たことはない。犬に熟した米友が見たことがないのみではない、今の日本人である限り、これだけの犬を、ここで見るよりほかに見た人もあるまいし、見られる場所もあるまいに相違ない。
この無比の豪犬を相手に今、米友は組んずほぐれつしている。気が短くて、喧嘩っ早いにかけては名うてのこの小男は、ここへ来るともうこのザマだ。だが、格闘でも、喧嘩でもない、米友が犬を愛し、犬が米友に懐《なつ》く、一見旧知の如しというのがこれで、人に許さざる犬が、米友には許す、猫がまたたびに身を摺《す》りつけるように、犬の眼から見ると、米友はまたたびのような人種で、慕い寄られる素質を持っている。
同時にまた、米友の方でも、無意味にこうして愛着の組討ちをしているのではない、実はその愛情を事実に示そうとして、もがいているのです。というのは、この犬は首に鉄の環《かん》をハメられて、首が二重に麻の太縄で結えてある。それを外してやろうとしてもがいているのです。
犬というものは繋《つな》がれる時に騒がないで、解かれる時に狂うものである。この犬を、その鉄の鎖と荒縄から解放してやりたいために、米友は犬と組討ちをしている。犬もまた、米友を慕うだけではない、この理解者の手によって、暫《しば》しなりとも広漠な野性に返してもらいたいがために焦《あせ》っている。犬も力が非凡だが、米友もまた非凡な力を持っている。非凡同士が組討ちをして容易にほぐれないのは、環にかけた合鍵の調子がよくわからないからである。米友がその勝手に迷っている間に、犬は解放を予期して容赦なく喜び狂うから、それで、外目《よそめ》にはいつまでも大格闘が続くようにしか見られないのです。
十五
米友が躍起となって、ねちこちしているところへ、不破の関守氏が現われました。
「友造どん、何をしている」
「犬を放してやりてえんだよ」
「よし、解放してやる」
不破の関守氏は近寄って、これは手に入ったもので、難なく鍵を外すと、豪犬が尾を振ってつきまとい、或いは人間の上を高く越えたりなどする。
「このお犬係りはおいらが引受けた、犬をならすには上手に放してやらなくちゃならねえ、犬は食い物より運動だ」
と米友が言いました。この男は、お君と共にムク犬を仕立てることに、永らくの経験があって、そうして成功している。犬は訓練をしなければもの[#「もの」に傍点]にならない、これを野方図にしないためには繋縛をして置かなければならないが、これを強健にするためには解放しなければならない。食物はむしろ第二、第三であることを知っていた。犬は食うことよりは、走ることを本能として先に要求していることを知っている。そこで、この繋がれたる豪犬を見ると、いちずに放してやりたくなった。放したところで、放された人を犬は忘れない、放した人もその責任として、放された犬の面倒を見てやらなければならない。犬を走らせるにしても、これを監督するの責任は人にある。そこで米友は、この犬を走らしめつつ、自分も少し走ってみたい気持になったのです。
不破の関守氏は、そのことを知っている。米友が犬を愛する性癖を、胆吹山時代から知っていて、時あってムク犬の昔語りを聞かされたことを覚えているから、そこで、この犬を解いて、しばらくこの男に無条件で托してみる気になったのです。
「君、珍しい犬だろう」
「全く珍しいよ、犬もこうなると猛獣だね」
「いや、いかに大きくても、やっぱり家畜は家畜だよ、人間に依存して生きるものだ、だが、依存される人間が位負けをすると、もの[#「もの」に傍点]になるものももの[#「もの」に傍点]にならない」
「その通り――」
と米友は得意気に叫ぶと共に、
「何て名なんだい」
「電光――デンコウという名だよ」
「デンコウか――デンコウ」
と米友は、その名を呼んで頭を撫《な》でてやりますと、犬が尾を振って躍《おど》り上る。かわいそうに、この犬が躍り上ると、米友を抱きすくめてしまうから、抱きつぶしてしまうおそれ[#「おそれ」に傍点]がある。
不破の関守氏はこの体《てい》を見て感心して、
「なるほど、君は愛犬家の資格を備えている、この犬が一見して君になつくんだからな、もっとも純日本産の犬と違って、あっちの犬は開けている」
「こりゃ、ドコの国の犬だい」
「これは、ドイツという国の種で、グレートデーンという舶来犬だそうだ、デーンだから、デンコウとつけたが、電光石火の如く走るという意味も兼ねている」
「あ、力がありやがる」
改めて米友は、縄をかけ外してみて、この犬の力量を認識する。
「あるとも、この犬が三匹いると、百獣の王なる獅子、あちらではライオンという、その獅子と取組むそうだよ、犬が二匹で大熊を退治るそうだ、まず犬のうちでいちばん強いのはこれだろう」
「どうして、どこから連れて来たんだ」
「これは泉州堺から売りに来たのだ、毛唐が黒船に載せて大切につれて来たのを、今度、国へ帰るので、もてあまし、引取り手を探した揚句が、ここの女王様のお気に入り、早速引取ることになったのだが、この通り可愛ゆい奴だが、いやはや、世話をする段になると並大抵じゃないぞ」
「そうかなあ――一番、責めてみてくれべえ、デン公、こっちへ来い」
米友が先に立って、走り試みると、豪犬が勇躍してそれに相従う。
かくて、この大犬と、小男とは、再び光仙林の林の中へ没入してしまいました。
不破の関守氏は、その後ろ影を見送って、ひとり呟《つぶや》いて言いました、
「物あれば人あり、いい時にいい人を与えられたものだ、デンコウのお相手はあれに限る、おかげで拙者も、お犬係りを免職になった、事実、これから、当分、あの犬の面倒を見なけりゃならんとすると、考えるだけでも大役だった!」
十六
走り去る小男と、大犬の姿が、光仙林の中に没入した後ろ影を、不破の関守氏は、ぽつねんとながめて、ひとり言を言っておりますと、後ろから、
「ヘエ、こんにちは、お早うございます」
いやにしらっぱくれた挨拶《あいさつ》をする者がありましたから、関守氏が振返って見ると、三度笠に糸楯《いとだて》の旅慣れた男が一人、小腰をかがめている。
「やあ、がん[#「がん」に傍点]君ではないか」
「ええ、そのがんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]でげすよ」
「もう帰ったのか、なるほど早いもんだなあ、能書だけのものはあるよ」
「へえ、たしかにお使者のおもむきを果して参りました、青嵐親分《あおあらしおやぶん》にお手紙をお手渡しを致して参りました、同時に、あちらの親分からこちらの親分へ、この通り、お消息《たより》を持参いたして参りました」
「親分親分言うなよ、人聞きが悪い、ああ、これがその青嵐氏からの返事――十四日|亥《い》の時、なるほど早いものだなあ、その足は」
「いいえ、もう疾《と》うに、昨夜のうちに、こちらまで参上いたしたんでげすが、つい、御門前がやかましいもんですから、今朝まで遠慮いたしやしてね」
「何も昨晩、この門前が格別やかましいこともなかったはずだ――ははあ、あの犬だな、今日の明け方、犬が吠え出したのが不思議だと思ったら、貴様がやって来たんだな、ああ、それでわかったよ、それそれ、それで犬が吠えたんだな、犬がこわくって、今まで近寄れなかったというわけだな、意気地がねえなあ、口と足は達者だが、肝っ玉ときた日にはみじめなものだな」
不破の関守氏からこう言ってからかわれたので、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は躍起となって、
「いや相性《あいしょう》がいけねえんですよ、とかく、犬てえ奴はがんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]の苦手でげしてね」
「そうだろう、犬に吠えられるような人相に出来ている。今のあの小男を見たか、あれは人徳を持っているから、犬もおのずから懐《なつ》いて、一見旧知の如く、彼が走れば犬も走る、貴様は臭いをかいだだけで吠えられる、つまり、人格の問題だよ、人徳の致すところだから是非もない、ちと見習い給え」
「冗談《じょうだん》じゃございませんよ、犬に嫌われたからって、人徳がどうのこうのと言われちゃあ埋《う》まらねえ、がんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]儀は犬には嫌われますが、年増《としま》や新造《しんぞ》には、ぜっぴ、がんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]でなけりゃならねえてのが、たんとございますのさ」
「馬鹿野郎――それ、涎《よだれ》を拭いて。その手紙を濡《ぬ》らしちゃいかん」
かくして不破の関守氏は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵の手から一通の手紙を受取って封を切り、それを読み読み住居の方へ歩いて参りますと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、笠を取り、ござを外《はず》して、それについて来る。
「なんにしても、どちらを向いても百姓一揆《ひゃくしょういっき》てんで、たいした騒ぎでござんしたよ、その中をいいかげん胡麻《ごま》をすってトッパヒヤロをきめやして、首尾よく仰せつけ通りの胆吹の山寨《さんさい》へかけつけやして、例の青嵐の親分にお手紙のところをお手渡し申しますてえと、そこへもはや[#「もはや」に傍点]一揆が取詰めて来ようという形勢で、このままに捨てて置けば、この山寨は残らず占領の、家財雑具は挙げてそっくり盗賊のために掠奪てなことになりますから、さすがの胆吹御殿のつわもの[#「つわもの」に傍点]共も顔色はございません、ところが、青嵐の親分とくるてえと、さすが親分は違ったもので、ちっとも騒がず、計略を以て一揆の大勢を物の見事に退却させてしまいました、全く軍師の仕事でげす、わが朝では楠木、唐《から》では諸葛孔明《しょかつこうめい》というところでござんしょう」
手紙をひろげて立読みをしながら、がんりき[#「がんりき」に傍点]の言葉を等分に耳に入れている不破の関守氏は、
「御大相なことを言うなよ。だが、百姓一揆の颱風《たいふう》は、胆吹御殿をそれてどっちの方へ行った」
「まあ、お聞きなせえ、一揆の大勢がいよいよ胆吹御殿をめがけて、一揉《ひとも》みと取りつめて参りますその容易ならざる気配を見て取ったものでげすから、このがんりき[#「がんりき」に傍点]が、このところに御座あっては危うし危うしとお知らせ致しますと、青嵐の親分は心得たもので、直ちにりゅうとした羽織袴に大小といういでたち、今こそ浪人はしながらも、さすがに二本差した人の人柄は違いますな、そのりゅうとした羽織袴に大小でもって、御殿に有らん限りの金銀米穀を大八車の八台に積ませましてな、エンヤエンヤで景気よく一揆軍へ向けて乗込ませました、つまり、買収、もしくは懐柔というやつなんでげすな、これこの通り金銀米穀をお前たちに取らせるから、胆吹山を攻めるのはやめろ、攻めたところで、新築の建前が少々と、新田が少しあるばっかりだ、行こうなら諸国大名の城下へ行け、三十五万石の彦根へ行け、五十五万五千石の紀州へ行け、大阪へ出たら鴻池《こうのいけ》、住友――その他、この近国には江戸旗本の領地が多い、新米《しんまい》の胆吹出来星王国なんぞは見のがせ見のがせ、とこういう口説《くぜつ》なんでげして、その策略がすっかりこうを奏したと思いなせえ」
「なるほど」
不破の関守氏は、手紙よりは会話の方に向って少しく等分が崩れる。がんりき[#「がんりき」に傍点]は相変らず、自分の功名をでも吹聴《ふいちょう》するような気分で、
「根が百姓一揆でござんすからなあ、金と穀を眼の前に山と積まれた日にぁ、忽《たちま》ちぐんにゃりの、よしよし、そう事がわかりゃはあ何のことはねえ、空家をぶっつぶしたところではじまらねえ、御持参の分捕物でかんべんしてやれ、さあこの金銀米穀を分け取りだと、それから分前という話になるてえと、みっともねえ話さ、青嵐の親分が見ている前で、もう分前の争いがおっぱじまったそうでげすよ、浅ましいもんですなあ、百姓共――慾から出た一揆なんてものは、慾でまた崩れる、そこへ行くと、坊主の一揆は百姓一揆より始末が悪い、一向宗の一揆なんてのは、未来は阿弥陀浄土に生れるのが本望なんだから、銭金や米穀なんぞは眼中に置かねえ、七生までも手向いをしやがる、慾に目のねえのも怖《こわ》いが、慾のねえ奴にも手古摺《てこず》るもんですなあ、親方」
「そんなことは、どうでもいい、青嵐の親方と、百姓一揆の結末を、もう少し話してみろ」
「胆吹御殿へ向っての打ちこわし騒ぎなんてのは、それですっかり解消してしまいまして、それから一揆共が、眼の前へ振り撒《ま》かれた餌《えさ》の分前で同志討ちが始まろうというわけなんだから、全く浅ましいもんでげす。その途端に、御領主お代官の手が入るてえと、さあことだ、一揆の奴等ぁ、慾で気の弛《ゆる》んだところへ、にわかにお手入れ――忽ち蜘蛛《くも》の子を散らすように追払われたのは見られたものじゃねえ、無論、お持たせの金銀米穀は置きっぱなしさ、その上に置きざり分捕りの利息がつこうというものだ。右の次第で、その場の一揆は退散いたしやしたが、さて、そのあと、知恵者はさすがに知恵者で、青嵐の親方が、お手先の役人と対談の、持って行った大八車に八台の金銀米穀は、そのままそっくり御殿へ持って帰りの――なおその上に、一揆共が退散の時に置逃げをした大釜だの、鍋だの、食い雑用の雑品類、みんな胆吹御殿で引取りの上、勝手に使用いたしてよろしい、つまりお下げ渡しという寸法になったんですから、何のことはない、見せ金だけを見せて、それで利息をしこたまかせいで来たようなものでござんす、知恵者は違いますよ、全くあの親分は軍師でげす、元亀天正ならば黒田如水軒、ないしは竹中半兵衛の尉《じょう》といったところでござんしょう」――
こいつの報告にも、キザと誇張を別にして、筋の通ったところがある。
十七
さて、如上の事情によって綜合してみますと、伊太夫とお銀様の会見も、案外無事に済んで、家督の問題も、すんなりと解決したらしい。すんなりとはいえ、世間並みに解決したのではない、伊太夫が全くあきらめて、この我儘娘《わがままむすめ》の我儘を、このまま認めてやっただけのものですが、他で心配したほどの風雲も起らず、正面衝突もなくて無事に解決したのは、まずまずと言わなければならぬ。
同時に、取巻共がしきりに伊太夫に向って斡旋《あっせん》した山科の光悦屋敷なるものも、こうしてお銀様の有に帰してしまったものらしい。してみると、胆吹王国が一歩京洛へ向って前進し、ここに光仙林王国が新たに出来上ったと見るべきで、今こそ草創の際とはいえ、追って本山は胆吹よりこの地に移るかも知れません。
不破の関守氏が軍師ぶりは、いよいよこれから冴《さ》え渡らなければならないし、宇治山田の米友は、ここに全く安住の地を得たと謂《い》いつべきです。隣国の近江では死を以て待たれたこの小冠者も、僅かに関一重越えて来ると、全く生命の安全が保証されるというのは、封建ブロックの一つの有難さと言わなければならぬ。
その日中になると、不破の関守氏が、お銀様の居間をおとずれました。弁信法師は、すでに姿を消していずれにあるやを知らず、米友も、がんりき[#「がんりき」に傍点]も、デンコウも、それぞれこの林内のいずれかに、落着くべきところに落着かせて置いて、関守氏が女王様の前へ伺候したのであります。
関守氏の手には、先刻がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の手から受取った青嵐居士の手紙の一通が、無雑作《むぞうさ》に握られてある。そうして、例の物慣れた口調で一くさり、がんりき[#「がんりき」に傍点]直伝《じきでん》の胆吹留守師団の物語を語って、一揆解消の青嵐居士の手柄話にまで及んだ後に、余談として、実は本談以上の興味ある会話に膝を進ませました。
「そういう次第で、天下の風雲がいよいよ急を告げて参りました、どのみち、この風雲は只では納まりませんな、どこまで惨害を産むか、どの辺で混乱を食いとめるかということが、今、天下一般の関心でしてな、これが観察も区々ではありますが、だいたい、大いに乱れるという者と、存外手際よく時代が打開されるとこう見るものと、二通りございます……左様、我々の見るところでは、一度は大いに乱れるのじゃないかと、ひそかに憂えてみる次第なのですが、どんなものでございますか……」
これは天下の形勢を見立てるので、閑談としては桁《けた》が大き過ぎるけれども、この時代は、ちょっと心ある人は誰も、天下の風雲を気にしないものは一人もありませんでした。朝廷と幕府との間がどうなるかという心配と、日本と外国との関係がどうなるかという心配と、この二つのものは、日本の国民全体にぴんと迫り来るところの切実な課題として、退引《のっぴき》はできませんから、寄るとさわるとこれが行末と、これからその結着ということに座談が落ちて行かないということはありません。
「一度は大いに乱れて、それからどうなります、乱れっきりで応仁の乱のようになりますか、それとも早く治まって……」
とお銀様は、関守氏の答案に追究を試みてみました。
「左様、いったんは大いに乱れて、それから後がどうなりますか、そこにまた深い観察が必要になって参りますな、仮に王幕相闘うこと、鎌倉以来の朝家と武家との間柄のような状態に立ちいたりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なものではありません、幕府の方は、なにしろ二百数十年の天下でも、人心が萎《な》え、屋台骨が傾いておりますから、気勢に於て、すでに西南に圧倒されて、あとは朽木《くちき》を押すばかりとなっているとは申しますが、関東だからと申しましたとて、なにしろ武力の権を一手に握り、家康が選定した江戸の城に根を構え、譜代《ふだい》外様《とざま》の掩護《えんご》のほかに、八万騎の直参を持っているのですから、そう一朝一夕に倒れるというわけにはいきますまいから、当分は大いに乱れて、両方の勢力互角――つまり、日本が東西にわかれて長期戦になる、昔の南北朝を方角を換えて規模を大きくしたようなことになりはしないか、識者は多くはそう観察して、その成行きを最も怖れているのですが、全国の大小名も、今のうち早く向背をきめて置かぬと後日の難となる、そういうわけで、旗印を塗りかえているのもあれば、ボカしているのもある、そこで旗色の色別けはほぼわかって来ているようですが、どのみち、一度は大いに乱れて日本が二大勢力の争いの巷《ちまた》となる、こう覚悟をしていなければ嘘でしょう」
と関守氏は能弁に語りましたが、これは関守氏を待って、はじめて下さるべき卓抜の見識でもなんでもありません。
当時のすべての人は、このぐらいの憂慮と見識とを持っているに拘らず、物語の順序として、この常識の前置きから始めたものでしょう。そうするとお銀様が一度はうなずいて、それから一歩を進ませました。
「二大勢力というけれど、今日は鎌倉時代の昔、王家と武家という単純な二つの区別だけでは済みますまいね、大義名分からしますと、その二つしか差別はないようでありますけれども、今はこの二つの大きな勢力のほかに、また一つの見のがしてならない大きな力があります、それは外国の力ではありません、国内だけに限っての見方としても、勤王と佐幕のほかに、見のがしてはならない大きな勢力があることを忘れてはならない、とわたくしは思います」
お銀様から、改まってこう見識を立てられると、不破の関守氏が、いささか当惑してしまいました。
十八
勤王、佐幕の二大勢力のほかに、隠れたる一大勢力とは何ぞ、これを外患とせずして、国内だけに見ると、何と表明してよいか、実質的に言えば、関守氏ほどの聡明人が、感得しないはずはありませんが、それを瞬間に答えることに戸惑いをしたものです。
「その隠れたる一大勢力とは、何を指しておっしゃいますか」
「それは言わずと知れたこと、経済の力なのです、砕けて言えばお金持の勢力なのです、勤王にも、幕府にも、武力はありましょう、人物もありましょう、遺憾《いかん》ながら、ドチラにもお金がありません、武力が整い、人物が有り余っていても、お金がなければ仕事をすることができません、この力を無視しては、天下を取ることはできませんね――それが一つの勢力ではありませんか」
「御尤《ごもっと》も」
不破の関守氏がお銀様の見識に、即座に膝を打ったことは申すまでもありません。お銀様はちっとも騒がず、おもむろに数字を以て、当時天下の長者といわれる家々の実力を、実際の上から論歩を進めて参りました。江戸で三井、鹿島、尾張屋、白木、大丸といったような、大阪で鴻池《こうのいけ》、炭屋、加島屋、平野屋、住友――京の下村、島田――出羽で本間、薩摩で港屋、周防《すおう》の磯部、伊勢の三井、小津、長谷川、名古屋の伊東、紀州の浜中、筑前の大賀、熊本の吉文字屋――北は津軽の吉尾、松前の安武より、南は平戸の増富らに至るまでの分限《ぶげん》を並べて、その頭のよいことに関守氏を敬服させた後、
「それですから、ここに相当の金力の実力を持っている者がありとしますと、たとえば三井とか、鴻池とかいう財産のある大家の中に、先を見とおす人があって、これは東方が有望だ、いや西方が将来の天下を取るというようなことを、すっかり見とおして置いて、そのどちらかに金方《きんかた》をしますと、その助けを得た方が勝ちます、勝って後は、そのお金持がいよいよ大きくなります――それに反《そむ》かれたものは破れ、それが力を添えたものが勝つ、戦争は人にさせて置いて、実権はこれが握る、実利はこれが占める、政府も、武家も、金持には頭が上らぬという時節が来はしないか、わたしはそれを考えておりました」
「御説の通りでございます――そこで、金持に見透しの利《き》く英雄が現われますと、天下取りの上を行って、この世をわがものにする、という手もありますが、間違った日には武家と共に亡びる、つまり大きなヤマになるから、堅実を旨《むね》とする財閥は、つとめて政権争奪には近寄らない、近寄っても抜き差しのできるようにして置く、さりとて、その機会を外して、みすみす儲《もう》かるべきものを儲けぬのは商人道に外れますから、時代の動きを見て、財力の使用を巧妙にしなければならない、天下の志士共は、今、政権の向背について血眼《ちまなこ》になっておりますが、商人といわず、財力を持つものも懐ろ手をして油断をしている時ではありません、ここで油断をすると落伍する、ここで機を見て最も有効に投資をして置くと、将来は大名公家の咽喉首《のどくび》を押えて置くことになる――ところでお嬢様、三井、鴻池などの身のふりかたはひとごと、これをあなた様御自身に引当ててごらんになると、いかがでございます、このまま財《たから》を抱えて、安閑として成るがままに任せてお置きになりますか、但しは、ここで乾坤一擲《けんこんいってき》――」
不破の関守氏が、つまり今までの形勢論は、話の筋をここまで持って来る伏線でありました。
事実上、この怪婦人は、今や相当大なる財力の主人としての実力を持っている。この実力をいかに行使せしむべきかが、関守氏の腕の振いどころでなければならぬ。
しかし、お銀様としては、極めて虚心平気な答弁を以てこれを受け止めました。
「わたくしは、ドチラにもつかないつもりです、わたしはヤマを張って、目の出る方へ賭《か》けるというような好奇心を持ちません、当りさわりのないところで、自分相当の力を尽す、といっても、安閑として成るがままに任せ、思いつきばったりに濫費をしてそれで足れりとも思いません、もし私に取るに足るだけの財力がありとしましたならば、最もよろしき方法によって、自分も使いたい、人にも使ってもらいたいと思うばっかりです、自分で理想の――好むところの事業をやることには、胆吹の経験で、いま考えさせられていることがあるのです、ここへ来たのを機会として、事業というものに見直しをしなければならないと考えているところで、実はその点に就いて、とりあえず、あなたの意見が聞きたいと思っていたところなのでした」
「拙者の本志もそこにあるのでございました、あなた様が、父上から得られた新たな財力の保管と、その使用方法に於ては、私にも重大な責任もあり、同時に遠慮なく申しますと、相当の興味も持っているのでございまして、財を保護するは当然だが、同時に、これを殺してはいけないということも考えまして、それで、あれよ、これよともくろんだり、計算したりしてみましたが、その計画のうちの一つを、御参考までにここで申し上げてみたい、無論、御採用になるとならぬは、あなた様の御意《ぎょい》のままで、お気に召さなければ、第二、第三と、幾つでも立案してごらんに入れますつもり。その第一案を申し上げてみますると――この第一案と申しますのは、第一等の立案というわけではございません、最初、第一に思いついたという軽い意味のものでございますから、そのおつもりで……」
「遠慮なく申し聞かせていただきます」
「まず、この山科の光悦屋敷、改めて申しますと光仙林をお手に入れましたのを機縁と致して、こういったような計画はいかがでございましょう」
光仙林をお銀様の手に帰《き》せしめたのも不破の関守氏、これを根拠地として、お銀様をして、何事をか為《な》さしめんとするのも不破の関守氏であります。
十九
ここで、不破の関守氏の提案というものは、次のような内容でありました。
この山科屋敷が手に入ったを機会として、ここで国宝、或いは重要美術に準ずる書画と骨董類《こっとうるい》を大量に蒐集して置きたいという極めて罪のない事業であります。
それというのも、前提の天下の形勢論が、やはり基礎を致しているのでありまして、どのみち、天下が大いに乱れる時は、京都の地がその颱風の眼になることは、日本の従来の歴史を見ても明らかな事実である。天下が大いに乱るる時は、人民の生命財産が保証されないことも当然明白である。親しく身を兵刃の中に置くことは武士のつとめである。地方の人民は、この武士に兵糧軍費を提供したり、徴発されたりする。工人は、その武士に武器と武装を提供することに忙殺される。そこで商人もまた、その害と益とを受ける方面が出来てくる。兵は戦うことを主とし、人は生きんことを主とする。治まれる御世に於ては、人の生命は衣食住によって保証されるけれども、戦乱の時はまず住を失い、次に衣を失い、最後のものが辛うじて食にありついて生きようとする。
生活に直接したもののほかは顧みるに遑《いとま》がない。そこで、戦乱の度毎にまず災害を受くるものは文化の花である。文学であり、美術であり、建築であり、工芸である。保元平治以来、戦乱によって失われた日本の文化の最上の産物の残れるものは、失われたものより多いかも知れない。
来《きた》るべき公武の正面衝突の後に、また世界が応仁の昔になり、都が野原になって揚雲雀《あげひばり》を見て歎く時代が来ないと誰が保証する。更に遡《さかのぼ》って、保元平治の乱となり、両六波羅の滅亡となって、堂塔伽藍《どうとうがらん》も、仏像経巻も挙げて灰燼《かいじん》に帰するの日がなしと誰が断言する――不破の関守氏は仮りにその時を予想しているのである。そうして今のうちにめぼしい美術品を、最も合法的に、集めるだけ集めて置きたいというのである。そうして、この山科の光仙林に倉庫を構えて蓄蔵して置く。あるものは胆吹山まで持越して隠して置く。それをするには、京都に近く、奈良に近く、滋賀と浪速《なにわ》とを控えたこのあたりが、絶好のところであり、今の時が絶好の時である。
こうして、あらかじめ、国宝と、それに準ずる重要美術品を集めて置くことは、つまり、国家に代ってこれを保護する役目にもなる。関守氏としては、個人の趣味を満足せしめ、その蒐集慾を満喫することになるのだが、その結果は放漫に終るのではない――ということを能弁に任せて、こまごまとお銀様に向って説き立てるのであります。
それがわからないお銀様ではない。関守氏の提案はことごとく嘉納せられて、女王はその財産の若干をこれに向って支出することを厭《いと》わない允許《いんきょ》を与えました。
そこで、関守氏も大いに会心の思いをしました。
今までは自分の小使銭をやり繰って、相当掘出し物をして喜ぶ程度の趣味慾でありましたが、今度のは少なくとも国家的の見地から、潤沢な資本を擁して、大量買収を行うことができるというものである。もとより、斯様《かよう》に時勢を憂えているものは関守氏に止まらないから、来《きた》るべき乱世の世を予想して、自家の財産の処分に取越し苦労をしている大家というものがいくらもある。露骨に言えば、思いの外の名門高家でも、今のうちに内々財産を処分して置きたがっているものも相当あることを、関守氏は疾《と》うに打算しているのみならず、その知識の限りでは、ドコにどういう名宝名品があって、それは買収が可能か不能かということまで、相当、当りをつけているのです。
ですから、一朝資本が調《ととの》えば、あとは洪水の如く水が向いて来る。そのことを考えて、とりあえず、この広い光仙林のいずれかに、隠し倉庫《ぐら》を建築しなければならぬ。その設計も、早や相当プランが出来ている。蒐集の順序方法に於ては、ここの光悦屋敷の名を因縁として、まずあらゆる光悦物を集めるということから発足したい。さる光悦ファンの金持があって、光悦に関する限り、価を惜しまず名品を集めたいという触込みを先触れとして、それに準じて光悦以上、光悦以下、或いは光悦以前、光悦以後に及ぼそうという段取りまでが、ほぼ科学的に関守氏の胸に疾うから浮んでいる。
こうして、お銀様に進言をして嘉納された関守氏が、御殿を出て来ると、そこで、接心谷の方へ、とぼとぼと歩んで行く弁信法師を発見しました。
二十
山科の里に於てこそ、こういう閑居も有り得るし、閑談も行われるのでありますが、ホンの一歩を京洛の線に入れると、天地は悽愴《せいそう》を極めたものであります。
悽愴と言ったところで、それは天が悽愴で、地が殺気を含んでいるだけで、人家並みには何の異状もないのです。異状がないのみか、見ようによっては、京洛の天地に人間景気が湧いている。心ある人は世の成行きを憂えもし、怖れてもいるけれども、京都が歴史に現われた時のように、保元平治の恐怖時代でもなければ、木曾乱入の壊滅状態に陥っているわけでもなし、また、応仁の乱の前後のように、都の中が兵火で焼却され、八万二千の餓死者が京都の市中に曝《さら》されたといったような現実の体験は少しもなく、全国の諸侯は競《きそ》ってここへ集まるにつれて、諸般の景気はよくなる。幕末インフレの景気を、京都がひとり占めにしているといったようなもので、時代の中心は、江戸を離れて京都に帰ってしまったようなものですから、未来と将来とに思いを及ぼさない限り、京都の市場はインフレの天地であります。
そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の遊廓《ゆうかく》の繁昌というものが、前例を越えているというのもさもあるべき事です。
そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の廓《くるわ》はいよいよ明るい。今宵《こよい》も新撰組の一まきらしいのが大陽気に騒いで引揚げたことのあとの角屋《すみや》の新座敷に、通り者の客の一人が舞い込んでいる。この人のあだ名を俗に「村正《むらまさ》」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生《は》え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。遊び方はあんまりアクが抜けたとはいえないが、「村正どん」で相当以上に持てている。村正といえば、相当の凄味《すごみ》のある名ではあるが、この通客はあんまり凄味のない村正で、諸国浪人や、新撰組あたりへ出入りのとも全く肌合いが違い、まず体《てい》のいいお洒落《しゃらく》に過ぎない。
しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の実入《みい》りがあると覚しく、金廻りはかなりよろしく、使いぶりも悪くない。それが「村正村正」で持てるのは、人柄そのものが、村正そのものの名からして起る凄味とは縁が遠い男であるにかかわらず、さしている刀だけが自慢の「村正」であるというところから、あたりが「村正村正」ともてはやしたというに過ぎない。事実、村正を差していると自分から花柳界へ触れ込む男なんぞに、そんな凄いのはないはず。
この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかん[#「すっからかん」に傍点]になると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを抵当《かた》に取って置いてくれ、祖先伝来の由緒ある刀だ、位負けがすると祟《たた》りのある刀だ、承知の上でこれを引取ってもらいたい――と出るので、普通のものがオゾケをふるう。その「村正」の功力《くりき》によって、急場を逃れるに妙を得ている。そこで、人が呼んで村正という、至って罪のない村正であります。血を好まない村正、銭を好む村正ですから、たいしたことはないのです。
この村正が、角屋の新座敷へ、今日は多くの雛妓《こども》(すなわち舞子)を集めました。
雛妓に、話したいことを話させて、自分がそれを聞いて興に入《い》るという遊び方で、それだけならば、かなりアクが抜けているが、その次が油断がならない。
「さあ、今晩はみんなして思い入れ怖い話をしてごらん、そうして、一つ怖い話をしたら籤引《くじびき》で一人ずつ、この花籠を持って御簾《みす》の間《ま》まで行って、これを床の間に置いておいで――」
「まあ、怖い」
「いちばん怖い話をした人と、それからいちばん上手に花籠を置いて来た人に、村正のおじさんが、すてきな御褒美《ごほうび》を上げる」
「わたし、怖い話を知らない」
「わたし、怖いところへ行けない」
「怖い話って、お化けのことでしょう」
彼等は、村正のおじさんの懸賞には相当気乗りがしているけれども、怖い! お化け! となると尻ごみをしないのはありません。
「意気地がないね、そんな意気地のない話で、よく壬生浪人《みぶろうにん》の傍へ寄れたもんだ」
「でもねえ――人間と化け物とは違うわよ」
「そうよ、人間と化け物とは違うわよ」
「でも、化け物に取って食われたという人はあるまいが、壬生の浪人に斬られたという人は山ほどある、その壬生の浪人を相手にして少しもこわがらないお前たちが、ありもしない化け物を怖がるとは理に合わない」
村正のおじさんからからかわれて、はじめて一人の雛妓が、
「ああ、わたし、怖い話を知ってるわよ」
眼のすずしい、丸ぼちゃの可愛らしいのが、声をはずませて合掌《がっしょう》の形をして見せました。
これらの子供は島原の太夫の卵と見るべきものだから、その言葉も優にやさしい京言葉でなければならないが、ここは新座敷のことだから、新しい形式の、ほぼ標準語で、あどけない話しぶり。
へたに、どす、おす、おした、おへんの語尾を正し、だ[#「だ」に傍点]をや[#「や」に傍点]とし、せ[#「せ」に傍点]をへ[#「へ」に傍点]としたり、京言葉を遣《つか》わせないところが、新座敷の身上かも知れぬ。
二十一
「九重の太夫さんが、自害をなされたお話、それとあの――芹沢《せりざわ》の隊長さんが殺された、あの前の晩の話――」
一人の可愛ゆい舞妓《まいこ》が、振袖の脇の下から手を出して合掌しながら語り出したので、一座がしんと引締った時、村正のおじさんが、得たりと、床の間に幾つも置き並べられた手提げの花籠に目をくれながら、
「さあ、怖い話の皮切りが出たな、すると、花籠を持って行くのは誰?」
「いや!」
子供の残された全部が否認を唱える。
「いやとは言わせぬよ、さあ、この籤をお引きなさい、短いのを引当てた人から順、いちばん長いのを引いた人がいちばん最後、中途で逃げた人はあとでお叱言《こごと》を言う、首尾よくやり遂げた人には御褒美、そうだなあ、まずその御褒美から先にきめて置こう、こうと、一等賞にはこの村正の刀――」
「そんなお腰の物なんていらないわ、女が大小をいただいたってなんにもならないわ」
「では、第一等に懸賞金五両――では安いかな、よし、拾両」
と言って、幾ひらかの黄金のまぶしいのを白い紙にのせて、そこへ置くと、これにはさすがに誘惑の色が動いてくる。まことに綺羅《きら》を飾って栄耀《えいよう》の真似《まね》はしているけれども、これらの子女、いずれも好きこのんでこの里へ来ているものはない。ここに今、村正のおじさんが並べた山吹色のものに欠乏を感じたればこそ、親や兄妹に成り代って、この里に流動して来ている者共である。拾片《とひら》の黄金の貴重なる所以《ゆえん》を知らぬ者とてはない。誘惑の色が動いたのを見て、村正のおじさんは透かさず、
「第二等賞には、金緞子《きんどんす》の帯――第三等には友禅の襦袢《じゅばん》」
いずれをいずれとしても、彼等の誘惑の好餌ならぬものはない。でも、さすがに、御褒美に目がくらんで、手のうらを返すように主張を翻したとあっては、この里の名折れ、女の意地の恥とでもいったようなみえがあってか、頓《とみ》には言い出でないが、形勢たしかに動いたりと見て、
「さあ、籤《くじ》をお引き、島原の舞子《こども》ともあろうものが、この期《ご》に及んで、お化けにうしろを見せてはどむならん」
「では、あなたお先に」
「いいえ、あなたから」
「あたし、長いのが当りますように」
「あたし、籤のがれの神様がお立ちなさいますように」
「あたし、いちばん長いの、でなければ、その次の長いのを下さいますように、妙見様」
こんなことを言いながら、一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
「ああ、朝霧さんがいちばん短い」
「夕陽さんがいちばん長い」
当座の運命の神様の手に捌《さば》かれた十二本の長短の順位は、おのおののがるべくもない。
すでにのがるべくもないと自覚されてみると、いまさら愚痴と不平とは禁物であって、おのおのその運命に懸命の努力を以て追従せんとはする。
そこで、最初に皮切りの、眼のすずしい、丸ぼちゃの口から、アラビヤンナイトの第一席がはじまろうとする。
「ずっと昔のことよ、ずっと昔と言っても、桃太郎さんや花咲爺さんの時分ではないこと、それから比べると新しいわね、もう何年ぐらいになるか知ら、五年ぐらいでしょう、その時分にあの御簾《みす》の間《ま》のお部屋で大変があったとさ」
「どんなに大変だったの」
「いいから、話さないで頂戴、それからさき聞くこといらない」
と言って、ついと立ち上ったのは一番籤を引いた、朝ちゃんという子でありました。
同じコワイ思いをするくらいなら、耳をふさいで、眼をつぶって立った方がいいと思ったのでしょう。これから進行する会話によって、怖い思いの加速をさせられるよりは、聞かないで、無我夢中で、ぶつかってみた方がよい、と朝ちゃんは花籠を宙にさげ、清水《きよみず》の舞台から飛んだつもりで、廊下伝いに飛び立ってしまいました。
果して、この初一番の花籠を、御簾の間の床に置いて来られるか、あるいは途中で棄権して逃げてかえって来るか――待っている十人の子供は固唾《かたず》をのんで、さて、自分の番に廻って来ることの予感が高まるから、うっかりと評判をすることもできません。
二十二
村正のおじさんは、にやにやとして、懸賞金の目録の追加をこしらえようと、紙入を取り出していると、かたこと[#「かたこと」に傍点]と廊下を歩む朝ちゃんの足音、しばらくは聞えていたのですが、それが聞えなくなって、ほんの少しの間、
「キャッ」
という声が、その方面で起ったものですから、こちらの同勢が聞いて、震え上って、また、
「キャッ」
と叫びました。
向うは、何かに驚かされたか、そうでなければ、疑心暗鬼にやられたものに相違ないが、こちらは、無事なのに、ただ先方が「キャッ」と言ったから、電流に打たれたように、それに反応して「キャッ」と叫んだまでです。舞子たちは、それと共に重なり合って動顛《どうてん》したけれど、村正のおじさんは結句おもしろがって、
「何か出たか」
「朝ちゃんがキャッと言いました」
「何か出たな」
「怖い……」
その押問答のうちに、息せき切って、ほとんど命からがらの体《てい》で逃げかえって来たのは、いま出て行った朝ちゃんです。
「どうしたの?」
「何が出たの?」
「出たの?」
でも、そこへ来ると、気絶して水を吹きかけなければ正気の取戻せないほどではありませんでした。寄ってたかっていたわると、朝ちゃん、
「ああ、しんど」
「どうしたの」
「あの御簾の間のお座敷に幽霊がおりました」
「幽霊が――」
「あい」
「幽霊が何をしていた」
「御酒《ごしゅ》を召上って」
「酒を飲んで?」
「はい、九重太夫様を殺したあのお武家の幽霊が、たしかにいたのよ」
「そんなはずはないよ」
「いたわよ、行ってごらんなさい」
「それは行燈《あんどん》の変形だ、枯薄《かれすすき》を幽霊と見るようなものだ、では、だれか行って見届けておいで」
村正のおじさんは、改めて一座を見廻したけれども、こうなると誰あって、進み出でようとするものはない。聞いただけで、唇を紫にして、本人の朝ちゃんよりも昂奮した恐怖に襲われている子さえある。
「では、みんなして揃《そろ》って行って、あらためて見て来てごらん、今時、お化けだの、幽霊だのなんていうものがあろうはずはない、提灯《ちょうちん》か、行燈か、襖《ふすま》の絵でも見ちがえたのだろう、そうでなければ、まかり間違って、誰か、あたりまえの人が、あたりまえに酒を飲んでいただけのものだろう、みんな揃って、たしかに見届けておいで」
それでも、我れ行こうというものがない。
「そんなに言うなら、おじさん、自分で行って見てごらん、もしお化けがいたら、その村正の刀でやっつけておしまいなさい」
「それがいいわ、おじさんをおやりなさい」
「おじさん、ひとりで行って、調べてみてごらんなさい、そうすれば、わたしたち、あとから揃って見分《けんぶん》に行くわ」
「さあ、おいでなさいよ」
「弱虫!」
「村正のおじさん、腰が抜けたわよ」
「お立ち」
子供たちが寄ってたかって、このおじさんを担《かつ》ぎ上げようとする。こうなると、どうも、どうやら自分が腰を上げて、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]共《じょうろうども》のために迷信退治をしてやらずばなるまい、と観念して、村正のおじさんなるものが不承不承に腰を上げると、子供たちが、やいのやいのと言って、廊下へそれを突き出す。村正のおじさんなるものを廊下へ突き出しておいて、自分たちはあとから、そろそろついて来るかと思うと、ぴったりと障子を締めきって、火鉢の周囲へかたまってしまう。テレきった村正どんは障子の外で、
「よし、じゃあ、おじさんはさきに行って、もし怖い者がいたら、退治るから、おーいと呼んだら、みんなして御簾の間に集まって来るのだぞ、いいか」
隠れんぼのさがし手に廻されたような気分で、村正どんが廊下をみしりみしりと渡って、暗い中を手さぐりをしながら、やがて御簾の間までやって来ました。
二十三
入口で、はっと、軽く物につまずいた、というよりは、軽い物が足にさわったばっかりに、それを蹴飛ばすと、それは、朝霧がたったいま持って来た花籠の一つ。
だが、なるほど――これは必ずしも疑心暗鬼というやつではないらしい。御簾の間の入口に来て見ると、たしかに人の気配がするようだ。
はて、当分はここは開《あ》かずの間《ま》だと聞いて、あらかじめ子供遊びの舞台に申し入れて置いたのに、意外に客が引いてある。臨時にそうなったのか、あるいは、酔客の戸惑いか、いずれにしても、部屋も廊下も真暗なのにかかわらず、暗中に人があって、しきりにうごめいていることは確かなのです。
「誰かいるのかい」
と村正のおじさんが駄目を押しつつ、一歩、入口の戸前にたた彳《たたず》んで見ると、
「うーん、酔った、酔った、女が欲しいよ、女を連れて来ないか、女が欲しい」
こう言って、夢中でうめいている。果して爛酔《らんすい》の客が戸惑いして、のたり込んでいたな、厄介者だが、処分をしてやらずばなるまいと、お節介者の村正どんは、一歩足を踏み入れて、
「戸惑いをなされたな、ここは御簾の間で、開かずになっている、お部屋はどちらで、連衆《つれしゅう》は?」
と、おどすように言いかけると、
「いや、戸惑いはいたさぬ、御簾の間を所望で来た身じゃ、酩酊《めいてい》はしたが待ち人が遅い――ああ酔った、酔った、こんな酔ったことは珍しい、生れて以来だ、まさに前後も知らぬ泥酔状態だわい」
爛酔の客が、またもかく言って唸《うな》り出した。その気配を見ると、部屋の真中に大の字になって、いい気持に紅霓《こうげい》を吹いているらしい。
だが、爛酔にしても本性《ほんしょう》は違《たが》わない。その唸るところを聞いていると、この御簾の間を名ざしで遊びに来て、承知の上でここに人を待っている、待っているというよりは、待たせられている。酒はもう充分だが、この上は女が欲しいと、露骨に渇望を訴えているようにも聞きなされる。
しかし、かりそめにも招かれてここへ通ったお客とあれば、その取扱いが粗略に過ぎる。真暗い中へ抛《ほう》り込んで置いて、相方の女は無論のこと、同行の連れの人も居合わさない。燈火も与えられていない。無論、この爛酔の酒も、この席で飲まされたものではなく、どこかで飲んで、それからここへ登楼したのか、投げ込まれたのか知らないが、いずれにしても遊興の体《てい》ではなくて、監禁の形である。
村正どんは、これはちょっと厄介な相手にかかり合ったという気持だが、なんにしても、こう暗くてはやむを得ない、明るいものにしてから、一応、説諭納得せしめて、店の者に引渡すが手順だと思いまして、
「おーい」
そこで、さいぜん雛妓《こども》たちに向って打合わせて置いた通りの合図をしました。しかし、この合図の「おーい」にしてからが、性急な調子で言っては雛妓たちを八重に驚かす憂いがあるから、つとめて間延びのした声で「おーい」と言いましたから、その声に安心して、待ってましたとばかり、雛妓隊が手に手に雪洞《ぼんぼり》の用意をしたのを先頭に立てて、廊下づたいにやって来ました。
「おじさん、怖《こわ》い者いた?」
「お化けいた?」
「村正で退治た?」
「やっつけた?」
口々に囀《さえず》って来るのを、
「なんでもない、お客様がいらしったのだよ、怖くないから早くおいで、おいで」
招き寄せて、その先頭の掲げていた雪洞を自分の手に受取って、そうして、御簾の間の部屋の中に差し入れて見ました。
二十四
雪洞を入れて見ると、広くもあらぬ御簾の間の隅々までぼうと明るくなる。
見れば、座敷の真中に一人の男が仰向きに爛酔《らんすい》して寝ていること、音で聞いて想像した通り。ただし、この想像は、一人の酔客があって、爛酔して譫語《うわごと》を発しているという想像だけで、その客の人相骨柄というようなものは、雪洞の光を待って、はじめて明らかなるを得たのです。奔馬の紋《もん》のついた真白い着物を着た、想像よりはずっと痩形《やせがた》だが、長身の方で、そうして髪は月代《さかやき》で蔽《おお》われているが、面《かお》の色は蒼《あお》いほど白い。爛酔という想像から、熟柿《じゅくし》のような息を吹き、同時に面ざしも酒ぶとりのした樽柿《たるがき》のような赤味を想い浮べてみると案外にも、これは蛍を欺かんばかりの蒼白さなのです。それで、月代の乱れ髪の髪の毛も相当に黒いのですから、その蒼白みもよけいに勝《まさ》って見え、それが眼をつぶって、とろんとした酔眼を爛々としてみはっているというものでなく、全く眼をつぶって、両の掌をぼんの凹《くぼ》あたりに当てて組合わせながら、天井を仰いで泡を吹いているのです。
もとより、杯盤もなければ酒器もない。褥《しとね》も与えられていなければ、煙草盆もあてがわれてはいない。無人の室へひとり転がされてあるだけのものなのです。
村正どんは案外の気色につまされて、しばらく無言で雪洞を上げたまま見つめていると、その袂《たもと》の下からのぞき込んだ雛妓共が、また黙って、その室内を見つめたままでいる。怖いものの正体が、そこに現存していることで、朝霧は自分が臆病の幻を笑われた不名誉だけは取戻したが、ここにひとり横たわる人の姿を見て、また何となしに、恐怖か凄みかに打たれて、沈黙して、村正どんの袂の下から息をこらして見ているだけです。酔客は、黙っている時は死んでいる人としか見えない、死んでここへ置放しにされた人相としか見えないくらいですから、
「殺されてるの?」
「死んでるの?」
雛妓《こども》たちが、やっと、相顧みてささやき合うたのも無理のないところでしたが、その死人が、やがてまた口を利《き》き出しました、
「斎藤一はいないか、伊藤甲子太郎はどうした、山崎――君たち、おれを盛りつぶして、ひとり置きっぱなしはヒドいじゃないか、来ないか、早く出て来て介抱しないか、酔った、酔った、こんなに酔ったことは珍しい、生れてはじめての酔い方じゃ」
仰向けになったまま、紅霓《こうげい》を吹いては囈語《たわごと》を吐いている。その囈語を小耳にとめてよく聞き、それから改めて、この室内を篤《とく》と見定めて、村正どんは相当、思い当るところがありました。
爛酔して寝ている人は、枕許に大小を置いている。その提《さ》げ緒《お》がかすかに肘《ひじ》の方に脈を引いている。それを見るとこの客は、帯刀のままに登楼した客である。この地の揚屋では帯刀のまま席に通ることは許されない。玄関に関所があって、婢共《おんなども》が控えて心得た受取り方で、いちいちこれを保管してからでないと、各室の席には通されない。それは貴賤上下に通じて、古来今日まで変らぬ、この里のおきて[#「おきて」に傍点]なのであるが――最近、そのおきて[#「おきて」に傍点]を蹂躪《じゅうりん》――でなければ、除外例の特権を作らせた階級がある。それは程近い壬生寺の前に住する東国の浪人、俗に称して壬生浪人、自ら称して新撰隊、その隊士だけは古来の不文律を無視して、帯刀のままでどの席へでも通る。当時、それを差留める力を持ち合わすものがない。そこで、この爛酔の客が、通常の客ではない、新撰組にゆかりのある壮士の一人か、或いは、それらの徒の招きでここへ押上ったものかに相違ない、という想定が、早くも村正どんの頭に来ると共に、その夢中で口走る囈語の中に、呼び立てる人の名もどうやら聞覚えがないではない。
右の種類に属する程度の者とすると、これはうっかり近よらぬがよろしい、普通の酔客ならば、あやなして持扱う手もあるが、あの連中では、うっかりさわっては祟《たた》りがある、という警戒の心がそこで起ったものですから、
「雛妓たち、ここはこのお客さんのお友達が来るらしいから、われわれは、また別の座敷で別の遊びをしよう、さあ、このままで一同引揚げたり」
こう言って、村正どんは手勢を引具して退陣を宣告すると、夢うつつで、その声を聞き咎《とが》めたらしい爛酔の客が、
「なに、こども、こどもが来たか、子供が来たら遠慮なくここで遊ばせろ。実は拙者も、こう見えても子供は極めて好きなのじゃ、子供と遊ぶほど愉快なことはない、女は駄目だ、成熟した女というやつにはみんな毒があるが、子供には毒がない、今晩も、わしは招かれるままにここへ遊びに来たが、女、女と呼んではみたものの、もう昔のように女を相手にしてみようという気などは起らぬじゃ、子供がいたら子供と遊びたい。そうだな、せいぜい、あの時のお松といったあのくらいの年ばえの子がいたら出せと頼んだが、今晩は、子供さんを買切りのお客があって、あいにく一人も子供さんがありませぬ――とかなんとか挨拶しおったわい。いかにも残念千万――怪しからん、子供の買占めとは怪しからん、つれて来いと怒鳴ってやったが、子供の方から押しかけて来てくれたとは何より、なんの、座敷を替えて遊ぶ必要は更にない、遠慮なくこの席へ入ってお遊び」
夢うつつの境で、こう明瞭に言いましたから、村正どんの足が釘附けられました。
人を人と認めて申し出たわけではない、相変らず天井を仰いで、掌を頭の後ろに組んで、眼はじっくりと塞いだままで、こう言うのですから、正気か囈言《たわごと》かの境がいよいよ怪しいものになってくる。すでに、相手の人見知りをして、かかわり合いを怖れたから、こっそり立退きをしようと期していたところとて、看過されて、ついに先方から注文をつけられてみると、それを振切るのがまた一つの仕事になってくる。
触《さわ》って祟《たた》るほどのものならば、心あっての申込みを拒んだ日にはまた事だ、酔漢といえども底心《そこしん》のありそうな奴だ、何とか適当の挨拶をしないと引込みが悪かろう、と村正氏は、立去りもし兼ねて悩みました。
二十五
「いや、どうもたあいのないことで、お騒がせして相済みませぬ」
村正氏は、それをあっさりと仕切って引上げようとするのを、爛酔の客は放しませんでした。
「そのたあいのないことが至極所望、毒のあることはもう飽きた、子供と遊びたい、遠慮なく子供たちをこれへお通し下さい、どうぞ、お心置きなくこの部屋でお遊び下さい」
「いや、なに、もう埒《らち》もないことで、みんな遊び草臥《くたび》れたげな、この辺で御免を蒙《こうむ》ると致そう」
村正氏が、なにげないことにして逃げを打とうとすると、爛酔の客が、存外|執拗《しつよう》でありまして、
「しからば、貴殿だけはお引取り下さい、子供たちは拙者に貸していただきたい」
「いや、そうは参りませぬ、子供たちだけを手放して、拙者ひとりが引上げるというわけに参らんでな」
「ど、どうしてですか」
「どうしてという理由もないのだが、子供を監督するは大人の役目でな」
「子供を監督――ではあるまい、貴殿は子供をおもちゃにしている」
「何とおっしゃる」
「世間の親は、子供をよい子に仕立てようと苦心している、君はその子供を弄《もてあそ》び物にして、なぶり散らしている」
「何を言われるやら、拙者はただ、子供を相手に無邪気な遊び――」
「なんとそれが無邪気な遊びか、成熟した女という女を弄んで飽き足らず、こんどは何も知らぬ娘どもを買い切って、これを辱《はずか》しめては楽しむ、にくむべき仕業だ」
「いや、長居は怖れ、これで失礼――」
前後不覚に酔いしれていると思うと、なんでも知っているらしい。知ってそうしてワザとこだわるのか、知らずして無心に発する囈語の連続、とにかく、イヤな相手である、振り切って退散するに如《し》かずと、村正氏は兵をまとめにかかると、爛酔の客は、すさまじい笑いを発しました。
「は、は、は、逃げるな、逃げるとは卑怯だよ、さだめし貴殿は、これがあるから、これが目ざわりで、子供たちを遠のける、こんなものは――」
と言って、今まで押えつけたように仰向けの姿勢を崩さなかったのが、急にその頸にしていた一方の手を引抜いて、枕頭の大小の下げ緒を引いたと見ると、それを無雑作《むぞうさ》に引寄せて、カラリと一方の方に投げ出してしまいました。
「子供と遊ぶに、こんなものは要らぬ、さあ、どちらへでもこれはお片づけ下さい、こうして席を広くして、子供を存分にこれで遊ばせて下さい」
「いや、その儀にも及び申さぬて」
村正氏は、つかぬ事を言って、とにかく引上げが肝腎だと思うが、無気味なことには、動けないのであります。別段、そくいづけを食っているわけではなし、抱きすくめられているわけでもなし、衣の裾の一方を押えられているわけでもないのに、動こうとして動けない、立直ろうとして、いよいよ足がすくむ思いがする。
というのは、こう、しゅうねくからんで来られる客の意志を、無下《むげ》に振り切ると必ず反動がある、相手が相手だけにその反動が、またどんな騒動を呼び起すまいものでもない。この手の客はトカクはなれていけず、ついていれば御意の召すまで引きつけられてしまう。簡単な相手のようでかえってうるさい――村正氏は、ようやく何かにからみつかれる思いをしました。
だが、一方の爛酔の客は、ちっともその座を動くのではない。今の先、両刀を投げ出してみたばっかりで、忽《たちま》ちまた以前のように仰向けの不動の姿勢になり、その両掌をぼんの凹《くぼ》で組合わせていることはかわりません。
この酔客は前に言う通り、酔って紅くなる酔客ではない、酔ってますます蒼《あお》くなる性質の飲み手であることはわかっているが、すべての応対のうち、一度も眼を開かないということが一つの不愉快だと思いました。いかに爛酔の客といえども、これだけに筋の立った発言ができるのである、いかに酔眼とは言いながら、これだけの物を言う間には、一眼ぐらいは、ちらとでも開いて、そうして、相手の方面を、たとえ上眼づかいになりとも見やって置いて、それから舌なめずりでもして物を言うのが、生態上しかくあるべきはずなのに、この人は、ちっとも眼を開かないで、こっちを見ないで、こっちを相手にしている。いわば眼中に置かぬあしらい方であることが不愉快だと、村正氏もその途端に相応にそれに悪感《おかん》を催したのです。
「では、少々御免を蒙《こうむ》って、お邪魔いたすとしようかな、皆の者も、ここでしばらく遊んで行きな」
切上げようとして、かえって深間へ入り込んで来たのは通人に似合わぬ不覚でした。
村正氏を先に立てて、一隊十余人の雛妓《こども》は、有無なくこの一間に進入して、そうして、これから遊ぼうという、全く遊びたくない気分で遊ばなければならない。
雛妓たちは、舞をする手ぶり足ぶりで、一種無気味な気持と好奇とを持って、早くもこの一間の中に充ち満ちて来て、
「おじさん、これから何をして遊ぶの」
二十六
この一間へ招き入れたと見ると、爛酔《らんすい》の客は、急に身を引きずって、自分で自分の頭を持って引摺って行くかとばかり、ずっと壁際の方に身を寄せてしまいました。
壁際に身を引きずると共に、仕掛物ででもあるように、さきに投げ出した大小も、同じようについて行ったのみならず、その頭の下に敷いていたらしい黒い頭巾《ずきん》と、藍《あい》の合羽様のものをも、共に引きずって、そうして壁際にピタリと身を置いたかと思うと、今度は横向きに頬杖をして、以前の身構えで、長くすんなりと身を横たえたままで、こちらを向いているのです。
多分、気を利かして、席を広くしてやったつもりでもあり、同時に、席を広くしてやって、充分に相手を遊ばせ、自分は長身《ながみ》の見物と洒落《しゃれ》のめそうとしてみたかも知れないが、やっぱりキザなのは、それらの挙動の間、少しも眼を開かないのです。蒼白《あおじろ》い面《かお》にしてからが、爛酔の気分は充分だから、わざと生酔いの擬勢をして見せるのではなく、当人は昏々《こんこん》として夢かうつつかの境にいるらしいが、それにしても、眼をつぶったきりで、こちらを眼中に置かないのが、やっぱりキザであり、癪《しゃく》であると村正さんも、きわどい間に始終それを気にしておりました。
さて、こうなってみると、遊ばざるを得ない。こうあしらわれてみると、イヤでもここで遊ばせざるを得ないことに立ちいたりましたが、そこは、村正どんも一種の通客だから、このまま遊ぶのは遊ばれるようなもので、見たところ、喧嘩の相手にはしたくない代物《しろもの》だが、遊びながらからかってやる分には、どうしようもあるまい、また、そうでもして、こいつを少しムセっぽい思いでもさせてやらないことには腹が癒《い》えない。村正どんも、そんなような仕返し気分がやや働いたものですから、舞子たちに集まれの令を下して、
「さあ、これから一遊び、みんな思いきって面白く遊ぶのだよ、それには、こうしていては遊べないから、みんなして寝ながら遊ぶのだ、女中さんに頼んで、ここへお蒲団《ふとん》を敷いておもらい」
「ここへ寝《やす》むの?」
「みんな一緒に?」
「ああ、雑魚寝《ざこね》よ」
「雑魚寝って?」
このやからも雑魚寝を知らないはずはあるまい。だが、遊ぶことは好きだし、ひどい骨折りをせずに寝て遊ぶように教育される雛妓は、寝ることを怖れずに喜んでいるらしい。
まもなく、仲居おちょぼ連の活躍がはじまり、幾枚かの夜具がこの座敷へ持込まれると、さきの爛酔の客のまわりだけを少々残して、ほとんどこの座敷いっぱいの面積に夜具が展開されました。
そうすると村正どんが、仲居のねえはんを呼んで、
「大儀だが、肴《さかな》をこれへひとつ運んでもらいたい。肴といっても、飲み手はいないから、甘いものをおごってくれ、ようかん、餅菓子、今川焼、ぼったら焼、今坂、お薯《いも》、何でもよろしい、山の如く甘いものを買い集めて、これへ持参するように」
と言いつけました。
この景物は、よほど一座の人気を呼んだらしい。さすがに手を出してガツガツはしないが、みんな面を見合わせて嬉しそうな色を見せる。
それをみると、村正どんは寝巻に着替えもせずに、ごろりと夜具の真中に横になって、
「おじさんは男だから、身ぐるみこのままで寝るが、お前たちは襦袢《じゅばん》一枚になって、ここへおじさんを真中にして、仲よく枕を並べてお寝み――」
「はい、お寝みなさい」
「お寝みなさい」
言われた通りに彼等は、きゃっきゃっと言いながら帯をとり、上着をとって、襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている。
この連中は、ある程度までは客の言うなり次第になるべく仕込まれてもいるし、また、身の防衛本能から言っても、命から二代目の衣装飾りというものを犠牲にして、ゴロ寝をするようなぶしつけはない。
割信夫《わりしのぶ》、針打《はりうち》、花簪《はなかんざし》の舞子はん十何人、厚板、金入り繻珍《しゅちん》の帯を外《はず》し、大振袖の友禅を脱いで、真赤な襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている光景は、立田の秋の錦と言おうか、吉野の花の筏《いかだ》と言おうか、見た目もあやに、高嶺《たかね》の花とは違ったながめがある。
さすがに村正《むらまさ》どん、その風情《ふぜい》を興がって、眼を細くして、前の酔客の形を真似《まね》でもしたように仰向けになってながめ廻していたが、さて、どんなものだと、壁際へ避けた件《くだん》の酔客の姿を見ると、相変らず長身を延ばしたっきり、肱杖《ひじづえ》をついて、じっとこっちを見ているにはいるが、眼を開いていないこと前に同じ。
やっぱり気取っていやがるな、眼をあいて見い、眼をあいて、この未開紅の花を前後左右に置き並べて、色気なしに眠ろうとする、おれの風流をちっと見習え――こうでも言ってやりたいくらいだが、眼のあかない奴には手がつけられない、とテレ加減のところへ、
「お待遠さま」
そこへ、山の如く甘いもの、フカシたての薩摩芋、京焼、蒸羊羹《むしようかん》、七色菓子、きんつば、今川焼、ぼったら等々の数を尽して持込まれる。
それから暫く、眼を見合わせて遠慮をしている時間を除いて、やがて、甘いものに蟻がつき出すと、みるみる餅菓子の堤がくずれて、お薩の川が流れ、無性《むしょう》によろこび頬ばる色消しは、色気より食い気ざかりで是非もないことです。
二十七
食い気の半ばに村正どんは、次のような話をしました。
「昔々、京の三条の提灯屋《ちょうちんや》へ提灯を買いに行きましたとさ、提灯を一張買って壱両小判を出しましたが、番頭さんがおつりをくれません、もしもし番頭さん、おつりはどうしたと言えば、番頭さんが言うことには、提灯に釣がねえ[#「がねえ」に傍点]」
だが、この落ち[#「落ち」に傍点]は、舞子たちにあんまり受けませんでした。というのは、かんじんの、釣がねえ[#「がねえ」に傍点]のねえは、江戸方面の訛《なま》りで、関西では同様の格に用いない。
そこで、まず御座つきは終った、それからあとが大変なのです。
十余人の舞子部隊に命令一下すると、「くすぐり合い」の乱闘がはじまったのは――
甲は乙、乙は甲の、丙は丁の、咽喉の下、脇の下、こめかみ、足のひら、全身のドコと嫌わずくすぐって、くすぐって、くすぐり立てる。甲からくすぐられた乙は、甲へやり返すと共に、丙の襲撃に備えなければならぬ。丙は乙に当ると共に、丁戊《ていぼ》の側面攻撃を防禦しなければならぬ。己《き》と戊《ぼ》とが張り合っている横合いから丁が差手をする。そう当ると庚《こう》と辛《しん》とが、間道づたいに奇襲を試みる。甲と丙とは、自分の身をすくめながら両面攻撃をやり出すと、丁と己とは、その後部背面を衝こうとする――いや、十余人が入り乱れて、くすぐり立て、くすぐり立て、その度毎に上げる喊声《かんせい》、叫撃、笑撃、怨撃は容易なものではない。千匹猿を啀《か》み合わせたように、キャッキャッと、目も当てられぬ乱軍であります。
御大将の村正どん、無論、総勢を引受けて、ひるまず応戦すると共に、折々奇兵を放って、道具外れの意外の進撃をするものですから、そのたびに抗議が出たり、復讐戦が行われたり、その揚句は計らずも聯合軍の結成を誘致してしまいました。唯一の大人、大人のくせに卑怯な振舞をする、乱軍の虚を狙《ねら》っては道具外れ、くすぐるべき急所でないところをくすぐるのは国際法に反している、こんな卑怯な大人からやっつけなければ、正しい戦争はできない、そういう不平が勃発して、そこで、同志討ちの戦闘が一時中止されて、聯合軍の成立を見ました。
「やっつけちゃいなさいよ」
「こんな卑怯な村正て、ありゃしない」
「油断してるところをね」
「ばかにしてるわよ」
「大人から、やっつけちゃいなさいよ」
「村正を切っちゃいなさいよ」
「打っておやりよ、くすぐるだけじゃ仕置にならないわ」
「癖が悪いわ」
「抓《つね》っておやりよ」
「こいつめ、こいつめ」
「村正のなまくらめ」
「のし[#「のし」に傍点]ちゃいなさいよ」
聯合軍が同盟して、激烈な包囲攻撃やら、爆弾投下まではじめたものですから、たまり兼ねた村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」
「では捕虜なのよ、捕虜はここで、これを持って、おとなしく見ていらっしゃい」
と言って、一人が有合わした雪洞《ぼんぼり》を取って、長柄の銚子を持たせるように、しかと両の手にあてがったのは、捕虜としての当座の手錠の意味でしょう。
無惨にも捕虜の待遇を受けた村正どん、命ぜられるままに、柄香炉《えこうろ》を持つような恰好《かっこう》をして、神妙に坐り込んでいると、そこで、聯合軍がまた解けて、同志討ちの大乱闘をつづけてしまいました。
その騒々しさ、以前に輪をかけたように猛烈なものになって、子供とは思われない悪戯《いたずら》の発展。
この騒動で、すっかり忘れられていたさいぜんの蒼白《あおじろ》い爛酔の客。
騒がしいとも言わず、面白いとも言わず、静まり返って、以前のままの姿勢。長々と壁によって、肱枕《ひじまくら》で、こちらへ向いてはいるが、相変らずちっとも眼を開いて見ようとしない。
この、いよいよ嵩《こう》じ行く乱闘の半ばで、不意に燈火が消えました。雪洞《ぼんぼり》から丸行燈にうつした唯一の明りがパッと消えると、乱闘が一時に止まる。
「わーっ」
という一種異様な合唱があって、
「あら、怖《こわ》いわ、早く燈《あかり》をつけてよう」
「怖いわ」
「あら、村正の奴、いたずらをしたんだわ」
「卑怯な奴、暗いもんだから」
「あら、村正が逃げるわよ」
「逃げ出したわよ」
「逃がすものか」
「捕虜の奴、逃がすものか」
暗に乗じて、捕虜が逃走を企てたことは確実で、それを気取《けど》った一同は、同じく暗の中を手さぐりで、捕虜を追いかけると同時に、この室を退散。
そうして、最初に計画を立てた明るい広間の中に乱軍が引上げて見ると、村正どんは、もうすました面《かお》で床柱にもたれて、長煙管《ながぎせる》でヤニさがっている。
二十八
燈《あかり》の不意に消えたことは、乱軍の休戦ラッパとなり、同時にまた、あの強《こわ》もてのような、変な空気ではじめた余興の見事な引上げぶりに終りました。
いい汐合《しおあ》いに引上げたものだ、まさに甲賀流の極意! 村正どんは床の間へ帰って、長煙管でヤニさがって、それから腮《あご》を撫でていると、あとからあとからと、創痍満身《そういまんしん》の姿で聯合軍が引上げて来る。そのあとから仲どんが、衣裳と帯とを揃えて持って来る。
みんな疲れ果てて、もう愚痴も我慢も出ない。せいせいと息をきって、眼を見合わせて、息をついているばかりだが、それでも皆、昂奮しきって、愉快な色が面に現われている。
村正どんもまた、花合戦よりも蕾合戦《つぼみがっせん》のことだと内心得意がって、この清興(?)を我ながら風流|事《こと》極《きわ》まれりと納まっている。子供を相手に、こういう無邪気(?)な色気抜きの遊びに限る、こういう遊びぶりこそは、色も恋も卒業した通の通でなければやれない、という面つきをして得意満々の体に見えたが、しかし、もう時刻もだいぶおそい、この辺で、この清興に疲れた可憐の子供たちを解放して、塒《ねぐら》につかせてやるのが、また通人の情け、無邪気というものも程度を知ることが、また通人の通人たる所以《ゆえん》でなければならないという面をして、
「どうだ、面白かったか」
「ほんとに面白かったわ」
「ずいぶん面白かったわ」
「でも、わたし苦しかったわ」
「負傷者は出なかったね、怪我をした者がないのが何より。さあ、この辺で、みんな引取って家へ帰って、お母さんのお乳を飲んでお寝み――」
そこで、みんな衣裳髪かたちを一通り整えて、本当の安息の時間へ急ごうとして、なお余勇がべちべちゃと、あれよあれよと取噪《とりさわ》いでいるうちに、なんとなく物足りない気がしたと見えて、その中の誰言うとなく、
「朝ちゃんは――」
「朝霧さんがいないわ」
「おや」
「お手水《ちょうず》じゃないの?」
「さっきから見えないわ」
「どうしたんでしょう」
「朝霧さん」
「朝子ちゃん」
一人が言い出すと、みんなが言い合わせたように呼びかけたが、その求める人の返事がない。村正どんも、さすがにそれが気にかかって、
「一人でも討死をさしては、大将の面目が立たない」
そこで改めて簡閲点呼を試みたが、真実、その朝ちゃんだけがいないのです。呼んでも返事がないのです。
はっ! と何かに打たれたように、村正氏は慌《あわただ》しく、以前のぼんぼりに火を入れさせて、わざと騒がぬ体にして、
「おじさんが探して来るから、みんな安心して待っておいで」
一人で、その雪洞を持って、また廊下を引返して来たのは、今の乱闘の現場――御簾《みす》の間《ま》――そこへ、二の足をしながら、雪洞をさし入れて見ると、座敷いっぱいに敷きのべた古戦場のあとはそのまま。はっ! と再び動顛してまず眼についたは、かの壁の一隅、まだ人はいる。以前の長身白顔の爛酔客が、あちら向きになってうめいている。しかも、その壁に押しつけられたところは、大蛇《おろち》が兎を捕えたように、可憐の獲物を抱きすくめて、放すまじと、それにわだかまっている。獲物は、声も揚げない、叫びも立てない、死んだもののようになっている。死んでいるのかも知れない。大蛇は静かに蠕動《ぜんどう》して、そうして確かに生きている。
はっ! と、村正氏はついに雪洞を取落してしまいました。
四方はまたまっくらやみ。
二十九
その日、大びけ過ぎといった時刻の暁方、追い立てられるように、島原の大門を出た、たった一人の客がありました。
追い立てられるというのは、ホンの形容で、事実、誰も追う人はなし、追わるるような弱味の体勢にはなっていないが、時が時であって、四方が四方でしたから、引窓の中から抜け出して、朝霧の中へ消えて行くような感じで大門を出たが、足どりは寛《ゆる》やかで、時々町筋に留まっては、前後を思案するような気配がある。黒い頭巾をかぶって、着ていたのが合羽《かっぱ》ではない、被布《ひふ》であるらしい。下着は白地で、大小を落し目に差しこんでいるが、伊達の落し差しではない。スワ! と言わないまでも、いつ何時でも鞘走《さやばし》るような体勢で、それでもって、はなはだ落着いて、静かに地上を漂うが如く忍んで行く。
ははあ、これだな、先刻、御簾の間の、闇にひとりぽっちの爛酔《らんすい》の客、しきりに囈語《うわごと》を吐いて後に、小兎一匹を虜《とりこ》にしてとぐろを巻いて蠕動《ぜんどう》していた客。
中堂寺の町筋へ来ると、その晩は残《のこ》んの月が鮮かでありました。が、天地は屋の棟が下るほどの熟睡の境から、まだ覚めきってはいない。一貫町から松原通りへ出るあたりの町角に、またちょっと立ちどまって、仔細らしく思案の頭をひねっている時、後ろからこっそりと忍び寄った、別にまた一つの物影がありました。
「へえ――お淋《さび》しくっていらっしゃいましょう」
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
前なる人から誰何《すいか》されたので、後ろなる忍び足が直ちに答えました。
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、角屋《すみや》さんの方から、たった今、これこれのお客様がお帰りになるから、おそそうのないようにお宿もとまでお送り申せと、こう言いつけられたものでござんすから、それで、おあとを慕って……」
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「廓《くるわ》からついて来たのか」
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の股引《ももひき》腹がけで、麻裏草履をはいて片膝を端折《はしょ》っている。抜け目がない体勢ではある。
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
少々仰山な驚きかたをして見せたが、それ以上、火花も散らず、ともかくも、形は送りつ送られつの形で、道はようやく木津屋橋まで差しかかった時分、
「いったい、お宿もとはどちら様でござんしたかなあ――どちら様へお越し?」
送り狼もどきの頬かむりが、改めてここでお宿もと、お宿もととつきとめにかかるのが、うさんで、しつこく、からむようにも聞きなされるが、前のはいっこう平気で、
「こちらの宿もとをたずねるより、お前の方で名乗るがいい、何のなにがしと名乗ってみろ」
「何のなにがしと名乗るような、気の利いた奴《やっこ》ではございませんが、轟《とどろき》の源松と申しまして、東路《あずまじ》から渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」
轟の源松、聞いたような名だ。おお、それそれ、御老中差廻しの手利きだと言った、長浜の町で、宇治山田の米友を捕り上げた男。あれが、やがて、農奴として曝《さら》しにかかって、草津の追分につながれた時分、往来の道俗の中から、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百を見出して、こいつ怪しいと捉まえにかかったが、それは片腕のないためと、両足の有り過ぎるために、おぞくも取逃した、あの有名な捕方の名に相違ない。有名といったからとて、この冊子に於ての相当の有名だけであって、ここで、フリの客に、轟の源松と名乗りかけたからとても、誰でもそれと知っている名前ではない。
「ナニ、目明しの文吉――というのがお前の名か」
と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、
「いいえ、目あかしの文吉じゃございません、轟の源松と申しまして、渡り者のケチな野郎でございます」
「ははあ、轟の源松」
その名を繰返しながら、二人は見た目には主従の形で、すれつもつれつ前へと歩みます。
三十
轟の源松なるものは、手の利《き》いた岡っ引である。江州長浜の夜で、宇治山田の米友を相手に、あれほどの活劇を見せたが、本来、この辺の地廻りではない。特に天下の老中差廻しで、お膝元の大江戸から派遣せられたものであってみれば、草津や長浜の町が、その腕の見せ場ではないはず。米友やがんりき[#「がんりき」に傍点]だけが当の相手ではあるまい。あれらは、ほんの道中の道草の小手調べ。されば、あれから農奴が膳所藩《ぜぜはん》の曝し場から、なんらかの手によって奪われて行方不明になったにしてからが、また、その曝しの現場を見て、挙動不審で拘引を試みようと思った旅のやくざ者を、上手の手から洩《も》らして、ちょっと歯噛みをさせられたにしてからが、その執念のために、京都から進入して、もっぱらこれが追跡に当るほどのことは想像されない。
何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、捕縄《とりなわ》に物を言わせる凄味《すごみ》の相手であることは、つい今頃、送られる身になって、ぴーんと来ていない限りはないのだが、草津の駅でがんりき[#「がんりき」に傍点]を咎《とが》めたように、頭ごなしに咎められない。がんりき[#「がんりき」に傍点]を引捕ろうとするような、待ったなしの出足では近寄れない、相手が違う、ということは、近寄る方でも、最初からその勘にあることです。ですから、この芝居は、最初から双方の腹が読めきってやっている芝居で、自然、その渡りゼリフも、双方ともに一物あっての受け渡しなのですから、両方ともに相当の凄味が、底を割ってしまっていて、表面だけはしらばっくれた外交辞令になっている、というのだけのものだから、見ていても存外白ける。これが七兵衛あたりの役者になると、同じ狸同士でも、そこにはまた相当のコクもあろうというものだが、最初から芝居がかりがお客に見えたのでは、芝居にならない。素《もと》と素とがカチ合っているようなものです。そこで、おたがいが兼合いながらの問答であります。
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
またしても、お宿もと、お宿もと、そう露出《むきだし》に鎌を振り廻さなくとも、身分素姓が知りたいならば、もう少し婉曲《えんきょく》な言い廻しもあろうものを、いったい、最初からセリフが無器用だ。そうそう繰返して、詮索めかして出られると、憤《おこ》らない相手をも憤らせてしまうではないか。ところが今日の相手は存外淡泊で、
「そのお宿もとがないのだよ――実はな、拙者も久しぶりで京の地へ足を入れた最初の晩がこれなんだ。そうさなあ、もう何年の昔になるかなあ、たった一晩、島原で遊んだ風味が忘れられないで、京へ着くと第一の夜が、それあの里さ。尤《もっと》も、おれが好んで第一にあの里へ足を入れたというわけではない、途中、要らざる出しゃばり者が出て来て、おれをあの里へつれ込んだ、下地は好きなり御意はよし、というところかも知れない。その出しゃばり者とは、まず旧友といったようなところかな、そいつが二人も出て来て、そぞろ心のついている拙者を、あの里へ引張り込んだはいいが、おれを真暗な行燈部屋《あんどんべや》、ではない、御簾《みす》の間《ま》といって、相当時代のついた別座敷へ、おれを抛《ほう》り込んで置いたまま、その二人の奴が容易に戻って来ない、いやに旧友ぶりをして見せはしたが、実は薄情極まるものだ。だがまた、一概に薄情呼ばわりもきつい、あいつらも皆、今日あって明日の知れない命を持っている奴等だから、おれをあそこへ案内して置いて、久しぶりで大いに遊ばせようと思って、外へ所用を済ませに出たのが、万一、その途中、不慮のことでも起って……まあ、そんなことを思いやって、ひとり真暗な御簾の間にくすぶっていたが、宵《よい》が過ぎると、この通りの追払われもの、振られて帰るという里の合言葉があるそうだが、追われて帰るんだ。だが、追われるはいいが、その帰り先がわからん、心細い次第のものだ」
さらさらと、少しかすれた声で淀《よど》みなく言ってのけて、自ら嘲るようにも聞えたから、轟の源松が、
「いえ、どう致しまして、追い立てるなんて、そんな失礼なことを致す里の習いではございません、おそそうがあってはいけないから、お宿もとまで確《しか》とお送り申し上げろと、わざわざわっしを、あとからせき立てて、よこしましたくらいなんですから」
「いずれにしても御苦労な話だが、御苦労ついでに、その拙者のお宿もとというやつをひとつ心配してくれないか、わしは今晩ドコへ行って宿《とま》ったらいいか」
「御冗談じゃございません、おれの行くところはどこだと交番でお聞きになるは、篠山《ささやま》の杢兵衛《もくべえ》さんに限ったものです、あなた様などの御身分で、めっそうもない」
「何はともあれ、島原は源平藤橘を嫌わないところだ、金さえあれば、王侯も、乞食も、同じ扱いをする里で、追い払われた身は行くところがないじゃないか――お前、親切で送ってくれるのだから、親切ついでに、わしを送り込む宿所まで見つけてくれるのが、本当の親切だ」
「恐れ入りました、左様の御冗談をおっしゃらずに、どうか、お行先をおっしゃっていただきます、暁方とは申せ、まだ先が長うございます、どれ、この辺でひとつ提灯《ちょうちん》に火を入れさせていただきまして」
轟の源松は、腰に下げていた小田原提灯を取り出して、燧《ひうち》をカチカチと切って、それに火を入れたのは、とある橋の袂《たもと》でありました。
三十一
「ここは三条大橋でございます、この辺で、お宿許を教えていただかないことには、あとは東海道筋百二十二里……あ、提灯の蝋燭《ろうそく》も寿命が尽きたかい」
せっかく火を入れた小田原提灯が、もう少し前から消滅してしまっている。送ってくれと頼んだわけでも、頼まれたわけでもないから、不平を言うべき筋はあり得ないのだが、京の町を、てんから無目的で際限なく引張り廻された日にはやりきれない。それを、相手方はむしろ気の毒とでも思ったか、素直に受入れて、
「では、芹沢《せりざわ》がところまで送ってもらおうか」
「芹沢様とおっしゃいますのは」
「芹沢鴨、いま名うての新撰組では隊長だ」
「ああ、その芹沢先生ならば……」
轟の源松は、仰山らしく声を上げて、
「芹沢先生は、お気の毒なことに殺されました」
「殺《や》られたか」
「ええ、まことにお気の毒なことで、あの剛勇無双な先生でも、災難というものは致し方がございません」
「いったい、芹沢は誰に殺《や》られたのだ」
「それがその――隊の方の評判によりますると、長州の者だろうとのことでございますが、なあに、そうではございません。では何者だとお聞きになると困りますが、薩摩でも、長州でもございません、ちゃあんと犯人はわかっているのでございますが、申し上げられません」
「お梅はどうした」
「ああ、あの女は――美《い》い女でございましたが、芹沢先生と一緒に殺されましたよ」
「人の女房を奪ったのだそうだな」
「女房ではございませんそうで、菱屋太兵衛のお妾《めかけ》だそうです、太兵衛に代って掛金の催促に来たのを芹沢先生が、いやおういわさず、ものにされてしまったというが本当らしいのでございます――芹沢先生と、あの美い女と、二人寝ているところをやられました、その場の有様というものは、いやもう、目も当てられぬ無惨なものでございまして」
彼は、自分が親しく見たわけではあるまいが、人伝《ひとづて》にしても、手に取るようにその現場の状況を聞いて知っているらしい。そこで、所望によっては、そのくわしい物語をも演じ兼ねない様子に見えたが、聞き手はそういうことに深い興味を持たない人らしく、或いはそんなことは疾《と》うの昔に知っているかの如く、
「では、やむを得ない」
その芹沢に厄介になろうという希望も撤回せざるを得ないと、あきらめるより仕方がない。さりとて、それに代るべき候補宿を提案する心当りもないらしい。そこで、今度は轟の源松の方から、鎌をかけて、
「では、近藤先生のお宅はいかがで、木津屋橋の近藤先生のお仮宅《かりたく》ならば、わたしがくわしく存じております」
「近藤は虫が好かん」
と覆面が言いました。
「では」
轟の源松が、いいかげんテレきった表情を見て、長身の人が、ついに決然と最後の決答を与えました、
「高台寺の月心院へ届けてくれ」
「高台寺の月心院、心得ました」
ここで、無目的の目的が出来た。指して行くあたりの壺がすっかりついたのだから、源松も勇みをなして、再び提灯に火を入れようとする途端に、何か物の気に感得してしまいました。
こういうやからは、道によって敏感である。まして送り狼の役をつとめてみると、送る方も、送られる方も、あやまてば食われるのだから、寸分も神経の休養が許されない。
轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと見込みました。
前に言う通り、残《のこ》んの月夜のことですから、川霧の立てこむる鴨川の河原が絵のように見えます。その河原の中を走る二筋のせせらぎを、今、徒渉《かちわた》りしている物影を、この橋の上から認めたからであります。
三十二
橋の上からは、物の二町とは隔らない川下を、かち渡りしている二つの人影は、ここから見当をつけても、そう危険性なものではないらしい。
本来、この時分に、天下の公橋を渡るさえ二の足が踏まれるのに、河原の真中を横に歩くようなやからが、尋常のやからでないことはわかっている。だが、轟の源松の物に慣れた眼で見て取ったところでは、特に危険性のないものであることは、一眼で明らかになりました。危険性というのは、つまり人命に関することで、最近、この辺のところは、足利三代の木像首をはじめとして、幾多人間の生首や、片腕や、生きざらしなどの行われた地点であるから、かりそめの人影の動揺にも、油断のならないのが当然でありますが、それとこれとは別、ただいまあなたにうごめく人影は、左様な危険性を帯びないものであることを、轟の源松が認めたのです。
それは、どこにもあるお菰《こも》さんであります。乞食種族に属する者であることが月明で見てよくわかります。つまり、乞食の川渡りなのですから、一度は耳と目を拡張して見ましたけれど、その点を見届けて安心したというものです。
乞食というものは天下の遊民であって、天下大いに治まる時は、三日でもって人生の味を嘗《な》めつくしてしまって、天下が麻の如く乱れようとも、現状以下に落つるの憂いのない代物《しろもの》である。持てる者がみな狼狽焦心する時に、乞食種族だけは、悠々自適の生活を転移する必要を認めない現状維持派であります。今、日本の天下は、王政の古《いにし》えにかえるか、徳川の幕府につながるかという瀬戸際に於て、王城の地はその鼎沸《ていふつ》の中心に置かれても、乞食となってみると、一向その冷熱には感覚がないのです。かくてこの無感覚種族は、いかなる乱世にも存在の余地を保留していると見えて、今の京都の天地にも、相応に棲息し、横行倒行している。今晩も、ここで、物騒な京都の夜を、平々かんかんとして川渡りを試みらるる自由は、またこのやからの有する特権でなければならぬ。住所なきところが即ち住所である。河西の水草に見切りをつけたから、明日は河東の水草に稼《かせ》ごうとして、その勤務先の異動を企てているまでです。前の方は少し背が高い。前の背の高いののわかるのは、後ろのが、それよりやや劣るからである。といっても、前後の比例が桁外《けたはず》れなること、道庵先生と米友公の如きではなく、先なるは人並よりやや優れた体格であって、後ろのは世間並みという程度のものだ。
しばらくその菰かぶりの川渡りを遠目にながめていた轟の源松は、自然提灯に火を入れる手の方がお留守になる。
「あ、旦那、済みませんが、少しの間、ここに待って、ここに待っていていただくわけには参りますまいか――ちょっと見届けて参るものがございます」
と言って、送りの客を顧みましたが、この時、提灯は抛り出してしまって、懐ろへ手を差し入れたのは、火打道具を取り出さんがためではありません――一張の捕縄《とりなわ》です。
その時の源松の気勢は、変っておりました。職務の遂行のためには死をだも辞せずという、一種の張りきった気合が充ち満ちたかと見ると、件《くだん》の長身覆面の客から物の三間ばかり離れて、橋板の上へ飛びのいて、足踏み締めて、身を沈めて、捕縄の一端を口に銜《くわ》えて、見得《みえ》をきってしごいたのは、かの長浜の一夜で、米友に向って施したのとまさに同じ仕草です。
だが、今晩のは、捕手の中心がよく定まらないようです。ここで、自分の送り狼を捕ろうとするのか、或いはまた、一旦は天下御免の遊民と見て安心した下流の川渡りに、再吟味するまでもなく、なんらかの不安を感じたために、それを捕りに行くための身構えか、二つの目標が同時に現われたものですから、源松の着眼が乱視的で、これだけの仕草ではよくわからないのです。
だが、送られて来た覆面の遊客は、こころもち移動して、橋の欄干を背後にしたことによって、この気合を感得したものらしい。ただ、それだけで、柄に手をかけるのでもなく、刀を抜こうでもないが、その身そのままが構えになっている。
源松に於ては、依然として三間ばかりを遠のいた地点にいて、あえてそれより遊客に近づいては来ないのです。源松の眼を見ると、二つの眼を、二つに使い分けをしていることがわかる。すなわち一つはこの橋上の送り狼に、もう一つは川下をわたる二人の乞食に、双方に眼を配って、一本の捕縄をしごいて、空しく立っているらしい。
それはそのはずで、優れた猟師といえども、方向の違った二つの兎を同時に追うことはできない。まして、相手は兎ではなくて狼である。
このきわどい場合にも、さすがに源松は打算をしました。そこで、がらりと気分を崩して、あわただしく、いったん取り上げた捕縄を再び懐中にねじ込んでしまって、
「いや、どうも、川下に変な奴が川を渡っておりまするでな、ひとつ様子を見届けて参りたいと存じますが、その間、相済みませんが、ここで暫くお待ちを願いたいのでございます、なあに、直ぐ戻って参ります、どうか、暫くの間、ここのところで」
妥協を申し入れるような口ぶりで、急に折れて来たのは、つまり、ヒットラーではないが、同時に二つの敵を相手にすることは、戦略から言っても、外交から見ても、策の得たるものでないことがわかるから、そこで、前門の狼とは暫く妥協を試みて置いて、下流の乞食から退治にかかろうとする魂胆であるらしい。
そう言いっぱなしにして、相手の返答は聞かず、早くも橋の袂《たもと》をめぐって、河原をひた走りに走りました。もちろん、めざすところの目的は、月夜のお菰《こも》の川渡りであります。彼等の二個のお菰は、斯様《かよう》な鼻利きのすばらしい猟犬に嗅ぎつけられた運命のほどを知るや知らずや、悠々閑々として、月夜に布袋《ほてい》の川渡りを試みて、誰はばかろうとはしていない。いい度胸です。でなければのほほんの無神経です。
且つまた、橋の上に取残された狼にしてからが、頼みも頼まれもしない藪《やぶ》から棒の送り狼に、待っていてくれと注文されて、その注文どおり、馬鹿な面をして待っていてやる義務もあるまいではないか。
三十三
一方、視野を転換して、のんきな月夜の川渡りの二人のお菰さんの身の上に及ぶ。
二人とも、いい図体をした屈強の男ざかりでありながら、ドコぞ箍《たが》がゆるんでいればこそ、今日こうして菰をまとっている。
「いい心持だなあ、月夜の川渡り」
「ほんとにいい心持だよう、月夜の布袋《ほてい》の川渡り」
「月夜に釜を抜かれるということがあるが、その解釈を知っているか」
「知らん――いろはガルタには、わかったようでわからんのが幾つもある、我々いい年をしながら、いろは[#「いろは」に傍点]さえ充分にはわかっとらん」
「況《いわ》んや天下国家のことや」
「なんにしても、月夜の布袋の川渡りはいい」
しきりにこの二人が布袋の川渡り、布袋の川渡りということを口にしているのは、自分たちが菰を被《かぶ》っている頭の上に、身上道具の一切合財《いっさいがっさい》をいただいているからであろうとは思われる。身上道具の一切合財といっても、鍋釜で尽きているらしい。鍋釜を所有していれば、中に入れるものは、今日は今日、明日は明日で、絶対他力まかせになっているところに彼等の身上がある。そこで、月夜に釜を抜かれるという「いろはガルタ」が不意に飛び出したのも、つまり、頭上にいただく鍋釜から起った聯想らしい。
「乞食を三日すれば忘れられん――というが、まさに正真の体験だ」
「そうだ、この趣味がわかると全く、人間並み生活などはばからしくて出来るものではない、ただ人間並みを廃業して、ここまで来る試験地獄がつらい、ここへ来てしまえば、何という清浄にして広大なる天地だろう」
「まあ、あんまり惜しいから、そう川渡り急ぐなよ、ゆっくり月をながめながら川を渡ろうではないか、この良夜をいかんせんというところだ」
「月は天にあり、水は川にあり、いい心持だ」
名は高いけれども、鴨川は大河ではない。ちょろちょろ水を渡る程度の川渡りも、今晩は無下《むげ》に渡りきるのが惜しくてたまらないらしい。そこで、中流というとすばらしいが、飛べば一ハネの川の真中で、わざと二人は歩みを止めてしまい、空の大月を打仰いで、
「清風明月一銭の買うを須《もち》いず――と、たぶん李白の詩にあったけな、一銭のお手の中を頂くにも、人間となると浅ましい思いをするが、この良夜を無代価に恵与する天然の贅沢《ぜいたく》はすばらしいものだ」
「その天然の贅沢を、無条件で受入れ得る我々の贅沢さは、また格別だなあ、事実、乞食にならんと、本当の贅沢はできんものだなあ」
「そうよ、うんと欲張って我が物にしたければ、袋を空にして置くに限るよ、物があると誰も入れてくれねえ、天下将相になって見給え、志士仁人になって見給え、夜の目もロクロク眠れずに、やれ国のためだ、人のためだと血眼《ちまなこ》になっている、この天与の恩恵豊かなる清風明月が来《きた》りめぐっても、火の車を見るようにしか受取れない奴等こそ憫《あわ》れむべきものだ」
「大燈とか、大応とかいう坊主が、そこらの橋の下に穴を掘って、そこを宿として園林堂閣へ帰りたがらなかったというが、それはわれとスネたんではないな、そういう生活がむしろ自然なんだから、彼等はそれを貪《むさぼ》り好んで生きている、世間の馬鹿共が見ると、それが、大徳の、達観のと渇仰《かつごう》する、見方が違っているんだ」
「そうだ、トモカク坊主でも大物になると横着千万なものでな、自分は楽をしていながら、世間からは難行苦行の大徳であり、人生の享楽を抛棄《ほうき》した悟道人のように見えるが、ありゃみんな道楽だね」
「まず、そんなもんじゃ、乞食の六という奴の詩に有名なのがある」
「そうだそうだ、畸人伝かなにかにあったっけ、あれだけの詩を作れるくせに乞食している横着者、まさに三十棒に価する、その詩を一つ……」
一人が、そこで、詩を吟じ出してしまいました。
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一鉢千家飯
孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
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これを、高らかに和吟して、「一鉢千家の飯《いひ》、孤身幾度の秋、空《くう》ならず又|色《しき》ならず、無楽|還《また》無憂、日は暖かなり堤頭の草、風は涼し橋下の流、人|若《も》しこの六を問はば、明月水中に浮ぶ」と吟じ了《おわ》ってから、この六なるものの事蹟に就いて語り合いました。
これは昔、この川の岸に一人の乞食の行斃《ゆきだお》れがあったから、それを水葬してやろうと、ある坊さんが抱き起して見たら、乞食の懐ろの中に、この詩が書いて入れてあったということ。
なるほど、遠目で見たのでは、単なる求食人種の移動に過ぎないが、ここでこの話しぶりを聞いていると、以ての外。こいつらも世を欺く横着もの、大応大徳のそれに匹敵すべきか、乞食の六や桃水尊者《とうすいそんじゃ》と比ぶべきや否やは知らないが、トニカク、乞食を生きるものでなくて、少なくとも乞食を楽しむことを解している。それもどうやら、今日昨日の附焼刃らしいが、それでも楽しむことを知ることに於て、一応筋は立った話をしている。これを遠目に睨《にら》んだだけで、直ちにうさんと眼をつけた源松の眼も高いと言わなければならない。
これ別人ならず、よく見れば、前なる背の高い方のが南条力、後ろのやや低い方のが五十嵐甲子雄――毎々お馴染《なじみ》の二人の成れの果て――果てというにはまだ間もありそうだが、二人の変形であることは疑いがないのです。
三十四
この南条、五十嵐の両壮士が、ある時は志士の如く、ある時は説客の如く、ある時はスパイの如く、ある時は第五部隊の如く、全国的に要所要害を経歴して来たことは、ほぼ今までのところに隠見している。
ついさき程は叡山四明ヶ岳の上で、大いに時事を論じていたと見たが、もう京洛《けいらく》の真中へ入り込んで、こんな行動をとっている。また油断も隙《すき》もならぬ者共です。
しかし、今晩のような夜空に、こんな風《なり》をして、ここらを彷徨《ほうこう》するということは大なる抜かりで、早くも轟《とどろき》の源松の注視を受けたということは、大なる不覚と言わなければなりません。
こうして二人は河原を三条の橋の橋詰まで来ましたが、橋に近くなると、彼等もズルイ、急に沈黙を守り出して、木と、茅《かや》と、石と水との中に没入し、人をしてその痕跡を認めしめない芸当は心得ていたようです。
揚雲雀《あげひばり》というものは、中空高く囀《さえず》りつつ舞っているが、己《おの》れの巣へ降り立とうとする時は、その巣より遥かに離れた地点へ着陸して来て、そこから麦の株や、畦《あぜ》の間を、若干距離のあいだ潜行して来て、はじめて己れの巣にありつくものだが、この二人の壮士も、その鳥跡に学ぶところあって、川渡りの地点は巣に遥かに遠いところであったが、そこから橋の袂の元巣までたどりついた間の行動は誰にもわかりません。
しかしまた、上手な雲雀取りは、右の雲雀の着陸点をまず認めておいて、そのあとをひそかに追ったり、前路を考えて、これを要したりすることもあるように、轟の源松も、いったんは橋から河原へ飛び下りたが、それより後の行動は、月にも水にも知らせません。しかし、程経て、二人の壮士は橋の袂の穴っ子へ到着しました。
その橋の袂の穴っ子こそ、彼等の住所であって、その先祖をたずぬると、大燈国師伝以来の由緒のあるところです。二人がこの穴っ子へトヤについてしまった頃を見計らい、外でそろそろと網を張っているものがあります。言わずと知れた轟の源松で、もうこうなればこっちのものと、網を張りながら、ニタリと笑って橋の上を見上げました。
橋の上の一方に待たして置いた送り狼は、いかにと見上げたものでしょうが、前に言う通り、この男の要求通りに、馬鹿な面《かお》をして、橋の上に待っていなければならない義務も責任もないことは、先方よりこちらがわかっているから、二兎を追うことはできない道理だから、一方は一方で一時は取逃がしても、やむを得ない。比べてみると、こちらの番《つが》いの獲物《えもの》の方が実入《みい》りがありそうだ。あれはあれで、出直して突留める分には、相手が不自由な身だから手間ヒマはいらないはずだが、芹沢鴨を名指したり、伊東や近藤とも相当|面馴染《かおなじみ》があるらしいところを以て見ると、ただの鼠ではないが、新撰組や御陵士頭に属するほどの者でないことは、その言語挙動でわかりきっている。当座の口実に、新撰組や御陵士頭の名を仮りてみるだけのもので、最後に突きつめたお宿許の名乗りに、高台寺月心院の名を指したが、それとても、果して月心院で受けつけられるかどうかわかったものではない。とにかく、島原の行動と言い、その後の応対と言い、捉まえどころが有るようで全くない。これまた近ごろの珍しい獲物だと、源松はほほ笑みながら、近いうちに手の内を見せてやると、いささかの得意で橋の上を見上げると、どうでしょう、命じて置いた通りの地点、欄干を背にしたところに、たしかに待っている。よもやと眼を拭って見直したが、間違いがない。
やあ、やっぱり、世界には馬鹿正直な奴がある。源松を源松とちゃんと心得ているはずなのに、馬鹿な面をして、ああしておれの帰るのを待っている。呆《あき》れたものだと、源松も口をあいてしまいました。
だが、待てよ、一概に馬鹿正直扱いもできますまい。真実あれは眼が見えないのだから、意地と場合で島原をひとり抜けをして出て来たが、出てみれば、西も東も動きの取れない身なのだ。そこへ、おれがぶっつかったものだから、しらをきって挨拶をしながらも、実はおれを頼りにして、引廻されるふりをして引廻すつもりで来たのかも知れない。送り狼と知りつつ、送らせるところまで駕籠賃《かごちん》なしで送らせて、どろんと消えるつもりか知らん。一枚上を行った図々しさだか、また事実、ひとりでは動きが取れないから、ああしてこの源松の帰りを待っているのか、なんにしても微苦笑ものだと源松は呆れたのだが、こうなってみると、自分もまた、悧口《りこう》なようで、なんだか馬鹿にされている、上手な猟師のつもりで、一方の兎を思いきって、一方だけ確実に手に入れる策戦に出でたことの思いきりを、我ながら腕前と信じていたのが、ここへ来て見ると、獲物はやっぱり二つで、猟師は自分一人だ、獲物をせしめたと思った猟師が、かえって獲物にせしめられているような感じがしないでもない。
そこで、源松としては、またしても、橋上と橋下と二つの方面に、一つの注意を張らなければならない。ロシヤと手を握って英国に当る策戦の裏をかかれたような気持がしないでもない。
そこで、張網の地点から、二つの方面に注意を向けていると、またも意外、こちらはいま巣へもぐり込んだばっかりの二人のお菰《こも》が、相変らず剣菱《けんびし》の正装で、のこのこと這《は》い出して来ました。
三十五
おやおやと見ているうちに、頭にいただく鍋釜は穴の中に安置して置いたと覚しく、手ぶらで、第一公式のお菰をひらつかせて、のっしのっしと這い出して来たが、ドコへ行くかと見ると、橋杭《はしぐい》の太いのにとっつかまり、それを、なかなかの手練で攀《よ》じ上って、橋の上へ出ようとする。
逃げ出したのではない、轟《とどろき》の源松これにありと知って、風を喰《くら》って逃出しにかかったのでないことは、その気分ではっきりわかる。つまり、あいつらは、この老練な猟師が網を張っているということを少しも知らない。ちょっと何か用達しに出かけて、やがてまたこの巣へ舞い戻って来るのだという気分は、源松にもはっきりと受取れるが、さりとて、舞い戻るまで、空巣へ網を張って株を守るの愚を為《な》すべきではない。源松も、急に手近な柳の木へ上手に攀じ上って、彼等の行動を注意して見ると、橋杭から橋板の上まで攀じ上った二人のお菰は、橋の東詰の程よいところまで来るとしめし合わせて、一方は橋の南端へ、一方はその北端へ居を占めて、そこの橋の上に横になって、お菰をさし繰り上げて自分の身体《からだ》を覆い、そこに平べったくなって寝込んでしまったのです。
ははあ、こいつら、穴の中よりも板の上が寝心がいいと見えて、お寝間直しと洒落《しゃれ》こんだな、とにかく安心、橋上と橋下とは彼等にとって本宅と別邸との相違だ、どのみち、自分の縄張りを出ないのだから安心なものだ、どれ、この間に一番、空巣狙いと出かけて、この穴屋敷の中を取調べてくれよう、と源松はそろそろと柳から下りて、彼等がたった今、もぬけの殻とした穴っ子の中へ潜入して見ました。
この忙しい折柄に、轟の源松は、燧《ひうち》をきってかがやかし、穴っ子の中を一通りのぞいて見たが、穴っ子の空巣である以外に別段に異状はない。天井も相当雨漏りと土落ちに備えてある。中には藁《わら》とむしろとが敷かれてある。その天井の上に仕掛けもありそうなことはなし、むしろの下にも特別に隠された物件はありそうもなし、ただ多少気にかかるのは、その敷物の真中に置き据《す》えられてある鍋釜だけのものです。いと古びた三升焚きの釜と、それに釣合いとしては小さきに過ぐる割れ鍋が安置してあるだけのものでしたが、源松は、まず釜の方の蓋《ふた》を取って見ますと、今時の乞食にしては贅沢千万、外米入らず、手の切れるような未炊の白米が八分目ばかり。手を入れてみたが、ザックという手ざわりのほかには異状がない。連合いの方はと、とじ蓋をとって見ると、割れ鍋の中に竹皮包の生々しい一塊、これも味噌以外のものでありようはない。この忙がしい折柄に一応、穴っ子の中へ眼を通すだけは通しておいて、次の瞬間に、源松は外へ飛び出し、再び橋上の職場へ取って返し、さて、仕事はこれからと、勇み足を踏みしめた途端、橋の上で突然、人をばかにしたような声が起りました、
「おいおい、吉田氏、竜太郎どの、何をそんなところで、うろうろしているのだ、気のきいた幽霊は引込む時分だ」
その男は、菊桐の御紋章の提灯を提《さ》げていたのが、これも少々酔っていると見えて、声は大きいけれども、うつろです。呼びかけた相手の主は、誰か知らないが、ほかにそれと覚しい人もないから、多分自分が置きっぱなしにして来た送り狼のその当人だろうと思って、踏みとどまってみていると、果して、
「斎藤だよ、斎藤一だよ、一足違いで君に逢えなかった、君を御簾《みす》の間《ま》へ残して置いたのは、こういう時の頼みのためなんだ、君という男も、前には芹沢で立後《たちおく》れ、今は伊東でまた後手に廻る、仕様がないなあ、ともかく、これから月心院へ引上げよう」
菊桐の紋のついたのがこう言って、忙がわしく橋桁《はしげた》の方へ近寄って、送り狼の身にからみつくようにした時、またもや橋上がにわかに物騒がしくなりました。
人が来る、しかも、夥《おびただ》しい人数が来る、粛々として殺気を帯びて来る。殺気を帯びた人数の出動することは、このごろの京の天地に於ては物珍しとはしないが、時が時であって、源松の六感を震動させたのは、その一隊が手に手に武器を携えて、一方には夥しい提灯をかざして来る事の体《てい》というものが、普通の巡邏《じゅんら》とは巡邏のおもむきを異にし、いわば、うちいりを済ました後の赤穂浪人――或いはこれから吉良邸を襲いにかかろうとする赤穂の浪人が、まさに両国橋を渡りにかかった事の体なのであります。彼等は抜身の槍の光を月にかがやかしている、鞘走る刀のかがりを指で押えている。その一行が無慮数十人。粛々として橋板を踏み鳴らして来かかったものですから、さすがの源松も、これにはおどろかざるを得ません。しかも、その数十人の手に携えた提灯というものは、前に斎藤一と名乗る男が手にしていた御紋章の提灯とは事変り、「誠」の一字が楷書で、遠く離れていても歴々《ありあり》と読み取り得られるほどに鮮かに記されてあることです。
「誠」の一字の提灯は、新撰組の一手のほかのものでありようはずはない。
かくて轟の源松が再び橋上に戻った時分には、自分が残して行ったつもりの人影はありません。
新撰組の一行が粛々として三条大橋を西に向って渡り去った、その後ろ影を、はるかにながめやるばかりでありました。
三十六
月心院の一間で、机竜之助が、頭巾も取り、被布も取払って、真白な木綿の着衣一枚になって、大きな獅噛火鉢《しがみひばち》の縁に両肱《りょうひじ》を置いて、岩永左衛門が阿古屋《あこや》の琴を聞くような形をして、黙然としている。
それと向き合って、火鉢とはかなり離れたところに敷きのべた大蒲団の上へ、これも白衣一枚で寝まき姿で、斎藤一が無雑作に坐り込んで、しきりに竜之助に向って話をしかけている。二人ともに、この寺院の荒涼たる広間で、白衣を着て対坐したところが、行者か亡者かみたようだが、事実は、寺院備えつけの納所《なっしょ》の坊主の着用を一時借用に及んだものらしい。
今、二人ともに、これから寝に就こうとして、その寝つき端《ばな》をまだ話が持てているらしいのです。会話といううちに、お喋《しゃべ》りの斎藤が一人で持ちきっているようなもので、
「ねえ君、ぜひ一度、近藤に会って見給えよ、君が毛嫌いをするような男ではない、世間が誤解している如く、君もまた誤解している、一度、近藤に会ったものは、必ず認識を改めるのを例としているのだ、彼を以て殺伐一方の、血も涙もない殺人鬼の変形のように見るのは当らない。まあ、この一軸を見給え。見給えと言ったところで、君には馬念に過ぎないが――」
ここに斎藤が馬念と言ったのは「馬の耳に念仏」という諺《ことわざ》の略語だと思われる。つまり眼の見えない机竜之助に掛物を見ろというのが失当であることを、その瞬間に気がついての駄目なのだが、それでも壁にかけた一軸を指した指は撤回しない。
「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」
と斎藤は婆心を加えた。読めと言うのは無理だが、聞けと言うのに無理はない。そこで斎藤は、壁にかけた唐紙半切《とうしはんせつ》の二行の文字を読みました。
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百行所依孝与忠 取之無失果英雄
英雄縦不吾曹事 豈抱赤心願此躬
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「百行依ルトコロ孝ト忠、之《これ》ヲ取ツテ失フ無キハ果シテ英雄、英雄ハタトヘ吾曹《わがそう》ノ事ニアラズトスルモ、豈《あに》赤心ヲ抱イテ此ノ躬《み》ヲ願ハンヤ――」
と吟じ了《おわ》って斎藤が、附け加えて言う、
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。この詩は彼が先頃、養父近藤周斎の病を聞いて心痛のあまり、幾度か養父の病気を見舞わんがために東《あずま》へ下ることを願ったが聞き入れられない、今のところ、この京都のお膝元から、近藤に離れられたのでは代るものがない、たとえ親の病気といえども、朝幕に於て今の近藤を放せないというのは無理がない、よって近藤が悲しみを抑えて詠んだ詩がこれなんだ。いいか、もう一ぺん読むから、よく聞いて居給えよ」
斎藤一は感慨に満ちた声で、右の近藤の詩を再吟した上、
「詩だって君、詩人の詩というわけにはいかないが、ちゃあんと一東《いっとう》の韻《いん》を踏んでいるし、行の字を転換すれば、平仄《ひょうそく》もほぼ合っているそうだ、無茶なことはしておらんそうだ。しかし、我々は詩を取るのではない、志を取るのだ、これの解釈をしてみると、人間百行のもとは忠と孝だ、忠と孝を離れて、行もなければ、道もない、真の英雄というものは、この道を取って失わざるものをいうのだ、そこで、転句に至って、わが身を謙遜して言うことには、我々は決して英雄でもなければ、英雄を気取るものでもないが、この赤心を抱いて、この躬《み》を尽そうと思う精神だけは英雄に譲らない、とこう言うのだ。立派な精神ではないか、立派な覚悟ではないか、近藤の鬼手《きしゅ》に泣かないものも、この詩には泣くよ、泣かざるを得ないよ。あの時に、この詩を示された時に、鬼のような隊中の荒武者がみんな泣いたぜ、おれも泣いたよ。彼のは嘘じゃないのだ、言葉を飾って、忠孝を衒《てら》うような男ではないのだ。その彼が、この詩を詠じた心胸には泣かざるを得ん――」
斎藤一は、感情の高い男と見えて、その当時を回想すると共に、声を放って泣き出してしまいました。
三十七
「世間は彼を誤解している、彼の如く精神の高爽にして、志気の明快な男を見たことがない、英雄たとえわが事にあらずとも、と言っているが、彼もまた一個の英雄だよ。時勢に逆行する頑冥者、血を見て飽くことを知らざる悪鬼の如く喧伝するやから[#「やから」に傍点]は別だ、僕の見るところでは、彼ほど大義を知り、彼ほど人情を解し、しかしてまた彼ほど果敢の英雄的気魄を有している男はまず見ない」
斎藤一は、声涙共に下って、近藤崇拝の讃美をやめることができない。彼は心から近藤を尊敬していると共に、世間の彼に対する誤解を憤り、その誤解を憤るよりは、彼の長所を没却して、それを誤解せしめんとする浮浪のやからを憤っている。そこで、余憤の迸《ほとばし》るところ、前に人を見ないように、意気が揚って来るのみである。
「養父の周斎には僕は会ったことはないが、勇《いさみ》のそれに対する孝心というものは、それは実に他の見る眼もいじらしいくらいで、事あれば必ず江戸に残した父に報ずる、立身したからと言っては父に、功名したからと言っては父に――それから、己《おの》れの仕給せらるる手当は割《さ》いて以て父に奉ずる。周斎老人は江戸に於ても、おれは勇が孝行によって、この通り何千石の旗本も及ばぬ楽隠居の身分に暮している、一にも二にも悴《せがれ》のおかげだと言って喜んでいるのが江戸では評判で、それを見聞きするほどのものが、ゆかしがらぬ者はないという。事実その通りなんだ、彼は親に孝たるべき所以《ゆえん》を知り、且つこれを稀有《けう》なる純情を以て実行している、況《いわ》んや朝廷を尊ぶべき大義を知り、為政者としての幕府を重んずべき所以を知っている、彼の手紙を読んで見給え、ドコを見ても尽忠報国の血に染《にじ》んでいないところはない。しかるに彼を、血も涙もない殺人鬼の如く取沙汰《とりざた》するやからは何者だ、たとえ反対側に立つの浪士共といえども、彼を知っている者である限り、彼の心情を諒とせざるはない、彼の刀剣を怖るることを知って、その心情を解するもののなきこそ、遺憾千万だ。見給え、彼は必ず成功するよ、新撰組の実権が一枚上席であった芹沢に帰せずして、近藤に帰したというのも、策ではない、徳だよ、おのずから人望が帰すべき道理あって帰したのだ、伊東甲子太郎の一派があれほどの後援をもちながら、近藤一派の手に殪《たお》されたのも、暴が正を制したとは言いきれない、近藤のために死ぬものと、伊東のために死ぬものとの、意気と意気との勝敗なのだ、意気と意気との戦いなのだ、意気が意気を圧倒したのだ、『人生意気ニ感ズ』というのが本当だな、人が一命を捧げて悔いない場合はただ意気あるのみだ、近藤勇は意気の男だ、彼は徹骨徹髄、意気を以てうずめている、名利それ何するところぞ!」
斎藤一は極端なる近藤讃美から、腕を扼《やく》して悲歌慷慨の自家昂奮に堪えやらず、滔々《とうとう》としてまくし立てる。ここに至ると、眼に相手を見ざること対談者と変らない。
「忠と孝とは冷やかな名分だ、ここに意気に殉ずる血脈が加わればこそ、冷やかなる忠と孝との名分が生きて来る、意気のない忠が何だ、意気のない孝が何だ」
彼は最初に涙を下した忠孝の名分のおごそかなるをも、ここに至って、冷やかなる一片の名分と見なして、意気の讃美論に転換してしまった。
「当代、意気に生きているものは近藤勇だ、彼は鬼ではない、男児の生命たる意気に生きている男だ、彼を鬼と見る奴は眼のない奴だ、天下は盲《めくら》千人の世の中だ、やあ失敬失敬、君に当てつけて言ったわけではないから、悪くとってくれるなよ」
と、ここに斎藤もわずかに余裕を得て、いささか弁解に落つるの変通を示すことができたのは、眼のない奴とか、盲千人とか言ったが、偶然にも、最初から、前にいて神妙な聞き役となって、自分が昂奮しても昂奮せず、悲憤しても悲憤せず、最初の通りに、唐金《からかね》の獅噛火鉢《しがみひばち》の縁に両肱《りょうひじ》を置いて、岩永左衛門が阿古屋の琴を聞いている時と同様の姿勢を崩さない当の談敵《はなしがたき》が、眼前に眼をなくしていることに、ふいと気がついたものだから失笑し、たあいなく釈明に落ちてしまったが、また猛然として気焔が盛り返して来て、
「それはまだいい方なのだ、一層下等な奴になると、彼が金銭のために働いている、利禄に目がくらんで盲動しとる――」
またしても目前、盲動と言い、差合いが眼前にあることに今度は気がつかず、躍起となって、近藤のために多々益々《たたますます》弁ずるという次第であります。
三十八
「なるほど、今日の近藤勇と、昨日の近藤勇とを比べて見ることしか知らぬやからは、彼が、さも過分の立身出世でもしたかの如く唇を翻す、将来もまた、彼がこの名聞利得《みょうもんりとく》の野心のために――殺人業を請負っているかの如く曲解したがる奴があるが、なるほど、彼は武州府中在の土民で、主人から禄をもらって養われたさむらいという階級の出身でないことは勿論、その表看板の剣術にしてからが、天然理心流の一派の家元といえば武芸流祖録には出ているが、柳生だの、心陰だの、一刀流だのと比べては比較にならぬ田舎剣術、いわばなんらの氏も素姓もないところから、飛入りで、今は徳川直轄の扱い、旗本のいいところ、今日では若年寄の待遇になって、諸侯と同じ威勢で京の天地に風を切っている。事実、京都に於ての彼の勢力は、かいなでの大名では歯が立たない、大諸侯といえども彼の勢力を憚《はばか》らずしては事がなせない。いずれは関東に於て、甲府百万石を賜わって国主になるなんぞと、もてはやすものもあるが、まんざらの誇張とも思われぬ。事実、彼が戦国時代に生れていたら、当然、一国一城の主になれる身だ、人殺しをするが天職、殺人業の元兇などとホザく奴の口の端《は》を裂いてやりたい、いずれ元亀天正以来の大名小名で、この殺人業をやらなかった奴が幾人ある、槍先の功名というやつが即ちそれなんだ、何をひとり近藤勇のみそれを責める」
斎藤一の口吻は、近藤勇の崇拝にはじまり、讃美に進み、その弁妄《べんぼう》となり、釈明となり、ついには相手かまわずの八つ当りとなってしまいました。
こうなって来ると、衾《ふすま》の上に就眠の体勢にこそついたが、眠れなんぞされるわけのものではない。いよいよ昂奮しきってしまって、斎藤は罵《ののし》るべきを罵って快なりとしている。
だが、程経て、これは、ひとり気焔を揚げているべき場合ではない、話の最初は、自分の相手方になって、自分の昂奮を冷然として倦《う》まず引受けているその相手方に向って、近藤勇に会え、と簡単に勧誘を試みたことから出立しているのだと反省してみると、そこで昂奮がおのずから静まり、
「とにかく、そういうわけだから、君も食わず嫌いを避けて、一度近藤勇に会って見給え。君を近藤に会わせたからとて、一味に懐柔しようということではない、また懐柔されるような相手でもなし、懐柔したところで結局、こっちが厄介者――ただ、世間の奴等の誤解と、誤解を誤解として放任するのみか、その誤解説の伝播宣伝を目的とするやからが横行しているから、それが残念で、誰でもいいから、一人でも認識を新たにする奴が出て来れば、こっちの腹が癒《い》えるというものだ。どうだ、ひとつ会ってみないか」
ここで、話は緒《いとぐち》に戻ったのである。すべては無頓着に受けていても、こういう単純明白な勧誘には、否とか、応とか、簡単でよろしいから挨拶を与うべき義務がある。ところが、会おうとも、会うまいとも答えないで、
「近藤は何を用いている、刀は何を好んで使っている」
あらぬ方へ話頭を持ち出したが、それも全然つかぬことではないから、斎藤は不承不承に答えて言った、
「虎徹《こてつ》だよ――刀は虎徹に限ると言っている、近藤は虎徹が好きらしい、虎徹もまた近藤に好かれそうな刀だ」
「近藤の虎徹も古いものだが、あれは偽物《にせもの》だと言うじゃないか」
「偽物説――それも聞いたよ、江戸を立つ時に、ぜひ性のいい虎徹が欲しいと苦心した末に、ようやく手に入れたのだが、あれは偽物、あまり虎徹虎徹とせがまれるので、刀屋が偽銘の虎徹をこしらえて、近藤に売りつけた、それと知らず秘蔵名代の虎徹にしてしまった近藤の甘さ加減を、あとで刀屋が舌を出して笑ったという話は聞いているが、その噂《うわさ》の真偽のほどは知らない、いい刀はいい刀だ、拙者は確実に虎徹と信じている、よし虎徹でないまでも、近藤が虎徹と信じて買入れるほどの刀だ、まして、近藤自身の手にかけて、その切れ味を保証した刀だ、もし虎徹でないとすれば、虎徹以上の刀だと言ってよろしい。実際、虎徹もその人を得ざれば猫徹《ねこてつ》となり、猫徹も近藤に持たせれば虎徹《とらてつ》となる、猫めが――」
近藤勇と虎猫があやになって、少しこんがらかって来る。ちょうどそこへ、庫裡《くり》の方から猫が一匹出て来たからです。寺院に猫はふさわしいようでふさわしくない、ふさわしからぬようでふさわしい、白猫が一匹出て来て、左見右見《とみこうみ》、天井の方を向いて前足をのしたかと思うと、竜之助の方へ向って、のそのそと歩いて来るのを見たから、それをカセに斎藤が、話の中へ猫を織り交ぜてみたのか、猫を織り交ぜる途端に猫が出現したのか、どちらも偶然にして因縁事がありそうに思われる。今いう通り、寺院に猫――寺院というものは葷肉《くんにく》を断つことを原則としているのだから、寺院の庫裡に養われる猫は営養が不良でなければなるまい。何を食って生きている。斎藤はこの偶然を奇なり奇なりと感じたらしく、
「貴様、猫か、猫ではあるまい、化け物だろう」
と言って、猿臂《えんぴ》をのばしてその猫をかいつかんで、己《おの》れが膝の上に掻《か》きのせたままで、
「近藤に虎徹は、猫に鰹節《かつぶし》のようなものだ」
あんまり適切でもない苦しい譬喩《ひゆ》を口走っている時に、竜之助が、
「拙者も、刀が欲しい。拙者はあまり作に頓着しない方なんだが、やっぱりいい刀は持ちたいよ。それ以来、旅から旅で、腰のものにさえ定まる縁がないのだ。一本、何か周旋してくれないか、古刀には望みがない、新刀のめざましいところを一本、世話をしてくれないか」
と、人の勧誘はそっちのけにしてしまって、自分勝手の註文を持ち出したが、斎藤も好きな道と見えて、
「よろしい、何か一つ探してみよう。清麿《きよまろ》はどうだな、山浦の清麿――つまり四ツ谷正宗」
と、猫のうしなっこぞ[#「うしなっこぞ」に傍点]を持って宙につるしながら、こう言い出したところへ、遥かに次の間から、猫よりもっと不思議な生物《せいぶつ》が一つ現われました。
三十九
「モシ、こちらのお座敷へ玉《たま》が参りませんでしたか」
「あ」
と斎藤がふるえ上って、思わず手にした猫を振り放してしまった。
「おお、玉や、玉や、ここにいたかい」
入って来たものは、何とも言いようのないしなやかな美人でした。それが、寝まき姿のしどけない風《なり》をして、不意にこの場へ現われて呼びかけたのは、人でなくして獣《けもの》でありました。
獣のうちの最も人に愛せらるる獣にして、且つ最も小なるもの、この獣を玉と言い、この美人の愛猫でありました。
愛は怖ろしいものです。婦人として、他人には見せてならない寝巻の姿のまんまで、そうして進んではならない他人の室へ、女として無断に入り込んだのも愛すればこそです。人を愛するのではない、猫を愛すればこそでありました。
「あ、ここに来とりました、お持ち帰り下さい」
血を見ては怖れない新撰組のつわものの一人で、さる者ありと知られたる斎藤一も、この深夜の美人の突然の来襲には、いたく肝を抜かれたと見えまして、さも自分が猫を盗み出してでも連れ来《きた》って、申しわけのないような口吻《くちぶり》であやまるのが笑止千万。
「まあ、何という失礼ななりで、ごめん遊ばしませ、玉や」
猫におわびをしているのだか、人間におわびをしたのだかわからないほどに挨拶をして、足もとへ寄って来た猫を拾い上げると同時に、頬へ押当てて頬摺《ほおず》りをしながら、逃げるように出て行ってしまいました。それだけです。だが、それだけの出入りが、この部屋の空気を震動させたこと容易なるものではありません。震動ではない、ほとんど一変させてしまいました。
今は近藤勇も、虎徹も、清麿も、いずれへか影をひそめてしまって、残るものは、今の女性が残して行った雰囲気の動揺だけであります。眼の見えない方は、さのみ動揺はしなかったのかも知れないが、眼の見える斎藤は、美人の夜襲に心身を悩乱せしめられたと見えて、
「あれだよ、君、一件の女は、ああ、見ようとする時には見られずに、意外の時に、正体を、あのしどけない姿は、お釈迦様でも拝めまい、ああ、千載の一遇だ」
と言って、とってもつかぬ長大息をしたので、相手の竜之助が、
「美《い》い女だったな」
と言いました。
「美い女――君にはどうして、いい女か、醜《わる》い女か、それがわかる、まあ、いいや、勘でわかるとして置いて、事実、女もああなると凄《すご》いね」
「まだ若いな」
「若いにも、まだ嫁入り前なんだ、しかも、たまらぬ由緒のある女なんだ、あれを今晩、この座敷で拝もうとは思わなかった――しかも、あのしどけない寝巻姿の艶なるを見給え、迷うよ、仏でも迷うのは無理がないなあ」
斎藤一が、二たび、三たび浩歎して、続いて物語るよう、
「君、実際あの女は、仏を迷わした女なんだが、いいか、まあ、さしさわりのないその辺の京都名代の大寺の住職に毒水禅師というのがあったと思い給え、これは近代の名宗匠《めいしゅうしょう》で、会下《えげ》に掛錫《かしゃく》する幾万の雲衲《うんのう》を猫の子扱い、機鋒|辛辣《しんらつ》にして行持《ぎょうじ》綿密、その門下には天下知名の豪傑が群がって来る、その大和尚がとうとう君、あの女にやられてしまったんだぜ」
「いったい何者なのだ、処女か、玄人《くろうと》か、商売人か――」
「何者でもない、単にその寺の門番の娘に過ぎないのだ。門番といっても、もとはしかるべきさむらいなんだそうだ。ところで、その毒水禅師というのが、修行者の間には悪辣なる大羅漢だが、一般の善男善女の前には生仏《いきぼとけ》と渇仰される生仏だから、仏の一種に相違あるまい、その仏を迷わせて地獄に堕《おと》したのが、今のあの手弱女《たおやめ》だ。と言えば、今の女が相当の妖婦ででもあって、手腕《てくだ》にかけて禅師を迷わしたものでもあるかに受取れるが、事実は、妖婦でも淫婦でもなんでもない、尋常の門番の、尋常の娘で、ただ、世間並みよりは容貌が美しかったというに止まる、それを七十を越した禅師が、ものにしてしまったのだ、どうした間違いか、七十を越した禅師がむりやりにその蕾《つぼみ》の花を落花狼藉とやらかしたんだ。それが問題になって、毒水禅師は、あの大寺から辺隅の寺へ隠居、これが出家でなかったら、また世間普通の生臭御前《なまぐさごぜん》であったなら、なんら問題になりはせんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、聖道《しょうどう》は畢竟《ひっきょう》魔行に勝てない、あの禅師が、あの歳でさえあれだから、世に清僧というものほど当てにならぬはない――世間の信仰をすっかり落した責めは大きい、人一人に止まらず、僧全体の責任、仏教そのものの信仰にまで動揺を与える、その責めに禅師が自覚して身を引いたのだ。隠居して謹慎謝罪の意を表した、その噂は一時、その方面にパッとひろがって、よけいなお節介は、その娘はどうした、行きどころがなければ、おれがその将来を見てもいいなんぞと、垢《あか》つきの希望者もうようよ出たそうだが、本人|杳《よう》として行方知れず、そのうちふと、この院内に、それらしい女の隠れ姿を見たと言い触らした奴があったが、それもなんらつかまえどころのない蔭口――ところが、現在ただいま、この拙者というものが確実にその正体を掴《つか》んでしまった! 嗚呼《ああ》、これぞ由なきものを見てしまったわい! あんなのは見ない方がよかった! 春信《はるのぶ》の浮世絵から抜け出したその姿をよ、まさに時の不祥! 七里《しちり》けっぱい!」
この男の一面は、意気だの情だのと言っては、溺れ易《やす》い感激性が多分に備えられていると見える。それが今晩、ことさらに昂奮と激情のみ打ちつづく晩だ。
かくの如く、斎藤一が昂奮につぐに昂奮を以てするにかかわらず、机竜之助は冷洒《れいしゃ》につづく冷洒を以てして、いちいち、その言うところを受けている。
つい近いところの知恩院の鐘が鳴りました。幾つの時を報じたのか、時の観念を喪失してしまっているこの二人にはわからないが、どのみち、もう夜明けに近かろう。夜が明けてはじめて寝に就くというようなことになりました。
果してその翌日、机竜之助が目ざめたのは正午に近い時で、気がついて見ると、またしても斎藤一がいない。島原でも出し抜かれ、ここでもまた置去りを食ったことに苦笑いをしながら、竜之助は枕をもたげて、何をか思案しました。
四十
斎藤がいないことを知っただけで、竜之助はそのまま起き上ろうともせず、再び寝込んで眠りに取られてしまいました。それからまた眼が覚めた時は、もう暗くなっておりました。つまり、一日を寝通したのです。暗いから寝て、暗いところまで寝通したのですが、さてそれは、他人にとっては昼というものを全く超越してしまったことになるのですが、この人にとっては、人生に昼というものがないのですから、飛躍でも超越でもなんでもありません。
「ああ、また夜が来たな!」
歎息とも、自覚ともつかない認識は、視覚以外の感覚ですることであって、時間というものを光によって区別せずして、勘によってするまでのことで、おおよそ何が夜の何時《なんどき》であり、昼の何の刻であり、あるいは昼と夜のさかい目、人間に於てたそがれという時、蝙蝠《こうもり》に於ては唯一の跳梁の時間――ということまで、枕を上げた瞬間にちゃあーんとわかる。
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朝寝して、昼寝するまで、宵寝して、時々起きて、居睡りをする
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という歌を思い出して、彼は苦笑を禁じ得ない。その辺で、はじめて冠を上げて、身を起すことになりました。
身を起して見ると――見るというのは勿論、その特有の超感覚で見るのです、以前も以下もそれに準じていただきたい――例の唐銅《からかね》の獅噛《しがみ》の大火鉢には相当火が盛られていた。大鉄瓶《おおてつびん》がかかっているし、お茶の用意も一通り出来ている。それに、お弁当がちゃあーんと備えられていることを知りました。だが、誰もほかの人の気配はない。いつもならば、二人、三人、或いはそれ以上雑多な人数がここへ詰めて来て、がやがやとし、食事を取って、談じ込むもあれば、そうそうに出て行くもある。或いは昨夜、斎藤がしたように、人物論から時世論に及んで悲歌慷慨して声涙共に下るものもあるかと思えば、芸術談に花が咲くこともある。芸術談というのは、むろん武芸十八般に関することで、それには思わず竜之助も釣り込まれることもあるが、そうかと思うと、聞くに堪えない猥談《わいだん》に落ちて行くこともある。それは王侯貴人の品行のことだの、市井の三面種に及ぶまで、思いきって内秘を発《あば》き立てて、汚ない哄笑で終ることもある。そういうような空気であったのに、今日は――ではない、もう今宵と言っていい時刻なのに、人っ子ひとり来ない。つまり、出て行った壮士は一人も帰らず、とぶらい来《きた》る風客というものも一人も見えないのだから、空気が手持無沙汰で、人にとっては一種の荒涼な気が襲って来るのです。
それでも、常の通り、ちゃあんとお茶弁当の接待は整っている。竜之助は部屋の一隅の洗面所へ行って、簡単に洗面を果してから、ひとりその食事にとりかかりました。
弁当を食べ、お茶を飲み了《おわ》るまでに相当の時間を費したけれども、誰もまだ一人も帰って来ない。
「壮士ひとたび去ってまた帰らず――か」
竜之助は、思わずこんな独《ひと》り言《ごと》を言うほどに、心に荒涼を感じました。
実際、ここに出入りしていた者共は、新撰組から分離、或いは脱走して御陵隊へ走った壮士ばかりであった。つまり、ここはそれらの壮士の控所に当てられていたのですから、竜之助が、一人も帰らないその控所に取残されて、「壮士ひとたび去ってまた帰らず」と言う口ずさみの感じも、偶然に聳発《しょうはつ》されて来るので、彼は昂奮を感じ、悲愴に別離されて、そういう気分が口頭に上ったのではないのです。
食事終って、人を待つでもなく、待たれるでもない気分のうちに、ゆっくり落着いてみたが、もうそれから、三度目の休息に就くという気合ではありません。羽織を取り、頭巾《ずきん》を取り、両刀を引寄せて膝に置いたのは、まさしくこれから出動という気構えでありました。
なるほど、これからが彼の世界かも知れない。悪魔は夜を世界として、闇を食物とする。明を奪われた人間は、夜は故郷に帰るようなものである。それにしても、この男にまだ出動の世界を与えているということは、いささか時の不祥と言わなければなるまい。江戸の弥勒寺長屋《みろくじながや》にいた時分、江戸の闇を食って歩いた経歴は知る人ぞ知る。甲府の城下へたどりついた時分に、甲府城下の如法闇夜に相当以上に活躍したことも知る人は知っている。それが信濃の山、飛騨《ひだ》の谷を引廻されている間は、市民の里では幾つかの罪のない人の夜歩きが保証されたはずなのに、業という出しゃばり者が、いらぬ糸を繰って、これをまた京洛の天地に釣り戻してしまった。悪魔に地歩を与えたことは、与えられた者も、与えた者も共に不幸です。
かくて、甲府城下の躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古屋敷でした時のように、一応刀を抜きはなして、それを頬に押当てて、鬢《びん》の毛を切ってみました。
ただし、あの時には、自分一個の天地の隠れ家にいて、秋夜、水の如く、鬢の毛の上に流れ、一行の燈の光も微かながら冴《さ》えていたが、今晩は、火鉢の火のほかには光というものと、熱というものが与えられていない。それと、もう一つ、あの時には得物が相当に豊富で、古名刀をはじめ、新作のつわものが鞘《さや》を並べて眼前にあって、そのいずれをも、切取り、切試しに任せてあったが、今日は、数日来、身に帯びていた一腰ばっかり。その一腰とても、昨夜、斎藤に向って歎いて言った通りであるから、意にかなうほどの名刀であるとは思われない。それでも、唯一の打物であるそれを取って、腰にさし下ろして、その座を立ち上りました。
やおら立ち上って、これからいずれへ向ってか御出動という間際に、よよと泣く声が座敷の一方から起りました。
よよと泣くのだから、黙泣《もっきゅう》でもなければ慟哭《どうこく》でもない、むしろ忍び音といった低い調子でしたけれども、ソプラノの音で、女の泣く声でした。
それには思わず立ちすくまざるを得なかったので、みるともなく、見上ぐるともなく、声のした方に面《かお》を向けると、あ、ああ――! というこれも泣く音。前に、よよと泣いたのはソプラノで、次に、あ、あ、あ! と泣いたのはバス。ただ、ソプラノは低くて、バスが高い。
よ、よ、あ、あ! よ、よ、あ、あ! テノールとなり、アルトとなって、完全な二部合奏がはじまったのは、ついその瞬間で、まさしく男女抱き合って泣いている声です。
竜之助は、それを忌々《いまいま》しい声だと思いました。人の出際にあたって、笑ってこれを送るというなら話になるが、泣いてこれを送り出すというは忌々しい。
それを癪《しゃく》にさわって、改めて、その泣く音の方を見廻し――やっぱり、眼は利かないし、光はないのですが、本能的に左様な身ぶりをして、ドコで誰が泣いていやがる――というこなしでありましたが、その男女の悲泣の合奏の、この部屋の一隅でしているのか、柱の中でしているのか、あるいは天井裏でしているのか、トンと見当がつきません。
それを忌々しがりながら、竜之助は、ついにこの座敷を出てしまいました。外は生粋《きっすい》の夜です。しかも、京都の天地の絹ごしの夜ではあるが、その横も、縦も、一匹の悪魔の跳梁には差しつかえのない闇の空間が与えられている――
ただし、王城の夜は、甲州一国の城下の夜とは違い、ここには天下選抜きの壮士が、挙《こぞ》って寝刃《ねたば》を合わせているから、この男一人が出動したからとて、城下の人心の警戒と恐慌は、あえて増しもしないし、減じもしない。当時、ここで、三つや四つの人間の首が街頭にころがっていたからとて、それだけで人心を聳動《しょうどう》するには、人心そのものにもはや毛が生えている。人心をおびやかさんがための出動ならよした方がよい。さしせまった血なまぐさい聳動にはたいていの京人はもう食傷している。
第一、御当人の身が危ない。辻斬というものは、人の気の絶えた辻に行ってこそ多少の凄味もあるというものだが、合戦の場へ辻斬に出たからとて、幕違いの嘲笑を受けて、結局、自分の身を木乃伊《ミイラ》にするが落ちだ。
さればこそ、この当人は、当座の食物をあさるべく、壬生や、三条、四条方面の本場へ行かないで、むやみに場末に向って、ふらふらと歩いて行くように見える。
四十一
ドコをどう経めぐって来たか、やがて五条橋の南の詰をめぐったかと思うと、本覚寺に近いところ、深い竹林の中を彼は歩いているうちに、一つの堂の前に立ち出でると、
「これは、ようお越しやす、近ごろはとんと御参詣の方もございませぬに、これはまあ、珍しうお越しやして」
と、先方から呼びかけるものがありました、これは相当の年配の女の声であります。
打見るところ――ではない、打聞くところです、その聞くところの音声によって判断、ではない、想像であります、その想像によると、竹林に近く一つの堂があって、その堂守として尼さんがいる、堂のわきには塚があって、石の塔が立っている、その前へ竜之助が近づいたことから、堂守がかく呼びかけたものであります。
「いや、どうも――」
と、出端《でばな》を抑えられたもののように竜之助は立ちどまって、その過《あやま》ち認められたことをかえって仕合せなりとしました。
「近ごろは、あちらこちらの御利益《ごりやく》あらたかな方への御信心は、昔と相変りませねど、この鬼頭天王様《きとうてんのうさま》へは一向、皆様の御信心が向きませぬ、そのところを、あなた様だけが斯様《かよう》に夜参りまであそばします、その御奇特なことに存じやして」
尼さんは重ねて、かく悦びごとを言いました。その言葉によって察すると、ここに仏神のいずれかの信仰の道場があって、その名を鬼頭なにがしと呼んだかな、その道場の前へ竜之助が到りついたのである。無論、この男がなんらかの信仰心があって到着したわけではない。心はうつろにさまようて、ついここへ来てしまったのだが、先方はそれを、特にここを目ざして参詣に来た御奇特な信心者のように受取ってしまったのであります。しかし、そう受取ったならば、そう受取らせて置いて、あえて苦しいとも思わない。どちらへ受取られてみたといって、身に直接の利害が及ばない範囲に於ては、弁明に及ぶまいが、それに相当する挨拶は返さなければなるまい。
ところが、それも先方がうまく引取ってくれるのでした。
「さあ、どうぞ、これへお越しやして、朝霧の妄執《もうしゅう》のために一片の御回向《ごえこう》を致し下さいませ、重清がためにもこの上なき供養となりまするのでござります、いやもう御奇特なことで」
堂守の独《ひと》り合点《がてん》は早口調で、たださえよくわからないが、その早口のうちに聞いていると、朝霧の妄執のために一片の御回向なにがしとやら言ったな、朝霧! というのは、島原で雑魚寝《ざこね》をしたくすぐり合いの雛妓《すうぎ》の一人で、最後まで留り残されたあれだな、いや、最後に拾い物をしたあの子供の名が朝霧といったな、これが、もはや妄執となって、一片の御回向下の人にされているとは、さりとは気が早過ぎる。
いや、こっちが気が早いのだ、朝霧といったところで、天下に一人や二人ではあるまい。あの時の朝霧は罪のない舞子で、ここで回向をされようというのは罪業深い過去仏のことだろう。
そんなことを考えて、竜之助は、ともかくも、この声のする方へ近づいて行くと、
「これはこれは、あなた様は、いずれにおすまいでいらせられまするか」
「高台寺の月心院に」
「ええ、何と仰せられました」
堂守の尼が聞き耳を立てました様子ですから、竜之助は重ねて、
「月心院の庫裡《くり》に、しばらく世を忍んでおりまするが、今晩、月がよろしいようですから、ついうかうかと出て参りました」
「まあ、その月心院の庫裡と申しますのを、あなた様は御承知の上でおすまいでございまするか」
「いや、何も知らない」
「それでは、お話し申し上げますが、その前に、おたずね申し上げて置きたいことは、あの庫裡の中で、夜分になりますると、毎夜、怪しい物をごらんあそばしまするようなことはござりませぬか」
「左様――」
と竜之助は、問われてはじめて思案してみたが、何を言うにも昨今のことで、しかも、同居は血の気の多い幾多の壮士共だから、特に、怪しいとも、怖《こわ》いとも、感じている暇がないのでありました。
「夜分、ある時刻になりますと、あのお台所のあたりで、男女の悲しみ泣く声がすると、世間の噂でござりまする」
「ああ、そのことならば……」
そこを出る前に、たしかに経験して来たことです。
男と女のすすり泣きの合唱があった。その合泣が、自分の部屋の一隅で起ったのか、柱の中でしているのか、或いは天井裏でしているのか、見当に苦しんだ覚えが、急によみがえって来ました。尼の問うのは、たしかにそのことに相違ない。
してみると、あの忙しい男女のすすり泣きは、自分が経験した妄想だけではない、この尼さえも知っている。程遠いところに住む人さえ知っているくらいだから、もはや、一般の常識化して、世間の口《くち》の端《は》に上っているに相違ない。
竜之助の合点が参った様子を見て取って、尼も安心したらしく、
「夜分、ある時になりますると、必ず、若い男女の悲しみの泣き声が、いずれよりか聞えて参りまして、その泣き声がやみますると、暗い中から白い手が出て参り、柱から壁、長押《なげし》をずっと撫《な》で廻すそうにござりまするが、それは真実でござりまするか」
待てよ、男女の悲泣する声だけは、たしかに聞いて出て来たが、その白い手は見なかった。闇の中から白い手が出て、柱から壁、壁から長押を撫で廻す、それは見なかったぞ。してみると自分は、前の巻だけを見て、つまり、前奏曲だけを聞いて、仕草のところは見届けなかったというわけかな――
竜之助は、一旦はうなずいて、こう言って附け足しました、
「いや、その物悲しい男女の泣き声だけは確かに、この耳に留め申したが、その白い手首が出て、柱から壁、壁から長押と撫で廻す、それは見ないで参った」
と繰返し言のように言ってみましたが、はて、見なかったのは、出なかったのではない、自分は物を聞く人であって、見る設備を欠いているから、それでこの耳に聞いただけで、目には見えなかった。
見えないのが当然であるようで、また見えないはずがないともおもわれる。よし、今晩、立ちかえったら改めて見直してみよう。そういうものが見えるか見えないかは、眼の問題ではないように疑われて来たものですから、竜之助の足はここにありながら、頭は月心院の座敷に戻っておりました。そこで、尼への挨拶には、何ともつかず、
「実は、拙者も、つい昨今あれへ参ったものでござってな、いやもう、殺伐《さつばつ》な壮士共と雑居を致しておりまするから、化け物の方も出る隙《すき》がなかったものでしょう、それが今晩あたりから、急に人が減って静かになったので、常例で出るものならば、改めて出直しの幕があるかも知れない、立戻って篤《とく》と見直しと致しましょう」
こんなことを返事してみました。
四十二
「いや、元はと申しますとたあいもないことでござりまするが、起りは斯様《かよう》な訳合《わけあい》でござりましてな……」
竜之助が現象は見たが、事実は知らない人だということに気がついて、堂守の尼さんが、次のような一条の物語を語って聞かせてくれました――
天竜寺に、若い一人の美僧があって、それが門番の美しい娘と出来合ってしまった。二人は上りつめて、切羽《せっぱ》つまった末に、とうとう駈落《かけおち》と覚悟をきめて、ある夜、しめし合わせ、手に手をとって駈落を決行したが、その時、若い美僧は、重々悪いこととは知りながら、師の坊の手許《てもと》から若干金を盗み出し、それを後生大事に財布に入れて肌身につけたのは、世間を知らない二人が、われから世間の荒波に乗り出すからは、何を置いても通用金のこと、これさえあれば当座の活路、というだけの分別はあって、何をするにも先立つは金、という観念から、それを恋の次のいのちとして後生大事に持って逃げ出した、額《たか》は、百両とか、二百両とか、相当の大金であったとのこと。
どういう縁故であるか知らないが、この月心院まで落ちて来て、ここへ一晩かくまわれ、いよいよ明日は奈良へ向けて落ちのびの、その夜のことでありました。美僧美女は、ここの一室に一夜を明かし、その時に僧は、肌身放さぬ大金の財布を柱の上の釘にかけて、そうして一夜を女と明かしたものです。
さて、その朝まだき、人目を厭《いと》うて、木萱《きかや》に心を置いて、この庫裡を忍んで立ち出でたが、木津の新在家《しんざいけ》へ来て、はじめて気がついたことは、昨晩、月心院の庫裡で、後生大事の財布を柱にかけてかけっぱなし、忘れてはならないはずのものを忘れて出て来た、はっ! と顔の色の変った時はもう遅い、それを取戻すべく立戻れば身が危ない、このまま行けば身が立たない。
二人は、その運命の怖ろしさと、師にそむき、戒にそむいた現罰が、あまりにも早く身に報い来《きた》ったことに戦《おのの》いて、とうとう、そこで、相抱いて木津の川へ身を投げて死んだ。
それからというもの、月心院のあの庫裡では、夜な夜な若い男女の、世にも悲しい泣く音が洩《も》れると、白い細い手が柱から壁、壁から長押《なげし》と撫で廻しては、最後にまた絶え入るばかり、よよと泣き沈む……
そういう伝説が、パッと縁無き世間にまで広まりわたっている。
右の一条の物語を尼さんから聞かされて、はじめて竜之助も、さる因縁もありつるものかな、と思いました。聞いてみれば、哀れでないという話ではないが、そうした行き方は世間にはザラにあることだと、例によって竜之助の同情がつめたい。つむじが意地を巻いて心頭に上って来たが、やっぱり挨拶の都合上で、
「して、その財布の金はありましたか」
と駄目を押したが、我ながら、これは甚《はなは》だまずい、まずいだけではない、この場合、さもしく響く挨拶だと思いました。
堂守の尼も、そこを透かさず咎《とが》めたわけでもありますまいが、
「左様に仰せられるものではござりませぬ、お金の有る無しは問題ではござりませぬ、捨てられた二つの生命《いのち》の恨み、よし、その財布のお金が十倍になり、百倍になって戻って参りましたからとて、もはや二人の命は浮べるものではござりませぬ」
「いや、その財布の金を盗んだものに、拙者は心当りがあるので、お聞き申してみたまでだ」
「そのお金を盗りました者が」
「たしかに、心当りがある」
「それはもはや疾《と》うの昔のことでござりますが」
「いや、現在、拙者の頭では――その美僧の金を奪った女がほかにある」
「何と仰せられまする」
堂守の尼は、竜之助の言うことを解し得ざらんとしていたが、その時、また竜之助の心頭にむらむらと上って来たのは、つい今まで忘れていた、昨晩、斎藤一が口を極めて艶称した、あの愛猫を探すべく不意に二人の座敷へ侵入して来た、しなやかな美人のことでありました。
今まで、それを思い出さなかったのはどうしたものだ。
あの女が盗《と》ったのだ、あの女が、泊り合わせた美僧と美女の情合いを嫉《ねた》んで、美僧がかけて置いた釘頭《ていとう》の財《たから》を、そっと奪って隠したればこそ、二人は命を失った、財を奪うは即ち命を奪う所以《ゆえん》であった。
その金は、天竜寺の和尚とやらの手許の金であったというではないか、生仏を地獄に落したほどの女が、人の恋愛の糧《かて》を盗み得ないと誰が言う。
憎い女、二人を殺したその財布の行きどころは確実にあれだ。
竜之助は、むらむらと、その心に駆《か》られてみると、敵を外に求めてさまよい歩き出して来た自分を、少なからずうとましいものに思いました。
庫裡《くり》へ帰れば女がいる、憎い女がいる。老禅師を失脚させ、その愛弟子《まなでし》の命を奪った女が、猫を抱いて眠っている。それを追究することをしないで、何をこんなところへきてうろうろしていたのだ。
「帰る、月心院の庫裡へ帰る」
ほどなく、堂前を辞した竜之助の足どりは、宙に浮ぶが如く、月心院をめざして戻って来たが、庫裡へ戻って見ると、獅噛《しがみ》の火鉢に火はカンカンと熾《おこ》っているが、人のいないことは出て行った時と同じで、行燈《あんどん》はあるが、明りのないことも前と同じ。そこへ、さあと坐り込んで、ホッと息をついて、獅噛火鉢へ肱《ひじ》をあてがってみたが、落着いてみると、四方《あたり》の森閑たることが、ひとしお身に染みて、さて、どうして急に自分の心頭がわいて、一気にここへ走《は》せ戻ったかが、気恥かしいくらい。
火鉢にかかった鉄瓶を取って、湯呑についでグッと一口に飲んでみると、湯と思ったのが酒であった。あ! と思ったが、この場合、悪いものを呑まされたのではない。一杯、二杯、グッ、グッと呷《あお》ってみると、急に自分の心持が賑《にぎ》やかになって、四方がなんだか面白くなってきました。
面白くなってきてみると、はて、なんで自分が急に思い立って、ここまで走せ戻って来たか、これもおかしい。
ははあ、斎藤はいいものを置いて行ってくれたわい、この鉄瓶が酒であろうとは思わなかった、燗《かん》が口合いに出来ている。鉄瓶から直接《じか》にうつした燗だから、金気《かなけ》があって飲まれないかと思うと、そうでない――上燗だ。
竜之助は湯呑で立てつづけに、三杯、四杯と呷ると、その一杯毎に、無性に気分が面白くなる。珍しく浮かれて、立って、踊って、舞おうとの気分にまでなりました。
その時、よよとして人の泣く音《ね》。
四十三
ああ、はじまったな、よよと啜《すす》り泣き、わあ! と咽《むせ》び泣き、ふたり相擁して泣く男女の二部合奏。
出端《でばな》に聞いた合方《あいかた》がまた聞けるわい。陶然として酔うた竜之助は、それを興あることに聞きなして、その声のする方を注視していると、なるほど、真暗い中から、まぼろしが出て来た。
「出たな!」
そうして、うっすらと、弘仁ぶりの柱と長押が、十字架のように現われると見ると、ひらひらと蝶の舞うように、細いきゃしゃな手が、宙に浮いて来て、その柱を下の方から撫《な》で上げる、と見る間に、柱は暗に吸いこまれるように消え失せて、白いしなやかな手首だけが、暗の空中に舞っている。それが、ひらひらとある程度まで上へ舞い上っては、また、右左の柱の方を、撫でさぐると、やがてまた、よよと泣く音、わあ! と絶望の泣落し、それが相ついで、何とも言えない悲哀の響きを伝えるが、竜之助は、この声ある毎にカラカラと笑いました。
途中も走って来た、かけつけ三杯にグッと茶碗酒を呷《あお》ったものですから、酔のまわりも異常に利《き》いたのでしょう。その勢いがあればこそ、泣合せの合奏と、手のひらの芸の影絵を面白いことにながめられる。全く今宵に限って、なんて世界がこんなに面白いだろう。同じ酔ったにしても、昨晩はこんなことはなかった。ゆくりなく島原の角屋《すみや》の御簾の間の昔に返って、あそこへ寝てみたが、べつだん面白い夢は見ないで、悪ふざけの実演を見たのか、見せられたのか、最後にいささか溜飲を下げることではあったが、決して、面白かったとは言えないのだ。
それが今晩は面白い。出て行くまでは、そんなではなかったのに、帰りに向って宙を飛ぶ時から面白くなった。いや、松原通りでひっかけたおでんかん酒の利き目が、ここまで来て発したところへ茶碗酒の迎えが、めっぽう利いた。こうも面白おかしい気分のところへ、誂《あつら》えもしないのに音楽の合奏と、頼みもせぬに映画の上演とがあって興を添えてくれる。
なんだか面白くてたまらない竜之助の脳底へ、音楽と、映画とから、いろいろの想像が続々と湧いて来る。いま盛んに実演中の二人の泣き声が、いつしか、近江の、大津の宿のお豊と真三郎の姿を浮き上らせて来る。その真白い手は、僧の形に姿を変えた真三郎が、しきりに焦《あせ》って伸ばす手だ――届かない、お豊が助けて抱き上げて、背たけのつぎ足しをしてみたが、それでも届かない。そこで二人が崩折れて、よよとばかりに泣いている。
「馬鹿な奴、いくら探したって無いものは有るものか、いいかげんにあきらめて往生しろよ、毎晩毎晩そうして合奏をつづけては、下手な左官の壁塗りのような、薄っぺらなうつしえの実演をやりつづけているそうだが、塗直し、焼直しも、そうそう手が重なっては、凄くもなんともないぞ、市中では鬼頭堂の堂守まで鼻についているぞ、いまに犬も食わないことになるぞ、いいかげんに引込め、引込め」
いや、鬼頭天王の堂守といえば、もういい年だが、あれで若い時は相当に美《よ》かったぜ、今こそ堂守で行い澄ましているが、まだ見られる色香、いや、まだ聞かれる声だった。
鬼頭天王とは、いったい何だと反問したら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ――
昔、北面の武士に兵部重清《ひょうぶしげきよ》というがあって、それが正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉《ぐぶ》の官女の中に、ええ、何と言ったかな、そうそう、朝霧という美女がいた、それを兵部重清がみそめてしまった、つい、いい首尾があって、連理の交わりとやらを為《な》したそうだ。今晩は頭がいいので、尼の口早に話した人の名も、年号も、ちゃあんと覚えているぞ。その上に、連理の交わりだなんて洒落《しゃれ》た文句も覚えている。あの堂の婆あめ、その艶物語《つやものがたり》を語る口に肉声を帯びていたのは怪しからぬ、恋と無常を語り聞かす枯れきった声ではない、あれではまだ相当の年だ、四十かな、三十代は過ぎてるらしいが、五十の声はかからないぞ。おれが一人、さまよい込んだので、彼女も異様に昂奮したか、頼みもせぬに、その重清と朝霧の恋物語を、からくりの口上もどきで、面白おかしく語り聞かせたが、さあ、それから二人の身の上はどうなったかといえば、左様、二人の仲を、重清の父が見て、これを危ぶんだ――というのは、相手がやんごとなきあたりの官女では、悴《せがれ》の行末が思われたからだろう。そこで、体《てい》よく悴を口説《くど》いて、別に似合わしい縁辺を求めて、八重姫――お八重ちゃんという娘を、これに娶《めあ》わせたのは、親としてしかるべき心づかいだ。且つまた、なさねばならぬ義務を果したのだ。そこで、それがそのまま、市《いち》が栄えれば何のことはないが、恋愛というものは生死《いきしに》なんだ、失うか、得るかよりほかには、妥協というものが利かないんだから、やりきれない。父の定めた伉儷《こうれい》が成立してみれば、自分の作った恋愛はあきらめなければならぬ、それをあきらめると、当然一人の犠牲者を出さなけりゃならぬ、この場合の失恋者が、とりも直さず官女の朝霧なのだ。彼女は深く恨んだ、その結果が、食物を断って死んだ――
その辺を語る時に尼は、さめざめと涙を落していたようだが、似つかわしい新夫婦のために同情せずして、不義の交りを楽しんでいた官女に同情を持つところが怪しからん。何か身につまされるものが深かったればこそだろう。おれは、そういう事は世間にあることで、また有り得ることだ、世間の神仏にある取りとめもない誇張の縁起物語と違って、失恋の結果、自分の生命を断つということは自然であって、無理でない、恋というやつは、それを失っては生きられないものだ、という理窟をそのまま受取る。そこで、兵部重清も、もともと深く焦《こが》れた仲だから、それが菩提《ぼだい》の種となって出家を遂げた。つまり、新家庭を抛棄して、出家入道の身となったのは、遅蒔《おそま》きながら朝霧の純情に殉じたものだ。死して魂魄《こんぱく》となっても、女はその殉情に満足を感じたに相違ない。つまり、生きて遂げられぬ恋が、死して円満に成就《じょうじゅ》したということになって、その艶話は一応実を結んだが、それ、恋というやつは戦と同じことで、勝敗だけがあって、妥協というものがないのだ。あの世と、この世だが、とにかく二人の恋が再び好転してみると、当然またここに一つの犠牲者が現われてしまった。その後のお八重さんはどうした、父の定めて取ってよこされた八重姫なるものが、それよりはじまる無惨な落伍者の運命を、堂守の婆さんは気の毒とも言わず、哀れとも思わず、それはそれだけで立消えて、そんなことは、眼中にも、脳中にも置かないでいたのはヒドいぞ、片手落ちだぞ。官女と重清の、はかない恋の成就に祝福を送ることだけを夢中に口走って、若干の肉声までも交えながら語り聞かせたくせに、公定の女房のその後の心理と境遇には、なんらの触るるところがない、全く存在を眼中に置いていない話しぶりだったが、やっぱり、かれに同情すべくして、ここに同情なり難きおのれの身の上に引きくらべての利己心から出た恋愛の讃美に過ぎない。
さて、出家を遂げた重清は、それから紀州のなにがしの島とやらへ庵《いおり》を結んで、行いすましていたが、ある時、劇《はげ》しい疾病に取りつかれ、苦悩顛倒している枕許へ、官女朝霧の亡魂が鬼女となって現われ、重清入道を介抱して、その頭を撫《な》でると、さしもの病苦が忽《たちま》ち平癒した。わざわざ病気見舞に来るまでの親切があったなら、なにも鬼の面などをかぶらずに、素地《きじ》の※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《ろう》たけた官女で、十二単《じゅうにひとえ》かなんぞで出たらよかりそうなものを、鬼に撫でられたんでは、入道もあんまりいい心持もしなかったろうけれど、利き目は確実にあったらしい。その功積って、重清入道も、朝霧の魂魄も、共に成仏し、末代その証《あかし》として、重清入道は死ぬ時には己《おの》れの頭を残すように言って置いたが、後世、その頭をここに祭って、あがめて鬼頭天王と申し奉る、これが、すなわち鬼頭様の由来だと、堂守の尼が細かに説明してくれたのを、手にとるように覚えている。
「そこで堂守の婆さん、お前さんに聞いてみたいのは、何のよしみで、お前さんが、その恋塚の堂守をなさるのだね。後伏見院の御代《みよ》だということだから、十年や二十年の昔ではあるまい、まさかお前さんが、重清入道や、朝霧官女の身よりの者という次第でもなかろう、世が世ならば当然、その第二の犠牲たるお八重さんという正式女房のする役まわりが、今のお前さんの役目というところだが、無論、お前さんがそのお八重さんの成れの果てであろうはずはない、もし、そうだとしたら、そういう片手落ちの同情ばっかりはせぬはずだが、お前さんのは、ただの堂守ではなく、全く二人の恋愛の成就に同情しきっている、そこの気持がよくわかるだけに、お前さんの立場がわからない、どうです、婆さん――婆さんと言ったのは、ついした口うらだから勘弁して下さいよ、どうお見かけしても、いや、この暗いとこから、どうお聞き違いしても、お前さんは四十以上の女ではない、四十といえば女が世を捨てるにはまだ早い、それに声もよし、品も相当備わっておいでだし、ことに、いま二人の恋物語を語るにつれて、情がうつって昂奮して来る様子と言い、どうやらお前さんも只者《ただもの》ではないようだ、まだ枯木となって、世の春にそむく年頃でもあるまい」
と言って、近寄って、その手にさわってみると、どうしてどうして、その手がまるく肥えていた。
「あなた様、怪体《けたい》なことをなされますな」
と尼さんは言ったが、驚いて飛び上りもせず、そのさわられた手を引っこめもしなかった。
果して、相当|海千《うみせん》の女であったよ、わしが一人でさまよい込んだのを、いいかげんの相手と、つかまえて放さず、朝霧と重清の恋物語に持込んで、情をうつしたのは、まあ相当の手とり者だった。おかげで、おれも無益の殺生《せっしょう》をしないで済んだというものだが、いったい、京都は女の多いところだと、そもそもこの時から嬉しくなりはじめたのは馬鹿な話さ。
四十四
破産者の笑いそのもののうつろな笑いのうちに、机竜之助は、仰向けに横になって気を吐いていたが、もう気の利《き》いた化け物は引込んでしまい、よよと泣く声もなければ、わあわあと合わせるバスもなく、柱も、長押《なげし》も、すっかり闇のうちに没入して、あの真白い、しなやかな手首も、下手な左官屋の真似《まね》をする芸当をやめてしまい、四方《あたり》が森閑とした丑三《うしみつ》の天地にかえりましたものですから、さしもの竜之助も疲れが一時に発したものと見えて、仰向けに寝たままで、すやすやと寝息を立てる頃になりました。
その時分に、不意に、シューッと音を立てて、仰向けに寝ている竜之助の体の上を、いなずまのように走り去ったものがあるかと思うと、それにつづいて、真白い塊りが一つ、雪団子が落ちて来たように、同じく竜之助の体を踏み越えて行こうとしましたが、寝入りばなの竜之助が許しませんでした。二番目に来た物体を、むずと右の手で押えて動かさないので、そのものがギューッと言いました。
この物体というのが、他の何物でもない、猫です。前に竜之助を踏み越えたそれより小さい物体も、珍しいものではない、ドコにもいる鼠という悪戯者《いたずらもの》であったのです。猫と鼠とは前世からの敵同士《かたきどうし》で、猫は鼠を捕るように出来ているし、鼠は猫に取られるように出来ている。その造化の造作を造作通りに行ったまでのことで、少しも怪とするにも、異とするにも足りない。
ただ前の前世の仇は、ともかく首尾よくこの飄客《ひょうかく》の体の上を、無断通過することに成功したけれど、あとからの前世の敵は、それに成功すべくして途中で意外な魔手にさまたげられたというだけのことでありました。
だが、人間というものは、猫を飼うべく出来ているもので、猫を殺さねばならぬ前世の宿縁というようなもののないはずであるのに、罪のないのに南泉坊に切られたり、こんなところへ出現したり、非業なものに出来ておりました。寝入りばなの竜之助は、つづいて追いかけて無断突破を企てたその猫めを、単に木戸をついて妨げたのみではありません、それを払いのけてかっ飛ばしたというだけのものでもありません、猫めの頭と首のところを持って、無慈悲にそれを掴《つか》んだために、掴みつぶしてしまったのです。それ故に猫が、
「ギャッ」
と言いました。そのギャッはなまなかのギャアではない、断末魔の叫びであったのを、かわいそうとも何とも思わずに、そのまま一方に向って邪慳《じゃけん》に取って投げたものですから、遥《はる》か隔たった一方の壁にしたたかぶっつかって、そこで改めて、
「ギュー」
と言いました。ギャッと言った時が、すでに致命なのですけれども、死後の空気がまだ少し脈管に溜っていた。それが、「ギュー」という声で完全に吐き出されて絶望の境に入りました。もうこれ以上、打っても、叩いても、息もしなければ、音《ね》も揚げません。
そうして置いて、そのしたことを、無自覚のような昏睡《こんすい》のうちに、竜之助は再び夢路の人となったのですが、その夢路もあんまり長い時間のことでなく、またしても、うつつにその夢をさわがすものがあることを、昏々として眠りながら、うるさいことに苦々しがっている耳もとで、
「モシ、あの、玉が参りませんでしたか。玉や、玉や、またお前、ドコぞへ行きましたか、また人様に失礼なことをしてはなりません、さあ、こちらへおいで、玉や、玉や」
よくまあ、いろいろのものが出て、自分の安静をさまたげることだ、今の猫でケリがついたかと思うと、そのまた猫を探しに来た人間がある、その人間に挨拶をしていた日には、また続いて何が出て来るかわからない。
「猫はおりませんよ」
うつつで、竜之助が言うと、
「あ、左様でございますか、それは失礼を致しました」
「もしや、壁の隅の方を見てごらんなさい、あちらの方にいるかも知れません」
「左様でございますか」
猫をたずぬる主は手燭《てしょく》を点《とも》して来ましたが、それをかざして室内を照らそうとしたが、室内が広きに過ぎて光が隈なく届きません、そこで、おもむろに一足、また一足、いずれにも尋ぬる物の体が一目には見出し難いものですから、ややもすれば消えなんとする手燭を袖屏風《そでびょうぶ》にして、また一足、また一足、怖い人穴の中へ忍び入るような足どりも、愛するもののため故の勇気で、その愛するものというのが、人でなくして猫であるだけの相違でした。でも、かよわい女が、この夜中に、知ってか、知らずにか、こういう物凄い気分のひそむ室内へ、独《ひと》り忍び入るということも、愛すればこそで、その怖る怖るの一足一足が、どうしたものか、竜之助の寝ている方へ近寄って来ました。
途端に、よろよろして、よろけたものですから、細い腰が一たまりもなく崩折れて、そうして、まともに寝ている竜之助の上へ、身体《からだ》の全部を以て落ち倒れかかったものですから、全く夢を破られぬわけにはゆきません。
今までは、夢であったり、うつつであったり、特におでん燗酒《かんざけ》のせいであったり、茶碗酒の勢いであったりして、夢中、夢をたどる中に、猫を一匹犠牲に上げてしまったことは、やはり半酔半眠のうちに記憶をとどめているが、人間がまともにぶつかって来た時には、真実の現在にかえらないわけにはゆかない。ガバとして竜之助がハネ起きました。
倒れた女は当然、竜之助と重なり合った体勢にまで崩れてしまった。
「あれ!」
と言ったきり、恐怖と、失策とにおびえて、しばし口が利《き》けないで動顛しておりましたが、これが竜之助であったから仕合せでした。落ちかかる女の体を、よく支えて、それを横抱きに抱き起したなりで、自分も起き直ったのですから、双方の身体にいささかの被害はありません。
「まあ、何とも申上げようもないそそうを致しました」
「いいえ、なんでもないです」
「玉を探しに参りましたばっかりに」
それでも、もう一つ異《い》なことは、こんな場合にも手に持っていた手燭の火が消えなかったことで、これは一種の奇蹟でありました。この残照を娘は無意識的に拾い取ると、すぐ眼の前の大きな行燈《あんどん》が眼にうつりますと、その行燈へ、手燭の火をうつしてしまいました。孫火をうつしたような親火が大きくなると、娘は、その光で、自分が失礼をした当の人を見届けようとする先に、またこの人に失礼の重々のお詫《わ》びをしなければならない先に、室の四隅をおろおろとして見やったのは、人よりは猫が可愛かったからです。そうすると早くも認めた丑寅《うしとら》の方一隅に向って、
「あれ、あそこに玉が――」
かけつけて、手燭をつきつけた、そのホンの瞬間から、娘が声を放って泣きました。
「あれ、玉が殺されている、玉が死んでいる、あれあれ玉が――」
ここに竜之助なる人間の存在などは、全く眼中にも脳中にも置かず、ひとり舞台の狂乱でした。
四十五
娘は、そこで絶え入ってから、三日の間は、猫の死骸を抱いたまま枕が上らなかったそうです。
竜之助は、その夜の明けないうちに、またここをさまよい出でて行方が知れません。
その夜が明けても、誰もこの座敷をおとなうものがありませんでした。いつもならば御陵隊士の片われだの、それを訪ねて来る浪客などで甚《はなは》だ賑わうのですが、いつになっても人が来ないだけに、かえってすさまじいものがあるのです。
しかし、表向き隊の屯所《とんしょ》の方面は、今暁、昨晩からかけてものすごい人の出入りで、ものすごい殺気が溢《あふ》れ返っていると見えたが、それも、やがて、げっそりと落ち込んだように静かになってしまったから、今朝の月心院の庫裡《くり》の光景というものは、冷たいような、寒いような、生ぬるいような、咽《む》せ返るような、名状すべからざる気分に溢れておりました。
そこへ、饅頭笠《まんじゅうがさ》に赤合羽といういでたちで大小二人の者が、突然にやって来て、溜《たまり》の前で合羽をとると、警板をカチカチと打つ。
「おう!」
と答えて中から出て来たのは、これより先、いつのまにか来着して一隅に寝ていた一人の壮士でありました。
そこで、右の三人が、例の獅噛火鉢《しがみひばち》の周囲《まわり》に取りつくと、合羽を取った大小二人の者は、南条力と、五十嵐甲子雄でありました。
「いやはや、すさまじいものを見せられた、先般の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の修羅場《しゅらば》だ、やりもやったり!」
と三人のうち、誰からとなく、まず斯様《かよう》に口を切って、しばらく沈黙が続いたのは、つまり、三人が、おのおのまずお座つきに発すべき感歎詞が、期せずして胸に一致していたのを、一人が代って口に出したものですから、まず異口同意といったようなものです。
異口同音に舌を捲いての感歎によってもわかる如く、およそこれらの連中が見て、舌を捲いて、やりもやったなアと沈黙せしめられたるくらいだから、相当なにか外で行われたに相違ない。猫を一匹投げ殺して、娘が三日寝たという程度の仕事では、これらの連中の神経は動かないことになっている、その神経を、かなり最大級に刺戟した事件が外で行われたことの現場を、この連中は現に見届けて来たればこそ、ここへ来て、まず舌を捲いて、あっけに取られているに相違ない。
しからばこの連中をして、かく舌を捲かして唖然《あぜん》たらしめた外の出来事の性質は何かというに、やはり、今のその感歎詞を分析してみると相当当りのつくことで、先夜の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の修羅場だ――という一句によって推察せられる如く、先夜の池田屋斬込みに幾倍する凄惨《せいさん》の場面が、この京洛の一角のいずれかで展開せられたに相違ない。
その比較に取られた池田屋騒動は、三条小橋の旅宿、池田屋惣兵衛方に集まる長州、肥後、土佐等の、勤王方の浪士の陰謀を探知した新撰組が、隊長近藤をはじめ精鋭すぐって出動し、一網打尽にこれを襲撃して、七人をこの場で斬殺し、四人に負傷せしめ、二十二人を召捕った大捕物、というよりは小戦争に近い乱刃であった。近藤勇の名を成したのはそもそもこの時からはじまったと言ってよい。時は元治元年の六月五日。
これはいわゆる勤王方に対する、幕府の手先としての新撰組の正面襲撃であったが、後の高台寺|鏖殺《おうさつ》は、朝幕浪士の争いとは言えない。そのバックには幾つの影があるにしても、もとはと言えば、みんな同じ釜の飯を食った仲間の同志討ちであった。
近藤勇方の手によって殺された伊東甲子太郎も、以前は同じ新撰組の飯を食ったもので、それが御陵衛士隊になって分裂し、新撰隊長近藤勇に隠然として対峙《たいじ》する御陵衛士隊長伊東甲子太郎が出来上ったとは前巻に見えたし、伊東が近藤の謀計で誘《おび》き寄せられて、木津屋橋で殺された顛末も前冊にあるはず。伊東を殺したのも、芹沢を殺したのも、近藤の手であることには相違ないが、その殺され方の性質が違っている。芹沢は兇暴にして、隊長の威信を傷つくるが故に殺された。伊東は全然諒解を得て新撰組を離れたのだが、離れたその事の裏にすでに危機が孕《はら》んでいる。両虎相対して無事に済まない種が蒔《ま》かれている。表は立派に名分と理解とによって分れたのだが、内心の決裂は救う由なきことは申すまでもない。近藤の内命を受けて間者の役をつとめたのが斎藤一、御陵衛士隊長の伊東と、薩州の中村半次郎とが気脈を通じて、近藤勇暗殺の計画が熟していることを斎藤一が探知して、これを近藤に報じたから、先手を打って近藤が伊東を誘殺したのであった。単に伊東一人を殺しただけでは納まらない、根を絶ち、葉を枯らさずんば甘んずることをしないのが近藤の性癖である。そこで斬捨てた伊東の屍骸《しがい》を白日の下《もと》に曝《さら》して、残るところの隊士の来《きた》り収むるを待った、来り収むるその機会を待って、その来るところのものを全部、隊長と同様の運命に会わせようとするのもくろみであった。
果せる哉《かな》、変を聞いた御陵衛士隊勇士の一連は、甘んじてその網にひっかかりに来た。みすみす新撰組のおびきの手と知っても、往きゆいてこれを収めざれば隊士の面目に関する。
そこで、隊士中の錚々《そうそう》、鈴木樹三郎、服部武雄、加納道之助、毛内有之助、藤堂平助、富山弥兵衛、篠山泰之進の面々が、粛々としてこれに走《は》せ向った。いずれも武装を避けて素肌で赴いたのは不用意ではない、特に覚悟するところが有ったからである。行けば当然、新撰組の伏兵が刃《やいば》を連ねて待っていることはわかりきっている、そうしてどのみち、新撰組を正面の敵に廻した以上は、衆寡敵せざることもわかりきっている、従って行く以上は斬死《きりじに》のほかに手のないこともわかっている、すでにその覚悟で行く以上は、未練がましい武装は後日の笑いを買うのおそれがある、むしろ素肌で一期一代《いちごいちだい》の腕を見せて終るの潔きに越したことはない。そこで、いずれも武装はしなかったが、ひとり服部武雄だけが思うところあって武装した。
かくて七人の壮士が、粛々として木津屋橋さして練って行くと、果して、皓々《こうこう》たる月明の下に、隊長の惨殺屍骸は、人の来《きた》って一指を触るることを許さず、十字街頭に置き放されたままで、ほしいままに月光の射し照らすに任せてある。
彼等の悲歎と慨歎は思うべしである。そこで隊長伊東の屍骸を取り上げて、これを釣らせて来た駕籠《かご》の中に取納めんとする刹那《せつな》、物蔭よりむらむらばっと現われ出でた、新撰組の壮士四十余名!
兼ねて期したることながら、ここで入り交っての乱刃。
前に言う如く、この夜は、月光|燦《さん》として鏡の如き宵であったから、敵も味方も、ありありとたがいの面を見ることができる。
以前は同じ釜の飯を食った間柄とは言いながら、こうなると、名を惜しみ腕を誇るの気概が、猛然として全身に湧き上って来る。
四十余人の新撰組はみな鎖をつけていた。七名の御陵衛士は、服部を除く外はみな素肌であったこと前に申す通り。
鳴りをしずめて待構えていた新撰組に隙間のあろうはずはなかったが、来り戦う七名の壮士も武装こそしないが、いずれも覚悟の上には寸分の隙もない。
所は京都七条油小路、時は慶応三年十一月十八日の夜――新撰組の方で、角の蕎麦屋《そばや》に見張りの役をつとめていた永倉新八と原田佐之助――これは鉄砲の用意までしていたということである。
御陵衛士隊の一行がやって来る方向だけの兵を解いて置いて、そのほかは三方ともに固めている。三方を固めたといっても、特に要塞を築いたわけではなし、野戦の利を得た広野へ導いたわけでもない。いずれも連なる京の町家並、商家はすっかり戸を下ろしている。知らずして寝ているのか、知ってそうして戦慄の下に息を殺しているのか、カタリの音もせず。
その町家の家毎に兵を伏せて置いた新撰組が、ここで一時に現われて四十余人、覚悟をきめた七名の壮士を押取囲《おっとりかこ》んで、何さえぎる物もなく、器量一ぱいに白刃下にて切結ぶのだから、格闘としては古今無類の純粋な格闘に相違ない。
同じ夜に、南条、五十嵐の二人は、この場へかけつけて、とある商家の軒に隠れて、その白昼を欺く月光の下に、惻々《そくそく》としてこの活劇を手に取る如く逐一見ていたものらしい。
鴨川の川べりから、三条橋の橋上に姿を消した二人は、あれから直ちにその見物に間に合った。やりもやったりと舌を振《ふる》って物語る実見譚《じっけんたん》。
四十六
これらの会話に花が咲いているところに、いつかは知らず、一人加わり、二人加わり、獅噛大火鉢の周囲が五、七人の人で囲まれて、いとど活気が炭火と共に燃え上りました。
その連中も、いずれ御多分に洩《も》れぬ壮士浪士、ただし新撰組でもなし、御陵隊でもなし、有籍の諸藩士、無籍の修行人でもなし、いずれも、フリーランサーであるに相違ないと思われる。フリーランサーは英語であって、当時日本の流行語で言えば、脱走者とも、脱藩人ともいう。
つまり、諸藩を脱走して、おのおのその懐抱するイデオロギーによって自由行動をとる、当時の志ある青年武士である。藩籍にあって知行をいただいていては自由の行動が取れない、よし自由の行動が取れるにしても、その行動が藩主の身上に影響を及ぼすところをおそれて、好んで藩を脱して諸国を放浪して、大言壮語することを職としていた筋目の通る溢《あぶ》れ者《もの》が、当時の社会には充ち満ちておりました。
期せずして、これらのものが会見して、語り出す日になると談論風発です。天下国家のことから、経世済民のことから、人物|汝南《じょなん》のことから、尊王討幕のことから、攘夷清掃のことに及んで、いつも火の出るような言論戦が行われることはあたりまえであるが、今日は、話のきっかけが見て来た修羅場のことからはじまり、その内容の叙述について、もはや、かなりの弁論時間を要したものですから、架空の議論には及ぶ余暇がなかったのですが、ここで右の叙景談が一応終りを告げると、次に猛然として湧き起るのは、天下国家の談論風発であることは是非もないことです。
「いったい、天下の形勢はどうなるんだ」
「維新[#「維新」に傍点]というのはいったい何を意味するんだ」
このだいたいの問題が、まだ明答を与えられていない。寄るとさわると、天下の形勢は如何《いかん》、維新の意義は如何ということが、口癖になっていることほど、何人も天下の形勢に不安を感じ、維新の必要を信じている。天下の形勢がかく不安なればこそ、維新の必要が当然であって、維新なきに於ては天下の不安が救われないということは、児童走卒までもこれを信じながら、さて、では今の天下の形勢がドコへ落着いて、維新の新体制はどう組織されるのだという具体観になってみると、識者といえどもこれが明断を下し、明答を与えることができない。
そこで、右等の壮士連も、天下国家の談に及ぼうとする最初の出立は、ここからはじまるのです。古くして新しいのは、新しく解釈せらるべくして、現状維持の底力が動かないからです。
「いや、天下の形勢も古いものだが、落着く筋道はたいていわかっている、ただ、その筋道が一筋でない、幾筋かあるので迷っているだけのものだ、落着くということになれば、ドレかそのうちの一つに落着く」
「は、は、は」
誰かが高らかに笑いました。
「落着くところに落着くという結論は、成るようにしか成らぬという論理と同じことなんだ、なりゆき任せに手を拱《きょう》していることができない、落着くべきところに事物を落着かせ、成るべきように国家を成らしめんがためにこそ、我々は身命を顧みず東奔西走しているのだ」
「それはまた至極同感である、同感であるというのは、感服という意味ではない、その意見も、要領を得たようで、要領を得ないことは前者と同じである、すなわち、問題は落着くべきところに物を落着かせるという、その落着くべきところはドコなんだ、成るべきように国家を成らしむという、その成らしむる究竟目的というものを、諸君ははっきりと指示ができるのか――」
肯定と否定とを同時にして究竟問題を提出した一人の壮士、それを判者面の南条力が、
「君たちは定義を先に立てて置いて、弁証を後にするから、それで徒《いたず》らに抽象にはせて、意余りあって情が尽せないことになるのだ、冷静な逐条審議から出直して見給え、当世流行の科学的というやつで……」
「なるほど、細目をあげて、しかして大綱に及ぶという帰納論法をとって見る方が、斯様《かよう》な時にはわかりが早いかも知れぬ」
「では……」
南条が咳《せき》ばらいをして、
「いいかい、では、その落着くべきところ[#「落着くべきところ」に傍点]という命題をまず、とっつかまえて俎《まないた》にのぼす――その落着くべき筋道が幾筋もあるということを、さいぜん北山君が言ったが、単に幾筋もあるではいけない、それでは当世流行の科学的ということにならないから、幾筋なんぞとぼかさずに、五筋なら五筋、六筋なら六筋と明確に数を挙げてもらいたい、これも当世流行の数学的というやつで、つまり、昔の塵劫記《じんこうき》で行くのだ」
「そう言われると、そうだなあ、その落着くべき道というのが幾筋あるかなあ」
正直な北山は、注文をまともに、あれかこれかと胸算用をはじめて、急には埒《らち》が明かないのを南条が突っこんで、
「胸算用はやめて、まず、頭に浮んだ一筋ずつを言って見給え、そうして、一筋ずつ抽《ひ》き出して、抽き尽した後に寄算をしてみれば容易《たやす》くしてくわしい」
「君は算者《さんじゃ》だ」
北山は、南条の頭のよさに敬服する、南条の頭がいいのではない、自分の頭が鈍に過ぎるのだ、と申しわけたらたらで、勧告された通り、逐条列挙に思考を換え、
「まず、今の天下が落着くべき筋道としては――例を挙げてみるのだよ、そこに落着くのが正しいとか、そこに落着きそうだとかいうの判定ではないよ、例を幾つも挙げてみるんだから、これが拙者の希望であり、意見であるように取られては困るよ」
「そんな申しわけはせんでもいい、早く第一条を言い給え」
「まず、今まで通り徳川の天下に安定するというのが最初の筋道として」
「次は」
「幕府が政権を朝廷に返し奉る、王政復古の筋道」
「次は」
「王政復古が成らずして、畏《かしこ》くも建武の古例を繰返すような事態が到来したとして、いや、そうでなくとも、徳川幕府につづく第二第三の幕府が出来るとして見ると」
「徳川幕府以外の幕府の成立を予想してみる、なるほど」
更に第四条件にうつろうとする時、横合いから口を出し石井権堂というのが、
「その科学的とやら数学的とやらいうところを、もう一層細かく、単に徳川幕府以外の幕府が、成立とかなんとかの仮定条件では物足りない、徳川幕府に代る幕府が成立するとすれば、誰が代るか、それをひとつ具体的に言ってみてもらいたいな」
「まず、薩摩か」
「まず、長州か」
「毛利だろう」
「島津だろう」
この二つは動かない、誰も、それを上下したり、左右にしたりして見ることはするが、それ以外のものを加えて見ようとはしない。
そこで、この席には、薩州論と長州論との談論の枝が出て、その枝がかんじんの話題の幹よりも大きく、広くなりそうで、長と、薩と、徳川家との関係から、関ヶ原以来の歴史にまで遡《さかのぼ》ったり、人物はドチラにいる、いや薩が断然図抜けているという者もあれば、どうして長の方が粒が揃《そろ》っているというものがある、そういうことで談論が鋭化し、感情が昂進して、せっかくの科学的も、数学的もケシ飛んで、鉄拳が飛び兼ねまじき勢いでしたが、座長格の南条がようやく取りしずめて、
「してみると、徳川幕府倒れて、新たに将軍職を襲うものがありとすれば、これは薩州か、長州かのいずれかより起る、その判断には異議はないか」
「異議がないようだ」
「だが、ここになお一つの勢力、お公家《くげ》さんにもエライのがいるぞ、中山卿だの、三条殿、死んだ姉小路――岩倉――大名ばかりを見ていては見る目が偏《かたよ》るぞ」
とさしはさむものがあるかと思うと、一方には、
「いや、まだ大名のうちにも油断のならぬのがいるぞ、土佐、肥前なんぞは、なかなか食えないぞ」
と言う者もありました。
四十七
「土佐は食えない」
と和するものがあって、薩長論から続いて話壇を占有したものは土佐でありました。
「土佐の国の国論というものは一種不可思議だよ、志は王政の復古にあらず、さりとて幕政の現状維持でもない、どのみち、天下は一大改革をせにゃならんということは心得ているらしいが、その方法として、封建を改めて郡県を立てんとするの意思も相当徹底しているらしいが、それはよろしいが、その手段方策というものが土佐一流で、徳川慶喜《とくがわよしのぶ》をして大政を奉還せしめる、これも異議がない。しかして大政を奉還せしめた後、天下の公卿諸大名から、各藩の英才を徴して新政に参与せしめる、その理想も悪くはないが、さて、その新政体の主脳髄は何という段になると、それが今の慶喜を将軍職を奉還せしめた後、改めて政権の主座に置いて、三百諸侯みな現状維持の下に、つまり藩主を藩知事というものにして、それで、現状維持のままに政《まつりごと》を一新せしめて行こうという案らしい。それが、無用の破綻《はたん》と摩擦を起さずして、しかして体制を一変し、新政の実を挙ぐるに最も妙用であると、土佐ではそう考えているらしい。そういうような意見と運動が、一藩の輿論《よろん》となっているらしい。それだというと、いわゆる公武合体のようなありふれた妥協でもないし、一面は一新の革新意識に触れているし、一面は旧制度の保守にも通じている、ちょっと、まともに反対しようがあるまい。この一藩の輿論の下に、土佐はまず幕府に向って大政奉還運動を働きかけている、徳川氏に向って、早く政権を朝廷に向けて奉還せよ、それが天下の大勢であるし、また徳川氏の社稷《しゃしょく》を保つ最も賢明の方針だ、大政奉還が一刻早ければ早いだけの効能がある、一刻遅ければ遅いだけの損失がある、ということを、あの藩の策士共はしきりに幕府に向って建議勧誘しているそうだ」
「それは利《き》くまい、三百年来の徳川政権を無条件で奉還する、いくら内憂外患|頻発《ひんぱつ》の世の中とはいえ、一戦も交えずして政権を奉還する、そんなことは将軍職としてやれまい、将軍職としてはやれても、臣下が肯《がえんず》るということはあるまい、夢だ、空想だ、策士の策倒れだよ」
「ところが、存外、それが手ごたえがありそうだということだ、幕府も大いに意が動いているらしいということだ、なんにしても、もはや徳川幕府ではこの時局担当の任に堪え得られない、よき転換の方法があれば、早く転換するのが賢いという見通しは、こと今日に至っては、いかに鈍感なりといえども、気がついていないはずはあるまい、よって、存外、土佐の建策が成功するかもしれない」
「そんなことは痴人の夢だよ、天下の幕府でなく、一藩の大名にしてからが、藩政が行詰ったから大名をやめます、藩主の地位を奉還しますとは誰にも言えまい、取るに足らぬ一家にしたってそうじゃないか、みすみす家をつぶすということが、一家の主人としても、オイソレとはやれない、幕府の無条件大政奉還などということは、いくら時勢が行詰ったって、これは夢だよ、それこそ書生の空論だよ、今の時勢だから、書生の空論も、一藩の輿論《よろん》を制するということはできない限りもあるまいが、天下の大権を動かそうなどとは、それは痴人の夢だ」
「ところが、存外、痴人の夢でないということを、僕はある方面から確聞した、それに大政奉還は徳川の家をつぶす所以《ゆえん》でなく、これを活かす最も有効の手段だということなんだ、そこに、徳川家と土佐とには、ある黙契が通っているらしい、大政奉還将軍職辞退の名を取って、事実、新政体の主座には、やっぱり慶喜を置く、そうして天下を動揺せしめずして新政体を作る、というのが眼目になっているらしいから、そこで、幕府も相当乗り気になっているらしい、つまり名を捨てて実を取る、名を捨てることによって時代の人心を緩和する、実を取ることによって、やっぱり徳川家が組織の主班である、多少、末梢《まっしょう》のところには動揺転換はあるにしても、根幹は変らないで、しかも、効を奏すれば、時代の陰悪な空気をこれで一掃することができる、至極の妙案だと、乗り気になって動き出したものが幕府側にもあるということだ」
「ふーん、してみると、坂本や後藤一輩の書生空論によって、天下の大勢が急角度の転換をする、万一、それが成功したら、また一つの見物《みもの》には相違ないが、同時に徳川家を擁する土佐の勢力というものが、俄然として頭をもたげて来るということになる、慶喜を総裁として、容堂が副総裁ということにでもなるのか」
「いや、それが成功したからとて、いちずに土佐が時を得るというわけには参るまい」
「失敗しても、土佐は得るところがあって、失うところはないのだ」
「だが、諸君、心配し給うな、そんな改革が、仮りに実行されるとしてみても、成功するはずがないから、心配し給うな」
「どうして」
「たとえばだ、君たち、ここに拙者が坐ったままでいて、そうして、この畳の表替えをしろと言ったところで、それはできまい、畳の表替えをしようというには、そこに坐っている者から座を立たねばならぬ、坐っている奴が、座を立つことをおっくう[#「おっくう」に傍点]がって、このまま表替えをしろと言ったってそりゃあ無理だ、家の建替えや根つぎにしてからがそうだろう、天下のことに於てはなおさらだ、攻撃をする、改造をするという時に、中に人間共が旧態依然としてのさばっていて、それで改造や改築ができるか、現状維持をやりながら維新革新をやろうとしたって、そりゃ無理だよ、そんなことができるくらいなら、歴史の上に血は流れないよ、そんなおめでたい時勢というものは、いつの世にもないよ」
こういった反駁《はんばく》が、有力な確信を以て一方から叫び出されると、さきに土佐論を演述した壮士が躍起となって、
「だから、徳川はいったん大政を奉還し、慶喜は将軍職を去り、諸大名は国主城主の地位を捨てて藩知事となる――そこにまず現状破壊を見て、しかして革新を断行しようというのだ」
「それそれ、それがいかにも見え透いた手品だよ、再び言うと、今の畳の表替えだ、この広間なら広間全体の畳の表替えをやろうとするには、この中にいるすべての人と、調度とが一旦、皆の座を去らなければならないのだ、君の言う土佐案なるものは、去らずして去った身ぶりをする、つまり、こちらにいたものがあちらに変り、あちらにいた奴がこっちへ来る、座を去るのではない、座を置き換えるのだ、前の人は前のところにいないけれども、同じ座敷の他のいずれかの畳に坐っていることは同じだ、単に人目をくらますために、人を置き換えただけで、それが畳を換えてくれと要求する朝三暮四《ちょうさんぼし》のお笑い草に過ぎない」
「そうだ、その通りだ」
と共鳴する者がある。反駁者の気勢が一層加わって、
「維新とか、革新とかいうことは、旧来の第一線が全く去って、新進の新人物が全面的に進出して主力を占めるということに於て、はじめて成されたのだ――断然、徳川ではいかん、徳川を去らしめて、全面的な新勢力に革新をやらせなけりゃ意味を成さん、それがために、相当の摩擦を示し、たとえ多少の血を流すことがあっても、それを回避しては革新は成らぬ、血を以て歴史を彩《いろど》ることは、つとめて避けなけりゃならんが、血を流すことを回避して、革新の時機を失する不幸に比ぶれば、それはむしろ言うに足らんのだ」
四十八
これらの連中の高談放言を別にして、その晩、この月心院の一間から姿を消した机竜之助。
その格闘史としては、古今無類の七条油小路の現場へ駈けつけて、そのいずれかの一方へ助太刀《すけだち》をするかと思えばそうではない。また乱刃のあとへなり先へなり廻って、後見の気取りで逐一、その剣、太刀の音の使いわけでも聞いて甘心するつもりかと思えば、そうでもない。
この男の腕立てとして、もうそういう油の気の多いところは向かない。猫を一匹つかみ殺して、虫も殺さぬ娘を一人絶え入らせるだけの程度がせいぜいで、その前の晩か、後の晩かに、さほどの乱刃が月光の下に行われた京の天地とは……およそ方角の異った方へ、ひとり朧《おぼ》ろげな足どりをして、しょんぼりと、月夜の下に見えつ隠れつして、ふらふらと辿《たど》り行くのは、三条から白川橋、東海道の本筋の夜の道、蹴上《けあげ》、千本松、日岡《ひのおか》、やがて山科《やましな》。
多分、関の清水の大谷風呂あたりへ、足もとの暗いうちに辿りついて、空虚極まる疲労を休めようとの段取り。
かくて山科の広野原――へ来たが、まだ月光|酣《たけな》わなる深夜なのです。その広野原へ来て――山科には特に広野原というべきところはないけれども、彼のさまよう世界のいずこも広野原。そこへ来るとふらりふらり辿《たど》って来た足を、ものうげに薄野原《すすきのはら》の中にとどめて、ふっと後ろを顧みると、東山を打越えて見透し、島原の灯が紅《あか》い。
山科の地点に立って島原の灯を見るということは有り得ないことだが、ありありと島原傾城町の灯が紅く、京の一方の天を燃やしているその灯に、名残《なご》りが惜しまれて、後朝《きぬぎぬ》の思いに後ろ髪を引かれたのかと思うと、必ずしもそうでもないようです。
またしても、人を待つものらしい。行きには田中新兵衛あたりの人の気配を感じたが、戻りにもまたこのあたりで、どうやら、己《おの》れを見かけて慕い寄る人の気配を感じたものらしい。さればこそ待っている。
たしかに、この男の勘の鋭さも昂進してきました。案の如く、人が後からついて来るのです。それは今に始まったことではないので、そもそも月心院の庫裡《くり》を抜け出した時から、竜之助のあとをつけて来た人影なのです。いや、それよりも、もっと前、島原の廓《くるわ》を出た時から、三条大橋で待つことを要求された時から、影の形のようについて来た覚えのある人影。
「へ、へ、轟《とどろき》の源松でございます」
先方はもうつい鼻の先までやって来ていて、こちらから咎《とが》められるを待たず、先方から名乗って出たのは先手を打ったつもりらしい。
「多分、そうだろうと思った、お前に見せてやりたいものがある、それ故、ここで待っていたのだ」
「へ、へ、何でございますか、わざわざ、わっしに見せてえとおっしゃいますのは」
「それそれ、これだ、これだ、これを見ろ」
竜之助から指さされたので轟の源松が、この指さされた藪《やぶ》の中を見ますと、
「あっ!」
と言って、思わずたじたじとなりました。轟の源松とも言われる捕方《とりかた》の功の者がおどろいたのだから、尋常の見物《みもの》ではありません。
四十九
すすき尾花の山科原のまんなかに、竹の柱を三本立てて、その上に人間の生首が一つ梟《さら》してあるのです。
と言ったところで今時、生首を見せられたからといって、単にそれだけで腰を抜かすようでは、源松の職はつとまらない。源松が驚いたのは、その梟し首が自分の首ではないかと思ったからです。宇治山田の米友も、生きながら梟しにかけられたことはあるが、あれは正式の公法によって処分されたものですから、見るほどの人が見ていい気持はしなかったけれども、その処刑というものは、形式が異法だと思うものはありませんでしたが、これは変則です。いかに重罪極悪非道の者といえども、こういう惨酷極まる梟され方というものはない。
まず、三本の竹の柱を、いとも無雑作《むぞうさ》に押立てて、その上に人間の生首一つ、その三本の竹の柱の下に、丸裸にした胴体の下腹と胴中を男帯で結えた上に、首だけは竹の上に置かれたように出ているが、実は、首と両腕とを下で細引で結んで釣り下げてある。細引はまだ新しくて、ゆとりがたっぷりあるのがブラ下がって地に曳《ひ》いている。
ばっさりと、腕の利いたのに切ってもらい、それを体《てい》よく台の上へのっけてあればまだ見られるというものだが、斬られていない首が、醜体を極めた胴中そのものと共に、ダラしなく梟しっぱなしてある。嬲《なぶ》り殺《ごろ》しにした上に、嬲り梟しというものに挙げられているので、轟の源松が、あっ! と言ってそれを見直した時に、机竜之助が、淋しげに微笑を含んで言いました。
「どうだ、お前の面《かお》に似てはいないか」
「左様でございますねえ」
源松が、なるほど、そう言われれば、その生首は、見ているうちに、自分の面に似てくるような思いがしてなりません。寒気がゾッと襲うて来て、足もとがわなないてくる、それをじっと踏み締めて、見上げ見下ろすと、つい今まで気がつかなかったが、捨札がその首の傍らにある。
[#ここから1字下げ]
「右之者、先年より島田左兵衛尉へ隠従致し、種々|姦謀《かんぼう》の手伝ひ致し、あまつさへ、戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ、諸忠士の面々を苦痛致させ、非分の賞金を貪《むさぼ》り、その上、島田所持致し候不正の金を預かり、過分の利息を漁し、近来に至り候とても様々の姦計を相巧み、時勢一新の妨げに相成候間、此《かく》の如く誅戮《ちゆうりく》を加へ、死体引捨にいたし候、同人死後に至り、右金子借用の者は、決して返弁に及ばず候、且又、其後とても、文吉同様の所業働き候者|有之《これあり》候はば、高下に拘らず、臨時誅戮せしむべき者也」
[#ここで字下げ終わり]
「旦那、わかりました、こりゃ、わっしの首じゃございません、猿の首でございますよ」
「猿! いやあ、猿じゃない、やっぱり人間だろう」
「いえ、猿と申しましても、野猿坊《えてぼう》のことじゃあございません、目明しの猿の文吉て奴で、ずいぶん鳴らしたもんでございますが、こんなことにならなけりゃいいと思いましたが、果してこうなるたあ因果な話で、いささかかわいそうでもございますよ――まあ、お聞き下さい、こいつの素姓というのは、こういうわけなんです」
と轟の源松は、不意に見せられた生首が自分の首でなくて仕合せ、その素姓がすっかりわかってみると、持前の度胸を取り直して、今度は逆に、説法する気になったものらしい。
「こいつはねえ、上方者《かみがたもん》なんです、京都のみぞろというところに生れた奴なんです、が若い時分から博奕打《ばくちうち》の仲間入りをして諸方を流れて歩いた揚句に、本来やくざじゃあるが小才《こさい》の利《き》く奴でして、自分のところに渋皮の剥《む》けた貰いっ子をしましてね、それが君香《きみか》といって後に舞妓《まいこ》で鳴らしました、そいつを九条家の島田左近様に差上げまして、それが縁で島田様に取入り、そのお手先をつとめて、いやはや、勤王方の浪人を片っぱしから嗅ぎ上げて、お召捕りの間者をつとめた奴、安政の時に名のある浪人が数珠《じゅず》つなぎになったのは、一つはみんなこいつの仕業なんでした、こいつの隠密《おんみつ》で召捕られた西国浪人が、どのくらいあるか知れたもんじゃありません。そうして九条家へはおべっかをつかい、仲間には幅を利かした上に、弱い者はいじめる、御褒美の方も、たんまりとせしめて、小金も出来ました。二条新地に女郎屋をこしらえましてな、召使をたくさんに使い、天晴れの親分大尽をきめ込んでおりましたが、志士浪人の憎しみが積り重なっている、決していい往生はしねえと見ておりましたが、果せる哉《かな》でございました。それにしても、まあなんて浅ましい姿になりやがったろう」
轟の源松は、一面わが身につまされる淡い感慨の息を吹いている。源松は、文吉ではない。その職務としては同じようなことをしているようなものの、性質が違っている。どのみち、人にはよくは思われない職務にいたが、かりに同職として見ても、この文吉の成れの果てに歎息はしても、さまでの同情は持てないらしい。それというのは、源松には源松としての気負いがあって、自分は腕で行くのだ、こいつのように利で動いて、人を陥れることで己《おの》れの功を衒《てら》うような真似《まね》はしない。罪悪を罪悪として摘発することは己れの職務だが、罪悪を罪悪として作り立てて人を陥れることは、江戸っ児にはできねえ、という自負心があった。おれのは本職だが、こいつはインチキだ、二足も、三足も、わらじをはいている奴だ、我々同職の風上にも置けない奴なんだ、という腹があるから、同情に似た痛快、痛快に似た同情の、歯がゆいような心持で、それをながめながら、
「わかっておりますよ、わかっておりますよ、こいつを殺したのは、土佐の高市瑞山《たけちずいざん》という人の弟子たちで、みんなが先を争ってこいつを殺したがったんですが、その中で鬮取《くじと》りをして、岡田以蔵てすごいのと、ほかに三人が鬮に当っちまいましてな、こいつのような犬猿同様の奴を、刀で斬るのは全く刀の穢《けが》れだから、締め殺してやるがよろしい、締めるには行李《こうり》を締める細引がよろしい……と、わざわざ細引を買って来て、それで、こいつを取捕めえて締め殺したんだ。それごらんなせえ、その下にブラ下がっている細引が、まだ買立ての新身《あらみ》じゃあございませんか」
「何もかも、そう知り抜いていたんじゃあ、嚇《おどか》しにもならぬ」
竜之助は呆《あき》れ果てたようなセリフで、またそろそろと薄尾花《すすきおばな》の中を歩きにかかると、源松が、しゃあしゃあとしてあとを慕って来ること前の通りです。
五十
「時にあなた様のお宿許は、どちら様でございましたかねえ」
轟の源松がまたしても、思い出したように、同じことを竜之助に向って問いかけましたから、竜之助がうるさいと思いました。
「まだそんなことを言っているのか、それは、こっちが聞きたいところだ、島原を振られて、京都の町の中を一晩中うろついたが、ついに拙者の泊る宿所がない、ようやくのこと月心院へたどりついて見ると、そこは、夜もすがら、あはは、おほほで眠れはしなかった、仕方がないから、日岡を越して、山科まで来てしまったのだよ」
「して、その山科は、ドチラかお心安いところがございまして」
「いや、山科へ来たからといって、別に心安いところもないがな、関の大谷風呂へ少し厄介になったことがあるから、もう一晩、あそこへ泊めてもらおうかと、それを心恃《こころだの》みにして来たまでだ」
「大谷風呂でござんすか、それは幸い、わっしも少しあの辺に用向がございますから、御一緒にお供が願いたいもので」
「それは迷惑だな」
「いえ、なに、旅は道連れということもございますからな」
轟の源松は、人を食いそこねたようなことを言って、テレ隠しをしました。
「あんまり有難くない道づれだ」
と竜之助が苦りきりました。
「送り狼というところなんでござんすかな。この場合、どちらが狼でござんすかな。左様、送られる方が狼で……」
「いったいお前は、何でそう、わしのあとばっかりつきたがるのだ、盛りのついた野良犬のように」
「へ、へ、へ、恐れ入りました、これは、つまり、わっしの病ではない、役目なんでございますから、いかんとも致し方がございませんでして」
「お前に役目でつけられるような弱い尻は、こっちにはないぞ」
「そちら様にはとにかく、わっしの方で、ぜひ最後を見届けるところまで、おともが致したいんでございます、悪くつきまとうわけではござりません、役目でございましてな、手っとり早い話が、あなた様の昨晩のお泊り先はわかっておりますが、これからの先、それと、もう一つ、今晩のお宿許と、お国元の戸籍のところを一つ伺えば、それでよろしいんでございます。と申しますのは、まあ、世間並みのお方でございますと、一当り当れば、身分素姓のところ、すっかり洗ってお目にかけますが、あなた様に限って、当りがつきません、まるでまあ、失礼な話だが、幽霊のように、姿があって影がないんでございますからね」
「冗談を言うな、今はそんな冗談を言っている時ではあるまい、おれのような幽霊同様の影の薄い人間を、貴様のような腕利《うでき》き一匹の男が、鼻を鳴らして夜昼嗅ぎ廻っている時節じゃあるまい。古いところで、姉小路卿を殺した下手人はまだわかっていないだろう、三条河原へ足利の木像をさらした一味も検挙されてはいないはずだ、新撰組で芹沢が殺されたその下手人さえ、わかっているようでわからない、つい近い頃、大阪では天満《てんま》の与力内山彦次郎が殺されたというに、まだその犯人がわからない、江戸では、上使の中根一之丞が長州で殺された。ところでこの拙者などは、生来、悪いことは一つもしていない、たよりない宿なしの影法師同様な拙者を追いかけ廻して、いったいいくらになるのだ」
と竜之助からたしなめられて、源松はいよいよテレきった面をして、
「でございましても、病では死ぬ者さえあるんでございます、どうか、そこのところをひとつ、御迷惑さまながら、大谷風呂まで、その送られ狼というところで」
執拗《しつこ》い――がんりき[#「がんりき」に傍点]の百以上だ。百のはいたずらでやるのだが、こいつのは職務――ではない、病だ、うるさい、という思入れで、無言に竜之助が歩き出すと、
「エヘ、ヘ、送られ狼――こっちが気味が悪いんでございますよ」
かくて源松はまた、竜之助のあとを二三間ばかり離れて、薄尾花《すすきおばな》の中を歩みにかかる程合いのところで、またしても、
「あっ!」
と言ったのは、その、おどろおどろと茂る薄尾花の山科原の中から不意に猛然として風を切って現われたものがありました。
「あっ! 狼!」
轟の源松も立ちすくんでしまったのは、冗談ではない、送り狼の、送られ狼のと、口から出まかせに己《おの》れの名を濫用する白徒《しれもの》の目に物を見せようと、狼が飛び出して来た、正の狼が眼の前へ現われた!
と源松も一時は立ちすくんだが、そこは相当の度胸もあるから、
「あ! 狼ではない、鹿だ!」
鹿だ! と呼ばれた時は、その獣は、もはや源松の眼前をひらりと躍《おど》り越えて、行手へ二三丈突っ飛んだ時でありましたが、
「鹿ではない、やっぱり犬だ!」
と、源松が三たび訂正のやむを得ざるに立至ったものであります。
「犬にしちゃあ、すばらしくでけえ犬だなあ」
源松は追註《おいちゅう》をして、改めてそれの馳《は》せ行く怪獣の後ろ影を呆然《ぼうぜん》と見送ったばっかりです。
五十一
不意に出現の怪獣に、最初は狼と驚き、二度目には鹿と見直し、三度目には、やっぱり犬と訂正して、そうして更に、犬にしては豪勢素敵な奴だと追加の感歎を加えて、しばし呆然とその後ろ影を見送って立ち尽している。そのすぐ背後から、またも突然に、
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
こういうかけ声をしながら、息せききって走《は》せつけて来るものがあるのですから、源松は、その行手を慮《おもんぱか》らないわけにはゆきません。
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
後ろから走せて来たのを、避けてやり過してやろう――轟の源松は、路傍の草の中へ少し身を引いていると、
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
「すっぱと、らっぱと、待ったった」
怪しげな掛声に呼吸を合わせて、走せて来たのは、まさしく今の犬を追いかけて来たものでしょう。と見ると、犬の大なるに比して、人の小さいこと、ほとんど子供と思われるほどの弾丸黒子《だんがんこくし》、それが、宙を飛んでかけつけた。紺かんばんに、杖を調練の兵隊さんがするように肩にかけて、まっしぐらに馳《は》せて、せっかく道を譲った源松に目もくれず、辞譲のあいさつをする余裕もなく、今し逃げ去った豪犬のあとを追って走り来《きた》り、走り去るのであります。
それをも、源松は暫く面くらって見送っていたが、その時急に呼びさまされたことは、犬ははじめて見る豪犬だが、人間はそうではない、どこかで見ている! ああ、あの小粒! びっこ[#「びっこ」に傍点]を引きながら、しかも軽快に疾走するあの足どり、精悍《せいかん》な面魂《つらだましい》、グロな骨柄、どう見たって見損うはずはない。ほとんど命がけ、江州長浜の一夜の手柄にあげたが、あいつが譲らなければ、こっちが危なかった。
「あいつだ!」
轟の源松は、そう気がつくと、ここでもまた二狼を追うわけにはいかず、一方の送られ狼にはなんら辞譲を試むることなしに、いま目の前を過ぎ去った弾丸黒子に向って、全速の馬力を以て追いかけました。
源松が急角度の方向転換で、まっしぐらに追いかけた当の相手というのは、宇治山田の米友でありました。
あの晩、あの小者《こもの》めをやっとの思いで手がらにかけたが、今以て善良不良ともに不明なのはあいつだ。伊勢の生れだというのに、江戸ッ子はだしの啖呵《たんか》を切るし、兇悪性無類の放浪児とばかり踏んでいたが、その啖呵をきいていると、正義観念が溌溂《はつらつ》として閃《ひらめ》くことに、源松の頭も打たれざるを得なかったが、調べの途中から、全然口を利《き》かなくなり、胸の透くような啖呵も切らなくなり、問われても、責められても、一言一句も吐かない。拷問《ごうもん》同様の目に逢わせてみても、口がいよいよ固くなるばかりだ。のみならず、大抵の責め道具では、あいつには利かない。人間の生身だから痛いには痛い、こたえるにはこたえるだろうけれども、あいつに限って、痛いと言わないのみか、痛そうな面をしない。痛そうな面をしないのではない、本心痛くないのだ。すなわち不死身という変体になっている、そう思うよりほかはなかった。それから、あぐみ果てて、好意を以て、だましつ賺《すか》しつしてみても、いったん固めた口はついに開かない。わざと鎌をかけて、口を開かないと非常な不利益な立場になる、損だぞ、と言っても、損益が眼中にない。
ついに政略上、是非善悪不明のままに、あいつを農奴の張本に仕立てて、曝《さら》しにかけたのは、こいつならば、よし冤罪《えんざい》に殺しても、後腹《あとばら》の病まない無籍者だから、時にとっての人柱もやむを得ないと、当人ではない、役人たちが観念して、草津の辻へ「生曝《いきざら》し」にかけてしまったが、源松そのものも、実はあんまりいい気持がしなかったのだ。無籍者にしろ、放浪者にしろ、ルンペン小僧にしろ、持込場のない行路病者にしてみたところが、当人の身性《みじょう》に不明なところがあって、果して犯罪人かどうか甚《はなは》だ不明であるものを、そのまま処刑をするということは、小の虫を殺して大の虫を抑える、時にとっての策略でありとはいえ、源松もあんまりいい心持はしなかった。ところがその策略が当りそうで当らず、民衆がその網にひっかかりそうでひっかからず、かえって裏をかかれて何者かが、あの「生曝し」を引っさらって行ってしまった。それのみならず、愚弄《ぐろう》したようなやり方で、太閤秀吉の木像首をそのあとへおっぽり出して行ってしまった。それには我慢なり難い。罪状不明の者に、かりにも罪を着せた政策の上に多少の引け目がないではないとして、それにしても公儀掟によっていったん曝しにかけた者を、これを奪い去るということは、公法を無視したものだ、これは許すべからざるものだ、何者がいかにして、あの「生曝し」を奪い去ったかということは、今日まで源松の心魂に徹していたことで、源松がその後、江州の方面をうろついていたのは、一つはその責任遂行のためであろうと思われる。
ところが、現在、眼の前で、その探索の当の本人を見出した。こちらから突きとめる手数を煩わさずして、向うから飛び出して眼前を掠《かす》め去ったこの獲物は見のがせない。
かくて轟の源松は、いちずに宇治山田の米友のあとを追いました。
ひとり曠野《こうや》に残された机竜之助、また東に向って歩みをうつそうとした時に、
「はい、左様でございますか、それはそれは御無理もないことでござりまするな、孔夫子の聖《ひじり》を以てすらが、我ニ数年ヲ加エ、五十以テ易《えき》ヲ学ババ大過ナカルベシ――と仰せられました」
と言う声を、草むらの奥で聞きました。
聞き直すまでもない、それは竜之助として、甲州の月見寺以来熟しきった、お喋《しゃべ》り坊主の音声に相違ありません。
「孔夫子の聖を以てしてからが、五十以て易を学ぶと仰せられました、五十になってはじめて易を学べば大した過《あやま》ちはなかろうとおっしゃいました、孔夫子の聖を以てすらが、それでございます、凡人の能《あと》うところではござりませぬ」
その音節によって見ますと、これは曠野の独《ひと》り演説ではないのです。誰か別に聞く人あって、それを相手に語り出でながら、歩んで来るものとしか思われません。
そうして、この場合、この怖るべきお喋り坊主の舌頭にかかって相手役を引受けている人の誰であるかが、竜之助にはっきりわかりました。相手方は何との応対もないのに、これが竜之助の勘ではっきりとわかりました。つまり、あのむつかし屋の胆吹の女王以外の何人でもありません。
そこで、弁信がお銀様を相手に、かくも弁論の火蓋《ひぶた》を切り出したものだということが、はっきりと入って来ました。
「易という文字は、蜥易《せきえき》、つまり守宮《やもり》の意味だと承りました。守宮という虫は、一日に十二度、色を変える虫の由にござりまする、すなわちそれを天地間の万物運行になぞらえまして、千変万化するこの世界の現象を御説明になり、この千変万化を八卦《はっけ》に画《かく》し、八卦を分てば六十四、六十四の卦は結局、陰陽の二元に、陰陽の二元は太極《たいきょく》の一元に納まる、というのが易の本来だと承りました。仏説ではこの変化を、諸行無常と申しまして、太極すなわち涅槃《ねはん》の境地でござりましょう」
盲人のくせに、こういう高慢ちきなお喋りをやり出す者は、弁信法師か、しからずんば、和学講談所の塙検校《はなわけんぎょう》のほかにあり得ないと思われるが、ただ、その声の出るところが、いずれの方面だか見当がつきません。
いま聞いた発端だけによって判断すると、それは東西南北のいずれより起るのでもない、どうもこの地下のあたり、柳は緑、花は紅の辻の下から起り来《きた》るものとしか思われないことです。この下を二人が悠々閑々《ゆうゆうかんかん》とそぞろ歩きながら、前なるは弁信法師、後ろなるはお銀様が、「易」というものを話題として、説き去り説き来ろうとする形勢を感得したものですから、せっかく、歩み出した竜之助が、また歩みをとどむるのやむを得ざるに立ちいたりました。
五十二
宇津木兵馬と福松との道行《みちゆき》は彼《か》が如く、白山《はくさん》に上ろうとして上れず、畜生谷へ落ち込まんとして落ち込むこともなく、峻山難路をたどって、その行程は洒々落々《しゃしゃらくらく》、表裏反覆をつくしたような旅でありましたが、日と夜とを重ねて、ついに二人は越前の国、穴馬谷《あなまだに》に落ち込んでしまいました。
二人が穴馬谷へ落ち込んだということは、この場合、ざまあみやがれ! ということにはならないのであります。イヤに即《つ》かず離れずの曲芸気取り、その落ち込む当然の運命はきまったものだ、好奇の一歩手前は、堕落の陥穽《おとしあな》というものだ、ドチラが先に落ちたか、後に落ちたか、ドチラがどう引摺《ひきず》ったか、引摺られたか、それは言いわけを聞く必要がない、おそかれ早かれ、当然落ち込むべき運命の谷へ落ち込んだまでのことだ、ザマあ見やがれ穴馬谷、と称すべき意味合いの皮肉の地名ではないので、事実、越前の国、穴馬谷《あなまだに》の名は、れっきとして存在した――今も存在する確実な地名でありまして、後年の測量部の地図にも、地名辞書にも、明瞭に記載された地名でもあり、且つや、谷というけれども、若干の人家が炊烟《すいえん》を揚げている尋常一様の山間の一部落なのであります。
その穴馬谷へ二人が落ち込んだというのも、足を踏み外して落ち込んだわけではない、青天白日の下、尋常の足どりをもって、この一部落に落着いたという意味でありまして、ここで二人が、また前巻以来同様の宿泊ぶりを、一部落の一民家によって繰返しました。福松が破れ傘のような素振りで、絶えず兵馬を誘惑したり、からかったりしていることも以前と変らず、それを兵馬が閑々として、一個の行路底の修行道として受流しつつ行くことも前と変りません。
ただ、変っているのは、白山白水谷をわけ入って、加賀の白山に登ろうということが、目標でもあり、一種の信仰でもあるようでした。それがすっかり目標から外れて、仏頂寺弥助の亡霊がさまよう越中の山境へも出でず、白山を経ての菜畑であった加賀の金沢とも、およそ方面を異にして、越前へめぐり込んでしまったということを、穴馬谷に落着いて、山民から聞いて初めてそれと知ったという有様なのでありました。
とはいえ、極楽へ行こうとして菜畑へ落ちたわけでもなく、北斗をたずねんとして南魚に進んだというのでもなく、ちょっと針路が左へ片よったという程度で、飛騨《ひだ》から隣りの越中へ出たまでのことですから、前後を顛倒したというわけでもなく、進退に窮したというのではない。目的があってないような道行には、それも苦にならないで、二人は、これからまた落ち行く目標の相談をはじめました。
「ねえ、宇津木さん、ここは越前分ですとさ、越前の国、穴馬谷という村ですとさ、ほんとに穴のような土地じゃありませんか、どちらを見ても高い山ばっかり、穴馬谷へおっこち[#「おっこち」に傍点]なんて、仏頂寺がいたらヒヤかされちまいますわねえ」
「変な名だ――これが越前の国とは思わなかったよ」
と言って、兵馬は携帯の地図を取り出して、ひろげて見ているのを、福松がのぞき込んで、
「加賀へ出る道が、すっかり塞《ふさ》がれてしまって、越前へ送り出されたというのも、何かの縁なんでしょう、いっそ、金沢をやめて福井へ行きましょうよ、福井にも、たずねれば知辺《しるべ》はあるわ、福井から三国港《みくにみなと》へ行ってみましょう、三国はいいところですとさ」
福松はもう、落ち込んだところが住居で、思い立つところが旅路である――そういう気分本位になりきっているが、兵馬はそういう気にはなれない。
「図面で見ると、ここに相当大きな川がある、これが有名な九頭竜川《くずりゅうがわ》の川上らしい、すると、この川に沿って下れば、三国へ出るのだが――」
「三国、いいところですってね、北国にはいい港が多いけれど、三国は、また格別な風情《ふぜい》があって忘れられないって、旅の人が皆そいっていてよ……」
[#ここから2字下げ]
三国小女郎
見たくはあるが
やしゃで
やのしゃで
やのしゃで
やしゃで
やしゃで
やのしゃで
こちゃ知らぬ
[#ここで字下げ終わり]
福松は口三味線を取って唄《うた》に落ちて行きました。
[#ここから2字下げ]
いとし殿さんの矢帆《やほ》巻く姿
枕屏風《まくらびょうぶ》の絵に欲しや
[#ここで字下げ終わり]
「三国の女はとりわけ情が深くって、旅の人をつかまえて放さないって言いますけれど、わたしがついていれば大丈夫、三国へ行きましょうよ、北国情味がたまらないんですとさ。そうして、飽きたら金沢へ行きましょう――でなければ船で、三国から佐渡ヶ島へ――来いと言ったとて、行かりょか佐渡へ、佐渡は四十九里、浪の上――って、佐渡の女もまた情味が深いんですってさ、男一人はやれない。佐渡に限ったことはないわ、あだし波間の楫枕《かじまくら》――行方定めぬ船の旅もしてみたい」
兵馬は、相も変らず浮き立つ福松の調子に乗らず、
「どのみち、一旦は福井へ出なければなるまい、福井へ出るには……モシ、山がつ[#「がつ」に傍点]のおじさん、ちょっとここへ来て見てくれないか、紙の上で道案内をしてもらいたい」
宿の山がつ[#「がつ」に傍点]を呼ぶと、松脂《まつやに》を燃して明りを取り、蕨粉《わらびこ》を打っていた老山がつ[#「がつ」に傍点]が、ぬっと皺《しわ》だらけの面をつき出して、
「ドコさ行きなさる、勝山へおいでさんすかなあ」
五十三
その翌朝から、九頭竜川の沿岸を下って福井へ出る道も、かなりの難路でしたけれども、今までの山越しと比べては苦にならない。二人はついに越前福井の城下へ落着いてしまいました。
福松の、そわそわとして上ずっていることは、山の中から町へ出て、いっそう嵩《こう》じてしまいました。福井の城下で、極印屋《ごくいんや》というよい旅籠《はたご》をとって納まった気分というものは、旅から旅の稼ぎ人ではなく、半七を連れ出した三勝姐《さんかつねえ》さんといったような気取り。万事自分が引廻し気取りです。
ただ、この三勝は少し毛が生え過ぎているし、半七は追手のかかる身でないが、女のために身上《しんしょう》を棒に振るほどの粋人でないだけが恨みだが、半七よりもいくらか若くて、武骨で、ウブなところが嬉しい。それよりも福松の気丈夫なことは、二人の中には、現に三百両という大金が手つかず保管されていることで、これはもともと、代官のお妾《めかけ》のお蘭どののお手元金なんだが、それがわたしたちの手に落ちて来たというものは、たくんだわけでも、くすねたわけでも何でもない、自然天然に授かったので、人民を苦しめてしぼり上げた、その血と汗のかたまったもの、お蘭さんのような自堕落な女に使われたがらないで、苦労人であるわたしたちの方に廻って来たというものが、つまり授かりもの、天の与える物を取らずんば、災《わざわい》その身に及ぶということがありましたね、あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というイケすかない野郎の手をかりて、ウブで、そうして苦労人の二人の手に渡ったことが果報というものなんでしょう。この大金が手にある限り、二人は相当長いあいだ遊んで歩ける、という胸算用が、疾《と》うに福松の腹にあるからです。
放縦のようでも、売られ売られつつ、旅から旅を稼がせられ、およそこの世の酸《す》いも甘《あま》いもしゃぶりつくした福松は、金銭の有難味を知っていて、締まるところは締まる仕末も、世間が教えてくれた訓練の一つ。
「二十日余りに四十両、使い果して二分残る――なんて、浄瑠璃《じょうるり》の文句にはいいけれど、梅川も、忠兵衛も、経済というものを知らない、使いつくしてはじめてお宝の有難味を知るなんて、子供にも劣るわねえ、わたしに使わしてごらんなさい――一生使ってみせるから」
福松は、その都度、こう言って、三百両の金包を撫《な》でて自分の気を引立てたり、兵馬を心強がらせたりしようとする。無論、この三百両の金を、器用に活かして使いさえすれば、ここ幾年というものは、二人がこうして旅を遊んで歩くに不足はない、不足はさせない、という腹が福松にはあるのです。その証拠には、飛騨からここへ山越しをして来る間、若干の日数のうち、いくらの金を要したかと言えば、金は少しもかからない、たまに木樵山《きこりやま》がつ[#「がつ」に傍点]に、ホンのぽっちりお鳥目《ちょうもく》を包んで心づけをしてみれば、彼等は、この存在物を不思議がって、覗眼鏡《のぞきめがね》でも見るように、おずおずとして、受けていいか、返していいか、持扱っている。旅というものは、金のかかるように歩けば際限なく金がかかるけれども、金をかけないつもりで歩けば、全くかけないで歩くことができるもの――いやいや、やりようによってはお宝を儲《もう》けながらの旅、万が一にも行きつまれば、わたしには腕というものがある、身を落す気になりさえすれば、いずれの里でも、腕に覚えの色音を立てて人の機嫌気づまを浮き立たせさえすれば、三度の御飯はいただける。その上一人や二人の身過ぎ世過ぎは何の苦もないと、福松は、いよいよの際の芸が身を助ける強味をも算用に入れているから、世の常の浮気者や、切羽つまった心中者の、身も魂も置きどころのない、ぬけがらの道行と違って、いわば経済的の根拠がある。今まで、山に千年もいたから、これから海で千年の修行をしたい――なんぞと、世間を七分五厘にする余裕さえ持てるようになっている。
宇津木兵馬になると、そうはゆかないのであります――白骨から、飛騨の平湯へ出て、高山まで、旅の遊山で浮《うわ》つき歩いているのではない、求むる敵《かたき》がありと思えばこそ――それが、どう聞き間違えたか、南へ外《はず》れたものを、北へ向って走り求めているという相違にはなっているが、求むる目的というものがあるにはあって、それに煽《あお》られている。無目的と、享楽と、その刹那刹那《せつなせつな》を楽しんで行こうという女と調子は合わせられない。
ただこういう女に、こういう際に持ちかけられたということに、運命の興味を感じて、これを相手に行路難の修行底といったような、善意に水を引いた興味が伴えばこそで、実は穴馬谷へ落ち込んで、はじめて、たずぬる相手は北国へ落ちたのではないということを確認したまでのことで、越中、加賀の方面には断じて、それらしい人の通過した形跡がないことを、この間に、たしかに確めたのです。が今となっては路頭を転ずることができない。いっそ、名に聞いたまま足を入れていない北国の名都、越前の福井に見参してから、その上で、あれから近江路へ出ることは天下の北陸道だから、それを通って、やがて再び京都の地に上り得られるのも旬日の間。
こうなると、兵馬の頭には、金沢もなく、三国もない、地図を案じて北陸の本筋を愛発越《あらちご》えをして近江路へ、近江路から京都へ、心はもう一走り、そこまで行けば今度こそは結着、そこで、双六《すごろく》の上りのように、三条橋を打留めに多年の収穫、本望が成就《じょうじゅ》する――そこで何となしに気がわくわくして、これは福松と異なった意味で心が湧き立ってきました。
福松の頭には、浮いた湊《みなと》の三国の色町の弦歌の声が波にのって耳にこたえて来る。兵馬の頭には、僅か昔の京洛の天地、壬生《みぶ》や島原の明るい天地の思い出が、怪しくかがやいて現われて、あれから新撰組はどうなったか、近藤隊長、土方副長らのその後の消息も知りたい。今の京都の天地にはところによっては腥風血雨《せいふうけつう》であるが、まだまだ千年の京都の本色は動かない。
兵馬は、福井のことは頭に上らず、しきりに、京へ、京へと心が飛んで参りました。
五十四
福井の宿についたその翌日午後、福松は欣々《いそいそ》として宿に帰って来ました。
その時に、宇津木兵馬は旅日記を認《したた》めておりましたのですが、そこへ、欣々として帰って来た福松が、にじり寄って、
「ねえ、宇津木さん、ほんとに都合よく事が運びましてよ、わたしの昔|御贔屓《ごひいき》になった親分さんが、この土地に来ておりましてね、その方のおっしゃるには、福松、よいところへ来た、今この土地は大繁昌で、腕のある芸者のないのに困っているところだ、お前、よいところへ来てくれた、いい看板の明きもあるし、立派な家も持たせてやるからここへ落着きなさい、どんなことがあっても当分はここを放さないよ、とおっしゃる、こちらも渡りに舟だから、万事よろしくお任せ申しますと言いますと、明日からお前の住むお家もちゃあんときめてやる、とその親分さんが言ってくれました。そんなわけでわたしも、思いがけない後ろだてが出来て、この土地で、新参ながら押しも押されもせぬ姐《あね》さん株になって、立派に看板があげられるのよ、そうして、あなたを長火鉢の前へちゃあんと坐らせて、よろこばして上げるわ。浮草稼業のものに根がついたほど嬉しいことはない、もう、あなたにも旅の苦労なんかさせないことよ、いいお兄さんで、横のものを縦にもさせないで、遊ばせて置いて上げるわ」
福松の欣々《いそいそ》として帰ったのはこれがためでありました。水草を追う稼業であればこそ、身の振り方のついたということに、無上の安心を置いていたらしい。同時に、これが同行の兵馬をも悦ばせずには置かないと独《ひと》り合点《がてん》の推量で、わくわくしながら話しかけると、兵馬は膝を進ませ、言葉を改めて言いました、
「ああ、それは結構です、実は、拙者も今、物を書きながら、それを考えていたところです、自分の身は天涯《てんがい》ドコへ行こうとも屈託はないが、君の身の上が、女であってみると、拙者相当の取越し苦労で心配してあげていた、それが、渡りに舟で、先方からそういう話が向いて来たのは何より。では、君はここで安定しなさい、そうすれば、拙者はこれで心置きなく、自分の目的へ向って進行することができる」
この改まった言葉を聞いて福松が、がっかりして狼狽《あわ》てました。
「あら、そんなはずではありませんのよ、わたしが嬉しいことは、あなたにも悦んでいただきたいから申しあげたのに、わたしにここへ留まって、あなただけがお出かけなさるなんて、そんな情合いで申し上げたのじゃあありません。何でもいいから、暫く御逗留なさいね、少しの間、この福井の御城下を見物したり、三国へとうじんぼう[#「とうじんぼう」に傍点]をたずねたりして、当分こちらにいらっしゃいね。わたしの家ときまったところに落着いて、一月でも、二月でもいいから、そうして、お厭《いや》になったらいつでもお出かけなさいね。ほんの、一月か二月、いらっしゃいよ、わたしの家で、わたしが看板をあげた家に、大威張りで、誰にも気兼ねをする者はありゃしませんわ、あなた一人を、後生大事の大事のお旦那様にして、猫にもさわらせないようにして置いて上げますから、ちょっとの間でいいから、そうなさい。今までこの深い山々谷底を野伏《のぶせり》同様の姿で道行をして来た仲じゃありませんか、あたしの身になっても、あたしの家と名のつくところで、一晩でもあなたを泊めて上げたい、そうしなければ、あたしの胸が納まらない、あたしの意地も立たないわよ。ぜひ、そうなさらなければ、放して上げないことよ」
福松の願いが、泣き声になって、こう口説《くど》き立てたのは、一つの真実心と見るべきです。だが、今日は兵馬が、道行の道中の時のように、即《つ》かず離れずの煮え切らない受け答えはしない、いよいよ言葉を改めて、いよいよきっぱりと、
「いや、お志は有難いし、情合いのほどもよくわかります、けれども、あなたの安定は、拙者の安定ではない、今日まで、縁あってあの道中、助けつ助けられつしてここまで来たのは、君の方で拙者に親切をしてくれたから、拙者もまた乗りかかった舟、仏頂寺、丸山の徒ならば知らぬこと、かりそめにも女の身一つを、山の中へ投げ出して、お前はお前、わしはわし、どうにでもなれと不人情のできない羽目に置かれたから、それで、心ならずも――ここまで同行をして来たのです、ここへ来て、君の一身が、もう全く心配がない、安定の見込みがついたとなれば、拙者の使命は完全に果されたのだ、この上、君の御好意に随うのは、もう人情の上を越えた溺没――少し言葉がむずかしいが、今まではおたがいに親切、これからはおたがいに溺れるということになり兼ねない。且つまた、これでも一匹一人の男が、君を稼がせて、その仕送りの下に、たとえ一日でも半日でも、いい気で暮していられるか、いられぬか、その辺のことは、君が拙者の身になり代って考えてみてもらわにゃならぬ。人間、別れる時に別れないのは未練というもので、あとが悪いにきまっている、人情は人情として、今日から、きれいに君とお別れする、このことは、もはや、何とも言ってくれるな、拙者の心底はきまったのだから、誰が何と言おうとも動かすことはできない、拙者は今日から出立します。出立については――」
別れと覚悟の断案を下して置いて、何か条件的に申し置こうとする兵馬を、福松はあわてておさえてしまい、
「いけないわ、いけないことよ、それはわたし聞かない、今も、おっしゃったじゃありませんか、どちらがお世話になったか、お世話になられたか、そんなことは存じません、今、おっしゃったじゃありませんか、乗りかかった舟だから是非がない――ほんとにそうなのよ、あなたと、わたしと、これまで同じ舟に乗って、艱難《かんなん》だけを共にし合って、おたがいにこれから帆を揚げようというところで別れるなんて、それは乗りかかった舟を川の中で捨てるというものです、捨てるあなたが薄情なのよ、捨てられるわたしは、たよりなぎさの捨小舟《すておぶね》……人間、別れる時に別れないのは未練で、あとが悪い、よくおっしゃいましたね、未練が残るくらいの別れは、本当の別れではないのよ。あなたという方は、信濃の中房から途中でもあんなにして、わたしを捨ててしまい、ここでもまた、わたしの身が、どうやら落着いたと聞いて、もう浮わついて別れようとなさる、それこそ、未練とも卑怯ともいうものじゃなくって、かりそめにも女の身一つを山の中へ投げ出して、お前はお前、わたしはわたし――と不人情はできないと、今もおっしゃいましたわね、ここでわたしを振り捨てるのが不人情でないと誰が申しました、ほんとにわたしの運命を見届けて下さる御親切がお有りならば、これからじゃありませんか」
福松は泣きじゃくりながら、立てつづけて口説《くど》き立てますが、今日は山道中の手管《てくだ》とは違います。兵馬の方でもまた、道中の時の煮え切らない挨拶とは違って、いよいよキッパリと、
「人の運命を見届けるということは不可能なことです、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命がわかるものじゃないです、人の一生は道中のようなものであるから、泊り泊りの一夜を、即ち生涯の運命の終りとして、途中の別れに未練があってはならない――いずれにしても、拙者の心はきまっている、誰がどう言っても立ちます」
彼は早や行李《こうり》を引きまとめにかかるので、福松もただ泣いて口説いてばかりはいられないのです。
五十五
「そうおっしゃられてしまうと、わたしには、このうえ何も申し上げられないわ、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命は見届けられない、その通りでございます、あなたと、わたしと、生涯を共にして下さいと言わない限り、この上あなたをお引きとめすることはできませんのねえ。あなたのような行末の有望なお方を、わたしのような股旅者《またたびもの》が引留めようのなんのと、そんなだいそれた心はありません。では、ね、宇津木さん、たった一つ、わたしの頼みを聞いて頂戴」
「何ですか」
「今晩一晩だけ、泊っていらっしゃい、ね、いくら何でも、話がきまったから、今日この場でお別れなんて、考えるにも考えられやしないわ、別れたあとのわたしは、血を吐いて死ぬばかりなんでしょう、ですから、わたしに、あきらめの時間を与えて下さいな、長いことは申しません、たった一晩だけ、お立ちを明日に延ばして下さい、ただ、それだけのお頼みよ、そのくらいは聞いて下さるでしょうね、それをお聞き下さらなければ、わたしにも、わたしとしての了簡《りょうけん》があってよ」
「ふーむ」
と、ここに至って兵馬は、最初の如く、決然として進退を宣告する言葉が出ませんでした。
その躊躇《ちゅうちょ》した瞬間を見て取った福松は、ようやくこっちのものという気分を取り返しでもしたかのように、
「ね、それは聞いて下さるわね、今晩一晩だけ、ゆっくり話し合って、尽きぬ別れというのを、惜しみ惜しまれた上で、これでおたがいに、もう愚痴もこぼさず、未練を言わず、綺麗《きれい》に別れましょうよ。別れてしまえばあとのことはわかりません、今晩一晩が一生の御縁のあるところよ。ね、そうして下さいよ、わたしが、そのように取計らってしまうわよ。それにはいいことがあるんです、この福井の御城下から、ちょっと離れたところに、あわら[#「あわら」に傍点]という誰も知らないお湯が湧くところがあるんだそうです、つい近頃、近所の人が掘り当てたけれども、土地の人だけしか知らない、それを、わたしの御贔屓《ごひいき》のいま申し上げた親分さんが、ほんの仮普請をして、ごく懇意の人だけ湯治をするように仕かけてあるんですとさ、そこを、わたしが話して一日一晩買いきってしまいますから、そうして、あなたと、しんみりと旅のお話をしたり、汗を流しきったりして、最後のお名残《なご》りということに致しましょう。これだけはお聞き下さいね、ようござんすか」
それを聞かなければ化けて出る、とも言い兼ねまじき気色に、兵馬は自分のはらが決まってここまで来ている以上、さのみ末節にかかわるべきでもないと、沈黙していました。沈黙は、つまり女の提議に無言の同意のものと受取ったから、女はまたも元気を取りもどしてはしゃぎかけました、
「ほんとに、白山白水谷の旅では、あたしがあなたに負けました、一度、あなたを降参させてみたいと秘術――ではない、心づくしの限りを見せたつもりなんですけれど、あなたはついに落ちなかったわよ、えらいわねえ、ほんとにえらいのよ、あたしの腕も、面《かお》も、あなたの潔白の前に廃《すた》りましたわ。でも、男に負ける分には負けても恥にはならない、男一人を落さなければ、女の後生《ごしょう》にはなりますねえ――今晩の、あわら[#「あわら」に傍点]のお湯の宿は、もうそんないやらしいことのない、罪のない、親身の姉と弟の気分で、生涯の名残りを惜しみましょうよ。嬉しい、嬉しい、たった一晩でも、わたしは嬉しい」
道中での思わせぶりは、多分のイヤ味もあったし、若干の真実もあって、兵馬も心得て、これに応対し、その応対そのものもまた、人生の行路の一つの修行底とも見なして、隙間なき用心のもとに、それを扱って来たから、兵馬の心にも油断はなかったけれども、今ここで、この女がムキ出しに懐かしがったり、有難がったりして、そわそわ、わくわくする心持には、女としての天真の流露もある、子供同士の気分に帰ったようなものでもあるし、それには警戒の不安もなく、いや味の禁忌もないことに動かされて、兵馬も、この女と最後の一夜の水入らずの名残りを惜しむの時間が惜しいとも思われませんでした。そうすると、女というものが別な女になって、海千山千の股旅者ではない、純な処女の人情として扱うことの、何となしの魅力を、兵馬が改めて感得したものと見えて、気持よく言いました、
「よろしい、最後の一夜を明かしましょう、出立は一日延ばしてあげます」
「まあ嬉しい、嬉しい」
女は飛び立って悦びました。
五十六
ここは、あわら[#「あわら」に傍点]の温泉の一夜。
あわら[#「あわら」に傍点]の温泉は明治の十年に発見されたということだから、その時分はまだ地下に埋もれていた、その仮普請の一夜。
福松の言う相当の顔役が言っていた、旦那衆もてなしの数寄《すき》をこらした仮構《かりがまえ》に、庭も広いし、四辺《あたり》の気遣《きづか》いはなし。
そこで、兵馬はドテラに着替えて、福松も粋《いき》な浴衣《ゆかた》の一夜、兵馬が改まって、
「では、道中お預かりの品、ここでしかとお渡し申す、お受取り下さい」
行李《こうり》の中から取り出して、福松の眼の前に置いたのは、金包、すなわち問題の三百両の大金であります。
「それは、いただきません、これはわたしのものではございません」
そこで、問題の三百両の大金を前にして、二人の間に辞譲の押問答がはじまりました。
兵馬は、これはたしかに福松への授かり物で、本来は、代官の胡見沢《くるみざわ》が百姓をしぼって淫婦お蘭に入れ揚げた金だから、それが偶然の機会で福松の手に落ちたのは、すなわち授かり物であって、お金のためから言っても、淫婦の手に渡って湯水のように使われるよりは、福松の手に使われた方が有利にもなり、人助けにもなる、ほかへはドコへ持って行き場のない金、つまり天の与うる物を取らざれば、わざわいその身に及ぶというようなことを説いて――それは寧《むし》ろ福松の最初からの口伝《くでん》のようなものですけれども、それを繰返して述べて、福松に渡そうとすると、福松がそれを押し返して、なるほど、それはそうに違いないでしょう、わたしとしても、自分が汗水で儲《もう》けた金とは思わないけれども、それにしても馬鹿正直に届ける必要のないお金、もとへ返す便りもないし、もとへ返すよりは、こちらで有効につかった方が、身のためにも、人のためにもなるというもの。そこに義理を立てるつもりはないと思って、いっそ、この金のある限り、二人で旅をしてみたいなんぞと仇《あだ》し心が出ないことはなかったが、今のわたしの身になってみると、もう、そんなお金はいらない、身の振り方がきまってみると、あとはお財《たから》は腕から出て来る、そこは憚《はばか》りながら芸が身を助ける自分の力、これから先に大金は用があって要がない。
それに比べると、あなたはこれから、やっぱり旅。いくら有っても邪魔にならないのは、お財というもの、これはあなたがお使いなさるが当然のお駄賃。
心から福松は、そういう観念で、兵馬にまた三百両の大金を押し返し、押しすすめましたけれども、それを、そうかと言って、翻って受け納める兵馬ではありません。
なるほど、一応それは聞えるけれども、拙者は男子一匹、天涯一剣の身、路用があればあるで心強いには相違ないが、なかったところで、相当助力の友は到るところにあって、更に窮屈というものはない、それよりも、身が定まった、定まったというけれど、とにかく、知らない土地へ来ての一本立ちは、見込み以上に物がいる、まして、相当の顔に立てられれば立てられるように、株の手前もあり、附合いの入目《いりめ》もあるだろう、使えば使い栄えのする金になるのだから、この際、君の用意のためにするがよい――と事をわけて言い聞かせた上に、万一、君が受けないといっても、この種類の金を、拙者が有難く頂戴に及んで、いい気持で遣《つか》い歩けるかどうか考えてみるがよろしい、君がつかえば生きるが、拙者が遣うと男が廃《すた》る――というようなことまで説いて聞かせた上に、
「そういうわけだから、君はこの金でしかるべき芸妓家《げいしゃや》の株を買うようにし給え、それで余ったらば――」
と言って、極めて分別的な、しかも算盤《そろばん》に合う計画を立てて福松に示したのは、このあわら[#「あわら」に傍点]というお湯は、今こそ地中に埋れてはいるが、ゆくゆくこれが世に出ると、北国街道の要害でもあり、絹織物の名産地でもある福井の城下に近い形勝を占めたところだから、大いに繁昌するに相違ない。で、今のうちに多少なりとも地所を買い求めて、ゆくゆく温泉宿でも経営して、老後の安定を心がけてはどうだ。
こういう分別的な、算盤に合う提案をしたものですから、それが福松をうなずかせもし、安心もさせ、あなたというお方は、ほんとに感心なお方、お若いに珍しい、品行がお堅い上に、老巧の年寄も及ばない行末の心配まで、本《もと》からうらまでお気がつかれる、まあ、何という感心なお方でしょうね、こんなお方、どうしてもはなしたくないわ、こんなお若くて、親切で、武芸がお出来になって、品行がよくていらっしゃる、その上、年配の苦労人はだしの分別までお持ちになる、手ばなしたくないわ、離れたくない、こんなお方をはなして人にとられては女の恥よ、女の意地が立たないわよ。ねえ、あなた、もう考え直す余地はなくって、このお金で、芸妓家の株を買い、余ったお金で、このあたりへ土地を買い、そうして、いっそのこと、あなたもこの土地へ納まっておしまいなさいよ。思い直すことはいけませんの、あなたは、あなたの本望がお有りなさるでしょうけれども、その御本望が成功なさったからとて、どうなりますの。
もう一ぺん、思い直して頂戴よ、ここでまた福松が、いたく昂奮して参りました。
別れを惜しんでいると、処女の親しみを感じるけれども、昂奮し出すと、売女《ばいた》のいや味が油のように染《し》み出す。兵馬は、これを迷惑がって、
「馬はいいですか、明朝六つに出立と申しつけて置いてくれましたね」
「いけませんの――思い直しは叶《かな》いませんの、では、あきらめます、いまさら、そういう未練は申し上げられないはずでしたのね、今晩一ばんだけの御縁――」
あきらめられたり、あきらめ兼ねたり――女は三百両の大金の上へ、どっかりと身をくねらせて、やけ半分のような気持で、煙管《きせる》の雁首《がんくび》で煙草盆を引っかけて引寄せ、
「宇津木さん、あなたという人は、女の情合いは知ってらっしゃるが、女の意地というものがわかりませんのねえ」
「一通りはわかっているよ」
兵馬も、自分が純粋無垢の青年だと誇るわけにはゆかない。その昔は江戸での色町で、相当な疚《やま》しい思い出がないとは言えないから、いささか恐れていると、女が、
「では、ほんの一くさり、わたしの身の上話を聞いて頂戴な、わたしののろけ[#「のろけ」に傍点]を受けて見て頂戴、今晩のは真剣よ」
女は、もうまさしく畜生谷のほとり近い女にかえっている。兵馬はそれに怖れを感じ出しました。女はいよいよ自暴《やけ》気分に煙草を吹かしながら、
「身の上話なんて野暮《やぼ》なくりごとをやめましょう、未来のことを話しましょうね。それにしてもあたし、福松て名はドコへ行っても変えないことよ、それは、あなたにわかり易《やす》いために、何家の福松っておたずねになれば、すぐにドコのドの小路《こうじ》にいるということが、すぐにわかるように、福松って名はいつまでも変えないわ。屋号は前の株で何となるかわからないけれど、新しく自前《じまえ》になれたら、何とつけましょうねえ、そうそう、『宇津《うつ》の家《や》』とつけましょう、それがいいわ、宇津と御本名をそのままいただいては恐れが多いから、かな[#「かな」に傍点]でねえ、かな[#「かな」に傍点]で『うつの家の福松』といいでしょう、こんど福井へおいでになったら、何を置いても、『うつの家の福松』をたずねておいでなさい。こんどというこんどがいつになるでしょう、一月ぐらい待ちましょう、金沢へなり、京都へなり、おいでになったお帰りを待っています――うつの家の福松の御神燈を忘れちゃイヤよ。それからねえ、いつまでも看板を揚げて、御神燈の下ばかり明るくしても仕方がない、そのうちに足を洗いますよ、せいぜいここ一二年がところ稼《かせ》いで、それからあなたのおっしゃる通り、このあわら[#「あわら」に傍点]の温泉へ温泉宿を経営いたします、そうして丸髷《まるまげ》に結って、鉄漿《かね》をつけて、帳簿格子の前にちんとおさまって、女中男衆を腮《あご》であしらうおかみさんぶりを早くあなたに見せたい、きっと、遠からぬうちに、そうして見せるわ。どのみち、お約束ですから明朝はあなたを立たせて上げますけれど、お上りにしても、お下りにしても、長くてここ一月の後、この福井へ廻り道をなさらないと恨みますよ、そんなことを言っていると、もう焦《じれ》ったいわ、看板を買い、株を買い、自前になるとかならないとか、そんなこと間緩《まだる》くて仕方がない、今晩からでも廃業して、一本立ちの温泉宿のおかみさんと言われて人を使ってみる身分になりたい、いやいや、明日からまた、世間様の機嫌気づまを取って暮すことになるかと思うと、うんざりする。人間てわがままなのね、気の変りっぽいものね、今の先は、身の落着きがきまったと言って大よろこびで吹聴していたくせに、今となって、もう芸妓はいやで、世帯持のおかみさんになりたい、温泉宿屋のお内儀《かみ》にでもなりすました気分で、おおたばをきめこんでいるところなんか、まあ、自分ながら図々しさに呆《あき》れるわ。でも、このあわら[#「あわら」に傍点]へ温泉宿を持つことは、あたし骨になっても仕上げてみせますね、運次第ですけれども、風向きがよければ半年のうち、きっと何とか目鼻を明けてお目にかけることよ。宿をはじめてから、お客様が来て下すっても、下さらなくても、そんなことはかまいません、一度、あなたを呼んで、帳簿格子のお内儀《かみ》さんぶりを見せて上げさえすればそれでお気が済みますとさ。さあ、いよいよそうなるとしますとねえ、稼業《かぎょう》の方はうつ[#「うつ」に傍点]の家でいいけれど、宿屋の方は何としましょうねえ、そうそう、あたしの福という字と、あなたの兵馬の馬という字をいただいて、福馬屋とか、福馬館とか名乗りましょうよ。いいでしょう、いけない? あたしの福が上になって、あなたの馬が下になる、それでは御機嫌が悪いの、いいでしょう、男ばっかり上になって、威張りたがらなくても、少しは女も立てるものよ、馬は人が乗るものだから、かまわないじゃありませんか。それにあなた、稼業の方は、うつ[#「うつ」に傍点]と、あなたの字を立派にあたしの名の上にいただいているじゃありませんか、こんどは下にいて頂戴よ、仲よく、おたがいさまにねえ」
兵馬は、そんなことは、いいとも悪いとも思わない、ただ今晩一晩は、この女のために、なんでもかでも聞き役になってやりさえすれば修行が済むのだ、義務が果せる! といういい気だけのもので、その間、ちょいちょい、座を白まさぬ程度にうけ答えているうちに、一番鶏が鳴き出しました。
「あら、鶏の夜鳴《よなき》でしょう、まだ一番鶏なんて、そんな時刻じゃないわ、鶏の夜鳴は不吉だというから、もし夜鳴がつづいたら、出立をお見合せあそばしませな、かえり初日ということもあるじゃないの。でも、相当に夜が更けたようだわ、どれ、もう一風呂浴びて参りましょう、夜も昼もあんなにお湯がふんだんに吹きこぼれているのに、勿体《もったい》ないわ、一度もよけいに浴びてやるのが、お湯に対しての功徳というものよ、ねえ、もう一風呂浴びましょう、のぼせたってかまわないじゃありませんか、今晩限りの湯治ですもの、湯疲れがしたって知れたものよ、あの通り、お湯が湯壺でふつふつと言って、人にお入り下さい、お入り下さいと催促をしつづけているじゃありませんか、入ってやらないのは罪よ、入りましょう、一緒に入りましょうよ、今晩限りのお別れなんですもの、のぼせあがって目が見えなくなってもかまわないじゃないの、ねえ一緒に入りましょう。また、あなた、今になって、いやに御遠慮なさるのねえ、白山白水谷のあの道中で、あの通りの道心堅固なあなたじゃありませんか、いまさら一緒にお風呂を浴びたからとて、落ちるようなあなたでもなし、落すほどの腕を持ったわたしなら何のことはないわ、ああ、あのお湯が鉛なら溶けてこの身をなくしてしまいたい……」
女は、煙管《きせる》を抛《ほう》り出して、やけを繰返したかと思うと、衣桁《いこう》から浴衣《ゆかた》をとって、兵馬のドテラの帯に手をかけました。
五十七
宇津木兵馬は、その翌朝、まだ暗いうちに馬をやとうて、あわら[#「あわら」に傍点]を出立しました。
芸妓《げいしゃ》の福松は戸際まで送り出でたけれども、お大切にという声がつまってしまったものですから、そのまま奥へ引込んで出て来ませんでした。
さすがにこの女も、一間の中に泣き伏してしまったらしい。泣けて泣けて止まることができないために、意地にも、我慢にも、面《かお》が出せなくなったと解するよりほかはない。
兵馬もまた、何とも言えない感情に震動させられながら、いったん福井の城下まで帰って来たのです。福井の町にこれ以上とどまるべき因縁は解消してしまったようなものの、このまま見捨てるには忍びないものがある。人情の上とは別に、ここも北国名代の城下であり、いや、自分の尋ねる敵の手がかりが、どこにどう偶然を待っているか知れたものではないというようなおもわくもあって、ともかくも市内の要所を一めぐりして、その足で鯖江《さばえ》から敦賀《つるが》――江州へ出て京都へ上るという段取りに心をきめました。
道の順から福井の名所の第一は、もとの北の庄の城跡、織田氏の宿将柴田勝家がこれに拠《よ》って、ここで亡びたところ、その名残りのあとを見ると、神社があって、城郭の一片と、その時の工事の鉄鎖などがある。この庄の落城物語を歴史で読むと、巍々《ぎぎ》たる丘山の上にでもあるかと思えば、これは九頭竜川《くずりゅうがわ》の岸に構えられたる平城《ひらじろ》。昔は壮観であったに相違ないと思うが、今は見る影もない。それに引換えて、三十二万石福井の城がめざましい。転じて足羽山にのぼって見ると、展望がカラリと開けました。上に池があって「天魔ヶ池」と記された立札を見て、その名を異様に感じてその傍《かた》えを見ると、ここへ秀吉が床几《しょうぎ》を据えて軍勢を指揮したところだと立札に書いてあって、その次に一詩が楽書《らくがき》してある。
[#ここから2字下げ]
猿郎出世是天魔(猿郎世に出づ是れ天魔)
一代雄風冠大倭(一代の雄風、大倭に冠たり)
可惜柴亡豊亦滅(惜しむべし柴亡び豊また滅びぬ)
荒池水涸緑莎多(荒池、水|涸《か》れて緑莎のみ多し)
[#地から2字上げ]清人 王治本
[#ここで字下げ終わり]
これを作ったのは支那人だな、詩はあんまり上手とも思われないが、支那人らしい詠み方だ――
と思うと、その昔、秀吉がこの北の庄の城を攻め落し、柴田勝家が天主へ火をかけて一族自殺し終った、それを秀吉が高台から見下ろして豪快がったという悲壮な物語は太閤記で読んだが、なるほど、地理を目《ま》のあたり見ると、この地点がまさにそれだ。ここだというと、先刻見て来た北の庄の城あとが眼下に見える。この裏山をすでに占領されて、ここから敵に見下ろされるようになってはおしまいである。
天主に火のあがるをながめて、秀吉が、もうそれでよし、勝家の亡後を見届けるに及ぶまい、なに、火をかけて城を焼いておいて、当人が逃亡して再挙を企てる憂えはないか。それを聞いて秀吉がカラカラと笑って、勝家ほどの大将が、天主に火をかけて逃げ出したら逃がして置け、と取合わなかった。そこに恥を知る武将の面影と、勝ち誇る英雄の余裕とが見られて、太閤記のうちでも面白いところだ。柴田勝家は織田の宿将第一で、地位から言っても、名望から言っても、秀吉などよりは遥《はる》かに先輩だ、これを亡ぼした時が、事実上の織田家を秀吉が乗取った時なので、もう内には秀吉の向うを張り得る先輩というものはない。これから外に向って、十二分の驥足《きそく》をのばすことができるのだから、秀吉にとって、この北の庄の攻略と、柴田の滅亡は、天下取りの収穫なのだ。
いや、収穫といえばまだある、まだある、むしろそれ以上の収穫がここから秀吉の内閨まで取入れられたというものは、後年、天下の大阪の城を傾けた淀君《よどぎみ》というものが、ここから擁し去られて、秀吉の後半生の閨門を支配して、その子孫を血の悲劇で彩《いろど》らしめた。いったん浅井長政の妻となって、浅井氏亡ぶる時に里へ戻された信長の妹お市の方は、美男として聞えた信長の妹であり、国色として絶倫な淀君の母であるだけに、残《のこ》んの色香《いろか》人を迷わしむるものがあって、浅井亡びた後の論功行賞としては、この美しい後家さんを賜わりたいということに、内心、織田の宿将どもが鎬《しのぎ》を削ったが、そこは貫禄と言い、功績と言い、順序と言い、柴田に上越するものはない。そこで国色無双の浅井の後家さんは、先夫長政との間の二女を引連れて、柴田勝家に再縁の運命となった。この美色を得た勝家の得意や想うべしであったが、同時に、指を銜《くわ》えさせられた他の将軍の胸に納まらないものがある。なかにも羽柴筑前守ときた日には、後輩のくせに、功名を争うことと、色を漁《あさ》ることとは人後に落ちない代物《しろもの》であった。お市の方を得た柴田勝家が、これ見よがしに美人を引具《ひきぐ》して、ところもあろうにわが居城の江州長浜の前を素通りして、北の庄へ帰るのだ。お市の方をただ通してはならない、その乗物食いとめよと、羽柴の軍隊が柴田の行手に手を廻したなんぞというデマも相当に飛び、この時ばかりは、羽柴筑前守も指を銜えて引きさがるほかには手がなかったと思われる。それが幾許《いくばく》もなくして運命逆転――相手の宿将の城を焼き、一族を亡ぼす秋《とき》になってみると、秀吉としては、勝家の首を挙げるよりも、三度の古物《ふるもの》ではありながら、生きたお市の方の肉体が欲しい。勝家は勝家で、あらゆる羨望を負いながらお市の方を我が物としたけれども、元はと言えば主筋に当る、これをわが身、わが家の犠牲として同滅するには忍びない、そこで、お市の方に向って、汝《なんじ》はこれより城を出でて秀吉の手にすがれ、主君の妹であるそちを、秀吉とても粗略には扱うまいから、早々城を出るがよいと、いよいよのとき言い渡したが、お市の方とても、いったん浅井に嫁いで、夫亡ぶる時におめおめと城を出た自分が、またもその先例を繰返すようなことができようはずはない、今度こそは、夫君と運命を共にする、だが、二人の娘は浅井の胤《たね》であって、柴田の子孫ではないから、これは秀吉の手に托しても仔細はあるまいと、二女を城外に送り出して、自分は二度目の夫柴田と運命を共にした――という物語が語られてある。が、一説によると、お市の方も実はこのとき救い出されたのだが、表面はドコまでも柴田と共に亡びたということにして置いて、秀吉がひそかに伴い帰って、大坂城の奥ふかく隠して置いたという説がある。それは確かな説ではないが、浅井の二女を獲《え》ただけは否《いな》み難い史上の事実で、その一人は今いう淀君、他の一人は徳川二代秀忠の室となった光源院。
そういう歴史口碑は、誰も知っている。兵馬もそれを知って、今こうして目《ま》のあたり、その場に臨んでみると、英雄だの美人だのという歴史の色どりが、幻燈のように頭の中にうつって来る。お市の方や、淀君や、これを得たものの勝利のほほ笑みと、これを失うものの敗北の悲哀――いわゆる歴史というものも、人物というものも、色に始まり色に終る、といったような感慨も起って来る。爾来《じらい》、この池を天魔ヶ池と呼ぶことになったらしいのは、天下到るところに人気《にんき》嘖々《さくさく》たる古今の英雄秀吉も、この地へ来ては、まさしく天魔に相違ない。
本来、柴田勝家という人が、猛将の名はあるけれども、悪人の誹《そし》りは残していない。織田の宿将で、充分に群雄を抑えるの貫禄を持っていたし、正面に争わせれば、あえて秀吉といえども遜色《そんしょく》のある将軍ではなかったけれども、いかにせん、地の利を得なかった。
北陸の鎮《しずめ》が遠くして、中京に鞭《むち》を挙ぐるに及ばない間に、佐久間蛮甥の短慮にあやまられ、敏捷無類の猿面郎にしてやられたという次第だから、全力を尽しての興亡の争いとは言えなかっただけに、柴田方に尽きざる恨みが残るというものである。当年、この猛将を主《あるじ》として城下に生を安んじていた者にとっては、最も誇るべき好主であって、悪《にく》むべき悪政の主としての記憶は微塵もないはず。それを時の勢いに乗じて、脆《もろ》くも踏み破って、その妻妾を取って帰るというような猿面郎の成金ぶりには、むしろ憎悪を感じようとも、好感の持てようはずがない。
日本の人気から言えば、猿面郎は天下取りであるけれども、この土地から言えば、天魔|来《きた》って好主を亡ぼす、と言って言えないこともない。他の地方ならば、秀吉の古跡を光栄として、これに「天下ヶ池」の名を附けたかも知れないが、ここでは「天魔ヶ池」という。まさに無理のない情合いもある、というようなことを兵馬が感じました。
そういうような混み入る感情に、頭が縦横に働いたが、足羽の台に立つことしばし、歴史的の感傷がようやく去ってみると、ただ見る越前平野の彼方《かなた》遥《はる》かに隠見する加賀の白山――雲煙漠々として、その上を断雲がしきりに飛ぶ。今や雨を降らさんかの空に、風さえかけつけている。兵馬の眼と頭脳とは、はしなくも去って、あわら[#「あわら」に傍点]のいでゆの曾遊――といっても、たった今の朝、辞して出て来たその後朝《きぬぎぬ》のことに思い到ると、何かは知らず、腸《はらわた》がキリキリと廻るような思いが起って来ました。
五十八
福井を出立した宇津木兵馬は、浅水、江尻、水落、長泉寺、鯖江、府中、今宿、脇本、さば波、湯の尾、今庄、板取――松本峠を越えて、中河、つばえ――それから柳《やな》ヶ瀬《せ》へ来て越前と近江の国境《くにざかい》。その途中、鯖江を除いては城下とてはなく、宿々駅々も、表日本の方に比べて蕭条《しょうじょう》たるものでありましたけれども、それでも、歴史に多少とも興味を持つ兵馬は、もよりもよりの名所古蹟に相当足をとどめて、専《もっぱ》ら、北国大名と京都との往来交渉を考えたりなどして歩みました。そうして無事二十里の道を突破して、このところ、越前と近江の国境、柳ヶ瀬までの間、道の甚《はなはだ》しく迫ることを感じ、なるほど、ここは要害だ、柴田勝家が越前から上るにしても、羽柴秀吉が近江から攻めるについても、両々共にその咽喉首《のどくび》に当る、兵を用ゆるには地の利を知らなければならぬというようなことを、何とはなし、痛切に感ぜしめられました。
そうして、福井の足羽山で呼び起された柴田陥落の悲劇だの、太閤の雄図だの、実際に於ての想像を追うて行くうちに、不思議と、北の庄の城から送られて来る淀君の面影、その母のお市の方、武力戦は同時に色慾戦であった。国を取り、城を屠《ほふ》った勝利者の獲物の中には、必ずや女がある――というようなことまで、ひとり旅の身には、何とはなしに思いやられるのでありましたが、実を言うと、それらの名所古蹟よりも、歴史人物よりも、兵馬の脳中に食いついて離れないのは、あの田舎芸者《いなかげいしゃ》の福松のことばっかりでありました。我ながら、切れっぷりのさっぱりしたことを感じないでもないが、それにしても、どうも痛切にあの女のことばっかりが頭に残っているのは、何としたことだ。
「あなたは、女の情合いというものはわかっているけれど、女の意地というものがわからない」――自分としては実際、手際よく相手になり、手際よく別れて来たと思うけれど、それにしては、何か大事なものを落して来たような気がしてならない。捨てたつもりでやって来たのに、実はまだ頭に置いている、背に負っている。昔、なにがしの禅僧が二人、川の岸に立っていると、一人の手弱女《たおやめ》が来り合わせて、川を渡りわずらうのを見て、一人の禅僧が背中を貸して、その妙齢の女を乗せて川を渡してやって、向う岸で卸《おろ》して別れた。程経て、一人の禅僧が曰《いわ》く、君とは今後同行を断わる、なぜだ、出家の身で眼に女人を見るさえあるに、その肉体を自分の背に負うて渡るとは何事だ、そういう危険な道心者とは同行を御免|蒙《こうむ》りたい、そう言われると、女を負うて渡した禅僧が恬然《てんぜん》として答えるよう、おれはもう女を卸してしまったが、貴様はまだ女を背負っている!
そうだ、そうありそうなことだ、おれはまだ女と別れていないのだ、と宇津木兵馬が、むらむらとそのことを考えました。兵馬は自分が潔白無垢な身上だとは信じていない。色里に溺《おぼ》れて人を泣かせたこともあるし、女に対しては脆《もろ》いものだという過去の経歴を自白せざるものあるを悲しむ。だが、妙に人見知りをして、意地を張ることもあるにはある。迷うべき時には迷うが、迷わざらんと意地を張れば、張り通すこともできるのだと信じてもいるし、また相手次第によって、人見知りをする引け目か用心か知らないが、一髪に食いとめる体験をしていないではない。お松のような堅実な女性には、どうも、いくら真実が籠《こも》っていても、狎《な》れることを為し得られないし、お絹というような爛《ただ》れた女の誘惑は、逃げることも知っているが、今度の道中では、あの大敵を道づれにして、とうとう自分の節操を守り通して来たということに、多少とも勝利に似たような快感を覚えて、かく引上げては来たのだが、ここへ来るまで、何やら言い知れぬ空虚を感じ、綿々としてあの女のために糸を引かれてたまらない。自分が、あの女一人を目の敵《かたき》として、女は絶えず素肌で来ているのに、自分だけは甲冑を着通して相手になって来た、それは勇者の振舞でもなんでもなく、卑怯な、強がりな、笑止千万な行程ではなかったか。落ちなかったところが何の功名? 落ちてみたところが何の罪? たかが女一人のほだし、女というものの意気に感じてやらなかった自分がかえって大人げない! 今となってみると、無性に何だか、あの女がかわいそうだ。あの女としては、全力を尽して、自分の身上を働きかけて来たのだから、その意気を買ってやるのもまた男ではないか。必ずしも清浄潔白とは言えない身で、変なところへ意地を張って来てみたのが、おかしい。なお一皮の底を剥いで見ると、あの種類の女には毒がある、毒というのは誘惑の毒ではない、体毒がある、つまり悪い病気がある、それを内心怖れていじけたのか――何にしても、女は素肌で来ているのに、甲冑をかぶり通して来た自分が卑怯未練だ!
兵馬は、その思いに迫られてみると、手の中の珠《たま》を落して来たような焦燥を感じたり、宝かなにか知らないが、溢《あふ》れきった蔵の中に入って手を空しうして出て来た、といったような物足らなさが、ひしひしと心に食い入って、もう一ぺん引返して、女を見てやろうかという気分にさえ襲われたが、二十里も来て、ばかばかしい、そんなことが――と冷笑してみたりしたのですが、結局、高山以来の山の道中の、女のもてなしが、ここへ来て、ひしひしと体あたりを食《くら》い、あのとき突返した自分の受身が、今このところで、たじたじとなって、ああ、つまらない、なんだか世の中が味気ない気持になったよ――歴史のことも、英雄のことも、兵馬の念頭から消滅して、呆然《ぼうぜん》と立ち尽した越前と近江の国境――そこで兵馬は後ろ髪を引かれている。
行こか越前、帰ろか近江、ここが思案の柳ヶ瀬の峠――
そこへ、行手、すなわち近江路の方から、高らかに詩を吟じて上り来《きた》る人声が起りました。
五十九
兵馬が待つ心地で立っていると、彼方《かなた》から上って来るのは、たった一つの笠、しかも背の低い、ずんぐりした書生体の青年であることが、一目見てはっきりとしました。
近づき来《きた》るをよく見れば、白い飛白《かすり》の単衣《ひとえ》をたった一枚着て、よれよれになった小倉の袴をはき、頭には饅頭笠をかぶり、素足に草鞋《わらじ》をつけ、でも、刀は帯びているが、それ以外には旅の仕度もしてなければ、荷になるほどのものも持ってはいない。肩から一つ、ズックのカバンのようなものを釣り下げているばかり。
そこで、兵馬と行き逢いました。人跡の稀れな山中の出会いですから、おたがいに言葉をかけ合うのが当然です。
「こんにちは――」
と先方が、笠をかたげてまず兵馬に挨拶をしかけましたから、兵馬も、
「やあ」
と言いました。先方は第二句をつづける代りに、兵馬の立っているすぐ足許《あしもと》へ、どっかりと腰を卸してしまい、
「幸いに、好天気ですな」
存外、世間慣れた口の利《き》きぶり。兵馬は一見して、これは遊学の書生だと思いました。同じ書生にしても、丸山勇仙のように世間ずれがし過ぎたのではなく、相当度胸があるが、一面、極めてウブな青年だと思いました。
「ドコにおいでです」
と兵馬から尋ねられて、
「これから、越前の福井へ帰るです」
「ドコからおいで?」
「近江の胆吹山《いぶきやま》から参りました」
越前福井へ行くというのは常道だが、胆吹山から来たというのが少し変です。
「胆吹山から――」
兵馬も不審を持ちながら、この青年を相手に少し話して行こうと、自分も路傍のほどよき木の根に腰を卸して、青年と押並んで話しよい地点を保つと、青年が、
「胆吹山で、少し働いておりましたが、これからひとまず故郷の越前福井へ帰ってみようと思います」
「胆吹山で何を働いておいででした」
と兵馬がたずねたのは、最初から胆吹山というのが気にかかったからです。この青年は山稼《やまかせ》ぎをすべき青年ではないし、山稼ぎをして来たとも思われない。神戸から来た、大阪から来た、彦根から来たといえば、そのまま受取れるが、山から来たということが、そぐわない思いでした。それを青年は、御尤《ごもっと》もと言わぬばかりに、問われない部分まで、差出でて兵馬に語り聞かせます――
「御存じでございましょうが、胆吹山にこのごろ、例の上平館《かみひらやかた》の開墾が起りまして、そこに一種の理想を抱く修行者――同志が集まって、一王国の生活を企てている、そういう風説《うわさ》を聞きましたものですから、僕は越前の福井からかけつけて、右の団体へ加入してみたんです。僕のは、必ずしも、あの団体の主義理想に共鳴したというわけではありません、本当を言うと英学がやりたいんです。僕は非常に外国語をやりたいんでしてね、それも、今はもう蘭学ではいけないそうです、蘭学は古いんだそうですから、ぜひ英学の方をやりたいと思って、諸所に師匠をたずねましたが、どうも評判倒れが多くて、本当に英学の出来る学者というのが少ないんでしてな、困っておりました。ところが、聞くところによりますと、胆吹の開墾王国の中には、すばらしい語学の達者な人が隠れている、そのほか、あの団体の中には、世を拗《す》ねたエライ人物が隠れて加わっているという風説を聞きましたものですから、僕は故郷を飛び出して参加したんですが、どうも、僕の頭では、あの人たちの行動がよく呑込めません。しかしまあ、体力相当に、開墾の方もやれば、炭焼もやり、帳面つけなども致しましてな、留まっているうちに、その英学の方は、御当人は出来ないけれども、いい先生を紹介してやると言ってくれた先輩がありましてな、その人から紹介状をもらいました。その先生は江戸におられるのです、当時、英学にかけては、その右に出でる人はあるまいとのことですが、なんにしても身分が旗本のいいところですから、なかなか入門がかなうかどうか、面会すら許されるかどうかわからないが、とにかく、胆吹山の先輩に紹介状をもらいましたものですから、これからまた故郷の福井へ帰って、旅費を工面《くめん》して、江戸へ向って出直すつもりで、それで、胆吹山を立って参ったんです」
青年は能弁に、すらすらと、問われない部分まで明快に話し出したものですから、その物語りだけで、すっかり、その過ぎ越しも、行く末も、明瞭に諒解がつき、全くこの青年が、好学に燃える一青年以外の何者でもないということがわかりました。
ただ、よくわからないのは、その胆吹山に巣を食うという一味の開墾者の団体の性質のことですが、それは兵馬として詳しく問いただすべきことではない。もう一つ――江戸で有数な英学者、身分は旗本――というようなことも、離して別々に持ち出されてみると、兵馬も思い当るところがあったに相違ないが、青年の志望を主として聞いていたものですから、兵馬としての受け答えは、この好学の青年の志望を讃して、励ましてやることにはじまりました。
「それは結構な志だ、しっかりやり給え、江戸はなかなか誘惑が多いからな」
江戸は誘惑が多いことなんどを、特に附け加えて、はじめて兵馬も自分がテレ加減になっていると、今度は青年の方で反問的に、
「あなたは、ドコからおいでですか」
とたずねました。兵馬が、
「拙者は越前福井から来たのですが……」
「へえ、あなたは福井から、僕は福井へ帰るんですが、僕は本来、福井のものが福井へ帰るまでなんですが、あなたは福井のお方ではござんすまいね」
「そうです、拙者は旅から旅を廻って歩くものです――」
「どちらが御生国なんですか」
「まあ、江戸ですね」
「江戸ですか、それは懐かしいです」
青年が懐かしいというのは、どういう意味かよくわからないが、多分、この青年には過去に於て江戸を懐かしがる何物もないけれど、これからの目的地として、懐かしがるべき理由が大いにあるというのでしょう。
六十
この青年と、かなりの長い談話をした後に、兵馬は、いざ別れようとして、
「君、福井へ帰るなら、一つ頼みたいことがある」
「何ですか、喜んで頼まれます」
「実はねえ」
と兵馬は、何と思ったか、自分のかぶっていた一文字の菅笠《すげがさ》を取って、
「申し兼ねるが、君のその笠と、僕のこの笠と取換えていただけまいか」
「え、僕のこのみすぼらしい饅頭笠と、あなたのその菅笠と、無条件交換ですと、僕の方が大きに儲《もう》かります、それでいいですか」
「いいですとも、君、ひとつこの笠をかぶって福井へ帰って下さい、僕は君の笠をかぶって近江へ行きたい」
「傾蓋《けいがい》の志ってやつですか」
「いや、そういうわけでもない、必ずしも君に対する志というわけではないが、ところで、もう一つ、いま、拙者がその笠へ一筆書きますから、君はそれをかぶって福井へ着いたならば、その笠をそっくりひとつ、僕の名ざすところへ届けてもらいたいのだ」
「笠だけを届ければいいんですか、おやすいことです、広くもあらぬ福井の城下ですから、所番地さえわかっておりますれば」
「実は、福井の堺町というのです」
「堺町、知ってます」
「その堺町で、うつの家――福松というところへ、この笠を届けてもらいたい」
「堺町で、うつのや福松君ですか、よろしいです、番地はなくてもわかりましょう」
と心やすく引受けた。その語気によって察すると、この青年は、相手を男性と見ているらしい。男性と見ていないまでも、女性であり、ああした女だとは、夢にも当りをつけていない。実は、兵馬も、思いきってうつの家福松の名を言った時に、青年から一応、疑惑の眼を向けられての上で、反問をされるものと期待して、いささかテレて言い出したのですが、先方は、そんな思惑は微塵《みじん》もなく、福松君ですか、福松君ならば――どこまでも、相手を男性に置いて疑うことをしないから、済まないが、むしろ勿怪《もっけ》の幸いだというような気分にもなって、兵馬としては図々しく、
「うつの家の福松と言えば、すぐにわかることになっているのですが、では、ひとつお願い申しましょうかな」
と言って、自分のかぶって来た一文字の笠を取り直しました。そうして、矢立を取り出して、墨汁を含ませて、何をかしばらく一思案。それから、さらさらと笠の内側の一部分へ、
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思君不見下渝州
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さらさらと認《したた》めて投げ出したものですから、その筆のあとを、青年がしげしげと見て、
「ははあ、李白ですな、唐詩選にあります」
「いや、どうも、まずいもので」
青年は、うまいとも拙《まず》いとも言ったのではないのに、兵馬は自分でテレて、つかぬ弁解をしていると、
「いや、結構です、君を思えども見ず、渝州《ゆしゅう》に下る――思われた君というのが、つまり、そのうつのやの福松君ですな、福井の城下で、あなたとお別れになって、友情綿々、ここ越前と近江の国境《くにざかい》に来て、なお君を思うの情に堪えやらず、笠を贈って、その旅情を留めるというのは、嬉しい心意気です、友人としてこれ以上の感謝はありますまい、この使命、僕自身の事のように嬉しいです、たしかに引受けました」
それと知れば、ただではこの使はつとまりませんよ、何ぞ奢《おご》りなさい、とでも嬲《なぶ》りかけらるべきところを、この好青年は、悉《ことごと》く好意に受取ってしまったものですから、兵馬はいよいよ済むような、済まないような気分に迫られたが、今更こうなっては打明けもならず、また、ブチまけてみるがほどのことでもないと、
「では、どうぞ、お頼みします、その代りに君の笠を貸して下さい」
「竹の饅頭笠《まんじゅうがさ》で、いやはや、御粗末なもので失礼ですが、お言葉に従いまして」
青年は、自分のかぶって来た饅頭笠を改めて兵馬に提出したが、これはなんらの文字を書こうとも言わず、それはまた提灯骨《ちょうちんぼね》で通してあるから墨の乗る余地もないもの。
これが縁で袖摺り合う間、二人は十年の知己の気分になって、ここで、おたがいに携帯の弁当を開き、水筒の水を啜《すす》って、会談多時でありましたが、青年は食事中に、歴史的知識を兵馬に授けました、
「ここです、この場所が、柴田勝家じだんだ[#「じだんだ」に傍点]の石というのです、織田信長が本能寺で明智のために殺された時、柴田勝家は北軍の大将として、佐々、前田らの諸将を率いて、越後の上杉と戦っていたのですが、変を聞いて軍を部将に托して置いて、急ぎ都をさして走り帰ったのですが、この、柳ヶ瀬のこの地点へ来ると、もはや羽柴秀吉が中国から攻め上って、山崎の一戦に明智を打滅ぼしたという報告を、ここで受取ったものですから、柴田が、猿面郎にしてやられたりと、地団駄を踏んだという言いつたえがあるのです」
「そうでしたか。してみるとこの地は、勝家にとってはなかなか恨みの多いところだ、万一、あの人が中原に近いところに領土を持っていたら、秀吉をして名を成さしめるようなことはなかったに相違ない」
「それはそうに違いないと僕も思いますが、また必ずしも、そうと断言のできないものもありますよ。僕は、これでもやっぱり北人ですから、勝家|贔屓《びいき》はやむを得ませんが、なにしろ、相手が秀吉ですからなあ。徳川家康でさえ、あの時に京畿の間にいたんですが、手も足も出ない、それを、あの秀吉が疾風迅雷で中国からかけつけて、ぴたぴたと形《かた》をつけてしまったんですからな、あれは天才ですから」
「しかし、あの時の家康は裸でしたから、手も足も出ないのが当然だが、勝家が近畿にいたら、あんなことはありますまい」
こんなことを語り合って、いざや両々、これでお別れという時に、青年が、
「僕、お別れに詩を吟じましょう、今のその渝州《ゆしゅう》に下るを一つ……」
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峨眉《がび》山月、半輪ノ秋
影ハ平羌《へいきやう》、江水ニ入《い》ツテ流ル
夜、清渓ヲ発シテ三峡《さんけふ》ニ向フ
君ヲ思ヘドモ見ズ渝州ニ下ル
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青年は高らかに、その詩を吟じ終ったが、自分ながら感興が乗ったと見えて、
「もう一つ――陽関三畳をやります」
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渭城《ゐじやう》の朝雨、軽塵を※[#「さんずい+邑」、第3水準1-86-72]《うる》ほす
客舎青々《かくしゃせいせい》、柳色新たなり
君に勧む、更に尽せよ一杯の酒
西の方、陽関を出づれば故人無からん
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「無からん、無からん、故人無からん」を三度繰返された時、誰もする別離の詩ではあるけれど、今日の兵馬の魂がぞっこんおののくを覚えました。
さて、と二人は立ち上りました。
ここで二人は、近江と越前へ、おたがいにまだ手に持って、頭に載せない取交わせの笠を手に振りながら、姿の見えなくなるまで、さらばさらばと振返り振返り別れました。
別れた後、兵馬は、この好青年にあらぬ使命を持たせたものだ、福井へいたりついて、尋ねる主を発見した時、この青年の驚異のほどが思われる。驚異はいいが、からかわれたと憤慨して、相手に当り散らされても困る。だが、あんな磊落《らいらく》な青年だから、相手が相手と知っても、一時はおやと驚くかも知れないが、すぐに打ちとけてしまって、さっぱりとあれを渡して、あの女からお礼に御馳走でもされて、かえって痛み入るというところだろう――とにかく、兵馬としては座興でもなし、遊戯気分でもなし、無邪気の青年をからかうような気分は少しもなく、むしろ、何か一片の真情が、脈々として心琴をうつものがある。
「忘れられない」
うつつ心に、こう言って、近江へ下る足がたどたどしい。
ほどなく近江へ出て、中の郷、木の本、はや見から長浜へ――長浜へ来て、兵馬は計らずも見のがせないものを認めてしまいました。
それは、長浜の岸を飛ぶ一人の急飛脚――ただの飛脚ならばなんでもないが、その足どり、身のこなし、たしかに見覚えのある、それは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ者に相違ないということを、確認したからです。
その瞬間に、万事を忘れて、
「あいつが来ているからには、何か事がある」
自分の胸へ、何とはつかず、ぴーんと来るものがありました。
六十一
神尾主膳は相変らず、勝麟太郎《かつりんたろう》の父、夢酔道人の「夢酔独言」に読み耽《ふけ》っている。
神尾をして、かくも一人の自叙伝に読み耽らしむる所以《ゆえん》のものは、かりに理由を挙げてみると、人間、自分で自分のことを書くというものは、容易に似て容易でない。第一、人間というやつは、自分で自分を知り過ぎるか、そうでなければ、知らな過ぎるものである。自分で自分を知り過ぎる奴は、自分を法外に軽蔑したり、そうでなければ自暴《やけ》に安売りをする。自分で自分を知らな過ぎる奴は、また途方もなく自分を買いかぶるか、そうでなければ鼻持ちもならないほど、自分を修飾したがる。
よく世間には、偽らずに自分を写した、なんぞというけれど、眼の深い奴から篤《とく》と見定められた日には、みんなこの四つのほかを出でない――極度に自分を買いかぶっている奴と、無茶に自分を軽蔑したがる奴、それから自暴に自分の安売りをする奴と、イヤに自分をおめかしをする奴――自分で自分をうつすと、たいていはこの四つのいずれにか属するか、或いは四つのものがそれぞれ混入した悪臭のないという奴はないのが、このおやじに限って、どうやらこの四つを踏み越えているのが乙だ。あえて自分をエラがるわけでもないし、さりとて乞食にまで落ちても、落ち過ぎたとも思っていないようだ。自分を軽蔑しながら、軽蔑していない。おめかしをして見せるなんぞという気は、まず微塵もないと言ってよかろう。
神尾のような人間から見ると、自分が、あらゆる不良のかたまりでありながら、人のアラには至って敏感な感覚にひっかかると、及第する奴はまず一人もない。大物ぶる奴、殿様ぶる奴、忠義ぶる奴、君子ぶる奴、志士ぶる奴、江戸っ子がる奴、通人めかす奴……神尾にあっては一たまりもない。新井白石の折焚柴《おりたくしば》を読ませても、藤田東湖の常陸帯《ひたちおび》を読ませても、神尾にとっては一笑の料《しろ》でしかあるに過ぎないけれど、夢酔道人の「夢酔独言」ばっかりは、こいつ話せる! いずれにしても、神尾をして夢中に読み進ましめるだけの内容を備えていることは事実で、そうして読み進む文面を、順を逐《お》って複写してみると、あれからの勝のおやじの自叙伝が次のようになっている。
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「ソレカラ、ダンダン行ッテ、大井川ガ九十六文川ニナッタカラ、問屋ヘ寄ッテ、水戸ノ急ギノ御用ダカラ、早ク通セト云ッタラ、早々人足ガ出テ、大切ダ、播磨様ダトヌカシテ、一人前払ッテオレハ蓮台《れんだい》デ越シ、荷物ハ人足ガ越シタガ、水上ニ四人並ンデ、水ヲヨケテ通シタガ、心持ガヨカッタ」
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勝麟太郎の親父――小吉ともいえば、左衛門太郎ともいう馬鹿者が、子供の時分から、箸《はし》にも棒にもかからない代物《しろもの》で、喧嘩をする、道楽をする、出奔をする、勘当を受ける、それもこれも、一度や二度のことではない。そのたわけ物語の書出しに、
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「オレホドノ馬鹿ナ者ハ世ノ中ニモアンマリ有ルマイト思ウ故《ゆえ》ニ、孫ヤ彦ノタメニ話シテ聞カセルガ、ヨク不法モノ、馬鹿モノノイマシメニ話シテ聞カセルガイイゼ」
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と言っている通り、馬鹿も度外れの馬鹿になっている。しかし家は剣道で名うての男谷《おたに》の家、兄は日本一の男谷下総守信友であって、それに追従する腕を持っていたのだから、始末が悪い。
最初の出奔は十四の時。乞食同様ではない、乞食そのものになりきって、海道筋をほうつき歩き、やっと江戸のわが家へのたりついたが、十九の年にまたぞろ出奔して、今度は前と違い、
[#ここから1字下げ]
「オレガ思ウニハ、コレカラハ、日本国ヲ歩イテ、何ゾアッタラ切死ヲシヨウト覚悟デ出タカラ、何モコワイコトハ無カッタ」
[#ここで字下げ終わり]
と、剣術道具を荷《にな》い、腹を据《す》えて出て来て、宿役人を愚弄《ぐろう》する、お関所を狼狽《ろうばい》させる、大手を振って東海道をのして来て、水戸の播磨守の家来だと言って、大井川にかかるところまで読んで来たので、これからがその読みつぎになるのです。
[#ここから1字下げ]
「ソレカラ遠州ノ掛川ノ宿ヘ行ッタガ、昔、帯刀《たてわき》ヲ世話ヲシタコトヲ思イ出シタカラ、問屋ヘ行ッテ、雨ノ森ノ神主中村|斎宮《いつき》マデ、水戸ノ御祈願ノコトデ行クカラ駕籠《かご》ヲ出セトイウト、直グニ駕籠ヲ出シテクレタカラ、乗ッテ、森ノ町トイウ秋葉街道ノ宿ヘ行ッタ、宿デ駕籠人足ニ聞イタラ、旦那ハ水戸ノ御使デ、中村様ヘ行カシャルト言ッタラ、一人カケ出シテ行キオッタガ、程ナク中村親子ガ迎エニ来タカラ、オレガ駕籠カラ顔ヲ出シタラ、帯刀ガキモヲツブシテ、ドウシテ来タト云イオルカラ、ウチヘ行ッテ委《くわ》シク咄《はな》ソウトテ、帯刀ノ座敷ヘ通リテ、斎宮《いつき》ヘモ逢ッタガ、江戸ニテ帯刀ガ世話ニナッタコトヲ厚ク礼ヲ云イオル、ソレカラ江戸ノ様子ヲ話シテ、思イ出シタカラ逢イニ来タト云ッタラ、親子ガ悦《よろこ》ンデ、マズマズ悠々ト逗留シロトテ、座敷ヲ一間明ケテ、不自由ナク世話ヲシテクレタカラ、近所ノ剣術遣イヘ遣イニ行クヤラ、イロイロ好キナコトヲシテ遊ンデ居タガ、ソノウチ、弟子ガ四五人出来テ、毎日毎日、ケイコヲシテイタガ、所詮ココニ長ク居テモツマラヌ故《ゆえ》、上方ヘ行コウト思ッタラ、長州萩ノ藩中ノ城一家馬トイウ修行者ガ来タカラ、試合ヲシテ、家馬ガ諸所歩イタトコロヲ書キ記シテイルウチ、家馬ガ不快デ六七日逗留ヲシタイトイウカラ、泊ッテイルウチハ立タレズ、イロイロト支度ヲシタラ、斎宮ハアル晩、色々異見ヲ云ッテクレテ、江戸ヘ帰レトイウカラ、最早決シテ江戸ヘハ帰ラレズ、此処《ここ》デ二度マデウチヲ出タ故、ソレハ忝《かたじけな》イガ聞カレヌト云ッタラ、ソンナラ、今暑イ盛リダカラ七月末マデ居ロトイウ故、世話ニモナッタカラ、振リ切ラレモ出来ヌカラ、向ウノ云ウ通リニシタラ、悦ンデナオナオ親切ニシテクレタ、毎日毎日、外村ノ若者ガ来テ、稽古ヲシテ、ソノ後デ、方々ヘ呼バレテ行ッタガ、着物ハ出来、金モ少シハ出来テ、日々入用ノモノハ、通帳《かよいちょう》ガ弟子ヨリヨコシテアルカラ、只《ただ》買ッテ遣ウシ、困ルコトモナク、ソコヨリ七里脇ニ向坂トイウ所ニ、サキ坂浅二郎トイウガイルガ、江戸車坂井上伝兵衛ノ門人故、江戸ニテ稽古ヲシテヤッタモノ故、ソコヘ度々《たびたび》行ッテ泊ッタガ、所ノ代官故ニ工面モイイカラ、オレガコトハイロイロシテクレ、ソレ故ニウカウカトシテ七月三日迄、帯刀ノウチニ逗留シテイタガ、アル日江戸ヨリ石川瀬兵衛ガ、吉田ヘ来ル序《ついで》ニ、今日ココヘヨルトイウカラ、座敷ノソウジヲシテイタラ、オレガ甥《おい》ノ新太郎ガ迎イニ来オッタカラ、ソレカラ仕方無シニ逢ッタラ、オマエノ迎エニ外ノ者ヲヤッタラ、切リチラシテ帰ルマイト、相談ノ上、ワタシガ来タカラ、是非共、江戸ヘ帰ルニシタ」
[#ここで字下げ終わり]
ここのところ、「帰るにした」と切ったところ、文章が少し変だと神尾も感じたが、文章字句の変なのは、ここにはじまったのではない。別段、文章家の文章というわけではないから神尾も深く気にしないで、いよいよ先生、また江戸へ逆戻りかな、しかしまあ旅先では、よくこんな馬鹿を人が相手にして、ちやほやともてなしたものだ、田舎《いなか》は人気がいいと、神尾がうすら笑いをしながらも、馬鹿とは言いながら、腕は持つべきものだ、本場で本当に鍛えた腕前があればこそ、田舎廻りは牛刀で鶏の気構えで歩ける、この点、江戸ッ子は江戸ッ子だ、そうなくてはならぬと、更に読みつづけて行く。
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「翌日、斎宮《いつき》ヲ立ッテ、段々帰ルウチ、三島ノ宿《しゅく》デ甥ガ気絶シテ大騒ギヲヤッタガ、気ガツイテ、ソレカラ通シ駕籠デ江戸ヘ帰ッタガ、親父モ、兄モ、ナンニモ云ワヌ故、少シ安心シテウチヘ行ッタ、翌日、兄ガ呼ビニヨコシタカラ行ッタラ、イロイロ馳走ヲシタ、夕方、親父ガ隠宅カラ呼ビニ来タカラ行ッタラ、親父ガ云ウニハ、オノレハ度々|不埒《ふらち》ガアルカラ、先ズ当分ハヒッソクシテ、始終ノ身ノ思案ヲシロ、所詮、直グニハ了簡ガツクモノデハナイカラ、一両年考エテ身ノ納マリヲスルガイイ、トカク、人ハ学問ガナクテハナラヌカラ、ヨク本デモ見ルガイイト云ウカラウチヘ帰ッタラ、座敷ヘ三畳ノ檻《おり》ヲコシラエテ置イテ、オレヲブチ込ンダ」
[#ここで字下げ終わり]
ざまあ見ろ! と神尾が案《つくえ》を打ちました。とうとう檻へブチこまれやがった、狂犬同様のやつだから是非もないが、三畳ではかわいそうだと、神尾主膳が小吉の身の上を笑止がって読みつづける。
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「ソレカラ色々工夫ヲシテ、一月モタタヌウチ、檻ノ柱ヲ二本抜ケルヨウニシテ置イタガ、ヨクヨク考エタトコロガ、皆ンナオレガ悪イカラ起ッタコトダト気ガツイタカラ、檻ノ中デ手習ヲハジメテ、ソレカライロイロ軍書本モ毎日見タ、友達ガ尋ネテ来ルカラ、檻ノソバヘ呼ンデ、世間ノコトヲ聞イテ頼《たの》シンデ居タラ、二十一ノ秋カラ二十四ノ冬マデ檻ノ中ヘ入ッテイタガ、苦シカッタ」
[#ここで字下げ終わり]
野郎とうとう監獄だ。三畳の檻も広くはないが、二十一から二十四までも短くない、苦しかったはずだ。おれもかなりしたい三昧《ざんまい》はしたが、まだ檻へブチ込まれた経験はない。でも、この野郎、ドコまでものんき千万に出来上っている。皆ンナオレガ悪イカラ起ッタコトダト気ガツイタ……も出来がいい。オレガ悪くないところがどこにある。二十一づらを下げて三畳の檻の中で手習ヲハジメたとはこれだけは感心だ。この神尾も、この歳になってはじめて手習をはじめている――友達がたずねて来たのを、熊の子じゃあるまいし、檻の内と外で、世間話を聞いて頼シンデいたがイイ。この場合楽しんでと書くより、頼シンデと書いた方が気分が出ている。それにしても、二十一から四までの三畳生活、身から出た錆《さび》とは言いながら、よく辛抱したものだ、おれにはそんな辛抱はできない、と神尾が思いました。
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「ソノウチ、親父ヨリ度々書取リニシテ、イケンヲ云ッテクレタ、ソノ時、隠居ヲシテ、息子ガ三ツニナルカラ家督ヲヤリタイトイッタラ、ソレハ悪イ了簡《りょうけん》ダ……」
[#ここで字下げ終わり]
悪イ了簡ではない、図々しいというものだ、と神尾が呆《あき》れました。檻へブチこまれたとはいえ、乱心しているわけでもなし、身体不具というわけでもない。二十四の盛りで、三ツの悴《せがれ》に家督を譲りたい、それは悪い了簡以上の図々しさだと、主膳が呆れて次を読むと、
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「コレマデイロイロノ不埒ガアッタカラ、一度ハ御奉公デモシテ世間ノ人口ヲモ塞ギ、養家ヘモ孝養ヲモシテ、ソノ上ニテ好キニシロト、親父ガ云ッテヨコシタカラ、尤《もっと》モノコトダト初メテ気ガ附イタ故……」
[#ここで字下げ終わり]
それ見ろ、それは親父の言うことがあたりまえの看板だ。それを今更になって、初めて尤ものことと気がついたもないものだ。
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「出勤ガシタイト兄ヘ云ッタラ、手前ガ手段デ、勤道具、衣服モ出来ルナラ、勝手ニシロ、オレハ、イカイコト手前ニハイリ上ゲタ故、今度ハ構ワヌトイッタ故、ソノ時ハオレガホホノ下ニハレ物ガ出テイテ寝テ居タガ、少シモ苦労ヲカケマイトイウ書附ヲ出シテ、檻ヲ出デ――」
[#ここで字下げ終わり]
出たな! なんとかかとか言って出してもらったな、これからがまた思いやられるよ――と神尾は苦笑をつづけつつ読む。
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「翌日、拝領屋敷ヘ行ッテ、家主ヘ談ジテ金子《きんす》二十両借リ出シテイロイロ入用ノモノヲ残ラズ拵《こしら》エテ、十日目ニ出勤シタ。
ソレカラ毎日毎日、上下《かみしも》ヲ着テ、諸所ノケンカヲ頼ンデ歩イタガ、ソノ時、頭《かしら》ガ大久保上野介ト云イシガ、赤阪|喰違外《くいちがいそと》ダガ、毎日毎日行ツテ御番入リヲセメタ、ソレカラ、以前ヨリイヨイヨ悪イコトヲシタコトヲ残ラズ書取ッテ、只今ハ改心シタカラ見出シテクレロト云ッタラ、取扱ガ来テ、御支配ヨリオンミツヲ以テ、世間ヲ聞糺《ききただ》スカラ、ソノ心得ニテ居ロトイウカラ、待ッテ居タラ、頭ガ、或時云ウニハ、配下ノ者ハイツモ隠スガ、御自分ハ残ラズ行路ヲ申聞ケタ故、諸所聞キ合ワセタ所ガ、云ワレタヨリハ事大キイ、シカシ改心シテ満足ダ、是非見立テヤルベシ、精勤シロトイウカラ、出精シテ、アイニハ稽古ヲシテイタガ、度々|書上《かきあげ》ニモナッタガ、トカク心願ガ出来ヌカラクヤシカッタ――」
[#ここで字下げ終わり]
まあ、とにかく、この辺で納まれば見つけたものだ、箸《はし》にも棒にもかからぬ代物《しろもの》だが、人間にはまだ見どころがある、この神尾のように腹まで腐りきってはいないところがあると、主膳も身に引きくらべてややさとるところがありました。
六十二
ここで勝の小吉が親父と言ったのは、実家|男谷《おたに》の父親のことで、平蔵と言い、兄というのは即ち下総守信友で、当時府下第一の剣客なので、その男谷平蔵の三男として生れた小吉が、勝家へ養子にやられたこの自叙伝の主人公、左衛門太郎夢酔入道であることは、神尾主膳も先刻承知の上で読み進んでいるのです。さすがのやくざ者も、この時代から漸《ようや》く目がさめて、人間並みになりかかったらしいことを、読みながら、神尾主膳は相当くすぐったがっている。さてまた自叙伝の読みつぎ――
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「コノ年、親父ヤ兄ニ云イ立テテ、外宅ヲシテ割下水《わりげすい》天野右京トイッタ人ノ地面ヲ借リテ、今迄ノ家ヲ引イタガ、ソノ時、居所ニ困ッタカラ、天野ノ二階ヲ借リテイタウチニ、俄《にわか》ニ右京ガ大病ニテ死ンダ故、イロイロト世話ヲシタガ、ソノウチ普請モ出来、新宅ヘ移リ居ルト、右京方ニテハ跡取ガ二歳故、本家ノ天野岩蔵トイウ仁ガ、久来ノ意趣ニテ、家督願ノ時|六《む》ツカシク云イ出シテ、右京ノ家ヲツブサントシタカラ、イロイロ揉《も》メテ片附カズ、ソノ時、オレガ本家トハ心安イカライロイロナダメ、トウトウ家督ニサセタ故、天野ノ親類ガ悦《よろこ》ンデ、猶々《なおなお》アトノコトヲ頼ミオッタカラ、世話ヲシテイルウチ、右京ノオフクロガ不行跡デ、ヤタラニ男グルイヲシテ、フダンソウドウシテ困ルカラ、セッカク普請ヲシタガ、ソノ家ヲ売ッテ外ヘ越ソウト思ッテ、右京ノ子金次郎ガ頭向キヘ云イ出シタラ、ソノ取扱ガ云ウニハ、今オ前ニ行カレルト、アトハ乱脈ニナルカラ、一両年居テクレロト云ウカラ居タガ、人ノコトハ修メテモ、オレガ内ガ修マラヌカラ困ッテイタラ、或老人ガ教エテクレタガ、世ノ中ハ恩ヲ怨《あだ》デ返スガ世間人ノ習イダガ、オマエハコレカラ怨ヲ恩デ返シテミロト云ッタカラ、ソノ通リニシタラ追々内モ治マッテ、ヤカマシイババア殿モ、段々オレヲヨクシテクレタシ、世間ノ人モ用イテクレルカラ、ソレカラ、人ノ出来ヌ六ツカシイ相談事、カケ合イソノ外何事ニ限ラズ、手前ノ事ノヨウニ思ッテシタガ、シマイニハ、オレニ刃向ッタヤツラガ、段々シタガッテ来テ、ハイハイト云イ居ル、コレモカノ老人ガ賜物トシ嬉シク……」
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ここまで来ると神尾は少し耳――ではない、眼が痛い。勝のおやじの馬鹿め、この辺で、そろそろ一転機を劃し出したな、重大な転向ぶりを示して来たようだ、おれは幾つになっても、その転換ができない――笑止千万と三ツ眼をひらめかす。さて、転向の角度から見ると、やくざ者の自叙伝が、どうやら修身書の第一巻のような気分が漂いはじめたので、神尾の三ツ眼が少々まぶしくなるのもぜひがないらしい。
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「同流ノ剣術遣イガ、不埒又ハツカイ込ミシテ途方ニ暮レテイル者ハ、ソレゾレ少シズツ金ヲ持タセテ諸方ヘ遣ワシ、身ノ安全ヲシテヤッタコト幾人カ数モ知レズ、ソノ後オレガ諸国ヘ行ッタ時、イカイコトトクニナッタ事ガアル、歩イタトコロデ、オレガ名ヲ知ッテイテ世話ヲシタッケ」
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まあ、ともかく、自分が人に苦労をかけただけに、人のために一肌ぬぐことも鼻にかからない俗に侠気《おとこぎ》というやつで、これが妙に人気を取返し、期せずして恩返しというやつにありつくものだ。この点は、おれも相当、人のために――といっても、いずれも人間並みの奴ではない、やくざ共の間のことだが、それでも相当に今日まで身銭《みぜに》を切っているから、今日のたれ死もしないで、トモカクこうして永らえてもいられる、ということを神尾主膳も、身につまされて、どうやら、自分もいっぱしの苦労人のような気分になりつつ読む。
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「天野ガ地面ニイルウチモ、トカク地主ノ後家ガコトデ、六ツカシイコトバカリ云ッテ困ッタカラ、三年メニ同町ノ山口鉄五郎ガ地面ヘ家作ガ有ルカラ引越シタガ、コノ鉄五郎ガ惣領ハ元ヨリ心易《こころやす》カッタガ、イロイロウチヲカブッタ時ニ世話ヲ焼イテヤッタ故、ソノバア様ガゼヒ地面ヘ来イトイウカラ行ッタ、コノ年勤メノ外ニハ諸道具ノ売買ヲシテ内職ニシタガ、初メハ損バカリシテ居ルウチ、段々慣レテ来テ金ヲ取ッタ、ハジメハ一月半バカリノウチニ五六十両損ヲシタガ、毎晩毎晩、道具屋ノ市ニ出タカラ、随分トクガ附イタ、何シロ、早ク御勤入リヲシヨウト思ッタ故、方々カセイデ歩イテイタウチニ――」
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神尾がニタリと笑って、天野の後家という奴が曲者だな、若後家になって、男ぐるいをはじめて、相当小吉をてこずらしたように書いてあるが、小吉の奴も相当のイカモノのくせに、こいつをこなせなかったというのはないもんだ、だが相性が違ったんだろう。ところで、今度は近所のばばア様から来いと言われて、そっちへ引越したのは、後家であったり、ばばア様であったりするが、妙に女臭い。そのうちに道具屋をはじめたのは勘所《かんどころ》だ。人間、遊び出してきて面《かお》が広くなると、ばったり行きつまるのは水の手だ。その手で、この神尾もどのくらい苦労したことか。男になるには金がいる、金のなる木を持っていない限り、ちっとやそっとの知行と財産があったからとて、続くものではない。その点は自給自足の道が立たない限り、伊達者《だてしゃ》は通らぬ。おれもその手で苦しんだ、だが、道具屋をはじめようとは思わなかった。ところが、こいつは手軽に道具屋をおっぱじめて、くろうとはだしの取引を平気でやり出すだけの身軽さがある、この辺が小身《しょうしん》に生れた利益だ。道具屋とはうまいことを考えたが、つまり骨董屋《こっとうや》なんだろう、掘出し物では相当まとまった金も儲《もう》けられない限りはない。最初のうち損をしたというのも、そうありそうなこと、ようやく本職になって収入が出て来たとは憎い、おれも早くその辺に気がついて道具屋になればよかったな。先祖から伝来のものだけでも売食いしても相当のものはあったが、商売気がないから、みんな質流れか、或いは二束三文。あれをもとに道具屋開業――なぜあの時それだけの知恵が出なかったか。トニカク勝のおやじめ、商売の筋を覚えたとなると、もう占めたものだ。が、商売というやつは儲かることばかりあるんじゃない、いつまでこの手で兵糧がつづくかな。待てよ、そこで、商売どころではない、あいつの身に重大な不幸が起ったらしいぞ。
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「男谷ノ親父ガ死ンダカラ、ガッカリトシテ、何モイヤニナッタ」
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親父が死んだそうな。死んだ親父もこいつのためにはどのくらい苦労をしたか、死んで、悴《せがれ》の方ではガッカリシタの一句で片づけているが、相当に無常を感じたことは、何モイヤニナッタの自暴《やけ》半分の言葉つきでもわかる。何の病気で、どうして親父が急死したか。
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「シカモ卒中風トカデ一日ノウチニ死ンダカラ、ソノ時ハオレハ真崎イナリヘ出稽古ヲシテヤリニ行ッテイタカラ、ウチノ小侍ガ迎イニ来タカラ、一散ニカケテ親父ノトコロヘ行ッタガ、最早コトガ切レタ、ソレカライロイロ世話ヲシテ翌日帰ッタ、毎日ソノ事ニカカッテ居タ、息子ガ五ツノ時ダ、ソレカラ忌命ガ明イタカラ又々カセイダ」
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親父の死んだ時、自分の倅が五歳になっていた。この五歳になっていた倅が、今時評判になっている勝麟《かつりん》なのだ。さ、いつごろ安房守《あわのかみ》に叙爵したっけかな――トニカク、鳶《とび》が鷹《たか》を産んだのか、いや、この親にしてこの子ありか、人間の万事はわからぬものだ、と神尾が思いました。
六十三
さあ、今までの不良が、多少とも改心をして、これから面《かお》が少し広くなり出すと、感心に道具屋を始めてアウタルキーを志したのはいいが、士族の道具屋が、いつまで続くものかなあ――と神尾が甘酸《あまず》っぱい面をしながら読んで行く。
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「コノ年十月、本所猿江ニ、摩利支天《まりしてん》ノ神主ニ吉田兵庫トイウ者ガアッタガ、友達ガ大勢コノ弟子ニナッテ神道ヲシタ、オレニモ弟子ニナレトイウカラ、行ッテ心易《こころやす》クナッタラ、兵庫ガイウニハ、勝様ハ世間ヲ広クナサルカラ、私ノ社《やしろ》ヘ、亥《い》ノ日講《ひこう》トイウノヲ拵《こしら》エテ下サイマセ、ト頼ンダカラ、一カ月三文三合ノ加入ヲスル人ヲ拵エタガ、剣術遣イハイウニ及バズ、町人百姓マデ入レタラ、二三カ月ノ中ニ、尚五六十人バカリ出来タカラ、名前ヲ持ッテ、兵庫ニヤッタラ、悦ンデ受取ッタ、ソレカラ一年半カカッタラ、五六百人ニナッタ、全クオレガ御陰ダカラ当年ハ十月亥ノ日ニ、神前ニテ十二座ノ跡デ踊リヲ催シテ神イサメヲシタイトテ頼ムカラ、先《ま》ズ講中ノ世話人ヲ三十八人拵エタ、諸所ヘ触レテ、当日参詣ヲシテクレロト云ッテヤリ、ソノ日ニハ皆々見聞ノタメダカラ、世話人ハ残ラズ、御紋服ヲ着テクレロトイウカラ、ソノ通リニシテヤッタラ、兵庫ハ装束ヲ着テ居タ、段々参詣モ多ク、初メテコノヨウナ賑《にぎ》ヤカナコトハナイトテ、前町ヘハイロイロ商人ガ出テ居タ、ソレカラ講中ガ段々来ルト、酒肴デ、アトデ膳ヲ出シテ振舞ッテ居ルト、兵庫メガ、イツカ酒ニ酔ッテ居オッテ、西久保デ百万石モ持ッタツモリヲシ、オレガ友達ノ宮川鉄次郎ト云ウニ、太平楽ヲヌカシテコキ遣ウ故、オレガオコッテ、ヤカマシク云ッタラ不法ノ挨拶ヲシオル故、中途デオレガ友達ヲ皆ンナ連レテ帰ッタ、ソウスルト多クノ者ガツカイヲ云ッテアヤマルカラ、オレガ云ウニハ、ヒッキョウハコノ講中ハ、オレガ骨折故出来タヲ有難クハ思ワナイデ、太平楽ヲヌカスハ物ヲ知ラヌ奴ダカラ、講中ヲバ抜ケルカラ、ソウ云ッテクレロト云ウタラ、大頭伊兵衛、橋本庄兵衛、最上幾五郎トイウ友達ガ、尤《もっと》モダガ、セッカク出来タノニオ前ガ断ワルト、皆々断ワル故《ゆえ》、兵庫今更後悔シテアヤマルカラ、許シテヤレト種々イウカラ、ソンナラ以来ハ御旗本様ヘ対シ、慮外致スマイト云ウ書附ヲ出セトイッタラ、ドノ様ニモサセルカラト云ウ故、宮川並ビニ深津金次郎トイウ者ト一所ニ兵庫ノトコロヘ行ッタ、ソウスルト、大頭伊兵衛ガ道マデ来テ云ウニハ、オマエガオ入リニハ、兵庫ハカリ衣《ぎぬ》ヲ着テ門マデオ迎エニ出ル、ソレカラ座敷ヘ出ロ、昨日ノ不調法ヲワビサセルカラ挨拶ヲシテヤレト云ウカラ、聞届ケタトイエ、ソレカラハ講中ガ残ラズ出テ馳走ヲスルカラ、アトデハ決シテ右ノ咄《はなし》ハシテクレルナトイウカラ、オレガ云ウニハ、残ラズ承知シタガ、外ノ者ヘヨクヨク口留メヲシナサイ、モシモ昨日ノ咄ヲシタヤツガ有ルソノ時ハ、世話人ガウソツキニナルカラ、片ハシヨリ切ッテ仕舞ウツモリデ来タカラ、ヨク云イ聞カシテ置キナサルガイイトテ、イジョウヲコメテ帰シタ、間モナク兵庫ガ宅ヘ行ッタラ、同人ガ迎エニ出ルシ、世話人モ残ラズ玄関マデ出タガ、座敷ノ正面ヘ通ッタラ、刀カケニオレガ刀ヲカケテ、皆々座ニツイタ、兵庫モ出テ、オレニ昨日ハ酒興ノ上無礼ノ段々恐レ入ッタリ、以来慎シミ申スベキ由、平伏シテ云イオルカラ、オレガイウニハ、足下ハ裏店神主《うらだなかんぬし》ナル故、何事モ知ラヌト見エル、御旗本ヘ対シテ不礼言語同断ノ故|咎《とが》メシナリ、講中|漸々《ようよう》広クナラントスル時ニ、最早心ニ奢《おご》リヲ生ジタ故、右ノ如ク不礼アリ、随分慎ンデ取続ク様ニトテ、ソレカラ一同ガオレニイロイロ機ゲンヲ取リテモテナシタガ、酒ガキライ故ニ、人々酔ッテ騒グヲ見テイタラ、兵庫ノ甥《おい》ニ大竹源二郎トイウ仁ガ有リ、オレガ裏店神主ト云ッタヲ聞キオッテ腹ヲ立テ、キノウノシマツヲ、宮川ヲダマシテ聞キオリ、小吉ハイラヌ世話ヲ焼ク、宮川ノコトデ、伯父《おじ》ニ大勢ノ中デ恥ヲカカシオッタ、是カラオレガ相手ダ、サア小吉出ロ、トイッテソノ身御紋服ヲ着ナガラ、鉢巻ヲシテ、片肌ヌギデ座敷ヘ来ル故ニ、知ラヌ顔シテ居タラ、直ニオレガ向ウヘ立ッテジタバタシオルカラ、オレガイウニハ、大竹ハ気ガ違ウタソウダ、雑人《ぞうにん》ノ喧嘩ヲミタヨウニ、鉢巻トハ何ノコトダ、武士ハ武士ラシクスルガイイ、此方《こっち》ハ侍ダカラ中間《ちゅうげん》小者《こもの》ノヨウナコトハ嫌イダト云ッタラ、フトイ奴ダトテ吸物膳ヲ打附《ぶっつ》ケタカラ、オレガソバノ刀ヲ取ッテ立上リ、契約ヲ違エテ、タワ言ヲヌカスハ兵庫ガ行届カザルカラダ、甥ガ手向ウカラハ云イ合ワセタニチガイナイカラ、望ミ通リ相手ニナッテヤロウト云ッタラ、大竹ガクソヲ喰《くら》エトヌカシタカラ、大竹ヨリ先ヘツキハナシテ出ヨウト思イ、追ッカケタラ、皆ンナガ逃ゲ出シタ、ソレカラ兵庫ガ勝手ノ方ヘ大竹モ逃ゲタカラ追イ行クト、折ワルク兵庫ガ納戸《なんど》ヘオレガ入ッタラ、大勢ニテ杉戸ヲ入レテ押エテ居ルカラ、出ルコトガ出来ヌ、大竹ハ恐レテ丸腰デ、ウヌガ屋敷ノ伊予殿橋マデ帰ッタガ、ソレカラ大勢ガ杉戸口ヘ来テ、イロイロニ云ウカラ、許シテヤッタラ、大竹ト和ボクシテクレト云イオルカラ、大竹ガ不礼ノコトヲトガメタシ、色々アツカイガハイッテ、特ニハ大竹ガオフクロガ泣イテ詫《わ》ビルカラ、伊予殿橋ヘ呼ビニヤッテ、源太郎ガ来タカラ、段々酒酔ノ上、恐レ入ッタトテ、殊更相支配ユエニ、何卒《なにとぞ》御支配ヘハ話ヲシテクレルナトテ、和ボクヲシタ、ソレカラ酒ガ又出テ、大竹が云ウニハ一パイ飲メトイウカラ、酒ハ一向呑メヌトイッタラ、ソレハマダ打チトケヌカラダトヌカス故、盃《さかずき》ヲヨウヨウ取ッタラ、吸物椀デ呑メト皆ンナガ云ウ、カンシャクニサワッタカラ、吸物椀デ一パイ呑ンダラ大勢ヨッテ、今一パイトヌカスカラ、ソレカラツヅケテ十三杯呑ンダ、後ノヤツラハ呑ンデイロイロ不作法ヲシタカラ、オレハソノ席デ少シモ間違ッタコトハシナカッタ、兵庫ガ駕籠《かご》ヲ出シタカラ、乗ッテ橋本庄右衛門ガ林町ノウチマデ来タガ、ソレカラ何モ知ラナカッタ、ウチヘ帰ッテモ三日ホドハ咽喉《のど》ガ腫《は》レテ、飯ガ食エナカッタ、翌日皆ンナガ尋ネテ来テ、兵庫ガウチノ様子ヲイロイロ話シテ、ソノ時、橋本ト深津ハ後ヘ残ッテ居テ、以来ハ親類同様ニシテクレトイウテカラ、両人ガ起請文《きしょうもん》ヲ壱通ズツヨコシタ、ソレカラ猶々《なおなお》本所中ガ従ッタヨ、兵庫ガ脳ガ悪イカラ、講中モ断ワッテヤッタ、ソノ時オレガ加入シタ分ハ、残ラズ断ワッタ故、段々スクナクナッテツブレタヨ」
[#ここで字下げ終わり]
なんだ、くだらない、こんな奴に講中を頼む神主も神主だが、檀那《だんな》ぶりをして、満座の中で裏店神主はヒドイ、こいつは甥なるものがオコルのが当然だ、全く埒《らち》もない奴等だが、さて、こうなってみると酒が飲みたいな、吸物椀で一ぱい、ぐうーっとやりたいな。
飲める奴なら吸物椀で十三杯も、さして驚くには当らないが、てんで呑まない奴が十三杯は利《き》いたろう。こうなるとおれも、生きのいいやつを、塗りのあざやかな吸物椀でグイグイ引っかけたくなったよ、と神尾主膳が一応、書巻を伏せて、咽喉をグイグイと鳴らしました。
六十四
咽喉をグイグイと鳴らしたけれど、いずれを見ても酒はなし、吸物椀もないし、咽喉を鳴らし、津《つ》を飲みながら、またも書物を取り上げたのは、一つは所在なさと、一つは書物に対する興味、いわゆる巻を措《お》くに忍びずというやつであろうかと思われること。
その途端、
「チワ――これはこれは、御書見の体《てい》、小人閑居して不善を為《な》し、大人静坐して万巻の書、というところでげすか、いや、恐れ入ったものでげす」
いやはや、イケ好かない奴が来たもので、例の鐚《びた》であります。
「鐚か――一ぱい飲みたいと思っていたところだ」
「イケません、せっかく聖賢の書をひもといて善良な感化に落着きあそばそうというその途端に、酒というやつが悪魔! そもそも、和漢をいわず酒を賞すること勝計すべからず、放蕩《ほうとう》の媒《なかだち》、万悪の源、時珍が本草ことごとく能毒を挙げましたが、酒は百薬の長なりと賞《ほ》めて置いて、多く食《くら》えば命《こん》を断ったと言いましたぜ」
「えらく貴様、今日に限って学者ぶるな」
「ちっとばかり学問をして参りやした、時にごらんあそばす聖賢の書はいったい何でござりますな、大学でげすか、論語でげすか。君子に三ツの戒めあり、少之時《わかきとき》は血気|未《いま》だ定まらず、戒しむること色にありス、酒に次いでは色の方をつつしまずんばあるべからず」
「この野郎!」
「この野郎は怖れやす、殿様ともあろうお方のお言葉とも覚えやせん。さて、鐚儀《びたぎ》、今日の推参の次第と申しまするは、決して色の酒のと野暮《やぼ》な諫言立《かんげんだ》てのためにあらず――近来稀れなる風流の御相談を兼ねて参じやした」
「風流――風通《ふうつう》の間違いだろう、風通の一枚もこしらえたいが、銭がねえというところだろう」
主膳も、いささかアクドイ応酬を致しましたが、鐚に於ては洒唖乎《しゃああ》たるもので、
「どう致しやして、衣食足って礼節を知る、古人はいいところを言いやした、鐚儀が不肖ながら食物は今朝アブ玉で、とんとお腹いっぱいこしらえて参じやした、食の方は事足りて余りあり、衣の方に於きましては、これごらんあそばせ、上着が空色の熨斗目《のしめ》で日暮方という代物《しろもの》、昼時分という鳶八丈《とびはちじょう》の取合せが乙じゃあございませんか。それにこれ下着が羊羹色《ようかんいろ》の黒竜門、ゆきたけの不揃《ふぞろ》いなところが自慢でげして、下がこうごうぎと長くて、上へ参るにつれてだんだんに短く、上着は五寸も詰った、もえるのツンツルテン、舶来飛切りでげすよ、羽織がこれ萌黄《もえぎ》の紋綾子《もんりんず》で、肩のあたりが少々|来《きた》っておりまする」
「うむ、なるほど、田舎の貧乏医者という衣裳づけだ、熨斗目が利いているよ」
「かくの通り、衣食足って礼節は、本来ビタの地《じ》にあることなんでげす、現に殿様の御身の上の栄枯盛衰にかかわらず、かくまで忠義の志をかえぬことによって充分に御賢察が願いたい――衣も足り、食も足り、懐ろ工合の方も、当節は異人館出入りのために外貨獲得てやつが成功いたしやして、至極豊かでござりやす、かくて最後に来《きた》るものが風流――その風流の御相談に参じやした」
「まあ、言ってみろ」
「拙《せつ》のお出入りの旦那に三一小僧《さんぴんこぞう》というのがござりやして、その旦那が近頃、和歌に凝り出したと思召《おぼしめ》せ」
「和歌――歌だな」
「いわゆる、みそひともじなんでげす。その旦那が次のような歌をお詠《よ》みになりまして、鐚、どんなもんだ、点をしてくれろとおっしゃる、内心ドキリと参りましたね、実のところ、鐚も十有五にして遊里にはまり、三十にして身代をつぶした功の者でげして、その間《かん》、声色、物まね、潮来《いたこ》、新内、何でもござれ、悪食《あくじき》にかけちゃあ相当なんでげすが、まだ、みそひともじは食べつけねえんでげすが、そこはそれ! 天性の厚化粧、別誂《べつあつら》いの面《つら》の皮でげすから、さりげなくその短冊を拝見の、こう、首を少々横に捻《ひね》りましてな、いささか平貞盛とおいでなすってからに、これはこの新古今述懐の――むにゃむにゃと申して、お見事、お見事、ことに第五の句のところが何とも言えません、と申し上げたところが、ことごとく旦那の御機嫌にかなって、錦水を一席おごっていただきやしたが、実のところ、鐚には歌もヌタもごっちゃでげして、何が何やらわからねえんでげす、後日に至りやして、三一旦那から再度の御吟味を仰せつかった時にテレてしまいますでな、どうか、その御解釈のところを篤と胸に畳んで置きてえんでございます。これがその三一旦那から頂戴に及んだ短冊でげして」
「そうか、貴様が贔屓《ひいき》になる三一旦那というのが和歌を詠んで、貴様に見せた、和歌の和の字も知らない貴様も、旦那のものだから無性に褒《ほ》めて置いたが、中身は何だか一向わからん、それで後日|糺問《きゅうもん》されると困るから、一応おれに見て講義をして置いてくれというわけだな」
「まさに仰せの通り――鐚儀、お弟子入り、お弟子入り」
「どれ見せろ」
と神尾主膳が、鐚の手から短冊を受取って、それを上から読みおろしてみると、
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かながはで、蒸気の船に打乗りて、
一升さげて、南面して行く
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「何だ、これは」
神尾が、甚《はばはだ》しく不興な面をして、短冊をポンと抛《ほう》り出したものですから、鐚があわててこれを拾い上げて後生大切に袖で持ち、
「めっそうな! 大尽《だいじん》のお墨附! めっそうな」
仰々しく取り上げて、恨み面にじっと主膳の面を見上げていると、
「貴様の贔屓を受けている三一旦那とやらは、いったい何者だ!」
主膳が、怒鳴りつけるように一喝《いっかつ》したその調子が変ですから、鐚があわてて、逃げ腰になりました。
「三一旦那、当時舶来、エレキ屋の三一旦那! 大したもんでげす、商業界きってのお大尽でげす」
「貴様にとっちゃ旦那かお大尽か知らないが、その歌のザマは何だ、そんなものが、人に見せられるか、人を愚弄《ぐろう》するにも程のあったもんだ」
「イケやせんか、なっとりゃせんか、和歌の法則から申しますと」
「馬鹿、和歌も詩歌もあるものか、そんなものを、よく人中へ出したもんだ、こっちへよこせ、揉《も》みくちゃにして火鉢にくべてやる」
「じょ、じょうだんでげしょう、ドル旦のお大尽のお墨附! 愚拙が家の家宝――何とあそばします」
神尾の余憤は容易に去らない。冗談にしろ、和歌を持って来たから直してくれとか、評をしてくれとかいうことになると、なあに、この野郎がもたらすものだと軽蔑しながらも、その風流のやや向上気味なるを取らないでもないが、もたらしたその三一旦那《さんぴんだんな》の歌というやつが、茶漬にもならない代物《しろもの》だから、主膳もおのずから不興になったので、その不興が相当真剣になっているので、鐚《びた》も多少怖れている。
「そりゃ、あなた、お大尽と申しやしたところで、根が町家の商人のことでげすから、高家《こうけ》歌よみ家のようなわけには参りません、町人のお大尽でも、このくらいの風流があるというところも買っていただかなけりゃ。あなた、三一旦那は定家卿《ていかきょう》でも、飛鳥井大納言《あすかいだいなごん》でもございません、そう、殿様のように頭からケシ飛ばしてしまっては、風流というものが成り立ちません、第一、初心のはげみになりませんから、何とか一つ、そこは花を持たせていただきてえもんでござんして」
「黙れ黙れ! 言語道断の代物だ――笑って済むだけならまだいいが、見て嘔吐《へど》が出る、ことに、第五句のところ……」
「そこでげす!」
「そこが、どうした」
「鐚がそこを賞《ほ》めやしたところが、ことごとくお大尽のお気にかないました」
「馬鹿野郎!」
「これは重ね重ねお手厳しい、そういちいち、馬鹿の、はっつけ[#「はっつけ」に傍点]のと、あくたいずくめにおっしゃっては、風流が泣くではございませんか、第一殿様の御人体《ごにんてい》にかかわります、お静かにおっしゃっていただきてえ」
「その第五句の南面という言葉がはなはだ穏かでない、町人風情のかりそめにも用うべからざる語だ」
「へえそんなたいそうな文句を引張り出したんでげすか」
「南面というのは天子に限るのだ、この文句で見ると、三一旦那なるものは、何か蒸気船に乗って南の方へでも出て行く門出のつもりで、こいつを唸《うな》り出したものだろうが、南面して行くとは、フザケた言い方だ、勿体ないホザき方だ――ただ笑うだけでは済まされない、不敬な奴だ!」
「へえ――大変なことになりましたな」
「これ、ここへ出ろ、鐚、おれはこう見えても――物の分際ということにはやかましい、痩《や》せても枯れても神尾主膳は神尾主膳だ、鐚は鐚助――三一風情がドコへ行こうと、こっちは知ったことではないが、南面して行くとホザいたその僭越が憎い! おれは忠義道徳を看板にするのは嫌いだが、身知らずの成上り者めには癇癪が破裂する、よこせ!」
と言って神尾主膳は、鐚の油断している手から大事の短冊をもぎ取って、寸々《ずたずた》に引裂いて火鉢の中へくべてしまい、
「あっ!」
と驚いて、我知らず火鉢の中をのぞき込む鐚の横っ面を、イヤというほど、
「ピシャリ」
「あっ!」
鐚助、みるみる腫《は》れ上る頬っぺたを押えて、横っ飛びに飛んで玄関から走り出しました。
六十五
ビタをハリ飛ばしておいてからの神尾主膳は、その足で台所へ行って、膳棚の上から備前徳利を一つ取り下ろして振り試みると、まだカタコトと若干の音がする。それをそのまま提《さ》げて、次に相馬焼の癖直しの湯呑のようなのを取り下ろし、再び以前の書斎へ戻ってホッと一息つき、その備前徳利から、ちょうど相馬焼に一ぱい分残った残滴を酌《く》んで、咽喉《のど》をうるおしながら、以前の書物の丁を追いました。
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「アル時、橋本庄右衛門ヘ妙見ノ帰リガケニ行ッタラ、殿村南平トイウ男ガ来テ居タカラ、近附《ちかづき》ニナッタガ、ソノ男ガ云ウニハ、オマエ様ハ天府ノ神ヲ御信心ト見エマスガ、左様デ御座リマスカト云ウカラ、年来妙見宮ヲ拝ストイッタラ、左様デ御座リ升《ます》、御人相ノ天帝ニアラワレテオリマスト云イオル、ソレカライロイロ咄《はな》シテイルト、奇妙ノコトヲ種々咄スカラ、ヨク聞イタラ、両部ノ真言ヲスルトイウカラ、面白イ人ダト思ッテイタラ、橋本ガ親類ノ病人ノコトヲ聞イタラ、ソノ死霊ノ者ハ男ダト云ッテ、年カッコウ、ソノ時ノ死ニヨウマデ、ツブサニ見タヨウニ云ウカラ、橋本ニ聞イタラ、ソノ通リダト云ウカラ、大キニ恐レテ、弟子ニナリタイト頼ンダラ、随分法ヲ教エテヤロウト挨拶スルカラ、ウチヘ連レテ来テソノ晩ハ泊メタ、ソレカラ真言ノコトヲイロイロ教エテ、先ズ稲荷ヲ拝メトテソノ法ヲ教エタ、病人ノ加持ノ法又ハ摩利支天ノ鑑通ノ法、修行術種々、二カ月バカリニ残ラズ教エテクレタ、ソレカラコノ南平ハボロノナリ故、色々|入用《いりよう》ヲカケ、謝礼|旁々《かたがた》一年半バカリニ四五十両カケタ、本所デモ大勢弟子ガ出来テ、シマイニハ弥勒寺ノ前ノ小倉主税ト云ウ仁ノ屋敷ヘ住ンデイタ、日々、病人、迷人、ソノホカ加持祈祷ヲシ、御番入リノ祈祷ヤ何ヤイロイロ諸方ヨリ頼ンダガ、オレガ初メ見出シタ故ニ、南平モ悦《よろこ》ンデ、オレノコトイロイロ骨折リヲシテクレタ」
[#ここで字下げ終わり]
野郎いよいよ千三屋《せんみつや》だ、今度は御祈祷屋を開業――と神尾は註を入れて読み出すと、
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「近藤弥之助ノ内弟子ノ小林隼太モ、トウトウオレノ家来ニナツタカラ――」
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近藤弥之助というのは、やっぱり幕下《はたもと》で、今時指折りの剣術遣いの一人で、そいつの内弟子の小林という奴、前にも相当の代物であった、こいつも、いよいよ勝の馬鹿親爺の弟子となったと見えるな、しかし、どういう了見《りょうけん》だか知れたものではない――
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「毎日毎日来テ、イロイロト奉公ヲシタガ、ウチガナイ故、浅草ノ入屋[#「入屋」に傍点]ニテカナリノ家作ガアルカラ買ッテヤッタ、剣術仲間ヘ頼ンデ稽古場ヲ出シテヤッタ、下谷ムレ[#「ムレ」に傍点]ガヒイキニシテクレル故、内職ニハ大小売買ヲシテイタガ、シマイニハ金廻リガヨクナッテ、フダン身ノ上ノ世話ヲシオッタガ、悪ガシコイ奴デ、仲間ハ皆ンナガイロイロハグラカサレタ、江戸ヲ三度借倒シテ三州ヘ行キオッタガ、オレニハイツモ咄《はな》シテ逃ゲタ、又江戸ヘ出ロトイッテモ、オレガ手紙ヲ附ケテ、仲間中ヘ借倒シノワケヲシテヤルト、ミンナガ損ヲシタコトハソレナリニシテクレタ、トウトウ七八十両ノアビセデ三州ヘ行キオッタガ今ニ帰ッテ来ヌ、三州デドウニカ人間ニナッタト云ウコトダ、ソレハオレガチョウシヘ行ッタ時、向島ノ兼ト云ウ男ニ聞イタ、兼ガ遠州ノ秋葉ヘ参詣シタ時ニ、鳳来寺ニテ逢ッタト、ソノ時ハ綺麗《きれい》ノナリデ居タト、オレノハナシヲシテ、二時《ふたとき》バカリ休ンデ居テ別レタト聞イタ」
[#ここで字下げ終わり]
こいつ同病相憐み、自分が自堕落だから、自然、相当に自堕落の世話もするところが妙だ。
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「或日、小倉主税ノ宅デ、神田黒川町ノ仕立屋ニ逢ッタガ、コイツハ、カゲ富《とみ》ノ箱屋ヲスル奴ダガ、オレガ懇意ノ徳山主計トイウ仁ガ、至ッテ富ヲ好キデ、南平ニ富ヲ頼ンダ故ニ、今日ハ富ノ日ダカラ寄加持《よせかじ》ヲスルトッテ、主税ノ宅ヘ大勢ソノムレ[#「ムレ」に傍点]ガ寄ッテ来テ、ヨセ加持ヲ始メヨウトスル時、オレガ知ラズニ行ッタラ、大勢|揃《そろ》ッテイルカラ、様子ヲ聞イタラ右ノ次第ヲ咄《はな》ス故、ソノ席ニイテ始終ノ様子ヲ見タラ、南平ガ女ヲ呼ンデ、種々|祷《いの》ッテ護摩ヲタイテカラ、女ノ中座《なかざ》ニ幣束ヲ持タセテ神イサメヲシテ、少シ過ギルト、女ガ口バシリデ、今日ハ六ノ大目、当リハ何番ノ何番ト云ウ故、一同ガ嬉シガッタ、ソレカラ上ゲテ仕舞ウカラ、南平ヘオレガ云ウニハ、ハジメテ見テ恐レ入ッタ、シカシ是レハ随分出来ルコトダロウト云ッタラバ、仕立屋メガ直グニ口ヲ出シテ、勝様ガ仰セデハアルガ、ナカナカ容易ニハ寄加持ハ出来ヌ、ソノ訳ハ悉《ことごと》ク法ガ有ルト云イオルカラ、ソレハ尤《もっと》モダガ、ヨクツモッテ見ロ、南平ハ何処《どこ》ノ馬ノ骨ダカ知ラナイガ、アノ通リスルガ、オレハ生レナガラ御旗本デ身分モ尊シ、ソノオレガ一心ヲ誠ニシテ寄セタラ、神ハ速《すみや》カニ納受ガ有ロト思ウ故ニ云ウノダ、南平ニ聞クニ、オノシガ出過ギタコトヲイウトハ失礼ダト叱ッタラバ、仕立屋ガ云ウニハ、ソレハアナタガ御無理ダ、神事ニハ法ト云ウ物ガアリマストテ、イロイロヌカス故、オレガ座敷ノ真中ヘ出テ、先ズ論ハ無益ダカラ、手前ハ自分ノ前ヘ出テ礼ヲシロ、許スト云ワヌウチニ手前ノ額ガ上ッタラ、オレハ直チニ手前ノ飯焚ニナロウカラ、サア来イトイッタラ、大勢ガケンマクヲ見テ取リ、イロイロ挨拶スルカラ、ソレハ許シタガ、何シロソレホド出来様ト思ウナラ直グニ寄加持ヲシテ見ロトイウカラ、水ヲ浴シテ、先ノ女ヲ呼ンデ祈ッタラ、南平ガシタ通リイロイロ口走リオッタカラ、仕舞ッテカラ高慢ヲ云ッテ帰ッタガ、ソレカラミンナガ、南平ヘ頼ムト金ガイル故、オレニバカリ頼ンダ、徳山ノ妹ヲ一度南平ニ寄セテクレロト主計ガ頼ンダラ、生霊ガ附イテアルカラ、二三日ソノ生霊ヲハナサナケレバナラヌ故、金五両ホドカカルト云ッタカラ、同人ガオレニ咄《はな》ス故、三晩カカッテ放シテヤッタ、ソレカラ南平ハオレヲ恨ンデ仲ガ悪クナッタ、カゲ富デモ九十両、徳山ト一所ニトッタ、ソレヨリ、十、二十位ハ幾度モ取ッタコトガアル」
[#ここで字下げ終わり]
千三屋《せんみつや》が、骨董《こっとう》の仲買から御祈祷師、こんどは富《とみ》の当り屋とまで手を延ばしたが、相当成功するところが妙だ。九十両も一度にとり込み、十両、二十両は朝飯前ということになってみると、この商売も乙だ、おれも一つこの手をやろうか――なんぞと神尾も妙に気を廻したが、勝や男谷と違って、同じ旗本でもおれは格が違う、そんな真似ができるかと一喝《いっかつ》し、読みつづける。
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「行《ぎょう》ハイロイロシタガ、落合ノ藤イナリヘ百日夜々参詣シ、又ハ王子ノイナリヘモ百日、半田稲荷ヘモ百日参シタ、水行ハ神前ニ桶ヲ置イテ百五十日三時ズツ行ヲシタ、シカモ冬ダ、ソノ間ニハ種々ノコトガ有ッタガ、ココヘハ漏ラシタ、断食モ三四度シタガ出来ヌト云ウコトハナイモノダ」
[#ここで字下げ終わり]
こいつは断然おれにはできぬと、神尾が考えました。ここにはこともなげに書いてあるが、冬の最中に、百日も百五十日も水行《みずぎょう》をする、そういうことは、剣術遣いの勝なればこそやれるが、おれにはできぬ、なかなか荒行をやる。本来、この自叙伝には、乱暴、喧嘩、かけおち、すいきょう、座敷牢、千三屋、ロクでもないことには多分に紙筆を費しているくせに、自分の修業のことになると、あんまり書いていないようだが、勝のおやじとても、そうロクでないことばかりではない、本職の剣術をはじめ、相当の鍛錬を積んでいるはずだ。それを事々しく書かないで、馬鹿を尽したことばかり書いてあるから、ややもするとそこんところを見損う。今となって、こういう行を平気で行い、出来ヌト云ウコトハナイモノダ――とホザくところはただののらくら者ではあり得ない。その悴《せがれ》の今の勝麟も、相当修行鍛錬したことを自慢にするそうだが、親父のそういういい方面ばかり真似たから、それで鳶《とび》が鷹《たか》を生むようになったのだろうと、神尾が考えました。それから次は、
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「地主ニ代官ヲ先代ヨリ勤メタ故、役所ノ跡ガアイテイル故ニ、水心子天秀トイウ刀鍛冶ノ孫聟《まごむこ》ニ水心子秀世ト云ウ男ヲ呼ンデ、役所ノ跡ヘ入レテ刀ヲ打ッタ、又、研屋《とぎや》ニ、本阿弥三郎兵衛ト云ウノノ弟子ニ仁吉ト云ウ男ガ研ガ上手ダカラ、呼ンデオレノ住居ヲ分ケテ、刀ヲ研ガシテオレモ習ッタ、ソレヨリ刀剣講トイウモノノ事ヲ工夫シテ、相弟子ヤ心易《しりあ》イニ出シテ取出立テ、秀世又ハ細川主税正義、並ビニ美濃部大慶直税、神田ノ道賀又ハ梅山弥曾八、小林真平、ソノ時代ノ刀鑑《かたなめきき》ヘ残ラズ刀剣講ヲ取立テヤッタガ、或日千住ヘ行ッテ胴ヲタメシタガ、ソレカラ浅右衛門ノ弟子ニナッテ、上段切リヲシテ遊ンダ、息子ハ御殿ヘ上ッテイルカラ世話ハ無カッタ、息子ガ七歳ノ時ダ」
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御祈祷師、富籤屋《とみくじや》から刀剣講、それから首切浅右衛門まで来た。やれば仕事はあるものだ。
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「地主ガ小高デ貧乏|故《ゆえ》、借金取ガ来テ困ルトイウカラ、引受ケテ片ヲ附ケテヤッタガ、ソレカラ地面ウチノ地借ガ九軒有ッタガ、地代モ宿賃モロクロクヨコサヌカラ、ミンナタタキ出シテ、オレガ懇意ノ者ヲ呼ンデ置イタカラ、ソノ後ハ地代ソノ外滞ラヌカラ悦ンデ、ヤイヤイ云イ居ッタ、地主ガ或日御代官ヲ願ウカラ異見ヲイッテヤッタラ大キニ腹ヲ立テ、葉山孫三郎トイウ手代ト相談ヲシテ、オレヲ地面カラ追出ソウト云ッタカラ、オマエハ最早五十年ニオナリニナサルカラ、御代官ハ御止メナサレトイッタラ、ナゼト云ウカラ、御代官ニナルニハ、先ズ始メハ千両バカリイッテ、ソレカライロイロ家作モ大破ダカラ、弐百両半モイルシ、皆サンガ支度ニモ百両トシテ、モシモ支配ヘ引越シデモスルト百両半モカカル故、弐千両ノ借金ガ出来ルカラ、ソノ上ニ元〆《もとじめ》ガ悪イト引責モ出来テ、ドノヨウニ倹約ヲシテ勤メテモ、三十年ハ借金ヲ抜クニカカル故、子孫ガ迷惑シテ、ソノ勘定ガ立タヌト遠流《おんる》又ハ断絶ニナルカラ、決シテ働キノナイ者ガ勤メル役デハナイト云ッタラ、ウチジュウガオコッテ、地面ヲ返シテクレロトイイオルカラ、地面中ヘ触レテ、不足ノ地代宿代ヲ残ラズ集メテ、オレガ懐ヘ入レテイテ、ノキ場所ヲ見附ケルニ折悪《おりあ》シク脚気ニテ、久シク煩ッテイタ故、歩クコトガ出来ヌカラ、人ニ頼ンデ漸々《ようよう》入江町ノ岡野孫一郎トイウ相支配ノ地面ヘ移ッタガ、ソノ時オレハ、地主ヘ地返シスルノ礼ニ行ッテ――」
[#ここで字下げ終わり]
六十六
いよいよ地面立ちのきを食ったな。しかし、世渡りをしただけに、目先の見えるところもある――
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「御代官ニナッタラ五年ハ持ツマイカラ、ドウデ御心願ガ成就ナスッタラ、シクジラヌヨウ専一ニ成サレマシ、ソレハ云ウコトガ違ッタラ生キテハオ目ニカカラヌ、ト云ウタラ、ナゼダ、ト云ウカラ、葉山ノ成立チヲアラマシ云ッテ帰ッタガ、案ノ定、四年目、甲州ノ騒ギデシクジリ、江戸ヘ行ッテ小十人組ヘ組入リヲシタガ、三千両ホド借金出来テ、家来モ六ツカシク、大心配ヲシテ、オマケニ、葉山ハ上リ屋ヘ行ッテ三年程カカッタガ、気ノ毒ダカラ、オレガ一度尋ネテヤッタラ、オマエノ異見ヲ聞カヌ故ニコウナッタガ、ドウゾ家ハ助ケタイモノダト云ッテ涙グンダカラ、カアイソウダカラ、段々ト葉山ガ始末ヲ聞イテ、甲州ノ郡代ヘヤル手紙ノ下書ヲ書イテ、是ヲ甲州ヘ遣ワシテ、コウシロ、大方奇徳人ガダマッテハイヌマイ、五百ヤソコラハ出スダロウト教エテヤッタラ、キモヲツブシタ顔ヲシテ、早々甲州ヘ届ケタ、ソノ後マモナク六百両金ガ出来タカラ家ヲ立テタガ、今ハ三十俵三人扶持ダカラ困ッテイル、江戸ノカケヤニモ千五百両バカリ借ガアル故、三人扶持ハ向ケキリニナッテイル、ソレ故ニ子供ガ月々、今ニオレヲ尋ネテクレル、ソレカラトウトウシマイニハ小普請入リヲサセラレテ百日ノ閉門デ済ンダ、ソノ時ノ同役ノ井上五郎右衛門ハ、トウトウ改易《かいえき》ニナッタ、葉山モ江戸ノ構エヲ喰ッタヨ」
[#ここで字下げ終わり]
お代官になるもまたつらい哉《かな》だ!
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「岡野ヘ引越シテカラ段々脚気モヨクナッテ来タカラ、息子ガ九ツノ年御殿カラ下ゲタガ、本ノケイコニ三ツ目所ノ多羅尾七郎三郎ガ用人ノトコロヘヤッタガ、或日ケイコニ行ク道ニテ病犬《やまいぬ》ニ出合ッテ、キン玉ヲ喰ワレタガ……」
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息子というのは今のその利け者の勝麟のことで、稽古にいく途中、病犬に食われた、江戸は犬の多いところだが、病犬はあぶない、食われるに事を欠いて、キン玉を食われたんでは只事《ただごと》でないと、神尾が思いました。
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「ソノ時ハ、花町ノ仕事師八五郎ト云ウ者ガウチヘ上ッテ、イロイロ世話ヲシテクレタ、オレハウチニ寝テイタガ、知ラシテ来タカラ飛ンデ八五郎ガ所ヘ行ッタ、息子ハ蒲団《ふとん》ヲ積ンデ、ソレニ寄リカカッテイタカラ、前ヲマクッテ見タラ、玉ガ下リテイタ故、幸イ外科ノ成田ト云ウ人ガ来テイルカラ、命ハ助カルカト尋ネタラ、六ツカシク云ウカラ、先ズ悴《せがれ》ヲヒドク叱ッテヤッタラ、ソレデ気ガシッカリトシタ様子故ニ、駕籠《かご》デウチヘ連レテ来テ、篠田トイウ外科ヲ地主ガ呼ンデ頼ンダカラ、キズ口ヲ縫ッタガ、医者ガフルエテイルカラ、オレガ刀ヲ抜イテ、枕元ヘ立テテ置イテ力《りき》ンダラ、息子ガ少シモ泣カナカッタ故、漸々縫ッテ仕舞ウタカラ、様子ヲ聞イタラ、命ハ今晩ニモ受合ハ出来ヌト云ッタカラ、ウチ中ノ奴ハ泣イテバカリイル故、思ウサマ小言ヲ言ッテ叩キチラシテ、ソノ晩カラ、水ヲ浴ビテ、金比羅《こんぴら》ヘ毎晩裸参リヲシテ祈ッタ、始終オレガ抱イテ寝テ、外ノ者ニハ手ヲ附ケサセヌ、毎日毎日アバレ散ラシタラバ、近所ノ者ガ、今度岡野様ヘキタ剣術遣イハ、子ヲ犬ニ喰ワレテ気ガ違ッタト云イオッタ位ダガ、トウトウキズモ直リ、七十日目ニ床ヲハナレタ、ソレカラ今ニナントモナイカラ、病人ハ看病ガカンジンダヨ」
[#ここで字下げ終わり]
ここまで読んで来た時、神尾主膳の目頭《めがしら》が熱くなってきました。今までは冷笑気分、興味本位だけで多分を読んで来たが、ここでは目頭が熱くなったものですから、その眼を上げて座敷の一方を見つめました。
「ここだよ、馬鹿は馬鹿で、箸にも棒にもかからない奴も、子を見る心はまた別だな、親の心というものは実際こうしたものだろうよ、あれほど自分を粗末にし、世間を粗末にした奴も、子供のことであってみると、気違いになる。この愛情があればこそだ、今の勝が、安房守《あわのかみ》と任官して、まあ当代の傑物として、幕府を背負って立とうとか、立つまいとか言われるようになったのは、そもそもこの親の気違いから起っているのだ、倅のために実にいい親を持ったものだと、ここではじめて感心しなければならぬ」
これに引比べて、おれは親の愛情というものを知らない。父が早く世を去ってしまった。今日の、このうだつの上らない、骨までやくざ者と化したのは、一にこの父親の愛情が恵まれなかったからだ――
ということを、神尾主膳がそぞろ心に思い起して来ると、世間の親の有難さということに目頭《めがしら》が熱くなってくる。そうして、人生のいかなる不幸も、親の愛を知らないほどの不幸はなく、人生のいかなる幸福も、親の愛を受けるの幸福にまされるものはない、ということを、神尾主膳が心魂に徹して思い出してきました。
不思議にも熱くなった目頭から、うるおってくる瞳で、なお巻を読み進めて行く。
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「親類ノ牧野長門守ガ山田奉行ヨリ長崎奉行ニ転役シタガ、ソノ月、水心子秀世ガ云イ人デ、虎ノ門外桜田町ノ尾張屋亀吉トイウ安芸ノ小差ガ、牧野ノ小差ニナリタガッテ、オレニ頼ンダ故、世話ヲシテヤロウト云ッタラ、金ヲ五十両持ッテ来テ、是デ牧野様ガ御好ミノ物ヲ買ッテ上ゲテクレロト云ウカラ、イロイロ牧野ノ息子ヘ品物ヲヤッタガ、一日オソクテ外ノ者ガナッタカラ、尾張屋ハ鼻ガアイタ故、気ノ毒ダカラ、残リノ金ヲバ返スト言ッタラ、ソレハ水金デゴザリマスカラ御遣イナサレマセトテ三十両バカリ呉レタトコロ、ソノ後ニ久セ[#「久セ」に傍点]ガナッタ故、世話ヲシテヤロウトオモッテ呼ビニヤッタラ、亀吉ハ疾《と》ウニ死ンダトイウカラ、ソレキリニシタッケ」
[#ここで字下げ終わり]
千三屋《せんみつや》どの、今度は慶安《けいあん》をかせぎ出したな、よく小まめに働くことだ――
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「地主ノ当主ガドウラク者デ或時、揚代《あげだい》ガ十七両タマッテ、吉原ノ茶屋ガ願ウト云イオッテ困ッタガ、フダンカラ誰モ世話ヲシナイ故、オレニ頼ンダ、オレハ昨今ノコトダカラ知ラズ、金ヲ工面《くめん》シテ済マシテヤッタガ、ソノ後モ五両ニ壱分ノ利ヲ七十両借リテ女郎ヲ受ケタガ、皆済目録トカヲ代リニヤッタトテ、用人ヤ知行ノ者ガ困ッテイル故ニ、又オレニ頼ンダカラ、諸方ノ道具屋ヨリ来テイタ大小ヤラ、道具ヤラ、イロイロコンタンヲシテ取返シテヤッタガ、イチエンソレヲ返サヌカラ、オレガ困ッテ、諸方ヘ段々ト返シタガ、ソレカラ万事、金ノ融通ガ悪クナッテ困ッタ、ソレニツキ合イガハルカラ大迷惑ヲシタ、ソノ当分ハイロイロ道具ヲ売ッテ取リツヅイタガ、段々物ガ尽キルカラ、シマイニハ武器ヲ払ッタガ、年来丹精ヲシテ拵《こしら》エタモノ故、惜シカッタガ、仕方ガナイ故、残ラズ売ッタガ、拵エル時ノ半分ニモナラナイモノダ、シマイニハ四文ノ銭ニモ困ッタ、全ク地主ニ立替エタ故ダ」
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それそれ、見たことか、顔役、千三屋も限度というものがある。いい気になって人の世話を焼いていると、今度は身が詰って来るは火を見るようなものなのだ。ツキ合イガハルカラ大迷惑――それが当然の成行きで、それから身のつまりになるのは、我も人も変ったことはない――
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「ソレカラ或晩、地主ノオマエサマガ忍ンデ来テ云ウニハ、孫一郎ガフシダラ故ニ、家内中ハ困ルカラ、支配向ヘ話シテ隠居サセテクレロト云ウカラ、取扱エモ咄《はな》シタラ、オマエ様ヨリ証拠ノ文ヲ取ッテ来イト云ウカラ、ソノ事ヲ咄シテ、文ヲ取ッテ、長坂三右衛門ヘ見セタラ、頭《かしら》ノ長井五右衛門ヘ始終ヲ咄シテ、支配カラ隠居シロト云ッテ出タカラ、孫一郎モ何トモ云ウコトガ出来ズニ隠居シタガ、後ノ孫一郎ハ十四ダカラ、ミンナオレガ世話ヲシテ、家督ノ時モ一緒ニ御城ヘ連レテ出タ、先孫一郎ハ隠居シテ江雪ト改メテ剃髪《ていはつ》シタ、ソレカラ家来ノコトモミダラニナッテイルカラ、家来ニ差図シテ、取締方万事口入レシテ取極メヲツケテヤッタラ、程ナク又々隠居ガ、岩瀬権右衛門トイウ男ヲ用人ニ入レテ、イロイロ悪法ヲカイテ、権右衛門ヘ給金弐拾両ニ弐拾俵五人扶持ヤッテ好キノコトヲシオルカラ、ウチジュウガ寄ッテ頼ム故ニ、頭沙汰ニシテ、権右衛門ヲ追出シテ、外ノ用人ヲ入レタ、ソノウチニ後ノ孫一郎ノオフクロガ死ヌ故、隠居ガマタマタモクロミヲシタカラ、ソノ時モ、ソノ一件ヲ片附ケテヤルシ、ソノ後、江雪ガ女郎ヲ引受ケ連レテ来タ時モ世話ヲシテ、柳島ヘ別宅ヲ拵エテヤッタ、ソレカラ一年バカリタッテ、江雪ガ大病故ニ、イロイロ世話ヲシタガ、ソノ時ニ、オレニ云ウニハ、今度ハ快気ハオボツカナイカラ、悴《せがれ》ノコトハ万端頼ムカラ、嫁ヲ取ラシテ後、御番入リスルマデハ必ズ見捨テズニ世話ヲシテクレト云ウカラ、聞届ケタト挨拶ヲシタカラ、悦ンデ翌日死ンダカラ、又々世話ヲシテ、残リ無ク後ヲ片附ケタガ、世間デ岡野ト云ウト、誰モ嫁ノ呉レテガ無イカラ、麻布市兵衛町ノ伊藤権之助ガ嫁ヲ貰ッテヤッタ、オマエ様ガ云ウニハ、何モ持ッテキテガナイカラ、何ニモイラヌト云ウカラ、権之助ヘオレガ掛合ッテ百両ノ持参デ、諸道具モ高相応ニシテ貰ッタカラ、知行所ノ百姓モキモヲツブシテ、私共二三年諸方ヘ頼ンデ奥様ノコトヲ骨ヲ折ッタガ、岡野ト聞クト皆々破談ニナリマシタガ、御蔭デ殿様初メ一同安心シテ悦ビマス、殊ニハ御持参金モアルシ有難イト云イオッタ、ソレ迄ハ千五百石デ道具ガ一ツ無クッテ、大小マデモ逢対《あいたい》ノ時ニ借リテ出ル位ダカラ、世間デ呉レナイモ尤《もっと》モダト思ッタ、ソレカラ普請ガ大破故、武州相州ノ百姓ヲ呼ビ出シテ、家作モ直シ、大勢ノ厄介ノ身上マデ拵エテヤッタ、当主ノ伯父ノ坊主デイタ仙之助ト云ウ男ニモ、地面内ヘ家作ヲシテ、妾《めかけ》マデ持タシテヤッタラ、家内ノ者ガオレヲ神様ノヨウニ云イオッタ、暮シ方モ百両故、三百三十両ノ暮シニシテ、厄介ヘモソレゾレ壱カ年アテガイヲ附ケテ稽古事デモ出来ル様ニシテ、馬迄買ワシ、千五百石ノ高位ニハ少シ過ギル位ニシテヤッタガ、何ヲイウニモ借金ガ五千両バカリアル故、コラエガ馬鹿ノ者ニハ出来ヌ」
[#ここで字下げ終わり]
これはまた、神尾にとって少々耳――ではない、目が痛い。千五百石となると、もう小身の部ではない、おれの分限にも近くなってくるし、当主という奴の身持が、おれの伝だ。他人のことにして見ると、歯痒《はがゆ》いばかりの馬鹿揃いだが、自分のことには、さっぱりお気がつかない――結局、この神尾主膳にも、誰も嫁のくれ手がなくておしまいだ。嫁さがしで江戸を構われただけではない、甲州まで行って、有野の娘でもしくじったわい。でも、この岡野とやらには、勝のおやじのような出しゃばり屋の千三式の肝煎《きもいり》が出来て、ひとまず成功したが、おれの方にはソンナのが現われなかった――
六十七
こうして顔を広くし、人の面倒を見てやっては男を売るというような立場になると、どのみち、行詰まるのは運動費だ。本来、金のなる木を持っているわけではなし、千三屋というものは、千に三つしか当らないわけのものだろう。当った時の儲《もう》けは、外《はず》れた数の損耗で、とうにさっぴきがついている。勝のおやじ、この経済の打開をどうするか。そこは神尾が今日までの体験の持越しで、今以てうだつが上らないのみか、ますます深みへ落ちて行く勘所《かんどころ》だ。それを、このおやじが最後まで、どう切抜けるかと、経済眼を以て読みつづけて行くと、果せる哉《かな》だ。
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「オレハ次第ニ貧乏ニナルシ、仕方ガ無イカラ妙見宮ヘムリノ願ヲカケテ、今一度困窮ノ直ルヨウニト、百日ノ行ヲハジメタガ……」
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それ見たことか、敵《かな》わぬ時の神頼みだ。だが、かなわぬ時に至って、はじめて神頼み、仏いじりをはじめるところが可愛らしくてよろしい。おれなんぞ、ついぞ今日まで、神頼みも、仏いじりもしなかった、する気にもならなかった、今更、頼んだって、いじったって、かまってくれる神仏もあるまいに――と苦笑……
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「日ニ三度ズツ水行ヲシテ、食ヲスクナクシテ祈ッタガ、八九十日タツト、下谷ノ友達ガ寄ッテ、久シクオレガ下谷ヘ来ナイトテ、ナゼダロウト云ウト、オレノ家来分ノ小林隼太ガ、此頃ハ貧乏ニナッテ弱ッテイルト云ッタラ、皆ンナガ、気ノ毒ナコトダ、今迄イロイロ世話ニモナルシ、恩返シニハ少シデモ無尽《むじん》ヲシテ、掛捨テニシテヤロウカ、ソウ云ッテハ取ラヌカラ、勝ヲ会主ニスルガイイト相談シテ、鈴木新二郎ト云ウ井上ノ弟子ノ免許ノ仁ガ来テ、オレニ云ウニハ、今度友達ガ寄ッテ遊山無尽ヲ拵《こしら》エルガ、最早大ガイハ拵エタガ、オマエニ会主ヲシテクレロトイウカラ、ナッテクレロトイウ故ニ、ソレハヨカロウガ、此節ハ困窮シテ中々無尽ドコロデハナイカラ、断ワッテクレト云ッタラ、何ニシロ、オマエガ断ワルト出来ヌカラ加入シロト云ウ、掛金モ出来ヌトイッタラ、ソレデモイイカラトイウ故、承知シタトテ帰シタラ、二三日タッテ、マタ新二郎ガ来テ、帳面ヲ出シテ、金五両置イテ、此後ハ加入ノ人々ガ来ルト云ッテ帰ッタ故、全ク妙見ノ利益《りやく》ト思ッテ、ソレカラ直グニ刀ノ売買ヲシタラ、ソノ月ノ末ニハ、築地ノ又兵衛ト云ウ蔵宿ノ番当[#「番当」に傍点]ガ頼ンダ備前ノ助包《すけかね》ノ刀ヲ、松平伯耆守ヘ売ッテ十一両モウケタガ、又兵衛モ、ウナギ代トテ別ニ五両クレタ、ソレカラ毎晩、江戸神田辺、本所ノ道具市ヘ出テハモウケスルコトガヨカッタカラ、復々《またまた》金ガ出来ル故ニ、諸所ノコン意ノ者ガ困ルト聞クト、助ケテヤッタ故、ミンナガヒイキヲシテ、イロイロ刀ヲ持ッテ来ルカラ、素人《しろうと》ヨリ買ウカライツモ損ヲシタコトハナカッタ、道具ノ市ニテハモウケノ半分ハ諸道具屋ヘ、ソバ又ハ酒ヲ買ッテ食ワセタユエ、殿様殿様ト云イオッテ、外ノ者ガカッテ物ヲ持ッテ来ルト、前金ニ内通シテクレル故、イチモ損ヲシナカッタカラ、伏ノ市ニハ切者《きれもの》ノモノニ、オレガカサヲアケサセタカラ見損ジテ、三匁ノ物ヲオレガ一分入レルト、カセアケガ段々見テ、勝様ハ三匁五分ト云ウカラ、五分ノ損ダカラヨカッタ、ソノ替リニハ、イツモ仕舞イニハソバヲタトエ五十人来テモ一パイズツニテモ、是非クワセルヨウニシテ帰シタカラ、町人ハ壱文弐文ヲアラソウ故、皆ンナガ悦ンデ、諸所ノ市場ニハ、オレガ乗ル蒲団ヲ一ツズツ拵エテアッタ、友達ガクヤシガッテ、イツモオマエハ、市デハ商人ガハイハイ云ウ、ドウイウ訳ダト云ウカラ、右ノ次第ヲ咄《はな》シタラ、ソレデハ損ダト皆々云ッタガ、タイソウ得ニナッタ、ソレカラ借金ガ四十俵ノ高デ三百五十両半アルカラ、女郎ヲ買ッタト思ッテ、金ノハイル度々《たびたび》、段々トウチコンダカラ、二年半バカリニ三四十両ニナッタ、コワイモノダ」
[#ここで字下げ終わり]
やりくりというものは、窮するが如くして迫らざるところのあるものだ。この窮通ができたのは、妙見様の御利益《ごりやく》ばかりではない、小まめに立働くところが感心だ。おれにはできない――こういう神妙な立ちまわりはおれにはできないと、神尾が兜《かぶと》を脱ぎながら、
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「何デモ施シガ第一ト心得テ近所ハ勿論《もちろん》、困ルト云ウモノニハ、ソレゾレソノ者ガ身ニ応ジテ施シタガ、ソノセイカ、饑饉ノ年ニハ、毎日毎日日々壱朱ズツ小遣《こづかい》ニシテ遊ンダ、友達ヘモ時ノ会ヲ合ワシテヤルシ、毎晩毎晩、道具ノ市ヘ行ッテ勤メダト思ッテ精ヲ出シタ、売物ノブ市トイウ物ヲ百文ニツイテ四文ズツノケテミタガ、三月ノ中ニ三両弐分ト葉銭ガタマッタカラ、刀ヲコシラエタ」
[#ここで字下げ終わり]
この辺になると、二宮金次郎はだしだ。感心感心と神尾があしらい――さて、その次には本職の方になってくる。
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「剣術ノ仲間デハ、諸先生ヲノケテ、イツモオレガ皆ノ上座ヲシタガ、藤川近義先生ノ年廻リニハ出席ガ五百八十半人有ッタガ、ソノ時ハオレガ一本勝負源平ノ行司ヲシタ、赤石孚祐先生ノ年忘レハ岡野デシタガ、行司取締ハオレダ、井上ノ先伝兵衛先生ノ年忘レニモ頼ミデ諸勝負ノ見分《けんぶん》ハオレガシタ、男谷《おたに》ノ稽古場開キニモオレガ取締行司ダ、ソノ時分ハ万事流儀ノモメ合イ、弟子口論伝受ノ時ノ言渡シ、多分オレバカリシタガ、岡野ハ伝受ノコトハ皆々オレニ聞キ合ワセタ、オレガ下知ニソムク者ハナカッタ、大小ノ拵《こしら》エ様並ビニ衣服又ハ髪形マデ、下谷、本所ハオレノ通リニシタガ、奇妙ノコトダト思ッテ居ルヨ。
ソノ時分ハ、諸所ノ道場ガ至ッテ義定ガ立ッテイテ、先生トハ同座同席ハ弟子ガシナカッタ、外ノ先生ガ来ルト、直グニ高弟ガ出向イテ刀ヲ取ッテ案内ヲシタ、先生迄モソノ玄関マデ迎イニ出タモノダガ、此頃ハ物ガ乱レテ、知ラヌ顔デカマワヌガ、イロイロノ様子ニナルモノダ、稽古モ稽古場ヘ二組トキマッテイタガ、ソレモムチャニナッテ幾組モ勝負ヲスルヨウニナッタ」
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さてまた、いろいろの肝煎《きもい》り、世話焼きをしてやっているうちにも、恩に着るものばかりはない。
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「通リ町ノチチブ屋三九郎ト云ウ者ガ、公儀ノキジカタ小遣モノノ御用足《ごようたし》ダガ、段々家ガ衰エテ来テ、今ハソノ株ガホカニモ出来テ、一向ニ御用モタサズシテ困ッテイルト高田藤五郎トイウ者ガ云ウカラ、段々聞イタラ、此節末姫様ガ薩州ヘ御引移リ故、右ノ御用ガキキタイト云ウ故ニ、オレガ骨ヲ折ッテ、御本丸ノ御年寄ノ瀬山サンヲ頼ンデ、末姫様ノ御引移リノ時ノ師匠番くれないサンヘ頼ンデ御用キキニシテヤッタガ、ソノ前ニ心願ガ出来タラ、紅サンヘ三十両、瀬山サンヘモ礼ヲスル約束故ニ、ソノコトヲ云ッテヤッタラ、紅サンハ大ノ慾バリ故、悦ンデチチブ屋ヘカンサツヲ渡シテ、先ズ七十両ノ御用ヲ申シ渡シタ故、右ノ金ヲヨコセトイウカラ、三九郎ヘ咄《はな》シタラ、イロイロ難渋ヲ云イオッテ、始メトハ違ッテ、オレノウチヘモ来タ故、三九郎ヲ呼ンデ、世話ノ変替《へんがえ》ヲシタ、ソウスルト早々御用モ下ルシ、カンサツヲ取上ゲハシマイト思ッテイルト、二三日タツトカンサツヲ取上ゲラレテ御用ノ物ハ不用ニナッタカラ、オレノ所ヘカケツケテ夫婦デ来タ、イロイロ云イオッタガ、始末ガカン気ニサワッタ故、ソレナソニシテイタラ、四十両バカリ損ヲシテ、ソノ上ニ大火事ニ焼ケテ裏店《うらだな》ヘハイッテイルト聞イタ、世ノ中ニハ三九郎ノヨウナ者ガ今ハイクラモアルカラ、油断ヲスルトクラウモノダ」
[#ここで字下げ終わり]
六十八
さて、これから勝のおやじの生れ家、男谷との間柄を書いてあるが、このおやじは前に言う通り、子供の時分から勝へ養子にやられ、件《くだん》の如《ごと》き馬鹿者であるから、成長したからとて、生家の兄貴共をてこずらせること容易でない。
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「二番目ノ兄ガ御代官ニナッテカラ、先年三郎左衛門ヘ八両貸シタラ返サヌカラ、男谷デ出会ッテ大喧嘩ヲシテ、兄ハソノ晩逃ゲテ帰ッタガ、ソレカラ十年バカリ絶交シテ居タガ、何トカ思ッタト見エテ、オレノ所ヘ手紙ヲヨコシテ、久々逢ワヌカラ近所ヘ来タカラ尋ネテクレロトイッテ金ヲ二分ヨコシタカラ、亀沢町ヘ行ッテアニヨメニ話シタラバ、先カラ尋ネタラ行クガヨイトイウカラ、直グニ行ッタラ、家中出テイロイロト馳走ヲシテ、彼是トイウカラ、久シク御無沙汰《ごぶさた》ノ段ヲイロイロ云ッテ仲直リ同様ニシテ帰ッタラ、又々、兄ガ女房ヨリ文ヲヨコシテ、オレノ妻ヘ礼ヲイッテヨコシタ、ソレカラ不断尋ネテヤッタ、丁度、支配ガ大兄ノ支配シタ越後|水原《すいばら》ニナッタカラ、国ノ風俗人気ノコトヲ聞クカラ、オレガモト行ッタ時ノ様子ヲハナシテ勤向キノコトモ、アラアラシカッタコトハ咄《はな》シテヤッタ。
ソノ翌年ノ春正月七日、御用始メノ夜ニ、何者トモ知ラズ、狼藉者《ろうぜきもの》ガハイッテ惣領忠蔵ヲキリ殺シタガ、ソノ時、早速ニ使ヲヨコシタ故、飛ンデイッタガ、モハヤ事ガキレタ、翌日心当リガアッタカラ、小石川ヘ行ッタガ立退イタト見エテ知レヌカラ帰ッタ、ソノウチ大兄ニ近親共ガ来テ相談シテ、オレニ当分林町ニ居テクレロト云ウカラ、毎晩毎晩泊ッテ居タ、昼ハ用ガ有ルカラウチヘ帰ッテイテ、ソノ月ノ二十五日ニ、ケンシガ来テ、二十九日ニハ忠蔵ノ妻ト、兄ガ妻ト、忠蔵ノ惣領ノ※[#「月+毛」、117-16]太郎ヲ評定所ヘ呼出シニナッテ、オレト黒部篤三郎ト云ウ兄ガ三男ガ同道人ニナッテイタガ、ソレカラソノコトデ一年ノ内、月ニ二度位ズツ評定所ヘ出タ、或時同所御座敷ニテ大草能登守ガ与力神上八太郎ト云ウ者ト大談事ヲナシタガ、同所留守居ノ神尾藤右衛門、御徒目附《おかちめつけ》石坂清三郎、評定所同心湯場宗十郎等ガ中ヘイリテ、段々八太郎ガ不礼ノ段ヲ詫《わ》ビルカラ、大草ヘモ云ワズニ帰ッタ、オヨソ壱時《いっとき》バカリノコト、御座敷中ガ大騒動シタガ、イイキビダッタ、相士ノ者ハ皆フルエテ居オッタ」
[#ここで字下げ終わり]
二番目の兄というのは男谷精一郎のことだろう。その総領の忠蔵が寝込みを襲われて人に斬り殺されたというのは只事ではない。ほかならぬ剣術の家であって、しかも男谷信友ともある者の長子だから、相当腕に覚えがなければならないのが、おめおめと斬り殺されたとは不審の至りだ。何者が、何の恨みあってしたことか、これをくわしく知りたいものだが、この自叙伝は大ざっぱで、それにはちっとも触れていない。評定所で与力と大喧嘩をして、これを詫びさせるなどは、どういういきさつか、これもわからないが、このおやじらしい振舞だ――
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「コノ年、次ノ兄ガ始メテ越後ヘ行ク故ニ留守ヲ預カッタ、ソレカラオレガ借金モ抜ケタカラ、少シズツ遊山ヲ始メタガ、仕舞イニハイロイロ馬鹿ヲヤッテ、金ヲ遣ッタカラ困ッタ、シカシ借金ハシナイヨウニシタ、林町ノ兄ガ帰ッタカラ、留守ノウチノコトヲ書附デ出シテヤッタラ悦ンデ居タ、コノ年、従弟《いとこ》ノ竹内平右衛門ガ娘ヲ、オレノ実娘ニシテ六合忠五郎ト云ウ三百俵ノ男ヘヨメニヤッタ、忠五郎ハモトヨリ弟子故、縁者ニナッタ、竹内ノ惣領三平ガ此年御番入リヲシ、カタクルシクテ出勤ガ出来ヌカラ、御断ワリヲ申シテ引クト云ウカラ、オレガイロイロ工夫シテ、翌日カラ登城サセテタラ、大御番ニナッタ、ソノ親父ガ悦ンデ、一生コノ恩ハ忘レヌト云ッタガ、後年イロイロオレヲホメオッタ」
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この辺は例の世話好きが現われて、相当に善事を致してもいるようだが、本来、しっかりした観念があってやるわけではないから、忽《たちま》ち生地が現われて、ついに兄たちと大喧嘩をおっぱじめる。
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「此暮ニ松坂三右衛門ガ越後ヘ行ク故、三男ノ正之助ト云ウヲ気遣ウ故ニ、オレガ異見ヲシテ、供ニ連レテ行ケト云ッタラ、聞済マシテ連レテ行クツモリニナッタラ、正之助ヘ供先ノコトヲイロイロト教エテ、御代官ノ侍ハ支配ヘ行クト金ニナルカラ、ソノ心得ヲヨク含メテヤッタガ、嬉シガッタ、彼地ヨリ帰ルト礼ヲスルト云ウカラ、ソノ約束デ別レタガ、検見中心得ノコトモ有ルカラ、ソレヲ手紙ニ書イテ送ッタガ、フト取落シタガ、兄ガ拾ッテ持ッテ帰ッテ大兄ヘ見セテ、イロイロオレヲ悪ク云ッタカラ、大兄ガ立腹シテ、オレヲ呼ビニヨコシタ」
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何を云ったか、若い者によくない知恵をつけたのだろう。二人の兄が立腹するのも無理はなかろう。
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「亀沢町ヘ行ッタラ兄ガ云ウニハ、オノシハ、ナゼ正之助ヘ知恵ヲツケテ、イロイロ支配所ノコトヲ教エタ、不埒《ふらち》ノ男ガ、ソノ上ニ、羅紗羽織《ラシャばおり》ヲ着テイルガ、ナゼソンナ奢《おご》リオルト叱ルカラ、オレガ云ウニハ、正之助ヘ書状ヲヤリシ覚エハ無ク、羅紗ノ羽織ハ小高故ニ、身ナリガ悪イト融通ガ出来ヌ故、余儀ナク着テオリ升《ます》トイッタラ、ソノ外ニモ聞イタコトノ有ルハ、此頃ハモッパラ吉原ハイリヲスル由、世間ニテハ、オノシガ年頃ニハ、ミンナヤメル時分ニ、不届ノ致シ方ダトイロイロ云ウカラ、御尤《ごもっと》モニハゴザリマスガ、是モヤハリ身上ノタメニ、ツキ合イニ参リマスト云ウト、猶々《なおなお》怒ッテ、何事モオレニ向ッテ口答エヲスル、親類ガ、オレガ云ウコトヲ誰モ云イ返ス者ハナイニ、オノシ壱人バカリ刃向ウハ不埒ダ、今一言云ッテミロ、手ハ見セヌト脇差ヘ手ヲ掛ケテ云ウカラ、オレガ云ウニハ、ソレハ兄デモ御言葉ガ過ギマショウ、私モ上《かみ》ノ御人ダ、犬モ朋輩、鷹モ朋輩ダカラ、ソウハ切レ升マイトテ、オレモ脇差ヲ取ッタラ、アニヨメガ中ヘハイッテ、イロイロ云ッテオレヲツレテ、手前ノ部屋ヘ来テ、正之助ノ一件ヲ片附ケロト云ウカラ、直グニ林町ヘ行ッテ兄ニ逢ッテ、兄弟ノ情ガ薄イトテ強談シタガ、兄ガ云ウニハ、全ク貴様ノタメヲ思ッテ、大兄ニ云ッタトテ、強情ヲハルカラ、ソノ時ハ役所ノ壱番|元〆《もとじめ》太郎次ヲ兄ノ側ヘ呼寄セテ、兄ガ家事不取締故ニ、是迄|度々《たびたび》結構ノ御役ニナルトシクジリシコトカラ、当時ノ御役ノコトヲモ勤メル器量ガ無イトイウコトノアラマシヲ云イ聞カセテ、御役ヲ引クガイイトイッテヤッタ、ソウスルトソレハドウイウ訳ダト云ウカラ、ソノ時ニ兄ガ兄弟ノ手跡ノ真偽ヲ見分スルコトガ出来ヌ故ハ、ナカナカ県令ハ大役故ニ勤メラレヌト云ッテナゲ出シタ故、オレガ取ッテ燭台ヲ出サセテ三度クリ返シテ大音ニ読ンデ、兄ヘ返シテヨク似セマシタト云ッタラ、兄ガ云ウニハ、ナント是デモカレコレイウカト云ウカラ、オレガ云ウニハ、ソコガ三郎右衛門ハ分ラヌトイウモノダ、ナント私ガ書イタモノナラ、読ムウチニケン語ガスミハシマスマイ、大勢ヲ取扱ウ者ガ此位ノコトニ心ガ附カズバ大ナル御役ハ出来マスマイ、親類共ガ毎度私ヲバ不勤故ニ、小馬鹿ニ致シマスガ、天下ノ評定所デ筋違イノ不礼ヲタダス者ハ是迄聞キマセヌ、真偽ヲ知ラヌ兄ヲ持ッタガ私ガ不肖デゴザリ升《ます》、ト挨拶シタラバ、ソノ座ノ者ガ一言モイウコトガ出来ヌ故、兄ガイウニハ、是ハ偽筆ニ違イナイカラ、ワシガアヤマッタト云ウカラ、サヨウナラ大兄ヘ手紙ヲ遣《つか》ワシテ、ソノ訳ヲ御申シナサレト云イ、ソノツイデ又通ジタ故、返事ノクルマデ待ッテ居テ、申シ分ナイト云ウ大兄ガ返事ヲ見テカラウチヘ帰ッタガ、ソノ時、甥《おい》メラハ脇差ヲサシテ次ノ間ニ残ラズ結ンデ居タカラ、帰リガケニ甥ラニ向ッテ、オノシ等ハ先達テ中ノ狼藉ノ時、ソノ通リノ心ガケヲシテタラ、忠蔵ハヤミヤミト殺シハシマイモノ、ソノ時ハ逃ゲテ伯父ヲ取廻イタ、馬鹿ニモ程ノアッタモノダガ、親父様ノ子供ヘノ御教エニカンシンシタト云ッテ笑ッタガ、ウチ中ガクヤシガッタトソノ後聞イタヨ」
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兄貴二人をやり込めていい気でいる。ドウもこういう乱暴者にあっては、府内第一の剣術遣いもねっから押しが利《き》かないらしい。しかしまあ、これではただは済むまい、兄貴共もこのまま捨てても置けまい。
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「ソレカラ後ハ、大兄モ、林町ノ兄モ、オレガ事ヲ気ヲ附ケテ居ルカラ、少シモトンチャクシナイデ、イロイロ馬鹿騒ギヲシテ日ヲ送ッタガ、或時ニ林町ノ兄ガ三男ノ正之助ガ来テイロイロ兄ノ咄《はなし》ヲシタカラ、揚代滞リニシテ六両金ヲ出シテ、カリ宅ヘ林町ノ用人ヲ連レテ行ッテ、方ヲカイテヤッタラ、兄ガオコッテ、ヤカマシクイウカラ、アニヨメヘオレガ行ッテ、イロイロハグラカシテソノコトハ済ンダ、オレモ三四年ハ大キニ心ガユルンダカラ、吉原ヘバカリハイッテ居タガ、トウトウ、地廻リノ悪輩共ヲ手下ニ附ケタカラ、壱人モオレニ刃向ウ者無カッタ、ソノ替リニ金モイカイコト遣ッタガ、皆ンナオレガ働キデ、借金ヲセヌヨウニシテ、道具ノ市ヘハ一晩デモ欠カサヌヨウニシテ儲ケタガ足リナカッタ」
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六十九
二人の兄貴も、いよいよこれでは黙ってばかりいられない。
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「此年、男谷カラ呼ビニヨコシタカラ、精一郎ガ部屋ヘ行ッタラ、ソレカラ、姉ガ云ウニハ、左衛門太郎殿、オ前ハナゼニソンナニ心得違イバカリシナサル、オ兄様ガコノ間カラ世間ノ様子ヲ残ラズ聞合ワセテゴザッタガ、捨置ケヌトテ心配シテ、今度、庭ヘ檻《おり》ヲ拵《こしら》エテ、オマエヲ入レルト云イナサルカラ、イロイロミンナガ留メタガ、少シモ聞カズシテ、昨日出来上ッタカラハ、晩ニ呼ビニニヤッテオシ籠《こ》メルト相談ガキマッタガ、精一郎モ留メタガナカナカ聞入レガナイカラ、ワタシモ困ッテ居ルト云ッテ、オレニ庭ヘ出テ見ロト云ウカラ、出テ見タラ、二重ガコイニシテ厳重ニ拵エタ故――」
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それ見ろ、またしても熊の檻へ入れられる。前に三年というもの三畳の座敷牢へ押込められて、多少は覚えがあるだろう。今度は座敷牢では剣呑《けんのん》だから、庭へ二重牢と来た。重ね重ねこれは有難く心得て御入所に及ぶほかはあるまい、笑止千万――ところが、今度の熊は、以前のように手軽くは入らない。
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「姉ニ云ウニハ、段々、兄弟ガ御深切ハ有難ウゴザイマスガ(これが有難くなくてなるものか)今度ハ燈心デデモオコシラエナサレバイイニ、ナゼトイウニ、私モ今度入ルト、最早、出スト免《ゆる》シテモ出ハシマセヌ、ソノ訳ハ、此節ハ先ズ本所デ男ダテノヨウニナッテキマシテ、世間モ広シ、私ヲ知ラヌ者ハ人ガ馬鹿ニスルヨウニナリマシタカラ、コノ如クニナルト最早、世ノ中ヘハ面《かお》ヲ出スコトハ出来マセヌカラ、断食シテ一日モ早ク死ニマス、斯様《かよう》ダロウト思ッタ故、妻ヘモアトノコトヲワザワザ云イ含メテ来マシタ、思召次第《おぼしめししだい》ニナリマショウ、精一郎サン、大小ヲ渡シマスト云ッテ渡シタラ、姉ガ此上ハ改心シロトイウカラ、オレガ、此上改心ハ出来マセヌ、気ガ違イハセヌトイッタラ、精一ガ、御尤《ごもっと》モダガ御身ノ上ヲ慎シメト云ウカラ、慎ミ様モナイ、最早親父ガ死ンダカラ、頼ミモナイカラ、心願モ疾《と》ウヨリ止メタ故、セメテシタイ程ノコトヲシテ死ノウト思ウタ故ニ、兄ヘ世話ヲカケテ気ノ毒ダカラ、今ヨリ直グニココニ居リマショウト居タガ、精一郎ガ云ウニハ、必ズオマエハ食ヲ断ッテ死ヌダロウト思ッタ故、種々親父ガ機嫌ヲ見合ワセテ居タガ、聞入レヌ故、コウナッタトテ案ジテクレルカラ、何デモ兄ノ心ノ休マルガ肝要ダカラ、オリヘハイルガオレハヨカロウト思ッタ、先達テカラ友達ガ、ウスウス内通モシテクレタ故、疾ウヨリ覚悟ヲシテ居タカラ、一向ニ驚カヌトイッタラ、何シロ先ズ一度御宅ヘ御帰リナサレテ、妻トモ相談シロトイウカラ、ソレニハ及バズ、先ニイウ通リ何モウチノコトハ気ニカカルコトハナイ、息子ハ十六ダカラ、オレハ隠居ヲシテ早ク死ンダガマシダ、長イキヲスルト息子ガ困ルカラ、息子ノコトハ何分頼ムトイッタラ、ソノウチニ姉ガ来テ、一先ズウチヘ帰レトイウカラ、ソレカラ家ヘ戻ッタラ、夜五ツ時分迄、呼ビニ来ルカト待ッテ居タガ、一向|沙汰《さた》ガナイカラ、ソノ晩ハ吉原ヘ行ッタ、翌日帰ッタ」
[#ここで字下げ終わり]
呆《あき》れたもんだ――熊の檻へはいらずに、その足で吉原通いとは、かなりの代物《しろもの》だ!
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「ソレカラ兄ヘ只ハ済マヌカラ、書附ヲ出セト云ウカラ、ソレモシナカッタ、姉ガイロイロ心配ヲシテ、諸寺諸山ヘ祈祷ナド頼ンダトイウコトヲ聞イタカラ、翌年春、挨拶安心ノタメ隠居シタガ、三十七ノ歳ダ」
[#ここで字下げ終わり]
三十七にもなるどうらくおやじを檻には入れそこなったが、隠居ということで、兄貴たちもまず安心の体《てい》。
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「ソレカラハ、ムコクニ世ノ中ヲカケ廻リテ、イロイロノ世話ヲシテ、金ヲ取ッテ小遣ニシタガマダ足リナカッタ故、イロイロ工夫ヲシテ、オレノ身ノ上ガコウナッタハ、誰ガ大兄ヘススメテ、詰牢ヘマデ入レヨウトシタカトテ、ソレヲ探ッタラ、林町ノ兄ガ先年ノ恥ジシメタ意趣バラシニ、ウチ中ガ寄ッテ、無イコトマデ大兄ヘ告ゲタトイウコトヲ、慥《たし》カニ聞留メタカラ、ソノ又返シニ目ヲ見セテクレヨウト思ッテ居ルト……」
[#ここで字下げ終わり]
こういう身知らずで執念深い弟を持った兄貴も思いやられる。さて、その復讐《ふくしゅう》には何をしたか。
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「三男ノ正之助ガ放蕩者故ニ、兄ガ困ッテイルト聞キナガラ、正之助ヲ呼ンデ、ダマシテ聞イタラ、残ラズ兄ガ謀《はかりごと》ヲ白状シタカラ、工面《くめん》ヲシテハ正之助ヘ金ヲ貸シテ遣ワシタガ、仕舞イニハ兄ガ借金ガ蔵宿ノモ切レシトイウカラ、オレガ竹内ノ隠居ヲダマシテ、トウトウ兄ノ判ヲ拵《こしら》エサセ、蔵宿デ百七十五両、勤メト入用ガ急ニ林町ニテ出来タトテ、正之助ガ諏訪部トイウ男ヲ頼ンデヤッテ借リタガ、蔵宿デモ、三人ガ道具箱デ肩衣《かたぎぬ》マデ着テ行ッタ故、疑ラズニヨコシタ、ソノ金ヲ皆ンナ遣ッテ仕舞ッタガ二月バカリデ知ッテ、兄ガ吝嗇《りんしょく》故ニ大層ニオコッタカラ、トウトウドコマデモ知ラヌ顔デシマッタガ蔵宿デハイロイロセンサクヲシタガ、知レズニシマッタ」
[#ここで字下げ終わり]
兄貴の息子をそそのかして放蕩を教えた上に、謀判を以て蔵宿から詐欺取財!
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「或日、諏訪部ガ来テ、常盤橋ニテ明後日、狐バクチガ有ルカラ、オレニ一ショニ行ッテクレロ、是ハ千両バクチ故ニ、勝ツト大金ガハイルカラ、壱人デハ帰リガ気遣イダカラト云ウカラ、オレハソノ道ニハ今マデ手ヲ出シタコトガナイカライヤダトイッタラ、只行ッテ食物デモ食ウテ寝テ居ロト云ウカラ行ッタガ、ソノ時ハ諏訪部ニモ元手ガ三両シカ無カッタ、ソレモオレガ十両バカリハ貸シタ故ニ、深川ヘ行ッテ見タラ、蔵宿ノ亭主ダノ、大商人《おおあきんど》ガ、日本橋近辺ヨリ集マッテ五六十人バカリシテ場ヲ始メタガ、オレニハイロイロノ馳走ヲシテクレタ故、常盤町ノ女郎屋ヘ行ッテ女郎ヲ呼ンデ遊ンデ居タガ、夜ノ七ツ時分ニ迎エヲヨコシタカラ、茶屋ヘ行ッテ見タラ、諏訪部ハ六百両ホド勝ッタ故、オレガ見切ッテ連レテ帰ッタ、生レテ初メテ、コンナバクチヲ見タト云ッタラ、皆ガ先生ハ人ガイイト云ッテ笑ッタヨ」
[#ここで字下げ終わり]
このくらい人がよければ申し分はなかろうが、御当人はバクチだけはやらなかったようだが、トバの用心棒に祭り上げられた。
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「ソレカラ思イツイテ、心易《こころやす》イ者ヘ高利ヲカシタガヨカッタ、浅草ノ奥山ノ茶屋ヘ金ヲカシタガ、是ハマダルカッタガ、ソノ代り山中ハハイハイトイイオッタ故親分ノヨウダッケ」
[#ここで字下げ終わり]
七十
さて、これから名うての剣客島田虎之助をからかった物語だ。
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「或日、息子ガ柔術ノ相弟子ニ、島田虎之助トイウ男ガアッタガ、当時デノ剣術遣イダトミンナガオソレル故、コノ男ガカン癪《しゃく》ノ強気者デ、男谷《おたに》ノ弟子モ皆々タタキ伏セラレテ浅草ノ新堀ヘ道場ヲ出シテ居タガ、オレハ一度モ逢ッタコトガナイカラ、近附《ちかづき》ニ行ッタラ、ソノ時オレガ思ウニハ、九州者ノ二三年先ニ江戸ニ来タトイッテモ、マダ江戸ナレハシマイカラ一ツタマシイヲ抜カシテヤロウト心附イタカラ、緋縮緬《ひぢりめん》ノジュバンニ洒落《しゃれ》タ衣類ヲ着テ、短刀羽織デヒョウシ木ノ木刀ヲ一本サシテ逢イタイト云ッタラバ、内弟子ガ出テドコカラ来タトイイオル故ニ、勝ノ隠居ダトイッタラ、早速ニ虎ガ出テ、袴ヲハイテ、座敷ヘ通シ、始メテノ挨拶モ済ンデカラ、イロイロ悴《せがれ》ガ世話ノ段ヲ述ベテ、世間剣術話ヲシテ居タガ、オレノナリヲヤタラニ見テ、イロイロ世上ノ云ウタノノコトヲモッテ、アテツケルヨウニ聞ユルカラ、カネテソノ咄《はなし》モ聞イテ居タ故ニ、一向カマワズ、ソノ日ノ七ツ時分ニナッタカラ、虎ヘ云ウニハ、今日ハ始メテ参ッタカラ何ゾ土産ニテモ持ッテト存ジタガ、御好キナ物モ知レヌ故ニ、手ブラデ参ッタガ、酒ハ如何《いかが》トイッタラバ呑マヌト云ウカラ、甘物ハト聞イタラ、ソレハイイト答エルカラ、サヨウナラ御苦労ナガラ一所ニ浅草辺マデオ出デト、断ワルヲムリニ引出シテ、浅草デ先ズ奥山ノ女ドモヲナブッテ歩イタカラ、キモヲツブシタ顔ヲシテアトカラ来ルカラ、スシ飯ヲ食ウカト聞イタラ、好キダト云ウ故ニ、ソンナラ面白イトコロデ鮨《すし》ヲ上ゲルトイッテ、吉原ヘイッテ大門ヲハイリニカカルト、御免御免ト云ウカラ、ムリニ仲ノ町ノオ亀ズシヘハイッテ、二階ヘ上ルト間モナク、イイツケタ鮨ヲ出シタ故、食ッテ居ル、ソノ時ニ、煙草ハドウダト聞イタラ、呑ムガ修行中故ヤメテ居ルト云ウカラ、ソレカラソレハ小量ノコトダ、煙草ヲスウトモ修行ノ出来ヌコトハアルマイ、世間デハオマエヲ豪傑ダト云ウカラ、近附ニ来タ、ソノヨウナ小量デハ江戸ノ修行ハ出来ヌトイッタラ、サヨウナラ今日ハ吸オウト云ウ故ニ、下ヘイイツケテ煙草入、煙管《きせる》ヲ買ワシタ、マタ酒モ呑メトセメタラ、同断ノ挨拶故ソレモ呑マシタ、ソノウチニ日ガ入ッタ故、諸方ヘ提灯ガトボルシ、折柄桜時故ニ風景モ一入《ひとしお》ヨク、段々ト揚屋ノ太夫ガ道中スルカラ、二階ヨリ見セタラ、虎ノ云ウニハ、誠ニ別世界ダトテ、余念無ク見テ居タカラ、是カラハオレガ威勢ヲ見セヨウトテ、隅カラ隅マデ見セテ、リキンデ見セタガ、大キニ恐レタ様子ダカラ、直チニ佐野槌ヤヘハイッテ、女郎ノ器量ノソノウチデ一番トイウノヲアゲテ遊ンダガ、桜ノ時分ダカラ、室ガ大勢デ座敷ガ無カッタガ、オレノ顔デ明ケサセテ、明日帰ッタガ、オレハ森下デ別レテ、ウチヘ帰ッタ、ソノ時ニ吉原デアノ通リノ振舞ハ出来ヌモノダガトイウコトデ、顔ガ売レタロウト皆ンナニ咄《はな》シタトテ、松平ノ家来ノ松浦勘次ガオレニ咄シタニ、最早、隠居ハ吉原ヘ行ッテモ大丈夫ダトイッタ故、男谷ニテモ安心シタト。
ソレカラスルコトガ無イカラ、毎日毎日カン音、吉原ガ遊ビドコロデ居タガ、虎ガススメデ、香取カシマ参詣ヲスルト云ウカラ、四月初メニ松平内記ノ家中松浦勘次ヲトモニ連レテ、下総カラ諸所歩イタ道ニ、他流ヘ行キテツカイツツ行ッタガ、先年ヨリ居候共ヲ多ク出シタ故、ソレガ徳ニナッテ路銀モ遣ワズニ諸所ヲ見テ来タ、銚子ニテ足ガ痛ンダカラ、勘次ヲ上総房州ノ方ヘ約束シタ所ヘヤッテ、オレハ銚子ノ広ヤカラ舟デ江戸ヘ送ッテクレタカラ、寝ナガラウチヘ帰ッタ、ソレカラ毎日毎日、浄ルリヲ聞イテ浅草辺カラ下谷辺ヲ歩イテ、楽シミニシテ居タガ、六月カ五月末カト思ッタガ、九州ヨリ虎ガ兄弟ガ江戸ヘキタカラ、毎日毎日、行通イシテ、世話ヲシテ、江戸ヲ見セテ歩イタ、虎ノ兄ノ金十郎トイウ男ハ、万事オレ次第ニナッテ居ルカラ、大ガイオレノウチヘトメテ居タガ、或日、吉原ニワカ[#「ニワカ」に傍点]ヲ見ニ行ッタ晩、馬道デ喧嘩ヲシテ見セタラ金十郎ハコワガッタ、金十郎ハ国デハアバレ者ト云ッタガ、江戸ヘ来テハツマラヌ男デアッタ、八月末ニ九州ヘ帰ルカラ、川崎マデ送ッテ別レタ」
[#ここで字下げ終わり]
島田虎之助が当時での剣術ということは、神尾主膳も聞いて知ってはいるが、その島田の虎も、勝のおやじにかかっては、いやはや――しかしこんなに書きなぐるのは表面で、内心は勝のおやじも、たしかに島田に敬服したればこそ、この男を、悴《せがれ》の師匠に見立てて、みっちり修行をさせたのだ。そういう厳粛な方面は、この自叙伝には書いてないが、そこが、おやじの親心で、悴のためを思うことは、一時気違いと言われたほどだから、表面の磊落《らいらく》ばかりを見てはいけない。この馬鹿親爺の息子が、今では徳川の天下を背負って立とうというのは、この親爺の細心な方面と、この島田の虎の仕込みのあたりを、別の頭と眼で見直さなければならない!
おれなんぞは――と神尾は、いつも身に引きくらべて見る。それはこの自叙伝が、雰囲気から言っても、どうらくから言っても、神尾の身に引きくらべて読むに最も都合よく出来ている――おれなんぞも、武術の方は、いい師匠を取って、相当に仕込まれたのだが、親爺がこんな馬鹿者でなかったためにしくじった。虎のような名剣師に就かなかったのが、まあ残念といえば残念のようなものだ。江戸者に生れて、身をあやまるも、身を立つるも、ほんの皮一重のものだよ――おれに子供でもあったらば……
神尾主膳も、こんなように娑婆《しゃば》っ気《け》にまで誘発されて、しばらく三ツ眼を休めて考えている時、
「あなた、何を読んでらっしゃるの」
不意に隔ての襖《ふすま》をあけて、スラリとそこへ立っているのは、今日は姥桜《うばざくら》に水の滴るような丸髷姿《まるまげすがた》のお絹でありました。
七十一
襖越しに突立ったままで、嫣然《にっこり》として、
「あなた、何を読んでらっしゃるの」
ずいぶん、なめた行儀であるけれども、神尾にはそれがおこれない。ビタにしたように、無雑作《むぞうさ》にはこの女が扱えない。
「うむ、なに、その、ちっとばかり読んでいるところだよ」
何を読んでいるのかと、これ以上はお絹が突っこまない。何を読もうとこの女には、読書というものが、あまり頭にない。
「ねえ、あなた――」
と、お絹が甘ったれた口調で言いました。甘ったれた口調ではない、これが本来この女の本調子なのですが、これを聞くと、神尾の血がグッと下って来る。
突立ったままの大丸髷で、だらしのない立ち姿をしながら、「ねえ、あなた――」それを神尾がおこれない。
こんななめきった行儀をされても、こんな甘ったるい言葉づかいをされても、つむじ曲りの神尾主膳が、どうしても腹を立つ気になれないのは、今にはじまったことではないのです。これが昨今になると、一層、身にこたえて来たようで歯痒《はがゆ》い。
この女だけが、親爺の残してくれた唯一の遺産だ、いつも、神尾がこの女にさわると、むらむらとそれを受身にとって来る。この女は父の寵者《おもいもの》であった、父のお妾《めかけ》であった。今日となっては、父祖以来残された財産とては何一つ身についたものはない、いや、財産だけではない、父の代から出入りの恩顧を受けたという者共が、誰ひとり寄りつきもしないのに、この女だけが、自分の影身についていてくれる。忠義でかしずいていてくれるわけでもなかろう、切っても切れない腐れ縁の一つかなにか知らないが、それにしても、広い世界に自分の身うちといっては、考えてみると、この女ばっかりだったなあ。
神尾主膳はこの女を母とは、どうしても思えないが、姉とは受取れる。姉としては、いかさまふしだらな、甘ったる過ぎた姉ではあるが、姉の気分はいくらか滲《にじ》んでいるというものだ。姉の愛といったようなものを幾分ながら漂わせて、これを尊敬して見るという立場ではない。なあに――親爺の寵者《おもいもの》だ、親爺の召使の一人だから、自分にも召使の分限だ――という主人気取りは多分に残されてあるが、さて、この女に対すると、どうも一目を置きたがる。我儘《わがまま》一ぱいを仕つくしても、この女がおこらない、姉気取りで自分を抱擁しようとするところに圧迫を感じながらも、よし、思う存分にこの女を虐待しても、女がおこらないし、また自分が、どんなに他の女狂いを働いてみたところで、この女は笑っている。姉として、自分の放蕩《ほうとう》を叱るようなことはついぞ一度もなかったが、いろいろの女狂いも、こっちが飽きたり、向うが逃げたりしているうちに、最後までこの女は、自分の面倒を見る。自分をあやなしきって、切れも離れもしないところが乙だ。
妙なもので、こんな我儘一ぱいに振舞える相手だが、自分が女狂いをする時は忘れてしまっているのに、この女が、ちょっと外へ出たり、また外泊なんぞをした場合には、神尾の心頭が異様に乱れ出して来るのである。それが近ごろは、だんだん嵩《こう》じて来た。お絹が水性《みずしょう》であることは万々承知で出してやりながら、あとに残された時に、神尾の胸が怪しく騒ぎ出して来るのです。
なあに、親爺の寵者で、うちの召使なんだ、おれのいろではあるまいし、おれもまずほかに女がいないではあるまいし、あいつに惚《ほ》れてもなんでもいるんではないが、いなくなると心がいらいらする、焦《じ》れて焦れてたまらない、しまいには血の気が頭に上って、「浮気者にも程がある、明朝帰って来たらただは置かぬぞ」という、物すごい気分にまで上ずって来ることもあるが、さて、朝になって帰って来て、「ねえ、あなた」なんぞとやられると、神尾の頭へ上った血が不思議にグッと下ってしまう。骨までぐんにゃりとされるような重し[#「重し」に傍点]がのしかかって、神尾は自分ながら、その甘ったるさ加減に腹が立つ。帰ったらブチのめしてもくれよう、次第によっては、親爺になり代って刀の錆《さび》にまでと意気ごんだものが、だらしない格好で、すましこんで、「ねえ、あなた――」とやられると、自分はどうにもはや、昔の「お坊ちゃま」にされてしまう。硬《かた》くて歯が立たないならいいが、搗《つ》きたての餅のように軟らか過ぎて歯が立たない。その度毎に、神尾は自分を歯痒がったり、腑甲斐《ふがい》ないと自奮してみたりする気になるが、さて面と向うと、どうにもならないのが癪《しゃく》だ。
「何だい――」
と受答え、自分の声は苦りきったつもりでも、いつしか、甘ったるい、舌たるいものになっている。
癪だ。
お絹は、神尾のそんな気分を知るや知らずや、
「あのねえ、駒井能登守様――あの方、このごろ、どうしていらっしゃるでしょう、御様子をお聞きにならない?」
「うむ、駒井か」
と神尾が、こうと言われて何となく胸を圧《お》されるように思いました。ここで突然、駒井の名を聞くことは甘ったるいことではない。忘れていた古創《ふるきず》が不意に痛み出して来たような思いで、
「駒井能登か、知らんなあ、その後、どうしているかなあ」
「あのお方をあやまらせたのは、あなたの罪ね」
「いいや、そんなこたあないよ、駒井自身の越度《おちど》だから、どうも仕方がない」
「でも、あなたがいて、あんなになさらなければ、駒井様は御無事でしたに違いないわ」
「うむ、おれのためじゃないよ、女のためだよ、駒井の奴め、あれで女にのろいもんだから、そこに隙《すき》があったんだ。隙のあったところを相手にやられたのは、相手の罪じゃない、隙をこしらえた奴の罪なんだ」
「どちらがどうか存じませんが、およそ、隙のない人間てありませんからね。駒井様の隙なんかは、同情して上げてよい隙なんでしょう。過ぎたことは仕方がありませんね。それにしてもあの方、今どうしていらっしゃるでしょう」
「イヤに今日に限って駒井に気を持つじゃないか」
「少し伺いたいことがありますから」
「ふむ、いまさら駒井に、何を聞きたい」
「あの方、たいそう洋学がお出来になるんですってね」
「うむ、そのことか。洋学、あれは出来るよ、あれが表芸なんだ、洋学だけは相当にやれると自他ともに許していたよ」
「惜しいわね」
「何が惜しい」
「それほど洋学がお出来になるのに」
「洋学なんぞは、毛唐の学問だ」
と、神尾が取って投げるように言いました。洋学が毛唐の学問であることは、神尾に聞かなくても、お絹でさえよくわかっている。
「惜しいわね、それほど洋学がお出来になるのに」
「何が惜しいんだよ」
「でも、当節、洋学がお出来になれば、お金儲《かねもう》けはお望み次第なのに」
「洋学が出来れば金儲けは望み次第? それで駒井のいないのが、宝の持腐れだというコケ惜しみか」
「そうよ、わたし、このごろ、つくづくそう思いますわ、もし、わたしに少しでも横文字が読め、達者に異人さんと話ができたら、どんなにお金儲けができますか、ちょっとやそっとのお金儲けではございませんのよ、何十万というお金儲け……」
「ふん、毛唐だって、そう甘い奴ばかりはあるまい、日本の金と土を取りたがって来ている奴等だ、洋学が出来たからというて、ペロが喋《しゃべ》れるからといって、お前が甘く見るほど相手は馬鹿でない」
「ところが、あなた、それが違うんですよ、日本人と見ると、むやみにお金を蒔《ま》きたがっている異人さんがあるから妙じゃありませんか、それも、相手次第によっては何万とまとまったお金を未練会釈なしに融通してくれる異人さんを、わたしはずいぶん知っていますよ」
「それを知っているなら、お前、遠慮なく拝借をしといたらいいじゃないか」
「わたしでは駄目、女では信用がないから」
「では、おれの名前でよろしければ貸して上げてもいい」
「あなたではなお駄目――駒井様あたりだと確かなものなんですがね」
「ふーむ、えらく踏み倒されたものだな――おれと駒井の相場がそれほど違うかな」
「違いますとも、あなたなんかはさかさに振っても鼻血も出やしないけれど、駒井様なら洋学もお出来になるし」
「洋学が出来さえすれば、毛唐は誰にでも金を貸すのか」
「洋学が出来て、御身分の保証がおありなされば、何万、何十万、何百万とまとまったお金を、右から左へ貸してくれますのよ」
「それはまた桁《けた》が大きいなあ、何万はいいが、何百万は事が大きいぞ」
「まあ、お聞きなさい、決して夢じゃありませんから」
ここまで、立ち姿、襖越《ふすまご》しで話しかけていたお絹が、ずかずかと入りこんで来て、神尾の火鉢の前へ坐り、無雑作に白い手をさしのべて神尾の拳《こぶし》にさわるほど、親密に意気ごんで話を持ち込みました。
七十二
お絹は白い手を火鉢の前にかざして、神尾の手をなぶるような仕草をしながら、
「ねえ、あなた、小栗上野様《おぐりこうずけさま》を御存じ?」
「何だい、また人別《にんべつ》が変って来たな、今は駒井能登の戸籍しらべだが、今度は小栗上野と変って来た!」
「小栗様、御存じなの?」
「知ってるよ。知ってると言ったところで、親密という間柄ではないが、若い時はおたがいに見知り越しだ」
「では、もう一つ、勝安房様《かつあわさま》を御存じ?」
「勝――それは知らん」
「小栗上野様と、勝安房様と、どっちがおえらいの?」
「小栗と、勝と、どっちがえらい? とわしに聞くのか。変な質問を出したもんだなあ。いったい、お前が今日に限って、そんな柄にもないことを聞き出す、その了見方から聞きたい」
「まあ、いいから、わたしの質問だけに答えて頂戴――わけはあとでお話しするから。ねえ、勝様と小栗様と、どちらがえらいのですか、それを聞かせて頂戴よう」
「勝がエライか、小栗がエライか、おれはそんなことは知らん、だが、旗本の地位からいうと、二人は比較にならん、小栗は東照権現以来の名家だが、勝というのはドコの馬の骨か、このごろになって漸《ようや》く名が出たばっかりなんだ」
「お家柄は別としましてね、人物はどちらが上なんです」
「そりゃ、わからん、小栗は名家の末だからといって、当人が馬鹿では今の役はつとまるまいし、勝はまた無名のところから成り上ったくらいだから、相当の手腕がある奴だろう」
「同じお旗本のうちでも、その小栗様と、勝様とが、合わないんですってね、小栗様は徳川家を立てようとなさるし、勝様は薩摩と組んで、徳川家をつぶそうとしておいでなさるんですってね」
「そんなことがあるものか、小栗でなくったって、誰だって、旗本で徳川家を立てようとしない奴があるか、勝が薩摩と組んで徳川を潰《つぶ》すなんぞと、誰がお前に言った」
「誰いうとなく、そういった噂《うわさ》が聞えていますのよ、勝は奸物《かんぶつ》ですって」
「勝は奸物? 鰹節《かつおぶし》は乾物という洒落《しゃれ》だろう、勝だってなんだって、徳川家の禄を食《は》みながら、徳川家の不為《ふため》をはかる奴なんぞがあろうはずはないが、そこは時勢だ、傾き切った屋台骨を踏まえている身になってみると、いろいろの誹謗《ひぼう》が出るのはやむを得まい、井伊掃部頭《いいかもんのかみ》を見てもわかることだわな」
「それは、そうでしょう。では小栗様は小栗様、勝様は勝様として置いて、いったい、今の徳川様の天下をねらっている相手は誰なの」
「それは、薩摩と長州よ」
「そうなんでしょう、その薩摩と長州が、つまり徳川様の天下を倒そうとなさるんでしょう、それをそうはさせないと、小栗様や勝様が力んでいらっしゃるのですわね」
「勝と小栗に限ったことではないが、まず旗本では、あいつらが代表している」
「つまりは、薩摩や長州を相手に戦争ということになるわね。戦《いくさ》となると、兵隊さんがいります、その兵隊さんをたくさんに持った方が勝ち、兵隊さんをたくさんに持って、調練をみっちりとさせ、鉄砲や軍艦をふんだんに持った方が勝ち、それをしなければ、これからの戦争には勝てないんですってね。そこで、先立つものはやっぱりお金――そのお金が、上方にも、お江戸にも、今はないのですってね。お江戸では、権現様以来蓄えた莫大なお財《たから》も、もう使い果してしまったし、上方でも、どのお大名も内緒はみんな火の車。ですから、人には不足はないが、お金の戦争。そこへ行くと、異人さんが途方もないお金を持っている、そのお金を貸したがっている、そこで、つまりは異人さんを味方につけた方が勝つ、という理窟になるのじゃない?」
「さすがに、築地通いをしているだけに、見識が広大になったものだ――金ばかりじゃ戦はできないよ、第一、士気というものが弛《ゆる》んでいた日にゃ戦争はできない、その次が兵糧、その次が金だ」
「まあお聞きなさい、異人さんはね、そこのところへ目をつけて、日本へお金を貸したがってるんですとさ。それでね、上方の方へはイギリスという国が金主につき、お江戸の方へはフランスという国が金主について、お金をドンドン貸出して戦《いくさ》をさせることになっているんですとさ」
「ばかげた噂だ、毛唐を金主に頼めば、毛唐に頭が上らなくなる、日本を抵当にして、一六勝負を争うようなもんだから、どんなに貧乏したって、毛唐の金で戦ができるか」
「でも、お金は借りたって、返しさえすれば、国を渡さなくても済むんでしょう、貸すというものはどんどん借りて置いて、済《な》せる時に済せばいいじゃないの、戦に勝つ見込みさえつけば、ちっとは高利の金を借りたって直ぐに埋まるでしょう。もし負ければ借りっぱなし、負けた方から取ろうったって、それは貸した方の無理よ。戦争に金貸しをしようというくらいの異人は、太っ腹の山師なんでしょう、そのくらいのあきらめはついていないはずはないから、こんな時節には、貸そうというものを借りないのは嘘よ。で、上方でも、ずいぶんイギリスという国から借りる相談が出来ているという話ですし、こちらでも、小栗様なんぞは、このごろ、六百万両というお金をフランスから借りることになったんですってね、これはごくごく内密《ないしょ》なんですけれども、わたしは確かな筋から聞きました」
「ナニ、小栗がフランスから六百万両を借りる!」
神尾は複雑な意味で、驚異の叫びを立てましたけれども、お絹の頭は単純な貸借関係と、金額の数字の多少だけのもの。
「ここで、あなた、駒井様あたりがその間に立って、異人さんと口を利《き》くには打ってつけのお方じゃありませんか、あんなお方が一口|立会《たちあい》をなされば、あなた、六百万の一割のさやをいただいても六十万両――万事その伝なんですから、異人さん相手に大物をこなしさえすれば、濡手《ぬれて》で粟《あわ》の手数料――うまく当れば、あなた江戸一、三井や、鴻池を凌《しの》ぐ長者にもなれようというのは、今の時勢を措《お》いてはありません。それを知りつつ、洋学が出来ないばっかりで、宝の庫に入りながら、指を銜《くわ》えて、みすみす儲け口を取逃がしてしまうのが残念でなりません」
七十三
お絹は今日は、これだけのことを話して帰りました。
洋学の出来ない恨みを、おれに向って晴らしに来たようなものだが、それはたしかにお門違いだ、当然、駒井甚三郎のところへ持って行かねばならぬものを、戸惑いしておれのところへ来た。
だが、考えてみると、女というやつの考え方は、今に始めぬことだが浅どいものだ。洋学の知識というものも、畢竟《ひっきょう》ずるに、金を儲けるか儲けないかのために必要なので、それ以外には、てんであの女の頭にない。おれは洋学は嫌いで、駒井の奴はドコまでも好かない奴だが、まさか駒井だって、才取《さいと》りをするために洋学に志したのではあるまい。あの女は、金にさえなれば洋妾《ラシャメン》にもなり兼ねない女なんだから、駒井や我輩も同様に、学問そのものを利用して、大きな才取りができれば、それが専《もっぱ》ら功名だと心得ている。実にタワイないものだ、浅ましいものだ。だが、そのタワイのない、浅ましいところが、あいつの身上で、あれが、なまじい賢婦ぶりをし、烈女気取りをはじめたら、もう取るところはない。あれはあれでいいんだが、さて、これはこれでいいのか。
今、あいつが、附けたりで口走って行ったところに、聞捨てのならないものがある。聞捨てにすべきところが、聞捨てにならない。本末も、始終も、見境のない女のことだから、その本論は憫笑すべく、その附けたりは傾聴すべしか。というのは、ああいう女が無心で受けて来る巷《ちまた》の声というやつに、案外、時代の政治が反映して来るものだ。
小栗と、勝と、どっちがエライ。そんなことは鼻垂小僧のする質問だが、勝が薩摩と組んで、主家の徳川を倒そうとしている。小栗が金を外国から借りて、宗家のために戦おうとしている。この風聞は聞きのがせないぞ、たとえ市《まち》の偶語とはいえ、その拠《よ》るところは根が深そうだ。
勝が奸物《かんぶつ》だという評判は、つまり彼が外交に苦心しているところなんだろう。小栗が軍用金を集めるということは、彼が主戦論の代表だということに、そのままそっくり受取れる。世が末になると、その二派はいつの時代にもあることだ。和戦両様の派が対立して、内輪喧嘩を内攻する。支那の宋の世の滅びた時の朝廷の内外が、つまりその鮮かな一例だ。おれは勝を一概に奸物と見たくないが、小栗の腹には無条件で納得する。彼の家は家康以来の名家で、いつも戦《いくさ》の時は一番槍を他に譲らぬというところから、家康の口から、又一番、又一番槍はその方か、又一、又一の渾名《あだな》が本名となった祖先の勇武の血をついでいる男だが、現今は勘定奉行をつとめていると聞いた。勘定奉行は重任だ、大蔵卿だからな。公卿《くげ》の大蔵卿は名前倒れの看板だが、傾きかけた幕府の大台所を一手に賄《まかな》う役目は重いよ、辛いよ。小《こ》っ旗本《ぱたもと》の家にしてからが、勘定方は辛いぞ。ドコの大名も困っている、五万石、十万石の大名の家の台所をあずかる身も辛いが、八百万石の天下取りの台所の傾きかかったのを支えるというのは大抵じゃない、少なくともおれにはやれない。
小栗はこれを引受けて、これから、いざという時の軍用金、重々容易な苦心であるまいことも察するよ。金がなければ戦はできない、勿論のことだ、だが金だけで戦ができるものじゃない。第一、士気が振わなければ戦はできない、それから兵糧、それから金、と今も女に言って聞かせたのだが、さて実際、今の徳川に当てハメて見ると、この条件が叶っているかいないか、と念を押すまでもない、士気といったらごらんの通り、恥かしながらこの神尾主膳の如きが代表の一人かも知れぬ。食糧の点も、諸国の大名との交通に差しさわりがなく、幕下の知行が今のままなら何のことはあるまいけれども、いざ戦争となれば、天下が乱れて諸道が塞がる、江戸そのものの食糧が上ったりになりはしないか。金ときた日には――徳川家康は金を持っていたが、豊臣秀吉も金を持っていたぞ、天下を取る奴はみんな金を持っていた。金持がキッと天下を取るというわけではないが、金のない奴には大仕事はできない。いやいや大仕事をする奴は金運というものが向いて来るものなんだ、時運が盛んで、英気が溢《あふ》れていると、苦心しなくとも金なんぞは向うから集まって来るが、落ち目になると、ある金も逃げて行くよ。
おれも貧乏だが、徳川の宗家も貧乏だよ。その傾きかかった宗家を支えて、戦争の一つもしようというには、先立つものは金だ。金だと言ったところで、生やさしいものではない。勝のおやじや、おれなんぞは、千三《せんみつ》をやっても、質草をはたいても、やりくりはつこうというものだが、宗家の台所となるとそうはいかない。天下を二つにわけて、最期《さいご》の合戦に堪えるだけの用意――それには毛唐の財布を借りなければいかないのか。
まさか、小栗だって、国というものを抵当に置いて、毛唐から借金するまでに血迷いはすまい。毛唐の力を借りて徳川を立ててみたところで、日本という国が毛唐の下風に立つようになってはおしまいだ。あの女の言うところによると、幕府の方の後ろの金方はフランス、長州薩摩の方はイギリスだとのことだが、長州や薩摩だって同様だ、徳川が憎いからといって、毛唐に国を売るような振舞はすまい。
だが、意地となると、どういう番狂わせが出来るか知れたものでない。今時きっての知恵者だという勝安房は、いったい、どういう考えを持っているのか。おれは一概にあいつを奸物だとは見たくないのだ。彼の本意を聞いてみたいものではないか。
且つまた、小栗のはらがドコまで据わっているか、これも一番見届けたいものではないか。
その他、いよいよという時に頼みになる奴は、ドコの誰で、どうしている。
神尾が、しばし眼をつぶって沈思の体《てい》であったが、やがて開いた眼を落すと、読みさした「夢酔独言」の上に落ちて来る。
以前ほど気乗りはしないが、とにかく、もうあと少しだ、読んでしまってみてやろうという気になって、丁をめくってみましたが、もはや心が全く書物の上から移ったようで、それでも、眼はその文字の上を惰力的に追っている。
七十四
神尾主膳は、せっかく興味をもって読みつづいていた勝の親父の自叙伝を、さきにはビタが来て妨げ、今はお絹が来て中断されたが、さきのビタは問題にならず、お絹の話して行った言句が気になって、これからは、うつろに何枚かの丁を飛ばして行ったが、ふと、しまい際へ来て、女、という文字に釣り込まれて読みついでみると、
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「オレガ山口ニ居タ時分ダガ、或女ニホレテ困ッタコトガアッタガ、ソノ時ニ、オレガ女房ガソノ女ヲ貰ッテヤロウト云イオルカラ、頼ンダラバ、私ヘ暇ヲ呉レトイウカラ、ソレハナゼダト云ッタラ、女ノウチヘ私ガ参ッテ、是非トモ貰イマスカラ、先モ武士ダカラ、挨拶ガ悪イト、私ガ死ンデモライマスカラ、ト云ッタ、ソノ時ニ短刀ヲ女房ヘ渡シタガ、今晩参ッテキット連レテ来ルト云ウカラ、オレハ外ヘ遊ビニ行ッタラバ、南平ニ出先デ出会ッタ故《ゆえ》、何事無シニ咄《はな》シテ居タラバ、南平ガ云ウニハ、勝様ハ女難ノ相ガ厳シイ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、右ノ次第ヲ咄シタラバ、ソレハヨクナスッタト云ウカラ、別レテ、又々、関川讃岐トイウ易者ト心易《こころやす》イカラ、通リガカリニ寄ッタラ、アナタハ大変ダ、上レトイウ故、上ヘ通ッタラバ、女難ノコトヲ云イオッテ、今晩ハ剣難ガ有ルガ、人ガ大勢痛ムダロウトテ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、初メヨリノコトヲ話シタラバ肝ヲツブシテ、段々深切ニ意見ヲシテクレテ、女房ハ貞実ダト云ッテ、以来ハ情ヲ懸ケテヤレ、トイロイロ云ウカラ、考エテミタラバ、オレガ心得違イダカラ、夕方ウチヘ飛ンデ帰ッタラ、隠居ニ娘ヲ抱カセテ男谷《おたに》ヘヤッテ、女房ハ書置ヲシテウチヲ出ルトコロヘ帰ッテ、ソレカラ漸々《ようよう》止メテ、何事モ無カッタガ、是迄、度々、女房ニモ助ケラレシコトモアッタ、ソレカラハ不便《ふびん》ヲカケテヤッタガ、ソレマデハ一日デモ、オレニ叩カレヌトイウコトハ無カッタ、此ノ四五年、俄《にわ》カニ病身ニナッタモ、ソノセイカモ知レヌト思ウカラ、隠居様ノヨウニシテ置クワ」
[#ここで字下げ終わり]
こういうおやじの兄弟も大抵ではないが、細君となるものがことさら思いやられる。亭主の馬鹿に比べてこの女房はエライ、勘弁が届いている――だが、内心ドノくらい、血の涙を呑んだことか。女ではおれもずいぶん馬鹿を尽しただけに、貞婦なる女房というものの有難さがわかって来た。さて、それからは、また頭に入って読みつづくと、
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「オレガ隠居スル前年ダカ、吉原ガ焼ケテ、諸方ヘ仮宅ガ出来タ、ソノ時、山ノ宿《しゅく》ノ佐野槌屋ノ二階デ、端場《はしば》ノ息子熊トイウ者ト大喧嘩ヲシタガ、熊ヲ二階カラ下ヘ投ゲ出シテヤッタガ、ソノ時、銭座ノ手代ガ二三人来テ熊ヲ連レテ帰ッタガ、少シ過ギルト三十人バカリ、長鍵デ来テ佐野槌屋ヲ取巻イタカラ、オレガ肌ヲヌイデ、襦袢《じゅばん》一ツデ高モモ立ヲ取ッテ飛ビ出シテ叩キ合ッタガ、三度、二三町追イ返シタソノ時ニ、会所カラ大勢出テ引分ケタガ、ソレカラ山ノ宿デモ、女郎屋一同ニ、客ヲ送ル婆アモ、嬶《かか》アモ、オレガ顔ヲ下カラヨクヨクシオッタ故、何モ間違イガ無カッタ、ソノ時ハ刀ハ二尺五寸ノヲ差シテイタ、山ノ宿中、女郎屋ガ三日戸ヲシメタガ、事無ク済ンダ。
ソノ外、所々ニテノ喧嘩、幾度モアッタガ、タイガイ忘レタ。
浅草市デ、多羅尾七郎三郎ト、男谷忠次郎ト、ソノ外五六人デ行ッタ時ハ、二尺八寸ノ関ノ金光ノ刀ヲサシタガ――ソレニ急ニ七郎三郎ガ誘ッタ故、袴《はかま》ヲハカズニ行ッタカラ、雷門ノ内デ込合ウ故ニ、刀ガ股倉ヘ入ッテ歩カレナカッタガ、押合ッテ行クト、侍ガ多羅尾ノ頭ヲ山椒《さんしょう》ノ摺古木《すりこぎ》デブッタカラ、オレガ押サレナガラ、ソイツノ羽織ヲオサエタラバ、摺古木デマタオレノ肩ヲブチオッタ故、刀ヲ抜コウトシタラ、コジリガツカエタカラ、片ハシカラキリ倒スト大声ヲ上ゲタラバ、通リノ者ガパット散ッタカラ、抜打チニソノ男ノ逃ゲルトコロヲアビセタラバ、間合イガ遠クテ、切先デ背ヲ下マデ切下ゲタカラ、帯ガ切レテ大小懐中物モ残ラズ落シテ逃ゲタガ、ソウスルト伝法院ノ辻番カラ、棒ヲ持ッテ一人出タカラ、二三ベン刀ヲ振リ廻シテヤッタラ、往来ノ者ガ半町バカリ散ッタカラ、大小ト鼻紙入ヲ拾イテ、辻番ノ内ヘ投ゲ込ンダ、ソレカラ直グニ奥山ヘ行ッタ、漸々《ようよう》切先ガ一寸半モカカッタト思ッタ、大勢ノ混ミ合イ場ハ長刀モヨシワルシダト思ッタ、多羅尾ハ禿頭故ニ創《きず》ガツイタ、ソレカラ段々喧嘩ヲシナガラ、両国橋マデ来タガ、ソノ晩ハ何モホカニハ仕事ガナイカラウチヘ帰ッタ。
ソノ外ニモ、イロイロ様々ノコトガ有ッタガ、久シクナルカラ思イ出サレヌ、オレハ一生ノウチニ、無法ノ馬鹿ナコトヲシテ年月ヲ送ッタケレドモ、イマダ天道《てんとう》ノ罰モ当ラヌト見エテ、何事ナク四十二年コウシテイルガ、身内ニ創一ツ受ケタコトガナイ、ソノ外ノ者ハ或ハブチ殺サレ、又ハ行衛ガ知レズ、イロイロノ身ニ成ッタ者ガ数知レヌガ、オレハ好運ダト見エテ、我儘《わがまま》ノシタイ程シテ、小高ノ者ハオレノヨウニ金ヲ遣ッタモノモ無シ、イツモ力《りき》ンデ配下ヲ多クツカッタ、衣類ハタイガイ人ノ着ヌ唐物ソノ外ノ結構ノ物ヲ着テ、甘イモノハ食イ次第ニシテ、一生女郎ハ好キニ買ッテ、十分ノコトヲシテ来タガ、此頃ニナッテ漸々人間ラシク成ッテ、昔ノコトヲ思ウト身ノ毛ガ立ツヨウダ、男タルモノハ決シテオレガ真似《まね》ヲシナイガイイ、孫ヤヒコガ出来タラバ、ヨクヨク此ノ書物ヲ見セテ身ノイマシメニスルガイイ、今ハ書クノモ気恥カシイ、是レトイウモ無学ニシテ、手跡モ漸ク二十余ニナッテ、手前ノ小用ガ出来ルヨウニナッテ、好キ友達モ無ク、悪友バカリト交ッタ故、ヨキコトハ少シモ気ガ附カヌカラ、此様ノ法外ノコトヲ英雄ゴウケツ[#「ゴウケツ」に傍点]ト思ッタ故、皆ナ心得違イシテ、親類父母妻子ニ迄イクラノ苦労ヲ懸ケタカ知レヌ、カンジンノ旦那ヘハ不忠至極ヲシテ、頭取扱モ不断ニ敵対シテ、トウトウ今ノ如クノ身ノ上ニ成ッタ、幸イニ息子ガヨクッテ孝道シテクレ、又娘ガヨクツカエテ、女房ガオレニソムカナイ故ニ、満足デ此年マデ無難ニ通ッタノダ、四十二ニナッテ初メテ人倫ノ道、且ツハ君父ヘ仕エルコト、諸親ヘムツミ、又ハ妻子下人ノ仁愛ノ道ヲ少シ知ッタラ、是迄ノ所行ガオソロシクナッタ、ヨクヨク読ンデ味ウベシ、子ニ、孫ニマデ、アナカシコ。
[#地から3字上げ]于時天保十四年寅年初於鶯谷書ス
[#地から1字上げ]夢酔道人」
[#ここで字下げ終わり]
これで一巻を読み了《おわ》った時、上野の鐘が、じゃんじゃんと鳴るのを神尾主膳が聞きました。
上野の鐘がじゃんじゃんと鳴るのは警報ではない、上野のじゃんじゃんは通り物になっているのですが、今日はそのじゃんじゃんが、神尾が耳に事有りげに響いて聞えました。
「覚王院に会おう、そうだ、あの院主を叩いて、ひとつ聞いてみようではないか」
神尾が突然、巻を叩いて立ち上ったのは、じゃんじゃんの鐘の音につれて、何か急に思い当ったことがあるらしいのです。
その口の端《は》に現わされたところを聞くと、「覚王院」とある。
七十五
その後の与八の生活は、極めて無事でありました。
無事は安定を意味するので、安定なくして無事があり得ようはずはありません。安定は畢竟《ひっきょう》、土地を基調とするのでありまして、つまり、土地に居ついたということが、人心の安定となるのであります。
与八は、この土地に居ついた心持になりました。このところ、甲州有野村、富士と白根にかこまれた別天地――ここに於て、わが生涯が居ついたという感じが出ると共に、安定の心が備わりました。そこで、居る時は即ち安心、出づる時は即ち平和であります。そうして土に居ついて働くということが即ち行持《ぎょうじ》で、人に対するということが同時に教育でありました。
ここに教育というのは、ことさらに定義のある教育ではない。自分に於ては行持、それが他に反映して、教育ともなれば教化ともなるのみで、与八にあっては、教育せんがための教育の何物もないのであります。与八こそは、全く世の謂《い》うところの教育せられない民でありました。彼は棄児《すてご》ですから、家庭の教育というものがありません。机の家へ拾われてから、弾正《だんじょう》の情けで、寺子屋教育のある部分だけを受けさせられたが、その当時の与八は、寺子屋教育の学問をさえ受入れられる素質を欠いておりました。
ナゼだと言えば、二三、人の子の集まるところへ行くと、拾いっ児だという冷たい指さしが、この男の心を暗くしたのと、天性学問が好きでなかったから、学問の庭へ行くことを怖れ且つ避けました。そこで、主人側でも、むりやりにということをしないで、「なにも、字を知ることが最上の学問ではない、人間、字を知らなくても、字を知る以上の生活ができるものだ」という弾正が、他の人にはわからない警語を添えて、与八を早くから水車番に下ろしたものですから、これを天職として生きて来ただけのものです。その後、字を知らなくてはいけない、字を書かないと恥をかくということを、与八がようやく自覚して来たのは、相当の年になってからですが、その事は自ら言い出せませんから、水車小屋へ入って、囲炉裏《いろり》の灰の上へ、いろは、アイウエオを書いては消し、書いては消しているところを、弾正に認められて、それとなくお手本を与えられたのが、およそ字学というものの最初なのです。そうして、与八が若干の文字、曲りなりに手紙の文書を書いたり、小遣帳《こづかいちょう》をつけられる程度の素養が出来上ったと認められたのですが、これはかつて表面に現わしたことはない。今、こうして、この土地に安定をして、自分の周囲へ子供たちが集まって来るのを見ると、この子供たちを、このままで置けないという気になるのも自然でありました。
ここに群がる子供たちの多数の親が、教育に無頓着である。そうして、仕事の邪魔になってうるさい場合には、「外へ出て、遊んでこう」と言って子供を追い出す。一時の喧騒から追払いさえすれば、追払われた先では何をしようと、そこまでは考えない、考えていられない。この子供たち――一名餓鬼共の、遊び場を求めて自分のところへ群がって来るを見るにつけて、与八は、この中に善性もあるし、悪性もあるということを、見て取らないわけにはゆきません。
そこで、これらの餓鬼共の相手になって、これを善導することに、おのずからなる責務を感じ出したのも、与八としては決して無理ではないのです。
そこで、与八の仕事場が、同時に学校になって行くのも、水いたって渠《みぞ》の成るが如く、極めて自然なものでありました。
ばくちの真似や、穴一や、わいわい天王や、どうろく神や、わけもわからず色事の身ぶりこわ色などをする少年の多数を教えて、そういうことはさせないようにしたい。それには、別な興味と、教育を与えなければならないということが、指導方針の研究題目となって現われるのも自然の成行きでありました。
そこで、玩具に代るに手工を以てしました。彼等に材料を与えて、物を構造せしむるの趣味を与えることを以て、邪道淫風から離導しようとする与八の教策は当りました。
そこで、彼等に、手工を与え、草鞋《わらじ》、草履《ぞうり》の作り方を教えて、手と眼との趣味性を与えると共に、やっぱり文字の教育をも、ゆるがせにしてはならない。
こんな山村のことですから、よき師匠といわないまでも、村のお寺へ行って和尚さんに教わるものも、そう多くはなし、またお寺まで行く道のり、行きついてみたところで、和尚さんまた必ずしも教育の熱心家とは限らない。碁を打ったり、酒を飲んだり、時としては法事や年会に出かけたりして、子供らの文字のめんどうを見る時間も甚《はなは》だ乏しいと言わなければならない。そして、子供も、寺子屋通いに興味を持つことができない。そこで、文字に遠ざかって、一生を明盲《あきめくら》で暮す運命の子供を多く見るにつけて、たとえ自分の最小の文字の力をでも、この際、彼等に移し植えてやろうという気になったのも、孔子のいわゆる好んで師となるの心ではない。
そこで、与八は、いろはから、アイウエオ、一二三四の教授方をも兼ねました。
「与八さん、七という字は、ドッチへ曲げるだっけかなア」
横に一本書いて、縦から書き卸してみたが、途中まで来て、どっちへ曲げていいかわからない、そこで行先をたずねて哀号する子供がある。
「右へ曲げるだよ、右へ」
ところが、右と左の観念がよくわからない。思いきって左へ曲げてしまって、げんなりした面《かお》でいると、与八が傍へよって来て、手に筆を持添えて、
「そら、右というのは、こっちの方で、左というのは、こっちだよ、おまんまあ食う時、箸《はし》を持つのが右で、茶碗を持つのが左だよ、よく忘れねえで」
「そうかなあ、みんな、いいことう聞いたよ、おまんまあ食う時、箸う持つ方が右で、茶碗を持つ方が左だとよ、いい事う聞いた、みんな忘れんなよ」
教えられた子供は得意になって、それの新知識を更にまた他に向って移植しようとする。かくして、かりそめにも教育に従事した与八は、他教育と共に、自分を教育せねばならぬ必要を感じました。いわゆる、自ら教育せぬものには、他を教育するの資格がないことを、切実に感得しました。
そこで与八は、村の有識者――いやしくも自分より以上の智能者であると見ると、機会ある毎《ごと》に就いて学ぶことに、熱心綿密を極めておりました。
七十六
与八は、自分の働く周囲が、おのずから学校となることには煩わしさを感じませんでしたが、自分の出て行く先が、偶像となることを深く怖れました。
与八に対して、一つの信仰が起りかけて来たことは、前に言った通りであります。
この超経済の奇篤人の行動が、世俗人の目から驚異に見られたあまり、これは木喰上人《もくじきしょうにん》の生れかわりであるの、鳩ヶ谷の三志様であるの、地蔵様の申し子であるの、何神様のお乗りうつりであるのという信仰は、すぐにその隣りへ迷信の祠《ほこら》を築き易《やす》いことになっている。
与八さんのまわりへ寄れば、気が休まる――なんとなく気分が和《やわ》らぐ――というのはまだいいが、与八さんに頼めば病気がなおる、与八さんの傍へよると難病が落ちる、というようなことになるを、与八は甚しく怖れました。しかし、与八が怖れれば怖れるほど、その信仰なり、迷信なりが、加速度に嵩《こう》じて来る雲行きを、与八は更に怖れました。
そこで、なるべく出歩かないように、施行《せぎょう》の湯治場へさえも、なるべく遠のくように心がけていると、今度は、先方から押しかけて来る、その人の足が日に増し、これも加速度に殖《ふ》えてくる気配を見て、与八がまた怖れる。
与八の心配としては、どうも、これを早く消してしまいたい。自分は、人並み足らずの、頭のない人間で、決して神様や仏様の乗りうつりでもなんでもありはしない。自分は馬鹿だから、せめて世間並みのところで心やすく働かせてもらいたいと一生懸命につとめているのを、世間が買いかぶってくれてしまっている。そのことわけを言って、辞退をすればするほど、買い手が殖えて来る――与八は、どうかしてそれを今のうちに予防しなければならない、ということを、心ひそかに恐れ怖れているのです。
それから、もう一つ――与八が内心の恐れ、というよりは、内心の責務に責められて、これを怠ってはならないと絶えず鞭打たれているような心持の一つに、郁太郎《いくたろう》の教育のことがあります。
郁太郎も、今年はもう数え歳の五つです。これから人間をこしらえなければならぬ、その父となり、母となり、兄となり、姉となり、師となり、友となる一切の責任が、自分一つの身にかかっているということを、与八は常に、切々《せつせつ》と責められているのですが、今日この頃、この地へ落着いてみると、その責任が全く確実性を帯びて来ました。
この子を教育しなければならない、他の子供の教育はいわば片手間であるが、この子供は特別に自分の上に課せられた任務であることを感じてみると、漠然とした、その教育方針を考えさせられるのも当然です。
この子供は素姓の優れた家柄に生れた子だ、将来どんなことになるか、現在ではわからないが、将来を思うと、畢竟《ひっきょう》、これを父親に似せてはならない、お祖父《じい》さんに似せなくてはならないということが、与八の頭へ熱鉄の如く打込まれるのであります。
郁太郎の父は竜之助であって、その祖父は弾正であることを、与八ほどよく知っている者はない。父の竜之助の優れた天分の人であることは、その善悪邪正にかかわらず、与八はよく認めている。それを誤ったものに教育があるということを、大先生《おおせんせい》すなわち弾正の口から、絶えず与八は聞いて知っている。大先生の教育がわるかったのではない、大先生が永らくの御病気で、竜之助様によき教育を施す隙がない間に、竜之助様の悪い方が伸びてしまったということを、与八は昔から観念している。
そこで彼は、この子を父にしてはならない、祖父にしなくてはならない、と感づくのは当然の認識であるが、与八としては、その父を怖れるよりは、一層、祖父なるものの偉大なるを信じている。そこに、与八の教育の根本方針が成り立っていました。
事実、与八の眼で見た弾正という人、すなわち郁太郎のためには祖父、竜之助のためには父なる人ほど、この世に於て偉大なりと信じている人は有りません。
それは、棄児《すてご》であった自分の一身を拾い取って、衣食を与えた生命《いのち》の恩人というだけの観念ではないのです。
およそ、この世界に於て、いかなる人がエライといって、うちの大先生ほどのエライ人はない。江戸へ出て、エライと言われる人もお見かけ申したことがないではないが、そのエライ人でも、うちの大先生にはかなわない。どこがどうエライかということは与八にはわからないが、どんなエライと言われる人をお見かけ申しても、うちの大先生のことを思い出すと、引け目を感じないことを与八は直覚する。つまり、エライ人にはみんなそれぞれ身に備わる「威」というものがある。うちの大先生の「威」は、どんな人にも遜色がない、ということが、与八の信仰となっているのであります。与八が「威」という観念で解釈しているのは、近づき難い怖れという意味ではない、与八は与八らしく世間の「威」という観念を受入れて、人格の備わった徳の高い人に、おのずから備わる後光のようなものだと信じているのです。ドコへ出て、どういう人を見ても、与八はうちの大先生のことを思うと、ちっとも引け目を感じない。それがつまり、大先生の威というものだと信じているのです。
そこで当然、その血筋を引いた郁太郎様は、お祖父《じい》さんのような人に仕上げたいものだという希望も、無理ではないのです。お祖父さんの正しい血筋を引いているのだから、お祖父さんのようなエライ人になれるべきはずである、というのがまた与八の信念で、同時にそれを、お祖父様のように仕上げるのが一つ間違って、竜之助様のようにしてしまった日には、その責任がかかって自分にあるということを感得すると、与八が恐懼戦慄《きようくせんりつ》するのもまた無理がありません。
どうして教育して上げたらいいか、わしぁ学問はなし、金ぁなし、器量はなし、なにもかもないないづくし。これで人一倍の血筋の子供を仕立てようとするのは、てんで話が無理だ、わしにゃ、どう教育して上げていいかわかんねえ、いい先生はないかなあ、いい学校はねえかなあ、恐懼戦慄の後に、与八が観念はこれでありましたが、そういう時に、眼をつぶって、大先生の信仰をはじめると、不思議に、今まで忘れていた昔の面影がありありと、自分の眼の前に現われて、その折々に言われた言葉が耳の底から甦《よみがえ》って、自分の耳もとに、諄々《じゅんじゅん》として説かれる声を聞きました。
「与八、お前は貧乏に生れて、棄児にされたその運命を恨んではいけないぞ、その運命というものが、お前を教育する恩人だということを忘れちゃいけないぞ、わしがこうして長年の病気を、人は不幸だと思うけれども、わしにとってはこの病気によって教育されたことが大きい、それと同じこと、人間がよくなる、悪くなるということは、物があり余って、立派な親、師匠がついているいないということではないぞ、貧乏はこの世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
と言って、慰め励まされたその言葉が、今し耳の底でガンガン鳴り出して来ました。
その当座は、大先生のおっしゃることは無条件で拝伏して聞いていた。無論、大先生のおっしゃることなどが、自分の頭で理解のつく限りではないから、ただ有難くお聞き申していただけだが、それが今日になって、ありありと出て来て、実際の手引をして下さるとは夢にも思っていなかった。
「貧乏は、この世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
してみると、自分の貧乏は苦にならない。いや、いっそこの貧乏が郁太郎様にもよい教師――果して、そういうものか知ら――どうもわからないが、大先生のおっしゃるお言葉にムダがあろうとは思われない。してみると、教育のために自分たちは最も恵まれていればとて、不足の身ではない。そういうようなことを、与八は考えて安心しようとしましたが、一面には、自分の頭に余り過ぎて考えられないものですから、その度毎に、痴鈍な自分の頭脳《あたま》を振って、一も二も昔のことを考え出し、大先生のおっしゃったお言葉の節々《ふしぶし》を思い起し、ゆっくり考えて、考え抜いてみようと与八が覚悟をきめました。
七十七
さて大菩薩峠「山科の巻」はこれを以て了《おわ》りとします。念のため、本巻に現われた人の名と、その所在の地名とをここに挙げてみます。
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┌─宇治山田の米友
├─不破の関守氏
山科新居────┼─弁信法師
├─お銀様
└─がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵
┌─芸妓福松
福井より近江路─┤
└─宇津木兵馬
┌─神尾主膳
根岸侘住居《ねぎしわびずまい》───┼─ビタ助
└─お絹
┌─机竜之助
京洛市中────┼─南条力
├─五十嵐甲子雄
└─轟源松
┌─与八
甲州有野村───┤
└─郁太郎
[#ここで字下げ終わり]
等でありまして、裏面或いは側面に動く人名、或いは新たに点出された人間としては、月心院内、門番の娘と、怨霊《おんりょう》の美僧美女、目明しの文吉、斎藤一、福井の好学青年、近藤勇、勝海舟の父、藤原の伊太夫、鬼頭天王の尼、村正どん、島原の舞子、重清と朝霧、与八の周囲の民衆と子供、動物としてはグレートデン、庫裡《くり》の猫の登場等々であります。
さてまた、従来引きつづいての重要な登場をつとめていた人々で、本篇に現わるべくして現われなかったものの所在を考えてみると、
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┌─駒井甚三郎
├─お松
├─七兵衛
├─お喜代
├─田山白雲
海洋の上────┼─柳田平治
├─ムク犬
├─清澄の茂太郎
├─ウスノロ氏
├─兵部の娘
├─金椎《キンツイ》
└─無名丸とその乗組員
┌─藤原伊太夫
├─お角
関西旅中────┼─道庵先生
├─お雪ちゃん
└─加藤伊都丸《かとういつまる》
┌─銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方
清洲城下────┤
└─宇治山田の米友
┌─青嵐居士
胆吹山─────┤
└─胆吹王国に集まる人々
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右の外、点出せられた人物としては、金茶金十郎、のろま清次、新撰組の人々、よたとん、木口勘兵衛、安直、デモ倉、プロ亀、築地異人館の誰々、仙台の仏兵助、ファッショイ連、女軽業の一座、等々。
地理の区域は、現在の日本の東海東山の両道から、北陸の一部、北は陸奥に及び、畿内の中心、いわゆる日本アルプスの地帯が活躍の壇場になって来たが、海の方は太平洋の真中にまで及んでいる。
この「山科の巻」の稿を起すの日時は昭和十五年の九月十日――稿を了るの日は同年十月十六日。これを大菩薩峠全体から見ると、起稿は明治四十五年、著者二十八歳の時、本年即ち昭和十五年より、またまさに二十八年の過去にあり、最初の発表はそれより一年後の大正二年。分量は前巻にも申す通り、開巻「甲源一刀流の巻」よりこの「山科の巻」に至るまで二十六冊として一万頁に上り、文字無慮五百万、世界第一の長篇小説であることは変らない。読者は倦《う》むとも著者は倦まない、精力の自信も変らない。
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今や世界全体が空前の戦国状態に落ちている。日本に於ても内政的に新体制のことが考えられている。わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。
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底本:「大菩薩峠19」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年9月24日第1刷発行
2002(平成14)年2月20日第2刷発行
「大菩薩峠20」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年9月24日第1刷発行
2002(平成14)年2月20日第2刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十二」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年5月8日作成
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