青空文庫アーカイブ
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)勿来《なこそ》の関
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)古人|冠《かんむり》を正し
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]
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一
秋風ぞ吹く白河の関の一夜、駒井甚三郎に宛てて手紙を書いた田山白雲は、その翌日、更に北へ向っての旅に出で立ちました。
僅かに勿来《なこそ》の関で、遠くも来つるものかなと、感傷を逞《たくま》しうした白雲が、もうこの辺へ来ると、卒業して、漂浪性がすっかり根を張ったものですから、※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]徊顧望なんぞという、娑婆《しゃば》ッ気も消えてしまって、むしろ勇ましく、北地へ向けてのひとり旅が成り立ちました。
得てして、人間の旅路というものはこんなものでして、ある程度のところで、ちょっと堪《こら》えられぬようにホームシックにつかまるが、これが過ぎると、またおのずからいい気というものが湧いて出て、かなりの臆病者でさえが、唐天竺《からてんじく》の果てまでもという気分になりたがるものです。
白河城下を立ち出でたその夜は、須賀川へ泊りました。
白河から八里足らずの道。
この地に投弓《とうきゅう》という風流人があるからたずねてみよと、人に教えられたままにたずねると、快く入れて、もてなし泊めてくれました。
その翌日、例の牡丹《ぼたん》の大木だの、亜欧堂のあとだの、芭蕉翁《ばしょうおう》の旧蹟だのといったようなものを、親切に紹介されて、それから投弓のために白い袋戸へ、山桜と雉《きじ》を描いて、さて出立という時、主人が若干の草鞋銭《わらじせん》と「奥の細道」の版本を一冊くれました。
若干の草鞋銭は先方の好意でしたが、「奥の細道」は先方の好意というよりも、こっちの強要と言った方がよかったかも知れません。
「奥の細道! これが欲しい、この旅にこれは越裳氏《えっしょうし》が指南車に於けると同じだ――ぜひこれを拙者にお貸し下さい」
こう言って、白雲が強奪にかかったのを、根が風流人の投弓が、いやと言えようはずもなく、彼の拉《らっ》し去るに任せたものです。
白雲は、それから「奥の細道」の一巻を、道ながら、手より措《お》かずに、ある時は高らかに読み、ある時は道しるべの案内記として、足を進めて行きました。
白雲が「奥の細道」に愛着を感じていることは、一日の故ではありません。およそ、旅を好むものにして「奥の細道」を愛読せざるものがあろうとは思われません。
白雲もまた、芭蕉の人格を偉なりとすることを知っている。その発句の神韻《しんいん》は、到底、後人に第二第三があり得ていないことを信じている。その発句のみではない、その文章がまた古今独歩である。黄金はどこへ傷をつけても、やっぱり黄金である。人格となり、旅行となり、発句となり、文章となるとはいえ、いずこを叩いても神韻の宿ることは、あたりまえ過ぎるほどあたりまえのことだが、その文章のうちでも、この「奥の細道」は古今第一等の紀行文である。単に文章家として見たところで、馬琴よりも、近松よりも、西鶴よりも上で、徳川期では、これに匹敵される文章は無い。少なくとも鎌倉以来の文章である――白雲は、かく芭蕉の紀行文を愛して、その貧弱な文庫にも蔵し、その多忙なる行李《こうり》の中にも隠さないということはなかったのですが、今度は忘れて来た。そうしてその忘れた時に最も痛切なる必要を感じてきた。今その一冊を持ち合わせないことが、秋風の吹きそめた時、袷《あわせ》を一枚剥がれたように、うすら寒い。
ところが、それが、目の前に、投弓の家にころがっていたものですから、若干の草鞋銭なんぞは辞退しても、これをかっさらって行こうという賊心に駆《か》られたのも、また無理のないところがありましょう。それがすんなりと、草鞋銭も、「奥の細道」も二つながら、かすめ得たものですから、心中の欣《よろこ》び、たとうる物なく、明治二十年代の子供が「小国民」を買ってもらった時のように、嬉しがって、声高に読み且つ吟じて行くという有様です。
白河の関にかかりて旅心定まりぬ――なるほど、旅心定まりぬがいい――この一句が、今日のおれの旅心を道破している。
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「『いかで都へ』と便りを求めしもことわりなり。なかにもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉《もみぢ》を俤《おもかげ》にして、青葉の梢なほあはれ也。卯《う》の花の白妙《しらたへ》に、茨《いばら》の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人|冠《かんむり》を正し衣装を改めしことなど、清輔《きよすけ》の筆にもとどめおかれしとぞ」
[#ここで字下げ終わり]
古人の名文は、今人の心を貫くが故に名文なのだ。名文というものは人の言い得ざることを言うが故に名文なのではない、万人言わんとして言い得ざることを、すらすらと言い得るから名文なのだ。
こうして、郡山、二本松、あさかの山――黒塚の岩屋をそれぞれに一見して、福島についたのは、その翌々日のことでした。
福島の家老に杉妻栄翁という知人があって、これをたずねてみると、この人は藩の政治になかなか勢力ある一人ではあったが、またよく一芸一能を愛することを知るの人でしたから、白雲のために、その家がよい足がかりとなったのみならず、かなりの仕事を与えられたのみならず、狩野永徳を見んがために松島に行くという白雲の意気の盛んなるに感心し、
「なるほど――観瀾亭《かんらんてい》の襖絵《ふすまえ》のことは、わしも聞いている、それが山楽、永徳であるか、そこまではわしは知らん、しかしながら、たしかに桃山の昔をしのぶ豪華のもので、他に比すべきものはない。苟《いやしく》もその道に精進しようとするものは、一枚の絵のために、千里の道を遠しとせざるほどの意気が無ければならん。それに就いて思い起すことは、永徳ももとより結構に相違ないが――伊達家《だてけ》には、まだ一つ、天下に掛替えのない筆蹟があるはずじゃ、それを御承知か」
「伊達家のことでござるから、それは天下に掛替えのない宝が一つや二つではござるまいが――刀剣であろう、茶器であろう、これらは拙者に於てあまり渇望もいたさぬし、また渇望いたしたからとて、拙者のような乞食画かきに、わざわざ宝蔵を開いて見せる物好きな三太夫もござるまいとあきらめています」
「それもそうだ、観瀾亭の襖絵は、相当の紹介があれば誰にも見せてくれるだろうが――もう一つのは――これは到底及びもつかないことだろう、その点はあきらめるのが賢明ではあるが、学問のために、伊達家には、しかじかのものがあるということを覚えて置くのは無益でもござるまい」
「左様――※[#「足へん+曾」、第4水準2-89-48]※[#「足へん+登」、第4水準2-89-47]《そうとう》として他の宝を数えるのは知恵のない骨頂ですが、いったい、あなたがこの際、ぜひ覚えて置けとおっしゃる伊達家の至宝とは何物ですか」
「それはなあ、もちろん伊達家のことだから、天下無二の宝が数知れず宝蔵の中に唸《うな》っているには相違ないが――貴殿御執心の永徳よりも、それこそ真に天下一品として、王羲之《おうぎし》の孝経がござるはずじゃ」
「王羲之の孝経――」
これを聞いて白雲が一時《いっとき》、眼をまるくして栄翁の面《かお》を見つめましたが、押返して、
「それは、いささか割引がかんじんじゃ、大諸侯の物とて、一から十まで盲信するわけにはゆかん。いったい、羲之の真蹟はすべて唐の太宗《たいそう》が棺の中まで持ちこんで行ってしまったはずで、支那にも、もはや断簡零墨《だんかんれいぼく》もござらぬそうな」
「ところが、伊達家の羲之には、れっきとした由緒因縁がある、しかも、それには唐の太宗の御筆の序文までがついているそうじゃ」
「ははあ――眉唾物《まゆつばもの》ではござるまいなあ。まさか、奥州仙台陸奥守のことでござるから、嘘にしても何かよるところがあるでござろうがな」
「あるある、大いにある、そのよるところを話してお聞かせ申そう」
ここまで主客の間に話が進んだ時、来客で話の腰を折られて、それぎりになりました。
主人としては、なおくわしく、伊達家所蔵の王羲之の孝経――しかも唐太宗親筆入りという絶代ものの出所来歴を話して聞かせたかったらしいが、話がそこで折れた上に、その後は忙がしく、白雲もまた、いかに伊達家のことなりとも、羲之の真筆は少々割引物として、問いをほごすことをしてみませんでした。
そこで、伊達家の王羲之は立消えになったままで、白雲がこの邸を暇乞いをする最後まで復活しなかったのです。
けれども、この家の主人として、白雲が打立つ時に、仙台へ向っての有力なる紹介者となって、白雲の落着きを安くしてくれるの親切は残りました。その紹介者のうちに、
「仙台へ着いたら、ともかくも、玉蕉女史《ぎょくしょうじょし》をたずねてごらんなさい」
というのがありました。
玉蕉女史――とは何者?
それは才色兼備の婦人で、ことに漢詩をよくし、書をよくし、画を見ることを知り、客を愛し、旅を好む。ことに漢詩を作ることに於て最も優れている。
ははあ、これは珍しい。婦人で、才気ある婦人は必ずしも珍しいとはしない、三十一文字《みそひともじ》を妙《たえ》なる調べもて編み出し、水茎のあとうるわしく草紙物語を綴る婦人も珍しいとはしないが、婦人にして漢詩をよくするという婦人は極めて珍しい。
それにしても、ただ単なる奥様芸で、覚束なくも平仄《ひょうそく》を合わせてみるだけの芸当だろうとタカをくくって見ると、なかなかどうして、頼山陽を悩ませた細香《さいこう》女史や星巌《せいがん》夫人、紅蘭《こうらん》女史あたりに比べて、優るとも劣るところはない、その上に稀れなる美人で、客を愛し、風流の旅を好む、以前は江戸に出て、塾を開いて帷《い》を下ろして子弟を教えていたが、今は仙台に帰っているはず、ともかくも、あれをたずねてみてごらん――全く才貌兼備、才の方は別としても、思いがけないほど美しい婦人だから、その用心をして――
ははあ、ほかならぬこの拙者に向って、左様、然《しか》るべき才貌兼備の婦人をたずねよとは少々キマリが悪いと、白雲はがらにもない羞恥心《しゅうちしん》を少しく起しながら、とにかく、名前だけも覚えて置くことだと、更に念を押すと、栄翁が答えて、姓は高橋――名は玉蕉――家は仙台の大町というのへ行って、それと尋ねれば当らずといえども遠からず。
かくて、福島に逗留二日。
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しのぶ文字摺《もじずり》、しのぶの里
月の輪のわたし
瀬の上
佐藤|荘司《しょうじ》が旧跡
飯坂《いいざか》の湯
桑折《こおり》の駅
伊達の大木戸
鐙摺《あぶみずり》、白石《しろいし》の城
[#ここで字下げ終わり]
笠島の郡《こおり》に入ると、実方《さねかた》中将の遺跡、道祖神の祠をたずねなければ、奥州路の手形が不渡りになる。
かくて、田山白雲は、仙台に入る前に笠島の道祖神の祠へ参詣の道を枉《ま》げてみると、そこで呆《あき》れ返ったものを見せつけられないわけにはゆきませんでした。
二
それは別物ではない、露骨に言ってしまえば、人間の男性の生殖器が一つ、石でこしらえた、しかも、これが図抜けて太く逞《たくま》しいのが、おごそかに一基、笠島道祖神の一隅に鎮座してましますということです。従来とても、路傍や辻々に、怪しげな小さな存在物を見ないではなかったが、これはまた優れて巨大なるものであって、高さ一丈もあろうと覚しいのがおごそかに鎮座しているのですから、一時《いっとき》、初対面の誰人をも圧迫せずにはおかないものです。
「呆れ返ったものだ」
白雲といえども、思わず苦笑をとどめることができませんでした。
いったい、これは何のおまじないに原因しているのだ――道祖神というと、こんなものを押立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、猿田彦命《さるたひこのみこと》だということだが、猿田彦命ならば、それは神代史に儼存の人であるに相違ない。それがこの露骨な男根と何の関係があるのか、これは柳田国男氏にでも聞かなければよくわからないものだと、白雲が途方にくれました。
呆れ返った末に、とどめ難い苦笑いをもって、白雲は、図抜けた道祖神の表象のまわりをながめているうちに、その太く逞しいかり首のあたりに結びつけられた、一つの絵馬を認めないわけにはいきませんでした。本来ならば、このブラさがった絵馬そのものが、まず人の目につき易《やす》いのですが、石体そのものが、あんまり奇抜過ぎるものですから、絵馬は第二第三の印象になってしまいましたが、よく見ると、つい、たったいまかけて行ったかと見えるほど新しいもので、しかもその絵がまた奇抜であることを認めずにはおられません。
普通、絵馬に描く図柄はきまったようなものですが、この絵馬には、全く異様な般若《はんにゃ》の面《めん》が、ごく拙いものではあるが一つ大きく描いてありました。
「迷信はところがらで致し方がないとしても、社へ納める絵馬に般若を描くやつもなかろうではないか」
そう思って、白雲が見直すと、その署名に、
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「清澄村、茂太郎納」
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と筆太く記して、その頭へ小さく「仙台大手御門前」と割註《わりちゅう》がしてある。
「はてな――」
田山白雲は、全く別様な頭の働きを、この異様な額面の絵と文字との上に向けて、一思案なからざるを得ませんでした。
「はてな――全く、これは、はてなだ――清澄村茂太郎なる者がこの額を納めたとな。広い日本の村々のうちには、清澄というのも一つ以上あっていけないというはずはない、また茂太郎という名乗りも公儀へ御遠慮を致すべき差合いのある名前とも覚えていない。房州の清澄の、あのでたらめの歌うたいの茂公のほかに、天下に、もう一人も二人も清澄村の茂太郎なるものが存在してはならない筋合いもないのだが、それにしても、これは少し度外《どはず》れだ、名前そのものは度外れでないにしても、図柄そのものが、度外れだ」
白雲は、でたらめの歌うたいの茂太郎と、般若の面とが、くっついて離れないことをよく知っている。あいつは、母の腹の中から般若の面を持って生れて来たのではないかとさえ思っている。
その般若の面の、描くべからざる場面に描かれているのは、どうして、清澄村の茂太郎が尋常一様の清澄村茂太郎としては通過しないことを証明しているではないか。
それに――もう一つ合点《がてん》のゆかないのは、清澄村と名乗るからには村である。村である以上は、城下であるべきはずはないのに、その肩書を見給え、「仙台大手御門前」と明らかに註してある。
どちらから見ても、ちぐはぐだらけ、矛盾だらけだ――こいつを納めた奴の常識のほどが疑われる。いやいや、その常識のほどを疑うこっちの判断が、こんがらかる。
ちょっとこのままでは立去れないよ。そこで白雲は、手をさしのべて、そのまだ新しい、謎《なぞ》の絵馬をひっくり返して見ると、裏面に、
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「百姓、七兵衛納」
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とある。
「はてな――これはまた、はてな以上のはてなだわい」
白雲はついに、道祖神の御神体石の首から、その絵馬をもぎ取って、自分の鼻づらへ持って来てしまいました。
三
そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
「おらあ、おくにやあ、くちいたてばっても、あんな折助言葉、うざにはくわなあ」
さても鴃舌《げきぜつ》の音、一時ムカとしてもみましたけれど、いやいや、ところかわれば品もかわるのだ、かえって、先方は、こっちの江戸弁――をさげすんで、嘲っているようでもある。今も子供が言った一語、「折助言葉――」だけが、耳ざわりに残っている。身不肖にして小藩に人となり、田舎まわりの乞食絵かきのようなザマはしているが、未《いま》だ曾《かつ》て折助風俗に落ちた覚えはないのに、陸奥《みちのく》の涯《はて》へ来て、しかも子供の口から、こういったあざけりをあてつけられようとは、あさましい。
白雲が舌を捲いて、名取川の岸まで来ると、そこで、一ぜん飯屋に身を投じました。前の川で取った川魚を炙《あぶ》って、そのまま食膳に供えて客を待つ。
白雲は、ここで亭主と女房とを相手に、わざと悠々と構えて、四方山《よもやま》の話をもちかけたのは、一つは、これから仙台郷へ入って、なるべく郷《ごう》に従わんとする用意としての、奥州語の会話の練習を兼ねんがためでありました。
ここで、気を練らして白雲が、夫婦を相手の会話の中から判断して、幾つかの仙台語のうちの単語を修得し、これを画帖の端へ、ちょいちょいと書きつけたものです。その一例を言えば、
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△いぎやる――これは、普通、おっしゃるということらしい
△はるなたをこく――これは偽《うそ》を言うということらしい
△にし――おぬしということだ
△ほいちょう――ほうちょうのことだ
△じいごばあご――じじ、ばばのこと
△われ様――おぬし様ということ
△よだっぽれ――馬鹿とか阿呆《あほう》とかいうこと
△ねいきをこく――腹を立てること
△なまだらくさい――じだらくなこと
△なじょたがな――何としたということ
△むぞい――可愛ゆいということ
△うちゃせた――忘れたということ
△やくと――わざとということ
△まくらう――食うこと
[#ここで字下げ終わり]
川の肴《さかな》で一ぜん飯を食いながら、大体に於て、こういう奥州語を、聞くに従って判断しつつ、白雲は画帖のわきへ幾つも書き並べて、なおわからないところは、二三問いただしているうちに、さいぜんのあの一つの不快な、さげすまれの語源を知ることができました。
仙台及びその附近では、江戸弁を称して、すべて折助言葉というのである。仙台では、品格ある家庭に於ては、江戸弁を用うることを決してしない。鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。若い者などが、たまたま江戸弁などを使ってみせると、家中では、何だ折助みたような言葉づかいをする――といって卑《いやし》める。それは江戸へ出て折助奉公をしたり、商家の小僧なんぞに住込んだものが帰って来ると、往々江戸弁をつかうものだから、仙台の城下では、江戸弁そのものを軽薄なもの、下等なものとしてひんせき[#「ひんせき」に傍点]する――そこで、今も、白雲はなまじい関東弁をもって子供たちに問いかけて、かえって、折助言葉のさげすみを買った所以《ゆえん》がよくわかりました。
白雲は、そんなことに恐縮しながら、なお相当に問いただしているうちに、この店へ、岡っ引が二人、川から上って来ました。
白雲も、それがたしかに岡っ引の類《たぐい》でなければならないと見て取ったし、先方でも、ジロリと白雲の方に眼をくれながら、亭主夫婦の方へよって、心安立てに問いつ語りつ始めたのは、やはり純粋の奥州語を、双方とも達者にしゃべりまくるのですから、白雲の俄《にわか》ごしらえの語学では、とうてい追っつきそうなことになく、結局、何をどう受渡しているのだか、音声の上では全く要領を得ることができませんでした。それでも身ぶりや表情によって判断すると――何か事件が起って、職務の上から、非常線を張りに来たもののようでもあり、特にこの亭主夫婦に向って、川筋の警戒を申し渡し、頼み込んでいるらしい素振りであることは、判断がつきます。
で、二人の岡っ引は、こうして純粋の奥州語を亭主夫婦と達者に取りかわしていながらも、ジロリジロリと白雲に眼をくれることは以前と少しも変らないが、こっちが存外泰然自若なのに、相当|面負《かおま》けがしているようでもあります。
しかし、お茶を飲んでしまうと、どうしても、この風来の逞《たくま》しい旅絵師のえたい[#「えたい」に傍点]にさわってみないことには、役目の手前、立去れない羽目になったのは無理もないことです。
そこで、二人の岡っ引は、田山白雲の方へまむきに向って来て、今度は純粋の奥州語に多少の標準弁を交ぜて、つまり、
「貴君は、どなたですか」
こう詰問されたものですから、白雲が、
「拙者は、旅の絵師です」
と答えると、
「剣師――左様でござらば、剣道のお流儀は?」
と先方が反問して来たものです。うむ、では絵師といったのを、剣師或いは剣士と聞きそこねたのだな――いや、これは今にはじまったことではない、剣客と言えば通るが、絵師と言ったんでは通らないことになっているのが、生れついての人相だからいまさら致し方もない。しかし、まあ、どっちでもいいわ、道に剣客に逢う時はすなわち剣客になりすまし、道に絵かきに逢う時は絵かきになりすましている。ここでも、こちらは絵師だというのに、先方は剣士と受取ったのだからそれでもよろしいと、白雲が即座に答えました、
「左様、南北流を少々修行|仕《つかまつ》り、狩野、土佐、雲谷《うんこく》、円山《まるやま》、四条の諸派へも多少とも出入り致しました」
「ほほう」
これは八流兼学の大剣客とでも思ったのか、岡っ引二人は、少なからず度胆《どぎも》を抜かれたように、
「して、いずれからおいでになりました」
「江戸を立ち出でて、奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」
「ほほう、して、仙台はどちらの先生の道場へお越しでござるかな」
「道場――それそれ、とりあえず仙台城下、高橋玉蕉先生の道場で一本お手合せを願い、それより松島へ罷《まか》り越して、観爛道場に推参して、狩野永徳《かのうえいとく》大先生に見参仕る目的でござる」
「ははあ、左様でござるか――昨今、仙台御城下には、少々物騒な儀がござるによって、随分御用心の上――」
二人は、多少とも、白雲の応対ぶりに呑まれたようにも見られるが、一つはその堂々たる体格と、わるびれない応答ぶりが、信用を買ったものと言わなければならぬ。事の進行によっては、一応剣客の面《めん》を脱いで、改めて絵師としての自分を証明しなければならない運命のほどを覚悟もしていたのですが、存外すらすらとパスして、岡っ引は立去ってしまったものですから、白雲も店へ払いと茶代とを置いて、ここを出ようとして、ちょっとひっかかりになったのは、道祖神からここまで持って来たあの絵馬です。
わざわざ持って来るほどのものではないが、捨てるのもなんだか心残りのようだから、ここまで持っては来たが、茂太郎ではあるまいし、これから先、どこまでも般若《はんにゃ》の絵馬と道行も変なもの。
そこで白雲は、このまま店へ置去りにしてここを出ました。
店を出ると名取川です。
四
田山白雲は、名取川の仮橋を渡りながら、今の岡っ引のことを思い返しました。
岡っ引の言うことには、仙台城下が今日は物騒がしいから用心しておいでなさいと。
それよりさき、純粋の奥州語をもって、飯屋の亭主夫婦と会話を試みていたところを拾い聞きにしての判断から言うと、その仙台城下の物騒というのは、やっぱり盗賊沙汰であるらしい。それも、市中商家を荒した盗賊ではなく、どうやら城内の然《しか》るべき部分をおかしたる某重罪犯人の捜索ででもあるらしい、ということを白雲が思い返しました。が、そんなことは深く心配せんでもいい。
いつしか名取川の沿岸の風物に頭《こうべ》をめぐらして、眼を放ちながら、幾瀬の板橋を渡りきろうとした時分、ついそこの柳の木の下で、蛇籠《じゃかご》を編んでいる男があるなという印象が、なんとなく眼にうつりました。
と同時に、こちらの瀬には、魚を捕るためのやな[#「やな」に傍点]がかけてあるのを認めました。単にそれだけのことで、川岸で、筏《いかだ》を組んだり蛇籠を編んだりすることはあたりまえの光景なのであり、川の中にやな[#「やな」に傍点]をかけて魚を捕ろうとしていることも、名取川特有の風景でもなんでもないけれども、それがなんだか、白雲の眼に、どうも特有な風物のようにうつったものですから、歩みをとどめて、このやな[#「やな」に傍点]のところまで歩いて行って見ました。
そうして、その附近をのぞいて見ると、鮎《あゆ》がかなりにいることを発見しました。ははあ、鮎がいるな――今の飯屋で食わせたのも、焼いて乾かした鮎であった。瀬の清い、流れの早い川に鮎がいることは不思議でもなんでもない――この名取川には、特有の鮭《さけ》の子もいるということを聞いた。それよりも、名取川の名そのものと切っても切れない埋れ木というものがこの川から出るのだ――はて、鮎のほかに鮭の子はいないか。もし、その辺に埋れ木のひねったやつが頭を出してはいないか。
そんなことで、無心にその辺の淵をのぞき込んでいると、背後《うしろ》から、
「もし、あなた様は、田山白雲先生ではいらっしゃいませんか」
「えッ」
白雲が、ぎょっとして後ろを向くと、いつのまにか背後に歩いて来ているのは、それは、確かに、いま、ついそこの柳の下で蛇籠を編んでいた老人に相違ないと直覚しました。だが、かぶっている笠をとりもしないで、鉈《なた》を腰にさしながら、小腰をかがめている人体《にんてい》は、思ったほど老人ではありません。
「お前は誰だ」
「田山先生でいらっしゃいますか」
「わしは田山だが、お前さんは?」
「ああ、それで安心を致しました、私は近頃、駒井の殿様の御家来分になった田舎老爺《いなかおやじ》めにございまして」
「駒井殿の……」
改めて、白雲が、その老爺の面《かお》を見直しました。面を見直すまでもなく、それはもう言葉でわかっている。この辺では聞き慣れない関東弁ですから、耳を疑う余地はありませんが、そんならばこの老爺が、駒井甚三郎の家来分だというこの老爺が、なんのために、こうして、こんな奥州の名取川の岸で、悠々閑々と蛇籠なぞを編んでいるのだ。
白雲は、油断のならない眼をもって、この老爺の面を見ていると、老爺は存外、落着いたもので、
「田山先生、何はともあれ、申し上げなければならないことは、駒井の殿様は、あなた様の御出立中に、洲崎《すのさき》をお出ましになってしまいました。手ずからお作りになりました、あのお船で……」
「ナニ、駒井殿が、あの蒸気船で洲崎を立たれたと、どうして、そう早急《さっきゅう》に……」
「はい、土地の人気が悪くなりましたものでございますから、大急ぎで人数を取りまとめて、船おろしと船出を一緒になさいました、あなた様をお待受け申している間もございませんでした」
「うむ――」
「それで、わたくしが、あなた様のおあとを慕って、このことをお知らせ申し上げようと請合《うけあ》ったようなわけでございましたが、運よくここでお目にかかれて、こんな嬉しいことはございません」
「なんだか、遽《にわ》かに拙者のまわりで、廻り燈籠《どうろう》を廻して見せられているようで、とんと面食った気持だが、そう言われると、そうありそうなことじゃ。それで、駒井氏は洲崎を船出して、どちらへ行かれたか」
「はい、それが、その、このつい御近所の石巻の港を目あてに乗出しておいでになりました」
「ナニ、石巻――なるほど、駿河の清水港へ行こうか、仙台の石巻へ行こうかと駒井氏は常々言われていたが、して、なにかな、もはや石巻に到着しておられるのか」
「いや、それが、たしか今明日中には御無事にお船入りのはずなのでございます」
「それはそれは――で、なにかな、あの番所に居候の連中は、みんな同じ船に乗込んで来たのか」
「はい、一人残らず、茂太郎も、金椎《キンツイ》さんも、マドロス君も、もゆるさんも――それから、お松に、登様――土地の船頭さんたち」
「おお、それはそれは――それを知らないで、このまま房州へ舞い戻ろうものなら、飛んだあとの祭りを見せられるところであった、よくお前さん、知らせておくんなすった」
「お話し申し上げると長うございますが……」
この時、遥かにみとおしのきく河原の両岸を見ると、こしかたの方からは、さいぜん飯屋へ出張したらしい岡っ引が先に立って、村役人らしいのを数名|引具《ひきぐ》して、こちらへ取って返して来る様子。それからまた一方には、槍を押立てた同勢が、長町の方から物々しげにやって来る。
それを見ると、右の蛇籠《じゃかご》作りが、多少そわそわし出して、
「のちほど、ゆっくりお話し申し上げましょう。今晩、先生は、どちらへお泊りでいらっしゃいますか」
「わしかい――まだどこといって、宿はきまらないが、とりあえず、大町の高橋玉蕉という女の学者のところをたずねて参るつもりだ」
「大町の高橋先生とおっしゃいますか」
「そうだ、女で有名な学者――それに家はなかなか金持の商家ということだから、そこをたずねて来ればわかるだろう。もしまた、別に宿を取った時は、その家へ申し置くから、わかるようにして置く」
「よろしうございます、私は、只今のところ、仕事が少々|忙《せわ》しうございますから、今晩――夜分も遅くなるかも知れませんが、必ずお伺い致しますから、おかまいなく、お休みになってお待ちくださいませ」
「うむ――では」
と言っているうちに、右の蛇籠作りは、大忙しがりで、ついそこの柳の木の下へ引込んでしまい、そこで、以前の通り一心に蛇籠を編み出したものですから、白雲も、ちょっと手のつけようがなく、そのまま川原道を急いで行くと、やがて、前から来た槍の同勢と、後から来た岡っ引の連中との間にはさまれたような形になりました。
だが、別段、問題は起りません。白雲は川原道で、この前後の勢を無事にやり過して、自分は悠々閑々と歩いて行きながら、ふと、柳の木の下を見ると、蛇籠作りが一心不乱に蛇籠を編んでいるのがかすかに見られて、別段の異常を認めません。
槍の一隊はと見ると、もう向うの岸についてしまって、自分が語学の稽古をした一ぜん飯屋の庇《ひさし》に槍を立てかけて、それぞれ休んでいる姿までが、豆のように見えているだけのものです。
五
川を渡りきって、白雲、途《みち》すがら思うよう、さては、駒井も洲崎にいたたまれなくなったのだな、どちらにしても、あそこが永住の地でないことはわかっているが、しかし、あわただしく出船を余儀なくされたというのは、駒井にとっては不祥だ。
人間、馬鹿では楽ができないけれども、また、あんまり頭が進み過ぎていても、楽はできないものだ。駒井ほどの英才が、当世と相容れないのは、これも一つの人間界の約束ごとかも知れないが、由来、独創の気というものは不遇の茨《いばら》の中から開けるものだから、駒井のこれからも前途の方が、なまじい衰えかけた幕府のお役人をつとめて当世に時めいているより、どのくらい意義もあり、興味もある生涯か知れないのだ。
思いきって、この石巻へ来たとか来るとかいうのは、この際、よいことを聞いた、またよいことを知らせてくれたものだが、あの知らせてくれた蛇籠作りの老爺《おやじ》こそ、全く解《げ》せないへんな奴だよ。なんにしても近々思いがけないところで駒井に逢えるのだ、そうして、もはや、自分に於ても、房州へ取って返す必要はなくなってしまったのか――それはいいとして、房州にはかなり自分としての財産を残して来たはずだが、あれはどうなったろう、まさか暴民どもに焼討ち、掠奪の憂目を蒙《こうむ》ったとも思われないが、いや、蒙ったにしたところで金目にしては知れたものだが、丹念にして置いた写生帖だけは、自分としてかけ替えがないからな、そこで多少の心残りが房州にないことはない。うむ、よしよし、それもあの蛇籠作りの老爺が知っているだろう、今晩、たずねて来ると言ったが、急にそわそわした様子がおかしいけれど――まあ、今晩来たらつかまえて、委細を聞いてやる。
こんなことを考えながら、田山白雲は、中田、大の田より長町――ここはもう仙台の城下外れです――大町というのを苦もなくたずね当てて、そこで、とりあえずまずおとのうてみようと心がけた高橋玉蕉女史をたずねると、これも難なく――これは大きな商家で、女史は宮城野の別宅にいるとのことですから、改めてそこをたずねると、ちょうど在宅でもあり、また極めて歓迎もしてくれました。
女史の住宅は数寄《すき》をこらした家です。それよりも、白雲を驚かしたことは、玉蕉女史が本当の美人であることを見たからです。
美人に、ウソの美人と本当の美人があるかどうかは知らないが、世にいわゆる才色兼備の婦人などといっても、才の方はとにかく、色の方は大割増がしてあるのを通例とするのに、玉蕉女史に限って割引なしの美人でしたから、白雲がおもはゆく思いました。
女史が学者であるということを知らないで見れば、それ[#「それ」に傍点]者と見たかも知れないほど粋《いき》な美人でした。もはや四十の坂を越していようと思われるのに、姿、かたち、どう見ても二十台で通るのです――それに、永く江戸で修業して、婦人の身で塾を開いて、生徒を教えていたというほどですから、その応接もことごとく江戸前で通り、白雲をして、俄仕込《にわかじこ》みの奥州語を応用せしめる必要は少しもありませんでした。
女史は、この遠来の客を欣《よろこ》んで、相語るほどに、両々の興味が加わって、話はいつ果つるとも覚えません。
その夜も――夜もすがら、語っても語っても尽きないものがありました。
「そういうわけで、拙者の奥の細道は、狩野永徳というそぞろ神にそそのかされたのですが――明日はとりあえず、観瀾亭へ行って永徳に見参したいと思うのです、簡単に許されましょうかな」
こういって女史にたずねると、女史は、
「それは容易《たやす》いことです、月見御殿の拝見ならば、よい伝手《つて》がございますから、わたくしが御案内を致しましょう、山楽の襖絵といわれますものは、わたくしもかねて拝見は致しておりましたが、あなた様と御一緒に拝見すれば、またよい学問を致します」
「いや、それは恐縮です、拙者こそ、あなたのような学者に、御自身案内をしていただくということが、はからざる光栄でした。明日は、扶桑《ふそう》第一といわれる松島も見られるし、あこがれの狩野永徳にも見参ができるし、それに東道の主人が稀代の学者であり、絶世の美――」
と言って、田山白雲が、少しあわてて口を抑えたけれども、その尻尾が少し残ったものですから、玉蕉女史を追究させました。
「絶世の――何でございますか、扶桑第一の松島や、狩野家の大名人の次へ持って来て、絶世の……だけでは罪でございますね」
玉蕉女史からからかわれて、田山白雲が、今度は額を抑えて、
「あ、は、は、は」
と声高く笑いました。玉蕉女史も、またつり込まれて無邪気に笑いました。田山白雲はそこで申しわけのように、
「全くあなたは、絶世の美人と申し上げてもお世辞ではありませんよ。実は、あなたが怖るべき才色兼備の御婦人ということは、紹介された者の口から、よく承って来たのですが、案外なのに驚かされました」
「どうせ案外でございましょう、いったい仙台は、昔の殿様が高尾を殺した祟《たた》りで、美人は生れないのだそうでございます」
「いや、違います、全く案外の、掛価なしの才色兼備なのですから――いったい世間では、身投げの婦人があれば必ず美人にしてしまい、甚《はなはだ》しいのは首無し美人なんぞというのもありましたが、婦人で、学問がある、歌がよめるというと、おきまりに才色兼備にしてしまうのが慣例になっていまして、才の方はとにかく、色の方は大割引しなければ受取れないのが通例なのに、あなた様だけは、割引なしの美人でしたから驚かされました」
白雲だから、これは全くお世辞ではありませんでした。
そんな調子で、話がそれからそれとはずんで行くうちに、白雲が、ついに望蜀《ぼうしょく》の念を起してしまって、
「ああ、それそれ、もう一つ仙台家に――特に天下に全くかけ替えのない王羲之《おうぎし》があるそうですが、御存じですか、王羲之の孝経――」
「有ります、有ります」
玉蕉女史が言下に答えたので、白雲がまた乗気になり、
「それは拝見できないものでしょうかなあ」
「それはできません」
女史はキッパリ答えて、
「あればっかりは、わたくしどもも、話に承っておりまするだけで、どう伝手《つて》を求めても拝見は叶いません、いや、わたくしどもばかりではございません、諸侯方の御所望でも、おそらくは江戸の将軍家からの御達しでも、門外へ出すことは覚束なかろうと存じます」
「ははあ、果して王羲之の真筆ならば、さもありそうなことですが、王羲之の真筆はおろか、拓本でさえ、初版のものは支那にも無いと聞いています――そういう貴重の品が、どうして伊達家の手に落ちたか、その来歴だけでも知りたい」
という白雲の希望に対しては、玉蕉女史が、次の如く明瞭に語って聞かせてくれました。
六
豊太閤朝鮮征伐の時、仙台の伊達政宗も後《おく》れ馳《ば》せながら出征した。
朝鮮国王の城が開かれた時、城内の金銀財宝には目をつける人はあったけれども、書画|骨董《こっとう》に目のとどく士卒というのは極めて稀れであった。
そのうちに、肥後の熊本の細川の藩士で甲というのがしきりに、王城内で一つの書き物を見ている――兵馬倥偬《へいばこうそう》の間《かん》に、ともかく墨のついたものに一心に見惚れているくらいだから、この甲士の眼には、多少|翰墨《かんぼく》の修養があったものに相違ない。
「これこそ、わが主人三斎公にお目にかけなければならぬ」
それを、傍《かた》えから、さいぜんよりじっ[#「じっ」に傍点]とのぞいていたのが、伊達家の乙士であった。
この乙士がまた、偶然にも同好の趣味を解し得ていたと見え――細川の甲士が一心をとられているそれを、のぞいて見ると、ああ見事――熟視すると、それがすなわち王羲之筆の孝経である。
乙士の眼は燃えた。わが主人政宗公へ、この上もない土産――分捕って持ちかえらないまでも、一眼お目にかけたら、そのおよろこびはと、自分の趣味から、主人思いは細川の甲士と同様で、それに功名熱が煽《あお》りかけたが如何《いかん》せん――先取権はもう、その細川の甲士の上にある。
さりとて、どうも、このままでは引けない、ともかくもぶっつかってみようと、伊達の乙士は細川の甲士に向い、なにげなく、
「さても見事な筆蹟でござるが、拙者もこの道は横好き、なんとこの一巻を、拙者の好事《こうず》にめでてお譲り下さるまいか」
こう言って持ちかけてみたが、甲士は頭を縦に振らなかった。
「敵将の一番首はお譲り申そうとも、この一巻は御所望に応ずるわけにはいかぬ」
「それは近ごろ残念千万ながら、是非に及ばぬこと」
礼儀から言っても、名分から言っても、先方が譲らないと言う以上、こちらは、どうしても指をくわえて引込まなければならない。ぜひなく陣へ立戻ったが、残念で堪らないから、改めてその一条を主人政宗に向って物語った。
「それは残念無念――そのほうが我に見せたいと思うより以上、おれはその品を見たい、見ずには置けぬ」
そこで独眼竜は馬を駆《か》って、直ちに細川三斎の陣を訪れた。
「突然の推参ながら、たって所望の儀は、さいぜん貴公の家士が稀代の名筆を分捕られたそうな、それを一目拝見が致したい」
「容易《たやす》き儀でござる」
三斎もそれを否《こば》まん由はなく、今し甲士が分捕って齎《もた》らしたばかりの一巻をとって、政宗の手に置いた。
政宗それを取り上げて見ると、唐太宗親筆の序――王右軍の筆蹟――独眼竜の一つの目が、その全巻の中へ燃え落ちるばかりになっているのを見て、急に驚き出したのは細川三斎であった。
この勢いでは、この男に持って行かれてしまうかも知れない――所望と打出された以上は、相手が相手だけに、どうしても只では済まされない、ここは先手を打つよりほかはないと、老巧なる細川三斎は、政宗と王羲之《おうぎし》とをすっかり取組まして置いて、穏かに楔《くさび》を打込んだ、
「伊達公の御来駕《ごらいが》を幸い、密談にわたり候えども、かねがねの所存もござること故、折入って御相談を願いたい儀は――」
と、改まって物々しく出た。王羲之に打ちこみながら、政宗は、
「何事かは存ぜねども、御心置なく申し聞けられたい」
「余の儀でもござらぬが、太閤殿下の威勢によりて天下は一統の姿とはなりつるが、これで安定とは、我人共に得心のなり申さぬ時勢、太閤百年の後、天下再び麻の如く乱るるや否や――然《しか》る上は、君は東北にあって本土の頭を抑え、不肖は九州にあってその脚を抑え、かくして、南北|相俟《あいま》って国家のために尽しなば、そのしあわせ、我々の上のみならずと存じ申す。よって、今日貴公の来臨を機会とし、伊達公と細川家――末永く親類の名乗りを致したいものでござるが――」
練達堪能《れんたつたんのう》の細川三斎から、こう言われて、豪気濶達の伊達政宗が、その返答を躊躇するようなことはなかった。
「それは、深慮大計の御一言、不肖ながら我等とても同様の所存、然らば今日より、細川家と伊達家は、末永く親類づき合いをすることに致そう」
「早速の御承諾かたじけなし――然らば、その結納《ゆいのう》の記念として」
細川三斎は、伊達政宗の手から王羲之の孝経を受取って――その場で二つに裂いた。
「この上半を君に進呈し、下半は忠興《ただおき》頂戴し、これを以て心を一にして、両家親類和睦の記念とつかまつる」
そこで、この一巻が、伊達家と細川家と、両家にわかれての家宝となった。
それより物変り星うつり、伊達家は政宗より五代、名君と聞えた吉村の時代になり、細川家もまた当然越中守宗孝の時代となったのである。
「ところが、どちらがどう伏線になっていることでございますか、この二つに分れた王羲之が、それとは全く異なった因縁と出来事とによって、一つになる機会を得ました、それで話が伊勢の国へ飛ぶのでございます」
七
玉蕉女史は、事実の非常に奇なる物語を、やさしい物言いで、たくみに語り聞かせるものですから、白雲も膝の進むのを覚えませんでした。
朝鮮陣の物語から、話題一転して、ここは伊勢の国、藤堂家の城下の舞台となる。玉蕉女史は、※[#「女+尾」、第3水準1-15-81]々《びび》として次の如く物語を加えました、
「御承知の通り、伊勢の国は、大神宮参拝の諸国人の群がる土地でございます、それだけに土地に、他国人を相手に悪い風儀も多少ございまして、藤堂家の家中のさむらいにも、折々、通りがかりの旅人に難題を吹きかけ、喧嘩を売り、相手を困らせて置いて一方からなれ合いの仲裁役を出し、そうしてどうやら事を納めたようにして酒手《さかて》をせびる――というような風の悪い武家が無いではなかったそうでございますが、いずれも遠国の旅人ゆえ、相手が怖がって、無理を通したというようなわけでございましたが、藤堂家からはお隣りの、大垣藩の戸田家の方々がそれを聞いて苦々しいことに思いました。これはひとつ遠国旅人の迷惑のために、最寄りのわが藩中に於て目附役を買って出て、藤堂の悪武士の目に物見せて置いてやるべき義務がある、こんなように思いまして、戸田家の剣道指南役のなにがしという方が、わざと入念の田舎武士風によそおって、伊勢詣りを致すと、案の如く、藤堂家の悪ざむらいにひっかかりましたものですから、御参なれとばかり、それを取って抑え、さんざんにこらしめ、固く今後をいましめて許し帰したとのことでございますが、それだけで済めばそれでよろしいのでございますが……」
右のこらしめの武士は、実は戸田家の指南役が姿を変えて、いたずらに来たのだという噂《うわさ》が、藤堂様の耳に入ったものですから、藤堂様もいい心持はなさらず、それに家中の者が戸田家の仕打ちを憎んで、その儀ならば、仕返しとして、戸田家に向って、うんと恥をかかせてやれ――という一念が昂じて、ついに戸田の殿様を暗殺してやろうという血気にはやるのが、とうとう実行に現われてしまいました。
それは藤堂家の家中で、板倉修理というさむらいが、江戸の西の丸のお廊下に身を忍ばせて、戸田の殿様のおかえりを待受けていて、不意に飛びかかって斬りつけたのですが――
間違いのある時は、いよいよ間違いのあるもので――板倉修理が戸田の殿様と思って斬りかけた先方は、思いきや前申し上げた肥後の熊本の細川越中守宗孝侯でございました。
細川様こそ、何とも申上げようのない御災難で――実は、その時、板倉修理の一刀で御落命になったそうでございますが、そこへ通り合わせたのが、これも前申し上げた通り、名君の聞え高い仙台の吉村侯でございました。
殿中、上を下への騒動の中に、通り合わせた伊達吉村侯は、細川侯を介抱し、
「細川越中守、ただいま卒中にて倒る、伊達陸奥守お預り申す」
と言って、血の垂れたところへは、全部小判を敷きつめて、御自分のお乗物に、越中守の御死体とお相乗りになって下城なされました。
桜田御門の検閲は厳しいそうでございますが、その時、吉村侯のお乗物は、東照宮御由緒附きの胴白《どうじろ》のお乗物――それに太閤様以来、伊達家だけにお許しの活火縄《いきひなわ》で、粛々と行列を練ってお通りになったので、どうすることもできず――御面会のために群がる者へは、
「越中守殿は卒中にて倒れたが、只今、粥《かゆ》一椀を召上られたから心配御無用、御療養中、面会は一切おことわり――」
ということで、とりあえず細川家へ急をお告げになりました。
細川家では、その翌日、「細川越中守宗孝、薬用叶わず、卒中にて卒去」ということの喪を発しましたが、暗殺は公然の秘密に致しましても、伊達家の証明|如何《いかん》ともし難く、病気ということで公儀の取りつくろいも一切御無事に済みました。
これはこれ、有徳院様お代替りの延享四年十月十五日のことでございました。
御承知の通り、国主大名が殿中に於て非業《ひごう》の死を遂げた場合には、家名断絶は柳営《りゅうえい》の規則でございますから、伊達公のお通りがかりが無ければ、細川家は当然断絶すべき場合でございました。そこで、細川家が再生の恩を以て伊達家を徳とすることは申すまでもございません――その時に、細川家で家老たちが相談をして、文禄朝鮮征伐の時の王羲之の孝経の半分を持ち出し、いささか恩義に酬ゆるの礼として、これを伊達家に御寄贈になりました。これで細川家五十五万石が救われ、王羲之の孝経は完全な一巻となって、伊達家に秘蔵される運命になったのだそうでございます。
右の来歴を逐一《ちくいち》聞き終ってみると、白雲はあきらめたようなものの、せめて、その※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]本《もほん》でも、うつしでも、片鱗でも見たいものだと頻《しき》りに嘆声を発しました。
玉蕉女史も、来歴のことだけはかなりくわしく知っているが、その片鱗をもうかがっていないことは白雲と同じ、そうして、しきりと渇望の思いにかられることも同じであります。
けれども、結局、いかに執心しても、こればかりは我々の歯が立たないということに一致し、徒《いたず》らに王羲之の書――その他の書道の余談に耽《ふけ》ることによって、夜もいたく更けたようです。
いつまでたっても話の興はつきないが、この辺で御辞退と白雲も気を利《き》かせると、廊下伝いの立派な客間へ白雲を案内させて、美しい夜具の中に、心置なき塒《ねぐら》を与えくれるもてなしぶりに、白雲もなんだか夢の国へでも来たような気持になって、うっとりと、その美しい夜具の中に身を置いてみると――王羲之を中心としての話に、あんまり身が入り過ぎて、他の多くのかんじんなことを、すっかり忘れ去ってしまっていたことに、我ながら苦笑いをしました。
そのうちの最初として、今晩たずねて来る口約束になっていた、あの名取川の蛇籠作《じゃかごづく》りの変な老爺《おやじ》――こっちは話に夢中で忘れてしまってはいたが、先方は、自分から念を押して今夜はかならずやって来るとあれほど言っていたのにまだ訪ねて来た様子はなし――責めは先方にあるのだ、と独文句《ひとりもんく》を言ってみたりしました。
八
まあしかし、明日という日もあるし、何とか沙汰があるだろう――と白雲は、タカを括《くく》って、その美しい夜具に身をうずめると、まもなく夢路の人となりました。
旅の疲れと、夜更しとで、かなりの熟睡に落ち込んで行ったはずの白雲が、夜中にふと眼をさましたものです。夜中とはいうけれども、寝に就いた時が、もう暁間近になっていたかも知れません。
ふと、眼がさめた途端、まず鶏の啼《な》く声が耳に流れこむと一緒に、有明《ありあけ》をつけて置いた朱塗の美しい行燈《あんどん》がぼんやりと――そうして、その行燈の下にうずくまっている怪しいものが一つ――睡眼に触れると、さすがの白雲がハッと身を起して、枕許の刀をとろうとしたのです。
「何者だ!」
白雲として、自分ながらかなり慌《あわただ》しい挙動であると思ったが、事態、そうしなければならない場合を、先方は全く静かなもので、
「先生、お静かに」
と、たしかにうずくまった奴が、説教でもはじめるように物を言いかけました。
「何だ、何者だ、貴様は」
白雲は半分起き直って、刀を引寄せていました。そうして、もう睡眼がパッと冴《さ》えた眼で見ると、行燈の下にうずくまっている奴は、旅の合羽《かっぱ》を、肩からすっぽりと着て、頭には手拭を米屋さんかぶりに捲いている。
「先生、お約束によって参上いたしましたが、少々遅くなって相済みません」
でも、まだ白雲には、はっきりと納得《なっとく》ができない。
「貴様、どろぼうの端くれだな、貴様たちと約束をした覚えはない」
大抵のどろぼうならば、この豪傑画家の白雲から一喝を食えば、尻尾を捲くであろうのに、こいつに限ってどこまでも、いけ図々しい。
「お忘れあそばしましたか、日中、あの名取川の川原でお目にかかりました、蛇籠作りの老爺《おやじ》でございます」
「うむ、そうか」
白雲がまたここで、そっくり[#「そっくり」に傍点]返らざるを得ません。
そうか、そんならそうと、なぜ早く言わないのだ。それにしても、いよいよ変な老爺だ、いったい、いつ、どうして、この間《ま》に、誰に案内されて入って来たのだ――というその咎《とが》め立ても、こうなっては気が利《き》かない。そこを先方が、いよいよいけ図々しく喋《しゃべ》りました、
「夜分、あんまり遅くなりましたものでございますから――いえ、その実は、こんなに遅く参ったのではございませんが、先生が、あの御婦人様と、あんまりお話に身が入っておいででございましたから、ついあの時に、御案内を申し上げる隙《すき》がございませんで、で、つい、こんなに遅く上りまして、あいすみませんことでございます」
「なに、では貴様、なにか、拙者がこの家の女主人と対話をしていた時分に来ていたのか」
「はい――あんまりお話が持てておいでなさいますから、お邪魔になってもなにと存じまして、いったん出直して、また上りました」
「ふーむ」
白雲は、そこにうずくまっている物のかたまりを、うんと睨《にら》みつけていました。遅くなって上りましたはいいとしても、夜更けたゆえ、案内を頼むことに気兼ねをして直接にやって来たのも、まあこの際ゆるすとして、いったいそのザマはそれは何だ、旅ごしらえのままで人の座敷へ侵入して来て、とぐろをまいたようにうずくまり込み、そうして、頭にまいた無作法な、下品な手拭かぶりを取ろうともしない挨拶ぶりは何だ。
白雲は、いまさらその辺を咎め立てするのもドジを重ねるような気がしていると、
「先生、実は、わたくしも忙しい体だものでございますから、このままで失礼をさせていただきますでございます――で、手っとり早く川原のお話の続きを申し上げますと、駒井の殿様は今明日のうちに石巻の港へお着きになる、それからあの殿様の御家来や、居候といった一味のものもみんな同じお船でおともをして参ります、田山先生だけが御不足でございましたが、それもこうしてお目にかかれる、もはや申し分はございません。そこで、この七兵衛――いや、この蛇籠作りの老爺も、追っつけあとから馳《は》せ参じさせていただくのでございますが、先生のお荷物、それからお書きになった品々などは、私が取りまとめて、船へおのせ申すものはおのせ申し、わたくしが持って参りましたものは一切、行李にしまいまして、石巻の田代屋という宿にあずけてございますから、あれへおいでになってお受取りを願います。残らず始末を致して参りましたはずでございますが、もしや、一品二品、取残しがございましても、あんな際の時でございますから、ごかんべんが願いたいので……ともかくも、石巻の田代屋というのをたずねてお越しになって、駒井の殿様のお着きをお待ち下さいませ」
態度のいけ図々しいのに反して、その取りしきりぶりと、物言いとは、行届ききったもののようですから、白雲がいよいよ手がつけられない気持がしました。
「うむ、そうか、それは何から何まで厄介千万になったが――お前という男は何者だ」
「いや、それは、あとでお船のうちで、ゆっくりと身の上話を聞いていただく時節がございましょう――とにかく、これだけのことを申し上げて置きまして……」
「そうして、お前はなにか、これから旅立ちをしようというのらしいが、どこへ行くのだ」
「いいえ、旅立ちというほどじゃございません、ちょっと、この辺をかけめぐってみたいような虫が起りましたものでございますから。なあに、病気がなおりますと、直ぐにまたあなた様のおあとを追いかけて、石巻へ参ります」
「そうか」
白雲は、それよりほかに何とも言いようがない。憮然《ぶぜん》として、なお燈下にうずくまる男を見下ろしていると、右の老爺《おやじ》は平蜘蛛《ひらぐも》のような形をしているのが、気のせいか、見ているうちに平べったくなって、畳にべったりくっついてしまっているように見えて、白雲も少し気味が悪いような気分にさえなりました。
ぴったりと畳の上へ、一枚になって、吸いついた形になって、顔だけを上げて、蛇籠作りの老爺は、
「時に先生――」
いやに改まった物の言いぶりです。
「何だ」
「承りますと先生は、あの赤穂義士の書き物がたいそうお好きだそうで……」
「ナニ、赤穂義士の書き物――そんなものは別に嫌いではないが、改まってきかれるほど好きではない」
「でも先生は、仙台様の御宝蔵にあって、たとえ将軍家が御所望になってもお貸出しをなさらない赤穂義士の書き物を、一目見たい見たいとおっしゃったようにお聞き申しましたがな……」
「こいつ……」
白雲が罵《ののし》ったのは、怒ったからではありません、呆《あき》れ果てたからです。思わず眼をまるくして「こいつ」と前置をして、
「それをどこで聞いた。赤穂義士ではない、支那の王羲之《おうぎし》といって、支那第一等の書家だ。その書が仙台家にあるそうだから、それを見たい見たいと言ったには相違ないが、それを貴様、どこで聞いていた」
「いや――その、ちょっと、失礼ながら立聞きを致しました。先生が、それほどにごらんになりたがるほどのものならば……と、この老爺、またしても持って生れた病がきざして参りましてな」
「ナニ、何がどうしたというのだ、仙台公秘蔵の王羲之は、国主大名将軍といえども借覧のかなわないものだから、是非に及ばない。それがどうしたというのだ」
「へ、へ、へ、実は、この老爺も乗りかかった船でございますから、まあ、止せばいいんでございますがね、持った病でございましてな――人の見られないものを見たい、人の持てないものを持ってみたいなんぞと、ガラにない山っ気がございますものですから、まこと仙台様の御宝蔵のうちに、国主大名将軍様でさえも拝見のできない品とやらがございますならば、ひとつ何とかして、ちょっとの間でも、それを……何とかして……」
「馬鹿――何とかしてと言ったところで、貴様|風情《ふぜい》に何となる」
「そこのところを、何とかして、ここ二三日のうちに……駒井の殿様のお船がおつきになるまでの暇つぶしに――と申しては勿体《もったい》のうございますが、できないはずのそのお宝を、それほどの御所望でいらっしゃいますから、それを一目なりと、あなた様のごらんに入れて――それからまた思召《おぼしめ》しによっては、元通り、どなたにもわからないように、もとのお蔵へ返して置いて上げたいと、こんな、いたずら心が出たものでございますから、ちょっと、御念を押しに参りましたようなわけで……では、それは赤穂義士じゃございませんでしたか、支那の王羲之という支那第一等の字を書く方、その方のお筆になった巻物――それだけでよろしうございますね。はい、承知を致しました、やり損ないは御容捨を願いまして……」
「うむ――貴様」
田山白雲は徒《いたず》らに眼をむいて、大きな唸《うな》りを発するのみであります。
その時にまた鶏が啼きました。そうすると、平べったくなっていた老爺が、急にのし上り、
「では、これで失礼を致します、御免下さいまし」
すっくりと立って、障子の隙間から――事実は相当にあけて出て行ったのですが、白雲の眼からは、あのままで、畳の中へ吸いこまれてしまったのか、でなければ、障子の隙間から消えてしまったようにしか受取れないので、やっぱり眼を光らして呆れ返って、さて、ホーッと太い息をついたのみであります。
九
駒井甚三郎の無名丸《むめいまる》が、あれからああして、無事に牡鹿郡《おじかごおり》の月ノ浦に着いたのが、洲崎を出てから十四日目の夜のことでありました。
着船は、わざと夜を選んだのは、駒井の思慮あってしたことでしたが、無論その前後、この辺の漁船商船が、駒井の異形なる船の出現を怪しまないはずはありません。
だが、朝になって見ると、その船の上に、仙台家の定紋《じょうもん》打った船印が立てられてあることによって、浦の民が安心しました。
御領主の御用船とあってみれば、文句はないのですが、駒井がそうして無断に仙台家の船印を濫用してよいのか、一時の策略で、それを利用してみても、あとの祟《たた》りというものはないか。
その辺には、駒井としては充分の遠謀熟慮があってのことだろうから、それは憂うるに足りないことでした。第一、船つきをこの月ノ浦に選んだということにしてからが――故意でも、偶然でもなかったのです。
そもそも、この月ノ浦というのは――それを説明する前に、溯《さかのぼ》って、東北の独眼竜伊達政宗を説かなければならないのですが、そうすると記述が徒らに肥えて、ロマンの肉が痩《や》せる。ただ、伊達政宗が、その昔、この港から、ローマへ使節を遣《つか》わした港であるということだけを、とりあえずしるして置く。
そうして駒井甚三郎は、かねて海外に志ある人としての伊達政宗をかなり研究していたところから、一つはその思い出のために、この由緒《ゆいしょ》ある港を選んで着船したものと見て置いていただいてよろしい。
本来ならばこの船が着くと同時に、真先かけて、はしけに立っている七兵衛の姿を見なければなりませんのですが、それが見えないことが、誰よりもまず清澄の茂太郎を失望させました。
茂太郎は船の舷上に立って、左の小腋《こわき》には例の般若の面をかかえたまま、呆然《ぼうぜん》として爪を噛んで陸地の方を見つめたままです。
「なあーんだ、七兵衛おやじが来ていないや」
これが着いたその夜のことです。夜のことでも、漁村と漁船には点々たる火影《ほかげ》が見えないということはなかったのですが、それでも陸地一帯は茫々模糊《ぼうぼうもこ》たる夜の色に包まれている間を、茂太郎は淋しげに見渡して、
「七兵衛おやじが、こっちへ駈けて来るのが、船の上ではよく見えたんだがなあ」
茂太郎としては、珍しく、ほとんど泣き出しそうな声をして、彳《たたず》みきって動こうともしません。
なるほど、そう言えばそうです。海上遠くメーンマストの上で、茂太郎は、「七兵衛おやじが、走るわ、走るわ」とわめき立てたことがありました。その時の調子と、今日のしょげ方とを比べて見ると、それではあの時のは、檣《ほばしら》の上の出鱈目《でたらめ》の即興ではなくて、真に、茂太郎の眼では、磐城平から海岸通りを北走する七兵衛の姿を認めたのか。
そんなはずはあるまい。あの時は、陸地を避けて、船はあんなに遠く海洋の沖中を走っていたのだ。四顧茫々として、遠眼鏡を以てすら陸地がいずれにあるかさえわからなかったその中で、茂太郎が仙台領を走る七兵衛の姿を認め得られるはずはないのです。
しかし、あれが即興の出鱈目であるとすれば、ここへ来て、こんなに失望する理由もまた消滅しなければならないのではありませんか。
ましてこの夜のことです。はしけ[#「はしけ」に傍点]で迎えに来ないからといって、この見渡す海岸のいずれの地点にかその人が待兼ねていないとも限らないのに、以前の即興があまりに眩燿的《げんようてき》であっただけに、ここへ来ての失望が独断に過ぎるのは、多少気の毒と滑稽を感ぜしめないわけにはゆかないのです。
今や茂太郎はパッタリと、出鱈目も歌わず、即興も叫ばぬ人になってしまいました。尤《もっと》も駒井としては、船がかり中は別して静粛を保つようにと、特に入港の前に申し渡してあるのですが、それを、すんなりと守り得られる茂太郎ではないはずで、船が着く時は、彼の即興がまたネジを戻すものとばっかり思われていたのに、ひっそりとして、全くそのことがありません。
「今晩は茂ちゃんが、バカにおとなしいではありませんか」
お松が言うと、駒井が、
「珍しくあの子の上に船長の威令が行われた」
と言って微笑《ほほえ》みはしたけれども、その実はなんとなく、淋しい思いに襲われていることは、お松も同じことです。
噪《さわ》ぐべき人は噪いだ方がよろしい。歌うべき人は歌った方がよろしい。船長の威令を無視してまでも、あの子はあの子として出鱈目を歌った方がよろしい。むしろ歌ってもらいたいものだというような物足らなさが、駒井の胸にも、お松の胸にも、ひとしく湧き上ることを如何《いかん》とも致しかねました。
ですけれども、茂太郎の歌は、決して聞えませんでした。
「よく寝れば、寝るとて親は子を思い」――お松は、そういったような一種の親心同様な思いに駆《か》られて――船長室を立ち出で、
「茂ちゃあーん」
と呼んでみようとしたが、おとなしくやすんでいるものを起さないがよいとも思案しました。なまじい呼びかけて、またあの子の即興心をまで呼びさまし、はしゃぎ出されたのではたまらない。
港へ入ったという安心で、あの子もぐっすり寝込んでいるだろう、明日まではそうして置くがよいと、お松は思案して、自分の部屋へ引返しましたけれど、茂太郎の歌わないことが、いよいよ我が身を滅入《めい》らせるような思いをしないではありません。
こうして、入船の当夜は、特に静粛なるべき船長の思慮と命令がよく行われて、物音らしい物音、人声らしい人声は船内から一つも外へ洩《も》れないで、ほとんど無事にその夜が明け放れんとする時分に、船長の思慮と威令とが、遺憾なく蹂躙《じゅうりん》された一大衝動を捲き起したというのは、本意《ほい》ないことであります。
さては茂公、いよいよまたネジが戻ったかな、七兵衛の姿をでもいずれからか発見して、急にはしゃぎ出したのか、そうではない。
噪《さわ》ぐべく、歌うべき当人の株を奪って、その騒音は、意外といえば意外だが、さもそうありそうな船内の一角から起りました。例のマドロスが、突拍子もない大きな調子で、だみ声をあげたかと思うと、ガムシャラに歌い出すと共に、足踏み荒くダンスをはじめ出したことです。
そのけたたましい物音に、一船内がことごとく暁の夢を破られてしまいました。
夢を破られたもののすべてが、さてはマドロスめ――と、苦々しい思いをしましたけれど、マドロスは一向その辺の遠慮心を喪失してしまったものと見え、濁声《だみごえ》はいよいよ濁り、調子はいよいよ割れ出し、ダンスの足踏みは盛んに荒《あば》れ出したものであります。
「奴、また飲みやがったな」
船頭二三が歯噛みをしました。事実、マドロスとても、その後はかなり神妙にし、船中でも相当に働き、役にたつ時は羅針盤同様の必要な役目をさえ成し遂げて、ともかく無事――金椎の厨房《ちゅうぼう》から饅頭《まんじゅう》を取って来て、ひそかに兵部の娘に食わせたり、食ったりしたなどは別として――にこれまで来たのに、そうして、今夜一晩は特に静粛にという船長の命令もようやく呑込んでいたのに、九十里のところで物の見事にぶちこわしてしまったということは――それは必ずしも御当人に、航海中たくわえられた反抗心があってそうさせたのではない。あのだみ声の呂律《ろれつ》でも、足踏みのしどろもどろでも分る通り、酒という魔物が手伝って、あれをああさせているのだ。
それにしても、誰が酒を飲ませた。船中では一切飲ませないことにしてあったはず――飲みたくも、飲ませたくも、酔わせるだけの分量は貯えてなかったはずなのに。
ははあ、では、あいつ待ちきれなくなって、早くもこっそりと小船に乗るかなんぞして、岸へ抜けがけをして、あのアルコール分を身体《からだ》の中へ仕込んで来たのだな、そうと解釈するほかはない。
そうだ、そうしてアルコール分をしっくりと体内に仕込んで帰って、いい気持で寝床にもぐり込むはずのところを、その仕込んだ分量が超過したものだから、ついにあの呂律となり、あのステップとなってしまったのだ。
ちぇッ――世話の焼けた奴だなあ。
まず、最も近い室の房州出の船頭の二人が眉をひそめると、同様の思いが、お松にも、駒井の室へも響かないということはありません。
しかし、マドロスにこうもアルコール分が廻った場合に、この船内では遺憾ながら、それを制裁する実力を持ったものが一人もありませんでした。
ウスノロはウスノロだが、体格は図抜けていて馬鹿力があるし――田山白雲でもなければこれに対抗するものはないのです。今のところでは、手をつけるより、手をつけないで自然の鎮静を待つよりほかはないと船頭はじめ眉をひそめて、苦々しく思っているのだが、あいにくそのアルコール分はいよいよ沸騰するだけで、いつ鎮静の時を得るか分らないもののようです。
船長室へ駈けつけたお松が、駒井の迷惑と共鳴して、
「こっそりとお酒を飲みに、陸《おか》へ上ったのでございましょう」
「困ったものだ」
駒井甚三郎も真に当惑の色であります。
そのうちに、たまり兼ねたか船頭が取鎮めかたがたなだめに行ったもののようです。ところがその結果はかえって石灰の中に水を入れたような結果になり――喧々囂々《けんけんごうごう》、組んずほぐれつ、収拾すべからざる大乱闘が捲き起されてしまったことは、船長室まで手に取るように聞えて来ました。
「まあ、なだめに行った船頭さんたちを相手に、また乱暴をはじめたようです、どう致しましょう」
「困ったことだ」
駒井は苦り切っている。お松はいても立ってもいられない心持。あちらの船室内の騒動はいよいよ驚天動地。
「ほんとうに、田山先生がいらっしゃるといいのですが……」
お松としても、時|艱《かん》にして英雄を思うの情に堪えられないが、徒《いたず》らに英雄を想うのみで、この際、自分としてはなんらの施すべき策も手段もありません。
捨てて置けば、幾つかの人命にも関するほどになりはしないか――この上は、是非に及ばない、自分が出動して取りさばくよりほかはないと、駒井も思案して立ち上りました。お松もおどおどしてその後に従い、乱闘の方に進んで行きましたが、お松の心では、この殿様を、あんなところへお出し申したくはない、こんなことにまでいちいち殿様の御足労を煩《わずら》わさねばならないかと、痛々しさに堪えられませんでした。
いかに酔っていても、船長の命令に服するだけの常識は残っているだろうが、もし、それをきかない時は、この殿様が御自身手を下して、あんな奴を御成敗――といっても、人間はダラシがないにはないけれども、船としてはいま無くてならない人になっているあのマドロス、殿様もあれを失いたくはなくていらっしゃるだろうから、思い切った御成敗をなさるわけにはゆかない、そうすると、あれが増長する。
お松は、どうかして、この殿様をあの場へやりたくない。できることなら自分が出向いて取締りをつけてやりたい。しかし、ああなっては気ちがいよりも怖いのだから、わたしの力なんぞではどうすることもしようがない。
ああ、困ったことだ。
お松は、じりじりとじれる足どりで、駒井に従いながら、実はその行手に立ちふさがりたい心持です。
こうして、一歩一歩乱闘の室に近くなった時分に、急にそのけたたましい喧噪《けんそう》がいくぶん緩和されたような気分になったのは意外でした。それでも、たしかにそうです。獣の狂うような渦巻が急にいくらか和《やわ》らかになってきたようだと感じた途端――女の声で、
「マドロスさん、いいかげんになさい、そんな乱暴をしないで、わたしのところへ来てお休みなさい、まだ夜が明けたわけじゃないから、もう一休み、ゆっくりと寝ましょうよ、ね、マドロスさん……」
それは、兵部の娘の声であります。この女性の声が乱闘の中へ流れ込んだものですから、それで獣の噛合《かみあ》いのような渦巻がいくぶん緩和されたものでありました。
それを聞くと、甲板の上で、駒井甚三郎とお松とが、言い合わせたように足を止めていると、マドロスの声で、
「お嬢さんと、寝る、寝る、よろしい、寝る、寝る、よろしい、チーカロンドン、ツアン、バツカロンドン、ツアン」
急に御機嫌が直ったマドロスが足踏みおかしく、よろよろとよろけた体を、兵部の娘に持たせている様子が手にとるようです。
[#ここから2字下げ]
もえさんと
寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
まさしく茂太郎の株を、この不埒《ふらち》なるマドロスめが奪って、そうして、兵部の娘にあやされながら、その寝室の方へと転げ込んで行く様子が、いよいよ手にとるようです。やがて一切の喧囂《けんごう》が拭うたように消え去ってしまいました。
甲板の或る一点に、申し合わせたように足を止めた駒井甚三郎とお松は、そこで面《かお》を見合わせました。
けれども、駒井の面にも、お松の面にも、まあこれで安心という快い色は見えませんでした。そうして二人とも、なんとなく興ざめ面で、無言にとって返さなければなりません。
お松は、ここでちょっと駒井に取りなす言葉のきっかけを失った思いです。事実、この際、もゆるさんが、あの人を自分の寝室に引取ってくれたから、それでようござんしたとも、いけませんでしたとも、お松としては言えなかったものですから、そのまま暫く無言で、船長室へ引返す駒井甚三郎のあとに従い、無言でたじたじと引返すよりほかはありませんでした。
そうして、お松は親柱のところへ来ると、また、思わずギョッとして立ちすくんでしまい、
「まア――」
檣柱《ほばしら》の下の俵を積んだ上に、人が一人、黙って坐り込んでいる。
「茂ちゃんじゃないの」
「あい」
「まア、お前――」
お松は、呆気《あっけ》にとられました。出鱈目《でたらめ》のうちの出鱈目、饒舌《じょうぜつ》のうちの饒舌である清澄の茂太郎が、ほとんど化石の彫刻みたように、チョコンとしてその俵の上にのせられたもののように坐っていたからです。
熟睡していた人なら知らぬこと、今まであの騒ぎを知っていながら――一言も、この子の伴奏がなかったことは不思議中の不思議。それを今まで不思議とも感じなかったほど、自分たちは何かに制せられていたことを、いま気がついて見ると、やや明け方の光で見たこの少年の面色《かおいろ》が、いやに沈み切っていることに、またなんとなく胸を打たれないわけにはゆきません。
「いったい、お前、そこに何していたの、どうしたんです」
「あたいは、七兵衛おやじを見つけ出そうとして、ここに一晩中ながめていたの」
「一晩中?」
「ところが、七兵衛おやじの姿が見えません、何をおいても見えなければならないはずの七兵衛おやじが、来ていないことを見ると……」
「だってお前、この闇の中で……」
と言ったが、お松はこの非凡な少年が、暗い中でもけっこう見える眼を持っていたのだということに気がつきました。
そうして、この少年は、夜目遠目のきく非凡な眼を以て、夜もすがらここに立番をして、一心不乱に七兵衛おじさんの来ることを期待していたのに、それが酬《むく》いられないことによって、この痛心の面《おもて》があり、その一心不乱のために、さしも喧囂を極めたマドロス騒動の一幕にも、振向かなかったものに相違ない。
それほどまでに、七兵衛おじさんというものの来ることと、来ないことに関心を置いているこの少年。それは、多少とも縁ある人の去就に関心を持つことは人情には相違ないが、この少年が、これほどまで七兵衛おじさんを待兼ねている、それを思うと、自分の方がもう一層、それをなつかしがらなければならない義理でもあった――とお松は、ここで七兵衛の安否について、この少年の懸念《けねん》を頒《わか》つ心になってみると、この少年のなんだか沈んだ面色を見るにつけて、なんとなし、また一種の不安がこみ上げてくるのを如何《いかん》ともすることができませんでした。
「ここへおつきになることが遅いなら遅いでよいが、何かまた道中に変事があったのでは……あのおじさんに限って、旅に慣れているから、万々間違いはないと思うけれども……」
こう言っているうちに、そのなんとなしの不安が、いよいよ募《つの》ってくるものですから、茂太郎の傍を立去りかねているうちに、駒井は、もう一人で自分の部屋へ帰ってしまいました。といって、それ以上どうすることもできないお松は、茂太郎をなだめすかすほかの術《すべ》を知りません。
「茂ちゃん、そう取越し苦労をしたって仕方がありません、いつまで待っていたって、来る時でなけりゃ来やしませんから、休みましょうよ、まだ明るくなるまでには充分時間がありますから、下へ行ってゆっくり休みましょう。わたしも、なんだか、まだ寝不足だから、もう少し休ませてもらいましょう」
マドロスが兵部の娘につれられたのとは期せずして同工異曲に、お松は、茂太郎を引っぱるようにして自分の船室へ連れて行ってしまいました。
そこで、船の上下こそ、今度は全く静かなものになりました。茂太郎も、存外|素直《すなお》にお松の部屋へ来て、その一隅の寝床へもぐり込むと、早くもすやすやと寝息が聞えます。
騒擾事件《そうじょうじけん》の発頭《ほっとう》たるマドロスも、鼻唄の声さえ、鼾《いびき》の声さえ、洩れないほどに納まり込んでしまっていると見るよりほかはない。明朝は、朝寝、昼寝おかまいなしというお触れですから、皆さんが安心しきって羽目を外《はず》して寝込んだものです。
ひとり、駒井甚三郎だけが、船長室にカンカンと明りをともして、その光に熱心な面を射させて、海図であろうか、航海誌であろうか、眼をさらしていて寝ようとはしないだけのものです――そのほかに、眠っているのか、醒《さ》めているのか、寂然不動の体《てい》を守って艫《とも》の方に坐っているのがムク犬であります。
やがて、船長室のカンカンとした燈火も消えました。これで全く船のうちの人という人は眠りに就いたことの確定を見すましたかのように、今まで寂然不動のムクが、悠然として立ち上り、のそのそとして甲板に歩み出しました。これからが、おれの職分の世界だと言わぬばかりに――
十
ノソリノソリと歩み出したムク犬は、左舷《さげん》の舟べりに立って、海の上を見渡しています。
この静寂な海港の夜を破るほどの物音ではないけれど、左側の船腹のところで、たしかに断続的に物音が立っているのです。ミシリといったり、カタリといったり……それが鼠でも、ミサゴでもない証拠には、極めて軽いながら人の息づかいと、囁《ささや》きとが聞えるのです。
ですから、当然、ムク犬として、それに聞き耳を立て、注意深い眼を注ぐことはその職責であります。ただ軽々しく吠えないのは、この犬として当然の思慮で、その何たるを見極めて後にこそ、吠ゆべきは吠え、防ぐべきは防ぐことを心得ているからです。
ムクは両足を揃えて、半ばのぞき込むような形で、船腹を見おろしたまま、あえて動きませんでした。
たしかに、船腹のブリッジドアを開いて、一人の人体が出て来ました。それは大男ですけれども、身軽に船の腹から這《は》い出したが、這い出したその下には、いつのまにかボートが櫓《ろ》を備えてつり下ろされていました。大男は存外身軽に、ひらりとそのボートへ乗り移ると、続いて同じところのドアから、また一つの瘤《こぶ》が現われたものです。やっぱり、人影です。人影ではあるけれども、以前のとは違いました。小柄な、きゃしゃな、女の姿であります。
この女の姿が半ば船腹からはみ出されると、それを待っていたとばかり、取り上げて引き抜くように無雑作《むぞうさ》に抱きおろしたのは、その大男の手を以てして、同じボートの中でありました。
ここで、二人は完全に、一つのボートの中におろされると、ホッと一息ついて親船を見返りがちに、何か二言三言ささやいたにちがいありませんが――ムクには聞き取れません。
そうすると間もなく、大男の手はオールにかかったのですが、その以前に、もう二人のほかに、何か若干の手荷物が取りまとめられて、ボートの中に運ばれていたのです。
こうしてボートは大男の、図体に似合わぬ熟練軽妙なオール捌《さば》きによって、ほとんど水音を立てず、鏡の上を辷《すべ》るように、すーっと月ノ浦の港の上を辷り出したものです。
その前後、誰ひとり見ているものはなく、また誰をしも驚きさます物音をも立てず、すっと抜け出した手際だけは、たしかに鮮やかなものだと称すべき価値はあったのでしょう。
それを最初から見ていたのはムクだけでした。ところで、この豪胆にして且つ敏感なるムク犬が、ついに吠えることをしませんでした。
月ノ浦から小鯛島の間を、右のボートが夢のように辷って行く。それを茫然として見送っていたムク犬――出て行くボートの者にも、留まっている親船の人に向っても、あえて一吠えの挨拶をも警戒をも試みないところを以て見ると、さしものムクも、もうヤキが廻ったのか、そうでなければ、出て行くものは追わざるがよし、留まる者をして安らかに眠らしめよ、という厚意ある諒解をもっての挙動と見るよりほかはありますまい。
今朝に限っての朝寝昼寝を充分に保証された船の人も、日が三竿《さんかん》にもなって、相当の時が来れば、そうそういい気持で内職の船を漕いでばかりはいられないと見えて、一人、二人ずつ面《かお》が揃ってくると、早くも、
「おや、ボートが一ぱい足りねえ――おや、船窓があいている、マドロスが――もゆるさんが――まあ、荷物が――」
二人の姿が全く親船の中から見えないのです。二人ともに、手廻りの物が程よく取りまとめられて持ち出された形跡も充分ですから、合意の上で逃げたものと見るよりほかはありません。どちらがどうそそのかしたか、そのことはわからないが、いずれにしても、相当の合意をもって計画的に馳落《かけおち》を遂げてしまったということは、疑う余地がありません。
呆《あき》れ返るもの――罵《ののし》る者――地団駄を踏む者――直ぐに追いかけて、あん畜生、とっ掴まえて今度こそはと、マドロスを憎むこと骨髄に徹する者もある。もゆるさんももゆるさんだ、何だってあんな毛唐にだまされて、いったい、あのウスノロのどこがいいんだ――と歯噛みをする者もある。
お松としては、言句《ごんく》も出ないほど浅ましい感に堪えなかったので、傍《かた》えにいたムクをつかまえて、こんなことを言いかけてみました。
「ムク、お前が昨夜《ゆうべ》、あの二人の逃げ出すのを、気がつかなかったというのがおかしいわね、あの二人は当然ここを出て行くべき人なんだから、それでお前が知っていても止めなかったの――ここにいるよりも、出て行く方が二人のためにも、船のためにもいいと思ったから、それでお前が見逃したの、どちらだか、わたしにはわからない。お前がいながら、二人を無事に逃がした気持が、わたしにはわからない」
こういってムクに言いかけたが、その傍にいた金椎《キンツイ》が、一種異様な表情を試むるだけで一言も吐かないのは、体質上是非もないが、兵部の娘とは切っても切れない馴染《なじみ》を持っているはずの清澄の茂太郎が、ここへも姿を現わさないし、ウンだとも、つぶれたとも言わないのも異例の一つです。
と思いやる途端に、親柱の上高く人の声がする、
「ああ田山先生が来る――七兵衛おやじは来ないけれども、田山白雲先生がやって来る」
もう、あんなところに登っている。
どこの方角を、どうながめているのか知らないが――遠く眼を空と山との間に注いで、そうして、人が来る来ると呼んでいる。果してその方角から来る人があるならば、それは雲際から降りて来る人でなければならぬ。
甲板に立つ人が幾つの眼を集めて見たからとて、こちらへ来る人の影は――といううちに、土地の海女《あま》や漁師は別として、田山らしい、白雲らしい人の影は、いずれにも見えはしない、茂公の出鱈目がはじまった、これでまあ、天気も変らないで済む――といったような、一種の気休めを与えるだけの効はありました。
十一
茂太郎の予報から約|一刻《ひととき》も経て、果して田山白雲の生《しょう》のものが、月ノ浦の港の浜辺に現われて、船をめがけて大きな声をあげました。
心得て、ボートが迎えに来る。親船について、白雲は駒井の案内で、なにもかも目新しく、物珍しい目で船の内外を見廻しながら、船長室に伴われて、そこで二人の会談がはじまりました。
介添《かいぞえ》には、お松が時々出てあしらう。
「駒井氏、せっかくここまで来たからには、どうして、目と鼻の間の石巻へ船をつけないですか――月ノ浦なんて、こんな辺鄙《へんぴ》なところへわざわざもや[#「もや」に傍点]ったのは、どういう了見ですか」
「左様、この月ノ浦を選んでこの船をつけたのには相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、支倉《はせくら》六右衛門をローマへ使者として遣《つか》わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」
「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣《や》った時の船が、ここから出たのですか」
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧《むし》ろここを我々の投錨地《とうびょうち》――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗が拵《こしら》えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」
「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」
と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、
「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法|国《くに》を迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹《きりしたん》を信じていたのですな。信じていないまでも、決してローマの法王なる者に悪意は持っていなかったのです。或いは切支丹を食いものにしようとした男かも知れません」
「そうでしょうとも。風向きによっては、秀吉や家康をさえ食い兼ねない男でしたから、切支丹を食うぐらいは朝飯前でしょう」
「それは少し比較が違う、秀吉や家康は、或いは食いものになるかも知れないが、切支丹は全然食いものにならん。これを迫害しないで、利用しようとした点に、政宗の頭脳《あたま》のよさ[#「よさ」に傍点]を認められない限りもない。あの時代、秀吉を除いて、本当に海外に志のあった豪傑は、まず政宗でしょうかな――近世の奇物、林子平《りんしへい》なんというのも、たしかに政宗の系統を引いている。他の土地からは出ない人物だ」
というような人物論からはじまって、白雲もまた、古永徳《こえいとく》に惹《ひ》かされて、こちらを志した行程から、仙台城下の所見を語り出し、結局――このはからざる奇遇を喜ぶと共に、この奇遇の結びの神たる七兵衛の身の上に、話が落ちて行かないはずはありません。
実は、もっと早く、二人ここで相見た最初の時に、引合せの老爺《おやじ》のことから緒《いとぐち》が開かれなければならない順序なのですが、船のことが先になって、次に人物論に花が咲いたものですから、勢い七兵衛おやじのことは、最後の時に繰りのべられてしまいました。
「名取川で、蛇籠《じゃかご》を作っていた怪しい老爺――あれには全く度胆を抜かれましたよ、あなたの御家来に、あんな怪物がいようとは思いも及びませんでした、あれには怖れました」
田山白雲が全く恐れ入ったもののようにこう言うと、それを引受けたのは駒井甚三郎ではなく、傍らに介添役のお松でありました。
「そのおじさんは、それからどうなさいました」
「いや、おっつけここへ来るには来るはずなのだが、一つ土産を持って来ると言ったが、そのみやげたるや」
ここまで来た時に、あわただしくこの部屋の前に立ったのが、清澄の茂太郎でありました。
「田山先生――」
「やあ、茂坊か」
「入ってもようござんすか」
「お入りなさい」
と許諾を与えたのは、駒井甚三郎でした。
そこで室内に走り込んだ清澄の茂太郎が、まず田山先生に向って問いかけたのは、次の言葉であります。
「田山先生、七兵衛おやじはどうしたの?」
「今もそれを話していたところだ、おっつけこれへ、おみやげ持ってやって来る」
「そうか知ら――あたいは、どうも、あの七兵衛おやじはもう、ここへ来られないように思われてならない」
「どうして?」
それを聞き咎《とが》めたのは白雲でしたが、さっと面《かお》の色を失ったのはお松でした。
「どうしてって……」
茂太郎は、むずかるような声で、
「あたいはどうも、七兵衛おやじが怪我をしたように思われてならない」
「怪我!」
「怪我ならいいが、もしかして、縛られてしまやしないかと……」
「何を言うのです、茂ちゃん」
お松がたまりかねてたしなめると、茂太郎は、
「どうしても、あの七兵衛おやじの身の上に、変ったことが起ったに違いない」
「そんなことが、わかるものですか」
「だって、あたいは、もう二日というもの、あのおやじが、つかまって、縛られて牢屋へ入れられたところを夢に見た」
「ほんとに、いやなことばかり、茂ちゃん――何も悪いことをしない人が、縛られたり、牢屋へ入れられたりなんかするものですか」
「そうかしら、でも……」
「それに、白雲先生と、つい一昨日《おととい》、お話をしていたと申します、いやなことを言うものではありません」
「そうか知ら……」
その時、田山白雲が、茂太郎の面を睨《にら》みつけるように見詰めて、そのくせ、心は玉蕉女史の家の離れのあの一夜のこと――王羲之《おうぎし》の秘本を土産に持って来ると誓った、夢のような、幻のような場面に集中しないわけにはゆきません。
そうして、その夜の、あのおやじの怪挙動を、逐一《ちくいち》ここで話したがよいか、もう暫く話さないでおいた方がよいのではないか――と、猶予し、且つ思案せしめられました。
十二
問題の七兵衛は、その日は観瀾亭の床下に昼寝をしておりました。
七兵衛が昼寝をするということは、盗人の昼寝という本文に合致することだから、あえて異とするに足りないが、特にこの月見御殿の観瀾亭の床下を選んだというのは、どういう了見であるか。この床下の上には、田山白雲の憧《あこが》れの的《まと》となっている古永徳か、山楽かが、絢爛《けんらん》として桃山の豪華を誇っているのですが、七兵衛にとっては、特にこの床下が離れられないほどの魅力となるべき理由はなんにも無いはずです。七兵衛としては、別段、永徳でなければならないという見識も主張もないのですから、ところもあろうのに、この床下に昼寝の巣を選んだのは、偶然か、然《しか》らずんば何か商売上特別の便宜がなければなりますまい。
観瀾亭、一名月見御殿の床下――御殿の床下なんという名目が七兵衛の芝居ごころを刺戟して、ちょっと拈《ひね》ってここへ寝てみたい心持にでもなったのか(明治大正の頃、華族芳川伯爵家の令嬢が、その自動車の運転手と情死する前に泊った宿屋へ、わざわざ出かけて行って、それと同じ室へ一泊して気分を味わった人間もある)そうでなければここはこれ、太閤様|名残《なご》りの伏見桃山御殿のお間をそっくり移したということだから、大先輩の石川五右衛門氏が忍び込んだ手沢《しゅたく》のあともなつかしいなんぞの、そぞろ心から、ついこの床下を借用してみる気になったなんぞも、それも、あんまりコジツケに近い。第一、七兵衛は水呑百姓を以て自ら任じている素朴な男ですから、御殿の床下で、「ああら怪しやな」なんぞと騒がれてみたがったり、また大先輩の石川五右衛門氏のように、衣冠束帯の大百日《だいひゃくにち》で、六法をきってみようというような華美《はで》な芝居気のない男ですから、この床下を選んだことにしてからが、一方は牡鹿《おじか》半島方面の船の到着が気にかかり、一方はまだ仙台城下に無くもがなの心がかりがあるから、ちょうどその中間の、ここ松島の観瀾亭あたりを選ぶのが、地の利よりして最も適度と考えただけのものでしょう。
地の利もいいし、場所柄も結構らしい。第一、床下とはいえ、海気がよく通って、陰深な気分がしないし、床の間が相当高くて、頭がつかえないし、そこへ菰《こも》とむしろを敷きこんで、合羽《かっぱ》を頭からスッポリと被《かぶ》り、軽い寝息で、すっかり寝込んでいるが、その枕許と、横ッ腹の方に、異形の物体が二つ三つ陳列してある。陳列とはいえ、そこへ投げ出して、ふわりと風呂敷を被せただけですから、中の物体はよくわからないが、形だけは風呂敷を抜いた角々で相当に受取れる。それによって恰好を案ずると、どうやら、古《いにし》えの武将が着た兜《かぶと》のような形をしています。別に長い箱入りの軸物のようなものが二本――そんなのを枕許と横ッ腹に抱えて、七兵衛はすやすやと昼寝をしているのです。
七兵衛の寝息は、いかなる場合にもほんとうに軽いものです。いかに熟睡の時といえども、いびきというものを聞かせたことはなく、障子一重にいても、寝息そのものを感ぜしめたことはない。身も軽いけれども、天性、息も軽いのです。形そのものさえ見せなければ、他のなんらの気配によっても、自己の存在を、目と鼻の先の人にさえ知られるということのないように――すべてが出来ておりました。
そこで、誰に憚《はばか》ることなく、昼寝の甘睡を貪《むさぼ》っていること幾時――自分の存在を知らしめないだけの天地の上に、他の者の来襲に遭っては、針を落したほどの音にも眠りを醒《さま》すの機能を授かっている。こうして甘睡を貪っていたところを、思いがけなく、息もつかせずにこの梁上床下の天才を襲いかけた不敵者がありました。しゅうーしゅうーっと鳴りを立てて、七兵衛が甘睡の枕許に、鼠花火のように襲いかかり、枕許の風呂敷を被せた兜様のものにカツンと当って七兵衛の面を横倒しに撫でおろしたものがあったのには、さすがの七兵衛が夢を破られて、一時は全く周章狼狽しました。
何だ、もとより人間のお手入れではないし、そうかといって、鼠やいたちの類ではない。横倒しに倒れかかって自分の面を上から撫でおろした一件の物を、無性《むしょう》にかなぐりとって見ると、それは一筋の弓の矢でした。
「あ、矢だ!」
縁の下のいずれかの隙間から、この矢が流れ込んで、自分の枕許を脅《おびやか》したのだ。我ながら――人獣に備える心は不断に怠ったとは言えないが、まだ、ここで弓矢に覘《ねら》われようとは、さすがの七兵衛も予想していなかったことです。
その矢を握りしめて、半分起き直って見ると、七兵衛の頭を掠《かす》めたのは、この一筋の矢が――果して、自分のここにひそんでいることを認めて来り脅したのか、或いは何かのはずみの流れ矢か、その二つのうちの一つでなければならぬ。後のものならばまず安心だが――前のであってみるとこれはたまらない。
七兵衛は、素早く身づくろいをせざるを得ませんでした。
ともかくも自分の身だけを、いま寝ていたところよりは、ずっと一段の奥、海に近い方の親柱の一本を小楯にとって、身を伏せたまま、二の矢の受けつぎを、じっと見つめて息をこらしたものです。
まもなく外で人声がします――
「どこへそれた――」
「その植込の笠松の枝ではないか」
「塀の下を見い」
「燈籠《とうろう》の蔭――」
「雨落の中――」
「樋《とい》の間――」
「いずれにも見えませぬ」
「では」
「このお床下へ飛び込んだものに相違ござりますまい」
「なにさま」
「お床下だ」
二人のさむらいが来て、雨落の下でしきりに評定をはじめたが、もとより、七兵衛の耳へ手に取るように入る。
まず安心――それ矢だ、どこかこの近隣で弓を稽古していたさむらいの矢が一筋それてこちらへ飛び込んで来たまでのことだ。あえてこの七兵衛のあることを知って、試みに射込んだ探りの矢でなかったことは安心だが、外の評定はこれで終ったのではない。もとより二人のさむらいは、もう縁の下だと諦《あきら》めて立去ってしまったのでもない。まだ同じところに立って評定を続けている。
「ちと困ったことだ」
「捨て置きましょう」
「いや、捨て置くわけにはならん、苟《いやしく》も藩の御殿の床下へ矢を射込んで、それをそのままにして置いては、後日の言いわけが相立たぬ」
「それもそうでござりますな」
「大儀ながら番人に申し入れて、よく床下を探させ下さい」
「心得ました」
この問答を聞いて、再び七兵衛が不安に襲われました。
なるほど、あやまって射込んだ矢一筋ではあるが、御殿の床下へ入ったものを、そのままにして置けない、尤《もっと》もな言い分だ。だが、そうしてみると、当然、ここへもぐり込んで、あくまで矢を探しに来る人の数がある。矢一筋よりも、見つかってならないものが現にこの通り床下にあるのだ。それをどうしよう、七兵衛は本当に焦眉《しょうび》の急《きゅう》の思いをしました。
自分一身が遁《のが》れるだけは何の苦もないことだが、枕許のあの一件、あの幾点の品、あれをこの際、土を掘って埋めるわけにはいかない、火をつけて焼くわけにもいかない、当然やがて寸分の後、ここへもぐり込む人の身が、一筋の矢よりも、もっとずっと大きな獲物を発見するにきまっている……
はや、三方からメリメリと矢探しの手がかかって来た。黒い人影が、むくむくと湧いて来る。七兵衛は身をもって遁れるよりほかは、この際、術《すべ》のなきことを覚りました。
十三
それから後、果して、一筋の矢より、ずっと大きな獲物を発見した諸士たちの驚愕は非常なものでありました。大がかりで御殿の上へ持ち出して見ると、それは金光の古色を帯びた名将の兜《かぶと》であり、蒔絵《まきえ》の箱に納まった軸物であり、錦の袋に入れられた太刀《たち》であり――一筋のそれ矢が射出した獲物としては抜群なる手柄であります。
ただ抜群なる手柄だけでありさえすれば何のことはないのですが、実は、これらの物体は皆、観瀾亭の床下にあるべき品ではなく、五十四郡の伊達家の宝蔵の奥深く存在していなければならないはずの物体のみでありました。
最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と瑞巌寺《ずいがんじ》の主なる面々が、みんなこの観瀾亭に集まって、縁の下の獲物の検分に移ると、舌を捲かないものはありません。
これは検分すべきものでなくして、拝観すべきものである。拝観も容易にすれば眼のつぶれるべきほどの「御家の重宝」ということに一致して、とにかく、無下《むげ》なるものの口の端《は》にものぼらない先に、この宝物の御動座がなければならぬ。
釣台にのせられて、これが非常な警護をもって、仙台より城内へ運び去られたのは久しい後のことではありませんでした。しかし、この大きな獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。
この宝物こそ――伊達家秘宝の一つ、三宝荒神の前立《まえだて》のある上杉謙信公の兜だったというものもあります。いやいや楠木正成卿の兜だというものもあります。そうではない、伊達の大御先祖の軍配であったという者もあります。いやいや名代の武蔵鐙《むさしあぶみ》に紫|手綱《たづな》でござりました、という者もあります。長光《ながみつ》の太刀だというものもあれば、弁慶の薙刀《なぎなた》だと伝える者もあります。軸物は世尊寺家の塩釜日記だとか、古永徳の扇面であったとか、ついには王羲之の孝経であったというような説が、紛々として起ったけれど、事実、誰も現品を見たものはない。縁の下から出て、一路御宝蔵へ逆戻り、いわば闇から出て、闇へ消えたようなものですから、確証あってこの品と言い切るものは一人もなかったのです。
御家の宝物の品調べは、そんなようなわけで、何の根拠もない無責任な下馬評のはやるに任せているが、そのままで済まされないのは、この大胆不敵なる曲者《くせもの》の詮議であります。観瀾亭を中心として続々集まった諸士、顔役も、さすがにこの点は抜かりがありませんでした。
一方、御宝物が厳重なる守護をもって送り返される前後より、たちどころに非常線が張られたのは申すまでもありません。
「まだ決して遠くは逃げていない」
と、炭部屋もどきに、縁の下の藁《わら》の寝床に手を触れてみた一人の諸士が言う。
「さりげないことにして網を張っていれば、戻って来る」
そこを附込んで、虚をもって実を討たんと策を立てるものもある。
それに応じてまた一方、いずれにしても、この非常線の非常なることを知って、それに処することに抜かりのあるべき七兵衛でないことはわかっているが、事が全く予期しなかった流れ矢一筋から来ているだけに、存外、転身の自由が利《き》かないおそれはあります。
でも、その日の暮れるまでは、犯人がつかまったというなんらの報道もなく、仙台城下の内外の隠密《おんみつ》が、密々のうちにいよいよ濃度を加えることほど、彼の身元が心もとないと言わなければなりません。
十四
こういう空気の真只中へ、駒井甚三郎がおともを一人連れただけで、仙台城下へ乗込んで来て、別段|咎《とが》めだてを受けなかったということは、不思議に似て不思議ではありません。
それは、駒井とこの土地とは、古い馴染《なじみ》があるからのことで、その由緒《ゆいしょ》を語れば、今より約十年以前、この仙台藩で開成丸という大きな船を造った時にはじまるのです。
その時に、江戸から三浦乾也が来て、仙台のための造船の一切の監督をしてやりましたが、当時、一青年学徒としての駒井甚三郎は、船を造る興味と研究のために、わざわざここへやって来て、その船で江戸までの廻航に便乗《びんじょう》したということがあるというわけでした。
ですから、駒井にとっては、この地は曾遊《そうゆう》の馴染があって、その当時、藩の要路にも充分の懇意があったものですから、相当の気安さで旅行もできるし、また石巻、松島、塩釜、仙台の間は、通学の往復路のようなものでしたから、少し立入れば、今でも顔馴染がいくらもある。
そういうわけですから、駒井は、極めて無事安全に仙台城下に着いて、まず養賢堂の学頭を通じて、このたびの来着の挨拶をすると共に、当分、この地――月ノ浦に船をとどめて、修補に当りたいことの諒解を求めると、順調にその要望が達せられて、幾多の便宜が与えられるようになったのは、痩《や》せても枯れても直参《じきさん》の面《かお》であることを、駒井がいまさら認めないわけにはゆきません。
仙台の有志では、この不時の珍客を歓迎して、相当の集まりを催す計画が起りましたけれども、駒井は悉《ことごと》くこれを辞退して、養賢堂の儒臣が送ろうというのも辞退して、そうして折返し月ノ浦への戻り道、松島へ来て瑞巌寺を訪れると、折よく典竜老師が臥竜梅《がりゅうばい》の下で箒《ほうき》を使っていたのを見かけました。
「これは、これは」
というわけで、招ぜられて客殿へ通ると、つい話が面白くなりました。
老師を相手の昔話や、今時の物語が面白くなってきたものですから、駒井は、今晩はここに一泊ということにきめました。
その夜、この大寺の客殿の間にひとり寝かされてみると、今晩こそ、全く異なった世界へ持ち来たされたような気持にならざるを得ません。
海の上に、波の音と風の騒ぎにのみ苦労をして来た身が、この大寺の森閑を極めたる一間に置かれてみると、昨日は昨日、今宵は今宵、二つの極端な世界を、両端から歩ませられている我が身を、我が身でないように感じました。
そこで急に落着いて眠ることができません。静かなところもいいが、急にあまり静か過ぎることは、また人の身心を安定せしめないことがある――なんだか、寝ぐるしいようだ。寝苦しさを妨ぐべき何物もないのに、寝つかれない。
なるほど静かなものだなあ、まるで四方千里、人烟《じんえん》を絶した山谷《さんこく》の中に置き放されたような心持がする。静寂といったところで海は直ぐそこだし、町も、城下も、そんなに遠いところではないが、洞然として森閑なる思いが身に迫るのは、寺が大きいからだ。
駒井は寝ながら、行燈《あんどん》の光で、高い天井と、がっしりした木口をながめて、今更のように瑞巌寺の規模というものを考えさせられざるを得ませんでした。
本来、駒井甚三郎は、科学工芸――ことに造船だの、新式兵器だのということに就いては、深甚《しんじん》なる研究も興味も持ってはいるが、土木建築となると、さほどに興味がないし、絵画彫刻となると、なお一層でした。
ところが、こうして見ると、この寺を建てた政宗の規模を思い起さないわけにはゆきません。
瑞巌寺は、寺ではなくして城だ――表は寺の構えにしてあるが、これを建てた最初の政宗の規模は城である。陽寺陰城とでもいうのかな、昔の大名が城としては持てないのを、寺として置いて、他日に備えるという用意は、この瑞巌寺に限ったことではない――加藤清正なんぞもその著しいもの、大名のうちの殊に大きなやつは、みんなそのくらいの用意を持っていた。
あの当時は、造船の見学に多忙で、名所旧蹟の探訪に疎《おろそ》かでもあったが、今度はひとつその辺から瑞巌寺の規模を見直すかな、城としての寺の構造、要害としての地形を、明日になったらもう一ぺん見直してみよう。
こうして駒井は眠られないままに、高い天井を眺めて、うつらうつらと伊達政宗のことを考えているうちに、ふと、この寺に「御座《ぎょざ》の間《ま》」があって、そこへは政宗が、いかなる貴賓をも立入らしめなかったという由緒の一間がある。といって、「御座の間」とある以上は、何かひとたびその名を空しうせしめざるほどの期待がなければならない。ひそかに伝うるところによると伊達政宗は、いつかこの土地に天子の行幸を期待し奉る大望があって、このために、特にこの「御座の間」が設け備え奉られたのだということだ。
ありそうなことだ。
それともう一つ、この瑞巌寺の天井のいずれかに、千人の甲を伏せて音もさせない、俗に「武者隠しの間」があるそうだ。そういうことは必ずしも当てにならないが、とにかく、明朝はひとつこの寺の構造をもう一ぺん見直してみよう。絵画彫刻の類も一応――いやこれは自分には少々畑違いだ、いずれ白雲画伯を紹介してよこすことにしよう――というようなことを感じているうちに、それでも瞼《まぶた》がようやく重くなってくるのはやむを得ないことです。もうかなりの夜更け、先晩、田山白雲が仙台城下で、美にして才ある婦人と語って興が乗り、ようやく離れ座敷で眠りに落ちようとしたのとほぼ同じぐらいの時刻でありました。
唐戸《からと》のような大きな障子が、すうーっとあいて、有明の行燈《あんどん》の中が、にわかにまたたきをはじめました。
「誰じゃ」
その時の駒井の驚き方も、あの時の白雲の驚き方も全く同じでありました。違うのは、パッと睡眼を醒《さま》すと共に、白雲は枕許の太刀《たち》を引寄せたけれども、駒井は蒲団《ふとん》の下の短銃《ピストル》へ右の手が触っただけのことでした。
のんのんと瞬きをしつづけている有明の行燈の下に、人が一人、うずくまっている。
「御免下さりませ」
「そちは、何者じゃ」
「お静かにあそばしませ」
「何しに来た」
「駒井の殿様、わたくしめでござります」
「や、七兵衛ではないか」
うずくまっていて頬かむりの頭を上げて見せた面《かお》は、駒井としては、全く見紛うべくもない七兵衛おやじです。
「深夜、お騒がせ申して相済みませぬが、七兵衛は只今、この奥御殿の天井裏の忍びの間、武者隠しと申すのに暫く隠れておりますが、今夜、殿様のおいでが、願ってもない仕合せでございました」
「どうしたというのだ、何で、そちはこんなところの天井裏に隠れている。船ではみんなそちの来るのを待兼ねている、田山君もそちの案内で無事に船に着いている、それにそちだけが――どうしてまた、そんな姿で、こんなところに――」
駒井甚三郎は、七兵衛そのものは、洲崎で働いてくれた七兵衛に相違ないが、その内容は全く別物か――どうかすると、或いは七兵衛の幽霊ででもありはしないかとさえ疑われるほどの眩惑を感じました。
「はい、その御不審は御尤《ごもっと》もでございますが、この七兵衛は当分の間――まあ長くて七日間――はこの瑞巌寺様の構内から一寸も出られない余儀ない羽目になりました――これと申すも、よせばよいのに、年甲斐もない悪戯心《いたずらごころ》がさせた業でございます、仔細はいずれおわかりになりましても、お聞捨てにあそばして下さりませ。ただ一つのお願いは、七日の間の兵糧が少しばっかり欲しいのでございます、お握飯《むすび》なり、おかちんなり、ほんの凌《しの》ぎになるだけ――お松にでもお言いつけ下さって、あの、こちらのお庭の臥竜梅がございます、あの梅の大木のうつろ[#「うつろ」に傍点]の中へ、明晩でもひとつ……」
「ふーむ」
「なにぶんお願い申し上げます、委細は、あとからお耳に入ることもございましょうが、それにいたしましても七兵衛は、本来善人なんでございますから、白雲先生なぞはかまいませんが、若い者にはなるべくこんなことは聞かせていただかない方がよろしいんでございます」
「何を言っているのだ、どうも、今晩のお前の挙動というものは、全く拙者にはわからない」
駒井は、いよいよ深く解し兼ねていると、鐘が鳴りました。
寺の境内のことですから、その鐘が、突き抜けるように間近く響きました。七兵衛は、あわただしく立ち上り、
「では、時刻が遅れますと、なんでございますから、これでお暇《いとま》……」
入って来たところから、完全に出て行ってしまったのですが、駒井はどうしても、夢でなければ魔である――物《もの》の怪《け》を信ずることの絶無な駒井甚三郎が、何か実物以外の影の尾を曳《ひ》いている姿を、認めようとして認め得られなかったのです。
十五
その翌朝、舟を雇うて、松島から石巻湾を横断して、月ノ浦に帰った駒井甚三郎は、何はさて置き、昨夜の怪事を田山白雲に向って物語りました。
白雲は、自分が逢わせられたと同じ型を、異った舞台面で見せられた駒井の経験に、またおぞけをふるいました。そうして同時に二人が、七兵衛なる者が、今まで見ていた通りの篤実なおやじで、世話好きのために、桁《けた》の外《はず》れた道楽にまで踏み込むことを悔いない、珍しい田舎者《いなかもの》だと見た見方を変えなければならなくなりました。
しかし、駒井にまだわかりきらないところも、白雲には、いよいよ心胆を寒からしめるほどに深く突込まれるものがあるのです。王羲之《おうぎし》の孝経を一目なりとも自分に持って来て見せると誓ったような、あの不思議な応対が、今となっては犇々《ひしひし》と思い当る――奇怪、不埒《ふらち》、人を食った白徒《しれもの》――と奥歯を噛んでみたが、それにしても、頼まれてもやれない仕事を、好意ずくでやってみせようという男。やることに事を欠きこそするが、そこに憎めない何物かがある。結局、わからない奴だ、変な奴だ、油断のならない奴だ。だが、自分たちにとっては、好意のありたけを見せられたほかには、なんらの悪意を受けてはいない。
駒井甚三郎は、七兵衛なるものを、ようやく解しきれないものに見直したのは同じだが、白雲ほどに深刻にはこたえていないのです。そこで白雲も、自分の見直したところを率直に駒井に言ってしまうことが、なんとなく忍びないような気持になりました。
しかし、解釈の相違にその辺までの程度はあるけれど、何は措《お》いても、彼を一刻も早く救い出してやらねばならぬ、という気持は全然一致している。それをするには何でもないことで、金城鉄壁の中に蔵《かく》されているというわけでもなんでもなく、隠れ家はちゃーんとわかっているし、ちょっと引出して、駒井が帰って来たように舟にでも載せさえすれば、いっぷくの間にここまで連れて来られるのだが、それを本人が希望しないで、少なくとも七日間はあれに窮命《きゅうめい》籠城《ろうじょう》していなければならぬというのは、何か事情があるのだろう。その事情を諒察してやるとすれば、彼の申し出どおり、その間の糧食を運んでやることが唯一の道だ。それとても、そんな難事ではない、そっと人知れぬ宵闇に、あの瑞巌寺の、人目の少ない境内の臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]の中へ、握飯なり、干飯《ほしいい》なり持って行って、隠して置いてやりさえすればいいのだ、それだけのことはしてやらずばなるまい。それをするには、誰彼というよりお松に越したものはない。
駒井と白雲とは、このことを相談し合いました。けれども、お松にこの内容の一切を語り聞かせることは考えものだと思いました。お松が七兵衛を信じている心持は、どこまでも尊重して置かなければならないと考えたものですから――手際よく要領をのみこませ、そうして、田山白雲が、その翌日お松を連れて、また舟で松島へ渡りました。
松島の風景を写さんがために逗留《とうりゅう》の画家が、当座の女中として、雇い入れたようにして宿をとり、白雲は駒井の紹介で、瑞巌寺の典竜老師を訪れたものです。
松島の宿に着いたお松も、わからない心持でいっぱいです。ただ当分、七兵衛おじさんのためにこっそりと食物を運んであげる役目――宵々毎に瑞巌寺の臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]へ、その使命だけを固く心にかけましたが、それにしてもどうもなんだか、牢屋へ入れられている人に差入物にでも行くような気持がして――愚図愚図していれば、七兵衛おじさんはお仕置に会って斬られでもしてしまうのではないか知ら、というような不安が、何とはなしにこみ上げて来るのです。
白雲はその翌日から、瑞巌寺へ日参して絵を描くことになったのは幸い――そうしてその夕暮、お松は絵の先生を迎えに行くふりをして、臥竜梅のうつろ[#「うつろ」に傍点]の使命の第一日を首尾よく果しました。
十六
これとほぼ時を同じうして、仙台の町奉行|丹野元之丞《たんのもとのじょう》が、何か感ずるところあって、仲間《ちゅうげん》一人を連れて不意に、古城の牢屋を見廻りに来ました。
「兵助《ひょうすけ》、兵助、兵助はいるか」
「はい、お呼びなさるのは、どなたでございます」
「丹野じゃ」
「これはこれは、お奉行様」
牢名主兵助が、立って戸前のところまで来ました。
元之丞が、
「兵助――無事か」
「はい、おかげさまで、無事すぎるほど無事でございます」
上目づかいにおとなしく返事をする囚人を、奉行は高飛車に、
「兵助、貴様も年をとったな」
「はいはい、年をとりましてございます」
「哀れなものだな、昔の元気はないな、その分では、目白籠《めじろかご》へ入れて置いてもこっちのものじゃ」
「へ、へ、へ、御冗談ものでございましょう、お奉行様」
と言って、獄中の人がはじめて冷笑しました。
「気にさわったか」
「御冗談もことによりけりでござります、お奉行様、兵助が年をとったと申しましたのは、往生を致したという次第じゃございません」
「なら、昔の元気が少しは残っているか」
「へ、へ、へ、万事若い時のようには参りませんが、お奉行様、兵助はおとなしくしているのが勝手でございますから、こうして牢畳の上で日向ぼっこをして虱《しらみ》をとっているまでのことでございます、音《ね》をあげろとおっしゃるなら、いつでも兵助相当の音をあげてごらんに入れます」
「うむ、まだ音をあげる元気があったのか」
「早い話がお奉行様――このお牢屋なんぞは、どだい骨が細くって、朝夕の立居振舞《たちいぶるまい》にも痛々しくてたまらないんでございます、まあ、お奉行様の前ですが、ちょっと、ここんとこをこうしてみてごらんあそばせ」
兵助はのこのこと立って来て、牢の一方の格子の角をゆすると、どうしたものか、その柱の一辺がガタガタと弛《ゆる》んで、見ていると、そこから人間が楽々と這《は》い出しかねない隙間をこしらえて見せました。
「ふーむ」
と、奉行は目をすましてそれを見る。
「お奉行様、年はとりましたとは言うものの、兵助もまだ四十台でございますよ、やれとおっしゃれば、こんなヤワな細工をおっぺしょって娑婆《しゃば》へ飛び出して、もう一働きも、二働きも、罪を作るのは朝飯前でございますが――何を言うにも、もう四十の坂を越しましてな」
「四十がまだ若いというのか、年をとり過ぎたと申すのか、わからん」
「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人《ぬすっと》と致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏《あんのん》に牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺《おやじ》が仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、異《い》な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ新参《しんめえ》の口から聞かねえ話でもござりません。なかなかしたたか[#「したたか」に傍点]者でございますぜ、わっしの眼の届く奥州五十四郡のうちには、まずそんなしたたか[#「したたか」に傍点]者はございませんから、つまりそれは、旅烏の、風来者の――といって、またたびで賽《さい》の目をちょろまかそうという三下奴《さんしたやっこ》の出来損いにやれる芸当じゃございません。盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅《こうら》は経ていますよ。ようがす、ようがす、一番当ってごらんに入れましょう。お願いには、この兵助を七日間の間牢からお出し下さいまし、七日目に必ずここへ帰ってまいります、帰るからには、何とか目鼻を明けてごらんに入れたいと思います、七日とお約束をいたしやしょう、お奉行様」
兵助がこう言って、ニッタリと笑いました。
それからこの兵助が、松島の観瀾亭のお庭へ姿を現わしたのは、その翌日のことであります。
事の順に戻って、この兵助なるものの身柄を、一応説明しておく必要がありましょう。
今の自らの物語にもある通り、この城下生れの者で、父は仏師です。兵助、生れて身軽で、力があって、いつ習うともなく武芸が優れてきて、それが仇となって、今日までに幾多の悪事を重ね、数百の子分を持っている――
これが今、町奉行の内命を受けて、特に刑中の身を以て、観瀾亭から瑞巌寺《ずいがんじ》方面へ派遣されました。
これが裏を返すと、すなわち、仙台の仏兵助《ほとけひょうすけ》と、青梅の裏宿七兵衛《うらじゅくしちべえ》との取組みとなるのです。
十七
お松はその翌日、新月楼という宿屋から、瑞巌寺の庫裡《くり》へ、田山白雲画伯のためのお弁当を運びました。
白雲先生へという名題《なだい》で、実は、臥竜梅《がりゅうばい》のうつろの中が目的であること申すまでもありません。
ところが、来て見ると、その臥竜梅の下が先客によって占領されていました。その老大木の前には、自分がたずねて来るずっと以前から、おそらく早朝からでありましょう、一人のずんぐりした小柄な桶屋さんが座を構えて、しきりに桶の箍《たが》をはめているところでしたから、お松は、これはいけないと思いました。
意地の悪い桶屋さん――と、お松としてはそうとれたのもやむを得ませんが、ここで桶屋さんが仕事をはじめて悪いというわけはなし、よし悪いにしても、自分にそれを咎《とが》め立てすべき権能はないのですが、どうも悪いところに桶屋さんが頑張っていると、小憎らしく感ぜざるを得ませんでした。しかも、この桶屋さんは、悠然と、朝からこの大樹の下の日当りのよいところを仕事場に選定してかかっているらしいから、そう急に動き出しそうな様子もありません。
のみならず、この悠然たる桶屋さんの、いま仕事にとりかかっているのは、天水桶のうちでも優れた大きさを持ったやつですから、これ一つの箍の懸換えをするにも優に一日はかかりそうだ。
ところが、仕事はそれだけには止まらない。桶屋さんの周囲を見ると、米磨桶《こめとぎおけ》もあれば手桶もあり、荷桶もあれば番手桶《ばんておけ》もあり、釣瓶《つるべ》の壊れたのまで、ごろごろしているところを見れば、今日一日の雇いきりに限らず、当分失業問題は起らないものと見なければなりません。
お松は困ったと思ったが、どうも仕方がない――何かの機会にこの桶屋さんが、ちょっとでもこの座を立つ機会を待って素早く使命を果してしまうよりほかはないと思いました。
そこで、暫くあちらこちらさまようて、桶屋さんの動き出す隙を待っていたが、泰然として座を構えこんでしまった桶屋さんは、容易に動き出さないのです。いいかげんの時分になると、座右からかます[#「かます」に傍点]を取り出して、カチカチと火をきって、ぷかぷかと二三ぷく煙草をのんでしまっては、さて悠々と、老木の梢の上なんぞを上目づかいでながめて、鶯《うぐいす》がどこへ来ているか、雀が何羽止ったかという数なんぞ読んでいる様子が、お松にとっては、いよいよ小憎らしいばかりです。
そこで、遠廻りをして臥竜梅のうしろの方へ廻り、そこから桶屋さんの隙をねらって、うつろへ投げ込もうかとしましたが、気のせいか、どうもこの桶屋さんが、それとなく自分の行動を注意しているように思われないでもありません。
とうとう、近づきかねたお松は、いったん瑞巌寺の外へ出てしまって、法身窟のあたりの小暗い杉の中を歩み歩み行きました。
「どうも仕方がない、あの桶屋さんに追立てを食ってしまったようだ、なにも桶屋さんがわたしの仕事に意地悪をしようとしてあそこにいるわけではないが、わたしにはそうとしか思われてならない、ただの桶屋さんにしては、なんだか気が置け過ぎるのが、つまりわたしの疑心暗鬼というものでしょう、あの桶屋さんに圧迫されて、知らず識《し》らずわたしははみ出されたようなことになってしまった――どうも仕方がない、もう少し、よそを歩いて、また来てみましょう」
お松はこんなひとり言を言って、お弁当を抱えたまま、まもなく松島の海岸の方をぶらつきはじめました。
お松がこうして臥竜梅の下から圧迫され、ハミ出されたのと反対に、庫裡《くり》からひょっこりと身を現わしたのは田山白雲でありました。
白雲は極めて気軽に出て来ましたが、手には写生帖と矢立を持って、早くもこの臥竜梅の姿に目をとめながら、近づいたり、やや遠のいたりして、ためつすがめつ、この木ぶり、枝ぶりを見ているのです。
その有様は虚心坦懐で、眼中にただ、梅の木の木ぶり枝ぶりあるのみ。ちょっと当惑するのは日ざしの具合で、まぶしい感じがする時、左右に紙と筆とを持っているものだから、小手のかざしようがないだけのものです。
ですから、お松をしてあれほど焦心せしめた桶屋の存在などは、最初から念頭になく、木ぶりのみをためつすがめつしていたが、ついには或る地点で行きつ戻りつしているところを見ると、この梅を写生せんがための足場をきめるための働きであること申すまでもありません。
そこで、田山白雲は、いいかげんの地点を選定し得たと見えて、やがて、筆を動かし、写生をはじめました。
こうなると一心不乱の形で、この臥竜梅の形神を、五彩の間《かん》に奪い去ろうとの熱心が見えないではありません。
ところが、お松を悩ませた臥竜梅の下の桶屋さんなるものは、その手許《てもと》を見ていると、存外不器用で、且つ不熱心と思われないでもありません。本来ならばお松が通りかかろうとも、白雲が出現しようとも、桶屋さんはその職業に於て一心不乱であり、またその職業としてもこのくらいの年配になれば、相当の業前《わざまえ》を見せなければならないはずなのに、お松が来れば来たでよそみをし、白雲が出れば出たでそっとその人相をうかがうような目つきがいやです。
しかし、気分に相当の差異こそあれ、二人ともにその職業とするところに一心であることは同じようなものですから、あえてこの寂《さび》のついた庭の面を荒すというようなことはありませんでしたが、不意に、二つの珍客が舞い込んで攪乱《こうらん》しました。
「あ、いたいた、田山先生がいたよ」
「茂公か――」
田山白雲が、思わず写生の筆をとどめて見入ると、まごうべくもない清澄の茂太郎と、それから、もう一つの珍客はムク犬です。
ムクは、この著作に於てこそ、かなり知名にして有要な役目をつとめつつある犬ですけれども、田山白雲とは未《いま》だ相識の間でもなく、まして入魂《じゅっこん》の間柄でもありませんでした。
白雲が船へおとずれた時は、ムクはひそかに睡眠の不足を船底のいずれかで補っていたかと見える。白雲がこちらへ来るまで誰も引合わせなかったものですから、この時、これは素敵な大物を茂公が連れこんで来たものだわい――この小僧は、山に入って猛獣毒蛇とも親しむだけの天才を持った小僧だから、もうここへ来ると、その辺のイカモノと馴染《なじみ》が出来てしまったのだな。
「先生、七兵衛おやじはいないの?」
「うむ――」
この時、白雲はあたりを見廻し、
「お前はどうして来たんだ」
「あたいは、舟で来ました」
「そうか」
「ムクも来たいというから連れて来ました」
「駒井船長のゆるしを得て来たのか」
「うむ、いいえ――」
「黙って飛び出して来たな?」
「済みません」
「おれに詫《わ》びを言っても仕方がない、お前の悪い癖だ」
「だって、ムクがついているからいいでしょう?」
「ムクというのはその犬のことか」
「ええ」
「誰がついて来ようとも、だまって舟を出て来ることはいけない」
「でも、金椎《キンツイ》さんにだけことわって来たからいいでしょう?」
「金椎に? あれはつんぼだ」
「だって――」
「まあ、仕方がない、金椎君にでも、ことわって出て来たんならいいとして――」
「ねえ、先生」
「何だ」
「大きなお寺だね」
「うむ、奥州第一等のお寺だ」
「広いお庭だね」
「うむ、広い」
「七兵衛おやじはどこにいるの」
「ナニ?」
白雲は、またしてもあたりを見廻しました。この小僧が、七兵衛、七兵衛と無遠慮に言うのが気がかりになってならない。その度毎に、あたりを見廻したが、幸いにも誰も聞き咎《とが》める者はない、ありとすればあの桶屋のおやじだけだが、桶屋のおやじがどうなるものか。
「ねえ、先生、お松さまはどこにいるの」
「お松さんか、お松さんは宿屋に待っているだろう」
「宿屋ってどこ」
「つい、そこの海岸だ」
「先生は毎日ここで絵を描いてるの?」
「そうだ」
「で、お松さんだけが、七兵衛おやじを探しているの?」
「叱《しっ》!」
と田山白雲が、今度は茂太郎を叱り睨めました。七兵衛七兵衛と言うのが、いけないのです。
叱られて茂太郎は、何でそれが咎められるのかわからない。
「このお寺ん中に隠れているんじゃないの?」
「これ――」
白雲はついにたまりかねて、
「茂公――お前はここへ来ちゃいけない、拙者の仕事の邪魔になるから、宿へ行ってお松さんをたずねろ――ずっと海岸通りをつたって行くと、五大堂というのがあって、その前に新月楼という家がある、お松さんはそこにいるはずだから、先へたずねて行ってみろ」
「え、じゃ、行ってみましょう」
「茂坊、ちょっとお待ち」
「何ですか、田山先生」
「ちょっと、こっちへおいで」
「はい」
茂太郎を呼び戻した田山白雲は、前こごみになって、その耳もとに口をつけ、
「お前、めったに七兵衛おやじと言うんではないぞ」
「じゃ、七兵衛おじさんと言えばいいの?」
「いけない、七兵衛という名をめったに口に出してはいけない」
「そうですか」
「わかったか」
「わかりました。さあ、ムク、おいで」
心得顔にムク犬を促し立てて、白雲に教えられた通りを茂太郎が歩み出そうとすると、ムク犬はこの時、臥竜梅の下へ行って、桶屋さんの仕事ぶりをすまし込んでながめているところです。
「ムク――」
呼ばれても、ちょっと動きそうにもありません。
「ムク、何を見ているの」
そこで、茂太郎も、ついのぞき込んで見ると、桶屋のおやじが、長い竹を裂いて、その尾を左右に揺動させながらハメ込む手際を面白いと見ないわけにはゆきません。
ムクを呼び立てた自分が自分に引かされて、両箇が轡《くつわ》を揃えて桶屋さんの前に突立っている。この桶屋さんの箍捌《たがさば》きのどこがそんなに気に入ったのか、茂公と、ムクとは、一心こめて手元に見入ったまま動こうとはしません。
田山白雲は、そこでまた写生帖の筆を進めて梅をうつしにかかりました。
「坊ちゃんは、どちらからおいでなさいました」
不意に、気のいい桶屋さんからたずねられて、茂太郎は、
「お船から」
「お船はどちらから?」
「房州の洲崎《すのさき》というところから」
「ほうほう、それは遠いところですね」
「遠いよ」
「そのお船は、今どこについておいでなさいやす」
「月ノ浦」
「ほいほい、月ノ浦、それもなかなかの道じゃござんせん、坊ちゃんはその月ノ浦から歩いてこれへござらしたか」
「小舟で来たよ」
「小舟で――七兵衛さんと一緒に?」
「ううん、七兵衛おやじは……」
と言って、茂太郎がハッと田山白雲の方を見返りました。
「知らないよ。さあ、ムク、行こう、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ――」
こう言いながら一散に飛び出したものですから、ムク犬も、そのあとを追いました。
十八
それから暫くたって、再びお松がこの場へ来て見た時分には、茂太郎も、ムクも、無論いないし、写生に凝《こ》っていた田山白雲の姿も見えなかったが、例のイヤな桶屋さんだけは、抜からぬ面で頑張《がんば》っていたものですから、うんざりせざるを得ませんでした。
そこでお松は、田山白雲をと思って、庫裡《くり》から客殿の方をたずねてみましたけれども、今日は早帰りをしたと覚しくて、杖も、下駄も見えません。
また庭へ戻って見ると、イヤな桶屋さんは相変らず頑張って、こんどは聞きたくもない鼻唄まじりでいるのが、いよいよ憎らしい。といって、退《ど》いて下さいとも言えず、ぜひなくお松はまた舞い戻って、ではともかく、一旦は宿へ引取ってからと思いました。
遠くもない新月楼へ来て見ると、田山先生も先刻お戻りになったにはなったが、お客様からお誘いが来てどこへかおいでになったとのこと。お松は部屋へ戻って、ひとまず休息して、また出直そうと思いました。
だが、出直すにしても、桶屋さんがあの調子では手もとの見える間は、あすこからみこしを上げそうにもない。しかし、いかに頑張ることが好きな人とはいえ、夜になればイヤでも仕事をやめて立ち上らなければなるまいから、いっそ夕方まで我慢して、黄昏時《たそがれどき》に行けば間違いはない――とこう思案して、お松は焦立《いらだ》つ心をおさえながら、田山白雲のためにも、何かと夕餉《ゆうげ》の仕度をととのえたり、部屋のうちを片づけたりして待っておりました。
しかし、白雲先生も今日はまたイヤに気が長い、お連れが出来てどこへか行かれたそうですが、そのお連れはどちらの方か、いつぞや案内をうけたという、仙台の女学者で高橋という先生ででもありはしないか。
そんなことを考えている間に、いつしか日も海に沈みました。
もうよい時分――と、お松が例の包みを抱えて外へ出た時分に、月が上っていました。月が松島湾の曲々《くまぐま》を限りなく照していました。まあ、こんないい月夜を、日本の国で一とか二とか言われる風景のところでながめながら、自分というものの身もはかないものだと――お松は岸に立ったなり、何となしに涙がこぼれてまいりました。
思えば、あの大菩薩峠の上の出来事以来、自分の身世《しんせい》も、あちらに流れ、こちらに漂うて、幾時幾所でいろいろの月をながめたが、この世に自分ほど不運なものは無いとは言わないが、自分というものもまた、あまり幸福にばかり迎えられた身とは思えない。京島原の月、大和《やまと》三輪初瀬の月、紀伊路の夜に悩んだこともあれば、甲斐の葡萄《ぶどう》をしぼる露に泣いたこともある。定まらぬ旅路の中の旅路の身、昨夜は大海の上で、今宵はこうして松島の月をながめているけれども、明日の夜はいずれの里に、いかなる月をながめるか計られない。
それはなにも自分に限ったことはない、誰にしても、本当にこれでよいと落着くことのできないのが人間の一生で、落着くところはすなわち墓――というほどの、ひとかどのさとりの下に愚痴をこぼさず、感傷に落ちないお松でしたけれども、こうして静かに海岸の月夜を歩かせられていると、泣かないわけにはゆきません。月に心を傷められると、身に思い当る人という人の運命を思いめぐらして、その人たちのためにも泣かざるを得ない気持に迫られました。
宇津木さんも苦労をしているが、机竜之助というやつ、憎いも憎い悪人だが、それでもどうかすると、何とはなしに、かわいそうに思われてならないこともある。七兵衛おじさんの親切は再生の親も同じとは思うが、それにしてもあのおじさんも、もう少し落着けないものかしら――足の速いことが仇《あだ》になって、一つ所にじっとしていられないために、よけいな苦労を求めて廻る、あの持って生れた速足さえ無ければ、ほんとに暢気《のんき》なお百姓さんで苦労なく一生を暮して行かれようものを……駒井の殿様だってそうです、あの御器量と、学問さえ無ければ、立派なお旗本として、わたしたちなんぞはお傍へも寄れないところにいらっしゃれるはずなのを……
人間は、能が無いために苦しまないで、能があるために苦しむ、人に優れたものを持つが故《ゆえ》に、かえって人並よりも苦しまなければならない。自分なんぞは何も能は無いくせに、苦しい運命に置かれることだけは人並以上な心持もするが、それは自分だけの勝手の見方で、能がないからこそ、このくらいの苦労で済む――もし何かすぐれたものがあれば、もっと苦しい思いをさせられなければならないのかも知れない。そうです、そうです、あのお君さんを見てもそうです。あんな美しい容姿に生れなければ、あんなかわいそうな一生を終らなくてもよかったでしょう、わたしも不幸だけれども、あの人も不幸でした。たしかにあの人の不幸な一生は、わたしの不幸な今までよりも増している。かわいそうな人でした、お君様は……
米友さんはどうしているんだろう。あの人は、ああいう人だから、怒っているのか、悲しんでいるのかわからないが、自分の運命が恵まれているとは、自分ながら考えていないに違いない。
そこへ行くと与八さんは――あの人だけはいつも温かい。やさしい。人を疑うことと、物を怨《うら》むことを知らない人だ。あの人に負われながら、わたしたちとは反対に西の方へ行ってしまった郁太郎さん――ああ、またあの子の身の上を考えると、たまらない。
ああ、いけない、いけない、こんな思い過しをしてはいけない。さし当っての仕事は、あの七兵衛おじさんを助けることだ。何のためにこんな窮命を好んでしておいでなさるのか、それはわからないにしても、自分としてはこの当座の使命――当座の食糧を運ぶことだけは完全に為《な》し遂げなければならない。
お松はようやく瑞巌寺の中門に着きました。庫裡へは案内あることですから、とりあえず目的の臥竜梅へは行かずして、なにげないお使のように見せて、手前から庭を見渡すと、イヤな桶屋さんももう姿が見えません。あの桶屋さんが、お松の仕事を妨害するために、昼夜ぶっつづけで頑張っているのでない限り、日が暮れると共に仕事を仕舞い、仕事を仕舞うと共にあの場所を立去ることは当然なのだが、それでも、あの梅の木の下は、大桶小桶の幾つかが置きっぱなしであるのを見れば、明日もまだまだ天気である限り、頑張り通すものと見なければならない。
一通り見すまして、お松がそっと臥竜梅のうつろの方へ急ごうとすると、門前からドヤドヤと人が入り込んで来ました。三人ばかりは巡礼の風をしているのです。巡礼にしては今頃、変だなと思って足を控えていると、その巡礼は本堂へは拝礼をしないで、さっさと縁をめぐって、なんだか宵闇の縁の下へ姿をくらましてしまったようにも見えました。
十九
お松は、その宵闇の中に吸い込まれてしまった巡礼姿の二三人でさえが、心もとない人たちだと思わせられている途端に――今度は向うの一方の庭木立を潜って、人が這《は》い寄って来るのを認めました。それがいよいよ合点《がてん》がゆかないことに思い、自分の身も塀際《へいぎわ》に沈めるようにして様子をうかがってからでないと、どうにも仕様がないように思いました。
月の夜ですから、その気になって見さえすれば、物の隠顕はよくわかるのですが、一方から這い出して、そろそろと木の間をくぐる人の影は、どう見ても尋常の人ではない。おのおのその扮装《いでたち》をした捕方《とりかた》の人数だと認めないわけにはゆきません。
お松は胸のつぶれる思いをして、自分は物蔭から月の陰影で、自分の姿は安全に保証されている立場から、一心にそれを見詰めていますと、それは自分が心がけている臥竜梅の大木の下を、その捕方は目指しているような足どりで、そこへ来ると、数人が居合腰になってかたまり、額をあつめている。
お松が息をこらしてそれを眺めているとも知らず、右の捕方と覚しい一かたまりは、そこで額をあつめて、一応の合図をしたと見ると、どうでしょう――一人、二人ずつ、昼のうちからお松の焦躁《しょうそう》の種を蒔《ま》いていた、あのイヤな桶屋さんの置き放した桶の前まで来ると、一人ずつが素早く、その大きな修繕半ばの天水桶を無雑作に押傾けると、その中へついと身を隠してしまったのです。そこで表面は何もない伏せ桶の中には、たしかに五人ばかりの人数が隠されてしまっているということが、お松の眼にはっきりと受取れてしまいました。
これは、尋常ではない――お松は手にしているお弁当を取落そうとしました。こうなるとお弁当を供給するその使命そのことよりも、この場のなりゆきを注視することが大事です。たとい夜が明けるまでも、この場は去れない。この場にこうしていて、これから先のなりゆきを監視し尽さなければならない。そう思って見れば、そこへ姿を消した巡礼姿の人も怪しい。あとのは、てっきり人を召捕るためのお手先に相違ないが――そうだとすれば、誰を召捕るため、それは言わずと最初から胸一杯に思い塞《ふさ》がっている。自分がこの当座の糧食を捧げようと思う目当ての人と、今のあの人たちが覘《ねら》っている目当ての人と、同じでなくて何であろう。
ああ、こうして七兵衛おじさんが召捕られるのだ。何の間違いで、また何の罪で――これはこうしてはいられない。こうしてはいられないといって、どうすればよいのだ、今の自分として、事の急を七兵衛おじさんに告げ知らせてやる便りは無いではないか。よしそれがあったとして、自分がこの場を飛び出せば、七兵衛おじさんが召捕られる以前に、自分が捕まって、当座の動きが取れなくなるにきまっている。声を立てて叫ぼうか、それとも、この垣を越えて逃げようか――そのいずれも進退きわまっている。ただ、為し得ることは、ここにいて事のなりゆきの一切を見つめていることだけだ。
お松は絶体絶命の立場から、また一種の勇気が湧いて来ないでもありません。委細を見て見ぬことにしていれば、咄嗟《とっさ》の急にまた何かの手段が取れないでもなかろう。ここは、ただ落着いて息を殺していることだ――夜が明けるまでも、ここを動かないことだ。
それだけで月はいよいよ照り、庭の夜の色はいとど更け行き、何も知らないものから見れば、いつもと変ることのない静かな夜が、おだやかに深くなり行くばかりであります。
かなり長い時間の後、この庭にシューッと、鼠花火の走るような音がしました。一つの物影が地面を這《は》い且つ走るもののように、庭の上に線を引いたかと思うと、それからが一大事でした。
その直ぐあとから、同じく鼠花火のように筋を引いて追いかけた幾つかのもの、それがお寺の縁の下あたりから出たと思うと、それからというものは、眼前に、月明りの夜に見えていたお松にとっても、全く何が何だかわからないのです。大きな独楽《こま》がグングン唸《うな》りを立てて夜中を飛び廻っている。立木をくぐり、庭石を飛び、燈籠をめぐり、全く眼にとまらない迅速でグングンと独楽《こま》が庭一ぱいに廻ったり隠れたりする、そのあとをまた幾つかの独楽が入り乱れて追いかけるのです。これはやっぱり大きな捕物には相違ないけれども――何者が何者を捕えようとするのだかは、さっぱりわかりません。追いかけられる方の姿が眼に止らない上に、追いかける方が「御用」ともなんとも叫ばないのです。お松は、全くいらいらして、何とも口の出しようもありません。
そのうちに、追われている大きなブン廻しの独楽が、くぐり抜けて勢い込んで、問題の臥竜梅《がりゅうばい》の下まで廻って来たような姿を認める――追いかけられた独楽の勢いでは、その臥竜梅の梢《こずえ》へ飛びつきたかったものと見えましたが、その幹のうつろに近づいたかと思うと、その下に伏せてあった天水桶がガバと動きました。
「捕《と》った!」
お松はよろよろとよろけました。
天水桶から飛び出したのは、それは、昼のうちの気のよい桶屋さんの形によく似ている。それが、今しブン廻しで臥竜梅の幹の下までくぐり抜けて来た、その追われる独楽の主に、前面から大手をひろげて飛びかかって、
「占めた!」
そこで桶屋さんが、まともにぶっつかって来た大きな独楽を抑えつけたものですから、その独楽との正面衝突です。
「捕った!」「占めた!」というのは、おそらく、勢いこんだ気合の掛声だけだったのでしょう。
正面衝突から両箇が組んずほぐれつの大格闘になったのが、お松の眼にありありと分ります。それから、その一人が気のいい桶屋さんであるだろうこともいよいよ推想されますが、ぶっつかって来た独楽の何者であるかはめまぐるしくってわからない。これが居ても立ってもいられないほどにお松の気を揉《も》ませるのです。
しかし、この両箇が臥竜梅で組んずほぐれつの大格闘を演じている間も、そう長いことではありませんでした。何となれば、追われた独楽の方は身一つであるけれども、それを追いかけたものには幾箇の捕手があり、それが、桶から出て正面衝突に組みついた桶屋さんに加勢する。
「ち、ち、ちくしょう、途方もねえ奴だ、骨を折らせやがる、貴様はどこの何者で、誰の縄張りだ――おれは仙台の仏兵助だぞ」
「…………」
組み打ちながら、仙台の仏兵助と名乗ったのは、天水桶の伏兵をつとめていた昼の桶屋さん――の声に相違ないと、お松の耳には響きましたけれど――敵に名乗りをかけられて相手の独楽がいっこういらえがありません。
しかしこの独楽が、まだ充分に抑えきられていないことは、多勢を相手に必死の抵抗が乱闘となり行くことでわかります。
お松は全く気が気でありません。
せめて、この相手の一人が、何とか言葉を出してくれればいいと思いました。
何とか一言いってくれれば、この気がいくらか休まると思いました。いいえ、そんなどころではない、追われて来て、ここで組み止められている人が、七兵衛おじさんでなければ果して誰でしょう。
違いない、違いない、七兵衛おじさんがこうして追い詰められて、いま、つかまろうとしているところだ。
ああ、どうしよう。
自分の力では――出ていいか、出て悪いか。出たところでどうなるものかと言ったって、みすみすああして、捕まってしまうものを……
「うぬ、てごわい奴!」
「あっ!」
「失敗《しま》った!」
この失敗った! という一語が、どちらの口から出たのか。それだけが、わくわくしていたお松の耳にそれてしまいました。いや、たしかにその一語を聞き止めたには相違ないけれども――それがいずれから出たのか、仏兵助と名乗りをあげた桶屋さんの口から出たのか、追いかけられて組みつかれた七兵衛おじさん――仮りにその人だとして――の口から出たのか、お松が聞き漏らしました。
お松は、それを、この場合、重大なる心抜かりであったように思われないではありません。この「失敗《しま》った!」の一語が、仏兵助という桶屋さんの口から出たならば、七兵衛おじさんの方にまだ脈があるのですが、万一この「失敗った!」が、七兵衛おじさんの口から出たものならばどうしよう。お松はその時、胸の上へガンと金槌《かなづち》をぶっつけられたような気持がして、もう、意地も、我慢も、見栄も、分別もなく、隠れ場から走り出してしまいました。
そうして、格闘の現場へ飛び込んで見なければならない気持に追われて、丸くなって飛び出したその出端《でばな》を、ふわりと抑えるものがありました。
「おや?」
それを払い除けようとしてみると、そのものが、いよいよ和《やわ》らかく、自分の面《かお》をすっぽりと包んでしまいました。
それは、誰か大きな人か、出家の身に相違ありません。その人が、お松のかけ出した出端を、その大きな法衣《ころも》の袖で、包んで抑えてしまったものだということが、直ちに分りましたけれども、その坊さんが誰であるかはわかりません。
ただ、こうして自分を抑えてくれたことに、充分の好意をもってしてくれる証拠には、その法衣ざわりが全く和らかで、最初から窒息させるつもりもなく、抑留の気分もなかったことでわかります。それは獲物《えもの》を捕えるために張った蜘蛛《くも》の巣でないことはわかっているが、さりとて、お松の力でこれを払い除けて走ることは、その法衣の袖が和らかに出でてあるほどにかえって、困難なことでありました。そこで、お松としては、あのすさまじい現場へ走り込むことを遮《さえぎ》られたのみか、その現場を見届けることをさえ抑えられてしまった形で、どうすることもできないで、全くその瞬間だけは、蜘蛛の巣にかかった小蝶と同じような運命に置かれました。
二十
これより先、田山白雲が、今日は少し早目に宿へ帰ってしまったのは、不意にやって来た清澄の茂太郎の足もとがあぶなっかしいので、それが心配になるのと、もう一つはかねて約束が一つありました。
仙台の閨秀詩人《けいしゅうしじん》、高橋玉蕉女史の招待で、今晩あたり松島の月を見ようとの誘いを受けていたものですから、その心がかりもあって帰って見ると、果して玉蕉女史から使がありました。
少し時刻は早いが、観瀾亭《かんらんてい》の下から船を出すことにしましたから、おいでを願いたい――とのことです。白雲は胸を打ってよろこびました。
「田山先生」
そこへ、茂太郎とムク犬が馳《は》せつけて来ている。
「お前ドコにいた」
「五大堂で少し遊んで来ました。田山先生、これからまた、どこへかいらっしゃるの」
「うむ、お月見に行くのだ」
「まだお月様は出ていないじゃないか」
「うむ、これから船で沖へ乗り出すと、ちょうど月の出る時分になる」
「洒落《しゃれ》てるね――あたいをつれてって頂戴」
「うむ――」
「いいでしょうね」
「わしはかまわないが、人から招《よ》ばれたのだから」
「御招待なの? だって、かまわないでしょう、あたいとムクが先生のおともだって言えば」
「そうさなあ――」
「いいでしょう。さあ、ムク、これから先生のおともをして、船で松島のお月見としゃれこむんだよ」
「まだ、独《ひと》り決めをするのは早い、先方の同意を得た上でなければならん」
「先方だって、先生のおともだと言えば、いやとは言わないでしょう」
「あんまり騒々しくしてはいかん」
「お月見の御招待だから、お酒も出るでしょう、歌をうたっていけないということはありますまい、その席上で、あたいが歌をうたい、踊りをおどって興を添えてあげます」
「生意気なことを言うな」
「だって――わざわざ芸人を呼んで興を助ける人さえあるんだから、あたいが只で歌って踊ってあげれば、お呼び申した方も喜ぶだろう」
「無茶を言うなよ――だが、あんまり騒々しくせず、邪魔にさえならなければ、お頼み申して連れて行ってやる」
「では行きましょう、その月見のお舟はどこから出るのです」
「観瀾亭の下から」
「観瀾亭というのは、お月見御殿のことなんでしょう、行きましょう」
茂太郎は、むしろ白雲の衣を引っぱるようにして、月見船まで促し立てました。相変らず生意気な小僧めとは思いながら、この小僧をつれて行くことは、必ずしも風流の邪魔にはならないで、相手が稀代の風流婦人だけに、時にとって意外の手土産になりはしないかとさえ思われました。
こうして、茂太郎とムクとにからまれながら田山白雲は観瀾亭の下まで来ると、果して風流数寄な屋形舟[#「屋形舟」は底本では「尾形舟」]が一つ、ちゃんとろかい[#「ろかい」に傍点]をととのえて、酒席を設けて待構えていました。酒席の上には、当然、東道の主《あるじ》なる閨秀詩人が、今日は薄化粧して嫣然《えんぜん》として待ちかねている。物慣れた老女が一人かしずいて席を周旋し、老船頭が一人船をあずかって迫らない形をしている。
「田山先生、ようこそ」
「いや、どうも……恐縮です」
白雲がいたく恐縮をしてしまいました。ことには、いかなれば旅絵師のやつがれ風情に、今日はこうして扶桑《ふそう》第一といわれる風景のところに、絶世の美人で、そうして一代の詩人に迎えられて、水入らずにお月見――美酒あり、佳肴《かこう》あり、毛氈《もうせん》あり、文台がある。山陽、東坡のやからすら企て及ばざる風流韻事の果報なり、と心を躍《おど》らせずにはおられません。
「時に、玉蕉先生、一つお願いがあるのですが」
「改まって、何でございます」
「ここに一人の少年と、一頭のムク犬がおります、拙者の従者なのですが、画舫《がほう》の片隅へ召しつれて差支えございますまいか」
「ええええ、差支えございませんとも」
「では、茂――ムク――」
白雲は茂太郎とムクとをこの船に引きずり込み、やがて、風流|瀟洒《しょうしゃ》たるこの月見船は、松島湾の波の上を音もなく辷《すべ》り出しました。
果して、興は船の進むと共に進みました。美酒佳肴の用意も申すまでもなく、丹青翰墨《たんせいかんぼく》の具まで備わらずということはありません。
興に乗じて、白雲は筆をとって直ちに眼前の景を描きました。
「これへ一筆――」
玉蕉女史に向って賛を求めると、女史も辞することなく達筆をふるいました。
[#ここから2字下げ]
絶奇造化思紛々(絶奇なり造化、思ひ紛々)
位置如棋島嶼分(位置は棋の如く島嶼分る)
最是風光難画処(最もこれ風光の画き難き処)
落霞紅抹万松裙(落霞紅に抹《は》く万松の裙《もすそ》)
[#ここで字下げ終わり]
それから白雲が随って画けば、玉蕉が随って賛をする――二人が詩興画趣のうちに全く陶酔して行くのはやむを得ないことですが、
[#ここから2字下げ]
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
[#ここで字下げ終わり]
清澄の茂太郎が、けたたましい声を上げて突如として舟べりをゆすりはじめたのは、風景の美に打たれての感興か、それとも、美人と画家とが、自分たちだけ詩興画趣に陶酔していて、我々に頓着しないのに、いささかの嫉妬と退屈とを感じ出したのか、とにかく、茂太郎の破調が、ちょっと船の中を驚かせました。
「茂、静かにしろよ」
田山白雲は、うつろ心で叱ってみたけれども、茂太郎は頓着なく、
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オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
[#ここで字下げ終わり]
この即興と反芻《はんすう》とを兼ねた小天才は、この単句をどこから見つけ出したか知らないが、しきりに繰返しては小船の縁をゆすぶっている。
「茂、静かに」
白雲が叱るけれども、この場合はあまり権威がなかったのです。それは玉蕉女史との応酬唱和の興があまりに濃厚であったから、その叱る言葉も、ついつい上の空になって、相手にはこたえないらしい。
それを見兼ねて、物慣れた玉蕉女史介添の老婦人がさし出て来ました。
「坊ちゃん――おもしろい話をして上げますから、こちらへいらっしゃい」
と、茂太郎をあやなしにかかる。
「面白い話」
「あい」
「おばさんがおもしろい話と思っても、人が聞いては面白くないこともありますよ」
「そりゃありますがね、今おばさんがして上げようという話は、この仙台の人でなければ知らない話ですから、よそからおいでた方が聞けば面白いにきまっていますよ」
「仙台の昔話が、そんなに面白いかえ」
「ええ、面白いですとも」
「話してみて頂戴、あたいは、面白くないと思えば決して辛抱して聞かないから」
「こちらへいらっしゃい、話して上げますから」
こうして老女は、茂太郎を自分に近いところへ呼び寄せて坐らせ、それから奥州の昔話をはじめました。
「むかしむかし、ざっ[#「ざっ」に傍点]と昔」
「むかしむかし、ざっ[#「ざっ」に傍点]と昔」
「あるところで婆《ばば》が座敷を掃いていたら、豆が一粒落ちていた。婆が拾うべとしたら、豆はコロコロと転がって行った。婆が拾うべと思って追いかけて行ったら、どこまでも転がって行くので、婆は『豆どん豆どん、どこまでござる』と言って道端《みちばた》の地蔵さんのお堂の中で見失ってしまいました」
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豆どん豆どん、どこまでござる
豆どん豆どん、どこまでござる
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茂太郎は声高く歌い出しますと、それを抑えて老女は語りつぎました。
「そこで婆は地蔵さんに、『地蔵さん地蔵さん、豆が転がって来《きい》えんか』と尋ねますと、地蔵さんが、おれ喰ってしまったとお返事をしたので、婆は帰ろうとしたら、待ってろ待ってろ、いいこと教えてやると、地蔵さんが引止めて、おれの膝さ上れ――と言いました」
「…………」
「地蔵さんから膝さ上れと言われて、婆は『とっても勿体《もったい》なくて、上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと申しました」
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とってもとっても
勿体なくて
上られえん
膝さ上れ
上られえん
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茂太郎は、老女の昔話のうちの奥州訛《おうしゅうなまり》を面白く心得て、口真似《くちまね》に節をつけて唄い出しました。それに老女はあまり取合わず、
「すると地蔵さんは、いいから上れと言いますから、婆《ばば》は恐る恐る地蔵さんの膝さ上ったら、今度は地蔵さんが、手のひらへ上れと申しました。婆は『とってもとっても勿体なくて上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと言いました」
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とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
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茂太郎がうたい出す、老女がかまわず昔話をつづける。
「そこで婆は恐る恐る、地蔵さんの手のひらへ上ると、地蔵さんが今度は、肩の上さのぼれと言いますから、婆は『とってもとっても勿体なくて上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと言いました」
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とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
[#ここで字下げ終わり]
茂太郎がまたはしゃぎ出すのを、老女が抑えて、
「そこで婆は恐る恐る、肩の上さ上ると、地蔵さんが、婆や婆や、頭の上さのぼれと言いますから、婆が『とってもとっても勿体なくて上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと言いました」
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体なくて
[#ここで字下げ終わり]
今度は老女が茂太郎の合の手を押しかぶせて次を語りました。
「そこで婆は、とうとう地蔵さんの頭の上までのぼってしまうと、今度は地蔵さんが、梁《はり》の上さのぼれと言いました、婆は、とっても、とっても……」
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
[#ここで字下げ終わり]
今度は茂太郎が、老女の話頭を奪って歌い出したのです。老女も負けない気になって、話を進行させて行きました。
「地蔵さんが、いいから上れと言われたので、婆は梁の上までのぼると、地蔵さんが、婆や婆――おれがいいこと教えてやる、いまに鬼どもが、ここさ博奕《ばくち》打ちに来《く》っから、そしたらおれが指図するから、鶏《とり》の啼《な》く真似《まね》をしろ、と言われました」
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ここさ博奕打ち
くっから
くっから
[#ここで字下げ終わり]
茂太郎が頓狂声を出すと、もう慣れきった老女は、かえってそれを合の手のようにして、
「まもなく鬼どもがドヤドヤとやって来て、地蔵さんの前で博奕をはじめた。地蔵さんが合図をしたので、婆は梁の上でコケッコーと鶏の啼く真似をした。そうすると、鬼共は、一番鶏が啼いたから急いでやれと言って、ウンと博奕をやった。地蔵さんがまた指図をしたので、婆は再びコケッコーと鶏の啼く真似をしたら鬼どもは、もう二番鶏だと言いました。地蔵さんが三べん目の指図に婆がコケッコーとやると、鬼どもは、それ三番鶏だから夜が明けたと言って、みんなあわてふためいて金をたくさん置いたまま逃げ出して行った。そしたら地蔵さんが、婆や婆、ここさ下りて来いと言われたので、婆は梁から下りて行くと、そこにある金もって来いと言いつけられた。婆が金を集めて持って行ったら、地蔵さんが、それを持って早く帰れと言われた。婆はその日から、うんと金持になりました」
「婆さんうまくやったね」
茂太郎も席の興に乗出して来ました。話そのものの興味もあったでしょうが、老女が聞き馴《な》れない奥州語を調合しての話しぶりが、妙に気に入ったらしい。老女もまた、茂太郎が存外聞き上手なのに張合いが出て――
「そこへ隣の慾タカリ婆がやって来て、あんた、何してそんなに金持になったのっしゃと尋ねた。婆はありのまま、これこれこういうわけで金持になったと教えたら、慾タカリ婆は早速家さ帰って、豆を座敷に転がして、それを地蔵さんの前まで転がして行って、地蔵さん地蔵さん、豆さ転がって来《きい》えんかと尋ねたが、地蔵さんは何とも返事をしないのに、慾タカリ婆は勝手に地蔵さんの膝の上へのぼったり、手のひらへ上ったり、肩の上へのぼったり、頭の上へのぼったりして、とうとう梁の上までのぼった。そこへきのうのように鬼どもがぞろぞろと博奕打ちにやって来た。慾タカリ婆は、コケッコーと鶏の啼く真似を、地蔵さんが指図もしないのに三遍やって鬼どもの前へ下りて行ったら、鬼どもはウンと怒って、さてはきのうおれたちをだましたのはこの婆だな、と言って慾タカリ婆をさんざんにハタいて瘤《こぶ》だらけにしてしまったとさ」
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オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
[#ここで字下げ終わり]
老女の昔話の一くさりが終ると、きっかけに茂太郎がまた頓狂な調子を上げましたが、あたかもよし、その時に月が上り出したのです。
「ああ月が――」
船のうちが、ひとしく、いま海波の上にゆらゆらのぼりかけた月を見て、鳴りをしずめてしまいました。
田山白雲が水墨を取って、大きく紙面にうつした松島月影の即興図に、玉蕉女史は心得たりとあって、さらさらと次の絶句を走らせる。
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高閣崚※[#「山+曾」、第4水準2-8-63]山月開(高閣|崚※[#「山+曾」、第4水準2-8-63]《りょうそう》として山月開く)
倒懸清影落江隈(倒《さかし》まに清影を懸けて江隈に落ち)
欲呼漁艇分幽韻(漁艇を呼ばんと欲して幽韻を分つ)
好就金波洗玉杯(好し金波に就いて玉杯を洗はん)
[#ここで字下げ終わり]
田山白雲は、それを見て、この閨秀詩人は字を合わせ韻《いん》をさぐることに、多くの苦心をせず、嚢中《のうちゅう》のものを取り出すように、無雑作《むぞうさ》にこれだけの詩を書いてしまったことに舌を捲かずにはいられません。婦人にして漢詩を作るということは、極めて珍しいことに属している。文鳳《ぶんぽう》、細香《さいこう》、采蘋《さいひん》、紅蘭《こうらん》――等、数え来《きた》ってみると古来、日本の国では五本の指を折るほども無いらしい。
だが、この当面の高橋玉蕉女史は、右の五本の指のうちのいずれに比べても、優るとも劣りはしない。更にその第一流と謂《い》えると考えざるを得ないで、そうして徐《おもむ》ろに酔眼をみはって、一応、右の絶句を黙読してから、さて、朗々として得意の吟声を試み出でようとしました。
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高閣崚※[#「山+曾」、第4水準2-8-63]トシテ山月……
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その発声の途端に、別の方から、また一つの吟声が無遠慮に飛び出して来ました。
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春江潮水、海ニ連ツテ平カナリ
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と、澄み渡った声で、白雲の出ばなを抑えたものがあったものですから、唖然《あぜん》として一時沈黙することのやむを得ない事態に至りました。その内容節調にして穏かなる二重奏でない限り、それが同時に起るとすれば一方が一方を乱すか、或いは一方が沈黙してしまうか、両者同時に相譲るかでなければ始末のつきようはずはないのであります。礼儀としてもこれは許せないことですが、相手が箸にも棒にもかからない代物《しろもの》だけに、白雲も面《かお》負けがせざるを得ません。
さすがの白雲をして、せっかくの朗吟を中止沈黙のやむなきに至らしめた無作法者の、清澄の茂坊であること申すまでもなく、白雲をして、中止沈黙のやむなきに至らしめたことをいいことにして、茂太郎がいよいよ独擅《どくせん》を発揮し、独擅といっても、元はといえば、内容節調みな白雲先生の直伝《じきでん》によるところのものに相違ないが――
[#ここから2字下げ]
海上の明月、潮《うしほ》と共に生ず
ゑんゑんとして波に随ふ千万里
何《いづ》れの処か春江月明なからん
江流ゑんてんとして芳《はう》てんをめぐる
月は花林を照して皆|霰《あられ》に似たり
空裏の流霜飛ぶことを覚えず
汀上《ていじやう》の白沙見れども見えず
江天一色繊塵なし
皓々《かうかう》たり空中孤月輪
江畔|何人《なんぴと》か初めて月を見し
江月いづれの年か初めて人を照せし
人生代々窮まりやむことなく
江月年々望み相似たり
知らず江月|何人《なんぴと》をか照す
ただ見る長江の流水を送ることを
白雲一片去つて悠々
青楓浦上愁ひに勝《た》へず
誰《た》が家ぞ今夜|扁舟《へんしう》の子は
何れの処ぞ相思ふ明月の楼
憐れむべし楼上|月《つき》徘徊《はいくわい》す
まさに離人の粧鏡台を照すべし
玉戸簾中まけども去らず
擣衣砧上《たういちんじやう》払へどもまた来《きた》る
此時《このとき》相望めども相聞えず
願はくば月華を逐《お》うて流れて君を照さん
鴻雁《こうがん》長く飛んで光わたらず
魚竜|潜《ひそ》み躍《をど》りて水|文《あや》をなす
昨夜かんたん落花を夢む
憐れむべし春半《しゆんぱん》家に還らず
江水春を流して去つて尽きんと欲す
江潭落月《かうたんらくげつ》また西に斜めなり
斜月沈々として海霧《かいむ》に蔵《かく》る
碣石瀟湘《けつせきせうしやう》限り無きの路
知らず月に乗じて幾人か帰る
落月情を揺《うご》かして江樹に満つ
[#ここで字下げ終わり]
これだけの詩を一句も余さず、清澄の茂太郎が、吟じ来り吟じ尽してしまったものですから、今度は、天地が動き出したほどに玉蕉女史が驚かされてしまいました。
まあ、この子は、何という子だろう、化け物ではないかしらとまで呆《あき》れ、
「まあ、田山先生、あの子は……」
と言ったきり、あとの句がつげませんでした。
「は、は、は、は」
と、テレきっていた田山白雲が高く笑いました。そうして釈明して言うことには、
「驚いてはいけません、あれが反芻《はんすう》の反芻たる所以《ゆえん》なんです、意味がわかって歌っているんじゃありませんよ、消化しきれない頭の中のウロ覚えが、興に乗じて飛び出して来るだけのものですが、知らない人は、ちょっと驚かされます」
「ですけれど先生、わけがわかるにしても、わからないにしても、これには驚かないわけにはゆかないじゃありませんか、勧学院の雀どころじゃありませんもの」
「は、は、は――門前の小僧のためにしてやられましたね」
「ほんとうに門前の後世|畏《おそ》るべしでございます、田山先生のお仕込みのほど、全く怖るべきものでございます」
玉蕉女史は、改めて、船べりをさまよう清澄の茂太郎を見直しました。が、茂公は、この閨秀《けいしゅう》の詩人をして舌を捲かせていることはいっこう御存じなく、例の般若《はんにゃ》の面は後生大事に小脇にかかえて、なおしきりに月に嘯《うそぶ》きながら、更に続々となんらかの感興が咽喉《のど》をついて出るのを、しばらくこらえているようでしたが、勢いこんで、
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体《もったい》なくて
上られえん
とっても
とっても
[#ここで字下げ終わり]
右のように喚《わめ》き出したかと思うと、
[#ここから2字下げ]
さんさ時雨《しぐれ》か
かやのの雨か
音もせで来て
ぬれかかる
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
[#ここで字下げ終わり]
とうとう船べりで、足拍子を踏んで、片手を振り上げながら、面白おかしくおどり出してしまいました。
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
[#ここで字下げ終わり]
その狂態を指して田山白雲が、
「あれです――初唐の古詩をああして朗々とやり出すかと思えば、とりとめもないあのでたらめをごらんなさい、さんさ時雨を取入れたかと見ると、もう、たったいま耳食《じしょく》の昔話が織り込まれているのであり、何物でも一度|彼奴《きゃつ》の耳に入ったら助かりません――あの踊りだってそうです、無雑作のうちに、どこか節律があるんでしてね。だから、見ていて、なかなか面白いです。つい我々まで、あいつの踊りに釣込まれてしまうのです。黙って見ていてごらんなさい、興が乗り出して来たようですから、何をやり出すか見物《みもの》ですよ、何かの感傷で反芻が引出されると、全く思いがけない離れ業が飛び出すのです。御当人に分っていないのですから――歌う意味が分っていないのは勿論、この次に何が飛び出すかの予測が、歌って踊る御当人にもついていないのですから……」
白雲がこう説明して、この際、玉蕉女史に、暫く鳴りをしずめて、かの童子の出鱈目《でたらめ》に制限を加えないように心づかいを慫慂《しょうよう》していると、
[#ここから2字下げ]
玉だすき
うねびの山の
かしはらの
ひじりの御代ゆ
あれましし
神のことごと
かたへより
いやつぎつぎに
つがの木の
[#ここで字下げ終わり]
「そうら、ごらんなさい――さんさ時雨《しぐれ》が万葉に変りました。この次には、カッポレや隆達が飛び出さないとも限りません」
白雲が囁《ささや》くと、果せるかな、歌い手が急に韻文から散文に直下して、それから演説口調になりました、
「皆さん、今晩の月を見て、皆さんのお心持はいかようにお感じなさいますか。昔の歌人は、月見れば、ちぢにものこそ悲しけれ、我身一つの秋にあらねど……とうたいました。御同様にわたくしもなんとなく、悲しい思いがいたします。これはおそらくどなたでも、同じ思いでございましょうと思います、日本の人も、唐《から》の人も、それから西洋の人も……西洋のゲーテという人はこう言いました、楽しい、悲しい昔の思い出が心に満ちて、わたしはこの二つの世の間に、ひとり今宵さびしくさまよいます――と。皆さん、人情には変りありません、古今東西――眼の色が違うからと言って、月の色は変りません、月を見て感ずる心は同じだろうと思いますが、皆さんはいかがです」
これは、もとより、玉蕉女史に向って呼びかけたのでもなく、白雲に向って訴えたのでもないのです。月と海とを聴衆に見立てて、その波がしらに向って無心に演説を試みはじめたのです。
かと思うと、格調急に変じて、
[#ここから2字下げ]
ゼ、クイン、オブ、ナイト
シャイン、フェイア、ウイズ、オール
ハア、バージン、スタース、アバウト
ハア――
[#ここで字下げ終わり]
口早にそれを言い切ると、また足拍子がはじまりました。
[#ここから2字下げ]
チーカロンドン、ツアン
パツカロンドン、ツアン
[#ここで字下げ終わり]
「あれです――出鱈目《でたらめ》もあの程度になると、仕入先がちょっとわかりません、漢詩などは、われわれが偶然のすさみに口頭にのぼったやつを、直ぐに乾板にうつしとって置いて、複製して出すのですが、あのペロペロはどこからどう覚えて来るのですか、あれにも相当のよりどころはあるのでしょう――全く油断も隙《すき》もならない奴です」
「驚きました、本当に驚きました」
本物の詩人と画伯を全く茫然自失せしめているとは知らず――足拍子おもしろく船べりを踊って、トモの方へ来た時分に、
「あ、ムク、あ、ムク――ムク、お前はどうしたのかえ」
ここで全くブチこわし。
反芻《はんすう》もローマンもあったものではありません。世の常の子供が、驚いてベソをかいたと同じような狼狽としょげ方とで叫び出しました。
「ムク――ムク」
今まで所在を潜めていたムクが、かくまで昂上してきた茂太郎の感興を一時に打破るがものはありました。前両足を揃えて、耳を筒の如く立て、眼をらんらんと光らせて、そうして遠くこし方の岸上を見込んで、身の毛を簑《みの》のようによだてて立ち上った瞬間を最初に認めたのは、清澄の茂太郎ひとりでしたけれども、その凄気《せいき》に襲われたのは船の人すべてでありました。
「どうしたのだ、茂――」
「ムクが……」
「いいからもっと踊らないか」
白雲が茂太郎の踊ることをむしろ奨励してみましたけれど、茂太郎の耳には入りません。
と同時に、ムクが吼《ほ》えました。遠く岸上をのぞみながら吼え立てました。その吼え声が、またしても可憐なる女詩人を渾身《こんしん》からふるえ上らせずにはおかない。
「あ、ムクが……」
この急に存在を持上げた巨犬が、ザンブとばかりに海中へ飛び込んだので、満船の人がまた慄《ふる》え上りました。
最初は、茂太郎と相抱いて飛び込んだかと思われるほどでありましたのに、よく見ると、飛び込んだのはムクだけで、茂太郎は確実に舟のうちにこそあるが、その手と心は、まっしぐらにムク犬のあとを追いかけているのです。
それを後にして、犬がまたまっしぐらに遠くの岸の方をのぞんで泳ぐこと、泳ぐこと――この状態がついに、船中の田山白雲にも解しきれなかったくらいですから、玉蕉女史にも、附添の老女にも、船夫風情にも合点《がてん》のゆきようはずはありません。
ひとり、清澄の茂太郎が、それから船一杯にうろたえ廻りました。
「先生――大変です、ムクが眼の色を変えて飛び出しました、あの犬が眼の色を変えて飛び出すからには、よほどの大変があると見なければなりません。ごらんなさい、これほどわたしがうろたえているのを顧みもせず、真一文字に海を泳ぎきって行くのをごらんなさい、岸へ向って行くから、変事はきっと岸の方にあるのです。ですけれども、岸は遠いです、ごらんなさい、町の火影《ほかげ》が星のように小さく、あんなに微かに見えるではありませんか。皆さん、わたしたちは興に乗じて少し来過ぎました、岸が遠過ぎます、いかにムクだって、翼があるわけではありませんから、この海を泳ぎきって、あの岸まで行く間には時間がかかります――ああ、わたしたちは、いい気になって、月に浮かれ、景色にみとれ、少し遠くまで来過ぎてしまいました」
茂太郎は、こう言って船べりに地団駄を踏むのです。
重ね重ね、呆《あき》れ果てている白雲も、玉蕉女史も、事の仔細は紛糾交錯《ふんきゅうこうさく》して何だかわからないが、そう言われてみると、自分たちは、たしかに岸を離れること遠きに過ぎたという感じだけは取戻しました。
二十一
ことがここに至っては、いかに逸興の詩人騒客《しじんそうかく》といえども、再び以前の興を取戻すことは不可能でしょう。
すべて、事は盛満を忌《い》むもので、今宵の風流は、最初から興が酣《たけな》わに過ぎました。こうなった以上、どのみち、舟を戻して興を新たにするよりほかはないでしょう――言わず語らず舳艫《じくろ》はしめやかにめぐらされました。
一方――どこをどうして泳ぎ着いたのか、ムク犬は完全に五大堂前の松島の陸の岸の上に身ぶるいして立ち上ると、そのまま息をもつかず、めざして走るところは、まさしく瑞巌寺《ずいがんじ》の境内《けいだい》であるらしい。
果して瑞巌寺の門内、法身窟の前の真暗闇《まっくらやみ》の中に、まっしぐらに走り入ると、その闇の中の行手から息せききって走って来る一人の人の姿と、ムクとが、バッタリと出会いました。
出合頭《であいがしら》にムクが一声吠えると、
「まあ、ムク」
バッタリ行会った先方の人影が、狂喜の叫びを立てて、この犬に抱きついて、
「ムク! 遅かったねえと言いたいけれども、考えてみると、お前の来るのが遅かったのがよかったかも知れない、お前の来ることがもう少し早かろうものなら、かえって大変なことになったかも知れない、今となっては……どうしていいか、わたしにも分らない」
と言ったのは、まごうべくもないお松の声であります。
無論、この絶望に近い呼び声に対して、なんらの表情をも返すことのできない畜生の身ではあるけれども、ある一種の意気込みを示していることだけはたしかであります。
この犬の性質と、挙動と、それから性質と挙動から起る表情を知り抜いているはずの人には、夜であろうとも、表情の機関が働こうとも働くまいとも、その気合は充分に受取れるのです。代って言ってみれば、
「お松さん、どうしたというのです、あなたにも似合わないじゃありませんか、さあ、どこへなりとわたしを御案内して下さい、あなたが行ききれないところへも、わたしなら行きます――あなたが相手になれない相手にも、わたしなら、なることができるかも知れません、さあ、わたしを、どこへなりとやって下さい」
こう言って、息をきりながらも、落着いて促し励している呼吸は、たしかなものです。
それでもお松から、行けとも、止れとも命令の出ないのをもどかしがって、
「ね、あなたは、七兵衛おじさんを尋ねて、こんなに心配苦労をしているのでしょう、わたしもそれが急に気にかかってたまらないから、それで、ここまで抜けがけをして来たのですよ、七兵衛おじさんはどうしました、あなたが暗示をさえ与えて下さるなら、わたしならきっと嗅ぎつけて上げます、さあ、早く」
こう言って、ムク犬から促し立てられていることはたしかに受取れるが、お松はそれに、指図も、命令も下す気にはなれないようです。
「ムクや、お前の志は有難いけれど、実は、わたしにも、何が何だか、ちっともわからないのですよ。どうも、この胸は心配で心配でたまらないけれども、また、七兵衛おじさんが、そう滅多に人に捕まるようなはずはないとも思われるから、安心しているところもあるのです。それですから、お前のような強い犬をやって、もしあやまってお役人を傷つけたりなんかして事壊しになってはいけないから、それで、せっかくのお前の好意に対しても、わたしはなんにも言えないの――けれども、有難うよ、お前は本当にいい犬ですね、いつもこんなにしてもとの御主人のお君さんを護っていたのですね。でも……お前ほどの神《しん》に通じた強い犬でも、それでも人間の運命というものは、どうすることもできませんでした、お君さんの身を守ったけれども、命を助けることはできませんでした。今、その親切を、わたしたちにしてくれる……どうして、わたしがここにいることがわかったのか、それをお前にたずねてみるのも野暮《やぼ》ですね、お前には、ちゃんと未然がわかる働き、神通力《じんずうりき》というものがあるって、みんなそう信じているから間違いはない、せっかくだけれど、ここは諦《あきら》めて、田山先生に御相談してからのことにしましょう。宿へ帰りましょう、もう先生も帰っていらっしゃるでしょうから……」
思慮あるお松は、ムクのせっかくの加勢を得たりとして、あの臥竜梅の場の捕物の方へ引きかえすこともしないし、また、その人数が引きあげて行ったらしい方向をムクと共に追おうともしないで、ムクを従えて、大きな不安のうちに、一種の分別と、沈着とを以て、また海岸の方へと出てしまいました。
二十二
風流韻事《ふうりゅういんじ》で、いい気持になりきった田山白雲が船を漕《こ》ぎ戻させて、宿へ帰って見ると、果して非常事がありました。
お松から一伍一什《いちぶしじゅう》を聞き取った上、改めて瑞巌寺まで行って問いただしてみると、だいそれた、この「つわ者隠し」の天井に賊が潜んでいたのを、張込んでいた仙台の手のものに捕まってしまった。
たしかに捕まったのか――ええ確かに手を後ろへ廻されて縛られてしまいました。最初はずいぶん、暴れましたけれど、仙台の方に、仏兵助《ほとけひょうすけ》という親分がいて、それがとうとう右の怪賊を生捕ってしまったに相違ございません。
それを聞くと、田山白雲もがっかりしたが、お松のしおれ方は目もあてられないほどでありました。白雲はそれを慰めかねていたが――
「よし、お松さんの実見したところによると、果して七兵衛おやじが捕まったのか、疑問を存する余地は充分ある。捕まったにしても、つかまらないにしても、その罪状というのが明瞭でないのだから、いずれ放免されるにきまっているが、世間には人違いでヒドイ目に逢う者もある、みすみす冤罪《えんざい》で陥れられるものもあるのだから――そう絶望するがものはない。ひとつ拙者が本当のところを突きとめてみて、いよいよ捕まったとなればかえってまた方法もある、駒井殿と相談して貰い下げることも容易《たやす》いと思うから、そんなに気を落しなさるなよ」
白雲はこう言ってお松をなぐさめて、その翌日、塩釜から仙台へかけて、昨夜の捕物の顛末《てんまつ》を聞きただし、さぐりを入れて歩いてみると、岩切というところで、一つの異聞をしっかりと聞きとめました。
ここの立場《たてば》で――ほんのたった今、大変が起ったというので、火の見の下の茶屋で、土地の人が目の色を変えつつ、よってたかっているあたりの形勢の狼藉《ろうぜき》なのを見て、白雲はなんとなく胸を突くものがあるものですから、尋ねてみると、いよいよ聞き馴れない奥州語を、半ばは語勢で判じてみると、白雲が来たほとんど一刻前《ひとときまえ》、ここで大活劇が行われた――というのは、松島から連れて来た重大な犯人が、ここで駕籠《かご》を破って逃げてしまったところだというのです。
それだ! 更に突っこんでその点を厳しく尋ねてみると、いよいよそれに相違ない。駕籠脇について来たのは仙台名代の親分で仏兵助という者――ここで一行が暫く休んでいるうちに、兵助親分が、「おとっさん、あの駕籠の中へ、温《あった》けえうどんを一ぺえ、くれてやってくんな」というような情けを見せたのが仇となったようです。
うどんを一杯、駕籠のところまで持って行ってやると、そのうどんを食べるには、どうしても小手をゆるめてやらなければなりません。
兵助親分にしてみれば、なあに、俺がついている――いいようにしてやれというはらがあったので、うどんを口へ運ぶだけの手のゆとりを許したものらしい。
そうすると、非常に有難がって、旨《うま》そうにそのうどんを食べてしまったが――食べてしまうと丼《どんぶり》の中に、どうして入れたか小判が二枚あったそうです。
誰が丼の中の二枚の小判を最初に認めたか、それはわからなかったが、とにかく、非常に神妙に、丁寧に、一椀のうどんにお礼を言ってしまってから、あとの願いがまことに申し兼ねたことですが、用便がいたしたいということでした。
それは兵助親分の同意を得たわけではないが、誰か近くにいた目明《めあか》しのお目こぼしで、駕籠から出して、無論、厳重な附添の下に雪隠《せっちん》へ案内をしたのが運の尽きでした。
あんまり静かな時が長く続くものですから、兵助親分が急に気になって、「長いじゃねえか」と言った時は、もう遅かったのです。あの田圃《たんぼ》の向うを走る犯人の姿が、ありありと誰の目にも見えました。
「それ!」というので追いかけたが、先方の妙に早いこと、早いこと、まるで鉄砲玉が飛ぶようで、稲田の蔭に没入した後は、どっちの方面から、どう探しても、行方きえ判断することもできなくて、この始末。つまり、完全に罪人を取逃してしまったということになるのです。
「なに、丼の中の二枚の小判ですか、それは、どなたも受取りゃしません、丼と一緒に、さきほどまでこの店先に抛《ほう》り出されてございました」
それだけ聞くと、白雲は、
「そうか」
と言って、棒のように身を立て直すと、そのまま、すっくすっくともと来た松島の方へ歩み去るのであります。
二十三
右の要領をつきとめた田山白雲は、もうこれで、七兵衛の安否そのものだけは充分だと思ったのでしょう、岩切から真直ぐに仙台へ帰ると、お松にも、その旨を言い含めたのでしょう。それから即刻、宿を引払い、自分が主になって、お松、茂太郎、ムクを引具して、小舟で月ノ浦へ帰ってしまいました。
無名丸に着いて、改めてこの報告と、善後策について会議を開いてみると、駒井甚三郎もここに、七兵衛というものが、自分が想像していた以上の曲者《くせもの》ではないかと考え、何かほかに重大なる黒い影を持つ男ではないかと、胸に迫るものがありました。
しかし、田山白雲は事柄を、もう少し単純に考えて言いました、
「どうでしょう、あの男は、何か重大な嫌疑をかけられて、尋常では解くに由なき立場にいるらしいから、いっそ駒井氏の知辺《しるべ》をもって、藩の上の方へ貰い下げ運動を試み、我々の一族で、決して怪しいものでないという証明の下に、直接《じか》に当ってみては」
白雲がそう言ったけれど、駒井は立ちどころには同意しませんでした。
「それで事が解決するならば、いつでももらい下げ運動は試むるが、どうも拙者の見るところによると、あの男は、何か相当の思慮があって、我々との関係を秘して、我々の迷惑にならぬようにと苦心しているのではないか。そうでなければ捕方が彼を探索するために、当然まずこちらへ交渉がなければならないのだが、何もない。従ってこちらへ累《るい》が及んで来ない。そこはどうしても彼の好意でもあり、苦心の存するところと思うから、それをこちらから進んで明白にしてしまったんでは、彼の好意と苦心を無にした上、おたがいの迷惑と犠牲を大きくするようにならんとも限らぬ。もう少し考えた上で、おたがいの安全を期しつつ、彼を無事にこの船中へ取納める方法を講ずるがよかろうではないか」
「なるほど、そのへんもありましょうな。窮迫しても彼が、駒井氏や無名丸を肩に着ようとしないし、直接にここへ目指して逃げて来ようとしないところに、彼の思慮は充分見えるようです。では公然のもらい下げ運動は見合わせるとして……」
その次の方法でありました。そこへお松が意見を述べたのは、
「わたし一人で出かけてはいかがでしょう、わたしならば人様も疑いますまいから、巡礼の姿にでもなって、そうしてムクを連れて行けば、きっと探し当てられると思います。わたしをやっていただきましょう」
「いや、それはいけまい、言語風俗の違う若い娘が巡礼姿にやつすとはいえ、たった一人で、その辺をうろつくなんぞということが、かえって人の眼につき易《やす》い。それにムクは、また目立ち過ぎる」
評議半ばのところへ、扉をやや手荒く外からおとなう者があります。
「誰だ」
扉を開いて、板張にかしこまっている男。
「船頭でございます」
「何か用か」
「あのムクが帰りましたそうでございますが、どうか、さきほどお願《ねげ》え申した通り、ムクをお借り申してえんでございます」
「うむ……」
と駒井が、急に返答をしないでいると、白雲が船頭に向って言いました、
「ムクを借りてどうしようというんだ」
「はい、ムクをお借り申しまして、マドロスの奴を追いかけてみてえと思って、殿様にさきほどお願え申してみたでございます。マドロスの野郎、思えば思うほど胸の悪くなる畜生だ、殿様の御恩も忘れやがって、わしどもを踏みつけにしやがって、どうしても腹が癒《い》えねえから、ひとつ、ムクが帰ったらば、ムクをお借り申して、あいつのあとを追いかけて、とっ捕まえて、思うさまひとつ懲《こら》しめてやらねえことにゃ……」
船頭は、余憤堪え難き風情《ふぜい》で、駒井へ直訴《じきそ》に来たものらしい。
ところが駒井は、いいとも悪いとも言いません。
つまり、うむ、では、直ぐに出かけてつかまえて来いとも言わないし、あんな奴は問題にするなとも言わないのは、駒井としてそこに若干の苦衷《くちゅう》が存するものらしいことを、田山白雲も最初から感じていました。あのウスノロのマドロスめ、言語道断《ごんごどうだん》の奴ではあるが、船長としての駒井甚三郎が、その言語道断の奴を一刀両断にも為《な》し難い――というのは、駒井甚三郎はその秀抜[#「秀抜」は底本では「秀技」]な頭脳を以て、最近の学術と、経験と、応用とを以て、一艘《いっそう》の船を独創したことは事実であるが、それを首尾よく運送して、初航海を無事にここまで安着せしめた成功の大半は、この放縦無頼《ほうじゅうぶらい》のウスノロのマドロスの力に負うところが無いとは言えない状態なのだ。学問は無く、品性は下劣であるにしても、その世界中を渡り歩いて、海を庭とし、船を家としていた生活から生れた体験は、駒井が、書物や、学理や、少々の実験からではどうしても得られないものを、こいつが豊富に持っていました。それは今度の初航海に充分に証明されたところであり、本人が、こっちにとってそれほど貴重な経験を、マドロスとしてあたりまえの働きとして、鼻にかけるところまでは行ってなかったらしいが、駒井にとって、天の助けとも、渡りに船とも、なんとも有難い唯一無二の羅針となったものです。この男がいなかろうものなら、船は、難破せしめるほどのことはないにしても、ここまでの無事廻航はまず覚束《おぼつか》ない。或いは途中、不意にどこかへ寄港して、腹帯を締め直す必要はたしかに存していたと見なければならぬ。同時に、不意の寄港がもたらすところの不便や、誤解や、さまざまの障碍を想像すると、マドロスにあっては尋常茶飯《じんじょうさはん》の労務が、駒井には無くてならぬ依頼――船中の誰よりも、むしろ船の次には、その男が必要と認めないではいられなかったと思われる。
自然、今後の航海、その針路としてはまだ確定はしていないが、それは当然房州から仙台まで廻航して来た以上の難航が予想される。その際に於てのあのマドロスの必要は、全くかけがえのない絶対的のものである。伊豆系統の熟練な船頭はいるけれども、それは仕事の性質と経験が違う。そう思って見ると、許し難き放蕩《ほうとう》も許し、度し難き不埒《ふらち》も見て見ぬふりをしておらねばならなかった駒井甚三郎の苦衷というものが、白雲にはよくわかってくると共に、自分というものの不在中を残念がらずにはおられない。
なあに、あのウスノロ如きは、自分がいさえすれば頭から威圧して、文句は言わせもしないのだが、船長としての責任ある地位で、かけがえのない無頼の労働者を、だましだまし使用する苦衷は、自分のようにそう一本調子にいくものでないことを、白雲といえども駒井のために推察するだけの思いやりは持っている。そこで、白雲は身を乗出して言いました、
「うむ、そのこともあったっけな。許し難い奴だ、あのマドロスめ――もう一ぺん締めてやらなければ。よしよし、その方も拙者が引受けよう、七兵衛おやじの方といっしょに、ウスノロの奴も近いうちに見つけ出して、有無《うむ》を言わさず、これへ引きずって来てみましょう。七兵衛おやじは思慮があるだけに雲をつかむようだが、ウスノロの奴は、なあに直ぐと、とっ捕まえますよ。第一、あの赤髯《あかひげ》と碧《あお》い眼で、日本娘さんと道行なんて、ドコまでそんなフザけた洒落《しゃれ》が利《き》くものか、いくら奥州の果てにしたところで、あれで晴れての道中ができたらお慰み、どこかに隠れ忍んでいるうちは無事だが、ウスノロとあの娘さんとでは、やがて頭も尻尾も丸出しにするのは眼の前だ、或いは早く追手がかかってくれるようにと待っているかも知れない。これは、船頭君の腹立まぎれではいけない、拙者が行きましょう。拙者が行って、ズルズル襟首を持って引きずって来ます。ウスノロの奴めまた泣くだろう、大きな図体をしてザマはない」
「田山先生にあっちゃかないません」
昂奮しきった船頭も、白雲画伯がウスノロを捕えて引きずって来る時の光景を想像して、多少おかしくなったらしい。
そこで白雲は、駒井を促して言いました、
「駒井氏――では、そういうことに願いましょう、拙者ならば、旅には慣れているし、手形も持っている――ここまで来た以上は南部領へも足を踏み入れてみたい希望もある。この船の休養と修理の間を、拙者は右の通り一石……三鳥の獲物《えもの》のため、また旅に出ましょう」
船の休養と修理のためにも、少なくとも約一二カ月はここに碇泊《ていはく》している必要を聞き知っている白雲は、ここでその期間を利用し、行方不明の二人の船族と、それからなお進んでは風景の見学と、つまりいわゆる一石三鳥の妙案を独断的に提出すると、駒井甚三郎も、
「では……そういうことにお願いしますかな」
白雲一人に使命を託することが、粗放のようで、実は最も安全にして確実な方法だと思案したのでしょう。お松はムク犬と共に、ぜひ白雲先生のおともにと申し出たけれど、それはかえって辛抱する方がおたがいのためだということを説得されて、それが呑込めない子でもありませんでした。
かくて白雲は、例のいでたちを以て、その翌朝、ひとりこの船を立って、一石三鳥の目的のために出かけることに評議がまとまりました。
その出立の前に当って、賢明なるお松は、こういうことを思案しました――そんなこんなの出来事のために、自分の心に大きな悩みを持たせられているけれども、それよりも、こんなことのために、船長の意気を沈ませてはならないこと、船中の人々の気を腐らせてもいけないということ、だから、自分がまず誰よりもつとめて快活にして、船長をはじめ皆の気を引立てることにつとめなければならない。それには、ひとつこの人数を会して、陽気な慰安会を開いて、一つは田山先生の門出を祝し、一つは船中の意気を盛んにしようとの案を立て、それを駒井船長と白雲画伯とに申し出で、欣然《きんぜん》同意を得ました。
この慰安会は船中の人だけに限らないで、せっかくのことに、この港に碇泊しているすべての船と、この港附近のあらゆる漁村に触れを廻して、参会観覧を許すということを提議して、お松が委員長で準備を進めました。
立役者《たてやくしゃ》には清澄の茂太郎というものもあれば、お角さん仕込みの江戸前の、ムクの縄ぬけ[#「ぬけ」に傍点]輪ぬけ[#「ぬけ」に傍点]の芸当というのも、ここへ持ち出して悪いということはない。その他、乳母《ばあや》、船頭さん、金椎《キンツイ》さんまでが、どんな隠し芸を持っていようともはかられぬ。お松さん自身は委員長としてのほかに、太夫元《たゆうもと》、狂言作者、舞台監督等のすべてを背負って立たなければならないが、事と次第によっては、舞台上の一役をさえ買って出なければならない都合になるかも知れぬ。
かくてその翌日――
果して当日の慰安会は、清澄の茂太郎の三番叟《さんばそう》を以てはじまりました。
田山白雲も覚束ない手つきで、手品を一席やりました。
登の乳母が三味線をひき、房州の船頭衆が唄いつ踊りつしました。
見物は船の甲板上にいっぱいに溢《あふ》れたけれども、他の船からも、岸の上からも見られるようにしておきましたから、広くもあらぬこの港の津々浦々は、総出の見物です。
それから、飛入りをうながすと、最初ははにかんでいたのが、一人やり二人やるうちに、勇気が出て、ところの名物の総ざらいがはじまったようなものです。
そこで、当日は臨時の大祭が行なわれたようなもので、船の人も楽しむと共に、土地の人々をも楽しませることができ、陽々たる和気がたなびいて、お松の考案は百%の効果をあげたという次第です。
二十四
かくてその翌日、田山白雲は一石三鳥の目的をもって、暫《しば》しの旅に立ちいづる。
しばしの旅のつもりではあるが、旅という気になってみると、またしても漂浪性の血が脈を立てて、一石三鳥の重任ある身でありながら、白雲悠々の旅心が動くに耐えないのです。
つまり、船に来てから人に逢ってみると里心がついて、この当座は、人間界の代物《しろもの》でしたけれども、ここでまたも放たれた気分になりました。放たれたといっても、誰も白雲を囚《とら》えんとしたものはないのですけれども、人事のことがあれこれと左右に群がると、どうしても旅心そのものは抑圧されてしまいます。しばしでも人事を離れてみると、旅心というものは、生き生きと盛り返して来るものなのです。
だから、旅心といえば体《てい》がよいけれども蛮性に帰るのです。近代人の社会性をはなれて原始の漂浪性に帰るのです。歴史は人類の野性、獣性、蛮性、無宿性、無頼性を訓練するために、まず人間に恋愛を教えました。恋愛が次に羞恥《しゅうち》を教えました。羞恥が人間に衣服を教え、衣服が人間に住居を教え、住居が人間に近隣を教え、団体性を教え、国家性を教え、社会性を教ゆるところの最初のものとなります。
原始の人類は遊牧の民でありました。彼等は食のあるところが住のあるところでしたから、漂浪がすなわちその生存のレールでありました。ですから、今日に至っても、人間をひとりで置けば、当然この原始性への逆転を見ないではおられません。ひとりで置けば人は漂浪に帰ります。そうして道徳的には一種の放蕩《ほうとう》の人とならざるを得ないのです。酒色に溺《おぼ》れるだけが放蕩ではない、人間社会の約束を無視して、旅心をほしいままにせしむるは即ちこれ一つの大なる放蕩であります。さればこそ、芭蕉翁の如きも、西行法師の如きも、古今無類の放蕩漢と言えば言われる。多くの人が、この種の放蕩漢になれないのは、前に言う如く、まず恋愛を教えられたその枷《かせ》なので――恋愛あるが故に妻があり、妻あるが故に子があり、子があるが故に隣り社会のお附合いに柔順にならなければならない弱味を、人間というものが体得してくる。そうして、人間は完全に原始人への逆転を防止されて、善良なる国民に馴致《じゅんち》されると共に、自己本来の旅心は極度の暴圧を蒙《こうむ》っている。古来、人間に加えられた重大なる抑圧と、苛辣《からつ》なる課税の筆頭は恋愛でありました。
石巻へ来て、ともかく、ここで一泊の上、一石三鳥の使命を再検討しなければならない自省心によって、白雲の漂浪性が取りとめられたようなもので、もしこのことなくば、白雲の今度の旅にも全く糸目というものがなく、このまま三日月の円くなり、明月の三日月になるまで、南部領あたりを巡っていたかも知れないのです。
石巻の港の、田代屋とある宿へ泊りを求めて、さて、第一次に為《な》すべきことは、よき道案内の地図を求めることでした。相当の絵図は、船で駒井の文庫から写し取って来たものの、内地のくわしいのになると、その土地で求めるか、或いは実地について、聴取図、見とり図のようなものを作って置いてかからねばならぬ。
「絵図はあるかな、奥州一国の全図でもよし、この附近の郡村の地図でもよろしい、何でもいいから一つ貸してくれないか」
こう言って宿へ頼むと、
「うちには、いい絵図はござりませぬ――この間、お客様が置いてござった絵図が一枚ありましたはず、あれをごらんに入れましょうか」
「何でもいいから見せてくれ」
「持ってまいりましょう」
女の子が絵図を持って来た。それで見ると、仙台領の南の部分、松島から石巻、牡鹿半島の切絵図――あまり上手でない手つきで、棒を引いたり、書入れをしたりしてある。
「結構結構、少しの間、貸してくんな」
白雲は、その絵図を篤《とく》と見入りました。そうして、自分のこしらえて来た図面と参照して、多少の書入れをする。
そのうちに、絵図面の終りの方を見ると、同じ手筆《しゅひつ》で、
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「清澄村 茂太郎所持」
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と書いてある。
「おやおや、ここにも茂太郎がいたぜ、同じく清澄村の住人……」
田山白雲は、これを、先頃の笠島の道祖神の絵馬と思い合わせないわけにはゆきません。
思い合わせて見れば見るほど、あれと同じ人間の手になるのです。
そこで、また女中を呼んで、いったい、この絵図を置いて行ったお客様てのは、どんなお客様であったか――え、え、それは、これこれ斯様《かよう》な人でござりまして、毎日毎日のように出てお歩きになりました。なんでもお江戸から船のお着きになるのを待兼ねての御様子でございました。あ、そうか、そうして年頃は、うむ、なるほど……
それこそ七兵衛おやじに紛《まぎ》れもないと、白雲が直ちに覚りました。そうしてみると、あの道祖神の絵馬も、ますますあのおやじの仕業に違いない。なお、してみると、あの絵馬は、特に自分の筋道を慮《おもんぱか》って、そうして目印に、こちらの目につき易《やす》いようにとの親切でしたことだ。今ここで、わざわざ清澄村茂太郎の署名をした絵図を忘れて行ったのも、何かこれを我々のための合図の下心ではないか。なかなか細かいところに親切のある男だな。
ああ、そう言えば、なるほど――何のこった、迂濶千万《うかつせんばん》、今までのことにまぎれて、それを忘れていたが、あの名取川べの蛇籠作《じゃかごづく》りの時に、あの男が、房州に残し置ける拙者の財産を、危急の場合にかき集めて、石巻の宿まであずけ置いたということだったが、そうだ、何といったかな、その宿の名は――そうそう、田代の冠者《かんじゃ》で覚えている、田代屋というのだ、その石巻の田代屋というのへ、房州に残し置いた拙者の財産を持って来て預けて置いたと、名取川であの男が確かに言った――この宿が、その田代屋ではないか、そうだ、田代屋だ、この帳面にある。
急にその事を思いついた白雲は、番頭を呼んで、その由を申し入れてみると、番頭の言うには、確かにお預り申してあります――土蔵へ蔵いこんでございますから、只今、取り出してごらんに入れます。そうか――それはよかった。白雲はここで思いがけなく、房州で別れたわが子にめぐり会われるような喜びを感じました。
土蔵から、その財産を取り出して来てくれる間のこと、田山白雲は、地図を按《あん》じて、追手搦手《おうてからめて》の二つの戦略を考えはじめました。
追手というのは、七兵衛方面のことで、搦手というのは、ウスノロと兵部の娘の馳落方面のことをいう。この二つを、これからどう目当てをつけていいか、ここ石巻を策源地として手段方法を案じはじめたのです。
二十五
つらつら地図を按ずると、どうもなんとなく、第六感的に、北東部が気になってならない。ここから北東部といえば、北上川の支流にあたる追波《おっぱ》、雄勝《おかち》方面と、それから自分がいま経て来た万石浦《まんごくうら》から、女川湾《おんながわわん》をいうのです。
七兵衛の逃げた方面というのは、全然雲を掴《つか》むようなものだが、絶体絶命の場合には、方角を選ぶ余裕は無いにきまっているが、しかし、彼の本心の磁石は、必ずや月ノ浦の無名丸に向っているに相違ない。一旦はやみくもにどちらへ逃げようとも、やがては、月ノ浦をめざして慕い寄ろうとする心持はよくわかるから、西南北へ向って遠く走り過ぎる心配はない。マドロス並びに兵部の娘らしいのが、万石浦を小舟で渡ったというのを見た者があるというから、これは、いずれその辺の、木の根、石の蔭に当分こらえていて、たまらなくなれば這《は》い出すのだ、この方は発見にそう骨が折れない! と、田山白雲は最初からタカをくくっているのです。
いずれにしても、円心はこちらにある、牡鹿《おじか》、桃生《ももふ》、志田、仙台の界隈《かいわい》をそう遠く離れるに及ばないということを、白雲は白雲なみに断定して、漫然とこの北上川の沿岸を漂浪しているうちには、何とか手がかりがあるだろう。奥羽第一の大河としての北上川の沿岸をぶらついているうちに、その風光を画嚢《がのう》に納めなければならない。本来はこの方が本業なのだが、ここに白雲の仕事がまた一つ加わって、つまり、一石四鳥の目的のために、当分はこの辺をぶらついて、ということに思案を定めました。
その思案が定まった時分に、番頭が蔵《くら》から七兵衛おやじからの預り物、つまり、房州洲崎の暴動の際に、手早く、かき集めて、ここまで持って来てくれた白雲の財産――といっても、写生画稿が主であって、一般経済の上には大した価値のある代物ではないが、自分の丹精の無事なのを見て、
「これ、これ――まず、これで安心」
白雲は、一応あらためてみて大安心をして、その荷物をまた一からげ、帰りまで更に保管を託して置くことにしました。
そうして、夜具をのべてもらい、枕に就くと女の子が、六枚屏風を持って来て、立て廻してくれました。六枚屏風は少し大形《おおぎょう》だと感じましたが、その手重いところが、また、旅情の一つと嬉しくも思いました。
そこで、枕について、それとなく立て廻された六枚屏風を見ると、それは月並のつく芋山水《いもさんすい》を描いたものでなく、いろいろの文字を寄せ書してある様子が異っているから、また少し枕の向きをかえて見直すと、一目でわかる旅姿の芭蕉《ばしょう》の像を描いて、その上に文章が記してある。
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「終《つひ》に道ふみたがへて、石の巻といふ湊《みなと》に出づ。こがね花咲くと詠みて奉りたる金花山、海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈《かまど》の煙たちつづけたり。思ひかけずかかる所にも来《きた》れるかなと、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明す」
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これを読んで田山白雲が、ははあ、「奥の細道」だな、「奥の細道」も、松島や平泉のところの名文は空《そら》に覚えているが、こんなところはあまり気がつかなかった。宿からんとすれど、更に宿かす人なし――か。なるほど、芭蕉翁の如き名人でもこれだな、我々が、こうして田舎《いなか》廻りをしていながらも、とにかく、宿かす人はある。一とせ文晁《ぶんちょう》は、松平楽翁公につれられて仙台へのり込んだそうだが、豪勢な羽ぶりであったそうだ。当節は絵師といえども、名声を得ればお大名だが、昔は芭蕉ほどの大家聖人でも、我々に劣った旅をしたものだ。しかしそういう貧しい旅のうちに、人間の真相というものが本当に掴めるのだ、人生の深奥《しんおう》というものに、かえって触れることができるのだ、有難いものだ。
白雲はガラになく、しんみりと、こんなことを思いやって六枚屏風をながめているが、この六枚屏風には単にこれだけのことを記してあるのではない、なお、盛んに、あとからあとからとつぎ足しらしい筆蹟が続いているのである。
次のは片仮名文字入りで、
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「潮流ト河流トノ関係デ、北上ノ河口ガ土砂デ塞ガツタ、北上ノ無尽蔵ナ水利ガ殆ンド無用ノ長物ニナツタ、石巻ノ衰ヘタ原因ハ如何《いか》ニモ明白デアル、水ニ鮭《さけ》、鮪《まぐろ》ガアル、陸ニ石、糸ガアル、長十郎梨ガアル、雄勝ノ硯石《すずりいし》モアル、渡ノ波ノ塩ハ昔カラ名高イ物デアル、アタリノ禿山《はげやま》ニ木ヲ植ヱ、荒蕪《くわうぶ》ノ地ヲ開墾スルナド興スベキ産業ハ天然ノ景色ト相俟《あひま》ツテ有志ノ志ヲ待チツツアル、牡鹿唯一ノ都ハ無意味ニ廃頽《はいたい》ニ帰スベキデハナイ、石巻恢復ノ策三ツアル」
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と、版下でも書くようにかっきりと書いて、その下に「平五郎」と銘を打ってあるのは、つまり平五郎という人の石巻観を率直に述べたものらしい。その次に「野老庵小集」とあって、
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風呂吹に酒一斗ある夜の会 木犀
風呂吹や尊き親に皿の味噌 其北
風呂吹を食へば蕎麦湯《そばゆ》をすすめ鳧《けり》 陽山
風呂吹の賛宏大になりにけり 平五郎
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ここで句会を催した逸興であるらしいが、その次に、六朝風《りくちょうふう》の筆で、
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芒鞋布韈路三千(芒鞋布韈《ばうあいふべつ》路三千)
追逐看山臨水縁(追逐《おひおひ》に山を看《み》、水縁に臨む)
唱出俳壇新韵鐸(俳壇に唱へ出す新韵《しんゐん》の鐸《たく》)
声々喚起百年眠(声々に喚起す百年の眠り)
身在閑中不識閑(身は閑中に在つて閑を識らず)
朝躋鶴巓夕雲開(朝《あした》に鶴巓《かくてん》を躋《こ》え夕《ゆふべ》に雲開く)
瓠壺之腹縦摸筆(瓠壺《ここ》の腹に縦《ほしいまま》に筆を摸《さぐ》り)
収拾五十四郡山(収拾す五十四郡の山)
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打見たところでは一律のようになっているが、二絶句である。この詩と句とによって考えると、平五郎という俳諧師《はいかいし》が、遥々《はるばる》ここへ旅に来て、同好の士がこれを迎えた。平五郎という人は近世の俳人で、そうして、これによって見ると、都から遥々旅をして来た人だ。路三千とある。山河遍歴に於ては芭蕉に勝るとも劣らない人と見える。そこで白雲も、身に引比べて何かしらこの六枚屏風の余白に一つ書いてやりたい気になって、御苦労千万にも、一旦ついた枕をあげて、帯を締め直し、行燈《あんどん》をかき立て、筆墨の行李《こうり》を開きにかかりました。
白雲は屏風の余白へ何か書いてみたい気になりましたが、さて、お手前ものの絵を描く気になれませんでした。
何か字を書きたい、といったところで、その文字も咄嗟《とっさ》に平仄《ひょうそく》を合わせて詩を作るの余裕もなく、また、あまり自信もない和歌や俳句の速成をのたくらせて、この道の泰斗名家のあとを汚すほどの向う見ずもやりたくなく、思案のはてが、いきなり、
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ゆく春や鳥|啼《な》き魚の目はなみだ
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と、ぶっつけ書きに、墨壺の水のゆるすだけを大きくなぐりつけて、そうしてその下に、魚と、鳥と、水と、木の枝とを描いて、ああこれでよしと心が落着き、ひとり感心しながら再び枕につきました。
何の理由で、田山白雲が特にこの句を認《したた》める気になったのだか、それはわかりません。ただこの場合、むやみにここへこの句を書いてみたくなったから、その衝動にかられて書いてみただけのものでありましょう。しかしながら、即興といっても、衝動といっても、人間は日頃心にないことを、自発的に発表するはずはありませんから、田山白雲は、日頃この一句が何がなしに好きで、記憶に溢《あふ》れていた結果と見なければなりません。
それでようやく、白雲の即興の昂奮もどうやら鎮静して、そうして枕につくや、ぐっすりと熟睡に落ち込んでしまいました。
二十六
その翌日、白雲は漫然と結束して宿を立ち出でると、早くも北上川の渡頭《ととう》の上の小高いところに立って、北上川の北より来《きた》って東南にのぼり流るる勢いに眼を拭いました。
「ははア、これが北上川だな――」
白雲はここで初めて、北上川というものの印象を新たにしました。
北上川そのものを見ることは今にはじまったことではないのです。現に昨晩泊った石巻の港が、その北上川の河口にあるので、今日はまたその沿岸を溯《さかのぼ》って来たのですから、北上川とは絶えず道連れになって来たのに相違ないが、ははア、これが北上川だなと印象を新たにして、例によって限りなき旅心を湧きたたせたのは、この渡頭に立った時が最初であると言わなければなりません。
立って北上川及びその彼方《かなた》、漠々と連なる陸奥《みちのく》の平野を見ているうちに、白雲は旅心濛々《りょしんもうもう》として抑え難く、やがて大きな声をあげて歌い出しました。
感|来《きた》って吟声が口をついて出でるのは、白雲も元来が多情多恨の詩人的素質を多分に持って生れたのみならず、これは清澄の茂太郎を育てつつある間に、それにかぶれたところもあると見なければなりません。その白雲の吟懐を、清澄の茂太郎がまた反芻《はんすう》して輪をかけるということになり、即興と出鱈目《でたらめ》とに於ては、師弟いずれが本家だかわからないくらいになっているのであります。
今や北上川の渡頭の辺《ほとり》に立って田山白雲が歌い出したのは(むしろ唸《うな》り出したのは)――
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「三代の栄耀《えいえう》一睡の中《うち》にして、大門《だいもん》の跡は一里こなたに有り、秀衡《ひでひら》が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先づ高館《たかだち》にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川《ころもがは》は和泉《いづみ》ヶ城《じやう》をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡《やすひら》が旧跡は衣ヶ関を隔てて、南部口をさし堅め夷《えびす》をふせぐと見えたり。偖《さて》も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢《くさむら》となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまで泪《なみだ》を落し侍《はべ》りぬ。
夏草やつはものどもが夢の跡」
[#ここで字下げ終わり]
これは、やはりこの土地の形勢によってうつされた文章でないことはわかり切っておりますが、白雲はどうしても、これをこの場で歌ってみたい気持になったのは、「まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川は和泉ヶ城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る」という気象がここでピタリと来たから、それでこの文章をここで高らかに吟じてみたくなったのでしょう。それは昨晩の屏風に、無性に「ゆく春や鳥啼き魚の目はなみだ」と書いてみたかった心持、時は、秋であるのに、往《ゆ》く春の心が抑えきれなかったのと、同じ衝動でありましょう。
そうしてまた、北上川なるものの相がいかにも汪蒙《おうもう》として、古調を帯びたところに、白雲の心胸が打たれないわけにはゆかなかったのでしょう。
こちらへ来る間にも、荒川だとか、大利根だとか、那珂《なか》、阿武隈《あぶくま》、近くは名取川に至るまで、大小いくつかの川を渡っては来ているけれども、この北上川へ来て見ると全く違った感じ――どうやら奥州の夷《えびす》――更に遠くは日高見の国をまで眼前に思い浮べ来ったものと見えます。
キタカミの文字がヒタカミの訛《なまり》であるという考証を仙台で聞いた。してみると、人文の未《いま》だ剖判《ほうはん》せざる上古、武内宿禰《たけのうちのすくね》や、日本武尊《やまとたけるのみこと》の足跡がある。キタカミとヒタカミは果して相通じているか知れないが、この川の気象を見ると、悠々として北から流れ来って西へ溯《さかのぼ》るところが、他の河川の北より出でて東海に注ぐ河相と趣を異にしている。北上の名の字面《じづら》も単純ではあるが、大きくして淋しい、または何となくこの川の川相を尽している、なんぞと字義の詮索にまで及んでみました。
白雲はそうして、のぼせきって川をながめている間に、もともとこの地点は渡頭のことで、仙台から南部へ通ずる要路でありますから、いかに北地のこととはいえ、一人、二人、三人の旅人が川岸へ集まって来るのであります。漁者《ぎょしゃ》もあれば樵者《しょうしゃ》もある、農工の人もあれば旅の巡礼もある、馬もある、駕籠《かご》もあろうというものです。それがやがての間にかなりの数にまとまって、そこで一同が誰言うとなく、ブツブツと言い出しているうちに、じれったがる声、船頭を呼ぶ声が口々を突いて出でたので、それとは少し離れて高いところになっている地点で、右の如く風景をほしいままにし、空想を食物としていた白雲の耳にまで届くようになりました。
「なるほど……舟が出ない、拙者のように風景を食物として、心目を遊ばせている身とは違い、人生の必要あって旅程を急ぐ人にとっては、待たせられるのは長いものだ、待つ身はつらいものだ、なるほど、待たせるにしても、これはどうも少し待たせ過ぎるな、いくら北のハテの暢気《のんき》な土地柄にしても、あまりに悠長な船出ではある、自分が来てからでも、これだけの時間、もうこれだけの人が集まっている、船頭が顔を出してもよかりそうなものだ」
と、舟を待つ人の不平に白雲はそろそろ共鳴したが、なるほど舟は川の下に見えるが、船頭がいない。
「オーイ、船頭どん」
「どしゃむしゃ船頭どん」
盛んに呼びたてているが、船頭が返事もしないのは、あの小屋の中にいないらしい。いないとすれば、ドコぞへすっぽかしたのか、そうでなければ向うの岸へ舟を渡して行って、向うからまた人をその舟へ乗せて渡るという段取りだろう。ははア、向うの岸にも船頭小屋があり、舟があるにはある。舟といえば、この渡しの舟の形はおかしい、舳《まえ》も艫《うしろ》もない、ひきがえるを踏みつけたようなペッタリした舟だワイ、あちらの岸の舟もそうだ。
いったい、川舟と草鞋《わらじ》は土地土地によって違う。川舟の形というものは、土地のものがその河流の水勢によって経験的に工夫した形が多いから、一定したものだと思うと大きに違う。例えば、富士川の急流には富士川の急流に向くように底までがちゃんと附木《つけぎ》ッパのように薄くしてある。利根川の舟でも、上流、中流、下流、皆それぞれ違う。今ここへ来て北上川の舟が、ひきがえるを踏みつけたようなペッタリした舟だと言って、それを笑うのは間違っている。草鞋にしてもそうだ、平地を歩くものは平地を歩くように、山路を歩くものはそのように、走って歩く商売の草鞋と、ずしりずしりと踏みしめて行く人の草鞋とは作り方が違う、形によって軽蔑してはならないのだ。
白雲は、そんなことまで思い出していたが、まだ船頭の影も形も見えない。不平がようやく沸き上ってくる。いくら東北人は鈍重であるからといって、これではたまらなくなるのも道理だと考えました。
いったい船頭は、どこに何をしているのだ。こっちの岸の舟小屋にだって一人や二人いなければならないではないか。いないとすれば向うの小屋に何をしている。
悠々たる白雲も、ついに少し癇癪玉《かんしゃくだま》が焦《じ》れてきて、向うの岸を見つめていたが、どうも遠目にはっきりと見えないのをもどかしく思いました。眼を拭ってもう一度見直そうとした途端――白雲がはっしとばかり思い当ったことがあります。われながら迂濶《うかつ》千万、実は昨日、船を立つ時に、駒井氏から借用して来た「遠眼鏡《とおめがね》」というものが、ここにあるではないか。この行李《こうり》の中に納めて来て、こんどはこれをひとつ充分に活用してやろうとの楽しみが、こんどの旅程の一つの新しい景物と期待していたのを、今まで忘れていたのだ、こういう時だ、この時だと気がつくと、白雲は急いで行李を解いて、その中から取り出したのが最新式の「遠眼鏡」であります。
二十七
この「遠眼鏡」をもって、田山白雲が対岸の渡頭の船頭小屋のあたりに照準を据えた時、不意に右の船頭小屋の後ろから雲つくばかりの大きな男が飛び出したのを認めました。
ははア、出たな、裏の方から出たな、出は出たが、今までの悠長さに引換えて、これはまた、すばしっこい飛び出し方だ、と呆《あき》れているうちに、その飛び出した大男が、河岸《かし》の舟の方へは来ないで、右手の小高い方へ一目散に何か抱えて駈け出して行く。どうも変だと見ていると、続いてまた、同じ船頭小屋のうしろからバタバタと駈け出した大小二つの人影がある。そのあわてて駈け出したところを見ると、まさしく前に駈け出した大男を追いかけて行くのだということがありありと分ります。
ところが、前に駈けて行く大男は、身体こそ頑丈《がんじょう》そうだが、駈け方は存外不器用で、何か河原の石ころか、杭《くい》かにつまずいて仰向けにひっくりかえった状《ざま》は、見られたものではありません。そうすると、それを幸いに後ろから追いかけて来た大小二つの人間が、いきなりそれを取押えて組伏せにかかりました。そこで、大男がはね起きようとする、二人が必死と抑え込もうとする、三箇が川の岸で組んずほぐれつの大格闘を始め出したのです。
遠眼鏡で委細を見ていた田山[#「田山」は底本では「田代」]白雲は全く呆れてしまいました。いいかげん長い間お客をおっぽり出して、焦《じ》らせて置きながら、ようやく姿を見せたかと思うと、こんどはまたお客の眼の前で、素敵なロケーションをおっぱじめてしまった。船頭は舟を操《あやつ》ればよろしい、船頭がロケーションをして見せることはふざけ過ぎている。また、こちらに待焦《まちこが》れている客人は、ロケーションの余興を船頭に向って要求はしていない、船頭は早く船を出すようにしてくれればいいのだ。白雲のように最新の機械はもってはいないけれども、待ちくたびれたすべての客は、この船頭小屋から飛び出して来た三人の人影によって行なわれつつある対岸の大格闘を、ありありと肉眼で見て、またわき立ちました。
「何してやがるんだ、人をさんざん待たせて置きながら、自分たちは勝手な芝居をしていやがら、フザけた船頭だ、なぐっちまえ」
江戸ッ児なら、こんなに言うでしょう。そうかと言って、ここからでは弥次も飛ばせず、退屈まぎれに事のなりゆきを遠目に眺め渡して、むだな力瘤《ちからこぶ》を入れるばかりです。
そのうちにむっくりはね起きたくだんの大男、もう立ち直ったと見ると、大変な馬力で両方からとりかかる大小二つの、たぶんこれは船頭親子であろうと見られるところの二つを、むしろ返り討の体《てい》で突き飛ばし、はね飛ばし、その暴れっぷりの不器用ながら猛烈なることは当るべくもありません。あとから追いかけた船頭親子は、あべこべに突きまくられ、はね飛ばされ、蹴倒されつつ、ついには大声をあげて救いを求むる体です。
それを見ると、田山白雲、急に気がついたことがあると見えて、心急いだ人が電話口でお辞儀をするように、遠眼鏡を一層深くのぞき込んで、
「ア! ウスノロ! うすのろ[#「うすのろ」に傍点]だ、あいつだ……」
と、下にいる待合客のすべてがびっくりしたほどに一つの叫びを立ててしまいました。
事実、白雲が絶叫したのも無理がありません。そう思って見ると、ことに遠眼鏡という視力の飛道具を使用して見れば、いよいよそれはそれに相違ないことで、眼の玉の碧《あお》いことはわからないが、髪の毛の唐もろこしの房のように赤いことが、はっきりとわかってくる。
このウスノロの力の強いことは、さすがの白雲も一時はタジタジとさせられた体験がある。なかなかかいなでの老人子供の手に合うものではない。ああして立て直して返り討の形になり、二人に悲鳴を挙げさせているのも無理のないところだが、それはそうとしてあいつをここで見ようとは思わなかった。もとよりあいつを探しに出た目的の旅ではあるが、こんなところで、あんなことをしているあいつを、こうして発見しようとは思わなかった。
何のためにあいつ、こんなことをしているのだ――それはわかっている! というのは、あのウスノロがこういうことをやり出すのは今に始まったことではない、あいつは本来がウスノロであって、ジゴマでもなければ、ギャングでもないのである。強盗殺人をしようの、詐欺横領をしようのというほどのたくらみはあいつには無いのだ。あいつが人を犯し、人から咎《とが》められることのかぎりは食《しょく》と色《しき》との外に出ないのだ。食といったところで、あれのは、いよいよ飢えに迫って堪えられなくなったところに至って、初めてノコノコと人里へ出て来て、その当座の飢えを凌《しの》ぐだけのものをかっぱらって来る以上の仕事はできないのだ。それから色、すなわち性慾のことだって、あいつのは、なにも特に巧言令色に構えこんで、色魔だとか、誘惑だとかいう手段で行くのではない、眼の前へ異性の女の肉のかおりがうごめいて来る時に、ついついたまらなくなってかぶりつくまでのものだ。
今の事情が、またそれを証明させる。あいつ無闇に親船を駈落《かけおち》して来は来たものの、本来あの兵部の娘にしてからが、そんなに思慮の計算のあるやから[#「やから」に傍点]ではない、人の金を持ち出して、二十日余りに四十両の五十両のと使い果してから、この世の名残《なご》りとしゃれるようなしゃばっけも持ち合わせてはいない。ただ盲目的に着のみ着のままで飛び出して来たのだから、行当りばったり、行詰るにきまっている。行詰った時、最初の要求は、彼等にとっては死でなくして食である。少なくとも、ウスノロの奴め、雪時の熊のように、どこかへ食物をあさりに出るに相違ない。食物を人里へあさりに出たが最後、眼の色、毛の色の変った珍客――昔二ツ眼のある人物が、見世物の材料を生捕るために一ツ眼の人の島へ押渡ったところ、反対に二ツ眼のある人間が来たから取っつかまえて見世物にしてやれ、と言ってつかまってしまったというのと同じ運命に落つるにきまっている。白雲が最初、七兵衛おやじの影を捕えるのはかなり難儀であろうが、ウスノロの方は存外|手間暇《てまひま》がかかるまいと安く見ていたのが的中しました。彼は今、飢えに迫ってあの船頭小屋の中へ何か食物を漁《あさ》りに来たのだ。そして船頭親子に見つかってあの醜体だ。白雲は自分の想像の図星を行っているウスノロめの行動が、むしろおかしくなって吹き出したいくらいに感じたが、しかし、彼処《かしこ》で争っている三人の御当人たちの身になってみれば必死の格闘である。ことに気の毒なのは、この一種異様な侵入者を、ここまで追跡して来て、せっかく取抑えたかと思えば、かえって逆襲されて、一歩あやまると、自分たちの生命問題になる立場に変って、狼狽《ろうばい》しつつ、後退しつつ、必死に争っている体を見ると、白雲は気の毒でたまりません。
白雲以外の舟を待つ人々は、事の内情も、目色、毛色も一切わからないから、どちらへどう同情していいかわからないけれども、どちらにしても、あの格闘の幕が終るまでは、われわれは舟に乗れないのだと、半ばヤケ気味に諦《あきら》めつつ、なお八分の興味をもって右のロケーションを眺めておりました。
そのうちに、突きまくられ、追いまくられた船頭親子は、無残にも足を踏みすべらして、重なり合うように北上川の川の淵の中へ落ち込んでしまいました。
「アッ」
と、こちらの岸で見ていた一同が声をあげて、この無残な船頭親子のドン詰りに同情の叫びを挙げましたけれども、この不幸が、実はかえって力の弱い船頭親子には幸いでありました。というのは、力限り陸上で格闘を続けていた日には際限がない、際限がありとすれば、暴力に於て格段の差ある親子は、あの巨大な暴漢のために、徹底的に、致命的に叩き伏せられて、再び立つことができないようにまでさせられてしまうにきまっている。それが川という別管区域へ落ち込んでしまったために、相手はちょっと追窮の機会を失ったのだから、この二人の親子が水練を心得ている限り――船頭のことだから、むろんそのたしなみはあるに相違ない――また、何か水中に人を刺すような木石の類が存在していない限り、致命的の怪我からはまず遁《のが》れられるものと見なければならない。
果して、追究された船頭親子が水中に落ち込んだのを機会に、むしろそれは落ち込んだというよりは、こちらが叩き込んだと見るのが至当な攻勢であったけれども、そこまで来ると、もうこれ以上働くことよりも、逃げることの急なのが自分の立場であるということにでも気のついた如く、倉皇《そうこう》と取って返し、最初倒れた際に、そこにおっぽり出した包みもの、それは、その中のものは白雲の遠眼鏡を以てすれば、当然なにか船頭小屋の中に有合わせた、当座の食料品であらねばならぬところのものを取り上げるや、それを拾って、不器用な駈けっぷりで、こけつまろびつ川下の方へにげて行くのであります。
「やれやれ、これでどうやら一巻の終りになったが、かわいそうに、たたき込まれてお陀仏《だぶつ》になったらしい船頭親子――」
と言って、待ちくたびらかされたこちらの旅人たちも、改めて同情の眼を以て見る瞬間に、早くも船頭親子は、落ち込んだところから十間ばかり上流へポカリと浮き出して、二人とも河原に立って、着物を絞りながら馬鹿な面《つら》をして、逃げて行く大男の後姿を見送っている。
やれやれ、これでまあ、こっちも助かった、船頭親子も怪我がない限り、おっつけ舟も廻って来るだろう、と旅人どもは、市《いち》が栄えたような心持で、げんなりしたが、白雲ひとりだけの興味は、決してそれで尽きたのではありません。更に一層の興味をこめて遠眼鏡の筒を、逃げて行くウスノロ氏の後ろへ向けました。
こけつまろびつ走りつづけたウスノロが、ほどなく蘆荻《ろてき》の生いしげったようなところへ来ると、その蔭からパッと飛び出して、いきなり抱きつくようにウスノロ氏を迎えたものがあります。
「あれだ!」
白雲は、その者が兵部の娘もゆる嬢であることを直ちに認めました。
「ははあ、あいつら、こんなところに巣をくっていたのか、本来、ふやけた奴等ではあるが、それにしても水びたりになって隠れているのにも及ぶまいに、どこまでも変っている、どうするか見遁すことではないぞ」
と、見ているうちに、二つの影は相《あい》擁《よう》して、その蘆荻の中へ没入してしまいました。
「ちぇッ、やっぱりあの水の中の蘆荻の蔭で二人がうじゃじゃけている、しようももようもない奴等だ」
白雲は、二人の没入した蘆荻の中を、苦笑いしながらなお眼鏡を外《はず》さないで見ていると、やがてその間から、すうっと一隻《いっせき》の小舟が漕ぎ出されたのを見て、
「ははア、よしきりじゃあるまいし、水の中にうじゃじゃけていたというわけでもない、奴等、舟をあの蔭につないで隠れていたのだな。そうして兵部の娘だけが舟に残っていて、ウスノロが食料品徴発と出かけたものなんだ。そうして、多少の食料にありついたから、これから河岸《かし》を変えようというのだ。あれを下流へ行けば飯野川の宿になり、それから、ずんずん下れば追波湾《おっぱわん》へ出るのだ、今では石巻方面よりも、あちらの流れが北上川の本流と言いたいくらいだ。さあ、しかし、こう認めた以上は、あいつらをこうして遠方からいい気でさげすんでばかりいてはならない、あれを追いかけなければならない、追っかけて手捕りにしなければならぬ使命と責任とを負う身だ――もう一ぺん、あの野郎を相手にロケーションを繰返さなければならない、今度は船頭共とは相手が違う、追いついた以上はこっちのものだが――追い過して海へでも追い出してしまってはならぬ」
というようなことが気懸りになると、白雲も実際、対岸の火事の如く、対岸の駈落者を興味半分だけで見ているわけにはゆかないことに胸をうちました。
二十八
田山白雲が船を出て行った夕べ、駒井甚三郎は、ひとり静かに船室に落着くと、「人が出て行った」という感傷に堪えられない。
白雲が出て行ったのは戻るために出て行ったのである。七兵衛が帰って来ないのは帰りたくてたまらないのが帰れない事情に妨げられているということを、駒井はよく知っている。それだのに、人が去って行くという淋しい気持を、如何《いかん》ともすることができません。
マドロスと兵部の娘に至っては論外であるけれども、それですら、離れて出て行ってしまった人間には相違ない。彼等の放縦と、我儘《わがまま》と、不謹慎とで背《そむ》いて去ったのだから、こちらに責任が無いと言えば言うものの、自分の周囲に人を引きつける徳がなく、人を容れるの量がないのかということを想像してみると、駒井といえども、いとど心淋しさを催さずにはおられないのでしょう。
古来英雄というものには、みな人を引きつける一つの力を備えている。憎まれながらも、恐れられながらも、人がそれについて行く。人がそれから離れられないという力があるものだ。然《しか》るに自分は――英雄であるとはうぬぼれていないが、自分に附く人よりも、自分から離れる人の方が多く、自分のよしと信ずる理想が、人から喜ばれるよりも、人から斥《しりぞ》けられるものばかりが多いように思われてならない。第一、自分の妻が、もう最初から自分を離れている。お君が離れた。従ってあの米友という礼儀はわきまえないが、心実の確かな小男も、自分を離れたというよりは、むしろ怨《うら》んで去った。神尾主膳の陥穽《かんせい》にかかって、自分は半生を葬られてしまったようだが、実はやっぱり自分は、その地位を保つだけの徳がなく、職を辷《すべ》るだけの欠陥があったせいだと見られないこともない――駒井はこんなことを考えながら、やがてひとり船室を立ち出で、甲板の上を静かに歩み出でました。
外へ出て見ると、月ノ浦の夜に月はありませんでしたけれども、至って静かなものです。遠く松島湾の方のいさり火を眺めて、駒井甚三郎は満面に触るる夜気を快しとしました。
船の修繕と、未完成の部分の工事、この地で大工に心あるものを雇いは雇ったが、どうも思うようにこちらの壺を呑込んでくれなくて困る。人手に不足はなく、みんなよく働くけれども、本来、こういう船の工事を扱う手心が出来ていないのだから仕方がない。明日はまたひとつ鍛冶屋を探し求めなければならない。機関部の工事を補足をするために、この辺から鍛冶屋を求め出して来なければならない。それはあるだろう、本当の鍛冶屋は探せば出てくるに相違ないが、それを生《なま》では使えない、一応|陶冶《とうや》教育を加えてから、傍についていて指導して使わなければならない。その手数がどうも容易のものではないが、それは致し方ない、と駒井が、そのことを思い及ぼすと、どうもあの不所存者のことが気になる。
「あのマドロスの奴がいれば、こういう時には全く役に立つ」
やっぱり未練のような思いが残るらしい。
その時に、船室の一方から唄が流れ出して来ました。
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ネン、ネン、ネン
ネン、ネン、ネンヨ
ネンネのお守はどこへいた
南条おさだへ魚《とと》買いに
チーカロンドン
パツカロンドン
ツアン
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「茂だな、茂太郎歌い出したな、珍妙な子守唄を」
と甚三郎が思い出していると、キャッキャッと言ってよろこぶ男の子の声が続いてしました。これは申すまでもなく登。
そうするとまた、茂太郎の声で、
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ちょうち、ちょうち、ばア
ちょうち、ちょうち、ばア
うつむてんてん、ばア
かいぐり、かいぐり、ばア
ととのめ、ととのめ、ばア
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その度毎にキャッキャッとよろこび笑う登、登を笑わせていよいよはしゃぐ茂太郎。こんどはどうしたのか、登がワーッと泣き出す。
「そら、茂ちゃん、だからいけません、あんまりしつっこいから、とうとうお泣かせ申してしまいました」
と叱るのはばあやの声。
「いいよ、いいよ、お泣かせ申したって、また、あたいが笑わせてあげるから、いいじゃないか。さあ、登さん、ごらん、あたいが踊ってあげるから、ばア」
それは茂太郎の声。登も御機嫌がなおったと見えて泣きやんでいると、茂太郎の声色《こわいろ》めかした気取った声で、
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うんとことっちゃん
やっとこな
そうれつらつらおもんみれば……
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そこで、登といわず、ばあやといわず、一同がやんやと喝采《かっさい》したその声を聞くと、船頭もいれば、大工も交っているらしい。やんやとうけさせた御当人を想像すると、これはどうやら団十郎をやっているものらしい。目口をかわかし、台詞《せりふ》をめりはらせて、大気取りに気取ったところが目に見えるようです。駒井もそれを聞くと、ほほえまれずにはおられず、なんとなく陽気な気分になるのです。
そこで駒井も、自分もひとつその船室へ入り込んで見ようという気にまでなったが、かえって一同を驚かせて、せっかくの興を殺《そ》いではいけない――と、その前を音立てず素通りをしてしまいました。
二十九
それから駒井甚三郎は、歩廊の間を歩いて、コック部屋のところへ来ると、ここで金椎《キンツイ》君を見舞ってやりたい気になりました。それは今の団欒《だんらん》の中に、金椎とお松だけが加わっていないらしいから、駒井はここへ来て、扉をコツコツと叩いたが、叩いても叩きばえのする金椎でないことに気がつくと、そのまま扉をあけ放しました。
普通ならば、どちらからか言葉をかけなければならないのですが、ここではそうする必要もなく、開けて見ると室の真中に蝋燭《ろうそく》が一本かすかに光っているその前で、ひとりひれ伏している金椎を見ました。
駒井が入って来たのに驚きもしないのは、それは、全然気がつかないであちら向きにつっぷしているからであります。といっても、そこで熟睡に落ちているわけでも、居眠りをしているわけでもありませんでした。金椎は卓子《テーブル》を前にして、何かしら厳《おごそ》かな唸《うな》りを立てている。しかし、その唸りは病苦に悩んでの唸りではない。
その光景を見ると、駒井は何か知らん厳粛沈痛なるものの気分に打たれて、突立ってしまいました。駒井は、金椎がこうして密室の中に、ひとり深い唸りを立てている光景を見たのは、今宵にはじまったことではないのです。駒井がどうかして不意に金椎の室内を訪れた時、こういった光景を見て、最初は病気に苦しんでいるのだと思いましたが、後にはそうでないことを知りました。
つまり、この聾少年《ろうしょうねん》はこうして「おいのり」をしているのです。駒井には信じきれない、目に見きれない神様というものに対して、この少年はこうして「おいのり」を捧げているのだ、ということを知ると共に、駒井はそれを軽んぜられない心になりました。これを妨げてはいけないという心になって、ある時はそのまま立去り、ある時は、その「おいのり」の済むまで自分も儼然としてそのところに立ち尽すのを例としました。
今もまたその通りです――しかし、駒井甚三郎がこうしてその少年の祈りを見ているが、今宵の少年の祈りは、いよいよ厳粛に、深刻に進み行くかのように、腸《はらわた》へしみるような深い唸《うな》りが連続的に続いて行く。単にその唸りだけが、駒井の心を、なんとも言えない厳かな、沈痛なものに導き入れるのです。駒井はついにその重圧に堪えられないで、この少年の祈りの終るのを待たずに、またそっとこの室を出てしまいました。
祈りの聾少年は、船長の入って来たことも知らず、立去ったことも知らなかったでしょう。そしてこの分では、何か夜もすがらの祈りが続くかもしれない。
そこを忍びやかに立ち出でた駒井甚三郎は、次に、事務長室のところまで来て、また歩みを止めてコトコトと扉を打ちますと、こんどは明瞭な返事がありました。
「どなた?」
「駒井です」
「おお船長さま」
中にいたのはお松です。お松は事務長室の卓子《テーブル》の上で、今まで一心に本を読んでいたことがよくわかります。
「何ですか、この本は」
「この間、殿様からかしていただいた御本でございます」
「おお、伊蘇保《いそほ》物語、どうです、面白いですか」
「まことに結構な御本でございます、今までこんなおもしろい、為めになる御本を読んだことがございません。あんまり結構でございますから、つい、登様の御機嫌を伺いに行くのも忘れて、今まで夢中に拝見いたしたところでございます」
「そうでしょう、それはたしかに面白くてためになる本、わしも感心して読みました」
「もとは西洋の御本だそうでございますから、わたしはまた金椎さんの大事にしておいでなさる、西洋のお寺のお経の御本かと思いましたら、そうではございませんでした」
「中身はお伽噺《とぎばなし》のようなものだが、このお伽噺は大人君子《たいじんくんし》も深く味わわなければならないお伽噺だ」
「ほんとうに左様でございます、噛《か》みしめればしめるほど、幾つになっても、どんな偉いお方でも、お手本になるお伽噺だと存じます、全くこんな為めになる御本はほかにはございません」
「それに元は西洋の本でも、翻訳がなかなか名文だから、いっそう読み心地がよい。どこまで読みました」
「はい、ここまで拝見しましたが」
と言ってお松は、雁皮紙刷《がんぴしず》りの一種異様な古版本のある頁を開いて、駒井の方へ示しました。
「ははア――」
と駒井が、それに眼を落したところに、次の如き文字が見える。
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「狼と子を持った女のこと」
[#ここで字下げ終わり]
「それから殿様、この少し前のところに、私としても、少し不審なことがございます」
と言って、お松は、十枚ばかり後ろへ紙数を繰り返したところの書物の上を指すと、そこには、
[#ここから1字下げ]
「父と子どものこと」
[#ここで字下げ終わり]
駒井が示されたまま黙読すると、次のように書いてある。
[#ここから1字下げ]
「ある父、子を大勢もったが、その子供の仲が不和で、ややもすれば喧嘩口論をして犇《ひし》めくによって、その父、なにとぞしてこれらが仲を一味させたいといろいろ工《たく》めども、為《しょ》うずるようもなかったが、あるとき児ども一処《いっしょ》に集まりいたとき、父|下人《げにん》を召《よ》うで、『樹の楚《いばら》をあまた束《たば》ねて持ってこい』というて、その束《つかね》を執って、数多《あまた》を一つにして縄をもって思うさま堅う巻きたてて子どもに渡いて『これを折れ』という、児共われもわれもと力を尽して折ってみれども、すこしも叶わなんだ、そのとき父堅く巻きたてしをほどき、一把《いちわ》ずつ面々に渡いたれば、造作もなく折った、それをみて父のいうは、『めんめんもそのごとく、一人《いちにん》ずつの力は弱くとも、たがいにじゅっこんし、志を合わするにおいては、なにとした敵にも左右《そう》無うとり拉《ひし》がるることあるまじいぞ……』と言い終った。
下心《したごころ》
互いの一味をもって人間の仲も強く、また不和なときは国家も滅びやすいという義じゃ」
[#ここで字下げ終わり]
駒井甚三郎がこの条《くだり》を読み了《おわ》ると、お松が、
「このお話はどうも、わたくしが子供の時に聞いた毛利元就《もうりもとなり》公のお話と、あんまりよく似過ぎておりますから、ことによると元就公のお話を、こんなふうに書き改めたのではないかとも思われるのでございますが」
駒井がそれを聞いて、頷《うなず》いて、
「なるほど、そう思われるのも決して無理はないが、事実はそうではないのだ。いったい、この伊蘇保の物語というのは、今から二千年も前に出来た本なのだから、毛利元就の時代より遥かに遠い。だから疑えば毛利元就のあの三人の子供に弓の矢を折らせたという物語は、かえってこの物語から出たつくり話ではないかと疑うのが当然なのである。しかし、もう少し同情した考えようによると、日本でこの本がはじめて翻訳されたのは文禄三年ということだが、それ以前に日本へ来た宣教師や外人によって、なんらかたとえ話となって日本人の口に膾炙《かいしゃ》していたかも知れない、それを元就が聞き知っていて、自分の最期《さいご》の遺言に利用したものと見られないこともあるまい」
「そういう順序でございましょうか。なんにしても大へん結構なお話で、偉い父親ならば、きっと利用しそうなお話でございます」
それから、駒井は、そう解釈するのが親切であって、たとえ話などというものは、本にまとまって出るずっと以前に、必ず口頭で伝えられてなければならないはずのもの、現にこの伊蘇保《いそほ》物語などにしてからが、二千年前、ギリシャという国で、イソホという人が著したということになっているけれども、事実はそれよりも千年も前に、同様の話が行われていたということ、イソホはそれらを上手に集め成したのだろう――日本でも、文禄時代に肥前の天草《あまくさ》で翻訳される以前、いずれの国人にも最も耳あたりのよいこの物語が、言い伝えられ、語り伝えられていないというはずはなく、まして、海外交通の最も便宜の多かった山陽道方面の要地を占めていた毛利元就の知識となることは不自然ではない。元就が最期の時に、あれを利用したのは、元就その人の教養と遠慮とを知るに最も適格な話として受け容れられるということなどを説明して聞かせてくれた。そのあと、お松が、
「殿様、こんなに結構な御本ですけれども、ただ一カ所、ほんとうになさけないと思うことがございます」
「それは何です」
「イソホさまが、養子に御教訓なさる言葉のうちに、『妻に心を許すな、平生、意見を加えい、すべて女は弱いによって、悪には入り易《やす》く、善には至り難いぞ』とあるのと、それから、『大事を妻に洩《もら》すな、おんなは知恵浅く、無遠慮なるによって、他に洩して仇となるぞ』とありますが、仏様のお教えにも女は成仏《じょうぶつ》ができない、孔子様も女子と小人など仰せられまして、女をたのみ難いものになさるのは、東洋の国々ばっかりかと思いましたら、この御本のように、西洋でもやはり女は浅ましいものとなっておりますのが、真実のこととは申しながら、なさけない思いがいたします」
「うむ、全部がそうというわけでもなかろうが――」
と言って、駒井は肯定するような、しないような返事をしました。あさましい女もあれば、たとえばお松さんのような、立派な強い素質を持った女性もある――とでも言えば言いたかったのでしょうが、そうも言わないでいると、お松が、
「それから殿様、わたくしは申し上げに出ようと思っていたところでございますが、ただいま船の修理に来ておいでなさる人たちの中に、珍しい人が一人おりますのでございます」
「それは、どういう人ですか」
「この近辺の人ですが、日本でははじめて、この世界中を一巡りして来た人の仲間のうちの一人だそうでございます、世界の国々を経巡《へめぐ》って来たことに於ては、あのマドロスさんなんぞより、遥かに世間が広いらしうございます」
「ははア、それは耳寄りな話だ」
と言って、駒井甚三郎はわれながらはずむほどに身を乗出したというのは、今もいままで思いなやんでいた当座の問題――かけがえのない船の苦労人《くろうと》、思案の果てが、いつもあの不埒《ふらち》千万なマドロスの上に落ちて来るのが苦々しい限り。ところがこのマドロスに上越すところの海の苦労人《くろうと》が、現在自分の身近くにいる! という報告を、別人ならぬお松が聞かせてくれたのだから、駒井が夢かと驚喜の色を浮ばせるのも無理はありません。
「そういう人がいるなら、早速会ってみたい、どこにいます」
「お船の船頭部屋に泊り込んで、毎日、修繕仕事を手伝わせていただいております」
「今晩もいますか」
「はい、宵のうちは乳母《ばあや》さんのお部屋へ、皆さんとよくお話しに出かけます」
「では、直ぐにここへ呼んでもらえまいか」
「今晩お会い下さいますか」
「早い方がよい、今すぐにここへ呼んで来て下さい、ここでひとつ、会いましょう」
「では行ってまいります」
お松があたふたと出て行ったその後で、駒井甚三郎は、なんだか胸が躍るように思いました。が、また思い返してみると、それはあんまりお誂向《あつらえむ》き過ぎる、そういう思いがけない人間が、この際、ひょっこりとここへ現われるなどは夢のようなものだ。もとより本当のマドロス修業をした人間ではない、海へ出た魚師かなにかが災難で漂流して、世界中を吹き廻されて来たというものだろうが、なんにしても遠洋航海の実地経験さえ持ち合わせている人ならば充分だ、早くその人を見てみたい、そうしたならば明日からでもマドロスの補欠として雇い、大工から引抜いて、天晴《あっぱ》れ一方の仕事を任せてみたい。
こう気構えしていると、やがてお松が手を曳《ひ》いて、当人をここへ連れて来ました。
三十
待ち焦《こが》るるほどの目の前へ、当人を連れて来られて見ると、再び駒井甚三郎が、一時は拍子抜けのするほど呆気《あっけ》に取られてしまい、
「ははア、君はいったい幾つなのですか」
と、とりあえず年を尋ねることが先になってしまったことほど、この当人は年寄中のヨボヨボでありました。遠洋航海ということから、マドロスの海風に吹き鍛えられた皮膚の色、図抜けて張り切った若い体格、そればっかり頭にあった駒井は、目の前にこのヨボヨボ老人を見せつけられて、やっとそれだけの文句しか出なかったものです。
しかし尋ねられた老人は、駒井にそんな思惑外れがあろうとは思われないから、抜からぬ顔で、
「はいはい、今年八十六でございます」
「八十六!」
で、駒井が全く苦笑いを抑えることができませんでしたが、でも、サラリと打解けて、
「そうですか、よくその年で達者に働けますね。そうして、君が世界中を廻って来たというのは、それは幾つくらいの時のことでしたか」
「え」
と言って、もじもじしたのは耳が少し遠いものらしい。八十六では耳の少し遠いくらいは無理はない、と思っていると、お松が代って、大きな声をして、
「おじいさん、あなたが異国を巡ってお歩きになったのは、幾つの時でしたかと殿様がお尋ねになります」
「はあ、わしが流されたのですか、それは寛政五年十一月のことでございましてな」
「寛政五年」
といって、駒井は胸算用《むなざんよう》をしてみますと、寛政五年といえば、今を去ること六十四年の昔になる、その当時は、このお爺さんも二十二歳といった若盛りだが、それにしても古い話だ――
と、また呆《あき》れましたが、しかし、古いにしても、新しいにしても、経験の教えるところは腐らないものがある。よしよし今晩はひとつ、この老人に就いて聞き得るだけを聞いてみよう。耳は少し遠いようだが、金《かな》ツンボというわけではないから、お松がそばにいてあしらってくれればけっこう話の用には立つ。そこで駒井は、
「お松さん、金椎君は今、例によってお祈りでもしているらしい、それを妨げてはいけないから、あなたひとつ、茶菓の用意をして下さい、今晩ひとつ、このお爺さんから海の話を聞かせてもらいましょう、ゆっくりと」
お松は心得て、
「承知いたしました」
といって出て行ったが、暫くして茶菓の用意をととのえて持って来ました。
そこで駒井甚三郎は、老人を相手に、その昔経験した漂流談を、お松と二人がかりで聴き取りにかかります。何しても耳が遠いし、年は寄っているし、記憶ももう散逸している部分も多いし、言葉も大分ちがいますから、もどかしいことはこの上なしですけれども、それでも相当の収穫が与えられないということはありません。少なくともこの老人が、日本人としては最初に世界を一周して来たところの漂流者の中の一人であるということは疑いがありません。
時は寛政五年十一月、石巻の船頭で、平兵衛、巳之助、清蔵、初三郎、善六郎、市五郎、寒風沢《さぶさわ》の左太夫、銀三郎、民之助、左平、津太夫、小竹浜の茂七郎、吉次郎、石浜の辰蔵、源谷室浜の儀兵衛、太十ら十六人、江戸へ向けての材木と、穀物千百石を積んで石巻を船出したが、途中大風に逢って翌六年二月まで海と島との間を漂流した。ようやく漂いついたところが露西亜《ロシア》領のオンデレケオストロという島。
その島の島人のなさけでとどまること一年ばかり、穀物は無く、魚類のみを食べていた。
七年四月三日にまた船に乗って島々を過ぎ、陸地を渡り、エリカウツカというところに着いて、総勢一家を借りてすみ、住民の情けにめぐまれ、或いは日雇となって働いて賃銀を得ること八年、その後モスコーを経て、ロシアの港ビゼリポルガというところで皇帝に謁見《えっけん》を賜わった時分には、一行のうち六人のものはもう死んでいた。
ここで皇帝から帰るものは帰るべし、とどまろうとするものはとどまるも差支えなしとの仰せによって、四人は帰り、六人はとどまることになった、その帰国四人のうちの一人が、すなわちここにいる老人である。
かくて文化元年正月、かの地を発船し、マルゲシ、サンベイッケ等を経て、七月の初めカムシカツカに着き、翌月発船して九月長崎に帰る――
という物語。それを繰返し、引集めて要領をとってみると、まずロシアの地に漂着し、そこで大部分を暮し、それからシベリアを経てウラル山脈を越え、モスコーを経てペテレスブルグに至って、ロシア皇帝に謁見し、公使レサノットに従ってカナシタの港を出て、大西洋を経、アメリカのエカテンナというところへ行き、それから、サンドーイッチ島を過ぎてカムチャツカに入り、長崎に帰るという順路、寛政五年から十三年目で故国へ帰ったという筋道だけは分る。
右の話のうちにも、地名だの、方角だの、ずいぶん混線したり、聞き馴れないところが多いが、それでも地理の素養の深い駒井には、よく要領を受取ることができました。
なおくわしくは、明日自分の船長室へ連れて来て、地図についてくわしく問い質《ただ》すことにして、それから余談に移ると、老人は一年ばかりの間、米も粟もなく、魚ばかり食べていたことがあるの、はじめて麦のパンを与えられた時の嬉しさだの、皇帝にお目にかかる時は、わざわざ繻子《しゅす》の日本服を拵《こしら》えて与えられたことだの、日本へ帰ろうというもの四人には羅紗《らしゃ》を一巻、懐中時計を一つずつと、それから金銭を与えられたし、向うに泊っている者六人には、衣服、寝道具を支給され、食事には毎日三度三度、パンと、豚と、魚と、酒を与えられたこと、そんなことの思い出を興味多く語り出でましたが、夜も大分ふけましたから、お松にまたその老人を送り返させて、そうして自分は船長室へ戻って、蝋燭《ろうそく》をともして、光にうつる壁の大地図を引合わせて、今の老人の話した要領の筋道を、ずっと指で線を引いてみました。
三十一
根岸の屋敷で、神尾主膳が日脚の高くなった時分に起きあがり、
「ああ、昨夜もあの女は帰らなかったな」
とつぶやきました。
あの女というのはお絹のことです。お絹は昨夜もこの家へ帰らなかったのです。昨夜もという以上は、帰らないのは昨夜に限ったことではない、このごろは、度々そういうことがあると認められる。事実も、その通りで、つづいて神尾が楊子を使いながら勝手元で横文字のはいった赤い缶入《かんいれ》を横目に見て、吐き出すように、
「あいつ、また異人館か」
それもその通り、このごろのお絹は、異人館へ入りびたりの体《てい》である。
神尾としては、今となってはもう、かくべつ気にもしないらしい。いちいち気にしていた日には際限がないとあきらめているようでもあるし、異人館なるが故に寝泊りを黙許しているだけの、情実でもあるかのようにも見られる。
洗面も食事も済むと、神尾は書斎へ立てこもりました。
いつもは、ここで、閑居しての唯一の善事としての書道を試むるのですが、今日は、筆を選ぶことはあと廻しにして、まず、机に両肱《りょうひじ》をついて、腮《あご》を両掌《りょうて》で受けて、じっと庭前をながめこんだのであります。
庭の八ツ手の下を小鳥が歩いているのを、暫くぼんやりと見つめていたが、今度は、腮を受けていた両掌を外《はず》して、眼と額をおさえてうつむきました。
「さあ、今日からひとつ、著作にとりかかってやろう」
暫くあって、むっくと頭を上げて、硯《すずり》を引寄せ、紙を重ねて文鎮《ぶんちん》を置き、それから硯箱の中から細筆を選んで手に取り上げたのが、いつもとは少し変っています。
いつもならば、こんな細筆を選ぶということはない。細筆をとる時は、何か実用あっての例外の場合のみであって、朝は木軸の大筆に、まずたっぷりと水を含ませることを楽しんでいたのですが、今日は、いきなり細筆を選んで、「ひとつ著作にとりかかる」とかけ声をしたところを見ると、筆の使用も、目途も、従来とは違い、翰墨《かんぼく》を楽しむというのではない、実用向きに使用して、この男がかりにも著作をする気になった動機というものがまた不審ではあるが、すでに今日から着手しようとおくびにも言い出したところを以て見れば、かねがねその下心はあったに相違ない。
神尾主膳は著作をすべからざるものだときめてしまう理由はない。この男が著作をする、それはやっぱり似つかわしからぬところの一つのものではあるが――現に旗本や御家人で、絵師や戯作《げさく》を本業同様にしている者もいくらもある。大名高家でも、立派な随筆を世に残している人もあるのだから、神尾にしても、かりそめにも著作でもしてみようという気になったことは、すでに閑居善事の第二段であるかも知れない。
下へ罫《けい》を入れた紙をあてがい、その上へ半紙を置いて、神尾は、さらさらと文字を綴りはじめました。暫くして、
「女|賢《さか》シウシテ牛売リ損ネル……」
と、二三度、口のうちでつぶやきながら、筆の進行をすすめて思案の体《てい》――
「女賢シウシテ牛売リ損ネル……」
彼は、今、再三それを繰返して、
「はて、この故事来歴の出典は、どこであったかしら」
思案の種はそれでした。
「女賢シウシテ牛売リ損ネル」という俚諺《りげん》は、日頃、耳目に熟していながら、さて、これを紙に書いて、その解釈を附する段になって、神尾がハタと当惑したのであります。
この語の表現する意味は、女というものは、賢いようでも抜かりがある、いや、女の賢いのは、賢いほど仕損じがあるものだ、だから女の賢いのは危ない、女を賢がらせてはいけない――という戒《いまし》めになっているのだが、さて、これが出所はどこか、支那から来たのか、和製か、その故事来歴を知りたい、普通、会話として、常識としてでは、そんな詮議立てをしないでも通るが、著作として世に示すには、そんなことではならない。そこで、神尾が首をひねったのは、それを知るべく、いかなる参考書によったらいいかということの思案でした。
「曲亭の燕石雑志《えんせきざっし》なんぞにありゃしないか、あれは物識《ものし》りだから」
と言ってみたが、あいにく、ここにはその燕石雑志もない、三才|図会《ずえ》もない、どうも、この牛売リ損ネタ実例の出典に思い悩んでみても当りがつかないのであります。ついに神尾は一応断念して、
「明日あたり、市中の本屋をあさってみよう」
そこで筆をさし置いて、また庭の面をぼんやりとながめていました。
その時に、微風が吹いて来て、机の上を煽《あお》ると、さして強い風ではなかったけれど、半紙の薄葉《うすよう》を動かすだけの力はあって、二三枚、辷《すべ》るように、ひらひらと畳の上へ舞い下りました。
神尾が、あわててそれを抑えにかかった手先から洩《も》れたところには、「半生記」との題名が読まれる。
ははあ、著作といったのは、身の上を書いているのだな、しおらしくも、神尾主膳が自分の「半生記」の懺悔録でも書き残して置きたいという了見になったと見える。
それに相違ない、神尾の著作といったのは、かねてよりの宿望で、自分の父祖から、わが身の今日までの自叙伝を一つ書いて置きたいという、その希望が今日になって実現しかけたというわけなのです。そうして、書き進んで、神尾は自分の母のことを書く段取りになりました。母のことを思い出して書いて行くうちに、右の「女|賢《さか》シウシテ牛売リ損ネル」につき当って、その解釈に当惑したという次第なのでありました。
そこで神尾は、筆に現わすべき進行をやめて、その代りを頭の中に再現させ、自分の母というものの面影《おもかげ》を脳裏に描いてみました。
神尾主膳の母――
それが当人の頭の中での主題となっているのであります。外で見ては、ちっともわからないけれど、神尾の頭の中では、幼少の時代の自分と母との世界が、まざまざと展開している。母を想像する裏には、どうしても父というものが浮んで来なければならぬ。
自分の父というものは、ぐうたらで、のんだくれで、のぼせ者で、人から煽《おだ》てられれば、財産に糸目をつけなかった。どうにもこうにも手のつけられないどうらく者であったということは、自分も人伝《ひとづて》によく聞かせられて、事実そうだと信じている。その父に輪をかけて悪辣《あくらつ》になったのが、この自分だということをも、自分ながら相当承認している。人の噂《うわさ》から言っても、自分の印象から言っても、わが父なる者は、やくざ旗本の標本であったに相違ないとして、母は、それとは全く異った賢婦人であったということは、世間の通評であり、自分もあえてそれを否定しようとはしないが、よくよく考え直してみると、その信念がぐらつく。わが母は果して、父と全く打って変った良妻賢婦であったろうか、父が箸《はし》にも棒にもかからない欠陥のすべてを、母が埋合わせて、持ち合せていたように信じてよいものだろうか。
少なくとも、母がそれほどの賢婦人であったなら、この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか。
わが母の賢婦説は再吟味の必要がある。父のぐうたらは検討の余地なしとしても、わが母というものの世間相場は、改定される必要はないか。
神尾は、今それをつくづく思い返している。
世間の人はその当時、言った、神尾の家は奥方で持っているのだ、主人は論外だが、奥方がしっかりしているから、それで持っているのだ――これが世間の定評になっていたのに、当人の母は、また唯一のあととり息子たるまだ頑是《がんぜ》ないこの拙者の耳に、タコの出るほど言い聞かせていたのは、
「神尾の家は、お前が起すのですよ、お父さんは駄目だから、お前が立派な人になって、見返してやるようにしなければなりません」
これが母の口癖であった。
だから、自分も、父というものは駄目なものだ、父というものは厄介者だ、自分たちの名誉を害し、生活を動揺させる以外の存在物ではあり得ないものだ、父に代って、世間を見返してやるというのが、自分の将来の仕事でなければならない、という意味での教育をされて来たのだ。それでも、少年時代は父を軽蔑するまでには至らなかったが、父の存在というものを無視すべきことは教えられていた。
そうしてまた、父の生活ぶりそのものが、ちょうど母の教えるように、自分にはみなされて来ると、そのだらしのないところが目につき、青年時代の初期から、何かにつけて父を軽蔑しだして来たのだ。そうすると、父が時としては烈火の如く憤《いきどお》って、自分を叱責したり、罵倒《ばとう》したりする、それが腕力沙汰にまでなった時、軽蔑が変じて反抗となってしまった。そういう時に、また母が必ず、こちらに加勢してくれた。
父の評判はますます悪くなる、それに反比例して母の人気はよくなる、神尾家は主人はぐうたらだが、奥方がしっかりしているので持っている――その極《きわめ》はいよいよ本格的となって、今日までも動かせないでいるのだが、果して、それが無条件でそのまま受取れるか。
母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に些細《ささい》な欠陥でもあれば、他の性格的にどんな美点善処があろうとも、たいてい葬られてしまう。品行上では箸にも棒にもかからなかったわが父が、性格的には全く欠陥ばかりであったろうか。何かしら、認められないところに良処はなかったか。父は世間からは悪評判で葬られていたが、友人間ではむしろ敬愛される性格と趣味とを持っていたようだ。母はそれに引きかえて、第一、性格に潤いというものがなかったようだ――それから……
母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの遺憾《いかん》な点を見出す。それと共に、父の性格に、何か埋もれているところはないか、何かなつかしいものが隠れていたように思われてならない。
女が第一線に立つことは、よかれ悪《あ》しかれ不自然である。不自然が最善であり得るはずがない。古人が「女子ト小人ハ養ヒ難シ」と言ったのは、牝鶏《ひんけい》の晨《あした》することを固く戒めたのも、今となって、神尾主膳にはひしと思い当る、現にあのお絹だ――
見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみ[#「たくらみ」に傍点]をいっぱしの見得《みえ》のつもりでいる。
主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面|角突合《つのつきあ》いをしたという噂も聞かないが、内心いかように、嫉刃《ねたば》を磨《と》いでいたかを考えると、いまに帰ったら、ひとつあの女をとっつかまえて、あの女が、わが実の母を、どう解釈しているか、それに探りを入れてみようと思い定めました。
その時分に、庭先へ、また例の御定連《ごじょうれん》の子供たちが、どやどやと入りこんだ物音を聞きました。
三十二
男の子と、女の子と、入り乱れてキャッキャッと遊ぶ子供の肉声を聞くと、神尾主膳の血が物狂わしくなりました。
浅ましいことの限りに、主膳は、子供の声を聞いてその童心に触れることができません。いかに性悪な人も、おさな児の姿に天国の面影を見ない者はないはずですが、悲しい哉《かな》、神尾主膳にとっては子供の肉声が、自分の血の狂いを齎《もた》らすのは、特にあのこと以来のことであります。
あのことというのは、先頃までよく遊びに来ていた、大柄な、少し低能な、そのくせ色情だけは成人なみに発達している、よしんベエのこと。吉原遊びをするから、お前おいらんになって、廻しをお取りといえば、直ぐにその真似《まね》をする女の子、隠れんぼをして主膳の書斎へずかずかと入って来て、主膳の膝を隠れ場所に選んだバカな女の子――このごろ姿が見えないから、仲間の子らにたずねてみると、「ああ、殿様、よしんベエはお女郎に売られたんだよ」に、二の句がつげないでいると、立てつづけに、「よしんベエはねえ、吉原へお女郎に売られたんだから、殿様、買いに行っておやりよ」とやられて息がとまりそうになるところを、畳みかけて、「あたいも、いまに稼《かせ》いでお金を貯めて、お女郎買いに行くの、よしんベエを買いに行ってやらあ」
友達が売られたのを、お小遣《こづかい》をもらっておでんを食いに行くと同様に心得ている返答に、神尾主膳が胸の真中をどうづかれて、ひっくり返されてしまった。そのこと以来、特に主膳は子供の肉声に怖ろしき圧迫を感ずるようになったのです。で、この肉声を聞くと、三ツある目の真中のが、にちゃにちゃと汗ばんできて、心も、色も、物狂わしくなってきて、立ち上ったかと思うと、お絹の部屋へ走り込みました。
そうして、あちらこちらと部屋中をかき廻して、その最後が戸棚を引きあけると、その中をがらがらひっかき廻し、そうして見つけ出したのが、多分、西洋酒の一リットル入りばかりの小壜《こびん》であります。それを見ると、主膳は栓《せん》をこじあけて、グッと飲みました。
これは何という種類の酒だか主膳は知らないが、黄色い液体がまだ六分目ほど入っている。その四分目ほどは、先日、お絹から振舞われた覚えがある。その残りの部分をお絹から壜を取り上げられて、「もう、いけません、お預けですよ、このお酒は強いから、毎日、このくらいずつ、わたしがくぎって飲ませて上げます」と蔵《しま》いこまれたのを覚えている。それを主膳は覚えているから、これだと思って、栓をとって、グッと飲み出したのですが、その時に、さすがの主膳も、一時《いっとき》、
「カッ!」
と口と咽喉《のど》を鳴らして、飲んだ分を一時に吐《は》き出し、壜をおっぽり出そうとしたほどに、酒の強烈な力におそれました。強い酒とは知っていたが、これほど強いものだとは思わなかった。
しかし、いくら強くても酒は酒に相違ない。毒物でないということは、主膳の経験に於ても、強いながら口当りにもわかるものですから、二口目はやや注意して、そろりそろりと飲みました。
そうして、この何というかわからない強烈な酒の残り六分ほどを主膳が、そろりそろりと忽《たちま》ち飲みつくしてしまうと、眼がクラクラとしました。クラクラとしたけれども、毒に当ったのではない、やっぱり酔心地に相違ない。瞑眩《めいげん》のうちに陶酔を感じながら空壜をおっぽり出すと共に、またそこいらをガラガラひっかき廻しているうちに、ふと、折込みの舶来のガラス鏡を発見し、
「ははあ、こいつ、お絹のやつが異人からせしめたのだな」
と言って、くりひろげる途端、思わず自分の面《かお》がうつると、明々瞭々たる三ツ眼!
累《かさね》ではないが、それ以来の主膳は鏡を見ることを嫌う。お絹がお化粧をしているところへ通りかかって、つい自分の顔が鏡面に触れた瞬間などは、あわててそれを避ける。日本の鏡はうつすにしても、もっと親切だが、このガラス鏡は強烈だ、いぶしも雅致もなく、醜態そのままをすっかりうつしてしまう。主膳はかっとなって、そのガラス鏡を畳の上に叩きつけたが、叩きつけられて裏返しになった鏡の一面に、また鮮かな絵がある。それは酔いと物狂わしさにボケた主膳の眼にも、ハッキリと受取れるところの絵模様。
肌のすてきに美しい裸女が一人、一糸もかけずに嬌態《きょうたい》を長椅子にもたせて、一種異様な笑みを浮べている。
神尾が三つの眼で、一ぺん叩きつけた鏡の裏絵を見つめました。
「毛唐《けとう》の奴は、裸女を平気で描いて表へ出しやがる、描かせる奴も描かせる奴だが、描く奴も描く奴だ、こん畜生!」
と言いながら主膳は、畳の上の鏡の裏絵の裸体美人へ、自分の鼻先をこすりつけるほどに持って来て、香いをかぐかのようにながめ入りました。
「ちぇッ」
実際、腹の立つほどうまく描けていやがる、肉がそのまま浮いて出ている、肌の光沢が生き写しになっていやがる、それに、この生《なま》たらしい笑い顔はどうだ、生のものをそのまま取って来て描きやがったのだ、描く奴も描く奴だが、描かせる奴も描かせる奴だ、そうしてこの鏡の裏絵なんぞにして、大びらで世間へ向けて売り出す、不埒《ふらち》千万だ。
日本の女なんぞは、どんなに恥知らずだって、自分の姿を、裸にして描かせて売らせる奴はない。また、どんな堕落した絵かきだって、女の丸裸物を描いて市中へ売ろうなんぞということはしない。また、たとい売女遊女にしても、色は売るけれども、裸になった姿を描かせるような奴はまだ一人もいない――毛唐はそれを平気でやる。
毛唐は獣なのだ。だから、女を可愛がるにしても、イキな身なりや、すっきりした姿を可愛がるんじゃない。女を買うにしても、裸にしなけりゃ満足ができないのだ。遊ぶにしたところで、蘭燈《らんとう》の影暗く浅酌低吟などという味なんぞは、毛唐にわかってたまるものか。あいつらは、女を玩《もてあそ》ぶに、女を裸にして玩ばなければ満足のできないやからなのだ――ちぇッ、いいざまをして、この女《あま》め、笑ってやがる、小憎らしい笑い方だなあ――
主膳はこう言って、三眼|爛々《らんらん》として、西洋婦人の豊満な肉体美をながめているうちに、その女のかおかたちがだんだんお絹に似てくる。お絹でありようはずはない、第一、頭が金髪で、色の白さは似ているとしても、その肉づきがお絹でないことはわかりきっているが、嬌然《にっこり》笑っているいやらしい笑い方が、だんだんとお絹の面になってくると、肉体そのものまでが異人ではない、明暮《あけくれ》自分のそばにいるあの模範的の淫婦娼婦だ。
そう思ってくると、その笑い方が、からかい気味になったり、思わせぶりになったり、いやがらせ気味になったりして、主膳をなぶって来る。
「ちぇッ」
主膳の三ツ眼はクルクルとして、その絵の傍へもう一つの幻影をこしらえて、それを燃ゆるような眼で睨《にら》み出しました。もう一つの幻影というのは、そこへ、赤髯《あかひげ》の大きな脂《あぶら》ぎったでぶでぶの洋服男が一つ現われて、いきなり、裸体婦人の後ろから羽掻《はがい》じめにして、その髯だらけの面を美人の頬へ押しつけて、あろうことか、その口を吸いにかかったのです。幻像がそうなった時、こんがらかった主膳の三ツ眼が全くくらくらとして、手が早くも躍動すると、無茶に畳に落ちた折鏡の全体を拾い取り、力を極めて、発止! と投げつけたのが日頃お絹が身だしなみをするところの丸鏡の正面であります。
在来の鏡台にかかった日本の鉄製の磨かれた丸鏡と、舶来の四角なガラス鏡とが発止とかみ合って火花を散しました。しかし、どちらがどれだけ損害の程度が大きかったかということなんぞに頓着もない主膳は、それから自分の部屋へ走り戻ると、急いで衣服を改め、わななくような手つきで足袋をはき、紙入を懐中へ押しこみ、それから大小をさし込み、頭巾《ずきん》をかぶりこみ、いよいよ本物の物狂わしい気色《けしき》になって、この屋敷の裏門から、ふらふらと外へ出かけて行ってしまいました。
その後ろ姿を見ると、ふらふらとして、まさしく物につかれたような姿で、どうかすると、机竜之助がこんな姿で人を斬りに出かけることがある。
その後ろ姿を、庭に遊んでいた子供たちがきわどいところで認め、
「あれ、殿様が、どっかいらっしゃるよ、わたしたちにはだまってさ」
「ああ、三ツ目錐《めぎり》の殿様が、ないしょでどこへかいらっしゃるよ」
「こっそりとね――おかしいわね」
「きっと吉原へ行くんだよ」
「そうだわ」
「そうに違いないよ」
「頭巾をかぶってさ」
「吉原よ」
「吉原たんぼは水たんぼ」
「吉原へ何しに行くの?」
「きまってるじゃないか、お女郎買いにさ」
「あ、そうだ、よしんベエを買いに行くんだろう」
「そうなんだね」
「そうよ」
「そうにきまってるよ」
「憎らしい殿様、ビビ――」
と女の子の一人が、眼をむいて、主膳の後ろ姿に向って唇を突き出すと、
「ビビ――」
寄っていた子供たちが、すべて、出て行った神尾の後ろ姿に向って、眼口を突き出しました。
こうして、屋敷の裏門を出た神尾主膳は、子供たちの想像するように、必ずしも吉原へ行くものとは受取れない。
根岸の里をふらつき出した神尾主膳は、どこをどう踏んでいるのだか、自分でもよくわかってはいないらしい。ふらふらふらと、人通りのないところ、或いは人通りの劇《はげ》しいところを、無性に歩いて来たが、あるところで、
「駕籠屋、築地の異人館まで急いでくれ、異人館、知っているだろう、赤髯の巣だ、毛唐が肉を食っているところだ、行け行け、異人館へ乗りこめ――酒料《さかて》はいくらでも取らせてやる」
やがて威勢のいい駕籠の揺れっぷりで、神尾主膳の身はかつがれて宙を飛んで行く。
その行先は、もうわかっている、すなわち築地の異人館。
底本:「大菩薩峠15」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 九」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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