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大菩薩峠
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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)普請《ふしん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)河村|瑞軒《ずいけん》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88]
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         一

 経済学と科学が、少しく働いて多く得ることを教えると、人間の慾望はそれに拍車を加えて、ついには最も少しく働くか、或いは全く働かないで、最も多くをせしめるように増長して行こうとするのに、最も多くを働いて、最も少なく得ることに満足し、それを楽しんで生きて行くものがあるならば、それは奇特というよりは、馬鹿という部類のものに属すべきものの仕事でしょう。
 ところが、与八の働きぶりというものがそれでした。
 この男が、甲州有野村の藤原家の普請《ふしん》に参加してから、過失といっては、暴女王の残して行った悪女塚を崩したということのほかには過失が無く、仕事としては、ほとんど何人前か計上しきれないほどの仕事をしていることは、疑いがありません。
 しかし、その仕事の多寡《たか》を計算して、労銀を払い渡すという時になると、与八はいない。いないのではない、姿が見えなくなるのです。この男は自分が何時間働いた上に、自分の持つ労力は常の人の何倍に当るから、これだけの労銀を与えられなければならぬということを主張した例がないから、与えられる時の元締の計算は、やっぱり普通一人前の人夫の計算にしかなりません。
 でも、苦情も不平も出ないのは、当人がその分配の席にいないからです。それで、頭割りをする役割は、当人の主張の無いのに、当人に代って割増しを主張するほどの好意はないから、常人足並みの労銀が、組の者に托して与八に向って支給されて納まってしまうのです。
 それにしても、一人や二人は、与八という特種人物の力量が抜群であって、仕事ぶりに蔭日向《かげひなた》というものがないという点ぐらいは認めてやる者があってもよかろうと思われるが、それすら無いというのは、証跡がかくれてしまっているのです。
 つまり、与八はその非凡な力量を以て、常人の幾倍に当る仕事をしていることは確実なのですが、その仕事は、蔭日向がないというよりは、蔭ばかりで日向が無い、日向ばかりで蔭が無い、というような仕事ぶりになっているからでありましょう。
 彼は山で石材を運び、土を掘り、木の根を起すにしてからが、なるべく離れたところを選び、離れたところの人の面倒がるところに好んで食いつき、いつのまにかそれを綺麗《きれい》に整理して置いて、他の人が処分するに最も都合のよいようにして置いて、人が来る時分には、もう自分は次なる根仕事《こんしごと》にひとりコツコツいそしむという仕事ぶりを取っているから、当座の人は、与八の仕事の忠実なることは感得するけれども、忠実なる仕事の成績ぶりにはあまり注意を払わしめられないように出来ています。ただ一度、悪女塚を崩した時だけは、非凡な怪力を二三の者に示したけれど、それは当然見ていた二三の者に限り、それらの者も与八の怪力よりはむしろこの塚を築いた暴女王の後日の怒りのほどを怖れて、口をつぐんでしまったほどだから、与八の力量のことも、その辺で立消えになって伝わってはいないようになりました。
 ただ、いつも眼につくことは、与八の背に負《おぶ》ったり、手を曳《ひ》いたり、傍に立たせたり、休ませたりして置く一人の子供のことで、これをよく面倒を見ることの方が、いたく人の心を刺戟しました。見ると与八彼自身の子供とは思われないのです。そうかといって、他人《ひと》の子供をあれほどまでに大事にするのも変なものだとは思われる。これには何ぞ仔細がありそうだという気はするが、それを聞咎《ききとが》めたり、調べ上げたりなんぞしようとする者は一人もなく、ただ、そういう光景を、そういう気持を以て眺めやるばかりのことでありました。
 こんなような働きぶりで、与八は幾日かを、藤原家の改築の工事のために働いておりましたのです。

         二

 ところが、この与八の経済学を無視した働きぶりを認めずにはおられないものが、ここに一人現われました。
 それは誰あろう、藤原家の当主の伊太夫以外の何人でもありません。
 伊太夫は、絶えずとは言わないが、思い出したように工事の見廻りをする。その見廻りの都度に、経済学を無視した一人のデカ物があることを、どうしても認めずにはおられませんでした。
 それとなく注意して見ていると、最も多く働いて、最も少なく得ることに甘んじて、そうして分配の時は姿を没し、曾《かつ》て不平と不満とを主張したことのないのを、伊太夫がようやく認めました。
 同時に、このデカ物は、自分の子とも、他人の子ともつかない、一人の子供を親切に養っていることを認めずにはおられません。それはこの工事のうちに、乳呑児を背負ってエンヤラヤアの地搗《じつき》に来ているような女労働者も相当にないではないが、男の身で子供を連れて来ているのは、このデカ物に限っていることを認めずにはおられません。経済学を無視する行為を認める以前に、このデカ物と、そうして瘤附《こぶつき》との異常な形体が、伊太夫の眼をそばだてしめたものでしょう。
 それ以来、そのつもりで見ていると、見ているほど光り出して来るのが、このデカ物の働きぶりです――この男は経済学を無視している、分配の法則から飛び離れている。他の何事よりも経済学を無視しているということが、伊太夫にとっては不思議であり、驚異であり、無謀であることを感じずにはおられないらしい。何となれば、伊太夫の頭は、ほとんど全部が経済学から出立しているのです。
 自分の家のすべての者が、自分に対して反《そむ》き去っているということ、その反き去ってしまった結果として、惨憺《さんたん》たる家庭争議がついにこのたびの業火となって、家財、人命をも焼き亡ぼさずにはおかなくなった破局というものも、伊太夫の頭では、やっぱりもとはといえば経済学に根を持っているのだということを信ぜずにはおられません。
 つまり、すべての禍《わざわい》の根元は、藤原家のこの財産にあるのだということは、何人よりも、深く伊太夫は観念しているのです。
 前妻の子と後妻の子とに蟠《わだかま》りがあるのも、後妻とお銀様との間が火水のようになっているのも、本来、この藤原家の財産がさせる業なのだ、なんのかのというけれど、要するに人間は慾に出立している、慾が無ければ人間がないように、財産が無ければ藤原家はないのだ。家庭争議は忌《いま》わしいとは言いながら、先祖以来藤原家が、この国で並ぶものなき家柄に誇り得るのは、こうしてどんな災難があろうとも、災難は災難として、ひとたび自分が顎を動かしさえすれば、たちどころに幾千の人も集まり、幾倍の工事をも為し得るという力、その力に比例して、権勢名聞が周囲に及ぶというのも、一にこの財産ある故にこそである。
 大まかに経済学とはいっても、伊太夫のは、佐藤信淵や、河村|瑞軒《ずいけん》あたりから得ている経済学ではなく、わが藤原家の祖先伝来の財産というものから割出している経済学なのですから、この私有財産あってこその経済学で、その私有財産を基礎としないことには、経済も、倫理も、道徳も、学問も、芸術も、総てが消失してしまうのです。そこで彼は藤原家の財産を損ぜぬ程度に於て、またいつか利息を含めて戻って来るという計算の上に於て、慈善のようなこともやり、贅沢《ぜいたく》のような金づかいもやりました。
 自分の威勢といったところで、兵力を持っているわけではなく、官位を持っているわけでもない、家は古いには古いが、摂家清華というわけではない、人がつくもつかざるも、要するにこの財産の威力のさせる業なのだ。
 伊太夫はそれがよくわかっているだけに、人を使うにも、人の慾を見ることに抜け目がないのです。少なく与えれば怨《うら》む、多く与えれば驕《おご》る、一時、威圧で抑えて、労銀以上の働きをさせても、能率や実際から見ると、それはいけない、安ければ安いようにどこかに仕事が抜いてある、やっぱり人を使うには少なく与えていかず、多く与え過ぎていかず、その辺が経済の上手と下手との分るるところだ――そういうような経済眼は発達しているから、少なくとも祖先以来の家産を減らさなければ、いやでも増殖させて行くことは測られないほどでありました。
 この経済の蔭に、家庭のあの暗い影のあるのは望ましいことではないが、やむを得ないことだと腹にこらえてもいるのです。家庭の暗い影は、もとより望ましいことではないが、この暗い影のために藤原家というものを抛棄《ほうき》することができるか。それは藤原の宏大なる資産というものがなければ、一家親戚のこれに頼る心と、これを見る眼というものが消滅してしまうにきまっている。自然、暗い影はそこでサラリと解けるかもしれないが、藤原家というものが消滅して何の家庭争議だ。肉体を持つ人には病苦というものがある、病苦を除くために肉体を殺してしまえ、ばかな! そんな理窟や学問はどこにもない。
 今日しも与八は、おひるの時分、いつものように大勢とは離れて、小高みになった藪蔭《やぶかげ》のところに竹樋《たけとい》を通した清水を掬《すく》いながら、握飯《おむすび》を郁太郎にも食べさせ、自分も食べていると、不意に後ろから人の足音があって、ガサガサッと藪の下萌《したもえ》が鳴る。
「あ! 旦那様」
と振返った与八が驚きました。自分の後ろに立っているのは、日頃見知りごしのこの家の主人、伊太夫その人でしたから、
「若衆《わかいしゅ》、毎日御苦労だね」
 伊太夫が一|人足《にんそく》に向って、こんな会釈《えしゃく》を賜わるほどのことは例外でありました。
「はい、はい、おかげさまで毎日、有難く働かせてもらっております」
「お前はほんとうによく働く」
 杖をとめたなりで、伊太夫がちょっとその場を動こうとせぬのも、思いがけないことと言わなければなりません。
 常ならば、番頭や書き役が附いて見廻りをなさるはずなのに、今は誰もついていないのみか、わざわざひとり、この藪をくぐって来られた態《てい》にも見えるし、与八に向って、特別に念入りの挨拶をすると共に、杖をとめているのは、何かまた特別に与八に話したいことがあるために、事にかこつけて、人目を避けてこれまで来たもののように見られないでもありません。
 そこで与八も、大口をあいて無遠慮に握飯《おむすび》を頬張ることもなり兼ねていると、伊太夫が、
「若衆《わかいしゅ》さん、お前さんはどこから来なすった」
 今度はなお特別ていねいに、さん[#「さん」に傍点]附けであります。与八は答えました、
「はい、はい、恵林寺の和尚様からのお引合せで、御当家様へ御厄介になることになりましたのでございます」
「おお、そうそう、忘れていた、慢心和尚からの御紹介のはお前さんだったか」
「はい、はい」
「生れはどこだね」
「武州の沢井というところでございます」
「そうかね――当分、こちらにいなさるか」
「こちら様の御用が済みましたらば、これからまた西の方へ旅をしてみようと思っているのでございます」
「西の方へ――西はどこへ」
「どこといって当てはございませんが……」
「当てが無い――」
 伊太夫は、ちょっと面《かお》を曇らせて、与八と郁太郎とを等分に見おろしました。
「はい」
「当てがなければ、お前さん、当分わしのところにいてはどうだ」
「そりゃ御親切さまに有難うございますが、御用が済んだ上に、長く御厄介になっちゃあいられましねえ」
「用なんぞはいくらでもあるよ」
「はい」
「仕事なんぞはここにいくらでもある、この普請が終ったからといって、そうさっぱりと出て行かなくってならんというはずのものではない」
「そうおっしゃっていただくのはいよいよ有難うございますが、実は、わしたちも心願がございまして、諸国を巡ってみてえとこう思って出て参りました身の上でございます」
「そりゃ、諸国を巡ることは悪いとは言わないが、どうだ、もう少し、普請が終るとか、終らないとかいうような時をきめる必要はない、いやになる時節まで、わしがところにいてもらえないかな」
「はい」
 与八は、伊太夫|直々《じきじき》のこの好意に対して、何と返事をしていいかわからない。人を使うことも、人を信ずることもかなり厳密なこの大家の主人が、直々に、初対面といってよい与八に対して、こんな言葉を下し置かれるというのは、かなり異例であるということを与八はよく呑込んではいないで、どういうわけかこの主人が、自分に対して特別、好意を持っていてくれるということはよく分るのです。与八の明答に苦しむのを見て取ったかのように、伊太夫が言葉をつけ加えました、
「わしの家も、今こそこの通り混雑しているが、これが済んでしまった日には、ひっそりしてしまうのだ、雇人もかなりいるにはいるがね、急に、家中がにぎやかになるというわけにはいかないのだ」
 与八は、なんだかこの言葉のうちに、痛々しいものがあるように思われてなりませんでした。
 ああ、そうそう、そう言えば、この間の火事で、ここの奥様と、あととりの坊ちゃまが、焼け死んでしまわれたそうな。それに、一粒種のお嬢様というのが、一筋縄ではいかない方で、今、遠くの方へ旅をしておいでなさるとか。してみると、ここの御主人が寂《さび》しいとおっしゃるお心持も、ほぼお察し申すことができるようだ。

         三

 それから間もないこと、藤原家の番頭から別に話があって、与八はこの家の別扱いの雇人となりました。
 臨時の人足として使われた男が、穀物庫の傍らの一室を給されて、この家の准家族のような待遇を与えられる身となりました。
 与八としては、強《し》いてこれを辞退もしなかったが、そうかといって、永くこの家の奉公人となりきるつもりはありませんでした。
 だが、こうなっていることは、自分はとにかく、郁太郎の教育のためによいことだと思わずにはおられません。
 ともかく、今までの相部屋《あいべや》と違い、自分としての一家一室が与えられることになると、与八は沢井を離れてから、はじめて居心地が落着いたのです。
 郁太郎、どうしたものかこの子の発育が、肉体、知能ともに世間並みの子供より鈍いことは、与八も知らないではありませんが、それでも、もう四歳《よっつ》になった以上は、単に育てるだけではいけないということに気がつきました。
 哺乳の世話だけは、もう卒業したようなものだから、それを教育の方に振向けなければならないと与八が感じて、夜なべに米を搗《つ》く傍ら、郁太郎を坐らせて、いろは[#「いろは」に傍点]を習わせることからはじめたのはこの時のことです。
 与八は焼筆をこしらえて、郁太郎のために板切れへ「いろは」を書かせることを教えながら、自分は地殻《ちがら》を踏んで米を搗いている。燈明皿の燈心は、教師である与八と、教え子である郁太郎との間を照して余りある光を与えておりました。
 今晩は雨が降り出している。与八と郁太郎の師弟が、例によってこの雨夜を教育に耽《ふけ》りはじめているところへ、フト外から訪れる客がありました。
「与八」
「はい」
 与八は直ちに、訪れて来た客人が、藤原家の当主の伊太夫であるということを知りました。
 伊太夫が蛇《じゃ》の目の傘を土間と戸の桟との間に立てかけ、合羽を脱ぎかけているのは、わざわざここを訪れるために雨具を用意して来たのか、或いは他を訪れたついでにここへ立寄ったのか。それにしてはともがついていないのみか、自身、包みをぶらさげて来ている。
「これははあ、旦那様」
 与八は恐縮して、地殻つきから下りて来ました。郁太郎は、この来客にちょっと目をくれただけで、しきりに板の上へ焼筆をのたくらせている。
「与八、どうだ、お前ひとつ、お茶をいれてくれないか」
 合羽を脱ぎ終った伊太夫は、自身携えて来た包みを取りおろして炉辺に置きながら、自分はもうその炉辺に坐りこんでしまいました。
「旦那様、まあ、お敷きなさいまし」
と言って、与八は有合せのゴザを取ってすすめます。
「今夜は雨も降るし、静かな晩だから、お前と一話ししようと思ってやって来たよ」
 してみると伊太夫は、他家《よそ》への帰りにここへ立寄ったものではなく、雨の夜を、わざわざ合羽傘《かっぱからかさ》で、ここへ話しに来ることを目的として来たものに相違ありません。
 何してもそれは与八として光栄でもあり、恐縮でもないはずはありません。
 米搗《こめつ》きはそのままにして、与八は自在の鉄瓶を下へ卸し、火を焚きつけにかかりました。
 伊太夫は、抱えて来た包みを解いて、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には煎茶《せんちゃ》の道具が簡単に揃えてあるし、お茶菓子も相当に用意して来てあるようです。
 やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
 茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つお抓《つま》み。その子供さんにもおあげ」
 ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、勿体《もってえ》ねえことでございます、郁坊や……ではこのお菓子を頂戴しな」
 郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
 与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫も旨《うま》そうにそれを味わいました。
 こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」

         四

 この晩、伊太夫が、与八と打解けての会話の結果は、与八には特に附け加えるものはなかったが、伊太夫にとっては、それは自分とは全く方法を別にし、主義を異にした新しい一つの生き方をいきている人のあるということを、つくづくと知ることができました。
 すなわち、自分というものは、有り余る財産というものに生きているのだが、世間には、それと反して、全く無所有の生活にいきて行く人と、またいき得るものだという実際上の知識でありました。
 無所有には怖るるところは無いという論理は、伊太夫にも相当よくのみ込めます。無所有なるが故に、求めらるるところがなく、また無所有を生命とすれば、求むるところなくして生きて行けるという事実は承認できます。
 だが、それだけのものです。それは一つの奇妙なる実例として、伊太夫にはながめられるだけで、自分がその生活に飛び込もうとか、そうすることが本当の生き方であったと、解悟したわけでもなんでもないのです。
 ですけれども、与八と話をすることが、伊太夫にとっては無上の興味でありました。自分にとって、命令すべき相手はあるが、相談をすべき相手というものは、伊太夫にとっては今日まで無かったのでした。心置きなく話そうとすれば、直ぐにその心置きないところに附け込もうとするもののみです。教えようとすれば、かえっていじけるもののみでした。
 全く打解けて憚《はばか》りなく話のできる相手というものを、この年になって伊太夫は、はじめて与八に於て発見し得たと言ってもよいでしょう。そこで、一日増しに与八というものが、伊太夫の生活に無くてならないものになりつつゆくのを、伊太夫自身も如何《いかん》ともし難いらしいが、与八に於ては、特にそういった意味で、伊太夫から選ばれているともなんとも思ってはいません。
 伊太夫はついに、この男を放すまいと決心してしまいました。
 永久にこのデカ物を藤原の家に置きたいものだ、だが、当人の志というものは本来そこにあるのではないことをよく知っている。これから西へ向いて行って諸国の霊場巡りをするのだという希望のほどをよく知っている。何という名目と、誘惑で、この男を引きとめようか。伊太夫はこのごろ、こんなことまで苦心するようになりました。
 与八の方では、そんな苦心や、好意だか慾望だか知らない伊太夫の心のうちには気がつきません――もうほどなく、この家をお暇乞いしようと心仕度をしています。
 そのうちの、ある晩、伊太夫が与八を訪れて、ハッキリとこういうことを発言しました、
「与八さん、変なことを言うようだが、お前と、それから郁太郎さんと二人、わしの家の養子になって、永久にここの家にいてくれまいか」
「え」
 与八も、これには多少驚かされましたが、伊太夫は真剣でした。
「お前さんの身の上も、郁太郎さんの生立ちもよくわかりました、そこで、わしはお前に頼みたいのだが、どうです、二人一緒にわしの家の養子になって、この家にとどまってはくれまいか」
「そりゃあ、どうも……」
と、さすがの与八も、即答のできないのは当然です。
 伊太夫は、いよいよ真剣でつづけました、
「わしの家には、あととりがない、親類もあるにはあるが……これに譲ろうというのは一人もない。与八さん、お前は、お前としての心願もあることだろうが、どうだろう、お前さんにその心がなければ、この郁坊を、わしに養子としてくれるわけにはいくまいか?」
「そりゃ、どうも……」
 与八は、やっぱり目をパチパチしている。
「さあ、それが、おたがいの幸福になるか、不幸になるかわからないけれど、これでも、わしは、この頃中、考えに考えぬいてこのことを言いに来たのだ、わしはお前のほかに頼もしい人を知らない、お前を後見として、この郁太郎さんという子に藤原家をそっくり嗣《つ》いでもらいたいものだ――わしが、これを言い出すからには、相当に深い決心をしている」

         五

 宇治山田の米友は、尾州清洲の山吹御殿の前の泉水堀の前へ車を据《す》えて、その堀の中でしきりに洗濯を試みているのであります。
 その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた檻車《おりぐるま》の中から一頭の熊を引き出して、それの五体をしきりに洗ってやっているのであります。
 この熊の来歴たるや事新しく説明するまでもない。とにかく、米友はこの熊を洗ってやることに、会心と、念力とを打込んでいる。
「もっと、おとなしくしてろ、そんなに動くもんじゃねえや」
 米友が親切を尽すほどに、子熊がそれを受けていないことは相変らずで、食事から、尻の世話までも米友にさせて、今はこうして気の短い米友に、甘んじて三助の役目をさせながら、性《しょう》も感もないこの動物は、これを感謝せざるのみか、洗われることを嫌がって、米友の手を離れたがるのであります。
「ちぇッ――手前《てめえ》という奴は、てんからムクとは育ちが違っていやがらあ」
 米友は思わずこの世話焼かせ者の、恩知らずの動物に、浩歎《こうたん》の叫びを発しました。
 事実、米友がこの子熊を愛するのは、熊そのものを愛するのではない、熊によって彼は自分の無二の愛友であったムク犬のことをしのべばこそ、どんな艱難辛苦《かんなんしんく》を加えようとも、この動物と行程を共にしようとの気持になったのであります。
 しかるに、形こそムク犬を髣髴《ほうふつ》するものがあれ、その心術に至っては、雪と墨と言おうか、月と泥と言おうか、ほとほと呆《あき》れ返るばかりであるのです。
 全く同じ四肢《よつあし》動物ではありながら、ムク犬と、この子熊とは育ちが違う、育ちだけではない、氏《うじ》が違うと言って、先天的に平民平等観の軌道を歩ませられている米友さえが、氏と育ちとの実際教育をしみじみと味わわせられ、子熊の度すべからざるを知るごとに、ムクの雄大なるを回想せずにはおられない。といって、米友は、ムクの雄大なるを回想することによって、この熊の不検束に呆れ歎きこそすれ、まだこれに愛想をつかしているわけではないのです。愛想をつかしていないのみならず、この熊めがふしだらであればあるほど、そこに幾分|憐憫《れんびん》の情を加えて、
「なあに、こいつだってなんしろまだ子供のことだから、丹精して、うまく仕込んで行きさえすりゃあ、立派なムクのあと嗣《つ》ぎにならねえとも限らねえわさ、今、朝顔を作ればといって、丹精一つのものだあな」
と呟《つぶや》いています。今ここで米友が朝顔を引合いに出したのはどういう縁故かよくわかりませんが、どこまでも被教育者そのものに責任を置かず、あらゆるものに向って、教育だの、陶冶《とうや》だのということの可能性を信じているのであります。従って、しつけの悪いのは、躾《しつ》けられる方の咎《とが》ではなくて、躾ける方の力の如何《いかん》にあるということを信じているらしいから、そこでさしも短気な米友が、頭の上から尻の世話まで焼いて、その親切がてんで受けつけられないに拘らず、未《いま》だ曾《かつ》てこの動物に向って絶望を投げつけたことのないのでわかります。
 かかる親切と信念の下に、米友ほどの豪傑に三助の役を勤めさせながら、それを恩にも威にも着ないこの動物は、
「兄い、もういいかげんでいいやな、そんなにめかしたって誰もかまっちゃくれねえんだ、それよりか、おいらを少しの間でもいいから野放しにしてくんな、あんなに広い原っぱがあるじゃねえか、あれ見な、あの森には真紅《まっか》な柿の実がなっているよ、栗も笑《え》んでらあな、ちっとばかり放して遊ばせてくんなよ」
 こういうような我儘《わがまま》で、米友の親切を振りもぎりたがって暴れているのみであります。
 けれども、米友は、親としても、師としても、左様な駄々っ児ぶりは許すべき限りでないと、あがく熊を抑えつけては、ごしごしと五体を洗濯してやっています。

         六

 かくして宇治山田の米友は、熊を洗うことに打ちこんで総てを忘れてはいるが、実はそれと相距《あいさ》ること遠からざるところに、熊よりも一層忘れてはならない相手のあるのを忘れていました。
 枇杷島橋《びわじまばし》の上で、ファッショイ連を相手に、さしも武勇をふるった道庵先生が、ここは尾州清洲の古城址のあたりに来ると、打って変って全く別人のように、そこらあたりをさまようて、古《いにし》えを懐い、今を考えて、徘徊顧望、去りやらぬ風情に、これも自身我を忘れているのでありました。
 道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼び来《きた》れども、船に上らず、なんてたわごとを言っているに拘らず、日本の英雄の総本山たる尾張の地に来て見れば、英雄の去りにし跡のあまりに荒涼たるに涙を流し、なけなしの旅費をはたいて英雄祭の施主となって、ために官辺の誤解を蒙ることをさえ辞さぬ勇気があるのであります。
 さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
 くどいようだが、銀杏《ぎんなん》城外の中村では、英雄豊太閤の臍《ほぞ》の緒《お》のために万斛《ばんこく》の熱涙を捧げた先生が、今その豊太閤の生みの親であり、日本の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を懐うて、泣かないはずはありません。
 そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに独言《ひとりごと》を言っているのであります。
 見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語《ささや》くのを見る、
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
 物事は、当人が凝《こ》れば凝るほど、信ずれば信ずるほど、凡俗が見て以て狂となし、愚となすのは争われ難いもので、この場合の道庵先生としては、平常より一層の真面目と熱心とを以て、懐古と考証とに耽《ふけ》っているので、世上の紛々たる毀誉《きよ》の如きは、あえて最初から慈姑《くわい》の頭の上には置いていないのです。
 すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの城により、後、秀次の城邑《じょうゆう》となり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波《しば》氏のいたのをこの辺とすれば御薗は当然あれであり、植木屋敷があの辺とすれば山吹御所はこの辺でなければならぬ、ここに大手があって、あちらに廓《くるわ》がある。翻って城下の形勢を観察すると、ここがやっぱり昔の往還になっていわゆる須賀口というやつは、今、田圃《たんぼ》になっている。
[#ここから2字下げ]
酒は酒屋に
よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
[#ここで字下げ終わり]
 そうだ、それから考えてみると、出雲の阿国《おくに》がしゃなりしゃなりと静かに乗込んで、戦国大名に涎《よだれ》を流させたのはこのところだ。
 須賀口から熱田の方へ行く道に「義元塚」というのがあるから、ついでがあらば弔《とむら》ってやって下さいとお茶坊主が言った――義元といえば哀れなものさ、小冠者信長に名を成させたも彼が油断の故にこそ、信長が無かりさえすれば、武田よりも、上杉よりも、毛利よりも、誰よりも先に旗を都に押立てたものは彼だろう。家柄だって彼等よりずっと上だからな。そうなると信長はもとより、勝家も、秀吉も、頭を上げるこたあできねえ、人間万事、夢のようなものさ。そういえばそれ、この城から桶狭間《おけはざま》へ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあならねえ。
[#ここから2字下げ]
人間五十年、化転《けてん》の内を較《くら》ぶれば、夢幻《ゆめまぼろし》の如くなり
ひとたび生《しょう》をうけ、滅せぬもののあるべきか
[#ここで字下げ終わり]
 世間並みのやり手は、芝居がかりで世間を欺くが、信長ときてはお能がかりだ。
[#ここから2字下げ]
人間五十年、化転の内を較ぶれば……
[#ここで字下げ終わり]
 道庵先生はこの時、異様な声を張り上げて、繰返し繰返しこの文句を唸《うな》り出しましたので、さてこそと集まるほどのものが、いよいよ眼と眼を見合わせました。
 この異様なる音律を、繰返し繰返ししているうちに、道庵先生の自己感激が著《いちじる》しく内攻して来たと見ると、音声だけでなくて、一種異様なる身体《からだ》の律動をはじめてしまいました。
 しかし、それとても、無学文盲なるこの辺の児童走卒にこそ、道庵先生の為すところのすべてが異様にも異常にも感ぜられるのだが、実際はお得意の喜多流(?)によって、謡につれて徐《おもむ》ろに、仕舞と称する高尚なる身体の旋律運動を試みているだけのものなのです。
 この先生が、馬鹿噺子《ばかばやし》にかけては古今きっての自称大家であることは、知るものは誰も知っているところだが、それよりも一段と高尚なるお能と仕舞とに就いても、これほどの造詣があるということを買ってくれる人のいないのが浅ましいことではないか。
 しかし、御当人は、買ってくれる人があろうがあるまいが、御当人の自己感激は、こうしていよいよ深み行くばかりで、もはや眼中に清洲の城址も無く、あたり近所の児童走卒も無く、古英雄信長もなく、今川義元もなく、ただ人生五十年の夢幻と、他生化転の宇宙実在とがあるばかり。自己感激はついに悠然として自己陶酔にまで進み入りました。
 しかしながら、いつもの型の通りに、この放恣浩蕩《ほうしこうとう》なる自己陶酔から、わが道庵先生の身辺と心境とを微塵に打砕くものの出現は、運命と言おうか、定業《じょうごう》と言おうか、是非なき必至の因縁でありました。

         七

 この場面へ、東の方より、つまり先刻道庵先生がファッショイ共を相手に一代の武勇をふるった枇杷島橋の方面からです、一梃の駕籠《かご》を肩に、まっしぐらにはせつけて来た二人の仁があります。
 これは雲助です。
 道中をこうして駕籠をかついで走る者に、雲助以外のものがあろうはずはありますまい。
 世間では往々、雲助と折助とを混同する者がある。混同しないまでも、ほぼ同様の性質を持っていると見るものがあるが、それは大きなあやまりで、雲助にとっては大きな冤罪《えんざい》であるが、その事は後に談ずることとし、とにかく、この場に於ける二人の逞《たくま》しい雲助は、この地点までまっしぐらに走って来たが、ただ見る清洲古城址の草の青黄色いところに、一人の狂人らしいのが児童走卒に囲まれながら、しきりに身ぶり声色を試みている体《てい》たらくを発見するや、後棒と先棒との見合わせる目から火花が散って、
「合点《がってん》だ」
 駕籠をそこにおっぽり出して、向う鉢巻勇ましく、やにわに走りかかって来たのは、意外にも道庵先生の身辺でありました。
 右の二人の逞しい、いけ図々しい雲助らは、道庵めがけ近寄ると見れば、無茶にも、惨酷にも、あっと言う猶予も与えず道庵に飛びかかって、さながらパッチ網にかかった雲雀《ひばり》を抑えるが如く、左右から道庵を押し転がし、取って抑えて、有無《うむ》をも言わせません。
「あ、こいつは、たまらねえ」
 そうして道庵がうんが[#「うんが」に傍点]の声を揚げ得た時は、もう、軽々と引きさらわれて、道に置き放した商売道具の四枚肩中へ無理に押込まれたその途端のことで、かくの如く、有無をも言わさず道庵を取って抑えて駕籠の中へ押込んだ雲助は、群がる見物の驚き騒ぐを尻目にかけて、そのまま駕籠を肩にして、
「エッサッサ、エッサッサ」
 飛ぶが如くに西の方――つまり木曾川から岐阜、大垣の方面、道庵主従が目指す旅路の方面と同じではありますが――へ、雲助霞助に飛んで行ってしまうのです。
 これは実に、誰にも分らない雲助の振舞であり、今日まで、脱線と面食《めんくら》いにかけては、かなり腕にも頭にも覚えのあり過ぎる道庵自身すらが、全く解釈のできない、非常突発の行為でありました。
 それは、つもってみても分らず、苟《いやしく》もファッショイ、三ぴんの余党でない限り、道庵に対して、この辺にそう魂胆や遺恨を持っている者はないはず――
 また、道庵先生がもう少し若くて、別嬪《べっぴん》ででもあるならば格別――そうでなくても、もうすこし福々しいお爺さんででもあるならば、さらわれる方も覚えがあり、さらう方もさらい甲斐があろうものを、大江戸の真中へ抛《ほう》り出して置いても拾い手のなかったじじむさい親爺が、尾張の清洲へ来てさらわれるようなことになろうとは信ぜられぬことでした。
 だが、世間には、好んでお医者を担ぎたがる悪趣味者がある。
 京都のある方面の、仏法僧の啼《な》く山奥へ医者を担ぎ込んで、私闘の創《きず》を縫わせた悪徒もある。
 或る好奇《ものずき》なお大名が、相馬の古御所もどきの趣向をして、医者を誘拐して来て弄《もてあそ》んだというようなこともないではない。そのいずれにしても、道庵の蒙《こうむ》る迷惑と困却とは、容易なものではないことは分りきっています。そこで、走り行く雲助霞助の中にいて、駕籠越しに有らん限りの号泣と、絶叫とをはじめました、
「友様――後生《ごしょう》だから助けてくれ!」

         八

 熊を洗濯することに我を忘れていた米友は、道庵先生の九死一生の絶叫を聞き漏すことではありません。
 俄然として醒《さ》めて、そうして声のする方を見ると、今し道庵が、二人の雲助のために無理無態に駕籠の中に押込まれて、担ぎ去られる瞬間でしたから、すっくと熊を抛擲《ほうてき》して立ち上りました。
 しかし、この際、米友の責任感としては、前後の事情を忘却することを許しません。わが師と頼む道庵先生が、またしてもの九死一生の危急を瞬時も猶予すべきではないが、同時に、この動物をこのままにして置いてはいけないということの、民衆的警戒性が閃《ひらめ》きました。
 なぜならば、たとえ子供とはいえ、猛獣の部類である。日本に棲《す》む動物としては、これより以上の猛獣は無い。その子熊をこのままにして馳《は》せつけた日には、後患のほどが思いやられる。現にただ出現したことだけによって、先日のあの講演会の席の混乱はどうです。あの時はあれだけで済んだものの、まだこいつは、躾《しつけ》が足りないから、人の出ようによってはいかなる猛勇ぶりを発揮するか知れたものではない。子供の二人や三人を引裂くのは朝飯前の手並であり、まかり間違えば、人畜に夥《おびただ》しい被害を与えないとも限らないのだ。
 先生の危急は危急として、それに赴くためにはまず、この駄々ッ子から処分してかからねばならぬ。賢くも米友は、こうも感づいたのですが、そこは上手の手からも水が漏れるので、米友が道庵の声に驚いて立ち上った瞬間の隙《すき》を覘《ねら》って、右の駄々ッ子が素早く陸へ飛び上ったかと見ると、通りかかった子供が三人、火のつくように泣き叫びました。
「それ見たことか」
 幸いにして、まだ子供を引裂いて食っているというわけではなく、子供の方へ向って馳け出しただけのところを、米友が後ろから行って引捉《ひっとら》えると、それを振切って、人間の子供と遊ぼうと駄々をこねる熊――そうはさせじと引き留むる米友。この際、熊を相手にくんずほぐれつの仕儀となりました。
「ちぇッ――仕様がねえ熊の餓鬼だなあ」
 米友は歎息しながら熊を取って抑える。事実、米友なればこそです、子熊とはいえ、羈絆《きはん》を脱して自由を求むる本能性の溢れきったこの猛獣族を、この場合に取って抑えることのできたのは米友なればこそです。
 こうして子熊を取って抑えて、むりやりに檻の中に押込む米友、
「ちぇッ――聞きわけのねえ餓鬼だなあ」
 全く今の場合は、熊と組打ちなんぞをしている場合ではないのです。師と頼み、主とかしずいて来たその先生が、苟《いやしく》も、「友様! 後生だから助けてくれ!」と、意地も我慢も打捨てて、S・O・Sを揚げている時に、熊なんぞを相手にしていらるべきはずではないのですが、いま言う通り、この場合はまさに、前門熊をふせいで、後門先生を救わねばならない苦境にいる。
 ようやくのことで小猛獣を取って抑えて、檻車の中へブチ込んで、さて当の主師の方を見やれば、雲助霞助の砂煙を巻いて行く後ろ影は早や小さい。
「ちぇッ」
 米友は舌打ちをして地団駄を踏みました。無論、杖槍はもう小腋《こわき》にかい込んでいるのですが、この遥《はる》か隔たった雲助霞助を見ると、幾度も地団駄を踏み、歯噛みをしないわけにはゆきません。
 猛烈にはせ出したことははせ出したけれども、さて、自分の足では、これをどうすることもできないという自覚が、米友の心を暗く、胸をむしゃくしゃさせました。
 というのは、腕に於ては相当に覚えがあり、胸に於ては焦《あせ》り切っているが、足に自信が無いのです。本来、自分の足は生れもつかぬ片輪になっている。片輪にされたところで、まかり間違えば両足そろった奴にも後《おく》れはとらないつもりだが、先方は走るのが商売の雲助ではあり、そうでなくても彼と我との距離があり過ぎる、ハンディキャップがあり過ぎる。自分の力の及ぶべきところと、及ぶべからざるところと、見境のないほどの頭の悪くない米友が、走りながら歯噛みをするのも全く無理はありません。ところが、天なる哉《かな》、この場に当って忠勇なる米友のために、偶然に助け舟――とかりに信ぜらるるところのものが米友の眼前に現われました。

         九

 それは、枇杷島《びわじま》の青物市場へ青物をつけて行った一頭の馬が、馬子に曳《ひ》かれて、帰りの空荷の身軽さに蹄《ひづめ》を勇ませて、パッタリと横道から米友の眼前に現われたものです。
 それを見ると、馬鹿でない米友の頭が咄嗟《とっさ》に働きました。
 そうだ、この場合、おいらの足では、おいらでなくても普通以上の人間の足でも、あの先生の急に赴くことはできないことだ。
 これを拝借するに限る――この四足の力を借りるに限る。この時、この際、自分の眼前に駒の蹄が躍り出したのは、渡りに舟というか、迎えに駒というか、ともかくも与えられたる天の助けであらねばならぬ。
 それを頭に閃《ひら》めかした米友の心持は機敏なものでしたけれど、かく俊敏に感得したが最後――そこに所有権の観念が圧倒されてしまって、人の物、我が物という差別観がくらまされてしまったのは是非もありません。
 少なくとも、こういう際だから、自分としては天の助けに反いてはならぬ。ただ先方として、それを諒とするか、しないか、その辺のことまでは、米友の悪くない頭も働く余裕がなかったというのは、この場合ではまた是非がなかったと言えば言えます。猛然として馬の前へ立ち塞がった米友は、
「この馬を少しの間、貸してくんな、おいらの先生が……の場合なんだから」
 もうこの時には、馬子の手綱をふんだくって鞍の前輪へ手をかけて、ひらりと身軽く飛び乗ろうとする瞬間でした。
 これが普通の馬子であったならば、この只ならぬ小冠者の気合に呑まれて、茫然として米友の為すままに任せて、天の助けの使命を全うさせたかも知れませんが、不幸にしてこの馬子が、軽井沢の裸松と甲乙を争うようなしれ者[#「しれ者」に傍点]であって、また同時に、この辺の草相撲では後れを取ったことのない甚目寺《じもくじ》の音公でしたから、たまりません。
「何でえ、何でえ、どうしやがるんでえ、馬泥棒の河童野郎!」
 有無《うむ》を言わさず米友を引きおろしにかかったのは、馬子としては当然の態度です。
「後生だから――おいらの先生が、今かどわかしにひっかかって、あっちへ――あっちへ担がれて行ったんだ、九死一生の場合だ、だから貸してくんな、ちょっとの間だから、貸してやってくんねえな、頼むよ、おじさん」
 米友のこの哀求は、このままで受入れられるべくもありません。
「ふざけやがるない、こん畜生、馬に乗りたけりゃ、助郷《すけごう》の駄賃馬あ銭《ぜに》ゅう出して頼みな、こりゃ人を乗せる馬じゃねえんだ」
「そんなことを言わねえで」
「この野郎、餓鬼のくせに、馬泥棒をかせぎやがる、いけ太え畜生だ」
「おじさん、場合が場合だから、ね、貸してくんな、決して悪いようにゃしねえから、頼むから、後生だから」
「河童野郎、手前の方は場合が場合か知れねえが、おれの知ったことじゃねえ」
「わからねえおじさんだな、人助けになるんだからいいじゃねえか」
「ふざけるなよ、馬泥棒、手前の方は人助けになるか知れねえが、おいらの馬は助からねえ」
「そんなことを言わねえで、こういう場合なんだから」
「いけねえ……」
 米友が再び馬の上に躍《おど》り上ろうとするのを、馬子が力任せにひきずり下ろした上に、ポカリと一つ食《くら》わせる。
「あっ! 痛え」
「あたりめえよ、手前、気がふれてやがるな、いきなり横から飛び出しやがって、人の馬に飛びついて、よこせの、貸せの、途方もねえ野郎だ、見せしめのためだ、この河童野郎、どうするか……」
 甚目寺《じもくじ》の音公は、米友を引きずり下ろしておいて、力任せにポカリポカリ擲《なぐ》りはじめました。
 常ならば、たとえ一つでもそう擲らせておく米友ではないが、実際、この時は、もうどうしていいか思案に迷い切っていたが、急に決心したのは、どうなるものか、後で話はわからあ、力ずくでも、この馬を一時借りなけりゃならねえ、そうしなけりゃ恩人の命の危急なんだ。
 そこで、度胸を据えた米友が猛然として立ち直りました。
「話はあとでわからあな」
と言って、今までポカリポカリと擲らせていた甚目寺の音公の腕を取ると、物の見事に仏壇返しに地上に投げつけてしまいました。
「あっ!」
と驚いたのは甚目寺の音公でした。たかの知れた小童《こわっぱ》、それにしてはイケ図々しい奴と、懲《こ》らしめのためにポカポカやっていたのだが、急に反抗すると、それは驚くべき腕ざわりで、油断をしていたとはいえ、甚目寺の音公ともあるべきものが、とんぼ返しで、地上へ取って投げられてしまった。
 あっ! と目がくらんだけれども、そこは甚目寺の音公も、草相撲の関を取るくらいの男であり、しかも郷党の先輩、加藤の虎や、福島の市松の手前もあり、投げられてそのまま、ぐんにゃりとしてしまうことはできない、直ちに残して起ち上るや、三たび鞍壺にかじりついていた米友の両足をとって、力任せにグングン引張り、ついにやっとすがりついたばかりの米友をまたしても地上に引きずりおろしてしまいました。
 それから後は、ここでくんずほぐれつ両箇《ふたり》の乱取り組打ちがはじまってしまいました。
 人通りが黒山のようにたかり出したのは、申すまでもないことです。

         十

 この甚目寺《じもくじ》の音公が相撲の手を相当に心得ているということのほかに、なおいっそう米友にとって戦いにくいことは、戦いの名分が、どうしてもあちらに取られてしまいそうなことです。
 この音公は、軽井沢に於ける裸松のように、街道筋から毒虫扱いにされているというほどではないのみならず、草相撲で博した贔屓《ひいき》も人気もあるのに、相手にとった一種異様なグロテスクは、土地の人にさっぱり顔馴染《かおなじみ》がないのみならず、「馬泥棒馬泥棒」という相手方の宣伝が甚《はなはだ》しく、米友にとって不利なものになります。
 事実この音公は、米友を馬泥棒以外の何者とも解釈のしようがなく、見物の人々も馬泥棒の仕業《しわざ》とよりしか米友の仕業を信じ得べき事情を知らないから、すべての環境も、心証も、いよいよ以て米友を不利なものに陥れてしまうのです。
 ただ、かくて見物しながらも、寄ってたかって米友を袋叩きにしてしまわないことは、米友の働きが俊敏であって、怖るべきものがある上に、その態度にドコやら真摯《しんし》なるものがあって、左右《そう》なくは手出しのできない気勢に打たれて、そのまま見ているだけのものですから、群集心理の如何《いかん》によっては、どう形勢が変化しないとも限らず、いずれにしても米友のためには百の不利あって、一の同情が作り出されないというだけのものです。
 そういう事情から、米友の戦いにくいことがいよいよ夥《おびただ》しく、第一、自分自身の正義観からしてが、軽井沢の時のようには働きがないから、投げつけてみたところで、大地にメリ込むほどやっつける気力が減退し、相手に怪我をさせてまでその戦闘力を封じる手段にも出で難く、そこで米友としては、その力の十分の一も発揮できないでいる始末です――
 こんな形勢が続けば、いよいよ以て米友の立場が悪化するばかりです。米友としては、ほとんど進退に窮する場合にまで立至って、徒らに組んずほぐれつしていましたが、相手はいよいよ嵩《かさ》にかかって、小力を十二分に発揮して相撲の手を濫用して来るから、米友が怒りました。別の意味で怒りました。
 こうなった上は、こっちを本当にやっつけておいてからでないと動きがとれない――
 みるみる米友の眼に、すさまじい真剣の気合が満ち、
「やい――わからずや!」
 音公をなげつけておいて杖槍を取り上げたものだから、音公が、
「盗人《ぬすっと》たけだけしいとは、本当に手前《てめえ》のことだ、うむ、どうするか」
 掴《つか》みかかろうとした音公が、二の足、三の足を踏んだのは、杖槍を構えた米友の形相《ぎょうそう》が、今までとは全く打って変った厳粛なものである上に、両眼にアリアリと決死の色を浮ばせて来ましたから、馬方がヒヤリと肝を冷やして、思わずたじろいでしまったのです。
 だが――騎虎の勢いです。米友を米友と知らない馬子は、名人としての米友の真骨頂を満喫しなければ納まらない運命になる。
 だが、また米友としても、それは悲しい武勇伝の一つなのです。この時分に、偶然ではなく、もう少し早めにこの場へ到着せねばならぬ人が到着しました。
 見れば前髪立ちのみずみずしい美少年――怖るる色なくその場へ分けて入りました。
 その少年、岡崎の郊外で、友のために腕立てをした岡崎藩の美少年、梶川与之助というものです。
 いや、梶川一人だけではない。

         十一

 梶川のともには、江戸からお角さんよりぬきの若い者もついている。自然この背後には宿《しゅく》つぎの駕籠《かご》の中に反身《そりみ》になった女長兵衛も控えていようというものです。それとかなり間隔を置いて別扱いの腫物《はれもの》が、たれも当らずさわらずのところに、乗物を控えさせている様子です。
 当然、通るべくして通り合わせたこの一行のうちの、目から鼻へ抜ける美少年の仲裁は、難なく成立してしまいました。その後始末として、お角さんの駕籠の中に呼びつけられた米友の油汗を流しながらの吃々《きつきつ》とした弁明が、かえって当の相手の甚目寺《じもくじ》の音公を失笑させるという次第でした。
 米友を相手にあれまで働いた馬子の甚目寺の音公は、米友のお角さんに対する弁明を聞くと、忽《たちま》ち打解けて、かえって大きな口をあいて言いました。
「そいつはお前《めえ》、ぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]にかかんなすったのだよ」
 音公はこう言って、米友はじめお角さんの一行に向って、委細呑込み顔に説明するところによると――
 道庵先生のさらわれたのは、なるほど一大事突発のようではあるけれども、内容はそれほど驚くべきことでも、憂うべき性質のものでもないということです。
 街道筋の雲助は、どうかするとこのぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]ということをやる。つまり道庵先生は、雲助の策略であるところのぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]の手にひっかかったのだ。
 ぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]というのは、人間の無断横領で、常にはやらないが、稀れには行われる雲助の政策の一つであるが、危険のようで、実は危険性の更に無いものであるということを、甚目寺の音公が委細語って聞かせました。
 それをなおくわしく言えば、雲助が客を送り迎えのために、かなりの遠距離を、空駕籠を飛ばして行かねばならぬ使命を帯びたとする、空駕籠というやつは実のあるのよりも担ぎにくいことを常例とする、肩ざわりから言っても、足並の整調の上から言っても、駕籠の中には、どうしても人間相当の重味のあるものが充実していなければ、遠路を走るイキが合わないという結果になる。
 こういう場合に、雲助は、人を頼んでロハで乗ってもらうか、そうでなければ無警告にこのぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]を強行することがある。
 つまり、走りながら、空駕籠の充填物《じゅうてんぶつ》にはまりそうなおとりを物色し、それを見つけたことになると、否応いわさずひっとらえて只駕籠の中へねじ込み、目的地までは有無を言わさずに担ぎ込み、まつり込むのである。目的地に着きさえすれば、忽ちつまみ出され御用済みしだい解放されるのだから、生命にも、財産にも、べつだん差障りはないのだし、何十里走らせようとも別にまた駕籠賃だの、酒料《さかて》だのを要求される心配は更に無いとはいえ、ぶったくられ[#「ぶったくられ」に傍点]た当人と、その身寄りの者の迷惑といったらたとうるに物がないのです。
 しかしながら雲助といえども、その辺には相当の常識と、社会性とを働かせている、ぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]とは言いながら、その人選は無茶に行われるわけではなく、ぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]にしても、なるべく迷惑のかかる範囲の狭いと見られるものを選んでぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]ことになっている。
 そこで、無論、優良なる階級の旅人や、善良なる土地の住民をぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]ようなことはなく、大抵は薄馬鹿だの、きちがいだの、酔っぱらいだの、或いは仲間のうちから自選した奴だの――というのを選定して、ぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]。
 今日の道庵先生こそは、まさしく雲助の選定を蒙《こうむ》ってぶったくられ[#「ぶったくられ」に傍点]の運命に逢着したものと見れば、かわいそうでもあり、気の毒でもあり、いい面の皮でもあるが、一方から見れば、道庵先生自身が、雲助君のぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]を蒙るに該当する資格を備えていたということが、運の尽きであると見なければならぬ。
 お角は、それを聞いて、
「お話にならないよ」
と横を向きました。全くそれはお話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくら[#「ぶったくら」に傍点]れるなんて、お話にも絵にも描けたものじゃないに相違ないけれども、一方、これが御当人の道庵先生その人になってみると、一時はあの通り、「後生だから助けてくれ!」と絶叫はしてみたけれども、今となっては、別仕立ての早駕籠を命じたつもりで、いい気になって、早くも高鼾《たかいびき》で納まり込んでいるかも知れない。
 お角は米友に向って、
「そういうわけなんだから、ありそうなことだよ、あの先生のことだから、こちらが気を揉むほど、あちらはお感じがない、お前、そうやきもきしないで、わたしと一緒においで、わたしはちょっとこの先の山吹御殿というのへお伺いをして行くから、荷物があるなら後からでいいよ、先生の方は、先生の方で何とかなりまさあね」
 お角一行は米友にこう言い含めておいて、いわゆる山吹御殿の方へと急がせて行きました。
 すべての人が散じて、取残された宇治山田の米友――
 悄々《しおしお》として、熊の檻車のところまで戻って見れば、熊がキャッキャッと言って躍《おど》り上って米友を迎える。
「ガツガツするなよ」
と米友が言いました。
 熊がキャッキャッと言って米友を迎えるのは、米友が無事で戻って来てくれたことを、なつかしがるわけではないことを米友はよく知っている。
 この事件のために、食物をあてがう暇がなかった、それがための催促であり、不平であることを、米友はよく知っている。
「ガツガツするなよ」
 彼はこう言って、用意の袋の中から、柿の実だの、栗だのを取り出して与えると、遮二無二《しゃにむに》それに武者ぶりついて、眼中に感謝もなければ、応対に辞儀もない。
 むしゃむしゃと食事にありついている熊の子を米友はじっと眺めて、
「ムクはそうじゃなかったんだぜ」
と吐息をつきました。
 物心を覚えてから、ムク犬は主人のお君に向っても、米友に向っても、かつて食事の催促をした覚えがない、まして不平がましい挙動を示したこともない。それは長い間には、自分たちも苦労をしたり、ムクにもずいぶん苦労をさせたが、ムクそのものがかえって我々に苦労をかけたことは一度もない。我々に苦労をかけないのみならず、我々が憂うる時は、我々と共に憂えたが、我々が喜ぶべき時に、彼を喜ばせなかったことが幾度あるか知れない。
 それだのに、ついぞあの犬が、不平と反抗とを表現したことがあるか。あれほどの豪犬だから、食物だって世間並みでは不足があたりまえだのに、世間並みの栄養を給してやることができなかったばかりか、旅路の間では、二日も三日も食わせずに置いたようなこともないではなかったのだ。
 その時、いつ、あいつがひもじい顔をして見せたことがあるか。食物の催促をして見せたことがあるか。今、この子熊がしたように、ガツガツして居催促を試みたことがあるか。

         十二

 宇治山田の米友は、こうして熊の檻車の前に腰打ちかけて、頬杖を突いて何か深く考え込んでしまいました。
 今は、ちょっと立ち上る気にもなれず、立ち上ったところで、どこへどう車を引張り出していいのか、見当がつかず、深い沈黙のうちに若干の時が経ちました。
「君!」
 後ろから肩を叩いた者がある。
「ああ」
 茫然《ぼうぜん》として米友は見廻す。そこに立っているのは、さいぜんの仲人、岡崎藩の美少年梶川与之助でありました。
「何を考え込んでいるのだ」
「何も考えていやあしねえ」
「ともかく、君、あの山吹屋敷まで来ちゃどうだね、君の尋ねるお医者さんのことは心配するがものはないそうだ」
「うん」
「生命には別条なく、これから西へ向って何駅かの間に、極めて無事に、あの先生を発見する見込みがあるそうだから――それはそれでよいとして、君には、あの先生よりも、この荷物が荷になるだろう」
「ううん」
 ううんというのは、否定の意味だか、肯定の意味だかよく分らないが、そう言われてみると、この荷物が荷にならないではない、本来ならば、安否がどうあろうとも、あのことの解決のついたと同時に、道庵先生のあとを慕うて一文字に追いかけなければならぬはずのものが、ぼんやりこうして考え込んでしまっているのは、米友は米友としての深い感慨におちて、その言い知れぬ感慨が米友の頭を重くし、足を鈍くしたものには相違ないが、一方から言えば、このお荷物あればこそである。これさえなければ、ここにこうしてぼんやりと腰をかけている米友ではない。
「聞いてみれば、君がこの熊を手放せないのも尤《もっと》もと思われる節もないではないが――今後もこういう場合を予想すれば、長い旅路の足手纏《あしでまと》いが思いやられる。いっそ、預けて置いて出かけちゃどうだ」
「うん……」
 米友は、そこで、少し考えました。事実、この熊を手放そうとまでは思っていなかったのだが、実際、足手纏いといえば足手纏いに相違ないのである。熊も大事だが、人は更に大事である。この熊があるがために、主と頼む先生に対しても忠義を励むことができず、自分の身体をさえ拘束されるようなことになってはたまらないことの理義を、米友がわきまえないほどに没常識ではない。
 といって、あれまで苦しんで、人様にもお頼み申して手に入れたこの小動物に対して、単に厄介払いという意味で、見捨てたり、置き捨てたりすることは、人情が許さない。いや、米友特有の道義が許さない。
 さきほどから頭の重かった一部分には、たしかに、その処分法についての悩みも手伝っていたのです。そこで、美少年からこういって水を向けられてみると、ついムラムラと、
「いい預り手がありさえすりゃなあ」
と、歎息のように答えてしまいました。そうすると、岡崎藩の美少年は呑込み顔に、
「そりゃ、あるとも」
「ある!」
 米友はいささか頭を上げて眼を円くして、
「あるったって、香具師《やし》じゃいけねえぜ」
「そんな者じゃない」
「だって、お前、馬なら荷物を運ばせたりなんぞして、駄賃をとって、暮しのたそく[#「たそく」に傍点]にするということもあるが、熊はお前、稼ぎをしねえから、飼ったところで食いつぶしだけのもんだぜ。だからお前、やにっこい[#「やにっこい」に傍点]身上《しんじょう》じゃあ、熊あ一匹飼いきれねえよ」
「そりゃ、そうだ」
「それからお前、子供だといったからって、熊は熊だぜ、犬や猫たあ違うんだからな、厳重な檻を拵《こしら》えてやらなけりゃならねえ、それには家屋敷も広くなけりゃならねえんだ――」
「君の言う、そのすべての条件に叶った飼主――預り主があるのだ、わしに任せてくれないか、で、また必要の時は、いつでも君に返してあげるようにする」
「そう誂向《あつらえむ》きのところがあればだがなあ」
 米友が、まだ半信半疑でいるところへ、岡崎藩の美少年は、次のように事実を証明して、米友の信用に訴えました。
 それは、この清洲の城、あの背後に俗に山吹御殿という一廓があって、かなり広大な家屋敷を持っているが――こんどそこの当主が肥後の熊本へ旅立ちをする。都合によっては長くかの地で暮すようになるかも知れない。そこで相当の留守居をつけてこの屋敷を引払うことになった。その留守番に、否応いわさず、自分が引受けさせて、熊の養育を托して置いてやる。あそこならば邸内は広いし、熊一匹養いきれないほどの身上ではなし、留守居の人間も親切であり、動物好きだから、むしろ喜んで面倒を見るにきまっている。
 それを聞くと、米友が深く頷《うなず》いてしまいました。

 やがて米友が熊の檻の大八車を引き出すと、岡崎藩の美少年が、そのあと押しをして、えんやらやあと山吹御殿に引き込んで行くのを認めます。

         十三

 それからまたやや暫くの後、この屋敷から現われた二人の者の一人は、空身になった米友に相違ないが、もう一人の方は、これも確かに岡崎藩の美少年には相違ないが、これだけは風采《ふうさい》が全く変っている。
 米友は依然として米友、車を曳かないだけの米友ですが、美少年は饅頭笠《まんじゅうがさ》に赤合羽といったような、素丁稚姿《すでっちすがた》にすっかり身を落している。
 こうして二人は街道を西へ向って急いで行きます。
 木曾路の脱線から、怠りがちであった里程表を、この辺から、名古屋を起点にはじめてみますと、
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名古屋より清洲へ一里半
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 そうして清洲から次の丁場を一里半、稲葉へ曲ろうとする六角堂まで、変装した美少年が先に立って急いでやって来ましたが、六角堂へ来ると堂の前で立ち止まりました。
 これより先、そこに待合わせていたらしい一行がある。
 この一行はかなり物々しい乗物二梃に、数名の従者と、それが槍一筋を押立てていることによって、庶民階級の旅人でないことがよくわかります。
 ここへ追いついて、ホッと息をついた岡崎藩の美少年の物ごしを見て、米友は、ははあ、この少年はこの一行に合するために、わざわざ変装して来たのだということが充分に呑込めました。
 待合わせていた一行もまた、美少年の来り合したことを会釈《えしゃく》して、しからばいざ一刻も早く、という段取りでした。
 美少年は、額《ひたい》に滲《にじ》む汗を拭いながら、自分は休もうともせず、先に立って、
「いや、お待遠さまでございました」
 その時、前の乗物の戸が細目に開いて、それに挨拶の合図のように見えたばっかりで、何とも言葉はありませんでしたが、その乗物の戸を細目に開いた瞬間に、米友は、その白い面《かお》を見ました。微笑を含んで会釈するらしい人の面をちらと見ました。そうして色の白い、髪の黒い、身分ありそうな女の人であることだけを、米友は認めてしまいました。
 前なる乗物の主がわざわざ駕籠の戸をあけての挨拶にかかわらず、美少年はそれをちょいと振返ったばかりで、すっと自分が先頭をきってしまい、一行のすべてがそれに従って進みました。
 この場合、米友としては、先頭をきってさいぜんの美少年と歩調を共にしたものか、それとも殿《しんがり》を承って、この見も知らぬ一行について行った方がいいかと迷いましたが、よしよし、やっぱり先へやって、やり過した方がいい。
 こうして、このかなり物々しい一行は六角堂を乗出して、真直ぐに北へ行けば一宮から岐阜へ出る街道を、左に取って、長束《ながづか》から稲葉伝いの大垣街道を打たせるのです。
 計らず殿《しんがり》を承った米友は、街道の左右を見て広い田場所だなあと思いました。見渡す限り田圃だ――おれも国を出てからずいぶん諸所方々を流浪したが、今までこんな広い田圃を見たことがないと思いました。
 米友は今、名も知れぬ一行の殿を承って、茫然として進み行くばかりです。
 これに従って行けば道庵先生の跡が確かまるというわけでもなく、お角さんその人はどの道をとったのかさえ明らかでないが、ともかく、あの美少年はなかなか目から鼻へ抜けている上に、お角さんとも充分に諒解のある間柄だということを信じているから、それに従って行きさえすれば悪いようにはなるまいという心だのみのみで、無心に足を運ばせて行くだけのものです。
 やがて清洲から一里半の丁場、稲葉の宿を素通りして、同じような広い左右の田圃道を行くことまた一里半。
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萩原――の宿で中食
萩原より起《おこし》まで一里
起より墨俣《すのまた》まで二里――
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 墨俣より二里四町にして、ついに大垣の城下へ着いてしまいました。
 これを、かりに清洲からの発足としても約八里の道、女連れの旅としてはかなり急いだものと見なければならない。
 ともかくも一行は、こうして無事に大垣の城下に着き、木村という本陣に宿を据えました。
 米友も御多分によって、宿屋の中へまぎれ込み、一番最後に目立たないところで足をとめていると、
「友さん――」
「あっ!」
 顧みて見ると、そこに立っているのはお角さんでした。
「友さん、お前、御苦労さまだがね……」
 お角さんは存外他念なく、米友に対して物やさしい物の言いぶりでありました。
「御苦労さまだけれど、その足で、ちょっと頼まれてくれないかね」
「何だい」
 その足で頼まれてくれというのは、今し取りかけた草鞋《わらじ》を取るなという命令のようなものです。米友としては、それを肯《き》かないわけにはゆかないのです。いつもならば権柄《けんぺい》ずくで命令されても、このお角さんだけは米友にとって苦手《にがて》であって、どうともすることはできないのだが、今日はいやに生やさしく頼まれるだけ、一層いやに圧迫されるような嫌味が無いではない。
「お前、今晩ここで泊らないで、関ヶ原まで行ってくれないか」
「えっ」
 米友としても身心ともに相当に疲れている――ここへ着いたのをホッと一安心と心得ていないでもないところを、その足で……と来た。
「うん」
 これもまたいやとは言えないようになっていたが、いったい、その関ヶ原とはどこだ。

         十四

 お角さんは、最早ここに先着していたので、その先着は米友の一行に先立つこと、ほんのしばしの間――万事はかの岡崎藩の美少年としめし合わせてしたことという筋道は、米友にもよくわかります。当然、米友もあの一行に伴われてここへ落着くのだということも、お角さんは先刻心得て待っていたに相違ない。そうして、米友の到着を待ってこのことを言おうと構えていたこともたしかです。
 せっかく草鞋《わらじ》を取りかけた米友はいやとも言えない、この際、迷惑には迷惑であるが、事と次第によっては、頼まれたことを引受けられない米友ではない。ことに自分は、ここに泊るつもりで来たのでもなければ、泊らねばならぬ勤務を持っているわけでもない。
 そこで、いやとも言わず、応とも言わず、お角さんの頼みをなお念入りに聞こうとして草鞋を解く手を休めていると、お角さんは、いつもよりは角を立てないで、お気の毒だがねえと言って、米友に頼み込むわけというのはこうなのです。
 実はお連れ申して来た、お前の知ってのあのお銀様が……また横紙破りをはじめて、わたしはどうしてもこの宿へ泊らない、これから先の関ヶ原というところまで行って、そこで今晩は泊るから――と言って、どうしても肯《き》かない。
 言い出したら引く人ではないが、そうかといって、わたしはここで皆さんをお待受けしている約束があるから、そんならと言って、お嬢様の思召《おぼしめ》しに従って、関ヶ原までのすわけにはゆかなかったのさ。仕方がないから、庄公をつけて、お嬢様のお気に召す通り、関ヶ原というところまでさきへお送り申すようにして置いたが、それでも心配でたまらない。そこで、友さん、お前さんが来たら、お気の毒だけれども、お頼みしようと思っていたところなのさ。
 友さん、お前は、それ、あのお嬢様にはお気に入りなんだろう。そこでお前がお嬢さんについていてくれりゃあ、わたしは本当に気が休まるよ。
 御苦労だが、これからその足で関ヶ原まで行っておくれでないか――
 こう頼まれてみると米友は、いよいよいやとは言えないのです。
 御苦労だが……とか、お気の毒だが……とか、お角さんから米友に対しても、あまり使い慣れない辞令が連発される上に、頼まれるそのことも決して悪いことじゃない、仮りにも人の身の上の保護を托されるということになれば、米友としても男子の面目でなければならない。それに今、お角さんから言われてみると、あの難物のお嬢様という人に、自分はお気に入られているんだそうだ、なにもおいらはあのお嬢様にお気に入られようとも、入られまいとも企てた覚えはないが、そう言われてみると、親方のお角さんほどの代物《しろもの》が、あのお嬢様には腫物《はれもの》に触れるように恐れ入っているのが、おいらにはおかしくてたまらねえ。
 あのお嬢様なんてのは、つき合ってみりゃ、ちっとも怖くもなんともねえ、話しようによってはずいぶんおいらと意気が合わねえでもなかったなあ、なるほど――言われてみると、おいらはあの難物のお気に入りなのかも知れねえぞ。
 お嬢様に気に入られるくらいなら、こっちもひとつお嬢様というのを気に入れてやろうじゃねえか――お角親方に向っちゃ、おいらはどういうわけだか、気が引けて頭があがらねえが、そのお角親方が恐れ入っているお嬢様というのには、てんで友達扱いでいられらあな――お安い御用だよと米友が思いました。
「じゃ、頼まれてあげよう。そうして、その関ヶ原というのは、これからどっちの方へ、何里ぐらいあるんだね」
「この街道筋を西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が垂井《たるい》というので、それまで二里半、垂井の次が関ヶ原で一里半ということだから、まだ四里からあるにはあるんだがね――馬に乗っておいでよ」
 今、草鞋を取ろうとする時に、これから四里も歩かせられるとしたら、米友といえどもうんざりしないわけにはゆくまいが、馬をおごってくれるという親方の好意で、帳消しにならないということはない。だが、米友の気性として、
「なあに、四里ぐれえの道は馬でなくたっていいよ」
と頑張ってみました。事実、米友は従来の旅で、ここと思って突っ放され、夜道も野宿も覚えがあるのだから、その気になれば四里ぐらいの追加はなんでもないし、また馬に乗せてもらうなんぞは、自分の分として贅沢《ぜいたく》過ぎるようにも、意気地がなさ過ぎるようにも感ぜられないではない。そこをお角は透かさず、
「なあに、そんなにみえ[#「みえ」に傍点]を張らなくてもいいよ、そら、馬が頼んであるんだからね、あれがそうなんだよ――いいからお乗り。あのう、姉さん、お弁当が出来たら急いでこの人に渡して下さい」
 お角さんは、門の中へ引き込んで来る一頭の駄賃馬の合図と、後ろの方、台所の方面へ向って女中へ弁当の催促を一度にしました。
 女中は竹の皮包の握飯に、梅干かなにかを添えて持って来たものです。
 さすがに万端抜かりがない、だしぬけに人を頼むには頼むようにする、こういうところだけは親方は感心なものだ。
 米友は、お弁当を貰って腰につけ、そうして勧められるままに駄賃馬に乗せられてしまいました。お伝馬《てんま》で旅をするなんて洒落《しゃれ》たことは、これが初めてでしょう。まして行先は、名にし負う美濃の国、不破《ふわ》の郡《こおり》、関ヶ原――

         十五

 こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、胆吹《いぶき》の山つづきを左右に見て、垂井の駅へ入りました。垂井の宿へ入ると、そこで流言蜚語《りゅうげんひご》を聞きました。不安の時代には、流言蜚語はつきものであります。健全なる時代には、よし流言蜚語を放つ者があっても、それが忽《たちま》ち健全化されて、はねかえしてしまうけれども、不安の時代には普通の世間話までが流言蜚語の翼を添えるのは是非もないことです。
 今し、この夕方、垂井の宿いっぱいにひろがる流言蜚語そのものは、
「明日になると、武田耕雲斎が押しかけて来て、この宿を占領する」
ということでありました。
 中仙道と尾張路との岐れ路で、清冽《せいれつ》なる玉泉をもって名のある、平和な美濃路の一要駅が、今夕、この流言によって、多少とも憂鬱の色に閉されていることを米友が認めました。
 だが、こういった程度の流言は、歴史と言わないまでも、近代的の常識さえあれば、忽ちに雲散霧消すべきはずのものですけれど、そうもいかないところに、やはり時代の不安があるのです。
 武田耕雲斎が来る!
 なるほど、水戸の武田耕雲斎が、手兵を引具《ひきぐ》して、京地《けいち》を目指して乗込んで来るという事実と、風聞が、東山道沿道の藩民の心胆を寒からしめたことは昨日のようだけれども、もうその事が結着してから、少なくとも今年は三年目になっている。
 信濃路から侵入して来た耕雲斎の手兵が、大垣の兵に遮《さえぎ》られて北国へ転じ、ついに一族三百余人が刑場の露と消えたのは誰も知っているはずであるに拘らず、その幽霊が、かくもこの辺の人心を脅《おびやか》している。
 垂井の宿の入口でその流言を聞いたのが、宿の中程へ来ると、
「上方《かみがた》からは毛利|大膳大夫《だいぜんのたいふ》が来る!」
ということになっている。
 そうして、二つの結合点が、東から武田耕雲斎が来《きた》り、西から毛利大膳大夫が来て、明日にも関ヶ原で戦《いくさ》がはじまる、垂井の宿はその昔、天下分け目の関ヶ原の時にあわされたと同様な運命に落ちて焦土となる――というようなことになってしまっているようです。
 これもまた、常識を加えるまでもなく、おかしいことです。西から毛利がやって来て、武田耕雲斎を相手に天下取りを、名代の関ヶ原で行うということは、少し釣合いがとれない。
 今の毛利は、一族を以て日本全国を相手として戦い得るほどの力を備えているに拘らず、それが単なる武田耕雲斎を向うに廻さねばならぬというのは滑稽なことです。
 果して、進むにつれて風聞がまた拡大してきました。
 東から来るのは武田耕雲斎だけじゃない、水戸の中納言が、武田耕雲斎を先陣として乗込んで来るのだ。いや、引連れて来るのは武田耕雲斎だけではない、武州、相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!
 それからまた一方、西の方から来るのは単に長州の毛利だけではない、備州[#「備州」は底本では「尾州」]も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが関ヶ原で再度の天下を争うのだ!
 そういうふうにまで変化してくると、いささか釣合いは取れてきたわけだが、それにしても、一方の毛利はよいとしても、東軍の総大将が水戸様はおかしいじゃないか。
 尾州とか、紀州とかいうことならば、長州征伐のむし返しが関ヶ原で行われるという理窟にはなるが、水戸徳川は、むしろ長州はじめ勤王党のお師匠格である。
 しかしながら流言蜚語《りゅうげんひご》は、認識や弁証の過不足については、なんらの責任を持たないのを常とする。
 こういう空気の中を米友が垂井の宿を抜けきる時分に、宿を覆うた不安の雲が、哄笑《こうしょう》の爆発で吹き飛ばされてしまったというのは、流言蜚語の正体の底がすっかり割れてしまったからです。
 それは、この街道筋の東西の雲助という雲助が、明日という日に関ヶ原で総寄合を行うということの訛伝《かでん》でありました。
 雲助には国持大名が多い――彼等は長州と呼び、武州と呼び、因州と呼び、野州、相州と呼ぶことを誰人の前でも憚《はばか》りとしてはいない。国持大名の二十や三十の頭を揃える分には、彼等の社会に於ては朝飯前の仕事である。
 つまり、明日の何時《なんどき》かに、斯様《かよう》の意味に於ての国持大名たちが、関ヶ原に勢揃いをして、しゃん、しゃん、しゃんとやろうという、その訛伝が、こんなことに伝えられたものと見える。
 そういう空気のうちに、米友は関ヶ原の駅へ乗込もうとして、その間の野上《のがみ》というのを通りかかったものです。
 そこにかなりの混乱を見ました。
 とある店前《みせさき》に篝《かがり》を焚いて、その前で多数の雲助が「馬方|蕎麦《そば》」の大盤振舞にありついているところです。
 女中たちが総出で給仕をしてやっているが、その奥の屋台に控えて、
「さあ、みんな、遠慮せずに食いな、うんと食いな、ここは桃配りといってな、家康公が桃を配ったところだ。ナニ、桃じゃ無《ね》え、家康公のは柿だと――どっちでもいいやな、今夜は蕎麦配りの山だ、うんと食いな。お代り、お代り、あちらの方でもお代りとおっしゃる、こちらの方でも……おいきた、若衆《わかいしゅ》、こっちへ出しな。さあ、お待遠さま――」
 大盤振舞の施主《せしゅ》自身が、大童《おおわらわ》になって盛替えのお給仕の役をつとめている。
 それを見て馬上の米友が、あっ! と仰天しました。
 この大盤振舞の施主は、ほかならぬ道庵先生でありましたからです。
 それとも知らぬ道庵先生は、
「さあ、遠慮をせずと、いくらでもお代りを言ってくんな、今日はお蕎麦でたんのう[#「たんのう」に傍点]してもらうんだが、明日という日は白いおまんまを炊き出して、兵糧をうんと食わせるから、すっかり馬力をかけて石田三成をやっつけてくんな、毛利も、浮田も、何のそのだ、さあ、お代り、お代り」
 道庵が声をからしてどなっている。メダカが餌にありついたように、無数の雲助は寄りたかって、ハゲ茶瓶《ちゃびん》を振り立てつつ馬方蕎麦を貪《むさぼ》り食っている。

         十六

 呆《あき》れ返って、馬から飛び下りて来た米友に向って道庵は、いかにこの場に集まった雲霞の如き雲助という種族が、愛すべき種類の人類であるかということを、滔々《とうとう》と説いて聞かせました。
 道庵の昂奮した頭で説明された雲助礼讃は、言葉そのままで写すと支離滅裂になるおそれもある。よってこれを散文詩の形式で現わしてみると、こうもあろうかと思われる――
 嗚呼《ああ》、愛すべきは雲ちゃんなる哉《かな》。
 わが親愛なる雲助諸君こそ、現代に於ける最も偉大なる自然児の一人である。
 悪口《あくたい》は君達の礼儀であり、野性は君達の生命である。無所有が即ちその財産で、労働が即ちその貨幣である。家は無しと雖《いえど》も、天を幕として太平に坐し、一本の竹杖がありさえすれば万里を横行するの度胸があり、着物が無ければ傘《からかさ》を引っぺがして着るだけの働きがある。
 しかるに世間には往々、この愛すべき自然児たる雲ちゃんをつかまえて、道中筋の悪漢の代表でもあるかの如く讒誣《ざんぶ》する心得違いが無いではない。甚《はなはだ》しいのは、この愛すべき雲助をかの卑しむべき折助と混同する奴さえある。
 わが雲助こそは、天真流露の自然児であるのに、かの折助は、下卑た、下等な、安直な、そのくせ小細工を弄《ろう》する人間の屑である。
 雲助諸君こそは、天地の間《かん》に裸一貫で堂々たる生活を営むに拘らず、かの折助は何者だ!
 由来、道庵と折助とは反《そり》が合わないものの型になっている。雲助を礼讃する一面が、自然、折助の弾劾となるのは免れ難い因縁かも知れない! 自然、雲助を引立てるために折助のアラを数え立てることを、道庵先生はちっとも遠慮をしていない。
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折助は暗いところで
まあちゃんと戯れ
夜鷹《よたか》を買い
緡《さし》を折り
鼻を落し
小またを掬《すく》い
狎《な》れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持《ちょうちんもち》となり
悪刷《あくずり》を売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
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 道庵の見るところでは、折助はかくの如く下等なものだが、わが親愛なる雲ちゃんに至っては、決してそんなものじゃない。
 銅脈もかつて、雲助の出所の賤《いや》しからざることを歌って、
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雲助是何者、更非雲助児、尋昔元歴々……
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と言っている通り、この素姓《すじょう》が賤しくねえから、貧乏はしても、折助あたりとは品格が違わあ。
 およそ、当代の下劣なる流行と、野卑と煽動と冒涜《ぼうとく》とは、ほとんどすべてが折助の手によって為されぬというのは無いけれど、雲助に至っては、いったい何を悪いことをしましたか?
 調べてごらんなさい、道中筋の悪漢の代表でもあるかのように見られているわが雲助が、今までに何を悪いことをしている。彼等は天真な自然児であると共に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵《にごしら》えをさせては堅実無比であり、駕籠《かご》の肩を担いでは、お関所の門限を融通するの頓智もある。雲助唄を歌わせれば、見かけによらず、行く雲を止めるの妙音を発する者さえある。強《し》いて、彼等が為す悪いこととして見るべきものがありとすれば、それは酒料《さかて》をゆするくらいのものだろう。だが、その酒料をゆするにしてからが、無法なゆすり方は決してしない、こいつはゆするべき筋があると睨《にら》んだ時に限るのである。それも、その際、旅人が自覚して、相当に財布の紐をゆるめさえすれば、彼等は難なく妥協してこだわりがない。彼等は強盗をしない、小細工をしない、見かけは鬼のようであって、実は淡泊にして、親切にして、且つ苦労人であって、同情ということを知っているが、決してそれを押売りはしない。
 彼等は、落ちたりといえども一国一城の主をもって自ら任じ、決して親のつけた名前なんぞを呼ぶものはない。
 試みに、天下の街道から、この愛すべき雲ちゃんを取去ってみると――
 交通はぱったりと止り、景気はすっかり沈んで、五十三次の並木の松には不景気が首つりをする。雲助があって天下の往還があり、天下の往還があって雲ちゃんがある。
 嗚呼《ああ》、敬愛すべきわが自然児雲助諸君、おらあほんとうにお前たちに惚れたよ。
 おおよそこういったようなもので、道庵先生の雲助に対する礼讃ぶりは最大級のものに達しているのは、一つには、これは折助の卑劣なるものに対する日頃の反感が手つだっているとはいえ、また今日のぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]なんという振舞が、すっかり道庵の気に入ってしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前物の駕籠の中へ押込み、約十里というがもの宙を飛んで、ところも嬉しい関ヶ原の野上へ持って来て、さあ、どうでもなりゃあがれとおっぽり出した度胸なんぞは、まことに及び易《やす》からざるものじゃないか。
 一も二もなく雲助のきっぷ[#「きっぷ」に傍点]に惚れ込んだ道庵が、ここで彼等の溢《あぶ》れ者《もの》をすっかりかり集めて、大盤振舞をした上に、明日はこの勢いで関ヶ原合戦の大模擬戦を行って見せるのだという。
 すなわち、自分が雲助の大将として、大御所の地位に坐り、一方、石田、小西に見立てた西軍を編成して、あちらに置き、そうして明日はひとつ天下分け目の人騒がせをやるのだということを、道庵がしきりに口走っている。
 ははあ、垂井からこっちへの流言蜚語《りゅうげんひご》の火元はこれだな!
 東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名が轡《くつわ》を並べるというのはこれだ。
 米友は、道庵の雲助礼讃が終るのを待ち、清洲以来の自分の行動を物語って道庵の諒解を求めた上に、親方のお角から頼まれて、これから関ヶ原まで行かねばならないことの承諾を求めたけれども、雲助にのぼせきっている道庵の耳には入らない。
「ああ、いいとも、いいとも」
「ああ、いいとも、いいとも」
 道庵は一切無条件で、米友の申し出を受入れてしまうものだから、米友としては手のつけようがなく、そうかといってこうまでのぼせ切っている道庵を、この多数の雲助の手から取り上げて、常道に引戻すことは不可能のことだ。
 それともう一つ、今晩このところから道庵先生をテコでも動かせないことにしたところの理由が、まだ存在する。というのは、この野上の地点というものが関ヶ原合戦の時、まさしく大御所家康が本陣を置いたところなのです。桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下《きか》の軍勢を押据えて、西軍を押潰《おしつぶ》したという史蹟は争えないものがあるのです。
 そこで、道庵先生、雲助に共鳴してはしゃぎ切っている一方、自分はいつしか大御所気分になって、のぼせきってしまって、ここに今晩の本陣を押据えて、明日は西軍を微塵に踏みつぶして、小関のあとで首実検をするという威勢に満ち満ち切っているのですから、米友が何を言うかなんぞは全く耳に入ろうはずもありません。
 しかし、米友としては、この先生の気象は呑込んでいることだし、相手に心酔し、共鳴してやる仕事だから、危険性のないという見極めがついているから、道庵の為すがままに任せるよりほかはないと思いました。
「じゃ先生、おいらは先に関ヶ原へ行ってるよ」
 かくて、てんやわんやの野上駅の騒ぎをあとにして、米友一人はまた馬に跨《またが》って、関ヶ原へ向けて出発しました。

         十七

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大垣より垂井へ一里十一町
垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
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 お角から指定された宿の恵比須屋へ米友が到着しました。
 恵比須屋の上壇の座敷を二間も占領して、頑張っているのはお銀様でありました。お銀様はあの事あって以来、ことにお角との同行を好まないらしい。あの事というのは、お角がぜひなく岡崎藩の美少年と相駕籠で、自分の先をきったということでありましょう。それに、今日は、あの美少年としめし合わせて、どうやら、別にまた一行の他人と旅を共にする約束が出来たらしい。
 相手の何者かはわからないが、ただでさえ毛嫌いをはじめたお銀様が、それをうべなうべきはずはない。お銀様は一行の頭をおさえて自由気儘な行動をとる。それだから無論、六角堂で待合わせて、大垣で落合うというようなことは知らない。
 ただ、今晩はどうしても大垣でお泊りなさるようにと、お座敷まで取ってあるのを聞き流してお銀様は関ヶ原まで打たせてしまいました。お角、及び新たに加わった一行の空気と相触れることはお銀様としては絶対に許せない。お銀様としては、このまま全く自分勝手の自由行動をとって、行くところへ行ってしまいたいのだが、それは、旅慣れないお銀様の気持が許さないのではなく、保護者として、預り主としてのお角さんの立場が許さない。そこで、眼にも余り、手にも負えない我儘《わがまま》いっぱいの自由行動を黙認しながら、しかもお角さんは、お銀様に対する監視の眼だけはちっともゆるめないのです。
 今夕も、関ヶ原まで伸《の》すという行動には一切干渉しない代り、心利いた若い者の庄公を目附として、ここまでつけてよこしました。
 庄公は宿の一間、いつもお銀様へ眼の届くところに部屋をとって、監視の任に当っていたが、旅の疲れで眠りこけてしまいました。
 夜更け、人静まった時分、お銀様は籠行燈《かごあんどん》の下で関ヶ原軍記を繙《ひもと》き出しました。
 お銀様は、まだ知らない行先の土地のことをよく知っている――これが、この行中もお角さんの最も驚異するところの一つでありました。
 自分はかなり世間を歩いているのに、世間を知らないことが多い、はじめて旅に出たお銀様が一から十まで、まだ踏まないさきの土地のことを知っている。このことの驚異が、お角さんとして、お銀様というものを、いよいよ底気味の悪いものにしている。人は自分の持たぬものを見るのに過大な影を置くもので、まのあたり眼でみ、耳で聞くことのほかに知識の鍵をもっていないお角さんが、一室に閉籠って蓄《たくわ》えていたお銀様の読書の知識というものに思い及ばないからこそ、大きな驚異と、怖れとがある。
 それにしても、お銀様の知識というものは、単に普通の人のする読書や見聞から来る知識以上に豊富なものがあり、また同時に読書の知識と、旅の実際とを考証してみることに、少なからぬ興味を持っていたものですから、到るところの名所古蹟に対する予備知識に加うるに、その土地土地に於ての参考資料をおろそかにはしなかったのです。
 名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていました。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々の間《かん》に、軍記の示す配列を実地に眺めようとの下心に相違ない。
 だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという贔屓《ひいき》が、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何とも致し難い。それだけに家康を嫌います。或いは家康を虫が好かない故にこそ――西軍に贔屓が出るのかも知れない。けれども、あの時に於て、お銀様の贔屓とか、興味とかいうものが、石田、小西に集中しているわけではない、その人は別にあるのです。
 およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆《おおたにぎょうぶしょうゆうよしたか》その人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。
 まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。冴《さ》えきった眼の前に、朦朧《もうろう》としてその人が現われて来るのは是非もないことです。

         十八

 お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
 宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物《しらがなもの》打った鎧《よろい》を着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。
 紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白《せりふ》から表情の一切を見て取ることができる。
 かく身体はいかめしく鎧《よろ》っているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々《らんらん》として輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上に蛆《うじ》が湧いている。
 誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。然《しか》るにお銀様は、じっと瞳をこらして、それをまともに見ているのであります。こうして大谷刑部少輔は紙帳の中に、ひとり端然と控えていることしばし、これも武装をした一人の使者が眼前に現われました。
「石田治部少輔の家来、柏原彦右衛門にござりまする」
 使者の者がこう言って頭を下げる。刑部少輔吉隆は頷《うなず》いて、
「うむ、彦右か、大儀であった、さいぜん治部殿から御手紙であったが、重ねて、そなたを使者としてつかわされた次第は?」
「主人よりの申附けにより、刑部少輔殿を、枉《ま》げて佐和山の城へ御案内申せとのことにござりまする」
「それは心得ぬ、我等このたびの出陣は、内府公の加勢をして会津発向のほかに用向はこれ無きはず、治部少輔がこの際、我等を途中より招かるるは、さだめて何ぞ別段の思惑もあることであろう、そちは使者を命ぜられたほどの者である故に、その仔細を存じておらるるはず、申し聞かせられい」
「主人事、私共へはなんらの申し聞けはござりませぬが、内府公の御手前の儀は、我等主人に於て何分にもおとりなし仕《つかまつ》るべきにより、枉げて佐和山の城へお立寄りを願いたい、我等主人胸中には、刑部少輔殿に格別の御相談を申し上げたき儀もあるやに察し申しておりまする」
 刑部少輔吉隆は、それを聞いて、暫く打吟じて思案に耽《ふけ》っていたが、
「よろしい、然《しか》る儀ならば、これより佐和山の城へ同道いたそう」
と言い切って、面《かお》を上げた大谷刑部少輔の崩れたその顔面。深い覚悟の程も、思い切った表情の程も、その崩れ爛《ただ》れた面には、更に現われてこないことが悲惨である。それをお銀様は悲惨として見ないで、かえって自分の顔として見ているようです。
 石田治部少輔三成のために――単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐に向うつもりとばかり期待して軍勢を引連れて出て来た身が、ここでガラリと向きをかえて、江州なる佐和山の城――つまり石田の居城への招請を甘んじて引受けたこの名将の心理が、少しもその顔面の表情に現われてこないことを、お銀様だけが痛快に感じ、その崩れかかった顔面の中に大谷吉隆を見ないで、かえって自分の面体を見て、お銀様の心がよろこび躍りました。
 舞台がそこで暗転の形となる。

         十九

 ここはいわゆる佐和山の城の大広間であろう。大谷刑部は以前と同じ姿形で一方の敷皮の上に胡坐《あぐら》している。
 それと相対して、烏帽子《えぼし》大紋の容貌優秀なる大名が一人、同じように敷皮の上に座を構えている。これが当城の城主――石田治部少輔三成に相違ない。
 かくて、両者の対話と問答がはじまる。
「実はこのたびの会津反乱というは仮りのこと、実は我等、多年思い立ち候事なり」
 多年の企画がここに火蓋を切って、いよいよ徳川家康を向うに廻して天下分け目の大謀がその緒についたことを、三成が逐一《ちくいち》、大谷に向って打明ける。会津の上杉にすすめて兵を挙げさせ、家康がその征伐のために伏見を立って東下する――という表面の事態、裏には石田と直江山城との策動が熟し切っていて、家康の東下を待って、そのあとを覘《ねら》おうとの方寸を三成が吉隆に打明けたのであった。
 それをいちいち聞いていた大谷刑部は、例の崩れかかった面を燈火に向けて言った、
「これは以ての外の不了見でござる」
「以ての外の不了見とは?」
 心さわぐ三成を、吉隆は制して言った、
「貴殿という人は、江戸の内府を並大抵の人と見ておらるるのか。この点は我等よりはいっそう認識のことでござろうに、今更あの人を向うに廻そうなどとは、途方もない無謀である、拙者には貴殿の胸中がわからない」
「家康とても鬼神ではござるまい」
「なかなか以て。故《もと》の太閤ですらも我々へ常々申し聞けらるるには、家康の儀は知勇共にそなわりたる人であるによって、我等のよき相談相手と思って馳走いたすのじゃ、お前たちの合点《がてん》のいくことではないと、事毎に言われたものだ。太閤ですら、それほどに遠慮を置いた人物を、貴殿がいまさら相手に取って弓矢に及ぶとは沙汰の限りのことでござる、左様な無益の儀を思い止まって、我等と一緒に会津表へ下向なさるがよろしい」
 三成はそれに答えて言った、
「それはそうでもあろう、貴殿の諫言《かんげん》に従って思いとどまるのが道理かも知れないが、今はもう退引《のっぴき》のならぬ事態になっている。というのは、我等上杉景勝の家老直江山城守と堅く申し合わせ、当春より直江が主人景勝をすすめて旗を揚げさせ、そこで、家康父子をはじめ徳川一味の諸軍がみな景勝退治とあって会津発向のように仕組んで置いた仕事が、予定通り今日の段取りとなって現われたものである。この際拙者が思いとどまって、景勝一人を見殺しにできようか、できまいか、武道の本意によりて推察ありたし。合戦の勝負のことはどうあろうとも、この儀を思い止まることは、三成としては決して罷《まか》りならざるの儀でござる。貴殿御同意なきに於ては是非に及ばぬ儀でござる故に、急ぎ関東へ参陣あらせられるがよろしい」
 三成は存外、失望することなく、右の如く吉隆に応答した。
 それを聞き深めていた吉隆は、沈痛な返事をもってこれに答えた、
「意見の相違、是非に及ばぬことだ、然《しか》らば貴殿は貴殿の計画に任じ、思うように計り給え、拙者は拙者として、このまま会津征伐に馳《は》せ加わるのみじゃ」
「全く以て、是非に及ばぬこと」
 ここで舞台が暗くなると共に、幕が落ちた。
 お銀様は関ヶ原軍記を前にして、自分が見ようとする芝居の筋書を、こんなふうに胸に描いているのでありました。

         二十

 やがて幕が下りたのではなく、やはり暗転の形で次の舞台が現われたのであります。
 それは前の大谷刑部少輔吉隆が手勢を引きつれて出て来たには相違ないが、この時の装いは全く違っている。練《ねり》の二ツ小袖の上に、白絹に墨絵で蝶をかいた鎧直垂《よろいひたたれ》は着ているけれども、甲冑《かっちゅう》はつけていない、薄青い絹で例の法体の頭から面をつつんでいる。そうして、四方取放しの竹轎《たけかご》を四人の者に舁《かつ》がせて、悠然としてそれに打乗っている。前の場の石田との会見から垂井へ戻るにしては、胆吹山《いぶきやま》の方角が違っている。物のすべての面目が変っていることを、お銀様は奇なりとしました。
 かくて大谷の一行が街道の並木の中を上に向って行くと、ハタと行会ったところの一隊の軍勢がありました。
 五七の桐の紋の旗じるし。
 さんざめかした、きらびやかな一軍の中の総大将と見ゆる錦の鎧直垂――まだ年少血気の一武将であった。
「金吾中納言殿」
 大谷刑部少輔の左右の者が言った。大谷はうなずいた――やがてこの両隊は行きあいばったりとなる。大谷吉隆はそれを知らざるものの如く眼をつぶって行き過ぎてしまった。
 これは実に違礼であった。秀秋は高台院の猶子《ゆうし》で、太閤の一族、福島正則ほどの大名でもこれと同席さえすることのできなかった家柄である。刑部は何故に礼を忘れた。それは顔面が崩れて、もう物を見る明を失うていたのか、そうでなければ深き物思いのために、つい礼を失したものであろう。
 そうしてやり過した並木道。
 刑部少輔の手の者が山蔭に形を没してしまった後、金吾中納言は、畦道《あぜみち》に馬を休ませながら、家老にたずねた、
「あれは大谷刑部少輔ではないか」
「御意にござりまする」
「無礼千万な奴、会津征伐に加わるために東下すると聞いたが、どこへ行くのだ」
「不審に候」
 家老の松野主馬が答えると、他の一人の家老の稲葉正成が言う、
「大谷刑部も存外、目先の見えぬ愚将じゃわい」
「愚将とは?」
「あれは志を翻して、石田三成を助けに行くのでござる」
「治部少輔へ加勢にか……」
「螳螂《かまきり》の軍に加わるきりぎりすのようなものでござる」
 一軍の間に嘲笑が起ろうとする時に、家老の松野主馬がそれを遮《さえぎ》った。
「大谷ほどの者がなんで成敗の道を知らぬはずがござろう、あれは石田を助けに行くのではない、三成に首を与えに行くのだ」
「首を与えに」
「あの汚ない首を……」
 一軍の間に嘲笑の色が動くのを、松野主馬がまた抑えた。
「事の成るを知りつつ事を共にするは尋常のこと、わが不利を見て相手に節を売るは売女の振舞――成敗を眼中に置かず、意気を方寸に包んで、甘んじて弱きに味方する英雄の心情、それは英雄のみが知るものに相違ない、偉なる哉、刑部少輔――」
 嘲笑の色が、この悲壮なる讃美の声で圧倒されてしまった。
 小早川金吾中納言秀秋の血気の上に、愴然《そうぜん》たる雲がかかる。
 家老松野主馬は、それに附け加えて、全軍に諷するところあるが如く、主人に諫《いさ》むるものあるが如く――またいささか自ら絶望の気味あるかの如く、次のように言う、
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、石田三成から使者を受けたのだ。年来のよしみで、石田に加勢を頼まれたのだ。彼はこれを意外とした。彼ほどの聡明な武人が、敵を知り、我を知らぬという法はござらぬ、今の世、徳川内府を向うに廻して歯の立つ者のござらぬという道理を噛んで含めるように三成に説いて聞かせたものだ。三成も、大谷が説くくらいのことは知っている。知ってはいるが、今、思い上っている――意見の相違。ついに物別れになって、かれ大谷は垂井の陣へ引返したのだが――彼は成敗の理数を知ると共に、朋友の義を知っていた、そうして垂井へ帰った後に、三たび使者をやって三成に反省を促したものだ。その効無きを知って、ついに一身を抛《なげう》って三成に与えるの覚悟を決めたものなのだ。そうして今日は垂井の陣を引払って、ああして佐和山の城へ三成を助けに行くところなのだ。あの顔色を見給え、彼は気の毒に病気ではあるが、あの無表情な面に深刻な反省があり、決意が溢れきっているのを見遁《みのが》してはならない。事の敗るることを万々承知の上で、甘んじて友を助くるの魂を見て置くがよろしい」
 松野主馬はそれから、主人金吾中納言の馬前に膝を突いて、言葉を恭《うやうや》しくして次の如く言った、
「あれをごらんあそばしませ、ただいま軍勢に向って申しました通り、あれは大谷刑部少輔が、石田のために命を与えに行く道すがらでござりまする。まことにもののふの鑑《かがみ》と申すべきではござりませぬか。恐れながら、わが御先代の小早川隆景公は日本第一の明将でございました。御一身の栄達を犠牲にして毛利の本家の礎を据え、筑前五十万石を、太閤殿下よりの御養君たるあなた様のために残し、御身は何物をも持つことなくして生涯を終りになりました。この御陰徳がいつの世か報い来らぬことの候べき――豊臣は亡び、徳川は衰えるとも、毛利の家は動くことなかるべしと人が噂《うわさ》をするのは、一に隆景公の御陰徳と申しても苦しうござりますまい。太閤殿下の御血筋を引き、この小早川の名家を御相続あそばされた我が君――畏《おそ》るべきは後代の名でござりまする、あやかりあそばしませ――いま目のあたり見る大谷刑部が義心を御覧《ごろう》じませ、事の成らざるを知りつつ一身を友に与うるは、もののふの鑑にござりまする、我等武人としては、この後塵を伏し拝むべきでござります」
 松野主馬はこう言って、主人の馬前から向き直って、ただいま大谷吉隆が過ぎて行った馬印の後ろかげを合掌して伏し拝んでいる。一軍粛として声がない。夕陽が松原のあなたに沈む。お銀様も、もらい泣きというにはあまりに溢れる涙を如何《いかん》ともすることができない。袖と袂を押当てて、面をあげられない気持になってしまった。
 その時、関のかなたで鶏が啼くような声がしたが、まだ夜明けではあるまい。
 ああ、いい芝居、わたしはこの芝居を見たいために関ヶ原へ来た。
 三成も悪い男ではないが……
 吉隆はいい男ですねえ。
 わたしは、日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。
 今は、その人の討死した関ヶ原の駅頭に来ているのだ。あのいい男の首塚が、ついこの辺になければならぬ。
 わたしは、何をおいても、あの人の墓をとむらってあげなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから――ちょうど、月もあるし……
 大谷吉隆の首塚を、わたしは、これから、とむらってあげなければならない。

         二十一

 あの晩、道場へ逃げ込んだために虎口を遁《のが》れたお雪ちゃんは、おりから道場の中で居合を抜いていた宇津木兵馬のために擁護されました。
 しかしお雪ちゃんも、それが兵馬であると知って救いを求めたのではなく、兵馬もまたお雪ちゃんと知って、その急を救ったのではありません。忽《たちま》ち続いて起ったあの兇変のために、おたがいの見知り人などは飛んでしまいましたけれども、翌日になれば、それは当然、あいわからなければならないことであります。
 わかってみれば、それは上野原以来の相識《あいし》れる人でした。すなわち、道に悩んで一杯の水を求めた人が兵馬で、快くそれを与えたのみならず、温き一夜の宿もかしたのがお雪ちゃんであります。
 兵馬とお雪ちゃんとの名乗り合いがあり、その後のおたがいの変化のある身の上話があり、結局は再び相応院へ送られては来たが、その住居《すまい》には竜之助がいないのみならず、貸本屋の政どんが来た形跡があり、それと同時に何者にかいたく踏み荒されて行った跡が歴々であります。けれどもお雪ちゃんは、器用にそれを兵馬には押隠し、自分の生活は、久助さんのほかには水入らずだということを示し、同居人、すなわち竜之助のことを兵馬に語るはずのないのは、その以前から二人の間にわだかまる何物かを察しているからのことです。
 そのうちにお雪ちゃんは、いろいろの方面から、それとなく聞き込んだところによると、どうも、あの代官を殺し、妾を奪うたという大悪人が、自分と生活を共にしていた竜之助ではないか、あの人に相違ない――というような心に打たれて、身も世もあらぬほどに驚き、同時に、竜之助はもはやここへは決して帰って来ないということを信ずるに至りました。
 竜之助はいない――ということをお雪ちゃんが見極めてしまって、兵馬を迎えるような順序に知らず識《し》らず落ちて行ったことは、兵馬も強《し》いてこちらへ来るつもりもなく、お雪ちゃんも決して兵馬に来てもらうつもりはなかったのですが、この際、一人の生活の不安と、それから兵馬としても頼まれた新お代官というものが、ああいう羽目になってみれば、代官屋敷うちに居すわりにくいものがある。その両者の雲行がどちらから誘うとも、求めるともなしに、兵馬はお雪ちゃんのいるところへ暫く身を寄せていることにし、お雪ちゃんも否応なくそれを迎えてしまったものです。
 二人がこうしているのも、偶然、旅路の一つ宿へ泊り合わせたようなものだから、決して長い間ではないということを二人は心得ながら、暫《しば》しの生活を同じうしました。
 代官殺しと、お蘭誘拐の一切の検分をして、自分相応の観察があるらしく、兵馬は朝早く出て行って、帰りは不定であります。
 飛騨、信濃の高山が鳴り出したのは、その前後のことであります。
 今日も兵馬は、何か心当りあって早朝に出て行きました。あとに残ったお雪ちゃんは、イヤなおばさんの着物を縫い直すために針を運びながら、「死」ということを考えさせられておりました。
 ああ、わたしたちの行く道は、「死」というものよりほかは何物もないのではないかと。
 お母さんも死んだ、姉さんも死んだ、誰も彼もが死んで行く、あたりまえに死ねない人は殺されてしまう。
 どちらにしても、人間には死というものが待っている。若い身空のお雪ちゃん、無邪気な生の希望に満ちみちていたお雪ちゃんが、今日は死ということの予想に、かえって幾分の慰めを感じているのです。
 この世の中は、そんなに長く生きているところではない、人を離れてよく生きようとか、山へ遁《のが》れて楽しく生きようとか、憧れていた自分の思いというものは一切空想で、行けば行くほど重し[#「重し」に傍点]が加わってくるのが、結局この世の習いではないか、それで、早くこの世を去るということが、かえって人間のいちばん幸いなことではないか――
 お雪ちゃんは、それを空想ではなく、現実眼の前に眺めました。
 ほんとにそうでした。よく生きようの、好きに暮そうのと思えばこそ、一層の重荷が負わされるのでした。死んでしまいさえすればこんな重い悩みが、すっかり取れてしまう――自分の苦も、死ぬことによって一切解放されるから、人もみな同じこと、よく活《い》かすよりは、よく死なせることが本当の親切ものではないかしら。
 お雪ちゃんは、このことを厳粛に考えながら針を運んでおりましたが、やがて自分の針を進めている縫物の品が、例のイヤなおばさんの遺物《かたみ》であることを見ると、
「おばさん――あなたはまだ本当に死にきれていないのではないのですか」
と、着物に向って呼びかけずにはおられませんでした。
 それと同時に、お雪ちゃんは、この着物がどうしてこうまで自分の手を離れないでいるのかと、それとこれとをじっと見くらべておりました。

         二十二

 そうして、もう日も入りかけて、兵馬も帰って来なければならない時刻になっても、お雪ちゃんは頭をあげませんでした。その時、不意に縁側に人影があって、
「お雪ちゃん」
「まあ、弁信さん!」
 縫物も、針も、物差も、香箱もけし飛んでしまいました。
「お雪ちゃん、わたくしは、そうしてはおられないのです、これからまた直ぐに出かけなければなりません」
 してみると、この僧はお雪ちゃんばかりを当てにして……来たのではないらしい。
「え!」
「どうぞ、おかまい下さいますな、そうしてはおられません」
「どうしたのですか、弁信さん、そうしてはおられないとおっしゃるのは」
「この足で、また出かけなければなりません」
「どこへですか」
「どうも、なんとなく、わたくしの気がせわしいのです」
「だって、弁信さん、わたしじゃありませんか……あなたの落着きなさるところと、わたしの待っているところとが、ここのほかにあるのですか」
「あります」
「おや――では、弁信さん、あなたはわたしを訪ねておいでになったのではないのですか」
「もちろん、あなたに引かされて、ここまで参りましたけれども、このままでは気がせいて、落着く気になれませんのです」
「まあ……」
 お雪ちゃんは全く呆《あき》れてしまいました。夢のように待ち焦《こが》れていた弁信さんその人が、現にここに来ているではないか。それだのにその人は、わたしを物の数とも思っていてくれないというのは、何という異った世界になったのでしょう。
「では、お雪ちゃん、わたくしはこれで失礼して、これから急いで、ともかくも行って見て参ります」
「どこへですか、弁信さん」
「どこへというのは、お雪ちゃん、わたくしの方であなたにお尋ねすべきところで、わたくしの方から答えるのは、逆問答になるのでございます」
「弁信さん、あなたの言うことがわかりません、以前の弁信さんなら、わかり過ぎるほどにわかっているくせに、ほんとうにあなたは僅かの間に別の人になっておしまいのようでございますね」
「いいえ、別の人になったわけではございません、お雪ちゃんが昔のお雪ちゃんなら、弁信もまた昔の弁信でございます、もしまたお雪ちゃんが、昔のお雪ちゃんでないならば、自然、この弁信も昔の弁信ではないことになります、変ったとすれば、それはどちらでございましょう」
「わたしは変りません」
 お雪ちゃんは意気込んで言いました。
 そうして、なお附け加えて言うことには、
「弁信さんは眼が見えないから、変ったとお思いになるかも知れませんが、わたしはこの通り、少しも変りません」
「そうですか、でも、わたくしにはどうしても昔のお雪ちゃんを懐かしがるように、懐かしがる気にはなれません」
「どうしてですか、弁信さん」
「どうしてだか知りませんが――わたくしのこの心が落着きません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんという人の声は、ここでしているのには相違ないが、魂に触れることができません、お雪ちゃんの魂は……」
「弁信さん、久しぶりにお逢いしたのに、のっけからそんな理窟をおっしゃるものじゃありません。わたくしのほかにわたくしは無いのですよ、もし、あなたが、わたくしの声をお聞きになったのなら、それが本当のわたくしじゃありませんか。神様のように鋭い勘をお持ちなさるくせに、弁信さんは」
「そうではありません、わたくしは現在ここで声を聞くお雪ちゃんのほかに、もう一人のお雪ちゃんがあって、それが行方定めぬ旅に出ているとしか思えてなりません。しかもその行方定めぬ旅というのが、火の坑《あな》へ転げ込んで行く、お雪ちゃんの赤ん坊そのままです――あなたは自分の赤ちゃんが、地獄の火の坑へ這入《はい》って行くのをそのままに見ておられますか。でも世間には、自分の可愛ゆい片身《かたみ》を、罪の塊りだなんて闇から闇に送る親もないではありませんが……」
「ほんとにいやな弁信さん、昔の弁信さんはさっし入りがあって、親切で、有り余るほどの同情をすべてに持って下さったのに、今、久しぶりでお目にかかった最初に、まあ、なんといういやなことばかりおっしゃるのですか」
「いやなことを申し上げるつもりで言っているのではありません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんの片身が――片身というのもおかしいようですが、やっぱり、魂と申しましょうか、その魂がここにおりませんのです」
「ほんとに困ってしまいます」
 ああ言えばこう言う弁信の着早々の理窟に、お雪ちゃんは何と挨拶していいか、悲しい面《かお》をして立ち迷うよりほかになくなっているのを、弁信は、そっけないもののように、
「では、わたくしは、これからそのお雪ちゃんのあるべくして、あるべからざるもののために出かけてまいります」
と言って、腰を一つかけるでもない弁信は、さっさと歩き出してしまいました。
「まあ、待って下さい、弁信さん」
 お雪ちゃんは、たまり兼ねて跣足《はだし》で飛び出したところへ、出逢頭に宇津木兵馬が帰って来ました。
 宇津木兵馬は、そのあわただしい光景を見て非常に驚きましたけれども、追いかけるお雪ちゃんよりも、追いかけられる当人が、あまりに痛々しい、弱々しい、見すぼらしい、おまけに盲目《めくら》としか見えない小坊主でしたから、それを遮《さえぎ》りとどめようとする気になれませんでした。
 いったん跣足《はだし》で飛び下りたお雪ちゃん、それでも草履《ぞうり》を突っかけたまま、坂路を下りて行く弁信のあとを、息せき切って追いかけました。追いかけると言ったところで、相手が、七兵衛でもがんりき[#「がんりき」に傍点]でもありませんから、お雪ちゃんにも雑作なく追いつくことができました。
 追いついてさえしまえば、ここでお雪ちゃんが、弁信を手放してしまうはずはないにきまっております。

         二十三

 それから暫く経つと、宮川の岸の人通りの淋しい土手の上を、極めて物静かに肩を並べて歩いているお雪ちゃんと弁信とを見ることができました。
「よくわかりました、弁信さんのおっしゃることが、すっかり呑込めてしまいましたから御安心ください……わたしも、こうして、あなたを追いかけて来たのは、この辺でゆっくりとわたしからお話をしたいことがあったからなのです、あの寺ではくわしいお話のできない事情がありましたものですから」
「左様でございましたか」
「弁信さん、ほんとうにわたしは、物語にも書けないほど奇妙な縁に引かされて、きわどいところに身を置かされており、どちらにも同情を持たなければならないのに、そのどちらもが敵同士《かたきどうし》とは、因果なことではありませんか」
「そうでございますね」
「昨日までは、わたしはあの人のために、身を捧げて介抱をしておりましたが、今日はそれを敵と覘《ねら》う人の情けを受けて、知らず識《し》らず生活を共にしてしまっているのです、そうしてわたしは、どちらも憎めないばかりでなく、弁信さんだから申しますが、わたしはどちらをも愛しているのです、どちらもわたしは好きな人で、どちらをも憎めないでいます」
「あなたのそれは、世にいう娼婦の情けというようなものではありません」
 この言葉が、お雪ちゃんにはよくわかっていなかったが、
「そういうわけではありませんが、今度の人は宇津木兵馬さんというのが本名で、それも今日にはじまった縁ではなく、上野原以来、奇妙な縁がつながっているのです。でも、あの人がいては、弁信さんに限っての話ができませんから、こうしてあなたの後を追いかけて、こんなところでゆっくりお話のできるのがかえって安心だと思いました。まあ、何からさきにお話ししていいかわかりませんから、思いついたまま、順序なくお話をしますから、弁信さん、ゆっくり聞いて下さいな」
 お雪ちゃんはこう言って、なんとなく暢々《のびのび》した気にさえなったのです。先程からの急促した気分はようやく消えて、ここではじめて、昔馴染《むかしなじみ》に逢って、心ゆくばかり話のできるような気分にさえなりました。
 だが、あたりの光景を思い合わせると、決して左様な暢気《のんき》なものばかりではないのです。ただ、今日は不思議に噴火の爆音が途絶えたような気がする。毎日毎日連続的に聞かされていた焼ヶ岳方面の火山の音というものが、今日に至って終熄《しゅうそく》したというわけではないが、噴烟《ふんえん》はここ十里と隔たった高山の宮川の川原の土手までも、小雨のように降り注いでいるのです。
 ですから、天地はやはり晦暝《かいめい》という気持を如何《いかん》ともすることはできません。弁信の方は最初から、それは滞りがありませんでしたけれども、このごろ怖れおののいていたお雪ちゃんが、今はそれをさえ忘れて、春の日に長堤を歩むような気分に、少しでも打たれていることは幸いでした。ここで、弁信に向ってお雪ちゃんが、一別以来のことを、それから宮川の堤の長いように語り出しましたが、いつもお喋《しゃべ》りの弁信がかえって沈黙して、いちいちお雪ちゃんの言うことに耳を傾けながら、緩々《ゆるゆる》として歩いて行くのであります。お雪ちゃんとしては、白骨山中のロマンスや、グロテスクのあらゆる経歴を説いて、いかにあれ以来の自分の身の上が数奇を極めたかを、弁信の頭の中に移し植えようと試むるらしいが、弁信としてはいっこう感じたようでもあり、いっこう感じないようでもあり、ただ不思議に、あれほどのお喋りが一言も加えないで、お雪ちゃんの話すだけを、長堤の長きに任せて、話させて、歩調だけを揃えているのです。こうして、長い時の間、弁信はお雪ちゃんにお喋りの株を譲って、自分は全く争うことをしなかったが――その甚《はなは》だ長い時間の後に、
「お雪ちゃん、ちょっとお待ち下さい、誰か人が来るようですから」
 そこで、お雪ちゃんが、はじめて長いお喋りの腰を折られました。
「え」
と言って、四方を見廻すには見廻したけれども、ここは長堤十里見通し、その一目見た印象では、誰も土手の前後と上下を通じて、人の近づいて来るような気配はありません。人の気配には気がつかなかったのですが、お雪ちゃんが、そのとき愕然として驚いたのは、直ぐ眼の前の宮川の岸辺に漂うた破れた屋形船であります。
 ああ、思い出が無いとは言わせない、この屋形船――あの大火災の時の避難以来。
 それと同時に眼を移すと、遥かに続く蘆葦茅草《ろいぼうそう》の奥に黒い塚がある。
 あ、イヤなおばさん――お雪ちゃんの面《かお》の色が変りました。
「たれか人が来ますねえ」
 それに拘らず、弁信は、長堤十里見通しの利《き》くところで、人の臭いの近いことを主張してやみません。
 その途端のこと――思い出の屋形船の一方の腐った簾《すだれ》がザワついたかと見ると、それが危なっかしく内から掻《か》き上げられると、ひょっこりと一つの人間の面《かお》が現われました。その思いがけない人間の面の現出が、お雪ちゃんを驚かすと同じように、先方の面の持主をも驚かしたと見えて、現わすや否やその面を引込めてしまいました。
 この場合、先方よりはこちらの方が予備感覚のあっただけに、認められることが遅く、認めることが早かった勝味はありました。
 先方の当の主はおそらく、こちらが何者であるかということは突きとめる余裕がなくて首を引込めたことがたしかと見られるのに、こちらはその瞬間にも、存外よく先方の面体を認めることができたのです。
 お雪ちゃんは、その瞬間の印象では、この辺で、ちょっと灰汁抜《あくぬ》けのしたイナセな兄さんだと認めると共に、どうもどこかで見たような男だと感じました。
 だが、わざわざ物好きにあの捨小舟《すておぶね》を訪れてみようという気もせず、むしろこんなところは早く通り過ぎた方がよいと考えて、今までよりは急ぎ足に弁信の先に立ちました。
 しかし、その捨小舟の近間を通り過ぎたかと思うと、また以前よりも増した緩々たる足どりで、弁信に話しかけながら、悠々《ゆうゆう》として堤上を歩いて行くのです。

         二十四

 お雪ちゃんが、弁信に向ってまたこういうことを言いました――
「弁信さん、わたしはこのごろになって、つくづくと人間は慾だと思いました、親兄弟だとか、親類だとか言いますけれど、詰るところみんな慾ですね」
「どんなものですかね」
「あの、イヤなおばさんだって、家に財産があったからああなったのです。その後の騒動が、この高山の町を焼き払ってしまうまでになったのも、元はといえばみんな慾じゃありませんか。親が子を可愛がるのも慾、友達が助け合うというのも慾、みんな真実の皮をかぶった慾で、世の中に本当の思案だとか、親切だとかいうものは無いものじゃないかしらと、わたしはつくづくこのごろ、それを考えますよ」
「さあ、どんなものでしょうか」
「慾を離れて人間というものは無いのです。それを考えると、わたしはたまらないほど情けなくなりました、すべて人間は、物が無いほどしあわせなことはないのじゃないかしら、と考えるようになりました」
「なるほど」
「ですから、人間は、自分のものとしては何も持たないで、その日その日に食べるだけのことをして、それからできるだけ自分の好きなことをして、それでいけなくなったら、楽に自分の手で自分を死なしてしまうのが、いちばん賢い生き方じゃないかと思ってみたりすることなんぞもありますのよ。自分ひとりで死ねなければ、自分のいちばん好きな相手と一緒に死を選ぶのが、いちばん賢い生き方ではないか、生きているということは、そんなに幸福なことでも、価値のあることでもない、と思ったりすることもありますのよ……」
「お雪ちゃんとしては、珍しい心の持ち方ですね。わたくしも、生きているということが、そんなに幸福なこととは思いませんが、それでも、強《し》いて死のうという気にもなりません。生を貪《むさぼ》るのはよくありませんが、それよりも、死を急ぐのはよろしくありません」
「ああ、人間はほんとうに、みんな慾のかたまりではありますまいか。恩だの、義理だの、人情だのと言いますけれど、自分の取分をほかにして何が残りましょう。恋というようなものも、慾の変形といったようなものです。弁信さんのように、神様仏様の信仰も、やっぱり根本を洗ってみると慾から来ているのじゃないか知ら、なんて疑ってくると、わたしは浅ましくてなりません」
「…………」
「慾ですよ、慾を離れたところに人間はありません。わたしは、慾を離れて人間界の別の天地といったようなところへ落着きさえすれば、それが白山の上であろうとも、畜生谷の底であろうとも、どこへでも行ってみるつもりでしたけれども、いま考え直してみると、どんな山奥へ行ったからとて、どんな谷底へ下ったからとて、慾のない世の中は無いのじゃないかしらと、つくづく悟りました」
「なるほど」
「そうして、まあこうして人間がすべて慾のかたまりで、親も、兄弟も、親類もなく、結局、持っているものを奪い合うという浅ましい世の中が、どうなって行くものでしょうかねえ」
「左様……」
「人間が、あんまり慾一方で浅ましいものですから、それだから山が裂けて、この世が一体に火になってしまうのじゃないかと言う人もあります。なかにはこんな浅ましい餓鬼のような人間は、一度、大掃除をしてしまった方がいいなんて言う人もあります」
「見ようによっては、そうも見られないではありませんね」
「人という人が、恩を忘れ、慾のために人を売るようになってしまっては、全く神様や仏様が、人間に水だのお米だのを与えて、生かして置くことがおいやになるのも無理はありませんね」
「なるほど」
「まあ、お聞きなさい、弁信さん、また山鳴りの音が轟々《ごうごう》と高くなってきました。あなたの眼には見えますまいけれども、どうです、実に怖ろしい唐傘《からかさ》のような雲が湧き上ったことを、これこんなに灰が降って来ました」
 こう言ってお雪ちゃんは、東の空に濛々《もうもう》と立ちのぼる車蓋《しゃがい》の如き雲を眺めながら、弁信の法衣《ころも》の袖にかかるヨナを、しきりに払い除けてやっていました。
 今日の弁信は、おとなしいもので、いちいちお雪ちゃんの言うことに受身になって、それに異議を挟むこともなければ、その意見を訂正したり、訓戒したりすることの絶えてないのが変っています。
 つまりお雪ちゃんの人生観が、珍しいほどの変り方を示して、生存の否定と、死の讃美に近いところまで行っているのを知りながら、それに異見を加えない弁信の態度が、変っているといえば変っているのです。
「ねえ、弁信さん、世間の学者たちは、世の中がこんなに悪くなったのは、それは江戸の幕府の方が堕落してしまっているからだと申します。その堕落しきっている幕府の力を倒して、本当の天朝様の御代にすれば、この世の空気もすっかり立て直り、人間もみんな正直にかえるのだ、そうしてその堕落した江戸の幕府というものも、どちらにしても長い寿命ではないから、そのうちに天朝様の世になって、世界が明るくなると――今はその夜明け前だとこう申す人もございますが、それが本当なのでしょうか」
「さあ――そのことも、わたくしにはよくわかりませんが、政治向が変ったからとて、人心はそうたやすく変りますまい。人心が変らない以上は、いくら制度を改めたところで、どうにもなりますまい。慾にありて禅を行ずるは知見の力なりと、古哲も仰せになりました」
 弁信の返事は、お雪ちゃんのピントに合っていないようでしたが、さて、お雪ちゃんは、ちょっとその後を受けつぐべき言葉を見出し得ませんでした。

         二十五

「それはそうと弁信さん、あなたはこれから、わたしを捨てて、何の用があって、どこへ行くつもりですか」
「さあ……」
 お雪ちゃんに改めてたずねられて、弁信法師が返事に当惑しました。
「さあ、そう改まってたずねられると私は困るのです、白骨にいてどうも動かねばならぬ気分に追われて動いて来ましたが、ここでわたくしの頭が、わたくしの足を止める気にならないのが、不思議なのです」
「わたしに逢いに来てくれたんではないのですね」
「いや、やっぱりあなたに逢いたい一心で、命がけで白骨まで来たのですから、ここで逢いたいに違いないのですが、どうもわたくしの足が、この地にわたくしをとめてくれないので、どうにもなりません」
「どうしたのでしょう、わたしは、弁信さんが二人あるように思われてなりません、今ここにいる弁信さんは、弁信さんに違いないけれど、わたしの弁信さんは、まだほかにあるような気がしてなりません」
「そう言えば、わたくしもお雪ちゃんが二人あるように思われてなりません、ここにいるお雪ちゃんも、わたくしの尋ねて来たお雪ちゃんに相違ないけれども、まだ別に一人のお雪ちゃんがなければならないし、わたくしはそれを尋ね当てなければ、本当のお雪ちゃんに逢っているのではないというように思われてならないのです」
「ほんとうに、二人とも、おかしい気持ですね、まさか夢じゃないでしょうね。夢であろうはずはありませんが、二人ともに、逢えると思う人に逢っていながら、逢えないでいるのですね」
「そうです、わたくしは、もう一つ本当のお雪ちゃんを探すために、前途を急がねばならぬような気持に迫られているのです」
「どうも、おかしいですね。そうして、どこへ行ったら本当のわたしが見出せると思いますの」
「その見当はつきませんが、わたくしのこの足は、南の方へ、南の方へとこの飛騨の国を走れと教えているようです。飛騨を南へ走れば、美濃の国ですね――美濃の関ヶ原へ向けて、何はともあれ、急いでみたいという気分に駆《か》られておるのです」
「美濃の国の関ヶ原――」
「ええ」
「関ヶ原といえば、古戦場じゃありませんか」
「そうです――その美濃の国、関ヶ原という名が、今のわたくしの頭の中にピンと来ているのは、そこへ行けばなにものかの捉《つか》まえどころがあるという暗示――ではないかと、私の経験が教えますから」
「それだけなのですか、その関ヶ原とやらに、あなたの知っているお寺だとか、昔のお友達だとかいうようなものがあるのですか」
「そんなものは一向、心当りはございません、ただわたくしのこの頭が、関ヶ原、関ヶ原と何か知らず私語《ささや》いて、見えない指さしが行先を指図してくれているんですね」
「なら、弁信さん、わたしもその関ヶ原へ行くわ」
「え」
「わたしも、その関ヶ原へ連れて行って下さい」
「でも、あなたは、わたくしのように身軽には歩けません」
「歩きます――このままでもかまいません、弁信さんと一緒ならば」
「困りました」
「何を困ることがありますか。では弁信さんは、わたしを振捨てる気でそんなことを言うのでしょう」
「そうではないのです、そうではないけれど、このままあなたを連れ出すということが、すんなり行くかどうかを考えさせられずにはおられません」
「ようござんす、弁信さんがわたしを連れて関ヶ原へ行かなければ、わたしはわたしでひとりで行きますから」
「では、やむを得ません、あなたと一緒に関ヶ原へ参りましょう」
「ああ嬉しい」
「わたくしはここに待っておりますから、おうちへ帰ってお仕度をしていらっしゃい」
「それはいけません、弁信さん」
「どうしてですか」
「わたしがあそこへ帰れば、わたしはきっと引きとめられてしまいます、決してひとりで旅に出ることなんぞは許されるはずがありませんもの」
「でも、そのままでは仕方がないでしょう」
「だって、弁信さんだって――いつも着のみ着のままで、旅に出るではありませんか」
「わたくしは違います――わたくしは世間の人と違って、旅が常住ですから……」
「なら、わたしにもその真似《まね》をさせて下さい」
「それはあぶないです」
「あぶないことはございますまい、不自由な弁信さんが着のみ着のままで出られるように、ともかくも五体満足な、女の身ではあるけれども若い盛りのわたしが、着のみ着のままで出られないはずはありません、もし、間違っても、それはあなたの責任ではありませんから」
「よろしうございます、では、このまま出かけましょう」
「出かけましょう」
 二人はこの場の出来心――というよりも、非科学的であることの甚《はなはだ》しい弁信法師の頭だけの暗示をたよりとして、一種異様なる駈落《かけおち》を試みようということに、相談が一決してしまったのです。
「弁信さん、わたしが死ぬ時は、あなたも一緒に死んで下さいますか」
「死にますとも」
 弁信は事もなげに答えました。異様なる縁に迫られて、二人は駈落の相談から、合意の心中をまでも、事もなげに話し合い、こうして二人の行先はきまりました。
 美濃の国――関ヶ原、関ヶ原。

         二十六

 二人が長堤を閑々《かんかん》と歩いていた時、屋形船から首を出して、お雪ちゃんに認められたところの男が、あわただしく首を引込めてから、船の中で大あくびをし、
「いやどうも、忍んでいると日が長い、日が長い」
 これは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という野郎でありました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は大あくびをしてから、船の中を見返したが、薄暗い捨小舟の中には、いま自分が枕にしていた小箱のほかには何物もない。何だか知らないが、この狭苦しい舟の中へさえも、ひしと迫る言い知れぬ倦怠のような、淋しいようなものが漂うて来るのに、うんざりしたものらしい。
 ともかくも黄昏時《たそがれどき》ではあるが、この男の出動する時刻にはまだ間もあるものと見え、いったん眼を醒《さ》まして、破れ簾《すだれ》をかかげて外の方を見渡した。とろんとした眼を据えて、そのまままた小箱を枕にゴロリと横になり、半纏《はんてん》を頭から引被《ひっかぶ》って寝ころんでしまったものです。
 相応院の入相《いりあい》の鐘がしきりに、土手を伝い、川面を伝って、この捨小舟《すておぶね》を動かしに来るのだが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の耳には入らないと見えて、暫くすると、またいい寝息で寝込んでしまいました。
 この時分、捨小舟とは程遠からぬ川原の蘆葦茅草《ろいぼうそう》の中の、先達《せんだっ》てイヤなおばさんの屍体を焼いた焼跡あたりから、一つのお化けが現われました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の出動するのさえ早い時刻だから、お化けの出動はいっそう早過ぎると見なければならない時間に、お化けがうろうろしている。こんな業の尽きないおばさんの魂魄が、焼いても焼ききれるはずはないから、その焼跡にまだうろうろしていることも一応は不思議ではないが、ここに出現したのは、あの脂身《あぶらみ》たっぷりなイヤなおばさんの幽霊としては、あんまりしみったれで、景気のないこと夥《おびただ》しい。それは自分の焼かれた焼跡をしきりにせせくって、舐《な》めたり乾かしたり、何ぞ落ちこぼれでもありはしないかと、地見《じみ》商売のような未練たっぷりのケチケチしたお化けぶりです。
 いっそ、こんなしみったれな真似をしないで、思い切って娑婆気《しゃばっけ》を漂わせ、幸い、最も手近なるところにがんりき[#「がんりき」に傍点]というあつらえ向きの野郎がいるのだから、そこらへ一番持ちかけて行ってみたらどんなものだろう――イヤなおばさんのこってりした据膳《すえぜん》を、がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴がどうあしらうか、これは浅公なんぞよりはたしかに役者が上だから、おばさんとしても多少の歯ごたえはあるだろう……たぶんその辺の当りがなければと、あらかじめイヤなおばさんはイヤなおばさんとして、相当のおめかしもしなければならない。いいかげん水びたしにされたり、焼かれたりしたずうたい[#「ずうたい」に傍点]を、なんぼなんでも、このまんまで色男の前へ出されもすまいじゃないか――そこでおばさんは焼跡の土をせせくって、何やら相当の身じまいにうきみをやつしているものだろうか。
 ところが、蘆葦茅草の中の一方がガサガサとザワついて、そこから、そろそろと忍びよる一つの物がある。
 幽霊もまた友を呼ぶのだろうと見ていると、その蘆葦茅草の中がザワついたと見る瞬間、身じまいをしていたはずのイヤなおばさんのお化けが、びっくり仰天して立ち上るや、転がり、震動して、その場を逃げ出してしまったのはあんまり意気地がない。
 その意気地のないお化けの図体が、こちらの水たまりのところで踏み止まったのを見れば、なんの……これはイヤなおばさんその人の亡霊でもなんでもない、以前、一度見たことはあるが、根っから見栄えのしない、いつぞやあちらの焼跡の柳の下で、どじょうを掬《すく》っていた紙屑買でありました。
 この紙屑買の名を、この辺ではのろま[#「のろま」に傍点]清次と言っている。察するところ、この紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次は、あの晩、ああして焼跡をせせくった味が忘れられず、何でも焼跡と見ればせせくって、もの[#「もの」に傍点]にしなければ置かない性分と見える。そこで今晩は、イヤなおばさんの焼かれ跡へ眼をつけて、ここまで忍んで来ていたなどは、のろま[#「のろま」に傍点]どころではない、生馬の目を抜く代り、死人の皮を剥ごうという抜け目のない奴であります。
 何となれば、あの焼跡では、あんな怖い思いをしたけども、同時に、相当なにか獲物にありついた覚えがある。今はもう、掘りつくし、せせりからしてしまったあとへ、バラック建築がひろがってしまったから、しゃぶってもコクは出て来まいが、それに就いて思い起したのは、あのイヤなおばさんの焼跡である。本来、この町の目ぬきのところを、あんなに焼いて、自分にも多少|儲《もう》けさせてくれた恩人というものは、一にあの穀屋のイヤなおばさんの屍体の処分から起っている。
 そのくらいだから、その本元をせせってみれば、まだ何か落ちこぼれが無いとも限らない、あのおばさんの屍体は、とうとう河原の中で焼き亡ぼされる運命におわってしまったが、その焼跡の灰を安く入札したものがあるという話も聞かないし、おばさんの屍体を焼いて、粉にして、酒で飲んだものがあるという噂《うわさ》も聞かない。
 身につけたもので、金の指はめ[#「はめ」に傍点]だとか、パチン留めだとか、銀の頭のものだとか、煙草入の金具だとかいうものを、焼灰の中からせせり出す見込みはないか。
 紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次は、今晩それに眼をつけて、イヤなおばさんの焼灰の跡をせせりに来たものに相違なく、決して最初想像したように、おばさんの亡霊が、心やみ難き未練があって、うきみをやつして化けて出たものではない。
 そうなってみると、一方から、この小胆にして多慾なる紙屑買をオドかして、蘆葦茅草をガサガサさせたいたずら者の何者であるかということも、存外簡単な問題であって、それは貉《むじな》でした。

         二十七

 土俗の間では、貉と狸とは別物になっているが、動物学者は同じものだと言っていることは前巻にも言った。ともかく、このせせこましいうちに、多分のユーモアを持った小動物は、東方|亜細亜《アジア》特有の世界的珍動物の一つとして学者から待遇されている。人を化《ばか》すとか、腹鼓《はらつづみ》を打つとかいう特有の芸能を見る人は見る人として、犬族としては珍しく水に潜り、木にのぼる芸当を持っているということを学者は珍重する。食物にも選り嫌いというものが少なく、小鳥も食い、蛇も食い、野鼠も食い、魚類も食い、昆虫も食い、蝸牛《かたつむり》も、田螺《たにし》も食うかと思えば、果実の類はまた最も好むところで、木に攀《よ》じ上ることの技能を兼ねているのはその故である。
 ただ、かくの如く、器用であり、魅惑的の芸能を持ち、食物に不平を言わない当世向きの性格を持ちながら、自分が自分としての巣を作ることを知らない、他動物の掘った穴の抜けあとを探しては、おずおずとそこを占領して自分の仮りの住家とする、追い出されれば直ちに出て行く代り、岩の穴でも、木のうつろでも、身を寄せて雨露を凌《しの》ぐところさえあれば、そこに身を寄せてまた不平を言わない代り、いつまで経っても自分の力を以て文化住宅を営もうなんていう心がけはないのです。
 この原始的にして、進取の心なく、抵抗の力に乏しい小動物は、今し夜陰、こうして食物をあさりに出たものと見える。その出動がはからずも、紙屑買であり、焼跡せせりであるところの、のろま[#「のろま」に傍点]清次の仕事を脅《おびやか》す結果になったとは自ら知らない。
 自分が人を脅して、かえって自分がそれにおびやかされている。
 紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次は水たまりのところまで息せき切って避難してみたが、この敵は存外手ごたえがなく、いつぞや焼跡で見た幽霊であり、辻斬の化け物であり、柳の下で組み伏せられた若衆のような手硬い相手でないことに気がつくと、またそろそろと、おばさんの最期《さいご》の焼跡の方へ立戻って来ました。
 立戻って来て見ると、もう、あの東|亜細亜《アジア》特有の小動物はいない。
 胸を撫で下ろすと共に、紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次はカンテラをつけて、またも現場のせせり掘りをはじめました。
 現場をせせくっているうちに、のろま[#「のろま」に傍点]清次も変な気になったものと見え、
「へ、へ、へ、この後家様、これがなア、ずいぶん罪つくりの後家様だなあ。話を聞くと、屍体とはいえまだ脂っけがたっぷりで、腋《わき》の下の毛なんぞも真黒けだってなあ。生かして置けば、まだまだどのくれえ男をおもちゃにしたことかわからねえ。ほんとうに天性の淫乱というのが、この穀屋の後家様だあな。へ、へ、浅さんもかわいそうに腎虚《じんきょ》で殺されちまったなあ。高山の町からもえらいのが出たものさ。この穀屋の後家さんが関で、それに続いちゃ、あの嘉助が娘《あま》っ子《こ》のお蘭さんだなあ。あのお蘭さんなら、イヤなおばさんのあとはつげらあ、後生《こうせい》おそるべしだなあ。昔、上《うえ》つ方《がた》に、すてきもない淫乱の後家さんがあって、死んでから後、墓地を掘り返して見たら、黄色い水がだらだらと棺の内外に流れて始末におえなかったと、古今著聞集という本に書いてあるとやら。この穀屋の後家さんの屍体なんぞも土葬にすりゃその伝だろう。イヤ、土葬にしなくても、いやにこの辺がじめじめしてきた、イヤにべとべとした泥が手につきやがらあ、いい気持はしねえなあ」
 こんなことをつぶやきながら、もしや金の指はめ[#「はめ」に傍点]でも、もしも銀の髪飾りでも、もしや珊瑚樹《さんごじゅ》の焼残りでも――当節は貴金属がばかに値がいい、江戸の芝浦で、焼あとのゴミをあさって大物をせせり出して夜逃げをしてしまった貧乏人があったそうだが、成金になって夜逃げもおかしいが、この不景気に大金を手に入れた日にゃあ、夜逃げでもしなくちゃあ――仲間に食い倒されてしまう、としきりにひとり言を言い、広くもあらぬ屍体の焼かれあとを一心不乱にせせり散らしている。
「イイ気持はしねえ、どうもイヤな気持になったなあ、穀屋の後家様、お前はしてえ三昧《ざんめえ》をして死んだんだからいいようなものの、その焼跡をせせくっている、この紙屑屋の清次なんぞは、してえことをしたくってもできねえんですぜ、イヤな気持になったよ、穀屋の淫乱後家さん……」
 のろま[#「のろま」に傍点]清次が、うわずったたわごと[#「たわごと」に傍点]を吐きながら、地面をせせくっていると、
「わっ! 貴様、そこに何しとる」
 お国なまりの大喝《だいかつ》。
「へッ!」
 のろま[#「のろま」に傍点]清次は腰を抜かしてしまいました。
 今度のは東亜細亜特有の小動物ではない、まさしく、日本の国の或る地方の作りなまり[#「なまり」に傍点]を持った人間の声が、自分の仕草を見届けた上に、一種の威圧を以て頭から一喝して来たものだから、のろま[#「のろま」に傍点]清次はほんとうに驚いてしまい、ヘタヘタと腰を抜かしたけれど、その抜かした腰のままで、いざりが夕立に遭ったように河原の真中へ逃げ出してしまいました。
 紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次が、一たまりもなく逃げ出した後で、その置きっ放しのカンテラを取り上げて、
「ザマあ見やがれ」
 苦笑いしながら、現場を一通り照らして見ている男。これが、さきほどまで捨小舟の中で、うたた寝をしていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵でありました。
 それにしてもたった今、うしろからかけたおどしの一喝、
「わっ! 貴様、そこに何しとる[#「とる」に傍点]」
 何しとるというような訛《なま》りは、甲州入墨で江戸ッ子をもって任ずるがんりき[#「がんりき」に傍点]の地声ではない、特におどしを利《き》かす場合のお国訛りに相違ないでしょう。
「のろま!」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はカンテラを持ち上げて、清次が逃げて行った方を冷笑気分に見廻し、
「ぼろっ買い! だが、のろまがのろまでねえ証拠には、ぼろっ買い、とうとう味を占めやがった、抜け目のねえのろまめ! 消えてなくなりゃあがれ、うふふ」
 見ればいつのまにか、もうキリリとした道中姿になっていて、四通八達、どちらへでも飛べるように、ちゃんと身拵えが出来て来ている。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が、カンテラを提げて、宜しく河原の中に立って、暫く四辺《あたり》を見廻していると、四辺はひっそりしたものだが、東の方は炎々と紅く燃えている。
 昼は黒く見える爆烟《ばくえん》が、夜はああして紅く見えるのだ。

         二十八

 まもなくこのやくざ野郎のキリリとした旅姿が、宮川筋の芸妓家《げいしゃや》の福松の御神燈を横目に睨《にら》んで、格子戸をホトホトと叩くという洒落《しゃれ》た形になっている。
「今日もお茶よ」
 委細心得て、長火鉢の前にがんりき[#「がんりき」に傍点]を引据えた福松の投げつけるような御挨拶、この芸妓はこの間の晩、やっぱり柳の下で、だらしのない、しつっこい芸当をしきりに演じていた兵馬なじみの芸妓であり、お代官の思われ者であり、当時、高山では売れっ妓の指折りになっているのだが、昨今の天災続きで、ここ随一の流行妓《はやりっこ》も、このごろはお茶を引かざるを得なくなっている晩である。
「いやんなっちゃあな」
 米友の口調めいたことをがんりき[#「がんりき」に傍点]が言う。
「全くいやになっちゃいますね、ただ不景気だけならいいが、人気がすっかり腐って、世の中がこわれちゃいそうなんだから」
 福松はこう言いながら、吸附煙草をがんりき[#「がんりき」に傍点]にあてがう。
 この野郎、もう僅かの間に、このぽっとり者へ渡りをつけてしまったものと見える。ぽっとり者の方でも、この高山の土臭いのや、郡代官のギコチないのより、口当りだけでも、きっぷのいい江戸ッ子気取りの兄さんを用いてみたい心意気があったものと見える。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、抱え込んで来た小箱の包みを下へ置いて、長煙管《ながぎせる》を輪に吹いていると、芸妓の福松が頬っぺたを兄さんにくっつけるようにして、
「兄さん、もう疑いが晴れたから、許してあげよう、今晩からここへお泊りな」
「う、ふ、ふ、何かお前に許していただくような悪いことをした覚えがあるかねえ」
「大ありさ。だが、少し罪が軽くなったというまでのことで、まだ無罪放免というわけじゃないんだから、ここへ泊めて上げるには上げるが、ひとりで出歩きはなりませんよ」
「おや、何とか言ったね――どうやらおいらは兇状持ちででもあるかなんぞに、お前という人からイヤ味を言われるのは、きざ[#「きざ」に傍点]だけじゃすまされねえぜ」
「そういうわけではないんですよ、わたしは皮肉に出ているわけでもないのですが、御縁だから兄さんを大事にして上げたいとこう思っている親切気から、そう言ってあげるのだわ。内実のところは、わたしゃ、てっきり兄さんと睨《にら》んでいたのよ。というのは、お代官様のあの一件ね、あんなすさまじいことをやる人は……もしやわたしの兄さんじゃないかしらと、もっぱらこう疑っていたんですけれど、堪忍して下さい、わたしの的が外《はず》れました、うちの兄さんは、決してそんな悪党ではありませんでした」
「何を言ってるんだい――おれがお前、お代官の首をちょんぎったり、それをお前、中橋の真中で曝《さら》しにかけたり、そんなだいそれた芸当のできる兄さんと思っていたのかい」
「でも、ほかに、あれほどの事をやりきる人は、まずこの高山にはありませんからね、それで、もしやと兄さんを疑ってみたんですが、その疑いがようやく晴れたから御安心なさいと、そう言ってあげているんですよ」
「自分勝手に、ありもしねえ疑いをかけておきながら、疑いが晴れたから安心させて遣《つか》わすなんぞは、あんまり有難くねえ」
「ですけれども、すっかり疑いが晴れてしまったわけじゃないのよ、まだ充分に疑いの解けない点もありますのよ」
「疑いの解けない点と来たね、その点を、ちょっとつまんで見せてもらいてえ」
「お代官様をあんなことにしたのは、お前さんの仕業じゃないにしても、お蘭さんを連れ出したのは、どうも臭いよ……そればっかりはまだ疑いが解けないねえ」
「へえ、してみると、あのお蘭さんというみずけたっぷりなお部屋様をそそのかして連れ出したのが、この兄さんだろうと、今以て疑念が解けなさらねえとこういうわけなんですか」
「ところが、実のところは、それもすっかり疑いが解けてしまったはずなんですけれども、どうも、それでもなんだか臭いところがあると思われてたまらないのさ」
「御念の入ったわけだが……どうもわっしにゃ呑込めねえ」
「それじゃ、疑いのすっかり晴れた理由と、まだ晴れないわけとを、よく説きわけて上げるから、お聞きなさいよ」
と言って福松は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の手から長煙管をひったくるように受取って一服のみ、
「わたしは、お代官をやっつけて、お蘭さんはどこぞへさらって行って隠して置く悪い奴は、最初のうちは、てっきりお前さんのした仕事のように思われてならなかったのさ、ところが、きのうになってようやく確かな筋から聞いたところによると、お代官を殺したのは、ある腕の利《き》いた浪人者で、それがお蘭さんとかねて出来ていて、お蘭さんが手引をしてあんなことをさせ、そうしてあらかじめ早駕籠《はやかご》を用意して置いて、人が追いかける時分には、もう国境《くにざかい》を出てしまって、手がつけられなくなっている、ということを聞いたから、それで安心しましたの」
「なるほど――それで、このお兄さんの冤罪《えんざい》というものは晴れたわけだが、そうなると今度は、お兄さんの方でお聞き申してえのは、いったいその、お蘭さんと出来てだいそれた主人殺しをやり、国を走ったその浪人者というのは、どこのどういう奴なんだえ」
「それがさっぱりわかりませんのさ」
「わからねえ、お代官の役人の手でも?」
「ええ、もう少し早いと、国境を越す前に捕まえてしまったんだそうですが、うまく国境を出られてしまったから、どうにも手が出しにくいんだそうです」
「国境を出たといったところで、お前、女連れで遠くは行くめえし……それに、日頃お蘭さんと出来ていたっていう浪人なら、たいてい当りがつきそうなものじゃねえか、きのうや今日のことじゃねえ、どのみち、お代官に居候か何かしていた覚えがあるという代物《しろもの》なんだろう」
「ところが、それが全くわからないのですよ」
「わからなければ、草の根を分けても尋ねたらよかりそうなもんだ、国境を出たからといって、たいてい道筋はわかっているだろう……悪い者をふんづかまえるに、近所近国といえども遠慮はなかろう」
「ですけれど、今の時勢で、この高山はお代官地でしょう、近国はみんな城主のものになっていますから、思うようにいかないんだっていうことよ」
「まだるい話だな――じゃ、お蘭さんの奴、色男に手引をして、お主《しゅ》を討たせた上に、手に手をとって、今頃は泊り泊りの宿で、誰はばからずうじゃついているという寸法なんだな――畜生!」
「ほんとに憎いわね、その色男より、お蘭さんという人がいっそう憎いわね」
「お蘭……悪い奴だなあ」
「お前さんなんて、傍へ置こうものなら忽《たちま》ちちょっかいを出すだろう、出すんならまだいいが、出されちまいまさあね」
「ふん、たんとはいけねえが、一度はお近づきになっておいても悪くなかった奴さ」
「その口をつねるよ」
「だがねえ……そこんとこにも、ちっと腑《ふ》に落ちねえ節があるんだ、お蘭様というお部屋様の素姓のほどは、おいらも聞いていねえじゃねえが、このいろ[#「いろ」に傍点]という奴がどうも怪しいものだぜ」
「そりゃ怪しいにもなんにも」
「怪しいといったってお前――お前はかねて、この怪しい奴とお蘭さんと出来ていて、二人がしめし合わせてやった仕事のように言うが、おいらにゃ、そうは思えねえ」
「どうして」
「どうしてったって……お前、その証拠をひとつ見せてやろうか」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、後生大事に船の中からここまで抱えこんで来た小箱の包みを今更のように持ち出し、福松の鼻先に突きつけて早くも結び目を解きにかかりました。
「何なの、いったいそれは――」
 福松が覗《のぞ》き込むのを、がんりき[#「がんりき」に傍点]は取りすまして、
「こりゃ、その、何さ、おいらが特別にあのお蘭さんからのお預りの一品さ。まあ、どうしてこちらがあのお蘭さんから特別のお預りを持たされるようになったかってえことは聞かないでおくれ、とにかく、あのお蘭さんから、この兄さんが特別に頼まれた一品をお預り申していると思召《おぼしめ》せ、それがこの箱なんだ。ところで、この玉手箱の中身を、ほかならぬお前のことだから、見せてあげようという心意気だ、そうれ、よくごらん」
と言って、結び目を解き終ったがんりき[#「がんりき」に傍点]が、怪訝《けげん》と呆《あき》れをもって見つめている福松の鼻先で、包みの中から出た蒔絵《まきえ》の箱の蓋を取って、いきなり掴《つか》み出したのが金包であります。
「そうら、百両包みが三つ――都合三百両、これがお蘭さんの当座のお小遣《こづかい》さ。ほかにそら、持薬が二三品と、枕本、手紙、書附――印籠、手形といったようなもの」
「おや、おや」
「どうだ、こういうものをお蘭さんが人手に預けっ放しにして置いて、駈落というはおかしなもんじゃねえか、色男と手に手を取って逃げようとでもいう寸法なら、さし当り、この一箱をその色男の手に渡して置かなけりゃ嘘だ、昔から色男になる奴は、金と力が無いものに相場がきまっている、そいつがお前、お蘭さんのつれて逃げたという色男の手に入らねえで、ほかならぬこの兄さんの手に落ちている――してみりゃ、かねてその色男としめし合わせて今度の駈落、というのは嘘だあな」
「じゃ、どうしたの」
「お蘭さんはお蘭さんで、かどわかされたんだね、決して出来合ったわけでも、しめし合わせたわけでもないんだ」
「そうだとすれば、かわいそうね」
「うむ、かわいそうなところもある、第一、駈落には、金より大事なものはあるにはあるが、金が先立たなけりゃ身動きもできるものじゃねえのさ、その大事の金を一文も持たずに連れ出されたお蘭さんという人も、たしかにかわいそうな身の上に違えねえから、ここは一番……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は意気込んで、小箱の蓋で縁を丁と叩き、
「何とかしてやらざあなるめえ」
と見得《みえ》をきったのです。福松は少々白けて、
「では、どうして上げようというの」
「頼まれたわけでもなんでもねえが、男となってみりゃ、お蘭さんの難儀を知って見遁《みのが》しはできねえ、これから後を追いかけて、この路用を渡して上げて、ずいぶん路用を安心させてやるのさ」
「え、え、兄さん、お前さんがこのお金その他を、わざわざお蘭さんに届けに行ってあげようというの?」
「まあ、そんなものさ、そのつもりでこの通り、身ごしらえ、足ごしらえをして来たんだ、時分もちょうどよかりそうだし、ところも美濃路と聞いたから、旅には覚えのあるこの兄さんのことだ、あとを追いかけりゃ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》というわけでもねえが、下手な目あかしよりはちっと眼は利《き》いている、ここ幾日のうちには、首尾よくお手渡しをした上で、またお前さんのところまで舞い戻って来てお目にかかる。ところで……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はこう言って、はや出立もし兼ねまじき勢いを見せ、箱を包み返しにかかりながら、呆れ返っている福松の前へ、切餅一つをポンと投げ出し、
「三つあるうちの一つだけは、骨折り賃に天引としてこっちへ頂いて置いても罪はあるめえ、御神燈冥利というものだ、遠慮なく取って置いてお茶の代りにしな」
 百両の金を気前よく――いくら人の物だといっても、そう気前よく投げ出されてみると、何はともあれ女として、見得も、外聞も、怖れも忘れて、有頂天《うちょうてん》とならざるを得ない。
「まあ、こんな天引をいただいて、ほんとうに罰《ばち》は当らないか知ら――そうさねえ、もともと元も子もないと思い込んでいたものを、お前さんがそれを届けに行ってやる御親切から比べりゃ、なんでもないわねえ、済まないねえ――わたし、嬉しいわ」
 百両の金包を額に押当ててこすりつけた福松。
 その時、表の御神燈の方をハタハタと叩く音がして、
「福松どの、福松どの――」
 その声は不思議や、宇津木兵馬の声です。

         二十九

 思いがけなく、外からおとのう人の声を聞くと、家の中の二人が一時大あわてにあわてたようであったが、そこはさるもの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は早くも裏口から脱兎のように飛び出し、芸妓の福松がなにくわぬ面《かお》で格子をガラリとあけ、
「まあ、数馬様でいらっしゃいましたか、こんなに遅く、どうあそばしたのでございます」
「実は……」
 兵馬が閾《しきい》を跨《また》がないで何をか言わんとするのを、芸妓は、
「まあまあよろしいじゃございませんか、わたしのところだって鬼ばっかりはおりません、少しお上りあそばせよ」
「いや、ここでよろしい、ちょっと耳を貸してもらいたいのだ」
「まあ、そうおっしゃらずに、少し……」
「いや、ここがよろしい、ちょっと聞いてもらいたいことがある」
 何か内証話があるらしいそぶり。福松は引寄せられて、
「何でございますか」
「あの……」
 兵馬も面を突き出して福松の耳に口をつけようとすると、紛《ぷん》として白粉の匂いが鼻を打ちました。
「あ、よろしうございますとも、それはよう心得ておりますから、そういうことがあり次第、何を差置いてもあなた様にお知らせを致します」
 兵馬の囁《ささや》きを、芸妓の福松は委細諒承してしまっての返事がこれです。
「では、頼みます」
「まあ、よろしうございます、もうこんなに遅いのですから、お泊りあそばしていらっしゃいましな。あら、わたしのところじゃおいや……」
「そうしてはおられません」
 兵馬はこう言って、御神燈の下を辞してしまいました。
 うつらうつらと、宮川の岸を歩きつつある兵馬の心頭に残っているのが、あの脂粉《しふん》の匂いです。目先にちらついているのは、御神燈の光へ横面《よこがお》を突き出して、兵馬の方へ耳を寄せたあの頬っぺたの肉づきと、それから島田の乱れたのです。
 兵馬は、なんだかうなされるような気になりました。吉原で魂を躍動させたような血が、どうやら巡り来って自分を圧えつけるような気持がしただけではありません、「泊っておいでなさいましな、あら、わたしのところじゃおいや……」と言ったのが、なんだか耳の底に残っていてならぬ。
 泊って行けと言われたなら、泊って来たらよかったじゃないか――そんなにも兵馬は考えました。
 だが、宿所にはお雪ちゃんが待っている。待っていないまでも、用向以外に人の家へ寝泊りして来るいわれはない。泊って行けと言ったのも[#「言ったのも」は底本では「行ったのも」]、「あら、わたしのところじゃ、おいやなの……」と言ったのも、先方の単純なお世辞で、こちらがそれに甘んじて、のこのこと芸妓家へ泊り込んだりなどしたら大笑いだ。今晩福松を訪ねたのは彼女を利用せんがためであって、その好意に甘えんがためではない。
 兵馬は、この間の代官屋敷の兇行者を、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵だと睨《にら》んでいないまでも、彼が有力な芝居をすることを前後の事情から推察している。だが、がんりき[#「がんりき」に傍点]をがんりき[#「がんりき」に傍点]として目星をつけたのではない。代官屋敷に宿直をしている時、自分とお蘭さんとを間違えて口説《くど》きに来た悪党めいた奴があった。その時、取っつかまえてやろうとしたが、存外すばやい奴でとり逃したが、あいつがこのたびの事件に有力な筋を引いているように思われてならない。代官の首を斬るというほどの役者ではないが、お蘭さんをかどわかすぐらいのことをやり兼ねない。時を同じうしての出来事だから、代官を斬ったのと、お蘭を奪ったのとが同一人の仕事のように見えるけれども、どうも別々の事件のように思われてならない。
 そうして、代官を斬った奴はもうとうに国境を出て行ってしまっているかも知れないが、お蘭さんをかどわかした奴は、ことによるとまだ町の内外に隠れて、ほとぼりの冷めるのを待っているかも知れない。
 今晩、その辺の当りをつけるために、わざわざ福松の御神燈の下に立ったのは、商売柄こういう女を利用すれば、何かきっかけが得られないものでもあるまいとの用意でした。
 そこで、今、兵馬はお雪ちゃんと宿所を共にしているところの相応院の坂を上りながらふり返ると、まさに草木も眠りに落ちている高山の天地――宮川筋にまばゆき二三点の火影《ほかげ》のみがいやになまめかしい。
「泊っていらっしゃいな、あら、わたしのところじゃおいやなの……」と言った声が、油地獄の中の人のように兵馬の耳へ事新しく囁《ささや》いて、甘ったるい圧迫がまだ続いている。泊れと言われたら、泊って来たらいいじゃないか――ばかな……
 というようなうつらうつらした気持で後ろの夜景を顧みながら、足はすたすたと相応院の方へのぼりつめている。
「いま帰りました、おそくなりました」
 軽くお雪ちゃんに挨拶したつもりなのだが、返事がありません。返事が無いのは眠っている証拠だから安眠を妨げないがよろしいと、ひそかに井戸端で足を洗って、座敷へ通って見たが、いつもある有明《ありあけ》の燈火が無く、兵馬が手さぐりに近づく物音にも、お雪ちゃんはいっこう驚かず、やっと火打をさぐりあて、カチカチときっ[#「きっ」に傍点]た物音にも、パッと明るくした明りにも、お雪ちゃんはいっこう醒めず、その行燈《あんどん》で兵馬が一応室内をあらためて見た時、いずれの部屋にもお雪ちゃんの姿を見出すことができません。それでも室内は出て行った時のまま整然として、誰も踏み込んだ形勢はない、お雪ちゃんのよそゆきであるべき衣裳すらが、そっくりと衣桁《いこう》に掛けたままです。

         三十

 お絹の世話で、砂金掘りの忠作は、ついに異人館のボーイとして住込むことになりました。
 ここで、親しく異人の生活の実際に触れてみると、忠作としては、今までの想像に幾倍する経験と知識とにあがきを感ずるほどです。
 敏慧なこの少年は、ここで一から十までも学び尽さねばおかないという気になりました。
 まず、異人館の間取間取を覚え、その器具調度の名を覚え、かの地から持ち込まれた商品と器械とを逐一《ちくいち》に見学して、頭と手帳に留めてしまいました。
 その間に西洋人というものの気風をすっかり呑込まなければならないと考え、西洋人にも幾通りもあることを知り、そうして、日本人の大部分が、それを毛唐《けとう》という軽蔑語で一掃してしまうことの無知を今更のようにさとり、異人の気風を知るには、まず異人の国々を知り、その国々の歴史と成立ちをも知らなければならないということに気がつくと、その方面の学問を、多少に限らず頭に入れておかなければならないと知ったのはあたりまえです。
 そういうふうに頭の働く少年にとっては、見るもの聞くものが、ことごとく新知識となって吸入されぬということはなく、忠作の得た結論は、どうしても、今の日本人よりは毛唐の方が遥かに進んでいる――日本人は獣類同様、或いはそれ以下に異人を見下しているけれども、事実、仕事をする上に於ての大仕掛と、金儲《かねもう》けの規模の世界的なることに於て、今の日本人は梯子《はしご》をかけても及ばないことを知り、異人が必ずしも日本の国をとりに来たというわけのものではなく、談笑の間に商売をしに来たのだということの方面が、忠作にはよくわかり、そうして将来の商売はどうしても、この異人を相手にしなければ大きくなれないということを、すっかり腹に入れてしまいました。
 だが同時に、この少年を憂えしめたことは、商売をするといったところで、向うから買うべきものがうんとあるが、こちらから売るべきものは何がある、向うから買うべきものばかり多く、こちらから売るべきものがなければ、やがてこの国の富はすっかりあちらへ持って行かれてしまうではないか。
 忠作は、今この貿易学の初歩について、つくづく考えさせられています。そうして今日の午後、自分の部屋で、コックさんから貰った一瓶のビールを味わいながら、忠作は、この酒は異人が上下となく好んで飲む酒だが、なんだか苦くって、大味で、日本人には向きそうもない、自分は利酒《ききざけ》ではないが、どうも将来とても日本人が、こんな苦くて大味な酒を、好んで飲むようになれるかなれないか考えものだと思い、それと同様に、異人がまた日本酒の醇なやつを、チビリチビリと飲むというような味が分って来そうにもない、どうも、日本の酒と、異人の酒とは、趣味のドダイが違うから、将来、あっちの酒をこっちへ持って来て売るようにはなれまいし、こっちの酒を向うへ盛んに売り出すようにはなれまい、そうすると、異人を目当ての酒の交易は、まあ当分、見込みはない、なんにしても今時、向うから持って来て、こっちへ売れるのは鉄砲だ、酒と違って、向うの鉄砲だってこっちの人間を殺せる、しかも殺し方が遥かに優れている、鉄砲を持って来て売り込むことは的を外れないが、それだって、日本の鉄砲は向うへ向けて売り物にならないから片交易だ。
 忠作は、こんなことを考えながら、一杯一杯と好きでもないビールを呑んでいるところへ、突然|扉《ドア》を叩く者がある。
「どなた」
「忠ボーイさん、御在館でげすか、ほかならぬ金公でげすよ」
 おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の金助が来たな、と忠作は直ちに知りました。
「金さんですか、お入りなさい」
 難なく扉があいて身を現わしたのは、例によって野幇間《のだいこ》まがいのゾロリとしたおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の金公でゲス。
 忠作は本来、こいつはあんまり好まない奴であるけれども、自分がここに住込むことになったに就いては、お絹を通しての最も有力なる橋渡しの一人でもあるし、これが持ち込む情報がまた、外国人に取入る好材料となったりすることもあるし、また或る意味に於ては、お絹を代表して、忠作と共通みたような儲《もう》け口の組合員ともなっているのだから、こいつの、なれなれしくやって来るのを、無下《むげ》に斥《しりぞ》けることもできないようになっている。
 身を現わした金公は、例によって、いや味ったらしい表情たっぷりで、早くも卓子《テーブル》の上のビール瓶に眼をつけ、いま忠作が代り目をつぎ込んで、まだ泡の立っているのを見ると、図々しく、
「これは乙りきでげすな、黄金色《こがねいろ》なす洋酒のきっすいを、コップになみなみと独酌の、ひそかに隠し飲み、舶来のしんねこなんぞはよくありませんな、金公にも一つそれ、口塞ぎというやつを――なあに、そのお口よごしのお流れで結構でげす……」
 こう言って咽喉《のど》から手を、そのコップのところへ出したものです。
「いや、コックさんから一瓶貰って、ちょっと仕事休みに飲んでみただけのものなんだよ。なんだか苦くて、大味で――わしゃ酒のみじゃないけれど、それでもあんまり感心しないと思って、ながめていたところだから、金さん、よければみんなおあがり」
と言って忠作は、瓶の栓を抜いて、注ぎ置きのコップの上へまた新たに注いでやると、シューッとたぎる泡が、コップの縁いっぱいにたぎり出しました。そうすると金公が大仰に両手をひろげて、
「あ、結構、有難い、何てまあ、この黄金色なす泡をたぎらす色合いの調子、ビールってやつでござんすな、ビール、ビルビルビルと一杯いただきやしょう」
 物にならない駄洒落《だじゃれ》を飛ばしながら、金公はそのコップを取り上げてグッと一飲み、ゴボゴボとせき込みながら、
「なるほど――苦くて大味、というところは星でござんすな。但し、すーうと胸に滞《たま》らず、頭に上らず――毒にもならず、薬にもならずというところでげすから、泡盛《あわもり》よりは軽い意味に於て、将来、こりゃなかなか一般社会の飲物として流行いたしやしょう」
 金公は、ホンの口当りにこんなことを言ったのだが、忠作はまたそれを先刻の胸算用に引きあてて聞きました。なるほど、金公の出鱈目《でたらめ》も聞きようによって算盤になる、苦くて、大味で、日本向きではないと、自分はさいぜん独断を下してみたが、金公のような、その道の奴に言わせると、胸に滞らず、頭に上らず、毒にもならず、薬にもならず、軽い意味に於て、将来一般に流行《はや》る平民的飲物としての素質を持っているとすれば、この酒も将来、日本人にとって、一種の無くてならぬ嗜好物になる資格があるのではないか――人によって言を捨てずということもあるから、たとえ金公の出鱈目でも聞いて置くことだ、なんぞと考えながら、
「よかったら、みんな飲んで下さい」
 コップにまた泡を吹かせて、忠作が酌をしてやりました。
 金公は妙な手つきをして、それをおしいただき、満足して、それから徐《おもむ》ろにへらず口と用件とを並べる。

         三十一

「忠さん、例の一件が、その名儀借用てなことで、埒《らち》が明きそうでげす」
「ははあ」
「ははあは張合いがござんせん、金公がここまで漕《こ》ぎつけた苦心労力のほどを、ちっとお察し下さい」
と言って金公が自讃するところは何かと言えば、今まで素人《しろうと》の娘が異人の妾《めかけ》になることは罷《まか》り成らぬということになっていたのを、今度、たとえ素人の娘であるにしてからが、しかるべき商売人の抱えということにして名儀を借りさえすれば、西洋人の妾になることも差支えない、という御制度に改まったから喜んでいただきやしょうということです。そして、そのここにまで至らしむることは、金公らの内々の運動というものが隠然として多きをなしているという吹聴でした。
 忠作はそのことを、金公が自讃するほどに身を入れても聞かず、そうかといって、全く閑却するでもなしに聞いていると、金公は得意になって、ベラベラと喋《しゃべ》り出しました。
 これでまあ、我々も運動甲斐があって、自分の働きばえというわけだが、このことたる、単に我々の利益ばかりじゃない、日本の国のためにも、どれだけため[#「ため」に傍点]になるか知れない、これで素人が、大っぴらで洋妾《ラシャメン》になれるということになると、何といっても異人は日本人より気前がいいから、たった一晩にしてからが、洋銀三枚がとこは出す、月極めということになれば十両はお安いところ、玉によっては二十両ぐらいはサラサラと出す。
 そこで、仮りに日本の娘が一万人だけ洋妾になったと積ってごろうじろ、月二十両ずつ稼いで、一年二百四十両の一万人として、年二百四十万両というものが、日本の国に転がり込む……
「これがお前さん、元手いらずでげすから大したもんでげさあ、仮りに吉原がはやるの、新町がどうのと言ったところで、相手はみんな国内の貧乏人でげすからなあ、大きく日本の国に積ってごろうじろ、共喰いの蛸配《たこはい》みたようなもんでげす、それをお前さん、元手いらずで毛唐から絞り取ろうというんでげすから、国のためになりまさあね、そうしてお前さん、元手いらずで現ナマを絞っておいてからに、なお毛唐人の精分を残らずこっちへ吸い上げてしまえば、結局、いながらにして向うの国を亡ぼし、攘夷の実が挙るというもんでげす、どうして日本人が、もっと早くここんとこへ目をつけなかったかと、金公、不思議に堪えられねえ儀でござんす」
 計算好きな忠作も、この計算には面負けがしたらしく、苦笑いのほかにしょうことなしでいると、金公いよいよいい気になって、
「今時、お前さん、尊王攘夷のなんのといって、日本の国の愛国者はおれたちが一手専売てな面をして浪人共が東奔西走、天晴れの志士気取りでいるけれど、お前さん、攘夷という攘夷で、今まで儲《もう》かった攘夷がありますかい。早い話が、生麦《なまむぎ》の事件でござんさあ、薩摩っぽう[#「ぽう」に傍点]が勇気|凜々《りんりん》として、毛唐二三人を一刀に斬って捨てたのはまあ豪勢なもんだとして、ところでその尻拭いは誰がします、罰金四十四万両――拙者共は身ぶるいがするほどの金でござんさあ、この罰金四十四万両というものを、薩摩っぽうが毛唐を二三人斬った罰金として、公方様《くぼうさま》から毛唐の方へ納めなけりゃならねえ、運上所から夜夜中《よるよなか》、こっそりと大八車へ銀貨を山ほど積んで幾台というもの、ミニストルへ引きこんで、只納めをして来た有様なんて、見ない人は知らないが、見た人は涙をこぼしてますぜ。それに限ったことじゃありません、長州でも、土佐でも、みんなそれなんでげす。およそ攘夷という攘夷で、儲かった攘夷は一つない上に、莫大な罰金を毛唐に取られ、公方様へ御心配をかける。そんならば何が儲かるかということになるてえと、正直、今の日本の国なんぞでは、万端むこうから買うものばっかりで、こちらから売って金にしようなんて代物《しろもの》は滅多にはありゃしません――ところで、洋妾ときた日にゃ資本《もとで》いらずで、双方両為めの、いま言った通り年分《ねんぶ》……」
「もうわかりましたよ、金さん」
 さすがの忠作も、金助の洋妾立国論は受けきれないらしい。金公もまた減らず口はそのくらいにしておいて、洋妾の口二つ三つの周旋方を忠作を通して、ここへ出入りの西洋人に頼みこむことを依頼しておいて、
「何しても、若い頭のいいところにゃかないません、こんな話は、金公|直取引《じきとりひき》とおいでなされば、たんまりと口銭《コンミツ》にありつけるんでげすが、なんにしてもペロがいけませんからな。忠さんなんぞは、若くて、頭がよくっていらっしゃるから、ホンのここへ来て僅かの間、ペロの方でも、もう誰が来ても引けはとらねえ、応対万事差支えなしとおいでなさる――当世は、若くて頭のいいところにはかなわねえ、何しろこれからはペロの世の中でげすからな」
 忠作に向ってこんな追従《ついしょう》を言いました。
 忠作をつかまえて、若くて頭がいいと持ち上げるのは、必ずしも過当とは思われないけれど、ペロがいけるとか、いけないとか言うのは、会話が出来るとか、出来ないとかいう意味で、忠作としては、金公が推薦するほど会話が出来るわけではないが、敏慧なこの少年は、ここへ来て僅かの間に、もう朝夕の挨拶や、簡単な用向などは、用の足りるほどに外国語を聞きかじり、覚え込んでいる程度です。それが金公あたりの眼から見れば、確かに非凡過ぎるほどの非凡の頭に見え、もうこの少年に頼めば、立派に通弁の役に立ち、異人との交渉は一切差支えなくなっていると見えるほどに、買いかぶってしまっているらしい。
 結局、金公の用向は、洋妾立国論を一席弁じた上に、洋妾両三名を西洋人に売り込むことの周旋方を、忠作に頼み込みに来たのだという要領だけで、ビールの壜《びん》を傾けつくし、ほろよい機嫌でこの室を出て行ってしまいました。

         三十二

 誰も、金公の話なんぞを取り上げて、あげつらうものはないが、それでも忠作は、忠作として考えさせられるところのものがありました。軍艦であり、鉄砲であり、羅紗《らしゃ》であり、器械類であり、外国から買うべきものは無数にあるのに、外国へ売るべき物はなんにも無い――洋妾にもとで要らずで稼がせるほかに良策はないという言い分は、いかに金公のたわごと[#「たわごと」に傍点]にしても、あんまり悲惨極まるたわごと[#「たわごと」に傍点]ではないか。
 忠作はもとより、憂国者でも志士でもないにはきまっているが、甲州人の持つ天性の負けず嫌いが、金助のたわごとに対して、知らず識《し》らず愛国的義憤のようなものを起させてしまいました。
 事実、日本の国に、外国へ正当な商売をして、そうして我を富ますところの品物は無いのか? 無いはずは断じてない!
 忠作は、ここで、今に見ろという意気込みに充ち満ちて、自分の掌を握りつめて、自分ながら何の意味かわからないほどの昂奮に駆《か》られている時に、デスクの上の呼鈴がけたたましく鳴りました。
 これは支配人からの呼鈴である――と心得て、忠作は急いでこの部屋を出て廊下を通ると、庭がしきりに混雑しているのを見ました。
 ははあ、そうだそうだ、今日はこの庭で午後から、蒸気車とテレガラフとの試験をするのであった、その準備と、見物の人で、あんなに混雑している。
 と思って、支配人の部屋へ赴いてみると、支配人のホースブルが、
「これから蒸気車の試験ある、あなた手伝うヨロシイ」
「承知いたしました」
「ソレから、マダム・シルクここへ来る、早く庭へ通すヨロシイ」
「はい」
と言ったけれど、これは実は忠作にはよく呑込めなかったのですが、西洋人はグズグズしているのを嫌うから、多分、お客が来たら庭へ通して、蒸気車の実験を見せてあげろという意味だろうと受取って、目から鼻へ抜けるように、イエス、イエスで片附けてしまいました。
 忠作も、その他の雇人と共に手伝い、支配人も世話を焼き、技師も出て来て、形の如く最新蒸気車の模型を動かして見せる実験がはじまりました。
 見物人には、外人よりは日本人が多い。特に公開したというわけではないが、それぞれ渡りをつけて、しかるべき身分の人のほかに、各階級にわたっているようである。
 この実験は見事に成功して、見るほどの人を、アッと言わせずには置きませんでした。
 あとで技師が事細かに説明するのを、日本人の通弁が、汗水流して翻訳をして聞かすのだが、それでも一同を傾聴せしめるだけのものはある。
 それは、今から八十年ばかり前、インギリスのワットという人が発明した蒸気機関によって、現代の西洋では、船と車を動かすことになっている。蒸気船は現在、皆さんが横浜その他で見る通りだが、まだ皆さんは、目下、西洋で行われている最新の蒸気車というものを御存じはあるまい。
 その実物は、今ここで走らせたものの数倍のもので、これが機関という万力《まんりき》によって、このあとへ、人ならば二十四人乗りの車が三四十輌つながる、そうして、車輪も鉄であるし、特別の道路をこしらえて、これに鉄の二筋の輪道を置いて、その上を走らせる、だから鉄道を敷く費用は、日本の一里について三万両もかかることはかかるが、一度こしらえてしまえば永久に持つから、その利益は計るべからざるものであること――こうして一定の鉄路の上を走るから、車のとても重いのにかかわらず、速力は非常に早く、蒸気船よりももっと速い――一時間に三十|哩《マイル》、急用の時は五十哩は走らせることができるから、仮りに十二時間走り続けるとして、五百哩走ることができる。
 江戸から京大阪を通り越して芸州の広島まで、一日のうちに往《い》って戻ることができる――こういう説明が、見物のすべての魂を飛ばしてしまいました。
 そうして、この原動力としては、単に鉄瓶の蓋《ふた》をあげる湯気に過ぎないということ。ワットがその鉄瓶の湯気を見たばっかりに、この大発明が出来上ったということ。そうして蒸気の力というものは、単に船と車にばかり応用するものではない、川を渡るにも、水を汲むにも、山を登るにも、田を耕すにも、銅鉄の荒金を精錬するにも、毛綿の糸縄を紡績するにも、材木をきるにも、あらゆる器具を作るにも、すべてこの力を応用し、職人は自分自身手を下さないでも、機関の運転に気をつけてさえいれば済む、そうして一人の力で、楽々と数百人に当る働きを為すことができるのだ――
 こういうような説明を、実験のあとで聞かされた時に、誰しもその荒唐を疑うの勇気がありませんでした。
 一方の隅にかたまって、陪観《ばいかん》の栄を得ていた忠作は、特に心から感動させられずにはいなかったらしい。この点に於ては、たしかに毛唐《けとう》と日本人とは頭が違う、なにも我々だって卑下するには及ばないけれども、それにしても、今の日本人はあちらの人を知らな過ぎる、これではいけない、それではならない。忠作はまたここで、自分ながらわからない敵愾心《てきがいしん》の昂奮し来《きた》るのを覚えました。
 事が終って支配人のところへ行くと、支配人がまた、
「マダム・シルク、今日来ル約束、来ナイ、どうしました」
「左様でございます」
「マダム・シルク、せっかくジョウキシャ見ナイ、残念」
「左様でございます」
 忠作はなんとなく、自分の返答がそぐわないものを感じたのは、支配人の言うことがよく呑込めなかった自然の結果で、そうして、語学の出来ない者が、へたにそれを問い返すことは、西洋人の御機嫌を損ねる結果に終ることを知っているから、そのままテレ隠しを上手にやって、珈琲《コーヒー》茶器を持ってコック部屋の方へ行きました。

         三十三

 コック部屋へ来ると、コック見習をしていた六さんというのが、いきなり言葉をかけて、
「忠さん、今日はお絹様がおいでになりませんでしたね、それでマネージャがたいそうがっかり[#「がっかり」に傍点]していましたね」
「あ、そうでしたねえ」
「マネージャは、今日の実験をお絹さんに見せたかったんだね、そうしてその交易に、お絹さんの顔を見たかったんだよ」
「そうか知ら」
「そうかしらじゃねえね、うちのマネージャときちゃ、すっかりお絹さんに参ってるんだぜ」
 コックの六さんが、だんだん小声になって言うから、
「そんなことはあるまい」
「ないどころか、日本の絹は世界一だってね、それと同じことに、マダム・シルクの年増《としま》っぷりが、飛びきりの羽二重《はぶたえ》なんだとさ」
「マダム・シルク?」
 その時に、忠作がハッとしました。そうだ、最初に自分が行った時に、今日はマダム・シルクが来るはずだが、来たら早速庭へ通せとマネージャが言った。
 実験が済んだ後に、今日は来るべき約束のマダム・シルクが来ていない、残念と言った。
 その何であるかは、忠作の頭にその時までピンと来なかったのだ、多分知合いの西洋人の友達だろうぐらいに心得て、お茶を濁した返事でごまかしていたが、今こう言われてみると、ヒシと思い当るのだ。そんならば、そのように返事のしようもあったものを――自分ながら何という血のめぐりの悪さだ、何が若くて頭がいいんだ、そのくらいの気転が利《き》かないで、どうして外国人のお相手がつとまる!
 何のことだ、ばかばかしい。
 忠作は、一時、全く自分というものが、やっぱり低能児のお仲間でしかあり得ないのではないか、と歯噛《はが》みをしてみたのです。
 事実、この支配人が、お絹さんにまいっているのかいないのか、そんなことは詮索《せんさく》する必要はないが、お絹さんをマダム・シルクと呼ぶことは洒落《しゃれ》にしても、立派に筋の通った洒落だ。まして、あちらは洒落でも揶揄《からかい》でもなく、多少の熱情と敬意を持つ真剣の呼び名であるとしたら、そのくらいのことを心得ないで、外人相手の奉公なり、商売なりが勤まるか、つとまらないか。
 忠作は自分ながら、それを歯痒《はがゆ》さに堪えられないでいたが、そうかといって、いつまでクヨクヨと物案じをしている男ではない、コック部屋からまた給仕部屋へ帰ってから、このことがきっかけに、妙な方へこの少年独特の頭が働き出してきたことです。
 日本の絹は世界で第一等だ――とここのマネージャが言っていると、今もコック見習の六ベエが言った。それに違いない、そのことは常々自分も聞いていたのだ。聞いているのみではない、各地から、いろいろの絹と絹織物をマネージャが取寄せて、自分も手伝ってその整理に当ったことがある。その時に、もっと自分に語学が分りさえすれば、この絹の質はどうで、産地はどうで、織りはどうだということを、事細かに説明してやれるのだが、言葉の不自由から、その方面の知識は多分に持ちながら、如何《いかん》ともすることのできなかったのを、もどかしがったことがある。
 順序を追うてそれを思い返しているうちに、発止《はっし》とこの少年の頭に閃《ひらめ》いたのは、そうだ、この絹だ、この絹をまとめて、外国へ売ってやることはできないか。
 いま、日本に来ている外国人なぞは、本国はおろか、たいてい世界の各地を渡り歩いて来ている人たちだ、それが特別に日本の絹を珍重がるからには、日本の絹には、たしかに世界の何国のものも及ばない特質がある証拠に相違ない、そうだとすれば――そうして日本の国では、絹なんぞは、そんなに珍しくないのみならず、こしらえればいくらでも出来る。桑を植えて、蚕を飼いさえすれば無限に生産のできる品なのだ。現に自分の故郷の甲州なんぞでも、山畑の隅々までも手飼いの蚕のために桑を植えてある。いかなる賤《しず》の女《め》も、養蚕の方法と、製糸の一通りを心得ていないものはない。
 これを買い占めて、外人向きに精製して売る――これはたしかに商売になる、そうして仕事が大きい、生産は、天然に人力を加えるだけだから、無限にあとが続く。
 そうだ!
 忠作はついに、マダム・シルクをこんなようにまで算盤《そろばん》にかけて、おのずから胸の躍《おど》るのを覚えました。

         三十四

 駒井甚三郎が最新の知識を集中してつくり上げた蒸気船よりも、七兵衛の親譲りの健脚の方が、遥かに速かったのは是非もないことです。
 磐城平《いわきだいら》方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻《いしのまき》の港へ、一足飛びに到着して見ました。
 駒井の殿様の一行の船はどうだ――もう着いているか知らと、宿も取らぬ先に港へ出て隈《くま》なく見渡したけれど、それらしい船はいっこう見当りません。
 でも、七兵衛はガッカリしませんでした。何しても前例のない処女航海ではあり、極めて大事を取って船をやるから、到着の期限は存外長引くかも知れない。万一また、途中、天候その他の危険をでも予想した場合には、不意に意外のところへ碇泊《ていはく》してしまうかも知れない。それにしても目的地は石巻に限っているから、船に進行力のある限りは、石巻到着は時間の問題である――先着した時は、多少気長に待っていてもらいさえすればよろしい――その打合せはおたがいによく届いていましたから、船が港に見えなくても、七兵衛は心配するということなく、相馬領から鉄を買い出しに来た商人のようなふりをして、石巻の港のとある宿屋に宿を取りました。
 そうして当座の仕事というものは、毎日毎日海を眺めることです。海を眺めて目指す船の影が見えるか見えないかという当りをつけることが毎日の日課ではありますけれども、この日課は、仕事としては実に単調過ぎたものであります。
 そこで七兵衛は、副業としての、この近辺の名所古蹟を見物して歩くということが、本業のようになってしまいました。
 名所古蹟を見るつもりならば、この辺は決してその材料に貧しいところではありません。その頭と興味とを以て臨みさえすれば、数カ月この辺に滞在したからと言って、さのみ退屈するところではないのです。
 早い話が、この石巻の港にしてからが、奥の細道を旅した芭蕉翁が、この港に迷い込んだことがあるのであります。
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「終《つひ》に道ふみたがへて、石の巻といふ湊《みなと》に出づ。『こがね花咲く』と詠みて奉りたる金花山海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈《かまど》の煙たちつづけたり。思ひがけずかかるところにも来《きた》れるかなと、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道まよひ行く」
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なんぞは、今の七兵衛の身に引かされもするし、旅情及び詩情の綿々たるものを漂わせないではないけれども、七兵衛は、日頃あんまりそういうことに興味を持っていないのです。
 それから、石巻の港は河村瑞軒《かわむらずいけん》が設計したとかしないとか――尾上川の河口が押し出す土砂で、せっかくの良港を埋めてしまう、これを何とかせぬことには、この東北第一の名をうたわれた港も、やがてさびれてしまうだろう――なんという心配も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台|陸奥守《むつのかみ》六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見ておこうと企てました。
 だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通には優に二十日や三十日の暇をつぶすに充分でありますけれども、七兵衛の迅足をもってしては、まことにあっけないものでありました。それでも瑞巌寺《ずいがんじ》の建築を考証したり、例の田山白雲が憧れている観瀾亭の壁画なんぞを玩味《がんみ》したりするだけの素養があればだが、それも七兵衛には望むのが無理です。
 なるほど、いい景色だなあ、たいしたものだなあ、さすがは仙台様だ――といったような、赤毛布《あかげっと》が誰もする通り一遍の感嘆のほかには、七兵衛として、別段に名所古蹟を縦横から見直すという手段はありません。
 金華山へ行って見たところで、野飼いの鹿がいる、猿がいる、それを珍しがって、やがて頂上へ登って見ると、そこの絶景に感心するよりは、更に一段の高所に登ったために、まず心頭と眼底に映り来《きた》るのは駒井の殿様の船の姿であって――それを眼の届く限り、内外の海の面に向って当りをつけて見たが無駄であった、というだけのものでありました。
 多賀城の石碑《いしぶみ》へも、名所の一つだからと案内されるままに行って見ましたけれど、これが日本有数の古碑であることの考古的興味からではなく、碑面に刻まれた、
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「多賀城去京一千五百里、去|蝦夷《えぞ》界一百二十里、去|常陸《ひたち》国界四百十二里、去|下野《しもつけ》国界二百七十四里、去|靺鞨国《まっかつこく》三千里」
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とあるのをおぼろげに読ませられ、
「はて、京を去る一千五百里――これは、ちっと掛値がありそうだ。蝦夷境を去る一百二十里のことは知らないが、常陸の国界を去る四百十二里は飛ばし過ぎる。これは現に自分が歩んで来た道だが――四百十二里はヨタだね。それからすると、無論下野の二百七十四里もいけない。従って京の一千五百里もあてにならぬことの骨頂だが、靺鞨国というイヤにむずかしい国名はあんまり見かけないが、唐天竺《からてんじく》のことでもあるかな。せっかくの石碑がこうヨタで固められては有難くねえ――だが待てよ、これは昔の里数かも知れねえぞ――それとも支那里数で行っているのか」
 七兵衛としての興味と疑問は、そんな程度のものでした。
 ですから、僅々《きんきん》数日の間に、すべての名所古蹟といったようなものを見尽してしまうと、彼の天性の迅足の髀肉《ひにく》が、徒《いたず》らに肥えるよりほかはせん術《すべ》がなき姿です。
 でも、その数日の間に、駒井の船が姿を見せないことは前日の如く――それで退屈のやる瀬なき七兵衛は、風物を見、海面を睨めていることに屈託した彼は、やっぱり、人を見ることの興味によってのほかに慰められそうなものはない。
 人といったところで、この辺の人とは気風もしっくりしないし、それに第一、まるっきり言葉がわからない。
 何といっても仙台の城下は東北第一の都であるから、人を見るには、あれに越したことはないと、七兵衛は今日しもまた漫然と、すでに概念は見つくした仙台の城下の賑やかなところへ立戻ろうとして、塩釜神社の下まできた。そこでゆくりなく、塩釜|芸妓《げいしゃ》の一群が、藤色模様の揃いを着て、「塩釜じんく」を踊っているのを見ました。
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塩釜かいどう
白菊|垣《かき》に
何を聞く聞く
ありゃ便りきく
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         三十五

 塩釜での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着いたけれども、
「塩釜じんくが、今日はどうも妙に心を惹《ひ》いて、耳に残っている」
 常盤町というところへ入るともなく足を踏み込んだ七兵衛が、そこでまた仙台芸妓の一群が取りすましてやって来たのにぶっつかりました。
「今日はいやに芸妓に突き当る日だ」
 七兵衛は、その取りすまして行く芸妓たちの後ろ姿をながめておりました。
 七兵衛とても、年甲斐もなく、女にうつつを抜かしたというわけではない。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百に言わせると、
「仙台てところには、美《い》い女は生れて来ねえんだそうだ、というのはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟《たた》りで、仙台には美い女が生れねえということなんだ、だから……」
 それをいま思い出したが、七兵衛には必ずしもそれを肯定するわけにはゆかない。仙台だとて、決して婦人の容姿は他国に劣ったものではないのだ。現にこの芸妓たちだからといって、江戸前と言ったって恥かしくもないのだ。といって、特別に七兵衛の眼を惹《ひ》くほど綺麗だとも、イキだとも感心したわけではないのだが、今日は芸妓日だ――とでもいったように、芸妓を眼の前につきつけられることの機会が多いのと、それから、出がけに見た「塩釜じんく」の妙に威勢のよい情調が、何か七兵衛の心を捉えたと見え――
 そうだ、そうだ、ここの名物として「さんさ時雨《しぐれ》」というのがあったっけ、退屈|凌《しの》ぎに名所古蹟だけは見通したが、まだ耳でもって名物を味わうことはしていない、せっかく仙台へ来たことに、「さんさ時雨」を聞いてみないことには話にならないというものだ。
 七兵衛がふと、妙なところへ力瘤《ちからこぶ》を入れる気持になって、一番、今夜は奮発して、あの芸妓たちを総あげにして「さんさ時雨」を唄わしてみるかな。
 七兵衛はふと、こんなことを考えながら、賑《にぎ》やかなところを、芭蕉ヶ辻から――フラフラ、青葉城の大手の門の前に来てしまいました。
 この間も来たところだが、ここまで来ると、七兵衛はまた、ゆっくりと、このお城の見物人となり、なんにしても素敵な城だ、お江戸の城からこっち、これほどの城は見たくも見られねえ。
 そのはず、二十一郡六十八万石とは言うが、それは表高で、実収は百八十万石とのこと。
 この城を築いた伊達政宗公というのが、まかり間違えば太閤秀吉や、徳川家康に向っても楯を突こうというほどの代物《しろもの》だから、それ、今時、薩摩や長州がどうあろうとも、こっちは仙台|陸奥守《むつのかみ》だというはらが据わっている。
 太閤様、権現様、信玄公、謙信公と同格の家柄だというはらがあるから、この城の家相を見てからが――以前にもちょっと出たことがあるが、これが七兵衛は一種の家相見であります――全く立派な貫禄で、どこへ出してもヒケは取らねえ、奥州の青葉城、うしろに青葉山を控えて、前は広瀬川がこの通り天然の塹壕《ざんごう》をなしている。城下町と城内との連絡もよくついて、大軍の駈け引きも自由であり、いざとなってこの広瀬川を断ち切りさえすれば、後ろは山続きで奥がわからない、そこで城だけが天険無双の構えとなって独立自給のできる仕掛になっている――見かけから言っても、実地から言っても、これだけの要害な大城というものは、ほかにはちょっと思い当らない。日本一の青葉城――といってもいいが、ただ一つ不足なのは水が足りない、水分が乏しい。なるほど、この広瀬川が天然のお濠《ほり》になっている、この切り立った岩、こういう天然のお濠が出来ているという城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城《ひらじろ》で、お濠というのは人夫の手で掘りあげたお濠なんだ。ここのは天然の切岸と、川の流れそのままがお濠になっている――優れているのがそこで、また足りないところがそこだ。これだけのお濠にしては、水があんまり少な過ぎる、これだけの城を前にしてはもっと漫々たる水が欲しいなあ。たとえば江戸のお城のお濠にしても、人夫が掘ったお濠には違いないが、関八州の水が張りきっているという感じがするね。大阪はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊かな水分がありさえすれば、それこそ日本一――水気が不足だなあ。ここに水沢《すいたく》の気があれば、天下の運勢は奥州の伊達へ傾いて来るのだが――
 七兵衛は、こんなふうに自己流に青葉城の城相を見ていたが、そのうち、ふと彼の頭に閃《ひらめ》いたところのものがありました。
 奥州仙台、陸奥守六十八万石のお城、ただここで、こうして拝見している分には誰も咎《とが》める者はない代り、誰にもできる芸当だ、誰も見られないところをひとつ、この七兵衛に見せてもらうわけにはいくまいか、奥州仙台へ来れば、誰でも拝見のできるところを拝見して、誰も感心するところだけの感心をしていたのでは、七兵衛が七兵衛にならないではないか。
 ここで七兵衛の間違った野心と、自覚とが、ムラムラと頭を持上げて来たのは、持った病とは言いながら、不幸なことでありました。
 なあに――江戸のお城の、御本丸の紅葉山《もみじやま》までも拝んで来たこの七兵衛だ、奥州仙台であろうが、陸奥守であろうが、枉《ま》げて拝見の許されねえという掟《おきて》はあるめえ。
 狂言で見た先代萩――そうだ、そうだ、あの、きらびやかな御殿や、床下がこの御城内にあるのだっけ。仁木弾正《にっきだんじょう》は鼠を使って忍びの術で入り込んだが、七兵衛は七兵衛冥利だ、こいつは一番、このお城の中の隅から隅――六十八万石の殿様のお居間から、諸士方の宿直部屋《とのいべや》、飯炊場《ままたきば》も、床下も、書割《かきわり》で見るんじゃねえ、正《しょう》のものを、正でひとつ、後学のために見ておいて帰るのも話の種だ。
 七兵衛は、これを考え出すと、今まで青葉城をながめていた眼の色が変ってきました。そうして、今まで退屈し切っていた心の緒《いと》が、急に張りきったのを感じたようです。
 駒井の殿様のお船が着くまでの睡気《ねむけ》ざましだ、なにも物が欲しい惜しいというわけのものではない、七兵衛は七兵衛冥利に、誰にも見られねえところの、六十八万石のお城の内部の模様を、一通り拝見すればいいのだ。
 それだけのことなら、こっちにとっては朝飯前と言いたいが、夜食の腹ごなしに、持って来いの前芸だ――今夜は一番、それをやっつけよう。
 七兵衛としては、この際、別段に路用に困っているという次第ではなし、人の急を救うために危うきを冒《おか》さねばならぬ義理合いがあるというわけでもなく、ただ閑々地にいて、つい不善を心がけるという心理からではないにしても、持った病の虫が、むらむらと頭をもたげたのは情けないことと言わねばなりません。もともとこの男は、慾で盗みをするより、手癖でする、好奇でする、興味でする。本能が、つい心と手とを一緒にそっちへ向けて、曲げてしまうことが多い。
 前に、芸者のあだ姿を見て、そぞろ心を動かしてみたが、今は、そのがらにない要《い》らざる遊興心が、すっかり吹っ飛んでしまい、今お城を見て動き出した本能心だけは、どうしても分別と反省が無い、のみならず、ムラムラといっそう昂上するばかりで、久しく試みなかった腕が鳴り――なあに、江戸の本丸、西の丸へでさえも御免を蒙《こうむ》れるほどのおれが、奥州仙台六十八万石が何だ――
 という慢心を、もはや如何《いかん》ともすることができませんでした。

         三十六

 明日は、どう間違っても、仙台湾に無事入港という確信を得た駒井甚三郎は、全く重荷を卸した喜びに打たれました。
 この重荷を卸したというのは、いろいろの意味にとることができます。自分の創製が全く試験済みになったというのと、自分の船によっての前例の無い処女航海を無事に果したという成功の喜び――それから最近、この船を王国か民国か知らないが、自分たちの新しい領土をめがけての世界的遠征の可能、そんなような複雑した感情で、前の晩、駒井甚三郎は、船長室の燈明《とうみょう》を以て前途の光明を見つめつつ、なお油断なく船を進めて行きました。
 しかし、一つ越ゆればまた一つの難所――がある、人生にはそれからそれと連続して関門のあることを、駒井は決して忘るることができません。一つの成功の次には他の魔障、しからずんば難関がもう待ち兼ねて目白押しをしている。
 駒井は、船の構造と、航海の技術との第一成功と共に自信は得たけれども、この処女航海の内容全部が、必ずしも成功とは言えないことを認めずにはおられません。失敗とは言わないが、工業として、技術としては成功のみが全部ではない、人心の和というものが一大事であることを、忘れるわけにはゆきません。
 この清新な門出の一歩に、もう船の中に悪い空気が湧いている。この悪い空気は、とりあえず兵部の娘の船室から起っていることを、駒井はよく知っております。
 お松という子に於て、駒井は最もよき秘書と助手とを得ました。駒井がお松を信任すること、お松を信任せざるを得ないほど、お松そのものの素質が適合していることが、兵部の娘にとって不平であり、嫉妬でもあり、反抗の源ともなろうとしている空気が、駒井にはよくわかるのであります。そうして、兵部の娘はその鬱憤のためにマドロスを近づけていることもよくわかります。
 殖民には女子が無くてはならぬ、婦女子を伴わぬ殖民は、結局、海賊に等しいものになって、永遠の成功は覚束《おぼつか》ない、なんぞということは、駒井も研究しておりました。このたびの船出に当っては、単純に、自分の身辺に居合わす人々を授けられたもののようにして、格別吟味もせずに収容しました。駒井としては人間性にさのみ甲乙を認めるということがありませんから、かえって環境によってねじけさせられたり、荒《すさ》ませられたりした人間を伴って行くことが、別の世界の陶冶《とうや》の一つの趣味であるとさえ考えられていたのです。田山白雲はまた一種の豪傑の徒であり、七兵衛は実直な農夫とも見えるが、またなかなか食えないところもある苦労人とも見られるが、頼めば頼もしい人間であり、つかえる人間であることは駒井が認めています。ことに彼が農業に堪能《たんのう》であるということは、新天地を拓《ひら》くのに無くてならぬ素養だと思いました。
 マドロスもまた使いようによって、至って大きな便宜を供してくれる。房州で集めた船夫《せんどう》たちは、普通の船夫以上には毒にも薬にもならないが、その道にかけては安心でもあり、上陸して善良なる土着民となり得る。清澄の茂は一種の天才であり、あの存在が一般の芸術をつとめる。金椎《キンツイ》は黙々として聖書を読み、旨《うま》き料理を一同に提供することを使命としている。
 登があれば乳母《うば》がなければならない。おのおの、その様によって集められた人材は、用い方でみな無くてはならぬものになる。
 ひとり、岡本兵部の娘だけがいけない。これがいけないのではない、その娘だけを船中へ単独で収容して置けば何のことはないのだが、お松という娘がいるためにいけない。ではお松が悪い女か。悪いどころではない、その良き女性なるがために、一方がますます悪くなって行く。女では手を焼いた経験の多い駒井甚三郎が、この雲行きを見て、少なくともこれが新殖民最初の悩みとなるのではないかと思いました。
 男子はおのおのその職に於て用ゆれば用い得られざるものは無いと信じているが、女子にはその法則が通らない。
 これは寧《むし》ろ、後日の禍根のために、兵部の娘をこの船から隔離してしまうか――それはできない。
 では、何かの威圧か、才能かによって、あの娘を使いこなすか、それも容易ではないことだと駒井は感じました。
 女子と小人は養い難し――駒井は、やっぱりそうしたものかなあ、そうして、自分たちが必ずしも大人君子というわけではないが、ともかくも理想の天地を拓こうとする途に向っても、必ずしもその理解者のみが集まるものではない、かえって、その目的と全く齟齬《そご》した仲間を、同志のうちに加えて行かねばならない――たとえば女子と小人とは養い難いものであるとも、結局は大人君子の背負物《しょいもの》であって、度し難いものであるに拘らず、背負いきらなければならないのが人生の約束か知らん、とも思われてくるのです。
 駒井甚三郎は、当面の欣喜と、前途の希望のうちに、明らかにこの悪い空気の※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88]醸《うんじょう》を見てしまいました。それを考えているところへ、清澄の茂太郎がやって来ました。

         三十七

 茂公は例によって、般若《はんにゃ》の面を小脇にしながら、突然に船長室を驚かして、
「殿様」
「何だ」
「明日はいよいよ、仙台|石巻《いしのまき》の港へ着くそうでございますね」
「うむ」
「嬉しいな、石巻で、お米や水を積込んで、それから南洋諸島へ渡るんですってね」
 生意気な! 南洋諸島なんていう地名を誰に聞いて来た。
「南洋諸島ときまったわけではない」
「どこでもかまいません、あたいは嬉しくてたまらない、涯《かぎ》りないこの海を眺めるのが好きです、アルバトロスもいます、鯨もお友達です、明日は仙台石巻へ着けば、そこに七兵衛おやじも待っていましょう、田山先生も乗込んでいらっしゃるでしょう、そうしてまたこの限りない大海原を乗り切って行くのが嬉しい、嬉しい」
「茂太郎、勉強しなさい、とにかく、これからみんなして気を揃えて新しい国を作るのだから、お前も歌ばかり唄っていないで、皆の手助けをして、よく働くことを覚えなくてはならない」
「働きますとも――今でも学問は、あたいが一番よく覚えます、それから、水夫さんの手助けでもなんでもして働いていますから、みんなから憎まれません」
「それはよいことだ、船中で誰にも可愛がられ、誰のためにも無くてならぬ人になるように心がけなければいけない」
「あたいは憎まれてやしません」
「一つの船に乗組む人は、陸上の一家族の者よりも気を揃えなければならないのだ」
 そこへ、お松が静かに入って来ました。
「茂ちゃん、船長さんのお邪魔をしてはいけませんよ」
「お松様、あたいはお邪魔なんぞはいたしません、今、殿様と、一つの船の中にいる人は、一つの家族であるよりも親密でなければならないということを話していたのです」
「ほんとうに茂ちゃんは、ませた口を利《き》きますねえ。ですけれどもその通りよ、みんなが全く気を揃えて、大船に乗ったつもりで、船長様を頭《かしら》に戴いて、船の中が一つの領土にならなければ、新しい国は作れません」
 駒井の言うことも、お松の言葉も、茂太郎に対しては、知らず識《し》らず教訓になってくる。駒井をそれを、やっぱりわが意を得たりとして、
「皆のおかげで、処女航海もこうして無事に済んだことが、わしとしては嬉しいが、それよりも嬉しいことは、お松どのの言われる通り、船中みな気を揃えて、よく働いてくれたそのことが、わしとしては何よりも頼もしい」
 駒井がかく言って船中一同に向っての感謝の意を表した時に、こまっしゃくれた茂太郎が、おとなしく受入れませんでした。
「殿様、それは違います」
「何だ」
「殿様のおっしゃることは、それは違うとわたしは思います」
 お松が聞き兼ねて、たしなめました、
「何を言うのです、茂ちゃん」
 茂太郎は屈せず、
「いいえ、本当のことを言うのです、いま殿様は、船の中の者がみんな気を揃えて働いてくれることが何より嬉しいとおっしゃいましたけれど、それは、或る人には当っていますけれど、ある人には当りません」
「茂ちゃん、お前、その物言いは何です、生意気だと言われますよ」
「あたいは本当のことを言っているんですよ、お松様、今この船の中の人は、みんな船長さんのために気を揃えて働いているようですけれど、そうばかりではありません、働かないで楽をしている人があります」
「そんな人はありませんよ、一人だって。みんな、それ相当の持場で何か働いておりますよ」
「ところが、働かない人が少なくとも一人はあります、それは、あたいのお嬢様です」
「あ、もゆるさんのこと」
「そうです、そうです、あのお嬢さんだけは、ちっとも働きません、お嬢さんばっかりは働かないで、遊んで食べています」
「もゆるさんは御病気なんですもの」
 お松が取りなして言うと、茂太郎はそれを打消して、
「いいえ、病気ではありません、病気でもないのに、みんながそれぞれ一生懸命働いているのに、あの人ばかりが働かないで、遊んで食べています」
 駒井も少し苦《にが》い面《かお》をしました。お松は、茂太郎に、そんなにぐんぐん言わせまいと思うけれど、ちょっと手が出せないでいるのを、茂太郎は一向ひるまずに続けました、
「それにマドロス君もよくないと思います、お嬢さんが病気でもないのに、横着をきめて遊んで寝てばっかりいるのをいいことにして、マドロス君が、おいしいものを運んではお嬢様に食べさせているのです」
「そんなことはありません、茂ちゃん、ほんとうにお前は、よけいなことを言いつけ口するものじゃありませんよ」
「よけいなことじゃないのです、本当のことを言ってるのです。で、かわいそうなものは金椎さんです、せっかく丹精して、皆さんに御馳走して上げようとして拵《こしら》えたお料理のいいところを、いつか知らずマドロス君に持って行かれてしまっています。マドロス君はそれを持って行っては旨《うま》そうにお嬢さんと二人でばっかり食べてしまうのです」
「茂ちゃん、およしなさい、そんなことも一度や二度あったかもしれませんが、それを殿様の前で素破抜《すっぱぬ》いてしまうなんて」
「一度や二度じゃありません、いつでもそうです、ですから初物《はつもの》のおいしいところは、二人でみんな食べてしまっているのです、金椎さんも苦い面をしますけれど、あの人は耳が悪いのに聖人ですからね、また機嫌を取直して、誰にも何とも言わないで、またお料理をこしらえ直して皆さんに食べさせてあげるのです」
 駒井も、お松も、茂太郎の素破抜きを、もはや何ともすることができないで、言うだけは言わせてしまわなければならないような羽目になっていると、
「この間もあたいが、何の気もなく部屋へ下りて見ると、マドロス君とお嬢さんとが旨そうにお饅頭《まんじゅう》を食べていました。あたいが行ったので二人はちょっときまりの悪い面をしましたけれど、お嬢さんが、茂ちゃん、お前も仲間におなり、そうしてお饅頭を半分お食べな……と言いましたけれど、あたいはいやですと言って甲板へ出て来てしまいました。あたいは人の悪口を告口するわけではありませんけれど、一つの船の中でみんなが気を揃えて働いているなかに、寝ていて人の拵えたお饅頭を食べているお嬢様の行いはよくないと思います。それもよくないが、せっかく金椎さんが丹精して皆さんに旨《うま》く食べさせようとしてこしらえたお料理やお饅頭を、盗んで来て食べたり、食べさせたりするマドロス君の行いも、道に外《はず》れていると思います」
「茂ちゃん、もうおよし、そうしてお前は、あちらへ行って登様のお守をなさい」
 お松はついに、厳しく叱りました。叱られて船長室を飛び出した茂太郎、上甲板の方で、早くもその即興の出鱈目《でたらめ》歌が聞えます――

[#ここから2字下げ]
お饅頭をこしらえる人と
それを盗む人
せっかく、殿様が
新しい国をこしらえても
汗水を流して働く人と
寝ていてお饅頭を食べる人とが
あってはなんにもなりますまい

駒井甚三郎は船を作り
田山白雲は絵をうつし
裏宿の七兵衛は耕し
お松様は教育をやり
金椎君は料理をし
治郎作さん父子は船頭をし
乳母《ばあや》はお守をし
登様は育ち
清澄の茂太郎は歌う
それだのに
兵部の娘もゆるさんは
病気でもないのに
寝て旨《うま》いものを食べています
それはマドロス君が
持って行ってやるからです

お饅頭《まんじゅう》の掠奪は
パンの搾取ということには
なりませんか

いい着物を着たり
旨い物を食べたりするために
みんなが気を揃えて
働くのはいいことだが
旨い物を食べるために
盗んだり
誘惑したりするのは
それはよくないと
あたいは考えます

お嬢さんと
マドロス君とが
この船の中での
賊でないと誰が言います

ドンチャ
ドチ、ドチ
ドンチンカンノ
チマガロクスン
キクライ、キクライ
キウス

チーカ、ロンドン
パツカ、ロンドン
[#ここで字下げ終わり]

 足踏み面白く、上甲板でダンスをはじめ出したのがよくわかります。

         三十八

 一方、飛騨の高山から朝まだきに出発した二人連れの労働者がある。そのうちの一人はお馴染《なじみ》の紙屑買いの、のろま[#「のろま」に傍点]の清次であり、他の一人はがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であります。
 ただ、お馴染の紙屑買いののろま[#「のろま」に傍点]の清次は相変らずだが、一方がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の方は、今日はすっかり変装を試みて、山奥からポット出の木地師に風《なり》を変えて、そうして天秤棒を一本だけ、お鉄砲かついだ兵隊さんのように、肩にのせてすまし込んで歩いている。
 百は、百として、例の音羽屋まがいの気取った風で、当節の日を歩けないことをよく知っているだけに、そこは抜け目のない変装ぶりに、かてて加えて、のろま[#「のろま」に傍点]の清次という、この辺ではかなり売れている面《かお》なじみの相方を連れているから、こうしてすまして道中もできる趣向となっているようです。
 この道は、先夜――机竜之助と淫婦お蘭が、美濃の金山へ下りた道と同じことであります。そこを、百と清次は悠々として通過しながら会話をしました。
 百の方は用心して、なるべく関東弁を出さないようにしているので、清次はいいことにして、山言葉、里言葉を、ちゃんぽんにして、しきりにはしゃいでいるのです。
 清次はこう言いました、
 ――わしも、いつまでもこの飛騨の山の中に暮す気はござんせん、京大阪の本場へ出て一旗あげるつもりでございやす。
 やっぱり向うへ行っても、当座は紙屑買いをするよりほかは心当りがござんせん。
 だが、紙屑にもよりけりで、高山の紙屑なんぞは、高いと言ったところでせいぜいお代官の年貢帳ぐらいなもんですが、京大阪となれば、同じ紙屑にしても、紙屑のたちが違いますから、儲《もう》けもたっぷりあるというわけなんでござんしょう。
 お公家《くげ》さん、学者、大商人《おおあきんど》といったところの紙屑を捨値で買い込んで、これを拾いわけてうまく売り出しやしょう。
 ところで、商売は、すべてひろめが肝腎ですからな、つまり宣伝てやつを大袈裟《おおげさ》にやらないと、今時の商売は成り立ちませんな。
 そこで、捨値で買い受けた紙屑を、これは大納言様の直筆《じきひつ》で候の、このほうは大御所様で候の、これはまた少し御安値《おやすね》ではございますが、当時大阪第一の学者――といったように、広告、ひろめ、つまり宣伝てやつでおどかして、ウンと高く売りやしょう。
 紙屑を紙屑として売った日には、それこそ二束三文にも足りませんが、これを大納言だの、大御所様の御直筆だのと言って売り立てれば、大金になりやしょう。
 それを土台に、次から次へと大儲けを致そうと存じますが、いかがなもので……
 こういうたわごとを、がんりき[#「がんりき」に傍点]が黙って聴いていてやると、この紙屑屋、なかなか抜け目のない奴だと見直さないわけにはゆきません。
 土地では渾名《あだな》をのろま[#「のろま」に傍点]の清次、のろま[#「のろま」に傍点]の清次と言い、当人もそれで納まっているらしいが、どうしてどうして、のろま[#「のろま」に傍点]どころではない、ああして深夜、焼跡せせりをやろうという冒険心から見ても、こいつ、上べはのろまに見せて、儲《もう》けることにかけては油断もすきも無い奴だ。
 こんなのに、京大阪へ出て紙屑を売り崩されては、紙屑の相場が狂うに違いない――なんぞと、がんりき[#「がんりき」に傍点]が考えました。
 だが、なんにしても、今まで単純なるのろま[#「のろま」に傍点]の紙屑買いだとばかりタカをくくっていた奴が、ひとり喋《しゃべ》らせて置くと、講談師以上の雄弁家であることに、がんりき[#「がんりき」に傍点]もほとほと面負けがしないではありません。
 この紙屑買い、のろま[#「のろま」に傍点]の清次の哲学は、何でも仕事をしようとすれば、一も二もおひろめである、広告である、宣伝である。いくらいい物であっても、吹聴しなければ人が知らない、人が知らなければ商売にならない、それは本当にエライ人は黙っていても名を隠すことはできないが、自分なんぞは、のろま[#「のろま」に傍点]の清次だから、そんなに気取っているガラではない、なんでもかんでも、自分で自分を吹聴してあるかなければ、人が知ってくれない――ということにあるようです。
 こうしてがんりき[#「がんりき」に傍点]は、のろま[#「のろま」に傍点]の清次の講談師以上の雄弁を聞かせられながら、くすぐったい思いをしたり、冷汗を流したりなんぞしつつあるうちに、話が盛り沢山なために、けっこう暇つぶしになって、そうして、例の街道を楽々として、美濃の金山へ突破してしまいました。

         三十九

 こうして、がんりき[#「がんりき」に傍点]と、のろま[#「のろま」に傍点]の清次は、飛騨の国の境を出で、その晩に、竜之助と淫婦のお蘭が一夜を明かした本陣の宿まで来てみたが、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、そこで得意の一応の偵察を試みたけれども、ここで、幾日か前の晩、女が一人、吊《つる》し斬りにされたという噂《うわさ》もない。亭主や女中に鎌をかけてみても、要領を得ないこと夥《おびただ》しい――水を飲むふりをして裏庭から、土蔵、裏二階をまで横眼で睨《にら》んだけれども、人が隠れ忍んでいるような気色は一向ないから、がんりき[#「がんりき」に傍点]は先を急ぐ気になりました。
 この調子で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百と、のろま[#「のろま」に傍点]の清次とは、相連れて美濃路の旅をつづける。がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、国境を出てもやっぱり変装は改めず、ただ、もどかしいのは、のろま[#「のろま」に傍点]のために足の調子を合わせてやらねばならないことで、それでも二人はこうして、ついに美濃の国、垂井《たるい》の宿《しゅく》まで無事に来てしまいました。
 垂井は、美濃路と木曾路の振分け路――垂井の泉をむすんで、さあ、これから関ヶ原を越えて近江路と、心を定めて宿をとったその晩に、巷《ちまた》で風説を聞きました。
 明日、関ヶ原で合戦がある――片や長州毛利、片や水戸様。
 慶長五年の仕返しが、明日からこの関ヶ原に於て行われる。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]も、のろま[#「のろま」に傍点]も、変な気になりました。なるほど、その風説がかなり人気にはなっているが、土地の空気というものは、あんまり緊張もしていないし、さのみ殺気立っているというわけでもない。慶長五年の時は、この辺はみんな焼き払われたものだそうだが、今日はそのわりに人が落着いている。
 なおよく聞いてみると、合戦は合戦だが、模擬戦に過ぎないということ。
 こんどお江戸から、さるお金持の好奇《ものずき》なお医者さんが来て、この関ヶ原にあんぽつを駐《とど》め、道中の雲助の溢《あぶ》れをすっかり掻《か》き集め、それにこのあたりの人夫をかり出して、昔の関ヶ原合戦の型をひとつ地で行ってみようとの目論見《もくろみ》だ。
 知っている人が聞けば、お金持の江戸のお医者さんがおかしい、お金持にも、お金持たずにも、今時そんな酔興をやってみようとするお客様は、道庵先生のほかにあるまいことはわかっているが、がんりき[#「がんりき」に傍点]も、のろま[#「のろま」に傍点]もそれを知らん由はない。
 なるほど、そんなこともありそうなことだ、好事癖《こうずへき》の人が、昔の関ヶ原合戦の地の理を実地に調べようとして、模擬戦の人配りをやってみようとは、ありそうなことだ。研究とすれば感心なことだし、お道楽としても悪いこととは言えない。
「まあ、金の有り余る奴は何でもやるがいいや、こちとらは……」
 と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は先を急ぐこなし。のろま[#「のろま」に傍点]はそれと違って、
「そいつは、面白い目論見でござんすね、後学のために、そのなれ合い合戦をひとつ見物さしていただくことに致しやんしょう」
 ここで、二人の意見が二つに分れました。一人は、そんな酔興は見たくもないから突破して前進すると言うし、一人は、こういう目論見に出くわすことは二度とない機会だから、一日や二日|逗留《とうりゅう》しても見物して行きたいと言う。意見が二派に分れたが、前進論者は存外淡泊に、
「では、屑屋さん、お前はひとり残って合戦ごっこを見物して行きな、わっしゃあ一人で、一足お先に行くから」
 それで、両説が円満に妥協しました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、のろま[#「のろま」に傍点]を引っぱって歩くよりも、もうこの辺で振切って、放れ業の馬力をかけた方がよろしい。だが、そこには一応のお愛想もある。
「それから屑屋さん、関ヶ原を越すと美濃と近江の境にならあ――あそこに、それ、寝物語、車返しの里という洒落《しゃれ》たところがある、わっしゃ一足さきに行って、寝物語へ陣取っているつもりだから、見物が済んだら、尋ねてみてくんな、またあそこいらで落合えるかも知れねえ」
 こう言って、その翌朝、がんりき[#「がんりき」に傍点]ひとりは垂井を出立の、関も追分も乗りきって、近江路へ向ってしまいました。

         四十

 中仙道を近江から美濃へ越すところに、今須駅というのがある。
 関ヶ原へ一里、柏原《かしわばら》へ一里というところ、なおくわしく言えば、江戸へ百十三里十六町、京へ二十二里六丁というほどの地点に、今須駅というのがあるのです。
 不破の中山とか、伊増《います》の明神とかいって、古来相当にうたわれないところではなかったけれど、番場《ばんば》、醒《さめ》ヶ井《い》、柏原――不破の関屋は荒れ果てて、という王朝時代の優雅な駅路の数には、今須駅なんていうのは存在を認められなかったようなものの、でも、ここがまさしく美濃と近江との国境になるという意味のみからではなく、王朝時代から、ここに寝物語、車返しの里なんていう名所が、心ある旅人に忘れられない印象を与えるところのものになっておりました。
 寝物語の里というのは、一筋の小溝を隔てて、隣り合った一軒は近江に属し、一軒は美濃に属して、国籍を異にした二軒の家の者が、寝ながら物語りができたという風流の呼び名とはなっている。試みにその由来を両国屋という宿屋で尋ねてみると、次のような一枚の絵入りの刷物をくれる。
[#ここから1字下げ]
「一、此所を寝物語と申すは、江濃《がうのう》軒《のき》相隣《あひとな》り、壁を隔てて互に物語をすれば、其詞相通じ問答自由なるゆゑなり。むかし源義経卿、東へくだりたまひしとき、江田源蔵広成といひし人、御後をしたひ奥へ下らんとして、此所に一宿し、此屋の主《あるじ》と夜もすがら物語りせしうち、はからず其姓名をなのる。隣国の家に泊り合はせし人これを聞き、さては江田源蔵殿なるか、我こそ義経卿の御情を受けし静《しづか》と申すもの也、君の御後をしたひ、是まで来りしが、附添ひし侍は道にて敵の為にうたれぬ、我も覚悟を極め懐剣に手をかけしが、いやいや何とぞして命のうちに、今一度君にまみえ奉らんと、虎口《ここう》の難をのがれ、漸くこれまで来りしなり、おもひもよらず隣家にて其方のねものがたりを聞くうれしさ、これ偏《ひと》へに仏神のお引合せならん、此うへは我をも伴ひ給はれとありければ、源蔵聞て、さては静御前にてましますか、此程のおんものおもひ、おしはかり御いたはし、此上は御心安かれ、是より御供仕らんと、夜もすがら壁を隔てて物語し、翌日此所を御たちありしよりこのかた、此所を美濃と近江の国境、寝物がたりとは申伝ふるなり。其のちも度々、ねものがたりの叢記名所たるにより上聞に達し、辱《かたじけな》くも御上より御恵|被成下置《なしくだしおかれ》、不易の蹤蹟《しようせき》たり。
[#地から1字上げ]江濃両国境寝物語   両国屋」
[#ここで字下げ終わり]
とある。これは、あんまりあてにならない。静御前によって寝物語の里が生れたというより、誰かが呼びなした寝物語の里の名があって、静御前の謂《いわ》れが附会されたと見るが至当でしょう。
 それはそれとして、もう一つ、それに附け加えて、たれがいつの頃、因縁をつけたのか、ここへ来た旅人が、わざわざ宿を替えて泊ってみるということなんぞもありました。
 それは、上方《かみがた》から東《あずま》へ下るほどの人に、「行きかふ人に近江路や」は悪くないとしても、これから、「いつかわが身のをはり[#「身のをはり」に傍点]なる」という辻占《つじうら》がよろしくないというわけです。
 尾張、美濃から出て近江に足を踏み入れる分には、何のことはないが、さて、これから近江路を、みのをはり[#「みのをはり」に傍点]へ出るという旅人にしてみると、何かしら人生の旅路のたよりなさというものが讖《しん》をなすような気持に駆られるのも、人情無理のないところがありましょう。そこで、いったん美濃路へ入った人が、また改めてわざわざ近江の国へ逆戻りをして、足を踏み直すというようなことをする、そのおまじないのためには、この寝物語の里が誂向《あつらえむ》きの地点になっていました。
 今日のような科学の粋の時代に於てすら、地球上の暦数の都合上、海上のある地点では一日を二つこしらえて、そこを行きつ戻りつするようなことに於て三百六十五日を調節するところさえある。その頃美濃と近江との境で、ちょっとこんな地理的遊戯を試みて、行きこし旅の幸先《さいさき》を祝うということも、ありそうなことで、無からしめるほどの必要もなかったものでしょう。
 今晩、この寝物語の里の近江領に属する家へ、机竜之助が泊りました。
 それと例の小溝一筋を隔てた一方の、美濃路に属する方の家へは、代官の淫婦お蘭さんが泊りました。
 泊るならば、わざわざこうやって、二軒にわかれて泊らずとものことだが、それを、わざわざわかれて泊ったのは、土地の来歴を知るお蘭さんという女のワザとした振舞で、同じ泊るならば一つ家へ泊るよりも、こう分れて泊って、国境で寝物語の趣味を味わってみることも一興としてしたことであるか、或いはまた、この種の女の習いで、迷信が存外深く、何ぞこのたびの旅の縁起をかついで、ためにわざわざ手分けをして泊るように仕組んでしまったものか、その辺はよくわからないが、いずれとしても、人間同士はあんまりくっつき、ひっつきしているものよりは、少し離れた方が情味があるものに相違ない。全身の豊満な肉体を露出するよりは、薄物《うすもの》を纏《まと》うた姿にかえって情調をそそられるといったような心理もないではない。
 お蘭さんの計らいで、今晩は離れて泊ってみましょうよ、国を一つ離れてね、夏だと一層ようござんしたねえ、今は寝物語の夜もすがら、杜鵑《ほととぎす》をきいて明かすというわけにもゆきませんから、虫の音でもしんみりと聞きながら――なんぞと来ると、この女も相当に憎らしい奴に相違ないが、これはそういう風流気はさて置き、一種のアブノーマルな性慾心理のさせる張りきった余技か、そうでなければ、子供にも笑われる迷信が、おのずから風流の道と一脈相通じたというまでのことでしょう。
「ねえ、あなた、近江のお方……御機嫌はいかが」
 宿をわかつと共に、お蘭は蒲団《ふとん》の上に横になって、くるりとこちらを向いて、竜之助に呼びかけました。
 てな[#「てな」に傍点]事でこの女は、無性にいい気持になっている。この女は、自分が美濃の国にいて、相手を近江の国へ置いて寝物語をするというだけの興味でいい気持になり、まだ宵の口なのに早くも夜具をしつらえ、行燈《あんどん》を細目にし、帯を解いて寝巻に着替えて、横になってクルリと向き直って、隣りの家の障子越しに呼びかけてみたものです。
 女がはしゃいでいるのに、男は返事をしないが、これも多分、同じように、宵の口を夜具の上に寝そべっていての応対に違いない。
「ねえ、あなた、乙《おつ》じゃなくって……」
といったような甘ったるいもので、女ははや蒲団の上で、なめくじのように溶け出して、手に負えない。
 さて、もうここまで来さえすれば、追うにしても、追われるにしても安心、美濃から追われれば近江へ、近江から追われれば美濃へ――
 こうして女も甘ったるいものだが、男の方もかなり甘ったるく出来ている。飛騨の国越えをして美濃の太田へ落着いた晩、この女も今晩のうちに殺してしまわなければならぬ女だ――と幾分の凄味《すごみ》を見せたはずなのに、ずるずるべったりにここまで牛に引かれて来てしまって、寝物語|云々《うんぬん》のいちゃつきにお相手をつとめている。
「ねえ、あなた、ほんとうに乙じゃありません? 寝物語の里なんて、名前からしてよく出来ていますねえ。そこで今晩は寝かしませんよ、今晩こそ、よっぴておのろけを伺《うかが》いたいもんでございますね、寝物語の里で、いびきの声なんぞは艶消しでございますからねえ、寝ようとなさっても、寝かすことじゃございませんよ」
 美濃の国の女は、こう言ってまたひとり、いちゃつき、いちゃついて、甘ったるい自己陶酔がいよいよ溶け出して来る。
 近江の人は、それに返事をしないこと以前の通りだが、「こんな晩、ほととぎすが聞きたいわ」とかなんとか、どちらかの口から一言洩れると、御両人もまだ話せるのだが、女は自己陶酔から醗酵するべちゃくちゃのほかには何の初音ももらさない。男はうんが[#「うんが」に傍点]の声を上げないで寝そべっているだけのものらしい。
「ねえ、あなた、おのろけを伺おうじゃありませんか、ちょいと、近江のお方……」
 いよいようじゃじゃけて手がつけられない。
「女殺し……」
と女が突然に言いました。無論、絶叫ではありません。
「女殺し……あなたという人は、今まで幾人の女を殺しました、さあ、今晩の寝物語に、その懺悔話《ざんげばなし》を聞こうじゃありませんか、ぜひ……白状しないと殺すよ」
 肉感的に圧迫するような声です。
「ようよう、あなた、おのろけを聞かして頂戴よ……今までの罪ほろぼしに、よう」
 両国の宿屋では、軒を隔てて、こんなもだもだの宵の口――車返しへ通ずる表街道は、こんなものではありませんでした。
 この寝物語の里の前で、ちょっと杖《つえ》をとどめた、美濃近江路を通り合せの二人の旅人が、
「よい月でございますなあ」
「ほんとうによい月でございます」
「惜しいことでした、実は柏原からわざわざ疲れた足を引きずって、この寝物語の里を名ざしてまいりましたが、今晩、ここでゆっくり寝物語を伺いたいとの風流があだになりましてな、もう現に先口《せんくち》のお客があって、寝物語の座敷が約束済とのことでがっかりいたしました」
「是非に及びません、関ヶ原まで伸《の》そうではございませんか、荒れてなかなかやさしきは、不破の関屋の板廂《いたびさし》――この通りいいお月夜でございますから、かえって、この良夜を寝物語に明かそうより、明月や藪《やぶ》も畠も不破の関――といった風流に恵まれようではございませんか」
「それは一段でございます。では、これより不破の関を目指して、宿りを急ぐことといたしましょう」
「まだ宵の口でございますから、あえて急ぐ必要もございますまい、関ヶ原までは僅か一里の道、それもこの良夜を、得手《えて》に帆を揚げたような下り坂でございますから」
 こう言って、夜道を緩々《ゆるゆる》と東の方へ立去る両箇《ふたり》の旅人があるのを以て見れば、外は、やっぱり誂向《あつらえむ》きのいい月夜に相違ない。
 この声高《こわだか》な、表街道の風流人の会話に、しばし聞き耳を立てていた美濃の女が、それより、月ともほととぎすとも言うもののないのに業《ごう》を煮やし、
「ようよう、あなた、焦《じれ》ったいわねえ、今晩は天下の寝物語を二人だけで借りっきりなのよ、誰に憚《はばか》ることはないから、おのろけを、たっぷり伺いましょう、夜の明けるまで……ようよう、焦ったいわねえ、白状なさいよう」

         四十一

 柏原の駅で泊るべき予定を、わざわざこの良夜のために、寝物語の里まで伸《の》して、そこで風流を気取ろうとして来てみた、二人の被布《ひふ》を着た風流客は、意外にも、たのみきって来た風流寝物語の里はあだし先客に占められてしまった溢《あぶ》れの身を、せん方なく、もう一里伸して不破の古関で月を眺めることによって、一段の風流を加えようという気になって、得手に帆を揚げるような下り坂の道を、車返しでも踵《きびす》をめぐらすことをせず、悠々として月の夜道をたどりました。
 この二人は、どうやら俳諧師といったような風流人であるらしいが、それは二人ともに被布を着ているから、それで俳諧師という見立てではなく、また俳諧によって点取り生活をしている営業の人という意味でもなく、正風《しょうふう》とか、檀林《だんりん》とかいうまでもなく、一種の俳諧味を多量に持った道づれの旅人と見ればそれでよろしい。
「あれが胆吹山《いぶきやま》でげしょう、胆吹山でないまでも、胆吹の山つづきには相違ござるまいテ」
「してみると、こちら、それが例の金吾中納言の松尾山……」
「これを松尾山と見れば、あれとつながる雲煙の間《かん》のが、たしかに毛利の南宮山《なんぐうざん》でなければなるまいものじゃテ」
 悠々閑々《ゆうゆうかんかん》たる月の夜道で、二人は行手の山の品さだめをしました。
 彼等はほぼ歴史上の知識が教えるところによって、山を断定しているものに過ぎないので、まだこの関路《せきじ》の峡《かい》では、胆吹も、松尾も、南宮山も見えないと見るが正しい、しかし、それらの山の方角を指し、裳《もすそ》をとらえたと見れば、当らずといえども遠からぬものがある。
 二人がめざす不破の古関のところまでは、ホンの一息のところまで来ている。
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秋風や藪《やぶ》も畠も不破の関
[#ここで字下げ終わり]
 一人が口ずさんで杖をとどめた時に、もう一人が、
「おや……」
「これは例の妙応寺でござろう、青坂山、曹洞宗、西美濃の惣録《そうろく》――開山は道元禅師の二世莪山和尚。今須の城主長江八郎左衛門重景の母、菩提《ぼだい》のために建立《こんりゅう》――今、伏見の宮の御祈願所」
 もう一人の風流人が、左の方に、とある大寺の門をのぞんで、「おや……」と不審がって杖をとどめた一方の同行に向って註釈を試むると、杖をとどめたのが、身の毛をよだてて首を左右に振り、
「そのことではござらぬ、たった今、この門前に彷徨《さまよ》うていた物影が見えない」
「はて」
「白衣《びゃくえ》を着て、たしかに大小刀を帯して、面《おもて》は覆面していたが、もうその姿が見えぬ」
「はて」
 とどめた杖が震え、その杖によって支えられた足が戦慄《おのの》いているらしい。
「拙者はそれを見なかった」
 一方のが言う。
「たしかに……この目の幻ではござらぬぞ、たしかにその物の影が……但しそれがこの門から出たものか、この内を入ろうとして来たものか、それを見定める瞬間に、その姿が消えてしまいました」
「はて」
「たしかにこの目が……現在見たこの目が僻目《ひがめ》であろうはずはござりませぬが、見届け得なんだこの目は、浮目《うきめ》でござりましたか」
「果して、左様な物影を見られたのか」
「見ました、正明に。ただその動止を突留め外したまでのこと」
「では……」
 どうも、一人がたしかに実際を見たというのに、一人はどうしてもそれを幻影としか受取れない心持――たしかに実際を見たという当人も、それ自身どうも覚束《おぼつか》ない心持――
「ははあ、あれがまさに遊魂というものではござるまいか」
「遊魂……」
「ところは寺院の門前であり、見た目の姿がうつつか、まぼろしか、見た当人をこうも迷わしている。そこで遊魂のたぐいではござるまいか」
「なるほど……」
 一方も深く感激したもののよう。
「東海道の小夜《さよ》の中山では、はらみ子の母の遊魂が、夜な夜な飴《あめ》を買いに出たという、それが思い出される。ただし、いま現にやつがれが見たのは、遊魂にしてはいかめしい」
「両刀を帯びて、覆面をして、白衣をつけて――ああ、古関の夜に彷徨《さまよ》う遊魂……我々の風流も、なんとなく肌寒いものになりました、急ぎましょう」
「急ぎましょう」
 ここで両人が、ぞっとして寒い思いをさせられて、片時も早くこの場を急ごうという気になったのは風流の故ではありません。
 なんとなく、今の遊魂の迫真味が、身の毛をよだてるものとなったに相違ない。
 こうして二人の風流客が、まもなく関の藤川の橋を渡りかけた時分に、
「今晩は、いい月夜でございますねえ、寝物語からおいでになりましたか、へ、へ、御風流なことで……お大事においでなさいまし」
 通りすがりに、イヤに丁寧なお世辞を二人の風流客に送って、行き違う旅人がありました。
「やあ――」
と言ったままこの二人の風流客は、イヤにお世辞のいい一人旅の男を後ろへやり過しておいて、何となしにその後ろ姿を見送って、
「なんとまあ、足の早い旅人ではござらぬか」
「左様……挨拶は歯切れのいい江戸弁でござったようだが、今ごろ一人旅は、飛脚でござろうかな」
「飛脚……それにしては、酒樽を一つ携帯していたようでござったが」
「美濃の養老酒でござろうがな」
 二人はこうして、おもむろに関の藤川の小橋を渡りきると、もう、ついそこがめざすところの不破の古関のあとなのであります。

         四十二

 僅か一里の道を――この良夜の風流客といえども、外を行く時は寒い思いもさせられたり、あらぬ幻影も見たり、いやにていねいな旅人にも出くわしたりするが、うちにいると相変らず、お蘭どのは、その脂《あぶら》ぎった肉体を持扱いながら、どたどたと寝物語の寝床の上を輾転《てんてん》しているに過ぎない。そこへ、
「こんばんは、お隣りのお方から、奥様に御酒《ごしゅ》一つ上げてくれと持って参じました」
 少女が塗りの剥げた膳の上に徳利を一本つけて持って来たのが、さすがのイカモノのどてっ[#「どてっ」に傍点]腹をえぐりました。
「近江のお方が……まあ、なんて心憎い行き方でしょうね、こちらでいくら持ちかけても、いっこう御挨拶もなさらないくせに、搦《から》め手から御酒一つなんて……憎いわねえ」
 横に向いて寝ていたお蘭は、うっぷしに寝そべって、眼の前に置かれた御酒と肴《さかな》を細い目でながめると、
「お酌しましょう、奥様」
「済まないね」
 うっぷしに寝たまんまで、お蘭さんは杯《さかずき》をうけにかかりました。
「寝物語の本場なんだから、ワザとこうしたままいただくのよ、ねえさん、若い人はこんなだらし[#「だらし」に傍点]のない真似《まね》なんぞをするものではありませんよ」
 お蘭どのが、とうとう腹這《はらば》いながら酒を飲みはじめました。
 この女はうわばみのように腹ばいながら、チビリチビリとやるうちに、いよいよいい心持になって寝物語か、管物語《くだものがたり》かわからないように舌がもつれてきます。
「おのろけ[#「おのろけ」に傍点]をたっぷりお聞かせ下さらなけりゃならないのに、そちらでお聞かせ下さらないとすれば、こちらから押しかけあそばしますてんだ――一年《ひととせ》、宇治の蛍狩り――こがれ初《そ》めたる恋人と語ろう間さえ夏の夜の――とおいでなさる……チチンツンツン」
 ところへ、銚子のお代りが来る。この酒が地酒だとばかり思っていたら、思いのほか口当りがいい。お蘭どの、生一本の自己陶酔に気ちがい水が手伝ったものですから、
「俊徳様の御事が、ほんに寝た間も忘られず……チチンツンツン」
 手がつけられなくなって――
 わたし、上方《かみがた》へ行ったら、ひとつ本場の役者買いがしてみたいわ。わたしは嵐吉《あらきち》が贔屓《ひいき》なんだけれど、もっと渋いところとも一晩遊んでみたいわ。でも、役者は一口物で、ちょっと口直しにはいいかもしれないが、長くつき合うとおくびに出るかも知れないねえ。お坊さんにも、今時はなかなか色師がいるんですってねえ。和尚さま、あれさ仏が睨みます、なんて言わせる坊主も罪が深いわねえ。地色《じいろ》はあぶないねえ。だからやっぱり楽しむには役者買いが一番でしょう。役者を買って、それを殿様に仕立てたり、お小姓にしつらえたり、或る時は奴《やっこ》にしておともにつれて歩いたりなんぞすれば、好きと自由で、後腐れがなくて面白いじゃないの。だが、きっと長いうちには飽きるものよ。はじめに惚れたのは大抵あとがいけないってね、嫌になった日には、見るのも嫌になるんですって――そこへ行くと、はじめのうちはいやでいやでたまらなかった南瓜野郎《かぼちゃやろう》が、長いうちには愛情が出て、飽きも飽かれもせぬなんてこともあるそうじゃありませんか。そうなるとまた別な味わいが出て来て、男っぷりなんぞは問題じゃなくなるんですとさ。
 早い話が、あの胡見沢《くるみざわ》さ。あのくらい色が黒くて、デブで、しつこくって、助平で、ケチな男ってありゃしないが、でも、長いあいだつき合っているといいところもあってよ。
 どこがいいかって、あなた、そりゃつき合ってみなけりゃわかりません。芸者や役者になると、万人が万人、綺麗《きれい》だから、のぼせてしまいたがるんですけれど、玄人《くろうと》は玄人として黒っぽいところに、だんだん味が出て来ますよ。そうですね、胡見沢なんぞも、あれで黒人《くろうと》なんでしょうよ、色が黒いから。
 わたしの知っている大家のお姫様で、男でありさえすりゃ、誰でも択好《よりごの》みをしないというお姫様がありました。ああなっても困りますねえ。それで御当人は、優れた御縹緻《ごきりょう》なんですから恐れ入りますねえ。仲間《ちゅうげん》小者《こもの》でも、出入りの小間物屋でもなんでも、お気が向けばお話合いになろうというのだから情けないったら。
 つまらない奴を相手として浮名を立てるのは、馬鹿の骨頂だが、あんまり身分が違っても楽じゃないわねえ。
 まあ、飛騨の国でも、悪源太義平公に可愛がられたばっかりで、八重菊、八重牡丹の二人の姉妹が、籠《かご》の渡しから飛んで心中をしてしまいました。
 それから、南朝の時の忠臣で、畑六郎左衛門て豪傑がございましたろう、あの方がやっぱり、飛騨の木地師の娘に迷いこんで、身分違いというのを無理矢理にお手がついたものだから、とうとう六郎左衛門が戦死したと聞いて、その後を追いかけ心中というわけなんです。
 一口に木地師木地師って言いますけれど、木地師の娘にはあれで、色が白くって、愛嬌があって、とてもぽっとり者があるんだから、ずいぶん艶物語が起りまさあね。だが、いくらいい人に思われたからって、その人が死んだら、自分も追っかけ心中をしなくちゃならないというのは酷ですね。その身上《しんしょう》を譲りうけて、したい三昧《ざんまい》をして、安心に暮らして行ける身の上になるんならいいけれど。
 そこへ行くと、後腐れのない相手を選んで、思う存分、遊んだり遊ばれたりするのが、いちばん賢い――とはいうものの、あの穀屋のイヤなおばさんのようでも困りますねえ。
 自分の目下の男という男を片っぱしから征服――というわけなんだから、たれに遠慮も要らないようなものなのに、それでも、末はとうとう、命を取ったのか取られたのかしてしまって、亡骸《なきがら》までがあのざまです――そうしてみると、色恋なんていうことは、何が何やらわからない――
 ああ、酔った、酔った、田舎宿《いなかやど》のくせに、いやにいい酒を飲ませるねえ。
 この辺でお蘭どのは、ついに前後不覚にも、まどろんでしまいました。旅の疲れもあり、ここまで伸《の》したという安心もあるものだから、そのまどろみが、いつか本物の熟睡のようになってしまったのは、思い設けぬ不覚でした。
 そこで、幾時間かの後、このまどろみから醒《さ》めた時のお蘭どのの周章と、狼狽《ろうばい》と、たれも見ていないのに、それを繕おうとするテレ隠しとは見られたものではありません。
「もし、ちょいと近江のお方……」
 呼びかけてみた時分には、四辺《あたり》の気分が、まどろみに落ちた宵の口とは大分ちがいます。かなり夜は更けて、あの時よりは予想外の時が経っていると見なければならないのです。
「もし、近江のお方――寝物語の里じゃありませんか、今晩は眠らないこと、眠らせないこと、お約束、そうして、たっぷりおのろけを……」
 自分の落度を先方へ向ってなすりつけてみようとしたが、それも良心が許さないものか、なんとなく空おそろしくなって、
「ねえ、あなた、ばかばかしいじゃありませんか、大晦日《おおみそか》の年越しじゃあるまいし、寝物語の里だからといって、ワザワザ一晩わかれて寝なけりゃならないはずの掟《おきて》があるわけのものじゃありますまい。なんだか淋しくなりましたね、わたしがそちらへ行きますよ、さあ、美濃の国はこれでお暇《いとま》、これから近江へお引きうつり……」
 といっても、この国越えは、枕一つを抱えて、障子一重を引きあけ、小溝を一つ飛び越しさえすれば済む。
 たまらなくなったお蘭どのは、むっくりはね起きて、右の通りに国越えをしてしまおうとすると、月は天に皓々《こうこう》として、廂《ひさし》を洩れて美濃と近江の境をくっきりと隈《くま》どっているが、月なんぞはどうでもよい。
「ハックショ、ほんとにばかばかしい、何が寝物語だ」
 こう言って、近江の国の障子を引きあけて、なれなれしく近江の国へ夜込乱入《よごみらんにゅう》をかけ、
「いやに暗いじゃありませんか」
 燈心を掻《か》きたててやって、さて、寝かしつけて置いた相手の枕許を見ると、
「おや?」
「ふ、ふ、ふ、ふ」
 そこで吹き出すのをこらえながら、パッカリ眼をあいて見せたのは、宵の口に寝かしつけて置いて国越しに口説《くど》いたその人とは似ても似つかぬ――男には相違ないが、裏も表も全く違っている――のが、なれなれしくも、図々しくも、
「お蘭さん――待ってましたよ」
「まあ、お前は、どこの人?」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]の百でござんすよ……」
 御当人はニヤニヤと笑って、したり顔に名乗っているが、お蘭どのの方では、まだ、がんりき[#「がんりき」に傍点]なんて、そんな名を聞いたことはなし、まして、こんなやくざ野郎の面《かお》を見知っているはずもない。

         四十三

 これよりさき、妙応寺坂の門前で、一つの遊魂の彷徨《さまよ》うのを見たという風流客の一人は、まさにそれを信じきっていたが、他の一人は半信半疑でありましたが、二人の者が同時に風流以外の寒さを感じて、肌《はだえ》に粟《ぞく》しながらその場を足早に下り去ったというのは、理由なきことではありませんでした。
 これら両人は、暗鬼を生むところの疑心を持たぬ風流人であった。その風流人の風流心を曇らすところの現象が存在して蹌《うご》いたことはたしかに事実で、その証拠には、彼等が関の藤川へ向って足早に歩み去るついそのあとに、やはり妙応寺の門側から、かすかに影を現わしたそれが、それです。
 最初の一人が見た目に、多くの誤りは無かったのです。それは、覆面したいでたちに、両刀を携えた姿には相違なかったが、月明に木履《ぼくり》の音を響かせて濶歩して行くというわけでもなく、着流しの白衣《びゃくえ》の裾から、よく見ると足の存在をさえ疑うほどの歩みぶり。二人が立去ると間もなく、これは蹌々踉々《そうそうろうろう》として妙応寺坂を東へ、同じく関の藤川の方へと彷徨《さまよ》い行かんとするものらしい。
 だが、これは遊魂ではない、さいぜん、寝物語の里を、近江の国に属する宿から彷徨い出でた机竜之助の、いつものそぞろ心がさせる業なのです。
 二人の風流人をやり過しておいて、寝物語を美濃尾張路へと逆戻りをする人の当りをつけた目的地といっては、別に無いと見るのが本当でしょう。今宵は杖をついていないで、小なる刀の方は差したまま、大なる刀は手に持って歩いているようです。
 この遊魂が、しばし妙応寺の門の内外に彳《たたず》んでいたのは、少なくとも右の二人の風流客が寝物語の里で失望し、その失望の結果がもう一段の風流を生んで、不破の古関へと伸そうと心をふり向けさせた、その以前のことでなければならない。
 してみれば、淫婦のお蘭さんなるものは、いい気で宿を換えて、おのろけを伺《うかが》うの、伺わないのと盛んに管《くだ》を巻きつつある最中に、遊魂はもはや、近江の国分の宿の蒲団をもぬけの殻にしてしまったに相違ない。お蘭さんなるものは、そのもぬけの殻に向って、しきりにエロキューションの挑発を試みていらっしゃったに相違ない。
 かくして雲間から出た三日月のように、この遊魂は、二人の風流客をやり過して、やや暫しの後に門の前にちょっと姿を現わしたものでしたが、あいにく、こましゃくれた雲めがまた一つ、東の方から掠《かす》めて通りかかったために、僅かに片影を見せた三日月がまた形を隠してしまいました。
 関の藤川の小橋の上で、二人の風流客をちょっと驚かせた、いやにお世辞のいい一人旅の男――足の早い、飛脚にしては酒樽を持ち過ぎているところの、若い一人旅の男が、さっとこの門前まで来かかって、
「やれやれ、別段、疲れたってわけでもねえが、この徳利が荷になるのでなあ」
と、片手にさげた美濃の養老酒の徳利を、門前の御影石の畳の上に置いて、自分は同じ石の橋の欄《てすり》へ腰をかけて一休みしている。
 なるほど、特に疲れたというわけでもなし、重いというほどの荷物でもないが、こいつは、利腕《ききうで》にも利かない腕にも一本しかないから、思いがけなく持たせられたこの一物が、相当に荷厄介にはなるらしい。それでいったん地上に置いて、少々その手に休養を与えようという段取りであるらしい。
 ところが、紐《ひも》で括《くく》った養老酒の一樽を前に置いて、つくづくとそればっかりを眺めていた旅の奴が、
「美濃の養老酒――親孝行の本場仕込み、悪くねえなあ。およそ物は品によりけりで、牛が水を飲めば乳となり、蛇が水を飲めば毒となるとはよく言ったもんだ。この養老酒だって、源長内てな息子さんに持たせれば、水が酒となる、がん[#「がん」に傍点]ちゃんなんぞにこうして持たせた日には……いやはや、及ぶべからず」
と言って、ニヤニヤと徳利を見ながら思出し笑いをはじめたが、何を、そんな思出し笑いにうつつを抜かしているような、お目出たいのではないといった形で、すっくと立ち上るや、もはやかなりに休養の時を与えたその片腕で、やにわに養老の美酒をひっさげ、さっさと近江路へ向って影を没してしまったのは、単にこれだけの台詞《せりふ》を言わんがために、この場面に出たもののようです。
 これが引込むと間もなく、西の方から、怪しげな河童《かっぱ》が一箇《ひとつ》、ふらりふらりと乗込んで来て、これは正銘の妙応寺の門に向って、異様の叫び声を立てました。
「イルカ、イルカ」
 この者の姿を見ると、頭はがっそうで、まさに河童に類しているが、身に黒の法衣のかけらと覚しいものを纏《まと》うているところ、寒山拾得《かんざんじっとく》の出来損いと見られないこともない。
「イルカ、イルカ」
 河童が海豚《いるか》を呼んでいる。
「イル、イル」
 門内|遥《はる》かに相応ずる声がしたが、鋪石《しきいし》をカランコロンと金剛を引きずる音がする。
「天狗小僧――来たか」
「来ている――筍《たけのこ》八段も来ている」
 門の内と外とで応答する。
 まもなく小門のくぐりがあいて、そこから首を出したのは、同じような河童姿、法衣のかけらで、寒山拾得の出来損いが、まさに二人揃ったものです。
 海豚《いるか》が門内から出て来る、河童が門外でこれを迎える、さて、二人はここで相携えて、どこへ、何しに行く? と見れば、二人は門を左にした鋪石のところへ来ると、差向って石に腰を下ろしてしまったが、と見れば、もう二人ともに、黒白の小石を手に持っている。そうして、丁々として盤面に石を下ろしはじめている。ここに盤面というのは、門脚の一方の親石の花崗石面に碁盤目を画したもので、河童と海豚とは、これに対して黒白を争いはじめているのです。イルカと言い、河童と言い、天狗小僧と言い、筍八段というのは自称他称が混乱していて、どれをどれとも分らないが、この二人のもの、黒白を持たせてはたしかに人間業とは思われないひらめきを見せる。
 かれ一石、これ一石と下ろしながら、人間界の碁打ちをコキ下ろしている罵詈讒謗《ばりざんぼう》を聞いていると、なかなか面白い。伝うるところによると、近来、武州八王子あたりから天狗小僧なるものが出現して、遠く美濃尾張あたりまでの聯珠界を風靡《ふうび》しているということだが、それだ!
 とにかく、この出来損いの寒山拾得の悠々閑々たる聯珠、眼中人なき天狗心のために、妙応寺門前の今晩の魔気が払われてしまいました。
 魔気が払われてしまっては、幽霊の出現の場所がない。
 とはいえ、引込みのつかぬようなことはあるまい。例えば寺門の前はこうして天狗小僧と、海豚童子のために塞がれてしまったとしたところが、遊魂は必ずしも山門の中に済度されてしまわなければならぬはずはないので、道は到るところになければならない。
 妙応寺の裏山を、ほとんど真一文字に岩倉の方へ抜けると、そこはやがて、れっきとした北国街道が横たわっているし、ちょっと左へとれば大野木から、江州長浜方面へ一辷《ひとすべ》りという道にも通ずるはず、ぜひこの東海道をとって、どっちかへ形をつけなければ動きのとれないという約束はないはず。
 事件もまた、このところ、道筋と同じように、前後が少々ややこしくはなっているけれども、もうこの時分は完全に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎と、その携えた養老の美酒とは、寝物語の里に届いている。お蘭殿はいい気持で、もぬけの殻に向ってエロキューションを試みて、試み疲れてうとうとして、つい寝過ごし、枕一つを抱えて国越え――という時刻になっているに相違ない。

         四十四

 これよりさき、二人の風流客は、小笹篠原を探し分けて、ほとんど道なき方へ進んで行きました。
 この二人というのは、生国郷関のほどはわからないが、来ることは今晩、確かに西の方から来て、寝物語の里で一夜の思い出を楽しもうとしたが、それが意外にも先客に占められて、泊りはぐれて、不破《ふわ》の関まで伸《の》して一段の風流を試みようと出かけた二人の者であるが、その行先を見ると、不破の古関ではない、かえってその小関の方へ向って、小笹篠原を押し分け押し分け進んでいることが明らかであります。
 不破の関には大関と小関とがある。
 大関は今や彼等が、もう一歩で当然おとずれていなければならない地点であるが、それがこうして小関の方へ向いてしまっているのは、何か道標があって、そぞろ心に誘われたのか、実際この夜が爽涼なる秋の良夜であって、「秋風や」というのを「名月や」とでも置き換えたらば、そのまま藪《やぶ》も畠も、到るところが不破の関になってしまう、すんなりと志すところまで行ってしまったのでは、あっけないという感じから、わざわざ小路をえらんで、そうして本道とは別に、北国街道を擁するところの不破の小関をまずとぶらわんとするものらしい。この二人は本当に風流人であるが故に、小笹篠原を押し分け押し分け行くうちにも、
[#ここから2字下げ]
霞もる不破の関屋に旅寝して、夢をも得こそとほさざりけれ
人すまぬ不破の関屋の板びさし、あれにし後はただ秋の風
ひま多き不破の関屋はこの程の、しぐれも月もいかにもるらん
[#ここで字下げ終わり]
 これらを朗々と謡の調子で口ずさんで、受けつ渡しつする。ややあって、頭上に高く松の木の亭々たるその幹に一本の白旗が結びついて、静かに垂れているのを認める。
「白旗が一旒《いちりゅう》――音もなく竿にもたれている、なんとなく物々しい」
「おやおや、ここに小流れ、御用心さっしゃい」
 一人は高く松の上なる白旗に気を取られ、一人は道を横切る小流れに足をすくわれた形である。やがて、叢《くさむら》の間に一つの小さな祠《ほこら》を二人が同時に見つけました。
「おや――この辺が小関のあとでござろうか」
「左様――」
 二人がまたここで同時にまよっていると、荒原の夜気深々たるものが身に迫るのを覚える。
 どちらともなしに、
「誰か後ろから人が来るような気配《けはい》が致すではござらぬか」
「左様、さいぜんから左様な心持もいたしました、誰やら後を慕うて参ったように思われもいたしたが、耳を澄ますとやはりそのわれとわが足のこだまでござったげな」
「左様ならば仔細ござらぬ」
「モシ――」
 祠のうしろの尾花の茂みから、人の声がしたのである。これも二人同時に聞きは聞いたが、それは空耳《そらみみ》に違いないと打消すことも同時でした。
「もうかれこれ八丁はまいりましたな」
「左様――小関のあとは、いずれならんとたずねわずろう」
「モシ――あなた方は、御風流で夜の関ヶ原を御遊放の方とお察し申し上げますが、少々おたずね致したいのは」
 ここまで明瞭に呼びかけられてみると、もう空耳だとか、僻耳《ひがみみ》だとか、自分の感覚を疑ってはおられない。
「どなたでござる」
「はい、わたくしも同じく旅の者でございまして、関ヶ原の秋の夜があんまり淋しいものでございますから、宿をうかれてこれまでまいりました」
「御女性《ごにょしょう》のお身ではござらぬか」
「はい」
「きつい御風流、全くこれ、恐れ入りました」
 二人は同時に、松の木のうしろ、尾花かるかやの中を見込んで、そこに覆面した――しかし同じ覆面でも、これより先に寝物語の里から、妙応寺坂をふらふらと下りにかかった覆面の遊魂とは全く別物です――しとやかな婦人が一人、全くともをも連れないで、この荒原にさまよい出でているということは、これこそ宙にさまよう遊魂のたぐいでなければ、自分たちの同病者以外のものでありようはずはありません。
 二人の風流人は、風流の地に落ちないことを衷心《ちゅうしん》よろこびに堪えなかったようです。自分たちは寝物語の里での失敗を、関ヶ原の夜でいま充分に取返しつつあるこの良夜、旅の身にして、しかも女性でありながら、この名所と、この良夜にそむきかねてたった一人で、もはや自分たちの先《せん》を越してまで不破の小関へ、あとをとぶろうている者が存在していることは、せちがらきことのみ多かるこのうつし世に於ける風流道のための名誉でなくて何であろう。
 二人が同時に敬服して、全く恐れ入ったというのは、お世辞のみではなく……
「清風明月、何という良夜でございましょう。この良夜を古関のあとに来て、このままで過すは、まさに良夜にそむき、名所にそむき、風流にそむくものでござろう。されば我々は、寝物語の里を経て、ついうかうかとこれまで迷い込みましたのは、古関の清興は後まわしと致し、先以《まずもっ》て小関の人訪わぬ昔をとぶらわばやとの寸志でござった」
「左様でございますか――御風流、まことにお羨《うらや》ましいことでございます」
 覆面の女は、はっきりした物の言いよう。しとやかで、そうしてわるびれてはいない。
「どちらの方面からお越しになりましたな」
 一人の男がたずねると、女はそれを押返して、
「失礼ながら、あなた様方は、いずれからお越しになりました」
「拙者共は……」
「お名乗り下さい」
「は」
 風流人二人は、機先を制せられた気味です。
 事実、ここへは関所をしのぶ風流のために来たので、お関所のお調べを受けんがために来たのではないのです。まさか、この女性が御関所役人の変装で、自分たちを胡乱《うろん》と見こみ、詰問のために出た者でないと信じて疑わなかったのは、関所とはいえ、不破の関は千何百年前の不破の関で、その以後は、政治的にも、軍事的にも、存在は認められていない、純粋の名所としてのみの関所であることを、充分に呑込んでいるからであります。

         四十五

 だが、二人の風流人は故意か、好意か、この思いがけない関所あらために対し、神妙に返事をして、郷貫と姓名とを名乗ってしまいました。
「拙者は、越前敦賀藩の湯浅五助」
「拙者は、紀州和歌山の藤堂仁右衛門」
 二人がこう言って尋常に名乗ると、直ぐそのあとをついて、覆面の女性が問いかけました、
「では、あなた方にお聞き申せば、たしかにわかると存じますが、あの――大谷刑部少輔《おおたにぎょうぶしょうゆう》の首の埋めてあるところはどちらでございましょう」
「何と仰せらるる、大谷刑部少輔殿の御首《みしるし》の在所《ありか》?」
「はい、わたくしの力では、尋ねあぐんでいるところでございます、あなた方ならばおわかりと存じますが」
「これはまた、途方もないお尋ねもの――して、あなたは、何のよしで今頃それをお尋ねになる?」
「何のよしもござりませぬ、ただ、あなた方にお尋ねしたら、それがわかるかと存じまして」
「以ての外――よしそれを存じていたところで、他人に明かすような拙者共ではござらぬ」
「では、仕方がございません」
 こう言うと、おのずからこの怪しい女性と、風流の二人連れとは、左右に立別れてしまいました。
「驚きましたな」
「驚きました」
「我々でたらめの姓名を名乗ったに、あわてもせず、刑部少輔が首のありかを尋ぬる女性――身の毛がよだちました」
「足が、おのずから戦《おのの》きながら、やっとここまで来て生ける心地が致した」
「風流もここまで来ては空怖ろしい、胆吹山には近来、女賊の巨魁《きょかい》が籠《こも》っているという噂だが、そんなんではあるまいか」
「恐ろしい」
 二人の風流人は、小関の白旗の下から、飛ぶが如くに八丁の道を、産土八幡《うぶすなはちまん》の前の本道へ出てしまいました。
 本道といえども、深夜の関ヶ原ですから、藪《やぶ》も、畠も、まばらに立ち並ぶ民家でさえが、みな一様に不破の関。
 それでもここまで来ると、恐怖心が解け去って、風流心が追加してきました。
「藪も、畠も、山も、川も、森も、林も、村も、小家も、みな不破の関――」
「明月や到るところが不破の関」
 こう言って、関ヶ原の本道の真中に立って、美濃へつづく曠原の秋の夜に眼を放つと――
「や!」
 つい間近な足許《あしもと》の一地を一点のぞんで、一人が立ちすくむと、それにおぶさるように一人も立ちすくみました。
「や!」
「人が……」
「人が斬られている」
 いかに風流人でも、街道の真中に、人命が一つ、朱を流して抛《ほう》り出されているという現象をば、無条件では風流化しきれない。
「無慙《むざん》!」
 全く無慙なことでした。
「飛脚ではないか」
「飛脚|体《てい》のものに見ゆるが……」
「雲助ではないか」
「折助ではないか」
「デモ倉ではないか」
「そうでなければプロ亀」
「江戸川乱歩か」
「大下|宇陀児《うだる》か」
「ただし加賀爪甲斐守ではないか」
「坂部三十郎とも思われない……」
 自分らのせっかくの風流がここまで来て、粉砕されたのみならず、かかり合い上、どうしてもこれをこのままではごまかしきれない立場に立到っている。
 声をあげて大きく叫ぼうか。叫んだところで、この場合、そうさっきゅうに駈けつける人があろうとも思われぬ。やむを得ない、一人がこの場に立番して、一人が然《しか》るべきところまではせつけて報告することだ。だが、この二つの役廻りはどちらに廻ってもぞっとしない。ここで、ひとり、斬られ人を守っていることの無気味さは、これからひとり陣屋まで走って行く無気味さと相譲らない。
 二人の風流人は、風流気も全く醒《さ》めてしまって、その処分にうろたえきっているところへ、東の方からハタハタと人が馳《は》せて来る物音を耳にしました。
 敵か、味方か、それは知れないが、逃れらるべき場合ではないと観念最中へはせつけたのは、まだうら若い一個の少年に相違ない。
「曲者《くせもの》! 動くな」
と先方が叫んで、鞘走《さやばし》る刀をかいこみ、かいこみ、はせつけて来ました。
「いや、拙者共は曲者ではござらぬ、通りがかりの旅の者、このところで計らずも一人の負傷者を発見いたしたこと故に、いかが取計らわんかと思案に暮れている者でござる」
「あ、左様でござるか。しからば、その負傷者というのは……」
 こう言って、息せき切って近づいて来た件《くだん》の少年を見れば、これは、風流人たちとはまだ交渉はなかったものの、すでに、このつい先の駅まで姿を見せていたところの、岡崎藩の美少年、梶川与之助なるものでありました。
 二人の風流人は、この美少年の血気と、斬られて倒れている事の体《てい》とを見比べると、二人の間に結ばれた刃傷沙汰《にんじょうざた》であるなとさとりました。
 つまり、このおめず臆《おく》せざる少年の刀が、眼《ま》のあたりで頻《しき》りに鞘走っている気勢を見て、斬られている一方のあわただしいのを見ると、どうしても二人の間に、何か嫉刃《ねたば》の合わされるものがあって、とど、この一方が斬られてここへ来て斃《たお》れ、一方はその先途を見届けんとして、あと追いかけて来たものと、見れば見られないことはありません。
 それはかえってよろしい――ここで当事者同士に引渡してしまえば、我々のかかり合いは免れる。

         四十六

 梶川与之助の言葉短かに語るところによれば、自分たちは一行五人と共に今日大垣に宿を取ったのだが、ともに雇うた一人の悪漢のために、同行の者の系図と金子《きんす》とを奪い去られた。
 金子はさのみ悔ゆるには足らないが、系図は大切である。それがために自分はその者の後を追いかけ、ついにこれまで追い込んで来たのだが――
「こいつだ!」
 岡崎藩の美少年は、何はともあれ、斬られて斃れているのをのぞきこんで叫びました。
「おたずね者の悪漢に相違ござらぬか」
「いかにも、こいつに相違ござりませぬ、屹度《きっと》あらためてくりょう」
と言って美少年は、当人の生死|如何《いかん》よりは、まず盗まれた物品の安否が心にかかるらしい。
「盗難の品々、いかがでござる」
 風流人連も顔をあつめて心配する。
「金包――金子は二百両、たしかにこれに相違なし、系図こそは……」
 打返し、打返し、斬られた奴の懐中をさぐってみたが、それらしいものはない。帯と、腰と、衣裳の内外のすべてを調べたがそれが無い。なお念のために、そこらあたりの街路と、路傍の地面という地面を見たけれども、それは見当らない。
「金子よりは、その系図が、それが命にも換え難いほどのもの」
 美少年は、ひとりいらだちきっているが、無いものは無い。
「見つかりませぬか」
「見つかりませぬ」
「それはそれは」
「人手に渡すひまはなし、察するところ、追い詰められた苦しまぎれに、途中へ投げ捨てでも致したものか、振い落しでも致したものと見るよりほかはない」
「でござろうが、この当人がここに斬られているからには……何かまた」
「おお、それそれ、それでござりましたな、途中へ投げ捨てたものか、或いはここでまた賊にでも出で合い、ものしたものをものされた、というような次第ではござらぬか」
「そのことはわかりませぬな」
「モシ、申しおくれましたがあなた方は、いずれの御仁で、いかにしてこいつを、このところでお見出しになりましたか」
 こう言って美少年は、改まって二人の風流人の面《おもて》に向って見ましたが、この二人は生地《きじ》からの風流人でした。風流を楽しまんがために良夜の関ヶ原を漫歩し、眼前不意の存在物によって、その風流をかき乱されたことの以外に立つ人ではありません。
「我々は、関ヶ原の秋の夜の風流を楽しまんがために、夜道を致した以外の何者でもござりませぬ、只今、ぱったりとこの場でこの仕儀を見ましたのみ、その以前のことは……」
 この事件に就いては、なんらの予感をも感じなかったのである。
 が――ただ一つ心がかりがありとすれば、それは、大谷刑部少輔の首をたずねて廻る超風流の女の覆面あるのみ――だがいくら疑おうとしてもそれは女人だ、ここへ引合いに出して、物議の種とするのは大人げない思いがする。
 岡崎藩の美少年も、これより以上はいかなる手段をとっても、この二人から聞き得る何物もないことを知り、やがて決然として、二人の風流人に向って言いました。
「拙者は、この者をこの場に見守っておりまする故、おのおの方、御苦労千万ながら、最寄りの役所までこのことをお届け下さるまいか」
「それは、いと易《やす》きことでござる」
 二人はこの頼まれをきっかけに、この殺風景の地を去ることを幸いなりとして、言い合わせたようにこの場を走り出しました。
 時は、まだ決して天明の時ではなく、むしろ、これからいよいよ深夜の部に入ろうという時であります。
 風流を以て今宵をはじめた二人の風流人は、極めて没風流な用向を兼ねて、関ヶ原の真中の夜に没入してしまいました。あとに残るは美少年と、その足許なる人の屍骸。
 最初はただ、斬られている人の何者であるかを知るよりは、その者が果して盗難品を持っているか、いないかということを知らんとするに急にして、仔細にこれを検視してみるというような余裕はなかったのです。
 それが今、こうなってみると、幾分か研究的の心になって、如何様《いかよう》にして斬られ、いかような創《きず》が致命傷になっているか、ということを知りたい心に駆られたものでしたが、見るとこの男の致命傷というのは、たった一カ所で、しかもそれは頭部から顔面にかけて横なぐりに一つなぐっただけの傷であります。横擲《よこなぐ》りに擲った切先が少し残ったものですから、ホンの甘皮ばかり、そのほかは西瓜《すいか》を輪切りに切り損ねたのが斜めにパックリ口があいたようなものです。
 そのほかには一指を加えたほどのあともなく、無論、斬捨てて止めを刺してなんぞはありません。
 徳川の初期に於ては、西瓜を食うことをいやがったものであります。西瓜は由井正雪の頭だ! と言って、その二つに割られた中身の鮮紅色なるを、この上もなく不祥の色として忌《い》み怖れた時代もあったのであります。
 同じく人を斬捨てるにも斬捨てようがあると、美少年は思案に暮れた時に、はじめて自分の手が、かなりの血痕に汚れていることに気がつき、この手を洗わなければならぬと思いました。
 美少年は、手を洗おうとして思わずあたりを見渡した時に、つい鼻のさきの産土八幡《うぶすなはちまん》の社内で、物のうごめく姿を認めました。
 こういう場合ですから、手のことは忘れて、その手を握り、じっと闇を透して、そのうごめくものの形を見定めようとすると、その物影は難なくスルスルと八幡境内の闇を出て来て、この街道の真中まで走り出したものですから、その輪郭を見て取るには、おのずから与えられたような形になったものです。
 それは実に、一個の少年が手槍と覚しいものを構えつつ、今し、八幡の境内の中から走り出し、何物をか追いかける姿勢であります。
 猟師が鹿を追う時、鳥さしが鳥を覘《ねら》う時に、ちょうどこんな姿勢をする。前路にねらうものがあればこそ、後ろに美少年のあることを知らない。
 美少年はそれを実に、以ての外の振舞だと思いました。けれどもそれは自分というものの存在をここに認めて、それを避けようとして走り出したものでないから、現にここに行われた兇変に交渉のある人間とは思われない。何か別に怪しむべきものを認め得たればこそ、ここに我というものがあることを忘れて、それを追い求め行くものに相違ない。
 この怪しの者の正体こそ、宇治山田の米友であると知ってしまえば何のことはないのですが、それをわきまえぬ美少年にとっては、この際、合点《がてん》のゆかぬ至極の人影である。良不良に拘らず、それをつき留めることは応変の仕事でなければならない。一方、その小さき人影に向って追い行くと、それを感づいたか、感づかぬか――こちらが追えば彼も走り、彼が走ることによって、こちらが追えば彼の転身は一層鮮かなものですから、美少年はちょっと、人か怪獣かの区別さえつきかねる気持になりました。
 それだけに、興味も異常に集中して、ともかくもこれをひとつ手捕りにして置いてその上――と、彼は全能力をつくして驀進《ばくしん》しようとした時に、その行手にはたと立ち塞がったものがあります。
 それは、ちょうど、深山を旅するものが、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]と呼ぶ動物のために、眼も、鼻も、口も、抱きすくめられてしまうような呼吸で、かの小さき怪しいものと、我との間に立ち塞がったけれども、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]ではありません。
「いけません、あれはああして置きなさい、あなたの知ったことではありません」
 彼と我との間に割って入り、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]のように少年を抱きすくめてしまって、こう言い聞かせるその人は不思議にも女の声、説明してしまえばお銀様その人の声でありました。
 その時、街道筋がにわかに物騒がしく、提灯《ちょうちん》をかざした多数の人がこちらへ向いて走り来るのは、まさしく先刻の風流人たちの報告によって、宿場の係りの人たちが出動して来たものに相違ありません。

         四十七

 変事を聞きつけて集まり来《きた》った宿役その他の連中に、この場の事と人とをうち任せたお銀様は、いつのまにか、松尾村への草むらの中をひとり歩いていました。
「お嬢様――お前《めえ》という子も、人に世話を焼かせる子だなあ」
 林の中から弾丸黒子《だんがんぼくろ》のように躍《おど》り出したそれは、宇治山田の米友であります。
 米友は、右の手に例の杖槍を担いで、左の手で早くもお銀様の帯をとらえたものです。
「友さん」
「うむ――お嬢様、お前、女のくせにそうひとりで夜歩きをしちゃいけねえ」
「いいのよ」
「よかあねえ」
 米友は少しくどもって、
「そうお前、子供じゃあるめえし、いい年をしてよる夜中、出歩いちゃ困るじゃねえか、親方が焦《じれ》ったがるのは無理ぁねえな。ちぇっ、どうしてそう、みんな人にばっかり世話を焼かせたがるんだろうなあ」
と、米友が口惜《くや》しがりました。事実、米友をして世話を焼かせるのは、今晩のお銀様にばっかり限ったものではない、もっといい年をしながら、世話を焼かせることを本業に心得ている道庵という親爺の如きもある。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお銀様は笑いました。
「誰も世話を焼かせようとはしていないのに、勝手に世話を焼きたがるからおかしいじゃない?」
「勝手に世話を焼きたがる奴があるものか、お前にしろ、道庵先生にしろだね、ほんとうにこのくらい人に世話を焼かせりゃ話はねえやさ、まるで眼がはなせねえんだからな、人がちょっとでも眼をはなしてみようもんなら、どこへ飛び出して、何をするかわからねえ」
「大丈夫」
「当人だけは大丈夫だって、ひとはそうはいかねえよ、よる夜中、こんな淋しいところをひとり飛び歩いてみな、どういう奴が出て、どういう目に逢わせられるか知れたものじゃねえぜ、おいらなんぞは、槍が出来るからいいようなものの……」
 米友は、ここで自分の槍の出来るのを自慢で言うつもりはない。いささかでも腕に覚えのあるものならまあいいとして、それでも慎まなければならないのに、何の防備も手段も持ち合わせない女性の身の、ひとり歩きの危険を警告した親切の意味が充分に籠《こも》っているのですが、それをお銀様は軽くあしらって、
「心得ていたって怪我をする時は怪我をします、怪我をしない時は怪我をしません、それに……わたしなんぞに、誰も怪我をさせようなんて心がけているものは一人もありませんからね、怪我の方が逃げて行ってしまいますよ」
「ちぇッ――聞いて呆《あき》れちまあな、怪我の方で逃げて行くなんてやつがあるものか、いまに大怪我をしてみなせえ、そのとき思い知っては遅いぜ」
「怪我――といったところで、死ぬより大きな怪我はありますまい」
「ちぇッ――お前という子も、よくよく理窟屋だなあ」
「理窟じゃありません、物の道理よ」
「おいらが迎えに来たんだから帰ってくんな、お前を連れて帰らねえと、また、おいらが親方から大目玉を食うんだからな」
「親方というのは誰のこと?」
「お前、知ってるだろう、両国の女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角さんのことさ」
「あの人が、お前、怖《こわ》いの?」
「怖い――?」
 米友は、お銀様から反問されて、思わず眼を円くして地団駄を踏みました。
 女軽業の親方のお角さんという女が、お前怖いの……とお銀様から改めて聞かれると、米友が何か知らず自分の胸にギクッと来るものがありました。
 怖いものは無いはずだ――鬼だとか、お化けなんというものは、見たという人もあるが、そんなものはこの世に無いものだという人もある。おいらはまだ、お目にかかったことがないから知らない。親爺が怖いと世間の人はよく言うけれど、おいらという人間は、親というものの味を知らねえから、甘いものか、辛いものかわからねえのだ。そのほか、地震だとか、雷だとか、火事だとかいうものは、災難だから、来ねえ前にビクビクしていたってはじまらねえやな――また或る人は言う、借金ほど怖いものは無いと。ところがおいらは怖いほどの借金をまだ持ってみたことはねえ。貧乏はもっと怖いという者があるけれど、その貧乏の味というのも、おいらはあんまり知らねえよ――と言ったところが、お君から笑われたことがある――
「友さん、お前、貧乏の味を知らないんじゃない、お前というものが貧乏そのものなのよ、夏冬一枚の着物で通して、家も無ければ、財産《しんしょう》もないんだから、まあ、友さんぐらいの貧乏人は世間にたんとはありますまい、それだのに、貧乏の味を知らないなんて言うと笑われちゃいますよ」
 お君から米友は、こう言って笑われたことがある。なるほど、そう言われてみれば、おいらなんぞは天地間の本当の貧乏人かも知れねえ。だけれど、お君はなおその時に附け加えて言った――
「だけれども、本当の貧乏の味というものは、所帯をもって、子供が出来て困ってみなけりゃわからないというから、そうしてみると、友さんも、わたしも、貧乏とはいうけれど、まだ本当の貧乏の味というものを知らないのかも知れませんねえ」
 本当の貧乏と、ウソの貧乏というものがあるかどうか、とにかく、自分たちは、貧乏の味を知っていると、知っていないとにかかわらず、決して金持ではない、貧乏を貧乏として知らずにいるくらいだから、貧乏は決してそんな怖いものじゃないと思っている。
 地頭《じとう》が怖いの、泣く子が怖いのというけれども、一定の殿様の下や、お代官地に生業を営んでいないおれたち。道庵先生あたりこそ、怖いと言えば、米友にとって怖い人かも知れないが、自分は先生を尊敬し、服従もしているけれども、或る場合には大いに先生の不謹慎を責めることもあるし、その脱線を訓戒することもある――だから、一応は監督者気取りで、優越感を持ちながらおともをすることもできるというものだ。
 昼が明るくて夜が怖いということも覚えないし、物のわかった人間はわかったように扱うし、わからない奴はわからないように、乱暴な奴は乱暴なように、腕で来る奴は腕であしらっている。別段曲ったことをした覚えはねえから、おまわりさんや、刑務所が怖いとも思わねえ、どう考えてみても、天下に自分の特に念を入れて怖がるべき相手の存在はわからないようだが、ここで今、お嬢様から、「お前、あの女軽業の親方が、そんなに怖いの?」と白い歯であしらわれてみると、米友の身体《からだ》がおのずから固くなってくるのを覚えました。
 怖い――というのはなんだか業腹《ごうはら》だが、そうかといって、ちっとも怖かあねえ、あんな女軽業の親方なんかあ……と、うっかり口を辷《すべ》らしてしまって、それがあの親方の耳にでも入ろうものなら、この野郎、もう一言いってみな――とのしかかって、頭ごなしにやられる時を想像すると、米友が変な心持になってしまいました。
 しかし、お銀様は、それを米友に追究するつもりで言ったのではありません。やがて、冷淡ではなく、冷静に、むしろ物を頼むように米友に向って言いました。
「友さん、わたしのことは、わたしとして間違いのないことをするのだから、心配しなくてもいいよ、親方がお前に何とか言ったら、わたしが申しわけをしてあげる、そんなことは心配しなくてもいいけれど、ここで友さんに、素直にわたしの言うことを聞いてもらいたい」
 米友は、お角さんを怖れるように、お銀様を怖れてはいないのです。怖がるよりはむしろどういうものか、一味の同情と、親愛というようなものを感じているのです。
 お角さんが腫物《はれもの》に触るように怖れているこの令嬢か悪嬢か知れない難物に向って、米友は少しも窮屈も威圧も感じていないのみならず――何というか、米友自身では名状のできない哀れな感情が働いていて、おたがいにそぐわない会話をしながらも、魂のどこかとけ合って行くような親しみを加えて行くのは、お銀様も知らないし、米友も知らないながら、おたがいに好きだというような感情があらわれて行くのです。好きといったところで、惚れたの腫れたのというわけではないが、おたがいにどうしても衷心《ちゅうしん》から憎み合えないような何物かがあることを、おたがいに気がつきません。
 そこで、米友はこうして取押えに来たようなものの、手荒くどうしてもこうしても拉《らっ》して行こうとはせず、お銀様もまた、米友に向って物を頼めば聞いてくれないはずはないといった、安らかな気分で、すらすらと前方へ向って歩いて行くのです。

         四十八

 暫くして、お銀様は一つの小流れの岸に下り立ちました。
 米友も、それに従って、同じ河岸に数歩を離れて立っていると、お銀様は、岸の傍らに一むら茂き尾花苅萱《おばなかるかや》の中に分け入ったかと見ると、無雑作《むぞうさ》にその中から一つの白い円形な物体を取り出して、米友の眼の前に捧げたものですから、米友がまたもその眼を円くして見ると、夜目ながらはっきりと眼底に映り来《きた》るところのものは、まさに人間の一箇の髑髏《されこうべ》でありました。
「友さん――この髑髏を、この川でよく洗って頂戴」
「うむ――」
「この川は黒血川《くろちがわ》という川なのです、昔、大友の皇子と天武の帝の戦《いくさ》のあったことから、黒血川の名が起ったそうですが、それは名前だけで、そのことは千年も昔のことですから、今は血なんぞは流れていやあしません、この通り、鏡のようにきれいな水なんですから、これでよく洗って頂戴」
「うむ――」
 米友は、唸《うな》りました、病とはいえ好奇《ものずき》にも程のあったものだが、今まで隠し持っていたとも思われない人間の骨《こつ》を、どうしてここへ持ち出したか、尾花苅萱の中を探って、易々《やすやす》とこれを取り出したようだが、いくら黒血川の岸の尾花苅萱だとて、手品師のようにかねて仕掛けて置かない限り、そう易々と人間の髑髏を探し出せるものではない。
「友さん、そんなに眼を円くして、驚いてばかりいてもおかしいじゃありませんか、これは怖いものではありません、生きているわけではないから、口をあいて食いつきはしませんよ」
「お嬢さん、お前、どこからこんなものを持って来た」
「これは、さっきわたしの手で掘り出して、この尾花苅萱の中へそっと隠して置きました」
「お前という人も、つまらねえ悪戯《いたずら》をしたもんだ――人間の骨を掘り出すなんて、てえげえ手癖の悪い餓鬼でも、それほどな悪戯はしねえ」
「いいのよ、これはわたしに縁のある人の骨《こつ》だから」
「お前に縁のある人って――こんなところに親類があるわけじゃあるめえ」
「ええ」
「よしんば、親類があったからといって、いったん墓に埋めた人間の骨を掘り出すなんて、そりゃあんまり乱暴過ぎる」
「友さんにはわかるまいが、これは、わたしが掘り出して上げるのが、かえって功徳《くどく》じゃなかろうかと思う人なのよ、ですから友さんの手で、この土まみれになったお骨を綺麗《きれい》に洗って上げてください、そうすれば、友さんの功徳にもなる」
「おいらは、そんな功徳はしたくねえ」
「そんなこと言わないで、素直に、この黒血川の流れで、三百年の土のよごれを洗い清めてあげてください。これはね、大谷刑部少輔という人の首なのよ」
「大谷刑部少輔?」
「そんな大きな声を出さなくてもようござんすよ、関ヶ原の時に、石田を助けた日本一の器量人の首だから、わたしもわざわざここまで来て掘り出して上げたのだから、友さんも嬉しがってこれをお洗いなさい」
「おいらあ、嬉しくねえ」
「何でもいいから洗ってあげてください、できなければ無理には頼みません、名将の供養になることだから、わたしが洗います」
「できねえと言やしねえよ、嬉しかあねえと言ったんだ」
「できないことでなければ、やって下さい、この黒血川の水で、幾百年|埋《うず》もれた英魂の泥を、友さんの手で洗って上げてください」
「うむ――なんだか理窟はよくわからねえが、頼まれたことをいやとは言わねえよ」
 米友は捨鉢のようにこう言って、杖を下に置くや、お銀様の捧げた髑髏《されこうべ》を引ったくるように受取って、それをいわゆる黒血川の小流れに浸して、ぐんぐん洗い立てようとする。
「あんまり手荒なことをしないように。落ちなければ、この川べりの砂の軟らかいところを取って磨砂《みがきずな》にして、洗ってあげてください」
 お銀様は立って、米友の洗濯ぶりを監視するような形で見詰めている。その肩を昼のような月が辷《すべ》って、黒血川の水にささやかな金波銀波を流しています。

         四十九

 命ぜられた通りに、宇治山田の米友は、与えられた髑髏をゴシゴシと洗濯しているが、なるほど、数百年来英魂を埋めた泥と見えて、米友の精根を以てしても、なかなか落ちないのであります。
「明礬《みょうばん》の水ででも洗ったらどうだか、只じゃなかなか落ちねえや」
 黒血川の水を以て洗うのだから、落ちないのが当然かも知れないが、それでも米友は倦《う》まず洗いつづけていると、
「少々ものを尋ねとうござるが――」
 尾花苅萱《おばなかるかや》の中を押しわけて来た人の声、それはかなり遠いところから呼びかけたようでもあるし、つい鼻のさきで呼びかけたようでもある。
「うむ――」
 米友は髑髏を洗う手を休めないで、声のした方を振仰ぐと、二間とはない川幅のつい向う岸に人が一人立っている。
「関の藤川というのへ参るには、どう参ったらよろしかろう」
「関の藤川でございますか……」
 それを引取って答えたのは、米友の後ろにいて首洗いの検査役をつとめていたお銀様の声でありました。
「関の藤川から、不破の古関の跡を尋ねたいのだが……」
「それでしたらば」
 お銀様が委細引取ってくれるから、米友は安心です。そうでなくて、斯様《かよう》な返答を自分が引受けねばならないことになると、米友としては苦境に立たなければならない。
 それは、この流れが黒血川の流れだということも、お銀様の口から初めて聞いて知ったくらいだから、関の藤川だの、不破の古関の跡だのというものを、不意に尋ねられて、米友に明答ができるはずがないからです。幸いに、お銀様というものがあって、知らざるところを、知れる人よりも周到に教えることのできる知識を備えている。
 そこでお銀様は、立ってその人のために、黒血川と関の藤川と混同し易《やす》くて別物であること、だが、その相距《あいへだ》たることは、さまで遠いものでないことが、混同され易い理由であること――関の藤川の名が徒《いたず》らに高くして、その実物は、この黒血川と相譲らないほどの小流れに過ぎないこと、それへ出る道と、藤川の土橋の下からその真上は、もう古《いにし》えの不破の関の跡になっているはずだということを明瞭に教えてやるのです。
 それを逐一《ちくいち》耳を傾けて聞き終りながら、向う岸に立って物を尋ねている人は、急いで教えられた方へは踵を向けず、
「あれは、どこから響いて来ますか、あの短笛《たんてき》の音は……」
 そう言われて、はじめてこちらの人が聞き耳を立てました。
 実は、聞き耳を立てるほどのことはなく、さいぜんから亮々《りょうりょう》として満野に響いていた音声なのですけれども、あまりに亮々たるために、かえって二人の耳に入らなかったのか、そうでなければ、首を洗うことの興味と難渋で、二人にはその音が耳に入らなかったのでしょうが、今そう言われてみると、はじめて、亮々として、藪《やぶ》にも、畠にも、叢《くさむら》にも、虫の声にも、いささ黒血川の流れのせせらぎにも、和して聞ゆる一曲の管声が、今も宛転《えんてん》として満野のうちに流れているのです。
「ああそうでした、あの尺八の音のするあたりがちょうど、不破の関に当りましょう」
「関山月《かんざんげつ》を吹いていますね」
「はい……」
 お銀様は、その返答だけが手持無沙汰なものになりました。前に地の理を問われた時のように明快にいかなかったのは、「関山月」と言われて、ちょっと知識負け、或いは度胸負けがしたのかもしれません。
 それにも拘らず、ものを尋ねた向う岸の人は、まだお銀様から指示された通りに、また関山月の吹き示す通りにもその足を進めようとしないで、空しく黒血川の向う岸に立ち尽して、そうして、無心にこの流れ来《きた》る笛にのみ耳を傾けようとしているものの如くであります。
 こうなると、三人三様に沈黙せざるを得ませんでした。向う岸の人は、前の如く一曲に聞き惚れて沈黙する。お銀様は、関山月|云々《うんぬん》と言ったのがひっかかりで沈黙する。宇治山田の米友は、そのいずれなるに拘らず、髑髏についた泥のもう少し手軽く落つべくして落ちないのに中《ちゅう》ッ腹《ぱら》で、ゴシゴシと洗っている。
 右のうち、お銀様の不平を、なおくわしく言うと、向う岸に立つ人が、自分たちが今まで耳中に置かなかった一管の音を、早くも耳に留めて、これに就いて問うことをすると共に、その吹き鳴らす曲を鮮やかに関山月と聞き分けてしまったそれを歯痒《はがゆ》く思っているのです。お銀様という人は、なかなか管絃の古曲を聞き分ける耳は持っているのです。それだのに、その遠音を聞いて、直ちに関山月……と断定するほどの音楽の知識をこの際持ち合わせていなかったことが、軽蔑でもされたように自分の心を依怙地《いこじ》なものに固めてしまいました――それで、無性に沈黙していたのですが、沈黙すればするほど、その一管の音は、いよいよ鮮やかに、この場へ流れ渡って来るのを、耳を蔽《おお》うほかには遮る由がないのであります。
 ああ、お銀様は相当に管絃のたしなみがあり、尺八も相当に聞きこなす耳があるけれども、まだ関山月という曲を知らない。

         五十

 不破の古関の跡を守る関守に、心憎いのがあって、人の知らざる曲を吹く。吹いて酣《たけな》わなるに至れば至るほどわからない。悲愴《ひそう》に人の腸《はらわた》を断つの声ではあるが、どこまで行ってもお銀様としてはそれに名づくべき名を知らない曲であるのに、向う岸の人は、もはやとうにこれを了して、命じて「関山月」と言った。お銀様はこのことに憤りを発して、含むところある沈黙の凝立を守っていると、そのいずれにも頓着なく、黒血川に浸っていたところの髑髏が、不意に米友の手から離れて、月の天上に向いて舞い上りました。
 さては、百年埋れたりといえども、苟《いやしく》も一方の名将の遺骨、それが今宵、匹夫下郎の手によって洗滌の名の下に冒涜《ぼうとく》を蒙《こうむ》っていることの恨みから、骨《こつ》に精が残って天に向って飛び去ろうとしたのか、そのことはわからないが、執心《しゅうしん》に洗いつつあった米友の手をはなれて、しかもこれが尋常に取外したとか、取落したとかいうほどのものでなく、犀《さい》が月を弄《もてあそ》んで水が天上に走るような勢いで、宙に向って飛んだのだから、憤りを含んだ沈黙のお銀様でも驚かないわけにはゆきません。
「どうしたの」
 米友は、その時に必死の勢いでした。髑髏の精があって、天上に逃れようとしたわけでもなければ、匹夫下郎に辱められたことを憤ったわけでもなく、まして匹夫下郎もなお自分の留魂を慰めてくれる殊勝さを感激したわけでもなく、飛ぶには飛ぶべき理由あって飛んだには相違ないが、あえて自力更生の力で飛んだわけではない。実はその持主が烈しくそれを投げ出したものだから、その勢いだけで枯骨が躍って天上に舞い上っただけのものです。
 然《しか》らば、持主は何故に、今まで洗滌を試みていた枯骨に対して、こんな急激な取扱いを試むるに至ったか。今の先まで、口小言を言いながらも、極めて熱心忠実に洗濯をしていたものが、いくら短気だとはいえ、癇癪《かんしゃく》まぎれにおっぽり出して、それで命ぜられて、或いは頼まれて引受けた約束を無茶にすることほど、米友の短気は没義道《もぎどう》な短気ではないはずです。
 彼は口小言は言うけれども、その為すべき仕事が困難と複雑を加えれば加えるほど、自己の負けじ魂と忠実とが加わってくるところの性格を持っている男です。それがかくも自暴《やけ》に、心なき枯骨を天上に向っておっぽり出したということの理由には、それだけの筋道があるので、筋道というのは、特にくどく説明するまでもなく、そうしなければ自己の生命問題に触れるからでありました。
 ごらんなさい、名将の髑髏《されこうべ》と称するものを天上に投げ上げた米友は、そのまま後ろに転び、仰向けに転がって、そうして、岸の上にさして置いた例の杖槍を手に取ると、かねて甲府城下の霧の夜の闇で演じた独《ひと》り芝居の時の如く、仰向けに転んで、その杖槍を構えたところというものは、四方転びの縁台をそこへ持って来て抛《ほう》り出したようなものです。
 ですから、お銀様も、そのはずみを食って、ものの二間ばかり後ろへ飛びのいて、さいぜん髑髏を探り出したところの尾花苅萱《おばなかるかや》の後ろへ身を引いたものです。
 ただ、動かないのは、玲瓏《れいろう》たる天上の月の影でありまして、この通り照り渡っている良夜でありましたから、光はいよいよ冴《さ》えに冴えて、この場の光景を照らし残すところはありません。
 米友ほどの者が、かくも狼狽周章を極めるのに、天上の月と、向う岸の風物は、全く澄みきったものでありました。
 向う岸に物を尋ねた人は冷然としてそこに突っ立っていること少しも変らない。強《し》いて変ったところを認めろといえば、今まで右の手に持っていた二尺三寸以上はあるところの大の刀を、ただ単に左の手に持ち替えただけのものでした。
「じょ、じょ、じょうだんじゃねえ」
 それにも拘らず、宇治山田の米友の醜態を見よ。
 それは醜態というより外はない、米友ほどの豪傑として。
 でも、ようやく立て直し、
「じょ、じょうだんじゃねえ――人を油断さして置いて――降ると見て傘《かさ》とるひまもなかりけりで、やろうなんて、じょ、じょうだんじゃねえ、おいらだからいいけれども、ほかの者なら、やられちまうところだ。さあ、もう心得たもんだ、どうでもしてみやあがれ」
 ようやく起き直ったけれども、その張りきった用心と、夜目にも燃えるような眼光は、以前に倍したものです。得意の杖槍を如法に構えて、その向っている先は、向う岸にあって水のように澄みきって物をたずねた人の面上にあります。
 ここに至って、米友はその意外なる醜態から全く救われました。
 足は地から生えたように、筋肉は隆々として金鉄が入り、そのピタリと構えた一流の槍先は、金城鉄壁をも覆《くつがえ》すの力に充ち満ちていました。
 いい形です。運慶の刻んだ神将だの、三十三間堂の二十八部衆のうちに、まさにこれに類する形がありまして、わが宇治山田の米友がこういういい形を示すことは、幾年のうちに幾度もあることではありません。求めても見ることを得られない代りに、求めずして展開せしめられることが甚だ稀れにある。
 最近に於ては、信州川中島の夜霧の中で、ひとりこの恰好を戯れにしたことがあるけれども、真に必死の相手をもってこの独《ひと》り芝居を演じた真正の型というものは、まずその昔の甲府城下の霧の闇の夜のほかにはありませんでした。
 今や、美濃の国、関ヶ原の原頭、黒血川のほとりに於て、今晩はからずこのいい形を遺憾なく見ることを得た見物のよろこびは至大なものでなければならないはずですが、得て、こういう天地の間《かん》に、いい形をして見せる時には、あいにく見物というものは無いものであって、人に見られ、喝采され、雷同され、賞讃されるところの大部分には物の屑が多い。
 そんなことは、どうでもよい、米友は久しぶりでいい形を見せようがために、こういう芸当を演じているような芝居気の微塵《みじん》もあるべき男でないことはよくわかっている。全く彼はこの場合、一生懸命、文字通りに生命そのものを一本の杖槍にかけて、眼を注ぐところは、向う岸に水の如く澄み切った、ただ単に右に携えていた刀を、左に持ち替えただけの新来の客でなければなりません。
 つまり、向う岸に呼びかけた新来の客が、ただ単に刀を、それも鞘《さや》ぐるみ手から手へ持ち替えたというだけの動静が、米友を圧迫して、こうも無二無三なる形にしてしまいました。

         五十一

 都合のよいことには、今夜は月が皓々《こうこう》として蟻の這《は》うまで見えるような良夜でありましたのみならず、僅か三、四、五間とは隔っていないところの向う岸の澄まし返った人が、身になんらの覆いというものをつけていないことでした。
 身に覆いをつけていないといったところで、決して裸体であるという意味ではありません。尋常の袷《あわせ》を着流しにしていて、独鈷《とっこ》の帯か何かを締め、小刀を前にして、大の方を如上の如く提げているのですが、最も幸いなことには、全く、この種の人のよくする覆面というものをしていないことでした。
 本来、覆面というものは、しないで済めばしない方がいいものです。第一風通しは悪くないし、手数はかからず、覆面なしで押し通せれば世の中は覆面なしに越したことはないのです。
 しかしながら、人生には、ところと、場合と、時とによって、どうしても生地《きじ》のままの面目では押し通せないことがあるのです。天下の選良を集めたという国家の議会に立つ台閣の宰相でさえ、時としては万機公論の間《かん》を頬かむりをして押し通さねばならないことがあるくらいですから――夜な夜な町の辻を歩いて、人間の一人も斬ってみようとする輩《やから》が、相当の覆面をするのは当然過ぎた当然のようでありますけれども、ここも天下の関ヶ原とはいえ、ゆるさぬ関が行く人の足を止めたのは、それは千有余年の昔のことで、まして徳川期となっては、公道を宮と鈴鹿の方面にとられてしまって、蜀山《しょくさん》や一九の輩《ともがら》をしてすら、ふわふわの関と歌わしめたほどの荒涼たる廃道になっているから、この月夜を彷徨《さまよ》う何人《なんぴと》といえども、覆面をしてまで人を憚《はばか》るほどに人臭いところではなかったのです。(お銀様だけが相も変らないのは、それは外に向ってする覆面ではなく、己《おの》れの良心に向っての覆面かも知れません。)
 そこで、今、宇治山田の米友の当面に立つところの相手も、宿を出る時には、さすがに、その良心にだけでも覆面をかけて出る必要があったかも知れませんが、今はその必要がないので、おのずから秋風に吹き払われて、本来の素面素小手で相対しているが故に、勢いまともに槍先をつき続けている宇治山田の米友の眼底に、その面貌風采が手に取る如く映り来《きた》るのは当然のことです。
 そこで、心を落着けて、よく見るの余裕を得て見ると、右の手に持っていた刀を、単に左に持ち替えたと見たのは僻目《ひがめ》でした。左の方に持ち替えたのは鞘だけで、右の手をダラリと下げているから、最初はそれと分らなかっただけのもので、そのだらりと下げた右の手に、まさに鞘を出た白刃そのものをぶらさげていたのです。ただ、その下げっぷりが、もとより下段《げだん》にもならず、側構《わきがま》えでもなし、全く格に無いところのダラリとした下げっ放しなのですから、刀をさげていないと見ることが、正しかったくらいのものであります。
「おっと、待ちな!」
と、その時に米友が持前の奇声を発しました。
 これは充実した気合ではなく、むしろ充実が脱け出した意外の表情に出る奇声でありました。
「や――お前《めえ》は、その、いつかの弥勒寺長屋《みろくじながや》の、その、あれじゃねえのか」
「うむ――」
「本所の鐘撞堂《かねつきどう》の弥勒寺長屋に、おいらと一緒に住んでいた、あの時の、あの人じゃねえのか。お前という人は、もしそうならそうだと言ってくれ――江戸の本所の鐘撞堂新道の、弥勒寺長屋に覚えはねえか、それとも、甲斐の甲府の城下の闇夜の晩……」
 杖を構えたなりで、穴のあくまで相手方の覆面をしない面《かお》を見詰めて、米友がこう呼び立てたものです。ところが、
「そういうお前は友造だな」
「うむ、いかにも、友造だ、その時の友さんがおいらなんだ」
「そうか」
 先方は、実に憮然《ぶぜん》たる返答ぶりでありました。
 あわただしく杖を畳んだ米友が、その間に一文字に、二間余りの川幅をふっ飛んで、つい先方の胸元に迫り、そのまま自分の顔を突きあげて、相手方の顔をなめるように、つくづくと見上げて、
「違えねえ、違えねえ――お前は弥勒寺長屋にいて、おいらと一つ鍋の栗を食ったことがあるだろう、そうしておいらを出し抜いて、毎晩毎晩脱け出してどこへ何しに行った、それを今ここで、おいらに素っぱ抜かれたら困るだろう!」
 米友が連呼しながら、水のように澄んだ相手方の身の廻りで、幾度も幾度も地団駄を踏みました。

         五十二

 それよりも意外に早かったことは、米友なればこそ一飛びに跳ね越えた二間有余の黒血川の流れを、裳《もすそ》も濡らさずに渡って来たお銀様が、米友の覗《のぞ》き込んだ面を、無遠慮に横取りしてしまって、
「まあ、あなたは、わたしのあなたではありませんか、どうしてこんなところに……まさかこの声と、この熱い手とをお忘れにはなりますまい、染井の屋敷のことは夢ではありませんでしたねえ」
 その、自分では熱いという、見た目には白いお銀様の手が、するすると相手方の首を抱いてしまい、米友の見る前で、熱鉄のように熱い唇が、溶けるように物を言いました。
「ああ、友さん、お前はいい人をわたしのために見つけておくれだったねえ、このお礼は何でも望み次第よ」
 お銀様は、その澄みきった人の身体を、火になれ、水になれと、からみついたまま離れません。
 米友でさえが、この吐く息、吸う息を、巨蛇《おろち》の息ではないかと疑ったほどで、相手を丸呑みにしてしまう執着を、さしもの米友が目の前で見ながら、手をつける術《すべ》も、文句をいう隙もないのです。
「ああ、わたしはこの旅のうちに、きっと、あなたに逢えるように思われてなりませんでしたが、果して……それでも今晩このところで、こうして逢えるとは誰が思いましょう、わたしは今晩に限って、こんなに彷徨《さまよ》い出たというわけではありません、今晩わたしは一つの死んだ人の骸骨を探しに出かけたのが幸いになって、生きたあなたを見出しました、もう放しません、放すことではありません」
「ああ、お銀どの、ここは美濃の関ヶ原ではないか、ここでそなたに逢えようとは誰も思わない。無事でしたか」
「あなたこそ、よく御無事でいて下さいました、ほんとうに御無事で、ちっとも変りません、相変らず、何というこの肌の冷たいこと。それで、まだ持って生れた悪い道楽がやめられませんのねえ」
 ほんとうに熱い――女の執念が、道成寺の釣鐘をどろどろに溶かしてしまって、七日の間、人が寄りつけなかったというような伝説を、米友もほのかに聞いている。
 冷静で、権があって、人を人とも思わぬお銀様という人が、一団の火のかたまりのようになって、この人にぶッつかり、吸いつき、しがみつき、燃えつく執着を、米友がはじめて見ました。同時に言い知らぬ危険を感じはじめたのは、全く自分の眼の前で、この女の人が、この男を湯のように、鉛のように、溶かしてしまいはしないかとの怖れでした。
 その時にお銀様は、米友の方へ顔だけを振向けて、
「友さん、お前もし、そこでわたしのすることが見ていられないなら、見ていられないでいいから、ここを離れて頂戴――少しの間でもいいから、どこへか行ってしまって下さい。わたしはこの人に向って言わなければならないことがたくさんあるのです。ですから友さん――お前、見ていられないに違いないから、おとなしく外《はず》して項戴――ああ、そうそう、いいことがあります、あれあの通り尺八の音が聞えています、お前さんはこれからあの笛の音をたよりに不破の関の跡まで行って、そこで、わたしたち二人の帰るのを待っていて下さい、そんなに長いことじゃありません――わたしたち二人が、ここで何をするか、何を話すかはお前さんが聞いていても、見ていてもつまりません」
「ふーん」
「お帰り、いいから帰って頂戴。こういう時は、おとなしく席を外すのが人情というもの、礼儀というものなのよ――関所へ先廻りをして、少しの間、待っていて頂戴、直ぐ後から行きます」
「ふーん」
「お帰りなさい。帰らなければいいよ、わたしはお前の見ている前で、わたしのしたいことをしたり、言いたいことを言ったりするから」
「ふーん」
「友さん、お前は、お角の言うことなら何でも頭を下げて聞くくせに、どうしてわたしの言うことを聞かないの。ようござんす、それほどわたしをばかにするなら、わたしにも考えがあるから」
「そりゃ、行けと言えば行きまさあ、だが……」
「行けと言ってるんだからおいでなさい、先へ帰っていて下さい、お前がいては、この人と肝腎《かんじん》の話をすることができない、この人と思いきり話をすることができないから、後生《ごしょう》だから……」
「帰る、帰る、そうまで言うんなら、おいらは先へ帰ってやらあ」
「帰って頂戴――でも、よそへ行っちまってはいやですよ、つい、わたしたちも後から行くから、いま言った不破の関の関所の跡、あの笛の音のするところが、たしかにそうよ、あそこで待っていて頂戴」
「うむ――」
 宇治山田の米友は、後ずさりにすさって黒血川の汀《みぎわ》へ来て見ると、自分の手から飛び離れて、一度宙天へ飛んだ英雄のされこうべなるものは、無事にまた、洗われたいささ小川の中に落ちて、流れの真中の浅瀬にかぶりついたまま、パッカリとうつろになった大きな眼窩《がんか》が生けるもののように、男女相擁しているあなたの岸を見つめていました。
 一旦、それにギョッとした米友は、
「ちぇッ、何が何だかわからねえが、天下無類の我儘娘《わがままむすめ》の仕事だ、見ちゃいられねえや」
と捨ぜりふで驀然《ばくぜん》として、道なき道を「関山月」の曲の音をたよりに走り出しました。

         五十三

 命令されたのか、懇願されたのか、哀求されたのか、追払いを食ったのか知らないが、とにかく宇治山田の米友は、ひとり短笛の音をたよりに、程遠からぬ不破の古関のあとへやって来ました。
 なるほど、短笛の音はここより起ったに相違ない。あわただしく米友が駈けつけると共に、その音はやみました。
「誰じゃい」
「こんばんは――」
「何しにおいでだね」
「少しの間、ここで待たせておくんなさい」
「ゆっくりお休みなさるがよい」
 関守のあるじは、笛の清興を妨げられたことを咎《とが》めないで、快く米友の縁に待つことを会釈《えしゃく》しました。
 思うに、月明の夜、こんなところへわざわざ訪れて来るほどのものは、たとえ、その者に多分の不作法の咎むべきものがありといえ、詮《せん》ずるところは風流を解するところの人でなければならぬ、自他の風流を相許すこそ風流人の礼儀なれ。
 そこで、尺八をやめた庵《いおり》の主は、米友を談敵《はなしがたき》としてもてなしはじめたものです。
 ところが、押しても、突いても、この男からは風流の音が出ないことを一時は意外なりとしましたが、また改めて、そこがまた一風流なることをも許したもののようです。
 味もそっけもないこの風流漢は、羅漢を噛《か》み潰《つぶ》したような面《かお》をして、縁に腰をかけたままで、お愛想一つ言わないから、関守の主も強《し》いてそれに取合わないで、またおもむろに歌口をしめして、前の一曲を吹きすさませたものですから、自然、縁に羅漢を噛みつぶしている米友の形が、神妙に「関山月」を聞き惚れるところの童子の形となりました。
 関守の主は、吹いて吹いて吹き続けているうちに、ぱったりと月が落ちて、天地が暗くなりました。
 暗くなると共に、秋の夜風が特にざわめいて――
「どうです、月が落ちました、焚火でもおはじめなすっちゃあ」
 また、尺八をやめて、縄のれんの中から関守が一抱えの薪をかかえて庭へ下りました。
「そこらから、杉の落葉を少し掻《か》き集めて来て下さらんか――この辺のところへひとつ、焚火をいたしましょう」
 方形、輪形、柱形、自然石の幾つもある庭の真中の椎《しい》の大木の下へ、薪を置いて、関守がカチカチと火をきりはじめたものです。
 米友もそれに手伝って、あたりから落葉と木片とを掻き集めました。
「どちらからおいでなすった」
「江戸を出て、中仙道を通って、尾張名古屋の方からおともをして来たんだ」
「おやおや、それはそれは、長路の旅で……してお連れの衆は……」
「連れの衆といっても、途中で変った相手なんだが、今夜はここを合図にして待合わせることにしたんだよ」
「左様でござったか」
 これは単に土着の番人ではない、前身には何か曰《いわ》くのありそうな関守です。しかし、前身は何であろうとも、今は万事物穏かな初老人。
 火が明々と燃えさかっている。二人が向き合ってそれにあたり出した時に、闇路の外で人の声がありました、
「おやおや、もう一息というところで月が落ちました、それでもここが不破の関屋のあとに相違ありません」
と言って、男の手を曳《ひ》いて、開けっ放した木戸口を、爪先さぐりにそろそろとこの場へ入って来たのはお銀様でありました。
 関守と、米友とは、その焚火の光をできるだけ放流せしめて、そうして新たに来合わせた人の道しるべに供しようとする。
「お危のうございますよ、石塔が倒れていたり、木の根が張っていたり致しますから、御用心あそばせ」
 初老人なる関守は、やはり万事につけて親切です。
「ごめんあそばせ、深更にお騒がせ致して相すみませぬ」
「いや、風流には、夜の早いと遅いとはござらぬでな、やつがれも、今晩は夜もすがら竹を吹いて吹き明かそうと企てておりました」
「このお縁を拝借させていただいてもよろしうございますか」
「よろしい段か――但し、ごらんの通りの侘住居《わびずまい》、差上げたくも敷物に致すものさえござらぬ始末でな」
「いいえ、その御心配には及びませぬ。まあ、これが古《いにし》えの不破の関のあとなのでございますか」
「ごらんの通り荒れ果てております。荒れてなかなかやさしきは不破の関屋の板廂《いたびさし》、と申す本文には合い過ぎておりますが……」
 焚火に照らされた中空の老樹大木が、枝を張って、天空に竜蛇の格天井《ごうてんじょう》が出来ているように見えます。
 風がまた強く鳴り出して、壁にかけ捨てにしてあった笠をハタハタと鳴らす。
「あなた様でございますか、さいぜん、尺八をお吹きになりましたのは」
「はい」
「たいそう御風流でございます、このところに永らくお住まいでございますか」
「いいえ、やつがれは本来、ここの関守を頼まれたわけでもなんでもございませぬ、諸国修行の傍ら、これへ立寄りますると、いかに荒れたるが名物の不破の関屋の跡とは申せ、あまり荒れ果てたのみか、この家に『売家』の札さえ張られていたものでござる故に、いささかの金子《きんす》をもって買い取り、仮りの住居といたしましたものでござるが、なに、特別の執着があるわけでもござりませぬ、興去らば明日にもこの地を引払って、また旅に出でようかとも思案を致しておりまする」
 執着と凝滞のないらしい関守の返事。

         五十四

 それからここに落合った四人の漂浪の客の間に、焚火をさしはさんで、旅の話の興が湧き上りました。誰と誰が何を言うたと、いちいち記号をつけないでも、おのずから、しかく言うべき人の、しかく言うなる言語と感情の特異性はありましょう。なかには、のほほんで全く沈黙に終っている人もあるし、一人がほとんど、議長ででもあるかのように、会話の音頭を取らずにはおられぬ人もありましょう。
「おたがいに行方《ゆくえ》定めぬ旅の空、旅路の中に旅を重ねて行くような人が集まったものです。さて、おのおのの落着くところはいずれのところでありましょうか」
 一人が言うと一人が応じて、
「人間の世間に落着くところなんぞはないはずでした」
「それはありませんさ、人生は永久不断の旅のようなものですからね。でも、旅する人にも、一夜一夜の宿りというものはあります」
「一夜泊りの浮寝鳥なんていう、はかないものでなく、土から生えて抜けない人生の安息所が欲しいとはお思いになりませんか」
「土に生れて土に帰る、やっぱり故郷というものが、最後の安息所かも知れません」
「いいえ、人間は生れた母の腹へ帰れないように、故郷なんぞへ帰って落着けるものではないと思います」
「では、死というものですかな、死が万事の終りであり、一切の安定というところですかな」
「死ななくてもいいのです、死というものは生命の終りだか、更生の初めだか、そんなことは弁信さんあたりの言うことで、わたしたちの知ったことじゃないと思います、静かに思いのままに生きて行ける道が、人間の世になけりゃならないはずです」
「加賀の白山、飛騨の白水谷のあたりに畜生谷というところがあって、そこにはこの世の道徳もなく、圧制もなく、服従もなく、人間が何をして生きて行っても、制裁ということの無いところだそうだ」
「わたしは、そういうところへ落ち込もうとは思いません、また、人を導いてそんなところへ落してしまおうとも思いません、わたしは自分の力で、自分の本当の世界をこの世の中に作りたいと思っております、人間の手でそれが出来ないはずはないと思っています」
「ははあ、人間の手で、人間特有の理想の浄土といったような世界が出来て、人間自身がそこに安住なし得る時があると思召《おぼしめ》しますか」
 それは関守の疑問のようです。それを受けて、当然お銀様の声でこういう議論が聞えました、
「わたしは、この世で、人間が人間を相犯《あいおか》さないという世界を作りたい、相犯さないということは、いわゆる悪いことをしないということじゃありません、何をしようとも自分の限界が犯されない限り、他の自由を妨げてはならない――という領土を作ってしまいたいと思います」
「それは容易ならぬことです。第一、その領土をどこから手に入れますか、領土を手に入れた上に、そのもろもろの設備といったようなものの莫大な資金をどうしますか」
「もし、それが金銀の力で出来るならば、わたしにはその力があると申し上げずにはおられません。当然、わたしたちに分けてもらえるところの先祖からの財産があるはずでございます、わたくしは時とところとをさえ改れば、その資本で、その目的を実地にやってみよう、やれないはずはないと思わないことはありません」
 これもお銀様の言葉でした。

         五十五

 金力がすべてを解決する――というような論理は、知らず識《し》らずお銀様も父の子でありました。
「自分たちの領土といっても、それを支配するの、管理するのという面倒なんぞは、わたくしにはやれません、ですから、それは、やっぱり人を雇ってさせます。お金を出しさえすれば、人は喜んで、わたしたちのために働いてくれます。そうして置いて、わたしたちは、その領土へすっかり牆《かき》をこしらえてしまって、自分の思う通りの人を集め、思う存分のことをしてみます。故郷なんぞに安息の地があろうはずはなし、また、古来伝説の国をたずねて、あこがれるほど無邪気でもございません。こうして旅をしているうちにも、ここと気に入った土地が見つかったら、故郷にあるわたしの分の財産をすっかり投げ出して、その土地を求めて、そういった領土をこしらえることに致そうと思わないではありません」
 そこでお銀様の言葉が熱を帯びて、全く真剣になってくるところを見ると、お銀様は日頃そういう具体的の抱懐を持っていたに相違ない、それが今晩は時と人とを得たものか、自分ながら抑えきれないほどに昂奮して、その抱懐をぶちまけてしまったらしい。その言うところを聞いていると、そこでは、人々が相愛することは自由であると同時に、人の愛を犯してはならない、愛することが自由ならば、その自由を異動させることも自由でなければならぬ、物の相愛を犯してはならないように、その愛の異動をも妨げてはならない、愛は報酬関係であってはならない、また権力関係であってもならない、愛の異動を水の流れのように承認する以上は、嫉妬というものが微塵《みじん》も介在してはならない。
 たとえば、自分の眼前で他の相手を愛しても、戯れても、それを妨げてはならない、それを嫉《ねた》んではならない、まして復讐の手段を講ずるなんて、そんな不条理のことをしてはならない――お銀様はこういうような愛情についての自分の論理を根強く主張しましたが、
「わたしは今、愛情のことばかり言いましたけれども、わたしたちが住もうという世界は、愛情の自由を与えることばかりではありません……有形にも、無形にも、人間のすることに人間が決して干渉してはならないのですよ、圧迫してはならないのですよ。そこには、服従の卑屈があってはならないように、勝利の快感もあってはならないのです」
 不思議とも、矛盾ともたとえようのないのは、故郷にあっては無比の暴君として、親をももてあまさせているお銀様が、ここで自分の描く世界には、全く圧制というものの無い世界を説いています。
 無制限に許してしまえば、罪というものはないものですよ。同時に無制限に禁じてしまえば、そこにはまた罪は起りません。許す者には許し、禁ずる者には禁ずるから、そこに不平が起り、反抗が起ります。不平と反抗の起るところに、暴圧の力が来るのは影と形と離れないようなものです。世間の人は、わたしを暴女王だと言います。それならそれでいいから、わたしに絶対の暴圧を許してみて下さい、わたしは決して暴君ではあり得ないのです。そうでなければ、絶対の力でわたしを威圧して下さい、わたしたちの暴虐なんぞは物の数にも入らないはずでございます。
 わたしは、物を惜しみはしませんよ、もし与えていい人が見つかったら、なんでもかんでもみんな、洗いざらいその人にやってしまいますよ、ここからここまでと区分して、おれの物だ、かれの物だなんて、ほんとうにばかばかしいことの骨頂です。所有慾というものは、悪魔の拵《こしら》えた人間への落し穴の、いちばん巧妙で、そうしていちばん危ないものなのです。
 ごらんなさい、総ての人間界の浅ましい葛藤《かっとう》のすべては、みんなこの所有という悪魔の巧妙な眩惑のわなにひっかかったその結果じゃありませんか。所有によって人間はみな魔薬をかけられて、それを多く所有しているものが最も富める者で、最も幸福なりという観念ほど、人間を迷わす大きなものはありません。それに迷わされて、持たなくても済む重荷にうんうんと押しつぶされている、人間の浅ましさほど笑止なものはありません。
 所有が決して、富をも幸福をも齎《もたら》さないのみならず、かえってその反対と裏切りとをつとめていることは、物事をじっとほんの少しばかり眼を留めて見つめていれば直ぐに分ることなのに、ですから、わたしの領土では、決して一事一物をも所有ということを許しません、形の上でそれを許さないのみならず、所有を思うことをさえ許さないのです。
 それはそうなければなりますまい、あらゆる眠り薬と、迷いから眼が醒《さ》めて、最後の結局に、自分の持てるものとてはこの身一つのほかに何もないと覚って来た、その背後には、はやこの身一つでさえ、自分のものではないという消滅の神様が、穴を掘って待っているのです。
 ああ早くその無所有の領土が欲しい、それを作りましょうよ、わたしはその土地を購《あがな》い求める力がございます――皆さん、わたしに力をかして下さい、おたがいにその世界に住もうではありませんか――とお銀様は、一座の前でこれを絶叫したけれども、無所有の世界を所有せんとするこの撞着《どうちゃく》した熱望について、自身はなんらの矛盾を自覚するほどに昂奮からさめてはいないようです。
 そこへ、また颯《さっ》と強い夜風が吹いて来て、焚火を薙《な》ぎ倒そうとしましたので、米友が立ち上りました。

         五十六

 まもなく、不破の関のあとを立ち出でたお銀様は、米友と相前後して帰り道についたが、二人だけで同行者はおりません。
 多分――あの板廂《いたびさし》の――心きいた関守に、大切の人を預けて安心がいけると信じたればこそ、お銀様はなおさめやらぬ昂奮のうちから、関ヶ原の本宿へ帰る夜道を、米友を捉えて、問答を試みました――
「友さん、お前、これから、わたしたちと一緒に旅をする人にならない?」
「ううん」
と米友が、重い含み声で頭を左右に振り、
「おいらは道庵先生に頼まれた人なんだ」
「あの先生のことは、お角さんに任せて置きなさい、そうして友さんは、わたしたちと一緒になるといい」
「そうはいかねえよ」
「いきます、話合いでどうにでもなりますよ」
 お銀様には何か期するところがあるらしく、
「ねえ、友さん、これからわたしたちの旅の行先というのは、どこへどう行くのかわからないのですよ。わからないだけに面白いじゃありませんか。道庵先生なんていう人は、ああしてふざけきって歩きさえすればいい人なんです。お角さんていう人も、ああして抜け目なく商売をあさって行けばそれでいい人なんです。道庵先生はお角に任せておしまいなさい、あの親方なら悪いようにはしないでしょう――道庵さんの方でも、友さんなんぞについていられるよりも、女軽業の親方をダシに使って歩いていた方がお歯に合っていいでしょう、ね、友さん、そっちは、わたしがいいように話をして上げるから、これからわたしと三人だけの旅をしましょうよ」
「いったん約束したものを、そう自分勝手のことはできねえ」
 それでも無事に宿まで帰りつきました。
 米友の眼から見れば、この手のつけようのないやんちゃなお銀様、今夜夜遊びをして、したい三昧《ざんまい》のことをし、言いたい三昧のことを言っている、知らず識《し》らずそれのお守役をさせられて来た米友に、何だ、ばかにしてやがら――という啖呵《たんか》を切るの思案さえ与えません。
 しかし、今晩は特に警戒を要するのだという、米友の責任感だけは強まりました。
 いよいよ図に乗って、あの二人は、ああしてこれから手に手をとって、どこという当てもなく旅に出かけるつもりらしい。考えなしの至りだが、あの我儘《わがまま》なお嬢様なるものの仕事だから、何をやり出すか知れたものではない。自分たちが実行するだけでなく、この米友をも捲添えにしようとそそのかしをかけるんだから恐れ入る。
 まあ、それ、親方のお角さんでさえもてあます別仕立ての難物のことだが、まんざら馬鹿や気ちがいでもないのだから、そこには程度というものがあるだろう。明日になって親方に引渡してしまえば、それで自分の責任は済むというものだが、大事なのはその明日の朝までだ。今晩のうちに飛び出されてしまった日には、自分の責任がフイになると同時に、お角さんのお目玉のほどが思いやられる、それよりは、頼まれた自分としての面目が立たないということになるのだ。
 今晩一晩は寝ずに、お銀様の行動を監視していなければならないと考え、そうしてその実行上、お銀様の寝間をそれとなく注意する一方、外へ出て塀の外門の締りなどを厳密に気をつけて廻って歩きながら、米友の頭の中にも、この前後から動揺して穏かならぬものが捲き起っているのです。
 古関からの帰り途、お銀様から言われたこと、道庵先生は親方のお角さんに任せて置いた方がいい、これから先は、わたしたちと一緒に旅をしないかと、そう言われたことは、言った方も一時のお座なりであり、聞いていた自分はむろんうけつけもなにもしなかったが、本来、自分はあの尺八を聞いている前後から、旅をしてみたくてたまらない心持に襲われていたのだ。
 旅をしてみたいというけれども、現在、自分は旅をしているじゃないか、と言われればそれまでだが、どうも自分の今の旅は、これは本当の旅ではないというような感じが、米友の頭の中に捲き起されているのです。
 旅というものは、もっと自由のものでなければならない。自由といわなければ、もっと無目的のものでなければならないのに、自分のはあんまり窮屈すぎ、目的が有り過ぎる。
 さきほど尺八を聞いていた時の、あんな流れるような旅をしてみたらどうなるんだ。
 現に、今晩の無分別者どもは、どこへどう落ちて行くのか知らないが、その心持の呑気さ加減が、ばかばかしいほど現実というものを無視している。
 道庵先生の世話が焼ききれず、お角親方には頭が上らない旅をして暮すよりも、こんな連中と行当りばったりの旅をして歩いた方が気楽じゃねえかしら――
 おいらだって、お君という奴が達者でいれば、二人で旅から旅を渡って、歌を唄って歩いていた方がなんぼう気楽だかと考えている。
 旅は旅だが、今のおいらの旅は人のおともをしている旅だ。
 気儘《きまま》の旅がしてみてえとは思わねえか。
 米友はそぞろにこんなことまで考えてはいるが、それは単に何かのはずみで空想に耽《ふけ》らせられたまでのことで、やはり米友の本質として、それを実行に移して、二人を幇助《ほうじょ》して、夜逃げ、高飛びにうつろうなんぞとは及びもつかぬことです。
 それはそれとして、厳重な警戒心をもって今晩のところ、責任を果さねばならぬという責任感は、いよいよ強くなりつついったん部屋に帰った米友は、またも二度目の夜まわりをはじめました。

         五十七

 米友は、米友としての深夜の警戒から、この宿の周囲をうろつき、大きな柿の木の下に立つと、この前に言ったような、何とも自分ではつかまえどころのない一種の空想にかられて、そこにじっと留って考え込んでいました。
 その時、不意に自分の立っている左手の方の一方がパッと明るくなって、柿の木に反射するのを感じました。
 そこで振向いて見ると、一見してそこが本宅についた湯殿であることを知り、湯殿の中に燈火《あかり》がついて、誰か人あってそこへ入浴に来たものだと感づきました。
「なるほど」
 そう、うなずいたけれども、用意周到な米友は、人を驚かさんことを怖れたものです。
 それは、この深夜、自分がここに立っていることなんぞ気取られようものなら、確かに入浴の人を驚かすことは勿論《もちろん》、そういう自分も、一時なりとも疑いを蒙《こうむ》るの立場に置かれることを心配しないわけにはゆきません。
 今までに米友は、誤解から来る釈明のかなり面倒なことを、知りぬいている。
 万事は咎《とが》めず咎められないで済めば済ましてしまった方がよい。
 そこで、動きもせず、言葉もかけず、暫くそのままの姿勢を続けていて、そうして或る機会を待って、痕跡を残さずに退却してしまおうと考えたものです。
 だが、入浴の主の方は、無論、米友が左様な細心な思慮をもって、つい軒下に立っているということを知りません。
 いったい、深夜、こんなところに立往生をしなければならないのやむを得ぬに立到った米友の方も幾分の不心得が無いとはいえないが、この深夜、浴室へ立入って来た客人の方も度外《どはず》れでないということはありません。
 しかし、お客はお客として、或いは深夜に到着することもあるし、宿は宿として、不時の客の到着にも風呂を沸して待つというのが商売|冥利《みょうり》の一つでもありますから、それはいずれを咎《とが》めだてするというわけにはゆかないのであります。
 しかし、風呂場の引戸があいていたものですから、それは外より内を見るにはよろしく、内から外を見るには適していなかっただけに、米友としては形勢が有利のような、不利のような立場に置かれてありました。
 米友としては、見まじとしても、風呂場の中を見ないではおられぬ立場に置かれ、風呂場の中の人としては、見ようとしても、米友の何者であるかは見られないような立場に置かれてありました。その途端、
「あっ!」
 米友の胆を冷やしたというよりは、叫ぼうとして、その舌を引きしめ、眼を円くさせたのは、引戸の隙間からありありと見える中なる人の姿、それはほんとうに美しい女の肉体の一塊であったからであります。
 といっても、米友が、女の裸体美の曲線の一つや二つに驚いてうつつを抜かすような男でないことは、知っている限りの誰もが保証することでありましょう。
 すなわち、この男は十四世紀の高師直《こうのもろなお》であったり、明治末の出歯亀氏というような、女性に対しての一種の変態性慾を持っている男ではありません。
 女の肉体美に面《かお》まけがして、体がすくむというような男でないことは勿論だが、それが、「あっ!」と言って、一時、のけぞり返るほどに眼をすましたのは、それは申すまでもなく女の肉体そのものが、自分の幼な馴染《なじみ》であるところの間《あい》の山《やま》の女性の、それの面影が電光の如く、幻影の如く眼をかすめたからです。爾来《じらい》、この男が女性と見れば、その一人をしか幻出することのできないらしい性癖は、名古屋に来てから暫く影をひそめたものですけれども、決して絶滅したわけではないのです。
 それが今、眼前に現われました。つまり、軽井沢の勇者としての飯盛女の待遇もそれに過ぎなかったように、ここでもまた思いがけなく女性の肉体を見せられると、「あっ」と心頭に上り来ったのは、間の山以来のその複雑した哀傷の名残《なご》りでした。
 そこで彼は身ぶるいしながら、篤《とく》とその肉体を見直さないわけにはゆきません。といっても再応断わっておかなければならぬことは、この身ぶるいが、前世紀の足利将軍家の執事氏の為《な》した身ぶるいと全然性質を異にする身ぶるいであることの証明としては、肉体そのものだけを見れば、間の山の彼女を聯想することはあえて米友ひとりの幻想のみではなく、それを知っているものの公平に、ああよく似ているなと、偲《しの》ばざるを得ざらしめるほどのものなのです。
 そこで米友は、誰はばからず身ぶるいをしながら、いやというほどその肉体美をながめ尽しておりました。
 ここに将軍の執権師直氏よりも、東京市外大久保の植木屋池田氏よりも、なおいっそう強烈なる注意人物を自分の背後に持っているということを知らない湯殿の中なる肉体氏は、悠々閑々としてその美しい肌にとどまる汗を拭っていました。幸い、どちらにも都合のよいことには、なかなる肉体氏は米友に対しては、あちら向きになってわれと我が肌をさすっているし、米友氏はそのうしろ姿のみを眼に据えて眺めているのですから、おたがいに見せたり見られたりする目的としては完全に達せられているのですが、それによってもおたがいの羞恥心《しゅうちしん》というようなものには、全く相触れず、相知れざる形になっていることであります。
 ああ、よく肖《に》ている!
 米友は詠歎的にまでといきをつきました。
 処女、或いは処女に遠からぬ女性というものの肉体は、誰が見てもそんなに違うものではないでしょう。それにしても、米友の眼からすると似過ぎている。こういう場合には、この男は、実体と幻想とを混同したがる癖がある。時とすると、死者と生人とをさえ混同したがる癖があるくらいだから。
 間の山から紀州へ向っての山中で、盗賊の濡衣《ぬれぎぬ》を乾かすためにあの女の裸体姿を見て、自分は何とも思わないのに、相手の女をして面《かお》を赤くさせたこともある。このまま行ったならば、この男は、ついにその実体と幻影と――死人と生人との境界線を突破して、湯殿の中に面を突込み、「玉ちゃん――お前ここにいたのかい」と叫ぶかも知れない。
 かかる敵あって自分を覘《うかが》うとは一切御存じのない湯殿の中の美しい肉体は、もはやその危険が身に迫ったことをも一切お感じがなかったが、天成不思議な力で、自他共にこの幻想から救わるるの時機が到着しました。
 何の気もなしに美しい肉体のうしろ姿は、この時クルリと向き直りました。向き直ったというのは、一切の環境が変ったということで、それがために、以前右にあったものは左となり、左にあったものは右となり、前にあったものが忽然として後ろに廻るという革命なのであります。
「あっ!」と米友は、今度こそは正銘に叫ばなければなりません。今までのは、驚異と詠歎とを隠して慎しむだけの含蓄があったのですけれども、今は、到底それが追っつかなかったのですから、是非もなく、
「あっ!」
と米友流の叫びを立てて舌を捲いて、地団駄を踏んでしまいました。
 後向きになっていた美しい肉体、その肉体から来るあらゆる米友としての幻想や、詩想が、僅かに向きを変えたその瞬間に、刎《は》ね飛ばされたと言おうか、蹴散らされたと言おうか、蹂躙《じゅうりん》とも、潰滅《かいめつ》とも、何とも言おうようなき大破壊に逢着してしまったというのは、後ろの美しさに引きかえて、何というこれは醜悪、醜悪というよりも恐怖、恐怖というよりも威嚇、威嚇というよりは侮蔑と言おうか、冒涜《ぼうとく》と言おうか、その美しかった肉体の主のその面貌!
 米友も、不動様の面影以来、はじめて怖ろしいと思う面を見ました。それがために「あっ!」と言って、叫びを洩してしまい、地団駄を踏んで躍り上ったのですが、同時に、中の主はクルリとまた美しい背を米友の方へ向けてしまい、
「だあれ!」
 その声は、怒れる如く、さげすむ如く、呪うが如く、狼狽《うろた》えたる如くして、実は悠然たるものがあり、米友をして三斗の冷汗の、身のうちに身を没するの思いをさせるだけの価値がありました。
 だが、もうこうなっては、のがれるわけにはゆきません。先方の咎《とが》めが、許すまじき威圧を以て抑えているという意味のみではなく、実は米友の良心として、もはやこのままごまかしてはいられなくなりました。
「どうも済まねえ」
 咽喉が引きつるような気持で、まずこう言って米友が詫《わ》びました。
「誰に済まないの?」
「なあに、つい、その、夜廻りをしていたもんですから」
 米友としては、しどろもどろの弁解でありました。ところが、内の人は存外、落着いたもので、
「お前、友さんじゃないの?」
「うむ」
 米友が唸《うな》りました。その瞬間に気のついたのは、この女人が別人ならぬお銀様であることを知ったからです。
 湯屋のぞきの最初から米友は、その人とはちっとも気づいていませんでした。後ろ姿の美しい肉体を見て、そう気がつかなかったのみならず、クルリと正面を切った時に、その名状し難い面影をまともに見せられて、絶大の悪感と恐怖とを感ぜしめられても、なおその人とは覚ることはできませんでした。これはあたりまえのことです。誰でも今晩まで、この暴女王の正体を正のままでこう拝ませられた経験のあるものは、おそらく近親のうちにもないだろうと思います。米友の見ていたお銀様は、覆面を放すことなく、その覆面をさえ常に横に向けているお銀様でありました。
 しかるに、今晩、この際、この暴君と荒神とを兼ねた女王の、生ける正体を拝むことのできた偶然――
 米友は、ただただ戦慄しているのみでしたけれど、中なる主は、存外という以上に冷静なもので、そのくせ、ちっともこっちへは再度の正体を向けないで、
「友さんなら、かまいません、こっちへお入りなさい、そうして、わたしのために背中を流して頂戴な!」
「あっ!」
 米友が、またも飛び上って地団駄を踏みました。
「わたしの背中を流して頂戴」
 この女王がこう言い出した以上は、その権力の及ぶ限りは誰でもその命令を拒《こば》み得るものはありません。
 不幸なる宇治山田の米友――或いは光栄ある宇治山田の米友――ここで、この暴女王と共に洗浴の施行を相つとめるか、そうでなければ、甘んじて三助の役目を任命せしめらるる運命をのがるるわけにはゆきますまい。

         五十八

 米友は、ここで、退引《のっぴき》ならずお銀様のために三助の役をつとめることになりました。
 退引ならずとは言いながら、米友としては心柄《こころがら》にあるまじき仕事と見なければなりますまい。
 職業とすれば、なにも必ずしも三助を貴み賤《いや》しむべきいわれはないようなものだが、職業でもありもしないくせに、人のために先方から三助をやることを命ぜられ、当方が甘んじてそれをやるとしたならば、友人か故旧かでない限り、それは甘んじて奴隷の役廻りを勤めさせられるようなものではないか。まして相手は女です。
「友さんならかまわないから、こっちへ来てわたしの背中をお流し!」とは、何のよしがあって言うのだ。畏《おそ》るべき親方のお角さんでさえも、こういうことは言わなかったはずです。
「ばかにしてやがらあ」
 これが、今晩はどうしたものか、おめおめと米友ほどのものが異議なく、こうしてお銀様の背中を流しはじめているのです。
 米友に三助の役をつとめさせつつ、悠然として背を向けている暴女王の横柄さよ。
「友さん、お前は力があるから、お前に流してもらうといい気持よ」
「うーん」
 米友が唸りました。
 もう夜更けというよりか、夜明けに間近い時間になっているのに、お銀様は悠然として米友に背中を洗わせて、友さん、もういいからいいかげんにして頂戴よ、とは決して言わない。米友がゴローの垢《あか》すりで生一本に、それでも女の肌だと思うから多少の加減をしてキュキュとこする肌ざわりにでも、思い設けぬ快感を感じ出したものか、いつまでもその肌をこするに任せて、いつまで経っても、もういいよとは言いそうもない。
 ところがまた一方、おめおめと三助の役目に服従していた米友は、いやだとも言わない、いやな面《かお》もしないで、この柔らかなお銀様の肌を、加減しいしい、生一本の力でこすりたてながら飽きたとも言わない。
「ねえ、友さん、お前、さっきのことをどう考えました」
「さっきのことって何だえ」
「おや、この人はもう忘れてしまったのかい。ほら、道庵先生のおともの方を断わって、わたしたちと一緒にこれからの旅をすることさ」
「うーむ」
「どっちへか心が決まりましたか」
「うーむ」
「唸《うな》ってばかりいないで、どっちとかお決めなさい。どっちとか決めるというよりは、あっちを断わって、わたしたちの方へ来ておしまいよ。話はわたしがきれいにつけて上げます、どちらへもお前さんの面が立つようにしてあげるから」
「うーむ」
「それともお前さんは、わたしたちと一緒の旅はいやなの、道庵先生が好きなんだね?」
「好きというわけじゃねえ、あの先生にゃ義理があるからね」
「義理なんぞは、わたしの方で何とでも話合いをしてあげます」
「話合いさえつきゃな」
 米友が、うっかりここまで口を辷《すべ》らしてしまいました。
 米友がこう口を辷らしてしまった以上、こちらへ八分の気があると見なければならぬ。本来米友としては、そんな相談に乗るべくもないはずなのに、今は道庵先生の許《もと》を辞して、さてこの暴女王と、かの怪しむべき男との一行に加わろうとする下地が、かなり出来ていると見なければならぬ。
「わたしにお任せなさい」
「うん」
 米友が、うんと言ってしまったのは、かりそめにも取返しがつかないようです。このうん[#「うん」に傍点]は同意の意味のうんだか、いつものように単に感情だけを表明する唸り声に過ぎないのだか、よく分明しないけれども、少なくとも、分明しない意味の返答を与えたことだけは、米友の重大なる弱味でなければなりません。
「では、そうしましょう、嬉しい」
とお銀様が言いました。
「ううーん」
 次に米友が、また唸りました。嬉しいと言ったお銀様の言葉は、勝利の快感を多少こめて言ったのか、冷かし気持で言ったのか、そのこともよく分らないが、米友の唸ったのも、安請合《やすうけあ》いをして、しまった[#「しまった」に傍点]! というつもりで言ったのか、何かまた別に深く腹にこたえるものがあって言ったのか、そのこともよくわからないのです。
 だが、もう少し、解剖して言うと、結局、米友という人は、お銀様という女が嫌いではないのです。つまりどこかに好きなところがあるに相違ない。それと同じことに、お銀様の方にも、自分から進んでこう言って誘惑をかけるだけに、米友を好いているところがあると見なければなりますまい。
 しかし、もう心配するがものはない、好いたとか好かれたとか、少なくとも嫌ではないと言ったところでここではもう明らかに、意識がさめているはずなのに、この後ろ姿のやわらかな肉体を、ゴローの垢すりで加減しいしい生一本にこすっている米友が、再び実想と幻想との混乱世界に導かれて、死んだ者と生ける人との境界線を踏みはずす心持になってしまったのが、はっと我に帰りました。
「もうたくさん、もう有難う」
 お銀様からそう言われて、米友は俄然として醒《さ》めたけれども、この肉体をこのまま引渡すには忍びない気持がする。
「もういいから、米友さん、お休み。そして、明日と限ったことはないが、もう少しここにいて関ヶ原の地理を調べたいから、お前さんも一緒にいて下さい、道庵さんや親方の方への行渡は決して心配ありません」
「うむ」
「さあ、お休み……」

         五十九

 一方、岡崎藩の美少年は、お銀様に支えられ、下人の斬られていた街道へ戻って見ると、もう、宿役の人が寄合って押しかけているところでありました。
 そこで、これらの人たちと共に、改めて斬られている奴を検閲すると、これは長く清洲《きよす》の銀杏《ぎんなん》加藤家に仕えていた下郎に相違ないことが確かめられました。
 今日まで忠実に勤めていたこの下郎が、今日一家が西国へ下ろうという途中で、何故にこんな心変りをやり出したか、ことに金子《きんす》だけならばとにかく、銀杏加藤家の系図そのものを盗み出したということが、疑念を一層濃くしているのであります。
 それは、どうしても行きがけの駄賃として、この系図が手に触れたから引っさらって出たものか、特に日頃から、この系図に目をかけていたのか、それが最も解し兼ぬることでありました。銀杏加藤の奥方は、それを、どうしても後の意味にしか取ることができないでいるのも尤《もっと》もなことだと思われる。つまり、この下郎は、日頃からこの計画の下に、加藤の屋敷へ住み込んでいたのだ、屋敷に在る時は、それの所在がわからなかったが、旅へ持ち出すとなって当りがついたから、それで伊都丸の枕許からこれを持ち出したのだ。
 そういう計画的のことであるからして、系図そのものが目的で、金子《かね》の方は行きがけの駄賃に過ぎない、こういうことを垂井の宿へ一同が引きあげた後、岡崎藩の美少年に向ってひそかに銀杏加藤の奥方が打洩らしつつ、何ともいえない憂鬱――というよりは絶望に近い色を現わすので、美少年も慰むる余地がないほどです。
 それというのは、この系図こそ銀杏加藤の家の第一の誇りであって、この奥方は、この系図があるために、この系図を保護し、保護させるために、弟を引きとって清洲に隠れていたと見るのが本当でしょう。
 以前にも言った通り――この系図こそ加藤肥後守清正以来の最も正しいものであって、今日でも加藤と名乗る家は少ない数ではなし、また現に名古屋に於ても、自分の家より俸禄の高い地位の上な加藤家はいくらもあるが、自分の家より系図の正しい加藤というものはない。
 そうして、朝な夕な名古屋の名城を見るごとに、この城こそ我が家の先祖肥後守清正が、一代の心血を注いで築き上げたもの、世が世でありさえすれば、この城の主は、徳川でなくて加藤でなければならぬ、加藤なれば、わが銀杏加藤以上の加藤は今の世に無い!
 銀杏加藤の奥方は、この点に於ては、名古屋城の内外で藩主をも憚《はばか》らぬ見識か、或いは虚栄かを捨てることができません。この見識か虚栄かのために、名古屋城下に住むことがいやになりました。
 弟を擁して清洲に籠《こも》って、鬱積した心を慰めかねているというのは、頼み切った唯一の弟が、病身であるという事情ばかりではありません。
 徳川の名古屋ではない、加藤の名古屋でなければならない、この気位が、物心覚えてから一日も、銀杏加藤の奥方の頭から離れたことはないのです。
 けれども、城内城下ではそんなことを、奥方が自負しているほどに高価に買うものはなく、かえってそれよりも、この奥方が、名古屋の城内城下を通じて第一等の美人であって、また現在|姥桜《うばざくら》となっていても、未《いま》だ一の座を争うべきほどのものが現われて来ないという評価の方が、幾多の人を仰がしめ、悩ましめていたものです。世間に於て、婦人に要求する評価の最初であって、また最大で、また最後であるかのように見えるものは、いつの世にあっても、美であるかないかということであります。
 女は美でなければならないのです。あらゆる他の欠陥が隠れていたにしたところで、それが美人でありさえすれば世間はそれを許したがることは、古今東西、あまり変りはないと同じく、女の誇りとしても、富であり、門地であり、賢明であることのすべてを束ねても、美人であるという自負には及ばないのであります。
 ところが銀杏加藤の奥方に限って、名古屋城の内外を通じて第一等の美をうたわれる、それを衷心から誇りとはしていないで、自分の家が、加藤肥後守の最も正系に当るということの方が、幾倍も、幾倍もの自負であり、焦心でありました。
 今、その系図を奪われてしまった。銀杏加藤の奥方にとって、生命を奪われるほどの負傷とならなければ幸いです。
 岡崎藩の美少年は、この事情を聞いて全く慰めかねている。慰める唯一の手段としては、草の根を分けても、右の系図の一巻を探し出して、無事に夫人の手に戻してやることでなければならぬ、と覚悟を決めました。
 ところが、その端緒に迷うことの最初は、右の犯人が殺されていることであって、犯人の手にも、懐ろにも、出なくとも我慢のできる金子の方は残ってあって、出なければならない系図の一巻は、消えてなくなっていることでした。
 これは途中で振り落したか、そうでなければ追跡の急なために、あらぬ方へ抛《ほう》り出して逃げたか――その辺だとして、引きつづき手を廻し、なお夜が明けたら、関ヶ原の草の根を一本一本分けても探さにゃならぬことにしてある。
 だが、もし仮りにこの下郎に共犯の者があって、それを持って逃げのびたとすれば一大事である。
 銀杏加藤の奥方の口うらでは、どうも、それもやっぱり後者でありそうな推察がされてならぬ。
 すなわち、名古屋城下の加藤家のうちには、たしかに自分の家に正系の存することを知っているものがある。門地に於て、俸禄に於て、銀杏加藤よりも上席にあるとしても、伝統と系図とを持ち出した日には、頭の上らぬ家柄が無いではない。もし、金と知行等で交換ができるものならば、何とでも内交渉を進めることを辞さない家が、いくらもありそうなことになっている。もし、そういう家柄のうちに、だいそれた心を抱くのがあって、所詮《しょせん》、威圧や買収を以てしては歯が立たないと覚った時、陰険な非常手段を以て、他の家の宝を覘《ねら》わないものが無いとも断言できない。
 系図は必ずしも利息を生まないけれども、武家の時代にあっては、後光を失わないものになっている。
 現に先年、飛ぶ鳥を落す幕府の老中田沼の当主が、佐野の系図とやらに望みをかけて、これがために斬られ、その家の没落を招いた――いかに高い地位におごっていながらも、系図に於ける貧弱の念が、武家の運命を左右するほどの事態を生ませる力はある。
 岡崎藩の美少年は、いずれにしても容易ならぬ事件が出来《しゅったい》したものだなと思い、且つまた自分が附くことになっておりながら、いろいろの複雑した旅行ぶりのために、充分に目が届かなかったことを悔い、その償《つぐな》いの意味に於ても、夫人の心を回復させるだけのことをしてやらなければならないと覚悟しました。

         六十

 その翌朝になると、道庵先生が壁へ馬を乗りかけてしまって、どうにもこうにも抜き差しのならぬ事態に立至ってしまっているのは、心がらとは言いながら、不憫《ふびん》そのものであります。
 つまり、昨夜来、江戸の金持のものずきなお医者さんが来て、この関ヶ原で、研究のために昔の慶長の合戦の模擬戦をして見せる、それは大がかりなもので、街道筋の雲助という雲助は残らず集め、それぞれ相当の学者も、故実家も集まり、合戦当時の地の理を実地戦争の形にして研究するのだ。
 なにしろ、発起人が江戸で有名な金持のお医者さんで、それが道楽半分にすることだから、金銭に糸目をつけない、近頃での大きな催し物になる――
 そうしてこの模擬戦に参加したものは、誰彼を問わず一人頭に百ずつくれる――それ行って見ろ、という評判が関ヶ原の東西南北に漏れなく伝わったものです。
 ですから道庵先生の野上の宿の前は、夜の明けないうちから、仕事に溢《あぶ》れた雲助をはじめとして、近郷近在の見物人が真黒に寄ってたかって騒いでいる有様です。
 まだ夜が明けきらないうちからこの有様では、日中のことが思いやられる。
 そうして口々に、なにしろ江戸で有名なお金持のお医者さんが道楽半分になさることだ、金銭に糸目をおつけなさらねえ――という評判が道庵の耳に入ったので、いささか宿酔のさめかけていた道庵が、青くならざるを得ませんでした。
 一本の匙《さじ》を振えば天下に恐るるものは無い道庵先生ではあるが、この江戸で有名な金持のお医者さん――という一種特別なるデマには、道庵先生が全く恐れをなさずにはおられません。
 下谷の長者町あたりでこそ、有名は有名に相違ないが、誰も道庵先生を金持だと信じているものはないから、いかに大言を払っても、税務調査委員が、真剣には取合わないからいいが、旅へ出てはそうはゆかない。こういうデマのもとに、こういう人気を呼んでみると、この場に於て、信用に答えるだけの自腹を切るか、そうでなければ、こっそり夜逃げをしてしまわなければ乗切れるものではないということを、道庵が感じないわけにはゆきません。
 つまらねえ宣伝をしてしまったものだ、道庵はそれを心から悔いましたけれども、今になっては追いつきません。このまま夜逃げをしようにも、ところは名にし負う関ヶ原の要害ですから、逃げようとしたって逃げらるるものではないのです。
 道庵は全く青くなりました。刻々と詰め寄せて来る溢れ者の雲助と、見物がてら幾らかの日当にありつこうという近郷近在連とが、ひしひしと押しかけて来るのを見ると、もはや絶体絶命だという観念が湧かないでもありません。
 最初、法螺《ほら》を吹く時の考えでは、なあに、こうしてフザケておいて、いざという場合になれば盛蕎麦《もりそば》の一つも振舞って追いかえせば済む――と、このくらいにタカをくくっていたのが、こうなってくると、盛蕎麦の一つや二つでは追っつかない、とにかく相当のことをしなければ、暴動が起る!
 相当のことと言ったところで、仮りにも天下分け目の関ヶ原の模擬戦となれば、少々の費用で済むわけのものではない。道庵先生、多少名古屋に於て信者から草鞋銭《わらじせん》をせしめて来たとはいえ、千両箱を馬につけて来たわけではないし――嚢中《のうちゅう》おおよそお察しのきく程度のものであるのに、それをしもはたいてしまっては、これから先の旅をどうする、おめおめ名古屋くんだりへ引返して泣き言をいうことなんぞは、道庵先生の面目にかけてもできることではないのです。
 そこで、さすがの道庵が全く青くなって、なお刻々に増して来る雲助と見物を眼前に控えながら、為《な》さん術《すべ》を知らないのであります――といって、為さん術を知らないままですまし込んでいるわけにはなおゆかない。
「こりゃあ、実に弱った――どうしていいか、おれにゃわからねえ」
 可憐なる江戸仕込みの大御所は、ここで進退|谷《きわ》まって悲鳴を上げました。慶長五年の時に、もし小早川が裏切りをせず、毛利が、うしろ南宮山からきって下ろしたならば、本物の徳川大御所も、ちょうど目下の道庵先生と同じような窮境に立ったかも知れません。
「どうしていいか、おれにゃわからねえ、友様――ああ頼みきったる米友公――せめてあの男でもいてくれたら、何とか相談相手にはなろうものを……」
 国衰えて忠臣を思うの時です――この窮境に於て、道庵が頼みきったる郎党米友のことを思い出してその名を呼びましたけれども、それは、もう一駅先へ泊っている。

         六十一

 けれども、全く道庵の日頃の心がけがいいために、はからずも東西から援兵が、この危急の場へ送ってよこされました。
 その一方の援兵は、昨晩、関ヶ原へ先着してお銀様を見守ったところの米友が、早朝この野上の道庵大御所の本陣へ馬を乗りつけたことと――一方、東からはまだ到着はしていないのですが、お角さんの一行が垂井を出発したからほどなくこれへ見えることでしょう。
 前路より米友、後陣よりお角さんの一行が到着してみれば、道庵も、この苦境を乗り越すことができないまでも、苦衷を訴えることだけはできる。
 米友が到着したのを見ると、道庵が米友の前へ走り出して、思わず掌《て》を合わせました。
「友様、何とか知恵はねえか、お前の知恵で、何とかこの場を切り抜ける工夫はねえものか、後生《ごしょう》だから頼む」
と言って道庵は、事の始終を米友に向って手短かに物語って、泣きついてみたものです。
 暴力の場合には、米友に向って頼むということを言ったのは、道庵としても一再ではないけれど、知恵分別のために米友に泣きついたのは、これがはじめてでしょう。しかし、先生の頭で知恵分別に余ることを、米友の頭で解決しようとは無理です。結局、
「おいらも、どうしていいかわからねえ」
「弱っちまったよ、ほんとうに今日のことは冗談ごっちゃねえ、あれ外の騒ぎを聞きな、あの通りだよ……」
 耳をすますまでもなく、今や野上の上下から、関ヶ原駅頭を埋めるとも言いつべきほどの人だかりは、全く道庵一人を目にかけて群がり集まったもので、それが口々に、
「何しろ、お江戸、徳川将軍家のお膝元で指折りの有名な金持のお医者さんが、道楽半分になさることだから、金銭に糸目をつけねえ、何しろ江戸で有名なお金持の……」
 江戸で有名はかまわないにしても、金持はよけいなことだ、道庵や、蔵園三四郎にそんなに金があるか無いか、ここへ出て財布を振ってみろと血眼《ちまなこ》になってさわいだところで追っつかない。
「どうにもいけねえ、へたに出りゃ暴動が起って袋叩きだ――じっとしていれば時刻が移る、友様後生だから何とかしてくんな」
 後生だからと言われても、この際、米友には、得意の槍先をもって応援を試むるというわけにもなんにもゆくべきではなかったのだが、物は相談であって、偶然にも米友の窮した頭に閃《ひらめ》いたと見えたのは、
「先生、こうしちゃどうだ、こんな問題は、親方のお角さんに捌《さば》きをつけてもらっちゃどうだね」
「えらい!」
 道庵がけたたましく叫び続けて言いました、
「そいつは、いいところへ気がついた、あの女なら、何とか捌きをつけてくれるかも知れねえ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》だ」
「じゃあ先生、親方はこの一つ向うの宿にいるから、おいらからひとつ、頼みに行って来ようかな」
「頼む――」
 道庵はまた米友を拝みました。
 事はお芝居のようなものである。金持が道楽でやる研究心から起った模擬戦とは言い条、本来、芝居気たっぷりの催しなんだから、これは道庵が必死になって匙《さじ》を振り廻すよりは、餅屋は餅屋、興行師のお角さんならば何とかしてくれるかも知れない、全く友様もいいところへ気がついた、負うた子に浅瀬を教えられるとはこれだ。一も二もなく道庵が米友の提案に同意すると、米友は、そうでなくてもここで一応先生に挨拶して、そうして垂井のお角さんに復命しなければならない道筋なのですから、いざとばかり、また馬に乗って、群がる軍勢の中を垂井へ向けて乗り切ろうとするところへ、運よくお角さんの一行が乗りつけて来ました。

         六十二

 人を分けて、宿の一室で、道庵先生から一伍一什《いちぶしじゅう》を聞かされたお角さんが、いかにこの江戸で名代のお医者さんが、旅へ出ると小胆であり、無気力であるかということに、呆《あき》れてしまいました。
 関ヶ原で東西の大模擬戦をやるなんていうことは、道楽にしたって胸が透かないことじゃない、江戸ッ子のやりそうなことじゃないか、その点はさすがに道庵先生だと賞《ほ》めてやりたいが、あとの締めくくりが全くなっていない。いや、興行師としてのお角さんから見れば、なっていないどころではない、なり過ぎているのだ、江戸ではピーピーの大関のくせに、旅で大金持にされてしまっているのは、ウソにも大当りじゃないか、おれはお金持だと言っても本当にしてくれない世の中なのに、先方から金持にしてしまってくれているのだから大出来です――その求めて許されない宣伝名を、儲《もう》けながら持扱っているこの大御所様の腰の弱いこと。
 どうして、人というものは、集めようとしてもなかなか集まらないものを、集めようとしないで、この人数に押しかけられる道庵先生の人徳は大したものなのさ、その大した徳分を自分が持ちながら、自分で持扱っている、何という知恵のない先生だろう。
 お角さんが、道庵先生の絶体絶命の態《てい》を見て笑止《しょうし》さに堪えられないでいるのは、さすがに商売柄です。道庵先生は、今、人の集まったことに押しつぶされ、空宣伝の利き過ぎたことに窒息しようとしているのだが、お角さんにとってはこれが商売であり、これがなければ生きて行かれない――どころではなく、多分の費用を用い、苦心を凝《こ》らして宣伝しても、人が来ない時は全く来ない、千両役者をかけてみても、来ないとなると首へ縄をつけて引張っても客は来ないものであるのに、こんなに押しかけて来ている客を、怖れて青くなっている道庵先生。
 お角さんは気の毒でたまらない気になって、
「御安心なさいよ先生、匙《さじ》の方にかけては先生が御本職ですけれど、人の頭数を読んで生きて行くのがわたしの商売なんですから、こんなことの捌きは朝飯前の仕事です、万事、わたしが引受けました、先生は暫く大御所の席をおすべり下さい、これからわたしが臨時に女大御所となって、関東軍を引廻してお目にかけますから」
 お角さんに笑いながらこう言われて、道庵先生は一も二もなく大御所の席を辷《すべ》り下り、
「頼む、餅屋は餅屋に限る――その代り腹が痛えとか、癪が起ったという時は、いつでもおいらの方へ言ってよこしな――」
 ここで、こんな負惜みを言う道庵にとっての恐怖は、お角さんには興味でありました。やむなく、道庵のもてあました軍勢を引連れてお角さんが、ここ美濃の国、不破の郡、関ヶ原で采配《さいはい》を振ってみようという段取りにまでなりましたが、本来、お角さんは、自分が興行師であって役者でないことをよく知っている。そうしてこの際、采配を振るとは言うけれど、自分が金扇馬標《きんせんうまじるし》を押立てて本陣に馬を進めようというのではなく、表面はどこまでも道庵に芝居をさせて、自分は軍師としての采配を振る――という行き方は、お角さんらしいものでありました。
 まもなく、前は関ヶ原、後ろは垂井の宿へ人を飛ばして買い集められたものが、白木綿と茜木綿《あかねもめん》の布で、これでできる限り幾多の旗幟《はたのぼり》がこしらえられ、同時に、どこでどう探したのか陣鐘、陣太鼓の古物が見つけられ、これによって野上の本陣を繰出した同勢が無慮百有余人――それに随う見物の無数。
 白と赤との旗幟を、胆吹颪《いぶきおろし》の朝風に靡《なび》かせて、のんのんずいずいと繰出した同勢――その中に馬に乗って、きまり悪げに手綱《たづな》を曳かせた大御所がすなわち道庵先生であります。
 道庵先生、こうして首尾よく大御所にまつり込まれたものの、これは自分の力で得た大御所の地位でないことをよく知っている。すなわち特にこの場で汚なくもお角さんに援助を求め、その力でもってようやく与えられた大御所の地位であることを、よく知っている自分の良心は、さすがに、馬に乗せられて采配を持たせられた時からして、道庵がガラにもなく大いにテレ込んでしまったが、それでもこの同勢が陣貝を高く吹き鳴らし、一鼓六足といったような武者押しをはじめると、またすっかりいい気になって、
「ソレ、進め、進め、かまわねえからずんずん進んで、敵をやっつけろ」
と号令をかけた時分には、もう本当に、自分はお角さんによって辛《かろ》うじて支持されている大御所ではなく、駿遠参の間から起った大御所気分に増長してしまいました。馬側に武者押しをつとめている米友――面白くもねえ、また始まったという面《かお》です。
 お角さんは、都合三人の若い者をつれて、銀杏《ぎんなん》加藤の一行よりは先発してここまで来たのですが――道庵先生をこうして躍らせて置いて、自分は若い者に駕籠《かご》の前後を守らせながらついて行くが、進軍につれて漸くはしゃぎ出す道庵を見ると、苦々しい面をしました。

         六十三

 こうして、この一行は事実上の鳴物入り、それに加うるに夥《おびただ》しい旗差物《はたさしもの》で、まもなく関ヶ原の本場へ着いてしまいました。
 まあ、こんなことで、辛くも野上の本陣だけは道庵先生も危急を免れたけれども、ことはこれで解決したのではありません。むしろ芝居はこれからで、模擬戦は、その陣押しだけで、火蓋《ひぶた》はちっとも切られている次第ではない――
 そこで、関ヶ原の本陣へ来ると、この大軍に休憩を命じたが、さて、これからさきの策戦をどうする。万事お角に引廻されて来た道庵に、この自信がありようはずはない。
 だが、そのお角さんは、これほどの難事をあんまり呑んでかかり過ぎている。ここまで引張り出して、これからどう括《くく》りをつけるかということも、大将軍に向って伺いにも来なければ、打合せにも来ない。
 これを思うと、道庵は気が気ではないものですから、むやみに地酒をあおって、テレ隠しを試みていると、そこへお角さんが現われて、
「先生、軍用金が出来ましたよ、ほかのことにお使いになっちゃいけません、そっくり今日の軍用金にお使いなさい」
「うむ、有難《ありがて》え」
 道庵は思わず盃を取落して自分の頭を叩きました。軍用金のこと、軍用金のこと、実際、悩みはこれだけのことなのである。
「いったい、いくらあるえ!」
「一本ですよ」
「一本というと百両だな」
「そうです」
「占めた!」
「先生、先生もこうして関ヶ原まで来て、ウソでも江戸で有名なお金持のお医者さんにされちまってるんですから、あんまりしみったれな真似《まね》はできませんよ、でも、ばかげた金を使っても笑われますから、一本だけきれいに使っておしまいなさい」
「有難え――一本ありゃ、けっこう使いでがある」
 道庵が勇み立ちました。
 事実、この際、百両を手入らずに一日の一興に使ってしまえば、決して貧弱な費用とは言えないでしょう。おそらく、この街道を通行する旅人で、一日に百両を投じて戦争ごっこをして遊ぶというような珍客は今までなかったに相違ない。
 道庵が、この莫大なる軍用金の不意の出現にうつつを抜かしたのはいいが、その出所に就いて一応吟味しなかったというのは不覚でありました。一にも二にもお角さんのきっぷに信頼してしまって、あの女なら、場合によって百や二百のあぶく銭を投げ出すなんぞは何でもない――とタカを括《くく》り過ぎたのかも知れません。そこを、お角さんが一本釘をさしたつもりか、
「先生、その軍用金は、軍用金として御使用御随意ですが、それを先生に御用立てる前に抵当《かた》をいただいてありますから、あとでかれこれおっしゃってはいけませんよ」
 果してお角さんも、溝《どぶ》へ捨てる金ばかり持っているわけではない。かりそめにも百両の金を投げ出すには投げ出すように、前後の押すところは押してあるに相違ない。
 そう押されても、本来、後暗いにも、明るいにも、抵当に取られて困るほどの抵当物件を持っていた覚えがないという道庵は、やっぱり大呑みに呑込んで、
「抵当に取るものがあるなら、矢でも鉄砲でも、匙《さじ》でも薬箱でも、みんな持って行きな、あとで苦情は決して言わねえ」
 この百両の軍用金は、ここでお角さんがお銀様を説いて、ある条件の下に支出させたものであるということなんぞに、道庵は当りをつけようはずもなし、またその辺を心配して、後日に備えようなんて頭は全くありませんでした。

         六十四

 お角さんが道庵に念を押して帰って見ると、お銀様はいませんでした。
 だが、それは驚くほどのものではありません。衣類調度すべてそのままになっており、且つまた今日は立派に、自分は不破の関屋のあとへ行って来るからと、お角さんに断わって出たのだから、そのことは心配しませんでした。
 ここで、お角さんが打ちくつろいで、ホッと一息入れた時に、昨日来のことを考えると、得意のうちにお気の毒を感じたり、お気の毒のうちに得意を感じたりしていることが二つあります。
 その一つは、日頃、強情我慢の、人を人とも思わぬ道庵を、今日という今日はすっかりとっちめて――もうこの後、他人は知らず私の前では、大口を叩かせないことにしてしまったという痛快なる優越感!
 もう一つは、昨晩、あの岡崎藩の美少年が侍《かしず》いている名古屋の御大身の奥方が、昨夜の出来事のために、見るも痛ましく悄《しょ》げてしまっておいでなさること――それは全く災難として同情をしてあげるほかはないが、それにしてもあれほどの奥方が、あんまり失望落胆なさり方が強過ぎる、それは、多年信用して召使った飼犬に手を噛まれたのは、残念にも、業腹にも違いないが、こちらに誰も命の怪我はないし、その悪い奴は覿面《てきめん》に命を落してしまったし、それに盗られたお金も無事で戻ったし、それでいいじゃないの――それ以上、くよくよしたってつまらない話じゃないか、災難はどこにもあるはずのもの、立派な御大身の武家の奥方が、あれではあんまり力を落し過ぎなさる、災難は諦《あきら》める、金も惜しくはないが、惜しいのは系図だとおっしゃる。
 系図――そんなものが、それほど惜しい、欲しいものかしら、系図の巻物なら、誰かに頼んでまた書き直してもらえばいいじゃないか、系図というものがあったところで、お腹の足しになるわけじゃなし――わたしなんぞは災難は災難で、とっちめる奴はこっちからとっちめてやるし、あきらめるところは立派にあきらめて、後腐れを残しませんね――憚《はばか》りながら系図なんてものは今日まで、持ったことも、見たこともないが、それでちっとも暮しに差支えたことなんぞありゃしない。
 系図の行方《ゆくえ》がわかるまでは、先へ進めない。厄介なものだねえ、そんな世話の焼ける系図なんてものは、持参金附きでくれるからと言われたって、わたしなんざあまっぴらさ。
 御大身だの、お武家なんていうものは、自分の身贔屓《みびいき》ばかりじゃ追っつかないで、遠い先祖の世話まで焼かなけりゃ、暢気《のんき》な旅もできなさらないんだから、お気の毒なものさ、そこへ行っちゃ失礼だが、わたしなんぞは……
 お角さんはそれを考えて、お気の毒にもなったり、得意にもなったりしているのですが、どちらかと言えば得意の分が多いので、今日は何かと御機嫌がよろしい。
 それで、昨晩の続きもあるし、道庵先生の芝居なんざあ見るものはないとタカを括《くく》って、今日は一日この関ヶ原の宿で、骨休めに寝込んでしまおうと、女中を呼んで床をのべさせ、ゴロ寝をしてしまいました。
 一方――にわかに大陽気になった道庵先生は、宿の主人を呼び立て、右の軍用金の百両を崩して眼の前に積み上げて、熱をあげはじめました。
 しかし、道庵の催しを聞いてみると、宿の主人としても一肌《ひとはだ》ぬがないわけにはゆきません。口ではかれこれ言っても、いざとなれば、身銭をきって知らぬ土地のために催しをするなんていうことは容易にできるものではない。見たところキ印に近い奇人のようではありますが、稀れに見る奇特な老人でもある。こういうお客様に対しては、土地っ子として一肌ぬがなければならぬ。この宿の亭主が宿役へも沙汰をし、宿役からまた青年団、在郷軍人の類《たぐい》が、いずれも多大の興味を持って参加する。そういう奇特なお客様がある以上は、我々土地っ子として、できるだけの御加勢をして、この催しを意義あり精彩あるものたらしめなければならない。労力はむろん奉仕的ですが、なお道庵先生の百両積んだ傍らへ、志ばかりといって幾らかの寄進につく者さえ出て来る。
 そこで、いよいよ地の理を案じ、土地の故実家にただし、合戦当時の陣形を考証すると共に、武器を一通り集めなければならない。接戦をするわけではないから、得物《えもの》の必要はないが――
 とりあえず最も肝要なるは旗差物である。野上から用意して来た赤と白の幟だけでは不足である。そこでこの宿でまた紙といわず、布といわず、旗になるべき原料のすべてを買い集め――続々と参加する軍勢を、当年の陣形によって幾組にも分ち、おのおのその家々の旗を持たせて、部署を分けるという段取りになる。しかしながら、こうして部署を定め、旗幟《はたのぼり》を割振ったところで、いずれも同じような赤と白とのほかに、鬱金《うこん》だの、浅黄だの、正一位稲荷だの、八雲明神だのばかりでは困る。各軍家々の旗印を分けて持たせなければ、どれが東軍で、どれが西軍で、どれが大御所の本陣で、どれが井伊で、どれが本多で、どれが石田、小西だか、毛利、宇喜多、小早川――さっぱりわからないではないか。そこで、どうしてもこの無数の旗に、家々の紋所、馬印を描かなければならぬというところへ来て、道庵がまた行詰りました。
 道庵先生いかに博学なりとはいえ、軍学のことはまた畠違いである、関ヶ原合戦に参加したところの各大名の紋所馬印を、いちいち暗記しているはずがない――土地の古老、物識《ものし》りだからといって、昨日今日の戦いのことではなし、小西の紋がどうで、石田がどうで、安国寺がどうで、小早川がどうだということを、精細に心得ている者が無い。
「ハタと困った」
 道庵先生、洒落《しゃれ》どころではない。旗があって印のない間抜けがあるものか――昔の戦争は、この家々の紋所が皆もの[#「もの」に傍点]を言ったのだ、さあ、諸大名の紋所――紋帳は無いか。武鑑があったところで、慶長五年の武鑑でなけりゃ間に合わねえよ。
 道庵先生がハタと困った時、それでも、すべて潮合いのいい時はいいもので、この際、旗幟の故実をかなり精細に心得た救い主が現われたというのは別人ではなく――昨夜、寝物語の里で追払いを食って、一段の風流と伸《の》して来た二人の風流人であります。
「左様な儀ならば、不肖ながら拙者が大ようは心得ている」
と言って、硯《すずり》と紙を置いて、関ヶ原合戦参加の大名の名を思い出し、書きに書き並べ、その頭へいちいち、心覚えの紋所を描いて行きました。
 まず大御所の金扇馬標から始めて、石田三成の大吉大一大万の旗を作り、次に福島正則が白地に紺の山道、小西行長は糸車か四目結――黒田が藤巴《ふじともえ》で、島津は十文字、井伊が橘《たちばな》で、毛利が三星一文字、細川の九曜――西軍の総帥格宇喜多中納言と、裏切者の小早川秀秋は、共に豊臣太閤のお覚えめでたい子分だから、これは当然に桐、本多の立葵に藤堂の蔦《つた》――それから、東西きっての器量人大谷吉継は、たしか鶴の丸だと心得ましたが、いかがなものでございましたかしら。
 何しても旅中のことで、的確な史料を得ることができませんから、この辺で悪《あ》しからず……と心覚えの紋所を、それからそれと描き出したので、道庵をはじめ、この風流人の博識に感心して、それを手本として、筆の達者なものが競《きそ》って家々の旗を描き上げました。
 そこで軍容が悉《ことごと》くととのい、産土八幡《うぶすなはちまん》の前を右に、北国街道へ向って陣を進め、笹尾山の上に翻された石田三成の大吉大一大万の旗をまともに、天満山を後ろにした宇喜多、小西の大軍を左に見て悠々と馬をすすめる大御所道庵、かくて一わたりの模擬戦がそのあたりで行われること宜しくあって、床几《しょうぎ》場へ納まり、そこで大御所たる道庵が首実検の儀式を行って解散という順序になるのであります。
 かくて、関ヶ原がおそらく慶長五年以来の人出となり、見渡す限りの山々谷々が、諸大名の紋所打ったる旗幟でへんぽんたる有様は、遠く眺むればおのずからその当時を聯想して、人の血をわかし来《きた》る光景が無いではありません。冗談もまた事と所によっては、士気を鼓舞するの勢いとなる、参加するほどの人が、みな多少ともに緊張を感じて行かないのはありませんでした。

         六十五

 今日は、ゆっくり足腰をのばして休み通そうとしたお角さんすらが、この景気に押されてじっとはしておられなくなりました。
 全く素晴らしい景気ですから、ぜひちょっとでも見てあげてください、道庵先生の大芝居がすっかり当っちまいました。
 お供の者から呼び起されて、お角さんがタカを括《くく》りながら、関ヶ原駅頭へ出て見ると、これは確かに一応の眼を拭うて見るがものはありました。
 まず眼を驚かすものは、行手の山々と左右の峯々に立て連ねられた夥《おびただ》しい、諸家の紋所打ったる旗幟《はたのぼり》と馬印であります。
 今時、どこからこんなに夥しい旗幟を借り出して来たのかしらん、お祭礼用として村々が神様の旗幟を蔵って置くように、この辺の民家では、こんなにたくさんの旗幟を用意して置いて、戦争ごっこをしたい希望者のために賃貸しでもするものか知らん。そんなことはあるまい、三都の芝居の大道具小道具をすっかり集めたからとて、こうは揃うはずはないんだから、てっきり急拵《きゅうごしら》えの間に合せものに過ぎないのだが、間に合せものにしろ何にしろ、僅か一時《いっとき》の間にこれだけの旗幟をととのえ、それにおのおの、れっきと各大名の旗印、紋所というものを打ち出している。これを見るとお角さんが、道庵先生の腕を凄いものだと考えずにはおられません。先生の腕ではない、こっちから投げ出した百両の金の威力だと考え直してみても、そんならお前に百両やるからこれだけの旗を集めてみろと言われても、残念ながら覚束ない。してみると、道庵先生もやっぱり只の鼠じゃない――口惜《くや》しいという気にもなってみました。
 それはとにかく、女でこそあれ、お角さんのような血の気の多い気象の者には、このあたりにへんぽんたる日本国中すぐった大大名の旗印をながめると、舞台背景そのものが実地であるだけに、芝居の書割より、より以上の実感に迫られ、自分が腕によりをかけて、満都の人気を吸い寄せて溜飲を下げるのも面白いが、こうして日本中の大名を相手に、真剣な大芝居を打ってみる人はさぞ面白いでしょうね。
 男に限ります。男でなけりゃ、こういった大芝居は打てませんねえ――大御所権現様という方のエラサがこうして見ると、はっきり分りますねえ。だが、大御所権現様のエライことがはっきり分ると共に、それを向うに廻した石田さんという人のエラサも一層よくわかりますねえ。さあ、どちらかと言えばわたしはここでは石田三成を買って出ますねえ――勝ち負けなんぞは、お前さん、時の運ですからねえ、これだけのものを相手にとって大芝居を打てさえすりゃあ、勝ち負けなんぞはどうだっていいさ、わたしゃ石田三成を買って出る。
 江戸ッ子であるお角さんをして、思いもよらず江州人石田治部少輔の同情者としてしまいました。
 とにかく、この模擬戦はお角さんをしてお手前ものの興行以上の興味を持たせたに相違ありません。このまま宿に引返して寝てなんぞいられるものですか、行くところまで行って、道庵先生のお手並を拝見しましょうよ。こういう意味で、お角さんもまた手勢を引具して、道庵先生の大御所の出陣のあとを追うて産土八幡《うぶすなはちまん》から、北国街道を小関の方へ、押し進んで行ったものです。
 お角さんが藤川の土橋を越えて、北国街道を進んで行く時分に、大御所の旗下と、天満山の麓に配って置いた小西、宇喜多の先鋒とが、今し戦端を開いたところであります。
 両陣で陣鉦《じんかね》、陣太鼓が鳴る――バラバラと現われた両軍の先頭、いずれも真黒な裸体の雲助で、おのおの長い竹竿を持っている、竹槍かと見れば先が尖《とが》っていない。
 天満山の下なる西軍にも大将らしいのはいるが、こちらの道庵大御所の陣羽織を着て采配を振っている気取り方、それを見ると、お角さんがまた、ばかばかしいねえと、くしゃみをせずにはいられません。
 その両軍の先鋒が長い竹竿で、ちょっと叩き合いがはじまったかと見た途端、本陣の旗もとで一声高く法螺《ほら》の音が響き渡りました。これはもとより進めかかれの合図ではなく、戦端の開かれたのをキッカケに休戦の合図であって、火花を散らさんとする途端で鉾《ほこ》を納めて、これから幕僚の講評にうつる順序のための法螺の音でなければなりません。
 困ったことには、この休戦の合図が徹底しませんでした。いや、徹底はしたけれども実行されませんでした。
 もちろん、このくらいの高音に鳴らした法螺の音ですから、敵味方の間に透徹しないはずはなかったのですけれども、騎虎の勢いに駆《か》られた接戦の両軍の軍気を如何《いかん》ともすることはできませんでした。
 はからずも休戦の合図が、突貫の号令となり、忽《たちま》ちその長い竹竿で、突合い、なぐり合いがはじまると、仮戦は全く実戦に入りました。
「あっ、こういうはずじゃなかったんだ」
 本陣の大御所はそれと見て狼狽し、左右に命じてあわただしく、第二の休戦の法螺をいよいよ高々と吹かせました。
 だが、この高らかに吹かせた第二の休戦の合図が、ついに乱戦の口火となってしまったのは、是非もないことと言わねばならぬ。
 竹竿での叩き合いを事面倒なりとする裸虫の雲助は、竿を投げ捨てて組んずほぐれつの大格闘に移り、その惨憺たる有様、身の毛もよだつばかりになりました。
「大将の命令を聞かねえか、休戦の合図が耳に入らねえのか、実地と芝居の区別がつかねえのか――やめろ、やめろ、戦《いくさ》をやめろ! 休戦だよ、休戦だってえば」
 こういって馬上の大将は、わめき立てたが追っつかない。乱戦激闘がうずを巻いて手のつけようも、号令の下しようもないので、道庵先生が馬上で指を噛《か》みました。

         六十六

 ここで道庵が指を噛んだのは、全く芝居でもなければ、日頃の手癖でもなく、これはまた真剣に、大変なことになっちまった、どうにも始末がつかねえ、という絶体絶命の表情でありました。
 ところがこの時分に、見物の中に、二人の異様な人物がいて、道庵先生の指を噛んだところを大問題として、真剣に取扱っているという場面がありました。
 その二人というのは、見覚えのある人はあるべき南条と五十嵐との二人の浪士であります。これも計らずこの辺へ通りかかって、今日の模擬戦を最初から極めて興味を以て見物していたのだが、道庵先生がいよいよ指を噛む時節になって南条が言いました。
「いよいよ、古狸も指を噛むようになったな。およそ日本の歴史上に、この関ヶ原の合戦ほど心憎い戦《いくさ》というものはない。すべての戦が、すべて勝負は時の運ということになっているのだが、勝敗の数をあらかじめ明らかにして、しかも最初からわかりきったはめ[#「はめ」に傍点]手にかけ、目指す大名を、豚の子のようにみな相当大きくしてから取るといった図々しい横着な戦争というものは他にあるべきはずのものじゃない。徳川の古狸を心から憎いと思う者も、その力量のあくまで段違いということを認めないものはない。それでいて、戦うものは戦い、敗れるものは敗れて亡びなければならないというのが運命だ。悠々《ゆうゆう》として落着き払って、遠まきに豚を檻の中に追い込み、最後にギュッと締めてしまう、すべてが予定の行動だ――こんな行動と結果のわかりきった戦争というものは無いが、ただ一つわからないものがある。それはあの古狸が、秀秋いまだ反《そむ》かざる前に伜《せがれ》めに計られて口惜《くや》しい口惜しいと憤って指を噛んだということだ。家康は若い時から、自分の軍が危なくなると指を噛む癖がある、その癖がこの際に出たということはわからない――本来この関ヶ原の戦は、家康が打ったはめ[#「はめ」に傍点]手通りに行っている戦で、どう間違っても家康に指を噛ませるように出来ていない芝居であったのが、あの際、指を噛ませることになったのは、たしかに芝居ではない、家康としては、重大なる不覚といわなければならぬ。本因坊が石田、小西の四五段というところを相手にして、終局の勝ちは袋の物をさぐるような進行中、指を噛まねばならなくなったということは、たしかに失策であり、そうでなければ誤算なのだ。本来、あの際に、誤算なんぞを、頼まれてもやるべき家康ではない、幼少以来鍛えに鍛えた海道一の弓取りだ、敵を知り、我を知ることに於ては神様だ。あらかじめ斥候《せっこう》の連中が皆、上方勢を十万、十四五万と評価して報告して来るうちに、黒田家の毛谷|主水《もんど》だけが、敵は総勢一万八千に過ぎないと言う。軍勢をはかるには、京大阪の町人共が算盤《そろばん》の上で金銀米銭の算用をするような了見では相成らぬ、なるほど、上方勢十万も十五万もあるだろうが、高い山へ陣取っているものは、平地の合戦には間に合わぬものだ、上方勢で実戦に堪え得るものは一万八千に過ぎない、それ故、味方大勝利疑いなしと毛谷主水が家康の前で広言して、家康をして、『よく申した、武功の者でなければその鑑定はできない』と言って、手ずから饅頭《まんじゅう》を取って毛谷主水にくれた。無論そのくらいのことは家康はとうに読みきっている。今いう、毛谷主水の一万八千人は、つまり石田の手兵五千と小西の六千、大谷の千五百人というそれに、宇喜多軍の一部を加えたものに過ぎない、とにかく西軍の実勢力は二万に足らぬ小勢であったとは見る人はきっと見ている。その二万に足らぬ小勢が、十万以上の古狸の百練千磨の大軍と、去就《きょしゅう》不明の十万以上の味方を足手まといにしながら、家康に指を噛ませたという超人間力の出所を、もう一ぺん我々は見直さなければならない。ここが家康の誤算なき誤算なのだ。決死の軍に超数学的の援兵がある真実は、幼少の時、阿部川の印地打ちの勝敗を予言したほどの家康は、知って知り過ぎている、それがなお且つ、それを計りそこねたのだ。家康をして、指を噛むことをもう一分遅からしめると、天下のことはどうなったかわからぬ」
 南条が評し、五十嵐が耳を傾けながら、前面の模擬戦の危急を見ている。その時あちらでは、指を噛みきれなくなった模造大御所が、自ら馬を飛ばしたのか、馬が驚いてはやり出したのか、まっしぐらに大御所を乗せて戦争の渦中へ走り込むのを見ました。
「あ、危ない!」
 当年の大御所の指を噛んだという一節を特に強調していた南条もまた、目下の大御所の危急を見て、あっとそちらへ眼を向けないわけにはゆきません。
「言わないことじゃない、生兵法《なまびょうほう》大怪我のもと――道楽もいいかげんにせんと……」

         六十七

 道庵主催、前代未聞の関ヶ原の模擬戦を見物していたところの一人に、紙屑買いののろま[#「のろま」に傍点]清次がいたことは見遁《みのが》すべからざることでした。
 のろま[#「のろま」に傍点]清次はがんりき[#「がんりき」に傍点]の百と別れて特にこの催しを逐一《ちくいち》実見するや、何してもこれは一つ話として、自分の頭と眼をなぐさめるだけにとどめて置いては惜しいと思いました。
 そこで、天性の商売気に独特の宣伝癖が加わって、柏原の駅へ来てから、一枚の瓦版《かわらばん》を起しました。
[#ここから1字下げ]
「前代未聞!
江戸の大御所!
関ヶ原に大勝利!
西軍大敗!
京大阪危し!」
[#ここで字下げ終わり]
という大標題《おおみだし》を掲げ、金扇馬標を描いて馬上の道庵大御所の姿を現わし、それから本文には、近ごろ江戸で名代の金持のお医者さんが、道楽で関ヶ原に模擬戦を試みて大成功を遂げ、その勢いで不日、京阪の地に乗込んで来る!
 それをくわしく見知りたいと思えば、この瓦版をお買い下さい!
 大評判※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 大売行き※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 一枚たった四文※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 暴風《あらし》の如き売行き!
 売り切れぬうちに!
 空前、断然、売れる、売れる、到るところ引張り凧《だこ》!
 この瓦版を柏原を振出しにして、醒《さめ》ヶ井《い》、番場、高宮《こうみや》、越知川《えちがわ》、武佐《むさ》、守山、草津と、大声をあげあげ呼売りをして歩きました。
 のろま[#「のろま」に傍点]清次のこの商売気がすっかり当って、宿場宿場の物好きが、争ってこれを買わざるはなく、それを読んで興味を催さぬはありません。
 江戸から人を食った金持のお医者さんが現われて、大御所気取りで関ヶ原の模擬戦に大勝利を博すると、その余勢をもって、一気に上方を笑殺に来るのだ。
 孫子《まごこ》までの話の種として、この大茶目の武者振りを見て置かなければならないと人気が立ちました。
 それだけならば格別のことはなかったのですが、ここに清次が金儲《かねもう》けをしながら呼売りをして、草津の宿まで来た時分のことです。
 草津の町の名代の姥《うば》ヶ餅《もち》に足をとめて、しきりにお砂糖を利かせた姥ヶ餅を賞翫《しょうがん》しているところの一行がありました。
「姥ヶ餅ちゅうはこれかい、旨《うめ》えのう、もう一盆これへ出しなさろ」
 鷹揚《おうよう》に命じたのが金茶金十郎でありました。
「金茶、姥ヶ餅が気に召したかの」
 これは安直先生であります。
「旨え、旨え。だが、あんこ[#「あんこ」に傍点]の上にこんな白砂糖をちょんぼり載せたのは気に食わねえ、身共は黒砂糖でもかまわんによって、しこたま載せてもらいたいんじゃ」
「金茶先生」
 傍らに控えていた侠客みその浦なめ六が、金茶に呼びかける。
「何だ」
「その白砂糖をちょんびりと載せたところが、主《しゅう》の子を育てた姥の乳の滴《したた》りを象《かたど》ったもので、名物の名物たる名残《なご》りでござりまする」
 なめ六は、さすがに老巧だけあって、相当に故実を心得ている。
「身共、乳なんぞは飲みとうないぞ、我々を子供扱いに致しおるか、ちゃあ」
 金茶が少しく御機嫌を変じてきたが、この時ちょうど、隣席でかなり喧しい談議の声が湧いたので、安直、金茶らも思わずそちらを向いて見ました。

         六十八

 姥《うば》ヶ餅屋《もちや》は、餅屋といっても、ただの餅屋ではない。
 見たところ、陣屋のような構えで、通し庭がある、離れの広い座敷がある、客間がある、茶の間がある。それぞれの間に立派な身分ありそうな客が、名物としてのあんころ[#「あんころ」に傍点]を口につけたりなんぞしている。その向うの間ではパチリパチリと碁を囲む悠長の客もある。
 安直及び金茶の餅を食っているつい隣りの席に数人の客があって、それがやはり同じように名物の餅を賞翫《しょうがん》しながら、しきりに語り合っているのは、槍という字は木|偏《へん》が正しいのか、金偏が本格かというようなことで、話に花が咲いたが、やがて、古往今来、日本の武芸者のうち、わけて剣客のうちで、いちばん強いのは誰だ、という評議に移っていたが、ついに両説にわかれ、一方は荒木の前に荒木なし、荒木の後に荒木なしと言って、荒木又右衛門説を主張し、一方は宮本武蔵が荒木以上であるという説を支持し、結局、武蔵が日本一ということに落着こうとして、ひときわ話に身が入ったところでありました。
 それを小耳にハサんだ金茶金十郎が、いきみ出して立ち上りました。
「何だ、宮本武蔵が日本一だと、身共聞捨てがならねえ」
 安直がそれを聞いて、
「金茶、尤《もっと》もなこっちゃぞい――宮本武蔵は強くないさかい。第一、ありゃ利口者やて、名ある人とは試合を避けたんやな」
 隣席へあてつけがましく、安直が、宮本武蔵が評判ほど強からざる所以《ゆえん》を述べ立てると、金十郎が相和して、
「そうじゃ、そうじゃ、宮本武蔵なんぞは、甘え、甘え、うな、武蔵なんぞは甘え」
「うな――甘え、甘え、宮本武蔵」
 安直と金茶とが、こう言って力《りき》み出したので、隣席の人もあっけにとられているところへ、さいぜんの、のろま[#「のろま」に傍点]清次が大声あげて乗込んで来ました。
 大評判!
 大成功!
 大売行き!
 たった四文!
 前代未聞!
 江戸の大御所!
 関ヶ原慶長の大合戦!
 西軍大敗!
 暴風の如き売行き、引張り凧《だこ》!
 金茶、安直の一行が、その呼売りを買わせて、一見するや、あっと地団駄を踏み、悲憤の色に燃えました。
 それは覚えのあることです。
 過日、枇杷島橋《びわじまばし》の勝負は、かんじんのところで肥後の熊本五十七万石、細川侯の行列らしい道中で、うやむやにされてしまったが、まあ、あれだけに、こっちの威力を示して置けば多少おそれをなし、道庵の奴、もう上方筋では手も足も出そうとはすまい、この上は、彼が大阪へ到着した際に於て、みっちり思い知らせて、取って抑えて、グウの音も出ないようにしてしまうことだ、こっちは凱歌を奏して先着のことと、タカを括《くく》り、道庵主従をあとにしてこうして草津まで先着して、いい気持で餅を食べているところへ、のろま[#「のろま」に傍点]清次のこの呼売りを見て安直が、らっきょう頭をピリリとさせ、金茶金十郎が紺緞子《こんどんす》の衿《えり》の胸元を取って思わず床几《しょうぎ》から立ち上ったのはさもあるべきことです。
「いよいよ以て、奇怪千万なる藪医者じゃ! どだい我々を何と心得おる!」
 金茶が力むと、安直が、なべーん[#「なべーん」に傍点]とした面《かお》を振り立て、
「わてら、阪者《さかもん》のちゃきちゃきじゃがな、江戸の大御所たら、しゃらくそう[#「しゃらくそう」に傍点]て、どもならん」
 金茶ひるまず、
「大御所呼ばわり奇怪千万、プル、プルプル」
 安直抜からず、
「大御所たら、足利三代将軍はんのほかに、禁裏はんから御沙汰のない名じゃがな、どだい、家康はんが、江戸の大御所たら名乗りなはるからして理に合わん、十八文の藪医者はん、来やはって、大御所呼ばわり、片腹痛うおまっしゃろ、ちゃ」
「片腹痛え、痛え、うな、片腹痛え」
「わて、どだい、生れは阪もんやがな、江戸の田んぼで修行しやはった押しも押されもせん折助仲間の兄《にい》はんやがな、碁将棋だかて田舎《いなか》初段がとこ指しまんがな、デモ倉はん、プロ亀はんたちと、よう腹を合わせて、江戸の大衆、みんなわてが縄張りやがな、わてが無うては新版屋はん、飯が食えへんさかい、今時、阪もんの天下やがな、そのわてが本陣へ、江戸の大御所たらいうて乗込む、十八文はん、どないな目に逢わせたら、この腹が癒《い》えまっしゃろ、金茶抜からず、頼んまがな、ちゃ」
「いで、この上は――」
 金茶金十郎が、六法を踏むような形をして、手ぐすねを引きました。
「あの憎たらしい十八文のお医者はん、阪者《さかもん》はみみっちい、みみっちいと言やはるけどなあ、太閤はんかて阪者じゃがな、徳川はん、江戸で政治なはりやったからて、経済では大阪が天下じゃがな、蔵屋敷の立入りたら諸侯はん、みな大阪商人に頭があがりまへんがな、そやかて、大塩平八郎はんも阪者やがな、あないな気骨ある役人、今のお江戸におまへんがな、中井竹山先生たら、履軒《りけん》先生たら、緒方洪庵先生たら、みな阪もんやがな、そないに御安直ばっかありゃへん、ちゃ」
 安直が早口にべちゃべちゃと、こんなことを言い出したものですから、姥ヶ餅に居合わせた客人が、おぞけをふるって総立ちになりました。
 関ヶ原へも途轍《とてつ》もない茶人が現われたそうだが、ここにも絶大なる豪傑がいる。
 一人の方は、太閤はんはじめ蔵屋敷を親類に持っている。まった、もう一人は、宮本武蔵も荒木又右衛門も寄りつけないことになっている。
 これはたまらないと怖れをなしました。

         六十九

 さりながら、自分の売りつけた瓦版によって安直、金茶の一行の悲憤慷慨を招いたからといって、のろま[#「のろま」に傍点]清次に少しの責任があるわけではありません。
 そんなことに頓着のない清次は、名物の餅を味わう暇も惜しんで、またそれから先の呼売りを急ぎました。
 しかし、さすがに際物《きわもの》のことで、草津を過ぎると、パッタリ瓦版の売行きが減じました。けれども清次自身、それは無理のないことだと諦《あきら》め、草津に至ると、さっぱり瓦版の残部を琵琶湖の水に投じてしまい、さて売上高を勘定してみると、自分ながら予想外の利益でありました。
 この成功の一歩が清次に教えたことは、いよいよ仕事は宣伝に限るということの信念を確立したことであります。
 前代未聞の関ヶ原の模擬戦――それをおったまげて見てしまえばそれまで、笑って過してしまえばそれまで、それを利用したことの働きが、京大阪までの自分の路用を償《つぐな》って余りあるものであります。無から有を生み出すこと、目から見たことを金にかえる術はすなわち宣伝である。
 人間の社会は本来、甘く出来ているものだから、臆面なしに吹聴しさえすれば人が信ずる、よし買い被《かぶ》ったところ、売ってしまい、買ってしまったあとでは喧嘩にもならぬ、コケ嚇《おど》しに限る!
 清次はこの信念を強く植えつけたと共に、単にコケ嚇しとはいえ、それには時機も時間もある、それを取外してはならない、瓦版が草津へ来てパッタリ売れなくなったように、潮時というものは、何事にもあるものだから、目先を利《き》かして、転換を試みねばならぬという処世術にもよい経験を与えました。そこで清次が考えたのは、宣伝する以上は一時的の宣伝でなく、永久に効果のある名前を売り込んで置きたいということ。
 その題目を――道々考えた清次は、最も手っ取り早いことは自分に与えられた渾名《あだな》の宣伝に越したものはない、「のろま[#「のろま」に傍点]」の題名はあまり有難くない題目ではあるが、これを世間から与えられた自分がのろま[#「のろま」に傍点]か、これを自分に与えた世間がのろま[#「のろま」に傍点]か、今後の成功によって目に物を見せてやる、それはよい思いつきだ。
 清次は、これから京大阪へ乗込んで仕事をするために、自己の宣伝名として「のろま[#「のろま」に傍点]」を撰み、この名によって、自分とその商品を売り出そうと決心しました。その商売及び商品の品目としては、まだ確定はしていないが、菓子屋でもはじめる時はのろま[#「のろま」に傍点]焼、漬物屋であればのろま[#「のろま」に傍点]漬、その他のろま[#「のろま」に傍点]薬、のろま[#「のろま」に傍点]染、のろま[#「のろま」に傍点]餅、のろま[#「のろま」に傍点]縞、のろま[#「のろま」に傍点]芋、のろま[#「のろま」に傍点]飴《あめ》、のろま[#「のろま」に傍点]酒――何にでも通用する。ここに於て、京大阪の天地に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名を圧倒的に宣伝する。これがこの時に萌《きざ》した清次の大望であります。
 そうして、その実行の第一着として、大津の町の外《はず》れから、塀であろうと、垣であろうと、軒であろうと、木幹、石面に到るまで、およそ人目に触れ易《やす》いところへは、用意の矢立を取り出して、
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「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
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と書きました。
 これが、京都を出て大阪へ向う時は、単に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名題だけでは満足しなくなって、いちいちの名題の下へ次のような標語を書き加えました。
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「のろま――少納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]はエライと仰せになりました」
「のろま――中納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は愛《う》い奴じゃと仰せになりました」
「のろま――大納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は少し馬鹿だと仰せになりました」
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 これを書いて清次はしたり面です。
 前に述べた通り、清次の哲学によると、実質のあるものは宣伝をしなくとも人が認める、カラッポな奴こそ宣伝が生命なのである、自分は本多平八郎でもなければ、上杉輝虎でもないから、そこで極力自分の名を自分で売りひろめてのろま[#「のろま」に傍点]の存在を認めしめなければならぬ――しかしそう露骨に自己宣伝をすることは、いかに甘く出来ている世間とはいえ、かえって反動的に軽侮の念を惹《ひ》き起し易いということを知っている、そこで清次はまた雲を炙《あぶ》って月を出すの法を考えました。それは、自分の口から直接に言わず、あらかじめ相当世間の知名の人士の名を以て、その口を借りて、自分を推薦讃美せしむるの賢なるには如《し》かない――そう思いついた清次は、京都を出ると直ぐに、それを実行することを忘れませんでした。彼がまず少納言、中納言、大納言の名を借り用いたのはその第一歩であります。
 その後、清次は、あらゆる方面の知名で、そうして人のよい、お目出たそうな人の名を撰んで、いちいちのろま[#「のろま」に傍点]推讃のために利用しました。
 この透間《すきま》なき宣伝利用法は大いに利《き》きました。淀の下り船から八軒屋に至るまで、旅人の口に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名が上らないということはありません。
 清次は図に当れりと思いました。これだけ売り込んで置けば、それが、のろま[#「のろま」に傍点]餅であろうが、のろま[#「のろま」に傍点]染であろうが、のろま[#「のろま」に傍点]薬であろうが、相当に当ること疑いなし。
 見よ見よ、期年ならずして、のろま[#「のろま」に傍点]の名が京阪を圧倒し、その名によって営む商売が、一つとして成功せざるは無く、富と名とを一時に贏《か》ち得て、一代を羨望せしむるは遠い将来のことではないぞ。彼はひとり、この成功を想像して、王者の意気になりました。
 さて、その次には、功成り名遂げた後の名爵のことをも考えました。
 いよいよ自分の成功に貫禄がついて、たとえば従三位文部卿のような地位にまで上り、下々《しもじも》に訓諭を垂れたりする場合になると、売りこんだのろま[#「のろま」に傍点]清次の名がかえって仇をなす。
 商売用としてはそれで差支えないが、かりに従三位文部卿にでもなった場合に、のろま[#「のろま」に傍点]清次の名はふさわしくないということまで考えました。
 そこで、機敏に働く彼の頭脳が、最もよき語呂の転換を教えました。
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「のろま聖人」
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 これがよろしい。これならば、以て一代に向って訓諭を垂れるに足る名前である。
 成功するまでは、のろま[#「のろま」に傍点]清次でよろしいが、成功した以上は「のろま[#「のろま」に傍点]聖人」――この名を中外に宣揚することをまで、深く心の底に考えました。
 ああ、この周到なる未来の成功の麒麟児《きりんじ》を呼んで、「のろま」とは誰がつけた?

         七十

 関ヶ原の環境の波動がこういう次第のものである中に、ひとり取残されたものに黒血川の髑髏《されこうべ》がある。
 米友の手から離れて、ひとたびは宙天に飛び上り、また川の流れの上に落ちて、よろめき流るること二三間、ささやかな流れ川のなぎに堰《せ》き留められたままで、下は流れに冷され、上は秋風に吹かれて、尾花苅萱《おばなかるかや》の中にあなめあなめと泣いている、この骸骨。
 北国街道の彼方《かなた》に於ては道庵大御所の旗本が電光石火を降らしている間、不破の古関に於ては風変りの関守と、昨夜「関山月」を聞き分けて来た怪しい覆面のない男とが、白昼、炉を擁して端坐している時――かの髑髏はひとり黒血川の流れに漂うて、あなめあなめと泣いているが、それをとむらい来《きた》るものはありません。
 思うにお銀様が、この髑髏《されこうべ》をかつぎ出した所以《ゆえん》のものは――考証的にこれこそ目指すところの大谷刑部少輔の首よ、と主張すべき根拠はなにものも無かったというべきであります。
 その当時ですら秘密にされてあり、また、三成、行長、安国寺あたりの首は、白昼都大路で梟《さら》されようとも、この男の首だけは秘密にしてやるべきことが武士道に叶っている――それが今日になって、何人の手に於ても考証が届くはずはなかろう。まして通り一ぺんのお銀様あたりの手で、発《あば》かれ出されようはずもないのであります。
 しかしまた歴史的考証や、科学的の探求のほかに、お銀様特有の神秘力とでもいったような働きから、ついに何人も未《いま》だ探知し得なかった古人の骸《むくろ》を感得し得たのか、そのことはわからないが、よしこの髑髏が、大谷刑部少輔そのものの骸骨ではないとしたところが、ここは、やっぱり、夏草やつわものどもが夢のあと――なんだから、いずれのところにか偶然、露出されていた無縁の骸骨のいずれの一つか、当年の腥風血雨の洗礼を受けていないということは言えない。
 ただ枯骨がものを言わないだけのものである。物を言わないではない、現に、あなめあなめと言ったことになっているが、それは髑髏が言っているのではない、秋草が言わせているのだ。
 由来、関ヶ原の本当の悲劇は慶長五年にあるのではない。
 慶長五年を遡《さかのぼ》ること九百三十年の昔、大炊省《おおいづかさ》の八つの鼎《かなえ》が、八つながら鳴り出した時に起っている。
 慶長|庚子《かのえね》の関ヶ原は悲壮ではあるが、どちらも戦い得る器量だけに戦い、器量いっぱいに敗れたものと言いつべきだから、天下は帰するところに帰したもので、大局から言えば成敗共にうらみなき合戦であった。
 ところが、白鳳|壬申《じんしん》の秋の不破の関の悲劇は、その恨みが綿々として千古に尽きない。
 黒血川の名はその時から起り、今こそ水は澄んでいるが、髑髏を見ると、流れ去ることを沮《はば》んで恨みをとどめようとするのは、千百年にしてなお浮べないものがあるからだ。
 ちょうどこの日、北国街道の小関、天満山の麓では、道庵先生の旗風が三たび靡《なび》き、三たび立直っている激戦の最中――その矢叫びも、棒ちぎれも、ここまでは届かない閑寂なる黒血川の岸。
 秋草が繚乱《りょうらん》として、川に流れやらぬ髑髏を、あなめあなめと泣かせたり、尾花が手を延べて、千古浮べないというものをなぶったりしている、昼のしんかんたる景色。
 それが、日の天に冲《ちゅう》するほど、いよいよ物寂しい景色、昨夜の物好きなグロテスク人種以外には、白昼といえども、誰あってこんなところまで足を踏み入れるはずはないのだから、こうしてさびしいままで一日を送り、一夜を迎えるほかにはあるまいと思われたのに、その日中――耳を驚かすのは、はたはたとものさびしい上にものさびしさを加える軽い足音が、ここ黒血川辺のすすき尾花の中に消えては起り、起っては消えて来る。
 では、やっぱりこんなところを通る人もある。いや、虫を追い、虫を追って、つい帰路を忘れた里の童《わらべ》たちだろう――しかしその断続した足音を聞いていると、静かではあり、軽くはあるが、踏む調子は正しい、いたずらに虫を追い、虫を追うて彷徨《さまよ》うている里の童のたぐいではなく、一定の目的を以てこの道をよぎる旅人の足音と聞いた方が正しいのです。
 果して――すすき尾花の中から、二人連れの旅人が現われました。
 前なるは弁信法師――後ろなるはお雪ちゃんでありました。
「川があります」
 お雪ちゃんがいう。
「越せますか」
「越せますけれど、はだしにならないと――」
「お雪ちゃん――二人が二人はだしになるはムダですから、わたしがあなたをおぶってあげます」
「弁信さんの力で?」
「お雪ちゃんのからだですもの」
「でも、弁信さんは、琵琶を背負っている。こうしましょう、わたしが琵琶ぐるみ弁信さんをおぶいましょう、ほんの一間ばかりのところですもの」
「男子の身が女人に負われることは逆縁のようでございますけれども、弁信でございますから、お雪ちゃんの重荷にはなりますまい――では、そういうことに願ってもようございます……」
 お雪ちゃんが弁信さんをおぶって、この小流れを越すことになりました。
「あ!」
 その川幅僅か一間の小流れの中流で、弁信を背負ったお雪ちゃんが立ちすくんで「あ!」と言いました。
 それは、申すまでもなく、中流に流れもやらず留まりも敢《あ》えずに漂動して、あなめあなめと泣いている髑髏《されこうべ》を見たからです。
「何ですか、お雪ちゃん」
 背中の上で弁信がたずねました。
「まあ、気味の悪い人間の髑髏《どくろ》が一つ、ここに流れています」
「髑髏ですか」
「全く生きて物を言っているように、川の真中に流れも敢えず……」
「そうですか」
 その時にもう、弁信法師の身は向うの岸に渡されて、以前、米友が四方転びになったところあたりに安全に置かれてありました。
「ほんとうに、まあ、この髑髏は、生きてわたしたちに物を言いかけるようです」
「供養をしてやりましょう」
「水に流して、流れるところまで流してやりましょうか」
「いいえ、水に流すと、流れの末が心配でございます」
「では――」
 お雪ちゃんは、この上もなく気味も悪いし、怖くもあるが、そうかといって、もう捨てては置けないものになりました。
 髑髏に物を言いかけられて、引寄せられでもしたもののように、するすると再び川の中流へ戻って来て、機械がさせるもののように、その髑髏を手に取って掬《すく》い上げてしまいました。
 それを両手に捧げて、見えない眼の弁信に見せるような形をし、
「弁信さん、どうしましょう」
「そうですね、地水火風のうちに溶かして、空《くう》にしてあげるのがいちばん功徳《くどく》だと思いますが、すでに、もう地の中をくぐり、水の中を漂うて、それで空にならない因縁の髑髏ですから、この上は火で供養するよりほかはありますまいと思います」
「では、火葬にしてあげるのですか」
「そうです」
「火葬――火で焼くことは、わたしは好きではありません、弁信さん――あのイヤなおばさんも……」
 お雪ちゃんは、イヤなおばさんのことが、ついこんな時に自分の口から飛び出したことを、自分ながら心外なりとしました。
 そんな不快な聯想をここへ持ち出して、この無縁の骸骨にまで、業縁を加えたくはないと思いました。そして、イヤなおばさん……と言っただけで口をつぐんで、
「人間の身体を火で焼くということは、勿体《もったい》ないと私には思われてなりません、じっとして置けば、いつかまた魂が戻って来るような気がして……」
「魂魄《こんぱく》が戻って来ていいこともありますが、戻って来ていよいよ業縁を重ねるのは、よろしくございません、善縁悪縁にかかわらず、火の供養を以て一切空《いっさいくう》の世界へ送ってあげるのが、一番の功徳ではないかとわたくしは考えます」
「それもそうですね、川へ流しても、川下のことが心配になるし、土へ埋めても、また人獣の手によって発《あば》かれるという心配もございます――ではきれいに、弁信さんの美しい心と、汚れない手で、火葬にしてあげて下さいまし」
「別段、わたしの手がきれいな手でも、汚れない手でもありませんが――この場合、ほかに有縁《うえん》の人もございませんから、わたしが導師の役をつとめます、お雪ちゃん、薪《たきぎ》を集めて下さい」
「承知いたしました」
 お雪ちゃんは、その辺をあさって、燃料となりそうなもの一切を掻《か》き集め、下へほどよくそれを並べ、上へほどよくそれをつみ重ねると、弁信法師は、もうその火壇の前へ恭《うやうや》しく坐っていました。
 お雪ちゃんが火をつけると、弁信の読経がはじまります。
 火の勢いが盛んになるにつれて、弁信のお経と呪文が高くなる。
 火がいよいよ盛んになると、お雪ちゃんは、今までにこんなきれいな火の色を見たことはないと思いました。
 はじめには傷《いた》ましい心と、おびやかされる気持をもって事に当ったお雪ちゃんが、この火の色を見ると、つい何とも知れない快感に打たれてしまいました。
 弁信もまた、いかにもうららかな読経の声に、はずんでいるように見えます。お雪ちゃんはいい気持になりながら、薪を取っては加え、取っては加えているうちに、髑髏《されこうべ》は、あとも形もなく焼け失せてしまいました。
 同時に、弁信の読経も了《おわ》りました。
 弁信は、灰になりきった髑髏を袋の中へ納めて、首にかけました。
 お雪ちゃんは、水を掬《すく》って来て、燃えさしの火をよく消しておいて、二人は出立しました。
 二人の行く先は? 多分、これも、不破の古関のあとあたりでなければならぬ。
 しかしながら、今、不破の古関のあとには、「関山月」を吹いた関守が居、昨晩その関守の家へ泊った覆面をしないお客が一人いて、今日はのどかに二人が炉辺で茶でもすすりながら、「関山月」の曲に緒《いとぐち》をきって、ポツリポツリと諸国情調の物語に暮しているはずである。
 それだけならいいが――それを知っているお銀様が、いつまでも二人だけに悠長な世界を与えてはおくまい。
 お銀様がその場に現われると、お角さんはついては来まいが、米友は来るかも知れぬ。そうすれば、今日は明るい日に、昨晩通りの面《かお》がまた揃うことになっている。
 そこへ、何も知らぬ弁信とお雪ちゃんが、不意に馳《は》せ加わったら、どんな光景になる?
 他のものはすべて一面の識がある間としても、お雪ちゃんだけが全く新しいのです。
 お雪ちゃんが新しいのではなく、お雪ちゃんとお銀様というものが、全く新しい対面にならなければならない。
 そうした時に――お雪ちゃんの到着が、敏感なお銀様の機嫌に触れた時はどうなる、悍※[#「「敖/馬」」、149-17]《かんごう》なお銀様が、可憐なお雪ちゃんを裂いて食ってしまうとは言うまいか。
 弁信さんとお雪ちゃんの二人は、もう不破の古関の、関守の家の屋根の低く見えるところまで来ました。

         七十一

 神尾主膳が書道に凝《こ》っているというのは、今に始まったことではありません。
 この人が、不善と、退屈と、頽廃《たいはい》とから救われる唯一のものが書道でありました。
 こうして不善の閑境の中に、必ずしも自分は善事を為《な》すつもりでやっているのではないけれども、凝ってみると、おのずからほぐれて来るものもあるのであります。
 神尾主膳の書道に於ける腕と、その眼との肥えてきたことは、非常なものでありました。
 この道だけは相手が無いから、さすがの悪友どもも、主膳の腕があがり、眼が肥えてきたことに就いて、賞讃する者もなければ、阿諛《あゆ》するものもないだけに、自信がようやく本物になってくるということが予期しない大なる収穫でありました。
 書道に於ての昨今は、神尾主膳に於ては、もう今人を相手にせず、古人と共に語るというところまで行っているのです。それも決して自惚《うぬぼれ》でもなんでもなく、それに叶うところの腕と眼が、並び進んでいるということは、全く案外な進境と言わなければなりません。
 ただしかし、誰もこれだけの進歩と造詣を、主膳のために見てくれる者はなし、特に一幅の揮毫《きごう》を請うて子孫に伝えようとする者もなし、ありとすればお絹が帯を締めながら、感心によくお手習をなさいますね、今に菅秀才《かんしゅうさい》になれますよ――なんぞといって賞めるのと、それから、女軽業の親方のようなものが、大きな如輪杢《じょりんもく》を持ち込んで、これに江戸一流女軽業と書いて下さい、なんていう程度のものに過ぎないのです。
 そうしてまた、御本人が、腕と眼の肥えたことは自認するけれども、この腕前を見せてやろうというような野心が、もうすっかり消磨しているのですから、そこで主膳の書道に於ては、衒気《げんき》、匠気というものから、頼まないのに解放されて、独《ひと》りを楽しむという高尚な域に近くなっているのです。その結果として、功利的方面から見れば、主膳が書道に一時間凝れば、一時間だけ自分は不善の閑境から救われる、その周囲は、不善の伝染性から遁《のが》れるという勘定になっていて、主膳自身はそれを覚りません。
 今日はどこからの帰り途か、神尾主膳は馴染《なじみ》の、浅草の馬道の本屋の前に現われました。
 番頭は、このお客様がたいへんお眼が高くていらっしゃって、現代及び近世ものは振向いてもごらんにならないことを知っているし、ことに今日は何か取って置きの期待があるので、勇みをなして主膳を迎え、
「殿様、たいした掘出し物が出ました、これなら必ず殿様のお気に召すと存じます」
「何だ」
「弘法大師が出てまいりました」
「なに?」
「これこそ正銘の極印附きでございまして、鵬斎《ほうさい》先生の御門下が京の東寺へつてがあって、それからお手に入りました品でございます」
「ふーん」
と神尾主膳が、頭巾の中から浮かぬ返事をしてみせたが、本屋の番頭は失望しないで、かえって乗り気になり、箱入りの一本を棚から取下ろし、恭《うやうや》しく主膳の前に中身を繰りひろげました。
「それが、その弘法大師か」
「はい」
「ふーん」
 神尾主膳の返事はむしろ冷笑気味でしたけれども、番頭がそれに降参しないのは、番頭としても相当の自信――他信から移された自信というものがあるからでしょう。
 それは般若心経《はんにゃしんぎょう》かなにかを書いた残欠本の仮表装でありました。
「いかがでございます――これは珍品でございます」
「ふーん」
 神尾主膳は、それでも一通り右の心経の残欠本――伝弘法大師筆と称うるところのものに目をくれていました。
「全く、近来の偉大なる掘出し物でございます」
と言って番頭が、下へも置かない気持でいるのを、主膳が、
「ふふーん」
と鼻であしらいました。
 今まであしらっていたのは、ただ「ふーん」という軽いあしらいでしたが、今度のは、「ふふーん」となって、ふが一字だけ多いのに過ぎないが、それは明らかなる冷笑と排斥の意味ですから、番頭が狼狽《ろうばい》しました。
「いけませんか、違いますか、左様なはずはございません」
「誰が、これを弘法大師だと言った」
「鵬斎先生の御門下は、どなたも保証でございます」
「ばかな!」
 神尾主膳が、冷笑に代ゆるに罵倒を以てしました。
「え!」
「こんな弘法大師がどこにある」
「だって殿様――もうお歴々のお方が保証をなさらぬはございません、こういうことになりますと、書家の書と違いまして、それだけの人格が備わらなければ書けるものではない、こういう風格は、偽作などしようと思っても及びもつかないものだそうでございます」
「弘法ではないよ」
「では、どなたでございましょう」
 ここで番頭は反問の気味となったのは、弘法でなければその反証をあげて見せろという、婉曲《えんきょく》なる抗議でありました。主膳は取って投げるように、
「それは越後の良寛という田舎寺《いなかでら》の坊主の手だ、なるほど、ちょっと乙なところもあるが、これを弘法だなんぞとは、猫を指して虎というようなもので、規模も、輪郭も、問題にはなっておらん」
「ははあ、越後の良寛という出家の筆ですかな」
「弘法大師などとは及びもつかぬことだが、良寛は良寛だけに見て置けばよろしい、近頃のわいわい連が、何と思ってか、方図もなく良寛を担ぎ出したものだから、天晴《あっぱ》れの高僧智識ででもあるかの如く心得る奴もあるが、本来あいつは、越後の田舎寺のちょっと変った坊主というだけのもので、弘法大師に比べるなんぞは笑止千万な次第で、鵬斎の弟子共あたりが担ぐのに手頃の代物《しろもの》だ」
 神尾主膳はこう言って、一も二もなく良寛を追っぱらってしまったが、書幅を持ちかかえながら番頭がすっぱい面《かお》をしているのを、多少気の毒とでも見たか、
「だが、こいつだってまんざら捨てたものじゃない、好く奴は好くだろうから、越後の良寛という田舎寺の変った坊主の筆だと心得て持っていればよい、弘法大師などとは論外の沙汰《さた》だ」
 こう言って多少、良寛に余地を与えたようだが、かえってそれを奪ってしまうようなものです。
 それから以後、主膳は良寛には見向きもせずに、
「どうだ、支那の拓本で、何か変ったものは出ないか」

         七十二

 その時、街頭に騒がしい物音が起りました。
 店の番頭も、支那の拓本をあさっていた神尾も、その物音の起った方面を見ないわけにはゆきません。
「何だ」
「百姓でございます」
「百姓?」
 苦々しげに見やった街道を、練って行く一隊の蓑笠《みのがさ》があります、その数都合十四五頭もありましょう。練って行くと見たのは、見直すとそうではない、十四五名の蓑笠がみんな数珠《じゅず》つなぎになって、手先に引き立てられて行くのです。
「百姓一揆でございます」
「うむ」
「百姓一揆てやつは、始末に困るそうでございますね」
「始末に困る、百姓はもののわからない奴だ、あいつらがまとまって領主に迫るようなことになると、国の乱れだ」
「物の分らない奴が、党を組むほどあぶないことはございませぬ」
「だから、徳川の政治の方針として、百姓は生かさず殺さずに置け――というのを以て主意としたのだ」
「へえ……」
 番頭は、主膳のいう「活《い》かさず殺さず」がよくわからない。それを主膳が註訳して言う、
「百姓に生活の余裕を与えて置くと、得て我儘《わがまま》が出て一揆を起すようになる、そうかといって、活きるだけの情けを与えて置かなければ、米をとらせることができぬ」
「御尤《ごもっと》も……」
「その活かさず殺さずの呼吸が、領主の腕なんだ」
「御尤も……」
「近ごろ百姓を増長させたのは、あの千葉の佐倉宗五郎という奴だ」
「はーあ」
「あいつは公事好《くじず》きの喧嘩屋みたようなもので、意地でああ楯を突きやがったのだ、それを義民だの、救民だのと持ち上げるものだから、百姓を増長させてしまったのだ」
 主膳の衣《きぬ》を着せずに百姓と義民とを罵《ののし》る歯が、番頭の耳にも少々手痛く食い入ったと見え、
「でございますが、昔のお政治は、百姓は仰せの通り、活かさず殺さずのお慈悲でございましたが、近年は全く活かさず――活かさずだそうでございまして、糸繭《いとまゆ》は売れず、税金は高し、思えばお百姓も哀れなものでございます」
「百姓なんて、人間じゃねえんだ」
「え!」
 番頭が、さすがにそれはごまかしてうなずききれなくなりました。
「でも、農は国の本と申しまして、古《いにし》えの帝王は……」
「百姓をおだてちゃいけない、百姓や又者《またもの》をおだててのさばらせるのが、天下大乱のもとなのだ」
「ははあ、でござんすかな」
「今の世の中がこんなに騒々しくなったのは、又者が騒ぐからだ、又者を増長させて置くその罪だ」
 主膳の論鋒が、百姓から又者の上に来ました。又者というのは、必ずしも百姓町人以下を呼ぶのではなく、主膳の地位として、江戸の旗本以外のものを、すべてを又者と呼んでいるらしい。
 こういう論鋒は、主膳としては峻烈でもなく、僻見《ひがみ》でもなく、真実そう思っているのですから、憚《はばか》りなく言ってのけてしまって、なお平然として石刷をさぐっているのです。
 こうして神尾主膳は、二三の拓本を求めて悠々とこの本屋を立ち出でましたが、時はもう黄昏《たそがれ》です。根岸へすんなり帰るのも、気が利かないような気持がして、なんとなく、池の端の方をブラつこうという気になりました。

         七十三

 神尾主膳はこうして、池の端のきんたいえんの傍を通ると、書画会の崩れらしいのら者が、三々五々と帰って行くのを認めました。いずれも気取ったなりをして、軽薄な笑い話をしながら肩を並べて帰って行く。
 近頃の書画会というやつは、酒と芸者が入らなければ出来ないことになっている。堕落しきった奴等だ。
 主膳は、書画会の崩れののら者を横目で睨《にら》んで行くと、
「え、え、いかあさま――御安直に一つ、いかあさま」
 これもまた、いやに気取った兄いが、三味線弾きをひとり引連れて、客をあさって歩くのを見る。
「いかあさま、御安直に……」
 新内の流しか、こわいろ使いか。そんな奴等にしても、以前は御安直に、御安直に……なんて言わなかったものだ。こいつは人の面さえ見れば、いかあさま、御安直にと言っている。かりにも江戸者に似合わねえしみったれ[#「しみったれ」に傍点]な奴だ、と見ていると、ようやくお得意を一軒くわえたと見え、三味線がシャラシャラと鳴り出して、
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「御安直なるいずれも様に、弁じ上げます標目の儀は、薩摩嵐《さつまあらし》か西南の太平記……」
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 軍鶏《しゃも》を締め殺すような声。
 なんだ、江戸前を誇りとしているこいつらが、新内か、江戸役者のこわいろでもやり出すかと思えば、近頃はやり出したこいつが上方筋か、イヤにきんきんした、そのくせ、みみっちい声を出しゃがる、聞くともなし聞えるところは、あっちを取入れたり、こっちを焼直したり、いま長崎で敵討をはじめたかと思うと、唐の南の方へ繰出して、ガタガタ慄《ふる》えたりなんぞしている。それを一くさりやって、したり面《がお》に歩みをうつしながら、
「お次は一つ、目新しい酒屋ぞめきというのを、いかあさま、御安直に……さあ、御安直にお遊び下さい」
 なるほど、御安直を看板の芸術――御当人、この臭い、アク抜けのしない芸当を、大江戸の真中で押し流して歩いて臆面のしないところ、たしかに出が阪者の下等な奴だ。
「さあ、御安直に、いかあさま、新古おしなべての五もく節、御安直に、いかあさま――」
 それでも、このアクドイ臭い芸術が、右からも、左からも、口のかかるところが不思議。
 江戸前の芸当てやつも、こうして阪者の鼻持ちのならぬ臭い奴に、日に日に侵入されて行くのか、近頃の江戸ッ児も舌ったるくなったものだ、誰かあんなのブチのめす奴はねえのか。
「では、ひとつ、物真似《ものまね》てやつを、御安直にお聞きに達します」
 そこでまた三味線がペンチャンと鳴り出して、豚の吼《ほ》えるような声、それを聞いていると、当時江戸で有名な芸人の芸風を物真似でしゃべり出している。それを上方弁のアクの抜けないのが、いっぱしアクを抜いた気取りで臆面なくやってのけるものだから、歯が浮いて、聞いてはいられない。
 でも、やっぱり感心に、右からも、左からも、声がかかる――
「御安直は芸が冴《さ》えている!」
 何が冴えている! 江戸ッ児も、もう駄目だ。
 馬道で百姓を見せられ、池の端で御安直を聞かせられた主膳は、癪《しゃく》に障《さわ》って山下を歩きながら考えました。
 取るに足らぬ安直な芸術とはいえ、あの泥臭い上方芸が、江戸前をのさばるということがすでに天下大乱の兆《きざし》だ――
「御安直なるいずれも様へ……」
 そのキンキンした溝臭《どぶくさ》いちょんがれ声が耳について、プンプンしながら根岸の宅へ戻って来ると、今晩は珍しくお絹が待っていて、しかも上機嫌でチヤホヤしたのは、主膳を歓迎して御機嫌をとる意味ではなく、何か自分の方に嬉しいことがあって、それでそわそわしているものとは見て取れる。
「あなた、今日は、あなたのお留守中に、珍しい人が見えましたよ、全く珍しい人、どうしてここがわかりましたか知ら」
「誰だ」
「相馬の金さん」
 相馬の金さんと聞いて、主膳がさすがに眉《まゆ》をひそめざるを得ませんでした。

 相馬の金さんと聞いて、主膳ほどのものが思わずうんざりしたのは、わけがありそうです。
 それはこうです。相馬の金さんといえば、誰も知っているほど通っていたが、本来は相馬姓ではなく、自ら相馬の子孫と称してはいたが、実は戸村なにがしという、お屋敷添番をつとめた旗本の一人ではありました。
 この男が、主膳も眉をひそめるまでの無頼漢であったというのは、麻布の長者丸あたりにあった屋敷の、門の扉などは疾《と》うになくなっていて、荒縄を一本、横に張って、扉の申しわけにしていたというくらいですから、その荒廃の程度がわかる。
 幾多の無頼漢を集めていて、自分がその親分気取りでいる。同じ無頼程度で言っても、神尾あたりは、それと比較すれば身分も上だが、品位も上になっている。
 この相馬の金さんは、金に困ると、青山辺の質屋へ、よく蛇を刀箱に入れて持って行ったものだが、その言い草には、これは先祖伝来秘蔵の名刀だが、他人が見れば蛇に見える!
 ことに尾籠下品《びろうげひん》なのは、ある時、七人の手下と共に、ある商家を強請《ゆすり》に行った時、金を貸さなければ店前《みせさき》を汚すよといって、七人が七人、店前で尻をまくった。この時の尻をまくるというのは、ただ着物の裾をひけらかすだけではない、本物の臀肉を裸出させて、そうして、それでも七人の手下は、それ以上にはやらなかったけれども、金さんだけは正銘に、こてこてとやらかしてしまったという――その悪辣下品《あくらつげひん》さには、主膳ほどのものも面《おもて》をそむけないわけにはゆかない。
 それが今ごろになって、何しに来たのだろう。お絹の言うところによると、馬道の本屋でお見かけ申したから、所見当をきいてやって来たに過ぎないという。別段に、こだわりも無いようだ。
 相馬の金さんのことは、それだけになって、次にお絹がいい気になって喋《しゃべ》り出したのが異人館の話でしたから、たまりませんでした。
 主膳は苦りきって、文句を言うのさえ癪でいるのをいいことにして、異人館の設備の隅から隅まで行届いていることと、それからぜひ一度あなたもそれをごらん下さらなければならないこと、そうして、異人さんなるものが決してそう毛嫌いをすべきものでなく、広く世間を見ているから、胸が広くて話が面白いこと、結局、本当の通人は異人さんの方にある! 一度、つき合ってごらんなさい! 事実、主膳という男は、しらふの時にお絹の手にかかった日には、存外たあいのないことが多いが、それも程度である、今日はいろいろ不愉快がこみ上げているから、ついにムラムラとしてきた矢先へ、お絹が変なものを突きつけました。
「これは、西洋のお酒です、まあ一口、召上ってごろうじろ」
 ギヤマンの瓶に入れた幾本の酒、まずその平べったい一本を取って、主膳の前にお絹が置き並べたので、酒と聞いて、和漢洋のいずれを問わず、主膳の気がやわらぎました。
「なに、これが毛唐《けとう》の酒?」
「まあ、ものはためしだから、召上ってごろうじませ、おいやでしたら、吐き出しておしまいなさい――でも、じっと辛抱して、咽喉《のど》を通しておしまいになると、また乙だなんておっしゃるかも知れません、ものはためし、食べず嫌いなんていうのがいちばんやぼでございますからね」
とお絹は、ギヤマンの栓を外《はず》せばコップになっている仕かけのを抜いて、主膳の前に置き、一杯を注いでやりました。
 異人及び異人館の讃美と講釈には、ムカツクほど、うんざりせざるを得なかったが、酒といって眼前に出されてみれば、主膳としてまた心が変る。
 やがて主膳は、それをけなし、けなししながら飲みにかかりました。
 それ、酒の趣は燗《かん》にある、燗をしない酒に何の味がある、この色はどうだ、第一このギヤマンなんていうやつが杯酒の趣に添わないやつだ――酒中の趣というものは、一陶の酒といって、すっきりした陶土の器でなければ……なんぞと小言を言いながら、それでも、チビリチビリと飲むには飲むのです。それを傍らからお絹が取りなしたり、弁護をしたりしてすすめている。その様子を見ると、お絹という女は、洋酒は酔わないもの、人を酔わすのは日本酒に限るものだとばかり考えているもののようです。そうでなければ、最初から、この男の持った病を頭に置いてかからなければならないのに、今日は、あれもこれもとお強《し》い申している。
 見る間に一本は空になって、また次なる一本を、
「これはまた変っておりましょう、この方が少々甘口かも知れませんが……」
 やっぱりそうだ、ためしに飲む酒と、飲ます酒は、人を酔わさないものと心得ているに相違ない。そうでなければ、洋酒というものは、本来、人を酔わすものでないという先入主でかかっているのでしょう。
 お絹自身は飲まないから、その強弱のほどはわからないのです――あれも、これもとすすめるうちに、ついに主膳をしてろれつ[#「ろれつ」に傍点]の廻らないものにしてしまいました。
 そこに至ってお絹が、はっ[#「はっ」に傍点]としました。おやおや、西洋の酒も人を酔っぱらいにしますねえ――してみると、これは度が過ぎましたねえ。
 お絹は、はっと狼狽《うろた》えて、思わずギヤマンを取隠すような気になって、手を延ばした途端に、主膳の面《かお》を見ると、その三眼の貪婪《どんらん》にはじめてギョッとしました。
「お絹、もっと飲ませろ」
「ああ、もう、このくらいになさいまし、ねえ、あなた」
「いいんや、もっと飲ませろ、飲めば酔い、酔えばまた飲みたくなる、酒の持つ執念というものは、毛唐も日本も同じものじゃて、ハハハハハ」
 高らかに笑った主膳の声が、屋敷いっぱいに物凄《ものすご》く響くのを聞きました。
「もうおやめあそばせ、馴《な》れないものを、たんと召上ると毒でございます」
「ハ、ハ、ハ、お前がすすめておいて、いやがるおれに飲ませながら、今更そんな野暮《やぼ》を言うない」
 主膳はのしかかって、お絹の手からギヤマンを奪ってしまいました。
「ほんとに、いけませんねえ」
 お絹はその時、西洋の酒を憎みました。西洋の酒でなければ、ここまで主膳を酔わせるようなことをしなかったのに、今はもう是非がありません――まず、とりあえずの仕事は、主膳の身辺にあって、病気が発した時に兇器となるべき物を押隠してしまうことでなければなりません。
 幸いにして、この長押《なげし》には主膳の得意な槍がありません。両刀がこの酒席よりやや遠いところにありました。
 お絹はなにげなく、その刀を取って、自分の後ろの方にかいやりました。
「ハ、ハ、ハ、ハ」
 主膳はそれを気取《けど》るや気取らずや、高らかに笑い上げた面をお絹の真正面に向けて、
「お絹さん、お前、ラシャメンというものを知ってるか……ラシャメンという淫獣を知ってるか、毛唐のやつは、ラシャメンを買って人間扱いにはしないそうだ、そうだろう、毛唐本来が人間の部ではないのだ、だから、人獣相楽しむというなまやさしいのではない、獣々相楽しむということになるのだ、ははははは、お絹、そちはラシャメンを知っているか――おれも放蕩はしたが、まだラシャメンを買って楽しんだためしがない、お絹、何とかしてくれ!」

         七十四

 昨晩、ああいう珍劇を演じたにもかかわらず、今朝は至って閑静なもので、神尾主膳はおひる近い時分になって起き出でて、朝餉《あさげ》の前の仕事が、昨日買って来た拓本を開いて見ることでした。
 食事が終ると、もう他事は忘れてしまって、右の拓本を前に、机に向って墨をすりはじめました。これから一心に書道|三昧《ざんまい》の境に入ろうとするのであります。
 昨日、馬道の本屋から探して来た拓本が二通あります。
 主膳は、朝食前からつくづくとそれを眺めていたが、ここに至ってその肉細の方の一本を前に置いて臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]《りんぼ》を企ててみたものです――
 暫くの間というものは、その肉細の拓本に向って一心に臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]を試みていたのですが、
「どうも、いけねえ、やれそうでやれねえ、見ているとこのくらいやれそうで、やってみるといよいよむずかしい」
と言いながら、手本と自筆とをしきりに見比べていましたが、
「駄目だ、見れば見るほど手本が上って、自分のが落ちて来る、全く及びもつかないというやつだな」
 こう言って、もう、その肉細の拓本の臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]を諦めてしまったようです。
 ここにただ肉細の拓本とだけで片附けてしまっているが、その何人の原筆になるのだかは主膳もよく心得ずに購《あがな》い来《きた》ったものであります。
 心得ずに購い来ったというものの、手当り次第に不見転《みずてん》で買って来たのではありません。
 これは、確然として、支那の名筆の一つであるということだけは見極めをつけて、特に択《えら》んで買って来たものであります。弘法まがい、良寛直筆なんていうものは、てんで受附けようともしなかったほどの主膳が、わざわざ多数のうちから選択して買って来たこの二通の拓本は、決して無鑑識の品とは言われないものであります。
 まず、最初に説明しなければならぬのは、主膳はこのごろ、書道に於てこういうことを考えはじめているのです。
 どうも、楷書《かいしょ》を本格に手に入れてからでなければ、書道を語ることはできない。出直せ、出直せ。それを痛切に主膳が考えておりました。山陽だとか、小竹《しょうちく》だとか、海屋《かいおく》だとか、広沢《こうたく》だとか、そんなことがいけない。本当に書をやるには、本家本元の本格のものに就いて正楷を本当に叩き込まなけりゃならぬ。今まで自分のやっていたのは、殿様芸にも足りない、我儘《わがまま》と気任せを得意になってのたくらせていたようなものだが、ようやく、書の味が少し深くなって来ると、自分のものはもちろん素臭紛々たるものだが、いわゆる玄人《くろうと》のものといえども和臭紛々――壁隠しにしてさえいい気はしない。ましてお手本なんぞ論外である。
 本当に書道を楽しむなら、今までのものをきっぱりと捨てて、全く出直さなければならぬ、それには日本の書家については駄目だ、支那の本格のものに就いて、本格に――特に楷書から――主膳はこういう自省に到達していたのです。
 そこで、昨日の馬道の本屋あさりも、右の持論によって、よきお手本を探し出そうとの目的でありました。そうして選に入ったのが、右の二通の拓本でありました。
 更に右の二通を選び出した目安というものが、支那の本場もよろしいが、秦漢《しんかん》だとか、六朝《りくちょう》だとか、稚拙だか豪巧だか知らないが、あれはちょっと近寄れない。そうかと言って、ずっと後世になっては有難くない。そこで主膳は一生懸命になって、唐代あたりに目安を置いて、そうして右の二通の拓本をあさり出して来たものでありました。
 たしかに初唐――と主膳の鑑識のあやまたなかった点は感心でありましたが、なにしろ右の拓本といえども完本というわけではなく、残欠を多数の中から漁《あさ》って来たのですから、風格は確かに初唐であっても、筆者は何の誰人であって、文章は何をうつしているのかという点には甚《はなは》だ不明瞭の思いを以て、買いは買って来たのです。
 そうして、今朝来、幾度か玩味しながら、右の拓本のうちの肉細の一本に向って臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]《りんぼ》をはじめたのですが、手をのべれば届きそうで、追えばいよいよ遠いことを知るに及んで、筆を投じたものでした。
 そのうちに、彼は拓本を幾度か見比べ見直し、印章のあたりに眉をすりつけたりなんぞして、
「とうてい及びもつかねえ――」
 ついにそれを抛《なげう》って、次にやや肉太な他の一本を取って、同じく臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1-84-88]を試みたが、この方が主膳の趣味筆力にも合致するものがあるようなので、大乗り気になって、且つ写し、且つ眺めて、我を忘れているのであります。
 そこで主膳は、この肉細の方の楷書は、まだ手前共の歯に合うものでないとしてしまって、暫くこの肉太の方を師友として、あがめ侍《かしず》くようにしようとの課目をきめてしまったようです。
 そうして、筆をさし置いて見ると、いずれをいずれとして、原本の筆が見れば見るほど絶妙だと感ぜずにはおられません。今まで自分が師事し来っていた法帖類は、全く顔色が無いのです。
 僅々《きんきん》たる残欠頁の拓本でさえこの通りの光がある。支那はエライ国だ、支那といえども外国は外国に違いないが、近ごろはやりの毛唐とは品が違う。赤ひげの毛唐はみみずのように横へ筋をのたくらせることのほかには何を知っている。
 支那という国は全く底の知れないエライ国だ、日本人もこれ、支那から文字を持って来て書いていること千有余年に及ぶが、こういう字を書ける奴があるか、平安朝の最初時分の二三人を除いては全く格段の違いだ、ことに近頃の学者や書家共の字ときたら――何だ、お話にもなんにもなったものではない。
 主膳はほとほと、この二つの拓本を見て感に堪えてしまって、しかしまあ、いくら本場だといって、これほどに書ける神様がそう幾人もあるべきはずのものではない、ここいらは本場のうちでも、絶品に近いものに相違ないが、いったい、この筆者は誰なのだ……
 本屋の番頭なんていうやつは、近ごろ半可通がチヤホヤ言うものだから、良寛たら何たらいう田舎寺《いなかでら》の坊主のキザな筆蹟なんぞを洪壁《こうへき》の如く心得ている者共だから、拓本とはいえ、こういう神品には気づかないで、紙屑同様、択り出しに任せているくらいだから、何の誰という当りなんぞはつきはしまいから、尋ねてみるのも無駄だが、筆者の名が知りたいな。完本でないから、印章も欠けているし、奥書もなにもないから、まるで手がかりは無いのだが、本来、拓本[#「拓本」は底本では「択本」]とはいえ、これだけのものを支那から取寄せた奴があったとしてみれば、目のある奴には相違なかったろう。そいつがもう少し念入りな保存法をして置けばよいのに――何か手がかりはないかな。
 主膳はそれを知りたさのあまり、幾度も幾度も、打返し打返し紙面を改めてみたけれども、さっぱり当りがありません。しょうことなしについ裏を返して投げるように眼をやると、唐紙の裏打ちの一端に小さな墨の文字のかきいれがあることを認め、吸いつくように見ると――最初の肉細の方の一本です――
[#ここから1字下げ]
「※[#「衣へん+者」、第3水準1-91-82]遂良《ちょすいりょう》拓本」
[#ここで字下げ終わり]
の五文字。はっ! とした主膳がそれを確める遑《いとま》もなく、第二の肉太の拓本の方の裏を返して見ると、同じように墨のかきいれ――
[#ここから1字下げ]
「等慈寺碑《とうじじひ》拓本、顔師古《がんしこ》筆」
[#ここで字下げ終わり]
 委細わからずに、まずこの細字の記入《かきいれ》が、重大なる手がかりを与えたかの如く、主膳を狂喜させました。

         七十五

 かえって説く、不破の古関の関守の家では、昨夜「関山月」を吹いた関守と、机竜之助とが、白昼炉を擁して、閑々たる物語をしていました。
 この、白昼、炉を擁してという言葉が、一応吟味すると、意味をなしていない言葉のようです。炉というものは、白昼なると黒夜なるとを論ぜず、物を煮たり、人をあたためたりすることのための造作の一つである。これが、白昼、燈火を掲げてというような意味ならば怪《け》しくもあるが、白昼、炉を擁すということは、意味を成さない言葉であるにかかわらず、それがふさわしいものに感ぜらるるほど、この場が明るいものであります。
「御存じの通り、関山月という曲は、もと胡曲でございます、ただ、海風万里関山月、海風万里関山月――と連続的に吹くだけのものです」
 関守は、これ以上には出典も解説も無いものときめてかかっている。竜之助は、それをもっと深く引き出そうともしないで、黙っているうちに、炉の焚火が、いい心持に身をあたためてくれます。
「ところが、その単調な関山月が、拙者の身にとっては容易ならぬ思い出でございましてな。昨晩は、あれを手向《たむ》けの心で吹いておりました。その手向けの一曲が、はからずあなた方を引寄せてしまいました。承ってみれば、この懺悔を私からして打明けてみない限りは、関山月も浮ばれまいかと思います。そもそも誰に罪があるわけではございません、この尺八の一管が悪いのですな」
 関守は、昨夜吹きすさんだ、かなり古色を帯びたところの一管を取り直して、竜之助の前につきつけますと、
「拙者も尺八は好きだ――必ずしも拙者が好きなのではない、父が好んでこれを吹いたものだから、つい見よう見まねに――覚えこんでしまいました」
「一つ吹いてごらんなさい、この竹はなかなか宜《よろ》しい竹です」
 取り直した尺八を、今度は、竜之助の膝の上にのせてやったものですから、竜之助も、それを受けないわけにはゆきません。
「では一つ、お聞きに入れますかな」
 彼は膝を組み直して、一管を斜《しゃ》に構えました。
「いい形ですね、あなたのは、形が出来ていますよ」
と関守が言う。
 お世辞ではない。
 まさか、尺八を吹くのに音無しの構えというのがあろうとも思われないが、吹かんとして構えた姿勢は物になっていました。
 物になっていなければならないはずです。剣を取るにしてからが、字を書くにしてからが、形がととのわなくて物になるはずはない、物になっている人で、形のととのわぬ人というものはあるべきはずのものではないから。
 関守は、尺八を取り直した竜之助の姿勢を見て賞《ほ》めました。
 賞められた竜之助としては、正師をとって、そうして、厳しくしつけられた形ではないが、父の弾正の遺伝として、こうしなければ音を出せないものとの観念が、知らず識《し》らず出来ているに相違ない。
 そうして、歌口をしめすと、無雑作に尺八が音を立てそめました。
 吹き出でたのは、例の覚えの「鈴慕」の一曲。
 それ、「虚空」が天上の音であって「虚霊」が中有《ちゅうう》の音、「鈴慕」に至って、はじめて人間《じんかん》の音である――ということは前に述べたこともある。それを繰返して言えば、行けども行けども足の地上を離るるということなき人間の旅――歩み歩ませられながら、御自分は、いずれより来って、いずれに行くやを知らない、萩のうわ風ものわびしく、萩のうら風ものさびしい、この地上を吹かれ吹かれ、流され流され行く人生――そこに蝸牛角上の争いはあるけれども、魚竜ついに天に昇るのかけはしは無い、纔《わず》かに足を地につけながら仰いで天上の楽に憧れるの恋がある、「鈴慕」は実にそれです。さればこそ、無限の空間のうちに、眇眇《びょう》たるうつせみの一身を歩ませ、起るところなく、終るところなく、時間の浪路を、今日も、昨日も、明日も、明後日も、歩み歩み歩ませられて尽くることなき、旅路になやむ人にとっては、「鈴慕」の音節ほど、人間の脳を根本から振り動かして泣かせるものはないのです。
 ただ、音楽というものは天才の仕事であるし、天才はまた人格――世間の言うよりは、もっと広い意味に於ての人格の仕事には相違ないけれども――ただ一つ、最も怖るべきことは天才が無くとも、人格が無くとも、ただ楽器そのものの有する権能が、それにハープを与えさえすれば、ある点まで人生の秘奥が開放されてしまうという危険――ヤスヤナポリヤナの聖人は、これがために渾身《こんしん》の恐怖を感じている。孔夫子でさえも、その人によってその楽《がく》を捨てず、とはまだ道破していなかった。自ら感ぜさせたものが、人を感ぜしめるところの烈しい魔力。
 天上に導く力があるものは、また地上に叩き落す力もなければならない。
 吹き終った時、怖ろしいほど長い沈黙が二人の間に続きましたが、その後に、関守が感慨深く言いました、
「われわれ世捨人にとって、鈴慕の曲ほど罪な曲はありません――」

         七十六

 何が、どう緒《いとぐち》になったか知れないうちに、関守の懺悔話《ざんげばなし》となりました。
「やつがれが漂浪の身も、もとはと言えば恋からです。恋も、尋常の青春の戯れというようなものではありませんでした、血の出るような恋愛――つまり、不義の恋であったのですな。もとより、主ある人の妻を犯したのです」
「…………」
 竜之助は、関守の己《おの》れを曝露することに対して呻《うめ》きました。
「まあ、お聞き下さい、こんなことは話をするのも愚かの至りですけれど、この愚かさを引出したのは、あなたの鈴慕です。あなたの鈴慕は、人をして天上にあこがれしめないで、地上に引落す鈴慕でしたから、是非もありません。そこで……」
 それを前置にして関守は、次のような長話にうつりました。
「拙者が、若い、まだ二十台の時分でした、拙者の友人に妻がありました、その時は拙者にも、もはや女房があったのですが、その友人の妻は、家中でも一二と言われる美人でした、美人でそうして貞淑な、ほんとうに奥様として申し分のない女でありました。その友人というのが、無論、拙者には竹馬の友でして、鈍重な男ではあるが、軽薄才子ではありません。おたがいは兄弟同様の交りをつづけていたものですが、その友人の妻と夫との間は、それよりも親しいものでした。親族関係はないが、双方の親たちが許して、子供の時分から友人の家へ引取って、生活を共にしているものですから、当人たちは他人ということも、行末は夫婦というものになるのだということも、よく知っておりながら、その感情は、兄妹と同じように熟してしまっているのですから、いざ結婚ということが、少しも感激になりませんでした。要するに一つの儀式に過ぎないものになって、それを通過した後は、やっぱり兄妹と同じことの親密さ以外の何物も味わえなかったし、また二人としては、味わおうとも期待していなかったし、味わうべきものでもなんでもないと、世の中の夫婦関係というものには、親密以外の何物もあるのじゃないと、もう、ほとんど先天的みたように、そう思いきって暮していた間へ、拙者というものが現われたのです。いや、拙者が現われたのではなく、この短笛――この一管の曲者《くせもの》が魔風《まかぜ》を吹きこんでしまいました」
 関守は手をのべて、竜之助の下に置いた尺八を、自分の手に取戻して、話をつづけました。
「昨晩のような清風明月の夜の合奏が、そもそも事を起させる夜でありました。そのいきさつのくわしいことは申しますまい、それより拙者も恋をする人になりました。しかし、相手方の愛は、こちらよりも一層哀れなるものでありました。彼女は、はじめて恋愛というものがこの世の中に存在しているということを知ったのです――拙者の方は、必ずしもそうではありません、その時の自分の女房とも恋愛に似たものを経験していたし、その以前にも……とにかく、夫婦というものを、兄弟とより以外の親密に置くことを知らなかった女が、魔の如く、鬼の如く、火の如く、水よりも烈しい、曠初以来、人間を手玉に取って、炎々たるるつぼの中へ投げ込むところの、投げこまれて悔ゆることを知らない恋愛という怖ろしい力に、生れて初めて当面した、友人の妻の力というものは、哀れにも大きなものでありました。拙者とて、若い身空ではあり、もとより日頃より嫌ではないという感じを持っていた、しかも本当の意味での美人らしい美人でしたから――憎かろうはずはないのです」
 関守は感情に圧迫されたように、言葉を区切り、やがて、渋茶を一ぱい飲んで咽喉《のど》をうるおし、
「こういうことの結果は、たいてい世間に見られる通りの破滅の道に急ぐのが通例でしたけれど、幸か不幸か、この怖ろしい二人の間の魔力が、全く予想外に無難に進んで行きましたのは――友人は竹馬の友で、拙者を少しも疑っていない、よし疑っていないまでも、自分の女房に対しての自覚と、特別の愛情とがありさえすれば、おのずから警戒という心が生ずるものなのですが、その友人は全く警戒をしていないのです。自分の女房にあやまちがないと絶対信任しているというよりは、女房があやまちをしたからといっても、それを咎《とが》め立てするほどに女房に対して隔意を持っていないほどに親密――とでも言った方がよいでしょう。ですから、二人の間の火の出るような関係が、少しもさわりなく――そうしてまた友人の妻も、それをよいこととは信じていなかったであろうが、衷心《ちゅうしん》から悪いこととは信じきれないで、愛せねばならぬ人を愛することも、恋せずにはいられない人を恋するのも同じことである――そこで、この奇妙なる関係が、妻は妻として今まで通りに夫を愛し、新たな愛人は愛人として、渾身《こんしん》のあるものを捧げるということに矛盾を感じていなかったようです。ですから、拙者を愛してもまた、彼女は貞淑善良なる友人の妻であることを失いませんでした。拙者としてもまた、おのずからの力で、こう進められて行ったその力に抗しきれないだけで、友人の妻を奪ったとか、おくびにもその痛快をひらめかすとか、嫉妬を煽《あお》るとかいうような振舞は少しもしないで、竹馬の友は竹馬の友として昔に変らず、表面の交際をつづけて行ったのですから、二人は、もう不義の恋ですが、今でも拙者は、不義とはどうしても覚りきれませんが、本当に溶けるような甘い思いを味わって行きました。いや、こんな話は、お聞かせ申すべきはずではござらぬが、さいぜんも申す通り、拙者をして、語るべからざることを語らしむるように誘発された責めは……あなたにある、いや、あなたの鈴慕がそれをそうさせたのだから、拙者として語りつくすところまで語り尽さなければ、話端《はなし》の業がつきないのです。まず、お茶を一つ召上れ」
 渋茶を竜之助にもすすめ、自分もまた飲んで後に語りつづけました。
「ところが、その道ならぬ恋を、どこまでも奥深く味わい尽させるように、我々の環境が出来ていたというのは、拙者の女房です――拙者の女房も、決して悪い女ではありませんでした、家中で身分のいい家の娘で、拙者とは多少の恋愛感情と、相当受難をもって出来た間柄ですから、拙者は、友人の妻との関係が出来てから、友人そのものに対する感じよりも、自分の妻に対して、済まないという良心の働きが先でしたけれども、女というものは、そういう感覚はいっそう鋭敏であって、拙者が良心に済まないと感ずる先に、拙者の挙動を見抜き、感じぬいていました。そこは女ですから、大いに悲観して、拙者の上に重い感情の圧迫が下りましたけれど、拙者は、もう覚悟して、女房に向って一切を打明けてしまったのです。それがよかったのか、女房が賢かったのか――それから以後、女房がかえって我々に同情してくれるようになりました。それは女のことですから、事に触れては感情がいら立ったようですけれども、一面にはまた友人の妻と、拙者との間に同情して、二人の間をかばってくれる――という行き方もありました。自分の夫が、自分に対しての愛を失わない限り――二人の間を黙認する、そういう折合いが、拙者と女房の間に熟して行って、冗談《じょうだん》と、からかい気分でも、おたがいの関係をあしらえるほどになって行き、拙者の女房は内心で、家中一二を争う美人、殿様でさえがお気があって物にならなかった女が向うから落ちて来たという自慢――女には強烈なる嫉妬心と共に、こういう変則な自負心もあるものなのです。わが夫なればこそ、もの[#「もの」に傍点]にできない相手をもの[#「もの」に傍点]にする――もとより、そんなことを自慢|面《がお》に口の端にのぼせるわけではないが、そういったような感情さえも拙者には見られるほどに、おたがいの心は打解けて行ったのだから、四人二家族は、もう他人のような感じはしないのでした」
 今まで、尺八を構えた姿勢で坐って聞いていた竜之助が、ごろりと横になって、肘枕《ひじまくら》にあちらを向いたのはその時のことです。
 話題をさまたげる何物もない以上は、ここまで語れば、いやでもその行く道を語りつくさねばならない関守の告白、じっとしている限りは、受けきれても、受けきれなくても、受けねばならぬ竜之助の立場であります。

         七十七

 関守は炉の薪を加えながら、綿々として語りつづけました――
「こうして、我々の間は無事に、沈黙と、黙許と、妬心《としん》の間の諒解《りょうかい》と、愛の分割と集中とを自由に許される気持のうちに、夢のような、飯事《ままごと》のような、また何ともいえない甘苦しい陶酔のうちに、それでも無事に日は進行して行きましたが、ここに許さない故障が一つ湧き起りました、それは世間というものです」
 鉄瓶がちんちんと沸騰してきたから、関守は火箸をあげて、ちょいと蓋《ふた》のつまみを外《はず》して置いて、
「世間というやつほど、お節介《せっかい》なものはないのです――本来、こうして、我々当事者間が無事に進行して行きさえすれば何のことはないはずであるのに、利害も、感情も、関係のないはずの世間というやつが、かぎつけて騒ぎ出しました。まことによけいなことです、平地に波瀾を起すのはまだよいが、溝の中を掘りさげて、溝泥《どぶどろ》を座敷の中に蒔《ま》き散らすようなことをして、そうして世間というやつは、いっぱし正義を行い、道徳を保護しているのだという気になるのだからたまりません――誰いうとなく、我々の間が世間の口の端《は》にのぼると、その口の端が口火をつけて、二人の最寄りのところから、手づめの圧迫が起るようになって来たのです。すなわち一方は友人の親戚の者――一方は拙者の妻の身よりのものです。友人は右に言う通りの心理状態であり、拙者の妻は同情を以てかばい合うというほどに打ちとけているにかかわらず、これではいけないと、火事の火元でも見つけた気になって騒ぎ出したのが、世間というお節介で、それに油をそそぐのが親類という御親切者です。この二つの火の手で、我々の善良な二つの家族が無惨に焼き亡ぼされたのみならず、いくつの人命の犠牲までが現われたというのは愚の極、劣の極――これは世間の罪です」
 世捨人としての関守が、世間をのろうようなことを言い出したのも話の順序でしょう。
「世間というやつは、なんでこういうお節介なことをしなければならないのか、今では、それも相当にわかっていますが、その時は血気盛りでしたから、むやみに憤慨しました。いったい、家中の面目だの、武士の道義だのと言うけれど、殿様――つまり国主大名といったような連中にも、家臣の女を自由にするはもとより、その妻を犯す者がいくらもある、それは大抵無事に塗りかくしてしまって、我々の純なる、おたがいに許し合ってさまたげのない仲を、わざわざあばき立てて、どうしようとするのだ。しかし、憤慨したところで、上りはじめた火の手はいよいよ強くなるばかりで、二家四人を取囲んで、むしむしと焼き立てました――こう周囲から煽《あお》られると、いやでも自火になることを免れられようはずがありません、こうして我々は、内外共に破滅の時が参りました」
 関守がそこで長大息をして、
「その結果がついに、世間の手で友人の妻を殺してしまいました、夫の膝を枕にして友人の妻は、自分の手で自分の生命《いのち》を、武士の妻らしく処決してしまいましたけれども、実は世間というものが殺したのです。世間は、あの妻の、罪とはいえない美しい罪を責めて殺しただけでは納まらず、その無心な夫をも殺してしまいました、その時に、友人の妻は、友人の手に介抱されながら死にました、同時にその友人も、武士らしい処決をしてしまいました。夫の膝を枕にして、その破滅の身を横たえている妻なる人の屍骸を見た時に、拙者ははじめて憎いと思いました――その当然の帰結として、同じ枕に、もう一人の男が命を絶たなければならないのです。いや、これよりも以前に、こうしなければ面目の立たない男が一人いたのですが、その男は死におくれました。死におくれたとはいえ、死を怖れたのではない、その男は友人の妻の屍骸を、友人の膝から抱き取って、同じ運命に急ごうとした時、それをそうさせないものがありました。死んでも死にたりない身、二人がこうなる以前に、こうしなければならなかった身が、ひとりわれと我が身を処決のできないようにしてしまった一つの力がありました。それは、拙者の女房であったのです……
 拙者の女房は、この場へかけつけて、拙者を死なせませんでした。あなたがいま死んではなんにもならない、ただ犬死だけで済むならば、その犬死でもようござんすが、あなたがここで死んでしまえば、九族までが未来末代の恥を着なければならない――この二人を殺したのはあなたでもなければ、わたしでもありません、またこのお二人の自業自得でもありません、この二人を殺したのは、世間というお節介者です――世間が殺したのだから、世間に罪を負わせてやらなければならない道理をお考え下さい、と拙者の妻が諫《いさ》めました。つまり、この御夫婦は、世間の誤解のために殺され、身の潔白を証拠立てることに死んだのである、それを、あなたが、ここで同じ枕に死んでしまえば、かえって世間の誤解に裏書きをし、せっかくのお二人の身に潔白が立たないとこう言うのです。ですから、あなたはここは、どんなにしても生きていただかなければならない、わたしがどうしても殺さない、そうすれば世間が自分で自分の罪を着ます、ああ、あの夫婦は潔白なものであった、死を以てそれを証明するほど潔白なものであったと――一切を帳消しにしてしまいます、そうすれば、あなたも不義の名をのがれます、わたくしも、わたくしの一家も、不義者の女房として、親類としての世間の批評からのがれることができます、ここは、あなた一つの身体《からだ》であって一人のものではありません……と女房がこう理《ことわり》をわけて、拙者の死を、金剛力でおさえたものです。そこで拙者は、死ぬにも死なれない苦痛に全く昏倒していましたが、万事、拙者の女房が捌《さば》きをつけてくれました。女房は、拙者に諸国修行をすすめました、自分は甘んじて離縁を取りました。以来、拙者はこうして旅から旅に淋《さび》しく老い行こうとしますが、その昔のことは一切思うまい、見まいとして今日までやって来ましたが、今日になって、長々と三十年前の愚痴を繰返して作業《さごう》を新たにするのは、自身の罪ではありません、鈴慕に誘惑された一管の罪です。どうです、その尺八を砕いて、この火の中にくべてしまおうではありませんか」
 ここで、関守の身の上の長物語は一通り終りましたが、竜之助は、いつか知らず右の尺八を膝の上にのせていたのを、また取り直して構えながら、
「よろしい、では最後の思い出に、もう一曲吹いてみよう」
 歌口をしめして、再び吹き出づるこれが、またしても鈴慕の曲――

         七十八

 不破の古関のあとに近く、その板廂《いたびさし》の屋の棟の見ゆるところまで来て、弁信法師が、はたと歩みをとどめました。
 盲目《めくら》とはいえ、この旅路に於ては弁信が手引であって、お雪ちゃんが追従の形でありましたから、弁信が行くところへは行き、その留まるところへは留まらないわけにゆきません。杖《つえ》を立てた弁信が首を傾けて、物の音に聞き入りました。
「いけません――」
「どうしたのです、弁信さん」
「あの笛の音をお聞きなさい」
「そうねえ」
 お雪ちゃんが耳をすます時、荒野をつとうて、清亮なる一管の音色の冴《さ》えてここに伝わるのを聞きました。そうして、その一管の音もどこから起りましょう、まさしく、原中の一軒家に近い、あの不破の関屋の板廂のあたりから起る以外の何物でもありません。
「あ、弁信さん、あれは鈴慕《れいぼ》です」
 弁信が教えるまでもなく、お雪ちゃんが先刻|合点《がてん》の音色でした。
 その音色をさとるとお雪ちゃんが、胸をわくわくさせて、はずみきってくる鼓動が、弁信の勘には瞭々と伝わって来るのでしょう、それを抑えるように言いました。
「まあ、お待ちなさい、お雪ちゃん、あの曲が終るまで……」
「だって」
「あれが吹き終るまで、ここに待っていらっしゃい、その上で、関屋のあとをおとずれても遅くはありません」
「でも、あれは、もう鈴慕に違いございませんもの。ああ、白骨の柳の間のことが思われます、違いません、ちっとも違いません、あの音色――あれをああして吹く人は、別の人であろうはずはありませんもの。弁信さんの勘が当りました、ほんとうに神様のようでした。ああ、いい音色……」
 弁信にささえられて、じっとしてそれを聞き惚れていたのではありません、その音色にそそられて、しばしの間も、ここに留まることをもどかしがるお雪ちゃんの心――それを弁信は沈みきって、抑留しているのは、あえて自分が、それより一寸も進もうとしないのでわかります。
「弁信さん、早く行きましょう」
「まあ、もう少し待って下さい、あの一曲が終るまで」
「わたしは、じっとしていられない、あなたはあの笛の音を聞いて、わたしに留まれと言いますけれども、わたしは、あの笛の音を聞いて一層、じっとしてはいられない心持になりました、行きましょうよ、弁信さん」
「ああ――」
「いけませんねえ、弁信さん、今になって、そんな心細い姿をしてしまっては……第一、わたしが困っちまうじゃありませんか」
「お雪ちゃん、わたくしはあの笛の音が気に入りません」
「気に入るの入らないのって、なにも弁信さんに聞いてくれと言って吹いてるわけじゃないじゃありませんか。あれは鈴慕です、そうして吹いているその人も、わたしには、はっきりわかっているから、こんなに心がワクワクする、それが、弁信さんにもわからなけりゃならないはずじゃありませんか」
「それは、ようくわかっていますけれどね、お雪ちゃん――人というものは、高尚な音楽を吹いても、心に邪気がある時は、人を殺します。俗曲を吹いていても、その人の心が高尚ならば人を救います。今、あの短笛の音色は決して高尚なる音色ではありません」
「まあ、ほんとうに困りますねえ、弁信さんの耳は別物なんだから話にならないわ、わたしたちには高尚だか、殺伐《さつばつ》だか、そんなことはわかりません、ただ、尺八の音がして、それが鈴慕の曲だということだけがわかるのです、それだけでいいじゃありませんか――悪ければ悪いように、当人に穏かに忠告してあげれば、それで済むことじゃないの」
「そうではありません、あの音色は――曲はまさしく鈴慕ですけれども、音色は全く違います、あれあれ、あの殺気を帯びた高調をお聞きなさい、あの低く落ちたメリカリの間《ま》をお聞きなさい、弁信でさえも、妙な心持になります、女人に聞かせてはたまらない音色です――あれです、あれが真に人を悩殺するの音色です。今、あの人は尺八を持って、それに吹き込んでいるから、まだしも幸いでした、あれが剣を持てば人を抉《えぐ》る音なのです――女を見れば、貞操を奪わねばやまぬ音色なのです」
「ああ、どうしましょう、弁信さん、わたしも女ですけれども、わたしには、ちっとも、そんな感じは致しません――ただ、清らかな鈴慕の音ではありませんか」
「そう聞えることが、いよいよ魔力の深い証拠なのです――わたくしは、これより一尺も、あなたを進ませる気になりません、少なくともあの魔気が消滅するまでは、あの笛に近いところへ、あなたという人を近づけるわけには参りません」
「そんなことを言ったって弁信さん、いつまでも、ここにこうしておられますか――そんな魔気とやら、毒気とやらが、いつになって消滅するのですか」
「ですから、こうしましょう、お雪ちゃん」
と言って、弁信はお雪ちゃんを顧みて次の如く提言しました。
「お雪ちゃん、わたくしが一足さきに行って、様子を見て来ます、いかなる現場に、いかなる人と応対なさればこそ、ああまで一管の音色が変るものか、それを、わたくしが一人だけ一足さきに行って、一通り認めて参りますから、そうして、もし、わたくしが、ちょっとでも身を現わすことによって、またその場の空気が変らないとも限りません――そうして下さい、暫く、ここにあなた一人で待っていて下さい、お雪ちゃん」
「弁信さん、あなたが待っていろと言えば、それはわたしは待たないとは言いませんけれど――何といっても、ここは関ヶ原のまんなかで、淋しいところです、淋しいのは厭《いと》いませんが、ここまで、ついぞ離れなかった弁信さんと、ちょっとの間でも離れるのが、わたしはなんだか気になってなりません、平常《ふだん》ならば何でもないのですけれど、弁信さんが、今もあんなことを言うものだから……」
「どこか、その辺に、あなたの休んでいるような家はありませんか」
「ありませんね、あ、あそこに、ちょっとしたお堂の屋根が一つ見えます」
「では、そのお堂に、人が住んでいましたら、一応の御挨拶をし、誰もおりませんでしたら、そのまま、ほんの少しの間、待っていて下さい」
「では、そうしましょう、弁信さん、すぐに帰って来て下さい」
「吉凶――いずれにしても、すぐに帰って参ります」
「では、弁信さん」
「お雪ちゃん、では、わたしが一足お先に……」
 弁信が二足三足歩き出すと、何かしら急に心細くなったお雪ちゃんは駈けよって、
「ねえ、弁信さん、もしかして、あなたの話が遅くなるとか――一人では迎えに来られなくなった時はどうします」
「あ、その心配には及びません、もしや、予想外に手間がかかるようでしたら、かまいませんから、弁信の名を呼んで出ていらっしゃい」
「かまいませんか」
「かまいません――ですけれども、辛抱できるだけは辛抱して、わたしのおとずれをお待ち下さい」

         七十九

 かくて、お雪ちゃんは、弁信を一足先に関屋へやり、自分は小一町を小戻りして、とあるお堂のところまで引返して来ました。
 そこへ来た時は、お堂には誰もいませんでしたけれども、誰か住んでいる気色《けしき》はたしかにあります。お雪ちゃんがお堂の前に彳《たたず》んでいることしばし、自分の入って来たと同じ方向から人の足音が聞えました。
 最初は、弁信さんかと爪立てて見ましたが、一直線な入口ですから、そこから来る人が弁信でないことが一目でわかりました。
 それは、手に秋草を持って、面《かお》は頭巾《ずきん》で覆うた、ちょっとこの辺には思いがけないところの、なかなか気品のある婦人の姿であります。
 仮りに、これを貴婦人と言いましょう。右の貴婦人は、こんな淋しいところへ、一人のおとももつれないで、平気で入りこんで来ることも、お雪ちゃんの眼をひきました。
 当然、あの入口を、こういうふうに進んで来れば、現にお雪ちゃんがいると同じ地点へ出なければなりません、同じ地点へ来れば、いやでもお雪ちゃんと面を合わせないわけにはゆかないのです。
 果して、先方も、ここに見慣れない旅の娘が彳んでいることを思いがけないとして、頭巾の中から一時《いっとき》こっちを注視していたようでしたが、近づくに従って面をそらし、
「こんにちは――」
と言って、貴婦人相当の鷹揚《おうよう》さではあるが、初対面の人に礼を失わずに挨拶をしてから、それをつづけて、
「あの、常盤御前《ときわごぜん》のお堂はこちらでございますか」
「いいえ、あの……」
 問いかけられて、お雪ちゃんが少し狼狽《ろうばい》しました。それは、不破の関屋のあとはどちらですかとでもたずねられたならば、お雪ちゃんとしても即答は骨が折れなかったでしょうけれど、全く予期に無かったところの常盤御前と浴《あび》せられて、言句につまったもののようです。でも、やっと、
「わたしは、旅の者でございますから、よく存じませんので……」
「あ、左様でございましたか」
と言って、右の頭巾《ずきん》の貴婦人は、お堂を左の方へ廻りこみ、
「おお、わかりました、常盤御前のお堂に相違ございません」
「左様でございますか」
 お雪ちゃんも、ていねいに挨拶をしました。
「お堂はこれとしましても、お墓は……」
 右の貴婦人は、これを常盤御前のお堂とたしかめてから、なお、堂の周囲をめぐり、中を少しのぞき込んだりして、まだ何物をか確証を捉もうとの風情《ふぜい》でいました。
 お雪ちゃんも、そう聞いてみると、これが常盤御前のお堂であるという知識から、自分も頭巾の貴婦人と同じく、このお堂を見直してみたが、別段に構造や建築に変ったものがあるとも見られません。
 お堂を一めぐりした頭巾の貴婦人は、また前の地点にもどって、お雪ちゃんとはかたみに一間ばかり間を置いたところで、立ってお堂を見直しましたが、その時、お堂の庭の右の隅に於て何物をか見つけ、
「ああ、お墓――がありました」
 貴婦人は、予期の発見を遂げ得た喜びの如くに、その前庭の右下隅に向って歩みを進めたから、お雪ちゃんも注意して見ると、崩れかかった石の五輪塔に、文字の読みかねた二三本の卒都婆《そとば》が突き刺されているのを認めました。
 お墓を見つけ出したことを喜んだけれども、右の貴婦人は、香を手向《たむ》けるでもなく、水をあげようでもなく、手に持っていた秋草をさえ、この墓に手向けんために折って来たのではないと見えて、ただ、しげしげと墓を見おろし、見まもっているばかりでありました。
 それは、亡き人をとむらい慰めんがために来たのではなく、ただ、墓を見ることの興味のために来た人のようですから、何となしに、お雪ちゃんは、この貴婦人の墓というものに対する敬意のほどを疑うような気分になりました。
 たとえ、無縁の人の墓所にしてからが、お墓をたずねて来る以上は、相当の弔意を表さねばならないはずなのに、この貴婦人は、物珍しげに、ただお墓をながめたなりに、一礼もせずに突立っている挙動が、お雪ちゃんの心をしてなんとなく、あきたらないものにさせました。
 それと共に、お雪ちゃんの頭にひらめいたのは、常盤御前のお墓がこんなところにあろうとは知らなかった、お墓があるくらいなら、ここで亡くなられたに相違ないが、そんなことも今まで聞いていなかったのに――
 わざわざこれへたずねてこられたあの貴婦人の方は、親戚の方ででもあるのか知らん。親戚といっても常盤御前のことは、もう七八百年の昔のこと――そんなに続いている子孫の方があろうとは思われない。
 そんなことをお雪ちゃんが考えていると、また以前の入口の方から、人の足音が起ったので、よびさまされる。今度こそは弁信さん――
 だが、今度も違いました。
「今日は、たれか一生懸命に笛を吹いてやがら、そうだ、十九女池《つつやがいけ》で、大蛇《おろち》が笛を吹いてるのやろ」
 見ると、これは通常、社会に於て、馬鹿とか阿呆《あほう》とか言われる種類に属した人品であることが一目でわかりました。ボロボロな衣服を着て、縄の帯をしめ、頭髪はもじゃもじゃで、面《かお》は変に赤らんで、緊張の欠けたそれが、お雪ちゃんを見ると、締りなく笑って、
「え、へ、へ、へ」
 その下品な表情に、お雪ちゃんは思わず身ぶるいせざるを得ませんでした。
「え、へ、へ、へ、美《い》い女が来ているな、お前さんは、常盤御前様じゃねえかね」
「いいえ」
 お雪ちゃんは気味が悪くてたまらないから、それを避けようとすると、
「え、へ、へ、常盤御前様なら、わし、あやまるから、こっちへ寄んなさいまし」
と言って、いきなりお雪ちゃんの帯をつかまえたのには、お雪ちゃんも全く胆《きも》も冷さないわけにはゆきません、叫び声を立てようとして、やっと我慢しました。それは、こんな種類のやからに対しては、弱味を見せることがかえって害悪を促《うなが》すと気がついたから、わざと落着いて、
「お前さん、失礼をしてはいけません」
「そんなに怒《おこ》んない、おこんない――お前さん、常盤御前だい」
 しつっこいこと、とらえたお雪ちゃんの帯を、どうしても放そうとしない。
「いけません、何をなさるのです」
「え、へ、へ、へ」
 その下品な笑いは、馬鹿のうちでも、阿呆のうちでも、極めて可愛げの少ない、たちの悪い奴だと認めないわけにはゆかない。特に女と見ると、全く手癖のよくない馬鹿があるものです。
 その時に、別に人があって、お雪ちゃんにはもう会釈《えしゃく》のある人だけれども、この馬鹿には、それは全く白日の天兵のような思いをさせた者があって、
「何を失礼なことをするのです」
 手に持っていた秋草で、したたかに馬鹿の頬を打ったのは、常盤の墓を睨《にら》んでいた覆面の貴婦人でありました。
 思いがけない、この貴婦人は気丈な貴婦人で、同性の者に加えられんとする暴力を見過してはいませんでした。
 そこへ行くと、馬鹿は馬鹿だけのもので、この思いがけない援兵のために、相手の実力をたしかめるほどの頭も働かず、非常に周章狼狽して追われざるに逃げまどい――ついにお堂の縁の下深く身を隠してしまいました。
「どうも有難うございます」
「あれはね――堂守の馬鹿なのです」
「たちが悪いのですね」
「いいえ、別に悪いことはしないのですが、ただ、女が一人いると見ると、何かしらしないではおられない手癖があるだけだそうですから、そのつもりで、この界隈《かいわい》では用心をしているそうです」
「でも、そんな手癖のあるものを、それと知りながら、堂守として置くのは危険ではございますまいか」
「弱味を見せるといけないのです、叱り懲《こ》らしてしまえば、本来、足りない人間ですから、危険性は無いと聞きました。けれども、あの馬鹿者を、どうしてもここの堂守にして置かなければならない因縁があるのだそうです」
「左様でございますか」
 お雪ちゃんは、この貴婦人(?)の親切にして、勇気もあり、兼ねて土地のことにもくわしいのが気になって、どういう種類のお方だろうかと、改めて伺い申す気になってみると、貴婦人はそれほど親切でもあり、分別もあるにかかわらず、お雪ちゃんの方へは、まともに向かず、見ようによっては、自分の面《かお》を見られることを憚《はばか》るための頭巾かとも見られてなりません。
 とにかく――この僻陬《へきすう》、荒原の間に、こんな貴婦人が住んでいるはずはないのに、どういう種類のお方だろうと、お雪ちゃんは不審を重ねつつ相対していました。

         八十

 右の貴婦人は、わざわざ常盤御前の墓をとむらわんがために来たもののようですが、それでも、墓に向って香花《こうげ》を手向《たむ》けるでもなく、墓を墓として見届けた後も、急に立去ろうとはしないで――お雪ちゃんのために、こんな話を語り聞かせました――
「わたしも土地の人に聞いたのですから、真偽のほどは存じませんが、常盤御前が京都から落ちられて来た時、この土地で、追剥のために殺されてしまったのだそうです。その時、無論、身につけていた多少の金銀、持物、衣類、すっかり奪われてしまったことは申すまでもありますまい。ところが、それを奪った盗賊というのがこの土地の者で――今も、子孫が代々残っているのだそうです。それが、常盤御前を殺した祟《たた》りで、代々その家へは一人ずつ馬鹿が生れて来る、その家では、その祟りを怖れて、このお堂を立て、その馬鹿に代々堂守をさせて来ているのだとか言いました。今のあれも、その馬鹿のうちの一人なのです」
 なるほど、そういう言い伝えも土地にはあるのかと、お雪ちゃんが、その点は一応よく解釈ができましたけれど、常盤御前ともあろう美人が、こんなところへ落ちのびて、土賊ばらのためにあえなき最期《さいご》を遂げたという物語は、はじめて聞くところで、多少の感慨を深くしないわけにはゆきませんでした。
「かわいそうでございますねえ、常盤御前というお方は、後には源氏が栄えましたから、立派に、幸福に一生をお送りになったこととばかり思っておりました」
 お雪ちゃんが、しとやかにこう答えた応対ぶりが、いちいち貴婦人の気に入ったもののように見受けられます。
「そうでございます、誰も普通、そのように思います――わたしは……」
と言って貴婦人は、常盤御前に対する一家言を、次の如くお雪ちゃんに向って語り出しました。
「御存じの通り、常盤御前は義朝《よしとも》の愛人で、義経の母でございます、それが、わが子を救わんがためとは言いながら、敵将の清盛に身を許してしまいました、あなたはそれを、どうお考えになりますか」
 貴婦人が、お雪ちゃんの意見を徴するような語りぶりは、通り一遍のものとは思われません。つまり、ここの僅かの交際で、貴婦人はお雪ちゃんを、相当話せる対手《あいて》と認めたればこそに相違ない。
「そうでございます、その点は、わたしたちも、よくわかりませんでした、常盤御前は貞女だということになっていますが、あれが本当の貞女でしょうか――と考えさせられたものでございます」
 お雪ちゃんが、こう言って、貴婦人の問いに答えますと、
「では、悪女ですか」
 貴婦人は、きっぱりした調子で、第二の問いをお雪ちゃんに向って、あびせかけたようなものです。
「悪女――貞女はどうですか存じませんが、悪女とは思われません、悪人ではございません」
「自分の愛人を虐殺した大将にこの身を許すことが、悪女でなくてできましょうか。許すまでは、やむを得ず許してしまったが、許した後は、きっと痛快の思いをしたに違いありません。昔の思われ人に、今の思われ人からわたしはこんなにまで愛されています、あなた、どのくらい残念に思召《おぼしめ》しますか、ちょっと、こちらを見てやって下さい――といったような感じが動きはしなかったでしょうか」
「さあ」
 この意外なる立入った質問に、三たびお雪ちゃんは、この貴婦人の面《かお》を見直そうとしないわけにはゆきませんでした。けれども、質問のまっこうなのにかかわらず、この貴婦人は、お雪ちゃんを見ることをまともにしないで、いつも横を向いたままで、あしらっていることが不足です。
「清盛に愛せられてからの常盤御前の面には、かえって義朝に向って復讐を遂げたような、心地よいほほえみが浮ぶようなことはなかったでしょうか。常盤御前を征服した清盛は、敵将の墓をあばいて、その遺骸に侮辱を加えると同様な快感を貪《むさぼ》っていたに相違ないと、わたしは思います。そうして常盤御前は、その快感に油をさしました。憎い者に復讐しているのではない、愛せられた人に復讐を遂げた常盤御前という人は、立派な悪女ではありませんか」
 お雪ちゃんは全く、この見ず知らずの貴婦人から、初対面早々、浴せかけられた論鋒に敵し難いことを感じました。こういう際には、なまなか自分の意見がましいことを言い出して問いつめられるよりは、教えを乞うの態度に出でた方が、賢いとも感じないではありません。しかし、それも、この貴婦人は、単に自分よりも物識《ものし》りであるという意味で問いつ語りつしているのではない、何かこの問題に向って、圧倒的に、自己の断定を押しつけてしまわねば満足できない、そこで居合わせたお雪ちゃんを、その圧服の助手に使おうとして、自説に保証を要求するような圧力ですから、教えを乞うにしても、率直にはどうもならないことにお雪ちゃんが、ほとほと窒息の思いをさせられるばかりで、
「わたしたちは、歴史のことなんぞを、あまり深く存じませんものですから……」
「誰だって、あの時代のことは、そう深くは知っているものではありません、ただ、清盛の寵《ちょう》が衰えた後の常盤御前が、大蔵卿長成というお公卿《くげ》さんに縁づいたということだけは、物の本にもみんな書いてありますが、それから後のことは、あまりわかりません。わたしでさえ、この土地へ来て、ここが常盤御前の最期の地だということを、はじめて知りました。そうして、今のあの馬鹿の先祖というものが、一代の美人の最後を思う存分に蹂躙《じゅうりん》してしまったのです、ここの名も無き土民の先祖が、義朝と、清盛と、大蔵卿とのおもいものを完全に侮辱して、この土地にうずめました。今のあの馬鹿の先祖が、最後の勝利者となるわけではありませんか――あなたは、それでも、常盤御前を貞女だと思いますか。貞女でないにしても、ただ意志の弱い、善良な一美人に過ぎなかったと考えますか。わたしはそうは思いません、朝《あした》に源氏の大将を抱き、夕《ゆうべ》に平家の大将に触れ、それから藤原氏の公卿さんと相汚《あいけが》し――そうして最後に、関ヶ原の土民のために骨までしゃぶられた常盤御前の生涯は、痛快な悪女の一つの標本として恥かしいものではないと、わたしは思います」
「そのことは、何とも、わたしには申し上げられません」
「貞女でなければ悪女――と、あなたの正直な見方だけを、はっきりと言ってみて下さらない?」
「どうも、今のわたしの頭では、それが何とも申し上げられません」
「なら、貞女と言う人があれば貞女、悪女だと言いきる人があったら悪女――どちらにしても、あなたはかまいませんか」
「でも、悪女に入れてしまうのは、かわいそうに思われてなりません」
「わたしは悪女だと思います、常盤御前は立派な悪女の一人として取扱った方が、あの人の魂が浮ぶと思います」
 もう、こうなっては、自分の独断を押しつけてしまわねば納まらない人です。お雪ちゃんは、なぜ、この人が、こんなに人の性格を吟味し、かっきりと分類し、どちらかの人別に加えてしまわなければ引かない意気込みを以て人に迫るのだか、ほんとうにわからない人だと思いました。
 しかし、品格と言い、知識と言い、物言いと言い、決して、人格を外《はず》れた人ではない、常識を逸している人ではないから、それだけに、恐怖と危険とを感じませんけれど、解釈しきれない性格そのものに迷わされないわけにはゆきません。
 この時分、もう短笛の音は聞えずなっていました。
 そうだ、自分は、こういう人たちのお相手にばっかりなっている身ではない、弁信さんのたよりを待兼ねているのだ、鈴慕の一曲も、もうやんでいるはずなのに、弁信さんがまだ来ない、お雪ちゃんは、そのことを思い返すと、貴婦人への応対は空《から》になって、足をつま立てて不破の関屋の方に気を引かれたが、弁信らしい人の合図がない代り、またも以前の一筋道で、里の童《わらべ》のするような口笛の音が高く起るのを聞きました。
 待ちこがれる弁信は容易に来《きた》らざるのに、そこへ口笛高く吹き鳴らしながら、またしても一箇の怪漢が姿を現わしました。
 怪漢といっても、今度は以前の馬鹿とは趣を異にして、極めて濶達にして俊敏なる挙動が一目にしてうかがわれる。
「お嬢さん」
「友さんかえ」
 貴婦人と新来の怪物は、しめし合わせて待ち合わしていたものと見える、一言の下に諒解がつきました。そのくらいですから、いきなり来て、お雪ちゃんに無礼を加えるような代物《しろもの》でないことはよくわかっています。
 これは宇治山田の米友でありました。

         八十一

 宇治山田の米友の来たことによって、お銀様は――今までの頭巾《ずきん》の貴婦人は、申すまでもなくお銀様であります――かねて待っていたことと見えて、二人はこの場を出て行ってしまいました。
 お雪ちゃんの待つ弁信は容易に来ないのに、あの傲慢《ごうまん》な貴婦人は、待っていた気苦労もないうちに迎えの人が来て、さっさと行ってしまいます。
 お雪ちゃんは米友を知らないように、お銀様をもそれとは知りません。二人が相携えて、一本筋を出て行く姿を見ると、悲しいやら、憎らしいやらの気持がいっぱいで、その後には、恐怖の念でありました。
 今し、縁の下へ潜《もぐ》り込んだ馬鹿がまた出て来はしないか。
 しかし、その心配だけは救われたというのは、見しらぬお銀様と米友とが出て行ったあと、すぐにそれと、ほとんど交代でもしたように二人の人の姿が、こちらへ向ってやって来るからです。しかもその二人の人の姿が、いかめしい、さむらい級の人たちのようでしたから、お雪ちゃんがなんとなく安心しました。
 やがて、このお堂のところへ着いたのを見ると、案《あん》の定《じょう》――これもお雪ちゃんとはまだ何の交渉もないが、この朝、関ヶ原の模擬戦を見て、道庵大御所の指を噛《か》んだところを論評した南条、五十嵐の二人の壮士であります。
 二人は、この場へ来ると、まず南条がお雪ちゃんを見かけて、
「常盤御前の墓はいずれでござるか」
 こう問いかけられたものですから、それはお雪ちゃんが、お銀様によって先刻承知のところでしたから、
「あの杉の木の下の、くずれた五輪が三つ並んでおります、その中のが常盤御前のお墓だそうでございます」
「左様でござるか」
 二人は、歩みをうつしてその墓へ近づいたが、それはお銀様のしたよりも潤いのある仕方でした。傍《かたわ》らに乱れた秋草を二つ三つ折って、しるしばかりに墓へ手向《たむ》けたことが、それです。
 そこで、右の二人は、またお雪ちゃんの方へ引返して来て、
「弘文天皇の御塚というのは、いずれにあらせられますか」
「…………」
 前のは、予備知識があったから、お雪ちゃんもすらすらと案内ができましたが、二度の試験には落第です。それを畳みかけて、五十嵐がたずねました、
「天武天皇御兜掛石というのは、どの辺にございますか」
「それも存じません」
 お雪ちゃんは、苦しそうに申しわけをしました。
「関の藤川の土橋へは――」
「…………」
「月見の宮というのがござるそうだが」
 それも、これも、一つも返答のできない身を、お雪ちゃんが自分から残念がりました。
 二人は、この少女から、容易《たやす》く常盤御前の墓の存在を教えられたものですから、立てつづけに第二第三の質問を浴せたけれど、やがて、お雪ちゃんがこの土地の者ではなく、やっぱり旅の未案内者の一人に過ぎないということをさとり、
「不破の関址《せきあと》はもう間近いことでござろうな」
 いちばんやさしい質問を、最後のお愛嬌のように残した。
「はい、あの笛の音が……いいえ、その街道へ出て見ますると、左の方に低い屋根の棟が見えるはずでございます」
「有難う」
 それで、二人もさっさとこの場を出て行ってしまいました。
 人に立去られると、はじめて感ずる、寂寥《せきりょう》と焦燥《しょうそう》とを通り越した恐怖――
 弁信さんは、いったいどうしたの――ああ、いいわ、もうこうなれば、このくらい待っていてあげて来ないのだから、約束通り、こちらから押しかけて行きましょう。
 ちょうどよいのはあのお侍衆、いずれも淡泊率直な豪傑風の方々だから、あの方々について行けば、当面は安心の道。
 こう思って、お雪ちゃんは矢も楯《たて》もたまらぬように、南条、五十嵐のあとを追って、不破の古関をめざして駈け出しました。
 まもなく叢林の間から詩吟の声が起りました。その声は、いま行った、南条、五十嵐のうちの誰かに相違ないことを知りました。
 その詩のなにものたるかを、まだ認識しきれないお雪ちゃんの代りに、次にうつしてみると、こうもあろうかと聞きなされる――
[#ここから2字下げ]
原田《げんでん》、毎々、高岡《かうかう》を繞《めぐ》る
想ひ見る、観師の※[#「革+(顯−頁)」、203-17]鞅《けんあう》を備ふることを
行《ゆい》て覚ゆ、芒鞋《ばうあい》の着処無きを
満山|草棘《さうきよく》、すべて甘棠《かんだう》
村々《そんそん》、酒有り、是れ誰が恩
弛担《したん》の旗亭、酔午|喧《かまびす》し
識《し》らず血戈汗馬《けつくわかんば》の処
竹輿《ちくよ》、夢を舁《にの》うて関原《くわんげん》を過ぐ――
[#ここで字下げ終わり]
 吟声が終った時分に、お雪ちゃんは二人に追いつきましたけれども、次のような余談に耽《ふけ》りながら歩いていた二人の壮士は、お雪ちゃんがつい後ろまで追いついてきたことを気がつきませんでした。
「さすがに、山陽だけに、村々酒有り、是れ誰が恩――と言って、神祖だの、源君だの、お追従《ついしょう》を並べていないが、大塩中斎あたりが、雪は潔《きよ》し聖君立旗の野、風は腥《なまぐさ》し豎子《じゅし》山を走るの路なんぞとお太鼓を叩いているのが心外じゃ」
「そこへ行くと、竹外のは純詩人的でよろしい、拙者がひとつ、竹外のをうなってみる」
 前のは山陽の詩で、それを吟じたのは、たしか南条――次のは藤井竹外の七絶で、五十嵐甲子男が次の如くうなり出しました。
[#ここから2字下げ]
山は平原を擁して駅路長し
即今、行旅、糧《かて》を齎《もたら》さず
黄花|籬《まがき》に落つ丹楓寺《たんふうじ》
尽《すべ》て是れ、当年の血戦場――
[#ここで字下げ終わり]
 二人の壮士が、後ろを顧みて、お雪ちゃんのつい後ろへついてきたことを知ったのは、その詩の終った頃でありました。
 しかも、その時分には、もはや、不破の関屋のあとの門前に立っていると言ってよいほどに近づいていました。

         八十二

 南条、五十嵐の二人の壮士にお雪ちゃんが交って、三人して、不破の関屋の関守の門の扉を叩いた時に、中は閑寂なものでありました。「関山月」も無ければ、「鈴慕」も無く、白昼、炉を擁して、しめやかに語る会話のやりとりさえ洩《も》れませんでした。
 暫くあって門の扉を開いた関守も、以前の関守に相違ないけれども、庭には昨夜の名残《なご》りの焚火のあとがあるばかり、庭を通して、広くもあらぬ板廂《いたびさし》の中をうかがっても、いっこう他の人の気配ありとも覚えぬことが、お雪ちゃんにとっては全く案外でありました。
「只今これへ、弁信さん――琵琶を背中にしょった、小さい、盲目《めくら》の坊さんが見えませんでしたか」
 関守にたずねてみると、関守はいっこう合点《がてん》せず、
「いいえ――どなたも」
「おや」
 お雪ちゃんは、またも途方に暮るるの思いで、
「では、ここで尺八を吹いておいでになったのは、どなた様でございましたか、あの鈴慕の曲を……」
「は、は、は」
 それには、関守も多少、星をさされたらしいが、それを打消して、
「それは、かく申す拙者の手すさびでございましたろう」
「それは違いはしませんか」
「違うはずはございません」
「でも、さきほど聞えました、あの鈴慕は……」
 鈴慕、鈴慕とお雪ちゃんの口から繰返されるごとに、関守も何やら痛いところを刺されるの思いがするように、気のせいか、見受けられる。
 その間、南条と五十嵐は、関守の案内を待たず、無遠慮に、庭をめぐり、碑面を撫《ぶ》し、塔の文字を読もうとしたりなどしています。
 今や、お雪ちゃんは全く途方に暮れてしまい、泣き出したくなったのを、やっと我慢し、ここで大声をあげて、弁信の名を呼んでみようかと思ったのをじっと我慢していると、関守が縁のところへ、お茶を三つ持って来ました。南条、五十嵐も一通り、関屋の庭を経めぐって縁に腰をおろし、それから、主人をとらえて、古事を談じはじめ、主人は白鳳時代の古瓦といったようなものを持ち出して説明につとめるものですから、お雪ちゃんは全く所在なく、椎《しい》の大木の下に立ちすくんで、古びた家と、荒れたる庭とを見渡すと、この荒れたる庭の真下に、せんかんとして小川が流れていることを知りました。
 その時、今もたずねられた、人のよくいう関の藤川というのが、それではないかと思いました。
 こうなってみると、それは全く取越し以上の取越し苦労だが、弁信さんが、もしやあの川の中へでも落ち込んでしまったことではないかとすら、お雪ちゃんが胸を躍《おど》らしてみたりしました。
 弁信さんともあろうものが、そんなはずはないにきまっている。雪の大野ヶ原だの、飛騨、信濃の白骨、安房峠だのを、噴烟《ふんえん》の中から越えて来たほどの弁信さんが、こんな平原の小さな川へ落ちて溺れるなんていうことは有り得べきことではないが、この際の、動静のすべてがあんまり案外なものですから、ついそんな気にもなって見ると、垣根の一方から下へおりるような小径《こみち》がある――そんなところまでをお雪ちゃんは眼にとめて、また関屋の方へ眼をうつしました。
 どうも、あの関守さんの返答ぶりが歯切れが悪いと思い返さずにはおられません。やっぱり隠しているのだと思われないわけにはゆきません。それも悪意で隠し立てをしているのではないだけに、始末が悪いとも思ったり、隠したところで、見渡すところ、あれだけの住居《すまい》なのだから、ほとんど隠れるところはあるまいに――してみれば、今まではいたのかも知れないが、わたしが来る前にここを立去ったのかも知れない、ことによると虚無僧姿で流れて来て、吹一吹《すいいっすい》して去るといったようなことかも知れない、それならそれとして、弁信さんはどうしたものです、弁信さんが来たことまで隠す必要はないではないか、しかも来ないということはないのです、たとえ五町十町と距《へだた》っているところなら知らず、たしかに屋の棟が見えるところから、ここをたずねた人が、どう間違っても戸惑いするはずはありはしない、まして弁信さんだもの、あの勘のいい弁信さんだもの――その人の来たことをさえ隠す関守さんは、何か腹黒いたくらみのある人ではないかと、お雪ちゃんの純な心に疑惑の雲をかぶせたほど、当惑したものになりました。仰ぐと、椎《しい》だの、樫《かし》だのの大木の枝が、頭上に竜蛇の如く交叉《こうさ》して、それを仰ぐさえ、自分の心を暗いものにしてしまいます。
「おっとっと――」
 その時に、自分がさいぜん見つけ出した、藤川の岸へ下りるであろうところの藪《やぶ》の崖道の中から、むくむくと姿を現わしたものがありました。
「おっとっと――」
 それを見ると、意外にも、たったいま常盤御前のお堂の前で別れた、頭巾の権高《けんだか》の貴婦人を迎えに来たところの杖を携えた小怪漢――すなわち宇治山田の米友でしたが、お雪ちゃんは、その出現ぶりに、なんだか夢に夢を見るような思いをさせられました。

         八十三

 崖道の小笹の中から現われ出でた怪漢は、上り立つと、身ぶるいをして、いきなり関屋をめがけて、その縄のれんのある台所口から飛び込んでしまいました。
 それを、眼をすまして見たお雪ちゃんは、何か知らず、よい手がかりを得たように思われないでもありません。
 あの男の出て来る折を待とうと思いましたが、それは待つというほどのことはなく、いま、縄のれんの中へもぐり込んだかと思う間に、もう、縄のれんの外へ浮び出して来ました。
 但し、浮び出して来は来たものの、もとの姿で浮び上ったのではありません、背中から肩、首へかけて、押しつぶされそうな、大きな明荷《あけに》を背負いこんで出て来ましたので、その意外に、お雪ちゃんがまた圧倒され、せっかく期待した手がかりに向って、当りをつけるのきっかけ[#「きっかけ」に傍点]を失ってしまったのです。
 その間に、押しつぶされるような重荷を背負った怪漢は、以前の崖道の小笹の中へ、熊のように身を没してしまいました。
 ほんとに惜しいことをした、そう思ってお雪ちゃんが、また、ぼんやりと考え込んでしまっていると、浮き出すのも早いが、引っこむのも早い怪漢は、またも小笹の間から、ぽっかりと浮び上って来ました。
 見れば、今の大きな明荷を、どこへどう処分してしまったか、またも最初のように手ブラで、むっくりと小笹の中から浮び出し、そうして、縄のれんをめがけて鉄砲玉のように飛び込もうとするものですから、お雪ちゃんはこの機会を逸してはならないと思いました。
「もし、若衆《わかいしゅ》さん」
「え!」
と怪漢が眼を円くして、こちらを見ました。お雪ちゃんなりとは気がついていなかったのでしょう、よし誰かいるとは気がついていても、呼びかけられるとは期待していなかったのでしょう。
「もし、若衆さん、あなたに少しお聞き申してみたいのですが、もし、ここらへ、眼の見えない、小さな、背中に琵琶を袋に入れて背負った坊さんの姿が見えませんでしたかしら」
「気がつかなかったなあ――」
 右の怪漢は、眼を円くして答えました。
「そうでしたか」
 お雪ちゃんは怪漢……のいう――怪漢はすなわち宇治山田の米友であること申すまでもありません――返事で、非常に失望を感じてしまいましたけれども、ここで、のがしてはまたつかまえどころを失ってしまうと思ったものですから、
「あの崖道を下りますと、どんなところへ参りますか、あなたがいま上っていらしった――」
「ここは、めったな人の通る路じゃあねえんだ――」
 その滅多には人の通らない路へ、どうして、あなたは、大きな荷物なんぞを担ぎ込むのです? と言ってやりたかったが、お雪ちゃんは、それまでは咎《とが》められないうちに、怪漢はまた弾丸の如く縄のれんめがけて飛び込んでしまいました。
 遑《いとま》なく、また浮び上ったところを見ると、今度は、素敵に大きな風呂敷包を一つ、さながら布袋和尚《ほていおしょう》が川渡りでもする時かなんぞのように、頭にのせて出て来て、またも小笹の中へ熊のように身を没しました。
 で、また以前のように、ぽっかりと単身で浮いて出るかと思うと、今度は、沈没したなり容易に出て来ません。
 してみると、運ぶべきものはあれで運び終ったものに相違ない――惜しいことをした、もう少し突込んでたずねてみたかったと、お雪ちゃんは、何か手のうちの物を落したような気になりました。それにしても、さいぜんの関守の返答ぶりと言い、こうして、路なき路といってよいところへ、大荷物をかつぎ込むことからして、只事ではないように思われてなりません。
 どうも仕方がない――思いきって、わたしもひとつ、あの小径《こみち》を下りてみましょう。今のあの若衆《わかいしゅ》のあとをたずねてみたら、たずぬる人の影がつかめないまでも、さきほどのあの権高い貴婦人という人にはまたお目にかかれるかも知れない。
 お雪ちゃんは、多少の冒険心を以て、今し米友が大荷物をかつぎ込んだ小笹の中をわけて下りて行きました。
 南条、五十嵐は、その時分、関守を相手に盛んに関ヶ原懐古を論じ合っていて、こちらの方は閑却しているのを幸い……
 お雪ちゃんの下りて行ったところはかなり広い竹藪《たけやぶ》になっておりました。広いといっても、その間を関の藤川が流れておりますから、竹藪はそこで両断されて、一方は松尾山までの林つづき。藤川の岸へ下り立つと、お雪ちゃんは、そこにささやかな丸木橋があるのを見、丸木橋のこちらに、蔦《つた》のからまった小さな祠《ほこら》のあるのを認めると共に、その祠の側の杉の大樹の下に、人が一人立っているのをさとらないわけにはゆきません。
 ところがその人は、当然そうでなければならないと信ずべき、今の大荷物を運搬した小怪漢ではありませんでした。
 尤《もっと》も、その彳《たたず》んでいる人の直前には、さきほど小怪漢が運んだ大きな風呂敷包の一つは置いてあるけれども、立っているのは、その小怪漢ではなく、全く別な人、別な人といっても意外な人ではありませんでした。
 常盤御前の墓の前で悪女を論じた、あの貴婦人――それが、立番でもしている如く、あの大荷物を下に、丸木橋を前にして立っている、そのほかには人ありとも見えません。
 それでもお雪ちゃんは、ぎょっとしたが、先方ではこちらよりも早く気がついて、こっちを見つめていたもののようです。
「さきほどは、失礼いたしました」
 お雪ちゃんはこう言って挨拶すると、先方も頭を下げました。頭を下げたけれども、その頭巾を取ったわけでもなし、取って挨拶しようとする素振もないことです。
 お雪ちゃんは、この婦人を、いよいよ変った婦人だと見ないわけにはゆきません。特にこうして大きな荷物を、ほとんど道なき道へ運ばせて、どこへ行くつもりだろう、姿を見れば品格もあり、話を聞けば知識も見識もあり過ぎるほどある人だから、決して逃げ隠れして、曲事をたくらむ人であり得ようはずがないのに、その行動のいかにも暗いのに不審を打たずにはおられません。
 でも、それに近づいて危険性のないことは、よく知っていますが、いよいよ近く歩み寄って行きますと、先方も、お雪ちゃんの来ることを忌《い》み憚《はばか》る気色は微塵《みじん》もありません。

         八十四

 お雪ちゃんが小笹の中を下へおりて行ったあとへ、それまでお雪ちゃんがいたあたりの地点で弁信の声がしました。
「お雪ちゃん――」
 それは遅かったけれども、お雪ちゃんが焦《あせ》ったほどに、弁信は緩慢であったのではありません。
 決して、神隠しになったわけでもなし、崖へ落ち込んだのでもなく、尋常に、お雪ちゃんのために、不破の古関のあとを偵察に行ったのですが、弁信の行きついた時分には、もう鈴慕の曲が消滅しておりました。
 それさえ消滅すれば問題はないのですから、そのまま引返そうとした途端に、弁信は、また法然頭《ほうねんあたま》を左右に振って、杖を路傍の木蔭に立てなければならぬ事態の発生したというのは、そこで、たしかに弁信は、お銀様という人の声でなければならない声を聞いたからです。
 この声が、ついに弁信を捉え、容易ならぬ感慨に耽《ふけ》らせました。
 今ごろここで、あの女性の声を聞こうとは、さすがの弁信の勘も及ばなかったところで、この声は、忽《たちま》ち路傍の一方へそれてしまったが、一時は、弁信をして、無二無三にそのあとをたずねて追いかけようかとさえ思わせたくらいです。
 しかし、勘に於てこそ卓絶のものはあれ、眼は不自由の身であり、足は勘を力に、極めて堅実な歩みをとるほかの力を持たない弁信には、ただ、立ちすくんで、お銀様の声を、聞き得べからざるところで聞いた、その因縁の判断のために、かなりの時間を費させたが、それがさめて、そうして、約束のお堂まで、勘をたよって戻り、声をあげて呼びましたけれど、その時はお雪ちゃんはいません――ほんの僅かの裏おもての道を、壮士らが詩吟をしたために、弁信が通り過ぎをして、そうして行違いになっただけのものです。
 しかし、今またここへ来て、弁信が「お雪ちゃん」と呼んだ時は、その声がもう、お雪ちゃんの耳まで届かないだけの距離を隔たっていました。
 しかし、弁信として、さまで悲歎も狼狽《ろうばい》もしないで、関屋の縁の方へと静かに取って返しました。
 弁信が縁の方に来る時分に、二人の壮士は、談ずべきだけを談じつくして、さらばとここを立ち上った時です。
 壮士は若干の茶代を置く。関守はていねいにお礼を言って、石刷かなにかを二三枚くれました。
 そのあとへ、抜からず弁信が腰をかけてしまったものです。
「それでも今日は、お天気がよろしくて結構でございます、不破の関屋は荒れ果てて、なおもるものは秋の雨――と太平記にございましたが、雨の風情もさることながら、私共のように旅を致すものは、やっぱり降らない方がよろしうございます」
「お前さんは、どこからおいでになりましたな」
「信濃の国、白骨の温泉というところに、暫く足をとどめておりまして、それから飛騨の平湯というところを通りまして、高山の町から国越えをして、只今こちらへ到着いたしたばっかりでございます。不破の関屋の板びさしという、昔の名残《なご》りがなんとなく慕わしいものでございますから、こうして立寄らせていただきました」
「それはそれは、お見受け申せば、盲目《めくら》の御身で、よくまあ長の旅を……」
「はい、不自由を常と致せば不足なし、と東照公も仰せになりました、おかげさまで、目界《めかい》は不自由でございますが、勘の方が発達いたしておりますものでございますから、さのみ不自由は致しません。それに、ほかの良民方と違いまして、私風情は旅を常住と心得おりまする漂浪者の一人でございまするが故に、道程《みちのり》の長いことと、世間の申す憂《う》いものつらいものと申すような旅の重荷は、更に感じない身でござりまするから、皆様が御案じ下さるほどに、旅をつらいとは致しておりませんのでございます」
「それは、そうありそうなこと。実は昨晩から今朝へかけて、はからずも一人の相手がござって、旅の話にくらした次第でござるが、拙者とても、若い時分から、旅では相当に苦労いたした身――今は、こうして、かりそめの関守に納まっているようなものの、心は常に躍《おど》って、旅の空をかけめぐっているというような次第でござる」
「それはまた有難いお同行《どうぎょう》を一人恵まれたような思いでございます、旅を楽しむものでなければ旅の味わいは語り難いものでございますね。人生はすなわち旅でございます、月日は百代の過客にして……と古文にもうたってございます通りに、それから、只今お言葉のうちに承りますると、昨晩から今朝へかけて、あなた様の談敵《はなしがたき》が、これへお見えになったとのこと――それはいかなるお方でございましたか知ら」
「それは……」
と関守が口籠《くちごも》りました。お雪ちゃんの問いに向っては、押しかくすようにしていたと見えるのに、うっかりと口を辷《すべ》らして、弁信のために尻尾《しっぽ》をつかまれた形になってしまいました。
 それは弁信のお喋《しゃべ》りが、あまり自然に出でてしまったものだから、つい、うかと本音を引き出されてしまったようなもので、こうなると、いささか、しまった! という感じがしないではないが、弁信としては、あえてたくんで口うらを引いて、ひっかけたつもりでもなんでもないから、先方が口籠れば、こっちがいっそう滑らかに進行させました。
「そのお方は、つい先刻、鈴慕をお吹きになったお方ではございませぬか。たしかに、わたくしは、それと推察を致して参りました」
「そう言われると、どうにも参らん――鈴慕をお聞きになられたな」
「はい。ところが、その鈴慕がでございます、曲はたしかに鈴慕でございましたが、内容精神は全く鈴慕を外《はず》れておりました」
「ふーむ」
 関守は呆《あき》れたのと、驚いたのと両様の表情をして、それにしても、まあ、何というこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]た口の利《き》き方をする小坊主だろうと舌を捲いた表情を加えて、弁信の面《かお》を見返しました。
 見直されたところが一向きまり悪いとは感じない弁信が、また立てつづけに、べらべらと喋り出してしまいました、
「芸術というものには、人を高尚にする芸術と、人を堕落に導く芸術とがあるものでございます、道徳の及ばざるところを、芸術が潤おすこともございますが、道徳の養いはぐくむところを腐敗せしめる力が、芸術というものには籠《こも》っていることは争われませぬ、真直ぐにして力ある芸術は、人の魂をよみがえらせるものでなければならないのに、たとえにとって申しますると、只今のあの鈴慕は、人間の魂を引きおろす鈴慕でございました」
「お前さんの言うことは驚異だ!」
と関守が叫びました。それにつづけて弁信は、
「本来、鈴慕の曲と申しまするものは、無限のあこがれの曲なのでございます、限りのあるいと小さな人間が、無限の大空に、あこがれあこがれて行く物の音がすなわち鈴慕であると、わたくしは信じておりました。虚空《こくう》に消えて行く鈴の音は、消えて行くのではありません、虚空の中に満ち渡って行くのでございます。されば、鈴慕の曲には、おのずから特有の悲哀と、無限のあこがれがなければなりませぬ、底知れぬ悲しみのうちに、量《はか》り知られぬ慰めを鼓吹するものでなければ、鈴慕はもはや鈴慕ではないのでございます。それ故に、只今こちらから聞えました鈴慕は、あれは人間の魂を引きおろす音色でございました、あれより怖ろしいものはございませぬ、ああいう曲を吹く人と、それを吹かせる人は、大悪人でございます」
「あなたはいったい、何者なのですか」
 関守が弁信の面を見て、詰問のように言いましたが、その実は、途方もないといったような驚きでありました。
「わたくしは弁信でございます」
「ふーむ」
「あなたは只今、この不破の関屋のかりそめの関守であると仰せになりましたが、かりそめにも致せ、この関屋をお預かりしている間は、関のあるじでございます。関というものは、水の流れるをせき止めるように、人間の悪心をせきとめる関所でございます。申すも恐れ多いことでございますが、壬申《じんしん》の昔……」
と言って、お喋《しゃべ》りの弁信が、しくしくと泣きはじめました。
「弁信さん、あなたの言うことはよくわかりました、かりそめにも関守の身でありながら、人にすすめて、あのような鈴慕を吹かせたのは、わたしが悪うございました、拙者がすすめて、あの人に、あの鈴慕を吹かせたようなものでした、あなたに言われるまでもなく、その場で悔いていました」
と関守が、素直にあやまったのは、このお喋り坊主に、これから壬申の乱の歴史から説き起されてはたまらないと、おびえたわけではありますまい、平明率直に、自分のあやまちを謝るほどのものでしょう。
「わたくしは、あなたへ御意見をするために来たのではありませんでした、鈴慕の音が、あまり気にかかるものでございましたから、様子を見に参ったようなわけでございます」
「まあ、ともかく、弁信さん、草鞋《わらじ》をおぬぎ下さい、今晩はまたひとつ、お前さんと旅を物語らなければならない運命に落ちたようです」
「はい、有難うございます、もう私も、かれこれ申すいわれはございません、鈴慕の悪気が、只今はすっかり消滅してしまいましたからね。不破の関所のあとには、昔ながらの古気というものが漂うことを感じますけれど、悪気はもうございません。お言葉に甘えまして、今晩はひとつ、御当所へ御厄介になりまして、旅のお物語りなど伺いたいものでございます」
「ああ、そうなさいまし」
「では、御免を蒙《こうむ》りまして」
 弁信は、そこで気安く、自分の草鞋を解きにかかりました。
 お雪ちゃんのことなどは、ちっとも弁信の念頭にはないようです。念頭にないだけ、それだけ不安を感じていないのです。弁信が不安を感じていないということは、お雪ちゃんそのものの実体が、極めて無事順調に存在しているということの保証にもなりましょう。
 こうして、弁信が草鞋の紐《ひも》を解いている時に、例の小笹の崖道がざわざわとざわめいて、そこから現われたのは、熊でもなく、米友でもありません。
 覆面のお銀様の姿が、悠揚として、そこに現われました。

         八十五

 お銀様は、古関の庭をこちらに向って歩みながら、
「弁信さんじゃありませんか」
 草鞋《わらじ》の紐を解いている弁信が、響きのように答えました、
「そうおっしゃるお声は、有野村のお嬢様でございましたね」
「わたしとわかりますか」
「わからないはずはございますまい、ほんとうに、生あればこその御再会でした」
「わたしはこの旅で、弁信さんにだけは、逢えると思いませんでした」
「お変りもございませんか」
「変りはありません。弁信さん、あなたはどこをどう歩いてこんなところまで来たのです」
「それをお話し致すと長うございます。私は旅が常住でございますから、どこをどう歩きましょうとも変りはございませんが、お嬢様、あなたが、こうして旅においでなさることは、思いがけない思いを致します。けれども、それは、あなたのためには善いことだとお祝いを申し上げなければなりません。有野村に於てのあなたの御生活は、暴女王の御生活のようでして、思うこと為《な》さざるは無く、命ずること行われざるは無き有様でございましたが、それが、決して幸福とは申し上げられないものでございました。それが、翻って旅においでになったということは、どちらに致しましても、あなたの魂を解放なさったと同じようなものでございます――」
「弁信さん、わたしは、旅に出たことを、それほど幸福にも思わないけれど、悪いことをしたと悔いてもいませんが、旅へ出てみて、しみじみと弁信さんというものを思い出したことがありました」
「それは有難いことでした、わたくしのような存在が、少しでもあなた様の御記憶に残していていただいたとすれば、それだけで、もはや本懐の至りでございます」
「あんなようにして、おたがいに打ちとけきれないで別れたのが、こんなところでまた逢えるというのは、尽きせぬ縁《えにし》なのでしょう」
「全く、浅からぬ因縁《いんねん》でございます。ただいま関守のお方から伺いますると、ここにも容易ならぬ御縁を結ぶようになりまして、今晩はこちらへ泊めていただくことになり、只今、こうして草鞋を解いているようなわけでございます――」
「弁信さん、お前が今晩ここへ泊るなら……わたしも、どう差繰っても今晩ここへ泊めてもらって、お前さんと話をしなければならない」
「有難いことでございます、御迷惑さまながらそう願えますことならば、わたしも、あなた様から伺わなければならないことが、まだ多分に残っているような心持が致します」
 弁信がこう言って、まだ草鞋の紐がとききれないでいる時、例の小笹の崖道がまたざわざわとざわめいて、そこから現われたのは、常と少しも変りのない面色《かおいろ》をしたお雪ちゃんの姿でありました。
「まあ、弁信さん」
「お雪ちゃんでございましたね、ほんの、ちょっとの行違いで、御心配をかけて相すみませんでした」
「わたしは、どうしたのかと思いましたよ、弁信さんのことは、弁信さんだから心配はありませんが、わたしの心細かったこと」
「いや、もうよろしうございます、芸術の魅力は怖ろしいとは申せ、それは一時的のものでございますからな、鈴慕が終ると共に、悪気がすっかり消滅してしまいました。そこで、今晩は、こうして関守のお方の好意に甘えて、ここに草鞋をとかせていただくことになりました――お雪ちゃん、あなたも……」
「お嬢さん、弁信さんがここで草鞋をぬぐ以上は、あなたも、今晩は見苦しくとも、不破の関屋の板びさしの中で、一夜を明かしていただかねばなりません」
 関守が、お雪ちゃんの方を向いて言うと、お雪ちゃんは頭を下げました。
「願ってもない仕合せでございます」
 その時、お銀様が言いました、
「では、わたくしも今晩はここで御厄介になります、皆さんでまた、炉辺の物語に明かそうではありませんか」
 お銀様の言うこともまた平穏でありました。
 お銀様は決して、お雪ちゃんを裂いて食ってしまいはしなかったのです。
 お雪ちゃんその人もまた、お銀様というものに、なんらの危険性をも感じてはいないようです。ですけれども、それが本当の熟した魂の産み出した懇親なのでしょうか。
 弁信はしきりに、悪気が消滅した、悪気が消滅したと言って、安心を保証しているけれども、悪気を作りだした本尊そのものが、ここにいないではないか。鈴慕の曲に悪気をこめて吹一吹《すいいっすい》したその本尊様の存在が不明では、消滅が消滅にならないように、安心が安心の保証にならないではないか。
 でも見渡す限りのこの不破の古関のあとの、庭にも、藪《やぶ》にも、畠にも、爽涼《そうりょう》たる初秋の気が充《み》ちて、悪気の揺ぐ影は少しもありません。
 かくて、例の白昼の炉辺へ来て見ても、天井の低い、板目も古びた一室ではあるが、陰惨とか、瘴毒《しょうどく》とかいうような気分は無く、炉中の火が明るく燃えているのが、多少の肌寒い身に快感を与えるほどのものです。
 天井の上にも、縁の下にも、さらに悪気が滞《たま》って人を撲《う》つなんという趣は少しもないのです。
 今や、四人の主客が、この白昼の炉辺をほどよく囲みました。
 主人は主人としての常座を占め、客のうちでは最も遠慮のない弁信が、最も炉辺に近く座を占め、それにつづいてお雪ちゃん――最後にお銀様は、ずっと控え目に……
 それでもやはり、一座の女王気分は失わず、見ようによっては、正座を占めた形で坐っておりました。
 主人がまだ語らない先、弁信がその弁口の洪水をきって落さない前、お雪ちゃんが、この平穏な席上、弁信のいわゆる悪気流が悉《ことごと》く流れ去った後のこの炉辺で、二つの異様な光景を見て取りました。
 その一つは、このおだやかな快感に満ちた炉中の焚火の中に、一管の卑《いや》しからぬ短笛――すなわち尺八が、無残にも燃えさしとなって残っていることと、もう一つは、控え目にこそ坐っているが、同行の貴婦人が室内に入っても、なお且つ、その覆面の頭巾《ずきん》を取らないということでありました。
 まだ時候が少々早いとはいえ、この貴婦人は広原の荒い風を厭《いと》うために、わざと頭巾をしているものだとばかりお雪ちゃんは見ておりましたが、こうして室内に入ってからも、頭巾を取ることをしないのは――左様な不作法をわきまえないほどの人でないことはわかりきっている、それがわかりきっていながら、その不作法をあえてしているには、あえてしているだけの事情か理由がなければならないと、お雪ちゃんが思いました。それは決して、我々を軽蔑しきっている振舞であってはなりません。

         八十六

 それらの事情が判明しない前に、関守は懐中から一枚の書附を出して、お銀様の前に置きました。
「これが水野家からの仮受取でございます、そちらへお渡し申します」
 お銀様はその受取の書附を取り上げて、
「弁信さん」
 挨拶は弁信の方へ向いました。
「弁信さん、これで、わたしの領土が出来ました、今度は、わたしの領土です、父の地内ではありません、あなたも、心置きなく住っていただかなければなりませんよ」
「領土と申しますと?」
 弁信が小首を傾《かし》げるのを、今度は関守が取って説明しました。
 その言うところによると、お銀様が、今度この土地で地所を買入れたということであって、買主は無論お銀様であって、その中間に立ったのがほかならぬこの関守、それからお銀様のために地所を売ったのが、西美濃で名代の名家、水野家であるとのことです。
 水野家というのは、西美濃山谷で、足利尊氏《あしかがたかうじ》以来の名家だそうであります。名家ではあるが、出でて仕えることをしないで、郷士、浪人の地位に甘んじているが、その実力は相当の大名に匹敵する。太閤秀吉も、出でて仕えんことを以て招いたけれども辞して仕えず、関ヶ原の時、石田三成は美濃半国を与えることを以て招いたけれども行かず――その深慮を讃《たた》えられた名家だということ。
 その家から、この関守を仲立ちとして、若干の地所をお銀様に譲り受けることになったものらしい。そうして、その地所というのは、どの辺にあるかまだよくわからないが、その面積はかなりな分量であろうことは想像される。
 何のために、お銀様がこの旅中で、こんなところへ左様に広大の地所を買受けるのか、それも昨日来て、今日もはや成立せしめるほどに事を急がせた理由は何であるか、そんなことはわからないながら、それだけの緒《いとぐち》で、なるほどと合点のゆきそうなことは、宇治山田の米友が、さいぜんから頻《しき》りに荷物を運搬していたこと、お銀様が存外落着いて、今日この地を立とうとの腰が見えないこと、それらによっても、その新たに求め得た領土というのが、これより程遠からぬところに存しているということは想像ができるのであります。それよりも、朝来の鈴慕以来、この家に留まった悪気流が早くも消滅してしまったということは、すなわち別にその広大なる領土を得たために、悪魔がそれに向って乗移ったのだと解釈されないこともない。
 それから追々、話が進むにつれて、お銀様の領土の観念が、弁信と、お雪ちゃんの頭に、明瞭になりました。
 このことに就いては、関守は、その前の晩、お銀様と弁論を闘わしているのですから、別に問題はありませんが、弁信は、お銀様の領土のことの観念が明らかになればなるほど、考え込んでしまいました。
 ひとり、お雪ちゃんは、心臓がおどるほどよろこびの念に打たれました。
 何という仕合せなことであろう、渡りに舟というようなよき運命に、わたしたちは恵まれたもので、この不可思議な貴婦人が、立派な理想家であって、且つ実力家であって、自分たちのために理想的の領土を建設して、そこに住めよと勧誘する。
 一も二もないことです。お雪ちゃんは、そういう安息所を、白山の奥や、畜生谷にまで求めようとしました。今、それが空想でなく、実現されて、自分も最もよき諒解の下に、無条件で、その中の一員となることを許されようとするのです。純真なるお雪ちゃんは、この異様なる貴婦人に向って、油然《ゆうぜん》たる感謝の念を起さずにはおられませんでした。
 だが――一つ忘れた大切なことがある。そこへ加わって安住を求めるのは、自分ひとりのためではなかった、弁信さんのためでもなかった、白骨までかしずいて、高山で苦労をしたその人の影を追うて、ここまで来たのではないか――ああ、鈴慕の主はどこにいる。それが急に気になって、胸がいっぱいになってお雪ちゃんは、この家の中を、落着かない眼で見廻しました。
 ほんとうに、あの異体な貴婦人の勧誘を感謝して聞く気になったのは、自分ひとりがそこで安心を得られるからではなかった。
 お雪ちゃんは、急にそわそわしてこの室の上下を見廻したのは、この座敷にその人が坐っていないことを、いまさら気がついたからでありました。
 ですけれども、それを関守にたずねてみるのは、どうしてもそぐわない。ましてお銀様に向ってをや――弁信を促し立てるのも、人前がある。そうです、こんなに暢気《のんき》に、いい気になってはいられないはずなのでした。
 お雪ちゃんは、ここで、その弁信の言うところの魔気が消滅しないで、残留していてくれた方がどのくらいよかったか――と考えてみると、居ても立ってもいられない気になりました。
 そうかといって、やにわにここを飛び出すわけにもゆきません。室内をグルグル廻るようにながめて、やがて、赤々と燃えた白昼の炉の中へその眼が落ちると、まざまざと眼に触れたのは、最初に不審なもののうちの一つ――卑しからぬ尺八の一管が、無残にも裂かれて、燃えさしとなって、炉中に残っていることです。
 しかるに弁信法師は、そういうことにはいっこう頓着なく、またお雪ちゃんのために、それらのことを思いやってやろうでもなく、黙然として、お銀様のいわゆる「領土」の話に聞き入っていますが、その有様は聞き置くべきだけは充分聞いて置いて、それから後におもむろに己《おの》れの判断と、意見とを喋《しゃべ》り出そうとする前構えのように見えました。
 白昼の炉辺は、それでも極めて閑寂で、鍋の中の栗が熟する音がよく聞え、つりおろされた鉄瓶がそのままでたぎっている音も聞えて来ると、外で、ざわめく軽い秋風の音が、関の藤川の流れを伴うて、透きとおるように静かになったものですから――客も、主人も、遠慮をして、頓《とみ》にその平和をみだそうとする者はありません。

         八十七

 それとほぼ同じ時刻、関ヶ原に続く、和佐見ヶ原の原中を歩いて行く二人の男があります。
 前なるは宇治山田の米友で、後ろなるは机竜之助でありました。
 米友は背中に大きな信玄袋を背負いこみ、その杖槍を後ろへ渡して、その一方を竜之助に持たせている。
 竜之助の姿を、いつもの暗夜行の時の姿とおもうと違います。絶えて久しい旅すがた――一文字の笠をいただいて、長い打裂羽織《ぶっさきばおり》を着、野袴をはいた姿は、その昔見た鈴鹿峠を越えた時の姿とよく似ています。歩みぶりといっても確かなもので、米友との間に、杖槍の連絡さえなければ、案内者兼従者を先立てて行く尋常の旅人としか見えません。
 道は黒血川と関の藤川とが合するところ、金吾中納言の松尾山を、はや後ろにして、勢州街道を左にし、養老の山々を行手にし、胆吹がようやく面を現わそうとしているところ。
「友さん」
と竜之助が、その広い原中で米友を呼びました。
「何だい」
「どうだい、もう一度、二人で江戸へ行こうか」
「御免だよ」
「どうして」
「江戸へ出ると、苦労が絶えねえわな」
「どこにいたって苦労はあるだろう」
「うむ」
「あの犬はどうしたエ」
「ムクか」
「そうだ」
「あいつはなあ――」
 米友は感慨無量の面色《かおいろ》で、勢州街道の方に向って嘯《うそぶ》きました。
「どこの国に、どううろついていやがるかなあ」
「死にはしないだろう」
「死にゃしねえよ、あいつのことだから、へたな死に方はしねえにきまってるがなあ」
「生きていれば、また逢えるだろう、全くいい犬だったな」
「いい犬にもなんにも……」
 米友はその円い眼に露を宿して、
「天下に二つとねえ犬なんだ」
「そうだ――」
「だが、あいつは、無事でいてくれるかなあ。無事でいてくれたって、こう遠く離れちまっちゃあ、またふたたび会うということはできめえなあ」
「うむ――いったい、お前はあの犬をどこへ逃がしたのだ」
「逃がしたわけじゃねえんだ、お松様につけてやったようなものなんだ、ほかの人ならとにかく、お松さんなら預けて置いて安心ができるからな。だが、人間というものは、老少不定《ろうしょうふじょう》なもんだから、お松さんが、もしものことがあって……きみ公[#「きみ公」に傍点]のようになってしまった日にゃ、ムクを可愛がる奴がいねえ」
「うむ」
「そうなると、ムクが野良犬になる」
「うむ」
「人間は落ちぶれても、正直にさえしていりゃあ、人が助けるけれど、犬が野良になった日にゃ、犬殺しの手にかかるよりほかは、行き道がねえだろう」
「うむ」
「ムク!」
 その時、米友が突然、大きな声をあげてムクの名を呼びました。無論、ムクの幻影がそこへ現われたわけではありません。何か懐旧と、愛撫の情でたまらなくなって、米友が突然大声をあげたまでのことです。
「ムクの奴にも、ずいぶん苦労をさせたよ」
と米友が、竜之助の前で言う声が、血を吐くようです。
「ムクの奴にもずいぶん苦労をさせたからなあ。間《あい》の山《やま》にいりゃあ、何のことはなかったんだけれど、今となっちゃあ、みんな死別れ、生別れだあな」
 こう言って米友は、我知らず立ちどまって、地団駄《じだんだ》を踏み、
「おいらなんぞは、ひとりぼっちで、生きてるにゃあ生きてるけんど、何のために生きてるのだか、さっぱりわからねえ! それを考えると、おいらはもう、お前をお城あとまで送り届けるのもいやになった、行くのもいやだから、帰《けえ》るのはなおいやだ。ああ、そうだそうだ、お前は腕が利《き》いているから、おいらを、ここで、パッサリとやってくんねえか」
 米友は、杖も信玄袋も投げ捨てて、和佐見ヶ原の真中に神将立ちに突立って、喚《わめ》き出しました。



底本:「大菩薩峠14」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
   「大菩薩峠15」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 八」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
   「大菩薩峠 九」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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