青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
勿来の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)団扇座《うちわざ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)海樹|簫索《せうさく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+下」、25-3]
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         一

 駒井甚三郎は清澄の茂太郎の天才を、科学的に導いてやろうとの意図は持っていませんけれど、その教育法は、おのずからそうなって行くのです。
 駒井は研究の傍ら、茂太郎を引きつけて置いて、これに数の観念を与えようとします。
 天文を見る時は、暗記的に、星座や緯度を教え、航海術に及ぶ時は、星を標準としての方位を教え込もうとするのを常とします。
 茂太郎は教えられたところをよく覚えることは覚えますけれども、駒井の期するところのように、その頭が、数と、理で練りきれないのは、不思議と思うばかりでした。
 たとえば、星座を数える方便として、支那の二十八宿だの、西洋のオリオンだの、アンドロメダスだのというのを、形状と、歴史を以て指し示すと、その位置よりは、伝説としての空想の方に、頭を取られてしまいます。
 駒井に教え込まれて、茂太郎の星を見る想像力が、グッと別なものになりました。
 彼はすでに、古人によって定められた星座の形に満足しないで、なおなおさまざまのものを見るようです。星と星との距離と、連絡をたどって、古人が定めた以外の、さまざまの現象を描いてみることを覚えました。
 そうして、科学的に教えられた星座のほかに、自分の頭で、それぞれの星座を組み立て、それに命名をまで試みているようです。
 その命名も、たとえば、拍子木座と言い、団扇座《うちわざ》と言い、人形座と言い、大福帳と言い、両国橋と言い――そうして、毎夜毎夜、その独特の頭を以て、星座を眺めては、即興的に出鱈目《でたらめ》の歌をうたうことは少しも改まりませんから、駒井が呆《あき》れてしまいました。
 せっかくこの即興的の出鱈目を、科学的に矯正《きょうせい》してやろうとしているあとから、教えられた知識を土台にして、また空想の翼を伸ばすのだからやりきれません。
 しまいには、ただ、自分が天体を観察している時、望遠鏡にさわることを恐れて、近くで足踏みをすることだけを禁じて、出鱈目の歌には干渉をやめました。
 今や、茂太郎は、星を一層深く見ることを覚え、そうして眺めた星の一つ一つを点画《てんかく》として、自分としての空想を描き出すことで、毎夜の尽くることなき楽しみを覚えました。
 つまり、今まで、禽獣虫魚を友としていたと同じ心で、日月星辰を友とする気になってしまいました。おのおのの星が、これでみんな異った色と光を持ち、異った大きさと距離をもって、おのおの個性的にかがやきつつ、それをながめている自分を招いていることを見ると、嬉しくてたまりません。
 彼は星を見るのでなく、星と遊ぶ心です。
 従って、星の中の一つ、月というものを見る見方も全く変りました。今までは、月というものは、星の中の最も大きなものと見ていたのが、今は、星の中の、いちばん近いものだと見るようになりました。
 手をさし延べれば届くのが、あの月だ。星の中で、いちばん近いから、いちばん大きく見えるので、いちばん大きいから、それで星の王というわけではない。
 悪獣毒蛇でも、馴染《なじ》めばなじめるのだから、日月星辰にも、近寄ろうとすれば近寄れない限りはないと想いつつあります。
 太陽はあの通り赫々《かくかく》たるものだから、狎《な》れるわけにはゆかないが、月はあの通り涼しいではないか、星はあの通りクルクルと舞っているではないか、毎夜毎夜、人間と遊びたがって、大空にやさしく出て来るではないか。
 茂太郎は、今は、天空を仰いで、星のまたたきと、月のさやけさとをながめて、戯れ遊ぶことだけでは我慢ができなくなりました。
 手を取って遊ばなければならぬ、星があの通り招いているのだから、こっちも行ってやらないのは嘘だ! と、こんな空想から、その星の中の最も近くして最も明るい、あの月に乗って、それから星に遊ぶ――こんな空想のために、月が出ると矢も楯もたまらず、月をめがけてまっしぐらに馳《は》せ出すのを常とします。

         二

 茂太郎は、月に乗り得ないとは信じていない。こうして、走りかかれば、早晩、月に抱きつくことができると信じきっているが――いくら走っても、月の方へ走ると海になってしまう。海は深くして広いことを知っている。
 月には至り得ることを信ずるけれども、海は越えられないということを知っている。
 そうして、月をめがけて一散に走って、海に至るとはじめて、茂太郎が呆然《ぼうぜん》として自失してしまいます――今宵もまた、海に妨げられて、月に至ることを得ずして浜辺を帰る清澄の茂太郎は、
[#ここから2字下げ]
遼東九月、蘆葉《ろえふ》断つ
遼東の小児、蘆管を採る
可憐《あはれむべし》新管、清にして且つ悲なること
一曲、風翻りて海頭に満つ
海樹|簫索《せうさく》、天|霜《しも》を降らす
管声|寥亮《れうりやう》、月|蒼々《さうさう》
白狼河北、秋恨《しうこん》に堪へ
玄兎城南、皆《みな》断腸――
[#ここで字下げ終わり]
 この詩を、高らかに吟じはじめました。
 これは出鱈目《でたらめ》でもなく、即興の反芻《はんすう》でもなく、岑参《しんしん》の詩を、淡窓《たんそう》の調べもて、正格に吟じ出でたものであります。そうして、この詩句と吟調とが、田山白雲によって、茂太郎に教えられているというよりは、白雲が興に乗じて吟じ出でたのを、茂太郎が、その音楽的天才の脳盤の中に、早くも取込んでしまったそのレコードが、偶然、このところに於て、廻転し出したと見ればよいのです。
 ですから、この詩と、吟とには、批点の打ちようがありません。もし間違っているとすれば、それはレコードの誤りで、茂太郎には何の罪もないことでした。
 彼はこの唐詩を高らかに吟じつつ、海岸を走り戻りましたが、詩が尽きて、道は尽きず、次にうたうべきものが、未《いま》だ唇頭に上らざるが故に、その間《かん》、沈黙にして走ること約二丁にして、たちまち、その病が潮の如くこみ上げて来ました。
[#ここから2字下げ]
皆さん――
元来、私は
エロイカの名称によって
知られている
ベートーベンの
第三シムフォニーが
大好きであります……
[#ここで字下げ終わり]
と、海の方へ真向きに向って、半ばは独語の如く、半ばは演説の如く叫び出したのが、尋常の声ではありません。
 無論、誰も聞く人はない、また聞かせようと思って、呼びかけたものではないのです。
[#ここから2字下げ]
第八シムフォニーよりも
第五シムフォニーよりも
いわんや非音楽的な
あの第九シムフォニーよりも
この第三と第七とが
最も好きであります
そこで、私は
幾度となく、
この曲を聴いたり
或いはその解剖を
している間に
昔からエロイカに就《つい》て
論ぜられて来た
このシムフォニー特有の
神秘――換言すれば
謎に対して
人並みに気になり出して
来た次第であります……
[#ここで字下げ終わり]
 出鱈目《でたらめ》であるが、その声がすみ、おのずから調子がととのい、それに海の波の至って静かな夕べでしたから、出鱈目の散文が、やはり詩のようになって聞えました。
 出鱈目とはいえ、即興とは申せ、これはまた途方もない。しかし、この少年は、いつか一度耳に触れたことは、脳によって消化されても、されなくっても、時に随って、必ず反芻的《はんすうてき》に流れ出して、咽喉《のど》を伝わって空気に触れしめねばやまない特有の天才を備えているのですから、いつ、何を言い出すか、それは全く予測を許されないのですけれども、いかに天才といえども、無から有を歌い出すことはできますまい。

         三

 清澄の茂太郎はこうして竜燈の松のそばまで来た時、突如として脱兎《だっと》の如く走り出しました。
 いつもならば、馴染《なじみ》の竜燈の松に腰うちかけて、即興詩の一つもあるべきところを、今宵はその松の木の前を脱兎の如く、全速力で、眼をつぶって走り去るのは、何か怖ろしいものを感じたからでしょう。怖ろしいものといっても、この子は、すでに世間並みが怖れるところの猛獣毒蛇をさえ怖れないし、日月星辰をも友達扱いにしようとするほどのイカモノですから、特にそんなに怖れるものは無いはずだが――さては、いつぞやお杉の女《あま》ッ児《こ》をおびやかした海竜でも、本当に出現したのかな。
 ところが、その海竜は、この子には恐怖の対象ではなくして、風説の製造元であったのだから、海竜もまた親類であるべきはず。
 では、何を怖れたか。つまり、この子の怖れるものは人間のほかにはないのです。人間につかまえられて、人気者に供される以上の恐怖は、この子には無い。
 甲州の上野原でも、こんなように無邪気になっているところを、不意にがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵なるならず[#「ならず」に傍点]者につかまって、いやおうなしに江戸へ拉《らっ》し去られてしまったではないか。幸い、江戸に於て田山白雲を見出して、その背に負われて、この房州へ連れられて来たが、怖れるところのものは、右様の人間のほかには、この少年の前にはありません。
 多分、そんなような、胡散《うさん》な者を、たった今眼前に於て、感得したればこそ、彼はかくも一目散《いちもくさん》に走り過ぎたものと思われる。
 そうして、夢中に、ものの二町ほども走ったが、幸いに、何物も後を追い来《きた》る気色《けしき》がありませんから、そこで、安全圏内に入ったつもりで、歩調をゆるめてしまいました。ここへ来ると、行手に遠見の番所の火影《ほかげ》がボンヤリと見えている。万一の場合、大きな声を出しさえすれば、誰か番所から駈けつけてくれる。それでも間に合わない時は、殿様のお部屋に鉄砲がある――そんなような安心で、茂太郎はまた歌の人となりました。
[#ここから2字下げ]
チーカロンドン、ツアン
パッカロンドン、ツアン
[#ここで字下げ終わり]
と、口拍子を歩調に合わせて、
[#ここから2字下げ]
姐在房中《ツウザイワンチョン》
繍※[#「口+下」、25-3]繍花鞋※[#「口+下」、25-3]《シウリアンシウファヤイヤア》
忽聴門外《フラテンメンワイ》
算命先生《サンミンスヘンスエン》
叫了一声《キャウリャウイシン》
叫了一声《キャウリャウイシン》
[#ここで字下げ終わり]
と勢いよく唱え出して、
[#ここから2字下げ]
トデヤウ、パンテン
スヘンスエン
ニイツインゾオヤア
ヌネン、バズウ
ゴテ、スヘンスエン
ニイ、ツエテンジヤ
ニイ、ツエテンジヤ
[#ここで字下げ終わり]
 茂太郎としては出鱈目《でたらめ》ですけれども、これは立派に支那の端唄《はうた》になっていました。
 こんな出鱈目を器量いっぱいに歌いつづけた時に、茂太郎は行手の右の方の、こんもりと小高い丘の上に真黒に盛り上った森の中から、ポーッと火の手の上るのを見ました。
 それは、狼煙《のろし》のように――風が無いものですから、思うさま高く伸びきって、のんのんと紅い色を天に向って流し出したのです。
「あれ、天神山で火が燃えた」
 時ならぬ火である。一時は火事かと思ったが、火事ではない。お祭礼《まつり》でもないはずなのに、誰が、何の必要あって、あんなに火を燃やし出した?
 茂太郎は、思いがけなく火の燃え出したのを、非常時として見るよりは、その火の色が特別に赤い色をしていることに、美しさを感じて、一時は見とれたように立ち尽しました。
 火は、いよいよ盛んになって、やがてパチパチと竹のハネル音まで聞え出した時、茂太郎の唇の色が変って、
「あ、そうだ、マドロス君が焼き殺されてるんだぜ、あの火は……」

         四

 そこで、茂太郎は、声も、身体《からだ》も、震え上ってしまいました。
「マドロスが、焼かれているのかも知れない、たしかにそうだ、そんなような気がしてならない、そうだとすれば大変だ!」
 ほとんど為《な》さん術《すべ》を知らないほどに動顛《どうてん》したらしい。
 そこで、すっかり、空想も、幻想も、打ちこわされて、失神に近いほどの戦慄《せんりつ》と、恐怖を、如何《いかん》ともすることができないらしい。
 というのは、今、あのマドロスが、村民の無頼漢の手に捕われている、そうして天神山へ連れて行かれて、今日明日のうちに焼き殺してしまうが、どうだいという、かけ合いがあったとか、なかったとか聞いていたが、それが本当であったか。
 昨今、駒井の殿様を中心とする、この海辺の世界では、造船は着々と進行する、動力の研究までが目鼻がついてくる、働く人はみな殿様に心服している、やがて船が完成すれば、それに乗って行くべき人の人選も、ようやく定まりつつあるの時に、その周囲から、ようやく圧迫が出て来たことの形勢が、うすうすこの茂太郎にもわかっているのでした。
 最初は、充分の好意と、好奇とを持って、駒井の新事業に便宜を計ってくれた附近の人が、このごろになって、険《けわ》しい見方をするようになったのは、たしかに黒幕があるのだ、と駒井の殿様も言った、それをお嬢さんが、またよく註釈して言って聞かせた、
「茂ちゃん、もう、昼間でも、うっかり外へ出るのをおよしよ、あぶないから。この近所の人は、漁師や、お百姓さんで、何も知らないけれど、うしろに黒幕があって、殿様の仕事を邪魔してやろうという空気が濃くなってきましたから、どうも今までのように安心しちゃいられないのよ。黒幕が、ばくち打[#「ばくち打」に傍点]を使ったり、ならず[#「ならず」に傍点]者をけし[#「けし」に傍点]かけたりして、殿様の仕事を妨害するんですからね」
「黒幕というのは何です、お嬢さん」
「それは土地の代官だとか、神主、坊さん、儒者といったような人たちだろうと思うんです」
「それが、ナゼ妨害するんだろう」
「つまり、この殿様のなさることが、わからないんですね。どうも、あれは、毛唐《けとう》の廻し者で、毛唐が黒船で日本を攻めて来る時に、こっちから裏切りをするために、ああして、軍艦や大砲をこしらえているんだ……なんて、けしかけているんですとさ」
「黒船がかエ」
「ええ、そこへもってきて、あのマドロスの奴が、だらしがないんでしょう、言葉がわからないし、あの面構《つらがま》えで、鶏を盗んだりなんかするもんだから、あれは切支丹《きりしたん》の、魔法使いの毛唐だと言ってるんですとさ」
「マドロス君もよくない!」
「よくはないけれども、そんな根強い悪人でもなんでもないのよ、たあいない男なのよ。それを憎んで、あいつを取捕《とっつか》まえて焼き殺してやれ、メリケンの国では、黒人《くろんぼ》を取捕まえると焼き殺してしまうんだから、日本でも毛唐を取捕まえて焼き殺したってかまわねえ……なんて、この頃中からマドロスを、土地のバクチ打や、ならず者が狙っていたんですとさ」
 こんな話を、茂太郎は、兵部の娘から聞かされたのは、ここへ飛び出して来る、少し前のことでした。
 マドロスがこの娘に対して暴行を働き、行方不明になっていたこと、それが一旦捕まって、村民のためにまたさらわれて行ったこと、それはもう少し以前のことでしたが、茂太郎も、マドロスにはもう多少の憎悪をさえ感じていたのだから、あんまり心配もしてやらないでいたのに、ここへ来て天神山の火を見ると、紅色をした鮮かな火焔の色と、スッテン童子の髪の毛とを思い出しました。
 マドロス君も、いけないにはいけないが、焼き殺すというのはヒドい。焼き殺されるのは、全くかわいそうだ……

         五

 お嬢さんに対して働いた暴行は、憎いには憎いが、そうかといって、焼き殺さねばならぬほどに憎いとは思えない。
 現に、再三、その暴行を蒙《こうむ》ったお嬢様自身すらが、それを許しているではないか。
 駒井の殿様がああして、物置へマドロス君を抛《ほう》り込んで置いたのは、焼き殺しておしまいなさるつもりではない。再三のことで、あまりといえば許しておけないから、当座の懲《こら》しめのために相違ないのを、大勢がやって来て、担ぎ出し、それを天神山で焼き殺すということになっている。
 村民たちに、そんな刑罰を行う権利が与えられているのか。タカが、マドロス君が飢《う》えに迫って、お櫃《ひつ》をかっぱらったとか、鶏を盗んだとかいう程度が、村民の蒙っていたすべての被害ではないか。それに向って私刑を加える――十や十五の叩き放しならまだしも、焼き殺してしまうというのは、それはあんまり酷《ひど》いや――
 いやいや、マドロス君を村民が焼き殺してしまおうという理由はほかにある。それは、マドロス君が毛唐であるからだ。
 毛唐というものは、つまり日本の国を取りに来るものだ。それだから、当代、二本差している憂国の志士はみな毛唐を斬りたがる。毛唐を一人でも斬れば斬るほど幅が利《き》く、まして毛唐に向って、戦《いくさ》をしかければしかけるほど、その大名の威勢があがる。
 相州の生麦《なまむぎ》というところで、薩摩の侍が毛唐を斬って、それから、薩州様と毛唐とが戦争をした。長州でも負けない気になって、下関で毛唐と戦《いくさ》をした。これらの大名連は、毛唐と戦をするだけの勇気があるが、将軍様にはそれが無い――と言って、多くの人たちが歯噛《はが》みをしている。
 だから、毛唐は殺すべきものだ。毛唐を殺せば殺すほど、侍としては勇者であり、国としては名誉である。そこで、この浦辺の漁民たちまでが、その気になっているのか。それでも、あたしには、それがわからないのですね。
 あたしがつきあっているマドロス君は、眼の色こそ変っている、言葉こそ違っているが、やっぱり日本人と同じことの人情を備えている。人情の長所も備えているし、短所も備えている。この人は、あんまりエライ人ではない、ドコの国にもある、あたりまえの労働者だ。酒を呑みたがるのも無理はないし、飲めばむやみに女が好きになるところなんぞも、毛唐だから特別という廉《かど》はない。日本人だって大抵そんなものではないか。
 毛唐は日本の国を取りに来た者だとは言うけれど、マドロス君一人では、日本の国が取れやしない、よし取ってみたって、一人じゃ背負《しょ》い切れまい。
 毛唐だからとて憎まねばならぬという理窟は、どうも茂太郎にはわからない。
 それならば、毛唐のうちのメリケン人は、黒人と見れば取捕《とっつか》まえて焼き殺すから、おれたちもメリケンを取捕まえて焼くのだ、というのも理窟にはならない。
 いったい、人間同士というものは、そんなに憎み合わないでもいいじゃないの。そんなにおたがいにこわがらないでもいいじゃないか。人間はどうも物を怖がり過ぎていけない。獣や、虫なんぞでも、こちらが害心さえ無ければ、向うも大抵お友達気取りで来るものを、人間が彼等を怖れ過ぎるから、彼等もまた人間を怖れ過ぎる。
 本来、この辺の浦人《うらびと》なんぞは、そんな惨酷なことをする人間ではなく、最初から、我々には好意を持っていてくれたものが、急にこんなになったのは、お嬢さんの言う通り、黒幕という奴がさせるのだろう。
 黒幕が悪いのだ。
 と、茂太郎はようやく黒幕へ持っていって、責任の帰するところを求めようとしました。
 そんなら黒幕を外《はず》してしまいさえすれば、いいじゃないか。

         六

 黒幕を外してしまえ。
 それは田山先生がいいだろう、田山先生は強いから、きっとその幕を外せるだろう。黒幕というのは一体、どこにどう張ってあるか知れないが、さがせばわかるに違いない。
 それはそれとして、今眼前、焼き殺されようとするマドロス君がかわいそうだ――
 茂太郎は、今になって、全くマドロスに同情してしまいました。立ちのぼる紅《くれない》の炎に、無限の恨みを寄せています。
 その時に、左の一方は海ですから、絶えずザブリザブリと、寄せては返す仇波《あだなみ》が、月の色を砕いて、おきまりの金波銀波を漂わせつつ、極めて長閑《のどか》に打たせていたのですが、陸なる紅の炎を見ることに、心の全部を吸い取られた茂太郎は、今し、全く閑却していたその海の方を、あわただしく向き直りました。
 それは彼の俊敏な五官の一つに響いて来たものの音、やや遠く近く、櫓拍子《ろびょうし》の音が、この海から聞え出したからです。
 そこで、くるりと海の方へと向き直った茂太郎は、直ちに、程遠くもあらぬところに、一艘《いっそう》の小舟が櫓を押して通り過ぐるのを認めました。どうも、今時、この海を、岸づたいとは言いながら、あの小舟で乗りきることに、少々の意外さを感じながら、きっと闇を通して見たのは、その舟の中です。
 茂太郎の眼は、たしかに異常です。異常なのは眼だけではありませんが、その眼は特別によく働く機能を授けられている。それにこのごろは、天文を見ること、星を数えることに、毎夜の如く慣らされているから、その感覚が一層精練されて来ているようです。
 それですから、暗夜でも物を見るのは、さして苦としないのを、今夜は形《かた》の如き月夜ですから、眼の前を通る舟の中を見定めてしまうことは、なんでもありません。
「あ!」
 そうして、ここでもまた、あっ! と驚かねばならないものを発見しました。
 今、現に、櫓《ろ》を押しているその人は……それこそ、自分が現に極度の同情を寄せていたマドロス君その人ではないか。
 そうしてまた一方、舳《みよし》の方に、もう一人いる。それとても別人ではない、昨今、遠方からここへお客に来ている七兵衛というおじさんではないか。
 さしもの茂太郎が、そこで途方に暮れてしまいました。
 あの天神山で焼き殺されているマドロス君がマドロス君であるならば、今、ここを小舟で通り過ぎているマドロス君がマドロス君であり得るはずがない!
 どうしたのだろう?
 そこで思い乱れた茂太郎は、前後の思慮もなく、大声をあげてしまいました、
「マドロスさあーん」
 舟の櫓拍子は相変らず聞えるけれども、返事はありません。
 では、あの過ぎ行く舟の中の人はマドロスさんではないのか――いや、たしかに、あれがマドロス君でなければ、ほかにマドロス君があろうはずはない。
 もしかして、自分の眼に誤りがあったのかと、ちょっと眼をそらして天の方を見ると、いつも見るカシオペヤも、オリオンも、月光に薄れながらはっきりと見える。海の波も、陸の色も変りはない。ひとり、この眼でマドロス君だけを見誤るはずがない。そこで、茂太郎は二度《ふたたび》、大きな声で呼んでみました、
「そこへ行くのはマドロスさんじゃないかエ、マドロスさん!」
 けれども、いっこう手答えがなく、舟はそのままグングンと力限りに漕《こ》がれて行ってしまう。しかし、漕がれて行く先は、遠く外洋へ出でようというのではない、近く岸に沿うて、そうして、遠見の番所、造船所の下の方へと、筋を引いて行ってしまうのです。

         七

 唖然《あぜん》として、岩角に隠れた舟を見送っていた茂太郎が、またも思い返して天神森の方を見ると、さきほどの火は大分に薄れてゆきましたが、この時、ちょうど、蜘蛛《くも》の子を散らしたように、柿の実をバラ蒔《ま》いたように、その真黒な天神森から、点々として、多くの火影が飛び出したのを認めました。
 提灯《ちょうちん》か、松明《たいまつ》か知らないが、おのおの小さな火の子を手にして、多くの人数が、崩れ出したことはたしかです。
 そうして、見ているうちに、右の火の子が、四方へ散り乱れたけれども、やがてそれがほぼ一つになって、長蛇のような形で、こちらへ向いて来ることもたしかです。
 茂太郎は、今それを怖れ出しました。
 とにかく、一目散に、番所まで逃げ込むことが急務だと考えたものですから、また、息せき切って砂の海岸を真一文字に、遠見の番所まで走《は》せ戻ったものです。
 番所まで一目散に走りつくと共に茂太郎は、まずこのことを、誰に向って語ろうかと案じわずらいました。
 駒井の殿様に申し上げるのが本当だろうけれども、殿様はまだ、マドロス君を許しておられないのだ。田山先生はいない、金椎君《キンツイくん》は話したって無益、どっちみち、お嬢様に話してみてからの上……そのお嬢様という人は、いま眠っているに違いないから、それを起すのも気の毒だ。
 そこで、茂太郎はまず、小使部屋へ飛び込んだ。見ると、そこの炉辺に、思いがけない人が一人いるのを認めました。
 キャンドルを入れた行燈《あんどん》が明るく、炉中の火も賑やかに燃え、大鉄瓶の湯もチンチンと沸《わ》いて、いずれも気持よく室中の気分が熟している中に、炉を前にして、お膳を置き、傾けつくしたと見える徳利を一本飾りこみ、悠然として、お茶漬を掻《か》きこんでいるところの一人を発見したものですから、茂太郎が、
「おや、おじさん、いつ帰ったの?」
「はい、もうちっと先に帰りましたよ」
「そう……」
 茂太郎はなんとも解《げ》せない面《かお》で、この悠々とお茶漬を掻込んでいる中老人の面を、しげしげと見やりました。
 それは、このごろ、ここへお客に来た、武州の田舎《いなか》の七兵衛というお爺さんだからです。
 そのお客さんだから、特に解せないというわけではない。お客さんに来ても、帰らない以上は、ここに泊っているのはあたりまえだし、泊っている以上は、お茶漬を食べることも不思議ではないが、茂太郎がどうしても不思議でたまらないので、しげしげと、この空《から》にした徳利を一本前へ飾りつけて、お茶漬を食べているお客様をながめたまま、引込みがつかないでいるのは、この人こそ、ついたった今、小舟の中で見た人だからです。
 マドロス君が櫓《ろ》を押して、このおじさんが舳《みよし》の方に坐って、そうして、こちらが呼べども知らん面に、造船所の方へ行ってしまったその舟の中で、たしかに見たこのおじさんがあのおじさんです。果して、このおじさんがあのおじさんであるとすれば、どこへあの舟をつけて、いつここまで来たのだろう。たとえば、あの時に、造船所の前へ舟を着けたとしても、それからこの番所までは相当の距離がある。走って来たとしても、相当息切れがしていなければならないのに、もう徳利を一本空にして、悠々とお茶漬を食べている。
 もし、舟の中のあのおじさんが、このおじさんでないとしたならば、ここにいるこのおじさんは誰だ?
 マドロス君と言い、この七兵衛と称するおじさんと言い、今日は実に、解しきれない変幻出没――さすがの茂太郎が当惑しきって、
「おじさん、いつここへ戻って来たの」
「たった今……」
「だって、お茶漬を食べているじゃないか」
「お腹がすいたから、いただいたのさ」
「だって……」
 この時、屋外が騒がしくなりました。

         八

 そっと窓を押して、二人が外を見ると、すぐ眼の下なる浜辺は、白昼の如くかがやいているのを認めました。
 それは、地上では盛んに焚火《たきび》をして、上には高張提灯を掲げ、何十人もの村民が、竹槍、蓆旗《むしろばた》の勢いで、そこに群がり、しきりに言い罵《ののし》って、この番所を睨《にら》み合っているのを見ます。
 さすがに、ひたひたと押寄せては来ないが、この番所に向っての示威運動であることは確かであります。
 そのうちに、大きな藁人形《わらにんぎょう》が二つ、群集の中に、こちらへ向けて、高く押立てられました。さながら弥次郎兵衛のように竹の大串にさして、突立てたのを、下に薪を積みはじめたところを見ると、この藁人形に火焙《ひあぶ》りの刑を施さんとするものらしい。
 その挙動によって察すると、彼等はマドロスを捕えて焼き殺すことに、何か失敗があったその腹癒《はらい》せか、そうでなければ、首尾よくマドロスに私刑を加え終って後、こうして駒井の番所近く、第二の示威として藁人形を焼き立てようとするものらしい。
 二人で、じっと見ていると、彼等は皆相当に昂奮しきっているようです。その昂奮に油をそそぐように、立廻っているのは、幾多のバクチ打と、ならず[#「ならず」に傍点]者の類《たぐい》と見える。
 やがて、藁人形の下に積み重ねた薪に火をつけると、火は勢いよく燃え上る。それと同時に、ドッと喚声が湧き上りました。
 この騒ぎでは多分、駒井甚三郎も目をさましたでしょう。兵部の娘のベッドの枕も、動かされたに相違ない。
 こちらの番所の中の人は、挙げてみんな、窓越しに、じっとこれを眺めているに相違ない。そこが、群集のつけめで、第一の藁人形にこうして火をつけると、第二の藁人形に火をつけて置いて、以前にも増した喚声を上げる。
 その火の色と、喚声とを聞きつけて、この場へ駈けつけるものは、一揆《いっき》の暴徒らしいやからのみでなく、浦の女子供も群がって来ること、爆竹《どんど》の祝いみたようなものです。
 こちらの番所では、ただ、静まり返って見ているだけですが、あちらでは、必死になっての示威運動です。
 口々に罵り騒ぐのを聞いていると、切支丹だとか、毛唐だとか、太え奴だ、国を取りに来やがった――とか、黒ん坊同様に一人残らず焼き殺せとか、番所も、船も、ブチ壊せとか、口を極めて、物騒千万な威嚇《いかく》を試みているが、威嚇しながらも、自分たちに相当の警戒があって、二の足を踏んでいるようでもあり、ついには、奮激の虚勢も、悪罵の言いぶりも、やや種切れの気味で、その時分に、鎮守《ちんじゅ》の社から下げて来たらしい太鼓が届くと、それを打鳴らし、やがて、この群集がおどり出しました。
 それは示威運動だか、お祭り騒ぎだか、わからなくなってしまっているうちに、押立てた高張提灯の一つに、どうしたハズミか、火がついてバッと燃え上ると、それを揉み消そうとして混乱が起ると、それのハズミで何か物争いが起ったようです。
 喧々として物争いをはじめたのは、仲間同士でした。
 それは、なんの原因だか分らないが、ホンの足を踏んだとか、踏まれたとか、手がさわったとか、さわらなかったとかいういきはりなんでしょう。やがて、すさまじい仲間同士の物争いになったのです。
 そこで取組み合いがはじまる、仲裁が出る、というおきまりで、こちらへ対するの示威はフッ飛んでしまい、仲間喧嘩に花が咲いて、その騒々しさ言うべくもない。
 こちらの番所で見ている者は、ここに至ると笑止千万《しょうしせんばん》に堪えられないでしょう。
 無論、駒井甚三郎も研究室のカーテンを掲げて、最初からこの形勢を見ていましたが、今し、仲間喧嘩が酣《たけな》わになったのを見て、カーテンを下ろしてしまい、またキャンドルを消してしまいました。

         九

 しばらくすると、扉をハタハタと叩くものがありますから、駒井が、
「お入りなさい」
と言いました。
「御免下さいまし」
と、いんぎんに現われたのは七兵衛です。
 七兵衛は、主人のほかに客用のものがある椅子へは、すすめても腰を下ろさないで、敷物の上へかしこまるのを例とします。ただ、手に一本の矢を持っていることが、いつもと違います。
「おお、七兵衛殿」
「只今は、随分お驚きになりましたでございましょう」
「少々、驚いたね」
「でも、あのくらいで納まってよろしうございました、どうやら、仲間喧嘩でもしでかした様子でございました」
「いや、本来、あの連中のやることは、根があってするわけではないのだから、たあいがない」
「でございますが、たしかにおだてる奴があるものですから、御油断はなりませぬ」
と言って七兵衛は、右の手に持っていたその矢を、駒井の方へ差出して、
「只今、小使部屋と、お廊下との間へ、こんなものを射込んだものがございました」
「ははあ、矢文《やぶみ》だな」
 駒井は、七兵衛の手渡す矢を受取って見ると、そこに結び封が結えつけてある。それを外《はず》して、くりひろげながら読んでいる。その読む時間を遠慮して、七兵衛は差出ることをしないでいたが、駒井は、さほど長くもあらぬ矢文をスラスラと読んでしまっても、別段、変った色なく、さっと、机の上へ投げ出したのをきっかけに、七兵衛が、
「おだてる奴があるものでございますから、御油断はなりません、万一のために、明日はひとつ、お船の方から人を呼んで、この御番所のまわりに、厳重な柵をお作りになってはいかがかと存じます、わたくしもお手伝いをいたしますから」
「用心にしくはないが、まあ、そうするまでには及ぶまい」
「しかし、うまくおだてられているんでございますから、調子によっては、何をしでかさないものでもございません。実は只今もああして、押しかけて来て、なんでも一気にこの御番所へ荒《あば》れこんで、火をつけてしまえ、ということだったそうでございますが、なかに、この御番所には大筒《おおづつ》がある、大筒をブッ放されてはたまらない、ということを言う者がございまして、そこで、あんな面当《つらあ》てだけにとどめたということでございますから、今後、また度々《たびたび》いたずらをするにきまっております、そうしますと、時のハズミで、ワーッとこれへ乱入して来ない限りはございません。そこで、塀なり、柵なりをかけて置けば、そこで必ず多少の遠慮をするにきまっておりまする――そうしているうちに、鉄砲の音の一つもさせてやれば、怖れてもう寄りつきは致しますまい、こちらから征伐も大人げのうございますが、籠城の用心だけはしておきませんと……それには、搦手《からめて》は大丈夫でございますが、海に向いた生田《いくた》の森が手薄でございます、早速、明日にも、あれへ柵をおかけになっておいた方が、安心でござります」
 七兵衛は、いんぎんにこう言って、駒井に進言をしてみましたが、駒井はそれを聞いて、頷《うなず》くだけで、
「たとえ黒幕があるにしても、おだてる奴があるにしてもだ、人気がこうなってはモウいかんな、斯様《かよう》な人気の中で、我々は安心して仕事をするわけにはゆかん。我々の仕事は、鉄条網を一方につくって、人民を敵視しながら、研究を続けて行かねばならん、という性質のものではないのだ。彼等はおだやかにあしらっても、威力を以てあしらってみても、どのみち、我々に対して、ああいう根本的の誤解が人気になった以上は、それを釈明するのは容易のことじゃない。不可能のことじゃないにしても、それを納得させる努力を、ほかで用いた方がよろしいから、結局――この地は、我々の方より一応退散した方が勝ちだ」

         十

 駒井甚三郎は、その時に矢文《やぶみ》の紙片を取って、七兵衛に読み聞かせました――
[#ここから1字下げ]
「ソノ方事、江戸ヲ追放サレテ、当地ニ来タル仔細ハ、毛唐ニ渡リヲツケテ謀叛《むほん》ノ志アルコト分明ナリ、ヒソカニ軍艦ヲ製造シ大砲ヲ鋳造シテ毛唐ノ侵入ヲ待チ、事ヲ挙ゲテ、ワガ神国ヲ禽獣《きんじう》ノ徒ニ向ツテ奴隷トナサンコトヲ企ツ、言語道断ノ次第ナリ、シカノミナラズ、毛唐ノ無頼漢ヲ雇ヒテ、善良ナル村人ノ財物ヲ剽掠《へうりやく》セシメ、婦女ヲ犯サシメ、切支丹ヲ流行シ、禽獣ノ行ヒヲススメテ改メシメザルハ、一ニソノ方ノ責ナリ、ヨツテ近日中、汝トソノ一味ノ者ニ向ツテ天誅ヲ加ヘ、世ノミセシメトナスベシ、覚悟セヨ」
[#ここで字下げ終わり]
 こういう文句が、かなり達筆に認められてあるのを、駒井は読み且つ見せて、七兵衛に向って言いました、
「ごらんなさい、文章は体をなさないものだが、文字は、なかなかよく書いてあります、この辺の浦の漁師たちなどに書ける文字ではないのです」
「神主様かなにか、お書きになったのでございますか」
「神主様と限ったものではあるまいが、こういう思想を煽《あお》って、無智の人民をけしかける者が志士といって、今の世には到るところに充満している」
「怪《け》しからんことじゃありませんか、そんな奴をひとつ、御退治なすっちゃあ、いかがでございますか」
「しかし、それがまあ、今の世の一般の空気になっているのだから、逆《さか》らわないがよかろうと思う」
「でも、そんなわからず屋のおどかしに怖れてばかりいては、つけ上るようなことはございますまいか、一つ、御威光を見せておやりなすっちゃいかがですか」
 七兵衛は、駒井の言うことを歯痒《はがゆ》いように思います。
 こういう場合にこそ、空《から》でもなんでもいいから、大筒の一発もブッ放して見せてやれ、彼等のコケおどしは、一たまりもあるまいと思われるのに、目を驚かすばかりの精鋭な、船も、武器も持っておりながら、みすみすこんな威嚇に屈服して争わない駒井の殿様の態度を、七兵衛も歯痒いように思いました。
 ところが駒井甚三郎は、内心に於ても激昂している様子はなく、かえって、七兵衛をなだめるような語気で、
「わしが、ここへ籠《こも》ったのは、江戸からも遠からず、周囲も静かで、何かと便宜があるからここを選んだまでのことだ、周囲がうるさくなった後、それと抗争したり、釈明したりしてまで、この地に執着しておらねばならぬ理由は少しも無いのだ。それに仕事の方も、ほぼ完成した。船は燃料の問題だけで、動かそうとすれば、今にも動くまでになっている。ホンの自衛の印《しるし》にこしらえた大砲も据えつけが終っている。今は船中生活の器具類と、食料品とを積みこめば、出帆に差支えないのだ。この上は乗組の人員と、目的地の針路だが、乗組員の方はほぼ予定がついている。この際、田山君が戻って来ないのは残念だが、香取鹿島までの旅だから、今日明日に戻って来るだろうと思う。あのマドロスは仕方のない奴だが、鍛え直せば役には立つのだ、お前の骨折りで、あのマドロスを暴徒の手から取戻してくれたのはいいことであった。そういうわけだから、この際、思い切って、船卸しをやってしまい、我々はこの地をできるだけ早く立去りたいのだが、それについて七兵衛殿、お前も希望《のぞみ》通り、この船に乗りますか」
とたずねられて七兵衛が、
「それは、願ってもない仕合せでございますが、私よりも、沢井にござる登様と、お松とを、ぜひお連れ下さいませ、それが叶いますならば、これから私が沢井へ走《は》せ戻って、登様をお連れ申してまいります」
「うむ」
「では、これから一ッ走り、登様のお迎えに行って参りましょう、そうして登様と、お松と、この七兵衛めをまで、このお船の中へお連れ下されば、こんな有難いことはござりませぬ。だが御当地をお立ちになって、どちらへ船をお廻しになりますのでございます」

         十一

「この船は、いかなる大洋をも乗りきれるつもりだから、ひとたび出帆した以上は、どこへ行こうとも勝手だが、それには燃料と、食物の関係もあるから、今のところはそう遠くまでは行けない、わしの考えでは、当分、近くのしかるべきところへ落着けて、なお修理と改良を加えたいのだ……その候補地が二つある。一つは駿河《するが》の国の清水港で、一つは陸前の石巻《いしのまき》の港だが、清水港はよいところだが、今のところ、目に立ち易《やす》い心配がある、その点では陸前の石巻がよかろうと思う。そこで、昨晩いろいろ考えて、それにきめてしまったようなものだ」
と駒井甚三郎が、行く先を説明して聞かせた上に、かの地には、曾《かつ》て、高島門下で自分と同窓の、木野徳助というものがあって、土地で有数な船乗りであり、よく自分を諒解していてくれる、それに土地も辺鄙《へんぴ》だから、この辺よりはなお一層人目に立つことが少ない、もしもの場合には、一同が船中生活をしていて、外へさえ出なければ危険のありそうなはずがない、万一危険がありとすれば、帆をかけて海に避けるまでのことだ……ということを駒井が、七兵衛の得心のゆくまで説いて聞かせました。
 駒井としては、その辺に十分の自信を持っていて、帆前の用意まで怠《おこた》りはないのだが、それにしても心にかかるのは燃料のことで、遠洋の航海をするのに、その燃料の貯蔵と、補給とには、念に念を入れねばならぬと考えているのです。
 しかし、それは石巻へ着いてからの研究でも間に合う。それと、もう一つは、結局の目的地のこと……これはきまったような、きまらないような現在ではあるが、きめて置いて、かえって失望するようなことはないか。きめないで置いて、かえって理想に近い新陸地を発見し、そこに水入らずの一王国か、或いは民主国か知れないが、そういうものの種を蒔《ま》いてみることは、また男児の快心事ではないか。
 この点に於て、駒井の近況は、必ずしも冷静な科学者でも、緻密《ちみつ》な建造家でもなく、一種のロビンソン的空想家となっていないではない。そこでかなり正確な数理と、着実とを以て、諄々《じゅんじゅん》と話しつつあるにかかわらず、七兵衛の頭におのずから熱を伝え、実際的に信頼のできる根拠があるだけに、七兵衛のロマン味をも刺戟すること一方ではないと見え、老巧な七兵衛が、海を説かれて、少年のような興味を植えつけられて、勇みをなした有様が、瞭々としてわかります。
 この話がきまると七兵衛は、早速旅装をととのえて洲崎を出発しましたが、その馬力のかかった足許の躍《おど》り方までが、いつもより違った若やかさを感ずるのは、不思議と思われるばかりです。
 今までの七兵衛は、千里を突破する早い足を持っていたのには相違ないが、そのゆくては、いつでも真暗でした。こうして乗りかけるところは結局、三尺高い木の上に過ぎない。いかに早く走ったからとて、いつかは、自分はそこまで追いつめられて、いやおうなしに、その台の上へ、この首をのっけてしまわねばならぬ。
 いつ出でても、ゆくては夕暮である。
 どんなキラキラした天日も、七兵衛が走りながら仰ぐと暗くなって見え、自分はそれを観念しつつ、幼少より今日に至るまで、明るい世界を全く暗く歩み、生涯、この暗黒から救われる由なき運命のほどを、自ら哀れみもし、自らあきらめもしていたのが――時として、旅の半ばに、前後をのぞみ見て、※[#「さんずい+玄」、第3水準1-86-62]然《げんぜん》として流るる涙を払ったこともないではなかったのです。
 子供の時分、名主様に舌を捲かせ、貴様は日吉丸になるか、石川五右衛門になるかと呆《あき》れさせたことのある自分も、よく通れば、日吉丸ほどでなくとも、五右衛門の出来そこないにはならなかったに相違ない……それがかくして今、こうして暗く歩んでいる。
 それを考えて、七兵衛のいただく天地に、かつて明るいことがなかったのですが、今日は、全く別な世界を歩みはじめた気持です。
 この世界には、この足を必要としないで歩み得る世界がある。それは海だ!
 そこは、自分の特長は全く無用視されるが、自分の身に安心が予約されるではないか。
 船というものは全く別の世界になり得る!

         十二

 田山白雲が勿来《なこそ》の関《せき》に着いたのは、黄昏時《たそがれどき》でありました。
 勿来の関を見てから、小名浜《おなはま》で泊るつもりで、平潟《ひらかた》の町を出て、九面《ここつら》から僅かの登りをのぼって、古関《こせき》のあとへ立って見ると、白雲は旅情おさえがたきものがあります。
 音に聞く、勿来の関の古関の址。
 誰が書いて、いつ立てたか、「勿来古関之址」と、風雨に曝《さら》された木柱の文字。それを囲んで巨大なる松の木が五六本、おのずからなる離合の配置おもしろく生い立っている。
 桜はと眼をつけて見たが、あちらに半ば枯れた大木と、あとから植えたものらしい若木が十本ばかり、半ば紅葉して見えただけのもの。さて、東には海を見晴らし、西には常磐《じょうばん》の連山。海は遠く、山は近く、低い雲に圧《お》され気味な、その日の、その時刻。
 古関の木柱の前に立ちつくして、雲霧と海山とをながめ渡して、白雲はホッと息をつきました。
 これは疲労を感じたから、ホッと息をついたのではない。夕暮の雲煙が、いとど自分の旅情を圧迫して、やはり、旅情というものを、いよいよおさえ難きものにしたからでしょう。
「遠くも来つるものかな」
 彼はこういう表情をして、勿来《なこそ》の古関の上に、往を感じ、来を懐《おも》うて、いわゆる※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]徊顧望《ていかいこぼう》の念に堪えやらぬもののようです。
 実際、遠く来てしまったな――という感じは、その旅中の気分の中に充ち満ちているだけに、古来の「勿来」の文字が、大手をひろげて、なにか彼に向って、前路の暗示を与えてもいるもののようです。
「遠くも来つるものかな」
 暗雲低く垂れて、呼べば答えんとするもののほかに、その感懐を訴うべき、人煙は無い。
[#ここから2字下げ]
吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて
萩のうら葉もうら淋《さび》し
[#ここで字下げ終わり]
 白雲はこういって、微吟しながら、その豪快なる胸臆のうちに、無限の哀愁を吸引し来《きた》ることにたえないらしい。
 それにしても、「勿来」の関は、王朝以前の勿来の関で、近代の勿来の関ではないはずです。
 たとえ、田山白雲ほどの男でも、王朝以前の時に当って、はるばる都を出でて、東路《あずまじ》の道の果てなる常陸帯《ひたちおび》をたぐりつくして、さてこれより北は胡沙《こさ》吹くところ、瘴癘《しょうれい》の気あって人を傷《いた》ましめるが故に来る勿《なか》れの標示を見て、我ながら「遠くも来つるものかな」と傷心の感懐を洩らすのは、無理とは言えないだろうが、黒船の海を行く今日の世では、もはや「勿来」は名残《なご》りだけのものです。
 江戸が天下の政治の中心地となってしまい、常陸にはその宗藩が置かれ、その常陸を僅か一歩抜け出したところの「勿来」の関。これから奥にはまだ、黄金《こがね》花咲くといわれるところに、伊達《だて》を誇る都もあるし、蝦夷松前《えぞまつまえ》といっても、名もなき漁船商船でさえが、常路の如く往来をしているこの際に、白雲ほどの豪傑が、ホッと息をついて、「遠くも来つるものかな」は女々《めめ》しいではないか。
[#ここから2字下げ]
吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて
萩のうら葉もうら淋し
[#ここで字下げ終わり]
 但し、ここで白雲の口頭に上った微吟の歌には、なんらの意義がない。さし当り口を突いて出て来た調子のままに、口あたりよき雅言が、詠歎的に歌調をなしたまでのことで、つまり多少とも、清澄の茂太郎にかぶれたものと見ておけばよい。
 立ち尽して、白雲はただ蒼茫《そうぼう》たる行手の方のみを、暫く見つめていました。
「遠くも来つるものかな」
 やはりその旅情を、如何《いかん》ともすることができないらしい。

         十三

 西に眼を転じて、自分は、安房《あわ》の国、洲崎浜の駒井甚三郎の食客となっている身で、それに相当の暇《いとま》を告げて、立ち出でて来た旅中の旅路であることを憶《おも》いました。
 駒井に暇を告げる時は、香取鹿島から、水郷にしばしの放浪を試み、数日にして帰るべきを約して出て来た身なのです。それが、鹿島の浦で興をそそられて、奥州松島を志し、「勿来」の関まで来てしまったことが、我ながら「遠くも来つるものかな」の自省を促さざるを得ないものとなったのでしょう。
 更に東へ眼を転ずると、そこは涯《かぎ》りのない海です。
 海はいつも同じようなことを教える。渺《びょう》たる滄海《そうかい》の一粟《いちぞく》、わが生の須臾《しゅゆ》なるを悲しみ、と古人は歌うが、わが生を悲しましむることに於ては、海よりも山だと白雲は想う。海は無限を教えて及びなきことを囁《ささや》く。人間の生涯を海洋へ持って行って比べることは、比較級が空漠に過ぎるようだ。
 左に磐城《いわき》の連山が並ぶ、その上に断雲が低く迷う――多くの場合、人間は海よりも山を見て、人生を悲しみたくなる。それは特に山に没入する時よりは、山を遠くながめる時に於て、山というものの悠久性が、海というようなものの空漠性よりは、遥かに人間の比較級に親しみが深いからでしょう。海を見ても泣けない時に、かえって山を見て泣かねばならぬことがあります。
[#ここから2字下げ]
頭《こうべ》をあげて山川《さんせん》を見
頭を低《た》れて故郷を思う
[#ここで字下げ終わり]
 このたびの旅行に於て、海は白雲のために友であり、師であって、絶えずこれと共に歌い、これに励まされ来《きた》ったようですが、山がかえってこの男を、人間の悲哀に向って誘い込むらしい。
 磐城の連山の雲霧の彼方《かなた》に、安達ヶ原がある、陸奥《みちのく》のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠《ねず》ヶ関《せき》もなければならぬ。
 それを西北に廻れば、当然、那須、塩原、二荒《ふたら》の山々でなければならぬ。そうして、やがて上州の山河……
「遠くも来つるものかな」と感傷のため息をついたのは、白雲もまだ人間並みに故郷というものを思い出でたからでしょう。おれにも、これで妻子というものがあったのだ、その妻子にも、幾年月の苦労をさせたものだな、という人間感が、犇《ひし》と胸に迫ったから、それが、白雲の面《かお》に、見るに忍びぬ、一脈の傷心の現われを隠すことができなかったものに相違ない。
 事実、この男には妻子があったのです。その妻子を故郷に預けて来ていることを、「勿来」まで来て、はじめて、思い出すのはいいが、思い出される妻子というものの身になっても辛かろう。
 斯様《かよう》な人間に附属せしめられた妻子というものこそは、全く気の毒の至りです。その気の毒な運命のほどは、嘗《な》めさせられている当の妻子たちは無論のことだが、嘗めさせつつ我を忘れている当人も、他所目《よそめ》ほどには楽でもあるまい、妻子には済むまい――
 自己の豪興半ばにして、白雲は、ふいとこの気分のために、心を傷《いた》めぬということはないのです。
 旅に出ても、若干の収入さえありさえすれば、自分は食わなくとも、それを妻子に仕送る心がけだけは忘れなかったものだ。幸いにして、この頃中は、あの山かん[#「かん」に傍点]な女興行師につかまって、あの女のために思わぬ大金を恵まれた。それをそっくり故郷の妻子に届けてあるから、あれで当分の生活にはこと欠くまい――という安心が、一つは白雲を駆ってそれからそれと、陸奥の旅までも突進させたのですが、もう一つの動力は、まさに「狩野永徳」のさせる業でなければならぬ。
 陸前の松島の観瀾亭《かんらんてい》に、伊達正宗が太閤から貰って、もたらして来た永徳の大作があるという噂《うわさ》を聞いたことが、一気にそこまで白雲を突進させようとして、ここ勿来の古関のあとに立たしめた本当の道筋でありました。

         十四

 こうして、鹿島洋《かしまなだ》で得た豪興が、一気に田山白雲を、ここまで突進させてしまったけれどここへ来てみると右様の始末で、「勿来」の文字が、帰るに如《し》かずを教えることしきりです。
 駒井殿も心配しているだろう、妻子にも逢いたくなった――ガラにもなく、この帰心のために田山白雲の心が傷みました。
 松島には狩野永徳が待っている――扶桑《ふそう》第一とうたわれた、その松島の風景的地位というものも見定めておきたいし、黄金花さくという陸奥の風物は一として、わが画嚢《がのう》に従来なかった土産物《みやげもの》を以て充たしめざるはないに相違ない――が、前途、路は遥かだ。
「帰るに如かず」の心が、白雲の逸《はや》る心を乗越え乗越えして、堪え難いものとするとともにここまで来て……引返すということの意気地のなさを、自分ながら後ろめたいものにもする。そこで、結局、行くべきものか、帰るべきものか、白雲ほどの男が、※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]徊《ていかい》顧望して、全く踏切《ふんぎ》りがつかない始末です。
 そこへ、峠の彼方から――峠というほどではないが、関の彼方から、うたをうたって来るものがある。その歌は、何だか知らないが、うら若い娘の声で、人の無いのを見て、ひとり興に乗ってうたう、この辺ありきたりの鄙唄《ひなうた》であるらしい。
「姉さん、おい姉さん」
 松の間から見えた、里の乙女と言いつべき若い娘。ぽちゃぽちゃした面《かお》の、手拭をかぶって背には籠《かご》を背負っていたのが、峠というほどでないにしても、上下一里はある山路の中を、いい気になって、鄙唄をうたいながら来たのを、こちらから呼び止めたのは、雲をつく田山白雲でしたから、
「え!」
 その当座、右の姉さんは、ぴったりと唄をやめて、棒立ちになり、同時にワナワナとふるえ出したもののようです。
「姉さん――」
 娘は動きません。白雲はこちらで手招きをする。
 娘は動かない。
 白雲は、なお手招きをする。
 娘はジリジリと足ずりをする。しかも、前へは摺《す》らないで、うしろへ摺る。
 白雲は、莞爾《にっこ》として、娘を迎えようとする。
 しかも娘は蒼《あお》くなる。
 白雲は、怖いものじゃないよ、という表情をして見せて、再び小手招きをする。
 娘は、また足摺りをする。やはり、後ろへ向って、こっそり足摺りをしていたのが、やや小刻みに、二足ほど引く。それでも、姿勢は棒立ちになった心持。
 松の立木と、萩の下もえとを間にして、その間約半丁――
 いかに白雲が、好意を示し、小手招きをしても、娘は近寄らない。この間《かん》、しばし。
 やがて、三足、四足と、急速に踵《くびす》を返すと、まっしぐらに、身をねじ向けた娘、そのまま真一文字に、もと来た道へ馳《は》せ下ってしまいます。その、処女《おとめ》にして同時に脱兎の如き文字通りの退却ぶりを見て、白雲はあいた口がふさがらないのです。
 だが、その心持と、進退のほどはよくわかる。申すまでもない、恐怖がさせた業で、彼女の恐怖の的となっているのは自分――男性でさえ、この御面相ではかなり避けて通すことになっているこのおれというものに、この時節、こんなところで、不意に呼びかけられて、あの態度を取ることは、先方の身になってみれば、ちっとも不思議ではない。
 しかし、気の毒な思いをさせた。こちらは、不意に出逢わせてはかえって虫を起すだろう、ワザと遠くから予備意識を与えて、この自分というものが、見かけほどに怖ろしい男ではない、という諒解《りょうかい》を与えておこうとした好意が、かえって仇《あだ》となって、娘を逃がしてしまった、気の毒なことをしたよ――と苦笑しながら、その逃げ去ったあとを見つめると、何か落しものをしている。

         十五

 傍へよって落したものを見ると、それは金唐革《きんからかわ》の香箱でした。
「やれやれ、かわいそうなことをしたわい」
 白雲が大事に拾い上げて見ると、箱の中には、鼈甲《べっこう》の櫛笄《くしこうがい》だの、珊瑚樹の五分玉の根がけ[#「根がけ」に傍点]だのというものが入っている。
 あの娘が、後生大事に抱えて来たものだ。
 風呂敷へも、籠へも入れず、こうして持って歩いたのは、途中も嬉しいことがあって、時々、取り出してはながめ、取り出してはながめずにはおられない理由というほどのものがあって、自然に下へは置けなかったのだろう。
 あちらの町から買って、こちらの村へ戻るの途中というよりは、あちらのおばさんなり、姉さんなりというものがあって、それが、今まで秘蔵していたこの品を、仔細あって、あの娘に譲ってくれたものではないか。それは、かねての長々の約束であったか、或いは一時の話のはずみから出来たのかも知れないが、今日という日に、この品が確実にあの娘の手に落ちたので、それを持ち帰る途中、嬉しくって、幾度も幾度も取り出してはながめ、とり出してはながめ、ここへ来ては、その嬉しさが鼻唄となって、宙にかかえ込んで来たところへ、雲突くばかりの男が出て行手をさえぎった! それまでの光景が、白雲の眼に、手にとる如く映って来たので、いよいよ罪なことをしたものだと思いました。
 白雲といえども、こういうたぐいの品が、どのくらい、若い娘の心を躍《おど》らせるということを想像しないほどのぼんくらではない。
 若い娘でなくとも、こういうものに愛着を感ずる女の心は、たしかに実験を味わっている。よし、自分は嫁《かたづ》いて納まり込んでしまったにしてからが、なかなか手放せないものだ。それを甘んじて、この若い娘さんのために割愛した伯母《おば》さんなり、姉さんなりの心意気も、嬉しいものではないか。ことによると、あの娘が、最近しかるべきところへお目出たい話がまとまった、そのお祝いとして、この品を、あの娘に譲ったというような次第ではないか――そうしてみると、その二つを、ムザムザと自分というものが出現したために、無にしてしまっている。
 返す返すも、気の毒なことだ、罪なことをしてしまったわい、という詫《わ》び心が、ムラムラと白雲の頭に起る。
 そこでまた、それというのも一つは、白雲が、自分というもののために、自分の女房と名のついた女が、さんざんの苦労をしつくし、最後に、その髪の飾りの物まで、惜しげもなく手放してくれた苦い経験を、思い出さないわけにはゆかなかったと見えます。
 ほんとうに惜しげもなく――貧乏ということの犠牲のために、女が身の皮を剥いで尽してくれるその惜しげもない心づくしというものが、白雲だって、今までかなり身にこたえていないというはずはないのです。
 そこで白雲は、浦島太郎がするように、その小箱を小腋《こわき》にかい込んで――苦笑しながら娘の逃げて行った方面を見送っていましたが、それは、もう一つの理由からしても、あの娘の跡を追いかけて、手渡してやらなければならぬ、という義務に責められているようなわけでした。
 つまり、あの娘の、この品に対する愛着と、失望を救う目的のみならず、自分の良心と、名誉のためにかけても……それは、あの娘が、里へ命からがら逃げついたとする、彼女の目には、雲突くばかりの追剥が、行手にわだかまっていたから、と言うよりほかの報告はないにきまっている、そうなると、村人は黙ってはいまい、捨てては置けまい、在郷軍人や、青年団が総出になって、出動するような形勢になることはわかりきっている。
 瘠《や》せても枯れても田山白雲が、追剥泥棒の嫌疑を、無関心ではおられない。
 その証明のためにも、こちらから進んで行かねばならない――これらの事情がついに、白雲をして、不知不識《しらずしらず》、「勿来《なこそ》」の関の関門を、前に向って突破させてしまいました。

         十六

 関をくだって、関北の村へ出ると、果して白雲の予想した通りでした。
 村人が総出で、ただいま、勿来の古関のあとへ、雲突くばかりの怪盗が現われて、若い娘を脅《おどか》して、その後生大事な髪飾りを強奪した、そういう奴を許してはおけない、ということで、それが勿来の関に向って押しかけて来るところへ、白雲が、この被害品を小腋《こわき》にして、悠々《ゆうゆう》として下りて来たから、血気盛んな村の者が、かえって出鼻をくじかれているのを、
「怪しいものじゃありませんよ、君たち、拙者は絵師です、旅の絵かきでござる、安心しなさい」
と、まず安心させておいてから、白雲は、
「野州|足利《あしかが》の田山白雲という絵かきが拙者です、君たちの心配する目的物はこれだろう」
と言って、例の香箱を目先に突きつけ、
「は、は、は、娘さんが少々、狼狽《ろうばい》したのだ、よく、あらためて、当人に返しておやりなさい」
 村人は、突きつけられた香箱を前にして、目をパチクリやっているが、この男が、自分たちの予期した悪漢ではない、ということだけの合点《がてん》は行ったらしい。
「でも、絵師のようじゃねえぜ」
とささやく者がある。
「浪人者のようだなあ」
という批評も聞える。
「二本差した絵かきなんていうものがあるべえか」
「浪人者じゃねえかのう」
「絵かきじゃねえぞ」
「浪人者だア」
「浪人者」
 浪人者の名は、ある時には、追剥よりもよくないものになっている。
 風体《ふうてい》の怪しい浪人者と見たらば、引捕えることも、尋常に捕まえきれぬ時は、斬り殺すことも許されている。一応、諒解したらしいが、再応の雲行きが怪しくなったと見て取った白雲は、
「いや、君たち、絵かきだから二本差して悪いというわけはないのだ、拙者は絵を描いているが、野州の足利でこれでも士分のはしくれの者なのだ、浪人者じゃないのだ。それ見給え、この写生帖というものを見るがよい、香取、鹿島から、霞ヶ浦から、鹿島洋《かしまなだ》からこっちの風景をこの通り写して来ている、今もそれ、平潟《ひらかた》の村から勿来の関、有名な古来の名所だろう、それを、この通り図面にうつし取ったのだ」
と言って、ワザワザ彼等の前に、その写生帖をひろげて見せました。
 言語、文章を以てしては理解せしめ能《あた》わざるものを、絵画が容易《たやす》く説明する。田山白雲は、いつもこの手でもってあらゆる難関を突破する。
 彼はその風采に於て、剣客とされ、浪士とされ、或いは風雲の機をうかがうたぐいの間諜とあやまられるのに適している。そこで頭から、自分は絵師の田山白雲ということを名乗って、そうしてなお聴き容れられざる潮合いを見て、この写生帖を提出すれば、万事はたちどころに解決するのを例とする。今も、
「なるほど、浪人者にゃあ、こうは描けねえなあ」
という諒解についで、
「やあ、九面《ここつら》の太平が小屋を描いてあらあ。九面の太平が小屋、あん嬶《かか》あが、餓鬼をしょって立ってやがら」
「あ、あ、あ、太平が小屋か、お国っかかあが餓鬼を背負って立ってるとこが、うまくけえてありゃがらあ――ふーん」
 諒解が、やがて感歎に変り、
「うめえもんだなあ、こりゃお関所の松の木んところだぜ――そっくりだあ、あ、こりゃ山庄の土蔵だよ」
「なに、お前様、小名浜《おなはま》の網旦那んとこんござらっしゃるのかね――みんな、御粗末にするなよ、網旦那んとこのお客様だあよ」
と、村の長老がこう叫び出したので、空気がまた一変しました。

         十七

 田山白雲は、長老の一人から、
「で、お前様、絵をかきに上州の方から、わざわざ、こっちへござらっしゃったのかい、そうして、これから、どっちの方さ、ござらっしゃるだかえ」
とたずねられて、
「今日はひとつ小名浜というところまで行って、そこで、小谷半十郎というのへ、紹介されているから、泊ろうと思うのだ」
「え、小名浜の網旦那んとこですか」
「いや、小谷というのだ」
「そりゃ、お前様、網旦那んとこだ」
「とにかく、そこへ尋ねて行くのだ」
「それじゃ、網旦那のお客様だ。みんな、このお絵かきさまは、網旦那んちのお客だから失礼のねえようにしなよ。直《なお》しゅう[#「しゅう」に傍点]に次郎公、おめえ、小名浜まで、このお絵かき様をお送り申しな」
 こうして、彼は質朴なる村人の諒解と、好意を得て、その夜は関北の村に一泊し、翌日は小名浜の小谷家まで無事に送り届けられて、そこで、鹿島洋で、測量のさむらいがくれた紹介状が立派に物を言い、このあたりでは、ほとんど領主でもあるらしき尊重ぶりの、いわゆる網旦那の屋敷の客となることを得たという次第です。
 その家について見ると田山白雲は、いよいよ以て、この辺に於ける網旦那なるものの勢力が、勢力に於ても、富に於ても、鹿島以東の浦々に並ぶ者のない威勢を見せていることを知り、そうしてまた、ここの当主が聞えたる蔵幅家であることを知り、なお人物と書画と両方面に、相当の鑑識を備えていると見えて、田舎廻《いなかまわ》りの旅絵師を名乗って来た白雲を、無下に扱うということなく、少しく画談を試みているうちに、所蔵の書画を、それからそれと取り出して見せるのですが、白雲は、その数に於て驚かされないわけにはゆきませんでした。
 次から次と運ばせる軸物のなかには、駄物もあるが、また相応に見られるものもないではない。どうして、こんなところへ、こんな作物が舞い込んだかと思われるほど、支那の元《げん》明《みん》あたりの名家へ持って行きたい軸物も、時おり現われて来ることに感心しました。
 そのうち、ことに白雲の眼を驚かしたのは竹林《ちくりん》の図です。
「これは蛇足《だそく》ですな」
「そうです」
「うむ――」
と言って、白雲が眼をすましたのを見て、主人が敬服しました。
 数ある画幅のうちで、主人にとって、この蛇足は、一二を争う秘蔵のものであるらしい。しかしながら、この辺鄙《へんぴ》にお客に来るほどのもので、この主人の自負に投合する者が極めて少ない。蛇足を蛇足として見るだけの明のない奴等を、主人が笑ったり、ひとり腹を立ったりしているところへ、たまたま白雲が来て投合し、この蛇足に向って、蛇足だけの扱いをしたのですから、主人が悦びました。
 白雲としては、当然なことです。
 瓦礫《がれき》は転がるように転がり、珠玉は珠玉のように輝いて光っているのだから、数ある軸物のうちで、蛇足にひっかかったのは当然ですが、それが、たまたま主人の意を得て、
「この絵かきは話せる!」
という心持にして、それが、やがてまた待遇の上にまで現われて来るのも当然でした。
 白雲は、この蛇足から眼がはなれないでいる間に、主人の注文も定まったと見えます。
 やがて離れの別室にうつされて、主人の注文に応じて画を作ることになった白雲の微吟の音が、外へ聞えます。
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吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて……
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         十八

 しかし、ここでは、たとえ主人の好意があろうとも、注文の絵の性質があろうとも、永く滞留して、筆を練るということを許さない事情がありますから、白雲は二日間を限りて二つの画を作って、明日は晴雨にかかわらず、ここを立つという時に、主人が送別を兼ねて、小宴を開いて白雲をねぎらいました。
 二日間の作、一つは主人の注文によっての「鍾馗《しょうき》」と、自分の作意によっての「勿来関」であります。
 その二つを、床の間に置いて、送別の小宴を開いているところへ、外から、
「半十郎」
と主人の名を呼ぶ声がします。
「ああ、児島先生がおいでになりました」
 主人が座を立って迎えようとする時、早や、声の主は襖を押開いて、無遠慮に、ここへ通りました。それを白雲が見ると、小柄な、色白の、まだ年の若い一人の武士であります。
「拙者は、米沢藩の児島辰三郎という者でござる」
 引合わせられて、その若い武家が、白雲の前に名乗りました。
 年は若いし、小柄ではあるし、色は白いし、額は広いのに、髪は惣髪《そうはつ》に結んであるので、一見、女にも見まほしいといったような優男《やさおとこ》には見えるが、そこに、なんとなく稜々たる気骨の犯し難きものを、白雲が見て取りました。
 打見るところ、何か、出張の目的あって、自分よりも以前にこの家に逗留《とうりゅう》しつつ、その所用を果しつつあるのだな。
「ごらん下さいませ、あなた様の御不在中、田山先生に、あの二幅を描いていただきました」
「ははあ、鍾馗か……風景は、あれは勿来の関だな」
「はい」
「うむ、見事見事」
 その武士は、見事見事だけで一切を片附けてしまったのを、白雲は笑止に思うくらいです――やがて、酒杯をすすめて後、主人が改めて、
「児島先生、この勿来の関の方に、先生の御賛《ごさん》をいただきたいものでございます、いかがでございましょう、田山先生」
と網旦那の主人が言いました。
「結構ですな」
と白雲が如才なく同意を示すと、主人は手を打って人を呼び、筆墨の用意にとりかからせたが、それと聞いて、いやとも言わず、黙諾の形を示していた児島なにがし[#「なにがし」に傍点]といわれた武士は、
「いいですか、せっかくの名作を汚してもかまいませんか」
「どうぞ御遠慮なく」
と白雲が、やはり如才なく言いました。
「では、ひとつ」
 用意せられた筆に墨を含ませて、白雲の描いた「勿来の関」の上の空白を睨《にら》んでいる目つきを見て、白雲が、こざかしい振舞かなと思いました。
 このぐらいの年配で、たとえ旅の貧乏絵師とはいえ、いやしくも他人の描いたものへ、賛をと望まれても、一応は辞退するのが礼であろうのに、いっこう、辞退の色もなく引受けて、少しもハニかむ色なく、筆をぶっつけようとする度胸だが、盲蛇《めくらへび》だか、それを白雲は、小癪《こしゃく》な奴だという気がしないでもありません。よし、まあ、やらせてみろ、下手なことをしやがったら、その分では置くまい、白雲の手並を見せてやる、それからでよい。
 若造――やってみろ、という気構えで傍らから白雲が悠然として、酒杯をふくんで見ているうちに、筆を取って、画面を見ていた右の若い武士は、ズブリと硯田《けんでん》にそれを打込んで、白雲の揮毫《きごう》の真中へ、雲煙を飛ばせてしまいました。
「あっ!」
と白雲が酒杯を落そうとしたのは、憤慨のためではありません。
 その竜蛇を走らすが如き奔放なる筆勢――或いは意気に打たれたとでもいうのでしょう。

         十九

 まず、書の巧拙や、筆法の吟味は論外として、その覇気《はき》遊逸《ゆういつ》して、筆端竜蛇を走らす体《てい》の勢いに、さすがの白雲が、すっかり気を呑まれてしまった形です。
 そうして、白眼で見ていた眼が躍《おど》り出し、危うく酒杯を取落そうとして見ていると、そんなことを眼中に置かず、さっさと、走らせた筆のあとを、文字通りに読んでみると、
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平潟湾、勿来関(平潟の湾、勿来の関)
石路索廻巌洞間(石路|索《もと》め廻《めぐ》る巌洞の間)
怒濤如雷噴雷起(怒濤雷の如く噴雷起る)
淘去淘来海噬山(淘《ゆ》り去り淘り来《きた》り海、山を噬《か》む)
地形雄偉冠東奥(地形の雄偉、東奥に冠たり)
…………………
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 一字一句もまた、その筆勢にかなう磊嵬《らいかい》たる意気の噴出でないものはありません。
 もとより古人の詩ではない。誰か、近代人の作を借りて来たのか、どうもその手に入った書きぶりを見ていると、他の作を借りて、自家の磊嵬に濺《そそ》ぐものとも思われないのです。
 してみれば、これは自作だ、この年で――二十歳前後です――この筆で、この作で、この意気、これは全くすばらしい男だと、白雲が舌を捲いてしまって、今度は、改めて、拳を膝に置いて、その武士の横顔を、穴のあくほど睨《にら》みつけたものです。
 件《くだん》の武士は、ここまで一気に雲煙を飛ばせて来たが、ここへ来ると、ピッタリ筆をとどめて、
「まだ、あとがあるのだが、未完稿として、これで筆をとめておく」
と言いながら、同じ筆で、そのわきへ「湖海侠徒雲井竜雄題」と小さく書きました。
 これが落款《らっかん》のつもりでしょう。「湖海侠徒雲井竜雄」というのが、この男の好んで用いる変名であろうと白雲が考えました。
 そうして見ると、この雲井竜雄という名が、この青年には、いかにもふさわしい命名であるように思われてくる。
 主人は、先刻から米沢藩士児島某と紹介していたが、自分で名乗るところでは雲井竜雄だ。それは自己命名か、由緒あるところの雅号かなにか知らないが、この男には、たしかに児島なにがし[#「なにがし」に傍点]よりも、ここに記した雲井竜雄の名がふさわしいと、白雲が微笑して納得してしまいました。
 そうとは知らず、昂然として、筆を置いた児島なにがし[#「なにがし」に傍点]こと雲井竜雄は、またもとの座に直ったが、不出来ともなんとも申しわけをするのではなく、自分の書いた賛を七分三分に睨みながら、主人の捧げる杯《さかずき》を取り上げました。
 白雲が、そこでなんとなく、いい心持に、持前の喧嘩腰を発揮しようとします。
 この男の喧嘩は名物です。喧嘩を吹きかけてみるということが、必ずしも、癪《しゃく》にさわる時のみではない。何かいい心持になった時、酒の勢いによって善悪にかかわらず相手を巻添えにしてしまいたがる。この時もようやく酒気が廻ったのに、そのいい心持が手伝ったのですから、
「君、いったい、君は年は幾つだね」
と、湖海侠徒雲井竜雄の方に膝を押向けたのから、そもそも、喧嘩白雲の地金がころがり出したのです。
「弘化元年三月二十五日、辰の刻に生れたよ」
 こう答えられてしまったので、白雲が暫く二の句がつげなくなってしまいました。
 弘化元年三月二十五日辰の刻生れまで言われてしまったのでは、戸籍役人としても、このうえ難癖《なんくせ》のつけようがないではないか。田山白雲がちょっと手がかりを失って、力負けの形となって、二の矢がつげないでいたが、そこで引込む白雲ではなく、盛り返してからみついたのは、
「生れ故郷は、出羽の米沢だとおっしゃいましたね」
「左様左様、出羽の米沢の吾妻山《あずまやま》の下で生れたのだ」
 出羽の米沢だけなら無事だったが、吾妻山と言ったので因縁がついたらしい。

         二十

「出羽の米沢――謙信公の上杉家は知っているが、吾妻山なんて山は知らない」
 白雲がこんなところに因縁をつけてからみついたが、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は取合わない。酒によって悪いところが嵩《こう》じてきた白雲は、
「米沢の吾妻山なんて名乗っても、米沢だけの天地では通るかも知れんが、他国の人に名乗り聞かせる場合には通らない、出羽の米沢の、謙信公の上杉家の、その家中の、何のなにがしと、お名乗りなさい、吾妻山なんていう山は名山|図会《ずえ》の中には無い」
「ふふん」
 児島なにがし[#「なにがし」に傍点]が、冷笑して問題にしないから、田山白雲が躍起となりました。
 この男は、駒井甚三郎に対すれば駒井甚三郎に対するようになり、児島なにがし[#「なにがし」に傍点]に対すれば、またそのようになる。
「関東では、山として高い方では日本一の富士、低いけれども名に於て、このもかのもの筑波《つくば》がある。高さにして富士は一万五千尺、山も高いが、名も高いことこの上なし。筑波は僅かに数千尺――山は高くないが名が高い。米沢の吾妻山なんて、山も高くない、名も高くない……いったい、その吾妻山なるものの高さは、何尺あるのだ」
 白雲が、しつこくからみついたのは、やはり相手が相手だからでしょう。その相手が、今度はそれに対して抜からず、次の如く答えました。
「左様さ、吾妻山の高さは、高くて五尺五寸というところだろう」
「ナニ?」
「吾妻山の高さは五尺五寸だ」
「五尺五寸とは何だ」
 田山白雲が威丈高《いたけだか》になりました。
 それはこの青年に対して、あまり大人げないようでしたけれども、酒興に乗じたとはいえ、高さ五尺五寸の高山とは、この青二才、人を愚弄《ぐろう》した挨拶だ、と憤慨したのも無理はありません。
 そこで、白雲が、いきなり猿臂《えんぴ》をのばしたのは、この青二才をなぐろうとしたのです。
「まあ、待ち給え」
と青年武士は、白雲の憤慨を軽く受けとめて、微笑を含みながら次の如く言いました。
「拙者の家の書斎の窓は六尺だ、その六尺の窓から見ると、吾妻山の全体が見えて、まだ四五寸余る、それによって測量すると、あの山の高さは、まさに五尺四五寸のものだろうと思う」
「ハ、ハ、ハ、ハ」
 嬉しそうに笑ったのは、この家の主人です。
「それは全く間違いのない測量でございます、六尺の窓へ入りきる山は、五尺四五寸以下でなければなりますまい」
 そこで、白雲がまた白《しら》まされてしまいました、これは喧嘩にならないと思いました。
 同時にこの青年は、鬱屈《うっくつ》たる怪物であると共に、湧くが如き才物であることを、思わせられて、どのみち、非凡の男には相違ないが、どうも非凡過ぎるところがあると、それが気になり出してきました。
 そこで、小谷の主人が、うまく調子をつくったものですから、風雲は頓《とみ》に納まり、三人ともに快く飲むことになります。
 やがて、白雲が、前途の目的を話して、自分は仙台の松島へ行くのだ、松島へ行くのは、あながち風景を見んがためではない、「永徳」を見んがために、松島へ行く気になったのだ――ただ一人の「永徳」にあこがれて、矢も楯もたまらぬ思いで、松島まで単騎独行するのだという意気を見せたが、一座があまりその興にのらないのを不足とします。
 興に乗らないのみならず、右の青年武士は、その「永徳」とは何だと反問して、豊臣時代の狩野《かのう》の画家の名であることを知り、今日のこの時勢に、一枚の絵を見ようとして、陸奥《みちのく》まで出かける閑人《ひまじん》……一人の画工にあこがれて、千里を遠しとせざる愚物が存することを冷笑しました。

         二十一

「だから君等は話せない」
 今度は青年武士の冷笑を、白雲が、軽く受けて争わず、かえって諄々《じゅんじゅん》として教えるの態度をとりました。
「一枚の絵と言うても、君たちはまだ一枚の絵の味がわかるまい、一人の画工と言うけれども、一人の画工の持つエラサが、君等にはわからないのだから情けない」
と言って、白雲はまず、慷慨して、次の如く論じました、
「君たちに、あの時代の歴史を言わせれば、太閤ノ時ニ方《あた》リ、其ノ天下ニ布列スル者、概《おほむ》ネ希世ノ雄也、而シテ尽《ことごと》ク其ノ用ヲ為シテ敢ヘテ叛《そむ》カシメザルハ必ズ術有ラン、曰《いは》ク其意ニ中《あた》ル也、曰ク其意ノ外ニ出ヅル也――程度で尽きるだろう。同時に人物を論ずれば、家康、如水、氏郷、政宗、三成、清正、正則、それに毛利と、島津あたりのところで種切れになるだろう。そのほかはあってもよし、無くてもよし――君たちの粗雑な頭で見る歴史と人物は、おおよそ、その辺が止まりだ。そのほか日本の貿易界に誰それがあり、発明家、美術家に誰、思想家に誰、学者にこれというようなことは、ほとんど頭にござるまい。それは君たちが悪いのじゃあない、日本の歴史の教え方が悪いのだ。天下を取ったとか、取られたとか、相場師の出来そこないのような奴、コケ縅《おどし》の鎧《よろい》を着て軍《いくさ》をする奴でなければ、日本には英雄が無いように、子供の時分から教育がそう教えこんでいるようなものだ。そこで君たちはじめ、日本人のこしらえた歴史は、まるで材木だけで組み立ったガランドウみたようなものだ、骨組みだけはどうやら出来ているが、壁も無ければ障子もない、まして室内の装飾と、調度なんというものは全然頭に無いのだ、日本の国家というものは、材木だけで出来ているように教えられているから、歴史を語っても、人物を論じても、その辺で、おおよそ種子が尽きてしまう。人間の住む家として、骨組みばかりのガランドウが何になる、人間らしい家は、人間らしい内容を持たなけりゃならんのだ。時代は英雄豪傑に骨組みだけを作らせるかも知れないが、その内容整斉というものは、全く違った人々の手にあることを君たちは知らない。知らないのは、教育が知らないように仕組んでいるのであって、天が不公平に一方に多く与え、一方に多く惜しんでいるのではないのだ。いつの時代でも必ず、君たちの知っているいわゆる通俗の英雄豪傑のほかに、やはり英雄豪傑ではあるが、君等の知る通俗の英雄豪傑に優るとも劣ることなき偉材が存しているものだ、それがいわゆる通俗の英雄豪傑のした荒ごなしを補填《ほてん》して行って、人間の仕事に、不朽の光栄を残して行くようになっているのだ。幼稚な国の教育は、ただ前の英雄豪傑だけに箔《はく》をつけ、後の使命者の真価を教えない、だからもし日本人に向って、秀吉とは誰だと聞いたら、三尺の童子だって知っている、永徳と呼びかけてみて、日本人のうちでは、最も教養のある部に属する君たちが知らない、知らないことが恥にはならない、真実情けないことではないか」
 白雲が痛快に罵倒《ばとう》するのを、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は耳を傾けていて、
「そりゃ、君の言うことも一面の真理はある、なにも政治をしたり、軍《いくさ》をしたりする奴だけが英雄豪傑ではなかろうけれど、他の社会の仕事は、その道の人でなければわからない、わからないから、自然、人の口頭にも上らないのだ。それは必ず英雄豪傑が存在するに相違ない、不幸にして、その人たちは、全体を見渡せるだけの地点に立っていないから、全体にも見られないのだ」
「ところが美術というものは、誰にも見えるところに置かれ、誰にも見られるように出来ていながら、それを見る人が無いのだ、たとえば……」

         二十二

 たとえば……と言って白雲が膝を組み直した時に、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]が問いかけました、
「その通り、恥かしながら、我々も美術や絵画のことにかけては盲目なのだ、それは店頭にかけた絵草紙と、応挙の描いたもの――というような格段は別だが、大家の位附けになると、どれも同じように見えて、そのエラサ加減に甲乙をつけるだけの眼識は無い。それは一つは不幸にしてそういうことを学んでいる暇が無かったのだ。そこで、端的にここで、君について学びたいのは、日本一の画家――つまり、絵の方で古今独歩の名人というは、まず誰なのだね」
 それを聞いて白雲は、心得たりというような見得で、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]の面《おもて》をながめ、
「素人《しろうと》は、そういうことを聞きたがる。子供が、義経と清正はどっちがキツイ、と言うような程度のものだ。日本一というものは、桃太郎の旗印のように、簡単明瞭にくっつけられるわけのものではないが、美術鑑識の入門としては、さもありそうな質問で、それを軽蔑するわけにはいかないのだ。また拙者もこれで、その道で衣食する職責上としても、素人の真向から来る、そういったような子供じみた質問にも、充分に応接する用意を持たなければならぬ義務はある。今、それを君になるほどと頷《うなず》かせるだけの返答を与えてやるつもりだが、その以前に……君に聞いておきたい予備試験がある。それは極めてやさしいもので、日本人である以上は、今いう三尺の童子でも楽に及第のできる問題だ。つまり、それは、日本第一の英雄は誰だ、と尋ねれば、まず何はともあれ豊臣秀吉と答えるだろう」
「そりゃあ、議論をすれば際限がないが、そう聞かれて、左様に出て来るのは豊臣秀吉さ――秀吉が日本に於ける古今第一の英雄だということは、まあ、富士が第一の高山だというのと同じように、相場になっている」
「その通り。そこで、拙者は、もう少し深く突込んだ意味で、端的に、日本第一の画家を狩野永徳だと答えるのだ」
「先生、そりゃ……」
と口をはさんだのは小谷の主人でした。雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]の応答には、異議をさしはさまなかった主人も、白雲の断定には、服することのできないものがあるらしく、
「先生、そりゃ、ちょっと考えものじゃありませんか。太閤秀吉の日本第一の英雄ということは許せるにしても、古永徳が日本一の画人、古今独歩の人ということは、まだ独断じゃありますまいか。巨勢《こせ》の金岡《かなおか》もあります、光長も、信実《のぶざね》もあります、土佐もあります、雪舟《せっしゅう》、周文、三|阿弥《あみ》、それから狩野家にも古法眼《こほうげん》があります、その後に於ても探幽があり、応挙があり……」
「そりゃ、もとより異論もあるだろう、永徳の日本一は、秀吉の日本一のような相場にはなっていないが、拙者は狩野永徳が日本に於て最大の画家であり、古今独歩の名人であることを信じて疑いません――まあ、お聴きなさい、拙者だって、意地でそんなことを言うわけではありません、今日まで、拙者の見たところ、測ったところを論拠として、それを言うのです。地図の測量では、下総の佐原の伊能忠敬が名人ですが、拙者といえども、自分の職とする道に於ては、かなり忠実綿密なつもりです、人間はこの通りお粗末だけれども、せめて古人を見ることの謙遜と、忠実とだけでは、人後に落ちないようにと心がけてはいます。ですから、拙者は今日まで、いやしくも名画と聞き、名人と聞けば、できるだけの手数を尽して、その絵を見せてもらい、その人に親しく逢おうとしました。無論貧乏だから、買いたいと思うものも買えず、こうして乞食同様にしているから、見たいと願うものも見せてくれないものもあるが、その謙遜と、熱心とだけは、変りませんよ。陸前の松島まで永徳を見に行こうとするのも、必ずしも物好きと、酔興ばかりではありませんね――この骨のこわい頭を下げてはならぬ時と、下げねばならぬ時とは、これでも相当に心得ているつもりですよ」

         二十三

 白雲は傍若無人に語りつづけました、
「狩野永徳が日本一の画家です、古今独歩の名人です、本当に日本の絵というものを代表するのは、永徳のほかにありません。無いとは言えないが、あっても、それは部分的でなければ、条件つきです。ところが、永徳に限って、これが日本第一の、日本の美術の代表の画人だと、憚《はばか》りなく言うことができます」
「永徳のドノ点がエライのです、どういう理由が日本一になるのです」
「それを言うには……君たちを教育する意味に於ても、一通り日本の絵画史を頭に入れて置いてもらわなければならないが、そんなことをしている暇はないから、手っとり早く言えばですね、まず、ずっと上代では、絵画はすなわち仏画で、その仏画はみな神品といってよろしく、一とか二とか等級を附すべきものではないが、その神品たる仏画にしてからが、やっぱり支那というものの系統を、度外しては論ずることができないのです。その後大和絵というものが起りました。巨勢《こせ》とか、土佐とか、詫磨《たくま》とかいう日本の絵が出来ました。それは立派なものであるけれど、何をいうにも歴史が浅く、規模が足りません……そうしているうちに、東山時代といったようなものが来ました。いわゆる雪舟などは、まさにその完全なる代表者です、ただ、時代の代表だけではない、雪舟あたりこそ、日本一とか、古今独歩とかいうべき地位を与えても、異存のないところですが、幸か不幸か、雪舟の偉大なのは、これを宋元の大家と比較しての偉大であって、日本の画家としての代表には、偉大は余りあるとしても、特色が不足します。勿論《もちろん》、雪舟自身は支那へ渡っても、かの地に師とすべき者なし、ただ山水のみ師なりといって、空《むな》しく帰って来たくらいですから、その芸術に、国境や、系統を附すべきものではないが、その筆法の系統には、宋元の脈を引いて争うべからざるものがあるのです。そこで、よって、彼を世界の第一流とは言えるかも知れないが、日本を代表しての古今独歩とは推《お》し難い……日本を代表する以上は、そのすべてが日本化されて、そうして独自の境に立って、天下を睥睨《へいげい》するという渾成《こんせい》と、気魄《きはく》が無ければならないのです。そうして、優にそのすべてが備わっているのは、狩野永徳がただ一人です。永徳を日本第一、古今独歩と私が推称するのは、大体そんなような理由ですが、もう少し、それを分析しないと、いくら素人《しろうと》でも、君たちにわかるまいと思うから……」
 ここで、また酒をとって飲みました。主人ともう一人の客は、あながち、白雲の気焔を否《いな》まずに聞いているから、白雲が続けました、
「永徳は元信の孫です。元信は御承知の通り古法眼《こほうげん》で、この人もまた、ある点では永徳以上のものを持っていました。いったい狩野家には、代々豪傑が現われたこと不思議と思われるばかりですが、古法眼を祖父として、松栄を父として生れた永徳が、生れながら、すでに名匠の血を持ち、むつきの間から丹青の中に人となり、後年大成すべき予備と、練熟とは、若冠のうちに片づけてしまったこと、我々貧乏人が中年から飛び出して、やっと絵具の溶き方がわかった時分には、もう白髪になってしまっているというような大悲惨な行き方とは、天分の恵まれ方が違っていましたね。基礎学は子供のうちに叩き込んでしまって、一意、自家の大成に全力を注ぎうるように仕組まれていた彼の境遇も、仕合せといえば言えますが、天はその実力なき者に、優越の環境を許すものではありません、時代は永徳を現わさねばならぬようになっていたから、優秀な上に、優秀な待遇を与えて世に送り出しました。実際、彼ほど偉大な日本画家はない如く、彼ほど恵まれた環境を持った画家もありませんでした――祖父に元信があり、漢画と大和絵を融合して、日本の絵の技術を総合した上に、保護者が、その天下第一の英雄である秀吉であり、その秀吉よりもいっそう天才である信長でしたからね」

         二十四

「秀吉が永徳の唯一の保護者というわけではないが……永徳は信長のためにむしろ傾注していたに相違ないが、安土《あづち》の城が焼けると信長の覇業《はぎょう》が亡び、同時に永徳の傾注したものも失せました。そこで、秀吉はつまり信長の延長といってさしつかえないのですから、秀吉を仮りに保護者としておきましょう――しかし保護者といったところで、秀吉は永徳にとって、贔屓《ひいき》の旦那でもなければ、永徳は秀吉のための御用絵師でもなく、見ようによっては、秀吉はどうしても、その事業の光彩のために、永徳がなければ片輪者になるし、永徳はまた秀吉を待ってはじめて、その大手腕を発揮することができたのですから、もし仮りに永徳が秀吉の御用絵師ならば、秀吉はまた永徳のための御用建築家をつとめたとも言えるでしょう。永徳あって秀吉の土木が意味を成したので、永徳がなければ、単なる成金趣味の、粗大なる土木だけのものでした……
 かように永徳は、狩野の嫡流《ちゃくりゅう》から出たのですから、漢画水墨の技巧は生れながら受けて、早くこれに熟達を加えているのに、大和絵の粋をことごとく消化している、そうしてそれを導く者が、一代の巨人秀吉であり、その秀吉以上の天才信長であったから、惜気もなくカンバスを供給して、そのやりたいだけのことをやらせ、伸ばせるだけの手腕を伸ばさせて、他に制臂《せいひ》を蒙《こうむ》るべき気兼ねというものが少しもない、『画史』によると、松と梅の十丈二十丈の物を遠慮なく金壁の上に走らせている、古来日本の画家で、永徳の如き巨腕を持ったものはあるかも知れないが、その巨腕を、縦横に駆使すべきカンバスを与えられたこと永徳の如きはあるまい。彼は文字通りの大手腕を揮《ふる》うのに、注文通りの恵まれた材料を与えられている、幸福といえば無上の幸福者です――貧弱を極めた我々貧乏絵師の夢にも及ばないこと――だが彼は本来、大作に余儀なくされて、大作を成した男ではないのですよ、『画史』にありますね、『山水人物花鳥皆細画ヲ為《な》ス、間《まま》大画有リ』というのですから、むしろ細画に堪能《たんのう》で、そうして大物をこなすのが本当の大物です。大小ということはカンバスの面積の問題ではないのですが、古来これにひっかからない画家はほとんどありますまい。骨法の皆伝を父祖に受けたけれども、自然の観照は独得です。まあ、絵の骨法も正格だが、自然を観照するの正しいこと――忠実なこと、謙遜なこと、素直なこと、『細画ヲ為ス』の『為ス』というのは、その意味にとりたいくらいです。永徳が、いかに骨法に正格に、自然に忠実であるかということは……どうも、ここで君たちに口で説明するということができない、絵を見せて、そうして会得させるよりほかはないが、たとえば、京都の知積院《ちしゃくいん》の草花の屏風《びょうぶ》を見て見給え、あの萱《かや》の幹と、野菊の葉を見て見給え、飛雲閣の柳の幹と枝のいかに悠大にして自然なるかを見て見給え、西教寺の柿と柚《ゆず》の二大君子の面影《おもかげ》に接して、襟を正さないものがあるか、三宝院の鵜《う》は一つ一つが生きていますよ。いきていると言ったって君、いきているように巧く描けているという意味じゃありませんぜ。大覚寺の松は舞っている、大安寺の藤は遊んでいる、永納の証ある『鷹』は見ましたけれど、毛利家にあるという『唐獅子《からじし》』を見る機会を得ないのが残念です。われわれが、無位無官の田舎絵師としての伝手《つて》で、見られるだけは見たが、どこから見ても永徳に隙間《すきま》はありません、大にしてよく、細にしてよく、山水がよく、花鳥がよく、人物がよく、濃絵《だみえ》がよく、淡彩がよく、点がよく、劃がよい――ことにその線の勁健《けいけん》にして、和順なる味といったら、本当の精進料理を噛《か》みしめる味で、狩野家の嫡流として鍛えこんだ腕でなければ、あの線は出来ません――この大名人が、信長と、秀吉に、自分のカンバスを作らせて、思う存分の腕を揮って後、その秀吉よりも一足先にこの世を去った。四十八歳では短命の方ですが――自己の生命を不朽に残して、形態の英雄秀吉よりも一足お先へ行ってしまったところが、痛快ではないか」

         二十五

 主人も、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]も、話の内容の興味よりは、意気に乗じて語る白雲の、豪快な気焔に興を催している。
 白雲は、この機会に、もう少し叩き込んで置かねばならぬと考えたのでしょう、こんなことを言いました、
「そういうように、信長や、秀吉が、いかに土木を起して金壁をなすりつけてみたところで永徳があって、それに眼睛《がんせい》を点じなければ、それは成金趣味だけのものだ。前に言う通り、秀吉や、家康や、氏郷や、元就《もとなり》でなければ、人物が無いと思っている者たちのために、もう少し永徳の後談《ごだん》を語らなければならない。永徳の時代、友松《ゆうしょう》のあったことも記憶すべきだが、その子に山楽《さんらく》の出でたことこそ忘れてはなりませんよ。子といっても山楽は本当の子ではない、養子であったのだ、しかもその養子の氷人《なこうど》が、やっぱり天下第一の秀吉の直接の口利きであっただけに、養子ではあったが、不肖の子ではなかった。永徳を知れば当然、山楽を知らなければならぬ、永徳の絵にも、山楽の絵にも、落款《らっかん》というものは極めて少ないから、いずれをいずれと、玄人《くろうと》でも判断のつきかねることがあるが、よく見れば必ず、永徳は永徳であり、山楽は山楽でなければならないはずのものだ――永徳は早死《はやじに》をしたが、山楽は長生《ながいき》をした、およそ長生すれば恥多しということを、沁々《しみじみ》と体験したもの山楽の如きはあるまい。山楽がちょうど四十歳前後の時に不世出の英雄であり、自分を絵に導いてくれた唯一の知己恩人である秀吉に死なれて、その豪華一朝に崩れて、関東に傾くの壮大なる悲劇を、まざまざと見せられた山楽、家康がしばしば招いたけれども行かない、ついにその不興を買い、身辺の危険をまでも感じて、やむなく家康にお目にかかりに罷《まか》り出でたことは出でたが、もとより家康は秀吉ではない、英雄ではあるけれども英雄の質が違う、例の『画史』に――恩赦ヲ蒙ツテ東照大神君ヲ駿城ニ拝シテ洛陽ニ帰休ス――とあるのが笑わせる。何が恩赦だ、何が大神君を拝するのだ、家康には、永徳や、山楽は柄にない、家康という男は、惺窩《せいか》や、羅山を相手にしていればいい男なのだ。白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が、池田新太郎少将のこしらえた京都妙心寺の塔頭《たっちゅう》天球院のために、精力を傾注しているのは面白いじゃないか。京都へおいでたら、智積院《ちしゃくいん》、大安寺、その他の永徳を見て、天球院の山楽を見ることを忘れてはなりませんよ――拙者が、これから行って見ようとする松島の観瀾亭というのは、伊達政宗が、桃山城のうちの一廓を、そのまま秀吉から貰いうけて建設したのだということで、その一棟全体が絵になっているそうだ。そのいずれにも落款は無いが、山楽ということに専《もっぱ》ら伝えられている。山楽でなければ永徳――永徳でなければ山楽――よりほかへは持って行き場がなかろうけれど、遊於舎《ゆうおしゃ》の主人なども一見して、自分は永徳と信じたい――と語った。関東には永徳なんぞは無いものと信じていた拙者が、偶然、東北の一隅にその声を聞いてはじっとしていられない。一人の画工のために、一枚の絵のために、千里の道を遠しとせざる我輩の振舞は、なるほど君たちが見れば、閑人《ひまじん》の閑つぶしとして、この上もない馬鹿野郎に見えるだろうけれども、そこは縁なき衆生《しゅじょう》だ――縁なき衆生といえども、度するだけは度するの慈悲がなければならぬと思って、つい一人でおしゃべりをしてしまった――慈悲といえば事のついでにもう一つ、およそ彫刻でも、絵画でも、日本に於て最大級の産物は、ことごとく仏教と交渉を持たぬものはないけれども、永徳はその仏教からも超脱している。この点も、まさにその特色の一つで、秀吉を古今第一等の日本の英雄とすれば、同時に日本を代表する古今独歩の巨人としての画人、永徳を忘れてはならない――そういったような次第で、拙者はこれから松島の観瀾亭を見に行こうとするのだ」

         二十六

 その翌朝、田山白雲と、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]とは結束して、その家を辞して出でました。
 白雲が急がぬようで急ぐ旅であり、この青年壮士もまた、落着いてここに逗留《とうりゅう》している身ではないらしい。
 雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は、近き将来に日本の勢力が二分することを信じている。それは痩《や》せても枯れても従来の徳川家が一方の勢力で、他の一方の勢力の中心は、薩摩と、長州である。ことに薩摩がいけない。長州は国を賭《と》して反幕の主動者となっているが、そこへ行くと薩摩は、国が遠いだけに、長州よりも隠身《いんしん》の術が利《き》く。長州は幾度か国を危うくしたが、薩摩はそんな危急に瀕したことは一度もなく、そうして威圧のきくことは無類である。この両藩が中心となって末勢劣弱の徳川家を、有らん限りの横暴と、陰険とを以て、いじめている――と、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は誰もが見るように見ている。
 ところで、その徳川家の、征夷大将軍の威力も明らかに落ち目で、盛衰消長はぜひなしとするも、それにしても歯痒《はがゆ》すぎる――と、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は自分のことのように憤慨する。
 徳川氏、政権をとること三百年、士を養うこと八万騎、今日この頃になって、ついに一人の血性《けっせい》ある男子を見ることができない。雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]はそれを切歯《せっし》している。その点から見ると、明らかに徳川方の贔屓《ひいき》であって、薩長の横暴陰険を憎んでいる。ただ、徳川に贔屓するのが、いわゆる、佐幕論者とは、全く調子も、毛色も、変ったものであることを認めないわけにはゆかない。この男は徳川の恩顧を蒙《こうむ》り、或いはその知遇に感じ、以てその社稷《しゃしょく》を重しとするのではない、薩長が憎いから、徳川に同情するのである。
 薩賊、長奸《ちょうかん》というような言葉を絶えず口にする。とにもかくにも、薩長あたりが中心となって、末勢の徳川を圧迫する、そこで天下は二分する、二分して関ヶ原以前の状態にもどる、秀吉と信長以前の状態に一度逆転すると見ている。やがてまた群雄割拠の世になるかどうか知れないが、東西二大勢力が出来て、当分はこれが相争うのだ。その時の用意として、自分は、東北の海岸の地形や要害を見て廻っている。
 というような議論が風発するのを、田山白雲が聞いていると、こいつがいよいよ容易ならぬ男であることを感ずる。
 勤王とか、佐幕とかいう名目だけでは片づけられない、米沢というだけに、北方に嵎《ぐう》を負うて信長を畏怖《いふ》させていた上杉謙信の血が、多少ともこの男の脈管に流れているのではないか、とさえ思わせられる。
 白雲も、当世流行の勤王家や、佐幕党に、かなり眉唾物《まゆつばもの》の多いことを知っている。
 藩としてもずいぶんあやふやものの多いことを知っている。
 たとえば、ある藩では、あらかじめ藩中へ、勤王と、佐幕とのなれあい勢力を二つこしらえて置いて、万一天下が勤王方に帰した時は、藩中の勤王党の方を押立てて、弊藩《へいはん》はかくの如く最初から勤王党でござると言い、もしまた当分徳川で落着くことになれば、当藩はなんじょう無二の幕府方、その忠義心かくの如し……と、おのおのこしらえ置きの覚え書を出してお目にかけることにする。どうしても、染替えのならぬ旗色のものは別、そうでない限り、親藩といえども、態度の覚束ないこと、それぞれの志士浪士、皆それぞれの後ろだてをたよって大言壮語する。
 ひとりこの雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は悍然明白《かんぜんめいはく》に、薩摩倒さざるべからずと主張する。そうして、ただ一人でもそれを実行する意気組みを持っている。とにかくその意気だけはほんとうに怖るべき意気だ、これほどの気骨あるのが徳川旗下にいたら、と思うよりは、やっぱり上杉謙信や、直江山城守が、この男の口を借りて、若干を言わせているように、白雲に想像されてならない。
 大言壮語をする奴は多いけれども、たった一人になっても、本当に謀叛《むほん》のできる奴はいくらもあるものではない。
 大勢《たいせい》の順逆は論外として、とにかくこの男は、本当に謀叛をやれる奴だ、謀叛人の卵だ、と白雲が、同行しながら、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]に向って舌を捲きました。
 道は山路をとって磐城平《いわきだいら》へ通ずるところ。

         二十七

 煙にまかれて、雨戸をしめきったお雪ちゃんは、次の間へ飛んで出て、
「久助さん、久助さん、火事ですよ」
と言い捨てて、そのまま、あわただしく二階へかけ上ってしまい、
「先生、火事でございます、早くお仕度なさいまし」
 言われるまでもなく、この時、竜之助はもう心得て、身のまわりのものを掻《か》き寄せていたところでした。
「お雪ちゃん、気をつけるといい、火事の時は、明るい方へ逃げないで、暗い方へ逃げるものです」
「先生、早くなさいまし」
 お雪ちゃんは、竜之助の手を取って引立てようとしたが、人を急《せ》き立てる自分こそかえって、あわてていて、ねまき一つのまんまで騒いでいるのに、竜之助は、身のまわりのもの、少なくとも大小、懐中物だけは、抜かりなく用心した上に、頭巾《ずきん》を手に取り上げています。
「さあ、降りましょう、ああ、いけません、こちらは明るい、この裏梯子から」
「ああ、先生、わたしは、もう一ぺん自分の座敷へ戻らねばなりません」
「それは危ない」
「でも……」
「命には代えられません」
 その裏梯子を下りる時には、お雪ちゃんが竜之助を導くのではなく、むしろ、竜之助がお雪ちゃんを抱えて、静かに下りて行くのを見ましたが、火は、煙は、遠慮なくその後を追いかけて、姿そのものを捲き込んでしまいました。
 こうして二人は、ほんとうに身を以て、裏梯子から、すぐ家の欄《てすり》の下の桟橋《さんばし》に立って、河原を走ることになりました。
 お雪ちゃんこそは、全く身を以て逃れ出たもので、自分が一番先に発見したという立場から、まずもって急を久助さんに告げ、その足で、二階へ、竜之助に告げに行った。その次の仕事としては、もう、どうしても自分の部屋に戻ることはできませんでした。
 部屋そのものに名残《なご》りの残るわけではないが、そこには、自分の身のまわりの一切のものが置捨てられてあったのです。
 一切のものといううちに、その数々を挙げてみるよりは、その中から取り出し得たものは、この身体《からだ》と、この身についた寝巻一着だけ、という方がわかり易《やす》いでしょう。しかも、この寝巻は自分のものではありません、帯までが宿のものなのです。
 河原の真中へ来た時分に、盛んに燃えている自分たちの座敷のあたりを見ると、お雪ちゃんは急に恐ろしくなってしまいました。
 ああ、なんだって自分は、こんなに、はしたないのでしょう、せめてあの帯揚だけも、あの手文庫だけも、あの紙入だけも、立ち上る途端に、しっかりとここへ挟んで来ればよかったものを――命より大事なものは無いと言いながら、旅に出ては命同様の役目をする路用の一切を焼いてしまった、ほんとに明日からは、どうするのでしょう。
 久助さんは……久助さんは、どうしたろう、あの人は耳が少し遠いから、わたしがああ言って呼んであげたのがわかったかしら。わからなくても子供じゃなし、逃げ出せないはずはないが……
 お雪ちゃんは、ようやく、河原の中程へ来て、わが身のことと、人の身の安否を考えたが、どちらもたよりないことばっかり……でも、肝腎の目の見えない先生が、こうして御無事に……と思う、そればかりが心だのみでした。
「もう大丈夫ですねえ、先生」
 自己慰安を求めるもののように、こう言ったが、盛んに燃えさかる火の手が、河原の表面を、昼のようにかがやかすと、避難の者が、いずれもこちらへ、こちらへと走りかかるのを見て、またも不安の念に襲われました。

         二十八

 火に追われるのは怖れないにしても、人目に触れさせたくない心配はある。
 まもなく、川下の森のようになった柳の木蔭で、探し当てたのは、つなぎ捨てられた屋形船《やかたぶね》の一つです。夏になると、この宮川が屋形船に覆われて、花柳《かりゅう》の巷《ちまた》が川の上へ移される。今は誰も相手にする者のない捨小舟《すておぶね》。
 船の中をなおよく見ると、蓆《むしろ》や、ゴザが、丸く巻いて隅の方に積んである。お雪ちゃんは、その敷物をしいて、竜之助をその中に休ませました。そうして置いて言うことには、
「先生、わたしは、これから火事場の方へ行って参ります、久助さんの身の上も心配だし、もしかして、わたしの荷物を、宿の人が出してくれたかも知れません」
「行っておいでなさい」
「お寒いでしょうけれど、暫く御辛抱なすって下さいね」
「寒いぐらいは何ともありません」
「その代り、わたしが宿の人に頼んで、直ぐによい避難所を探して来てあげますから」
「ああ、何しろ火事場はあぶないから、怪我をしないようにね」
「大丈夫、先生こそ、お風邪《かぜ》を召さぬように」
「なあに、わしは大丈夫だ」
と言いました。
 暗いから、よくわからないけれども、竜之助は、お雪ちゃんのように寝巻一枚ではなく、急の場合に、手まわりで身づくろいの出来るだけのことはして来ているようです。ですから、ここで、うたたねをさせて置いても、そんなに急に風邪をひくようなこともあるまいと思われるのに、自分は、ホンの寝巻一枚――急にゾクゾク寒気がしてきました。
 気がついてみれば、自分がこの人を呼びさまして、連れてここまで避難して来たというのは全くウソで、事実は、この人に自分が抱えられて、裏梯子を下り、小川を飛び越え、河原を走って、ここまで来たのだということが、この時、はじめてわかりました。
 途中、緊張しきって、我を忘れていたものですから、そこは水でございます、そこに石があります、ああ大きな穴が、あぶない――と、走りながら、自分は幾度か警告したのは口だけで、そう言いながらここまで走って来たと思った自分は、実はこの人の小腋《こわき》に抱えられて、自分が口だけの案内者に過ぎなかったということが、この時、ハッキリわかりました。
 その証拠には、自分は全く素足《すあし》で、履物《はきもの》というものを穿《は》いていない。それは途中で脱げてしまったのではなく、最初から穿いて来なかったので、穿いて来る余裕の無かったということは、今となって明らかにわかります。
 かりにも履物をつけないで、あの河原道をここまで走って来れば、足が裂けてしまっているに相違ない。それだのに、自分の足はなんともないではないか。それが、ハッキリわかってみると、お雪ちゃんは、いくら先走って世話を焼くようでも、女は女――という引け目を、しおらしく感じてしまいました。
 同時にまた、こんなに病身で、ことに肝腎《かんじん》のお目が悪いのに、それでも足許《あしもと》を誤らずに、この石ころ高い河原道を、わたしというものを抱えながら、ここまで連れて来て下さった先生は、えらいと思わないわけにはゆきません。
 危急の場合にはどうしても女は女で……と感ずると共に、男である以上は、こんな不自由な身であっても、胆の据え方というものが違うのじゃないか知ら――とお雪ちゃんは、今更のようにそんなことを感じ、一時《いっとき》、こんな気持でボンヤリしましたけれども、いつまでもボンヤリしている場合ではなし、
「では、先生、一走り行って参りますから」
と、三たび暇乞いの言葉を残して行こうとしますと、竜之助が、
「お雪ちゃん――草履《ぞうり》をはいておいでなさい」
と心づけてくれました。
「まあ」
 そんなこと、細かいことまでわかるのかしら……お雪ちゃんは、眼のあいた人と、眼のあかない人との地位が、顛倒しているのではないかと思いました。

         二十九

 そうして置いてお雪ちゃんは、再び火事場へ取って返しました。
 たいした風はなかったのですけれども、乾ききっていたところへ、消防の手が不足のせいだったのでしょう、火勢はいよいよ猛烈で、ほとんど手のつけようがない有様でした。
 橋を渡って、火が対岸へ燃えうつろうとしているのを、必死で支えるだけが消防隊のする全力の仕事のようでした。
 ですから、ほとんど火事場へは寄りつけない、のみならず、火を避けようとして、逃げ出す人波と、荷物とに押されて、空しく押し戻されるよりほかはありません。
 その逃げ迷う人波の中に、せめて久助さんの姿でも見出したいものと、河原を廻って後ろからのぞんで見ましたけれども、それらしい人を見ることができません。
 ぜひなく、また河原道を、屋形船のところまで舞い戻るよりほかに為さん様がありませんでした。
 この戻りにも、何といって一つ、獲物《えもの》らしいものを持って来ることができない悲しさ。せめて、あのお金入の一つさえ持っていたならば、この戻りに、廻り道をしてなりと何か一品――さしあたっての一夜の凌《しの》ぎになるものを買って戻れるものを、それもできない。まして借りるところも、貸すところも――手ぶらで出でて、手ぶらで帰るよりほか、何事もできない自分を、歯痒《はがゆ》いと思いました。
 けれども、今の場合では、どうしても、そうして手ぶらで帰るよりほかに道はありません。せめて手ブラでなりと無事に帰って、人を安心させ、自分も安心して、この一夜を明かしてから、万事はその後――と、そう心を決めるほかはありませんでした。
 そうして、大火の火影に照らされながら、河原道を飛んで、時には、水たまりへぐちゃりと足を入れたりなんぞして、前をながめ、後ろを顧みながら辿《たど》って行くと、草むらの中に、ひときわ白いもののあるのが眼につきました。
「おや?」
 白い、長い、箱のようなもの、遠火の光にあおられてありありとそれを見出したのは、やっぱり長い箱に相違ありません。
 長持にしては白過ぎると思いました。
 でも、それが何のために、こんなところに存在するかを想像するのは難事ではない。大事なものを持ち出して、ワザとこんな遠くへまで置きっぱなしにして行ったのは、もうげんじ[#「もうげんじ」に傍点]たわけではない。火事に顛倒して、我を忘れた狼狽の沙汰ではない。荷物を持ち出す時の目測では、もうこの辺まで持ち出せば大丈夫、と安んじていたものが、いつしか、火勢に先んぜられて混乱の渦に没してしまうことが多い。そんな途方もないところまで運ばなくてもと、物笑いになるほどの心配がかえって賢明に、安全を贏《か》ち得るということはよく経験するところです――お雪ちゃんは歩むともなく、その置きっぱなしにされた白い、長い箱の傍に寄って見ると、果して長持ではない。
「おや――」
 前のは単なる驚異でしたけれども、今度のは、恐怖を伴う叫びでした。
 何です、これは、縁起の悪い、棺《ひつぎ》ではありませんか、寝棺《ねかん》ではありませんか。おおいやだ、寝棺が捨てられてある。
 お雪ちゃんはそれを見まいとして走りました。
 あれだけの寝棺では、かなり立派なお家の葬式であろうけれど、入棺間際に火事が起って真先にあれを担《かつ》いで避難はしたが、死んだ人よりも、生きている人の難儀の方が大事である場合、ぜひなく棺はあのままにして、また火事場へ取ってかえしてしまったのだ。
 それにしても、この際、棺をここまで持って来て避難させるまでの熱心があるならば、誰か一人ぐらいは、ここに番をしてあげたらよかりそうなもの、よくよくの場合とはいえ、捨てられた仏がかわいそうじゃないか、ひとりでこんなところへおっぽり出されて、もし狼か、山犬にでも荒されるようなことがあったならば、いっそ、火事場へ置いて焼いてしまってあげた方が功徳《くどく》じゃないかしら。
 お雪ちゃんはこんなことを考えながら、眼をつぶって屋形船の近くまで走って来てしまいました。

         三十

 この屋形船の中で、竜之助とお雪ちゃんは一夜を明かしたのです。
 夜が明けると、お雪ちゃんは竜之助に断わって、再び火事場へ出て行きました。
 昨晩《ゆうべ》は、近寄れなかったが、今朝は、もう火も鎮《しず》まってみれば、行けないことはない。第一に久助さんの行方《ゆくえ》――それから自分たちの荷物の安否、それから宿屋の主人に向って善後策の交渉――そんなことを、いちいちこれから切盛りをしなくてはならないと、雄々しくも心を決めて、寝巻一着を恥かしいとも思わず――恥かしいと思っても、この際、どうすることもできないのですから、そのままで、焼跡の方へ出かけて行ってしまいました。
 船の中に、ひとり残された竜之助は、肱《ひじ》を枕に横になると、天地の狭いことを感じません。
 このごろでは、よいことに、夢ではなく眼をつぶって、息を調えて沈黙している間に、さまざまのうつつの物を見ることです。曾《かつ》て見たことのある山水や、人物が、うつつとなって、沈思閉眼の境に現われて来て、甘美なる幻像に喜ばさるるの癖がつきました。
 これは、そうするつもりがなく、白骨の閑居のうちに、おのずから養われた佳癖ということができましょう。それは曾て自分が実見したことのある山水のみならず、人がさまざまに語り聞かす物語を、自分が閉眼して、いちいち絵に描いてみることができるようになったもので、白馬ヶ岳や、槍ヶ岳や、加賀の白山や、越中の立山が、みんな実物以外の想像となって、竜之助の眼底にありありとうつってくるのです。そうしてまたお雪ちゃんの話しぶりというものが、その想像を助けるのに最もふさわしいものでありました。
 白骨の炉辺閑話でも、そこに集まる冬籠《ふゆごも》りの人たちの風采《ふうさい》を、お雪ちゃんの話によって、いちいち想像に描いてみては、それらの人と共に語るような思いもするのです。時として、イヤなおばさんだの、仏頂寺弥助の一行だのといったようなのが、苦々しい幻像を現わすこともあるが、概して、自ら描いて見る風景と、人物とは、特殊な甘美なものがあって、自己陶酔には充分なのです。
 その幻像から来る自己陶酔を楽しむことができるようになった竜之助は、性格的にどれほど恵まれたかは知れないが、時間的には、たしかに、退屈ということを忘るるの術《すべ》を授けられたようなものです。
 平湯から、こちらでは、その機会の少なかったのは、沈静から流動へと移った旅程のあわただしさでしょう。昨夜の火事の前なども、うつらうつらとその夢幻の境に引き入れられようとして、引き戻されたのではあるまいか。
 今は、しばらくその時が与えられた。空想の幻像によって、窮居の無聊《ぶりょう》を救うの術を覚えたことの応用は、この辺だと心得たものでもないでしょうが、肱に枕をすると、眼を眼中に向けて、想いを雲煙の境に飛ばしました。しかし、幻想といえども、境遇と離れては成り立たないものと見えて、竜之助の夢うつつは、昨夜来の出来事と、そうして自分にかしずいているお雪ちゃんの面影《おもかげ》の外には、出でることができませんでした。
 あれから、夜の白むまでの半夜を、この狭いところに明かし合って、眼がさめた時の、お雪ちゃんの言葉が、
「先生、お寒くはございませんでした?」
と、こういうのです。
 寒くないかと、見舞を言ったお雪ちゃんその人が、かえって寒さに顫《ふる》えている面影を、竜之助はありありと見ました。
 寝巻一着のほかに、なんにも無くて、自分を顧みるよりも先に、人の安否のために奔走したお雪ちゃんの最も好意ある狼狽《ろうばい》を、竜之助といえども充分見て取っているのでしょう。
 自分はあの際にも、できるだけの身ごしらえはして来ているから、寒くはない。寒いといっても知れたものだが、お雪ちゃんは、あれから間もなく夜明けではあったものの、その間、寝入ったようなふりをしていたが、まんじりともしなかったことを、竜之助は知っていなければならぬはず。

         三十一

 竜之助も、あの子にだけは、どう考えても悪意を持つ気にはなれないらしい。
 お雪ちゃんという子を、竜之助は、どんなように想像しているか。女というものについては、お豊である限りのほかの女は、竜之助の肉眼での女というものは無いのです。
 どのみち、女というものの運命も、他の生物の運命と同じことに殺してしまうか、殺されてしまうのが落ちだ。
 竜之助は、お雪ちゃんを可愛ゆいと思わないことはない。可愛ゆい子だと、身に沁《し》みる時に、また一方に極めて冷たいものがあって、こいつもまた、今まで、経来ったあらゆる女と同じ運命の目を見せてやる時が来るのかな――とあざ笑うこともある。
 いつのまにか、自分が愛すれば愛するほど、自分が愛せられれば愛せられるほど、そのものの運命のほどを、じっと最後まで見詰めてやりたくなる癖がある。
 生かすこと、殺すことのほかには、竜之助の天地は無いのだ。
 たとえば、現在はどうあろうとも、運命がこの二つに過ぎないことは、見え過ぎるほど見えている。愛着がしばしの戯れと思われて、彼は何人の捧ぐる好意にも、感謝というものを持つことができない。
 それでも、お雪ちゃんその人には、感謝はできないながら、悪意を持つことまではできないで、そうしておのずからその残虐なる遊戯性が、この子の前では、萌《きざ》して来ないことを不思議と言えるでしょう。
 いかなる女をも、最後は、必ず自分が手にかけて殺してしまう――こういう自覚せざるの自信に充ちている竜之助も、まだお雪ちゃんを殺そうとはしていないらしい。結局はそこへ行かねばならないことを怖れているのは、弁信法師ひとりで、お雪ちゃん自身も、一向それに気のついている様子はない。
 弁信に対しては、竜之助は、ほとんど無関心でいることのできる、これも一つの不思議な存在でありました。
 神尾主膳は、弁信の存在を、この世のなにものよりも憎み、嫌い、憤り、その名を聞いてさえも、渾身《こんしん》の憎悪に震え上り、ひとたびその声を聞き、その姿を見た時は、打ち殺し、打ちひしぎ、裂き砕いて、この世での存在はもとより、想像をさえも掻《か》き消したがるほどの関心を持っているのに、竜之助は、あのおしゃべり坊主に対しては、水の如き執着をしか持っておりません。
 甲州の月見寺で、むらむらと彼を斬りたくなり、その身代りに卒塔婆《そとば》を斬った途端に、その執着が水の如く、身内を流れ去って以来、彼の存在を、あまり気にしているということを知りません。
 そのほか、考えてみれば、自分は、自分に降りかかって来る者のほかには、不思議に執着を持たない身であることを感ぜずにはおられません。むらむらと自分の身に湧き出す、如何《いかん》ともすべからざる力に、ふと外物がひっかかった時が最後――そのほかには、自分は憎むべくして憎むべき人を知らない、殺すべくして殺すべき人を知らない。
 こんなことを、うつらうつらと考えている時に、外で声がしました、
「先生、喜んで下さい、久助さんがいましたよ、見つかりましたよ」
 さも嬉しそうな呼び声、焼跡へ出かけて行ったお雪ちゃんが帰って来たのです。
 その、たまらぬほど嬉しそうな声によって見ると、お雪ちゃんは、久助を焼跡で見つけたのみならず、ここへ伴って来たことの有様が、ありありと想像されます。
 途中で、一度は、どうしたら久助さんをまい[#「まい」に傍点]てしまえるか知ら――と、ひそかに苦心したお雪ちゃん自身が、今は死んだ子が生き返りでもしたように、喜んで帰って来た心もち、我儘《わがまま》といえばこの上もない我儘、自分勝手の行き止り、お雪ちゃん自身でもそれを考えてみればおかしくはないか。
 船の外には、お雪ちゃんが先に立って、久助さんが何か荷物を一背負い背負い込んで立っているのに違いありません。

         三十二

 二人が火事場の模様を話して聞かせるところによると、延焼区域は一の町、二の町、三の町、目ぬきのところをすっかり。後ろは錦山、前は橋を焼いて向う岸までも嘗《な》めたところがある、近頃での大火であったこと。御同様、焼け出されの者が多いこと。その焼け出されに不思議と着のみ着のままが多いこと。でも町内と代官の手廻りがよくて、いち早く炊出しもあるし、罹災民《りさいみん》の救助方もかなり行届いているとのこと。
 久助さんも、最初お雪ちゃんの警告を聞いて、飛び起きたが、飛び起きた時は、もう火が迫っていたので、御多分に洩《も》れず、着のみ着のままで飛び出したが、今朝になって、古着や炊出しの恩恵にあずかり、こうして背中に一荷物しょい込み、なお炊出しの握飯を竹の皮包にして、ここへ持ち込んで来たものです。
 そうして、二人で宿の主人にかけ合ってみたが、宿でもほとんど家財を持ち出さなかったくらいで、お客様の方に手が及ばなかったことを、繰返し詫言《わびごと》を言われてみると、結局、身一つだけが持ち出されたということに、あきらめをつけるよりほかはありません。
 しかし、代宿としては、今の宿が責任を以て心配してくれ、相応院というお寺を借りて、そこに泊っていただくことに交渉がついていますから、あれへお越し下さいませ、万事は、のちほどの御相談ということで、一応の解決はつけて来たのでした。
 そういうわけで、もう一晩、この屋形船の中で辛抱し、明日になれば、お寺へ引移ろうという相談になって、それから、お雪ちゃんと久助さんとが申し合わせて、さしあたっての急場の凌《しの》ぎです。そのために久助は出て行きました。お雪ちゃんは、久助の持って来た炊出しの握飯を竜之助にもすすめ、自分も食べてみて、はじめてお腹のすいていたということをさとる始末です。
 それでも、お雪ちゃんにしても、久助さんにしても、お救《すく》い米《まい》を貰いに行く気にはなれないのです。こんな非常の際とはいえ、なんだかきまりが悪くて、風呂敷や、袋をさげて、焼跡へお救い米をもらいに行く気にはなれないが、さりとて、着のみ着のままで、焼け出されの旅の身、親類が一人あるというわけではなし、明日からの当座の宿所はお寺ときまっても、それから後がまた心配です――故郷までは長い道のり、たよりをすることも、金を取寄せることも、この場合、間に合うはずがありません。
 よし、忍んで、お救い米にありついたとしてからが、それが幾日つづこう。
 路用や、貯《たくわ》えの一切を焼いてしまった上に、せめて、頭の飾りとかなんとかひとくさでも残っていれば、多少とも急場を救うの金目にならないとも限らないが、それすら無いのですから、一時はこうして人の好意につながっていても、不安が目の前についている。
 どうしても、何とか当座の凌ぎをつけておいて、久助さんを国へ立たせなければならぬ。
 久助さんを国へやるか、この地で飛脚を頼むかするよりほかはないが、飛脚では安心のなり難いこともある。ぜひ、どうしても久助さんに行ってもらわねば……先日は、かりそめに邪魔にした久助を、今は、一にも二にも恃《たの》む心になったのも勝手なものだが、その恃みきった久助さんとても、仮りに最大速度で走ってくれたところで、往復に二十日はかかるでしょう。
 その二十日の間――二十日たって帰るものならいいが、今の時節、途中で、もしものことでもあったらどうしましょう。
 この際に、お雪ちゃんが、「遠くの親類より近くの他人」という諺《ことわざ》をしみじみと思い、身に沁《し》みました。
 親類でも、実家でも、遠くにあってはなんにもならない。これは、いっそ、近くの他人……他人へすがるよりほかはあるまいけれど、こんなところで、すがるべき他人を見出すことがむずかしい。どうしたものだろう――お雪ちゃんは思案の揚句、ふと胸に浮んだのが、白骨温泉に滞在している人たち、わけて北原さんのことです。

         三十三

 白骨を出る時は、こっそりと、だしぬけに出て来てしまっているから、皆さんも気を悪くしていらっしゃるだろうが、それには、そうしなければならぬわけがある。でも、なにも皆さんのために、あとを濁して来たというわけではないから、申しわけをしさえすれば、話はわかってもらえる。
 あの冬籠《ふゆごも》りの人たちは、いずれも一風変った人たちではあったけれども、なかでも北原さんがいちばん気軽で、わたしとは気が合っていた。口は悪いけれども、全く親切気のあった人。
 あの北原さんに便りをしてみようかしら……近くの他人といえば、あの人よりほかはない。
 甲州までは大へんな道のり、白骨はほんの十里内外――久助さんに、面をかぶってひとつ白骨へ行ってもらおう、そうして北原さんに事情を打明ければ、この急場を凌《しの》ぐに最もよい知恵を貸して下さるに相違ない――そうだ、では北原さんに手紙を書きましょう。
 お雪ちゃんは、こんな気持になって、明日、お寺へ落着いたなら、真先に北原さんへ手紙を書こうと決心し、それから、
「先生、こんなことなら、あなたを白骨にお置き申した方がようござんしたねえ」
と、所在なさそうな、転寝《うたたね》の竜之助を見て、なぐさめの言葉をかけました。
「こんな世話場も、面白いものだ」
「ほんとうに、思いがけない世話場を出してしまいました、これも、あのイヤなおばさんの祟《たた》りかも知れません」
とお雪ちゃんが、なにげなく返事をして、かえって自分が変な気になりました。
 世話場は世話場でいいが、なにもイヤなおばさんの名前なんぞを、ここに引合いに出す由はないのに、口を辷《すべ》らして、自分でイヤな思いをし、人にイヤな思いをさせることを悔んでみました。
「そうかも知れないね、あのおばさんの魂魄《こんぱく》が、ついて廻っているのかも知れない」
「もう、よしましょう、あんなイヤなおばさんのこと」
「どうしたものか、昨晩、わたしはあのおばさんの夢を見た」
「もう、よしましょう」
「いまさら、そんな薄情なことを言わなくてもいいじゃないか。白骨にいた時は、お前もあんなになついたくせに、ここはあのおばさんの故郷ということだ、せめて、ここへ来たからは、あのおばさんの魂魄をとむらってやる気におなりなさい」
「でも、わたし、なんだか頭が変で、どうしてもそんな気になれません、あのおばさんのこと、思い出しても気が変になりそうです、忘れていればよかったのに」
「それが忘れられないというのも因縁《いんねん》で、どうも白骨から、あのおばさんの魂魄が、あとになり先になって、我々についてくるような気がしてならん。昨晩も……」
「もう、よして下さい、先生、わたしもほんとうは、そんな気がしてならないことがあるんですけれども、誰にも言わないでいるんです」
「ははあ、それを言ってごらんなさい」
「いやです、ほんとうにいやな先生、今まで火事で忘れていたのに」
「それを思い出すようにしたのは」
「やっぱり、わたしが言い出さなければよかったのに」
「それが、つまり、イヤなおばさんの祟《たた》りというやつかも知れぬ。実はな、昨晩も……」
「もう御免下さい、あなたから昨晩……とおっしゃられると、水をかけられたようにゾッとして、そのあとから幽霊が出そうでなりません、そうでなくても、わたしはあのおばさんについて、誰にも話せないことを見ているのですから」
「誰にも話せないというて、話さないでいるからいけない。言ってごらんなさい、イヤな思いが晴れるかも知れない。実は昨晩、寝ていると、あのおばさんが向うの川原から来て、この船をゆすぶって行ったよ」
「え!」
 お雪ちゃんが面《かお》の色を変えた時に、久助さんが帰って来ました。

         三十四

 久助さんが、なお何かと手土産《てみやげ》ようのものをブラ下げて帰って来ての話に、こんなことがありました、
「お雪ちゃん、わたしは今日、お救い小屋で、妙な人に出会いましたよ」
 妙な人だの、変な人だの、イヤなおばさんだの、だしぬけに引き出される名前が、お雪ちゃんの胸にいい印象を与えませんでした。
「誰に?」
「あのね、そら、いつぞや、上野原へ、若衆のおさむらいさんが来たでしょう。お雪ちゃんが井戸で水を汲んでいなさるところへ、疲れて来て、水を一ぱい下さいと言ったのが縁で、それから、あなたがお宅へ泊めておやりなさることになると、ホラその晩、あの強盗でございましょう、方丈様も、お前様も、残らず強盗に縛られておしまいなすったのを、ちょうど、泊り合わせなすったあの若いおさむらいさんが、すっかり退治をして下さったあの晩のこと、そうしてその強盗を追い散らし、皆さんを無事に助けて下さったけれど、あの泥棒共が、翌日火の見櫓の下で、狼に食い殺されていましたっけ……ほら、あの時の、あの若いおさむらいさんに違いないと思いました。あの方にお目にかかりましたよ」
「まあ、それはほんとうに珍しい、またよい人にお目にかかりました。先方様《さきさま》は何とおっしゃいました」
「それがね、たしかにあの方とは思いますけれども、もしやと思って、何とも申し上げないで帰って来ました」
「それは、惜しいことをしました、何とか御挨拶《ごあいさつ》を申し上げてみればよかったのに」
「御挨拶なら、いつでもできると思いましてね、実はそのおさむらいさんが、お代官所の役人様たちと一緒に、お救い米やら、救助方やらに骨を折っていらっしゃるので、ずいぶんお忙がしいようでしたから、ほんとうに御親切に、わたしを見かけて、あちらではお気がつきませんのですが、ただの焼出され人だと思って、お米を下さる、着物を下さる、この乾物《ひもの》も持って行けと、こんなに恵んで下さいました。あんまりお忙がしいようでしたから、ツイその事も申し上げませんでしたが、なあに、ああしてお代官所にいらっしゃるのだから、いつでも御挨拶はできますが、それは私が申し上げるより、お雪さんが行ってお話しになると、いちばんわかりがいいと思いました」
「ほんとうにそれは珍しい。もしあの時の旅のおさむらいさんでしたら、よいところでお目にかかったもの、明日にもわたしがお訪ね申してみましょう」
「そうなさいまし」
 お雪ちゃんは、あの夜のことを思い出しました。果して、それがあの時のさむらい、宇津木兵馬様であるやらないやらは懸念《けねん》のことだけれども、今日の場合では、他人の空似《そらに》であっても、心強い感じがする。
 明日は北原さんへ手紙を書くことのほかに、もう一つ用事が出来た。それは、そのお方をおたずねしてみることだ。本当にあの若いおさむらいさんならば、北原さんよりもいっそ手近で、打明けて相談のできる人、ほんとに他人でない気持がする――今の先、いやなおばさんの記憶で悪くした気を、この久助の報告で、お雪ちゃんがすっかり取返しました。
 こんなような、あわただしい混乱のうちに、夜になったから、この一晩を、また屋形船の中で明かすことになりました。
 昨晩は、火事をよそにして、いくらも残らない夜明けを、あんなにして明かしてしまったが、今晩はもう一人、久助さんというものが来ていて、狭い船の中が賑《にぎ》やかです。
 それでも、昨晩からの疲れが烈しいものですから、お雪ちゃんは、薄着のことも気にならず、たあいなく眠りに落ちてしまいました。久助さんもまた同様で、二人とは少し離れたところにゴロリと横になると、やはり疲れがさせる鼾《いびき》の声。
 ひとり、竜之助だけが眠れないものですから、そろそろと起き上りました。

         三十五

 立ち上った時には、竜之助は、昔、甲府城下の夜の時したように、その後は、本所の弥勒寺長屋《みろくじながや》にいた時分の夜な夜なのように、面《かお》を頭巾《ずきん》に包んでいました。
 ただ、今宵は、自分の今まではおっていた羽織だけを脱いで、それをどうするかと見ると、寝息をたよりに、お雪ちゃんの体の上へ、ふわりとのせて置いて、それで自分は煙のようにこの船の中を外へ出てしまいました。
 その足どり、ものごし、手に入《い》ったようなもので、人間そのものがここを脱け出したとは思われません。煙が一むら、すうっと、窓を抜けたようなあんばいに、いつしか、竜之助は屋形船の外の人となっていました。
 外へ出ると、天地は、飛騨の高山の宮川の川原の中です。
 川原の中を、すっくすっくと歩み行く竜之助、久しぶりで壺中《こちゅう》の天地を出て、今宵はじめて天と地のやや広きところへぬけ出したから、この辺から雲を呼んで昇天するというつもりでもないでしょうが、ほんとうに久しいこと、自由な天地を歩きませんでした。
 昔は、こうして、夜な夜な、外を歩いて、血を吸わないと生きていられない気持でしたが、白骨の湯壺が、しばらくの間、この毒竜を封じ込んでいたものでしょう。それが飛騨の高山へ来て、今晩という今晩、その封が切れたようです。
 黒い頭巾と、白い着物と、二本の刀が閂《かんぬき》にさされたのが、すっくすっくと川原を歩んで行き、そうして水溜りとか、蛇籠《じゃかご》とかいうようなものの障《さわ》りへ来ると、ちょっと足を踏み止めて思案の体《てい》に見えるが、まもなく、五体が魚鱗のように閃《ひらめ》いたかと見ると、いつのまにか、その障碍を越えて、あなたを、すっくすっくと歩んでいる。
 およそ物体が動き出したということは、生きていることの表現であって、同時に生きようとする努力であると見ればよろしい。
 生きようとする努力はすなわち、飢渇というものに余儀なくされていると見ればよろしい。人間にあってもそうです、人間が動き出した時はたいてい、飢えた時、そうでなければどこぞに空虚を感じた時のほかはないと見てもよろしい。
 そこで、満足した人はたいてい沈黙する、充実したところには痕跡《こんせき》というものが無いのを例とする。
 人が動いている時と、騒いでいる時は、人間がその最も弱点を暴露した時なんだが、人間はかえって、充実と沈黙を怖れないで、活動と躁狂、宣伝とカモフラージュとに恫喝《どうかつ》される。笑止!
 お化けだってそうである、出て来た時はすでに、人間に未練という弱味があって来るのだから。ベルゼブルだってそうです、人間にとりつくのは、自分の腹がすいているからなのである。若い男は若い女の情けに飢えているから夜遊びをする、若い女はまたそれを待構えて、その飢えに食《は》ませたり食んだりする――ついでに言っておくが、恋というものにかぎって、食えば食うほど飢えを感ずるもので、恋の飽食ということは、結局、尻尾《しっぽ》だけを残して食い合う猫のようなものです。人はパンのみにて生くるものではない、恋も食い物である、愛も食い物である、イカサマも食い物であり、ペテンも食い物である。動物の中には、夢をさえ食い物にして生きているものがあるというではないか。
 今、東経百三十七度十六分、北緯三十六度九分のところ、海抜五百六十三メートル八八のあたりを音無《おとなし》の怪物が動き出したということも、つまりは飢渇を感じ出したからです。飢渇といわなければ、空虚といってもよろしい。
 つまり、その食物を求めんがため、食物で悪ければ充填物《じゅうてんぶつ》を、さがし求めんがために、ふらふらと歩き出したのだが、ここは果して甲府の城下ではない、また大江戸の市中ではない、城気の疾《と》うに失せていた飛騨の高山のことではあり、この高山も、目ぬきの大半を祝融氏《しゅくゆうし》の餌食《えじき》に与えているのだから、この怪物に余された獲物《えもの》というものは、どんなものか知ら?

         三十六

 有る、有る。
 尾花だの、萱《かや》だのの中に、竹煮草《たけにぐさ》とか、ごまめ菊とかいったような雑草がすがれている。一口に言えば蘆葦茅草《ろいぼうそう》の中の川原の石の磊嵬《らいかい》たるところに、置き捨てられたまだ新しい白木の長い箱が一つある。
 これは昨晩、お雪ちゃんをおびやかした白木の寝棺《ねかん》です。あの娘《こ》は一目見たきりで、おびえて逃げたけれども、この怪物にとっては、これもまた餌食にはなるらしい。惜しいことにこの幽霊は、足許は確かだが、眼が利《き》かないから、眼前に横たわる好下物《こうかぶつ》を、気取《けど》ったことは気取ったが、そのものの質を知ることはできないのです。
 白木の寝棺を距《へだた》ること、ほぼ一間のところで、立ちどまって、うかがっているのは、その寝息を見るもののようです。
 宮本|無三四《むさし》は、佐々木|巌柳《がんりゅう》を打ち倒しても、まだその生死のほどを見極めるまでは、近寄ることをしなかった。それは無三四に限ったことではない、ワナを上手に外《はず》す動物は、どんな好餌《こうじ》があっても、そうガツガツと、いちずには近寄ることをしないものです。
 ここに、俄然、一つの食べ物を感得したからといって、一概に貪《むさぼ》りかかることをしないのは、武術の達人の残心のうちの一つと称すべく、知恵ある動物の陥穽《かんせい》を避ける心がけと言ってもよい。それそれ、果して、この寝棺の一端が動き出したではないか。
 寝棺が動き出すということが、もう只事ではない。
 こっちがその心で、じっと気合を伏せて見まもっていたものだから、先方も、もう我慢がしきれなくなって、化けの皮を現わしてしまったのだ。
 死人を入れることにのみ専用するものと見せた寝棺が、生きて動き出した。こういうことがあるから、人を殺せば、血を見なければならないというのだ。敵に斬られることよりも、斬って止めを刺すことを忘れた武士の方が、うろたえ者と言われる。
 果然! 寝棺の一端が動き出して、死人が物を言いました、
「御免下さいやす、つい、ほんの出来心でおましてな、悪い気でやったんじゃございませんのや、寒いもんでおますで、女房や子のやつが寒がっておますやでな」
 死人がこういって物を言い出したのみならず、ペタリと、石川原の上へ、へばりついてしまって、大地に両手をついて、額《ひたい》をその間に埋めて、ベルゼブルにおわびをするのです。いやまだどっちがベルゼブルだかわからない。
 竜之助は、そのお詫《わ》びの言葉を充分に聞き分けてしまいました。
「何をしているのだ」
「どうも、悪い気で致したのやおまへん、焼け出されでおましてな、女房子が寒がるもんやで……つい」
「つい、そこで何をしていたのだ」
「はい……これを一枚だけ、ちょっと、ほんの一晩のうち、お借り申したいことやと存じましてな」
 訊問する者も、訊問される者も、わからない。
「では、御免下されましてな……」
 ペタペタと砕けてしまった腰を立てながら、後退《あとずさ》って逃げてしまった男の形が眼に見るようです。それを逃がして追わず、そのあとで竜之助が、歩みよってそこに感得した何物かの物体を撫で廻してみると、それは動かない長い箱でした。つまり、撫でてみてはじめて長い箱の存在を知ったので、最初、立ち止ったのは、ここに白木の長い箱が存在することを怪しんで、そうして、不審とながめている間に、死人が動き出したという順序ではなかったのです。
 撫でてみて、はじめて、かなりに長い箱だと感触したが、それが白木であって、手ざわりからすれば、当然寝棺と気のつくまでに、竜之助の手先に触れたのは、その寝棺の上にふわりと打ちかけてあった、一重《ひとかさ》ねの衣類でした。
 竜之助は、その長い箱が白木であるか、塗物であるか、寝棺であったか、長持であったか、まだわからない。その上にのせられた一重ねの着物のみが手にさわると、
「ははあ、これを盗みに来たのだな、今の奴は、これを盗もうとしてこっちの姿に驚かされたのだ」
とわかりました。

         三十七

 しかし、この長方形の存在物が、人間というものの最後のぬけ殻を入れた器物の一つであったことを覚ったのは、長い後のことではありませんでした。
 それをまだ地中にも葬らず、火中にも置かず、川原の真中へ抛《ほう》り出してあるのだ。生きていないというまでのことで、まだ煮ても、焼いてもないのですから、よろしかったらこのまま召上ってください、と言わぬばかり。
 だが、死肉は食えまい。いかに飢えたりとも、天が特に爪牙《そうが》を授けて、生けるものの血肉を思いのままに裂けよと申し含めてある動物に向って、棺肉の冷えたのを食えよというのは、重大なる侮辱である。
 カタカタと軽くゆるがしてみただけで、この動物は、ついにその中の餌食に向っては、指をさしてみることをも侮辱とするもののようです。だが、カタカタと軽くゆすってみた瞬間に、釘目を合わせておかなかったこの棺と称する人間の死肉の貯蔵所の蓋《ふた》が、二三寸あいてしまいました。
 二三寸あいたところから、意地悪く、その髪の毛のほつれと、冷え固まった面《かお》の白色が、ハミ出して見えたようです。朧《おぼ》ろのような夜光で、見ようによっては、棺の内で貯蔵された死面が、笑いかけたようです。
 ところが、せっかく、死肉が笑い出しても、こちらの怪物は、それに調子を合わせるだけの愛嬌《あいきょう》を持ち合わせておりませんでした。それのみならず、その笑いかけたのを、浅ましがっておっかぶせてやるだけの慈悲心も、持ち合わせていないようでした。
 ですから、こうまでして、死人がわざわざ愛嬌を見せても、この怪物に対しては、全く糠《ぬか》に釘のようなもので、お化けがかえってテレきってしまうのです。

 三分五厘子は吾人に教えて言う、
 あるところに、一人ののら[#「のら」に傍点]息子があって、親爺《おやじ》ももてあましたが、望み通りの美しい嫁さんを貰ってやったら、ばったり放蕩《ほうとう》がやんで、嫁さんばっかりを可愛がっている。嫁さんも美しくもあり、情愛もあって、若夫婦極めて円満なのは結構至極だが、ただ一つ解《げ》せないことは、この花嫁さんが、毎夜毎夜、夜更けになると、婿さんの寝息をうかがっては、そっと抜け出して、いずれへか消え失せる、その様、ちょうど、三つ違いの兄さんの女房のするのと同じようなことをする。嫉《や》けてたまらない婿さんが、或る夜、そのあとを尾行して行って見ると、寺の墓地へ行った。あろうことか、その花嫁は墓地へ行って、新仏《にいぼとけ》の穴を発《あば》き、その中の棺の蓋《ふた》を取り、死人の冷えた肉と、骨とを取り出して、ボリボリ食っている、あまりのことに仰天して気絶したお婿さんを、その花嫁さんが呼び生かして言うことには、
「お前さんは、死人の肉を食ったわたしを怖《こわ》いと思いますか。わたしの方では、生きたお父さんの脛《すね》をかじるお前さんの方が、よっぽど怖い」

 事実、死んだものや、化けたものは、そんなに怖いはずはないのです。
 今し、棺の蓋をせっかく細目にあけて、そうして死肉の主《ぬし》が、お愛想に、にっこりと笑いかけたのだから、ほんとうに、こちらも調子を合わせてやればいいのに……「おやおや、おばさんかね、久しぶりだったねえ。あれから、どうしたんだえ。いったい、お前は白骨の無名沼《ななしぬま》の中へ沈められていたはずじゃないか。そんならそうで、無事におとなしく、あの沼に沈着していればいいのに、なんだってこんなところまで出て来て、因果とまたあの火にまで焼かれ損なったのだね。水にも嫌われ、火にもイヤがられ、ほんとに、お前さんというおばさんも、因果の尽きないおばさんだねえ」とでも言ってやれば、せっかく笑いかけた棺の中の死肉の主も、また引込みがついたかも知れないのに……
 それに対して、こんな無愛想であるのに、別の因縁になっている棺の上の一重ねの着物だけには、どうやら執着があるらしいのが浅ましいではないか。

         三十八

 こうして、音無の怪物は、死肉には爪牙《そうが》を触るることなく、そのままずっと進んで行きました。
 進み行くところは、宮川の川原を縦に上るのですから、尽くるところはないはずだが、行きとまるところはある。例の蘆葦茅草《ろいぼうそう》の合間合間に、水たまりがあり、蛇籠《じゃかご》があり、石ころがあって、どうしても進み難いところがある。そこは強《し》いては突破しないで廻り道をする、飛び越し得ると推想されるところは飛び越して行く、相当に進んで行ったが、更に別条はありません。
 川原の中だから人通りはなく、さいぜんのような人間の死肉が放り出されているというようなことは、極めて稀有《けう》のことで、この宮川が、神通川《じんずうがわ》となって海に注ぐまでの間にも、二度と出くわすべき性質のものではありません。
 しかし、小さいながら川流れが二筋に分れて、どうしてもそれよりは進めないところに来ました。
 進めないわけではないが、進むには川越しをしなければならぬ。ただ、この場合、衣裳をからげて、川越しをしてまで前進すべきや否やが疑問なのです。果して、その必要がないから後戻りをはじめました。
 蘆葦茅草《ろいぼうそう》が離々《りり》とした石野原――行手でバサバサと音がする。
 無事単調を破るものとしての唯一の物音、それを聞かんがために立ちどまりました。
 ここに、ちょっと注意しなければならぬことは、今まで気がつかなかったが、竜之助はその左の小腋《こわき》に、物を抱え込んでいることです。それはほかのものではない、一着の着物を長たらしく小腋にかい込んでいるのです。ははあ、この男は、あの死肉の上の着物を取って来たのだな。察するに、ただ、無意識に、ひょっと手が触れたままに引抱えた手ずさみだ、笠と杖とを持たない代りのあしらいに過ぎまい。
 面前で起ったバサバサという音は、いよいよ劇《はげ》しくなって、次いで、キャッキャッと名状すべからざる悲鳴が起り、竜之助の脚下で風雲が捲き起っているにはいるが、それは見えない人のために、代って少し説明すると、貉《むじな》がワナにかかっただけのものです。
 後ろ足の一つをワナに挟まれた貉が、必死の悲鳴と、全身の努力を以てそれを脱せんと悶《もだ》えているところです。そうすると、やや暫くあって、他の一方の蘆葦茅草の中から、むずむずと出て来たものがある。それが同じく貉の一つで、前の貉は一足をワナにはさまれている、後の貉は、どこもはさまれてはいないが、見捨てられない愛着に繋がれているらしい。多分一方が雌で、一方が雄なのだろう。
 人の足音によって、いったん、離れたが、その足音が止んだらまた出て来て、はさまれないのが、はさまれたのを救済にとりかかっているのだ。しかし、この救済は、徒《いたず》らにうろうろするだけで、ワナにかかった一方の貉の煩悶《はんもん》を救うことも、束縛を解放してやることもできないのです――二つ相抱いて周章狼狽、輾転反側《てんてんはんそく》している。
 やがて、いっそう恐ろしい悲鳴と、絶叫との後に、とうとう一方が一方を解放して、そうして二匹相つれて一目散に逃げ出したことです。
 さては、ワナが破れた。仮りにも人間の手を経て作られたワナは、さる小動物の蠢動《しゅんどう》によって、左様に容易《たやす》く改廃さるべきものではないのに、二つとも、完全に逃げ了《おお》せたのは、見えない眼前の事実。
 だが、完全に――と見たのはウソで、ワナの一方には、一つの小動物の足だけが残っている。これによって見ると、一方が一方の足を喰い切って、そうして連れて逃げたのだ。
 逃げて、そうして、一目散に蘆葦茅草を飛び切って、水辺の大樹の上に身をかくしてしまった!
 動物学者は、貉と狸とは同じものだというが、伝説の観念はそうは教えない。少なくとも貉は木に登るが、狸は木にのぼらない。狸は腹鼓を打つが、貉にはさる風流気はない。
 脚下の風雲というのは、ただそれだけのことでした。

         三十九

 それから、また暫くあって、例の一重《ひとかさ》ねの衣類を小腋にしたまま、屋形船に帰るところの机竜之助を見ました。
 その翌朝、お雪ちゃんは、恥かしいほど朝寝をしてしまいました。眼がさめて見ると、竜之助は宵のほどと同じこと、自分とは、T字形に横になっているのに気がついたが、久助さんの姿は見えません。
 久助さんは、もう起きてしまったのだ。昨夜のつもりでは、こんなに落着いて朝寝のできるはずではなかったのに、疲れていたとはいえ、どうも自分は暢気《のんき》な性質に生れ過ぎているのかも知れないと考え、あわただしく起き直って見たけれど、船の外にも久助さんの姿は見えません。
 わたしに気のつかないように、もう出かけてしまったのだ。出かけるといったところで、どこへ行きようがあるものですか、さしあたっての今日の活計のために、あのお救い米だとか、施行小屋《せぎょうごや》だとかいうところへ行ったのでしょう――全くそれは久助さんのことだけではない、自分の眼の前の朝の生命の糧が差迫っている場合、お雪ちゃんは、寝過ごしたことを恥かしくも思い、これから生活のために真剣にならねばならぬと、身をハネ起してみました。
 起きてみたけれども、洗うが如くというよりは、本来、洗われてしまっている着のみ着のままの我、どうにもこうにも仕様がないその圧迫に打たれてしまいます。
 でも、こうしてはいられない。その圧迫をハネ返しでもするように、お雪ちゃんが起き上った途端に、自分の膝の下に落ちた着物が、あんまり重過ぎることに、気を取られずにはおりません。
「おや」
 いつのまに、誰がこんな着物を持って来て、わたしに着せてくれたのかしら。昨夜、そうだ、久助さんが、施しでもらって来たのを、わたしが寝ている間に、そっと着せてくれたものに違いない。そうそう、昨晩よく眠れたのは、一つはこのせいでしょう。こんな一重ねの着物を、わたしの寝ている間に着せかけてくれたから、そのおかげでわたしは、恥かしいほどよく寝入ってしまったのだ。これでも無かろうものなら、夜半の薄着に寒さが身にしみて、いくら疲れたからといって、こんな際に、こんなによく寝られるものですか。ほんとうに有難い、久助さんの親切が有難い。それなのに、こんな親切な人を置いてけぼりにしようとか、まいてしまおうとか考えた自分というものの薄情さを、お雪ちゃんはクドいほど悔む気になってしまいました。
 そうして、この情の籠《こも》る一重ねの着物を見ているうちに、これが羽織もそっくりした小紋縮緬《こもんちりめん》の一重ねであることが、大変な気がかりになりました。
 いくら非常の場合にでも、救助のために投げ出すにしては、これはあんまり過ぎものだと感じないわけにはゆきません。
 大抵の場合、こういう時に施しに出すのは、着古したものか、洗いざらしとかいう種類にきまっているのに、こんな結構な着物を、羽織から揃えて一重ねも投げ出そうというのは、少し気前がよすぎてはいないかと、お雪ちゃんが、そこへ気を取られたものですから、いったん、起き直ったのを坐り直して、右の一重ねの衣類を手に取って、つくづくと見たものです――つくづくと見ているうちに、お雪ちゃんの唇の色が変りました。
「先生」
 あわただしく、寝ている、竜之助を呼びかけたものです。
「何です」
「ああ、怖い、ちょっと起きて下さい、あなたに、見ていただかなければならないものがあります……といって、あなたはお見えになりますまいが、この重ねの小紋縮緬の着物をごらん下さい、これはまあ、あのイヤなおばさんの着物に違いありません。違いません、違いません、わたしがたしかに見た通りの品です、それが、ここに来ておりますよ。どうして、誰がこの着物を……」
 着物が蛇にでもなったように投げ出しました。

         四十

「お雪ちゃん、着物がどうしたというのだ」
「先生、これが驚かずにいられましょうか。昨夜、久助さんが、わたしの上へかけてくれたこの一重ねの着物、これは何だと思召《おぼしめ》す」
「何だか、わしが知っていようはずはあるまい」
「そうです、誰だって知っているはずはありません、このお召の一重ねは、これは、たしかに、あのイヤなおばさんの着ていた着物でございますよ」
「え」
「久助さん、どうして、どこからこんな物を持ち込んだのでしょう」
「知らない」
「廻《めぐ》り合わせにしても、あんまりじゃありませんか。いけません、先生、あなたが悪いのじゃありませんか」
「どうして」
「だって、昨晩、イヤなおばさんの魂魄《こんぱく》が、そっと外から忍んで来て、この船をゆすぶったなんておっしゃるものだから、それで、魂魄が、こんな着物をこの船へ持ち込んだんじゃないか知ら」
「ふふん、魂魄なんてものは、そんなに都合よく物を運べるものじゃあるまい」
「だって、そうとしか考えられませんわ。平湯へ来てからこっち、ほんとうに、あのイヤなおばさんにつき纏《まと》わされるようでたまりません――白骨から、わたしたちの後になり先になって、あのおばさんの魂魄がついているに違いありません」
「ほんとうにその着物が、あの淫乱後家の着物であったりしたら、全く不思議な廻《めぐ》り合わせだ、魂魄の引合せというよりほかはあるまい」
「それは間違いありません、先生にはお見えにならないから議論にはなりませんが、この一重ねは、あのおばさんが白骨で、わたしに自慢で見せたものです。あのおばさんのことだから、年にしてはずいぶん派手過ぎますのを、お雪ちゃん、あなたに譲りましょうか、そのうち、高山から着替が届くから、そしたら、これをあなたにあげるから、仕立て直してお召しなさいなんて、おばさんが言いながら、自慢に着出したのを覚えています。あなた、まあ、ごらんなさい、この通り」
「驚くべきめぐり合わせだな」
「全く驚いてしまいます、久助さんが帰ったら、早速聞いてみなければなりません、この着物を、どこでどうして手に入れたか、それをよく問いただしてみましょう」
「久助さんには、そんなことはわかるまい」
「久助さんに分らないにしても、これを久助さんに渡した人からたずねてみればわかるはずです、わからせずにはおきません」
「わからせて、どうするね」
「どうするのだといって、先生、こんなものが身につけておられますか」
「といって、本人に返してやるわけにもいくまい」
「それはそうですけれど……あんまり因縁《いんねん》も過ぎますからね、何とかしなければ、あのおばさんの恨みが、どこまでついて廻るか知れません」
「恨みが消えないのだ」
「いいえ、わたしは、あのおばさんに恨まれるようなことは、決してしてはおりません、もし、わたしたちについて廻っているとすれば、あのイヤなおばさんは、死際《しにぎわ》に、何かわたしたちに思い残すことがあって、それを言いたいがために附いて廻るのかもしれません」
「そんなことかも知れぬ」
「そうだとすれば……わたし、変な気になってしまいます、イヤなおばさんはイヤなおばさんに違いないけれど、わたしに対して、何もイヤなことをしたわけじゃなし、わたしを贔屓《ひいき》にして、ずいぶん可愛がってくれたおばさんなのではなかったか知ら……」

         四十一

 お雪ちゃんは、ここでなんだか今までの無気味な、陰惨な気分が、どうやらあわれみの心に変ってゆくように、自分ながら気が引けてならなくなりました。
「あのおばさん、決して悪い人じゃないわ、わたしには、悪い人とは思われない」
「好きな人かな、あれが」
「好きとはいえないけれど、人が、イヤなおばさん、イヤなおばさんというほど、悪い人じゃないと思われて仕方がありません」
「それでも、お雪ちゃん、お前は今まで、やっぱりイヤなおばさんで通して来て、その噂《うわさ》を持ち出されてさえ、逃げたではないか」
「皆さんが、イヤなおばさん、イヤなおばさんというから、それでわたしもイヤなおばさんにしてしまったのではないか知ら。いったい、あのおばさんのどこが、イヤなおばさんなのでしょう」
「うむ――どこといって聞かれては、わしにもわからないがね、いい年をして、若い男を可愛がるなんぞは、ずいぶん、イヤなおばさんの方じゃないか」
「浅吉さんのことですね……ですけれどもね、年上の女の人が、若い男を可愛がるのはいけないことか知ら。いいえ、それはいいことじゃないにきまっていますが、浅吉さんの方にもイケないところがあると思うわ」
「どっちにしても、いい年をした亭主持ち――ではない、後家さんが、若いのをつれて温泉に入りびたって、ふざけきっていることは、人の目にいい感じを与えはしまい」
「それはそうですけれど……世間に類のないことじゃなし、体裁のいいことじゃありませんけれど、殺してやるほど憎いことじゃありませんね」
「そうか知ら」
「ですから、不思議なのね、蔭ではみんなイヤなおばさん、イヤなおばさん、と言いながら、表ではみんな追従《ついしょう》して、あのおばさんを座持に立ててしまって、あのおばさんの命令が、夏中の白骨の温泉いっぱいに行われたじゃありませんか。ただイヤなおばさんだけなら、たとえ表面のお追従にしろ、人があんなに従うはずがありません。やっぱりあのおばさんはあれで、あの人だけの人徳を持っていたのじゃないか知ら」
「そうか知らん」
「わたしに向っても、ずいぶん親切でした。イヤなおばさんだから、そのつもりでいなくちゃいけないと思いながら、わたしは、ついついあのおばさんの親切にほだされてしまっていたんですね」
「結局、お雪ちゃんのためには、イヤなおばさんではなく、好きなおばさんだったのか」
「好き……好きとは言えませんけれど、イヤがる理由がなくなってしまいます」
「では、やっぱり好きなおばさんなのだ。その好きなおばさんであればこそ、白骨からこっちへ来る間、お雪ちゃんについて廻り、昨夜も、お雪ちゃんが寒かろうと心配して、わざわざその約束の着物を持って来てくれたものかもしれない」
「ずいぶん気味が悪いけれども、そう取れば取れないことはありませんのね。あのおばさんの魂魄《こんぱく》が、わたしたちを恨んでじゃなく、わたしたちを懐かしがってあとをつけるのなら、この着物も、全くかわいそうな因縁だと思いますワ、そんなにいやがることはありませんねえ」
「そんなら、その着物はお雪ちゃんへの授かり物だから、遠慮なく身につけているのが、かえって回向《えこう》というものかも知れないぜ」
「それでも、わたしは、これを身につけている気にはなれません、見ると、あの時のことが思い出されて、おばさんがかわいそうでなりませんもの」
「したいざんまいをして死んだのだから、かわいそうなこともあるまい」
「なんにしてもいい、わたしはこの着物を焼いてしまって、おばさんの思いが残らないように――お経をあげてあげましょう」

         四十二

 お雪ちゃんは、その着物を抱えて外へ出ましたが、土手下の枯芒《かれすすき》の、こんもりした中へ、その着物を置くと、自分はひとりふらふらと川原の方へ出てしまって、川原の中を屈んだり、伸びたりして、さまよいながら、胸にだんだん嵩《かさ》の増してゆくのは、燃料となるべき薪《たきぎ》を集めて歩いているのに違いありません。
 薪を集めつつ、河原を進みゆくうちに、採集の興味が知らず知らずお雪ちゃんを導いて、中洲を越えたり、水たまりを飛んだりして、川原の中へと深入りをしてしまいました。
 深入りをしてしまったといったところが、本来、川幅の知れた宮川の川原のことですから、深山大沢に迷いいったのとは違い、深く進んだと思うのが、実は行きつ戻りつしていることに過ぎない。
 そうして、蘆葦茅草《ろいぼうそう》が枯れ枯れに叢《くさむら》をなしているところ、それが全く断《き》れて石ころの堆《うずたか》いところ、その間を、茸狩《きのこがり》か、潮干狩でもするような気分で、うかうかと屈伸しながら歩んで行くと、当然、到着すべき一つの地点に達して、そこで初めてお雪ちゃんが、あまりのことにまた驚愕狼狽《きょうがくろうばい》しなければならぬことになりました。
 その、ある地点……それは、お雪ちゃんが今まで全く忘れていたところのものでありました。前の晩に、この川原をあてどもなく歩いて、そうしてこの蘆葦茅草の中に、ふと白い長い箱のようなものを見出して不審がり、近づいて見ると、それが不吉にも、人間のぬけ殻を蔵《しも》うた棺であることを知り、とてもいやな思いをして、あわてて逃げて帰ったことのあるそのものが、現にまだここに置き放してあるではないか。
 何という冥利《みょうり》を知らぬ人たちだろう、あの時は火事場騒ぎだから、ここまで持って来て置くのもやむを得ないが、今となって、まだ放りっぱなしにして置くとは。
 お雪ちゃんが、それを、もう少し早く気がついたならば、単にこの白いものが、まだ動かされないで置かれてあることだけを知ったならば、一目見ただけでこの場へ来るのをいやがって、前の時のように、眼をふさいで逃げて行ってしまって、いやな感情は消えないまでも、後の問題は残さなかったのでしょうに――それは、接近するつもりなくして接近し過ぎていました。
 その接近があまり急激に来たものですから、接近した時はもう退引《のっぴき》することができません。見まいとしても、その全体を見なければならないところまで来てしまっていた。それがために、見てはならないものを見せられてしまいました。
 特に、最も悪いところの部面が、お雪ちゃんに見せるためにのみ、展開されてでも置かれたようなものを、遠慮も、割引もなくそのまま、いやおうなしに見せられてしまったのは、子供が、不意に後ろから居合抜きに抱え込まれて、奥歯を抜かれてしまって、泣くに泣けないような有様です。
 あの時までは、棺も外面だけでしたが、この時誰がしたか、その覆いが取払われて、そうして、蓋《ふた》がコジあけてある。コジあけた隙間《すきま》が、一メートルばかりの長方三角形に開いて、そうしてそこから中がガランと口をあいているところを、いやおうなしにお雪ちゃんが見せられてしまったから、もう、避けようとしても避けられないのです。面《かお》をそむけても遅いのです。
 かえって、その棺の蓋の隙間に引き入れられて、怖《こわ》いものを飽くまで見なければ、動けない作用にひっかかってしまいました。
 その寝棺の蓋をコジあけたところから、半面を現わしている、棺の主の面。
 それをお雪ちゃんは、一目だけで逃げることを許されないで、後ろに強力のものがあって、その頭をグンと押え、そうして、
「もっと見ろ、もっとよく見ろ、間違えないように見届けろ」
と、ギュウギュウ押しつけられているような、見えない力を如何《いかん》ともすることができません。
「あ、イヤなおばさん――」
 もう泣くにも泣けない、叫ぶにも叫べない、棺の中からこちらを見ている人は、今も問題の、イヤなおばさんです。

         四十三

 不思議な圧力で、それを充分に見届けさせられて、お雪ちゃんは、その圧力が解けたと見た時分に、自分の周囲を襲いかかる、またも不思議な有形動物の形に驚かされました。
「叱《しっ》! 叱!」
 それは思いがけないことでしたけれども、有り得ない動物ではありません。
 このあたりに彷徨する野良犬が五六頭、雨降りの時候でもあるまいに、まっしぐらにくつわを並べて、このところまで飛んで来て、息をフウフウ吹きながら、棺の廻りに走《は》せつけ、飛びついたり、はねかかったり、臭気をかいだり、上へ乗ったり、下をくぐったりして、この寝棺を取巻くのでした。
「叱! 叱!」
 お雪ちゃんは、この時、自分ながらわからない一種の勇気が出て、有合わせた薪の太いのを持って、群がる野良犬に向いました。
 お雪ちゃんの、竹の棒の音に驚かされた野良犬は、それに一応の挨拶でもするように、一応は飛び退くけれども、忽《たちま》ち盛り返して、以前のように棺に向って飛びつき、狂いつき、或いは蓋の外《はず》れを歯であしらって向うへ突きやり、その有様はどうしてもくっきょうの獲物《えもの》――御参《ござん》なれ、われ勝ちにという浅ましさのほかにはありません。
 お雪ちゃんはあしらい兼ねました。全くこの犬共はお雪ちゃんの手には余るのです。
 でも、犬共は、人間に対する敬意を以て、お雪ちゃんの小腕ながら、その振り上げた杖には、一応の遠慮をするだけはしますが、その影がこちらへ動けば、もう犬共はひっついて来ます。お雪ちゃんの振り上げる杖の瞬間だけに敬意を払って、それが戻るとすぐにつけ入ってしまいます。
「叱! 叱!」
 お雪ちゃんをして、もう自分の力ではおえないと覚《さと》らしめて置いて、そのうちの最も獰猛《どうもう》なのがその策杖《さくじょう》の二つ三つを覚悟の前で、両足を棺へかけて、鼻と口を、棺の中へ突込んでしまって、後ろに振動した尾を、キリキリと宙天へ捲き上げてのしかかっています。
「おや、こりゃ犬じゃない、山犬じゃないか知ら、狼じゃないか」
 お雪ちゃんが、その一頭の獰猛と貪婪《どんらん》ぶりに身の毛を立て、こう思ってたじろいだのも無理はない形相《ぎょうそう》でしたが、事実は、やっぱり野良犬の一種で、狼や、山犬に属するものではなかったようです。ただ、飢えから来るところの不良性が、極度に、この動物を、獰猛と、貪婪と、残忍の色にして見せたものでした。いかに、本来温良なる家畜動物も、飢えと放縦とに放し飼いをすれば、それは猛獣以上の猛悪を現わすことはあります。
 それと同じことに、いかに温和なる人間も、非常の時には、そうして、人間の権威を他動物に向って示さねばならぬ時は、別人と見えるほどの勇気を、どこからか持ち来《きた》すものと見えて、苟《いやし》くも人間の死体の神聖を冒涜《ぼうとく》せんとする不良性動物の僭越と、兇暴とに対し、かよわいお雪ちゃんが、その全力を挙げて擁護の任に当らなければならない覚悟と、力とを与えられたことは、案外のものでした。
 お雪ちゃんは、片腕にかかえていた薪《たきぎ》を振捨て、片手に持っていた杖に全力をこめて、僅かに棺の中へ首を突込んだ山犬に似た奴を思いきり打ちのめして、さすがに驚いてハネ返ったところを、手早く棺の蓋《ふた》を仕直して、しっかりと押え、そうして、早くもその手近にあった手頃の石――手頃の石といっても、ふだんのお雪ちゃんならば、ほとんど持ち上げることもむずかしかろうと思われるほどの大きさと、重さとあるのを両手にウンと持ちあげて、それを、いま蓋を仕直したところへ重しに、ドッカとのせてしまいました。
 この間《かん》の働きは、お雪ちゃんとしては見られないほどの早業と、力量とを持っていましたが、それをするともう大丈夫と思ったのか、下へ投げ捨てた薪を、またも小腋《こわき》にかいこむと共に、走り出しました。
 後をも見ずに走りました。

         四十四

 そうして、お雪ちゃんは、屋形船のところまで帰って来たのですが、その時は、もう口が利《き》けませんでした。
 船べりにとりついて、はあはあと激しい息をついているのです。
 もしこの時に別の事情がなかったならば、お雪ちゃんは一時、その場で昏倒してしまったかも知れません。また、もし船の中へ走り込む元気があったならば、いきなり、竜之助の膝にしがみついて、うらみつらみを並べたかも知れません。
 そのいずれでもなかったのは、ちょうどこの際、船の向う側の一方で、久助さんの声を聞いたからです。しかもその久助さんが、何かその向うを通行の人と、かなり高声で会話をしていたのが、お雪ちゃんの耳に入ったものだから、この危急の際に、辛《から》くも踏みとどまって、多少の遠慮の心を起したのが、つまりお雪ちゃんをして、気絶もさせない、逆上もさせなかった一つの事情でありました。
 それで、はあはあと嵐のような息をついて、屋形船の一方の柱にとりついて、お雪ちゃんがためらっていると、それとは知らぬ、土手の往来に面した一方の片側で、久助さんと、堤上を通る旅人との問答、
「存じません」
 これは久助さんの返事。
「知らない、では古川を経て、越中の富山へ出る道はドレだ」
「ええ、それも存じませんでございます、何しろ……」
「それも知らないのか。三日町から八幡《やわた》の方へ行くのはどうだ」
「お気の毒でございますが、何しろ、昨日今日……」
「やっぱり知らないと申すか。しからば、船津へ出る道、そのくらいは知っているだろう」
「それもその……」
「それも知らんのか。では、いったいこの宮川という川は、越中へ行くのか、加賀へ向うのか、結局、どこへ落ちるのだ」
「え、その辺も……」
「加賀の白山、白川道は知ってるだろう」
「それもその……」
 土手で横柄《おうへい》にたずねるのは、この辺の百姓町人の類《たぐい》でないことはわかっているが、人もあろうに、久助さんに土地案内を聞くとは間違っている。まして焼け出されの、西も東ももうげんじ[#「もうげんじ」に傍点]ている際の久助さんをつかまえて、あんな手厳しい尋ね方をする方が間違っている。けれども、久助さんも久助さんだ、知らない、知らないとばかり言わず、もう少しテキパキした返事の仕様もありそうなものと、少し息が静まるにつれて、お雪ちゃんは久助さんの返答ぶりを歯痒《はがゆ》いものに思いました。
 こちらに聞いているお雪ちゃんが歯痒く思うくらいだから、尋ねている先方の横柄な旅人は、もっと業《ごう》が煮えたらしく、
「何を聞いても知らぬ、知らぬという。役立たずめが……引込んでおれ。時に丸山氏、いずれこの宮川べりを伝うて行けば、出るところへ出るだろう、出たとこ勝負としようかなあ」
「それもよろしかろう」
 こう言って、土手をさっさと歩み去ってしまう旅人は、たしか二人連れのようです。
 お雪ちゃんは、見るともなしに、背伸びをして見たら、今、船の蔭を外《はず》れて、土手の上をあちらに向って歩み去る二人の旅人。
 それには、たしかに見覚えがあります。
 いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原で、わたしたちの一行にからみついて、あの、すさまじい光景を捲き起した浪人たち。ついこの間は、不意に白骨の温泉へやって来て、宿にわだかまり、あの前の方へ進んで行く大きい方の人が、わたしの眼を後ろから押えて、どうしても放してくれなかった気味の悪い人。そのくせ、巌のように節くれ立った手が、氷のように冷たかったのを覚えている、あの人たちに相違ない。
 その名は仏頂寺弥助と、もう一人は丸山勇仙。肩で風を切って堤を歩いて行くが、こちらから見ると、足許《あしもと》がフラフラして、まるで足が無くって歩いているようです。

         四十五

 お雪ちゃんは、やっと船の中へ転がり込んで、もう起き上ることができません。
 頭が火のようで、眼が車のように廻るのです。それをじっと抑えて、何も言わずに、ただ伏しまろんでしまいました。
 現在、そこにいる竜之助に向って、思うさまこの怖ろしい見聞を、ブチまけてみようと意気込んだのも、ここで、その勇気すらなくなってしまいました。
 見るべからざるものを、二度まで見たのです。平湯峠の上で、戸板の覆いが外《はず》れた時に見たのは確かに、あのおばさんなら、たった今、ここで見た棺の中の死人も、別の人であろうはずがない。
 あの時、叫ぼうとしたのを、じっとこらえて誰にも言わなかったくらいだから、ここでも胸を抑えてしまった方がいい。わたし一人が納めていさえすれば、このイヤな思いを、人にうつすことだけは免れる。
 本当に、魂魄《こんぱく》があって、わたしたちについて廻っているとしか思われない、あのイヤなおばさん……
 お雪ちゃんは必死になって、今、まざまざ見た、棺の蓋の外れのあのイヤなおばさんの死面《しにがお》のまぼろしを掻《か》き消そう、掻き消そうとつとめたけれども、これはどうしても消すことができません。
 いっそ、先生に、洗いざらいブチまけてしまえば、いくらか頭が休まるかと思いましたが、それをこらえていればいるほど、イヤなおばさんの幻像が、自分の息を詰まらせるほどに圧迫して来るのを、どうすることもできません。
 横になってしまって、必死に息をころしながら、お雪ちゃんはまるくなりました。
「どうかしましたか、お雪ちゃん」
 久助さんが、軽く見舞の言葉をかけると、
「いいえ」
と打消して、わざと元気に起き直って見せましたけれども、その面《かお》の色ったらありません。幸いにして久助だから、別段に面の色が悪いともなんとも怪しまなかったので、これをしお[#「しお」に傍点]に、無暗に働いて見せました。
 そうして、その晩のうちに相応院へ引きうつるように、一切の準備をととのえたけれども、お雪ちゃんとしては、何をどうしたか夢中でありました。
 ただ、あの雑草の中の存在物をば、一切思うまい、見まい、として急いだだけのものでした。
 ひっこしは夜でした。それが済むと、たまらない思いで、お雪ちゃんは枕に就いてしまいましたが、その夢いっぱいに蟠《わだかま》ったイヤなおばさんの面影。
 白骨の湯で、小紋縮緬を着た、あのイヤなおばさんが、だらしのない恰好《かっこう》をして寝そべって、股《もも》もあらわにして、その投げ出した足を浅吉さんに揉《も》ませている、浅公は泣きながらそれを揉んでいる、イヤなおばさんは、ニヤニヤと笑いながら、何とも言えない色眼をつかいながら、誰やらの膝にしなだれかかっているところを、お雪ちゃんが夢に見ました。
 まあ、おばさん、なんとだらしのない恰好! と見ていると、そのおばさんのしなだれかかっている膝の主は、横向きになっているわたしの先生――じゃありませんか。
 イヤな! お雪ちゃんは、名状すべからざる不愉快で、その時ばかり、遮二無二《しゃにむに》、おばさんを引っぱって、そのだらしのない恰好をやめさせようとしましたが、その途端のこと、イヤな色眼をつかって、ニヤニヤしていたおばさんの首のところから、一つの手が現われて、それがグッとおばさんの面《かお》から首を、後ろから捲いているのを見ました。
 まあ、先生も先生――あんなイヤな真似《まね》を……とお雪ちゃんが、いよいよたまらない浅ましさで、見ていられない気になると、その後ろから廻った手が、じんわりとおばさんの首を締めてゆくのに気がつきました。
 ニヤニヤと笑っていたおばさんの顔の相が変る――と思うと、そこが青い沼で、その底知れない沼へ、今のおばさんがまっさかさまに沈んで行くのを見て、お雪ちゃんが、あっ! と言いました。

         四十六

 事実を人に語らないくらいですから、夢を語ろうはずがありません。お雪ちゃんは一切に目をつぶり、口をつぐんで、その夜を明かしましたが、目がさめてみると、なんとはなしに上野原の自分の家へ帰ったような気がしてなりません。
 どのみち、お寺のことですから、構造に共通したもののあるのはあたりまえで、特にお雪ちゃんが、上野原の自分の家によく似ている住居と感じたのは、旅に出てから、宿屋にばかり落着いて、旅籠《はたご》気分に慣れていたせいでしょう。こうして見るとお雪ちゃんはまた現前生活の人となりました。
 久助さんが、専《もっぱ》ら当座の衣食のために奔走してくれている。宿屋の主人が、旅中での災難を気の毒がって、いろいろ世話をしてくれるけれども、何を言うにも、当人の家さえ丸焼けになったのですから、細かいところの世話は焼けません。
 お雪ちゃんに、味噌漉《みそこし》をさげさせまいとして、給与の品や、米を持って来て、とにかく、当座に事を欠かないようにする久助さんの骨折りを見ると、お雪ちゃんは、またまたこの人をまいてしまおうとしたたくらみの心を、自分ながら悔います。
 そうして、この寺で一夜が明けて、朝になって見ると、お雪ちゃんは、いよいよ自分の故郷の寺の住居が、庭ごとそっくりここへ移されたのではないか知らと疑ったほど、よく似ていると思いました。
 それがためにお雪ちゃんは、懐かしい気持から、なんとなしに落着いた気分も出て、一時は、このお寺を永久の住居に借りてしまったら、とまで思いだしたくらいでした。
 だが、朝の食事のチグハグを見ると、もうそんな気分ではいられないと思いました。いつまでも、火事見舞の給与品に甘んじているわけにはゆかないことを思うと、一刻も早く、この急を救う道を考えねばなりません。
 それは今に始まったことではなく、初めから考え続けていたのですが、どうしても「遠くの親類よりは近くの他人」となって、その近くの他人のうち、まず、こんなことを相談してみようという相手は、白骨にいた宿の人たち、わけて、懇意にしていた北原さんに越したことはない。あの人に手紙を書いて、久助さんに持って行ってもらおう。白骨まで少し無理かも知れないが、あの人の足ならば一日で行ける――
 お雪ちゃんは、チグハグな朝飯を済ますと、座敷の一隅の机のところに行って、北原賢次への手紙を書きはじめたものです。
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「北原さん、白骨を立つ時はしみじみ御挨拶も申し上げないで、ほんとに済まないことだと存じております。けれども、それにはそれだけの事情がありまして、病人やなんぞの好みもあるものですから、皆さんには御挨拶無しで出て参りました。さだめて皆さんは、雪は夜逃げをしたとか、駈落《かけおち》をしたとか思っていらっしゃるかも知れませんが、そういうわけではございません。あれから平湯へ出て、そうして高山へ着いたのですが、皆さんを出し抜いた罰かも知れません、ここへ来て火事に逢いました。火事に逢って何もかもすっかり焼いてしまいまして、ほんとうに着のみ着のままです。旅のことですから、ほかに相談する人は無し、こんな困ったことはありません」
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 お雪ちゃんは、ここまで筆を走らせてきたけれども、その次の文言につかえてしまいました。
 なるほどここまでは、事実をすんなりと直叙したのだから、スラスラと書けましたが、これから、どう書いていいのか、自分たちの困っていることは事実だが、この困っているのを北原さんにどう処分しろというのか、それが書けないので、筆が渋っているうちに、縁の障子のところへ鶏が上って来たものですから、それを追い卸すためと、渋った頭を晴らすために、つと立って障子を押開いて見ました。
 障子を開いて見ると、意外にパッと開けた風景を見せられてしまいました。

         四十七

 おお、ここからながめると、高山の町が一目に見渡せて、朝もやが渡っている景色こそ、ほんとに目がさめるようです。
 引きうつるのを、ワザと夜にのばして昨夜――今朝ほどは少し霧がまいていたので、遠望が利《き》かなかった。それに万事多忙で、風景に見惚《みと》れている余裕がなかったものとも思われますが、今となって、はじめて、この寺の見晴しのよいことに感心させられてしまいました。
 故郷の月見寺も悪いところではないが、山谷がこれよりはずっと迫っていて展望を妨げる。
 こうして見ると、行き悩んだ筆の疲れを休めて、目の下の風景を指呼してみたくなるらしく、お雪ちゃんは、見ゆる限りのところに於て、あれかこれかと目移りがします。
 焼野が原は、一層かっきりと、その半ば炭化しかけた材木だの、建前だのが燻《くす》ぶって、まだ臭いと余燼《よじん》をくすぶらしているのがよくわかる。それと、焼残りのある部分が、毛のくっついたように、ハッキリと見分けられる。人家の災難と無災難とに頓着なく、町を割って流れる宮川の流れもよく見える――その宮川を標準として、焼け残った橋の形から見当をつけて行ってみると、自分の泊っていた宿屋のあたりと、それから線を下へ引いてみると、あの一むらの川沿いの木立、その下が、仮りの二夜の宿となった屋形船のもや[#「もや」に傍点]っていたところ。なるほど、船もあの通り見えている。
 筆を半ばにして、お雪ちゃんはその活きた地図に線を引いていたが、昨日までもや[#「もや」に傍点]っていた屋形船のところに至って、はっ! と胸が早鐘をつくように鳴り出したのは、それと多くも隔たらないところの、川原の中の蘆葦茅草《ろいぼうそう》の中から、今しも盛んに火が燃え出したところです。
 またしても火事! と災難の再来に狼狽《ろうばい》したのではありません。その火と、火事の火とはおのずから性質の違うこともわかっているし、またあんなに、川原の中で火事を起すはずもなし、起したからとて、前回のような危険をもたらすおそれはないが、その火の手の揚った地点から、今まで忘れるともなく、忘れていたような浅ましい光景が、むらむらと、あの火の煙よりも濃く、お雪ちゃんの頭に湧き上ったからです。
 あんな怖ろしいこと――あれが、ほんの少しの間だが、今まで忘れられていたようなのが不思議なくらいです。あれをあれっきりで納めて見向きもすまい、思い出しもすまいとの全努力が、ようやくお雪ちゃんを、ここまでにしていたのが、あの燃え出した火と、それから煙が、お雪ちゃんの頭を、つむじ[#「つむじ」に傍点]のように旋回させてしまいました。
 ああ、ああして石を置いて、せめて、犬や狼の凌辱《りょうじょく》から救って置きたい――イヤなおばさんの最後の肉体に対しての、自分の為し得た好意と親切の全力が、あれだけのものであった、あれより以上には、何をしてあげる力も無かったのだ。混乱の頭と、おのずから血走るような眼で、それを見詰めていたお雪ちゃんは、結局、あの地点はあそこに相違ない、そうして今、火をあんなに盛んに燃やしはじめたのは、わかりきっている、ほかへ運ぶことをしないで、あのままで薪《たきぎ》を積んで、イヤなおばさんの死体を焼きはじめたのだ。
 ごらん! 人が集まって来ている、薪をたくさんに運んで足している、イヤなおばさんはああして焼かれている。白骨で、長いこと水の中へ漬けられていたイヤなおばさんの死体は、今は思う存分の薪を加えられて、焼かれている。
 せめて、今度こそは、思いきり焼かれてしまって下さい、おばさん。
 水にも、火にも、業《ごう》の尽きなかったおばさんの魂魄《こんぱく》、今度こそは、あの鳥辺野《とりべの》の煙できれいな灰となってしまって下さい。
 南無阿弥陀仏――とお雪ちゃんは合掌して、念仏を申しました。

         四十八

 宿が、特別の注意をもって周旋してくれたこの寺の書院住居は、かなり広い。
 それから、ともかくも北原さんへの手紙を書いてしまい、久助さんを使に出してしまってみると、なおさら広い。
 この広い座敷へ、今宵は相当に夜具もあてがわれて、竜之助とお雪ちゃんは別々に寝ました。
 今夜はどんな夢を見せられるか知れないが、お雪ちゃんはやっぱり、気苦労と疲れがあるものですから、夜半近くにぐっすりと眠りに落ちました。
 お雪ちゃんが、もう正体もなく眠りに落ちたと見た時分――それはどちらからいっても丑三頃《うしみつごろ》でしょう、竜之助が静かに起き上りました。
 そうして燈下で何か動いているかと見れば、それは頭巾《ずきん》をかぶっているのであって、頭巾をかぶるまでには、もう、常の身仕度はすっかり出来ていたのです。そうして刀をさしながら、お雪ちゃんの夜具の裾を通って、襖を細目にあけたとしても、それは、あの油断のない米友をさえ出し抜いたことのある足どりですから、お雪ちゃんが気のつきようはずはありますまい。
 こうして竜之助は裏庭から、まもなく塀の外へ出ました。
 竹の杖を一本ついて、そうして徐《おもむ》ろに、山を下って、高山の町の方へ出て行く物腰は、曾《かつ》て甲府の躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古屋敷を出た時の姿と少しも変りません。
 坂道を下りつくし、町の巷《ちまた》に出て小路《こうじ》の中に姿を没したと見えたが、その後は、どこをどうして徘徊《さまよ》うているか消息が分らない。
 人間に自由を与えるべきものではないのです。自由は人間よりは豚に多く与えらるべきもので、一人の人間に自由を与えると、必ずその結果が他の人間の自由を迫害する結果となる。そのために、天が特に竜之助の如きから両眼の明を奪い、身体《からだ》の健康を殺《そ》いでいるのに、そうでもしなければ、仮りにも、こんな人間を、この人間の共存共栄であるべき社会には生かしておけないはずなのに、それでも、なお不安なところから、お雪ちゃんという保護者をつけ、名も白骨という人間離れの地へ追いやって置いたのにかかわらず、その白骨の地を一歩離れて、この高山の町へ送り出したのが、そもそも運の尽きです。
 飛騨の高山は、甲斐の甲府よりはいっそう山奥だとはいえ、一方より言えば、甲府よりはいっそう上方《かみがた》の都近いのです――来《きた》り遊ぶ人が、誰も飛騨の高山を※[#「けものへん+葛」、第3水準1-87-81]※[#「けものへん+僚のつくり、145-7]《かつりょう》の地というものはなく、これに「小京都」の名を与えて、温柔の気分を歌わぬものはありません。
 森春濤は曾《かつ》てこういって「竹枝」をうたいました――
[#ここから2字下げ]
楼々姉妹、去つて花を看《み》る
閙殺《だうさつ》す、紅裙《こうくん》六幅の霞
怪しまず、風姿の春さらに好きを
媚山明水小京華
暖は城墟《じやうきよ》に入つて春樹|香《かん》ばし
はしなく嗾《そそのか》し得たり少年の狂
遊塵一道、半ば空に漲《みなぎ》る
花は白し春風、桜の馬場
[#ここで字下げ終わり]
 飛騨の高山はこういう艶っぽいところであります。事実が、詩人の艶説だけのものがあるや否やは知らないが、少なくともこううたわるべき風趣情調を持っているところです。
 こういうところへ、今時、こういう人間を放ち出すのが、よいことでしょうか。ただ、時が春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》の時ではないが、ところはたしかに桜の馬場。
 それと、この小都を震駭《しんがい》させた大火災のあとですから、人心は極度に緊縮されてはいるけれど、土地そのものが本来、そういった艶冶《えんや》の気分をそなえているものであれば、絆《きずな》を解かれて、ここへ放浪せしめられた遊魂はおどらざるを得ないでしょう。
 はしなくも、桜の馬場の前を、この夜中に躍《おど》って過ぐる馬があります。この馬は、近在の山郷から材木を積んで来た馬ではありません。また火事のために臨時駄賃取りをかせぐために近村から出て来たものでもありません。その花やかに装い飾っているところを見れば、天正年間に飛騨の国司、姉小路宰相中将が築いた松倉古城のあとの、松倉大悲閣へ参詣しての帰り道でしょう。その証拠には美々しく装い飾った馬の背に、素敵に大きな馬を描いた絵馬《えま》がのせてあります。

         四十九

 今まで勢いよくはずんで来たこの馬が、馬場の手前まで来ると、急にすくんでしまったのが不思議。
「どう、あゆばねえか」
 馬子は、手綱《たづな》をひっぱってみたが、馬は尻込みをするばかり……
「どう、あゆばねえかよ」
 二度《ふたたび》、引絞ってみたけれども、馬は両脚を揃えて進むことを躊躇《ちゅうちょ》している。
「どうした、うむ」
 馬子は手綱をたぐって、近く寄って馬の鼻づらと足許を見たけれども、特別の異状があるとも思われないから、
「これ、さ、早くあゆべよ、つい一口よばれちまったもんだから、手前《てめえ》にも夜道をさせて気の毒だった、明日は休ませっからあゆべよ」
 この馬子は、馬をいたわること厚く、威嚇を以て強行を強《し》いることをしないのは、しおらしいところがある。松倉大悲閣へ参詣のための馬だから、馬には荷物が無い、負担は至って軽いのに、足が重くなるとはどうしたものだ。
 急にひきつったか、怪我をしたか、馬子は案じて、もしやと、足蹠《あし》をしらべにかかってみました。沓《くつ》が外れて、釘でも踏みつけたか。
 こう思って馬子が、充分に馬場へ背を向けきって、馬の足もとを調べにかかったが危ない。病根は足にあるのではなく、最初からゆくての馬場の桜の大樹の蔭に、一個の人影があったから、馬は怖れをなして立ちすくんだまでのことです。馬の心を知らない人間は、原因をよそのところに見ないで、痛くもない馬の足をさぐりはじめたものですから、背中はがらあきにあききっている。
「どう、さあ、足を見せろ」
 足を見たが、これは最初から何も異状がない。
「さあ、歩《あゆ》べ」
 再び馬の前に立って、背を馬場に向けきった馬子は、馬に向ってはこう言うけれど、態度から見ると、「屈《こご》んでて悪けりゃ、こう立ったらいかがなもの、ここんところをすっぽりおやんなすっちゃ」と言わぬばかりの姿勢です。
 それを桜の木蔭から、一歩ずつ近よって見すましていた覆面が、申すまでもなく机竜之助であって、まだ刀の柄《つか》へも手をかけないで、木蔭からはなれて来たのだが、馬子が馬の腹へ廻って、馬の検査をはじめた時に、勝手が悪くなったとでも思ったのでしょう、ちょっと立ちつくしたが、ちょうど今、馬の鼻面に立って、背中を充分こちらへ向けきったと思われた時分に、はじめて手にしていた杖を地上に取落しました。
 この時です――両足を揃えて進むことを肯《がえん》じなかったその馬が、やにわに高く一声いなないて竿立ちになってしまったものですから、馬子が大あわてにあわてて、必死にその轡面《くつわづら》にブラ下がったものですから、今の姿勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
 こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
 食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
 無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
 そのあとを茫然《ぼうぜん》として見送るかの如き竜之助。
 人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄《ひづめ》の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。

         五十

 けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外《まちはず》れ、益田街道を南に、まっしぐらに走《は》せ行くことをとむることができません。
 どこの百姓か知れないが、おそらく、この馬子は、かなり人のいい方であっても、この馬の狂乱を理解することができないで、家へ帰ってから後、相当に馬を譴責《けんせき》することでしょう――もし、乱暴の主人でしたなら、危険の虞《おそ》れある荒《あば》れ馬として、売り飛ばすか、つぶしにすることか知れたものではない。
 つまり、馬に暴れられたのでなく、馬に救われたのだという理解があれば、人間は幸福だったのですが、馬の心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。
 佐久間象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上|彦斎《げんさい》ともう一人の刺客に襲われた時、象山は馬上で、彦斎は徒歩《かち》であったから、斬るには斬ったが、傷は至って浅かったから、象山はそのまま馬の腹を蹴って逃げ出したのを、ついていた馬丁《べっとう》が馬の心を知らない――単に馬が狂い出したものと見て、走りかかる馬のゆくてに、大手を拡げてたち塞がったものだから、馬が棒立ちになったのを、追いすがった刺客が、おどり上って、思う存分に象山を斬ってしまった。これこそ実に日本一の間抜け馬丁、刺客にお手伝いをして、主人を俎《まないた》にのせてやった馬鹿者――こんな奴こそ、馬に噛み殺させてやりたい、踏み殺させてやりたい。
 こうして、馬と人とに理解のないということが、大きな不幸をめぐらすと共に、大きなる恵みをもたらすのです。しかし、理解のないことは、どちらも同じことで、象山の馬が、日本一間抜けの馬丁《べっとう》に制裁を加える資格も、能力も無い如く、今度のこの馬丁も、自分が馬のために救われていたということは、永久に理解することができないで、これから後の、この馬の履歴書には、「いい馬だけれども、不意に引っかける癖があってあぶねえ」という申し分がついてしまいましょう。
 ところで、この理解のない馬は、今晩、そのほかにもまた一つの功徳《くどく》を作っていることを自ら知らない。
 それは今晩、ゆくりなくも嚇《おどか》された音無しの怪物に、飛騨の高山へ来てから最初の、血祭りの刀を抜かせなかったということは、やはり重大なる功徳の一つであったに相違ないと思われるが、やっぱり、この功徳を誰も知る者がなく、称《たた》える者がなく、感謝する者もない。
 音無しの怪物からいえば、この時に馬子を斬ろうとしたのは事実で、斬ろうとするに、その風向きを見はからっているうちに、馬に奔逃《ほんとう》されて、斬るべき機会を失って、我ながら呆然《ぼうぜん》として、見えぬ眼に走る馬を見つめて、暫く立ち尽していたことも本当です。
 ことさらに解説するまでもなく、今晩、このところで、この馬子を斬らねばならぬ必要も意趣も、寸分あるのではない。馬子風情を……といったところで、斬った時の斬り心地には、馬子も、大納言も、さして変りあるべしとは思われない。
 この男が馬子を斬ってみようとしたのは、御用金を奪おうという経済の頭から出たのではなく、芝居気たっぷりの片手斬りに大向うを唸《うな》らせようという見得《みえ》から出たのでもなく、はしなく嗾《そそのか》し得たり少年の狂――と春濤がうたった通りの、土地の空気がさせた魔の業と見るよりほかはないでしょう――尤《もっと》もこの男ははや少年の部ではないが、血気はまだ必ずしも衰えたりとは言えますまい――こうして、苦笑いしながら地上に落したところの杖を取り上げて、越中街道の闇に、行先は、ただいま逃げた馬と同じ方向ですが、目的としては、高山の町の目ぬきのあたりへ現われようとするに違いない。

         五十一

 このたびの大火にあたって、いつぞや、宇津木兵馬が触書《ふれがき》を読んだ高札場《こうさつば》のあたりだけが、安全地帯でもあるかのように、取残されておりました。
 歯の抜けたような枝ぶりの柳の大樹までが、何の被害も蒙《こうむ》らずに、あの時のままですが、今晩この夜中に、天地が寂寥《せきりょう》として、焼野が原の跡が転《うた》た荒涼たる時、その柳の木の下に、ふと一つの姿を認められたのは、前の桜の馬場の当人とは違います。
 その者は、三度笠をかぶって、風合羽《かざがっぱ》を着た旅の人。
 いつのまにやって来たか、この寂寞《せきばく》と荒涼たる焼跡の中の、僅かな安全地帯に立入って、柳の木の蔭に立休らい、いささか芝居がかった気取り方で、身体をゆすぶって、鼠幕のあたりを、頭でのの字を書いて見上げたところ、誰か見ている人があれば、そのキッかけに、「音羽屋《おとわや》!」とか「立花屋《たちばなや》!」とか言ってみたいような、御当人もまた、それを言ってもらいたいような気取り方だが、あいにく誰もいない。
 人の見ていると見ていないに拘らず、こんな見得をしたがる男で、一応見得を切っておいて、それから左の手を懐中へ入れて、ふところから胴巻のようなものを引き出した形までが、いちいち芝居がかりで、引き出してから押しいただき、「有難え、かたじけねえ」と来るところらしいが、そんなセリフは言わず、胴巻のようなものの中からあやなして、何を取り出したかと見れば、竹の皮包は少々色消しです。
 でも、包みの中を開いて見るまでは、舞台に穴を明けるほどの色消しにもならなかったが、やっぱり片手をあやなして、竹の皮包をいいあんばいに開いて、中身をパックリと自分の頤《おとがい》の上へもって行ったところを見ると、色男も食い気に廻って、さっぱり栄《は》えない。いい男が、いいかげん気取ったしな[#「しな」に傍点]をして、懐中から取り出した一物が何かと見れば、それはつけ焼きの握飯《むすび》であって、それをその男が二つばかり、もろにかじってしまいました。
 これががんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といって名代(?)のやくざです。
 いつのまに、このやくざ野郎、こんなところまで来やがった?
 先日来は、尾張名古屋の城のところで、金の鯱《しゃちほこ》を横眼に睨《にら》みながらいやみたっぷりを聞かせていたが――名古屋からここにのし[#「のし」に傍点]たと見れば、この野郎の足としては、さまでの難事ではないが、こんな野郎に足踏みされた土地には、ロクなことはないにきまってる。ロクなことがないといっても、南条や、五十嵐あたりとは、いたずらのスケールが違うから、飛騨の高山へ来ても、高山の天地を動かすようなことはしでかすまいけれど、高札をよごすくらいのことはやりかねぬ奴です。
 とにかく、このごろ、飛騨の高山も、なんとなく浮世の動静が穏かでないけれど、こんなやくざ野郎の姿はきのうまでこの土地には見えなかった。それを見たのは今晩、このところに於て初のお目見得《めみえ》ですから、野郎きっと夜通し飛んで来てみたが、目的地へ来てみると、自分を出し抜いて、火事が目当てを焼いてしまっていたので、面食ってしまったに相違ない。
 来てみて、はじめて口あんぐりと握飯《むすび》を食う始末……焼跡をうろついて、あやしまれでもしては、このうえ気の利《き》かない骨頂。そこで、そっと安全地帯に立入って、高札場の下の、柳の大樹の下に落着いてみると、急に腹が減り出したという次第と見えます――焼握飯《やきむすび》をたべてしまってみると、水が飲みたい、あそこに井戸があるにはあるが、釣瓶《つるべ》までそっくり備わっているにはいるが、うっかり水汲みに行くのも考えものだと、野郎その辺にはかなり細心で、井戸もあり、釣瓶もあり、その中には当然水もあることを予想しながら、焦《こ》げつく咽喉《のど》を抑えて、柳の木蔭を動こうともしないでいる。
 前後左右をよく見定めておいてから、たっぷり水を飲もうという了見らしい。

         五十二

 果して提灯《ちょうちん》が来る――二つ、三つ、四つ、五つの提灯のやって来ることを数えられるほどになって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は笠を外《はず》し、自分の身を斜めにして、柳の木を前にすると、ほとんど不思議のようで、本来からだだけは御自慢の、きゃしゃに出来ていることはいるが、それにしても、比目魚《ひらめ》を縦にしたような形になってしまって、大木といっても、本来街路樹ですから、決して牛を隠すのなんのというほどではない、ざらにあるだけの柳の木なのですが、前から見ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]一人を隠して、髪の毛一つの外れも見えなくしてしまったのは、術のようです。
 この男が、本式に、伊賀や甲賀の流れを汲んでいるということは聞かないが、野郎、やっぱり、その道にかけては天性で、身体を実物以上に平べったく見せることは、心得ているらしい。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、斯様《かよう》に、柳の木の蔭で身体を平べったくしているとは知らず、その前へ順々に歩んで来たのは、陣笠をかぶり、打割羽織《ぶっさきばおり》を着、御用提灯をさげた都合五人の者でありまして、これはこのたび出来た、非常大差配の下に任命された小差配の連中に違いありません。
 この小差配都合五人は、非常見廻りのために、市中を巡邏《じゅんら》して、このところに通りかかったのだが、この安全地帯の、柳の木の前の高札場の下の、つまりがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が只今、生得の隠形《おんぎょう》の印《いん》を結んでいるところの、つい鼻の先まで来て、そこで言い合わせたように一服ということになりました。
 見廻りのお役目としては、三べん廻って煙草にするという御定法通りですから、あえて可もなく不可もないのですが、隠形の印を結んでいる眼前に、苦手《にがて》の御用聞に御輿《みこし》を据えられたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵なるものの迷惑は、察するに余りあるものです。
 五人の御用提灯は、悠々と提灯の火から煙草をうつしてのみはじめました。
「うん、材木がウンと積んであるがのう、みんなこりゃ下原宿の嘉助が手で入れたのだのう。嘉助め、うまくやってるのう」
 一人が、道一筋むこうに山と積み上げた材木を、夜目で透かしてこう言うと、もう一人が、
「うん、なるほど、近ごろ下原宿の嘉助ほどの当り者はまずねえのう、うまくやりおるのう」
 もう一人が、
「一手元締めは大きいからのう、嘉助が運勢にゃかなわねえのう……なにも、嘉助が運勢という次第じゃねえのう、ありゃあ、娘っ子が前の方の働きじゃ」
「ははあ、いつの世でも女ならではのう、嘉助もいいのを生んで仕合せだ、氏《うじ》無くして玉の輿とはよく言うたものじゃのう」
「蛍のようなもんでのう、お尻の光じゃでのう――だが、あの女《あま》っ子《こ》も器量もんじゃのう、ドコぞにたまらんところがあればこそ、親玉も、あの女っ子に限って、長続きがしようというもんじゃのう」
「左様さ、あの飽きっぽい赤鍋の親玉が、嘉助が娘のお蘭にかかっちゃ、からたあいねえんだから、異《い》なものだのう」
「お代官という商売も、いい商売だのう、百姓の年貢《ねんぐ》はとり放題、領内のいい女は食い放題――わしらが覚えてからでも、あの親玉の手にかかった女が……ええと、まずガンショウ寺のあのお嬢さんなあ、それからトーロク屋の女房、それとまた富山から貰うて来たという養女名儀のお武家の娘――品のいい娘だったが、あれが内実はお手がついたとかつかんとかで親里帰り、それからまた、興楽亭のおかみなあ、あれも、親玉に持ちかけたとかすりつけたとかの評判じゃ。その他芸子や酌女は、片っぱしから食い放題、町の中で、いい女と見たら誰彼の用捨無しという親玉だあ」
 この連中、かりにも、陣笠、打割羽織、御用提灯の身として、口が軽過ぎるのも変だが、こんな話を、他ならぬがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎なんぞに聞かしてよいものか、悪いものか。

         五十三

 陣笠、御用提灯、打割羽織というけれども、本来これらの連中は、生れついてのお役人の端くれではない。
 この非常の際に、代官でも手が廻らない上に、近頃、材木盗人が横行する。それはこの大災について、材木の払底を告げたところから、土地の者が近村の山々を、無願伐採するやから[#「やから」に傍点]が多い。それらの目附とを兼ねて、土地の者で相当の功労を経たのを引上げて小差配に任命して、大差配の下につけたのだから、譜代恩顧の手附手代といったようなものとは地金が違い、しかつめらしいいでたちをしながら、時と場合を見すましては馬鹿口がころがり出す。ここでも、お役目がらとはまるで違った蔭口を向けている先は、お代官と言い、親玉と言うのが同一のことに過ぎない。そのお代官であり、親玉である上長官が、女に目がないということを、面白がってすっぱ抜いているらしい。すっぱ抜く方も面白がり、それをきく方も嬉しがっているらしい。お里がお里だから、お安いお役向に出来ているらしい。
「嘉助が娘のお蘭は、ドコか特別に味のいいところがあるんじゃろうてのう、あればっかりが親玉の首根ッ子をつかまえて放さん、親玉の方でも、お蘭に逢っちゃあたあいがねえじゃて。お蘭の言うことならば何でもきく、従って嘉助の出頭ぶりはめざましいものじゃて。飛ぶ鳥も落すというのはあのことじゃてのう」
「お蘭は、そんなにいい女かえのう」
「いい女にはいい女だのう」
「さようなあ、悪いとは言えねえ。お寺の娘さんにも、お武家の娘御にも、商売人にも食い飽きた親玉が放さねえのだから、悪い容色《きりょう》の女じゃねえのう。百姓の娘にしてあれだからのう」
「百姓の娘だけに、うぶなところと、親身のところが、親玉のお気に召したというのだなあ」
「いいや、お蘭も、百姓の娘たあいうけど、てとりものじゃ、商売人にも負けねえということじゃて」
「親玉をうまくまるめ込んでいることじゃろうがのう」
「親玉ばかりじゃありゃせん、その道ではお蘭も、なかなかの好《す》き者《もの》でのう」
「はあて」
「お蘭もあれで、親玉に負けない好き者じゃでのう、お蘭の手にかかった男もたんとあるとやら、まあ、男たらしの淫婦じゃてのう」
「親玉のお手がついてからでもか」
「うむうむ、かえってそれをいいことにしてのう、今までのように土臭い若衆なんぞは、てんで相手にせず、中小姓《ちゅうこしょう》じゃの、用人じゃの、お出入りのさむらい衆じゃの、気のありそうなのは、まんべんなく手を出したり、足を出したりするそうじゃてのう」
「はて、さて、そりゃまた一騒ぎあらんことかい」
「どうれ」
「どっこい」
「もう一廻り、見て、お開きと致そうかいなあ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「どうれ」
「どっこい」
 こう言って、彼等は、煙草の吸殻を踏み消し、御用提灯を取り上げて、背のびをしたり、欠伸《あくび》をしたりしながら立ち上る。そうして、まもなく橋を渡って、あちらへ行ってしまう。一旦、平べったくなったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵の身体が、この時また立体的になる。
「ハクショ!」
 音が高い――自分の口をあわてて自分の左の手で抑えて、
「風邪をひいちゃった――だが聞き逃しのできねえ話をきかされちゃったぜ――畜生、どうしやがるか」
 こう言って、いまいましそうに、御用提灯のあとを見送っていました。
 こうしてみると、御用提灯の連中、言わでものことを、わざわざがんりき[#「がんりき」に傍点]のために言い聞かせに来たようなものです。

         五十四

 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、この柳の木の下へ、風邪をひきに来たものでないことはわかっている。何か野郎相当の野心があるか、そうでなければ進退に窮することがあって、よんどころなくこの柳の木の下へ立寄ったものに相違ない。
「どうれ」
と、隠形《おんぎょう》の印も結びもすっかり崩して、まず最初から、飲みたくて堪らなかった水を飲もうとして、井戸の方へそろそろと歩んで行くと、その井戸側から、人が一人、ひょろひょろと這《は》い出して来たには、驚かないわけにはゆきません。以前の、御用提灯、打割羽織《ぶっさきばおり》には、さほど驚かなかったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、井戸側の蔭から、ひょろひょろと這い出して来たよた[#「よた」に傍点]者に、まったく毒気を抜かれてしまいました。
 だが、幸いにして、こちらも多少の心得があるから、見咎《みとが》められるまでには至らなかったが、もう一息違って、ぶっつけに井戸へ走ってしまおうものなら、大変――このよた[#「よた」に傍点]者と鉢合せをするところであった。
 いいところで、またごまかして、今度は高札場の石垣の横に潜み直していると、井戸側から出たよた[#「よた」に傍点]者は、がんりき[#「がんりき」に傍点]ありとは全く知らないらしく、這い出して来て、前後左右を見廻し、ホッと一息ついたのは、つまりこの点に於ては御同病――いましがた、立って行った御用提灯、打割羽織の目を忍ぶために、自分が柳の木の蔭で平べったくなっていると共に、このよた[#「よた」に傍点]者は、井戸側の蔭に這いつくばって、その目を避けていたのだ。
 つまり自分の隠形は立業であるのに、このよた[#「よた」に傍点]者は寝業で一本取ったというわけなのだ。二人とも、やり過してしまってから業を崩し、ホッと息をついて、のさばり出たのは同じこと。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が石垣の蔭からよく見ていると、手拭を畳んで頭にのせ、丸い御膳籠《ごぜんかご》を肩に引っかけた紙屑買《かみくずか》いです。
 紙屑買いだといって無論こういう場合には油断ができないことで、なお、よく注意して見ると――がんりき[#「がんりき」に傍点]は商売柄で、夜目、遠目が利《き》く――手にがんどう[#「がんどう」に傍点]提灯《ぢょうちん》を持っているところなどは、いよいよ怪しい。
 そこで、ともかくも、こいつのあとをつけてみなければならないことだと思いました。一応、その行動を見届けてやる必要があると思いました。
 そうして、暫くそのあとをつけてみた後に、がんりき[#「がんりき」に傍点]が唖然《あぜん》として、自分をせせら笑ってしまいました。
 こいつは生え抜きの紙屑買いだ。紙屑買いというよりは、紙屑拾いの部に属すべきもので、がんりき[#「がんりき」に傍点]ほどの者が、あとをつけたりなんぞするほどの代物《しろもの》ではない――何だって気が利《き》かねえ、飛騨の高山まで来て、紙屑買いの尻を追い廻すなんぞは、七兵衛兄いの前《めえ》へてえ[#「てえ」に傍点]しても話にならねえ――というのは、こいつが焼跡へ忍んで行くから、その通りついて行って見ると、その焼跡を鉄の棒でほじくって、そこで金目になりそうなものは、雪駄《せった》の後金《あとがね》であろうとも、鎌の前金であろうとも、拾い集めて銭にかえようとする商売だけのものです。
 夜陰忍んで来たのは、万一この焼跡から、小判の一枚か、金の指輪の一つも掘っくり[#「掘っくり」に傍点]返した時の用意。その時に権利者に出て来られたり、縄張り争いが起ったりしては厄介と思うから、そこで、夜陰こっそり忍んで来ただけのものです。第一、紙屑買いとしての御膳籠の背負いっぷりからして、最初から板についている。
 大笑いだ――だが、ここまで来た上は、また柳の木の下へ引返すのも、なおさら気が利《き》かない。といって、これからわっしの行くところはドコです、とたずねるのも一層気が利かない。第一、それをたずねようにも、たずねる人はあたりになし、ようし、一番、この屑屋をからかってやれ、相手にとっては少々不足だが、時にとっての慰みだ、一番からかってやれ――かくてがんりき[#「がんりき」に傍点]はやや暫くあとをつけていたが、頃を見計らって、小声で、
「お爺《とっ》さん」
 紙屑屋の肩を後ろから叩くと、屑屋は一たまりもなくへたへたとひっくり返ってしまいました。

         五十五

「お爺さん」
と肩を叩いたら、直ぐにへたへたとひっくり返ってしまい、もう腰が抜けてしまって動けないらしいから、がんりき[#「がんりき」に傍点]は苦笑いをしながら、屑屋の耳に口を当て、
「お爺さん、驚いちゃいけねえよ、わしは怖《こわ》いもんじゃねえ、道中筋をちっとばかり寄り道があって、たった今、この飛騨の高山というところへたずねて来て見るてえと、高山は一昨日《おととい》こんな大火事で、たずねて来た人の立退先がわからねえんだ、それで途方に暮れているところへ、お前の姿を見たもんだから、呼びかけてみただけのものなんだ、そんなに怖がるがものはねえよ」
「はい」
「さあ、立ちな、立ちな。立てねえかい」
「大丈夫でございまっしゃろ」
「いいよ、いいよ、立てなけりゃ、立てるまで、そうしていなさるがいいや、わしゃ爺さんに心当りを教えてもらいさえすりゃいいんだ」
「はい」
「わしゃあね、下原宿の嘉助という者の実は……甥《おい》なんだがね」
「はい」
「餓鬼《がき》の時分から手癖が悪くって、諸所方々をほうつき廻り、めったに叔父さんといってたずねたことはねえんだが、ちっと旅先で聞き込んだことがあるから、急にかけつけて見ると、飛騨の高山がこの始末なんだ」
「はい」
「下原宿の嘉助は、どこへたちのいたか知らねえかい」
「はい……下原宿てえのは焼けやしませんでな」
「焼けねえと……じゃあ焼け残ったのか。そいつぁまあ、どっちにしても仕合せだった。爺さん、済まねえがひとつその下原宿の嘉助のところまで、わっしを案内しておくんなさらねえか」
「ええ、そりゃなんでございます、お安い御用でございますて」
「うむ、済まねえな、もう立てるかい」
「へい、もう立てまっしゃろ」
「それからねえ、お爺《とっ》さん、もう一つ頼みがあるんだがね」
「下原宿の嘉助さんていえば、たいした威勢でございますでなあ」
「もう一つ頼みというはねえ、お爺さん、その嘉助に一人娘があるんだがなあ、おいらには従妹《いとこ》に当るってわけなんだが」
「はい、はい」
「その従妹が、今、お代官のお邸《やしき》に御奉公かなんかしているということなんだが、ついでにちょっと寄って行きてえんだ、お代官邸てえのは、どっちの方なんだえ、それへもひとつ案内をしてもらいてえと思うんだが、きいちゃあくれめえか」
「はい」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎は、たった今のききかじりをここで、もう応用してしまっている。目から鼻へ抜けたつもりで、すっかり応用を試みているが、相手の煮えきらないこと、はい、はいとは言うが、いっこう立とうともしないから、業《ごう》を煮やし、
「まだ、立てねえのかい」
「もう、大丈夫でございまっしゃろ」
「大丈夫でございまっしゃろはいいが、立てねえじゃねえか」
「はい、はい」
「ちぇッ、そら、爺さん、手をとってやるよ、威勢よく起きねえ」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、その手首をグッとひっぱって、いくらか包んで、屑屋の手に持たせ、ようやく起してやり、
「さあ、先へ立って案内してくんな」
 要領を得て、怖々《こわごわ》ながら、屑屋の老爺《おやじ》が立ちかけたが、またぺたりと腰を落し、ワナワナと慄《ふる》え出して、
「あっ! あっ!」
といって指さしをして、その手でがんりき[#「がんりき」に傍点]の合羽《かっぱ》の裾を激しく引く。

         五十六

「世話の焼けた老爺《おやじ》さんだ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、骨無し同様な、老爺の腰の抜けっぷりに愛想をつかし、こんな度胸で、火事跡荒しに来るなんて、全くふざけた老爺だと思って、蹴飛ばしてやりたくなったのを、そうもならず、ぜひなく老爺の指さした方を見ると、こんどはがんりき[#「がんりき」に傍点]がゾッと立ち尽してしまいました。
「お化け……」
 老爺は指差しをしたまま、二度目に腰を抜かして、ヘタヘタと坐り込んでしまっている。
 その指さきの示すところを見ると、ほぼ十間の彼方《かなた》の同じ焼跡の中に、すっくと立って、こっちを見ている一つの黒い人影があるのです。
「おや?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵もギョッとして、瞳《ひとみ》を定めてそれを見る。
 さいぜんからそこで我々を見つめていた人影一つ、荒涼たる焼野原を透して、宮川の外《はず》れから白山山脈が見えようというところ、月の晩ではないのに、その輪郭が白くぼかしたように浮き上っている。
「おや……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、たじろぎながらその物影を篤《とく》と見直すと、覆面をして、着流しのままで、二本の刀を帯びて、じっとこちらを睨《にら》んでいる。
 こいつは辻斬だ! はあて、飛騨の高山でも、辻斬が商売になるのかな。
 ちょうど、下に置いてあった屑屋のがんどう[#「がんどう」に傍点]提灯《ぢょうちん》を、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が手にとって、その異形《いぎょう》の者にさしつける途端、
「あっ! いけねえ」
 すさまじい音をして、がんどう[#「がんどう」に傍点]提灯が、数十間の彼方にケシ飛ぶと共に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も共に、数十間ケシ飛びました。
 同じケシ飛んだのではあるけれども、がんどう[#「がんどう」に傍点]の方は飛んだところへ行って留まったが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の方は横っ飛びに飛んだまま、街道の道へ出ると、一層の速度を加えて、無二無三に走りました。
 そのあとで、
「助けて――」
 屑屋もまた、がんりき[#「がんりき」に傍点]と同じようにケシ飛ぼうとしたけれども、それは無理で、ドウと音がして、やがてザンブと水が鳴って、そうして助けて! という声が地の下から聞えたのは、焼跡のそばの、崩れた井戸へ落ち込んだものと見える。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は無情にも、屑屋の急を救わんともせず、救うの遑《いとま》もなく、遮二無二走ること……かれこれ八町余りにして一つの物体にありついて、そこで、息をきりました。
「あっ! 何てザマだ」
 そこで、自分ながら愛想が尽き果ててしまったものの如く、額から首筋の汗を拭って、そうして、星もない空を恨めしそうにながめながら、
「ザマあ見やがれ」
 幾度も幾度も自分を冷笑しきれないのは、考えてみればみるほどばからしい。
 がんどう[#「がんどう」に傍点]を差しつけたまではわかっているが、それからあの辻斬が、果して自分へ向いてのしかかって来たのだか、どうだか、いま考えてみると雲を掴むようだ。
 ああした瞬間に、たつみ上《あが》りに覆面の者からのしかかられた力にたまらず、振りもぎってがむしゃら[#「がむしゃら」に傍点]に逃げ出したこっちのザマは、話にも、絵にも描けたものじゃねえ――
 それがよ、仮りにも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の兄い[#「兄い」に傍点]ともあるべきものが、飛騨の高山くんだりへ来て、追剥か、辻斬か、異体の知れねえのに脅《おびやか》されて、雲を霞と逃げたとあっちゃあ――第一、七兵衛兄いなんぞに聞かせようものなら、生涯の笑われ草だ。
 だが、どうして、おれは、こんなに逃げなけりゃならなかったのだろう。がんどう[#「がんどう」に傍点]をつきつけりゃあ向うも驚かあ、向って来たら、こっちもがんりき[#「がんりき」に傍点]だから、一番飛騨の高山の辻斬の斬りっぷりを見てやろうじゃねえかという、いたずら心充分でやった仕事なのに――意地にも、我慢にも、ああのしかかられては逃げ足が先で、見栄も外聞もなくここまで突走らされ、こうして立ちすくんだのは、いったいどうしたというのだ。

         五十七

 考えてみれば夢だ、幽霊を見たんだ、お化けにおどかされて逃げたんだ、ばかばかしさこの上なし。気の毒千万なのは屑屋のおやじよ、あわてて井戸へおっこったらしいが、危ないこった。それをみすみす、手を出してやることもできねえで、命からがら、ここまで逃げのびたがんりき[#「がんりき」に傍点]の心根が、自分ながらつくづく不憫《ふびん》でたまらねえ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百ともあるべきものが、飛騨の高山へ来て、辻斬のお化けにおどかされたとあっては、もうこの面《つら》は東海道の風にゃ吹かせられねえ――憚《はばか》りながら、このがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、見てくんな、こうして右の片腕が一本足りねえんだぜ、向う傷なんだ。この片一方の腕に対《てえ》しても、面《かお》が合わせられねえ仕儀さ。何とかしてこの腹癒《はらい》せをしねえことには、この虫がおさまらねえ。といって、気の利《き》いたお化けはもう引込んでいる時分に、またも現場へ引返して、虚勢を張ってみたところで、間抜けの上塗りであり、抜からぬ面をして、おじいさん、井戸は深いかえ、も聞いて呆《あき》れる。
 いったい、ここはドコなんだろう。お寺だな、かなり大きなお寺の門だ。なあるほど、飛騨の国は山国だけあって木口はいいな、かなりすばらしいもんだが、何という寺なんだ、名前も何もわかりゃしねえ。
 さて――と、今晩、これから落着くところは、自暴《やけ》だな、自暴と二人連れで、この腹癒《はらい》せに乗込んでみてえところはさ、目抜きのところはすっかり焼けてしまっていて、どうにもならねえ。
 今になって、思い出したのは、あの御用提灯と、陣笠と、打割羽織《ぶっさきばおり》の見まわりだが、あの見廻りのお上役人だか、土地の世話役だかわからねえが、おいらの眼と鼻の先で、乙なことを言って聞かしてくれたっけなあ。
 その事、その事。それを今、ここんとこで思い返していると、なんだかゾクゾク虫酸《むしず》が走ってくるようだぜ。ここのお代官がなかなか好き者で、そのお妾《めかけ》さんが百姓出の娘には似合わず、また輪をかけた好き者で……旦那をいいかげんにあやなして置いちゃあ、中小姓であれ、御用人であれ、気の向いた奴には、相手かまわず据膳をするとかなんとか。そいつをお前、高山入り早々のがんりき[#「がんりき」に傍点]の鼻先で匂わせて下さるなんぞは気が知れねえ、そんなのを、今までトント忘れていたこっちも、人が好過ぎるじゃねえか。
 いったい、そのお代官邸てのはドコにあるんだい。ようし、一番夜明けまでには、まだ一仕事の隙《すき》は、たっぷりあらあ、そのお代官邸てえのへ、ひとつ見参してみようじゃねえか。これから夜明けまで、その百姓上りだという手取者《てとりもの》の好き者のお部屋様んところへ推参して、そこで一ぷく、お先煙草の御馳走にあずかろうじゃねえか。
 いいところへ気がついた、なあにこれだけのところだ、誰に聞かねえったって、走っているうちには代官邸らしいのにぶっつかるだろう。そのお部屋様というのが、そういうお前、話の分った女であった日にゃあ、土臭い地侍ばかり食べつけているのと違って、こっちもがんりき[#「がんりき」に傍点]の百だよ、野暮《やぼ》におびえさせて、お説教ばかり聞かしてもおられねえ、話がもてて来た日にゃ、夜が明けても帰さねえよ、てなことになってくる。せっかく、訪ねて来たがんりき[#「がんりき」に傍点]のために野《や》を清めてしまったうえは、今夜の御定宿はひとつ、そのお代官邸のお部屋様のお座敷と、こういう寸法にきめてやろうじゃねえか――
 まあ、待ってくんな、せいては事を仕損ずる、それにしても咽喉《のど》が火のようだ。
 井戸はねえかな、井戸は……やむことを得なけりゃあ、さきほどの、あの高札場の屑屋の這《は》い出した井戸まで引返すかね。
 こうして、この門前をうろつき出したやくざ野郎は、ほどなく、代官屋敷の裏門の掘井戸のところへ姿を現わしたことを以て見ると、求むるところのものに、同時にありついたようなものです。

         五十八

 宇津木兵馬が、ここへ来てから、一つ気になるのは、お代官の邸の奥向のことです。
 このお代官には女房は無くて、お気に入りのお妾が、一切を切って廻していることは、それでいいとしても、兵馬が気になり出したのは、このお妾がいかにも水っぽい女で、たしかにいい女というのだろう、血相のいい顔に、つやつやしい丸髷《まるまげ》を結って、出入りの者や、下々の者までそらさない愛嬌はたしかにあって、代官が寵愛《ちょうあい》するのも、のろいばかりではない、まあ、この妾にも寵愛を受けるだけの器量はあるのだ。
 この奥向を切って廻して、主人をまるめて置くだけの器量のある女には相違ないが、兵馬が気になり出したのは、品行の悪い噂《うわさ》で、それも噂だけではない、兵馬の眼にも、それと合点《がてん》のできるほど、眼に余るところも見えないではないが、兵馬のわけて気になるのは、どうも自分に向ってまで、眼の使い方が解《げ》せないことがある。それが、日一日と強くなって、あの火事の騒ぎの晩なぞは――兵馬はその晩のことを思い出して、いよいよ変な気になりました。
 このお部屋様が、自分に誘惑をやり出している、ということが、ハッキリわかってくると、全くイヤな心持です。
 ただ、イヤな心持ではなく、二重にも三重にも、イヤな心持がするのは、自分のほかに、ここに召使われている誰彼の用人、小姓、みんなあれと同様の色目にあずかっているらしいからで、そうして、自分が新しくて珍しいものだから、特別に――という思わせぶりがたっぷりだからです。
 つまりこうして、自分をおもちゃにしてみようといういたずら心なのだ。そうして、そのおもちゃになりつつ、表面は至極心服の態《てい》に見せているものが、現にこの邸の中に一人や二人はあるらしい。それでも、おたがいたちのうちに鞘当《さやあ》ても起らないし、お代官そのものもいっこう悪い顔をしないのは、お人好しで全く気がつかないのか、或いは自分が相当の食わせ者であるだけに、気がついても、見て見ないふりをしているのか。一方からいえば、それで風波を起さずに抑えているところは、どこかに、あの女の度胸だとも、器量だとも言えないことはない。
 だが、度胸にしても、器量にしても、それは浅ましいものだと、兵馬には感ぜずにはおられません。そうしてその浅ましさが、今は一途《いちず》に、自分の方へ向って圧迫されて来ることを感ぜずにはおられないのです。
 一日も早くこの地を立った方がよいと思っている一方に、またあのお代官の引力がなんとなく強い。あのお代官はお代官でまた極力、この自分を引留めて置きたい了見《りょうけん》が充分にある。その了見を露骨にしないで、搦手《からめて》からジリジリと待遇をもって自分を動かせないようにして手許へ引きつけて置きたいとの了見がよくわかっている。兵馬は、それをいいかげんに振りきって、出立せねばならぬと思いつつも、その待遇についほだされてしまう。なにも特別の義理はないし、人物に対しても、そう離れられないほど、尊敬も心服もしているのではないが、このお代官にある力で引きつけられて、急に腰をあげられないような気持にされているのが不思議だ。
 お妾の色目と、それとは全く別なことはわかっている。なにも自分を引留めて置きたいために、しめし合わせて、色仕掛のなんのというたくらみになっていないことは確かだが、なんにしてもこの二つが、左右から、当分自分を動けないものにしているらしいことは、争えない。
 兵馬は寝返りを打ちながら、こんなことを考えているうちに、廊下がミシと鳴るのを感じました。

         五十九

「ああ」
 そこで、兵馬は胸が燃えるような熱さを感じました。
 ああ、それ、今も気にかかるその人が、今晩という今晩、ここまで忍んで来られたのだ。ああ、正直のところ、自分はこの誘惑に勝てるだろうか。
 あの奥方――ではない、お部屋様、あの婦人がここへ入って来たら、どうしよう、声を出して恥をかかせるわけにもいくまい、そうかといって……
 ああ、困った、絶体絶命、兵馬は、もう全身が熱くなって、ワナワナとふるえが来ているようです。
 果して、ミシミシと廊下に音が続いてする、中の寝息をうかがっているものらしい、あ、障子の桟《さん》へ手をかけた。
 どうしよう、この誘惑に勝てようか、勝てても勝てなくても、今は絶体絶命だ。こういう時に、兵馬はいつも堅くなってしまって、動きの取れないことがおかしいほどです。
 兵馬には、来るものを取って食うだけの勇気はない。そうかといって、それを叱り誡《いまし》めて、恥をかかせて追い返すほどの非人情も、発揮ができない。
 禅の心得とかなんとかいうものが、こんな時に、さっぱり役に立たないのは、かえって、なまじいにそれにひっかかるからだ――兵馬はある先賢が旅宿で、主婦から口説《くど》かれたのを平然として説得してかえしたことを思ってみたり、美人から抱きつかれて、それを枯木寒巌とかなんとか言って、このなまぐさ坊主め、と追ん出されてしまったことを考える。
 突いていいのか、ひっぱり込んでいいのか、実際、禅だの、心法だのということを少し学んでいたために、かえってそれに迷う。
 果して、隔ての襖《ふすま》が細目に開く。
 ぜひなく兵馬は、ムックリと起き直って、蒲団《ふとん》の上に端坐しながら枕元の燈火《あかり》を掻《か》き立てました。
 兵馬が燈心を掻き立てた途端のこと、その行燈《あんどん》の下から、ぬっと這《は》い寄った人の面《かお》、それとぴったり面を合わせた兵馬が、
「あ!」
と言いました。驚いたのは兵馬のみではなく、その行燈の下から這い寄った面の主も、同じように吃驚《びっくり》して、
「いけねえ!」
 途端に早くも兵馬は、この者の利腕《ききうで》を取ろうとして、案外にもそれが、フワリとして手答えのないのに、ハッとしました。
 これは双方の思惑違い、勘違いでした。
 兵馬が行燈の下から見た面は、予想していたような人ではなく、全く見なれない月代《さかやき》のならずものめいた、色の生《なま》っ白《ちろ》い奴! その色の生っ白い小粋《こいき》がった方が認めたのは、やっぱり案外な若い男の侍でしたから、双方とも一時《いっとき》全く当てが外れて、度を失ったものです。
 でも、兵馬は心得て、やにわに、その曲者の利腕を取って押さえようとして、再び案外に感じたことは、それにさっぱり手ごたえのないことで、つまり、この男は、手を引込めて、兵馬の打込みを外したのではなく、その利腕が、てんで[#「てんで」に傍点]存在していないのだということを、兵馬が覚りました。
 右腕は無いのだ、それならばと、膝を立て直して抑えにかかった時、先方もさるものでした。
 さっと、ひっくり返って、これは、ワザとひっくり返ったので、そのひっくり返った途端に、行燈を蹴飛ばして真暗にし、なお二の矢に、行燈の下から素早くさらった油壺を、兵馬のあたりをめがけて投げつけると、クルリと起き直って、廊下へ飛び出してしまいました。
 勿論《もちろん》、こいつは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵で、噂に聞いた新お代官の屋敷の、好き者のお部屋様に見参するつもりで来たのが、案外にも、宇津木兵馬の寝ているところでした。

         六十

 その素早い挙動には、さすがに兵馬も呆《あき》れるほどでした。
 こいつ、本職だ!
 直ちに刀を取って追いかけたが、庭へ逃げたということを知ると共に、自分は庭へ下りないで、道場へと進んで行きました。
 道場には黒崎君が寝ている。
 兵馬は静かに黒崎を起しました。そうして、いま、曲者が入ったことを告げ、但し単身潜入したもので、大体に於て、深いたくらみのある奴ではないから、騒がないがよろしい、強《し》いて陣屋の上下を動揺させるほどのこともあるまいから、君は起きて、屋敷の内部を警戒し給え、拙者は一廻り邸外を廻って見て来る、二人だけで検分してしまおう、騒がないがよいと言いました。
 黒崎はそれを心得て、身仕度をしました。
 兵馬は、それから小提灯をふところに入れ、戸締りをしておいて、さいぜんの曲者が乗越えた塀《へい》に近い潜り戸から、邸の外へ出てみる気になりました。
 かなりに広い、代官邸の塀の外を一廻りするだけでも、かなりの時間を要するが、内部のことは黒崎に任せて置けば心配なし、実は自分もこの機会に少し、外へ出てみたくなったのだ。
 高山へ来てからまだ、夜歩きということを兵馬はしていないのです。夜歩きが好きというわけではないが、深夜、街頭を歩くことには、京都以来、いろいろの興味を持っている。何かと得るところも甚《はなは》だ多いのです――第一、夜は静かで紛雑の気分を一掃する。それに思わぬ事件や、思わぬ人物に出会《でくわ》して、何かの意味でそれをあしらうことが、なかなか修行になるものだと心得ている。それにまた兵馬も若いから、おのずから血潮が、夜遊びということに誘導するといったようなせいもあろう。
 そこで兵馬は、今晩、ただ単に塀の外を通るのみではない、また、ただいま、取逃がした小盗をどこまでも追いつめるというのでもなく、今晩はひとつ、この機会に、少し高山の町、それとあの焼跡の辺までのしてみようではないか、という気分にそそられました。
 と言っても、高山の町は、そんなに広くないから、したがって多くの時間をとるほどのこともあるまいし、あとのところは黒崎に任せておく、黒崎はなかなか出来るから、あれが眼を醒《さ》ましていてさえくれれば、あとの留守は心配がないというものだ。
 それにまた、兵馬は、当時、宗猷寺に移っている高村卿のところへもお寄り申してくるつもりでしょう、そうなれば、夜明けになるかも知れない。
 こうして、兵馬は邸外の人となりました。
 飛騨の高山の夜の景色に、悠々とひたってみる機会を得ました。
 塀外を一廻りして、それから、右に川原町、左に上向町を見て、真直ぐに出て行くと、そこに中橋がある。
 中橋は、京の五条橋を思い出させる擬宝珠附《ぎぼうしゅつ》きの古風な立派な橋で、宮川の流れが潺湲《せんかん》として河原の中を縫うて行く、その沿岸に高山の町の火影が眠っている。
 南にはこんもりとした城山のつづきと、錦山。ここへ立つと兵馬は、どうしても「小京都」という感じをとどめることができません。

         六十一

 飛騨の高山には「小京都」の面影《おもかげ》があるということは、ちょうど、この橋が五条の橋で、三条四条を控え、この川が鴨川そっくりの情趣を湛《たた》えていないではない。この城山つづきを東山一帯に見做《みな》すことも決して無理ではない。無論、京都の規模には及ばないが、その情趣の髣髴《ほうふつ》は無いではない。それに京都は天地こそ、やはり平安の気分はあるが、時に凄《すさ》まじい渦に巻かれていることを兵馬は見ているが、ここは、本場のような血なまぐさいことはないから、こうして歩いていても、途上に人間の首がころがっていたり、壮士が抜身を持って横行して来たりするような心配はない。
 ただ、気の毒なことは、過日の火事である。不幸中にも、代官邸以西まで火は届かなかったが、宮川通りから一の町、二の町、三の町、川西の方までも目抜きのところが焼かれてしまっている――兵馬としては、この城山の方、奥深く上って、高いところから、更に深夜、むしろ夜明け間近の高山を、もう一ぺん見直そうとしたのですが、火事場見舞を先にしてやろうと、中橋を渡りきって見ると、もうやがて焼跡の区域で、そこへ至る前に、再び足をとどめたのは、例の今の高札場の、柳の木のあるところです。
 そこまで兵馬がやって来た時に――無論、この高札場が、もう、一度前に一場出ていて、それが返し幕か、廻り舞台になっていて、今度はそこへ自分が一人だけ登場せしめられているということを、兵馬は知らないのです。ですから何気なく、その場面へ登場して来て見ると、その前路のまんなかに、自分よりは先に、もう一人の役者が登場していることに驚かされました。
 高札場を中にして、自分とは半町ほどの距離を置いて、大道のまんなかに、人が一人倒れて苦しがっていることが、兵馬には直ちに気取られてしまいました。
 そこで、心得て、踏みとどまり、その道のまんなかで苦しみうめいている者の何者であるか――無論、それは人間には違いないが、人間のいかなる種類に属しているもので、いかなる理由で、今頃あんな所にああしているのか、倒れているのは、事実あの人影一つだけで、他に連類は無いのか、なんぞということの視察には、かなり兵馬は抜け目がないのです。
 幸いにこの柳の木――これは、この前の場面に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百という役者が、充分カセに使った道具立てなのですが、ここにも兵馬のために有力な合方となってくれます。
 兵馬は、柳の蔭から透《すか》して、大道で倒れて苦しがっている者の、仔細な観察を続けようとします。だが、まず以て安心なことには、この怪しい行倒れが、斬られて横たわっているのではなく、酔倒れて、身動きもならないほどになっていることに気がついたのです。
「酔っぱらいだな」
 酔っぱらいならば、酔いのさめるまで地面に寝かして置いた方がよい。
 この地では、あんなのを、通りがかりにためし物にして、さいなんで行く奴もあるまいし、まだ当分車馬の蹄《ひづめ》にかかる心配もあるまいから、まもなく夜が明けたら、誰か処分するだろう、そのうちには酔いがさめて、自分の酔体は、自分で始末するに相違ない。
 まず安心――という気持で柳の木から出て、そうして兵馬は、ずかずかとこの酔っぱらいの前を通り過ぎようとしました。
「もし、そこへ誰か来たの、何とかして下さいよ、もう動けない、助けて下さい」
 兵馬の足音を聞いて、酔っぱらいが呼びかけたのは不思議ではないが、それは女の声でした。
 助けて下さいと言うけれども、酔っぱらいであることは間違いないから、兵馬はそう深刻には聞きません。
 本性《ほんしょう》のたがわぬ生酔い、人の来る足音を聞いて、それを見かけに、何かねだり[#「ねだり」に傍点]事をでも言おうとする横着な奴! しかもそれが女ときては言語道断だ、と思いました。

         六十二

 おそらく、醜いものの骨頂は、女の酔っぱらいです。
 微醺《びくん》を帯びた女のかんばせは、美しさを加えることがあるかも知れないが、こうグデングデンに酔っぱらってしまって、大道中へふんぞり返ってしまったのでは、醜態も醜態の極、問題にならないと、兵馬が苦々しく思いました。
 兵馬でなくても、それは苦々しく思いましょう。同時に、こんな苦々しい醜態を、たとえ深夜といえども、この大道中にさらさねばならぬ女、またさらしていられる女は、普通の女ではないということはわかりきっている。つまり、煮ても焼いても食えない莫連者《ばくれんもの》であるか、そうでなければ、その道のいわゆる玄人《くろうと》というやつが盛りつぶされて、茶屋小屋の帰りに、こんな醜態を演じ出したと見るよりほかはないのです。
 兵馬が近寄って見ると、それは醜態には醜態に相違ないけれど、醜態の主《ぬし》たるものは、醜人ではありませんでした。むしろ美し過ぎるほど美しい女で、その美しいのをこってりとあでやかにつくっている、それは芸妓《げいしゃ》だ。年も若いし、相当の売れっ妓《こ》になっている芸妓――兵馬は一時《いっとき》、それの姿に眼を奪われて、
「どうかなされたかな」
「やっと、ここまで逃げて来たんです、もう大丈夫」
「どこから?」
「清月楼から」
「清月楼というのは?」
「お前さん、飛騨の高山にいて、清月楼を知らないの?」
「知らない」
「ずいぶんボンクラね」
「うむ」
「ほら、中橋の向うに大きなお料理屋があるでしょう、あれが、清月楼といって、高山では第一等のお料理屋さんなんです」
「そうか」
「そうかじゃありません、高山にいて、清月さんを知らないようなボンクラでは、決して出世はできませんよ」
「うむ――そんなことは、どうでもいいが、お前は清月楼の芸妓なのだな」
「いいえ、清月さんの抱えではありません、これでも新前《しんまえ》の自前《じまえ》なのよ」
「なら、お前の家はどこだ、こんなところに女の身で、醜態を曝《さら》していては、自分も危ないし、家のものも心配するだろう」
「シュウタイって何でしょう、わたし、シュウタイなんていうものを曝しているか知ら、そんなものを持って来た覚えはないのよ」
「何でもよろしいから、早く家へ帰るようにしなさい」
「大きにお世話様……帰ろうと帰るまいと、こっちの勝手と言いたいがね、わたしだって酔興でこんなところに転がっているんじゃないのよ」
「これが酔興でなくて、何だ」
「いくら芸妓《げいしゃ》だって、お前さん、酔興で夜夜中《よるよなか》、こんなところに転がってる芸妓があるもんですか、これは言うに言われない切ないいりわけがあってのことよ、察して頂戴な」
「困ったな」
「全く困っちまったわ、どうすればいいんでしょう」
「いいから、早くお帰りなさい」
「どこへ帰るのです」
「家へお帰りなさい」
「家へ帰れるくらいなら、こんなところに転がっているものですか」
「では、その清月とやらへ帰ったらいいだろう」
「清月から逃げて帰ったんじゃありませんか」
「何か悪いことをしたのか」
「憚《はばか》りさま、悪いことなんぞして追い出されるようなわたしとは、わたしが違います、あのお代官の親爺《おやじ》に口説《くど》かれて、どうにもこうにもならないから、それで逃げ出して来たのを知らない?」

         六十三

「なに、お代官がどうした」
「知ってるくせに、そんなことをいまさら尋ねるなんて野暮《やぼ》らしい。今晩もわたし、清月ですっかりあの助平《すけべい》のお代官に口説かれちゃった」
「…………」
「わたしを呼んで、こんなに盛りつぶしておいて、今晩こそジタバタさせないんですとさ」
「ふーむ」
「感心して聴いているわね。あなたはどなたか知らないが、おとなしい方ね。あなたのようにおとなしければなんにもないんですけれど、あのお代官ときた日には……助平で、あんぽんたんで、しつっこくて、吝嗇《けち》で、傲慢《ごうまん》で、キザで、馬鹿で、阿呆で、小汚なくて、ああ、思い出しても胸が悪くなる、ベッ、ベッ」
と唾を吐きました。
 兵馬は重ね重ね、苦々しい思いに堪えられないのです。
 もう、これだけで、委細は分っているようなものだ。問題の今の新お代官、つまり、仮りに自分が逗留《とうりゅう》しているところの主人が、この芸妓に目をつけて、ものにしようとしている。昨晩も、宵のうちから手込めにかかったが、それが思うようにゆかないからこの仕儀。
 兵馬は、新お代官に就ては、絶えずこんなような聞き苦しい噂《うわさ》や事実を、見たり、聞かせられたりする。単にそれだけによって判断すると、新お代官なるものは、箸にも棒にもかからない、悪代官の標本のように見えるけれども、兵馬自身は決して、それは敬服も、心服もしていないけれども、接して見ているうちには、そう悪いところばかりではない。野卑ではあるが、どこか大量なところがあって、相当に人を籠絡《ろうらく》する魅力愛嬌もないではない。人の蔭口は、一方をのみ聞捨てにすべきものではないということを、この辺にも経験していたのでした。
 が、只今、この場のことはありそうなことで、芸妓風情《げいしゃふぜい》に口説《くど》いてハネられて、逃げられて、その上に、助平の、あんぽんたんのとコキ下ろされれば世話はないと思いました。これでは、たとえ人物に、面白いところが有ろうとも無かろうとも、仮にも、飛騨一国の代官としては権威が立つまい、と心配させられるばかりです。
 だが、この芸妓という奴も生意気だ、代官の権威にも屈しないなら屈しないでいいが、仮りにも土地の権威の役人を、こんなふうに悪口雑言《あっこうぞうごん》するのは怪しからぬ。しかしこれも酒がさせる業《わざ》、なだめて、酔いをさましてやるほかには仕方はなかろうと思い、
「代官も悪かろうが、お前も品行がよくない」
「まあ、御親切さま、芸妓の品行を心配して下さるあなたという人は、日本一の親切者、わたし、あなたのような人が大好き、あなたとならば、一苦労も、二苦労もしてみたいわ」
といって芸妓が、いきなり兵馬の首にかじりつきました。
 その道の達者な抑え込みならば、外《はず》して外せないことはないが、このかじりつきには、むざむざと兵馬がひっかかってしまいました。
「何をするのだ」
 それでも、火の子がついたように、やっとその細い腕を振払っている。
「それでは帰るから、送って頂戴な」
「うむ」
「送って頂戴、ね、またあのお代官の助平が出て来ると、今度はわたし逃げられないから」
「よし」
「送って下さる?」
「家はいったいどこなのだ」
「少し遠いのよ」
「遠い?」
「ええ、少し遠いけれども、あなた、ほんとうに送って下さい」
「やむを得ない、行きがかり上」
「行きがかり上なんて言わないで、親身《しんみ》に送って頂戴な。でも、行先が少し遠いのよ」
「どこだか、それを言いなさい」
「信州の松本なのよ」

         六十四

 信州の松本と聞いて、兵馬が再びこの芸妓《げいしゃ》の面《かお》を見直さないわけにゆきません。
 送れと言うから、行きがかり上、送ってやらねばなるまい、広くもあらぬ高山の土地、たとえ今は焼け出されて、立退先になっているにしてからが、知れたもの――帰りがけの駄賃――にもならないが、まあこうなっては退引《のっぴき》ならないと観念したものの信州松本と聞いて呆《あき》れました。
「ね、信州の松本まで送って下さらない」
 呆れながら兵馬が、
「松本の何というところだ」
「松本の浅間のお湯ってのがあるでしょう、あそこよ。だが待って下さい、うっかり行こうものなら、その松本もあぶないことよ、網を張ってあるところへ、わざわざひっかかりに行くようなものだから、もう少し考えさせて下さいな、そうそう、では、同じ信濃ですけれども、もっと山奥の、中房の湯、あそこへ行きましょう、中房ならば、誰にもわかりっこなし」
「うむ」
「もし、その中房で見つかった時には、お江戸へ連れて行って頂戴な」
「ああ」
「どうしました」
「ああ、お前はここにいたのか」
「ここにいたとおっしゃるのは?」
「お前は松本から中房へ行って、また中房を出たはずだが……」
「その通り、違いありません」
「それが、どうしてこんなところへやって来たのだ」
「どうしてって、あなた」
「お前は、江戸へ帰りたいと言っていたはずだ」
「それが間違って、飛騨の高山へ来てしまいましたのよ、悪いおさむらいに騙《だま》されて、さんざんからかわれた揚句に、この高山へ納められてしまいました」
「その悪いおさむらいというのは、仏頂寺と、丸山だろう」
「何とおっしゃるか存じませんが、あの二人のお方が、江戸へ連れて行ってやるとおっしゃったのに騙されて、この高山へ来てしまいました」
「そんなことだろうと思ったから、急にあとを追いかけてみたのだが」
「そんなこととは、どんなこと?」
「お前は、わしがわからないな」
「まあ、どなたでいらっしゃいましたか、お見それ申しました、お面《かお》を見せて頂戴な」
 この時分には、ズブ酔いが多少|醒《さ》め加減になっていたと見え、
「ねえ、あなた、あなたの御親切は死んでも忘れませんよ、お面を見せて頂戴な」
 女の方から、もたれかかるように来たのは、相手が怖るべき助平野郎でなく、多少ともに、自分を親切に介抱してくれる人だとの意識が明瞭になったからでしょう。兵馬の首に抱きついて、自分の面をそこへ持って行って、充分に甘ったれるようにシナをしながら、トロリとした酔眼をみはって、そうして兵馬の面を見定めようとする努力を試みている。
「しっかりしろ」
「しっかりしていますとも。まあ、あなたまだお若い方なのね」
「しっかりしろ」
「頼もしいわね、おや、まだ前髪立ちなのね、お若いのもいいけれど、子供じゃつまりませんわ、早く元服して頂戴な」
「いいかげんにしろ」
 兵馬は、女の背中を一つ打ちのめすと――そんなに強くではなく――女は、
「まあ、痛いこと」
 仰々しく言ったが、この時、酔いは著しく引いたと見え、腰をまとめながら起き上り、
「まあ――失礼いたしました、ここはどこでございましょう、あなた様は見たようなお方……いつ、わたしはこんなところへ……まあ」

         六十五

 正気がついてくると、グングン回復するらしい。
 回復してくると、左様な商売人とはいえ、やっぱり、女の羞恥心《しゅうちしん》というものが一番先に目覚めてくるらしい。自分の膝や、裾《すそ》の乱れたのが急にとりつくろわれて、そうして次には、こんな醜態を演じていた自分というものに愛想をつかす。同情をもって介抱してくれた人の親切というものに、何事を措《お》いても感謝しなければならぬ、という念慮が動いてくるのも自然です。
 その自然と雁行《がんこう》して、この芸妓が、この暗いなかで気がついたのは、現に介抱してくれているこの人が、どうも以前に、面馴染《かおなじみ》のあった人、と思い出してきた瞬間、まだ前髪姿の武家出の少年であるということを知って、中房よりの道中の道連れの、親切か、無情かわからない少年のことでありました。
「もしや、あなた様は」
と言った時、兵馬がすかさず、
「どうだ、わかったか」
「わかりました」
「まあ、お前も無事でよかった」
「無事とおっしゃれば、無事には違いないかも知れませんが、こんな無事ではなんにもなりません」
「仏頂寺、丸山はあれからどうした」
「どうしたかって、それはお話になりません、あなたもお聞きにならない方がようござんしょう」
「うむ、あの両人《ふたり》のことだから」
「いいえ、あの御両人《おふたり》ばかり悪いのじゃありません、もっと悪い人があります」
「それは誰だ」
「あの時に、どなたか知りませんが、物臭太郎のお茶屋に、狸寝入りなんぞきめ込んでいらっしゃったお方がございましたね」
「うむ」
「そのお方が、もう少し親切にして下されば、わたしも、こんなところへ来て、こんな生恥《いきはじ》をさらさなくても済みましたのに」
「うむ――」
「ずいぶん、あの方はお若いくせに、薄情なお方でした」
と言いながら、女は兵馬の胸に面《かお》を伏せました。これは、最初にしたような、ふざけた心持ではなく、なんとなく痛々しいものがあるようで、兵馬も無下《むげ》に振り払う気持にはなれませんでした。
「中房を逃げて出る時、いい月夜の晩でございました、旅に慣れたそのお若い方は、ずんずん進んで行っておしまいになる、草鞋《わらじ》なんていうものを、生れてはじめて、あの時につけたばっかりのわたしというものは、取残されてしまいましたね」
「その時の事情、やむを得ないからだ」
「それは、やむを得ないには得ない場合なんでしょうけれど、あの懸命な道中で、足の弱い女だけひとり残されたら、落ちるところは大抵きまったものです――わたしは薄情な若いお方より、悪人でも、助けてくれる人に縋《すが》った方がよいと思いました、そうしなければ、わたしは生きられなかったという次第なんでしてね」
と言いながら、兵馬の胸に伏せた面を上げて、まださめきらないほろ酔いの足どり危なく、二足三足歩き出しました。
「歩けるか。では、家まで送って上げよう」
「いいえ、それには及びません、ほかの方ならばとにかく、あなたには中房の道中で、立派に捨てられたんです、これでも、まだ捨てられた人のお情けに縋って、生きようとは思いません」
 女はまた二足三足、ふらふらと歩き出す。兵馬は、それを見ていると、女は急にふり返って言う、
「ねえ、あなた」
「何だ」
「一度、わたしを招《よ》んで頂戴な、あなたのような薄情な方にも、商売だから、わたし、いくらでも招ばれて上げるわ……」
という途端に、一方に於て意外な物音が起りました。

         六十六

 それは何者とも知れないが、二人がこうして話している間、つい、後ろの高札場の石垣の蔭に、隠れていた者が一人あったのです。
 この隠れていた奴は、どうも、二人か、或いは二人のうちの一人を狙《ねら》って、危害を加えようとしていたものではなく、むしろ二人のいることを怖れて、早く事件の解決がつけばいい、その解決がついて、二人がここを立退いた後に、自分の身を処決しようがために、息をこらして、ここに潜んでいたものと見えました。
 ところが、この女の酔いの醒《さ》めることが容易ではなく、この酔いのうちの管《くだ》があんまり長いのに、介抱する若いさむらいもかなり親切に、酔いのさめるのを待ってやっている。酔いがようやく少しばかりさめかかってから、また後の痴話が相当に長い。そうして、女は、何か男に恨みのようなことを言って、そのしどろもどろの足どりで、あなたのお世話にはならない、自分ひとりで行く、なんぞと思わせぶりをしている。そんな手管《てくだ》や、思わせぶりも、御当人同士のお安くない間だけのことなら、御勝手だが、後ろに隠れて、早く自分の身の振り方をつけようと焦《あせ》っている者の身になっては、こらえられない。
 そこで、今、堪《こら》え兼ねて、石垣の後ろからけたたましい音を立てて飛び出したのは、無論、二人を威嚇するためではなく、そのまま一目散《いちもくさん》に、はばたきのけたたましい音を続けながら、二人の間を割って、あらぬ方へと逃げ出して行くのです。
 それが二人を驚かしたことは無論です。女の方の思わせぶりの所作《しょさ》も、それで立ちすくみになったが、兵馬としては、驚いて狼狽《ろうばい》するのみではいられません、直ちにこの怪しい奴を引捕えてみなければならぬ必要に迫られました。そこで、
「待て!」
と、自分も宙を飛んで、それに追い縋《すが》ったものです。
「お赦《ゆる》し下さい、怪しいものではござりませんで」
「怪しいものでなければ、なぜ逃げる」
「意気地の無い人間でございますから逃げやんした、おゆるし」
「赦すも赦さんもない、お前が怪しいものでさえなければ、逃げる必要もないのだ、こちらも、お前が逃げさえせねば捕えはせぬのだ」
 兵馬は瞬く間に追いついて、この怪しいものを膝の下にねじ伏せて動かすまいとしたが、同時に気のついたのは、こいつがグショ濡れであることです。
「おゆるし下さい」
「いったい、お前は何者だ」
「私は屑屋でございます」
「屑屋?」
「はい、紙屑買いでございます」
「紙屑買い――商売とはいえ、時刻が早過ぎる、それにお前の身体《からだ》はぐしょ濡れだな」
「ちょっと、早出する用事がございまして、これへ通りかかりますると、あなた様方が、ここにお見えでございましたから、避《よ》けようとして溝《どぶ》へ落ちましたので、遠慮を致して隠れておりました」
「そんなに遠慮することはあるまいに」
と言いながら、兵馬は篤《とく》と見ると、頭から着物そっくりぐしょ濡れになってはいるが、御膳籠《ごぜんかご》は放さない。どう見ても、紙屑買い以外の何者であるとも思われません。なるほど、早立ちをしてここへ来ると、吾々の物言いを見て、物蔭に避けていたのが、痴話が長いので、堪え兼ねて飛び出したのかも知らん。そうだと思えば、そうも受取れる。それにしても、怪しいといえば怪しいとも思われる。
 そこで、兵馬は抑えながら、懐中へ手を当ててみて、
「何も持っておらんな」
「この通り、仕入れの財布だけでございます」
「そうか」
 憮然《ぶぜん》として、兵馬も、この者を放ちやるほかはないと決めた時、一方の柳の木の方で女が、
「おや、あなたはどなた?」
と言ったのが、兵馬の耳には聞えませんでした。

         六十七

 兵馬が、紙屑買いを糺問《きゅうもん》していることの瞬間、後ろの女のことは暫く忘れておりました。
 忘れて置いても安心というところまで、介抱が届いていたからではあるが、この怪しの者を、最初から屑屋なら屑屋と見定めてかかれば何のことはなかったのですが、事の体《てい》が、充分に嫌疑を置くべき挙動でしたから、多少の手数を以てしても、突きとめるだけは突きとめねばならぬなりゆきに迫られたのです。
 そうしている間、例の後ろの高札場と、その傍《かた》えなる歯の抜けた老女のような枯柳が、立派に三枚目の役をつとめました。
 柳の後ろに人がいたのです。それはいつごろから来ていたか、よくわからないが、兵馬に介抱された芸妓が、「いくら芸妓だって、あなた、酔興で夜夜中《よるよなか》、こんなところに転がっている者があるものですか……云々《うんぬん》」と言っていた時分から、柳の蔭がざわざわとしていました。
 それからは、全く動かなかったのですが、バサバサと御膳籠の音がして、足許《あしもと》から飛行機が飛び出したように、屑屋が、この情にからんだ気流を攪乱《かくらん》して行って、兵馬が射空砲のように、そのあとを追いかけた時分になって、そろそろと柳の木蔭から歩み出して来たのは、覆面をして、竹の杖をついたものです。
 音を成さない足どりで、鮮やかに歩み寄って、思わせぶりの芝居半ばで、相手をさらわれ、テレ切っている芸妓の後ろへ廻り、肩へぬっと手がかかったと見たものですから、女が気がついて、
「おや、あなた、どなた……あのお若いおさむらい様のお連れなの」
と言ったけれども返事がありません。
 酔ってさえいなければ、もっと強調に、怪しみと驚きの表情をしたのでしょうが、たった今、ようやく酔線を越えたばかり、まだ酔《すい》と醒《せい》の境をうろついていた女には、それほど世界が廻っているとは見えなかったらしく、
「お連れさんでしょう――そんならそうとおっしゃればいいに」
 甘ったれる調子で、暫くあしらい、後ろへ置かれた手をも、ちっとも辞退しないで、むしろわざと後ろへしなだれかかって、芝居半ばにテレきった自分の身体《からだ》を、持扱ってもらいたい素振りをしたが、それをそのまま底へ引込むように受入れ、肩へかかった手が、胸へ廻り、首を抱きました。
「くすぐったい」
 後ろの人は一切無言でしたが、女は、わざと身悶《みもだ》えをして、
「くすぐったいわよう」
 だが、女はその擽《くすぐ》ったさ加減を遁《のが》れようともしないのに、後ろの人は緩和しようともしない。
「まあ、痛いわね」
 女は、またわざとらしい悶えぶりをする。
「だんだんに強くなったのね、物凄いわ」
 これもいい心持で、するようにさせての女の言い分です。
「まあ、擽るんじゃなくて、締めるの」
 その時に、後ろの者の面《かお》が、グッと女の頬先まで来ましたから、女はしな[#「しな」に傍点]をして、首を横へねじ向けた途端――
「おや……」
 女は後ろの人の面を見ようとして、覆面に隠されたそれを見得なかったのでしょう、怪しみの声が、急にうめきの声に変りました。
「あ、本当に、わたしを締めるのですか、く、く、苦し……」
 大きな蛇が、すっかり、この女の首を捲ききってしまいました。もう、何の冗談《じょうだん》も、持たせかけもありません、大蛇《おろち》の火を吐くような息が、女の頬にかかるだけです。

 宇津木兵馬が、屑屋を放免して、そうして、柳の木の下に立戻った時に、その女はそこにいませんでした。
 柳の木の蔭にも、無論誰もおりません。

         六十八

 屑屋を突っ放した宇津木兵馬は、以前のところへ戻って見ると、そこに以前の女がおりません。
 柳の木の蔭にも、高札場の石垣の後ろにも、見渡す限りの焼野原にも、いずれにも、人の影を見ることができませんから、一時は夢の中の夢ではないかと、自ら怪しみました。
 ふむ、あの気紛《きまぐ》れ者が、僅かの隙にずらかったのだな、千鳥足でフラフラとさまよい歩き、結局は自分の家か、例の清月とかなんとかへでも納まったのだろう――とりとめのない奴だ、と呆《あき》れながら兵馬は、柳の木の蔭を見ると、そこに何か落ちている。
 よく見ると、それは、女の赤いゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]とか蹴出《けだ》しとかいうものが、ずるりと落ちている。
 それを見ると兵馬は、実に度し難いやつは女だと思いました。
 女であり、酔っぱらいであることによって、こちらが譲歩して、あれほど世話を焼かせているのに、ようやく醒《さ》めて、独《ひと》り歩きができるようになれば、お礼はおろか、挨拶の一言もなくして、行きたいところへ行ってしまう。こういった奴は、あの女には限るまいが、あんなのは殊にああしたもので、その図々しさと不人情が、商売柄だ――とはいうものの、あの女もああいう商売をして、所々を転々させられている。本当に図々しい、不人情ならばとにかく、あの若さで、あの縹緻《きりょう》だから、相当に納まっているはずなのに、それができない。
 こうしているところを見ると、つまり、自分が世間を翻弄《ほんろう》しているつもりでいても、結局、世間から翻弄されて、浮草と同じことに、落着くところが無い。事実は、あんなのが、正直者かも知れない。
 そこで、兵馬はゆくりなく、吉原に於ての過去の夢を思い出し、悔恨の念と共に、あの時の相手がここに現われた女と、境遇はほぼ同じでも、行き方の全く違ったことを考えずにはおられません。この女の、こうして落着きも、だらしもないのに引換えて、いま考えてみると、あの吉原の女は賢明というものかも知れない。朝夕坐っていて客をあやなし、客のうちの為めになりそうなのをつかまえて、なんのかんのと言いながら、そこへ納まって、かなり完全に、一生涯の生活の保証をつけてしまう。その間に親へ仕送りをもすれば、役者買いの費用をも産み出す。今晩現われたあの芸妓だって、それだけの打算と手管《てくだ》がありさえすれば、こんなだらしのないことにはなるまい。
 なまじい意地があるとか、涙もろいとか、なんとかいうことで、抜けられず、深みにはまって行って、自暴《やけ》が自暴を産み、いよいよ抜きさしのならぬところへ進んで行くのではないか。そうだとすれば、実に気の毒千万のものだ、と兵馬らしい同情の念が起りました。
 この同情が兵馬の弱味でしょう。一旦解決をしてしまいながら、後から同情の追加をしなければならないところに、いつも兵馬の弱味がある。この若者はいつになっても、徹底的に人を憎みきれない純良性から、脱することはできないらしい。
 そう思って、同情はしてみても、眼前、このだらしない、ずるこけ落ちた緋縮緬《ひぢりめん》の品物を見せられると、うんざりする。ひとのことではない、自分が嘲笑されているような気がする。昔、ある城将が、容易に城を出ないのを、攻囲軍が、女の褌《ふんどし》を送ってはずかしめたという話がある。こんなものが落ちていました、これはお前の物じゃないか、と言って、あとから追いかけて還附してやる気にもなれない。とにかく、生酔い本性たがわずに、戻るべきところへ戻って、ぐっすり寝込み、明日はまた宿酔《ふつかよい》で頭があがらないのだろう。厄介千万な代物《しろもの》!
 ぜひなく兵馬は、足もとで、そのゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]を蹴飛ばし、蹴飛ばして、高札場の後ろまで蹴飛ばしてしまいました。
 これは蹴出しというものか、ゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]とでもいうのか、それとも腰巻か、ふんどしか、何というのが本名か知らないが、兵馬は、その緋縮緬のずるこけ落ちた代物を、さんざんに蹴飛ばしておいて、その場を立去りました。

         六十九

 その翌朝になると、まず兵馬は、昨晩、高山の市中に変ったことはなかったか、その風聞を聞きたい気持に迫られました。
 黒崎君に聞いてみると、黒崎君もあれから、邸《やしき》の内は無事過ぎるほど無事で、あんまり無事だから寝込んでしまって、いま、眼がさめたばっかりというような始末。そのほか、家の子郎党、内外の出入りの者からも、何も変った事件が、出来《しゅったい》していたというような報告に接することができませんでした。でも、昨晩のことが、なんとなく気にかかりもする。遠くもあらぬところだから、朝の稽古前に兵馬は邸を飛び出して、昨晩のあの高札場のところまで行ってみました。
 昨晩の夜の色を、今朝の朝の色に塗り換えただけで、何の異状はありません。問題の代物はと見れば、これも昨晩、自分が蹴飛ばし、蹴飛ばして置いた通り、まだ、誰人の目にも触れないで、素直に高札場のうしろに、かがまっている。
 兵馬はそれを見て、再びうんざりした思いをしながら、焼跡を通って、宮川べりを一巡して陣屋へ戻って来ましたが、その途中も、それとなく、街頭を注意して見たけれども、なんら心にさしはさむべきものを認めることができませんでした。

 同じ朝、相応院にいたお雪ちゃん――これも昨晩よく寝られたから、今朝は早く起きました。
 そうして、何かと朝の食膳の仕度にとりかかりましたが、水を汲もうとして手桶をさげて外へ出ると、例によって、眼下には高山の町、宮川の流れ、右手が遠く開けて、そうして雪をかぶる山々。
 ああ、加賀の白山《はくさん》!
 お雪ちゃんは手桶を置いて、その連々たる雪の白山山脈の姿に見とれてしまいました。
 どうしたのか、お雪ちゃんはこのごろ、加賀の白山というものに引きつけられている。
「白山の名は雪にぞありける」という古歌が好きになって、もう口癖のように念頭に上って来る。「白山の名は雪にぞありける」というのが、ちょうど自分の呼び名とぴったりするから、この古歌が好きになり、同時に白山そのものが、あこがれの的になったのかも知れません。
 それのみではありますまい、夢に入る白山の山の形というものが、神秘を開いて、お雪ちゃんに、おいでおいでをしているから、お雪ちゃんとしては、自分の故郷へ帰るような気持になって、あの白山の山のふところにこそ、自分の生涯を托する安楽な棲処《すみか》があるものだと思われてならないのらしい。
 白川の流れも、白水の瀑《たき》も、白川温泉も、それから太古さながらの桃源の理想郷、平家の御所をそのまま移した平安朝の鷹揚《おうよう》な生活が、あの白山の麓《ふもと》のいずれかに現存しているような気がしてならないのです。
 ああ白山――とお雪ちゃんは、子供のように、手桶を置いたまま、その白山山脈の姿に見惚《みと》れて、動けないのです。
 白山の白水谷を渡る時には、籠《かご》の渡しというものがある。藤蔓《ふじづる》を長くあちらとこちらとにかけ渡し、それに同じく藤蔓を編んだ籠を下げ、人一人ずつを乗せて、この岸よりかの岸に引渡す。岸と岸の間は、鳥も通わぬ断崖絶壁で、その下は、めくるめくばかりの深谷を、白水が泡を噛《か》んでいる。
 白山へ行くには、白水を渡らなければならない。白水を渡るには、籠の渡しよりほかは術《すべ》がない。
 昔、悪源太義平に愛せられていた八重菊、八重里の二人の姉妹が、悪源太が捕われてのち、越中へ逃げようとして、その籠の渡しにかかったが、追手が前後から迫ったので、ついに、その籠を我と我が手で切り落して千仞《せんじん》の谷、底知れずの白水の谷に落ちて死んだ――というような伝説。
 怖いもの見たさの憧れから、お雪ちゃんは、もう今から、籠の渡しに乗ることに胸をとどろかせている。
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白山よ
白水谷よ
白水谷を渡る籠の渡しよ
安らかに、われらを渡せ
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         七十

 それから一通り流しもとを済ましてから、お雪ちゃんは、座敷へ戻って見ると、まず目についたのは、衣桁《いこう》にかけっぱなしになっていた、一重ねの小紋縮緬です。
 それを見ると、お雪ちゃんは、またも、どうしても、逃れられないものがあるような気分に捉われてしまいました。
 あの一重ねは、見るも浅ましいので、焼いてしまおうとして焼き損ねた品、舟からここへ越す時に捨てねばならないはずであったのが、捨てかねたのか、捨てそこねたのか、自分には分らないが、とにかく、ここへ持って来た僅かの荷物の中に、あの一重ねがあったのです。
 それを、縁側へ出して置くと目にとまり、座敷へ投げて置くと目にちらつくものですから、戸棚へ入れましたが、それでも鼠が心配になったのか、とうとうまた衣桁へかけて置くほかに、せん術《すべ》がないようになって、もうこの座敷へ入る早々、眼につくという始末です。
 お雪ちゃんは諦《あきら》めました。こうまでついて廻るのは、これも因縁というものに違いない、あのおばさんが、わたしの傍にいたいとの心持があって、この着物にその心持が乗り移っているとすれば、粗末にもならないじゃありませんか。
 イヤなおばさん――と通り名にはなっているが、よくよく考えてみると、イヤなおばさんのイヤな所以《ゆえん》が、お雪ちゃんにはわからなくなってしまうので、ややもすれば、いいおばさん、気の毒なおばさん、かわいそうなおばさんにまでなってくるのです。よく世間では、坊主がにくければ袈裟《けさ》まで憎い、と言うが、よしイヤなおばさんが、イヤなおばさんであるとしても、その記念《かたみ》の着物までを、イヤがるわけはないじゃないの。
 着物に罪は有りはしないわ――というようにお雪ちゃんの心が知らず識《し》らず変化していましたから、その心が、この着物を焼くこともせず、捨てることもせず、着物の方でもまた、お雪ちゃんの傍にいたいと、声を出しているようにも思われるのです。
 最初、目をつぶって見まいとした、このイヤなおばさんの記念《かたみ》が、今ではお雪ちゃんにとって、なんともいわれない懐かしみを、にじみ出させてくるようになりつつあるらしい。
 衣桁にかけた小紋縮緬の一重ねを、こんな心持で、お雪ちゃんはしみじみと眺めていましたが、同時に自分の着物を見て、悲しいという感じも手伝いました。昨日まで寝巻のまんまでいたけれども、ここへ来て、お寺の心尽しで、娘らしい一通りの借着を着せてもらっているけれども、焼かれたのがほんの一重ねだけでもあれば……と思いやられるところへ、このイヤなおばさんの記念ばっかりは、仕立卸し同様に、こんなにしてわたしの眼の前にある。あのおばさんも言った、これは私には派手過ぎる、あとから代りが届いたら、お雪ちゃんにあげましょう――それは冗談ではなく、本心の約束のようなものでした。事実、お雪ちゃんは、このまま自分が着ても、そんなに不釣合いのものじゃないと思いました。
 わたし、これを着るわ、着てみるわ、というところへ進んで、お雪ちゃんの心が怪しくなって、衣桁に手をかけてみましたが、その手を自分の帯の方へ取替えて、帯を解き、着物を脱いで、とうとうイヤなおばさんの記念《かたみ》の縮緬の着物を、すっかり着こなしてしまいました。
 イヤなおばさんでも、怖いおばさんでもなくなってしまいました。
 こうして着こなしてみると、お雪ちゃんはなんとなくそわそわした気持になって、誰かに見せたい――というようなそぞろ心から、竜之助の居間へ行ってみる気になってしまいます。
 竜之助の居間へ行って見ると、竜之助は刀の手入れをしていました。
 落着きのある書院の、よい日当りを細骨の障子に受けて、あちら向きに刀の手入れしている竜之助。
 刀の手入れをなさることは、ちかごろに珍しいことだと思いましたが、それだけ気分が穏かに、環境が落着いているせいでしょう――と、お雪ちゃんはそれを喜び、そうしている竜之助の形を、よい形だと思いました。

         七十一

 武州沢井の机の家が、このごろ、急に物騒がしい空気に駆《か》られたように見えます。
 別に凶事があって、騒がしいというわけではないが、いつも、しんみりと落着いた一家の空気に、なんとなく一道の陽気が吹き入ったかのように見えるのです。
 第一、ここの女主人ともいうべきお松が、急にはしゃいだというわけではないが、なんとなく動揺を感じて、心が浮き立ち、何かここにもある時期に達したもののように見えます。
 それというのが、たしかに原因はあることなので、その原因というのは、さきごろ、房州方面へ行った七兵衛親爺が、立戻って来てから以来のことです。
 その晩、炉の前で、数え年|四歳《よっつ》になる郁太郎《いくたろう》を、その巨大な膝に抱きあげている与八に向って、お松が、こんなことを言いました、
「そういうわけですから、与八さん、この土地も惜しいけれども、この子供さんたちのために、どうしても、駒井の殿様のお船の方へみんなして移るのが、おたがいの幸福じゃないかと思います。この土地のことは、この土地のことで、みんな居ついている人で、わたしたちは尽すべきだけのことは尽し、おたがいに人情ずくで、多少の名残《なご》りはあるけれども、立退いたところで、人様に御迷惑をかけるようなことにはなっていないから、ここは、いっそ、わたしたちは駒井の殿様の方へうつり、殿様をたよったり、また殿様のお力になって上げたり、それがまたこの子供さんたちの将来の教育のためなんぞにも、どのくらいいいか知れないと思います。七兵衛おじさんなぞは、大へん喜んでいて、もう自分も船住まいの身分になれるなんて言ってます。わたしも、話を聞いてみると、全くわたしたちの救いの神様のお船じゃないかとしか思われません。渡しに船と言います通り、わたしたちが、ともかく、今迄あんまり悪いことばかりはしていなかったおかげで、こんなしあわせが迎えに来てくれたんじゃないかと思います。なんにしても、駒井の殿様を真中にして、なんにも今までの約束や、窮屈のない船の世界が出来て、世界のどこへでも落着いて暮せようというのですから、こんな結構なことはありません。海の外によい土地があれば、そこへ落着いてもいいし、また帰りたければ、手前物の船でいつでも日本の国へ戻れるのですから、まるで、世界中を自分の家とするような生活じゃありませんか……」
 お松が、お松としてはかなりハズンだ心持で言うのを、郁太郎を抱いた与八は、黙って物静かに聴いていたが、
「うむ、そうかな」
「でも、治めて行く人が悪い人では仕方がありません、悪い人でなくとも、気心の知れない人では、いくらすすめられたからといって、大海へ出る船なんぞへ乗れたものじゃありませんが、駒井の殿様のお船でしょう、それも、駒井の殿様が御自身で御工夫なすって出来上ったお船を、あの殿様が好きな人だけを乗せて、御自分が宰領《さいりょう》して御出帆になろうというのですから、こんな大丈夫のことはありませんね」
「うむ、それもそうだな」
「それにまた、この小さいお子たちだって、駒井の殿様のようなお方のお傍で、教育されて行けば、出世のためにも、どのくらい幸福だかわかりません」
「それも、そうだろうなあ」
「善は急げと言いますから、そう決心したら早くしましょうよ、なるべく早く仕度をして、お暇乞《いとまご》いをすべきところは早く済ませ、一日も早く房州へ行こうではありませんか。明日から、その仕度にとりかかりましょうね、与八さん」
「うむ――」
 与八は、じっと黙って、暫くの間、考え込んでいたようでしたが、
「うむ、それは結構な運が向いて来たのかも知れねえが、おいらは……わしには、少し考げえたことがあるからね」
 与八にこう言われて、お松が狼狽《ろうばい》しました。

         七十二

 いつも、お松の提言に不同意を唱えたことのない与八、お松が案を立て、与八が実行する。
 お松が、与八に相談なしにする仕事はあっても、与八から一応、お松の諒解《りょうかい》を求めないということはないことになっている。
 それに今晩のお松の提案は、今までの提案中の提案で、ここの生活に革命を生ずるとはいうものの、その革命は、生木を裂くようなものではなく、極めて多望満々たる好転である。すべてにとって、天来の福音であって、且つ、実行をして些《いささ》かの危なげのないことをお松が信じているから、それで、いつもよりは、一層の晴々しさをもって、与八に提言してみたのは、むろん与八も二つ返事と信じきっていたのに、今晩に限って、この最良最善の提言を、与八の口から、仮りにも不同意に類する言を聞いたのは、意外中の意外でありました。
 そこで、お松はしばらく文句がつげなかったのですが、やがて、
「どうして……どうして与八さん、どう考えたのです」
「どうしてって、お松さん、ほんとうに済まねえが、今の話に、おいらだけは別物にしてもらいてえのだが」
「別物にして、お前さん、それでは、わたしたちと一緒に、房州の駒井様のところへ行くのはいやなの?」
「いやというわけではねえが、少しわしにはわしだけの考げえがあるから、別にしてもらいてえ。といって、わしらのほかの者は、お松さんのいう通り、ほんとうにそれが渡しに船で、願ってもねえことだから、そのようになさるがいいだ、そのようにしなけりゃなりましねえ。わしらだけ別にしてもらいてえというのは、わしらには、その前から一つ願をかけたことがあるだあ」
「願をかけたって、それはどうしたことですか、何様へ、どんな願がけをしたのですか」
「いや、何様へ何をという、目に見えた話ではねえんだ、わしらは、いつかある時期を見て、日本中を歩いて一巡《ひとめぐ》りして来てえと思ってたでね」
「日本中を一巡りって、与八さん、一人でそんなことを……」
「一人じゃねえんだ、わしぁ、この郁太郎さんをおぶって、そうして、日本中の霊場巡りをして来てえものだと思って、ひとりで願をかけているのだから、その願を果さねえうちは、船で外国へ行く気にはなれねえのだから、ちょうどいい折だから、お松さんはみんなを連れて、その殿様のお船とやらへ行って下せえ、わしぁこれから廻国《かいこく》に出かける」
「まあ」
 お松は与八の言うことに眼を円くしてしまいました。それは、一にも、二にも、十にも、百にも、今まで自分というものの提言に反《そむ》いたことのない与八が、今、自分の口からこういうことを言い出した以上は、到底、翻すことができるものでないということを、直覚してしまったからです。
 それは、頑固《がんこ》で、片意地で言い出したのと違い、この人が、この際、こんなことを言いだしたのは、もうよくよくの深い信心か、決心から、多年に※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1-92-88]醸《うんじょう》されていたのだから、容易なものではないと、お松がそれに圧倒されたから、ほとんどあとを言い出すことすらできなくなってしまったのです。
 けれども、お松としては、この際、どうしても、与八のこの決心を翻えさせねばならない、と思いました。
 与八ひとりだけを残して、自分たちがすべてこの生活を移すということは、情に於ても、理に於ても、忍べないことだと思いました。そこで、暫く途方に暮れていたお松が、別の方面から与八を説きつけにかかりました。
「そんなことを言ったって、与八さん、そりゃ無理なことですよ、どうして、ひとりで日本中が廻れますか、第一食べても行かなけりゃならず、路用も少ないことじゃないでしょうし……」
 実際の生活と、経費の問題からさとらせてゆこうとしたが、与八は更に動ずるの色なく、
「ええ、そのことは心配ねえんです、わしらは、この一本の鉈《なた》を持って行きますよ」

         七十三

 与八は郁太郎にかけていた片手を離して、帯に吊《つる》してあった一梃《いっちょう》の鉈にさわってお松に見せ、
「わしは、東妙和尚さんから、この鉈を使うことを教えられている、これが一梃あれば、どうやら、物の形が人様に見せられるようになったから、これを持って、彫物《ほりもの》をしながら、日本中を歩いてみてえつもりだ」
「まあ……では、永い間の心がけね」
「ああ、東妙和尚さんもそう言わっしゃった、与八、それだけ腕が出来たら、もう田舎廻《いなかまわ》りの彫物師の西行をしても食っていけるぞい、と言われました時から思い立ちました、行くさきざき、何か彫らしてもらっては、草鞋銭《わらじせん》を下さるところからはいただき、下さらねえ時は、水を飲んで旅をしてみようと、心がけていたですよ、お松さん。そうして、まずこれから上へ登って、大菩薩を越えて、塩山へ行くと恵林寺というので慢心和尚さんが、わしを待ってて下さる、あそこで何か彫らしておくんなさるに違えねえ……それから甲州路を西行をして、信濃から美濃、飛騨、加賀の国なんというところには、山々や谷々に霊場がうんとござるという話だから、そこへいちいち御参詣をしてみるつもりで、絵図面も、もう東妙和尚さんから描いてもらっている」
「与八さん――お前さんにそんなことを言われると、わたしは胸がいっぱいになって、何と言っていいかわからない」
 お松が咽泣《むせびな》きをしてしまいました。
「なあ、会うは別れのはじめ、別れは会うことのはじめなんだから、歎くことはねえだあね。お松さんが、東の方へ行って船に乗り、わしが西の方へ行って霊場巡りをしたからといって、会える時節になれば、またいつでも会えまさあね」
「だって、与八さん……そんなに物事は、容易《たやす》く諦《あきら》められるものではありません」
「わしは不人情のようかも知れねえが、この間中から、それを考えていたね、どうもお松さんに相談したって、承知しちゃくれめえと思うから、黙って、ひとりでブラリと出かけてしまおうかと思ったこともあるだがね、そうすると、登様は、お松さんや乳母《ばあや》がついているから少しも心配はねえが、この郁坊、郁太郎さんがかわいそうだと思ってね……それだって、なにもわしがいなくても、やっぱりお松さんや乳母《ばあや》が、登様同様に可愛がって下さるから、少しも心配はねえと思っていたが、でも、今日まで、そこまでの踏《ふ》んぎりはつかなくっていたのを、今晩、お松さんから、こんな相談を受けてみると、わしがこのごろの心願も、言わずにゃいられなくなったのさ」
「だけども、与八さん、まあよく考えて下さい、今日までのことを考えて下さいよ、そうして、これからのことと思い合わせてみて下さいな。与八さんとわたしとは、こうしてずいぶん苦労もし合って、これまでになっているでしょう、それを私たちだけが東へ行って、与八さんだけを西へやっていられるものか、いられないものか。第一与八さん、お前さんだってあてどのない一人旅が、どんなに辛《つら》いものだか、今、この場のこととしないで、考えてみてごらん」
「そりゃあね、そりゃあ、わしだって人情というものがあらあね、今まで世話になったお松さんに離れたり、こんな頑是《がんせ》のねえ子供や、なじみになった皆さんに別れたり、それがどんなに辛いかを思い出すと、あれを思い立ってから、毎晩、涙が流れて枕が濡れちまったが――なんでも罪ほろぼしのためには、辛い思いをしなけりゃならねえ、お釈迦様は王宮をひとりで逃げ出してしまった、西行法師は妻子を蹴飛ばして出かけた、人情を一ぺん通りたち切ってみなけりゃ、仏の恩がわからねえ……こんなことをお説教で聞かされたもんだから、わしゃどうしても一度、罪ほろぼしのために、廻国の難儀をしてみなけりゃ済まされねえ……こう覚悟をきめてしまっていただね」
 お松はたまり兼ねて、その時言いました、
「与八さん、お前は、何をそれほどまでにして、罪ほろぼしをしなけりゃならないほどの罪をつくったの?」

         七十四

 お松が力を尽し、言葉を極めての説得も、ついに与八の志を翻すことができませんでした。
 それでも、お松の方もまた、与八ひとりのために、この幸福と、必然とを取逃がすわけにはゆかない人間以上の引力を、如何《いかん》ともすることができません。
 そこで、おたがいに泣きの涙で、おたがいの導かるる方、志す方に向わねばならない羽目となったのは、予想外中の予想外で、そうして、なにもそれをしなければ、直接の生命に関するというわけではないにかかわらず、そうさせられて行く力の前に、二人が如何とも争うことができなかったのです。
 翌日から、泣き泣きすべての出発の用意と、あとを整理することとに、働きづめであります。
 あとを濁さないように――というお松の日頃の心がけは、この際に最もよく現われ、いつも蔭日向《かげひなた》のない与八の心情もまた、こういう際によくうつります。
 持ち行くべきものは持ち行くように、あとに残して、蔵《しま》うべきものは蔵うようにしているうち、お松が一つの葛籠《つづら》の中から、一包みの品を見出して、与八に渡しました。
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「与八かたみのこと」
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と紙包のおもてに記してある。しかもそれは、先代弾正の筆に紛れもない。与八も奇異なる思いをしながら、それをほどいて見ると、守り袋が一つと、涎掛《よだれかけ》が一枚ありました。その守り袋を開いて見ると臍《へそ》の緒《お》です。紙包の表に書いてある文字を、お松が早くも読んでみると、
「与八さん――これは、お前さんの臍の緒ですよ。まあ、ここに生年月が書いてある、生年月ではない、何月何日、武蔵野新町街道捨児の事……与八さん、この涎掛がその時、お前さんがしていたものなのよ。御先代様が、こうして丹念に取ってお置きになったのを、お前さんに見せる折の無いうちに、お亡くなりになったものと見えます。今日になって、これが出て来たのも、本当に因縁《いんねん》じゃありませんか」
「ああ、そうだったか――」
 与八は、染色のあせた涎掛を、お松の手から受取って、両手で持ったまま、オロオロと泣き出しました。

 それから三日目、村人や教え子が寄り集まって、留別と送別とを兼ねたお日待でしたが、いずれも事の急に驚いて、泣いていいか、笑っていいか分らない有様です。
「末代までも、この地にいておもらい申すべえと思ったに、こうして急にお立ちなさるのは、夢え見ているようでなんねえ」
と言って泣く者が多いのです。こんな時に、お松はかえって涙を隠す女でした。そうして、一層の雄々しさを見せて、人を励ますことのできる女でした。
「皆さん、会うは別れのはじめ、別れは会うことのはじめですから、どこの土地へ行きましょうとも、また御縁があれば、いつでも会われます、一旦はこうして立っても、またおたがいに、いつでも手を取り合って楽しめる時が来るに違いありません」
 与八から言われたことをうけうりのようにして、お松が一生懸命に人々の心を励ましました。
 その翌日は、もう、運ぶだけのものを馬に積んで、乳母《ばあや》と子供は駕籠《かご》に乗せ、お松はあるところまで馬で――七兵衛は途中のいずれかで待合わせるということにして、幾多の村人や、教え子に送られて、この地の土になるのかと思われていたお松は、綺麗《きれい》にこの地を立ってしまいました。
 与八も、送ると言って、江戸街道まで姿を見せたには見せたけれども、自分が昔捨てられたという新町街道のあたりへ来た時分には、もう与八の姿は見えませんでしたが、お松は声をあげて、与八の名を呼ぶ勇気がありません。あの捨子地蔵のあたりへ来ると、面《かお》を伏せて声をのみました。

 こうして、お松とすべてを立たせてしまったその夜――沢井の机の家の道場の真中に坐って、涎掛《よだれかけ》を自分の首にかけて、ひとりで泣いている与八の姿を見ました。

         七十五

 二里三里と、飽かずに送って来てくれる見送りの者を、しいて断わって帰してしまった時分に、どこからともなく旅姿の七兵衛が現われて来ました。
 ここにまた不思議なことの一つは、いつも七兵衛の苦手であったムク犬が、最初から神妙に一行について来たが、今ここで不意に七兵衛が姿を現わしても、吠《ほ》えかかることをしませんでした。
 温容に七兵衛の面《おもて》を笠の下から見ただけで、その後は眠るが如くおとなしくなっていることです。このことは、ほかの人にとっては、気のつかないことでしたが、七兵衛にとっては一時《いっとき》、力抜けのするほど案外のことでありました。
 ムク犬が吠えない代りに、ちょうどこの前後に、駕籠の中の郁太郎が不安の叫びを立てたものです。
「与八さん、与八さん、与八さんはいないのかい、与八さん」
 いまさら思い出したように、与八の名を呼びかけ、数え年四つになった郁太郎が、突き出されたように駕籠の外へ出てしまいました。そうして前後の人を見渡したけれども、ついに自分の叫びかけている人の姿が、どこにも見えないことを知ると、
「与八さん、与八さん」
 覚束《おぼつか》ない足どりで、西に向って――つまり、自分たちが立ち出て来た方へ向って走りはじめます。
「郁太郎様、どこへいらっしゃる」
 登を抱いていた乳母《ばあや》がかけつけました。それを振りもぎって走る郁太郎。馬上にいたお松も、馬から下りないわけにはゆきませんでした。
「郁太郎様――与八さんはあとから来ますよ」
「あとからではいけない」
 お松のなだめてとめるのさえも、肯《き》かないこの時の郁太郎の挙動は、たしかに、平常と違っていることを認めます。
「与八さんは、あとから草鞋《わらじ》をどっさり、拵《こしら》えて持って来ますよ、だから、わたしたちは一足先へ出かけているのです」
「いや、いや、与八さんと一緒でなくては行かない」
「そんな、やんちゃを言うものではありません」
「いや、いや、与八さんと一緒でなくては……」
 この時の郁太郎は、激流を抜手を切って溯《さかのぼ》るような勢いで、誰がなんと言ってもかまわず、その遮《さえぎ》る手を振り払って、西へ向って、もと来た方へ一人で馳《は》せ戻ろうと、あがいているのです。
 お松でさえも、手に負えないでいるところを見兼ねた七兵衛が、
「与八さんは、あとから来るから、みんなで一足先へ行っているのだよ」
と言って、あがく郁太郎を、上からグッと抱きあげてしまいました。
「いや、いや、与八さんと一緒でなければ、どこへも行かない」
 抱かれた七兵衛に武者ぶりついて、ついに、七兵衛の面《かお》を平手でピシャピシャと打ちながら、泣き叫ぶ体《てい》は、全く今までに見ないことでした。
「では、与八さんのところへ連れて行ってやろう、さあ、こっちへこう戻るのだね」
 七兵衛が、如才なく後戻りをしてみせる、とその瞬間だけは郁太郎が納得しました。
 そうして、物の二三間も歩いて、もうこの辺と、引返そうとすれば、郁太郎は、火のつくようにあがいて、
「いやだ、いやだ――与八さんの方へ……」
 なだめても、すかしても、手段の利《き》かないことを七兵衛もさとり、一行の者が全くもてあましてしまいました。
「与八さんに送って来てもらえばよかったのにねえ」
 お松でさえも愚痴をこぼすよりほかはないと見た七兵衛は、
「この子は、与八さんという若い衆が本当に好きなのだから、この子の心持通りにしてやるのがようござんしょう」
 むずかる郁太郎を抱きながら、七兵衛は何かひとり思案を定めたようです。

         七十六

 沢井の道場に、ひとり踏みとどまった与八は、道場のまんなかで、涎掛《よだれかけ》をかけつつ、坐りこんで無性に泣いていました。
 今晩は、全く静かです。
 静かなはずです、先代の主人、自分の生命《いのち》の親たる弾正先生は疾《と》うに世を去り、まさに当代の主人であるべき竜之助殿は、天涯地角、いずれのところにいるか、但しは九泉幽冥の巷《ちまた》にさまようているか、それはわからない――最近になって復興して、竹刀《しない》の声に換ゆるに読書の声を以てした道場の賑わいも、明日からは聞えないのです。そうして、お松さんも、郁坊も、登様も、乳母も、あの人間以上と言ってもよい豪犬も、みんな行ってしまったから、今晩というものが、いつもの晩よりも、全く静かなのはあたりまえです。
 こんな静かなところで、誰もいないのに、あの図抜けて大きな男が、ちっぽけな涎掛の紐のつぎ足しをして、それを首筋にかけ、大きく坐り込んで、ホロホロ泣き続けているのだから、人が見たら笑いものですけれども、今晩は笑う人さえいない。
 幾時かの後、与八は急に飛び上りました。
「郁坊やあーい」
 立って、道場の武者窓から外をのぞいて見たが、外は暗い。
「郁坊やあーい」
 今度は、潜《くぐ》り戸《ど》をガラリとあけて外を見たけれども、外はやっぱり暗い。
 いつもならば、この暗い中から、のそりとムク犬が尾を振って出るのだが、今晩はそれも無い。
「郁……」
と与八が咽《むせ》び上って、悄々《しおしお》と道場の真中へ戻って来たが、また飛び上って廊下伝いに、今度は母屋《おもや》へ向けて一目散に走りました。
「郁坊やあーい」
 道場よりは幾倍も広い母屋は、幾倍も淋《さび》しい。
 母屋のうちを一通り廻って見た与八は、また道場のところへ戻って来て、
「郁……」
 でも、何か、外に未練が残るようで、耳を傾けました。
 与八は物に動じない男、或いは動ずるほどの感覚を持っていない男ですが、今晩は特別に、何かの幻覚を感じているらしい。
 咽《むせ》びながら静かにしていると、どうやら遠音《とおね》におさな児の泣く音がする。遠音とはいえ、思いきって近くも聞える。遠くなり近くなって、おさな児の泣く声。
 それが気になって、与八は、居ても立ってもいられない様子です。
 たまりかねた与八は、ついに草履《ぞうり》をひっかけて、表の方へ走り出しました。
 よし、何のゆかりもない近所隣りの悪太郎の泣く声であっても、この物すさまじい静けさには堪えられないから、それで、当てはなくとも、泣く子の声でも聞いてみたくなったのでしょう。
 ずっと、石段を下りて、街道筋まで走《は》せ出してみたが、また空《むな》しく道場へ立戻ってみると、道場の中で子供の泣く声がします。与八は自分の耳を疑いました。
 道場の戸を外から押開いて見ると、提灯《ちょうちん》をつけ放しにして置いた道場の中のぼんやりした光線の間に、一人の子供がいる。
「郁……郁坊」
「与八さん」
「郁坊か」
「与八さん」
「郁……」
「与八さん」
「郁……」
「与八さん」
「お前、戻って来たのカイ」
「おじさんが……おじさんが連れて来てくれた」
「そのおじさんというのは?」
「知らないおじさんがここまで連れて来てくれて、すぐ帰ってしまったよ」
「そうか」
 与八は確実に、郁太郎を抱き上げてしまいました。

         七十七

 その翌日は、門を閉し、広い屋敷のうちに人のいる気配《けはい》もなく、訪い来る人もありません。
 万事は昨日で終り、あとへ残った与八だけが、この大門を締めて、そうして与八自身も出立してしまったものと、村人は心得ているのでしょう。
 けれども、与八は残っているのです。郁太郎もまた、この家に留まっているのです。
 ただ、表の門を締めきって、二人ともほとんど、物の音も揚げないから、それで人が本当の留守と思っているのでしょう。
 与八は、今、室内の掃除をしています――掃除と共に物の整理です。整理というけれど、それはもう、ほとんど全部、お松の手で整理され尽していたから、いま、与八が整理にかかっているのは、与八の分として残されたものの整理です。それでも与八のために残された、当然、与八の所有物として残されたもののうち、大部分は人に分けてやってしまいましたから、今は、そう多分のものではなかったが、それを与八は、すべて一括してしまいました。
 一括して、どうするかと見れば、裏山へ持って行って、穴を掘って、その中へ投げ込んで暫く見ていました。その間というもの、郁太郎は絶えず与八に付ききりです。与八が母屋へ帰れば母屋、裏庭に出れば裏庭、道場へ戻れば道場――郁太郎は、絶えず与八につきつ纏《まと》いつしていたけれど、静かなもので、ほとんど一言も口をきくようなことはないのです。
 そこで、屋敷のうちは、いよいよ静かなものでしたが、裏庭へ穴を掘って与八は、一括したものを投げ込んだが、その上へ萱《かや》と柴を載せて、火をつけてしまいました。
 その火が、軽く燃え上ったところを、与八と、郁太郎が、静かに眺めていたのは夕方のことです。
 今、おもむろに焼けつつある一括《ひとくく》りの中には、数日前、お松が発見してくれた涎掛もあれば、臍《へそ》の緒《お》もあるはずです――そのほか、与八としては片時も離せない、意義のある人たちからの記念品も、みんなそれに入っていたようです。それを与八はみんな焼いてしまいました。お浜の遺骨を持って、郁太郎を背に負って帰って来た時以来の記念の品も、みんなここで焼いてしまったようです。
 それだけは取って置きなさいと、お松がいたら当然、忠告して差留めるであろうところのものまでも、与八は一切を穴に入れて、焼いてしまっているようです。記念というものは一つも残さないのがよい、と思っているからでしょう――
 それが燃えつくすのを、ゆっくりと二人は坐ってながめていましたが、いよいよ燃え尽したと見た時に、与八は鋤簾《じょれん》を取って静かに土を盛りました。

 その翌朝、まだ暗いうち、村人の一人も起き出ていない時分に、与八が郁太郎を背に負うて、今日こそは、この屋敷を発足するところの姿を見ました。
 それは、お松の一行は東へ――そうして与八は、西へ向って多摩川を溯《さかのぼ》るのです。
 背に子を負うているから、かぶることができないためでしょう、笠を胸に垂れて、そうしてささやかな一包みの荷物――草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》に、いつもするような無雑作《むぞうさ》な旅装いではあるが、ただ、いつもと変っているのは、与八の腰に帯びた一梃の鉈《なた》です――鉈という字、この場合彫と書いた方がふさわしいかも知れないが、それは、筏師《いかだし》がさすように筒に入れて籐《とう》を巻いたのを、与八は腰にさしています。
 与八として、こんなものを護身用として持たねばならぬ人柄ではないはずです。これは東妙和尚から授けられて、これによって、行くさきざきで、与八独特の彫刻を試みて、それで世渡り、旅稼ぎをしようとの用心にほかありません――
 行き行きて、その翌日、大菩薩峠の麓まで来ました。
 与八としては珍しくない道。自分の立てたお地蔵様はどうなっているか――それにもお目にかかりたいが、今日はそこでとどまる旅路ではない、峠の彼方《かなた》にはお浜の故郷もあれば、慢心和尚も待っている――今度はそれより先の道中、どうかするといずこの果てかで、弁信法師あたりにもぶつからない限りもないでしょう。

         七十八

 根岸に閑居の神尾主膳とお絹は、閑居は相変らず閑居に違いないけれど、このごろは、幾分か荒《すさ》みきった生活に経済的に潤いが出来たらしく、お絹は、しげしげと買物に出かけたり、家へ寄りつかないではしゃいでいることもあるのを以て見れば、どこからか水の手が廻っているものと見なければならぬ。だが、どこからといって、ほかから来るところがあるはずはない、多分七兵衛あたりが、さんざんに人を焦《じ》らした上で、その稼《かせ》ぎ貯めを、ぱっとばらまいたものと見るよりほかはないでしょう。
 七兵衛の奴は、稼ぎさえすればいいので、稼ぎためなんぞは存外、頭に置いていない男だから、自分が稼ぐことの興味と、労力とのほぼどの程度であるかということを、相手に納得させてやりさえすれば、その粕《かす》に過ぎないところの稼ぎためなんぞは、思ったより淡泊に投げだしてしまうに違いない。ところが、二人のうち、特にお絹という女にとっては、その粕こそが珍重物である。
 お絹は、その七兵衛の稼ぎための粕によって、当座の自分たちの生活に潤いがついたことによって、はしゃぎ出し、今日も主膳に向って、こんなことを言いました、
「あなた、築地《つきじ》へ異人館が出来たそうですから、見に行きましょうよ」
「うむ……」
「たいしたものですってね、あの異人館の上へ登ると、江戸中はみんな眼の下に見えて、諸大名のお邸なんぞは、みんな平べったくなって、地面へ這《は》っているようにしか見えないんですって」
「うむ……毛唐《けとう》めは、なかなか大仕事をやりやがる」
「異人は、何でもすることが大きいのね」
「うむ……あいつらの船を見ただけでもわかる、いまいましい奴等だ」
「そうしてまた、いちばん高いところへ登ると、上総、房州から、富士でも、足柄でも、目通りに見えるんですとさ」
「話ほどでもあるまいがな」
「話より大したものですとさ、本館が鉄砲洲河岸《てっぽうずがし》へいっぱいにひろがって、五階とか六階とかになっているその上に、素敵な見晴し台があるんだそうですから」
「うむ」
「それに、その見晴し台には、舶来の正銘に千里見透しという遠眼鏡が備えてあるから、それで見ると、支那も、亜米利加《アメリカ》も一目ですとさ」
「話百分にも、千分にも聞いているがいい」
「聞いてばかりいても、つまりませんから、見てやりましょうよ、ちょうど、天神下の中村様から伝手《つて》があって、紹介してやるから、見物に行ってこいと言われました」
「うむ、中村が……見てこいと言ったか」
「ええ、あの方、異人の大将にごく心易《こころやす》い方があるんですって。ですから、あの方に紹介していただけば、間取間取《まどりまどり》もみんな見せてもらえるし、見晴し台へも上れるし、その遠眼鏡も、飽きるまで見せてもらえるんですとさ」
「うむ」
「あなた、いらっしゃらない?」
「うむ」
「わたしは、あなたもお連れ申して行くように言いました、あなたとは言いませんけれども、一人二人お友達をつれて行くかも知れないがよろしうござんすか、と念を押しますと、さしつかえないと言いましたから、ぜひ、一緒にいらっしゃいまし」
「お前のおともをして行くのも、気が利《き》かないなあ」
「そんな気取ったことをおっしゃるな、かえってお微行《しのび》のようで、いいじゃありませんか」
「うむ、後学のためにひとつ、見て置いてもよかりそうだ」
「ぜひ、そうなさい……では、そのつもりで乗物を言いつけましょう」
「まあ――待ってくんねえ、お腹がすいたから、兵糧をつかってからのこと」
「やりやがる」とか、「待ってくんねえ」とかいうような言葉が、主膳の口から時々ころがり[#「ころがり」に傍点]出すのは、氏《うじ》より育ちのせいでしょう。

         七十九

 主膳とお絹とは、御飯を食べながら、しきりに異人館の話をしています。
 話といっても、主膳は受身で、お絹だけが乗り気になって、珍しいものの数々を、ひとり合点《がてん》の受売り話みたようなものです。
「それからねえ、異人にもずいぶん、別嬪《べっぴん》がいますとさ」
「そうか」
「あなた、異人の別嬪さんを、ごらんになったことがありますか」
「毛唐の女なんて、まだ見たことはない」
「ところがね、その異人館にはね、そこの大将の奥様で、素敵な異人の別嬪さんが来ているんですとさ」
「うむ」
「それに、女中たちも、異人国からなかなかすぐったのを連れて来ているそうですよ」
「毛唐の女にも、別嬪と不別嬪の区別があるのかなあ、髪の毛が赤くって、眼の玉の碧《あお》い奴にも、美と不美とがあるのか知らん」
「そりゃ、ありますともね、そうして、その異人館の奥さんが別嬪の上に、異人館の主人がまたいい男なんですって」
「毛唐の女に、美人と不美人がある以上は、男にも、やっぱり好い男と、悪い男との区別があるだろう」
「ありますともね。そうして二人とも、大へん仲がよくってお世辞がよく、日本の言葉が少しはわかるんですって。そうして御亭主の方が、ワタクシ奥サン美人アリマス――なんて言うと、奥さんの方が負けずに、ワタクシ旦那異国一番イイ男、なんて、手ばなしでやるもんですから、それが異人だけに愛嬌になって、大へんな人気だそうです」
「毛唐にも、相当に洒落者《しゃれもの》があるのだなあ」
「あなたはそう毛唐毛唐とおっしゃるけれど……あなたばかりではない、日本の人はみんな毛唐毛唐って、人間じゃないように言うけれど、つきあってみると、どうして異人の方が、よっぽど日本人より捌《さば》けていて、物のわかったところもあれば、人情も深いところがあるのですとさ」
「毛唐にも、そんな人間らしい心があるのかなあ」
「大有りですとさ。その証拠には、日本の女でね、初めは、見るのもけがれのようにいやがっていたものが、贔屓《ひいき》にされてるうちに、だんだんよくなって、よくなって、こっちが熱くなり……」
「もう、よせ、それはらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]という奴だろう、日本に生れても、日本人の部じゃないのだ」
「らしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]なんて、悪口を言うけれど、世話になった女の人に言わせると、異人は情が深くって、実があって、それにお金は糸目なしに本国から来る、宝石や、羅紗《らしゃ》は好きなのが選取《よりど》りに貰える、ほんとうに異人はいい、異人さんに限る……」
「してみると、お前なんぞも、そのらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]向きに出来ている一人だろう」
と言われて、はしゃぎきっていたお絹が、ふくれ出し、
「何をおっしゃる」
「お前もひとつ、その情け深くって、実があって、お金は糸目なしに本国から来て、宝石でも、羅紗でも買ってもらえる奴を一人二人、相手にしてみたらどうだ」
「いやなことをおっしゃいますねえ」
「お前というイカもの食いも、まだ毛唐を食ったことはあるまい」
「お気の毒さま……それよりは、そちら様こそ、異人館へ行って、まさか奥さんはお話合いになりますまいが、女中さんのうちの乙なのを一つ、かけ合ってみてごらんになっては……あなたほどの悪食《あくじき》ですから、異人の女を食べたって、あたる[#「あたる」に傍点]ようなことはございますまい」
「うむ」
 ここで主膳が、うむと言ったのは、どういう意味かわからないが、挨拶に困っての詞《ことば》だけのものでしょう。
「なんなら、お取持ちを致しましょうか」
とお絹がつぎ足したのも、隙間だらけでしっくりとはうつらない。
 乗物が来たからお絹を一足さきに、主膳は後《おく》れて行くことにきめました。

         八十

 お絹は、いそいそと出て行ったけれども、主膳はそれほど気が進んではいない。
 勧められた事柄が風変りだから、後学のためにひとつ見て置いてやろうかな、という気になったまでのことで、別段、興をそそられているわけでも、なんでもないのです。
 それでも、あつらえた乗物が来てみると、やめるという気にもなれず、それに打乗って、根岸から築地へ向けて急がせてはみたが、乗物の中で、なんとなしにばかばかしいという気で、さっぱり目的のことに興味は持てないのです。
 このことばかりではなく、主膳はこのごろは何事にも、さっぱり、興味というものが持てないでいる。それは単に金が無いから、軍費が続かないから、それで面白くないというだけではなく、今は金があっても、興味が持てないものがあるのです。
 乾ききっていたついこのごろ――逆さに振っても、水も出なかったこのほど――銭さえあれば昔のように我儘《わがまま》にも遊べるし、綺麗に使いこなすことも知っている。銭が物言うことを最もよく知り抜いているだけに、お絹という女から、金が欲しい、金が欲しい、と当てつけられた時は、むらむらとして、押借り強盗でもなんでもいいから、銭の入る方法があれば何でもやる。お絹という女も、銭にさえありつく仕事なら、万引でも、美人局《つつもたせ》でもやりかねない女ではあるが、環境というものが、そうまでは進ましめないでいる鼻先へ、七兵衛という奴が、猫に鰹節を見せびらかすような、キザな真似《まね》をして見せたけれども、結局、かなりまとまった金をとって来て、自分たちに思うように使わせることになった。
 使わせるものなら使ってやれ――という気になったが、そこはお絹と違って、事実、銭を目の前へ突き出されてみると、使い捨てるのがおっくうだ。なんだか白々しくって、ちょっと手を出してみる気にならない。
 この銭を使って、昔やったような馬鹿遊びを繰返してみたところで何だ、さっぱり面白くないなあ、本来、遊びというやつに面白いものは一つとして無いじゃないか。
 そこへ行くと、あの女は、金があると、まるで、色気づいてしまって落着いてはいない。無い時は悄気《しょげ》返って小さくなっているが、いざ、いくらか身についたとなると、あのはしゃぎようは――そうして、勝負事に注ぎ込むんだ。買物なんぞはたかの知れたものだが、あの女は、相手かまわず勝負事に目がない。
 だが、やりたければ、やれ、やれ、ばくちでも、ちょぼ一[#「ちょぼ一」に傍点]でも、うんすん[#「うんすん」に傍点]でも、麻雀でも、なんでもいいから勝手にやれ、こちとらは、もうそんなことで慰められるには、甲羅《こうら》を経過ぎている。
 ばくちでも、ちょぼ一でも、焼けついていられるうちが花なのだ。七兵衛から捲きあげたあぶく[#「あぶく」に傍点]銭、いくらあるか知らないが、あの女の勝負事に使った日には、いくらあったって底無し穴へ投げ込むようなもので、遠からず、また壁へ馬を乗りかけるのは知れている。そうなった時分に、また同じような荒《すさ》みきった生活が繰返される。
 いやになっちまうな……神尾主膳は乗物の中で、こんなことを考えると、いよいよいやになり、引返そう、屋敷へ引返して、字を書いてでもいた方がましだ、字に飽きたら、子供をおもちゃにして遊ぶことだ、毛唐屋敷が何だ――こんなことを考えながら、額に滲《にじ》む汗のところへ手を当ててみると、ザクリとその指先に触れるものがある。それは、古屋敷の中で、草に隠れた古井戸へ片足を突込んだように、主膳をして一種の不安と、今までとは違った不快な思いで、胸をカッとさせたものは、例の額のあの古傷です。
 こいつが――そもそもこの古傷が、こうも自分を不愉快なものにしてしまったのだ。銭がいやなのではない、遊びが面白くないのではない、みんなこの額の刻印が、自分というものを刑余の入墨者《いれずみもの》同様な、卑屈な日蔭者にしてしまったのだ。
 ちぇっ!
 こいつが――この傷が、これがあるおかげで、この生れもつかない眼が一つ殖えたおかげで、おれの半生涯が、すっかり暗くなってしまった。

         八十一

 主膳は、むらむらとして、その時に、かの弁信法師なる者に対しての渾身《こんしん》の憎悪《ぞうお》を、如何ともすることができません。
 あいつさえ無ければ、あのこましゃくれた、お喋《しゃべ》りの坊主の、ロクでなしさえ無ければ、こんなことにはならなかったのだ、自分の面体《めんてい》に生れもつかぬ刻印を打ち込んで、入墨者同様の身にしてしまったのは、あのこましゃくれた、お喋りの小坊主の為せる業ではないか――主膳がその時のことを思い出して怒ると、額の真中の牡丹餅大の古傷が、パックリ口をあいて、火炎を吐くもののようです。
 全く、小坊主のために、自分はこんなにされてしまった。耳切りと入墨と、二つを兼ねたような処刑を、あのお喋り坊主から受けて、自分は今日人前へ出されぬ面《かお》にされてしまった。
 憎い小坊主、天地間に憎いとも憎い小坊主め――主膳は、キリキリと歯がみをしてその瞬間には、自分というものの過去は、すっかり抛却され、一にも、二にも、憎いものに向って、その骨髄に食い入る憎悪心が燃え立ちます。
 一にも弁信、二にも弁信、あいつがこのおれの面を、世間へ面向けのできないようにしてしまったのだ。思い一度《ひとたび》ここに至ると、酔わない時でも、酒乱の時と同様に、食い入る無念さに、心身が悩乱し狂います。
 事実は、弁信から暴力をもって、そうされたわけでもなんでもない。弁信もまた、彼に見せしめの入墨を与えてやろうとて、そうしたわけではなし、かえって神尾の暴虐の手から遁《のが》れようとする途端に、無心のハネ釣瓶《つるべ》があって、主膳の額から、あれだけの肉を剥ぎ取って行ったもので、無論、主膳自身の暴虐が、そういうハズミを食わせるように出来ていた。
 それこそ、当然の刑罰が、ハネ釣瓶の手を借りて、痛快に行われたものに過ぎないから、怨《うら》むべくば、井戸の釣瓶を怨まねばならないはずなのに、主膳は、その事なく、弁信を極度まで憎み、あの時完全にあのお喋り坊主の息の根をとめてしまうまで見届けなかったことを、親の仇を取り残したほどに、残念に思う。
 今も、乗物の中で、それを思い出した主膳は、もう矢も楯もたまりません。
「駕籠屋《かごや》、もういいから、根岸へ戻せ、築地へ行くのは止めだ、根岸へ戻せ、戻せ」
 主膳のこう言った言葉と出逢頭《であいがしら》に、外では駕籠屋が、
「旦那様、曝《さら》しがございますが、ごらんになっちゃいかがですか」
「え、何?」
「曝しでございます」
 主膳の癇癪《かんしゃく》と、駕籠屋の注告とが、ぶっつかって、ちょっと火花を散らしたが、駕籠屋の注告に制せられて、
「曝しとは何だ」
「ごらんなさいまし」
 駕籠屋が外から垂《たれ》を上げたものです。今まで自分だけで心頭をいきり立たせていたものだから、外面を乗物がどううろついて来たか、その辺はいっこう、耳にも入らなかったのだが、そう言われた瞬間に、人通りの劇《はげ》しい音が主膳の耳に入り、つづいて、外からはねられた垂の外を見ると、そこに、「曝し物」
 うむ、ははあ、いつのまに、日本橋まで来ていたのか。
 ここは日本橋だ、しかも日本橋の東の空地だ、なるほど、曝し場に違いない。小屋があって、筵《むしろ》がしいてあって、後ろに杭《くい》があって、その前にズラリと一連の曝し物がある。
 曝し物は、官がわざわざ曝して、衆人の見るものに供するのだから、ただでさえ、物見高い江戸の、しかも、日本橋の辻に官設してあるのだから、見まいとしても、それを見ないで通ることを許されないようになっている。駕籠屋は、乗主《のりぬし》に対する義務として、わざわざ注意して、頼みもしないのに進行を止めて、垂《たれ》まで上げて見せようとする。それにぜひなく人垣の隙間から主膳が見ると、苦りきってしまいました。
 生曝《いきざら》しの坊主が数珠《じゅず》つなぎになって曝されている。

         八十二

 それを見ると、苦りきった主膳は、いったん、舌打ちをしてみたが、何と思ったか、急に兎頭巾《うさぎずきん》を取り出すと、それを自分の頭にすっぽりかぶって、
「坊主の生曝しは近ごろ珍《ちん》だ」
と言って、乗物から、のそのそと出て来ました。
「御覧になりますかねえ」
 駕籠屋どもは、公設の曝し物の前を乗打ちをさせては、乗主に申しわけがないというお義理から、ちょっと進行を止めてみたのが、乗主は意外にも、それに乗り気になって、のこのこと駕籠を出たものだから、少し案外に思っていると、主膳はズカズカと人混みの中へ行って、その坊主の生曝しを、兎頭巾の中からじっと見据えてしまいました。
「旦那様――」
「よろしい、貴様たちは、もう勝手に帰れ」
「築地の方は、どういたしましょう」
「少し寄り道をして行くから、貴様たちはこれで帰れ」
 主膳は、相当の賃金を与えて、乗物をかえしてしまいました。
 そうして、人立ちの中へ分け入り、自棄《やけ》になって、思い入りこの曝《さら》し物《もの》を見ている。
 都合、五人の坊主が、杭《くい》に縛りつけられて、筵《むしろ》の上に引据えられて、縦横無尽の曝し物になっている。
 その背後には高札があって、何故にこの坊主共が、こうして生曝しにされていなければならないかの理由が記してある。それを読むまでもなく、神尾主膳は、
「千隆寺の坊主共だな」
 千隆寺の坊主というのは、根岸の自分たちのつい近所にいて、立川流とかなんとかいって、子を産ませるお呪《まじな》いをする山師坊主の群れだ。しかもその親玉の敏外《びんがい》という奴は、自分の昔馴染《むかしなじみ》の友達であった。だが、ここには、その親玉の坊主はいない。その取巻や下《した》っ端《ぱ》、現に自分のところへ、親玉を置いてた時分に、よく秘密の使者にやって来た若いのも、現在ここにいる。
「見られた醜態《ざま》じゃねえな」
と主膳が、自分の古傷を、自分で発《あば》いて興がるような心持で、その坊主共の面《かお》を、いちいち頭巾の中から見据えていました。
 曝し物というものは、見せるために据えつけて置くのだから、いくら見据えたところで、文句の起るはずはないが、主膳がこうして痛快な気分で、「見られたざまじゃねえや」――巻舌をしながら見据えているのは、その気が知れないことです。
 主膳としては、こいつらが、覿面《てきめん》の仕置を蒙《こうむ》って、見せしめになっていることに向って、官辺と市民の制裁が至当であることを、世道人心のために我が意を得たりとして、見ているわけではありますまい。といって、気の毒なものだ、さして腹のある奴等でもないのに、山師に操られて、心ならずも深入りしたために、仮りにも出家僧形の身を、こうして万人の前に曝し物にされている、ともかくも、何とかしてとりなしてみてやりたい……というような臆測の気分で見ているはずもない。
 だが、見られたザマじゃあねえや……という呟《つぶや》きの下には、たしかにイイ気味だ、どうだい、そうして曝し場の道に坐っている坐り心地は、どんなものだい……といったような意地悪い色が、眼の中にかがやいている。つまり、神尾主膳は、痛快な残忍性をそそりながら、その曝され物が、ことに多少は自分の身に近いところから出たということに、一層の快味をもって、飽かず見据えている、と見るよりほかはありません。
 そのうちに、人だかりの中から、
「なあんだ、なまぐさ坊主のくせに、いやに好い男でいやがらあ、向うにいるあの坊主なんざあ、羽左衛門そっくりだぜ、大方坊主と見せて、蔭間《かげま》でもかせいでいたんだろう」
という職人の悪口が、主膳の耳にとまりました。
「蔭間だ、蔭間だ、坊主抱いて寝りゃめっちゃくちゃ[#「めっちゃくちゃ」に傍点]に可愛い、どこが尻やら、ドタマやら」
 この声で、人だかりがドッと笑いました。

         八十三

 幾時の後、吉町《よしちょう》の金筒《きんづつ》という茶屋の一間で、酔眼を朦朧《もうろう》とさせている神尾主膳を見る。
 次の間には、抜からぬ面で御機嫌をうかがっている野だいこの金公を見る。
「金助、おれは何を見ても聞いても、このごろはさっぱり面白くないんだ」
と主膳が言う。金助ベタリと額《ひたい》を一つ叩いて、
「頼もしうござんせんな、御前《ごぜん》なんぞはまだ、勘平さんの頭を二つか三つというところでげしょう、三十九じゃもの花じゃもの、まだまだ花なら蕾《つぼみ》というところでいらっしゃいます、それに何ぞや、この世が面白くないなんて、心細いことを御意あそばすようでは、金助如きは、世間が狭くなって、もう一寸たりとも、お膝元が歩けません、いざ改めてお発《はっ》し下さいませ、行道先達《ぎょうどうせんだつ》、ヨイショ」
 金助は相変らず、アクの抜けないお追従《ついしょう》を並べて、得意がっている。
「見るもの、聞くものが面白くないばかりか、何を見ても、聞いても、癪《しゃく》にさわることばっかりだから、今日は、ここへしけ込んだを幸い、貴様を呼び寄せて、横っつらをひっぱたいてやろうと思っているのだ」
「これは驚きやした!」
 金助は頬をおさえて、やにわに飛び上るような恰好《かっこう》をし、
「気がくさくさするから、金助を呼び出して、うんとひっぱたいてやろうなんぞは、全く恐れ入ります、ひっぱたく方の御当人は、それでお気が晴れましても、ひっぱたかれる方の金助の身になってごろうじませ」
 金助は、仰山な表情をして、痛そうに頬を押え、
「しかしまあ、殿様、金助如きが面《つら》でも、打ってお心が晴れるなら、たんとお打ちなさいまし、金助、殿のお為めとあらば、横っ面はおろか、命まで厭《いと》いは致しませぬ」
「じゃ、なぐるぞ」
「さあ、お打ち下さいまし」
「いいか」
「はい、殿のお為めとあらば、骨身を砕かれても厭うところではございませんが、それに致しましても、なるべく痛くないようにお打ちを願います、ヘボン先生に足を切らせると、痛くないように切って下さるそうでげすが、あの伝でひとつ……」
「それ、面を出せ、横ッ面を……」
「はい、なるべく、どうか、そのヘボン式というやつで」
「いいか」
「是非に及びませぬ、こんなことだろうと思って、家を出る時に、女房子と水盃をして出て参りました」
「泣くな」
「泣きゃいたしませぬ」
 金助は覚悟をして、なめくじのような恰好をし、頬のところを主膳の方に差向けて、すっぱい面をしながら、
「いつぞやは、御新造様に打たれました、あれはあまり痛みませんでございました。その前は女軽業の親方に打たれましたが、女とはいえあの方は、ちっと薬が強うございました。女とは申せ、あの女軽業の親方なんぞは気が荒うげすからな、自然、痛みの方も激しうげしたが、そこはそれ、痛みが強いだけ、利《き》き目の方もたしかなものでげしてな、この風通《ふうつう》と、このお召と、それから別にお小遣《こづかい》が若干……」
「たわごとを言うな、それ、行くぞ」
 神尾主膳は、思い切って金助の横っ面を、ピシャリと食《くら》わしたが、
「あっ!」
 その途端、金助は仰山に後ろへひっくり返る。平手で横っ面をひっぱたかれたにしては、手当りが少し変だと思うも道理、金助が横ッ倒れに倒れた周囲には、山吹色の木の葉のようなものが、あたりまばゆく散乱していたから、眼の色を変えて起き直り、
「こうおいでなさるだろうと思いました、骨身を砕くだけのものは、たしかにあると、こう信じたものでげすから……へ、へ、へ、金助の眼力《がんりき》あやまたず」
 金公は驚悦して、その山吹色の、木の葉のようなものをかき集めにかかる。

         八十四

 山吹色の、木の葉のようなものを懐ろへ入れて、すましこんだ金助に向い、
「金公、おれは今日、日本橋で変な曝《さら》し物《もの》を見て、胸が悪くってたまらないのだ」
と言って、神尾主膳は坊主の生曝しのことを話し、
「全く、イヤな物を見せられたが、坊主の生曝しというやつはまた痛快なものだ。いい気味だと思って、わざわざ駕籠《かご》から下りて穴のあくほど見てやったが、全くいいザマではあったが、小癪にさわることには、その坊主共が、曝し物のくせに、イヤに男っぷりがのっぺりしてな、あいつは蔭間《かげま》だろうと見物が言っていた」
 それから急に胸が悪くなったが、いっそ胸の悪くなったついでに、一番、その蔭間というやつを、おもちゃにしてみてえ。
 今でこそ、蔭間は法度《はっと》になっているが、そこは裏があって、吉町へ行けば、古川に水絶えずで、いくらでも呼んで遊べる、ことに、この金筒のお倉婆あ、その方に最もつて[#「つて」に傍点]があるとのことだから、やって来たのだ、金公、貴様お倉婆あと相談して、よきに取計らえ――と主膳が言う。
 それを聞いて、金公が心得たりと小膝を丁と打ち、呼べる段ではない、この金筒のお倉婆あこそは、今は蔭間専門を内職とし、ここへ申しつけさえすれば、到るところに渡りがついていて、舞台子、かげ子、野郎の上品下種《じょうぼんげしゅ》、お望み次第だということ、その来歴、遊び方、散財の方法なんぞを、心得顔に並べるのがうるさく、神尾は、ちょうど傍へ来合わせた三毛の若猫を取って、それを上手に投げると、得意になって振りたてていた金公自慢の髷《まげ》つぶしに、その猫が取りつく。
「あいつ、あいつ……これはまた恐れ入りやした、悪い洒落《しゃれ》でございます。猫を背負うとてお背中をかっかじられやせぬものを……これこれ、わりゃ、身共がつむりを噛《か》んで何と致す」
 金公は、頭へのせられた猫を取下ろそうとしたが、猫が髷に爪をからんで離れない。金助がいよいよ騒げば、猫がいよいようろたえる。その結果はさんざんに、髷と額をかっかじる。
「こりゃこれ、男の面体《めんてい》へ」
とかなんとか言ったが追附かない。
 それを見て神尾は、面白がって笑う。
 結局、金公は、自力ではこの猫を自分の頭から取外《とりはず》すことができないことになる。取外して外せないことはないが、強《し》いてそうすれば、自分の髷を全部犠牲にしなければならぬ、その上、この頭の部分に負傷する虞《おそ》れもあるから、今のところでなし得ることは、じっと動かないよう、猫を頭の上に載せたままで、両手をあげて抑えているだけのものです。
 抑えられた猫は、その窮屈に堪えないで動こうとする。そのために、痛い思いを我慢する金公の面を見て、主膳が大声をあげて喜ぶ。
 結局、金助は、この場にいたたまらず、猫を頭に載せたままで、下の座敷へ向って逃げ出し、誰ぞもう少し好意を持った相手の力を借りることよりほかに、最上の道はないことを知った。
 そうして、金助を追払ってしまった後の神尾主膳は、脇息を横倒しにして、それを枕に天井に向って、太い息を吹きかけながら横になりました。
 男色を弄《もてあそ》びに来たということが、愉快を買いに来たのではなく、男性というものの侮辱ついでに、もう一歩進んで侮辱を徹底させてやれ、というような残忍性が、主膳をこんなところに導いたものである。侮辱というけれども、この場合、主膳自身が侮辱されたわけではないが、侮辱されている男性の端くれを、日本橋で見たのが、男色を商《あきな》うやからに似ていると言われたついでに、男性が男性を侮辱するも一興だろう、とこんな謀叛心《むほんしん》で――ここへやって来たものだから、なにも特別に執着を感じてはいない。
 横になって、そうしてやっぱりこの倦怠した、この不安、不快な気分をどうしようという気にもなれない。
 結局、酒に限る――酒に落ちゆくよりほかののがれ[#「のがれ」に傍点]場はないというに帰する。

         八十五

 主膳が再び、うたた寝からさめ、
「金助――金助」
「はーい、殿様、お目覚めでござりますか」
「何だ、お前は」
「はい」
 神尾主膳は、二度目のうたた寝から覚めた朦朧《もうろう》たる眼を据えて、いま、眼前にわだかまっている代物《しろもの》を見ると、圧倒的に驚かされないわけにはゆきません。
 それは金助ではない、金公とは似ても似つかぬ一人の女、しかも、小山の揺ぎ出でたようなかっぷく[#「かっぷく」に傍点]の大女、銀杏返《いちょうがえ》しに髪を結って、縞縮緬《しまぢりめん》かなにかを着て、前掛をかけている。呆《あき》れ果てた主膳は、
「お前はここの女中か」
「はい」
「でかい女だなあ」
「はい」
「あのな、こちがさいぜん呼んだ金助というがいるだろう」
「金助さんは、ちょっと急の用事が出来ましたから、殿様のおよっている間ゆえ、御挨拶も申し上げず、ちょっと失礼いたしますから、殿様の御機嫌に障《さわ》らないように、よろしく申し上げてくれといってお出かけになりましたよ」
「うむ、金公が出て行ったのか、では、お前でもいい、酒を持て」
「お酒は、おやめあそばしませ」
「ナニ、酒を飲むな?」
と主膳は、大女の面《かお》をまじまじと見て、
「料理屋へ来て、酒を飲むなと言われたのは初めてだ」
「はい、殿様は酒乱の癖がおありになるから、お酒のお言いつけがあっても、なるべく差上げないようにと、おっかさんから言いつかっておりますえ」
「ふん、なるほど、貴様は正直者だ、言いつかった通りを、客の前で言ってしまうのは、正直者でもあり、新前《しんまい》でもあるな。いったい、いつ、どっちの方から、この店へ来た」
「はい――もとは両国にもおりましたが、近頃は田舎廻《いなかまわ》りをしておりました」
 こう言われてみると、その昔、女軽業《おんなかるわざ》の一行のうちの人気者で、甲州一蓮寺の興行から行方不明になった、力持のおせいさんという者があったことを、知る人は知っている。
 その時分には、神尾主膳も甲府にいた。主膳としても、あの女軽業を見物に行った覚えのあることは確かだが、その一座の中の看板に、現在眼の前にいる怪物が、客を呼んでいたかいなかったか、そんなことの記憶までは残ろうはずもない。この怪物の方でも、当時の見物の中に、あの時お微行《しのび》で通った彼地《かのち》のお歴々としてのこのお客様の姿形を、頭に残していようはずはないにきまっている。
 主膳は、この思いがけない大女の出現と、その大女が、酒をすすめるためでなく、禁酒の監視役として出張して来たような態度に、相当興をさまさないわけにはゆきません。
「一杯ぐらいはよかろう、ほんの一杯飲ませてくれ――相手の来るまでの退屈しのぎにな」
「少しぐらいならかまいません」
「許してもらえるかな」
「飲み過ぎて、酒乱を起しさえしなければ、差支えはございません」
「差支えないか」
 主膳は、お茶屋へ、酒飲みの請願に来たような心持で、いっそ、多少の愛嬌をさえ感じたらしく、
「さしつかえなくば、ほんの少々のところ、お下げ渡しが願いたい」
「お待ちなさい、わたしが、おっかさんに相談して、差上げていいと言われたら、差上げることにいたします」
「そうか、では、おっかさんに相談して、ほどよいところを少々、お恵み下し置かれたいものだ」
「待っておいでなさい」
 大女は、のっしのっしと出て行ったが、その後で、神尾主膳は呆《あき》れがとどまらない。
 それでも、しばらくして、酒盃をととのえて来て、主膳をもてなすだけのことはしました。
 お酌《しゃく》もすることはするが、どこまでも、自分が監視して飲ませるのだ、特にこのお客に限っては、本部からの監視命令があって、飲ませるには飲ませても、程度がある――といった申附けを、露骨に遵奉《じゅんぽう》している手つきが腹も立たないで、いよいよお愛嬌だ。

         八十六

 でも、この監視つきのお酌で、一杯、二杯と傾けているうちに、相当にいい心持になって行くのは奇妙だと思います。
 これは、へたな御機嫌取りの取持ちや、見え透いたお世辞者よりも、この大女にしてお酌と監視役とを兼ねた山出しが、時にとっての愛嬌となったためでしょう。大女のぎこちないお酌のしっぷりが、かえって興を催したものだから、神尾主膳は、いい気になって立て続けに二杯三杯と呷《あお》り、女が狼狽《ろうばい》ぶりを、いよいよおかしく、まじまじとながめて、ようやく悦に入り、
「大きいなあお前は。いったい、目方は何貫あるんだ、カンカンは」
「生れつきだから、どうも仕方がありません、痩《や》せたいと思っても、痩せられやしません、削るわけにもゆきませんからね」
「強《し》いて、痩せたり削ったりするには及ぶまいではないか、世間には肥りたがって苦心している者もある」
「商売をしている時は、肥っていてもいいが、こうして御奉公をしている時は、痩せていた方が、どのくらい楽か知れないと思いますね」
「商売――肥っていてもいい商売というのは何だ」
「楽をしていると、かえって肥りますねえ」
「うむ、苦労をすると人間は痩せる、お前なんぞは苦労が足りないのだ」
「ずいぶん、苦労もしましたけれど、なかなか痩せませんね」
「ちっと、親肉《しんにく》を切って売り出したらどうだ。いい肉だなあ、豚一の殿様へ持って行けば、物言わず一斤二十匁でお買上げになるぜ」
 神尾は、力持のおせいの肉体を、着物の外れからつくづくとながめているうちに、その眼の中に、皮肉と険悪の色が、そろそろと溢《あふ》れ出して来ました。
 通常の人は、物を見るのに二つの眼を以てするけれども、神尾主膳は三つの眼を以てするのです。ことに、弁信法師から、真中の特別な一つの眼を授けられて以来というものは、父と母とから与えられている二つの眼が、むしろそれを見まいとして避ける場合にも、その一つだけが、パッカリとあいて、最後まで、それを凝視していなければやまないようです。
 日本橋で、僧侶の生曝《いきざら》しを徹底的に見まもっていたのがこの眼でした。そして、僧侶という人間界の特別階級の為せる汚辱と、冒涜《ぼうとく》が、白昼、俗人環視の真中で曝されていることを見て、その眼が、痛快な表情を以てクルクルと躍り出したかのように、かわるがわるその曝し物を貪《むさぼ》り見て、飽くことを知りませんでした。
 これは、単にこの事にのみ限った例ではありません。すべて、その視力の及ぶ限りでは、人間というものの間に行われる、すべての汚辱と冒涜、破倫と没徳、醜悪と低劣、そういうものに向っては燃えつくような熱と、射るような力を以て、それを見のがすまいとはしています。見出したが最後、それが燃え尽すまでは、見捨てるということは不可能らしい。
 坊主の冒涜ぶりを貪看《どんかん》して、飽くことを忘れたこの眼が、その坊主が、蔭間《かげま》という人間界の変則なサード種族に似ているという偶語を聞いてから、その凝視から一時解放されると共に、今度は、その蔭間というやつを見てやらねばならぬ――という熱と力とに変化してきたのは、当然のような経路でありました。
 この眼こそは、人間というものが、極度まで汚さるるところを見たいのです。それが、底知れずに犯されて行く現場を見たいのです。
 偶然にそれを見ることができれば幸い、そうでない限りは、自分から――自分といっても、眼という器官だけのそれ自身では、自由行動の能力が無いから、とりあえず自分だけの持てる能力を極度に誘導発揚して、その心をそそのかし、そうしてこの四肢五体の主人公を動かして、退引ならぬ現状を作らせ――そうしておいて自分は一段高いところにいて、飽くまでその現状を凝視することを、むしろ必須の食物ででもあるかのように心得ているらしい。

         八十七

 その目的物を見ようとする途中の道草としての、この女化け物に、神尾が、かりそめの興味を呼び起してみると、梯子酒のように、その残忍性が募って来るのは、この男の持前です。
 パックリと口をあいた真中の眼が、力持のおせいというものが有するアブノーマルな肉体に向って、貪看《どんかん》を起しはじめたのが運の尽きでした。
「おい、お前、女角力《おんなずもう》というものを見たか」
「え、女角力でございますって」
「見たかじゃない、お前も、前生はその女角力で鳴らした仲間じゃないか」
「いいえ、角力はやりませんでしたが」
「角力はやらなかったが……その身体《からだ》で何をやっていたえ」
「何でもいいじゃございませんか、そんなことをおっしゃらずに、もう一つ召しあがれ」
「おやおや、御意見役が今度は、お取持ちになったのだな」
 主膳は、おせいがテレ隠しにすすめる酒を受けて飲み、
「女角力をやっていたのだろう。どこでやったい、神明かい、両国かい」
「女角力なんて、やりゃしませんよ」
「なあに、やらないことがあるものか、たしかにお前が、女角力の関《せき》で鳴らしているのを、両国で見たよ」
「え!」
「そうら見ろ、隠したって駄目だ、お前は両国で、後白浪《あとしらなみ》といって、関相撲を取っていたあれだろう、しらぱっくれても、こっちには種があがってるぞよ」
「それはお人違いでしょう、両国にもいるにはいましたけれど、角力なんぞ取りゃ致しません」
「隠すなよ、隠すと裸体《はだか》にして、証拠をあげて見せるぞ」
「隠しゃしませんよ」
「それじゃ、両国にいたろう、そうして女角力をとったろう、どうだ、その時のことを話して聞かせないか」
「そんなこと、お聞きになるものじゃありません」
「聞かせたって、いいじゃないか」
「そんなこと、どうだって、いいじゃありませんか、それよりは、もう一つ召上れ」
「おやおや、御意見番から再度の杯、そろそろ味が出て来た」
「殿様は、ちょいちょいこの家へいらっしゃいますか」
「昔はよく来たものだが、今日は、思いがけない出来心でな」
「子供衆をお呼びになるんだそうでございますね、近ごろ珍しいお好みだと、おっかさんが言ってましたよ」
「うむうむ」
「もう見えそうなものですねえ」
「いいよいいよ、そう急がんでもいい。ところで、お前、その女角力としてのお前の経歴を、ひとつ話してくれないか」
「いけません、わたしは女角力の仲間には入ったことはございませんよ」
「ないことがあるものか。あの女角力というやつ、あれでなかなか愛嬌ものでな、今は差止められてしまったが、以前はなかなか流行《はや》ったものだ」
「そうでございますってね」
「そうでございますってじゃない、お前なんぞは、それで鳴らしたに相違ないが、商売はやめても力はあるだろうな、力は――」
 主膳は、しつこく、おせいを追及して、その肥大なる肉体にさわると、
「殿様は、わたしを女角力とばかりきめておしまいになるが、わたしは一向、女角力のことなんか存じませんよ」
と言っておせいが、主膳の膝をしたたかつねりました。

         八十八

「あいたッ」
 主膳が、つねられて驚くと、おせいは平気なもので、
「御冗談をなさいますな、角力こそ取りませんでしたが、わたしゃこれで、今でも男の二人や三人、何でもありませんよ」
 おせいさんにしては少し舌の足りない、たんか[#「たんか」に傍点]を切ったので、いよいよ興に乗った神尾主膳は、
「そうだろうとも、男の二人や三人、振り飛ばすは何でもあるまい。どうだ、おれと角力をとっても負けまいな」
「殿様だって誰だって、やわら[#「やわら」に傍点]さえお使いにならなけりゃ、頭から押えてしまいますね。ですから、おっかさんが、もしや殿様が酒で乱暴をなさったら、かまわないから、頭からおさえてしまいなさいと言いました」
「なるほど……」
 神尾主膳が舌をまいて、なるほどそうありそうなことだと思いました。同時に、こいつ、金公と、お倉婆あに頼まれて、自分の酒の監視役に来たのみならず、まかり間違えば、このおれを取押え役まで言いつけられて来たのだなと思いました。
 よしよし、その儀ならば、こっちもひとつその裏を行って、この化け物を虜《とりこ》にしてやろう、人間が少し馬鹿だから、虜にするには誂《あつらえ》むきだ、いよいよ当座のよいおもちゃが出来たものだと、主膳の興が湧き上りました。
 だが、主膳がこの女を、女角力の後身だと見誤っていることは前と変らない。女角力でも、女力持でも、たいした変りはないのだが、女角力と圧倒的に断定されてしまっては、女力持はやったけれども、女角力の経歴のないおせいが、躍起となって弁明せずにはいられないらしい。それにもかかわらず、主膳は、一途《いちず》に昔見た女角力のことが、その頭の中に現われて来たものだから、
「十年ばかり前だったが、女角力が流行《はや》ったものでなあ、その中でも、女と座頭《ざとう》の取組みというのはヒドかったよ」
「座頭とおっしゃるのは何ですか」
「お前が知らないなら、話して聞かせてやろう、座頭というのは、あんま[#「あんま」に傍点]のことだ、あんま[#「あんま」に傍点]上りの目の見えない男を引張り出して来て、女角力と取組ませるのだ」
といって、主膳は、今は禁止になっているが、その頃、目《ま》のあたり見た、見世物の一つとしての女角力と、座頭との取組みの光景を、話して聞かせようとする。
 日本の女としては、恥かしがる裸体を見世物として提供し、それに男性の不具者としての座頭を、なぐさみものとして取組ませ、つまり、この社会の弱者二つを土俵の上にのぼせて、大格闘をさせ、それを見せて金を儲《もう》けようとするものと、それを見て、やんやと喝采《かっさい》する社会的残忍性を思い浮べて、主膳のパックリとあいた額の真中の眼が爛々《らんらん》と輝きはじめました。
「それは面白かったでしょうね」
「うむ」
 主膳は、またその浅ましい見世物を、ひとごととして面白く聞こうとする、この大女の馬鹿さ加減を痛快なりとしました。
「ところで、女角力というやつには、あんまりいい女はなかったね、お前ほどの縹緻《きりょう》のやつもなかったよ。そのはずさ、いい女は角力を取らなくても食って行く道がある、どれもこれも、御面相はお話にならなかったが、おれの見たうちに、たった一人、美人と言っていいのがあった。何しろ、おたふく[#「おたふく」に傍点]でも、大道臼でも、竹の台の陳列場のように、裸体《はだか》でありさえすれば人が寄って来る女角力の中へ、美人と名のつけられる代物《しろもの》が一つ舞い下りて来たのだから、助平共が騒があな。おれは騒がなかったけれども、おれたちの仲間の不良共は騒いだよ。その別嬪《べっぴん》の女角力の名は、この家のお倉婆あと同じことに、おくら[#「おくら」に傍点]という名だったが――そのおくらが問題なんだ」

         八十九

 こういう話をはじめ出した時に、主膳がいよいよ興ざめたのは、この女が興にのって膝を乗出して来ることでした。
 このおれの監視役兼取押え方を命ぜられて出張しているくせに、こちらの挑発にひっかかって、女角力《おんなずもう》の昔話にうつつを抜かそうとするこの女の馬鹿さ加減が、いよいよ浅ましくなりました。女角力というものの存在は、つまり自分というものの存在の侮辱だとは感じないで、一緒になって、その侮辱を享楽しようという気乗り方に、主膳はすっかり興をさましました。
 興をさましたとか、浅ましく感じたということは、主膳に於て、そこで、うんざりして抛棄《ほうき》するという意味にはならない。こちらが興がさめて、浅ましく感ずれば感ずるほど、そちらが興に乗って、息をはずませて来ることの皮肉をよろこんでいる。
「ところで、おれたちの仲間の不良共が、十余人連合して、その別嬪《べっぴん》の女角力、おくらというのに注文をつけたのだ。その注文というのは……つまり、そのおくらに『娘一人に聟《むこ》八人』をやらせろということなのだ。『娘一人に聟八人』――それはお前も知っているだろう。知らない? 知らなければ話して聞かせる……」
と言って、神尾主膳は「娘一人に聟八人」の故事を話し出す前に、盃を取って、おせいの眼の前に置くと、おせいは無条件になみなみとついでやる。その無条件になみなみと注ぐ手つきを見て、神尾が勝ち誇ったような面《かお》をしてニタリとする。当然、この女は監視役と取押え方心得も忘れてしまって、神尾主膳がおもしろい話をしてくれさえすれば、いくらでも酒を注いでくれることにまで軟化しきっていることを認めたから、そこで主膳がニタリとする。さて一盃傾けて話し出したのは――
 自分は仲間に加わらなかったが――と特に念を押しておいて――自分たちの友達の不良が、十名連合して、女角力の美人のおくらを目あてに「娘一人に聟八人」のお好みをつけたというのは、要するに、そのおくらという女角力の裸体だけでは物足りない、どこからどこまで見てやりたいという悪辣《あくらつ》な好奇心から、興行主の座元へいくらか掴《つか》ませ――二両やったとかいう話だ――世話人二人にいくらか鼻薬をやって渡りをつけたところが、その世話人という奴の中に、一人、かねがねこのおくらを口説《くど》いていた奴があったが、おくらがうんと言わないものだから、それを遺恨に思っていたところへ、この話だったものだから、こいつが真先に呑込んで、それからおくらにいやおうなしに「娘一人に聟八人」をやらせたものだ。
 つまり、男座頭を八人集めて土俵へのぼせ、それをおくら[#「おくら」に傍点]一人に取組ませるのだ、一方はめくらだからめくらさがしだが、狭い土俵の上で八人の男、十六本の手、足ともでは三十二本でやられるのだから、いくらめくらさがしだってたまらない、ついにおくらがつかまって手取り、足取り……それは見ていられたものじゃない。
 神尾がそこまで話すと、大女のおせいも、さすがに眉をくもらせて、
「かわいそうですね」
「そうなると、お前も同情してくるだろう。ところで、そういう時、お前ならどうだい、座頭の八人ぐらい何の苦もなく手玉に取るだろうな」
「そうはゆきますまい、一人と八人ではいくらなんでもね」
「は、は、は……お前でも、やっぱりやられるかい」
「わたしだって、苦しいわ」
 苦しいわ、と言って、自分ながら大きな肉体に圧《お》されるような苦しさから、息をせいせいはずませている。
 神尾主膳は、苦しそうなおせいの肉体を痛快らしくながめて、飲みほした盃を黙ってその前に置くと、おせいは脆《もろ》くもこれにまた、なみなみと注いでやりました。
 それを飲みながら神尾主膳が、ニヤリニヤリと大女の形を見ていると、その大女が、
「そんなにわたしの身体ばかりを見ておいでになっては、溶けてしまいますよ」
「あ、本当だ、そら溶け出した、溶け出した」
         九十

「は、は、は、は」
 神尾主膳が、またも突然高笑いをした時に、力持のおせいが飛び上って慄《ふる》え出しました。
 これは実に、怖るべき酒乱が突発して来る前兆でありましたけれど、はじめてこの人を見るおせいとしては、その主膳の怖るべき酒乱の予感から、怖れて飛び上ったのではありません。「は、は、は、は」と笑い出した途端に、主膳の三つの眼が、ギラギラと光り出して、脇息に肱《ひじ》を持たせている主膳の姿が、急に大女の自分をさえ圧迫するほどの大きさになったから、慄え上って飛び出したものです。
「あ、三ツ目入道……」
 その瞬間に、そう思ったのです。よくお化け話で聞いておどかされている三ツ目入道というのがある、絵草紙でも見たが、あれだ、この人はその三ツ目入道だ、これは人間ではない、怖ろしいお化けだと感じました。
 そこで、監視役も、取押え方心得も、盃も、盤もおっぽり出して、下の座敷へ逃げ下りてしまいました。
「は、は、は、は」
 神尾主膳が三度目に笑ったのは、それは少し凄味が欠けて、和気が加わったようです。
 つまり、前の笑い方は、怖るべき酒乱の前兆としての高笑いでしたけれど、今度のは、滑稽噴飯《こっけいふんぱん》が加わってのおかしさから来ている笑いが多分のようです。それは大女の恐怖と、狼狽ぶりが、あまりに仰山であったからでしょう。
 これより先、下の座敷では、いったん出かけて行った金公が、またコソコソと立戻って来て、お倉婆あと内密話《ないしょばなし》を試みている。
 その内容というのは、今日、人に誘われて、築地の異人館へ見物に行ったが、万事なかなか大がかりなものであること。ところで、その異人館の大番頭が、らしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]の口を一つ欲しがっている。そいつをひとつ、桂庵《けいあん》をつとめて儲《もう》けようと思うんだが、なんとおっかさん、お前に一肌脱いでもらいてえというのはそこなんだよ、ということにあるらしい。
「そいつは耳よりだね」
 慾に目のないお倉婆あが、耳をふくらませると、金公が続いて、一口にらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]というけれど、いかに西洋人の相手になることが、へたな日本人の相手になることよりも、有利な事業であるかを説いて、お倉婆あの耳をいよいよふくらませる。
 だがねえ、話の口は、そのらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]にもなかなか先方に好みがあって、第一、芸妓や、女郎衆の、金で自由が利《き》く奴ではいけず、そうかといって、伊豆の下田の唐人お吉なんていう潮風の染《し》み過ぎたのでもいけず、お膝元の固いところでは、いくら困っても、娘をらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]にでも仕立ててみようというほどに開けた奴はいねえ。素人《しろうと》ともつかず、玄人《くろうと》ともつかず、娘でなく、年増でなく、下司《げす》ではいけないが、そうかといって上品ぶるのはなおいけない。こいつをうまくしおおせた日には、身に余る福の神を背負いこむのだが……なかなかその人選が容易でないと、一旦は頭を痛めたが、案ずるより生むは易《やす》いとでも言ったものか、実は、ぴったりとその注文にはまりそうな代物《しろもの》が、眼の前にあるから不思議じゃないか、下地《したじ》は好きなり御意《ぎょい》はよし、という心当りがあるから妙なもの。
 ところで、今晩、ひとつこの場で、おっかあに肌ぬぎが願いたい、といって時節柄、うっかり唐人をこんなところへ連れ込むところを、当時流行の浪士マネにでも見られようものなら、尊王攘夷覚えたか! 真向上段と来るから、今晩、その毛唐さんを御数寄屋《おすきや》さんかなにかの隠れ遊びに仕立てて、このところへ連れて参りますから、万事その辺ぬかりなく――その代り話がまとまったと来た日には、相手が異人館の大番頭だ、つけ届けは、毎年毎年船で来ようというものだ……ということを、金助がお倉婆あに相談して、お倉婆あをして、
「ああいいとも、いいとも、いくらでも頼まれてあげるから、持っといで」
と大呑みに呑込ませているところへ、ドタンバタンと凄まじい音がして、天上から大女が降って来たものです。

         九十一

 力持のおせいを退却させてしまってから神尾主膳は、この時、そんなことはどうでもいいという気になりました。それは、むやみに眠くなったからです。
 主膳は酒乱の萌《きざ》す前に、必ず一度眠くなることがある。その眠りをうまく眠らせさえすれば、酒乱が、すんなりと通過してしまうことがある。それが眠りそびれた時に、何かの引火薬でもあろうものなら、それこそ大変である。
 主膳としては、近頃の酒量であった。最初からではかなりに飲んでいる。そうして今眠くなると、本来、蔭間《かげま》を呼んでみるなんぞといったことは、一時の気紛《きまぐ》れに過ぎないので、それに執心を持って来たわけでもなんでもないから、そんなことは、どうでもいいように眠くなったのです。そうして、最初の通り、脇息を横倒しにして、ゴロリと横倒しになり、心地よかりそうな眠りを眠りはじめました。
 昏々《こんこん》として、どのくらいのあいだ、眠りこけたか、それはわからない。或いは、ほんのうたた寝の束《つか》の間《ま》を破られてしまったのかどうか、それも分らないが、
「御前――お眼ざめあそばせ」
 枕にした脇息を揺り動かされたことによって、酔眼をパッと開いて、朦朧《もうろう》として四辺《あたり》を見廻すと、夢からさめて、また一層の夢心地に誘い入れられたことは幸いでした。そうでなければ、甘睡半ばで揺り動かされた癇癪《かんしゃく》が、酒乱の持病を引きつれて、ガバと爆発したかも知れない。
「何だ、これはどうしたものだ」
 あたりは、ぼうっと紅《べに》のように明るい。それに、この座敷の襖が、すっかり通して取払われ、大きな踊りの間になっている。踊りの間は勾欄《こうらん》つきで、提灯や雪洞《ぼんぼり》が華やかに点《つ》いている――
 ははあ、いつのまに、伊勢古市の大楼あたりへ、持ち込まれたか知らん――という気になりました。
 なお、よく眼をさまして見ると、舞台がある、花道がある。舞台の上には一人の俳優が、槍を持って立っている。
 ははあ、踊るんだな、まだ充分さめきらぬ眼で、その俳優の風俗を見ると、それは絵で見た水木辰之助の槍踊りというようなものに、そっくりです。
 主膳が、眼を、拭って起き直った時に、踊りがはじまる。
 槍を上手に扱って、その少年俳優が鮮かに踊る。
 主膳は、うっとりして、眼をすましたその途端に、三味線と、太鼓と、拍子木が入る。踊りも古風でよくわからないが、耳をすましてみると、
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槍師槍師《やりしやりし》は多けれど
名古屋山三《なごやさんざ》は一の槍
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というような、古謡がはさまれている。
「殿様、お気に召しましたか」
 これはしたり、自分の席の後ろには、お倉婆あが、かいどり姿ですまし返って坐っている。
「うむ」
「お気に召しましたら、お手拍子をあそばしませ」
 お倉婆あも、手拍子を打つから、主膳もそれにつれて、
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槍師槍師は多けれど
名古屋山三は一の槍
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とうたいながら、主膳も思わず手拍子を打つと、美少年は喜んで踊りながら、
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トコトンヤレ
トコヤレナ
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という。お倉婆あが、
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女かと見れば男の万之助
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とうたうと、俳優が、
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ウントコトッチャア
ヤットコナア
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と合わせて槍を振る。
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槍の権三《ごんざ》は美《よ》い男
どうでも権三は美い男
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 お倉婆あが年に似合わない美声をあげる。
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しんしんとろりと美い男
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 踊り子は踊りながら手招きをする。

         九十二

 それから主膳は、夢だか、うつつだか見当のわからない境へ誘い込まれて、そこらで再度の眠り慾が勃発して、いい心持で、むやみに眠ってしまいました。今度こそは、束《つか》の間《ま》のうたた寝を揺り動かされる心配はなく、思うように眠りを貪《むさぼ》ることができるのを喜んで、眠りこくっている。
 ほとんど、どのくらいのあいだ眠ったものか、自分にも分らないが、醒《さ》めた時は、寝不足と、酔いとは、二つながら、すっかりさめ切ってしまっていました。
 だが、時間の方は醒めてはいない。眠りと、酔いとが醒めた時は、たしかに夜中であることに気のついたのは、長い思案の後ではなく、寝間の状態もはっきり眼にうつると共に、近くに誰もいないのも、いない奴が悪いのではなく、程よい時間で、お暇乞いをして行ってしまったものであることはハッキリとする。酔っていない主膳は、それも無理ではないと思う。
 枕許の酔ざめの水を飲んで、うまいと思い、それから手水《ちょうず》に行こうとして、ひとり立ち上った足どりも、あんまり危なげはない。
 勝手知った廊下を歩んで行く。
 なるほど、夜は更けている、何時《なんどき》か――おやおや鶏が啼《な》いているわい。
 夜明けの近いことを知った主膳は、なんだか一種異様の里心といったようなものに動かされて、本当にはっきりした気持で、また廊下を歩いて帰りました。
 たまに、こんな気紛れ遊びをすることも、頭が冴《さ》えていいものだ、幸いにして乱に落ちなかったのは、我ながら上出来というものだ。いや、我ながらではない、ここのお倉婆あの趣向が上出来というものだろう。あの婆あ、煮ても焼いても食えない奴だが、それでも、人のふところを見て取扱う呼吸は、手に入ったものだ。
 酒に酔わせるよりは、踊りに酔わせて、夢心地のうちに人を抱き込むところなんぞは、伊勢古市でやっているような仕組みだが、あんなにされると、アラが知れない。
 主膳は、こんなことを考えて、ニタリニタリと合点《がてん》しながら、廊下を帰って、自分の座敷へ戻ったのだが――戻ったつもりなのだが、それは三つばかり行き過ぎた隅の、間取りがよく似たほかの座敷であったことは、障子を開いて、足を踏み入れた途端に、それとさとったので狼狽《ろうばい》しました。
 何が頭が冴《さ》えたのだ、何が上出来なのだ、危ない! 危ない!
 と気がついたのは、たしかに遅かったのです。
「だあれ?」
 中から、なまめかしい女の声がしました。
「しまった!」
 主膳は、我ながら、しくじったことの念入りなのに、呆《あき》れたのが、いよいよ一方の主《ぬし》をおさまらないものにしてしまいました。
「お倉婆さん?」
 なまめかしい女の声が、追いかけるように続いたものだから、
「いや、なに!」
 主膳は、逃げるようにこの場を立去るよりほかに、手段のないことを知りました。
「まあ、お倉婆さんじゃないの?」
 中の主は、さすがに、そのままでは済まされない気になったらしく、そわそわと着物を引寄せて起き出ようとする。
「失礼、失礼、座敷を間違えました」
 主膳は、これだけの詫《わ》び言《ごと》を捨ぜりふにして、まっしぐらに自分の座敷に来て、夜具をあたまからかぶってしまったが、先方も、ここまで追っかけて来る気遣《きづか》いはない。さりとてまた、けたたましく人を呼び起して、たった今、この座敷へ怪しい者が入りましたよと、騒ぎ立てる気配《けはい》もないらしい。多分、先方は、戸惑いをしたそそっかしい客人の仕事だろうと、苦笑いをしていることだろう。こっちもホッと息をついて、我ながらの失敗に、苦笑いが出きらないでいたが、その苦笑いの底から、不意に、
「今のあの声は、あれはお絹ではないか」
 勃然としてこういう偶想が起ると、けったいな雲が、むらむらと目口を覆うのを感じました。

         九十三

 ああ、思い返してみると、今のあの、なまめかしい声の主は、お絹ではなかったか。
 どうも、お絹の声らしい。娘の声でもなく、芸妓あたりの調子でもない。甘ったるくて、妙にかさにかかるような言いぶり、こちらがあわてていたから、その場で声の吟味までは届かなかったが、今、耳の底から取り出してみると、お絹でなければ、あの声は出ないように思われて仕方がない。
 だが、いくらなんだって、そんな事は有り得ることではない。あの女はあの女だけのものだが、いくらあの女だって、自分が今晩、ここに遊んでいるということを知りながら、ここに泊りに来るはずもあるまいではないか。
 もしや、自分の行動をよそながら監視に来て、泊り込んだものでもあるか。それも馬鹿正直な見方だ。第一、あの女が、こちらから監視をつける必要こそあれ、おれの遊びにいちいち、眼をはなさないほど、こっちを重んじているか、いないか。
 偶然――おれがここへ泊ったのが偶然なら、あの女がここへ泊り込んだのも偶然だ、偶然の鉢合せとしたら、議論にはならないが、事柄はいよいよ妙じゃないか。第一、おれの偶然の方には、偶然たるべき理由があるが、あいつには何の理由がある。
 あいつは、今日、異人館を見に行ったのだ。朝から出かけたから、晩までには当然、根岸へ帰っていなければならないのだ。おれの方は、なるほど、あとから行くといっておいたことに相違ないが、そういう約束が、今まで完全に守られているか、いないかは、あいつがよく知っているはずだ。約束はしたけれど、途中から気が変って、ここへしけ[#「しけ」に傍点]こんだのに、何の不足がある。それだのに、晩までには根岸の屋敷へ帰っていなければならないはずのあいつが、ここへ泊り込んでいるとしたら、全然、理由がなりたたないじゃないか。
 主膳は、ここで、むらむらと自分勝手の邪推の雲が渦になって、胸から湧き上りました。
「よし、見届けてやる、今のあの声の主が、お絹であろうはずはないけれども、もし、あいつであったらどうする。いずれにしても、こうなった上は、この眼で、篤《とく》と見定めてやる、この眼が承知しない」
 というのは、今のはただ耳だけの判断に過ぎない。一方口を信ずるは、男子の為さざるところだから、この上は眼に訴えて、のっぴきさせず――という気になった時に、その二つの眼の上に、意地悪く控えている牡丹餅大《ぼたもちだい》の一つの眼が、爛々《らんらん》とかがやきました。
 もう眠れない、また眠る必要もないのだが、この上は、眠らない以上に働かせねば、この眼が承知しない。
 こう思うと、三つの眼が、ハジけるほどに冴《さ》え返って、胸の炎が、むらむらと燃え返って来たようです。
 といって、主膳には主膳だけの自重もなければならない。このまま取って返して、あの寝間へ踏みこんで、得心のゆくまで面《かお》をあらためてやる――にしても、万一、あいつでなかったらどうだ。
 あいつであったとしても、あいつが果して、どういう寝相《ねぞう》をしている。そんなことを思うと、胸がむかむかする。酔うている時の主膳なら知らぬこと、とにかく、こう頭がはっきりした時であっては、自分というものを、自分で考えてみれば、みすみすそれと分っても、このまま他の室へ乱入するということは、紳士(?)として許されないことだ、できないことだ。
「ちぇッ」
 夜の明けるまで待つよりほかはない。夜が明けたら、あいつもそう朝寝もしておられまいから、なるべく早く身じまいをして、出かけるだろう。その時に透見《すきみ》をして、有無《うむ》を言わさぬことだ。
「うむ、ここでは朝風呂をたてる、おれは寝過したふりをして、あいつが風呂場へ行く頃を見計らって、篤《とく》と実否をたしかめるに、何の仔細はない」
 なんにしても早く夜が明けろ――主膳は蒲団《ふとん》の中で、途方もなく悶《もだ》えている。

         九十四

 夜が明けて、その正体を見届けることは、極めて簡単な仕事でありました。
 風呂場に近い洗面所の鏡の前で、その女をつかまえることの無雑作《むぞうさ》であったように、その正体を見現わすのも、極めて無雑作なもので、
「お絹じゃないか」
「まあ、あなた」
 どちらも、その意外であったという心持は同じことで、ただ一方が怒気をふくんで難詰《なんきつ》の体《てい》なのと、一方が体裁をとりつくろうことに、あわてまいとしている心組みだけが違うらしい。
「どうしてこんなところへ来た」
「それは、あなたこそじゃありませんか」
 お絹は、やり返したつもりであるが、主膳は肯《き》かない。
「おれの来るのは勝手だが、こんなところは、お前の来るところじゃない」
「ずいぶん手前勝手ねえ、わたしが来て悪いところなら、あなただって、立寄れないはずじゃありませんか」
「理窟を言うな、いったい、何しに来たのだ」
「何しに来たっていいじゃありませんか、あなたこそ、何しにおいでになりました」
「おれは、気が向いたから来たのだ、お前はこんなところへ来るはずではなかった」
「わたしだって、気が向かない限りはございません……第一、あなたこそ、あれほど約束をなさっておきながら、どうして、異人館へおいでにならなかったのですか」
「うむ、それはな、都合によって途中、気が変ったまでだ」
「途中、気が変った方は、それでよろしうございましょうが、変られた方は、みじめ[#「みじめ」に傍点]じゃありませんか」
「それは男のことだ、門を出れば、時と場合で、思ったようにばかりはいかぬ」
「時と場合もよりけりですね、わたしは異人館で、どのくらい、あなたをお待ちしたか知れません」
「おれは都合あって、築地へ行くのは取止めたが、お前に、こんなところへ立寄れとは言わない」
「わたしは、お義理でまいりました」
「誰への義理だ」
「異人館の異人さんが、ぜひ、日本の踊りを見たいとおっしゃるから、わたしが、内密《ないしょ》で御案内して来ました」
「異人を連れて来たのか」
「はい」
「お前と、異人と、二人でここへ来たのか」
「金公も一緒にまいりました」
「金助が……そうして、その異人と一緒に、ここへ泊りこんだのか」
「御冗談でしょう――異人さんは踊りを見ると、そのまま帰ってしまいました」
「お前は、なぜその足で根岸へ帰ろうとはしなかった」
「もう、遅くなりましたからね」
「うむ、金助はどうした」
「金公も、異人さんを取持って、昨夜《ゆうべ》のうちに帰ってしまいましたよ」
「うーん」
 主膳は、ここで行詰まったようなうめきを立てました。その頭は、やっぱりつむじ風のように捲いている。
 一通りの詰問には、一通りに答えてのけたこの女の言い分を、そっくりそのままに承認できるか。このうえ是非を言わさぬことは、泊った座敷というのへ踏み込んで見るばかりだ。
 主膳はこう考えてしまうと、あちらを向いて楊子《ようじ》を使っているお絹を、肩越しに睨まえながら、
「では、お前の座敷へ行って、おれは一服しているよ」
「いけません」
「どうして」
「わたしが面《かお》を洗うまでお待ち下さい、一緒に参りますから」

         九十五

 神尾主膳は、その日、根岸へ帰るとて、山下まで来ると、上野の山内を歩いてみる気になって、そこで乗物を捨てました。
 乗物を捨て、頭巾《ずきん》をかぶって、山内へさまよい込んだのは、何か鬱屈《うっくつ》して堪え難いものがあるからです。その息づまるような胸苦しさを晴らそうとして、そうしてワザと、上野の山のひとり歩きでも試みるという気になったものかも知れません。
 かくて、知らず識《し》らず東照宮の鳥居をくぐってしまった時に気がつくと、かぶっていた頭巾に、知らず識らず手がかかりました。
 それは、殊勝な信仰心がそうさせたのではない、習慣が、本能に近くなったようなわけでしょう。苟《いやしく》も祖先以来、徳川家の禄を食《は》んで、その旗下の一人として加えられて来た身であってみれば、忠義だの、崇拝だのという心が有っても無くても、ははあ、ここは「東照宮」であったな、と感じないわけにはゆかなかったのでしょう。
 家康という不世出の英雄があって、三百年の泰平があり、そのおかげで日本国の――少なくともこの江戸の繁昌があり、我々旗本の安泰と、驕慢《きょうまん》とが許されたのだ、その本尊様の霊を祀るところがここだ――
 主膳の頭巾に、知らず識《し》らず手がかかったのは、うつらうつらでもここまで来てみれば、さすがに素通りはできない――という習慣性に駆《か》られたようなものでしょう。それとも、敵に後ろを見せるのが癪だ、という反抗気分かも知れません。
「よしよし、鬼の念仏だ、久しぶりで東照権現に参詣して行っても、罰《ばち》は当るまい」
 こう思って、頭巾を外《はず》しながら東照宮の神前まで、神尾主膳が進んで行きました。
 この鋪石《しきいし》の上で、主膳はふと、さんざんに引裂かれた一つの御幣《ごへい》の落ちているのを認めました。
 その御幣も容易なものではない、重い由緒ある神前でなければ見られない御幣である。それが無残に引裂かれ、打砕かれて、あまつさえ、土足で蹂躙《じゅうりん》してある痕跡が充分です。
 合点《がてん》ゆかずと、なおも歩んで行くうちに、今度は、さんざんに砕かれた、光るものの破片を認め、それが鏡であることを知り、その鏡も尋常の品ではなく、やはり由緒深い神社の神前でなければ見られない性質のものであることを、直ちに認めました。
 なお、行くことしばらくにして、あろうことか、コテコテと人間の尾籠《びろう》な排泄物が、煙を立てている。
 主膳はムッとして、面をそむけて通り過ぎましたが、宮の前に来ると、そこにまた異様なものを認めないわけにはゆきません。
 人間の生首《なまくび》――といっても、幸いに肉身の生首ではなく、どこから何者が取り来《きた》ったのか、相当の木像の首が、三尺ばかり高い台の上に、厳然と置き据えられて、その傍らに捨札がある。
[#ここから2字下げ]
逆賊  足利尊氏の首
同   弟 直義の首
[#ここで字下げ終わり]
 主膳はムカムカとしました。
 その途端、後ろの方、社司の住居あたりで、甲高《かんだか》い人声がする、
「申し分があらば、三田の四国町の薩摩邸まで参れ、それが面倒ならば、手近いところの酒井の巡邏隊《じゅんらたい》に訴えて出ろ、逃げも隠れも致さぬ。我々は当時、芝三田の四国町の薩摩邸に罷在《まかりあ》る、但し、薩州の藩士ではないぞ、当分、あれに居候をしている身分の、天下の浪士じゃ。薩州では西郷吉之助と、益満休之助と、それから土佐の乾退助《いぬいたいすけ》にかけ合え」
 こういうふうなことを、声高で罵《ののし》っているのを聞いた神尾主膳が、ブルブルと身体《からだ》を慄《ふる》わして、東照宮の神前に立ち、そうして我知らず刀の柄を握りしめていることをさとりました。神尾主膳は、この時勃然として怒ったのです――何を怒ったのか、何か義憤を感じでもしたのか。
 刀の柄を握り締めて立った神尾主膳の心身が、酒乱以外のことで、こうも激動したのは、従来あまり見ないことでした。

         九十六

 久しく打絶えていた、信濃の国の白骨の温泉へ行って見ると、そこの大浴槽の一つに、たった一人で、湯あみをしている一個の小坊主を見ることができました。
「皆さん、どうして、わたしが白骨の温泉に来て、温かなお湯の中に、のんびりとこうまで安らかに、湯あみをしているようになりましたか、それを御不審のお方にお話し申せば、長いことでございますが……」
 果然! これはお喋《しゃべ》り坊主の弁信でありました。
 弁信は今し、人無き浴槽の中――この浴槽は、お雪ちゃんをはじめ、北原君も、池田良斎も、その以前には、イヤなおばさんも、浅公も、その他、すべての冬籠《ふゆごも》りの客を温めたことの経歴を持つ。無論、宇津木兵馬も、仏頂寺、丸山もこれで身を温めました。
 ある時は、この浴槽の中から、天下の風雲が捲き起るような談論も飛び出したり、鬱屈たる気分で詩吟が出たり、いい心持で鼻唄が出たりしたものですが、ひとりで、特別の時間に、この浴槽をひとり占めにして、しんみりと浸っていた者は、お腹に異状があると指摘されてから後のお雪ちゃん――それと、深夜全く人定《ひとさだ》まった時分に、ひとり身を浸している盲目の剣人――それらの人に限ったものでしたが、今日は全くの新顔で、そうして、従来とは全く異例な弁信法師が、一人でこの大浴槽を占領し、抜からぬ顔で、温泉浴と洒落《しゃれ》こんでいる。
 そうでなくてさえたまらない、このお喋り坊主の長広舌が、湯の温かさにつれて、とめどもなく溶けて流れ出すのは、ぜひないことです。
「皆さま、わたくしがああして、大野ヶ原の雪に迷うて、立ち尽していたことまでは、皆様も御存じのことと思いますが、あれからのわたくしは、自分のことながら、よく自分のことがわかりませんでございました。わたくしの頭の上で、鳩の啼《な》く音が致しますから、はて、不思議な啼き声だと、それを聴いておりまするうちに、気が遠くなってしまいました。つまり、わたくしは、雪の大野ヶ原に行倒れになってしまいましたのです。それが、幾時かの後に、またこの世に呼び戻されてしまいました。と申しますのは、無論、わたくしは、わたくし自身の力で蘇《よみがえ》ったわけではございません、雪に埋れたわたくしというものを、凍え死なない以前に助け起して下された方があればこそ、わたくしの命が助かりました。命が助かりましたればこそ、わたくしはこうして安全に、温泉で湯あみを致しておるのでございます……それなれば、誰が、雪にうずもれて――当然あそこで凍え死なねばならぬ、わたくしというものを助けて下さいましたか。それをまず申し上げなければ、皆様は、わたくしがここへ来ているということをすら、お信じにならないかと存じます。大野ヶ原の雪にうずもれた、わたくしというものを、偶然の縁で、再びこの世の中につれ戻しなされたのは、皆様も御存じか知れませんが、それは黒部平《くろべだいら》の品右衛門爺さんでございました」
 弁信は、ここまでは一気に喋《しゃべ》って、それから手拭でツルリと一つ面《かお》を撫でおろして、そうしてお喋りを続けました、
「黒部平の品右衛門爺さんというのは、黒部平の駕籠《かご》の渡しの下に小屋を作って、その中で三十七年の間、岩魚《いわな》を釣って暮らしていたお爺さんでございます。その品右衛門爺さんが、鉄砲を担いで、大野ヶ原を通りかかった時分に、雪の中に埋もれておりましたわたくしのからだの一部分を発見して、そうして掘り出して、用意の火打で岩蔭に火を焚いて、わたくしを煖めて呼び生かして下さいました。わたくしは気がついて、目をあいて、猟師さんに助けられたと見たものですから、その時に申しました、どちらのお方かは存じませぬが、殺生《せっしょう》をなさる猟師の御身分で、人助けをなさる果報を、あなたのために嬉しく存じますと、わたくしが申しました――」
 してみると、このお喋り坊主は、我にかえると、まず自分の助けられたことの感謝よりも、助けた人の果報を祝福することが、先に出たもののようです。

         九十七

「黒部平の品右衛門爺さんは、そうして、わたくしを背中にしょって、雪をかきわけて、こちらへ連れて来て下さいました。品右衛門爺さんの背中で、わたくしは、眼に見えない母の背に負われて、故郷へ帰るような気持が致しました。よくお助け下さいましたとも、ナゼ助けて下さいましたとも、わたくしは、一言も、品右衛門爺さんに挨拶をしなかった儀でございますから、ドコへこの爺さんがわたくしを連れて行って下さるつもりか、そんなことは一向にお尋ねをいたしませんで、母の背中にスヤスヤと眠るような安らかさで、品右衛門爺さんの行くところへ行くことを甘んじておりました。もとより、その時は、この人が黒部平の品右衛門爺さんであることだの、駕籠の渡しで三十七年間、岩魚を釣っていたことだの、そんなことを知っておりますはずもなし、どちらのどなたでございますか、とお尋ねいたしたこともございません。ただ、わたくしを雪の中から掘り出して、背に負っておいでになる、そのお方が猟師でおいでなさること、猟師と申しますと、失礼ながら殺生を業となさる、仏果の上から申しますと、あわれ果敢《はか》ない御稼業《ごかぎょう》と申すよりほかはござりませぬ。しかし、この場合に、この爺さんが、わたくしに対してなさることは、殺生ではないと信じておりまする故に、わたくしは安んじて、お爺さんの背中に一切を任せてまいりました。そう致しますると、かなりの時間の後に、この品右衛門爺さんが、ある所までわたくしを連れてまいりまして、そのあるところで、お手やわらかに、わたくしを背中から卸して下さいまして、そうして温かい炉辺の熊の皮の上に坐らせて下さいました。わたくしはそのして下さる通りになっておりましたが、そこはこの白骨ではございません、最初は猟師さんの住居《すまい》かと思いましたら、そうでもございませんでした。猟師さんのほかに、わたくしを労《いたわ》って下さる方があることを知って、これはその方のお住居だなとさとりました。そのお方は、やはり温かい心と、物とを以て、わたくしをいたわり下さる上に、温かいお粥《かゆ》を煮て、疲労した身に、過分にならないほどに心づかいをして、その温かいお粥を、わたくしに食べさせて下さいました。あとで承ると、ここは乗鞍岳の麓で、鐙小屋《あぶみごや》という小屋の中でございました。わたくしに温かい心と、温かいお粥を下されたのは、この鐙小屋の中で行をしておいでになる神主さんだと承りました。猟師さんと言い、神主さんと言い、まことに親切極まるお方でございましたけれど、わたくしは、このお二方に向っても、強《し》いて再生の恩を謝するというようなことを申しませんでした。申しませんでも、おわかりになることでございますが、わたくしといたしましては、今更それを繰返す心にはなれないのが不思議でございます。口幅ったい申し分ではございますけれども、生死《いきしに》ということは、旅路の一夜泊りのようなものでございますから、生きていることが必ずしも歓喜ではなく、死にゆくことが必ずしも絶望なのではございません。いつも申し上げることですが、いかに生きようとしてもがいても、生き得られない時には生きられません、いかに死のうとして焦《あせ》っても、死を与えられる時までは、人間というものは決して死ねるものではございません。わたくしは、このごろになって、ようやくこの悟りがわかりました。その事の最初は、皆様のうちには、御存じのお方もございましょうが、江戸の外《はず》れの染井の伝中というところの、ある屋敷の中で、神尾主膳殿というお方のために、わたくしは生きながら深い井戸の底へ投げ込まれてしまいました。その時に、わたくしは懸命になって、まだ死ぬまい、ここでは死ねない、死にたくないともがきましたが、その甲斐もなく、井戸の底へ投げ込まれてしまいました。その時に、死なねばならぬことは当然すぎるほど当然でしたけれど、不思議にわたくしは死にませんでした。井戸へ落されるまでは、死ぬことをいやがって、車井戸にしがみついて、力限りに泣き叫びましたが、いよいよ井戸の中へ落された時に、私は泣かないで、かえって歓びました」

         九十八

「その後とても、現在、わたくしほどの者がこうして、ここまで生きてこられたということが、物の不思議でございます。わたくしのようなものでも、この世に生かして置いてやろうとの、お力があればこそ、こうして生きておられるのでございます。よし、わたくし自身といたしましては、こんな無智薄信の不自由な身が、この娑婆《しゃば》の中に、足あとほどの地をでも占めさせて置いていただくことが、この世にとっては、いかに御迷惑な儀であり、わたくしにとりましては、軽からぬ苦痛の生涯でありましょうとも、生かし置き下さる間は死ねませぬ。死ねない間は、わたくしは、わたくしとして、与えられたこの世の中の一部分の仕事が、まだ尽きない証拠ではございますまいか。言葉を換えて申しますと、わたくしの身が、前世に於て犯した罪悪の未《いま》だ消えざるが故にこそ、わたくしはこの世に置かれて、その罪業をつぐなうのつとめを致さねばなりませぬ。ああ、昨日は雪の中で凍えて死なんとし、今日はこうして、のんびりと温泉につかって骨身をあたためる、あれも不幸ではなし、これも幸福として狎《な》るる由なきことでございます。きのうの不幸は、わが過去の業報であり、きょうの幸福は、衆生《しゅじょう》の作り置かるる善根の果報であることを思いますると、一切がみんなひとごとではございません。さあ、もうこのくらいにして上りましょう。お湯から出たら、この炉辺へ来てお茶をあがれ、と北原さんというお方がおっしゃって下さいましたから、これから、わたくしはあの炉辺へ行って、お茶を招ばれるつもりでございます。この温泉場には、今年は珍しく、多数の冬籠《ふゆごも》りのお客があるそうでございまして、あの炉辺がことのほか賑《にぎ》わう、弁信、お前も珍しい新顔だから、ここへ来て旅路の面白い話をしろと、皆様からもすすめられましたから、わたくしもこれからお茶に招ばれながら、皆様のお話も承ったり、それからわたくしの話も申し上げたいと思いますが、わたくしは、どうも御存じの通りの癖でございまして、話をはじめると長うございますから、時と場合をおもんぱかりまして、皆様の御迷惑になるような場合には、慎んで控えていようとは心がけているのでございますが、本来、わたくしのこちらへ志して参りましたのは、どうも、あのお雪ちゃんの声で、しきりにわたくしに向って呼びかける声が、わたくしの耳に響いてなりませぬから、その声に引かされて、こちらへ参ったような次第でございますが、参って見ますると、ここにお雪ちゃんがいないということは――それは、大野ヶ原へ来る前から、ふっと勘でわかりました、お雪ちゃんがいない以上は、わたくしのこの地に来るべき理由も、とどまるべき因縁も、ないようなものでございますが、ここへ導かれたということ、そのことにまた因縁が無ければならないと存じました。これはわたくしの力ではござりませぬ、そうかといって、わたくしを助けてお連れ下さった猟師さんや、鐙小屋《あぶみごや》の神主様のお力というわけでもござりませぬ、全く目に見えぬ広大な御力の引合せでございまして、この広大な御力が何故に、わたくしをたずねる人の、すでに行き去ったあとのここまで導いて下さったか、その思召《おぼしめ》しは今のわたくしではわかりませぬ。わからないのが道理でございます、分ろうといたしますのも僭越でございますから、導かれた時は導かれたままに、そこに己《おの》れの全力を尽して善縁を結ぼうという心が、すなわちわたくしどもの為し得るすべてでなければなりませぬ。古人は随所に主《あるじ》となれと教えて下さいましたが、どうして、どうして――わたくしなんぞは随所に奴《やっこ》となれでございます。どうぞ皆様、この不具者《かたわもの》のわたくしでよろしかったならば、何なとお命じ下さいませ、琵琶は少々心得ておりまする、何卒、この不具者にできるだけの仕事をさせて、可愛がってやっていただきとうございます。ああ、いい心持になりました、白骨のお湯は、わたくしの骨まで温めてくれました。わたくしはこれから、皆様の炉辺閑話の席へお邪魔をいたして、また温かいお心に接し、あたたかい焚火にあたらせていただき、皆様のお話をおききしつつ――わたくしも心静かに、お雪ちゃんの行方《ゆくえ》を尋ねたいと存じます」

         九十九

 弁信法師が浴槽から上って、例の炉辺閑話の席を訪れた時に、炉辺には、また例によっての御定連が詰めかけておりました。
 御定連といううちにも、お雪ちゃんもいないし、久助さんもいないことは勿論《もちろん》だが、池田良斎を中心にして、北原賢次もいれば、いつもの甲乙丙丁おおよそ面《かお》を揃えている。ただ見慣れない猟師|体《てい》の人が一人、推察すれば多分、いま、浴槽の中で、しばしば弁信法師の口に上った黒部平の品右衛門爺さんであろうと思われる顔が、新しい。
 炉の中心には、例の大鍋がぶらさがっていて、それには大粒の栗がゆだりつつある。炉中の火は、木の根が赤々と燃えて、煙は極めて少なく、火力が強いから、煙の立たない石炭を焚いているようで、一方には大鉄瓶がチンチンと湯気を吐いている。なおまた炉中には、蕎麦餅《そばもち》らしいのが幾つも、地焼きにころがしてある。外気が寒くなるにつれて、炉辺の人間味が、いよいよ増して来るのを常とする。
「皆様、おかげさまで、ゆっくりとお湯につからせていただきまして、ほんとうに骨までがあたたまってまいりました。火で焚きましたお湯と違いまして、天然に涌《わ》き出でまするお湯は、肌ざわりがまた天然に軟らかでございますものですから、ほんとうに久しぶりでわたくしは、我を忘れてお湯の中へ魂までつけこんでしまいました。これも、身心悦可柔軟という気持の一つでございましょう」
 普通、今晩は……だけの挨拶で済むべきところを、一口にこれだけのお喋《しゃべ》りをしながら、一座に向って、ていねいにお礼を申しましたから、まだ弁信をよく知らない一座は、なんとなく異様に感ぜしめられました。
「弁信さん、まあ、こっちへおいでなさい、さあ、ここでおあたりなさい」
と弁信を導いたものは、北原賢次です。
「はい、有難う存じます、いえ、もう、こちらで結構でございます」
「遠慮なさらずに、こっちへいらっしゃい、さあ、手をとってあげましょう」
「いいえ、それには及びませぬでございます。では、せっかくのおすすめでございますから、それに従いまして、遠慮なく罷《まか》り出ますでございます」
「あぶないですよ」
「いいえ、大丈夫でございます、眼はごらんの通り不自由でございますが、御方便に、勘の方が働きますものでございますから」
「いや、何しても、無事でお前さんがここへ来られたことは、奇蹟というてもいい」
「はい、わたくしと致しましても、不思議の感がいたすのでございます」
 こう言って、弁信法師は炉辺に近いところへ、にじり出でて、ちょこなんとかしこまりこんでしまいました。
「だが、弁信さん、お前さんも了見違いなところがありますよ」
「ありますとも、ありますとも」
 北原に言われて、弁信が、ちょこなんとかしこまりながら、身体《からだ》を軽くゆすぶって、
「あります段ではございません、もともと一切が、わたくしの了見違いから起ったことなんでございます」
「そう言われてしまっては、恐縮で二の句がつげないというものだが、いったい、お前さんという人が、その身体で、見れば眼も不自由でありながら、今時、この白骨の谷へ、たった一人で、出向いて来ようなんというのが、そもそも了見違いの骨頂なんですよ」
「その通りでございましたが、どうも、わたくしの身を、こちらへ、こちらへと、引きつけてまいる力があるものでございますから……と申しますのは、かねて、わたくしの知合いの一人のお友達がございまして、その方が、わたくしに向って、絶えず呼びかけておいでになります、弁信さん、一刻も早くこの白骨谷へ来て下さい――と言って、絶えず呼びかけて下さるその力が、わたくしをとうとうここまで引き寄せてしまいました」

         百

「その力に引き寄せられて、わたくしは、知らず識《し》らずこの山の中に分け入りまして、ついに大野ヶ原の雪に立迷うてしまったという次第でございます。それは、向う見ずとお叱りを受けるかも知れませんが、いずれ、旅という旅で、向う見ずの旅でないものが一つとしてございましょうか。人間の一生そのものを旅といたしますると、出ずる息は入る息を待たぬ、とか申します、今日のことがあって、明日のことを誰が知りましょう。なあに、あなた、わたくしの心得違いは心得ちがいに相違ございませんけれども、玄奘三蔵渡天《げんじょうさんぞうとてん》の苦しみに比ぶれば、これは日本国のうちの、僅かに信濃の国のこと――」
 この辺に来ると一座が、ようやくこのお喋《しゃべ》り坊主が、容易ならぬお喋り坊主であることに、ややおそれをなした様子でありました。これにのべつ喋らせたら、たまらないのではないのかとさえ、おそれ出したものもあったようですが、さりとて、それを抑止すべききっかけ[#「きっかけ」に傍点]もないままでいると、弁信はいっこう透《すか》さず、
「なんに致しましても、わたくしがあの雪の大野ヶ原の中に立ちすくんでおりました時に、ふと、わたくしの耳許《みみもと》で私語《ささや》く声がいたしました。それは人間の声であろうはずがございませんが、人間同様のなつかしさを伝えてくれる、小鳥の声でありました……」
と言って、弁信が小首を傾けたのは、その話題にのぼった場合の小鳥の声を、再び耳にしたからではありません――そこで暫くお喋りの糸をたるめていたが、全く調子をかえて、
「外へ、どなたかおいでになっています」
「何ですか」
「今、あちらの方の山を越えて、この宿へ参った方がございます、その方が、戸外《そと》で御案内を乞うておりますよ」
「そんなはずはないよ」
と言っている途端に、表の戸をドンドンと叩く音がしました。
 音がして、はじめて炉辺の一同がそれを合点《がてん》したので、弁信のは、それより以前、話半ばで、そのことを言ってしまったのです。そこで一同が、なんとなくぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。
「誰だい」
「ええ、わたくしでございます、夜分おそくなって相済みませんが」
「わたくし……と言ったって誰だね」
 一同は不審です。この夜中に、このところへ、外から来るべき者の予想は全くなかったことで、内から出て行って、戻って来たという面《かお》ぶれの欠員もなかったからです。そこで、さすがに一同は、ゾッとしていると、弁信が抜からぬ面で言いました、
「あ、あれは久助さんですよ」
「ええ」
「久助さんが来たのです」
「久助さんが?」
 一同は、外の久助なる者のために戸をあけてやるよりは、内なる弁信の面を、見直さないわけにはゆきません。
 そのわけは、久助はたとえ夜中に、不意にやって来たとはいえ、この連中にとって、充分に予備知識のある名前ですけれども、ここへ、風来に飛び込んで来たこの小坊主が、どうして久助の名を知っている?
 名を知ることはとにかく、まだおとなわない先から、人の来ることを予期し、面を見ないうちから、その人の名を呼び、しかも、その人の名の呼びっぷりが、自分たちよりも、一層も二層も昔なじみであるらしい呼び方をするために、この小坊主が一時は、妖怪変化の身でもありはしないかとさえ、物すさまじく感じたからです。
 それにもかかわらず弁信は、いよいよ心得たもので、
「間違いありません、久助さんに間違いありませんから、どうぞ、どなたか戸をあけてあげてくださいませ。何か、やむにやまれぬ用事があればこそ、夜分、こうして出て参ったのでございましょう……わたくしも、久しぶりで久助さんに逢って、積るお話をお聴き申さなければなりません……」



底本:「大菩薩峠13」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 七」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
   「大菩薩峠 八」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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