青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
畜生谷の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)藍色《あいいろ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)祖先|発祥《はっしょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)なさか[#「なさか」に傍点]
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         一

 今、お雪は、自分の身を、藍色《あいいろ》をした夕暮の空の下、涯《はて》しを知らぬ大きな湖の傍で見出しました。
 はて、このところは――と、右を見たり、左を見たりしたが、ちょっとの思案にはのぼって来ない光景であります。
 白骨谷《しらほねだに》が急に陥没して、こんな大きな湖になろうとは思われないし、木梨平の鐙小屋《あぶみごや》の下の無名沼《ななしぬま》が、一夜のうちに拡大して、こんな大きな池になろうとも考えられない。そうか知らん――いつぞや、白衣結束《びゃくえけっそく》で、白馬の嶺《いただき》に登って、お花畑に遊んだような覚えがある。ああ、そうそう、あの時に白馬の上で、盛んなる天地の堂々めぐりを見せられて帰ることを忘れたが、では、あれからいつのまに、白馬の裏山を越えて、ここへ来てしまったのかしら。
 白馬の裏を越路《こしじ》の方へ出ると、大きな沼や、池が、いくつもあると聞いたが、多分そうなんでしょう。でなければ、越中の剣岳《つるぎだけ》をめざしていたもんだから、ついついあちらの方から飛騨《ひだ》方面に迷いこんでしまって、ここへ来《きた》り着いたのか知らん。
 涯しを知らない大きな湖だと思って、あきれているその額の上を見ると、雪をかぶった高い山岳が、あちらこちらから、湖面をのぞいているというよりは、わたしの姿を見かけて何か呼びかけたがっているようにも見られます。
「やっぱり周囲《まわり》は山でしたね、同じところにいるんじゃないか知ら」
 この夕暮を、急に真夏の日ざかりの午睡からさめたもののように、お雪ちゃんは、なさか[#「なさか」に傍点]がわからないで、暫く、ぼんやりとして立っていましたが、さて、自分の身はと顧みると、髪はたばねて後ろへ垂らし、白羽二重の小袖を着て、笈摺《おいずる》をかけて、足はかいがいしく草鞋《わらじ》で結んでいることに気がつき、そうして白羽二重の小袖の襟には深山竜胆《みやまりんどう》がさしてあることを、気がつくと、ああ、なるほど、なるほど、間違いはありません、白馬からの下り道に違いはありません。
 ただ四辺《あたり》の光景が、こんなふうに変ってしまったのは、下り道を間違えたせいでしょう。それにしても、ちょっとも疲れていない自分の身を不思議だと思いました。
 どうも、なんだか、この白い小袖が、鶴の羽のようにふわりと空中に浮いて、白馬の頂《いただき》からここまで、自分の眼は眠っている間に、誰かが、からだをそっと持って来て置いてくれたもののようにも思われ、やっぱりすがすがしい心のうちに、なんとなく暖かな気持で、お雪ちゃんは岩の上に腰をかけて、涯《はて》しも知らぬ大きな湖の面の薄暗がりを、うっとりと眺めつくして、それ以上には、まだ何事をも思い浮べることも、思いめぐらすこともしようとはしません。
 その時鐘が一つ鳴りました。その鐘の音が、お雪ちゃんのうっとりした心を、よびさますと、あたりの薄暗がりが気になってきました時、湖の汀《みぎわ》の一方から、タドタドと人の歩んで来る姿を朧《おぼ》ろに認めたお雪ちゃんは、じっとその方を一心に見つめていましたが、夕もやを破って、その人影がようやく近づいた時、
「あ、弥兵衛さんだ、弥兵衛さんが来る」
とお雪ちゃんが叫びました。
 朧ろながら、それと見えるようになった人の姿は、背に何物かを背負うて、杖をついて、かるさん[#「かるさん」に傍点]のようなものを穿《は》いた一人の老人に紛《まぎ》れもありません。
 その老人は、湖畔をめぐって、お雪ちゃんの休んでいる方へと、杖をつき立ててやって来ましたが、いよいよ程近いところまで来ると、お雪ちゃんがまず言葉をかけました、
「弥兵衛さんですか」
「はい、弥兵衛でござんすよ」
 こちらが弥兵衛さんと呼び、あちらも弥兵衛さんと答えるのだから、これは弥兵衛さんに間違いはありますまい。

         二

 してみれば、お雪ちゃんは、とうにこの弥兵衛さんを知っていて、弥兵衛さんもまた、お雪ちゃんに頼まれるかなにかしていた間柄とみなければなりません。
 しかしながら、白骨へ来て以来の、お雪ちゃんの知合いには、曾《かつ》て弥兵衛さんという人は一人も無いから、これは、このたびの山道に、臨時にやとった山の案内者か、強力《ごうりき》かなにかであろうと思われます。
「わたしは弥兵衛さんだとばっかり思ったら、やっぱり弥兵衛さんでしたわ」
「はい、その弥兵衛でございますよ」
と言って、至りついた老人は、お雪ちゃんの前へ来ると、腰をのばして、反《そ》りを打ち、そこへ突立ってしまいました。
「まあ弥兵衛さん、どうしてこんなところへおいでなすったの」
「はい、わたしは、ここからあんまり遠くないところに住んでいるのでございますよ」
「そうですか、ちっとも知らなかったわ」
「はい、はい」
 お雪は突立っている弥兵衛老人の頭から爪先まで、今更のように極めて興味深く見上げたり、見下ろしたりしていました。
「ほんとうにそっくりよ」
「何でございます」
「弥兵衛さんに、そっくりよ」
「何をおっしゃります」
 どうも、ばつの合わないところがあります。弥兵衛さんが、弥兵衛さんにそっくりだということは、別段、念を押すには及ばないことだろうと思われるのに、お雪には、これは容易ならぬ興味の的であるようです。
 それにもかかわらず老人は、極めて無表情に突立って、背に負うたものを、さも重そうにしていました。
 この空気を見ると、お雪ちゃんと、弥兵衛さんとは全く他人です。曾《かつ》て知合いになっていたのでもなければ、この際頼んだ人でもない、単に呼び名だけが暗合したようなもので、そのほかには、なんらの共通した感情も、理解も、漂うては来ないらしい。
 そこで、お雪ちゃんは、極めて手持無沙汰に、それでも、充分なる興味の眼は弥兵衛老人からはなすことではなく、無言に見詰めていますと、この老人は、さながらお雪ちゃんに興味を以て見つめられているために、ここに現れて来たもののように、どこからでも存分に御覧下さいと言わぬばかりに、いつまでもじっと立ちつくしているのです。そうしているうちに、弥兵衛さんの輪郭が、最もハッキリしてきました。
 何のことだ――これは弥兵衛は弥兵衛だが、只の弥兵衛ではない、平家の侍大将、弥兵衛兵衛宗清《やへえびょうえむねきよ》ではないか。
 弥兵衛兵衛宗清の本物を、お雪ちゃんが、いつ見知っていた? それは申すまでもなく、弥兵衛宗清は弥兵衛宗清だが、それは生《しょう》のままの平家の侍大将ではなく、お雪ちゃんが江戸見物に行った時分に見た、小団次だったか、松助だったか知らないが、その頃の名人役者のした弥兵衛宗清が、義経公のために、「弥兵衛兵衛宗清、暫く待て」と呼びとめられて、ギクッと胸にこたえながら、しら[#「しら」に傍点]を切る弥兵衛さん――最初から、それに違いないと気がついたから、さてこそ弥兵衛さんと、旧知の思いをもって呼びかけてみたら、それが全く的中してしまったまでのことです。
 今、弥兵衛さんの重そうに背負っているもの、それが、やっぱりお誂《あつら》え通りの鎧櫃《よろいびつ》と見えました。それを卸しもやらずに、立ちつくしている老人を気の毒だと思いましたから、親切なお雪ちゃんが、
「弥兵衛さん、重いでしょう、それをここへ卸して、少しお休みなさいな」
「はい、有難うございます、ではお言葉に従いまして」
と言って、弥兵衛は、これは制札ではない杖を置き、砂の上へ鎧櫃《よろいびつ》をどさり落した途端に、腰が砕けてまた立て直すところの呼吸なんぞ、ちい[#「ちい」に傍点]高の舞台でする調子そっくりでしたから、お雪ちゃんはわけのわからないながら、ほほえまずにはいられません。

         三

 老人が、やっと重い鎧櫃を下に置いて、ホッと息をつき、お雪ちゃんの横の方に腰を卸して煙草をのみはじめたものですから、自然お雪ちゃんは、親しく話しかけないわけにはゆきません。
「お爺《じい》さん、あなたは平家の落武者なんでしょう」
「へ、へ、へ」
 弥兵衛老人は人相よく笑って、
「山奥へ行きますてえと、どこへ行っても、平家の落武者はいますねえ」
「でも、お前さんこそ、本当の落武者なのでしょう」
「やっぱり、先祖はね、そんな言いつたえもあります、珍しい遺物も、残っているにはいますがねえ」
「どこなんですか、お住居《すまい》は」
「あの山の裏の谷です」
「え」
「そら、あの真白い、おごそかな山が、北の方に高く聳《そび》えておりましょう、御存じですかね、あれが加賀の白山《はくさん》でございますよ」
「まあ、あれが加賀の白山でしたか」
 お雪はいま改めて、群山四囲のうち、北の方に当って、最も高く雪をかぶって、そそり立つ山を惚々《ほれぼれ》と見ました。
「はい、あの白山の山の南の谷のところに、わしらは一族と共に、六百年以来住んでおりますでな」
「きまってますよ、平家の落人《おちうど》にきまってますよ、白川郷っていうんでしょう」
「はい、その白川郷の……」
「白川郷は、いいところですってね」
「え、いいところにも、悪いところにも、先祖以来、わしどもは、その白川郷から足を踏み出したことがございませんから、比較するにも、比較すべきものを持ちませんでな」
「自分が住んでいて、いいか、悪いか、わからないくらいのところが、本当にいいところなんでしょう。全く悪いところはお話になりませんが、ああいいところだと思えば、きっとドコかに悪い影がさすものです。永年住んでいて、いいところか、悪いところか、わからないくらいのところは、本当にいいところにきまっていますねえ」
「そんなものかも知れませんが、まあいいところとしておきましょう」
「実はねえ、お爺《じい》さん、わたしもその白川郷というところへ行って、一生を暮らしてしまいたいと思っているのよ」
「そうですか」
「平家の公達《きんだち》も、そこに落ちて、居ついているくらいですから、わたしなんぞも、住めないはずはないと思います」
「それは住めば都と申しましてな、お天道様の照らすところ、草木の生えるところで、人間が住んで住めないという土地はございませんけれど、お嬢さん、買いかぶってはいけませんよ、平家の公達だって、白川郷が住みよいからそこへ来たわけではありません、それは花の都に栄耀《えいよう》栄華を極めているに越したことはございますまいけれど、居るには居られず、住むには住まわれないから、よんどころなく、こんな山奥の奥へ落ちて来たものでしょう、それを夢の里か、絵の国でもあるように、憧《あこが》れて、わざわざ住みにおいでなさろうなんぞというのは、お若いというものです。平家の公達は命がけでございました、ほかの世界には生きられないから、この白川郷へ来たものでござんすよ」
「それはわかっててよ、わたしたちだって、同じ心持ですわ、どこへ行っても安心して住めるところがないから、一生をその白川郷へ埋めてしまいたい、という真剣な心持がお爺さんにはわからないの?」
「ははあ、お若いに、どうして、そうまで突きつめておいでですね」
「何でもいいから、わたしたちは、誰もさまたげることのない世界へ住みたいのです、ほかに希望《のぞみ》もなにもありゃしません。白骨谷だって、人が来てあぶなくってなりませんもの。どうしても白川郷へ行きますよ、単にあこがれや、物好きの沙汰《さた》ではありません。お爺さん、後生ですから白川郷へ行く道を教えて下さいな」

         四

「それは教えて上げない限りもございませんが、白川郷へ行く道は、並大抵の道ではありませんよ、まあ、あの白山をごらんなさい」
「はい」
「富士の雪は消える時がありましても、白山の雪は消えることがございません、あの高い峻《けわ》しいところを、ずっとなぞいに左の方をごらんなさい、滝が見えましょう」
「え、え」
 お雪ちゃんは瞳《ひとみ》をこらして、老人の指さすところを見ると、なるほど、山の腰のあたり、山巒重畳《さんらんちょうじょう》するところに、一条の滝がかかってあるのを明らかに認めます。ここで見てあのくらいだから、傍へよったらどのくらいの大きさの滝だかわからないと思いました。
「あれが、加賀の白山の白水《はくすい》の滝でございます、有名な……」
「まあ、そうですか」
「その白山の白水の滝が落ちて流れて、この白川の流れになるのでございます」
「ずいぶん大きな滝ですこと、ここで見てさえあのくらいですから」
「高さが三百六十間ありまして……」
「まあ……」
「滝より上が白水谷《はくすいだに》、滝より下が大白川《おおしらかわ》、白山の神が白米をとぐために、水があんなに白くなると言われます。その上下を通じて白川の山々谷々の間にあるのが、俗にいう白川郷でして、一口に白川郷とは言いますが、あれで四十三カ村でございますよ」
 そこで、お雪はそのうちの、どの村へという当てはないのでした。老人も、それをたしかめようとはしないが、
「で、あの白水の滝のあるところまでは、これからどのくらいありますか、あそこまで行ってみたいと思います」
「それはいけません」
「どうしてですか、道がないのですか」
「道はあります、道はありますけれども、女は行ってならないことになっておりますのでございますよ」
「それは、またどうしてでしょうか」
「あそこに千代《ちよ》ヶ坂《さか》というのがありましてな、八石平《はっこくだいら》からあちらは、女は忌《い》んで、通ってはならぬことになっているのを、千代という若い女の方が強《し》いて通りましたところ、翌日になると、その坂の木の枝に、女の五体がバラバラになって、かけられておりましたということで、それから、あれを千代ヶ坂と名附け、あの辺は決して女の方は近寄れないことになっております」
「まあ、それは本当ですか」
「それは古来の言い伝えでございますけれども、わしらが覚えてからも一つございました、ある坊さんが、あの温泉で眼を癒《なお》そうとしまして、尼さんを一人つれて参りましたが、そのせいでしたかどうでしたか、急に雨風が烈しくなって、とうとうその尼さんの行方《ゆくえ》がわからなくなりました」
「え、それでは、あの滝の下あたりに、やはり眼によい温泉があるのですか」
「ありますとも、白山三湯《はくさんさんとう》と言いまして、そのうちにも楢本《ならもと》の湯というのは、眼病、そこひ[#「そこひ」に傍点]のたぐいには神様のようだそうです」
「そのお湯へも、女は行ってはいけないのですか」
「え、あれから先は只今申し上げた通りです、行って行けないことはございませんが、行けば必ず祟《たた》りがあると言われていますから、おいでにならない方がよろしうございましょう」
「お爺さん、わたしは、どうも、そういうことは嘘だと思います――男だって、女だって、同じ人間ではありませんか、女は罪が多いと言いますけれども、男にだって罪の少ない者ばかりはありません、たまに女が災難に逢うと眼に立ち易《やす》いから、それ見ろと笑いものにしますけれど、男だって盗賊に逢って、林の中で斬られた人も幾人もありましょう、雨風のために行方知れずになったものも、ずいぶんありましょうと思います。ですから、わたしは、行って行けないことはないと思いますが、それはそれとして、お爺さん、いやな名前ですけれども、この白川郷のうちに、畜生谷というところがあるそうですね」
 そう言った時に、老人の面《かお》に、何とも言えぬようないや[#「いや」に傍点]な色が現われたので、お雪ちゃんがハッとしました。

         五

 その何とも言えない、いや[#「いや」に傍点]な色を見て、お雪ちゃんは急に、言わでものことを言ってしまったと、自分ながら気の毒と、それから一種の羞恥心《しゅうちしん》というようなものに駆《か》られ、我知らず面を赧《あか》らめて、だまってしまいました。
 畜生谷と言われて、何とも名状し難い嫌な色を、面に現わした老人は、暫くうつむいていましたが、
「人は、いろんなことを言いますねえ。それは、広い世界とはかけ離れたこの谷々の間のことですから、風俗も、それぞれ変ったことがございましょうよ」
「でも、畜生谷なんて、いやな名前ですねえ、ほんとに」
と、お雪は慰めのような気分で、老人に向って言いかけたことほど、老人の不快な色を気の毒に思ったからです。気の毒に思ったといううちには、もしかして、この老人が、その世間の人の悪口に言われる畜生谷の部落の中の一人ではなかったか、ということに気が廻ったことほど、胸を打たれたものがありましたからです。
 そこで、お雪は、もう再びこの老人の前で、そんな言葉を口にすまいという気になりました。その老人の前だけではなく、どんなところでも、人前でうっかり、畜生谷なんていう言葉を出すものではない、ついついそれに言葉がわたった自分というものの嗜《たしな》みの浅いことを、一方《ひとかた》ならず慙《は》じもし、悔いもする心に責められました。
 そこで、半ばはその思いをまぎらわすようにお雪は、
「それはそれとしまして、ねえおじいさん、わたしは今、誰が何と言いましても、その白川郷の中へ、落着きたい心持でいっぱいなのよ。人が世間並みに生きて行きたいというのは、義理人情にせまられるか、そうでなければ利慾心にからまれて、どうしても、そうしなければ生きて行かれないからなんでしょう、わたしは、そんなことはあきらめてしまいました、といっても、死ぬのはいやなのです、生きて行きたいのです、静かに生きて行きたいのです。そんなら、わたしを静かに生きて行かせないのは何者でしょう。それはわかりません、誰もわたしを縛っているのではないけれども、わたし自身が縛られているような気持で、あの静かな白骨谷でさえが、わたしを落着かせてはくれないのです。白川郷ならば、全く浮世のつまらない心づかいから離れて、生きられるように生き、何をしようとも、他人様《ひとさま》にさえ手を触れなければ、思いのままに生きて行ける世界――他人様もまた、それぞれ、思うままのことをしながら、自分たちも生き、わたしたちをも、生かせて行ってくれる世界――それが欲しいのです。白川郷には、その世界が、立派にあるそうです。なんでもかんでも、許してもくれ、許しもする世の中、それで人間が、気兼ねなしに生きて行かなければならないはずじゃありませんか」
「それは人間の世界じゃなく、それこそ畜生道というものじゃありませんかねえ、お嬢さん」
と言って、老人が反問したので、
「え」
とお雪が驚かされました。
「人間の生きて行く道よりは、畜生のいきて行く道の方が、気兼ね苦労というものが、かえって少ないのじゃありますまいか、ねえお嬢さん」
「何ですって、おじいさん――もし人間の生きて行く道が、つまらない気兼ね苦労ばかりいっぱいで、畜生の道が素直で、安心ならば、わたしはいっそ……」
「何をおっしゃります、お嬢さん、それが、あなた方のお若いところです……あの白山へ登るよりは、この白水谷を下る方がずっと楽には楽なんですがね」
と言って老人は立ち上り、砂上に置き据えた鎧櫃《よろいびつ》に手をかけた時、お雪が急に、そわそわとして、
「おじいさん――まあ待って下さい、急に気がかりなことがありますから、その鎧櫃の中を、ちょっとでいいからわたしに見せて下さいな、今になって気がつくなんて、ほんとに、わたしはどうかしています」

         六

 お安い御用と言わぬばかりに、弥兵衛老人が鎧櫃の蓋《ふた》を取って見せると、井戸の底をでも深くのぞき込むように、お雪は傍へ寄って、
「わたしが頼んでおきましたのに、今まで忘れていました、さぞ、御窮屈なことでしたろうにねえ」
 鎧櫃の中には、人の姿がありありと見えているのであります。
「先生、ずいぶん御窮屈でございましたでしょうねえ」
 人の姿は見えているけれども、返事はありません。
「先生」
 やはり手ごたえはない。
「おや!」
 お雪は一方ならずあわて[#「あわて」に傍点]ました。
「先生、お休みでございますか」
 でも、やっぱり何ともいらえがない。
「ほんとうに……眠っておいでなさるんでしょうか、先生」
 お雪は狼狽《ろうばい》の上に、不安の心をうかべて、井戸側深くのぞき込むようにすると、人の姿はいよいよ、ありありと見えるけれども、一向にうけこたえのないことが、またいよいよ明瞭であります。
 本来、鎧櫃の中というものは、一匹一人の人間を容れるには足りないものであります。せいぜい十代の少年ならばとにかく、普通の大人一人が、鎧櫃の中にいることは至難の業であります。ましてその中で酣睡《かんすい》を貪《むさぼ》るなどということは、あり得べきことではありません。
 それだのに、ありありと見える中の人は、立派な一人の成人であって、それは身体骨柄《しんたいこつがら》痩《や》せてこそいるけれども、月代《さかやき》はのびてこそいるけれども、押しも押されもせぬ中年の男性が、身にはお雪と同じような白羽二重に、九曜の紋のついているのを着て、鎧櫃の一方の隅に背をもたせかけて、胡坐《あぐら》をくみ、そうして、蝋鞘《ろうざや》の長い刀を、肩から膝のところへ抱くようにかいこみ、小刀は腰にさしたままで、うつむき加減に目をつぶっているのであります。さばかり、窮屈な鎧櫃の中に、かなりゆったりと座を構えて崩さないところを見れば、眠っているものに違いあるまいが、眠っていたとすれば、こうまで呼びかけられて、さめないはずはありますまい。
 お雪が、狼狽し、且つ不安に堪えぬ色をあらわしたのは、あまり深い眠りに驚かされたのみならず、その眠っている人の面《かお》の色の白いこと、さながら透きとおるほどに見えたからなのでしょう。
「先生、どうぞお目ざめ下さいまし、わたしが冗談《じょうだん》におすすめ申して、この鎧櫃の中へ、あなたがお入りになれば、わたしがおぶって上げて、白川郷までまいりますと申し上げたのを、いつのまにか、あなたは本当にこの中へお入りになりました。わたしは、まさか、あなたがこの鎧櫃の中へお入りになろうとは、思いませんでした。どなたにしても一人前の大人が、この中へ納まりきれるものではないと安心しておりましたのに、もしやと気がついて、あけて見ると、この有様です。ほんとうに御窮屈なことでしたろう、ささ、どうぞ、お目をお醒《さ》まし下さいまし」
と、のぞき込んだ顔を、押しつけるようにして呼びましたが、その人は、ガラス箱の中に置かれた人形のように、姿こそは、ありありとその人だが、返答がなく、表情がなく、微動だもありません。そのくせ、蝋のような面《かお》の色が、みるみる白くなってゆくものですから、お雪は、自分の身体そのものが、ずんずん冷たくなってゆくような心地がして、
「先生、焦《じ》らさないように願います、わたし、心配でたまりません、後生《ごしょう》ですから、お目ざめくださいまし。それとも、もしや、あなたは……生きておいでなのでしょうね、もしや……もしや、もしや」
 お雪は、ついに鎧櫃にしがみついて見ると、これは透かし物のような鎧櫃の前立《まえだて》の文字に、ありありと、
[#ここから1字下げ]
「俗名机竜之助霊位」
[#ここで字下げ終わり]
「おや――」
 ――お雪はついに声をあげて叫びました。

         七

「どうしたのです、お雪ちゃん」
 事はまさに反対で、声の限り人を呼びさまし、呼びさますことに絶望の揚句、絶叫したその声を聞いて、かえって呼びさまされたのは、当のお雪ちゃんで、呼びさましたその人が、鎧櫃《よろいびつ》の中にあって、返答もなく、表情もなく、微動もなく、蝋《ろう》のように面《かお》の色の白かった人。
 しかも、ところは窮屈な鎧櫃の中ではなく、飛騨の国の平湯の温泉の一間、せんだって宇津木兵馬もこの室に宿り、仏頂寺、丸山の徒もここに来《きた》り、その時の鎧櫃、物の具の体《てい》、あの時と、ちっとも変らない一室の中でありました。
 夜具の中からこちらに寝返りを打った竜之助は、ぼんやりとした有明の燈の光に、自分の面を射させて、そうして、二つ並べた蒲団《ふとん》の一方に、夢にうなされているお雪を、こちらから呼んでみたところです。
「まあ、怖《こわ》かった」
 あたりを見廻したお雪は、狼狽と、不安との上に、茫漠とした安心の色を少し加えて、ホッと息をついたが、寝汗というもので、しとどと腋《わき》の下がうるおうていたのを快くは思いません。
「また、夢を見たね」
「夢なら夢でいいのですけれど、どうもこのごろは、夢と本当のこととがぼかされてしまって、つぎ目がハッキリしませんから、覚めても、やっぱり夢でよかったという気にはなれないから、いやになっちまいますね、まるで夢にからかわれているようなんですもの」
「夢がいいねえ、いつぞや、お雪ちゃんから聞かされた、白馬へ登った夢なんぞはよかったよ。拙者は今まで、ロクな夢という夢を見たことはないが、白馬へ登った夢だけは格別だ。あの時、あのままで、二人が白馬の上から白雲の上まで登って、永久に降りて来なければ、一層よかったろうに――あれから、また降りて来たばっかりに、畜生谷というところまで落されてしまうのか知らん」
「いやなことを、おっしゃいますな」
 お雪は、そこで、またちょっと不快な気持になっていると、その際に、ずっと以前から外で呼び続けられてはいたのだけれども、お雪ちゃんの耳に、はじめて入るけたたましい人の声を聞きました。
「駒さんよ――」
「聞えたかえ、もう一ぺん戻って下さいよう、聞えたかえ、駒さんよう」
「早く戻らさんせよう」
「早く帰らさんせよう」
 極めて単調の声で、野卑な哀音が夜をこめて、やや遠いところから、絶えず呼びつづけられていたらしいが、急に目ざめたお雪には、今となってはじめて聞えて来たものです。
「何でしょうね、先生、あの声は」
「あれはね、この近所の家で人が死んだのだそうだ、人が死ぬと、この土地の習いで、ああして三日三晩の間とか、その名を呼びつづけているのだということを、さいぜん、女中が来て話して行った、ぬけ出した魂魄《こんぱく》を呼び戻そうというのだろう」
「いやな習わしですね」
「うん、気にして聞いていると、自分が地獄から呼び戻されてでもいるようだ」
「でも、よろしうござんした、こちらは首尾よく呼び戻してしまいましたから。ねえ、先生、ここに鎧櫃がございますね、ここへ休まれる前に、あなたに向って、わたしが冗談を言いましたが、先生、あなた、この鎧櫃へお入りなされば、わたしが白川へでも、白山へでも、おぶって行ってあげると言いながら、二人が眠ってしまいましたのね。ところがどうでしょう、あなたが、ちゃあんと、この鎧櫃へはいっていらっしゃるじゃありませんか。それだけならいいけれど、鎧櫃の中のあなたのお姿といったら、いやいや、思い出してもいやですわ、どう見たってこの世の人じゃございませんでしたもの。わたしは一生懸命、あなたの魂を呼び戻そうとして、叫びましたが、呼び戻しているわたしが、かえってあなたのために呼びさまされて、こうして汗をかいているわけじゃありませんか。夢でよかったというには、あんまり気持が悪過ぎる夢でした。でも、こうして醒《さ》めてみると、安心しました」

         八

 そこで、暫く静かである間、例の、
「早く戻らんせやい」
「早く帰ってござらせ」
という叫び声を、うるさく小耳にしないわけにはゆきません。
 半ば習慣的に繰返される野卑なる哀音も、竜之助の耳に、「帰るに如《し》かず」と囁《ささや》くようです。お雪が言いました、
「ほんとうに耳ざわりですね、先生、いくら呼んだって、叫んだって、死んで行く人を呼び戻すことなんか、できやしませんね」
「そうさなあ」
「でも魂魄この世にとどまりて……ということもありますから、ほんとうに人間の魂は、死んでも四十九日の間、屋の棟に留まっているものでしょうか」
「いないとも言えないね」
「そんなら、あのイヤ[#「イヤ」に傍点]なおばさんなんて、まだ魂魄が、白骨谷か、無名沼《ななしぬま》あたりにとまっているでしょう、怖いことね」
「左様、あのおばさんの魂魄は、もう白骨谷には留まっていまいよ」
「どうしてそれがわかります」
「飛騨の高山が家だというから、いまごろは、高山の方の屋の棟にかじりついているかも知れない、それとも途中、この温泉場が賑《にぎ》やかだから、今晩あたり、この宿の棟のあたりに宿っているかも知れない」
「イヤですね、先生、そんなことをおっしゃってはイヤですよ」
「でも、お雪ちゃん、お前はだいぶあのイヤなおばさんに、なついていたようだ」
「それは、あのおばさん、イヤなおばさんにはイヤなおばさんでしたけれど、それでも憎めないところがあって、イヤだイヤだと思いながら、どこか好きになれそうなおばさんでした、本来は悪い人じゃないのでしょう」
「は、は、は、あぶないこと、お前も二代目浅公にされるところだったね、あんなのに好かれると、骨までしゃぶられるものだ」
「全く、浅吉さんていう人は、なんてかわいそうな人なんでしょう、おばさんの方は自業自得《じごうじとく》かも知れないが、浅吉さんこそ浮びきれますまいねえ」
「だらしのない奴等だ」
と言いながら、竜之助は不意に起き上ったのは、厠《かわや》へ行きたくなったのでしょう。それを察したお雪は、自分も起き上って、かいがいしくしごきを締め直して案内に立ち上ります。いつもならば竜之助は、そんなことを辞退するか、お雪が知らない間に寝床を抜け出して、ついぞ手数をかけたことはないのですが、ここははじめての宿ですから、勝手が悪いと思ったのでしょう、お雪ちゃんのする通りに竜之助は導かれて、縁の外へ出ると、その間、お雪は肌の寒さをこらえて障子の外に立って待っていました。そうして、見るともなく夜の空を見ると、ここも山国とはいえ、白骨よりは、はるかに天地の広いことを感ぜずにはおられません。
 白骨は壺中《こちゅう》の天地でありましたけれど、ここは山間の部落であります。溶けて流れない沈静が、ここへ来ると、なんとなく陽気に動いていることを感じます。
 お雪は、白骨に残して置いた同行の久助さんのことを考えました。
 わたしたちは一足先に平湯へ行っているから、荷物をとりまとめ、強力《ごうりき》を頼んで、二日や三日は遅れてもかまわないから、あとから来て下さいと言って置いて、白骨を抜け出すには抜け出したが、お雪ちゃんの本心を言うと、この辺で久助さんをまい[#「まい」に傍点]てしまいたいのです。
 これは大きな冒険でもあり、謀叛《むほん》でもあるけれど、この場合、そうするよりほかはないと考えています。あの人は決して邪魔になる人ではないが、忠実過ぎるほど忠実であることが、大きな邪魔のように思われてなりません。
 どうしたものだろう、ほんとうに……それを今も思案しているところへ、竜之助が廊下を渡って出てきました。それを見るとお雪ちゃんは、素直に柄杓《ひしゃく》を取って、竜之助の手に水をかけてやりました。
 その時に一番鶏が啼《な》きました。

         九

 かくて三日を過している間に、白骨から久助が、委細をとりまとめて、抜からぬ面《かお》でやって参りました。
 噂《うわさ》を聞くと、白骨に籠《こも》っているあの一種異様な人たちが、根っからこの冬を動こうともしないらしく、ことにまだお雪ちゃんとその連れである不思議な病者が、ここを去ったということをも気がつかないで、
「お雪ちゃん、またこのごろ雲隠れ、お嫁さんにでも行ったのか」
なんぞと噂をしているとのことです。久助はそれとなく、平湯から高山へ行って、また戻るようなそぶりで、なにげなく荷物をまとめて出て来たとのことです。
 お雪ちゃんは、久助が万事よくしてくれたことを表面は喜びましたが、内実は、また一当惑と思います。
 この久助さんを、ズッと白骨に残して置けるものならば残して置きたかったし、なおできるならば、国へ先に帰してしまいたいと思うけれども、それはどうしても、できないことだし、そんならばいっそ久助さんをもまき添えに、白川郷まで引張りこんでしまおうかしら。
 それはいけない、久助さんは国へ帰ることだとばっかり思っている、わたしたちが白川郷へ行こうなんぞという気持が、全く理解のできる人ではない。こうなった以上は、途中でまい[#「まい」に傍点]てしまうよりほかはないとも考えました。
 だが、ここで、私たちにまかれた後の久助さんはどうなるのだろう。そうでなくてさえ忠実すぎるほど忠実なあの人が、この遠国の旅路で、わたしたちをはぐらかしたとしたら、その心配と、狼狽《ろうばい》が思いやられる。ところが、いくら心配しても、狼狽しても、わたしの行方が絶望となった日には、あの人のしおれ方が思いやられるばかりでなく、おそらく、ひとりで無事に故郷へ帰る気にはなるまい。
 お雪はこのことの思案だけで、かなり頭が疲れ、旅の仕度も手につきませんでしたが、久助さんはいい気なもので、明日の出立の日和《ひより》を見たり、これから飛騨の高山から、美濃の岐阜へ出て東海道を下るか、そうでなければ木曾路へ出て、ゆるゆると故郷の上野原方面へ帰ることを、若い時、伊勢参りの思い出から、子供のように喜んで、お雪に語り聞かせているのです。その間に地の理を見定め聞き覚えたお雪は、これはどうしても、久助さんのいう通りに、明日にもここを出立して、飛騨の高山までは、どうにもこうにも同行をまぬがれないものと思いました。
 万事は高山で――と決心の臍《ほぞ》を固めました。
 高山へ行けば、あれを後ろに廻って、船津《ふなづ》から越中へ出る街道がある。南へ折れれば南信濃か、岐阜方面へ出るが、真直ぐに行くと白川街道だと教えられる。
 どのみち、こうなった上は、高山まではありきたりの路を踏まねばならぬ。そこまでは約八里、そんなに遠いほどの道ではないのに、途中、平湯峠というところが少々難所だけで、あとは坦々《たんたん》たる道、馬も駕籠《かご》も自由に通るとのことだから、やっぱり、万事は高山まで。高山へ着いてから、久助さんをまい[#「まい」に傍点]てしまわなければならぬ。それは気の毒なことではあるが、それよりほかに道はない。
 白川郷へ、白川郷へというお雪ちゃんの空想がさせる大胆な冒険は、もう心のうちで翻《ひるがえ》す由もありません。
 それとは知らぬ従者役の久助は、宵のうちに馬と駕籠とを頼み、お雪は荷物と共に馬に乗り、竜之助は駕籠に乗せ、自分は、その傍らに徒歩《かち》でつきそって、平湯の湯を立ち出でることになりました。
 平湯峠の上、峠といっても、この辺では最も容易《たやす》い峠のうちで、乗物ですれば知らぬ間に過ぎてしまうほどの峠――それでも峠の上の地蔵堂らしいところの前で、ちょっと馬を休ませ、駕籠の息杖を休ませました。馬上で、平湯の方をふり返ったお雪は、なんとなく名残《なご》りの残るものがあるように覚えました。
 万事をいたわる久助を――かりそめながら犠牲にあげるという心持に打たれて、見るに忍びない気にもなりました。

         十

 平湯峠の上で一行が暫く休んでいる時に、後ろから、つまり自分たちがいま出て来たところの平湯の方から、息せき切って上って来る数多《あまた》の人々を認めました。
 まもなく、その一行は、ここまで登りつめてしまった。非常に急いでいた旅ではあるらしいが、さすがにここに来ると、一息入れないわけにはゆかないから、その一行も、お雪ちゃんの馬の程遠からぬところへ荷物を置いて、ちょっと挨拶《あいさつ》のようなことを言いながら休みました。
 都合七八人の人が、いずれも弓張提灯《ゆみはりぢょうちん》を絞って、つき添っているのは、夜通しの旅であったことを想わせ、その人たちが、真中にして担《かつ》いで来たものが釣台であり、戸板であるのに、蒲団《ふとん》を厚くのせていることによって、これは急病人だと思わせられます。
 その急病人の上には、形ばかり蒲団をかけてあるが、その上に白布《しらぬの》をいっぱいにかぶせてある体《てい》を、馬上にいたお雪ちゃんが、最もめざとく見て、そうして、はて、これは急病人ではない、もう縡切《ことき》れている人だ、お気の毒な、急病の途中、高山までよいお医者の許へとつれ出してみたが、もうイケないのだ、気の毒な――とお雪は、よそながら同情してしまいました。
 久助さんも、同じように見たとみえて、その人たちに向って、
「御病人でございますか」
「はい――どうも、いけませんでな」
 一行の肝煎《きもいり》が、はえない返事。
「お気の毒でございます、こんな山方《やまかた》で、急病の時はさだめてお困りのことでござんしょう」
「はい、どうもなんにしても、こんな山坂の間でござんすから」
「どちらからおいでになりました」
「白骨から参りました」
「え、白骨から、左様でございますか、いつ白骨からおいでになりました」
「昨晩、夜どおしで参りました」
「それは、それは」
 久助さんも改めて、その釣台を見直すのでありました。
 それというのも、自分も昨日、白骨を立ったのであるが、こんな人には行逢わなかった。多くもあらぬ白骨谷に籠《こも》る面々には、みんな近づきになっているはずだのに、あの中には、いずれも一癖ありそうな人ばかりで、急にこんなになって運ばれねばならぬ人は、一人も見かけなかったのに、はて、不思議のこともあればあるものと見直したのですが、お雪ちゃんも同じ思いです。
「そうして、なんでございますか、御病人は、白骨で病み出しておいでになりましたか」
「はい、どうもとんだ災難でしてね」
「どちらのお方でございますか」
「高山の者なんですが、ついつい、あんなところに長居をしたばっかりに、こんなことになってしまいました、ホンとによせばよかったのですがね」
「ははあ」
 久助も、お雪ちゃんも、ほとんど烟《けむ》にまかれてしまいました。
 白骨は、つい今まで自分たちの隅々隈々《すみずみくまぐま》までも知っていたわが家同様のところ、どう考えても、急にこんなになりそうな人は思い出せないから、二人は面《かお》を見合わせたっきりでいると、
「さあ、それでは皆さん、もう一息御苦労」
「はいはい」
 釣台をかつぎ上げた時に、揺れた調子か、山風にあおられてか、面のあたりにかぶさっていた白い布の一端が、パッとはね上ると、その下に現われたのは、久助は傍見《わきみ》をしていたが、馬上のお雪ちゃんは、ハッキリとそれを認めて、
「あっ!」
 あたりの誰人をも驚かした声をあげたが、それよりも当人のお雪ちゃんが、土のようになってふるえたのは、覆われた白布のうちから見せた死人の面は、例のイヤ[#「イヤ」に傍点]なおばさんに相違なく、まだつやつやしい髪の毛がたっぷりと――あの脂《あぶら》ぎった面の色が、長いあいだ無名沼《ななしぬま》の冷たい水の中につかっていたせいか、真白くなって眠っているのを、たしかに見届けました。

         十一

 それは、お雪ちゃんが気のついた瞬間に、釣台をかついだ人夫が、あわてて覆いをしたものですから、ほかの誰も気のついたものはありません。
 一息入れて釣台の一行は、こうしてお雪ちゃんの一行に後《おく》れて来たが、先立ってしまいました。
 そのあとから、おもむろに手綱《たづな》をとりだした馬子が、
「お客さん、これが平湯峠の名物、笹の魚というのでがんすよ、おみやげにお持ちなさいましな」
 それは笹の葉が魚の形に巻き上ったもの。
「これが渓河《たにがわ》へ落ちると岩魚《いわな》という魚になるんでがんす」
 笹の葉化して岩魚となるという、名物のいわれ面白く、手折《たお》ってくれた好意も有難いが、お雪は上《うわ》の空で受けて、やがて馬は平湯峠を下りにかかる時、
「平湯峠が海ならよかろ、いとし殿御と船で越そ――という唄がござんしてな」
 馬子が、そういって教えたのも、いつものお雪ちゃんならば、「それをひとつ唄って下さいな、ぜひ」とせがむにきまっているが、今はその元気さえありません。
 たったいま、見た物《もの》の怪《け》を、誰ぞに話してよいものか、悪いものか、それにさえ惑いきっているのであります。久助さんが見なかったことがかえって幸い、見ずにいれば見ないで済んだものを、ここでいやなことを言い出したら、みんなの気を悪くするにきまっている、自分ひとりの胸に納めて言わないで済ましてしまうのが本当だと、お雪ちゃんはひとり心に思い定めてしまいました。
 心には、思い定めたけれども、胸はいよいよ不思議でいっぱいです――あの、夏以来、温泉場の座持であったイヤなおばさん、あの人の最期《さいご》を考えてみると、何から何まで合点《がてん》のゆかないことばかりです。
 浅吉さんが死んでまもなく、あの無名沼にイヤなおばさんの死体が浮いていたということ、たしかそれを引き上げて、宿でお通夜があったとか聞いていたが、その時、自分はとても、傍へ寄って、あのおばさんの死面《しにがお》を見る勇気はなく、それに、あんなものは出世前の人は見ないがよいなんて、北原さんあたりも言うたものだから、自分は逃げてしまったが、それからどうなったのか聞きもしないし、聞かせてくれた人もありません。
 多分、もう、疾《と》うの昔に人が来て、その死体を引取ってしまったこととばっかり思っていたのに、今日このごろになって、あの死体に行当ろうとは、どう考えても腑に落ちないことばかりです。
 人違い――となれば万事は解決するが、一目見ただけのお雪ちゃんの印象で、どうしてもあの人が、イヤなおばさん以外の人であるとは思い直すわけにはゆかないのです。けれども、もし本人であるとすれば、時間に於て著しい錯誤がある。それともすべてが物の怪で、前の晩に、魂魄《こんぱく》がこの土に留まるとか、留まらないとか言って、先生が今晩あたり、この賑やかな平湯の温泉宿の屋の棟あたりにかじりついているのかもしれないと、冗談《じょうだん》を言われたのが、祟《たた》りとなって、イヤなおばさんの魂魄が、自分たちのあとを追いかけて来たのではないか。そうだとすれば早く浮んで下さい。
 だが、こればっかりは、争われぬ眼前の事実で、夢だとも、幽霊だとも、思直しようがありません――お雪ちゃんの、はっきりした頭では、もしやと、こんなふうにも想像してみました――
 あの時、無名沼の面《おもて》に、おばさんの死体が浮いたことは本当だろうが、それを引き上げようとする間に、水の底へかくれてしまって、そうして今日になって、はじめて探して引き上げることになった。あの冷たい沼の底に、長い間氷詰めのようにされていたから、それであの通り形も崩れずに、そっくり病人の体《てい》で運ばれて行くことになったのかも知れない。ああ多分そうなんでしょう。いずれにしても、あのイヤなおばさんの魂魄だけではない、その肉体とまで前後して、自分たちは行くところまで行かねばならないのか――お雪ちゃんは飛騨《ひだ》の高山を怖れました。

         十二

 これに先立つこと幾日、宇津木兵馬は同じ道を、すでに飛騨の高山の町に入って、一の町二丁目の高札場《こうさつば》の前に立っておりました。
 大きな柳の枯枝に、なぶられている立札を見ると、「御廻状|写《うつし》の事」というものがある。本文を読んでみると、
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「近来浪人共、水戸殿浪人或は新徴組|抔《など》と唱へ、所々身元宜者共へ攘夷之儀を口実に無心申懸け、其余公事出入等に、彼是|申威《まうしおど》し金子|為差出《さしださせ》候類|有之候処《これありさふらふところ》、追々増長におよび、猥《みだり》に勅命抔と申触《まうしふら》し在々農民を党類に引入候類も有之哉《これあるや》に相聞き、今般御上洛|被仰出折柄難捨置《おほせいださるるをりからすておきがたく》、依之|已来《いらい》御料私領村々申合せ置き、帯刀いたし居候とも、浪人|体《てい》にて恠敷《あやしく》見受候分は無用捨《ようしやなく》召捕り、手向いたし候はば切殺候とも打殺候とも可致旨被仰出候間、其旨可存候
右之通り万石以上以下不洩様に相触れ、且右之趣板札に認め、御料私領の宿村高札場|或者《あるひは》村役人宅前抔に当分掛置候様可被相達候
  亥十二月」
[#ここで字下げ終わり]
 これは、新しいものではない、今に始まった警告ではない。
 つまり、近来、浪人と称するものが、或いは水戸家の浪人とか、新徴組とかいって、相当の資産ありそうな家へ無心に押しかけて、迷惑をかけ、追々増長して、或いは勅命だとかなんとかいって、横行するのにてこずった揚句、左様な者に対して斬捨御免を表示したものである。
 左様、飛騨の高山は、やはり幕府の直轄地であって、諸侯の城下ではないために、勤王を標榜《ひょうぼう》するやからよりは、水戸とか、新徴組とかいって入り込む方が今のところ、便宜がよろしいものと見える。
 兵馬は、いたる所でこんな高札を見かけることを珍しいとはしなかったけれど、これほど明瞭に保存されているのは少ないと思いました。立てるとまもなく汚したり、壊したりして、みじめな有様になっているところも多いのに、ここは相当年月を経ながら、かなり完全に保存されて、明瞭に読み得られることに、物珍しさを感じたくらいです。
 しかし、顧みてみると、自分もこれで年少ながら、浪人の端くれとしての形を備えているようだ。怪しいと睨《にら》まれれば、怪しいと睨まれても仕方がないのだ。咎《とが》め立てをされれば、一応は弁解をしなければならない身だし、万一その弁解ぶりに疑点をさしはさまれて、土地の人気にでも触れようものなら、相当に冒険が無いとは言えない身の上だが、甲府城下では、あんなことになったのは是非もないが、その他のところでは、まずどこへ行っても、挙動不審と見られたことのないのは、一つは少年のせいでもあろうが、一方から言うと、こんな高札を立てたこと、そのことがすでに幕府の警察力の薄弱を充分に暴露したもので、怪しいと見た奴は容赦なく召捕れとか、手向い致さばきり殺すとも、打ち殺すとも勝手次第と触れてみたところで、お上《かみ》役人そのもののもてあます浪人を、進んで咎《とが》めたり、からめたりしようという向う見ずは、人民の中にそうたくさんありそうな理窟はない、有名無実な高札だとして、さのみ心に留めてはいませんでした。仏頂寺、丸山の徒ならば、横目で睨んで冷笑を浴びせて通るべく、南条、五十嵐あたりならば、墨を塗って走り去るかも知れません。
 ともかくこの高札が、数年前に掲げられたまま無事であるということが、この地が何というてもまだ直轄の有難さであり、それだけ山間の平和を示しているものと見られないでもない。だが、兵馬は、この高札場へ立寄ったのは、これを読まんがためではなく、何かの道しるべを見たかったからです。
 仏頂寺、丸山が教えることには、飛騨の高山はあれで幕府の代官地だ、ことに先年やって来た旗本の小野朝右衛門の倅《せがれ》鉄太郎は、今は山岡姓を冒《おか》しているが、この地に於て剣術の手ほどきをしたものだ、ここで井上清虎に就いて剣を学びはじめたのが、そもそもあの男の剣術の振出しだというようなことを言ったから、兵馬はそれに好奇を感じ、一つにはその鉄太郎の修行の名残《なご》りをたずねよう心構えをしていたのです。

         十三

 先年、飛騨の郡代として来任した小野朝右衛門|高福《たかよし》の次男に鉄太郎というものがあって、それが後に山岡姓をついで、当時江戸の講武所で名うての剣道者となっている。
 この飛騨高山が、その人の発祥地とはなつかしいようだ。左様の人物を育てたくらいの所だから、今も相当にその道の達人がいるかも知れない。第一その鉄太郎が、最初に師として学んだという井上清虎という人は、今もこの地にいるかどうか、必ずや、相当の達人に相違あるまい。健在でおられたら、ぜひとも見参《げんざん》して行きたい。
 兵馬は件《くだん》の高札場のところから、この市中のしかるべき武術家の門に向って、まずその辺をたしかめてみようと足を進めました。
 しかるべき武術家といったところで、誰と目星をつけて来たわけではない。右の小野鉄太郎と、井上清虎の名をふりかざしてたずねてみたが、要領ある返事をしてくれるものは極めて稀れです。
 でも、ある人が、こんなことを教えてくれました、
「剣術のことでしたら、お代官屋敷へおいでなさいまし。新お代官が、ばかに剣術がお好きで、毎晩毎晩、お盛んな稽古をやらせていらっしゃいます。先のお代官は、剣術の方も名人でいらっしゃいまして、御自身で誰にも剣術を教えていらっしゃいましたけれども、新お代官は、御自身ではどうでいらっしゃいますか知れませんが、お好きにはお好きでいらっしゃいまして、お屋敷の道場をお開き申して、誰にでも自由に剣術を習わせるようにしていらっしゃいます――」
 いらっしゃいます、という言葉を、ふんだんに使って紹介してくれたから、ついこちらでも左様でいらっしゃいますか、それは結構でいらっしゃいます、と返事をしてやりたいくらいに滑稽にも感じたけれど、なんにしても耳よりな話には違いない。
 お代官といえば、この飛騨の郡代のことであろう。徳川幕府より遣《つか》わされたるこの国の支配者で、この国ではなかなか軽からぬ地位である。その新お代官なるものが、道場を開放して、四民の間に剣術を習うことを許すというのは、今時《いまどき》、世間の物騒なのにつれて備うることの必要を感じたのか知れないが、人民に対して、威張り腐ることの代名詞になっているような代官その人が、進んで武術開放及び奨励とは感心なことである。
 兵馬は、それを聞くと早速に、教えられた通り代官屋敷の道場を叩いてみると、その時に、もはや戞々《かつかつ》として竹刀《しない》打ちの最中でありました。
 その音を聞くと勇みをなして、兵馬は玄関から正当に案内を申し入れ、型のごとく出て来た取次の用人に向って、自分が武者修行の旅行中のもので、御英名を慕いて推参したということ、兼ねて「英名録」や、その他旗本の要路の紹介免許状等が口をきいて、一議もなく、快き諒解《りょうかい》の下に、
「暫くお控え下さい」
 次の案内を、兵馬が玄関先で暫く控えて待っている間、この代官屋敷の奥の一方で、しきりに三味線の音と陽気な唄の声が立上《たちのぼ》るのを聞き、兵馬は一種異様の感を起さないわけにはゆきません。
 庭前では、道場を開放して四民の間に武術を奨励するかと見れば、奥の間ではしきりに三味線の三下《さんさが》り、それも、聞いていれば、今時のはやり唄、
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紺のぶっさき
丸八《まるはち》かけて
長州征伐おきのどく
イヨ、ないしょ、ないしょ
もり(毛利)ももりじゃが
あいつ(会津)もあいつ
かか(加賀)のいうこときけばよい
イヨ、ないしょ、ないしょ
[#ここで字下げ終わり]
の調子で、荒らかに三味線をひっかき廻し、興がっている。
 それを聞いて兵馬が興ざめ顔になったのも無理がありません。

         十四

 庭前では尚武の風を鼓吹し、奥の間では鄭衛《ていえい》の調べを弄《ろう》している。
 それを甚《はなは》だ解《げ》せない空気に感じながら、用人の案内で道場へ通されて見ると、なるほど、盛んは盛んなものでした。
 もう数十人の稽古者が集まって、入りかわり立ちかわり、師範か代稽古か知らないが、大兵《だいひょう》の男を中心にぶっつかっている。他の隅々には、それぞれドングリ連が申合いの試合をしている。その景気を見て兵馬も一時は感心に打たれましたが、そうかといって、その盛んさがどうも雑然として締りがない。やっている連中を見ると、だらしなく参るのや、勢いこんで猛牛の如く荒《あば》れ廻るのや、先後の順も、上下の区別も血迷ってしまっているのが多い。そうして、なお、後から後から繰込んで来る面《かお》ぶれを見ると、百姓や、町人風はまだいいとして、ドテラを引っかけた博徒、馬方の類《たぐい》としか見えないのが、懐ろ手で乗込んで来るのを見ては、唖然《あぜん》として口のふさがらない次第です。
 これらの連中、ともかく、一応の礼儀をする、次に道具のつけ方を見ていると、正式に結ぶのもあるが、股引《ももひき》の上へじかに胴をくっつけるのもあり、ドテラの上へ直ちに道具をつけるのもあって、それらが申合いをすると、見ている者がドッと笑います。
 やがて代稽古らしい大兵の人が、稽古をやめ、道具を取って兵馬の方へ来て挨拶をしました、
「どうか、これらの連中に、一本稽古をつけてやっていただきたい」
とのことです。兵馬はかえって、それを面白いことに思いました。
「おやすい御用です」
 士分連も相当にいたのですけれども、それらは、少年兵馬を見るに異様な眼を以てして、進んで稽古をこおうとはしませんから、兵馬は、それにかまわず、借受けた道具をつけて道場の一方に立ち上ると、代稽古の紹介を待たず、勢いこんで躍《おど》り出したのは、猛牛のような一人。
 少年兵馬の物々しさを侮って、いきなり、
「お面!」
と打ちこんで来ました。
 それを兵馬が、ちょっとかわして、肩のところを竹刀《しない》で押えると、地響きを立てて横に倒れました。その、鮮かな初太刀が、集まっているすべての竹刀を休ませて、兵馬一人を見つめて、仰天の態《てい》です。
 出鼻をぶっ倒された猛牛は、起き上るが早いか、覚えたかといわぬばかりに滅多打ちに打ちかかって来るのを、兵馬は軽くあしらい、軽く外《はず》し、あんまりくっついて来る時は、また軽い突きで二三間|刎《は》ね飛ばすと、猛牛が忽《たちま》ちヘトヘトになってしまいました。
 猛牛が難なく退治せられたと見ると、道場内の空気が忽ち一変します。
 しかし、やや怖れをなしたのは、多少心得ある者だけで、猛牛に次ぐに野牛、野あらし、野犬、まき[#「まき」に傍点]割り、向う脛《ずね》の連中が、得たり賢しと自分たちの稽古をやめて、我勝ちにと兵馬の周囲《まわり》に集まって来たことです。
 でも、最初のように、いきなり、ぶっつかることはなく、一応は礼儀をして、一本お稽古を願う態度を示したはいいが、その後のぶっつかり方は、相変らず乱暴極まるもので、頭から力ずくで、このこざかしい若武者をやっつけろ、という意気組み丸出しでかかって来るから、兵馬はおかしくもあり、それが一層こなし易《やす》くもあり、猛牛も、野牛も、野犬も、野あらしも、薪割りも、見る間にヘトヘトにしてしまい、入りかわり立ちかわり、瞬く間に三十人ばかりをこなしたが、こなす兵馬が疲れないで、入りかわり立ちかわり連がかえって、道具をつける時間を失い、あわてて兵馬に暫時の休戦を乞うの有様でしたから、兵馬は居合腰になって竹刀を立てたまま、暫く休息していました。
 士分連も今は侮り難く、謹んで兵馬に稽古をつけてもらうことになったのはそれからです。

         十五

 誰が復命したものか、この、素晴しい少年の道場荒しが乗込んで来たという報告が、いつのまにか、主人の耳に伝えられたと見えて、奥の間から、現われて来たその人は、いわゆる「新お代官」という人なのでしょう。肥った、色のドス黒いところに赤味を帯びた、それで背はあんまり高くはない男が、小姓に刀を持たせて、よい機嫌で、そこへ現われて来て、家来を相手の兵馬の稽古ぶりを、無遠慮にながめながら、ニタニタ笑っているのを見ました。
 御機嫌はいいに違いないが、それは一杯機嫌であることもたしかです。
 稽古が済んでから、兵馬は、この「新お代官」に引合わせられる。「新お代官」は兵馬の腕の見事なのをほめた上に、どうかできるだけ長く留まって、指導してもらいたいということ、自分はこれから出かけるが、今晩は、ゆっくり君と話したい――というようなことを言うて出て行きました。
 その夜、兵馬は改めて、この「新お代官」に招かれて、御馳走になりつつ話をしたが、わかったようでわからないのは、この「新お代官様」だと思いました。
 水戸の生れだということだが、そうだとすれば、どうして直轄地の代官になれたかということが判然しない。当然、士分の生れの者でなければならぬことはわかっているが、その口調や態度が、ややもすれば、どうしても前身が、バクチ打か何かであったろうとしか思われないものが飛び出す――それだけまた、お役人としては、風変りの苦労人であり、相当に分ったところもあるようです。御主人の出身は、まだよく判然しないが、その口から小野鉄太郎のことは、かなり明瞭に聞くことを得ました。
 その語るところによると、鉄太郎はこの土地で育ったが、生れはやっぱり江戸だ、本所の大川端の四軒屋敷で生れたのだ、祖父の朝右衛門がここの郡代になるについて、当地へやって来たのが十歳《とお》ぐらいの時でもあったろう、おふくろも一緒に来たよ、おふくろといっても、鉄はああ見えてもあれで妾腹《めかけばら》でな、と言わでものことまで言う。剣術の方かい、ここで手ほどきをしたというわけではない、江戸で近藤弥之助やなんぞについて、その以前にやったのだが、引続いて、この地で学問剣術をやった。鉄に剣術を教えた井上清虎てのは、まだこの地にいるかって? 今はいないよ。よっぽど出来る先生かって、左様、よくは知らんがな、土佐の人だとかいったよ、真影《しんかげ》だ、それと甲州流の軍学を心得ていたということだ。そのほか、この土地の先生に就いて学問もやれば、習字もやったが、なんにしても飛騨の山の中では本当の修行はできやせん、まもなく江戸へ上って、鍛えたから、まあ当今あれだけになったものさ。ははあ、そんなに強いかね。天性力はあったね。鬼鉄《おにてつ》、なるほど、そうかも知れぬ。だが、感心に若い時分から信心家でな、八つぐらいの歳から観音様を信仰していたものだとさ。面白い話が一つある、叔父さんかなんかのために鎧《よろい》をこしらえていたが、その出来が遅いと言って怒られた、その晩、先生|素裸《すっぱだか》で、黒の桔梗笠《ききょうがさ》をかぶって、お盆の上へ蕎麦《そば》を一杯|恭《うやうや》しく盛り上げ、そいつを目八分に捧げて、その叔父さんかなにかのところへ出かけて、まじめくさって、門口に突立っていたものだから、みんなギャッと言って肝をつぶしたことがある。素裸で、お蕎麦一杯を恭しく捧げて、まじめくさって突立った形は絵になるじゃないか、白蔵主《はくぞうす》のお使といったような形だね。そんな人を食ったところもあったそうだ。六百石の小野家から、百五十石の山岡へ押しかけ聟《むこ》に行ったところも面白いな。君も知ってるだろう、山岡は静山《せいざん》といって、日本一の槍の名人さ――とにかく飛騨の高山は、昔、悪源太義平、加藤光正、上総介《かずさのすけ》忠輝といったような毛色の変った大物が出ているよ。毛色の変った人物といえば、近頃てこずった難物――と申し上げては少々恐れ多いが、とても扱いにくいエラ物《ぶつ》がおいでになって、拙者も弱り切っている。そうだ、君でも当分あの方のお傍にいて、お伽《とぎ》をつとめてもらうと助かるがなあ――

         十六

 兵馬は、その「新お代官」の謂《い》うところの難物――というのが、何人であるかを知らず、押して尋ねてもみないで、その夜は辞して帰り、その翌日はまたも昨日と同じ道場で、稽古をつけてやっていると、そこへ不意に、一人の小冠者が走《は》せつけて来ました。
 小冠者といっても、これは兵馬がしばしば驚かされつけている宇治山田の米友の類《たぐい》ではありません。年は十七八、ほぼ兵馬と同年輩だが、一見、小冠者というよりも、貴公子というべきものであることは確かです。
 薄化粧しているかとおもわれる白面紅顔に、漆《うるし》のような髪の毛を、紫紐できりりと結び、直垂《ひたたれ》を着て、袴をつけ、小刀は差して太刀《たち》は佩《は》き、中啓様《ちゅうけいよう》のものを手に持って、この道場へ走り込むと、さしもの猛者《もさ》どもの中を挨拶もなく、ずしずしと押通り、兵馬の稽古している直ぐ後ろへ立入り、じっと瞳を凝《こ》らして兵馬の稽古ぶりを注視したものです。
 ところが、道場に満つる人々が、この傍若無人の小冠者の振舞を怪しともせず、彼が入り来《きた》った最初から、ほとんどが膝を組み直し、頭を下げて、ひたすら尊敬の意を表する有様が、いかにもいぶかしい。
 二三名を、こなしている間、篤《とく》と兵馬の剣術ぶりを注視していたこの小冠者は、
「おお、見事見事、わたしにも指南してたも」
と、早くも道具をつけにかかる。兵馬には、稽古中から、この異様な貴公子の挙動が解しきれないものであったが、いかにも小気味よく稽古をこうのだから、辞すべき理由は少しもありません。
 竹刀《しない》を取れば、天下に有数の宗師は知らぬこと、大抵の場合に、自信を傷つけられるということのない兵馬は、稽古をつける気位で立合ってみました。
 無論、兵馬の予想通りで、術としては、さのみ怖るるにも足らないが、気象の烈しいことが太刀先に現われて、美音の気合と共に、息をもつかず打ち込む気力は侮《あなど》り難い。この稽古を終ってから、右の貴公子が、兵馬に挨拶をして言いました、
「そなたほどの年で、それだけに使える人は全く珍しい、どこで修行なされたか、流儀は直心蔭《じきしんかげ》じゃの」
「はい」
「そなた、剣術ばかりか、他の武芸は?」
「はい、槍も少し覚えました」
「ほう、それは頼もしい、して、馬は?」
「馬――も少しばかりせめてみたことがございます」
「おお、それは一段、では、桜の馬場で、わしと一緒に一せめして、それから小日和田《こひわだ》へ野馬をこなしに行ってみようではないか」
「はい……」
「武芸ばかりかの、そなたは、ほかに何ぞたしなみはないか」
「何も存じませぬ、未熟者でして」
「いや、そうではあるまい、そなたの剣術は本当に修行している、して、泳ぎは?」
「水泳でございますか」
「左様、水泳をそなたはやりますか。わしは水泳が一番の得意じゃ」
「ははあ」
「熊野にいた時は、時候もよくあったし、海が近いから、毎日泳ぎに行って、遠海まで泳ぎ廻り、二三日も館《やかた》へ帰らぬことがあったから、領主が泣いていた。この飛騨には海がないのみならず、わしが食い足りるほど泳ぎたい池も、沼も、湖もない」
「ははあ」
「そなた、何ぞ、芸に遊ぶ心得はないか、たとえば、歌をよむこと、絵を描くこと、香を聞くこと、管絃をかなでることでもよろしい、さもなくば囲碁か、双六《すごろく》か」
「はい、いっこう何も心得ませぬが、囲碁ならば少々」
「ああ、それはよろしい、わしのところへ来て相手をしてたも……わしもここに閉じこめられて、鬱積して堪え難いのじゃ、わしを不憫《ふびん》と思うて慰めてもらいたい」

         十七

 兵馬も竹刀《しない》を取っては、充分にこなし切れるが、このたてつづけの挨拶には、ほとんど応接に困るのでありました。
 第一、このたてつづけの質問の主は、誰人であるかわかりもせず、また名乗りもしない先に、自分の注文だけは遠慮なく提出し、ただ提出するだけならよいが、いちいちそれが命令的になってしまうのです。
 兵馬というものを、この山中の都会で見つけ出して、遮二無二《しゃにむに》、自分の伽《とぎ》にしてしまわねば置かぬという権高と、性急とが、全く兵馬をして挨拶に困らせました。
 だが、その身元|素姓《すじょう》を反問するまでもなく、その風采から、服装から、言語挙動のすべてが説明するように、誰もが憚《はばか》る堂上の貴公子の類《たぐい》であって、それが多分、何かの仔細で、この山国の小都会に預けられているのだ。かなり身辺の自由は保留されているらしいが、それでも、鬱積して堪え難いものを、自分から解いて任意の行動を取ることは許されていない。つまり、身分ある人が、この高山の地へ幽閉を蒙《こうむ》っているというほどでなくても、ここで謹慎を命ぜられているものに相違ない。ありそうなことだ、この気象では……と兵馬はその点だけは合点がいって、ようやく、隙を見出したものだから、
「して、あなた様は、どちらにおいでになりますか」
「わしは、この川西に家をあてがわれているけれども、わしの周囲《まわり》は、みんな他人じゃ、わしの気に入った同志たちは、一人もわしの傍へ寄りつかないようにされている、わしが身は当分、この飛騨の高山あたりを外へは出られないことになっている、それが堪えられぬ苦痛じゃ。この地の者共には相手になるのが一人もない、このごろは書物を借りて読んでばかりいるが、もう書物も読みつくした、歌を詠んでも見せる人がない、碁を打ちたいと思うても、その相手すらないのじゃ。それで、わしは無聊《ぶりょう》に堪えられない、今日、ひとり馬をせめていると、下部《しもべ》の申すことには、昨日、これへ珍しい少年の剣客が見えたとのこと、なにほどのこともあるまいとは思うたが、来て見ると、全く、天晴《あっぱれ》なる手練、そなたというものを見つけたのは嬉しい。これから当分、剣術の相手、馬の遠乗り――もしやそちが、歌を詠むことを学びたいなら、わしが知れる限りは教えてもよい、囲碁、双六《すごろく》の相手もしてたも」
 そう言って、委細かまわず、兵馬を自分の相手として任命してしまうところ、全く眼中に人はないのです。
 左右の様子を見てみると、代官の役人共、この我儘《わがまま》貴公子の申し出でを、別段に抑止する模様もなく、むしろ、やんちゃ若様の子守役を、兵馬が引受けてくれれば有難いといったような気色《けしき》。それを見て、兵馬はいよいよ昨晩の「新お代官」のもてあましの難物というのに思い当りました。すっかり面食ってしまっている兵馬をとらえて、この貴公子は、
「さあ、わしが屋敷へ行こう。わしが屋敷といっても仮の宿じゃ、本当の家は京都の今出川《いまでがわ》にあるが、ここでわしのために定めてくれた家は、今まで空家《あきや》になっていた――この幽霊の出そうな空屋敷に、いわば座敷牢といったようなものに、わしはひとり納められて、出入りにも人がつき、身の廻りの世話は代官から、むくつけなのが交代で給仕に来てくれるのみじゃ。そなた、これからわしと一緒に、そのわび住居《ずまい》まで同道しや」
 貴公子はこう言って、のっぴきならず、兵馬を拉《らっ》して、その自分が幽閉されているらしい屋敷へ連れ込もうというのです。
 それは前に言う通り、それを預かる代官の家中も、かえって同意的に黙認しているらしいから、やがて兵馬はこの貴公子に引き立てられて、道場を立ち出でました。
「飛騨の高山には海が無い……その代り、思う存分駒に乗って、国内を飛ばせてみよう」

         十八

 曾《かつ》て、仮りに高村卿と呼ばれていた英気|溌剌《はつらつ》たる貴公子があって、多少の同志の者を連れて随所を横行し、江戸の三田の四国町の薩摩屋敷の中へ乗込んで、若干の兵を貸せ、その兵をもって甲府を抑え、飛騨を取らんと申し入れて、さしもの豪傑連に舌を捲かせた上に、羅陵《らりょう》を舞って悠々と引上げたことを――その前後に、武蔵、相模の山中に、異様な物鳴りがあって、時ならぬ時、笛や太鼓の物の音が、里人や、猟師、杣人《そまびと》を驚かしつづけたことを。
 現に兵馬も、その驚かされたうちの一人で、右の怪しい物音のために、猟師と共に武相の山谷に探検を試みたこともあったということを。
 白骨谷へ集まった、お神楽師《かぐらし》を標榜する連中が、その崩れでないとは保証ができない。彼等の中には、幕府を制するには甲府をおさえ、飛騨を取らねばならぬということに精細な研究を積み、今や、よりよりその実行にうつりつつあるが、実行にはかなりの大兵と、軍費とを要すること。それに行悩んでいるらしい形跡はたしかにある。
 彼等一味の有志連が、挙《こぞ》ってかつぎ上げるところの盟主は、白面俊秀にして、英気溌剌たる貴公子であった。今このところに鬱屈せしめられている、当の貴公子は、まさにその人であるに相違ない。
 兵馬は今はじめて、その人を見、まず煙に巻かれてしまって、言句が出ないのです。
 たとえば、この人は、初対面の自分をつかまえても呼捨てであるが、いわゆる「新お代官」の胡見沢《くるみざわ》をつかまえても呼捨てであり、のみならず尾州家を呼ぶにも同じく呼捨てであり、談が長州、薩摩の大守のことに及ぶと、これらの大名をつかまえ、自分の家の子のように呼捨てにして憚《はばか》らないことのみならず、江戸の将軍一族に対しても、或いは家茂《いえもち》がと呼び、慶喜《よしのぶ》がと呼んでいる。それが夜郎自大《やろうじだい》でするような、衒気《てらいげ》にも、高慢にも響かないで、いかにも尋常に出て来る。さながら、そう呼んで差支えないだけの家に生れた子が、そう呼んでいる通りの自然にしか響かないのです。
 おそらく、この貴公子の唇頭からは、日本の国の中では天皇《すめらみこと》御一人に対し奉りてのほかは、色代《しきだい》を捧ぐる必要のない、御血統に生れ給うたお方ではないかと思われるほど、それほど自然に、この貴公子の尊大な言語挙動が、兵馬の耳と眼に、尋常に映じ来《きた》ることであります。
 そこで、この貴公子に拉《らっ》せられた兵馬は、宮川を前にした大きな一構えの中へ引張り込まれてしまいました。これが多分、川西の屋敷とでもいうのでしょう――兵馬が連れられて来る背後を、ものの一丁ずつも離れ、たしかに三人のさむらいたちがつき従って来るのを認めました。
 御家来ではなし、これは代官から、従者とお目附をかねた附人《つけびと》たちだなと、兵馬は感づきました。
 川西の屋敷へ着いて見ると、そこに用人らしいのが、玄関に頭をつけて待っている。
 貴公子は、さっさと奥へ通って、自分の居間と覚しいところの一室に座を占め、兵馬を坐らせて、涼風を煽って、汗ばんだ肌を押しくつろぎ、
「そなた、もう食事は済みましたか。これから桜の馬場へ馬をせめに行こう――明日は午前に、そちに剣術を教えてもらい、午後には馬に乗り、夜分は双六……そちは双六を知らぬとな。では碁を打とう。ああ、よい友達を見出し得て、わたしはしあわせじゃ」
と言って、中啓を閉じて、ハタハタと刀架《かたなかけ》を叩いたのは、人を呼ぶためらしい。
「そなた、さしつかえる事なくば、この屋敷に来てたもらぬか。朝夕、わしと一緒にここに起臥《おきふし》してたもらぬか。いいや、代官に断わるまでもなく、そちがよいと言い、わしが望むと言えば、それで仔細はない」

         十九

 その晩、貴公子と兵馬とが碁を囲んでいるところへ、恐る恐る用人が、次の間から伺《うかが》いを立てました、
「御清興中恐れ入りますが、ちとお願いの儀がござりまして……」
「何事じゃ」
「まことに恐れ入りまする儀ではござりますが、お聞届けの儀をひらにお願い仕《つかまつ》りまするでございます」
「は、は、は、お願いの儀とか、お聞届けの儀とか言うて、その儀の本義を言わぬ先に、恐れ入ってばかりいてはわからない」
「実は、この家の主人が立戻って参りました儀で……」
「ナニ、この家の主人が戻って来たとな。それは不思議じゃ、この家の血統は死に絶えて、幽霊が出るなんぞというて、誰もすみてが無いというから、これほどの屋敷を惜しいものじゃ、そんなら、わしにくれと言うておいたのに、今になって主人が戻って来たとは奇怪な……」
 白石《しろ》を指頭にハサミながら、貴公子の挨拶が用人の頭の上を走ります。
「はッ、御不審|御尤《ごもっと》もでいらせられまする、実はその、当家の主人がかえって参りましたと申しましても、生きて戻ったわけではござりませぬ」
「ナニ、生きて戻ったのでなければ、死んで戻ったのか」
「はい」
「それはまた、死人がどうして、これへ戻ったのじゃ」
「ええ、もう無いものとあきらめておりました死体を、ゆくりなく、このほど、水の底から見つけ出しまして、今日、引取って参ることになりました」
「何と言いやる、今まで水の底にかくれていた当家の主人の亡骸《なきがら》が、このたび、見つかった故《ゆえ》に、それを引取って参ったとな」
「はい、左様の次第でござりまする」
「生きているのでないならば、もはやこの家の主人ではあるまい」
「左様の儀でござりますが、なにぶんにも、親類縁者が数多くござりまする故」
「親類縁者が多数にあっても、この家のあとを継ぐべき者は無いというのではないか」
「御意の通りにござりまするが、なにぶんにも、死体とはいえ、当家の主人が見つかりました上は、親類縁者一同寄り集まり、相当のとむらい[#「とむらい」に傍点]の営みをしてやらねばならぬと、そのように申しておりまする」
「いかさま、それはありそうな儀じゃ」
「就きまして、恐れ入った次第でござりまするが、葬儀万端を営みたいと申しまするために、当分当家を拝借したいが、この儀いかがのものにやと、親類縁者共の願いでござりまするが……」
「この屋敷で、葬式を営みたいと申すのか」
「恐れながら、左様な不浄の次第ゆえに、公家様《くげさま》にはこのところを御動座あそばされるようにお願いでござりまする、二の丸に新たに御座所の用意を仕り置きました故に、明日にもあれへ、御動座のほどお願い致したい儀でござりまする」
 次の間で、用人がこれだけのことを、平身低頭して申し入れたのを、問答|体《てい》に聞いて、これまで来ると、貴公子が暫く沈黙してしまいました。でも、兵馬との碁を打つ手は休めないで、返答のみ途切れていたが、やがて、
「それは一応聞えたが、それまでには及ぶまいにな。生きて戻ったものならば、わしも一儀なく、この屋敷を明渡してよろしいが、主人が死んでしまっている上は、主人とはいえまい、やっぱり、わしが主人じゃ、わしが許すから、遠慮なくこの屋敷で葬儀をとり行え」
「えッ」
 用人は呆《あき》れてしまう。
「死んだ人が生きたものを走らせることは、諸葛孔明《しょかつこうめい》のほかにはないことじゃ、おうおう、これは其方《そのほう》が何かと言いかけるものだから、死んだはずの宇津木の石が、どうやら生き返ったわい。よしないことを其方が言うものだから、わしが仲達《ちゅうたつ》の憂目を見せられる」

         二十

 この貴公子が、どうしても動座を肯《がえん》ぜざるがために、用人の面上に現われた苦渋、難渋の色は、見るも気の毒なほどでありました。よって見兼ねた兵馬が、
「ほかに家はないのですか、ただお葬式を済ますだけの家はありませんか」
と、あまり巧妙ならぬ調停の言葉をはさんでみました。
「それがその、ほかの事と違いまして、現在自分の家がありながら、葬式の席をかせと申しがたいことでもござりまするし、それに、当人が、第一よろしくござりませぬ、それ故に死んだ後までも親類中に忌《い》み嫌われて、葬式の席を貸そうと申し出でる者も無いこと故に……」
 用人が、かく弁解すると、貴公子は、
「だから、この家でやるがよい、わしはいっこうかまわぬのじゃ」
「それが、甚《はなは》だ恐れ多い儀でござりまして、当人は不浄の上に、人より天罰と申されるほどな非業《ひごう》の死を遂げた人間でござりまするが故……」
「うむ、天罰、何かよほどの悪いことをしたのかな」
「淫楽に耽《ふけ》りまして、目も当てられぬ挙動《ふるまい》をのみ、致しおったそうでござります」
「ナニ、淫楽に耽った……」
「はい」
「淫楽――というのも程度問題じゃな、これだけの家を踏まえている主人として、妾《めかけ》の一人や二人あったからとて、死んだ後まで、そう嫌わんでもよいではないか」
 貴公子が存外、さばけて挨拶をするのを、用人は、いっそう恐縮して、
「それがその、男性でござりませぬが故に……」
「男性? 男ではないのか、この家の元の主人は」
「はい、夫なるものは死に失せまして、後家を立てておりましたが、いやはやどうも、箸にも棒にもかからぬ淫婆でござりまして……」
「おお、そうか、女主人であったのか」
「はい」
 しかしながら、女主人であるが故によいとも、悪いとも言わず、碁の手が難局になったと見えて、そこで貴公子は沈黙してしまいました。せっかく、ここまで話をすすめた用人は、その結論が聞かれないので、がっかりしたが、やっと少しばかり膝をにじ[#「にじ」に傍点]らせて、
「左様な不所存者の非業の死体をこのところに引取り、御座元《ござもと》間近を汚《けが》すことは、恐れ入った儀でござりまする、さりとて、当人の死体のために席を貸すという家は一軒もござりませぬ、よって、この不浄の家を……」
「待て、待て」
 貴公子は石をパチリと落し、
「そのほうは、よく不浄の家、不浄の家と申したがるが、わしがいる間は、この家の主人じゃ、不浄呼ばわりは聞き苦しいぞ」
「恐れ入りました」
「いったい、その非業《ひごう》の死を遂げたという婦人、この家の女主人というのは、いかなる死に様をしたのじゃ」
「はい、水死をいたしました」
「水死――水に落ちて死んだのか」
「はい」
「このあたりには、落ちて死ぬほどの水たまりは無いではないか」
「はい、実はその、これより国境を越えて信濃分になりまする白骨谷というところで、水死を遂げました」
「白骨で……」
「はい」
「一概に水死というが、あやまって水に落ちて死んだのか、得心で水に投じて死んだのか」
「それが、いずれともわかりませぬ」
「ははあ……」
 今や局面の定まるところに一石を下ろした貴公子は、上《うわ》の空で用人に向い、
「いずれにしても苦しうはない、今晩でもよろしい、明日でもかまわぬ、その死体をこの家へ運ぶがよい、遠慮なく。次第によってはわしが施主となって、その淫楽の女主人とやらのともらい[#「ともらい」に傍点]をしてやってもよい」
「恐れ入りました」

         二十一

 用人としては、もはや、それ以上には押すことができません。
 ぜひなく、この事を、主人たる代官に向って申し上げ、その復命を待って事を決するよりほかはないと思いました。
 夜更くるまで、兵馬を相手に碁を囲んでいた貴公子は、やがて、極めて機嫌よく寝室に入りました。兵馬のためにも、すでに、この家に泊るべく、代官の方から用意が充分にしてあったのです。
 しかし、その晩のうちに、淫楽の後家さんの非業の死体というのが、この家へ乗込んで来た形跡はありませんでした。
 その翌朝、未明に貴公子は兵馬を促し、二人が飄然《ひょうぜん》として、この屋敷を出かけてしまったから、あとのことはわかりません。多分昨日約束しておいた通り、日和田《ひわだ》とやらへ野馬をせめに行ったのではないかと思われます。だが、その日の七ツ時になると、果して、右の淫楽の後家さんの死体というのが、この屋敷へ乗込んで来ました。
 自分の家へ、自分の死体が乗込んで来たということは、少しも不思議のことではありません。
 ことに、新たに家を預かっている人の、あれほどの諒解を得ているのだから、なおさら不思議のことはないのです。やかましく言った代官の方でも、貴公子の充分なる諒解があったから、黙認の形式を取ったものだろうと思われます。
 広間の真中へ置かれた一つの新しい寝棺《ねかん》。その中には、当主であるべき例の淫乱の後家さん、白骨谷の通語でいえば、イヤなおばさんの亡骸《なきがら》が、白布に覆われて、いとも静かに置かれてある。
 夜になるとその周囲に、幾台もの燭台が点《とも》っている。昼のように明るいと言いたいが、その光が湿っている。棺の後ろには阿弥陀如来の掛像があり、棺の前には、さまざまの供物《くもつ》がある、香炉がある。すべての調度は遺憾《いかん》なく整っているところに、ボツボツと集まった親類縁者というものが、それでも、いつのまにか、その広間に溢《あふ》れるほどの景気となったのは、何といっても、この土地きっての大家の余勢でしょう。おのおのが線香をあげたり、水をやったりする。
 時としては、こういう席が、かえって賑やかになるもので、故人の徳をたたえてみたり、その邪気《つみ》のない失敗談をすっぱ抜いてみたり、また泣く泣くも、よい方を取るべき遺品《かたみ》分けの方へ眼が光ったりして、湿っているうちにも、かなりの人間味が漂うべきはずであるが、この席に限ってほとんどそれがないのです。
 お義理だから集まっては来たけれども、いずれも、むっつりとした顔をして、特に何かの故人のしのびごと[#「しのびごと」に傍点]を言い出でようという者もなく、どうして発見して、誰がいつ持って来たかということを、念を押す者もなく、よく見つかったという者もなく、悪く持ち帰したという者もなく、全くお義理で、イヤイヤながら寄って来たという空気が充満して、全く白けきったお通夜の席が出来上りました。
 こんな空気の中に、たった一人、目立ってハシャイでいるのは、新家《しんや》の徳兵衛といって、イヤなおばさんには甥《おい》か何かに当る、それでも、もう相当の年配で、三十七八というところ、女房も、子供も、充分に備わってしかるべき分家の主人であります。
 この男が、万事をとりしきって、白けきった席の蝋燭《ろうそく》の心《しん》を切らしたり、湿っぽい席に笑いの種を蒔《ま》かせたり、ひとりで、座を取持とうとしている努力が見えます。その努力が報いられて、一座の連中とても無言の行《ぎょう》をするために集まって来たのではなく、相当の社交性に動かされて来ているのだから、やがてはその空気も、幾分か緩和されて、世間話も出たり、笑い声も聞えたりするにはしました。その時分に、いきなり表から飛び込んで来た若い男がありました。眼は上《うわ》ずり、口はひきつって、
「お、お、おじさん……お前は畜生を、人でなしを、生きたけだものを、家へ連れて来て、葬式をなさるそうだ、わ、わ、わしが不承知だ、わしが不承知だ」

         二十二

 この声で、満堂のお通夜の客が、一時に、そちらに眼を集めると、血相を変えて立っている若い男は、これも、この家には一族に当る角之助という江名子村《えなこむら》の山持ちの息子でした。
「何じゃ、角之助、あわただしい、そちゃ何事を言うのだ」
 徳兵衛も、穏かならぬ応対です。
「お、お、おじさん、こ、この死人というのは、人間じゃござんせんぜ」
「ナ、ナ、何を言わしゃるのだ、皆様もきいてござるに」
「何を言うものか、そ、そ、そこに、長い箱に寝そべっている、そりゃ何者じゃ」
「仏《ほとけ》じゃわい、阿房《あほう》言うな」
「仏、仏、おかしいわい、けがらわしい、そ、そ、そんな仏があるかい、畜生じゃ、畜生じゃわい」
「ナ、ナ、何を言いくさる、おぬし、気が違ったか」
「気は違やせんわい、お、お、おじさん、お前が気が違ったろう、お前ばかりじゃない、ここへ集まる、皆さんが、みんな気が違っていなさるのじゃわ」
「ナ、ナ、ナ、ナニを御無礼なことを言わっしゃる、わ、わしはいいが、皆様を気違いじゃとは、そのおとがい――……」
「気違いでなくて何じゃ、この、この人でなしは、この家へ入れるべきもんじゃない、皆様、皆様も、こんな人でなしの畜生のために、なに、御回向《ごえこう》がいろうぞい、おかしいわい、臍《へそ》がよれるわい」
「わりゃ、わりゃ、まだぬかすか、ほんとうに慢心じゃ、ほんとうに気違いじゃ」
「いいや、わしは気は狂わぬ、この人でなしをここへ連れて来た者が狂っている、ここへ集まった者は性根《しょうね》が腐っている」
「まだ言うか、われ、そのおとがいを打砕《ぶっくだ》いてくれる」
「砕けるものなら砕いてもらおうわい、その前にわしが言うことを聞いて置きや、この仏、仏ではない、人でなし、地獄、畜生婆あはこの川杉屋で何をしたか、皆様、知ってござろう。これほどの身上《しんしょう》を滅茶苦茶にして、病気の養生をさし置きながら、男三昧《おとこざんまい》のしたい放題、角力《すもう》が来れば角力、役者が来れば役者、外にいるやくざ者、家へ置くのらくら男、みんな手を出したり、足を出したり、世間の物笑いは苦にもせず、親類一同の顔に泥を塗り、それのみか、御亭主の直右衛門殿の病気でふせっている眼の前で、浅公という若い奴ととち[#「とち」に傍点]狂い、世間の噂《うわさ》では、毒を盛って直右衛門殿を殺したといわれる。それで、その浅公という若いのを連れて、温泉びたり、いい気になって湯水のように身代をつかい散らす、あれで罰《ばち》が当らなければ当る人はないと、皆さんまで、みんな評判をなさったじゃないか。ところがどうです、お天道様はムダ光りはござんせんや、とうとう白骨の谷で神隠し、沼へ落ちたとか、岩にぶっ裂かれたとかいって、今日まで行方知れず、ほんとに天罰は争われないものだと、皆様もおおっぴらにおっしゃった。こっちも、やれやれ浅ましいことじゃ、せめてものこと、その浅ましい死様《しにざま》が曝《さら》されず、神隠しになっているがお慈悲じゃ、沼へ落ちたなら、死体がまったく底へ沈んでしまって浮き出さないように、岩にぶっ裂かれたんなら、鳥獣の餌になってしまって骨も残らないように、それだけを念じて、今日まで見つからなんだのを仕合せと思っていたら……なんという因果じゃ、今日このごろになって、業晒《ごうさら》し、恥晒し、不浄晒しな死体が見つかったという。わしは、あっちで焼くなり、埋めるなり、よう処分して、こっそり帰って来ると思ったら、そのけがらわしい、業晒しを、正のまま、ここへ持って来て、この家で葬式をするそうな。なんという、ナ、ナ、なんという阿呆、何という物知らずの集まりじゃ。この葬式《とむらい》は、わしが不承知、そ、そんな地獄の、畜生の罰《ばち》あたりに、この畳一畳でも汚しちゃ済まぬ、引き出せ、叩き出せ、ほうり出して犬になと食わせてしまえ」
 憤慨のあまり、吃弁が雄弁となり、猛《たけ》り立った角之助が、棺箱に向って飛びつきました。

         二十三

「こ、こ、こ、これ、何をしくさる」
 今度は徳兵衛が、吃《ども》り且ついらって、棺に向って飛びついた角之助をおさえ、
「いまさら、お前が、それを並べんでも、わしも知っとる、皆様も御存じじゃ、この席で、それを並べ立てて何になる、生きている間は生きている間、死んだ者は死んだ者じゃ、たとえ生きている間は畜生であろうと、死んだ上は、相当のとむらいをしてやるのが礼儀じゃ、人情じゃ、それをお前は……」
「いけません、おじさん、そ、そ、そんな礼儀や、人情は、この場では通りません、とむらいをしてやるならば、してやるようにして、それからなさい、こいつは、この人でなしの亡骸《なきがら》は、この家から引き出さにゃなりませぬ」
「こ、これ、阿呆するな、ばかな真似《まね》をするな」
「誰が何と言っても、わしが不承知じゃ、これは追い出さにゃ置かぬ」
「理不尽な、それでは、わしが承知じゃ、わしが承知で、この葬式はする、お前の知ったことじゃない、お前こそ、この席から抛《ほう》り出してしまうぞ」
「わしを、抛り出す、本当の人間の道を言うわしを、ここから抛り出して、人でなし、畜生の亡骸を、上壇でおとむらいなさる、面白い、それができるなら、おやりなさい」
「できるとも、さあ、わりゃ、出てうせろ、出てうせろ」
「わしを手込めになさったな、おぶちなさったな、おじさん、お前にも言い分がありますよ、お前だって、この死人が、人でなしが生きている時は、わしと一緒に、さんざんに悪口を言って、人間の皮をかぶった獣《けだもの》じゃとばかりおっしゃって、交際《つきあい》も、口きくこともせなんだじゃないか、それを何と思って、こんなに肝煎《きもいり》ぶりをなさるのは、たいがい様子が知れたものじゃ、お前はこの、川杉屋の身代が欲しくって、そうして、それで今更、取ってつけたような追従《ついしょう》をなさるのやろ」
「何、何を言いやる、わしが川杉屋の身代が欲しいから、それでこの席を取持つ、阿呆もほどほどにしておきなされや、ほかの言い分とは違うぞや。生きてるうちはともかく、死んでしまってみれば、こうもするのが世間様への礼儀、人情じゃ、たとえ犬猫が死んでも、道路へ抛《ほう》りっぱなしにもしておけない、そ、それを、わしが好きこのんでするのみか、ここの身代が欲しくてするとは、聞捨てのならないたわごと。痩《や》せても枯れても新家の徳兵衛は、妻子を食わすだけの用意は欠かさぬぞ、貴様こそ、そんな言いがかりをして、この身代が欲しいのやろ」
「笑わせなさんな、親類寄合いの時、わしをこの家の後嗣《あととり》にと、相談のきまったのを、こんなけがらわしい家はいやと、きっぱり断わったわしの舌の根を見ておくんなされ。おじさん、お前こそ、お前こそ怪しい」
「怪しいとは、何が怪しい」
「胸に聞いてごろうじろ、お前は、お前はとうからこの川杉家を覘《ねら》っていた」
「聞捨てならん、こいつが、この席で、皆様の前でこうしてくれる」
 徳兵衛は、よほどこたえたと見えて、いきなり、角之助の頬っぺたを、強《したた》かにつねり上げる。
「あいた、た、た」
「うぬ、こうして、こうして、その横に裂けた口をいたしめてくれよう」
「合点《がってん》だ、人でなしをかばうは人でなし、おじとは思わん」
「うむ」
「こん畜生」
「獄道」
 叔父と甥とが棺の前で、組んずほぐれつ、大争いを捲き起したのはほとんど束《つか》の間《ま》の出来事で、最初から、この寄合いが掴《つか》み合いになるまで手を束ねて、呆気《あっけ》に取られていた会衆が、ここに至るとじっとしてはおられません、一時に仲裁に向って立ち上りました。

         二十四

 叔父は甥の口を両手で引裂こうとし、甥は叔父の両鬢《りょうびん》をむしり取ろうとして、取っ組んで、棺の前に重なり合い、転がり合っている二人の身体《からだ》に、立ち上った仲裁の会衆も手のつけようがありません。そのうちに、また他の一方で物争いが持上りました。
 これは仲裁として立ったお通夜の者の中に、また別に、二つの説があって、
「角之助さんの言うのが尤《もっと》もだ」
と言うのと、
「新家の旦那の言い分が人情だ」
と言うのが衝突して、早くも組打ちがはじまってしまったことです。
 仲裁する者が仲裁されるようになると、今夜はどうしたものか、最初から空気そのものが只事でありませんでした。妙に人の心を沈めて、そのくせ神経をイライラさせるような低気圧が、この家の周囲に覆いかぶさっていたのか、それとも、この室内の空気がら、おのずからそういう悪気を孕《はら》み出したのか、それは知れません。
 仲裁が、二説にわかれては、争いがあるばかりで、妥協の望みは壊されて行くのみです。
 口を利《き》いているうちに、それがついに物争いになってしまいました。日頃、温厚を以て聞えた分別《ふんべつ》の者までが、言葉に刺《とげ》を持って、額に筋を張って力《りき》み出したことは、物《もの》の怪《け》につかれたようです。ですから、血の気の多いものは、言葉より手が早くなりました。どうしても、そういう空気が、そうさせるとしか見えないのです。
 今や、棺の周囲に喧々囂々《けんけんごうごう》として、物争いの罵《ののし》りと、組んずほぐれつの争いと、棺を引摺り出そうという者、そうはさせまいとする者とが、座敷いっぱいに荒れ狂うている形相《ぎょうそう》は、どうしても、この室の内外に、何か力があってそうさせると思うよりほかありません。そうでなければ、石占山《いしうらやま》から取って来てお茶うけのつもりで出したあの茸《きのこ》の中に、きちがい茸があってそれを食べたために、すべての者が狂い出したのでしょう。
 そう言われれば、たしかにそうです。家の外の低気圧でもなく、室の中の悪気でもなく、あの茸です、あのきちがい茸です。それを食べたから、食べたすべての者が、こうして狂い出してしまったのです。ただ、罵る者、組んずほぐれつする者、棺を引き出そうとする者、そうはさせまじとする者のみではありません、大動乱の半ばに、大きな顔をして笑い出す者が起りました。とめどもない高笑いをしながら、傍《かた》えの人の髷《まげ》を持って引きずり廻していると、引きずられながら高笑いをしつづけている者もあります。
 柱へ登ろうとして、辷《すべ》ってまたのぼり、
「廻るわ、廻るわ、この家屋敷がグルグル廻る、廻り燈籠《どうろう》のように廻らあ、廻らあ」
と、天井を指しながら喚《わめ》く者も起りました。
 原因はわかりました、茸のせいです、毒のある茸のせいです。
 もし、たった一人でもいいから、その茸を食わなかった者があるならば、早く走って医者のところへ行きなさい。
 ところが、走り出そうとすれば、どっこいとつかまえられてしまいます。
 深夜のことで、大きな構えですから、あたり近所からも急に走《は》せつけて来る者はないようです。
 行燈《あんどん》も、蝋燭《ろうそく》も、線香も、メチャメチャです。畳を焦《こが》しただけで、消えてしまった蝋燭は幸い、座敷の一隅へころころと転がって行った鉄製の燭台に火のついたままのが、障子のところまでころがりついて、パッと燃えて、障子にうつったのは、ワザと火をつけに行ったようなものです。
 障子の紙を伝って、天井へメラメラと火がのぼると、折悪《おりあ》しく、そこへ油単《ゆたん》の包みが破れて、その紙片が長く氷柱《つらら》のようにブラ下がっていたのを、火の手が、藤蔓《ふじづる》にとりついた猿のように捉えると、火は鼠花火の如く面白く走って、棚の上なる油単の元包みそのものに到着してしまうと、暫く火の手だけは姿を隠したが、やがて夥《おびただ》しい煙の吹き出して来たのを、組んずほぐれつの座敷の者は、誰あって気がつきませんでした。

         二十五

 これはまさしく一大|椿事《ちんじ》です。
 茸《きのこ》のさせる業と見るよりほかにみようはないが、それにしても、一応食物を分析した上でなければ科学的の立証はできないが、巷間《こうかん》の伝説に従えば、左様の例は決して無いことではない。
 茸のために一家|狂死《くるいじに》をしたということもあれば、笑死《わらいじに》をしたということもあるにはある。
 この附近の石占山《いしうらやま》というところは、文化文政の頃から茸の名所となってはいるが、そこで取れる茸は、松茸《まつたけ》、湿茸《しめじ》、小萩茸《おはぎたけ》、初茸《はつたけ》、老茸《おいたけ》、鼠茸《ねずみたけ》というようなものに限ったもので、そこから毒茸が出て、人を殺したという例《ためし》はまだ無い。
 しかし、茸の生える所がこの国で、石占山ときまったものでない限り、どこにどのような毒茸が真茸顔《まだけがお》をして、人間をたぶらかしていたか知れたものではない。天狗茸《てんぐたけ》、蠅殺茸《はいころしたけ》、虚無僧茸《こむそうたけ》、落葉茸《おちばたけ》、萌黄茸《もえぎたけ》、月夜茸《つきよたけ》、笑茸《わらいたけ》、といったようなしれものが、全く真顔をして、茸には慣れた山人をも誘惑して、毒手を逞《たくま》しうするという例も絶無ではありません。
 すべて、この場の突発椿事の一切の責任を、挙げて茸氏に帰《き》してしまおうとするのは、右に挙げた類の茸族のうちのいずれがその加害者であるか、或いはほとんど全部の共謀のような形になっているか、或いはその中のほんの一種類だけの悪戯《いたずら》に過ぎないか、その辺を再応吟味してみる必要はあるのです。いかに毒茸族が憎いからといって、茸の方から進んで人の口に飛び込んだのではない。その現行犯でないものをまでも捕えて、罪に落すのは酷といわねばなりません。
 しかし右の毒茸族のうちでも、今宵の犯罪者は、極左に属したものでないことだけは、不幸中の幸でありました。
 毒茸党の極左に属するものには、人間が手を触れただけで、その触れた部分を腐らせてしまうものがある。もしそれを取って胃袋の中へでも送ろうものならば、たちどころに内臓の全部を顛覆し、人間の外体を一昼夜もころげ廻って悩乱させ、その全身を紫斑色にして虐殺してしまう。それに比べると、今晩この連中を昂奮せしめた茸氏は、社民系に属するものと見てよいかと思う。
 昂奮させ、反抗させ、或いは笑いを爆発せしめることはあるが、生命を奪うまでに、人体を苦しませることはしていないようです。だが、どちらにしても茸に中《あた》った毒は、河豚《ふぐ》に中った時と同じことに、その薬がなく、救済方がなく、ただ時という医者をもって、生かすか、殺すかの処分を待つほかは手段がないそうですから、この場のなりゆきも、手を束《つか》ねて見ているよりほかはありますまい。
 右の如く、底止《ていし》することなき、突発の椿事が椿事をうみ、天井から先に火がついて、室内をパッとすさまじい明るさにしてしまいました。それと共に、大入道の出すような赤い舌がメラメラとして、室の四隅を上から下へと舐《な》め廻して来たので、さすが動乱している会衆も、その異様な赤味と、赤味が煽《あお》る熱さとに、いたたまれなくなったと見えます。
 そこで彼等のうちの一隊は、イヤなおばさんの入れられた寝棺を、無意識に担ぎ出しました。われも、われもと、その寝棺に手がかかり、肩がかかると、お神輿《みこし》を揉《も》むが如くに、その寝棺を揉み立てると、それを自然に、後ろから火勢が煽るものですから、ちょうど水が溢れて、船が動き出したと同じように、いつか知らず、寝棺は家の外へとかつぎ出されましたが、棺にとりついていた幾多の人々は、半面|火傷《やけど》の者もあり、衣服にまで火のついたものもある。
「あ、熱《あつ》!」
「熱!」
 火が室外に追い、熱さが、この一行を宮川河原まで追い出してしまいました。
 やはりお神輿を揉むように、揉みに揉んで宮川の河原へ、一同が押し出した時分になって、あたり近所がようやく騒ぎ出しました。打てば響くように代官所が出動したのは、単にこれは、一民家の騒動だけではないと見たからであります。

         二十六

 かの高村卿と呼ばれた公達《きんだち》と、宇津木兵馬とは、この時、右の屋敷に居合わさなかったのは確実です。
 それは、この葬式のために右の屋敷を立ちのいてしまったものではなく、公達と兵馬とは、この日、早朝から馬を並べて、日和田まで野馬をせめに行って、まだ戻って来ないうちの出来事がこの通りなのです。
 もとより、二人とも、遠乗りのつもりで行ったので、泊って来る予定ではないのだから、こんなに遅く帰らないということは、出先で、その野馬ぜめなるものが、帰ることを忘れしめるほどに面白かったものか、そうでなければ、途中何かの事故を生じたために、こんなに遅くまで戻らないのでしょう。
 左様、事実はその前者でありました。
 日和田というのは飛騨の国内ではあるけれども、信濃、木曾御岳の境に当り、その辺の村の家々に飼われた馬は、毎朝、夜の明くるを待ち侘《わ》びて、厩《うまや》の戸をハタハタと叩く。
 早く、戸をあけてくれよとの、持主に向っての合図です。
 持主の家では、馬の催促に従って厩の戸をあけてやる。家々の馬は、いななき合って、勇ましく打群れて走り出す。誰も曳《ひ》く人もなく、御する人もないのに、思うまま野に出でて、終日を遊び暮らす。
 或いは馬首をあげて、北風か、南風か知らないが、風に向っていななくのもある。或いは軽俊に走《は》せ違って飛行するのもある。或いは打連れて谷川をかち渡るのもある。或いは子をいたわって丘を上るのもある。或いは牝牡《めすおす》、むつまじく交尾するのもある。かくして夕陽の峰に隠るる頃になれば、やはり人間の来《きた》って迎えざるに、おのおの隊伍を組んで、また以前の厩に帰って、おとなしく納まる。
 公達《きんだち》と兵馬とは、親しくその光景を見て、動物の有する相互扶助と、それから、無政府状態にして一糸乱れざる統制ぶりに、まず感心させられました。感心して後、彼等の仲間に分け入って、公達がいきなり、駒の勇ましい奴を一つつかまえて、乗ろうとすると、その駒はいたく驚いたようでしたが、周囲《まわり》の馬もまた、長い面と、黒い眼を驚かせつつ、いたずら者の為すところに、やや恐怖の念を抱いたようではありました。
 さりながら、この二人連れの者にいささかも害心がなく、やはり駒同様の、はずみきった若い人間種族が、我々と遊びたいがために、わざわざここまでやって来たに過ぎないのだ、我等をとって以て、肉親の愛を剥ぎ、これを市場に売ろうとして出て来たばくろう[#「ばくろう」に傍点]の類《たぐい》でないことを知り、いわば、これは、我等のための珍客であるというよりは友達である、この珍しき友の、遠方より来《きた》るものに向っては、充分の好意を披瀝せねばならぬとでも考えたのでしょう、暫くして馬共は、欣《よろこ》んで二人のために背中を貸しました。
 背中を貸すだけではなく、やや疲れたと見た時分には、草にふしたその腹を提供して、そこに凭《もた》れて眠ることをさえ許すの風であります。
 かくて、二人はえりどりに、甲馬から乙駒、乙駒から丙丁へと、のり替え、かけ替え、その終日を、馬と共に遊び興じて、ついに帰ることを忘るるほどの興味に駆《か》られて、事ここに至ったのです。
 行く時のつもりでは、ここでめぼしいのがあったら、二人で一頭ずつ曳いて帰るつもりでしたけれども、こうして馬を見ると、そのうちのどの一頭を選んで、自分のものにしようとの気分が、全くなくなってしまいました。
 これはこのままでよろしい、やはり野に置け――と言い捨てた時分に、ああ、日がもう御岳へ隠れてしまった、さあ、帰りを急がねばならぬ……

         二十七

 そこで、二騎相つれて帰路にはついたけれども、せっかく、ここまで来た以上は、雌沼《めぬま》、雄沼《おぬま》へ廻ってみようじゃないかという動議が成立し、ついにこの神秘なる二つの沼を探って帰ったために、帰りは全く夜になりました。
 それでも、二人は馬乗提灯をともし、上手に馬を御して、あえて焦《あせ》らずに、打たせて来たものですから、ところによっては、世間話に興を催す余裕さえあります。
 二人は、こうして若い同士に、清興と、冒険とを兼ねて、いい心持いっぱいで打たせて行きましたけれど、ここに気の毒千万なのは三騎のお附人《つきびと》です。
 出立の時から、相離れて、つき従っては来たけれども、この連中は、いずれも公達と兵馬ほどの乗り手ではなかったものです。お役目やむことを得ず、慣れぬ馬に鞍《くら》を置いて来たが、道の難所へ来ては、舵《かじ》をさらわれた舟のように煩《わずら》わされきって、おのおの泣かんばかりに鞍壺にとりついて歩ませたり、なかには下り立って、馬の口を取って、馬をいたわり歩かせて来る有様でしたから、自然、前なる二騎とは遠い隔りが出来てしまいます。
 高村卿は、世間話が、ちょっと時事に触れて来た時、一種の慷慨に満ちた憂色をもって、
「左様――何がどこへ落着くかわからない時代じゃ、宇津木、そなたはどう思います、関東の政治が続くか、公家の世となるか……そなたも、諸国を歩いている、そちの見るところの形勢では……」
「拙者共には、いっこう天下の形勢などわかりませぬが、しかし、もはや関東の勢力も末で、世の改まるのは時間の問題に過ぎないとは、誰も感じているようでござります」
「その通り、武家の政治にはみな倦《あ》きた、武家自らも、わが身でわが身が持扱いかねている、そうすれば当然、政権は公家の手に戻り、大日本は一天万乗の君の御親政となる。そちは、それを悦ばしいとは思わぬか、早く、左様な時勢の来ることを望む気はないか」
「それは、いずれの贔屓《ひいき》という儀はござりませねど、人民一般のためより言えば、斯様《かよう》な内憂外患の不安極まる世が明け渡って、天日を仰ぐような朗らかな時勢が来ることを、望まないはずはござりませぬ」
「それそれ、遠からずその世が来るのじゃ、夜が明けますぞ、北条、足利の時代が終って、万民の待ち望む中興の時代が来るのは、ホンの目睫《もくしょう》の間《かん》である」
 貴公子は、慷慨と共に前途に希望を置いて、おのずから、昂奮を禁じ得ざる態度であります。しかし兵馬は、自身、風雲児をもって任じておらぬだけに、この問題には、いつも、かなり冷静に見もし、聞きもしておりましたものですから、この時も、極めておとなしく言葉を加えてみました――
「しかし……かりに徳川家が倒れましても、第二の幕府が起るようではなんにもなりませぬ。北条が倒れて、後醍醐《ごだいご》天皇の御親政は、ほんの僅かの間、また足利氏が出て、武家でなければ治まらなかったのではありませぬか。今、かりに、江戸の幕府が倒れても、長州とか、薩摩とかが代って天下を取るようになりますと、つまり公家の御威勢を肩に着て、やはり武家の世になってしまうのではござりますまいか。この点は、公家に於て、よく御考慮なさるべきところじゃと、心ある人はそれを憂えているようでござりまする」
「そこじゃ、それそれ、次の時代を中興の時代とするはよいが、漁夫に利を与えてまた足利にしてやられてはならぬ、公家の英雄をして、遠く護良親王《もりながしんのう》や、近く中山忠光卿のあとを踏ませてはならぬのじゃ……公家に人ありや、否や」
 貴公子は再び慷慨に落ちた時、馬は美女峠の高みに立って、飛騨の平原を見おろしておりました。無論、高山の町の夜が眼下に見える。
「あれ、火が……高山の町の中に火が起ったのではござりますまいか」
と馬首をとどめて、兵馬が言いました。
 なるほど火だ、火事としても小さからぬ火事だ。

         二十八

 イヤなおばさんの亡骸《なきがら》が、川西の旧宅へかつぎ込まれたその少し前つ方に、お雪ちゃんの一行は、ほとんどそことは目と鼻と言ってもよい、同じ宮川の岸の浅羽という宿屋に無事に到着しました。
 白骨から平湯へ来ると、頓《とみ》に明るくなり、またこの高山まで来て見ると、全く人里へ出て来たような心持です。
 他国にあってこそ、飛騨の高山といえば、山また山の奥の山里のように聞えますけれど、山から出て来れば、立派に一つの都会へ来た感じに打たれずにはおられません。
 ここは昔の城下町として、今の代官の所在地として、長い間のこの国の行政の中心地を成しているだけに、すべて、それ相応の都会としての気分が、しっくり整っている。
 もしお雪ちゃんが、一度京都あたりを見て来た人であるならば、この宮川のほとりへ来て、鴨川を思い起さずにはおられないはず、そうして周囲の光景がなんとなく、山城《やましろ》の王城の地を想わせて、詩人でなくとも、これにまず「小京都」といった風情《ふぜい》を感じ得られたかもしれません。
 ただ、そんな比較を別にしても、久しく山谷の間にうずもれて来たお雪ちゃんは、ここへ来て、明媚《めいび》という感じに打たれて、思わず気分に多少の暢《の》びやかさを感じたのみならず、宿の自分たちの部屋が、ちょうど宮川にのぞんでいて、小さいながら行く水の面影に、人の世の情味を掬《きく》し、部屋も相当に綺麗《きれい》だし、風呂場も気持よく出来ている間に、やや陶然たる気味をよび起されました。
 風呂から出て、日暮の宮川のもやを眺めながら、燈の明るい座敷で、夕餉《ゆうげ》の膳に向った時などは、お雪ちゃんの心も春のようになって、今のさきまで、ついて廻ったイヤなおばさんの思い出などは、この瞬間に、すっかり忘れてしまうことのできたのは何より幸いです。
 まして、この近辺は花柳の巷《ちまた》でもあるのか知らん、お雪ちゃんがうっとりしている間に、三味線の音締《ねじめ》などが、小さな宮川の小波《さざなみ》を渡っておとずれようというものです。座敷も、幾間も明いていたものですから、竜之助だけは二階へ案内して置いて、自分は下に、その次の座敷には久助さん。
 そうして、この夜は、落着いて、ぐっすりと休むことができました。
 だが、お雪ちゃんに限らず、人というものは、生きている以上は、周囲が穏かならば、自分の心の中が動き出すし、自分の心がやっと落着いたかと見れば、何かまた周囲で煩わしいことが、大きかれ小さかれ、そのいずれかの翻蕩《ほんとう》の中に生きているようなものですから、せっかく、静かなお雪ちゃんの夢が、また夜中に破れ来《きた》ったということは、ぜひもないことかもしれません。
 それはまず、犬の盛んに吠え出したことによって破れていると、次に夥《おびただ》しい人のわめき[#「わめき」に傍点]声が、つい目と鼻のところらしい人家の中から起り出して来たことで、
「何だろう、もう時刻も夜中を過ぎていようのに……」
 お雪ちゃんが、寝床の中で、やや長いこと聞き耳を立てている間に、その人家の罵り声はいよいよ高くなり、全く只事ではないと思わせられました。
 それのみか、今まで、家の中でばかり騒いでいると聞えたその声が、今は室外へ溢《あふ》れ出して来たものです。そうすると、ワッシ、ワッシと何か担いで来るような模様で、それも河原へ飛び出して、川を渡って、お雪ちゃんの泊っている、この座敷の直ぐ下のところあたりへ、押しかけてくるらしいから、何はともあれ、もう床の中で聞流しにしているわけにはゆきません。
「お祭のお神輿様か知ら、御祭礼があったようにもないが、おかしいねえ」
 お雪ちゃんは、寝巻のまま立って、雨戸へ手をかけて無雑作に引きあけてみた途端に、
「あっ」
と言って、眼も口も打たれて、開くことのできなくなったのは、濛々《もうもう》として外から捲き込んだ烟《けむり》でした。

         二十九

 この辺で、名古屋で大持て[#「大持て」に傍点]のために有頂天《うちょうてん》になった頭の上へ、したたかに冷水をあびせられた道庵先生の近況にうつりましょう。
 あの時の水かぶりで、危うく陸沈をまぬかれたが、先生の鼻息すこしも異状なく、宿へ帰ってつぎたしをして休みながら、宇治山田の米友のいないことなんぞも、一向お気がつかれませんでした。
 先生は更に明日からの日程を、夢みながら……なお有頂天《うちょうてん》で、その得意さ加減、とどまるところを知りませんでしたが、こうして泰平楽《たいへいらく》に酔いきっている時、江戸で、その本城を衝《つ》かれていることなんぞも、更にお気附きのあろうはずがありません。
 江戸に残された、道庵の股肱《ここう》と頼まれたデモ倉とプロ亀――の二人が、道庵不在を好機として、容易ならぬ反逆を試みたことは、以前にも少し記しました。
 本来、デモと言い、プロと言い、道庵ある間は、天晴れ貧民の味方で、先棒をかついでいたが、本来何も特別の主義信念があって、道庵と行動を共にしていたというわけではなく、道庵に一杯飲ませられたのと、道庵の一面に備わっている暴君的独断に圧迫されて、寄りたかっていたのだから、少しでも、そのおみき[#「おみき」に傍点]と、圧迫から離しておかれれば、どっちへどうにでもなる連中です。
 それのみならず、盟主と頼む道庵は、十八文をふりかざして、大いに貧民の味方らしくは振舞っているが、酒気に乗じて横暴を揮《ふる》い、独断を通し、時には暴力を以て、子分の者の頭にガンと食《くら》わすことなんぞもあるものですから、内々、反抗気分を蓄えていないではなかったが、存在する間は道庵の威力|如何《いかん》ともし難く、暴力をもってガンと食わせられても、道庵のはあんまり痛くありませんでしたから、我慢をしていましたが、我慢しきれないのは、さほどに横暴を極めながら、同志の者に廻す小遣《こづかい》がいかにも道庵並みにシミッタレていたことです。
 これではたまらない、いつかしかるべき親分に乗り替えて、もっと飲めるようにしてもらわねばならないと考えていました。
 ところで、このたびの上方《かみがた》のぼりこそ究竟《くっきょう》である。この留守中に、すっかり長者町に於ける、道庵の人気をさらってしまおうとの計画が実行され、その一つとして、多年十八文で売り込んでいる道庵よりは、三文安の十五文を看板にして、年も道庵よりはグット若い橋庵《きょうあん》先生というのを、担ぎ上げ、この方が道庵よりは少なくも三文は格安で、それだけ大衆向きであるという宣伝をさせました。
 どうだ、これで胸が透いたろう、道庵の奴、いい気持で、江戸へ帰りつく時分には、お株はすっかり橋庵先生に奪われて、立場を失って、ベソをかく面《つら》がまえが見てやりたい、どんなものだい。
 デモ倉と、プロ亀が腮《あご》を撫でましたが、ここに風のたよりに名古屋に於ける道庵の人気を聞くと、たまらないものがあります。名古屋に於て道庵が、ほとんど国賓待遇を受けているということを聞くと、デモ倉と、プロ亀が、躍起となりました。
 この分で、上方へやっては、道庵の上方に於ける人気が思いやられる。ほうっておけば当時天下に、道庵のほかは人が無いようになってしまう。江戸の方で、天晴れ足許《あしもと》をさらったつもりでいる間に、道庵の翼が日本中へ伸びてしまった日にはたまらないと、デモとプロが、嫉妬と、狼狽に堪えられない気持になりました。
 しかし、デモとプロもさるもの、たちまち智嚢をしぼって、この道庵の人気に対する対抗策を考えついたというのは――仲間中から人を選んで、道庵の行くところにさし向け、つきつ纏《まと》いつして、すれつもたれつして、向うを張らせることだ。そうして道庵をいやがらせ、うるさがらせ、汚ながらせて、ペチャンコにしてしまう。
 その人選には、折助のマアちゃんに限ると思いました。折助のマアちゃんというのも、別に本名はあるのだろうが、当時は、折助のマアちゃんで通って、誰知らぬ者もない。

         三十

 マアちゃんに限る。むこッき[#「むこッき」に傍点]が強くって、おだてが利《き》いて、ちょっと雑俳ぐらいはやれる、講釈仕込みの武芸も心得ている――あいつに限ると見立てました。
 だが、マアちゃんの名では、道庵の向うを張らせるには重味が足りないから、何としよう、そうそう三文安の先生もあることだから、「安直先生」あたりがよかろうではないか。
 そうして右の、「安直」の相役にはデモ倉が、名も「金茶金十郎」と改めて同行することになり、日ならずして、この安直先生と金茶金十郎の同行が、道庵の跡を慕《した》い、これにくっつき、すりつき、もたれかけ、さんざんに牽制運動を試みようとする作戦が熟しました。
 人はいかなる場合に、いかなる敵を持つか知れたものではありません。かかる大敵が後門に迫るとは、神ならぬ身の知る由もなき道庵は、翌日眼覚めると、自室にも、次の間にも、頼みきったる宇治山田の米友がいないことに気がつきました。
 これは破格のことです。今まで、米友が道庵を見失うことはあろうとも、道庵が、米友を見失ったことはないはずです。
 道庵が米友を見失ったのは、ある格別の事情によって、米友のいることを不利益と考えた場合や、また計画的ではないにしても、ついつい興に乗じて、行違いになってしまうことも、一度や二度ではありませんでした。
 その度毎に、道庵の方では、友様の野郎をまい[#「まい」に傍点]てやったと大得意でふざけきっているが、米友の方では、その忠実厳正なる責任感から、血眼《ちまなこ》になって主と頼む人の行方《ゆくえ》を探し廻ったことも、一度や二度ではありませんでした。
 これは道庵としては、甚《はなは》だ罪のあるやり方ですけれども、一方から言えば、忠実すぎ、厳正すぎる監督者の眼をかすめたくなることも、日頃、品行方正な道庵としては、せめて旅行中ぐらいは、大目に見てやらなければならぬ事情もあります。
 今朝は、まさしく、その前例と違って、道庵の方で米友を見失ったので、道庵が米友をまいた[#「まいた」に傍点]のでないことはわかっています。そこで、さしもの道庵も少々しょげて、
「はて、友様はどうしたろう、あれから、ああして、あの時までは、あれだったが、ああしてその後が……『水祝い』の時は、奴、いなくってよかったと思ったが……奴がいてごろうじろ、軽井沢の伝で、棒切れを振り廻された日には、せっかくの御趣向が水にもならねえ、あの時ばっかりは友様がいてくれねえのがお誂《あつら》えだと思ったが、はて、それから、ちょっと外へ出てくるから許してくれと、言われた覚えはあるようだが、それから後――奴、出て行ったらどうしたって、その日のうちには帰って来ねえような人間ではねえ、三時間で済む用事は、一時間半で済ましてくるだけの、目から鼻へぬけたところのある野郎だが……それがお前、一晩、わしをおっぽり出して帰って来ねえなんて、全く今までに例のねえことだぜ。一晩泊り込んで、きまりの悪い顔を見せるような代物《しろもの》とは代物が違うんだが……第一あの男の気性として、御当人はとにかく、仮りにも主と頼むこの道庵を、一晩たりとも置去りにして、よそへ泊ることのできるような男ではねえ、それが昨晩はいなかったんだぜ、こいつは一大事だ、あいつがおれをおっぽり出して外泊するなんてえことは、まさに一大事でなければならねえ、何か間違いが起りはしねえかなあ。間違いが起ったとしても、あいつのことだから、自分が怪我をするようなブマなことはねえにきまっているさ、だが、気が短けえし、人間の見境がつかねえから、むくれ出すと手におえねえ――なんにしても、こいつはこのままじゃあおけねえ、今までは道庵がずいぶんあの男に世話を焼かせたが、今日はどうしても、こっちがあいつに世話を焼かせられる番だ。さあ、こうしちゃいられねえ」
 道庵は狼狽《ろうばい》して飛び起きざまに、いきなり次の間の戸棚をあけて、もしやと調べてみたが、戸棚の隅にも、火鉢の抽斗《ひきだし》にも、わが忠実無二の保護者たる宇治山田の米友の、影を見出すことができませんでした。

         三十一

 その夜、宇治山田の米友は、鳴海の宿の旅籠屋《はたごや》の一室で、何かの物音に、ふと夢を破られました。
 夢を破られて見ると、自分というものが、蒲団《ふとん》の上には寝ていないで、こちらの方の大きな熊の皮の上に、仰向けに、大の字なりに寝そべっていることを知りました。
 大抵の場合に於て、この男は、素肌に盲目縞《めくらじま》の筒袖一枚以上を身に纏《まと》うことを必要としないように出来ているし、夜分に於ても、それ以上の夜具があってもよし、なくてもよいことになっているが、今宵の場合は特に疲れが激しいから、用が済むと共にこの敷皮の上に寝そべったまま、ついに夜更けに立至ったものと思われます。
 そのはずです。日中には名古屋の市街から、宮、熱田を七里の渡しの渡頭《ととう》まで行って、更に引返して、呼続《よびつぎ》ヶ浜《はま》、裁断橋《さいだんばし》――それから、まっしぐらに、古鳴海《こなるみ》を突破して、ついに、ここまで落着いたのだから、前後左右を忘れるほどに疲れきって、つい寝そべってしまったことも無理はありません。
 半ば以上無意識で、睡眠をとろりとさせていたが、やはり夢を破られても夢心地で、
「やんなっちゃあな[#「やんなっちゃあな」に傍点]」
と、米友は、ひとりでこう呟《つぶや》きました。
「やんなっちゃあな」というのは、更に正しくてにをは[#「てにをは」に傍点]をはめてみると、「いやになってしまうな」ということで、これに漢字を交えてみると、「忌《いや》になって仕舞うな」ということなのです。何が忌になってしまったのか、それを強《し》いて穿鑿《せんさく》する必要はありません。ただ眼が覚めた途端の口小言と見ればよいのです。たとえば、転んで起き上る時に、「どっこいしょ」というようなもので、字句そのものに拘泥して、何がどっこいしょだか、どっこいしょでないか、それを詮議《せんぎ》する必要はないのと同じことです。
 そこで、米友は、半ば以上無意識の朦朧《もうろう》たる眼をもって、
「やんなっちゃあな」
と言いながら室内を見廻したけれど、うたた寝では毒だと気がついて、あわてて起き直るでもなし、辛《かろ》うじて、自分の寝そべっているところと向う前の隅に、きちんと、寝床がのべられてあり、枕が据えられてあることを、まず見出したもののようです。自分がうたたねをしている間に、宿でやってくれたものだか、自分を起すことを忘れたものか、起したけれども起きないから、そのままにしていたのか、或いはまた、せっかくよく眠っているのを起すのも気の毒だと思っているうちに忘れてしまったのか、それはどうでもいいが、せっかく、用意して待構えていた夜具蒲団に対しては気の毒だと思いました。
 しかし、米友が夢を破られたというのは、単にそれだけの理由ではありません。この男は、例えば、打って叩いても、熟睡から醒《さ》めないほどに眠りに落ちていたからといって、それが身辺に、いささかでも異例をもってこたえて来る場合には、必ず、眼を醒ますように出来ている男です。
 心がけのあるさむらいは、轡《くつわ》の音に眼を醒ますというたしなみが、さむらいではないけれども、米友には、先天か、後天かに備わっているのです。ですから、女中共が親切で起そうと、ゆすぶり[#「ゆすぶり」に傍点]震動させても、ついに呼び起すことのできない場合にも、怪しの者があって、抜き足して近づけば、必ずガバと醒めて、その手がおのずから、首の下にあてがわれた杖槍に届くようになっているのです。
 ですから御覧なさい、半ば無意識で、夢うつつの境にぼんやり眼を据えながらも、その右の手は首の下に廻って、スワといわば、かの杖槍を変化《へんげ》自在に扱い得るように、あてがわれているのです。

         三十二

 果して、この一室へさいぜんから、怪しいものが闖入《ちんにゅう》していたのです。だが、安心あってしかるべし、それは裏宿の七兵衛でもなく、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵でもなし、今し、この室の一方の障子を押破って闖入し、今もうろうろとそこを歩いているのは、一つの真黒な動物でありました。
 半ば以上を、今や三分の二以上といっていいほど意識を取戻した米友は、この真黒い動物に気がつきました。
 その瞬間――猫にしてはズンと大きい、犬にしては丸過ぎる、犬と猫のいずれでもないという印象だけはうつりました。
 犬と猫でないほどのものが、鼠でありようはずはない。犬でなく、猫でなく、鼠でないとすれば、どうしても、これだけの大きさを持ったものは、野獣のうちのいずれかに属しているものでなければならないと、その瞬間に感づいたものですから、米友は、
「こん畜生」
 例によって杖槍は、いつでも自由自在に変化の利《き》く伏せ方にしておいて、ちょっと小首をたてて、睡眼に、その動物を篤《とく》と見定めようとしたものです。
 だが、この際、まだ十分に使用に堪えない睡眼を酷使して、薄ぼんやりした有明の行燈《あんどん》の光で、強《し》いて、その闖入の動物のなにものであるかを見定める労力と、必要とが、無用に帰したのは、件《くだん》の動物が、逸早《いちはや》く米友の腋《わき》の下へ首を突込んで来たからです。
「こん畜生」
と言って米友は、その鼻っぱしを左の手で、かっ飛ばそうとして、はじめてその動物の鼻っぱしの強いことに、一驚を喫しました。
 大抵の動物ならば、よし無雑作《むぞうさ》にとはいえ、米友が「こん畜生」といって刎《は》ね飛ばせば、一応は、相当の距離へケシ飛ばされて、それで、怖れて逃げるか、もう一ぺん狎《な》れて近づいて来るかの手ごたえがなければならないのに、この動物は更に動じないから、米友が、ちょっと面喰った形です。同時に、
「あ、こいつぁ熊だ!」
と米友が叫びました。
 なるほど、そう言われて見ると、熊に違いありません。但し、熊は熊だが、羆《ひぐま》や月の輪ではなく、まんまるく肥った熊の子であります。子熊ではあるけれども、熊は熊に違いないのです。家畜でなくて野獣のうちです。野獣のうちの猛獣に属するものです。しかも、猛獣のうちでも、獅子と虎とを有せざる日本の国に於ては、最強最大の猛獣といってよい種類に属しているものでありました。
「熊の野郎!」
 米友は眼を円くしたけれども、むくむくと肥え太ったこの猛獣の子供を見ると、恐怖よりは可愛らしさの念に打たれないわけにはゆきません。月の輪や、羆の類が襲い来《きた》ったとしたならば、心得たりと、体をかわし、咄嗟《とっさ》には杖槍を七三に構えて、「さあ、かかってみやがれ」と、胆を据えるべき米友も、こんな可愛らしい部類に属する子熊に、じゃれつかれてみると、一応は、びっくりしたが、これを憎み扱う気にはなれません。
 ましてや、この肥え太った動物は、米友の寝ている腋《わき》の下へくぐり込んで、鼻を鳴らし、身をすりつけて、じゃれかかって来る有様は、たしかに自分を他人とは見ないで、なつかしくて、懐かしくて堪らないでやって来た風情《ふぜい》であります。
 おそらく、久しぶりで、ムク犬に逢うたならば、あの犬は、これと同じようにして、自分にすりついて来て離れないに相違ないが、これはこれ、ムクでないことは確かで、米友としてはまだ、こうして、夜這《よばい》にまで来られるほどに、熊という猛獣族の中に、馴染《なじみ》をもっているとは思い出されないのです。人違いではないか。だが、子熊の米友を懐かしがり、じゃれつき、すりつき、くいつき、だきつく風情というものが、到底、親身でなければこうはいかない親しみがあり、いよいよこの男を面喰わせてしまいました。

         三十三

 そのうちに廊下で、人が騒ぎ出しました。
「熊の子がいない、熊が逃げ出した、それ大変だ」
 廊下でバタバタして、しばらくあって、
「ああ、ここだ、ここだ、ここの障子が、こんなに破いてある」
「うむ、足あともそこで止まっている」
 それがちょうど、米友の座敷。
「御免下さいまし」
「何だい」
「夜中にお騒がせして相済みません、もし熊の子が、これに参ってはおりますまいか」
「来ているよ」
と米友が答えたので、
「左様でございますか、お怪我はございませんでしたか」
「怪我なんぞはしやしねえ、ここ、ここにこんなにしていらあ」
 障子をあけて人々がやって来ても、右の子熊は、それらの人々を避けるのでもなく、怖れ走るのでもなく、やっぱり一向《ひたすら》に米友に向って、じゃれついて離れる模様はありません。
 今や当惑しきっている米友。入って来た大勢の者は、手取り足取り、この子熊を捕えて、米友のところから引離そうとする。子熊は力を極めて、それに反抗しながら、やっぱり米友にすりつきたがっている。子熊とは言いながら熊は熊の力で、ほとんど大勢がもてあますほどの力で米友のところから、取去ることに反抗します。
 米友には、それがどうしてもわからない。可愛ゆい奴には可愛ゆい奴に違いないが、大勢を振りきって、そうして特に自分にばかりなつきたがるこの熊の挙動がどうしてもわかりません。
 米友自身に於ても、過去世は知らぬこと、生れて以来、熊に対して特別な恩愛を施してやったという陰徳のほども更に心当りがないのです。そうかといって、自分はまだ、猛獣をもなつき従わせるほどの聖人であるとも考えてはおりません。
 米友のこの当惑を別にして、宿の大勢の者はようやくにして、この熊の子を取抑えて抱き上げると共に、米友に向い、
「お騒がせして全く恐れ入りました、つきまして、なおこのうえ恐れ入りますが、どうかそのお敷物をひとつ……」
「この敷物……この皮をかえ?」
「ええ、左様でございます」
「この敷物を持って行くのかえ?」
 米友にとっては、今まで自分の体温の幾分を分ち与えたこの敷物、自分のものではないから、よこせといえばやらないとは言えないが、せっかくあたためて寝てるものを、持って行かなくってもよかりそうなものだとの、いささかの不平もないではありません。
 その気色《けしき》を見て取ったのか、番頭のようなものが、こう言って申しわけをしました、
「実はその、お敷物の熊の皮は、この子供の親でございまして、それがふとした怪我で亡くなりましたものですから、その皮を剥がして置きますと、争われないことに、この小熊めが、母の皮をよく知っておりまして、これが無いと眠れませんものでございますから、宵のうちも、これを檻《おり》の中へ入れてやろうと存じましたが、あなた様がこの上によっくおよっておいでになりますから、お起し申すもなんで、つい、そのままに致して置きましたらこの通り、檻を破って這《は》い出し、母親の敷皮を慕ってまいりまして、あなた様に飛んだ御迷惑をかけましたような次第で……こちらへお夜具をのべさせて置きましたから、どうぞ、あれへ――その敷皮はひとつ、この子熊めに、お遣《つか》わし下さいませ」
「なあーんだ」
 米友がここでもまた、呆気《あっけ》に取られてしまいました。自分になついて来たと思ったのは、飛んだお門違いの己惚《うぬぼれ》――問題は熊の皮だ。
 だが、死せる親の皮を慕うて忘れざる子熊の情愛に至って、おのずから考えさせられずにはおられないものがあるようです。

         三十四

 子熊をつれて行かれて、しばし茫然としていた米友が、急に声を立てて叫びました、
「先生! 先生! おいらの先生」
 彼は襖《ふすま》の中を見込んでこう言うと共に、ガバと立ち上ったのは、この時に至って、はじめて意識が全く明瞭になったのです。
 そこで、つむじの如く、ここまでの行程が展開してみると、ああ、それそれ、それから、あれ――わが尊敬する道庵先生は、ここにいないのだ。
 影の形に添うが如く、離れてはならない自分というものは、わが道庵先生と全く離れてしまっていることを、身に火のついたほどに米友が感得しました。
 今までとても、道中、しばしば形と影とが相離れた経歴はあるが、それはホンの戯れ、しかも、米友自身は寸暇も責任をゆるがせに感じてはいないのに、道庵先生そのものが、ふざけ[#「ふざけ」に傍点]きっているのだから、責めはこっちになくして、あちらにある。今晩のはそうではない、自分が主動的に責任をおっぽり出して、仮りにも主人をないがしろにしてしまったのだ。
 うむ、あれからあれ、それからこれ――鳴海神社で不思議の婦人に伴われてここへ来て、そうだ、そうだ、自分にとっては全く苦手な女軽業の親方に、ぶっつかって、うんと油を絞られたのは、つい今しがたのことであった。おぞましいこと、疲れがさせたために、こんなに寝込んでしまった。どっちを、どうしたら、いいだろう。親方に断わるのが本当か、これから先生のところへ馳《は》せつけるのが筋道か。
 ともかくも、うっかりこのままじゃいられねえ、全くこうしちゃあいられねえ身の上なんだ、さあ、出かけよう。
 身の廻り、といっても、杖と笠と、ふり分けの小荷物|一対《いっつい》。
 忙がわしく身づくろいしてみた米友には、今の時刻が、夜には相違ないが、夜の何時《なんどき》であるか見当がつきません。見当がつかなくとも、いつもの米友ならば、思い立ったその時を猶予すべくもありませんが、ここは事情の違うことを考えずにはおられません。
 真夜中に飛び出すということは、宿屋へ対しても考えてやらねばならないし、第一、ここを立つには、当然、女軽業の親方お角さんに挨拶をして立たなければならないことになっているのです。もし、間違っても、あの親方に挨拶なしにでも飛び出そうものなら、今後のことが思いやられる。
 宇治山田の米友ほどのものが、タカが一匹の女興行師を、それほど怖れる弱味がどこにあるか。
 行かんとすれば行き、止まらんとすれば止まる自由行動を、未《いま》だ曾《かつ》て何人のために掣肘《せいちゅう》されるほどの負目《おいめ》を持っていない米友が、なぜか、このお角さんばっかりを怖れます。
 王侯貴人をも眼中に置かぬ米友が、お角さんのために、頭ごなしにやっつけられると、一堪《ひとたま》りもなく縮み上って舌を吐くということが、これ大きな不思議であります。
 道庵先生にも、一目も二目も置いているけれども、これは先輩長者としての尊敬から出るので、正義と、理窟の場合には、一歩を譲ることの引身《ひけみ》をも感じていないのだが、お角さんに逢うと、正義も、理窟もなく、無条件で米友がすくんでしまうのは、おかしいくらいです。
 これは前世の悪縁とかなんとか言うよりは解しようがありますまい。蛇と、蛞蝓《なめくじ》と、蛙とが相剋《そうこく》するように、力の問題ではなくて、気合のさせる業。理窟の解釈はつかない宿縁というようなものの催しでしょう。
 とにかく、米友は、やみくもに出発しようとして、お角さんのことを考えると、ポッキと決心が折れてしまい、恨めしそうに、お角さんの方の部屋をながめたが、やがて、くずおれるように下にいて、せっかく、ととのえた旅の仕度を、いちいちもぎ放してしまって、今まで飾り物のようにしてあった宿の夜具蒲団の中へ、有無《うむ》をも言わさずに、もぐり込んでしまいました。

         三十五

 さて、二度目に目が醒《さ》めた時は、しなしたりや、もう日脚が高い。むっくと起きて、そのまま、お角さんの前へ伺候しようとして女中に聞くと、その一行はもう出立してしまったという。
 そうかそうか、悪い時には悪いものだ、グレる時には一から十までグレるものだ、ここでも、みんごと、置いてけぼりにされてしまった。よく、聞いてみると、お角さんは存外、腹を立ってはいなかったらしい。
「あのお客さんも疲れたらしいから、ゆっくり寝かしてお置き。目が醒めたら御飯を食べさせて、わたしたちは先へ名古屋へ行っているから、これこれのところへ、あとから尋ねておいで……」
とこう言って、お角さんが米友のために、充分な好意を残して置いて先発したらしいから、米友もホッと息をつきました。
 米友としては、度胸を据えたようなもので、飯も食い、お茶も飲み、旅装も型の通りにして、上《あが》り框《かまち》から草鞋《わらじ》を穿《は》き、笠をかぶり、杖を取って、威勢よく旅を送り出されようとする時、その出鼻で、またしても一つの悶着《もんちゃく》を見せられてしまいました。
 それは、大八車が一つ、この宿屋の店前《みせさき》についていて、そこに穀物類が片荷ばかり積み載せてあるその真中に、四角な鉄の檻《おり》が一つある。その大八車が、ちょうど、米友の出口を遮《さえぎ》っているから、街道へ出るには、その車を廻らねばならぬ。その通りにして米友が車の表へ出ると、悶着というのは、そこで展開されていた出来事なのです。
 それは別事ではありません、例の熊の子を、幾人かして抱きかかえて連れ出そうとするのを、前例の如く子熊がしがみついて離さない、大の男が幾人も手をかして、しがみついた熊の子をもぎ取ろうとして、昨晩、米友の部屋で行われたと同様の悶着を、ここでも繰返しているのです。
 しつっこい話だな――と、米友が少しく眉をひそめて見ていると、熊の子が、例の親熊の皮だというのに必死になってしがみついているのを、数多《あまた》の人が、もぎ取ろうとしていること、昨夜と変りがありません。
「まだ、やってるのかい、どうしたんだなあ、しつっこいじゃねえか」
と、米友が口を出して呟《つぶや》きました。通り一ぺんの男の差出口なら取合いもしないのだが、これは、かりにもお客様のお言葉だから、熊の子いじめの宿の若い者も、一応の挨拶を返さないわけにはゆきません。
「いや、どうも、なかなか強情な子でござんして、熊だけに、力があるもんでござんすから、なかなか離しませんや」
 だが、昨晩あれから引きつづいての悶着ではあるまい。昨晩のことは一旦あれで済んで、今朝また別の勢いで、繰返しているに過ぎないだろう。それにしても、人間というやつは、知恵も、力も無さ過ぎると、そぞろに哀れを催したが、さりとて、なぜかこの連中に代って、熊の子を、熊の皮からもぎ[#「もぎ」に傍点]離してやろうという気にもなりませんでした。
 そのうちに、大勢の力を極めて、ようやくにして、熊の子の手から、熊の皮をもぎ離してしまうと、子熊を有合わす縄で、よってたかって縛り上げて、そうして米友がさいぜん見た、大八車の上の四角な檻の中へ、無理矢理に押し込もうとするのです。人間共に寄ってたかって手込めにされるから、子熊はなお力限りに争って、悲鳴を揚げながら、しきりに身振りをするのを、例の親熊の皮を欲しがって身悶《みもだ》えをするのだということが、昨晩の実例と、説明とを聞いているだけに、米友の頭にはハッキリと受取れました。
「無理はねえ――」
 その途端に、米友が、何かに感動させられたように、急に身ぶるいし、
「その熊の子をどこへ連れて行くんだい」
「名古屋の香具師《やし》に売ることになりました」
「香具師に売る……」
と言って、そのまるい目を異様にかがやかせたものです。

         三十六

「ま、ま、ま、待ちねえ」
 それを聞くと米友が、まるい目を異様に輝かせた後、その口を烈しくどもらせて、
「ちっと、待ってくれよ」
 人々は、この異様な小冠者と挙動に、やや驚かされはじめました。それを米友が畳みかけて、
「待ってくんなよ、お前さんたち、この熊の子を香具師《やし》に売るんだって、香具師に売るんなら売るんでいいけれども、そうなると、この親熊の皮はどうなるんだ」
「ええ、皮の方は売りませんのでございますよ」
「そいつは無理だな」
 米友が、やや詠嘆的に言いました。人々は熊の子を檻に押し込むことに夢中で、米友の言うことに多く取合っている余裕がありませんでした。
「そいつは、ちっと無理だよ、どうしても売らなくってならねえんなら、皮も附けてやんな」
 更に米友が、勧告とも、要求ともつかない口出しを試みたけれど、挨拶がない。
「あれほど欲しがるんだから、皮もつけてやんな」
 三たび米友が勧告しましたけれど、やっぱり誰も取合いません。そのうちに、ようやくのことで、ともかくも、大男が大勢かかって、一頭の子熊を、車上の檻の中に押し込んでしまって、ホッと息をついているところです。
 子熊は檻の中にころがし込まれながら、悲鳴をあげて、親皮の方をながめながら、足をバタバタしているのに頓着なく、店の者共は、
「いや、どうも御苦労さまでした、それではまあ親方へよろしく」
「どうもはや、御苦労さまでした」
 車力がそのまま車の棒を取上げる。檻の中へ入れられた子熊は輾転《てんてん》として、烈しく悲鳴を立てました。その時ずかずかと走《は》せ寄った米友は、大八車の桟《さん》を後ろから引っぱって、
「まあ、待ってくんな、どうも罪だよ、見ていられねえよ」
と言いました。
「へ、へ、へ」
 何ということなしに、一同がテレて、面《かお》を見合わせていると、米友は、
「どうも見ていられねえよ、子が親の遺身《かたみ》を恋しがるというのは人情だからなあ」
と言いました。この場合、人情というのは少しおかしい、正しくは熊情というべきでしょうが、それを訂正している余裕が米友になく、また集まっている人たちも、米友の権幕が意外に真剣なものだから、その言葉ちがいを笑っている暇がありませんでした。そこで米友は畳みかけて、
「それもお前、普通の遺身《かたみ》と違って、生皮なんだろう、それをお前、欲しがって離れられねえというのは人情だろうじゃねえか、人情を無視して、それを引裂こうなんて、どうしても罪だなあ」
 米友が、その怪力で後ろから車の桟を抑えているものだから、前なる車力が、車を引き出そうにも引き出せません。
 そこで、勢い、大勢の者も米友を相手にして、一応挨拶の形をつけねばならなくなりました。
「なあに、畜生のことですから、今はあんなに騒いでも、直ぐに忘れてしまいまさあね、打捨《うっちゃ》っておいて下さいまし」
 こう言って、米友をなだめにかかったが、米友はそれを肯《がえん》じません。
「いまに、忘れるか、忘れねえか、それは熊に聞いてみなけりゃわからねえ、眼前、こうして恋しがるのを人情として、見殺しにするのは罪だあな。その皮をくれてやんな、あんなに欲しがるんだから、皮をあの子熊にくれてやんなよ、いくらのもんでもなかろうじゃねえか」
「へ、へ、どういたしまして、これでなかなか安い品じゃございません、玩具《おもちゃ》にくれてやれるはずのものじゃございません」
「そんなら、おいらに売ってくれねえか」
 米友が、かさにかかって一同を見下ろしながら、買収の交渉を持ち出したものです。

         三十七

 ほどなく、鳴海の宿で、名古屋へ向って行く大八車の上に、上述の穀物の片荷と、その間に四角な鉄の檻と、鉄の檻の中に、いったん縛られた手足を解放された子熊と、その子熊に、しっかりと抱かれた親熊の皮と……それから、鉄の檻をそっくり両股にかかえ込んで、杖槍を荷ったまま車上の客となっている、宇治山田の米友の姿を見出しました。
 前には車力が一人、後ろには後押しが一人、かくして、意気揚々……というほどでもないが、米友は車上で名古屋へ乗込むという段取りになったのは、思うに、さいぜん交渉に及んだ買収の申入れが、順調に成立したものでしょう。
 相当の高価を償《つぐの》うて、あの親熊の皮を買い取って、この子熊に与えてやったものと見なければなりません。
 果してそうだとすれば、いくらで買収したか。こっちに掛引きがないから、先方に多少足許を見られたような形跡はなかったか。そうだとすれば、行きがかり上、値でない値を吹きかけられて、啖呵《たんか》は切ってみたが、さて懐ろ都合のために、四苦八苦をさせられたようなことはなかったか。
 しかし、物事はあんまり見くびるものではありません。米友といえども、多少は道庵よりお給金もいただいていることでもあろうし、今日まで何かにつけての稼《かせ》ぎ貯めというようなものを、本来、酒を飲むではなし、バクチを打つではなし、女に注ぎ込むという風聞を聞かない男だから、相当に貯め込んで、腹巻かなにかにおさめているに違いない。タカが熊の皮の一枚、高かろうとも、安かろうとも、はたで心配するほどに持扱いもしなかったろう。いくらで売りつけられて、いくらで買い取って、それが多少の買い得であったか、全然買いかぶりであったか、その辺のことは、あまり深くたずねないがよいと思う。ただともかく、こうして米友がかなり御機嫌よく車上の客となって、名古屋へ乗込んで行く光景を見れば、事の交渉は、双方の折合いで無事に解決したものと見てよろしい。
 ほどなく、米友は車力に頼んで、一袋の煎餅《せんべい》を買い求め、それを檻の中の子熊に与えることで、我を忘れるの境に入りました。
 そうして行くうちに、この子熊に対する愛着が、ようやく深くなってゆくことは是非もないらしい。
 木曾街道では、獣皮屋《けがわや》の店頭に飾ってあった大熊に見惚《みと》れて、そうして道庵を取逃してしまったことがある。
 この動物を見ているうちに、米友が次第次第に吸い込まれて、憐愍《れんびん》から愛着、愛着から同化、ついに自他の区別を忘却するまでに至るのは、一つは、この獣と関聯して、どうしても無二の愛友であったムク犬のことを、思い出さずにはいられないからです。
「ムクはいい犬だったなあ、いい犬だよ、あんないい犬は、天下に二つとはありゃあしねえ、今はどこにどうしていやがるか」
といって、思わず頭をあげて嘯《うそぶ》いたけれども、眼はやっぱり子熊から離れないのです。
「こいつは、ムクの子かも知れねえ」
 米友になじみつつ、煎餅をかじる子熊の姿を見ると、米友がたまらなくなりました。光るものが一筋、米友の眼尻から糸を引いて来るようです。
 売られて行くんだな、香具師《やし》のところへ……そう思うと、昔の自分たちのことが、身にツマされてきました。お君、ムクもろともに、自分たちは、やはり興行師の手にかかって苦労した覚えがある。あれは売られたんじゃない、救われたようなものだが、やっぱり苦い味はなめさせられた。こいつも、売られて行く、頑是《がんぜ》なく、今は何も知らねえが、今に泣かされることだろう……と米友は身にツマされてくると、自分たちというものと、ムク犬と、それからこの子熊との間の境がわからなくなり、子熊のために同情したのが、かえって自分の身に火がついたように思い、この子熊の前途の運命を、よくしてやることが、自分の身に降りかかる火の子を払わねばならぬことのように思われ、
「こっちで買うんだ、この熊はよそへはやれねえ……」
と叫びました。

         三十八

 それは当然のなりゆきです。この子熊のために親の敷皮を買ってやった時から、定まったなりゆきでありました。米友の同情は、そこまで導かれねば止まないことは、初めにわかっているのだが、米友は今更のように、こうなった上は徹底的に、子熊の運命を見届けねばならないという自覚で叫びました、
「先生に頼んで買ってもらわあ、おいらが買えなけりゃ先生に頼まあ」
 先生というのは道庵先生のことです。
 熊の皮を買うのは、米友の独力で無難に進んだが、それは子供であるとはいえ、生きている動物一つを買い取るには、自分の懐ろだけにそうは自信が置けなかったのでしょう。
 頼みきったる親分の、道庵先生に頼めば、容易《たやす》く解決するとでも思ったのでしょう。
 そこでホッと一息ついたらしいが、それからそれと起るべき難問題――つまり、生きた熊を買う以上には、この鉄檻を併せて買わねばならぬこと、鉄の檻と熊と併せて買ったからとて、この道中、宿屋で置きっぱなしにするわけにはゆかないし、さりとて、伝手《つて》を求めて江戸へ送り届けて置くということなんぞは理が通らないし、買い取った以上、徹底的にこの動物の運命を見届けて行こうというには、どこまでも旅中を伴って行かねばならないこと、それが犬の子や、猫の子であることか、熊の子では、永《なが》の道中を首へ縄をつけて、引っぱって、歩くことはできないから、勢い、この通りにして、鉄の檻へ入れたまま……そうなると、いかに米友が、怪力なりとはいえ、この鉄の檻を背負ったり、かついだりして、永の旅を行けようはずはないから、どうしても車が一つ必要になる、そうなるとこの大八車をも併せて買収しなければならない。そうなると、熊の子をのせた大八車を引っぱって、京大阪から、金毘羅道中《こんぴらどうちゅう》までしなければならないことに立至るのです。先輩の弥次郎兵衛、喜多八は、京都で梯子《はしご》を一梃売りつけられたのでさえも、あの通り困憊《こんぱい》しきっている。
 それからもう一つ、食物です。犬や猫ならば……よし馬であったからとて、道中の食物には不自由させまいけれど、熊の食物ときては、米友としても当りがつくまい。
 そんな、こんなの一切の葛藤《かっとう》は少しも頭にこんがらからず、米友は、絶対的にこの熊を救わなければならない、自分で買えないにきまっているから、道庵先生に、どんなに迫っても、これを買わせなければ置かぬ、そうして、ムクによって失われている愛着を、この熊の子の身の上の安全と、成長の上にかけて、最後まで見次《みつ》がねばならぬという固い決意は、もはや何物をもっても動かすことができません。
 この時、米友の背後が遽《にわ》かにザワめいて、旗幟《はたのぼり》を押立てた夥《おびただ》しい人数が、街道を練って来るのを認めました。
 まもなく、近づいたのを見ると、それはしかるべき大相撲の一行であります。
 相撲連が、のっしのっしと大道を歩んで行く。その旗のぼりにはおのおのその名前が記されてある。こうしてかおみせのような勢いで、名古屋上りをするものと見えましたが、それに続いて夥しい人数が、後から後からと続いているので、往来が暫く遮断されたようなものです。米友はその夥しい後詰《ごづめ》を見ると、直ちに、これは「折助《おりすけ》だな」と感じました。それにしても、こんな大勢の折助が、まさか、名古屋城攻撃に出かけたわけでもあるまいが、折助もこうたくさんになると一勢力だ。天下の往来を、折助で独占してしまうこともできる。
 見ると、これらの無数の折助連は、横綱、大関をはじめ、取的連のふんどしを、みんなして担いでいることを知りました。
「人のふんどしで相撲をとる気だな」
と、米友は冷笑してみたけれども、その何百千の折助のために、自分の車が動かなくなっていることを、如何《いかん》ともすることができません。

         三十九

 これより先、女興行師の元締お角さんは、お銀様にかしずいて鳴海の宿を先発して、熱田の宮に参詣を試みたところです。
 お角さんは、神社仏閣をおろそかにしてはならないことをよく心得ています。街道に於ていずれの神社仏閣にも丹念に礼拝をこらさないということはありませんが、ここの熱田の宮へ来ても同様、長いこと崇敬を捧げておりました。
 だが、お角さんのは、お稲荷様へするのも、笠森様へするのも、熱田のお宮へ参拝するのも、いつも同じことな熱心と、仕方ですから、おかしくならずにはおられません。つまりお稲荷様も、穴守様も、熱田の神様も、内容はみな同じことなあらたかさをもつ御神体だから、お粗末にしてはならないという恐懼《きょうく》の心と、それから、水商売の者は神様をうやまって、縁喜《えんぎ》を祝わねばならぬということが、因襲的な信仰になっているらしい。
 そこで、丹念に祈祷をこらしてしまえば、もう神社仏閣の形体には、何の興味も、必要も感じないらしいのです。
 ところが、お銀様は、その尊敬と、礼拝とは、ほとんど、問題にしないで、その形体ばかりをあさって歩きたがることは、この道中、どこへ行っても変りありません。
 お角が、委細わからずに尊敬をしているのを、お銀様は冷笑しながら、境内《けいだい》めぐりをして、その額堂に注意を払ったり、庭石をながめたり、水屋をのぞいたり、立札を読んだりして歩いて、ついうかうかと奥深く進んで行って、お角を驚かせることも、この道中、たびたびでありましたから、お角さんは、それを気の知れないことだと思います。
 今日も、その例に洩れず、お角が神宮に長いこと拝礼の時間をとっている間に、お銀様はふいと、境内の裏へそれてしまいました。
 今にはじまったことではないから、お角も別段にそれを怪しまず、長いこと丹念に祈祷をこらしてから後に、鳥居側の茶屋へ寄って休んでいました。
 ほどなく、お銀様は、ここを目当てに戻って来るだろうし、今日の目的地の名古屋城下は目と鼻の間だし、ふとめぐりあった米友には、宿元をよく言い置いて来たから、万一先着したからとて、万事心残りはない――と、今日はゆっくりした気持で、鳥居側の茶屋に休んでいました。
 けれども、それにしても、お銀様の行動が気にならないではありません。
 鳴海の宿のこともあるし、いったいあのお嬢様は、なんであんなにひとりで、出歩きをなさりたがるのだろうと、不審でたまらないものがあります。
 お角さんには、お銀様の考古癖が全くわからないのです。お銀様もまた、お角さんにその説明の労を取ることを厄介がっているし、また説明しても無駄だと知って、打捨てておくのかも知れません。
「庄公、お前、お嬢様についておいでな、ここは、ほかの神様のより、ずっとお庭が広いから、迷児になるといけないよ」
 おともの庄公に向って、それとなく、お銀様見守りの役を言いつけました。
 そのあとでお角さんは、なんとなく退屈してなりません。
 というのは、この神様が、他の神様よりは広大な構えを持っておりながら、表がかりが、いかにも質素《じみ》なのが、多少お角さんの気を腐らせたのかも知れない。
 奉納物なんぞも飾ってないし、旗幟なんぞも見えないし、鳥居の数も少ないし、同じ海道でも、豊川様やなんぞと違って、派手な気分のないのが、お角さんと肌が合わないようです。
「姉さん、ここの神様は、何の御信心に利《き》くの……」
と、茶屋の小娘に向って問いかけて、小娘を挨拶に困らせました。

         四十

 お角さんは、信心をするのは、神様を大切にすることには相違ないけれども、同時に、御利益《ごりやく》をも授けていただくためのものだと解釈していますから、その神様神様には、おのおの持分があって、あの神様を信心すれば、いざり[#「いざり」に傍点]によいとか、ここの薬師様は眼病に利くとか、あの聖天様《しょうてんさま》は勝負事にいいとかいったような、御利益の持場は日頃から、よく心得ていたものですから、「姉さん、ここの神様は何の御信心に利くの……」とたずねたのは、つまり、ここの温泉は何病によろしいかとたずねるのと、同じ御利益本位のたずね方でありました。
 質問を受けた茶屋の小娘は、よく呑込めないで、一時は挨拶に困ったけれど、
「御神門でござんすか。御神門ならば、南の方が海蔵門と申しまして、東が春敲門《しゅんこうもん》……」
 これが、またお角さんには呑込めませんでした。
 呑込めないながら、呑込み顔に聞いてみねばならぬ仕儀は小娘と同じことで、おたがいに要点を逸して、それで要領を得たようなつもりでいるところへ、ドカドカと熱田の宮の鳥居前から下乗橋が、たちまち人でいっぱいになりました。
 それは相撲取《すもうとり》です。大相撲、中相撲、取的、呼出しの類《たぐい》が、見るまに鳥居前にいっぱいに群がって来ました。
 それに前後して、年寄、行司といったようなかおぶれが周旋している。
「ははあ、これはあの、遠州見附の相撲のくずれなんだろう」
とお角さんは、早くもその方へ気を取られて、御信心の説明を聞くことは空《から》になっていると、これらの相撲連は、やがてこの茶屋に流れ込んで来たものですから、茶屋の中は相撲取の洪水で、せっかくの小娘も、信心の説明を中止して、その取持ちに走りました。
 かなり広い茶屋は、相撲取でいっぱいになってしまいました。
 さりとて、ここに待合わせているはずのお角さんは、今ここを立つわけにはゆきません。また、お角さんとしても、何も相撲取が来たからって、驚くがものはないじゃないか、憚《はばか》りながら、こちら様が先客なんだから、席を譲ってやる引け目なんぞは、ちっともありはしないのだから、泰然自若として、輪を吹いていましたが、何をいうにも小山のような奴等が、あたり近所いっぱいに立て込んでしまったものですから、お角一人はその中に陥没してしまって、形に於て、その存在を認められなくなったのは癪《しゃく》です。
 自然、店の者たちも、お角さんの方を一向に閑却してしまったのも、悪意あってではありません。
 お角さんとしても、そんなことを気にするような女ではないのですから、相撲の肉屏風《にくびょうぶ》の中に、ほほえみながら、相変らず煙草を輪に吹いてはいたけれども、前後左右に、煙草の煙の出場所さえないくらいですから、さっぱり器量が上らないようになるのが面白くないのです。
「息がつまりそうだねえ」
といって、どのみち、この奴等に場をふさがれたんでは、ここを出た方がましだ……どこか居所換えをして、待合わせることにでもしようか知らと、煙管《きせる》をたばこ盆にバタバタとはたいた時、
「痛いねえ」
 お角さんが、癇癪《かんしゃく》をピリリとさせたのは、いま立て直そうとする自分の爪先を、一人の相撲取のために、軽く踏みつけられたからです。
 軽く踏まれたといっても、相撲のことだから、相当にこたえたのでしょう、お角さんも、多少面白くないところへ持って来ての痛みだから、少し癇強く、「痛いねえ」が響きました。
「へ、へ、へ」
 ところが、その相撲が、お世辞にもお詫《わ》びの言葉が出ないで、ニヤリと笑ってお角さんを見た、その目つきがグット癪にさわったらしい。

         四十一

「人間が一人いるんだから、お気をつけなさいよ」
とお角さんが言ってやりました。ところが、その相撲は、
「へ、へ、へ」
 相変らず、忌味《いやみ》ったらしい薄笑いで、当然出なければならないお詫びを意味した挨拶が、いっこう出て来ないから、
「何が、へ、へ、へ、だい、大きなずうたいをしやがって、頓馬《とんま》だねえ」
 お角さんが、啖呵《たんか》を切ってやりました。これはこの場合、お角さんとして少し癇が強過ぎたかも知れません。
 そう好んで喧嘩を売りたがるお角さんではないのだが、この時は虫の居所が悪かったのです。
「何、何じゃ……わりゃ、頓馬だと言いおったな」
 相撲取が、急に気色《きしょく》を変えました。
 こいつは、あながち取的ともいえない、勉強さえすれば十両ぐらいにはなれそうな奴だが、田舎廻《いなかまわ》りのために慢心したのか、最初からキザな奴だ。
「言ったよ、頓馬と言ったのが悪かったのかえ、人の足を踏んで、御挨拶の一つもできぬ奴は、頓馬だろうじゃないか」
「わりゃ、天下の力士を知らんか?」
 そこで、物争いに火がつきました。だが、この物争いは火花が散るまでには至りません。
 それは、お角さんの気合いが角力取を呑んでしまったというよりは、天下の力士というものが、こうも多数に集まっていながら、一人の女を手込めにしたという風聞が立っては、外聞にはならないのみならず、人気にも障《さわ》るということに気がつかないわけにはゆかなかったからでしょう。
 女というだけに、そこにどうしても優先権があるようです。しかし、また一方から言えば、天下の力士ともあるべきものが、女一人をもてあましたとあっては、外聞はとにかく、この場の引込みがつかないという事情もあるようです。
 お角さんは、それをせせら笑いながら、手廻りのものを押片附けて、待たしてある駕籠屋《かごや》を呼ぼうとすると、この時、店の一方で遽《にわ》かに、すさまじい物争いが起りました。ほんの一瞬間の言葉|咎《どが》めから争いが突発したものらしく、さすがのお角さんさえ、度胆を抜かれて振返ったくらいです。
 見ると、黒縮緬《くろちりめん》の羽織いかめしい、この相撲取の中でも群を抜いたかっぷく[#「かっぷく」に傍点]と貫禄に見えるのを、これも劣らぬ幕内力士らしい十数名が取りついて、遮二無二、これを茶店の外へ引きずり出そうとしているところです。
 これは下っ端の争いではなく、いずれも幕の錚々《そうそう》たる関取連が、腕力沙汰を突発せしめたのだから、事の態《てい》が、尋常よりはずっと大人げなくも見え、殺気立っても見えます。抜群の関取は必死に争うけれども、衆寡《しゅうか》敵せず、大勢の力士連に引きずられて、ついに鳥居傍まで、地面をズルズル引きずられて行く光景は、物凄《ものすご》いものでした。
 鳥居下まで引き出して、そこで、群がって来た大小上下の相撲連三十余名が、件《くだん》の一人のズバ抜けた関取を、打つ、蹴る、なぐる、文字通りの袋叩きです。
 お角も呆気《あっけ》にとられてしまいました。相撲連の土俵の上の取組みは、商売だから見ていても壮快を感ずるが、この真剣な暴力沙汰、それが力商売の者――しかも、幕内から三役以上と見えるやからが一団となって、うなりを成して飛ぶ本物の肉弾、今までに見たことのない光景、殺気満々たるすさまじさ。
 こちらで罵《ののし》るところを聞いていると、いま袋叩きに会っている大兵の関取は、この一行の東の大関、島川太吉というので、かねて大勢に憎まれている鬱積が、何かの機会でここに爆発し、三十余名の大勢が一つになって、大関一人をメチャメチャに袋叩きという暴行です。

         四十二

 大関島川はこうして、三十余名の関取連のために思う存分の袋叩きを蒙《こうむ》って、ほとんど半死半生で鳥居の傍にぶっ倒され、動くこともできないでいる。
 お角も今まで、いろいろの活劇を見たし、自分も触れもしたけれど、こんな凄まじい騒ぎははじめてです。それは刃物こそ用いないけれども、普通人の十倍二十倍の腕力のあろうという連中の暴行沙汰は、すさまじいことの限りというよりほかは、言いようがありませんでした。
 それにしても、大関とまでなっている者が、こうも大勢の気を揃えて憎まれることもあるまいものだ――それも物凄いことだと思ったが、これは手の出しようも、足の出しようもありません。参詣の人々も同様、すさまじがって、みすみす、震え上っているばかりです。そうして、充分に袋叩きを加えて、もう当人が動けなくなっているのを見すまして、加害者側の力士共が、また茶店へ戻って来ようとする時、一方からまた同様の相撲連が十余名ばかり息せき切って走《は》せつけて来るのです。すわ、また喧嘩の仕返しかと見ていると、そうではなく、新たに飛んで来た一行の頭《かしら》は、若駒という西の大関で、変を聞いて仲裁に来たのだとのこと。
 この新手が、被害者を介抱する、あとかたづけをする――
 騒ぎは大きかったけれど、もともと内輪同士のことであり、斬っつはっつに及んだというわけでもないから、事の落着は存外単純にして、無事に済んだようです。
 そうして、これらの連中、大風の吹き去った後のように、いずれへか引揚げてしまってみると、ひとり取残されたようなお角さん、なんだか狐につままれたように思われないでもない。
 お銀様はまだ戻って来ない。
 迎えにやった庄公も梨の礫《つぶて》です。お角は、ようやく焦《じ》れったがりました。
 そうそうはお嬢様にかまっていられない、子供じゃあるまいし。それに今日は、名古屋で行きつき先がきまっているのだから、やがて庄公が、尋ね出してお連れ申して来るに相違ない、ままよ、これから一足先に名古屋へ伸《の》しちまえ、宿について、ゆっくり待ち構えていた方がいい、たまには、こっちが出し抜いてやるのも薬になる――といったような中ッ腹で、お角は、宮の鳥居前から、名古屋へ向けて、駕籠《かご》を飛ばさせることにきめてしまいました。
 一方――お角の見た眼前の光景は、あの通りすさまじいものでしたけれど、また存外、簡単に、型がついてしまったようなものですが、しかし、このホンの一場の活劇の新聞が、忽《たちま》ちにして、恐ろしい伝播力をもって、加速度に拡がって行ったことは、如何《いかん》ともすることができません。
 熱田の宮の前で、東西の相撲があげて大血闘を起している、死傷者無数、仲裁も、捕手も、手がつけられない、まるで一つの戦争である、なんでも尻押しは、海から軍艦で来た異国人であるそうだ、やがて熱田から名古屋が焼き払われる――この風聞が街道筋を矢のように飛びました。
 これは、あながち、根拠の無いことではありません。現に、あの鳥居|傍《わき》の袋叩きの乱闘を一見したものは、たしかに、それほど大きく吹聴すべき根拠はあったのです。それが輪に輪をかけたというだけのもの。
 町並、街道筋の驚愕と狼狽――ひとたび、浦賀へペルリが来てから以来、日本人の神経は過敏になり過ぎているようです。物の影に怖《お》じたがる癖がついている。影を自分から拡大して、そのまた拡大した影に、自分から酵母を加えて驚きたがる癖が出来たようです。
 熱田の宮前では、今や家財道具のおもなるものを持ち出すの騒ぎになっている。仏壇を背負い、犬猫を蹴飛ばすの混乱になってきました。おりから、このところへ通り合わせた車上に於ける宇治山田の米友と、その車力。
 車力と後押しはこの騒ぎを聞くと逸早く、大八車をおっぽり出して、一目散に逃げてしまいました。

         四十三

 大八車の上に置き残された宇治山田の米友。多くの人の周章狼狽を解《げ》せないことだと思いました。
 熱田の宮の前で喧嘩が始まったということが、忽ちに戦争に変化して、やがて、異国人が押寄せて来た! それ! という叫びで、すべてがあわてふためいて動乱して、我勝ちに走り且つ倒れつつ逃げたのは、甚《はなは》だそのいわれなきことだと思わずにはいられません。
 喧嘩にしても、戦争にしても、鬨《とき》の声一つ聞えないではないか。太刀打ちの音も、矢玉の叫びも、何一つ合戦らしい物の響はせず、もとより火の手も上っていない、狼藉者《ろうぜきもの》及び軍兵らの影も形も、一つも見えないではないか。それだのに、戦争! 異国人が押寄せて来た……
 時代が少し怯《おび》え過ぎているとは米友は知らない。濃尾地方は地震がありがちの地だから、地震に関聯してそれ異国人、朝鮮人と、魂を浮動させるように出来ているのではないか、とも思いました。
 浦賀へ来たペルリは軍艦四艘、人員二千人足らずであったが、江戸へは六百艘八万人と伝わり、京都へは三十万人と伝えられたそうな。彼等の祝砲に驚いて仏壇を背負い出し、彼等が敬礼のために一斉に剣を抜けば、素っ刃抜き[#「素っ刃抜き」に傍点]と思って身構えをし、鉄砲を一組にして砂の上に立てれば、我に油断をさせておいて不意に襲撃するのだと疑い、葡萄酒《ぶどうしゅ》や、麦酒の空壜《あきびん》を海に捨てれば、毒物を流して日本人を鏖殺《おうさつ》するの計画と怖れ、釣床に疲れている水兵を見て異人は惨酷だ、悪事を為したものには相違なかろうが、ああしてつるして置かなくってもよかりそうに、と眉をひそめたり、姿見鏡を見て向うに一人ありと信じ、蝋燭《ろうそく》一梃を貰い受けて、これを分配して家宝にし、多量の水を軍艦に供給してやり、さてこの水をどうして引きあげるかと見ていると、手桶を要求しないで、大きな鉄索を突き出した、こんな大きな鉄索で手桶が縛れるものかと冷笑しているうちに、その鉄索がゴトゴトとして瞬く間に水を艦内に吸い上げてしまったことに仰天して、これ切支丹の魔術なりと叫んだ、といったような驚異と誇張とが至るところ、日本の人心を怯えさせてるようになっているらしい。
 ことに、この熱田明神の御剣には、昔から異国人が思いをかけている。一度|高麗《こうらい》の奴に盗み出されたことがあったが、それは神剣の威光で無事戻って来たという奇蹟もある。異国にはよい刀が無いから、日本の神剣を盗みたがる、戦争が始まれば、必ず海からこの熱田へ黒船が侵入して、真先に神剣を奪いに来るなんぞという浮説が、日頃この辺の人心をそばだて、そこで騒ぎがあると朝鮮人! そこで、仏壇を背負い出す手順になったものらしい。
 米友には、いつまで経っても、それが解《げ》せないのです。よし異国人が押しかけて来たからといって、こっちが負けるときまったわけのものではなし、いったん気を落着けてから、気を揃えてかかるのが本当だと信じているのに、影も形も見ない先に、仏壇を背負い出すことは、全くいわれのないことだと思いました。
 しかしながら、米友が車上にたった一人置去りにされたのみならず、この附近の町内は全く無人の境です。
 どうにも仕様がありません。この分では、こうして長いこと待っていたところで、逃げて行った奴は容易には戻るまい。
 いつまでも、ここにこうしているのも気が利《き》かない。そうかといって、これを打捨てて自分も走るという気にはなれない。やや暫く思案した後、
「ええ、ままよ……そこいらまで引張ってやれ」
 米友は車上から下りて、今まで車上の客となっていた身が、急に車力の地位にかわりました。

         四十四

 米友は、この無人の境をたった一人で、エンヤ、エンヤと、大八車を引っぱって動きはじめました。
 いくら行っても、同様、太刀打ちの音も、矢玉の叫びも、火の手もなにも見えるのではありません。
 いずこに動乱の象《しょう》ありや、異国人の襲来ありや、とんとそれは煙も見えないのです。
 いよいよ解せないことに思いつつ、この無人の境を、米友はなおもエンヤ、エンヤと、車を引いて行きました。
 本来、大八車は代八車で、八人の男によって曳《ひ》かるべきものか、そうでなければ、八人の男の代りに使用せられつつある器具ですから、後世の瀟洒《しょうしゃ》たる荷車よりも、ズッと大柄に出来ていました。それを通常よりは甚だ小柄なる米友が引っぱって行く光景は、かなり可愛らしいものであります。
 だが、車力はついに馳《は》せ戻って来ないのです。この分では、それを期待することは覚束ない。
「ままよ、こうして名古屋まで伸《の》しちまえ」
 米友は大八車を引っぱることを、力に於ては、さして苦としませんから、このまま、ずるずるべったりに、目的地の名古屋城まで、車力に代ってやってもいいと思いました。
 この時、米友の引っぱって行く車の後ろの方から一つ、飛ぶが如くに現われたものがあります。
 今まで、米友以外には無人の境であったこのあたりに、右の一つが、その空気をかき飛ばしつつ進んで来るのは変っていました。前に向って一心に車を引いている米友には、その影もみえないし、おそらくその物音も聞えないに相違ないが、後ろの一つが、かえって前を行く米友の車に、一方ならぬ怪異を覚えたのでしょう。
 この、後ろから飛ぶが如くに現われた一つというのは、女興行師の親方お角さんを乗せた一梃の駕籠《かご》でありました。
 ああして、中ッ腹で鳥居前を出かけたのだが、名古屋まで行くのに、駕籠をそんなに飛ばせなくてもいいはずだが、自分の気が焦《あせ》るのではない、駕籠かきそのものが、この空気に怯《おび》えて、そうして、おのずから早駕籠になってしまうのでしょう。
 駕籠の中で女長兵衛をきめこんでいるお角さんは、やっぱり事の体《てい》を見すましては片腹痛くしつつあるに相違ない。
 喧嘩だ、戦争だ、異国人だ、仏壇を背負い出せということの元のおこりを、一切知り抜いているお角さんには、そのうわっ調子の、薄っぺらの、物影におびえる奴等の胆っ玉のほどが、お気の毒でたまらないのも無理はありません。
 本来ならば、皆さん、そんなに喫驚《びっくり》なさるがものはありませんよ、喧嘩ですよ、喧嘩は喧嘩ですけれど、お相撲さんの喧嘩ですから、少し荒っぽいことは荒っぽいもんでしたが、もう済んでしまったんですよ、驚いちゃいけません、ねえ皆さん――とでも言って、大いになだめにかかるべきところなのですが、前に言ったような虫の居所で、今日は特別に――皆さん、大変ですよ、全く……早くお逃げなさいな、神棚でも、仏壇でも背負えるだけ背負って、猫を踏みつぶさないようにして、早くお逃げなさいよ、異国の船が、たった今三万六千ばい入って来たんですよ、それに毛唐人が五億十万人……全くその通りなんだから、お逃げなさいよ――とでも、大きな声で叫んでやりたいような気持でした。
 そうして、片腹の痛い思いをしながら、やはりこの無人の境に駕籠を飛ばせて行くと、その行手にたった一箇、傍若無人――事実上無人なのですが――に、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と大八車が進んで行くものですから、あっといって、やや心を強くしました。
 やっぱり腰抜けばかりじゃないわ、ああした度胸の据った人もある、車力には惜しい度胸だ、こう思いつつあるお角を乗せた早駕籠が、早くも大八車をすり抜けた途端に、お角は、この悠々閑々たる勇者の面《かお》を見てやりたいと思ってのぞくと、それが見紛うべくもなき宇治山田の米友でしたから、
「おやおや、友さんかエ」

         四十五

 早駕籠をとめさせたお角が、
「友さんじゃないかエ」
「あっ! 親方」
 米友は舌を捲いて、梶棒を控えました。
「友さん、お前、いつ車力になったの」
「ええ、その、ちょっと、都合があるものですから」
「いい御苦労だねえ」
「そういうわけじゃねえんだがね、よんどころなく、つい……」
「そうして、お前、その車を引っぱってどこへ行こうというの」
「名古屋まで行くうちには、車力が追附いて来るだろうと思うんで。そうでなけりゃあ、持主が何とか言うだろう」
「ほんにいい御苦労だよ。それに何だね、ついているのは、穀物に熊の子じゃないの、判じものみたようだ」
「何しろ、親方、車力の奴が、車を置きっぱなしにして逃げちゃったもんだからね、車に乗っかって来たおいらが、車を引くようなことになっちまったんだ」
「おやおや、乗逃げだの、薩摩守だのということはよくあるが、引逃げなんていうのは新しい」
「どうもこれ、打捨《うっちゃ》っても置けねえからね」
「もしお前、車力が戻って来なければ、名古屋までそうして引張って行ってやるつもりかエ」
「どうも仕方がねえ」
「ほんとに、御苦労さまな話だ、まあ、そんなことも功徳になるかも知れない。駕籠屋さん、まあ、ゆっくりやって下さいよ」
とお角が言いました。今まで、自然の勢いで早駕籠のようになっていたのが、これから大八車と押並んで、かなり悠長な足どりをすることを、駕籠屋が余儀なくさせられましたから、
「済まねえね」
と米友が何とつかず詫言《わびごと》を言ったものです。
 かくて駕籠と大八車とが押並んで、駕籠の中のキンキンする姐御《あねご》と、大八車の梶棒にしがみついた精悍《せいかん》なる小冠者とが、そぐわない調子を、つとめて合わせながらの物語。
「友さん、そうしてお前、いったい、その荷物は、名古屋のどこのなんといううちまで引いて行くのだエ」
「あ、どこだか知らねえが……」
「行く先がわからないのかエ」
「所番地はちゃんと聞いておかなかったんだが、その一軒のところはヤシの家だ」
「ヤシ?」
「うむ」
「ヤシって何だろう」
「生き物に芸を仕込んで、見世物にしようというところなんだ」
「ははあ、香具師《やし》かエ……」
「うむ」
「そうして、そのめざす相手の香具師というのは、名古屋の何というところの、何という人?」
「それはわからねえ、ただ、香具師のところへ……香具師に少し、こっちも頼みてえことがあるのでね」
「名古屋も広いね、香具師だって、一人や二人じゃあるまい」
「うむ」
「まあ、いいさ、そのうちには何とか手蔓《てづる》があってわかるだろう、都合によっては、わたしの方で当りがつくかも知れない」
とお角が言いました。
 香具師の連中といえば、興行界の伝手《つて》を以て行けば、存外、たやすく当りがつくかも知れない。その時に米友の頭へ発止《はっし》と来たのは、そうだ、この女軽業の親方は顔がいいし、じゃ[#「じゃ」に傍点]の道は蛇《へび》だ。
 熊の子を、香具師の手から譲り受ける交渉やなんぞには、親分の道庵先生を頼むよりは、この親方のお角さんに渡りをつけてもらうのが、利き目がありはしないかということです。いい事を考えた。

         四十六

 道庵先生も、一時は米友のいないことに気がついて、周章狼狽しましたけれど、忽《たちま》ちケロリとして、今日の日程のことに思い及びました。
 今日は蒲焼町筋《かばやきちょうすじ》の医学館へ招かれて、講演を試みねばならない日だと考えると、こうしてはいられない。
 宿の若衆《わかいしゅ》を呼んで、出発の準備を命じ、自分は鏡に向って容儀を整えてみると、どうも気に入らぬのはこの頭です。
 江戸を出る時は、無論、道庵の慈姑頭《くわいあたま》で出て来たが、信州へ入ってから急に気が強くなって、武者修行に出で立つべく、総髪を撫下《なでさ》げにした間はまだよろしいが、松本へ来て、川中島の農民が、農は国の本なりと喝破したのに感激して、佐倉宗五郎もどきの農民に額を剃り下げてしまったのは、いまさら取返しのならない失策でした。
 木曾の道中は、御岳《おんたけ》おろしが、いかにこの剃下げの顱頂部《ろちょうぶ》にしみ込んで、幾夜、宵寝の夢を寒からしめたことか。
 よって、木曾の産物の獣の皮の一片を買込んで、うまく額のところをごまかし、余れる毛を器用に取結んで、どうやら昔の道庵並みに返り、ちょっと見たところでは、誰が見ても、細工のほどには気がつきません。
 歓迎、招待、日もこれ足らざる名古屋城下にあっては、一切、この仮髪《かつら》で押し通して、誰にも怪しまれることがなく、それに夜分、宿へ帰って寝る時だけが、少々黒ずんだ顱頂部を現わすだけのことです。この分では、道中、相当にかくし了《おお》せて、京都へ着く時分には、地髪で通れるようになるだろう。
 かくて道庵は、八枚肩の駕籠《かご》に乗って、蒲焼町を指して乗込みました。
 今日の会合は、名古屋城下の医者たちを主とし、医学生その他有志の者が、道庵先生のまじめな講演を聞きたいという希望から起ったことで、当日は参考品として、浅井氏が集めた東西の博物館を開くはずですから、それを見物せんがために集まる者も多くありました。
 それが自然、こんど江戸から来たエライ先生、珍しい先生の講演をも聞いて行こうという気になったものですから、さしもに広い講堂は、立錐《りっすい》の余地もないほどの聴衆で埋まるという盛況です。
 この景気を見ると、道庵がまた、すっかり上ってしまいました。自分の説を聴かんがために、これだけの聴衆が集まるということは、自分ながら予想外の人気だと、喜んでしまって、辞することなく演壇に上りました。
 道庵は今まで、かく多数の人の前で、改まって講演ということをした経験はないが、演説は随分やったことがあるのです。その一例として、貧窮組の時などを御覧なさい、お粥《かゆ》の材料をのせた荷車の上で、盛んなる大道演説をやって、貧窮組をやんやと言わせたことがあります。
 そこで演説ということには、先生、なかなか自信があるのです――この時代、多数の人の前に立って、演説をやるというようなことは、非常な新しい頭を持った者でなければできないことでした。
 万延元年(この小説の時代より五六年前)幕府が、新見豊前守を正使とし、村垣淡路守を副使とし、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》を監察として、第一回の遣米使節を派遣した時、コンゲルス(議事堂)を見た「村垣日記」のうちに、
[#ここから1字下げ]
「其中に一人立ちて大音声《だいおんじやう》に罵《ののし》り、手真似《てまね》などして狂人の如し」
[#ここで字下げ終わり]
とある――初めて演説というものと、その周囲の光景とを見た者の眼には、真人間《まにんげん》の仕業とは見えなかったのでしょう。
「演説」という語は、お釈迦様以来の言葉ではあるが、それを実地にとり用いたのは、明治になって、福沢諭吉あたりの意匠に出ているということですが、それを大道に於て、すでにわが道庵先生は、一足お先に試みている。
 今日は、それと違って、極めてまじめなる学術講演であらなければなりません。

         四十七

 そういうわけですから、道庵先生も、この日は極めてまじめな心持で、講演をする用意はしておりました。
 で、最初は、講演者の誰もがするように、無学短才のやつがれが、各位の前に於て、講演することの光栄を謝するとかなんとか、世間並みの謙遜の言葉を、体《てい》よく並べ出したのは、不思議の出来と思われるばかりです。
「そういう次第でございまして、物の数にも足らぬ道庵を、かく心にかけて歓迎くださること恐縮の至りに存じます。本来はからず招かれて参ったとはいえ、この尾張の国というものは、多年、拙者道庵のあこがれの地でございました。生涯に一度は、名古屋の地、尾張の国の土を踏ませていただきたいとの念願が叶いまして、もう道庵も、この世に思い置くことはございません」
と言って、土地ッ子を涙に咽《むせ》ばせた手際なんぞも、鮮かなものでした。
 知っている人がいれば、この辺で、もうハラハラして、居ても立ってもいられない思いをしたのだろうが、この席では、誰もその脱線の危険を感ずるほどに、道庵を知ったものがありません。
 ただ、江戸から来た珍客のエライ先生――という尊敬心が先入となっているのですから、水を打ったような静かさであります。
 こういうふうな神妙な聴衆に接してみると、道庵とても、脱線の虫の出所《でどころ》を失ってしまいます。いやでも、やはり神妙な講演ぶりをつづけなければならないことです。
「申し上げるまでもなく、当尾張の国は東海の中枢に位するのみならず、日本国の英雄の本場でございます。およそ地理に於て、日本に六十余州ありといえども、歴史に於て、二千五百有余年ありといえども、武将として、頼朝、尊氏《たかうじ》、信長、秀吉、家康を除けば、あとは第二流以下であると言ってよろしい。その第一流の五人の武将のうち三人まで、一手に産出しているという国は、尾張の国のほかにあるものではございませぬ」
 これもまた、極めて平明な事実でありましたけれど、尾張の国人《くにびと》として、こう言われてみれば、悪い気持もしないと見えます。平凡ではあるが、辞令としては巧妙といわねばなりません。聴衆はいよいよ神妙に聞き入ってくる。道庵はいよいよ固くなる。
「そこで、拙者は、当国へ足を踏み入れますると共に、まず、すべてのものに御無礼をして、まっ先に、愛知郡中村の里を訪れました。そこは豊太閤及び加藤肥州の生れた故郷とかねて承っておりまするところから、幼少時代よりのあこがれが拙者を導きまして、当国へ足を踏み入れると直ちに、取る物も取り敢《あ》えず、中村へ馳《は》せつけて、そこで、心ばかりの供養を捧げて『英雄祭』の真似事を試みまして、そうして、後にこの名古屋の城下に御見参に参った次第なのでございます。つづいて、信長、頼朝の諸公と遡《さかのぼ》って、心ばかりの回向《えこう》と供養を捧げたいと心がけておりまするうちに、皆様の御好意を以て、数ならぬ道庵に対し、今日も、明日もと、お招き下さる御好意に甘え、ついまだそれを果す機会がございませんが、かく幼少よりあこがれの英雄の本場に来《きた》り、かく皆様の多大なる御好意に浴すること、返す返すも感謝に堪えない次第で、何を以て、この御好意に酬《むく》いんかに、ホトホト迷い切っている次第でございます……つきましては、拙者が当地に於て、ホンの僅かの日子ではございますが、その間に、多少の見聞によって、感じましたことを、私が申し上げて御参考に供したいと存じます。もとより浅見にして寡聞《かぶん》、お腹の立つような申上げようも致すかもしれませんが、これも他山の石として御聴取を願い得れば、光栄の至りでございます」
 ここまで異状なく、道庵が述べて来ました。やはり、聴衆は神妙で、水を打ったような静かさですから、道庵の方でつい持ち切れず、とうとう力負けがしてしまいました。
 実際、道庵の演説には、弥次が出なければ、演説者自身の方で持ち切れなくなるのです。

         四十八

「さあ、いいかね、これから思いきったところをズバズバ言うよ、腹あ立っちゃいけねえよ、良薬は口に苦しといってね、いい医者ほど苦い薬を飲ませるんだぜ。これから、遠慮なく、思ったところをズバズバ言うからね、苦いと思ったら、道庵は、さすがに医者だと思ってくんな――」
 ガラリとこう変ってしまったのには、並みいる神妙な聴衆が、あっ! と、あいた口がふさがりませんでした。
 もうこうなっては、こっちのもので、謙遜や辞令なんぞは、フッ飛んでしまいました。
「いいかね、そんなようなあんばいで、なるほど、この尾張の国は英雄の本場には違えねえが、それはとっくの昔のことで、その後になって、古人に恥じねえほどの英雄がどこから出たえ、出たらお目にかかろうじゃねえか。それのみならず、尾張の国は、それほどの英雄を自分の土地から出しながら、それを尊重する所以《ゆえん》を知らねえ。だから、あとから、あとから、ボンクラが出て来るのは争えねえのさ。嘘だと思うなら、尾張の中村へ行ってごらん、どこに、豊臣太閤という日本一の英雄を生んだ名残《なご》りが残っているんだエ。ああして、草ぽっけにして、抛《ほう》りっぱなしにして置いてさ、他国者のこの道庵風情に――十八文の道庵だよ、この十八文風情にお祭りをしてもらって、それを土地の者が珍しがるという有様じゃ、お話にならねえじゃねえか。そのくれえだから、おめえ、近頃は英雄なんていうやつが、この界隈から薬にしたくも出なくなったんだ。地形は昔に変らないんだよ、山川《さんせん》開けて気象|頓《とみ》に雄大なるこの濃尾の天地は、信長や、秀吉のうまれた時と大して変らねえのに、人間というやつが腑抜けになって、英雄豪傑の種切れだ。たまにおめえ、大塩平八郎だの、細井平洲だのという奴が出て来れば、みんな他国者に取られてしまう。なんと情けねえじゃねえか、ひとごととは思えねえよ」
 こういうまくし方では、半畳を飛ばす隙もなかったと見えます。
 一座があいた口が塞がらずに、道庵の面《かお》ばかりパチクリと見つめている体《てい》は、笑止千万です。
 それを道庵は委細かまわずに、ぶっつづけました。
「英雄豪傑なんぞは、乱世の瘤《こぶ》のようなものだから、そんなものは厄介者で、いらねえと言えばそれまでだが、国に人物が出なければ、その国の精が抜けてしまった証拠なんだぜ。気の毒ながら、尾張の国も精が抜けたね、山川は昔に変らねえが、人間の方は、どうしてそう急に精分が抜けたのか――それにはまた一つの原因がある――」
 この辺へ来て、はじめて道庵も、いくらか平静に返り、昂奮からさめたように、調子もいくぶん穏かになって、歴史を典拠として論じはじめました。
 それは、尾州家は最初のうちは英主が出たが、いけなくなったのは五代|継友《つぐとも》あたりからのこと。それは例の徳川八代将軍の継嗣問題《あとつぎもんだい》で、当然、入って将軍となるべく予想していた尾州家が、紀州の吉宗のためにしてやられ、それから自棄《やけ》となって、折助政治をやり出した、それがいけないということを、道庵は婉曲《えんきょく》に歴史を引いて論じてきました。
 将軍職を紀州に取られてから、継友が自棄となり、放縦となり、幕府に対しての不満が、消極的に事毎に爆発し、ついに幕府は間者を侍妾として送り、継友を刺殺せしめたとの説がある――継友が夭死《わかじに》して、宗春の時になると、吉宗の勤倹政治に反抗するために、あらゆる華奢惰弱の風を奨励した時から、いよいよ精分が抜けてしまった。もう、そうなっては、英雄なんぞは出ろといったって、こんなところへ出て来やしねえ。出て来るものは、女郎屋と、酒場と、踊りと、お祭礼《まつり》と、夜遊びと、乱痴気だけのものだ。
 まあそれでも、本家の徳川にまだ脈があったから、尾張だけが腑抜けになっても、亡びはしなかったがね――もうそれからは、ぬけ殻のようなものさ……
 この辺まで道庵にたわごとを述べさせていた聴衆も、「ぬけ殻のようなものさ」と言われた時に憤然として、もう許せない、という色が現われました。

         四十九

 はじめは神妙に聴き、中頃少し調子が変だなと思いながら、お愛嬌に聞き流していたが、ようやく進むに従って、義理にも、我慢にも、許せない気色を、ここの聴衆が現わしたのは無理もないことです。
 おや、酔ってらっしゃるんだな――と思って見たが、酔っているにしても、容易ならぬ暴言である。名古屋に人間無きかの如くコキ下ろすのはいいとしても、ここの城主、御三家の一なる御代々をとらえて、噛んで吐き出すようなる悪態が口をついて来たものだから、老巧なのが咳払いをしたぐらいでは追附かず、
「こいつは途方もない」
「馬鹿!」
「気狂《きちが》いだっせ――」
 場内ようやく騒然として、掴《つか》みかかる勢いを為したものが現われ出したのは、それはまさに、そうあるべきことで、温厚なる医者と、学生を中心とした席であればこそ、ここまでこらえて来たようなものです。
 道庵の暴言は、まことに容易のならぬものであるが、一方から言えば、司会者の責任でもあるのです。司会者は事重大と見て、あわてて道庵を演壇から引き下ろしにかかりました。つづいて、二人、三人、やがて総立ちとなって、道庵の処分にとりかかったので、風雲が急になって、道庵の身が危ない。
 事態が全く不穏に陥った時、この騒動が、意外な出来事に転嫁されるようになったのは、道庵にとっては全く助け船でありました。
「熊が出た! 熊だ! 危ない! 熊だ!」
という叫喚が聴衆の後ろの方から起って、道庵|膺懲《ようちょう》のために総立ちになった聴衆に裏切りが出たもののように、まずその声のする方からなだれを打ったのは、思いがけない出来事です。
 先を争うて逃げ迷い、わめき叫ぶ有様は、只事ではありません。
「熊だ――」
「熊だナモ――」
 その大混乱を突破して、なるほど、小さくはあるが、まだ子供ではあるが、一頭の熊がこの席へ野放しに闖入《ちんにゅう》して来たことは、疑うべくもありません。
 人間が驚くが故に熊も驚きます。人間がつかまえようとするから、熊は逃げ惑うのでしょう。道庵によって風雲を捲き起したこの席が、熊の子によって蹂躙《じゅうりん》されてしまっています。
 今や、道庵の暴言、失言問題はカッ飛んでしまい、猛獣の闖入は、集まるものの生命問題でした。逃げ迷うものの狼狽は、見るも悲惨の至りです。
 だが、熊としては、人間に危害を加えに来たものでもなく、危害を加えた形跡もありません。
 何かの拍子で、檻を放れたのが、気紛《きまぐ》れにこの席へ姿を現わしたまでのようです。それを人間が狼狽するから、熊もまた狼狽しているものに相違ない。
 熊は、盛んに群衆の中を走っているのは、群衆を追わんがためでなくして、その逃げ口を見出そうとしているものに相違ありません。しかるに人は、それに逃げ口を与えないから、自分の逃げ口も失ってしまい、押し合い、へし合いの混乱で、悲鳴をあげているもののうちには、熊によって害を受けずして、人間によって踏み敷かれつつあるものが多数のようです。
 かくて、熊はさんざんに荒《あば》れ、人はさんざんに蹂躙し合って、名状すべからざる混乱状態を現わしているうちに、道庵の姿も、いつのまにか演壇から没して、逃げたのか、つまみ出されたのか、それとも群衆に踏みつぶされてしまったのか、影も、形も、見えないという有様です。
「騒ぐな、騒ぐな、どうもしやしねえよ、おとなしい熊だよ、みんなが騒ぐから驚くんだ、どうもしやしねえ」
 群衆の後ろにあって、かく呼びかけつつ混乱をなだめんとする声は、まさしく宇治山田の米友の声であります。

         五十

 江戸の方面に於ては、道庵牽制運動のために、安直先生と、金茶金十郎とを特派するために、オール折助連が盛んな送別会を催して、その行を壮《さか》んにすることになりました。
 会場は、湯島の千本屋《せんぼんや》。
 当日の正客は、安直と、金十郎。
 安直先生も、今日は、いつものマアちゃんとは違うぞという気位で、羽織、袴に威儀をただして、相生町《あいおいちょう》の碁所《ごどころ》へでも出かけるような装いに、逆薤《ぎゃくらっきょう》の面《かお》を振り立て、大気取りに気取って正面の席につきました。
 相客の金茶金十郎は、大たぶさに浅黄服――押しも押されもせぬお国侍の粋を現わしたものです。それで、当日の幹事はプロ亀でありました。プロ亀は盛んにお太鼓を叩いて、安直の提灯《ちょうちん》を持ち、安直が武芸十八般にわたり、囲碁将棋の類《たぐい》まで通ぜざるところなく、当代、道庵の右に出でる者は、この安直を措《お》いてほかには無いということを、ことごとく紹介しました。
 斯様《かよう》に讃められても安直は、ぎゃくらっきょう[#「ぎゃくらっきょう」に傍点]をうなだれて、あまり多くの口数を利《き》かずに控えて、あっぱれ折助連の代表だけの貫禄のあるところを見せましたが、金十郎は、おれも負けてはいないぞという気になって、二本差を二本ながら抜いてしまい、これを振り廻して、これが左青眼だとか、右八双だとかいって、型をつかって見せましたから、会衆がみんな大喜びで、
「なるほど、金十郎氏は強い、武術の型を心得ていることでは日本一だ、金十郎氏が、安直先生の傍へ控えていてくれるので、全く心強い」
 そのうちに、無礼講となって、オール折助連の芸尽しです。
 やがて、芸者が出て来て、皿小鉢を叩きはじめました。
 その中でも、老妓の糸助に、皿八というものが、正客の安直と、金十郎の前へ現われ、皿八がドンブリを叩き、糸助が、すががきを弾いて、
「おきんちゃ金十郎、コレきんちゃ金十郎」
と皿八がうたいながら、コンコンカラカラコンコンカラカラと、丼《どんぶり》の音をさせたものだから、さっきからいい気持になっていた金十郎が嬉しくてたまらず、やにわに、すっぱだかになって踊り出しました。
「そうだ、ちげえねえ、そうだ、ちげえねえ」
と言って、座敷の真中へ出て踊り出したものだから、芸者連も乗り気になって、
「やっかいな金十」
と、糸助が三味線を弾きながら唄いました。
 金十郎がそれにのせて、
「そうだ、ちげえねえ、おれはばかだ」
 皿八がどんぶりを叩きながら、
「コリャ金十郎」
 金十郎ひるまず、
「ちげえねえ、まんなかだ、おれは馬鹿だ」
 糸助が、
「どう見ても金十郎、きんちゃ金十郎、チャララン、チャララン、チャララン、チャララン、金十郎のおきんや、景清《かげきよ》にかまった……きんちゃ金十郎、きんちゃ金十郎」
 こうして、興がいよいよ会場に溢《あふ》れてくる間、プロ亀は、二十日鼠のように座敷をかけめぐって取持っている。
 芸尽しがいよいよ酣《たけな》わになる、なかには名古屋|甚句《じんく》も聞える――
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出来たら出来たと言やあせも
こちらもカンコがあるわえのう
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と騒ぎ出したものもある。
 その中にも、安直先生だけはすこぶる自重したもので、キチンと坐った座をくずさず、ぎゃくらっきょう[#「ぎゃくらっきょう」に傍点]の面を燈《あかり》にうつむけながら、嬉しそうな色を見せず、口数もあんまり利《き》かないところは、見上げたものだと思わせました。
「ぎゃくらっきょう」というのは、逆蛍《ぎゃくぼたる》とか、裏天《うらてん》とかいったように、安直の面《かお》が、らっきょうを逆にしたようなところから出た、口の悪い通り名であろうと思われる。
 かくて、安直と、金十郎の行を壮《さか》んにすべき送別の宴は、夜の更くると共に、興が尽くるということを知りません。



底本:「大菩薩峠12」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 七」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…喧嘩を売りたがるお角さんではないのだが、」と「…いつまで経っても、それが解《げ》せないのです。」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第七巻」筑摩書房、1971(昭和46)年2月25日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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