青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
年魚市の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)年魚市《あいち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)水勢|甚《はなは》だ

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2-86-4]
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年魚市《あいち》は今の「愛知」の古名なり、本篇は頼朝、信長、秀吉を起せし尾張国より筆を起せしを以てこの名あり。
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         一

 今日の黄昏《たそがれ》、宇治山田の米友が、一本の木柱《ぼくちゅう》をかついで田疇《でんちゅう》の間をうろついているのを見た人がある。
 その木柱は長さ約二メートル、幅は僅かに五インチに過ぎまいと思われます。
 これを甲州有野村の藤原家の供養追善のために、慢心和尚がかつぎ出した木柱に比べると、大きさに於て比較にならないし、重量に於ても問題にならないものであります。
 本来、米友の気性《きしょう》からいえば、道理と実力が許す限り、他人が七十二貫のものをかつげば、自分もそれをやれないとは言わない男ですが、単に、たれそれが材木をかついだから、お前も材木をかつがねばならぬという、無意味な競争心と、愚劣な模倣のために、焦躁《しょうそう》する男ではありません。
 第一、慢心和尚が、いつなんらの目的で、どれほどの木柱をかつぎだしたか、そんなことを旅中の米友が知っているはずがなし、それに地形そのものが、また大いに趣《おもむき》を異にして、あちらは、四方山に囲まれた甲府盆地の一角であるのに、これは、田野《でんや》遠く開けて、水勢|甚《はなは》だ豊かに、どちらを向いても、さっぱり山というものは見えないようです。
 それは黄昏のことで、多少のもや[#「もや」に傍点]がかかっているとはいえ、どの方面からも、山気《さんき》というものの迫り来る憂いは更にないから、どう考えても、ここ十里四方には、山らしい山というものは無いと思わねばなりません。
 その代り、水の潤沢《じゅんたく》であることは疑いがないらしい。そうかといって、常陸《ひたち》の霞ヶ浦附近や、出雲の宍道湖畔《しんじこはん》のように、水郷といった趣ではないが、大河が四境を圧して、海と持合いに、この平野がのびているという感じは豊かである。
 見渡す限りは、その大河の余流を受けた水田で、水田の間に村があり、森があり、林があり、道路があって、とりとめのない幅の広い感じを与えないでもない。
 米友が件《くだん》の田疇《でんちゅう》の間を、木柱をかつぎながら、うろついて行くと、楊柳の多いところへ来て、道がハッタと途切れて水になる。
 大抵の場合は、それを苦もなく飛び越えて、向う岸に移るが、これは足場が悪い。距離に於ては、躍《おど》って越えるに難無きところでも、辷《すべ》りがけんのんだと思う時は、彼は気を練らして充分な後もどりをする。
 葭《よし》と、蘆《あし》とが行手を遮《さえぎ》る。ちっと方角に迷うた時は、蘆荻《ろてき》の透間《すきま》をさがして、爪立って、そこから前路を見る。出発点は知らないが、到着点の目じるしは、田疇の中の一むらの森の、その森の中でも、群を抜いて高い銀杏《ぎんなん》の樹であるらしい。
 こんなふうに、慣れない田圃道《たんぼみち》を、忍耐と、目測と、迂廻《うかい》とを以て進むものですから、見たところでは、眼と鼻の距離しかないあの森の、銀杏の目じるしまで至りつくには、予想外の時間を費しているものらしい。
 そこでいくら気を練らしても、持って生れた短気の生れつきは、如何《いかん》ともし難いものと見える。
 いったい、正直者はたいてい短気です。短気の者がすべて正直といえるかどうかは知らないが、宇治山田の米友に限って、正直であるが故《ゆえ》に短気だという論理は、彼を知れる限りの者が認めるに相違ない。正直者は、この世に於て、距離と歩数とは常に比例するものだと考えている。距離と歩数とが最も人を欺《あざむ》き易《やす》いのは、山岳と平野とがことに烈しいことを知らない。山岳の遭難者が、ホンの目に見えるところで失敗するように、見通しの利《き》く平野の道に、大きな陥没と曲折があることを、熟練な旅行者は知っている。
 そこで、この世の苦労に徹骨した大人は教えていう、九十里に半ばすと。
 わが宇治山田の米友も、このごろでは、かなり人情の紆余曲折《うよきょくせつ》にも慣れているから、距離と、歩数と、時間との翻弄《ほんろう》にも、かなりの忍耐を以て、ようやくめざすところの森蔭に来た時分には、黄昏《たそがれ》の色が予想よりは一層濃くなっていたことも是非がありません。
 その森は、かなりの面積を持った、だだっ広い森で、中に真黒いのは黒松である。
 柳もあり、梅もあり、銀杏の樹も多い。柿の木なんども少なくないから、森といえば森だが、屋敷といえば屋敷とも見られる。庭園と見れば庭園である。かくてようやく目的地に至りついた米友は、森の闇の中へ二メートルの木柱をかついだなりで、無二無三に進み入りました。

         二

 この森は、物すごい森ではない。とりとめもなく広い水田の間へ、幾|刷毛《はけ》かの毛を生やしたような森ですから、中に山神《さんじん》の祠《ほこら》があって、そこに人身御供《ひとみごくう》の女がうめき苦しんで、岩見重太郎の出動を待っているというような意味の森ではありません。
 面積に於て広いには広いが、やっぱり屋敷跡、あるいは庭園、もしくは公園の一部といったような気分の中の森を、米友は二メートルの木柱をかついで無二無三に進んで行くと、やがてかなりの明るさがパッと行手の森の中に現われて、そこでガヤガヤと人の笑い声、話し声が手に取るように聞え出しました。
 その笑い声、話し声も、うつろの前で、今昔物語の老人が聞いたようなフェアリスチックな笑い声、話し声ではなく、充分の人間味を含んだ笑い声、話し声ですから、すべての光景が行くに従って、森の荒唐味と、幻怪味とを消してしまいます。
「ワハ、ハ、ハ、ハ、ハ、そう来られちゃ、どうもたまらねえ」
 充分人間味を帯びた笑い声、話し声の中で、ひときわ人間味を帯び過ぎた、まやかし声が起ったことによって、幻怪味と、荒唐味は、根柢から覆《くつがえ》されてしまいました。
 今の、その声を聞いてごらんなさい。知っている人は知っている、知らない人は知らない、これぞ十八文の名声天下に轟《とどろ》く(?)道庵先生の謦咳《けいがい》の破裂であることは間違いがありません。
「ナアーンだ、道庵先生、先生、こんなところに来ていやがらあ」
 長者町の子供が、くしゃみをして呆《あき》れ返っているに相違ない。
 見れば、その、だだっ広い森の中、森というよりは屋敷跡とか、庭園とかいう感じを与える森の中の、とある広場を選定して、そこに数十枚の蓆《むしろ》が敷きつめられてあり、その周囲《まわり》に、煌々《こうこう》として幾多の篝火《かがりび》が焚き立てられている。
 その蓆の上へ、嬉々として、お客様気取りに坐り込んでいるのは、この界隈《かいわい》のお河童や、がっそう[#「がっそう」に傍点]や、総角《あげまき》や、かぶろや、涎《よだれ》くりであって、少々遠慮をして、蓆の周囲に立ちながら相好《そうごう》をくずしているのは皆、それらの秀才と淑女の父兄保護者連なのであります。
 さて席の正面を見ると、そこに臨時の祭壇が設けられてある。その祭壇に使用された祭具を見ると、八脚の新しい斎机《さいき》もあり、経机の塗りの剥《は》げたのもあり、御幣立《ごへいたて》が備えられてあるかと見れば、香炉がくすぶっている。田物《たなつもの》、畑物《はたつもの》を供えた器《うつわ》も、神仏混淆《しんぶつこんこう》のチグハグなもので、あたり近所から、借り集めて人寄せに間に合わせるという気分が、豊かに漂うのであります。
 それよりも大切なことは、祭壇があれば、祭主がなければならないことですが、御安心なさい、烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》でいちいの笏《しゃく》を手に取り持った祭主殿が、最初から、あちら向きにひとり坐って神妙に控えてござる――さてまた祭主と祭壇の周囲には当然、それに介添《かいぞえ》、その世話人といったようなものもなければならぬ。それも心配するがものはない。
 村方の古老、新老が都合五名、いずれも平和なほほえみを漂わして、祭主の周囲に、くすぐったそうに坐ってござる。のみならず、形ばかりの袈裟衣《けさごろも》をつけた坊さんが一枚、特志を以てその介添に加わって、何かと世話をやいてござる。
 さて、烏帽子直垂の祭主のみは、恭《うやうや》しく笏を構えて、祭壇に向って黙祷を凝《こ》らしているが、祭壇の彼方《かなた》には、神も、仏も、その祠《ほこら》も、社もおわしまさない。ただ一むら、真竹《まだけ》の竹藪《たけやぶ》があるばかりだ。
 何のことはない、祭主はこの竹藪に向って、供物《くもつ》を捧げ、黙祷を捧げているようなものです。
 列席の秀才や、淑女は、鼻汁をすすりながら、神妙に席をくずさず構えているのは、多分、この祭礼と供養が済みさえすれば、あの捧げものの田《たな》つ物と、畑《はた》つ物と、かぐの木の実とは、公平に分配してもらえるか、或いは自由競争で取るに任せるか、その未来の希望を胸に描いて、それを楽しみにおとなしくしているものらしい。
 ところで、道庵先生は、どうした。さいぜんあれほど人間味を発揮した序破急《じょはきゅう》、あれが道庵先生の声でなくて何である。
 ところがこの一座のどこにも、その先生の姿が見えない――

         三

 さいぜん、米友がこの森の、臨時祭壇に近いところまで来た時分に、この陽気な笑い声、話し声の中から、ひときわ人間味を帯びたわれがねで、「ワ、ハ、ハ、ハ、そう来られちゃ、どうもたまらねえ」とわめかれた声は、聞きあやまるべくもなき道庵先生の声であるのに、その声が、たしかにこの席から突破されて来たものであるのにかかわらず、現場を見れば、その人の影も、形も見えないから、全く狐につままれたようなものです。
 だが、この一席の紳士も淑女も、秀才も頑童《がんどう》も、そんなことを少しも気にかけてはいない。いずれも平和なほほえみをもって、恭しく祭壇に向って黙祷を捧げているところの、烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》の祭主の方のみを気にしていると、この祭主殿が、やがて思いがけなくも、すっくと立ち上りました。立ち上るといきなり、なり[#「なり」に傍点]にもふり[#「ふり」に傍点]にもかまわずに、大きなあくびをしてみたが、そのあくびを半分で切り上げて、言葉せわしく、
「まだ、来ねえかよ、あの野郎は、友様は、鎌倉の右大将はまだ来ねえかね」
と言いました。そこで、はじめて正体が、すっかり曝露《ばくろ》してしまいました。
 この烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》の祭主殿がすなわち、さいぜんから声のみを聞かせて姿を見せず、心ある人に気をもませたこれが道庵先生でありました。
 烏帽子直垂の道庵先生は、こうして立ち上り、向き直って笏《しゃく》を以て群集をさしまねきながら、
「友様は、まだ来ねえかね」
と宣《のたま》わせられました。しかし善良なるこの村の紳士淑女と、秀才と、令嬢とを以て満たされたこの一席は、祭主の調子のざっかけなのと、風采《ふうさい》、挙動の悪ふざけに過ぎたようなのに、嘲笑をこめた喝采を送るような無礼な振舞はあえてしませんでした。
「迎えに行って来て上げましょうか」
 かえって、極めて質朴《しつぼく》にして、好意に満ちた親切を表わしてくれました。
「それには及びませんよ、ありゃ、正直な人間ですからね」
と道庵先生が言いました。
 その時に袈裟衣《けさごろも》の老僧が、やおら立ち上って――その袈裟衣を見ると、これはたしかに日蓮宗に属する寺の坊さんだ。
 祭主の黙祷《もくとう》についで恭《うやうや》しく声明読経《しょうみょうどきょう》に及ぶかと見ると、そうではなく、恥かしそうにバラ緒の下駄を突っかけて、竹藪《たけやぶ》の裏の方へ消えてしまいました。
 さては、この竹藪の裏に仕掛があるのだな。
 最初から、この竹藪が疑問です。竹藪の前に何物もなく、竹藪の中には何物がおわしますとも見えないのに、祭壇ばかりが恭しく飾られて、祭壇そのものにも、なんらの御本尊の象徴は見えていない。いくら道庵先生が、いたずら者だからといって、ことに自分が筍《たけのこ》の部類に属するからといって、縁もゆかりもない土地へ来て、竹藪祭りをするということも、悪ふざけが過ぎます。そうかといってここで見たところでは、竹藪の中には、種も、仕掛も、本尊様らしいものもないようです。
 さて、この辺で道庵先生は、例によって来会の民衆に対し、一場の演説を試むるだろうと期待していると、今日は案外におとなしく、また恭しく坐り直して、祭壇の直前に向い、黙祷をはじめてしまいました。
 そうこうしているところへ、以前の日蓮宗の坊さまが、また問題の竹藪の背後から、ゆらりゆらりと姿を現わしましたが、こんどは両の手に、すりこ木を入れた擂鉢《すりばち》を恭しく捧げて来たものです。
 さても洒落者揃《しゃれものぞろ》い――道庵が藪に向って供養をすれば、この坊さんも負けない気になって、これから味噌をすります――だが、この坊さんは、味噌をするにしては少し年をとり過ぎています。この年になって、味噌をすらねばならぬという悲惨の運命からは、多少とも超越してはいたようです。

         四

 擂粉木《すりこぎ》と擂鉢《すりばち》とを、件《くだん》の日蓮宗派に属するお寺の坊さんが恭しく捧げて、祭壇の前へ安置した時、端坐していた道庵先生が、おもむろにそれに一瞥《いちべつ》をくれて、
「すれましたかな」
「すれました」
 道庵先生は、ちょっと中指を、擂鉢の中へ差し入れてみました。
 汚ないことをする、味噌がすれたか、すれないか、それをここへ持ち出す坊さんも坊さんだが、それへ指先を突込んで、嘗《な》めてみようとする先生も先生です。
「ははあ」
 指先へつけたのを、篝火《かがりび》の火にかざして道庵が、ためつすがめつ眺めていますが、べつだん嘗めてみようとするのではないらしい。
「けっこうすれましたよ」
「よろしうござんすかね、塩梅《あんばい》は」
「まず、このくらいのところならよろしうござんしょう」
 道庵ほどになれば、嘗めてみないでも、眼で見ただけでも、味がわかるのかも知れません。
「にじむようなことは、ごわんすまいか」
「なあに大丈夫ですよ」
「分量は、このくらいあったら足りましょうでがんすかなあ」
「足りますとも、藤原の大足《おおた》りのたりたりで、余るくらいですよ」
「余りますか? そんならひとつ、先生、恐縮でがんすが、その余りでもって、唐紙《とうし》を一枚けえ[#「けえ」に傍点]ていただきてえもんでごわす」
「お安い御用だね、何なりとお望みなさい、こっちは、謙遜するほどの柄で無《ね》えんでげすからね」
と、道庵先生が答えました。
 どうも問答を聞いていると、さっぱり予想と要領が外《はず》れるのに困る。まず、すれましたかな、すれましたの挨拶は無事でしたが、次に、にじむようなことはごわすまいかが、少々オカしくなってくる。にじむ味噌と、にじまない味噌とあるのかしら。
 この辺は、味噌の名所だということだから、ところ変れば品変る方言も無いとはいえまいが、余ったら、それで唐紙を一枚けえ[#「けえ」に傍点]てもらいてえという言い分はどうしてもわからない。
 味噌と唐紙とは、ついてもつかない取合せです。それを易々《やすやす》と請合った道庵先生の返答もいよいよわからないが、なあに、それは最初から、問題のすりばちの中をよく見ておきさえすれば、何のことはなかったのです。
 坊さんは味噌をするべきもの、擂鉢《すりばち》の中には味噌があるべきものと、前提をきめておいてかかったから、こんな行違いが生じたので、坊さんといえども、必ず味噌をするべきものではない。それは多数の坊さんの中には、味噌をする坊さんもあるにはあるが、全体の坊さんが、必ず味噌をするべきわけのものではないという物の道理と、それから擂鉢の中には、味噌を入れる擂鉢もあることはむろんであるが、擂鉢の全体が必ず味噌を入れなければならぬと規定すべきものではない。
 そこの融通が、淡泊にわかっていさえすれば何でもなかったのです――この場合、擂鉢に入れられたのは、味噌ではなくて墨汁でありました。味噌をするべき擂鉢で、臨時に墨をすっただけのことであります。
 それで一部分の事件が判明してきました。この坊さんが自分ですったか、また人にすらせたか、それはわからないが、これだけの墨汁を、ここに提供したのは、祭主たる道庵先生に、この墨でもって何かを書かせようとする予備行為でありました。
 そうでなければ、あらかじめ祭主側からお寺へ頼んでおいて、この墨汁を作らせた予備行為であります。
 それはどちらでもかまいません。墨汁そのものが、誂向《あつらえむ》きに、この場へ出来て来さえすれば滞りはないことでありますが、次の問題は、しからばこの墨汁を、何に向って、何物を書こうの目的に供するかであります。
 余りでもって住職のために、唐紙へけえ[#「けえ」に傍点]てやることは先生の御承諾になっているところだが、余沢《よたく》でない、本目的に向っての擂鉢《すりばち》の墨汁は、果して何に使用するものか――
 時なる哉《かな》、宇治山田の米友が、二メートルの木の香新しい削り立ての木柱を軽々とかついで、この祭の座に姿を現わしたのは――

         五

 米友が距離に誤まられて、意外に時間をつぶしたことの申しわけをしているのを、道庵は空《くう》に聞き流し、それより道庵の揮毫《きごう》がはじまります。
 さいぜん、すり置かれた墨に、新たに筆を浸して、それをただいま、米友が運び来《きた》った二メートルの削り立ての木の香新しい木柱に向って、道庵先生が思案を凝《こ》らしました。
 事態が少しずつ、追々と分明になって参ります。竹藪《たけやぶ》の外にも、中にも、本尊が無いと心配した最初の杞憂《きゆう》もどこへやら、新たにこの木柱に向って、信仰の象徴が掲げられるわけですから、その現わす文字の如何《いかん》によって、今宵の祭典の理由縁起も分明になるわけですから、まあ暫く見ていて下さい。
 件《くだん》の木柱を、祭壇の前の程よきところへ寝かして、道庵はしきりに、文句の吟味と、字配りの寸法に、思案を凝らしているようでありましたが、並《な》みいる連中は、この老先生のお手のうちを拝見しようと息をこらして、固唾《かたず》を呑んでいるばかり。やがて道庵は墨痕あざやかに、すらすらと次の如く認《したた》めました。
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「豊臣太閤誕生之処」
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 この八文字が墨痕あざやかに認められたのを見ても、並みいる連中、うん[#「うん」に傍点]ともすん[#「すん」に傍点]とも言いません。存外やるな! と、その書風に感心の色を現わしたものもなく、また、待ってましたとばかり、ひやかし[#「ひやかし」に傍点]を打込むものもありません。
 さてはこの先生のことだから、何を書き出して人の度胆を抜くか、いやがらせをやるか、とビクビクしていた者もなく、極めて常識的に出来上ったのが物足らないくらいのものです。
 そうしてこんどは側面を返して、それに年月日を書きました。
 これもまた極めて無事であります。
 それから念入りに裏面を返して、そこにまず「施主」の二字を認めて暫《しばら》く休み、次にやや小形の字画で、
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「江戸下谷長者町十八文道庵居士」
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と書き飛ばしたが、誰も驚きませんでした。
 それと押並べて、
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「鎌倉右大将宇治山田守護職米友公」
[#ここで字下げ終わり]
と書きましたけれども、一人として度胆を抜かれたものもなければ、ドッと悪落ちも湧いて起りません。
 天下に、切っても切れない不死身《ふじみ》、洒落《しゃれ》てもこすってもわからない朴念仁《ぼくねんじん》、くすぐっても笑わない唐変木《とうへんぼく》、これらのやからの始末に困るのは、西郷隆盛ばかりではないらしい。
 さすが道庵の悪辣《あくらつ》も、この善良なる、平和の里の紳士淑女に向っては、施す術《すべ》がないようです。ただただ悪辣も、奇巧も、無智と親切という偉大なる力に、ぐんぐん包容されてしまって、件《くだん》の木柱は、敬虔《けいけん》なる態度で、お世話人衆の手によって運ばれ、そうして最初からの問題であった竹藪《たけやぶ》の中に持ち込まれると、そこにもう、あらかじめ、ちゃんとその木柱の根が納まるだけの穴が待っておりました。
 それへ恭《うやうや》しく木柱が立てられると、そこで祭りの庭のすべての体《てい》が整うてきたと共に、今宵の祭典の意義も充分に明瞭になりました。
 すなわち道庵と米友とが、仮りに施主となって、日本第一の英雄、豊臣太閤の誕生地を記念せんがためのお祭でありました。お祭でなければ供養でありましょう。供養でなければ施餓鬼《せがき》かも知れない。
 してみればこの地点こそは、日本一の英雄を産んだところに相違ない。そうだとすれば、他所であるべきはずはない、日本国東海道はいつのおわばり[#「いつのおわばり」に傍点]の、尾張の国愛知の郡、中村――の里。
 木曾でお目にかかった道庵主従、いつか知らず、海道方面へ出て来て、今宵は、ここでこういう催しをすることに相成っている。
 道庵先生が、いかなる動機で、こういう催しをするようになったか、それをよく聞いてみれば、必ずや、なるほどと頷《うなず》かれるに足るべき先生一流の常識的の説明が有り余るに相違ないが、それを聞いていた日には、夜が明けるに相違ない――
 とにかく現実の場合、祭典の体《てい》も整い、意義も分明してきて、さて改めて本格の儀式に及ぼうとする時、疾風暴雨が礫《つぶて》を打つ如く、この厳粛の場面に殺到して来たのは、天なる哉《かな》、命なる哉です。

         六

 疾風暴雨というのは、いよいよ、これから祭典も本格に入ろうとする時に、この場へお手入れがあったことです。
 ここは、尾州名古屋藩の直轄地ですから、お手入れも、たぶんその直轄地からの出張と思われます。今日今宵、この異体の知れぬ風来者によって、一種不可思議なる祭典が、この地に催さるるということを密告する者あってか、或いは最初から、嫌疑をかけてここまで尾行して来たか、そのことは知らないが、かねて林間にあって状態をうかがっていたことは確かです。だが、お手先もまた、この祭典が何のための、何を主体としての祭典だか、一向わからなかったことは、前に述べたと同じことの理由です。
 しかしながら、今や、鮮かに木柱が押立てられてみると、証拠歴然です。
 だいそれたこの風来者は、人もあろうに豊太閤の供養をしようというのだ。
 親類でも、縁者でもあろうはずのない奴が、官憲の諒解《りょうかい》もなく、英雄の供養をしようというのは生意気だ、油断がならぬ、危険思想にきわまったり、者共|捕《と》ったという一言の下に、この場に疾風暴雨が殺到してしまった次第です。
 善良なる村の紳士淑女も、秀才も、涎《よだれ》くりも、木端微塵《こっぱみじん》でありました。周章狼狽《しゅうしょうろうばい》、右往左往に逃げ散ります、蜘蛛《くも》の子を散らすが如く。
 世話人たちは腰を抜かして、弁解の余裕がありません。日蓮宗のお寺に属する坊さんは、驚いて立ち上る途端に、せっかく丹念に擂鉢《すりばち》にすり貯めて、その余汁をもって、道庵先生の揮毫《きごう》を乞わんものをと用意していた墨汁のすりばちを踏み砕いてしまいました。そこで余汁をすっかり身に浴びてしまったのは、見るも無残のことであります。
 しかしながら、それらの災難も、道庵先生の受けた災難に比ぶれば、物の数ではありません。
 主催者であるが故《ゆえ》に、主謀者であり、危険思想家の巨魁《きょかい》と見做《みな》された道庵が、一たまりもなく捕手の手に引っとらえられ、調子を食って横面《よこっつら》を三ツ四ツ張り飛ばされ、両腕をだらりと後ろへ廻されて、身動きのできなくなったのは、ホンの瞬間の出来事でありました。
 祭壇に飾られた、田《たな》つ物、畑《はた》つ物、かぐの木の実は、机、八脚と共に、天地に向って跳躍をはじめました。
 ただ、問題の竹藪《たけやぶ》の中へ押立てられた木柱のみは、後生大事に――これは後日の最も有力な証拠物件となるのですから、汚損のないようにと抜き取られて、有合せの菰《こも》に包まれました。
 ところで、すべての人は逃げちりました。逃げ散ったものはお構いなし、すでにこの呑舟《どんしゅう》の魚であるところの道庵先生を得ているのだから――
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
 道庵は、やみくもに驚いてしまって、
「こいつはたまらねえ、これには驚いた」
と繰返して、ひとりで足をバタバタさせているほかには為さん術《すべ》を知りません。
 ようやくにして、次の言葉だけを歎願することができました。
「どうぞおてやわらかに願《ねげ》えてえものでがんす、借物ですからね、こう見えても、この烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》は、土地の神主様からの借物でげすから――自分のものなら質の値が下ってもかまわねえけれど、借物だから、おてやわらかに願えてえもんでがんす」
 さすがに道庵先生は、江戸ッ子です。この場に及んでも、自己の一身上のための弁疏《べんそ》哀願は後廻しにして、まず借物にいたみのないようにと宥免《ゆうめん》を乞うのを耳にも入れず、
「たわごとを申すな」
と情け容赦もなく捕方は、ポカリと食わせます。
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
 道庵も混乱迷倒してしまいました。
 かかる折柄、米友が居合せなかったことの幸不幸は別として、米友は、さいぜん、木材を持ち来《きた》って一応の使命をおえた後に、程離れた世話人のところまで、風呂をもらいに行き、兼ねて夕飯の御馳走になっている時でした。

         七

 その晩のうちに、極めて無事に、名古屋の城下へ護送されて行く道庵と米友を見ます。
 名古屋の城下といっても、ここからは、僅かに一里余りの道のりですから、別段、トウマルカゴ[#「トウマルカゴ」に傍点]の用意も要らず、有合せの四ツ手|駕籠《かご》の中で、祭典の前祝いの追加が、この時分になって利《き》き出したものか、道庵は護送の身を忘れていい気持になってしまいました。
 いい気持になって、ここではじめて道庵は、護送の役人を相手に、自分たちがこのたびの旅行の目的と、併せて、決して自分たちが危険人物でないということの弁明を試みました。
 その言い分を聞いてみるとこうです――
 上方《かみがた》へ行くについて、東海道筋は先年伊勢詣りの時に歩いたから、今度は中仙道筋を取ってみたこと、中仙道筋を通りながら、どうして、この東海のパリパリ、尾張名古屋の方面へ乗込んで来たかというに、そこにはそこで立派な名分があること。
 それは、東海道でも尾張の国は、中枢の国であって、この国を除《の》けて東海道は意味をなさないのに――東海道、東海道と、いっぱし海道をまたにかけたつもりの旅行者が、大部分は、この尾張の国の中心たる名古屋の地を通過していないこと。
 ことに道庵の日頃尊敬しておかざる(?)ところの先輩、弥次郎兵衛氏、喜多八氏の如きすら、図に乗って日本国の道中はわがもの顔に振舞いながら、金の鯱《しゃちほこ》がある尾張名古屋の土を踏んでいないなんぞは膝栗毛《ひざくりげ》もすさまじいや、という一種の義憤から、木曾道中を、わざわざ道を枉《ま》げてこの尾張名古屋の城下に乗込んで来たのは、単に道庵一個の私事じゃない、江戸ッ子の面目を代表して、かつは先輩、弥次郎兵衛、喜多八が、到るところで恥を曝《さら》しているその雪冤《せつえん》の意味もあるということ。
 単にそれだけではない、この尾張の国という国は、日本国の英雄の一手専売所であるということ。頼朝がここに生れ、信長が生れ、秀吉が生れた――日本の歴史からこの三人を除いてごらんなさい、あとはロクでもねえカスばかりとは言わねえが、日本の英雄の相場はここが天井だね。
 苟《いやしく》も日本国民として、また江戸ッ子の一人として、そういうエライ国の真中へ、一応の御挨拶に行かねえけりゃ、義理人情が欠けるという愛国心で、名古屋へ一旦は入ったけれども、その足で城下は素通りして、真先に、この英雄の中の英雄、豊太閤の生れ故郷というところへ御挨拶に来てみたのだ。
 来て見るとあの通りの有様で、村はあるにはあるが、銀杏《ぎんなん》もあることはあるが、英雄の誕生地というのがどこだか、石塔も無けりゃあ、鳥居も一本立っちゃあいねえ。これでは日本一の英雄に対する礼儀じゃあるめえ――あんまり情けなくなったから、我を忘れて道庵が、自腹を切って記念祭を催し、いささか供養の志を表してみようとしたまでだ。
 あれが無事に済んだら、その次は信長、その次は頼朝と溯《さかのぼ》って、いちいち供養をして行くつもりであったということ。
 聞いてみれば、エライ物好きのようだが、一応筋は立っており、当人も案外学者だと思わしめられるところもあり、そうして道庵の淡々として胸襟《きょうきん》を開いた話しぶりと、城廓を設けぬ交際ぶりに、護送の役人も感心してしまい、これは弥次郎兵衛、喜多八より役者がたしかに上だと思いました。少なくとも一種のキ印には相違ないが、そのキ印は、キチガイのキ[#「キ」に傍点]ではなく、キケン人物のキ[#「キ」に傍点]でもなく、最も愛すべき意味の畸人《きじん》のキ[#「キ」に傍点]であることを、感ぜずにはおられませんでした。
 ただ役人を顰蹙《ひんしゅく》させるのは、この人物が、名古屋城下へ護送されることを物の数ともせず、ことに家老の平岩がどうの、成瀬がこうの、竹腰がああの、鈴木とは親類づきあいだのと、お歴々を取っつかまえて友達扱いにしていることだが、それも、秀吉や、信長を親類扱いにするほどのイカモノだから、こんな奴は早く城下へ連れて行って、体《てい》よく他国へ追放するに限ると思いました。
 かくてこの一行は、まだ宵のうち、無事に再び名古屋の城下へ送り込まれました。

         八

 尾張名古屋の城下へ足を入れたものは、誰もおおよそこの辺に留まって、お城の金の鯱《しゃちほこ》を眺めて行くのが例になっているから、その翌日の早朝に、旅の三人連れの者――うち二人は当世流行の浪士風のもの、他の一人は道中師といったような旅の者が、幅下新馬場《はばしたしんばば》の辻に立っていることも不思議ではありません。
 ただ朝とは言いながら、時刻が少々早過ぎるのと、そのうちの背の高い方の浪士が、あまり近く濠端《ほりばた》に進み過ぎていることと、それともう一つは、道中師風の若い奴が、従者にしてはイヤにやにさがっているのが気になります。濠端に進み過ぎた背の高い浪士が、
「おい、がんりき[#「がんりき」に傍点]、尾張名古屋の金の鯱を今日は思い入れ眺めて行けよ」
 後ろを顧みて、道中師風の若いのにこう言いました。
 その面《かお》を見ると、これはこの土地では初めて見る南条力の面であります。南条があれば、その傍にあるのは、当然五十嵐甲子男でなければならぬ。そうして従者ともつかず、道づれともつかぬ、いやにやにさがった道中師風の若いのは、いま南条の口から呼ばれた通りがんりき[#「がんりき」に傍点]といって、名代のやくざ者。
 ここで、南条、五十嵐と、がんりき[#「がんりき」に傍点]というやくざ者を見ることは、小田原城下以来であります。
 濠端に進み過ぎている傍まで、五十嵐が進み寄って、二人は金の鯱を横目に睨《にら》んで立っている。
 わっしゃあ、お前さん方の従者じゃあありませんよ、といったような面をして、こちらに控えてやにさがっているがんりき[#「がんりき」に傍点]のやくざ野郎は論外として、南条、五十嵐の二人を、こうして城濠のほとりに立たせて見ると、どうしても尋常一様の旅人ではなく、一種不穏の空気が、二人の身辺から浮き上るのを如何《いかん》ともすることができません。
 曾《かつ》て、甲府の城をうかがって、囚《とら》われの身となったのもこの二人でした。
 相州荻野山中《そうしゅうおぎのやまなか》の大久保の陣屋を焼いたのも、この連中だとはいわないが、この二人が、主謀者の中の有力なものとして、濃厚なる嫌疑をかけられても逃れる道はないでしょう。
 単にそれは、ここやかしこに限らず、この二人は、全国的に要害の城という城には特に興味を持っており、城を見ると、何かしら謀叛気《むほんぎ》を湧かさずにはおられないかの如く見える。そうして、現われたところの前二例によって見ても、この二人が睨《にら》んだ城のあとには、多少共に、風雲か、火水かが捲き起らないことのないのを以て例とします。
 だが、このところと荻野山中あたりと同日に見られてはたまらない。七百万石の力を以て築き成された六十万石の金鱗亀尾蓬左柳の尾張名古屋の城が、たかが二人の浪士づれに睨まれたとて、どうなるものか。その辺は深く心配するには足りないが、おりから早暁、あたりに人の通行の無きに乗じ、城を横目に睨み上げて、南条、五十嵐の両名が、高声私語する節々《ふしぶし》を聞いていると、金城湯池《きんじょうとうち》をくつがえすような気焔だけはすさまじい。
「家康が、特にこの名古屋の城に力を入れたのは、何か特別に家康流の深謀遠慮があってのことに相違ない」
「僕は、さほど深謀遠慮あっての取立てとは思わない、単に、清洲《きよす》の城の延長に過ぎないではなかろうかと思う」
「それだけじゃあるまい」
「附会すればいくらでも理窟はつくが、清洲なら清洲で済むのを、あそこは水利が悪い、大水の時には、木曾川が逆流して五条川が溢《あふ》れる、といったような不便から、最寄《もよ》りの地を物色して、ここへ鍬入《くわい》れをしただけの理由だろうと思う、ここでなければならんという要害の地とも思われないね」
「織田信長が生れたところが、この城の本丸か、西丸あたりにあたるというじゃないか。そうしてみると、やっぱり天然に、大将のおるべき地相か何かが存在していたものかも知れない」
「いずれ、名将や、名城が出現するくらいの土地だから、何ぞ佳気葱々《かきそうそう》といったようなものが、鬱勃《うつぼつ》していたのだろう」
「しかし、家康のことだから、ここを卜《ぼく》して新藩を置くからには、やっぱり相当の深謀遠慮というやつがあり、この城地の存在に、特別の使命が課せられていると見るのが至当だ。太閤の大坂城から奪って来た名宝という名宝は、たいてい江戸までは持って行かないで、この尾張名古屋の城に置き残してあるということだ。その辺から見ても、家康の心中には、何か期するところがあったに相違ない。一朝天下が乱れた時に、どんなふうにこの城が物を言うか、それはこうして、金の鯱を眺めていただけではわからない」
「もとより、家康の心事もわからないが、あの時に進んで主力となって、この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ。そこへ行くと福島正則の方が、率直で、透明で……短気ではあるが可愛ゆいところがあって、おれは好きだ」
「うむ、あれは清正が、毒饅頭《どくまんじゅう》を食いながらやった仕事だから、一概に論じてはいけない」
 南条は感慨無量の態《てい》。
 そこで暫く途切れた二人の会話の後ろには、名城取立て当時の歴史と、人物とが、無言のうちに往来する。
 慶長十五年六月二日より事始め。家康の命によって、その第九子義直のために、加賀の前田、筑前の黒田、豊前《ぶぜん》の細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門《ながと》の毛利、阿波《あわ》の蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸《あき》の福島、紀伊の浅野等をはじめとして、肥後の加藤清正に止《とど》めをさし、西国、北国の大名総計六百三十八万七千四百五十八石三斗の力が傾注されているこの尾張名古屋の城。
 なかにも加藤肥後守清正は、父とも、主とも頼みきった同郷の先輩豊太閤歿後の大破局の到来を眼前に見ながら、その遺孤を擁《よう》して、日の出の勢いの徳川の息子のために、自ら進んでその天守閣を一手に引受けて、おのずから諸侯監督の地位に立ちつつ、一世一代の花々しい工事に奉仕したその心事。
 豊臣勢力をして、その犠牲を尽さしめた徳川の城。
 ここに慶応某の月、今や歴史は繰返して、落日の徳川の親藩としてのこの名城の重味やいかに。
 存在の価値の評価は如何《いかん》。
 このほどの、長州征伐の総督の重任を蒙《こうむ》ったのは、この城の城主、尾張大納言徳川慶勝ではないか。
「どうだ、この城を築く時の加藤肥後守の立場と、最近の長州征伐を仰せつけられた尾張殿の立場と、ドコか共通したところはないか」
「そうさ、今の尾張公は、加藤清正ほどの英雄でない代り、まだ、あれほど突きつめた悲壮な境遇にも立っていない。そもそも、長州征伐は、江戸幕府というものから見れば大醜態だが、尾張藩というものから見れば、成功の部だとされている」
「そうさ、第一次の長州征伐に、一兵を損せずして平和の局を結ばしめたのを成功と見れば、それは尾張藩の成功に違いないが、あれが手ぬるいから、第二の長州征伐が持上って、徳川方があの惨憺《さんたん》たる醜態を曝露《ばくろ》したと見れば、最初の成功はマイナスだ」
「だが、ともかくも、最初の長州征伐の成功を、成功として見れば、これは尾張藩の成功に違いない。まして昔の加藤清正のように、敵対勢力のために、悲壮な心で、火中に栗を拾わねばならぬ羽目《はめ》とは違い、宗家のために、兵を用いて功を奏したという面目になるのだ。そうして、第二次の長州征伐の失敗というのも、失敗の原因は、徳川宗家というものの知恵が足りなかった、威力が足りなかったという結果だから、尾州だけを責める者はない。第一次の長州征伐の成功を、尾州の成功として……」
「まあ待ち給え、君は、第一次の長州征伐の成功成功と言いたがるが、あれは尾張藩の功ではないよ、薩摩の西郷が、中に立って斡旋尽力した賜物《たまもの》である。毛利父子を恭順《きょうじゅん》せしめ、三家老の首を挙げて、和平の局を結ばしめたのは、実は薩摩の西郷吉之助があって、その間《かん》に奔走周旋したればこそだ、尾張藩の功というよりも、西郷の功だ」
「うむ、一方には、そう言いたがる奴もあるだろうが、尾張藩のある者から言わせると、西郷などは眼中にない、もとより、和戦の交渉一から十まで尾張藩一箇の働きで、長州の吉川監物《きっかわけんもつ》に三カ条を提示して所決を促したのも、西郷でも何でもない、実は犬山成瀬の家老|八木雕《やぎちょう》であったのだ。近頃は薩摩の風向きがいいものだから、その薩摩を背負って立つ西郷という男が、めきめきと流行児になっているから、なんでもかでも西郷に担《かつ》ぎ込んで、彼をいい子にしてしまいたがるといって、憤慨している者もある」
「つまり、それも一方から見れば、この城に、意気と、人物がないという証拠になる。もしこの城に、会津ほどの気概があり、西郷ほどの人物がいたら、金の鯱《しゃちほこ》がまぶしくって、誰も近寄れない、それこそ天下の脅威だ」
「ところが、この城の金の鯱があんまりまぶしくない。瘠《や》せても、枯れても、徳川親藩第一の尾州家――それが、この城を築くために甘んじて犠牲の奉公をつとめた落日の豊臣家時代の加藤清正ほどの潜勢力を持合せていないことは、尾州藩のためにも、天下のためにも、幸福かも知れないのだ」
「そうさ、頼みになりそうでならない、その点は、表に屈服して、内心怖れられていた、当時の加藤清正あたりの勢力とは、比較になるものではない」
「思えば、頼みになりそうでならぬのは親類共――水戸はあのザマで、最初から徳川にとっては獅子身中《しししんちゅう》の虫といったようなものだし……紀州は、もう初期時代からしばしば宗家に対して謀叛《むほん》が伝えられているし、尾張は骨抜きになっている」
「かりに誰かが、徳川に代って天下を取った日には、ぜひとも、加藤肥後守清正の子孫をたずね出して、この名古屋城をそっくり持たせてやりたい」
 こうして南条と、五十嵐とは、城を睨《にら》みながら談論がはずんで行き、果ては自分たちの手で、天下の諸侯を配置するような口吻《こうふん》を弄《ろう》している時、少しばかり離れて石に腰をおろし、お先煙草で休んでいたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が、思いきった大きなあくび[#「あくび」に傍点]を一つしました。
 そのあくびで、二人の経綸《けいりん》が興をさまし、南条が苦々しい面《かお》に軽蔑を浮べて、こちらを向き直るところを、がんりき[#「がんりき」に傍点]がまた思いきって両手を差し上げて伸びを打ち、
「先生、そんな英雄豪傑のちんぷんかんぷんは、わっしどもにゃあわからねえ。下町の方へおともがしてえもんでございますね、そうして百花《もか》でもなんでもかまわねえから、名古屋女てえやつをひとつ、拝ませてやっていただきたいもんでございます」
 それを聞いて南条が、
「は、は、は、英雄豪傑は貴様にはお歯に合うまい、熱田のおかめか、堀川のモカといったところが分相応だろう」
「え、え、その通りでございます。何でもようござんすから、早くその名古屋女のお尻の太いところをひとつ、たっぷりと見せてやっていただきたいもんでございます」
「まあ、待っていろ、女はあとでイヤというほど見せてやるから、もう少し念入りに、あの金の鯱《しゃちほこ》を見て置け、百」
「金の鯱なんざあ、さっきから、さんざっぱら眺めているんでございます、いやによく光るなあ、と思って眺めているんでございます、つぶしにしてもたいしたもんだろう、と考えながらながめているんでございますが、いくらになったところで、こちとら[#「こちとら」に傍点]の懐ろにへえるんじゃねえとも考えているんでございます、いくら金であろうと、銀であろうと、眺めるだけじゃ、げんなりするだけで、身にも、皮にも、なりっこはありませんからなあ」
「は、は、は、弱音を吹いたな、がんりき[#「がんりき」に傍点]、実はお前をここまで引張って来たのは、我々が英雄豪傑の講釈をして聞かせるためではないのだ、お前に、あの金の鯱を拝ませてやりたいばっかりに連れて来たのだ」
「そりゃ、有難いようなもんでございますが、もう金の鯱も、このくらい拝ませられりゃあ満腹なんでござんすから、そのモカの方をひとつ、見せてやっていただきてえと、こう申し上げるんでございます」
「まだまだ、貴様、そのくらいでは、あの金の鯱が睨《にら》み足りない」
「このうえ睨んだ日には目が眩《くら》んじまいますぜ、あれあの通り、朝日がキラキラとキラつきはじめました、綺麗《きれい》には綺麗だけれど、あんなのは眼のためにはよくありません、毒です」
「なあに、そんなことがあるものか、貴様の眼のためにはいっち[#「いっち」に傍点]よくきく薬だろう、さあ、もう一番、うんと眼を据《す》えて、あの金の鯱を拝め」
「もうたくさんでございますってことよ、眼を据えて見たって、すがめて見たって、あれだけのものじゃございませんか」
「ちぇッ、日頃の口ほどにない、たあいのない奴だ、いったい、がんりき[#「がんりき」に傍点]ともあるべき者が、尾張名古屋の金の鯱を見るのに、そんな眼つきで見るという法はあるまい」
「だって、旦那、こうして見るよりほかには、見ようは無《ね》えじゃありませんか」
「もっと眼をあいて見ろ」
「眼をあけろったって、これよりあけやしませんよ」
「そんなことで見えるものか」
「見えますよ……」
「なあに、そんなことで見えるものか、さあ、こうして頭を真直ぐに、性根《しょうね》を臍《へそ》の上に置いて、もう一ぺん眼を据えて、金の鯱を拝め」
「そんなことをなさらないでも、がんりき[#「がんりき」に傍点]は盲目《めくら》じゃございませんぜ、これでも人並すぐれた眼力《がんりき》を持った百でござんすぜ」
「そのがんりき[#「がんりき」に傍点]を見直せ、あの天守は、下から上まで何層あると思う――」
「そりゃ、下の石畳から数えてみりゃ五重ありますよ、その五重目の屋根のてっぺんに、金の鯱が向き合って並んでいやすよ、南が雌で、北が雄だということでござんす、ああ見えても、雄が少し小《ちい》せえんだと聞きました、そんなことよりほかには、くわしいことはあんまり存じませんね」
「よしよし、それはその辺でいい。それから一つ、引続いてがんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様に少したずねたいことがあるのだ」
「改まって、何でございますか」
「貴様は、それ、柿の木金助のことを詳しく知ってるだろう」
「え、なんですって?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、空《そら》とぼけたような声をして聞き耳を立てながら、草鞋《わらじ》の爪先で、ポンと煙管《きせる》の雁首《がんくび》をたたく。
「柿の木金助の一代記を、お前は詳しく知っているだろうな、がんりき[#「がんりき」に傍点]」
「柿の木金助ですって、そりゃ何でございます、ついお見それ申しましたが」
「知らんのか」
「え、存じません、一向……」
「商売柄に似合わねえ奴だ、貴様は」
 南条にさげすまれて、がんりき[#「がんりき」に傍点]は一層とぼけ、
「そうおっしゃられちまっては一言もございません、何しろがんりき[#「がんりき」に傍点]は、御覧の通りの三下奴《さんしたやっこ》でございまして、先生方のように、字学の方がいけませんから、せっかくのお尋ねにも、お生憎《あいにく》のようなわけでございまして……」
「字学の方じゃないのだ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》といって、貴様なんぞは先刻御承知だろうと思うから、それで尋ねてみたのだ」
「ところがどうも、全く心当りがねえでございますから、お恥かしい次第でございます」
「ほんとうに知らねえのか、のろまな奴だな」
「これは恐れ入りますな、知らずば知らぬでよろしい、のろま[#「のろま」に傍点]は少し手厳しかあございませんか。いったい何でございます、その柿の木てえ奴は……」
 その時に、南条に代って五十嵐甲子男が、いまいましがって、
「ちぇッ、知らざあ言って聞かせてやろう、柿の木金助というのは、あの金の鯱を盗もうとして、凧《たこ》に乗って宙を飛ばした泥棒なんだ」
 そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、
「ははあ……」
と、仔細らしく頤《あご》を二つばかりしゃくり、
「なるほど、なるほど、そんな話も聞きましたねえ、凧に乗って尾張名古屋の金の鯱を盗みに行った奴があるてえ話は、餓鬼《がき》の時分からずいぶん聞いてはいましたが、そいつがその柿の木泥棒という奴でござんしたかい」
「柿の木泥棒と言う奴があるか、柿の木金助だ、貴様にでも聞いたら、少しはわかるかと思ったのだ。あの柿の木金助という奴は、どういう思い立ちで、あの金の鯱《しゃちほこ》を盗もうという気になったのか、またその目的を達するために使用した凧《たこ》というのが、どのくらいの大きさで、どういう仕掛で、どうしてそれに乗り、それを揚げる奴がどうしたとか、こうしたとかいうことを、詳しく知りたいがために、貴様をワザワザここまで連れて来たのだが、こっちに教えられてアワを食うような間抜けじゃあ、話にならん――」
「どうも相済みません、子供の時分から、柿の木から落っこちると中気になる、なんぞとオドかされていたものですから、柿の木の方にあんまりちかよらなかったせいでござんしょう。ですが旦那、その凧に乗ったてえ奴は、作り話じゃございませんかね」
「いいや、まるっきり作り話とは思えないよ、事実、三州からこっちの方へかけては、大きな凧が流行《はや》っているし、岡山の幸吉ゆずりの工夫者もいるという話だからなあ」
「ですけれど、凧に乗って、金の鯱を盗もうなんかと、そいつぁ、ちっと……かけねがあり過ぎやしませんかね」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様には、そんな芸当はできないか。凧に乗らないまでも何とかして、あの金の鯱に食いついてみてえというような了簡《りょうけん》は起らないか。今いう通り見ているだけではいかに金の鯱でも腹はくちく[#「くちく」に傍点]ならねえ、懐ろも温かくはなるまい」
「は、は、は、は」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が遠慮なく、高笑いをしてしまったから、五十嵐甲子男が、
「何がおかしいのだ」
「だって、先生、あれこそ、ほんとうに高根の花でござんすよ」
「貴様には、手が出せないというのか」
「エエ、あればっかりは手が届きませんねえ」
「いよいよ意気地のない奴だ、柿の木金助の爪の垢《あか》でも煎《せん》じて呑むがいい」
「旦那、そりゃ今いう通り、柿の木泥棒のことは作り話ですよ、そりゃあ、柿の木泥棒とかなんとかいう奴があるにはあったんでしょうがね、そいつへ持って行って、誰かが弓張月をくっつけたんですね。そんな作り話を引合いに、がんりき[#「がんりき」に傍点]のねぶみを比較していただいちゃあ、迷惑千万でございますね」
「三田の薩摩屋敷には、慶長元和、太閤伝来の大分銅《だいふんどう》を目にかけて、そいつを手に入れようと江戸城の本丸へ忍びこんだ奴がいる、できてもできなくても、盗人冥利《ぬすっとみょうり》に、そこまで野心を起すところがエライ。貴様なんぞは、金の鯱を拝ませると、見ただけで眼がつぶれただけならいいが、腰まで抜けてしまいやがった」
「けしかけちゃいけません、旦那」
「けしかけたって、抜けた腰が立つ奴でもあるまい、まあ腰抜けついでに、見るだけでももう少し丹念に金の鯱を見ておけ。どうだ、朝日にかがやいて、いよいよ光り出してきたぞ、まぶしいなあ。初雪やこれが塩なら大儲《おおもう》け――という発句《ほっく》を作った奴があるが、あの鯱なんぞは、全部が本物だから大したものじゃないか、がんりき[#「がんりき」に傍点]」
「ほんとうにムクでござんすかねえ。ムクは評判だけで、実はメッキだってえじゃありませんか」
「ばかを言え、南の方の奴は高さが八尺一寸、まわりが六尺五寸、鱗《うろこ》が一枚七寸五分から六寸五分……耳が一尺七寸五分といった調子で、それに準じて、一枚としてムクを使ってないのはない」
「本当にムクなら大したものでござんすが、割ってみなけりゃ何とも言えますまい、金ムクと思って、中からあんこ[#「あんこ」に傍点]が出たりなんぞしちゃあ、あーんのことだ」
「つまらない洒落《しゃれ》を言うな、あれはみんな本物だ」
「どうですかね、あなただって、見本を一枚取寄せて、削って御覧なすったわけでもござんすまい。それにあの通り、金網が張ってあるじゃござりませんか」
「あれは、例の柿の木金助が取りに行くようになってから、あの金網を張ることにしたのだ」
「へん、そうじゃござんすまい、鳩が巣を食ったり、野火の燃えさしをくわえて来たりなんぞするものですから、火事をでかすとあぶないから、そこであの金網を張ったんだと、こちとらは聞いておりましたよ。まあ、何と先生たちがおっしゃいましても、がんりき[#「がんりき」に傍点]はやりませんよ、はい、腰ぬけとおさげすみになっても、苦しうございません」
「意気地なしめ!」
「へ、へ、へ、その辺は意気地なしで納まっていた方が無事でございますが、納まっていられねえところにがんりき[#「がんりき」に傍点]の持って生れた病というやつがございますから、その方でたんのうを致したいと、こう考えています。金の鯱はもう満腹でございますが、実のところ、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、そのかたかたのほうにはかつえ[#「かつえ」に傍点]きっておりますよ。先生方は先生方で、何ぞというとがんりき[#「がんりき」に傍点]を煽《おだ》ててはダシに使おうとなさるが、がんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]の方はまたがんちゃん[#「がんちゃん」に傍点]の方で、旦那方の御用の裏を行って、いいことをしてみてえという野心があればこそでござんすな。再三申し上げる通り、金の鯱は、こうして目で見ていてさえげんなりしてしまっていますから、どうぞおしまい下さってお慈悲にひとつ、そのかたかたのほうで、がんりき[#「がんりき」に傍点]のお歯に合うところを一つ呼んでいただきたいもんで……実はお恥かしい話ながら、こう見えてもがんりき[#「がんりき」に傍点]は、江戸方面は別と致しまして、京大阪のこってりしたのにいささか食い飽きの形ですが、まだその、名古屋大根の水ッぽいところを、一口も賞翫《しょうがん》したことがねえんでございます、宮重大根《みやしげだいこん》の太った白いところの風味は、また格別だってえ話じゃありませんか。ああ涎《よだれ》が……」
「たわけ者!」
 五十嵐から小突きまわされて、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「へ、へ、へ、旦那方は女の事と言いますてえと、よく、がんりき[#「がんりき」に傍点]を小突き廻したりなんぞなさるが、失礼ながら、旦那方だって聖人様ではござんすまい、昨晩も熱田の宿で聞いていりゃあ、ずいぶん、隅には置けねえお話を手放しでなさりやす……曲亭の文にも、人ノ家婦ニ姦淫《かんいん》スルコト他邦ニモアリトイエドモ、コノ地最モ甚《はなは》ダシ、とあるとか、名古屋ノ女、顔色ハ美ナルモ腰ハ大イニ太シ、とかなんとか、名古屋の女のこってりした風味をそれとなく、がんりき[#「がんりき」に傍点]の前でにおわして下さるなんぞはいけませんよ、お城の金の鯱を見せてけしかけなさるよりも、まだよっぽど罪が深いんでござんすぜ」
 こんなふてくされを言いながら、二度目の目つぶしを用心して、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、素早く身をかわしてしまう。

         九

 この晩、二の丸御殿の長局《ながつぼね》で、奥女中たちがかしましい。
 誰いうとなく、この名古屋城の城内と城下とを通じて、第一等の美人は、さあ、どなたでしょう――今晩ここで、その極《きわ》めをつけてしまおうではありませんか。
 ようござんしょう、至極賛成でございますね。ごらんなさい、雨が降って参りましたよ、あつらえ向きじゃありませんか、雨夜《あまよ》の品さだめ――
 雨は、この時にはじめて降り出したのではありません、前津小林《まえつこばやし》の方から降り出して来て、宵の口から、もう御深井《みふかい》の大堀をぬらしているのです。
 そうですね、いつぞやも御天守の初重《しょじゅう》で、お宿直《とのい》の方々が、その品さだめで鶏《とり》が啼《な》いてしまったそうです。今晩は夜が明けてもかまいませんから、その極《きわ》めをつけておいて、後日このことでは、誰にも口を開かせないようにしようではありませんか。
「賛成、賛成、大賛成ですね」
 そこで、奥女中たちの選挙がはじまる。
 城内と城下とを通じての美しいほうでの第一人者――という名題《なだい》にはなっているが、ここでは、どうしても城下は眼中に置かれません。
 城下の町人のうちでも、それといえば誰も頷《うなず》くほどの者がいくらもあるに相違ないが、ここでは勢い、どうしても城内の、上は家老格から、下は軽輩の家族のみに限られるようになって、選定の標準が偏してくるのは、是非もないことでしょう。
 つまり、最初は、名古屋城の城内はもとより、城下町|外《はず》れに到るまで、家格と、経歴とを論ぜず、美[#「美」に傍点]の一点張りで、普通選挙を行うつもりだったのでしょうが、おのずから眼界の限られている人たちの選挙ですから、城内の、それも自分たちのほとんど身の廻りの範囲にだけしか、取材が及ばないのも、やむを得ないことでしょう。
 権田原《ごんだわら》の奥方は、美人でいらっしゃるには相違ないが、権があり過ぎて親しみがない。村松のお姫様は、行末立派なものにおなりなさるに相違ないが、お年が十五ではねえ――鉄砲頭磯谷矢右衛門殿の女房は、廓《くるわ》にもないという噂《うわさ》ですけれど、少し下品じゃありませんか。お船方の綾居殿はキリリとしておいでなさるが、額つきが横から見るといけませんよ。お旗奉行の御内儀は、お色が黒い。お色の黒いのが悪いとは言わないけれど、浅黒いのにも、とてもイキなのがありますけれど、第一等の標準に置くには、やっぱり、色の白いということを条件に置かなければなりませんわね――そういえば、あの平井殿のお娘御も、小麦肌でいらっしゃる――丸ぼちゃと、瓜実《うりざね》と、どちらを取りましょう。つやつやした髪の毛では、あの塩川の奥様が第一等だそうですけれど、生え際に難がありますわね。若宮八幡の宮司《ぐうじ》の娘さん、とてもすっきりしているそうですが、お侠《きゃん》で、人見知りをしないそうです。大林寺の裏方は、もうちょっと背が高くなければいけません……
「皆さん、無駄だから、そんなついえな評定はもうおやめなさい。美人の相場だって、そう一年や二年に変るものじゃありませんよ。聖人というものは千年に一度、天成の英雄と、美人とやらは、百年に一人か二人――しか生れるものじゃありませんから、相場はきまったものでございますよ」
 最初から、若い者たちの、やかましい品定めを冷淡にあしらって、何とも言わなかった中老の醒《さめ》ヶ井《い》が、はてしのない水かけ論に、我慢のなり難い言葉で、こう言い出しました。
「おや、醒ヶ井様、何をおっしゃいましたか」
「天成の英雄と、美人というものは、百年に一人か二人――しか生れるものじゃありませんから、一年や二年に相場が狂うはずはありませんね、ですから、二と三は皆様の御随意にお選びなさい、一は動かすことはなりませんよ」
「一は動かせないとおっしゃるのですか」
「つまり、名古屋第一等の美人の極めは疾《と》うの昔、五年前に済んでいますからね」
 醒ヶ井の権高い言いがかりと、五年前という言葉が、せっかくの一座の意気込みを、くじいてしまいました。
「それは、どなたでございましたか知ら」
「銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方が、名古屋第一ということに極めがついていますのよ、五年前――ちょうど、こんな夜さりの品定めで、皆さんの評定がそこに定まって、どなたも異存がありませんでした……」
「でも、それは、五年前のお話じゃありませんか……」
と、初霜というのが少しばかり張り合う。醒ヶ井は決して負けてはいない。
「だから、言うじゃありませんか、第一の位は、そう一年や二年に変るものではないと。わたしから言わせると、やっぱり今日でも、銀杏加藤の奥方につづく二と三はありますまいね。でも、それではあんまり興が無いから、仮りに二と三をつづけることにして、お選びなさい」
 そこで、初霜もだまってはいない。
「それはそうかも知れません。ですけれども、それはやっぱり五年前の番附で、あれから新顔が出ないとも限りませんもの。よし出ないにしたところで、銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方様は、もうこの名古屋にはいらっしゃいません」
「おや――あの奥方は名古屋にいらっしゃらない? でも、御良人も、お屋敷も、変りはないのに、江戸への御出府や、一時の道中は、人別《にんべつ》の数には入りませんよ」
「ええ、名古屋にもいらっしゃいません、お江戸へもおいでになっていらっしゃるのではございません」
「では、お亡くなりになったの?」
「いいえ……」
「どうしたというんでしょうねえ」
「ホホホホ、醒《さめ》ヶ井《い》様《さま》、あなたは銀杏加藤の奥方に、それほど御贔屓《ごひいき》でいらっしゃるくせに、そのお行方《ゆくえ》さえ御存じないの……だから、五年前のことは当てにならないと申しました」
 今度は、初霜が逆襲気味で、醒ヶ井の咽喉首《のどくび》を抑えていると、それを機会《しお》にして若いのが、
「五年前のことでは、わたしたちは一向に存じませんもの……」
「わたしは、噂《うわさ》にだけは聞いておりました」
「でも、名古屋にいらっしゃらないのなら、新しく別に選んでも、失礼にはなりますまいか知ら」
 新進がようやく頭をもたげそうにするのを、醒ヶ井は、いっかなきかず、
「いけません、たとえ、どちらにいらっしゃろうとも、あの奥方が生きていらっしゃる以上は、他人に第一の席は、わたしが許しません、この醒ヶ井が許しません」
「皆さん」
 この場合、初霜は新進を代表している形勢であると共に、新進を教育せねばならぬ責めも感じているように、多勢の方へ向き直って、
「醒ヶ井様が、ああ、おっしゃるのも御無理はございません、それは、あなた方のうちにはお聞きにならない方もあるかも知れませんが、銀杏加藤の奥方が、名古屋第一の美人でいらっしゃるということは、醒ヶ井様お一人の御了簡《ごりょうけん》ではございませんからね。かく申すわたしだって、あなた……少しも異存は無いのでございます。男を定めるのは男かも知れませんが、女を知るのは、やっぱり女でなければなりませんからね。いかなる美人でも、十人の女が見て、十人いいというのはありません、ところが、あの奥方ばかりは、女が見て非が打てないのでございます。賞《ほ》めて見ても美しい、嫉《ねた》んで見ても美しい、そこで、もう一般の輿論《よろん》が定まっているんでございますね。ですけれども、繰返して申します通り、それは五年も前に、わたしたちがこしらえた番附面を、もう刷り直してもいい時分ですから――それにあの奥方は、この地にはおすまいになっていらっしゃらないのだし、お年も、もう、たしか四十を越していらっしゃるはずだから……」
「いいえ、年は標準になりませんよ」
 初霜の、充分に斟酌《しんしゃく》のある理解ぶりにも満足しない醒ヶ井は、
「わたしは、四十になっても、五十になっても、本当の美人の美というものは、衰えるものじゃないと思います、年によって盛衰のあるのは、売り物の花だけでしょう、教養の高い美は、いくつになっても衰えは致しません」
「でも、醒ヶ井様は、五年以来、あの奥方の御消息を、御存じないとおっしゃってじゃありませんか」
「それは存じませんけれど、存じておりましても、存じておりませんでも、美しいものは、美しいに相違ございません」
「そうおっしゃれば、それに違いはございませんけれど、それほどまでに御贔屓《ごひいき》をあそばすなら、せめて、あの方のこのごろの御消息ぐらいは御存じになっておいでになっても、罰《ばち》は当りますまいと存じます」
「城下にはいらっしゃらないのですか」
「ええ」
「では、犬山に?」
「いいえ……清洲《きよす》のお屋敷へお引籠《ひきこも》りになってから、もう二年越し、どちらへも、ちょっとも外出はなさらないそうでございます」
といって、それからひとしきり、その五年前に、名古屋一等の美人だという極《きわ》めのついている銀杏加藤の奥方の身の上話になりました。
 前に言った通り、この席には、銀杏加藤の奥方の身の上について、予備知識を持っている若手も多いことでしたから、勢い、それは最初の発端《ほったん》にまで遡《さかのぼ》っての一代記にならないわけにはゆきません。その話すところを聞いていると、この御城下に、加藤家というのは幾つもあり、東加藤だの、西加藤だの、或いは梅の木加藤だの、ゆずり葉加藤だのといって、いくつも加藤家があるけれど、この銀杏加藤は千四五百石の家柄で、知行高《ちぎょうだか》からいえばさほどではないが、家格はなかなか高い方であるとのこと――でもその家柄は、奥方のほうの家格に比べると、遥《はる》かに及ばないということ。
 奥方は名立《なだ》たる美人で、賢明の聞えが高いのに、当主は凡物で、そうして愚図に近いこと――その凡物で、愚図に近い夫を、長い間、面倒を見て来た奥方の賢夫人ぶりに感心せぬ者はなかったということ。そうして十年の間、連添っているうちに、三人の子供を設けた。その三人の子供、男二人、女一人を、もうこれならばというまでに育て上げた時分、夫人は改めて夫の前に出て、
「もうこれで、家の血統のことも心配はなし、わたくしも、妻としての、一応のつとめを、あなたに捧げたつもりでございます、かねてのお約束の通り、ここで、わたくしにお暇《ひま》をいただかせて下さいませ――わたくしを、妻としてでなく、女としての自由をお許し下さいませ、結婚の際の御内約を今日、お許し下さるように」
といって、ようやく加藤家を去ってしまったのは、つい近年のこと。
 銀杏加藤《ぎんなんかとう》の家を去って後に、この奥方は清洲《きよす》へ移って、広大な屋敷の中へ、質素な住居をたて、心利《こころき》いた二三の人を召使って、静かに引籠《ひきこも》っているということ。
 これが、奥方が結婚最初からの約束でもあり、自分の理想でもあったらしく、そこに引籠って、その生活を楽しみ、仏学を究《きわ》め、和歌をたしなむことに、余念がないという。
 主人へは、そのお気に入りの者で、賤《いや》しからぬ召使の女、それは主人が、かねて内々目をかけていた若い娘を推薦して置いて――事実上の円満離縁をテキパキと手際よくかたづけて、この新生活に入ってしまったのです。
 それは上述の如く、結婚以前に、世継《よつぎ》が定まる機会を待って、この事あるべき充分の理解が届いていたから、当主も干渉を試むる余地がなく、かくて理想通りの――形をたれこめて、心を自由にする新生活が得られたわけです。さだめてお淋しいことでしょうという者もあれば、ほんとにお羨《うらや》ましい身分という者もある。
 惜しいという者もあるし、惜しからずという者もある。
 同じ隠退なら、尼寺にでも入りそうなものを、あの水々しさそのままで行いすまされようとなさるのはあぶない。
 銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい。
 名古屋に加藤家も多いけれど、系図面から純粋に、最も由緒の正しい加藤肥後守の後裔《こうえい》は、あの銀杏加藤の奥方、ただいま問題の、名古屋第一のその当人の生家がそれだという評判は、この席の中にも熟してきました。
 その時、急に、何か思い出したように、醒ヶ井が立ち上って、自分の部屋へ取って返したかと思うと、一枚の折本を手に持って、
「皆様、これを御覧下さい、五年前のその時の、これが問題の品定めでございます」
 投げ出された一枚の大判の紙の折本になったのが、少なからず一座の興を集めたのを、初霜が早速受けて、披露にかかりました。
「むむ、これこれ、これを、あなた様がお持ちでしたら、もう少し早くこの場へお出し下さればよいのに」
「ついして、今まで忘れておりました」
 真先に開いて一通りながめ渡した初霜は、改めてそれを新進の者に示し、
「皆様、よく御覧下さいませ、これが五年前の、名古屋美人の本格の品定めでございますよ」
「どうぞ、お見せ下さいまし」
 金魚が餌《えさ》に集まるように、この一枚の番附にすべての興が集まって、自然、当座の批評だの、軽い意味での揚足取りだの、岡焼半分のゴシップだのというものが、遠慮なく飛び出して、選挙のことも、改定のことも閑却され、ここ暫《しばら》く、創作の興味が、旧作の復習に圧倒された形です。
 そうして、この番附面の極印、やはり銀杏加藤の奥方が日下開山《ひのしたかいさん》の地位――その点だけにはすべての姦《かしま》しさを沈黙させ、問題はそれ以下に於て沸騰する。ことに今晩、問題に上ったのは、大抵限られたる範囲の武家屋敷の間にのみ偏重されがちであったのに、この旧番附は、市井郊外までかなり公平に割振られてあることが、よけい、一座に批評の余地を与えたり、知識の範囲を広めたりするものですから、一旦しらけ渡った席を、この一物がまた熱狂的にしてしまいました。
 ここは動かないところでしょうが、これはどうか知ら、あの方をこんなところへ持って来るということはありません、選者のおべっか[#「おべっか」に傍点]でしょう、それにあの方がこんなに下げられていてはおかわいそうよ、このお方わたしは存じ上げません、江戸表においで? え、おなくなりになりましたか、それはそれは――というようなあげつらいから急に声を落して、まあ、春花楼のお鯉がこんなところに――西川の力寿、あれは京者ではありませんか、徳旭の三吉――礼鶴の千代――汚《けが》らわしい、こんな遊女風情が……
 そこで、結着はこれを基礎として、新たに修正し、遊女売女のたぐいは削除して、権威ある新番附を編成しようということに、動議がまとまったらしい。
 その修正委員も、書記長も、指名されたり選挙されたりして、おのおの一方ならぬ意気込みでありました。
 つまり、名古屋は美人の本場であって、ここで推薦された第一は、天下の第一流であり、ここの幕内は、日本国中の幕の内であり得る資格が充分だとの自負心を以て、慎重に査定を加えた上に、今宵、この場限りの品さだめでなく、広く天下に向って公表しても恥かしくないものを作り出そうとの異常なる興味が、一座を昂奮させてしまったものらしい。
 そこで、その夜のうちに、あらましの修正案を、別に一枚の紙に認《したた》めて、旧番附と並べて、それを部屋の長押《なげし》にはり[#「はり」に傍点]つけて置いて、かなりの夜更けに、おのおのが十二分の興を尽して、おのおのの部屋に帰って熟睡の枕につきました。

         十

 その翌朝、これらの連中がようやく起き上って、お化粧にかかろうとする時分に、意外の警報が伝わりました。
「皆様のお部屋には、別に変ったことはございませんか」
 当番の老卒が触れて廻ることが、少なからず朝の空気を動揺させる。
「何でございますか」
「今朝、その、お花畑の様子がどうも変だものですから、それを伝って行って見ますと、埋御門《うずみごもん》の塀の屋根の瓦が少しおかしいと思われました。といって階段《きぎはし》にも、締りにも、中台にも、異常があるのではございませんが、南波止場《みなみはとば》のところの猪牙《ちょき》に動きがあるようですから、引返して、御殿の方と、それからお花畑を通って迎涼閣まで調べて見ましたが、なんとなく怪しいと思われる点がないではありませんが、そうかといって、どこと一つ壊れた箇所は無し、何一つといって紛失したものもありませんが、長局《ながつぼね》の方はいかがですか、何か変った事はございませんでしたか、念のためにひとつお調べ下されたい」
 宿直の老卒から、かく申し入れられて、それではという気になりました。しかし、単に駄目を押すだけのことで、異常があれば、こうして他から念を押されるまでもなく、おのおのの身辺に敏感なはずの奥女中たちが、とうに気のついていないはずはありません。ですから、ただせっかくの調査に対しての申しわけだけに、おのおの、持場持場、自分所有の品々について吟味をしてみたけれども、なんら怪しむべきものを発見しませんでしたから、初霜が代表して、
「御苦労さまでございます、長局の方には、一向に異常がございません。どこといっていたんだところもなければ、誰の一品といって、失せたものもございませんそうで……」
 そこで断言して、ねぎらいかえそうとした時に、末のはしためが一人、後《おく》ればせに、ここへ駈けつけて、
「あの――昨晩、皆様が長押《なげし》へお貼りになった品定めの番附が見えないようでございますが……」
 なるほど、昨晩あれほどの興味を集めた産物、長押へ掲げてあの席の止《とど》めをさし、そうして置いて一同が揃って寝に就いたはず。
 昨晩のうち、あれに手をつけた者がないとすれば、今朝に至って、誰か気を利《き》かして剥《は》がしておいたものか。とにかく、事はたった一枚と二枚の紙のことではあるけれど、この場合、一応の調査を試みないわけにはゆかない事どもです。
 だが、だれかれとたずね廻っても、一向に埒《らち》が明かない。
 誰ひとり、剥がしたという者もない。蔵《しま》って置きました、と名乗って出る者もありません。
 そのうちに、昨晩の面《かお》ぶれは、すっかり集まったが、二枚の紙の行方《ゆくえ》が全く要領を得ないことになると、そこで、一つの疑惑が産み出されてしまいました。
 ことに醒ヶ井側は、このごろヒレがついて、自分に楯《たて》をつきたがる初霜のやからが、何か反感を以てしたことでもあるように取るし、初霜の方はまた、例の醒ヶ井側の意地悪から出たことに違いないと邪推し、両々|甚《はなは》だ気まずい空気が漂って来たが、おたがいになんらの証跡をつかまえているわけではないから、口に出す者はありません。
 番附の紛失が、奥女中同士の中へ、こんな暗雲を捲き起し、深い堀をこしらえようとはしているが、もし、これが仮りに番附の紛失だけにとどまって、長局全体の被害が救われたこととすれば、勿怪《もっけ》の幸いであったと見なければなりません。
 たとえば、化政から天保の頃にはやった、大名高家の大奥や、長局《ながつぼね》を専門にかせいだ鼠小僧といったような白徒《しれもの》があって――昨晩、この長局をおかしたとすれば、それは一枚や二枚の番附ではすむまい。かけがえのない宝を盗まれたり、取返しのつかない負傷をさせたり、お役目向に責任者が続出したり、それやこれやで容易な騒ぎではおさまるまいに、まあ番附の一枚や二枚が、見えたり隠れたりしているうちは、問題とするに足るまい。
 だが、有ったものが無くなったということは気になる。場所柄が長局であるということと、それと、ここでは誰も知った者のあろうはずはないが、昨今、この城下へ姿を現わした、あのイケしゃあしゃあとした、いや味たっぷりの、色男気取りの、向う見ずで、意気地なしの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百というやくざ者の姿を思い浮べてみると、いい気持はしない。場所も場所、時も時、野郎またやったかなと、知っている者は口惜《くや》しがるに違いない。

 果して、その翌日、枇杷島橋《びわじまばし》を渡って西の方へ向いて、何か瓦版《かわらばん》ようの紙をひろげて、見入りながら歩いて行くがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を見る。
「おっと、危《あぶ》ねえ、気をつけておくんなさいよ」
 問屋町の青物市場から来た青物車を避ける途端に、取落したその紙を、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、あわてて拾い上げたのを見ると、何かしらの番附らしい。
 さてこそ、昨夜の長局の紛失は、まさしくこやつの仕業《しわざ》に相違ない。
 だが、こやつとても、あの晩の品定めがあることを、あらかじめ窺《うかが》い知って、あの番附を盗みにわざわざ城内に忍び込んだとは思われない。
 これは何か別の謀叛《むほん》があって、南条、五十嵐あたりに頼まれ、城内へ忍び入って、偶然、かしましい長局の品定めを立聞きしたことから、結局、この方が自分の趣味にかない、委細をすっかり聞取ってしまって、その最後のみやげが、あの長押《なげし》に貼った二枚の番附だけの獲物《えもの》で充分に甘心して出て来たものと思われる。
 そこで、多分、このほかには被害は無いでしょう。ありとすれば、あの番附二枚が、今はいかなる手品の種に使われるかというだけのことです。
 このやくざ者のことだから、この番附をたよりに、名所廻りでもする気になって、番附面の美しい人たちを軒別《のきべつ》に歴訪して、見参《げんざん》に入《い》ってみたいというような野心を起さないとも限らない。
 そこで、今も、青物車に突き当ろうとしたことほど一心に、番附面に見惚《みと》れて歩いて来たのだが、取落して、また拾い上げた途端に、端の折れ返った表を見ると、
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「次第御免」
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と真中に大きく、頭書《とうしょ》には、
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「名古屋|分限《ぶげん》見立角力《みたてずもう》」
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 少し変だと思って、なおよく見ると、
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「大関、内田忠蔵――勧進元、伊藤次郎左衛門」
[#ここで字下げ終わり]
 おやおや、この番附は違う。

         十一

 その夜、山吹御殿の一間に、経机に凭《もた》れて、じっと向いの襖《ふすま》の紋ちらしを見入っている、大丸髷《おおまるまげ》に黒の紋つきを着て、縫模様のある帯をしめた、色のあくまで白い、髪のしたたるほどに濃い、中肉のすらりとした一人の女性――美人には年は無いと言っていいかも知れないが――玄人《くろうと》が見れば、四十を越していると言うでしょう。
 この女性が、見入っている紋ちらしの襖は、古色を帯びた金ぶすまで、その上に、紫で彩られた桔梗《ききょう》、それに朱でたっぷりとまるめられた蛇の目、それが比翼に散らしてあるのが、見渡す限りずっとこの一間を立てきっている。それを朱塗の丸行燈《まるあんどん》が及ぶ限り映して、映し足りないという色を見せているものですから、さながら古城内の評定の間を思わせるような、広さと、わびしさを漂わせている中で、経机の上に置かれた短冊と、筆とが証明するように、この夫人は、歌を思うているものらしい。
 五条川の水の音も静かだし、古城址に啼《な》く梟《ふくろう》の音も遠音に聞えて来るし、木立《こだち》の多い広い屋敷の中の奥まったこの建物の中の夜は、いかさま歌を思うのにふさわしいものらしい。
 右の桔梗と、蛇の目の紋散らしの襖の外で、その時軽く咳《せき》が起る。
 絵のような時代のついたこの御殿の一間に、ただひとり、歌を思うているとばかり思うていると、今の軽い咳。軽いというよりは、病人を暗示するような咳によって見ると、次の座敷に人がいる。
 二三度、軽く咳入って、それから静かな寝返り。どうしても病める者の気配《けはい》としか思えない。
 それだけで、また、ひっそりと元に返ったけれども、歌を思うには、少しさわりになったと見えて、
「伊津丸《いつまる》、寒くはない?」
「いいえ――」
 かすかながら返事がある。それは果して病人である上に、幼い人であるらしい。
 その時、夫人は、脇息《きょうそく》のように肱《ひじ》を置いていた経机へ、正面に向き直りましたから、今まで蔭になっていた床の間の画像が、ありありと見え出してきました。
 床の間には肩衣《かたぎぬ》をした武将の像が一つ、錦襴《きんらん》の表装の中に、颯爽《さっそう》たる英姿を現わしている。
 その肩衣も至って古風で、髪も容《かたち》もおのずから、それに準じているのが、威あって猛《たけ》からずという武将の面影《おもかげ》が、さわやかに現わされているうちに、何としてか抑え難い痛々しさが、画像の上に流れていることを如何《いかん》ともし難いように見える。
 よく見ると、肩衣の武将の定紋《じょうもん》も同じく桔梗になっている。それは誰しも見覚えのありそうな武将の面影ではある。織田信長にしては面長《おもなが》な、太閤秀吉としては大柄な、浅井長政にしては鬚髯《しゅぜん》がいかめし過ぎる。
 そうだ、桔梗の紋が示している通り、それは加藤肥後守清正である。
 世の常の立烏帽子《たてえぼし》の大兜《おおかぶと》に、鎧《よろい》、陣羽織、題目の旗をさして片鎌鎗という道具立てが無いだけに、故実が一層はっきりして、古色が由緒の正しいことを語り、人相に誇張のないところ、これは清正在世の頃、侍臣手島新十郎が写した清正像にしっくりと合致する。
 その画像の前には具足櫃《ぐそくびつ》があって、それと釣合いを取って刀架《かたなかけ》がある。長押《なげし》には鎗《やり》がある。薙刀《なぎなた》がある。床の間から襖にそうて堆《うずたか》く本箱が並んでいる。
 そこで、再び歌を思うことに気分を転じようとつとめる途端、ふと何かの気配を感じて、縁に沿うた連子窓《れんじまど》を見ました。そこに何やらの虫が羽ばたきをしている。その虫の音ではない、別に廊下でミシリという音がしたから――
「誰じゃ」
 手にしかけた筆の軸を置いて咎《とが》めた夫人の声に、凜《りん》とした響きがある。
 同時に、ちらと長押の上を見やったところには、薙刀がある。
「誰じゃ、それへ見えたのは」
 圧《おさ》えて、しごくような咎めに遭って、のっぴきならぬ手答えがあった。
「え、深夜のところをお邪魔を致しまして、まことに相済みませんことでございます」
 いやに、しらちゃけた返事が、何ともいえないいやなすさまじさを与える。
「え、誰じゃ、何しに来ました」
 さすがの夫人も、最初の凜とした声の冴《さ》えを失って、一時は、度を失った狼狽《ろうばい》ぶりも見えたようです。
「御免下さいまし、御免下さいまし」
「おお、そちは曲者《くせもの》な、ちょっともその障子をあけることはなりませぬぞ」
「はい」
「無礼をすると許しませぬぞ、何ぞ用事があらば、それにて申してごらん」
「え、え、別に用事といって上った次第ではございませんが……またこの通り丁寧に御挨拶を申し上げてるんでございますから、決して御無礼なんぞを致すつもりもございません」
「深夜人の住居をおかす、それが無礼でなくて何であります」
「え、それは、その、憚《はばか》りながら、私共の商売だもんでございますから」
「あ、わかりました、そちは金銀が欲しいのだろう、金に困って、盗みに来たものだろう」
「え、左様なわけでもございません、それは時と場合によりましては、ずいぶん、お金が欲しくて、皆様のところへ頂戴に上ることもないではございませんが、今晩、このところへ参上致しましたのは、お金が欲しいためではございません、お金が欲しいくらいならば、この清洲《きよす》へは参りません、柿の木金助ではございませんが、あの名古屋のお城のてっぺんに上って、いただいて参ります」
「憎い奴じゃ、何のたくらみあって、これへ来ました、一刻も早く立去らねば、容赦はしませぬぞ」
 許すまじき気色《けしき》を、障子の外では存外、安く受取って、
「奥様……実のところは、ふとした縁で、銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方様、つまり、この障子の内においでなさるあなた様が、尾張の名古屋の城下では、第一等の美しいお方でいらっしゃるというお噂《うわさ》を伺ったものでございますから、一度お目にかかって置きたいと存じました」
「お黙りなさい!」
 その時、夫人の手にあった薙刀《なぎなた》の刃風《はかぜ》がはやかったか、縁からころげ落ちて、植込へ飛び込んだがんりき[#「がんりき」に傍点]の逃げっぷりがはやかったか、とにかく、一たまりもなく、この色きちがいのやくざ者が敗亡して、消え失せてしまったことは事実です――
 あとでは静かに薙刀の鞘《さや》を拾って納め、再び長押《なげし》へかけ直した夫人の後ろ姿。その落ちついた態度と、背丈のすっきりした形を、鮮かに見ることができました。

         十二

 暫くしてから夫人は、
「伊津丸――もう寝ていますか」
 静かに隔ての襖《ふすま》を開いて見ると、中は薄ら明るい一間、屏風《びょうぶ》が立て廻してある。
「やっぱり、眠っていますね、今の騒ぎも知らないで、そんなによく眠れるのがよいのやら、悪いのやら」
 屏風の外に立って、内をのぞくような心持。
 全く、今のあれほどの突発事件を、一切知らぬほどに眠っていたとすれば、それは、たとえ病人ではあるにしても、それにしても、たよりが無さ過ぎるほど無神経ではある。ほんとにやる瀬ない、たよりない色を、さっと面《おもて》に浮べたが、また思い直したように、
「ねえ伊津丸、このごろ、人の話にきけば、信濃の国の白骨《はっこつ》の温泉というのが、たいそう病に利《き》くそうだから、わたしは、いっそ、お前をその白骨の温泉とやらへ連れて行って、骨が白くなるほど湯につけて上げたら、少しは利くかと思いました。お前その気がありますか。白骨の湯というのは、ずいぶん遠く、険しく、淋しいところにあるそうだけれど、お前さえ行く気なら、わたしも一緒に行かないとは言いません。どうだね、行く気がありますか、その信濃の国の、白骨の湯というのに……」
 眠っていると知りつつ、こんなように口説《くど》いてみたのは、自己安心の気休めを試みてみたのでしょう。ところが、今度は意外にもてごたえがありました。
「お姉様、あなたが、一緒に、いらしって下さるところならば、どこへでも参りますが……」
「おお、お前、目がさめていましたか、そうして、その白骨というところまで行ってみる気になりましたか」
「お姉様の思召《おぼしめ》しなら、どちらへでもお連れ下さい」
「では、お前、白骨へ行きますか」
「はい……」
「といって、すすめたわたしが、お前に素直に同意をされてみると、また二の足を踏みたいような心持。話の上では、どうにでもなるけれど、事実、ほんとうに、病人のお前と、女の身のわたしとが、その白骨まで行くのは、生きながら命がけの旅ではないか知ら、と思われないでもありません」
「御迷惑なことでしょうね……」
「でも、そこへ行ってほんとうに、お前の病気に利《き》き目《め》があるものならば……ずいぶん命がけの旅もしてみましょうけれど、事実ホンの噂《うわさ》だけで、それほどの旅を、仕甲斐《しがい》があることやら、ないことやら……一つ間違えば……いったい、わたしはその白骨という名前からして、気になってなりません」
「ハッコツとは、どういう字を書きますか」
「シラホネと書くのです、白い骨という字だから、ぞっとするではありませんか」
「名は何でもかまいません。それでも、お姉様、あなたがお気が進まないならば、わたしもいやです」
「気が進まないというわけではありません、いっそ、気はハズミ過ぎているくらいですから、すすめてもみたのですが、場所が場所だけに、二の足も踏むのです」
「白骨の湯もいいでしょうけれど、わたしは正直にいえば、お姉様と、肥後の熊本へ行きたいのです」
「熊本へですか」
「ええ」
「だって、熊本には、お前の病気を療治するようなところは、ないじゃありませんか」
「でも、わたしは、尾張の国の名古屋城下で死ぬよりは、肥後の熊本で死にたいのです」
「いいえ、お前はまだ、死ぬということを言ってはなりません、それを思ってもいけないのです、ですから、熊本へはやれません」
「阿蘇の山ふところには、湯の谷だの、栃の木だの、戸下だのという温泉があると聞きました、白骨へ行く代りに、そちらへ行って済むものならば、そちらへ行きたいと思ったばかりです、深くお気にかけなさいますな」
「お前は、熊本が好きですか」
「御先祖の地だということが、どうも、絶えずわたしを引きつけて、どうしても肥後の熊本が、墳墓の地のように思われてなりません」
「御先祖の地は熊本ではない、この尾張の国が、本当に、御先祖の発祥地だという気にはなれませんか」
「どうも、それが……どうしても、そういう気になれないで、熊本が、ほんとに慕わしい故郷の地……というような気ばかりしてならないのです」
「お前までがそれだから、縁があって、縁の無い土地というものは仕方がありません。ほんとうに、よく覚えておいでなさい、加藤という加藤家は多いけれども、清正公の最も正しい血筋を引いたのは、お前だけですよ、お前が亡くなると、加藤清正公の正しい血筋は絶えてしまうのです。そのお前が……お前に加藤家の血統を絶やさないようにと、わたしがどのくらい苦心をしているか、それをお前にわかってもらわなければなりません。加藤清正は、秀吉公の御親類で、まさしくこの尾張が故郷であるのに、あの名古屋の城の天守も、清正公が一期《いちご》の思い出に、一手で築いたものであるのに、その清正公は尾張の土になれないで、肥後の熊本に祀《まつ》られていますけれど、あの名古屋の城の天守を見るたびにわたしは、あれを一手に築いて、徳川の一族に捧げた清正公のお胸の中を思いやると、胸が涙でいっぱいになります。そこで、わたしはどうしても加藤の家の血統はたやしてはならない――という気になっているのです。わたしが今、こうして無事に離縁を取って、行いすましたような暮らしをしているのも、一つはお前を見たいからです、お前の看病をして上げたいからです。どんなにしても、お前の身体《からだ》を丈夫にして、お前のあとを絶やさないようにして、そうして加藤清正の正しい血統の者の眼で、尾張名古屋の城を見返してやりたい。いつか知らず、そんな時が来るような気がしてなりません。清正公が丹精して、一期の思い出に築いて置いたあの名古屋の城は、決して徳川に捧げるためではありませんでした、いつか、わが一族、広くいえば豊臣か加藤か、両家の者……その最も正しい血統の者の手にかえされる時がある、わたしはそのような夢に襲われ通して来ました。それですから、あの名古屋城を見るたびに、主家の本丸とは見ないで、奪われたわが屋敷あとを見るような気がして、いつか知らず取返さねばならぬ、時が来たらば、再びわが手に落ちて来る、というような予感にかられ通して来ました。でも、いくら夢に襲われても、女の身では仕方がありません、縁づいた先に子供は幾人あっても、それが同じように加藤を名乗ってはいても、いずれも血は薄い、この世には、清正公の血を引いた家筋で、お前とわたしより濃いのは無い、その二人が、一人は女で、頼みきった男のお前が病身――わたしのこの残念な気持を察しておくれなら、お前はどうしても丈夫にならなければなりませんよ――お前が丈夫になると共に、お前の血統を絶やしてはなりません。わたしの血ではもう薄いのです、お前のでなければなりません。お前は自分の身体をよくすると共に、どうしても、お前の子孫というものを持たねばならない責任を忘れてはなりませんよ。加藤を名乗るもの、清正公の系図を引くという家柄は多いけれど、お前より正しい者はありません。その正系のお前よりも、傍系の、あるかなきかの系図を言い立てた者が上席にいて、我は顔[#「我は顔」に傍点]をするのを、お前は口惜《くや》しいとは思いませんか。それを口惜しいと思うなら、お前は今いう通り、丈夫な人になって、お前の血統を絶やしてはなりません。たとえどんな不具《かたわ》でも、馬鹿でもよいから、お前の胤《たね》というものに加藤の家をつがせて、尾張名古屋の城を見返すように、この、わたしがついています」

         十三

「久しぶりにお目にかかります、私は弁信でございます。どうぞ皆様、御心配下さいますな、これでも旅には慣れた身でございます、旅に慣れたと申しますよりは、生涯そのものを旅と致しておる身でございます、生れたところはいずことも存じませぬように、終るところのいずれなるやを、想像をだに許されていないわたしの身の上でございます――はい、甲州、有野村の藤原家を尋常に、お暇をいただいて出て参りました、御縁があればまた立帰って、御厄介になると申し残して出て参りました。お銀様のことでございますか。あのお方は泣いておいでになります、あれ以来、毎日泣きつづけておいでになります。あのお方のは、悲しくて泣くのではございませんよ。無論、嬉しくて泣くのではありません。どうして、泣くのです。どうして、今になって泣かねばならないのですか。火事の前後のことは、わたくしがここで申し上げませんでも、皆様、たいてい御推察のことと存じます。あの前後には、お銀様は泣けなかったのです、それから三日目でしたか、あの日からお銀様が泣き出しました。泣き出すと、どうしても止まることができません、わたくしも、それをお止め申すことができません、大河の堰《せき》を切ったように、あの方が泣き出してしまいました。そうしてあれから、焼残りの土蔵の二階に、泣き伏したままでいらっしゃいます。誰もそれを慰めて上げるものがありません、無いのではありません、誰も近寄ることができないのです。わたくしだとて、その通り、あの方の涙を堰《せ》きとめるほどの力は、とうてい持合せがございませんのです。ちょうど、大火の盛んなる時は、いかなる消防の力を以てしましても、手のつけようがないように、あの方の泣き出したそれを慰めようのなんのと、そんな力があるべきはずのものとも思われません――お銀様は、今もあの焼残りの大きな土蔵の中で慟哭《どうこく》していらっしゃいます、号泣しておいでになります。その泣きつづけている声が、国を離れてこうして旅に出ている私の耳に、この通り響き通しなんでございます。あの号泣の声の嗄《か》れ尽す時がいつであるか、それをわたしは知ることができません。あの溢《あふ》れ出ずる涙の川のせき止まる時がいつであるか、それも、わたくしにはわかりません――そこで、わたくしは、泣いているお銀様に、土蔵の下まで行って、黙ってお暇乞《いとまご》いをして出かけて参りましたが、無論、弁信さん、お大切《だいじ》に行っておいでなさいとも、おいでなさるなとも御挨拶はございませんでした――私も、また、どうぞ、この際、あの方に泣くだけ泣かして上げたいと思いまして――あの絶大な号泣を妨げるのはかえって、わたくしの出過ぎである、冒涜《ぼうとく》であるというように感じたものですから、お暇乞いの時も、わざと言葉には一言もそれを現わしませんで、心の中で快くお別れを告げて参りました。快く……ほんとうに今度は快くお別れをして参ったと申しますのが、いつわらざるわたくしの心情でございました。人様がそれほど泣いていらっしゃるのに、それをあとにして快く出て来たなんぞと申し上げますれば、さだめて皆様は、わたくしを憎い奴だとお叱りになることでございましょう。さりながら私は、本気に快く出かけて参りましたことをいつわるわけには参りません――わたくしは、泣けるようになったお銀様の、あの心持を喜ばずにはいられません。無論、あれは喜びの涙でないにはきまっていますけれども、未《いま》だ決して懺悔《ざんげ》の涙でもございません、何とも名状のできない号泣でございます。けれども、泣けるようになったお銀様、そうして泣きたくなった時に、思いきり泣くことを許されているお銀様を、幸福だと信ぜずにはおられません。そこで、私は快くこうして旅路に出て参ったのでございます。そういうわけで、お銀様には親しく御挨拶をしないで出立して参りましたが、御主人伊太夫殿へは、お世話になったお礼を述べて参りました。この錫杖《しゃくじょう》と鈴でございますか――これは、その時の伊太夫殿から餞別《せんべつ》にいただきました。そうしてこれからわたくしはどこへ行く? とおたずねになりますか。はい、もうやがて間近いところの乗鞍ヶ岳の麓《ふもと》の、白骨の温泉まで私は参るその途中なんでございます……
 どうして、また今時分、信濃の国の白骨の温泉なんぞへ行く気になったのか――それは一言でお答えを致すことができます。お雪ちゃんがいるからでございます、あの子がしきりに、わたくしを招くものでございますから――といったところで、手紙を一本もらったわけでもなし、飛脚が届いたというわけでもありませんが、どうも、あのお雪ちゃんが絶えず、わたくしに呼びかけているのが、かわいそうで、気の毒で、たまらない気がするものですから、どうしても行って上げたい気になってしまいました。私の逢って上げたいと思う人は、お雪ちゃんばかりではありません、清澄の茂太郎、あの子にもめぐり逢いたくってたまらないのですが、逢いたくって逢わずにいるうちにも、あの子のは心配はありません、あの子はどこへ行っても人に可愛がられます、人に可愛がられ過ぎるから、人以外の者にかえって親しみを感ずるような子供でございますから、高山深谷、あるいは大海原の只中《ただなか》、あるいは無人の原野の中へ一人で抛《ほう》りっぱなしにして置きましても、心配というものは更にございません。それに比べるとお雪ちゃんはかわいそうです、茂太郎がわたしに逢いたがっている心と、お雪ちゃんがわたしを頼りにする心とは、性質が違うのでございます――私の今の感覚によって想像してみますと、茂太郎は海の方へ出ていますね、多分、房州の故郷の方へ連れ戻されているかも知れません、時々、あちらからあの子の声が聞えます。弁信さん――いま富士山の頭から面《かお》を出したのはお前だろう、なんて――あの子が海岸を馳《は》せめぐって、夕雲の棚曳《たなび》く空の間に、私の面を見出して、飛びついたりなぞしている光景が、私の頭の中へ、絶えずひらめいて参ります。ですから、私はあの子に逢いたければ、甲州から、いっそ相模へ出て、一息に船で渡らせてもらいさえすればよかったのです、必ずあの子に逢えたのです。それにもかかわらず、私は全くそれと別な方向を取って、信濃路へ分け入りました。信濃路も、この奥深い、日本の国の天井といわれるところまで分け入って参りました。道程は決して、滑らかなものとのみは申すことはできませんのでございます。ところもところでございましょう、時も時でございましょう、旅に慣れた身の上、むしろ旅を生涯とする私の身とは覚っておりますけれども、やはり雪の降る日には寒いと感じますことは、皆様も、西行法師も、私も、変ることはございません――里でたずねられました時、白骨まで参ります、と答えましたところが、里の人がわたくしを拝みました。それでは、もしや、あなた様は、伝教大師《でんぎょうだいし》の御再来ではございませんかといって、この弁信を伏し拝んだ光景が、はっきりと私の頭にうつりましたから、私は驚いてしまって、その人の手を取って起き上らせ、勿体《もったい》ない、どうしてわたくし風情《ふぜい》が、古《いにし》えの高僧のお生れかわりだなんて、僭越《せんえつ》も僭越――左様なことをおっしゃられると、私は冥加《みょうが》のほどが怖ろしうございますといって、その人の手を取って、私がその方の前に平伏してしまいました。だが、その方は、どうしても、あなた様は伝教大師の御再来に相違ないといって、わたくしを立てて、御自分が、わたくしの前に跪《ひざまず》いて頭をお上げなさらないのに、私は窮してしまいました――そんなようなわけで、私はこの際の白骨入りは、ほとんど凡人業《ぼんじんわざ》とは見えないほどの冒険と見えたのでございましょう――事実、私は御覧の通りの瘠《や》せ法師で、大きな胆力も無ければ、勇気のほども微塵《みじん》あるのではございません、ただ人生を旅と心得ていることだけを存じておりますものですから、到り尽すところが、すなわち私の浄土と、こう観念を致しておりますものでございますから、旅を旅とは致しません、旅が常住でございます。陸に住む人は、水へ行くとあぶないと子供を叱ります、水に住む人は、陸は怪我をし易《やす》いからといって子供を叱ります、旅を常住とする私が、旅を恐れないのは、死がすなわち人生の旅宿《はたご》だと、こう信じておるからでございます――私風情は取るにたりません――古来、大いなる旅行家は皆、大いなる信仰の人でございました」

         十四

 白骨の温泉では、いたずら者の北原賢次が、例の炉辺閑談《ろへんかんだん》の間で、炉中に木の根を焚いて黍《きび》を煮ながら、一方ではしきりに小鳥いじりをしている。
 見るところ、やや大きな小鳥籠が三つあって、その中に都合十羽ほどの鳥がいます。その鳥はみんな鳩です。
 十羽の鳩を前に置いて、北原賢次は白樺《しらかば》の皮を剥《む》いて、それを薄目に薄目にと削りなしている。賢次は、剛情で、いたずら気分を多分に備えた男だが、器用で、絵心もあり、細工物に味を見せることもある。
 そんなことが、この冬の温泉ごもりには、結構な退屈しのぎになるらしい。小鳥を前にして、しきりに白樺の皮をなめしていると、
「北原さん――」
という覚えの声。
「おや、お雪ちゃんじゃありませんか」
 賢次は白樺をなめしていた手を休めて、全く物珍しそうにこちらをながめ、
「珍しいじゃありませんか」
「お一人ですか、何をなさっていらっしゃるの」
「お雪さん、まあおはいりなさい、いま拙者がしきりに工夫を凝《こ》らして、一代の大発明を完成しようとしているところです」
「お火がありましたら、少し頂戴させていただきとうございます」
「火ですか――」
 北原賢次は今更のように炉中を見ると、よく枯れた木の根が煙を立てずに赤い炎を吐いている。
「有りますとも、この通り。お持ちなさい、いくらでも」
 火箸《ひばし》を取って火を掻《か》き出してやると、お雪は中へはいって来て、
「ほんとにわたしの部屋は変なのです、いくら炭をついでも、立消えばっかりしてしまいますものですから」
「それはいけません、炭が悪いんでしょう、火種ばかりよくっても、炭が悪くっては持ちません」
「炭だって、そう悪い炭じゃないようですけれど、熾《おこ》ったから安心と思っている間に、水をかけたように立消えてしまうんですものね」
「では、炉がいけないのでしょう、下に抜穴があるか、或いは水分がしみ込むように出来ているのかも知れません」
「いいえ、見たところ、異状はありません、それに三階ですから、水の来る心配はないはずです、おおかた、部屋が陰気に出来ているせいなんでしょう」
「陰気――或いはそうかも知れません。陰気といえば、お雪さん、あなたこそ、ちかごろは、めっきり陰気が嵩《こう》じてきました、我々仲間でも、蔭ながら心配しているのは御存じでしょう、以前のような快活になれなければ、せめてもう少し元気におなり下さい」
「有難うございます、自分では、そんなつもりはないのですが、皆さんがそうおっしゃって下さるので、いやになってしまいます」
「あんまり一間にたれこめて、御病人の看病ばかりなさっているからです、たまにはこっちへ出て来て、この剽軽者《ひょうきんもの》の賢次の話相手になって御覧なさい、少しは気も暢《の》びてきますよ」
「それでも、何かと忙しいものですから、つい」
「何が忙しいことがあるものですか、忙しいほどの仕事がおありなさるなら、人にぶっかけておやりなさい、拙者なんぞにも、手伝わせてやって下さって差しつかえはございません」
「どうも、皆さんがお集まりのところへ出るのが、気のせいか、ひけ目に思われるようになりました」
「まあ、お話しなさい、火種はいつでもありますよ、この炉の中の火は、安芸《あき》の厳島《いつくしま》の消えずの火と同じことで、永久に立消えなんぞはしないから」
と言いながら、火箸を取り直そうとする途端、薄目になめした白樺の皮が、螺旋《らせん》を画いたように、ころころとお雪の足許《あしもと》に転がって行きました。
「おや――」
 お雪は蛇にでも覘《ねら》われたように、忽《たちま》ち足を引っこめて、
「何になさるのです、白樺の皮じゃありませんか」
「ええ、ちょっと手ずさみです。いや、手ずさみではありません、これからは一世一代の発明として、実用に供してみようという準備の細工なんですが」
「まあ、鳩をみんなお出しになって、並べてしまいましたね」
「ええ、その鳩のために、この白樺の皮の工夫があるのです」
「何になさいます」
「まあ、おすわりなさい、少しぐらいいいでしょう、ほんとに暫くでしたから、まあお話ししていらっしゃい、お茶をいれて、蕎麦饅頭《そばまんじゅう》を御馳走します」
「どうぞ、おかまい下さいますな」
「まあ、お話しなさい、それに、この大発明について、あなたのお知恵も拝借したいと思っていたところですから」
「わたしに知恵なんてございませんが、当ててみましょうか」
「当てて御覧なさい」
「この鳩に持たせる軽い文箱《ふばこ》を、その白樺の皮でこしらえようとして、苦心していらっしゃるのでしょう」
「図星《ずぼし》!」
 賢次は、わが意を得たりとばかり喜んで、
「お雪ちゃんの頭のいいことは、今に始まったことじゃないが、全く恐れ入ったものです、それに違いないのです、よくそこまで想像が届きましたね」
「なに、頭のいいこともなにもあるものですか、あなたはこのごろ、しょっちゅう、そうおっしゃってじゃありませんか、この三つの籠《かご》のうち、一つは飛騨《ひだ》の平湯行、一つは信州の松本行、一つは尾張の名古屋行だが、これに持たせてやる文箱《ふばこ》が無い、文箱が無くては、鏡山のお初でさえ困るだろうから、ひとつこの鳩に持たせる文箱を工夫してやりたいなんぞと、口癖のようにおっしゃっていらっしゃったではありませんか」
「そうでしたかね、そんなことを口走りましたかね、あんまりのぼせていたものですから、自分では気がつきませんでした」
「そうして、御工夫がつきましたの、その発明とやらが成就《じょうじゅ》なさいましたの」
「成就はしませんが、目鼻は明いたようなものです、御覧なさい……」
 北原賢次は、薄目になめした皮で、小さな目籠のようなものを仕立てたのを、取り上げてお雪の目の前に出し、
「これなら、この平和の使に持たせてやっても荷にはなりますまい。この程度に薄めて、この裏へ通信の文字を認《したた》めるんです、そうしてこうクルクルと捲いて、鳩の風切羽《かぜきりば》か、足のところへそっと結びつけるのですな、そうすれば、紙と違って、雨に逢っても、まず大丈夫だろうと思うんです」
「可愛らしい文箱ですね」
「お使者が可愛らしいから、文箱もそれに準じてね」
「ですけれども、これでは字を認めるところが、あんまり狭いではありませんか」
「その辺が精一杯ですよ、それより広くした日には、使者に持ちきれません」
「これでは、三十六文字ぐらいしか書けませんのね」
「眼鏡をかけて書けば、百字は書けますよ」
「でも、せっかくのたよりに百字ぐらいでは、何にも、言いたいことが言えないじゃありませんか」
「それはお雪ちゃんのような、文章家には、ずいぶん不足でもありましょうが、きんきゅうの用事ですと、百字書ければ大抵の要領は書けますからね」
「ねえ、北原さん」
 お雪は何と思ったか、腰を落着けるようにして、籠の中の鳩を見ながら賢次の方にすりよって――
「北原さん、今わたしも思いついてよ、この鳩と、その文箱を、わたしにも貸して下さらない?」
「ええ、お貸し申しますとも、これだけあるのですからお望み次第です」
「どうぞお貸し下さい、わたしは、この鳩に頼んで上野原まで使に行ってもらいましょう、それともう一箇所は房州まで……」
「そいつはいけません、鳩というやつは、よく使をするにはしますけれども、無条件でどこへでも行くというわけにはいかないのです、ある特定の場所のほかへは、自由に使命を果しに行く能力がありません、そこが畜生の悲しさですね」
「でも人間と違って、羽で行くんですから、どこへでも行けそうなものですのにねえ」
「それが実際そうはいかないので、この籠の分は飛騨《ひだ》の平湯行、こちらのは信州の松本行、それから、これが尾張名古屋、三カ所に限ったものです。その三箇所も無事に行きつき得るかどうか、一応の試験を要しますね。平湯と、松本の分は、これは交通杜絶《こうつうとぜつ》の場合、万一を慮《おもんぱか》って、両方の宿の経営者が交換しておくものですから、この方は間違いありませんが、この尾張名古屋の分は、この秋帰った湯治の客が置きっぱなしにして行ったものですから、もう通信能力がぼけ[#「ぼけ」に傍点]てしまっているかも知れません」
「女は鳩より馬鹿だといいますからね」
「何をおっしゃるんです」
 北原賢次が、呆《あき》れてしまって、お雪ちゃんの面《かお》を見直すと、お雪ちゃんは、
「それでもなんでもかまいませんから、わたしはそれを一つ拝借して、手紙を頼んでやってみましょう」
「それを御承知ならおやすい御用です。では、どちらにしてみますか、飛騨の平湯行に致しますか、それとも信州の松本、あるいは、やや遠く離れて尾張の名古屋」
「ええ、それでは尾張の名古屋行を一つ、お貸し下さいましな」
「よろしい、承知しましたが、しかし、お雪ちゃん、あなたは名古屋に、お知合いがありますか」
「いいえ、少しも知った人はありませんけれど、弁信さんに宛ててみましょう」
「弁信さんというのは?」
「あたしのお友達よ」
「へえ、あなたのお友達の弁信さん――面白《おもしろ》いですね、お雪ちゃんほどの娘さんが、まずたよりをなさろうというのに、故郷《ふるさと》や、親や、兄弟のことをおっしゃらず、まっ先[#「まっ先」に傍点]にお友達のことをおっしゃる。そのお友達こそ、ずいぶんのあやかり者だと思います。しかもそれが女のお友達じゃありませんね、弁信さん――の名が示すところによれば、男の方ですね、男もしかしどうやら俗界とは離れたような呼び名。なんにしても、まっ先に、あなたから呼びかけられる弁信さんは果報です。さだめて綺麗《きれい》なお寺小姓か、若い美僧で、忘れられない、あなたの昔なじみなんでしょう」
「ええ、全く、わたし、世の中に弁信さんほど、よい人は無いと思いますわ」
と、お雪が言い出したものだから、北原賢次が再び度胆《どぎも》をぬかれてしまいました。
「へえ、弁信さんてのは、そんなに、いい人なんですか」
「全く、この世の中に、あんないい人はありません」
「驚きましたねえ」
 北原の方がかえっててばなしになって、驚いてしまったが、お雪はいっこう平気で、
「ですから、わたし、毎日毎日、隙《ひま》さえあれば弁信さんに宛てて手紙を書いていますの。手紙ばっかり書いたって、出すたよりは無いでしょう、ですから、書いたきりの手紙がもう、こんなに高くなっていますのよ。でもいくら書いても書き足りないものですから、今でも、書く事のなくなるのを心配するよりは、こんなに毎日書いて、せっかく用意して来た紙がなくなりはしないかと、そればっかり心配になって仕方がありません」
「へえ――驚きましたね」
 北原賢次は三たび手放しで、あっけに取られました。
 しかし、北原はそだちがいいから、下品な冷やかしを打込む男ではありません。
「それはそうとして、お雪ちゃん、鳩の方はとにかく、この名古屋行の分を貸して差上げましょう、この鳩は、尾張の名古屋までしか行かない鳩だということを、忘れてはいけませんよ」
「それはただいま承りました」
「しからば、その弁信さんというのは、ドコにおいでなさるのですか」
「それは、わかりませんけれど……」
「その居所のわからない人のたよりを、名古屋へしか行かない言伝《ことづて》に頼んだところで、無益じゃありませんか」
「それでも、弁信さんは、しょっちゅう旅をしつづけている人ですから、もしかして、途中でこの鳩にでくわさないとも限りませんわ」
「心細いような、大胆なようなおたよりですね、もしかしての範囲があんまり広いのに、鳩の行程が定まり過ぎています」
「それでもかまいません、もしかして、わたしからの弁信さんへの手紙が、途中で、ほかの人に渡っても、その人が弁信さんへ届けて下さるかも知れませんもの」
「かも知れないことを、たよりになさるなら、いっそ、この鳩が途中下車した時に、ちょうど旅をして休んでいた弁信さんとやらの頭の上へ止まるかも知れません、と言ったらいかがです」
「そんなことも無いとはいえませんのよ」
「いよいよたよりないことですね、ほとんど当てのない海中へ、石を投げ込んで鯛を取ろうというような目あてですね」
「でも弁信さんは別物よ、あの人は、とても勘のいい人ですから、この鳩が、わたしからのたよりを持っていることを、頭の上を飛んで行く音で、ちゃんと聞きわけるかも知れませんのよ」
「ははあ、超人間の働きですねえ、第一、頭の上で飛ぶ音を聞きわけるというのが振《ふる》っていますね――そのくらいなら、眼をあげて見分けてもらった方がいいじゃありませんか」
「ところがね、弁信さんは眼が見えないんですよ、北原さん」
「え」
「あの人は、眼が見えない代りに、勘がおそろしくいいんですから、わたしのたよりを持った鳩と行逢えば、その羽の音で、きっとさとってしまいますわ」
「驚きましたね、いかに勘が鋭敏だといって、それが本当なら、まさしく超人間です」
 北原が、やや茶化し気分のいい気持で相手になっていると、お雪ちゃんはいよいよ真剣になって、急に思いついたように、
「あ、そうそう、そういう場合は、弁信さんよりも茂ちゃんだと一層いいわ、あの子ならこの鳩を呼び寄せてしまいます」
「何ですってお雪ちゃん」
「あの茂ちゃんて子が、もし弁信さんと一緒なら占《し》めたものよ」
「茂ちゃんとは、何者です」
「可愛ゆい子で、弁信さんと大のなかよしですが、もし二人が一緒にいてくれると、弁信さんがこの鳩を勘でかんづいて、茂ちゃんに耳うちをすると、茂ちゃんが口笛を吹いて、この鳩を呼びとめてしまいます」
「なんだか、お雪ちゃんの話は、捜神記《そうじんき》を夢で見ているようで、我々には、いっこう取りとまりがないが……」
「いいえ、茂ちゃんていう子は、それは不思議な子よ、どんな荒い獣でも、空を飛ぶ鳥でも、地に這《は》う虫でも、みんな呼び寄せて、なつけてお友達にしてしまうんです、そのくせ、人間に逢っては、ずいぶん臆病なんですけれども、人間のほかのものなら、何でも怖いということを知りませんね、自分が怖がらないから、先方で自然にお友達になって来るのです――うちにいる時も、狼を呼びよせて、しょっちゅうお友達にして、自分の寝る縁の下へ住まわせて、御飯を分けて食べさせていましたが、そのくせ、わたしたちにそれが見つかりゃしないかと、ビクビクしていましたわ。狼よりわたしたちが怖いなんて、ずいぶん変った子でした」
「ほんとうにお雪ちゃんの周囲《まわり》には、変りものばかり集まるんですね」
「つき合ってみれば、ちっとも変っていないんですけれど、聞いてみると、とてもよりつけない人たちのように思われましょう」
「何しろ、その弁信さんと言い、茂ちゃんと言い、人間界の代物《しろもの》ではありませんな……それらを友達としているお雪ちゃん自身も、かなり問題の女ですね」
「そう見えますか知ら」
「見えますとも」
「見えないはずなんですがね、わたしこそ、世間の娘さんと全く同じことよ、心立ては悪かないけれど、そのくせ意気地なしで、自分には何の力もないのに、人様の面倒を見て上げたかったり、頼まれるといやと言えなくなって、あとでよけいな心配をしたり、好きになると、どうしても離れられなくなったり、からきし意気地なしの、お人よしなんですけれど……」
「どうして、そんなどころじゃありません、お雪ちゃんぐらいよく出来た娘さんは、全く珍しいと皆が言っています」
「この山の中では、珍しいんでしょう」
「ははは、お雪ちゃん、なかなかそらさない、そこがいいところだ」
「全くわたしはお人よしね、自分でもそう思いますけれど、強い人にはなかなかなれませんからあきらめています」
「ところがね、その人のいいところに、何ともいえぬつよみがあるのですよ、いわば犯《おか》し難いところがあるんです。たとえば、この山の中の冬ごもりでしょう、ここに集まっている者は、我々はじめ、いずれも、一かどのくせ[#「くせ」に傍点]者でしょう、御安心なさい、自分からくせ[#「くせ」に傍点]者という奴に、たいしたくせ[#「くせ」に傍点]者はありませんからね、それはそうとしても、いずれも寄り集まりの身性知《みじょうし》らずの人間共でしょう、その中で、たった一人の、紅一点たるお雪ちゃんに対して、野心を起さないものが無いとは誰も断言できないでしょう。ところが今日まで、今後もそうでしょうが、お雪ちゃんを渇仰《かつごう》するものはあるけれども、ついぞ手出しをしようとした奴が無い、そこにお雪ちゃんの潔白と、純粋から来るつよみがあるのです」
「ちっとも存じませんでした、わたしにそんな強味があることを」
「ちっとも存じないところが強味なんですよ、これを存じていてごらんなさい、ツンと取りすましてみたところで、隙《すき》はありますよ……とにかく我々も、ずいぶん世間を渡っている人間ではありますが、それでも、お雪ちゃんのような女性を見ることは、そんなに多くはありません。宝玉というものは、やっぱり深山へ来なけりゃ掘り出せないのかも知れません」
「北原さんも、ずいぶん、お世辞がお上手なんですね」
「ええ、これでも、女では相当に苦労をした覚えがあるんですから、相当に女を見る目もあるにはあるべきでしょう。ところで、お雪ちゃん、あなたの珍重すべき所以《ゆえん》を信じますと共に、その危険についても看取しないわけにはいきません、賞《ほ》めているばかりが親切じゃありませんからね――あなたのお年頃、そうして、自己の有する美質を、人に示して惜しまないところには、また非常なる危険がひそんでいることをさとらなければなりません、そこをひとつ、出過ぎた申し分ですが、わたしから忠告をさせていただきたいものです」
「どうぞ、御遠慮なくおっしゃって下さい、何と言われても、為めになることをおっしゃっていただく分には、決しておこりませんから」
「では申し上げましょうかね。人様のことを申し上げるには、自分の懺悔《ざんげ》からはじめなければなりません。まあ、お茶を一つ……」
 話が思いの外はずんで、賢次がお茶をいれて話しこむ気になると、お雪も身を入れて聞く気になりました。
 今や賢次が、わが身の懺悔話からはじめて、おもむろにお雪ちゃんの為めになる意見話の緒《いとぐち》を切ろうとした途端に、この家のいずれの一角からか、飄々《ひょうひょう》として短笛の音が落ちて来ました。
「あ、尺八」

         十五

「あ、尺八ですね」
 せっかく、語り出でようとする賢次、せっかく、それに聞き入ろうとしたお雪、二人の熟した気分を、この尺八が折りました。
 北原も、話頭を折って、この尺八の音に聞き入る。お雪もまた、それを聞くと何となしに、そわそわとなって落ちつき兼ねた模様も見えます。
 じっと暫《しばら》く耳をすましていた北原、
「お雪ちゃん、あれはどなたですか」
「あれですか……」
「あの尺八を吹いているのは、どなたですか、あなた御存じでしょう」
「ええ」
「どなたですか」
「あれはね……」
「我々の間では……最初は、我々仲間の者がやるのだろうと気にもとめておりませんでしたが、中頃から、不思議がるようになりました。君かい、いやおれではない、では誰だ、と論議の末が、ついにわからなくなったと共に、あの笛の音も暫くばったりとやんだものです。それがまた、深夜でも、白昼でも、意外な時に、意外に起るものですから、それから問題になりました。いろいろ物色してみたが、結局、お雪ちゃんの連れの方、そのほかにはあの笛の主が無いということになってみると、ますます問題が問題を生みましたのですよ」
「どうも済みません……」
「いや、済まないということではないですよ、つまりね、我々こうして、計らずも山中に棟を同じうして住んでいますとね、呉越同舟《ごえつどうしゅう》といったようなものでしょう、ましておたがいに、今日まで見ず知らずでこそあれ、敵同士《かたきどうし》じゃないんですからね。無論、呉越どころじゃありません、同海同胞です、みんなこうして一つ棟の下に、一つ湯槽《ゆぶね》の中で、裸にもなり合う仲になっているのですから、兄弟同様の親しみが湧いて来るのも無理がありません。ところで、たった一人が、この不思議な因縁《いんねん》の同舟の中に、我々と全く没交渉なお方が一人、存在なさるということは物足りないではありませんか。時々は噂《うわさ》をしますが、まだ一人として、我々のうちでお目にかかったものはないのです、それがすなわち、あなたのお連れの御病人の方なんです――しかし、御大病でいらっしゃるから遠慮しておいた方がいいと、誰も、そのことを、あなたの前では申し上げなかったでしょう、ところがその御大病の方が、このごろは短笛――尺八ですな、あれをおやりになろうということですから、御病気も大分、およろしくなったのでしょう……と拙者はじめ思いました」
「ほんとうにおかげさまで、近頃は、めっきりよくなったようでございます」
「それでは、やはり、あの尺八は、あなたのお連れの御病人の方がお吹きになるのですね」
「そう、お尋ねを受ければ、左様でございます、と申し上げるほかはございません」
「そうですか……」
 北原はここで、また沈黙して、暫く尺八の音に聞き入っていました。
 お雪も、尺八の音が起ってから、なんとなく、そわそわしたけれど、こうなっては急に立ち上るもバツが悪し、その主《ぬし》をそうだと名乗ってしまう以上は、なんだかちょっと荷も下りたような気がしますものですから、同じように、尺八に耳を傾けておりました。
「やはり鈴慕《れいぼ》ですね」
「はい」
 北原はこの時、ほとんど感に堪えたようでありましたが――その途端といってもいい時、ハタと尺八の音がやみました。
 その時、お雪は、急に引寄せる綱にでもたぐられたかのように、あわただしく立って、
「大へん長くお邪魔をしてしまいましたが、ちょっと失礼して参ります、用事が済みましたら、また上りますから」
 あわてて十能を取り上げたのを、北原が火箸《ひばし》を取って、火を掻《か》いてやりながら、
「お雪ちゃん、わたしの方から、お雪ちゃんのところへ押しかけてはいけませんか」
「え、どうぞ」
 お雪は、とってつけたような返答をして、二の句にまどいましたが、北原は、
「村田か、誰かつれて、お雪ちゃんの部屋へ話しに行きますが、ようござんすか」
「え、ようござんすとも、どうぞ、いらしって下さい」
 この場合、悪いとも言えないし、よしこられては困る場合であっても、お雪には、それを断わるようにすげない挨拶はできないたち[#「たち」に傍点]ですから、やむなく承知の旨《むね》を答えました。
「それじゃ上ります、その時にですね、お雪ちゃん、あなたのそのお連れの方に、我々をひとつ御紹介ねがえますまいか、御病気がお悪ければ遠慮を致しますが、あれを、あれだけにお吹きになる元気がおありになるのですから、我々に御面会くだすっても、たいしたおさわりにもなるまいかと存じます」
「それはそうですけれどね」
「いけませんか」
「いけないはずはありませんが、当人がずいぶん、きむずかしい人ですから、もしや、失礼があっては済まないと存じます」
「どう致しまして、失礼の段では、我々人後に落ちません……あなたのところへ遊びに行くのはいいが、お連れの方に御挨拶なしにはいられませんからね。御迷惑のようでしたら、早々引上げますよ、人の気も知らないで、腰を落ちつけているような、心なき業《わざ》は致しません」
「いいえ、座敷は別になっていますから……かまいませんけれど、とにかく、お遊びにおいで下さいまし、あなたお一人でも、村田さんをお連れになってもかまいません」
「では、後刻上りますよ」
 こうして、お雪は火を持って、三階の自分の部屋へ帰って参りました。

         十六

 お雪ちゃんが帰ったあと、北原賢次は、黍《きび》を煮ている鍋を下ろして、大鉄瓶《おおてつびん》とかけかえ、小鳥籠を前にしてぼんやりと、火にあたっているところへ、村田寛一が、胸に弥蔵《やぞう》をこしらえながら、ブラリとはいって来ました。
「どうしたエ」
「今ね、お雪ちゃんが来たところなのだ、珍しいから無理に引きとめて無駄話をしてみたところさ」
「それは珍しかったね」
「そればかりじゃない、話が少しハズンだものだから、いずれそのうち、こちらからお雪ちゃんのところへ押しかけて行ってもいいかエ、と聞いたら、いいと言ったよ」
「何だい、つまらない、悪いとは言うまいさ。しかし……」
「そうさ、穴蔵のような冬の白骨の天地に、こうして一つ宿をしているのだから、おたがいに、誰がどこへ押しかけたって不思議はないはずなんだが、今までお雪ちゃんのところばかり、まだ誰しも御無沙汰《ごぶさた》をしていたようだ、それじゃ済むまいというわけでもあるまいが、ようやく、こちらから押しかけてみようという口火をきったのは、我々の方で今日が初めてだろう。それが今更のように不思議ではないか、そんなことが改まって、いまどき切り出されるようになったことが、おかしいじゃないか」
「それは遠慮というものさ」
「遠慮とはいうけれどもね、若い娘っ子をめあてに、接近をしようなんていうことこそ、おたがいに遠慮をしなけりゃならんが、お客同士の気分で行ったり来たりする分に、何の遠慮がいるものか」
「いや、そのことじゃないのさ、お雪ちゃんの傍には大変に重い病人がいるとのことだから、それで皆が遠慮していたというわけだろうじゃないか」
「なるほど――考えてみればそれだな、それが遠慮の第一理由であったかに思われるが、それにしても見舞に行って悪いということも、見舞にも来てくれるなとも言われなかったはずだ、どちらにしても遠慮が少し過ぎていたように思う、それが今日は、徹底されたようなわけだから、これから、君、ひとつ、二人でお雪ちゃんを驚かそうじゃないか」
「それもよかろう、だが、看病の大病人というのに、さわりはないか知ら」
「ところが、それをたずねてみるとね、病気のせいか、なかなかきむずかしやだから、もしか失礼に当ってはなんて、お雪ちゃんが言うものだから、御病気は知っていますがな、あの笛の音では……あの尺八の気力では、そう今日明日というような御病体でもなかりそうだし、日増しによくなってくるような音色じゃないか、とそのことを言ってやると、お雪ちゃんも、拒《こば》みきれないという様子だった」
「うむ、問題のあの尺八な」
「それそれ、あの尺八の主がすなわち、お雪ちゃんの侍《かしず》いている大切の病人なのだ」
「いったいあれは何者なのだい、正体がわかったかね。最初のうちは、単に病みほおけた親爺《おやじ》さんかなにかだろうと、我々の間でもタカをくくっていたのだが、短笛の主の見当がそれと定まってから以来の、大きな疑問じゃないか――それを聞いてみたかね、お雪ちゃんに」
「それは聞かない、聞かないけれども、あえて聞く必要もないじゃないか――最近にその人を見ることができるんだもの」
 全くその通り、あの尺八の音が聞え出してから、やや暫《しばら》くあって、この炉辺閑談に集まる人も、集まらない人も、問題がその音色に集まったということは、あの短笛が世の常の俗曲を吹かなかったというばかりではない、集まっている者の大多数が、お神楽師《かぐらし》を名乗るくせ[#「くせ」に傍点]者であっただけに、物の音色について、かなりやかましい耳を持ち合せていたらしい――そこで問題が紛糾《ふんきゅう》して、やや、悩ましいものにまでされている。

         十七

「あれは、老人や、女子供の吹く音色じゃないよ。そうかといって、うらぶれた通り一遍のこも僧[#「こも僧」に傍点]の歌口でもない、いやに人を悩ます吹き方だ」
と一人が言ったことがある。そうすると他の一人が、
「ありゃ、女殺しの吹く笛だよ」
と口を出したものだ。その女殺しと言ったのは誰だったか知らんが、つまり、鈴慕《れいぼ》をよく聞きわけて、音に対して、たしかに見識をもっていた一人、北原ではなかった、村田でもなかったし、池田良斎ではなかったし、今、その誰だったかは、ちょっと記憶に無いが、しみじみと鈴慕の曲に聞き入りながら、あれは女殺しの吹く笛だよ、と言い捨てたものが確かにありはあったのである。
「うむ――なるほど」
と一座も、それを承認したかのように、力を入れてうなずいて、なお、その曲の赴《おもむ》くところを終りまで聞いたことがあります。
「女殺し――」といったのは、どういう意味かよくわからない。誰も、それを押して問う者もなかったが、一座がそれを茶化した意味にも、冷かした意味にも、嘲《あざけ》り笑った意味にも取らなかったことは事実です。
 それ以来、お雪ちゃんの看病しているという大病人が、老《お》いぼれた、血の気のかれきった木石ではなく、何か、そこに解けきれない、たんまりしたものが滞っているような歯痒《はがゆ》い気持を、一同に持たせてしまったことも事実でありました。
 お雪ちゃんの、肉身の祖父とか、父母とかいう人では無論ない、男性とすれば、叔伯系の尊族――もう少し近く持って来れば、肉身の兄ではないか、というような噂《うわさ》が、ちょいちょい話題に上ったこともないではなかったのです。
 だが、その後は、鈴慕の音色が時あって、不意に起り来《きた》ることはあっても、それは一座会同の席の場合に、聞き合わせることは滅多になかったから、箇々に、離れ離れにこそ、あの音色を問題にしたり、多少の悩みを覚えたりしたことはあっても、「女殺し」といった、印象的批評が、共通して誰もの頭に残っていたわけではなく――なかには仏頂寺弥助の如く、ほとんど、身も世もあられぬほどに、あの音色を嫌いぬいたものもあるが、そのほかは概して、その遣《や》る瀬《せ》なき淋しさから、淋しさの次にあこがれの旅枕の夢をおい、やがて行き行きて、とどまるところを知らぬ、雲と水の行方《ゆくえ》と、夢のあこがれとが、もつれて、無限縹渺《むげんひょうびょう》の路に寄する恋――といったようなところに誘われます。吹く人に心あってもなくても、楽と器とがそう出来ている。左様に人の心を誘《いざな》うように出来ている。そこで、聞くほどの人が、甘い悩みと、重い魅惑を誘発されぬということはない。お前さんと一緒に行けば、死ぬことはわかっていても、殺されるよりほかに道はないと知りながらも、わたしゃお前さんを離れることができない――といったような恨みが、この一曲にこんがらかって、もつれて、取去ることはできないらしい。
 本来、鈴慕《れいぼ》の曲は、そうあってはならない。そうなければならないものであって、しかも、それで止《とど》まってはならないはずのものであるのに――
「女殺し――」と言ったのは、その悩みを殊に、どろどろに感得せしめられたからであろう。そうでなければ、自分が、それと同じような犯《おか》せる罪あって、人を殺す音と、人を活《い》かす音を知り、殺す人、必ずしも活かす人ではないが、活かす人は、殺すことをも知っていなければならない。
 芸術の魅力は毒である。有害であることを知り抜いて、芸術を弄《ろう》する者は、その殺活の機に、表裏徹透しておらねばならぬはずなのに、殺すことを知って、活かすことを知らないもの、その危険は、その感化の及ぶところのすべてを、窒死せしむると共に、自分をも焼亡する。
「女殺し」と言ったのは、ただなんとなく、濃烈なる甘い悩みの圧迫に堪えられなかったうめき[#「うめき」に傍点]の声に過ぎまい。

         十八

 北原と、村田とが相携《あいたずさ》えて、それからいくらもたたない時間の後、お雪ちゃんの部屋をたずねて、
「ごめんください」
 障子の外から、言葉をかけた時に、
「はい、どなた」
 それはお雪の返事には違いないけれども、非常に狼狽《ろうばい》したような返答ぶりでありました。
「私です」
 北原は静かに、外から名乗ると、
「あら北原さん――どうぞ」
とは言ったけれど、その狼狽ぶりは、障子一重の外で鮮かに手に取るほどなのが、来客の心を少しく不審がらせました。
 よし、自分たちが不意に押しかけて来たからとて、そんなに狼狽しなくてもよかりそうなものを、ことに、ちゃんと前ぶれもしてあるようなもの。
 そこで、お雪は何か、あわてて身の廻りを始末するような物音を立ててから、
「どうぞ」
「お忙がしいんじゃないですか」
 あんまり、中があわただしい気配《けはい》だものですから、北原も遠慮してみると、
「いいえ、かまいませんのです、どうぞ」
「失礼してもよろしうございますか」
「どうぞ」
 障子があけられて見ると、お雪ちゃんが少しポッと赤くなって、そのあたりには、縫物だの、書き物だのが取散らしてあったので、それでは、その取散らかしを気兼ねをして狼狽したのだろうと思われます。
「御勉強のようですね」
「いいえ、何もしていやしませんの」
「御病人は……」
といって、北原が、二間打抜きの源氏香の隣りの間を、そっと見ると、屏風《びょうぶ》を後ろにして、炬燵《こたつ》を前につっぷしている一人の人を認めました。
「有難うございます」
 お雪はまだ何だか落ちつかない心持で、隣りの間にも気が置けるらしい。
 さては、と思った北原は、盗むように隣りの間のその当の人を、なおよく認めようと試みました。
 しかし、それは無駄でありました。その人は、面《かお》を横にして、炬燵の蒲団《ふとん》の上に摺《す》りつけているものですから、どうにもその面影《おもかげ》を見て取ることはできません。
 面影は全くわからなかったが、炬燵の傍に机があって、その上に一管の短笛が置かれていることは、めさとく認めないわけにはゆきません。それに、僅かながら、うかがうことのできるその人の風采骨柄《ふうさいこつがら》は、思ったよりは全く若い人だ――といっても無論、お雪ちゃんと相似の人では決してないが、存外すっきりした風采だと思われました。
 どちらにしても、病《や》みほおけた骨格を想像していた北原にとっては、むしろこれは、容貌瀟洒《ようぼうしょうしゃ》というに近いほど、こなれている人だ。それに、身なりも、病人とは思えないほどにキチンとしているし、髪も手入れが届いている――
 そう思って見ると、こちらのお雪ちゃんの取乱した書き物、縫物のほかに、屏風の外へ急に突きやったらしい、櫛箱《くしばこ》、耳盥《みみだらい》、そんなようなものが眼に触れると、北原はなんだか、ここで今まで、おとわ稲川もどきの世話場が、演ぜられていたような気配も想像されないではありません。
 なんとなく、空気が尋常でありませんものですから、さすがの北原も、どちらへどう御挨拶をはじめていいかわからないで、暫くは二つの間へ等分に眼をくれながら、
「村田君を誘って、二人で押しかけて参りました」
「ほんとうによくおいで下さいました、約束をお忘れなく」
 この時分、お雪ちゃんもようやく本心に返りかけたらしく、
「さあ、どうぞ、こちらへ」
 改まって北原と、村田を案内して、
「お炬燵へいらっしゃいましな、今、お火をいただいて来たばかりですから、その方がよろしうございます」
「そうですか、あの、お雪ちゃん、お邪魔をしていても、御病人におさわりはございませんか」
「え、かまいませんとも」
「御挨拶を申し上げたいと思いますが……」
「あ、そうですか」
 お雪はここでもまた、狼狽ぶりを示さずにはおられないらしい。
 そこで、北原も、少し訪問のバツが悪かったな、と思わせられないわけにはゆきません。
 お雪ちゃんの方で、我々の来ることを待構えて、この一間を立て切って置いてくれたなら、水入らずの訪問談もできたろう。また病人に引合わせられるにしても、多少バツがよかったろうに、こうしてあけっぱなしにしているところでは、こちらが闖入《ちんにゅう》して来たようにもなり、お雪ちゃんとしても、改まっての紹介のとっつき場に、ちょっと迷うのも無理はないと思いました。
 その時に、隣りの人が、意外にも気軽に首をあげて、
「これは皆様、よくおいでになりました、お雪がいろいろとお世話になります」
と後ろから、不意にあびせられたものですから、北原と、村田が、おびえたように振返って、
「いやどうも、我々こそ、お世話になりつづけ、失礼のしつづけでございます」
と挨拶を返しました。
 そこで、今までおっくうにもあり、苦心にもしていた、謎の主の面《かお》を、ありありとして正面に見ることができました。
 これは、明るい一間で見た机竜之助以外の何人でもありません。その人が尋常に物を言って、
「この通り眼が不自由なものでございますから、つい一つ宿におりましても、いっこう皆様にお近づきも致しません、失礼のみ致しておりますのに、お雪をはじめ連れの者が、絶えずお世話になっておりまする」
 非常にとおりのよい、むしろ、品のよいと言ってもよい挨拶ぶりでしたから、北原も、村田も、決して悪い気持はしませんでした。
 ただ、こちらまで迎えて挨拶に来ないのは、それは眼が不自由なせいで致し方がなく、今日までの隠退ぶりも、あらゆる病気のそれよりも、物を見る光を失われているという不自由のさせる業《わざ》だときめてみれば、当然のことだと同情を起さないわけにはゆきません。
 案外と思わせられたところは少しもないことが、かえって案外であったかも知れないと思います。
「いやどう致しまして、お雪ちゃんが、この宿にいて下さることのために、どのくらい我々が救われているか知れやしません」
 村田が少し新しい言葉づかいで、お雪ちゃんを讃美したのは、当然これは、この人の妹だ、この人はお雪ちゃんの兄さんだと、判断してしまったからです。
 そこで竜之助が、また挨拶しますには、
「では、どうぞ、そちらの炬燵《こたつ》にゆっくりとお入り下さいまし、拙者はこのままで失礼を致します。こうして相離れていながら、お話を承りたいものでございます」
「左様ならば、我々も御免を蒙《こうむ》りまして。しかし、我々がこうしていい気になって、碇《いかり》を下ろしては、失礼はさて置き、御病気におさわりになるようなことはございますまいか」
 再び念を押してみると、
「そんな御心配は御無用です、今日は大へん気分がよろしいので、お話相手が欲しいと思っていたところでございます、心置きなくごゆるりと」
「しからば、御免を蒙りまして」
 この晴れやかな問答を聞いて、誰よりも胸を撫で下ろしたのは、お雪ちゃんです。
 テレきった自分の立場が完全に救われたのみならず、この人が、こんなにまで、快く人を待遇する気になったのは、来客のために無上の快感であるのみならず、本人自身の病気というものが、全く調子をよみがえらせたものとみないわけにはゆきません。いずれもの意味に於て、お雪は春の光が急に障子の外にまばゆくさし込んで来たような、嬉しい感じでいっぱいになりました。
「さあ、どうぞ、ごゆるりと」
 お雪は、欣々《いそいそ》として、炬燵《こたつ》の蒲団《ふとん》をかきあげたり、座蒲団をすすめたりしていると、北原は持参の蕎麦饅頭《そばまんじゅう》と、塩せんべいをお雪の前へ出し、
「おみやげです」
「恐れ入りました、たいそう遠いところからおいで下さいました上に、こんな過分なおみやげまでいただきまして……ホホホ」
とお雪ちゃんが愛嬌《あいきょう》を見せると、北原が、
「せっかく心にかけての訪問でございますから、何ぞと思いましたが何もございません、ホンの有合せ、これが私共の土地の名物だそうでございます」
 そこでお雪は、お茶をいれにかかりました。
 炬燵に落着いたその刹那《せつな》に、友禅の蒲団にからまっていた書物が一冊――ハラリと飛んで北原の右の膝下に落ちたものだから、北原は何気なく、これを拾い上げて見ると、
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「近世説美少年録」
[#ここで字下げ終わり]
 ははあ、宿のつれづれに読むものとしては、ありそうなもの。
 北原も、ちょっと合《あい》の手《て》に、それを取り上げて見ると、北斎の挿絵が、キビキビと胸に迫るもののあるのを覚える。本文は読まずに飛ばして、紙を二三枚めくると、そこに折り目をつけ込んだところが一枚あります。
 本来、読みさしの本には、有合せでも何でもいいから栞《しおり》を入れて置くべきもの。中身の本紙を折畳むことは、無下の振舞だと、北原もそれは嫌いだし、お雪ちゃんのひとがらから言っても、こんなことをさせて置くのは惜しい、と感ぜずにはおられませんでした。
 あわてたな――ちょうど我々が来訪して来た時に、お雪ちゃんはここまで読みすましていたのだ。そこへ不意に我々のおとないを聞いて、あわてて栞をはさむ余裕がなく、ついムザムザと中身の本紙を折り込んでしまったので、これはお雪ちゃんの日頃ではない、非常の際の、ただ一度しか試みてはならない失策なのだ。ふだん、こんなことをしている子ではない、というように北原が、忽《たちま》ちお雪ちゃんのために有利な弁護の道を発見してしまいました。しかし、それが後になって、今まで、絵だけ見て、飛ばして行った本文を、そこから読むともなしに読み出してみると、
[#ここから1字下げ]
「既にして夜行太《やぎやうた》等は、お夏が儔《たぐひ》多からぬ美女たるをもて、ふかく歓び、まづその素生《すじやう》をたづぬるに、勢ひかくの如くなれば、お夏は隠すことを得ず、都の歌妓《うたひめ》なりける由を、あからさまに報《つ》げしかば、二箇《ふたり》の賊は商量《だんがふ》して、次の日、何れの里にてか、筑紫琴《つくしごと》、三絃《さみせん》なんど盗み来つ、この両種《ふたくさ》をお夏に授けて、ひかせもし、歌はせもして、時なく酒の相手とす。只この遊興のみならで、黒三《くろぞう》が宿所にをらぬ日は、お夏を夜行太が妻にしつ、又夜行太がをらぬ時は、黒三が妻にもす。たとへば是《こ》れ両箇《ふたつ》の犬の孤牝《こひん》を愛《め》づるに相似たり、浅ましきこといふべうもあらねど、さすがに我児のいとほしければ、お夏はこれすらいなむによしなし。逃《のが》れ去らんと欲すれども、夜行太と黒三と、かはり代りに宿所にをれば、思ふのみにて便りを得ず、よしや些《ちと》の隙《すき》ありとても、山深くして道遠かり、いづこを人家《さと》ある処ぞと、予《かね》て知らねばなまじひに、走り出で路に迷うて、程もなく追詰められ、行戻さるることしもあらば、わが上のみか球之介《たまのすけ》が、命も保ちがたかるべし、畜生にだも劣る山賊の、しかも良人《をつと》のあだかたきなる、二人の為に身を涜《けが》されて、調戯《なぐさみもの》となれる事、もともといかなる悪業ぞや。好もしからぬ夫でも、ぬしありながら岐道《ふたみち》かけて、瀬十郎ぬしと浅からず、契《ちぎ》りし罪の報い来て、いける地獄に堕ちにけん、世に薄命なる女子《をなご》はあれども、わが身に増るものあるべしやと、過来《すぎこ》しかたを胸にのみ、思ひぞくらす秋の山に、牝恋《つまこ》ふ鹿もうらめしく、まがきにからむ薯《いも》かつら、子にほだされて捨てかねし、身のなる果《はて》をあはれ世に、訪ふ人絶えてなかりけり。畢竟《ひつきやう》お夏がこの窮阨《きゆうやく》の、後のものがたりいかにぞや、そは次の巻に解分《ときわく》るを聴ねかし……」
[#ここで字下げ終わり]
 北原は、眼の落つるところに、一気にこれだけの文字が触れたものですから、一種異様な気分に襲われました。

         十九

 北原賢次は美少年録の件《くだん》のくだりを見た瞬間に、ちょっとそんなような気分に襲われ、ずっと膝先を炬燵《こたつ》の方に突き入れて、斜めに竜之助の方を見ながら、
「お目が不自由ではいちばんいけません、そこひ[#「そこひ」に傍点]ででもございましたか」
「いいえ、怪我をしたのがもとで、ひどい目に逢いました」
「中途から見えなくなったのが、いちばんいけないそうでございますね」
「それが全くいけないのです」
「御病気からではなく、お怪我からでございましたか」
「ええ、怪我からやられました」
「怪我もいろいろございますが、それによって養生の方法も違いましょうね。そうそう、先日見えた二人づれのうち、一人の丸山なにがしというのが、医術の心得があるように言っていましたね、君」
 北原は同行の村田を顧みると、村田はかたくなに坐りこんでいたが、
「そんなようなことを言ってましたね」
「あの人にでも、見ていただくとようございましたがな」
 そこでちょっと話が途絶《とだ》えました。
 しばらくしてから机竜之助が、座右の煙管《きせる》を取りのべて、
「誰に見せてもダメですよ、癒《なお》りっこはないと思うけれど、つい、こうしている間は捨てても置けず……」
とつぶやきました。
「ダメということはございますまいが、せいぜい御養生はなさらなければなりますまい。時にそのお怪我というのは、何が原因なんでございますか」
「この目のつぶれた原因ですか」
「はい」
「これは煙硝《えんしょう》で焼かれたのです」
「え、煙硝に吹かれたんですか」
「そうです」
「いや、その事。わしらの郷国では、あれが大好きでしてね、大仕掛のやつを好んでやるためによく犠牲者が出ます……それでもまあ、怪我だけで幸いと言わねばなりません、五体を微塵《みじん》に飛ばされる奴もありますからな」
と北原が言いました。
 そこで、また、どうやら話の呼吸が合わなくなったらしい。
 北原は、それを自分の推想が外《はず》れたと感得したから、で勢い前言の訂正、且つ、つぎたしをしなければならないと思って、
「花火ではございませんでしたか」
「花火ではありません――戦争《いくさ》でやられました」
「え、戦争ですか」
「戦争というほどの戦争じゃありませんがね、いくさの真似事《まねごと》のようなものですけれども、それでもいくさでした」
「そうですか、いくさ[#「いくさ」に傍点]においでになりましたか」
「ふとした行違いでしたよ」
「どちらでしたか、その軍《いくさ》は」
「大和の十津川です」
と竜之助が言ったので、お雪ちゃんがヒヤリとしました。
 それは話の半ば頃からです。
 眼の悪いことは隠せないにしてからが、その原因までを語る必要はあるまいに、問われたらば、何とでもそらしておく道もあろうに、煙硝でつぶれた、いくさ[#「いくさ」に傍点]でやられた、その調子で、スラスラと大和の国の十津川まで言ってしまったから、傍に聞いていたお雪がハラハラしたのは、実は自分さえ、今まで大和国十津川というところまでは聞かないでいるからなのです。
 どこぞで負傷をしたたたり[#「たたり」に傍点]ということは、今迄もきいていたけれど、それをくわしく問うのもなんだか立入りがましいようであり、また、その過ぎ去った原因を洗い立てするのは、この人の古い傷に痛みを感じさせるように思われたから、お雪ちゃんとしては、それに触れたくなかったからです。それをこの場では、問われもしないにすらすらと大和国十津川まで名乗ってしまったものだから、お雪がハラハラするのも無理はありません。
 何事をも包みたがるというわけではないが、包んで置いて上げた方がいいと信じて、これまでかしずいて来たのに、案外にも初対面の人に心置きのないこの始末ですから、全く今日は天気のせいではないかと思いました。
 でも、相手が北原さんでよかった、先日やって来た、あの手のこわくて冷たい無気味のさむらいのようなのに向って、こう心安立《こころやすだ》てに話し出されては、全くやりきれない、それでも北原さんでよかったと、お雪は傍から、やっと胸を撫で下ろしていると、その頼みきった北原が、案外に気色《けしき》ばんできました。
「え、大和の十津川ですって……」
「そうです」
「あなたがなんですか、大和の十津川のあの天誅組《てんちゅうぐみ》の騒動へ加入なすったのですか」
「え、ふとした縁でね」
「ははあ。それはそれとして、十津川ではどちら[#「どちら」に傍点]へお附きになりました、勤王勢《きんのうぜい》でございましたか、それとも幕府方でございましたか」
「どちらというわけもないんですがね、途中で、十津川行の浪士たちに逢いましてね、それにすすめられたものですから、ついその気になったまでです」
「それでは勤王方でございましたね」
 北原賢次は、なんとなく我が意を得たとばかり、膝を進めました。
「なんでも中山侍従殿というのを大将にして、事をあげるにはあげたが、数の相違で敗《やぶ》れて、拙者も十余名の同志と紀州路へ落ちて行く途中、猟師の奴に爆弾をしかけられて、こんなことになってしまいました」
「あ、そうでしたか、それはどうもはや、左様な名誉の御負傷とは存じませんでした、なみたいていの御病人だとばかり思っていたものでございますから」
「なあに、名誉の負傷でもなんでもありゃしませんよ」
と竜之助が、苦笑いしました。
「いいえ、名誉です、十津川の一戦は勤王の火蓋《ひぶた》でした、あなたがその名誉ある一戦に加わって、犠牲の負傷を残されたということは、大きなる誉《ほま》れでなくて何でしょう」
と北原が言いました。
「それは本当に勤王心があって、やった事なら名誉かも知れないが、拙者のは出たとこ勝負で、首を突っこんだだけです」
と竜之助が、軽くさばくのを、北原がつり込まれて、
「何事でもです、幕府を敵として孤軍報国のあの義戦に加わろうというのは、赤心鉄腸を備えた勇士でなければできないことです」
 北原賢次がムキになると、竜之助はツンと少しばかり天井を上に向いて、何か言いそうで言いませんでした。
 そこで北原だけに、ハズミがついて、それをキッカケに、しきりに十津川戦陣の物語に鎌をかけて、この勇士に当時実戦の景況を物語らせ、その名誉の負傷のよって来《きた》るところを詳《つまびら》かにさせたいものだと、鎌だけではないモーションをかけてみたりしたが、一向に手答えがありません。
 そこまでは、お雪ちゃんもハラハラするほど話しぶりが進んで来たが、そこへ来ると、どうしても動かなくなってしまいました。
 そこで、北原賢次がもて余しきった時に、お雪ちゃんが、
「先生、あなたが、大和の十津川とやらで、そんなお怪我をなすったということは、わたしは今まで存じませんでした」
「いいえ、お雪ちゃんにも話して上げたことはあるはずですよ」
「それでもお聞きした覚えがございませんもの」
「たしかに話して上げたはずなのを、お前さんが忘れてしまったのだろう」
「そうでしたか知ら……」
 お雪が無邪気に首をかしげた時に、北原賢次が三度四度、呆気《あっけ》にとられてしまいました。
 賢次は眼を円くして、なんだかかだかわからないような気配で、お雪と竜之助の方を、かなりの距離のあるところを、忙がわしく眼を急転させて、言句がつげないような有様です。
 陪席《ばいせき》を仰せつかっている村田も、どうも板につかないような気持に堪えられません。
 そこで、この両室の空気がいやに変なものになってしまったのを、竜之助は眼が悪いから見て取るわけにはいくまいが、お雪ちゃんという子が、そのままはいられないからとりつくろう気になって、
「上方《かみがた》の方では、しょっちゅう、いくさ[#「いくさ」に傍点]ばかりしているんですってね」
と言いますと、
「しょっちゅうというほどでもありませんがね」
と北原が答えました。
「いやですね、いくさ[#「いくさ」に傍点]なんて」
「戦《いくさ》も、時と場合によりけりでね、大義名分のために戦わなければならぬこともありますからな」
「戦《いくさ》をしないでも、何とか話合いがつきそうなものじゃありませんか」
「だって時と場合ですからね、今に上方《かみがた》の戦が江戸までやって来ますよ、お雪ちゃん」
「そうなると、日本中が、いくさ[#「いくさ」に傍点]になっちまうんですね」
「まず、そんなものです、お雪ちゃんの故郷だという甲州なんぞも、当然捲き込まれてしまいますね」
「でも、この白骨までは来ないでしょう」
「さあ、日本中が戦《いくさ》になっても、ここまでは舞い込んで来ますまいね、第一、大砲《おおづつ》が通りませんからな」
「ほんとうに、わたしたちは仕合せです、いつまでもこの白骨におりましょう、ねえ、先生、あなたも、たとえ、お眼がなおっても、二度とふたたび戦に出ることなんぞはおよしあそばせ」
 この時、北原賢次が、むらむらとしてお雪ちゃんの面《かお》を見てしまいました。これではせっかくバツを合わせようとした彼女のきりまわしが何にもなりません。そういう事に一向に頓着しないお雪ちゃんは、今度は北原の方に向いて無邪気な笑顔、
「北原さん、あなたも、ずいぶん、喧嘩っ早いようなお方ですけれど、戦《いくさ》なんぞにお出になるのはおよしなさい」
と言いました。
「だが、お雪ちゃん、おたがいに白骨温泉の中へ白骨を埋めに来たわけでもありますまい、いつか、それぞれの国と仕事とに返らなければならないでしょう」
「そう言えば、そんなものですけれど……どうかすると、一生こんなところで暮らしていたいような気持もしますね」
 その時、北原は、「お雪ちゃんのように相手さえあればね」と言ってやりたい気分になって、その言葉が咽喉《のど》まで出ましたけれど、初対面の何とも知れぬ隣室の人に気を置かれて、だまって、思わず村田と面《かお》を見合わせましたが、やはり、その辺にお気づきのないお雪ちゃんは、
「ねえ、北原さん、あなたのお国は、やはりこの信州の伊那《いな》だとおっしゃいましたが、あちらのお話をお聞かせ下さいませ。いつかここの白骨温泉の木曾踊りのことが話に出ました時、あなたは伊那の飯田には、あれに負けない伊那踊りがあるといって御自慢になりましたでしょう、その伊那踊りですか、伊那節ですか、それを一つお聞かせ下さいな。ね、先生、ここでそれを歌っていただいてもようございましょうね」
「ははあ、伊那節をわしにうたえとおっしゃるんですか、北原の無粋を見かけての御註文ですね。もとより歌ったり踊ったりは、こちらのガラじゃありませんが、尤《もっと》もガラで歌ったり踊ったりするわけじゃない、過ぐる夏には、とてもすごい体格をした所謂《いわゆる》イヤなおばさんなるものが存在して、すごい体格は体格ながら、肉声は甚《はなは》だ美にして、よく音頭取りをつとめ、白骨温泉の女王の地位を贏《か》ち得ていたというくらいですから、ガラが違っても歌えない、踊れないという限りはないが、拙者なんぞは無茶です。ただ、伊那節の歴史と文句だけは、木曾の御岳山《おんたけさん》にも負けないものがあります、なかなか雅趣があっていいのがあります……だが、わが伊那の、天下に向って誇るべきことは、そんなところにあるのではない、天竜峡の絶勝と並んで、わが伊那の地が山間の僻陬《へきすう》にありながら、尊王の歴史に古い光を持っていることです」
 北原は一種の昂奮を感じながら、信州伊那の郷土を論じ、天竜峡のことに及んで、ぜひ一度、天竜峡を見においでなさい、御案内いたしましょうと言って、はじめて相手が、相手ということに気がついて、まずい面《かお》をするのを、お雪が傍からとりなして言いました、
「うちの先生は風景を御覧になることはできないけれど、風景のお話を聞くことは大好きで、風景のお話をして上げると、それが忽《たちま》ちその夜の夢になりますそうで、よい話を聞かせていただけばいただくほどよい夢が見られる、そこで、わたしも、なるべく先生によい夢を見せて上げるように、知っているだけのお話はして上げたり、本を読んで上げたりするつもりですけれども、わたしだけでは、とてもその材料が足りません」
 お雪としては、それを単純なとりなしのつもりで言ったのでしょうけれど、北原は単純に聞き捨てることができませんでした。
 この二人の間は何だ。
 炯眼《けいがん》な北原は早くも、このバツの合わない二人の呼吸を見て取らないわけにはゆかないと共に、いよいよ解しきれないものが、頭の中を躍起とさせるようです。
 この二人の間が兄妹でないことは、ここへ来た当初から見えきっているし、主従ではない、先生呼ばわりをしているが、あの男はいったい、お雪ちゃんの何の先生なのだ――
 美少年録を臆面もなく読み合う二人の師弟関係――
 笑わせるな。
 北原のこういった観察が、全宿中へパッとひろまったのは、なにも北原が吹聴《ふいちょう》したときまったのではないが、二人がこの座敷を去ってから後のことでありました。

         二十

 これより先、白骨の温泉を立ち出でた宇津木兵馬は、飛騨の平湯をめざして進んで行きました。
 白骨から平湯まで、僅か四里の道とはいえ、もう少し雪でも深くなれば、通れない。
 雪でなくても天候不順の時は、いかなる山荒れが出現しないとも限らないが、天気は極めてよし、そして途中ひょこりと、中の湯まで行くという猟師と出逢い、その猟師がすすめに従い、道草気分で、中の湯の温泉へちょっと立寄ってみる余裕まで持つことができました。
 中の湯の温泉には、宿屋というものはありません。
 板を屋根にした掘立小屋が、空しく朽ちて、湯は川の端、巌の間の到るところに湧いている。兵馬は、こんな温泉に一日――もし許すならば十日でも二十日でも滞在して、思うさまこの巌の間の湯につかっていたいというほど、いい気持のした温泉でした。
 案内した猟師は、そこから吹き出すのも、ここにたまっているのも、みんなお湯ですよ、まあ、もう少し進んでごらんなさい、天然の湯滝がありますから。湯滝は白骨にもありますが、あれよりズット大きい――といって、渓間を導いて、兵馬を二つの滝が女夫《めおと》のように並んでいるところへ連れて来ました。
「どうです、この二つの滝はみんなお湯でございますよ」
 それは高さに於て四間、幅に於て三尺ほどの、絵に見たような自然の滝。近くよってさわってみると、全くの温泉です。
 白骨にも湯の滝はあったけれど、あれは湯を引いて、人に打たせるように人工が加えてあったし、それと大きさから言っても、これとは比べものにならないのに、これは天然の滝そのものが全部の、自然の湯として現わされているのですから、兵馬は最初、滝の近く寄って、わざわざ腰を押しのべて触れてみようとしたが、ついに、たまり兼ねて行李《こうり》を捨て、帯刀を脱し、一切の旅装をかなぐり捨てて、その滝壺の湯に飛び込んでしまいました。
 かくて、思う存分に、その湯にひたっていると、猟師は、そのあたりの板小屋に腰を卸《おろ》して網を張りにかかるらしい。
 網を張るというのは、こうして待構えていると、猿やその他の動物が、湯につかりに来ることがある。それを見ていて、あるものは手捕りに、あるものは銃殺、あるいは槍殺もするらしい。稀れには弓矢も用いることがあるらしい。
 ここで、思うさまの悠浴《ゆうよく》を試みた兵馬は、身心一層の爽快を覚え、網を張る猟師とは別れて、ひとり目的地へと急ぎます。
 今は路傍に美しい高山植物のたぐいこそ咲いてはいないが、山林、谿流《けいりゅう》、すべてが清麗で、顧みれば、四周《まわり》の深山の中には、焼岳の噴煙がおどろ髪のように立ちのぼる。途中一つ信州松本への廻り道があっただけ、安房峠《あぼうとうげ》を越えてしまえば、平湯《ひらゆ》までは二里に足らぬ道。
 前途の不安が全く除かれてみると、深山を楽しむの快感が身に沁《し》み渡り、いい知れぬ勇気が湧いて来る。
 兵馬は、この快感と、勇気とをもって、安房峠を打越えながら、「万法一に帰す、一何れに帰す」ということを考えさせられました。これは兵馬にとっては、かなり重い公案のようなものですけれど、兵馬は往々、ふいにこんな公案にひっかかって、分相応の頭を練りながら、旅路を行くこともあるのです。

 ほどなく兵馬は、平湯の温泉に着きました。
 ここは白骨と違って、周囲の峡間も迫ってはいず、田野も相当に開けて、白骨のように宿屋一軒がすなわち峡間の一部落をなすというようなわけではなく、数十戸の人家が散在して、人里の気分豊かに猟犬の声も相和する、至極穏かで平らかなところだと感じました。
 そこの「水石《すいせき》」という宿で草鞋《わらじ》をぬぐ。
 浴客も相当にありました。
 二三日は、とにかく、ここで落着いて、これから当然、この国の首都、高山の町をおとずれて、尾張方面へ行く、それに順路を取ろうとする。
 自分の通された宿の座敷に、鎧櫃《よろいびつ》があって、具足《ぐそく》が飾りつけられてあることに、兵馬は、ちょっと好奇心を起し、まず長押《なげし》にかけられた薙刀《なぎなた》から取って、無断に御免を蒙《こうむ》って、鞘《さや》を外して見たけれども、錆《さ》びてはいるし、さのみ名作とも思われませんでした。
 だが、素朴な湯槽《ゆぶね》のうちの二三の浴客とは、忽ち話敵《はなしがたき》となりました。それは高山あたりから来た、新婚らしい夫婦者、それから近在のお婆さんと、病気がありそうにもないに湯治だと言っている四十男、それと家の番頭、雇人、それらが、すべて隔てのない混浴でした。
 兵馬が白骨から来たと聞いて、その四十男が、好事《こうず》な眼を向けて、
「白骨じゃ、このごろ、お化けが出るって評判ですが、本当でござんすかね」
と言いました。
「お化け、そんな話は聞かなかったよ――」
 兵馬が答えると、
「こちらでは、もっぱら、そんな評判でございましたよ」
「ははあ、冬籠《ふゆごも》りの人も二三いるにはいましたけれど、お化けのことは誰も言いませんでした」
 人からお化けと問いかけられて、はじめて兵馬は、なんだか白骨の思い出に、寒さを感じたようなものです。
 その事。兵馬自身こそお化けにはつけつ廻されつしているではないか、仏頂寺、丸山の亡者はいわずもあれ。
 そのほかに、何が白骨にいたか。何にもいないから手を空《むな》しうして、こうしてやって来たのだが、さていたかと言われてみると、考え直してみたくなる。
 ここ、平湯で、平々淡々として、明るい気分の湯に浸っているのとは、周囲も、気分も、全然違い、ここへ来て見るとはじめて、たしかに白骨には何かいたという気分がしてならない。あの短笛の音も変じゃないか。あの娘――あの冬籠りの人々――二階から三階にわたる陰気なる夜の音。
 上から射す初冬の光線は極めて明るかったが、その明るさも、いま考えてみると杲々《こうこう》とかがやき渡る太陽の光の明るさではなかったようだ。白骨の月夜は名物ときいたが、月の光が昼間まで照り残っているということはあるまい。
 さりとて、鐙小屋《あぶみごや》の神主殿の面《かお》が、白日の下に、明る過ぎるほど明るかったと思うのも、ものの不思議。
 やはりお化けが出なかったかと言われて、はじめて兵馬は物《もの》の怪《け》に襲われた心持で、
「ははあ、白骨にはお化けが出るなんて、そんな噂《うわさ》があるのですかね」
「ありますとも、もし……出なけりゃ不思議なもんだと、こっちではみんな、そういっておぞけをふるっておりますよ」
 これは湯槽の中の輿論《よろん》のようで、この地では誰ひとりとして、白骨にお化けが出るということを信じないものはないようです。
「そうでしたかね、我々はあそこにいても、一向お化けというものを聞きもしなかったし、無論、見もしなかったが、いったい、そのお化けというのは、どんなお化けですか」
「いくつも出るそうですが、そのなかで、高山の淫乱後家《いんらんごけ》と、男妾《おとこめかけ》の浅公……」
と四十男が浅黒い面《かお》に、思いのほか白い歯並を見せてニヤリと笑いました。
「ははあ、高山の後家さんと、なにがしの若者、それが化けて出るというのですか」
「そりゃ見た人があるから、たしかなもんですが、そのほか、いろいろな化け物が、この冬は白骨に巣をくっているってますから、こちらからは誰も参りません。尤《もっと》も、ふだんでさえ冬は人の住まない土地ですから、行かないのはあたりまえですけれど、今度のお化け話はこの夏の終り頃からはじまりました」
「そうですか、拙者は、ちょっと道に踏み迷うたという形で、あの温泉場へ参り、直《ただ》ちにこうして引上げて来たのですから、お化けにお目にかかる暇《ひま》が無かったものと思われます、もう少し逗留《とうりゅう》していたら、そのお化けが挨拶に来たかも知れません」
 兵馬が存外、あきたらず受け流すのを、一同がかえって興にのり、
「左様でございますとも、長く御逗留なすっていると、そのお化けにひきこまれなすったかも知れませんが、早く引上げておいでなすったから、お化けも御挨拶を申し上げる暇がございませんで結構でした、後家さんや、浅公なんぞも、早く切上げて来れば何の事はなかったのに……」
 それから、一槽の者が、その飛騨《ひだ》の高山の淫乱後家なるものと、男妾の浅公なるものとについての噂を、蒸返し、蒸返し、それにまたまた尾ヒレがついて、この湯槽の中は、その風聞で持ちきりになりましたから、兵馬も思わず興味をもって、これに耳を傾けさせられています。
 聞いていると事実はこうです、飛騨の高山の穀屋《こくや》という金持の後家さんが、箸にも棒にもかからない淫婦で、めぼしい男を片っぱしから引っかける、それがこの夏中から、男妾の浅公というのを引きつれて、白骨の温泉で、うだり通しでいたこと、こっちから行ったものも大分当てられて来たが、淫乱後家の白骨に於ける威勢の程は圧倒的で、女王の形になり、御当人も面白くって、はしゃぎ通し、思う存分の享楽をして、帰ることを忘れてしまったらしく、この冬を通して白骨に籠《こも》ると言い出して、迎えの者をてこずらせたということ。
 そのうち、男妾の浅公が首をくくって死んでしまうと、まもなく、後家さんが無名沼《ななしぬま》に落ちて溺れ死んだ、つまり魂《こん》に引かれたのだ。
 少なくとも、この二つの幽霊は、白骨の温泉の宙宇《ちゅうう》にさまようて浮べないでいる。
 それから話がハズんで、あの淫乱後家の淫乱が、男妾の浅公にとどまらないということ――相手嫌わずだったが、突っぱなすのも上手で、存外ボロを出さなかったが、噂にのぼったところでも、あれとこれと、これとあれ――兵馬には聞くに堪えないほどの事情を、右の四十男がズバズバと、すっぱぬいて聞かせました。
 とても大胆な、すっぱぬき方であったけれど、槽中の若夫婦までが、あんまり恥かしい顔をせずに聞かされていたことほど、淫乱後家の淫乱ぶりは猛烈で、それが、その後家さんにとっては常識でもあるかのように受取られるほど、徹底していたようです。
 兵馬も、その話を聞いて呆《あき》れました。女というものは、それまで大胆になり得るものか、男というものは、それまで無抵抗であり得るものか、歯痒《はがゆ》い――とも思ったり、そこまで赤裸になれば人間も憎めないではないか、とさえ考えさせられました。
 そうして、聞きようによれば、ここにその淫乱後家の情事をズバズバとすっぱぬいているこの四十男も、どうやら、口を拭いた覚えがあるような、それを、得意がってのろけているようにも聞える。合浴の中婆さんまでが、いい気になって、お前さん、なかなか人が悪い――と四十男の肩をつついてニヤリとする。
「あなた様なんぞもお若いに……穀屋の後家さんがいなさらん時分においでだからいいもんの、夏うちなら食われてしまいましたぜ、なんしろ十五から六十まで、油っ気のある男なら、イヤと言わないで、一日に二人ぐらいは食べたおばけですもんな」
 それでいて、何の因果か、浅公だけは離れられずに通したのは、後家さんが浅公に何か弱点を握られているせいだともいうし、浅公の方で、後家さんの油っこいのに離れられないのだともいうし、後家さんは浅公を、振って振って振り通しながら、それでも番頭代りに打捨《うっちゃ》れないで、おもちゃにしていたが、その浅公を前に置いて、思うさまふざけた真似をして見せたが、浅公泣きながら、その圧制に甘んじていたこと――そこで四十男はいい気になって、もう少し調子を進め、浅公に対しての淫乱後家の虐待ぶりのいかに徹底的であったかをも、手に取るように解剖をはじめたものだから、これには、さすがの聞き手も、面《かお》をそむけながら苦笑いをする。兵馬は、ついに浴場を出てしまいました。
 浅ましい人間の情慾。

         二十一

 宇津木兵馬は、その夜は、枕許の四角な行燈《あんどん》のぼんやりした火影《ほかげ》を見つめながら、夢路に入りました。
 夜更けて、行燈の火影に人のあるのを見て、驚きました。
 よく見定めるつもりでいると、その人は行燈を蔭にして、あちら向きに坐り、針を運んでいるもののようです。
 誰だろう、人の枕許へ来て、夜中に落ちつき払って物を縫うているのは――
 その時、兵馬は、その女が肩先から真赤に血を浴びているのを認めました。
 ははあ、白骨へ出るというお化けがここへ来たな、白骨へ出るはずのが、戸惑いしてここへ現われたのだな、そうでなければ、さいぜんの噂が暗示となって夢に現われたか。
 夢を見る人に、夢と覚って、現実と差別しながら、それを見ていられるはずはない。
 醒《さ》めての後こそ、兵馬はこのごろ、よく夢を見る、夢を見過ぎると、うらむこともあるけれど、その時は、現実の時、現実の姿をまじめな心で見ている。
 あちら向きに坐って、極めて静かに深夜の針を動かす女性を見る。
 この衣を走る針の音までが、さやさやと聞える。
 丸髷《まるまげ》に結って、よく似合う袷《あわせ》を着た、ほんとによい姿の女。
 無惨なのは、肩から、背から、胸へかけてのあの血汐。
 当人は、痛いとも、苦しいとも思ってはいないらしい。
 針の動く音が、まことに静かだ。
 兵馬は半身を起して、その後ろ姿をじっと見つめたけれども、女は振返らない。
 落ちついていること。
「誰です」
 兵馬が呼びかけた時、
「兵馬さん、お目ざめになって……」
 はじめて、ふり返って、にっこりと笑ったのは、忘るるひまのない嫂《あによめ》のお浜でありました。
「嫂様《ねえさま》ではありませんか」
「そうよ」
「今頃、何をしていらっしゃるのです」
「子供のために綿入《わたいれ》を縫って上げようと思いましてね、追々寒くなりますからね」
「ははあ、そうでしたか」
 兵馬は憮然《ぶぜん》としてしまいました。竜之助の前には幾度も現われるこの女、こうして兵馬の前に現われたのは今宵がはじめてか知らん。
 お浜は、兵馬に対してこれだけの受答えをすると共に、また、あちら向きになって、一心に縫物を進めています。
「嫂《ねえ》さん、あなたは無事だったのですか」
「わたしが無事だか、どうだか、この肩から胸を見れば、わかるじゃありませんか」
「私も、最初から、それを気にしているのです、痛みはなさいませんか」
「それは古傷ですから、痛むには痛みますけれども、いまさら泣いたり、愚痴を言ったりしても仕方がありませんわ」
「嫂さん、あなたは竜之助に殺されたのですね」
「ええ、そうかも知れません、けれどもね、見ようによっては、わたしがあの人を殺したのです」
「悪縁というものでしょう。しかし、憎むべきものは憎まなければなりません。嫂さん、あなたがもしも竜之助の行方を御存じならば教えて下さい」
「それは、わたしがよく知っていますけれど、まあ、わたしが、あれから附きっきりのようにつきまとっているのかも知れません。けれど、兵馬さん、お前はあの人の在所《ありか》を知って、どうなさるつもりなの」
「どうするって、嫂さん、あなたとして、あんまりそれは歯痒《はがゆ》い尋ね方ではありませんか、私の兄のためにも、あなたのためにも、そのほか多くの人の魂が、彼のためにさいなまれていることはどれほどと思います。その恨みを晴らす役目は誰の仕事ですか、この年月、兵馬がこうして艱難辛苦《かんなんしんく》しているのも何のためだと思召《おぼしめ》す……」
「ホ、ホ、ホ、兵馬さん、それはわかっていますよ、お前さんが敵討をなさりたいために、今日までの苦労というは並大抵じゃありません」
「それが、わかっていらっしゃるなら、なぜ、そんな冷淡な口をお利きなさるのです、御存じならば早く、彼の在所《ありか》をお教え下さい、あなたに代って、私が、憎むべき彼を討取ります」
「けれども、ねえ、兵馬さん……私もあの人を善良な人だとは思っていません、憎い奴だと怨《うら》みながら殺されましたがね、今となってみると、やっぱり、あの人が好きなんですね」
「何を言うのです」
「憎めませんねえ」
「嗚呼《ああ》……」
 兵馬は天を仰いで浩歎《こうたん》しますと、お浜は、いよいよ落ちついたもので、
「憎めません。憎めないのは、わたしばかりじゃない、兵馬さん、お前だって、本心からあの人を憎んじゃいないのでしょう」
「そんなはずがあるものですか、倶《とも》に天をいただかざる仇敵《きゅうてき》です」
「強《し》いて憎もうとしているんじゃありませんか」
「そんなはずはありません」
「許しておやりなさい、ね、兵馬さん」
「誰をです」
「お前さんの兄様《あにさま》をです」
「兄上を……」
「わたしも、このごろは、文之丞にも、ちょいちょい逢いますが、あの人は、今ではもう快く、わたしを許してくれていますよ、ほんとに、あの人はよい人です」
「嫂《ねえ》さん、あなたの言うことは、ちっともわかりません、敵も味方も、恩も恨みもめちゃくちゃです」
「敵も味方も無いじゃありませんか、わたしは、文之丞にも、竜之助にも許した女です」
「不貞な女!」
「不貞な女に相違ありませんから、不貞な女の受けるだけの責めは、みんな受けているつもりですよ」
「責めは受けたって、罪は消えない」
「消えませんとも。消えないから、こんなに古傷が痛むのです。わたしは今となって、文之丞も、竜之助も、どちらも罪がないと思います、どちらも行くべき当然の道を歩かせられたのですわ。そんなら、わたしひとりが悪者かというに、そうでもありません、わたしもまた、わたしの行く道を行かせられただけのものです。それで、もうたくさんなのに、兵馬さんまでが、またわたしたちと同じような道を行こうとなさる、ほんとにお気の毒に思いますわ」
「何が気の毒です」
「何でもようござんす、許してお上げなさい、そうすれば、お前さんも救われます」
「誰に、私が救われるのですか」
「白骨の温泉で死んだ、飛騨の高山の穀屋の後家さんというのを御覧なさい、あの方は、御亭主が病気で寝ているその前で、幾人の男を弄《もてあそ》んだか知れません、それをみんなあの御良人が許していましたよ」
「何です、それは。それが我々の上に、何のかかわりがあるのですか」
「それをみんな許して、おかみさんのするままをさせていましたが、あのおかみさんは、それでも満足しないで、とうとうその良い夫を殺してしまいました」
「人間ではありません、犬畜生といっても足りない者共です、そんなやからのことを、私の前で、何のためにおっしゃるのですか」
「殺された良人の方は、それでさえ、あの後家さんを許していますよ」
「だから、私の兄も、あなたの不貞を許せばよかったのだとおっしゃるのですか」
「まあ、そうかも知れません、わたしだけじゃありません、みんな許せばよかったのです」
「言語道断です、さような戯言《たわごと》はもうお聞きしますまい」
「お聞きになりたくないことを、強《し》いてお話ししようとも思いませんが、人間はみんな弱い者ですから、おたがいに許すことですね、いくら許しても害にはなりません、許しても許しきれないことは、神様が許しませんからね、仏様が見とおしていらっしゃいますからね、許されても許されないものは許されません、このわたしを御覧なさいな」

         二十二

 その翌朝、眼がさめて見ると、昨日のあの快晴に引換えて、天地が灰色になっていました。
 聞いてみると、これはやがて雪になるということ。
 昨夜の夢見の悪かったのは、一つはこの気候のせいか。
 果して、霧のような雨が捲いて来て、暫くすると、それが粉雪に変りました。
「ああ大雪だ」
 雪は珍しくはないが、それでもまあ、よかった、今日が昨日でなくてよかったのだ、吹雪の中に白骨を出て来るわけにはゆかなかったのだから、当然この雪をかぶって白骨籠城か、そうでなければ途中の難儀、測るべからざるものがあったのに、一日の境で、悠々として白骨を出て来たのは、時にとっての好運であるように思いました。
 だが、同時にまた前途のことが思われないでもない、これから高山までは八里の路、これは、ほとんど山坂のない平坦な道だとは聞いたが、何といっても名にし負う飛騨の国、雪の程度によっては、交通が杜絶《とぜつ》しないとも限らぬ、どのみち、この雪の降りあんばいを見るべく、今日の出発を見合わせよう。
 食前に、昨夜の風呂場へ行って見ると、これまた意外。
 外は、この通り天候険悪であるのに、広くもあらぬ浴槽の中は全くの満員――芋を揉《も》むというけれども、桝《ます》の上に芋を盛ったと同じことに、全く身動きもできない老若男女が、ギッシリと詰まっていました。
 しかしながら、桝に盛られたこの立錐《りっすい》の余地なき人間の一山は、それを苦にもしないで、盛られたままに歌うもあれば騒ぐもある。それで、あとから来るものが必ずしも、その光景に辟易《へきえき》せず、傍へ寄って来て、お茶を濁している間に、いつか知らず、その立錐の余地もない中へ割り込んでしまって、親芋子芋の数になってしまう。
 そうして、別段、ハミ出されたものもないらしいから、あのギッシリ詰まった一山の中へも、入れば入れるものだなと、兵馬は呆《あき》れ果て、自分がその中へ割り込もうという気には、どうしてもなれません。
 ぜひなく、手持無沙汰に部屋へ引返して来ました。
 まだ、火鉢には火の気が無い。再び寝床にもぐり込み、さしもの浴槽も、どうせ、そのうちにはすくだろう、すいた時分を見計らって、悠々一浴を試むるがよろしい。とはいえ、昨夜は、どこを見ても、あれほどの混雑は想像されなかったのに、今朝になって、急にあの有様、昨夜のうちにあの客が着いたのか、着いたとすればどこから来たのか。兵馬は、そんなことを考えながら、再び蒲団《ふとん》にもぐり込んでいると、ほどなくカルサンを穿《は》いた宿の男が、火を持って来てくれました。
 それに、たずねてみると、なあに、明神様のお日待ちがありますんで、そのくずれでございますよと、要領を得たような、得ないような返事。
 朝飯には椎茸《しいたけ》と卵を多く食べさせられ、正午《ひる》近い時分、浴室へ行って見ると、こんどは閑として人が無い。そこで、思うままに一浴を試みていたが、あれほどの人はどこへ行った、自分のほかにはほとんど客の気配はないではないか。
 やや、しばらくあって、手拍子面白く、数町を隔てた彼方《かなた》から、声を合わせて歌う声がする。ははあ、お日待ちのくずれだと、さいぜん男衆が言ったな、くずれだか、かたまりだか知らないが、寺か、お堂の広間を借りて人寄せがあるな。
 こんなことを思いやって、閑なるこの浴室。
 窓の外の雪を見ていると、不意に引戸がガラリとあいて、甚《はなは》だ荒々しい人の足音。同時に裸体を現わした甚だ大きな漢《おとこ》と、さまで大きからぬ男。
 兵馬は、これを一目見て、ほっと、舌を捲いてしまっていると、先方が、
「やあ、いたいた」
 無遠慮を極めて、兵馬の前に裸体のままで立ちはだかって、
「やあ……」
 兵馬が、ほとんどおぞけをふるってしまったのは、この二人の亡者、それが別人ならぬ仏頂寺弥助と、丸山勇仙であったからです。
 二人は、舌を捲いている兵馬を、まともに見下ろしながら、ズブリと兵馬の左右へ飛び込んで、
「占《し》めた、占めた、もう逃げようとて逃がすまい」
「いったい、どうしたのだ」
 兵馬が呆《あき》れ返って問い返すと、仏頂寺がニヤニヤと笑いながら、
「あの日に、君を出し抜いて、我々二人は先発してな、檜峠まで来てみたのだが、はっと思い当るのは、白骨の温泉に忘れ物をして来たことだ。そこで二人が取って返すと、途中、鐙小屋《あぶみごや》の神主というのにとっつかまって、あぶなく祓《はら》い給えを食いそうなのをひっぱずして白骨へ来て見ると、忘れ物もとんと要領を得ない上に、君ももう出立してしまった後なんだ。そこで、我々も残念がって、君の行方を聞いてみると、たしかに中の湯から安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨の平湯をめざして行ったと猟師の奴が話すものだから、それ追っかけろと、今早朝、白骨を立って、てっきりここと押しかけて見ると、果して、君がいてくれたんだ、こんな嬉しいことはない」
 兵馬にとっては、あんまり、嬉しくもなんともないことです。
 彼等と手が切れたことを、勿怪《もっけ》の幸い、と気安く思っているのに、この有様だ。
 よくよくの因果だな、この連中、やっぱり、振切ろうとしても、突っぱなそうとしても、やり過ごそうとしても、出し抜こうとしても、ついて離れない。
 イヤになっちゃうな――兵馬は呆れ返ったのみで、叱るわけにも、罵《ののし》るわけにも、追い飛ばすわけにもゆきません。
 そこを仏頂寺が、
「宇津木、さあ、これから高山へ行こう。飛騨の高山はあれで、幕府の知行所だ、講武所の山岡鉄太郎の知行所もある、ちょっと、山国の京都といった面影があって、なかなかいいところだよ。それから東海道方面へ出るのは順だが、どうだ、方向を全く一変して、我々と共に越中へ行かないか。越中は我々の故郷だ、佐々成政《さっさなりまさ》のさらさら越えではないが、これから美濃尾張の方面へ出るのは平坦な道だが、越中へ入るのは非常なる難路だ、それをひとつ我々で越えようではないか、越中の立山、加賀の白山をひとつ廻ってみる気はないか、山の中だけに、とても、東海道筋の平凡な道の及びもつかぬ面白いところがあるぜ」
 どんなことを言い出すかと思うと、丸山勇仙がしゃらけきって、
「おれは、もう山は御免だよ、早く、名古屋へ出ようではないか、岐阜から名古屋、東海道筋へ向うのは、我々亡者にしてからが明るい気分になる、名古屋美人を前に置いて、いっぱいやりたいものだテ」
「それもそうだな。ともかく、我々はたったいま着いたところで、まだ地の理を研究していない、さあ上ってひとつ、前途の方針をとっくりと定《さだ》めようじゃないか」
「よかろう」
 彼等は、ほとんど、ピチャピチャと雀がゆあみをするくらいにして、もう上りにかかるから、兵馬もつづいて上る。二人は、がやがやと話しながら、ついに兵馬の部屋に乱入してしまいました。
 部屋に入ると、いきなり仏頂寺は、床の間に飾った甲冑《かっちゅう》を目にかけ、
「やあ、古強者《ふるつわもの》が控えているぞ、これは相当のものだ、一方の旗頭が着用したものだ、時代は北条中期かな――鎌倉前期までは行くまい」
と言いながら、無雑作にまず兜《かぶと》から引きはずして、自分の頭の上へのせました。
「手荒いことをしてくれ給うなよ」
 兵馬は、おとなしく頼むように言うと、仏頂寺は、
「何だい、おてやわらかに取扱わねばならん甲冑が役に立つか。よしよし、この際ひとつ拙者が、正式にひっかついでみてやろう。拙者のかっぷくは、そう人には譲らないつもりだが、昔の人の甲冑は規模が大きいな。どれひとつ正式に着用して、ためしてみてくれよう」
といって、仏頂寺は、飾り物の甲冑物の具をいちいち分解にかかりました。
 よせとも言えない。
「勇士組にいる時、甲冑《かっちゅう》の着け方も一応は覚えたんだが――どうも勝手を忘れてしまったようだわい。今時は、戦争にも甲冑ははやらんでな。こんな甲冑は実用にはならんので、長州征伐の時、幕軍が破れて歩兵隊が奇功を奏したのも、一つはこの武装のせいだよ。幕軍は元和慶長以来の、家重代のやつを着飾っておどかそうと試みたものだが、長州方は、軽快な筒袖のだんぶくろみたようなものだ。そこで、関ヶ原では、驍名《ぎょうめい》を轟《とどろ》かした井伊の赤備えなんぞも、奇兵隊のボロ服にかかってさんざんなものさ。今時の甲冑は飾り物に過ぎないが、源平時代はこれが実用さ、これでなければ戦《いくさ》もできないし、人気も鎮まらないさ。しかし、いいもんだな、形と言い、こしらえと言い、華にして実、実にして雅、よろいかぶとは武装の神様だ、位から言っては、いつまでも廃《すた》らないのさ。これをこう着用して、馬に跨《またが》って先登に立つと、三軍の士気がおのずから奮う、その点もダンブクロとは威力が違う、飾り物でもなんでも、この甲冑というやつは尊重しておかなくちゃならん――ところで……」
 仏頂寺弥助は羽織を脱ぎ捨てて、床の間の鎧《よろい》をいちいち取外《とりはず》して、品調べにかかってから、一応覚束ない手つきで、
「まず小袴《こばかま》から……」
 色のあせた緞子《どんす》の小袴をとって帯の上に結び、
「誂《あつら》えたように三星まである。ところで、この紐をこうしめて前へ引きまわし、前締《まえじめ》に引通して結ぶ。普通の袴のように、前の紐をさきに結んで、後ろのをあとで結ぶのはいけない」
 小袴をつけ終ってから、
「足袋はあと、脚絆《きゃはん》は略して……草鞋《わらじ》も略して、それから脛当《すねあて》だ。多分これは、多門脛当というやつだな」
 脛当を取って、まず左の足につけながら、
「こうして左から先にはいて……右足を後に、おっと、この承鐙肉《あぶみずり》は内側にならなけりゃいかん。どうも、下へ脚絆を穿いとかないと、気色が悪いけれど。そうして紐は空解《そらど》けのしないように、結び目を左右に分けてはさんでおく。それから佩楯《はいだて》か……これは威佩楯《おどしはいだて》になっている、こうはいて、こう締めて、さてこの前締をどうしたものかな。すべて前締のあるのは、腰をさがらせないように特に注意してあるのだから、無用と思って閑却すると、立働きの時に、その罪がテキメンに現われて来る。さてお次は決拾《ゆがけ》かな」
 決拾一対を探り出して、
「近代の具足では、この決拾というやつはあんまり使わないらしい。馬上に弓の場合だな。これも左が先、右が後……すべて甲冑の着用には左を先にすることが定法《じょうほう》になっているのだ。さあ、この次は籠手《こて》だ」
 鉄にかなりの時代のある筒籠手を引っぱり出した仏頂寺は、二三度ひっくり返して、
「さあ、これが本当の小手調べだ、どっちが左だい……そうか、まあ、こんなことでよかろう、この辺でお茶を濁しておけ」
 一応、籠手《こて》をつけ終った後に、脅曳《わきあい》、胴を着けて、表帯《うわおび》を結び、肩罩《そで》をつけ、
「これから両刀だ、これは御持参物を以て間に合わせる」
と刀をさし、次に職喉《のどわ》、鉢巻、頬当《ほおあて》から兜《かぶと》をかぶり終って一通りの行装をすませて、ずっしずっしと室内を歩み出し、
「どうだ、武者ぶりは……」
「天晴天晴《あっぱれあっぱれ》――元亀天正時代ならば押出しだけで差当り五百石の相場はある」
 丸山勇仙がほめる。と、仏頂寺弥助は長押《なげし》にかけた薙刀《なぎなた》を見つけて、
「槍にしたいものだが、薙刀じゃ少し甲冑につりあわんけれど……」
といって、それを取下ろして、小脇にかい込み、床の間へどっかと坐り込んで、ジロジロ見廻している。
 丸山勇仙は、その武者ぶりをほめたり、けなしたりしながら、物の具の威《おど》し方や、糸の色、革の性質、象嵌《ぞうがん》の模様などを仔細らしく調べている。
 兵馬は、苦々しい思いで、彼等の為すままに任せている。
 暫くしてから、仏頂寺弥助が、立ち上って、
「ああ、なかなか重い、昔の武人は、とにかく、これで馬上の働きをしたんだからエライ。もっとも我々でも、いざ戦場となれば、この程度で働けないこともあるまいさ」
「君だからいいけれど、僕や宇津木君なら、つぶされてしまう」
と丸山勇仙が言いました。
 そこで仏頂寺も、兜から、おもむろに武装を解きにかかって、取外すと、丸山勇仙が介添気取りで、いちいちそれを整理する。
 それから、鎧櫃《よろいびつ》へ納めようとして、一応鎧櫃の中を探ってみると、勇仙が手に触れた一冊の古びた書物を探り出し、妙に眼をかがやかして、それを二三枚繰って見たが、ニヤニヤと笑って、仏頂寺の眼の前につきつけ、
「まだ一くさり残っていた」
 仏頂寺が、その冊子をのぞいて、渋々と手に取り、
「は、は、は、これこれ、これはまた古来、軍陣中無くてはならぬ一物となっている」
 二人は額をつき合わせて、この書物を見ながらしきりに笑っている。
 兵馬は、ただ苦々しい思いばかりしている。はしゃぎ廻りながら二人は冊子を見てしまうと、兵馬には見ろとも言わないで、そのまま、また鎧櫃の中へ抛《ほう》り込み、それでも感心なのは、いちいち二人でていねいに、もとの通り、鎧櫃の上へ、物の具を飾りつけて、薙刀も以前のところへかけ、そのついでに仏頂寺は障子を細目にあけて外を見まわし、
「いや、この分では大した降りもないようだぞ、明るくなっている、やむかも知れない。やむとすれば、この間に出立しようではないか。今から三人で押し出せば、少々遅着はするが飛騨の高山までは大丈夫。どうだ、宇津木、出かける気はないかい、多少の雪を冒《おか》しても、出立する気はないか」
「そうさなあ」
 兵馬も、ちょっと、返答に困りました。それは今日は籠城《ろうじょう》のつもりでいたから、天気に望みがあり、好きでも嫌いでも、こうなった退引《のっぴき》ならぬ同行者がある以上、ここに逗留をしていなければならぬ理窟はない、といって、この二人の亡者と共に、雲の如く、煙の如く、人間の如く、幽霊の如く、出没進出を共にする気にもなれない。
「出かけよう、出かけよう、こうしていたって仕方がない。さて出かけるとすれば、いったいどっちへ行くのだ」
 彼等は、出かけることが先で、その目的があとになる。行きつきばったりとはいうけれど、その行きつきが、臨時で、無方針になっている。兵馬のは、とにかく、方針が定まっているが、彼等は出没自在になっている。
 だからこの場の風向きで、兵馬が飛騨の高山を主張すれば、むろん彼等もそれに同ずるだろうし、ことに仏頂寺の故郷だという越中方面に爪先が向けば、彼等は喜ぶだろう。
 だが、その時、丸山勇仙が、趣の変った異説を一つ出しました、
「せっかく、平湯へ来たものだから、今日は一日ここで休息をして、この附近で名立《なだ》たる大滝を見て行こうじゃないか、高さ三千尺、飛騨の国第一等の大滝が、これから程遠からぬところにあるそうだ、それをひとつ見物して、明朝出立のことにしたらどうだ」
 この提議が容《い》れられて、今日はとにかく逗留ということになり、仏頂寺、丸山は、肉を煮て酒という段取りです。

         二十三

 肉を食い、酒を飲み、飯を食い終った時分、天候も見直したようだから、三人が揃って、ここから程遠からぬ飛騨の平湯の大滝を見に出かけます。
 乗鞍よりの山路を行くと、山腹が急に二つに裂けて、大滝を不意打ちに開いて見せられた三人は、
「あっ!」
と言いました。
 よく旅人がいう、那智を見る時は那智を見に行く心になり、華厳をたずねる時も華厳をたずねる心で行くから、予想より以上に驚くこともあり、驚かぬこともあるが、飛騨の平湯の大滝は、不意打ちに現われるから驚かされることが多い。
 水量に於ては華厳に優り、高さに於ては中段以下が山谷に遮《さえぎ》られて見えないから、ちょっと際限を知り難い。
「あっ!」
と言って三人が立ち尽すこと多時、
「豪勢だな、おれは那智は知らんが、たしかに日光の華厳以上だよ」
と丸山勇仙がまず驚歎の声を上げる。
「おれは那智も、華厳も、知らないから、でもまずこれがおれの見たうちで日本一かな」
と仏頂寺弥助が、眼をすましながら、
「尤《もっと》も、おれの国の越中の立山の中には、とても大きいのがあるそうだが、おれはまだ見ない」
と言いました。
 兵馬も実際、この大滝は予想外に大きかったことを感歎しているらしい。そこで、仏頂寺は兵馬を顧みて、
「宇津木君、君は諸国を廻って歩くが、これに匹敵するやつを見たかね」
「僕もまだ、華厳も、那智も、見ていないですからな」
「そうか」
 そこで、この三人のうちの最も滝通は、丸山勇仙ということになる。
「ここにいては、滝壺がわからんからな、何とも言えないが、水の豪勢なことはたしかに華厳以上だ。華厳の滝は、うらから元まで、ちゃんと一目に見ることができるが、この滝はそうはいかない、高さのことは華厳に比して何とも言えないが、土地の言伝えでは三千尺あるといっている」
「三千尺」
「うむ」
「三百丈だな」
「左様」
「間に直すと……」
「五百間さ」
「五百間――一町を六十間にすると」
「八町と少し……だが、三千尺はうそ[#「うそ」に傍点]だろう、唐の李白《りはく》の算盤《そろばん》でもなければそうは割り出せない、常識から言ってみてな。三千尺といえば、山にしたところでかなり高い山だからなあ」
「李白は三千ということをよく言いたがる」
「とにかく三千尺としておいて、さて滝というものは、直立して目通りを見るものでもない、高所から俯して見るものでもない、滝ばかりは下から仰いで見なくちゃ趣が無いようだ、ひとつこの滝壺を究《きわ》めてみようじゃないか」
「下り口が、わからない」
「ともかく、もう少し登ってみよう、必ず相当の下り口があるに相違ない」
「誰か土地の案内者を頼めばよかったなあ」
 そうして三人は、滝壺へくだる道をたずねて登ると、ややあって、
「あった、あった」
 丸山勇仙のけたたましい叫び。
 彼は、それが滝壺へ下る路かどうかは知らないが、たしかに下へ向うべき路らしいものを発見したらしい。けれども、それが果して道だかどうだか、発見はしながら自分で疑っているらしい。
「なあんだ、路でもなんでもないじゃないか、ほんの崖くずれのあとだ」
 仏頂寺弥助が、丸山の発見を冷嘲する。
 丸山も一時は、発見を誇大に叫んでみたが、そう言われると、これが果して路だか、どうだか、自信の程があぶなくなる。
 事実、そこは岩角が、雨あがりの崖くずれのために崩壊して、その岩壁を斜めに、ほんの足がかり、それもその気で見れば、たしかに人間の通路をなした痕跡《こんせき》があるとも見えるし、ないとも見える。丸山勇仙の最初の印象は、たしかにこれこそ人間の通路、少なくとも火食の息のかかった者が、この間を通った痕跡のある印象に打たれて、叫んでみたのだが、仏頂寺から冷笑されて、またそうではなかったかという気にもなる。
 二人は呆然《ぼうぜん》として、どちらがどうという主張もなく、空しくその崖間《がけあい》を見つめていると、後ろにいた兵馬が少し進んで見て、
「滝壺への道路であるかどうかは知れないが、たしかに人間の通った気配はあるにはある」
「ふふん」
と仏頂寺が、兵馬を鼻であしらう。丸山勇仙はやや得意になって、
「そうだろう、たしかに人臭いところがあるよ、一度でも人間の通ったあとには、人間の臭いがするものだ」
「君たちは犬と同じだ」
 仏頂寺が、いよいよ冷嘲を極めているが、勇仙は、兵馬が、たしかに自分に味方していると見たから心強く、
「我々が犬なら、君の鼻は豚よりも鈍感というべしだ、たしかにここは人臭い、論より証拠、ひとつ下りてみようではないか」
と、丸山勇仙は実地の踏査を主張したけれど、仏頂寺は、いよいよ冷嘲を鼻の先にブラ下げて取合わず――兵馬は、それほどまでにして滝壺を究めることに、最初から興味をもっていなかったから、これが道路であろうともなかろうとも、身を以て証拠立てようという気にもならない。丸山勇仙も主張はしてみたけれども、他の二人ともに気乗りのしないので、強《し》いて下ってみようとの冒険心もないらしい。
 そこで三人は、三すくみのような形になって立っていると、丸山勇仙が再び、最初のようなけたたましい叫びを立て、
「人が登って来る!」
 実証のまだ甚だあいまいであったこの岩角の通路を、下から確実に上って来る人がある。その白衣《びゃくえ》を三人ともに認めないわけにはゆかない。
 勝ち誇った勇仙は、
「それ見ろ――」
「うーむ」
 仏頂寺がテレ隠しに、非常に力《りき》んでみせました。
 ほとんど直角に近いほどの崖路。兵馬も、勇仙も、ひとたびは人間臭いと見て、二度目は自信を持てなかったその岩角の斜めについた足がかりを、のっしのっしと上り来《きた》る者のあることは、仏頂寺といえどももう争うことはできなかったが、それでも負惜しみに、
「人間じゃあるめえ、狸だろう」
 仏頂寺は悪態をつきました。
「どうだどうだ、仏頂寺、君は鼻も利《き》かないと思ったら、眼もいけないのかえ、人間と狸の見さかいが無くなったのかい、もう長いことはないぜ、かわいそうに」
 丸山勇仙が、仏頂寺をあわれむと、仏頂寺はふくれ出し、
「狸だい、狸だい、こっちから石を転がしてブチ落してくれべえか」
「よし給え、冗談《じょうだん》じゃない、下から上って来るところを、上からころがされてたまるもんじゃない」
「ちぇッ、くだらねえ奴だなあ」
 仏頂寺はいまいましげに、丸山は熱心に、兵馬は興味を以て、今しも上り来《きた》る人間そのものを注視していると、身が軽い、上から見たのでは、鳥ならではと思われる岩角の足がかりに軽く手をかけ、丈夫に足を踏んで、さっさと上り来って早くも三人の眼前に現われた時、何人よりも兵馬が驚嘆しました。
「鐙小屋《あぶみごや》の神主さん」
「おお、お前さんは、白骨の温泉で逢った若衆《わかいしゅ》さん。こなたは……」
 兵馬に挨拶した眼をうつして、仏頂寺を見た時に、仏頂寺はまぶしそうに横を向いて、いまいましそうに、
「ちぇッ、見たくもねえ」
「こいつは苦手《にがて》だ――嫌い物だよ」
といって、丸山勇仙も横を向いてしまいました。
 鐙小屋の神主はけろりとして、
「ここで、お前さん方にめぐり逢おうとは思いもかけなかった。お前さん方、安房峠からおいでかエ」
 それに兵馬が答えて、
「ええ、安房から平湯へ出て、昨晩、平湯へ泊り、こうして、わざわざ滝を見物に来たのです。そうして、神主さん、あなたは?」
「わしは、白骨から乗鞍を越えて来ましたよ」
「え、乗鞍を越えて……今時、あの山が越えられますか」
「は、は、は、もう少し時刻が早いかおそいかすると危ないところでしたよ、危ないといっても命には別条ないが、荒れを食うところでしたよ、それでも運よく、ここまで来ました」
「何しに、こんなところへおいでになったのです」
「滝に打たれに来ました」
「え、滝に……」
「この滝の味は少し荒い」
「たびたび、あなたはこの滝に打たれにおいでになりますか」
「たびたびやって来ますよ」
「そうですか、驚きました」
 こうして、兵馬と鐙小屋《あぶみごや》の神主とが、心安げに会話をしているのを、傍に立って聞いている仏頂寺と、丸山の二人の面《かお》の苦々しさ。
 ほとんど、憎悪というよりも一種の抑え難い苦痛を感じて、この神主の立去るのを待っているらしい。キリキリと早く行っちまえ、このロクでなし行者め! 不死身無感覚のトンチキめ! 行っちまえ、行っちまえ。そのくせ、憎悪と苦痛の中には、多少の恐怖さえ閃《ひらめ》いて、さすがの仏頂寺も、お得意の腕ずくでは如何《いかん》ともし難いものと見える。
 幸いにして神主の方では、仏頂寺、丸山の存在には、ほとんど注意を払っていないらしく、兵馬にだけ淡泊に、
「わしはこれからまた乗鞍越しをして鐙小屋へ帰りますじゃ、お前さん、お大切《だいじ》においでなさい」
 山路を鳥のように走り行く神主の後ろ姿を見ました。
 実際、高山を見ること平地の如く、天変と気候とを超越すること金石の如き肉体でなければ、こんなことはできないと、兵馬は手を拱《こまぬ》いて、空しくその後ろ影を見送るばかりです。
 そこで、仏頂寺と、丸山は、生き返ったようになって、
「いやな奴だなア」
「いやな奴だよ、行者というやつは、乞食同様な奴さ」
「あんな奴の前へ出ると、何ともいえぬ悪寒《おかん》がして、ゾッと総身の毛穴がふくれるよ、単に悪い奴なら、ブンなぐりもして懲《こ》らしてやるが、あんなのは全くいやな奴だ、なんだかイヤにまぶしくって、胸がむかついて、つい手出しをする気にもなれない」
「そうだ、そうだ、あ、胸が悪い」
 仏頂寺と、丸山は、ついに嘔吐《おうと》をはじめてしまいました。
 兵馬は、二人をなだめる役に廻り、
「どうだ、これで実証が出来たからひとつ、下りてみようではないか」
「いやいや、あんな奴の通った路や、汚した滝壺なんぞ、見たくも無《ね》え……」
 噛んで吐き出すように丸山がいう。
「白骨で聞いた尺八と、あの神主めの面《つら》を見ると、生命《いのち》を削られるようだ」
 仏頂寺が、踏んで蹴飛ばすように言う。それを兵馬は笑止《しょうし》げに、
「いや両君、君たち、もう少し深くつきあって見給え、あの神主はいい人間だよ、行《ぎょう》ばかりじゃない、なかなか人間味もあってね。世間も渡っているから、諸国の地理、人情、風俗にわたっていること驚くばかりだ――それで言うことが徹底して、往々聖人のいうようなことを言い出すよ――白骨であの神主に逢ったことが、拙者の今度の旅の、第一の獲物《えもの》であったかも知れない」
「ペッ、ペッ、ペッ」
「ペッ、ペッ、ペッ」
 仏頂寺と丸山は、兵馬の神主讃美の言葉を聞くさえ、堪えられぬもののように、再び嘔吐を催すのを、ペッ、ペッと唾を吐いて、ごまかすと共に、充分に軽蔑の意を表し、併せて、兵馬に、もうこれ以上説くな、聞いていられない、という表情をする。
 いよいよ、笑止千万《しょうしせんばん》に感ずる兵馬。
 その時、仏頂寺が急に思い立ったように、
「どうだ、宇津木、これから白川郷《しらかわごう》へ行ってみないか、飛騨の白川郷というのは、すてきに変っているところだそうだ」

         二十四

 ここに不思議なこともあればあるもので、名古屋の城の天守閣の上に、意気揚々として、中原の野を見渡している道庵先生の姿を見ることです。
 今時《いまどき》、尾張の中村で、豊太閤と加藤清正の供養を単独でいとなみ、容易ならぬ注意人物の嫌疑を受けて、脆《もろ》くも名古屋城下へ拘引されて来た道庵主従。
 その嫌疑が晴れるまでは、相当の処分を受けて牢屋住まいをも致すべき身が、こうして青天白日の下に、名にし負う名古屋城の、ところもあろうに、天守閣の上へ立って、意気揚々として、遠く中原の空をながめているなんぞは、脱線ぶりとしても、あまりあざやかに過ぎます。
 明治以後になって、あらゆる古城はみな解放されて、多くは遊客の登臨に任せている際にも、尾張名古屋の天守へは誰人も登ることを許されていないのに、衰えたりといえども、徳川の流れ未《いま》だ尽きず、六十二万石の威勢、れっきとしている際に、無位無官の一平民――その一平民の中でも極めて値段の安い十八文の、わが道庵先生の意気揚々たる姿を、この天守の上に見出そうなどとは、あまりに思いがけないことでした。
 第一、その時代に於て、いかにこの城地の警備が厳重であったか、ここへ来るまでの難関を、あらまし数えてみると、まず、城内へ入ることを特許されたにしてからが、この天守へ登るまでには、どうしても小天守の間を通らなければならぬ。
 御天守の南に並ぶ小天守――それは土台の根敷東西十七間、幅十二間四尺、高さ約四間三尺の上に、二層の天守台が置いてある。これぞ、御天守に登る第一の関門であるから、出入りの禁容易ならず、御用を蒙《こうむ》った出入りの輩《やから》といえども、一応その旨を本丸番所に告げて後に入ることになっている。
 鍵は御鍵奉行が預かり、内部にはまたそれぞれの分担があって、いちいち奉行立会の上でなければ開閉ができないことになっているはずです。
 そこを、どうして、わが道庵先生が通過して来たか?
 そこから、いよいよ本物の御天守へ来てからに、まず口御門《くちごもん》がある。
 ここには長さ七尺、幅三尺五寸の扉が二枚あって、右の方の扉には長さ二尺四寸、幅一尺八寸の潜《くぐ》り戸《ど》がついている。門の表はすべて鉄で張ってある。この扉を開くには、まず潜り戸の輪、懸金《かけがね》の錠《じょう》を外《はず》して中に入って閂《かんぬき》を除いて、それから扉を左右に開くようになっている。この錠前の封は御城代の実印を捺して、それを箱に入れ、その箱封にはまた当番の御鍵奉行の実印が要る。そうして、その錠を検査するのは御本丸番の役目で、朝と、夕べと、晩と、三回ずつとある。
 道庵先生は、この難関を、どうして突破したか?
 口門を入ると桝形《ますがた》がある。ここには石樋《いしどい》があり、口元は千百二十四貫八百五十九匁の鉛を敷いてある。
 桝形の奥にまた門があって、その開閉の順序次第は、前と同じことである。
 道庵先生は、その関門を如何《いか》ように通過して、次なる御蔵《おくら》の間《ま》に入って来たのか?
 この御蔵の間はちょうど、五重の天守閣の番外なる地下室に当る。ここには御金蔵《ごきんぞう》もあれば、井戸の間もある、御土蔵もあれば穴蔵もある、朱蔵《しゅくら》もある。井戸の間には深さ二十間、水深約一丈、底に黄金水を敷きつめたという御用井戸がある。そうして右井戸流しの間の東に階段がある、それを六段上って中台がある、その中台を九段上って、はじめて天守の初重の台に出るのだが、それを道庵先生は、どうして通過して来た?
 第一、右の御金蔵の南には、封番人の番所があって、御天守を開く場合には必ず出役し、小人目付《こびとめつけ》一人八組、御中間《ごちゅうげん》が二人詰めているはずだが、その目をどうくらまして来たか?
 さて、かりに、ここにはじめて天守の初重を踏んでみたとする。まず井桁《いげた》の間というのへ入る。中央の物置を通って水帳の間から、備附けの武器――たとえば二百張の弓とか、百本の長柄槍とか、唐金《からかね》の六匁玉の鉄砲とか、その鉄砲玉とかいうものの夥《おびただ》しく陳列された中を通って、再び井桁の間の東南隅に戻って、そこから階段を上って、第二重へ出る。
 それから、ほぼ初重と同じほどな規模の第二重。
 東側の中央の間の北側の段階から第三重に上る。
 九室に分れた中の東北の室の北側の段階を登って、ここに第四重目に入る。
 四重の東北の室の段階から五重の台。
 五重はすなわち天上である。
 ここに藩主の御成《おなり》の間《ま》がある。
 これだけの関門を、道庵先生が、どうして突破して、ともかくも、その天守閣の上に立ったかということは、今に至るまで重大な疑問であります。
 かりに、非常の特典があってみたにしてからが、初重まではとにかく、二重以上へは、御用列以下の者は藩主のお側衆《そばしゅう》としておともを仰せつかった者以外には絶対に上れないことになっているはずではないか。
 それを、繰返すまでもなく、無位無官の一平民、しかもその無位無官のうちでも、最も安直な十八文を標榜して恥じないわが道庵先生が、どうして斯様《かよう》な特典を蒙ったかということは、わからない。まして、お客分として、この名古屋の城下へ来た道庵先生ではなく、注意人物の嫌疑者として、地下の獄に投ぜらるべく拘引されて来たはずの先生が、一躍して、天守の上へ舞い上って来ているということは、返す返すも、あざやかな脱線ぶりで、それを見る者、唖然《あぜん》として口のふさがらないのは無理もありません。
 しかし、道庵自身にとって見れば、実にいい気なものです。
 第一、あの気取り方をごらんなさい。
 突袖をして、反身《そりみ》になって、あの四方窓から中原の形勢を見渡したキザな恰好《かっこう》をごらんなさい。天下の英雄、使君、われといったような得意ぶりを御覧なさい。
「これはいい、全く中原の形勢を成している、英雄起るところ山河よし、とはこの事だ。第一、せせっこましいところが無《ね》え、中原が開けて、海が近く、山が遠い。信長の野郎も、秀吉の野郎も、こんなところで生れたから、人間がこせこせしていねえ。濃尾の平野が遠く開けて、木曾川がこんこんとして流れ、山はあれども無きが如し、出っぱったところが岬で、引っ込んだところが港だ」
と大きな声で言いました。
 濃尾の平野遠く開けてはいいが、木曾川がこんこんとして流れという、その、こんこんという字は、どれを嵌《は》めたら適当か。山はあれども無きが如し――という一句に至っては道庵式の形容で、ちょっと凡慮に能《あた》わない。
「どうだ、友様」
と言って後ろを顧りみたところに、影の形に於けるが如く宇治山田の米友が控えていたのだ。
 天下の英雄は、道庵ひとりではなかった。
「うむ、すてき[#「すてき」に傍点]だな」
「全く、すてきだろう」
 米友も同じように、眼を円くして、その雄大なる中原の形勢と、道庵のいわゆる、有れども無きが如くなる遠山をながめている。
「この通り、英雄起るところ山河よしといってな、こういうところから英雄というやつが出るのだから、よく見ておきな。それ、このあいだ、見た信州の松本の深志の城というのがあるだろう、あれからながめたところの風景と、これとは同じ城でも大きに趣が違うだろう。あの城に上って見ると、周囲は皆ことごとく高山峻峰だ、山ばかり屏風《びょうぶ》のように立てこんでいたろう。それがここへ来ると、どうだ、気象とみに開けて気宇闊大《きうかつだい》なりだろう、規模が違うだろう。つまり、武田信玄と、豊臣秀吉の相違さ。なにも山国から英雄が起らねえときまったわけのものではねえが、山国には山国らしい英雄が起り、平野には平野らしい英雄が起るのだ。実際、この尾張というところは、信長を産み、秀吉を産み、頼朝を育て、その他、加藤の清《せい》ちゃんも、前田の利公《としこう》も、福島の正《まさ》あにい[#「あにい」に傍点]も、みんなこの尾張が出したんだ。そういうふうに昔は英雄豪傑の一手販売みたようなもんだったが……」
 ここまではいいが、この辺からまた脱線、
「ところが、どうだ、現在はどうだ、その昔に対して恥じねえだけの英雄豪傑がドコにいる、いたらお目にかかりてえもんだ。名古屋味噌と、宮重大根ばかり幅を利《き》かしたって情けねえものさ。いったい、尾張の奴あ、自分の国から英雄豪傑を出しながら、その英雄豪傑を粗末にする癖がある、悪い癖だ。だから信長は安土《あづち》へ取られ、秀吉は大阪へ取られ、清正は熊本へ取られちまったんだ。それのみならずだ、近代になって、細井平洲という感心な実学者が出たんだ、ところがその細井平洲も米沢へ取られて、誰でも米沢の平洲先生なんていって、尾張の人だと気のつく奴もねえほどのものだ。そういう自分の国から出た英雄豪傑を、有難がらねえような了見ではいけねえから、それで道庵が示しのために、わざわざ自腹をきって、ああやって太閤祭りをやって見せたのさ」
「なるほど」
「この間、お前と供養のお祭りをした太閤秀吉の生れ故郷は、ここから見てドコに当るか、お前わかるか」
「おいらにゃあ、さっぱり見当がつかねえよ」
「そうら見ろ、あの田の向うに当って、こんもりと森になったところがそれだ」
「なるほど」
「ところで、友様、東西南北がわかるか」
「わからねえ」
「そうら、こっちが西だ、遥か向うの平野に雲煙縹渺《うんえんひょうびょう》たるところ、山がかすんで見えるだろう、あれが伊勢の鈴鹿山だ」
「えッ、伊勢の鈴鹿山かい」
 米友が眼を円くすると、道庵が乗り気になり、
「そうだ、あれから南に廻ると関の地蔵に、四日市、伊勢の海を抱いて、松坂から山田、伊勢は津で持つ、津は伊勢……」
「うーん」
 その時|唸《うな》り出した米友の顔色を見て、道庵が少しあわてました。
「あれが伊勢の国……違えねえな」
 米友の円い眼が爛々《らんらん》と光り出します。この男はついその生れ故郷の隣国まで来てしまったことを今はじめて教えられた。そうして、その故郷の山河を、目の前につきつけて見せられていることを、言われなければ気がつかなかったのです。
 伊勢と言われて、火のついたようになった米友を見ると、道庵も、はたと思い当ったことがあります。
「友様、おたがいに、つい知らず識《し》らずここまで来てしまったが、ここへ来ると、伊勢が眼と鼻だから、変な気になるのも無理は無《ね》え、おれにとっても、お前《めえ》にとっても、忘れられねえ伊勢の国のつい隣りまで来てしまったことを、今はじめて知ってみると変な気になるなあ」
「…………」
 米友は何とも答えない。四方窓の方へひときわ身を乗り出した時の顔色を見て道庵が、ああ、こんな生一本な男に、故郷の山を見せるのではなかった、と考えました。
 予期しなかっただけに、べらべらと、しゃべってしまったが、さて気がついてみれば、この男――と、そうしてこの生れ故郷の伊勢――というところには、容易ならぬ因縁の有することを、いま気がついた。
 第一、この男が、何故に故郷の伊勢の国を出て来たかを考えてみると、何故に故郷を出なければならなくなったかを思いやってみると、そうして故郷を出て、遥々《はるばる》と東海道を下って空《くう》をつくように江戸をめざして進んだ時の、心の中と、その道中の艱難《かんなん》を考えてみると、憂き旅を重ねて、ようやく江戸へ落着いて、それからまた甲州へ行って、また江戸へ戻るまでの間のこの男の出処進退を考えてみると、まあ、そんなこんなの艱難辛苦は持って生れたこの男への試練としても、その点は鍛えられている体質のおかげで、はたで見るより苦にならないものと割引をしても、この生一本の男には忘れんとしても忘れられない、癒《いや》さんとしても癒しきれない、魂の片割れを死なして、往きて帰らぬ旅路に送りこんでしまっておいて、そうして今、自分だけひとり二度と故郷の山をまともにながめられるものか、ながめられないものか――
 碓氷峠《うすいとうげ》の風車の前で、東を向いてさえあの通りだ。
 年甲斐もない道庵――その辺の事に察し入りがないというのはどうしたものか。たとえ、相手方から、あれが伊勢の国の山かいと聞かれても、なんのなんのと、そこは、お手のものでいいかげんにごまかして、感傷転換をやるほどの匙加減《さじかげん》はあってしかるべきものを、もう取返しがつかない。
「危ねえよ、友様、そう前へ出ちゃあぶねえよ、落っこちると下だぜ」
といって道庵は、窓から身をのり出した米友を、しっかり後ろから抑えました。
 抑えたけれども、米友の力と、道庵の力とでは、相撲にならない。
「うーむ」
 血走る眼に鈴鹿山を睨《にら》めて、米友はまた一段と乗り出しました。
「あぶねえよ――友様、冗談じゃねえぜ、落っこちると下だよ」
 道庵は、ほとんど必死で米友を抑えましたが、米友はそれを顧みず、
「うーむ」
 もう一寸前へのたり出す。
「友様、しっかりしな、ウソだよ、ウソだよ、ありゃ伊勢の国じゃねえんだ、まあ、こっちへ来な、こちらの方の、もっと景色のいいところをただで見せてやるから」
と言ったが、もう追っつかない。今更そんな子供だましの気休め文句を言ったって、焼石に水です。
「うーむ」
 この時、もう胸から上が、窓の外に出ている。
「いけねえ」
 道庵は必死にしがみつきました。
 それを物ともせずに、米友は、じりじりと窓の外へ身を乗り出す。その眼は鈴鹿山から伊勢の海あたりをながめながら、その面《かお》は朱のように赤くなって、そうして、口から泡を吐いている。
 どうするつもりだ、何かの無念と、過去の惨酷《さんこく》なる思い出のために、この男は正気を失って、ここから落ちることを忘れているらしい。道庵の言う通り、落ちれば下にきまっている。いくら米友の身が軽いからといって、上へ落ちる気づかいはない。
 落ちたところ――かりにこの出来事が、天守の五重目の上とすれば、石垣が東側の地形《じぎょう》から土台まで六間五尺あって、北西の掘底から、土台までは十間あり、天守は土台|下端《したは》から五重の棟|上端《うわは》まで十七間四尺七寸五分あり、東側から地形《じぎょう》は棟の上端までは二十四間三尺二寸七分あるから、いくら米友の身が不死身に出来ているからといって、もともと生身《なまみ》を持った人間のことだ、この高さから下へ落ちては、たまるものではない。
 それを知らないのか、この野郎、そうなった日には尾上山《おべやま》の時とは違って、もうおれの力ではどうすることもできないぞ。
 だが、この時の当人の身になってみると、その惨酷なる思い出の故郷の山を、こう眼前に見せつけられているよりは、ここから落ちて、微塵《みじん》に砕けて、消え失せた方が、遥かに痛快なのかも知れないのです。
 いずれにしても、危険の刻々に迫るのを見て取った道庵は、ほとんど畢生《ひっせい》の力を出して、抑えてみたが、前にいう通り、道庵の力では相撲にならない。前へ、前へと乗り出して行く米友の力――それはまことに怖るべきもので、さしもの道庵が周章狼狽《しゅうしょうろうばい》、為すべき術《すべ》を知らず――
「誰か来てくれ――助けてくれえ」
 思わず絶叫した時に、あわただしく階段を登り来る人の足音、
「先生、どうなさいました」
「早く、早く、何とかしてこの男を、飛ばさねえように……」
「いったい、どうしたのです、先生」
「どうしたも、こうしたもねえ、この男の足をおさえておくんなさい――下へ飛ばせねえように……」
「何が何だか、わかりませんが」
といって、わからないなりに米友の足をおさえたのは、いまあがって来た別の一人――頭が丸くて十徳姿、お数寄屋坊主とも見られる――それはいつぞや、木曾の寝覚の床で、道庵と昔話の相手をしたその僧形《そうぎょう》の人体《にんてい》にも似ているようなのが、力を合わせて、必死と米友を取押えにかかります。
 二人の、騒ぐことによって、米友がほっと己《おの》れにかえりました。力を抜いて、ふり返った拍子に二人が後ろへころげる。
 おこりが落ちたように、きょろりと四方《あたり》を見返した米友。
 とりのぼせてまことに済まなかったという面《かお》つきではあるが、その上に漂う悲痛の色は消すことができない。

         二十五

 米友をなだめた道庵は、そこを一重下ってから、外を遠くながめて、
「友様、見な、肥後の熊本が見えらあ」
 ここで、道庵が突然、肥後の熊本、と言い出したのは、何のよりどころに出でたのか、意表外でした。
 呼び名が意表外であるのみならず、てんで方角がなっていない。その指している方向は三河蒲郡《みかわがまごおり》か、或いは知多半島の方面であろうところの空際を指して、道庵は突然、「肥後の熊本が見える」と言い出したものです。
 言われたままに、米友は、道庵の指した方向に、眼を向けることには向けました。
 多分、道庵の計略では、こうして途方もないことを言って、一時《いっとき》なりとも米友の眼界を転換させれば、その正直者は、それで心機の転換もできる、という心か。それで、蒲郡とも言わず、伊良湖崎《いらこざき》とも言わずに、肥後の熊本と呼びかけたのは、つまりこの尾張名古屋の城は名古屋の城であっても、現に自分が雲を踏むような心持で登臨しているこの天守閣は、肥後の熊本の加藤肥後守清正が、一世一代のつもりで、一手で築き上げたものだというその知識が絶えず頭にあるから、そこで、ついつい、肥後の熊本が飛び出したものであろうと思われます。
 事実、名古屋の天守閣が、いかに高かろうとも、そこから九州の一角まで見えようはずがあろうとも無かろうとも、それは問題にするに足りないし、道庵の頭が、かなり粗雑に出来ているところへ、米友の頭が、あまり率直に過ぎるから、この出鱈目《でたらめ》が両々、おかしくも、悲しくもないことに結着しました。
 二人の間では、問題にならなかった肥後の熊本を、聞き咎《とが》めたのが同行のお数寄屋坊主です。
「先生、もう、なんですか、あなたは、万松寺へおいでになってごらんになりましたのですか、ずいぶんお早いことですなあ」
 米友は、熊本が見える、見えない、ということをちっとも問題にしなかったけれど、聞捨てにすることのできなかった土地案内のお数寄屋坊主から、まじめに受取られて、道庵が少したじろぎ、
「いや、なあに、そのちっとばかり……」
とゴマかすのを、お数寄屋坊主はなおなお親切に受取り、
「もう、あれへお越しになりましたですか、実はこれから御案内をしようと存じておりましたところで……」
「結構ですな、どうぞ願いたいもんだ」
 どうもここのところの受渡しがしっくり行かなかったものですから、お数寄屋坊主が少しばかり解《げ》せない面《かお》をして、
「では、まだおいでになりませんのですか、万松寺へは」
「万松寺へ?」
「はいはい」
「万松寺……なるほど」
「稚児様の時分ですと、一段ですが、今はあんまり風情がございませんけれど」
 そこで三人は、また天守の一層を下る。
 下りながら、さすがの道庵も、ちょっと考えさせられました。
 自分が打ち出した肥後の熊本という問題は、米友の頭では問題になりませんでしたけれども、横合いから、それを受取った人が、かえって自分に問題を打ちかけたことになる。
 お数寄屋坊主が、委細のみ込んで反問した「ばんしょうじ」の符帳がどうしても道庵に解ききれない、その時は鸚鵡返《おうむがえ》しに「ばんしょうじ」と、こちらものみこみ顔に受取りはしたものの、前後がはっきりしていないのです。
「じ」という音が示す通り、寺の名には相違ないと判じたが、寺の名であってもなくても、それが肥後熊本と何の交渉がある。察するところ、この先生はこの先生で、また自分の言うところを聞きそこねたな。そうでなければ、穿《うが》ち過ぎて、こちらの頭にない取越し判断を加えてしまった。
 まあ、仕方がない、なるようにしかなるまい、万事、この坊主頭に任せておいてやれ、という気になりました。
 そうして、道庵は、また一層の段階を下りながら、
「は、は、は、は」
と高らかに笑って、同行の二人を驚かせましたが、別の仔細はありません。
 横町の二町目に店があって、親が聾《つんぼ》で、子もまた聾。ある時、親爺が忰《せがれ》に向って、忰や、いま向うを通ったのは八百屋の伝兵衛さんではないか、とたずねたところが、その忰が言うことには、なあに、お父さん、あれは八百屋の伝兵衛さんですよ、それを親爺が受取って、すました顔で、そうか、おれはまた八百屋の伝兵衛さんかと思った――という小噺《こばなし》を、この際道庵が思い出したから、それで不意に高らかに笑いを発したので、まあまあ、おたがいの勘違いのままで任せておいてみろ、宜《よろ》しきに引廻してくれるだろう、という気になりました。
 このお数寄屋坊主は、道庵主従を、その万松寺というのへ向けて引廻すつもりでしょう。
 程経て三人の姿を名古屋大路に見出したが、途中、仰山らしい人だかりに行手をはばまれて、背の高い道庵が、その人だかりの肩越しにのぞいて見て、思わず声を上げ、
「いや、奇妙奇妙」
と叫びました。
 そも、この中に何事があるかということは、道庵が見届けた通り、米友も見届けなければならない義務があるかのように、ちょっとうろたえてみたが、人の肩越しにのぞくだけの身の丈を持ち合わせない米友です。
 そこでちょっと人垣の透《すき》を見取って、その足と足の林を押分けあんばいにして、中へと進み入るよりほかはなく、そうして忽《たちま》ち、その通りにして前列へ出て、中の形勢を見届け得るのところまで至ることができました。
 だが、至りついて見ると、それは別段、奇妙奇妙と声を上げるほどの光景ではない。打見たるところでは、まだ新しい段々染《だんだらぞ》めのかんばん[#「かんばん」に傍点]を着て、六尺棒を持ったところの折助風ののが数名いる。それに羽織袴をつけた世話人、取持風のが数名、往来の中に、手持無沙汰に佇《たたず》んでいる。
 と、その一方には、木刀をさした、やはりお仲間風なのが、これは、白昼に、箱提灯を二張《ふたはり》つらねて、先へ立つと、その後ろに、ことし、はじめて元服したらしい、水々しい若衆が一人と、それにつき添うて、前髪立ちの振袖の美少年が、二人ともに盛装して、歩むともなく佇むともなく立っていると、その後ろには、挟箱《はさみばこ》がおともをしているといったような尋常一様の御祝儀のお供ぞろいみたようなものです。
 こんな、あたりまえのお供ぞろいに、さりとは仰山らしい人だかり、それをまた道庵ともあるべき者が、
「奇妙奇妙」
と、高い山から谷底でも見るような気持で、のびやかにそれを見下ろしている光景も、のどか[#「のどか」に傍点]なものです。それをまた、
「先生、いいものに、ぶっつかりました、これぞ、熱田西浦東浦の名物、元服の加儀の行列でございます、ほんとに今日の拾い物といってしかるべし」
 同行のお数寄屋坊主が、道庵の背中を叩いてけしかけるものだから、
「なるほど、奇妙奇妙」
 道庵には、この緩慢なる行列の正体がわかっているのかどうか、しきりに奇妙がって、中を見おろしていると……行列の主人公とも見える、水々しい新元服の美男が、いかにも横柄《おうへい》に、
「お取持、お取持」
と呼びます。
「はっ!」
 中老人の羽織袴のお取持、これは多分、先方からこの客を迎えのための案内役と覚しいのが、鞠躬如《きっきゅうじょ》として、まかり出てくると、新元服が物々しく、
「せっかく、お招きにあずかったは嬉しいが、前に、このような山があっては、進もうにも進まれませぬ」
と言いました。
「はっ、恐れ入りました、万事行届きません、では早速、山を取除かせて、道を平かに致させますでございます」
「急いで、お取りかかり下さい」
「委細心得ました」
 お取持が、扇子をパチパチさせながら、狼狽《ろうばい》ぶりを見せると、取囲む見物がドッと笑う。
「奇妙奇妙」
 道庵までが、悦に入って喝采する。米友にはわからない。
 この若い奴――水々しい新元服の横柄なこと――いま、聞いていれば、せっかく、お招きを受けて出て来たことは出て来たが、行手に山[#「山」に傍点]があって行けないと言ったようだが――山[#「山」に傍点]とは何だ、坦々たる平原都市の大路ではないか、山[#「山」に傍点]と聞いたのは聞き違いとしても、その前路になんらのさわりも無いではないか。
 そうすると、またお世話人と、お取持らしいのが両三名出て来て、仰山に、恐れ入ったふうをして、ペコペコすると、今度は、新元服に附添の、まだ前髪立ちの美少年が、振袖の袂《たもと》を翻して地上を指さしながら、屹《きっ》となって、ペコペコのお取持に向い、
「御案内によりお相客として、われらも罷《まか》り出でましたが、御正客の只今、おっしゃる通り、行手にこのような大きな山があっては、越そうにも越されませぬ、取急いで、何とか、お取捌き下さい」
「はっ、はっ――恐れ入りました、至急に地ならしを仕りまする」
 新元服の本客に劣らない、振袖姿の美少年の生意気さ――道路の上に指さして、上役が下僚を叱るような態度で、きめ[#「きめ」に傍点]つけているのが、
「奇妙奇妙」
 道庵には奇妙だが、米友にはむしろ奇怪千万の挙動に見られます。
 どうも、両者の詰問を聞いていると、いずれも、せっかく、招かれたから来てはやったが、途中に山があって、通れないということの抗議に帰着されるらしい。
 ただ、これを新元服は突袖で言ったが、前髪立ちは、振袖の袂を翻して、鮮かに地上を指さしながら言っているだけの相違です。
 恐縮の額に手をおいて、振袖に指さされた地上を、お世話人と、お取持が見つめて、いよいよ恐縮している。その指摘の場所をよく見れば、拳大の石が一つ、路面に頭を出している。
「このような大きな山、薩陀峠《さったとうげ》や、宇津の山道ならば、馬駕籠でも越せましょうが、これは、越すに越されぬ大井川と同じこと、至急何とかお取計らい下さい」
「委細、心得ましてござります。おーい、人足共はあるかやい」
 お取持が恐縮千万のうちに、後ろを振返って大きな声で呼ぶと、
「おーい」
と勢揃いの声がして、一方から現われるのは、揃いの着物に向う鉢巻の気負いが五人、手に手に鳶口《とびぐち》を携えて、しずしずと世話役の前へかしこまる。
「これ頭《かしら》たち、今日、せっかく元服のお客様をお招き申し上げたところ、道筋に斯様《かよう》な大きな山があっては、行くに行かれぬと、お客様方よりお叱りでござるによって、早々、山を取崩して、道筋を平らになさるように……」
「委細承知いたしました、さあさあ、よいやさの――さ」
 五人の頭が、鳶口を振り上げて、よいやさのよいやさのと、かけ声ばかりは勇ましく、振袖が大風《おおふう》に指摘している路面に、ほんの少しばかり頭を出しただけの小石を掘りにかかる。その大仰な仕事ぶりを見ると、見物一同やんやの喝采だ。
 それからまた、件《くだん》の山岳取りくずし工事の緩慢さ、五人の頭が、かけ声ばかり大仰で、拳大の石一つ掘り出すに、いつ果てるとも見えない。
 見物は、その緩慢にして、大仰な仕事ぶりを見て、しきりに嬉しがっている。
 ばかばかしくって、たまらない米友。

         二十六

 幾時《いくとき》の後なりけん、山道|切拓《きりひら》き工事(拳大の石を一つ掘り出すこと)がようやく終ると、木遣《きやり》の声がする。
 大骨折って掘り起した三百匁ばかりの石を、手揃いで大八車に積みのせる仰々しさ、さてまた、それを木遣音頭で送り出す騒がしさ。
 そこで、お取持が、新元服の前に例によって平身低頭して、工事のようやく成れることを告げてお通りを乞うと、新元服は鷹揚《おうよう》にうなずいて、歩み行くこと約三尺。
「お取持、おのおののお骨折りによって、大山は取除かれたが、またしてもここに大きな川があって渡れ申さぬ」
「ははあ、これはまた恐れ入りました、では、橋かけに取りかからせまする」
 大きな川があって渡れないというところを見ると、金魚屋がこぼして行ったような水たまり。
 その御託宣をかしこまって人夫をかり立てるお取持――えんやえんやで竜吐水《りゅうどすい》が繰込んで来る、蛇籠《じゃかご》が持ち出されるという光景を見て、米友がばかばかしさを通り越して、もう一刻も我慢がなり難くなりました。さすが暢気《のんき》な道庵も、うんざりしたと見えて、
「友様やあーい」
「おーい」
「どうだ、出かけようじゃねえか」
 一から十まで承知しているような面《かお》をしながら、その実、頭も尻尾も一向なさか[#「なさか」に傍点]のわからない道庵先生に向って、お数寄屋坊主が、今の元服加儀の行列のいわれを、説明していうことには――
 毎年の初午《はつうま》には、熱田西浦東浦の若い者が元服する。その加儀として、去年元服した若い者を請待《しょうだい》する――招待された客は、おのおのに箱提灯《はこぢょうちん》を持たせ、髪も異様に結い廻し、すべておかしき形を旨として出立する。
 その時、亭主の方よりお取持の者が大勢出で、客の前後に従い、案内をする。その行列はさながら蟻の歩むが如く、我儘《わがまま》の言い放題で、取持を困らせるのを例とする。ただいま実見した通り、小石一つ見つけても大きな山があると言い、水のこぼれたあとを見ては、深い河があって渡れないと言う。その度毎に、あの通りの騒ぎで、大勢寄ってたかって、石を掘り取り、木遣《きやり》で送り出し、水は大仰にかいほすやら、橋をかけるやら――万事この調子で、道のり四五町のところを、正午《ひる》頃から出て、暮方になって家に着く――主として熱田西浦東浦に行われる風習を、今日はどうした風の吹廻しか、城下の大路へ持ち出したものと見えます。
 これは、時にとってよい見物《みもの》で、道庵をいたくよろこばせました。
 思わぬ道草で時間をとり、広小路から末広町を通って、若宮裏へ廻って、門前町へ出で、それから少し行き過ぎて、後戻りをして、樅《もみ》ノ木《き》横町から、ようやく亀岳山万松寺の門前に着きました。
 道庵がお数寄屋坊主の案内で、庫裡《くり》から本堂へ案内されて行く間、米友は草鞋《わらじ》をとらず、外に待っている。
 ここでも多分、特別待遇をこうむることと思われる道庵。それを待つ間の時間はかなり長いものと観念した米友は、その間、彼はこの寺の境内をうろつき歩いてみる気になりました。

         二十七

 万松寺の境内を一わたり歩いて、白雪稲荷《はくせついなり》の前に来て稚児桜の下に、どっかと坐りこんだ米友は、しきりに眠りを催してきました。
 ついに、うつらうつらと、桜の根を枕にして、うたた寝の夢に入ったのは、米友としては、稀有《けう》の例です。いつもゆるみのない彼、責任感のことのほか強い彼。ましてこのたびは、尊敬すべき道庵先生のために、忠実なる従者であり、勇敢なる用心棒である上に、道中は、どうかすると、素行の上に於て、監督者としての役目をも、負わさせられている米友。いつも張りきった心と、油断のない目をみはっていたのが、今は珍しくこの稚児桜の下で眠りを催し、つい、うとうととして夢に入ってしまいました。
 このくらいの余裕はあってもよろしいし、なければ米友としても、やりきれない。それに今日は、老巧にして如才のないお数寄屋坊主の玉置《たまき》氏が、道庵の身の廻りには、附ききりで周到な斡旋を試みているし、ところは、この寺の奥殿の中に封じこめて、その下足は、確かに自分が保管して来ている。どう間違っても碓氷峠《うすいとうげ》の下で、裸松のために生死《いきしに》の目に逢わせられたり、木曾川沿岸で、土左衛門の影武者におびやかされたりするような脱線のないことは保証する。まかりまちがったところで、それは平《ひょう》を踏みはずし、仄《そく》を踏み落して、住職や、有志家連をして、手に汗を握らしむる程度のものに相違ないから、その点の安心が、米友をして仮睡《うたたね》の夢に導いたと見らるべきです。
 いくしばらく、昏々《こんこん》たる夢路を歩んでいるが、道庵お立ちの声は、容易にその夢を驚かすことがない。
 そこで、つい、うたた寝のかりねの夢が、ほんものになり、ほとんど熟睡の境に落ちて行きました。だが、それも深く心配するがものはない、従来、極めて夢そのものを見ることの少なかった米友も、近来はしばしば夢を見ることに慣らされているけれども、かつて不動明王の夢を見て、江戸の四方をグルグル廻らせられたほどに、夢をもてあますことはありません。
 それ以来、夢を見るには見るけれど、夢の後に来るものは驚愕にあらずして、多少の懊悩《おうのう》と懐疑とです。甚《はなは》だ稀れには歓喜であることもあります。最も困惑するのは、夢と現実との世界がはっきりしない、その当座だけのものでありましょう。
 彼は、どこぞでひとたび霊魂不滅の説を吹きこまれてから、それが全く頭脳の中に先入していて、生きている人と、死んだ人との区別が、どうもハッキリしない。有るようで、無いようで、今まで生きていた人が、死んで消え失せたとはどうしても思えないし、そうかといって、眼前、自分の前で死なせて、お葬《とむら》いまで立会った人が、もう一ぺん、生きて動いて来るとは、どうしても考えられないこともある。
 尊敬すべき道庵先生に、その霊魂不滅説の根拠にまで突込んで質問をしてみたこともあるが、先生の答が、要領を得るような、得ないようなことで、おひゃらかされている。
 とにかく、この男としては、どうしても死んだものが、もう一ぺん、形を取って現われて来るようにしか思われてならない。死の悲しみは味わわせられたが、それは、別離の悲しみの少し深い程度のもので、いつか、また会われるという感じが取去れないのが、今はもう信念というほどのものにまでなっている。されば、江戸で失った大切な馴染《なじみ》のお君という女に、このたびの道中のいずれかで再度めぐり逢えるように思われて、信ぜられて、ここまで来ている。
 多分、この時の熟睡の中にも、旅中しばしば繰返されたその夢に、ついさき、見せられた故郷の山河が織り込まれて、相変らず、生と、死と、現実《うつつ》と、幻《まぼろし》との境に、引きずり廻されているに相違ない。
 こうして熟睡に落ちている時――隠れ里の方から賑《にぎ》やかな一隊の女連が繰出して来て、稚児桜を取りまいて、
「稚児桜よ」
「大きいわね」
「大きな稚児さんね」
「本当に大きいわ、花が咲いたらさぞ見事でしょうね」
「花の時分には、ここでお稚児踊りがあるのよ」
「踊りましょうか」
「踊りましょうか」
「手をつないで、この桜のまわりで、皆さんで踊りましょう」
「いいこと、ね、踊りましょう」
「皆さん、よくって」
「ええ、いいわ」
「じゃ、踊りましょうよ」
「踊りましょうよ」
 女連は、おたがいに手をとり合って、お稚児桜を中に輪を作ってしまいました。自然、右の桜の根を枕にして熟睡に落ちていた米友ぐるみ、輪の中に入れてしまったものです。
「さあ、踊りましょう」
「よい、よい、よいとな」
「よいとさ」
「あら、よいきたしょ」
「及びなけれど――」
「ほら、よい」
「及びなけれど――」
「ねえ、ねえ」
「万松寺さんの――」
「はい」
「万松寺さんの――」
「はい」
「お稚児桜――」
「お稚児桜――」
「一枝|手折《たお》って――」
「一枝手折って――」
「欲しうござる――」
「欲しうござる――」
 初めは手をつなぎ合って、輪をつくり、三べんほど廻ってから、音頭で、はっと手を放し、「及びなけれど」で、左の手で、ちょっと長い袂をおさえて、右の手を上げて、桜の枝を指し、「万松寺さんの」で、クルリと廻って、お寺の廂《ひさし》を見込む形になり、「お稚児桜」でまた長い袖をたくし上げて、西の堂を前に、肱《ひじ》の角度を左右に開いた形もよい。
「一枝手折って欲しうござる」で、手をからげて水車のような形も艶《つや》っぽくてよい。
 この時ならぬ花見の催しに、あたり近所が急に春めいてきて、病葉《わくらば》の落ちかかる晩秋の桜の枝に花が咲いたようです。折柄、参詣の人の足もとどまり、近所あたりの人もたかって来る。
 踊り手も、それで一層、張合いになって踊りもはずみました。
 そこで、自然、宇治山田の米友も、ひとり長く甘睡を貪《むさぼ》ることを許されなくなりました。
 踊りに夢を破られた米友が、むっくりと起き上り、睡眼をみはると、このていたらくで、不覚にも眠りこけた自分というもののおぞましさを悔ゆると共に、いつのまにか、あたりの光景の花やかな変り方に驚きました。
 自分のねこんだ時は、四方《あたり》に人も無く、日当りのいい小春日和で、おのずから人を眠りにいざなうような、のんびりした桜の木蔭でしたけれども、眼がさめて見れば百花爛漫の園となってしまったような有様ですから、暫く米友は、夢の中の夢ではないかとさえいぶかりました。
 仰天して見ると、あたりこそ花を振りまいたような陽気ですけれど、仰いで見るところの稚児桜は、寝込んだ以前に見たのと、少しも変りません。
 枝が老女の髪のようにおどろに垂れて、病葉が欠歯のように疎《まば》らについているを見ると、彼は急に狼狽《ろうばい》をはじめました。
「いけねえ、つい知らずに一寝入りやらかしちゃった」
 狼狽してみたが、前も後ろもめまぐるしいばかりの踊り手で、その後ろはまた見物の人だかりで垣根を造られている。
 そこで、米友は、例の杖槍《つえやり》と、荷物に手を触れてみたが、これには異状がありません。
 本来、こうしたあわてぶりは、米友自身だけで単独に見せられると、かなり人目を惹《ひ》くのですが、この場合、誰しもひとり、このグロテスクに注目する者のなかったのは、集まっている程の者が皆、踊りに目を取られていたからです。
 けれど、たまに存在としての米友の狼狽ぶりに注意を向けたものはあっても、多分、これはこの踊りの女連の弁当担ぎか、下足番の小冠者に過ぎまいと見ただけのものです。
 そこで、米友は、誰のなんらの怪しみにもでくわさずして、手早く荷物を取って肩にかけ、杖槍を拾い取って、飛び立ったが、さて、行かんとする周囲は、踊り連の妙《たえ》なる手ぶりで、蟻も通わせぬようになっているから、さすがの米友も、その一方を突破するに当惑しました。
 手を放して、めぐっていた踊りの連中が、この時は、また手をつなぎ合って、ぐるぐるめぐりを始めたから、相手がこの連中であるだけに、米友としても、鉄砲玉のようにその一角を突き破って通ることに、いささか躊躇《ちゅうちょ》を感じました。しかしながら、その一角を突き破らぬ限りには決して、この囲みを解いて、自分の身を解放することができないと考え、そこで思いきって、突破にかかろうとしたが、さてまたそこで、いずれあやめと引きぞわずろう、というわけでもあるまいが、どこぞに突破口を求むれば、必ずその一角が犠牲に供される。米友としては、この踊りの連中のいずれに対しても、特別に信用と贔屓《ひいき》とを感じているわけではない。実際、こういうふうに、まんべんなく緊張して、いずれもいい気持になって踊っている時には、特にここを破ろうとの破綻《はたん》というものが、ちょっと見出し難いものと見えます。
 そこで米友が、引きぞわずろうという気持で、躊躇をしている間に、
「あっ!」
といって、舌を捲いて躍《おど》り上りました。そのクリクリした眼を、踊り子の連鎖の一方、つまり或る一人だけに注いだ米友が、
「あっ!」
と、二たび、三たび、地団太を踏んだのは、そこに破綻を見出したのではなく、そこに特別に何か興味の中心を見出したものでなければなりません。
「あっ!」
 二度、三度、叫んで、地団太踏んだ米友が、その時こそ、ほんとうに鉄砲玉のようになって、いま、自分が見つけ出した興味の中心――つまり、踊り子の中のちょうど、巽《たつみ》の方角にいた一人の若い娘の方に、無二無三に飛びかかってしまいました。
 この時になって、群衆の興味が踊りの方面だけに取られてはおりませんでした。
 むっくり起き上った時は、さほどではありませんでした。荷物をかつぎ上げた時も、杖槍を拾った時も、まだ見物に向ってなんらの注意をも呼ぶに足りませんでしたけれども、いよいよ立って一方を突破しようとして、小さな仁王立ちで、あたりを一睨《いちげい》した時分から、第三者としての見物の注意がようやくこの存在に向って来ました。
 一角に何か事ありと見て、異様な叫びを立てながら、二度、三度、躍り上って地団太を踏んだ時分には、それに当面していた者の注意を免《まぬか》れることは全くできませんでした。
 それと同時に、どっと、失笑の声が湧き出したのは是非もありません。
 この男の、ムキになった狼狽ぶりは、知っている者は気にしないが、はじめて見る人にとっては、絶大なる驚異と見られることも多いのです。子供たちは稀れにそれを恐怖を以て見ることもあるけれど、御当人が真剣であり、御当人が困惑すればするほど、周囲の人には、滑稽であり、無邪気であって、最も好意ある失笑を以て報われないという例《ためし》はないのです。
 今もその例に洩れず、まじめに狼狽しはじめたグロテスクの存在が、ハッキリと浮き出したために見物以外の見物が、見るほどの人をあっけに取らせました。そのとき早く、桜の樹からは巽の方面に踊っていた一人の娘のところへ行って、委細かまわず飛びついてしまって、
「お前《めえ》……お前」
 米友は烈しく吃《ども》って、
「お前は、よっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]じゃねえか」
と叫びながら、無理にその女の子をゆすぶったものです。
 そこで、踊りの情景が粉砕される。
 袂を取られて、この怪物に喰いつかれた娘は面《かお》の色を変えて驚いたが、小突き返されていながらそのグロテスクの面影をチラリと見て、
「おや、お前さんは米友さんじゃないの」
 こう言って、色を立て直したものですから、
「おお、お前、ほんとうによっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]だな、おいらあ、米友だよ」
 彼は、その昂奮した顔面を、すりつけるように、自分が、よっちゃんと呼びかけた娘にちかよせると、たじたじと後ろにさがりながら、
「怖《こわ》い、米友さんは米友さんに違いないと思うけれど、米友さんのはずがない、本当の米友さんのはずがないわ、わたし怖い、全く別の人か、そうでなければ、米友さんの幽霊でしょう、怖いわ、わたし逃げるわ」
 こう言って、せっかく立ち直った面の色をまた変えて、隙を見て、転ぶように逃げ出しました。
「違えねえんだよ、本当の米友だよ、本当の友がおいらなんだよ、だから、よっちゃん、間違えねえんだぜ」
 こう呼びながら、米友は、その娘の跡を追いかけて、再び袂を捉えようとしたものですから、事が大きくなりました。
「怖いわよう、放して下さい」
 娘は顛倒して走りました。
「違やしねえんだよ、友だよ、網受けの米友なんだよ、お前《めえ》が本物のよっちゃんなら、おいらも本当の米友なんだよ、面を見たらわかりそうなものじゃねえか」
と叫びながら、追いかける。混乱したのは、それを見ていた同連と群衆だけではありません。
 米友自身の言うところも、怖れておるところの娘の挙動も、何が何だかわかりません。
 しかしながら、驚愕と、恐怖とで、夢中で走り出した娘の足と、あっけに取られている四方の人の慌《あわ》てふためいている間に、再び走りかかった米友が、右の娘の袂をつかまえて、全く動かさないことにしてしまったのは、雑作《ぞうさ》もないことで、
「ね、よっちゃん、もう一ぺん、よくおいらの面《かお》をごらん、米友に違えねえだろう」
と、三たびその面を摺《す》りつけました。
 摺りつけないまでも、遠眼で見たって、一たび見覚えのある者にとっては、この男の面は忘れようとしても、忘れられない記憶となっているはず。
「あ、友さんに違いない、けれども、わたしの知っている米友さんは、もう生きていないんですもの」
 娘は恐怖のあまり、つきつけられた米友の面《かお》を見まいとして、両手で自分の面をかくします。
「ところが、生きてるんだよ、この通り、生きてるんだ、間違いはねえのですからね、よっちゃん、そんなに、むずからねえでもいいや、正《しょう》の米友だよ」
「いいえ、わたしの知ってる米友さんは、たしかに死にました」
「ちぇッ、だって、当人がここにいて、生きていると言ってるじゃねえか」
「そんなはずはありません、友さんは死んじゃったのです、お前さんは別の人か、そうでなければ、米友さんの幽霊に違いありません」
「ちぇッ――別の人がおいら[#「おいら」に傍点]だなんて言うかい、ニセモノをこしらえたって、ニセモノ栄《ば》えがしねえじゃねえか」
「放して下さい――怖いから」
 これはホンの一瞬時の出来事でしたが、この辺に至って第三者が承知しません。
 第三者は皆、米友を以て、兇暴性を帯びた色きちがいかなんぞと勘違いをしていないものはない。娘を引離すより先に、米友を手ごめにかかりました。
 その時、米友の頭脳《あたま》にハッとひらめくものがあったのは
「よっちゃん、お前、ほんとうにおいらが死んでると思ってるのかい。そうだそうだ、それも無理は無《ね》え、それから後のことをお前は知らねえのだ。おいらは助かったんだよ、尾上山《おべやま》から突き落されて、一旦は死んだが、助ける人があって、息を吹き返したんだぜ。それをお前は、本当に死んだものと思いこんでいるんだろう。助かったんだよ、助かって、そうして今まで生きていたんだ、今まで生きているうちには、ずいぶん辛《つら》いこともあらあ――」
 この弁明が、意外に利《き》いたらしいので、娘が面を上げ、
「ほんとう――」
「ほんとうだとも、話せば長いけれど、盗みもしねえのに、盗人《ぬすっと》だなんて人違いでお処刑《しおき》に逢って、ほら、尾上山の上から突き落されたには落されたけれど、人に助けられちまったんだ。その人というのは、ほら、お前も知ってるだろう、船大工の与兵衛さんと、お医者の道庵先生でね、その先生のおともをして、おいらは昨日、こっちにやって来たばかりなんだ」
「ほんとうなの、友さん」
「ほんとうだよ、ほら、幽霊じゃねえや、足があるだろう」
 そこで、米友は、また二三度飛び上って、足のあることの証明をして見せました。
 娘は笑いませんでした。笑わないけど、恐怖は早くもその面から消え失せて、
「ほんとうなの?」
「嘘じゃねえというに。お前は疑ぐり深え人だなあ」
「ほんとうにお前が米友さんなら、わたし、こんな嬉しいことはないわ」
「おいらだって、おんなじことだよ、お前がほんとうによっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]なら、その次に嬉しくってたまらねえんだ」
と米友が言いました。心あわてているとはいえ、米友の言うことにはかなり不透明なところと、ひとり合点《がてん》もあるらしいが、娘を相当に納得せしめ得たことは疑いないらしい。
「まあ、嬉しい」
「おいらも、嬉しい」
「友さん、まあ、よく無事でいてくれたわねえ」
「あ――おいらも苦労したよ」
「ほんとうに――」
 二人は、そこで、人目も恥じずに抱き合ってしまいました。
 知ると、知らざると、弥次であると、弥次でないとにかかわらず、この急激なる妥協が、すべてのあいた口をふさがらせないことにしました。

         二十八

 この人騒がせも、後になって接待の茶屋で、二人の無邪気な会話を聞いていれば、なんのことはないのです。
 読者諸君は御存じのことでしょう、伊勢の古市《ふるいち》、間《あい》の山《やま》の賑《にぎ》わいのうちに、古来ひきつづいた名物としての「お杉お玉」というものの存在を――
 そうして米友の唯一の友であり、兄妹であるというよりは、一つの肉体を二つに分けて、その表の方を米友と名づけ、その裏をお君と名づけたかのようにしていた、そのお君という子の芸名がお玉であったことを――
 それと同時に、お君のお玉と相棒になって、胡弓をひき、撥受《ばちう》けをいとなんで、さのみ見劣りのしなかったうたい手に、お杉がなければならなかったことを――
 今、ここで米友が「よっちゃん」と呼びかけてかぶりついた踊り子の娘が、すなわちこのお杉でありました。
 まあ、二人の無邪気な会話を聞いていればいるほど、筋はよく通ったものです。
「ねえ、友さん、君ちゃんにも、お前にも行かれてしまったあとの、わたしのツマらないこと察してごらん、一日だって忘れたことはありゃしませんよ、いどころぐらい知らせてくれたっていいじゃないの」
「そりゃあね、知らせるのは雑作もねえが、おいらたちは罪人扱いなんだからな、うっかり便りをしようものなら、こっちも危ねえが、お前たちの方にも、かかり合いになると悪いと思ってね」
「友さん、その事なら、もう大丈夫よ。あの晩、備前屋さんへ入って、江戸のお客様のものを盗《と》ったのは、君ちゃんではないこと、友さんでもないこと、そりゃわかりきっているけれども、証拠が物を言ったあの時のことでしょう、どうしようもなかったのね。それが今となっては、すっかり晴れてしまって、誰だって一人も、友さんや君ちゃんを疑ぐってるものはありゃしません、お前さんたちは、大手を振って国へ帰れるようになっているのよ」
「そうかなあ」
「そうだともお前、あの時の泥棒は別にあって、名乗って出たんですとさ」
「どこの奴だい」
「名乗って出たけれど、まだつかまらないんですとさ」
「おかしいなあ、名乗って出た奴がつかまらねえというのは」
「そんな事は、どうでもいいのよ。それでね、土地の人も、お前さんたちを、大へん気の毒がって、友さん、お前のお墓が、もうちゃんと出来ているのよ」
「おいらのお墓が出来てるのかい」
「ええ、お前さんは、たしかに尾上山から突き落されて、お処刑《しおき》になってしまったんだから、正直者がかわいそうに、むじつ[#「むじつ」に傍点]の罪で死んだといって、皆さんの同情が集まって、今では米友|荒神《こうじん》という荒神様が出来て、それがお前のお墓になっているんだよ」
「ばかにしてやがら」
 米友が唇を反《そ》らして嘯《うそぶ》きました。現在こうしてピンピン生きている者のお墓をこしらえた上に、荒神様に祭り上げるなんて、洒落《しゃれ》が過ぎてらあ! とでも思ったのでしょう。
「ばかにするつもりでしたんじゃないのよ、友さんがかわいそうだ、気の毒だ、盗りもしない盗人《ぬすっと》の罪に落ちて殺されてしまったと思うから、みんなして、荒神様をこしらえてしまったのよ、こうして生きていると知っていれば、誰がそんなことをするものかね」
「そりゃ、そうかも知れねえが、生きている時は、さんざん人を粗末にしやがって、死んだと思って荒神様に祭り上げるなんて、ほんとうにばかにしてやがら」
「悪く取っちゃいけないよ、友さん、たとえ荒神様だって神様のうちだろう、生きていて神様に祭られるなんて、結構じゃないか。それでお前の方は死んだものと、みんなあきらめているが、お君ちゃんばっかりは、生きているのか、死んでいるのか、ちっともわからないんだもの」
「うむ……そのはずだ、生きているか、死んでいるかわかるめえ」
「ことに、わたしは、ああして姉妹同様に一つ小屋で稼《かせ》いだ仲でしょう、人一倍、あの子のことが気になって、一日だって忘れたことはありゃしません。そうして、あの人が生きているに違いないと思ったり、もう、疾《と》うに死んでしまったように思えたり、どうも気になってたまらないものですから、神仏《かみほとけ》にお願い申すよりほかはないと思いました。わたしは、どこにいても、朝晩、君ちゃんのために、神様と仏様を拝まないことはありませんのよ。今日だってお前さん……」
 お杉であったよっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]は、今日もまた、この万松寺へ参詣したのは、その昔の朋輩思いのために、このお寺には、白雪稲荷のほかに「足止め不動」というのがある。家出人や、駈落者が遠くへは行かないように、この不動尊の足を縛っておくと、動けなくなってやがて帰って来るとの迷信がある――それを信じて、昔の朋輩のお君のために、この娘は不動尊の足を縛りに来たのだが、それが、米友さんの足を縛ったことになったのも有難い……と。
 そうして、この名古屋に来ているという理由も、お君と離れてから、間の山稼ぎも面白くなく、看板は新進に譲り、自分は、これから芸事を本格に勉強しておきたいという志願で、踊りの本場といわれるこの名古屋へやって来て、当時有名な坂東力寿さんのところへお弟子入りしているということ。
 もう、踊りも名取になったから、一旦、国へ帰って、それから四日市へ出て、お師匠さんで身を立てようと思う――というようなことを、米友に語って聞かせました。
 そうして、一通りの身の上話が終ると、結局、
「友さん、そういうわけだから、ぜひ、わたしと一緒に国へお帰り……お前さんが帰ると、土地の人が、どんなにびっくり[#「びっくり」に傍点]するだろう、わたしは、そのびっくりする面《かお》を見てやりたい、ね、一緒に帰りましょうよ」

         二十九

 お銀様というものの存在が、今や有野村にとっては、恐怖の的でありました。
 あの災難の後、伊太夫は、慢心和尚を招じて大供養をいとなみ、追善として、米穀と、金銀との夥《おびただ》しい施行《せぎょう》を試みましたけれど、お銀様というものには、一指を染めることもできませんのです。
 お銀様は、大竹藪《おおたけやぶ》の中の椿の木の下に、茶室をうつして、それに建増しをしたところに、ひとり住んで、その呪われたる存在をつづけて行きます。
 ただ、御当人だけが呪われたる生活にひたる分には、まだいいが、その個人生活が漸く甚《はなは》だしい暴虐として現われて来ることには、周囲としてほとんど堪えられぬことです。
 父の伊太夫のこの娘に対する苦心、もてあましは、今に始まったことではないが、この際一つの悔いを追加したのは、この娘から、あの弁信という奇怪な小法師を取放してしまったことが、今になると、悔いても及ばぬ感じを起させました。
 火事の混乱まぎれに、あの小坊主を冷遇して、出て行かせてしまったことは重大なる失策だ、とはじめて気がついたようです。ナゼならば、あの小坊主のいる間は、とにかく、お銀様は慰められていたようです。慰められないまでも、お伽《とぎ》として座右へ置いても、癇癪《かんしゃく》の種にはならなかったようです。そうしてあの小坊主も、あの娘に向って、思うことはずばずばおしゃべりをしていたようです。
 あの小坊主去った後は、お銀様の傍へ寄りつくものがありません。
 たまに、寄りつくものがあれば、有無《うむ》をいわせず、尾羽をむしり取られてしまいます。近づく者に多少の惨虐を加えて、若干の負傷をせしめずしては帰すことのないのが、お銀様のこの頃です。
 雇人たちは、戦々兢々として、椿の下の御殿へ行くことを怖れます――けれども、主命によって行かねばならない時は負傷を覚悟して、その被害をなるべく少なくするの用意を整えて行きます。
 その負傷の軽重は如何《いかん》――つまり、お銀様は、何者をも、自分と同じような不具者にしてみなければ納まらないのかも知れません。満足に近い人間を見ると、そのいずれかに、暴虐を加えて、不具の程度にしてみて、やっと安心するところに、執念があるようです。
 伊太夫は、供養の時も、慢心和尚に向って、更に辞《ことば》を卑《ひく》うしてこの事を訴願して、娘の教誡をたのみましたけれど、和尚はこの時ばかりは、丸い頭を左右に振って、
「あれは、わしが手にも負えぬ、わしも、あの娘にはおそれいる」
と言ったきりで、もう取りつく島がないのでありました。
 そこで、伊太夫は、小坊主の弁信を手放したことを、返す返すも悔い、あとから追いかけさせてみたけれど、行方は更に知れません。やむを得ずんば第二の幸内をと、暗に当りをつけてみたけれども、その選に当ったものはほうほうの体《てい》で逃げ帰り、それがためにかえって、お銀様の侮蔑と、暴虐とを高ぶらせたに過ぎませんでした。
 だが、人間はいつもそう張りきった心で、精髄を涸《か》らし尽すようにばかりは出来ていないと見え、侮蔑と、暴虐と、呪詛《じゅそ》の塊《かたまり》であるらしいお銀様という人も、時とすると、再び以前のように泣きくずれることがあります。
 小春日和に、どこともなく裏山を歩いて、森を越え、村を越えて、高いところへ出ると、そこに腰を下ろして、じっと山河を見つめているお銀様の眼から、ひとりでに涙の泉の湧き溢《あふ》るるのを見ないということはありますまい。
 そこで、お銀様は、甲府盆地に見ゆる限りの山河をながめます。後ろは峨々《がが》たる地蔵、鳳凰、白根の連脈、それを背にして、お銀様の視線のじっと向うところは、富士でもなく、釜無でもなく、おのずから金峯《きんぽう》の尖端が、もう雪をいただいて、銀の置物のようにかがやくあたりでありました。
 ことに、金峯の山が、お銀様の嗜好に適するというのではなく、この地点に座を構ゆれば、おのずから、視線がそこに向くのであります。そこでお銀様は、日の暮るるまで山を見つめて泣くことがある。
 自然を見ることによって、人事に想到し来《きた》るから、それで泣けるのでありましょう。金峯の山を見れば、その眼下に甲府の町を見ないわけにはゆかない。甲府を見れば、東に蜿蜒《えんえん》として走る大道――いわゆる甲州街道、門柱としての笹子、大菩薩の嶺々《みねみね》を見ないわけにはゆきますまい――
 東に走る大道を見れば、自然、そこで、ついこの間まで暫くの間、数奇なる転変をつづけていたところの生活を、思い出でないという限りはありますまい。
 屋敷にいると、人間の呪詛《じゅそ》で固まったお銀様が、高いところへ来ると、少なくとも人間界を下に見るか、或いは水平線に見ることができる。その上に、人間に比較しては悠久性を有する生命のただずまいが存在しているということを見る。
 そこで、胸が開けるのでしょう。胸が開けると、堰《せ》かれていた涙が切って落されるものと見える。
 そこで、お銀様は人を恋うて泣く。
 かつて、愛し且つ虐《しいた》げた美貌の女中お君という女が恋しくなる。お銀様は多分、お君の最期《さいご》をまだ知ってはいまい。あの子はどうしたろう――という半面には、嫉《ねた》みと、憐みとが纏綿《てんめん》する。駒井の家に引取られて、殿の寵に溶けるような思いをしているかと思えば、むらむらとわが魂が戦《おのの》く。
 柔順な、純真なあの子を、わが心のひがみから、あまりにも虐げ過ぎたと自覚した時には、たまらない悔恨に責められる。
 お君を想い出して、次に竜之助のことに及ぶと、お銀様の全身の鱗が逆立ってくる。そのもだもだした、いらいらした風情で煽《あお》られると、居ても立ってもいられなくなる。
 その時は、どうかすると、眼をつぶって、高いところから急にかけ下りることがある。
 肉の中にうめく、八万四千の虫が、肉の中でいら立つと見える。
 たまらない。その時は、夢中に馳け出して、やっと踏みとどまったところもまだ高い。もしそのところが断崖であったら、その肉体は砕けてしまったでしょう――
 平地に至るまでには、自分の屋敷へ帰るまでには、まだまだ多分の距離がある。そこで、踏みとどまったお銀様は、またぐったりと身を落して、草原の上から、遠くつづく、わが家の森を見る。
 山も、森も、水も、藪《やぶ》も、見渡す限りは自分の家の屋敷内である――ここは、過ぐる夜、弁信法師と二人で、わが家の焼ける炎を見て、思う存分|話《はな》し敵《がたき》となったところだ。
 その時、弁信は何と言った。

         三十

 お銀様は、弁信の言葉を思い出しながら、当夜の業火のあとをつくづくとながめる。
 火が、すべてを焼きつくす革命の痛快に驚喜したのも何の事――その時の業火のあとを少し避けて、今し、盛んなる再建工事が、前よりも一層の規模を以て、進行されているではないか。
 全く、革命がどこにある。絶滅がどこにある。浄化が、魔化が、それが今、どこに権威を示しているのだ。
 復興が早い。焼け尽したと見せた蓆《むしろ》を、また直ちに裏返して青々としき直す、人間の小賢《こざか》しい働き。自然はまたいい気になって、材料を供している。
 お銀様は充分の冷笑をたたえて、その新築の作事工場から焼野原を見ました。
 その焼野原のまんなかに、そそり立つ巨大なる一本の木柱を見出した時に、お銀様は、またもや、極めて皮肉なる冷笑を禁ずることができませんでした。
 お銀様は、その日のことを狂言と見ている。父の伊太夫が、尊信|措《お》かざるところの慢心和尚という坊主を、役者と見ている。あの災難の後、父がわざわざあの坊主を屈請《くっしょう》して、施行と供養を催して、自他の良心を欺かんとしたあの唾棄すべき喜劇。滑稽とも、悲惨とも言い様のないほどに、厭悪《えんお》を感じているのは事実です。
 祖先以来、積み蓄えた金銀財宝を七日の間、あらゆる人に施行してみたところで、それが何だ。
 ことにあの気ちがいじみた、まん円い坊主が、力自慢をこれ見よがしに、あの木柱をかついで来て見せて、俗衆をあっといわせ、その図を外さず、わざと自分の握り拳かなにかを振りかざして、グッと自分の口中へ入れて見せてのしたり[#「したり」に傍点]顔。
 虫酸《むしず》が走るではないか。父は手もなく、あの山師坊主に乗ぜられているのだ。わが藤原の家に起り来りつつある多年の矛盾、撞着、滑稽、紛糾、圧迫、争闘、それが膿瘡《のうそう》となり、癌腫《がんしゅ》となって、今日まで呪われて来た報いが、あんな坊主にわかってたまるものか。あの坊主の、あんなに見え透いたお芝居で、この悲喜劇の幕が切れるものなら、切ってごらん。
 あの木柱は、あれは何です。
 あれをかついで来た、あの気ちがい山師坊主の怪力とやらが、そんなに有難いものですか。
 牛や馬が無いじゃあるまいし。
 それを、仔細らしく、あの木柱へ筆太に書き立てたあの文句は何です。
 そうして、仔細らしい文句を、人を食ったような、まじめなような、物々しい気取りで書き納めて、それを押立ててその下で、伊太夫はじめ一族が参列の施餓鬼か、施行か知らないが、その物々しさと、あの坊主の悪ふざけ。藤原の家の財宝を、わがもの顔にふりまいて、あまねく一切に慈悲善根を衒《てら》う憎々しさ。
 それを、委細かしこまり上げて、いちいち、渇仰尊信して、命《めい》これ従うばかばかしさ。あんな間抜けのお芝居で、この宿業とやらが救われ、この亡ぼされた魂とやらが浮べたらお気の毒。
 滑稽の沙汰《さた》だ。まさに百分の嘲笑に価すべき振舞だ。
 その滑稽と、嘲笑の的となって残されているのがあの木柱ではないか。卒塔婆《そとば》とかなんとかいう人もある。自分の眼から見れば、慢心坊主という山師坊主が、わが藤原家を愚弄《ぐろう》に来たその記念として残されているものだ。
 白々しい、おかしらしい、癪《しゃく》にさわる――
 お銀様は、慢心和尚という坊主を快からず思っている。あの時の施行供養を、緞帳芝居《どんちょうしばい》も及ばない愚劇だと嘲っている。同時にその記念として残された木柱に向っては、満身の憎悪を禁ずることができないらしい。
 その翌日、お銀様は急に自分の持分の小作たちをかり集めて、自分が命令を下して、一つの工事に取りかかりました。
「お前たち、これから気を揃えて、わたしのために塚を立てて下さい。その場所は、わたしが行って指図をしますから、その場所へ、まず土をできるだけ高く盛り上げて、大きな塚をこしらえて下さい。その塚の上へ立てるものは、また別にわたしが工夫して、お前たちに頼みます。今日はこれから、わたしと一緒に、その場所を検分に来て下さい」
 彼女は二十四人の男を率いて、自分の家を出ましたが、ほどなく到着したのは、別のところではありません、昨日、散歩のみぎりに足をとどめて、つくづくと見入ったところ。かつてはそこで弁信法師と共に、業火に焼けるわが家の炎をながめながら、一流の強弁を逞《たくまし》うして、弁信と論じ合ったところ。昨日はまた、再建の土木の工事の進捗をながめながら、小賢《こざか》しい人間の復興ぶりの存外に有力なるに業を煮やし、同時に以前の焼野原に、慢心和尚という山師坊主の手によって立てられた木柱に向って、十二分の憎悪と嘲笑を浴びせたところ。
 ここへ来ると、お銀様は手に持っていたところの杖で、その地点の上に、かなり大きな円を空《くう》に描きました。
「お嬢様、ここへ、御普請《ごふしん》をなさいますのですか」
「普請というわけじゃありませんが、できるだけ土を盛って下さい。土は、どこから運んでもかまいません、土をできるだけ高く盛って、それを雨で溶けないように固めて、芝を植えて下さい。その上は四坪ほど平らにして置いて下さい。それから四方へ上り口をつけて、石段をつけてもらいましょう」
「で、お嬢様、高さはどのくらいに致したものでございましょう」
「高さは、できるだけ高くして下さい」
 小作連のうちの年長は、この注文には、少なからず当惑の色があった。
「できるだけ高く、とおっしゃっても、高いには際限がありませんでございますから……」
「それはわかっていますよ、富士や白根より高くなんて言いやしません、お前たちの力で、このくらいの円さのうちへ、頂上へ四坪ほどの平地を置いて、それでどのくらい高く出来るか、やれるだけやってみてごらん」
「左様でございますか……そうして、四方へ石段をつけますと、その勾配を見計らわなけりゃなりません、勾配はどのくらいにしたもんでございましょう、あんまり急ではいけますまい、そうかといって、あんまり低くてはお気に召しますまいが、高くするには土を固めて芝を植えただけでは持つまいかと存じます、石垣に致しますか、石で畳み上げますか、いずれに致しましても、あらかじめ高さをきめて、やっていただきませんと……」
「わからない人たちだね、いま言った通りにして、できるだけ高くすれば、それでいいじゃないの。でも、それでやりにくければ寸法をきめて上げましょう、塚の高さは一丈六尺八寸となさい」
「一丈六尺八寸でございますか」
「ええ、一丈六尺八寸の高さになるように土を盛って、その上を四坪四方ほど平らにしておくんですよ、そこへまた物を建てるのですから、まわりは石垣でも、石畳でもいけません、塚ですから、土を積み固めて芝を植えるのです、まわりの上り道だけに石段をつけて……都合によっては、土台はこの円よりも大きくなってもかまいません――わかりましたか」
「わかりました」
「わかったら、今日から取りかかって下さい、かかりはお父さんの方へ言ってはいけません、一切わたしの方で持ちます」
 父以上の暴君であるこの姫君の命令に、小作連が否《いな》やを唱えるはずはない、農林牧馬の仕事はさし置いても……
 ただ一つ、取柄なことは、この暴君は、父に比して人使いが荒い代りに、金払いが極めてよろしいということです。大抵、今まで、この姫君から命ぜられた課役《かえき》に対し、それを完全に仕遂げた時は、通常の労銀の二倍は下し置かれることが例になっているから、迷惑の色は、報酬の艶を以て消し去らるるのを例とする。
 果して、その日から、ここに新たな土木工事が起されました。
 本宅の再建工事を監督している父の伊太夫が、遥《はる》かにこれをながめて、苦りきった面《かお》をする。
 だが、何の目的のために、何の必要あっての工事か、それは問わないことにしている。

         三十一

 それから数日の間、お銀様が面を見せなかったのは、引籠《ひきこも》って、塚の上に立てられるべき、なんらかの建設物のプランを立てていたものだとも考えられる。
 果して、数日を経て、使の者が甲府の町に向って飛ばされました。
 それに応じて、使者ともろともに召し出されたのは、甲府で名うての腕利きの老石工でありました。
 この石工をお銀様は一間に招じて、そうして自分が手ずから認《したた》めたらしい、一枚の絵像を取り出して――無論、いかなる場合でも、お銀様は、人と面を合わせるに、覆面というものを外《はず》したことがありません。
 甲府から呼んだ老石工に、一枚の絵像をつきつけたお銀様は、まず絵像そのものだけで、老石工を驚倒させてしまいました。
 藤原家の勢力のほど、その家庭内の風評、ことにお銀様というものの存在について、この老石工は熟知している。さればこそ、こうして、迎いを受けると、時を移さず親方が出向いて来たものに相違ないが、この絵像をつきつけられた時は、さすがの老石工が唖然《あぜん》として、身ぶるいをしてしまいました。
 右の絵像に現われた一種異様なグロテスク。これは多分お銀様の創作というものでありましょう。
 今まで、神社仏閣の表に、多くの伝説あるグロテスクを刻むことに慣らされた老石工も、この画像には驚かされました。
「お嬢様、これはいったい、何様なんでございますか。わしが若い時分日光へ参りました時、あれにお若様というのがありましたが、そんなんでもございません。箱根の姥子《うばこ》には山姥の石像がございますが、それでもございません。染井の仙人堂には……」
「そんなものじゃありませんのよ、わたしの出鱈目《でたらめ》よ、強《し》いて名をつければ、悪女様というんでしょう」
「アクジョ様でございますか」
「ええ、仮りに悪女様とつけておいて下さい。親方、ひとつこれを丹念にこしらえ上げてみて下さい、もう立てるところは、ちゃあーんときまっていますから」
「なるほど――」
 怖る怖る手に取り上げて、まぶしそうに老石工はその絵像をとって、つくづくと打眺めました。
 巨大なる蛸《たこ》の頭を切り取って載せたように、頭頂は大薬鑵であるが、ボンの凹《くぼ》には※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2-86-4]爾《もうじ》とした毛が房を成している。
 巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い。
 鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとあいた眼は、誰をどことも想像がつかない。
 だが、そのパッカリとあいた、力のないどんよりとした眼が、見ようによっては、爛々《らんらん》とかがやく眼より怖ろしい。かがやく眼は威力を現わすけれど、この眼は倦怠を現わす。威力には分別を含むものだが、倦怠は侮蔑のほかの何物をも齎《もたら》さない。
 お銀様のこしらえたのはスフィンクスです。
 だが、古代|埃及《エジプト》の遺作に暗示を得たのでもなければ、摸倣したのでもなく、或いはまた直接間接に、その材料を取入れたわけでもなんでもありません、全くお銀様独得のスフィンクスだということが一見して直ぐわかる。
 たとえば、復興時代のエジプト人が、母性守護の女神として表徴した、奇怪なる河馬女神トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
 牝牛を頭にいただいたハトル女神の面? アプシンベル神殿の岩窟の四箇の神像のその一つ、クラノフェルの面に似ていると言えば言えるかもしれないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
 古代|埃及《エジプト》の彫像は怪奇を極めているが、超現実的ではない、いかなる怪奇幻怪なるものの裏にも、必ずや厳密なる写実がある。
 お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないといってよろしい。
 古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。
 そこで六千年以前から、人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的製作を、現代の我々の眼にまで残している。
 お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
 第一、お銀様には、その巨大なる想像力がない如く、殊勝なる霊魂復活の思想なんぞはありはしない。
 そこで怪奇の目的が、大自然へのあこがれでもなく、大自然力への奉仕、或いは恐怖でもなく、ただそれより以降、六千年の人間の世にうごめく眼前の我慾凡俗の間の、呪いと、恨みと、嫉みとが、生み上げた復讐的精神の変形として見るよりほかは見ようがないらしい。
 だから、彼女のスフィンクスの怪奇の対象は、彼女自身の、むしゃくしゃ腹の具象変形に過ぎないと思われる。
 そこで、この絵像の与うるところの印象は、全体に於てノッペラボーで、部分に於て呪いで、嫉《ねた》みで、嘲笑で、弛緩《しかん》で、倦怠で、やがて醜悪なる悪徳のほかに何ものもないらしい。
 これを突きつけられた老石工が、圧倒的に、驚愕と狼狽を与えられたほかに、文句の出しようがなかったのも無理はありません。
 それを立てつづけにお銀様は、多くの石刷や、絵像や、堂塔の図面の類を持ち出し、石質がこうの、台座がああの、飾《かざ》り文《もん》はこれを参酌しろのと、あらゆるものを老石工に向って押しつけてしまいました。
 かようにお銀様の高圧的な提出の上に、お銀様の家の実力と、多年のお出入りの恩顧というものが、老石工をして、否の応のを申し立てる余地のないことにしているのは申すまでもありません。
 委細を了承して、老石工はひとまず辞して帰りました。
 それから後、お銀様の屋敷の一角に、石材工場が設けられ、右の老石工が数名の助手をつれて、そこに詰めきりになったことは、まもないことでありました。

         三十二

 こうして、スフィンクスのプランと、工事の進行とを、遮二無二おしかたづけてしまったお銀様は、次に何を為す?
 先日の火事に、藤原の家の焼け残ったもののすべてのうちに、文庫がある。
 この文庫に没頭したお銀様が、更に記録の上から調べ物にかかりました。
 何を調べる?
 多分、近き将来に竣工すべき、この悪女塚のための施主として、その塚に祭るべき悪女の因縁と、経歴との考証に取りかかっているのでしょう。悪女塚の亡霊の主を、書巻の間から求めようとしているのでしょう。
 まあ、見ていてごらんなさい、あの通り六寸に切った塔婆形の小木片に向って、いちいち、その書巻の間から探し出した亡霊の主の名前を、書きとめているではありませんか。
 また、その一枚一枚を書くごとに現われる、あの面の色――というよりは、覆面の下から浮び出でるところのあの箇々の表情をごらんなさい、一種の痛快なる反抗に、筆のおののくのを感じませんか。たまらないほどの肉感的昂奮のために、眼の色が燃え立つのを認められませんか。
 こうして、お銀様の周囲には、あらゆる参考書と、それから選び出され、或いはそれを聯想して浮び出でた人名が、筆に伝わって、六寸の小木片の上に走ります――
 いったい、かような異常な昂奮によって、お銀様に選び出されて、その筆端に載せられている、有縁無縁《うえんむえん》の三界の亡霊というは果して何者?
 それは狂熱的、昂奮的、反抗的であることは勿論だが、そのうちに、冷静なる史的根拠と、お銀様独断の順序が、一糸乱れずに存在していることはいるらしい。
 昂奮と、反抗は、ただ表情として現われるのみで、仕事の事務としては、いささかも、狼狽と不規律は存していないようです。
 まず、そのお銀様の筆端にのぼった最初の人の名から調べてみましょう。
 六寸に切った木片の第一には「磐長姫《いわながひめ》」の名が書き記されてあることを発見した時に、これは、お銀様として、さもありそうなことで、いささかも人選を誤っていないことを、誰もさとるに違いありますまい。おそらく神代の日本婦人として、磐長姫ほどに、お銀様に共鳴する婦人は無いかも知れません。
 妹姫、木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の名にし負う艶麗なるにひきかえて、極めて醜婦であった磐長姫――瓊々杵尊《ににぎのみこと》から恋せられた妹姫の添え物として、父から贈られたこの醜女の磐長姫《いわながひめ》。
 その美なるを以て妹姫はかぎりなく寵愛《ちょうあい》せられ、その醜なるが故に姉姫は尊からつき返された、そうして笠沙《かささ》の宮を逐《お》われた醜い姉姫は、懊悩《おうのう》と、煩悶《はんもん》と、嫉妬のあまり、米良《めら》の山の中の深い谷に身を投げて死んだ――だが、かりにこれをお銀様の身に比べて、妹に恋の全部を奪われた身になった時、果してお銀様が内外共に、なんらの呪詛《じゅそ》と反抗の形式を外に現わさずに、わが身を殺すだけで甘んじ得られるかどうか、そこはわからない。だから、磐長姫の名を筆頭に上げたからといって、それが真の同情か、真の共鳴か、或いは充分の憐憫《れんびん》と軽蔑とが含まれているのか、それはわからない。
 その次にお銀様は「須勢理姫《すさりひめ》」の名を書いている。
 この女性は、神代に於ける第一の艶福家|大国主命《おおくにぬしのみこと》のために、嫉妬の犠牲となった痛ましい女性である。お銀様はこの女性の名を書いたけれど、嫉妬のどこに同情があるか、またこの女性のように、嫉妬の立場に置かれて、自分が命との間に出来た子を木のまたにくくりつけて置いて、姿を消してしまうほどに無執着になれるかどうか、わからない。また一概に須勢理姫を、悪女の中に入れてしまった標準のほどもわからないが、ただ、嫉妬その事だけが、悪女の最大資格の一つと認定してしまった独断かも知れない。
 それより、やんごとなき身で、実の兄妹で深い恋に落ちた女性の名。
 尊貴の身にして、やはり嫉妬のために焼き亡ぼされ給わんとしたその御名。
 小碓命《おうすのみこと》に恋を捧げて、その父を売った梟帥族《たけるぞく》の娘。
 蛇形《じゃぎょう》の者と契《ちぎ》って、それを悔い恥ずるの心から、箸をほと[#「ほと」に傍点]に突き立てて自殺したという姫の名。
 蘇我氏の大逆の裏に拭うべからざる大伴《おおとも》の小手古《こてこ》の姫の名。
 日本武尊《やまとたけるのみこと》を伊吹の毒の山神の森に向わしめた尾張の宮簀姫《みやすひめ》の名。
 藤原の薬子《くすこ》の名も見える。
 額田女王《ぬかだのおおきみ》の名も、悪女の神に入れてあるらしい。
 石河楯《いしかわのたて》と姦したがために、日本に於てはじめて磔刑《はりつけ》というものにかけられた池津姫《いけつひめ》の名もある。
 夫を外征にやって、その間に帝《みかど》に奪われた田狭の妻――の名もある。
 延喜天暦の頃の才媛にも悪女が多い。
 頼朝の政子も――秀吉の淀殿も――家康の築山殿も、千姫も、みんなお銀様は悪女の名に編入しているらしい。
 ずっと近代になって、延命院の美僧のために犯されたという女性たち。
 大奥の江島は、実は月光院の犠牲であるという意味でお銀様は、流された江島よりは、本尊の月光院の名を憎んで、悪女の中に入れてしまっているらしい。
 それと、生島新五郎の弟大吉を長持に入れて、奥へ運ばせて淫楽に耽《ふけ》ったという尾州家の未亡人天竜院もまた、悪女として、お銀様の供養をまぬがれることはできないらしい。
 三十六人の情夫を持ったという某《なにがし》の俳優の妻も、許した限りの男の定紋をほりもの[#「ほりもの」に傍点]にして肌に刻んだ莫連者《ばくれんもの》――
 蛇責めにあったという反逆の女性。
 すでにかくの如くして、歴史、文章、記録、草紙、物語の中より、一通り検討しつくして筆端にのぼせてしまったお銀様は――ついには物の本にあり、或いは伝説にあって、その実在を疑われるほどのものまでも、ようやく取入れてしまったらしい。
 そこで、今度は、自分の身辺のことに及んで来る。自分の身に最も近いところの、悪女の面影を思い浮べ来《きた》ると、
[#ここから1字下げ]
「悪女大姉」
[#ここで字下げ終わり]
 この名が、先以《まずもっ》て、筆端に押迫って来る。
 染井の化物屋敷の、うんきの中に、土蔵住まいをしていた時の机竜之助の口ずから聞いて、亡き者を、有るが如くに妬みにくんだあのお浜という不貞な女。
 お銀様は、筆誅を加えるほどの意気組みで、その名を錐《きり》で揉み込むほど強く木片に認《したた》めて、長いこと睨みつづけておりました。
 その次には、自分の継母を加えようとしたらしいが、あれはにくむに足りない女だという、軽蔑の気が先に立ったものか、急にとりやめてしまったようです。
 ある時は、お角という女興行師の親方をも筆端に上せようとしてみたが、いやいや、あの女も悪女ではない、いい女だ、気象のさっぱりした、男惚れのする女でもあれば、男まさりもする女だ、自分に対してだけは妙に気を置くが、自分はあの女を嫌いではない、あれは悪女ではあり得ない、とあきらめもしたようです。
 そこで、お銀様は、なお周囲を狭くして、自分の眼に見、耳に聞くところの範囲での悪女――姦通した女、放火《ひつけ》をした女、どろぼうした女、殺した女、殺された女、およそ問題になるほどの淪落《りんらく》の女を調べる気になりました。
 夫を持ちながら情夫が数人あって、その情夫に殺されたというなにがし村の淫婦。
 夫を毒殺して男と逃げたという良家の家附きの女房。
 娘の婿を奪って、娘を川へ突き飛ばしたという後家さんの名。
 美人局《つつもたせ》で産を成したという、強者《したたかもの》。
 夫の情婦をつかまえて来て、焼火箸で突き殺したという武勇伝の女主人公。
 強姦されて出来たという子を殺した娘。
 曰《いわ》く、何、何……
 お銀様としても、多年、左様な淪落の罪悪史を聞いていないことはない。また人の口の端《は》から口の端へと上って成される三面記事を、かなり読ませられていないではなかったが、いざ、目的を以て調べ上げるということになってみると、その材料の蒐集にはかなり不足を感じてきたようです――そこで、例の女中共に強圧命令を下したり、小作連に酒を飲ませたり、甲府から来る石工の若いのを誘惑したりして、その口からとめどもなく、その醜い方面の風聞の募集に取りかかりました。
 この計画はかなり図に当ったようです。夜もすがら、酒を飲ませ、肉を喰わせつつ、思う存分に、エロチッシュを語らせて、それを一室にあって盗み聞くお銀様は、かくてまたこの事に得ならぬ会心と昂奮とを覚えたようです。
 それを聞取ったお銀様は、それぞれの名をしるし、名のわからない時は、情夫を幾人持った女、幾人の男に辱しめられた女――亭主を殺した女、殺したといわれるが証拠の無いという女――その罪の輪郭だけを書いた幾つもの位牌をこしらえつつ、その殖えてゆくのに、ほくそ笑みをしています。
 最初は、歴史的に、文章記録の上から調べ上げた者、その名は全部過去の人でありましたが、後には、ある部分は過去の人があり、追々に大部分が現存の人であろうとする。お銀様は過去の悪女のために位牌を作るのみならず、現存の悪女のためにも位牌を作っているのです。そうして、その結果が、あっぱれ、この悪女塚の供養式の日には、世に無き亡霊を呼び迎えるのみならず、現に生きている悪女という悪女をことごとく招いて、列席させてみようではないかとの、一種異様なる興味に駆《か》られてしまいました。
 この女の我儘《わがまま》と権勢では、やがてその空想の実行にうつるかも知れないが、さて、何の名目で、その悪女のみを集めるか、呼ばれても果して、その招待に応じて、目的の女性たちが集まるか――?

         三十三

 こうして幾日の間、お銀様はスフィンクスをこしらえることの興味に熱中している時、不意にこの熱中を破るものがありました。
 ここでは絶対権を有するお銀様、来って触るるものには、暴君の威を示して粉砕するお銀様の興味を破るものは何、破り得るものは何。
 それはもとより、父の干渉ではありません。父といえども、この領国に足を踏み入るることの危険は、知りつくしていなければなりません。否、父こそ最もその危険を知っているものといわねばならぬ。自然、善にまれ、悪にまれ、気まぐれにせよ、乃至《ないし》、狂気の沙汰にせよ、ある一つの事にお銀様が興味を持ち出したということは、父にとってむしろ勿怪《もっけ》の幸いであらねばならぬ。熱中の間にこそ、ともかく、一時的なりとはいえ、この暴君の境外進出が沮《はば》まれることになる。
 それは、酒飲みに酒を与えて置くように、餓虎に肉をあてがって置くように、飽いて後の兇暴は知らず、ありついている間の平静を喜ばねばならないのが、父伊太夫の立場です。
 況《いわ》んや、その他親族、家人らに至っては慴伏《しょうふく》あるのみで、誰ひとり、お銀様に当面に立とうという者があろうはずがありません。さればこそ、この暴女王の絶対権を干犯《かんぱん》するものが、その興味の中断を試むるものが、この有野王国のうちに存在するはずはありませんが、今日は少なくとも、その暴女王をして一時《いっとき》、呆気《あっけ》に取られて返すべき言葉を知らないほどの事件に出会《でくわ》させました。
「まあ、お嬢様、御無事でいらっしゃいまして何よりでございます、ほんとに、よく御無事でいらっしゃいました」
 こういって、遠慮なく、障子越しに、なれなれしい言葉を聞いたものだから、暴女王が、悪女の名を記す筆をとどめて、あっけに取られました。
 この王国のうちに、自分に対して、こんななれなれしい、涜狎《とっこう》に近い言葉づかいを為し得る奴がどこにいる。
 のみならず、障子越しに、こんななれなれしい言葉をかけてから、縁側へ進み寄って、
「御無礼いたします、お嬢様」
と言って、障子を引開けてしまったのです。そこでお銀様、
「あ、お前は両国の親方じゃないの」
「はい、角《かく》でございます、どうも御無沙汰いたしました」
「まあまあ、お前」
 さすがのお銀様が、あきれて物が言えなくなったのも道理であります。
 女軽業《おんなかるわざ》のお角は、いつもと同じような水々しさと、そらさぬ愛嬌を以て、ここへ現われたのには、さしものお銀様にとって意外の限りでないことはありません。
「だしぬけに、あがりまして、申しわけがございませんが、お嬢様が、こちらにいらっしゃると聞いて、あんまり、おなつかしいものですから、つい、こんなに、ざっかけに押しかけて、お仕事のおさまたげをしてしまいました」
 息をはずませて、お角がこう言いました。これに対して、お銀様に悪意を表するの機会を与えないほどの呼吸でありました。お銀様とても、この意外は強《し》いてつむじを曲げるほどの意外ではなかったと見え、
「ほんとに、親方、珍しいことですね。どうして、いつ、こっちへ来ました。まあ、お上りなさい」
といって、お銀様は、あたりを取りかたづけてお角を招きます。
「まあ、お上り……」
といって、この暴女王から特権を与えられたものは、あの間《あい》の山《やま》から流れて来たお君という薄命の少女のほかには、ちょっと類例を見出し難い記録でしょう。
 それを、ハニかんだり、辞退したりするようなお角ではありません。
「では、御免下さいませ」
 ここで、お銀様とさしむかいになると、お角はまた打ちつけに、
「お嬢様、御無事で結構には結構でございますが、角はずいぶんお恨み申し上げますよ。どうして、わたしのところをまあ、おことわり無しに出ておしまいになったのでございますか。お嬢様のためには、わたしはああしてあれほど、もうできます限り御機嫌に逆らわないように、お世話申し上げたつもりでおりましたのに、何が御不足で、おことわり無しにお出かけになってしまったのでございますか。お嬢様に出し抜かれた、わたしの身にもなって御覧下さいまし、口惜《くや》しいやら、辛《つら》いやらで、あの当時は、お嬢様に食いついてやりたいほどにお恨み致しましたが、それも、こっちの心がけが悪かったせいだと観念致しました。お出かけになるならお出かけになるように、一言そうおっしゃって下されば、何の事もございませんのに、角だってあなた、お嬢様の首に鉄の輪をはめてどうしてもお引留め申さねばならぬとは申しません、また、わたしたちが鉄の輪をかけてお引留め申したって、お引留め申すことができるほどのお嬢様でもございますまい。ほんとに、出し抜かれた当座は、わたしの気象として、腹が立って、腹が立ってたまりませんでしたけれど、こうしてお嬢様にお目にかかってみますと、もうそんな腹立ちは一切忘れてしまって、なんだか嬉しくて、おなつかしくて、つい、こんなに涙が出るような始末なんです、わたしも意気地がなくなりましたねえ」
と、お角は一息にまくし立てましたが、なるほど、それも口前ばかりではないらしく、お角の眼が、次第次第にうるおってくるようです。お角さんという女、まさか人を喜ばすために眼を湿《しめ》らして見せるなんという、しみったれた芸当をする女ではあるまいから、実際、こう言っているうちに、なんとなく、嬉しく、懐しくなって、珍しいことに涙を催してきたのかも知れません。
 といって、お角ほどの女が、お銀様に向っては苦手であることはいまさら申すまでもありません。
 お角さんほどの女が、このお銀様の前へ出ると何か気が引けて、先《せん》を越されて、圧迫を蒙《こうむ》るように息苦しい気持になることは、宇治山田の米友ほどの男が、このお角さんに向うと、どうも、すくんでしまうようなものです――だが、なるほど、恐縮の何物かを感ずる底に、また何とも言い難い一種の親愛がひそんでいるようにも見られる。
 お角ほどの女が、こうしてお銀様の前で涙ぐむのも、この言い知れぬ親愛の縁がそうさせるのかも知れません。
「親方、どうも済みませんでした、あの時は、つい、あんな気になってしまったものですから、フラフラと出かけてしまいましたが、お前さんにことわらないで出たのは、わたしの卑怯ゆえだと思いました」
「いいえ、お嬢様、わたしが至らないからでございます、お嬢様の機先を打つことができなかった、つまり、こっちの抜かりでございますから、仕方がございません」
「そうではありません、お前さんの信用をいいことにして、ペテンにかけて、わたしが出し抜いたのですから、全く、わたしの卑怯よ、堪忍《かんにん》して下さい」
「どう致しまして、わたくしこそ申しわけがございません」
「いいえ、重々、こちらが悪かったのよ、あやまります」
といって、お銀様がお角の前に、頭を下げたものですから、お角が何といっていいか、暫く挨拶に困りました。

         三十四

 お角の、ここへ訪ねて来たということは、必ずしも出来心ではありませんでした。
 そうかといって、血眼《ちまなこ》になって、お銀様の行方をさがし求めに来たものでもありません。
 また、お銀様の父の伊太夫に対して、資本主としての貸借関係から、その債務を果すためとか、申しわけのためとか、そんな用向で、わざわざ再び甲州の地を踏みに来たものとも思われません。打ちとけた話を聞いてみると、それもこれもひっくるめて、こんなような次第です。
 切支丹大魔術師の一世一代を名残《なご》りとして興行界から引退したお角、引退はしたけれども、世間もこの業師《わざし》を捨てて置きたがらないし、自分も、どうかすると、腕がむずむずすることのあるのはやむを得ません。
 だが、見込みのつかない事には乗らず、見込みのつく事は人に知恵を授けてやって自分は乗出さずに、うまく舵《かじ》を取っていたのが、今度はひとつ身体《からだ》を乗出さなければならなくなった、というよりは、自分から進んで出かけてみようという気になったところのものがあるのです。
 それは、この甲府が目的の地ではありませんでした。
 一蓮寺のあのいきさつは、今ではもう夢のあとです。お角ほどの江戸ッ児が、あの時の燃えのこりを根に持って、灰下をせせりに来るという、了見はありますまい。甲州へ来るのが目的でなく、その目的のところは、ずっと離れた尾張の名古屋の城下ということでありました。
 尾張名古屋へまた、江戸ッ児のお角さんが何の用あって――何の謀叛《むほん》のために乗りこんで、おきゃあせ[#「おきゃあせ」に傍点]の相場を狂わそうとするのか。
 それには、また、こういうわけと仔細があるのです。
 少し長いかも知れないけれども、その由緒来歴は一通り説明してみないとわからないでしょう。
 そこで、大要が尾張名古屋の城下の舞踊の略史ということになる。
 舞踊――おどり[#「おどり」に傍点]を口にするほどのものが、名古屋の踊りに特別の地位を認めないというわけにはゆくまい。
 人も知るところの、近代の名古屋の舞踊界に同時に現われた三人の名手。
 京都祇園の生れ、篠塚力寿《しのづかりきじゅ》(本名、後藤りき)が、父に伴われ名古屋に来たのは天保十四年の頃、彼女十七歳の時、これが篠塚流を以て名古屋の花柳界舞踊を風靡《ふうび》した一人。
 阪東秀代が江戸から流れて来たのは弘化三年、年二十三歳の時という。秀代は江戸旗本の娘(本名、川澄うら)、これが篠塚流に劣らざる名古屋舞踊界の大きな勢力となる。
 この間に出入介在して、長と能とを取入れて、ついに天下無比と名古屋が誇る名古屋踊りを大成した西川鯉三郎が現われる。
 力寿――秀代――鯉三郎。流名を以て言えば篠塚流と、阪東流と、西川流とが、幕末及び明治にかけての名古屋舞踊の三大潮流をなす。後にはみな西川派へ合流してしまったようなものだが、この三派にもおのおの、盛衰と消長とがあって、或いは合し、或いは離れて、かなりの混戦があった。力寿は京都にある時、四歳にして家元篠塚文寿の門に入り、十三歳にして名取《なとり》となる。踊りのほかに太鼓、鼓、筝、三絃にも妙を得て、その上に類稀《たぐいま》れなる京美人ということがあったから、酔雪楼の芸妓となって、傍ら踊りの指南をしているうちに、ついに名古屋芸妓の取締に選ばれることになる。
 西川鯉三郎が、江戸から名古屋へ入って来たのは、右の篠塚力寿が全盛時代であったことと思われる。
 力寿の父は、鯉三郎が西川流の踊りを見て感嘆し、これを自分の家に留めて踊りの師匠をさせていたが、やがて二人は結婚して、ほどなく離婚し、力寿は京都円山へ移り住むことになった。
 文久元年、力寿は再び京都から名府へ帰って来たけれど、その時、阪東秀代の勢力が隆々として、力寿はこれに圧倒されんとしていた。
 阪東秀代は舞踊に於て、篠塚流を抜いたのみならず、安政四年、門弟を集めて女芝居の一座を組織し、その初興行を若宮で催したのが縁となって、名古屋の女優界に一つの機運を産み出した上に、中村宗十郎の妻となって、彼を一代の名優に仕立てたのは、その内助か、内教かの功多きによるという。
 篠塚力寿が京から再び名古屋へ帰って来る。留守の間に自派の振わざるを見、阪東派の盛んなのを見て、いかなる感慨を懐《いだ》いたか、それはわからないが、力枝、大吉、力代といったような弟子たちを集めて、女芝居を組織したところを以て見れば、多少の義憤と、敵愾心《てきがいしん》を持っていたことは争われないと思われる。
 舞踊は西川流に併呑され、或いは合流されて行くうちに、この二人の花形がようやく老いゆきて、舞踊から女優方面に、進路を見つけようとした潮流はよくわかる。
 それと前後して、以上の三流とは全く別派の流れをなして来たものに、初代岡本美根太夫がある。
 もとは江戸の人で、新内を業としていたが、大阪で薩摩説教節を聞いて、これを新内と調和して新曲をはじめ出した。
 この岡本の女弟子たちによって源氏節なるものが生れんとして未《いま》だ生れず。
 そんなような空気から、名古屋の女流界にはかなり鬱勃《うつぼつ》たる創業の意気が溢《あふ》れていたものらしい。つまり、女流界の芸人で、現在に反感を持つもの、不平を抱くもの、新方面に発展の先例を見、或いは新例を開かんと企てるもの……とにもかくにも、女流興行界に一種の鬱勃たる野心がこもっている。この鬱勃たる野心にうまく火をつける人があれば、事は大きくなるにきまっている。
 その空気を見て取った誰かが、お角さんに伝えたものらしい。
 人に屈下せざる、とにもかくにも自ら祖をなさんとする意気に満ちた女流芸人が、名古屋の天地に存在していないということはない。ただ憂うるところは彼等を踊らせる舞台廻しがいないことだ。八天下は無天下になり易《やす》い。人才があまりあって、経営者がないことの恨み。あればこの際、これらの野心満々たる女流才人を打って一丸とし、この鬱勃たる興行の空気をよきに統制して導く興行者さえあれば、名古屋女流が、天下に向って気を吐き得ること疑いなし。
 その不足と、遺憾の点を見て取ったその道の通人が、江戸へ往復のついでに、当時、異彩を放って、未だ老いたりという年でもないのに、あたら引退しているお角さんに眼をつけ、あの親方を名古屋に引っぱり出して、この機運の手綱《たづな》を取らせたら、それこそ見物《みもの》である。
 天下の興行は名古屋から出で、名古屋の興行は女流から出でるという歴史が作れる――と、そこまで乗込んだかどうか知らないが、名古屋の女流の人才余りあって、その経営者の不足を見て取った者が、江戸に遊んでいるお角さんのことを想い出したのは、人物経済眼の卓《すぐ》れたものと買ってやってもさしつかえありますまい。
 そこで、通人がお角さんを説きつけたものです。
 そこは、お角さんも女ではあり、小うるさいから引退を表明したようなものの、人のする仕事を見ていると、子供のようで、腕がむず痒《かゆ》くてたまらないところへ、ここに持ち上げられた名古屋女天下の一巻は、かなりお角さんの雄心をそそるのに有力なものであったようです。今までは江戸で鳴らしたのだが、江戸で鳴らしたということは、一代に鳴らしたと同じようなことにならないではないが、今度のは、名こそ名古屋だが、やり様によっては、名古屋へ立って、上方と関東とを、両手に提げることができまいものでもない。
 興行界で、未だ曾《かつ》て何人《なんぴと》も成功しなかった、東西を打って一丸とする太夫元――後年、松竹という会社がやり遂げたことを、お角さんの手によって、やり得られないという限りもない――お角さんの気象としては、乗出す以上はともかくも、その辺までの客気がのぼせ上ったことかも知れません。それで話が、ずんずんと進んで、よろしい、一番脈を見に参りましょう、なんて道庵の向うを張る気になったらしい。
 しかし、お角さんは、道庵先生とは違い、根が興行師だけに、かなり山っ気も向う見ずもあるが、また相当に腹のしめくくりがある。いかに乗り気になったところで乗出した以上は物笑いになるようなことをしでかして、江戸ッ児の沽券《こけん》を落したくはない。乗り気にはなっているがはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]はしない。
「なあに、わたしなんぞ、上方《かみがた》の衆を相手にしては第一イキが合いませんからね、何かやれたらお慰みですね。ですけれど、まだ、尾張名古屋というところは、話には聞いていますけれども、お恥かしながら、土地を踏んだことはございませんから……一度金の鯱《しゃちほこ》を拝みに寄せていただきましょうか知ら。名古屋へ行けばお伊勢様は一足だし、伊勢へ参れば京大阪は、ほんの目と鼻、京大阪へ行った日は、金刀比羅様《ことひらさま》ということになりましょうから、ひとつこの際、奮発して出かけてみましょうかね。遊びですよ、遊びに出かけるんですよ、西国巡礼に毛の生えた物見遊山でございますよ、決して仕込みに行くのじゃありませんよ」
 こう言って、お角さんは、若衆《わかいしゅ》の七公だけを一人つれて、気散じに出かけたものです――その途中、表東海道を通る順だけれども、かねがね、恩顧にあずかっている有野村の大尽様に、ご無沙汰のおわびをし、兼ねて、このごろは家に帰っているとの通知を得たお銀様にも会って行きたいし、そんなこんな事情から、甲州街道を取って、ひとまずこの地へ立寄りをしたものですが、これから後は富士川を下って東海道筋へ出るか、あるいは諏訪へ出て飯田から名古屋方面へ出るか、それもまだきまっていないらしい。
 その一通りの道程を、お角はお銀様に物語る前に、伊太夫に会って、逐一《ちくいち》話してしまったのです。
 伊太夫はお角のきっぷ[#「きっぷ」に傍点]を愛して、かなりの信用と、贔屓《ひいき》を払っている。今日、わざわざ道を枉《ま》げて尋ねて来てくれたことにも、非常なる好意と、歓喜とを感じている。
 お角さんの方でも、今後また名古屋を地盤として、東西へ足をかけた仕事に乗出してみるような機会には、この大尽の好意、或いは諒解を得ておくことは、どのみち損ではないと考えていました。
 この一伍一什《いちぶしじゅう》を、最初、お角さんが、伊太夫に向って物語った時、それを聞き終った伊太夫が、思い当るところあるらしく、考え込んでいたが、結局、こういうことをお角さんに向って申し出しました、
「それは結構なことで。いつになっても、お前さんのその男まさりの仕事好きの勇気には感心するよ、お前さんが男であったら、それこそ大物師になれるし、一代の金持にも、株持にもなれるお人だ、感心しました。ずいぶん、大切に行っておいでなさい。また旅先で何かと、わしで用の足りることがあったら、言ってよこしてみて下さい……それからね、いやな話だが、やっぱり落ちて行くのは、あの娘のことだがね――あれもお前さんにまで、重々迷惑をかけてしまったが、何ともしようがない、今は我儘放題にして、屋敷のうちへ取りこめて、腫物《はれもの》にさわらないようにしているが、まあ、わしでもいるうちはいいとして、わしが欠けてしまった日には全く思われる――この家が焼けたなんぞは、それに比べるといわば小さな災難かも知れない。ところで、どうしても、あれの将来を見て行く成算がわしには立たない。前にもあとにも、あれを預けて、やや安心のできたのは失礼ながらお前さんばかりだ。どうでしょう、言われた義理ではないが、お世話ついでに、もう一ぺんあれを見てやっていただけますまいか。まず、あれを一緒に連れ出して、名古屋見物から、伊勢参り、京大阪、四国九州、お前さんとならば唐天竺《からてんじく》でもどこでもいいから、ひとつ引廻して来てくれまいか。ああして、暮らさして置いては何をやり出すか知れたものではない、お前さんならば、あれを引廻せると思う、引廻しているうち、馬じゃないが乗り放したってかまいません。旅をさせて、その日その日の気分を転換させれば、存外気が発して、さばけてくるかも知れません。これはお前さんを見かけてのお頼み、お前さんでなければ頼まれてもやれない仕事だが……なんと、わしが胸の中を察して、引受けて下さるまいか」
 こういって、口説《くど》かれた時に、お角さんの気象として、それを断わり得る理由がありません。
「どう致しまして、わたしなんぞに、あのお嬢様をお引廻し申すなんて、そんな力があるものじゃございません、わたしどもこそ、お嬢様から引廻されているようなものでございますが、それでも多少年の功で、おとなしく引廻されているところに御贔屓《ごひいき》があるんでしょうと存じます。とにかく、おすすめ申してみることはみましょう。ほんとに旅ほど気晴らしなものはございません、お嬢様のお気に向くかどうか、それは存じませんが、おすすめ申すだけはおすすめしてみましょう」
 こういうふうに答えて、お角は、お銀様に向い、一通りのゆくたてを話した後に、改めて、それとなく父の希望を、自分の希望として、お銀様に旅の誘いをかけてみました。
 お角の説きつけぶりがよかったせいか、お銀様の風向きがよかったのか、すらすらとお角の誘引に乗出したのが不思議なくらいでありました。
「そうですね、そう言われると、東海道の道中は面白そうですね、名古屋の踊りも見たい、お伊勢参りもしたい、奈良や、京都や、大阪、なんだか物語でなつかしがっている風景が、眼の前へ浮いて来るように思います。お前さんとなら安心だと思います、一緒につれてもらおうか知ら」
「お嬢様、ぜひそうなさいまし、わたしがついて、思いきって、お嬢様に面白い旅をさせてお上げ申しますよ」
 こうして、お角はとうとう、お銀様を口説き落して旅立ちの決心をさせてしまったのは、予想外以上の成功でありました。
 お角が、この予想外以上の成功に、自分の腕の誇りを感ずるよりは、それと聞いた父の伊太夫の喜びは、非常なものでありました。厄介払いをしたというわけでないが、たしかに自分のあえぎあえぎ背負って来た重荷を、一時《いっとき》なりとも人に肩代りをしてもらう心安さを、喜ばずにはおられなかったらしい。
 スフィンクス建設の工事と計画は、案を授けて、不在中に進行させ、自分は早くも旅の用意にかかったお銀様――お銀様自身の用意よりもなお周到に、十二分の用意を迅速にととのえてやる父の手配。
 善はいそげ、御意の変らぬうちと、その発足も、翌日ということにきめてしまいました。
 この有力な人質を得て置くことは、今も昔もお角にとって、損の行くことではありません。一石二鳥というが、これは少し荷が重いには違いないが、一石二鳥にも三鳥にも、或いは無尽鳥にも向う宝の庫を背負わせられたように、転んでもただは起きないお角の功名の一つでありました。
 これがまた、父の伊太夫を喜ばすことは前述の如く、この暴女王の絶対権に支配されていた以前の小作たちから圧迫の重石《おもし》を除いて、鬼のいぬ間という機会を与えた善根になるというものです。
 いずれにしても、お銀様の急の旅立ちということが、三方四方によい空気を持ち来《きた》してしまったことは、近頃にはない勿怪《もっけ》の幸いでありました。
 だが、申し合わせたわけではないが、この時、名古屋にはすでに、江戸ッ児の先達《せんだつ》を以て自ら任じている道庵先生が、すでに先発している――それに伴うて、お角さんにとっても、切っても切れない縁のあるらしい正直にして短気の米友公というものの存在がある。
 そこへ、お銀様と、お角さんが乗込んで、万一かの地で鉢合せでもしてしまった日には、名府城下の天地の風雲も想われないではない。

         三十五

 神尾主膳はこのごろ、子供と遊ぶことに興味を覚えたらしい。だがそれは子供と遊ぶというよりは、子供をおもちゃにすること、子供を涜《けが》すことによって、自己の満足を買うことに興味を感じ出したものというのが至当でしょう。
 それの因縁は、先日のある日のこと、子供らが凧《たこ》をひっかけたのを取ってやったことに原因して来ているようです。子供たちもようやく狎《な》れ睦《むつ》ぶの心を現わして、
「ここんちの親玉は、こわい面《かお》をしているけれど、本当は怖くないよ」
「悪いやい、親玉なんていうのはよせやい、こんな大きな、豪勢なお屋敷だろう、殿様だよ、きっとお旗本の殿様なんだぜ」
と、たしなめる。
「殿様――殿様にしちゃあ、家来がすくねえのう」
「殿様の御隠居なんだろう」
「御隠居――それにしちゃあ、年が若《わけ》えのう」
「だって、ただのさんぴんじゃ、こんなお邸は持てねえや、殿様だよ、殿様にしておかねえと悪いや」
「殿様? ほんとうに殿様か知ら、じゃあ、加賀様かえ」
「馬鹿――加賀様は百万石だ、殿様だって、ここん殿様あ、そんな大名と違わあ」
「じゃあ、何て殿様?」
「殿様は殿様だが、お旗本だよ」
「お旗本の何て殿様なの――」
 こうたずねられて、悪太郎の兄《あに》い株が少しテレているのを見る。
 百万石の殿様でないことはわかっている。お旗本の殿様だと仮定してみる。百万石必ずしも大ならず、小なりとも、お旗本にはお旗本の貫禄があるということも、子供心に納得はしているらしい。だが、ここの殿様は、何という殿様――何様のお屋敷とたずねられては一方《ひとかた》ならず迷う。重代の屋敷地ならば知らぬこと、ここへ来たのは昨年であり、御門には表札もなければ、誰もまだ熟したお邸名《やしきな》を呼んでいる者はない。染井のあの屋敷ならば、その以前から人は化物屋敷の名に恐れているが、ここの屋敷には、先住が越して空屋となっていること久しく、呼びならわしたなんらの邸名が無い。
「ここんとこの殿様には、目が三ツあるね」
 先日、平身低頭していた凧の持主が、突然にこう言い出すと、
「ああ、本当だよ、眼が三ツあるよ、一つはここんとこのまんなかにあって、錐《きり》のような形をしていたよ」
 眼が三ツある殿様。普通の眼のほかに、錐のような眼が、額のまんなかに一つついていて、総計三ツある。
「じゃあ、三ツ目錐の殿様と、おいらたちで名をつけようじゃねえか」
「三ツ目錐の殿様――よかろう」
「いいかえ、では、ここの殿様は三ツ目錐の殿様、このお邸は三ツ目錐の殿様のお邸っていうんだなあ」
「ああ、そうきめちゃおう」
「きまった、きまった、三ツ目錐の殿様、三ツ目錐のお邸」
 異議なく、ここに新名称が選定される。口さがなき根岸わらべによって、神尾主膳は、三ツ目錐の殿様の名を奉られてしまう。こういう名称は、本人が聞いて、喜んでもよろこばなくても、禁じてもすすめても、それの流行は止むを得ない。
 子供たちも、さすがに、殿様自身に聞えるようには、選定名称を呼びかけはしないようです。
 三ツ目錐の殿様は、日を期して、これらの童《わらべ》共のために門戸を開放するのみならず、時としては、座敷の上まで、その闖入《ちんにゅう》を拒まないことがある。
 子供らは、よい遊び場所を得たと思っている。見かけは怖いおじさんが、存外以上に甘いおじさんだということを見出してきた。その芝生の上は相撲競技、凧あげに持って来いだし、座敷へ上り込むと、この子供たちとしては、武器や、掛額や、相応見るものがあり、碁盤、将棋盤の弄《もてあそ》ぶ物もあることを見出してきました。
 五人が六人――十人――二十人と殖えて、三ツ目錐の屋敷が、界隈の子供たちの倶楽部《くらぶ》になってきたことをも、主膳は一向とがめる模様がありませんでした。
 だが、ここに繰返すまでもなく、主膳のは、空也上人や、良寛坊が子供と遊ぶことを好むのとも違い、ペスタロッチやルソーが子供の教育にかかるといったような精神でもなく、お松や与八のように、子供そのものと共に学ぶというのでもないことは勿論《もちろん》です。
 あらゆるものと遊び、あらゆる人間を涜《けが》し来《きた》って、倦怠と、自暴《やけ》とのほかには、何物も贏《か》ち得ていない荒《すさ》み切った自分の興味を、今度は、子供たちをおもちゃにすることによって、補おうとする転換に過ぎますまい。
 だから、時を期してここへ集まった子供らに、主膳は露ほども教養の制縛を与えないのです。与えないのみならず、あらゆる野卑と、悪戯《いたずら》と、不行作《ふぎょうさ》と、かけごと勝負と、だまし合いとを奨励して興がるかの如く見ゆる。
 そこで、相撲も、凧上げも禁じない如く、丁半《ちょうはん》、ちょぼ一、みつぼの胴を取ることまでも、主膳は喜んで見物する。なかには、その辺の知識経験で、主膳に舌を捲かせるほどの文才を発見することもある。
 大人も及ばぬ、猥褻《わいせつ》な挙動と言語を弄んで、平気でいるのもある。
 性の知識と裏面、その楽書、その振舞、聞いていて、さすがの主膳を撞着せしむるものがある。
 家族の罪か、早熟のせいか、主膳をして、ほとほとその原因を究めさせたくなるほどにマセ[#「マセ」に傍点]た奴がある。
 自分が胴元となって、本式にばくち[#「ばくち」に傍点]をかり催す手際を見ていると末怖ろしくなる。
 主膳がかくの如く、如是《にょぜ》の少年をかき集めて、野性そのままの露出を妨げないものだから、子供たちは、こんないい監督のおじさんは無いと思う。
 まだ白いと思っている新入生が、二三日してみるみる赤くなってしまう。
 善良の面影《おもかげ》のあった新入生が、このグループへ連れて来られると、見る間に塗りつぶされて行くめざましさを、主膳は舌を捲きながらも、痛快にながめている。
 且つまた、流行物を移入することの迅速なる手際。これもまた子供わざと思えないのです。
 たとえば、メリケン遊びというのがある。
 芝生の上へ広く四隅に人を配置して、一人が球《まり》を投げると、それを一人が棒で受け飛ばしたり、手で受けとめたりして、その度毎に一種異様な声を張り上げて、
「フラフラホウ、フラアラアキャット」
というようなことを叫ぶ。
 真中にいて、球を投げる奴が、妙に気取った恰好をして、肩をグルグル廻したりなんぞしている。球を受け留めると、
「フラフラフラホウ、フラアラアラキャット」
なんぞと口走る。
 主膳には、それが何の真似《まね》だか一向にわからないが、子供らは心得顔である。
 それから、また一隊は座敷へ上りこんで、それで、いつ誰が懐中して来たか知れない将棋の駒を取り出して「南京双六《ナンキンすごろく》」とやらをはじめる。
 その方法の複雑なる、日本の花がるたの、もう少し混み入ったようなものを、年嵩《としかさ》の子供の教導によって、たちまちに覚えこんでしまう。
 見ている主膳もわからない。また、こんな新遊戯術がいつ流行して来たか自分も知らなかった。
 だが、メリケンと言い、南京と呼ぶからには、ともかく最近外国から渡来して来たもののうつしに相違あるまいとは思われる。
 主膳は流行の潜勢というものと、少年の感染力というものを、そこに見せつけられて、思わず身ぶるいをしました。
 遊戯を好み、雷同性を助成せしむることが、国民性を最も軽薄に導くことに有力であるという説を聞いたことがある。国を亡ぼそうとすれば、兵力を以てするよりは、国民のうちの、いちばん、上っ調子な、惰弱《だじゃく》な、雷同的な人気商売の部分を利用して、悪い遊戯を流行させるのがちかみちだという昔の歴史を聞いたことがある。
 そこで、メリケンとか、南京とかいう者共が、こんな軽薄な競技を日本に流行させて、日本の国粋をけがす手段ではないか、なんぞと主膳も、がら[#「がら」に傍点]になくそぞろ憂国の念を感じてきたもののようです。
 事実、大人の道楽者にあっては大抵は驚かないが、子供の堕落には、主膳ほどのものが全く怖れる。
「後世おそるべし」

 けれども、当座の間は、悪太郎ばかりで、女の子というものは更に加わらなかったけれど、ある日、一人の、ここに常連の子供たちよりは、やや年長で、がらも大きいし、容貌も醜いほどではないが、なんとなく締りのない、低能に近いほどに見ゆる女の児を一人、子供の愚連隊が連れこんだことによって、今までとは全く異った遊びの興味を湧かすのを、主膳が見ました。
「今日は、おいらん遊びをしようよ、吉原のおいらん遊び」
 その低能に近い女の子を、多数の子供で一室に連れこんで行く。主膳が遠くから見ていると、その女の子が別段こわがりもせず、いっそ、嬉しそうに連れられて行くのを見ました。
 後世おそるべしとは言いながら、ただみまねききまねだ、吉原が何で、おいらんが何者だか知っていてするいたずらではない――と、タカをくくって為すがままにさせて置いたけれど、それを見過ごせなかったのはお絹でありました。
 ふと、通りかかったお絹は、子供たちがする「おいらん遊び」というのを、のぞいて見て、立ちすくみの形です。
「お前、廻しを取るんだぞ」
「おいらんが廻しを取る間は、みんな離れ離れにならなくっちゃいけねえ」
 お絹はそれを聞いて、ほとほと見る元気もありませんでした。
 低能に近い女の子を連れ込んで、廻しをとる遊びをさせている。これが子供のすることか。
 お絹は、なんぼなんでも、こんな遊びを放任して置くのはよくないと思いました。主膳に言いつけて、キッパリ断わらせなければならないと意気込みました。そこで、主膳のもとへかけつけて、
「あなた――」
と口を切って――このごろは、若様なんぞは全く口の端《は》に上らないで、あなたが常用になっています。そうして、いま、見て来た子供らの浅ましい遊び方を告げて、なんぼなんでも、あればっかりは止《と》めなければいけません――と気色ばむと、主膳がニタニタと笑い、
「廻しをとるのは、おいらんばかりじゃあるまい」
と言ったのが、いつになく下品に、侮辱的に聞えたので、お絹がむらむらとしました。

         三十六

 その翌日、ひょっこりと姿を現わして、縁に腰を打ちかけた例の如く旅ごしらえの七兵衛、
「どうも御無沙汰を致しました」
「あんまり御無沙汰でもなかろうぜ」
「つい、口癖になってしまいましてな」
 早くもかます[#「かます」に傍点]を取り出して、煙草にかかる。
「商売の方は、どうだい」
と主膳がたずねる。
「へ、へ、ちょっと当りがつくにはつきましたが、どうも、はや、あんまり子供じみた推量が、自分ながらおかしいくらいなものでございました」
「何を言っているのだ」
「いや、殿様にもかねて御心配をかけましたことでございますが……」
「ふむ――」
と主膳はその時、槍の穂先を拭っていたが、万事心得顔に、
「あんまり高上りをするとあぶない、もうその辺であきらめた方がよかろう」
「お言葉ではございますが、ここまで当りのついたものを、このままではあきらめられません」
「当りがついたというのは、つまりその有無の境がハッキリしたというだけの意味だろうなあ。つまり、お前の目をつけた代物《しろもの》が、現在でも存在しているか、いないか、存在しているとすれば、どこにあるか、その当りがついたというわけだろう。まさか、いくらお前でも、まだその現物を手に入れたというわけじゃなかろう、どんなものだ」
「お察しの通りでございます」
「うむ、実は拙者もお前からの頼みで、あちらこちらを聞き合わせてみたがな、秘密中の秘密といったようなわけで、要領を得たような得ないような、近頃の難物だが、そのうちの幾つかは、あの才物の勝安房《かつあわ》めがたしかに押えているという話も聞いた。また小栗上野《おぐりこうずけ》が、ひとりで、そっと持ち出して赤城山の麓にうずめて置くなんて、まことしやかに言う奴もある……」
「いや、どうも、いろいろの取沙汰はございますがね、なぜか存じませんが、残っているには残っているに相違ございませんな。残っていさえすれば、ちょっと一枚だけ暫時拝借してみたいなんて、だいそれた御本丸まで忍び込むなんぞと、ずいぶん、七兵衛も高上りを致したもんでございますが、成上り者の地金は争われません、それは自分ながらはや全くお気の毒みたような、甘い了見でございました」
「どうしてな」
「まあ、早い話が、あの千枚分銅の一枚が、かりにどこかに残されてあると致しまして、殿様、その一枚の目方が、おおよそどのくらいあると思召《おぼしめ》します」
「左様――なるほど、形はよく知っている、それに『行軍守城用、勿作尋常費』と刻印があることも聞いている、大きさもおおよそのところはわかっているが、目方はどのくらいあるかなあ、それはちょっと聞き洩《も》らしたよ」
「七兵衛も、そこに抜かりがございました。御宝蔵へ忍び込み、まんまとちょろまかして、小脇にかいこみ、さて花道へかかって、四天を切って落しの、馬鹿め! と大見得を切って、片手六方で引込みの……と至極大時代のお芝居がかりで当ってみましたが、なんの、殿様、あの千枚分銅の一箇の目方が四十八貫目あると知った日には、うんざり致しました」
「ナニ、四十八貫目……それが一かたまりの金《きん》か」
「間違いございません。四十八貫目ではいくら金でも、ちょっと手に負えませんな、よしんば、盗み出したところで、張貫《はりぬき》の小道具のように片手に引っかかえるというわけには参りません、ようやっと持上ったにしたところが、持ち出すまでには夜が明けちまいます。まさか大八車を御本丸へ引き込んで置いて、盗み出すわけにもいきますまいしねえ」
「そうか――四十八貫の金では、かなり大したものだな」
「積ってごろうじませ、千枚分銅と申しますのは、こいつが一箇で大判が千枚取れるというんでございます、今の値段にしたらどのくらいになりますか、かりに大判一枚を十両としますと、十枚の百両、百枚の千両、千枚の一万両、それを十層倍に見ますと十万両、そんな値段もございますまいが、一匁を五両と致しますと、四十八貫目では二十四万両、そいつを数知れずこしらえて、秀頼様のために残して置いたんですから太閤様でなければ、やれない仕事でございますな。権現様も、大阪に集まる浪人衆には怖れなかったが、この黄金の力を怖れたそうでございます。そいつが権現様の手に入ってから、後世、だんだんにつぶされてしまったのは、どうも時勢やむを得ないこととは存じますが、惜しいものでございます。どうか、一つだけは現物のままで永久に残して置きたいとこう思い込んだものですから、実は七兵衛とても欲にからんだというばっかりではなく、そう申し上げてはなんだが、当時惰弱の公方様《くぼうさま》に任せておいては、多分、その一つさえ元も子も無くなってしまやしないかと、こう思いますから、そいつを一つ、ちょろまかして、世間が鎮まるまでどこぞ深い山奥へでも隠して置いたら、どんなものかと、そんなばかな了見で、仕事にかかったものでございます。それでもまあ、苦心の甲斐があったというものか、ようやくこのごろになって、その一つだけは、その目方と、在所《ありか》だけは朧《おぼろ》げながら突留めて参ったという次第でございます」
「そうか、さすが蛇《じゃ》の道だ、拙者共の伝手《つて》で、どうしても要領を得なかったものを、お前の働きであたりがついたとは感心だ。いったい、その代物はどこにある?」
「その一つは、たしかに尾張名古屋の城の、御宝蔵にあるとこう睨《にら》みました」
「名古屋の城に――」
「はい、尾張名古屋のお城というところには、どういうものか、徳川のお家の選《え》りすぐった宝という宝がよせ集めてあるようなあんばいでございますな。大阪の城から取って来た、太閤様のエライ品物はお江戸には置かず、みんな尾張の名古屋にしまってござるというのは、権現様の思召《おぼしめ》しで、名古屋が、何につけても、いちばん安全だというところから、そんなことになすったという説もございますが、太閤様の御威勢でおこしらえになった贅沢品《ぜいたくひん》という贅沢品がすぐって、あの尾張名古屋の城に入れてございますようですから、たいしたものでございます。外へ出ている金の鯱ばかりが名物ではございません、お城の中には、今いった千枚分銅をはじめ、宝という宝が腐るほどうなっているんだそうでございます。そこでこの七兵衛もまた出直して、尾張名古屋へ当分根を生やそうかと思いまして、それで、ちょっと、お暇乞《いとまご》いに上ったようなわけなのでございます。これはお土産のしるし……」
と言って七兵衛は、保命酒のようなものを一つ取り出して主膳の前に置き、そのまま、風のように、さっ[#「さっ」に傍点]と出かけてしまいました。それを、あっけに取られて見送っていた主膳が、
「相変らず忙しい男だ、お土産を持って到着の挨拶に来たのだか、出立の暇乞いに来たのだかわかりはしない、羽の生えている奴にはかなわねえ、尾張名古屋への往復が、芝金杉へ行くような調子なんだから。だが、危ねえもんだなあ、あいつ、あれで分別盛り、べつだん高上りをしているわけでもないが、四十八貫目の泥棒は骨だろう、あいつも小力《こぢから》はありそうだが、四十八貫目では、ちょっと持ち出せまい、危ねえものだテ……」
 主膳は、憮然《ぶぜん》として、七兵衛の立去ったあとを見ていると、七兵衛が立去る時に合羽の裾で揺れた牡丹の葉が、まだ一生懸命に首を振っている。

         三十七

 駒井甚三郎は、今晩、遠見の番所の附近へ新たに立てたバルコン式の台上にのぼって、天体を観察している。
 駒井が、天体を観察するの余裕を得たことは、それだけ、海と船との事業が滞りなく進捗している証拠であります。さりとて、海を行く者が天を観ることは必須であります。駒井が天文の趣味と、天体の観察は、今に始まったことではないが、船の方の工事に、すっかり安心が出来た故にこそ、今度はこうも落着いて、専門的に天を観ることに取りかかったその態度、空気は容易《たやす》く見ることができるのであります。
 事実、駒井のこのごろは、船の工事の監督が三分の、天文の研究が七分といってもよいほどに時間を割《さ》いているのです――無論、昼は天文学と共に相関聯した航海学、六分儀の使用、海図研究――夜はこうして天体の実測観察。
 駒井が天体を観察する傍らに、清澄の茂太郎が立っている。小脇には例によって般若《はんにゃ》の面《めん》をかいこみつつ、
「殿様、歌をうたってもようござんすか」
「お歌いなさい」
 お許しが出たものだから、澄み渡った夜の外房の空に向って、得意の即興詩がはじまる。
[#ここから2字下げ]
さて皆さん
皆さんは
この大地は
四角なものだとか
或いは平らなものだとか
お考えでございましょう
ところが違います
この大地は丸いものです
丸い毬《まり》のようなものです
丸い毬のようなものが
ブラリと大空の中に
ブラ下がっているのです
それを嘘だと申しますか
嘘ではございません
どうして丸いものが
大空の中に
ブラ下がっています
針金で留めてありますか
紐《ひも》で下げてありますか
ネジでまいてありますか
そんなら、その
針金と、紐と、ネジは
どこにあります
その針金と、紐と、ネジを
かける柱はどこにあります
壁はどこにあります
そんなことを知りたければ
駒井の殿様に
聞いてごらんなさい
殿様は学者ですから
その理窟を知っています
ですけれども
その理窟を知る前に
皆さんは
三角形の内角の和は
常に百八十度であるということと
多角形の外角の和は
常に三百六十度であるということを
知っておかなければなりません
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
[#ここで字下げ終わり]
 そこで茂太郎は足ぶみをして、踊りをはじめてしまいました。
「もう、わかっているよ」
 駒井は、望遠鏡をのぞきながら言う。茂太郎は調子をかえて、
[#ここから2字下げ]
一度を
六十に分ければ
分《ふん》となる
一分を
また六十に分けて
それを秒という
だから三百六十度を
分でいえば二万一千六百分
秒でいえば百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
[#ここで字下げ終わり]
 茂太郎は、片手を高く差し上げて、天文台の板敷の上を、踏み鳴らして踊り出しました。
 争われないものです。
 駒井甚三郎の傍に置くと、この子は、鼻が十六だの、眼が一つだのという即興をうたわない。
 それは散文ではあるけれども、立派に数理の筋が通っています。弁信が干渉するように、道義を吹込んではいないけれど、数理を外《はず》れるということはありません。
 しかし、どちらにしても、茂太郎の歌う心と、調べとは、反芻《はんすう》の出鱈目《でたらめ》に過ぎません。多分、その詞句をかく歌えと教えられるからその詞句を、しかくうたうだけに止まったものです。
 ああして弁信は茂太郎の歌に干渉し、こうして駒井は茂太郎に数理を教える。茂太郎自身としては方円の器《うつわ》に従いながら、詩興そのものは相変らず独特で、調律と躍動そのものは、例によっての出鱈目です。誰もそこまで干渉して、新たに作曲を試みて彼に与えようとする人は、まだ見出されていないのであります。
 その時分、駒井は天体のある部分――たとえば大熊座と小熊座の間のあたりに、何か異状を認めたらしく――望遠鏡に吸いつけられて、茂太郎の歌も聞えない。まして、その音律や行動に干渉を試むる余地もなく、全く閑却していると――いつもならば、その歌を聞いて、よく覚えたと賞《ほ》めたり、間違ったところを訂正したり、なお新知識を授けたりするところを、今は全く閑却しているものですから――茂太郎の歌が、そこでひとたび途絶えました。
 やがて、暫くあって、一段高いところで、一段のソプラノが起るのを聞きました。
[#ここから2字下げ]
西は丹波カラサキ口
東は伊賀越えカラサキ口
和田の岬の左手《ゆんで》より
追々つづく数多《あまた》の兵船《ひょうせん》
[#ここで字下げ終わり]
 眼鏡に吸いつけられていた駒井甚三郎が、この声で、驚かされて見上げるところ、台の上からなお高く立てられた番所の旗竿のてっぺんまで、この子は上りつめて、そこで般若の面は頭上にのせたまま、片手で、しっかり旗竿につかまり、片手は播磨屋《はりまや》をきめこんで小手をかざして海のあたりをながめているのは、多分、江戸へ見世物にやられた時分、どこかの楽屋で、見よう見まねをしたものの名残《なご》りかと思われる。それを仰いだ駒井は、
「あぶない、降りておいで……」
「はい」
 返事はしたが、茂太郎は急には降りて来ようとしない。急に降りて来ないのみならず、なおこの旗竿に上があるならば、上りつめたい気持らしくも見える。百尺の竿頭を進めるという言葉は知るまい。知っているとも、その意味はわかるまいが、この子供は、いつも尖端《せんたん》を歩きたがる子供である。いや、自分は尖端を歩きたくはないが、ある力があって、どうぞして、この少年に尖端を行かせようと、押し上げているもののようにも見える。さればこそ、山に入って悪獣と戯れ、沢に下って毒蛇と親しむことを得意とするこの少年が、両国橋畔の、人間という群集動物の最も多く集合する圏内に曝《さら》されたりなんぞする。
 それはそれとして、行き行きて止まるところまで行かねばやめられないこの少年は、狭い房総の半島にいて、どちらに行っても海で極まってグルグル廻り、廻りそこねてついに海の領分にまでいったん陥没するところまで行っている。山に於ては、もう房総第一の高山を極めつくしている。旗竿でもなければ、もうこの天地にいて尖端を極めるところはなかろうと思われる――降りろといっても、急に降りられない立場にいることも無理はありますまい。
「ね、おとなしく降りておいで」
「はい」
 降りるよりほかに道はないと見きわめた時、スルリと降り立ってしまいました。
 下に降り立つと共に茂太郎は、
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シイドネックス
ナンバンダー
ライドネックス
ナンバンダー
テント、テント
ナンバンダー
スウイッ、スウイッ
ナンバンダー
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 こう言って、口ずさみながら、小踊りをはじめた時に、駒井が、
「茂君、君の眼はなかなかいい、わたしの眼よりいいかも知れない、ひとつ、この眼鏡をのぞいて見給え」
「はい」
「静かに、度を乱しちゃいけない、このままで、じっと鏡の向いた方の空を静かに見ていてくれ給え、そうして、何か星があるか、星が無くとも薄い光でもあるか、光が無くても、ボーッとした空の色よりも白いものが現われているか、いないか、それをお前の眼でひとつ見てくれ給え」
「はい」
 茂太郎は、プレアデスの星を、七ツ以上も見る眼を持っていることを駒井が知っている。
 そこで、駒井が改めて、眼鏡を茂太郎に譲って、自身はその傍らに報告を待っていると、暫くあって、茂太郎が、
「見えますよ、殿様、ちょうど、この眼鏡の真中より少し北へ寄ったところに、たしかに一つの星がありますね」
「そうかい」
「あります、よく気をつけて見れば、星がたしかにあることをうけあいます」
「そうか、そうあるべきはずなのだが、わしには見えなかった、どれひとつ代って……」
 そこで、また駒井は茂太郎に代って、再び同じ地位で眼鏡をのぞきながら、
「なるほど……君にそう言われて見ると……」
「ありましょう」
「ある、ある」
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とっつかめえた
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った
五両、五両
五両の相場は誰《た》が立てた
八万長者の
ちょび助が……
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 またしても、奔放と、逆転に帰ろうとするのか。駒井がさえぎって、
「茂君、お前に歌らしい歌の文句を教えてあげよう、それを歌って見給え」
 即興を科学の正道に引戻そうとする。
「有難う、教えて下さい」
「まず文句だけを覚えておき給え、いいか」
「はい」
「星の歌だよ」
「はい」
 そこで、茂太郎は、駒井から教えられようとする歌の文句を神妙に覚え込もうとして、しばらく沈黙していると、駒井は望遠鏡をのぞきながら、おもむろに、
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(駒)天王星ノ彼方《かなた》ニ
(茂)天王星ノ彼方ニ
(駒)天王星ヲ狂ワス
(茂)天王星ヲ狂ワス
(駒)マダ一ツノ星ガ
(茂)マダ一ツノ星ガ
(駒)無ケレバナラヌコトガ
(茂)無ケレバナラヌコトガ
(駒)学者ヲ悩マシタ
(茂)学者ヲ悩マシタ
(駒)ソレヲ幾何学ノ上デ
(茂)ソレヲ幾何学ノ上デ
(駒)立派ニ発見シタ
(茂)立派ニ発見シタ
(駒)西洋ノ暦デ
(茂)西洋ノ暦デ
(駒)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(茂)千八百四十六年ノ八月ノ三十一日
(駒)「フランス」ノ
(茂)「フランス」ノ
(駒)「ヴェニニ」トイウ
(茂)「ヴェニニ」トイウ
(駒)幾何学者ガ
(茂)幾何学者ガ
(駒)空ヲ見ナイデ
(茂)空ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(茂)机ノ上ノ理論ト計算カラ
(駒)天王星ヲカキ乱ス
(茂)天王星ヲカキ乱ス
(駒)知ラレザル存在ノ星ハ
(茂)知ラレザル存在ノ星ハ
(駒)コレコレノ時間ニ
(茂)コレコレノ時間ニ
(駒)コレコレノ大キサデ
(茂)コレコレノ大キサデ
(駒)コレコレノ空ニ
(茂)コレコレノ空ニ
(駒)存在シテイルニ相違ナイ
(茂)存在シテイルニ相違ナイ
(駒)トイウコトヲ
(茂)トイウコトヲ
(駒)天ヲ見ナイデ
(茂)天ヲ見ナイデ
(駒)机ノ上ノ研究ダケデ
(茂)机ノ上ノ研究ダケデ
(駒)断定シテ発表シタ
(茂)断定シテ発表シタ
(駒)コノ発表ニモトヅイテ
(茂)コノ発表ニモトヅイテ
(駒)「ベルリン」ノ天文台長
(茂)「ベルリン」ノ天文台長
(駒)「ガール」トイウ人ガ
(茂)「ガール」トイウ人ガ
(駒)数日ノ間
(茂)数日ノ間
(駒)示サレタ通リノ天空ヲ
(茂)示サレタ通リノ天空ヲ
(駒)最良ノ望遠鏡デ
(茂)最良ノ望遠鏡デ
(駒)観測シテイルウチニ
(茂)観測シテイルウチニ
(駒)果シテ発見シタ
(茂)果シテ発見シタ
(駒)「ヴェニニ」ガ
(茂)「ヴェニニ」ガ
(駒)机ノ上デ断定シタ通リノ
(茂)机ノ上デ断定シタ通リノ
(駒)位置ト形ト時間トノ
(茂)位置ト形ト時間トノ
(駒)寸分違ワヌ
(茂)寸分違ワヌ
(駒)実在ノ星ヲ
(茂)実在ノ星ヲ
(駒)天空ニ確認シタ
(茂)天空ニ確認シタ
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 ここまで述べて、駒井は息を切り、
「どうだ、茂坊、わかったか」
 茂太郎はうっかりと、
「どうだ、茂坊、わかったか」
「はは、それは言わんでもいいのだ、この文句をお前も覚えておいて、筋道を立ててうたうことにしなさい」
「でも面白かありませんね、論語よりむずかしい」
「覚えこめば雑作《ぞうさ》ないよ、さあ、ついでだから、もう少しつづきを教えてあげよう」
 茂太郎は、やや倦怠を覚えたらしいが、それでも、いやだとは言わなかった。
「さあ――天の歌のつづき、はじまり」
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(駒)ソコデ海王星
(茂)ソコデ海王星
(駒)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(茂)一名ヲ「ヴェニニ」ノ遊星トイウ
(駒)ソノ大キサハ
(茂)ソノ大キサハ
(駒)地球ノ百十一倍
(茂)地球ノ百十一倍
(駒)太陽トノ距離ガ十一億里
(茂)太陽トノ距離ガ十一億里
(駒)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(茂)太陽ノ周囲ヲマワルノニ
(駒)百六十四年カカル
(茂)百六十四年カカル
(駒)ソレデ終リ
(茂)ソレデ終リ
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 駒井は、その時、肉眼を望遠鏡から離して、今宵の観察を終るの用意にかかります。解放された茂太郎は、駒井について、この台を下りると、提灯《ちょうちん》に火を入れて先に立ち、やがて大声をあげて、こんな歌をうたいました。
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ありもしない海竜に
お杉のあまっ子おどろいた
マドロスはウスノロ
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 ここで、また科学が、即興と、野調に逆転しようとする。
「茂君、だまって歩きなさい」

         三十八

 提灯《ちょうちん》を持って、先に立った清澄の茂太郎が一丁ほど進んだ時、道のまんなかに大いびきで寝ているものに、ぶっつかって、
「おや」
 提灯をさしつけて見るまでもなく、それはマドロス氏です。
「マドロスさん」
 茂太郎は、道に横たわる人間の塊《かたまり》を小さな手で押してみたけれども、ほとんど正体がありません。駒井甚三郎も提灯の光で、マドロスのずう体[#「ずう体」に傍点]を見て困ったものだと思いました。
 それはもとより、生命に別条があるのではなく、マドロスは泥酔したために、この通り正体もなく地上に眠っているのです。
 人間は、少し足りないくらいで、危険性は持っていないが、隙《ひま》があれば酒を飲みたがり、その酒は地酒でも、悪酒でも、焼酎でも、振舞酒でも、自腹でもなんでもかまわず、飲ませる者があり、飲む機会さえあれば、かぶりついて辞するということを知らない。酔うと、外国人としての勝手違いと愛嬌がいよいよ発揮されるものだから、それを面白いことにして、とっつかまえて、強《し》いる者もある。
 こんなにして、途上に酔いつぶれて、駒井を困らせたのは、もうこれで三度目です。このままにして置いては悪いが、そうかといって、呼びさませばなお始末が悪いかも知れぬ。第一、持運びにも困難だ。
「よし、誰か取りによこそう、このままにして置け」
 苦りきった駒井は、茂太郎を促して、その場を去ってしまいました。
 そうして、駒井は陣屋へ帰って来て、内外を一巡して見たが、マドロスの不在のほかには、別に異状がありません。
 兵部の娘も、金椎《キンツイ》も、おのおの、牀《とこ》について、安らかに眠りに落ちているようです。
「茂君、お前、もうよろしいからお休み」
 提灯を消して、蝋燭《ろうそく》の煙をながめていた茂太郎が、
「殿様、マドロスさんをどうしましょう」
「そうだな」
 駒井は思い出したように、
「貞さんを呼びましょうか」
「もう寝ているだろう」
「起しましょうか」
「気の毒だ」
「では、金椎さんと、わたし、二人で行ってマドロスさんを、かついで来ましょうか」
「金椎もよく寝ているのにかわいそうだ、それに二人の力ではかつげまい、まあ、いいから、ほうって置け」
「では、マドロスさんを今晩中、あのままにして置きますか」
「一晩、すずませてやれ、生命には仔細あるまい、そのうち酔いがさめると、ひとりで帰って来る」
「では、かまわないで、ほうって置いてみましょうか。でも狼に食われるといけませんね」
「そんなことがあるものか、よしよし、お前はお休み」
「では、殿様もお休みあそばせ」
 こう言って、茂太郎は、おとなしく、自分の部屋に戻りました。
 自分の部屋といううちに、この子は部屋を二つ持っている。ある時は金椎と枕を並べ、ある時は兵部の娘のところに居候をする。
 こんな場合には、兵部の娘を驚かさないで、金椎の部屋に行くのを例とする。少しぐらい、物音を立てても、金椎の夢を驚かすことはないが、兵部の娘は、ささやかな物の動揺にも目をさます。
 茂太郎は、金椎のよく眠っている面《かお》を見ながら、自分も帯を解いて、それと並んだ蒲団《ふとん》に寄添うようにして、枕につきました。
 駒井甚三郎は、どっかと椅子に腰を卸した。けれども、急に眠ろうという気にはなれません。それはあえて、路傍へ寝かしておくマドロスのことが気になるからではありません。時としては、こんな際に、また研究心が突発して、卓子《テーブル》に向き直り、寝ないで一夜を明かすこともあるのです。
 だが、駒井はこの際、別に新しい研究にとりかかる様子もなく、椅子に反《そ》り返って、腕を組み、キャンドルをながめてボンヤリと考えている。だが、それは必ずしも屈託の色ではなく、自分の計画が、ともかくも着々と進んで行きつつあることに、かなりの安心と、満足とを持っての沈黙であることもわかります。この様子で見ると、先日の蒸気機関引上工事も、多分成功したらしい。
 あれを引上げることに成功すれば、そのまま使用ができないまでも、それを参考として、必ず相当なものを、新たに作り上げるだけの自信が出来ているはず。
 そこで、次に来《きた》るべきものは、その蒸気機関に使用すべき燃料のことです。
 駒井の新たなる調査とか、研究とかいうことは、勢いそこまで進んで来るのが当然で、その次には、船がいよいよ竣工して、その乗組員と積込物資のこと。
 まあ、ここにいて生活を共にする者の全部と、工事を助ける者の一部分とは、同乗することになっているが、指を折ってみると、
 第一、自分というもの、次に、金椎、次に、茂太郎、次に、マドロス、それから、兵部の娘――あの娘も、今では健康も、精神状態も、常態に復したといってよい。あの分なら大丈夫だろう。別に田山白雲が、ぜひとも自分の妻子を伴って参加を申入れている。その他、夫婦共稼ぎで乗組みたいというものが、この地で自分が養成した工人のうちに若干ある、そのうちから選抜すること。植民には女性が要る、同時にまたその女性にも、植民の母という資格が無ければならぬというようなことを、駒井が、うつらうつらと考えはじめました。
 その時に駒井の頭の中にも、お松という女の子のことが、計数と考慮の中に入って来ました。植民の将来の母として、あのお松のような子がぜひ欲しいものだ、と思わせられました。
 それに、あの娘には自分として、切っても切れぬ恩義を蒙《こうむ》っているといわねばならぬ。自分のあやまちから、日蔭に置いてある、まだ見ぬ子――自分にとっては、この地上でただ一人の血をわけた、しかも、男の子というのを、あの娘が預かって育ててくれている。いよいよ日本を立つ時は、どうしても、それに一応の挨拶無しでは立たれない。
 駒井は、また既往のことと、自分のあやまちとを考え来《きた》ると、例の生一本に自分をにくみきっている奇怪なる小さい男――宇治山田のなにがしと名乗る男について、考えさせられないわけにはゆきますまい。
 その時分に、時計の二時が鳴る。
 ああ、もう二時だ、丑三時《うしみつどき》だ、寝なければならぬと気がついた時、ふと思い出したのは、酔いどれのマドロス氏のこと。
 捨てておいても大事はないと信じているが、それでも気にかかる。
 あいつは憎めない男だから、傍へ置いてみたが、今は単に愛嬌者としてでなく、実用の上に無くてはならぬ男になっている。
 彼は、下級労働者ではあるが、外国の事情と、航海の知識等については、経験上から珍重すべきものを持っている。本は読めないが、言葉を研究するには、悪い参考とばかりはならない。それのみならず、船乗りとしての生活の前には、到るところを渡り労働者として歩いているから、何かと経験もあり、小器用でもあって、時には信じ過ぎ、買いかぶって苦笑いに終ることもあるが、大体に於て、この男から得るところのものは、決して少なくないことになっている。
 現に――すでに、機関の方の目鼻があいてみると、次に当然|来《きた》るべきものは、燃料の問題でなければならぬ。
 そこで、駒井甚三郎は、一方天文を研究して船の航路学の準備をすると共に、地質をたずねて、石炭――というものに多大の注意を払いはじめたのは、この頃のことです。
 石炭――に就て駒井甚三郎が注意を払っていたのは、今に始まったことではありません。
 燃ゆる水、燃ゆる土の、半ば伝説的時代はさておき、近代に於ては、九州地方に於て、ひそかにこれを採掘して実用に供している住民のあることを駒井は認めている。
 日本の当局者も、心ある者は、近き将来に、この新たなる燃料の大量需要の来《きた》るべきことを予想し、どうしても、日本内地にその豊富なる鉱山を見出さねばならないことを痛感している。現に不肖ながら、自分もその先覚者の一人で、年来、ひそかに有力な石炭の産地というものに目をつけていないではなかった。幕府にある時は、それぞれの系統をたどって、各地からの報告を取寄せ、今でもそれの参考資料をかなり集めている。
 最も有望といわれる産地、九州地方はさておき、江戸を中心としては静岡地方――それから常陸《ひたち》から磐城《いわき》岩代《いわしろ》へかけて、採炭の見込みがある。それから燃ゆる土、燃ゆる水の発祥地なる北越地方――その辺の古い記憶や、報告資料を調べ、その結果は、ここ安房《あわ》の洲崎《すのさき》を最寄りとしては、常陸、磐城の海岸筋の鉱脈に当りをつけるのが順当だと思っていたのです。
 しかし、これは罷《まか》りまちがえば、外国艦から融通を受ける道もある。僅か一艘の手製の船に使用するために、わざわざ一つの炭鉱をさぐり、それを採掘してかかるまでのことはあるまいとは思っているが、さりとて事ここに至ると、駒井の研究心は、外国物資の融通だけでは甘んじきれなくて、後人のために、この際、附近の炭山について、若干の研究を残しておきたいという好学心も手伝ったものでしょう。
 そこで一つ都合のよいことには、このマドロス君が前生涯に一度、炭坑の坑夫として働いていたことがある。メリケンのペンシルヴァニアというところで、ほんの僅かの間ではあったけれども、炭山の経験があるということを耳にしたから、この男を引きつれて明日にも、常磐の山に鉱脈をさぐろうと心がけていた際であります。
 困った奴だ――人間はごくいいのだが、ちょっと眼をはなすと、とめどもないだらし[#「だらし」に傍点]なさを曝《さら》す男、危険性はないが、それでも眼のはなせない男。
 こういう際には、田山白雲のことを駒井がかなり痛切に思い出す。白雲が存在すれば、マドロスは一たまりもない。白雲によって悪い方は慴伏《しょうふく》される。悪い方が慴伏されると勢い、いい部分だけの能力を現わすから、マドロスを抑えるには白雲に限る。ところがそのマドロスをおさえの役は只今、銚子から利根、香取、鹿島に遊ぶといって出て行ったきり、まだ帰って来ない。当人、日を限ってはいたが、いつ帰って来るか、ちょっと当てにならないものがある。
 今夜のような醜態を、かりに白雲に見られたとすれば、マドロスは有無《うむ》をいわさず、叩き起されて、二つや三つのびんた[#「びんた」に傍点]を食《くら》うことはわかっている。
 その荒療治は、駒井の得意とするところではない。
「さて、どうしてやろうかな」
 この際駒井が、ふいと、心頭を突かれたのは、いつぞや、あの大嵐の前後、難破船から投げ出されたお角という女を、平沙《ひらさ》の浦から拾い上げた時、前後して、自分の手許《てもと》から消え失せて、全く行方不明な船大工の清吉のことです。
 清吉は朴訥《ぼくとつ》な男、造船工事では自分の右の腕としていた男だが、あの際に、行方を見失ってしまった。死んだものなら、死んだと見きわめをつけるべき一品の証拠でも出て来たのなら、まだあきらめもあるが、それすら全く無い。今以て、寝ざめの悪いことである。万々一、マドロスが、あの轍《てつ》を踏んで、あの時とは場合も違うし、清吉と、マドロスとは、性格に於ても比較にならないが、それでも、万々一……清吉のことを考え出してみると、駒井も、マドロスのために不安がこみ上げて来ました。マドロスそのものを、ああして不親切にしておくことは、清吉のために済まないような気もする。
 今となっても一向、マドロスの帰って来た模様はない。まだあのままで酔倒の夢がさめないのだろう。そこで駒井は、狼に食われはしないかと言った茂公の言葉までが気にならないではない。
「よし、それでは、もう一度見届けて来てやろう」
 多少の責任感のようなものに迫られて、駒井は寝室に入ってねまきを着ることの代りに、刀架に置いた刀をとって差し、陣笠をかぶり、鞭をとって、音のしないように、この家の外の闇に出てしまいました。
 たった一人で、提灯《ちょうちん》もつけずに、この闇の中を駒井は、静かに先刻のマドロスの酔倒していた路傍のあたりまで進んで行って見ました。

         三十九

 駒井甚三郎は、マドロスが酔倒していた現場まで来て見たけれども、もはや、そのところにマドロスの形がありません。
 そのあたりを、暗い中で、相当にあたりをつけて見たけれど、単にいたところの人が見えなくなったというだけで、そのほかにはなんら異常の気配は見えないようです。
 つまり行違いになったのだ、先生、ようやく目がさめて、あわてふためいて立戻り、いまごろは、寝床へもぐり込んで、前後不覚の夢を繰り返しているのだろうと、駒井はタカをくくって、そうして、それから海岸の方へと歩みを進めました。
 その時も、天文の興味が頭を去らないものですから、思わず頭を天空にもたげて、そうしてさいぜん観察した星の進行を注意しつつ海岸を歩いて、家路の方へ静かに踵《きびす》をめぐらした時です。
 急にあわただしい空気があって、バタバタと人の足音があって、やがて夜目にもしるき着物の色がこちらへ向って見えて来ましたから、駒井が驚いて足をとどめていると、まもなくせいせいと息をきる音。それらの雰囲気で、よくわかっている、これは珍しくもない兵部の娘、もゆる子であるということを、駒井が直ちに感づきました。
 そこで、またはじまったな、困ったものだな、せっかく、鎮静しかけた病気が、またきざし出して、時と所とを嫌わず飛び出すあの娘の病気、今夜という今夜、またきざしたのだ。しかし、自分がここにめぐり合わせたのは勿怪《もっけ》の幸い。
 それとじゅうぶん合点《がてん》が行ったから、駒井甚三郎は、むしろ網を張るような心持で、両手をひろげて待っていると果して、たあいもなくその網にひっかかってしまいました。
「まあ、殿様!」
 もゆる子は、駒井の面《かお》にすがりつくように立ちどまって、
「こんなに、おそく、こんなところにおいでになろうとは存じませんでした」
「お前こそ」
「いいえ、わたしのは、こうして逃げ出して来るわけがあるから、逃げ出したのでございます」
「どうして?」
「逃げなければならないから、逃げ出して、殿様のお部屋へ逃げ込みましたけれど、どうしたものか、殿様がいらっしゃらないものですから、たまらなくなって、窓から飛び出して逃げて来ました」
 こう言って、女は嵐のように息をきる。しかし、これも、深くは駒井を驚かすことはありません。やはり例によっての病気のきざしのさせる業《わざ》だと思いましたから、それをなだめるような気持で、
「何か怖い夢でも見たのかね」
「いいえ、夢ではありません、わたしは、今夜という今夜こそ、あのマドロスさんに、ひどい目に遭《あ》わされました」
「え!」
 この時、なぜか駒井がギョッとして胸が騒ぎました。女は息をはずませながら、
「ちょっと先、戸があくような音がしましたので、ふと、眼をさまして見ますと、誰か、わたしの傍へ来ておりました」
「うむ」
「茂ちゃんならば、入りさえすれば、言葉をかけるのに、あんまり静かに入って来たものですから、わたしは、もしや……と思って」
「うむ」
「ところが、どうでしょう、今まで静かであったその人が、急に獣《けだもの》のように荒《あば》れ出して、わたしの体をおっかぶせてしまいましたから、わたしは声を立てることも、息をすることもできません、けれども、この悪い獣のような奴が誰だかということは、直ぐにわかりました、ほんとに獣です、人間じゃありません、あのマドロスの畜生です、あれのために、わたしは全く身動きも、息をすることもできなくなったから、助けて下さいと救いを叫ぶこともできやしません」
「うむ」
 駒井は、うめくように答えます。
「ホントに口惜《くや》しい!」
 もゆる子は歯噛みをして、息をはずませている。駒井は憤然として拳を握りしめました。
「ああ、油断の罪だ、ちょっとの注意の怠りが、そうさせたのだ」
「ホントに憎らしい奴です、いつ、隙《すき》をねらって来たんでしょう、ふだんならば、そのくらいの物音でも、わたしが声を立てなくても、金椎《キンツイ》さんはいけないとしても、茂ちゃんは直ぐに眼をさましてくれるし、声を立てれば、殿様のお寝間までも聞えるんだから、それにあのマドロスの奴も、このごろは、皆さんのおかげで全く改心したものと安心していたのが、こっちの抜かりでございました、今夜という今夜は、もう充分に隙をねらっていたのですね、茂ちゃんを驚かす物音もさせず、わたしに人を呼ぶ隙も与えずに、どうすることもできないようにしてしまったのです、ああ、口惜《くや》しい」
「うむ、油断だ、全く、こっちの油断の責めというよりほかはない、む、む」
「ですけれども、女だって、一生懸命というものはばかになりません、それほどにされた、あの大きな奴を突き飛ばして、はね起きて、わたしは、殿様のお居間までかけつけたのは、自分ながら夢中でございました。ところが、殿様のお居間の戸をあけますと、今夜は容易《たやす》くあきましたが、殿様がその中にいらっしゃいません、そのうちに、恐ろしい足音でマドロスが追いかけて来るものですから、わたくしは、たまらなくなって、あの窓から飛び出して、こっちへ逃げて参りました」
「ああ、そうか……」
 駒井が、こうも抑えきれない無念の色を現わすことは、今までにあまり例のないことでありました。
「もう、安心なさい、マドロスの奴、酒の上とは言いながら、許し難き奴」
 駒井は、やはり抑え難い怒気を含んで、そうしてその手はぐんぐんと、もゆる子を引き立てて、そうして陣屋の方へ急ぎました。
 帰って駒井は、手早くキャンドルをともして見ると、狼藉《ろうぜき》のあとは、女の言うことを如実に証明しているが、当の暴行者の姿は見えない――ただ、茂太郎の声としてしきりに泣き叫ぶのが聞える。
 駒井と兵部の娘とは、その声を聞きつけて飛んで行って見ると、茂太郎は蒲団《ふとん》の上に仰向けに抑え込まれている。茂太郎を抑え込んでいるのは人間の力ではなく、漁に使用する網を上から押しかぶせて蒲団もろともにグルグル巻きにしてあるのでありました。
 そして、手も足も出ない茂太郎は、声だけを上げて叫んでいる。
 その網を取払って、そうして、茂太郎の口から聞くところによれば、熟睡中に不意に襲いかかって、自分の口をおさえ、その上をこの通り十重二十重《とえはたえ》に包んでしまった者がある。しばらくもがいた後に、ようやく咽喉《のど》の自由だけが出来たから、さいぜんから叫びつづけているが、身の自由は利《き》かない。叫んでも、今まで誰も来てくれない!
 それを聞いてみると、酔いどれとは言いながら、たしかに、計画的にやった犯行だというよりほかはない。茂太郎を抑え込む以前には、多分主人公駒井の室の動静をもうかがっての上だろう。たしかに主人公がいないと見極めて、急に悪性《あくしょう》がこみ上げて来て、この蛮行に出でたものかも知れない――この雑然、噪然《そうぜん》、困惑の中に、金椎のみは別世界にいるように、いっかな夢を破られてはいないことがかえって不憫《ふびん》でもある。
 すべてを、もとのようにあらしめ、もゆる子と、茂太郎とは自分の次の一室において、駒井自身も寝についたが、その夜は、ほとんど眠られませんでした。
 翌日、人を集めて、旨を含めて、マドロスの行方《ゆくえ》をさがさせたけれども、それは容易にわかりません。悔恨に責められて、ドコぞの木の枝にブラ下がっているという報告も聞かないが、生きている以上は、遠くは逃げられないことになっている。よし遠く逃げたところで、眼の色と髪の毛とが、身を置くところ無からしめるにきまっている。
 その日、一日さがさせただけで、マドロスの行方捜索は打切り……駒井の頭は、この浮浪人の行方よりも、そやつの働いた不徳の行為よりも、自分が監視のぬかりを悔ゆるよりも、それと関聯して、それとは別に、一つの軽からぬ悩みに捉われてしまいました。
 その翌日は雨だものでしたから、駒井は、造船の方へ行かずして、一室に閉じ籠《こも》ってしまいました。

         四十

 駒井甚三郎はその翌朝、兵部の娘の寝室まで来て、
「どうです、加減が悪いということだが」
「はい、御免下さいまし」
 寝台の上に寝ていた兵部の娘は、駒井の来訪に恥かしがって、起き直ろうとするのを、
「そうしておいでなさい」
 傍らの椅子に腰を下ろすと、
「なんだか、少し寒気がしてたまらないものですから、あの子にお言伝《ことづて》を頼んで、寝つづけにしております」
「それはいけない、昨夜のことが祟《たた》ったのだ」
と、駒井は慰めるつもりで、そう言ったが、それを言ううちに、一種の不快な気分を如何《いかん》ともすることができません。
「そんなこともありますまいけれど……」
と答えて目をそらした娘の言葉も、冴《さ》えない。
「ゆっくりお寝みなさい、何か薬をさがして上げましょう」
「有難うございます」
 しとやかなお礼の言葉。
 駒井は、この女が、もはや全く平常の心持を取返しているということを、この時も、つくづくと思わされます。
 かつての昔のような狂態は、少しも見ることはできない。しとやかな、恥を知ることの多い処女性の多分を認めるほど、かえって昨夜の変事が無惨《むざん》でたまらない。
 そこで、暫く沈黙の重くるしい空気のうちに、駒井は立ち上り、
「大切にしておいでなさい」
 その立ちかかった時に、もゆる子は、涙ながら向き直って、
「殿様、わたしは、昨晩寝ないで考えさせられてしまいました」
「何を」
「いいえ、いろいろの事について、考えさせられてしまいました、そのうちでも、あのマドロスさんのことねえ」
「うむ」
「ほんとうに憎い奴、ゆるせない人ですけれど、よくよく考えてみると、かわいそうなところもありますから、許して上げていただきたいと、そのことを殿様にお願いに出ようか知らと思っておりました」
「うむ」
「あの時は、わたしも叩き殺してやりたいほどに憎らしいと思いましたけれど、考えてみれば、あれも、あの人の一時の出来心ですから、許してやっていただきとうございます」
「うむ、それは、どうでもお前の気の済むように、わしにはわしの了見がある」
 こう言って、駒井は重い足どりで、この室を出て庭の方から一廻りして、自分の部屋へ戻って来ました。
 あの女が許せ! という意味がよくわからない。
「わたしは、今までに七人の男を知っているのよ、なかにはわたしの好きな人もあったし、わたしをヒドい目に会わせた人もあるけれど……欲しがっているものを、くれてやるのはいい事じゃありませんか、物を施すのがいい事なら……慕いよる男という男に、情けを与えてやることも、悪いという理窟はないんじゃありますまいか。ああ、わたしは七人に限らず、誰にでも、この身体《からだ》をやってしまおうか知ら、お女郎は身体を売ってお金を取りますが、お金を取らないで、人に情けを施すことは悪いのか知ら」というようなことを口走って、駒井を悩ませた、あの病気であった当時のこと。
 今となってもなお、自己の貞操に加えられた極度の侮辱乱暴を、無条件に許してしまいたい心持が残っているとは浅ましい! 歯痒《はがゆ》い!
 酒に狂暴性を煽られた人間の野獣性と、それに憎悪と、制裁を感じ得ない、麻痺した貞操心! 忌《いま》わしいものの極みだ。
 外国人を、毛唐といって、人間以下、獣類同格に置くのは、時勢に盲目な尊王攘夷連だけではないが、おそらくそれが事実か。人間よりは獣類に近い毛唐め!
 駒井としては、珍しくもこの時に、極端な憎悪と、昂奮とを感ぜずにはおられなくなりました。
 その憎悪と、昂奮とを強《し》いて冷静にして、雨の半日をともかくも研究に没頭し、正午の合図があった時に食堂へ出て見ると、金椎、茂太郎はお行儀よく待っていたが、もゆる子の姿の見えないことは、朝と同じです。
「お嬢さんは、まだよくなりません、熱が出ましたから、もう少し休ませていただきたいと言っていました」
 茂太郎が代って申しわけをする。
「熱が出たか」
「でも元気で、時々歌をうたったりなんかしています」
「そうか」
といって、駒井は二人の給仕を受けて、御飯を済ますと、その足で、再び、もゆる子の室を見舞ってみました。
「ねえ、殿様、マトロスさんの行方《ゆくえ》はまだわかりませんか」
「わからない」
「許して上げてください、わたしは、なお繰返して考えてみましたが、いよいよあの人が憎くなくなりました」
「ふーむ」
「殿様、あなたは、まだお気が解けないようでございますが、御無理もございませんけれど、ねえ、どうかマドロスさんを許して上げてください」
「許すも許さないもない」
「お叱りにならないように。もし、行きところがなくなると、あの人は、わたしたちよりも一層哀れですからね」
「自分の犯せる罪の、当然の報いだろう」
「ほんの一時の出来心でございますよ」
「出来心! この上もなく危険性を含んだ出来心……それがたびたび繰返されてはたまるまい」
 駒井が苦々しく言いきると、
「危険性とおっしゃいますけれども、すべての男の方はみんな、どなたも、あの危険性を持っておいでなのじゃありますまいか。わたしは、マドロスさんに限ったことはない、男という男の方は、隙があれば女を犯そうとしているもの、それが少しも危険なことじゃなく、あたりまえの人間の本性なのじゃないか知らと思っておりますのよ。だから、マドロスさんだけを危険がったり、憎がったりするのは不公平だと、わたしは考えました」
「そうすると、男という男は、みんな野獣のようなものか」
「いいえ、そうじゃありません、女が誘いをかけるように出来ているから、そうなるのですね。罪といえば、罪のもとはかえって女にあるかも知れません、女に誘惑の力が無ければ、男が危険をおかしてまで寄って来るはずがございませんもの」
「それじゃお前は、男の暴力を是認しているのだね、暴力の前に、女というものの貞操は食い物にされるということを、あたりまえと許している」
「貞操なんていうものは……わたしは頭が悪いからよくわかりませんが、ずいぶん手前勝手なものじゃありません?」
「貞操というものが、手前勝手のものだって……」
「ええ」
「少し頭を静かにした方がいい」
「いいえ、静かになっておりますのよ、わたしの方が、今日は殿様より静かになっているかも知れません。わたしは、男にしても、女にしても、貞操というものはずいぶん手前勝手なものじゃないか知らと、このごろ中、考えさせられていました」
「…………」
「マドロスさんは乱暴には相違ないが、それを憎むわたしたちが男だとしまして、そうして、マドロスさんがしたような事を、決してしないと言いきることができましょうか」
「男性のした最も下劣にして、不謹慎な仕事が憎めない?」
「いいえ、すべての男子の方が、女を弄《もてあそ》ぼうとなさる時分に、その受入れ方に違いがあるばかりです、これがもしかりに、お大尽や高い身分のお方でしたら、その身分が表面を綺麗《きれい》にし、マドロスさんのような場合には、現われ方が乱暴になるばかりです、どちらにしても、男の方が女を弄ぼうとなさる心持は、同じ事じゃありませんか」
「…………」
「何不自由のない人が、力ずくや、金の力で、幾人の女を弄んでいる世の中に、情に飢《かつ》えた外国生れのマドロスさんが、これを欲しがったって、それほどに悪い事でありますか知ら、どちらかといえば、かわいそうなものと言ってもいいのじゃないでしょうか」
 兵部の娘は平気で、こんな事を言い出しました。こんな論法をがんりき[#「がんりき」に傍点]の百にでも向けようものならば、「それほどかわいそうなら、いくらでも振舞ってやんねえ」と、極めて露骨なる揶揄《やゆ》を試むるところであろうけれど、駒井は、それをもてあまして、ああ、昨夜の出来事から、ぶり返した、せっかく、常識にかえりかけた女の調子を狂わせてしまった……不快に堪えない心が募ってきたと見え、
「お前の考えは無茶だ、まあ、深く考えないで、静かにしていたまえ」
 こう言って、自分の座敷へ帰って来ました。
 午後になって、雨がはれたものだから、駒井は、造船所の方へ見廻ってみると、みな、威勢よく働いて、仕事はめざましいばかり進んでいる。
 小休みの時に、駒井の周囲《まわり》によって、皆の話題は、出奔のマドロスと、その悪口とに集中する。
 ここの連中も、惣出で手分けをしてマドロスの行方を探してみたのだが、無効に終ったのだ。
 あの毛唐《けとう》め、存外、兇暴性と、泥棒根性とを持っていることをみんなが言う。あんなのは結局度し難い奴で、最後には大迷惑を与える奴に相違ない。海へ抛《ほう》り込むわけにもゆくまいから、所払いを食わしてしまうに限ると主張する者も出て来る。
 そうして、駒井は夕方陣屋へ帰って来て見ると、庭を透《とお》して、兵部の娘の室では、娘と茂太郎とが何をか合唱しているらしい。嬉々とした声音が洩るるので、ああ、観念というものの鈍い彼等、やはり浅ましくも憐れなものだ、という感情に打たれつつ、自分の室へ足を入れました。

         四十一

 その翌朝、枕を上げて聞くと、もゆる子と茂太郎との嬉々とした話し声が、あの室から洩れて来て、やがて二人が合唱となって歌い出したのを聞く。
 駒井は、つくづく、張合抜けのするほどに、たよりなさを感ずると共に、無恥と、無智との観念の区別がわからないものかと歎息しました。
 やがて、今朝はすべてが無事に食卓を囲むことになる――すべてといううちに、田山白雲と、マドロスとは除いて、つまり昨日の食卓に、一人の兵部の娘を加えただけで食卓を囲みました。
 駒井の頭脳《あたま》のうちには、いろいろの複雑な感情が往来しているのに、もゆる子と茂太郎との、わだかまりのないこと。
「殿様、キュラソーを召上りますか」
「いりません」
「今朝のかぼちゃは、たいそうおいしうございます」
「茂ちゃん、このお魚を食べてごらん、骨の無いところを」
「お嬢さん、お前、怪我をしてますね」
「ええ、少しばかり」
「どうして、怪我をしたのさ」
 茂太郎は、もゆる子の手の甲に、膏薬《こうやく》のはってあったのを、お肴《さかな》を取ってくれる時に認めたものらしい。
「どうしてでもないのよ、いいからおあがりなさい」
「でも、お嬢さんの蒲団の上にも、血のついているのを、さっき、わたしは見ちまったから、変だと思ったのよ」
「御飯をいただく時に、そんなことを言うものじゃありません……」
 その時、窓の外が急に、ざわめき出したのを、見やると、一群の人数が罵《ののし》りながら、何者かを擁《よう》してこのところへ入って来るのを認める。
「あれ、マドロスさんが……」
 なるほど、多数の中に揉《も》まれ揉まれて来るマドロスの姿は、誰が見てもそれに相違ないが、その取扱いっぷりの荒っぽいこと。
 マドロスは、高手小手にひっくくられている。それを、袋叩きにぴしぴしとひっぱたきながら、多勢で引摺って来る。
 この毛唐め、図々しい毛唐、泥棒根性の毛唐、こんな奴は痛しめろ! というような声で、引摺りながら、いい気になって、ぴしぴしとひっぱたいている。
 ぴしぴしとひっぱたかれる度毎に、
「御免下さい、ゴメン、ゴメン」
といって、泣き叫ぶマドロスの声を聞く。
 食卓の一同は、言い合わせたように箸を置き、フォークを捨てて立ち上りました。
 こうして、村人や造船所の連中に、ひっぱられて来たマドロスが、庭に引据えられて、駒井の訊問を受くるの段取りとなったのは間もないことであります。
 庭に引据えられたマドロスは、なお盛んに泣いている、大声をあげて泣いている、本当の手ばなしで泣いていて手がつけられない。さすがの駒井もその醜態を見て、空しく失笑するのみでした。
 駒井は、許すべしとも、許すべからずとも言わず、造船所連は一応マドロスを殿様の面前に引据えてから、窮命の意味か、禁獄のつもりか知らないけれど、そのまま、物置の中へ抛《ほう》り込んで置いて、一同は引上げてしまいました。
 縛られたまま、物置の隅に投げ込まれたマドロスは、そこで、相変らず大きな声をあげて泣き叫んで、ゆるしを乞うている。ずう[#「ずう」に傍点]体に似合わない泣き虫。
 引捉えて来た造船所連の告げるところによると、この泣き虫は今早朝、ある漁師の家の附近にうろついているところを、大勢してとっつかまえて、必死に抵抗するのを、ようやくのことで縄にかけて来たのだとのこと。
 けだし、しかるべき山中の洞穴かなにかに、身をひそめていたやつが、空腹に堪え兼ねて、人里へうろつき出したところを、引捉えられてこの運命ということらしい。
 物置へ抛り込まれてなお、マドロスが盛んに泣き叫んでいるのを、こちらの室では、もゆる子と茂太郎とが聞きながら、痛いような、くすぐったいような、バチだから仕方がないというような、でもかわいそうねというような、殿様に頼んで縄を解いて上げましょうかというような、いいえ、それにしてもまだ早いわ、もう少し泣かしておきましょうよというような表情で、面《かお》を見合わせて語り合っている。
 ところがまもなく、米飯と、野菜と、魚肉とを、一つの皿に盛り上げたのを持って、物置へ入って行く金椎《キンツイ》を見る。
 そうして、両手を縛られて、絶泣しているマドロスの面前へそれを持って行って、箸でいちいちハサんで、マドロスの口へあてがっているところの金椎を見る。
 親鳥から餌を与えられるようにして、金椎から箸で突き出される食物を、雛が食べさせてもらうように、パクついているマドロスを見る。
 その食物をパクつく間のマドロスは号泣していないのを見る。食物をパクつく間にしゃくり上げるマドロスを見る。その瞬間に、眼からポロポロと落ちる水滴は、その以後と区別した嬉し涙というものの一滴だろうとは受取れる。
 こうして見ると、泣くことは泣くが、食うことも食う。見るまに大きな一皿を平げて、なお物欲しそうな色が残る。泣くことと、食うことは別なのであるように見える。泣くべき時には、泣けるだけを泣き、食うべき時には、食うだけを食うという分業組織が、この男にはかなり規律正しく使い分けられているように見える。
 日本人の普通に見るように、泣くべきほどの事があるから食事も進まないの、胸が塞がって飲むものも飲まれないのというような、物と心との混線作用はないらしい。
 だが、この際は、金椎も食うだけ食わせることをしないのが、かえって合理的だと思ったのでしょう。右の一皿だけを提供し終ると、あとは節制を与えて物質の補充を追加しないのが、この際相当の処置と思ったのでしょう。
 そこで、食うことがこれ以上許されないとすれば、これからまた号泣の中断を続けるの段取りとならなければならぬ。
 果して、金椎が立去ったあとで、哀号の声がしきりに起りました。
 その哀号を遠音に聞きながら、駒井甚三郎は人間の本能性の底の知れない不検束というものを、両様に感じないわけにはゆきません。
 御当人はああして哀号することによって、気分が改悔の誠意を見せているつもりか知らん、同時に同情の念を呼び起そうとつとめているのか知らん、見ている周囲にとっては、いよいよ滑稽と、侮蔑とがあるのみだ。
 それにつけても、一人というものの存在が、存在その時には意識に上らなかったほどの影が、立退いてみると、無用の用の大きさの予想外なのに驚かされることがある。
 田山白雲がおりさえすれば、ただ存在するその事だけで、これら一切の、悲喜劇は起らなかったのだ。田山が存在することによって、マドロスの放縦が芽を出すことができない。よし芽が出ても、伸びることができないのだ。人間には、ただ人間としての力の存在のほかに、その雰囲気の力がある――というようなことを、駒井が痛感せずにはおられないのです。
 のみならず、白雲が存在することによって、マドロスの不検束に強圧が加わり、その放縦の芽が伸びる力を失うのみならず、このふしだらの天才の有する、よい方の能力をも充分と使用することができるのだ。
 これが今は二つながら駄目だ――せっかく、企てた炭坑の探検も、これによって重大な支障となる。なおまた、このマドロスの処罰と、改造とのために、あたら時間と、脳力とを費さずばなるまい――二重三重の物心内外の不経済。
 主として、駒井はそれを今、人物経済上の利害から考えてみて、将来、自分が船によって一自由国に向う門出の重要なる参考でなければならないと考えました。

         四十二

 鹿島洋《かしまなだ》の波をうつさんとして、そこに踏み止まった田山白雲は、波濤洶涌《はとうきょうよう》の間に、半神半武の古英雄を想うて、帰ることを忘れました。
 今日しも、朝まだきより、この海岸を東へ向って、行けども行けども、人煙を絶するのところに、境涯を忘れ、やがて、松林――古《いにし》えは夥《おびただ》しく鹿を棲《す》まわせて、奈良の春日の神鹿の祖はここから出でたという――その松林の間に打入って、放神悠々、写生の筆をとっていました。
 やがて写生の筆を休めて、また海に向って歩み、ふと、はまなすの生い茂る、一団の砂丘、その上にのぼって、海に向って一心に弓なりの浜を見ていると、ほとんど、視野の半ばのところに、今日は珍しくも動いているものを認めました。動いているものは、海の波と、空を行く雲と、梢に通う風の音ばかりと心得ているところに、海岸の砂浜に、ほとんど豆の動くが如き黒一点を認めて、白雲は直ちに、
「人だな……人間に紛れもない」
と、かえって人間の存在することに、驚異の眼をみはりました。
 暫くは静止して、その黒点を注視していましたが、その動いている黒点が、離れたり附いたりするうちに、たしかに二箇は存在することを確認しました。
 なお見ているうちに、極めて少しずつではあるが、右の二つの黒点が、こちらに向って近づいて来るのだということを、見損ずるわけにはゆきません。
「はて、漁師かな」
 漁師にしては舟が無い、と見ているうちに、その二つの影がようやく、はっきりする。二つの人影が、棒を以て渡り合っている――と白雲はそう思いました。多分、棒だろうと思われる、そうでなければ然《しか》るべき得物《えもの》――武器でなければなるまい。それを持った二人が、附いたり離れたり、ある時は飛び違ったり、走《は》せ出したり、また飛び戻ったりする。なお注視するところによれば、その二人は、いずれも武装している、武装でなければ旅装である。足は相当にかためられていることは争われない。
 かりにこの辺に、数戸の漁師があって、それが朝がかりの仕事としては、念の入った身がまえである。
 田山白雲は、海に酔うた眼を以て、暫くその二つの人影に、注意を払わずにはおられなくなりました。
 やや暫く注視を怠らないでいるうちに、附いては離れ、或いは飛び違い、走せ戻り、時とすると、一町二町を一人が走り移って、また走り戻ることもある。そうして、両の手には、しかるべき得物を離すことをしない。
 その体《てい》を見て白雲の興味が、いよいよ異常を加えるようになりました。
 決闘だ――たしかに、そう断定を下すより持って行き場がない。
 そうだ、あの二つの人影の間に、何か意趣を含むところのものがあって、相しめし合わせて、全く人目を避けたこの海岸に来て、生命を端的の輸贏《ゆえい》にかけて、恩怨を決死の格闘に置くの約束が果されようとしているのだ。
 それも、普通の田夫漁人の、なぐり合いではなく、相当の心得ある士分のやり口だと直覚しないわけにはゆきません。香取鹿島は名にし負う、武神の地――特にこの海岸を選んで、隔意なしの武道の角技――そうして、生も死も、芸術の上にかけて、残るところの恨みをとどめざる契約。必ずや二人ともに、腕に覚えあり余るつわもの[#「つわもの」に傍点]には相違あるまい――そうだとすれば、時にとってのよい見物《みもの》、場合によっては、仲裁の役に廻り、あたら両虎を傷つけないようの老婆心もあってよかろう――ともかく、行って見よう。しかし距離が――あれだけの距離、目分量で、十町余りはたしかである。
 これから、息をも切らさずに飛んで行っても、走《は》せつけた時分には、もう両虎ともに傷ついて起つ能《あた》わざることになっているか、一方が一方を処分し終った時になっている――そこで、あえて急ぐ必要はあるとしても、急いだ効果はないものとして、件《くだん》の小丘を、おもむろに下ろうとしていて、ふと首をめぐらした時、計らずも今度は、海上に於て異様なる黒一点を認めました。
 それは、海岸の陸に於て、目下見つつあった二つの黒影とは、比較を絶するほどに大きな黒影が、波を切って南に向って行くのであります。
「黒船だ!」
 白雲が眦《まなじり》を決してその黒船を睨《にら》んだ瞬間、ただいま決闘――と認定せる二つの人影のことは全く忘れ去りました。
「うむ、黒船だ」
 こんな大きな海上を走る存在物を、多分、白雲は今までに見なかったであろう。檣《マスト》を立て、煙を吐いて行く黒船の雄姿は、田山の眼と、心とを、両個《ふたつ》の人影から奪うに充分でありました。
 黒船――その名が暗示するところは、日本のものではない、日本には海上を走るもので、これだけの存在物は目下あり得ない、と白雲の頭はなんとなく激昂する。
 鹿島洋を横断する不敵な怪物!
 荒海を征服してわがもの顔に行く、その雄姿を、この大洋の上に見せられると、白雲も、外夷を軽蔑する頭を以て、充分の敵愾心《てきがいしん》を呼び起されつつも、なおその姿の懸絶に動かされないわけにはゆかない。どう贔屓目《ひいきめ》に見ようとしても、黒船の雄姿に比ぶる和船は、巨人と侏儒《こびと》との相違である。いかに軽蔑しようとしても、眼前を圧する輪郭は争われない。
 田山白雲は、一種の感激と、いらだたしさを感じて、黒船の姿に見とれ、決闘の場に赴くべく、丘を下らんとした砂丘を下らずして、しばらく立ち尽すのやむを得ざるに至りました。
 駒井甚三郎ならば、この徒《いたず》らな感激と、敵愾と、いらだたしさから超越して、まずこの黒船の型が近代の何式によるかを観察し、次に、その噸数《トンすう》を計量し、次に乗組の人員、その国籍、機関の種類、出立点、行先、速力等を計算推量して、ついにほぼあやまりなく一つの結論に到達するに相達ない。
 白雲では、そういう数字と、計算には頭が働き得られない。その直覚と、感激から来るところの結論は到底――
[#ここから2字下げ]
この船のよるてふことを束《つか》の間《ま》も
 忘れぬは世の宝なりけり
[#ここで字下げ終わり]
というものに似た迄に帰着する。なあに、毛唐め! なる程機械力の優秀に於ては一歩を譲るかも知れないが、いよいよの時は「わが檣柱を倒して虜船に上る」までの事だ!
 こうして、黒船を見送っているうちに、黒船の大きさも豆のようになる。やがて、波間に消えてしまう、そうすると海の波の大きさが浮き上って来る。見るべき焦点を失った時に、茫洋たる瞳がよみがえる――
 あ、そうだ、黒船も黒船だが、さいぜんのあの人影は、あの決闘は、あの果し合いは――その結末はどうなったのだ。黒船であろうとも、白船であろうとも、船が海を往くことは尋常中の尋常である。それを、うっかりと見とれていたこっちが田舎者《いなかもの》! それよりも、たとえ豆のような人影にしろ、人命二つの浮き沈みの方が遥かに大事であった。
 さあ、両個の運命は、どうなった。
 白雲は、いそがわしく、眼を転じたが、幸か不幸か、さいぜんまで見えた両個の人影の二つとも見えない。渺茫《びょうぼう》として人煙を絶することは陸も海も同じようなる鹿島洋《かしまなだ》。
 もしや、両虎共に傷ついて、砂に倒れて万事|了《おわ》ったかと地を低くながめやったが、その屍体らしい物は見当らない。
 では、黒船に見とれている間に、案の如く、両虎は共に傷ついて砂浜に倒れたところを、無雑作に波が来て、さらって行ってしまったのだろう――あとかたもない。
 田山白雲は手の中の珠でも取られたように、なんとなく心に一味の哀愁を覚えつつ、さて、今は全く、ながめやるべき焦点を失い、最初の茫洋たる豪興を回復するまでの間、無意識に砂浜を歩み――足は本能的に南の方、黒船の走って行った方向、決闘の行われていたと同方向に向って、そぞろ歩きの体《てい》でありましたが、やがて砂浜を右にさまようて、またも松原続きの中に入りました。
 海を避けて林に入ったのではなく、この林を抜けて、また彼方に渺茫たる海を見ようとして進み入ったものであります。
 ところが、この松林が意外に深く、これに入った白雲の足どりが、存外要領を得ていなかったものだから、松林を行きつ戻りつ、嘯《うそぶ》く人のように見えました。

         四十三

 海を見て杜《もり》へ入ると、気分が全く転換する。
 雑林地帯と違って、下萌えのない芝原に、スクスクと生い立った松の大幹の梢が、豪宕《ごうとう》な海風と相接する音を聞くと、言わん方なき爽快と、閑雅にひたされる。海は豪宕のうちに無限というものの哀愁を教える。山林は身神を放遊して、人に閑雅を与える。
 太古、この松林には夥《おびただ》しい鹿が、野生群遊していたという。
 大和の奈良の春日山の神鹿の祖、ここに数千の野生の、しかも柔順な、その頭には雄健なる角をいただいて、その衣裳にはなだらかな模様を有し、その眼には豊富なるうるみを持った神苑動物の野生的群遊を、その豪宕な海と、閑雅なる松林の間に想像してみると、これも、すばらしい画題だ! その群鹿の中に取囲まれて、人と獣とが全く友となって一味になって、悠遊寛歩する前代人の快感を想像する。
 そうだ、「春日以前の神鹿」といったような画題で、また一つ、この群生動物を中心に一大画幅をつくってみようとの、画興が油然《ゆうぜん》として起るのを禁ずることができない。
 画題は有り余る! 彼はかく感ずる瞬間の自分というものを、限りなく果報に感じ出してきた。おれも貧乏に於てはかなり人後に落ちないが、斯様《かよう》な富の豊富無尽蔵を感じ得る頭脳だけは、無類の幸福者といわずばなるまい。
 人は技の拙なるに患《わずら》いする、材の取り難きに苦心する、もしそれ画題の陳腐を厭《いと》うての筆端の新鮮なるを希《ねが》うに至っては、万人の画家が、ひとしく欲しながら、ついに粉本《ふんぽん》を出でることができず、前人の足跡より脱することができないのに、こうして、足一歩――ではないが、十里百里と興に馴れて自然そのものに直接に没入して行きさえすれば、自然は惜気もなく、その無尽蔵を開いて、永遠の画題を我等に与うるのだ。
「おれは仕合せ者だ!」
 白雲は、こういう瞬間には、かく自分の身の恵まれたることの讃歌を、誰はばからず絶叫するの稚気を有している。
 この稚気が存する間、妻は病床に臥すとも、子は飢えに泣くとも、存外、のんき千万で生きて行かれる!
「ああ、いい気持だ」
 こう言いながら、白雲は松林の間を、縦横に歩いて行くと、ふと、人の声がする。一町とは隔たるまいところで……やはりこの松林の中で、松の木の下で、極めて平凡な人間の声が起るのを聞きました。
 海も、海岸も、松林も、ここは自分ひとりの専有と信じていたのに、人がいる。極めて、あたりまえの人間の声がする。その声は尉《じょう》と姥《うば》との声でもなく、寿老神が呼びかけたのでもない、あまりにあたりまえ過ぎる人間の声でありましたから、不意であったとはいえ、白雲を驚かすには足りないで、かえって、それに拍子抜けの思いをさせました。
「なあんだ、人がいたのか」
 それは軽蔑でもないし、憤怒でもない。極めて軽い意味の失望の程度のものでありました。
 それは何を話しているか知れないが、向うの松の木蔭で、人が話し合っている。話し合っているから一人でないことは確かだが、それでも二人以上ではありそうにない。
 おや、松の間から海が見えている。
 二人だ。二人の前には、何か道具みたようなものが投げ出してあるな!
 あれだ、あの黒船が来る前に、黒船の出現によって、トンと存在を忘却してしまっていたが、あの以前に海岸で果し合いを試みていた二人の者――
 おお、おお、その生死のほども確めることを忘却していたのだが、それだ、その二人がここにこうしているのだ。
 なんの――決闘でも果し合いでもあろうことか、近づいて見れば、眼の前にころがっている機械、道具類が物を言うではないか。
 間棹《けんざお》、麻縄、鉄鎖、望遠鏡附の象限儀《しょうげんぎ》、円盤、といったようなものが、草の間に散乱しているのを見るがいい。
 測量だ、測量だ、測量をしていたのだ。それを遠目で見て、一概に決闘と早呑込みをしてしまったのは、度外れた滑稽沙汰であった。
 しかし、まあ、ちょうど、何かしら人懐かしい折柄、近く寄って、話敵《はなしがたき》に取ってみるのも一興。
「やあ、こんにちは、御苦労さまです」
 田山が近づいて愛想をいうと、先方も、
「いや、どうも……」
という返事。
「測量ですか」
「はい」
「拙者は、あなた方がさいぜん、海岸で測量しておいでになるところを遠方から見て、これは、てっきり果し合いだと勘違いを致しましたよ、いやはや、笑止千万」
と言いますと、先方は、さほど興にも乗らないで、
「左様でございましたか、それはどうも」
 立っている田山に、まあお坐りなさいとも言わない。
 白雲も、ちょっとバツが悪い思いをしている。といって、なにも先方が別段傲慢な態度でこちらを冷淡に扱っているというわけでもないし、また質朴そのものが、挨拶の表示を十分円満にさせないというわけでもないし……そう重い身分の者ではなかろうが、一人はたしかに士分の者、一人もまたそれに準ずるもので、人夫や人足の類《たぐい》でないことはわかっているのに、いかにも捌《さば》けないところがあるようだ。こちらは磊落《らいらく》に出ているのに、先方は妙に警戒性が見え過ぎると感じました。
 はてな、自分では磊落のつもりでも、自分の風采というやつが、この珍客に鬼胎《きたい》を持たせたのだな。そうだろう、無理もないことだ。ただでさえ、あんまりものやさしくは出来ていない風采骨柄のところへ、月代《さかやき》も久しく当らず、この数日、湯につからないのを、鹿島の浦の海風で曝《さら》しにかけたのだから、初対面の人の警戒性を、かなりに刺戟することは無理もあるまい。人間並みの人に言い寄ろうには、ただ人間並みの戸籍を示してかからぬことには、この際、自分というものの、見かけほどには危険性を帯びている者でないということの証明にはならないと考えたのでしょう……白雲も、あれで郷《ごう》に入《い》ることに慣れているから、その辺は甚《はなは》だ鈍感ではなく、ぶっきらぼうに、お世辞ともつかず、自己釈明ともつかず言いました、
「測量は、どこからどこまでなさるのですか、地上を測って行くという仕事には、無限の面白味がありましょうね……拙者は足利の田山白雲という田舎絵師ですが」
と、彼は大抵の場合にするように、あけすけに自分の名を名乗ってしまいました。
 拙者は木挽町《こびきちょう》の狩野《かのう》でござるとか、文晁《ぶんちょう》の高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と、素性をブチまけてかかるのがこの人の習いであった。これは一つは、どう見ても画家と受取られない見てくれ[#「見てくれ」に傍点]。剣客と見られたり、脱走と見られたり、事毎に面倒がかかり易《やす》いために、まず絵師だといってしまえば、その種類の大部分が消滅するの便宜があるからだ。それでもなお、不審がるものには、遠慮なく紙と筆とを以て、お手のうちを眼前に示して見せると、早速事が納まる、のみならず、それが機縁で、絵の商売上、思わぬ収入にありつくこともある。
 今の田山白雲は、決して名を惜しむほどの名でなく、腕を惜しむほどの腕でないことを、充分に自覚し抜いているから、どちらにしても惜気がない。
 名乗れと言われない先に名乗り、腕を要求せらるれば、一山三文の、当時の価をそのままで提示することを辞さない。
 今も、その例によって、問われざるに名乗ってしまってから、懐中から画帖を取り出したものです。
「君方は地面を数量で刻んでいくのですが、拙者は直観でうつしていく商売です。どうです、あなた方はそうしてコツコツと地面を数量で刻んで行きながら、地面そのものの魅力に感激せしめられるようなことはございませんか」

         四十四

 写生帖を持って白雲がこう問いかけると、二人の測量師は面食って、
「何、何でござるてな……」
 彼等は狼狽《ろうばい》したが、やがて白雲が正銘の画家であることに合点《がてん》がゆくと、極めて打解けて湯茶などをもてなし、煙草もすすめ、それから絵の事と、風景の事とで、心置きなく会話が取交されました。
「この間、江戸へ行った時、広小路の露店《ほしみせ》で狩野家を一枚買いました」
「そうですか」
「尚信とありますが、本物ですかどうですか」
「ははあ」
「その道の人に見てもらったら、わかりましょうが、あんまり安いものですからね。反古《ほご》同様の値段で買って来て、表装を直させましたら、見る人が賞めますよ。ですが、本当に見る人に見せたら何と言いますか。とにかく、絵を集めるのは楽しみなものですな」
 露店《ほしみせ》で買った狩野家を珍重がるこの人もまた、絵を愛する人であると思えば可愛らしいところがある。白雲の抛《ほう》り出した画帖を取り上げて、拝見ともなんとも言わずに適度にひろげて、二人が額を合わせてながめ出し、
「ははあ、よく描いてありますなあ、潮来《いたこ》ですな、ここは、十二の橋――舟、よく描いてありますな」
「なるほど、よくうつしてありますなあ」
「いや、お恥かしいものですよ」
と白雲も、自分の絵が存外、その人たちのお気に召したことに、多少の光栄を感じて謙遜する。
「どうして、どうして、立派なものです。失礼ながら、このくらいに描ける絵かきは、田舎なんぞにそうたんとは転がっておりませんよ」
「恐縮です」
「一枚描いて下さらんか」
「御希望なら、描いて上げてもいいです」
「なんでしたら、わしの屋敷へおいで下さらんか」
「おたずねしてもよいが、どちらですか」
「相馬です」
「相馬――相馬中村ですか」
「そうです、これから、北へと測量して行って相馬へ行くのですが、相馬で仕事が終るわけではありません、屋敷は相馬にあるけれど、相馬を通り越して、もっと遠くまで行くのですよ」
「ははあ、家門を過ぐるとも入らず、というわけですね」
「いいえ、家門を過ぎれば立寄って、妻子をよろこばせます。どうでござるか、先生、相馬はさまで遠くないところですから、我々と同行して下さるまいか」
「ははあ、それは至極、都合のよい話のようですが、遠くないといっても相馬ですから、どのくらいの里数と時間とを要しますか」
「左様――おおよそ五十五里――まず六十里足らずと思えばようござる、日に十里ずつの旅をしてかれこれ五日」
 測量師の言うことだから間違いはあるまい。それを聞くと、白雲も少し考えて、
「この海岸を、北へ北へと行くんですな。途中見るところがありますか、いい景色がありますか、名物といったようなものが……」
「左様――海岸の景色といっても大抵きまったようなものでござるが、大洗、助川、平潟《ひらかた》、勿来《なこそ》などは相当聞えたものでござんしょう」
「ははあ、勿来の関……なんとなく意をそそられます」
「お気が向いたら、ぜひ、お出かけ下さい、拙者宅に幾日でも御逗留《ごとうりゅう》くだされて、幾枚でもお描き下さい」
 相当の絵師と見定めてから、先生号で呼びかけ、その先生を自宅へ招じて、何枚でも描かせようとまで働いて来たのは、隅に置けないところがあるとおかしがり、
「海岸の風景のほかに何か、名物、或いは、画の題になるものがありますか」
「左様でござるな、この海岸で名物といっては、大洗に磯節というのがござり、海では、さんま、鰹《かつお》、鯖《さば》といったものが取れ、山には金銀を含むのがあり、土では、こんにゃくも取れ申す」
 実際家だけに、相当具体的に答えてはくれるが、さんまや、鯖や、こんにゃくでは、画題として、あんまり感心しないと、白雲が考えていると、測量師は附け加えて、
「相馬へ行くと、馬がたくさんいる、生きた馬が放し飼いにしてござるが、あれは絵になりませんかな」
「なりますとも」
 ここに至って、白雲は、鬣《たてがみ》を振い立つように雀躍《こおどり》しました。
 絵になるどころか、馬は天下の画材である。ことに放牧の馬は、和漢古来、名匠の全力を傾けて悔いざる画題だ。
 白雲は、天馬のように心が躍る。そこで、白雲は、馬を描いた古今の名画について、気焔を揚げてみたかったのだが、この相手が相手だと手綱《たづな》をひかえて、
「それはいいことを聞きました、相馬は馬の名所でしたね。なお、あの附近に、名物、そのほかに、たとえば、古代の名建築とか、名画を所持している人とか、名彫刻の保存家とかいうようなところはありませんか」
「そうですね、なんにしても東北の北陬《ほくすう》ですから、さのみ名所、名物といってはござらん、まあ、陸前の松島まで参らなければ」
「ははあ、松島ですか」
「松島まで行きますと、かなり天下に向って誇るべき名所も、名物もござるというものです」
「それは、それに違いない」
「八百八島――あれは天然がこしらえた名物でござるが、瑞巌寺《ずいがんじ》の建築、政宗公の木像、それから五大堂――観瀾亭と行って、そうそう、あすこに、すばらしい狩野家がござることを御承知でござろうな」
「すばらしい狩野家とは?」
「瑞巌寺には、永徳と、山楽がありますね」
「あ、そうだ、そうだ」
 その時に、白雲がまた興を呼び起して、膝を打ちました。
 そうだ、そうだ、松島には、伊達政宗が太閤からもらい受けたという観瀾亭がある。そこには、すばらしい山楽の壁画があるということは、兼ねて聞いている。
 畿内をほかにして、あれだけの狩野は他に無い――ある友人は、それを見て来て、あれは山楽というより、永徳と言いたい、いや、自分は永徳であることを確信すると、告げたことがある。松島まで行こう――その永徳を見るために。

 永徳は画壇の英雄である。
 政治家に秀吉があって、画界に永徳がある。
 時代に桃山があって、やはり画家に永徳がある。
 画壇においての永徳は、秀吉に譲らざる英雄である。
 ということを、白雲は日頃念頭に置いている。相馬には奔馬があり、松島には永徳がある――恵まれたるわが天地なる哉《かな》――行かずしてはおられぬ、相馬より松島まで……
 空《くう》を往く天馬の手綱を控えることができないらしい。

         四十五

 白骨の温泉の一室で、池田良斎と、北原賢次とが、「真澄《ますみ》遊覧記」というのを校訂していると、
「北原さん、お客様でございます」
「え!」
 北原は愕然として筆を措《お》きました。
「お客様がお着きになりまして、今、おすすぎをなすっていらっしゃいます」
「誰ですか」
「尾張の名古屋の紅売《べにう》りだとおっしゃいました」
「来た、来た! 先生、伝書鳩の効能がかくも的確とは予想外でした……お雪さん、どうも有難う、いま行きます」
「どう致しまして」
 室の外で北原に取次だけをして、姿を見せないで行ってしまったのはお雪ちゃんです。
 北原賢次は、良斎を残して、とつかわと出て行ったが、暫くして、北原はその名古屋から来た紅売りというのを伴うて、浴槽の方へ行った様子。浴槽の中でも、いつもとは違って、極めてしめやかに、話し込んでいると見えて、時々、湯の音がするだけのものでした。
 湯を出てから、再び、以前の校訂室へつれて来るかと思うと、そうではなく、別に己《おの》れの室へ連れて来て、そこで、また、極めてしめやかな話しぶりです。
 夜になると、例によって、炉辺閑話が賑わい出してきましたけれど、北原は面《かお》を出さないくらいですから、今日訪ねて来たという新来の珍客、名古屋の紅売りというのを、つれ出して、炉辺閑話に新しい興を添えようとするでもありません。
 こんなことは、すこぶる違例で、それでも少なくとも池田良斎あたりには引合わしたろうと思われるが、良斎もすまし込んでいるものだから、紅売りという者の正体がまだわかりません。
 かくて、その夜は更けて行きました。

 その夜の白骨谷は満眼の月でありました。
 三階の亜字の欄《てすり》に立って、月にかがやく白骨谷を飽かず見入っているのはお雪ちゃんです。人は全く寝しずまって、物の気というものはありません。
 お雪は、つくづくこれを美しいながめだと思います。
 美しいだけでは言い足りないと思います。なんだか、悲しいような、奥深いような、言うに言われぬ心持で、白骨谷の深夜を、ひとり愛して、やみ難いことがしばしばあるのであります。
 この地上には、人間に隠されたところの秘境が、いくらもあるということを、このごろほどしみじみ感じさせられたことはありません。
 多くの人は、白骨谷は人間の冬来るべきところではないと言いました。土地の主さえも、冬は逃れて里へ帰るところだと言いました。
 それだのに、この美しい景色は、どうでしょう。それも、冬がようやく迫って来るほど、昼よりも宵、宵よりも、この深夜の月の澄んだ時ほど美しさが増して行く。
 今は、どうでしょう、人去り、時更けて、この骨まで凍る白骨谷のつめたさ。
 この美しい、つめたさを、自分ひとりだけがながめつくす特権がうれしい。冬籠《ふゆごも》りをする人だけに、この広寒宮《こうかんきゅう》のながめが許されるのに、お気の毒なのは、せっかく、許された特権を抛棄《ほうき》して眠っている人たち。
 起して見せてあげたいが、そうしない方がよい。慾ばりのようだが、これだけは、わたし一人占めにして、誰にも見せないことにしておきましょう。
 先日も、このことで、弁信さんへの手紙を書いたことでした。
 その手紙の中に、白骨谷の深夜の景色に拙い描写を試みた後、こんなことを書き伝えた覚えがあります、
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「弁信さん――
風景というものは、人間に見せるために出来ているものではないということが、このごろになって、やっと、わたしにわかってきました。
今まで、私は、美しい花だの、キレイな鳥だの、屏風《びょうぶ》を立てたような山や、波のように音を立てて流れる川、みんな、自然――が人間をなぐさめてくれるために出来ているものとばかり思って、それとお友達になったつもりで慰められて来ましたが、このごろになって、ようやく、本当のよい景色は、人間のために作られているのではない、ということがよくわかりました。
冬になっての、夜更けての、白骨谷の景色というものの、美しさを、弁信さんにひとめ見せてあげたら、きっと、わたしの言うことをわかって下さいます。
毎年、夏から秋にかけましては、白骨へ入湯に来るお客もたくさんございますけれども、冬の白骨を知っている人はないのです。知っている人があっても、冬の夜更けての白骨谷に、こうまであこがれているのは、古来――(ずいぶん大きな言い方ですけれども御免下さい)わたしひとりだけなんでしょう。
冬が深くなり、人が絶えてくるほど、景色はよくなって参ります。
まして――これから上の乗鞍ヶ岳や、穂高ヶ岳や、槍、白馬、越中の剣山の上あたりの今夜の月の景色は、どんなでしょう。それはただ想いやるばかりで見ることはできません。わたくしに見ることが許されないだけではなく、人間というものには、誰にも許されないところに、いよいよ本当の美しい景色が現わされてあるに相違ありません。
わたくしたちが住んでいる、地上にさえその通りですから、あの天上のお月様――とお星様の世界には、どのくらい、美しいところがあるか、それはもう想像も及ばないことでございます。地上にも、天上にも、わたくしたちには見つくせない景色が、いよいよ隠されていることを思うと、自分ができるだけそれを探りたい喜びを感ずると共に、人間の力では及びもないことも考えさせられて、泣きたくなることもございます。
ずいぶん、夢を見ます、高いところへ登った夢も、見なれないものを見せられた夢も――夕べの炉辺で聞いた山家話が、その晩はきっと、ぼかされた絵のようになって夢に現われるんですもの……夢を見ることもまた大きな楽しみの一つでございます。
それから、
こうして、毎日、どこにいるか知れない弁信さんに、届くはずのない手紙ばかり書いて、自分ひとりを慰めているうちに、不思議なことには、毎日毎日、なんだか、弁信さんが、こちらへ向いて少しずつ近づいて来るのじゃないかと思われて――
ほんとうに弁信さん――
あなたのような勘のいい方は、わたしがここに、こんなに考えていることを気づいて、こちらへ向けて出かけておいでになるのかも知れません。近いうちに、弁信さんがここへ来るような気がしてなりませんもの――
それは全く空想に違いありません。いくらなんだって、この交通の杜絶《とぜつ》している白骨の奥へ、土地の案内者か、冒険者なら格別、弁信さんみたような、きゃしゃな人が、来られようとは思いませんが、日々日々《にちにちにちにち》に、そんな心持がして、これを書いている一行毎に、弁信さんの姿が、わたしに近づいて来る心持を、どうすることもできません。
事実としては、そんなことはあろうはずはありませんけれど、もし、万に一つ、そんなことがあり得るとしたら、弁信さん、あなた一人だけでなく、茂ちゃんも連れて来て下さい。
それは来るなといっても、あの子は弁信さんについて来るにきまっているでしょうが、忘れないで下さい――
茂ちゃんも、弁信さんの傍へ置かないとあぶなくてなりません――」
[#ここで字下げ終わり]

         四十六

 お雪が、ひとりこうして月夜の大観に酔うている時、宿の軒下から、一つの提灯《ちょうちん》が、さまよい出したのを見て、ぞっとしました。
 時は、この通りの月夜ですから、ちょっと、そこらへ出るには明りはいりません。ところはこの場合ですから、遠方より行きつ戻りつすべき場合でもありません。
 これが闇の夜ならばとにかく、皎々《こうこう》たる満眼の月夜であるだけに、お雪は物凄いと思いました。
 誰だろう、今時分、何しに……と疑いながら幻想をくずし、眼をみはって、その人を見たしかめようとしたが、三階の高さから朦朧《もうろう》としてわからず、かえって、人が無くして提灯のみが浮き出して歩き出したようです。人魂《ひとだま》かなんぞのように、ふらふらと宙に迷って、提灯だけが月夜に浮き出したもののようです。
 それで、お雪ちゃんは、ほとんど身の毛をよだてた[#「よだてた」に傍点]ものです。
 一旦、軒下から、ふらふらとさまよい出した提灯は、軒をめぐって消えてしまいましたけれど、しばらくして、また現われ、小径《こみち》をたどって、あちらに、ついどおし道の方へとさまよい行くもののようです。
 幻想を恐怖に破られながらお雪は、その提灯から眼をはなすわけにはゆきません。
 その時、不意に後ろから音もなく、自分の肩の上に落ちて来たものがあります。
「あっ!」
と振返れば、和《やわ》らかに自分の肩の上に置かれた人の手。
「まあ、先生」
 お雪の肩に後ろから手を置いたのは、机竜之助でありました。
 肩に手を置かれるまで、どうして、どちらから歩み寄って来られたか、それがわかりません。ただ、不意に襲うて来た手の主が、さる人であったから、ようやく落着きました。そうでなければ、いつぞや、仏頂寺のために、目かくしをされた時よりも、もっと怖れたかも知れません。
 それでも、息がハズんで、
「ちっとも存じませんでした」
 返事をせずに竜之助の、お雪の肩に置いた手はようやく深くなって胸のあたりに襲うて来ると共に、その胸が自分の背を圧迫して来るのを感じます。
 お雪は、いったん、落ちついたが、それからまた胸の轟《とどろ》くのをとどめることができません。
 それは、どうもなんとなくこの人の挙動に、圧迫を感じるのと、ちょっと振返って見た途端に、右の手を自分の肩にかけ、左の手には刀を提げていたからです。
 それは、ちょっと合点《がてん》のゆかない呼吸でありました。
 それでも、圧迫をのがれようという気にもなりません。
「なんて、いい月夜なんでしょう」
と言いました。
「寒いことはない?」
と、深く胸に腕をおろしながら、竜之助が言いました。
「あんまり、いい景色だものですから、寒いことも忘れてしまいました」
「そうかなあ、そんなによい景色ですか」
「ええ、それはそれは」
「景色はいいが、今晩はなんだか宿が物さわがしいではないか」
「いいえ……」
 お雪が解《げ》せないと思いました。事実、今晩の宿といって特にさわがしいことはありはしない。自分の気のついている限りでは、いつもの通りの冬籠《ふゆごも》りの宿に何の出入りもない、空気の動揺もない、と信じていましたのに、この人はこんなことを言う。そこで、
「いいえ、騒がしいことは少しもございません、いつもの通り、ほんとに静かな山間《やまあい》でございます、静かになればなるほど、夜の景色が何とも言われません」
「でも、なんとなく物騒がしい晩だ」
「いいえ、やっぱり静かな晩でございますわ」
「そうかなあ」
 その時、竜之助の深くさし込んだ左の腕が、お雪の乳房の首まで届きました。お雪でなければ、まあ、くすぐったいと、はしゃいで振りもぎるところでしょう。お雪は、最初から圧迫的な空気を、如何《いかん》ともすることができないで、ほとんど、二人が重なり合って立ちながら、夜の景色に見とれているような形です。亜字の欄《てすり》に立ちながら二人は、じっと身動きもしないでいたが、お雪の動悸が、高ぶってゆくことは眼に見えるようです。それでも逃れようとはもがきません――もう、わかりきっているのでしょう。
「物騒がしい晩だ、今晩ぐらい、物騒がしい晩はない」
と、竜之助の言うことはやはり圧迫的で、且つ独断に偏しています。
「いいえ……ちっとも騒がしいことは」
 お雪は、竜之助の独断を打消そうとしたが、自分の胸の騒ぎを打消すことはできないと見えて、言葉半ばで、自分の口の中が乾きました。
「ああ、やっぱり物騒がしい、なんとなく落ちつかぬ空気だ、今晩は誰か、この白骨谷の空気を乱しに来た奴がある……」
「え……」
「誰か、この天地へ、外から入り込んだ奴がある、それが、この白骨谷の空気をかき廻して、それでこんなに騒がしい」
と竜之助が言いました。お雪は、身体《からだ》と乳房の堪え難い圧迫を覚えてきました。
「いいえ、そんなことは、この静かな晩に……」
 途切れ途切れに言う、お雪の口がかわいてゆくのを、やはり、どうすることもできないらしい。
「静かな晩でございますが、ね、先生、ただ一つ、おかしいことがございます」
 圧迫に堪えきれぬお雪は、ついに自分の指で、乳房にかかる竜之助の手を遮《さえぎ》るように押えて、向き直ろうとしましたが、その蒼白《あおじろ》い面《かお》が、肩の上に迫っているのを感じて、前後から銀山で押しつけられているような心地になりました。
「この夜中に、どことも当てもなく提灯《ちょうちん》が一つこの家から出て行きました、あれ、あの通りまた出て参りましたよ」
 一旦、谷間に隠れてしまった問題の提灯は、この時、また姿を現わしました。
 そうして、おもむろにこちらへ向いて戻って来る気色は確かです。
 お雪は、前後に圧迫の思いを以て、その提灯を見つめています。
 提灯は極めて静かに小径《こみち》を歩いて、段を上り、こちらへ近づいて来る。お雪は恐怖と幻怪の中に、今度こそは、その正体を見届けてやろうという気になりました。
 物怪《もののけ》でない限り、提灯だけが一つさまよい歩くという道理はありません。提灯はまさしく人の手によって携えられていればこそ、提灯としての通行があるので、今度こそは、提灯と、その主とが、明らかにお雪の眼に見て取られます。以前は軒端をめぐって滝の下を行ったものだから、提灯の隠見することだけが見えたのが、今度は直《じ》きに小坂を上って来るものですから、それで明らかに提灯も、その主もわかったものです。
 そうして、それがなお一歩一歩と近づくのを見ているうちに、足の歩みのたどたどしいのも道理、この提灯の人は、片手に鏡のような水を満たした手桶を提げている、ということが明らかとなりました。
 ああ、水汲みにいったものだ、軒下に貯えの水がなくなったから、わざわざ谷川まで水を汲みに行ったものだ。そうだとすればなにも、恐怖も物怪《もののけ》もあるべき筋ではない。月は明るいけれども、足許の用心のために特に提灯を用意したまでのことだ――とお雪も、やっと合点がゆきました。
 けれども、なお残る不審は、どうしてこの夜中に、わざわざ谷川まで水を汲みに行かなければならなくなったのだろうという事、どなたかが勉強のために夜ふかしをして、お茶が少し上りたくなって、茶釜を見たが水が無い、瓶《かめ》を見てもあいにく――外の筧《かけひ》は氷っている、やむを得ず、谷川まで御苦労をしたと思えば思えないこともない。多分、そんなことだろうと想像しておりました。
 だが、わざわざこの深夜、水汲みにおいでになったのはどなた、それもお雪の気にかかりました。
 今しも上って来る人は、頭に笠をいただいておりましたから、人柄はさっぱりわかりませんが、かなりたどたどしい足どりであります。桶に満たした水が、月にかがやいてさざ波を立てながら銀のように動いているのを見ると、お雪は風流な姿よと思いました。水たまらねば月も宿らずと、口ずさんでやりたいような気分になりました。
 でも、その当人が、この宿に冬籠《ふゆごも》りをするうちの誰? ということは、笠がかくしていて判断の余地を与えません。
 そのうちに、だらだら坂を上りつくして、右の水汲みは、疲れを休めるためにや、手桶を後生大事に下に置いて、ホッと一息ついている体《てい》です。
 その時に、高欄の上から廂《ひさし》へかけて、カラカラと音を立てて、凍《い》てついた土に落ちたものがあります。
 お雪はハッとしました。自分の手に持っていた数珠《じゅず》が、スルスルと自分の手首から抜け落ちて、カラカラと廂を走り、力余って、凍てついた大地をまたも、カラカラと走って、桶を置いて休んでいた人の足許まで、走って行ったことであります。
 お雪ちゃんはハッとしました。ふだん、数珠なんぞを携えているわけではないが、その時は、無意識に、自分の手文庫の中に文鎮《ぶんちん》同様にして置捨てにしてあった数珠を、何かのハズミで、手首にかけて、今持って出ていたのだということを、数珠が走り出したので、はじめて気がつきました。
 お雪はハッとしたでしょうが、それよりも一層驚かされたのは、足許に物の落された水汲みの主で、落ちたその物を注視するよりは、高欄を見上げることの方が先でした。
 見上げるところの三階の亜字の高欄には、たしかに人が立っている。御承知の通りの隈なき月夜のことだから、それを見まごうはずはありません。
 但し、その人影が一つであったか、二つであったか、一つ一つが重なっていたのだか、そうしてその人がいかなる人であったかは、わからなかったようです。ただ、天上に人ありという意外の驚異で、しばらく、ふり仰いで、高欄の上から目をはなすことができませんでした。
 二人が深夜の楼上にこうしているところを、下から見られたのが、二人にとって幸か不幸かはわかりませんが――下なる人の正体をある程度まで見定めるには、これが上なる人――お雪ちゃんにとってはよい機会でありました。
 笠を阿弥陀にして、ふり仰いでいるその人は、いやでもその面影《おもかげ》の全面を上へ向けなければなりません。そこへ、なおこちらに幸いすることには、月光が上から照らしつけてある上に、その当人の腰にさしていた提灯というものが、向うから推輓《すいばん》するように、ほとんど隈なく輪郭を照らしてくれました。
 その時に、お雪は、二重三重の意外に見舞われて、胸を轟《とどろ》かすことが加わってしまいました。
 笠のうちなる人の面影は、今まで全く見なかった人です。ここに冬籠りをして熟しきっている同宿の人たちのうちの一人でないことは勿論《もちろん》――先般来、出入りして、相当の波瀾と印象とを残して行った二三の人たちの姿でもありません。
 全く別な、全く新しい人――一眼見てまぎろう方なき、あざやかな印象――お雪が、一も無く二も無く感じてしまったことは、その人の面影を、どうしても女とよりほかは見ることができなかったからです。
 男の眼では間違いということもあろうけれど、女が女を見る眼には間違いないと、お雪は直覚的に信じてしまったのです。
 さあ――この白骨の温泉の今までの冬籠りには、女というものは自分のほかには絶対になかったはず。
 呼ぼうということも、来るということも、誰人のおくびにも出てはいなかった。たとえ、呼んでも、招いても、自分たちのように夏の時分から来ているならば格別、今のこの際に、女の身でここへ来ること(冒険の男でさえも)は、全く不可能であると信ぜられていたのです。
 この人が女ならば、いつ、どうして、誰が連れて来た。もっと以前に連れて来て、誰か隠して置いたのか――それは、どちらにしても容易ならぬ事だ。
 と、お雪の胸が兢々《きょうきょう》としました。
 しかし、その場の光景はその瞬間だけで、下なる人は直ちに面《かお》を伏せて、軽く足許に落ちた数珠を掻《か》き寄せると同時に、右手は手桶にかけて、難なく水と姿のすべてとを家の中に運んでしまいました。
 幻怪にもせよ、恐怖にもせよ、幻怪でも恐怖でもなく、ただ人あって水を汲みに出たという平凡極まる光景であったにせよ、眼前のその事は、それでひとまず解決しましたが、それと同時に、背後の圧迫のゆるやかなことを感ぜずにはおられません。

         四十七

 その夜の寝物語に――といっても、襖一重の明け開いた隔ての間で、竜之助とお雪とが、こんな話をしました。話はむしろ、お雪の方から持ちかけたものです。
「ねえ、先生、いつまでもこうして、白骨にばかりもおられませんわね」
「でも、こんなところで、一生暮してもいいと、お前は言ったではないかね」
「一時はそう思いましたけれども、ここは、わたしたちだけの天地ではありませんもの」
「我々だけの天地というものが、別に造られてあるはずはないのだ」
「それはそうですけれども、温泉だけに、人の出入りが絶えませんわね、誰も来ないはずの冬の白骨へ、やっぱり、思いがけなく、いろいろの人が出たり入ったりするものだから、わたしは危なっかしくて、このごろはほんとうに落着かなくなりました」
「といって、冬が終るまでは、動きが取れないことになっているではないかね」
「いいえ――あんな見知らぬ人が、今晩も入って来るくらいだから、出ようとすれば、出られない限りもないと思いますわ」
「そうか知ら、そこで、お雪ちゃん、お前も、もう白骨にあきがきて、家へ帰りたくなったのか」
「いいえ、そういうわけではありませんけれど、ここがなんとなく不安になりました。ねえ、先生、今のうちに白骨を立ってしまいましょうか」
「そうして、どこへ行こうというの」
「それはね、一つ、わたしに考えがありますのよ」
「その考えというのは?」
「まあ、お聞き下さい。わたしは少しでも、ここへ来た甲斐があって、第一、先生のお目のだいぶよろしくなったとおっしゃるのを喜ばずにはおられません。それに、わたくし自らも、ここへ来たために、いろいろの学問を致しました、ずいぶん、ためになりました。ですから、白骨へ来たことは全く後悔にはなりません。けれども、もうこのぐらいが、切上げ時じゃないかと思います。今までも、思いがけない人のごたごたがありましたけれど、ともかくも、おたがいに無事で今日まで参りました、この上いい気になって逗留していると、ためにならないことが起るような気がしてなりません。ですから、別のところで、あなたの充分御養生になれるようなところを選んで、それはここよりは、一層静かで、人事のごたごたのないところへ行って、春まで暮してみた方がよいのではないかと、そんな気がしてなりません」
「なるほど……それも一理のある考え方だが、といって、ここを立って、別にいいところがありますか」
「それはありますとも、いくらもございますよ。第一、この谷を後ろへめぐって飛騨《ひだ》の国へ出ますと、平湯《ひらゆ》の湯といって、いいお湯があるそうです」
「なるほど」
「そこは山国は山国ですけれども、こんな迫った谷間《たにあい》ではなく、もっとゆったりした……気分のところだそうでございます。それよりも、もっと面白いところは、それより奥へ行って、やはり飛騨の国の白川郷《しらかわごう》というところがあるそうです、そこは全くこの世界とは交通の絶えたところで、人情も、風俗も、神代《かみよ》のままだとか聞きました。その白川郷の話を聞いた時に、私はそんなところに一生を住んでみたくてたまらなくなりました」
「聞いて極楽、見て地獄ということは、世間にありがちのことだから、正直なお雪ちゃんが、うっかり聞いたままを信ずると、後に大きな失望をするに違いない」
「いいえ、それとは比較が違います、白川郷というところは、悪いところであろうはずがないことがよくわかりました、そうしてわたしは、なにもかも一切あきらめて、その白川村へ入ってしまった方がいいのじゃないかと、ずっと以前から思案しておりました。それは久助さんに話せば、むろん、賛成はしません、誰だってほかの者が承知をするはずはありませんけれど、わたしは、それがいちばん、わたしたちのこれからのためによい道ではないかと、思い定めていましたからお話をするのです」
「そうかなあ」
「ねえ、それですから、先生、あなたさえ御承知くだされば、明日にもこの白骨を立ってしまいたいと思います」
「誰にもことわらずに?」
「ええ、あなたと二人だけで」
「駈落《かけおち》をするのだな」
「駈落というわけじゃありませんけれど、誰かに言えば、キット留めますもの」
「では、それも一思案として、どうしてここを出ますか。お雪ちゃんだけは、出られるとしても、相手を連れ出す手段がありますまいね」
「それは、あなたさえ御同意くだされば、きっとできると思います、時々、あちらから入り込んで来る猟師さんたちに、そっと頼んでみても話がわかってくれるだろうと思います」
「うむ――そうかなあ」
「先生、よくって、あなたが御同意をして下されば、わたしは今日から、その実行にかかります」
「さあ、いよいよとなれば一大事だ」
「いいえ、一大事ではございません、万が一、間違っても、牢破りをするのとは違いますもの、久助さんだけにあやまれば済みます。けれども、わたしが心を決めてやる以上は、決して、やりそこなうようなことはしませんよ。もし、やりそこなうようなおそれがあれば、やらないうちにやめてしまいます。とにかく、わたしに任せてみて下さいな、ねえ、先生」
「それほどまでにして、ここを出たいの?」
「ええ、それは、あなたのためばかりではございません、わたしのためにも……来る人、来る人が、どうも、あなたを探しに来る人に見えたり、また、わたしをさぐりに来る人にばっかり見えて、たまりませんもの……白骨は、もう落着きません、どうしても、白川まで行きたいと思いつのりました。白川ならば、平家の落武者ではありませんけれど、永久に、わたしたちの身を隠すことができましょう――わたしたちばかりでなく、子供たちや孫の代まで、落着いてこの生を託することができるというわけではありませんか。ああ、白川へ行ってしまいたい、ねえ、先生、御同意ください、いいでしょう、この白骨を脱け出すことに御同意をして下すって、その方法を一切、わたしにお任せ下さいな――そうして白骨から白川で落着いて、そこがほんとうに住みよいところでしたら、一生をそこで暮しましょう。そうして落着いているうちに、先生の御養生も届いて、立派にお目があくようになれば、また、どうにでも方法はございます。もし、また、その白川とやらも、思わしくないようでしたら、それこそほんとうに、この世の行きづまりですから、わたしは、もう、それより以上に生きようとは思いません……ですから、どうぞ、そんなようにして、誰にも話さずにこの白骨を抜け出すことに御同意をして下さい、そうして、その方法を、わたしにお任せ下さいな、ね、いいでしょう、どうぞお願いです」
 こう言って、お雪としては珍しいほどの昂奮を以て、一生懸命に訴えてみましたが、竜之助はハッキリした返事を与えませんでした。
 けれども、ハッキリした返事を与えないことが、同意の表示であるように、お雪をして遮二無二《しゃにむに》、思い進ませた結果になりました。
 伝うるところによると、飛騨の白川村に通ずる路は、千岳万渓の間に僅かに一条の小径《こみち》あるのみで、その小径も、夏になると草が覆い隠し、しかもその草むらに蝮《まむし》が昼寝をしており、枝の上には猿が遊んでいて行人に悪戯《いたずら》をしかける。案内人なくては到底、入り難き山径である。そこで、土地の人が外出する時には、必ずなめくじ[#「なめくじ」に傍点]を二三匹と、蟹《かに》を煙草入の間に忍ばせて行く。なめくじ[#「なめくじ」に傍点]は蛇の属であるところの蝮を穴に追い込む道具で、蟹は猿を怖れしむるもの――そは冗談として、春夏の候、白川に入るの困難は、迷宮に入ることの困難の如くであるが、秋冬の間は、道がよく踏めてわりあいにその困難から救われるという。
 そうして、その難路を分け入って、白川村に着いて見れば、土地は美しく、人情は潤《うるお》い、生活の苦もなく、相互の扶助が調《ととの》い、しかも遠人を愛して、悪人といえども、悔いて身を寄するものは、赦《ゆる》して永久に養うことを厭《いと》わない、ひとたびこれに入ったものは、永久に帰ることを忘れる、というような――太古の民、神代の風、武陵桃源の理想郷といったようなものが、よくよくお雪の脳裡に描き出されて、あこがれに堪えられないらしい。そのあこがれがあるところへ、目下の身辺の、なんとなく不安を感じ出したものですから、その想像が、いよいよ切実に誘いきたるもののようです。

         四十八

 別に、その同じ夜更けて、自称お神楽師《かぐらし》の一行は、池田良斎の許に寄り合って、額をつき合わせて、あまりあたりを驚かさぬ程度で、談論しきりに湧くの有様でありました。
 その一団は、いずれも見知り合いの面《かお》ぶれでありますが、ただ一方の炉を守って、お茶番の任をひとりで引受けながら、一座の談論に耳を傾けている一人の女性があることだけが、最も意外で、且つ、異彩であります。
 それは、さいぜん、お雪が極《きわ》めをつけた通り、この冬籠《ふゆごも》りの白骨には、お雪をほかにして女性というものは無かったが、今宵に至って、降って湧いたように、この席に現われたものであります。
 色の乳白色な、小肥りといってよいくらいな肉附の、三十を越した年増ではありますが、キリリとした身のこなし、真黒な髪をいぼじり[#「いぼじり」に傍点]といったように無雑作に巻きつけてあるのは、この際だからやむを得ますまい。
 今まで無かった女性が、ここへ現われたのは、天から落ちて来たのでもなく、地から湧いて来たのでもなく、先刻、お雪が取次をして、北原が迎いに出でたところの、名古屋から来た紅売りその人なんでありましょう。そうだとすれば、旅路の必要から、男装して来たものが、ここではその必要を解いて、本来の姿を見せているものと見られる。
 ここ、白骨に冬籠りをやっている自称お神楽師連が、必ずしも自称お神楽師でないことを知る者は、これをたずねて、女の身で大胆にも、冒険にも、ここまでひとり旅をして来た名古屋の紅売りなるものが、単純な紅売りでないということもあたりまえです。
 それはこの一座の誰|憚《はばか》ることなき談論を聞いていれば、ほぼわかることで、世間ですれば四方《あたり》を憚る秘密会議も、このところで、こうして水入らずにやれば、誰に遠慮もいらぬこと。
 その、遠慮の入用のない秘密会議の雑話と、熟議と、談論とを混合してみると、さすがにこれは炉辺閑話とは全く趣を異にしています。京阪、或いは関東の要所に於て、二三人集まって、こんな事を口走れば、忽《たちま》ち身辺に危害が飛ぶ。それをここでは、つまり露骨に、陰謀が評議されているのです。さすがに陰謀の要点に触れると、声は多少低くなりますが、それに附随して議論を闘わすという段になると、意気軒昂として、火花を散らすの勢いです。
 この秘密会議の内容を綜合してみると、飛騨の高山と、尾張の名古屋とが、話題の中心になるらしい。
 慶長以来の、関ヶ原当時の陣形を細やかに持ち出すものがある。結局、美濃、尾張の平野は、今日でも大勢を制するの中原であって、その中原の後ろを押えるものが、近江と飛騨とだ。石田三成は近江に根拠を置いたが、飛騨を閑却したのはいけない。我々は、飛騨を押えておらねばならぬ。飛騨を押えるのは、難事ではないが、目的は尾張にある。
 小牧《こまき》であり、大垣であり、岐阜であり、清洲《きよす》であり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
 今し、彼等の間に拡げられた大地図は、尾張の中原平野の地図であって、その上に筋違《すじかい》に打布《うちし》かれたのが、尾張名古屋城の細部にあたる絵図面であります。
 そこで、一座の陰謀の中心は、尾張名古屋の城の研究ということに集まっているらしい。一座の異彩、名古屋から昨晩着いた紅売りの女――も多分、それがために有力な資料を持ち来《きた》した一味の同志の一人と見るよりほかはありますまい。
「名古屋は、怖るるに足りない」
と一人が言いました。
「水戸を、徳川というものに反逆させたのが光圀《みつくに》でありとすれば、尾張を、徳川家から去勢させたのが宗春《むねはる》だ――宗春以後の尾張は、華奢《きゃしゃ》と、遊蕩《ゆうとう》と、算盤《そろばん》との尾張だ、算盤をはじいて女道楽をする気風の間から、天下の大事は捲き起らない、敵としても怖るるに足りないが、味方として頼むには足りない尾張、やがて風向きのいい方へ、どちらでも傾くよ」
と言った壮士は、おたがいに呼ぶところの名をもってすれば、相良《さがら》と言ったり、小島と言ったりする。
 どうも、その談論風発の勢い、どこぞで見たところのある――ああ、そうそう、たしかにあれは三田の薩摩屋敷にいた。しかも薩摩屋敷の浪士のうちでも牛耳を取っている男に、たしかにこれがいた。
 この一座の語るところは以上の如く、その間、かの女性は神妙に一座を取持っている。相良はこの女性を顧みて、時々、
「梅野さん、梅野さん」
と呼ぶ。
 なまなかの道づれや、かりそめの道案内者として、雇うて来たものではないらしい。
 こう言って尾張をそしるもあれば尾張|贔屓《びいき》もあるらしい。
 尾州|慶勝《よしかつ》が水戸の烈公と好く、多年の尊攘論者《そんじょうろんしゃ》であり、竹腰派の勢力は今は怖るるに足らず、金鉄組の勢いが強く、成瀬、田宮の派が固めているから大丈夫――万一の際は、こっちのものだと安心している者もある。
 この相良とか小島という新入りの壮士が連れて来た右の一人の女性。それは、やっぱりわからない。或いは、この一味に投ずるほどの女侠か、そうでなければ、相良が、松本あたりから雇うて来た女案内人か。それにしては肌が柔らかい。

         四十九

 お銀様を誘い出して、尾張の名古屋を的に東海道を上るお角さんの一行は、無事に三州の赤坂の宿《しゅく》まで来ました。
 道中馴れたお角の歯ぎれのいい女っぷりに、事新しく感心したらしいお銀様。そのおかげで、今までに経験したことのない快い旅路をつづけ得たと思いました。
 お角という女は、お銀様に対してこそ、妙に気が引けてならないが、その他にかけては、無人の境を行くようで、さすがの雲助、胡麻《ごま》の蠅のたぐいも、はね返して寄せつけない気象。
 宿に着いてから出るまで、万端の行き方が小気味がよく、啖呵《たんか》が冴《さ》えきって、行き方がさばけきっている。お銀様は、お角と同じ道中をしてみて、はじめてお角のえらさがわかってきたように思います。
 赤坂を出て宝蔵寺まで来た時分に、お角は駕籠《かご》の中から、景気のよい旗幟《はたのぼり》を見て、グッと一つの興味がこみ上げて来ました。
 ははあ――興行だな、芝居ではない、相撲だな、この景気で見ると、まんざら田舎相撲とも思われない、江戸か上方、いずれ大相撲の一行が、この辺で打っているのだな――
 まもなく、櫓太鼓《やぐらだいこ》の勇ましい音。お角の鼓膜にこたえて、感興をそそり、腕がむず痒《がゆ》いような気持がしました。
 天性、興行師に出来ているこの女は、見物心理として感興を湧かされるのではありません。いわば剛の者が、戦陣の前に当って武者ぶるいを禁ずることができないように、いやしくも、興行物となってみれば、大きければ大きいように、小さければ小さいように、都会ならば都会のように、田舎ならば田舎のように、技癢《ぎよう》に堪えられないで、その物音を聞くと武者ぶるいをするところの病があるのです。
「おや、大相撲らしいが、どんな面《かお》ぶれだろう」
と、旗幟の文字を読んでみると、その真先に眼に落ちた一つに、
[#ここから1字下げ]
「大関、舞鶴駒吉――」
[#ここで字下げ終わり]
という白ぬきの大文字を見た途端に、ツーンと頭へ来てしまいました。
「はあ、舞鶴駒吉――あれからどうしているかと思ったら、こんなところに来ていたのかねえ」
 勧進元は誰がやっているか知らないが、乗込んで見れば存外知った面で、おたがいに、これはこれはという段取りかも知れない。
 茶屋の前で、ちょっと駕籠を休ませて、
「お嬢様」
と後ろを顧みて言いました。
「はい」
 お銀様が、垂《たれ》を上げない駕籠の中から返事をする。
「相撲はお好きでございますか」
「好きでもありませんが、嫌いという程でもありませんよ」
「田舎にしては、ちょっと珍しい相撲がかかっていますから、のぞいてごらんになる気はございませんか」
「お前さんが見たいと言うんなら、わたしも一緒に参りましょう」
「岡崎泊りには時間がたっぷりございますから、なんならひとつ、相撲を見てやりましょう」
「お前さんのよいように」
「では、お嬢様、これから駕籠を下りて参りましょう、石河原ですけれど、そんなに遠いところではありませんから、おひろいでおいで下さいまし」
 お角が先に出て、案内に立ちました。
 相撲場は、直ぐに眼の前の広場です。お銀様も快く駕籠を出て、茶屋から借りた草履《ぞうり》を穿《は》いて、盛んに景気を立てている相撲小屋の方へと、石ころ道を歩きはじめました。
 先に立ったお角のキビキビしたのと、連れの若衆《わかいしゅ》も、気負いと老巧なのを三人つけていたのが、一緒になって歩き出しました。
「ねえ、お嬢様、あの幟《のぼり》の一つをごらんなさい、舞鶴駒吉てのがございましょう、あれはね、駿河の生れで、そうですね、安政六年の春でしたか、回向院《えこういん》へ来たことがありますよ。回向院へ来る前から、わたしは知っていました。こっちの物にしようと考えているうちに、相撲に取られてしまいました。相撲に取られるのが本筋なんでしょうけれど……何しろ、その時に八歳《やっつ》で、二十五貫目からありました、相撲のうちでも、めったにあんなのは出ません。その後、どうなったかと思っていたら、ごらんなさい、あの幟がそれでございますよ。まあ、あんなずう体[#「ずう体」に傍点]を見ておくのも学問になりますから、ひとつあの子に会ってやってみて下さいまし」
 お角がお銀様にこんなことを言いました。
 この時分、後ろの赤坂の方面から来るのと、行手の藤川筋から往くのと、それに意外に間道をつめかけて来る近郷近在の衆とが、河岸の広場の相撲小屋をめざして進んで行く光景は、蟻の町の立ったような見物《みもの》でありました。
 お銀様とお角の一行も、その見物《けんぶつ》の群集に交って、歩きにくい道を進んで行くと、後ろが遽《にわ》かに物騒がしい。
 振返って見ると、人々が怖れて、逃げて通すのも道理――酔っぱらって、傍若無人に振舞いながら、こっちへやって来るのは、血気盛りの二人の若い、二本差しているところから見ても、このあたりの藩の士分の者と見えるそれが、かなり酒気を帯びているらしく、傍若無人に振舞い、農工商連の怖れてよけて通すのをいいことにして、婦人をめがけて戯れかかるらしい。こうして見物に行く婦人連をおびやかしながら、ようやくお角と、そうしてお銀様の一行のすぐ後ろまで迫って来ていました。
 お角は、ちょっとイヤな面《かお》をして見ましたが、なあにと軽くあしらって、やり過ごしてしまった方がいい……少し避けて通そうとすると、どっこい、二人の生酔いのさむらいが、いい獲物《えもの》と、やにわにお銀様の方に近づいて、その頭巾へ手をかけようとしますから、お角がそのところに立ち塞がりました。
「ホ、ホ、ホ、たいそうよいお機嫌でいらっしゃいますね、でもお足許がおあぶのうございますよ」
 こういった気合に、二人の生酔いの悪ざむらいがちょっと気を呑まれた形でした。
 その途端に、連れて来た、六さんといって喧嘩上手で聞えた兄《あに》いが、ちょっと江戸前の喧嘩っ早い息を見せたのが、近郷近在連とは手ごたえが違ったと見たのかも知れません、何ということなしに機先を制せられて、そのまま、二人の生酔いの悪ざむらいは、鋒先《ほこさき》をそらして、ずっと前へ進んでしまいました。
 つむじ風をやり過ごして、足並みを立て直したお銀様とお角の一行――
「飛んだ金十郎だよ」
とお角が、軽蔑の冷笑を後ろから浴びせているにもかかわらず、二人の生酔いの若ざむらいは、なお行く手の見物人に存分悪ふざけを試みながら行くのを見て、この分で、相撲小屋へつくまで、また場内へ入ってから後に間違いがなければいいが――と気を揉んだのはお角さんばかりではありません。同じ金十郎にしても、アクドい。
 間違いがなければいいが――
 果して……まだそれとは言えないが、一町程の先手《さきて》、ちょうど、赤坂口と藤川口とが落合うあたりの辻のところで、
「喧嘩だ、喧嘩だ――」
 それ見たことか。見ているまに、黒山となった人だかりが容易に崩れないのは、喧嘩のたちが悪くなったに相違ない。
 当然、行くべき道筋、お角さんの一行は、いやでもその場へ通りかからねばなりません。喧嘩の売り方は言うまでもなく、さいぜんの生酔いの二人の若ざむらいで、それを買ったのは、町人風であるらしい。
 その町人の後ろには、男の連れが三人ばかりあって、これが、町人に応援している。この町人の一行はかなり贅沢《ぜいたく》な身なりをして、垢抜《あかぬ》けのしたところ、どうもこの辺の小商人《こあきんど》とは見えない。そうかといって、しかるべき大店《おおだな》の旦那とか、素封家とかいうものとも見えない。女郎屋の主人とか、料理屋の亭主とかいったような感じの男であって、それにつき従う二三の者も、その身内であったり、従者であったりするらしい。さればこそ、売られた喧嘩を買っている。普通の金持ではやすやすと、売られた喧嘩を買いはすまい。
 この町人の一《いち》まきはそれだけではない、後ろを見ると、十余名の芸妓、雛妓《すうぎ》の類《たぐい》がついている。つまりこの一行は、当日の相撲を見るべく、身内の者と、芸妓連を引具《ひきぐ》して、ここへ乗込んで来たものであることがわかる。
 多勢を頼む利《き》かぬ気の水商売連であるところへ、連れて来た美形連の手前、そのまた美形連が存外の強気で、普通の場合には、まずまず女連が恐怖狼狽して逃げ出すか、分別のあるのが泣いてあやまるとかして緩和すべきものを、ここでは控えの芸妓共が強気になって、かえって旦那方の後援をしていることほど、のぼせている。
 そこで、女の手前もあり、気の立った一行が、なあに二本差していたって相手は生酔い二人、あんまりふざけ方がアクどいやいという気になったらしい。
「あんた方、人のてほんになるべき身でおだしながら、何たる無作法な真似《まね》しなさる、お百姓衆はこわもてで、許すか知らんが、相手を見損なっては、どもならんぞ。さあ、もう一度、手出しをするならしてごらん。わしは名古屋の河嘉の松五郎という、しがないもんやが、曲ったことは大嫌いじゃ――あんた方が、自分が悪いと思召《おぼしめ》したら、ここへ手をついてあやまっておいでやす――そうもなければ許しゃせんぞ」
「何を――この忘八者《くるわもの》めが、武士に向って僭上《せんじょう》至極!」
「斬って捨てるぞ!」
 二人の悪ざむらいは、威丈高《いたけだか》になりました。
「何、何と言いなはる、お腰の物へ手をかけなさったは、わしたちをお斬りなさる了見かエ。面白い、さあ斬っていただきやしょうか。今日はお天気がよくて皆さん、みんな御見物にいらっしゃる、わしも名古屋の河嘉の松五郎じゃ、こんなところで、晴れて斬られるならずいぶん斬られて上げる。どちらが道理か、お立会の方がみんな御存じ。さあ、お斬り下さい、どこからでも、横になと、縦になと、斬っていただきやしょう」
 相手の言葉尻を逆にとらえ、尻をまくることの代りに、片肌をぬいでしまって、
「さあ斬れ――」
をきめこんだものだから、見ている人が手に汗を握りました。
 それで、勢いこんだのは相手の悪ざむらいではなく、町人の後ろに控えている身内の若いのと、それを声援する芸妓たちです。
「兄さんの、おっしゃる通りが道理じゃ、さあ、白いと黒いは、皆様がご存じ、斬られておやりなさい――まんざら、犬死はなさるまい、道理は、わしたちはじめ、お立会の皆様がご存じじゃ、斬られるものなら、立派に斬られてごろうじ、骨はわしたちが拾って帰りやす、さあ、おさむらい衆、うちの兄さんを、お斬りなさい――立派にお斬りなさい」
 そこで、親方が、いよいよ強気になる。
「さあ、斬られましょう、夜討や暗撃《やみうち》を喰うのと違って、こうして晴れた明るい天気、千万という皆様のごらんなさる前で、腕のお立ちなさる若いさむらいさん方のお手で、さっぱりとやられたら、ずいぶん、気持のいいことでございましょう、このごろは悪血《あくち》が肩へ凝《こ》ってどもならん、ここの肩のところから、すっぱりやって下さんせ、さあ、お斬りなさい」
と身体《からだ》を突きつけたものです。
 この体《てい》をお角さんが見て、ははあと一切を合点しているうちに、立会の者の囁《ささや》くところを聞いていると、この傍若無人の悪ざむらいが、今までの手並で、この芸妓連を見かけると、得たりとばかり分け入って、いちいちその頬っぺたを撫で歩いたのが、喧嘩のもとだということです。
 案の定!
 お角としては、自分たちが引受けねばならなかった役廻りを、この芸妓連の一行が買い受けてくれたようにも思われて、本来は、痛快を感じて、多少声援の役廻りでもつとめねばならぬ立場であり、そういう際には、引込んでいる女ではないのですが、この際は、どういうわけか、さほど気が進みませんでした。
 これは、悪ざむらいたちの不埒《ふらち》は、申すまでもないが、それを買って出たこの一行連の強気も、あんまり感心したものではないと見たからです。
 どうも、この連中は、降りかかった難儀のために、やむにやまれず、喧嘩を買って出たというよりも、周囲の同情が自分たちの方に有利な形勢を見て、どうも少々増長気味があるらしい。それに、見損うない、かいなでの在郷連と違った兄さんだぞという見得《みえ》で、後ろに声援の芸妓連をはじめ、群がる見物人の手前という衒気《てらい》が充分に見えきっているから、お角がこれはよくないと思いました。喧嘩を売った方は、もとよりのことだが、この喧嘩の買いっぷりが本筋でない!
 ああまでしなくってもよい、若ざむらいの悪いのは、もとよりわかっているが、あれは若気の至りに酒があって、あたりの在郷連の間に、自分たちの身分に慢心しきって、人が一目置いて行くのをいい気になってしまったというまでで、かなりアクドいふざけ方はするが、避ければ、強《し》いて法外をやらなかったのだとお角さんは見ていました。
 だから、たしなめるにしても、上手にたしなめさえすれば、成績が上るのである。それを、こちらが、あの通り逆に取って、カサにかかるように出ては、相手の引込みがつかない。
 と、お角さんは、かえって、この町人連の喧嘩の買いっぷりは大人《おとな》げないものと見ていました。
 果して事は次第に悪化して行く。
 そこへ、自分たちの贔屓《ひいき》の旦那が、難儀に逢っているというようなところから、相撲小屋から関取連が、取的《とりてき》をつれて走《は》せつけて来る。
 それを、加勢がまた殖えてきたと見たのか、名古屋の料理屋の親方、河嘉の松五郎は、諸肌《もろはだ》をぬいでしまいました。
「さあ、お斬りなさい」
 が、さあ斬れ、斬りやがれ、斬って赤いものが出たらお目にかかる、という寸法通りの悪態《あくたい》になって、身をこすりつけたから、ますますいけない。
 この時分、悪い若ざむらい連は酒の酔いもさめてしまい、面《かお》が青ざめて、体がわなわなとふるえ、まさしく、振り上げた拳《こぶし》のやり場に困って、ほとんど五体の置き所を失った気色が、ありありと見えてきました。
 さりとて、こうなっては、冗談《じょうだん》だ、冗談だと逃げを打つわけにもゆかず、許せ許せと、折れて出るわけにもなおさらゆかず、どうにもこうにも、抜いて斬るよりほかはないという羽目に陥ったのは、自業自得とは言いながら、よその見る目も笑止千万で、お角さんとしては、むしろ、この若ざむらい連に同情して、助け舟を出してやりたい気象が、むらむらしましたけれども、旅では万事、控え目にすること……と、立つ気をおさえていました。
 悪い若ざむらい連の立場は、どうにもこうにも、抜いて斬らなければならないことになって、しかも抜いて斬った結果は、いよいよ悪くなるということに自分が気がついて、自分がおびやかされています。
 この町人の鼻っぱしの予想外に強いのに、後ろについている奴も遊び人上り、それを芸妓共が煽《あお》っている。そのほか、いざ、乱闘となった日には、すべての弥次馬の同情が、決してこっちには向いて来ない、次第によっては自分たちが袋叩きの憂目《うきめ》にあって、生死のほどもあぶない、ああ、やり過ぎたわい――と、見るも無惨な窘窮《きんきゅう》の色が、売りかけた方に現われたのを見て取った買方が、いよいよ強気になり、
「さんぴん、これでも斬れねえか」
 いきなり、平手で、さむらいの頬を打ちにかかったものだから、もう破裂、二人がさっと抜いてしまいました。
「抜きやがったな、しゃら臭《くせ》え」
 松五郎が石を拾って目潰《めつぶ》しをくれる、それを合図に、身内の若いのが、同じように目つぶしの雨を降らせる。
 芸妓連は、悲鳴を上げて逃げるのもあれば、遠くから石を投げて助太刀《すけだち》のつもりでいるのもある。弥次の石が、飛びはじめる。
 それから後の乱闘と、二人のさむらいの立場は見るも無惨なものです。
 抜きは抜いたが、もう、すっかり度胆を抜かれているところだから、日頃学んだ剣術も、さっぱり役には立たない。松五郎の身内に追い詰められて、弥次に逃げ場をふさがれ、やがて抜刀を奪い取られて、しばらく組んずほぐれつ、河原でこね合ってみたが、やがて、思う存分の手ごめに遭って、袋叩き、石こづき、髪も、面《かお》も、めちゃめちゃにかきむしられて、着物も、袴も、さんざんに引裂かれ――その後に、帯刀は大小ともに鞘《さや》ぐるみ奪い取られてしまって、ついに半死半生の体を、河原へかつぎ込んで、河の中へ投げ込まれてしまったのは、全く見ていられない。暫く、浅い川の中に、浮きつ沈みつしていた件《くだん》の若ざむらい二人は、それでも命からがら起き上り、向うの岸へのたりついて、這《は》い上り、水びたしになり、打擲《ちょうちゃく》に痛むからだで、びっこを引き引き向うの道へ、のたりついて行く、その姿が消えるまで、衆人環視の間にさらされたのは、自業自得とはいえ、悲惨の極みといわねばなりません。
 それを、ザマあ見やがれ! という表情で見送っていた料理屋連――その親方は、二人の悪ざむらいから奪い取った大小をからげて、
「こいつは、会所へ届けておかにゃならねえ」
 荷かつぎに持たせているところへ、贔屓《ひいき》の相撲連がやって来て、そうして彼等一同は、やはり勝ちほこった気持に充ち満ちて、相撲小屋の方へ引上げてしまいました。
 一切の事情を、目《ま》のあたり見ていたお角さん――いよいよいけないと思いました。筋から言えば、道理はこちらにあるに相違ないが、お角の眼では、料理屋連の出ようが、やり過ぎていること――これがこれだけで済めばいいようなものの――済むはずがない。それを存外、買方は気にかけていないようだが、さあ、この後日がどうなるかと、お角は他事《よそごと》でないように案じました。

         五十

 聞いてみると、二人の若い悪ざむらいは、岡崎藩の者だそうです。
 東照権現誕生の地――五万石でも城の下まで船がつく、とうたわれた岡崎様の家中も、こんな若ざむらいばかりではあるまいから、後日が思われる。
 ところで、この一場の争闘が、さしもの相撲興行を、ほとんど入《いれ》かけにするほどの騒ぎになったから、お角、お銀様の一行も、角力見物《すもうけんぶつ》はそのままで打ちきって、もと来た方へ戻ることになりました。そうして、その日のまだ高いうちに、無事に岡崎に着いて、桔梗屋というのに宿を取り、その翌朝も尋常に出立して、岡崎城下を新町から、日本一の長い橋と称せられた二百八間の矢作《やはぎ》の橋を渡って、矢作から西矢作の松原へかかった時分に、不意に、お角の駕籠《かご》の棒鼻がおさえられてしまいました。
「その駕籠、少々待たっしゃれ」
 女長兵衛の格で納まっているお角が垂《たれ》を上げて見ると、棒鼻をおさえているのは、権八よりはまだ若い、振袖姿のお小姓らしい美少年が、刀の鯉口を切って、
「御迷惑でもござろうが、おのおの方におたずね致したい、お控え下さるよう」
 棒鼻をおさえての申入れが、事有りげではあったが親切でしたから、女長兵衛も、お若けえの、お控えなせえとも言えず、神妙に、
「何の御用でございますか」
 駕籠から出て挨拶をしようとするのを、
「いいや、そのままで苦しうござりませぬ、そのままでお尋ね致したいが、あなた方は、いずれへおいでになりますか」
「はい、わたくしたちは、江戸から参りました者、名古屋まで参る途中のものでございます」
「御婦人と見受け申す、して、その後ろのお方は……」
「あれは、わたくしの主人でございます、やはり女でございます」
「お二人とも、女子《おなご》づれ、しておともの衆は、この三人だけでござるか」
「はい、六に、松に、芳……三人でございます」
「三名ともに、江戸から御同行でござるか」
「はい、二人だけは甲州から連れて参りました」
「近ごろ、ご無礼の至りなれど、一応、後ろのお乗物の中のお連れにお目通りがしたい、拙者は岡崎藩の中、梶川与之助と申すもの、友人のために黙《もだ》し難き儀があって、人あらためを致さねばならぬ次第により、枉《ま》げてこの儀をお願い致す」
「ご挨拶恐縮に存じます、どうぞ、充分におあらため下さいませ」
と言って、お角は駕籠《かご》を出て来て、お銀様の乗った駕籠のところまで、右の美少年を案内して来ました。
 事実をいえば、お角は、お銀様の乗物を、人にあらためさせたくはないのです。お銀様もまた、なによりも人に見らるることを嫌うのを心得ているのですが、この場合、相当に条理のありそうな、この士分の者のあらためのかけ合いを、素直に聞いてやらないのは、かえって不利益だとさとりました。
 お銀様があらためらるることを快しとしないだけで、憚《はばか》りながら我々の方は、さかさにふるってあらためられたところで、後暗いことなんぞは微塵もないのだ。そこでお角が、お銀様の乗物に向って、
「お嬢様」
「はい」
「お聞きの通り、岡崎様の御藩中の方が、なんぞ人あらためをなさりたいとの思召《おぼしめ》しでござります」
「はい、どうぞ、御自由に。なんならそれまで、罷《まか》り出でましょうか」
 お銀様は、動ぜぬ声で答えました。
 その声を聞いただけで、岡崎藩の美少年は納得したようです。
「いいや、そのお声で、たしかに御女性とお察し申します、乗物をお立ち出で下さるには及びませぬ、一応、御旅切手だけを拝見お許し下さるよう」
「心得ました」
 お角はお関所切手を取り出して、美少年に示すと、美少年は篤《とく》と見了《みおわ》って、充分に理解が届いたと見え、
「これは近ごろ、ご無礼の段、お許し下さるよう、どうぞ、そのままお通り下されませ」
「こちらこそ失礼をつかまつりました」
 お角はこう言って挨拶をして、再び駕籠の中に納まりましたが、これより先、早くも胸に思い当るところのものがありました。
 当然――これは昨日のあの相撲場の喧嘩のなごりだな……
 どのみち、あれだけでは納まりのつかない後日があらねばならぬ。実は昨夜の泊りから、今朝まで、それとなく、噂《うわさ》に耳を傾けていたのだが、さっぱり静かなものであるのを、むしろ意外としていたくらいのものでありました。
 あれで、あの若ざむらいたちは泣寝入りかな、身から出た錆《さび》だから、誰を怨まんようはなきものの、このままで空々寂々では、あんまり張合いが無さ過ぎる――と、お角もなんとなく拍子抜けがしてここまで来たところだから、ここで棒鼻をおさえられた時分に、ハッとそのことに思い当ってはいたのです。
 自分たちの駕籠をおさえて、人あらためにかかったのは、右の美少年ひとりだけだが、行手の松林の中に相当の人数が控えている、これは愚図愚図していると人違いの災難を受ける、そこをお角が感づいて、先を越して早くも素姓《すじょう》を露出して見せたお角の機転もさることながら、この美少年が、年に似合わず落着いて、ハキハキした応対ぶりに感心させられないわけにはゆかぬ。再び動き出そうとした時、その美少年は再びさしとめて、
「あいや、憚《はばか》りながら、もう一度、お乗物をお戻し下さい。実は、拙者、ただいま思案いたしたところによりますると、この先、また、我々同様のものあって、お乗物に御無礼を致さぬとも限らぬ――つきまして、ここ一刻ほどの間、あれなる松林の中にて御休息あってはいかがでござろう、そのうち、我々の求むるところの目的が果されさえ致すことならば、次の駅まで人を以てお送り申し上げてもよろしい、暫時、あれなる松林にお控え下さるまいか」
 その申入れをお角はことごとく受入れて、この一行は道を枉《ま》げて、その松林の中の松の木蔭のほどよいところに駕籠を置き、そこでしばらく休む。
 一行を、ここへ導いておいてから、右の美少年は、再び街道へ取って返しました。
 果して、これは昨日の喧嘩の引返し幕だ、しかもこの幕が本幕だ、これはお詫《わ》びでは済まない、わたしたちは、見ようとしても見られない本芝居を、見せられる羽目となった。
 ほどなく――二挺の駕籠が――その駕籠と従者との並木から現われたのを見た瞬間、松林の方からバラバラと姿を現わして、さいぜんの美少年のところまで走《は》せつけた三人の者。
 そのうちの二名は、たしかに、昨日の藤川河原の立者《たてもの》の再現であることをお角は見誤りません。
 自分たちにしたのと同様に、まずその美少年が棒鼻をおさえると、駕籠の中から転がり出した一人の男。
 それは遠目で見てもわかる、小肥りにして丈の高いかの料亭の親方。たしか名古屋の河嘉の松五郎とか名乗っていた、その男に違いない。駕籠から転がり出して、美少年に武者ぶりついたところを、早くも美少年の刀が抜かれて、一太刀浴びせたようです。
 一太刀斬られて腕を打ち落され、後ろへひっくり返るところを、
「昨日の無礼、覚えたか」
と言ったその声が、お角のところまで透るほどです。よくよくの恨みをこめたためでしたろう、さまでの大音ではなかったが、キリキリと歯ぎしりする音までが、お角の耳にまで聞えたようです。
 それから後、走せ加わった都合五六名ほどの者が、
「僭上者《せんじょうもの》、無礼者、憎い奴、身の程知らず、これで思い知ったか、岡崎武士の手並!」
 寄ってたかって、骨髄に徹する恨みのほどを乱刀の下に、柄《つか》も、拳《こぶし》も、透《とお》れ透れと、刺しこむのです。
 残忍至極だが、昨日の結果としては、是非のほど、何とも言えない!
 これは実に瞬間の兇事でしたが、次の瞬間には一行の駕籠屋が逃げ出すこと、昨日の鼻っぱしの非常に強かった身内の者と、宰領と、荷持が、度を失って逃げ惑う。
 それを追いかける者――
 その時、後《おく》ればせに走《よ》せつけた見慣れない大男――刀を横たえ、息せききって来合わせたのをお角が見ると、ははあ、相撲取だと思いました。
 相撲取だ――とすれば、この一行の贔屓《ひいき》相撲が心配のあまり、あとから追いついて来たのか、そうでなければ、一緒に護衛の任に当って来たのが、一足後れたのか、ともかくも、こちらの味方でなく、先方の後詰《ごづめ》の形で現われたということをお角が見て取っていると、右の相撲は刀を抜いて、ひとり立っている美少年の方に向い、一人は手に携えていた太い棒をグルグルと振り廻して、逃げ惑う味方を追っかけている武士方に立向う。
 美少年に立向った力士は、一太刀合わせるまでもなく、小手を切り落されて、よろめきよろめき後へさがるところを、小溝へつまずいて、後ろへ倒れたまま、パッと水を飛ばして、姿は再び現われないから、多分、溝が狭いのに、身体《からだ》が大きかったものだから、すっかり食い込んで、動きが取れないものと見える。
 一方、大木を振りかざした一人の力士は、五人の行手にふさがってみたが、この五人の武士たちの勇気は、昨日の川原の光景とは打って変った鋭いもので、かいくぐり、かいくぐりして、とうとうその力士をも乱刀の下に仕留めてしまう。
 さて、親方を見殺しにして逃げた三人の者、その一人は親方の養子――他の一人は宰領、他の一人は荷かつぎ。
 美少年ひとりだけが現場に残って、あとは、透かさず三名の恨みの片割れを追撃しに出かけて行ってしまいました。
 まもなく、彼等が、一人の若い男をズルズル引きずって来るのを見る。
 それが、昨日、親分にも負けない喧嘩の買いっぷりを示したところの、養子の吉蔵というものであることがわかる。
 その近いところまで、大地をズルズルと引きずって来て、親方と枕を並べたところへ引据えると、それを打つ、蹴る、なぐる、翻弄《ほんろう》する、有らん限りの虐待を加えた後に、乱刀の下に刺し透し、刺し透し、蜂の巣のようにつきくずしてしまったらしい。
 宰領と荷かつぎの二人は、とうとうつかまえそこねたらしい。
 だが、その二人は憎しみの程度が浅い――まあこれで充分の溜飲を下げたというものだ。美少年を中にして、松林の中に引上げた一同――都合八名ある。
 瓢《ふくべ》を取り出して、水か、酒かを呑んで息をつぐ。
 お角の一行は、さながら昔の伊賀の上野の仇討の光景を、目《ま》のあたりに見せられたような気になって、ほとんど息をもつきません。
 その時に、松林の中での美少年が、一同に向ってこう言い渡しているのを聞きました。
「二人の奴を取逃がしたのは、いささか残念のようなものだが、その代り、予期しなかった二人の相撲を加えたから、差引き埋合せがついたとする。これで、我々の恨みも晴れ、面目もつないだようなものだから、諸君は、彼等が加勢の角力共がまた押しかけて来ない先――押しかけて来る勇気もあるまいが、来たところでなにほどのことはないが、道中筋の通行人と、役人たちが来合わせると事が面倒になり易《やす》い、よって諸君はあの屍骸を街道から取片づけて、即刻この場を退散し給え、そうして、なにくわぬ面《かお》をしておいでなさるがよい、あとのところは拙者が一切を引受けます……といって拙者も、彼等とつりかえに腹を切って申しわけをするほどの安売りはしないから御安心なさい、責めは一切拙者が引受けてこの場を立退きます。といえば諸君は、拙者の罪をかぶることを気の毒に思召《おぼしめ》さるるならんも、御承知の通りの拙者は、以前に人を斬って咎《とが》めを受けたことがある、それ故に、どちらにしても拙者はこの岡崎を立退かねばならぬようになっている、だから、君たちの罪を引受けるということが一挙両得になるのです――さあ、それがおわかりなら、諸君、急ぎお引取り下さい、今日のことに限っては、深いおとがめはあるまいと思われる、諸君も、なにくわぬ面《かお》をしておいでになるがよろしい。さらば御用意」
と、かいがいしく少年が立ち上りましたから、一同その意を諒したのか、かねて打合せもあったのか、別段にこだわらずに、少年の提言の通りに事が運んでしまいました。往来にある屍体は、田の中へ叩き込み、そうして、六七名の者は、そのまま散々《ちりぢり》に姿を隠してしまいました。
 少年は、そのあとで、矢立を出して、さらさらと何か紙の表に認《したた》めて、それを取りかたづけた屍体の上に置いて、髪の乱れと、衣紋《えもん》の塵を打払って立つところへ、お角が飛んで来ました。
 お角と、右の少年とが、そこでしばらく囁《ささや》き合っていたようですが、これも格別のこだわりなく、少年はお角に導かれて、松林の中へ入りました。
 そうして、すすめられるままに、しつこい辞退もせずに、お角の乗った駕籠《かご》に乗り込んだのはいいが、つづいて同じ駕籠に、お角があいのりをしてしまったのは、事情はとにかく、駕籠屋が少し面食いましょう。
 だが、お角は女のことであるし、少年は小柄のことであるし、両人合わせたからとて、その目方は到底一人の力士を乗せたほどのことはあるまい……
 そこで一行の駕籠が、朝まだきの活劇を一幕残して、東海道の並木の嵐を合方《あいかた》に、大はまの立場《たてば》も素通りをしてしまいました。

         五十一

 そんなことで、この一行は、その晩は鳴海《なるみ》へ泊ることになりました。
 強行すれば、宮か名古屋へは着けないではなかったが、万事この方が余裕があってよいと思ったのです。それに、鳴海、有松絞りといったようなところと、品が、女だけに、この一行を引きつけたのかも知れません。
 宿へ着いて――お角は、例の美少年を上座に招じて、委細の物語を聞きはじめました。
 その語るところによると、岡崎藩でも武術の家に生れ、去年のこと、朋輩《ほうばい》と口論の末、果し合い同然のことをやり出し、相手を傷つけて死に至らしめたが、表面は穏便《おんびん》につくろっておいてもらったけれど、今後の場合、かりにも刀を抜くような振舞がある時は容赦せぬ、との厳しい父の言いつけを蒙《こうむ》っていたこと。
 しかし、天性、利発で、侠気があって、腕が優れているというところが、どこまでも祟《たた》るらしい。
 今度も、昨日の名古屋者のために、かりにも自分の藩中の者が、大恥辱を曝《さら》して帰ったということを聞き、それが自分の友人関係でもあり、一藩の恥辱にもなるという義憤が燃え、そうして、自分が指揮者の地位に立って、ついに今朝の事件を決行してしまったということ――それをかなり爽《さわ》やかな弁舌で説き出しましたから、お角が全く感心してしまいました。
 実は、自分も昨日、赤坂を越えて藤川河原の相撲場の喧嘩は、一から十まで見ていましたが、あなた方としては、已《や》むに已まれぬものがお有りになったろうと御推察申します。
 お角は、この人たちの復讐心を是認したくなって、この少年の義気と、勇気とに、ほんとに舌を捲かせられました。
 だが、苦労人のお角としてみると、その隙間《すきま》のあんまり無さ過ぎるところに、なんだか大きな隙間があるように見えてならぬ。今の年で、これほど隙間のない若い人が、このまま出世したらどんなにエラくおなりだろう。出世しないとしたら、どんなに抜けて行くだろう。お角はそれを考えざるを得ませんでした。それを考えた時に、思わずこの少年の将来のために、祝福ばかりはしていられないように感じました。
 子供のうちは鷹揚《おうよう》なのがよい。少しは馬鹿といわれるくらいでも、間の抜けたところのある方が、あんまり隙間のないのより望みがあるものだ。子供の時に、あんまりきちょきちょ[#「きちょきちょ」に傍点]したのはいけない――というような先入的の頭を以てこの少年を見直すと、隙間のないところに、真黒い影が漂っているではないかとさえ思わしめられます。
 全く、そうです。男がよくて、腕が立って、気が利《き》いて、年が若い――と来ている。白井権八がそれではないか。それよりも、もっと手近に、もっと大物、あの日本左衛門というのが、たしかこの附近から出ていたはず――聞くに、日本左衛門という男の出発点も、この少年に似通《にかよ》ったところから、その長所がすべて、悪用されて、あたら有為の大材になるべきものが、あんなことで終ってしまったものではないか。
 お角は、ついこんなことまで気が廻ったものですから、改めて、応対話にかこつけて、意見のようなことを言いました。
 将来を大切になさること、御修行中は、もう決して腕立てはなさらぬこと、頼まれても引受けぬようになさるべきこと――つまり、すべての所行というものを封じて、当分、勉強なさって、御帰参の時を待つか、そうでなければ大都会で、もう一修行なさることを望みます、というようなことを言って聞かせました。少年にはこの言葉がわかるらしい、決してこの教訓を、内心で舌を吐いて聞いているのではないらしい。
 やがて、今後の身の振り方というようなことになって行くと、今朝の出来事は、藩の諒解を得てやったことではないにきまっているが、その事の結果は、藩の面目のために戦ったことにもなるから、藩の方でも、他の罪人を追究するように厳しいことはすまい、まあ、当分、足を抜いていさえすれば、おのずからほとぼりも冷めて、相当期間の後には、無事、帰参のできるようになるにきまっている。それまでの間、知人もあるから当分、名古屋へでも行ってみようというようなことを、極めて軽く取扱っているから、お角が、そこでも、少し考えて、くさび[#「くさび」に傍点]を打ってみました。
 なるほど、それはそのように、わたしたちにも思われますが、なお思い過ごしをしてみますと、一藩だけの間の出来事ならばともかく、相手は他藩、ことに御三家の一なる名古屋藩の城下の者――たとえ士分の者でないとはいえ、相手は御三家のお膝元の者、ことに二人は仕留めたが、二人は逃がしてしまっているから、先方の証人に不足はない、正式に藩から藩へのかけ合いでもあった日には、そう、あなたのお考えになるほど、事は単純に参りますまい。
 ことに、あなたが、これから名古屋でお住まいになるとすれば、敵の中で暮らしているようなもので、油断はできないと思います。
 こんな注意をお角から受けると、なるほど、そう言われると、それはそうかも知れぬ、自分がこれから名古屋城下に落着こうという考えは、少々軽率であったかも知れない、では、改めてどうしよう――さすが利発な少年が、少々迷いはじめて来たようです。
 そこで、お角は、当分の間、江戸へでも行ってみたいとのお考えならば、適当の隠れ家を御紹介して上げましょう――いっそ、このまま、名古屋をつき抜けて、自分たちと一緒に京大阪から金毘羅《こんぴら》までも……とまでは言わず、いずれその辺は今晩にも、ゆっくり御相談を致しましょう、お疲れでございましょうから……お風呂をお召しになって、お休み下さい。
 こう言って、かなり長い時間の二人の会話は終り、少年を先に風呂へやって、さあ、これからお銀様へ御機嫌うかがい……ということになると、自分はあんまり少年との話に身が入り過ぎ、時間がかかり過ぎたりしたことを気がつきました。それは同時に、今までは下へも置かなかったお銀様を、今日はじめて閑却していたというような形になるのです。
 座敷を隔てたお銀様の間へ伺候《しこう》してみたが、そこに尋ねる人がおりません。身の廻りの物はすべて、そのままにしてありますけれども、御当人がおらず、宿ですすめた茶碗の中の茶もさめきっているのを見ると、お角はなんとなく荒涼たる思いがしないではありません。
 ああ、つい、うっかりお嬢様の御機嫌をそこねたか知らん、この心がかりが、お角ほどの女の胸をヒドク打ちました。
「お嬢様は……」
 誰に聞いてみても知りません。お角はやや甲高《かんだか》い声になって、
「六さん、お前、なんだって、お嬢様におつき申していないんだエ」
 甲州附の従者も叱れないから、自分の従者をドナリつけてみました。
 宿の女中に聞いても知らない――
 お角は、そこで胸を打ちました。
 本来、ちょっとの間、当人の姿が見えないからとて、そんなに胸を騒がせたり、人を叱ったりするほどのことはないのですが、ナゼ、お角ほどの女が、面《かお》の色を変えるほど狼狽《ろうばい》を見せたのか。
「ちぇッ、わたしといったら、自分ながら業が煮えてたまらない、一から十までわかりきっていながら、いい年をして、ついこんな抜かりをしでかすなんて、愛想がつきたものさ、ここを押せばここがハネるくらいのことを、御存じないお角さんじゃないのに、ちぇッ、いやになっちゃあなあ」
 こう言って、お角は、焦《じ》れったがって、お銀様の前で使う、あそばせ言葉とは全く違った地金の棄鉢を見せました。
 だが、その地金の棄鉢も、今日は、周囲に当り方が軟らかいのは、つまり、焦れったがりこそするが、その失策の責めは、誰にあるのでもない、自分にあるのだ、この年甲斐もないお角さんというあばずれが、存外甘いところを見せちゃった、そのむくいだよ――
 お角のように、目から鼻へ抜ける女にとって、お銀様のここにいないということの、心理解剖ができないはずはありません。
 美少年と、無遠慮に駕籠《かご》に相乗りをして来たこと、宿へ着くと早々、お銀様を閑却して、かの美少年と長時間水入らずの会話をつづけたこと、この二つがお銀様の、あんまり曲っていないつむじを、曲らしむるには余りあること。
 それをいまさら気がついたから、お角は、自分の甘ったるさ加減を、噛んで吐き出してやりたいほど腹立たしくなったに相違ありません。

 お銀様が誰にもことわらず、フラリと宿を出てしまったことは事実です。
 それは単に、お角が口惜《くや》しがって、想像したような心持ばかりではないらしい。
 音に聞えた鳴海と聞いて、歌書や、物語で覚えた古《いにし》えの鳴海潟《なるみがた》のあとをたずねてみたくなったのもその一つの理由です。
 鳴海潟のあと、鳴海潟のあとと、たずねて参りましたけれども、誰もそれと教えてくれる人はありません。
 鳴海という字面から、古えの文《ふみ》の教ゆる松風と海の音とを想像して来て見たら、松林もなければ、海もない。
 人にたずねてみると、海はまだまだこれから遠いとのこと。この辺が海であったのは、遠い昔のことで、鳴海は名のみ、今は鳴らずの海だという。多分、あの小さなお寺のあるあたりが、昔の鳴海潟であったでござんしょう、だが、それは千年も昔のこと――と言われるままに、お銀様は、とあるところの小さな庵寺にまでさまよい至りました。
 手のつけようもなく荒れ果てた庵寺。お銀様は堂をめぐってその額などをながめて見ました。
 古雅な土佐風の絵に、古歌をかいたのがゆかしい。
 読みにくいのを、お銀様は注意して読んでみる。
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あはれなり
いかになるみの里なれば
又あこがれて浦つたふらむ
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と読まれるのもある。
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甲斐なきは
なほ人知れず逢ふことの
はるかなるみの怨《うら》みなりけり
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としるされたのもある。
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昔にも
ならぬなるみの里に来て
都恋しき旅寝をぞする
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とうたわれたのもある。
 よみ人の名の記されているのもある、いないのもあるけれども、いずれも古えの名家の歌であることは疑うべくもない。
 少しむずかしいのには、
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幾人東至又西還(幾人か東に至りまた西に還るや)
潮満沙頭行路難(潮沙頭に満ちて行路難し)
会得截流那一句(流れを截《た》つの那《か》の一句を会得《えとく》せば)
何妨抹過海門関(何ぞ妨げん海門の関を抹過するを)
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と読まれるのもある。
 どれもこれも、時間の永遠にして、人生のはかないなげき、いかになる身の果ての詠歌でないものは無いらしい――と思われる。
 古《いにし》えの人はここに来て、須磨や、明石や、和歌の浦の明媚《めいび》をうたわないで、いかになる身にかけて来る。鳴海の字訓そのものが、歌人の詠嘆を迎えるようになっているかも知れないが――鳴海そのものにも、眇《びょう》たる人生のはかなさを教えるものがあるに相違ない。
 お銀様はどうかして古えの鳴海の海を見たいと思いました。鳴海潟に啼《な》くという千鳥の声を、飽かず聞いて帰らないではおられない心持になって、それで、いずくともなく鳴海を求めて歩き出しているのです。

         五十二

 この際、名古屋にいた宇治山田の米友は、まっしぐらに宮の七里の渡し場めがけて走っている。
 名古屋を後ろにして、やや東へ向いて走るのです。
 その眼の中には焦燥はあるが、それは軽井沢の時に、主人を見失った責任感から峠を走《は》せ下った時の呼吸とは違います。
 波止場に立った米友は、ちょうど、いま立ったばかりの七里の渡し舟をめがけて、
「おーい、よっちゃんよう」
 俊寛もどきに舟を呼ぶ。呼べば答えるの距離は充分にある。
「友さんかい」
 船ばたに現われた女人の一隊。その中でも一人が領巾《ひれ》をふる。
「よっちゃん――一足で後《おく》れっちゃったよ」
 米友が叫ぶ。舟の中の女、
「ほんとに惜しいことをしたねえ、米友さん、もしかしてお前の姿が見えるかと、どんなに待っていたか知れなかったのよ」
「そうだろうと思って、一生懸命にかけて来たんだが、どうも、地の理がよくわからねえもんだからな」
「ほんとに残念だけれど、さよなら」
「さよなら」
「友さん――」
「おーい」
「お前、帰りには、きっとお寄りね、四日市で待っているからね。昨日話したろう、あの通り言って四日市をたずねて下さいね、待っているから、きっとよ」
「うーむ」
「嘘ついちゃいやよ」
「うーむ」
「そうして、それから二人で、間《あい》の山《やま》へ行ってみましょうよ、昔の人に逢ってやったら、さぞ驚くでしょう」
「うーむ」
「先生様にお願い申して、きっとお寄りよ」
「うーむ」
「帰りでいけなければ、お前、行きにお寄りな――ほんとうは、こっちから京大阪へ出る方が順なのよ」
「うーむ」
「じゃあ、きっとね、帰りにね」
 こう言っている間に、舟は、隔たって行く。米友は、どう足ずりしても甲斐のないことを知る。
 このところ、佐用姫と俊寛の生き別れ――波止場に棒の如く突立っている米友は、またまた死んだ者と、生きた者との区別がわからなくなってしまった。今の現在と、空想との境がわからなくなってしまった。
 あの船で、あの女の子たちと共に久しぶりで帰って来た故郷の拝田村――お君が待ち兼ねている――
「友さん、どうしたの、わたしはこうして、さっきから待っているのに、それにどうしてお前、そんなに来るのが遅いの、なぜ前の船で来てくれなかったの、ごらんよ、この家を、お前の家を。二人が逃げ出した時のまま、そっくりじゃないの」
「おお、拝田村のおらが住居《すまい》よ」
「庭には鶏頭《けいとう》がある――ざくろがある、黍畑《きびばたけ》がある、鶏が遊んでいる、おお、おお、鼬《いたち》が出やがった、そら」
 上《あが》り框《がまち》、鉄瓶、自在鍵――
「あの晩、わたしが、備前屋さんで、盗みの疑いを受けて、お前のところへ逃げて来たろう。そら、あの時のまま、そっくりじゃないの――」
「ああ、ムクがいない――ムクは、どうしたやい」
「まあ、友さん、あれから二人が夢中で山の方へ逃げましたね。あれっきり、この家へは帰らないでしょう。それだのに、お前、格別荒れもしないで、昔のままじゃないの。お上りよ、そんなに怖がることはないわ、もう今じゃ、土地の人、誰だって、わたしたちを疑ぐるようなものはありゃしない、みんな、むじつの罪だということがわかっているのよ」
「でも、ムクがいないね」
「どうしたろう、あの犬は、殺されちまやしないかね。友さん、お前、来るぐらいなら、どうしてムクをつれて来なかったの――」
「まあ、いいからお上りな、ムクのことは、あとで、ゆっくり探すとしましょうよ」
「どうしたの、友さん、そんなに棒のように黙って突立っていてさ」
「わたしじゃない、わたしをお前忘れてしまったの?」
「え、それじゃお前、まだあのことを根に持っているの?」
「わたしが、駒井の殿様のお情けを受けたのを、お前はまだ憎んでいるの、もう、いいじゃないの、もう、そんなことはお前、忘れてしまってくれてもいいじゃないの、おたがいにこうして故郷へ帰ったんじゃないの――ここで二人で、もう、昔の通りに仲よく暮らしましょうよ」
 米友さん、
 どうしたの?
 どうしたというのさ、
 黙って突立っていて……
 怖いわよ――
 まあ――
「おっと、あぶない、若衆《わかいしゅ》――」
 後ろに船頭があって、留めることがなければ、米友はその時、波止場から海へ身を投げてしまっていたでしょう。身を投げるのではない、海へ落ちこんでしまったでしょう。そうして、この海をかち[#「かち」に傍点]渡りするか、泳いでか、とにかく、いま出た船を追いかけて乗るつもりであったでしょう。幸いに後ろに船頭があって、もうちょっとというところで、米友を抱き留めることができました。
「危ねえ――若衆」
 つかまえた船頭も、この若者が身投げをするとは見なかったでしょうが、まさしく身体《からだ》の中心を失った途端を、見てはいられなかったでしょう。
 危うく溺没を救われた米友は、
「ちぇッ」
 舌打ちをして、踵《きびす》を返すと、あられもない方へ、走り出しました。
「おかしな野郎だなあ」
 船頭が呆気《あっけ》に取られる。身投げをする柄でもないようだし、そうかといって、捨てて置けば海へ落っこちるところを助けてやったお礼も言わず、かえって、「ちぇッ」と舌打ちを一つして、そのまま、あられもない方へ、とっとと走り出した若い者の挙動を見て、呆《あき》れ返らないわけにゆきません。
 そこで、米友は、全くあられもない方へ走り出してしまいました。
 宮から名古屋へ、もと来た道を順に戻ろうというのでもなし。
 その昔、机竜之助が半明半暗の道をたどって、東へ下ったそれ――
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「江戸へ八十六里二十町、京へ三十六里半、鳴海へ二里半」
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と書かれた道標の文字、そんなものも眼中には入らず、ただ、あられもない方へ、横っ飛びに飛んで米友が走りました。
 横っ飛びに飛んでも、到底人間の至りつくすところの道はきまっている。人里が尽くれば原、原が尽くれば山、大きな川か水があって、それが尽くれば、その先はまた地続き、そうして、ついに行きとまるべきところは海――
 日本の国は四方が海だから、米友の足を以てしても、幾日か飛ばし通しに飛ばせば、四海のうちのいずれかへ行き止るにきまっている。
 幸いに、その行止りが存外早いことでありました。
 当人は、どちらへいくら走ったか知らないが、ものの二里とは行くまいと思われる時に、パッタリと、またも一つの海に当面してしまいました。
 海に当面して、右か、左かの思案を、きめねばならぬ境遇に立たせられていることをさとりました。右か、左かの思案をきめる前に、ここはどこの地点? ということを知っておく必要もあるが、それは急にはわからない。

         五十三

 そこで米友は、とある磯馴松《そなれまつ》の根方に来て、大の字なりに寝てしまいました。
 誰か人が居合わせたら、たずねてみようとはしたらしいが、あいにく、見渡す限りのところには、人らしいものの影が見えなかったから、寝ている方がよいと思ったのでしょう。
 杖も、荷物も、抛《ほう》り出して、磯馴松の下で仰向けに大の字に寝そべっていると、松の木の葉の隙間から青空が見えて、白い雲が漂う、つい枕辺では、ざざんざ、ざざんざと波の音がする。
 いい心持でうとうとする、うとうとがかなりの熟睡に落ちる。眼がさめた時は、天地が灰色になっている。
 あ、しまった! 寝過ごした。
 杖を拾い、荷物をかつぎ取って、またも海も背負うて、人里をめざして走り出す。
「ちぇッ、お腹も空《す》いてきた、水を飲みてえな」
 砂丘と草原とを行くと畑がある。その畑にさつま薯《いも》らしいのと、蕪《かぶ》と、大根とが作られてあるのを見る。
 畑の前に立って、米友が暫く前後左右を見廻す――人あらば、請うて物を得ようとするつもりらしいが、あいにく、人がない。暫く佇《たたず》んでいた米友、この男には、鷹は死すとも穂をつまず、といった見識から来ているというわけではないが、一枝半葉といえども、人の物をただ取っては悪いということを知っている。その良心の鋭敏なることは、胃の腑が餓えていても、いなくても変りない。
 だが、餓えと渇きとの非常である際に、必ずしも良心にそむかぬ方法と程度とに於て、胃の腑の窮乏を救ってやるということの融通は、乞食同様の旅をして歩いた経験のうちに、多少会得しているだろうと思われます。
「おーい」
と呼んでみました。
 返事がない。
「おーい、この畑の持主の大将、さつま薯を三本ばかりおいらに恵んでくれねえか、それについでといっちゃあ済まねえが、蕪を一本な――」
 あたりに響くだけの声で呼んでみたが、相変らず返事がない。
「ようし、一番」
 米友は、懐中へむんずと手を入れて引出した巾着《きんちゃく》――それを御丁寧に用意の粗紙につつんで、畑の傍らの小松の上に置き、
「お貰い申しますぞ」
 畑の中に分け入って、やにわに、蔓《つる》をたぐって、さつま薯《いも》の太いのを三本ばかり掘り取り――行きがけの駄賃といっては済まない、水気たっぷりの蕪《かぶ》を一株、根こそぎ引きぬいて、さっと表道へ引上げる。
 それから、松林の間の細い道――土を落して皮をむいて、歩きながらがりがりとかじる、一本のさつま薯。残りの分は、木の枝でからげて腰にブラ下げて歩み行くと、その林の間から思いがけなく人の気配。
 ようやく人間にありついた、見られない先に、こちらから断わろう――畑荒しと見られてもつまらねえ――
 現われ出でた漁師に向ってたずねるよう。
「ここは何というところダエ」
「エ?」
「いったい、ここは何というところなんだね、尾張の名古屋へ出るには、どっちへ行ったらいいんですかね、名古屋へ帰りてえと思うんだが」
「名古屋へ……では、一度鳴海の本宿へお出なさい、その方がようござんすよ」
「鳴海……鳴海潟というんだな、昔から名前だけは聞いてらあ、そうかなあ」
「鳴海の本宿へ出て、それから東海道を真直ぐに行けば名古屋へは間違いっこなし――宮へ出るのもいいが、はじめての人にはわかりにくいから、いっそ、鳴海へ出ておしまいなさいよ」
「そうかね、では、そういうことに致しましょう。鳴海から名古屋までの道のりは知れたもんだろうなあ」
「三里だよ」
「どうも、有難う」

 宇治山田の米友は、やがて教えられた通りの広い街道に出て、それを尋常に歩いて行きました。
 最初は野を、山を、横っ飛びに、飛び歩いたものが、尋常に、傍目《わきめ》もふらずに歩み行くと、かえってまた様子がおかしい。
 果して、傍目もふらず、ぐんぐん歩いて行くうち、ハッと気がついた時に夥《おびただ》しい狼狽《ろうばい》がある。
 天下の往来を歩いて来たのだから、道そのものを踏み誤るはずはないが、立ちどまった時、天下の往来そのものに向って今更らしい、驚異と、迷いとを感じ出した面《かお》の色をごらんなさい。
 言わないことじゃない、実は、東西と南北とを忘れていたのです。
 東西と南北とを忘れたのは、右と左とを取りちがったあやまりであり、近くいえば、鳴海と名古屋とのあやまりであり、それを延長すれば、京と江戸とのあやまりであり、縦に持って行けば、天と地のあやまり。
 ここに至って、米友が、はじめて我に帰りました。鳴海の本宿へ出ろといわれたのだが、本宿はうかと通り越したのか――本街道は本街道だが、東と西がわからない。
 ああ、何か、東西と南北とを示す標準はないか。
 往来の人馬――は動くものだから、標準にならないと思いました。路傍の人家も、特にこの男のために東西を記したのはありません。山川草木も、南北を指しているのはない。道標か、札場は……それも見当らない。
 米友は地団太を踏みました。
 誰かをつかまえて、尋ねてみれば直ぐにわかることだが、この際の米友は、人間というやつをつかまえて教えを乞うには、かなり驕慢《きょうまん》に出来ていました。
「ちぇッ――東西南北がわからねえ」
 こう言って天下の大道に立ったものです。と見ると、左の方に石柱が一本立っている。そうだ、多分あれに、何のなにがし、何里何町と刻んである、ひとつ見てやれ――
 石の柱へちかよって見ると、それは道標でも、里程でもなく、ただ二字、石に刻んだそれが「笠寺《かさでら》」と読まれる。
 笠寺!
 こいつを入って行けば、その笠寺というのへ出るんだな。
 笠寺! 聞いたような名だな。そういえばこの入口が何だかうろ覚えのあるような道だ、一度は通ったことのあるような気がするぞ。
 行ってみろ――
 ははあ、そうだそうだ、その昔、故郷を出奔し、ひとり東海道の道を下って行った時、ここへ入り込んで、この寺の軒の下を一晩お借り申したことがあったっけ。その翌朝、親切な寺番に見つけられ、叱られもせずに、温かい御飯と、温かい味噌汁とを振舞われたことがあったっけ。
 その覚えのある道だ。
 そうだ。だが、今、ようやくその寺の名を思い出すくらいだから、土地の名もさっぱり記憶はしていないが、やっぱり、熱田の宮から程遠からぬところであったとは、うろ覚えに覚えている。
 とにもかくにも、昔なつかしいあのお寺の門前まで行って見てのことだ。
 やがて、さまで大きからぬ古寺の門前。
 たしかにここだ。
 ここに堀があって、そこに門があって、宝塔があって、護摩堂があって、突当りが本堂で、当時、自分が御厄介になったのは、あの地蔵堂の下で、わざわざ朝飯の御馳走をしてくれたのは、護摩堂の後ろの小さな家にいる老夫婦だった。
 ははあ、それではこの寺が「笠寺」といったのか。
 今日この頃も、いろいろ心配はあるが、あの時に比べれば、頼るべき人と、宿るべきところに事を欠かないだけが、せめてものまし[#「まし」に傍点]というものか。しかし、あの時、東をめざして進んで行った憂き旅の間にも、何か希望のようなものが前途にあって、旅は辛《つら》いながらも、何かの力にグングン押されて行くような気がしないでもなかったのに――今、旅路の不安というものが消滅した身でありながら、憂愁の重いこと――米友は、わが身でわが身がわからないといったものです。
 あの、親切な老夫婦でもいたら、昔のお礼を言っておこうか知ら――それとも言わない方がいいか。昔のお礼を述べるからには、自分というものが、多少飾りになるほどな出世をしているとか、心ばかりの土産物でも携えて来ているとかならばいいが、こんな様子で突然、昔を名乗ってみたところで、また一飯にありつきに来たのか、そうそうはいけねえ、もう行っちまえ、なんぞとあしらわれてはたまらない。
 老夫婦はたずねない方がよかろ。だが、御本堂へはひとつ、その昔、一夜の宿をお貸し下すったお礼を述べずばなるまい。
 こんなふうに考えて、本堂の方へと進んで行くと、閑寂な、人影とては一つも見えないと思っていた境内《けいだい》のお堂の後ろから、ひとり、ふらふらと歩いて来る人の姿をみとめました。
 その人は女であって、お高祖頭巾《こそずきん》をかぶっているということも一目でわかるが、お高祖頭巾をかぶっているという婦人は、世間にいくらもあることですから、お高祖頭巾に向って特別注意を払ったのではありません。やはり、心願あっての婦人が、お参りに来たものだろうと、深くは気にもとめず、米友は、本堂の前に手を合わせて、拝礼の真似《まね》事をする。神仏を敬すべしということは、出立の最初に当って、道庵先生から教訓されていることではあるし、その礼拝の曲折も、道中、熟練せしめられている。
 米友が拝礼している間に、お高祖頭巾の婦人は、御本堂のまわりを一廻りして、地蔵堂の方へ行くらしい。
 自然、そのあとを追うように、米友が地蔵堂の以前の自分のねぐら[#「ねぐら」に傍点]をおとずれようとすると、
「もし」
と呼びとめたのはお高祖頭巾の婦人です。
「何ですか」
と米友が円い眼を笠の下から、こちらに向けました。
「あの、海まではまだよほど遠いんでございますか」
「海ですか」
「はい」
「そうさねえ、海はねえ」
 米友が、ちょっと歯切れのいい応答ができないでいると、婦人が、
「鳴海潟というのは、いったい、どちらなのですか」
「え、鳴海ガタですって」
「はい、昔の歌や、詩に有名な鳴海潟は、どちらなんですか」
「鳴海ですか、鳴海は……」
 ここで、また米友が応答に窮してしまいました。
 実は、鳴海という固有名詞であびせかけられたのに、先手を取られてしまった形で、彼はこの時まで、地名ということに、全く白紙でおりました。そこへ、先方から鳴海と聞かれてしまって、自分の書くべき文字が無くなってしまったという形です。
「おかみさん、ここはいったい、何というところですか」
 笑止千万、先方から礼を厚うして、尋ねられた相手に向って、脆《もろ》くもこちらが兜《かぶと》をぬいで、白旗を立てたような有様で、器量の悪いこと夥《おびただ》しい。
「まあ、お前さん、ここの土地の方ではないのですか」
「はあ、見たらわかるでしょう、おいらは旅の者なんだ」
「そうですか、それは失礼いたしました。実は、ここは鳴海の土地と聞いておりますから、昔から有名な鳴海潟を見物しようと思いまして、こうして宿を出て来るには来ましたが、いくら行っても海がないのに、誰に聞いても、鳴海潟を教えてくれないものですから、困りました。このお寺へ行ってごらんなさればわかるかも知れない、と教えてくれる人がありましたが、やっぱりわかりません」
 婦人がこう物語りましたので、米友が元気づきました。自分でさえも、人がましく思うものだから、それで物を尋ねてみたり、また求めざるのに、物を尋ねるその理由を説明してみたりしてくれるのだ。この婦人も、この地に足をとどめた旅人であることに於ては自分と同じことだという感じが率直な米友の心に親しみを持たせました。
「はあ、そうですか――鳴海というのは、おいらもよく歌や、発句《ほっく》で覚えているが、ここがその鳴海というところなんですか」
「この辺がいったいに鳴海のうちですけれども、かんじんの海が少しも見えません」
「なるほど、海がねえなあ」
「あなたは、どちらの方からおいでになりました」
「おいらかね、おいらは宮の渡し場から来たんだが……」
「あ、熱田の宮からおいでになりましたのですか。鳴海の本宿から古鳴海と聞きましたが、その途中に海はありませんでしたか」
「さあ――途中」
 米友がまたも眼を円くしました。たしかにその道程を歩んで来たには相違ないが、途中のことをたずねられると印象がゼロだ。
 だが、ゼロだといえばふいになる、いやしくも眼あきであって、足で歩いて来る間に、途中の風物を見なかったということは申しわけにならない、それも一日一路のことか、或いは漆黒《しっこく》の闇夜ででもあれば見落しということもあるが、曇って七ツ下りではあるが、晴天白日に、地球の全陸地を合わせて三倍したほどの面積を有する海というものを見落したということは、言いわけにならない。
 正直な米友が、またまた擬議狼狽してしまいました。
「海のことは気がつかなかったねえ」
「そうですか。あなたは、どちらまでいらっしゃるの」
「名古屋へ帰《けえ》りてえと思うんだ」
「名古屋へ、では後へお戻りなさるんですね」
「え――」
 ははあ、ここがいわゆる、鳴海のうちとすれば、名古屋へ行くのは後戻り……つまり自分というものは、宮の渡し場から、ふらふら歩きで鳴海へ来てしまったのだ。鳴海で止まったからよかったけれども、このまま方針をかえなければ江戸まで行く……たとえ一里半とはいえ、自分が逆行したことを、はじめてさとらしめられたようです。
 この時、不意に屋根の上に声があって、
「あんた方、海が見たければ、千鳥塚までいらっしゃい、千鳥塚なら、海がよく見えますよ」
 二人が驚いて、言い合わせたように屋根の上に眼を向けると、そこに一人の老人が首を出していました。
 米友は、それを一目見て、ああこれだ、先年自分に温かい御飯と、温かい味噌汁をめぐんでくれた好人はこの爺さんに違いない、と見たけれども、爺さんの方では、そんなこと、とうに忘れてしまっているらしい。
「千鳥塚というのはどこですか」
 女の人がたずね返すと、
「千鳥塚は天王山にありますがねえ、この道をこう行って、こう戻らっしゃると……」
 千鳥塚の案内をかなり細かく親切にしてくれる。
「どうも有難う」
 女の人が礼をいう。
「さあ――」
 米友も、ここを立去らねばならぬ、千鳥塚とやらまで、この女性のお供をする義務は断じてない。
 だが、この際、米友もなんだか、急に立去りたくない気持がする。
 千鳥塚を聞いて、それへ行こうとする婦人も、なんとなく連れが欲しいようだ。
 期せずして二人は、最初からの道連れででもあったように、すれつもつれつ……というのもおかしいが、後になり先になって、この寺の境内を出て行きました。
「お前さん、名古屋の人なの?」
「いいんにゃ、名古屋の人じゃねえ、暫く名古屋へ逗留《とうりゅう》してから、やがて京大阪の方へ行ってみるのだ」
「おや、それじゃやっぱり旅中なのね。わたしたちも明日は名古屋へ行って、暫く泊っているにはいるけれど、京大阪から田宮の方まで行くかも知れません」
「そうですか、じゃ、また途中で出逢《でくわ》すかも知れねえね」
「ええ、途中ばかりじゃない、明日は名古屋で、また逢えるかも知れません」
「旅は道づれ――と言ってな」
 米友がこう言ってバツを合わせました。旅は道づれの意味が、米友にはよく徹底していなかった――が、この場合、やむを得ず、有合せを使用したものらしい。
「ええ、旅は道づれ次第のものですね」
 それを婦人が、気安く、また意義ある取り方をしてくれたので、米友も助かり、
「姉《ねえ》さんも、一人じゃあるめえね、連れがお有んなさるんでしょう」
と、米友も如才なく合わせました。最初にはおかみさんと言い、今は姉さんと言う、この点米友も多少考えたらしいけれども、この姉さんは以前と変らず、
「ええ、幾人も連れはありますけれど、気の合わない時は、連れがあるより、一人の方がようござんすね」
「それもそうだろうが……男と違って女というやつは、めったに一人じゃあ旅ができなかろうから、かわいそうだ」
「そうでもありませんね、気が合わないくらいなら、やっぱり一人がようござんすよ」
「うむ――そうだなあ、一人だと、思うようにどこへでも行けるが、連れがあると、おたがいに世話が焼けたり、焼かれたり……」
 その通り、道庵のお守役には、米友もかなり世話を焼かされているらしい。そこで身につまされたものと見える。
 ところが、この風変りな一人歩きの女の人も、突然逢ったザッカケの男と、会話のやりとりをしているうちに、なんとなく自分も、身につまされてくるらしいものがある。
 気が合うというものか知らん、偶然の会話が、二人を結んで行くようです。
 こうして、摺《す》れつもつれつ、寺の門を出てしまったが、まだ米友も離れるとは言わず、女の人も、なるべく引きつけておきたいような気分で、話の糸を絶やさないようにつとめているとも見られます。
「姉さん、お前は、どこからおいでなさったのだエ」
 米友がこう言いますと、女は、
「わたしは江戸から来ました」
「江戸ですか。おいらも江戸から来たには来たが、東海道を来なかった」
「甲州街道?」
「ううん、木曾街道だ」
「そうですか」
「姉さん、江戸はどこだエ」
 こう聞かれて、女の人が、ちょっと返答にたじろいだようでしたが、
「江戸は本所です」
「本所……」
 ここで米友が、ちょっと眼を円くしました。
 本所というところには、米友としてはかなり多くの思い出を持っている。
 向う両国も本所だし、鐘撞堂新道《かねつきどうしんみち》も本所だし、老女の家も本所であるし、弥勒寺長屋《みろくじながや》も本所のうちであったはず。
「本所」と聞いて、米友が思わず苦い面《かお》をしました。
 しかし、この男は、これより以上に詮索《せんさく》がましい聞き方をする男ではありません。
 女の人の方は、また、本所と言ったそのことが、急場の間に合わせ言葉かも知れない。そこで、おたがいの戸籍しらべは、それより進行しませんでした。
 こうして、本街道筋に出た二人は、ついにここで袂《たもと》を別たねばなりません。
「兄さん、お前さん、もし急ぎでなければ、千鳥塚を見て行かない?」
と、女の人の方から誘いをかけられて、
「そうさなあ」
 米友としては、歯切れの悪い生返事でしたが、少しも拒絶の意味には響いていない。
「急ぎでなければ、一緒においでなさいな」
「今晩は泊るかも知れねえと、先生の前へことわって来たには来たけれど」
「そんなら一緒に行って下さい、そうして都合によれば、わたしの宿へ今晩はお泊りなさいな」
「どうしようかなあ」
「一緒においでなさい、ね、千鳥塚はずいぶん淋しいところだと思うから、わたし一人で行くよりは、連れがあった方がいい」
「じゃあ、行ってみるとしようかな」
「そうなさいよ」
「うむ」
 米友は、脆《もろ》くもこの女の誘惑にひっかかってしまいました。
 常の米友ならば、一たまりもなく拒絶して、自分は名古屋に残して置いた主人のための責任感に向って一直線に動くはずであったのに、今日は存外歯ざわりが柔らかい。
 かくて二人は相前後して、路を裏に取り、教えられた通り、天王山の千鳥塚をさして行くべく、田疇《でんちゅう》の間の並木の中に身を隠してしまいました。

         五十四

 かくて二人が千鳥塚に着いた時分には、夕暮の色が、いよいよ濃くなっておりました。
 ここへ登って見ると、はじめて海が見える。この女の人が、絶えずあこがれているらしい海が、遥かに布を張ったようにほの白く見えました。
「ごらんなさい、ここへ来てはじめて、昔の鳴海潟の趣がわかりました。昔の歌によまれた時分は、海がもっと近かったのでしょう、だんだん、時代がたつにつれて、海が陸になり、陸が田になったのに違いありません。昔の人はあの波打際を歩いたのです、そうして海を見ながら、人の世の旅路のあわれを、つくづくと思いやったものに違いありません。いかに鳴海の潮干潟……ほんとに、この海が、どのくらい、古代の旅人を悩ませたかわからない」
と女の人が言いました。
「そうだろうなあ」
と米友が極めて無器用に合わせました。これが弁信ならば、右の女人の感懐に答えるのに、更に幾倍の感傷と、饒舌《じょうぜつ》とを以てしたでしょうが、米友には、その持合せがないから、勢い、その分をまで、女の人が受持たねばならなくなる道理です。
「古代の人は、海道に近く旅路を急ぎながら、海の波に足を洗わせながら、この涯《かぎ》りなく広い海をながめて通ったものでしょう。そこでたまらなく旅路の哀れというものを感じたのでしょう。赤壁《せきへき》の賦《ふ》というのにありますね、渺《びょう》たる蒼海の一粟《いちぞく》、わが生の須臾《しゅゆ》なるを悲しみ……という気持が、どんな人だって海を見た時に起さずにはいられないでしょう。まして、こんな物哀しい夕暮なんぞに、啼《な》きわたる千鳥の音でも聞きながら、海を見ると泣けるのも無理はないと思います」
「うむ……そうだろうなあ」
「それは、わたしが山国にばっかり育っていたせいではありますまい、誰でもその通り、海を見ると悲しくなるのです。哀れなりなにと鳴海の果てなれば……という歌もあの笠寺の額に書いてありました。いかに鳴海の潮干潟、傾く月に道見えて……と太平記にもありますね。ほんとうに高貴な地位にいた人が、囚《とら》われの身になって、今日か明日かの命の瀬戸に、この海辺の旅路を通る心持――それが思いやられずにはおられません」
「うむ……」
「兄さん、お前さん、旅をして歩いて、悲しいと思ったことはない?」
「あるよ、それはあるよ」
「悲しいと思った次に、ツマらないと考えたことはない?」
「そんなことも、あるにはあるようだ」
「ツマらないと思った次に、死んでしまいたいと思ったことはない?」
「さあ――おいらにゃあ、死んでるのか、生きてるのか、わからねえことがあるよ」
「そうですね、わたしたちだって、ほんとうに生きているのがいいのか、死んだ方がいいのかわからないことが、不断にありますよ」
「人は死んでも、魂というものが生きてるからなあ」
 ここで米友は、道庵ゆずりの霊魂不滅説を持ち出したのはまじめです。
 女の人は、それには答えずに、さきへ立って無言に、塚の細道を下りにかかりました。
 米友もまた、憮然《ぶぜん》としてそれに従う。

         五十五

 こうして米友は、不思議な女の人に誘われて、とうとう、鳴海本宿の、その宿屋まで伴われて来ました。
 どのみち、明日は名古屋へ着くべき間柄だから、誘わるるままに米友も、今日は一泊という気になったのでしょう。
 大和屋というのへ着いた時は、もう夕暮を過ぎて、夜の領分に入っていました。
 この女の人が、宿へ着いたと見た時、宿の人の騒ぎは大きい。
「二十番のお客様がお帰りになった」
「お嬢様がお見えになりました」
といって、上を下へと騒ぐのを尻目にかけて、鷹揚《おうよう》に座敷へ上り、
「連れの方が出来ましたから、お洗足《すすぎ》を上げてください。お洗足がすんだら、わたしの部屋へ御案内をしてください」
 その途端に、出逢がしらに、飛んで出たのは女軽業の親方お角でした。
「まあ、お嬢様、あんまりじゃありませんか、どのくらい心配したかわかりませんよ」
「それはお気の毒でしたね」
 お気の毒を、よそ事のように言って、女の人が歩み出すと、お角は、むしろ呆気《あっけ》に取られたようで、
「それでもまあ、お帰り下すって安心を致しました」
 お角さんの気象では、なぐりつけてやりたいほどのところでしょう。それを虫を殺して、なだめにかかる言葉の様子は、全く泣く子と地頭には勝たれないといったような表情でした。本来、そうまで下手に出るはずはなかろうに、先天的に、お角さんほどの女が、この人にだけは一目も二目も引け目を感ずるらしい。女の人はお角に命令するように言いました、
「あの、道でお連れのを一人見つけて来ましたから、今晩はわたしの座敷に泊めて上げるようにして下さい」
「あ、そうでございましたか、承知いたしました。さあ、お嬢様のお連れの方を、こちらへ御案内申しな」
といって、お角が女中に指図をし、自分もまた、この我儘《わがまま》な御主人(?)の引きつれた客人に粗相があってはならないという気持で、米友が草鞋《わらじ》を解いている上り口のところまで進んで来て、
「お疲れでございましたろう、さあ、どうぞ……」
ともてなしました。
 草鞋を解き終った米友――女中が汲んでくれた盥《たらい》へ両足を突っこんで、そこではじめて笠を取りました。草鞋を解くよりも、笠を取る方を先にすべきなのに、この男は少しその手順を取違えたと見える。
 笠を取って、なにげなく振向いた珍客の姿を、吊行燈《つりあんどん》の光で一目見たお角が、
「あっ!」
といって仰天してから、急にけたたましい声で、
「お前、友公じゃないか」
「え!」
 米友もギョッとして、振返って見ると、立って自分を見下ろしている女――
「あ! 親方!」
 米友が舌を捲きました。
「ばかにしてるよ、お前は友じゃないか、米友じゃないか、友しゅう[#「友しゅう」に傍点]だよ」
 お角は、続けざまに、けたたましく叫びました。それは、腫物《はれもの》にさわるようにしていた、さいぜんの御主人様の引きつれた大切のお客様の一人とばかり思っていたのに、それが百も承知の意外な代物《しろもの》でしたから、驚愕と軽蔑が一度に噴出し、今までジリジリさせられていた癇癪《かんしゃく》が、この物体に触れて一時に爆発したもののようです。
「やあ!」
 米友は、洗足《すすぎ》を忘れて、あっけに取られっぱなしです。
「まあ、どうしたんだい、お前」
 お角は、いよいよ、すさまじい軽蔑の語気でいう。
「どうも御無沙汰をしちゃいましたね、親方」
 米友が神妙に詫《わ》びる。
「なんだって、こんなところに、お前、うろついてるんだい、旅に出るなら出るように、あらかじめ、わたしんところへ渡りをつければいいじゃないか、お嬢様に取入って、わたしに出し投げを食わせるなんて、たち[#「たち」に傍点]が悪いよ」
「そういうわけじゃねえんだ、途中でなあ、つい、話合いになっちまったんだよ」
「まあ、いいから早く足をお洗い、友なら友のように、はじめっからそう言ってくれれば、こんなにあわてやしないよ」
 見ていた宿の者が、お嬢様という人に対するのと、この従者に対するのとで、お角さんという人の言葉の当りさわりが、こうも違うものかと驚きました。
 お嬢様がいなくなったというので、今まで、騒がせられたのは容易なものでない。それほど騒がせておいて、帰ってみれば一言の申しわけもなく、打通る大風にも驚かせられましたが、あれほど焦《じ》れて、ポンポン啖呵《たんか》をきっていた親方の女が、当人が現われてみると小言一つ言わず、腫物《はれもの》にでもさわるように御機嫌を取るのを見て、かえって歯痒《はがゆ》いくらいに思いましたが、今度はその従者に対する言語挙動が、まるで奴隷に対するような扱いであり、軽蔑と、叱咤《しった》とを以て、待遇するのに、このグロテスクな従者に、一言のないことにも驚かされました。
 これは一つは、前ので抑えていた癇癪が、次の相手に向って、加速度に浴びせられたと見れば見られないこともないが、この従者としての小男が、そのお嬢様という人からは、かなり鄭重に扱われているにかかわらず、そのお嬢様に恐れ入っているこの伝法な女に対しては、頭が上らない様子でいることが、不思議でなりません。
 そうして、おのずから、そこに蛇と、なめくじ[#「なめくじ」に傍点]と、蛙のような気分を見て取らないわけにはゆきませんでした。
 そんなような一種変テコな気分の下に、米友は足を洗いおわって、座敷に通らせられました。

         五十六

 白骨を立とうと思い定めたお雪は、その翌日の朝から机に向って、例の弁信へ宛てて書く手紙の文章に、
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「弁信さん――
近いうちに、わたしたちは白骨を立ちます。
ここも悪いところではありませんけれど、とかくこのごろは人の出入りが多くて、なんとなしに不安を感じますから、あんまり冬の厳しくならない以前に、ひとまずここを立ちのいた方がよかろうと思います。これは誰にもすすめられたのじゃありません、わたしが思い立って、わたしが、ひとりできめてしまったのです。
これでも、わたし、思い立てば、きっと、それを実行に現わしてお目にかける自信は持っておりますのよ。
では、ここを立って、どこへ行くとおっしゃりますか。
松本の方へ出るのが順でございますけれど、それでは帰り道になってしまいます。わたしは、家へ帰るためにこの白骨を出ようとするのではございません。
とりあえず、ここからは、程遠からぬ、そして山と山の間道を行けば、道もそんなに険しくはないところを通って、飛騨《ひだ》の国の平湯というのへ、ひとまず落着いてみようと思います。
けれども、平湯は――同じ山里ではあるけれど、ここと違って、平地になって人家も多いし、人の出入りも一層はげしいと思いますから、そこにも落着いてはおられないだろうと思います――
それでは、どちらへ行きますか。山をなお奥へ入って行きますと、白川の郷というところがあるそうです。
そこは何人にも秘められた理想の里で、古《いにし》えの武陵桃源といった、おだやかな夢が、まだ浮世の人によって、破られてはいないそうです。わたしたちは、そこへ行って、ほんとうの落着いた気分になって、浮世の人と、事とを、暫くの間でも全く忘れてしまいたいと思うのです。
わたしたちといううちにも、久助さんなんぞに言えば、きっと反対するにきまっています。そのくらいなら故郷へ帰りましょう、その方が……なんぞと言うにきまっていますから、わたしは、先生だけを誘いました。
あの方と二人だけで、その白川郷へ行くことにきめてしまいました。
え、それでは駈落《かけおち》だとおっしゃるのですか。そうかも知れませんね、でも……
あの方が、いけないとおっしゃるものですか。第一、あの方は、わたしがいなければ生きて行けないじゃありませんか。
誰があの不自由な方を、世話をして上げるものですか。
わたしというもの無しには、あの人はここを出ることはできません。なにもかも、わたし次第です。
ええ、弁信さん、何とお言いです。雪ちゃん、お前もまた、あの人が無しには生きて行かれないのじゃない……ここを出る時から、もうそうなっているのじゃない?
弁信さん――
あなたまでが、そんなことを言ってはいけません。
それはもう、今となっては何とお取り下さってもかまいません。駈落といわれても、心中といわれても、今はもうわたしは驚かなくなりました。白川へ行ってしまえば別天地ですから、多分、天地がわたしたちにだけ出来ているようになってくると思います。
そこで、武陵桃源の夢のように、一生を過ごせてしまうなら、一生でもかまわないと思います。
世間|体《てい》や義理なんぞ……
自身のからだの変化や、人様のおもわくや、出る人や、来る人に、いちいち気をおくような無用な心配は、一切なくなってしまうじゃありませんか。
きっと、そういうところで、わたしたちは、いつまでも若い血色で、そうして、自分ながら数えきれないほどの長生きをするのじゃないかと思います……
長生きすれば恥多しというのは、世間体があるからなのです。恥というものは、よく考えてみると、取るに足りないほどのことを、ただ世間体のおもわくだけで、小さくなっていることじゃありますまいか。
自分は自分だけの信ずるところで、生きて行けさえすれば、何をして悪い、何をして恥だということがありましょうか。
よく考えてみますと、わたしたちは、自分たちが弱いから、信念が無いから、それで世間というもののために圧迫されて、この白骨の谷まで押しつめられてしまったのじゃありますまいか。
いつか、申し上げた、イヤなおばさんから、わたしはイヤなことを言われて、もう世間へ面向《かおむ》けができないほどに、イヤな思いをさせられました。一時はどうしてやろうかと思いました。こんな山深いところにいてさえ、自分の身の置きどころの無いことを考えて、出る人、来る人に気兼ねをして、温泉に来ていながら、この肌を誰にも見られまいと苦心するなんぞ、なんという愚かなことでございましょう。
それが、白川村の話を聞いているうち、そうして、いよいよ、その白川郷まで入ってしまおうと決心した時、そんな気兼ねや、羞恥《しゅうち》が、一切合財サラリと取払われてしまいましたようです。
国へ帰って、もと通りの生活をし、やがて世間並みの女としての、きまった生活を予想すればこそ、いろいろの煩悶《はんもん》もありました。
白川入りをすれば、その点は、全く解放されてしまいます……
弁信さん――
勝手なことや、夢のようないいことばかり言っておられません。イヤなことも書かなければならないのです。
白川郷のもっと奥か、その途中か知れませんけれど、そこには畜生谷というところがあるそうです。
そこにも、幾人かの人間が住んでいるのだそうです。
そうして、そこにも、やはり平家の落武者の伝説が残っているのでございます。そうだとすれば、由緒正しい高貴の人の胤《ちすじ》も残っていないというはずはありますまい。それだのに、ナゼ人が畜生谷なんて、いやな名をつけるのでしょう……
それとなく、たずねてみますと、その谷では、親子、兄弟、姉妹の別が無いのだそうです。全く忌《いま》わしいことではありますけれど、最初のその谷へ落ちて隠れた人たちが、二人であったか、三人であったか、極めて少数の人でありましたでしょう。それが時を経て谷にひろがるまでには、どうしても近親の間で結婚ということが行われて、それが習いとなって、その部落の間だけでは、あやしまれないことになっていなければならないかも知れません。
自然――畜生谷――なんだか、たまらないいやな感じも致します。
人の噂《うわさ》ですから、よくわかりませんけれど、そこでは他人と親族との区別が、ほとんど無いそうです。肉親の兄弟、姉妹が、自分にその夫と妻とを選ぶことができるのだそうです。妻や娘を貸し借りすることはなんでもないことだそうです。ですから、土地の子供も、自分の父というものがわからないから、父の年頃の者をすべて父と呼ぶならわしになっており、親から見ると、子というものがわからないから、子の年頃の者はすべて子と呼んでいるのだそうです。それで、お母さんだけは自分の子がわかるわけですから、親子の本当の愛は、母というものだけにあるのではないでしょうか。そこで、母の権力が、父の権力より大きくなってくるのも自然でございましょう。

弁信さん――
諸国の人の集まる温泉などに来ていると、どうも、わたしたちの頭では想像に苦しむほどの異った風俗を、聞きもし、見もすることが多くございます。
……こんなことを書くのは、書いているうちにも、筆がけがれるように感じますから、それはよしましょう。
わたしたちは、白川の武陵桃源に向って分け上って行くのです。決して、畜生谷へ向って駈落をするのではございません。
え、え、それでも、もし、白川へ行くつもりで、その畜生谷へ落ち込んだらどうなさる。
道案内を知らない、あなた方が、見えない眼で、向う見ずの心に導かれて、どうしても、まっすぐに白川へ行けないで、あやまって畜生谷へ落ちこまないことを誰が保証しますか?
それは、やっぱり弁信さんの取越し苦労ですよ。行こうと思えば、同じ人間の住んでいるところですもの、行けないということがありますものか。
もしや、畜生谷に迷い込んだところで……それはたとえですよ、それはたとえですけれども、迷って畜生谷へ落ちても、そこの人たちは決して、人食い人種ではありますまい。かえって人情には極めて親切な人たちばかりだと聞きましたから、わたしたちを導いて、また元の道へ送り帰らせて下さるに違いありません。
畜生谷と言いましても、地獄ではございません。鬼が棲んでいるのでもございません。話だけに聞けば、わたしたちが身ぶるいするほどのいやな風儀の谷であっても、そこの人情には変りがないばかりか、世間の人情よりも一層濃いものがあって、どうかして間違って、そこへ一晩でも泊った人は、帰ることを忘れるほどの、もてなしを受けるのだそうです。
その昔から、悪いと知らないで現われて来た乱婚の風儀を別にしては、畜生谷は、白川と同じことに、土地も、人情も、美しいところだと聞いていますから、御安心ください。
思い立ったのが吉日ということもありますから、わたしは、これから大急ぎで身のまわりのとりまとめにかかります。
この次の手紙は、平湯で書いて上げるか、白川で書くことになるか、そうでなければ畜生谷――決して、そんなことはありませんけれども、もしや、道を踏み迷った時は――
弁信さん――
あなたに向って、助けを呼びますから、そのつもりで始終、勘を働かせていて下さいましな」
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         五十七

 名古屋へ来て以来、道庵先生の持て方が非常に過ぎていましたから、そうでなくてさえ、いい気持の道庵を、全く有頂天《うちょうてん》にさせてしまいました。
 破格中の突飛なるもの――名古屋城天守閣の登臨を特許されたことは別問題として、あちらでも、こちらでも、在名古屋一流の名士、風流者、貧乏人といったようなものが、道庵を招請するの会の絶え間がない。
 今夕しも、尚歯会《しょうしかい》が発起で、道庵先生を主賓として、長栄寺に詩歌連俳の会を催すことを企て、その旨、先生に伺いを立てると、一も二もなく臨席を承諾してしまったものです。天守閣登臨の特許の筆法によれば、今夜の尚歯会の席には、也有、集木軒、息集軒、明星庵、無孔笛、幸山、君山、千秋庵、白雲房あたりの名星が、轡《くつわ》を並べて出席しないとも限りません。
 そうして、名古屋に於けるあらゆる名物という名物を、この機会に於て、残らず道庵先生に見せてしまわねば納まらないとの期待かも知れません。
 道庵がかくまで名古屋人士の人気を取ったという一つの理由は、無論木曾川で、ここの藩中の重役の命を取返したという余徳がさせることであるが、他の半面には、この医卜《いぼく》に隠れたる英雄(?)は、まず自分が何故に、わざわざこの金鯱城下に駕《が》を枉《ま》げたかという理由を説明して、それは郷国の先輩、弥次郎兵衛、喜多八が東海道膝栗毛という金看板をかかげながら、東海道の要《かなめ》を押えるところの尾張の名古屋を閑却しているということに、ヒドイ義憤を感じていること、宮簀姫《みやすひめ》を出し、頼朝を出し、信長を出し、秀吉を出し、金の鯱《しゃちほこ》を出し、宮重大根を出し、手前味噌を出しているところの尾張の名古屋の城下を踏まずして、東海道膝栗毛もすさまじいやという義憤が、わざわざ道庵先生をして、金鯱城下に駕を枉げしめ、先輩、弥次郎兵衛、喜多八の足らざるを補うという神妙なる親切気が、名古屋城下の人を歓喜せしめたのみではありますまい。
 名古屋に入るとまず、金の鯱なんぞには目もくれず、一直線に尾張中村まで来てしまって、そこで、豊太閤の供養を営んで、徳川幕府の忌諱《きき》に触れることを、意としないという大胆なる勇猛心が、心ある人をしてなるほどと感心せしめたのもその一つでしょう。
 それから、見るもの聞くものに対する軽率なる判断と罵倒《ばとう》――学者のことをいえば学者、医家のことをいえば医家、餅屋のことをいえば餅屋――酒屋のことをお手前物のように、踊りのことも、浄瑠璃《じょうるり》のことも、大根から味噌のことまで一騎に引受けて、苦もなく、こなすものだから、その博識は測るべからず、その大通は粋を窮《きわ》め、博識と大通のあまり、人を茶に浮かして興がることに生きている一代の逸民。
 つまり、こんなふうに、わが道庵先生を買いかぶってしまったればこそ、この江戸舶来の珍客に、名古屋の粋を味わわせて、歯に衣《きぬ》着せぬ批評を承っておくことは、名古屋人士にとって、後学の機会である。
 こういう人の罵倒は、罵倒せられた方も恥ではなし、また、こういう人に賞《ほ》められたのこそ、本当の粋中の粋なるものだ――というように買いかぶってしまったものです。
 そこで、次から次と、道庵滞名中の時間を繰合わせて、例のお数寄屋坊主を進行係に立てて、道庵先生の閲覧を仰ぐべきプログラムが編成されたものです。
 そのプログラムを逐一《ちくいち》、ここに掲げるのは煩《わずら》わしいことだが――情けないことには、道庵先生が、ことごとくいい気になってしまって、大のみこみで、よしよし、いちいち点検して遣《つか》わそう、残らず拝見して参りますよと、引受けてしまったことです。
 そこで、プログラムの編成者や、各催しの主催者側は恐悦しましたけれど、いったい、事実上、それを道庵先生自身が、どう処分するのか。
 このプログラム通り巡見するとすれば、かけ足で通っても十日はかかるだろう。前途日程、限りあるこのたびの旅路、それをどうする。
 そんなことはいっこう、頓着のない道庵――もてはやされると、いよいよ乗り気になるばかり。謙遜ということを知らず、辞退ということをわきまえず、遠慮ということに目のないこの先生は、魂が酒量と同じことに底抜けで、脱線がかえって本筋に通るのだから、始末にいけないことはこの上もない。
 その日も果して、勢いこんで、尚歯会主催の詩歌連俳の会に定刻前から乗込んで、放言を逞《たくま》しうしました。その一例を挙げてみると、何かにつけて頼山陽《らいさんよう》の話が出た時、
「山陽なんぞは甘《あめ》えものさ」
と口走ったのをきっかけに、騎虎の勢いで頼山陽をやっつけにかかり、
「山陽なんぞは甘えものさ。まあ、支那の本場は論外、近世ではおらが方の佐藤一斎だねえ。一斎の前へ出てごらん、山陽なんぞは後学のまた後学の丁稚《でっち》さ、品物でいえば錦と雑巾《ぞうきん》だね。世間というやつは得てして盲目《めくら》千人だ、山陽なんぞを有難がるのは、ボロッ買いみたようなもんだと、まあ言ったものさ……」
 この思いきった道庵の罵倒に、席上の山陽|贔屓《びいき》が納まらないとする。山陽論が席の話題になる――頃を見計らって、また道庵が、今度は山陽をホメ出すこと。あれは天才である、詩人を以て目すべきものではない、慷慨家であって、学者として見ては違う、その文章も、漢詩も、和臭の豊かなところが、すなわち山陽の山陽たる所以《ゆえん》であって、彼は漢詩の糟粕《そうはく》を嘗《な》めている男では無《ね》え、むしろ漢詩の形を仮りて日本を歌ったものだ、彼に於て、はじめて醇乎《じゅんこ》たる日本詩人を見るのだ、意気と、声調を以て日本を歌ったものに、古来、彼以上のものがあるか、なんぞと言い出したので、人々を呆気《あっけ》に取らせました。
 思う存分に、山陽を下げたり上げたりしてからに、
「まあ、そいったようなわけだが、人物としては山陽なんぞはごくお粗末なものさ、いわば一種のおっちょこちょいさ。わしも若い時分に、ちょいちょいあの男とは逢ったものだがね(註に曰《いわ》く、少々怪しいものだ)人物は、からっきし、おっちょこちょいで、大塩平八郎や、渡辺崋山あたりとも段違いさ。平八郎も、崋山も、みんな煙草をのみ合った仲間だがね(註、こいつも怪しい)大塩は何といったってお前、豪傑の面影はあるさ。崋山もお前、どこへ出したって士大夫の貫禄は確かなものだ。そこへ行くと山陽なんぞは、せいぜい足軽組の五人頭だね」
 その露骨さ加減に、また一座が白け渡ったとする。それを委細かまわず道庵が、古今の詩を論じ去り、論じ来《きた》って、星巌、湖山、春濤まではまあいいとして、
「君たちは、山陽なんぞを問題にするがものはねえ、この尾張の国から、森槐南《もりかいなん》という大物が出ている、あれは大したものだねえ。詩を作ることはどうだか知らねえが、詩の学問にかけては古今独歩だよ。ここに古今独歩というのは、日本だけの古今独歩じゃねえぜ、本場の支那をひっくるめての古今独歩だ、あいつには降参するよ。よく尾張の国は日本一を出したがる国だ、頼朝、信長、秀吉は事が古い、瀬戸物が日本一で、大根も日本一、踊りも日本一、金の鯱も日本一、美人も日本一、味噌も日本一だといっているが怪しいもんだ。そこへ行くと詩学の造詣に於て、森槐南なんぞは、日本一を通り越して、唐《から》一だから豪勢なもんさ、ああなると道庵も降参するよ――」
 脱線もここまで来ると、一座が驚倒絶息せざるを得なくなりました。この座に連なる名古屋の、一流株の名士連といえども、いまだかつて、自分と同じ国に森槐南とかなんとかいう、すばらしい漢詩学者が存在しているということも、いたということも、見たものは愚か、聞いたものは一人もないはずです――
 それもそのはず、その当時、森槐南は、まだ生れていたかどうか、生れていたとしても、ようやく立って歩むほどの年ばえであったであったかどうか、それを道庵先生が引張り出した脱線ぶりには、誰あって驚倒しないものはないはずです。
 それにつづいて、名古屋の筍連《たけのこれん》にも思いきった八ツ当りを浴びせ、医学館の薬品会をコキおろし、伊藤|玄沢《げんたく》の施薬をおひゃらかし、三臓円や、小見山宗法が店をひやかし、ういろう、きしめん、名古屋女とお市の方、梨瓜と大根、名古屋の長焼、瀬戸物、風呂吹き、漬物の味――宗春の発明したというナモ、キャモ、オキャアセ言葉――当るを幸いに、批評毒舌、時にはやや如才ないことを言ってみたりして、十二分の有頂天《うちょうてん》で、その席を送り出されて来ました。
 そうして、伝馬会所の札の辻のところまでやって来た時、不意に道庵先生の後ろから水をブッかけたものがありました。
「あっ!」
と腰を抜かして、道庵が振りむくところ、また一杯、今度はその左の方から物をも言わず、手桶に一ぱいアビせかけた者があります。
「あっ!」
と左を見返す時に、今度は右の方から、思いきって冷たい一杯の手桶の水を、ブッかけた者があります。
 見るも無惨に道庵の腰が抜けて、仰天しているところで、真向《まっこう》からまた一杯。
「あっ!」
 ほとんど道庵をして、腰を立てるどころか、息をもつかせないほどの出来事で、札の辻の真中に腰を抜かし、醜態を遺憾なく曝した道庵は、盲《めくら》が壁を塗るような手つきをして、しばらくは、
「あっぷ、あっぷ」
と咽《むせ》ぶほかには、為《な》さん術《すべ》を知りませんでした。
 そもそも、これは何という無惨なことでありましょう。例のプロ亀やデモ倉の、苦肉を以てのたくらみ、道庵を江戸からつけ覘《ねら》い、とうとうかかる下劣の手段で、闇討を決行してしまったものか、そうでなければ、先日の軽井沢の場合のように、道庵の親切が過ぎたための不慮の災難か、とにかく、こうして、前後左右から、つづけざまに水を浴びさせられた道庵は、一時、全く人心地を失い、腰が立てなくなって、陸上に溺没してしまったことですが、誰とてこれを助け起そうとする者もありません。
 こういう場合に於ての宇治山田の米友――またしても危急存亡の場合に、英雄が居合わさない。
 だが、この場合は全く軽井沢の場合と別に、一英雄が現われたとて如何《いかん》ともすべからざる事情であったのです。
 それは、先生は知ってか知らずにか、とにかく、この場の水難は、これはなにも、江戸の敵《かたき》を名古屋で、という影武者があったわけでもなく、全く生命に危害を加えようという暴徒の所業でもなく、実は極めておめでたい慣例にひっかかってしまっただけのものです。
 尾州の古俗に「水祝い」というのがある。上品なところでは婚礼が済むと、その家の門の前で、裏白《うらじろ》に水をつけて肩衣《かたぎぬ》へ少しずつ注ぎかける――それが身分に応じて、水の代りに「はぜ」を以てすることもある。夫人が奥で「水祝い」をする時には、金銀の砂子《すなご》を紙に包んで注ぐこともある。
 小笠原家から出た水島家の伝書の中にも「水祝い」の礼物を記したのがある。
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「手桶一対――白絵に鶴亀、松竹を書く、本式は手桶十二――それに髭籠《ひげこ》――摺古木《すりこぎ》――杓子《しゃくし》」
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 これによって考うれば、王朝時代から行われた「内火《うちび》とまりの寿《ことぶき》」という儀式と同じようなものであろうと言われる。
 とにかく、この「水祝い」は二代光友の時までは行われ、家中奥向勤めの輩《やから》は、正月に御前で「水祝い」を為すことになっていた。そこで寛文十年には「水あび御定《おさだめ》の覚」というものがあって、婚礼の翌一年は申すに及ばず、たとえ三年五年過ぎても、御前に於て水あびを申すべき事。
 なお、「もみ[#「もみ」に傍点]」を以て水にかえることもあったと見られるのは、同じ定めのうちに、
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「もみ[#「もみ」に傍点]候事、上下衣服等もみ候ひて、人前出で難きほどの体《てい》成り候はば水むやくたるべくの事、一度もみ[#「もみ」に傍点]候上は水同然に候間、其上はもみ[#「もみ」に傍点]候事無用の事、附、無筋《すぢなき》儀を申立てもみ[#「もみ」に傍点]候儀無用たるべき事」
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というのは、もみ[#「もみ」に傍点]はすなわち胴上げのことであろうと思われる。
 ところが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、知行《ちぎょう》二千石となるや、その翌年正月、光友から市正に小姓衣を振舞われた。その時、奥勤めの者集まって、市正に「水祝い」をするか、もみ[#「もみ」に傍点]にするかという内評議を聞いて、市正迷惑のことに思い、主人に聞え上げたと見えて、その時から禁止せられたということになっている。
 この禁令は元禄十七年(宝永元年)十二月二十八日ということで、その時の廻文に、
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「手紙ヲ以テ申入候、近年婚礼相済ミ候者、水振廻ノ祝儀ヲ為シ、近所ノ者寄リ集マリ、作法|宜《よろ》シカラザル儀|之《こ》レ有ル段相聞エ候、以後右ノ様子ノ族《やから》、之レ有ルニ於テハ、急度《きっと》、御吟味ヲ遂ゲラルベキ旨、仰セ出サレ候、向後、相慎シミ、作法宜シキ様ニ仕《つかまつ》ルベキ旨、御老中仰セ渡サレ候条、其ノ意ヲ得ラルベク候、以上」
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とあるによって見ると、この「水祝い」がかなり無作法なものになって、この慣例をいいことに、ずいぶん人に迷惑を及ぼす弊害が多かったものと見える。
 それでも儀式としてはまだ相当に残されていたものと見え、万治三年の正月に、家中水あびせがあった時に、侍たちが光友の世嗣《よつぎ》綱誠に向って、慰みのためにこの水あびせを御覧になるように申し上げたが、世嗣はこれをことわって、
「侍たる者を裸にして、庭上を引きずり廻ることは、更に行儀にあらず、作法が闕《か》ける。水あびせの事重ねて申し出てはならぬ」
と制止せられたとある。
 これによって見ると、前後に少し合わぬところはあるが、尾州の「水祝い」も、元禄以後には全く廃止せられたものと見なければならぬ。
 しかるに、この際、特に道庵先生に敬意を表するために、この廃《すた》れたる古儀を復興して、十二分に「水祝い」をして上げたことと思えば腹も立てないではないか。
 それにしても、少々祝い過ぎたようです。
 事がこう不意に出でては、いかに古式の復活でも、驚かされないわけにはゆかぬ。いかに物に動ぜぬ道庵先生とても、行逢いがしらに前後左右から水をブッかけられたのでは、悲鳴をあげないわけにはゆきますまい。せっかく、名古屋人士が、充分の好意を以て、あらゆる名所見物を道庵先生のために開放したのはいいが、古式の復活も、ここまで来ては少々礼を過ぎたことになりはしますまいか。
 しかし、これを好意に取ると、親切なる名古屋人士は、あらゆる歓待をこの珍客に向って加え、のぼせ上らせるだけのぼせ上らせてみれば、もうこの上は、そののぼせを引下げるよりほかには御馳走が無いと見たから、ついにこの最後の水饗応に及んだものだろうかと察せられる。
 また、道庵の方から見て、こうも仰山に、周章狼狽して、陸上に沈溺し、足も腰も立たない醜態を演じているが、実のところこれも芝居だ。
「面白え、その水祝いというのを生《いき》のいいところで一つ振舞ってもらいてえ」
なんぞと言い出したのが最後――不意に狼狽《ろうばい》したように見せて実は、こういう目に逢ってみたいことを万々承知で、役者を揃え、舞台を廻させておいたかも知れぬ。
 ともかくも、あえなく水倒しにされて、路上で陸沈の醜態をさらしている道庵それ自身は、思ったよりも天下泰平で、めでたく市《いち》が栄えたつもりでいるようです。

         五十八

 東妙和尚が、ある日のこと、与八に向って何を言うかと思えば、
「与八や――わしも永年、諸所方々を歩き廻って来たけれど、まずこの地方の梅干《うめぼし》ほどうまい梅干はないと思うよ」
と言いました。
「へえ、そうでございますかね」
「まず日本一――とは言えるかどうか知らないが、この土地の梅干の味は無類だよ」
「そうでございますかね、この辺は桃の名所だということは、昔から誰も知っています」
「それは、桃の名所としても聞えたところだが、梅は格別だな」
「土地にばかりいちゃわかりませんね」
「そうだ、他と比較してみなくちゃ、すべて物のねうちというのはわからない」
「そんなどころじゃございません、この土地では、梅の木を邪魔にして、伐《き》り払ってしまう家が多いようですね」
「それだ、わしも時々、出かけて見ると、あの枝ぶりの面白い老梅の樹を、むざむざと伐っているから、何にするのだと尋ねると、家が日蔭になって邪魔になるから伐って薪にすると言っていたが、さてさて、物の冥利《みょうり》を知らぬ話だと思って、つくづく意見をして来たことだがね、わしの意見もなかなかわかっちゃくれまい」
「そうですね、年々、梅の樹が減ってしまうようですね」
「名物がなくなってしまうのだ」
「惜しいことでございますね」
「惜しいことだ。すべてな、与八、物がその土地の名物とまでなるには、その土地に備わる天分というものがあって、最初にその種を蒔《ま》いた人は、よくその天分と、地味とを見分け、その後、代々容易ならん苦心が積み重なって、ようやく名物となるのだ。それを孫子に至ると、すっかり忘れてしまって、一時の目先だけで新しいものと取替える、それがやがて取返しのつかぬことになる」
「そうでござんすかなあ」
「そうさ、わしはお百姓でないから、地味のことはよくわからんがの、この土地は陽を受けているから桃がよく育つ、川向うは陰だから、それで梅の質に合っている、それを見込んで昔の人は、土地にかなうような苗を植えつけたものだ。これから少し西へ出ると柚《ゆず》がいいな。この土地は、山間《やまあい》の石のある地味が、柚というものにかなっているらしい。これから二三里下ると、柿にいいところがある。だから、よく地味に相当するものを植えつけておくと、知らず識《し》らず、それが名物というものになって、他の土地では見られない風味というものが出来てくるのだ。この川向うの梅なんぞも、たしかにその名物の一つなのだ。その梅が、一本でも減少するということは、心細いもんだよ」
「このごろは、梅を植えるより桑を植えた方が割がいいなんて、みんな桑畑にしちまいたがるようです」
「それだ――桑を植えて、蚕《かいこ》を養って、絹を取れば、それは今のところ、割がいいかも知れないが、末に至って、どうなるものかわからない。桑がいいから桑、百合《ゆり》がいいから百合、除虫菊《のみとりぎく》がいいから除虫菊――いいものに移るのはいいが、その時の調子で、眼先の景気だけに取られるのはよくない」
「そうですね、いま、割が悪いと思っても、直ぐにまた、よくなることもありますね、今時、ずっと景気がいいからといって、それが幾年も幾年も続いていられるかどうかわかりましねえ」
「そうだとも、今、梅よりも桑がいいからといって、あの見事な梅の老木を伐《き》り倒し、桑を植えかえちまうなんていうのはほんとうに、眼の前だけの勘定だ、きっと、いまに後悔する時があるよ。そればかりじゃない、この裏の成木というところの山を掘れば、いい石灰が出るというんで、昔は江戸のお城普請にまで御用になったものだが、それをいい気になって、近頃は山師が入りこんで、その石灰山を買占める、正直な山持たちは、山の売値がいくらか割がいいというところに釣込まれて、山師に山を売ると、山師が黒鍬をつれて来て、山を掘っくらかえしてしまう、美しい天然の形をしていた山が、デコボコのギザギザ山になってしまって、それからは何の木を植えても育つことではない。杉を植えたり、雑木を植えたりしておけば、ちょっとの間には目に見える儲《もう》けはないとしても、何十年、何百年の間に、植えかえ植えかえすれば、その利益はのべ[#「のべ」に傍点]にしてみると大したものだ、見たところも、山は山らしい厚味があって、土地の人情ともすっかり合った風景になるのだが、ああして石灰山を売り飛ばしてしまっては、一時のかす儲けばかりで、未来永劫に廃《すた》れ山になってしまう。近頃は、この武蔵野にも美しい雑木林がだんだん減って、殺風景な桑畑ばかりふえる、梅なんぞもその通りだ、流行物に心をうつして、古来の風土にかなった名物を失うと、もう取返しがつかないものだ。そこで与八――お前に相談だがな」
と東妙和尚から、与八殿がかなり長い前置附きで相談を持ちかけられたところは、いつぞや、石の地蔵をきざみながら、地蔵和讃の口うつしを受けた、彼岸桜の大木の下の芝生の上です。
「お前に相談というのはほかでもないがな、あんまり、あの梅の亡びることが惜しいものだから、ひとつ、わしが、もくろみ[#「もくろみ」に傍点]を立ててみたものだ。これからひとつ、そのもくろみ[#「もくろみ」に傍点]によって、お前と乗《のり》になって、一商売をはじめてみようと思うのだが――」
「わしゃ、あんまり商売は上手でねえんでしてなあ」
と与八が謙遜する。与八があんまり商売が上手でないことは、自分が謙遜するまでもなく、東妙和尚がよく呑込んでいるはずだ。東妙和尚とても、あんまり商売に得手であるまいと思われる。どのみち、この二人が片棒ずつかついで、ありつこうという商売は、士族の商売よりもあぶないものかも知れないが、さりとて、和尚は世間を知っている、それに坊主丸儲けということもある、存外、妙腕を揮《ふる》って、半ぺん坊主の向うを張るつもりかも知れない。そこで、与八が謙遜するのを、東妙和尚が抑えて、
「損をしたって元《もと》という商売だから、心配しなさんな」
と慰め、
「うまく行けば坊主丸もうけだ。実は、わしがあの梅の木を伐《き》るのを見て、惜しいと思って意見をしたが、こんな物の道理はなかなか、眼先ばかり見ている当世人にはわからないから、いっそ、こっちが上手《うわて》を行って、一儲けをして見せてやって、それからのことだ。そこがそれ、小人は利にさとるとかなんとかいって、目の前へ儲けてやって見せてからでないと、お説法を信用しない。そこで、わしが考えついた大銭儲けというのは、まずこうだ、与八、聞いてみてくれ」
 東妙和尚も、芝生の上の虎の子石へ腰を下ろして、両膝をかかえながら、与八に向っての、金儲け話。
「与八、聞いてくれ、あの梅の木を伐らせないように、残らずこっちで買占めるのだ」
「へえ、あの吉野村の梅の木を、残らず買占めるんですか、何千本、何万本てあるやつを、そっくり買占めるんですか、買占めて、どこへ持っておいでなさる」
と与八が、仰天してしまいました。それを東妙和尚が説明して言うことには、
「残らずったってお前、あの村の梅をみんな買占めるという日には大変なものだ、そういうわけではない、なかには、先祖伝来の庭木だから、また多年手入れをよく仕立てたものだから、という理由で、大切に育てているところが大分ある、無茶に伐り倒して薪にして、そのあとへ桑なり、除虫菊なりを植えようというのは、実は村内にそうよけいあるわけじゃないから、それを、相当の価格で、買占めておくまでのことだ、老木の惜しい奴を二三百本も買っておけば、大体話がつくのだ」
「一本いくらで売りますかね、値段よりも人夫が大変でござんしょうなあ、一本でも持って来て、こっちへ移し植えようというには、五人や十人の手間じゃありませんぜ、とても費用がかかりますねえ」
「かりに一本、二分ずつにしたところで、三百本と見ても知れたものだ。二分なら喜んで売るだろう。そうして買ったからとて、なにも強《し》いてこっちへ引取らなくてもいいのだ、相当の地代を払って、そのまま置据えにしてもらって、そうして、実《み》はこっちで取って、それからが商売にかかるという寸法よ」
「だって方丈様、土地でも、実を取って売ったところで引合わねえから、伐って桑を植えたり、桐を植えたりしたがるのでしょう、それをわざわざ大金を出して買って、置据えにしたって、いよいよ割に合わないねえ」
「そこだ――そこが商売の秘伝《こつ》なのだ与八、いいかえ、さっきも言う通り、土地の人は、そんな特別の梅を持っていながら、その味がわからないのだから、まずその味をわからせるようにするのだ、土地の人にわからせるようにするのじゃない、世間一般に向って、吉野の梅は旨《うま》い、天下一品だ――ということを知らせるようにすると、買い手が多くなる、買い手が多くなって、なるほどこいつは能書通りうまいわいということになると……名物にうまい物無しというが、この吉野村の梅ばかりは格別だ、あの辺は俗に青梅在といって、梅を名乗っているのは、なるほど、地味そのものが梅にかなっているのだ、梅干は青梅在の吉野村の梅干に限る、というようなことになれば、年々、梅干の需要が殖えて、江戸はもとより、日本中へ売れるようになる」
「なるほど……」
「そうだろう――土地で食ったり、青梅あたりへ売るだけでは数の知れたものだ、これが馬に積んで、どんどん江戸まで出るようになってごろうじろ、あの山と谷をみんな梅の木にしたって、まだ足りない。そこでひとつ、お前とのり[#「のり」に傍点]になって、その梅干屋を開業してみたいのだが、どうだな、わしが金主元で、お前が製造主任、お松さんが、販売兼支配人ということになれば、この商売|外《はず》れっこなしだね。万一、損をしても、今いう通り、損をしても元だから心配をするものはないのだ。どうだ、そういうわけで、与八、お前がひとつ梅干の製造方を引受けてくれないか」
「引受ける段ではございません、方丈様のおっしゃることなら、何だって、いやとは申しませんが、梅干の製造法は、わしはまだよく知らねえですから、ひとつ、誰かに聞いて勉強してから、お引受けをした方が、たしかじゃあござんすめえか、せっかく、製造元を引受けたって、下手にやって腐らかしたり、まずく漬けてしまった分には、済まねえことだから」
「うむ、そのこと、それも心配しなさんな、その梅干の製造法も、わしが、ちゃあんと心得ているから、秘伝をお前に伝授してやる、お前は、それに従って、近所の若者でもかり集めて、働いてもらったりすりゃあいいのだ」
 東妙和尚から、この相談を持ちかけられた与八は、一応納得して、その委細をお松に伝えるべく、机の家の本家まで帰って来ました。

         五十九

 お松はその日、子供を帰したあとの講堂(もとの机の道場)を整理していると、ふと外の庭でする子供らの話に耳を傾けさせられました。
 のぞいて見ると、十歳を頭と思われるくらいの男の子が五六人、いずれも背中に乳呑児を結びつけて、子守を仰せつかりながら、桜の木の下で石蹴りなんぞをして、遊んでいるところであります。
 寺子屋としての日課が終ってからでも、この校庭が遊び場所になるのは毎日のことのようなものですが、今日は、お松が特別に注意を向けさせられたのは、子供たちの無意識な会話《はなし》ぶりでありました。
「お前んちへは、また赤ん坊が出来たのかえ」
「ああ」
「貧乏のくせに、そんなに子供ばかり出来ちゃあ、食わせるに困るだろう」
「困りゃしないよ、赤ん坊はまだ何も食やしないもの、乳ばかり飲んでいるよ」
「馬鹿、今は乳ばかりだって、いまにでかくなればおまんまを食うぞ」
「そりゃ、そうさ」
「その時になると、食わせなけりゃならねえ、お前のうちじゃ食わせられるかい」
 お松はそれを聞いて、ずいぶんマセきった言い分だと思いました。だが、そのマセきった言い分も、当人は無邪気で、家庭の口吻《くちぶり》がさせるわざだと考えないわけにはゆきません。家庭の口吻は、つまり生活の切迫であります――お松は箒の手を休めて、それを聞いていると、
「おらの家じゃ、貧乏のくせに子供ばかり出来やがって、食わせることができねえから、こんど出来たら間曳《まび》いちまうと言ってたよ」
「間曳くというのは何だろう」
「間曳くというのは、赤ん坊が生れると一緒に、つぶしてしまうことだとさ」
「つぶす?」
「うむ」
「つぶすというのは、どうするんだろうねえ」
「殺しちまうんだよ、生れると一緒に、息のできねえようにしちまってさ」
「ずいぶん、悪いなあ、生きて生れたのを殺しちゃうなんて」
「だって、仕方がねえさ、生かして置いたって、食わして行けなけりゃあ、人間は死ぬだろう、生れたものに食べさせねえで殺すより、痛いも痒《かゆ》いも知らねえうちに、片づけてしまった方が、慈悲なんだとさ」
「かわいそうだなあ」
「かわいそうだって仕方がねえや。おいらなんぞも、家が貧乏なんだから、お母《っか》あが、間曳いてしまうつもりでいたのだが、おいらが生れるとニコニコと笑ったから、つい間曳く気になれなかったんだとさ」
「変だなあ、そんなに子供が邪魔になるなら、産まなけりゃいいにな」
「産まなけりゃいいったって、生れるのは仕方がねえや」
「産まねえようにできないのかなあ」
「うんこと同じだよ、出したい時には我慢ができないだろう」
「だって、子供を産むのは、お母あばかりだろう、うんこは誰だってするよ、どうかして、お母あに子を産ませないようにできないものか知ら」
「馬鹿、お母あに子を産ませないようになんぞできるものか」
「だって」
「くにい[#「くにい」に傍点]の家を見な、もう七人あるけれど、また始まったって言ってるぜ」
「どうして、お母あが、そんなに子を産みたがるんだろうな」
「自分じゃ、産みたがらなくったって、ひとりでに出て来るんだから仕方がないじゃないか――女ちうものは、子を産むように出来てるんだぜ」
「そうだ、子を産むのは女ばかりで、その女も、お母あにならなけりゃ産まねえのだ、お母あになると仕掛が違うのかなあ」
「馬鹿――子を産むのはお母あばかりじゃねえぞ、家の姉《ねえ》やなんぞも、奉公に行ってから家へ帰って子を産んだぞ、だけんども、姉やの子じゃいけねえからって、おいらの弟にしてあるんだ、だから、姉やだって産むよ、お母あとばっかりきまったもんじゃあねえや」
「でも、うちの姉やは産まねえよ」
「ちぇッ、お母あだって、産まねえお母あもあるよ、あの新屋《しんや》をごらん……」
「みんな知らねえのかい、御亭主を持たなければ子は産まねえんだぜ、いくらお母あだって、御亭主が無けりゃあ子が産れないよ」
「御亭主てのは何だい、父《ちゃん》のことかエ」
「そうさ――父親と母親というものがあって、はじめて子が生れるんだよ」
「だッて……」
「だッて、姉やは御亭主が無くって子が出来たというじゃねえか」
「そりゃあ――そりゃあ」
「先生のお松さんだって、ごらん、御亭主が無くって子供があるよ、そら、郁太郎様と、登様と、二人も子供があるじゃないか」
「そうさなあ」
「だから、父《ちゃん》が無くたって、子供は出来るんだぜ」
 この話をお松は立聞きをして、ある時は吹き出したくなり、ある時は恥かしくなり、ある時はまた身ぶるいをするほど怖ろしくなりました。
 これら、無心の子供に言わせる社会相。
 子供が出来ても食わせられないが、子供は産れるものだ。
 この子供らは、子供の生れる性の知識には暗かったからいいようなもの、これでも出産の結果の負担の重いことを、家庭から深刻に吹き込まれている。
 産れたものは、食わせなければならぬ。その家々で食わせられなければ、他の方法で食わせて生かさなければならないものだと思いました。食わせられないがために、生かしては置けないということ、そういう場合には間曳《まび》いてしまうが、むしろ慈悲だという考えは、どうしてもお松に同意の余地を与えないものでありました。
 産れた子は、きっと育てられるように、家々の生活を保証させてやらなければならぬ。家々でやれなければ村々で……村々でやれなければ、お上《かみ》の手で……どうしても、そうしてやらなければならないものだと、お松は考えさせられました。
 人間を多く産まないようにすることができないならば、家庭を富ましてやらなければならぬ、家々の生活を楽にしてやらなければならぬ、それには、どうしても土地を富ますように、その土地から、よき職業と、よき産物を見出して、生活を楽にしてやりさえすれば、この悲惨は救われるはず――お松は、日頃考えていないことではなかったが、今の無邪気な、怖ろしい会話を、子供の口から聞かせられた時に、一日の急のように、強くそのことを感ぜしめられました。
 そこへ、ノソリと入って来たのは、海蔵寺から帰った与八です。

         六十

 その翌日、東妙和尚と、与八と、ムク犬とが相携えて、吉野村へ梅を買いに行きました。
 村へ入ると、千樹の梅林――それを東妙和尚がいちいち見立てて、持主と値ぶみをする。協定が済むと、サラリサラリと代価を払う。
 梅はもとより移植するためではない。代価を過分――といっても、材木や、薪として売り飛ばすよりは過分な代価を払っての上に、倉敷料としての見つもり若干を与えて、そのままにし、季節に実を取るだけの約定なのだから、売ってかえって保護をされているようなもの――取引も至極円満に進行して行きました。
 梅の木買収の協定が済むと、その一本毎に、東妙和尚は、与八の手から一枚の木札を受取ります。その木札は三寸に五寸ほど、新しく削らせて、上端に小さな穴が明けてある。沢井を立つ時、与八はそれを笊《ざる》に入れて荷《にな》って来たのを、一枚ずつ東妙和尚が受取って、おのおのの木ぶりをながめながら、矢立を取り出してその木札にサラサラと認《したた》める。
「それ与八、その巌の間にはさまれている大木にはこれを附けろ」
 認めたのは「重巌梅」――とある。
「さあ、次なる、その横へつんとのしたのは――それ、鳥道梅」
「こっちの方の枝の盛んなやつは白雲梅」
「そら、こっちの方に低く這《は》っているのが幽石梅だ」
「向うの谷間にあるのが聯渓梅」
「低く地についているやつが泣露梅」
「そら、これが吟風梅だ」
「その畔道《あぜみち》に小さくなっているのが迷径梅」
「それ践草梅」
「それ胆雲梅」
「そっちのは歌聖梅」
「あの一本立ちは無人梅」
「池の傍のは沃魚梅」
「ははあ、鳥がとまっているな、そこで鷦鷯梅《しょうりょうばい》だ」
「その枝のよく伸《の》したやつが安身梅」
「それは姿がいいから白鶴梅《はくつるばい》」
「亦楽梅《えきらくばい》」
「長条梅」
「馬屋梅」
「孤影梅」
「玉堂梅」
「飛雲梅」
「金籠梅」
「珠簾梅」
「娟女梅《けんじょばい》」
「東明梅」
「西暗梅」
 一木を得るに従って一名を選み、それをサラサラと木札に書いて、与八に与えて、それぞれの木に結びつけさせる。鈍重な与八が、応接に追われるほどの進行ぶり。見ていた村の持主たちまでが舌を捲いてしまったというのは、物の名をつけるのは、八兵衛、太郎兵衛でさえむずかしい、一木一草にでさえ、しかるべき雅名を与えるのは容易なことではない、おのおのの持ち分の老梅にも何とか名をつけたがったり、つけてもらおうとしたり、相当の学者に頼んでおいたりしても容易に出来ないのに、この和尚様は、一木を得るごとに一名を選むこと、数字の番号を打つことの速さと同じことだ、博学な坊さんもあったものだと驚く。それに頓着なしの東妙和尚、
「梅は、ずっと昔、支那から渡って来たものだということになっているが、それもしか[#「しか」に傍点]とはわからぬ、九州の梅谷《うめがや》というところ、甲州の富士の麓なんぞには、たしかに野生の梅があるのだからな。どうも、わしの頭では、やっぱり日本に、最初から存在したもののように思われてならぬ、樹ぶりから枝ぶり、趣味好尚に至るまで、全く日本にふさわしいものだ」
と講釈をして、また次の如き順序の選名――
「青煙梅」
「蜂蝶梅」
「紫芝梅《ししばい》」
「微風梅」
「斑白梅」
「黄老梅」
「柳楊梅」
「四運梅」
「石蜜梅《しゃくみつばい》」
「餐露梅《さんろばい》」
「幽澗梅《ゆうかんばい》」
「銀床梅」
「深障梅」
 それは、あらかじめ選んで置いて、それを転写するでさえ、そうは迅速に参るべからざるものを、いちいち、その景を見、境を見、木ぶり枝ぶりを見、来歴を参考として、即座に選んで、サラサラと書き飛ばすものだから、これは、たしかに容易なことでないと、村人を驚かすに充分でありました。それよりも、あまりに選名が早いので、それに縄をつけて、木に結ぶことの奔命《ほんめい》に窮するほどの与八。
 この前後から、村々の子供をはじめ、閑人《ひまじん》がすべて出て来て、梅買い評定をのぞきに来る。
 それだけではない、最初のほどは一匹二匹と出て来て、遠くムク犬の雄姿をのぞみ、あえて虎威をおかすことをしなかった附近の犬がようやく数を増して、何十頭というほど群がり出し、それが遠くから畏《おそ》る畏る、ムク犬の雄姿をながめていたのが、ようやく、なついてくると見えて、だんだんちかよって来ると、ついに皆、ムク犬の前後左右に尾を振って、これに朝するの有様でありました。そこでムク犬が動くと群犬が従う。
 何と思ったか、この時、ムク犬は、主を離れてやや早足に、丘陵をかけのぼると、群犬がまた挙《こぞ》ってこれに従う。
 かくて、ムクが上れば群犬も上り、ムクが止れば群犬もとどまり、ムクが走れば群犬も走る――それに興を催してか、ムクと、群犬とは、この人間たちとは遥かに離れて、やがて行方を見せなくなってしまいました。

         六十一

 その同じ日の同じ時刻に、ちょうど、東妙和尚や与八が梅を買っているところの裏山で、一人の百姓がしきりに薪をこしらえておりました。
 ところは、ひっそりとした雑木林。木を伐《き》る音がこだまして、いよいよ森閑を加える趣の山林の中に、たった一人で精出して、手頃の木を伐っては、その太いところをマキにこしらえ、枝のところをソダにしている。
 これは木樵《きこり》ではありません。あたりまえのお百姓が農閑を見はからって、自分の持山か、或いは人の持山から上木《うわき》を買取って、それをこな[#「こな」に傍点]しているだけのものです。
 いつまで経っても話相手になる人もなし、加勢に来ようという人もなし、それでも根よくほとんど休むということを知らないで、薪をこなし、そうしてようやく、お正午《ひる》時分になったと気がついて、携帯の笠の中に入れて、とある一木の下に置いた弁当を開きにかかりました。
 その弁当というのが、一かたけに約五合炊ぐらいははいる古風な面桶《めんつう》で、その中には梅干が二つと、沢庵が五切ればかり入れてあるだけのものでした。
 そうして、一方、小さな樽の中へ詰めて来た水を飲んで、さも旨《うま》そうにその弁当を食べはじめたものです――
 こうして見ると、本当の質朴そのものの、太古の民で、木と薪のほかには、一切の邪念というものが頭の中に無いのでしょう。たとえ王侯の位を羨《うらや》まぬ者としても、斯様《かよう》な平和な山間の農夫を羨まないものはないと思われます。
 面桶の中の麦飯を食べながら、ふと、面《かお》を上げたところを見ると、見違えてはいけません、どうもあの青梅の裏宿の七兵衛という盗賊に、どこやら似ているではありませんか。どこやらではない、ほんとうによく七兵衛に似ているではありませんか。
 だが、七兵衛には、親も、子も、兄弟も無かったはず。多少、縁を引いた親類でもあるかと思うて見直すと、見直せば見直すほどよく似ている。
 よく似ているはずです、これが正銘の七兵衛ですもの――
 人々は、めまぐるしいほど海道筋を飛び廻る七兵衛を知る。
 ある時は京都に、ある時は江戸に、近くはまた尾張の名古屋に根を生やそうかと言っていた裏宿の七兵衛を知る。そこで、こうして薪を取っている七兵衛の存在を疑うのも無理はありませんが、これこそ七兵衛の本色ということを、誰か知る。
 筒袖の垢染《あかじ》みた百姓着に、古い三尺をこくめいに結んで、浅黄の股引《ももひき》の膝当のついたのを丹念にはき、誰もいないところで、わき目もふらずに薪をこしらえている。これが七兵衛の本色なのです。
 あんなにめまぐるしく飛び廻っても、時間にすれば、その飛び廻っている時間は、こうして働いている三分の一にも足りますまい。善良無名なる百姓七兵衛を、こうして見ることに全くその本色がありました。
 ここで薪を取って、それをこなして、冬籠《ふゆごも》りの用心をする――ここから青梅の裏宿まで運ぶのはかなりの距離はあるが、それを自分ひとりでこなしては、自分ひとりで、或る時は手車を用いたり、或る時は背中に背負ったりして持ち運ぶ――
 男やもめの七兵衛さんは、よくあれで辛抱して稼《かせ》いでいられる、とあたり近所の人が不思議がる。
 豊太閤伝来の千枚分銅に目をかけて、東西を走《は》せめぐる七兵衛と、このお百姓七兵衛と、どこが別人で、どこが同人か、ああしている瞬間は怪盗七兵衛で、こうしている瞬間は百姓七兵衛――麦飯に、沢庵に、梅干の面桶を傾けて、それから小樽の水をグッと飲み、暫く昼休みの体《てい》で煙草をのみにかかりました。
 あたりの山林はいよいよ静かなものです。冬木立昔々の音すなり、と古人の句にある通り、林の静かなるところに、本当の静かさというものが味わわれる。
 ひとり煙草をのみながら、山林の静かな樹に七兵衛の平和な面《かお》の色――
 これを、やや久しうすることあって、遥かに山林の外で犬の吠ゆるのを聞きました。
 まもなく、一頭の大きな犬が走って来るのを認める。それは山林深く犬の走るのを見ることは珍しくはない。ただ、その犬の真黒くして、大きなことが目に立つ。
 七兵衛は、その犬の近づいて来るのを無心に注意している。
 やがて、その犬の後ろから、多数の犬が現われたのを見る。
 五頭、六頭、十頭、あんまり数が多いものだから、少しく異様の目を以て見る。
 犬は見えたが猟師は見えない、犬の飼主というものも見えない。
 黒い大きな犬が、七兵衛の方へと、おもむろに歩んで来る。群犬がそれに従うもののように、周囲から群れて来る。
 黒い大きい犬が、七兵衛の真向いに来て、はたと歩みをとどめて、七兵衛の面《かお》を見る。
 七兵衛もその犬を見る――両個が面を見合わせる。犬はそれより以上に進まない。七兵衛は、はて見たような犬だと思う。
「あ!」
 七兵衛が思わず立ち上る。
 犬が一声高く吠える。
 だが、その吠える声になんらの険難《けんのん》はありませんでした。それは自他の警戒のために吠ゆるのではなく、むしろ驚異のために吠えたようなものです――
 一声吠えただけで犬は、七兵衛の面をつくづくと見ている。
「あ!」
 七兵衛の方で狼狽《ろうばい》する。
 彼は当然、この犬が自分に向って、のしかかって来るもののように警戒する。
 だが、犬は動かない――
 知る人は知ろう、この犬は間《あい》の山《やま》以来、七兵衛を見れば必ず吠えた犬です。吠えて飛びかかった犬です――飛びかかって、骨を食わなければやむまいとした犬です。その都度都度、七兵衛なればこそこの犬の鋭鋒を外《はず》して来たもので――外しは外したが、それはほとんど命がけでありました。
 恐るべきものを恐れない七兵衛は、この犬をこそ最も恐れておりました。
 今や、また、ここでこの強敵に出会《でくわ》した。これを外すは、木に登って避けるよりほかはないと思いました。
 ところが、今日はその呼吸が少し違う。前いったように、戦意を示す吠え方でなくて、この山中、思わぬ人に出会したという驚異の吠え方であって、それのみか、一声吠えた後の犬の挙動が全然違います。
 第一、あの眼の色が違います――殺気がありません、敵意がありません――無論多少の警戒はありますが、その警戒のうちに、充分和気の存することを七兵衛が見て取りました。犬が折れたのではない、こちらの疑いが晴れたのだという感じ……
 こうして、犬と人とが睨《にら》み合うこと多時――その間、群犬は、林の中を縦横に飛び廻って、飛び遊びます――
 この時ふと、人間の口笛の音がする――犬が出て来たのと同じ方向から、人が出て来たのを認める。極めて鈍重な若い大きな男が――これも見たような男、うむうむ、せんだってのあの沢井の水車小屋にいたあの男だ。
 紛《まご》う方なく与八は、口笛を吹き吹き、ムクのあとを追うて来たものと見えます。
 まもなく、すべてが、姿と形を見合って、与八がまず言葉をかけました、
「こんにちは……」
 その言葉と態度とで見ると、せんだっての晩、水車小屋へ潜入して、自分に、とっくりと意見を試みて行ったその人と、気がついてはいないらしい。
「こんにちは……」
と七兵衛も同じように挨拶する。
「ソダごしらえですか」
 与八がいう。
「はい」
 七兵衛が答える。
「犬が邪魔をしやしませんかね」
「いいえ、邪魔をしやしませんよ。その犬はお前さんとこの犬ですか」
「これはお松さんの犬ですよ」
「お松さんは、どこからその犬をつれて来ましたか」
「どこからですかねえ、江戸にいる時分からついていましたよ」
「そうですか」
「はい、でかいけれど、おとなしい犬ですよ」
「お前さんは、沢井でしたね」
「はい」
「沢井の机の若先生は、今どちらにおいでになりますか」
「竜之助様ですか」
「はい」
「あの人はどこにおいでなさいますかねえ」
「奥様は……」
「奥様というのは?」
「あれ、その、お浜様といって」
「ああ、あのお浜様か、ありゃ、江戸でお死になされた」
「おやおや、それはお気の毒な」
「気の毒なことをしましたよ」
「お子さんは……」
「お子さんというのは、あの郁太郎《いくたろう》さんのことだろう」
「ええ、郁太郎さんと申しましたかね」
「あれは今、おたっしゃで、沢井におりますよ」
「そうですか、お父さんも、お母さんも、おいでなさらねえでは、さだめて、不自由なことでしょうねえ」
「それでも、お松さんが世話をしてくれるから助かります」
「それから、和田の宇津木様はあれからどうなりましたか」
「あそこもいけませんねえ」
「文之丞様があんなにおなりなすって、あとはどうなりました、お江戸へ出ておしまいなすったそうですね」
「え、え」
「文之丞様の弟御に兵馬様という方がありましたが、あの方は時々お見えになりますか」
「あれから一遍も、こっちへは帰って来られねえようですよ」
「机の大先生《おおせんせい》は?」
「とうの昔になくなりました」
「おやおや、それはお気の毒な」
「机のお家も、宇津木も、どっちもいけませんが、机の方はお松さんがよく郁太郎様を世話しているし、宇津木の方も兵馬様の代になれば立ち直ることでござんしょう」
「お松さんという子は、どこの人ですか」
「お松さんは江戸の人ですよ」
「机のお家の御親類ですか」
「親類ですかどうですか、そのことはよく知りませんが、お松さんはいい人です、あの人がいる間は、わしもこの土地を離れられませんねえ」
「そうですか、お前さんはお松さんと仲がいいかい」
「そりゃ、お松さんは無ければならない人になっていますよ」
「もし、そのお松さんが、江戸へ出るとか、他国へ行くとかすれば、お前さんはどうしますね」
「その時は、わしも一緒に行きますね、お松さんがお嫁入りするようなことになれば、わしは下男としてでもあとをついて行きますが、あの人はお嫁入りなんぞはしないでしょうと思います」
「では、お松さんという子が、この土地にいつく限り、お前さんもこの土地を離れないのだね」
「ええ、その通りです」
「お松さんは、ほんとうにこの土地にいたがりますか、よそへ行きたがりませんか」
「どこへも行きたがりません、行きたがっても、もう、ちょっと動けないでしょう」
「どうして」
「あの人は、人様の子供を二人も自分の手で育てていますからね。そのほかに、近所の娘たちや子供を集めて、いろんなことを教えたり、諸方へ頼まれて行くものですから、今では、ちっとの隙《ひま》もありません、よそへ出たくも出られないでしょう」
「それはまあ結構なことだ」
「でも、お松さんは、房州へ一度行きたい、行きたいと、口癖のように言っていますよ」
「房州へ?」
「え、え、ほかにも行きたいところはあるようですけれど、それはあきらめるが、房州へはぜひ一度行きたいものだが、行けないと言っていますよ」
「はてね」
「あの登様というののお父様が、房州に住んでいるとか言っていました、そのお父様に一度逢いたいと、こう言ってお松さんが、わしに相談をすることがありますけれど、お松さんひとり出向いて行くわけにもいかず、わしもお松さんを置いて出かけるわけにもいかず、困っていることもあります」
「なるほど――して、その登様という子は誰の子なんだね」
「登様というのはまだ赤ん坊でしてね、お松さんが預かって世話をしているのです、いい坊ちゃんですよ」
「ははあ、そのお父さんという人が、房州に住んでいるのかね、房州で何をしているのです」
「何をしていますかね」
「それには事情がありそうだ――ではね与八さん」
 この時、七兵衛が膝を立てました。
「はい」
「わしは、お前さんとこのお松さんはよく知っているのだがね、わけがあって、御無沙汰《ごぶさた》をしている。明日の朝、わしがお松さんに会いに行くからってね、そう言って置いて下さい」
「はい、そう言いましょう、お前さんはどなたでしたかね」
「わしは、裏宿の七兵衛といえばわかります、ないしょで言って下さい、わしの名は、なるべく小さい声でお松さんの耳へ入れて下さいよ」
「はい」
 ここで、七兵衛は再び斧を取り上げて、薪のこなしにとりかかりました。
 与八は、犬を引きつれて、帰り路に向います。この時まで、七兵衛を見まもっていたムク犬は、全く無事に与八について引上げる。その人と犬との後ろ影を、七兵衛は、いったん取り上げた斧を下におろして、じっとながめていること久しいものでありました。

         六十二

 果して、その翌朝、まだ暗いうちに七兵衛が、沢井までお松をたずねて来ました。
「まあ、おじさん」
 こんな近いところにいながら、お松は、七兵衛に会うの機会が極めて少ないことでありましたから、無上の珍客として、なつかしい思いが先に立つのです。
「御無事で結構だね、お松さん、このごろどこへ行っても大へん評判がいい」
「ほんとに、おじさん、暫くでございました、青梅の方へ通りがかりの時、おたずねしてみたのですけれど、お留守だものでしたから、つい失礼いたしました」
「いや、わしの方もこれで貧乏暇なしなもんですから、つい……昨日、ふと与八さんに逢ったものだから、急にその気になって出かけて来ましたよ」
「まあ、きょうは、ごゆっくりなさいまし」
「ゆっくりしていたいんだがね、なかなかせわしない身体《からだ》で、こうしているうちも落着かねえような仕儀だから、おかまいなさんなよ」
「そんなにお忙がしいのですか」
「いや、百姓の方は、そんなでもないがね、人様から言伝《ことづて》を頼まれて、飛脚同様な役を背負わされるものだから、昨日は東、今日は西と、せわしい身体だよ」
「大抵じゃありません――」
「頼まれると、いやとも言えず、つい、うかうかと進み過ぎてしまって、ああ取返しがつかねえ……とこう思った時は後の祭りだ」
「ホ、ホ、ホ、何ですおじさん、人様から頼まれて、そんなに大仰に悔《くや》まないでもいいじゃありませんか」
「ハ、ハ、ハ、頼まれたことを悔むわけじゃねえが、ちっと進み過ぎて、もう今じゃ後戻りができず……お笑い草だねえ」
「いいえ、そんなことはありません。おじさんは、わたしを背負って山を下る時なんぞは、ずいぶんお足が早うございましたが、里へ出ると、あたりまえになってしまいますね、おじさんの足の早いことなぞは、青梅あたりにも知っている人は一人もないようですね、わたしだけが、それを知っているような気持がします」
「頭がいいのなら名誉にもなりますがね、手の長いのや、足の早いのは、あんまり自慢にはなりませんからね」
「ホ、ホ、ホ、手の長いのは自慢にはなりませんけれど、足の早いのは結構じゃありませんか、わたしなんぞも、こうして今では不自由なく、この地に根が生えたようなものですけれども、それでも、おじさんのように足が早ければ、行ってみたいと思うところがいくらもありますけれど、女の足では仕方がありません」
「その事、昨日、与八さんから、お松さんがしきりに、房州へ行きたがっているという話を聞きましたが――そこで、なんなら、わしが代ってその房州とやらまで行って上げてもいいと、そんなことを、ふと思いついたものだから、今日は久しぶりで訪ねて来てみる気になったのだよ」
「ああ、それはようございました、なるほど、おじさんならば……ほんとうに、房州までお使をお頼み申したいことでございます」
「おやすい御用だね」
「房州といえば、ずいぶん遠いところでしょうが、与八さんでは日数がかかるし、それに与八さんは、ここをはなせない人になっているし、あのムク犬は怜悧《りこう》な犬ですから、ひとりでやれば行きますけれど、犬のことだから、用の足りないこともあるし、道中が心配になります、それで、どうしようかと、毎日考えていました。おじさん、あなたが行って下されば、願ったりかなったりです」
「そんなことは全くおやすい御用だ――房州は何というところだね」
「洲崎《すのさき》というところでございます」
「洲崎――あんまり聞いたことのねえ名だが、なあに、たずねれば直ぐわかるだろう」
「江戸の霊岸島から、船で行くといいそうでございます」
「船はいけないね、千葉の方から内海を一走りした方が楽だろう」
「どちらでもかまいません――洲崎に、わたしが只今お預かりしているお子さんのお父様がおいでになるのです、そこへお便りをしていただきとうございます」
「うむ、何という人だね」
「以前は、駒井能登守様といって、甲府の勤番支配をつとめていらっしゃいました」
「え、甲府の勤番支配、そりゃ大物だ」
 七兵衛はここで、ギクリとした思い入れ。
「はい、今は駒井甚三郎様といって、世を忍んで、房州の洲崎にいらっしゃいます、そこへおたよりを願いたいのでございます」
「たしかに頼まれました、これから直ぐに出かけましょう」
「まあ、それはあんまり」
「なあに、房州ぐらい、江戸へ出て見れば鼻の先に山が見えますよ、何でもありゃしません、ほんの一走り、この足で、ここから飛んで行きますよ」
「それでは、これから、わたしが手紙を書きますから、どうぞ少しの間、お待ち下さいまし」
 こう言って、お松は引込んでしまいました。
 七兵衛は、ひとり炉辺で、お茶を飲みながら待っている。
 かなり長い時間――お松はかなり長い文言を書いていると見える。やがて、乳母の手に駒井の一子登を抱かせて、三人で出て来て、
「お待たせ申しました」
 お松は炉辺へ坐って、七兵衛に手紙を差出して、
「委細はこれに書いてございますから、駒井の殿様にこれを差上げていただきとうございます、それから、おじさん、ちょっとこのお子さんをごらん下さいまし」
「はいはい」
「これが駒井の殿様のたった一人の御血統なんでございます、この通り虫気もなく、すこやかにお育て申しておりますから、殿様にそれを申し上げて下さいまし」
「はいはい、よくねんね[#「ねんね」に傍点]していますね、争われないものだ、いいお子さんだ、立派な御人相だ」
 七兵衛は、登の面《かお》をしげしげと見入りました。
「ほんとうに、このお姿を殿様に、一目でも見せてお上げ申したいと思います」
「尤《もっと》もだ、尤もだ。その殿様はまだこのお子さんをごらんになったことがないのかえ」
「ええ、まだ親子のお名乗りさえしていらっしゃらないので、登様というお名前も、わたしがつけて上げたのです」
「そうですか、早く、このお子さんに、親子の名乗りをさせてお上げ申したいものだな、そうして、すんなりと御家督をついで、お家繁昌ということにして上げたいものだ、お松さん、頼みますよ」
「はい、わたくしも、そのことばかり願っておりますのよ。あの殿様は、今の時世にはエラ過ぎるので、ああして隠れていらっしゃいますが、やがて、世にお出なさる時は、どんなにめざましいことでしょう。その時になって、駒井のひとり子があのザマだと言われては、わたしの恥にもなりますから、きっと立派な方に育ててお目にかけるつもりでおりますと、そのことをよく殿様にお取次ぎ下さいまし」
「あ、わかった、わかった、いい心がけだ、お松さん、お前の心がけには感心した、世間の女房と娘に、その心がけの百一さえあってくれりゃあ、こんなことにはならねえのだ」
「何をおっしゃるのです、おじさん、それではあんまり愚痴っぽく聞えてしまいますよ」
「ハ、ハ、ハ、自分のことと、人様のこととを取交ぜて考えるものだから、つい……これを見るにつけてもなあ、お松さん」
「はい」
「こんな血統の立派な、胤《たね》の正しいお子さんにしてからが、やっぱり親の手を離れて置くと、どちらにも心配があるというものだ、ロクでもねえ百姓の倅《せがれ》の、馬鹿野郎のガキでも、親となり子となれば、それを思う人情には変りはねえというものだから……あの与八な、いや、どうも、かりにも人様のお家の者をつかまえて、与八なんぞと呼捨てにしては済まないが、あの与八さんなんぞも、あれで親無し子で育ったということだから、ずいぶん、気をつけてやっておくんなさい。このお坊ちゃまなんぞは、お松さんという心がけのよい娘さんの手で育てられているから幸いだし、あの与八さんも、こちらの大先生《おおせんせい》という大した人物に拾われて育てられたのが神様の恵み、この後もあることだから、与八の面倒も見てやっておくんなさい」
「何をおっしゃるのです、おじさん、与八さんには、わたくしの方でこそ、いろいろとお世話になっていますよ」
「おたがいに面倒を見て、助け合ってな、いよいよ立派な人になっておくんなさい」
「そのつもりではおりますけれど」
「さあ、出かけようなあ、遅くも三日のうちには返事を持って来ますよ。どうれ、お邪魔を致しました」
「まあ、よろしいじゃありませんか、たまのことですから、もう少しごゆるりと。それに与八さんもここへ呼びましょう」
「なあに、あの人には昨日逢ったばかりだからいい、それに善はいそげ、この足で……どうれ」
 七兵衛は炉辺から草履《ぞうり》をはいて土間を出ながら、また立ちもどり、
「お松さん、私の来たことは内証だよ」
と、お松の耳に口を当てて、ささやく。
「え、ようござんすとも、そんなことは少しも御心配なく……」
 お松の呑込みをあとにして、この邸を立ち出でてしまいました。

         六十三

 即日発足した七兵衛、生地より関八州、江戸から上方筋《かみがたすじ》へかけては、めまぐるしいほどの旅をつづけているが、房州路へは全くはじめてです。
 船を嫌って、内房をめぐるべく歩を取った七兵衛――江戸を離れようとする時に、乗込んで来た一隊の兵士と出逢い、直ちにこれが会津の兵だということに気がつきました。
 会津の兵が江戸にとどまるのではなく、このまま京都へ馳《は》せ参ずるのだとさとりました。
 それと、もう一つは北へ向って走る飛脚を一人見ました。飛脚の風をしているが、それは飛脚ではない、士分の者だ、ということを七兵衛が見て取りました。そうしてこれは水戸へ向って急ぐのだ、気のせいか山崎譲の後ろ姿のようにも見える。これらのものに行違うと、七兵衛の足は外房に向って走りながら、心はどうしても京阪に向って飛ばずにはおられぬ。
 その日、千葉の町で泊って、翌日はもう洲崎着。
 駒井の陣屋をたずねると、直ぐにわかる。来意を告げると直ちに会える。
 七兵衛は、そこで、はじめて駒井甚三郎に対面の挨拶をしました。
 世が世ならば、土下座をしても、対談はかなうまじきはずなのを、無雑作《むぞうさ》にその室に通されて、向き直って椅子に腰をかけさせられて、七兵衛がこそばゆい心地。
 椅子なんぞに腰を下ろしたことはないのに、こういった人品と当面して、会話を取りかわすなんぞということは、今までに経験のないことでした。
 それは神尾主膳のような人には、ずいぶん勝手な立居振舞をしたりしてもいいように出来ているが、この人との対面は、調子の違うこと夥《おびただ》しいと、さすがの七兵衛の腰がきまらないようです。
 そうして、せっかく、近くすすめてくれた椅子を、わざと自分でしりぞけて、絨氈《じゅうたん》のようなものが敷いてある板の間へかしこまってしまいました。
「それは、いけません、おかけなさい、こういう室では、腰をかけて話さないと、かえって失礼に当るものです」
 駒井から説かれて、七兵衛がおそるおそる、また椅子に取りついて、それを与えられた距離よりは、ずっと遠くへひっぱって行き、その上へちょこなんと腰をかけたものです。
 例によって、金椎《キンツイ》が出て来て茶煙草をすすめる。七兵衛はお辞儀をするばかり。
 そこで七兵衛は、お松からの手紙を取り出して恭《うやうや》しく駒井に捧げる。
 駒井は、その場で封をきって、サラサラと読み流し、
「よくわかりました、どうも御苦労でした。お前も、お松のいるところと同じ土地の人ですか」
「はい――二三里隔たっておりますが、まあ、同じ土地といったようなものでございます」
「いや、何かと、家の者共がお世話になります、拙者も子供のこと、お松のこと、絶えず気にかからないではないが、何を言うにも今は閑散の身で、かえって多忙なため、沙汰無しでいました、そのうち、あれを呼び寄せるか、こちらから使を出すか、どちらかせねばならぬと思っていたところでした」
「お松という子は、ふとした縁で、私が世話をして来たこともございますが、あれはたしかな子でございます、あれに預けてお置きなされば心配はございませんけれど、若様のためには親御様のお手許《てもと》で御養育なさるのが本当かと存じます」
「それも考えないではないが、今のところ、そうしてはおられぬのだ。倅《せがれ》とお松をこちらへ呼ぶのがよいか――どのみち、一度わしは、その沢井とやらへ行ってみようと考えているところなのだ」
「殿様が、あちらへお越し下さるのは勿体《もったい》のうございますが、二人をこちらへお呼び寄せになるのも容易ではございますまい、いずれ、江戸の御本邸へお帰りあそばす節に、お松に、若様をお連れ申して上げるように申し伝えたら、いかがなものでございましょう」
「いや、それが……わしは江戸へ落着くことはまずあるまいと思う」
「いいえ、そのうちには、晴れてお帰りになる日を、みんながお待ち申し上げているようでございます」
「よし、晴れて帰れるようになった日が来たとて、拙者は江戸では住めない、住みたくないのだ、といって、この地に永住するつもりもないのだ」
「では、また甲州へでもおいであそばしますか」
「いや、甲州へはなおさら――実は、そなたにも見てもらいたい、幸いに、これから造船所へ行ってみようと思うから、疲れたことでもあろうが、一緒に行かないか」
「はい、どちらへでもおともを致します」
「これから、ちょっと離れたところに、わしがこしらえた造船所がある、そこで船を製造しているのだ」
「船をおこしらえになっておいででございますか」
「うむ、その船も近々出来上るから、それで外国へ乗出してみようと思っている」
「それは大仕事でございますね、外国とおっしゃるのは、ドチラでございますか」
「外国……とだけでは、さっぱり当りがつくまいが、実はこっちにもまだ行先の当てはついていないのだが、まあ、伊豆の小笠原島よりは、もっと遠い、呂宋《ルソン》とか、高砂《たかさご》とかいうところ、或いはもっと、ずっとのして、亜米利加《アメリカ》方面まで行くかも知れぬ」
「それはそれは、たまげたおもくろみでございます、左様な遠方へお越しになるお船は、さだめしめざましいことでございましょう」
 そこへ、また給仕役の金椎《キンツイ》が来て挨拶しましたから、駒井が、
「ちょうど、食事時だ、これから食堂へ行って、食事を済ましてから造船所へ案内いたそう」
と言って、自分が先に立ちましたから、七兵衛はそのあとに従います。
 例の食堂に、今日は七兵衛という珍客を一人加えて、七兵衛が、全く勝手が違って戸惑いをするほどの変った形式で、食事を進めていると、さきほどから気がかりになるのは、程遠からぬ物置で、泣きわめく声。泣き疲れたのか、一時は低くすすり泣きのようにまで落ちていたのが、この一同が食卓を開くとじきに、またすばらしい声で号泣をはじめました。
 駒井は苦《にが》い面《かお》をする。
 茂太郎と、もゆる子とは面を見合わせて、くすぐったい思い入れ。
 金椎には聞えないから、平々淡々。
 食卓の調子の変ったので戸惑いをさせられた七兵衛は、この号泣でまた驚かされてしまいました。
 それでも誰ひとり、号泣者を顧みようとする者はなく、食事は頓着なしに進んで行く――

         六十四

 駒井から船を見せられた七兵衛は、その時全く別な世界があることを教えられました。
 別な世界というのは、自分が今まで、跼蹐《きょくせき》していた天地のほかに、別に自由自在な天地のあるのを、自分は気がつかなかったということです。
 今までの自分の生涯が、土の上を走っていたから、行詰りが出来る、そのとどのつまりの行詰りは、もう極まった運命のほかに何物も無いと観念をしておりましたのに、ここには全く自分の能力を不用として、生きて行ける生涯があるということを知りました。
 この船というものに自分を托しさえすれば、この自分の特徴であり、また、自分をあやまらせたところの超凡の足というものの能力が、全く無用になると共に、今まで自分の恐れかしこみ、潜み、隠れ、わなないていた魂というものが、全く解放されることを考えずにはおられません。
 全くその通り、いかに早足でも、地上を走る時には必ず行詰りがあるにきまっている。
 船に身を任せて海外へ走れば、そこには無限のにげ路があるではないか。
 七兵衛は駒井から船を見せられて、そして海外移住の説明を聞かせられたときに、自分の前途の生命《いのち》につぎ足しが出来たなとはっきり思い当って、非常な大きな喜びと、一種の希望を見出したように感ぜしめられました。
 船! 船に限る。
 七兵衛は早くもこういうふうに宗旨変えを、心のうちで誓ってみました。
 そしてまた、陣屋へ戻って来ると、暫しあって、かの物置で号泣の声が聞えます。どうも不思議でたまらないが、そうかといって、それを問い質《ただ》してみるのも失礼なように感じました。
 ともかくも今日は休息するようにと、七兵衛は客間へ案内されて、そこに一人で暫く止まっておりました。
 休んでいると、やがてコトコトと戸を叩いて、
「御免なさい」
「はい」
 そこへ入って来たのは、清澄の茂太郎であります。
 茂太郎は、片手には例の般若《はんにゃ》の面を抱えて、片手にはお茶と菓子とを持って、ここへ入って来ました。
「おじさん、お茶をおあがりなさい」
「はい、どうも有難う」
 この子供はお茶を注いで、七兵衛にすすめたが、そのまま出て行かないで、お客様の傍へきちんとかしこまり、例の般若の面は後生大事にして、そうして、七兵衛に馴々《なれなれ》しく話しかけるのです。
「おじさん、お前どこから来たの?」
「え、私は遠いところから来ましたよ」
「遠いところってどこ?」
「向うの方のお山ですよ」
「向うのお山? では甲州上野原?」
と言われて七兵衛がギョッとして、思わずこの少年の顔を見直し、
「上野原とは違いますけれど、坊ちゃん、あっちの方を知ってますか」
「ああ、あたい、甲州の上野原の月見寺にいたことがあるのよ」
「ああ、そうですか、おじさんのところは上野原より少し近いけれども、やっぱり山ですよ」
「何というところなの」
「青梅というところですよ」
「青梅? 大きな眼があるの?」
「そういうわけじゃありませんよ、青い梅というところですよ」
「そうですか、そんな山の中から何しに来たの」
「少し頼まれた用事があって来ましたよ」
「何の用事を頼まれたの」
「こちらの殿様の御親類から頼まれて来たのさ」
「あんな山の中に、殿様の御親類があったのかしら」
「ええ、ありますとも、そこには御親類の可愛らしいお子さんがいますよ」
「そう、おじさん、もしかして、弁信さんはそっちへ行かないかしら」
「弁信さんて?」
「弁信さんというのは、私のいちばん仲のいいお友達よ。あの人とは、上野原で別れたっきりなんですもの。もしかしておじさんの方へ行ったら知らせて下さい、その人は琵琶を弾く盲目《めくら》の小僧さんだから、直ぐ分りますよ」
「ああ、それじゃ、もしおじさんの方へ来たら、知らせてあげよう」
「どうぞ頼みます」
 そこでこんどは七兵衛が、この少年に向ってたずねてみる気になりました。
「坊ちゃん、お前の名は何ていうの」
「茂太郎――」
「茂ちゃん」
「ええ」
「あの、さっきから物置の方で大きな声で泣いていた者がありますね、あれは何ですか」
「あれはマドロスさんよ」
「マドロスさんというのは?」
「マドロスさんは、外国から海を流れ着いた人なのよ、それを殿様が拾って来て、うちに置いてあるんです」
「そうですか、では外国人の大人ですね」
「ええ、ええ、大人も大人、六尺の上もありますよ、田山先生も大きいけれど、それよりずっと大きくて、眼が碧《あお》くて、髪の毛が赤いんですよ」
「そうですか、そんな大きな人が、なぜあんなに泣くのです」
「それには理由《わけ》があるのよ、おじさん、あれはなかなか赦《ゆる》してあげられない理由があるのですよ」
「へえ、何か悪いことをしたのですか」
「ええ、悪いことをしたんです」
「どんな悪いことをしたの」
「お嬢様に悪戯《いたずら》しちまったんです」
「え、お嬢さんに?」
「そうですよ、それも一度や二度のことではないのです、ですから、今度という今度は殿様もお赦しになりません」
「そうですか、そんな悪い人なんですか」
「いいえ、悪い人じゃないんです、田山先生などは、ウスノロと名を附けてばかにしているくらいですけれど、田山先生がいないとあんなになってしまいます、お酒を飲むからいけないんですね」
「そうですか、誰も殿様へ、お詫《わ》びをしてあげる人はないですか」
「誰もありません、あんまり悪いことをしたから、造船所の人たちなんかは憎がって、海の中へ投げ込んでしまおうと言ってました。そのくらいですから、ああして、本当に心が直るまで手をつけない方がよかろうということです」
「困ったものですね」
「え、こんどのことは私たちもお詫びのしようがないから、うっちゃって置くのです」
「そうですか、でも船が出来上った時は、あの人も連れて行くのでしょう」
「そのことはわかりませんね」
 その時、このところにあった時計が、五ツ鳴りました。七兵衛はこの音で初めて時計に気がついて、そしてなんだか分らない顔をして時計を眺めました。
「ああ五時だ、おじさん、私はちょっと行ってまいりますよ」
 こう言って茂太郎は、この室を飛び出してしまいました。

         六十五

 あとに残された七兵衛、お茶を飲みかけていると、急にまた例の物置の方面で、けたたましい叫び声がして、人がののしり、号泣し、容易ならぬ騒動が持上ったもののようです。
 七兵衛も一度は駈け出して見ようかと思いましたが、そのうちに噪《さわ》ぎはようやく静まり、人も出て行ったようですから、また腰を落着けていると、そこへあわただしく茂太郎がまた飛び込んで来て、
「おじさん、おじさん、大変だよ、大変なことが出来ちまったよ」
「何だい」
「今ねえ、村の人やなんかが大勢やって来て、マドロスさんをさらって行ってしまったのよ。マドロスさんは悪いことはしたけれども、本当は悪い人じゃないの、それをみんながああして連れて行ってしまったから、マドロスさんは殺されるかも知れません、大変よ、大変よ」
「そりゃ大変だ、殿様に申し上げたかい、殿様はどうしていらっしゃる」
「殿様は造船所の方へ行っちまったんです、そのあとへ村の人が大勢入って来て、盗人《ぬすっと》を殺せ、毛唐《けとう》の狒々《ひひ》をやっつけろなんて、大勢でマドロスさんを担《かつ》いで行ってしまいましたよ」
「それはいけないね、早く殿様に告げに行っておやりなさい」
「お嬢さんが行きました」
「それじゃ、おじさんもこうしてはいられない」
 七兵衛もあわただしく立って、庭の方へ出て見ました。
 なるほど、茂太郎が言った通り、村の人かなにかが多数に乱入して、無理矢理にこの物置の中の人を奪って行った形跡はたしかです。それにしても乱暴過ぎると思わないわけにはゆきません。
 いくら悪いことをしたからとて、そこの主人が承知で物置へ入れて置くものを、よそから来て奪い去って行くというのは、あまりに乱暴です。
 多分、このマドロスという男が、村人に、堪え忍び難きほどの損害か、恥辱かを与えたればこそ、こういう仕返しが来たのかもしれません。それにしても、主人を無視した、乱暴な仕打ちであると考えさせられました。
 この分では、奪って行かれたマドロスという人の運命の程が思われる。どのみち、虐殺のうき目を遁《のが》るることはできない。何の罪状か知らないが、罪を問うならば問う方法がある、これでは無茶だ、という気持が、むらむらと七兵衛の心に起りました。
 そうしてみると、一刻も猶予してはいられない。よしよし、とにかく、ひとつ出かけて行って見てやろう。七兵衛は客間へ取って返して、自分の道中差を取ってぶち込み、尻端折りをして飛び出しました。
 行く先は分らないながら、とにかくあらましを茂太郎から聞き、足跡をたどり、途中で聞き聞き行くつもりで駈け出しました。
 これが行く先さえ分っていれば、七兵衛の足だから先廻りをするに雑作《ぞうさ》はないが、なにぶん土地不案内のことです。
 一方急を訴えられた造船所では、ちょうどそこに、主人の居合わされないことを残念に思いました。駒井甚三郎は七兵衛を置いて、それからまたここへ戻って来たには来たが、またフラリと立去ってしまったとのことです。
 平沙《ひらさ》の浦の方へ潮を見に行ったか、天文台の方へ、観測に行ったか、どちらへも人を馳《は》せると共に、造船所の職工のおもなる者は、当所の陣屋へ来て見ますと、右のような次第で、乱入者も、マドロスも、影も形もありません。そこでまた、手分けをしてその行方《ゆくえ》を探しにかかりました。
 とうとう夜になったが、行方が知れませんでした。
 夜になると、駒井甚三郎が帰って来てその報告をきいて、安からぬことに思いました。
 それは、この辺の土民にしてはやり過ぎである。誰か尻押しをしたものがあるのだろう、けしかけたものがあるだろう、黒幕にいるものがあるに相違ない、と感じさせられないわけにはゆきません。
 そうしてみると、この地に来た自分の挙動に、注意しているものに二種類ある。一方は充分の好意と、信頼を以て、何かと助力を惜しまない人。一方は何か異端が来て、陰謀の企《くわだ》てをしているのではないかという疑惑と、その背後には、有力なる官辺の影と、迷信の力が無いではない。
 このたびの事を機会として、その反動の側の勢力がはかって、不意に来たのだな。不意に来たとはいえ、この暴行には相当根拠がある、後ろだてがあるということを駒井がさとってしまって、この結末は相当面倒であり、手数がかかると思案しました。

 そこへ帰って来たのは七兵衛です。
 七兵衛は駒井の前へ、次の如く報告しました。
「これはなかなか大事《おおごと》でございます、マドロスさんとやらを奪い出したのは、この土地の村人の仕業《しわざ》ではございません。
 あれは、この界隈きっての博徒の親分、洲崎のなにがし[#「なにがし」に傍点]という奴の子分共の仕業でございますぜ。それもまた、洲崎の親分だけがさせたのではありません、そのうしろには黒幕がありますぜ。
 とにかく、殿様がこの土地へおいでになって、そもそもの初めから、嫌な眼で見ていた奴がございます。
 それが、殿様が仕事をお進めになればなるほど、怪しい眼を光らせていたものでございます。
 それにはお上役人の筋を引いているものもございます、土地の昔からの家柄の者もございます、お寺の信者や、神様の氏子、そのうしろには坊さんや神主が糸を引いているのもございます。それらが、殿様がおいでになった最初から変な眼で見てはいましたが、何しろ、駒井の殿様の以前の御身分が御身分ということを知っておりますものですから、うかと手出し、口出しをすることができませんで、今日まで引込んでおりました。
 だが、殿様が全く見馴れない、聞き馴れない西洋流の仕事を、ドシドシおやりなさるのを見るにつけ、聞くにつけ、いよいよそれらの連中の業が煮えてたまらず、あれは切支丹だ、ヤソだ、国を取りに来る毛唐の廻し者のさせる謀叛《むほん》だ、ということが、殿様は御存じないかもしれないが、もう一部の間には、その疑いと、憎しみで充ち満ちておりました。
 けれども、前申し上げる通り、殿様の以前の御身分が御身分であり、それに鉄砲の名人でいらっしゃること、造船所には心服している職工もあるし、大砲を据えつけてあるというようなことが、彼等を警戒せしめたのみではなく、表面上、まだこれぞという証拠を押えたわけではありません、そこで彼等は躍起となって、何か殿様の身辺から、アラを探そうと狙《ねら》っていたのですが、その網にひっかかったのがあのマドロスです。
 先日逃げ出した時、あのマドロスが、あちらの縄張りの中で鶏を盗《と》ったとか、着物をかっぱらったとかいうことがあったそうです、それをとっこ[#「とっこ」に傍点]に取って、そうして今夕の狼藉《ろうぜき》が起ったのです。
 ですから、あのマドロスはいわば人質で、どうも本当の目的は、駒井の殿様の方にあるようでございます。
 殿様に向っては、直接《じか》に鋒を向けられないから、それでマドロスさんとやらを奪い取ってオトリにしようというのは、あの社会の奴等のよくやる手です。
 え? あのマドロスさんとやらの行方ですか、それはちゃんと知っております、その洲崎の親分の家の土間にひっくくられているんでございます、それを明日は天神山へ連れ出して、そこで焼き殺すのだと、こう言っておりました。
 ええ、それはあいつらのことですから、やりかねないことでございますよ。何しろメリケンの方の国では、文明国だなんぞと言いながら、黒ん坊をとっつかまえて、生きながら焼き殺すという話ですから、その伝でひとつ、あのマドロスを天神山で焼き殺してしまおうではないか。
 なあに、毛唐の、切支丹の、ヤソの、日本の国を取りに来る廻し者の片割れだ、そのくらいにしてやったって、賞《ほ》められこそすれ、トガメが来るものか。
 明日はやっつけてやれ、と、こんなことを、あの賭博打《ばくちうち》の子分共が口々に言っておりました。
 だが殿様、どう御処分なさいますか、ここは充分考えどころでございますよ……」
と七兵衛が、ここまで語り来《きた》って駒井の様子を窺《うかが》うと、駒井の面《おもて》に、言わん方なき苦悶《くもん》の色が表われたのは事実です。
 ほとんど、どうしようとの思案と、返辞とに窮してしまったらしい。マドロスを取返しにこちらから押しかければ、いわゆるなぐり込み[#「なぐり込み」に傍点]だ、いかに腹が立てばとて、駒井能登守ともあろうものが、天保水滸伝の向うを張って、博徒を相手のなぐり込みが、できるものか、できないものか。
 だがまた、これをそのままにして置けば、みすみす頼りない外国の漂浪者を、無残なる私刑者の手に、見殺しにしなければならない、これをしもまた忍び得ることかどうか。
 これを忍んでいれば、その次には大挙して、この陣屋と、造船所とを襲うに相違ない。たかの知れた博徒共を追払うは何のことはないとしても、彼等に口実を与えた以上は、ここに落着いて事業の進行は覚束ない。まかり間違えば、吾々一同の生命の危害の問題だ。
 ああ、これは自分の思案に余るワイと、さすがの駒井甚三郎の面に、苦悶の色のいよいよ濃くなるのを隠すことができません。
 それを見て七兵衛が、静かに膝を進ませて言いました、
「殿様、御心配なさいますな、向うはたかのしれた賭博打《ばくちうち》でございます、あれを駒井の殿様が、まともにお考えになっては困ります、まして、まともにお相手になった日には、あいつらと、その黒幕にいる人たちの思う壺でございます。
 こんなのにはやっぱり裏をかいてやらなければなりません、いかがでございましょう、出過ぎた申し分でございますが、こうして参り合わせるも何かの御縁、この七兵衛にひとつ、お任せ下さいませんでしょうか」
と言われて、駒井が、苦悶の面をパッとあげて、改めて、七兵衛の頭から足の先までを見直しました。
 今までは、単純なお使役の青梅在のお百姓とばかりあしらっていたこの男としては、意外千万な、大胆不敵の申し分である。
 第一、これだけの報告を、いつ、どうして聞き出したかさえ大きな疑問であるのに、不肖ながらこの駒井にさえも、どうしていいか、さばきのつかぬこの差当っての大難関を、ポッと出の田舎者《いなかもの》のくせに、身に引受けてみようとは、なんという豪胆な言い分だろう、豪胆でなければ、向う見ずの極だ。
 そこで駒井が、七兵衛に向って言いました、
「ふん、お前に何ぞよい知恵がありますか」
「はい、知恵というわけではございませんが、お殿様が私にお任せ下さりますならば、一番あいつらの鼻ッ端をくじいてやりたいと存じます。としましても、ポッと出の私一人の力で土地っ子の大親分とその一まきを相手に、正面から喧嘩が買えるものではございません。そうかといって、長い間たくらんでした仕事を扱いにはなりますまい。元はといえばそのマドロスさんとやらいうお人一人のこと。そこでそのマドロスさんを、あいつらの手にかけない先に、こっちの手でなくしてしまえば、向うは拍子抜けがしてしまい、また言いがかりの種子《たね》も無くなってしまう道理でございますから、こいつは一番先手に廻って、こっちの手で、あのマドロスさんとやらを無い者にしてしまったらいかがのものでございましょう。無い者にすると言いましても、決して生かしたり殺したりするのではございません、早い話が、今夜のうちにあのマドロスさんを盗み出してしまうんですね。盗み出して、だあれも気のつかないところへ隠して置くんでございますね。そうすりゃ、あいつらの意気組みも拍子抜けがしてしまいましょう。それから後は、それから後で、またうまくあやなす法もあろうというものです。いかがでしょう、この謀《はかりごと》は」
 七兵衛に斯様《かよう》に建議をされたが、駒井甚三郎は、膝を打ってなるほどともなんとも言わない。深く考え込んだ後、
「ふん、それは最もよい計略かもしれないが、また最も行い難い仕事だ、第一、それらの無頼漢が覚悟の上で護る根拠地へ、今晩のうちに出向いて行って、それを首尾よく盗み出して来るほどの働き者がこの際、あるか、ないか、それを考えて見給え」
と駒井から、重々しく戒めるように言われたのを七兵衛は、軽く受け、
「はい、そこでございます、そこのところをひとつ、この七兵衛にお任せを願われないものでございましょうか、仕遂げた上でなければ口幅ったいことは申し上げられませんが、ともかくこの七兵衛にお任せ下されば、やれるだけはやってお目にかけようと存じます」
「うむ、お前の勇気には恐れ入ったが、それをお前に任せることは、お前をまたあのマドロスの運命にすることだ、いわば一つで済む犠牲を、二つにするようなものだ」
「わたくしの方は、どうなりましょうとも、決して殿様に御迷惑をおかけ申すようなことは致しません、もしおまかせがなければ、私も乗りかかった船でございますから、私の一了見で、ひとつ出かけてみたいと思いますから、見ぬふりをあそばしていただきたいものでございます」
 そう言われて、駒井は全くこたえたように七兵衛の面《かお》に眼を注ぎました。
 不思議の男だ。見かけはどう見直しても質朴《しつぼく》なお百姓に過ぎないこの男、義気だか、客気だか分らないが、飛んで火に入る勇気を十二分に持ち合わせている。
 満身これ胆とはこういう男をいうのかしら……今こそお百姓の風をしているが、若い時分には長脇差の柄《つか》を握って、血の雨の中をくぐり歩いた男かも知れない。
 ともかくも妙な場合に来合わせたものだ。
 こういう男に限って、行くなと言ってもきっと行く、これはともかく任せてみるよりほかに仕方がない、と心を決めました。

         六十六

 清洲の山吹御殿の銀杏《ぎんなん》加藤の奥方の居間へ、不意に一人の珍客が訪れました。
「これはまあお珍しい、梶川さん、ようこそ」
と、例の居間で奥方から笑顔で迎えられたのは、この間岡崎市外の街道で、友人のために人を討ち果し、そして、お角の駕籠《かご》にあいのりして、鳴海の宿まで送られた美少年、梶川与之助でありました。
「これは奥方、不意に御静居をお驚かせ申して相済みません、伊津丸殿《いつまるどの》はおいででございますか」
「はい、伊津丸もおるにはおりますが、もう永いこと患《わずら》って、病の床に就いておりまする」
「それはそれは、存じませぬ事ゆえ、お見舞も致しませんで失礼いたしました」
「こちらへ引籠《ひきこも》りましてからは、どなたへもお知らせを致しませぬ、諸方からお見舞を頂くことをかえって恐れておりました」
「それにしても、同じく柳生殿の道場通いを致しました私にだけは、お知らせ下さらないことを恨みに存じます」
「そのことは何とも申しわけがござりませぬ、あれも常にあなたのことをお噂《うわさ》しておりましたから、今日おいでになったことを、どのくらい喜びますか」
「それでは、これから御病床へお見舞に上ってよろしうござりますか」
「病床での失礼をお許し下さるならば、御案内をいたしましょう。まあ、お茶一つ召上れ」
といって奥方は、女中の運んで来たお茶を取って与之助にすすめました。
「頂戴をいたしまする」
 有難くお茶を飲んで控えていると、
「よくここがお分りになりましたね」
「はい、名古屋へ参ってお尋ねをいたしましたところ、当節はこちらだということで、直ぐさまお伺い致した次第でございます」
「名古屋へは何ぞ御用でおいでになりましたか」
「はい……実は申し上げ兼ねるのでござるが、申し上げないとかえってお疑いをあそばすかも知れません、私事はこのたび岡崎を立退いてまいりました」
「まあ、お家を立退いておいでになりましたとは、それはどういうわけでございますか」
「その仔細はお話し申し上げると長うございますが、一口に申さば、人を討ち果したためでございまする」
「まあ、あなたは伊津丸の口からもききましたが、お家が剣術のお家である上に、柳生殿の道場でも指折りの望みをかけられていたそうでございますが、その技《わざ》のために、間違いをお起しになりましたか」
「はい、好んで術を弄《もてあそ》ぶつもりはございませぬが、いつものっぴきならぬ義理にせめられて、ついつい鞘《さや》を割らねばならぬようになって行きます」
「なんにしても、よくよくの御事情とお察し申します、そういうわけでしたならば、こちらは閑静でよろしうございますから、ゆっくり御逗留《ごとうりゅう》なさいませ」
「はい、お言葉に甘えましてしばらくかくまっていただきたいと、それ故こうして不意に参上いたしました」
「よくおいでになりました、いずれくわしいことはのちほどお伺いいたしましょう。では伊津丸の病床へ御案内をいたしましょう」
と言って銀杏加藤の奥方は、立ってこの美少年を案内して、病床に親しむ自分の弟の座敷まで連れて行きました。
 八畳の一間、そこに静かな敷物がある、部屋の飾りも落着いて、卑しげがない。
 正面に「南無妙法蓮華経」の髯題目《ひげだいもく》の旗がある。
「伊津丸《いつまる》」
「はい」
「梶川様が岡崎からお越しになりました」
「おお梶川殿」
と、寝返りを打とうとするのを押止めた梶川は、
「そうしていらっしゃい、あなたがそんなに御病気で休んでおられるということを、つい存じませぬ故、お見舞も致さず、失礼しました」
「いえいえ、失礼はこちらのこと、こんな意気地のない姿を人に見られるがいやさに、どちらへもお知らせをしませんでした」
「それは御遠慮深すぎる、ほかならぬ拙者にだけはお便りを下さってもよかろうものと、只今も奥方の前で、それをお怨《うら》み申していました」
「有難うございます、同じ怨みはこちらからも申さねばなりますまい。それはどちらに致せ、今日はよくお越し下されました」
「いや、よくまいったと申し上げたいが、実は只今も奥方に申し上げました通り、余儀ないわけで人を討ち果し、それがために岡崎を立退いてまいりました」
「おお、それはそれは、大事ではござれども武士の意気地、やむにやまれぬこともござりましょう。どうしてまた、人を討たねばならぬようになりましたか」
「自分ではいらぬ腕立てを致すつもりは更にござらねど、事情がおのずからそうなっては、ぜひもござらぬ」
「貴殿は天性、術に長《た》けておいででした、その術が貴殿の幸か不幸かを齎《もたら》すことになるとはいえ、こうして病床に親しむ吾々には、そのお元気が羨《うらや》ましい」
「いやいや、客気にはやって身をあやまらぬよう、父からも堅くいましめられ、自分ながら心を締めておりますけれども、どうも勢い止むを得ませぬ」
「左様な儀ならば遠慮なくこの屋敷に逗留なさい、私も良い友達があって、心丈夫」
「まことに御迷惑の儀とはお察しいたしますが、暫くおかくまいが願えれば、それに越した喜びはござりませぬ、只今、奥方にもそのお許しを受けました」
「ここは離れて静かなところですから、隠れているにはくっきょうと思います」
「それはそれとしまして、貴殿の御病気を一日も早く治したいものでございます、そして昔のようにおたがいに竹刀《しない》を取って稽古をしてみたいものでござる」
「いや、それはもう望みが絶えました、立って歩けるようになれば、それだけで本望だと思っておりますが、多分それも叶いますまい」
「なんという心細いことをおっしゃる、まだまだ、おたがいに元気いっぱい、こうして拙者が傍にお附き申している限りは、拙者の念力だけでも丈夫にしてお目にかけます」
「そのお言葉が何より心強く感じます。実はこうして永らく病床になやんでいるより、どこぞ湯治へでも行けとすすめられておりますが、湯治に行こうという気にもなりませぬ」
「ははあ、湯治は悪くありません、次第によってはその湯治先まで、拙者が附いてまいってあげてもようございます、そうすれば拙者のためにもよいと思います」
「いやいや、貴殿のお隠れなさるには、かえってこの屋敷がようございます、この屋敷にありさえすれば、決して人の手に捕われるという心配はありませぬ」
「いやいや、拙者のは国を立退いて来たとは申せ、実は、武士の面目の上に止み難き事態であることは、藩の者も皆判っている故、さのみ恐れて隠れ潜む必要はござりませぬ、表面上謹慎を表して立退けばそれで済むのでございます」
「いずれにしても御用心に如《し》くはなし、ゆっくりご逗留なされよ」
「奥方様」
と、梶川は奥方の方に向いて、
「拙者は隠れ潜んでいるのがよいとは申せ、伊津丸殿はこうして永らく一室におられては、お気も屈しましょう、湯治のことはよい思いつきと存じますが、もし湯治においでなさるのに、お手不足でもあるならば、及ばずながら拙者がおともを致しましょう」
「それは有難うございます。実は信濃の国の白骨の湯というのが、たいそうよく効くという話でございますから、それへ、この子を連れて行ってみようとも思いましたが、何を申すにも、時も時、所も所、私たちだけではどうすることもできませぬ」
「ははあ、白骨とはどちらか存じませぬが、そういう次第ならば、拙者が喜んでおともを致しましょう、どうです伊津丸殿」
 病人の方へ向き直り、
「湯治に行く気はござりませぬか」
と言われて伊津丸は天井の一方を、涼しい目でじっと見詰めながら、
「湯治に行くよりは、私は肥後の熊本へ行きたいのです」
「はて、肥後の熊本」
と梶川が小首をかしげるのを、奥方がひきとって、
「肥後の熊本は先祖の地だということで、この子はそのことばかり申しております。同じ湯治をするならば、肥後の阿蘇山の麓《ふもと》、また同じ死ぬるならば熊本の本妙寺の土になって、御先祖の清正公の魂にすがりたい、なんぞと口癖のように申していますから、いつもそれをわたしが叱っております」
「ははあ、伊津丸殿は拙者と共に道場通いを致した時も、よく左様なことを申されました」
「はい、この子はどうしたものか肥後の熊本を、先祖の地、先祖の地、と言いますけれど、本当に先祖の地は、この尾張の国だということが、どうしても分らないで困ります。すなわち御先祖清正公は、ここからほんの地続きの尾張の中村で生れ、そうしてあの尾張名古屋の御本丸も、清正公一手で築き成したもの、清正公の魂魄は、肥後の熊本よりは、この尾張の名古屋に残っているということを、よくよく申し聞かせても、どうしてもこの子にはその気になれないようでございます」
「それもそうかも知れませぬ、世間の人も加藤清正公と申せば、肥後の熊本だと思います、清正公の魂は、かえってあちらに止まっておられるかも知れません、それが伊津丸殿の心を惹《ひ》かされる所以《ゆえん》かも知れませぬ」
と梶川が言った時に、病人はちょっと向き直って、
「わたしはやはり肥後の熊本が、なんとも言えず慕わしい、梶川殿、どちらかなれば、わたしは白骨よりは熊本へ行きたい、なんと熊本まで私をお送り下さるまいか」
「お送り申すは容易《やす》いことなれど……」
 その時奥方は、キッと襟《えり》を正し、
「伊津丸、お前はそれほど熊本へ行きたいならばおいでなさい、私はいつまでもこの尾張の国に残っております、御先祖の心をこめた、あの金の鯱《しゃちほこ》のある尾張名古屋の城の見えないところへは行きたくありません、死ぬならば尾張の国の土になりたい、熊本はわたしの故郷ではありません」

         六十七

 信濃の国は安曇《あずみ》の郡《こおり》の山また山――雪に蔽《おお》われた番所ヶ原を、たったひとりで踏み越えて白骨谷に行くと広言した弁信法師、ふと或る地点で足を踏みとどめてしまいました。
「おいおい、寒い時は山から小僧が飛んで来るものだぜ、今時分、逆に山入りをする小僧があるものか」
 どこからともない、嘲笑罵声を聞き流して耳を傾けた弁信法師――
「おや、私一人ばかりかと思いましたこの道に、うしろからお呼びになったのは、どなたでございます。え? 何とおっしゃる、白骨谷へ行くのは止めに致せとおっしゃいますか。ははあ、それもそうでございますな、私も今となってまた心が変りました、最初のほどは白骨へ、白骨へと引かされる心持になりましたが、今となりますと、どうも白骨谷が空《くう》になったように思われます、私が逢いたいという人、私が尋ねたいという人は、もう白骨谷にはいないように思われてなりません。はてそれではどこへ行ったとおっしゃるのですか。左様、それは私にもわかりません、ただ白骨へ行こうという気が抜けました、白骨にはもう私の尋ねる人はおりません、そこで私も雪の中を艱難辛苦《かんなんしんく》してあれまでまいる必要がないような心持になりました」
 弁信は天の一方を見つめて、じっと考え込んでいましたが、
「さあ、そうなりますと、わたくしはこれからどこへ行ったものでございましょう、十方に道はありとは申せ、わたくしの行くべきところはどこでございましょう、白骨でいけないとすれば、再び甲州の有野村へ帰りましょうか。わたくしが有野村へ帰りましたとて、もうわたくしの為すべき仕事はござりませぬ、伊太夫殿のためにも、お銀様のためにも、わたくしが帰ったことによって、いささかも加えることはできないようになっております。それではいっそ月見寺へ帰りましょうか、あれは白骨谷が空なるよりもなおさらに空なものになっております。さあ、左の方木曾路へ迷い入って、あれをはるばると行けるだけ行ってみましょうか、やがては花の九重の都に至り上ることはわかっておりますが、天子の都も、今は兵馬倥偬《へいばこうそう》の塵に汚れていると聞きました、その戦塵の中へ、かよわいかたわ者のわたくしが参ってみたとて何になりましょう。それならばはるばると摂津の難波、須磨、明石、備前、備中を越えて長門の下の関――赤間ヶ関、悲しい名でございます。寿永の昔にあの赤間ヶ関の浪の末に万乗の君がおかくれになりました、その赤間ヶ関の名は、ほとんど日本の国の終りのような響がいたします。でございますが、そこまで至り尽したところで、どうなりましょう。海を渡ればまた、四国、九州の新しい天地が開けます、有明の浜、不知火《しらぬい》の海、その名は歌のようにわたくしの魂の糸をかき鳴らしますけれども、現在そのところに至れば、わたくしの魂はずたずたに裂かれて、泣き崩折《くずお》るるよりほかはなかろうと思われます。それから先、海を越えて支那、朝鮮のことは申すもおろかでございます。さてそれならばいっそ安房《あわ》の国へ渡って、再び清澄のお山に登る、そこで心静かに、心耳《しんに》を澄ましてはどうかとおっしゃる、そのお言葉には、道理も、情愛もございます。まして、わたしが、唯一の幼な馴染《なじみ》であるところの、あの清澄の茂太郎も、今はまたその安房の国に帰っていることはたしかでございますから、お前のためには安房の国へ帰るのがいちばんよろしかろう、とおっしゃって下さる……それはまことに有難い仰せではございますが、私が、そもそもあの清澄のお寺を立ち出でました時の心をお察し下さいます方は、それがどうしてもできないことだと御承知くださると考えます。出家の身は一所不住と申しまして、一木の下、一石の上へなりとも二度とは宿らぬ願いでございます、ああして身の不徳を恥じながら清澄のお山を下ったこのわたし、どうしてまたあのお山に帰ることができましょうか。まして、人情というものの煩悩《ぼんのう》から全く脱しきれない貧道無縁の身、あちらへ帰りますと、見るもの、聞くものが、みな人情のほだしとならぬことはなく、この玉の緒の絶えなんとすることほどの切なさが、幾つ思い出の数にのぼりましょう、第二の故郷である安房の国へ帰ることは、第二の煩悩の種子を蒔《ま》きに行くようなものでございます。わたくしは安房へは帰れません、清澄のお山へは戻れません……ではせっかく来たものだから、空であろうともなかろうとも、惹《ひ》きつけられた力が絶えようとも絶えまいとも、最初の目的通り、一旦その白骨谷へ行って見てはどうかとおっしゃるのですか……それもそうでございます、わたくしも今それを考えているのでございます。さいぜんまで、あれほど痛切に呼びかけたお雪ちゃんの声が、いま私のあたまに響かないのは、あの子がもう白骨谷にはいない証拠だと、それでわたくしは一時がっかりしまして、それがために、せっかくこれまで来た踵《きびす》を返そうといたしましたが、しかしなおよく考えてみますると、たとえ、お雪ちゃんという子が現在あそこにいないにしても、最近まであそこにいたことはたしかでございます、ですからあの子の最近の便りを知るには、やはり白骨谷に越したところはございません、ともかくも白骨谷に行きさえすれば、もしあの子がいないとすれば、どちらへ行ったか、それは必ず分るはずでございます、やっぱりわたくしは力なくも白骨谷までまいりましょう。むろん、今の心では白骨へ行って、そうして、わたしが、ほっとそこで一息ついても、やれうれしやなつかしやお雪ちゃん、と呼びかけることはできないにきまっています。それから先、どこまで行って、どこで、誰に逢えるか、ちょっと分らなくなってしまいました。ですけれども、やはり一旦は最初の目的通りに白骨へ行くのが、この際、いちばんの順路かとも考えておるのでございます」
と言って弁信は、力なくも足を運ぼうとしましたが、また急に法然頭《ほうねんあたま》を振り立てて、
「え、わたくしに待てとおっしゃいますか。待てとおっしゃいますならば、いつまでもお待ち申しておりましょう、数ある人間のうちで、行方定めぬやせ法師のわたくしを、特に見込んでお呼び止め下さるあなた様に、浅からぬ御縁を感じますものですから、静かにこうしてお待ち申し上げます故、お急ぎなくお越し下されませ、白骨の道は険しうございます――決してお急ぎには及びません、わたくしを雪の中に待たせて置いて、というお気兼ねは御無用にあそばしませ。今のわたくしは引返して、そちらまであなた様をお迎えに出る力こそござりませぬ、止まってお待ち申し上げるぶんには、いつまででも、日が暮れましても、夜が明けましても、月が終りましても、年が経ちましても、一生の間でも、ここにこうしてお待ち申しておりまする」



底本:「大菩薩峠11」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
   「大菩薩峠12」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 七」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…人前出で難きほどの体《てい》成り候はば」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第七巻」筑摩書房、1971(昭和46)年2月25日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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