青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
鈴慕の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)田舎家《いなかや》

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(例)六枚|屏風《びょうぶ》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「土+巳」、第3水準1-15-36]
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         一

 天井の高い、ガランとした田舎家《いなかや》の、大きな炉の傍《はた》に、寂然《じゃくねん》として座を占めているのが弁信法師であります。
 時は夜であります。
 弁信の坐っている後ろには、六枚|屏風《びょうぶ》の煤《すす》けたのがあって、その左に角行燈《かくあんどん》がありますけれど、それには火が入っておりません。
 自在鉤《じざいかぎ》には籠目形《かごめがた》の鉄瓶がずっしりと重く、その下で木の根が一つ、ほがらほがらと赤い炎を立てている。
 この田舎家の木口というものが大まかな欅作《けやきづく》りで、鉋《かんな》のはいっていない、手斧《ちょうな》のあとの鮮かなところと、桁梁《けたはり》の雄渾《ゆうこん》(?)なところとを見ても、慶長よりは古くなく、元禄よりも新しくない、中通《ちゅうどお》りの農民階級の家《や》づくりであることはたしかであります。
 さてまた、弁信の頭の上の高い天井は、炉の煙を破風《はふ》まで通すために、丸竹の簀子《すのこ》になっていて、それが年代を経ているから、磨けば黒光りに光るいぶしを包んだ煤《すす》が、つづらのように自在竹《じざいだけ》の太いのにからみついて落ちようとしている。
 そこで、弁信は、熊の皮の毛皮でもあるような敷物をしき込んで、寂然として、何物にかしきりに耳を傾けているのであります。
 特に念を入れて何物をか聞き出そうとしないでも、ただこうして坐っていさえすれば、弁信そのものの形が、非相非々相界のうちの何物かのささやきを受入れようとして、身構えているもののようにも受取られることであります。
 果して、こうしていると、弁信の耳に、あらゆる雑音が聞え出しました。
 聞えるのではない、起るのであります。それは非常なるあらゆる種類の雑音が、弁信の耳の中から起りました。
 そうでしょう、この田舎家の存在するところは、内部から見ては、日本の国のドノ地点にあるかわからないが、通常の人がこの中に坐っていれば、それは深山幽谷の中か、そうでなければ、人里に遠い平野の中の一つ家としか思われないことであります。
 この一つ家の中には、弁信その人のほかには、絶えて人間の気配のするものを容《い》れていないと同じく、その煤《すす》けた天井には鼠の走る音もあるのではなく、その外壁のあたりに、鶏犬《けいけん》の声だも起らない。周囲に谷川のせせらぎすらも聞えない。軒端を渡る夜風のそよぎすら聞えないところを以て見れば、万籟《ばんらい》死したりと感ずるのは無理もありません。
 しかし、夜というものは一体に、沈静と、回顧とを本色とするものですから、普通平凡な景色も、夜の衣をかけて見ると、少なくも一世紀の昔へ返して見ることができるものですから、まして夜更け、人定まった際においては、都会の真中にあってさえ、太古の色をぼかして見せることもあるのですから、ここの深夜の弁信のいるところも、存外、人間臭いところであるかも知れません。
 ところで、空寂と、沈静と、茫漠と、暗黒と、孤独とは、形の通りで、弁信なればこそ、仔細らしく耳を傾けて何物をか聞き取ろうと構えているように見えるものの、余人であってみれば、聞き取るべき一言もなく、澄まし込むべき四方《あたり》の混濁《こんだく》というものの全然ない世界ですから、もし弁信の耳が、この間から何物をか聞き得たとすれば、それは彼の耳の中からおのずから起ってくる雑音を、彼自身が、自己妄想的に聞き操っているに過ぎないので、この点は、かの清澄の茂太郎が、反芻的《はんすうてき》に即興の歌をうたうのと同じことなのであります。
 といっても、これを一概に妄想扱いにするのは心無き業《わざ》です。
 チチアンの眼より見れば、あらゆる普通の人間は、みな色盲に過ぎないそうであります。もし地上に特別の人があって、普通の人の見えない色を見ることができるならば、特別の人があって、特別の音を聞き出さないという限りはありません。
 すでに特別の色を見、特別の音を聞き得る人がありとすれば、この普通の人の見得る世界において、普通以上の、或いは以外の世界を――つまり天国といい、地獄というような世界を見ている人がないとは言えないはずです。
 城松という盲人は、鳴滝《なるたき》の下で簫《しょう》を吹くと、人ただ簫声あるを聞いて、瀑声あるを聞かなかったそうであります。
 ある夜、忽然《こつぜん》として立って人にいって曰く《いわ》く、ああ、今夜は自分の吹く簫の声が尋常でない、おそらくはこの都下に大変が起ろうも知れぬ、と馳《は》せて愛宕山《あたごやま》に上って僧院に泊ったところが、その夜、洛中洛外に大震があって、圧死するもの無数、それは慶長年間のことであったという話。
 間斎という伯楽《はくらく》は、年四十になって明を失したが、人の馬に乗って戸外を過ぐるものを聞いて、その蹄《ひづめ》の音で馬の駑《ど》と駿《しゅん》と、大と小と、形と容と、毛の色とを判断して、少しも誤らなかったということであります。
 深草の検校《けんぎょう》というのは、享保年間、京都に住んで三絃をよくした盲人であったが、老後におよんで人にいって曰《いわ》く、「私の聞き得たところでは、天地の間には三百六十音がある」
 今、弁信というおしゃべり坊主は、その異形《いぎょう》なる法然頭《ほうねんあたま》の中で何の世界のことを考え、その見えざる眼で、どれだけの色彩を味わい、これのみは異常に発達した聴管のうちに、どれだけの音声を聞きわけるの官能を与えられているか知れませんが、この万籟《ばんらい》死したるところの底において、ついに何物をか聞き出そうとして聞き出し得たものの如く、
「誰やら尺八を吹いておりますね、あれは鈴慕《れいぼ》の曲でございます」
 かく無雑作《むぞうさ》に言って、また仔細らしく小首を傾けたものであります。
 ただし、弁信が感心をはじめた時分には、もう曲は済んでしまったものと見えて、弁信は姿勢をくずして、炉辺の火箸《ひばし》を取って、火をかきならしました。

         二

 弁信が鈴慕の一曲を聞き終って、ホッと息をついた時に、天井の煤竹《すすたけ》の簀子《すのこ》から、自在竹を伝ってスルスルと下りて来たピグミーがありました。
 籠目形《かごめがた》の鉄瓶《てつびん》のつるへ足をかけて、ひょいと炉べりへ下り立つと、無遠慮に弁信と向い合ったところへムズと小さなあぐらをかいてしまい、十年の親しみがあるようになれなれしく、
「弁信さん、淋《さび》しいね」
「あい」
「弁信さん、いやに澄ましこんでるじゃないか」
「ええ、そういうわけでもありません」
「もう少し火をお焚《た》きよ、おいらがこの杉の葉をかぶせてやらあ」
 ピグミーは、杉の枯葉を一つ一つ取って炉の火に加えると、火の色が珊瑚《さんご》のように赤くなりました。
 そこでピグミーは、仔細らしくあごの下へ手を当てて、火の光をながめて、何か弁信の話しかけるのを待っているかのように見えます。
 ところが、弁信がいっこう気乗りがしないようでしたから、ピグミーが、また何かハズミをつけてやらないことには、手持無沙汰でたまらないはめ[#「はめ」に傍点]となって、
「ねえ、弁信さん、今までお前、何を聞いていたの」
「尺八を聞いておりましたよ」
「へえ、おいらにはいっこうそんなものは聞えなかったが、どこで、誰が吹いていたんだい」
「信濃の国の、白骨の温泉で、尺八を吹いているのが、いま私の耳に聞えました」
「じょ、じょうだんじゃねえ!」
 ピグミーが反《そ》っくり返ってしまいました。
「弁信さん、お前、ここをどこだと思ってるんだい――信濃の国というのは、これから一百里も離れているんだぜ、なんぼお前の勘《かん》がいいからといって、信濃の白骨で吹く尺八が、お前の耳に聞えるはずはあるめえ。でも、お前のことだから何とも知れねえ。そうして、その尺八は何を吹いていたんだい、それを聞かしてもらいてえ」
「鈴慕《れいぼ》の曲を吹いていたのですよ」
「鈴慕の曲というのは、どんなんだい、面白《おもしろ》かったかい」
「ええ、ずいぶん感心を致しましたよ、今までに覚えのないほど、感じてしまいました」
「そうかね、お前がそれほど感心するくらいならずいぶん面白かったろう。そうしてそれは、どんなに面白かったんだい、それを聞かしておくれな。いやいや、それより先に、その鈴慕の曲ってやつはいったい、何だね、何を意味しているんだか、弁信さん、お前はものしりだから、そいつから先に教えておくんなさいな」
「それは、わたしでなくったって、少しでも尺八のことに心得のある人は、鈴慕の名前ぐらいは誰でも知っていますよ、また相当に稽古をした人は、吹けといえば誰でも吹きましょう、別に珍しい名前でもなければ、秘曲というほどのものでもございません。ですから、私共のようなものでさえ、こうして耳を澄ましていますと、ははあ、あれは鈴慕だな、と忽《たちま》ちに合点《がてん》を致すのでございます。で、私も、これまで堪能《たんのう》の方々から、鈴慕を聞かせていただいたことは幾度かわかりません、聞かせるには聞かせていただきましたけれど、不敏な私には、どうしても今まで、掴《つか》むものが掴めない心持でおりました、それを今晩という今晩は……身にしみじみと思い当ることがございました」
「おどかしちゃいけないぜ、弁信さん」
 ピグミーが、突然に頓狂な声でこう言いましたから弁信が、ハッとして、両手で自分の胸をおさえました。
「な、なにを言うのです」
 弁信としては珍しく、唇をわななかせながらピグミーの言葉を聞きとがめると、ピグミーがせせら笑って、
「ホンとにおどかしちゃいけないよ、弁信さん、お前の身体が二つに割れてらあ」
「え」
「そらそら、肩から胸へかけて、すっと糸を引いたように二つに割れて、そこから絹糸のような血が流れていらあ」
「有難う、私も、そんなことだろうと思いました、拭きましょう」
 いったん、驚かされた弁信が、静かに懐中へ手を入れて、真赤に染った白布を引き出しながら、
「どうも折々、こういうことがあって困ります、いいえ、別段に痛むのなんのというのではございませんが……それはそうとしまして、今のその鈴慕《れいぼ》の曲ですな、出過者《ですぎもの》の私は、鈴慕の曲を聞かせていただくごとに、堪能の方々にこれをお尋ねを致してみたのでございます、いったい鈴慕の曲は、どなたの御作曲で、どういう趣を御表現になったのでございますか、そのお方は、その時代は――と生意気千万にも、繰返し繰返しておたずねを致してみましたが、不幸にして、どなたも私のために、明快な御返事を与えて下さる方がございませんでした。ただ伝来の本曲がこうと教えられているから、この手を吹いているのみだ――とこう御返事になるのが常でございました。そのうち、もう少し進んだのが、あれは尺八中興の祖黒沢琴古が、わざわざ長崎の松寿軒まで行って、ようやく伝えられて来た本手の秘曲である、琴古は、虚空《こくう》と、鈴慕の秘曲を習わんと苦心しましたが、当時の先達《せんだつ》が、誰も秘して伝えてくれないものですから、遥々《はるばる》と長崎までたずねて行って、ようやくあの『草《そう》』の手を覚えて来て、伝えているのが今の琴古流の鈴慕だ、と教えて下さる方がありました。そこで私は例の出過者の癖と致しまして、では琴古さんが伝えたといわれるそれが『草』の鈴慕ならば、当然『行《ぎょう》』と『真《しん》』とが無ければならないはずでございますが、その行と真との鈴慕は、どなたが伝えておいでになりますか、それを秘して黒沢琴古に伝えなかったという先達は、誰からそれを許されたものでございますか、その次第相承のほどを承って、根元にさかのぼりたいとこう考えたものでございますから、随分しつこく、その都度都度に、人様にたずねてみましたけれど、ついにわかりません。これまで吹く人も知らないで吹き、聞く人も知らないで聞き、そうして、そこに疑いを起す人すらもなかったということに、かえって、私が驚かされたような有様でございました。尤《もっと》も私に、臨済《りんざい》と、普化《ふけ》との、消息を教えて下すって、臨済録の『勘弁』というところにある『ただ空中に鈴《れい》の響、隠々《いんいん》として去るを聞く』あれが鈴慕の極意《ごくい》だよ、と教えて下すった方はありました。その時、出過者の私は、その方に向って、ではあの尺八の鈴慕は、普化禅師の脱化の鈴の音そのままを取った響なのでございますか、或いは、臨済大師がお聞きになった鈴の音をうつしたのでございますか、とこう申しますと、その方が、イヤそうではない、そのいずれでもない、普化禅師に法を受けた張伯というものがあって、これが洞簫《とうしょう》――今でいう尺八を好くし、普化禅師の用いた鈴の代りにその洞簫を用うることにした、それが鈴慕の起りである――と斯様《かよう》に教えて下さいました時、またしても出過者の私が、それではあの鈴慕は張伯の鈴慕でございますか、と尋ねました。つまり私の心持では、鈴慕は臨済大師の鈴慕か、普化禅師の鈴慕か、ただしはその張伯という方の鈴慕か、ぜひともそれがお聞き申してみたかったのですが、私のたずね方が要領を得なかったせいでしょう、かえって私が叱られてしまいました。ところが今晩になってみますと、そんなことをしつこくたずね廻った私というものの愚かさが、つくづくと身に沁《し》みて参りました」
「どうです、傷は痛みますか」
とピグミーが言いました。
「別段、痛みはしませんが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんともございませんが、どうかすると、弁信さん、お前は大変な怪我をしているではないか、肩から左の脇腹まで、袈裟《けさ》がけに刀を浴びせられていますね、よくその傷が治《なお》りましたねえ、痛みはしませんか、とこう言われて、はじめて私が驚くのでございます。私自身にはなんとも、痛みも、痒《かゆ》みも、残るのではございませんが、人様がそうおっしゃって、私を慰めて下さるので気がつきます。着物の上からまで、そんな創痕《きずあと》が見えるんでございますか知ら」
 弁信が白い布を懐《ふとこ》ろへ入れては出し、入れては出しして見せる。それが、その度毎に血に染まっているのです。弁信自身は、拭うても、拭うても、拭いきれぬ血を拭いているとは思わないでしょうが、見ているピグミーは、眼を皿のようにして、そのおびただしい血痕が、弁信のいずれの肢体から滲《し》み出でるのだか、驚惑と、興味と、恐怖とに駆《か》られて見ていたが、やがて気の毒そうに、
「弁信さん、お前もかなり疲れているから、お休みなさい、おいらはこれから出かけます」
「そうですか、お前さん、これからどこへ行きます」
「そうさね、どこといってべつだん当てはないのだが、お前のいま言ったその信濃の国の、白骨《しらほね》というところへでも行ってみようかと思っているのさ」
「あ、そうですか、白骨へ行きますか。白骨へ行きましたら、皆さんによろしく」
「それじゃお前、弁信さん、横になってゆっくりお休み、おいらはこれで失礼するから」
といってピグミーは、軽快に立ち上り、またも籠目形の鉄瓶のつるに足をかけて、自在竹をスルスルとのぼって、天井の簀《す》の間に隠れてしまいました。
 弁信が熊の敷皮の上に横になったのは、そのあとのことで、横になると肱枕《ひじまくら》にスヤスヤと寝入ってしまいました。

         三

 同じ夜の、同じ時刻のことです。
 ところは、信濃の国の、白骨の温泉への山路を急ぐ一人の旅人がありました。
 外は満天の月光でありまして、地は一面の雪であります。
 白骨への嶮山難路を、今の時候に、今の時刻に、しかもひとり旅で辿《たど》るということは、全く思い設けぬことで、何か非常の用向があるか、そうでなければ、ついつい道に迷って、松本平へ帰ることもできないし、そうかといって飛騨《ひだ》の国へ出ようというのは途方もないことです。
 弁信に向ってピグミーが、これから白骨へ出かけてみると言うにはいったが、ここに現われたのは、いくら遠目に見ても、そのピグミーでないことは、姿と、形と、足どりを見さえすれば、誰にもわかることです。
 この時代と、年代とに、雪の白骨道を夜歩くということは、全く途方もない現象というべきで、その人柄と、用向とも、全く想像のほかと言わなければならないが――この旅人《りょじん》には相当のあたりがついていると見えて、さのみ臆する模様もなく、道に迷うている者の姿とも見えず、ほぼ白骨温泉場の道をたどりたどって、ともかくも、梨ノ木平のあたりを無事に過ぎて、つい[#「つい」に傍点]通しの渓流のところまで、さまで深くない雪を踏み分けて、歩み来ったものです。
 そうして、つい[#「つい」に傍点]通しの橋上にかかる時分になって、右しようか、左しようかと、ちょっと思案に立ちどまった時、ふと耳にさわる物の音を聞きました。
 それが例の鈴慕の曲なのです――だが、この旅人は、虚空がどうして、鈴慕がどうしてと、聞きわけるほどの耳を持合わせずに、ただ、笛が鳴る、短笛だ――意外にして意外でないと、足を留《とど》めて、耳をすましただけのものであります。
 この旅人というのは、まぎれもなき宇津木兵馬であります。
 こうして宇津木兵馬は、鈴慕の笛の音に引かされて、白骨の温泉の湯元まで、知らず識《し》らず引寄せられて来ました。
 しかし、兵馬がこの温泉場近いところまで来た時分には、笛の音は全く絶えておりました。
 その時分、温泉宿の中では、池田良斎と、北原賢次とが、炉辺《ろへん》で面《かお》を見合わせ、
「やっぱり鈴慕ですよ、ですがあの鈴慕は、琴古の鈴慕とは少し違うようです」
と北原賢次がまず言いました。北原は、相当に尺八についてのたしなみ[#「たしなみ」に傍点]があると見なければなりません。
「なるほど、今のが鈴慕ですか」
 良斎が言いました。これを以て見れば、良斎の方は、尺八の音について、さまでの造詣《ぞうけい》はないものと見てよろしいでしょう。
「鈴慕には違いないと思いますが、少し手が違います、琴古の手とは手が違うが、音そのものに思わず引きつけられました」
「尺八のわからない拙者も、なんだか、こう聞いているうちに、遠いところへ持って行かれるような気分で、人生の物の哀れとか、悲壮な超人の心の痛みとかいうものに誘われて、縹渺《ひょうびょう》とした心持にされていたのが不思議です。いったい誰だい、あれを吹いていたのは」
「左様、村田寛一ではありませんか」
「いいえ、村田ではない、村田は浄瑠璃《じょうるり》はお天狗だが、尺八の方は、あれまではやれまい」
「では市川君」
「市川は、喜多流の仕舞《しまい》を自慢にしてはいるが、尺八を吹くといったことを聞かない」
「中口ではありませんか」
「中口は、腰折れの悪口こそは言うが、尺八などはわからない男だ」
「そのほかに、われわれの同勢では、あれだけに尺八を吹ける男はありませんね」
「そうさ、もし、ここに君がいなければ、あれは北原だ、と誰も信じて疑わないところだが、あいにく、その当人がここにいてみればなあ」
「今まで、時々、尺八の音が聞えたようでしたが、われわれ仲間の誰かのすさびと思うて、さまで気にも留めませんでしたが、今日という今日は問題です、あの尺八の主《ぬし》が疑問ですよ」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]の君が聞いて、問題になるほどの腕がありますか」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]は恐れ入りましたが、今のはかけ出し[#「かけ出し」に傍点]のわれわれを動かすだけの味は十分です。だが、あれとても決して、くろうとの吹き方ではありませんでしたね。といって、全くのしろうとではありません」
「どうだい、君、ひとつ、ここで合わせてみたらどうだ、ちょうど、そこに一管がある、君の堪能《たんのう》でひとつ、返しを吹いて見給え」
といって池田良斎は、壁の一隅に立てかけてあった一管の笛に眼をとめました。
 誰か湯治客がこの辺で竹を取って、湯治中の消閑《しょうかん》に、手細工を試みたものでしょう。それを北原に取らせようと慫慂《しょうよう》するのを、北原は首を左右に振って、
「いけません、物笑いですから、よしましょうよ」
と受けつけませんでした。本来、北原賢次は、あまり遠慮をしない男で、所望に応じては、ずいぶん臆面なく吹く方ですが、この時は、なにゆえか謙遜してしまいました。
「君にも似合わない」
と良斎から言われても、北原は、
「及びもつかないことです」
と打消しました。
「いやに、イジけてしまったね」
と追究されても、北原は意地を張らず、
「真打《しんう》ちが出てしまったあとに、ヘボが、わがものがおに飛び出すほど、お笑い草はないでしょう。昔、観世太夫が……」
 北原が、自分の笛を吹かない申しわけに、観世太夫へ尻を持って行くのは飛び離れている、と良斎が思いました。
「観世太夫が、ある時、客に伴われて、とある温泉に逗留《とうりゅう》したことがあったと思召《おぼしめ》せ、その隣室に謡好きがあって、朝夕やかましくてたまらないものだから、太夫が客に向って曰《いわ》く、あの謡をやめさせてみましょうか、どうぞ頼む――そこで観世太夫が朗々として一曲を試むると、隣室の謡がパッタリと止まった、その日も、その翌日も、それより以来、隣室では謡の声が起らない――しかるところ、数日して隣室の客が代ると、また謡がはじまった、太夫殿、あれをひとつ頼む、先日の伝であれを退治してもらえまいか、太夫、答えて曰《いわ》く、あれはいけませぬ、どうして……先日のは下手《へた》といえども、自ら恥ずることを知るだけの力が出来ている、今度のは言語道断……恥というものを知らないから、拙者の謡を聞いても、逃げないで一層のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上るに相違ない」
という話を、北原賢次が、池田良斎に向って物語ると、良斎が、
「全く世に度し難きは己《おの》れを知らざる者と、恥を知らざる者共だ」
 哄然《こうぜん》として笑いました。
 これでもか、これでもか、といよいよすりよって、いよいよその醜があがる。御本人は気がつかないで、そばで見ている時に、気の毒と、滑稽とがあるのみだ。
 望まれて、尺八を取ろうともしない北原賢次は、それでも己れを知るゆか[#「ゆか」に傍点]しさがあろうというものである。
 その時、外の戸を、ホトホトとたたいたものがあります。
「たのみます、おたのみ申します」
 これが盛りの時であったなら、戸をたたいたり、案内を乞《こ》うたりするまでのことはないはずなのが、空屋《あきや》同然の今の場合では、それでも容易に応ずる者が無いものですから、
「たのむ――」
と声も高くなり、たたく音も強くなりましたから、北原賢次が聞咎《ききとが》めて、
「誰だい」
といって、立とうとはしません。多分、山へ行った猟師が戻ったものだろう、とは思ったが、猟師ならば、頼むも、頼まないもあったものではない、大戸をあけて、ここへ入り込んで、両足を炉縁《ろぶち》に踏込みながら、獲物《えもの》の自慢話をはじめるのが例になっている。
「どなたもおられぬか――案内をたのみますぞや」
「はてな」
 全く、この冬籠《ふゆごも》りの一座には、聞きなれぬところの声であるから、北原賢次が、ようやく身を起しかけました。
「おかしいな、全くふり[#「ふり」に傍点]のお客らしいが……出てみよう」
 ともかくも、一番先にそれを耳にした人に、出て応対をしてみる責めがあると観念して、北原は立って、
「新助さんかね」
「旅の者でございます、少々尋ねる人があって、これへ入り込みました」
「何、たずねる人があって、いまごろ、今時分、ここまでおいでになった……」
「御免下さい」
 北原賢次が土間へ下りて、ありあわせの草履《ぞうり》を突っかけて、戸をあけにかかった時、ふと本能的に、自衛の念にかられないでもありません。
 秋からかけて、冬籠《ふゆごも》りでさえ異例であるこのところへ、新たに入り込み来《きた》る人、しかも、まだ深くはないと言いながら、この雪、この夜、人を尋ねるといって来たその人の正体が、油断ならない。尋ねられるほどの人がここにいるか、もし目ざされるとしたら、われわれこそとりあえず、その最も注意人物でなければならぬ。
 そうでなければ、いわゆる、狐狸というようなお愛嬌者《あいきょうもの》が、型の如く人間を笑わせに来たのか、ともかくも、相当の心持であけてみる必要がある。ガラリ(戸をあけた音)――
「これはこれは、不時におたずねして済みませぬ」
 それは存外穏かな、まだ若い旅のさむらい。

         四

 宇津木兵馬は、北原賢次に案内されて、例の炉辺《ろへん》までやって来ました。
 そこで池田良斎に引合わされ、北原賢次にも改めて挨拶をする。
 少しばかり話をしてみた時に、兵馬が、これがこの宿の主人か知ら、宿の主人ではあるまい、と感じました。
 それにも拘《かかわ》らず、二人は今、炉にかけた鍋の中から、熟した甘藷《さつまいも》を箸でさして突き出して、盆の上に置き並べ、
「さあ、珍しくもありませんが、一つ召上れ」
と兵馬にすすめました。これはふかしたての薯《いも》ではありません、ゆでたての薯であります。
 珍しくないと、主人側はことわったけれど、この場所では、非常な珍しい物であるのみならず、かなり飢えていた兵馬にとっては、美快なる食慾をそそるに充分でありましたから、やがて辞儀なしにその薯を取って食べました。
 二人もまた、同時にそれを取って食べはじめます。
 蓋《けだ》し、この二人が、今まで炉辺を囲んでいた理由は、この薯の熟するを待っていたものでしょう。そこで今度は、珍客としての兵馬を中心に、食べながら話の緒《いとぐち》が開かれました。
「どちらからおいででござった」
「檜峠というのを越えて参りました」
「して、お国は?」
「数年来、諸国を遍歴して歩きまして、昨日は松本を出発いたしました」
「当地へは、はじめて?」
「全く思いがけぬ旅で、これへ入って参ったと申すよりは、いざなわれて参りました」
「お一人で?」
「中房《なかぶさ》を出る時に、連れが一人ありましたのですが、その連れにはぐれたものですから、それを追いかけるような気分で、つい知らず、この白骨へまぎれ込みました」
「追いかけるような気分で、とおっしゃるのは異様ですな、お連れの方にはぐれてはさだめて御迷惑と存じます」
「連れと言いましても、切っても切れぬ道連れではござりませぬ、ふと中房の温泉で同行を頼まれましたものですから、よんどころなく、一緒には参りましたが、実はどうでもよい道連れだと存じておりましたところ、離れてみて、はじめて自分の責任を感じたようなわけでござります」
「ははあ」
「もしや、この宿へ、婦人を連れた二人のさむらい体《てい》の男が、参ったような様子はございませんか」
「左様、この数日の間には、左様な来客はございません」
「途中、これは見込違いと存じました、これは到底婦人を連れて来る道ではないと、つくづくそれをさとりましたが、引返すのも心残りで、これまで入り込んでしまいました」
「それはそれは。婦人でも、足の達者なものは不可能ということはありませんが、それは季節に限ったものです」
「あなた方は、この土地のお方でございますか、それとも、逗留《とうりゅう》のお客なのでございますか」
と兵馬の方から、良斎と賢次とに、問い返してみますと、
「いや、われわれは土地の者ではござらぬ、これでも外来の客でござるが、その外来の客が、主人|面《づら》をしているようなていたらく。十一月になれば、宿のまことの主人をはじめ雇人に至るまで、家の戸を釘づけにして里へ下るところを、われわれが引受けて、留守居がてらの冬籠《ふゆごも》りでござります」
と答えたから、兵馬はなるほどと思い、なおこの冬籠り連も、必ずしもただものではないらしいと思いました。
「何はともあれ、もう、夜もふけたげに思われます、さだめてお疲れでございましょう、室はこの通りたくさん明いてござるゆえ、しかるべきところをえり取りにしてお休み下さい。それ以前、湯槽《ゆぶね》を御案内いたしましょう」
 北原賢次が、兵馬の疲れを見て取って、またも自分が案内に立ちました。
 好むところの一室を与えられ、夜具も豊かに着せられて、その夜を安らかに寝た宇津木兵馬が、どうしたものか、翌日から頭が重くなりました。おびただしい熱が出たのです。
 原因はどこにあるかわかりませんが、広い意味で、傷寒《しょうかん》の一種といっていいでしょう。それにかなりの心労もありますからな。
 熱が出て、体がわなわなとふるえるものですから、兵馬は、強《し》いて起きない方がよいと思いました。幸い、ここは主人の方で取持ちをしようとも、主人に向って気兼ねの必要のない旅籠屋《はたごや》のことですから、よしよし、今日は寝るだけ寝てやろうと思いました。
 熱もようやく高まるし、体のふるえは、寝ていながら歯の根が鳴るようですが、兵馬は強いて起きないと心をきめたものですから、その中に幾分安んずるの心持もあります。枕元の振分けには、いささか医薬の用意もあるが、それにはまだ手も触れません。
 兵馬が度胸を据えて寝ているところへ、北原賢次がやって来ました。
「おや、御病気ですか、それはいけませんなあ」
と北原は早くも、看病する者のなき一人旅の若者に、まず同情の色を見せて近寄ると、
「少し疲れが出たところへ、かぜをひいたものでしょう、たいしたことはありません」
 兵馬は寝返りを打つと、北原が、
「それは何かと御不自由でござろう、お待ち下さい、拙者がひとつ、出直して看病に来て上げますから」
「それには及びません」
 気軽な北原は、独《ひと》り合点《がてん》をして出て行ってしまいました。
 兵馬は、この辺で起き上ろうと思いました。来て早々、人の厄介になるのは心苦しいと感じたからです。しかし、自分の力で、自分をもてあますほどに、筋肉が結滞しているのを感じました。
 若い兵馬は、病気というものを、外気の傷害と見るよりは、自分の不鍛錬の結果と見ることが多いのです。また、今までの教育されぶりが、ほぼそのように教育されておりました。
 人の意志が緊張し、精神が充実している時には、病気は近づかないはずである。それが衰えるから病気になるのだ。つまり、外気よりも内心に責任を置いているのだから、病気という時には、まず何物より自分の意志の薄弱を恥ずるのであります。
 今も、やはりその廉恥心《れんちしん》から、兵馬は、無理をして起きなければならないと感じたのです。かりそめにも、このくらいのことで、自分で自分の始末ができず、宿へついて早々、人の世話になるということの、いさぎよくないのを恥辱として、兵馬は、北原賢次が再度にやって来るまでに、少なくとも床を離れていなければならないと感じました。
 しかし、身を動かしてみると、意外に自分の身体《からだ》のダルさ加減の、いつもと違って甚《はなは》だしいのに驚かされ、起きて衣裳を改めてはみたが、ほとんど自分の身体が持ち切れないほどのめまいを感じましたから、じっと心を締めて、形ばかりの床の間に向って、結跏《けっか》を組みはじめました。
 ここで兵馬は衣裳を改めて、床の間を前に端坐して、この、まだるい、悪寒《おかん》の、悪熱《おねつ》の身を、正身思実《しょうじんしじつ》の姿で征服しようと企《くわだ》てたのらしい。
 しかし、寝ていてあれほど悪かったものが、起きて襟《えり》を正して端坐してみたからとて、そう急に納まるべきはずもありません。そう急になおるほどのものとすれば、誰も好んで寝ているものはないでしょう。兵馬はあらゆる緩慢悪寒の不快をこらえて、正身の座を崩しませんでしたが、五体のわなわなとふるえるのを如何《いかん》ともすることができません。
 ここで熱い湯を一杯も飲んだなら、そうでなければ冷水の一つも振舞われたら、時にとってのよい点心《てんじん》になるかも知れない、と思ったけれど、あたりに鉄瓶《てつびん》もなければ、火鉢もない――ああ、やっぱり寝ていた方がいいなと思いました。

         五

 そこへ、
「ご免なさいませ」
と入って来たのは、北原ではなく、髪を洗い髪にして、後ろに結んだ妙齢の一人の女の子であります。
「はい」
「おや、もうお起きあそばしましたか、御病気だそうでございますが、およろしうございますか」
「ええ、どうやら、よくなりましょう」
 どうやら、よくなりましょう、というのは、かなり苦しい言いわけでしたが、兵馬は事実、苦しい言いわけをするほど苦しいらしい。
「お休みなすっておいであそばせ、北原さんが御看護においでなさるとおっしゃるのを、わたしが代って上りました」
「それはそれは、どうも少し疲れたものですからな」
「ここに、熱いお湯と妙振出《みょうふりだ》しがございますから、熱いのを一杯召上って、お休みなさいませ」
 渡りに舟である。病気そのものが渇望していたところのものを、棚から牡丹餅《ぼたもち》的に与えられたことの喜びが、兵馬の苦痛を和《やわ》らげずにはおきません。
「では、せっかくの御好意を遠慮なく」
 片手をのべて、熱い湯の湯呑を受取ると、グッと一口飲みました。この一口の湯が、兵馬の五臓六腑までしみ渡って、渇する者に水とか湯とかいう本文通り、一口の湯が全身心に反応しました。
 禅家で点心《てんじん》というが、一片の食を投じて、霊肉の腐乱《ふらん》を済《すく》うという意味通りの役を、この一口の湯が、兵馬のすべてに向って与えたようです。
「ああ――」
と、甘露《かんろ》にしては少し熱いが、ほんとうに熱い甘露であったと、兵馬は、つづいて二口三口と飲んで息をつきました。
 その間、今これを持って来た娘は、かいがいしく兵馬の後ろに廻って、兵馬が一旦、まくし上げておいた蒲団《ふとん》を、再び丁寧《ていねい》に敷き直した上に、
「これではお寒いでしょう」
と言って、唐紙《からかみ》をあけて次の間へ入ったと思うと、早くも、二枚ばかりの蒲団を持って来て、その一枚を以前の上へかけ増して、
「どうぞ、お休みあそばせ、無理をしてはお悪うございます、ただいま、お火を持って来て上げます、それから朝の御飯は、お粥《かゆ》をこしらえて差上げましょう」
 そこで兵馬も、その好意を有難く受けて、
「どうも飛んだお世話になります、ではお言葉に甘えて、粥を少し、こしらえていただきましょうか、それに梅干の二つもあれば結構でございます」
と答えると、
「よろしうございます、この通りの山の中の冬籠《ふゆごも》りでございますから、お口に合うような物のあるはずはございませんが、何か見つけて参りましょう。よほどお疲れの御様子でございますから、御無理をなされずに、ゆっくりお休みあそばせ」
 為めを思ってすすめるものですから、兵馬もその親切に、我《が》を張る勇もなく、
「それでは、御免を蒙《こうむ》るとして」
 彼は再び上着をぬいで、寝床に入ろうとするのをあとにして、娘は出て行きました。
 この娘が出て行ったあとで、兵馬は、親切な娘だという感じを催すことを、とめることができません。
 それにしても、この宿の女中ではない、この宿の娘か知らん、どうも気分がそうでもないようだ。しからば、人に連れられて、この山の奥に冬籠りをすべく逗留《とうりゅう》している客のうちの一人か――
 そうだろう、それに違いない。旅は相身互《あいみたが》いで、さいぜんの男の人が看病に来るというのを、女の方が看病にふさわしいから、好意で代って来たものに違いない。とにかく、感じのいい、気分の熟した娘だとは思いやっているが、兵馬は身の苦痛にまぎれて、その娘の面《かお》をよく見ておきませんでした。
 宇津木兵馬が、この白骨の温泉へ入り込んで来たのは、偶然に似て偶然とはいえません。
 中房《なかぶさ》から意外な女の人と道づれになって、その女を途中でさらわれてしまい、どうでもいいようなものだが、勃然《ぼつねん》として、思いあたって、義において見殺しはできないという心から、追いかけて一旦は松本へ出たが、それからハタと思案に余った念頭を暗示するものがあって、ついにこの白骨の温泉へ入り込んだのです。
 そうでなくても兵馬は、中房あたりに行くより先に、この温泉へ、一文字に突出してみなければならぬはずではあったのです――というのは、甲州の月見寺で清澄の茂太郎に尋ねた時に、たしかにハッコツという呼び名は聞かされているのです。
 ハッコツから一歩機転を働かせれば、当然シラホネになるのだから、さてはと、胸を打って、まっしぐらにこのところへ来て見るのが順序であるべきものを、あちらこちらに停滞漂浪していたのは、この機転を働かせるほどに白骨の温泉の名が、人の耳目に熟していなかったと見なければなりません。
 まして、今、ここに来た娘は、あれは月見寺のお雪ちゃんです。
 兵馬が、お雪ちゃんの世話になったのは、今に始まったことではない。また兵馬も、お雪ちゃんを強盗の危《あや》うきから救ってやったこともある浅からぬ因縁《いんねん》が、ここまでめぐり来たっているということを、おたがいにこの時は少しもさとりませんでした。
 兵馬は、病気の苦痛で人の親切を受けても、その人柄までを、充分に見る余裕はなかったとはいえ、お雪ちゃんが気がつきそうなものだが、それとても、今時こんなところで、旧知の人を見ようとは想像以外であったのか、或いは兵馬そのものが、旅疲れでやつれ果て、見違えられていたか、とにかく、充分に因縁のある二人が、ここで、奇遇に驚いて、あっ! とも、おや! とも言わなかったことが不思議でした。
 しかし、当然、約束しておいた仕事、火を持って来ることだの、お粥《かゆ》をこしらえることだの、矢継早《やつぎばや》に、この室を重ねて見舞わねばならぬはずになっていますから、今度見えた時こそ、二人の底が割れて、アッとしばし呆《あき》れ返る幕が見られるはずなのを、皮肉といおうか、これも偶然といおうか、火と、炭と、お粥とを持って来たものは、約束のお雪ちゃんではなくて、洒然《しゃぜん》たる北原賢次でありました。しかも、その北原賢次が入り込んで来た時に、宇津木兵馬が眠っていたということも、ゆくりのないことです。
 兵馬は熱をとってしまおうとして、用意の薬を熱湯に注いで頓服し、そうして蒲団《ふとん》の温みに圧《お》されて、昏睡的《こんすいてき》に眠りに落ちた時分に、北原賢次はお雪に代って、粥と、火と、炭と、アルバムとを持って来たのですが、兵馬の熟睡を見すまして、そっとそれらのものを枕もとに、程よく配置しておいて、直ぐに出て行ってしまいました。
 兵馬が眼をさましたのは、それよりズット後のことで、ほとんど熱もとれて、頭も軽くなった気分で、枕もとを見ると、そこにかなりに行届いた待遇がしてあるものですから、兵馬は、あの親切な娘さんのしてくれたことだとこの時も感謝の念、と同時に、兵馬は、薬缶《やかん》や土鍋《どなべ》類とは別にして、左の方の蒲団わきに、見なれない一冊の画帖のあることを認めました。
 自分のものでない限り、誰かが来《きた》ってここにさし置いて行ったものである。誰かというまでもなく、それは、この火と、炭と、薬缶と、土鍋と、茶道具とを持って来てくれた、親切な人――その人が、旅宿の無聊《ぶりょう》と、病気の慰安とを兼ねて、自分のために、この画帖を貸与してくれたのだとは問うまでもなきことで、兵馬は粥を温めるの手数よりも、その心の慰安がうれしくて、うつぷしに寝返って画帖に手を触れました。
 それは折本になっている布装の書画帖で、中に記されたところのものは、多分、この宿に逗留《とうりゅう》の客人の、消閑《しょうかん》の筆のすさびでありましょう。
 まず巻頭に、万葉仮名《まんようがな》がいっぱいに認《したた》められてあるが、これは、ちょっと読みにくい。
 その次が、かなり癖のある強い筆跡で、
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子房未虎嘯(子房《しぼう》未《いま》だ虎嘯《こしよう》せざりしとき)
破産不為家(産を破り家を為《をさ》めず)
滄海得壮士(滄海《そうかい》に壮士を得《え》)
椎秦博浪沙(秦《しん》を椎《つい》す博浪沙《ばくろうしや》)
[#ここで字下げ終わり]
 これは有名な詩であるが、ただ、ちょっと兵馬の目ざわりになったのは、
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我来※[#「土+巳」、第3水準1-15-36]橋上(我れ※[#「土+巳」、第3水準1-15-36]橋《いきよう》の上《ほとり》に来り)
懐古欽英風(古《いにし》へを懐《おも》ひて英風を欽《した》ふ)
唯見碧流水[#「碧流水」に傍点](唯だ見る碧流《へきりゆう》の水)
曾無黄石公(曾《かつ》て黄石公《こうせきこう》なし)
[#ここで字下げ終わり]
というところの「碧流水」の三字です。
 普通は、誰も「ただ見る碧水の流るるを」とか、「ただ碧水の流るるを見る」とか吟じたがり、現に唐詩選にもそのように出ているはずなのを、この筆者は「唯見碧流水」と書いている。碧流水[#「碧流水」に傍点]ではおかしい、多分、筆勢のあまりで間違えたのだろう――というように、兵馬は見てしまいました。
 その次には、次のような文字が、無雑作《むぞうさ》に書き飛ばしてある。
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敵は大勢
味方は一人
頼むお前は二心
[#ここで字下げ終わり]
 ざれがきではあるが、兵馬はちょっと考えさせられました。
 さてその次には、多分ここの温泉風呂の浴槽の写生かと思われるが、かなり心得のある四条風の筆法で、二頁大の一方に、あちら向きの妙齢の裸体美人を描いて(あちら向きだから、面《かお》は美しいか美しくないかわからないけれども、その姿から見て、美人といってもさしつかえなかろうと思われる)その左の一面に賛《さん》をして、「こちら向かんせ、雪の膚《はだえ》が見とうござんす」というようなたわごと[#「たわごと」に傍点]が書いてある。
 その次には、一人の武骨な男が、得意になって三味線をひいていると、その前に、鬼が唐辛子《とうがらし》を持ちながら、しきりに涙を流しているところがある。何の意味だかわからないが、鬼の唐辛子を持っているところが奇抜でもあれば、おかしみもあると思いました。
 その次には、猟師が熊狩をしているところがある。これも四条風の筆法で、前の後向き美人を描いたのと同一人の筆と見える。月の輪の大きな熊が、上からのしかかって来るのを、下にくぐって槍で突き上げるきわどい[#「きわどい」に傍点]瞬間を巧《たく》みに描いて、
[#ここから2字下げ]
不入熊穴不獲熊親
[#ここで字下げ終わり]
と賛がしてある。その次には夜半堂の筆法で、軽妙に近い俳画が描かれて、上に一茶調の俳句が題してある。
 大体、そんなような戯画《ざれえ》と楽書《らくがき》で、ほとんど巻の大半がうずめられていたが、そのうちで兵馬が異様に感じたのは、ただ一つの女文字が所々にはさまれて、それは多くは歌が認《したた》められている。
 歌のことは兵馬にはよくわからないが、手はなかなかよく書いてあると思いました。全くの素人《しろうと》では、なかなか色紙《しきし》、短冊《たんざく》に乗らないものだが、この女文字は板についていると感じました。
 歌も一通り読んでみましたが、いずれも白骨温泉の生活を中心としたもので、山岳をたたえたものもあり、浴中の人事をうたったものもあり、長いのもあり、短いのもあるが、いずれも兵馬の感心するものばかりです。
 そうして、どれも最近の墨の香《か》がするから、この夏の末に去った人ではない、現にここにいる人のうちの筆のすさびに相違ない、とすればこの女の人は、さいぜん親切に自分を介抱してくれた娘さんだ、あの人に違いない。
 宿の娘ではないし、誰か連れがあって冬籠《ふゆごも》りをする逗留《とうりゅう》の客に違いない。その連れはいずれも相当の教養もあり、風流も解する人だ。旅客で、悪客と隣するのと、好客と泊り合わせるのとは、非常な幸と不幸とであると、兵馬はそんな感じを受けながら見ると、女文字の和歌には、どれにも「雪」という名がしるしてあります。

         六

 同じ日の夕方、机竜之助は、炬燵《こたつ》を前にして、端然と腕組みをして首低《うなだ》れていました。
 この時は、九曜の紋のついた黒の衣裳で、髪かたちも、さまで乱れてはいず、膝は炬燵の中へ入れないで、さながら、お行儀よくお膳に向った時のような姿勢で坐っています。
 尺八は少し離れたところの机の上にあって、膝のわきには二本の刀が、これも瀞《とろ》につながれた筏《いかだ》のようにおだやかに、一室の畳の上に游弋《ゆうよく》している。
 このごろは、お雪も、久助も、あまりこの室へはおとずれないらしい。
 それは、この室の主人がそれを好まないせいか、或いは二人が、なるべくこの人に遠のいていた方がいいと感じたものか、どうかすると、どちらも、その存在を忘れてしまっているのではないかと疑われることさえあります。
 それでも、一日に一度は思い出したように二人のうちの誰かが、おとずれて見ると、どこへ行ったか姿が見えないことがあります。
 それでも気にしないでいると、いつのまにか、おだやかに戻っていて、やがて尺八の音《ね》がしだしたりするものだから安心します。
 お雪と、久助にさえ、存在を忘れられるくらいだから、まして同宿のほかのものが、聞きとがめたり、見とがめたりすることもなく、ただ、例の尺八の時だけが問題になるのだが、それだって、この家の一角に左様な人ありて、左様の曲を奏しているとは気がつかず、ただ、その音色《ねいろ》だけが問題になって、主《ぬし》はあらぬ方へ持って行って、かたづけられてしまうことが多いのであります。
 存在を忘れられるということは、死に近づいたことを意味するか、そうでなければ、生に充実しきって、たたいても、動かしても、音のする余地がない時のことでしょう。
 ひとり、この男のみは、死でもなく、生でもなく、存在の間《かん》に迷溺《めいでき》していること、昨日も、今日も、変りがありません。
 申し忘れたが、この一室にも、やはり角行燈《かくあんどん》の一基が、炬燵《こたつ》の彼方《かなた》に物わびしく控えていて、何か話しかければ物を言いたそうに、話しかけないでいれば、先方から物を言いたそうに、しょんぼりと控えていることであります。
 尋常ならば、その物欲しげな、ぽっかり[#「ぽっかり」に傍点]とあいた口へ火が入って、待ってましたといわぬばかり、ぽっかりと明るくなる時分なのですが、自分の存在にさえ無頓着なこの室の主人が、行燈の存在などに、かまっていられるはずがありません。
 冷遇せられたる行燈――これもまた天下にみじめ[#「みじめ」に傍点]なものの一つであります。清少納言は、すさまじきものの中に「火おこさぬ火桶《ひおけ》」を数えているが、夕暮になって火の入らぬ行燈は、それよりも一層、すさまじいものかも知れません。
 その、すさまじい行燈でさえが、無聊《ぶりょう》と、冷遇と、閑却と、無視との間に、何か一応の怨言《うらみごと》をさしはさんでみようとして、それで何を恐れてか、それを言い煩《わずろ》うているほどに荒涼なこの一室。つまり、本来ならば、行燈そのものが化けて出そうなこの夕暮に、御当物《ごとうぶつ》が化けそこのうて、身動きもできないで、しょんぼりとすくんでいるこの笑止さが、話にも、絵にもならないのです。
 室の主人は、今、腕組みをしている手をほどいてみたが、別段、深い冥想《めいそう》の底から、安祥として、現世の色界《しきかい》に戻って来たという足なみでもなく、そうかといって、退屈しきって、所在なさに、四肢の置き場と、顔面筋肉とを、無意味に変化させてみようというのでもない。動いてはじめて存在が知れたような透明な、しかし白濁な色を以て、ちょっと身動きをしてみたまでであります。
 腕組みを解くと共に、ちょっとまた小手が動くと、するすると座右の刀が膝に上って来ました。
 この人のは、刀を手にとるのではない、合図をすれば刀が膝に上って来るのです。ちょうど、乳を求むる子が、母の膝に本能的にはい寄るように――そこで刀が膝に上って来た時は、当然それに乳を与えねばなりません。
 刀が膝へ上った時に、向うの襖《ふすま》の下へピグミーが現われました。
 それは多分、弁信の前へ現われたピグミーと同一|眷族《けんぞく》のものに属するのでしょう。そうでなければ、全く同一物かも知れません。真黒な四肢五体に、長い帽子をかぶって、帽子もろともに、身のたけが一尺五寸には過ぎないでしょう。
 ピグミーは必ずしも悪魔ではありませんが、よく悪魔の真似《まね》をしたがります。そうでしょう、それは聖賢や、英雄の真似をするよりは、どちらかといえば、その方がガラに合っているのです。だから孔子様も、女子と、ピグミーは養い難しと言う。
 悪党がる者には、さほどの悪党はないように、ピグミーがピグミーである間は、単に、いたずら者で、悪魔としても、恐怖すべき悪魔ではないにきまっているが、扱いようによってはピグミーとても、悪魔がもたらすと同様程度に近いまでの恐怖を、持ち来すかも知れません。
「今晩は――大将、いやに暗いじゃありませんか、明りをつけて、景気よくやらかそうじゃありませんか」
 ピグミーはこう言って、素早く身をおどらせると、早くも行燈《あんどん》の中へ、上からすっぽりと飛び込んでしまいました。
 得たり賢し――多年、冷遇され、閑却され、虐待され、無視されていた角行燈子《かくあんどんし》は、時を得たりとばかり、パッとあらん限りの瞼《まぶた》を開きました。しかし不遇の角行燈子が、多年の逆境を脱して、一時に本能を逞しうするの機会を得たために、多少の衒気《げんき》と、我慢と、虚栄と、貪婪《どんらん》とが併出したと見えて、せっかくの光明に力がありません。光を強調せんとすればするほどに、人をして、一種の哀感を加えしむるに過ぎないほどの光明を、それでも行燈子自身は非常に得意がり、自己眩惑に酔うているようであります。かわいそうに、飢えたる者が酒を飲ませられて、それで腹が満ちたりと喜んでいる。それよりか悲痛にして、なお滑稽なのは、抜からぬ顔で行燈から出て来たピグミー先生で、得意の鼻をうごめかしながら、
「どうです、この方が、ズッと景気がよいじゃありませんか」
 しかも、机竜之助は何とも答えません。
「先生」
 ピグミーは、恐る恐る竜之助の膝の方に近よって来ました。極めて小さいから、顔面の神経はよくわからないが、その挙動によって見ると、何の事だ、人間界の卑怯者と、諂諛《てんゆ》の者とが得てして行いがちの、狡猾《こうかつ》な、細心な、そのくせ、妙に洒然《しゃぜん》として打解けたような物ごしで、膝の傍へ寄って来たが、刀の鞘《さや》の方から遠廻りをして、腰へ近づいたかと思うと、いきなり、刀の下げ緒の結び目を、両手でしっかりと抑えてしまい、
「エヘヘヘヘ」
と、薄気味悪い追従笑《ついしょうわら》いをしました。
「何だ、何をするのだ」
 竜之助も、彼が挙動の卑劣さ加減に、呆《あき》れたものらしい。
「エヘヘヘヘ、おあぶのうございますよ、無暗にお抜きになってはいけません、ただ手入れをなさる分にはかまいませんが」
「あぶないと思ったら、そっちへ寄っていろ」
 ピグミーを振り飛ばすと、竜之助の刀が、スルスルと鞘を出でました。
「さあ、事だ」
 もんどり打ったピグミーは、一間ばかりかなたへ飛んで、そこへペタンとかしこまると、さも大仰な表情をして、両手をついたものです。
 そんなものには取合わず、竜之助は刀を拭いはじめました。打粉《うちこ》をふって、例のやわらかな奉書の紙で、無雑作に二度三度拭うているのを、ピグミーは仔細らしくながめて、
「結構なものでございますな、お作は何でございますか、郷《ごう》ですか、なるほど、郷の義弘でございますか」
 出しゃばり者め、問われもしないに知ったかぶり。
 竜之助に取合われないものですからピグミーは、少しばかりテレたが、尺とり虫のように身を屈すると見れば、早くも刀の手もとまで飛び込んで、竜之助の柄《つか》を持っている左の手を足場にして、仔細らしく刀身の上をのぞき込み、
「ははあ、五《ぐ》の目《め》乱《みだ》れと来ていますね、悪い刀じゃありません、いや、どうして結構なものです、ちょっと、この類の程度はありません――誰ですか、相州の五郎入道正宗ですか」
 仔細らしく、刃文《はもん》の匂いのところを見渡しているが、なおいっこう返事がないものですから、
「違いましたか、五郎入道正宗というところは当りませんか、当らずといえども当り同然のところまでは参りませんか、ただし釣合いはいかがですか、それとも否縁《いやすじ》でございますか」
 ピグミーは、えっさっさ[#「えっさっさ」に傍点]をするような形をして、竜之助の手をゆすってみましたが、やはり返事がないものですから、
「まさか時代違いではございますまい、こう見えても、新刀と、古刀ぐらいの差別はわかりますからな――五郎入道正宗でなければ、越中国松倉の住人|右馬介《うまのすけ》義弘――というところはいかがです」
 しきりに返答を迫るが、どうしても手答えがないものだから、ピグミーも、いよいよテレきってしまって、
「何とかおっしゃって下さいな、当りでなければ当り同然とか、否《いや》でなければ否縁《いやすじ》とか何とかおっしゃって下さらなければ、張合いがございません、相州の五郎入道でなければ、越中の松倉郷、こんなところはいかがです、やっぱりいけませんか」
 ピグミーは、竜之助の小手の上で、足拍子を二つ三つ踏みながら、
「尤《もっと》も……郷と化け物は見たことがない、と人が言いますからな。松倉郷の義弘は享年《きょうねん》僅か二十七で亡くなりました、天成の名人でございます、玄人《くろうと》は正宗以上だと申しますよ。二十七歳で亡くなって、天下の名刀を残した人ですから、刀を打ちにこの世へ生れて来たようなものです、天才ですね、とてもたまらないものです。郷の義弘には、妙所が八カ所ありますが、それを御存じですか」
 ピグミーは、竜之助の、まともに向き直って、彼を動かすに、天才の感激を以てしようとしましたが、その時、竜之助は、
「時代違いだよ」
と言いました。
「えッ」
 ピグミーは、仰山な驚き方をして、
「五郎正宗でなければ、郷の義弘という見立ては違いましたか、当りませんか、否縁までも参りませんか、これは、びっくり敗亡」
 ピグミーは、そこで刀の方に向き直って腕組みをしながら、しきりに地肌や、沸《にえ》の具合を、ながめ入りましたが、
「時代違いとは恐れ入りました、失礼ながら、もう一度、篤《とく》と拝見させていただきたいものです……ええと、長さは二尺二寸五分というところですか、片切刃《かたきりば》で大切先《おおきっさき》、無反《むぞり》に近い大板目《おおいため》で沸出来《にえでき》と来ていますね、誰が見ても、相州か、そうでなければ相州伝、これが時代違いとあっては惨憺たるものです」
 ピグミーは苦心惨憺して、ついに刀の棟へのぼって、その上へ抱きつき、刀の地肌をペロリペロリと二度ばかりなめてみましたが、何かそこで、興に乗じたと見えて、両手で輪を描いて刀の棟にブラ下がり、
「ところで、斬れますかね、これは……切れ味はいかがです、斬りましたか、どんなものです、三ツ胴に土壇払《どたんばら》いというあたりへ行きました? むろん、最上大業《さいじょうおおわざ》でございましょうな。ところでどうです、生きた人間を斬ると、血がどっちへ飛ぶか、それがおわかりですか、斬った人の方へ飛ぶか、斬られた人の方へ飛ぶか……」
 調子に乗ったピグミーは、刀の物打《ものうち》のところまで上って、身を以てからみついたから竜之助が、その刀を一振り振りました。
 前にいう通り、ちょうど物打のところへ来て、ピグミーが抱きついて、かなり増長した語気を以て挑《いど》み立てたものですから、竜之助が軽くその刀を一振り振ると、
「あっ!」
といってピグミーが、二つになって、壁に向って飛びました。
 見ると、正面の壁の面《おもて》に、蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》を二つに斬ってはりつけたように、ピグミーの身体《からだ》が、胴から上と、下と、一尺ばかり間隔をおいて、二つになって、へばりついています。
 はりついた当座は、ピクピクとして少しばかり動きましたけれど、そのまま寂然《じゃくねん》として、墨汁で点じたもののように、壁にくっついたきりです。
 ちょうど、その時分、長い廊下で人の足音がしたようですから、竜之助はその足音に耳を傾けました。
 廊下の足音は非常に緩慢なもので、且つ忍び足に違いないから、この場合、この人だから、それに耳を傾けたものでしょう。だが、たしかに人が忍んで来ると、こう感づいたのはぜひもないことです。と同時に竜之助は、それがお雪だなと思いました。
 お雪が忍んで来て、ここで泣く――それは今宵に始まったことではない。
 お雪の絶望に似た泣く音《ね》を、夢うつつの間に竜之助が聞くのも、耳新しいことではない。
 その時、またしても、不意にピグミーが襲いかかって来ました。
 これより先、二つに斬られて壁にへばりついていたピグミーが、またピクピクと動きはじめたと見れば、いつのまにかそれが一つになって、壁から真一文字に飛んで、再び刀の物打のところへしっかりとかじりつき、
「ね、足音がするでしょう、いつもの足音とは違いますよ、いつもの足音は、一筋にこの部屋へ向いて忍んで来たでしょう、今度のは、あれ、ああして、一間一間をのぞいて歩いて来ますよ、この三階だけでも三十幾間かあるでしょう、それをいちいちああして、忍び忍びに様子を見ながら、だんだんこちらへ近づいて来る者がありますよ、若い人です、男ですよ、刀を差しています、どのみち、やがてここへやって来ますよ、ここへ来たら事です、さあ、御用心なさい、御用心」
 小うるさい! 再び竜之助が刀を振ると、ピグミーはまたも二つに斬られて、壁へ行ってヘバリつきました。
 と同時に行燈《あんどん》が消えて、室は真の闇。

         七

 座敷が暗くなってから暫くして、短笛の音がこの一室から起りました。
「鈴慕《れいぼ》」を吹いているのです。
 この部屋の調子というものが、どうも「鈴慕」を吹くにふさわしく出来ているのか知らん。
 それとも、習い性となって、手を動かせば尺八が手にさわり、尺八を取れば「鈴慕」が唇頭に上り来るのかも知れません。
 とにかく、竜之助はここで「鈴慕」を吹きはじめました。
 この男が、竹を鳴らすことに、どれだけの慰安と、一如《いちにょ》とを、見出しているのだかそれはわかりません。
 また好んで「鈴慕」を吹くといえども、「鈴慕」そのものの曲の示すところが何物であるか、それを味わいつつ吹くのでないことも勿論《もちろん》でしょう。いわゆる本曲について、見よう見まねのたしなみは持っているというこの男が、「虚霊《きょれい》」を吹かず「虚空《こくう》」を吹かず、好んで「鈴慕」を吹きたがるところから見れば、それは何か手ざわりがよくて、虫が好《す》くといったような、共鳴するところのものがあればこそだろうと思われます。
「虚霊」は天上の音《おん》、「虚空」は空中の音、「鈴慕」に至ってはじめて人間の音であります。
 行けども行けども地上の旅を行く人間の哀音、そのいずれより来《きた》って、いずれに行くやを知らず、萩のうら風ものさびしく地上を送られ行く人間が、天上の音楽を聞いて、これに合わせんとするあこがれ[#「あこがれ」に傍点]が、すなわち「鈴慕」の音色ではないか。
 心は高く霊界を慕えども、足は地上を離るること能《あた》わざるそのあこがれ。耳に虚空の妙音の天上にのぼり行くを聞けども、身は片雲《へんうん》の風にさそわれて漂泊に終る人生の悲哀。無限の空間のうちに、眇《びょう》たるうつせみの一身を歩ませて、限りなき時間の波路を、今日も、昨日も、明日も、明後日も、歩み歩みて、曾無一善《ぞうむいちぜん》のわが身にかかる大能の情けの露に咽《むせ》ぶ者でなければ、「鈴慕」の曲の味わいはわかるまい。
 けだし、最初の人は、霊感うちに湧いてこの曲を作り、第二の人は、曲そのものを学んでその霊感に触れ、第三の人は、曲そのもののようになりて胡盧《ころ》を描く。
 知らず、竜之助はそのいずれの人?
 かくて「鈴慕」の一曲を吹きすました時に、感激はないが寂寞《せきばく》はある。
 不意に次の間で、
「ホホホホホ」
という女の声がしましたから、竜之助の眼は本能的に、その笑い声のした方へ向いましたが、もとより何物も見えるのではありません。
「誰だ」
 とがめた時に、この一室が月光のような色に冴《さ》え返って、隔ての襖《ふすま》が紗《しゃ》のように透きとおりました。
 その透きとおる襖をとおして彼方《かなた》の室を見ると(この時は竜之助のみがそれを見るのです)そこに丸髷《まるまげ》に小紋を着た女房が一人、正面を向いて頻《しき》りに着物をたたんでいます。
 尺八を机の上に置いた竜之助は、
「誰だ、そこにいるのは」
 重ねて言葉をかけてみますと、
「ホホホホホ」
と、淋しく、愛嬌のある笑みを見せて、こちらは少しも向かずに、以前の通りの形で、しきりに着物をたたみながら、
「たいそうむずかしい曲を、おやりなさいますね」
「なに」
「むずかしくてわかりません、もう少し砕けたのをお聞かせ下さいな」
「お前に聞かせるつもりで、吹いているのではない」
「それでも同じことなら、もう少しやさしい[#「やさしい」に傍点]のを吹いて下さいませんか、そら、いつかのあのしおの山[#「しおの山」に傍点]――あんなのを吹いてお聞かせ下さいましな」
「お前は誰だ、妙なことをいう女だな」
「ホホホ、お見忘れでございますか」
 この時はじめてこちらを向いた女は、お浜でありました。
「お前か」
 竜之助は憮然《ぶぜん》として、うなだれてしまいました。
「あなたという人は、いつでも暢気《のんき》ですねえ」
とお浜は、相変らず着物をたたみながら、あの女特有の、すねるような、怨《うら》むような、口ぶりが生ける時のそのままです。
「暢気というわけでもないが、仕方がないからさ」
「でも、そうして尺八を吹いて、楽しんでいられるくらいですから、何よりですわ」
「うむ、そういえばそうかも知れない。ところで、お前はそこで何をしているのだ」
「はい、ごらんの通り着物をたたんでおりますが、いくらたたんでも、たたみきれません」
「そうか」
といって竜之助は、紗《しゃ》のような隔てのふすまから、そちらの座敷をじっと見ました。
 紗のようだと思ったのが、いつのまにか御簾《みす》になっている。
 その御簾越しにお浜を見ると、着物を畳んでいるというそのしぐさが、どうしても琴を弾じているようにしか見えない。
 ※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26]《ろう》たけた姫君か何かが、相馬の古御所といったような中で、ひとり琴を弾じているような姿にしか見えないから、竜之助は、なんだか夢のうちに、自分の眼の前に錦絵を展開せられたように感じました。そうして、こちらを暢気だとあざけっている、そちらの方が風流至極だと、ひやかしてやりたいような荒涼さでありました。
 着物をたたみながら、なお女がつづけて言いました。
「なんだか淋しいから、千鳥かなにかをお聞かせ下さいましな、なんならわたしが琴でお合わせしてもようございます」
「そんなものを吹いちゃいられない」
「では、春雨でも、茶音頭でも、なんでもようござんすから、賑やかな、やさしいさび[#「さび」に傍点]のあるのをお聞かせ下さいましな、追分なんぞも悪くはありませんね」
 その時に、竜之助は、尺八は外曲を吹くべきものではない! と、言ってやりたくなりました。でも、そんなことを言っても甲斐がないと思い返していると、お浜が、
「ねえ、あなた」
「何だい」
「ごらんあそばせ、この着物を」
 そこで竜之助が、遠く離れて御簾越しにお浜の手元をのぞき込んで見たが、畳む手つきは畳む手つきであって、畳まれる着物は畳まれる着物、特別に異状がありとも思われませんから、
「なんでもないじゃないか」
「まあ、よくごらんあそばせ、畳む着物も、畳む着物も、みんなこの通りでございます」
「どうしたんだい」
 見ると、お浜のうしろには、今まで畳み上げた着物が、山のごとく積み重ねてあることを知りました。
 だが、この通りでございます、といって示したこの通りが、どの通りだか、さっぱりわかりません。それをお浜は心得たように、羽二重《はぶたえ》かなにかの長襦袢《ながじゅばん》の真白なのを一枚だけ取って竜之助に見せますと、それには、べっとりと血がついておりました。
「おわかりになりまして?」
「うむ」
「これは地が白いから、わかりますが、黒いのや、紫や、紺地なのは、この血の色がわかりません。わからないけれども、どれとして一つ、血のついていないのは無いのですよ。まだベトベトとしめりの来ているのもあります、もう乾いて、ひきはなすとバリバリと音のするのもありますよ。ですから、畳み直すのに骨が折れて仕方がありません。まあごらん遊ばせ、これなんぞは、こんなに生々《なまなま》しい、さわると手がこの通りでございます」
 お浜は畳んでいた小手を上げて、その掌《たなごころ》から、手首から、二の腕のところまで、真紅《しんく》の血痕が淋漓《りんり》として漂うのを示しました。
 竜之助は眼を据えて、その血の腕を見つめます。
 竜之助は白い眼で、それをじっと、暫く見据えていたが、やがて言いました、
「そんな物を、誰に頼まれてひねくり廻すのだ、早く屑屋《くずや》に売ってしまえ」
「屑屋だって買やしませんよ、第一、かかわり合いが怖いって言いますから」
「屑屋も買わないものを、御丁寧に皺《しわ》をのばして、どうしようというのだ」
「こうして置いて、まとめて、地獄へ送って上げようと思います」
「ふふん」
と竜之助があざ笑いました。
 この世で屑屋さえ買いたがらないものを、地獄で受取って何にするのだと、口へ出しては言わないで、冷笑を以てむくいました。
「地獄では、こんなのを大変に喜びます」
 お浜は負けない気になって、ことさらに誇張したような表情で、そのなかの女の着物、自分がいま着ているのとほとんど同じもの一枚を取り出して、その袖をひろげて、蝙蝠《こうもり》のように竜之助の方に向け、
「ごらんなさい、これは、わたしのでございますよ、この乳の下に大きな穴があいてございましょう、こんなのを着て行くと、地獄では大変に幅が利《き》きますのよ」
「…………」
 どうも、そう言われてみると、軽蔑と、冷笑とを以てしながらも、それを見ないわけにはゆきません。そこでお浜は、
「芝の山内《さんない》の松原で、あなたから、こんな目に逢わされてしまいました、この乳の下のがずいぶん深うございますよ、地獄へ来て、かかりのお医者様も驚きました、こういう無残な突き方は無いそうでございます、ですから、ごらんなさい、今でもこの通りなおりません、ひとりでに血が流れて参ります」
 この時、お浜の面《かお》の色が真白にさえきって、呼吸が少し、ハズんだように見えましたが、その着物を投げ出すとまた向き直って、一心に着物をたたみながら、
「そんなことは、どうでもようござんす、昔のことを繰り返してみたところで、おたがいにいい気持はしませんからね。それよりか、あなたにぜひ一つのお願いがあるんですよ、これだけは、たって聞きとどけて下さいまし」
 改まって言い出したが、竜之助は答えませんでした。
「ねえ、あなた」
 相も変らずお浜は、着物をたたんでは積み、積んではたたみながら、
「ねえ、あなた、兵馬が今、わたしのところに来ていますが、会って下さらない」
「兵馬――兵馬とは誰だ」
「ほんとに白々しい、宇津木文之丞の弟ではありませんか」
「ははあ」
「文之丞の弟は、わたしにとっても弟ですよ、弟が、あなたに会いたいといって、はるばるたずねて来ましたから、会ってやって下さいな」
「会おう」
「ではここへよびましょうか」
といってお浜は、着物をたたむ手をちょっと休めて、前の方を見込み、
「このなりじゃ、わたしには行けない」
と、本意《ほい》ない色を現わしました。
 この時、天井の一角が、けたたましい音をして急に破れたと思うと、そこからピグミーの足が二本ブラ下がり、早くもお浜の前に飛び下りて小躍《こおど》りし、
「かたき[#「かたき」に傍点]討がはじまるんですか、それでは僕が行って参りましょう、僕が早速沙汰をして参りましょう、僕が……」
 お浜は、さげすむように、ピグミーのはしゃぎ立つのを見おろして、
「お前ではいけない」
「どうしてです、どうして僕じゃいけないんです、呼んで参りましょう、かたき[#「かたき」に傍点]討がはじまるんなら、ぜひ僕にも見せて下さい、みんなも見たがるでしょう、ぜひ、ぜひ、僕をお使い下さいな」
「騒々しいねえ!」
 お浜は物差を取り直して、ピグミーを横なぐりにすると、そのまま畳の中へ没入してしまいました。

 立場を失ったピグミーは、畳の下をくぐって、お雪の寝ているその枕もとに現われました。
 ここに出没するピグミーは、全く眼の見えない人か、或いは眼が見えても、見えないと同様に、眠っている人にしか現われないらしい。
 真黒な細身を、にちゃにちゃとお雪の枕もとへ摺《す》り寄せて、
「お嬢さん」
と猫撫声《ねこなでごえ》で、
「お嬢さん、よくお寝《よ》っていらっしゃいますね」
 お雪の眼のさめないのをいいことにして、その枕もとに這《は》い迫り、
「いつも、お一人でここにおやすみになるのですか、お若いうちはようございますね、何も知らずやすんでいらっしゃる」
 言わでものことを言いながら、お雪の寝顔をしげしげと見入り、にっこり笑って、立ち上ると、妙な足拍子を取って、蒲団《ふとん》の四隅を、八角に廻って踊りはじめました。
 一廻り踊っては寝顔をながめ、また一廻り踊っては寝顔をながめ、自己陶酔の形で踊り狂っていたが、ついには興に乗じて、蒲団の上へ飛び上り、また飛び下り、蒲団の裾へいくつものわな[#「わな」に傍点]をこしらえ、手を拍《う》って喜んでみたが、やがて、それにも飽きたと見え、物珍しそうに、この部屋の天井の隅から畳の溝までも見わたすと、忽《たちま》ち身を躍《おど》らして、吊棚《つりだな》の上へ飛びあがりました。
 ピグミーは探し事を好むらしい。人のすきに乗じて、人の気のつかないところを笑ってみて、何かその間に獲物《えもの》を得ることを以て、この上なき誇りとするらしい。やっぱり物好きは暗いところにある。
 だが、不幸にして吊棚の上には、その好奇心の餌食になるべき何物も見出せなかったらしく、今度は身を軽く、吊棚から戸棚の透間へ入り込んで、しきりに音をさせていたが、そこでも思わしいものを発見し得なかったと覚しく、失望の色をたたえて立ち出で、最後に見出したのは、お雪の枕許《まくらもと》の手文庫です。
 その蓋《ふた》をあけて、取り出した一巻の紙きれ――さてこそ、さてこそ、とほくそ笑みしたピグミーは、それを行燈の下へ持って来て繰りひろげて、ひとり合点《がてん》に、痛快の色を面《おもて》に現わしました。
 多分、ここにおいて、はじめて秘密のものを発見し得た、これを此方《こっち》のものにしておいて、これさえつきつければ一言もあるまい、その弱点を押えて、哀願する態度を見てやれば胸が透く――と、こんなふうに取ったのかも知れません。
 なるほど、そこには、やさしい女文字の水茎《みずくき》のあとが、長々と紙の上にたなびいている。こういう手紙を人に知らさず認めて、胸を躍らせながら、やりとりすることは憎い!
 しかし、御安心ください。この場合、この水茎のあとは、少しもピグミーの好奇、嫉妬、呪詛《じゅそ》を満たすべき何物でもありませんでした。
 それはお雪から、毎日、日課のようにして弁信にあてて書く手紙です。
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「弁信さん――
どうしたのでしょう、このごろになって、この温泉へ、お客様が不意に殖え出してきましたのよ。
昨日は、またお若い旅のさむらいが、夜中においでになったかと思うと、今日はまた、そのお連れであるらしい二人連れのさむらいがおいでになりました。
前に見えた、若いお方は、なんとなしお痛わしいような、初心《うぶ》なところがありましたけれど、あとから来た二人のお方は、なんだか気味の悪いお方です。
一人は、筋骨の逞《たくま》しい武芸者のようなお方、もう一人は、お医者さんの修業でもなさろうというような風采《ふうさい》の書生さんですが――いま考えてみると、二人とも、どうも、どこやらでお目にかかったようなお方です……」
[#ここで字下げ終わり]

         八

 それはそうと、一方において、その晩、宇津木兵馬がかなり忍びやかに、この三階まで入り込んだことは事実であります。
 そうして、ここはと思われるような部屋部屋を、逐一《ちくいち》にのぞき廻っていたことも事実であります。
 好んで探偵眼を働かせるわけではないが、本来、この人は入湯に来たのではなく、人をたずね求めに来たのであります。
 そのたずね求める人というのは、主流には兄の仇であり、傍流にはかりそめ[#「かりそめ」に傍点]の道連れの女の人であります。
 前の者は身命を賭《と》して、探さんとする目的ではあるが、後の者はどうでもいいのである。
 どうでもいいよりは、そんな者にかかわり合いをつけない方がいいのである。
 だがしかし、世間のこと、人生のことというものは、求めんとするものほど来《きた》らず、求めざらんとするものほど近より易《やす》いもので、そこで、中房の温泉でも、こうして宿屋の間毎間毎を探し試みているうちに、蒲団《ふとん》の塁《とりで》の中で見つけなくてもいい仇《あだ》し女を見つけてしまいました。それが縁で、今はその女をも何とか先途《せんど》を見届けてやらないことには、自分の良心にやましいような事態となりました。
 そこで、まだややものうい身体を運んで、片手には一刀を携え、そうしてこの間毎間毎を忍びやかに探りながら来たのではあるが、一体に人間臭の無いことは中房以上です。
 兵馬はさもあるべきことと一巡しながら、廊下を半ばまで来た時分に、短笛の音《ね》が起りました。尺八の声です。実は前の晩も、この尺八の声に引寄せられて来たような姿でした。それが今、不意に、しかしながら、極めてしめやかに起ったのは、つい自分の行手の、鍵の手になった廊下の奥の一間からであります。
 この物音に、兵馬が足を踏みとどめました。
 それが何の曲ということを、兵馬は知らない。
 ただ第一に、気を取られたのは、心なく、人の清興を妨げてはならないということでした。
 第二に、少なくともこの場合、自分の行動が紳士的でないというようなことを考えました。つまり、無下《むげ》に来るべきところでないところへ入りこんだのは、先方から何かの疑惑をかけられても仕方がない立場だから、これより以上は一歩も進まないで、その清興の人の心を、かりそめにも動かさず、静かにもと来し道へ帰るのが礼ではないか、と思いましたものですから、ちょっと行き悩みました。
 しかし、兵馬が、こんな思案をして、用心して、引返そうとしているうちに、尺八の一曲も終ったと見えて、また、ひっそりした天地にかえったものですから、それならば、いっそ、ここをずっと突きぬけて、いま尺八の音のしたあたりの部屋の前をも通り過ぎて、廊下のはずれから二階へ下りて、自分の部屋へ帰った方がよかろうと思案を改めます。
 つまり、尺八を吹き鳴らしている間こそ、人の清興をさまたげては悪いという遠慮気兼ねもあるが、それが済んでしまってさえみれば、さりげなき体《てい》で、尋常の通行人として、その通り去り、通り来《きた》る分には、何の憚《はばか》るところもあるべきはずがない。
 そのように思案を改めたものですから、兵馬はそれからは忍び足もせず、間毎間毎をうかがうような振舞もせず、尋常に足音を立てて廊下を歩んで、志す方へと行きましたが、不思議なことには、たしか、ただいまの尺八の音の起ったのは、この辺でなければならぬと思われるところあたりに、一向、燈火《ともしび》の影がないことです。
 尺八の音がするのだから、音をさせる人がいるに相違ない。音をさせる人がいる以上は、その部屋があるに相違ない。夜分、部屋に坐って尺八でも吹こうという人が、燈火《あかり》もつけないでいるはずはない。不意にその火が消えたとすれば、多少|狼狽《ろうばい》の気味が見えなければならないのに、そんな気《け》ぶりは微塵《みじん》もないし、たったいま尺八を吹いたばかりで、もう燈火を消して寝込んでしまったとも思われない。
 兵馬は、変なところへ引込まれたような気になりました。
 そこで兵馬は、茫々然《ぼうぼうぜん》として自失するの思いです。跫音《あしおと》に導かれて、かえって無人の曠野《こうや》へ連れて来られたような心持を如何《いかん》ともすることができません。
 今の先、尺八の音のした室の前をも、兵馬は通るには通ったのです。それも、忍びやかに通ったのではなく、堂々と通り過ぎたのだが、人の気配を、どうしても感得することができずにしまいました。
 そうして、自分の部屋へ帰って来て見ると、六曲|屏風《びょうぶ》が一つ、自分の寝床の前に立てめぐらしてありました。
 まあ、すべてにおいて、入りかわり立ちかわり、親切と好意を示してくれる人がある。
 独《ひと》り寝の旅の枕が寒かろうとして、屏風を持って来て貸してくれたのは、宿屋が客に対する商売気の親切ではなく、同宿の冬籠《ふゆごも》りの客同士の思いやりから出ているのだ。
 有難いと思って、もうかなり更けていることでもあるから――但しこの座敷には、最初から行燈《あんどん》の火が細目にしてあったものです。衣服を改めて、遠慮なく寝床の中へ飛び込んでしまいました。
 で、かなり勢いよく床について、燈火を消してしまおうとする途端に、その六曲屏風には、一面に墨絵の竹が描いてあるなと思いました。それは墨竹ではなく、全体に竹藪《たけやぶ》として描かれてあるもののようでしたが、それを認めた途端に、燈火《ともしび》を消してしまったから、自然、まもなく眠りに落ちた時の兵馬の夢が、竹藪に入って行くのはぜひもないことです。
 絵に見たのは墨絵でしたが、夢の中では、兵馬は、真蒼《まっさお》な、限りも知られぬ竹藪の中に彷徨《ほうこう》しているところの自分を発見しました。
 どうも困ったものだ、和藤内《わとうない》ではないが、行けども行けども藪の中。
 こんなところへ迷い込んで来るつもりはなかったのだが、どうも仕方がない。
 迷いこんでみれば、歩くだけ歩いて、抜けるところへ抜けなければならないのだ――と、歩いているというよりは、やはり彷徨しているうちに、藪の中で一人のおやじが頻《しき》りに竹を切っている。
 何をするかと見ると、竹を切っては頻りに尺八を取っているらしいから、兵馬が夢のうちで、何だ、あんまりこしらえ過ぎる、宵に尺八の音を聞いたからといって、ここで尺八を見せなくってもよかりそうなものを、夢にしても、あんまり幼稚な複写だと、夢中に夢を評するような心持で、その前を通り過ぎたが、やはり竹藪で、兵馬は尺八だけは、夢中に夢を観ずる気持で見ましたけれど、竹藪の中を歩いている夢は、やはり夢ではない、うつつの彷徨《ほうこう》でありました。
 そうして、ともかくも夜もすがら兵馬は、竹藪の中を歩きつづけている夢を見て、暁に徹しました。
 今までいろいろの夢も見たが、一晩中、竹藪の中をさまよいつづけている夢を見通したのは初めてだ。そこで、鶏の声が聞えたから、はあ、もう占めたものだと夢うつつのさかいで、ホッと息をついていると、どこかで荒らかに戸をたたき、
「兵馬、兵馬、宇津木兵馬が、もしやこのところに来てはいないか、仏頂寺弥助と、丸山勇仙がやってきたよ」
 すわ! と夢うつつのさかいを破られました。来たな、どの面《つら》下げて何といって来たか。亡者《もうじゃ》とは言いながら、よく[#「よく」に傍点]かぎつけて来たものだ。こうなってみると、どっちが先走りをしたものかわからない。
 だが、あのいけ図々しいおとないぶりを見ても、このまま飛び出して対面してやるのも癪《しゃく》だ、竹林は抜けて鶏の音は聞いたが、実はまだ眠いのだ、よし、もう一寝入りして、奴等の気を腐らせてやれと、兵馬も相手が相手だけに、兵馬としては似合わしからぬ、狸寝入りを試みているうちに本物になって、寝耳のところに、
「兵馬、仏頂寺と、丸山が来たよ、いるんなら起きて出迎えろ」
 それをうとうとと小気味よく聞き捨てて、やはり夢うつつのところを彷徨しています。

         九

 その翌日は、白骨温泉の炉辺閑話に、変った面触《かおぶ》れが一つ現われました。
 それは仏頂寺弥助でも、丸山勇仙でもなく、無名沼《ななしぬま》のほとりの、鐙小屋《あぶみごや》の神主が来たのであります。神主は山へ登ることは登るが、ここへ下りて来ることは極めて稀れであります。
 そこで炉辺が、この珍客を迎えて賑《にぎ》わいました。
 炉辺閑談といううちに、ここへ集まる定連《じょうれん》のかおぶれを、ざっと記して置きましょう。
[#ここから3字下げ]
国学者兼神楽師   池田良斎
その一行      北原賢次
同         村田寛一
同         中口佐吉
同         堤一郎
同         町田政二
俳諧師       柳水
画師        木川宗舟
甲州上野原     久助
同         お雪
山の通人      吉造
山の案内      茂八
温泉留守番     嘉七
猟師        十太郎
同         良太
[#ここで字下げ終わり]
 だいたい、こんな面触《かおぶ》れで、定刻に至ると閑談の席が、開かれるのです。
 定刻というのが、必ずしもきまった時刻という意味ではなく、まず退屈の者が二人ばかり炉辺へたかって、火を焚きながら、無雑作《むぞうさ》に話のきっかけを作ると、それが緒《いとぐち》となり、炉の火が燃えさかると同時に、話がはずみ、話がはずむにつれて人が集まり、おのずから全員出揃いとなって、そうして、相当に節度あり、進退のある閑談の蓆《むしろ》が開かれるのですから、人の集まる時がすなわち定刻で、それは晴雨によって、人々の仕事都合によって、おのずから変化します。
 今日は、お正午《ひる》少し過ぎに、山の神主が来たものですから、すなわちその時が会議の定刻となりました。山の神主は例によって、えびす様そのもののような笑顔をたたえきって、もろもろの話をはじめました。
 下で神主が、もろもろの話をはじめている時分、宇津木兵馬は二階で日記を書いておりました。
 兵馬に感心なのは旅日記を書くことで、不可抗力の際でもなければ、曾《かつ》てこれを怠るということがありません。
 ただ一つの惜しいのは、喜多川季荘ほどの考証癖があるか、せめてお雪ちゃんほどの文才があれば、この旅日記そのものが、後に残るほどの文献となったかも知れませんが、この点において兵馬は全く不用意であり、子孫に伝えようの、後世に残そうのという衒《てら》い気味は少しもなく、ただ今日の心覚えを、明日の参考にとどめておく、金銭出入帳に毛の生えた程度のものに過ぎないのですが、書いていれば、日課としてそれをしなければ、朝起きて面《かお》を洗わなかった時のように、一種の不愉快を伴うほどの習慣になっているのです。
[#ここから1字下げ]
「白骨ノ温泉ニ到着ス
病気
コノ地、秋ヨリ冬ニカケテハ、旅宿ハ戸ヲ釘ヅケニシテ里ニ去ル例ナレドモ、今年ハ珍シク冬籠《ふゆごも》リノ客多数居残リヲレリ……」
[#ここで字下げ終わり]
といった程度の文章で、歌もなければ、発句《ほっく》もない。文学的感傷めいたひらめき[#「ひらめき」に傍点]は一つも現われて来ないのだから、問題になりません。
[#ここから1字下げ]
「病気程無ク快癒
昨夜三階ノ一室ニ人有ルガ如ク、無キガ如キ思ヒス、尺八ノ音起リテ忽《たちま》チヤム
明日、コノ処ヲ発足センカ、マタハモ暫ク逗留センカ、未《いま》ダ決心セズ」
[#ここで字下げ終わり]
というようなことを書いて、さて兵馬は、これから下へ行って炉辺閑談の席へ加わろうか、また入浴に行こうか、と思案したが、やがて手拭を持ってズカズカと出かけたところを見れば、閑談の席へは行かず、入浴を志したものでしょう。
 兵馬が手拭を下げて出て行ったあとへ、お雪が入って来ました。
 炬燵《こたつ》へ火を入れて上げようとして来て見ると主《ぬし》がいないので、失望しましたが、鉄瓶にお湯があるかないか、お茶道具が揃っているかいないかというようなことを、ちょっと調べながら、机の上を見ると、半紙四つ折りの日記帳が開《あ》けっぱなしになって、その間に筆がはさんでありますから、お雪は見る気もなく、それをのぞいて見ました。
 物を書くことの好きな、歌をつくることの好きなお雪は、このお客様も筆と紙とを、旅枕にも放さぬ人であってみれば、また同好の風流を話せる人ではないか、というような好奇心もあったものでしょう。
 のぞけば、おのずから、読めるようになっているのだから、それを読んでみると、前にいう通りの棒書きで、歌もなければ詩もない。わが胸の燃ゆる思いに比ぶれば、焼ヶ岳の煙が薄いとか厚いとかいうこともなし、信濃の国の白骨となん呼べるいでゆ[#「いでゆ」に傍点]に遊びてしかじか、と書いてあるのでもない、いわば小遣帳《こづかいちょう》の出来のいいような、徹底的に実用向きの書き方だから失望しました。
 室に置きっぱなして行った、衣服旅装のたぐいといえども、それに準ずるもので、風流や、しゃれや、にやけという気分は微塵《みじん》もなく、質実な武家出の旅の若者のかいがいしい武骨さがあるばかりであります。
 それでもお雪には、なんとなく人懐かしい。ただでさえ人懐かしいと思うところに、新たに来た人といえば、それだけで一層懐かしい。ましてこれはここにいる客人のうちで最も若い人ではあり、その若い人が何の用向か知らないが、今時分、たった一人で、こんなところまで踏み込んだのは、よくよくのことでなければならないし、そのよくよくの場合に病みついたなんぞということは、お雪の感傷的な同情深い女性的の半面を呼び起すにもかなり有力です。
 どうも、済まないような気持になりながら、お雪は、その、開けっぱなしにしてある部分だけでなく、もう二三枚ずつさかのぼって、それを読んでみたい気になりました。
 気になったのではない、もう読んでいるのです。
 しかし、なんらの、そこにセンセーションを呼び起すべき記事を発見することができません。相変らずの棒書きで、小遣帳《こづかいちょう》に毛の生えたようなもので、自然と風景の批評もなければ、人情と土地柄の研究もありはしない。たまにあるとすれば、どこはどこに比して、人間が親切だとか、宿賃が比較的安い、といったような簡単なもので、無理にも盗み見の興を催させるような記事は一つもない。
 だが、お雪が、もう少し図々しく構えて、いっそのこと、机の前に全く膝をつっこんで、お尻を据えてしまって、逆にでも、順にでもいいから、帳面を根本的に読みのぼって行ったなら、俄然《がぜん》として、驚くべきことを発見したに相違ありません。
 この俄然として驚くべき発見というのは、この日記の主《ぬし》が、現に、自分の甲州の上野原の月見寺に少しの間ながら逗留していたということ。
 それを逗留させたのは他人ではなく、こうして現に盗み見をしている自分であること。
 そうして、あの時分の出来事が、これと同じように平々淡々たる棒書きで、このうちのあるページの記事として見られるということ。それらを発見して――この娘が人から多く愛せられ、人をも愛することの多いこの娘が、全く路傍の人ではなかったことを、この時、この際に発見し得たなら、驚き喜ぶに相違ありますまい。
 ところが、お雪には、それほど図々しくはなれなかったのです。ほんののぞき見に、うわつらだけを知らん面《かお》をして見て置く分にはいいとしても、それを二三枚さかのぼって見たことすらが、いくぶん良心が咎《とが》めているのに、尻を据えて、図々しく盗み見をしてやろうなんぞとは、お雪にはできません。そのままにはして置いたが、なんとなく心残りがないではありません。
 そこでお雪は、思い出したように兵馬の身の廻りを取りかたづけて、脱ぎっぱなしにしてあった衣類などを畳んでやりました。
 それは気のせいばかりではありますまい、お雪のこのごろは、目立って分別の面《おも》だちになりました。誰も気軽にお雪ちゃんとはいえないほどに、老《ふ》けたというではないが、沈んだところがありありと見えます。それも、ただ沈んだのではなく、どうでもなるようにといったような、軽い放任気味が見えないということはない。
 着物を畳み終って押入に入れてから、お雪はこの部屋を掃除して上げたがよいか、このままにして置いた方がいいかと、ちょっと考えさせられたようです。あまり要らぬ世話を焼き過ぎてもよくないし、そうかといって、このままに置けば、いつ誰が来て箒《ほうき》を当てるか知れたものではありません。ちょっと思い惑《まど》うて、お雪は障子の戸をあけて外を見ますと、思いがけない、すばらしいながめを見ることができました。
 白骨の温泉場は谷底のようなところですけれども、見上ぐるところの峰巒《ほうらん》に、それぞれの風景を見られないということはありません。
 今は雪です。雪が今日はめざましいほど降り積って、四周《まわり》の山を覆うているのを見ました。お雪がこんなに打たれるほど、見慣れたこの風景をめざましいと思ったのは、近頃、たれこめて、久しく戸の外を見なかったせいでしょう。
 このすばらしい雪の景色を見ると、雪に圧下《おしくだ》される冬の恐怖よりも、雪に包まれた自然の美しさを歌いたい気になりました。
 屋根の垂木《たるき》、廊の勾欄《こうらん》までが、雪とうつり合って面白い。浴室の鎧窓《よろいまど》から、湯煙の立ちのぼるのも面白い。湯滝の音が、とうとうと鳴るのも歌になると思いました。
 そこでお雪が暫くの間、うっとりとしました。我を忘るる時は、歌を思う時でしょう。
 さて、自分は歌わんとしてまだ歌をなさないが、清澄の茂太郎ならば、早速何か歌うだろう。何だか耳もとで茂太郎の声がするようでならぬ。
 その時、どっと下の方で笑い崩《くず》るる声がしました。ああ、そうそう、今日は珍しく鐙小屋《あぶみごや》の神主さんが来られたそうで、廊下で先ごろ北原さんから案内を受けたが、行く気にならないものだから御無沙汰《ごぶさた》をしてしまった。
 あの晴れ晴れした、賑やかな神主さんが、座持《ざもち》で話をしていれば、一座が陽気になるのも無理はない。ああして、さも愉快そうに笑い崩るる声。下の明るい賑やかさ。
 それを聞いて、いつもの自分ならば、駈けつけて行っても、仲間になりたいほどのものを、なんだか行きたい気が起らないのみならず、人々の笑い崩るるのが、どうやら呪《のろ》わしいような心持になって行く自分はどうしたものだろう。気が進まない。
 お雪は、晴れ晴れしい神主のことから、かえって暗い気持を、自分の胸に感得しました。
 ああ、いやいや、あの賑やかな神主さんを思うと、その裏には、あの死神にとりつかれた浅吉さんのことを思う。締め殺しても死にそうもなかったイヤなおばさんのことを思う。その二人のいずれもが、なんとも原因不明な死様《しにざま》をしてしまった。死んだとは思われない。ことに、あのイヤなおばさん、はちきれるほど脂《あぶら》たっぷりなおばさんが、もろくも魂《こん》に引かれ死んでしまった。あの神主さんこそは、その二人の陰気とけがれとを、極力払いのけようと、忠告もしたり、手きびしいお祓《はら》いもしたりしたのを、お雪はよく知っている。
 けがれは「気枯《けがれ》」である。陽気が枯れるところに罪悪が宿る、罪悪の宿るところに死が見舞う――とは、常々聞かされたあの神主さんのお説教の論法である。
 今のわたしは、その通りに、陽気が日に日に枯れて、陰気が時々刻々に加わってゆくのではないか――明るいところを厭うようになる時は、暗いのを好みはじめる時である。たまらない。お雪は目がくらくらとしました。

         十

 宇津木兵馬は、ひとり温泉の中に仰向けになって悠々《ゆうゆう》と浸って、恍然《うっとり》と物を考えているところへ、不意に後光がころげ込んで来ました。
 なんという賑々《にぎにぎ》しい人だろう。人間としては、たった一人が入り込んで来たのに過ぎないが、四方がパッと明るくなるほどに陽気になりました。
 兵馬も知らない、入って来た方も知らないが、これは鐙小屋《あぶみごや》の神主さんです。
 鐙小屋の神主さんは、たった今、炉辺の閑談を済まして、いち早く、ひとりこの風呂に飛び込んで来たものと見えます。
 お雪が二階で聞いた、どっと笑い崩るる音というのは、この陽気な神主さんが、何か一席の座談の終りに愛嬌《あいきょう》ある落ちをつけて、それが、すべての人のおとがいを解いたその結果でありましょう。
 先入りの客がいたと見て、神主さんから言葉をかけました、
「おやおや、あんたお一人で、そこにおいでかい。いつ来てもこのお湯はいいお湯じゃの、よくまあ透明に澄んでおりますわいの。これまあ、玉のこぼるるようじゃ、勿体《もったい》ないほどじゃ」
と言いながら兵馬と向い合って、ズブリと全身を湯の中に打込みました。
「白骨と申しますが全く骨まで白く洗えそうな湯ですな」
と兵馬が、おとなしく言うのを、
「その通り、その通り、ほんに綺麗《きれい》でいい加減で、それに今は混む時のようにさわがしくはないし、お湯に入る気持は格別だが、若衆《わかいしゅ》さま、修行は湯ではいけませんぞ、水に限りますぞ」
と、その人が言い出したものですから、この男を神主とも、行者とも知らない兵馬は、変なことを言う人だと思いました。
「修行は水に限ったものです、厳寒に、氷を割って浴びる水の温かさを知ったものでなければ、修行の味は話せませんよ」
 神主がいうのを、兵馬は軽く、
「そうですかなあ」
と受けたままです。ところが神主は面《かお》だけは洗わないで、ゴシゴシ身体《からだ》を湯の中でこすりながら、
「万事、水で修行をしなければいけません。しかし、それもまあ身体に準じたもので、無茶に荒行《あらぎょう》をやるのも感心しませんな。あんた方なんぞはまだ若いで、少しぐらい無理をしても修行が肝腎《かんじん》ですな。水行と断食のことですよ、水行と断食をしっかりやっとらんことにゃ、身体の本当の鍛えはできませんわい」
 兵馬はそれを聞いて、ますます変だと思いました。この男は人を見かけに頭から説法する人だ、その説教を独断的に頭から押しつける人だ、ははあ、この山中に来ている行者の類《たぐい》だな――と兵馬は、そう気がついたものですから反問しました、
「もう永く、こちらに御逗留《ごとうりゅう》ですか」
「長いといえば長うがすな、この乗鞍の麓《ふもと》に落ちついてから二十年にもなりますかな、昨今では、もう全く山の人になりきって、人里へ出ようという気になりませんわい」
「二十年――ずいぶん、長いことですなあ、どちらにお宿をお取りです」
「ははあ、あんた、いつこっちへおいでなすった」
「昨日参りました」
「そうでござんしょう、そうでなければ、とうにわしの事は聞いておいでのはずじゃ。わしはな、この上の無名沼《ななしぬま》のほとりの鐙小屋《あぶみごや》というのにいる神主でござんすよ」
「ははあ、そうでしたか、まだよく存じませんものですから」
「遊びにおいでなさい、ここからホンの一足ですから。一足とは言いながら、それは平常《ふだん》の日のことで、雪の積った時には、その一足が、常の人で二刻《ふたとき》かかりますよ。おいでなさい、焚火をしてあたらせながら、山の話をして上げましょう」
 この神主はそれから兵馬を相手に、自分も若い時分は、さんざんに諸国を廻って、あらゆる世間に接して来たという自慢話をはじめましたが、そのうちに、
「山という山はたいてい歩きましたね、日本国中の有名な山という山には、たいてい一度はお見舞を致しましたが、なんにしても山といっては、この信州に限ったものです。富士は一つ山ですから、上って下ってしまえば、それっきりですが、信濃から飛騨、越中、加賀へかけての山ときては、山の奥底がわかりませんからな。尤《もっと》も毛唐人《けとうじん》にいわせると――毛唐人といっては穏かでないが、西洋の人ですな、長崎で西洋の山好きに逢いましてな、その男に聞きますとな、感心なもので、あの西洋人の山好きは、日本人の歩かない山を歩いていましたよ、この辺の山のことでもなんでもよく知っているには驚かされましたよ。ウエストとかなんとかいう名の男でしてね、それが、あんた、日本人がまだ名も知らねえ、この信濃の奥の山のことなんぞをくわしく話し出されるものだから、若い時分のことですから、すっかり面食《めんくら》ってしまいましたね。その西洋の山好きの男が言うことには、日本はさすがに山岳国だけあって、山の風景はたいしたものには相違ないが、それでも、高さからいっても、規模からいっても、西洋の国々に類の無いというほどのものではない、世界中にはまだまだ高いのや、変ったのがいくらもあるが、そのうちでも、ちょっと類の無いのは、肥後の国の阿蘇山《あそざん》だってこう言いましたよ」
 神主さんはこう言って、身体《からだ》を湯の中でまたゴシゴシとこすりました。
 そうして神主が、また言葉をついで言いました、
「肥後の阿蘇という山は、全く、世界中でも類の無い山だと毛唐人が言いましたから確かでしょう、この辺の山と違って、火山の外輪というのが素敵でしてな。火を噴《ふ》く山としては、この上の焼ヶ岳なんぞも日本の国では、どこへ出しても引けは取らない山ですが、阿蘇とは規模において比較になりませんなあ。二十里というものが、人工で出来た壁のように、早い話が支那の万里の長城みたいに、ずうっと並んで連互《れんこう》しているんですから素敵なものです、この規模だけは世界に類が無いと西洋人が驚きます。まあ、折があったら一度のぼって御覧なさいまし」
 阿蘇を讃美するかと思うと、今度は一転して温泉のことに逆戻りをして、
「修行は水に限るがの、気分の暢々《のうのう》するのは、何といっても温泉に限ったものですね。その温泉も、平地の温泉よりは、山の奥の温泉ほどいいですね。山の奥の温泉も、こんな湯槽の温泉よりも、野天の源泉、川の岸、巌の間といったのへ湧き出るそのところを湯壺にして、青天井の下で湯あみをするの愉快に越したことはありません。何しろ日本という国は、温泉がふんだんにありますからなあ、この点ではまことに仕合せな国に生れたものですよ。燕《つばくろ》の下の中房へ行きましたか。ああ、そうですか。この近所では、飛騨の平湯《ひらゆ》の温泉、蒲田峠《がまだとうげ》の蒲田の温泉というの、それから上高地の温泉も、これを山の裾越しに北へ行くと、あんまり遠くないところにあります。どうです、ひとつその上高地の温泉へ御案内をしましょうか。なあに、まだ雪もそんなに深くはなし、ここへ冬籠《ふゆごも》りをするよりは、また奥深くていっそう面白いですよ。帰りたけりゃ、いつでも帰れますよ。雪が深けりゃ深いように、歩き方もあるにゃあります、だが、山は慣れないうちは、もう全く案内者のいう通りにならないとあぶのうござんすよ、血気にまかせてはなりません。ひとつ乗鞍ヶ岳へ案内をして、朝日権現の御来光の有難いところを拝ませて進ぜましょうか。とにかく、ゆっくり御逗留《ごとうりゅう》でしたら、遊びにおいで下さい、梨木平《なしのきだいら》というのを通って無名沼《ななしぬま》へ出ると、その沼のほとりにわたしの小屋が見えます。誰がつけましたか、乗鞍ヶ岳の下の、鐙小屋と人の呼びならわすのがそれで……」

         十一

 これより先、仏頂寺弥助と、丸山勇仙とは、兵馬の座敷へ入り込んで、火鉢を中に鶏肉を煮ながら、酒を酌《く》み交わしておりました。
 この鶏肉と、酒とは、どこで得たものかわかりません。どうも二人御持参の品らしい。御持参とすれば、どこからどうして持って来たかというようなことの詮索《せんさく》はやめましょう。とにかく、この宿へ来て、しかも、兵馬の入浴中を見はからって侵入して来たような、変則の来客でありながら、酒と、鶏肉だけは、こうもあざやかに、この宿で即座にととのえ得る理由が無い。ですから多分、充分の用意をして持参して来たものであり、同時に、兵馬のように、ほとんど偶然に近く誘引されて来たというのでなく、たしかに痕跡をつきとめて、後の先を制したようなつもりで、抜かりなくこの座敷を、あるじの不在中に占領した得意面が、明らかに見得るのであります。
 ところで二人が、酒を飲み、鶏肉を食いながら、どんな話をしているかと聞くと、
「どうも、ありゃ見たような女だよ」
と丸山勇仙が言いました。やはり話題は女のことでありました。
「左様さ、たしか拙者といえども見たことの覚えのないとはいえない代物《しろもの》だ」
と仏頂寺弥助が合わせます。ここで話頭に上すまでもない、女のことゆえに、兵馬をしてよけいな焦躁をさせている二人。その事とはまた別に、話題が女のことになるのは、あれよりは近く、ここへ来る途中でか、或いはモット近く、問題になるべき女の印象が現われたものと見なければならぬ。
「この宿の娘とは見えない、女中ではなおさらない――だから、ここに逗留《とうりゅう》する客の一人と見なければなるまい。珍しく、こんな奥山に冬籠《ふゆごも》りをするらしい客がかなり多いようだが、そのなかで女といってはあれ一人らしい」
「左様、女一人とすれば連れがあるだろう、兄貴とか、夫とか、なんとかいうものと一緒に来ていなければならぬはずだ」
「立派な保護者があるのだろう」
「保護者がなければ、第一ここまで来られもすまい、来てもいられはすまい」
「左様、年若い女を一人、保護者無しに、こんなところへ手放す奴も無かろうじゃないか」
「それはそうに違いないが、どうも見たことのたしかにある娘だが、度忘《どわす》れをしてしまったよ、思い出せないよ」
「思い出すよじゃ思いが浅い――というわけでもあるまいが、ちょっと愛くるしい娘だな」
「第一愛想がいいね、人をそらさないところがあるが、それといって、それ[#「それ」に傍点]者《しゃ》のするワザとさがない、天然に備わっているチャームというものがある」
 丸山勇仙は、多少語学の素養があるから、それでチャームというような言葉をつかってみるのでしょう。仏頂寺弥助にはわからない。わからないなりで反問もしない。
「どうもいかんな、女はくろうと[#「くろうと」に傍点]に限るよ、いかにほれてみたところで素人《しろうと》では、うっかり冗談もいえない。第一、今のが宿の娘であるとか、女中とかいうことであれば、お愛嬌に、お酌の一つもしてもらうことに遠慮もいらないが、客であり、ことに保護者がついていたんでは、万事休すだ」
「左様さ、保護者のある女は仕方がない」
 二人がしきりに保護者呼ばわりをして、何か残念がっているその噂《うわさ》の主《ぬし》というのは、想像するまでもなく、ここに来ているお雪のことなんでしょう。
 昨晩か、今晩か、二人が着いた時、多分お雪あたりが居合わせて、宇津木兵馬――二人も心得て兵馬とはいうまい、変名の静馬あたりを呼んだであろうが、相当に説明して案内を頼むと、わかりがよく、直ちにこの部屋につれて来て、ここまで落ちつくように世話を焼いてくれたのはお雪で、そのお雪の親切ぶりが、なんとなく二人を動かしたものですから、とりあえず、その噂を以て話頭が開かれたものと思われます。
 そこへ兵馬が風呂から戻って来たものですから、兵馬は驚くよりまず、苦々《にがにが》しい思いをしました。
 二人は、戻って来た兵馬を見て、ニヤニヤと笑い、
「やあ、暫く暫く」
と言いました。
 人の留守へ入って来て、肉を煮たり、酒を飲んだりしている無遠慮。それをとがめ立てしていた日には、この連中とつき合いはできない。
 苦々しい思いをしながらも、兵馬は詮方《せんかた》なしとあきらめて手拭をかけ、
「諸君、いつ来た」
「昨晩から今暁へかけて、戸の隙間《すきま》からそうっと忍び込んで来たわいな」
「あれから、君たちはどうした、あの女も一緒か」
「あれか――いやどうも面目《めんぼく》がない」
 丸山勇仙が顔を一つ逆に撫でて、面目ない様子をしながら、ケロリとしている。
「無事に、浅間まで送り届けてくれただろうな」
「それがさ……」
「では、一緒にここへでも連れて来たのか」
「それがさ……」
 いやに彼等二人はニヤニヤして、歯切れのいい返事をしない。
 兵馬は、机に近い程よきところに席を占めて、
「そうして、拙者がここへ来たことを、君たちは、知ってたずねて来ましたか、或いは偶然にここへやって来たのですか」
「雪に足あとがあるものだから、こいつ狐の足跡ではない、多分、君の足あとだろうと思うから、それを伝って、とうとうこれまで入りこんだというわけさ」
 とはいえ、この辺こそ雪だが、松本あたりはまだ雪ではあるまい。
 しかし、いずれにしてもこの二人の来合わせたのは、偶然ではなく、兵馬の足あとをかぎつけて来たものであることは、疑いがないらしい。
 とすれば、あの女はどうしたのだ。
 中房からの道、兵馬のあとに追いすがって来たあの女はどうしたのだ。もと浅間の芸妓《げいしゃ》であったという女。
 兵馬がもてあましたところを、二人が引受けたはいいが、兵馬は、手放してかえって持扱っている。
 ここへ来たのも一つは、その行方《ゆくえ》が気になってたまらないからだ。
 しかし、詰問してみると、二人はニヤニヤと笑うばかりだ。
 いったい、この連中に正面から詰問してかかれば、かえって、いよいよ事を扱いにくいものにする。現在、連れて来てこの隣室へ置いたからとて、二人は江戸の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来ても、この隣室へ置いてあるようなことを言いたがるのが、厄介者の常だ。それを知っているから、兵馬は、手強く詰問しても駄目だと思っていると、案外先方が砕けて来て、
「宇津木君、実はねえ君、実はねえ、君に申しわけがないんだよ、我々両人、あんな口幅ったいことを言って、あの女を引受けてからさ、なあに御心配はないさ、我々だって、見込んで頼まれれば、猫と一緒に鰹節の番人もする――後生大事に、あの女を連れて浅間へ送りかえす手筈であったが、あの女が、浅間へは帰りたくないようなことを言うから、それではお望み次第、京鎌倉でも、江戸大阪でも、どこへでもおともをしようじゃありませんかと、安手《やすで》に出て、そうして、まあ取敢《とりあ》えず木曾街道を塩尻まで無事に同行したと思い給え。塩尻へ入ると、さあ、すっかり大しくじり、あの女の姿を見失ってしまったのだ、上《かみ》へのぼったか下《しも》へさがったか、どこをどうしたか、女の行方《ゆくえ》がかいもく知れなくなった。血眼《ちまなこ》になって、大の男二人が騒ぎ廻るのが笑止千万、実はまか[#「まか」に傍点]れたのだ、とうからきゃつにすっかり鼻毛を読まれていたのだ。地団駄《じだんだ》ふんでも追っつかない、女と侮った――あちらが役者が一枚上だ。そのまますごすご引返してここへ来る器量の悪さ――実以て面目次第もござらぬ」
 だが、この話だって、どうだかわかったものではない。
 果して、まか[#「まか」に傍点]れて、器量悪く戻って来たものか、或いは、散々《さんざん》もみくちゃにして、突っ放して引上げたものか、保証の限りではないが、とにかく、あの女をここへ連れて来ていないことは本当らしい。
 まもなく二人は切上げて、これから湯に行くと言いました。
 湯に行ったついでに、誰か留守番の者に、我々の部屋を周旋してもらおうと言い出したのは、いつまでも、兵馬と同室にいるつもりではないらしい。
 果して二人が出て行くとまもなく、留守番の男がやって来て、御同宿のお方を、この突きあたりの二番目に致しましょうといって、そのすべての持物を運びはじめました。
 厄介払いをしたつもりで、兵馬は息をついたが、この厄介払いで、ここまで見込まれた以上は、これから以後のことが想われる。
 この二人の亡者共に、つけ廻されてはたまらないから出し抜くに限る。出し抜いたからとて、影の形における如く、離れっこはないから、絶縁を宣告するのも無益である。しかるべき時刻を見て、無断にここを出立してしまうことだ。
 その時刻は、いつがいいかな。永くここに逗留《とうりゅう》している必要は更にないのだから、明朝あたりがよかろう。それとも今晩、月夜ででもあれば、彼等を出し抜いてしまってやろう。そうして、ともかくもまた一旦松本へ帰るのだな。
 いや、待て待て、せっかくここへ来た以上は、ここで知り得るだけのことは知って置かねばならぬ。
 ちょっと一夜めぐりをして、尺八の音に驚かされて帰るだけでは、どうも冥利《みょうり》が尽きるようだ。
 とにかく、一応は、何人の人たちがこの宿にいて、それのおのおのの住所、氏名、族籍というようなものまで、一通りは当りをつけて帰らぬことには、偶然にしても、偶然を利用することが足りない。
 よし、かりに宿帳を見せてもらおう。
 それに、随時、あの炉辺閑話が開かれるらしいから、あれに列席してみると、席の空気もわかるし、滞在客の性質もわかるのだ。それらについて、知り得るだけは知って置いても害になることではない――兵馬はそう思案したものだから、今日はひとつ、これから炉辺閑談の席へ、進んで出席してみようとして、一通り衣裳をつけました。
 そうして、袴《はかま》をつけるまではないが、刀と脇差は、持って行こうか、行くまいかと思案し、それも物々しいし、丸腰も本意でないようだから、脇差だけを差して行こうと、その通りにして、二階から徐々《しずしず》と炉辺をさして下りて行きます。
 この時、炉辺閑談の席は、鐙小屋《あぶみごや》の神主の退却した時を以て一次会が終り、あとは閑散のやからが残席を守り、或いは長々と炉辺に寝そべって、頬杖《ほおづえ》をつきながらだまり込んでいるのもある。
 つまり、池田良斎一行の北原と、それから留守番のおやじと、村田寛一と三人だけでしたが、三人とも、いずれも、だまりこくって、炉辺を囲んでいるところへ兵馬がやって来ました。
「さいぜんは、神主さんが見えたとやらで、お招きを受けましたが、少し用事があったものですから失礼しました」
「いや、どうも。まあ、おあたり下さい」
 横に寝ていた者までが起き直って、おやじはそれに薪を加えました。見れば、大きな鍋で芋粥《いもがゆ》をこしらえているらしい。
「御免下さい、御同宿の方々はお賑《にぎ》わしいようですが、みんなで何人ほどおいでなさいますか」
 兵馬にたずねられると、村田が、
「全く珍しいことですよ、この温泉へ、こうまで顔がそろって冬籠《ふゆごも》りをしようなんぞは、白骨はじまって無いことでしょう。売れ出すと売れるもので、もうこれきりと思っていた後から後から、俳諧師の梅月君が来る、猟師の嘉蔵殿が来る、雪を踏み分けて貴殿というものが来られたかと思うと、そのあとを追うて、ただいま湯に行かれたあの二人の御仁……」
 村田は、歯切れのよい言葉で言いました。

         十二

「あなた方の御同勢は、すべて何人でございますか」
 兵馬から物おだやかにたずねられて村田が、
「われわれの同勢は左様――すべて五人になりますかな」
「みんな男の方ばかりですか」
「無論です、野郎ばかり五人揃って、越年《おつねん》をしようというんです」
「女の方もおいでのようですが、あれは、あなた方のお連れではございませんか」
「あれは、違います、全く他人です」
「ははあ、そうしますと、あなた方御同勢の五人と、その女の方の一行と、二組だけでございますか」
「それに俳諧師の方が一人おります、留守番と、猟師が二三名出たり入ったり……」
「そうですか。そうして、あなた方は失礼ながら、どちらからおいでになりましたか」
「飛騨《ひだ》の方から参りました」
「重ねて失礼ですが、御商売は何ですか」
「商売……」
 村田は、ちょっとばかり苦《にが》い顔をして、頭へ手をやり、
「商売と改まって聞かれると閉口するですがね、実は神楽師《かぐらし》なんですよ」
「神楽師?」
「ええ、池田というあれが頭分《かしらぶん》で、神楽をやりながら諸国を渡り歩き、この冬はここへ籠《こも》って、また飛騨の方面へ帰ろうと思います。一行のうちには、飛騨の高山生れの者もありますんでな」
「そうですか、それでおのおのは、音曲のたしなみがおありなさるのだな」
「神楽師《かぐらし》とは言いながら、変り種ばかり集まっていますから、神楽師にしては人間が大風《おおふう》だと思召《おぼしめ》すかも知れません、事実、神楽は道楽のようなもので、学問武術などにも相当に心がけのある奴がいるんですから、変に思召すかも知れませんが、慣れるとみんな無作法者ばかりです」
「それも頼もしいことです。実はただいま、神楽師とおっしゃるから、こいつ怪しいと思いましたよ。普通神楽師といえば、われわれの頭にまずうつってくるのは、二十五座とか、十二神楽とか、馬鹿囃子《ばかばやし》とかいったようなものですが、あなた方は、そんな種類の人とは思われないから、世を忍ぶ謀叛気《むほんぎ》の方々かと、一時は疑いの心を起しました」
「いや、決してそういう物騒なものではありません。一口に神楽といえば、馬鹿囃子みたようなものにとられ易《やす》いですけれど、文字そのものを吟味してごらんなさい、神を楽しむ、或いは神を楽しませ申すという立派な字面《じづら》です、従って、神楽師といえば、神前に奉仕する敬虔《けいけん》な職務ということにならねばならないのですが、どうもそう響かなくなっているのは習慣ですね。たとえば、道楽者といったようなもので、道楽という字面からいえば、道を楽しむのですから、孔孟や老荘の亜流でなければならないのに、普通、道楽者といってしまえば、箸にも、棒にも、かからないやくざ者とみなされちまいますからね。文字の威力よりも、習慣の惰性《だせい》が怖ろしいということになります」
 村田が、一応こんな弁解を試みたことだけでも、すでに普通の神楽師でないことがわかり、或いは神楽師を標榜《ひょうぼう》して、世を忍ぶやから[#「やから」に傍点]ではないか、そうだとすれば、時節柄、意外の人材が隠れていないものでもない、つきあい様によっては、話しようによっては、存外の得るところがあるかも知れぬ、とにかく、この一行は、いずれはただ者ではないように、この時、兵馬が考えてしまいました。
「そうでしょうとも、神前に奉仕する意味の神楽と、徒《いたず》らに俗情に媚《こ》ぶるみせものの類《たぐい》とは、質を異にせねばなりません。それはそれとしまして、あなた方の御一行のほかの客人は、皆、御存知よりのお方でございますか」
「われわれのほかの一組は――あの婦人の加わっている一行ですな、あれは都合四人とか聞きましたが、ここへ来て初めての知合いです」
 話半ばのところへ、久助が入って来ました。
 久助は、お雪一行と上野原から来たものですから、本来ならば、あの時分、兵馬を見知っていなければならないのですが、ちょうど、面会の機会がありませんでしたから、この場へ入って来ても、おたがいに他人で、久助がまずていねい[#「ていねい」に傍点]に一座にあいさつをし、他の者がそれに会釈《えしゃく》をしたというようなあんばいで話が進むと、村田が、
「久助さん、お雪ちゃんはこのごろ、ちっともここへ出て来ませんな」
と言いました。
「はい、何かと忙しそうにしていますから」
と久助が答える。
 お雪ちゃんという名前だけでも、兵馬に思い出があるといえばあるのですが、お雪ちゃんという名前は、月見寺に限ったわけのものではなし、ここで兵馬が、特にその名にひっかかる理由もありません。
 程経て兵馬が久助に向い、
「あなたは、どちらからおいでですか」
とたずねました。それはこの男こそ、例の五人の神楽師の一行のほかだと見たからのことでしょう。そこで久助は、
「わしどもは、甲州の郡内《ぐんない》の方から参りました」
「甲州の郡内……」
「はい」
「郡内はどこですか」
「ええ、谷村《やむら》でございます」
「そうですか」
 ここで久助が、郡内は上野原でございます、上野原の月見寺でございます――といわないで、谷村と言ったのが幸いでした。最初から多少の用心をして、わざと上野原や、月見寺を、表に出さないことに申し合わせていたのですが、久助の本来の生れ所が、その谷村なんですから、不自然はありません。
「旦那様は、どちらからおいでになりました」
 今度は久助から、極めて自然に、またていねい[#「ていねい」に傍点]に、兵馬の来《きた》るところを儀礼的にたずねてみたものです。
「拙者は、もとは江戸ですが、諸国を歩いて、昨日松本から、これへやって来ました」
「左様でございますか」
 久助は、こくめいに頭を下げると、村田が引取って、
「時に、あなた様は武者修行ですか」
と兵馬に、これもはじめて反問を試むると、兵馬も心得て、
「まあ、武者修行と申せば、武者修行のようなものでございましょう、未熟ながら、剣術稽古を兼ねての諸国の旅です」
 剣術修行を兼ねて仇討《あだうち》の旅でございます、とも言えないから、素直にこう言うと、村田が、
「ははあ、それはお若いに御殊勝のことでございますな。剣術は河流を御修行でございますか」
「直心陰《じきしんかげ》を少しばかり習いました、それと、槍を少々教わった覚えがあるばかりですが、武術は本来、好きには好きです」
「好きこそ物の上手なれで、さだめて鍛錬のこととお察し申しますが、柔術の方はいかがでございます、柔術は……」
「あれはまだ、一指を染める暇がないというわけでございます、習いたいは山々ですが、一方でさえ物にするには、なかなかの苦心と、時間とを要します」
「御尤《ごもっと》もです――では、さだめて居合《いあい》の方は……」
「それも物になっておりませんが、諸流をホンの少しずつ、手ほどきを見せていただきました」
「御謙遜のお言葉でお察し申しますと、失礼ながらあなたは、なかなかお出来になりますね」
と村田が言いました。兵馬は、最初からこの村田を異《い》なりとしていたところですから、かえって、
「いや、あなたこそ、拙者共に対する御質問がいちいち要所に当って、先輩に試験を受けているような気がしないでもござりませぬ、いろいろとお話が承りたいものでございます」
 そこで、村田と兵馬との間に、武術の話がはずみました。
 話がはずむにつれて村田が、大極流の兵法のことを、兵馬に向って聞かせたのが耳新しくあります。
 大極流の兵法には、棒も、剣も、槍も、拳法も、捕縄《とりなわ》も、忍びの術までが、みな一つ体系に摂取されてあるということと、支那の武術との関聯を、兵馬は耳新しく聞いていると、村田が、
「今日やって来たあの鐙小屋《あぶみごや》の神主というのが、あれが、若い時分には世間を渡った男と見えて、よくいろいろのことを知っていますよ、諸国の兵法、武術の伝統などについて、時々要領を得た話し方をするのみならず、往々玄妙に触れるようなことを言いますよ。当人が、諸流にわたって究めているわけでもなかろうが、あんなような人間は、どうかすると、非常に間違ったことをいうと共に、非常に当ることを言い出すものです。一度、御逗留中にあの鐙小屋へ行って、おやじをたたいてごろうじろ」
 そこで兵馬が、
「ああ、あの神主殿ならば、さきほど、風呂場の中で面会し、隔てのない話しぶりに接しました」
「そうでしたか、ちょっと変ったところがありましょう。あれで、この寒天に、乗鞍ヶ岳へ上って、朝の御来光を拝んで帰るのですから。行者ではありません、やはり神主ですよ」
「いかにも、陽気そのもののような顔色をしておりました、そばへ寄ると、何か暖かいように感じました」
「一切、光明主義でしてね、陰気が大嫌い、陽気が、一切を救うというような教義をよく聞かされますが、一面の真理はあって、またその真理を幾分かは体現もしているようです。とにかく、変ったおやじです……そうそう、久助さん」
 村田は急に思い出したように、話半ばで久助を呼んで、
「久助さん、大事のおことづけを忘れましたよ、あの鐙小屋の神主様がね、お雪ちゃんにおことづけなんだ、どうも、あの子の半面には陽気がうせて、そのいわゆる『けがれ』というものが出て来たから、気をつけなくちゃいけない、前にもあることだから、心配だよ――神主さんが、お雪ちゃんの見えないのを、あぶないことのように言っていたから、お雪ちゃんに、よくそう言って下さい」
「はい承知しました」
「全く、お雪ちゃん、このごろ、めっきり暗くなったようだね、ちっとも人中《ひとなか》へ面《かお》を見せないじゃないか」
「いいえ、あれでなかなかお忙《せわ》しいのですから、手が放されねえんでしょう」
「とにかく、飛騨《ひだ》の高山のイヤなおばさんとやらのこともあるだろう、浅吉君という色男のこともあるだろう、それらの運命を、大抵あの神主さんが予言しているじゃないか。今度の予言が、お雪ちゃんの上にでも当てはまろうものなら大変だぜ。神主さんの言い草じゃないが、陽気に、ぽんぽんと話しに来るようにならなけりゃ、第一、われわれの気まで腐るさ」
「そう言ってみましょう」
 久助が、叱られでもしたように恐れ入る風情《ふぜい》を、兵馬が見て、
「あのお嬢さんは、あなたのお連れなのですか」
「ええ、左様でございます、私の近所の人でございます」
 兵馬がこれを認めてしまっていると合点《がてん》したものですから、ぜひなく久助が答えると、兵馬はつづいて、
「あなた方のほうの組は、お二人ですか」
「ええ、いいえ、まだほかに連れがございますんですが、病気でございますから」
「ははあ、では、あなた方は、ほんとうの湯治に来ていらっしゃるのですかね。あの方は、あなたのお娘さんではないのですか」
「私の娘ではございません、いわば主人といった筋でございます」
「そうですか、お部屋はどちらですか」
「あの三階の東に向いた、角でございます」
 そこへ珍しくも、一方の廊下の入口から、お雪が姿を見せて、
「久助さん、お火種を少し下さいな」
「あ、お雪さんですか」
 一同の者が、お雪の声を、不意に珍客でもおとずれたもののように聞いて、言い合わせたように、こちらを見ましたけれど、お雪の姿は柱に隠れて、縦にその半身だけしか見えません。
 しかも、その半身といえども、薄暗がりのところに白く漂うているものですから、はっきりとは認めることができないのです。
「どうしたのですか、今日は、どのお部屋も、どのお部屋も、みんなお火が消えてしまいます。わたくしどもの座敷も、それから、昨日おいでになった二人のおさむらいさんも、火が冷たい、火が冷たい、とおっしゃりながら、お酒を召上っていらっしゃるし、それから、若いおさむらいのお方のお部屋も、とんと立消えがしているようでございますから、ついでおきましょう」
といって、お雪は、ひのし型の十能《じゅうのう》を差出しました。
「そうですか、では、あとから私が持って行って上げましょう。お雪さん、まあ、こちらへ入って皆さんとお話しなさいまし」
 久助は招いたけれども、お雪が心安く入って参りませんものですから、自分が立って来て、お雪の手から十能を受取って、炉辺へ戻り、火の塊を物色したが、どうも思わしく盛んな塊が無いと見えて、新たに木炭を炉の中へ加え、
「これが、かんかんとおこってからに致しましょう、焚落しでは、どうも火持ちが悪うござんすからな」
 その時に、会話を中止して、こちらを見ていた村田が、
「お雪さん、あなた、このごろどうかなさいましたか、ちっとも姿を見せないじゃありませんか」
「いいえ、どうも致しません」
「今、皆さんで、あなた方の噂《うわさ》をしていたところです、ちと、お話しなさいましな」
「有難うございます」
「あまり遠慮をなさってはいけません」
「遠慮なんて、しやしませんけれど」
「では、少しお話しなさい」
 それでも、お雪は入ろうとしないで、例の薄暗いところに立ち姿の半身で、あるが如く、なきが如くに、しおらしいものであります。
 ここでは、すすめられても遠慮をしているくせに、一方では、頼まれないのに、部屋部屋の火の心配までして、ほとんど女中代りの世話まで好んでして歩くものらしい。
 宇津木兵馬も、その時、そう思いました。自分の部屋も、自分が立つまでには、そんなでもなかったが、そのあとで、この娘さんがしらべてみた時分には、炬燵《こたつ》の火が消えてしまっていたのかしら。そこまで気を利《き》かせてくれているこの娘さんの、相変らず行届いた親切ぶりが、宿の人でないだけに、感謝の至りと思わずにはおられません。
 しかし、この際、こうして入りもせず、去りもしないお雪の遠慮が、一座の気合を殺《そ》ぐことはかなり夥《おびただ》しいものですが、村田がそのバツを合わせるように、兵馬に向って話をつづけて言いました、
「あなたのお連れだといって、あとからおいでになった方も、やはり、武術修行の仁《じん》とお見受け申します」
「いかにもお察しの通り、一人は仏頂寺弥助でございます」
「なるほど」
 村田がうなずきました。うなずいたところを見ると、村田も以前から、仏頂寺の名を聞き知っていたのかしら。或いは時の調子で、お座なりにバツを合わせたのかしら。そこで兵馬も漫然と、
「あとで御紹介いたしましょう」
と附け加えました。
「仏頂寺弥助という御仁《ごじん》は知りませんが、仏生寺弥助殿なら承っております」
と村田がいう。
「同名異人であるかも知れません」
「しかし、その仏生寺弥助殿ならば、先年、京都で殺されているはずです」
「そうでしたか」
「斎藤篤信斎の甥《おい》に当りますかね」
「ははあ」
「そもそも斎藤弥九郎先生が、越中国氷見郡仏生寺村というのに生れたのですから、その村名を取っていただく弥助殿、ことに弥九郎の弥、弥助の弥、通《かよ》っているようですから、甥でないまでも、親戚かなにかであるには相違なかろうと思います」
 村田寛一がこう言ったものですから、兵馬も考え出して、
「そこまでは究《きわ》めてみませんでしたが、斎藤先生の門下であり、流儀が神道無念流であることは、争われません」
「稽古はどうですか、業《わざ》は」
「それは確かなものです、練兵館の仕込みですから、隙間《すきま》はありません」
「して、人間はどうです、人物は……」
「さあ……」
と兵馬が腕を組みました。
 正直のところ人物は感心しない。感心しないけれども、兵馬として、それを露骨に言ってしまいたくないような気がする。かりにも、同行の友人のアラを言うことが忍びないような気がする。そうかといって、人格清明、志気高邁《しきこうまい》と、そらぞらしいおてんたらを並べるわけにもゆかない。それを村田が引受けて、
「あまりよくないでしょう」
「そういえばそうです、惜しいものですね、あれだけの腕を持ちながら」
「仏頂寺弥助と仏生寺弥助とが、どれほど違うか知りませんが、その仏生寺殿の方は練兵館の方から勇士組として選抜されて、長州へやられた時分に、京都でよからぬ行いがあったということで、同志の者から、殺されたということを聞いております」
「ははあ、それほどの手練を、誰が、どうして殺しましたかしら」
「京都で悪事をやった勇士組のうちの三人は、この仏生寺弥助と、高部弥三雄というのと、三戸谷一馬というのと三人でした。本来、この勇士組というのが、毛利の若殿の頼みを受けて、斎藤篤信斎が、自分の手から壮士を集めて送ったもので、いずれも錚々《そうそう》たる腕利《うでき》きであり、下関《しものせき》砲撃の時などは大いに働いたものですが、以上の三人が悪い事をして、体面上容赦がならぬというところから、同志の者で斬って捨てようとしたが、相手が尋常でないから用心して、ことに仏生寺弥助は、遊女屋へ誘って行って、酒を飲まして、だまして縛ったということを聞きました。それを高部と、三戸谷が知って、鴨川原へ逃げ出したところを、北村北辰斎が追いかけて、川原で斬合ったが、なにしろ相手が相手ですから、北辰斎も不覚を取って、小手を斬られて太刀《たち》を取落したが、それでも片手で脇差を抜いて受留め受留めして、すでに危ういところへ、篤信斎先生の一子新太郎殿がかけつけて、二人をしとめたということでした」
「ははあ、それは初めて承りました」
「普通の浪士の斬合いと違って、有名な剣術者の真剣勝負でしたから、これは後学のために見ておきたいと、かけつけた時は、もうすでに事が済んでいたので残念でした」
「そうでしたか。して、高部と三戸谷の両人はその場で斬られ、酒に酔わされて縛られた仏生寺弥助殿はどうなりました」
「三人ともに討首《うちくび》になったということは聞きましたが、その後のことは聞きません、まさかここに来ている仏頂寺殿が、その仏生寺殿の生れかわりであろうとも思われませんが……」
「なるほど」
 兵馬が、またも考え込んだ時、
「さあ、火がおこりました」
 久助が火をハサんだので、お雪がまだ以前のところに立っているのを知りました。

         十三

 お雪ちゃんのこのごろの仕事は、社会奉仕といえば一つの社会奉仕でしょう。
 ほかに女手の一つもない大きな宿屋の中のことですから、男で気のつかないことは、何でも自分の手でしてやらねばならぬという責任でもあるかのように、何かと気を配らずにはおられません。
 そこで、自分の炬燵《こたつ》に火のない時は、他の部屋のそれも同じように心配して、冬籠《ふゆごも》りの空気を、いくらかでも暖かいものにしてやりたいというような心づくしは、持って生れたこの人の親切気ですから、どうすることもできません。
 今も、十能の中に、かんかんとおこった炭火をたくさんに盛って、それを後生大事《ごしょうだいじ》に抱えながら、二階の梯子《はしご》を上りにかかりました。そうして二階のいちばん手近いところの部屋、つまり宇津木兵馬の座敷のところへ来て、ちょっとしなをして、様子を見た上で、誰もいないと知りつつ中へ入って行きました。
 今では、誰もいないどの座敷へも、相当の遠慮無しに出入りすることが、自分の特権のようにもなっていると思います。つまり、知らず識《し》らず、この宿屋全体の主婦であるという実際と、気位を、いつのまにか、事情がお雪に与えてしまったようなものです。
 兵馬の留守の間に、お雪はよく炭を生け替えて、新しい炭火をさしこみ、灰をならしておいて、それから余った炭を、火のしの上の炭火に加えて、そうして、暫く、うっとりとわが物のように、その炬燵に手を差しこんで考え込んでいました。
 そうすると、この室はいとど閑寂《かんじゃく》ですが、二三間を隔てた、あとの二人連れのさむらいの部屋では、カラカラと高笑いがしたり、話に興が乗ったり、罵《ののし》ったり、噪《さわ》いだり、あざけったり、議論を闘わせたりするようなのが、ひときわ耳に立ちました。至極元気のよい人たちだが、そのわりに騒々しくないのはところがらかと思いました。
 しかし、聞いていると気のせいか、二人ばかりであるべきはずの、また事実二人ばかりであるところの、二人の元気な会話の間へ、ちょいちょい女の声が入ります。
 何と言っているのだかわからないが、二人が無遠慮に高話をしている間へ、女が何か言って、ちょいちょい口をはさんでは、甘えてみたり、お酌《しゃく》でもしてみたり、そうかといえば、軽くからかわれて笑ったり、手きびしいいたずらをされて、きゃっきゃっというて振りもぎっているような空気と、調子が、お雪の耳についてなりません。
 最初のうちは、無論、それを自分の僻耳《ひがみみ》とばかり、問題にはしませんでしたが、あんまり長く続くものですから、お雪もようやく気になり出してきました。
 あの二人が酒を飲み合って、高話をしている中に、たしかに女の人が一人、とり持ちをしているに相違ない――どうしても、そうとしか受取れない空気の動揺を、お雪が感得せずにはおられませんでした。
 もしやあの人たちは、女子衆《おなごしゅ》をお連れになって来ているのではないか、とさえ疑われたものですから、お雪は、炬燵《こたつ》の中へ手を入れたままで、我を忘れて、その音を聞取ろうとしました。
 つまり、あのお二人の中に女が立交っているとすれば、それはいかなる女であるか。また、はっきりとは聞取れないが、何かしきりに二人の間へ調子を合わせているあの言葉、あれは何と言っているのだか、それを明らかに聞取りたいものだと、お雪は息をひそめて、耳をすましましたが、どうも、たよりのないことには、空気と、調子はそれだが、音そのものが何を言っているのだか、その単語の一つさえ、はっきりと聞取れないのが、もどかしくてたまりません。
 そこで、自分の耳のうちに起る幻覚として、それを打消しながら聞いていると、まさに男性二人だけの言葉で、それは、単語もはっきりと聞取れるが、暫くすると、また混線して、その間へ、何とも聞取れない女声《じょせい》の呂律《ろれつ》が入り来《きた》るのを如何《いかん》ともすることができません。
 お雪は、そのことで幻覚に陥っているうちに、つい、いい心持になりました。
 いい心持になって、炬燵にいるうちに、なんとなく泣きたい気持になりました。
 ここで思う存分泣いてみたいような気になっていると、隣室の幻覚のことも耳には入らず、他人の座敷を、わが物顔に、帰ることを忘れているのも気がつかず、なんとなしに、思う存分、甘い涙にひたって、泣けるだけ泣いてみたいような気分で、炬燵に頬をうずめてしまいました。
 ですから、隣室の幻覚は、もうその時分に消え失せて、二人の高話も、ふっとやみ、その中に妙にからまった女の音もきれいに消えてしまい、今までの喧噪《けんそう》が、あるかなきかの世界に変ってしまったことも、とんと気がつかずに、夢のようにしていると、不意に背後に、衣摺《きぬず》れの音がしたかと思うと、早くも、自分の両の眼を、後ろから目かくしをしてしまったものがあります。
「あれ、まあ、どなたですか」
 お雪は全く驚き呆《あき》れてしまいました。
 今までこの宿中で、かなり誰にも親しくしていたが、その親しみというものは、おのずから限界というものがあって、未《いま》だかつて、こうまで無作法になれ親しまれたものはないはずです。
 後ろから不意に目かくしをして、当人の相当に驚き呆れるのを見すました上で、当ててごらんとかなんとかいったり、いわなかったりして後、パーッと蓋《ふた》をあけて納まりをつける新しくもない悪戯《いたずら》。子供の時分なら知らぬこと、無邪気にしても、あんまり人をばかにしている。むしろ乱暴でもあり、無礼でもある。お雪の驚き呆《あき》れて狼狽《ろうばい》するのみならず、その狼狽に、憤慨の勢いを加えたのもぜひがないことです。
「ごじょうだんをなすってはいけません」
 目をおさえられながら、それはむしろ叱責するような声でありましたが、後ろの人はなんにも言わず、まして手を緩《ゆる》めようとも、放そうともしません。多分、面《おもて》には舌を吐いて、ニヤニヤ笑っていることでしょう。
「お放し下さい」
 お雪は烈しく首を振りましたけれど、その押えている手というのが、やさしいいたずらでやみそうなやさしい手ではなく、革のように硬《かた》い、大きな掌で、そのくせ、死人のように冷たい手でありました。
「ほんとに、どなたですか、ごじょうだんをあそばしてはいけません、どうぞお放し下さい」
 お雪には、その押えられた手の主が誰であるか、見当がつかないらしい。
 ここには多くの男性がいる。否、自分一人を除いては、すべては男性であって、そのうちにはかなり異種類の人が雑居しているのだから、そのうちの誰の手と見当のつけようのないのもぜひがないでしょう。
 しかしながら、池田良斎の一行の人たちの中には、かりにもこんな無作法な人はひとりも無い。留守番や、猟師たちの人は、質朴な山気質《やまかたぎ》の人たちで、自分たちに一目も二目もおいて、敬意を表していようとも、こんな無作法を働く人はひとりもない。
 当惑の限りを尽したお雪は、大きな声で叫びを立てて、救いを求めようかとさえ思いました。
 しかし当座のいたずらでするものを、そうまでするも、たしなみがなさ過ぎるように思って我慢をし、
「どうぞお放し下さい」
「は、は、は、は」
と、はじめて高笑いしたが、手はまだ放そうとしないから、
「お放し下さらなければ、人を呼んで助けていただきますよ」
「は、は、は、は、誰だかわかりますか」
 その声は太い声でしたが、それでもまだ思いあてることができない。
「わかりません――どうぞ、お放し下さいまし、ね」
「は、は、は、驚きましたか」
 ここに至って手を放して、突き出した面《かお》を見ると、それは問題の仏頂寺弥助でありました。
 お雪は、仏頂寺の面を見てゾッとしました。
 もう少しおきゃんな子であったら、いきなり仏頂寺の面《つら》をハリ飛ばしたかも知れません。寛容なお雪にしては珍しいほど、憎悪の念が、この時にこみ上げて来ましたが、その次には、ほとんど座にたまらぬほど、恐怖の念さえ加わってきましたものですから、
「どうも失礼しました、御免下さいまし」
と自分がわびて、火のしを持って立とうとするのを、仏頂寺が、
「まあ、よいではないか、取って食おうとも言やしませんよ」
 それでもお雪は、取って食われるより怖ろしくなったが、幸いなことに、その時、廊下で足音がしたのは多分、この部屋のあるじ、宇津木兵馬が立戻って来たのでしょう――そのすきを見てお雪は、むしゃくしゃにこの座敷を飛び出してしまいました。
 仏頂寺弥助は、その時、もうすっかり旅の仕度《したく》をしておりました。
 お雪が逃げ出したあとへ、入違いに入って来た宇津木兵馬を見て、
「宇津木、さあ出立しよう」
「おや、もう帰るのか」
「こんなところに、いつまで愚図愚図していても仕方があるまい、立つときまったら早い方がいい」
「それでも、あんまりあわただしい」
「そのうちに大雪でもあると、おっくうだからな、一時《いっとき》でも早い方がよろしい」
「うむ、それにしても明朝でよかろうではないか、今晩一夜を明かして、明朝早立ちとしたらどんなものか、拙者の方にも、これでまだ相当に仕度というものがある」
「われわれは、その今晩一夜がいやなのだ、今のうちに立ってしまいたい」
「何をそんなに、急にいやけがさしたのか」
「ここに逗留《とうりゅう》の奴等が、どうも気に食わない、イヤな眼附でわれわれを見る、さもわれわれの素性《すじょう》を知り抜いているような目つきで、われわれを見るのが癪《しゃく》だ」
「えらく、小さなことを気にしだしたな」
「それともう一つ、夜中になると聞え出す、あの尺八が癇《かん》にさわってたまらない」
「ははあ、貴殿たちに似合わない、人の眼附を気にしだしたり、尺八の音を耳ざわりにしたり、まるで神経衰弱の気味だ」
「空気が違うから気に食わんのだ、イヤに一癖ありそうな冬籠《ふゆごも》りの奴等ではある、妙に身を落してはいるが、イヤに学者|面《づら》が鼻の先にブラ下がって、われわれを見下げるような面附《つらつき》が気に食わん」
「それは君たちのひがみだろう、そう悪い人たちばかりではない」
「それに、今晩、またあの尺八を聞かされては眠れるものでない、なんだか冥府《みょうふ》へでも引きこまれるように、妙に気が滅入《めい》ってたまらなかった、今晩、またあれを聞かされては本当にたまらないから、逃げ出すのだ」
「しかし、拙者の方は、そう一夜を争うほどの差しさわりは何もないのだから、明日出立のこととしましょう、諸君、たって出立なさるなら、遠慮なく一足お先へ」
と兵馬が言いました。
「では、丸山もその気でいるから、一足お先へごめん蒙《こうむ》るとしよう……そうしても君も一旦、松本へ出るだろうな。松本へ出たら、浅間へ来給え、ともかく、あれで待合わすと致そう」
「拙者の方は、しかとお約束はできない」
「浅間でいけなければ、甲州の有野村へ来給え、あそこで君を待っている人がある、有野村の藤原家の娘が、君を待ちわびているはずだ、よろしく」
「それもお約束はできない、御縁があらば、そのうち、いずれかで逢いましょう」
「時に宇津木君、君は路用を持っているか、用意があればさしつかえないが、もし手元不如意だったら、遠慮なく言ってくれ給え」
 これは不思議である。
 兵馬の方へ無心の出そうな面が、かえって、先方から勝手元を志願して出る。

         十四

 宇津木兵馬は、二人を先へ立たせてしまう方がかえって安心だと思いました。
 彼等が今日立ってしまったあと、自分は、ひとり悠々《ゆうゆう》と志す方へ旅立ったほうがよろしい。
 ただ一つ心配なのは、今夜のうちにも例の大雪でもあって、道が塞《ふさ》がった日にはことだが、まだそうたいしたことはあるまい。
 昔、佐々成政《さっさなりまさ》は雪中を、さらさら越えをして東海道へ出たという例もある。
 ところが様子を見ていると、一刻も早く、一時も早くと、いらだつように見えた仏頂寺と、丸山が、容易に立つ気色《けしき》はなく、またも御輿《みこし》を据えて、鶏肉の残りかなにかで飲直しの体《てい》ですから、さあ、またぶり返した、あの亡者連ときた日には、ほとんど捉まえどころがない、この分では後から立つといった自分の方が、先発をするようなことになろうかも知れぬ。
 どちらでもかまわぬ。自分としては、彼等に附きまとわれず、一人旅さえできれば結句それで満足だが、あとに残された彼等と、それから従来の冬籠《ふゆごも》りの連中との間の、意志と、感情との疎通《そつう》ぶりを考えてみると、どうも安んぜられないものがある。
 従来の客に対して、どうも気に食わない、気に食わないと、仏頂寺らが口癖のように言っている。尺八の音までも目の敵《かたき》にしている様子だ。
 この分で、双方が、相当の期間居残る間には、感情の行違いが嵩《こう》じて、風、楼に満つるといったような形勢にならねばよい、どうも、そうなるにきまっているらしい。
 仏頂寺、丸山は名うての者、逗留《とうりゅう》の冬籠りの連中も、それよりは異なった意味において、一癖も、二癖もありそうだから、無事では済むまい。兵馬は当然の順序として、その事を気にしないわけにはゆきません。
 しかし、それも、自分というものがおれば、いくらかその間に緩和剤ともなり得るが、自分が去ってしまえば、安全弁を抜きっぱなしで行くようなものだから、心もとない限りだ。
 どちらに廻っても厄介者だ――と兵馬は、苦《にが》りきって考え込んだが、その際、もういっそう気になるのは、この楼の中で、ただ一人のあの娘の身の上だ。
 まだ、よく打解けては話さないが親切な娘、どこやらに人を引きつける女性味のある娘。
 仏頂寺のやからがあれをめがけて、からかい[#「からかい」に傍点]はじめでもしようものなら、思いやられるばかりだ。
 どちらにしても、あの娘にだけは、仏頂寺、丸山の身辺へ、あまり近寄らないように注意をしておいた方がよい、よしよし、二階の東の角の座敷にいると聞いたから、出立の前にはひとつ、訪ねて、それとなしの警告を試みておこう。
 そうしてみると、やっぱり、迷惑でも、自分があの二人を引きつれてこの温泉を出て行ってしまった方が、宿の者全体に禍《わざわ》いの種を残さぬようになるから、いっそ、そうしてしまおうか。まことに迷惑だ、あの二人の亡者を引張って歩くことは、迷惑千万な儀ではあるが、その迷惑を人に残さず、自分が背負って歩く方が、迷惑が徹底している。
 仕方がない――一緒に出かけよう、兵馬はこんなふうにも決心を改め、いずれ万事は明日という心構えです。
 その覚悟で兵馬は、白骨の温泉も今日限り、明日は、また行方定めぬ旅に出るのだ、名残りに、心ゆくばかり、お湯にでもつかっておこうと、その日の夕方、湯ぶねの全く空いている頃を見計らい、ただ一人を湯の中に没入して、かなり長い時間、湯の音も一つ立てないでいると、多分、それと知らずに、戸をあけて湯ぶねへ近づくような人の気配がありましたから、そのつもりでいると、気配はあったが、人が見えません。
 その瞬間に兵馬は、隔ての羽目の隙間《すきま》から、自分をのぞいている者があるなと感づきました。自分のいることに遠慮したのか、しないのか、とにかく、ここへ来かけて、ふっと立ちどまって、隙見をしている人のあることは事実です。
 兵馬の方ではすき見をしている者の、誰だかわからないが、こちらから見ればそれはお雪です。
 お雪は、いつもの通り、誰もがたいてい入らない時分を見計らって、今日も、湯ぶねへ来たのですが、来てみると、やはり推想通りに何の物音もしませんから、遠慮なく帯を解いて、あわや、湯ぶねへ走り込もうとして、はじめて人の気配に打たれました。
 誰もいないと信じきっている湯ぶねに人がいた――でもよかった、このまま走り込まないで。そこで一枚になった浴衣《ゆかた》をたくし上げて、見るともなしの隙見で、羽目の隙間から中を見ると、兵馬の姿を明らかに認めることができました。
 この時は、兵馬を兵馬として明らかに認めたのだから、驚きました。
 到着の最初から、今まで、言葉も交わしたし、形も見ていたし、看病の親切までしてやっているはずなのに、おたがいにまだそれと気がつかずにいたのを、ここではじめて、お雪の方から兵馬というものを、兵馬としての全体を、不意に受取ったのだから、驚くのも無理はありません。
 ある日の夕方、疲れ果てて、自分の月見寺の井戸のそばへ来て、一杯の水を求めた可憐《かれん》な旅の人が、その人でした。
 そうして、同情のあまりにその夜さ[#「夜さ」に傍点]を寺に泊めたために、計らず自分たちが危難を救われる縁となったのは、その人ではないか。
 何かを求めて、旅にさすらいの人とは言いながら、ここであの人に――お雪は飛び立つほどに、その奇遇をなつかしく思いましたけれど、兵馬の方ではいっこう気がつかないで、まだ隙見の人は隙見をやめないなと、軽く気に留めているばかりです。
 目のあやまちではないかと、お雪ははやる心を鎮《しず》めて、とっくりと兵馬を見定めようとしましたが、よく落ちついて、見れば見るほどその人ですから、今は間違いないと思いきって言葉をかけて名乗りをしようとしましたが、何かおさえる力があって、それを躊躇《ちゅうちょ》させたのが不思議です。
 いけない、いけない、先方が気がつかないのだから、こっちから名乗りかける必要も、義務もないではないか、という声が、お雪の耳もとでささやいて、何かしら、手をかけて後ろへ引戻そうとする本能があります。
 お雪はそこで引戻されました。ゆかたの上へ丹前を羽織って、せっかく、飛び込もうとした湯槽《ゆぶね》に心を残して、音のしないように、気取られないように、この場を立ち出でてしまいました。
 全く、その気配が消えた時に、兵馬が変な人があればあるものだ、共同の風呂だから、誰に遠慮もあるまいに、自分がここにいることを認めた上で、こっそりと立去ってしまった者がある、自分がそれほど怖ろしげに見える相手か知ら、自分の方でこそ気の置ける人もあろうに、先客が新来の人に遠慮をする由《よし》もなかろうに。
 さりとは、妙にハニかんだ人だと、兵馬が笑止《しょうし》に思いました。
 しかし、笑止に思ったのも束《つか》の間《ま》、ああそうだ、それに違いない、いま、来たのは、あれはあの娘さんだ、この宿の冬籠りのうちで、たった一人の女性、たった一人ではあるが、女性の最もよいところを多分に備えているらしいあの若い娘さんだ。
 誰もいないと安心して来て見ると、意外にも自分というものが隠れていたから、それで急に恥かしくなって引返したのだろう、そうだとすれば気の毒なことだ、だが、こういった山奥の温泉宿で、それはあんまり遠慮が深過ぎはしないか。
 なにも、ここへ入って来たとて、恥かしがるがものもありはすまいに、しおらしい遠慮だと、兵馬はまたかえって、それを微笑みました。
 兵馬の推察は、半分は当っているが、あとの半分――どんな心持でその娘が急に立去ったかは、全くわかろうはずがありません。
 お雪のこの心づかいは、賢明なものでありました。
 それは、自分たちとしては、誰に逢っても、誰と話をしても、さらに後ろめたいことは無いけれども、自分たちの連れには、人に知られていいか、悪いかわからない人がいる。当人も人には逢いたがらないし、自分たちも人に会わせたくないと思う人がいる。
 湯治に来たとはいうものの、実はその人を隠さんがために、はるばるこの白骨の山間《やまあい》まで来たというような結果になっている。
 その人は、ことさらに逃げ隠れるという卑怯な振舞はないが、陽《ひ》の目、人の目を、避けることを好んでいるらしく、また、おのずから、それを避けるように出来ている。
 お雪は、その人が、こうなるまでの来歴を知らない。知りたいとも思うが、そこを掘ると底知れない暗やみの穴が現われて、自分がその中にまき込まれるように思うから、怖《こわ》くてその蓋《ふた》があけられないような心持でいる。
 しかし、その人の魂には、あらゆる創《きず》がついて、そこから血が滲《にじ》み出ているのを、まざまざと見せられる。
 容易ならぬ罪業《ざいごう》の人である。
 男というものは、閾《しきい》を跨《また》げば七人の敵があるものだという話だが、この人の敵は、七人や八人ではあるまい。
 それはどこに、どういう敵を持っているのだかわからないけれども、どのみち、誰にも知られないうちに、あの満身の病根に療養を加えさせて上げたいという、暗示的に来る同情心が、この際、お雪の逸《はや》る心を抑えて、そうして、飛び立つほどに名乗りかけてもみたかった兵馬に対して、一言も言いませんでした。
 一言も言わないのみならず、先方でまだ気がつかないでいるのを幸い、自分も、あの人の帰るまで、姿を見せないでいるのが分別《ふんべつ》だと心を決めてしまったのは、全く聡明な思いやりでありました。
 無論、お雪は、二人の間の執拗《しつよう》なる葛藤《かっとう》を、少しも知っているのではない。
 ただ、こちらは隠れている人、隠れないまでも、人に会わせたくも、逢いたくもない人であるのに、先方は、今時分、こうして、この山奥まで、雪を冒《おか》して、入り込んで来る以上は、それは徒《いたず》らに紛《まぎ》れ込んだと思われない、道に迷うたともいわれない、何か目的があり、何か尋ね求めんとするものがあればこそ、この時分、このところへ、わざわざ足を踏み入れたものに相違ない。
 もしや、心安立《こころやすだ》てに面《かお》を合わせることが緒《いとぐち》となって、退引《のっぴき》ならぬこんがらかりに導いた日には、取っても返らないではないか。
 あの若い方は、素直な方であるし、自分にとっては、危うきを救われた恩人である。この場合、知って知らないふりをするのはつらいけれど、思い合わせてみると、その時分から、何かを尋ね尋ねて歩み疲れていた人のようではあった。
 それに気味の悪いあの二人連れの壮士。どちらにしても、会わせないがよい、会わないがよい、というお雪の心づかいは、聡明でした。
 しかるに、この聡明なお雪の心づくしを知るや知らずや、その宵に至ると、例の座敷で、竹調べがはじまり、ついで「鈴慕《れいぼ》」の響きが起りました。
 お雪は、それを聞くと、今晩はあらずもがなだと思いました。
 せめて、あの笛の音が、今いう新来の客人たち、つまり、さいぜんの若い旅のさむらいの人と、それから、どう考えても気味の悪い二人連れの壮士とにだけは、あの笛の音を気取《けど》らせたくないという心が無性《むしょう》にお雪の胸にのぼります。あの笛の音、そこから自分の心づくしがふいになるようではたまらぬ。
 お雪は、その尺八の音に気を揉《も》みましたけれど、尺八の音は、お雪の苦心に頓着なく、冷々亮々《れいれいりょうりょう》として響き渡ります。
 影は隠せば隠せるが、音というものは、隠して隠すわけにはゆかないらしい。

 その尺八の音を聞いた時に、あちらの室にいた仏頂寺弥助が、耳を蔽《おお》うて畳の上に突ッ伏しました。
「忌《いや》だ、忌だ、おれは、あの尺八の音というやつが忌だ」
 それを、丸山勇仙が笑止がって、
「性に合わないのだろう、君は、風流というものに縁無き衆生《しゅじょう》だ」
「どうもいかん、あれを聞いていると、心が滅入《めい》るのみならず、骨と、身が、バラバラに解けて、畳の中へしみ込んでしまいそうだ」
 起き上ったが、両の耳に、しっかと掌を当てて、
「どこか、あいつの聞えない座敷はないものかなあ」
「もう少し待てよ、そのうちに終る」
 丸山勇仙は、必ずしも、それほどに悪い気持で尺八を聞いているのではない。だから、他人の痛いのは百年も我慢するつもりで、落ちつき払い、
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「客ニ洞簫《とうしよう》ヲ吹ク者アリ、歌ニヨツテ之《これ》ヲ和ス、其ノ声、嗚々然《おおぜん》トシテ、怨《うら》ムガ如ク、慕フガ如ク、泣クガ如ク、訴フルガ如シ、余音《よいん》嫋々《じようじよう》トシテ、絶エザルコト縷《いと》ノ如シ、幽壑《ゆうがく》ノ潜蛟《せんこう》ヲ舞ハシ、孤舟《こしゆう》の※[#「釐」の「里」に代えて「女」、第4水準2-5-76]婦《りふ》ヲ泣カシム……」
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と、余音《よいん》をことさらに長くひっぱって空嘯《そらうそぶ》いていましたが、そのうちになんとなく、自分も悲しくなりました。
 仏頂寺弥助は、しっかりと耳錠《みみじょう》かいながら、
「まだ、やってるかい」
「うむ」
 丸山勇仙がうなずいてみせると、面《かお》をしかめて、いっそう耳錠を固くする。
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「蘇子、愀然《しゆうぜん》トシテ襟ヲ正シ、危坐シテ客ニ問テ曰《いは》ク、何スレゾ其レ然《しか》ルヤ、客ノ曰ク、月明ラカニ星稀ニ、烏鵲《うじやく》南ニ飛ブハ此レ曹孟徳ガ詩ニアラズヤ、西ノカタ夏口ヲ望ミ、東ノカタ武昌ヲ望メバ、山川《さんせん》相繆《あひまと》ヒ、鬱乎《うつこ》トシテ蒼々《そうそう》タリ、此レ孟徳ガ周郎ニ困《くるし》メラレシトコロニアラズヤ……」
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「まだかい」
 仏頂寺弥助が渋面をつくると、丸山勇仙は、前と同じように首を横に振り、
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「其ノ荊州《けいしゆう》ヲ破リ、江陵ヲ下リ、流レニ順《したが》ツテ東スルヤ、舳艫《じくろ》千里、旌旗《せいき》空ヲ蔽《おほ》フ、酒ヲソソイデ江ニ臨《のぞ》ミ、槊《ほこ》ヲ横タヘテ詩ヲ賦ス、マコトニ一世ノ雄ナリ、而シテ今|安《いづ》クニカ在ル哉、況《いは》ンヤ吾ト子《なんぢ》ト江渚《こうしよ》ノホトリニ漁樵《ぎよしよう》シ、魚鰕《ぎよか》ヲ侶《つれ》トシ、麋鹿《びろく》ヲ友トシ、一葉ノ扁舟《へんしゆう》ニ駕シ、匏樽《ほうそん》ヲ挙ゲテ以テ相属《あひしよく》ス、蜉蝣《ふゆう》ヲ天地ニ寄ス、眇《びよう》タル滄海《そうかい》ノ一粟《いちぞく》、吾ガ生ノ須臾《しゆゆ》ナルヲ哀《かなし》ミ、長江ノ窮リ無キヲ羨ミ……」
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 そこで、丸山勇仙が、一種の反抗的昂奮を催してきました。
 反抗的とはいうが、何が反抗だかわからない。ただ、むやみに一種の昂奮を催してきたらしい。
 しかし、仏頂寺弥助が耳錠を取った時分には、尺八の音は止《や》んでおりました。
「あ、助かった」
 ホッと息をついた時に、丸山勇仙が、
「君は、それほど尺八がいやなのかい」
「尺八と、木魚《もくぎょ》だ、あれを聞かされると、ほとんど生きた空は無い」
「不思議だね」
「いやといったって、嫌いじゃないんだね、虫が好かない、というでもないのだね、そうだ、怖いんだ、むしろ一種の恐怖を感ずるのだ」
「へえ、尺八と、木魚を聞いて、恐怖を感ずるという人をはじめて見た」
「しかし、恐怖というよりほかは言いようがないのだ、嫌悪《けんお》じゃなし、憎悪《ぞうお》じゃなし、やっぱり怖ろしいんだ、あの二つの音に、恐怖を感ずるとより言いようがない」
「君ほどの人がねえ……君の亡者ぶりには、大抵の人がおぞげをふるうのに、その君が、尺八と、木魚に恐怖を感ずる――さあ、弱味を見て取ったぞ、仏頂寺を殺すにゃ刃物はいらぬ、笛と、木魚で、ヒューヒューチャカボコ……」

         十五

 お雪が気を揉《も》もうとも、仏頂寺が恐怖を感じようとも頓着のない、この座敷のあるじは、感激の無い「鈴慕」の一曲を冷々として吹き終りました。
 さあ、こまちゃくれたピグミー、昔を恨み顔な女――出て来るなら今のうちだよ。
 だが、今晩は魑魅魍魎《ちみもうりょう》が出ないで、あたりまえの人が来ました。
「先生」
 軽く息をきって、障子を忍びやかに開いて来たのはお雪です。
「御免下さいまし」
 それは燈火《あかり》のついていない真暗な座敷です。
 心得ているのか、入って来たお雪は、あれほど気の利《き》いた子でありながら、暗い座敷へ入って、まず燈火をつけようとの試みもしないで、少しばかり畳ざわりの音がしたかと思うと、それっきり静かで、何も聞えません。
 暫くあって、息をしずめたお雪が、哀求するように言いました、
「ねえ、先生、当分、あの尺八はお吹きにならないようになさいましな」
「それは、どうして」
「でも、なんだか、気味の悪い人が来ていますもの」
「そうだ、このごろになって誰か来たようだが、なにかい、どんな人だい」
「どうも何だか、人を探しに来たような人たちですから御用心なさいませ、その御用心のために、笛はお吹きにならない方がよかろうと思います、そうして、わたしなんぞも、なるべく姿を見られないようにしていようと思いました」
「なるほど、いまごろになって、ここへ来るような奴は怪しいね」
「それでも、明日はお帰りなさるような模様でございます」
「では、その連中の帰るまで、笛を吹くことはやめにしようかな」
「そうなさいまし……それから先生、昨晩は夢をごらんになりましたね」
「夢なんぞは毎晩のように見るよ、昨晩に限ったことはありません。そら、明るい目で物が見えないだろう、だから、物を見ないで、夢を見るのが本職のようなものさ」
「そうおっしゃればそうかも知れませんねえ。いったい、どんな夢をごらんなさるの」
「どんな夢といって、夢のことだから、とりとまりはないのさ。けれども不思議だな、夢を見ているうちだけが、人間らしくなるよ」
「ようござんすねえ、沢山よい夢をごらんなさいまし」
「よい夢ばかりは見ておられない、見たくもない夢もずいぶん見るけれど、どうも夢のことだから、えりごのみをするわけにはゆかないのさ」
「そうですねえ、夢ばっかりは、見たいと思ってもいい夢が見られず、見まいとしても、悪い夢を見たがるものですから……でも、先生、やっぱり、心に無いことは、夢にも見ませんのねえ。わたしもこのごろは、変った夢を見るようになりました」
と前置をしてお雪が、自分の夢を次の如く語り出でました。
「わたしのこのごろ見る夢は、怖い夢ではございません、イヤな夢というのでもございません。それは怖い夢も、イヤな夢も、ずいぶん見ないことはありませんが、このごろは、山の夢を見ることが多いんでございますよ。高い山の夢ばかり見るような癖がついたのかも知れません……それというのは、ここでは皆さんが、山の話ばかりなさるから、それで、わたしの夢もついつい、山のことになってしまうんじゃないかと思います。けれども怖い夢や、イヤな夢を見るより、山の夢を見る方が、どのくらい楽しいか知れません。それは山へ登りたいと思いながら、登れないものですから、よけい、夢になりたがるんでしょうと思います――わたしの見た山の夢を、話して上げましょうか」

 山の話が讖《しん》をなしたものか、お雪の雄弁――熱を以て語る山のあこがれが、竜之助の頭脳のうちに絵のような印象を植えつけたものか、その夜、竜之助は、雪を頂く高峰のめぐるある地点に立つところの自分を発見しました。
 銀のような山上の雪のまばゆきに映りあって、その空の碧《みどり》のまたなんというめざましいことだろう。人の魂を吸いこむほどの碧の色、こうもまあ冴《さ》えた色があり得るものかと思いました。
 有らん限りの自分の視力を払って、竜之助は高峰の山々をながめました。
 その山々の名は先刻、いちいちお雪から指さして教えられたはずであったが、今は茫洋として覚えておりません。名の記憶は茫洋に帰してしまったが、自分の放つ視力のめざましさは、疑おうとしても、疑うわけにはゆきません。
 遠近も、高低も、カーブも、スロープも、心ゆくばかり明快にうつるのみではない、雪に照り映《は》えている自分の一枚の白衣《びゃくえ》が、鶴の羽のようにかがやくのを認めました。
 どうして、この時、一枚の白衣で寒くないのだろう。寒くないのみならず、何ともいえない軽快なすがすがしさ。自分の四肢五体までがすっかり、この鶴の羽のように、さえ返っているのではないかと疑いました。
 彼が眼の不自由を感ずるのは、その醒《さ》めている時だけであります。
 多くの人が日の光のめぐみに浴する時こそ、彼は肉眼も、心も、全くの暗黒で、世の人が光を隠されて暗黒の眠りにつく時に、彼に自由の天地があり、どうかすると、赫々《かくかく》たる光に眩惑《げんわく》されることもある。
 しかしながら、この夜の自由は、その以前の夜の自由とは、少しく性質を異にしてきたようです。何よりもまず夢の世界に立つ時、未《いま》だひとたびも、自分の視力を疑ったことのないのが幸いといえば幸いでしょう。
 とはいえ、雪をいただく大山脈を長城にして、めざましい空の碧《みどり》の色を、こうもあざやかに見たのは、今がそのはじめです。
「ここが有名な白馬《はくば》ヶ岳《たけ》のお花畑でございます、まあ、この美しいとも何とも言いようのない花の色をごらんなさい」
 後ろから呼ぶ声で、顧みると、それはお雪です。花の色を見る前に、竜之助はお雪の姿を見ないわけにはゆきません。
 この娘の姿といっても、面《かお》といっても、かねて潜在の実印象が少しもあるのではありませんが、竜之助は、直ちにその娘が、お雪だとわかりました。
 それは、声だけでも無論わかるはずですが、この時は、面《おも》だち、その姿、それがお雪でなければならないと思いました。
 黒い髪の毛を洗い髪にして、白い面《おもて》に愛嬌《あいきょう》をたたえている、その無邪気にして、魅力のある面《かお》が、お雪ちゃんでなければならないと思いました。
 ことにその着物をごらんなさい。自分の白衣《びゃくえ》も、鶴の羽のような白いかがやきに見えますが、お雪ちゃんのその衣裳は、百練の絹と言おうか、天人の羽衣《はごろも》といおうか、何とも言いようのない白無垢《しろむく》の振袖で、白無垢と見ていると、裾模様のように紫の輪廓の雪輪《ゆきわ》が、いくつもいくつもその中から、むら雲のように湧いて出るのを見受けます。
「まあ、この花の色をごらんなさい、ありとあらゆる花が、ここに咲いているではございませんか。色という色がみんなここにこぼれているようでございます。これは百合に似た花でございますが、紫の濃いところが違います。こちらをごらんなさい、花も、葉も、枝も、すっかり白天鵞絨《しろびろうど》ではございませんか。これはまあ、真黄色《まっきいろ》! こんな大きな梅鉢草《うめばちそう》! これは石楠花《しゃくなげ》と躑躅《つつじ》の精かも知れません。白蓮華《びゃくれんげ》……とでも申しましょうか、この白さの深いこと、可愛いじゃありませんか。この十坪ばかりのところは、すっかり桜草の一族で固めて、他人を入れまいとしておりますよ。どれを見ても、これを見ても、色のよいこと――それもそのはずです、この高いところで半年の間、この真白な雪で研《みが》かれたんですもの、下界の花とは色の深さが違います、強さが違います、位も違うのは仕方がありません」
 空間のめざましさに、眼をさました竜之助は、地上の美観にも目を奪われないわけにはゆきません。なるほど、これがお花畑。人間の手で作れない、雪と、氷と、高さとの力で作られた、天然の花の色。
「これが深山薄雪《みやまうすゆき》っていうんでしょう」
 お雪はその一つを摘《つ》み取って、自分の唇につけながら、
「この信濃の国のうちでも、お花畑のいちばん美しい山は白馬ヶ岳だそうでございます、それはいちばん北の方にあるから雪が多く、雪が多いから地面にうるおいが出て、うるおいがあるから、こうした植物が好んで棲《す》むのだと、山の案内の方が教えてくれました。全くその通りと思いますわ。あなたは久しく物の色というものをごらんになりませんね、ですから、しっかりとこの深い色、汚れのない色をごらんあそばせ、そうして、花の名もよく覚えていて下さいな、深山薄雪といって、わたしの名と同じことなんです」
 その花を、竜之助の眼の先につきつけました。
 真正に、清浄な紫の色、この色が下界の花には無いと、竜之助も思いました。
「あれ、蝶が……」
とお雪は山吹のような金色の花模様の中に、ヒラヒラと舞う白い蝶を捉《とら》えようとして、浅瀬に裳《も》をとられたように引返し、
「深山白蝶《みやまはくちょう》というのが、あれかも知れません」
 信濃ギンバイの黄金の中に、深山白蝶の色。
 蝶を追うて、二人は静かに上りにかかると、花をいくつも摘んで胸にかかえたお雪が、行手の山を指さして、
「白馬の頂《いただき》が見えました」
「なるほど」
 その山嶺を仰ぎ見ますと、真白な雪が、身ぶるいしているのを認めました。
「裏の国では、あれを大蓮華山《だいれんげさん》と申します、こちらではシロウマと申します、それを、今では誰が言いならわしたか、ハクバヶ岳《たけ》が通り名になってしまいました」
 お花畑を出でると、雪の渓間《たにま》がある、林泉がある、見慣れない獣《けもの》が、きょとんとして、こちらを向いている。
「あれが羚羊《かもしか》です、あの獣は赤いものが好きで、赤いものさえ見せれば半日でも見ています」
 お雪は帯の間から、これも目のさめるほどな紅絹《もみ》の布片《ぬのきれ》を取り出して、その獣に向って振ると、眼をクルクルして、いつまでもそれを見ている。
「ああして、これを恐れないのは、人を信じているからでしょう、あぶないものですね」
 少し進んで行くと、偃松《はいまつ》の間から、のそのそと一羽の鳥が出て来る。
「ごらんなさい、雷鳥が出て来ましたよ、あの鳥もまた人を怖れません」
 やがて頂上に近くなったのでしょう、残雪のまばらな、焼野原のようなところに出て来ました。
 東道気取りに先に立ったお雪が、あたりを見廻して、
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君と行く白馬ヶ岳の焼野原
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と歌い出しました。興に乗じて歌を詠《よ》むつもりでしたろう。それが、どう間違ってか、白馬ヶ岳の焼野原と言ってしまったので、グッとあとが詰まったようです。
「白馬ヶ岳をうたうのに、焼野原では付きませんね」
 お雪は、焼野原に替うるにお花畑を以てしようか、雲の海を以てしようか、偃松《はいまつ》を以てしようか、雪渓を以てしようか、その苦吟をはじめたらしい。
 その時に、雲が濛々《もうもう》と湧いて来たものですから、ほとんど十歩ばかり先に進んでいたお雪の姿が見えません。
 お花畑も、焼野原も、一様に、この濛々たる白雲につつまれてしまいました。
 ほどなく雲霧の晴れた時、自分の立っているところ――多分それが、白馬ヶ岳の頂上なのでしょうと思います。
 今は、照りかがやいていた天上も、落日の時と覚しく、山と、空との間を彩《いろど》るところのものは、金色《こんじき》であります。
 その金色が、山際からようやく天空に向ってぼかされて行く間に、大洋に浮ぶ島々のように、ちぎれちぎれの雲が流れていたり、その雲の間を悠々《ゆうゆう》として、多くの鳥が泳いだりしています。
 お花畑のあたりでは、仰いで見た雲の山岳が、ここでは相呼びかわすの地位となりました。古人として見たものを、今人として見るのです。偉人として仰いだものを、友人として認めるの地位になりました。
 お花畑の花の色の透明にして深甚《しんじん》なのに酔わされた竜之助は、ここに来て、永遠と、無窮とを彩る、天地の色彩の美に打たれないわけにはゆきません。
 ふと顧みると、いつのまにか、自分のかたわらに立っていたお雪の姿が変りました。
 ははあ、また誰か意外の人が来ているなと、怪しんだのは瞬間で、
「あなたは、どの山を見ていらっしゃいますか」
 その声は、お雪に違いありませんが、その姿は、純白な笠に、純白の笈摺《おいずる》に、そうして銀のような柄杓《ひしゃく》を携えた巡礼姿であります。
「すばらしい眺めだよ」
と竜之助が、眼を拭いました。
「あなたのお目を、今まで塞いで置いたのは、こういう景色を見せて上げようがためではございませんでしたか知ら」
「そうかも知れない」
「ただ、眺めておいでになっただけでは、さだめて物足りないことと存じます、御案内を致して上げましょうか」
 お雪はその銀の柄杓を取り直して、竜之助の当面、南の方にそそり立つ山の一つをさして、
「あれが槍でございます」
「ははあ」
「その次が穂高!」
「ははあ」
「穂高の向うの大きなのが乗鞍ヶ岳でございます、わたしたちのおりまする白骨温泉の真上に、あの山がかぶさっておりまする。それから、あの槍と、穂高との間に、煙の上っているのがお見えになりますかしら」
「見える、見える」
「あれが焼ヶ岳の煙でございます、ほかほかの山々は、みんな眠っておりますけれど、あの焼ヶ岳一つが煙を吐いておりまする」
「なるほど」
「駒ヶ岳が、お見えになりましょう」
「どれ?」
「富士山と、赤石と、八ヶ岳とが、遠くかすんでおりまするそのこちらに」
「うむ、なるほど」
「あのお山に昔、天津速駒《あまつはやごま》という勇敢なる白馬が棲《す》んでおりました、それは武甕槌《たけみかずち》という神様の魂から生れた馬だそうでございます、双《そう》の肩に銀の翼が生えていて空中をかけめぐり、夜になると、あの駒ヶ岳の頂上で寝《やす》むのだそうでございます」
「なるほど」
「それから、あの乗鞍ヶ岳には、天安鞍《あめのやすくら》というのがあったそうでございます、その鞍を馬につけて乗れば、どんな馬からでも、落ちることがないと申します」
「うむ」
「槍ヶ岳には、天日矛《あめのひほこ》というのがございました、その矛先は常に盛んなる炎に燃えていたそうでございます」
「ははあ」
「それから越中の立山《たてやま》――ごらんなさい、あの雄大な、あの険峻《けんしゅん》な一脈が、あれが立山連峰でございます。立山の上には、天広楯《あめのひろたて》というのがございました、敵にその楯を向けると、敵の大小によって、楯が伸び縮みをするという楯でございます……」
「お雪ちゃん、お前は何でもよく知っていますね」
「わたしが、そんなに物識《ものし》りなのではございません、みんな白骨温泉の炉辺閑話の受売りでございますから、買いかぶらないように、お聞き下さいましよ」
 ここで、今までは、神仙化されていた娘の生《しょう》の姿が、ちょっとひらめいたので、あぶなく現実に帰ろうとした竜之助の眼が、立山連峰の一つの、最も鋭く、最も険峻なるものに、ひたと吸い寄せられてしまいました。
 一旦、少しばかりハニかんで、人間味を見せたお雪が、ここで以前の、超現実の説明者の地位に戻りました。
「昔、昔、那須の国造《くにつこ》が、八溝山《やつみぞさん》の八狭《やざま》の大蛇《おろち》を退治しなければならないために、それには、どうしても駒ヶ岳の天津速駒《あまつはやごま》に乗り、乗鞍ヶ岳から天安鞍《あめのやすくら》を、槍ヶ岳から天日矛《あめのひほこ》を、立山から天広楯《あめのひろたて》を借受けなければならないと、はるばるこの信濃の国まで、たずねて参りました……」
 お雪は、ここまで語りつづけた時に、自分が語り聞かせようとしている当の人が、自分の説明を、少しも聞いていないことをさとりました。
 自分の説明を聞いていないのは、自分の言うところに注意するよりは以上に、注意すべき何物にか心を奪われているのでしょう。
 そこで、無益の説明を中止して、その人の凝立《ぎょうりつ》して、眼を吸い寄せられているところを、お雪が安からぬ色で認めて、
「そんなに、あの山がお気に入りましたか」
 でも、返事がありません。
「あれは越中の立山の剣山《つるぎざん》でございますよ、まだ、あのお山の頂《いただき》へは、誰一人も登った者は無いそうでございます」
「そうかなあ」
「槍ヶ岳は、あの通り、槍の穂先のように鋭くそそり立っておりますが、それでも、登れば登れるそうでございます、立山の剣山ばかりは、誰も登ったものは無し、登ろうとする者さえ無いと聞きました。よし、登ろうとする者があっても、どちらから見ても、あの通りの断崖絶壁で、手脚の着けどころが無いのでございます。そうして、じっと見ているうちに身の毛が立って、怖《こわ》くなって、さすが向う見ずの山登りも、断念して帰るのだそうでございます……昔の弘法大師さえも、千足の草鞋《わらじ》を用意なすって、それを穿《は》ききってもまだ登れなかったのが、あの山だそうでございます」
「なるほど、そうかも知れない……でも、今、誰か登っているようだぜ」
「御冗談《ごじょうだん》でしょう、よしんば登る人がありましても、ここからそれが見えるものですか」
「ところが、この眼で見える――おれの眼はどうかしているのか知らん、ああ、今日は何もかも見え過ぎるほど、見える」
「あなたにお見えになるほどのものが、わたしに見えないはずはございますまい」
 お雪は、竜之助が棒の如く立って、凝視《ぎょうし》している、その越中の剣《つるぎ》ヶ岳《たけ》の半面に向って、同じように、凝視の眼を立てました。
「見えるだろう、そら、あの頂上に」
「何も見えません」
「おかしいな、よく見てごらん、頂上に錫杖《しゃくじょう》が立っている」
「え、錫杖が、あのお山の頂上に?」
「そうさ、ただ一本の錫杖が、絶頂の岩石の間に、突き立ててあるのが、お前には見えないのかなあ」
「少しも見えません、また見えるはずもございませんもの」
「だから、わしの眼が今日はどうかしているのだろう、こっちの眼では、ありありとわかるものが、お前の眼に少しも見えないとは……だが確かに錫杖が一本、あの剣ヶ岳の上に立っている。錫杖が存する上は、それを立てた人間がなければなるまい。人間がそれを立てたとすれば、古来、人跡至らずといわれた伝説は嘘だ……」
 しかしながら、これは物争いになりませんでした。一方が見えるというものを、一方が全く見えないというのですから、議論になりません。
「ああ、お月様が出ました、新月が……何という、いじらしい光でしょう。ですけれども、また触れば切れそうなあの鋭さと、冷たさ。わたしは、お月様のうちで、あの二日月がいちばん好きでございます」
 お雪の眼は、山から月にうつりました。
 なるほど、立山の連峰から、加賀の白山へつづくと覚しいところに、新月の影があります。
 金色《こんじき》の、聖者の最期《さいご》を彩る荘厳《そうごん》に沈んだ山と、空との境目が、その金色の荘厳を失って、橙《だいだい》の黄なるに変りました。
 その間に繊々《せんせん》としてかかる新月の美しさ。そうして、微かなるその新月の光に向いた山の峰が、涙の露を糸に引いたようなカーヴをかけているいじらしさ。
 だが、その美しさも、いじらしさも、束《つか》の間《ま》で、橙の黄なる空の色が、白蝋《はくろう》の白きに変る時分に、山々は一様に黒くなりました。
 一様に黒くはなったけれども、少しもその個性を失うのではない。槍は槍のように、穂高は穂高のように、乗鞍は乗鞍のように、駒ヶ岳は駒ヶ岳のように、焼ヶ岳は焼ヶ岳のように、赤石の連脈は赤石の連脈のように、八ヶ岳の一族は八ヶ岳の一族のように、富士は問題の外であるが、越中の立山は立山のように、加賀の白山は加賀の白山のように――展望において、やや縦覧を惜しまれている東南部、針木、夜立、鹿島槍、大黒の山々、峠でさえも、東北の方、戸隠、妙高、黒姫等の諸山までも、おのおのその個性を備えて、呼べば答えんばかりにではない、呼ばないのに、千山|轡《くつわ》を並べ、万峰肩を連ねて、盛んなる堂々めぐりをはじめました。
 天際と、地軸の間を表に真黒な沈黙、裏に烈々たる火炎を抱いて動き出したそのめざましさに、二人は驚動しました。
「ああ、山という山が、みんな集まって来るではないか」
「山がみんな集まって、何をするのでしょう」
「何をしでかすかわからない」
「あれ、富士山が――大群山《おおむれやま》が、丹沢山が、蛭《ひる》ヶ峰《みね》が、塔ヶ岳が、相模の大山《おおやま》――あれで山は無くなりますのに――まあ、イヤじゃありませんか、大菩薩峠までが出て来ましたよ」
「大菩薩峠が……」
「そらごらんなさい、相模の大山から、ちょっと、こっちの方、武蔵の三《み》ツ峰山《みねさん》までの間に、ちょっと凹《くぼ》んだところが見えましょう、あれが大菩薩峠の道でなくて何でしょう」
「そんなところまで、よくお前にはわかるねえ」
「わからなくてどうしましょう、わたしは、あの道を通ったことがございますもの」
「あの道をかい、大菩薩峠の路をかい」
「ええ」
「それはいつのことだ」
「そうですねえ、まだ、あの時から五年にはなりませんよ」
「どうも不思議だ」
 竜之助の頭が暗くなった時、天地もようやく暗くなりました。
 その暗い中に、巡礼の笠が、はっきりと浮ぶ。その子はほがらかな声で、
「暗くなりましたねえ、帰らなければなりません。どちらの道を帰りましょうか。峰伝いに杓子ヶ岳へ参りましょうか、そうして、日本のうちで、いちばん高いところにあるという岳の湯の天然風呂へ参りましょうか。そうでなければ、小蓮華《しょうれんげ》、大日《だいにち》ヶ岳《たけ》を通って、大池へ下りましょうか、大池から蓮華温泉へ出て一晩泊りましょうか。或いはまた、真直ぐに大町まで出たものでしょうか。それとも、あなたのお好きなあの剣山まで、立山連峰の道を一息に走ってみましょうか――」
 そう言われても、帰る心になれませんでした。
 天地が全く暗く、展望が全く奪われてしまっても、なお、ここに立つこと久しければ、再び夜の明ける時が無いではない――そうそう、今日は見なかった日の出が明日は見られるはず。

         十六

 その晩「鈴慕」を、宇津木兵馬は、自分の座敷で「碁経」を読みながら聞いておりました。
「碁経」は、宿に有合せのものを旅のつれづれに、ひろげて見ただけのものですが、それでも、多少下地があるものですから、見て行くうちに興をひかれて、なるほど、ここはこうして打つものかな、こんな手もあったものか知らん――と注意して行って、なるほど、定石《じょうせき》を打つと二三目は弱くなるそうだが、弱くなるのが本当だ。
 自分も子供時分から器用で少しはやるが、本当にやろうとすれば、全部を白紙にして出直さなけりゃならん。無法に強いのは、強いのにならぬ。無法の勝ちは、勝っても負け――どの道も同じことだ。そんなふうに感心しながら、鈴慕を聞き流してしまいました。
 尺八のことは、なおさら分らないから、いま何を吹いたのだか、当りもつかず、曲そのものに気を留めて聞こうとはしませんでした。それで、聞き終ると共に一種の哀愁を覚えて、「碁経」の巻を閉じました。
 そこでなんとなく、座敷の外へ出てみたいと思ったのは、虫のせいかも知れません。
 今宵は、前の晩のように間毎間毎を、探索の眼を以てたずねて廻ろうというのでもありません。
 ただなんとなく、外へ出てみたくなったので、出てみる時に、おのずから足が三階の松の間へ向いました。
 あの娘のことが、気になっているのだなと、兵馬は自分ながら気がつきました。
 なんとなく、足がそちらへ向いて、明日立つとすれば今晩限りだ、あの娘のところへ行って、一応の暇《いとま》を告げてみたいという気になったのは、自然かも知れません。
 そうして静かに兵馬は、廊下を歩んで行ったが、二階のあの角の座敷に行くには、一度、三階へ上って、それから下った方が近路だと気がつくと、そのまま三階へ上ってしまいました。
 しかし、まだ名乗り合って近づきもなにもしないのに、突然こちらから訪問するのも無躾《ぶしつけ》ではないか――なあに、先方は来る早々から、あんなに親切にしてくれたのだから、その親切に対しても、一応のお礼は述べに行かなけりゃならん。
 そんなふうに、自己弁解をして、三階の廊下を歩んで行くと、行手で、ふっと人の足音がしたものですから、兵馬は戸袋の隅に身をもたせかけて窺《うかが》いました。
 誰だろう――暗いところで、音のした方向を見ると、人が一人、すっと出て来て、向うの降り口を鍵の手に廻り、さっさと二階へ下りて行くのを認めます。しかも、その人が、女であることが、ハッキリと兵馬の夜目にうつりました。
 女でありさえすれば、それはこの全宿中に一人しかあるべきはずはない。自分が今たずねてみようかしらと心がまえしているところのあの娘――
 そこで兵馬は、ハテと胸をつかれました。
 この暗いところから、あの娘はひとり、三階まで何しに来たのだろう。
 下へおりて行くならば、どこへ行こうとも順だが、間違って上へのぼるはずはないのだ。それとも、三階へ座敷替えでもしたのか。
 だが三階のどこにも火の気のありそうなところは見えない。火の気が無ければ、人の気が無いのだ。その火の気も無い座敷の一つを、あの娘がおとずれたもののようにしか思えないのが、おかしいではないか。
 その不審は不審として置いて、兵馬は同じところから二階へ下り、案内知った東南の隅の間に近づいて見ると、ここは明りがしていますから、障子へ手をかけて、
「御免下さい」
とたずねてみたけれども、返事がありません。
「お不在ですか」
 それでも返事がありませんけれど、思いきってその障子をあけて見ましたが、たぶん、いま帰ったはずの娘もいなければ、同行の久助の姿も見えません。

 その翌朝、宇津木兵馬は、帰るとも、とどまるとも決心がつかずにいると、どうも様子が変だから、尋ねてみると、仏頂寺と、丸山は、今早朝に結束いかめしく出立してしまったということです。
 おお、そうしてみれば、こちらが結句、出し抜かれて幸いというものだ。
 ちょうど、やり過ごした意味になるから、少し時を置いて自分も出立しよう――彼等は、どちらを向いて行ったか知れないが、多分、松本方面だろう。すれば自分は飛騨《ひだ》の平湯《ひらゆ》をめざして行こうかな。そうでもした方がよい。
 座敷に帰って、なにくれと出立の用意をしてみたが、こうなると、そうだ早く帰るがいい、帰るがいい、というようなささやきと、とてものことに、もう少しいてはどうだ、もう一応駄目を押してみてはどうだ、というような勧告が、どこからともなく聞えるようにも思う。そのいずれも無意味だが、帰るべきものとすれば一刻も早い方がよい。
 出立にさきだって、一度挨拶だけをして行きたいと心がけたあの娘は、今日は姿さえ見せぬ。
 ぜひなく、宇津木兵馬は、孤身漂零としてこの白骨の温泉を立ち出でました。
 例の鐙小屋《あぶみごや》の神主をも一応おとずれて行こうと、無名沼《ななしぬま》のほとりに来て見れば、なるほど、小屋はあるが人が無い。多分、山上へ修行にでも行って留守なのだろう。
 逢えない時には逢えないものだ――兵馬は、軽いあきらめを以て、かねて教えられていた道筋を、飛騨の平湯の方をめざして、山渓の間に没入してしまいました。
 来たる時に、兵馬を誘引したらしい「鈴慕」の曲も、帰る時は音沙汰《おとさた》がありません。

 こうして二ツの星が、逢わんとして、閾《しきい》の内と外まで引寄せられて、また相距《あいさ》ること千万里。
 しかもそのいずれも、自らきわどい運命を知ることができませんでした。
 ことに兵馬は幾度か、こんな目に逢わされつけているが、自分がそれを知らないだけに、神様のいたずらに腹を立てたこともなければ、運命の数奇に頓悟したこともない。
 多分、それは神様の方で、出直せ、出直せとおっしゃっているのかも知れない。求めよ、さらば与えられんとはいうが、求めて与えられないのは、求め方が間違っているのかも知れぬ。
 これは単なる離合のあやつりではあるまい。
 求めんとして与えられず、掌《て》の中へ入れてもらいながら、それを受取ることを知らず、千里の遠くを見ながら、寸前の暗黒を如何《いかん》ともすることのできない悲劇、喜劇は、この人間の世に無数であるのみならず、天上においても、無辺際に繰返されている。

 この場合、白骨温泉に落合った二ツの星が、どちらが惑星《わくせい》で、どちらが彗星《すいせい》だか知らないが、二つ共に、一定の軌道をめぐっていないことだけはたしかのようです。
 従来、五年半の周期で太陽をめぐっていたレキセル彗星が、千七百七十九年、木星に接近したために、どうした変動か行方不明《ゆくえふめい》になって、今日まで出て来ないということです。
 これに反してブルック彗星は、同じ星に接近したために、従来二十七年の周期が七年に短縮されてしまったということです。
 地球人は、とうにハリー彗星と衝突していたはずだが、その衝突の酣《たけな》わなる時も、われわれは何の異状なく、今、現に大衝突をしつつあるのだという自覚にも、現象にも、触るることなしに、無事安穏に通過してしまいました。
 昭和三年七月三日(西暦千九百二十八年)江戸川|大曲《おおまがり》で電車の大衝突があった日の数分前、同じ地点を通過した大菩薩峠の著者は、現在、武州御岳山麓の道場でこの小説の筆を執っているが、その数分時が、著者にもたらす運命の禍福に至っては、著者自身といえども予知することはできなかった。
 われわれは筆の調子で宇津木兵馬を引張り廻すのでもなければ、原稿の回数をひきのばすために、無用のペン先を弄《ろう》するわけでもない。
「毫釐《ごうり》有差天地懸隔」の道理が、可憐なる大菩薩峠の作者に、こうも筆を運ばせる。



底本:「大菩薩峠11」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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