青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
めいろの巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)白骨《しらほね》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本来|蒼白《そうはく》そのものの

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「魚+生」、第3水準1-94-39]
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         一

 信濃の国、白骨《しらほね》の温泉――これをハッコツと読ませたのは、いつの頃、誰にはじまったものか知らん。
 先年、大菩薩峠の著者が、白骨温泉に遊んだ時、机竜之助のような業縁《ごうえん》もなく、お雪ちゃんのようにかしずいてくれる人もない御当人は、独去独来の道を一本の金剛杖に託して、飄然《ひょうぜん》として一夜を白槽《しらふね》の湯に明かし、その翌日は乗鞍を越えて飛騨《ひだ》へ出ようとして、草鞋《わらじ》のひもを結びながら宿の亭主に問うて言うことには、
「いったい、この白骨の温泉は、シラホネがいいのか、シラフネが正しいのか」
 亭主がこれに答えて言うことには、
「シラフネが本当なんですよ、シラフネがなまってシラホネになりました……シラホネならまだいいが、近頃はハッコツという人が多くなっていけません――お客様によってはかつぎ[#「かつぎ」に傍点]ますからね」
 シラホネをハッコツと呼びならわしたのは、大菩薩峠の著者あたりも、その一半の責めを負うべきものかも知れない。よって内心に多少の恐縮の思いを抱いて、この宿を出たのであったが、シラホネにしても、ハッコツにしても、かつぐどうりは同じようなものではないか。こんなことから、殺生小屋を衛生小屋と改めてみたり、悲峠《かなしとうげ》をおめでた峠とかえてみたりするようなことになってはたまらない。
 そんなことまで心配してみたが、きょうこのごろ、風のたよりに聞くと、白骨の温泉では、どうか大菩薩峠の著者にもぜひ来て泊ってもらいたい、ここには四軒、宿屋があるから、一軒に一晩ずつ泊っても四晩泊れる――と、何かしらの好意を伝えてくれとか、くれるなとか、ことわりがあったそうである。してみれば、ハッコツの呼び名が宣伝になって、宿屋商売の上にいくらかの利き目が眼前に現われたものとも思われる。しかし、宣伝と、提灯《ちょうちん》が、どう間違っても、白骨の温泉が別府となり、熱海となる気づかいはあるまい。まして日本アルプスの名もまだ生れてはいないし、主脈の高山峻嶺とても、伝説に似た二三の高僧連の遊錫《ゆうしゃく》のあとを記録にとどめているに過ぎないし、物を温むる湯場《ゆば》も、空が冷えれば、人は逃げるように里に下る時とところなのですから、ある夜のすさびに、北原賢次が筆を取って、
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白狼河北音書絶(白狼河北、音書《いんしょ》絶えたり)
丹鳳城南秋夜長(丹鳳城南、秋夜《しゅうや》長し)
[#ここで字下げ終わり]
と壁に書きなぐった文字そのものが、如実に時の寂寥《せきりょう》と、人の無聊《ぶりょう》とを、物語っているようであります。
 その時、その温泉に冬越しをしようという人々――それはあのいや[#「いや」に傍点]なおばさんと、その男妾《おとこめかけ》の浅吉との横死《おうし》を別としては、前巻以来に増しも減りもしない。
 お雪ちゃんの一行と、池田良斎の一行と、俳諧師《はいかいし》と、山の案内人と、猟師と、宿の番人と、それから最近に面《かお》を見せた山の通人――ともかくも、こんなに多くの、かなり雑多な種類の人が、ここで冬を越そうとは、この温泉はじまって以来、例のないことかも知れません。
 そこで、この一軒の宿屋のうちの冬籠《ふゆごも》りが、ある時は炉辺の春となり、ある時は湯槽《ゆぶね》に話の花が咲き、あるときはしめやかな講義の席となり、ある日は俳諧の軽妙に興がわくといったような賑わいが、不足なく保たれているのだから、外はいかに寒くなろうとも、この湯のさめない限り、この冬籠りに退屈の色は見えません。
 ことに、この冬籠りに無くてならぬのはお雪ちゃんであります。見ようによれば、お雪ちゃんあるがゆえに、この荒涼たる秋夜に、不断の春があると見れば見られるのであります。誰にもよいお雪ちゃん――どうかすると、このごろめっきり感傷的になって、ひそかに泣いているのを見るという者もあるが、それでも表に現われたところは、いつも気立てのよい、人をそらさぬ、つくろわぬ愛嬌《あいきょう》に充ち満ちた微笑を、誰に向っても惜しむことのないお雪ちゃん――
 お雪ちゃんは今、柳の間で縫取りをしている。
 縫取りといっても、ここでは道具立てをしてかかるわけにはゆかないから、ただあり合せの黒いびろうど[#「びろうど」に傍点]に、白の絹糸でもって、胡蝶《こちょう》の形を縫い出して楽しんでいるまでのことです。手すさみに絵をかいて楽しむような気持で、針を運ばせながら、浮き上って来る物の形に、自分だけの興味を催して、自己満足をしているまでのこと――風呂敷には狭いし、帛紗《ふくさ》には大きい。縫い上げて、自家用にしようか、贈り物にしようかなどの心配はあと廻しにして。
 物を縫うている女の形を見れば、それが若くとも処女というものはない。否《いな》、娘というものはない。Wife《ワイフ》 という文字には、物を縫う女という意味があるそうですが、いかなる若い娘さんをでも、そこへ連れて来て縫物をさせてごらんなさい。それはもう、娘ではない、妻である。否、妻であるほかの形に見ようとしても、見えないものであります。
 自然、悍婦《かんぷ》も、驕婦《きょうふ》も、物を縫うている瞬間だけは、良妻であり、賢婦であることのほかには見えない。
 自分の娘を、いつまでも子供にしておきたいならば、縫物をさせてはならない。
 老嬢の自覚を心ねたく思う女は、決して針さしに手を触れないがよろしい。
 独身のさびしさを心に悩む男は、淫婦《いんぷ》を見ようとも、針を持つ女を見てはいけない。だが、安心してよいことには、お雪ちゃんがこうして針を持っているところを、誰ひとり見ている者はないし、お雪ちゃんとても、誰に見せようとの心中立てでもなく、無心に針を運んでいるうちに、無心に歌が出て来る。心無くして興に乗る歌だから、鼻唄《はなうた》といったようなものでしょう。
 それはお雪ちゃんが、名取《なとり》に近いところまでやったという長唄《ながうた》でもない。好きで覚えた新内《しんない》の一節でもない。幼い時分から多少の感化を受けて来た、そうして日本のあらゆる声楽の基礎ともいうべき声明《しょうみょう》のリズムに、浄瑠璃《じょうるり》の訛《なま》りがかかったような調子で、無心に歌われる歌詞を聞いていると、万葉集でした。
 このごろ中、心にかけて習っている万葉集の中の歌が、そこはかとなく、例の声明と、浄瑠璃のリズムで、お雪ちゃんの鼻唄となって、いわば運針の伴奏をなして現われて来るらしい。
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巌《いはほ》すら
行きとほるべき
ますらをも
恋てふことは
後《のち》悔いにけり
[#ここで字下げ終わり]
 これだけはリズムの節調ではなく、散文の口調《くちょう》で、すらすらと口をついて出でました。
 なぜか、お雪ちゃんはこの歌が好きです。それは歌の心が好きなのではなく、口当りがいいから、それで思わず繰返されるのかも知れない。そうでなければ、相聞《そうもん》の歌では、これがいちばん男性的であるというような意味で、良斎先生の愛誦《あいしょう》となっているところから、その口うつしが、思わず知らず、お雪ちゃんの口癖になっているのかも知れない。
 万葉の歌は上代の歌人の――上代の歌人とのみいわず、すべての人類の血と肉との叫びであります。人生に、恋にいて恋を歌うほど苦しいものはなく、恋を知らずして、恋歌をうたうほど無邪気なものはありますまい。
 その時、湯槽《ゆぶね》の方で高らかに笑う男の声がする――まもなく、トントンとかなり足踏みを荒く三階の梯子《はしご》を上る人の足音がする。もしやとお雪ちゃんは狼狽《ろうばい》しました。ここへ誰か訪ねて来るのではないか知ら。あの遠慮のない北原さんでも押しかけて来るのか知ら……それではと、あわただしく縫取りを押片づけて心構えをしていましたが、足音はそれだけで止んで、ここへ渡って来る人もありません。
 来《きた》るべき人が来ないと思うと、淋しさはまさるものです。ことに、あれほど荒っぽく三階の梯子段を踏み鳴らしながら、上ったのか、下りたのか、それっきり立消えがしてしまったのでは、徒《いたず》らに人に気を持たせるばかりのものです。
 いやなおばさんと、男妾《おとこめかけ》の浅吉とがいなくなってから後、この三階は、わたしたちで占領しているようなもの。上ったならば、当然、わたしたちを訪れる人であろうのに……立消えになってしまった。
 お雪ちゃんは、また縫とりをとり上げる気にもならず、相聞の歌を繰返す気にもならず、手持無沙汰のかげんで、しばらく所在なくしていたが――その時、ゾッと寒気《さむけ》がしたものですから、急いで、ぬぎっぱなして置いた黄八丈の丹前を取って羽織りかけ、そうして、こたつ[#「こたつ」に傍点]のそばへずっと膝を進めて、からだをすぼめて、両手を差しこんで、ずっと向うのふすま[#「ふすま」に傍点]を見つめたままでいました。
 この時、湯槽は急に賑《にぎ》わしくなって、高笑いと、無駄話の声までが、手に取るように響いて来ますけれども、お雪ちゃんはそこへ行ってみようという気にはなりません。
 以前は、誰がいても遠慮なく入って行ったものですが、このごろは、どうしたものか、なるべく人目を避けるようにして、誰も入っていない時をねらうようにしては、こっそりと、お湯につかるようになりました。
 それというのは、いつぞやあのいや[#「いや」に傍点]なおばさんから、からかわれて、乳が黒いといわれたのが、突き刺されたように胸の中に透っているものですから、それが気になって、昨日までは、人に見せても恥かしくないと思っていたこの肌が、今日は、自分で見るさえも恐ろしくなることがあるのです。
 お雪ちゃんの不安はそのところから始まりました――それがない時には、無邪気に、晴れやかに、誰にも同じように愛嬌《あいきょう》を見せ、同じように可愛がられているお雪ちゃんが――ふとそのことに思い当ると、暗くなります。
 何ともいえない不安がこみ上げて、こんなはずはない、そんなことがあろうはずはないと、さんざんに打消してはみますが、打消しきれないで、とうとう泣いてしまうことが、この頃中、幾度か知れません。
 ああ、弁信さんが言う通り、こんなことから、わたしは、生きてこの白骨の温泉を帰ることができないのかも知れない――あれは、わたしの身の上の予言ではなくて、その運命は、いや[#「いや」に傍点]なおばさんだの、意気地のない浅吉さんだのが、代って受けてくれてしまったのではないか。今に始まったことでない弁信さんの取越し苦労――それを他事《よそごと》に聞いていたのが、追々にわが身に酬《むく》って来るのではないか。それがために、お雪は書いても届ける由のない、届いても見せるすべのない盲目法師《めくらほうし》の弁信に向って、ひまにまかせては手紙を書いているのは、ただこの心の不安と苦悶《くもん》とを、他に向っては訴える由もないからです。
 つい今まで、晴れ晴れしていたお雪ちゃんの心が、また暗くなりました。
 ぼんやりと、見るともなしにふすま[#「ふすま」に傍点]を見つめていた眼から、涙がハラハラとこぼれました。ついに堪《こら》えられなくなって、面《かお》もこたつ[#「こたつ」に傍点]のふとん[#「ふとん」に傍点]の上に埋めて、なきじゃくってしまいました。
 だが、自分ながら、なんでそんなに悲しいのだかわかりません。身に覚えがない、何も知らない、と自分で自分をおさえつけていながら、それがおさえきれないで泣いてしまう心持が、どうしてもわかりません。
 そこでお雪ちゃんは、思い入り泣いてしまいましたが、身を入れていたこたつ[#「こたつ」に傍点]の火が消えてしまっているというのを知ったのは、その後のことでありました。
 ああ、火が消えてしまった。それでもお雪ちゃんは少しの間、身動きもしなかったが、やがて立ち上って、炭入と十能を取って、丹前を引っかけたまま、障子をあけて廊下へ出ました。

         二

 お雪ちゃんが、炭取と十能を持って外へ出たのは、自分の冷めた炬燵《こたつ》へ、新しく火と炭とを追加のためかと思うとそうでもなく、静かに廊下を通って、右へ鍵の手に廻ったいちばん奥の部屋まで来て見ました。
 そこへ来ると、上草履《うわぞうり》が綺麗《きれい》に一足脱ぎ揃えてあるのを見て、ホッと安心したような思い入れで、外からそっと障子を引き、
「お休みでございますか」
「いいえ、起きていますよ」
「御免下さいまし」
 お雪は障子を引開けて中へ入りました。ここは松の間というけれども、実は源氏の間とでもいった方がふさわしいのでしょう、十余畳も敷けるかなり広い一間ですが、その襖《ふすま》の腰にはいっぱいに源氏香が散らしてある。
「めっきり、お寒くなりました」
「寒くなったね」
 室の主というのは机竜之助であります。竜之助も同じような丹前を羽織って、片肱《かたひじ》を炬燵の上に置いて、頬杖《ほおづえ》をしながら、こちらを向いて、かしこまっておりました。
 何を考えるでもなし、考えないでもなし、白骨の湯にさらされて、本来|蒼白《そうはく》そのものの面《おもて》が、いっそう蒼白に冴《さ》えているようなものだが、思いなしか、その白い冴えた面に、このごろは光沢というほどでもないが、一脈の堅実が動いていると見れば見られるでしょう。例の五分月代《ごぶさかやき》も、相当に手入れが届いて、底知れず沈んでいること、死の面影《おもかげ》のようにやつれていることは、以前に少しも変らないが、どこかにかがやかしい色が無いではない。
 お雪ちゃんは、前へ廻って、そっと炬燵《こたつ》のふとんを開いて手を入れてみて、
「まあ、先生、すっかり火が消えてしまっているじゃありませんか、お呼び下さればいいのに」
と言いました。この娘は自分の炬燵が冷めたのに驚いて、他のことを心配して、ここへまで調べに来て見ると、これは全く火の気が絶えている。
 この人は、長い間、こうして火のない炬燵によりかかって、うつらうつらとしているのだ、かわいそうに……
 お雪ちゃんは、済まない心持になって、炭取を下に置くと、十能だけを持って、自分の部屋へ取ってかえしました。そうして、自分の炬燵から火種をうつそうとしてみたが、これもあいにく、小指ほどの塊《かたまり》と、蛍ほどのが総計五個もあるぐらいで、とてもこれでは、他の火勢を加える足《た》しにならないとあきらめて、でも、その五個ばかりの火を、丹念に十能の上に置いたまま、その十能を大事に持って、三階の梯子段を下におりてゆきました。土間の炉辺まで行って、烈々たる炭塊を十分に持ち来らんがためであるに違いない。
 残された竜之助は、この時、クルリとこたつ[#「こたつ」に傍点]の方へ向き直って、やぐら[#「やぐら」に傍点]の上へ両肱《りょうひじ》をのせて、てのひらで面《かお》をかくして、じっとうなだれてしまいました。
 こうしている姿をごらんなさい。心は無心でも、姿そのものが何を語っているか。
 ああ、おれはもう、生きることに倦怠した……とうめいているのか。
 生きていることが不思議だ……と呆《あき》れているのか。
 いやいや、おれはまだまだ生きる。自分が生きるということは、つまり人を殺すことだ……何の運命が、何の天罰が、この強烈なる生の力を遮《さえぎ》る……と叫んでいるのか。
 さりとは長い長夜《ちょうや》の眠りだ。もういいかげんで眼をさましたらどうだ。
 いつの世に永き眠りの夢さめて驚くことのあらんとすらん――と西行法師が歌っている。誰か来《きた》って、この無明長夜《むみょうちょうや》の眠りをさます者はないか……かれは、天上、人間、地獄、餓鬼、畜生に向って、呼びかけているかとも見られる。
 その時、お雪ちゃんが火を持って来ました。それを上手に組み合わせて、自然に、おこるようにして置いて、灰をかけ、蒲団《ふとん》をかぶせて、お雪ちゃんも、多少遠慮をして、炬燵の一方に手をさし込んであたりながら、
「先生、これからは、もう当分外へ出られません。おひとりでこうしておいでになって、淋しいとは思わない、つまらないとはお思いになりませんか」
「思ったって、仕方がないじゃないか」
「仕方がないっていえば、それまでですけれど……わたしはほんとうに、あなたをかわいそうだと思うことがありますのよ」
「思うことがあるだけじゃつまらない、いつでも思ってくれなくちゃあ」
「でも、怖いと思うこともありますのよ、憎らしいと思うこともありますのよ……そうしてどうかすると、心からかわいそうだと思って、涙をこぼすこともありますのよ。どれが、本当のあなたの姿だか、どれが本当のわたしの心だか、これがわからなくなってしまいます」
 お雪ちゃんはこういっているうちに、またなんとなく悲しくなりました。
 しかしまた気を引立てて、
「先生、きょうは一日、お傍でお話をお聞き申しとうございます。お邪魔にはなりません……お邪魔にならなければ、わたし、自分の部屋へ帰って縫取りを持って参りますから、それをやりながら、ゆっくりお話を伺おうではありませんか」
 こう言って、お雪ちゃんはこたつ[#「こたつ」に傍点]から出て、自分の部屋へ縫取りを取りに行きました。
 その間に竜之助は、横になって、長いきせる[#「きせる」に傍点]をかきよせて、こたつ[#「こたつ」に傍点]の火を煙草にうつして、腹ばいながら一ぷくのみました。
 机竜之助は煙草を一ぷくのんでしまって、吸殻を手さぐりで煙草盆の灰吹の中に、ていねいにはたき、それから暫く打吟じて、二ふく目の煙草をひねろうとするでもなく、そのまま長煙管《ながぎせる》を、指の先で二廻しばかり廻してみました。
 何か縫取物をとりに行ったはずのお雪ちゃんが、存外手間がとれる。待ちこがれているわけでもないが、ちょっと行って、すぐ戻るはずの人が、存外時間をとるのは、多少共に気を腐らせるものです。
 来なければ来ないでいいが、来るといってそこへ出た人が、容易に来ないのは、人をじらすようにもあたる。お雪ちゃんという娘が、決して人をじらすようには出来ていないのだが、故意でないにしても、偶然であるにしても、女は人をじらすように出来ているのかも知れない。
 ところで、その間のちょっとした穴明きの所在に、竜之助は長煙管をカセに使っている。で、二三度クルクルと指の先で廻してみた長煙管を、今度はピッタリと自分の頬に当てて、ヒタヒタと叩いてみました。
 無論、これは寝ていての芸当で、そう食うほどに煙草が好きというわけではないから、自然、煙管の方が扱いごろの相手になります。
 ちぇッ、長い煙管がどうしたというのだ。
 ふと、かれの眼前に、都島原の廓《くるわ》の里が湧いて出でました。
 島原がどうした?
 朱羅宇《しゅらう》の長い煙管の吸附け煙草がどうした。
 ははあ――御簾《みす》の間《ま》から扇の間へ出る柱のあの刀痕《かたなきず》――まざまざと眼の底には残るが、あれが机竜之助のした業だと誰がいう。その時分には、おれも眼が明いていたのだ。あの里の太夫というもの――京美人の粋といったようなものにも、おれだって見参《げんざん》していないという限りはない。
 さあ、それがどうした。
 東男《あずまおとこ》を気取ったやからが、かなりいい気な耽溺《たんでき》をしていたたあいなさ。
 まあしかし、そのたあいないところが身上だ、少しの間でも溺れ得る人は幸いだ、売り物の色香にさえも、つかのまでも酔い得る間が、人生の花というものだな。
 おれは酔えない――おれは溺れることができない。
 不幸だ、この上もなく不幸だ。
 竜之助は、朱羅宇《しゅらう》でも、金張《きんばり》でもない、ただの真鍮《しんちゅう》の長煙管で、ヒタヒタと自分の頬をたたきながら、我と我身を冷笑するのは、今にはじまったことではありません。
 その時です、ちょうど、この室から幾間かを隔てた――多分三階ではありますまい、二階の菖蒲《あやめ》の間《ま》あたりでしょう。そこで、
「デーン」
と張りきれるような三味線の音がしました。眼の働きを失って、しかして、耳の感覚が敏感になったというのみではなく、こんな静かなところで、思い設けぬ音《ね》を聞かされた時は、誰だって耳をそばだてます。
 いわんや、それが引きつづいてかなりの手だれ[#「手だれ」に傍点]な調子で、デンデンデンデンと引きほごされてゆくと、机竜之助の空想もその中に引込まれて、
「珍しいなア、太棹《ふとざお》をやっている」
 全く珍しいことです。日本アルプスの麓《ふもと》の、ほとんど人音《ひとおと》絶えた雪の中で、よし温泉場とはいいながら、不意に太棹の音を聞かせようなんぞとは、心憎いいたずらには相違ない。
 といって、必ずしも、それは妖怪変化《ようかいへんげ》の為す業《わざ》でもあるまい。何といっても温泉場は温泉場である。宿の主《あるじ》が気がきいて備えて置いたか、或いはお客のある者が置残して行ったのを、いい無聊《ぶりょう》の慰めにかつぎ出して、手ずさみを試むる数寄者《すきもの》が、この頃の、不意の、雑多の、えたいの知れぬ白骨の冬籠《ふゆごも》り連《れん》のうちに、一人や二人、無いとはいえまい。
 例のお神楽師《かぐらし》にいでたつ一行のうちにも、然《しか》るべき音曲の堪能者《たんのうしゃ》が無いという限りはありますまい。

         三

 だが、その手は何を弾《ひ》いているのだか、正直のところ、机竜之助にはよくわからない。
 しかし、なかなかの手だれ[#「手だれ」に傍点]であることだけはよくわかる。
 そうだなあ、お染久松の野崎村のところに、あんな三味線の調子があったっけ――といって、それには限るまい。三味線の調子にもそれぞれ型というものがあって、それをいいかげんのところへ、つぎはぎして、そうして一曲をでっち上げるのだ。まあ、何だって大抵は手本の種はきまったものだ――少し数を聞いていれば、これは新しいというのは、ほとんど全く無いものだ。
 しかし、撥捌《ばちさば》きはあざやかだといってよかろう、なかなかの芸人が来ているな。
 太夫《たゆう》は語らないで、三味だけが聞える。それは竜之助が聞いて、野崎か知らと思った瞬間もあれば、そのほかの手も連続して出て来る。何がどうしてどこへハマるのだか、竜之助にはわからなくなる。竜之助にわからないのみならず、玄人《くろうと》でない限りは、その弾く手と節の変りを、いちいちそうていねい[#「ていねい」に傍点]に説明するわけにはゆくまいではないか。
 ただ、弾き手自身は、よほど三味線そのものに興味を持っているところへ、思いがけなく、その好物を探し当てたものですから、ことに、無聊至極《ぶりょうしごく》に苦しみきっているためでしょうから、ふるいつくように三味にくいついて、自分の知っている、有らん限りの手という手を、弾きぬいて見る気かも知れません。竜之助とても、それを聞いて悪い気持はしない。太棹《ふとざお》は、やっぱりこのくらい離れて聞いた方がいいな、ことに、なまじいな太夫が入らないのがいい、三味線だけがいい――と、多少の好感を持つことができたのは幸いです。
 そこで、いつのまにか長煙管もほうり出して、肱枕《ひじまくら》になって、やはり、いい心持で弾《ひ》きまくっている三味線を聞いているところへ、ようやくのことにお雪ちゃんが戻って参りました。
「お待たせ申しました」
「長いじゃないか」
「でも、火をおこしますと、あんまりよくおこって勿体《もったい》ないものですから、これで安倍川《あべかわ》をこしらえて、あなたに差上げようという気になったものですから、つい……」
といって、お雪ちゃんは、片手には縫取りをかかえ込み、片手にはお盆に載せた安倍川をどっさり持って来たものです。
「一つ召上れ」
「これは御馳走さま」
 竜之助は起き上りました。
 そこで、炬燵櫓《こたつやぐら》の上で、二人はお取膳《とりぜん》の形で、安倍川を食べにかかりました。
 竜之助は、これは無邪気なものだと思いました。これが、「何もございませんが、一口《ひとくち》召上れな」と言って、お銚子《ちょうし》と洗肉《あらい》をつきつけられたところで、いやな気持はしないが、わざわざ安倍川をこしらえて来て食べさせるところが、お雪ちゃんらしいなと、竜之助も人間並みに、その御馳走が有難く見えたのでしょう。
 二人はこうして、さし向いで安倍川を食べながら、お雪ちゃんが、しかけて置いた鉄瓶の湯を急須《きゅうす》に注ぎました。
 安倍川を食べてしまうと、お雪ちゃんは縫取りを取り出して、例の胡蝶の模様を余念なく縫い取りにかかりました。
 その時分とても、下の三味線はいよいよ興に乗るので、針を運ぶお雪ちゃんの気もときめいて、
「池田先生のお弟子さんには、芸人がいらっしゃるわ――ずいぶん御熱心ね」
といって、自分も針を運びながら、その三味線の音色には聞き惚《ほ》れているらしい。
 机竜之助は、もう横にならないで、やぐらの上に頬杖をついたまま、キチンと坐って、沈黙しているのは御同然に、三味線の音色そのものに、暫しわれを忘るるの余裕を与えられているのかも知れません。
 ややあって、お雪ちゃんが、針の手を休めないで、
[#ここから2字下げ]
おととしの十月
中《なか》の亥《い》の子《こ》に
炬燵あけた祝いとて
ここで枕並べてこのかた
女房のふところには
鬼がすむか蛇《じゃ》がすむか
それほど心残りなら
泣かしゃんせ
泣かしゃんせ
その涙が
蜆川《しじみがわ》へ流れたら
小春が汲んで
飲みゃろうぞ
[#ここで字下げ終わり]
と三味線に合わせて口ずさみましたから、たれよりも最も多く机竜之助が驚きました。
 何だ――お前それを知っているのか、いつそんなことを覚えたのだね、小娘は油断がならない、と心底から驚いたかも知れません。
 それには頓着なく、お雪ちゃんは、ただもういい心持になっているようです。
 そうこうしている時に、さしもの三味線がやみました。誰も御苦労さまというものもなく、もう一段と所望する者もない。
 一息入れてまた弾き出すかと思うと、それで全く一段の終りです。
「お雪ちゃん、今のを、もう一ぺん歌ってごらんなさい」
と竜之助が言いました。
「でも……」
 お雪ちゃんがハニカミながら、
「あのイヤなおばさんが、よくこれを語りますから、わたしもつい覚えてしまったんですもの……それに浅吉さんもなかなか上手でしたわ、どうかすると、三味線もよく弾いていました」
「感心なものだ」
「泣かしゃんせ、泣かしゃんせ……あそこのところがなかなかようござんすね。あのイヤなおばさん、あんな様子をしていながら、いい声でしたよ。どうかすると、わたしたちでさえほれぼれするようないい声を出して、あのさわり[#「さわり」に傍点]を語りました」
 お雪ちゃんは相変らず余念なく、縫取りの針を運ぶように見せながら、
[#ここから2字下げ]
それほど心残りなら
泣かしゃんせ
泣かしゃんせ
その涙が
蜆川《しじみがわ》へ流れたら
小春が汲んで
飲みゃろうぞ
[#ここで字下げ終わり]
 別段得意にもならないで、たのまれたから繰返してお聞かせ申す、というわけでもなく、素直にそのさわり[#「さわり」に傍点]のアンコールを繰返すところは、たあいないものです。
「それから……」
 竜之助がそのあとを所望すると、
[#ここから2字下げ]
あんまりむごい治兵衛さま
なんぼお前がどのような
せつない義理があるとても
二人の子供は
お前なんともないかいな……
[#ここで字下げ終わり]
 ここへ来て、お雪ちゃんがどういうものか、しくしくと泣いて、あとがつづけられなくなりました。竜之助は憮然《ぶぜん》として、もうそのあとを所望はしません。
 お雪ちゃんは、どうしたものか、とうとう縫取りを投げ出して、炬燵《こたつ》の上にうつぶしになって、聞えるほどの声を出して泣いてしまいました。
「どうしたの……」
「二人の子供は、お前なんともないかいな……というところで泣けました、泣けて泣けて、仕方がありません」
 お雪ちゃんは、わっと泣いてしまいました。この娘が近頃、感傷的になっているというのは、多分こんなところをいうのでしょう。
 三界流転《さんがいるてん》のうち、離れ難きぞ恩愛の絆《きずな》なる――といったような、子を持った親でなければわからない感情のために、お雪ちゃんが泣きました。
 子を持った親でなければわからない感情のために、子を持たぬお雪ちゃんが泣くくらいだから、少なくとも子を持って、人の親として経験を経てまでいる竜之助はいかに。
 単に小娘の口ずさむ浄瑠璃《じょうるり》のさわり[#「さわり」に傍点]の一ふしぐらいに、やすやすと涙を流すほどの男ならば、文句はあるまいに、それが、どうしたものか、横をむいてしまいました。
 もし、彼の見えないところの眼底に、この時、一点の涙があるならば、それは春秋の筆法で慶応三年秋八月、近松門左衛門、机竜之助を泣かしむ……というようなことになるのだが、泣いているのだか、あざけっているのだか、わかったものではない。
 お雪ちゃんは、何が悲しいのか泣いている。竜之助は何ともいわないで、横を向いたまま静かにしている。
 そうして、しめやかな沈黙がかなり長くつづいた時分に、以前の柳の間の廊下の方で、
「お雪ちゃん、お雪ちゃん」
と呼びながら廊下を渡って来る人。そこにいないものだから、たしかにここと、バタバタと草履《ぞうり》を引きずりながら、
「お雪ちゃん、こちらにおいででしたね、ちょっと」
「久助さんですか」
「はい」
 姿は見えないけれども久助に違いないから、お雪はあわててその涙の面《おもて》を隠そうとした時、
「あの、皆さんが、俳諧の運座をはじめますから、お雪ちゃんにも、ぜひ、いらっしって下さいって……」

         四

 その日の午後の浴室。北原賢次は板の間の上で、軽石で足のかかと[#「かかと」に傍点]をこすり、小西新蔵は湯槽《ゆぶね》のふちにぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]をのせて、いい気持になっている。
 窓越しに、初冬の日の光が浴室いっぱいにさしている。
 この二人は、どちらも池田良斎の一行で、この白骨の湯で冬籠《ふゆごも》りをし、春の来《きた》るのを待って、飛騨の方面へ飛躍しようとする一味の者。
「お雪ちゃんは、とうとう運座へ出て来なかったね」
 湯槽のふちにぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]をのせて、いい心持につかっていた小西新蔵が言う。
「うむ、出て来なかった。あの娘はこのごろ少しどうかしているよ」
と北原賢次が、かかと[#「かかと」に傍点]をこすりながら答える。
「そうだ、快活なあの娘が、このごろ少しふさいでいる、呼ばないでも出て来て、われわれを賑《にぎ》わしたあの子が、めっきり引込思案になってしまったのは気になるよ」
 そこで二分間ばかり話が切れ、
「あの娘は看病に来ているんだよ――病人を連れて来てるんだね、その方が忙しいんだろう」
「え……病人を連れて、あの久助という老人のほかに、あの娘に連れがあったのかい」
「あったにもなんにも……だが、誰もまだ同じ宿にいながら、その人の姿を見た者が無いんだ、よほどの重体で枕が上らないんだろう」
「なるほど……その看病でお雪ちゃんが出て来られないのだな」
「多分、そんなことだろうと思う」
「それは何人《なにびと》だろう、あの娘の身うちの者か、それとも……」
「さっぱり正体がわからないんだ、また、強《し》いて尋ねても悪かろうと遠慮もしているが、とにかく、身内の者には相違あるまい」
「近親の看病のためにふさいでいるならいいが……万一ほかの事情であの娘の性格が一変するようでは、かわいそうだ、あんな性格の娘は、どこまでもあのままで保護存養して行きたい」
「そうでなくてさえ、このごろは番人がヒヤヒヤしている、飛騨の高山の者だというあの油ぎった後家《ごけ》さんと、その男妾《おとこめかけ》の浅吉とやらが変死してから……留守番や、山の案内がこわがっている、この上、お雪ちゃんでも病みつこうものなら、鐙小屋《あぶみごや》の神主でも祓《はら》いきれまいよ」
 二人は、いい気持で、こんな噂《うわさ》をしているが、窓の上高く、三階の勾欄《てすり》のあたりを見上げた時、何かこの晴れ渡った白骨温泉場の空気の底に、抜け穴があって、張りきったものが、そこから無限の下へもれて行くような気持がしないでもない。
 かかと[#「かかと」に傍点]をこすり終った北原賢次も、何かちょっとそんな気分にさわったことがあると見え、
「時に、根も葉もあるではないが……あのお雪ちゃんが、妊娠しているという噂を聞かないかい」
「え……妊娠、あの娘が」
 小西新蔵が、ちょっと枕を立て直す……そこで二人の会話が、また五分間ばかり途絶《とだ》える。
 やがて、声高に、笑談まじりに、二人は何か話しはじめたが、ばったりと立消えになってしまうと、暫くあって、森閑たる浴室の外へ聞えるのは、小西新蔵がやや得意になって、
[#ここから2字下げ]
聞くならく
雲南《うんなん》に瀘水《ろすい》あり
椒花《せうか》落つる時、瘴煙《しやうえん》起る
大軍|徒渉《とせふ》、水、湯の如し
未《いま》だ十人を過ぎずして
二三は死す……
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と断続して、「且《しばら》ク喜ブ、老身今|独《ひと》リ在リ、然《しか》ラザレバ当時瀘水ノ頭《ほとり》、身死シテ魂|孤《こ》ニ骨収メラレズ、マサニ雲南望郷ノ鬼トナルベシ……」と、急転直下、朗読体に変って行ったのが、白日の浴室の中に、恨みを引いて糸の如し、と見れば見られないこともないのです。
 果して、お雪ちゃんはその日一日を、源氏の間で暮してしまいました。
 暗くなって帰る時、ちゃんと竜之助のそばへ行燈《あんどん》をつけて、自分の部屋へ帰り、そこでまた行燈をつけて、炬燵《こたつ》のうずみ火を掻《か》き起して、やぐらの上へ頬ずりをするほどに身を押しつけてしまったくらいですから、別段、あわてた素振《そぶり》も、うろたえた様子も見えません。
 けれども、そこで、ぐったりとして、改めて仕事にかかろうでもなし、別に蒲団《ふとん》をのべて寝ようとするでもありません。
 じっと、炬燵櫓《こたつやぐら》の上に身を押しつけたままで、動くことさえがおっくう[#「おっくう」に傍点]のように見えました。
 こうして、半時ばかりも、じっとしている間に、ひとりでにお雪ちゃんの眼が、涙でいっぱいになりました。
 いっぱいになった涙が、ハラハラと頬を伝って流れましたけれども、それを拭おうともしない間に、相次いでの感情がこみ上げて来ると見えて、ついつい本当に泣いてしまいました。本当に泣くと、ここでは、思うさま、誰に遠慮もなく、泣いて泣いて、泣けるだけ泣いてしまいました。
 若い娘は箸《はし》のころんだのにも笑いたがると共に、葦《あし》の葉の傷《いた》めるのにも泣きたがるものです。
 お雪ちゃんという子は、今まであまり泣きたがらない子でありました。それは泣くべき必要がないからでした。誰をも同じように愛し、同じように愛されている者に、泣くべき隙間の起るはずがありません。
 お雪ちゃんは、その晩、改まって床に就いたのか、就かないのかわかりませんでしたが、翌朝になると、かいがいしいみなり[#「みなり」に傍点]をして、机に向って一心に物を書きはじめました。

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「弁信さん――」
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 弁信の名は、まさしくこの娘のためには救いであるらしい。
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「苦しうございます――」
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と、お雪ちゃんが書き出したのは、少なくとも異例です。
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「苦しうございます、あなたのおっしゃる通りの運命が、わたしの上に落ちて参りました。
穂高、乗鞍、笠ヶ岳の雪が日一日と、この白骨の温泉の上を圧して来ますように、わたくしの胸が……ああ、弁信さん、わたしは、もうトテも筆を取って物を書いているに堪えられません。
弁信さん――
どうぞ、わたしのそばに来ていて下さい。あなたがいなければ、わたしは助からないかもしれません――殺されてしまいましょう」
[#ここで字下げ終わり]

 一方、お雪ちゃんが帰ってからの机竜之助は、行燈《あんどん》の下で暫くぼんやりとしておりました。
 行燈の光なんぞは、有っても無くってもいいわけですが、それでも、有れば有るだけに、何かしらの温か味が、身に添わないという限りもありません。
 暫くぼんやりとしていたが、やがて無雑作《むぞうさ》に左の手を伸ばすと、水を掻《か》くように掻きよせたものが、かなり長い袋入りの一品であります。
 この人のことだから、それは問うまでもなく、手慣れの業物《わざもの》と思うと案外、その黒い袋入りの一品を手にとって、クルクルと打紐《うちひも》を解いて取り出したのは、尋常一様の一管の尺八でありました。
 極めて簡単にそれを引き出して、歌口を湿してみましたが、相応に興も乗ったと見えて、いずまいを直して、吹き出したのを聞いていると「竹調べ」です。
 机竜之助は、どの程度まで尺八を堪能《たんのう》か知らないが、おそらく、この男が、この世における唯一の音楽の知己としては、これを措《お》いてはありますまい。
 これは父から習い覚えたものです。父は幼少の竜之助に、本曲のほかは教えませんでした。竜之助もまた、父の教えた本曲のほかには、何を習おうともしませんでしたから、知っているのは本曲ばかり。興に乗って吹いてみるのも、興に乗らずして手ずさみに笛を取ってみる時も、やはり本曲。
 つまり、本曲のほかには、吹くことも知らず、吹こうともしませんでした。
 といって、本曲、そのものの玄旨に傾倒して、他を顧みずというほどに、妙味がわかって吹くというわけでもないのです。父から、やかましい伝来の由緒を、教えられるには教えられたけれど、そんなことは、てんで頭へは寄せつけなかったくらいだから、頭に残っている由がありません。
 ただ、ここで思い起すのは、父が尺八の師であった青梅|鈴法寺《れいほうじ》の高橋空山が、ふと門附《かどづけ》に来て吹いた「竹調べ」が、ついにわが父をして短笛《たんてき》というものに、浮身をやつすほどのあこがれを持たしめてしまったことです。
 ここにヅグリという手があって、これはなかなかやかましい。これがうまく出来なければ虚無僧《こむそう》ではない……といったのはそれ。自分は虚無僧になるつもりはない、父も虚無僧にするつもりで教え込んだのではないが、この手が妙味で、ここが難所という時は、意地でもそれをこな[#「こな」に傍点]そうと勉めた覚えはある。
「錦風波《きんぷうは》」の吹き方は、日本海の荒海のように豪壮で、淡泊で、しかもその中に、切々たる哀情が豊かに籠《こも》っている。そうしてどこにか、落城の折の、法螺《ほら》の音を聞くような、悲痛の思いが人の腸《はらわた》を断つ……山形の臥竜軒派では、これをこう吹いて……
 それにつけても思い起す、父が尺八というものに対する、あこがれと、理解の程度の、尋常一様でなかったことを。
 高橋空山師と計《はか》って、附近の虚空院鈴法寺の衰えたるをおこさんとして果さなかった。あの寺は関東の虚無僧寺の触頭《ふれがしら》、活惣派の本山。下総《しもうさ》の一月寺、京都の明暗寺と相並んで、普化《ふけ》宗門の由緒ある寺。あれをあのままにしておくのは惜しいと、病床にある父が、幾たびその感慨を洩らしたか知れない。自分が孝子ならば、その高橋空山という父の師なる人を探し当てて、そうして父の遺志をついで、あの寺を再興するようなことにでもならば、追善供養として、これに越すものはなかろうに……
 父はまたよく言った、人間の心霊を吹き得る楽器として、尺八ほどのものは無く、人間の心霊を吹き現わし得る楽器として、尺八ほどのものは無いと――父といえども、世界の楽器の総てを知りつくしたわけではなかろうが、以てそのあこがれの程度を想い知ることができる。
「竹調べ」から「鉢返し」――「鉢返し」から「盤渉《ばんしき》」
 世界もちょうど――平調《ひょうじょう》から盤渉にめぐるの時――心ありや、心なしや、この音色。

         五

 宇津木兵馬は、今宵月明に乗じて中房《なかぶさ》を出で、松本平の方へ歩みます。
 どうして、特に月明の夜を選んだか知らないが、その足どりから見れば、中房の温泉にも望みを失して、すごすごともと来し道を引返す心のうちが、察せられないでもありません。
 それにしても、歩みぶりが甚だ悠長《ゆうちょう》で、旅装《たびよそおい》は常習のことだから、五分もすきはないが、両腕を胸に組んで、うつらうつらと歩いて行く歩みぶりは、いくら月明の夜だからといって、案外な寛怠《かんたい》ぶりであります。
 兵馬は、それでも、少し自分の足が早過ぎたなという心持で、振返って立ちどまると、後ろに一つ、うつむいて草鞋《わらじ》の紐《ひも》を結び直すらしい人影がある。
 さては伴《つれ》がある――察する通り、その伴の人は、杖を下に置いて、しきりに草鞋の紐を結び直しているものに相違ない。
「どうです、うまく結べますかな」
と兵馬が、寛怠ぶりで問いかけると、
「結べやしませんわ、結んでも結んでも、解けてしまうんですもの」
 それは女の声であります。
「ちぇッ、世話を焼かせるなあ」
と兵馬が、少しじれったがりました。
「でも仕方がありませんわ、草鞋なんて、足につけたのは、今日が初めてなんですもの」
といって女は、しきりに草鞋の紐を結び直しているが、思うように結べないらしい。結んではみても、ためしてみると、足につかないで、また解きほごして、結び返しているものらしい。
 当人よりも、それを見ている兵馬が、もどかしがって、二三間小戻りをして来て、昼のような月明に、当の女の足もとを篤《とく》と透《す》かして見ました。
「そんな手つきじゃ、駄目駄目」
 兵馬は、ついにうつむいて、自分の手を女の足もとにかけて、その草鞋の紐を受取ってしまいました。
「済みません」
 女は手を束《つか》ねて、兵馬のなすところに信頼している。
「それ、ここをこうしてち[#「ち」に傍点]にかけて、それから後ろで綾《あや》に組んで、前でこう結ぶのです。こんなことをしていた日には、一町も歩けば、横に曲ってしまう」
 草鞋の紐を結ぶということは、あながち、先輩長者に向ってすることだけではないらしい。やんちゃな、扱いの悪い、弱者に対して、そうしなければ道が行けないためしもあるに相違ない。
 兵馬は、こくめいに、この女のために草鞋の紐を結んでやりました。
「どうも有難うございました、穿《は》き心がすっかり違いますわ」
 女は菅《すげ》の笠をかぶって、女合羽を着て、手甲《てっこう》脚絆《きゃはん》をした、すっかり、旅の仕度の出来ているところ、兵馬とは十分しめし合わせた道づれのようであります。
 そこで兵馬は、先に立って歩き出したが、以前のように、両腕を胸に組み上げながら、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と歩いていても、それでも女は歩み遅れる。どうしても、二人の間が二間、三間と隔たりの出来るのは免れないらしい。
 これは行き過ぎたと思っては、踏みとどまって待受けて、また、そろそろ踏み出すと、忽《たちま》ちまた二三間の隔たりが生ずる。
「片柳様、誰も追いかけて来やしませんから、もう少しゆっくり歩いて下さいな」
と女が訴えました。
 兵馬としては、これより以上の寛怠《かんたい》はできないらしいが、その寛怠が女の足では、追従のできないほどの急速力とも見られるようです。
「その足で、松本までは覚束《おぼつか》ない」
 兵馬は憮然《ぶぜん》として突立って、念入りに女の足もとを見ました。
 これは、また奇妙なる一つの道行《みちゆき》といわねばならぬ。
 兵馬の道づれの女は、浅間の温泉で、芸者をしていた女であります。
 酔って、手古舞姿で、兵馬の室へ戸惑いをして一夜を明かしたために、大騒動を持上げた女であります。その結果、八面大王の葛籠《つづら》の中へ納められて、中房の温泉場へ隠された女であります。それを兵馬が、夜具蒲団の砦《とりで》の中で、偶然発見した女であります。
 この数日来――期せずして、どうも、兵馬の先廻りをして歩いているもののようです。
 今や、こうして、月明の夜、二人同じく旅よそおいをして、道を共にしてみれば、夫婦としては少し釣合いがまずいようだが、力弥《りきや》としては、兵馬に少し骨っぽいところがあり、小浪《こなみ》としては、この女に少し脂《あぶら》の乗ったところがあるようだが、誰がどう見ても、尋常の旅とは見えないでしょう。
 しかし、依然として二人の間は離れ過ぎている。待ち合わせても、待ち合わせても、いつか知らず二三間は隔たりが出来てくるのです。道行としては、こんな離れ離れの水臭《みずくさ》い道行というものがあるべきものではありません。
 兵馬がこうして、ついつい、連れの足弱を置去りにするような歩み方ばかりするのは、人目を気兼ねするのではなく、また、二人ばかりの山路の夜道に、人目を気兼ねする必要が毛頭あるのでもなく、ただ、兵馬の頭が、全く別なことを考えているから、足がふらふらとしてその空想に駆《か》られて、現実を忘れがちにするの結果と思われます。
「それじゃ駄目ですよ、松本どころではない、この先一里も覚束ない――困ったな」
 兵馬はまたも、立ちどまってつぶやきました。
「そんなに小言《こごと》をおっしゃらなくってもいいじゃありませんか、置去りになすったり、お小言をおっしゃったり、ほんとうにたよりのない道行……」
と女が息を切りました。
「仕方がない……」
 兵馬が、やはり途方に暮れた返答ぶりです。
 仕方がないといえば、全く仕方がない。ほかの道中と違って、馬や、駕籠《かご》をたのむ便宜もなし、そうかといって、自分が引背負って行くわけにもゆかず、万一の場合には、たたき起すべき旅籠屋《はやごや》すらも当分みつかるべき道ではない。そのくらいなら、いかに月明に乗じたとは言いながら、夜分、こうして出て来るがものはないじゃないか。だが、そのほかの理由で、二人が、馬も駕籠も借らずに、夜を選ばねばならなかった筋道は、相当にあるだろうと想われます。
 ただ、兵馬として案外なのは、女の足が弱過ぎたことです。想像以上に、この女の足が弱過ぎました。
 草鞋《わらじ》をつけたのは、生来これが初めて――それはよいとしても、一町行っては息を切り、二町歩いては休む、これで前途の旅をどうするのだ。
 前途といえば、二人はどこを目的《めあて》として行くのだ。さし当り、このまがいものの道行、離れ離れの水臭い道行も、行をともにしている以上は、落着くところもきまっていそうなものに思われる。
 兵馬としては、求むるものは、いつも与えられずして、求めざるものに、ついて廻られるような結果になる。ついて廻るならまだいいが、時としては、それに引きずられるような危なっかしいことさえしばしばあるのには困る。世間の事実は往々逆説になって、足の強いものが、足弱を引きずらないで、足弱が、健足のものを引きずるためしが、ザラにないとはいえない。
 兵馬としては、この予想外に足の弱い女を、自分が引きずりながら歩いているのだか、引きずられて困惑しているのだか、ちょっと、わからない立場でありましょう。
「もう歩けません、あなたお一人でいらっしゃい――どちらへでも」
といって、女は有明明神の社壇の下に、腰を下ろしてしまいました。
「ちぇッ」
 兵馬は眉《まゆ》をひそめて、突立っています。
 その時、暫く思案していた宇津木兵馬は、足を踏みならして、
「そうですか、では、あなたは疲れの休まるまで、休息していらっしゃい、拙者は、ひとりでブラブラと出かけます」
といって、彼はそこを歩き出してしまいました。
「まあ――ひどい人」
 女の驚愕《きょうがく》をあとにして、兵馬は以前の通り悠々閑々たる足どりで、両腕を胸に組んで歩き出します。日本アルプスの大屏風《おおびょうぶ》を背景にして、松本平を前に望むところ――孤影|飄々《ひょうひょう》として歩み行くあとを、女が追いかけました。
「まあ、片柳様、あなたはほんとうに、わたしを打捨《うっちゃ》っておいでなさるのですか」
 兵馬はそれに答えずして、フラフラと歩いて行きます。片柳とは宇津木の変名。
「あんまり、ひどい」
 女は追いかけて、追いすがりました。
「それでは、あなた、約束が違やしませんか」
「約束とは?」
「わたしを救い出して下さる、あなたのお約束じゃありませんか」
「救い出す――いつ、わたしが、そんなことを言いましたか」
「あら、また、あんなことをおっしゃって……あなたをお力にすればこそ、こうして、わたしは、逃げ出して来たんじゃありませんか」
「人をたより過ぎてはいけません、拙者は人にたよられるほどの人間ではありません、人にたよりたいくらいの人間ですよ」
「では、わたしというものを、どうして下さるの……」
「浅間の、もとの主人まで送り届けるだけのことはします」
「それだけじゃいけません」
「いけませんといったって、それより以上のことは、拙者の役目にないことで、またしようとしてもできないことです」
「ねえ、あなた、浅間へ帰ると言いましたのは嘘なんですよ、わたしは、あんなところへ帰る気はありません」
「帰らなければ、どこへ行きます」
「わたしは、江戸へ帰りたいのです」
「それは事情が許しますまい、江戸へ帰るならば、帰るようにして帰らない以上は、迷惑が湧いて、災難を求めるようなものです」
「ただは帰れませんから、逃げて帰るよりほかはありません」
「一里二里も覚束ない足で、どうして江戸へ帰ります」
「ですから、わたしは、あなた様におすがり申しているじゃありませんか、どうぞ、このまま、わたしを連れて逃げて下さい」
「何をおっしゃる――そなたを連れて、拙者に江戸へ逃げろといわれるのですか」
「お江戸でいけなければ、どこでもようございます――京でも、大阪でも、いっそ、誰も知らない山の中でも、海の涯《はて》でも、どこでもようございますから、このまま、わたしを連れて逃げて下さいまし」
「なるほど」
 兵馬は、この間も、腕組みをして、悠々閑々と歩いていることを少しも止めないでいましたが、この時から、以前、二三間ずつは必ず離れていた女が、兵馬の袖にすがって離れません。
「ねえ、片柳様、押しつけがましいことですけれども、わたしはそう思います、因縁《いんねん》だと思います、金にあかしても、わたしを欲しがる人には行きたくありません、かゆいところに手の届くほど親切にして下さるお方のところへも行きたくありません、ホンの袖すり合うたような御縁のあなた様におすがり申します、このまま、わたしを連れて逃げて下さい」
「…………」
 兵馬は、やはり腕組みをしたまま、無言で歩きつづけながら、身ぶるいをしました。
 この手にはかかっている――商売人の用いたがる手だ。江戸の吉原で、おぞくもこの手に引っかかって、苦い経験を嘗《な》めたのは、そんなに遠い過去でもない。
 実はこの手を警戒すればこそ、この道行も、ワザと離れ離れのよそよそしさを、兵馬自身から仕向けていたのではないか。
 まあ、最初のかかり合いから言えば、戸惑いとは言いながら、自分の座敷へころがり込んだ、あれが間違いのもとなのだから、相当の責任感をもって、この女のために証明の役目も果し、浅間の元の主人のところへ落着けてやるまでは、旅の道草としても、意義のないことではないと思って、頼まれるままに、浅間へ送り届けることだけは、引受けたに違いない。
 だが、あぶない。女がなかなかのあだものであるだけに、またその道の玄人《くろうと》だけにあぶないものだ――先方があぶないのではない、こちらがあぶないのだ。
 ここに至って、兵馬の懸念《けねん》と、不安とが、まともにぶっつかって来ました。
「冗談《じょうだん》をいってはいけません」
 歩きながら兵馬はこう言いました。
「冗談ではございません――あなたには冗談に聞えるかも知れませんが、わたしは真剣でございます、命がけでお願いしているじゃありませんか」
「そういう頼みは聞かれない」
「では、わたはどうなってもいいのですか、どうすればいいのですか」
「それまでは考えていられない、浅間へ送り届けるだけで、拙者は御免|蒙《こうむ》る、拙者には、拙者としての仕事があるのですから」
「どの面《つら》さげて、わたしが浅間へ帰れましょう、あれは嘘です、嘘よりほかには、申上げられようがありませんでしたもの」
「嘘はそちらの勝手、拙者は、拙者だけの勤めを果せばいいのだ」
「ようござんす」
 そこで、ふっと、今まですがっていた兵馬の袖を、女がはなしました。
 兵馬は多少のハズミを食ったが、やはり最初の調子の、悠々閑々ぶりを改めず、あとを振返ることもなくして、フラフラと歩んで行くのであります。
 女は、どうしたものか、恨めしそうに兵馬の後ろ姿を見てはいるが、以前のように追いすがろうともしない。また、静かにそのあとを慕《した》って来ようとするの様子も見えない。じっとその地点に立ち尽しているのです。
 そうなってみると、兵馬も、多少の不安を感じないわけにはゆきません。だが、自分の強《し》いて、つれなく言い放した言葉の手前からいっても、いまさら未練がましく後ろを振返って見るというわけにもゆきません。
 いや、そう言っているうちに、また追いかけて来るだろう、追いかけて来ないまでも、何とか呼びかけてはみるだろう、というような期待もあって、兵馬は相変らずの調子で、日本アルプスを後ろに、松本平を前に、月明の夜、天風に乗じて人寰《じんかん》に下るような気取りで歩いて行きましたが、今度はさっぱり手ごたえがありません。後ろから呼びかける声もなく、追いすがる足音もなく、そうして、とうとう一町半ほど歩んで来てしまいました。
 その時に、兵馬も、不安を感じないわけにはゆきません。
 実は、不安を感ずるのはいけないのだけれど、最初の機鋒を最後まで通して、女が泣こうが、追いすがろうが、立ちどまろうが、退こうが、押そうが、動ぜずして振切り通すだけの切れ味があれば、さすがなのだが、これが無いところが、兵馬の兵馬たるゆえんかも知れません。
 一町半ほど、そうして歩いたところで、やむなく兵馬は後ろを顧みてみました。
 そこには誰もいない。
 月夜で、見通しの利《き》く限り、その一町半の間には紆余曲折《うよきょくせつ》も無かったところに、女の影が見えません。
 あっ! と兵馬は面《かお》の色をかえました。今ここで面の色をかえるくらいなら、最初から、あんなつれない[#「つれない」に傍点]真似《まね》をする必要は無かったではないか――

         六

 呼びかけると思った女が、呼びかけません。追従し来《きた》ると思った人が、追従して来ないのみならず、影と、形とが、見ゆべきところから消え去っています。
 この案外には、兵馬が手脚《しゅきゃく》を着くるところなきほどに惑乱しました。
 われに追従して来なければどこへ行く――この場合、その方向転換の目的が、人の身として考えても、自分に比べて考えても、皆目わからないのであります。
 行くところの道を失えば、当然、その帰結は自暴《やけ》のほかにありません。
 自暴――女にとって、その恐るべきことは、破滅を恐れないのでわかります。しかし、その点は心配するほどのものはあるまい、処女ではないのだから。処女でないのみならず、商売人なのだから。自暴《やけ》のために身をあやまる時代はすでに過ぎている。
 しかし――という余地はないはず。その切れ味の鈍《にぶ》いところが、それがいけない。
 よろしい、去る者は追えない。拗《す》ねる者をあやなす引け目もないはず。
 一処にその未練を残すから、万処がみな滞るのだ。
 進むに如《し》かず――さりながら、兵馬は一つところを歩いているような心持で、月明を松本平に向って下って行くのです。
 鶏《とり》がないた。何番鶏か知らないが、もう夜明けの時だ。
 ふと、馬の高くいななくのを聞いた。
 馬――暫くぼんやりしていて、ハッと気がついたように、その馬のいななきの方へ、桑の畑を分けて進んで行くと、とある農家の厩《うまや》の前に、童《わらべ》がしきりにかいば[#「かいば」に傍点]をきざんでいるのを見る。
「お早う」
「お早うございます」
「済まないがね、君」
「はい」
「少し馬を頼みたいのだが」
「この馬は、等々力《とどろき》へ豆を取りに行く馬でございますが」
「そこをひとつ折入って頼むのだ、有明明神のところまで……」
「明神様までなら、そんなに遠くはねえのだが……」
「うむ、ちょっとの間だ、そこへひとつ馬を連れて行って、多分、あの辺に、旅に疲れた女の人が一人いるはずだから、それを馬に乗せてつれて来てもらいたい」
「ここまで連れて来ればいいのかね」
「ここまでではない、左様、穂高の村まで連れて来てもらいたい」
「穂高のどこまで連れてくだね」
「左様、よくは知らないが、あの穂高神社の附近に拙者が待っているから、そこまで連れて来てもらおうか」
「旦那様は、一緒においでなさらねえのかね」
「ああ、拙者は一足先に待っている」
「ようござんす、ちょうど、この馬も等々力まで行く馬ですから、穂高へは順でございます。では、旦那様、物臭太郎《ものぐさたろう》あたりでお待ちなすって下さいまし」
「物臭太郎とは?」
「穂高の明神様の前のところでございます、物臭太郎でお待ち下さいまし」
「では、そうしよう」
 物臭太郎というのが奇抜に聞えましたけれど、それは何か因縁があるのだろう。その因縁はここで問うべき必要はない。指示された通り穂高神社を標準として、物臭太郎を目的としていれば差支えない。
 兵馬は、子供に若干《いくらか》の手間賃を与えて、またも悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として、松本平へ下りました。
 これとても、おぞましいことです。見殺しにする気なら、見殺しに殺しつくすがよい。
 最後まで助け了《おお》すつもりならば、人の手や、馬の力を借る必要はない。あくまで自分の背に負い通して行くこと。
 ここに至って、切れ味がまた鈍《にぶ》る――所詮、これは仕方がないと思ったのでしょう。
 穂高神社の物臭太郎をたずねて来た宇津木兵馬。
 くすぐったいような思いをしながら、物臭太郎をたずねてみると、どうもちょっとわからない。
 所在がわからないのではない、教える人の、教え方がまちまちなのだ。ある者は、その後ろの方にあるべき塚を教えて、それが物臭太郎だといい、ある者は、その末社の一つに物臭太郎が祭られてあるといい、ある者はまた、その本社そのもの、つまり、穂高神社そのものが物臭太郎を祭ってあるのだともいい、なおある者は、物臭太郎とは、その社前の接待の茶屋がそれだ、その茶屋のある所に、昔、物臭太郎がいて、思いきった怠慢ぶりを発揮していたもののようにもいう。
 兵馬には何だか、物臭太郎の正体がわからない。その名前だけは昔噺《むかしばなし》のうちに聞いているが、しかし、徹底した怠け者が神に祭られているとは、ここへ来てはじめて聞く。
 ともかくも、その接待の茶屋。
 これは今、風《ふう》の変った立場《たてば》ということになっている。土間には炉があって、大薬缶《おおやかん》がかかり、その下には消えずの火といったような火がくすぶっている。その周囲には縁台が置きならべてある。
 まだ早いから、誰もこの立場へ立寄ったものはないらしいが、火だけは、人がいても、いなくても、ひねもす夜もすがら燻《くすぶ》っているから、自然、何となしに、人間の温か味も絶えないように見えます。
 兵馬は縁台の一つに腰をかけると、そのままゴロリと横になって、頭をかかえてしまいました。
 来るならば、馬の足だから、もう疾《と》うに着いてもいいはずだ。自分より先へ着いてもいいはずだ。道は例によって悠々閑々と歩いて来たのだから、途中で追い抜くくらいになってもいいはずなのだが、それがまだ着かない。
 自分で振切ったものを待っているというようになっては、後ろめたい話だが――そうかといって、約束は約束だ。
 こういう時に、吉原でさんざんに翻弄《ほんろう》された、つい遠からぬ頃の記憶が、芽を吹き出さないということはない。実は翻弄ではない、あれがあたりまえなのだ。玄人《くろうと》が素人《しろうと》をあやなす手はあれにきまったものなのだが、こっちが真剣でかかればかかるほど、その結果が翻弄ということになってしまうのを、兵馬も今は気がついているでしょう。
 多分、苦い味は嘗《な》めさせられたけれども、まだそこまでは、人生というものを軽蔑はしきれないのだろう。商売だから仕方がないものの、その多数の客のうちでは、自分だけがいちばん可愛がられていたという思い出は、まだどうしても去らないに違いない。
 だが、先方は玄人《くろうと》だ。こっちがあせればあせるほど、擒縦《きんしょう》の呼吸をつかむことが、今になって、わからないでもない。武術の上から見ても、この点は段違いだと、胆《きも》を奪われたことが幾度か知れない。夢中に夢を見て、それが夢だとは思われないと同じこと、玄人であり、商売人であり、かけ引きと、翻弄とのほかに真実味は何もない――と悟らせられながら、やっぱりそれにひっかかる。
 みようによっては、どこを見ても、ここを見ても、隙《すき》だらけだと、腹に据えかねながら、それに打ち込めない。打ち込めば、思う壺というように、あやなされてしまう。
 その太刀筋《たちすじ》がよくわかる時と、まるっきりわからないことのあるために、煮え切らない、腑甲斐《ふがい》のない、ふんぎりのつかない、なまくら者にされてしまうことが、我ながら愛想の尽きるほど心外千万だ。
 だが、あの女も、ああして老人《としより》のお囲い者となって、あれで満足していようはずはない、別に何か生涯の考えはなければならないはずだ――と、兵馬はよけいなことを考えてみる。よけいなことではないのだ。つい先頃までは、自分の心持のほとんど全部を占領していた重大事には相違ないのだが、強《し》いてそれを、ツマらないこととして葬ってしまおうと苦心している時、入口ののれん[#「のれん」に傍点]が颯《さっ》とあいたので、われにかえりました。
「来たな……」
 来たのは女だ……と思いました。それは今まで頭の中にこびりついていた元のなじみの女の顔だか、それとも馬を以て迎えにやった、かりそめの道中づれの女だか、ちょっと、兵馬の頭では混乱しましたけれども、来たのは、まさに女に違いない――と兵馬は、バネのようにはね起きました。
 バネのようにはね起きなくとも、むしろこの場は、来ても、来なくてもいいように、悠然《ゆうぜん》と横になっていた方が形がよかったかも知れないが、兵馬はとにかく、バネのようにはね起きてから、自分の軽挙を、多少にがにがしいように思い直し、わざと落ちついて、のれんの方を見ると、ほとんど音もなくはいって来たにははいって来たが、それは女ではありませんでした。
 女でないのみならず、男のうちでも筋骨のたくましい、風采《ふうさい》のいかめしい、面構《つらがま》えのきかない、そのくせ、はいり端《ばな》に兵馬と面《かお》を見合せて、ニヤリと笑った気味の悪い武芸者風の壮漢でありました。
「やあ、仏頂寺」
 バネのように起き直った兵馬がそれを見て、驚愕と、苦笑とを禁ずることができません。
「宇津木、ここにいたのか?」
 仏頂寺の後ろには、影の形におけるが如く、丸山勇仙も控えています。
 物騒なのが二人、連れ立って来るからには、もう少し肩の風が先吹きをしていそうなものだと思えないでもないが、そこは疾《と》うに亡者の数にはいっている二人の者、音もなく、風も吹かさず、入り込んで来たからとて、そう驚くがものはないのだが、兵馬は驚いたのみならず、多少、狼狽《ろうばい》の気味でさえありました。
 気味悪く、ニヤリニヤリと笑いながら仏頂寺は、兵馬のそばへ寄って来て、横の方の縁台へ腰を卸《おろ》すと、丸山勇仙もまたそれに向き合って腰をかけ、
「宇津木君、君あ存外人が悪いな」
と勇仙が言いました。
「なに、別段悪いことをした覚えはない」
 兵馬が申しわけをする。
「いかん、いかん……君は悪いことをしたつもりはなかろうが、その飛ばっちりが悉《ことごと》くわれわれの身にかかって、いい迷惑をしてしまったよ」
 仏頂寺がいう。兵馬はそれにも申しわけ。
「諸君に御迷惑をかけたつもりはないのだが……」
「あとのことは君は知るまい……時に、女はどうしたえ、どこへ連れ込んでしまったのだ、え、宇津木君」
 仏頂寺がすり寄ると、兵馬は迷惑そうに、
「女というのは、誰のことだ」
「しら[#「しら」に傍点]を切っちゃいかん、浅間の温泉場を沸き返るような有様にして、置去りにしたわれわれに一切の尻拭いをさせ、自分だけがいい子になって、お安からぬ道行とは、年にも、面《かお》にも、似合わない君の腕、全く穏かではない」
「それは諸君の勘違いだ、なんで拙者が、そんなばかげたことをするものか、第一、拙者がそんなことをするくらいなら……」
「言いわけはいよいよ暗い。浅間では、たしかに君が、あの女をかどわかして逃げたと、みんなそう信じている。よく聞いてみると、なるほどそう信ぜられても弁解の辞《ことば》がないほど、すべてが符合するのだ」
「それには、事情がある……偶然の戸惑いで……」
「その弁解を聞く必要はない、その女が、君の手にあるかどうかを聞けばいいのだ。現在、ここにいなければ、どこへ隠したか、それを聞けばいいのだ。それを聞いたからったって、なにも君からその女を取り上げようの、どうのというのではない、君もその女が好きだというし、女もまた君にたよりたいという心があるなら、われわれも一肌ぬごうではないか。女をどうした、それを白状しろ」
「知らない、左様な女には、全くかかり合いがない」
 兵馬がいいきった時に、表で馬の鈴の音です。兵馬の顔の色が少し変りました。

         七

 よくないところへ――頼んでおいた童《わらべ》が馬を引っぱって来たが、その馬の上には、あつらえ通りの女の人が乗っていたが、下りようともしないで澄ましている。
 手綱《たづな》をかいくったままで、童はのれん[#「のれん」に傍点]をかきわけて、
「旦那様、おいででしたかね」
「うむ」
「頼まれたお方を、お連れ申しましたよ」
「それは御苦労」
 そこで、はじめて、女は馬から下ろしてもらうと、笠を取って、杖を持ったままで、しゃなりしゃなりとはいって来て、
「あなた、あんまりよ」
といって、流し目に兵馬を睨《にら》みました。
 兵馬は何とも答えないで、炉の火に手をかざしていたが、仏頂寺と、丸山とは、眼を円くして、女の方を穴のあくほどながめ、
「それ見ろ」
と口には言わないが、さげすむような、あざけるような目を、ジロジロと兵馬の方へ向けて、仏頂寺がその肩を一つたたいて、苦笑いをしました。
「宇津木」
「うむ」
「お前を尋ねて、お客様が来たよ」
「うむ」
 丸山勇仙は底意地悪そうな、そうしてイヤに、ていねいに女に向って、
「さあ、どうぞ、こちらへお掛け下さいませ、さあ」
「有難うございます」
 女は杖を羽目に立てかけて、やはり、しゃなりしゃなりと、かなり人見知りをしない態度で、火の方へ寄って来ました。
「あなた、あんまりだわ、足の弱いものを打捨《うっちゃ》って、かわいそうじゃありませんか」
「打捨ったわけじゃない、おたがい同士だ」
 兵馬が苦しそうに言うと、女は、
「そなはずじゃありますまい、途中で、あなたに打捨られるつもりなら、わたしは、こうしておともをして来やしませんもの」
「それにして、お前は足が弱過ぎる」
「だって仕方がないわ、足の弱いことは、あなただって御承知の上なんでしょう。歩けるだけ歩いてごらんなさい、どうしても歩けなければ、また方法がある、とあなたはおっしゃったじゃありませんか、行詰った時に、その方法というのを取って下さらずに、おいてけぼりはひどうござんすね」
「だから、あとから馬が迎いに行ったろう」
「どうも御親切さま。せっかくでしたけれども、あのお馬には乗るまいと、わたしは考えちまいましたのよ、あの明神様の前で死んでしまおうか知らと思いましたのよ……ですけれども、また考え直して、御親切なお馬に乗せていただいて、おめおめこれまで参りました。ほんとうに御親切なお方ね、あなたというお方は……」
 兵馬は何とも答えないで、テレきっていると、ニタリニタリ笑っていた仏頂寺弥助が、傍から口を出して、
「宇津木、何とかいえよ、この御婦人が、お前を恨んでいらっしゃる」
「恨まれるほどのこともないのだ、偶然道づれになって、向うは足が遅いし、拙者の方は少し早いものだから、それで、途中、別れ別れになってしまったまでのことだ」
というと、女が少し乗り出して来て、
「そりゃ、それに違いありません、あなたがお足がおたっしゃで、わたしは生れて初めて草鞋《わらじ》というものを着けたような弱い女なんですもの……それを打捨っておいでなすったのですから、あたりまえのことですわ、足のたっしゃなお方が先に立って、足の弱いのが残されるのは、ほんとうに、あたりまえ過ぎるほどあたりまえのことなんです、どうしてお恨みなんぞ致すものですか」
 仏頂寺がそれを聞いて、しきりにうなずいて、
「その通り、その通り、足のたっしゃな者が、足の弱い者を置去りにするのは、あたりまえすぎるほどのあたりまえだ、そうでなかった日には……」
 仏頂寺は女の方に向き直って、
「時に御婦人、申し後《おく》れたが、拙者はこれなる片柳兵馬の友人で、仏頂寺なにがしと申す亡者でござるが、以来お見知り置きを願いたい。いったい、御身と兵馬と、なんらの因縁があるのだか、拙者共には更にわからないが、兵馬も歳が若いから、君もあまり、兵馬をいじめないようにしてもらわなければならぬ」
と言われて、女はにっこりと笑い、
「わたくしこそ申し後れましたが、改まってあなた様方へ、お近づきが願えるほどのものではございませぬ……浅間におりました時に、御厄介になりましたのが御縁でございます」
「なるほど……どんなふうに御厄介になったのだね」
「わたしが悪い癖で、戸惑いをしてしまったものですから、大変に御迷惑をかけちまいましたことがございますんです」
「ははあ……実はね、その飛ばっちりが、われわれの方までも飛んで来て、えらい迷惑をしてしまったよ。君はあの、松太郎という浅間の芸者だろう」
「お察しの通りでございます」
「よくない、甚《はなは》だよくない、われわれの友人、兵馬を君がたぶらかして、あっちこっちへ引っぱり廻すなんぞは、甚だよくない」
と仏頂寺が、ワザワザ睨《にら》みの利《き》かないような眼つきをして見せると、女は少し真面《まがお》になって、
「いいえ、それは違います、どちらがたぶらかしたの、引っぱり廻したのというわけではありません、こなた様にはほんとうに、はからず御迷惑をかけたり、お世話になったりして、お礼をこそ申せ、お恨みを申し上げるような義理じゃございませんのですけれど、昨夜《ゆうべ》のなされ方が、あんまりお情けないものですから……」
「なるほど昨夜、この宇津木が、君に対して、何か不人情な仕打ちに出でたものと思う、そりゃ宇津木が悪い」
 仏頂寺が呑込み顔にいうと、女は、
「いいえ、こちら様がお悪いことは少しもございません、ほんとうは、わたしがわがまますぎたんでございますよ……恨みや、愚痴なんて、申し上げられた義理じゃないんですけれど、そこは女というものはね、つい、ホホホホホ」
と妙な笑い方をして、それで、恨みも、愚痴も、すっかり帳消しにしようと捌《さば》けて来たのを、仏頂寺がなおしさいらしく、
「それはどうでもいい、そんなことはどうでもいい、君たちが打捨《うっちゃ》ろうと、打捨られようとも、おいたちごっこをしようとも、それはわれわれの知ったことではないが、君たちが行方を晦《くら》ましたために、浅間では大騒ぎだ。宇津木はいいようなものの、君の方は、主人とか、抱え主とか、旦那とか、後援者とかいうものがあるだろう、それに無断で出奔するというのは甚だよくない……実はその飛ばっちりで、拙者なども、痛くない腹を探られたのみならず、膝っ小僧へ火をのせられて熱い思いをした」
 仏頂寺弥助が真顔になってこう口走ると、丸山勇仙が、
「フフフフフ」
とふき出しました。それにも拘らず、仏頂寺は大まじめで、
「おたがいに若い同士で、一時の出来心では仕方がないとして、以後は注意するこったね、そうして君は尋常に、元の雇主へ詫《わ》びをして帰らなければならん。実は、多分、二人が中房の温泉あたりと、あたりをつけて、これからわれわれが、捜索に出向いて行こうとしたところだ」
 その時まで、だまって聞いていた宇津木兵馬が、面《かお》を上げて、
「仏頂寺君、それは違う、君は、どこまでも、ひとりぎめで、その婦人と拙者とが、しめし合わせて駈落《かけおち》でもしたように思っているが、以ての外だ、なんらの関係はない、偶然に出会《でっくわ》して、偶然の道づれになったまでのことなのだ、情実関係も、利害関係も、一切ありはしないのだよ」
「なるほど……」
 仏頂寺が、なおしさいらしくうなずいてみせたが、やがて、
「そうか、全く情実関係も、利害関係もないのか。果してその通りならば、君の手から、われわれがこの婦人をもらい受けて、連れて帰っていいか」
 それは、どうも急に返事はできがたいあぶなげが伴うけれど、さきほどの口上の手前、異議は唱え兼ねて、
「それは御随意……」
と言い終ると、仏頂寺はさもさもと言わぬばかりに、
「しかと……異存はないかな。君の手からこの婦人を受取って、われわれが護衛をして、無事に抱え主のところまでかえしてやる、そのことに君は異議はないのだな」
「有るべきはずがない」
 兵馬は内心苦しく言い切ると、仏頂寺が、
「ならば、事は簡単だ。丸山、もうこれから中房まで行くがものはない、浅間へ引返そうではないか」
「そういった理窟だな」
 丸山勇仙が、空うそぶくような調子で返答しました。そこで仏頂寺は、事改めて女の方を向いて、
「ねえ、君、君はどうしても一応はその抱え主まで、わびをして帰らなければならん。そのおわびには不肖ながら、われわれが立会って、今後にむごいことのないようにして上げる。ここからは乗物か何かあるだろう、善は急ごうじゃないか、君の方に異存がなければ、これからわれわれと一緒に浅間へ帰ろう」
「どうぞ、お連れ下さいまし」
 女はわるびれずにいいました。仏頂寺はそこで、丸山の方に腮《あご》を向けて、
「丸山君、君ひとつ、そこらを駈けまわって、乗物を一挺探して来ないか、何でもいい、人間の乗れるものなら何でもさしつかえない」
「よろしい」
 丸山勇仙は命をかしこんで、さっさと物臭太郎を外へ飛び出してしまいました。
 そこで仏頂寺弥助が、改めて兵馬の方に向って、
「君、宇津木君、抜けがけをしちゃいかんよ、われわれとても、君の立場には同情し、どうか成功させて上げたいと、これでも、蔭になり、日向《ひなた》になって、相当苦心しているのだ、それを君が買ってくれないで、事毎に、われわれを出しぬくような真似《まね》ばかりされたんでは、われわれとしてもやりきれない、第一、われわれ亡者と違って、前途ある君の生涯をあやまらせたくないのだ」
 あんまり有難くは聞けない諫言立《かんげんだ》てを、聞いているのがばかばかしい。
「君たちのいいようにし給え」
と兵馬は、聞きようによっては自暴《やけ》に聞けるようなことを言って、また最初の通り、縁台の上へゴロリと横になってしまいました。そうすると、仏頂寺は女の方へ向いて、
「ねえ、松太郎君、君もそうだよ、いかに商売柄とは言いながら、少しは分別というものをおいてもらわなくちゃならん、無茶苦茶をやっては、つまり己《おの》れの身が詰まるばかりだ」
「それはよくわかっていますけれども、どうも仕方がありませんわ、運命というものなんでしょう、わたしたちの身の上なんぞは、世間並みにごらんになると違います」
「その運命というやつが不思議なものなんだ。ところで、どうだ、正直のところ、ああは言ったものの、君も一旦は浅間へ帰るとしても、末長くあの地にもいづらかろう、どうだ、われわれと一緒にどこぞへ行かないか」
「どうせ、ひびの入ったからだでございますから、どちらへでも、住みよいところへ行って、たよりになれるお方にたよりたいと思います、どうぞ、よろしく」
「は、は、は、は」
 なにゆえか仏頂寺が、わざとらしい高笑いをしたのが、兵馬の耳にたまらないほどのいやな思いをさせました。
 そこへ、丸山勇仙が、とつかわ[#「とつかわ」に傍点]と立戻って来て、
「やっと山駕籠《やまかご》を一挺探して来たよ、駕籠はいくらもあるにはあるんだが、人手が無いんだ、おどしつ、すかしつするようにして、ようやく一挺仕立てて来た」
「そうか。では、出立としよう、君」
と女を顧みて、
「駕籠が来たそうだから、乗り給え」
「はい」
 女も無雑作《むぞうさ》に立ち上りました。

 ひとり残された宇津木兵馬。
 これではなんにもなりはしない。
 自分が空遠慮をしていたために、その御馳走を、横合いから頼もしからぬ者共に、むざむざ食われている心持もしないではない。
 これを、厄介払いしたと、思いきるわけにもゆくまい。
 物臭太郎にあやかったわけでもなかろうが、兵馬は、急に立ち上る気にもなれないものと見え、包みを解いて、中から取り出したのが信濃国の絵図。それを縁台の上へ繰りひろげて、あれからこれと、指で線を引いてながめている。
 そこへ神主のような人が来たから、兵馬も、ちょっと身を起して、あいさつをする。
 神主なかなかなれなれしく、炉辺へ腰をおろして話しかけるものだから、兵馬も、
「いったい、この物臭太郎というのは何です」
「物臭太郎でございますか――それをいちいち説明して上げるよりも、ここに絵巻物がございます」
 神主は頼まれもしないのに、立って床の間から一巻の絵巻物を持って来て、
「物臭太郎物語――ね、これでございます、なかなか名文章でございますよ、竹取、うつぼ、源氏物語などとは違った面白味がございます。滑稽味のある古文では、ここらが第一等でござんしょう。日本人にはいったい、滑稽味が乏しいなんて言う人もありますが、どうして、この辺になると、古雅で、上品で、そうしてたまらない可笑味《おかしみ》がございます。ひとつ、読んでお聞かせ申しましょう、ようござんすか、お聞きなさい」
 神主はこういって兵馬の前に、その絵巻物を繰りひろげ、
[#ここから1字下げ]
「東山道、みちのくの末、信濃の国、十郡のその内に、つくまの郡《こほり》、新しの郷《さと》といふ所に、不思議の男一人はんべり、その名を物臭太郎ひぢかず[#「ひぢかず」に傍点]と申すなり……」
[#ここで字下げ終わり]
 ここで兵馬は、ははあ、物臭太郎にも名乗りがあるのだな――物臭太郎ひぢかず、ひぢかず――という字は、どう当てるか知らないが、ともかく、物臭太郎も名乗りを持っているということを、この時はじめて知りました。
[#ここから1字下げ]
「ただし、名こそ物臭太郎と申せども、家づくりの有様、人にすぐれてめでたくぞはんべりける……」
[#ここで字下げ終わり]
と読まれて、では、名こそ有難くはない名だが、家はこのあたりの豪族にでも生れたのだろう。そうしたものかと考えていると、神主はすらすらと読み続けて、その宏大なる家の構えぶりに抑揚をつける。
[#ここから1字下げ]
「四面四方に築墻《ついぢ》をつき、三方に門を立て、東西南北に池を掘り、島を築き、松杉を植ゑ、島より陸地へ反橋《そりはし》をかけ、勾欄《こうらん》に擬宝珠《ぎぼし》を磨き、誠に結構世に越えたり、十二間の遠侍《とほざむらひ》、九間の渡廊、釣殿、梅の壺、桐壺、まがき壺に至るまで、百種の花を植ゑ、守殿十二間につくり、檜皮葺《ひはだぶき》にふかせ、錦を以て天井を張り、桁、梁、木の組入には、白銀黄金《しろがねこがね》を金物に打ち、瓔珞《やうらく》の御簾《みす》をかけ、厩《うまや》、侍所に至るまで……」
[#ここで字下げ終わり]
 これは大変なものだ、と兵馬が思いました。
 なるほど名こそ物臭太郎だが、この住居の結構は藤原時代で、三公を凌《しの》ぐものだ、なるほどと、兵馬が深く思い入れをした様子を見て神主は、ちょっと朗読を中絶して、
「大したものでござんしょう、これでは平安朝時代、藤原氏全盛の頃の並びなき公卿《くげ》さんのお住居です、物臭太郎が、こういった宏大な家に住んでいたと思うと不思議でございましょうが、まあ、もう少しこの先をお聞き下さい、いいですか」
[#ここから1字下げ]
「厩《うまや》、遠侍に至るまで、ゆゆしく作り立てなさばやと心には思へども[#「なさばやと心には思へども」に傍点]、いろいろ事足らねば[#「いろいろ事足らねば」に傍点]、ただ竹を四本立ててぞゐたりける[#「ただ竹を四本立ててぞゐたりける」に傍点]」
[#ここで字下げ終わり]
「どうです、すっかり人を釣っておいて、最後に突放した手際はあざやかなものじゃありませんか、ゆゆしく作り立てなさばやと心には思えども、いろいろ事足らねば、ただ竹を四本立ててぞいたりける……が旨《うま》いじゃありませんか」
 兵馬もばかにされた思いをしながら、それでも行文の妙味に、少なからず感動させられたようです。
 眼の前にころがる餅を取ることがおっくう[#「おっくう」に傍点]で、三日の間、人の通るのを待っているという徹底した物臭ぶり。
 それでも、鳥や、犬の横取りを怖れて、棒をもって、それを逐《お》うだけの労は厭《いと》わず、三日目に馬上で来た役人をつかまえて、その餅を取らせようと試みたが、それが無効なので、さては天下にわれより以上の物臭がある、僅かに馬から下りて、餅を拾ってくれるだけの労をさえ厭う者がある、と感服していた男。
 それが、ある大納言に見出されて京都へ上り、首尾よく勤め上げて、また信濃へ帰ろうとする時の話――
 国への土産に、よい女房をつれて帰りたい。
 よい女房を求めるには「辻取り」ということをせよと教えられて、清水《きよみず》のほとりに出でて、女の辻取りをやる。
 侍従の局《つぼね》という、すばらしい女房をとっつかまえて、歌を詠みかけたりなんぞして、とうとうものにする。
 この女房が、物臭太郎を七日の間、湯につけて、二人の侍女に磨かせると、真黒な物臭太郎が、玉のように光り出す。
 これに直垂《ひたたれ》を着せ、衣紋《えもん》をただし、袴をはかせて見ると、いかなる殿上人《てんじょうびと》もおよび難き姿となって、「おとこ美男」の名を取る。
 それに、歌を詠ませると、なかなかの名歌をよむ。
 物臭太郎では勿体《もったい》ない――新たに歌左衛門という名を、豊前守《ぶぜんのかみ》がつけてくれる。
 帝《みかど》の御前に歌をよみ、御感《ぎょかん》にあずかり、汝《なんじ》が先祖を申せとある時、はじめて国許を仔細に探ると、人皇《にんのう》五十三代のみかど、仁明天皇の第二の皇子、深草の天皇の御子、二位の中将と申す人、信濃へ流されて……という系図が現われて、信濃の中将になり、甲斐、信濃の両国を賜わり、この女房を具して任国へ下り、一門広大、子孫繁昌というめでたさ。
 この物臭太郎がすなわち穂高の明神となり、女房が朝日権現とあらわれる――これは文徳天皇の御時なりし……とある物臭太郎一代記を神主の口から、かいつまんで聞かされてしまった宇津木兵馬。
 すすめられた渋茶に咽喉《のど》をうるおして、いざとばかり、再び立ち出でた前路に日が高い。
 物臭太郎一代記――思い出してもばかばかしさの限りだが、時にとっての何かの暗示。
「辻取り」というのは、初めて聞いた。
 刀には「辻斬り」というのがある。柔術《やわら》には「辻投げ」というのがある。ならば「辻取り」というのもあってよかろうはず。いや、その物語によれば、辻取りは、辻斬りや、辻投げの流行せしずっと以前に行われていたはず。
 結婚は、ついに掠奪《りゃくだつ》であるというような思想が、兵馬の頭をかすめた時に、かれは浅ましい思いをする。物臭太郎の場合は、それが無邪気に実行されたのみだが――歴史は無邪気のみを教えない。
 兵馬の頭が、奪われたる女ということに向う。「辻取り」は今の世、今の時にも行われる。現に、たった今、その災難に逢ったのは自分ではないか。
 奪われた心。奪われたのではない、いわば厄介払いをしたのだが、なんとなく安からぬ心を、如何《いかん》ともすることができない。
 人もあろうに仏頂寺、丸山のやからに、むざむざと一人の女性を渡してやったその不安。
 日が高くなるほどに、兵馬にはその不安がこみ上げて来る。
 ついに決心して、自分はそのあとを追わねばならぬ、追いかけて、二人の手からあの女を取り戻して……取り戻さないまでも、あの女の先途《せんど》を見届けてやらねばならぬ。これは単に女というものに対するの未練執着ではないのだ、義の問題だ、人間の道だ。
 女の性質がどうあろうとも、こうあろうとも、むざむざと食い物にせらるべき運命をよそにして、ひとり悠々閑々の旅行ぶりが続けられるか、続けられないか。
 兵馬はにわかに腰の刀をゆり上げて、松本街道の一本道を、駈足で走り出しました。

         八

 雪に埋《うも》れんとする奥信濃の路とは違い、ここは明るい南国の伊豆、熱海街道の駕籠《かご》の中に納まって、女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角《かく》が、駕籠わきについている、いつも、旅には連れて出るいなせ[#「いなせ」に傍点]な若い衆に向って言うことには、
「ねえ、政《まさ》どん」
「はい」
「向うに見える山はありゃどこだろうねえ」
「左様でございますねえ」
 右に青い海を隔てて、黛《まゆずみ》のようにかすむ山を主従がながめて、
「大方、上総、房州あたりだろうと思うんでございます」
 若いのが、親方から尋ねられて、覚束《おぼつか》なげに返答をすると、親方のお角が、
「そうだろうねえ、上総、房州の方角だと、わたしも、さっきからそう思って眺めているところさ」
 上総、房州では一けた違う、伊豆の半島の東南から見た眼前の突出は、当然三浦半島でなければならないのだが、この二人の頭では、陸地が海へ突き出していさえすれば、それは上総、房州に見えるものらしい。
「え、間違いありません、あれが上総、房州です、ほら、ごらんなさい、あの高いところが、あれが鋸山《のこぎりやま》でござんしょう、そうして、あれが勝浦、洲崎《すのさき》……間違いございません」
 政どんなるものが、一桁ちがいの親方の裏書をいいことにして、自説の誤りなきことを指で保証すると、お角も納得《なっとく》して、
「そうそう、あの辺が洲崎に違いない、洲崎はいやなところだねえ」
と、若いのが指さした岬の突端あたりに、遠く眼を注いでいると、
「親方が命拾いをなさったというのは、あれでござんすか、いやに波の穏かな、そのくせ、舟や人をさらって、いいようにおもちゃにするという、ふざけた海はあの辺でござんすか」
「ほんとに、いやな海だよ、だけれどもねえ……いやな海には違いないけれどもねえ」
 いやな海には違いないけれども、どうしたものか、さいぜんから、そのいやな海の方面に注いだ眼をいっこうはなさないで、
「いやな海は、いやな海だけれども、わたしにとっては、ずいぶん思い出がないでもないのさ」
「そうでござんしょうとも」
「ねえ、政どん」
「はい」
「お前、どう思ってるの」
「何をでございます」
「あの、ほら、東海道の三島の宿から下座《げざ》へ入った、お君っていう子ね」
「ええ、よく存じておりますよ……きれいな子も多いが、君ちゃんは品が違いましたよ。ようござんしたね、人柄がようござんした、ほんとうに惜しいことを致しましたよ」
「わたしも、本当に惜しいことをしたと思っているのさ、ああなるくらいなら、別に考えようもあったものをね」
「全くでございます、好いが好いにはなりません、悪いが悪いにゃなりません」
「そうして、あの君ちゃんの殿様てのは、その後どうなったか、おまえ知ってる?」
「存じませんが、ありゃ馬鹿ですよ、馬鹿殿様の見本みたようなものでございますよ」
「何をいってるの」
「え」
 お角の言葉に少し険があったので、若いのは急にしりごみをしていると、
「出放題をいうものじゃありません、馬鹿だか、エラ物《ぶつ》だか、お前なんぞにわかってたまるものか」
「でも、親方……」
「女に迷ったってお前、それが何で馬鹿なもんか、迷えるくらい結構じゃないか、高い身分で、低い身分の女を可愛がって、それがどうして悪いの、思案の外《ほか》のところがあってこそ、人間のエラさがあるんだよ、お前なんぞに、あの殿様のエラさがわかってたまるものか」
 政どんは、なにゆえに親方が急に不機嫌になったのだかわからない。
 熱海へ湯治《とうじ》といっても、この女の仕事と、気性では、そう長く湯につかっているわけにゆかないから、今日でようやく一週間――早くも帰りの旅について、これはちょうど、根府川《ねぶかわ》あたりでの物語。
 駕籠《かご》の垂《たれ》を明けっぱなして、海を一面にながめながら、女長兵衛式に納まって、外にいる若いのを相手に話すお角さん。悠々《ゆうゆう》として迫らぬ気取り方もあり、ジリジリと焦《じ》れったがる舌ざわりもあって、まずはお角さんぶりに変りはない。
 ここは雪に埋れんとする白骨の奥とも違い、凩《こがらし》に吹きさらされた松本平とも違い、冬というものを知らぬげな伊豆の海岸の、右には柑橘《かんきつ》が実《みの》り、眼のさめるほど碧《あお》い海を左にしての湯治帰りだから、世界もパッと明るい。
「そうでござんすかねえ」
「そうだとも、お前」
「やっぱり、あの殿様というのは、エライお方なんでございますか」
「エライともお前……お前なんぞに何がわかるものか」
「でも、世間の評判では、あんまりおりこう[#「おりこう」に傍点]な方じゃないって、もっぱら、そう言っているようでござんすが……」
「世間の評判なんて、何が当てになるものか、世間が何と言おうとも、エライ方は、やっぱりエライんだから仕方がないさ」
「そうでござんすかねえ」
「そうだとも、お前」
 若いのには、どうして、親方がこうも躍起《やっき》になるのだか、さいぜんからめんくらっているらしい。
 まあまあ、三千石も取る、そうして前途有望で、ドコまで出世するかわからないと言われた人が、タカの知れた身分違いの女一人のために、名誉も、身上も、棒に振ってしまった、全く馬鹿殿様と言われても仕方があるまいではないか。それを、親方のお角が、何でこんなに身を入れて、弁護するのだかわからないが、うっかりその殿様の悪口《あっこう》をいえば、親方の御機嫌がこの通りに損《そこな》われるということだけは、この際、ハッキリと経験したから、以後は自分も慎み、朋輩《ほうばい》にも申し聞けておかねばならぬという戒慎の心だけは起ったらしい。
「そうでしょうね、やっぱり、エライ人は、エライんでござんしょうよ」
 詮方《せんかた》なく感心しておくと、
「それからね、政どん」
「はい」
「わたしは、申し置いて来るのを忘れたが、あの絵の先生ね」
「ええ、田山白雲先生でございましょう」
「そうそう、あの先生に、一言おことわりをしておくのを忘れちまったから、あとからもしや間違いがなけりゃいいと気のついたことが、たった一つありますよ」
「それは何でございますか」
「もしや、がんりき[#「がんりき」に傍点]の兄さんが、留守中にやって来て、例の調子で、先生に失礼なことをしやしないか、それが、あとで心配になり出して、ことわって来ればよかったと、いまさら気を揉《も》んでいるのさ」
「なるほど、その辺もありましたねえ」
「お前、がんりき[#「がんりき」に傍点]があの通り気の早い男でしょう、絵の先生ときたら、お前、かなりの豪傑者なんだから、間違いがなけりゃいいがと心配するのも、無理のない考えだろう」
「そうでございますとも……ですけれどもね、絵の先生の方は、豪傑は豪傑でいらっしゃるけれど、人間が出来ておいでなさるから、まさか、がんりき[#「がんりき」に傍点]の兄さんを相手に、大人げのないこともなさるまいと思います、御心配ほどのことはござんすまいよ」
「そりゃそうかも知れない」
「大丈夫でございますよ」
 一けた間違えられた房総の半島がワキに廻って、当面の風景は、大山阿夫利山《おおやまあふりさん》であり、話題は留守中の人に向っている時、後ろでしきりに人の呼ぶ声がします――最初は自分たちを呼ぶのではあるまいと思ったが、今になってみると、自分たちを呼んでいるのに相違ないと疑われる。
 どうも自分たちを呼びとめるような声だけれども、待ってみると誰も来ず、来ても全く当りさわりのない人間ですから、そのまま駕籠《かご》を進ませると、
「お気をつけなさいましよ、胡麻《ごま》の蠅《はえ》が一匹ついて参りましたようですから」
 芳浜《よしはま》の茶屋あたりで、通りすがりに注意してくれた旅の人がありました。
 それとも、自分たちに注意してくれたのだか、ほかの者に気をつけていったのかわからないうちに、その旅人は行き過ぎてしまいました。
 道中に胡麻の蠅はつきものである。いちいち胡麻の蠅を怖れていては、道中はできない。またそれが一匹や二匹とまってみたからとて、驚くお角さんではありません。
 真鶴《まなづる》を通り越した時分に、またしても後ろから呼びかける声です。そうそうは振返ってもおられない。頓着なしに駕籠をやってしまうと、果して何事もなく、七ツには小田原着。
 今日はここで泊る。
 夕飯を終って、按摩《あんま》を取って、まだ寝るには早い。安閑と早寝をするのを、身体を腐らせるほどにいやがるお角さんは、寝るまでの間に何か仕事をしたい。
 といって、仕事がない。ぶらぶらと夜の小田原宿の景色でも歩いて見ようか知ら――と考えているところへ、
「お客様、講釈をお聞きにいらっしゃいませんか――いい太夫さんがかかったそうです、席はついこの後ろでございますよ」
 可愛らしい小女の女中が、突然にこういって案内をする。
「講釈?」
とお角さんが聞きとがめました。なるほど、ここは東海道筋の目貫《めぬき》と言い、箱根、熱海の温泉場の追分のようなものだから、湯治場かせぎの講釈師が溢《あふ》れそうなところだ。
 お角は、そこで講釈を聞いてみようという気にはならなかったが、講釈の席へ入ってみたいという気にはなりました。
 この女は、転んでもただは起きない女であります。たとえば往来を通りながらも、見どころのありそうな子守女を発見すると、その親許までつきとめてみたがる女であります。今夜も宿《やど》のつれづれに、宿《しゅく》を散歩してみようかという気になったのも、小田原宿の夜の気分に浸って、そうして旅心を漂わせてみようというのでもなく、何かしかるべき商売柄の掘出し物にでもありつき得れば、ありつき得なくても元は元だが、どこかに抜け目のない心の働きが、自然とそんな思い立ちをさせるものと見えます。
 講釈――と聞いて、講釈そのものには興味は催さなかったが、さて、この土地の席亭の模様はいかに、客種はいかに、講釈といううちにも一枚看板でやるのか、また色物か、真打《しんうち》は――いずれ、聞いたことのない大看板が、イカサマでおどかすものに相違なかろうが、そのうちにもまた、存外の掘出し物が無いとは限らない――お角は掘出し物に、興味と、自信とを持っている。
 それは大看板を大看板として、大名題《おおなだい》を大名題として、大舞台で、大がかりな興行をやる分には、面《かお》と資本《もとで》さえあれば誰にもやれる芸当で、本当の興行師の腕とはいえない、誰も知らないものを、誰も知らないところから引抜いて来て、それを養成して、そうして付焼刃《つけやきば》ではないところの本値《ほんね》を見せて、あっといわせるところが、興行師の腕であり、自慢である、と心得ているお角――未《いま》だ知られざる名物を発見しようとする熱心と、炯眼《けいがん》とは、先天的といっていいかも知れない。
 だから、ここでも、講釈を聞きに行かないかとすすめられて、打てば響くように、その商売心をそそのかされたものですから、二言《にごん》ともなく、
「行きましょう、行ってみましょう、案内をして下さい」
 キリキリと帯をしめ直して、さて、考えたのは、若い衆を連れて行こうか、それとも一人で行こうか――ということであったが、若い衆は旅の疲れもあるから、ゆっくり寝かしておいてやれ、近いところだということだから、一人で行って見てやれ――という気になりました。

         九

 講釈場へ案内されて行って見ると、かなりの席で、かなりの入りがあります。
 大看板には「南洋軒|力水《りきすい》」と筆太《ふでぶと》にしるしてある。当時、江戸で有名な講釈師といわず、その下っぱにいたるまで、お角は名前を知っているし、また親しく会ってもいる。南洋軒力水なんていうのが、誰の社中の化け物か、そんなことを詮索《せんさく》に来たのではない。
 前座はどうだったか知れないが、幸いにしてお角の臨席した時は、かなり時間もたっていた時だから、真《しん》を打つ例の「南洋軒力水」が高座に現われて間もない時でありました。
「あれが南洋軒の太夫《たゆう》さんです」
 講釈の太夫さんもオカしいが、お角はいわゆる太夫さんの面《かお》よりも、場内の模様をズラリと見廻しました。
 席の建前《たてまえ》から、お客様といったようなものを一わたり見渡してから、改めてまた太夫さんの方を見直すと、これは浪人風の態度の男で、黒い被布《ひふ》を着ているところが、講釈師らしいといえば講釈師らしいが、人品骨柄はどうも、はえぬきの講釈師とも思われない。見台を前にして、張扇《はりおうぎ》でなく普通の白扇《はくせん》を斜《しゃ》に構えたところなんぞも、調子が変っている。
 外題《げだい》は「太閤記小田原攻め」の一条、
「天正十八年七月……北条の旗下《きか》に属せし関八州の城々一カ所も残らず攻め落して、残るところはこの小田原一カ城……これを囲むところの関白秀吉の軍勢、海と陸とを通じて総勢六十万騎……しかれども小田原城中少しも屈せず、用心きびしく構えて寄せ手を相待つ。そもそも当城は北条五代の先祖早雲入道これを築き、そののち氏綱再粧して、北は酒匂川《さかわがわ》を総堀となし、南は三枚橋、湯本、箱根、石垣山まで取入れ総構えとなし、東は海を限り、西は箱根山の尾先へ続き、その広大なることは日本無双、城中には矢種《やだね》玉薬《たまぐすり》は山の如く貯え、武具、馬具、金銀財宝まで蔵に満ち、籠《こも》るところの兵十万騎、いずれもすぐったる武勇絶倫の輩《ともがら》なれば、何十万の大軍を以て、一年二年攻むるとも更に恐るるなしと見えたるところに……情けないことに、籠城途中、禍《わざわい》が中から起った、小田原の老臣の中でも一二を争う松田尾張入道という奴が、早くも秀吉に内通して裏切りをしようという事を申し出でた。なあに秀吉の胸中では、松田一人が内通しようとも、すまいとも、この城を落すのは時の問題とこう考えていたに相違ないが、松田の内通でこの石垣山というのへ有名な一夜城を築いて敵味方の胆《きも》を奪うたのは、いかにも太閤秀吉のやりそうなこと……その時に、太田三楽斎入道というのが、これは有名な太田道灌の子孫で、関東では弓矢の名家です、この三楽斎が秀吉の前に出て申すことには、城中の松田尾張守の陣中に返り忠の模様が見える、手を入れてごらん候《そうら》え――とある。松田が内通は筒井定次の手引で秀吉よりほかに知った者がない、それを早くも旗色で太田三楽が見て取った頭の働きには、太閤秀吉も舌を捲いて、かたわらの前田利家を見て、秀吉が申さるるようは、いかに前田、この席に三つの不思議がある、その方にはわかるか。利家答えて曰《いわ》く、一つはわかりますが、他の二つはわかりません。その一つは何ぞ。申すまでもなく太田三楽が頭脳の働きの鋭敏なること。秀吉笑いて、他の一つは余が匹夫より起りて天下の主となること不思議ではないか、もう一つは太田三楽ほどの知恵が廻りながら、まだ一国も持てないこと、これ不思議ではないか――一座その言葉になるほどと感心をしました」
 お角はスラスラと聞いていたが、やっぱりこれは生え抜きの講釈師ではないと思いました。そうしてどこかで見たことのあるさむらいだと思いました。
 この旅の講釈師が素人《しろうと》であろうとも、素人に毛の生えたものであろうとも、それはお角のかまったことではないが――どうも、さいぜんから少し気になるのは、お角よりも少し後《おく》れてやって来た一人の男が、お角と並んだところに席をとり、そうして、いやにニヤニヤと脂下《やにさが》りながら、高座の講釈師の面《かお》をながめていることです。
 お角がよそ目で見ると、この男は講釈を聞きに来たのではなく、講釈師の面を見に来たもののようであります。
 それもただ見に来たのではなく、いやに皮肉に、そうかといって別に弥次を飛ばすでもなく、ニヤリニヤリと見ている様子が変です。
 変なのは、そればかりでなく、この男がまた、百姓とも町人ともつかず、人品を見ると武士階級に属しているようなところもあるし、そうかといって両刀は帯びていないが、道中差は一本用意している。
 寄席《よせ》へ来るに道中差を用意するほどのこともなかろうが、なお左の膝の下に合羽《かっぱ》を丸めているところを見ると、たしかに旅の者だ。旅の通りがけに、この席へ立寄ってみる気になったもので、いったん旅籠《はたご》へ着いて出直したものではない。それにしても、何であんなにニヤニヤ笑いながらやに[#「やに」に傍点]さがって、講釈師の面ばかり見ているのだろう。べつだんイヤ味があるではないから、イヤな奴とは思わないが、変な男だと見るには充分です。
 そのうちに一席が済んで、つまりこの講釈師は、長講二席のうちの前講一席が済んで、暫く高座が空虚になった時分、変な男が、チラリと横を向いて、お角に話しかけて来ました、
「南洋軒力水なんて講釈師が江戸にありましたかねえ」
「聞きませんねえ」
 お角は透《す》かさず応答しました。
「わたしも、あんまり聞きませんが、旨《うま》いには旨いですね」
「気取らないところがようござんすよ」
「そうです、あいつは素人《しろうと》ですね」
「あなたは、どちらから、いらっしゃいましたか」
「わっしですか、わっしは常陸《ひたち》の水戸在のものでございますよ」
「上方《かみがた》へおいでなさるんですか」
「ええ、上方の方へ出かけて、帰り道なんでございますよ」
「講釈がお好きですか」
「嫌いでもありません、まあ、英雄豪傑の話や、忠臣義士の事柄を聞いていると、見て来たような嘘と思いながら、悪い気持はしませんですよ」
「あなたの御商売は何ですか」
 これは随分ぶしつけな問い方でしたけれども、お角はこういって突込んでしまいました。つまりお角としては、大抵の人品は見当もつき、判断もつくのですけれど、この男はどうも判断のつき兼ねるところがあったと見え、そのもどかしさから、一息に、無遠慮に、突込んでみたものでしょう。そうすると、その男は笑いながら、
「何と見えますか。わかりますまい、さすがのお前さん方にも、わっしの見当はつきますまいね」
「つきませんね、おっしゃってみて下さい」
「言ってみましょうか」
「どうぞ」
「その以前に、あなたの名を言ってみましょうか――お前さんは、江戸の両国の女軽業の太夫元、お角さんていうんでしょう」
「おや」
「驚いちゃいけません、よく知っているんですよ、裏宿《うらじゅく》の七兵衛から聞いてね」
「七兵衛さんから?」
「ええ、七兵衛につれられて行って、お前さんの小屋も見ているし、お面《かお》もよそながら拝んでいる、私は水戸の山崎、山崎譲ってたずねれば、七兵衛がよく知っていますよ」
 お角がすっかりけむにまかれてしまっている時に、第二席、長講の御簾《みす》があがる。
 御簾が上って、以前の南洋軒力水先生が再び現われて長講をつづけるかと思うと、そうではなく、みすぼらしい盲人が一人、三味線を抱えて、高座へ現われ、これから説教浄瑠璃の一段を語り聞かすとのことです。
 そこで山崎譲は一笑して、帰ろうとしますから、お角もこれ以上、観察する必要もないと考えて、同じように席を立ちました。しかし一般のお客には、前の講釈よりも、この説教節がききものであると見えて、一人も座を立つものがありません。
 お角は、山崎譲という旅人と連れ立って宿まで帰る途中、
「は、は、は、あれは素人《しろうと》も素人、南条力といって九州あたりの浪人者ですよ、とっつかまえるとことが面倒だから、茶々を入れて、邪魔をして、けむにまいて追払うだけが、われわれの仕事というものだ」
 山崎譲がこう言ったので、どちらも生地《きじ》が現われたようなものです。
 察するところ、例の南条力と五十嵐甲子男とは、甲州の天険をほぼ究《きわ》めつくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、伊豆の要害を秘密調査にかかるものらしい。
 荻野山中《おぎのやまなか》を騒がしたのも、必定《ひつじょう》かれらの所業、いつ、何をしでかすかわからない、それを十分に睨《にら》んでいながら、譲が自ら手を下して彼等を捕えようともせず、他の力をしてそれを押えさせようともしないで、ただつけつ廻しつしては、茶々を入れたり、邪魔をしたりしているところは、かなり不徹底のようだが、一方から言うと、彼等は形においては勤王と幕府とわかれているようだが、勤王系統と、水戸の系統とは、切っても切れぬものがあるように、内心では、骨にきざむほどの憎しみは、おたがいに持ち合せていないらしく思われる。
 しかし、そんなようなことは、どちらがどうあろうとも、お角にはあんまり興味を惹《ひ》かない――ただ、ああいった種類の男同士は、ああいった種類の男同士で、また相当の意気張りずくで争っているだけのものだろうと思う。
 宿の入口で山崎譲と別れたお角は、自分の座敷へ入って、寝しなに一ぷくやろうとして、そこで変なものを感じました。
「おや、そそっかしい女中さんだ、何を間違えてるんだろう」
 見れば、自分の蒲団《ふとん》には枕が二つ並べてある。しかも、その一つは男物――寝巻までが、ちゃんと二人前揃えてある。
 お角はあきれて、せせら笑いながら、一ぷくのみ終って、静かに女中を呼びました。
「姉さん、間違えちゃいけないよ、こっちは独身者《ひとりもの》なんですから」
 可愛らしい小女の女中は、そう言われて、いっこうのみ込めず、
「でも、お客様、さっき、あなた様のあのお若い衆さんとは別なお連れだという方が、ちょっとお見えになりまして、おそく帰るかも知れないから、こうしてお床をのべておくようにと、お指図をしておいでになりました」
「冗談《じょうだん》じゃありません、そりゃお門違《かどちが》いですよ」
「それでも、たしかに、こちらへお帰りになるからとおっしゃいました」
「いけない、いけない、戸惑いもいいかげんにしないと罰が当りますよ、かまわないから、片づけちまって頂戴……」
「それでも……」
「遠慮することはないじゃないの、一晩でもとめてもらった以上は、わたしというものがこのお座敷の御主人なんだから、誰にも遠慮はいらない、片づけて下さい」
「それでも、あれほど頼んでおいでになったのに……」
「くどいねえ、誰が頼んだか知らないが、癇《かん》のせいで、雄猫一匹でも、男と名のつくやつを膝の上に乗せないお角さんだよ、けがらわしい!」
といってお角は、手をのべて蒲団の上の男枕をとるや、力任せに座敷の外へ抛《ほう》り出してしまいました。
 そこで、男物のいっさいがっさいをおっぽり出して、いささか溜飲を下げ、お角は床についたが、まだなんだか癪に残るようなものがあって、蒲団から首を出して煙草をのんでおりました。
 はてな――この間違いは、間違いとすれば、ばかばかしい間違いだが、いたずらとすれば、かなり念の入ったいたずらだ。お角は癇癪《かんしゃく》半ばに、ふいとこのことを気にしていたのですが、煙草を一ぷくのんでいるうちに気が廻って、ははあ――と、灰吹に雁首《がんくび》をかなり手荒くはたいたものです。
 油断が出来ないぞ――それそれ、今日も七里の道中で、誰となく注意をしてくれたものがある。
 胡麻《ごま》の蠅《はえ》がついたから御用心をなさい、と。
 胡麻の蠅という奴は、見込んだ相手が笠を捨てるまで離れない。こいつは通り一ぺんに腹を立てっぱなしではいられないぞ。お角だけに、気がついて、ほほえみ、急に室内を見廻してみたが、別に異状はありません。
 ふふん、目先の利《き》かない胡麻の蠅だ、人を見て物を言っておくれ、というような面《かお》つきで、嘲笑を鼻の先にぶらさげて、お角は、さて仰向けに寝返りを打って、眠りにとりかかろうとした途端に、夜具の襟でチクリと頬を突かれたものだから、見ると、不思議千万にも、珊瑚《さんご》の五分玉の銀の簪《かんざし》が、夜具の襟の縫目にグッと横に突きさしてあって、その一端が自分の頬ぺたを突いたことを知りました。
 何だい、今日はいやに、小間物でおどかされる晩だ――お角は、その五分玉の銀の簪を、夜具の襟から引きぬいて、じっと枕行燈《まくらあんどん》の光で、仰向けになりながらながめると、どうも覚えがあるようだ。見たことのあるような簪であります。
 わかった、これですっかりお里が知れちゃった。がんりき[#「がんりき」に傍点]だ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵だ、これは百のいたずらだよ。
 そんなら、それでいいじゃないか。つまらない、ふざけた、子供じみたいたずらをして見せたものだ。ばかばかしい。お角が再び呆《あき》れ返って、せせら笑いました。
 胡麻の蠅というのは、つまり百の野郎だ。百の野郎が、熱海あたりから、くっついて来ているのだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵ならば、何だって、こんな、しみったれたいたずら[#「いたずら」に傍点]をするのだ。
 お角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の、甚《はなは》だけち[#「けち」に傍点]な野郎であることを、あざけってみましたけれども、もう少し同情して、思いやってみると、これには、また相当の仕立てがあるかも知れない。
 奴、何か人目が忙しいものだから、遠廻しに附いては来ているが、大びらでは立寄れないのだろう。明らさまには、それといって話もいいかけられないのだろう。つまりあいつの身の忙しいのも、今にはじまったことではないが、その忙しさも、世間晴れての忙しさでないことも、大抵はお察し申している。
 それでさとれよがしに、こんないたずらをしての思わせぶりだ。
 そうだとすれば、笑ってやりたいくらいのものだが、それにしても、やり方がしみったれていると、お角は、やはりあざ笑いを掻《か》き消すわけにはゆかない。
 お角としては、この頃中、とかく、がんりき[#「がんりき」に傍点]が焼きもちを焼きたがるのに、うんざりしないでもありません。
 思い出してみると、あんな男と一時腐れ合ったのは、お角さん一代の不覚だといわれないこともない。あの時、あんなに熱くなったのは、いま考えてみるとお恥かしい。あれは、一つはお絹という大の虫の好かない女と、意気張りのような具合になったから、それで、まあ、ああものぼせて甲州くんだりまで、追いかけてみたというような役廻りではあったが、冷めてみればばかばかしくって、お話にならないという感じがする。
 それにあの時は、本職の方を少し休んで、閑散な身であったから、そこへ多少、魔がさしたのか知れないが、今は痩《や》せても枯れても、一本立ちのお角さんだ。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴、その時分とは、こっちの歯ごたえが少し違うものだから、やきもきしている。
 だが、あいつも、あいつだけに、意地の張った男だから、ことに、いつも色男一手専売の気取りで、女ひでりはないような面《つら》をしてるだけに、引け目を見せないところが、可愛いといえば可愛いところだ。ことにその引け目を見せない結び目から、やきもち[#「やきもち」に傍点]がころがり出すなんぞは、いっそう可愛らしいところだ――と、お角がにやりと、小気味のよかりそうな思出し笑いをする。
 なるほど、それはその通りで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎、女には飢えていない面をしていながら、やきもち[#「やきもち」に傍点]を焼きたがるものだから、お角から、こう見くびられても仕方のない理由はある。
 お角がことに笑止がっているのは、お角と、駒井甚三郎との間を、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、ひどく疑ぐっている。お角は海山千年の代物《しろもの》だし、駒井はああ見えて、あれでなかなかのろい[#「のろい」に傍点]殿様だから、内実はどんなふうにもつれ合っているのだか、その辺は知れたものでない。
 秘密というものは、一つ疑えば、いくつも疑えるものだから、その辺から、がんりき[#「がんりき」に傍点]がいい心持をしていないらしく、時々、両国の控え宅へおとずれて見える時も、どうも気がさして、なんだか、自分のほかに先客がありはしないかとさえ、気が置かれる――その神経が少し尖《とが》り過ぎて、先日は田山白雲に於て見事に失敗した。
 こいつは色男じゃねえ――とばかばかしくもあったり、ホッと胸を撫で下ろしてみたりしたのは、ついこのお角の留守中のことだから、それはお角の知ろう由もないが、とにかく、がんりき[#「がんりき」に傍点]が自分に対してやきもち[#「やきもち」に傍点]を焼いているということが、お角をして、多少得意がらせていることは確かです。どうです、わたしの方が役者が一枚上でしょう――といったような優越感が、この女の負けず嫌いを満足させて、悪い心持にはさせていないようです。
 この辺で止まっていればよかったのですが――お角も、女だけに、もう一歩進んだのがよくありません。つまり、こちらの強味に乗じて、先方の弱気をからかってやろうという気になったのです。どっちみち、こうなると――それは、そそっかしい女中の間違いだか、果して、がんりき[#「がんりき」に傍点]のいたずらだか、どちらだか、まだしかと突きとめた次第ではないが、お角はもうそうに違いないときめてしまって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴、いつもの伝で、夜中時分に忍んで来て、いやがらせをやるにきまっている。もしかした差しさわりで、今晩来なければ明日、つまり江戸へ着くまでの間には必ず、何か皮肉な仕打ちで現われて来るに相違ない。
 してみれば、それに対するの応戦計画として、こちらにも了見がなければならないと、意地張り出したのがよけいなことです。
 お角は、その晩、どうしてやろうかと思いました。
 向うの、いたずらの裏を行って、こっちがほかの男と枕を並べて見せて、忍んで来た奴の立場を失わせたら、痛快だろう――だが、差当って、その相手に選ぶべき役者がない。
 ともにつれて来た若いのなんぞを使ってみたのでは、子供だましにもならない。
 お角の、いたずら心が挑発されて、せっかくのことに、がんりき[#「がんりき」に傍点]のために、思いきった濃厚な当てっぷりを見せてやろうと、むらむらしたが、どう考えてもこの場合、相手に選ぶべき役者がない。
 そうこうしているうちに、踏み込まれでもした日には、台なしだ。こいつは一番――どうしてくれよう。この際、早急に、ふざけたいたずら[#「いたずら」に傍点]者に閨《ねや》の外で立場を失わせ、今後をきっと慎《つつし》ませるような手きびしい狂言はないものか――この、さし当っての狂言の選択には、お角もてこずってみたが、とうとう名案が浮ばず、旅の疲れがおっかぶさって、ついうとうとと夢に入ると間もなく熟睡に落ちて、眼をさました時分には、夜が明けていました。
 全く無事で、がんりき[#「がんりき」に傍点]のが[#「が」に傍点]の字も聞えず、今日もいい天気で、障子の外に老梅の影が、かんかんとうつっている。

         十

 果して、お角の想像にたがわず、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、たしかに小田原の町へ乗込んでいて、お角がまだ床を離れない時分に、早くも八棟《やむね》の外郎《ういろう》に、すました面《かお》で姿を見せたのがそれです。
 この男が、南条、五十嵐の手先となって、案内者ぶりをしているのは、今にはじまったことではないが、このごろでは、どうやら山崎譲の方とも妥協が出来て、ずいぶん、その方の御用もつとめているらしい。
 当人は、のほほんで、両方のお役に立ち、その間に自慢の女漁《おんなあさ》りと、旨《うま》い汁を吸うつもりでいるらしいが、相手が相手だから、いつまでも、そんな虫のいい商売が続くものではなかろうが、こっちもこっちだから、いいかげんにタカをくくっているものらしい。
 何のつもりか、外郎《ういろう》を二丁買い込んで、それを胴巻の中へ、しまおうとする途端に、店頭《みせさき》の一方から不意に、
「御用!」
 当人にとっては、お約束のような掛声で、やにわに組みついて来たのを、そこは心得たとばかり、体《たい》を沈めると、組みついた手が外《はず》れるのをキッカケに、するりとすり抜けて、表へ飛び出したのは型のような鮮かさで、それから後は得意の駈足です。
 御用の声が、二三人、透《す》かさずそのあとを追っかけて、小田原の町の朝景色を掻《か》き乱す。
 当人は心得きっているのだから、ここを逃げるのは、それこそ本当の朝飯前だ。山谷《さんや》や袋町の行詰りとは違い、四通八達の小田原城下を、小路小路まで案内知った常壇場《じょうだんば》のようなものだから、がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、子供相手に鬼ごっこして楽しむようなものかも知れないが、大手通りの町角で、また不意に飛び出した、
「御用!」
の声に面食《めんくら》って、
「こいつは、いけねえ」
 敵に用意のあることを知ったがんりき[#「がんりき」に傍点]は、ここで真剣になりました。寄手《よせて》はもう、ちゃんと手筈をきめて、つまり非常線を張って自分を待ちかけているのだ。それを悟らずに、甘く見てかかったのは手落ちだ。この分では、袋の鼠にされちまっている。
「ちぇッ、ドジを踏んじまった」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、自分をたのむだけに、相当に敵をも知っている。たとえ行止りであろうとも、一方から追われる分にはなんでもないが、白昼、しかも城下町で、非常線を張って包まれた分には、たまるまいではないか。何だって、外郎なんぞを買いに出たんだろう。いよいよおれもヤキが廻ったかなと、歯がみをしたが、やはり同じように、御用の手先をスリ抜けて、真直ぐに走ると大手門の前へ出る。ますますいけない。引返そうとすればさいぜんのが追いかけて来る。ままよ――横っ飛びに飛んで、侍町の生垣《いけがき》の下を鼠のように走ると、御用の声を聞き伝えた家並《いえなみ》が騒ぎ出す。
 夜ならば、身をくらます手段はいくらもあるのだが、こうなっては、どうも仕方がない。屋根へも上れず、井戸へも飛び込めない。突当り路地へでも追いつめられて、ギュウの音も立てず、名も無き敵に首を掻《か》かれるようでは、がんりき[#「がんりき」に傍点]としても浮びきれない。
 よし、こうなった以上は、二三人はたたき斬っても本街道まで出てしまえ、天下の東海道筋へ出て、そこでつかまるなら、つかまっちまえ、人の垣根の下を、つくばって走るような真似《まね》は、この際みっともねえ……
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、そんなふうに見得《みえ》を切って、いったん路地奥へ逃げ込んだのを、引っぱずして、いわゆる天下の東海道筋を望んで走り出したが、それはいよいよ油を背負って火に向うようなもので、追いかけるほどの者は、誰でもがんりき[#「がんりき」に傍点]の後ろ姿を見ることができるから、総弥次で、それを追っかける形となる。単に追っかけるだけなら覚えがあるが、前からふさがるのではたまるまい。
 ちょうど、その時分が、お角が起き上って面洗《かおあら》いに出た時分で、窓の外で御用騒ぎを聞くと、はっと胸をヒヤしたのは、その騒ぎに狼狽したのではなく、御用という声の途端に、
「さては!」
と思ったのであります。なんだか、それが必然的に、昨夜来の頭に上って来たところとうつり合って、その御用の主《ぬし》が、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百でなければならないように直覚してしまった。それがお角の胸をヒヤしました。
 それで万一には、百がここへ逃げ込んで来たらどうしよう。その場合は、昨晩のとは性質が全く違うから、それは見殺しはできまい。いやな奴であろうとも、なかろうとも、ここはかくまってやらねばなるまいと、お角は早くも心構えをして、手水《ちょうず》もそこそこに座敷に帰って、戸棚の中なんぞを調べてみたりして構えていたが、外の騒ぎはかなり騒々しいのに、ここへは虫けら一匹も飛び込んでは来ない。
「どうしたんだね、あの騒ぎは」
 なにげなく例の女中さんにたずねてみると、それは、この小田原の出城《でじろ》の一つで、荻野山中《おぎのやまなか》の陣屋を焼討ちした悪者が、この城下へまぎれ込んだものだから、それをつかまえるためにあの騒ぎだと聞いて、おやおや、それは少し当てが外《はず》れたかな、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、相当の悪党がりではあるが、陣屋を焼討ちするようなことはすまい。では、自分の想像が、すっかり外れたのだ、御用の主は、もっと大きな魚なのだ――それで安心のような、不安心のような思いをしながら、朝飯を食べる。
 一方、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、しにもの狂いで小田原の町々、辻々を、かけめぐっているが、前に立ちふさがる者も、後ろから追う者も、どちらもその姿をありありと認めながら、どうしても簡単にはつかまらない。
 百の駈足が、想像外にはやいのみならず、その身のこなしが、油のように滑《すべ》っこく、ちょっとやそっと捉まえたのでは、ツルリツルリと抜けられてしまうのみならず、今は片手に脇差を抜いて振り廻しているのだから、せっかく追いつめたものも、立ちふさがったものも、キワどいところでいなしてしまう。
 そこで、無人の境を行くようなあんばいで、唐人小路まで走って来た時分、この辺を突破されると、まもなく海辺へ出るのだが、海辺へ出られてしまっては事だ。
 やはり、その時分のこと、例の講釈師南洋軒力水と、その弟子分になっている心水という二人が、江戸へ下るとてちょうど、この唐人小路へ来合わせたが、
「おやおや、がんりき[#「がんりき」に傍点]がやって来たぜ」
「面白い、面白い、死物狂いでやって来た」
「奴、つかまるか知ら」
「なあに、あいつが、なまなかのことで、つかまるものか」
「でも、あぶないもんだ、一番、助け船を出してやろうか」
「よせよせ、打捨《うっちゃ》っておけ、けっこう、一人で逃げおおせる奴だよ」
 この講釈師は申すまでもなく、南条力と、五十嵐甲子男の二人であり、長いこと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百を手先として使用していながら、その危急を見て、面白がって見殺しにしているのは、頼もしくないこと夥《おびただ》しい話であるが、一方からいえば、がんりき[#「がんりき」に傍点]の敏捷《びんしょう》を信じきって、捕手の働きにタカをくくっているとも見える。
 そうして、その死物狂いの逃げっぷりを面白がって、足をとどめてながめているが、ながめられるがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は、たしかに冗談事ではなく、大童《おおわらわ》で、眼は血走って、脇差を振り廻しながら、唐人小路を走る時には、人の悪い南条と、五十嵐との姿は、いつか見えなくなってしまう。
 その時分、唐人小路の辻番のところに立って、往来をながめていた山崎譲が、
「やって来たな、がんりき[#「がんりき」に傍点]め、丸くなってやって来やがった」
 これも、面白がって、命がけで逃げて来るがんりき[#「がんりき」に傍点]の行先を、縦からながめて、しきりに笑止がっていました。
 絶体絶命のがんりき[#「がんりき」に傍点]は、そんなどころではない。逃げるには逃げるが、せっかく、ここまで来て、海へ方角を取ることを忘れてしまったらしい。それとも、海への出端《でばな》も、塞がれてしまったと覚ったのかも知れない。いいあんばいに、手薄の方へ飛び出したなと思っているうちに、また急に逆戻りをして、以前の唐人小路の真中をかけ出してしまいました。
 たしかに血迷っている。いったん、逆戻りして北へ向って走ったのが、とある町角へ来ると、またしても南へ向きを変えて逆戻り、それがまた海岸方面へ出ると、
「あ、いけねえ――」
 またしても、梶《かじ》を北の方へ取戻す。これでは、同じところを往来をしているようなものです。追っかける方も同じことで、がんりき[#「がんりき」に傍点]が南へ行けば南へ行き、がんりき[#「がんりき」に傍点]が北へ戻ればまた北へ戻る。そうして、つかまりそうで、つかまらないことは、いつになっても同じです。これではかけっこ[#「かけっこ」に傍点]のおいたちごっこ[#「おいたちごっこ」に傍点]をしているようなものだから、ばかばかしいこと夥しいが、それでも、逃げる方も血眼《ちまなこ》であり、追う方も血眼であり、結局、足の達者な方が、長続きがして、足の弱い方が、早くくたびれるという尋常の法則を繰返すだけのものに過ぎまい。
 山崎譲は、この駈足のどうどうめぐりを、面白がって辻番の前で見物していたが、
「どうでしょう、奴、逃げられましょうか、うまく逃げおおせられますかな」
 小田原藩の足軽の一人が、傍《かたわ》らからマラソンでも見るような気分で、問いかけたものですから、山崎譲が、
「結局は逃げられるだろう、あれだけ違うんだからな。奴、血迷っているから、抜け道がわからないんだ、うまく抜け道を見つけ出して、海岸へ走らせた日には、もうおしまいだ」
「逃がしちゃいけませんよ」
「逃がしちゃいかんよ」
「どうです、どちらもかなり疲れたようだが、なんとか方法はありませんか」
「どうも仕方がないね、鉄砲で撃ちとめるわけにもゆくまい、弓で射て取るがものもあるまい、やるだけやらせるさ」
「しかし、そう言っているうちに、逃がしてしまっちゃ詰りませんよ」
「逃がしちゃいかんよ」
「でも、足の業《わざ》から見て段が違いますからな、あれあの通りだ、一方が三間走るところを、一方は僅か二三尺ですからな、あれで、抜け道を見つけ出した日にゃたまりません」
「左様、奴、いつもなら、とうにその抜け道を見つけてるんだが、今日は不意を食ったもんだから、いよいよ血迷ってやがる」
「あ、やりましたぜ、一太刀あびせられた奴がありましたよ、立ちふさがった奴が一人やられましたよ。ごらんなさい、あの通りくも[#「くも」に傍点]の子を散らしたように逃げ出しました。こいつもおかしい、人が散って手薄になったのに、奴、またこっちへ舞戻って来ますぜ、何をしてるんだ。ああ、危のうござんすよ、血刀を振《ふる》って真一文字にこっちへ向いて来ましたぜ、いよいよ絶体絶命だ、何をするかわからない!」
 足軽が怖れをなして、タジタジとなるその六尺棒を、山崎がひったくって、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、くたびれたろう」
「え、何が、何がどうしたんだ」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、御苦労さまだ、その辺で一休みさせてやろうか」
「あ、譲先生ですか、人が悪い、第一お前さんが悪いんだ!」
 山崎譲は四五間離れたところから棒を飛ばして、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を地上に打ち倒してしまいました。
 打ち倒したがんりき[#「がんりき」に傍点]の傍に山崎譲がよって来て、仰向けに倒れていたのを、比目魚《ひらめ》を置き返すように、俯伏しにひっくり返してその帯を取り、着物を剥ぎ、懐中物、胴巻まですっかり取り上げて、本当の裸一貫として、その後――両手ではない片手を、十分にひろげたところへ、例の六尺棒を裏へあてがって、手早く棒縛りを試みてしまいました。
 そうして全く動けないようにして、また比目魚を置き返すように表を返して、大道の真中へ、置きっ放し、
「誰も手をつけると承知しねえぞ」
 こういって山崎譲は、がんりき[#「がんりき」に傍点]から剥ぎ取った着物、持物、その懐中物、胴巻に至るまで、一切まとめて小脇にかいこみ、ふらりとその場を行ってしまいます。
 その後、がんりき[#「がんりき」に傍点]が仰向けにひっくり返されながら、弱い音《ね》を吹いて、
「結局、弱い者いじめだなあ。南条先生、五十嵐先生、あんなところをあのままにして置いて、このがんりき[#「がんりき」に傍点]だけに、窮命を仰せつけようなんて、弱い者いじめだなあ。だが仕方がねえよ、役者が違うんだからなあ。向うは天下のためだとか、国家のためだとか言って、後ろに大仕掛があってやるいたずら[#「いたずら」に傍点]なんだろう、こちとらのは腕一本の、出たとこ勝負のちょっかいだから、やり損じた日にゃ、いつでもお笑い草だ、お笑い草はいいが、さらし物は気が利《き》かねえ」
 山崎譲につかまって、ああして惨酷な取扱いを受けている時は、観念の眼をつぶったらしく、一言もいわずにいたのが、この時分、情けない声を出して、
「どうなと勝手にしやがれ……がんりき[#「がんりき」に傍点]のさらし物が見たけりゃ、皆さん、たんと見て行きな、代は見てのお戻りだ」
 通りかかって、このさらし物を見るべく足を留めようとする連中を、辻番の足軽が、しきりに六尺棒で追い払うものだから、人だかりはないが、でも、往くさ来るさの人で、このさらし物に目を引かれないものはない。
「水を一ぱいおくんなさい、どうも、いいかげんかけ廻ったものだから、咽喉《のど》が乾いてたまらねえ、愚痴は言わねえから、水を一杯だけ恵んでやって下さい、御当番の旦那……いけませんか。いけなけりゃ、右や左の、通りすがりのお旦那様に、お願い申してみよう。憐れながんりき[#「がんりき」に傍点]に、水を一杯恵んでやっておくんなさいまし」
 イヤに哀れっぽい声を出して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が所望する水一杯を、誰も相手になって、恵んでやろうとするものは無いらしい。がんりき[#「がんりき」に傍点]は、口の中をしきりにつばでうるおしながら、
「ねえ、水を一杯……水を一杯飲ませてやっておくんなさい、御当番の旦那」
 だが、御当番の旦那といわれた辻番の足軽は、最初から受附けず、やむなくがんりき[#「がんりき」に傍点]は往来の者を見かけて、
「済みませんが、水がいけなければ御当所名物の梅干を一つ、梅干をたった一つだけ、心配していただきてえんでございます」
 その無心をも誰も、相手にする者はない。
 そこで、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、荒っぽい声を出して、
「やい、水だい、水を一杯欲しいんだい、一杯の水が飲みてえんだ、小田原というところには、人間に飲ませる水がねえのかい、いま、死んで行く罪人にも、末期《まつご》の水てえのがあるんだぜ、もっそう桶に竹のひしゃくで……」
 ちょうど、この時分、女軽業のお角は、ようやくのことに宿を立ち出でて、例の通り駕籠《かご》に乗り、若いのが駕籠わきに附添って、そうして、この唐人小路の思いがけない曝《さら》し物のところまで来て、そのさらし物の世迷言《よまいごと》が耳に入ると、グッとこたえてしまいました。
「いやな声が聞えるじゃないか、耳のせいか知らないが、甲州の猿橋《えんきょう》の下へつるされたやえんぼう[#「やえんぼう」に傍点]が、ちょうど、あんな声を出していたよ」
と、垂《たれ》を手あらく掻《か》き上げて、
「見られたザマじゃない」
 駕籠を出て来たお角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、
「何という業《ごう》さらしだい、そのザマは……」
と呆《あき》れ返りました。
 呆れ返ったうちには、歯痒《はがゆ》くってたまらない思い入れもある。
「傍へ寄っちゃあいけない」
 例の六尺棒が、お角の出端《でばな》を押えようとするのを、お角は丁寧《ていねい》に、
「御免下さいまし、実は山崎譲先生から、お許しをいただいて参ったのでございます」
「ナニ、山崎譲さんから」
「この通りでございます、一切、みんなお返しをしていただいて参りました」
「なるほど」
 六尺棒が合点《がてん》したのは、お角が立戻って、自分の乗って来た駕籠を押開いて見せると、その中には、さいぜん山崎譲がこの男から剥ぎ取った一切のものが、まとめてそこに入れてありました。
「なるほど」
 再び、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、その棒縛りの縄目を解きにかかったお角は、
「ほんとに冗談《じょうだん》じゃないよ、このザマはこりゃ何だい。駿河の徳間峠にしてからが、甲州の猿橋の時にしてからが、覚えがありそうなもんじゃないか、ちっとは、あきらめがつきそうなもんじゃないか、世話の焼けた野郎じゃないか」
「済まねえ……」
「済むも、済まないも、わたしの知ったことじゃないよ」
「かまわねえから、ほっといてくれ」
「かまおうと、かまうまいと、お前の差図は受けない」
と言いながら、お角は、とうとうがんりき[#「がんりき」に傍点]の縄目を解いてしまいました。
 縄目を解かれても、この野郎は、もうかなり弱っているから、ちょっとは身動きもできないでいる。
「てんぼうの裸身《はだかみ》なんぞは、誰が見たって、あんまり見いいものじゃないよ」
といって、お角は、若い衆に手伝わせて、この野郎に、襦袢《じゅばん》から着物を片腕に通してやり、帯を締めさせてやり、その醜体だけは、どうやら応急修理が出来てみると、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎が、
「水、水を一ぺえ、振舞ってもらいてえんだが、水でいけなければ、梅干を一つ……」
「食い意地の張ってる野郎だよ」
といって、お角がムキになって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の横面《よこっつら》を一つ、ピシャリとなぐりました。
 これは少し手荒いようです。なんぼなんでも女だてらに、この際男と名のつくものの横面を、衆人環視の中でピシャリとくらわせるのは、やり過ぎたようですが、またお角の身になってみると、かりにも自分の知らないではない野郎の端くれが、こんなところで、飛んでもない、業ざらしにあい、自分としても、恥も、外聞も忘れて、助けに来てやったのに、着物を着せてもらえば、いい気になって、水が飲みたいとか、梅干が食いたいとか、贅沢三昧《ぜいたくざんまい》を言い出す恥知らず、図々しさが、我慢にも癪《しゃく》にさわってたまらないのでしょう。
 この場合、飲むことや、食うことなんぞを、言い出すべきはずのものではないと思ったからでしょう。
 しかし、がんりき[#「がんりき」に傍点]の身になってみると、着物を着るよりも、帯をしめるよりも、眼に見える醜態を隠してもらうよりも、先以《まずもっ》て、一杯の水が欲しかったのでしょう。
 決して、お角の腹を立てるように、抱かればおぶさるというような附けあがりから、水がほしいの、梅干が食いたいのと言ったわけではないにきまっている。贅沢三昧《ぜんたくざんまい》ではない、生命の必須の要求なんでしょうが、気の立ちきっているお角には、それがそうは受取れないで、一口に、附け上りの、恥知らずの、図々しさが癪にさわり、衆人環視の前でピシャリと一つ食らわせたから、見ているほどの者が、あっと驚いてしまいました。
 そうしている間にお角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]を、遮二無二《しゃにむに》、自分の乗って来た駕籠の中におっぺし込んでしまいました。

         十一

 暮れ行く海をながめて立つ清澄の茂太郎は、即興の歌をうたいました。
[#ここから2字下げ]
古《いにし》への人に我ありと
近江《あふみ》の国の……
[#ここで字下げ終わり]
 これは、いつもながらの出任せであります。ひとたび、耳か、眼か、いずれかの器官かによって脳髄にうつったものが、時あって、口をついて現われるのは、頭脳の反芻《はんすう》とは言わば言うべきものですが、時によっては、意外なる消化をもって、全く、独創的に現われて来ることもあれば、記憶そのままが、すんなりと、暗誦《あんしょう》の形で現われて来ることもあるのであります。
[#ここから2字下げ]
古への人に我ありと
近江の国の……
[#ここで字下げ終わり]
 ここまでは、はからず口をついて出たでたらめでありますが、近江の国の……と口走ったところから、
[#ここから2字下げ]
近江の国の
ささ波の
大津の宮に
天《あめ》の下《した》
知ろしめしけむ
すめろぎの
神のみことの
大宮はここと聞けども
大殿はここといへども
春草の……
[#ここで字下げ終わり]
と咽喉《のど》が裂けるほどの声で歌い出しました。これは創作でもなければ、出任せでもない。故郷の荒廃を見て、豪邁《ごうまい》なる感傷を歌った千古不滅の歌であります。
「あっ!」
 この豪邁なる感傷の歌を声高く歌って、暮れ行く海の表《おもて》をながめている時、不意に潮が満ちて来て、その足もとを洗ったものですから、茂太郎が、あっ! と驚きました。
「ああ、もう日が暮れちゃった」
 足を潮に洗われて、はじめて自分の空想も消えるし、感興の歌も止まるし、日の暮れたことがわかりました。
 夕陽《ゆうひ》の空には、旗のような鳥だの、垂天の翼のような雲だの、赤く、白く、紫に、菫《すみれ》に、橙《だいだい》に、金色《こんじき》に変ずる山の形だの、空の色だのというものが、見る眼をあやにしたり、心をおどらせたりするけれど、その夕陽が全く落ち尽して、一色の墨色が、天と、地と、水を、塗りつぶしにかかってみると、自分の空想も塗りつぶされて、現実のわれに返ったものと見えます。
 そこで、この少年は、またも一散《いっさん》に砂浜の上を走りつづけました。
 後生大事《ごしょうだいじ》に、般若《はんにゃ》の面《めん》を小脇にかかえて放さぬことは、いつもに変ることなく、軽快に砂原を走って、あえて疲れ気も見えないことは、山神奇童とうたわれた名にもそむかないようです。
 なお、こうして走ることは走るが、その目的がわからないのも、以前と同じことで、ともかくも、あの馴染《なじみ》の多い駒井の家を遠く離れてしまって、あえて帰りを恋しがろうともしないのが不思議です。
 砂浜を走れるだけ走って、かなり走り疲れたと思う時分に踏みとどまり、ようよう暗くなってゆく海の波がしらの白いのを、ながめて、こう言いました、
「弁信さん、弁信さん、さっき、お前が、しきりにあたしを呼ぶものだから、あたしはこうして飛び出して来たんだぜ、あの赤い空の上に、不意にお前の姿が現われたじゃないの……だから、こうして、ここまで走って来ちゃったのよ。ここまで走ってくると、お前はもういないし、日もくれちまったじゃないの。これからあたしは、どうすればいいの」
 耳を傾けても、波の音ばかりで、返事をする声が聞えないのに、
「さあ、どうしたらいいの、ここは海で、これより先は行けないじゃないの、これから、どっちへ行けば、あたしはお前に逢われるの?」
 茂太郎の耳には、やはり弁信の呼びかける声が聞えて、その返事を待つもののようです。
 海の表に向って、耳をすましていたが、やはり人間の声はどこにも聞えない。
「お腹《なか》がすいちゃった」
 茂太郎は、クルリと向き直って、陸《おか》の方を見直しました。
 洲崎《すのさき》の番所では蒸したてのジャガタラ芋《いも》の湯気を吹き吹きお相伴《しょうばん》になれようものを、ここまで来てしまっては、今の夕飯が覚束《おぼつか》ないのみでなく、今晩の泊る所もわかるまい。
 だが、その、今晩のねぐらはさほど心配するがものはない。この少年は、山に寝て獣《けもの》を友とする方が、人里に住むよりは遥《はる》かに得意なはずだから――
 食物のことも、また、さのみ他で心配するほどのこともないのです。竜安石のように海につかっている巌角の傍へ寄って、身をかがめると、片手には例の通り、般若の面を、しっかり[#「しっかり」に傍点]と抱いたままで、右の手を、竜安石の下の蛸壺《たこつぼ》になっているようなところへ突っ込むと、暫くして、極めて巧みに掴み出したのは、六寸ほどの蛸であります。
 それを巌《いわ》の角へ持って行って軽く当てると、すんなりと延びたのを、そのまま口へ持って行って、頭からガリガリとかじりました。
 片腕には般若《はんにゃ》の面をかかえ、片手では生《なま》の蛸をかじりながら、今度は海をながめると、星がキラキラとかがやいています。
 この子供は、地の美しさよりも、海の美しさよりも、天上の星を見ることの美感に酔うことを知っているものですから、蛸を食べながら、夕陽の美観に、失われた幻想を、空から仰いで取返しながら、下を見ないで歩いて行くもののようであります。
 こうなってみると、もう南北の区別を知らない、東西の差別もわからない。星を見れば、それはおのずから、わかりそうなものだが、今は方角の観念のために星を見ているのではないから。
「あっ!」
と再び、驚愕《きょうがく》の叫びを立てた時は、その足もとが一尺ほど、潮にひたされているのを発見しました。あわててそれを抜け出そうとした時に、引きつづいて、第二の波が追いかけて来ました。
「あっ!」
 逃げようとする子供の足よりも、追いかけた波の方が早かったものですから、腰から下を、ズブリとぬらしてしまいました。ただ足を洗い、着物をぬらしただけならいいが、よろめく足もとを、引き際の潮がさらったものですから、よろよろよろよろとして、潮に伴われて、なお深い方へ持って行かれてしまったのはぜひもありません。
「あっ!」
 この際、片手には生の蛸《たこ》、片腕には般若《はんにゃ》の面、そのどちらをも、急に手ばなすことをしなかったものですから、よけい、足もとを立て直すのに苦しかったのでしょう――そこへ、すかさず第三の波。
 茂太郎の立ち姿が、もはや水平の上に見えなくなったのも無理はありません。
 見えなくなったのみならず、いつまで経っても浮いて来ないのであります。
 ここで、この子供は、完全に海に呑まれてしまったことがわかります。
 だが、これも、さほど心配するがものはありますまい。今夜は別に暴風というほどでもない、むしろ滅多にはないほどに、海は和《やわ》らかなのであります。
 そうして、山神奇童の茂太郎は、山に入って悪獣毒蛇を友とすることができるように、海に入っても魚介《ぎょかい》と遊ぶことを心得ているのだから、今夜の、この静かな海の中の、どこへ沈められたからといって、豚の子のように、沈みっきりになってしまう気づかいは絶対にありません。
 そのうちに、どこぞへ浮いて来るに相違ないから――どなたも心配をしないで下さい。

         十二

 茂太郎が陥没して、まだ浮き上らないところの地点の、忍冬《すいかずら》の多い芝原に、そんなことは一切知らないで、一人の太った労働女が現われて、
「どっこいしょ」
と言い、重い荷物を背中からドシンと、その芝原の上に卸《おろ》しました。
 そのドシンと地響をして下へ卸した荷物を、取り直して地上へ形よく置き据《す》えたところを見ると、それは石です。石は石だが、角に削《けず》って、かなり手入れをした石ですから、形よく置き据えたところを見ると、まさに石塔の形であります。
 形でありますではない、たしかに、石塔なのです。あらかじめ置いてあったところの敷石もあれば、水盤、花立のような形も、ささやかながらその前に整うている。
 そこへ、今しも、背負い来《きた》った長方形の、目方おおよそ二十貫目もあろうというのを据えつけると、おのずから石塔の形が出来上ってしまいました。
 その前で、ホッと息をついた労働女。
 この辺で労働女といえば、それは海女《あま》にきまっているようなものです。
 泳ぎが達者で、海の中で仕事をするのが本職だとはいえ、陸《おか》へ出ても、一人前の男以上の働きはする。今もこの通り、二十貫もあろうという石を、どこから背負って来たか、つまり他のものの力というものは一つも借らずに、ここまで持って来たことでもわかります――どうかすると房州の女は力がある上に多情だというものがあるけれど、必ずしも、そういったわけのものではあるまい。
 ただ気候が温暖なため、もう一つは、婦人の労働が盛んで肉体が肥るのと、もう一つは、飽くまで魚肉を食うから、それで肉体の燐分が豊富になり、色慾が昂騰するのだというものがある。それは比較的そうかも知れないが、それを以て、房州の女全部の貞操に当てはめるのはいわれのないことです。
 この労働女もまた、そういった種類の御多分に洩《も》れないのかも知れない。御多分に洩れても洩れなくても、それはよけいなことですが、この際、偶然とはいえ、ここへ石塔を持って来て押立てたことは、気が早過ぎるといえば早過ぎる、ということができます。
 清澄の茂太郎にとって、不祥といえばこれ以上の不祥はありません。
 苟《いやし》くも人間一人が陥没して、生死不明になったその瞬間に、事もあろうに、その同じ地点へ持って来て石塔を押立てるということは、当人の知ると知らぬにかかわらず、好い辻占《つじうら》とはいえますまい。知らないこととはいえ、どうも縁起のよくないことをする女です。
 と思って女の身のまわりをよく注意すると、不祥はこれ一つに限ったことはない、砂丘の断続したその後ろのところを見ると、それよりはいくらか小さい分のこと、あちらにもこちらにも同じような石塔、五輪のような形を成したのや、無縫の形を成したのまでが、散在していて、そのまわりには、満足であったり、折れたり、裂けたりした卒塔婆《そとば》までが、いくつも立ち乱れています。
 けれども、見たところ、それは一定の墓地というものでもないらしい。形ばかりでも菩提寺《ぼだいじ》というものがあって、親類縁者というものが集まって、野辺《のべ》の送りというものを済ました後、霊魂の安住という祈念で納めた特定の場所ではないらしい。
 つまり、無縁仏《むえんぼとけ》というものです。無縁仏とすれば、陸地で、畳の上で、ともかくも無事な息を引取ったものではなく、この見渡す限りの広い海原《うなばら》のいずれかで、非業《ひごう》の死を遂げて、その残骸を引渡すところもなく、引取る人もなき、不遇の遊魂を慰めるために、こうして、心ばかりのしるしが営まれたと見るほかはないのであります。
 今も、逞《たくま》しい海の労働女がもたらした一つの新しい記念碑も、ただいま陥没した清澄の茂太郎のための早手廻しでない限り、そういった種類の遊魂の衣《ころも》に過ぎまいと思われます。
 一基の石塔を押据えてしまってから、海の女は、その石塔の前で火を焚《た》きはじめました。これは迎え火というものでもなく、また送り火というものでもありますまい。
 散乱した漂木を集めて火を焚きつけた上に、折れて散った卒塔婆まで掻《か》き集めて加えたところを見ると、これが、後生とか、追善とかを意味する火でないことがわかります。
 ところが火が盛んになって、これならばという時分になると、その女は、火をそのままに残して置いて、自分は海岸へ出てしまいました。
 海岸の砂浜のところへ出た上は、よく注意して見さえすれば、たった今、清澄の茂太郎が踏み荒した小さな足あとが見えなければならないはずですが、そんなことにはいっこう気がつかず、海の女は、海岸へ出ると、帯を解き、着物を解いて、見るまに素裸の形となってしまいました。
 海女《あま》が裸になるのは、少しも珍しいことではありません。裸にならないのが、かえって珍しいくらいのことであります。だけれども今時分、何のために海へ入ろうとするのか知ら。無論、海水浴という時候ではないにきまっているけれど、海女が海中に入るのは、時候を選ぶという約束もないはずです。そんなことにも頓着なく、裸になった海女は、誰に遠慮もなく、海へざんぶと飛び込んでしまいました。飛び込んで、思うさまに泳ぎはじめました。
 それは鮑《あわび》を取るためでもなければ、人魚の戯《たわむ》れといったような洒落《しゃれ》た心持でもない。つまり、風呂へ入る代りに、海で色揚げをするのかも知れません。
 或いはまた、御亭主殿を失った精力の有り余る海女《あま》は、情念が昂進して来ると、夜中でも飛び起きて、海で遊んで来ないことには、どうにもこうにも、悶々《もんもん》の肉体をもてあますのだとのこと。
 ここに限ったことではないが、海の女のあくらつなところへ、もし、気の抜けた、物ほしそうな男でも通りかかってごらんなさい、それこそ命があぶない。
 そういうわけでもあるまいが、かなり長い時間を、思う存分に泳ぎ廻った揚句《あげく》――この辺で見切りをつけようとして立ってみると、波のあるわりあいに、そのところは浅く、潮の正味は下腹のところまでしかありません。
 そこで、両手を合わせて面《かお》を一つ撫でてから、その両手を後ろへ廻してぬれた髪の毛を手荒く引っつかみ、頭をやけのよう[#「よう」に傍点]に左右に振って、その髪の毛をグルグルと結ぼうとする途端の拍子に、
「おや!」
と波の間をながめました。どうも人の声がしたようです。それは陸上でしたのではなく、海の中で、そうでなければ海の上の、あまり遠くないところで、人の声がしたようですから、髪の毛を後ろで持ったままで、立ちすくみました。
「おばさあーん」
 波が行って戻るリズムにつれて、その声が二度、海の上から聞えました。二度まで聞えたのだから、まさに本物です。しかも、二度目のは、前よりも、ズット近い、自分の足もとから二間とは距《へだ》たらないところから聞えたものですから、きっと、その方を見ると、
「おや!」
 さしもの、真黒な肉塊の海女がふるえ上って、後ろでつかんでいた髪の毛の手を放し、大童《おおわらわ》で、二度とは、その声のした方を見返らずに、一目散《いちもくさん》に陸《おか》へ走《は》せあがってしまったのは不思議です。
 陸へ走せあがると、置き据えた石塔も、焚き残した卒塔婆《そとば》の火も、一切忘れて、ぬぎ放しにした衣類だけを引っかかえて、まっしぐらに逃げ出したのも道理。
 海女が立っていた近くの海上には、世にも怖るべき海獣が一つ、漂うている。頭上に二つの角を持って、さながら鬼竜のようなのが、波にわだかまってこちらに向いている。
 それが、茂太郎の額にのせられながら泳いでいる般若《はんにゃ》の面《めん》だとは、海女は知りません。

         十三

 清澄の茂太郎は、海へ溺《おぼ》れる時に、その大切に小脇にしていた般若の面をぬらすまいとして、頭の上へのせました。
 ちょうど、額へかぶせて頭を隠しているものですから、その形で泳いでいると、どうしても悪竜が一つ、海の中を渡って来るとしか見えません。
 残怨日高《ざんえんひだか》の夜嵐《よあらし》といったような趣《おもむき》を、夜の滄海《そうかい》の上で、不意に見せられた時には、獰猛《どうもう》なる海女《あま》といえども、怖れをなして逃げ去るのは当然でしょう。
 そこで、浜に泳ぎついたというよりは、波に任せて、そっと持って来て置いてもらった茂太郎は、極めて従容《しょうよう》として、砂浜の上にすっくと立ちました。
 海のおばさんの丸くなって逃げて行く後ろ影を、模糊《もこ》の間《かん》にながめながら、茂太郎は、ぬれた身体《からだ》を自分から顧みると、どうしても、その眼が、さいぜん海女が焚き残したところの、石塔の前の焚火のところに向わないわけにはゆきません。
 般若の面を頭へのせたままで、茂太郎は焚火のところへ寄って来ました。
「卒塔婆《そとば》が燃えてらあ、勿体《もったい》ねえな」
 しかし、卒塔婆のほかには、多くの燃料がなかったものですから、子供心にも勿体ないと知りつつ、その卒塔婆の折れを増しくべて、火の勢いを盛んにしてしまいました。
 それからの仕事は着物をぬいでしぼって、それを卒塔婆の火であぶることです。
 般若の面は相変らず、頭の上へのせて着物の一切を脱いでいるから、これも素裸《すっぱだか》であります。
 そこで、着物を乾かしながら、自分の身体《からだ》をあたためながら、いいあんばいに、おあつらえ向きに火が燃やされてあったことに、少なからず感謝の念が湧いてみると当然、この火は、いま、丸くなって逃げて行った海のおばさんの焚き残した火だとさとって、その感謝の念を、右のおばさんのところへ持って行かなければならないと思いました。
 しかるに、そのおばさんは、何だって、ああして丸くなって逃げて行っちまったんだろう。人が助けを呼んだも同然なんだから、むしろ進んで助けに来てくれてもよかりそうなものを、いち早く逃げ出した気が知れない――と、茂太郎は、自分のいただく般若の面の威力を知らないものですから、海女の挙動を不審なりとしました。
 竹木をいいかげんに組み合わせて、物干台をつくり、それに着物をあんばいして乾かしている間に、茂太郎はふと、その袂《たもと》から蘆管《ろかん》を探り出しました。いいものを見つけたとばかりに、その蘆管をとって、火にあたりながら吹きはじめました。
 茂太郎は、随意に、随所のものを利用して管絃《かんげん》をつくり、随意に鳴らすことを得意としています。洲崎《すのさき》の浜で、この蘆管をつくり、番所の庭で吹いていました。
 その時に、田山白雲が、その笛の音を聞いて茂太郎のために、こういう詩を吟じたことがあります。
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遼東《れうとう》九月、蘆葉断つ
遼東の小児、蘆管を採る
可憐《かれん》新管、清《せい》にして且《かつ》悲《ひ》なることを
一曲|風《かぜ》飄《ひるがへ》りて、海頭《かいとう》に満つ
海樹|蕭索《せうさく》、天|霜《しも》を降らす
管声|寥亮《れうりやう》、月|蒼々《さうさう》
白狼河北、秋恨《しうこん》に堪《た》へ
玄兎城南、みな断腸《だんちやう》――
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 白雲の豪壮な体躯と、爽快《そうかい》なる咽喉《のど》から、この詩が迸《ほとばし》り出でる時、茂太郎は笛をやめて、白雲の咽喉の動くのを見つめていたことがあります。
 今は、その時とは違って、ただひとり、ほしいままに蘆管を吹き鳴らしていると、ゾッと寒気を催します。何しろ、裸ではあるし、海の風がうら淋しく吹いてくるのですから、蘆管の音そのものまで寒くなるのも仕方がありません。
 幸いにして、その寒気を感じた時分には、着物はおおかた乾いていたものですから、茂太郎は無雑作《むぞうさ》にそれを取って一着に及びました。
 まだ興が中断せず、着物を着て再び薪を加えてから、またも蘆管を取って吹き鳴らそうと試みた時、かの無縁仏の多くの石塔の間に、動いて来るものを認めました。
 小さな獣《けもの》が一つ、乱離とした卒塔婆と、石塔との間に、うずくまっているのを認めたものですから、茂太郎は、
「来い、来い」
と小手招きすると、その獣は、ニャオと鳴いてあちらへ行ってしまいます。
「なんだ、猫か」
 さしもの茂太郎が、暫く呆《あき》れ返ってしまいました。
 その有様は、猫こそ軽蔑すべき動物だ! とさげすみの色に見送る体《てい》です。
 事実、茂太郎は、猛獣毒蛇にも及ぼす魅力を信じているのですから、いかなる禽獣《きんじゅう》ともお友達づきあいができるものと、保証をしているのに、ただ一つ、度し難い動物に猫がある。あらゆる動物のうちに、猫だけがいけない。あいつに表情がない、愛嬌《あいきょう》が無い、おだてが利《き》かない、感激が無い――芸術がまるっきりわからない。猜疑《さいぎ》のくせに柔媚《にゅうび》がある。犬は三日養わるれば忘れないが、猫は三年養われても三日で忘れる。
 鶏は餌をその友に頒《わか》つことを知っているが、猫に物を与えて見給え、何物をおしのけてもあがき食わんとする。時としては自分の産んだ児をすら、むしゃむしゃ[#「むしゃむしゃ」に傍点]と食ってしまう。
 猫の可愛ゆいのは子供の間だけのものだ。その成猫した横着な、取りすました、そのくせ怯懦《きょうだ》にして、安逸を好み、日当りとこたつ[#「こたつ」に傍点]だけになじみたがる――そうして最後には、ただ化けて来ることだけを知っている。あんな動物に芸術がわかってたまるものか。
 そこへ行くと鼠の方がどのくらい可愛ゆいか知れやしない。気の毒そうに、おどおどして人間の物を荒しに来るあのいじらしさ。あの眼つきをごらん、鼠のいたずらを歯がみをして憎がるものでも、あの眼を見た日には、誰も可愛がらずにはいられまい。
 しかし図々しい奴はどこまでも図々しく、箸にも、棒にも、かからない奴は、どうも仕方がないもので、さしもの茂太郎の心の中で、これほどの憎しみと、軽蔑を受けながら、いったん、姿を隠したと思った猫が、ぬけぬけと茂太郎の前へ姿をあらわして来て、例の柔媚な、むずむずとした形で、主人の鼻息をうかがいながら、火の傍へ近より、とうとう、そこに、いい心持でうずくまってしまいました。
 見れば猫のうちでも、最もたちの悪い老猫《ろうびょう》だ。
「ははあ、それでは猫、お前にも、わたしの芸術がわかるかい」
 茂太郎はその図々しさに呆《あき》れ返って、さてまた、寥亮《りょうりょう》として、清にして且つ悲なる蘆管《ろかん》を取って、海風に向って思う存分に吹きすさびました。
 猫は眼をつぶって、それを聞いている。彼の芸術に心酔するようなふりを見せて、その実、たんまりと、焚火の温《ぬく》まりを貪《むさぼ》っている狡猾《こうかつ》なる策略。
 だが、すべてのものは、そう不信を頭において、見くびりを鼻の先へぶらさげてかかった日にはたまらない、せっかくの有縁《うえん》のものをも、無縁の里へ追いやってしまう。
 狗児《くじ》にも仏性《ぶっしょう》ありというのだから、老猫も一切衆生《いっさいしゅじょう》の中の一物ではある。
 その証拠には、さしも柔媚《にゅうび》にして狡猾な老猫も、少し首を振り出して来たようだ。蘆管の音律につれて、その首が左右に軽くゆれ出して来たようです。
 では、おどり出すかな。この分で行くと、この度し難い動物も、他の度し易《やす》い悪獣毒蛇と同じように、茂太郎の動かすリズムにつれて動かされ、おしゃます踊りの手をでも、不思議な態《てい》で見せてくれるかも知れない。
 この面白い首振りのところで、茂太郎が、ふっと蘆管の吹奏《すいそう》をやめてしまったのは惜しいことです。
 笛をやめた茂太郎は、耳をすまして黍畑《きびばたけ》のかなたを見つめました。

         十四

「茂ちゃん、もういいからお帰りよ」
 これより先、遠見の番所をさまよい出した岡本兵部の娘。
 暗いところの砂浜を西に向って、茂太郎が走り出した通りの道を、さまよい歩きながら、
「お帰りってば」
 この娘は、茂太郎が竜燈《りゅうとう》の松にのぼって歌をうたい、それから西に向って走り出した最初の時から見ていて、追わなかった娘であります。
 晩餐《ばんさん》の時、金椎《キンツイ》が大きな不安の色を以て、筆談で念を押した時も、あの子に限って大丈夫よ、と信任を置いて打消した娘であるのに、今になって、その名を呼びながら、帰れ帰れと、さまよい出したのは、何かしら不安に襲《おそ》われて、堪え難かったからであろうと思います。
 陸も、海も、暗く、層々と押寄せて来る波がしらだけの白いのが見えます。
 両袖を胸に合わせて、すっきりした体を両足に載《の》せ、爪先立って早足に砂浜を走りながら、岡本兵部の娘は、
「ホ、ホ、ホ、ホ……」
と、何か淋しそうな思出し笑いをして、
「おかしいじゃありませんか、昨日《きのう》、漁師たちが造船所で話をしているのを、そっと聞いていると、わたしのことを、あれは駒井の殿様のお妾《めかけ》じゃないか知ら、きっとそうに違いない、なんて、まじめで噂《うわさ》をしているんですもの」
 そう言って振返って、遠見の番所にかがやく火の光を暫くながめながら、足はやはり茂太郎の行った方向に、休まず歩みつづけられている。
「いやだねえ……お妾だなんて。何も関係はありゃしないのよ。ですけれど、有ったところでどうなの……有っちゃ悪いの?」
 思出し笑いに、凄味《すごみ》というようなものが加わって、その眼の中にいっぱいの媚《こび》が流れる。
「何といっても、あの方は美《い》い男ね、あんな美い男は、ちょっとありませんね。それに比べると田山白雲先生は美い男とはいえないわ。美い男とはいえないけれど、醜男《ぶおとこ》というんじゃないのよ、あれは男らしい男よ――ウスノロなんていやな毛唐だけれど、それでも、素直にあやまって来るとは可愛らしいところがあるじゃないの」
 兵部の娘は、たったいま、出て来た家の、変った家庭味の間にいる人たちのことを回想しながら、さっくさっくと足は砂場を走りながら、
「茂ちゃん――」
 前途に向って、かなり大きな声を出して叫んでみましたが、相変らず何の返事もありません。
「ほんとに、あの子は、こんなに世話を焼かせる子じゃないはずなのに」
 こう言って心配しているうちに、急に面《おもて》の色がくもってきて、
「もしかして、あの子はまた人にさらわれて、人気者にされるんじゃないか知ら、そうだと本当にかわいそうだ」
 こちらへ来て対面の後、話のついでには茂太郎は、いかに人気者という商売が、いやな商売だかということを、兵部の娘に語って聞かせたものです。後ろにいる奴が薄っぺらで、高慢で、雷同で、阿附《あふ》で、そうして、人と、物とを、食い物にすることのほかには何も考えない。ところで、人気者同士には、また人気者同士で、競争があるのだからやりきれない。好んでそのイヤな人気者になりたがって、給金がよけい取れるとか、人にチヤホヤされるとかいって納まり返り、またその納まり返った人気を、他《はた》から奪われまいとして血眼《ちまなこ》になっている。おそらくこの世に、興行師のために、人気者として祭り上げらるるほど悲惨なものはあるまいと、山海の自由に生い立った自然の子が、身を以て痛感しているらしいのを、兵部の娘も全くそれに同情しているものですから、今、そのことを考えると、急に心が暗くなりました。
 しかし、安心したことには、薄明りの海の光で見ると、砂浜に人の足あとがあります。その形によって見れば、まごう方なき子供の足あとであります。
 砂に足あとを認めたものですから、兵部の娘は、その足あとをたよりに、例の爪先走りで、砂浜を一散に走りました。
 あるところは、波に洗われて、その足あとが消えているのを、ようやく探し当てて、ともかくも、その足あとの存する限り、走りつづけてみるの勇気を得たようです。
 しかし、行けども、行けども、十里の平沙《へいさ》で、一方は海の波の音ばかり――暫くして、ようやく一つの人影を認めました。
 その人影の、こっちに向いて走って来るのを認めたのも、いくらも経たない後のことでありましたが、不幸にして、その人影は、どう見直しても、自分の尋ね求める少年の姿ではありません。
 だが、自分の走って行くと反対に、向うはこっちを向いて一生懸命に走って来るのが、ちょうど、鏡面に向って相うつしているようなもので、かくしてようやく相近づいた時は、その一方も女であることを知りました。
 女は女だが、自分とはまるきり違った体格と風俗の女で、それはこの辺によく見るところの海女《あま》の一人であることに疑いもない。
 裸で走って来るらしいことを認め得た時に、そう感づきました。
 海岸を海女が走って来る分には、別に怪しいこともないが、いよいよ近づくにつれて、その狼狽《ろうばい》の態度が尋常ではない。何かに怖れて、あわてふためいて、走って来るのではない、逃げて来るのだとさとらないわけにはゆきません。
 いよいよ、その証拠には、この海女は一糸もつけない素裸《すっぱだか》で、その着物類をさんざんに取りまとめて、小脇にかいこんで、眉《まゆ》をつり上げ、息をせき切って、せいせい言いながら、はたと自分に突き当りそうになって、はじめて気のついた海女を、兵部の娘がすれちがって見ると、海女が息づかいもせわしく、
「いけないよ、いけないよ、姉《ねえ》や、そっちへ行っちゃいけないよ」
 海女は、兵部の娘の前に立ちふさがるようにして、小手を振りました。
「どうして」
「どうしてたって、お前様……」
 海女は年の頃三十よりは若いでしょう。見得《みえ》も、外聞も、すっかり忘れて、
「お前様、これより先へ行ってはいけませんよ、わたしと一緒に引返しなさい、早く、早く」
「どうしてなの……」
「海竜《うみりゅう》が出たよ、海竜が……」
「海竜……」
「ああ、海竜があの塔婆《とうば》の浜のところへ出たよ、こんな角《つの》を二本|生《は》やしたのが」
 海女《あま》は後ろの方を指さした手を、あわただしく自分の額《ひたい》の上にかざして見せました。
「海竜って、何なの」
「海の中にいる魔物さ、海の中にすんでいるおろち[#「おろち」に傍点]のことだよ」
「だって、何も見えないじゃないの」
「海ん中にいるから見えないけれど、底をくぐってどこへ出るか知れやしない、そこんとこらあたりへ角を出すかも知れないから、早くお逃げなさい、一緒に」
「何かの間違いじゃないの……」
「間違いどころか、たしかに見たんだよ、こんな角を二本生やした恐ろしい海竜」
 海女は二度まで、指を額の上にあてがって、その形をして見せ、しきりに自分の恐怖を、相手方に移そうとつとめるらしいが、兵部の娘にはいっこう利《き》き目《め》がなく、
「それよりか、お前さん、この浜で十歳《とお》ぐらいになる男の子を一人見なくって、清澄の茂太郎といって、可愛らしい子なのよ、そうして歌をうたうのが上手な子供」
「知らねえ、そんな子供を見るどころの話か」
 海竜の恐怖で唇をふるわせるだけで、こうしていることさえが不安でたまらないらしく、兵部の娘にもその恐怖を移して、警戒を試みようとするのを、兵部の娘は落着き払って、
「あら、ここに足あとがあるわ」
 すり抜けて先へすすみました。

         十五

 それとは知らず、駒井甚三郎と田山白雲とは、食堂の卓子《テーブル》を中にはさんで、しきりに会話の興が乗っておりました。
 マドロス氏はいかにと見れば、室の一隅の横椅子に背をもたせかけて、いびき[#「いびき」に傍点]を立て、仮睡《うたたね》しているところはたあいないものです。
 駒井と、田山との会話が、しきりにはずむといううちにも、ほとんど駒井の諄々《じゅんじゅん》たる説明を、田山が頻《しき》りにうなずきながら聴取しているといった方がよいでしょう。
 駒井の語るところは、海に関する物語でありました。海に関する物語につれて、当然、船と、魚とのことに進んでいるようです。
「そういうわけで、北緯五十度というところが日本の国境なんですが、それは寒い、冬になると氷と雪とが全く道をうずめて、人馬の往来はなり難いのです。しかし、この地球の上でです、一般にその通り、北緯五十度あたりは寒くて、ほとんど人間が住めないかというにそうではなく、欧羅巴《ヨーロッパ》で、ベルリンとか、ロンドンとかいう、世界で一二を争う大きな都は、みんなその北緯五十度よりは北にあるのですが、人間が住めないどころか、今までに人間のこしらえた最高の文化の花が、その辺で咲いているというわけです。それはどういうわけかというに、海の潮の関係ですよ。つまり、海の中にもまた、大きな潮流の流れがあって、その流れに寒暖の二つがある、暖流の流れに沿うている地方は、緯度は遠くともかえってあたたかに、寒流の流れを浴びているところは、緯度は近くとも、気候が寒いというわけです。ですから人間の文明というものは、地理によって支配されるのでなく、潮流によって支配されるのだと言いたいくらいです。それで、海のことは大事です。海は海の領分として大事なのみならず、人間の文化の歴史の上に大事です。しかしながら、人間の力もまた軽蔑したものではありません、人間の力がまたこの潮流を支配することがあるのです――人間が、まだ未開の海に航路をこしらえて、船の通行を盛んにすると、暖流がそれについて来て、その土地の気候を一変させるという事実が、たしかにあるのです……その原因はまだ研究中ですが、これらによって見ると、立派に人間が自然を征服し得ると言えるかも知れません」
「なるほど」
「その点において、日本は恵まれています、海に恵まれている点では、世界に、日本ほどの国はなかろう、と言ってもよいでしょう。今いう、その暖流と、寒流とが……国が充分に細長くて、四面がみな海ですから……そこに、二つの潮流がこう入り交っているから、魚類の豊富なことは無類です。たとえば鰊《にしん》、これは北のものです。鱈《たら》とか、鰊とかいうものは、欧羅巴《ヨーロッパ》でも北の方で捕れる魚ですが、それが日本では、この本州と、朝鮮にかけて、ちょうど、北緯三十六度あたりで捕れるようになっているのは寒流のためです。それから欧羅巴でも南欧のものとなっている鮪《まぐろ》が、日本の北海道の……蝦夷《えぞ》の東の海岸でとれるのは暖流のためです。そういうわけですから、日本の領海のうちで捕れる魚類は、二千種類もあって、その大半が食物とされているのに、西洋で食用につかう魚類といっては、三十種ぐらいなものでしょう。日本はこの海の富を、大いに利用しなければなりません」
「なるほど」
 田山はしきりに大きくうなずきました。自分の得意の問題には、泡を飛ばして気焔を吐くが、自分の至らざる知識については、極めて神妙に人の説を聞いているのがこの男の性質です。そうして、特に海の問題について、駒井の知識をたたくと、それが田山には、無尽蔵の知識のように思われて、単に海の知識を聞くだけでも、相当の年月をここに費して足りないとさえ思われるのです。
 田山は全く駒井の知識に敬服している。人物思想の全幅《ぜんぷく》に傾倒するというには、どことなく物足りないことがあるけれど、駒井の知識の実際に根ざし、計数を基として、ねちねちと語り出されるときには、絶対無条件で敬服、聴従するのが例であって、今もその通りです。
 田山はおそらく徹夜して、その駒井の持てる知識の傾注に、飽くるということを知らないでしょう。
 駒井もまた、この男に語るのは、知識を捨てるのだとは思えない。自分自身すらも、研究室にあると同じほどの熱心をもって、それからそれと語り出でて、このごろは食後、そのままが直ちに研究の結果の発表になってしまったり、講壇の講義そのままになってしまったりすることが、珍しくはありません。
 金椎は気を利《き》かして、蝋燭《ろうそく》を立て増してこの部屋を明るくし、炉炭を加えてこの室を暖かにし、二人が、いつまでも語り明かすに不快を起させまいと働きます。
 ひとり、例のウスノロ氏――改めマドロス氏は、以前の通りそうごうをくずして横椅子の上に、たあいなくふんぞり返って、いびきをかいているばかりです。
「陸の土地は限りあるものです、海だって限りがないとはいえないが、陸に比べると無尽蔵といってよい。将来、日本でも人間が殖えて、土地が狭くなる、食物が乏しくなる、そういった時に、陸だけに眼を限らないで、海から食物を上げる、これは大切なことです。単に食物を上げるだけではいけない、それを殖やすこと……近年までは、この北の方の川、北上川だの、利根だの、最上《もがみ》だのというのに、海から盛んに鮭が上って来たのですが、近年それがトンと少なくなったということですが、いくら無尽蔵だといっても、乱暴をしてはたまらない、捕る時は盛んにとり、繁殖の道はまた、保護奨励の法を講ずるといったように、物を得るには、また物を愛しなければならないのだ」
 異った方面から、駒井が食糧問題に説き進むのを、田山も充分に諒解《りょうかい》して、
「その通り、それに違いありません。つまり海を耕すことですな、陸地を耕して穀物を得るように、海を開墾して魚介をあげる、なるほど、これはまだ日本人が充分に着眼していない問題のようです……一番絵筆をなげうって、漁業家になろうか知ら」
「やって御覧なさい、陸を耕すも、海を耕すも、同じことですよ。たとえばです、今われわれが食べたあのジャガタラ芋《いも》、あれも海外から来たものですが、ようやく日本のものになりそうです。サツマイモはもう、日本の本来の国産でもあるかの如く流行して来ました、それと同じように、海の魚でも……海といわず、川でも、湖でも同じですが、甲に無かったものを、乙に移すこともできるし、異種類と異種類とを組み合わせて、変った風味の魚肉を賞玩《しょうがん》することもできましょう。たとえば鯉という魚は、アジア洲に限ったものでしたが、十字戦争の時に、オースタリーという国の手で、アジアからヨーロッパへ運ばれました。鱒《ます》の種類で、虹鱒《にじます》というのが、育ちが早くて旨《うま》いというので、諸国の人が、アメリカからそれを移したがっているから、追々こっちへ来るかも知れない――といったようなもので、或いは海の魚を河へ移すことができるようになるかも知れぬ、この海に無い魚類を、かの海から取って繁殖せしめることもできるようになるかも知れぬ。その点からいうと、魚類に富む日本の将来は有望で、浦安の国という名が当っているようです、世界の魚の卸問屋になれるかも知れません」
「なるほど、お説の通りです。なにしろ、日本は周囲がみな海ですからね、魚類において恵まれているのは当然で、それを利用することを忘れては、天地の化育にそむくというものでしょう。ところで、その日本にすむ魚は、何種類ありましたっけね」
「おおよそ二千種、そうして、その半ば以上は食べられます」
「二千種類、非常なものですね、我々の粉本の中に納められているものは……何種あったか、ちょっと忘れたが、九牛の一毛だ」
 その時、夜の外の窓口に、あわただしい人声があって、
「番所の先生、先生――大変でございます、塔婆《とうば》の浜へ海竜《うみりゅう》が出ました」
「海竜!」
「はい、海竜が出ました、角《つの》を二本|生《は》やした、こんな怖い顔をして、お杉のあまっこ[#「あまっこ」に傍点]を追っかけて来たのを、命からがらで逃げて来やんした」
 窓の外は、けんけんごうごうとして、潮《うしお》のわくような騒ぎであります。
 駒井甚三郎も、田山白雲も、そのあまりな仰々しさに、立って窓を開いて見ると、漁師ども十数名、中に裸体で着物をかかえた海女を一人とりかこみ、いずれも恐怖と、狼狽《ろうばい》の色を、面《おもて》に漲《みなぎ》らしている。
「どうしたのだ」
「海竜が出ましたよ、海竜が」
「海竜とは何だ」
「角を二本生やした海竜が、おっかない面《かお》をして、海を泳いで、このあま[#「あま」に傍点]を追っかけて来やんして、すんでのことに……」
「いったい、海竜というのは何だい」
 駒井が、あまりの仰々しさに、漁師どもに問い返すと、
「海竜に逢っちゃたまりませんや、御用心なさるこってすよ、いつどこへ出て来るか知れやしません、今夜は寝られませんよ、夜っぴて寝ずの番です。明朝になったら、先生、退治しておくんなさいまし、あの大筒《おおづつ》でもって。いかな海竜だって、大筒にゃかなわねえや」
 海竜とは何物だ、ということには返答しないで、ただその海竜の恐るべきことだけを説いている。
 そこで、駒井は考えました。この連中が海竜といったのは、鯨のことでもありはしないか。何かの間違いで鯨がこの浦へ流れついたのでも見て、そうして海竜、海竜とさわいでいるのかも知れない。そこで駒井は、再び念を押してみました。
「君たちが海竜というのは、鯨のことでもあるのかい」
「いいえ、どう致しまして、鯨ならば殿様、逃げるどころじゃござんせん、鯨ならばいいお客様ですよ――鯨なら浦が総出で、とっつかまえてしまいます、海竜に逢っちゃかないません……」
 海の最大の生物よりも、恐るべき海竜というものの襲来が、どうしても駒井にはのみこめないでいると、
「どうか殿様、御用心なさいまし、当分は、どなたも、外へお出しにならねえのがようございますよ、そのうちなんとかなりましょう、ほんとうにお気をつけなすっておくんなさいまし」
 彼等は喧々囂々《けんけんごうごう》として、これだけのことを報告に来たものらしい。大筒《おおづつ》で退治してくれというようなことは、思いつきの、お座なりの希望で、とにかく、この近海へ、異様な怪物が現われたから充分の御注意あってしかるべし、ということを、親切気を以て報告に来てくれたことは疑いないのであります。彼等が行ってしまったあと、田山白雲も同様の不審が晴れないので、
「海竜というやつは何ですか」
「それがわからないのだ。角があると言いましたね、鯨ではない。鯱《しゃち》、鮫《さめ》でもあるまい。鮪《まぐろ》でもなかろう――はて」
 駒井も首をひねってしまいました。そこで白雲も、
「しかし、あの海を畳同様に心得ている奴等が、ああやってオゾケをふるうのだから、全く跡形《あとかた》のないことでもあるまい。何か怪しいものか、見慣れないものが、この浦に漂いついているかも知れぬ。われわれにしてからが、ジャガタラ薯《いも》そのものに、すっかりおどかされちゃってるんだから。ことによると、外国の船でもやって来たかな」
 駒井がいう――
「船なら船で、あの連中にも理解があるだろう、海竜はわからない。鮫の一種の剣鮫《けんざめ》というのがあるが、これは三四尺のもので問題にならぬ。刺鮫《はりざめ》というのは相当に大きな奴で、夜、海の中を行くと、白い光が潮に透《とお》って見える、こいつは舟をくつがえしたり、人を食ったりする怖るべき奴で、舟乗りはこいつにでっくわすと鰹《かつお》を投げてやって逃げるのだが、この刺鮫も頭に角のあるというのを聞かない――一角魚《うにこうる》の角は角というよりは嘴《くちばし》だ。竜駒、海蛇、有るには有るが問題にならぬ」
 駒井甚三郎は、漁師らのいわゆる「海竜」なるものを、まじめに、つまり科学的に考証してみようと苦心しているが、田山白雲はさのみは追究せずに、
「疑心暗鬼でしょう、幽霊の正体見たりなんとかで、つまり、何か彼等が見あやまって、それを一途《いちず》に恐怖の偶像にしてしまったんですね――追究してみれば、存外くだらないことなんだろう」
「しかし……」
と駒井は、相変らずまじめに考えているのは、よしそのことが暗鬼であるにしても、偶像であるにしても、その暗鬼を映し出した偶像を、浮び上らせた本体というものに、その出来事とは全く離れた水産上の想像を打ちすてておくわけにゆかなかったからです。何となれば、いかに疑心といえども、狼狽といえども、鰯《いわし》を鯨と見るはずはないからであります。
 海竜として、かれらが怖るべきものを見たとすれば、よし全然間違いであったとしても、多少形体において、それに似通《にかよ》った存在物を見たものとしなければならぬ。かれらが疑心をもって、海竜にコジつけたその本体は何物だかということが、今、駒井の研究心を刺激していると思われるのに引きかえて、田山白雲は放胆に、
「実際、この辺の海には竜というものがいるのかも知れん、馬琴の八犬伝のはじめの方に、素敵な竜の講釈が出ている、あれによると、竜というものにも、かなりの種類があることを教えられる――」
「有史以前にはねえ……」
 八犬伝の竜説は一向、駒井の念頭にはないと見えて、ほかの方に話材を持って行き、
「有史以前には、竜のようなものがあったかも知れない――この間、支那の書物で『恐竜』という文字を見たが、あれは支那本来の文字ではないらしい。事実、この人類以前の世界には、竜に似た百尺程度の大きな動物が地上にのたうち廻っていたように、西洋の本には書いてあるのだが、そういう時代の想像が、人間の頭のどこかに残っていて、そうして、竜という不可思議な動物をこしらえ上げたのかも知れない。人間の想像し得るかぎりのものには、大抵、事実上の根拠があるのだから」
「といって、人間の存在しなかった時分の存在を、どうして人間の頭で想像がつきます、生れぬ先の父ぞ恋しき、というわけでもなかろうに」
「いや、人間は存在しなくとも、人間の胚子《はいし》、或いは精虫といったようなものは存在していたに相違ない。それが先天的の印象で、人間の形になるまで残っていて、想像が働き出した時には、生れぬ先の父でもなんでも、形に表現してみることになるのじゃないか知らん。事実、人間が想像だの、空想だの、不可思議がるものは、みな前世界の実見の表現ではないかしらと、このごろは、そう思わせられることが多い」
「そうしてみると、その前世界とか、有史以前とかいう時に生きていた不可思議な動物というのが、今日、生きていないのはどうしたのです」
「それは種が切れたのだな」
「種が……」
「今日、想像だけに上って、実際に見ることのできぬものは、すでに、その種族が絶滅してしまったのだ」
「ははあ、種切れになったのですか。してみると今日、われわれのように、人間の形をとって生きている生物も、次の世界には、種切れになってしまうと見なければならん」
「左様、この地球――この地上が、地上として今日のように固まるまでには、幾多の生物が現われて蕃殖《はんしょく》したかと思うと、それが全く種切れになって、次の時代に移り……」
 駒井甚三郎が竜の疑惑から、種《しゅ》の問題に進んで行く時、あわただしく金椎《キンツイ》が紙を持って来て、二人の前に提示しました。それを読むと、
「茂チャン帰リマセン、ミドリサンモドコカヘ行ッテシマイマシタ」

         十六

 清澄の茂太郎が、ふと蘆笛《ろてき》の吹奏をやめて、黍畑《きびばたけ》のあなたを見やった時、せっかく、首をふりかけた表情のない動物が、愕然《がくぜん》として恍惚《こうこつ》から醒《さ》めて、のどを鳴らしはじめました。そこで、黍畑のあたりを見ながら、例の卒塔婆《そとば》を折りくべて、茂太郎は反芻《はんすう》の歌をうたい出しました。
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神のことごと
つがの木の
いやつぎつぎに
天《あめ》の下《した》
知ろし召ししを
空にみつ
大和《やまと》を置きて
青丹《あをに》よし
奈良山《ならやま》越えて
いかさまに
思ほしめせか
天離《あまさか》る
鄙《ひな》にはあれど
石走《いはばし》る……
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 ここでは中音《ちゅうおん》で歌いました。
 これは、お雪ちゃんからの伝授であろうと思われます。今まで、いつどこで、茂太郎が万葉集を習ったということを聞きませんから、月見寺にいる時にこそ、お雪ちゃんの口ずさみを聞きなれて、聞きよう、聞きまねに、口をついてほとばしるものでありましょう。
「茂ちゃん、茂ちゃん」
 不意にその黍畑《きびばたけ》の方から、名前を連呼しながら飛び出して来たのは、兵部の娘です。
「お嬢さんかエ」
「あい、お前、そこで何をしていたの」
「笛を吹いていましたよ」
「誰にことわって、こんなところへ来てしまったの」
「つい、あるきたくなったもんだから」
「帰る気はないの?」
「だって、着物が乾かないんですもの」
「どうして、着物を濡らしたの」
「海へ、落ちたから」
「海へ落ちた? そうして、海竜《うみりゅう》が出たっていうのを知っている?」
「知らない」
「海竜が出たって、今、逃げて行った人がありますよ」
「あたしは知らないのよ」
「みんな心配するといけないからわたしと一緒にお帰り」
「お嬢さん、なんだか、あたいは、どこへも帰りたくなくなった」
「どうして」
「でも、なんだか、淋しくってたまらないもの」
「淋しければ、一層、お前、大勢の中へ帰ればいいじゃないか」
「それでも……弁信さんがいないもの」
「茂ちゃん、お前はよく弁信さん、弁信さん、て言うけれど、そんなに弁信さんていう人がいい人なの」
「いい人というわけじゃないけれど、さぞ、あたしを尋ねていることだろうと思うと、あたしも、あの人に逢いたくってたまらないのよ」
「駒井の殿様もいらっしゃるし、白雲先生もおいでになるし、金椎《キンツイ》さんだって悪い子じゃなし、それに、わたしというものもいるのに、それだのになお、お前は、弁信さんという人が、そんなに好きで、みんなをあとにしても、それでも弁信さんに逢いたいの、それほど、弁信さんという人はいい人なの?」
「どうかして、ここへ、弁信さんを呼んで来ることはできないか知ら」
「ところさえわかれば、できないことはないでしょう」
「それがわからないのです。さっきは、富士山の後ろの方から面《かお》を出したから、たしか、あの辺にいるのかも知れません」
「富士山の後ろって、お前……そんなお前、広いことを言っても、わかりゃしないじゃないの」
「ああ、弁信さんに羽が生えて、この海を渡って、飛んで来てくれるといいなあ」
「弁信さんて、そんなにいい人なの、憎らしい、弁信坊主――」
といって兵部の娘は、海を隔《へだ》てて罪もない富士山を睨《にら》みました。
「お嬢さん、千鳥の笛を吹いてみましょうか、千鳥の笛をね」
 茂太郎は、兵部の娘のひがみをよそにして、蘆管《ろかん》を火にかざしてあぶり、おもむろに唇頭へあてがって、
「まず大雀《おおじゃく》を吹いてみましょうか」
 千鳥を吹くというから、「しおの山」でも吹くのかと思うと、そうではなく、単調な、物悲しい、尻上りになって内へ引込む連音を吹いて、
「次は中雀《ちゅうじゃく》」
 これもほぼ同じような、単調な連音。
「今度は黄足《きあし》ですよ」
 これは、以前のよりは、ズッと音が高くて強い、けれども、やはり特別の節調があるというわけではなく、誰が聞いてもヒューエヒューエと続けさまに鳴るだけのものです。
 音はそれだけのものですが、不思議なことには、この笛が鳴りはじめてから、海上が少しずつ物騒がしくなってきました。前の大雀というのを吹き終った頃に、墓石の上あたりを低く、いくつもの小鳥が群がって来ました。
 中雀を吹き出してから、それが一層多くなって、ほとほと、茂太郎と、兵部の娘の身辺にまで、まつわるかのように見えましたが、黄足というのを吹いた時分には、あるものは茂太郎の肩の上まで来てとまろうとしました。
「茂ちゃん、もう、およし、ホラ、こんなに鳥が集まって来たわ」
「みんな千鳥なのよ」
 ここに於て知る、つまり、千鳥の笛といったのは、風流千鳥の曲というようなものではなく、千鳥の啼《な》く音そのものを模していたのです。それが真に迫ったから、かれらの夜のねぐらを驚かして、海上を物騒がしいものにし、そうして、ここまでおびき寄せられて来たものに相違ない。これは茂太郎の技術として、今にはじまったことではないのだが、せっかく呼び寄せられた小動物は、火事もないのに半鐘を打たれたような気持で、まだ火元と覚しいところを離れきれないで騒いでいるらしいのを、兵部の娘が気の毒に思ったのでしょう。
「折角、呼び集めて、何かやらなくちゃかわいそうだわ」
 しかし、ここには何も彼等に与うべきものがない。
「峰島の爺さんが言うには、千鳥は、あれで三十幾通りかあるんだって。その三十幾通りあるのが、みんな啼く音が違っていると言いますが、あたしには、そのうちの半分しか吹けやしない。習えば吹けるでしょうけれど、習おうとは思わないの。峰島の爺さんは、その三十幾通りをみんな吹きわけるには吹きわけるけれど、あれは罪なのよ」
「罪とは?」
「だって、あの爺さんは、千鳥の笛を吹いて、千鳥を呼び寄せて、それをみんな網でとってしまうんですからね」
「そんなに千鳥をつかまえて、どうするの」
「食べてしまうんでしょう、自分で食べるだけじゃなく、売りに出すのでしょう」
「千鳥の肉なんて、食べられるか知ら」
「食べられますとも。爺さんの話では、田鴫《たしぎ》よりは少し味が劣《おと》るけれど、あの鳥は丈夫な鳥だから、それにあやかりたいために、あれを食べると丈夫になるって、千鳥を食べるんですとさ」
「そうか知ら。千鳥の肉を食べると丈夫になるなんて、はじめて聞いた」
「でも、鳩や、雉《きじ》なんぞは、土用中、おとり[#「おとり」に傍点]にして一時間も置くと死んでしまうけれど、千鳥だけは、土用中でも、寒《かん》のうちでも、何時間おいてもビクともしないそうです――しかし、わたしたちはこの鳥を呼び集めたって、それを捕って食おうというのじゃなく、友達として呼び迎えるのだから、罪にはならないさ」
 兵部の娘と、茂太郎が、浜辺へ向って歩き出すと、千鳥は、その前後左右を落花飛葉のように飛びめぐって送ります。

         十七

 駒井甚三郎と、田山白雲とは、種《しゅ》の問題にまで会話が進んだ時に、金椎《キンツイ》のために腰を折られました。
 しかし、駒井は「種」ということには相当の見識は持っているらしい。今までの会話では、田山の方がむしろ現実的で、駒井が有史以前の動物にまで想像を逞《たくま》しうしたようですけれど、駒井が、ああ言うからには、何か相当の科学的――といわないまでも、新しい知識に刺戟されたには相違ありますまい。
 ただ惜しいところで、話の腰を折られてしまいました。
 そうかといって、リンネよりキウエーにいたる種の不変の説を、この時代の駒井が、どれほど理解していたかは疑問です。いわんや、金椎によって、ようやくこのごろキリスト教の眼をあけられた駒井が、生物進化論にまで飛躍しているとは、全く想像し難いことであります。ダーウィンが「種の起源」の初版を出したのは、ここに駒井がこうしている数年前のことではありましたけれど、いかに新知識でも、当時の日本人としては、それを受入れるにはあまりに早過ぎます。しかし、早過ぎるからといって、当時、出来ていた「種の起源」の新説が、何かの機会で、たとえば、鉄砲の包紙の一片か何かにはさまって来て、偶然に、駒井の眼に触れないとも限りますまい。
 しかし、この場の事実は、如上の進化論の途中に、突変説が起りました。
 話の進化に突変をまき起したのがすなわち金椎であります。それをまき起させた「種」は、清澄の茂太郎と、兵部の娘とであること勿論です。
 二人の者が行方不明《ゆくえふめい》になって、今以て帰らないということが、物に動ぜぬ金椎を、安からぬ色に導いているということによって、二人も、これは打捨てて置けないと立ち上りました。
「あの連中ときては、常軌《じょうき》にあてはまらないのだから始末にゆかぬ、即興的の感情を、即興的の行動に現わして、節制の術《すべ》を知らないんだからたまらない、全く眼がはなせたものではない」
と田山白雲が、柄《がら》になく嘆息しました。全く柄にないことで、そういえば御当人自身としても、御多分には洩れないところがあるはずです。
「怪我はあるまいけれども、放っても置けまい」
と駒井も、多少の不安を感じないわけにはゆかないらしい。ただいまの海竜といい、この辺の海の悪戯《いたずら》には、再再経験もあることだ。
 金椎《キンツイ》は同じような不安から、窓の外の海をしきりにながめています。度《ど》すべからざるはウスノロ改めマドロス氏で、今以ていぎたない酔睡《よいね》から覚めやらず、長椅子にフンゾリ返った無遠慮千万の行状です。
 駒井は壁にかけたマントを取って、田山白雲の肩に打ちかけました。
 白雲は、それを引纏《ひきまと》うて身がまえをするのは、多分、これから茂太郎と兵部の娘の行方を探すべく、出で立つの用意と見えます。駒井はと見れば、かれは一旦、研究室の方へ引返して、それは少し短いマントを引っかけて、鞭《むち》を持って来ました。
 田山白雲が、和服の上にマントで、中には脇差を一本差して、無雑作に草履《ぞうり》を突っかけた時に、駒井甚三郎は、長靴をはきはじめました。その長靴をはくことが多少手間取るものですから、田山は、さっさと海辺へ向けて歩き出しました。
 かくて、この二人もまた夜の海岸を歩み出したのは、前の二人とは違い、半ば散歩のような気持に見えましたが、これでも、たしかに相当の憂心を、二人の即興者の身の上にかけていることには違いありません。
 行き行きて、竜燈の松のところに来ると、田山白雲が、ふと歩みをとどめて、耳をすまし、
「ああ、大丈夫です――蘆管《ろかん》が聞えていますよ」
 駒井甚三郎もまた、歩みをとどめて、
「蘆管とは何ですか」
「お聞きなさい、亮々《りょうりょう》として、笛に似て、笛でない響きが、海の上から聞えましょう、あれは茂太郎が、蘆管を吹いているのです」
「なるほど――」
 耳を傾けて、海表を渡り来《きた》る管笛《かんてき》の音を納得した駒井甚三郎は、
「最初は千鳥かと思いました」
「遠くなり近くなるみの浜千鳥、啼《な》く音に潮の満干《みちひ》をぞ知る……といったものです。お聞きなさい、今は全く音調が変りました」
「なるほど――」
「あれは遼東九月の歌です」
「遼東九月の歌とは……」
「かりに拙者が名をつけて吹かせてみたものです。唐の岑参《しんしん》の歌、遼東九月蘆葉断つ、遼東の小児蘆管を採る……あの心を取って吹かせてみると、どうやらものにはなりました」
「ははあ」
「あの子供はあれで一種の革命家ですね、音を出すと、おのずから節調をなすところが不可思議です。あの子供の歌を聞いていると、でたらめが韻《いん》を踏んで、散文が直ちに詩になって響くのが妙です。普通、詩歌というものは、内容があって後に形式が生ずるので、たとえば、歌わんとする思想があって、それが十七文字になり、三十一文字《みそひともじ》なりに現われたり、感情があって、しかして後に平仄《ひょうそく》の文字が使用されるのだが、あの子供のは全然それが逆に行っています。つまり、思想と、感情と、文字が、節調を作るのではなく、節調が、思想と、感情と、文字とを駆使《くし》するのですから、まさに詩歌の革命です。ところが、あの子供はその重大な革命を、無邪気な放漫を以て、尋常一様の遊戯として取扱っているところが奇妙でたまりません」
「なるほど――」
「まあ、今度、ひとつある機会に、それとなく、あの子供のでたらめの歌を聞いていてごらんなさい、そうでなければ、管笛を弄《もてあそ》ぶところを隙見をしていてごらんなさい、節調が――音律が、言語と、文字と、思想とを、縦横に駆使する離れ業《わざ》を、当人自身に悟られないようにして、聞いてみてごらんなさい、とてもめざましいものですよ」
「音律のことは、それがしには、よくわからないのですが……」
といって駒井は、やはりその蘆管というものには、耳をすますことを忘れないで、
「その蘆管というのは、ただの笛ですか」
「蘆《あし》の幹を取って、それを一節切《ひとよぎり》のようにこしらえてみたのです。最初あの子供が、穴を三つだけ明《あ》けて、しきりに工夫しているようですから、拙者が寄って五つにさせました。いわば二人の合作の新楽器ですから、支那のいわゆる蘆管――遼東の小児の弄《もてあそ》ぶそれとは違っているかも知れません」
「胡笳《こか》というのとは、違いますか」
「それは違いましょう、笳というのは、ヒチリキの異名だそうですが、胡笳というのは、いかなる笛かよく知りませんが、蒼涼《そうりょう》たる原始的の響きがあるものとは想像されます――君聞かずや胡笳の声最も悲しきを、紫髯緑眼《しぜんりょくがん》の胡人吹く、これを吹いてなお未だ終らざるに、愁殺す楼蘭征戍《ろうらんせいじゅ》の児……」
と田山白雲が吟声に落ちて行くところは、御当人が茂太郎を笑いながら、御当人自身も、茂太郎にかぶれたところがあるようにも思われる。それを駒井が、どちらにも注意を払いながら、
「あなたは詩吟が上手ですね」
「上手といわれては恐縮しますが、口癖のようなもので、やっぱりでたらめです、でたらめとは言いながら、茂太郎に比べると、節調はまずいが、思想と、感情と、文字とを崩さないところだけは取柄《とりえ》でしょう」
「ひとつ、あなたの詩吟をお聞かせ下さい、ここで……幸い、その胡笳の詩を最後までおうたい下さい」
「やってみましょうか」
 そこで駒井がこころもち先に立ち、白雲が少しおくれて歩きながら、御所望の詩吟にとりかかろうとして、
「では、まず、淡窓流《たんそうりゅう》で一つやってみることにしましょう」
「お待ちなさい、淡窓流というのは何です」
「ははあ、それは詩吟の一つの流儀です。御承知でしょう、九州の広瀬淡窓によって起された調子なのです」
「なるほど」
「唐音のことは暫くここに論ぜず、朗詠のことも暫く置き、ちかごろでは、この淡窓流と、それから、もう一つはそれと相対して山陽流というのが、書生の間に行われます」
「そうですか」
「その間に、肥後に起って面白い一つの吟じ方がありますが、まあ近ごろ流行の吟声としては、淡窓流と、山陽流と、二つでしょう。どちらも特徴があって、さながら、淡窓と、山陽との、性格を現わしているようです。淡窓を呂《りょ》の黄鐘《こうしょう》とすれば、山陽のは律《りつ》でしょう。一《いつ》は温雅にして沈痛、一は慷慨にして激越とでも言いましょうか。では、ひとつその淡窓流をまねてやってみます」
と前置をして、田山白雲は朗々たる音吐《おんと》で、次の詩を吟じ出しました。
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君聞かずや胡笳《こか》の声最も悲しきを
紫髯緑眼《しぜんりよくがん》の胡人吹く
これを吹いて一曲なほ未だ終らざるに
愁殺す楼蘭征戍《ろうらんせいじゆ》の児
涼秋八月|蕭関《せうかん》の道
北風吹き断つ天山の草
崑崙山《こんろんさん》の南、月斜めならんと欲す
胡人月に向うて胡笳を吹く
胡歌の怨《うら》みまさに君を送らんとす
泰山遥かに望む隴山《ろうざん》の雲
辺城夜々愁夢多し
月に向うて胡笳誰か喜び聞かん
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「なるほど――」
 それを聞いた駒井は、多少の感動を面《おもて》にあらわして、
「温雅にして沈痛、というよりも、沈痛にして温雅と、後先をかえて言った方がいいようです――」
「淡窓は、これを吟ずる時に、独流の鼓《つづみ》――鼓といっていいかどうか、太い竹の筒に紙をはったものを肩にして、鼓を打つように、おもむろにそれを打ち鳴らしながら、ゆったりと吟じたそうです。淡窓の方針では、詩を吟ずることを教育の上に応用して、塾生の士風を涵養《かんよう》するにこれを用いたものです――朗詠が多く入っています。詩吟を教育に応用するというのは、非常にいいことだと思います。人生に音楽がなければ、その人生は唖《おし》です、教育に音楽がなければ、その教育は聾《つんぼ》です。宗教と、音楽とは、全く離すことができません――孔夫子ですらも、楽《がく》を六芸《りくげい》の一つに加えているのに、今の儒者共で、孔夫子のいわゆる楽を心得た奴が幾人ありますか……それはそれとして、今度はひとつ、その山陽流をやってみましょう。それは同じく胡笳の歌をえらぶよりは、山陽自身の詩によって試みた方が、よくうつるかも知れません――先生の『筑後河』をひとつ、その調で吟じてみます」
といって田山白雲は、以前のとは全然、調子をかえた吟じ方で、
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文政の元《げん》、十一月
われ筑水を下らんとして舟筏《しうばつ》をやとふ
水流|箭《や》の如く万雷ほゆ……
[#ここで字下げ終わり]
 田山白雲が、ようやく筑水の詩をうたいはじめた途端に、向うの方で、突拍子《とっぴょうし》もない声で、
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どんちゃ、どちどち
どんちんかん
みょうちゃがろくすん
とうらい、みょうらい
きうす、きうす
さんでん、しんでん
こんにゃか、ぶうくぶっく
は、きくらい、きくらい
きうす……
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 これはもとより何の意味だかわからないが、清澄の茂太郎が近づいて来たことがわかります。
 白雲の詩吟が、これで、すっかり打ちこわされてしまいました。

 留守にあっては、この時分になって、ようやくマドロス氏も、多年の眠りからさめました。
 醒《さ》めて、そうして、まだ醒めきらぬ酔眼をとろりとさせて、室内を見廻すと、誰もいないが、さながら自身のためにしてくれたもののように、カンカンと燭光《しょっこう》はかがやいているし、炉炭も適当に加わって、寝ざめの具合が、いかにも快適なものですから、納まり返って、
「モッシュウ、モッシュウ」
と意味不分明なる呼び名をしてみましたが、誰も来るものがありません。
 かなり時も経《た》ったろうが、さあ今晩はどこへ寝かしてくれるのだろう。あんまり静かだ。快適もいいが、こうなってみると、なんだか置いてけぼりにされたような気持もしないではない。そこで再び、
「モッシュウ、モッシュウ」
と、変テコな呼び名をしました。
 外が遽《にわ》かに騒がしくなって、失踪《しっそう》の茂太郎と、それを探索の三人が立帰って来たのは、その時でありました。
 そこで、再び、すべての者がこの一堂に会してお茶を飲み、そうしておのおの寝室を分って眠りについたのは、いくらもたたない後のことであります。

 駒井甚三郎は、例の寝台の上に身を投げかけると、何かしら今晩はヒドク疲れたように思いました。そこで、暫く眠りもやらずグッタリと休息しているうちに、駒井はこのごろ中、自分のこの閑居《かんきょ》へ、偶然に集まって来た連中のことを思い浮べて、微笑を禁ずることができません。
 変った人間ばかり集まって来たようではあるが、結局、人間というものは憎めないものだ――というような淡い感情に、かなり長いあいだ漂わされていたが、やがて、不意に起き上って寝台から飛び下りたのは、海竜が現われたという警報が聞えたわけでもなく、また、例の兵部の娘が、窓の外からしきりに侵入を企《くわだ》てているというわけでもありません。
 駒井は、急に寝台から飛び下りて書架のところまで行くと、辞書と覚しい部厚な洋書を一冊抜き取って、寝台の傍の燭台まで持って来て、それを開きはじめました。
「海竜――スネーク――ドラゴン」
と呟《つぶや》きながら、その書物を繰り返しているところを見れば、執念深いこと、この人はまだ海竜の未練が取去れないと見え、いったん、横たわった褥《しとね》を蹴って、そのことの取調べにかかったものと見えます。
 一冊――二冊――三冊ばかり、その部厚の洋書を抱えこんでは燈火の下まで持って来たが、三冊目のあるところのページを翻す途端に、バッタリと下に落ちたものがありました。
 なにげなく、その落ちたのを取り上げて見ると、駒井甚三郎の面《おもて》に隠すことのできない不快の色が、さっと現われました。
「ちぇッ」
 危なくその物を床板の上に落そうとして、自分ながらその軽率を悔ゆるかのように、台の上へ静かに置いたのは、それは一個の婦人を現わした一枚の写真であります。
 その写真は、そこへさし置いて、またも辞書を繰って、その数カ所を読んでみましたが、相当の当りがついたものか、三冊の辞書は、以前のところへ元通りに納めてしまったのに、取り出した写真のみは、依然として枕許《まくらもと》の台の上へ置きっぱなしで、自分は再び寝床の中へもぐり込みましたが、蝋燭《ろうそく》を消そうともせず、暫く仰向けに寝そべっていたが、そのままで手をのばして、例の写真を取り上げて、やはりその仰向けに寝たままで、それを冷静にながめ入りました。
 ここで、この際、こんな写真を見せられようとは思わなかったのでしょう。有ると知ったら、見ない方がよかったのでしょう。でも、不意に現われて、不意に見せられてしまった以上は仕方がない。
 これぞ、かつて、自分の最愛の妻であった人の面影《おもかげ》。

         十八

 神尾主膳は、今朝《けさ》は日当りのよい窓の下で、しきりに入木道《にゅうぼくどう》を試みていました。
 これが、閑居のうちに、神尾主膳が善を為《な》すの唯一のことかも知れません。
 朝の気分のいい時を選んで、会心の法帖を摸するの快味を味わう瞬間だけは、神尾主膳にも本当な清純な興味に、我を忘るる殊勝な色が面《おもて》にただよいます。
 今も、専心にそれをやりながら、ふと筆を休めて、半ば開いて置いた窓から、庭の方を見ました。
 竹林の風情《ふぜい》も面白いと思いました。掘ぬきの井戸から引いた泉水の流れも、今日は特別に気持がよい流れだと思う。朝の光線も、空気も、庭の木々も、そこへ遊びに来る小鳥も、すべてが快い感じを与える朝だというように、主膳は珍しく暢《のび》やかな、ゆったりした気分になりました。
 ところが――一朝にして、このせっかくの主膳の、珍しく気持のよい暢やかな気分を、根本から打消してしまったものがあります。
 そこで、主膳はむらむらとして、一種の不快千万な気持に襲われると共に、今までの、かりそめの清純な感情が塗りつぶされてみると、当然あるべき神尾主膳そのものの感じが、露骨に現わされてしまったのは、ぜひのないことでしょう。
 何が、それほど、せっかくの神尾主膳を不快なものにしてしまったか。
 庭を隔てての廊下を見ると、お絹という女が寝くたれ髪のだらしのない風をして、しきりに楊子《ようじ》を使っている姿が、ありありと見られたからであります。
 今時分――日はカンカンと照っているのに、自分でさえが、こうして、早く、いくつもの法帖を楽しんでいるのに、かの女《おんな》は、今になって漸《ようや》く寝床を離れたものらしい。
 朝寝ということは、当然夜ふかしというものを前提とする。
 それは芸妓であり、女郎である人々は別とする――また芸妓であり、女郎でないまでも、社会に存する正当な仕事で、夜業をすべき必要のあるものは別とする。
 普通の社会において、普通の家庭において、朝寝、夜更かしというものは男性においてさえも決して自慢にはならない。ましてや女性において、おそらく女性の醜辱《しゅうじょく》の一つとして、朝寝、夜更かしはその最も大なるものの一つとして、数えてもよかろうと思う。
 さすがの神尾主膳でさえが、このカンカン照っているお天道様の前に、ぬけぬけと、恥かしい色も更になく、起きぬけの、だらしのない姿をさらしている女の醜態に、目を蔽《おお》わないわけにはゆきませんでした。
 といって、主膳には断じて、それを弾劾《だんがい》したり、諷諫《ふうかん》を試みたりする資格はない。このごろこそ、その方面へはあまり足を入れないけれども、到るところの花柳《かりゅう》の巷《ちまた》というところで、自分もこのだらしない雰囲気《ふんいき》の中に、だらしない相手と、カンカン日の昇るのを忘れて耽溺《たんでき》していた経験を、有り余るほど持っている身でありながら――この時、この女の風を見て、不思議といっていいほど強く、醜辱の感を催しました。
 ああ、かの女の朝寝は、当然、昨夜の夜更かしを連想する。
 昨晩もかの女は外出した。そうして帰りはいつであったか、主膳すらも知らない。
 主膳も最初のうち、火の車の時にこそ、あの女の才覚で、どうやらこの所帯を張っていたのだから、その時は、あの女を大切にもしたし、自然、その外出がおくれたりする時には、いらいらもしたが、今は七兵衛のおかげで、懐ろは温かくなっているし、あの女の不良性はもう慣れっこになっているのだから、このごろは、その出入りをさまで気にも留めていなかったが――今朝という今朝は、不思議なほどの醜辱を感じました。
 神尾主膳は、入木道《にゅうぼくどう》の快感から、朝寝、夜ふかしの醜辱に、苦々《にがにが》しい思いをして、再び筆を取る気にはなれず、じっと机に肱《ひじ》をもたせて、やはりその苦々しい思いで、眼を据えて、前庭をながめっきりにしておりました。
 主膳といえども、この頃は、手持無沙汰に堪えられないものがあるのであります。「黄金多からざれば、交わり深からず」といった頼もしい連中は、多少の黄金を振りまいている間は集まって来るが、その水の手が切れれば、雲散霧消することは今にはじめず、外へ遊びに出るにはこの額の傷が承知しないし、よし額の傷が承知しても、どこへ遊びに行こうという興味も起らないのは、すでに世の遊びなるものを仕尽しているからであります。
 その結果、彼の頼もしい友人たちと企《くわだ》てた大奥侵入の空想も、七兵衛の身を以て虎穴《こけつ》を探って来た報告によれば、どうしてどうして、伊賀流の忍びの秘術を尽したって、容易なことではない――ということを知ってみれば、果ては憮然《ぶぜん》として、苦笑いが、高笑いとなって止むだけのことでした。そうしてみると、もうこの人生で、この男の行楽のやり場というものは一つもない。ところでこうして、手持無沙汰をきわめた閑居のやむなきにいると、お絹という女が、あれでなかなか干渉をする。
 自分は御覧の通りの体《てい》たらくであるのに、主膳のこととなると、酒を飲むことから、外出することにまで干渉する。いっぱし、自分が監督者気取りで納まっているようにも見られる。臍《へそ》が茶を沸かすことといえば、臍が茶を沸かすことに違いないが、それだけまた相当に親切気を見せ、いたわるのだから、今のところ、あの女の手一つに、主膳の家庭味というものが握られて、甚《はなは》だしい酒乱にも至らず、甚だしい放埒《ほうらつ》もない。ともかくも、無意味きわまった閑居を、少しでも維持しておられるのだから、主膳としては、どうしてもあの女を放しきれないでいる。
 さあ、今日あたりは例の足立のなまぐさ坊主でも、碁打ちに来ないかな――と気のついた時分、空中から、唸《うな》りを生じて、自分のながめている前庭の真直ぐ前に、轟然《ごうぜん》として舞い落ちたものがあります。
 何だ――何の騒ぎだ。それは凧《たこ》が落ちたのです。見れば、西の内二枚半ばかりの、巴御前《ともえごぜん》を描いたまだ新しい絵凧が一枚、空中から舞い落ちて、糸は高く桜の梢《こずえ》に、凧は低く木蓮《もくれん》の枝にひっからまって、それを外《はず》そうと、垣の外でグイグイ引くのがわかります。
 凧だな――と思って主膳が、なお窓の上から軒先高くながめると、その外に、空中には紅紫|絢爛《けんらん》、いくつもの、いかのぼり[#「いかのぼり」に傍点]が飛揚していることを知りました。
 字凧、絵凧、扇凧、奴凧、トンビ凧の数を尽し、或るものは唸りを立てて勇躍飛動する、或るものはクルクル水を汲んでたて直す体《てい》を見て、神尾主膳がカラカラと笑いました。
 多分、この無邪気にして、爽快な、空中の彩色を見て、自分というものの少年時代を想い浮べたのでしょう。
 凧の糸目をつけるはなかなかコツのあるもので、子供でも、器用な奴と、無器用な奴のすることには、天と地ほどの相違がある。つまり、器用の奴のやるのは、天上に舞いのぼるが、無器用の糸目をつけた凧は、逆立《さかだ》ちをして地上をかける。そうして自分はというと、憚《はばか》りながら、子供の時分から凧の糸目をつけるのは上手だった。自然、凧揚げも下手ではなかった。凧の喧嘩には、いつも勝って、相手のやつを吹っ飛ばしてやったものだ。
 そうだなあ、もう、こんなに凧が流行《はや》ってもいい時分だ――と主膳が、そんな空想に駆《か》られている間、不幸なのは木蓮の枝にひっかかった巴御前で、外では相変らずグイグイと力を極めたり、ゆるめたり、百方苦心して、引き取ろうとするが、いよいよ取れないで、木の枝にいよいよからみつく。それを主膳は、だまって見ているうちに、垣の外でワッと大声に泣き出す声が聞えました。
 その時、どこをどうしたものか、三人ばかりの真黒い男の子が、怖々《こわごわ》と垣の外から庭の植込の中へ入り込んで来たのを、主膳が認めました。
 しかし、なお、黙って、そのせん[#「せん」に傍点]様を見ていると、いずれもはなったらしであります。この辺の町家か、百姓のせがれと覚しく、あんまり身分ありそうな子供でもないが、それでも無断で、人の屋敷へ入り込んで来た遠慮心から、済まないような目つきと、足どりで、こちらへ進んで来るのを主膳は認めたけれども、子供は気がつかないで、
「有った、有った、あら、あの桜の木の下の木蓮の枝にひっかかってやがら」
「ああ、有った、有った」
 そこで彼等は、遠慮心も、好奇心も打忘れて、バラバラと例の木蓮の枝のところまで走《は》せ寄ったが、そのうちの一人が、その瞬間に神尾の姿を見て、
「あっ!」
と言って舌をまいて踏みとどまったが、二人は気がつかないものだから、遮二無二《しゃにむに》、木蓮の枝にしがみついて、木の撓《たわ》むのも、枝の折れるのも頓着なく、凧を引っぱずしにかかるものだから、神尾主膳が、
「コラッ」
と強く言いました。
 この声で二人の子供が木から落ち重なって、主膳の眼の前に、へたへたに手をついてしまいまして、
「御免なさい、御免なさい」
 あるじの何者であるかは知らないが、自分たちに、無断侵入の引け目のあることは、充分に自覚しているし、それを叱った人の声こそ大きくないが、姿を見れば立派なお武家と見えるのに、その怖ろしい顔――素《す》では特別に怖ろしい顔ではないが、その生れもつかぬ三眼《みつめ》が承知しない。
 そこで彼等三人の子供は、即座にお手討にでもなってしまうかの如く恐怖して、へたへたにかしこまって、申し合わせたように頭を下げてしまいました。
 しかし、このとき神尾は、また特別にこの子供らに対して、怒りを移すべき事情を持っていなかったのですから、そう烈しい言葉で叱ったわけではありません。
「お前たち、だまって人の屋敷へ入り込んではいけないじゃないか」
「御免なさい」
「どこから入ってきた」
「あそこから入って来ました」
「あんなところに、お前たちの入れるようなところは無いはずだ」
「三ちゃんちから梯子《はしご》を借りて来て、かけて入りました」
「梯子をかけて、人の屋敷へ入ったって? お前たち、今からそんなことを覚えると、いまに大泥棒になってしまうぞ」
 主膳は真顔で言いましたが、七兵衛でも聞いていた日には、さだめてくすぐったいことでしょう。
「御免なさい」
「人の屋敷へ入る時には、一応ことわって、許しを受けてからでなけりゃいかんぞ」
「もう、これきりしませんから、御免なさいまし」
「よし、そうしてお前たち、むやみにそうひっぱったって、凧《たこ》は取れるもんじゃない、そう無茶にひっぱれば、凧が取れないのみならず、凧が破れる、凧が破れるのみならず、肝腎《かんじん》の植木が台なしになってしまう」
「御免下さい、もうしませんから」
「よし、わしが取ってやる」
 主膳は、立って、縁へ出で、庭下駄をはいて下り立ち、上手に木を撓《たわ》めて、丹念に、糸と、糸目とを小枝から外《はず》して、
「さあ、取れた。お前たち、糸をその辺のいいところで切れ」
「おじさん、有難う」
 子供らは、おじぎもそこそこ、その凧を持って、丸くなって、逃げるように引上げて行く後ろ姿を、神尾主膳は飽かずに見送っておりました。

         十九

 主膳が、これからひとつ、子供を相手にして遊んでやろうという気になったのは、この時にはじまるのであります。
 これは、主膳にとって善心のゆかりであるか、また一つの変った悪業の種となるかはわかりません。彼はこの機会にはしなくも、おさな子の本性《ほんしょう》を呼び起して、故郷に帰る心を以て、人間の本性にさかのぼるの発心《ほっしん》を起したものか、或いはこの世の最も罪のないものを捉えて、自分の邪悪のすさびに食糧とするつもりか、そのことはわかりません。
 ただ、この際、主膳がこれからひとつ、子供を遊び相手にしてやろうとの心を起したのは、布袋子《ほていし》が、子供に取巻かれたというのが羨《うらや》ましいのでもなく、越後の良寛和尚が、子供に愛せられたのを模倣してみたいというのでもなく、まして、かのお松と、与八とが、武州沢井の奥で、子供らのために、友となっているそれとは、心に於ても、形に於ても、天淵《てんえん》の差あることは勿論《もちろん》なのであります。
 しかし、かりそめに主膳が、こんな心を起してみている際に、お絹という女は、お絹という女らしい退屈まぎれの方法を考えているのでありました。
 今日は、またひとつ、お芝居にでも出かけてみようか知ら――
 これが、この時のお絹の思案であります。芝居見物もいいが、いつも同じ女の子を相手にして見に行くのではつまらない、誰か相当の連れはないかしら。
 わかりがよくって、話の面白い連れがあれば、同じ芝居でも、いっそう面白く見られるのだが――そんなものは有りはしない。
 誰か当りをつけて、押しかけて行って、ひっぱり出してやろうか知ら。
 そういう謀叛《むほん》を考えている一方、神尾主膳もまた、さあ、これからどこへかひとつ、出かけて行ってやりたいものだが、さて、どこへ行こう。これは芝居でもあるまいし、さりとて、もうこの倦怠《けんたい》しきった身体《からだ》のやり場と、えぐりつけられた顔の傷のさらし場とては無い。
 こう、同じ家で、同じように倦怠と、退屈のやり場に困っている者が重なれば、相見たがいで妥協が出来そうなものだが、どちらもそこへ気がついて、自分から先に妥協の手をのべようとする者はないらしい。
「まあ、仕方がない、お絹の奴のところへ、当座の退屈しのぎにでも出かけようかなあ、鯨汁のようなもので、度々では鼻につくが。それにあいつ、話の数をたんと持たないから、飽きが来た日には、退屈の上塗りをするようなものだが、仕方がない時は仕方がない――せめて、あいつが碁でもやれるといいんだがなあ。碁でもやる気になれば、まだ頼もしいんだが」
 そこで主膳は、満腹の上に、また何かを食べさせられている、やむなく箸《はし》を取るような気持で、身を起してお絹の部屋へ行こうとする時、やはり庭先へパサと音がして、天から物が降って来たように、縁の上まで落ちかかったものがありました。
 これは凧《たこ》ではない。凧でないことは、主膳もとうに心得ていて、立ち上りながら、
「やあ」
と言いました。
「御免下さいまし」
と縁に手をついて挨拶したその人は、裏宿《うらじゅく》の七兵衛であります。
 七兵衛のことだから、天から降ったか、地から湧いたか、屋根裏から落ちて来たか、井戸の底から安達藤三をきめこんで来たか、それがわからないところが、七兵衛の七兵衛たるゆえんかも知れない。
 主膳も、その辺は、とうに心得ているから、凧のひっかかったほどに、興味も感ずることなく、
「まあ、上れ」
 自分も再び腰を据《す》えて、時にとっての相方《あいかた》に、多少の張合いを持つことができたようです。
 例によって旅装《たびよそお》いの七兵衛は、そこへ腰をかけたなりで、煙草を吹かしながら、話がこんなことに進んで行きました、
「ねえ、神尾の殿様、近いうちに、お江戸の町が飛んでもないことになりそうでございますよ」
「どんなに」
「つまり、お江戸の町という町が、焼き払われてしまうなんていうことにならないものでもなかろうと考えられますよ」
「ばかな」
「本当でございますよ」
「江戸中を焼き払うなんて大きな火事は、近頃あんまりはや[#「はや」に傍点]らねえ――」
と主膳がうそぶいて、取合わない。
「あんまりはや[#「はや」に傍点]らないこともござんすまい、わしらが覚えても……」
 七兵衛は、煙草の吸殻をはたいて、てのひらに載《の》せながら、
「わしらが覚えてでも随分……まあ、ほぼ天保から、天保元年の暮でしたか、小伝馬町から大伝馬町、あの辺がすっかり焼けて、葺屋町《ふきやちょう》の芝居まで焼けたことがございました。それから天保五年のやつは、モット大きうございました。昼でございましたね、火元は神田佐久間町のお琴のお師匠さんの家と聞きました。あれが神田川を乗越して東神田からお玉ヶ池、東は両国矢の倉辺まで、西は今川橋から石町《こくちょう》、本町、室町まで、伝馬町の牢屋敷も、両芝居も、やっぱり残りませんでした。日本橋からさきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御門跡から海手、木挽町《こびきちょう》の芝居も、佃島《つくだじま》もすっかり焼けてしまいました。ところが中三日おいてまた昼火事で、大名小路あたりから始まって、芝口まで長さ一里、幅にして十町余というもの、なめられてしまいました。その時は死人、怪我人が沢山あったもので、御救いの小屋が、十個所へ十三棟というもの建てられたのを覚えておりまする。それから弘化二年の正月のやつがまた素敵に大きうございましたよ。これも昼火事でございましたね。火元は青山の権太原《ごんだわら》で、麻布三軒家から、広尾、白金、高輪《たかなわ》まで、百二十六カ町というものを焼き尽したんですから大したものです。死人、怪我人のほかに、海へ落ちて死んだものが沢山ありました。それと、あの時、人を驚かしたのは、あるお大名屋敷に飼ってあったという荒熊が一頭逃げ出しましてな、それに朝鮮人が押しかけて来たというような騒ぎで、あっちへ熊が出た、こっちへ鬼が出たという騒ぎで、火事よりもこの方が人を脅《おびやか》したものでございました……ところがその翌年の丙午《ひのえうま》ですな、その正月がまた大変で、これは夕方から始まりましたが、小石川片町から出まして、翌日の九時過ぎまで焼けつづき、炭町の竹河岸で止まりました。長さはおよそ一里十余町、町数にして二百九十余カ町――その次に大きかったのが昨年の……」
「もうよろしい。七兵衛、お前は田舎《いなか》にいながら、江戸の火事の焼け抜いた抜け裏まで知っているようだ」
「火事は好きだもんですから、駈け出して見る気になるんでございます。好きというのも変ですが、ついあの威勢がいいもんでございますからなあ」
「まさか、お前が、田舎から飛び出して来て、火をつけて歩いたわけじゃあるまい」
「御冗談《ごじょうだん》でしょう……」
「それに七兵衛、お前は、年代記に載っている火事を心得ているのみならず、これから焼けようという火事まで知っているのか」
「へへへへ……そこでございますよ。その通り、七兵衛に限って、これから起ろうとする火事まで、ちゃあんと心得ているのみならず、その火元まで突留めて来てあるんでございます」
「ははあ、まだ焼けない火事の火元まで、お前は知っているんだな」
「よく存じております」
「そりゃあ、どこだい。知っているなら人助けのために、江戸中へ先触れをして歩いたらどんなものだ」
「おっしゃる通り江戸中へ、その先触れをして歩くつもりでございますが、その封切に、こうして殿様のところへ上りました」
 七兵衛が、どこまでも真面《まがお》だものですから、主膳も、いよいよ笑止《しょうし》がって、
「そうして、その火元というのはどこなのだ」
「ええ、それは芝の三田の四国町の薩摩屋敷なんでございます」
「ははあ……」
「あすこが、どうしても、近いうちに起る江戸中焼払いの火元になりそうなんでございます」
「ふーん。そうして、その放《つ》ける奴は誰だい。焼けない先の火事がわかるくらいなら、その放け火をやる奴も、あらかじめわかっていそうなものだ」
「それも大抵、わかっています」
「ははあ、犯罪の無い先に、犯人の目星がついたんだから、奇妙だ。ところでその犯人は七兵衛、お前じゃあるまいな、まさかお前が薩摩屋敷から始めて、江戸中へ火をつけて歩こうというんじゃあるまいな」
「どう致しまして、わっしどもには、そんなエライ仕事ができません。できたところで、お江戸の町に対して、それほどの恨みがございませんもの」
「して、その放火《ひつけ》は誰だ」
「それは西郷吉之助というお方でございますよ」
「西郷……どこ[#「どこ」に傍点]の奴だ」
「薩州藩の豪傑でございます、それが、あなた、みんな糸をひいては江戸の市中を今のように騒がせ、追っては江戸の市中を焼き払おうと企《たくら》んでいる親玉でございますね、薩摩の西郷というのが……」
「怪《け》しからん」
 神尾主膳にもまた、多少は、時勢に憤るの気概があるのかも知れません。
「あんまり、西郷西郷って、人が騒ぐもんですから、いったい、西郷って、どんな人間だかひとつ見ておいてやろうって、こう思いましたもんですから、一日あとをつけてみましたんでございます」
「お前が、その西郷という男のあとをつけてみたのかい」
「左様でございます、ただ、薩摩の人が西郷西郷っていうばかりじゃございません。ドコへ行っても、誰に聞いても、西郷はエライ、西郷は大きい、西郷は英雄豪傑だと、西郷の独《ひと》り舞台のようにばっかりいうものですから、今度はひとつ、その西郷どんというのを見てやりたいと思いました」
「どんな奴だ」
「そりゃ、わっしどもが見ても、たしかに凡人じゃございません」
「そうか、ふかし立て[#「ふかし立て」に傍点]のいも[#「いも」に傍点]位にゃ食えそうな奴かい」
と神尾が悪口を言いました。これは、あんまり出来のいい、品のいい悪口ではありませんでしたけれど、神尾もこのごろは、少し品が落ちているとはいいながら、天下の直参《じきさん》だという気位はドコかにひらめかないという限りはない。西郷そのものが、いかに一代の人気を背負って立とうとも、なんの薩摩の陪臣《ばいしん》が、という気性《きしょう》はドコかに持って生れているはずだから、この際神尾として、西郷如きを眼中に置かぬという風采《ふうさい》も、ありそうなことです。
「ともかく、人物が大きうございますよ、その大きさでは、まずまず、ちょっと当代には類がございますまいよ」
と七兵衛が、相変らずの調子でつづけてゆくと、神尾は白々しく、
「人物がそんなに大きけりゃ、相撲取にしちゃどうだ」
と言ったのは、多少、皮肉のつもりでしょう。それが七兵衛には皮肉に響かないで、
「全く、相撲にもあのくらいのは、たんとありません、まず横綱の陣幕と比べて、上背《うわぜい》はホンの少し足りないかも知れないが、横幅は、たしかにあれ以上ですね」
「えー」
 神尾主膳が眼を円くしました。
「何だ、お前、器量と、かっぷく[#「かっぷく」に傍点]とを、ごっちゃにしちゃいけない」
 神尾が眼をまるくして言うと、七兵衛がさあらぬ体《てい》に、
「器量のところも大きいかも知れませんが、体格のところも人並じゃございません、いまいった通り、横綱の陣幕とおっつかっつ[#「おっつかっつ」に傍点]でございましょう、そうして、眼がすてき[#「すてき」に傍点]に大きくって、爛々《らんらん》と光っております」
「そうか――」
「滅多に口は利《き》きませんが――急所急所で、うむうむと、口を結んでしまいますと動きませぬ。尤《もっと》も、わたしのあとをつけてみたのは、薩摩屋敷から品川へ出て、東海道の道筋を微行《しのび》といったようないでたちで、同勢僅か二人をつれて、こっそりと旅行中のことでございましたから、誰も、あれが薩摩の西郷だとは気がつきません、また御当人たちもああして、誰にも気がつかれないようにして、江戸の薩摩屋敷へ度々《たびたび》おいでなさるんだそうですから、屋敷内でさえ、西郷どんがいつ帰られたのだか、知った者もないくらいなんですが、そいつを、わっしが確かに見届けたものでございますから、一番、行けるところまであとをつけて行ってやろうと、こう思いました」
「うむ、お前ならどこまでもついて行けらあ、薩摩だって、琉球だって」
「ところが……」
と七兵衛は、刻煙草《きざみたばこ》の国分《こくぶ》をつめ換えて、
「ところが、あなた、向うの足が早ければかえって、こちらも楽なんでございますが、向うの方が人並|外《はず》れてのろくさい旅なんですから、あとをつけるのに、ずいぶん弱らされちまいました」
「そんないいずうたいをしていながら、意気地のねえ奴だ」
と神尾が、あざ笑うように言いました。
「何しろ、西郷どんはそのずうたいでございましょう、駕籠《かご》に乗ってはたまりません、駕籠もたまりませんし、第一雲助がたまりませんね――それじゃ馬がよかろうとおっしゃるかも知れませんが、馬が駄目なんです」
「なんだ、意気地が無《ね》え、馬にも乗れねえ薩摩っぽう」
と神尾が、またあざ笑いました。神尾のはわざとあざ笑うわけではなく、本来、薩摩の陪臣としての西郷などを、眼中に置いていないのですから、先天的に、鼻の先であしらい得るように生れついているのです。
「そういうわけじゃございません、侍が馬に乗れないとあっては恥でございますが、西郷どんのは、馬術不鍛錬で馬に乗れないのではなく……つまり、あの人のキンタマが大き過ぎて、それで馬には乗れないんだそうでございます」
「なに、キンタマが大き過ぎて馬に乗れないのか。西郷という奴、そんなにキンタマのでかい奴かなあ」
「は、は、は……」
と七兵衛が笑いました。西郷隆盛もここでキンタマの棚おろしをされようとは思わないでしょう。
 そうして神尾主膳が、西郷のキンタマに、ザマあ見やがれ、という表情をして痛快がったのが、この場合、七兵衛をして、失笑させてしまったものと見えます。それを笑ってしまってから七兵衛が、
「ところで、あんまり、のろくさい旅ですから、何か一つ、いたずらをして上げようと思って、すき[#「すき」に傍点]をねらってみるにはみましたが、すき[#「すき」に傍点]がありそうで、その実、少しもすき[#「すき」に傍点]がないのには驚きましたよ」
「ふん、お前の眼で見てすき[#「すき」に傍点]が無いんじゃ、やっぱりすき[#「すき」に傍点]が無いんだろう、悪いことをする奴には、油断もすき[#「すき」に傍点]もありゃしない」
 七兵衛はそれを打消すように、
「なあに、その西郷どんというのは、あけっぱなしのすき[#「すき」に傍点]だらけでしたが、そばに附いているのに物すごいのがいました、うっかり手出しをしようものなら、あいつに斬られてしまいます――それは西郷のお側《そば》去らずで、中村半次郎という男だということをあとで聞きました」
 中村半次郎は後の桐野利秋《きりのとしあき》であります。この男が周囲にあるがゆえに、西郷の身辺に近づき難いということは、さもありそうなことです。
 そんなようなわけで、七兵衛もいいかげんに見切りをつけて、長追いをしなかったものと見えます。
 しかし、前後の行きがかりから、薩摩屋敷なるものの、危険の巣であって、必ずや、そこが火元になって、江戸中を焼き払うの時があるべきことを迷信し、その火つけの総元締が、西郷吉之助であることも充分に想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論をつけて、七兵衛なりに、主膳に語り聞かせますと、主膳も相当にうなずいて、
「薩摩と、長州は、本来、江戸には苦手なんだからな。関ヶ原以来の宿怨《しゅくえん》といったようなものがついて廻るからな。あの時に、長州をして薩摩を討たせ、その後に長州を亡ぼそうという魂胆が、こっちに無かったとはいえないからたまらないさ、しかし、それを程よくここまで立てて来たのは、東照権現《とうしょうごんげん》の偉大なる政策と、重大なる圧力の結果だよ」
 そんなようなことを言っているうちに、
「まあ、御免下さいまし」
 七兵衛は、こんな話をしておいて、急に縁《えん》から立ち上りました。
 そこで主膳の前から消えてしまった七兵衛は、つまり御免下さいましの意味は、単に主膳の前だけの暇《いとま》だか、これから例の以前の鎧櫃《よろいびつ》の一間に籠《こも》って、悠々《ゆうゆう》、夜の疲れを休めようとするのだか、或いはまた、これから、何かめざしたところの仕事にでも取りかかろうとして出発を急ぐのだか、乃至《ないし》また、お絹のところあたりへ、ちょっと顔を出して、御挨拶を申し述べてみようとするのだか、それはわからないなりに、まあ御免下さいましと言って七兵衛は、主膳の前から消えてしまいました。
 七兵衛が立去ったあとで、神尾主膳は、なんだか平生には似気《にげ》ない心持になりました。
 国の亡ぶる秋《とき》遠からず――といったような感慨が、骨まで腐り込んだ主膳の魂のどこかを、軽く突いたようなものです。
 万一、徳川の屋台骨《やたいぼね》が崩れるとすれば、その責任はいわゆる旗本にあるのだ。われわれも御粗末ながら、その旗本の末席を汚し来った一人とすれば、その責めを分たねばならないのだ。責めを分たねばならないどころの話か、このおれのような恥知らずの、やくざ者が相ついで出でたればこそ、主家のタガがゆるんだというものではないか。おれたちこそ、実に徳川にとっては獅子身中《しししんちゅう》の虫だ。なんのおれたちが、しっかりしてさえいれば、つまり旗本八万騎なるものが、往昔の三河武士の気骨さえ失わないでいるならば、なんの薩摩が、なんの長州が、歯が立つものか――
 おれのような、やくざが旗本から続出したればこそ、それでこうも徳川の屋台骨が傾いたのだ。
 徳川の敵はおれたちじゃないか――なあに、天下は廻り持ちだから、三百年も一手に握っていれば、大抵にして他に譲った方がいいのだ。未来|永劫《えいごう》、日本の国の政治の権力が、徳川の手にあるべきはずもなく、あらしめねばならぬ名分もないのだ。栄えるのが何だ、衰えるのが何だ、おれたちは、つまり遊びたいだけ遊べる天下がほしいのだ――と、こんなような理窟をコジつけてみても、さて、外勢力がこの江戸の土を蹂躙《じゅうりん》するような日を予想してみると、腹が立たないわけにはゆかぬ。
 国が亡ぶるということは、悲惨中の悲惨なことだ。なにも徳川が亡びたとて、日本の国が亡びるという意味にはならないが、それでも、大坂落城の時の殷鑑《いんかん》はどうだ。自分で飲みつぶし、使いつぶした身代は、また観念もするが、他から侵入され、征服されて、つぶされる運命は癪《しゃく》だ。癒《いや》し難い無念だ、残念だ。
 ちぇッ、おれも、こうばかりはしていられないんじゃないか――神尾主膳が、いつに似気なくこんな心持になりかけた時、離れ座敷で糸の音がしました。珍しくお絹が、三味線いじりをはじめたものらしい。

         二十

 しかし、一方お絹の方では、主膳が身にこたえるほどに感じてはいず、これが年中行事じゃない、日課のおきまりとして、恭《うやうや》しく鏡台に向ってお化粧をはじめました。
 主膳が入木道《にゅうぼくどう》を試みるのを、朝のおつとめの快事とするように、お絹がお化粧にかかる時が、この女の三昧境《さんまいきょう》かも知れません。
 このごろは始終|丸髷《まるまげ》です。丸髷を粋向《いきむ》きにこしらえてみたり、奥様風に結わせてみたり、それがまた見られる時は見られるように撫でつけてみたり、乱れた時は乱れたようにさわってみたりして、自然の容色のまだ衰えないことを、ひとり悦《えつ》に入《い》っているようです。
 容色の衰えないことは、全くその己惚《うぬぼれ》の通りといっていいでしょう。時によっては、以前よりはいっそう水々しく、つやっぽく、仇《あだ》っぽく見えることさえあるのですが、どうかすると、年は争えないものだという引け目を、自分ながら強く感じ出して、化粧刷毛《けしょうはけ》を投げ出して、といきをつくこともないではありません。
 切髪は、とうの昔に廃業して、ちかごろでは丸髷専門と言いつべく、丸髷が至極お気に入りの様子で、その結いぶりがヒドク気に入った時は、その場で声を立てて主膳を呼ぶことがあります。主膳を呼んで、さも誇らしげに、髷形をゆすって見せて、その賞讃を得ることを、子供らしく喜ぶことなどもあるのであります。
 だが、しかし、このごろは、あれにも、これにも、倦怠《けんたい》の色を隠すことができない。
 お化粧が済んだら、今日はお花を活《い》け換えようと思っていたが、あいにくまだ花屋が来ないものだから、その間の所在に、ちょっと三味線にさわってみたのです。
 それとても、花にはかなりの自信はあるが、三味線は、人に聞かせるほどの堪能《たんのう》のないことを自覚しているから、ホンの手すさびに、さわってみて、新内《しんない》を一くさり口ずさんではみたが、こんな時に、主膳に立聞きをされて、冷かされでもしてはばかばかしいという思い入れで、手っ取り早く切り上げてしまい、さて今日はどうしようか、どこへ行こうか、と火鉢の上へ手をかざしながら、退屈まぎれの方法を考えはじめました。
 三芝居もどんなものだか、佐《さ》の松《まつ》の若衆人形の落ちこぼれが、奥山《おくやま》あたりに出没しているとのことだが、それも気が進まない。活人形《いきにんぎょう》も見てしまった。百日芝居でもあるまいが、そうかといって、西洋鋸《せいようのこ》で板をひきわる見世物を見に行ったって始まらない。出歩くことは嫌じゃないが、結局、今日は、どこへも出てみようという気がしないで、でも、こうしているのもばかばかしいから、若様のところへでも押しかけて行ってやろうか、という気にもなってみたが、それもまた、おきまりの門口をくぐり直すようでげんなりする――註、若様というのは主膳のことで、あれでもお絹にとっては、若様気分は取去れないものになっている。
 で、こんな時にこそ、お客が押しかけて来てくれればいいと思いました。そのお客といっても、ここは隠れ家同様なところだから、滅多な人を引込むわけにもゆかず、来る奴は大抵きまったようなものだから、予想し得るお客のうちでは、この倦怠気分を救い得るに足る奴は、一人もないことになっている。
 ツマらない――お絹は投げ出したように、張合いのない生活をさげすんでみたが、
「女軽業のお角って、あのバラガキめ、このごろはどうしていやがるか」
といったような、反抗気分に襲われました。いったい、この女と、お角とは、前世どうしたものか、ほとんど先天的の苦手《にがて》で、思い出しただけで、おたがいに虫唾《むしず》が走るようになっている。その苦手にさえ、ここでは小当りに当ってみたくなるような気分になったのみならず、
「あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というやつ、あんな奴さえこのごろは音も沙汰《さた》もない」
とつぶやきました。
 そこへ、
「こんちは、まっぴら御免下さいまし」
 障子の外から猫撫声《ねこなでごえ》がしました。
 来やがった、来やがった、来るに事を欠いて、おっちょこちょいの金公が来やがった。
 その声で、お絹はうんざりしてしまったが、まあ、いい、これも時にとっての、おもちゃだ――という気分で、
「金公かえ、おはいり」
と言いました。
「はい、その金公でございます」
 お許しが出たと見て、抜からぬ顔で障子を引開けて、ぬっと突き出した金公を見ると、どこで工面《くめん》したか、ゾロリとしたなりをして、本物の野幇間《のだいこ》になりきっている。
「近ごろは、とんと御無沙汰のみつかまつりまして、何ともはや」
といって、人さし指と中指を揃《そろ》えて、額のところをトンとたたき、
「これは、憎らしうございます、朝っぱらから、忍び駒のしんねこなんぞは、憎らしいことの限りでございます、ここは人里離れし根岸の里、御遠慮なくお発し下さいまし、金公の野郎にも一つ、おたしなみの程を聴聞《ちょうもん》仰せつけられたいもので……」
 ぬらりくらりと侵入して来て、置きはなしてあった三味線と、お絹の顔をかたみがわりに見渡して、しゃべり出しているから、お絹が、
「駄目よ、三味線なんて、わたしのがら[#「がら」に傍点]じゃないけれど、あんまり退屈するものだから、退屈|凌《しの》ぎに持ち出してみました、お前こそ、なかなかこの道に堪能《たんのう》だという評判じゃないか、一つやってお聞かせな」
「ど、どう致しまして、たんのうは恐れ入りやす、全く恐れ入りやす」
 金公がイヤに恐縮するのをお絹が見て、からかってやる気になり、わざと三味線を押しつけて、
「何でもいいから一つ、やってごらん」
「いえ、どう致しまして、全く……」
「そんなことを言わないで」
「どう致しまして」
「さあ、おやり」
「いけやせん、全く」
「何でそんなに遠慮をするの、今日こそはお前の腕を見て上げるから、一つおやり」
「どう致しまして」
「やらないの?」
「いえ、その……」
「やらないの?」
「いえ、その……」
「やらないの、それとも、やれないの?」
「ど、どう致しまして」
「やらないのなら、やらないとお言い、やれないのなら、やれないとはっきり言ってごらん」
「全く以て、その……」
「ふだんの広言に似合わないじゃないか、お前の日頃の口ぶりでは、道具さえあれば何でも御所望次第、というようなことを言いながら、こうなって後ろを見せたがるのがオカしいじゃないか、今日はこの通り、ちゃんと道具が整っているのだから、否応《いやおう》は言わせません、一つ弾いてごらん」
「弱りましたな」
 お絹は、こいつが口先ばかり、万芸ことごとく堪能《たんのう》のようなことを言っているが、その実、おっちょこちょいの空《から》っぽということを知っているから、今日は苦しめてやるつもりで、三味線を押しつけてみると果して辟易《へきえき》してしまい、三味線を押しつけられるごとに、ジリジリと後ずさりをして、怯《おび》えきったところを見すまし、
「素直に御所望に従わないと、今日限りお出入りを差しとめるよ」
「恐れ入りやした、以来、広言は固く慎《つつし》みますゆえに、御勘弁の程をお願い申しやす」
 全く白旗を掲げてしまったのを見て、お絹も追究はせず、
「そうだろうと思った。では、これで許して上げるから今後をお慎み――そうして、もっとこっちへ寄って、何か面白い世間話を聞かせておくれな」
 そこで金助が、自分が近ごろ見聞いたところの世間話を、薄っぺらな唇でぺらぺらしゃべり出し、嘘八百のおべんちゃらを並べて、とどのつまり、拙《せつ》もこれでかなりの色男でゲス、というような見得《みえ》をきるものだから、
「金公、お前、そうして締りなくしゃべり歩いて、それでも少しはいろ[#「いろ」に傍点]は出来るのかい」
とお絹が高飛車に言いました。
「へ、へ、へ、へ、そう見くびったものでもございません、これでも男のハシクレでございますからな」
 金助は、しゃあしゃあとして顎《あご》を押えたから、お絹もあきれていると、金公いよいよ納まり返って、
「御覧《ごろう》じませ、こうしておりますてえと、それ金さん、お召物を差上げましょう、ヤレ金公、お小遣《こづかい》を持って行きなと、諸方からこの通り恵んで下さいますので、金助、いっこう生活《くらし》に不自由というものを感じません」
「あきれちまうねえ――そういえばこの羽織なんぞも、そんなに悪くない羽織だが、どこから恵まれたの」
といって、お絹がヤケにぐんぐんと金助の着ていたゾロリとした羽織を引張ってみました。
「どうか、おてやわらかに願いたいもんで。尤《もっと》も多少お手荒く扱われましょうとも、さめたり、破れたりする品とは、品が違いますんでございますが、それに致しましても、冥利《みょうり》というものがございますから、ずいぶんおてやわらかにお願い申したいもんでゲス」
 そこでお絹が、
「ほんとに世間には物好きもあったもんだね、惜しいよ、こんな野郎に、こんな羽織をかぶせて置くなんぞは」
といって、二度《ふたたび》、ヤケに金助の羽織を引っぱり廻すと、金助は火のついたように、それを振り払い、
「滅相な、もし羽織に怪我でもあらせるようなことになりましては、あの人に済みません」
「ばかにしているよ、あの人とはいったい誰のことなの、当節、金公にこの羽織を恵むなんて茶人も、世間にはあるものか知らん」
「ところが、その茶人が、あなた様のお知合いの中にあるんでございますから、争われません」
「冗談《じょうだん》をお言いでない、わたしの知っている限りで、これだけの羽織を、金公に恵んでやるような度胸の奴は一人もありません」
「ところが大有りなんですから、有難いじゃございませんか」
「ふ、ふ、ふ、お前には綿銘仙《めんめいせん》の羽織か、双子《ふたご》の綿入あたりが相当しているよ、どこのおたんちんが、こんなゾロリとしたお仕着《しきせ》を、ほかならぬ金公にかぶせてやる奴があるものか」
「ところが現在ごらんの通り、その外《ほか》ならぬ金公なるものが、こうしてゾロリとしたやつを着込んでいらっしゃるんだから争われませんや、あやかり[#「あやかり」に傍点]たいと思召《おぼしめ》しませんか」
 顎《あご》を撫でて、頭をぬっとお絹の前に突き出したものだから、お絹が、
「この野郎」
と言って、ピシャリと金公のそりたての頭をなぐりました。本来、なぐるつもりは無かったのでしょうが、ハズミがよかったと見えて、ちょっと振り上げた手が、程よく金公の突き出した頭と出逢《であ》ったものだから、そこでピシャリという、あつらえたような音がしたものと見えます。
「こいつは恐れ入りやした、これは驚き入りやした、暴力は恐れ入ります」
 金助が、けたたましい声を上げて、仰山《ぎょうさん》な驚き方をして、打たれた頭を、盛んに撫でさすりましたから、お絹が、
「もう一つ打《ぶ》って上げようか」
 手を振り上げたところが、金公、存外騒がず、
「結構でございますな、もう一つ打《ぶ》っていただきやしょう、打ってお腹《はら》が癒《い》えるものならば、たんとお打ち下さいまし、あなた様に打たれるのは、あの人に打たれるのと違いまして、痛くございません、どうぞたんとお打ち下さいまし」
といって、いけずうずう[#「ずうずう」に傍点]しく金公が、またもその頭をお絹の前に突き出しました。
 お絹も、いよいよ呆《あき》れ返って、
「望みなら、いくらでも、ひっぱたいて上げるよ」
 かの女は、金公の頭を続けさまにぴしゃぴしゃとはたきました。
「痛くございません、あの人にたたかれるよりは、決して痛くございません」
 いい気になって、いくつでもたたかせているから、お絹も張合い抜けがして、こんな安っぽい頭を、いくつたたいてもたたきばえがしないと見切り、手荒く突き放してしまったものですから、ハズミを食って、三尺ばかりケシ飛んでしまいました。
「これは驚きました、これは恐れ入りやす」
 ケシ飛ばされたのをたて直して、いざりよって来たところを、お絹が火鉢の炭を火箸《ひばし》でつまみ、片手でゾロリとした羽織の袖口をひっぱって、
「さあ、お前のようなおっちょこちょいに、この羽織をくれた人は誰だか、言っておしまい、それとも、どこからちょろまか[#「ちょろまか」に傍点]したか、それを白状おし」
「これは驚きました」
「言わないとこうだよ」
 お絹は、そのゾロリとした羽織の紬口をひっぱったその上へ、火のかたまりをあてがったから、金の野郎驚くまいことか、
「白状しますから御免下さい」
「さあ、言っておしまい」
「白状致します、白状は致しますが、それをお聞きになって、あなた様がお気を悪くなさるといけません」
「冗談《じょうだん》じゃない、お前のようなおっちょこちょいの、のろけを聞かされたって、ドコの国に、気を悪くなんぞする奴があるものか」
「では申し上げちまいますが、それは、あの実は、両国の女軽業の親方のお角さんから拝領の品なんでございます」
「え!」
「そうらごらんなさい、あなた様、お気を悪くなさるんじゃございませんか」
「知らないよ」
「だから、最初から申し上げないこっちゃございません」
「ばかばかしいにも程のあったものさ、このおっちょこちょいに、こんな羽織を恵むなんて――ほんとうに、見世物師でもなけりゃ出来ない芸当だ」
「それにはね、それで、曰《いわ》くがあるんですから、まあお聞き下さいまし」
「曰くなんぞは聞きたくないよ」
「まあ、そうおっしゃらずにお聞き下さいましな、拙《せつ》がこの羽織をいただくまでには、涙のにじむような物語があるんでございますよ、あだやおろかの話じゃございません」
「何にしたって、こんな羽織は、この野郎には過ぎ物だよ」
「そう、おっしゃられては二の句がつげませんが、実はごしんさま[#「ごしんさま」に傍点]、なぐられ賃ですよ、なぐられ賃に、お角さんからこの羽織をいただいちまったんでございますよ」
「よく殴《なぐ》られる男だねえ」
「しかも、その殴られっぷりが、あなた様のなんぞとは違って、ずいぶん手厳しいものでございましたからね、一時は、息の根が止まるかと思いましたよ、命からがら、両国橋まで逃げのびて、そこでやっと、息をついて命拾いをしたような始末でございます」
「ふーん」
「それから、二三日前に伺いますてえと……」
「まあ、それほどの目に逢いながら、またずうずうしく出かけたのかい」
「なあに、さすがの金公も、暫くは敷居が高うございましたが、あの親方が、熱海から湯治《とうじ》帰りと聞いたもんですから、恐る恐る伺ってみますと、そこは江戸ッ児ですから、さらりとしたもので、以前のことなんぞは忘れて下すって、金公、この間は痛い目をさせて気の毒だった、これがお前に似合うようなら着てごらんといって、くだし置かれたのがこの羽織なんでございます、何といっても恐れ入った気前でございますよ」
 そこでお絹の顔の色の変ったことが、この野郎にはわからない。
 話を聞いているうちにお絹の顔色が、みるみる不快なものになって行くのはあたりまえのことです。
 それに頓着あってか、無くてか、金助は、立てつづけに、女軽業の親方のお角なるものの、気前の礼讃《らいさん》にとりかかる。
「全く恐れ入ったものでゲス、あの気前でなければ、ああして一座を背負って立つことはできません、もとの怨《うら》みなんぞは、すっかり忘れて下すって、金公、ソレこの羽織をやるから着て行けなんぞは、嬉しい心意気じゃございませんか」
「馬鹿野郎」
 さすがのお絹も受けきれなくなって、今度は、思いきり力を入れてひっぱたいてしまいました。
 これは、以前の続けざまにたたいたのよりは、ズッと痛かったと見えて、
「あ!」
といって、頭をおさえながら、しかめっ面《つら》をしてしまっていると、
「帰っておしまい」
 頭を押えて、しかめっ面をしているところを前からトンと突いたものですから、もろくも、再び後ろへひっくり返ったものです。
「けがらわしいから、お帰り、こっちだって腕ずくなら、乞胸《ごうむね》の親方に負けないくらいのことは仕兼ねないよ」
 以前の時は、おもちゃであったが、こうなっては、お絹が真剣におこり出したようなものです。真剣におこらしては金公の、もくろみが外《はず》れたかも知れません。
 この手で暗に女軽業の親方の気前のよいところ、器量のあるところを持ち上げて、遠火であぶっておけば、こっちも女の意地でも負けない気になって、風通《ふうつう》の袷《あわせ》ぐらいは奮発にあずかれるかも知れないという、内々の当込《あてこ》みがフイになってはたまらない。本当におこらしてしまったのでは引込みがつかない。
 いったい、お角の前でお絹をほめることと、お絹の前でお角をほめることとは、どっちにころんでもこういう結果になることを、金助としても心得ていそうなものを、おっちょこちょいというものは、これだから仕方がない。
「悪気で申し上げたんじゃございません、どうぞお気を直していただきたいもんで」
「けがらわしいよ」
 お絹はよほど、癇《かん》にこたえたと見えて、いったん火鉢の中へ納めた火の、かんかん熾《おこ》ったのを二度《ふたたび》、火箸の先でツマみ上げて、今度はいささかの情け容赦もなく、ゾロリとした羽織の袖をひっぱった上へ載せると、ゾロリとした羽織がジリジリと音を立て、むんむんと臭いと煙を立てて焦《こ》げはじめました。
「こいつは堪らない、これこそ真に驚きました」
 金公は、天下の一大事とばかりに、その火を払い落しにかかると、因果なことにはそれが膝の上へ落ちたものだから、みるみる膝の上が焦げ出して、
「熱《あつ》! 熱! 火水《ひみず》の苦しみ」
と叫びを立てました。しかし、お絹はよくよく腹に据《す》え兼ねたと見えて、それほどに苦しがる金公の羽織の袖を少しも放さず、第二の炭火を取って、今度は左の方の袖へのっけてしまいました。つまり火事が三方から起ったわけですから、金公、悲鳴を上げて苦しがり、
「おいたずらが過ぎます、いくら金公にしましても、これはあんまりでございます、もうこの羽織は着て行かれません、この羽織を両国へでも着て行ってごろうじませ、それこそ焼き殺されてしまいます、ああ、どちらへ廻っても絶体絶命でございます、おゆるし下さい、この通りでございます」
 金公は両手を合わせて、お絹を拝んだけれども、お絹はいっかな聞かず、その火を金助のふところへ投げ込んでしまったから、金助が飛び上ったところへ、あまりの騒がしさに、障子をあけて、
「いったい、何事が始まったのです」
と現われたのは七兵衛です。
 七兵衛が現われたために九死の境を逃れた金公は、血相を変えてこの席を飛び出して、それでも今度は間違いなく、自分の穿物《はきもの》をさらって、門の外へ走り出してしまいました。

 ややあって、神尾主膳は安達のところへ碁を打ちに行こうとして、ふと湯殿の側を通りかかると、そこで思いがけない人の話し声を聞きました。思いがけないといっても、全然、頭にない人の声ではなく、あり過ぎるほどある人の話し声を、意外なところで聞いたものですから、それでかえって足を留めないわけにはゆかなかったのです。
 というのは、その湯殿の中で、遠慮なく話し合っているその声は、お絹と、七兵衛の二人であったからです。お絹と、七兵衛と、話をする分にはなんでもないことで、いつでも無遠慮に話し合っていることだが、今朝はこれが湯殿の中だけに妙であります。
 そこで立聞きをするつもりではないが、主膳が足を留めないわけにはゆきません。
 しかし、二人は湯殿の中で、内密話《ないしょばなし》をしているわけではなく、平常、座敷でする通りの熟しきった会話を取交しているに過ぎないから、ところが湯殿だとはいえ、邪推をする余地は少しもありません。
 だが、平常の話を、平常の通りにするならば、なにも湯殿を選ぶ必要はないではないか。この屋敷には有り過ぎるほど室が幾間もあるので、七兵衛の座敷として、ほとんど開《あ》かずの間《ま》のようになっているところもあるのです。なんだって、今朝に限って、湯殿の中で誰|憚《はばか》らず話をしているのでしょう。
「ねえ、七兵衛さん、あの子を、もう一度つれて来て下さい、お前が連れて来る分には、あの子だっていやとは言うまい」
 これはお絹の声。
「そうでございますねえ、来いといえば来るかも知れませんが、いつきますまいよ」
 これは七兵衛の返事。
「あれが、本当のわたしの子であってくれればねえ」
「それは、あなたが、あれを本当の子供として可愛がって下さらないからですよ」
「それは、どういうわけだろう、あの子のためには、わたしは本当に親身になって、仕込むだけの事は仕込み、出世のできるだけは出世するように丹精をしたつもりですけれど」
「けれども、それが、あなた様のはね、何か自分が利用をしよう、為めにしよう、という頭が先でお世話をなさるから、親切がそれほど、あれに響きません」
「なぜか、あの子は、わたしになつかない、わたしに楯《たて》をつくようなことは一度もないけれど、心からわたしになついてくれない」
「それは、そうかも知れません」
「今、あの子はどこにいます」
「田舎《いなか》の方へ行っております」
「田舎へ行って、何をしていますか」
「いろいろ、よく働いておりますよ、自分のためにも、人様のためにも……」
「縁づいたというわけでもないのですね」
「エエ、いいところから随分縁談もありましたようですけれど、あの子には、身上《しんしょう》を持つ気は少しもないようです、このごろは寺小屋をはじめて、子供たちを教えていますよ」
「まあ、あの子が、手習のお師匠さんになっているの?」
「手習のお師匠さんばかりじゃありません、若い衆、娘たちの相談相手から、夫婦喧嘩の仲裁まで、あの子が世話を焼いておりますよ、感心なものです」
「まあ、そんなでは、とてもこんなところへ帰ってはくれまい」
「ええ、あれはあれで、自分の天職が定まったような心持で、おちついているようです」
「では、わたしの方から、尋ねて行ってみようか知ら」
 こんな、しんみりした会話のみで、外で聞いても、内で聞いても、聞き苦しいところは少しもない。それだけで、湯殿の中で二人が、水入らずで、流しているのか、流されているのか、更にわからない。

         二十一

 ここで話題にのぼったのはお松のことで、そのお松は、ちょうどその日のその時分は、青梅《おうめ》の町はずれを、武蔵野の広い原へ向けて馬を歩ませておりました。
 お松のやや遠道をする時は、大抵は馬に乗るのが常で、お松が馬に乗ると、早くもムク犬がその馬側にかしずくのも一つの例であります。
 今日もその通りで、青梅を出でて、武蔵野のはじまるところを、新町というのへ馬を歩ませました。
 青梅という町は、秩父連峰と、武蔵野の原との分岐点であります。秩父連峰を一つの長城と見れば、青梅の宿《しゅく》がその大手の関門でありましょう。青梅を出でてはじめて、本州第一の平原、武蔵野を見る。単に武蔵野とはいうが、関八州の平野は、武蔵野の延長に過ぎません。
 それと同時に、足一歩、青梅の宿に入れば、身は全く武蔵アルプスの尾根に包まれて、道は全く奥多摩渓谷の薬研《やげん》の中を走ることになっている。
 ですから、青梅鉄道という十数|哩《マイル》の私設の小鉄道の電車が、青梅の宿から東へ、次の河辺《かべ》という駅まで走る途中、東北の方を車窓から見ると、そこに地平線の立つ一カ所がある。北海道を除いて日本内地では、天と陸とが一線を引いて相接するところは、おそらくこの一カ所の沿線のほかはないだろうと思う。少なくとも、汽車電車の車窓から眺め得る範囲で、月の入るべき山もなし、という地平線を見られるのはここのほかになかろうと、著者の貧弱なる旅行の経験が教える。それは秩父連山の尾根が青梅あたりで尽きて二里、狭山《さやま》の丘が起るまでの間。
 お松は、今その武蔵野の地平線の立つあたりを、東北に向って馬を歩ませて行くのです。そこで、前途は渺茫《びょうぼう》たる海原《うなばら》へ船を乗り入れて行くような感じもしないではないが、翻って見ると、秩父の連峰、かりに名づけて武蔵アルプスの屏風《びょうぶ》が、笑顔を以て送るが如くたたずんでいる。
 しかし大江戸の真中へ、ここから直線を引いてみたとて十五里とはないでしょう――そこで二里三里と進んで、武蔵野をわけて行くほどに、例の武蔵アルプスが遠ざかり行くにつれて、軒を離れて棟を見るような順序で、山山峰々が、それからそれと現われて来る。
 今日でも、復興の東京の騒々しい物音を数十尺だけ超越して、たとえば、駿河台、本郷元町台、牛天神、牛込赤城神社、谷中、白金《しろがね》、高輪台《たかなわだい》あたりか、或いは市中の会社商店等のビルヂィングの高塔の上に身を置いて、天候の至極よろしい日――例えば初冬から早春に至る間の快晴の日、東京では秒速七八|米突《メートル》から、十米突ぐらいまでの北西の風が帝都の煙塵を吹き払うの頃、それも山地に降雪多く、ややもすれば水蒸気が山の全容を隠すことの多い十二月から二月は避けて、三月から四月へかけての雨上りの朝の如上の風速のありそうな日――この一年のうち、いくらもなかるべき注文の日を選んで、数十尺の超越から帝都の四境を見渡すと、そこに都人は、崇高にして悠遠《ゆうえん》なる山岳のあこがれを呼びさまされて、自然と、人生との、髣髴《ほうふつ》に接触することができる。
 千九百六十|米突《メートル》の白岩山がある。二千十八米突の雲取山がある。それから武州御岳との間に、甲斐《かい》の飛竜、前飛竜がある。御前と大岳《おおたけ》を前立てにして、例の大菩薩連嶺が悠久に横たわる。
 天狗棚山があり、小金沢山があり、黒岳があり、雁ヶ腹摺山がある――ずっと下って景信《かげのぶ》があり、小仏があり、高尾がある。
 いったん脈が切れて、そうして丹沢山塊が起る。蛭《ひる》ヶ岳《たけ》があり、塔ヶ岳があって、それからまたいったん絶えたるが如くして、大山阿夫利山《おおやまあふりさん》が突兀《とっこつ》として、東海と平野の前哨《ぜんしょう》の地位に、孤風をさらして立つ。富士は、大群山《おおむれやま》と丹沢山の間に、超絶的の温顔を見せている――
 お松と、ムク犬とは、こんな背景のうちに馬を進ませているのであります。
 お松は街道に沿うた大きな雑木林のところに来ると、馬から器用に飛んで下りました。
 お松の下りたところの路傍の林の中には、形ばかりのお堂のようなものがあって、その中に立像の石の地蔵尊が安置されてある。お堂も、石像も、まだ新しい。
 下りると、馬の鞍《くら》につけて来た十何足の草鞋《わらじ》を片手にかかえて、お松がその地蔵のお堂に近づきました。
 ムクは心得て、早くもお堂の前に大きな狛犬《こまいぬ》の形をして坐り込んでいる。
 地蔵尊にお辞儀をしてから、お松は鞍からおろした十何足の草鞋を、堂の柱にかけました。これは与八の特志に出づるもので、こうして手づくりの草鞋を堂の前にかけて、道中、草鞋の切れた人の自由に取るに任せてあるものです。
 実は、このお堂と、地蔵様とも、あまり久しからぬ以前に与八が立てたもので、無論、このお像が、与八の手に刻まれたものであるのみならず、このお堂もまた与八の手になって、与八の手で運ばれ、一切が手づくりになった地蔵菩薩の霊場であります。しかし、その発願主《ほつがんぬし》はむしろお松というのが至当で、お松が、与八さん、どうしても、ここへこういうものをお立てなさい――そのお地蔵様も、お前さんが諸方で頼まれてこしらえるより、もう少し大きいの、大菩薩峠の上へのぼせたほどのものでなくとも、かなり目に立つようなものをおこしらえなさい、そうして、お堂も形ばかりでも屋根のあるのを、お立て申して上げようじゃないか――とお松が発願して、そうしてここへ、これだけのものを立てさせたのです。
 なにゆえに、ことさらに、こんな、格別、形勝の地ともいえないところへ――ことに、ほとんど街道に沿うて――この街道は、江戸からいえば、大菩薩峠に通ずるの甲州裏街道であり、こちら方面からいえば、江戸街道であるが――この物淋しい野中の街道の、人家には程遠いところへ、何の縁故で、お松が与八にすすめてお地蔵様を立てさせたのか。
 それにはそれで、なるほどと思われる理由があるのです。つまり、このところこそ、十九年以前に、与八が何者かの手によって捨てられたところで、同時に何人《なんぴと》かの手によって拾われたところなのです。捨てられるのと、拾われるのは、大抵の場合、ほぼ時を同じうしていなければならぬ。
 与八を捨てたのは誰だかわからないが、拾った人はよくわかっている。わかり過ぎるほどわかっている。机竜之助の父の弾正《だんじょう》が、江戸からの帰りがけに通り合わせて、捨てられてからまだ二時《ふたとき》とは経たない間に、それを拾い上げて、その時も今と同じように、弾正は江戸から馬で来て、拾うのは従者に拾わせたが、自分が抱き取って、沢井まで馬に乗せて連れて来たものです。
 それから後の与八の生立《おいた》ちは、当人にも、周囲の人たちにも、わかり過ぎるほどわかっているにかかわらず、今以てわからないのは、それは与八を捨てた人です。この子を捨てたのは誰だ――弾正はあまり強《し》いて、それを探索させようとはしませんでした。どのみち、子を捨てるくらいの親には、親として忍びない事情と、理由があるに相違ない。それを探索して、当人に引渡してみたところで、どれほど両者の幸福が回復するのだろう。
 そこで、弾正は、自分が拾った以上は、自分に授かったものだ、よかれ悪しかれ、この子の運命を見届けようではないか、という気になって、自分の子と同様に、可愛がって育ててやったものです。
 体格が異常に発達し、力が一年増しに強くなるに反して、知恵の廻りが遅いことを認めて弾正は、いっそう不憫《ふびん》がりました。弾正の心では、もし普通の人間に生れついていたならば、わが子の竜之助と同じように、教育を与えたことでしょう――しかし、こんなふうに生れて、頭が器用に働かず、好んで労働に当り、力役《りきえき》を苦としないから、あつらえ向きの水車番――
 それで、ああして、こうなって、今日に至っているが、お松がそれを知ってみると、どうしても与八のために、生みの親を探してやりたい――という同情に駆《か》られてしまうのも無理はありません。実は、今日もここへ来たのは、それが主なる目的なのであります。ここへ記念のお堂と、石像を立てさせたのも、これが縁になって、何か与八の生みの親をたずねる手がかりにはならないかと思い立ったのも、その一つの理由でありました。
 与八が特志の草鞋《わらじ》を、地蔵堂の軒にかけてしまってから、お松は堂内を仔細に見廻しました。見廻したといっても、さして広くもなんともない堂内のことですから、そこには、いつ、誰がするともなく、たくさんの絵馬《えま》が納められてあったり、達磨様《だるまさま》の古いのや、昨年来の御幣《ごへい》や、神々のお札や、髪の毛の切ったのが髢《かもじ》なりに結えられてあったりするだけのものでしたが、そのなかでただ一つ、異様にお松の眼についたものがあります。
 まだ、ほんとうに新しい、この中ではいちばん新しい絵馬が一つ、わざとしたようにお地蔵様の首にかけられてあるのを、お松が異様なりと認めました。それは狭いお堂とはいえ、絵馬をかけるには、おのずからかけるだけの場所があるべきものを、その絵馬だけは一つ、わざとしたもののように、地蔵の首から、袈裟文庫《けさぶんこ》でもかけたように、前へつるし下げられてあるのであります。
 妙なところへ絵馬をかけたものだ、信心の人ならば、少し作法を忘れ過ぎている、また、大人のいたずらにこんなことをするはずはない、と思いましたから、お松はその絵馬を外《はず》そうとして、はじめて、ギョッとしました。
 というのは、その絵馬が、大きさにおいても、内容においても、特別に入念の作というわけではなし、その絵も、普通ありきたりの拝礼の図だとか、「め」の字だとか、飾り立てた馬とか、鶏とか、天狗の面とかいったようなものを、型通りに描いてあるものとばっかり、大目に見ていましたところが、手に取ろうとして見ると、それは人間の首を描いてあるのだと知りました。
 人間の首も、ただの首ではない、獄門台に梟《さら》されている人間の生首を一つ描いてあることにまぎれもないのですから、お松が面《かお》の色をかえないわけにはゆきません。
「まあ、なんという不祥《ふしょう》な……」
 これは誰でもいい心持はしないでしょう。犯《おか》せる罪あって、お仕置に逢って、刎《は》ねられた首が六尺高いところに上げられている運命。それを絵馬《えま》にうつして、神仏の御前に奉納するというのは、全く例のないことで、そうして、いたずらとしても無下《むげ》、非礼としてもこの上もない仕事であります。
 それも、子供のいたずらではない。相当の心がけを持って、絵馬師に描かせたものではないが、普通の人が、かなり丹精に、絵馬の筆勢に似せて描いたものであります。
 お松は、何ともいえないイヤな思いをさせられながら、手をのべてその絵馬を取外《とりはず》し、なお念のために、その絵馬の裏を返して見ますと、そこには、これも相当の老巧な筆で、単に「巳年《みどし》の男」と認《したた》められてあるのを発見しました。
 絵といい、文字といい、これはお松にとっては容易ならぬ謎《なぞ》となりました。これを納めた人の心こそ、測りがたいものだと思いました。
 幾度か、打返し打返し見た後に、お松は何かハッと打たれたものがあるように、自分の胸を打つと、馬の背の上から風呂敷を取り出して、その絵馬を包んでしまい、そうして、大切に鞍《くら》の前輪へ結びつけておきました。
 そうしておいてから、さて改まった気持になって、堂の後ろから竹箒《たけぼうき》を探し来《きた》って、落葉を掃いて、堂前の道筋を、すっかり清めてしまいます。
 お松が堂の前を掃いていると、雑木林を隔てて街道の彼方《かなた》から、駅馬の鈴が響いて来て、馬子の唄がのんきに耳に入りました。続いて鶏と犬との声が遠く聞えましたが、お松の掃除をしている間は、誰もここへ通りかかる人がなく、掃除がすんでしまって、お松は再び馬上の人となって、北へ向って歩ませました。

         二十二

 ちょうど、お松が出張した留守中のことであります。沢井の机の道場に与八が、子供たちのおさらいを帰してしまったあとへ、異体の知れぬ豪傑が七人|揃《そろ》って押しかけて来ました。
「これこれ、当家の主人は在宅か」
 道場の中を掃いている与八をつかまえて、異体の知れぬ豪傑が、穏かならぬ色で詰寄せて来たものですから、与八が、
「はい」
といって、箒の手を休めて、眼をパチクリして見ていると、
「主人は在宅か」
 七人は早くも道場の中へ押し込んで、返答によっては奥へ乱入の気色《けしき》と見えました。
 しかし、与八は、変ったお客様にはこのごろは慣れていますから、さのみ驚きません。というのは、沢井の道場の音無《おとなし》の名を遠近から伝え聞いて、かなりの武者修行が押しかけて来ることは、近来になってことに多いものですから、それらが、まだいまだに、机竜之助が存生《ぞんじょう》の者であるかの如く考えたり、そうでなくても、しかるべき系統を伝えて、竹刀《しない》の響を立てていることとばかり信じて立寄って来るのですから、その度毎《たびごと》に与八は、きまったようなおことわりをすることに慣れている。
 そこで今日も、その異体の知れぬ豪傑が七人押しかけて来たということに、相当の心得があって、
「あの、こちらの道場では今、剣術の方は休みになっているのでございますよ、剣術の方は休みで、子供たちが集まって、お手習ばっかりやっているんでございますからね、せっかく武者修行においでなさるお方に対しては、まことにお気の毒さまでございますが、悪《あ》しからず御承知を願いとうございますよ」
と、箒を斜めに持ちながら返答しました。この返答は、お松と相談してはんで捺《お》してあるような返答で、与八は来るごとの武者修行にこう言って、素直《すなお》におことわりを言って、素直に帰ってもらうことに慣れているから、それで、今もその伝で行こうとすると、
「おい、われわれどもは剣術を遣《つか》いに来たのではないぞ」
 七人の者が、与八を取囲むようにしました。
「はい」
 与八は、ぼんやりしました。いつもの客ならば、それで納得《なっとく》して帰るはずなのですが、これは剣術のために来たのではない――と言う以上には、何か別用があるに相違ない。それは、ちょっと今の与八には解《げ》せないことだと思いました。
「主人がいるか、主人がいるなら出せ」
「はい」
と与八は、七人の異体の知れぬ豪傑の面《かお》をパチクリと見ただけで、主人へ取次ごうともしないらしいから、七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人があせり出し、
「おい、主人がいるかと申すに。われわれどもが揃って、こうして主人に面会に参ったということを早く取次げ」
「はい」
 与八は、やはり呆気《あっけ》に取られて、箒を斜めに持ったなりで、はかばかしい返事もしないし、取次ぎもしようとしないから、
「早く、主人に取次げと申すに。われわれどもが打揃って参ったことを、主人に取次いで参れ、参れ」
「はい……あの、皆々様、まことに済みませんでございますが、こちらの家には、主人というものはおりましねえのでございます」
「ナニ、主人がない……主人のない家というものがあるものか、主人のない家というのは、首のない胴体と同じことだ」
「ところが、主人というものが、この屋敷にはいねえんでございますから、お取次を申すこともできなかんべエ」
と与八が言いました。
「怪《け》しからん、居留守をつかって、逃げると見える――」
 七人の異体の知れぬ豪傑たちは、一様に肩をそびやかして、すごい眼をしましたから、与八が心配をしました。
「旦那様方は御承知ないんでございますか知ら、ここの屋敷の大先生《おおせんせい》というのは、とうにおなくなりになっておしまいなさったし、若先生は行方知《ゆくえし》れずになっておしまいなすったのでございますから……」
 与八が弁解を試むると、それと知ってか、知らずにか、七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人が、総代|面《がお》に、
「しからば、留守を預かるのは誰人《だれびと》だ、その責任者を出せ!」
「その留守番は、わたしと、お松さんと、二人でございます、お松さんは、ただいまよそへ出ましたから、わたし一人だけでお留守番をしているんでございます」
「なんだ――貴様が、当家の留守をあずかると申すか、これだけの屋台骨を、貴様のような間抜け一人で背負って行けるか」
と七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人が、与八に向って大喝《だいかつ》しました。
 大きにお世話である。留守を預かろうが、預かるまいが、間が抜けていようと、間が塞《ふさ》がっていようと、お前たちの知ったことではない。宇治山田の米友ならば、二言《にごん》に及ばず、ここで啖呵《たんか》と素槍《すやり》の火花が散るべき場合だが、与八では根本的に問題にならない。といって、委細事情もわからぬ先に、こちらから、あやまってしまうべき筋でもないから、与八は、すっかり煙《けむ》にまかれて、
「はい」
と言ったなり、箒《ほうき》の柄をもちかえる気にもなりません。
 しかし、七人の異体の知れぬ豪傑とても、ここで、奥の間めがけて乱入に及ぼうとするほどの無茶を演ずるつもりもないと見えて、
「ほんとうに主人はいないか」
「ええ、ほんとうに留守でございます」
「実際、貴様が留守を預かっているのか」
「その通りでございます、わたしと、お松さんと、二人で……」
「では、仮りにそのほうを責任者とみなして、われわれどもが申し聞かせて置くことがあるから、そこへ坐れ」
「坐れ、坐れ」
 一人の総代が先に口を切って、あとの六人が無理矢理に与八を、道場の板の間へ押坐らせてしまいました。与八はもとより少しも抵抗のふうはなく、押据えらるるままに板の間に、ちゃんとかしこまっていると、総代の一人が、
「これ、留守番、拙者は我々同志の総代で笈川《おいかわ》と申す者だ、そのほうに申し聞けて置くことがあるからよく承れ。聞くところによれば、当道場では、このごろ手習に事よせて、多くの小児を集めるのみならず、地蔵のお集まりと称しては近隣の若い者、娘たちを呼び集《つど》えて、舞を舞い、踊りを踊って、昼夜相楽しむとの噂《うわさ》がある。また人々に和歌を教え、学問を授けると称して、悪思想を村々に吹き込むとやの噂もある。いかがわしい地蔵の像を刻んでは盛んに売り出して暴利を貪《むさぼ》り、怪しげな呪文《じゅもん》や護符《ごふ》を撒布して愚民を惑わす、との風聞も頻《しき》りなるにより、我々同志が事情を篤《とく》と見届けに参ったのだ。しかるに主人不在とあるゆえ、そのほうに申し残す、きっとたしな[#「たしな」に傍点]まっしゃるがよろしい」
 与八は、それを聞いて、委細わからないなりに恐れ入って、
「はい、はい」
とお辞儀をしました。
「いいか、よくこの事を主人に申し聞かせるのだぞ。なお念のために、この通り書面に認《したた》め参った、これを主人に手渡し申せ」
と言って、笈川と名乗った異体の知れぬ豪傑の中の一人は、懐中から奉書の紙に認めた書状を取り出して、与八の面前でひろげ、他の六人がそれに添いだちになって、
「なお、念のために一応、そのほうに読み聞かせて置く」
といって、笈川が滔々《とうとう》とその奉書の書状を読み上げました。むずかしい文章体で書いてあるから、与八にはよくのみこめませんでしたけれど、要するに、さきほど、総代が言葉で述べて、与八に申し聞かせたのと同じ意味のものであるらしく思われましたが、与八は、どうもこの人たちが、何か誤解をしているのではないかと考えました。

         二十三

 七人の豪傑は、与八にその奉書の書面を手渡したままで、無事に帰ってしまいましたから、与八も、わけがわからないなりに、ひとまずは安心しました。
 その書面を恭《うやうや》しく神棚の上へ載せて、何かあの人たちは勘違いでもしているのだろう、わたしたちのすることを、切支丹《きりしたん》の宣伝でもするかのように誤解して、国のためにそれを憂えて、忠告に来てくれたのかも知れないが、自分としては何と返答をしていいかわからない、お松さんが帰ったら、二人で相談して、なるべくあの人たちの怒りをしずめるような御挨拶をして上げたいものだと、腹に考えながら、道場の片隅で藁打《わらう》ちをはじめました。この藁を打つのは、草鞋《わらじ》をつくる材料を和《やわ》らげるためであります。
 その日、お松の帰りは夜になってしまいました。
「与八さん、今日は松茸《まつたけ》で夕飯を食べようじゃありませんか」
 乳母《ばあや》は子供たちを寝かしつけているところですから、お松は松茸を料理して、与八と二人だけで夕飯を食べました。
「ねえ、与八さん、もう、あたし、あなたの親御さんたちをたずねるのを、止《や》めようかしらと思ってよ」
「そうですか」
「尋ねないでいた方がよかあないかしら、と思いつきました」
「それもそうかも知れませんね」
と与八は、どうでもいいような返事をしましたけれど、心のうちは、決してそうでないことをお松がよく知っています。自分の両親の、せめてその一方をだけでも、与八は知って置きたいという常々の願望を、口には出さないけれど、その折々《おりおり》にお松が察しているものですから、お松から勧めて、その捨てられたという場所へ地蔵様を立てさせたり、それを最初に見つけたという人の縁故をたどったりして、何がな与八の本心のよろこびを迎えようと力《つと》めているくらいですから、お松の方から改めて、こんなことを言い出すのは、自分としても心持よくないし、与八をもかなり失望させるに相違ないとは思いながら、何か思いさわる事あればこそ、こうも言い出してみたのでありましょう。しかも、思い止まろうかと言い出したお松に、思いとどまる気のないように、どうでもいいことのように、返事をした与八にも、必ずしもどうでもいいとは、あきらめ切れないことでしょう。
 そこで、お松は、何ともつかずにこう言いました、
「ねえ、与八さん、もし、お前の本当のお父さんという人が、悪い人だったら、どうしますか」
 そこで与八が、
「悪い人だって、親は親だからなあ」
と返答しました。
「でも、その悪いというのが、ただ喧嘩が好きだとか、お酒のみだとかいうばかりじゃなく、もしかして、悪い罪を犯している人だったらどうします」
「悪い罪を犯したって、犯さなくったって、血を分けた親子の縁というものは、切っても切れねえだろう、ねえ、お松さん」
 与八は食事を終って、箸《はし》を下に置きながらこう言いますと、お松が、
「それは、そうに違いないけれど、もしかして、そんな人であったなら、いっそ、尋ねない方がいいじゃないかしら」
「どうしてね」
「せっかくの与八さんまでに、迷惑がかかるといけませんからね」
「そうかなあ」
 与八の面《かお》の色が少し曇ります。それを慰め面《がお》にお松が、
「ねえ、与八さん、生れぬ先の父ぞ恋しきという歌を御存じでしょう、生みの親も大事だが、それよりも大事なのは、生れぬ先の親だと、大禅師が説教でおっしゃったのを、お前も聞いていたでしょう」
「うむ」
「おたがいに、生みの親を尋ねることはやめてしまいましょうか――」
とお松から言われた与八は、箸を置いたまま、小山のように坐って考え込んでいました。
 食事が済んでから与八は、また道場へ戻って、そこで再び藁打《わらう》ちをはじめようとしました。
 暗いものですから、行燈《あんどん》をともして、それから仕事にかかろうと、片隅の方に置いていた行燈に、さぐり足で近寄ろうとして物につまずきました。
 なにかしらん。思いがけないところで、物につまずくと、そのハズミでバリバリとその物を踏み裂いてしまった音がしたので、与八も狼狽《ろうばい》して手さぐりにして見ると、相応の四角な薄手のものを包んだ風呂敷包です。
 はて、こんなものをここへ、自分は置いといたはずはないのだが、何か知らん。どうした間違いか知らん、今の足ざわりと、物音では、自分が、この中のものを踏み砕いてしまったことは確かである。はて、大事なものであってくれなければいいが……
 そこで、与八は歩き直して、ようやく行燈に火をつけて、そこで今の踏み砕いたものを見ると、いつも、お松さんが持ってあるく風呂敷には違いない。では、お松さんがここへ置いといたのだ。それを自分が過《あやま》って踏み砕いてしまったのだ。中は何だろう、済まないことをした、どうも済まないことをした、と与八は一層の心配をはじめました。
 包み方が簡単であったために、その一端が風呂敷の外に露出しているから、中の品物の何物かを認めるのは骨が折れません。それはありふれた納め物の絵馬《えま》です。そこらの辻堂の中あたりにいくらも見られる絵馬であることは確かだが、絵馬だからといって、踏み砕いてしまったのでは相済まない。修繕の工夫はないものか知らんと、知らず識《し》らず与八は、もうすでに片肌ぬぎになっていた絵馬の全身を露出させてしまって見ると、無残にも、それはホンのハズミに踏んだばかりですけれども、与八の馬鹿力で一たまりもなく、真二つに踏み裂かれてしまっていて、繕《つくろ》うべき余地もありません。
 済まないことをしてしまった。せっかくお松さんが大事にして持って来たものを、自分が足にかけて踏み砕くなんて……そんなところへ置いたものが悪いか、それを踏んだ者が悪いかは考えずに、与八は只管《ひたすら》に、自分のみが悪いことをしたと恐懼《きょうく》して、行燈の下へ持って来て、ひねくってみましたが、その時まで閑却《かんきゃく》されていたのは絵馬の面《おもて》です。それは与八が血のめぐりの悪いせいばかりではありますまい、大抵、この類《たぐい》の絵馬の模様というものはきまりきったもので、特別の注意を惹《ひ》くべき絵であろうはずもなく、また描き方も尋常一様に、板に乗っていたせいかも知れません。
 二度目に気がついた時、与八もさすがに驚かされてしまいました。
 何ということだ、この絵馬には人間の生首が描いてある。しかもその生首とても、尋常一様の小児のたわむれではない、相当の分別ある人が描いたもので、しかも梟物《さらしもの》になって、台の上へのせられているところの図にまぎれもありませんから、血のめぐりの悪い与八も、驚かないわけにはゆかなかったものです。
 いたずらにしても、イヤないたずらだ。それをまたお松さんが、後生大事《ごしょうだいじ》に、風呂敷に包んで持って来たのは、どうしたわけだろう。それをまた、あの行届いた人が、こんな人の踏みそうなところへ置きばなしにして、忘れてしまっているらしいのも合点《がてん》がゆかない。と、ここに至ってはじめて与八は、お松のお松らしくない物の扱い方を考えてみる気にもなったようですが、どうしても、これはあやまらなければならない。
 と、風呂敷へ包み直して、そこへ置きましたが、さいぜんの食事の時のお松の言葉といい、こんな不意のイヤなハズミといい、何となく物を思わせられるような晩であると、急に立つ気もなく、胡坐《あぐら》を組んだままで、やや長い時、ぼんやりとしていましたが、あやまりに行こうともせず、そのまま槌《つち》をとり上げて藁《わら》を打ちにかかりました。
 与八がこうして、ボンヤリと考え込みながら藁を打っていると、表の戸をトントンとたたいて、
「与八さん、与八さん」
「お松さんかい」
「あのね、与八さん、わたし、忘れ物をしましたが、そこらに風呂敷包がありませんか」
「ありましたよ」
「済みませんが、ここの窓から出して頂戴《ちょうだい》な」
「待っておくんなさい」
 与八は槌を下へ置いて、手を延ばして、風呂敷に包んだ例の絵馬を引き寄せながら、
「お松さん、あるにはあるが、ほんとうに済まないことをしちまったよ」
「どうしたの」
「あのね、暗いところにあったものだから、ツイ、わしが足で踏みつぶしてしまいましたよ、それで今、あやまりに行こうと思っていたところだよ」
「まあ……」
 外に立っていたお松は、その時、外から手をかけて戸を引きあけて中へ入って来ました。
「沢井」という字だけが見える手ぶら提灯《ぢょうちん》をさげていましたが、
「それは、わたしが悪かったのよ、そんなところへ置きばなしにしておいたから、わたしが悪かったのです」
「こら、こんなにグダグダに砕けてしまった、ほんとうに申しわけがありましねえ」
「かまいません」
 お松は、踏み砕けたままに風呂敷に包まれた絵馬を、与八の手から受取って、
「かまいませんとも、イヤな絵だから、このまま捨ててしまおうと思っていたくらいなんですもの」
「お松さん」
「ええ」
「お前は、どこから、そんなイヤな額を持って来たの」
「与八さん、お前、この中を見てしまったのですか」
「ああ、見てしまったよ、わしもイヤな額だと思った、お松さんがこんな物を持ち歩くはずはねえと思ったから、誰かのいたずらじゃねえかと思ったが、それでも風呂敷がお松さんのだから……」
「そうよ、わたしのに違いないのよ、わたしは妙なところでこれを手に入れたものだから、与八さんに見せようか知ら、それとも見せまいか知らと、考えながら、つい置き忘れたんですが、見られてしまっては、もう仕方がないが、気にしないで下さい」
「別に気にするでもねえが、誰のいたずらだか」
「ねえ、与八さん、あとで、お風呂の下かなにかで焼いてしまって頂戴な」
「うん」
「それから与八さん、もう一つ済みませんがね、これからちょっと、水車小屋まで行って来て下さいな」
「何しに」
「お米がなくなったそうですから、一俵持って来てやって下さいな」
「よしよし」
と与八は膝の藁屑《わらくず》を払って、台や、槌《つち》を片寄せながら、
「急ぎかね、お松さん、米のいるのは」
「なに、今晩と、明日の朝の分はあるんですとさ」
「ははあ……じゃあ、今晩、わしぁ、あの水車小屋へ泊って、明日の朝早く持って来りゃあ、それで間に合うね」
「え、それで間に合います」
「じゃあ、わしぁ、今晩は水車小屋へ泊って来るかも知れねえ、どっこいしょ」
 与八は立ち上りました。
「じゃあ、頼みましたよ」
 お松は砕けた絵馬の風呂敷を取りに来ながら、受取らずして行ってしまいました。
 しかし、いったん立去ったお松が、まもなく取って返し、
「ねえ、与八さん」
「何だね」
「もう一つ言って置くことがありますよ、あのお隣りの作蔵さんがお湯に来ての話ですが、昨日あたりこの村へ、お役人に追われて、悪い泥棒が一人入り込んだんですって」
「へえ……」
「だから、用心をおしなさい。また怪しい者と見たらば、つかまえるか、お役所へ申し出るように、触《ふ》れが廻ったんですって」
「あ、わしもお正午《ひる》ごろ、その触れを聞きましたよ」
「そう、それじゃ、お前さんの方が、よく知っているでしょう、用心をするに如《し》くはないから、気をつけて下さい」
「はい」
「それでは、お米の方をたのみますよ」
と言ってお松が出て行きました。やっぱり、例のイヤな絵馬の風呂敷包を持って行こうと言わないのは、与八にしかるべく処分を任してしまったつもりなのでしょう。
 与八は、その風呂敷包を抱えて、道場を出で、高い石段を下って、街道筋の方へ出ながら、
「そうだっけな、何か江戸で悪いことをした奴があって、それを青梅《おうめ》の裏宿《うらじゅく》まで追い込んで、そこで姿を見失ってしまったが、どうもこの沢井あたりへ逃げ込んだにちげえねえということで、今日のお正午《ひる》ごろ、今お松さんがいったような触れがあったっけな……してみると今夜は、水車小屋へ泊らねえがいいかな、こっちの家へ泊った方が、みんなの安心になるかも知れねえ。だがこっちはこれで近所も近いし、お松さんという子は度胸があるから……」
 与八は、こんなことを考えながら、高い石段を下って街道筋へ出で、崖道《がけみち》を下って、多摩川の岸の水車小屋まで着いてしまいました。案内知った戸をガタピシとあけて、休ませておいた杵《きね》の間を通り、糠《ぬか》だらけの棚の板から、携えて来たブラ提灯《ぢょうちん》をつり下げ、そうして、炉の傍へ寄っておもむろに焚火をはじめて、それが燃え上るところに両手をかざし、目をつぶってどっしりと坐り込んでいると、戸一枚を隔《へだ》てた多摩川の流れが、夜の静かなほどに淙々《そうそう》たる響きを立てます。
 こんな晩だったな――そこで、与八はゾッとして、塞《ふさ》いでいた目を見開くと、運転を止めた水車小屋の荒涼たる梁《はり》から軒《のき》、高いところは一面の蜘蛛《くも》の巣がすっかり粉をかぶっている。
 そこに一本長い女帯が、だらしなく解けほごれて、蛇のように横たわっているではないか。
 それ、そこに、緋《ひ》の襦袢《じゅばん》が。おお、女が一人歯を喰いしばって身をふるわせている……あああ、結いたての島田の髪があんなに乱れちまった――あれでは帰れまい、帰されもすまい。
 女も女だ――と寛怠《かんたい》な与八が歯噛みをする。
 再び目をつぶって、長い鉄火箸《てつひばし》をとって、盲《めくら》さがしに火を突っついていたが、どうも女の息づかいが……荒い。どうしてこの息づかいが、今以てこの水車小屋を去らないのか。
 いけない、いけない。
 与八は、この時、携えて来たイヤな絵馬を取って炉の火に焼き捨てようとしたが、その途端にまたゾッとして、絵馬を持つ手をわななかせたのは、それは、今以て残る女の亡霊の幻《まぼろし》とやらに驚かされたのではありません。与八は、その途端に、遠く犬の吠《ほ》える声を聞きました。
 犬の吠える声といっても、それは尋常の犬の吠える声ではありません。ここよりは頭上にあたる机の本家、今はそこに飼われているムク犬が、何に驚いてか、鐘をつくような声で吠えるのが、ありありと与八の耳に入りました。

         二十四

 ムクは滅多に吠《ほ》えない犬であります。
 現にここへ来てからにしてが、ほとんどムクの吠えたというのを聞いたものがありますまい。ムク犬の吠えないだけ、それだけ平和であり、ムクの吠ゆる時は、尋常の時でないことは、与八もよく知っているのであります。
 そうして、かなりの遠くの距離にいて、多くの雑音の中にあっても、ムクの吠ゆる声だけは、いつも殷々《いんいん》として聞き取ることができるのであります。
 そこで与八は、何か本家の方に非常が起ったのだと胸を打たれました。その非常の程度はわからないが、ああしてムクの声が聞えたことそれだけで、人間の騒ぐより以上の何事かが突発して来たものと見て、さしつかえないのであります。そこで与八が胸を打たれて心配しました。
 心配したけれども、しかし絶望はしません。
 ムクの吠えたのが非常を示すと共に、ムクの存在ということが、非常な心強さを与えるものであります。何となれば、ムク犬が存することによって、幾多の人間が備えている以上の安心を、保証し得るからであります。
 ひとたび心配した与八は、二度《ふたたび》安心はしましたけれども、ともかく、ああして非常の暗示があってみれば、ここにこうしているわけにはゆかない。そこで本家へ取ってかえそうとして鈍重な身を起しかけた時、不意に裏口の戸があいて、そこから声もかけずに人が一人飛び込んで、また素早《すばや》くその戸を閉《とざ》してしまったことを知りました。しかしそれは鈍重な与八が身を起しかけた途端、その背後で起ったことですから、与八は、その入り込んで来た人の影をだに見ることができないすきに、その人の形は、この水車小屋のいずれを見廻しても、認むることができないのであります。
「誰だい」
 与八は片膝を立てながら、四方《あたり》を幾度も見廻して、呼びかけてみたが返事がありません。返事がないのみならず、ほとんど人の気配《けはい》がないのであります。
 果して人間が入って来たものならば、そのいずれに隠れたにしても、多少の間は、空気の動揺というものが残らなければならないはずでありますが、物音のしたすきまに、その空気の動揺が消え去ったのは――或いは全く空気を動揺せしめずして、身体だけを運行させたもの――それは煙か、幽霊かでなければできないことのように思われますけれど、いま入って来た人は、入って来た人があると仮定して、その人は、たしかにそれを行なっているもののように思われます。
 それですから、与八はそこに自分の耳を疑いました。ははあ、これは自分の空耳《そらみみ》だな、犬が吠えて、非常が暗示されたものだから、疑心暗人というようなわけだろう。しかし、戸があいたには確かにあいた。戸があいて、そうして同時に締められるには確かに締められたはずだから、どうもあきらめきれないで、立ちあがってから再び、小屋の隅々までも見廻して、
「誰だい、誰かへえ[#「へえ」に傍点]って来たのかね」
 どうも、立去り兼ねるものがある。
「待てよ」
 そこで与八は提灯《ちょうちん》に火をうつして、裏の戸口のところへ行って、仔細に、戸と、その板の間のあたりとを、提灯の光で照らして見ました。
 それは争われない。尋常の板の間ならば何でもないことですけれど、水車小屋の板の間ですから、粉と糠《ぬか》で、霜を置いたようにいっぱいに塗られてあるところですから、そこに手足の指のあとと、着物で掃かれた粉末の飛散のなごりをとどめないというわけにはゆきません。
「いる、いる、たしかにこん中に、人がいるに違えねえだ」
と与八が声を立てた時、後ろから与八の首へ、すっと一筋の縄が巻きつきました。
 その縄に巻かれると、大力の与八が、もろくも囲炉裏《いろり》のそばまで引き戻されてしまいました。それは拒《こば》めば首がくくられるからです。自分の力で、自分の首をくくられるのがいやならば、おとなしく、引かれる方へ引き寄せられるよりほかはない。その点においては、与八は天性心得た無抵抗の呼吸を、のみこんでいるもののようでもあります。
 しかし、後ろから音もなく、与八の首へ縄を巻きつけたその人とても、必ずしも与八をくびり殺そうとして、そうしたわけではなく、この際、与八に声を立てられることを怖れての非常手段と見えますから、あちらからいえば、正当防衛の一手段に過ぎないかも知れません。大へんおとなしく、素直に与八を引き寄せて来て、
「声を立てないでおくんなさいね、少しの間、ここへ、私を隠しといて下さい、たのみますよ」
 その人が、与八を引据えるようにして、自分もそれと向い合って、炉辺に坐りこんでしまったのを見ると、与八には馴染《なじみ》とはいえないが、珍しくもない裏宿七兵衛でありました。与八は、恐怖と、驚愕と、それから与八にしては珍しい幾分の叱咤《しった》の気味で、
「お前さん、どこの人だか、不意にはいって来て失礼じゃねえか」
 ゆるめられた縄の下から、与八がこう言いました。七兵衛は騒がない声で、
「どうも済まなかった、かんべんしておくんなさい。実は今そこで、おそろしく強い狂犬《やまいぬ》に出逢《であ》ったものだから、逃げ場を失って、こんな始末さ。なにも、お前さんを苦しめようのなんのというのが目的じゃねえんですから、どうか、勘弁しておくんなさいまし」
「うん――」
と与八は、おとなしい眼を不審の色に曇らせて、改めて七兵衛の姿を見やり、見おろし、
「お前さん、狂犬《やまいぬ》に吠《ほ》えられたとお言いなすったね」
「ああ、どこの犬だか知らねえが、この上の方に、おっそろしい強い狂犬がいるよ」
「お前さん、ありゃ狂犬じゃありませんよ」
「え、どうして」
「ありゃ、ムクですよ」
「ムク……」
「ムクが吠えたんですよ」
「ははあ、なんにしても、すっかりオドかされてしまいましたよ」
「お前さん」
 与八は、しげしげと七兵衛の姿を見ているから、七兵衛は少しバツが悪く、
「何だい」
「お前さん、何か悪いことをしたろう」
「えっ」
「何かお前さん、悪いことをして来たね」
「飛んでもねえ、私は何も悪いことなんぞをする人間じゃあねえ、この通り、六郷下《ろくごうくだ》りの氷川《ひかわ》の筏師《いかだし》だよ」
「いけねえ、お前さん、何か悪いことをして来たから、それでムクに吠えられたのだ」
「冗談《じょうだん》いっちゃいけません、犬に吠えられる奴が、みんな悪い奴であった日にゃ、夜道をする奴はみんな泥棒……だね」
「犬に吠えられる奴が、みんな悪い奴たあ、いえねえかも知れねえが、ムクに吠えられる奴は悪人だ」
「どうして」
「ムクという犬は、いい人に向っては、決して吠えねえ犬なんですから……」
「いよいよ冗談ものだ、人間でせえ、人物の見定めというものは容易につかねえ、まして犬に、人間の賢愚、不肖がわかってたまるものか」
「ところがムクには、それがわかるから不思議じゃありませんか――もし、お前さんが、ムクに吠えられて、ムクに追われたとしたら、お前さんは、たしかに悪いことをして、そうしてここへ追いつめられておいでなすった人に違えねえ……」
 与八がキッパリと言いきったので、七兵衛が、思わず眼をみはって与八の面《かお》を見ました。
 与八の言葉を聞いた七兵衛は、非常に驚かされてしまいました。
 この若い男は、少し足りない男のように思われるが、その言い出すことは、人の腸《はらわた》を読んでいるようだ。
 いや、この男が読んでいるならとにかく、その何とかいう犬が、こっちの裏も表も読みきっていて、善悪正邪も、賢愚不肖も、いちいち鑑定して置いて、吠えにかかるのだというのが癪《しゃく》じゃないか。
 どこまでも、世渡りの裏を行って、生馬《いきうま》の眼を抜くという人間共のかすりを取って、なにくわぬ面《かお》で今日まで生きていられた自分というものが、今晩はここで、人並足らずの間抜けのような若い男と、畜生の一つのために腸《はらわた》まで見透かされているというのも、痛いような、痒《かゆ》いような、くすぐったいような、わけのわからぬ訳合《わけあ》いのものだ。
 そこで七兵衛は、空しく、
「なるほど」
と頷《うなず》いて、与八の面《かお》をながめたっきりです。
「この縄を取っておくんなさい」
と与八が言いました。放心したもののような、緩《ゆる》めきってはいたが、さいぜんの縄は、やはり与八の首に巻きついているには、巻きついていたのです。
「なるほど」
と言ったが七兵衛は、要求通り、その縄を外《はず》してやろうでもなし、それを強く締めようでもなし。
「ねえ、縄を取っちまっておくんなさいよ」
「ま、待ってくれ」
 七兵衛は耳を澄まして、何か物の気配《けはい》をうかがおうとしているのは、つまり犬が怖いのでしょう。たった今吠えられたという犬が、自分のあとを追いかけて来て、或いはその辺の戸際に待伏せでもしてはいないか。一応その気配をうかがった上で、身の振り方をきめようとの要心と見える。
 だが、与八としても、気が利《き》かないことの限りで、こうして、先方が油断している隙《すき》に飛びかかって、その大力でもって相手を組み伏せるとか、縄をたぐって引き寄せて、自分で安全圏を作っておくとかの余地は十分にありそうなものを、相手に首を巻かれっぱなしで、その死命を制せられっぱなしで、自分の活地を作ろうと、努力するだけの機転の利かないのが、この男の取柄《とりえ》かも知れない。
「それじゃ、若い衆さん」
と七兵衛は、ほぼ、あたりの形勢にも見当がついたらしく、
「私は、これでお暇《いとま》をするからね、この川を飛び渡って柚木《ゆぎ》の方へ出るつもりだから、私がかなり逃げのびたと思う時分まで、お前、騒いじゃいけないよ、泥棒! なんて大きな声を出すと承知しねえぞ」
「大丈夫だよ」
「犬はいねえようだな、あの厄介《やっかい》な犬は、跡をついて来ちゃあいねえようだな」
「大丈夫だよ、ムクは、逃げる者を、そんなに長追いをするような犬じゃありませんよ、それよりか、家を守っている方が大切ですからね」
「それで安心した」
 七兵衛ほどのものが、特に、その犬には弱らされたものらしい。
 そこで、七兵衛は、手にしていた縄の一端をクルクルとまとめて、環《わ》にしてポンと与八の前へ抛《ほう》り出して、
「どうも、窮命《きゅうめい》をさせて済まなかった、済まないついでに若い衆さん、お湯をいっぱいおくんなさい」
「さあ、どうぞ、ここにお椀《わん》がありますから、なんなら、いいお茶もあるだから、お茶をいっぱいいれて上げましょうか」
「そいつは、どうも御馳走さま」
 与八は、せっかく解放された縄をまだ自分の首から放さないで、それよりも先に、この珍客に向ってお茶の用意にとりかかると、この時、七兵衛が炉辺で意外な物を見つけて、じっとそれに眼をつけました。

         二十五

 七兵衛が何事をか注意し出したのに頓着のない与八は、珍客のために、お茶壺から上茶を取り出して、お茶をいれにかかっていると、七兵衛が、
「若い衆さん」
と呼びましたものですから、鉄瓶《てつびん》の湯を急須《きゅうす》に注《つ》ぎながら、
「何ですか」
「そ、そりゃ何だね」
「え、それとは」
 与八は、鉄瓶の湯を急須に注いでしまってから、七兵衛のそれといって指したところのものを見やると、
「あ、これですか」
「何だい、そりゃ」
「こりゃ、絵馬《えま》の額ですよ」
「絵馬には違いないが、お前さん、その絵馬をどこから持っておいでなすった」
「これですか、イヤな絵馬ですよ。お茶を一つお上りなさいまし」
 与八は、お茶をついで、七兵衛の前に差出してから、改めて問題の絵馬を無雑作《むぞうさ》に取り上げて、
「こりゃ、お松さんが持って来たものなんですが、どこから持って来たか、わしは知らねえが、あんまり縁起でもねえ額だから、おっぺしょって、火の中へくべってしまおうと思っていたところです」
といって与八は、いったん自分が二つに踏み割ってしまった絵馬を、もう一ぺん細かくさいて、それを眼の前の炉の火に投げ込もうとしますから、七兵衛があわててその手を押えました。
「滅多なことをしなさんな、それでも絵馬となりゃ、納める人は丹念して納めたに違えねえ、まあお見せなさい」
 七兵衛は与八の手から、二つに裂けた絵馬を受取って、その怪我をいたわるような手つきであしらいながら、裏と表を一ぺん通りジロリと見渡してから、膝の下へ置き、
「誰がこの絵馬を持って来たんだって?」
「お松さんが持って来ました」
「お松さんが、どこから持って来たの?」
「それは知らねえ」
「ふーん」
と七兵衛は、お茶を手に取って飲みながら、首をかしげないわけにはゆきませんでした。
 七兵衛は、与八のことは知っているか、いないか知らないが、お松のこの地にいることは、充分に知っているはずである。このあたりの地理も、人情も、知って、知りぬいているはずだから、自然、この水車小屋も、机の家のものだということは心得ているに違いない。そうしてみれば、お松とはあれほどの縁故だから、そのいどころをたずねて、充分に話はわかっているはずである。
 しかし、与八は、お松の家へこの人が尋ねて来たのを見たことがないから、従って、この人と、お松とが、深い縁故になっていることなんぞは知ろうはずはないらしい。お松がここにいることを知って尋ねない七兵衛には、また七兵衛だけの遠慮があるのでしょう。お松の方でも、程遠からぬ七兵衛の実家を尋ねたということをあまり聞かないのは、尋ねても、その都度都度《つどつど》、行方《ゆくえ》が知れないからでありましょう。
「若い衆さん、お聞きなさいよ」
 お茶を飲み終った七兵衛は、悠々《ゆうゆう》として煙草をのみにかかりました。
「はい」
「お前、そのお松さんという人と懇意なら、どういうわけで、どこから、こんな絵馬を持っておいでなすったか、それを聞いてみるといい。まあ、ごらん……」
 七兵衛は今更めかしく、絵馬をとり上げて、裂けたのをピタリと一枚に食い合わせて、与八の前へ突きつける。
「人の物を盗《と》ると……十両からこうなるんだぜ、九両二分まではいいが、十両からになると、どっちみち、こうなる運命はのがれられねえんだ、間男《まおとこ》と盗人《ぬすっと》は、首の落ちる仕事だよ」
「まあ、お茶をもう一つ、おあがんなさいましよ」
と、与八が熱いお茶の二杯目を七兵衛にすすめると、
「こりゃどうも御馳走さま」
「ここにたらし[#「たらし」に傍点]餅《もち》がある、よろしかあ、おあがんなさいまし」
 与八は、傍《かたえ》のほうろくの中にあったたらし[#「たらし」に傍点]餅をとり出して、お盆の上に載せると、
「どうも済みませんねえ」
 七兵衛は与八のもてなしぶりを、ようやく不思議な色でながめました。
 どうも少し変っている男だと見たのでしょう。第一、もう疾《と》うに許されている首の縄が、まだ外《はず》されていないのもこの場合、七兵衛としておかしいくらいに見えました。
 つまり、最初のうちこそ、縄を外してくれと要求しながら、その要求通りに縄を投げ出されてみると、それですべてが許されたものと心得て、それからは火をくべることだの、お茶をいれることだの、たらし[#「たらし」に傍点]餅をすすめることだのにとりまぎれてしまって、首の縄を全く忘れ去ってしまったものらしい。
 途方もなく人のいい男だ――と七兵衛は、その首の縄を見ると、そぞろに自分ながらおかしさがこみ上げて来るもののようです。そこで、
「若い衆さん、その縄を取っちゃあどうだい、その首の縄を」
 自分からかけておいた縄を、こう言って、先方の自決を促すような気持にまでなりました。
「あ、そうだね」
 そこで、与八は首の縄へ手をかけてグイと引張ると、縄は素直に外《はず》れる。その素直に外れた縄を一方に置き、また三杯目の茶を注いで七兵衛にすすめました。
「若い衆さん、お前さん、幾つにおなりなさる」
「わしかね、わしゃ十九でござんすよ」
「いいかっぷく[#「かっぷく」に傍点]だね」
「ええ……」
「力があるだろうなあ」
「ええ……」
「お相撲《すもう》さんにしても立派なもんだ。お前さん知っていなさるかどうか、この向うの檜原《ひのはら》の大岳山《おおたけざん》の麓《ふもと》に、昔おっそろしい力の強い若い衆があってね、なんでも三十人力あって、村々で人足を出し合う時には、その若いのが一人で、三十人分に通用したという話が残っていますよ。ところが、その男が、その三十人力の力が出て働けるのは、大岳山の頭が見えるところだけに限ったもので、大岳山の頭が見えなくなるところへ行くと、げっそりと力が減っちまうんだっていうことを聞きました。お前さんも三十人力はありそうだね」
「そんなにありゃしませんよ」
 物騒な犬の吠え声から、首に縄を捲かれるまでの危険千万な光景が、いい気の、秋の夜の炉辺の茶話になってしまいました。
「お前さん、生れはどこだね」
 七兵衛もこうなると、好々人《こうこうじん》の、百姓親爺のほかの何者でもありません。
「さあ、わしの生れはどこでござんすかね」
「おや、お前《めえ》さん、自分の生れどころを知らねえ……?」
 七兵衛がまた気色《けしき》ばみました。
「生れはどこだか知らねえが、赤ん坊の時からこの沢井村で育ちました」
「それじゃあ、こっちへ貰われて来たのか、それとも……」
「いや、貰われて来たんじゃねえ、拾われて来たんでございます」
「拾われて……そうするというとお前さんは棄児《すてご》かい」
「ああ、棄児なんでございます」
「おやおや、どこへすてられて、誰に拾われなすったい」
 七兵衛はのっ込[#「のっ込」に傍点]んでしまいました。
「ねえ、おじさん」
 途方もない人のいい面《かお》をした与八は、多少その面の色を曇らせながら次の如く言いました。
 つまり、自分は棄児《すてご》である。青梅街道のあるところへ、生れていくらも経たない時分に捨てられて、それを机の大先生に拾われて、その御恩で今日に至ったということを、与八は飾るところなく七兵衛に話すと、七兵衛の眼がかがやいてきました。
「なるほど、なるほど」
 幾度《いくたび》か、深いうなずきの後に、吸い取るような眼つきをして与八をうちながめ、
「なるほど……年は十九とお言いなすったな」
 七兵衛は、指を折って数えてみるふり[#「ふり」に傍点]をしました。
「たらし[#「たらし」に傍点]餅を一つおあがんなさいまし」
 そんなことに頓着なく与八は、再び、七兵衛に向って、たらし[#「たらし」に傍点]餅をすすめます。
 そこで七兵衛はお茶を飲み、たらし[#「たらし」に傍点]餅を食いながら、なにげなく、
「それでわかった、それで委細がわかりましたよ、お松さんという人が、ああして新町へお堂を建てたり、そのお堂の中に納めてあった絵馬《えま》が、こんなところへ来ていたりする因縁《いんねん》が、よくわかりましたよ。しかし、若い衆さん、わが子を捨てるほどの親を、血眼《ちまなこ》になって探し廻るような仕事はよした方がようござんすぜ、子を捨てるほどの無慈悲な親に、ロクな奴があるはずがありませんからね。よしんば探し当てて、おおお前がお父さん、おおお前がせがれか、と抱きついてみたところで、ツマらねえお芝居さ、少しほとぼりがさめてごらんなさい、子供の方がちっと、よくでもなっていて、小遣銭《こづかいせん》をねだりに来られたりするうちはまだいいが、万々が一、その親という奴がたち[#「たち」に傍点]の良くねえ奴でもあってごろうじろ、それこそ親子の名乗りなんぞしなかった方が、ドノくらい仕合せかとあとで臍《ほぞ》を噛《か》むようなことがなんぼう[#「なんぼう」に傍点]もございまさあ。生みの親にめぐり逢いてえとか、この世の名残りにせがれに一目あって死にてえとかいうのは、お芝居としちゃあ結構な愁嘆場《しゅうたんば》かも知れねえが、生《しょう》で見せられると根っから栄《は》えねえものなんだぜ……お前さんも、そこをよく心得ていなくちゃいけねえ。お松さんにもよくその事を言っておかなくちゃいけねえ。親は無くても子は育つんだからなあ、それ、世間でも生みの親より育ての親と言うだろうじゃねえか、拾って下すって、今日まで面倒を見て下すったその御恩人に対して、御恩報じをする心持でいせえすりゃ、それでいいのさ。西も東も知らねえおさな児を、かわいそうに野原の真中へ打捨《うっちゃ》って、虎狼《とらおおかみ》に食わせようなんていう不料簡な親を慕って、それにめぐり逢いてえなんて、だいそれた料簡だ、よくねえ料簡だ。お松さんにも、よくそいって置きな、この忙がしい世の中に、棄児《すてご》の親なんぞを探す暇があったら、襦袢《じゅばん》の一枚も縫っていた方がいいって……お前さんだって、そうさ、お地蔵様を信心すれば、生みの親に逢えるだろうなんて、あんまりたあいがなさ過ぎらあな。それよりは、ウンと稼《かせ》いでな、給金を貯めてな、それで新家《しんや》の一つも建てて納まることを考えなくっちゃいけねえ。そうなると、相応のおかみさんが欲しくなるだろうが、そこだてなあ……女房というやつは、持つがいいか、持たねえのがいいか、ことさらお前の身の上について考えてみると、何とも言えねえ――持つなら、いい女房を持たしてやりてえがなあ」
 どういう気まぐれか、このかりそめの場で、七兵衛は、与八のために、将来の女房の心配まではじめたが、やがてかたわらの絵馬を手にとりながら、
「いや、よけいなお節介《せっかい》で長話をしてしまった、人間はあとのことを振返らねえで、先のことを考えなくちゃいけねえ」
と言いながら、例の絵馬《えま》をパリパリと引裂いて、炉の中に投げ込んでしまいますと、絵具のせいか、火が血のような色をして燃え立ちました。
 七兵衛は立ち上りながら、絵馬の燃え上る火の色を見ていいました。
「若い衆さん、お前、人間の首の梟物《さらしもの》を見たことがありなさるかい。見ない方がいいねえ、わけて出世前の者は、そんなところは見ない方がいいがねえ」
と言いました。
「まだ、そんなところを見たことはありましねえ、見ようとも思わないねえ」
と与八が答えました。
「そうだとも、見ようとも思わないのが本当だ。お上《かみ》だって、好んで見せたいから梟《さら》すわけじゃあるめえ。まして首を斬られて、梟される御当人と来ちゃ、これも酔興とはいえねえが、それでもあんなところへ上りたがる首が、いつになっても絶えねえのは浅ましいことだね。若い衆さん、お前だって長い一生には、いつそんなものを見せられねえとも限らねえのだから、心得のために覚えておきなよ、引廻しになっても、ならなくても、いよいよこの首が浅右衛門さんあたりの手で、血溜りへ落ちてしまったと思いなさい、そこで非人がその首を引上げて、手桶の水で洗いまさあ、洗って一通りの手当をしてから、俵の中へ包むんだね、この首をさ、そうすると獄門検使というのと、町方年寄とか、村方年寄とかいうのと、同心とが出て来てその首を受取る、その首の俵へ青竹をさし込んで、二人の非人がお仕置場へ持って行って、獄門にかけるという段取りだが、この首が……」
 七兵衛はさながら、自分のこの首が、明日の朝は獄門台にでも上るものかのように、自分の手で、首筋をぴたぴたとたたきながら、
「その獄門台というやつが、あんまり有難くねえやつだが、栂《つが》でこしらえて、長さが二間の二つ切り一本、高さは六尺、そのうち二尺五寸は根になりまさあ、横板の長さが四尺に厚さが一寸、それを柱一本につき五|挺《ちょう》ずつ、つまり、十本のかすがいで足にくっつけ、その真中に二本の釘を押立《おった》てて、その下を土で固め、それへ人間の首をつき刺して、そうして、梟物《さらしもの》が出来あがるんだよ。それにも二人掛けと三人掛けがあって、二人掛けの方は長さが六尺、三人掛けは八尺……その側に捨札が立って、朱槍《しゅやり》と捕道具《とりどうぐ》が並ぶ、向って右手の横寄りに番小屋があって、そこへ非人が詰めることになっている、首の梟しは大抵三日二夜に限ったものだが、捨札の方は三十日間立てっぱなし……」
 この辺で七兵衛は笠を取って、紐《ひも》を結んでしまい、
「お仕置場というやつは、大抵場所のきまったものだが、そのうちにも処成敗《ところせいばい》というのがあって、悪事を働いたその場所で、臨時に首を斬られるやつもあるのさ。そういう時には珍しがって、近郷近在が一生の話の種と、見なくてもいい奴まで見に来るものだが、見て五日や七日は、飯が咽喉《のど》へ落ちないそうだ、なかには一生それが附きまとって、ああ、あんなものを見るんじゃなかったと、生涯苦に病《や》んでいる奴もある、見ねえ方がいいさ。若い衆、お前さんなんぞも、もしや眼前にそんな噂《うわさ》があっても、決して見物に出かけなさるなよ、出世の妨げになるから、あんなものは決して見ねえ方がいい」
 七兵衛は、細々《こまごま》と申し含めるようなことを言って、与八を煙《けむ》に捲きながら、以前の裏の戸を押開けて、外の闇に消えてしまいました。
 まもなく、七兵衛の道中姿を、多摩川を一つ向うへ隔てた吉野村の、柚木《ゆき》の即成寺《そくせいじ》の裏山の松の林の中に見出します。
 非常に大きな赤松の林、ここから見ると山間《やまあい》が海の如く、前岸の村々の燈火《ともしび》が夜霧にかすんで、夢のような趣でありました。
 大きな松の木蔭に立って、いま出て来た水車小屋のあたりを見下ろしている時分に、月がようよう上って、奥多摩の渓谷の半面を、明るく照らしたその光で見ると、七兵衛の眼にも露が宿《やど》るらしい。

         二十六

 木曾《きそ》の福島の宿屋で、今晩は道庵先生が大声を発しております。
 もはや、夕飯も済み、これから寝に就《つ》こうとするにあたって、道庵が突然大きな声を出しはじめたものだから、最初はあたり近所の人々が驚きましたけれど、やがて、驚かなくなってしまいました。
 それというのは、無意味に大声を発したのではなく、よく聞いていると、それは急に本を読みはじめたものらしいから、宿の者も安心したのです。
 それにしても、道庵が今晩に限って、なぜ、こうして改まって本を読み出したのだか、また、こうまで改まって、道庵をして巻を措《お》くを忘れしむるほどの書物は何物であるか、それは充分にわかりませんが、道庵の眼の前には、たしかに一冊の書物が置いてあるにはあるのです。
 枕元のところに一冊の書物がひろげてあって、それを前にして道庵はキチンとかしこまって、しきりに朗々と読み立てているにはいるのですが、肝腎《かんじん》のその眼が、いっこう書巻の上には注いでいず、向うの行燈《あんどん》の、やや黄ばみかかった紙の横の方に「へへののもへじ」が書いてあって、その下から、一匹のこおろぎが油をなめに行こうとするところを、一心に見つめながら、そうして唇はしかつめらしい声で、朗々と文章を読み上げているのですから、出鱈目《でたらめ》をいって、勉強ぶりを衒《てら》っているのか、そうでなければ暗誦《あんしょう》を試みて、無聊《ぶりょう》を慰めているものとしか思われません。
 しかし、聞く人が聞けば、それは確かに言語文章を成しているのです。耳を澄まして少しくその読むところをお聞取り下さい!
[#ここから1字下げ]
「凡百ノ技、巧《こう》ニ始マリ、拙ニ終ル、思《し》ニ出デテ不思《ふし》ニ入ル、故ニ巧思極マル時ハ則《すなは》チ神妙ナリ。神妙ナル時ハ則チ自然ナリ。自然ナルモノハ巧思ヲ以テ得ベカラズ、歳月ヲ以テ到ルベカラズ……」
[#ここで字下げ終わり]
 そこで思い出したように、パッと枚数を飛ばしてから、
[#ここから1字下げ]
「英雄、医卜《いぼく》ニ隠ル固《まこと》ニ故有リ矣。夫《そ》レ医卜《いぼく》トハ素封無キ者ノ素封也。王侯ニ任ゼズ、自如トシテ以テ意ヲ行フベシ……エヘン――」
[#ここで字下げ終わり]
と咳払《せきばら》いをしてから、また急に思い出したように、五六枚はね飛ばして、一調子張り上げ、
[#ここから1字下げ]
「身、五民ノ外ニ処シテ、或ハ貴《き》ニヨク、或ハ賤《せん》ニヨシ、上ハ王皇ニ陪シテ栄ト為サズ、下ハ乞児《きつじ》ニ伍シテ辱ト為サズ、優游シテ以テ歳ヲ卒《をは》ルベキモノ、唯我ガ技ヲ然《しか》リト為ス……エヘン」
[#ここで字下げ終わり]
 ここでも、わざとしからぬ咳払いを一つして、荘重《そうちょう》に句切りをつけましたが、急に大きな声で、
「ナムカラカンノトラヤアヤア」
と叫び出しました。
 これは全く意表に出でた文句の変化であって、前段に読み来《きた》ったところのものは、たしかに医書であります。その医書のうちの会心のところ、道庵からいえばかなり手前味噌になりそうなところを二三カ所、朗々として読み上げて来たのですけれど、それは職業の手前|咎《とが》める由は無いが、ここに来って急に、「ナムカラカンノトラヤアヤア」と言い出したのは、どう考えても理窟に合わないことです。木に竹をつぐということはあるが、これは医につぐに呪《じゅ》を以てするとでもいうのでしょう。しかし、ここでは聴衆というものがないのだから、道庵自身がそれを問題にしない限り、弥次《やじ》る者も、笑う者もありませんから、いよいよ図に乗って、
[#ここから1字下げ]
「山東洋、ヨク三承気ヲ運用ス。之《これ》ヲ傷寒論ニ対検スルニ、馳駆《ちく》範ニ差《たが》ハズ。真ニ二千年来ノ一人――」
[#ここで字下げ終わり]
 二千年来ノ一人……というところにばかに調子を振込んで道庵が力《りき》み返り、
[#ここから1字下げ]
「中古ニ隠士|徳本《とくほん》ナルモノアリ、甲斐ノ人也――」
[#ここで字下げ終わり]
 そこで案《つくえ》を一つ打って、すまし返りました。
 読みながら道庵は、自分ひとりが高速度的にいい心持になって行くと見えて、盛んに、朗読だか、暗誦《あんしょう》だか、出鱒目《でたらめ》だか、遠くで聞いていてはわからない文句を並べました。
[#ここから1字下げ]
「余|嘗《かつ》テ山東洋ニ問フテ曰ク、我、君ニ事《つか》フルコト三年、技進マズ、其ノ故如何。洋子|曰《のたまは》ク、吾子《ごし》須《すべから》ク多ク古書ヲ読ミ、古人ト言語シテ以テ胸間ノ汚穢《おえ》ヲ蕩除スベシ。余、当時|汎瀾《はんらん》トシテ之ヲ聞キ未ダソノ意ヲ得ズ、爾後十余年、海内《かいだい》ニ周遊シテ斯ノ技ヲ試ミ、初メテ栄辱悲歎ノ心、診察吐下ノ機ヲ妨グルコトヲ知ル――」
[#ここで字下げ終わり]
 ここまで朗々と誦《ず》し来って、また前章に舞い戻ったものと覚しく、
[#ここから1字下げ]
「中古ニ隠士徳本ナル者アリ、甲斐ノ人也。常ニ峻攻ノ薬ヲ駆使シテ未ダ嘗《かつ》テ人ヲ誤ラズ。頭《かうべ》ニ一嚢ヲ掛ケテ諸州ヲ周流シ、病者ニ応ジ薬ヲ売リ償《つぐなひ》ヲ取ルコト毎貼十八銭――」
[#ここで字下げ終わり]
 この時に道庵先生が、また案《つくえ》を打って、けたたましく叫びました、
「ここだ、こん畜生だ!」
 そこで何か後ろめたいことでもあるように、道庵先生が急に巻を閉じてしまい、すっくと立ち上って、羽織をぬいで投げ捨て、帯を解いて抛《ほう》り出し、めちゃくちゃにねまきに着かえると、夜具の中へもぐり込んで、
「つまらねえなあ」
と嘆息しました。
 道庵先生がこうして朗読をつづけている間、次の間に控えたのが宇治山田の米友です。
 例の杖槍《つえやり》を壁の一方に立てかけて、がっそう頭に、めくら縞《じま》の袷《あわせ》一枚で、あぐらをかき、その指をあごの下にあてがって、とぐろを巻いたような形で、眼をクルクルと廻しながら、隣室の朗読を尤《もっと》もらしく聞いていたが、それも終ったと見込みがついた上に、先生は帯を解いて寝床にもぐり込んだらしい形勢でしたから、「つまらねえなあ」と嘆息した時分に、首をのばして、
「先生」
 唐紙越しに言葉をかけました。
「グウ、グウ」
という返事です。
「先生」
「グウ、グウ」
 相変らずふざけきったもので、口いびきで先生が答えるのを、米友は腹も立てず、
「先生、もう寝なすったかい」
「寝たよ」
「何か御用はないかね、なけりゃ、おいらも寝るよ」
「ああ、お前もお休み」
「どっこいしょ」
 主人に先立って寝ず、という米友の神妙な忠勤ぶりで、道庵が寝床に納まったと見届けたから、そこで米友も蒲団《ふとん》をあけて、身を運ばせながら、
「先生」
「何だい」
「お前、夜中《やちゅう》に這《は》い出しちゃいけねえよ」
と、何の意味か米友が道庵に向って駄目を押すと、道庵がしゃらけきって、
「心配するなよ」
と答えました。
 これは米友としても、変な念の押し方で、道庵としても歯切れの悪い返答ぶりでありました。何となれば、夜中に這い出そうとも、這い出すまいとも、赤ん坊じゃあるまいし、よけいな世話を焼いたもので、それをまた道庵ともあるべき理窟屋が、文句なく受取ったのみならず、幾分、良心に疚《やま》しいところのあるような歯切れの悪い返答ぶりが、いつもとは少しく調子が変っているのだが、誰もそれを、この場でとがめる者はありません。
 米友は、一旦、寝床にもぐり込もうとしたが、また起き直って、荷物と、槍とを、念入りに一応調べて枕許《まくらもと》へ置き並べると、襖《ふすま》を隔てての道庵が、
「べらぼう様、這い出してみたところで、そう易々《やすやす》と落っこちる道庵とは、道庵が違うんだ」
と、寝言のように言いました。
 米友が道庵先生に対して、特に夜中に這《は》い出しちゃあいけねえぜと、警告ようの文句を与えたのは、かなり意味深長なものが、あるといえばあるらしい。
 それをいうと、道庵先生の人格に関するようなものだが、実は先生、旅へ出て、調子づいて脱線をやり過ぎることがあります。むしろ脱線が無ければ、道庵が無いといいたいくらいだから、道庵の脱線は天下御免のようなものですけれど、米友が眼に余ると見ている脱線ぶりは、自分の信じている従来の道庵の脱線ぶりとは、全く性質を異にしている脱線ぶりですから、米友が苦《にが》い面《かお》をして、警戒をはじめました。
 一方、道庵の方から言えば、折角こうして、十八文をチビチビ貯めて旅へ出たことではあるし、町内でもともかくも先生扱いをされている手前上、そう無茶な発展もでき兼ねていたのが、無係累の旅へ飛び出したのですから、多少の人間味がわき出して来るのは、ぜひもないことでしょう。
 泊り泊りで渋皮のむけた飯盛《めしもり》を見れば、たまには冗談《じょうだん》の一つもいってみたいのは人情でありましょう。
 ところが、米友というものが、前後左右に眼もはなさず頑張っているから、たまらない。
 そこで、多分、夜中に、米友の寝しずまった頃をうかがって、そっと抜け出して、戸惑いをしてみたことが、一度や二度はあるのだろうと思われます。しかし不幸にして相手が米友ですから、眠っていても畳ざわりの音で眼をさます。そうして、道庵の脱線を難なく取押えてしまう。取押えられる度毎に、道庵は手のうちの玉を取られたほどに残念がることも、一度や二度ではなかったらしいが、そこはうまくバツを合わせて、米友を言いくるめてしまっているらしい。
 そうなると、米友の責任観念がいっそう強くなって、警戒ぶりがいっそう厳重を加えるものですから、道庵は窮屈でたまらない。
 そこで、ただいま、神妙に本を読み出したのなんぞも、こうして米友を安心させておき、油断を見すますの軍法かも知れません。さればこそ、寝入りながら、「つまらねえなあ」と嘆息したのも、この監視つきに対してのやる瀬なき鬱憤《うっぷん》を漏らしたものと見れば、見られないこともないのです。
 道庵が眠りについたと見たから、米友も枕につきました。
 米友は枕につくと早くも、いびきの音ですけれど、熱に浮かされた道庵は、容易に眠れないと見えて、時々、狸《たぬき》のような眼を開いては、次の間の様子に耳を立てるのは、米友の寝息をうかがうもののようにも見えます。
 道庵主従がこうして、ともかくも静かに床についている向うの一間では、人の気も知らないで、飲めよ、歌えと、騒いでいる大一座がある。
 悪ふざけの国者《くにもの》の声と、拗音《ようおん》にして、上声《じょうしょう》の多い土地なまりとが、四方《あたり》かまわず、ふざけ噪《さわ》いでいるのが、いたく道庵の感触にさわっているらしい。
 しかし、それはかなり間を隔てたところだから、辛抱をすればできるし、夜《よ》っぴて騒いでいるわけでもあるまいから、そのうちには鎮《しず》まるだろうと道庵が辛抱していると、道庵の寝ている外の廊下を息せき切って、酒に酔っているらしい一人の女が、
[#ここから2字下げ]
木曾のナア、かけはしゃナアンアエ
からみつく、蔦《つた》がナアンアエ
わしにゃ蔦さえからみつかない、ナアンアエヨウ
どっこい、どうしん
ころものほうがん
じょでこい、じょでこい
[#ここで字下げ終わり]
と肉感的な声で歌いながら、足拍子を踏んで通るものだから、道庵が、
「これこれ、静かにしろ」
と大きな声でしかりつけました。

         二十七

 道庵が、寝ながら頭の寒いことを感じ出したのは、今晩に始まったことではなく、つまらない一時の感激から、額をそり上げてしまったことを、今も悔《く》いているのです。というのは、松本の芝居小屋で、川中島の百姓たちが大いに気焔を上げたのを見て、急に武者修行をやめて、百姓になる気になり、茨木屋《いばらきや》の佐倉宗五郎気取りで、すっかり百姓風に納まったはいいが、久しく総髪でいた頭を、おしげもなく剃《そ》り上げてみると、そこから風がしみ込んでたまらないのです。ことに木曾街道へ来てから、木曾の山風が、夜寒の枕を動かそうという時なんぞは、つまらない道楽をしたものだと頭へ風呂敷をかぶせながら、眠りにつくような有様なのであります。
 今も、その官能的な鄙歌《ひなうた》を叱りつけてから、ゾッとその寒さを心頭から感じて、あわてて枕もとの風呂敷を取って、その頭からかぶせてしまい、そうして道庵並みに軽い旅情というようなものに動かされて、こし方《かた》、行く末というようなものが上《うわ》っ面《つら》へのぼって来たところであります。
 前例によって、松本を出でて以来の道庵主従の旅程を挙げてみると、
[#ここから2字下げ]
松本から村井へ一里二十町
村井から郷原《ごうばら》へ一里十二町
郷原から洗馬《せば》へ一里二十四町
[#ここで字下げ終わり]
 ここで塩尻からの本道と合し、
[#ここから2字下げ]
洗馬から本山《もとやま》まで三十町
本山から贄川《にえかわ》まで二里
贄川から藪原《やぶはら》まで一里十三町
藪原から宮《みや》ノ越《こし》まで一里三十町
宮ノ越から福島まで一里二十八町
[#ここで字下げ終わり]
という順序で泊りを重ね、ようやくここ木曾の中心地、福島の駅路についたというわけです。
 そこで、大体そんなような気分で、寝もやらず、さめもやらずに浮かされていると、ふすまを隔てた一方の室にあたって、気になるものがありました。
 縁起でもない、どうもさいぜんから、誰かこの隣室にそっと送り込まれて来てはいるようだが、この際、しきりにしゃくり上げて泣いているようであります。
 最初は道庵も、あまり気にしませんでしたが、そのしゃくり上げて泣く声が、ようやく耳にさわって来ると、先方はついには声を挙げて泣き出さぬばかりになっては、それを我慢して、またしゃくり上げていることが、かなり長い時間にわたっているものですから、道庵先生が、少しくうるさいと感じました。
 何だい、何を泣いてやがるんだ。その、しゃくり上げっぷりによると女じゃあない、男に相違ない。相当の年配の男のくせに、めそめそと、人の隣室へ来て、夜中に、泣いて聞かせる意気地無し――という気になったものですから、少しいって聞かせてやろう、という勢いになりました。
 ここが、道庵先生のお節介なところで、癪《しゃく》にさわったら寝ていて、あてこすってやってもよし、怒鳴りつけてやってもかまわないところですが、この先生は、すっくと起き上って、帯を締め直して、そうして、徐々《そろそろ》と足を運んで、やおら、その隣室の襖《ふすま》へ手をかけてみると、存外、具合よくスラリとあきました。
「今晩は」
といって、そのスラリとあいた古い襖の間から、ぬっと面《かお》を突き出して見ると、そこですすり[#「すすり」に傍点]泣いていたのは、極めてあたりまえの、百姓|体《てい》の五十男がただ一人、煙草盆を前に置いて、うす暗い行燈《あんどん》の下で、しきりに涙を流しているだけのものであります。
「いや、今晩は、どうも」
 先方は、突然の訪問を受けてかなり狼狽《ろうばい》した体《てい》で、いずまいを直して、道庵先生の方に向き直り、極めてていねいに挨拶をしましたのを、道庵は立って、ぬっと面を突き出したままで、
「お前さん、さいぜんから聞いていれば、しきりに泣いておいでなさるようだが、何が悲しくって、そんなに泣いておいでなさるんだね」
「はい、まことにお耳ざわりになって、申しわけがございませんでございます」
と、その男は道庵の方に向いて、恐る恐るおわびのお辞儀をしますと、
「お前さん、いい年をして、泣くほどの切ないことがあるなら、まあ物はためしだから、わしに打明けて話してごらんなさい、わしも長者町の道庵だ」
といって、中へ乗込んでしまいました。
「恐れ入りました」
 中なる男は、かなり迷惑しているらしい。長者町の道庵だと名乗ったところで、長者町界隈でこそ押したり、押されたりするが、木曾の山の中へ来てそれが通ろうはずがないのを、道庵はいい気になって、早くも、その男の向う前へ坐り込んでしまい、
「見たところ、お前さんも男として、そうしてしくしく泣いていなさるというのは、よくよくのことだろうとお察し申す、まあ、話してみな……悪いようにはしないから」
 道庵は持合せのきせるを取って、すっかり長兵衛を気取ってしまいました。
「それではお恥かしい話でございますが、お言葉に甘えまして、身の上話を一通りお聞き下さいまし」
「なるほど」
「わたくしは美濃の国の落合というところの百姓でございますが、この福島へ馬を買いに参りました」
「なるほど」
「望みの通り、この福島で、三歳の毛附駒《けつけごま》のこれならというのを買うには買い求めましたんでございますが……」
「馬を買いに来て、望み通りの馬が買えたんなら、なにも不足はなかろうじゃございませんか、泣くがものはなかろうじゃございませんか」
と道庵がたしなめ面《がお》にいうと、
「ところが、あなた、お聞き下さいまし、望み通りの馬を買うには買いましたが、ただで買ったわけじゃございません」
「そりゃきまってらあな、物を買おうというに、ただで売る奴があるものか」
「ところがお聞き下さいまし、そのお金がただのお金じゃございません、血の出るようなお金で、馬を買うには買ったのでございます」
「そりゃお前さん、誰だって、そう有り余る金を持っているときまったわけじゃなし、まして失礼ながら、お前さんのような水呑……じゃねえ、水の出端《でばな》の若い人と違って、相当の年配になれば誰だって貧乏すらあな、その貧乏したところで馬を買って、道楽で引いて歩くわけじゃあるまい――愚老の若い時なんぞは、心得の悪い奴があって、飛んでもねえところから馬をひっぱって来るのを見得《みえ》にした奴があったもので、今時の若いのには、そんなことはありませんがね……そういったたち[#「たち」に傍点]の馬とも違って、お前さんなんぞは、その馬を買って、稼《かせ》ぎに使おうというんだろう、その日かせぎのお駄賃取りなんだろう、だから、その馬が物を食う代りに銭を取らあな、いくらか銭を取って、家の暮しの足しになるだろう、だからお前、今ここで血の出るような金を出して馬を買い込んだところで、それが忽《たちま》ち利に利をうむという勘定になるんだろう、そうがっかりすることはなかろうじゃないか、気を確かに持って、前途に望みをかけなくっちゃいけねえ、いやに悲観しなさんなよ」
と道庵が、慰めはげますような言葉で、親切にいい聞かせたつもりでしょう。しかし、よく聞いていると、この親切な言葉のうちにも、論理の不透明なところが無いとはいえない。第一、相当の年配になれば誰だって貧乏すらあな……という一句の如きは、かなりの独断であるけれど、その男はいちいち頭を下げて、
「御尤《ごもっと》もでございます、おっしゃる通り、私は道楽で馬を引きに参ったわけではございません、貧乏暮しのうちに馬一頭が、杖《つえ》とも、柱とも、でございます。どうしても、馬が無ければ立って行かない一家なんでございますから、それがために……お恥かしい話ですが、娘を売って馬を買いましたんでございます」
 道庵は仰山に驚いて、眼を円くして、
「何とお言いなさる、娘を売って馬をお買いなすったって……なるほど、剣を売って犢《とく》を買うということもあるにはあるが」
 両手を胸に組んで考え込むと、しおれ[#「しおれ」に傍点]きったその男が、
「ことし十七になる娘を、上松《あげまつ》の茶屋へ奉公に出しまして、それで、この福島で馬を買いましたが、奉公とはいえ、十七になる娘に身売りをさせたのでござります、馬は連れて国へ帰れますけれど、娘は連れて戻ることができませんでございます」
 そこで、また男がしくしくと泣き出しました。
「なるほど」
 道庵も仔細らしく考え込んでいると、男が、
「馬を買わなければ、家がたちゆきませんし、娘を売らなければ、馬が買えないのでございます、その娘だって、あなた、くどいようでございますが、ただの奉公ではございません、勤め奉公でございますから、泊り泊りの客人にいいようにされ、しまいには悪い病気にかかって死ぬか、そうでなくても、年《ねん》が明けていつ帰れることやらと思いますと、それがかわいそうになりまして、つい、どうも、お耳ざわりになって、相済みませんことでございます」
「なるほど」
 道庵も少し真顔《まがお》に考え込んでいたが、やがて声の調子を一本上げて、
「なるほど、それは人情だ、娘を売って馬を買う、娘を売らなければ馬が買えない、馬を買わなければ一家が養えない、一家を養おうとすれば馬を買わなければならん、馬を買うには娘を売らなければならない、娘を売るのはつまり、娘を殺すというようなわけ合いになるんだから、つまり動物のために、人間を犠牲にするという理窟になるんだな。ところでその動物がまた、お前さんの一家を救うということになるんだから、動物のために人間が救われるという理窟も、立てれば立つ。しかし、なお考えてみると、人間を立てれば動物が立たず、動物を立てれば人間が立たない。さあ大変、忠ならんとすれば孝ならず、ここは、一番、道庵も考えどころだぞ」
といって、いよいよかたく腕組みをしてしまいました。しおれ[#「しおれ」に傍点]きった男は、それでもいっこう浮き立たず、
「せっかくの御心配を下さいましても、どうももう仕方がございません、娘は売ってしまったもの、馬は買ってしまったものでございますからなあ」
「そこだよ、そう物を早くあきらめてしまっては何にもならねえ、そこんところを、もう一応考え直してみねえことにゃ、せっかく道庵が乗出した甲斐がねえというもんだ」
「御親切に有難うございますが……もう、わたくしあきらめてしまいました」
「待っていなさい、もう一応考え直してみるてえと、娘を売って馬を買う、娘を売らなきゃあ馬が買えねえ、馬を買わなけりゃ一家が養えねえ、一家を救おうとするには馬を買わなきゃあならねえ、馬を買うには娘を売らなきゃならねえ、娘を売るてえと……ああ面倒臭い、どうどうめぐりをしているようなもんだ、何とか、いい工夫《くふう》は無《ね》えものかなあ。どっちみち、動物を買わんがために、人間を売るというのは人道問題だ、利害関係は別として、こりゃ人道問題だぜ。ソラ、医は仁術なりだろう、苟《いやし》くも仁術を看板として、人道問題を耳にしながら、それを聞き流していられると思うか、しっかりしろ」
と再び叫びました。その時になって、さすがに、しおれきっていた馬買いの男も、この先生は少しどうかしているのではないか、と思いましたから、敬遠の態度を取った方がいいではないか、と気がついた時分に、道庵が、
「そうだ、いったい、お前さんは娘をいくらでお売りなすった、そうして馬をいくらでお買いなすったか、それをためしに聞いてみようではないか」
 そこで男が答える、
「はい、お恥かしい話でございますが、娘を三両で売りまして、馬を四両で買いましたのでございます」
「なあーんのこった」
 そこで道庵が、あいた口がふさがらずに、呆《あき》れ返ってしまいました。
「申しわけがございません」
 道庵に対して申しわけがないようにあやまるのを、道庵が、いよいようんざりした声で、
「お前さん、そんならそれと、疾《とっ》くに打明けて言いなさればいいにさ」
「つまらないことをお話し申し上げて、よけいな御心配をかけてあいすみませんことでございました」
「よけいな御心配じゃねえさ、三両だっていうじゃないか、三両なら三両のように、はな[#「はな」に傍点]からそうおっしゃって下されば、道庵だって、これほど心配はしやあしねえのさ」
「ほんとうに相済みません」
「済むも、済まないもありゃしないよ、第一お前、娘を三両で売って、馬を四両で買うなんて、馬の方が一両高いじゃねえか、そんな値段てあるもんじゃねえ」
「それでも一両は、どうやら掻《か》きあつめて、国から持って参ったもんでございますから……それでどうやら」
「それを言ってるんじゃない。まあまあなんにしても三両でよかった、三両でお売りなすったから、まあよかったようなものさ、これを、百両百貫とでもいってごろうじろ、道庵だって考えらあな」
と言って道庵が、むやみに安心してしまったが、その男にはのみこめないようです。
 三両でよかった、三両で人の娘を売ったからまあよかった……という言い分は、ずいぶんぶしつけ極まる言い分であります。さきには人道問題だとまで絶叫したのを、相場が三両だからそれでよかったという言い分は、どうしても聞えない言い分であります。そこで右の男も、敬遠に加うるに、幾分か憤懣《ふんまん》の色を見せて言いました、
「御苦労さまでございます、どちらのお方様か存じませぬが、どうかお休み下さいまし、わたくしももうあきらめて、休ませていただきますでござりますから。おやかましうございました」
 こう言って、婉曲《えんきょく》に道庵の退却を求めるようになりました。道庵はそれを耳にもかけず、突然また大きな声を上げて、
「友様や、友さんや」
「おーい」
 一議に及ばず、米友が返事をしました。実はさいぜんからの事のいきさつを、米友は蒲団《ふとん》の上に起き直って、委細うかがい知っているはずでありましたが、相手が相手だけに、こんどは自分の出る幕でないと神妙にひかえていたのを、呼び立てられたものだから、一議におよばず返事をして、立ってやって来ました。
「友さん、御苦労だが、その紙入をここへちょっと貸しておくれ、そうしてお前さんにもこの場へ立会ってもらいたいのだ」
「これかい」
 米友が持って来た枕許《まくらもと》の紙入を取り出して、ちょっとおまじないの真似《まね》をしてから、若干《いくらか》を紙に包んで、件《くだん》の男の前へ突きつけて、道庵が言いました、
「百両百貫とでもいわれた日にゃ道庵だって考えるが、三両と聞いて安心を致した、さあ、ここに三両の金がある……時と場合によればまだ二両ぐらいはどうにでもなる、これでその娘を受け戻すさ、そうすりゃお前、娘もつれて帰れるし、馬も引いて帰れるだろう、が馬があれば一家が養えるが、娘がいたって邪魔になるというわけじゃあるまい、だから、こうなると三両が大したものだ、さあ、遠慮なく取っときな」
 そこで今度は、右の男が、眼を円くしてしまいました。
 この人は何だろうと思いましたが、まんざら木の葉を包んで出したとも見えない。呆《あき》れ返り、受取り兼ねていると、道庵は、
「おれは十八文だが、時と場合によれば三両や五両の金には驚かねえ、遠慮なく取っときな」
 道庵はここで大いに男を見せたつもりだが、見せられた方は、いよいよ度を失ってしまいました。

 この偶然の因縁《いんねん》から、道庵先生は、福島の宿駅から、少なくとも美濃の国まで通し馬に乗ることの便宜を、報恩的に与えられることになりました。
 翌日、大得意で道庵先生が、馬に乗って福島の宿駅を立ち出でることしばし、
「あ、忘れた」
と馬上で叫び出し、
「あの獣皮屋《けがわや》へ、熊胆《くまのい》のいいところを一くくりあつらえて、昨夜《ゆうべ》のうちに代金まで渡しておいたが、出がけに忘れてしまった、済まねえが友さん、ひとつ取って来てくれねえか」
「よし来た」
 宇治山田の米友は心得て、熊胆を受取りに、宿の方へ取って返しました。
 そのあとを道庵は、悠々《ゆうゆう》と馬を進ませて、臨時に馬子をつとめているかの百姓と語ります、
「ねえ源助様」
 美濃の百姓の名は、これによって見ると、多分源助というのでしょう。
「はい、はい」
「泣く子と地頭《じとう》には勝たれねえってことを知っているかね」
「知っておりますよ」
「ところで、お前さんのそのお茶屋へ売ったという娘さんは、今年いくつにおなりだえ」
「十七になりましたでございます」
「十七……いいところだね、十七姫御が旅に立つってね」
「はい、はい」
「きりょう[#「きりょう」に傍点]は、どうだね」
「左様でございますね、瓜の蔓《つる》に茄子《なす》はならねえのでございますから」
「だって、お前、鳶《とんび》が鷹《たか》を生むということもあるぜ」
「へえ、まあ、不具者《かたわ》でないのが見《め》っけものでございますよ」
「鬼も十七、山茶も出ばなといって、不具《かたわ》でさえなけりゃあ、娘ざかりだから、乙なところがあるにきまってらあな」
「どういうものですか」
「どうだい、その娘さんに、これから婿《むこ》を取らせなさるのかい、それとも嫁《よめ》にやってもいいのかい」
「そりゃ、まだ兄弟が幾人もございますから、相当なところがあれば、片附けたいのでございますよ」
「そうか、ひとつ世話をして上げようかね」
「お頼み申します」
「江戸じゃいけねえのかい」
「お江戸なんぞへ、山出しのあれが納まるものじゃございません」
「それじゃ奉公はどうだい、堅気のところならよかろうじゃねえか」
「堅いところがございましたら、お世話を願いたいものでございます」
 こんな話をしながら辻のところへ来ると、家並《やなみ》の角に一つの辻ビラがありました。
 道庵は、そこに馬を止めて、まぶしそうに辻ビラを打ちながめて、
「ははあ」
とうなずきました。
 上に「大岡政談」と筆太《ふでぶと》に書いて、下に何かゴテゴテと書きつらねてあります。
 よく見ると、「大岡政談」の「岡」という字が、変則に書いてあるものだから「衆」という字に見えたがって、一歩読みそこなうと「大衆政談」になります。
 もし、これが昭和の二、三年頃であったら、道庵先生も直ぐにそれを「大衆政談」と読んで、ははあ、これは普通選挙だなと呑込んでしまったかも知れないが、大衆というような文字は、そのころ流行《はや》らなかったものですから、苦もなく「大岡政談」と読んだものの、文字の書き方に気をつけねばならぬものだと考えました。
 しかし、これが、つい間違えて「岡」という字を「衆」という字に似せてしまったのなら格別、わざと企らんで「衆」という字に焼き直したのなら、卑しむべきことだとも考えました。
 いったい、焼直しということは、よくないことである。直し[#「直し」に傍点]や、焼酎《しょうちゅう》よりも、生一本がいいということは、道庵も日頃から感じておりましたことです。
 しかし、焼直しをしたがったり、まがい物をこしらえたりして、あぶく銭を儲《もう》けたがるやから[#「やから」に傍点]が、いつの世にも絶えないのは情けないと思います。
 人の積み蓄えた金銀財宝を盗めば、コソコソ泥棒でも罪になるが、人の苦心してこしらえた著作や、狂言を、いいかげんに盗み散らして、こしらえて、それで罪にならないものか知ら、これは問題だと思いました。何の道に限らず、功を成すには自ら刻苦して、これを成し遂ぐるところに妙味がある。骨の折れない仕事をして、儲けよう、儲けさせよう、という時代精神を憎むの心を起しました。
「字というものは、一字の違いでも大変なことをしでかすことがある。おれの仲間の藪《やぶ》のところへ、なまじ物識《ものし》りの奴が病気上りに、先生『鮭《ふぐ》』を食べてよろしうございますか、と手紙で問い合わせて来たものだ。ね、『鮭』――魚|扁《へん》に圭《けい》という字を書くんだよ、これはフグという字なんだよ。ところが藪の先生、それを『※[#「魚+生」、第3水準1-94-39]《しゃけ》』と読んでしまったんだ、魚扁に生、それはサケともいうし、シャケともいう字なんだ。そこでよろしいとも、シャケならいくら食べても差支えないと答えたものだから、先方はフグを食ってしまった。病気上りにフグを食ったからたまらない、忽《たちま》ち往生してしまったのだ。鮭《ふぐ》と、※[#「魚+生」、第3水準1-94-39]《しゃけ》では、忙しい時は誰だって間違えらあな……なるべく物の名というものは、区別のつくように書かねえと、体《たい》が現われねえのみならず、一字の違いで、この通り命に関《かかわ》ることもあらあな、ゴマかしはいけねえ」
 道庵は懇々《こんこん》と説きさとすようなことを言って、わけもわからずに源助を感心させ、
「ところで、男というものは、一片の鉄を鍛《きた》えるにしてからが、人と違った働きをしてみせなけりゃあ、生甲斐《いきがい》が無《ね》えのだ。真似《まね》をして、ゴマかしをして、一生を終るくらいなら、死んじまった方がいい。わしは今、この焼直し屋を医者の方で調べているから、調べ上げたら、お前さんにも見せて上げる。それはそうと、友様はどうした、もうやって来そうなものだな」
 こうして心待ちに待っているが、どうしたものか、あの気の短い男が、容易に姿を見せないのが不思議です。
 米友が容易に、姿を見せないことによって、道庵の心にようやく謀叛《むほん》が起りました。
 というのは、日頃、あまり米友の責任観念が強過ぎるものだから、せっかくの道中が監視附きのようになって、思うように脱線のできないことが、道庵にとって、一方《ひとかた》ならぬ苦痛といえば苦痛であります。
 そこで、この機会にひとつ、彼を出し抜いて、思う存分にわがままを働いてみたいものだという謀叛気が、道庵の心の中で起りました。これは道庵として無理のないところがあるかも知れません。
「まあ、いいや、どのみち、馬が西へ向けば尾が東、ということになるんだから、落ちつくところは上方《かみがた》よ、かまわず馬をやってくんな、後は後でどうにかなりまさあ」
といって、道庵はそのまま馬を進めさせてしまいました。
 一方、特別注文の熊胆《くまのい》を取りに走《は》せ戻った宇治山田の米友は、店へ寄って、その使命のほどを伝えて、薬物の取出しを待っている間に、その家の軒に檻《おり》があって、その中に大きな熊のいるのを認めて、思わずそれに近寄ると、ついつい見とれてしまいました。
[#ここから1字下げ]
「木曾路には、獣類の皮をあきなふ店多し、別して贄川《にへかは》より本山《もとやま》までの間多く、また往来の人に、熊胆を売らんとて勧むる者多し、油断すべからず」
[#ここで字下げ終わり]
と木曾名所図絵にも書いてある。その獣皮屋《けがわや》が、生きた大熊を、店の前の檻に入れて看板に出している。
 それを米友は見とれているのであります。

         二十八

 米友は、貪《むさぼ》るような目を据えて、熊を見つめておりました。
 その熱心な注目ぶり。
 はじめて、この熊という動物を見たものか、そうでなければ、この動物について、何か特殊の興味を持っていないことには、こうも熱心に見つめておられるはずはないのであります。
 しかし、米友が、特に動物学の研究をしているということも聞きません。
 Catnivores のうちの Genus Ursus としての熊。
 インド産のスロース・ベーアというものと、西蔵《チベット》に棲《す》む特種を除いたほかは、世界中ほとんど共通した形体と、内容を持ったこの動物。
 四十二枚を数えられているその歯。
 北極熊だけが白い。その白さも、他動物の白色は季節によって変るが、北極熊の白色は変らない。その北極熊の大きなのになると、六百ポンドから七百ポンドの目方がある。七十貫目から八十貫目の間。
 最も普通なる Brown Bear(褐色熊)。
 シベリア熊とか、ヒマラヤの雪熊とかいうのもそれだ。
 ヨーロッパ種のそれと比べると、ヒマラヤ属のは少し小さい。
 ヨーロッパ種の褐色熊は、大体において、鼻の先から尾の根までが八フィートに達するとすれば、ヒマラヤ種のは、五フィート或いは五フィート半、最も大きなので七フィートに過ぎない。
 尾の長さは、いずれも二インチか三インチぐらいのものだ。
 北の方のカムチャツカにも、またこの種類が棲《す》んでいて、※[#「魚+生」、第3水準1-94-39]《さけ》を取るのに妙を得ている。
 この種類の熊は比較的に非社会的の傾向を持っているにかかわらず、人に慣れて芸事をよくする。旅興行の役者や、見世物師は、これにダンスその他を仕込んで人に見せる。
 最も強猛なのは、西北アメリカ、アラスカから、ロッキー山脈を通じてメキシコに至るその辺に散布する Grizzly Bear(半白熊)。
 そのなかには千八百[#「千八百」は底本では「千百」]ポンド(二百十六貫)の体量を持ったやつがいる。
 掌《たなごころ》の一撃で、野牛や、野鹿を粉砕する。
 アメリカ黒熊《ブラックベーア》というのは、よくありふれたヨーロッパの Brown Bear よりは少し小さい。
 ヒマラヤ黒熊というのは、特徴の一つとして胸に月毛がある。
 さて、日本の熊は、このヒマラヤ黒熊の地方種といってよかろう。
 そうして、この日本産の熊も、国々によって多少の相違がある。現にこの檻の中に捕われている熊は……
 死んだお君から言えば、米友は確かに学者であったには相違ないが、こんなようなふうにまで科学的に見ているわけでもないでしょう。
 そうかといって、眼は熊に向いつつも、心はよそに、二大政党の勢力が伯仲《はくちゅう》の間《かん》にあって、将来の政局がどう安定するか、というようなことをも考えている男ではありません。
 一万円の自動車を飛ばし、金にあかして多数の犬を弄《もてあそ》んだという金持の文士が、民衆を標榜《ひょうぼう》して打って出でると、それに五千の投票が集まるという、甘辛せんべいみたような帝都の人気を、苦笑しているわけでもないのであります。
 宇治山田の米友が、こうも一心に熊に打込んでみとれているというのは、この熊を見て、はしなくも、ムク犬のことを思い出したからであります。
 米友は、熊を見ているうちに、ムクのことを思い出して、たまらなくなりました。
 ムクはいい犬だったなあ――ムクは可愛ゆい奴だなあ――ムクは……
 やや暫くした瞬間に、ハッと気がついて、例の責任感がこみ上げて来ると矢も楯《たて》も堪らず、土産物屋《みやげものや》の熊胆《くまのい》をかっぱらうようにさらって、走り出しました。
 そこで宇治山田の米友が、木曾の福島の町をまっしぐらに飛び出しました。
 碓氷峠《うすいとうげ》の時も、うっかり風車にもたれて東の国を顧望していた時に、道庵先生を見失い、ついに軽井沢の大活劇を演じて、辛《かろ》うじて、道庵先生の命を九毛の危《あや》うきに救い出しました。また松本の浅間の湯では、祭礼の群集の中へ先生を埋没させてしまって、それを救うのに、天狗夜遊《てんぐやゆう》の秘術を用いなければならなくなりました。
 今や、少なくとも、その三度目の失敗を繰返したとは、われながら歯痒《はがゆ》いことの至りだ。しかも以前の時は自分も放心していたとはいえ、道庵先生の方に放漫の罪が多い。米友の虚に乗じて、道庵が出し抜いたといえばいえる。少しの間なりとも虚を見せたのは、自分の落度といえば落度だが、その虚を覘《ねら》って、友達――ではない、切っても切れぬ同行のつれを出し抜くのは、道庵先生も情が薄いといえば薄い。しかし、今度は違う、自分は今見なくてもいい熊を見て、そうして、つぶさなくてもいい暇をつぶしてしまっている。その間、先生は待っていてくれる約束になっている。つまり自分は熊胆を取って来いといわれたけれども、熊を見て来いとは言われなかったのである。それにもかかわらず、早く取って帰るべき熊胆を取って帰らずに、見なくてもいい熊をぼんやりとしてみとれてしまった。
 ああ、これは申しわけがない。軽井沢や、浅間の時は、十のものなら七までは先生の出し抜きが悪いかも知れないが、今度のことは、十のものが十まで自分の落度だ。こんなに長く熊を見ているんではなかった――
 米友はこの十分の責任感で、木曾の福島の駅を西に向って道庵を追いかけましたけれど、かなりのところで、その姿を見かけることができません。
「おいらの先生はどうしたんだ、みんな、おいらの先生を見なかったかい――馬に乗ったおいらの道庵先生」
 こう呼びかけながら、まっしぐらに、しかしびっこ[#「びっこ」に傍点]を引いて、彼は全速力で走りましたが、誰も要領よく答えてくれる人はありません。また米友も足をとどめて、要領よくそれを聞きただす余裕もありません。彼は走りながら、叫びつづけました、
「おいらの道庵先生――馬に乗った道庵先生、下谷の長者町の十八文の道庵先生」
「もしもし」
「何だい」
「休んでござりまし、木曾お六|櫛《ぐし》買ってござりまし」
「要《い》らねえ、要らねえ」
「おみやげに桜皮のたんじゃく、墨流しのたんじゃく、お買いなさんし」
「おかみさん」
 そこで米友が立止まって、これこれこういう人体《にんてい》の仁《じん》が通らなかったかということを、米友としてはかなり気を落ちつけたつもりで尋ねると、物売屋の女房が、
「ほんに、そういった御仁《ごじん》なら、たった今、西東の方へおいでなったのっし」
「西東へ?」
「まあ、この赤い櫛を一つお買いなさんし、これがのし、負けて六十四文にしてあげませず[#「あげませず」に傍点]」
「おいらは、櫛は買いてえと思わねえんだ、おいらが櫛を買ったって、始末に困らあな」
「まあ、そうおっしゃらず。こちらにも三ツ櫛のいいのがござんさあ」
「人柄を見て物を言いな、櫛を買うような人間には出来ていねえんだぜ」
「それでは、おかみさんへのおみやげに」
「ばかにしてやがら、おかみさん面《づら》があるか」
 かくて米友は、また一散《いっさん》に走りました。
 なんとしても、水が上へ流れないように、上方《かみがた》へ上る約束で来た道庵先生が、東へ向くはずがないから米友は、その点は安心して、木曾街道の要所を、わき目もふらずに走りました。
 走りながら様子を聞いてみると、それは往々、程遠からぬ時間の間に、尋ねるとおりの人が、この街道を通った形跡は確かにある。
 やや、安心した米友は、ついに二里半を飛んで、上松の駅まで来てしまいました。
 そうして、碓氷峠《うすいとうげ》の上の駅でしたように、その駅のほとんど一軒一軒について、たずねてみると、あるところでは相手にされないが、あるところではかなり要領を得ることになる。
 結局、とある酒店で、持参の瓢箪《ひょうたん》の中へいっぱい清酒を詰めさせた客人があるという手がかりがあって、それから問いただしてみると、それは多分|件《くだん》の一瓢を携えて寝覚《ねざめ》の床《とこ》へおいでになったのだろうとのことです。
「寝覚の床というのは?」
 米友から問い返されて、かえって、尋ねられたものが驚きました。
 木曾を歩きながら、木曾第一の眺望、寝覚の床が頭の中に無いという旅人も珍しい。この男は、何のために木曾道中をしているのだかわからないと驚きました。
 事実、米友は、風景をながめんがために旅行をしているのではないとはいいながら、沿道の風景を無視していることがかなり甚《はなは》だしい。道庵は道庵だけに、軽井沢の夕暮の情調を味わうことも知っていれば、浅間の湯治場の祭礼気分に、有頂天《うちょうてん》になるほどの風流気もあるし、木曾路へ入ってからでも、夜間、暇を見ては読書もするし、かなり四角な字を並べたり、色紙《しきし》、短冊《たんざく》を染めてみたりしているのですが、米友にはそれがない。
 現に、この福島から、上松に至るの間には木曾の桟《かけ》はしがある、御岳山《おんたけさん》がある、御岳の鳥居が見える。尾州家の禁山になっている木曾の川の材木流し、といったような名所にも、風流のあとにも、相当に足を留めなければならないところを、まっしぐらに走って来て、さて寝覚の床は、と尋ねたものですから、尋ねられた者を驚かしました。
 しかし、教えられた通りに寝覚山|臨川寺《りんせんじ》の境内《けいだい》まで馳《は》せつけたのは、格別手間のかかることではありませんでした。
 臨川寺方丈の庭より見下ろす寝覚の床。そこへ来て見ると案の如く幾多の旅人が指をさし、眼をすまして、その好風景を観賞しているにはいるが、道庵の姿らしいのは一つも見えない。
 弁天の祠《ほこら》の下、芭蕉、也有《やゆう》の碑のうしろ、そこを探しても先生らしいのはいない。
 もしや、例の癖で、酔うて沙上に臥《ふ》す、なんぞと洒落《しゃれ》てはいないかと、方丈の松の根方や、裏庭に廻ってみたけれども見えない。茶を配る小坊主に、その人品骨柄を説いて聞かせたけれど、さっぱり合点《がてん》がゆかない。もう一旦、ここへ来てながめた上に立去ったのか、まだここへは来ていないで、途中へひっかかっているのか、その辺の見当もつかない。後者であるならば、ここに相当の時間を待っていさえすれば、必ず一度は訪れるものに相違ないが、前者であった日には当てが外《はず》れる。
 見ていると、遊覧の人のうち、気の利《き》いたのが寺の前庭から、岩を伝うて下へ降る様子である。
 ははあ、あそこから下りられるんだな……と合点して、たずねてみると、ここで見るのは寝覚の床の全景――ここを下ると横幅十間、長さ四十間の寝覚の床の一枚岩の上に出られるのだという。
 そういうことなら、この下が本場なんだ。多分本場のその幅十間、長さ四十間という大岩の上あたりで、飲みながら、わが道庵先生は、太平楽《たいへいらく》を並べているのだろうと米友が思う。
 そこで岩角をくぐって下りてみる。この路はかなりあぶないが、米友の足では何でもない。そうしてまもなく木曾川のほとり、寝覚の床の一枚岩の上まで、難なく米友は下り立ったが、そこにはまだ誰もおりて来ていない。
 米友ひとりが、寝覚の床の一枚岩の上に、脚下に滝なして漲《みなぎ》る水の深さもはかりがたく、目もくるめく心地するというところの上に突立ちましたが、道庵の姿はいずれにも見えません。
「素敵《すてき》だなあ」
と宇治山田の米友が言いました。木曾第一の勝景と称せらるる寝覚の床の一枚岩の上に立っても、米友としては、これ以上の嘆称の言葉は吐けないのでしょう。
 その神工鬼斧《しんこうきふ》に驚嘆して歌をつくり、または古《いにし》えの浦島の子の伝説を懐古してあこがれたりするようなことは得手《えて》ではありません。また地質学上や、風景観の上から相当の見識を立てることも、この男の得意ではありません。
 ただ、平凡な景色ではないという印象が、単に「素敵だなあ」の一句に集まって、「ナンダつまらねえなあ」とけなされなかったことだけが、寝覚の床の光栄かも知れない。
 米友が空《むな》しく、その好風景の岩の上に立っていると、その時川で遽《にわ》かに人の罵《ののし》る声がします。
「川流れだあ」
 この声で米友が思わず飛び上って、例の地団太《じだんだ》を踏みました。
「ちぇッ」
 地団太を踏んで、激しく身ぶるいをすると、
「川流れだあ」
 続いて罵《ののし》り騒ぐ声がするものですから、
「それ見たことか」
 米友は身ぶるいして、槍を取り直して意気込みました。
「だから言わねえこっちゃねえ」
 彼は再び、まっしぐらに岩から岩を飛んで、声する方に走り出しました。
「ちぇッ」
 走りながらも、身をふるわして憤《いきどお》りを発しているところを見ると、その川流れ! という叫び声が、米友をして、われを忘れて憤りたたしめたものに相違ない。
「だから、言わねえこっちゃねえ」
 ただ遠音《とおね》に、川流れの警告を聞いただけで、米友の発憤ぶりは何事だろう。
 この男は、それと聞いて、はや独断をしてしまっている。いま叫ばれた川流れの本尊こそは余人ではない、わが道庵先生に相違ない、と早くも独断してしまっている。だから、本能的に憤起して、超人間的に、岩と岩との間を飛びはじめたのです。
「だから言わねえこっちゃねえ」
 自分がちょっと目をはなせば、もうこのザマだ、世話の焼けた話ったら……酔っぱらって、とうとうころげ込みやがった、軽井沢や、浅間の、ちょろちょろ水へ転げ込んだのと違って、天下の木曾川へ転げ込んだんだ、冗談《じょうだん》じゃねえ、深いぜ、青んぶく[#「青んぶく」に傍点]だぜ水が……あの先生、泳ぎを知らねえんだろう、それに酔っぱらってると来ているから、あがきがつくめえじゃねえか、それにこの通りの岩だろう、つかまえどころがあるめえ、土左衛門だ、わが道庵先生を木曾川まで連れて来て、土左衛門にする奴も奴だが、させる奴もさせる奴だ。
「ちぇッ」
 米友は、自分の身体《からだ》へ火がついたように、あせり出しました。
「ほんとうに世話の焼ける先生だ、油断も、隙も、なりゃあしねえ」
 米友、いかに俊敏なりといえども、寝覚の床の岩石の上を走るには、そう短気一方にばかりはゆかない。
「ちぇッ」
 幾度か舌打ちをして、もどかしがり、子獅子《こじし》が千仞《せんじん》の谷から、こけつ、まろびつ、這《は》い上るような勢いで、川下の、その川流れの、溺死人《できしにん》の、独断の推定の道庵の土左衛門の存するところに、多数が群がり集まって、罵り騒いでいる方向に飛んで行きました。
 しかし、その間にも、単に激憤するばかりではない、道庵先生の世話の焼けることの甚《はなは》だしいのに業《ごう》を煮やしているばかりではない、一面には例によって、自分の責任感に激しくむちうたれているのは事実です。
「先生……道庵先生」
 ようやくにして群集のところへ近づきました。
 ようやく河原の人だかりのところへ行って見ると、宇治山田の米友は、そこで大いに騒いでいる群集の中に、多くの武士階級の人を認め、事件の中心は、この武士階級の人であるなと思いました。
 だが、溺《おぼ》れて、そうして救われたか、救われないか、でいるその人は、たしかにわが道庵先生にきまっている。
 米友は最初から、そう断定してかかっているのですから、
「御免なさい、その川流れというのに一目逢わせておくんなさい、気がせいてたまらねえ」
 人を掻《か》きわけるようにして寄って見ると、そこには道庵らしい人は見えません。
 被害者として、それは武士階級の人の間に、非常な狼狽《ろうばい》と、心痛とを以て、取囲まれているその人は、やはり武士階級の人であることを、米友は人を掻きわけて近づいた瞬間にさとって、それでは道庵先生ではなかったのか! とひとまず安心をしました。
 これは溺死人あり、すなわち酔っぱらいの道庵先生――と独断してかかった米友の頭の問題ですから、ここで当てが違って、まず胸を休めたのは、まあ、よかった! という感じでありました。
 かりそめにも自分の主と頼んで来た道庵先生が、被害者の当人でないという見極めのついた宇治山田の米友は、一時は重荷を卸したようにホッと息をつきましたけれども、再考すれば、不幸はどこにあっても不幸です。誰の上に落ちて来ても、不幸は不幸に相違ない。溺死という不幸が、自分の身に最も親近の道庵先生の上に落ちていなかったということは、まず安心には相違ないが、同じような不幸が、他の何人《なんぴと》かに落ちていたとすれば、それを憂うる心が二つであってはならぬ。道庵先生でなくってよかったという安心は、他の人だからかまわないという理窟にはならない。
 溺れた人の不幸は、自分に親近であると否《いな》とに拘らず不幸である。親近なるが故の同情は、他人なるが故に同情の価なしという理窟にはならない。
 そこで米友は第二段として、当然、わが道庵先生の身代りに立たせられたような不幸の人を、見舞うの心を抱《いだ》き起させられました。
「水を飲んだかね、怪我はしなかったかい」
といって、武士階級の人の間にわけ入りました。
 しかし、狼狽、混沌の限りを極めている人々は、この奇怪なグロテスクの見舞に、さのみ注意を払うものがありません。従って、その見舞の言葉に、明確な謝意を表するものもないのです。
 そこを米友は、かなり無遠慮に近寄って、現在の被害者をまともに見舞いました。それは只今、川から引き上げられたままの一人の若い、この武士階級の仲間のうちでもかなり身分のありそうな若い人が、引き上げられて正体なく、沙上《さじょう》に置かれていると、それを取囲んで、
「御主人様」
「鈴木氏」
「気を確かに持たっしゃい」
「おーい」
「鈴木氏――おーい」
 口々に叫んで、それを呼び生かそうと努力することのほかには、他念がないらしい。
 呼び生かそうとは努力するが、その努力は狼狽《ろうばい》を伴っているから、いずれも無効です。努力すればするほどに、要点を外《はず》れてしまって行くのです。
「火を、早く火をお焚き下さい」
「おい、早く焚附を、薪を持て」
「薪ではいけない、藁火《わらび》を……藁を」
 彼等は口々に騒ぐけれども、この武士階級を取巻いている土地の人が、かなり輪をかけた狼狽ぶりで、ほとんど物の用をなさないらしい。
「何よりも早く医者を、医者を呼べ、医者を呼ぶことが急務だ」
 喧々囂々《けんけんごうごう》として、騒いで且つ狼狽するがために、いよいよ救急の要領を外れ、努力の能率がみんな空費されてしまうことを、米友も歯がゆく思わないわけにはゆきません。
「おい、医者だよ、お医者さんだよ、餅屋は餅屋だから、お医者を呼んで来ることが第一だ」
と米友が声高く叫びました。
「そのお医者が、留守なんでございますよ、出払ってしまいました」
「ちぇッ」
 米友はここでも地団太《じだんだ》踏んで、焦《じ》れったがりました。
「おい、早く火を焚きな、火を。そんな……丸太ん棒を持って来たってどうなるもんか、藁火《わらび》だ、藁を持って来いやい」
と、米友が歯がみをして叫びました。
「その藁というものが、この地方には無《ね》えんでございます」
「ちぇッ……藁が無けりゃ、藁の代りになりそうな、麦稈《むぎわら》でも、茅《かや》でも、それが無けりゃな、人の家の畳でもむしりこわして持って来《き》ねえな」
と、米友が三たび叫びました。
 だが、米友としても、地団太踏んで、こうして無茶に指図がましく人をがなりつけたけれども、これ以上に、どうしたら、差当っての救急療法かということを心得ているわけではありません。
 取巻いていた一団の武士階級も、その辺にはかなり抜け目があるらしい。大小を取って、衣類を脱がせて、裸にして、水を吐かせて、相当の摩擦を加えてみようとの機転も利《き》かないらしく、せめて柔術《やわら》の手で、活法を施してみようとの修練も欠けているようです。この武士階級――特にこの人々に限ったことはないが、当時の武士階級の大部分は、算盤《そろばん》は持てても、刀の持てなかった人はかなりに多く、甲冑《かっちゅう》の着ように戸惑いしたのは、長州征伐の時の江戸の旗本の大部分のみとは限らないでしょう。
 平常の修練がないから、非常の狼狽がある。それは歯痒《はがゆ》いわけだが、宇治山田の米友もここに至って、彼等の狼狽を憤るほかには、何と差当って、その応急手段を講ずることに無力なのを自分ながら、いらだたないわけにはゆかぬ。
「ちぇッ、いかに山家《やまが》だって、医者というものが無えのかなあ」
 こういって、四たび、地団太《じだんだ》を踏んだ時に、火打石をさがす自分の手に、提灯《ちょうちん》があかあかと点《とも》っている間抜けさをさとりました。
「そうだ、こういう時の、おいらの先生じゃねえかい、道庵先生はお医者の名人だ、下谷の長者町の道庵先生に限る」
と気がついたけれども遅い、その先生はここにいないじゃないか。一緒につれ立って影の形におけるが如くあるべきはずの、また今日まであって来たところの先生が、この時、この際、先生でなければならない時、その先生ありさえすれば、死ぬべき人が生きて助かるべき際……いないじゃないか。
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ、人に助けられるばかりが能じゃねえや、ちっとは人も助ける気になれねえものかなあ」
 米友は、五たび、六たび、そこで地団太を踏みました。ほんとうに米友の口惜《くや》しがる通りです。尋常に自分も道庵先生のともをして歩きさえすれば、こういうところには、思いきり溜飲《りゅういん》が下げられたものを。自分たちが溜飲を下げて痛快を買うのみならず、人の一人が立派に助かって、その功徳《くどく》と感謝は、測り知らるべきものでもないのに、みすみすその機会を逸して……口惜しい。人を打懲《うちこ》らし、取挫《とりくじ》くの力においては自信の有り余る米友が、人を救う段になると、溺死人の一人をどうすることもできないのを、身も世もあらぬほどに口惜しがって、
「ちぇッ、その立派な医者を、おいらがひとつ探して来るから、それまで死なさねえようにして置きな」
と言い置いて米友は、驀然《まっしぐら》に走り出しました。
 どこを当てともなく走《は》せ出しましたが……このいい残して置いた言葉は無理です。
 道庵先生、いかに神医なりといえども、いつどこで探し出されるか知れないものを、そのあてどのない尋ね人を探して来るまで、死ぬべきものを死なさずに置けとは、米友の注文が無理です。
 扁鵲《へんじゃく》もそう言っている、「越人《えつじん》よく起すべき者を知って之《これ》を起す」
 しかし、無理であってもなくても、火の玉のようになって飛び出した米友を、如何《いかん》ともすることはできません。
 坂をかけ上ると、そこで、土地の人のふるえながら語るのを聞きました。
「尾州様の、お山係りの殿様が水にはまっておしまいになった、医者を、医者を、とおっしゃるけれども、尾州様の御家中の脈をお見せ申すような医者が、この宿《しゅく》にはござらねえ、山竹老へ持ち込んだら、おぞけを振《ふる》って、もしやお見立て違いをしては首が危《あぶ》ねえといって、逃げてしまった、藁火《わらび》をたけとおっしゃるが、ここは山里で藁というものがござりましねえから、今、畳をむしりこわしているところでございますよ」
 それを小耳にはさんだ米友が、ははあそれでは、木曾は尾張の御領分だと聞いたから、尾州家のお山めぐりの役人が出向いて来て、そうしてこの災難だなとさとりました。
 だが、尾州家の役人なるがゆえに、尻ごみをして出ないという、この土地の医者のぞろっぺい[#「ぞろっぺい」に傍点]を憐れむにつけ、わが道庵先生――米友の眼と、心とを以てすれば、天下に一つあって、二つはない名医の道庵先生ともあるべきものを、現に自分が同行の光栄を有し、自分が頼みさえすれば、いや、頼まなくともこういう際には、十二分に出しゃばるべき先生を、ついした自分の粗忽《そこつ》から置き忘れてしまった腑甲斐《ふがい》なさを自ら憐れみ、悼《いた》み、くやみ、あせり、憤るの情に堪えません。
 そうして、彼は街道筋へ出たけれども、さて次へ進んでいいのか、後へ戻っていいのか、その事さえわかりません。次の須原駅までは三里五町、あとへ戻って上松までは僅かに十町という観念があってしたのではないが、米友は本能的にあと戻りをしました。それはつまり、臨川寺から現場までは岩石の間を宙を飛んで歩いたが、街道筋は残している。そこに多少の心残りがあったのでしょう。
「先生、道庵先生!」
 彼は相変らず、声高く叫んで飛び走りましたが、徒《いたず》らに、通る人の驚動と、指笑とを買うに過ぎません。
 ここに於て、米友は確かに血眼《ちまなこ》になっている。血眼にはなってはいるけれども、狼狽《ろうばい》ということはないのです。その証拠には、例の唯一の武器たる杖槍《つえやり》も、ちゃんと肩にかついでいるし、携帯の荷物も、懐中に入れた精製の熊胆《くまのい》も、決して取落してはいないのです。
「どうも仕方がねえ、運の悪い時には悪いもので、物が行違いになる時には、行違いになるものだ、おいら一人がやきもきしたって、助かるものは助かる、助からねえものは助からねえんだ」
 米友にもまた聡明がある。人力の及ぶべきところと、及ぶべからざるところとを、このごろ、ことにお君を殺してから、つくづくと悟ったもののようです。
 ですけれども、天性の正直から来るところの短気は、持って生れたもので、急にどうすることもできません。
 血眼になって、あせりきって、歯噛みをして、地団太を踏みつづけながらも、どこか心頭の一片に鉄の如きものがあって、あらゆる短気と、焦燥《しょうそう》とを圧えきっている。
 そうして彼は、臨川寺の門に程近いところまで来ると、どうも再びその門の中へ踏み込んでみたくなりました。
 ここは、もう一応確めてみねばならぬところだと思いました。

         二十九

 宇治山田の米友をして、こんなにまで気を揉《も》ませておきながら、道庵先生は何をしている。ちょうど米友が寝覚の床の一枚岩の上に立ちはだかった時分に、先生はようやく臨川寺《りんせんじ》の方丈に着きました。そうして、方丈の毛氈《もうせん》の上へ坐り込んで、そこで寝覚の床の全景を見下ろしながら、早くも一瓢《いっぴょう》を開いたものです。
 道庵先生と相対している、同じ年配の、頭だけを僧体にした見慣れない人品《じんぴん》が一つあります。これはこの寺の方丈ではありますまい。頭を丸くしているところから推《お》してみると、御同職のお医者さんであるらしい。この辺に何かの縁で知己のお医者さんがあったのか、そうでなければ途中、ゆくりなく旧知同職にめぐり逢って、ここまで相伴うたものか、もしまた医者でないとすれば、俳諧師とか、茶人とかいったような人で、人品から言って僧侶でないことは明らかです。
 道庵はと見れば、これは頭の恰好《かっこう》が、また少し変てこになりました。剃《そ》り上げて百姓にしてみたけれど、気がさしてならない。まして夏でも寒いという木曾のあたりを通ってみると、剃り慣れない頭へ風がしみてたまらないらしい。そこで髻《もとどり》を以前の通りにクワイの把手《とって》にしてみましたが、前髪のところに、急に毛生薬《けはえぐすり》を塗るわけにもゆかないから、熊の毛か何かを植え込んだ妙な形のハゲ隠しようなものを急ごしらえにして、ゴマかしてあるようです。しかし、ゴマかし方が器用なものですから、ちょっと見には誰も気がつかないから占めたものです。
 かくて、臨川寺の方丈の上で、道庵先生と、僧形《そうぎょう》の御同職(仮りに)とは相対して、酒をくみかわしながら、寝覚の床をつるべ落しにながめて閑談をはじめました。僧形の同職が先以《まずもっ》て言いけらく、
「いかがでござる、道庵先生、木曾街道の印象は……」
「悪くないね」
 道庵が仔細らしく杯《さかずき》を下へ置いて、
「第一、この森林の美というものが天下に類がないね……尤《もっと》も、ここに天下というのは日本のことだよ、日本だけのことだよ、同じ天下でも支那のことは知らねえ、崑崙山《こんろんさん》や、長江《ちょうこう》の奥なんぞは知らねえ、アメリカのことも知らねえ、日本だけの天下ではまず……といったところで、薩摩の果てや、蝦夷松前《えぞまつまえ》のことは知らねえ、甚《はなは》だお恥かしいわけのものだが、まず愚老の知っている範囲で、木曾の森林にまさる森林は、限られたる天下にはあるまいね」
「御尤《ごもっと》ものお説でございます、森林の美は木曾にまされるところなしとは、先生のお説のみならず、一般の定評のようでございます」
「そうだろう、第一、色が違わあね、この堂々として、真黒な色を帯びた林相というものが、ほかの地方には無《ね》え」
「樹木の性質と、年齢とが違いますからね。まずあの檜林の盛んなところを御覧下さい」
「なるほど、檜《ひのき》だね。檜は材木としては結構だが、こうして大森林の趣にして見ると、なるほど檜は材木の王だ。椹《さわら》も大分あるようだが、あいつも悪くないね」
「左様でございますよ、御承知の通り檜に椹、それから高野槙《こうやまき》と羅漢柏《あすひ》、※[#「木+鼠」、第4水準2-15-57]《ねずこ》を加えまして、それを木曾の五木と称《たた》えている者もあるようでございます」
「なるほど。森林美も大したものだが、これを金に踏んだら素敵なものだろう」
「富にしても、容易ならぬ富でございます」
「尾州の奴、うまくやってやがらあ……」
と道庵は、あぶなく口が辷《すべ》って、それを取返すもののように、
「尾州様も大したものをお持ちなさいますねえ、お金にしたら大したものでござんしょう、木曾は尾州様のお金倉だ」
 イヤに改まったものですから、僧形《そうぎょう》の同職も高らかに笑い、
「全く、その通りでございます、木曾は尾州家の無尽蔵《むじんぐら》でございましょう、それにつきまして、こんな話がございます」
 僧形の同職もまた改まったから、道庵も少し改まって、
「どんな話?」
「左様でございます、天保の水野越前守様の御改革の時でございました」
「なるほど」
「あの時分、大公儀もずいぶん、経済には難渋しておいでになりましたからな」
「今だってそうだよ、今だってふところ[#「ふところ」に傍点]工合《ぐあい》はよく無《ね》えんだよ、何しろ八百万石の台所で、時代を経るに従って、子孫が贅沢《ぜいたく》は覚える、諸式は高くなる、江戸の親玉もやりきれねえのさ。そこでふところが寂しくなると、人に足もとを見られるようになる」
 そろそろ、道庵の返事が脱線しかけたのを、僧形の同職はさあらぬ体《てい》にもてなして、
「何しろ大公儀にしても、われわれにしても、暮し向きは財政が元でございますからなあ、そこで天保の改革の時に水野越前守殿が……何といっても、あのくらいの豪傑でございますから、早くもこの木曾の森林に眼をつけてしまいました」
「なるほど」
「尤も、それとても越前守殿が眼をつけたというわけではごわせんが、しかるべく建議をしたものがあるんでございましてな」
「何といってね」
「尾州領のあの木曾山を三年間、幕府へお借上げになりますならば、当時幕府の財政も充分に整理ができる見込みだと、こうそれ、越前守殿に吹込んだものがあるんでございますな」
「よけいなことを吹込みやがったね」
「尾州家にとってはよけいなことですが、幕府の財政整理のためには、無類の妙案なんでございましょう、越前守殿ほどの鋭敏な政治家が、それをなるほどと思召《おぼしめ》さないわけにはゆきません」
「なるほどと思ったってお前、親藩とはいえ、他領ではないか、どうなるものか」
「しかし、時勢が時勢でございますからなあ。それに、執権がボンクラ大名と違って、名にし負う水野越州でございますから、直ちにそれを採用して断行することになり、尾州家を呼び出し、将軍の御前において、水野越前守殿自ら、この趣を尾州家に申し入れようとの段取りとなりました」
「さあ、そこだ……そこで尾州の奴、何と出た……様、様、様、様」
 道庵がここで、あわわをするように口を抑《おさ》えました。僧形の同職は少しもひるまず、
「左様、その時、尾州を代表して、江戸城へ罷《まか》り出でたものが、尾州の家老鈴木千七郎殿でございました」
「なるほど、こいつは大役だ、家老、骨が折れるだろう、何しろ天下の将軍の面前で、水野越前守を向うに廻すんだからなあ、この役は大役だ、道庵が買って出てもいい役だ」
 道庵が一方ならず力瘤《ちからこぶ》を入れましたが、僧形の同職は相変らぬ調子で、
「そのお召しによって、江戸幕府へ罷《まか》り出でた鈴木千七郎殿は、尾州家の家老でございましてな」
「そりゃ大抵きまっているだろう、ヘタな人間は出せないからな、家老でも、大石内蔵助どころでなくっちゃあ勤まらねえ、九太夫なんぞをやってごろうじろ、忽《たちま》ち江戸の奴等と組んで、しこたまコムミッションを取ってしまわあな」
 道庵が、まじめのようにして聞きながら、茶々を入れたがるのを、僧形の同職は心得て受け流すところが、かなり道庵扱いには慣れているものと見えます。
「ところがね、道庵先生、その鈴木千七郎殿が、家老には家老でございますが、その時ようやく十七歳の若年者《じゃくねんもの》でございました」
「十七……」
といって道庵が、杯《さかずき》を下に置いて、じっと僧形の同職の顔を見据えたものですから、僧形の同職がグッと砕けて、
「さあ、もう一つ、いかがでございます」
といって、下に置いた道庵の杯に酒をつぎました。
「十七の小伜《こせがれ》……小伜様。出す奴も出す奴だが、出る奴も出る奴だ。しかし、お辞儀をしてしまうには、若いのを出した方がいいかも知れねえ」
 道庵は興ざめ顔に、下に置かれた酒を取って飲みますと、僧形の同職が、
「まあ、お聞き下さいまし。そうして尾州家は、十七歳の鈴木千七郎殿を江戸表へ差しつかわし、水野越前守殿の面前に立たせました」
「相手が悪いね、越前守ときた日には、あの通りのやり手であるのみならず、その弁舌ときた日には、徳川三百年でも、ちょっと比較のない男だよ、弁舌がさわやかで、威力があって、男ぶりがよくて、腕が出来ている。水戸の藤田東湖のようなむずかし屋でさえ、水越[#「水越」に傍点]の弁舌には参っていたよ」
と道庵が言いました。そうすると僧形の同職が、同じような調子で答えて、
「その通りでございます、その通りの威力と、弁舌で、高圧的に、御都合|之《こ》れ有り、尾州領木曾山林、三カ年間公儀へ借り置く旨《むね》の申渡しがありますと、鈴木千七郎殿それに答えて申さるるには、仰せの趣、たしかに承知致しました、しかし、私方にもこの際、一つのお願いの儀がござりまするが、幾重《いくえ》にもお聞届けのほど願わしうござりまする――と鈴木殿が、水野閣老に改まって申し出でたものでございます……そこで越前守が、願いの筋とは何事でござるぞ……千七郎殿答えて、余の儀でもござりませぬ、尾張の国一円、近年はことのほか豊作続きでござりまして、到るところ米穀が溢《あふ》れ、これを積み置く場所もなき有様でござりまする、野天《のてん》へ投げ出して、せっかくの天物を空《むな》しく風雨にさらし置くは勿体《もったい》なきことの至りでござりまする、それがために尾張領ではただいま、夜を日についで、その米穀の貯蔵所を建設中でござりまするが、なにぶんにも手廻り兼ねて、難儀を致している次第でござりますることゆえ、恐れ多い願いではござりますが、向う三年の間、大坂城を拝借の儀お許し下さるまじきや、大坂城を三年間お貸し下されて、尾張藩眼前の難儀をお救い下さるならば、木曾山三年間お借上げの儀も、まことに容易《たやす》き次第でござりまする……と、こう越前守の前で申し出でたものでございます」
「なるほど……うまいところを言ったね、それで越前守が何と言ったい」
「満座の者が、この少年家老の奇言に驚倒したそうでございます、ところが水野越前守殿が少年家老に向って、そのほう、少年の身でありながら、主人に一応の相談もなく、公儀に向って即答をなすとは奇怪千万――水野殿もさるものですから、こういって叱ると、鈴木少年家老は申しました、不肖ながら、それがしは尾張藩を代表して参上つかまつりました、拙者の申すところに一家中異議のあろうはずはござりませぬ、ときっぱりと言いきってしまったから問題はありません。これがために、大坂城の御借用はもとより、木曾山お借上げのこともおじゃん[#「おじゃん」に傍点]になってしまいました」
「そりゃ、そうありそうなことだ、そうなけりゃあならぬことです。しかし、鈴木少年家老の器量、あっぱれ、あっぱれ、まさに木村長門守血判取り以上の成績だ、誰が知恵をつけたか知らねえが、出来ばえは申し分がねえ」
と道庵も感心をしました。僧形の同職は、なお念をおして言いました、
「かりにその時、退引《のっぴき》なく三年間というもの、この木曾山を公儀へお貸し申してみてごろうじませ、それはなるほど、木曾山山林だけで、大公儀の財政の急を救ったかも知れませんが、山はさんざんになって、この頭のような有様になってしまわないとも限りませぬ」
といって僧形の同職は、自分の頭をツルツルと撫で廻し、
「しかるに先生のお頭《つむり》のように、いつも若々しく緑の色|鬱蒼《うっそう》と、この木曾の山が森林美を失わずにおられますのは、つまりその時の鈴木千七郎殿の舌一枚でございました」
と言われて道庵がくすぐったい顔をして、自分の頭の即製のハゲかくしを撫でてみました。
「それで今日は、その尾州家の木曾領お見廻りの重役が、この川狩りを検分に参りましたために、川狩りが今日は休みでございます」
 僧形の同職がこう言ったものですから、道庵は聞きとがめて、
「川狩りの検分というのは、何ですかね」
「それは、その、木曾のお山から伐《き》り出しました材木を、この木曾川から流し落すのでございます、これがまた他国では見られない見物《みもの》でございましてな」
「なるほど」
「谷に沿うたところには椹《さわら》が多くございますが、奥へ行くと檜《ひのき》が多いのでございます、千古《せんこ》斧斤《ふきん》を入れぬ檜林が方何十里というもの続いているところは、恐ろしいほどの壮観でございます。伊勢大神宮の御用林もその中にございます。それを、高さ二十間もある大木を、この辺の樵夫《きこり》は手斧《ておの》で伐り倒しますが、その技《わざ》の鮮やかさは、これも他国の者が舌を巻いておりまする。そうして、それを高いところから、時とすると五千尺も高いところから、その材木を渓《たに》へ向ってすべり落させる、それがまた命がけの仕事なんで、材木を渓谷へ落し込んで置きまして、秋の出水を待って、筏《いかだ》に組んで、木曾川の下流へ流すんでございますが、それを川流しとも、または川狩りとも申します」
「なるほど」
「もう少し御逗留《ごとうりゅう》になりますと、その川狩りの壮観をごらんに入れるのでございますが、今日はあいにくお役人の検分で……二三日しますと、上手《かみて》から流れて来た巨大なる材木が、この寝覚の床へ来ますと、この通り急に水路が縮められているものですから、幾十万本の材木が、矢の如く流れて来ては、岩にぶっつかり、材木は材木の上へ乗りかかったり、横積みになったりして、鯨のお日待《ひまち》のように累々と積み重なりますところを、熟練した川狩りの人夫が、長い鳶口《とびぐち》をもって、これを縦横に捌《さば》いて、程よく放流してやるめざましさは、さながら戦場そのままだと、見る人で驚かないものはございません」
「なるほど」
「それにもう一つ、川狩りから出た材木は、使用する人に賞美されましてな。それというのは、いったん川水を十分に含んで、それから後乾燥して縮まりますから、使用した後に狂いが来ないそうでございます。ほかの方法で運び出した材木は、そうはいかない、どうも狂いが出て困ると、その道の大工が、この川狩りの材木を賞美するのも奇妙でございます」
「なるほど、木は山から伐って、川を流して、人に使われるように出来てるものだな」
「いかがですか先生、ここを下りますると、あの一枚岩の上へ出ますが、酒肴《しゅこう》を持たせてあれへ参り、あの上で風景をながめながら、お話を伺いたいものでございます」
 僧形の同職がすすめるのを道庵は、首を横にふって、
「まあ、せっかくだが、興は満なるを忌《い》むということがあるから、この辺でチビチビやりながら、寝覚の床を鷹揚《おうよう》にながめて、貴殿の人国記を承っていれば、もうもうこれ以上は罰《ばち》が当る、このうえ押して、谷からすべり落ちて、川へでもころげこんでごろうじろ、生きちゃあ帰れねえ、ホラ、この通りの足もとなんだから」
といって、道庵は、フラフラと立ち上って見せました。
 道庵の足もとのあぶないのは、今にはじまったことではない。その足もとのあぶないことを自覚して、そうして、多少の冒険をも慎《つつし》もうとするところに、道庵の聡明さがあるといえばあるのです。
「足もとが、こんなだから、足もとの明るいうちに失礼して帰ると致しましょう、どうもはや、おかげさまで寝覚の床をとっくりと見物したから、寝ざめの悪いこともござるまい――ああ、そうだ、浦島の伝説、あれはあんまり当てにならねえ」
といって道庵は、あぶない足もとを踏みしめて縁を下りました。
 かくて上々機嫌で、臨川寺の方丈の縁を下りた道庵先生は、門前につながせた馬に乗ろうとして、例の僧形の同職に送られて庭を歩く途中、寝覚の床を眼八分に見渡しながら、
「しかし、ここで浦島太郎が釣を垂れたというのは、少少怪しいね。そもそも浦島が子の伝説は……」
と道庵は、古事記や、日本書紀をひっぱり出して、浦島の人別《にんべつ》を論じて、どうしても、あの時代に浦島太郎が、木曾の山中に来て釣をするなんていうことはない、と断定しました。
 僧形の同職は、それを聞いて同感の意を面《おもて》に現わし、
「御尤《ごもっと》もでございます、浦島太郎が、この寝覚の床で釣を垂れたというのは、全く証拠のないでたらめでございますが、一説には、こういう話がありますんですな、足利《あしかが》の末の時代でもございましたろう、川越三喜という名医が、この地に隠栖《いんせい》を致しましてな、そうして釣を垂れて悠々自適を試みていましたそうですが、その川越三喜は百二十歳まで生きたということで、土地の人が、浦島とあだ名をつけて呼んでいたそうですから、多分その川越三喜の事蹟を、浦島太郎に附会してしまったものかと思います」
「川越三喜――なるほど、あれはわれわれの同職で、しかも武州川越の人なんだ。わしはこう見えても江戸ッ児だが、三喜も、江戸ッ児みたような、武蔵ッ児の、川越ッ児なんだ。川越はお前、今でこそ薯《いも》の産地だが、黄八幡の北条の旗風には、関東も靡《なび》いたものだし、天海僧正様の屋敷だし、徳川の三代[#「三代」は底本では「三大」]将軍もあそこで生れたというところだ。近くはお前、喜多川歌麿という艶っぽいこと天下無類の浮世絵師も出ているし、狩野派《かのうは》で橋本雅邦という名人の卵や、浅田信興という関東武士の黒焼のようなものも出かかっている、なかでも川越三喜ときちゃあ、わが党の方でも大したもので、立派に藪《やぶ》の域を脱している。しかし、その三喜が、こんなところへ引込んで、浦島気取りで釣をしていたということも、はじめて承りましたよ」
「左様でございますな、古書を調べてみますというと、三喜は、寛正の六年に武州川越に生れたとあります。医師となって長享元年に明国《みんこく》に入り、留まること十二年、明応七年に三十四歳で帰朝して、明の医術を伝えて、その名声天下にあまねく、総、毛、武州の地を往来し、天文六年二月十九日、七十余歳にして病歿と記してあるようでしたが、そうなると百二十説も少々怪しくなりますが、何か因縁はあったものと思われます」
「左様《そう》さね、お説の通り、三喜は寛正の六年の四月八日に生れたんだ、お釈迦様《しゃかさま》の日だからよく覚えていますよ。何しろ名医は名医さ、古河公方《こがくぼう》を中心にして、関東の平野を縄張りにしていたのだが、長谷村の一向寺というのにお像《すがた》があって、神様扱いを受けている。日本に名医ありといえども、お像を神に祀《まつ》られているのは、東大寺の鑑真大和上《がんじんだいわじょう》と、川越三喜だけだ、同じ藪《やぶ》でもこちとらとは、格が違わあ。しかし、こちとらだってなにも卑下するがものはねえのさ、後世になれば、十八文の貧乏神に祭ってくれるものがねえとも限らねえ」
 道庵が、つまらないところで痩《や》せ我慢をいうと、僧形《そうぎょう》の同職も笑って、
「ハハハハ、左様でございますとも、後世になれば、先生と、甲斐の徳本大人《とくほんうし》とを合わせて、平民医道の二柱の神として祭るものが出て来ること請合《うけあ》いです」
「そう言われると、ちっとばかり恥かしいのさ、徳本は、拙者の先輩だが、道三の三喜におけるが如き出藍《しゅつらん》ぶりがねえから、お恥かしいよ」
 そうして、門前につないでおいた馬に跨《また》がろうとした時に、弾丸の如く走《は》せ来《きた》って、飛びついたものがあります。
「先生、いいかげんのことがいいぞ」
 やにわに飛びつかれたので道庵は、一たまりもなく、馬からころげ落ちてしまいました。
 馬から転げ落ちた道庵を、土まで落ちない先に受け留めた米友は、それを馬の背の上へ押し乗せて、自分がその口を取って走るというよりは、馬の口にブラ下がって走りました。
 こうして米友が、川岸の溺死人の騒ぎ場へ道庵を連れ込んだのは、長い時間の後のことではありません。
 現場へつれて来られてから後の、道庵先生の働きぶり。
 道庵はまず、かけつけて、畳をむしりこわしたりなんぞして、藁火《わらび》を焚《た》いて、溺死人をあぶって騒いでいるのを押しわけて、その被害者を一応診察して、助かるべきものか、助かるべからざるものかを検断して、これは助かるという見込みをつけました。
「肛門から出血もしていないし、手足も硬直しているというわけではない、水は飲んでいるが、そう多分のことはない、多分のことはないが、それを吐かせきってしまうのが急務だと考える」
 こう考えたものでしたから、米友をして、この溺死人の両足を肩にかけて、充分に身をかがめさせて、二十間ほど走らせました。そこで溺死人が、飲んだ限りの水をブクブクと吐きつくしてしまった時、米友が、また以前の場所に立戻った時は、死人は立派に生き返っておりました。
 その一方、道庵は土地の人を指図して、河原の砂の上に火をたいて、暖かくしておいて、その上に被害者を寝かせて、なお砂を火であぶらせて、その熱いのを、別府の浜の砂湯でするように、被害者の五体の上へ、眼と口だけを残して覆いかけました。
 そうして、一ぷくしている間に釣台が出来たものですから、すっかり元気を回復した被害者を、ともかくそれに載せて、最寄《もよ》りの人家まで運ばせることにしました。
 誰も、この時の道庵の扱いぶりの洒々落々《しゃしゃらくらく》として、手に入り過ぎて、人を食った振舞を見て、餅屋は餅屋だと思わぬ者はありません。
 米友は、道庵に心服しておりながらも、どうかすると、そのいけずうずうしいことに業《ごう》を煮やすことはありながら、人命を扱うことにおいて、茶飯を食うような手軽さと、周到にして抜かりのなかりそうな用意のほどを見ると、おらが先生はエライ、と舌を捲かないということはありません。
 道庵はこれだけの仕事を、極めて無雑作に済まして、それから、焚火の傍へよって、かます入の煙管《きせる》を取出して火の中へつっ込み、しゃがみ腰になって、一ぷくつけてすまし込んでいると、そこへ人気が立ち上りました。
 当座の人気とは言いながら、さほどの名医が来合わせたということが、稲妻《いなずま》のように宿の上下にひろがったと見え、ぜひ一度、先生に来てみていただきたい、先生に見ていただきさえすれば、病人がその晩に死んでも心残りはないという注文である。先生、お急ぎでなければ、拙者は信州の飯田の者でござるが、飯田まで御足労が願えますまいか――と申し出でる者もある。今晩はぜひ手前共へお泊り下さるようにと、招待の競争が起る。
 しかし、最も多くの感謝と、尊敬とを払っていたものは、現に被害者を出して救われたところの、尾州家の木曾の御料林の見廻りの役人たちです。
「先生は、上方見物の道中と、承ったが、苦しからずば、これより尾州名古屋へ道をお枉《ま》げになって、それから東海道方面を、上方上りをなされてはいかがでござる、尾州名古屋を一見なさるお志がござらば、われわれどもぜひ御案内を致したい」
 これを聞いて道庵先生が、一途《いちず》に賛成をしてしまいました。
 これはもとより、その志であったのです。先輩の弥次郎兵衛、喜多八が、東海道中膝栗毛なんぞと大きい口を利《き》きながら、源頼朝が生れ、太閤秀吉が出で、金のしゃちほこがあり、名古屋味噌が辛《から》く、宮重大根《みやしげだいこん》が太いところの尾張の名古屋を閑却しているのを、ヒドク憤慨していたところですから、一議におよばず、この勧誘に応じて、一行と共に尾張名古屋に乗込むことに相定めました。

         三十

 どこから来るともなく、真暗いところの真中で、弁信法師の声、
「モシ、お嬢様――」
と呼んで、暫《しばら》く休みました。
 ここで、弁信がお嬢様と呼んだのは、それはお銀様のことでしょう。しかし、ここにはお嬢様の姿も見えないし、暫く待ってみても、その返事がないのですから、おそらくこの近いところに、呼びかけた当人はいないにきまっております。しかし、また、呼びかけた当人がいても、いなくても、弁信は、ふとその頭に上り来ったほどの人は、かたわらに在るが如く呼びかけるの習わしは、今に始まったことではありません。
「モシ、お嬢様、あなたはまた、何かおむつかりになっておいでになりますね、お腹立になっておいででございましょう、あなたが、烈しい憤怒《ふんぬ》の念に駆《か》られておいでになる有様が、私の前に、手に取るように浮んでいるのでございます――」
 こういって弁信法師は、真暗い野原の中に耳を傾けて、また暫くは無言でおりました。別段、返事を期待しているとも見えないが、何か心には期するところがあるにはあるもののようです。
 第一、ここは白根三山の麓《ふもと》、平野のまっただなかであるか、或いは平野と同じほどに広い藤原の庭内であるか、それすらもよくわかりません。しかし弁信の立っている地点は、屋外であることに間違いありません――絶叫してみたところで、そうは容易《たやす》く人の耳に触れるほどの距離ではないのであります。まして弁信の声は、怨《うら》むが如く、泣くが如く、憂《うれ》うるが如く、教うるが如き低音でありました。一向に返事のないことを予期して、そうして弁信が、おもむろに続けました。
「お嬢様、あなたが、むらむらと瞋恚《しんい》の炎を燃やして、身も、世もあられず、お怒りになるそのお心が、離れていても、ぴたりと私の胸に響いて参ります。あなたの胸に燃やしておいでになる憤怒のほのおが、遠く私の魂をも焼くのでございます。人間の煩悩《ぼんのう》妄想《もうそう》のうち、憤怒《ふんぬ》の一念ほど、人の魂を焼き亡ぼす力のあるものはございませぬ。その怖ろしい力のために、海の潮が満引《みちひき》をするように、あなたのお心のうちが、日夜に動揺致しますのを見るにつけ、どうぞして、そのお腹立を和《やわ》らげ、そのお憤りの心をしずめてお上げ申したいと、思わぬことはございません」
と言いながら、弁信はソロソロと歩みはじめました。
「あ、いけません、それが悪うございます、それですから、あなたのその憤怒の心に油が加わるばかりでございます、消えるどころではない、いよいよ燃え上るばかりでございます、そういうことをなさるから、それで……あなたの身と、魂が、ジリジリと燃焼して参り、やがてそれが、現在のあなたの総《すべ》てを亡ぼしてしまうのみならず、過去の功徳《くどく》をも、未来の果報をも、みんなその怒りの一念が、焼き亡ぼしてしまうのでございます、怖ろしいことではございませんか」
と言って弁信法師は、また立ちどまって、戦《おのの》きました。
「その瞋恚《しんい》というものは……」
 弁信は見えぬ眼を上げて、高く、暗黒の空の一辺をながめ、
「瞋恚というのは、十種|煩悩《ぼんのう》の一つでございまして、また三毒の、その一つでございます。ひとたびこの煩悩の虜《とりこ》となり、この悪毒に触れまする時は、賢者も愚者となり、英明の人も混濁《こんだく》のやからとなり、英雄も弱者となり――数千劫《すせんごう》の功徳を積んだ聖僧でさえも、一朝の怒りのために、積薪を焼くが如く、その功徳を亡ぼしてしまいます。されば三界のうち、色界《しきかい》、無色界の二つの世界には、その怒りというものが無く、ただ欲界散乱のところにのみ、その怒りがあるのだそうでございます……千劫の間、積みたくわえた布施《ふせ》も、供養《くよう》も、善行も、一瞋恚の火によって、茅《かや》の如く焼き亡ぼされるということを、釈尊もお示しになりました――お嬢様、大抵の人は、憤怒は人から卑しめられ、或いは他より辱《はずか》しめられた時に起るのでございますが、あなたのは、人を卑しみ、人をのろうの心から起っていることを、私は蔭ながらお察し申しもし、また御同情も申し上げているのでございます」
 弁信法師は、ソロソロと歩み出して、
「しかし、どちらに致しましても、忍《にん》の道は一つでございます、憤りを鎮《しず》めるの道は、忍の一字のほかにはあるものではございません、たとえ、大千世界を焼き亡ぼすの瞋恚の炎といえども、忍辱《にんにく》の二字が、それを消しとめて余りあるものではございます、どうぞ、お忍び下さいまし」
 そこで、弁信はまた立ちどまって、方向の違った天の一角をながめました。ながめる形をしたのですから、天の一角に何があるか知れたものではありませんが、牛飼座《うしかいざ》あたりの星が一つ、真暗な天地に戸惑いをしたもののように、残されておりました。
「あらゆる戒行《かいぎょう》のうち、忍辱《にんにく》にまさる功徳《くどく》は無いと釈尊も仰せになりました。それにもかかわらず、忍べないのは正観《しょうかん》の智力が足りないからでございましょう、正しく物をみることの余裕を奪われたその瞬間から、憤怒の炎が吹き出して参るものでございます。雑念、妄想の世界を離れて、空無相の本体をごらんになれば、そこに怒るべき我もなく、怒りを移すべき人も無いはずではございませんか――」
 弁信のひとり言は、ここで一段落になったけれども、言葉が終ると共に、弁信の鋭敏な頭のうちに、お銀様というものの姿がありありと現われました。
 弁信は、お銀様というものには少しも悪意を持っていないのです。悪意を持つべきいわれもありませんけれど、親しく生活して、たがいに打ちとけ合ってゆくうちに、お銀様という女の人の性格に、非常にいいところのあるのを、何人よりも多く発見しているのが弁信であります。家の者全体が、その父親でさえが、腫物《はれもの》にさわるようにあしらっているお銀様という人を、弁信のみが、寛宏《かんこう》な、鷹揚《おうよう》な、そうして、趣味と、教養の、まことに広くして、豊かな、稀れに見る良き女性だと信じ、且つ親しむの念を加えてゆくことができるというのが、不思議です。
 しかし、お銀様自身は事毎《ことごと》に弁信に向って、自分の形相の、悪鬼|外道《げどう》よりも怖ろしいことを説いて、それを怨《えん》ずる度毎に、例の瞋恚《しんい》のほむらというものに油が加わることを、弁信は手にとるように見ているのです。
 だが、幸か不幸か、お銀様自身が吹聴する容貌の醜悪なる所以《ゆえん》を、弁信には見て取ることができません――この点は、机竜之助の見る眼と、性質を根本的に異にして、その作用は一つなのであります。
 竜之助は、容貌の人としてのお銀様を知らずして、肉の人としてのこの女を、飽くまで知りました。弁信は今、その他のものに盲目にして、心の人としてのお銀様を見ることに親切でありました。
 弁信の前にのみ、傷つけられざるお銀様の、少女としての、処女としての、大家の令嬢としての品性が、美しくえがき出さるることがあるのであります。弁信のみが、彼女の僻《ひが》めるすべての性格を忘れて、本然《ほんねん》の、春のように融和な、妙麗なお銀様の本色を知ることができるらしくあります。
 しかし、ひとたび、物に触れて彼女が、その怖るべき瞋恚の一念に駆《か》られて、満身の呪詛《じゅそ》を吐き出し来《きた》る時には、さすがの弁信といえども、それに一指を加えることができません。その時はひとり悄然《しょうぜん》として離れて、その炎の燃えて、燃えて、燃え尽きる時を待つの態度に出づるほかはありませんでした。
 多分、今晩もそうしたような場合から、弁信はひとり曠野《こうや》をさまようて、空《むな》しく毀《こぼ》たれたる性格の、呪《のろ》いの、若き女人のために、無限の同情を寄せているゆえんでありましょう。
 こうして、行き行く間に、一つの穏かならぬ事体を、弁信が感得しました。
 行手の、ほとんど十数町を隔てたと覚しいところあたりにおいて、烈しい空気の動揺を弁信が感得しました。
 普通の人の耳で聞き、普通の人の眼で見ては、何の気配《けはい》もないことも、この人の心耳《しんに》にはありありと異常が感得せらるること、今に始まった例ではありません。
「ああ、何か事が起りましたな、間違いがなければいいが」
 足をとどめ、胸をおさえて、行手の方を背のびするようにして注意しました。
 それからいくらもたたない後のことであります、弁信が背のびをしてながめた行手の空が、ボーッと明るくなりました。
 空が明るくなってみると、四方の森、林、山岳までが反射して、おぼろながら弁信の立っている野原の中の一つの姿も見え、そうして、その背後に、大竹藪《おおたけやぶ》が屏風《びょうぶ》をめぐらしたように囲んでいるのもわかりました。
「間違いがなければいいが――」
 彼の懸念《けねん》は的中したに相違ないのです。現に間違いが起ったればこそ、あの火の色。あれは尋常の火ではありません、非常の火であります。
 その時分にはじめて、人の叫喚が夥《おびただ》しく聞えはじめました。ボーッと明るかったに過ぎなかった火が、炎のうらを見せはじめると、その赤味が天に冲《ちゅう》して来ました。梨子地《なしじ》をまいたような火の子が、繚乱《りょうらん》として飛びはじめました。
 そう思うせいか、ちょうど、この時分になって四辺《あたり》がザワついてきて、藪《やぶ》も、畑も、山も、林も、吹きまくるような風に襲われてきたようです。そうでなくても火事場は風の多いものを、ここに心あって吹く業火《ごうか》でもあるかのように、一時に襲い来った風のために、弁信の纏《まと》うていた黒の法衣《ころも》を吹きめくられて、白衣《びゃくえ》の裾が現われてしまいました。
「悪い風だ、悪い時に――」
と弁信は憂《うれ》え面《がお》で、火の方向に向いて、歩みを運びはじめました。
 弁信は勘《かん》のせいで、いかなる時にも、いかなる道をも、踏み間違えるという心配はないが、しかし、非常と知って、特に急ぐというの自由は持ちません。
 憂えを胸におさえつつも、非常に向って、ゆっくりした足どりで進んで行くうちに、おびただしく馬の嘶《いなな》く声、軒の燃え落ちるらしい音、竹のハネル音、それと共に、近隣で鳴らす半鐘の音までが、いとど凄愴《せいそう》たる趣を添え来《きた》るのであります。火はようやく大きくなりました。
 しかも、それはまだ七八町も離れてはいるが、弁信ほどのものが、その精密な距離の測定と共に、現に焼けつつある家が自分と、どういう関係の遠近にあるかということの見立てを、誤るという理由は少しもありません。
 いま、焼けつつある家は、自分が現に厄介になっている藤原家の邸内の、そのいずれかの部分であることは間違いがありません。藤原家の屋敷では、親子兄弟がみんな別々の棟に住していますから、納屋《なや》、物置でない限り、そのうちの誰かの住居《すまい》が焼けつつあるに相違ない。誰のが焼けていいという理由はないが、もしや……と弁信の胸がつぶれるのであります。
 ここで、もし弁信の眼が見えて、その鋭敏な頭脳に、火と、煙の色とが映って来たなら、直ぐにそれによって、家屋の新旧と、建築の大小を判断して、これは誰の住居だと推定してしまったでしょうが、この場合、そこまでの判断を強《し》うるのは酷《こく》です。
 そうして、不自由のうちにもできる限りの用心と、速度とを以て、非常の方に急いで行きますと、その行手に当って、また一つのものを感得しました。
 まさに、こちらへ向って走って来る人がある。その人は一人である。たった一人で、自分と向い合って走り来《きた》る人があることはまぎれもないと思いました。
 おお、そうそう、その人の荒い、せききった息づかいさえ、この胸に響き渡るではないか。

         三十一

 そこで弁信が立ちどまっていると、走り来って、ほとんどぶっつかろうとして、危《あや》うく残して避けたその人が、
「まあ、あなたは、弁信さんじゃないの」
「そういうあなたは、お嬢様でございましたね」
「あ、なんだって弁信さん、今時分、こんなところを一人歩きをしているのです」
「それは、私から、あなたにお尋ねしたいところなのです、あなたこそ、どうして、今時分、こんなところへ、お一人でおいでになりましたのですか」
「エエ、わたしはね……逃げて来たのよ」
「火事でございますね」
「エエ」
「火事は、お屋敷うちには違いございませんが、どなたかのお住居《すまい》ですか、それとも納屋か、厩《うまや》か、土蔵か、物置かでございましたか」
「あのね、弁信さん、火事は本宅なのよ」
「御本宅――」
「エエ、そうして、わたしの屋敷へも移るかも知れない、あの火の色をごらん」
「それは大変でございます、それほどの大変に、どうして、あなた様だけがお一人で、こっちの方へ逃げておいでになったのですか、あとのお方には、お怪我はありませんか」
「それは知らない、わたしは怖いから、わたしだけが逃げて来ました」
 そういって、お銀様は立ちどまったままで、後ろを顧みて、竹の藪蔭《やぶかげ》から高くあがる火竜の勢いと、その火の子をながめて、ホッと吐息をついた時、弁信の耳には、それが早鐘《はやがね》のように聞え、その口が、耳までさけているように見えましたものですから、
「ああ、お嬢様、あなたは怖ろしいことをなさいましたね」
「ええ」
「あなたは、いけません、それだから、私が怖れました、ああ、今や、その怖れが本物になりました」
「何を言ってるの、弁信さん」
「お嬢様、あなたこそ、何を言っていらっしゃるのです」
「わたしは何も言ってやしない、ただ、怖いから逃げて来たのよ」
「火事が怖ろしいだけではございますまい、あなたのお胸には、良心の怖れがございます」
「何ですって」
「ああ、あの火事の知らせる早鐘よりも、あなたのお胸の轟《とどろ》きが、私の胸に高く響くのはなにゆえでしょう、あの火事の炎の色は見えませんけれど、あなたの息づかいが、火のように渦を巻いているのが聞えます」
「弁信さん、出鱈目《でたらめ》を言ってはいけません、誰だって……誰だって、こんなに急いで来れば動悸《どうき》がするじゃありませんか、そんなことを言うのはよして頂戴、そうでなくってさえ、わたしは怖くてたまらない」
「何が、そんなに怖いのでしょう、火事は家を焼き、林を焼くかも知れませんが、人の魂を焼くものではありません」
「だって、だって、弁信さん、お前は眼が見えないから、それで怖いものを知らないんでしょう」
「怖いのは、火事ではありません、人の心です」
「いやなこと言わないようにして下さいよ」
「本当のことを言っているのでございます、私には、火事の火の色は見えませんけれども、心の火の色が見えます」
「今は、そんなことは言わないで頂戴」
「そうして、お嬢様、あなたは、これからどこまでお逃げなさるつもりですか」
「そうでしたね、こんなに逃げたって仕方がありませんわね、それがどこまで逃げられるものでしょう」
「わたしと一緒にお帰り下さいまし」
「まあ、ゆっくりしておいで、あの火事をごらん、まあ、なんて綺麗《きれい》な火の色でしょう」
 お銀様と、弁信は、もつれるように並んで歩きながら、広い竹藪《たけやぶ》の中の小径《こみち》を通って笹の間から、チラチラと見える火の勢いがようやく盛んなのを前にして、やがて藪を出ると、そこは、だらだら下りの小高いところになっていました。
 欅《けやき》の大木を横にして、いま盛んに焼けつつある大火を見ると、お銀様が踏みとどまって、
「弁信さん、母屋《おもや》が焼けていますよ」
 弁信もまた、その小高いところに踏みとどまっている。小さな姿いっぱいに、火の色が照り返しています。
 小づくりな、色の白い弁信の姿が、この時は紅玉《こうぎょく》のように赤く見えました。
「助かりませんか」
「もう、駄目でしょうよ」
「ああ、怖ろしい音がします」
「でも、大切なものは、みんな取り出してしまったでしょうから、安心です」
「あのお文庫倉へは火が移りませんでした? あの中には、私が聞いてさえ惜しいものがたくさんございます」
「あれは大丈夫、目塗《めぬり》が届いているから」
「あなたのお屋敷は?」
「もう焼けてしまっているでしょう、母屋《おもや》へ移る前に、焼け落ちたかも知れません」
「それでは、あなたのお屋敷へ、一番先に火が廻ったのですね」
「え」
「もしや、あなたのお部屋が、その火元ではありませんか」
と弁信が後ろを振向きました。この時お銀様は、弁信とは一間ほど離れて立っていたのでしたが、
「そうかも知れません」
「それで、お嬢様、誰よりも先にその火を見つけたのは、あなたではございませんでした?」
「ええ、そうなのよ」
「その時、あなたはなぜ、人を呼んで消し止めることをなさらないで、こんな遠くまで逃げて来ておしまいになりましたか、あなたにも似合わないことではありませんか」
 弁信は、火の方に面《おもて》を向けながらこう言いましたけれど、それはお銀様の狼狽《ろうばい》を、叱責《しっせき》するの言葉でもありません。
 お銀様も、それには何とも答えないで、上からおしかぶせて見下ろすように、燃えさかるわが家の火をながめていましたが、その怖ろしい形相《ぎょうそう》のうちに、白眼がちにかがやいている眼の中に、強い光の冷笑が漂うているのは不思議です。
 これは恐怖と狼狽の余り、前後の見さかいもなくして、ここまで逃げて来た人の態度でも、表現でもありません。
「弁信さん、火事というものは、近いところにいると怖いが、こうして遠くで見ていると、愉快なものねえ」
と言いました。
「なんとおっしゃいます」
 弁信は、こちらを向かずに、押返しました。
「弁信さん、あなたには、あの盛んな火の色が見えないでしょうが、人の災難は別として、ただ見ている分には、なんという壮快なながめでしょう」
「そうですか、左様に見えますか、人間の災難も見ようによっては、愉快、壮快というものに見えるものですか。もし、そうだとすれば、人間の眼というものは怖ろしい魔術使いでございます。私は左様な魔術使いを、自分の面《かお》の中へ置かなかったことが幸いになります。人の災難を見て、愉快、壮快と感ずるような眼という魔術使いが、私のこの小さな面《かお》という領分の中にいてくれなかったことが、不具ではなくして、光栄であったかも知れません」
「弁信さん、理窟は抜きにして下さい、火というものは愉快なものです、壮快なものです、いっそ、この地上にある最も痛快至極なものであるかも知れません」
 お銀様は、冷然として、昂奮してきました。冷然として昂奮はおかしいようですけれども、事実、さきほど、弁信に行当った当時は、多少とも、恐怖と、狼狽とに、とらわれていないでもありませんでした。ここへ来て、まともに、わが家の火の全景を見渡した時、はじめて冷然として、その持てるところの強味が、土から生えたもののようであります。
 これに対して弁信の落ちつきは、例によって、憂《うれ》うるが如く、愛するが如く、憐《あわ》れむが如きの冷静であります。
 弁信が冷然として答えずにいると、冷然として昂奮してきたお銀様が、
「ごらんなさい、この地上に、あれほどの力を持った暴君がありましょうか」
「暴君とおっしゃるのは」
「ごらんなさい、私の家は、王朝以来の家柄だと申しておりました、甲斐《かい》の国では、並びのない大家だとかいわれておりました、それをあの火は、一晩のうちになめ[#「なめ」に傍点]てしまいます」
「お嬢様――あなたは、それがいいお気持なのですか」
「まあ、お聞きなさい、人の惜しがるものでも、惜しがらないものでも、火はああして平等に灰にしてしまいます」
「平等という言葉は、左様な時に用うべき言葉ではありません」
「それでも、火には依怙贔屓《えこひいき》というものが絶対にないではございませんか、焼けるものと、焼けないものとは、火の力の度の加減があるのみで、この地上で、火に焼けないものとて、何一つもありません」
「いいえ、あります、あります」
「ありません、決してありません、火は愛です、絶大の愛です、誰が、火を怖ろしいと言いましたろう、誰が、火を災《わざわい》といいましたろう、あのくらい、隔てなく愛するものはこの世にはありません、ひとたび火の洗礼を蒙《こうむ》った人には、微塵も未練《みれん》というものが残らないではありませんか、あの絶大な愛の力に溶かされ、包まれ、同化されてゆかない何物もないではありませんか、火は力です、火は愛です、わたしはあの火にあこがれる」
「それは、力でも、愛でもありません、破壊です、絶滅です、本当の力には救いがなければなりません、本当の愛には生命がなければなりません」
「そんなことはわたしは知らない、わたしはあの火に救いを認めます、あの火に絶大無辺な愛を認めます。考えてごらんなさい、人間の愛というものに、依怙《えこ》の沙汰《さた》のないというところがドコにありますか。親が子を愛するのが本当なら、親にそむく子はなかるべきはずなのに、この世では、親も、子も、みなあいそむいています、形でそむかないものは、心でそむいています。師匠が弟子を愛するというのも、弟子が師匠を慕うというのも、みんな嘘です、嘘でないにしても、本当の愛ではありません。本当に許し合っている夫婦、信じ合っている友というものが、この世にいくつありますか。釈迦や、キリストや、孔子の愛――慈悲でさえも、総《すべ》ての人間が救われた時がありましたか。その大きな手がひとたびひろがれば、一切万物を、みんな己《おの》れのふところに同化してしまうという愛が、この人間のこしらえた、人間の産み出したものの中に、一つでもありますか。それに比べて、あの火の力をごらんなさい。王朝以来の旧家が何です、甲斐の国に並ぶもののない家柄が何です、何十代というもの、積み貯えられた金銀財宝が何です。みんなそれは浅はかな人の慾をそそり、血で血を洗わせる悪魔|外道《げどう》のまやかし[#「まやかし」に傍点]ではありませんか。そんなものがあるために、親が子にそむきます、兄弟がたがいに相愛することができません。人間のこの、普遍な愛情をさまたげるものは系図です、家柄です、それと財産です、女にとっては容貌です。まあごらんなさい、火という大明王が、その小さな愛着と、未練と、貪欲《どんよく》とを、木葉のように、広大なるつぼ[#「るつぼ」に傍点]の中に投げ入れて、微塵の情け容赦もなく、滅除し、済度して行く、あの盛んな光景を――」
「お嬢様、それは間違っております、出発点が間違っていますから、それで結論がまた間違ってしまいます、間違ったなりに徹底して、さながら一面の真理でもあるかのように聞えるのが、外道《げどう》の言葉だと私は思います。愛というものは――慈悲と申しても同じことでございますが――火のように烈しく人を焼き、水のように深く人を溺らせるものではございません。慈悲と申しまするものは、春の日のように、また春の雨のように、平和に人を恵みうるおすものでございます。時としては、秋の霜のように、冬の暁の雪のように、人の骨身を刺すこともございましょうけれど、それは人の精神を引締めるもので、人の心を亡ぼすためではありません。愛というものは、そんなに痛快なものではないのでございます。どちらかと申せば、緩慢な、歯痒《はがゆ》いところに慈悲が潜《ひそ》んでいることもございます。本当の愛というものは、急激な同化を好まずして、秩序ある忍耐を要求するものではございますまいか。一粒のお米を、自分のものとして取入れるまでに致しましても、三百六十余日の歳月を待たねばなりませぬ、そうしてその三百六十余日の歳月とても、ただ徒《いたず》らに待っているわけではございません、耕し、耘《くさぎ》り、肥料をやり、刈り取り、臼《うす》に入れ、有らん限りの人の力を用いた上に、なお人間の力ではどうすることもできない、雨、風、あらし、ひでり、その他の自然の力に信頼して、そのお助けを得ての上で、そうしてようやく一粒の米が私共の食膳にのぼるのでございます。お嬢様、あなたのお家は大家《たいけ》だそうでございますから、定めて宏大な御普請と存じますが、いかほど大きなお家でも、一夜のうちに灰となることは不思議でございません、けれども、それを一夜のうちに組立てることはできないのでございます。物を亡ぼすのが愛の仕事でございません、物をはぐくみ育てるのが愛の仕事でございます。つまり、あなた御自身が、はぐくみ育てられた恩愛というものを知ることが浅いので、物を育てるの妙味がおわかりにならないのですね、はぐくみ育てるの苦労というものを御存じないから、それで同情というものが生れて参りません――あなたは何不自由なくお育ちになりました、あなたはその豊富な生活の資料というものが、当然の権利として与えられたもののようにお考えになって、我儘《わがまま》というものは、誰にも許される人間の自由だとお考えになって、それで今日まで過ごしておいでになりました、多くの人が悩む生活の窮乏というものに、性来の御経験が無いのはあなたの幸福ではありませんでした。しかのみならず、あなたはお身体《からだ》もお丈夫で、今日まで、病気らしい病気におかかりになったことがないとのお話も承っておりましたが、それも、あなたの幸福ではございません、病気の経験の無い者を、友達にするなと古《いにし》えの人が申しました。あなたの恵まれたる生活がかえって、あなたの不幸でございました。それゆえに、何か不平不満の起りました時には、あなたは自分の仇敵《きゅうてき》のために、自分の持場を荒されたように、身も、世も、あられず、憤怒の火で心の徳を焼いておしまいになります、不平、不満の起りました時、ついぞあなたは、今まで自分の受けておいでになった有り余る満足と、我儘とに、思いおよぼしたことはございませんようです。天性、花のように生み成された御容貌が、無残にそこなわれてしまった怨《うら》みを、骨髄に徹するほど無念にくり返し、くり返し、私はあなたのお口から聞かされました。しかし、私に言わせますと、あなたの御容貌を微塵《みじん》に打砕いたそのものは、あなたの継《まま》のお母さんではありません、また、そのお母さんに味方をするという一類の人たちではありません、あなたの心の増長が、その面《かお》を焼きました」
 おしゃべり坊主は土に坐って、一気にこれだけをしゃべりました。

         三十二

「何とでもおっしゃい」
 お銀様も、土の上に腰をおろして、相変らず冷然として、おしゃべり坊主のいうことを取合いませんでした。
 火は盛んに燃えて、集まるほどの者が、それを消すべく懸命の努力を試みているのをよそに、弁信法師も、お銀様も、小高いところに坐り込んだまま動こうとはしません。
 一方、馬のいななきが盛んに聞えるのは、火を消すことに努力するものの一方には、馬のはやるのをしずめることの努力が想像されます。火を見てはやる馬は、暗い方へは逃げずして、明るい方へ進みたがることは、火取虫と同じです。そうして、その明るい方の危険なることを知らざることも、また、火取虫と同じです。
 常の世にあっては、光明《こうみょう》を求めて進むのを習いとするが、非常の時、火事の時は、必ずや暗い方へ逃げなければなりません。お銀様もそれを知り過ぎたために、逃げ過ぎました。しかし、はやり過ぎる馬の方も、どうやら押えが届いたようです。
 火は頂上を過ぎました。棟《むね》も完全に焼け落ちてしまいました。ほのお[#「ほのお」に傍点]は相変らず天を焦《こ》がすといえども、要するに余燼《よじん》に過ぎません。
 だが、こちらの方、二人は例の小高いところに腰を卸したまま、動き出そうとしないのは変りません。どちらが先に、地面に腰をおろしたとは知りませんが、ほとんど申し合わせたように、地上に坐り込んで動かないところは、動かないのではなく、動けないのかも知れません。さりとてこの二人は、非常の大変に驚愕狼狽《きょうがくろうばい》の余り、泰然《たいぜん》として腰を抜かしてしまったのでないことは、先刻からの対話でもわかります。
 こうして、坐っているところへ、大火のほのお[#「ほのお」に傍点]の光線が反射して来ました。夕暮の空に金色《こんじき》の征矢《そや》のさすように、二人は、その火光を前面に浴びました。光を浴びたところの半面はえび[#「えび」に傍点]のように赤いけれども、その後ろは鯰《なまず》の如く真黒であります。
 弁信は、もはやしゃべり[#「しゃべり」に傍点]ません。しゃべらないで、両膝を二つの手で抱えて、首をその中へうなだれています。火の方には向いていますけれども、最初から火を見ているのでないことは勿論《もちろん》です。お銀様は最初から火を見ているのです。立っている時もそうでした。話をしている時もそうでした。坐り込んでから後も、やはり火の消長を、ちっとも放すことなく注視しておりました……この時分に至って、その火を睨《にら》んでいるお銀様の眼から、ハラハラと涙のほとばしるのを認めました。
 弁信は少しも昂奮してはおりません。膝を抱いて、うれわしげにうつむいてはいるが、決して泣いているのではありません。
 峠を過ぎれば、どうしても下り坂です。いかに大家でも、棟が落ちた以上は、下火になるばかりであります。おそらく朝になっても、余燼《よじん》の勢いは変るまいが、火の勢いとしては、目立たぬほどずつ衰勢に赴くのは争われません。
 おお、おお、鶏《とり》が啼《な》いている、何番鶏か知らん。
 はやりきった馬はまだ血気が下りきるまいが、鶏は平和だ。いかに業火《ごうか》のちまたでも、修羅の戦場でも、その間から鶏が聞え出せば占めたものだ。鶏の声は、暁と、平和のほかには響かない。
 しかるにこの二人はまだ、歩き出そうということを言いません。立ち上ろうとする気色《けしき》も見えません。お銀様がそれを言わなければ、弁信がそれを促さなければならないはずなのに。弁信が立てば、お銀様もいやとは言うまいに。二人とも、どちらが、どうということがありません。弁信は相変らずうつむいて、膝を抱いた上へ自分の首を埋めるばかりにうなだれ、お銀様は穴のあくほどに火の色を見つめているが、最初のあの瞬間にほとばしり出した涙も、今になっては、すっかり乾いてしまって、冷笑気分が豊かです。ただ夕陽のような火の色だけが、二人の坐像を、紅と黒とにかっきりと描き出していることは、以前と少しも変りません。
 しかし、本来ここに作りつけてあったわけではなく、尻から根が生えたわけでもありませんから、早晩は動き出さなければならぬ運命にあるものです。
 どちらが先ということなく身を起すと、二人の影法師が原っぱの上に、火災の余光を浴びて、影を引いて動き出しました。
 ようやくにして被害地のところまで来て見ると、それは申すまでもなく戦場同様の有様であります。消防に出陣した人のすべては、まだ一人も退却したものがないようです。
 何事でしょう、火はもう鎮《しず》まったのに、人の面色《かおいろ》にまだ険悪の色が消え失せないのは。
 険悪ではない、不安の憂色です。憂えの色が、火の光と、働きの疲労に彩《いろど》られて、それで険悪に見ゆるのでした。
 しかし、険悪にせよ、不安にせよ、漲《みなぎ》り溢《あふ》れている人々の面《かお》の憂色は、拭うことができません。それは誰とて、火事場へ来てのん[#「のん」に傍点]気な面をしている者もなかろうけれど、とにかく一段落ついてみれば、ホッと一息した安心の表情が多少現われても悪くはないはずですが、それがありません。
 緊張も、ある程度以上は罪悪です。人生そのものが、さながら戦場であるとはいえ、人間そのものが、いつも緊張のみしてあるべきはずのものではないのです。緩慢もなければならん、放笑もなければならん、余裕もなければならん。
 ところが、この人々は、火は消えたけれども、消して消しきれない非常がまだ残っているようです。
 それもそのはず、火事よりもなお非常な事変が一つ残されているのです。それは人命です。人間の生命の行方《ゆくえ》のわからないのが、この火事を機会としていくつも起って、それがまだ解決しきれないのです。
 というのは、一つには伊太夫の後妻、お勝の行方がわかりません。そのお勝の腹に生ませた伊太夫の独《ひと》り子《ご》、三郎の行方がわかりません。それと、この屋敷での暴女王、お銀様の姿が見えません――それともう一つ、このごろ厄介になっている不思議な勘のいい、おしゃべり坊主の行方も皆目《かいもく》知れないのであります。少なくともその四個の生命が、この火事を機会として、踪跡《そうせき》をくらましてしまいました。
 馬一頭も、犬一匹も、鶏の一羽も、生けるものの生命としては損傷もないのに、この重大な四つの人間の行方がわからないのは、これは火事以上の非常事でした。
 家は惜しいとは言いながら、藤原家の富を以てすれば、これに十倍するの新築をなすことは何でもない――ただ人命に至っては、そのいとちいさきものといえども、人間の手で如何《いかん》ともすることはできない。
 今まで帰らない以上は、心あたりの避難所という避難所をみんなさがしたが、みな手を空しうして帰って来た以上は、どうしても、その四個の生命が、この大火の下に埋められている、というこの上もなき不祥を想像せざる者はない。想像して、これを是認せざる者はない。是認して、戦慄せざるものはない。
 さしもの伊太夫も、狂気のようになって、火という火のまわりを飛び廻り、人という人をつかまえては、人間の安否をたずねている。それに和する人の声に、いずれも絶望の色の漂わぬというものはない。
 そうかといって、この余燼《よじん》をどうするのだ。余燼とはいえ、寄りつけたものではない。手のつけようも、足の入れようもあるものではない。よし、手のつけようと、足の入れようがあったにしてみたところで、かりに、その四個の生命が、この猛火の下に埋《うず》もれているとしてみて、それを、壁と、土と、木と、釘との焼屑と、どうして見分ける。
「飛んでもねえことだ、お気の毒なことだ、四人が四人、一人も助からねえとは……」
 さればこそ、この険悪と、憂色とが、すべての人を覆うている。この時、一方に遥《はる》かに歓声が上って、
「お嬢様がお帰りになりました、小坊主の弁信さんと一緒に……」
 人をかき分けた伊太夫は、お銀様を抱いて、火のようなうれし涙を見せました。
 しかし、お銀様はわりあいに冷淡で、そうして少しく臆病であっただけです。
 弁信が悄々《しおしお》として、それにつづいて来たけれど、伊太夫は、それを叱ることも、憐《あわ》れむことも、なすいとまがなく、
「お勝はどうした、三郎も一緒か」
と叫びました。
 お銀と、弁信と、二個の生命が、ともかくも無事でここへ現われて来たのが夢でない以上は、つづいて、もう二つの最愛の後妻と、生みの男のひとり子とが、そのあとに続いて来てもよかりそうなものではないか。
 ところが、それが無い!
 伊太夫は片腕にお銀様を抱えながら、しきりに片手を振って叫びました、
「お勝――三郎、三郎とお勝はどうした、お勝と三郎はまだ見えないか」
 しかし、いずれからも、その二人の姿は見えて来ないのみならず、どちらから来る報告も、その有望をもたらすことがありません。
 伊太夫は絶望の眼を以て、火の色を見つめました。
 しかし、前にいうところの如く、たとい余燼《よじん》なりといえども、この余燼の灰を掻《か》くまでには、まだ相当の時間を待たなければならないことです。よし、相当の時間を待ってみたところで、この盛んな大家の災火の底に、かりに不祥極まる運命の人間が横たわっているとして、その一片の舎利《しゃり》を発見し得る望みがありますか。
 伊太夫の周囲を取巻く人は、みな、期せずして同じように、絶望の色を漂わせていないものはありません。
 それは、前後の事情を聞き合わせて想像してみると、どうしても、不祥な判断に落ちて行かないということはできないのです。
 たとえば、一方においてこれらの人間に聞かれないところの、ある物蔭において、雇人たちのゴシップを聞いてごらんなさい。大体こんなようなことを言っているのです。
 この火事の前、お銀様が烈しく怒っていた。それは何の因縁《いんねん》だかわからなかったが、今晩の怒り方は、いつもよりもいっそう烈しかったということである。
 そこへ、例の弟の三郎が入って来た。実は三郎が来たためにお銀様が、そんなに怒り出したのかも知れない。その前後のことはわからないが、とにかく、三郎様も火のように泣き出した。そうすると、奥様が――つまり三郎様には実の母親、お銀様には継母であるところの――奥様が今日はまたそれについて、烈しい御立腹のようであった。
 火事! といった時、火の廻りの早かったこと。それは油か、煙硝《えんしょう》かの助けがなければ、到底こんなに早く火が廻るはずがないと思われたほど早かったと、その場に居合わせたもののように言う者さえある。
 その結果、ついに、つい今まで三人の方の行方不明《ゆくえふめい》となったので、弁信だけはつけたりになっている。
 これらのゴシップは、日頃が日頃だけに、だれの頭にも、多大の疑惑を植えつけぬということはない。
 親子兄弟の間が棟を別にして、絶えて往来をしないという家風――そこからだれの頭にも、この事変に関聯して、怖ろしい想像が湧かないということはないが、物蔭のゴシップにしても、そこまでは口にのぼせていう者がない。

 この時分、お銀様はもう、ずっと離れた文庫蔵の二階へ来て、屏風《びょうぶ》の中へ身をうずめてしまいました。哀れなる弁信は、かねて、自分の居間と定められた、お銀様の家の一部を焼かれてしまったものですから、身を置くところがありません。肝腎《かんじん》のお銀様がそれを忘れて、かまわないでいるくらいですから、誰とて弁信のために手引をして、新しい座敷を与えてやろうという者がありません。
 ぜひなく、欅《けやき》の大樹の下に莚《むしろ》をしいて坐り込みました。
 けやきの大樹の下に座を構えていた弁信は、今、眼前に大きな火の海を見ました。
 大火がおおよそしずまった時分になって、はじめて弁信は、その見えぬ眼前に、広大なる火の海を見ました。
 火焔何十里にひろがる火の海を見ましたが、弁信の見た火の海は熱くありません。色は赤く、紅蓮《ぐれん》のように金色《こんじき》を帯びてかがやき渡りますけれど、その火は熱くありませんでした。それは紅蓮と、金色とを流動して見せる、かぎりなき池でありました。
 そこから立ちのぼる一味清涼の風光。それを弁信はまのあたり見ていると、その紅蓮の池の真中に、二つの人の姿の裸形《らぎょう》なのが現われるのを見ました。その一つは、母と覚しい年配の女の姿で、他の一つは、まだ十歳にはなるまいと思われる男の子の姿であります。
 母子二人は、その紅蓮の池の中を楽しげに歩いていました。広大なる火焔の池の中を、自家の庭園を歩むもののように歩んでいたが、ある一点へ来ると、二人は急にそこにとどまって、相抱いて地に伏してしまいました。それは無論苦しむために地上に伏したのではなく、春の野に、もえ出したつくし[#「つくし」に傍点]を、母が子のために摘《つ》み取ってやるような気分で、地にうっ伏したものと見えるが、不思議なことには、一旦うっぷしてしまって後に、再び頭を上げることがありませんでした。さいぜんはあれほど楽しげに歩いていたものが、ここに来《きた》って、どうしても地上から起き上らないのは、なにゆえでしょう。
 弁信は、それをも不思議だと思いました。その時に火焔の海が、何十里というもの、おおゆれにゆれ渡ると、伏していた母子の姿が見えなくなりました。
 その途端のこと――その火焔の海の上に二つの髑髏《どくろ》が現われました。それはまさしくさいぜん、地にうっぷした母子の姿の見えなくなった地点であります。
 真紅の広海の上に置かれた純白な二つの髑髏――それを弁信だけが、まざまざと見ました。
 そこで弁信は思わず合掌《がっしょう》して、
「推落大火坑、念彼観音力《ねんぴかんのんりき》、火坑|変成池《へんじょうち》……」
と念じました。
 そうすると、二つの髑髏もグルリと弁信の方へ向き直って、そのうつろな四つの眼を合わせて、弁信の方を見つめ出しました。そこで弁信はいやおうなく、
「或漂流巨海《わくひょうるこかい》、竜魚諸鬼難、念彼観音力……」
とつづけますと、髑髏が喜びました。そのうつろな眼を以てしきりに、もっともっととせがむような気がしますものですから、そこで弁信は容《かたち》を改めて、妙法蓮華経観世音菩薩|普門品《ふもんぼん》第二十五を、最初から高らかに誦《ず》しはじめました。
 経を誦して半ばに至らざる時に、髑髏のうつろなる眼から、ハラハラと涙のこぼれるのを、弁信法師は確かに見ました。
 いよいよ普門品一巻を誦し終った時に、弁信の頭上のけやきの枝と葉がサラサラと鳴って、そこから人が下りて来ました。
 まさしく人の形には形をしています。真黒な裸形《らぎょう》で、眼も、鼻も、口も、少しもわかりませんが、弁信の頭の上から下りて、すたすたと火の海を渡って、髑髏の方へ行こうとしますから、弁信が、
「あなたは、どなたですか」
と尋ねますと、
「はい、私は幸内《こうない》と申します」
と答えたままスラスラと火の海を渡って、あの二人のどくろの前へ近づくと、おどり狂うように、その前にひざまずいて、やがて二つのどくろをかわるがわる両手に捧げて、立ちつ、居つ、おどっているのを弁信が、見えぬ眼でまざまざと見ました。
「是生滅法《ぜしょうめっぽう》、生滅滅已《しょうめつめつい》」
と弁信は合掌してから、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と限りなく、念仏の声が口をついて出でました。

         三十三

 その火事があって幾日かの後のことでありました。恵林寺《えりんじ》の慢心和尚が、途轍《とてつ》もない大きな卒塔婆《そとば》をかつぎ込んで、従者を一人もつれずに西の方へスタスタと歩いて行くのが、白日《はくじつ》のことですから、すべての人が注目しないわけにはゆきません。
「恵林寺の大和尚が、素敵もなく大きな卒塔婆をかつぎ込んで、西の方へ向いていらっしゃるが、どこへおいでなさるのだろう」
「左様さ、どこぞの供養か、施餓鬼《せがき》へでもおいでなさるのだろうさ」
「どうです、ごらんなさい、あの大きな卒塔婆を……何丈ありますかねえ、木とは言いながら、あれだけのものは、へたな牛でもにない[#「にない」に傍点]きれますまいね」
「御尤《ごもっと》もです、和尚の力量こそ測るべからざるものです、大和尚なればこそ、あれがああしてかついで歩けるんでございますな」
「ほんとうです、あの大和尚さまの力はわかりません」
「どうです、あの卒塔婆に書いてある文句がわかりますか」
「わかりませんね」
「字が読めますか」
 霞《かすみ》を隔《へだ》てたように透《すか》して見て、
「読めません――変てこな字ですねえ、あんな字は日本の国にはないでしょう」
「悉曇《しったん》の文字というのが、多分あれなんだろうと思います」
「こちらの方の頭には漢字で弥帝※[#「口+利」、第3水準1-15-4]夜と書いてあるようですが、あれは何と読みますか」
「あれはみちりや[#「みちりや」に傍点]と読みます」
「どういう訳《わけ》ですか」
「さあ――それはわかりませんねえ」
「ひとつ、大和尚に伺ってみましょうか」
「およしなさい、芸もないから」
 そんなことをいって、慢心和尚の通る沿道の人が、それを評判しないのはありません。それはこの甲斐の国で、おそらく慢心和尚を知らない人はないのでしょう。それは名刹《めいさつ》恵林寺の大和尚として、学徳並びなしという意味において知っているのではなく、そのブン廻しで描いたような真円《まんまる》い顔と、夜具の袖口を二つ合わせたような大きな口と、釣鐘をかけ外《はず》しをして平気で持って歩くという力量と、愚の如く、賢の如く、凡の如く、聖の如く、そこらを押歩く行動と、その形相《ぎょうそう》に似気なくオホホホホホホと笑う口元に、無限の愛嬌《あいきょう》がたたえられているのと、それらの点によって、名物の意味においての珍重から、何人もこの和尚の印象をはなすことができないのでありましょう。
 それで、今も、和尚を見送りながら、何人《なんぴと》も舌をまいて、まず感心しているのはその大力量です。大力量といっても、ここでは超凡越聖《ちょうぼんおっしょう》といったような力量ぶりではありません、眼前、目に見える力量であります。
 それは今言う通り、牛もひきわずらうほどの大材木を軽々と肩にかけて、さっさと歩む超人間の力量に、ほとほと舌をまいて、またあいた口がふさがらないのです。つまり牛馬以上の力量に、衆人は驚嘆しているのであります。
 群衆が呆《あき》れているのを見かけて、慢心和尚がこう言いました、
「伊太夫のところに不幸があって、わしに供養をしろというから、これをかつぎ込むのだ、みんな見に来たい奴は見に来い、伊太夫のところでは六月の一日に、先祖以来たくわえた金銀財宝を残らず取り出して、欲しいというほどのものに施《ほどこ》しをするそうだ、行ってみたい奴は、おれと一緒について来い」
 こういって慢心和尚は、右の肩で卒塔婆を負いながら、左の片手の拳《こぶし》を高く空中につき上げたから、何をするかと見れば、その絶世の巨口をパクッと開いて、児頭大の拳をポカリとその口中へ入れて見せました。かねて噂《うわさ》には聞いていたけれど、これほど大きな口だとは、何人も思いおよびません。



底本:「大菩薩峠10」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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