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大菩薩峠
みちりやの巻
中里介山
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)噂《うわさ》
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(例)毎日|晨朝諸々《じんちょうもろもろ》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]
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一
武州沢井の机竜之助の道場に、おばけが出るという噂《うわさ》は、かなり遠いところまで響いておりました。
ここは塩山《えんざん》を去ること三里、大菩薩峠のふもとなる裂石《さけいし》の雲峰寺《うんぽうじ》でもその噂であります。
その言うところによると、この間、一人の武者修行の者があって、武州から大菩薩を越え、この裂石の雲峰寺へ一泊を求めた時に、雲衲《うんのう》が集まっての炉辺《ろへん》の物語――
音に聞えた音無《おとなし》の名残《なご》りを見んとて、沢井の道場を尋ねてみたが、竹刀《しない》の音はなくして、藁《わら》を打つ男の槌《つち》の音があった。
昔なつかしさに、その道場に一夜を明かしてみたところが、鼠のおばけが出たということ。木刀を取り直して打とうとした途端、その鼠の顔が、不意に、馬面《うまづら》のように大きくなったということ。
そこで、イヤな思いをして、翌日は早々、御岳山に登り、御岳の裏山から氷川《ひかわ》へ出で、小河内《おごうち》で一泊。小河内から小菅まで三里、小菅からまた三里余の大菩薩峠を越えて、あの美しい萱戸《かやと》の長尾を通って、姫の井というところにかかると、そこでまた、右の武者修行が、ゾッとするものを一つ見たということであります。
古土佐《ことさ》の大和絵にでもあるような、あの美しいスロープの道を半ばまで来た時分。俗にその辺は姫の井といって、路傍には美しい清水が滾々《こんこん》と湧いている。
朝は小河内を早立ちだったものですから、足の達者な上に、気を負う武者修行のことで、ここを通りかかった時分が日盛りで、ことにその日は天気晴朗、高山の上にありがちな水蒸気の邪魔物というのがふきとったように、白根、赤石の連山までが手に取るように輝き渡って見えたということです。それで、その、青天白日の六千尺の大屏風《おおびょうぶ》の上を件《くだん》の武者修行の先生が、意気揚々として、大手を振って通ると、例の姫の井のところで、ふいにでっくわしたのは、蛇《じゃ》の目の傘をさした、透きとおるほどの美人であったということですから、聞いていた雲衲《うんのう》も固唾《かたず》をのみました。
武者修行も、実は、そこで度胆《どぎも》を抜かれたということであります。
第一、前にもいった通りの青天白日の下に、蛇の目の傘をさして来るということが意表でありますのに、どこを見ても連れらしい者は一人もなく、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として、六千尺の高原の萱戸《かやと》の中を、女が一人歩きして来るのですから、これは、山賊、猛獣、毒蛇の出現よりは、武者修行にとっては、意表外だったというのも聞えないではありません。
また、どうしても、細い萱戸の路で、摺《す》れちがわなければ通れません。
ところが右の蛇の目の美人は、あえて武者修行のために道を譲ろうともせずに、にっこりと笑って、自分を流し目に見たものですから、武者修行が再びゾッとしました。
こいつ、妖怪変化《ようかいへんげ》! と心得たものの、やにわに斬って捨てるのも、うろたえたようで大人げない。一番、正体を見届けて、その上で、という余裕から来る好奇《ものずき》も手伝ったと見えて、その武者修行が、
「どちらからおいでになりましたな」
と女に向ってものやわらかに尋ねてみたものです。そうすると女は、臆する色もなく、
「東山梨の八幡村から参りました」
ハキハキと答えたそうです。
「ははあ……そうして、どちらへおいでになりますか」
再び押返して尋ねると、女は、
「武州の沢井まで参ります」
「沢井へおいでなのですか」
武者修行は、わが刃《やいば》を以て、わが胸を刺されるような気持がしたそうです。
「はい」
女は非常に淋しい笑い方をして、じっと自分の懐ろを見入ったので、武者修行は、
「拙者もその沢井から出て参りましたが、あなたはその沢井の、どちらへお越しです」
三たび、その行方《ゆくえ》を尋ねました。
「沢井の、机竜之助の道場へ参ります」
「え?」
どうも一句毎に機先を制せられるようになって、武者修行は、しどろもどろの体《てい》となりましたが、
「あなたも、沢井の机の道場においでになりますのですか……実は拙者も、昨日あの道場から出て参りました」
「おや、あなたも沢井からおいでになったのですか。いかがでございました、あの道場には、べつだん変ったこともございませんでしたか」
「イヤ、べつだん変ったことも……」
「わたしも久しく御無沙汰をしましたから、これから出かけてみるつもりでございます、皆様によろしく……」
といって、女は蛇の目の傘をさすというよりはかぶって、また悠々閑々として、萱戸《かやと》の路を行きかかりますから、暫くは件《くだん》の武者修行も、呆然《ぼうぜん》としてその行くあとを見送っていたということです。しかし、やがて気がついて、後ろから呼び留めて言いました、
「もし……」
けれども、蛇の目に姿を隠した女は、再び振返ってその面《かお》を見せようとはしないで、
「はい……」
返事だけが、やはり透きとおるような声であります。
「あなたは、お一人で、その八幡村から、これへおいでになったのですか」
「はい……」
「して、またお一人で、これから武州沢井までお越しになるのですか」
「はい……」
武者修行は、そこでもう追いすがる勇気も、正体を見届けくれんの物好きも、すっかり忘れてしまっていたそうです。
その時、青天白日、どこを見ても妖雲らしいもののない、空中がクラクラと鉛のようなものに捲かれて、何か知らんが圧迫を感じたのが、自分ながら歯痒《はがゆ》いと言いました。
そのうちに、右の女は榛《はん》の木の蔭に隠れて見えなくなってしまい、自分は早くも長兵衛小屋の下にたたずんでいたと言います。
雲峰寺の炉辺《ろへん》で、雲衲《うんのう》たちに、武者修行がこの物語をすると、雲衲たちも興に乗って、なお、その女の年頃や、着物や、髪かたちなどを、念を押してみたけれども、本来、衣裳物の目ききなどにはざっぱくな武者修行のことであり、いちいち分解的に説明してみろといわれて、甚《はなは》だ困惑の体《てい》であります。ただ一言、透きとおるような美人、という形容のほかには持ち合せないのが、かえって一同の想像の範囲を大きくし、それは年増《としま》の奥様風の美人であったろうというようにも見たり、また妙齢の処女だろうと見立てるものもあったり、その衣裳もまた、曙色《あけぼのいろ》の、朧染《おぼろぞめ》の、黒い帯の、繻子《しゅす》の、しゅちんのと、人さまざまの頭の中で、絵を描いてみるよりほかはないのでありました。
ほどなく、この炉辺の会話には、真と、偽と、事実と、想像との、差別がつかなくなりました。仏を信ずるものは往々、魔を信じ易《やす》く、真を語るには仮を捨て難く、事実の裏から想像をひきはなすことは、人生においてなし得るところではないと見えます。
右の武者修行の現に見た物語を緒《いとぐち》として、それから炉辺で語り出されるおのおのの物語は、主として甲州裏街道に連なる、奇怪にして、荒唐にして、空疎にして、妄誕《もうたん》なる伝説と、事実との数々でありましたが、この人たちは皆それを実在として、極めてまじめな態度を以て取扱っているのであります。
これはあながち笑うべきことでも、侮《あなど》るべきことでもありません。つい近代までの学者は、精苦して八十幾つの元素を万有の中から抽《ぬ》き出してみたが、電子というものが出てみると、その八十幾つの元素がことごとくおばけとなってしまいました。
しかもその電子の、過去と、未来とは、白昼の夢のわからない如く、わからないのであります。
二
次にその夜の物語。大菩薩峠伝説のうちの一つ――
富士の山と、八ヶ岳とが、大昔、競争をはじめたことがある。
富士は、八ヶ岳よりも高いと言い、八ヶ岳は、富士に負けないと言う。
きょう、富士が一尺伸びると、あすは八ヶ岳が一尺伸びている。
この両個《ふたつ》は毎日、頭から湯気《ゆげ》を出して――これは形容ではない、文字通り、その時は湯気を出していたのでしょう――高さにおいての競争で際限がない。
そうして、下界の人に向って、両者は同じように言う、
「どうだ、おれの方が高かろう」
けれども、当時の下界の人には、どちらがどのくらい高いのかわからない。わからせようとしても、その日その日に伸びてゆく背丈《せいたけ》の問題だから、手のつけようがない。
そこで、下界の人は、両者の、無制限の競争を見て笑い出した。
「毎日毎日、あんなに伸びていって、しまいにはどうするつもりだろう」
富士も、八ヶ岳も、その競争に力瘤《ちからこぶ》を入れながら、同時に、無制限が無意味を意味することを悟りかけている。さりとて、競争の中止は、まず中止した者に劣敗の名が来《きた》る怖れから、かれらは無意味と悟り、愚劣と知りながら、その無制限の競争をつづけている。
ある時のこと、毎日|晨朝諸々《じんちょうもろもろ》の定《じょう》に入《い》り、六道に遊化《ゆうげ》するという大菩薩《だいぼさつ》が、この峰――今でいう大菩薩の峰――の上に一休みしたことがある。
その姿を見かけると、富士と、八ヶ岳とが、諸声《もろごえ》で大菩薩に呼びかけて言うことには、
「のう大菩薩、下界の人にはわからないが、あなたにはおわかりでしょう、見て下さい、わたしたちの身の丈を……どちらが高いと思召《おぼしめ》す」
かれらは、その日の力で、有らん限りの背のびをして、大菩薩の方へ向いた。
「おお、お前たち、何をむくむくと動いているのだ。何、背くらべをしている!」
大菩薩は半空に腰をかがめて、まだ半ば混沌《こんとん》たる地上の雲を掻《か》き分けると、二ツの山は躍起となって、
「見て下さい、わたしたちの身の丈を……どちらが高いと思召す」
「左様――」
大菩薩は、稚気《ちき》溢《あふ》れたる両山の競争を見て、莞爾《かんじ》として笑った。
「わたしの方が高いでしょう、少なくとも首から上は……」
八ヶ岳が言う。
「御冗談《ごじょうだん》でしょう――わたしの姿は東海の海にうつるが、八ヶ岳なんて、どこにも影がないじゃないか」
富士が言う。
「よしよし」
大菩薩は、事実の証明によってのほか、かれらの稚気満々たる競争を、思い止まらせる手段はないと考えた。
そこで、※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]杖《しゅじょう》を取って、両者の頭の上にかけ渡して言う、
「さあ、お前たち、じっとしておれ」
そこで東海の水を取って、※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]杖の上に注ぐと、水はするすると※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]杖を走って、富士の頭に落ちた。
「富士、お前の頭はつめたいだろう」
「ええ、それがどうしたのです」
「日は冷やかなるべく、月は熱かるべくとも、水は上へ向っては流れない」
「それでは、わたしが負けたのですか、八ヶ岳よりも、わたしの背が低いのですか」
「その通り」
大菩薩はそのまま雲に乗って、天上の世界へ向けてお立ちになる。
その後ろ姿を見送って、富士は歯がみをしたが及ばない。八ヶ岳が勝ち誇って乱舞しているのを見ると、カッとしてのぼせ上り、
「コン畜生!」
といって、足をあげて八ヶ岳の頭を蹴飛ばすと、不意を喰った八ヶ岳の、首から上がケシ飛んでしまった。
「占《し》めた! これでおれが日本一!」
その時から、富士と覇を争う山がなくなったという話。
しかし、この炉辺閑話の仲間のうちに一人、机竜之助の幼少時代を知っているものがあるということで、また榾火《ほたび》があかく燃え出しました。
それは雲衲《うんのう》の一人。年頃も机竜之助と同じほどのおだやかな人品。竜之助とは郷を同じうして、おさななじみであったとのこと。
武者修行が、そのいとぐちを聞いて勇みをなし、膝を進ませて、それを引き出しにかかると、雲衲は諄々《じゅんじゅん》と語り出でました、
「あの人のお父さんがエラかったのですね、弾正様と言いました。どうして、なかなかの人物で、まあ、あのくらいの人物は、ちょっと出まいといわれたものですが、惜しいことに、病気で身体《からだ》が利《き》きませんで、寝《やす》んでばかりおいでになりました。そのうちに竜之助さんが悪剣になってしまったと、こう言われていますよ。お父さんさえ丈夫ならば、どうして、どうして、竜之助さんは、あんなにはならなかったろうと、誰もそう言わないものはありません」
「ははあ、お父さんという人が、そんなエラ物《ぶつ》だったんですか」
「まあ、身体さえおたっしゃなら、日本でも幾人という人になって、後の世に名を残す人だったに相違ないとの評判でございました」
「なるほど」
「そのお父さんに仕込まれたんだから、竜之助さんも子供のうちはようござんした」
「なるほど」
「頭も違っていましたし、剣術はたしかに天性でしたね」
「うむ、うむ」
「もっとも剣術はお父さんという人も、そのお祖父《じい》さんも、なかなか出来たので、代々道場を持って、弟子もあり、武者修行の方も、三人や五人遊んでいないことはありませんでした。そのうちには江戸で指折りの先生も、ずいぶんお見えになっていたのですから、本当の修行ができたに違いありません。お父さんは剣術も出来たが、槍がよかったと言います、宝蔵院の槍が……」
「なるほど」
「ですから、竜之助さんも、竹刀《しない》の中で育ったもので、十二三の時に、大抵の武者修行が、竜之助さんにかないませんでした。そうしてもし、自分より上手《うわて》の者が来ると、幾日も、幾日も、その人を泊めておいて、その人を相手になってもらい、その人より上にならなければ帰さないというやり方ですから、ぐんぐん上達するばかりでした」
「なるほど」
「竜之助さんの修行半ば頃から、お父さんが病気にかかって、起《お》き臥《ふ》しが自由にならなかったもので、あの人の剣法が音無しの構えと言われるようになったのは、それから後のことだと聞きました」
「なるほど、なるほど」
「その時分には、もう、名ある剣客で、竜之助さんの前に立つ者は一人もなかったといわれます」
「うむ、うむ」
「けれども、あのお父さんばかりは許さなかったそうですよ――お父さんという人は、甲源一刀流の出ではありますが、柳生《やぎゅう》、心蔭といったような各流儀にわたっており、それぞれの名人たちの道場をも踏んで来た人ですけれども、竜之助さんの剣術というものは、ちょっとも自分の道場の外で鍛えた剣術ではないと言います。それだのに、腕はお父さんよりもすぐれているということですから、眼中に人のないのも慢心とばかりはいえますまい、人も許し、われも許していたのですが、お父さんばかりは、最後まで許さなかったと申します」
「なるほど」
「そのうちに、あの人が実地に人を斬ることを覚えるようになりました……今になれば、それが思い当ることばかりですが、その時分、そんなことを知った者は一人だってありゃしません」
雲衲《うんのう》は伏目になって、燼《もえさし》の火を見ながら語りつづける。
「そこで、わたしは、今でも思い出してゾッとするのですが、竜之助さんが九ツの時でした、その時分はよく子供らが集まって、多摩川の河原で軍《いくさ》ごっこをしたものですが、ある時、あだ名をトビ市といった十三になる悪たれ小僧が、それがどうしたことか、竜之助さんの言うことを聞かなかったものですから、竜之助さんが手に持っていた木刀で、物をもいわず、トビ市の眉間《みけん》を打つと、トビ市がそれっきりになってしまいました……子供らはみんな青くなって、河原に倒れたトビ市をどうしようという気もなくているところへ、漁師が来てお医者のところへかつぎ込みましたが、とうとう生き返りませんでした……それでも後は無事に済むには済みました、が、その時から、子供たちも、竜之助さんの傍へは近寄らないようになりました。その後、御岳山の試合で、宇津木文之丞という人を打ち殺したのもあの手だと思うと、やはり子供の時分から争われないものです。あの時だって、あなた、トビ市を打ち殺しておいて、あとで人相がちっとも変りませんでしたもの……御岳山の時は、わたしどもは、あっちにはおりませんでした。こちらへ修行に来てしまいましたから……その後の噂《うわさ》は、大菩薩峠を越える人毎に、何かとわたしたちの耳に伝えてくれます。いい話じゃありませんが、おさななじみのわたしどもにとってみると、どうもひとごととは思われない気がします」
雲衲の一人は、しめやかに昔を追懐して、道を誤った幼き友のために、代ってその罪を謝するかのような調子です。
「なるほど、なるほど」
武者修行の武士は、洒然《しゃぜん》としてそれを聞き流し、
「宇津木なにがしを殺したことから以後は、ほぼわれわれも聞いている、それ以前が知りたかったのだ。つまり、机竜之助というものがああなったのは、宇津木を殺した時から始まるのか、或いはそれ以前に原因があったのか、その来《きた》るところを、もう少し立入って知りたかったのが、貴僧の話で、どうやら要領を得たような感じがする……」
その時に、以前の雲衲の一人は、長い火箸で燼《もえさし》の火をあやしながら、
「左様でございますよ、天性あの人はああいう人でありました。宇津木文之丞さんとの試合以前、つまり、トビ市を殺してから後の壮年時代にも、いま考えてみれば、山遊びに行くといって、幾日も帰らないことがありました。その前後、よく街道筋に辻斬の噂なぞがありましたが、いま思い合わせてみると、あの山遊びは、つまり辻斬をしに行ったのではなかったでしょうか……ですから、あの人の一番最初の不幸は、お父さんの病気でありまして、次にガラリと変ったのは御岳山の試合の前後……あれは文之丞さんが相手ではありません、あれをああさせた裏には、悪い女がありました」
「うむ……」
「お聞きになりましたでしょうな。あれだけは今以て、わたしたちにも不思議でなりません。本来、竜之助さんという人は、女に溺《おぼ》れる人ではなかったのです、剣術より以外には振向いて見るものもなかったのに、あの女が来て、それからあんなことになりました。どっちが先に、どう落ちたのか、その辺がいっこう合点《がてん》が参りませんが……いい女でした。それはたしかに、知っていますよ。和田へ行く時も、このお寺の門前を馬で、大菩薩峠越えをしたものです、そのときふりかえった面影《おもかげ》が、いまだに眼に残っておりますよ、妙にあだっぽい、そうしてキリリとしたところのある、あれでは男が迷います」
「なるほど」
と一句、壮士が深く沈黙した時分、雲峰寺の夜もいとど深きを覚えました。
三
一方、沢井の机の道場を、右の武者修行が立去って数日の後、雨が降りましたものですから、お松は蛇《じゃ》の目の傘をさして、川沿いの道を、対岸の和田へ行きました。
お松が和田へ行くのは、今に始まったことではないが、このごろは、ほぼ一日おきのように和田へ行かなければなりません。
というのは、和田の宇津木の道場が、机の道場と同じように廃物になっているのを、お松が新しく開いて、机の道場と同じように、学校をはじめたからであります。
そこへ、多くの娘たちがあつまって、お松をお師匠さんとして、裁縫を学ぶべきものは学び、作法を習うべきものは習うように、一種の講習会を開いたのが縁で、その娘たちのうちの有志の者が力を合わせて、別にまた子供相手の寺子屋をはじめました。
で、お松は、このごろは沢井の方と一日おきに往来するものですから、雨の降る日は傘をさし、足駄がけで、一里余の道を歩くことは珍しくはありません。
おそらく、過日の武者修行が、裂石《さけいし》の雲峰寺で、炉辺《ろへん》の物語の種としたのは、途中、このお松の蛇の目姿にであって、それに潤色と、誇張とを加えたのかも知れません。
しかし、お松のは、そういったような夢幻的の蛇の目の傘ではなく、また、お松自身も不美人ではないが、透きとおるような美人というよりは、もっと現実的な娘で、雨の日、途中で足駄の緒をきった時などは、足駄を片手にさげて、はだしでさっさと歩いて帰ることもあるくらいですから、白昼、蛇の目の傘を開いて、秋草の乱るる高原を、悠々閑々と歩むような気取り方をしないにきまっています。
ただ、お松の行くところには、いつもムク犬がついて行くこと、その昔の間《あい》の山《やま》の歌をうたう娘の主従と変ることがありません。
それにお松は、子供の時分から、旅の苦労を嘗《な》めて足が慣らされていますから、この多摩川沿いの山間《やまあい》や、沢伝いのかくし道を平気で歩いて、思いがけないところで出逢《でっくわ》す人を驚かすこともあり、この辺は古来、狼の名所とされているところで、今はそんなことはないにしても、人のかなりおそれる山道も、ムクがついている限り安心ですから、お松はかなり無理をしてまで、山々の炭焼小屋までおとずれ、そこに住む子供たちに、お手本を書いて与えて来ることなどもあるのです。
それですから、いよいよ過ぐる日の武者修行も、思わざる所で、ひょっこりとお松の出現に驚き、それを大菩薩峠の上に移して、話に花を咲かせたと見れば見られないこともありません。
そういった場合、お松自身には、そんなきどり方はないとしても、こういった山里で、ひとたびは京の水にもしみ、ひとたびは御殿づとめもした覚えのある妙齢の娘が、不意に、木の間、谷間から現われ出でた時は、少なからぬ驚異を誘うのも無理のないことであります。
そんなところからお松の生活を見れば、詩にもなり、絵にもなりましょうが、お松自身にとっては、この頃ほど自分の現在というものに、喜びを感じていることはありません。
人の現在を喜ぶのは、多くの場合、過去の経験を忘れ、未来の希望を捨てた瞬間の陶酔に過ぎない浅薄な喜びになり易《やす》いが、お松のは、たしかにそうでなく、もはや、自分の立つ地盤の上に、この上のゆらぎは来ないだろうと思われるほど、自分ながら堅実を感ずるの喜びでありました。
人生、喜びを感じない人はあるまいが、またその喜びの裏に、不安を感じないという人もありますまい。
喜びが大きければ大きいほど、後の不安が予想される喜びに住みたくはないものです。
お松は、自分の生涯が、もうこれで定まったとも感じません。これより後の前途は、平々淡々なりとも安んじてはいないが、少なくともこの道路に、これより以上の陥没はない、これよりは地を踏みしめて行くだけが、自分の仕事である――というような心強さは、ひしと感じています。
夜になると、お松は夜ふくるまで針仕事をしていることがあります。
道場の方で藁《わら》を打つ音。それと共に縷々《るる》として糸を引くような、文句は聞き取れないながら断続した音律。お松は針先を髪の毛でしめしながら、
「また、与八さんがお経をはじめた」
与八が東妙和尚からお経を教えられて、しきりにそれを誦《ず》しているのは、今に始まったことではありません。
それは何のお経だか、与八自身も知らないはずです。或る時、東妙和尚に尋ねてみたら、和尚のいうことには、
「お経はわからないで読んでこそ有難味がある、ただ、有難いという有難さをみんな集めたのが、このお経だと思って読みさえすればよい、お経がわかると、有難味がわからなくなる」
そう言われたから与八は、言われた通りに信じて、わからないなりに誦していることを、お松はよく知っています。
けれども、お松はこのごろになって、特に、そのわからないなりで誦している与八のお経の声を聞くと、妙に引き入れられて、われを忘れるのを不思議なりとしておりました。
今も、その与八の、わからない読経《どきょう》の声を聞いているうちに、何ともいえない心持で悲しくなりました。
悲しいといっても、その悲しいのは、やる瀬ない、たよりのない、息苦しい悲しみ、悶《もだ》えの心ではなく、身心そのままを、限りなき広い世界へうつされて行くような、甘い、楽しい、やわらかな色を包むの悲しみであります。
ああ、わたしはこの心持が好きだ、この悲しい心持が何ともいわれないと、お松はそれを喜びます。昼のうちは、現実の働きに、お松としては、ほとんど余暇のない今日この頃、その働くことに充分の喜びを以て、たるみのない生活を楽しむことができるのに、夜になると、全く別な世界に置かれたような気持で、この悲しみに浸ることのできる幸いを、感謝せずにはおられません。
お松はこうして、与八のわからないお経を聞くことの快感にひたされながら、ついぞ与八に向って、これを感謝したこともなく、またそれを、どうぞやめないで続けて下さい、とたのんだこともありません。わからないで読むお経を、わからないで聞いてこそ、それで有難味が一層深い。それを口に出していうのが、なんだか惜しいような気持がしてなりません。
なんにしても、このごろのお松の心では、犠牲が感謝であり、奉仕がよろこびであり、忍辱が滅罪であることの安立が、それとはなしに積まれているようであります。
与八としても、ほぼお松と同様で、平淡なるほど自分の立場の堅実を、感ぜずにはおられないと見えます。
人が自分の立場の堅実を感ずるのは、必ずしも財産が出来たから、名誉が高くなったから、というのではありません。自分を打込んで、他のために尽し得るという自信が立ち、その道が開けた時に、はじめて起るのであります。
おのれを放捨して、絶対愛他の生活に一歩進み入る時に、人は一歩だけその立場の堅実を感ぜずにはおられますまい。言葉を換えていえば、我慾を増長せしめた瞬間にこそ、人は自己の立場に不安を感じ、報謝の志を起した時に、はじめて自己の立場の堅実を悟るということが、逆に似て、順なる人生の妙味であります。
お松も、与八も、期せずして、その妙理を会得《えとく》せんとするのは祝すべきことでありますが、一生の事は必ずしも、そう単純には参らない。大悟十八遍、小悟その数を知らずと、東妙和尚もよくいうことでありますが、今のところは、ほとんど逆転の憂いがないと見なければなりません。
さればこそ与八のわからないお経も、ようやく妙境に入って、聞く人をしておのずから、神心を悦嘉《えつか》せしむるのかも知れません。
しかしながら、こんな悦楽が、人間世界の夜の全部を占領するのは、悪魔の世界のねたみを受けるには十分であると見え、暫くして、この悦楽の世界が、忽《たちま》ちにしてかきみだされたのは是非もないことでしょう。
「与八さん、エ、与八さん、エラク御精が出るじゃねえか、いいかげんにしなよ、いいかげんにして寝なよ、身体《からだ》も身のうちだ、そうひどく使うもんじゃねえよ、ちっとは、身体にも保養というものをさせてやらなけりゃ毒にならあな、いいかげんにしなよ、え、ヨッパさんたら、ヨッパさん」
経文を誦《ず》しながら藁《わら》を打っている与八の境涯をかき乱した声が、お松のところまで手に取るように聞えたものですから、お松もハッとして苦《にが》い心持になりました。
「いいかげんにしなよ、いいかげんにして、一ぺえ飲んで寝なよ……」
しつこく与八のそばへすりよって、とろんとした眼を据《す》えている酔いどれの姿を、ありありと見る気持。
「だが、与八さん、おめえは感心だよ、おめえの真似《まね》はできねえ……まあ、早い話がおめえは聖人だね、支那の丘《きゅう》という人と同格なんだね、聖人……大したもんだよ、だが、聖人にしちゃあおめえ、少し間《ま》が抜けてらあ……」
「なあに」
与八は相手にならないで、藁をすぐっているらしい。
「だが、おめえ、聖人なんて商売は、聞いて極楽、見て地獄さ」
与八が相手にならないでいると、一方は、いよいよしつこく、
「こちとら、やくざだから、聖人なんざあ有難くねえ」
といって暫く休み、いやに猫撫声《ねこなでごえ》で、
「ヨッパさん、おめえ済まねえが、いくらか持っていたら貸してくんねえか……」
お松はそれを聞いて、またはじまったと思いました。
梅屋敷の谷という船頭が、いつも、こんなことを言って与八をばかにしながら、いくらかせびりに来る。その度毎に与八が、ダニに食いつかれた芋虫《いもむし》のように窘窮《きんきゅう》するのを、ダニがいよいよ面白半分になぶる。
今も、いい気になって管《くだ》をまき出したのを、にがにがしい思いで聞いていると、ダニはいよいよ乗り気になって、聞かれ果てないことをしゃべり出しました。どことかの後家さんをなぐさんでやって、このごろでは毎晩のように通っているが、はじめは口惜《くや》しがって、おれのつらを引掻《ひっか》きやがったが、今では阿魔《あま》め、おれの行くのを待遠しがっていやがる、そうなってみると、焼杉《やきすぎ》の下駄の一足も買ってやらなきゃあ冥利《みょうり》が悪いから、いくらか貸してくんな、おめえが持っていなけりゃお嬢様におねげえして、いくらか貸してくんなと、声高《こわだか》になる。
何だいべらぼうめ、女をこしらえちゃ悪いのかい、女をこしらえねえような奴は、人間の屑《くず》だい……というような悪口も聞え出す。
浄土の連想も、経文の柔軟も、あったものではない、ダニといわれた船頭の悪口で、すっかりかきまわされる。
お松は、どうしても自分が出なければならないと思いました。こういう際の取扱いは、いつもお松が当ることになっていて、与八ではどうしても納まりのつかないのが例であります。
縫物を押片づけたお松は、そのまま道場の方へと歩んで行きました。
「谷蔵さん、今晩は……」
「これはこれは、お嬢様」
お松のことを、誰いうとなくお嬢様で通っている。お松が現われると、すっかり谷蔵の機鋒《きほう》が鈍《にぶ》ってしまうのが不思議であります。
「与八さん、そんな悪い奴は、かまわないから、つかみ出しておしまいなさい」
お松がそう言っておどすと、ダニが顔の色をかえて、あわてふためいて逃げ出しました。力のあり余る与八を恐れないで、力のないお松を恐れることも不思議であります。
こんなひょうきん者もあるにはあるけれど、お松の仕事は、次から次と根を張り、枝をのばしてゆくことは、自分たちさえも目ざましいほどでありました。
つまり、一つの村から一つの村へと、お松のはじめた教育ぶりが伝染して行くのであります。それは大抵、お松を中心として、仕事を習う娘たちの同意から始まって、甲の村でも、乙の部落でも、然《しか》るべき家を借受けて、第二、第三の講習会が起り、つづいて、子供たちのために寺子屋が起り、遊びどころが見つかってゆくというわけであります。
これがために、お松の事業は、またたくまに発展して、村々を廻りきれないほどになりました。その苦労は、少しもお松の厭《いと》うところではありません。
毎日、朝早く沢井を出でては、夜おそく帰ることもあります。
多摩川を中にさしはさんでの上下へ、水の浸透するように、お松の事業が進んで行くのであります。今は秩父境までも、お松を中心とするの講習会が入り込んで行きました。
そこでお松は、もうこれ以上、自分の足では覚束《おぼつか》ないという時になって、与八がお松のために馬を提供しました。
お松は毎日、馬に乗って村里めぐりをやり出しましたが、最初のうちは、与八が馬の口を取ったのですけれど、それでは労力の不経済だから、後にはお松自身で手綱《たづな》を取って、与八は家に残って働くようになりました。
ただ、例のムク犬が始終、お松の行くところへ行を共にして、その護衛の任に当ることだけは、いつも変りません。
そのうちに、誰が発起《ほっき》したともなく、月の二十三日を地蔵講として、この日には、お地蔵様を祭って、楽しく遊ぼうではないか、という議が持上りました。
つまり、お松の教え子たちが発起で、月の二十三日を、挙《こぞ》っての祭日にきめようという計画が、忽《たちま》ちの間に成立って、まず最初の記念祭を、この二十三日に、お松の発祥地で開き、それから至るところに及ぼし、二十三日には、それぞれお祝いをしようではないか、ということが、娘たちの間に、少なからぬ熱心を以て提唱されるようになったのです。
地蔵中心の二十三日のお祭、お松も、与八も、それはよい思いつきの、よいくわだてだと思いました。与八は、それまでに間に合わせるといって、木をえらんで、一丈余りの地蔵尊をきざむことにとりかかる。
その地蔵尊が出来上ると、従来のお堂をとりひろげて勧請《かんじょう》し、多摩川の岸までズッと燈籠《とうろう》を立てました。
娘たちは乗り気になって、それぞれのものを寄附する。燈籠の絵も、讃《さん》も、大抵はその娘たちや、教え子たちの筆に成るものが多いのですから、期せずしてこれは、地蔵を中心としての共進会であり、展覧会であるようなことになります。
お祭の前には、その娘たちが、それぞれひまを見ては、やって来て、お祭の準備の手伝いをする。
そこで、また一方、お松は若衆《わかいしゅ》たちに向って後援を依頼したものですから、若衆もいい気持になって、よしよし、一肌《ひとはだ》ぬごうという気になりました。
そうすると、何か世話を焼きたがる老人たちも出て来て、何かと口伝《くでん》を教えるものですから、お祭の景気は予想外に大きなものになりそうです。
赤飯《せきはん》をこしらえて配ろうというものもあるし、おまんじゅうを供養して、子供たちに分けようというものも出て来る。
老人たちが肝煎《きもいり》で若衆たちの一団が、古風な獅子舞を催して、その一日は、踊って踊りぬいてみようとの意気組みを、お松も喜んで頂戴しました。
お祭の日が進むにつれて、お松は毎晩、徹夜のようにつとめております。それは、娘たちの出品や、教え子たちの製作物の調べ、自分もまた、いくつかの燈籠を受持って、それに歌を書かねばならないし、すべて持込まれる相談は、大小となく、お松一人がそれを引受けて、あずかり聞くという役目であります。
しかし、何といっても、こういう事の骨折りは、人間を疲労させるよりは、かえって元気を与えるものであります。
どこから、どう伝え聞いて来たものか、その当日の景気は盛んなもので、多摩川の河原から、地蔵堂附近へかけての人出は夥《おびただ》しいものである。
向う岸の人は渡し場を渡ると、そこから、かけはじめられた燈籠《とうろう》が、おのずから地蔵堂の前へ人を導き、沿道には早くも縁日商人連が近在から出て来て、店を張ろうという景気です。
地蔵堂に参拝すると、また燈籠に導かれて、机の家の屋敷へ上るように仕組まれてあります。道場から母屋《おもや》は、娘たちと教え子たちの成績品でいっぱいで、それを、昨晩から夜どおしで、お松と、娘たちとが、漸《ようや》く陳列を終りました。
最初は、ほんのうちわのお祭のつもりでかかったのに、その規模と、景気が、予想外の人気になったのを、陳列を終ってホッと息をついたお松が、地蔵堂まで下りて行って見て、はじめて驚いたほどでありました。
しかし、この人気は悪くない。平和と、勤労とを愛する人たちが、ここに浩然《こうぜん》たる元気のやり場を求めて、思いきり楽しもうとする人気そのものに、少しも害悪のないのを認め、働く人たちの嬉々として晴れ渡った顔を見ると、お松はこのお祭の前途を祝福して、よい心持にならずにはおられません。
その日、東妙和尚が伴僧《ばんそう》を連れて来て、地蔵様の前で地蔵経を読んでくれました。特にその日は、和訓を読んでくれたものですから、お経はわからないものだと思っているお松の耳に、意外にもありありと字句の要領がわかりました。
供養《くよう》が終ると広庭で、若衆《わかいしゅ》たちの獅子舞がはじまりました。
この獅子舞がまた目ざましく盛んなもので、多数の牡獅子《おじし》と、牝獅子《めじし》と、小獅子《こじし》とが、おのおの羯鼓《かっこ》を打ちながら、繚乱《りょうらん》として狂い踊ると、笛と、ささらと、歌とが、それを盛んに歌いつ、はやしつつ、力一ぱいに踊るが、それは粗野ではない。花やかにはやすが、それは古雅の調べを失わない。人をして壮快に感ぜしめながら、野卑の態なくして、妙に酔わしむるリズムがある。
お松はこの古風な獅子舞を、また得易《えやす》からぬものだと思いましたが、年寄に聞いてみても、ただ古くから伝えられているとばかりで、いつの頃、誰によって、この地方へ持ち来たされたものだか、それはわかりませんでした。
その古風な舞いぶりを、今の若衆《わかいしゅ》たちが老人の後見で、伝えられた通りを大事に保存しながら、威勢よく舞っているらしいのが、お松をして、いっそう珍重《ちんちょう》の念を起させたようであります。
お松は上方《かみがた》にある時、ある舞と踊りの老師匠の口から、次のように聞かされたことがあります。
今の世は、踊りの振りというものも、舞の手というものも、みんなきまる[#「きまる」に傍点]だけはきま[#「きま」に傍点]ってしまった。新作とはいうけれど、そのきまった形を、前後にくりかえしたり、左右に焼き直したりするだけのものだから、いくつ見ても、要するに同じようなもので、多く見れば見るほど、倦厭《けんえん》と、疲労とを催すに過ぎない。これは形が爛熟《らんじゅく》して、精神が消えてしまったのだ。舞踊の起った最初の歓喜の心を忘れて、末の形に走るようになったから、今、都の踊りに、見られた踊りは一つもない。そこへゆくと、古来伝わった郷土郷土の踊りを、生気の溢《あふ》れたそぼくな若い人たちが器量一ぱいに踊ると、はじめて、人間の歓喜、勇躍の精髄が、かくもあろうかとおもわれて、手に汗をにぎることがある。都の舞踊を改革するならば、郷土の舞踊の精気を取入れなければならぬ。そうでなければ踊りは死んでしまう。いや、今の都の踊りはすべて死んでいるのだ――こう言ってその老師匠は、ひま[#「ひま」に傍点]さえあればいなか廻りをして、古来伝えられた民謡と舞踊とを、調べて歩くのを楽しみにしていた。それをお松は、この場に思い合わせて、人間には教えることのほかに、楽しむことの大なる意味を見出し、趣味の方面に、また一つの窓が開かれたように覚えました。
獅子舞が済んだ時分に、与八が、ブラリとしてこの地蔵の庭へやって来ました。
それを早くも見つけた子供たちが、
「与八さんが来たよ」
「お人よしの与八さんが来たよ」
腰から下に、子供たちが群がったところを見ると、与八の巨躯《きょく》が、雲際《うんさい》はるかに聳《そび》えているもののようです。
「お人よしなんて言うのをよせやい、ねえ、与八さん」
あるものは、与八の帯に飛びつく。
「与八さん、今日は一人なの?」
女の子は、やさしく言う。
与八が一人で、ブラリと出て来ることは珍しいことであります。大抵の場合には、その背中に子供を負うて、左右には何かを携えている。それが今日に限って、背中にも子供がいないし、左右も手ブラですから、それが子供の目にもついたらしい。
「与八さん、いい着物を着て来たね、袂《たもと》があるのね」
これもまた珍しいことです。与八がよそゆきの着物を着出すことも滅多にないことであるし、しかもその着物に袂までついた仕立おろしと来ているから、子供たちの驚異の的となるのも無理はありますまい。
藍縞《あいじま》の、仕立おろしの、袂のついた着物を着た与八は、恥かしそうに、その巨大なる身体をゆるがせつつ動き出すと、無数の子供が身動きのできないほど、その前後左右に取りついてしまいました。
「与八さん、何かして遊ぼうよ」
これは、単に子供たちの注意をひくのみならず、人並外《ひとなみはず》れた巨大な男が、子供の海の中を、のそりのそりとほほえみながら歩いている有様は、誰が見ても一種の奇観であると見えて、歩みをとどめて、手を額《ひたい》にして、その奇観を仰ぎ見ない大人もありません。
「与八さん、『河原の石』をして遊ぼうね、いいかい、みんな、ここで『河原の石』をして遊ぶんだぞ」
与八は、早くも子供たちのために、杉の木の下の芝生の上へ押し据《す》えられてしまいました。
与八を、杉の木の下の芝生の上へ押し据えてしまった子供たちは、あたりの小石を拾いはじめ、それで足りないのは、わざわざ河原まで下りて行って小石を拾い集め、それを与八の坐った膝のところから積みはじめ、肩の上に及びました。
「動いちゃいけないよ、これから頭だよ」
膝と、肩の上へ、積めるだけ積み上げた子供らは、踏台をこしらえて、与八の頭の上まで石を積みにかかりました。
「頭の上はよせやい、与八さんだって、頭が痛いだろう」
「いいねえ、与八さん、いいだろう、お前の頭の上へ石を積んだって、かまやしないね、一重《いちじゅう》組んでは父のため、二重組んでは母のため……なんだから」
与八は、だまってすわったまま、相変らずほほえんでいるばかりであります。
「三重組んでは……あ、いけねえ」
頭の上は、膝の上よりも、肩の上よりも、いっそう、石の安定がむずかしいと見えて、せっかく積んだ石が崩《くず》れる。
崩れた石が、下に積み上げた膝の上をまた崩す。子供たちはそれをまた下から積み直す。
見ているところ、入りかわり立ちかわり、石を高く積んだものほど手柄に見える。
人の積んだ石の上へ、自分の石を積みそこねたものは、自分のあやまちのみならず、人の積んだ石を崩すの罰まで、二重に受けねばならぬことになっているらしい。
そこで子供らは、いよいよ高く石を積んで、いよいよその手柄を現わそうとするが、積み得て喜ぶ後ろに、崩れて悲しむの時が待っている。
積んでは崩し、崩しては積んで興がる子供たちは、与八の存在ということを忘れてしまっている。然《しか》れども、この男にあっては、遊ぶことと、遊ばせることとが同一で、子供らがわれを道具にして遊ぶ間は、その楽しみを妨げないことが、また自分の遊びであるらしく思われるのであります。
ことに、与八はこの「河原の石」という遊びを妨げないために、子供らに向って、自分の義務というものの存することを悟っているらしい。
それは、以前、子供らが「穴一」という遊びを盛んに流行《はや》らせている時分に、与八がそれをやめさせて、身を以て彼等の遊び道具に提供し、この「河原の石」を始めさせたという履歴を持っているものですから、ここへ子供を導いて、かりそめにも一重組んでは父のため、二重組んでは母のため……という言葉が、子供たちの口から唄われるということを悪くは思えないのです。
そのうちに、与八が一つクシャミをしました。クシャミをしたことによって、頭の石が落ちると、はじめて与八が生きていたということを、子供たちが悟ったもののようです。
「あ、与八さん、動いちゃいけないよ」
と言ったけれども、生きているものを、いつまでも動かせないでおくということは無理である、圧制である、ということが、さすがに子供らにも気兼ねをさせたと見えて、
「与八さん、窮屈だろう、もう少し辛抱しておいで、ね……」
しおらしくも、慰めの言葉を以て、その労をねぎらおうとする者もある。
見物人は――見物のうちの大人です――皆、その事の体《てい》を見て失笑しないものはないが、なかには見兼ねて、
「みんな、いいかげんにしな、与八さんだって苦しいよ」
そこで、この恬然子《てんぜんし》は解放されることになりました。
その時分、ちょうど、河原で花火が揚り出したものですから、子供らは、与八の周囲に積んだ石を取払い、今まで下積みにしたお礼心でもあるまいが、大勢して、与八を胴上げにして河原まで連れて行って上げようと言い出し、与八の身体《からだ》につかまって、それを持ち上げようとしたけれど、彼等の力では、どうしても与八を担《かつ》ぎ上げることが不可能だとあきらめたものと見え、ワッショワッショと与八のずうたいを後ろから、ひた押しに押して、河原の方へ押し出して行きました。
子供らのなすがままにまかせて、自分から河原へ押し出して行く与八。渡し場のところへ来て、土俵に腰をかけていると、
「与八さん、これを上げるから、お食べ」
五十か百もらって来たお小遣《こづかい》のうちから団子を買い、その二串を分けて与八の前に捧げた子供がありました。
それを見ると、ほかの子供が負けない気になって、物売店へ行って、三角に切って、煮しめて、串にさしたこんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]を買って来て、与八の前へ持ち出し、
「与八さん、これをお食べ……」
自分が一本食いつつ、一本を与八にわかとうというのであります。
そうすると、ある者は氷砂糖を買って来て、それを蕗《ふき》の葉に並べて与八に供養し、ある者は紙に包んだ赤飯をふところから取り出して、
「与八さん、お食べ……」
子供たちは与八の膝の上と、あたりの石の上と、土俵の上に、そのおのおのの供養の品を並べ立てました。与八は、実に有難迷惑そうな顔をして、これはこれはと言ったなり、どれに手を下していいかわかりません。そうすると一人の子供が、お団子の一串を目よりも高く差し上げ、
「与八さん、遠慮しないでお食べ、わたしが一番先に上げたんだから、あたしのあげたお団子から先にお食べ……」
とすすめると、一人が、
「どれから先に食べたっていいじゃないか、ねえ、与八さん、与八さんの好きなのから先にお食べ、お団子でも、てんぷらでも、お赤飯《こわ》でも、かまわないから、遠慮しないでたくさんお食べ……」
与八も、この御馳走には痛み入ったようです。
「どれでもいいから、与八さんの好きなのから先に食べさせることにしようじゃねえか」
と、一人が言います。
「そりゃそうさ、先に出したから、先に食べなくってはならねえときまったわけじゃねえ、与八さん、お前の好きなのから先にお食べ……」
本人の趣味を無視して、御馳走を食べることの前後にまで干渉するのはよくない、と主張する者もあります。
よんどころなく、与八は串にさしたお団子を取って食べました。
「そうら見ろ、おいらの出したのから先に食べた。与八さん、うまいだろう」
「うん」
「そうら見ろ、うんと言った。うまけりゃ遠慮なしに、モットお食べ……」
子供たちは、なけなしの小遣《こづかい》で買った団子のすべてを提供して、悔いないような有様です。
「与八さん、この鯣《するめ》も食べてごらんよ、お団子ばかり食べないでさ……」
「いけねえやい、今度は、おいらのあげたてんぷら[#「てんぷら」に傍点]を食うんだぞ、てんぷらを――」
「静かにしろよ、与八さんの好きなのから先に食べさせるんだといってるじゃねえか」
「与八さん、モットお団子をお食べ。まだ三串あるよ……」
「与八さん、お団子を食べてしまったら、あたいのお強飯《こわ》を食べて頂戴な……」
ふところから、破れてハミ出した赤飯の紙包を持ち出したのは、五ツ六ツになるお河童《かっぱ》さんの女の子であります。
「いけねえやい」
十二三の悪太郎が、無惨《むざん》にも、そのお河童さんを一喝《いっかつ》して、
「いけねえよ……おめえのお強飯《こわ》は食べ残しなんだろう、自分の食べ残しを、人に食べさせるなんてことがあるかい、人にあげるには、ちゃんとお初穂《はつほ》をあげるもんだよ、お初穂を――食べ残しを与八さんに食べさせようなんたって、そうはいかねえ……」
悪太郎から一喝を食って、無惨にもお河童さんは泣き出しそうになると、同じ年頃の善太郎が、それをかばって言うことには、
「いいんだよ、与八さんは、残り物でもなんでも悪い顔しないで食べるよ」
そこで与八の顔を見上げて、
「ねえ、与八さん、残り物でもなんでもいいんだね、志だからね、与八さんに志を食べてもらうんだから、残り物でもなんでもかまわないよ、ねえ、与八さん」
ませ[#「ませ」に傍点]たことを言い出すと、悪太郎が引取って、
「こころざしって何だい、こころざしなんて食べられるかい、へへんだ、こころざしより団子の串ざしの方が、よっぽどうめえや、ねえ、与八さん」
しかし、それからまもなく与八は、お初穂であろうとも、残り物であろうとも、かまわずに取って食べてしまったから、この議論はおのずから消滅して、皆々、一心になって、与八の口許《くちもと》をながめているばかりであります。そのうち誰かが、
「大《でけ》えからなあ!」
とつくづく驚嘆の声を放つと、一同が残らず共鳴してしまいました。
「大えからなあ!」
実際、与八の身体《からだ》の巨大なる如く、その胃の腑《ふ》も無限大に大きいと見えて、あらゆる御馳走を片っぱしから摂取して捨てざる、その口許の大きさは、心なき児童たちをも驚嘆させずにはおかなかったものと見えます。
その後、子供たちは遂に与八さんを、小舟に乗せて遊ぼうじゃないかと言い出しました。
「ああ、それがいいや、先に与八さんに石を積んで大勢して遊んだから、今度は与八さん一人を舟に乗せてやろう」
忽《たちま》ちに気が揃って、与八ひとりが舟に乗せられ、素早く裸になった子供たちは、ざんぶざんぶと川へ飛び込んで、その舟を前から綱で引き、両舷《りょうげん》と後部から、エンヤエンヤと押し出して、多摩川の中流に浮べました。
従来、与八は、馬鹿の標本として見られておりました。今日とてもその通り。ただ馬鹿は馬鹿だが、始末のいい馬鹿というにとどまるのが与八の身上であります。
狡猾《こうかつ》なのは、この馬鹿の力を利用して、コキ使い、米の飯を食わせるといって、食わせないで済ますことが、子供の時分から多いのでありますが、与八は欺《あざむ》かれたとても、あんまり腹を立てないことは今日も変ることがありません。
欺かるるものに罰なし。それをいいことにして、ばかにし、利用し、嘲弄《ちょうろう》している者が、暫くあって、なんだか変だと思いました。
欺かるる者に平和があり、微笑があるのに、欺いた自分たちに幸いがない。与八を追抜いたつもりで、さて振返って見ると、後ろには与八がいないで、ずんと先に立っているのを見て、ハテナ、と首を傾けた者が一人や二人ではありませんでした。このごろでは、
「与八をだますと、ばちが当る」
誰いうとなく、そんな評判が立つようになりました。
というのは、与八をだまして利用した者の、最後のよかったものは一つもないからであります。
与八が、ばかにされ通しで、ほとんど絶対におこらないのを見て、おこるだけの気力のないものと見込んだのが、おこる者よりも、おこらない者のむくいがかえっておそろしい、というように気を廻したものが現われるようになりました。
だが、この男に、微塵《みじん》も復讐心《ふくしゅうしん》の存するということを信ずる者はありません。
表面、愚を装うて、内心|睚眦《がいさい》の怨《うら》みまでも記憶していて、時を待って、極めて温柔に、しかして深刻に、その恨みをむくゆるというような執念が、この男に、微塵も存しているということを想像だもするものはないのであります。
馬鹿は馬鹿なりでまた強味があるものだ、と人が思いました。
今でも、与八が馬に荷物をつけて通りかかるのを見て、
「与八さん、後生《ごしょう》だから、ちっとべえ手伝っておくんなさい、与八さんの力を借りなけりゃ、トテも動かせねえ」
といって、何か仕事をたのむことがあると、与八は二つ返事で承知をして、そのたのまれた仕事にかかるのですが、その時は、まず馬をつないで、それから馬につけた荷物を、いちいち取下ろして地上へ置いてから、はじめてたのまれた仕事にかかるのであります。そうして、たのまれた仕事を果すと、その荷物をいちいちまた馬に積みのせて、それから前途へ向って出かけるのであります。
ある人が、そのおっくうな手数を見て、与八さん、ちょっとの間だから、馬に荷物をつけて置いておやりなすったらどうだい、いちいち積んだり、卸したり、大変な事じゃねえか……というと、与八は答えて、馬にも無駄骨を折らせねえように……と言います。そこが馬鹿の有難味だといって、みんなが笑いました。
しかし、こういうような与八の無駄骨を見て、笑う者ばかりはありません。ある時、御岳道者が、この与八のおっくうな積みおろしを見て感心して、
「ちょうど、丸山教の御開山様のようだ」
と言いました。
丸山教の御開山様というのは、武州|橘樹郡《たちばなごおり》登戸《のぼりと》の農、清宮米吉のことであります。
この平民宗教の開祖は、馬をひっぱって歩きながら、途中で御祓《おはら》いをたのまれると、これと同じように、いちいち荷物を積み卸しの二重の手間をいとわず、馬をいたわって、しかして後に御祓いにかかったものであります。
この人は、また言う、
「おれは朝暗いうちから江戸へ馬をひいて通《かよ》ったが、ただの一ぺんでも馬に乗ったことはないよ」
いやしくも、一教を開く者にはこの誠心《まごころ》がなければならない。与八のは、必ずしもその形だけを学んだものとは思われません。
それから、また一つ不思議なことは、木を植えても、農作物を作っても、与八がすると、極めてよく育つことであります。
同じように種をまいて、同じように世話をして、それで与八のが特別によく育って、よく実るのが不思議でありました。
ある時、老農がこの話を聞いて、与八の仕事ぶりを、わざわざその畑まで見に来て、
「なるほど、まるで岡山の金光様《こんこうさま》みたようだ」
といいました。
この老農は、どこで金光様の話を聞いて来たか知らないが、与八の仕事ぶりを見て、そこに共通する何物をか認めたと見え、
「作物をよく作る第一の秘伝は、作物を愛することだ」
とつぶやいて帰りました。
それだけで老農は、与八のまいた種が、他と比較して特別によかったとも言わず、その地味が一段と立越えていたとも言わず、肥料が精選されていたとも言わずに帰りましたから、わざわざ連れて来た人が、あっけなく思いました。
備前岡山の金光様は……と、それから右の老農が、附近の農夫たちを集めての話であります。
これも日本に生れた平民宗教の一つ……金光教の開祖は、備州浅口郡三和村の人、川手文次郎であります。
自分の子供を、先から先からと失って行った文次郎は、その愛を米麦に向って注ぎました。
子を思う涙が、米や麦にしみて行きました。人を愛する心と、物を愛する心に変りはありません。子を育てるの愛を以て、米麦を育てるのですから、米麦もまた、その育てられる人に向って、親の恵みを以て報いないというわけにはゆきますまい。
農夫と作物とは、収穫する人と、収穫せらるる物との関係ではなくして、育ての親と、育てられる子との関係でありました。
ある年のこと、浮塵子《うんか》が多く出て、米がみんな食われてしまうといって、農民たちが騒ぎ出し、石油を田にまいて、その絶滅を企てたけれども、文次郎だけは石油をまかなかったそうです。それだのに収穫の時になって見ると、石油をまいた多くの田より、まかなかった文次郎の田の収穫が遥《はる》かに勝《まさ》っていたということです。
また、ある年のこと、米を作るのに追われて、麦を乾かさないで納屋《なや》へしまい込んでしまったが、文次郎の麦には虫が入らなかったが、同じように麦をしまい込んだ他の百姓は、みんな虫に食われてしまったということであります。
これはなんでもないことです。ただ作物を人として扱うのと、物として扱うだけの相違であります。石油を注ぐことの代りに、愛情を注ぐだけの相違であります。日に当てなくとも、温かい心を当てていただけの相違なのに過ぎません。
そう言って、老農は、植林も農業も、地味、種苗、耕作は第二、第三で、作物をわが子として愛するの心、これよりほかによき林をつくり、よき作物をつくる方法はないものだということを、懇々と説明して帰りました。
つまり、この老農は、農政学も、経済学も教えない第一義を、与八を例に取って説明をして帰りましたのです。
徳川の中期以後、日本には多くの平民宗教が起りました。
法然《ほうねん》、親鸞《しんらん》、日蓮といったように、法燈赫々《ほうとうかくかく》、旗鼓堂々《きこどうどう》たる大流でなく、草莽《そうもう》の間《かん》、田夫野人の中、或いはささやかなるいなかの神社の片隅などから生れて、誤解と、迫害との間に、驚くべき宗教の真生命をつかみ、またたくまに二百万三百万の信徒を作り、なお侮るべからざる勢いで根を張り、上下に浸漸《しんぜん》して行くものがあります。
眇《びょう》たる田舎《いなか》の神主によってはじめられた、備前岡山の黒住教もその一つであります。
たれも相手にする者のなかった、おみき婆さんの天理教もその一つであります。
金光教の金光大陣も、丸山教の御開山も、ほとんど無学文盲の農夫でありました――与八のことは問題外ですが、万一、こんな行いがこうじて、与八宗がかつぎ上げられるようなことにでもなれば、それは与八の不幸であります。
四
根岸の、お行《ぎょう》の松《まつ》の、神尾主膳の新ばけもの屋敷も、このごろは景気づいてきました。
それは、七兵衛が、例の鎧櫃《よろいびつ》に蓄《たくわ》えた古金銀の全部を、惜気もなく提供したところから来る景気で、これがあるゆえに、ばけもの屋敷に、一陽来復の春来れりとぞ思わるる。
この黄金の光で、ばけもの屋敷がいとど色めいてきたのみならず、この光によって、いずくよりともなく、頼もしい旧友が集まって来たことも不思議ではありません。
ある夕べ、主膳は、このたのもしい旧友の頭を五つばかり揃えて、悠然《ゆうぜん》としてうそぶきました、
「黄金多からざれば、交り深からず」
七兵衛が苦心して――資本《もとで》いらずとはいえ、あれだけ集めるの苦心は、資本をかけて集めること以上かも知れません――集めた古金銀の年代別の標本も、神尾らにとっては標本としての興味ではなく、実用(実は乱用)としての有難味以上には何もないのですから、早くもその古金銀は、最も実用に適する種類のぜに金[#「ぜに金」に傍点]に換えられて、当分は、それを崩し使いというボロい目を見ることができます。
しかし、そこにはまた相当の用心もあって、このまま両替しては、かえって世間の疑惑を引き易《やす》いと思わるるものは、そのままで筐底《きょうてい》深くしまって置いて、後日の楽しみに残すこととしました。
これだけあれば当分は遊べる――無論その余徳がお絹に及ぶことはあたりまえで、余徳というよりは、むしろあの女がすべての管理を引受けたようなものですから、このごろはまた、それで屋敷にいつきません。久しくかわききっていたところへ、黄金の翼が生えたのですから、あの女はあの女で、またその黄金の翼に乗って、水を飲みに出かけ、夜も帰らないことがあります。
主膳は、それをいい機会とでも思っているのか、例のたのもしい旧友を引入れて、「黄金多からざれば、交り深からず」とヤニさがっている。
たのもしい旧友はまたたのもしい旧友で、持つべきものは友達だといって、神尾の友達甲斐ある器量をほめて、おのおのその余沢《よたく》に恐悦している。
ただ不自由なのは一つ、この勢いで旧友すぐって、名ある盛り場へ、大びらに遊びに出かけられないことであります。
どこへ行っても、もう主膳の顔はすた[#「すた」に傍点]っている。よし顔はすた[#「すた」に傍点]っても、金の光というものはすたらないのだから、そうおくめんをする必要もなかろうが、額のこの傷が承知しない――と酒宴半ばに主膳は、われとわが手で額を撫でてみました。
けれども、また一方からいうと、今の主膳は、もう、それをさまでやきもきとはしていないようです。もう今までに、金で遊べるところでは大抵遊びつくしているし、金で自由になる女はたいてい自由にしているし、金に渇《かつ》えている時分にこそ、金があったらひとつ昔の壮遊を試みて、紅燈緑酒の間《かん》に思うさま耽溺《たんでき》してみよう、なんぞと謀叛気《むほんぎ》も起らないではなかったが、金が出来てみると、そんな慾望がかえって鎮静し、紅燈とやらにこの傷をさらし、緑酒というものにこの腸《はらわた》を腐らせるような遊びが、古くて、そうして甘いものだという気になって、額を撫でながら、ニヤリニヤリと笑いました。
同時に、ここに集まったたのもしい旧友とても、同じような経験に生きている連中で、もう一通りの遊び方ではたんのう[#「たんのう」に傍点]ができないし、遊ばれる方でも、こういった悪ずれのお客様は、あんまりたんのう[#「たんのう」に傍点]したくないということになっている。
主膳は自分で、乱に至らない程度の酒を加減しいしい飲みながら、一座に向って、自分の胸底にひめていた新しい計画を、ソロソロとうちあけて、連中の同意を求めにかかる。
ことあれかしと期待しているこの連中が、主膳の秘策なるものに共鳴せずという限りはあるまい。
秘策といっても、それは別のことではない、われわれ世間並みの女という女を相手にしつくした身にとって、この上の快楽として、大奥の女中を相手にして遊んでみようではないか、というだけのことであります。
こういうたくらみは、今までしばしばこの連中の想像にも上り、口の端《は》にも上ったのですから、特に奇抜な思いつきでもなんでもないのですが、この際、本気になって実行にとりかかろうという事の密議が、一座の者の固唾《かたず》を呑ませるだけのものであります。
後宮三千というのは支那の話。事実、千代田の大奥に、ただいまどのくらいの女中がいるか知らないが、それらはみな、女護《にょご》の島《しま》の別世界をなして、幸いを望んでいる。
密議半ばで、一座のいなせなのが、あんどんに向って、独吟をはじめました。
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一肌一容《いつきいちよう》、態ヲ尽シ妍《けん》ヲ極メ、慢《ゆる》ク立チ遠ク視テ幸ヒヲ望ム。見《まみ》ユルコトヲ得ザルモノ三十六年……
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そこで一座は笑いながら、三十六年も大げさだが、これら女護の島の女人たちの多くが、性の悩みに堪《こら》えきれないでいることだけは明らかな事実で、その関を突破さえすれば、洪水のように流れ出して来るのだという。
あるものはまた言う、
大奥という池には、満々たる油が張りきっているのだ。こちらが行って堤をきれば、それは無論、一たまりもなく溢《あふ》れ出して来るのだが、そうするまでもなく、どうかすると、あちらから堪えきれずして堤を破って動いて来る。江島《えじま》生島《いくしま》の事になったり、延命院の騒ぎが持上ったり、或いは長持に入れて小姓を運んだり、医者坊主が誘惑されたりするのは、ホンの小さな穴をあけて表に現われただけの落ちこぼれで、張りきった油は、その中にどろどろとして、人の来って食指を動かすのを待っている。
その時分、夜も大分ふけて、屋敷の外でしきりに犬がほえだしたものですから、一同が、申し合わせたようにピタリと密議をやめて、
「イヤに犬がほえるじゃないか」
何かしらの不安におびえる心持。それを神尾主膳も暫く耳をすましていたが、
「心配することはない、使の者が戻ったのだろう」
という。
「使の者とは……」
神尾のとりすました言葉に、不審をいだく者がある。
今時分、何のために、どこへ使を出したのか、解《げ》せないことである。
「江戸城の、大奥の間取りを見て来るといって出かけたはずだが、多分、それが戻って来たのだろう」
「冗談《じょうだん》じゃない」
一座は呆《あき》れ返りました。神尾が抜からぬ顔でいうものだから、冗談とも思われないので、また呆れました。
そんなら計画はそこまで進んでいたのか。これは今夕のやや程度の進み過ぎた座談とばかり思うていたのに、早や細作《さいさく》を、千代田の城の大奥まで入れてあるらしい神尾の口吻《くちぶり》には、真偽未了ながら、その進行の存外深刻なのに恐怖を抱く程度で、呆れたものもあります。
「冗談じゃない……」向う横町の貸家の、敷金と家賃をたしかめに行くのとは違い、いやしくも江戸城の大奥の間取りを、ちょっと見て、ちょっと帰って来る、というようなことが出来得べきことではない。そんなことは、われわれが駄目を押すまでもなく、神尾自身が先刻心得ていなければならないはずのこと。
「そりゃいったい、何のおまじないだ」
犬は外でどうやら吠《ほ》えやんだ様子。犬は静まったが気のせいか、周囲の竹藪《たけやぶ》が、しきりにザワザワとざわついているらしいのが一層気になる。
「ハハハハ……」
と神尾は、わざとらしく高笑いして、このところへ、今その当人の現われ出づるのを待つもののようです。
だがしかし、主膳の言うことは嘘ではありませんでしたが、見当違いでありました。
その使の者というのは、戻って来たのではなく、これから出て行くところであります。
出て行く時に、尋常に門をくぐらないで、門の中に生えた竹によじのぼり、その竹のしない具合を利用して、ポンと塀の外へ下り立ってしまったものだから、おりから通りがかりの野良犬を驚かしたものと見えます。
この男は地へ下り立つと、パッパと合羽《かっぱ》の塵を払い、垣根越しに屋敷の奥の方の燈《ともし》の光をすかし、それから笠を揺り直し、草鞋《わらじ》の紐《ひも》をちょっといじってみて、
「二足のわらじははけねえ……色は色、慾は慾」
とつぶやいてみたが、
「両天秤《りょうてんびん》にかかると、命があぶねえぞ……」
とその足を二三度踏み慣らしてみて、それからかきけすように姿をかくしたのは、裏宿《うらじゅく》の七兵衛であります。
七兵衛が姿をかき消したかと思う時分に、今ちょっと静まった犬が、またほえ出しました。一つがほえると、次から次へ、根岸の里の犬が総ぼえの体《てい》になって、寝ていた人をさえ驚かしてしまいました。
いったん、姿をかくした七兵衛が、また御行《おぎょう》の松の下に姿を現わしたのはその時で、
「いけねえ……こう犬にほえられちゃあいけねえ」
と息をついて立った有様は、海へ泳ぎ出して、いくばくもなく鱶《ふか》にであって、あわてて岸へ泳ぎ戻ったような有様で、七兵衛としては、かなりに不手際といわねばならぬ。
七兵衛は、夜歩きしても犬にほえられないような秘訣を知り、またほえられても、その瞬間に、それを手なずける秘訣を知っているのでありますが、今晩は思いがけないドジを踏んで、ちょっと手のつけられない程度に犬をコジらかしてしまったものだから、ぜひなくここまで舞戻ったものと見えます。
もし、これを舞戻らないで強行しようものならば、わざわざ網にひっかかりに行くようなものですから、七兵衛としては、ここまで舞戻り、再び犬の鎮静するのを待って、繰り出すより賢い道はないと見える。
七兵衛は今、その最も賢い方法を取って、御行の松の下に、ぴったりと身をひそめているが、多少イマイマしいと癪《しゃく》にさわることがないでもない。
こういう種類の人間には、幸先《さいさき》や、辻占《つじうら》というようなものを、存外細かく神経にかけることがあるもので、七兵衛はそれほどではないが、全く無頓着というわけでもありません。
この屋敷へ、夜毎出入りすること幾度。それは正当に出て、正当に戻ったことは少ないにかかわらず、まだ今夜のように犬に吠《ほ》え出されたことがないのに、しかも今夜ほど大望をいだいて、この屋敷を出かけたことはない。
どうやら、仕事先が気にかかる。
「いけねえ、いけねえ……」
そこで、七兵衛が、何となく気を腐らせてしまいました。
七兵衛の心に、悔恨といったようなものが湧くのは、今にはじまったことではない。
七兵衛は、今度の仕事を終ったら、これで切上げ……と決心のような事をするのも、今にはじまったことではない。その心持につき纏《まと》われ、その心持で仕事にかかりながら、それをやり上げてしまうと、また新しい病が出ることを、自分ながら如何《いかん》ともし難い。
しかし、今度こそは一世一代……これで年貢《ねんぐ》を納めるか、引退して余生を楽しみ得るか、という千番に一番。
つまり、その大望というのは以前にいった通り、豊臣太閤伝来、徳川非常の軍用金、長さ一尺一寸、厚さ七寸、幅九寸八分、目方四十一貫ありと伝えられる、竹流し分銅《ふんどう》の黄金が、いま現に存在するか否かを確めた上、その一箇を手に入れてみたいということ。
神尾主膳のいわゆる大奥の間取り調べという事の如きは、頼まれたとすれば、七兵衛にとっては、片手間でありましょう。
暫くして、犬の吠え声が全くやみました。
五
それから、丑三《うしみつ》の頃、大胆至極にも、江戸城の一の御門の塀《へい》を乗越して潜入した、一つの黒い影があります。
この時の七兵衛は、根岸の化物屋敷を出た時のいでたちとは全く違い、笠も、合羽《かっぱ》も、いずれへか捨ててしまって、目に立たない色の手拭で頬かむりをして、紺看板のようなのに、三尺帯をキリリと結んで尻端折《しりはしょ》り、紺の股引《ももひき》と、脚絆《きゃはん》で、すっかりと足をかため、さしこ[#「さしこ」に傍点]の足袋をはき、脇差は背中の方へ廻して、その長い下緒《さげお》を、口にくわえていました。
それですから、例の菅笠《すげがさ》に合羽、という在来のいでたちとは全く趣を異にするのみならず、今までの七兵衛として、仕事ぶりにおいて、こうまでキリリと用心してかかったことはないようです。つまり一世一代の了簡《りょうけん》が、そのいでたちにまで現われて、今度の仕事は冗談じゃない、という気にもなったのでしょう。
ところで、難なく一の御門の塀を乗越えて、その塀の下をズッと走るとお薬園《やくえん》であります。お薬園の築山の下へ来て、七兵衛の姿が見えなくなりました。
見えなくなったのではない、動かなくなったのであります。鼠のように走って来た七兵衛が、とある木かげへ来て、ピッタリ吸いついてしまいました。
これまで決行するからには、もうあらかじめ城内の案内は、手に取るように頭に入れておいたに相違ない。あらかじめ神尾主膳あたりの手から、江戸城内の秘密図といったようなものを手に入れておいて、要所要所は、悉《ことごと》く暗記しての上からでなければ、こんな仕事にかかれようはずはない。
そこで、お薬園の木蔭にぴったり吸いついた七兵衛は、まず、ちょっと左へ寄ったうしろ、それが二の御門で、その裏が吹上の御庭構え。この門に、番人の気配のないことを見定めて後顧の憂いを絶ち、それから左前面に、こんもりとした紅葉山《もみじやま》をまともに見てから、その眼を右へ引いて行って、これが西丸……その西丸と、紅葉山との間を、七兵衛は暗いところから睨めているらしい。
『御宝蔵』はちょうど、その西丸と、紅葉山との間のところにある。
それと相対《あいたい》した前面が御本丸。ここまで来て見ると、天地の静かなことが案外で、征夷大将軍の城内をおかしたとは思われない。田舎《いなか》の広い鎮守《ちんじゅ》の森にでもわけ入ったような心持で、番人などはいないのか知らと思われる。いても急に出合うような弾力性のではなく、お役御免に近い老朽が、どこぞに居眠りでもしているのだろうとしか思われない。
しかし、何といっても征夷大将軍の本城である、その鷹揚《おうよう》なのに慢心してはならないと、七兵衛も、七兵衛だけの用心をして、容易にそのお薬園の茂みを立ち出でようとはしないらしい。それと一つは、まだ今晩のは瀬踏みに過ぎない。あわよくば進めるところまで進んで、本丸を突き抜いて、坂下御門を出て帰ろうとのもくろみまで立てているが、急いでそうせねばならぬ必要もないと考えている。
とにかく、七兵衛が城内の用心の存外手薄いことと、空気に弾力の乏しいことを充分に感知しながら、軽々しくこの地点を動き出さないのは、一つは功を急がないという腹が出来ているのと、もう一つは、ある時間の程度にはキッと見廻りの役人が通過するに相違ないから、それの来《きた》るのをここに待って、やり過ごしておいて、そうしてゆっくり進退をきめようとの了簡《りょうけん》と見える。
忍びの上手は、立木の間にかくれると、立木そのものになる。立木そのもののようになり得た七兵衛は、少しも城内の夜の気分と、自分というものの心を乱すということなく待っているが、果していくばくもなく、人の気配がうしろの方から起りました。
「来たな」
と七兵衛は心得たけれど、動揺はしない。動揺というのは身体《からだ》を動かすことだけではない、心を動かせば、空気は動くものであります。
しかし、これは変だぞ……と七兵衛があやしみました。
見廻りのお役人ではない。それは自分がしたのと同じように、吹上のお庭から、このお薬園の方へ、塀を乗越している者がある。
以ての外と七兵衛が、暗いところでその眼をみはりました。
生憎《あいにく》のことか、幸いか、七兵衛の眼は、暗中で物を見得るように慣らされていますから、今しも塀を乗越えて来る曲者《くせもの》。それは自分以上か、以下か知らないが、とにかく、このお城の中へ潜入した曲者を、別に眼の前に見ていることは確かです。
そこで、さすがの七兵衛も固唾《かたず》を呑んで、その心憎い同業者(?)の手並を見てやろうという気になりました。
見ているうちに、七兵衛はほほえみました。これはおれより手際《てぎわ》が少しまずい、まあ素人《しろうと》に近い部類だわい――と思いました。
だが、人数は自分より多く、いでたちもおれよりは本格だわい、と思いました。
たしかにその通り、今しも、吹上の庭から塀を乗越えたのは、都合四人づれだということが明らかにわかり、その四人づれが、とにかく、本格らしい甲賀流の忍びの者のよそおいをしていることによって、やはり尋常一様の盗賊ではあるまいと鑑定される。
さりながら、その忍入りの技術は、甚《はなは》だ幼稚なものだ――と七兵衛は、それを憐《あわ》れむような気にもなりました。ナゼならば、彼等はいずれも一生懸命で、鳴り[#「鳴り」に傍点]をしずめ、息をこらして、忍び込んでいるつもりではあるが、そのあたりの空気を動揺させること夥《おびただ》しい。
番人がなまけているからいいようなものの、気の利《き》いた奴に見つかった日にはたまらない。ああして下りて来るところを待構えていれば、子供でもあの四人をうって取れる……素人《しろうと》だな。気の毒なものだな。
しかし、素人にしては、あのいでたちの本格。忍びの者として寸分すきのない、たしかにすおう[#「すおう」に傍点]染の手拭で顔をつつみ、ぴったりと身につく着込《きこみ》を着て、筒袖、長い下げ緒の短い刀、丸ぐけの輪帯、半股引、わらじ。
こういったようないでたち[#「いでたち」に傍点]は、かいなで[#「かいなで」に傍点]の町泥棒にはやれない。
そこで七兵衛は、引続いて判断を加えてしまいました。
これは物とりに江戸城へ入り込んだのではない。他に重大なる目的あって来たのだ。四人とも、いずれも武士階級に属するもので、潜入者としては素人だが、忍びの術において、相当の知識と経験とを教えられ、その一夜学問で、この冒険を決行したものに相違ない。
事は面白くなった。七兵衛はそこで、玄人《くろうと》が、素人《しろうと》のする事を見て感ずる一種の優越感から、軽いおごりの心を以て、この新来の同業者――同業者でないまでも、同行者の仕事を、試験してやろうという気になりました。
玄人から見れば、極めて無器用な潜入ぶり。しかし素人としては大成功に塀を乗越した四人づれは、七兵衛のあることを知らず、やはり取敢《とりあ》えずの息つぎとして、このお薬園をえらんで、七兵衛のツイ眼と鼻の先へ来て、かがんで額をあつめたから、七兵衛も苦笑をしないわけにはゆきません。
「まずうまくいったな!」
「これからが大事《おおごと》だ。真暗《まっくら》でかいもくわからん、いったい、紅葉山はドレで、西丸はどっちの方だ?」
「左様」
彼等は、最低に声をひそめてささやき合ったつもりだろうが、こんなことでは、やはり物にならない。おれの耳には、十町先でこの声が聞える――と、七兵衛はまた、その時にもそう思いました。
「ちえッ――西も東も闇だ」
一人が懐中をさぐったのは、この場に至って、絵図面でも取り出すものらしい。まだるい話だ。七兵衛が呆《あき》れる途端を、あっ! と驚かしたのは、他の一人が、この場でパッと火をすったからです。素人《しろうと》ほどこわいものはない――七兵衛が呆れ返って、舌をまきました。
この場に至って、絵図面を取り出して見ようという緩慢さはまだしも、パッと無遠慮に火をすって、その火で絵図面を調べてかかろうとする度胸のほどが、怖ろしい。
「おやおや、燧《ひうち》じゃねえんだな、この人たちは摺付木《すりつけぎ》を持っているぜ」
と驚きながら、七兵衛があやしみました。
甲賀流の寸分すきのないいでたちの忍びの者にしては、さりとはハイカラ過ぎる。今時ハヤリはじめの西洋摺付木を、この人たちは持っている――自分も三本ばかり人からもらったことがあるが、あれは便利なもので、木でも、石でも、壁でも、すりつけさえすれば火がつく。その摺付木を、かなり豊富に持っている様子を見ると、益々《ますます》これはただ者ではない――と七兵衛は、その辺にも注意が向きました。
ところが、この四人は、その摺付木で取った火をろうそく[#「ろうそく」に傍点]へうつすと、そこで、悠々と絵図面をひろげて、ささやき合っているのはいいが、なかの一人は、その火で煙草をのみはじめたから、
「あ、物になっちゃあいねえ……」
七兵衛は、反《そ》りかえってしまいました。その道の者からいえば、この忍びの連中のやることは無茶だ。本当の忍びは、呼吸そのものさえ絶滅してしまわねばならぬ。煙草を吸った日には、三里先にいる動物だって逃げるではないか。
果して、一行のうちにも、多少は思慮の深いのがあって、
「君、煙草をのむことは、よした方がよかろうぜ」
と注意を与えると、
「そうか」
といって、素直にそれを揉《も》み消して、それからは極めてひっそりと、一本のろうそく[#「ろうそく」に傍点]に額《ひたい》をあつめて、絵図面の研究をつづけているうちに、その中の一人が、また制禁を忘れて、
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「失脚落チ来《きた》ル江戸ノ城、井底《せいてい》ノ痴蛙《ちあ》ハ憂慮ニ過ギ、天辺ノ大月高明ヲ欠ク……」
[#ここで字下げ終わり]
と、はなうたもどきにうなり出したものですから、その時に七兵衛が、
「ははあ、わかった、今時、薩摩屋敷の中で、こんな声がよく聞える、なるほどあの連中のやりそうなことだ」
と感心しました。
そうか、そんならばひとつ、こっちもいたずらをしてやれ、という気になりました。幸い、額をあつめて、絵図面の研究にわれを忘れているのがいい機会だ。
そこで七兵衛は、彼等のうしろへ手を延ばして行って、まず、かぎ縄をそっと奪い取り、次にめいめいの革袋を、そっと引きずって来て、動静いかにとながめている。
絵図面の上に一応の思案を凝《こ》らした一行は、いざとばかりに、ろうそく[#「ろうそく」に傍点]の火をふき消して立ち上ったのは、いよいよ早まり過ぎたことで、四方を暗くして後に、かぎ縄がない、燧袋《ひうちぶくろ》がない、あああの中に大切の摺付木《マッチ》を入れて置いたのだが――とあわて出したのは後の祭りであります。暗中で彼等はしきりに地上を撫で廻してダンマリの形をつづけたが、結局、ないものはない。
さすがの大胆者どもも、顔の色をかえたことは、その語調の変ったことでわかっている。そのささやき具合の狼狽《ろうばい》さ加減でわかっている。かぎ縄は、まんいち途中で落したかの懸念もないではないが、摺付木に至っては、現在このところで、ろうそく[#「ろうそく」に傍点]に火をつけ、あまつさえ、その火を煙草にうつしてのんだではないか――申しわけにも、途中で落したとはいえない。ろうそく[#「ろうそく」に傍点]は空しく手に残るが、それに点ずべき手段がない。
「何たるブザマなことだい、これじゃあ、一足も動けない」
「帰るに如《し》かず……」
「帰りもあぶないものだ」
彼等は、暗い中で途方にくれているらしい。
こうなっては、杖《つえ》を奪われためくら同様で、引返すよりほかはあるまいが、その引返しでさえ、うまく行くかどうか。
しかし、それは案ずるほどの事はなかったと見えて、この四人の一行は、それから間もなく、無事に江戸城外へ抜け出してしまって、八官町の大輪田という鰻屋《うなぎや》へ来ていっぱいやっているところを見ると、七兵衛が推察通り、薩摩屋敷の注意人物に相違ない。
この時は、無論、忍びの装束なぞはどこへかかなぐり捨てて、いずれも素面で、いっぱいやっているところは、何のことはない、丸橋忠弥を四人並べたようなものです。
「ほかのものはとにかく、摺付木《マッチ》をなくしたのが惜しい」
と忠弥組の一人、落合|直亮《なおすけ》がいう。
その当時、長崎から渡って来たばかりのマッチは貴い。
「品物を手に入れて置いて、ろうそく[#「ろうそく」に傍点]を消せばよかった」
忠弥組の第二、関太郎が残念がる。
とにかく、手に入れたもの同様にかたわらへ置いたのが、あの際、見つからなくなったのは不思議だ――と、どこまでも解《げ》せない顔だが、この連中は深く頓着はしないらしい。
ただ、あれが幕吏の手に見つかった時は大騒ぎになるだろう。いまごろは血眼《ちまなこ》になっているかも知れない。かぎ縄や、石筆や、マッチの類は、由々しき犯罪の証拠品となるだろうが、あの炭団《たどん》ばかりは、何のためだか見当がつくまい、と笑う者がある。
けだし、この連中は、かねての目的通り、江戸の城中へ火をつけに行ったものに相違ない。そうして今夜の瀬踏みが見事にしくじったので、やけ酒を飲んで気焔を揚げているとも見られるし、また、ある程度まで成功した祝杯を揚げているようにも見られる。
ともかく、これだけに味を占めた上は、早速また、第二回目の実行にとりかかるに違いない。
彼等は、何の恨みあって、こんなことをするのか。なんらの恨みがあってするわけではない、人にたのまれてするのである。人とは誰。それは西郷隆盛に――
西郷隆盛は、益満《ますみつ》休之助、伊牟田《いむだ》尚平らをして、芝三田の四国町の薩摩屋敷に、志士或いは無頼の徒を集めて、江戸及び関東方面を乱暴させ、幕府を怒らせて、事を起すの名を得ようとしていることは、前にしばしば記した通りである。
この、成功か失敗かわからない乾杯があって後、この一座の、鰻《うなぎ》を食いながらの会話は、忍術の修行の容易ならざることに及ぶ。
一夜づくりの修行では、やりそこなうのは当然だ、といって笑う。
いったい、盗賊というやつは、先天的に忍術を心得ているのだろう、という者がある。
いや、忍びに妙を得ているから、盗賊がやってみたくなるのだろう、という者もある。
盗賊としての条件は、第一、忍ぶことに妙を得て、第二、逃げることに妙を得なければならぬ、身の軽いと共に、足が早くなければならぬ、という者がある。
僕の方に、一日のうちに、日光まで三十余里を行って戻る奴がある、と落合直亮がいう。
いや一橋中納言の家中には、駿府《すんぷ》から江戸へ来て、吉原で遊び、その足で駿府に帰る奴がある、という者がある。
信州の戸隠山から、一本歯の足駄で、平気で江戸まで休まずにやって来る者がある、という。
そんな雑談から、ついに石川五右衛門論にうつる。
五右衛門は、果して忍術の達者であったろうか、という説。
五右衛門を、盗賊として見るべきか、刺客《せきかく》として見るべきか、の論。
盗賊でも、刺客でもない、彼は一種の英雄として見るべし、という讃。
左様な議論で火花を散らして、さんざんに飲み且つ食い、この四人は八官町の大輪田を辞し、大手を振って、例の四国町の薩摩屋敷に入ったのは、夜の白々《しらじら》と明けそめた時分でありました。
六
同じ日の同じ時刻。七兵衛は、やはり三田四国町の、薩摩屋敷に近い越後屋というのにはいり込み、わらじを取ったままで食卓の前に、どっかりとすわり込みました。
この時の七兵衛も無論、もと通りの七兵衛になって、なにくわぬ旅の百姓でありましたが、この広い座敷には、七兵衛ひとりです。
ここは、薩摩屋敷の豪傑がよく出入りするところ。料理屋にして、また酒保を兼ねているところ。百人以上も会合ができるようになっている、その座敷のまんなかに七兵衛ひとり。
日中には眼の廻るほど忙しい店。こう早い時にはガラン堂のようなものです。そこで七兵衛も誰|憚《はばか》らず、とぐろを巻いているところを見れば、もう相当にこの店とは熟していて、木戸御免に振舞うだけの特権があるもののように見える。やがて七兵衛は、ズルズルと革の袋を一つひっぱり出して、その中へ手を差入れて、まず取り出したのがきせる[#「きせる」に傍点]と、煙草入。
それを目の子勘定のように食卓の上に置き並べ、次に取り出したのが新しい摺付木《マッチ》であります。
「ああ、摺付木、これだ、これだ」
とほくそ笑みして、その箱を押して、一本のマッチを摘《つま》み出し、食卓の上の金具に当ててシューッとすると、パッと火が出たからまぶしがり、あわててそれを煙管《きせる》にうつそうとしたが、あいにくまだ煙管には煙草が詰めてなかったものだから、大急ぎでその摺付木を火鉢の灰の中へ立て、あわただしく煙管へ煙草をつめて、その燃え残りの火にあてがい、大急ぎで一ぷくを試みて、その煙を輪に吹いて、大納まりに納まりました。
「重宝《ちょうほう》なもんだて。どうしてまた毛唐《けとう》は、こんなことにかけては、こうも器用なんだろう。これを使っちゃ、燧石《ひうちいし》なんぞはお荷物でたまらねえ」
七兵衛は、今更のように、マッチの便利重宝を、讃美渇仰せずにはいられない。
それから、煙草の吸殻をポンと手のひらに受けて二ふく目を吸い――三ぷく、四ふく、その煙をながめては、ヤニさがっていたが、暫くあって煙草をやめ、また思い出したように、以前の革袋へ手を入れて、
「何だろう、このゴロゴロした丸いやつは?」
首をひねりながら引き出して見ると、それは紙に包んだ炭団《たどん》でありましたから、七兵衛が、コレハ、コレハとあきれました。
炭団が出て来やがった、何のおまじないだろう――合点《がてん》がゆかない心持で、その炭団をまた一つ一つ食卓の上に置き並べ、それをながめて、ははあ、やっぱりこれは火つけだな、と思いました。
江戸城へ火をつけるつもりで、あの連中は忍び込んだのだな――なるほど、かんなくず[#「かんなくず」に傍点]かなにかに炭団《たどん》を包んで、火をつけて置けば、念入りに燃え出す。爆裂玉《ばくれつだま》のように、急にハネ出すこともなし、油のように、メラメラと薄っぺらな舌も出さず、くすぶり返って気永に焼くには、炭団に限ると思いました。
七兵衛がこうして納まり返っているけれども、この広い座敷へは、無論、夜明け早々からの客のつめて来るはずもなし、そうかといって、主人なり、雇人なりがいるならば、とがめないまでも、何とか言葉をかけそうなものを、そんな気配は更になく、ひっそり閑《かん》としたものですから、七兵衝は炭団を肴《さかな》に、また煙草をのみはじめ、座敷の中を見るとはなしに見まわしているうち、なんとなく無常の感というものにでも打たれたように、大きな溜息《ためいき》をついて、壁の一隅につるしてある薩摩屋敷の轡《くつわ》の紋のついた提灯《ちょうちん》を見て、じっと物を考え込んでしまいました。
「つまらねえな」
七兵衛が思わず口走った時分に、平常《ふだん》ならばお銚子の一つもかえて、まぎ[#「まぎ」に傍点]らかそうというものだが、この時はそれができないで、
「つまらねえなあ、ほんとに……」
七兵衛は煙管《きせる》を取落して、炭団をつくづくとながめました。
七兵衛は今、急につまらなく、情けなくなって、あぶなく涙をこぼそうとしました。
昨夜、七兵衛はあれから、江戸城内のどこまで忍び込んで、どこを出て来たかわからないが、夜が明けて見ると、なんとなくうちしおれていたのが、今になって一層目につきます。
彼は、たしかに江戸城内を抜け出してきての今、
「浅ましいことだ」
という感慨が、ひしと胸にこたえているものらしい。
何が浅ましい。自分のしたことが浅ましいのか、周囲の見るもの、聞くものが浅ましかったのか。七兵衛の胸に折々、里心《さとごころ》が首を持上げるのは、今にはじまったことではないが、この時は、特に何かの感じが激しくこみ上げて来たと見えて、ほとんど涙を落さぬばかりに浅ましい色を見せましたが、気をかえようとして取り上げたのが、杯《さかずき》ではなくて、火の消えた煙管でしたから、それが一層、七兵衛をめいらせるような気持にして、
「よくばち[#「ばち」に傍点]が当らねえものだなあ」
とつぶやいて、煙管を投げ出しました。
七兵衛は常々そう思っている。何でも人の尊敬すべきものは尊敬しなくちゃならない。神仏が有難いといえば、有難がるのが凡人の冥利《みょうり》だ。長上をうやまえといえば、無条件にうやまうのが人間の奥ゆかしさだ。理窟も、学問も、いった事じゃない。尊敬と、服従の、美徳がうせては、人間の社会が成立たないじゃないか。
それに、どうだ、おれに向って、大奥の間取りを見て来てくれとたのむ奴がある。たのまれるおれという奴も、またおれという奴、来て見れば、またそれにいっそう輪をかけた奴があって、城ぐるみ焼いてしまおうという。
浅ましい世の中だ。お上《かみ》に対する人間の尊敬心というものが、地を払ってしまったのは、お上に威厳がないのか、人間がつけ上ってしまったのか。さてこの上の世の中が、どうなるだろう。七兵衛も今はそれを考えて、空恐ろしくなったもののようです。
その持って生れたような盗癖を別にしては、七兵衛は、むしろ律義《りちぎ》な男です。
昨晩、江戸城内を抜け出して来た七兵衛の頭では、公方様《くぼうさま》は決して悪《にく》むべきお方ではなく、むしろかわいそうなお方である。その悪むべからざる公方様を目のかたきにして、これを陥れようとたくらむ奴等の気が知れない。
よく人の話では、薩摩に西郷という男があって、それが手下の者をけしかけ、この四国町の薩摩屋敷に、ならず者を集めて乱暴をさせ、そうして公方様を怒らせて、日本を乱そうとするたくらみだと――その西郷という男は、公方様に何の恨みがあって、そういうことをするのだろう。天下というものを取るには、そういうことをしなけりゃならねえのか。
そういうことをして、かりに天下というものを取ってみたところで、それがどうなる、それにはそれだけのたたりというものがあるぜ――西郷という男も、末始終はいい死にようはしねえだろう……といったようなことを、七兵衛が考え出しました。ははあ、ひとごとじゃねえ、おれももう盗人《ぬすっと》はやめだ。
そう忌気《いやけ》がさしてみて、さて、盗人をやめて、これからどうなる――ということを考えると、七兵衛が、どうでものがれられない縄にからみつけられているように思う。おれが盗人をやめて、穏かな百姓で終りたいという念願は、今にはじまったことではないのだが、それがそうならないで、そう考えるごとに悪い方へのみ深入りしてしまうのは、いったいどういうわけだろう。自分が意気地無しだから、とばかりは言えないではないか。
それと同じように、天下を取るというような連中も、人殺しをするような連中も、自分で好《す》いて好《この》んでやるわけではない、どうでもそう行かなければならないように糸であやつられている。思えば人間というものは、ハカないものだ……
七兵衛は今まで、こんなに浅ましさを感じたということはありません。
天下の御宝蔵をうかがおうとも、九尺二間の裏店《うらだな》を荒そうとも、物を盗む、ということの悪いには変りはないはず。
良心の責めというものの悶《もだ》えならば、時も遅いし、その意味をも成さないわけでありますが、七兵衛のした仕事そのものよりは、何かにつけて、もっと大きな浅ましさを感じてしまいました。
もしまた七兵衛にして、徳川十四代の当城のあるじ家茂《いえもち》公の不幸なる生涯の物語をつぶさに聞いていたならば、この男は、ほんとうに涙を流して、自分のした仕事のいかに罰当《ばちあた》りな、身の程知らぬ振舞であったかということに気がついて、西に向って、身を投げ出しておわびをし、血の涙をこぼして懺悔をしたか知れませぬ。
「なんだかツマらねえ、こういう時には、一ぺえやりてえのだが……」
しかしながら、その近所には、火の消えた火鉢と、不可思議の目的に供せられた火のつかない炭団《たどん》があるばかりです。
そこで、所在なさに七兵衛は、くわえ煙管《ぎせる》で、ツラツラ室の中を見廻し、壁にはってあった一枚の美人絵を見出すと、それを念入りにながめた後、
「この御殿女中じゃあ……これじゃあ、コツの三百女郎としか踏めねえ」
ニヤリと、皮肉に笑いました。
その絵は、供をつれた奥女中の一枚絵で、あんまり上等の浮世絵とはいえない。英山、英泉あたりの末流の筆に成って、彩色だけは人目をひくように出来ている。
けれども、このことから七兵衛は、江戸城の大奥の間取りを見て来てくれ、なんぞとたのまれたことを思い出したものですから、わざと、そのつまらない浮世絵が、当座の興味を惹《ひ》いたと覚しく、コツの三百女郎にしか踏めないという奥女中の浮世絵も、腹も立たないで見ていました。
七兵衛は、美術眼があるわけでもなんでもないが、奥女中は奥女中らしい気品とうま味が出ないものかなあと、淡い不満をいだいてこの絵を見ているだけのもので、頭の中に往来するのは、やはり昨晩、あれからこれまでの、自分のした仕事の吟味と、咀嚼《そしゃく》とであります。
だが、やはり、七兵衛の眼は、その奥女中の一枚絵に向ったきりでありますから、よそから見れば、相当のたんのうなる鑑識家が、批評的にこの絵を吟味しているとしか見えないのであります――
おれはいったい、美人と、美人画では、誰のがいちばん好きなんだろう。上代のことはいわず、比較的近代について見ると、狩野家《かのうけ》にはもとより、円山、四条にもすぐれた美人かきはいないようだ。何といっても、美人画は浮世絵の畑だろう。もっとも美人というものの標準も、ちょっと問題ではあるが、人好きのする美人は、まず浮世絵と限ったものだろう……ところで、その浮世絵の美人も品々だが、いずれあやめという時は……左様、まずまあ鳥居派で清長、それから北川派では歌麿。
清長にはしっかりしたところがある。歌麿は少しだらしないがたまらない。清長を本妻に、歌麿をお妾《めかけ》としたら申し分はなかろう。
細田|栄之《えいし》――あれはさすがに出がお旗本の歴々だけあって、女郎をかかしてもなんでも、ずっと気品があるが、そうかといって、大所帯向《おおしょたいむ》きのおかみさんにするには痛痛し過ぎる――といってまた、並大抵のものが妾にしては位負けがする……そんなら勝川派はどうだね、何といっても春章はたしかなものだ。清長より少しやさし味があって、歌麿ほどにだらけてはいない。栄之のように上品向きでもないから、まず、相当の大家の御内儀として申し分はない方だけれども、いずれにしても、この辺を女房にするには、ケチな身上《しんしょう》ではやりきれない……そんなら実用向きというところで北斎はどうです、北斎の女は……
無論、七兵衛はまだ壁の一枚絵を一心にながめてはいるが、上に述べたる如き批評眼があるわけでもなんでもないが、あまり一途《いちず》に、絵にばかり眼をつけているものですから、よそで見ると、どうしても、その絵の吟味、批評に取りかかっているとしか見えないのも無理がありません。
ところで北斎は……北斎の美人はどうだ。あの男は、御存じの通り剛健な、達者なかき手だが、美人をかかせると艶麗なものをかくから不思議なものさ。芸者なぞをかかしても、なかなかいい芸者をかくし、筆つきに癖はあるが、女にイヤ味はないよ、頂戴してもいっこう不足はない……
しかし、世話女房としては、何といっても豊広だね……。豊広――歌川派の老手で、広重の師匠だといった方が、今では通りがよいかも知れぬ。広重の美人画は問題にはならないが、豊広の女には素敵な味がある。おっとりした世話女房としての味では、この人に及ぶ者はない。これはまた、清長や春章とちがって、大どころでなければ納まって行けないという女房と違い、ずいぶん世話場も見せながら、亭主にはつらい色も見せず、和《やわ》らかになぐさめて、しっくりと可愛がってゆく、という女房ぶりだ……豊国は役者の女房にしかなれず、国芳はがえん[#「がえん」に傍点]のおかみさん、国貞は団扇絵《うちわえ》。
明治になって……まさか七兵衛が、明治以後の浮世絵の予言までもすまいけれど、やはり、あんまり念入りに一枚絵を見ているものですから、浮世絵の現在を論じて、その将来に及ぶというような面構《つらがま》えにも見えて来るのが不思議であります。
明治の浮世絵の中心は、何といっても月岡芳年さ。この男は国芳の門から出たはずだが、少なくも伝統を破って、よかれあしかれ、明治初期の浮世絵の大宗《たいそう》をなしている。見ようによっては浮世絵の型が芳年から崩れはじめた……とも見られるが、ああ崩して行かなければ、明治以後の複雑な世相を浮世絵の中にもり込むことはできなかったともいえる。
江戸の女の持つ情味というものは、小さな挿絵一つにも漂わぬということはない。芳年以後に、巧拙はとにかく、あれだけ江戸の女の情味というものを含ませた絵をかき得るものはない。この点においても、芳年が最後のものかも知れない。
転じて大正年間、生存の美人画家……芳年系統の鏑木《かぶらぎ》清方、京都の上村松園、いずれも腕はたしかで、美しい人を描くには描くが、その美人には良否共に、魅力と、熱が乏しい。
その点に至ると、北野恒富の官能的魅惑の盛んなるには及ばない。
新進で、国画創作会の甲斐荘楠音《かいのしょうくすね》が、また一種の魅惑ある女を描くことにおいて、異彩ある筆を持っている。あの時の展覧会で見た三井万里の江島がなかなかよかった。
挿絵の方では、永洗《えいせん》系統の井川洗※[#「厂+圭」、第3水準1-14-82]《いかわせんがい》が、十年一日の如く、万人向きの美人を描いて、あきもあかれもせぬところは、これまた一つの力であり、年英《としひで》門下の英朋は、美人を描くことにおいては、洗※[#「厂+圭」、第3水準1-14-82]より上かも知れないが、その美人は、愛嬌《あいきょう》がなくてつめたい。近藤紫雲の美人にも、なかなか食いつきのいいのがある――
七兵衛は際限なく、浮世絵の過去と将来を論じているわけでもなんでもないのですが、相変らず例の一枚絵をながめているものですから、そんなふうにも見えるので、人は往々、物をいい、手を動かすと、すっかりボロの出るものでも、仔細ありげにだまってさえいれば、意外なかいかぶりをされるものがあるものです。
本人はその時分は、もう自分がいま見つめている絵のことなどは眼底から飛び去ってしまって、昨夜の城内の光景が、まざまざと頭のなかに浮び出でて、われを忘れていたのですが、その瞬間、「ハッ」としてわれに返ったのは、今まで人の気《け》というものはなかったところへ、さりとは、あまりに荒々しい戸のあけ方でありました。
七
その物音で、すっかり空想をブチこわされた七兵衛。
夢から醒《さ》めたような顔をして、きょとんとその入口の方を見てあれば、そんなことはいっこう御存じなしに、数多《あまた》の人足が、店の土間へしきりにこも[#「こも」に傍点]包を投げ込んでいる。
鮭のこも[#「こも」に傍点]包にしては長過ぎる。土間へ当りの響きで見ると、金物であるらしい。
土間の左右へ人足がそれを積込んでいると、そのあとから抜からぬ顔で入り込んで来たのは、アツシを着た十五六歳の少年で、耳に仔細らしく矢立の筆をはさみ、左右に積み分けたこも[#「こも」に傍点]包の中央に立って帳面を振分けて、これもしさいらしい吟味をしている。無論、七兵衛のあることは、誰もまだ気がつかない。
帳面と、そのこも[#「こも」に傍点]包とを、すっかり引合わせてしまったアツシを着た前髪の商人が何とも言わないのに、人足たちは、積込むだけのものを積み終わると、大八車を引っぱって、この店の前を立去る。
帳合《ちょうあい》を終った少年は、しきりにそのこも[#「こも」に傍点]包の荷造りを改めはじめる。余念なくその荷造りを調べている時、後ろで、
「忠どん?」
「え?」
はじめて気がついた、そこに先客のあることを――
「おじさんかい」
「何だね、そのこも[#「こも」に傍点]包は……」
「こりゃ、おじさん、こっちの包みが刀で、こっちが鉄砲の包みだよ」
「え……刀と鉄砲? どちらも大変に穏かでねえ。それをお前が、いったいどうしようというのだ」
「どうしようたって、おじさん、お屋敷へ売込むんでさあ」
「お屋敷……ドコのお屋敷へ?」
「そりゃ、おじさん、わかってるだろう、その薩摩守のお屋敷へさ……」
「お前が……その鉄砲と、刀を、薩摩のお屋敷へ売込もうというのか――?」
「そうさ」
「いつ、お前は、薩摩様のお出入りになったんだ――?」
「いつだって、おじさん、近いところにいりゃあ、いつ、どうした便宜で、お出入りになるかわかるまいじゃないか」
「お前に限って、そうしたはずじゃなかったなあ」
「だって、おじさん……」
「いったい、お前は、この薩摩屋敷に巣をくう浪人たちのために、せっかく苦労してこしらえた財産を奪われたその恨みで、こんなところへ来て、そのかたきを取返すのだといって、力《りき》んでいたはずじゃないか」
「それは、それに違いないけれど、おじさん、商人は腹を立てちゃ損だということが、このごろわかってきたよ」
「なるほど……」
「そりゃあ一時は口惜《くや》しかったが、今となってみれば腹を立つだけが損で、本当の仕返しは、やっぱり算盤《そろばん》の上で行かなけりゃ嘘だと、つくづく思い当りましたよ。喧嘩をしないで、お得意にしちまえば、盗られたものを、楽に取り返すことができまさあね」
七兵衛は、徳間《とくま》の山奥で砂金取りをしていたこの少年を見出だして以来、そのこましゃくれた面憎《つらにく》い言い分に、いつも言いまくられる癖がある。十五や十六の歳で、金儲《かねもう》けの話といえば寸分のすきもなく、金儲けの仕事といえばいっこう臆面がない。こんなのも珍しいと感心することもあるが、多くの場合には、そのこましゃくれを面憎く思う。
今も、その生意気な言い分が、ハリ倒してやりたいほどしゃくにさわっているとも知らず、
「おじさん、近いうちに日本が二つに割れるよ、そうなると軍器だね、刀と、鉄砲が、売れるのなんのって……大儲けをするのはこれからだよ、おじさん、一口乗らないか?」
そこで、この少年は上り口に腰をおろして、七兵衛を相手に、近く来《きた》るべき天下の大乱によって、大金持になるべき秘訣《ひけつ》を説き出して、七兵衛を煙《けむ》にまく。
この忠作という少年の説によると、近いうちに日本が二つにわかれるというのは、要するに徳川と薩摩との喧嘩であって、東の方は徳川のもの、西の諸大名はたいてい薩摩に肩を持つ。
ところで、その争いの結果、ドチラが勝つか、負けるかわからないが、勝つにしても、負けるにしても、とにかく一朝一夕ではいかないこと。
入り乱れて、何十年、何百年も、戦争がつづくかも知れないということ。
そこで、軍器と、兵糧との、無限の需要がある、そこが目のつけどころだということ。
とりあえず自分の仕事は軍器の御用商人で、つまり、戦争が長引けば長引くほど儲《もう》かる。
そんなことをして、江戸にいながら、薩摩の屋敷へ武器を売込んだりなどすれば、江戸の方に恨まれて、ヒドイ目に逢うぞ……と、七兵衛がオドかせば、なあに、商人《あきんど》だもの、どっちでも割のいい方へ売る分には文句はないはず、今、逆縁のようなわけで、薩摩の家に取入ることができて、刀剣と、鉄砲との、買入れ方をたのまれたから、薩摩の御用をつとめているようなものの、これが、薩摩が江戸から追っ払われて、江戸の風向きがよくなれば、よろこんで江戸へお味方をして、御用にありつくまでのことさ……と忠作は、事もなげに放言する。
そうしてなお言うことには、今こうして来た刀は、みんな駄物ばかりだが、今は駄物だの、名刀だの言っている時節ではない、数さえ多ければ何でもいい。鉄砲だってその通り、ここに集めて来たものは、大抵はチグハグや壊れ物だが、これを修繕して売込むと、立派な値段で買ってくれる――だが、本当に仕事をしようというには、こんなことではまだるくて仕方がない――どのみち、これからの戦争は、いい鉄砲を持っている方が勝ちにきまっているが、そのいい鉄砲は、外国からでなければ来ない。外国からいい鉄砲を仕入れるには、いい船を持たなければならない。
いい船を持って、いい鉄砲を買込んで、これを盛んに売れば、人に戦争をさせておいて、自分が丸儲けをする。
おじさん、日本一の金持になろうと思えば、これよりほかの道はあるまい、と忠作がしたり顔である。
なるほど……七兵衛は、煙にまかれながら、サゲすみきって聞いていたが、こいつ、金儲けの前には、義理も、名分も、そっちのけ、その抜け目のないことにおいては、実際おそろしいほどだと舌をまき、
「忠どん、人に戦争をさせておいて、自分で丸儲けをしようなんていうのは、泥棒よりボロい商売だぜ」
と言ってみたが、七兵衛も、われながらマズい半畳だと思いました。
「ナーニ、おじさん、戦争をする人は、戦争をするように出来ている。金儲けをする者は、するような仕組みでするんだから、ちっとも恥かしいことはないさ。泥棒なんざあ、お前さん、馬鹿のする仕事さ、人に隠れて、コッソリとやって、見つかれば首が飛ぶ、それでいくら儲かるもんだ、泥棒のかせぎ高なんて、知れたもんじゃないか」
「ふふん……」
と七兵衛が、それを聞いてそらうそぶきました。しかし、何とも二の句をつぐ気にならないで、テレ隠しに摺付木《マッチ》をすりました。
なるほど、泥棒は人のものをただ取る稼業《かぎょう》だが、そのかせぎ高は知れたものだ。そうしてその運命も知れたものだ。
しかるにこの小僧は、人に戦争をさせておいて、自分は重宝《ちょうほう》がられながら大儲《おおもう》けをしようとする。いつもながら、こいつの言うことだけでも、人を呑んでかかっているのが、返す返すもしゃくだ。いったいこんな奴が成功したら何になるのだ。ただ口前ばかりではない、着々として、そろばんに当る仕事をしているのだから、いよいよ癪《しゃく》だ。
言うだけのことを言って出て行った忠作のあとを見送って、七兵衛は、あの年で、人に戦争をさせて金を儲けようとは、言うだけでも末が恐ろしい、とあきれました。
なるほど、これに比べては、盗賊商売などは問題にならない。
人によっては、資本のかからない、割のいい商売として、盗賊を第一に置くが、よくよく考えてみれば、知れたものだ。
現に自分が、今日までに盗んだ金額を、そっくり日割にしてみたところで、ちょっと気の利《き》いた日傭取《ひようとり》の分ぐらいにしか当るまい。それでいて、一歩あやまれば首が飛ぶのだ。実際、泥棒なんという仕事は、道楽でなければできる仕事ではない――見ること、聞くこと、今日はいやな日だ、と七兵衛は、そのままゴロリと横になりました。
ゴロリと横になったけれど、七兵衛においては、ゴロリと横になることだけでさえが、相当の思慮用心を費さねばならないのです。
たとえば、こうして横になっている間にも、疲れが出てツイうとうととした時分にでも、不意に御用の声を聞こうものなら、咄嗟《とっさ》にハネ起きて、さばきをつけるだけの用心をしていなければならない。
そこで、七兵衛は、横になった身体《からだ》を、そのまま自分で衝立《ついたて》の蔭まで引きずって行き、頭から合羽《かっぱ》をかぶり、枕もとへは煙草盆を置いて、これが万一の場合は目つぶしになり、それと同時に、この衝立の上へ足をかければ、あの窓から外へ飛んで逃げられる――そこまで考えてからでなければ、昼寝もできないのです。
いや全く、盗賊という商売は、手数のかかる厄介な商売だ――人に戦争をさせて、大金を儲《もう》けようという忠公などはああして、小威勢よく、天下晴れた顔をして飛び廻っているのに――なるほど、どちらから行っても、泥棒は馬鹿のする仕事で、割に合わないことこの上なし……なんぞと、愚痴を考えていながらも、昨夜の疲れがあるものですから、七兵衛はうとうとと夢路に迷い込みました。しかし眠りに落ちてからにしても、こういう人間は、なかなか手数がかかるので、前後も知らぬ熟睡ということは、一年のうちに幾度もあるものではない。眠れるが如く、眠らざるが如く、畳の足ざわりでさえ目をさます程度で熟睡をしなければならない。
そういうふうにして、七兵衛が衝立《ついたて》の蔭で、眠れるが如く、眠らざるが如き熟睡を遂げているが、その耳の中へ聞ゆるが如く、聞えざるが如く雑音の入り来り、夢とも、うつつとも、わからない心持でいることは是非もない。
衝立を隔てて幾人かの人があって、その者の語るところは……近いうちにこの屋敷へ西郷が来るそうだ……イヤ、もう来ているよ……ナニ、西郷がこっちへ来ている、そりゃ嘘だろう……嘘ではないさ、中村と、有馬を連れて、やって来た、しかも東海道をテクでやって来た……あの大きなズウタイで、よく歩けたものだな……ナニ、足はなかなか達者だよ、西郷はあれで、あのズウタイで、乗物に乗らず、わらじばきで、前ぶれもなしにさっさとやって来ては、またいつのまにか帰ってしまう、だから、せっかく西郷に逢いたがっていたものが失望する……失望はいいが、そう軽々しく出歩いた日には、あぶなかろう……そこがつまり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸に来《きた》るとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣《ばいしん》一人が出て来ると、江戸の天地が、安政の地震以上にゆれるとは大仰だ……西郷という男は、それほどエライ男かい、あれも人気者じゃないかな……薩摩というものを背負って、大舞台を睨《にら》んでいるその形に呑まれて、大向うがやんやと騒ぐだけのもので、事実、人気ほどの英雄じゃあるまい――長州の大村、同じ薩摩でも大久保あたりの方が、実力はズンと上だといっている……
こんな途切れ途切れの言葉を、七兵衛は夢うつつに聞いておりました。
つまりこの頃、右の薩摩屋敷に、西郷なるものが乗込んで来ているという噂《うわさ》。
八
信濃の国、白骨《しらほね》の温泉――
そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
もう、これだけ以上には、ここで冬籠《ふゆごも》りをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡《りょうけん》しているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
この山の通人は、ツマリこの辺の谷々を経《へ》めぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺《ろへん》の人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
山の通人は、出来星[#「出来星」に傍点]の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたように書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木《かんぼく》というものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知《なまものじり》を書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪は強《し》いてそれを争おうともしませんでした。
山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙《とこなつぞうし》というのに、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様が行《ぎょう》をしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは、高山へ登らないものですかね?」
と、眠そうな声で、念を押したものがありました。
「左様、神主サンというものは、高山へ登らないものだ」
山の通人が、いよいよそっくり返ったのは、相変らず出来星《できぼし》の博士が、小学校の生徒を相手にするような態度でありました。そうすると一座の中から、突然に、
「御冗談でしょう」
とひやかし気味に、やり返すものがある。
「何ですって?」
山の通人も、気色《けしき》ばむ。
「いつ、神主サンが、高山へ登って悪いという規則が出ましたか?」
「誰も、規則が出たとはいわないが、神主は高山へ登らないもので、高山で行《ぎょう》をするのは修験《しゅげん》のつとめだ」
「お前さん、博識ぶって、燈台|下《もと》暗しのことを言いなさんな、神主が、高山に登らないなんてタワ言を言うと、お里が知れますぞ」
「ナニ?」
「論より証拠を、お聞きに入れましょう」
といって、山の通人と喧嘩を買って出たのは、池田良斎の一行、北原賢次であります。
一座のものは、傲慢《ごうまん》無礼な山の通人の博識ぶりに、不愉快を感じていたところですから、この喧嘩相手の出たのを、むしろ痛快に感じてだまっていました。
山の通人は、自分の博識の権限を犯《おか》されでもしたように、ムッとして、
「論より証拠――証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者《しゅげんじゃ》に限ったものだ」
「ところで――物識《ものし》りの先生、この信州松本に、藤江正明老人という神主様のあることを、御存じですか?」
「それが、どうしたのだ」
「それは神主サンでございますよ、ねえ、池田先生、先生も御存じでしょう、松本の藤江正明老人は神主様であって、また歌人としても、相応に知られていますね」
北原賢次は、池田良斎を顧みて駄目を押しますと、池田良斎は、無言でうなずいて見せました。
そこで山の通人が、またせき込んで、
「その老人で、神主で、歌よみだという人が、どうしたのだ?」
「まあ、せき込まずにお聞き下さい。この老人は、今が七十歳の老年でございますが、日本の高山という高山は、たいてい登っておりますよ。念を押しておきますが、藤江翁は神主さんでございます」
「…………」
「もう少し詳しくお話し申しましょう。ある年、この藤江老人は加賀の白山《はくさん》に登りましたが、途中で暴風雨にあい、一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣《ひとえ》一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体《からだ》をきたえ得たかという実験を、細々《こまごま》と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道《しゅげんどう》も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙《とこなつぞうし》の中に、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの辺に、そんなことがありましたか?」
「ええ、初めの方に、そんなことがあったようです……」
「さきほども聞いていますと、このお雪ちゃんが、ツガザクラの下を通ったとか、通らなかったとかいって、小言《こごと》をいっておいでのようでしたが、お雪ちゃんの文章は、たいてい一度は、わたしが見て上げますが、そんなことは書きはしなかったようですよ、よく読み直してごらんなさい」
「いや、わたしも、ちょっと眼に触れたままですから……」
「かりにも学者として、左様な粗末な、不親切な、見方をなさってはいけません。小説としても馬琴ほどの作者になれば、室町御所に虎を出そうとも、利根川の岸に芳流閣を築こうと、八丈島で馬に乗ろうと、安房《あわ》の国で鯉をつろうとも、皆それだけの頭と、働きを以てやるのですから、あなた方が、一方向きの知識だけでかれこれいうのは、僭越というものです」
池田良斎は穏かに、この博識ぶった一方向きの山の通人をいましめて、それをしおに立ち上り、浴室へ行くと、一座の者が、われもわれもとあとを続いて、炉辺に残れるはお雪ちゃんと、留守番の老爺《おやじ》と、薄っぺらな山の通人と、その連れの者だけでありました。
山の通人は、少しばかりテレていましたが、この席に、道庵先生が居合わせなかったことは仕合せでありました。道庵先生でも居合わそうものなら、忽《たちま》ち御自慢の本草学を振り廻して、いっぱしの科学者気取りで、ブリキのようなメスをガチャつかせて、山の通人に食ってかかったに相違ありません。
山の通人は、暫《しばら》くテレていましたが、そのテレ隠しのように、お雪の方へ向い、
「あなたは、どちらから、おいでになりましたね?」
と尋ねましたから、お雪は正直に、
「甲州の、上野原でございます」
と答えました。
「ははあ、上野原ですか」
「左様でございます」
お雪がこの場合、英語を知らなかったのも幸いで、もし英語の少しでもカジっていて、ハイランドでございます……なんぞとしゃれようものなら、またこの通人からお小言《こごと》を食ったのでしょうが、ドコまでも素直なお雪は、通人をおこらせるだけの返答を与えませんでした。
「御商売は何ですか、お家は……?」
と尋ねられた時も、お雪は神妙に、
「上野原で、月見寺とお聞きになれば、すぐわかります」
もし、この場合、お雪ちゃんが女学校出のお茶ッピーで、実家が高利貸でもしていて、「わたしの家はアイスクリームよ」とでも言おうものなら、この通人は真顔になって、「それはお菓子い御商売です」としゃれたかも知れません。
こういう通人の入り込むこともまた、山の炉辺の一興でありましょう。
九
その翌日、お雪は柳の間に籠《こも》って、いつになく冴《さ》えない色をして、机に向って筆を執っている。
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「弁信さん――
あたし、きょうもまた、ひとりで、無名沼《ななしぬま》まで行って来たのよ。
四方の峰から、雪が一日一日に、谷に向って強い力で圧《お》してくる中を、毎日、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として散歩にであるく、わたしをのんきだとは思わない……?
その実、沼まで行く道だって大抵じゃないのよ。けれども、天気さえよければ、毎日一度は、あの沼まで行って見ないと気が済まないの。それも、人にことわると留めますから、わたし一人で、ないしょで行きます。
以前にも申し上げました通り、この沼は、わたしを引きつける力が有り過ぎます。
あの事件があって以来、少しの間は遠ざかっておりましたけれど、どうしても引きつけられてしまいます。怖《こわ》いという沼ではありませんもの……ほんとうは怖い沼かも知れませんが、怖いものほどかえって、人を引きつけるのではありますまいか。
わたしは毎日毎日、あの沼へ引きつけられて参ります。そうして離れ小岩の、絹糸のような藻のあるところ、御存じでしょう、最初にあたしが浅吉さんという人の死骸を見たところ、後にあのいやなおばさんが溺《おぼ》れて死んだというところ。知らず識《し》らず、わたしはあの岩の上へ立たせられてしまうのです……
それで、わたしはいい気になって、あの岩の上で、藻の中をかき分けるようにして、何を見ているのでしょう。自分の姿を、水鏡にしているのですから、ほんとに自分ながら、気が知れないことだと思います。
きょうも……その通りにして、わたくしはあの離れ岩のところに立って、水鏡をうつしながら、万葉集の歌と思い合わせて、自分の髪の毛を腕で巻いたり、指先でひねったりして、ひとり楽しんでおりました……
弁信さん――
わたしは、そちらにいた時のように、銀杏返《いちょうがえ》しや、島田に髪を結ってはいないのですよ。グルグル巻きにしたり、お下げにしたり、洗い髪のままでいたりするんですけれど、人のつき合いがありませんから、これが無作法にもなりませんし、またちっとも恥かしいとは思いません。
万葉集の歌には、よく髪の毛のことがありますのよ、女は髪の毛を、生命《いのち》のように大事にすることがあります。
自分でさえ、手ざわりのやわらかな毛をいじっていると、可愛らしくなってしまうことがあります。
わたしは、髪の毛を美しく結んで、人に見せるよりは、解いた髪の毛を、自分の腕に巻いている心持が何とも言われません。
弁信さん――
こうして、わたくしは、自分の髪の毛を腕に巻いたり、ろくでもない器量を水鏡にうつしたりして、ひとり、いい気持になって、離れ岩の上でさんざん遊んで、宿へ帰ることを楽しみにしていたのですが……もう二度とはあの岩へ行きますまい。
今度という今度は、もうあの岩へは遊びに行きますまい。……こんなことを言いますと、また何か水の底で、おそろしい人の死骸でも見たのかと、あなたが心配してお尋ねになる様子が、わたくしにありありとうつりますが、決して、そういうわけではないのです。
きょうというきょうは、何ともいわれないいやな思いが、不意にあの岩の上で起りましたのは……
弁信さん……
あなただからそれを言います……あなたでなければ、それを聞いて下さる人はありません。それは水の中で、ものすごい人の姿を見たのではありません。
わたしのお腹の中で、何ともいえないいやな思いを致しました。
弁信さん――
それをいうのは苦しうございます。いつぞや、あのいやなおばさんは、わたしの乳を見て、黒くなったと言いました。
……その時はわたし、いやな思いをしただけでしたけれど、きょうは人の口からでなく、自分のお腹の中で、そのいやな声が聞えました。
ああ、弁信さん――
わたしは妊娠したのじゃないでしょうか。
もしそうだとすれば、ほんとうに、どうしたらいいでしょう。
あの時、あのいやなおばさんから、乳が黒いとからかわれた時、真赤になったわたしは、ただ恥かしく、口惜《くや》しい思いをしたばかりでしたけれど、今は、わたしのお腹の中が動きます。
ああ、怖ろしいことです……わたしは、ほんとうに身持になったのではないかと、この胸がさわぎ出しました。そう思うと、いよいよお腹の中で、何か動きつづけているようです。
そんなはずは決してない、と気を取り直して、心を落着けようとしていますけれど、もし、そうであったら、わたしは取返しがつきません。
わたしは、世間へ顔向けができません。わたしは、もう以前の無邪気な心で弁信さんに顔を向けることさえできません。
わたしの一生はこれから廃物《すたりもの》です。ああ、怖ろしい身の破滅が、わたしの身にふりかかって来たようです。
今まで生涯に全く覚えのない怖ろしさに、わたしの胸がおののきます。これを書いている筆のさきがふるえています。
わたしの顔の色は、土のように変っているに違いない。
弁信さん――
こんな事まで打明けますと、あなたはさだめし、わたしが温泉へ来てから、手のつけられないいたずら[#「いたずら」に傍点]者にでもなったようにお考えになるかも知れませんが、決して、そんなことはありませんのよ。
わたしは、どなたにも同じようにおつき合いをし、同じように可愛がられて、少しもみだらなことに落ちた覚えはありませんのに……
もし、わたしが身重《みおも》になったら、世間は何と言うでしょう……
なお、わたしが父《てて》なし子《ご》を生んだというようなことが、仮りにでも本当でしたら、怖ろしいことではありませんか。わたしの罪も二重になり、わたしの不幸も二重になるではありませんか。
よし、わたしは一生すたり物になるとしても、その子が……その子の長い一生が、またすたり物になるではありませんか。
弁信さん――
あなた、よく教えて下さい。覚えのない妊娠ということがありますか。
父のないのに、子というものが生れるものでしょうか……
わたしは、この苦しい思いを打明けて、誰にも相談することができません。
こんな時こそ、せめて、あのいやなおばさんでもいてくれたら、かえっていい相談相手であったかも知れませんが、今はその人さえおりません。
ぜひなくこうして、遠いところにいるあなたに手紙で御相談をかけてみる、わたしの胸の苦しさをお察しください。
よく、昔の本などには、物の精に感じて、身持になった女があるそうですが、わたしのもそんなのではないでしょうか。
今の世でそんなことを言えば笑われてしまいます。
身持になったわたしを、だれも、不義いたずらの結果と見ないものはありますまい。
郷里へ帰れば、知れる限りの人の指が、わたしの身体《からだ》へ蜂の巣のように突き刺されて、そのあざ笑いの痛さ、冷たさが、想像してさえ骨身にしみるようです。
万一、これが本当の身持であったなら、どうしても、わたしは故郷へ帰れません……
そうかといって、身二つになるまでここに保養をしていて、それからどうなるのです。どちらを行ってもすたり物ではありませんか。
身持になった身をいだいて帰っても、生み落した子を……こんなことを書くのさえ、何ともいえないいやな気がしますが、その子を抱いて帰っても、人の冷笑の痛さは同じではありませんか。
どのみち、わたしは鉄のような仮面をかぶるか、或いはこの良心というものを、石ころのようにコチコチにした上でなければ、人様の前へは出られないのです。
……わたしは、そうまで鉄面皮《てつめんぴ》というものにはなれません。
弁信さん……
わたしは死んでしまいたい気がします。
そんな恥かしい思いをするくらいなら、いさぎよく自殺した方がよい。死んでしまいたい」
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十
その晩、この温泉の炉辺《ろへん》の閑話に、一つの問題が起りました。
近頃、山々へ登る人が、よく山々を征服[#「征服」に傍点]したという。征服の文字がおかしいという者がある。おかしくはない、古来人跡の未《いま》だ至らなかったところへ、はじめて人間が足跡をしるすのだから痛快である、征服の文字はいっこうさしつかえがない、という者がある。
ハハハハと高笑いをして、富士山を征服したというから、おらあはあ、富士の山を押削《おっけず》って地ならしをして、坪幾らかの宅地にでも売りこかしてしまったのか、そりゃはあ、惜しいこんだと思っていたら、何のことだ、富士の山へ登って来たのが征服だということだから笑わせる……上へたかったのが征服なら、蠅はとうから人間様を征服している……と山の案内者が言いました。
山の案内者は、近頃の征服連の堕落をなげき、高山植物などの、年々少なくなることをも怖れているらしい。
その時、山の案内者のデコボコ頭に、燃えぼこりが一つたかりました。
それを見ると、一人があわてて、
「あれ蚊が……」
といって、平手でピシャリとその男のデコボコ頭をたたきましたが、もとより蚊でありませんから、たたいた者、たたかれた者、共にあっけに取られ、見ていた者も、暫くはあいた口がふさがらないのは、思い設けぬ余興でありました。
白骨の温泉場の今時分、蚊がいようと思うのがそもそも間違いで、よし蚊がいたからといって、平手でピシャリ打つまでのことはなかろうに、気が早いのだか、間が抜けたのだか、わからないものですから一座があっけに取られ、やがてドッと笑い崩れました。たたかれた山案内のデコボコ頭がおかしかったからでしょう。
それについて……仏典にこんな話がある。印度に一人の馬鹿野郎があって、ある時、親爺《おやじ》の額《ひたい》へ蚊がとまったのを退治てやるつもりで、有合せた丸太ン棒を取り上げ、馬鹿野郎のこととて、力をこめて親爺の額にとまった蚊をなぐったものだから、親爺もろともにナグリ殺してしまった……この話で一座がまた笑い崩れました。
そこで、蚊の話が一座の話題の興味になると、例の一茶びいきの俳諧師が、
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蚊一つに施し兼ねしわが身かな
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これは一茶らしい主観があっていい。皮肉にも、慈悲にも、同様に取れるところが一茶の身上《しんじょう》である。
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閑人《ひまじん》や蚊が出た出たと触れ歩き
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も自然のウイットがあって面白い。たくまずして気の利《き》いた状景をとらえたところが眼に見るようである。それに比べると、蜀山人《しょくさんじん》が、松平定信の改革を諷して、
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世の中に蚊ほどうるさきものはなし
文武といひて夜も眠られず
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は、露骨にして、下品で、野卑だ。
松平楽翁ほどの名政治家の改革ぶりを、蚊にたとえて、御当人得意がっているところが、自身の薄っぺらな腸《はらわた》を見せつけているようでイヤだ、という者もありました。
その通り……いったい、今のやつらはそれよりも、もっと皮肉が下等で、諷刺《ふうし》が糠味噌《ぬかみそ》ほども利かない。蜀山人などは江戸ッ子がって、ワサビのように利かしたつもりだろうが、その利かせるつもりが、鼻についていけない。
本当の諷刺や、皮肉は、自然にして、温雅にして、同情があって、洞察があって、世間の酸《す》いも甘いもかみ分けて、それを面《かお》にも現わさず、痒《かゆ》いところへ手が届きながら掻《か》かず、そうしてその利《き》き目が、時間がたつほど深刻に、巧妙に現われて来るものだが……本当の諷刺家がいないのは、つまり本当の批評家がいないのだ、というような議論になって、蚊一つの問題から、炉辺が異常なる緊張を示したのも、時にとっての一興でありました。
この席に、いつも見るはずのお雪ちゃんだけがおりません。
十一
その翌日のお雪の手紙。
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「弁信さん――
昨晩は、夜通し怖《こわ》い夢ばかり見ました。
いま、起きたばかりの、ねまきのままで机に向い、きのうの手紙の続きを書かなければならないほど、切迫しているわたしの心持を、昂奮しきっているように、あなたは、想像なさるかも知れませんが、その実、わたしの胸はきのうよりはズッと冷静なのよ。
それは、昨晩、あまり怖ろしい夢に責めさいなまれ通したおかげで、この度胸が据《す》わったというのかも知れません。そうでなければ、わたしの、しおらしい娘心が、一夜のうちにすさ[#「すさ」に傍点]んでしまったのかも知れません。
昨晩の夢で……わたしは、さんざん姉さんにいじめられました。
姉というのは、あなたもよく御存じの、わたしがここへ来る前に、巣鴨の庚申塚《こうしんづか》で殺された、わたしにとっては大好きな親違いの姉であります。
その姉が、昨晩夢に現われて、さんざんわたしをいじめました。
わたしは、何とも言いわけをしませんでしたが、あの親切な姉が、どうしたものか、あんまりムキになって、わたしをいじめるものですから、わたしもツイ二言三言、何かいいました。そうすると、姉は泣きながら怨《うら》めしい顔をして、わたしに打ってかかるではありませんか。あんまりのことです……
そうして、ついには、身に覚えのない言いがかりまでして、わたしをいじめました。わたしも、そればっかりはだまっていられないので、口惜《くや》しがって泣きました。泣いて姉に食ってかかりました。
そうすると、あくまで、わたしをいじめ抜いていた姉が、急に飛び退いて、冷笑気味になって申しました、
『白々《しらじら》しいことをお言いでないよ、そのお腹《なか》をごらん』
こういわれて指さされた時に、わたしは泣き伏して、この顔を、姉の痛い眼つきから避けるよりほかはすべがありませんでした。
『姉さん、あんまり口惜しい……』
『いたずら者、油断もすきもなりゃしない、よくいったものだね、小娘と何とかは……覚えておいで、その報いがどこへ来るか覚えておいで、お前がもし、わたしのような運命に落ちても、わたしは知らないから……』
こういって、姉は泣き伏しているわたしを、意地悪くのぞき込むようにして、白い眼で睨《にら》みました。
常の姉とは似ず、あんまり薄情で、あんまり手強いから、わたしもツイツイつり込まれて、反抗の気味になりました。
『ようござんすよ……自分のした罪は、自分で背負いますから』
と、わたしも自暴《やけ》の気味でそう言いますと、姉は一層こわい目をして、
『生意気なことをお言いなさい、お前のような世間知らずに、どうして、自分のした罪が背負いきれます……』
『ようござんす、姉さんのお世話にはなりませんから』
『誰もお前の世話をして上げるとは言わないよ……立派に一人[#「一人」は底本では「一り」]でその始末をしてごらん』
『しますとも、わたしは、自分の知らないでした罪は、どこまでも自分で背負いきって、人様に御迷惑はかけませんから……』
『いたずら者……』
『いつ、わたしがいたずらを致しました、わたしは、誰かのように、夫を持ちながら、二人も、三人も、ほかの人を愛するようなことは致しませんから……』
『何をお言いだえ、お前、もう一度いってごらん』
姉はつかみかかるような勢いで、わたしに向って来ました。そうして、わたしの髪の毛を引据えて、さんざんに打ちました。
わたしは姉のするままにまかせて、少しも争わないで、ぶつだけぶたれておりましたが……どうしたのでしょう、そのぶたれるのが、何ともいえないいい心持でありました。
弁信さん――
それから、わたしはもういっそ、なにもかも許してしまおうかという気になりました。
姉が、あれほど手づよく、わたしを疑ったり、責めたりしなければ、わたしも、こんなに度胸を据えるようにはならなかったかも知れません。
妊娠なら妊娠でかまわない。身持になったら身持になったまでのことよ……こんなことを、平気で書いているわたしの顔は、悪魔が手を延ばして、何かの色に塗りつぶしているのかも知れません。
弁信さん――
わたしの処女性は失われました。
少なくとも、こんなことを平気で書いていられるほどに、わたしの娘心はすさびました。これが自暴《やけ》というものでしょうか知ら……自暴ならば自暴でかまいません。
もし、わたしのこの身持が本当のことでしたら、もう、わたしの行く道は、自暴《やけ》よりほかにないではありませんか。
その道がありましたら、弁信さん、教えて下さい。
昨日の手紙に、わたしは死んでしまいたいと書きましたが、今思い返してみると、死んでも死にきれません。
ああ、今もこのわたしのお腹のうちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌《いや》な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂《うわさ》の的となるに相違ありません。
白骨《しらほね》の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。
けれども何とか、このささやきに、わたしが返答しない限り、その疑惑は強く、高くなる一方で、ささやきは、やがて雷鳴のように強くなり、疑惑は海のように深くなるばかりです。
ですけれども、弁信さん、わたしには全く覚えがありませんのよ。
覚えのないことは、言われないじゃありませんか。
言われなければ言われないほど、人様は勝手な評判を作るでしょう。
ついに、わたしは相手の知れない父《てて》なし子《ご》を生んだ、手のつけられないみだらな女として、人の冷笑の中に葬られてしまわねばならないが、それよりも不幸なのは、この子が……わたしに子供なぞは有りゃしません、妊娠でないことは確かですけれども、もしかして、父なし子の運命を以て世に生れた子供……この子供の不幸に比べたら、わたしの不幸などは、言うに足らないものかも知れません。
そうなっては、死んでも死にきれないではありませんか。
どうしても、わたしは一人では死ねません。生きても二重の罪に生き、死ぬにも二重の罪を犯さなければ、死ぬことさえできません。
弁信さん――
何かよい方法はないでしょうか。
せめて一方だけ生き得られるか、また一方だけ死ねるか、その方法がありましたらお教え下さいまし……
ああ、わたしとしたことが、まあ何という愚痴を書きつらねたものでしょう。こんなことはみんな変ではありませんか。いつ、誰が、わたしの妊娠を見届けたものがありますか。自分でさえその証拠があげられないものを――いやなおかみさんのは、もとよりホンの冗談《じょうだん》であります。取越し苦労にも程のあったもの。
わたしは沼へでも遊びに行って、この気散じを致しましょう……」
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十二
炉辺の閑話に蚊話《かばなし》が持上った時、その最後に、楽翁公の寛政改革について大いに意気を揚げ、蜀山人《しょくさんじん》を罵《ののし》る者がありました。
楽翁公が大いに文武を奨励して、士風堕落をもり返そうと企てられたのを、「か」ほどうるさきものはなし、「ぶんぶ」といいて夜もねられず、とは何事だ。
徳川中興以後、松平楽翁だの、水野越前だの、問題ではあるが井伊掃部《いいかもん》だのという、名望と、手腕とを、備えた政治家が出でたればこそ、今日まで持ちこたえたのである。
政治家は、もとより民衆の友ではあるが、人間の下劣な雷同性におもねるような政治家は、世を毒すること、圧制家よりも甚《はなは》だしい。蜀山という男は、微禄ながら幕府の禄を食《は》む身分でありながら、一代の名政治家を蚊にたとえるとは言語道断である。あの堕落、阿諛《あゆ》、迎合、無気力を極めた田沼の時代でさえ、
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世に逢ふは道楽者におごりものころび芸者に山師運上
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となげいた市民には、まだ脈がある……
それから問題が一転して、この席へ、お雪の姿が見えないという不審がみな一致しました。
お雪は誰にも心安く、誰にも愛され、誰の話をも身を入れて聞きたがることにおいて、この一座には欠くべからざる人気を持っておりました。今晩に限って、その人が顔を見せないことだけでも、炉辺を非常な淋しいものにすると見えて、
「お雪さんは、どうしました?」
誰いうとなく、その叫び声が繰返されたけれど、いつまで経っても、その人が姿を見せません。
「お雪さん……?」
「どうしましたか、病気にでもなりゃしませんか?」
「いいえ……病気でもないようですが……」
「今朝から、あの人の姿が見えませんよ」
「いいえ……今朝早く、ねまきのまんまで無名沼《ななしぬま》の方へ出て行きました」
「え、あの子が一人で無名沼へ……ほんとうですか?」
早くも顔の色をかえたものがあります。あの出来事以来、無名の沼を、魔の池のように恐れている者がある。
「そうして、無事に帰りましたか?」
「え、帰るには帰ったでしょう、さきほど、部屋で手紙を書いているのを見たという者がありますから……」
「それはまあ安心です……誰か様子を見に行って来ては……」
「そうですね……」
といったけれども、誰も急に立とうとする者はありません。まず立ち上るべきほどの人でも、お雪の占《し》めている柳の間までは、長い廊下の、暗いところを伝い伝って、三階まで行かなければならぬおっくうさが、先に立ったものと見える。
また物にせつかない連中は、来る時には招かずとも来る人、来ないのは、何かさしさわりがあるのだろう、招きに行って、迷惑がらせるにも及ぶまい、という遠慮もあってのことらしい。
強《し》いて呼び迎えて来なければならぬというほどのことはないが、お雪がいないため、この一座の淋しさは、他の何者でも埋められないと見えて、噂《うわさ》はやっぱりお雪のことのみに集まる。
「お雪ちゃんは、昨晩泣いていましたよ」
「え、泣いていましたか?」
「夜中に、泣いていました」
「では、急病でも起ったのか知ら?」
「わたしも、そう思いましたから、暗い廊下を半分ばかり駈けつけてみましたが、急にやめました」
「どうして?」
「泣いていたお雪さんの部屋に、人が一人いるようですから……」
「誰ですか、あの久助さんですか、そういえば久助さんもいない」
「いいえ、久助さんでは……」
といって語る人が、おのずから言葉がふさがって、顔色があおざめ、くちびるがふるえ、歯の根が合わないものですから、委細を知らない人たちまでがゾッとして、水を浴びせられたような気分になりました。
その翌日も、お雪は、炉辺《ろへん》の一座へ顔を見せませんでした。
けれども別に病気でないことは、ひとりでお湯につかっていることもあるし、廊下ですれ違った人もあるのですから、その点は心配はないが、湯に入っている時でも、人を見ると逃げるように、廊下で逢う時も、わざと顔をそむけるようにして通り過ぎるのを、いつもの快活な人に似合わないと、噂をする者もありました。それで、あの娘は病気でもなんでもないけれど、連れの人が悪いので、それがためにお雪も出ぬけられないのだろう、と解釈する者が多くなりました。
お雪には、久助のほかに連れの人がある。お雪の口ぶりによれば、それは兄であるともいうし、また先生と呼ぶようなこともあるが、その人は、絶対にこの一座の人には加わることがないのみならず、その存在を知っている人すらも、この一座の中に極めて稀れだという有様であります――つまり、その人の病気が悪いので、お雪が心配して、自分も浮かぬ色になり、楽しみにしている炉辺の閑話にも出られないのだろうと、好意に解釈したり、想像したりして、この上もなく物足りないながら、わざわざ人をやって、お雪を招こうとはしませんでした。
ところが、一日たち、二日たつうちにも、お雪は容易にこの席へ再び姿を現わそうとはせず、そのくせ、抜け出すようにして、かなりのひとり歩きを試みて帰ることが多いようです。つまり、今まで社交を好むように見えたお雪の性格が一変して、なるべく人を離れて、ひとりほしいままにすることを好むような性癖に変ったと見れば、見られないことはありません。
十三
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「弁信さん……
今日はわたし、焼ヶ岳を見に参りましたのよ……」
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お雪はまたしても弁信にあてての手紙を書き出しました。
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「弁信さん……
わたしは何につけても、かににつけても、あなたの名を呼びかけずにはおられません。
その次には、いつも茂ちゃんのことが気にかかります。
茂ちゃんをよく見て下さい。あの子は気ままにどこへでも行きますから、あなたの見えない目で、いつまでも見ていていただかないと、あの子はどこの空へ飛んでしまうかわかりません……
弁信さん――
何をおいても、わたしが、あなたの名を呼びかけずにはおられないように、あなたの名を呼びかけると、どうしても机に向って、この心のありのまま、思うままを書いてみないではいられません……
最初はただ、あなたにおたよりだけをしたい心持で、かりそめに筆を執りましたのですが、今となってみると、もうわたしは、これを書かずにはおられません。あなたのお手許《てもと》へ届こうとも、届くまいとも、あなたが見て下さろうとも、下さるまいとも、わたしはこの手紙を書かずにはおられなくなりました。
つまり、今のわたしは、手紙に書くために手紙を書いているようなものでございます。
用意に持って参りました白い紙は、だいぶ残ってはいますが、この分で、わたしが精いっぱいに書いたら、忽《たちま》ちそれがつきてしまうことは眼に見えるようです。用意の白紙がなくなったら、わたしは、ふところ紙でも、紙のきれはしでも、白いという白いものは大切にしようと、今から心がけています。もし弁信さんが近いところにいましたなら、わたしは、あなたに紙を送って下さい、沢山に……と何よりも先に、このことをお願いしたいと思います。
今日は焼ヶ岳を見物に参りました。
焼ヶ岳という山は、距離にしてはここから、さほど遠いところではありませんが、この温泉場では見えません。乗鞍ヶ岳というのも、つい近いところにあるのですが、それもここで見ては見えません……少なくとも、これらの山々を眺めるところまで行くには、無名《ななし》の沼を越えて、かなりの山路をのぼって行かなければならないのです……乗鞍ヶ岳も好きですが、焼ヶ岳の煙を見ることも、わたしはいやではありません。
弁信さん――
わたしは今、焼ヶ岳の歌をつくりました。歌といえましょうか知ら。
茂ちゃんの歌と比べてどうですか。少なくともなさか[#「なさか」に傍点]のわかるだけは、わたしの方がましだと思っていただきとうございます。
茂ちゃんの歌は、全くあれはでたらめでしょうけれど、あのでたらめに、わたしは何ともいえず引きつけられることがあります。もし、あの子に歌の学問をさせたら、どんなに立派な歌よみになるか……それとも、学問をさせたら、さっぱり歌がうたえなくなるか、そのことは、わたしにはわかりません。
まあ、わたしの歌を書きつけてみましょう。
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焼ヶ岳よ
お前はなぜ火をふいている
このあたりには
高い山という山が
かずしれずあるその中で
昔はみんな
お前と同じように
争うて天に向って
火を吐いていたというが
今はみんなおとなしく
鳴りをしずめ
気焔を納め
雪に圧《おさ》えられても
風にけずられても
怖れもせず
泣きもせず
千古の沈黙に
落ちてしまって
生きているのか
死んでしまったのか
それさえわからないのに
焼ヶ岳よ
お前だけが生きている
もう少し高いところで
見てごらんなさい
槍が見える
穂高が見える
白馬の背が見える
笠ヶ岳も錫杖《しゃくじょう》も
立山も乗鞍も
木曾の御岳山も
加賀の白山も
みんなお前よりは
兄さん分であろうのに
どれもこれも
雪に圧《お》されて
頭を上げ得ないのに
お前だけはその頭上に
降る雪を寄せつけないで
天に向って焔をあげる
胸に思い余る火があって
外に燃ゆる恨みが
いつまでもお前を若くし
さながら、乙女の
みどりの黒髪に似た
その煙
その煙が美しい……
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弁信さん――
わたしの歌は、これでおしまいになったのではありません。
わたしは、まだまだこれから山々の歌をつくりたいと思っていますが、歌を作るのは、手紙を書くのよりも時間がかかります。
わたしは、この手紙を書くのと、歌を作るのとの興味に駈《か》られて、この二三日というものは、炉辺の皆さんの学問にも、お話の席にも、顔出しをしませんものですから、みんな変に思っているかも知れません。
そういうと何ですけれども、わたしは、これでも歌を作ることに見込みがあるんですって。池田先生が、お世辞ではないと、大へんにほめて下すったものですから、このごろは、筆をとって歌を思い、手紙を書こうとすると、ほんとうに夢中になってわれを忘れてしまいます――
静かな温泉にいて、山を見たり、水をながめたり、そうして、ひまがあれば歌や、手紙を書いているわたしのただいまの生活を、あなたは羨《うらや》ましいと思う……それは違います。
わたしは苦しいのです、いわば苦しまぎれです。夜になると、わたしは夢の中で――さいなまれ、いじめられ、弄《もてあそ》ばれ、――ああ、それは言いますまい、思い出すさえ浅ましい。
弁信さん――
今日も、わたし、あの離れ岩の上に立って、じっと無名沼《ななしぬま》の水を見つめておりました。
その時のわたしは、いつもと違って、無心に、あの水の色と、絹糸のような藻に、みとれていたのではありません。
わたしはこの無名沼を歌によみたいと思って、われを忘れておりましたのです。
そこで、わたしは、短い歌を三つばかり考えましたが、どうも、まだ言葉が足りないので、しきりに工夫を凝《こ》らしておりましたものですが、沼の水の色も、自分の立っている離れ岩のことも、その離れ岩の不祥な思い出のことなんぞも、すっかりその時に忘れ果て、ただ歌にばかり夢中になっておりました。
そうすると、不意に後ろから、わたしの肩を押えるものがあるので、わたしは、倒れるばかりに驚かされてしまいました。
『あ……どなた?』
たしかに、わたしの人相まで変っていたことでしょう。
ところがその人は案外に、
『は、は、は、は……』
と高らかに笑いました。
その笑い声で、わたしは、はっと合点《がてん》がゆきましたが、同時に、今の恐怖は飛び去るようになくなってしまいました。その笑い声が、晴れた日に鼓《つづみ》でも鳴らすような、さえざえした陽気な笑い声で、この辺に、こんな陽気な笑い声を持っている者はほかにはありません、それは鐙小屋《あぶみごや》の神主さんでありました。
『まあ、神主様でしたか?』
『お雪さん、考え過ぎてはいけませんよ』
『ビックリしましたわ』
『は、は、は、わたしの方でビックリしましたよ、また一人心中が持ちあがるのじゃないかと思って――』
『そんなことはありませんよ』
『それでも危ないものだ、お雪さん、もっとこっちへおいでなさい』
『どうして?』
『お前さんの、顔の色さしがいけません、もっと明るいところへおいでなさい』
『ずいぶん明るいじゃありませんか』
『自分で、自分の顔がわかりますか?』
変なことをいう神主様だと思いましたが、その時に、またふとわたしの胸に浮んだのは、では、自分でこそわからないが、このごろのわたしの顔色は、いつもと違っているのではないかしら。
もしかして、わたしに、林の中をしょんぼりと歩いていた浅吉さんの顔の色、あんな色が現われているのではないかと、それを思い浮べて、何ともいえないいやな心持に打たれました。
人が見たら、わたしの顔にも、あんないやな色が浮いているのではないか知ら……
その時に、神主様はまた高らかに打笑い、
『お前さんの顔は、可愛ゆい、邪気《つみ》のない顔でしたが、このごろ、陰気になってきました。こんなところにいると、死にたくなりますから、こっちへおいでなさい』
といって神主様は、わたしの手を取って、ズンズンと鐙小屋の方へ引っぱって行きました。
弁信さん――
それから、わたしはあの神主さんに伴われて、鐙小屋まで参りましたが、すべてが、なんという陽気なことでしょう。
あの神主さまの顔は、かがやくばかりです。といっても、神様のように神々《こうごう》しく、近寄り難いかがやきではなく、人間が始終、何かに満足しながらいきているようなかがやきであります。
わたしを離れ岩の上から引きつれて行った手の温かいこと、こんな寒いところに、ひとり行《ぎょう》をしているとは思われませんでした。
炉へ火をたいて、わたしを温まらせながら、わたしの顔を見て、にっこりと笑った眼の細い、頬のたっぷりとした、蔭や、毒というものの微塵《みじん》も見えないあの面立《おもだ》ち。活《い》きた福の神様というのが、これだろうと、つくづく、わたしはその時に感心致しました。
しかし、この福の神様は、俵もたくわえていないし、金銭も持ってはいないし、そば粉か何かを、毎日少しずつ食べているだけだそうです。
この神主様は毎朝、お光を仰ぐために、乗鞍ヶ岳の頂上の、朝日権現様まで、人の知らないうちに登り、人の知らないうちに帰って参ります。
足の達者な人でも、日帰りにはむつかしい山路を、この神主さんは、ほんの数えるだけの時間で、往ったり来たりしていますのが、とても真似《まね》ができないといって、山の案内者たちも、舌をまいているのでございます。
『お嬢さん、あなた、陽気にならなきゃいけません。陽気になるには、お光を受けなきゃなりません。お光を受けて、身のうちをはらい清めなきゃなりません。人は毎日毎朝、座敷を掃除することだけは忘れませんが、自分の心を、掃除することを忘れているからいけません。自分の心を明るい方へ、明るい方へと向けて、はらい清めてさえ行けば、人間は病というものもなく、迷いというものもなく、悩みというものもないのです。ですから、何でも明るい方へ向いて、明るいものを拝みなさい。一つ間違って暗い方へ向いたら、もういけませんよ。暗いところにはカビが生えます、魔物が住込みます、そうして、いよいよ暗い方へ、暗い方へと引いて行きます。暗いところには、いよいよ多くの魔物の同類が住んでいて、暗いところの楽しみを見せつけるものだから、ついに人間が光を厭《いと》うて、闇を好むようなことになってしまうと、もう取返しがつきませんよ……早いたとえが、この間のあの二人をごらんなさい、あの年とった、いやにいろけづいたお婆さんと、それにくっつききりの若い男とをごらんなさい、あれがいい証拠ですよ。あれが明るいところから、わざわざ暗いところへ、暗いところへと択《よ》って歩いて、その腐りきった楽しみにふけったものだから、つい、あんなことになってしまいました。外の空気のさえ渡って、日の光がたまらないほど愉快な小春日和《こはるびより》にも、あの二人は、拙者がいないと、この小屋の中へはいり、小屋をしめきっては、暗いところでふざけきっていました。だから、わたしは山から帰る早々、それを見つけると、戸をあけ払って、二人をはらい出したものです。二人は、拙者の振り廻す御幣《ごへい》をまぶしがって、恐れちぢんで逃げ出したが、逃げ出して暫くたつと、またあの森かげへ隠れて、くっつき合っていましたよ。とても度し難いというのはあれらでしょう、放って置いてもいいかげんすると、うだって、腐りきってしまう奴等ですが……みんごと、魔物の餌食《えじき》になって、二人とも、沼へ落ちて死んでしまったが……いやはや、罪のむくいとはいえ気の毒なものさ……お嬢さん、あなたなんぞは年も若いし、今が大切の時ですから、暗い方へ行ってはなりませんよ、始終明るくおいでなさいよ。そうしないとカビが生えますよ、毒な菌《きのこ》が生えますよ……光明は光明を生み、悪魔は悪魔を生みますよ。ほんとに、あなたはこのごろ顔色が悪い、この間中のさえざえした無邪気な色が消えかかって行く。気をおつけなさい……』
神主様から、こう言われた時、わたしは思いきってこの神主様に、この頃中の胸の悩みを、すっかり打明けてしまおうかと思いました。
弁信さん――
善きにつけ、悪《あ》しきにつけ、相談相手というもののないわたしは、この時、洗いざらい、自分の今までのしたことと、悩んでいることを、この神主さんに打明けて、どうしたらいいか教えていただこうと思いましたが、神主さんの顔が、あんまりかがやかしいものですから、ツイ臆してしまって、それが言えませんでした。
話せば、相当の同情も持って下さろうし、解決もつけて下さるかも知れませんが、それにしては、あんまりこの方は、明る過ぎると思いました。
明る過ぎるというのはおかしいようですが、この神主様は、明るいところばかり知って、暗いところを知らないのじゃないか知らと、わたしは危ぶみました。
それならば、なお結構じゃありませんか、その明るい光の前に、すべてのけがれをブチまけて、それを清めていただきさえすれば、この上もない仕合せではないか……と一通りはお考えになるかも知れません。
しかしね、弁信さん――
自分が一度も病気になった覚えのないものには、病人の本当の苦しみというものはわかりませんのね。ただ明るいところばかり見ている人は、それはこの上もなく結構には違いありますまいが、暗いところの本当の楽しみ……または苦しみといったものに、本当の理解がしていただけるかしら。それが、ふと、わたしの胸にあったものですから、ツイ、わたしはこの神主様の前に、一切を打明けることを躊躇《ちゅうちょ》いたしましたのです。
あまりにこの神主様は、すべてが明るく、かがやかし過ぎます。
それが、弁信さん――
あなたならば……あなたは明るいということを知りませんから、あなたに向っては、たとえば、どんな自分の罪でも、けがれでも、すっかり打明けて、恥かしいとも、悔《くや》しいとも思いませんが、あの神主さんの前では、まだどうしても、自分を開いて見せようという気になれませんでした。
そこで、口先をまぎらかすように、わたしは、神主さんの言葉尻について、
『けれども神主様、暗いところがあればこそ、明るいところもあるのじゃありませんか、夜があればこそ、昼もあり、悪があればこそ、善もあるのじゃありませんか……人はそう明るくばかり活《い》きられるものじゃありますまい、罪とけがれに生きているものにも、貴いところがあるのじゃありますまいか……』
と言いますと、神主さんは相変らずニコニコとして、こともなげにそれを打消して、
『そんなことがあるものですか、明るい心を以て見れば、この世界に暗いというところはありませんよ。善心から見れば、悪なんというものが存在する場所はありません。悪というのは、つまり人間に勢いをつけるために、それを征伐させるために、神様がこしらえた道具なのです。悪というものは、本来あるものじゃありません。なあに、貴いものが罪とけがれに生きられるものですか、罪とけがれの中にも、死なないのが貴いものですよ』
『ですけれども神主様……この世には、悪いと知りつつ、それを楽しみたくなり、怖ろしいと思いながら、それを慕わしくなって行くような心持をどうしたものでしょう』
『それそれ、それが闇の物好きだ、すべての罪は物好きから始まる……お前さんにゃ今、おはらいをして上げる』
といって、神主様は大きな御幣《ごへい》を取って、わたしの頭上をはらって下さいました。
そうして、わたしはこの鐙小屋《あぶみごや》を出た時に、明暗二つの世界の中に、浮いたり沈んだりするような心持でありました。
その夜の夢に、あのイヤなおばさんが現われて、さげすむように、わたしの顔を見て笑い、
『何をクヨクヨしているの、お雪ちゃん……もしねんねが生れたら、大切に育ててお上げなさいな、それがイヤなら、おろしておしまい、間引いておしまい、殺しておしまい』
ああ、弁信さん――
この次に、わたしが、あなたに手紙を書く時、わたしの心持が、どんなに変るかわかりますか」
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十四
駒井甚三郎と、田山白雲とは、房州南端の海岸を歩いている。
駒井は、軽快な洋装をして手に鞭《むち》を持ち、白雲は、鈍重な形をして画框《がわく》を腋《わき》にかい込んでいる。二人ともに眼は海上遠く注がれながら、足は絶えず砂浜の上を歩いている。
田山白雲は房州に来て、海を見ることの驚異に打たれてから、しきりに海を描きたがっているらしい。
白雲がいう。
「いや、水の色にこうまで変化があろうとは思いませんでした」
「線と点だけで、この変化が現わしきれますかね?」
と二人が相顧《あいかえり》みて立つ。
「左様――谿谷《けいこく》の水と、河川の水とは、東洋画の領分かも知れませんが、海洋の水は、色を以て現わした方が、という気分がしないでもありません」
「線を以て、色を現わし得るというあなたの見識が動き出しましたか?」
「そういうわけではありません……つまり、淡水《たんすい》と鹹水《かんすい》との区別かも知れません。淡水は、線を以て描くに宜《よろ》しく、鹹水は、色を以て現わすのが適当という程度のものか知ら……」
「一概には言えますまい――しかし、東洋画で、海を描いて成功したものはありませんですか?」
「ないことはないでしょうが、私はまだ不幸にしてブッつかりません」
「水の変化が、多過ぎるからでしょう」
「そうかも知れませんが、また変化が少な過ぎるとも言えます」
「あなたはいつぞや、小湊《こみなと》の浜辺に遊んで、海の水の変化と、感情と、生命とを、私に教えましたが、あなたたちの見る変化と、われわれの見る変化とは違います」
駒井甚三郎は、海水の一部分だけに眼を落してこう言うと、白雲は、やはり広く眼を注いだままで、
「どう違いますか?」
「われわれは、まず海の水の色を見ます。それも色の変化を、あなたのように感情的には見ないで、数学的に見るのです」
「色を数学的にですか……それは、どういう見方でしょう?」
「まず、水の色の変化が幾通りあるかということを調べます。手にすくい上げて見れば透明無色なる水も、ところにより、時によって、いろいろに変化があるのは誰も見る通り、それを学者は精密に調べて、十一の度数に分けていました」
「ははあ、つまり、この水の色の種類に、十一の変化があるというわけですね」
「そうです……けれども、海の水には、まだ学者の十一には当てはまらない色があるように思われます、十一の標準もやがて変るでしょう」
「そうですか。そういうことも、やはり学者の領分でなく、画家がやりたいことですね、円山応挙などにやらせると、モッと精密に色わけをするかも知れません」
「いや、精密な色わけは、やっぱり西洋人の方が上でしょう。水の色を分類するのみならず、水の温度をも、彼等は精密に研究していますよ」
「なるほど……水の温度というものがありましたね、それも数字で現わさねばなりません。温度の高低が、色の深浅と関係がありますか知ら?」
田山白雲も、知らず識《し》らず頭を数字の方に引向けられました。
「温度を計るといううちにも、時間と場所はもとより、海面と、海中と、海岸とで、それぞれ温度が違います、それを計るには、第一に、精良なる寒暖計というものがなければなりません、その寒暖計を適度の海中に下ろすには、またそれに相当した機械が必要です」
「なるほど――」
「そうでなければ、海水のある程度の水を、いちいち汲み上げて、それを、外気の影響を受けないように、持上げる器械が必要です……私はこのごろ、その器械を一つ工夫しました」
「ははあ。そうして、この水の温か味というものは、大抵どのくらいあるものですか?」
田山白雲は、海を見て、その感情の奥のひらめきに打たれて、水が活《い》きている、と叫んだのは今にはじまったことではないが、駒井のような冷静な見方にもまた、相当の興味を引かれると見えて、水の色を、十一に分類したその根拠と種類を、もう少し尋ねてもみたし、また水の温度を、いちいち数字的にも知っておきたいらしい。
「海の水の温度は、大抵三十度より上にのぼることはなく、零点の下三度より降ることはありませんよ」
「その一度二度というのは、あなたがお考えになった器械によってつけたのですか?」
「いいえ、物の寒暖を計るには、西洋では、学者の間に一定の器械があるのです、つまり、寒暖計というものにも幾種類もあって、学者の仲間では、そのうちのCというのを用います。昨年の十月、私がそれによって調べてみたところによると、この辺の、外洋の表面の温度は二十四度前後、三百尺ほど下ると、十七度前後になってしまいます」
「下へ行くほど、つめたいのですね」
「無論です……北海の方へ行けばモット相違があるでしょう、温められた河の水が注ぎ込む近海ほど、温度が高いのですね。今年の七月土用の頃、水田の中の水をはかってみたら、四十度から五十度の間でありました」
「そうですか」
田山白雲も、ここでは、水が活《い》きて五情をほしいままにする、という気焔を吐き兼ねて、駒井のいうところに傾聴するのみであった。駒井は水のようにすましこんで、白雲の頭へはいる程度の数字を択《えら》ぶような態度で、
「われわれは、水の色と、温度とを、数字的に見るだけでは足りません、その成分をまた、数字の上に分けてみたくなるのです。つまり、水の中に含んでいるさまざまの有機物を分析して、それを表に現わしてみること――それがまた、進めば進むほど趣味もあり、実際上にも密接な関係を生じて来るのです」
「川の水と、海の水とは、成分がちがいましょうな?」
「それは無論違いますとも。川の水だけでさえ種々雑多な相違があり、海の水とても一様には言えない。たとえば、淡水の氷は、二三寸も張れば人が乗っても危険はないが、海の氷は、二三寸では子供が乗っても破れることがあります」
「そうですか知ら。われわれは単に、川の水は甘い、海の水はからい、という程度にしか見ておりませんでした」
「その海の水のからさ加減も、ところによって非常な相違のあること、川の水の甘さにも、相違のあるのと同じことです」
「塩加減にも、違いがあるのですか?」
「ありますとも……普通の海水は大抵、千分の三十四五ぐらいの塩分を溶解しておるのですが、それでも物を浮かす力はとうてい河の水の比ではない……これは海ではありませんが、アメリカのユタというところにある湖は、千分の二百五十も塩分を含んでいるそうですから、人間が落ちても、どうしても沈まない、この湖では、泳げないものでも決して溺死《できし》をするということがない、また身投げをしても、死ねないからおかしい」
「ははあ……そういうものですか」
田山白雲は、感心して、沈黙させられてしまいました。
自分の印象的な、感激的な頭を以て、斯様《かよう》な穏かな説明を聞かせられると、感心の度が深いと見える。駒井にあっては尋常茶飯《じんじょうさはん》の説明も、持たぬ者より見れば、持つ者の知識の影が、大き過ぎるほど大きくうつるのも免れ難い弱点かと思われる。
かくて二人はまた、海をながめながら海岸を歩んで行くうち、言い合わせたように二人の眼が、ハタと地上に落ちて足をとどめました。
駒井と、白雲とが、急に踏みとどまった砂浜の上には、ぬかご[#「ぬかご」に傍点]にしては大きく、さつまいも[#「いも」に傍点]にしてはぶかっこうな根塊《こんかい》らしいものが、振りまいたように散乱しておりました。
田山白雲は、物珍しそうに、わざわざひざまずいて、その子供のこぶしほどの大きさな根塊を、一つ拾い取って打ちながめ、
「何だろう?」
会話の興味を中断して、白雲はその根塊の吟味にとりかかる。
見慣れない小さなグロテスク、それも一つや二つならばとにかく、砂浜のかなりの面積の間に振りまかれたように、ほとんど無数に散乱しているものですから、白雲も、特に注意をひかれたようで、特に手にとって熟覧してみたけれども、その何物であるかは鑑定に苦しむ。ただ、ぬかごの形をして大きく、さつまいもに似てぶかっこうな、一種の植物の根塊であることだけは疑いないらしい。
白雲は腰をかがめたままで、その根塊の一つ二つを拾い、しさいに打ちながめていると、駒井甚三郎は、立ちながら白雲の手元をのぞき込み、
「これはジャガタラいも[#「いも」に傍点]ですよ」
「え、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]……?」
「そうです」
田山白雲はまだジャガタラいも[#「いも」に傍点]を知らなかったが、駒井甚三郎はよくそれを知っている。
ただ駒井がいぶかしげにそのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を眺めていたのは、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]そのものが珍しいのではなく、この辺では、まだこれを栽培していないはずなのに、こうも多数に海岸に散乱しているのはなにゆえだろう。
駒井にとっては、それが合点《がてん》がゆかないので、同時に、これは難破船でもあったのではないか、という疑いも起り、難破船とすれば、それはこの近海に近づいた外国船であろうということまでが念頭にのぼってくるので、かなり遠くまで考えながら立っているのでありました。
田山白雲は、そんなことは頓着なしに、ただ単純に、その根塊を珍しがって、
「ははあ、これが音に聞くジャガタラいも[#「いも」に傍点]ですか?」
「関東で清太いも[#「いも」に傍点]というのがこれです、ところによって甲州いも[#「いも」に傍点]だの、朝鮮いも[#「いも」に傍点]だのといって、上州あたりでもかなり作っているはずですが……」
「いや、拙者は、はじめてお目にかかりましたよ、うまいですか……?」
田山白雲は、そのうまそうな一つをヒネクり廻すと、駒井が説明して、
「うまいというものじゃないが、滋養に富んでいて常食にもなります」
「米の代りになりますか?」
「外国では、米の代りに、常食としているところがあるそうです。濃厚な肉食をしている西洋人は、副食物のようにして、好んでこれを用います。ですから、或いはこのジャガタラは、西洋人が落したものかも知れません。もしそうだとすれば、ワザと捨てたのか、それとも船がこわれたのか……」
「腐ってはいないようだから、ワザと捨てたんではありますまい、この辺の百姓が作って、干して置いたのを、波にさらわれたのではないかしら?」
「そうかも知れません……しかし、まだこの辺の百姓が、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]を作っているのを見かけませんが……」
駒井は、まだこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]の存在に不審が解けきれないでいると、白雲は画框《がわく》を岩上にさし置いて、懐中から風呂敷を出して砂上にひろげ、
「それほどうまいものなら、持って行って食べてみましょう……西洋人に食えるものが、われわれに食えないというはずはない」
といって、その根塊の特にうまそうなのを選んでいちいち拾い上げて、その風呂敷に包みはじめました。
田山白雲は、晩餐《ばんさん》の賞美の料としてのジャガタラいも[#「いも」に傍点]をブラ下げて行くと、駒井甚三郎は、白雲のために、代って画框を受取って、海岸を帰途につきました。
その時、駒井はこんなことを言いました。
もし、自分が海外のいずれへか植民をしようという場合には、とりあえずこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を植えつけてみたい。その手始めに、この地方へ栽培を試みようと思ったが、ツイにそこまで手が廻らなかったのが残念だ。船を造ることに急にして、農業のことを忘れたのが残念である――植民は農業から始めなければならぬ――というようなことを言う。
「いけないのは、武力を以て、従来の土着の者を征伐して、その耕した土地を奪おうということです。それで一時成功しても、永く続こうはずがありません。やはり、新天地を求めて、自分から鍬《くわ》を下ろして、土地を開かなけりゃうそ[#「うそ」に傍点]です」
駒井はこのごろ、新しくそれを悟ったもののようにつぶやく。
「その新天地というのは、いったいどこにあるんです?」
白雲がたずねる。
「至るところに新天地はありますよ、われわれはまず、このジャガタラの地方へ行ってみたいと思う」
「ジャガタラとは、どっちの方面ですか?」
「この海を南の方面へ行きます――大陸に渡ってみようか、或いは孤島に根拠を置いてみようか、その辺のことを考えています」
駒井は絶えず、その行くべき新天地の空想を頭に描いている。駒井の頭では、空想ではないが、白雲には、その内容を実際的に想像する由がないから、
「とにかく、新しい国を開いて、その王になるのは、愉快なことには違いない」
「それは違いますよ、王になろうなんていう心がけが違っています、われわれが新しい土地を開こうとするのは、自らも王にならず、人をも王にせず、人間らしい自由な生活をのみ求めたいからです……われわれの海外移住を、山田仁右衛門のそれと比べると違いますよ、われわれは王にならんがために外国へ行くのじゃなく、農にならんがために行くのです」
「いいですとも……それでも結構ですよ。その場合には、拙者も筆をなげうって、鍬をとる位は雑作《ぞうさ》ありません」
「筆をなげうつ必要はありませんね、食物を土から得て、その次に、自分の天分を思うさま発揮してみたいじゃありませんか」
「なるほど」
「あなたは絵筆を持ちながら、そういうことをお考えになったことはありませんか、つまり、衣食のことをです」
「衣食のこと……? それを考えないでおられるものですか、これでも、妻も子もある男ですからね」
白雲は、まじめに言う。
「要するに衣食のためですね……主人につかえれば、主人より衣食を受くるむくいとして、自分の自由を犠牲にすることもあるでしょう、衣食のために、心ならずも、美術を売り物にするという心苦しさもないではありますまい」
「ありますとも、大ありでさあ」
白雲の磊落《らいらく》に答えたのが、しおらしく聞える。
「だから、どうも、人間は衣食を土から得ていないと、本当の自由が得られないようです。自由のないところでは、生きた仕事はできませんからね。ところで、その土というものが、今ではみんな大名のものになっていますから、それを耕してみたところで、得るところは大部分、大名に取られてしまい、残るところの極めて僅かな収入で、生きて行かねばならぬ百姓ほど、哀れなものはないでしょう――してみると、大名の所有以外に、耕すべき土地を求めなければならない道理です」
駒井は、近ごろようやく、深くこの感じを持たせられたと見えて、その言うことが親切です。白雲はそれをも感心して、
「なるほど、その通りです」
十五
二人が外出のあと、支那少年の金椎《キンツイ》は、料理場で料理をこしらえておりました。
その以前は、駒井とほとんど二人暮しでありましたから、台所の仕事も二人前で済みましたけれど、このごろは客がふえましたから、金椎の仕事も多くなったのは当然です。
君子は庖厨《ほうちゅう》に遠ざかる、と聖人が言いましたが、金椎のこの頃は、庖厨の中で聖書を読むの機会が多くなりました。
それは金椎自身が、料理は自分の職分と考えていたから、人の少ない時は少ないように、多い時は多いだけの努力をして、この方面には、誰にも手数も心配もかけまいとの覚悟を以て、この城廓の大膳《だいぜん》の大夫《だいぶ》であり、大炊頭《おおいのかみ》を以て自ら任じているらしいのです。
ことに、人が幾人ふえようとも、先天的に、話相手というものの見出せない不具な少年にとっては、かえってこの台所の城廓が、安住所でもあり、避難所でもあり、事務所でもあり、読書室でもあって、甘んじてここに納まって、職務以外の悠々自適を試みているというわけです。
とはいえ、その職務に対しても金椎は、また大いなる研究心を持っている。研究というのは、自分が食事をつかさどる以上は、なるべくよき材料を、よく食べさせたいという念願、いかにしたらば、よき材料が得られ、それをうまく人に食べさせることができるか、という工夫であります。
金椎はこの範囲で、絶えず料理法の研究を頭に置いている。それはかねてより、自分にも料理の心得があって、外国船に乗込んでいる時分にも、支那料理について、なかなかの手腕を持っていることが船長を喜ばせたり、乗組員に調法がられたりしていて、ある外国人の如きは、金椎の庖丁《ほうちょう》でなければ匙《さじ》を取らない、というのもありました。
ここへ来ても、駒井甚三郎のために、金椎が独特の支那料理の腕前を見せて、一方《ひとかた》ならず駒井を驚かせたものです。
ことに感心なのは、こういった不便利だらけの生活におりながら、比較的とぼしい材料に不平もいわず、その少ない材料の範囲で、いかにもうまい手際を見せて、駒井の味覚に満足を与える働きに、感心しないわけにはゆきません。
その金椎の料理方の腕前を、駒井が推賞すると、金椎はわるびれもせずに、
「料理では、支那が世界一だそうですね」
駒井は、鉛筆を取って、
「ナニ、世界一、誰ガソウ言ッタ」
金椎はそれを見ながら、口で答える、
「西洋人が言いました、料理では、支那が第一、日本が第二、ヨーロッパは第三であると言いました」
「ソレハマタ、ドウイウワケデ」
「西洋人が申します、支那の料理、口で味わうによろしい、日本の料理、眼で見るによろしい、西洋の料理、鼻でかぐによろしい――そこで、つまり料理は食べるもの、味わってよろしい支那の料理が第一でございますと言いました。しかし、わたしの料理なぞは問題になりません、真似《まね》をするだけのものでございます」
駒井甚三郎はこの一言に趣味を感じ、果して支那料理なるものが、それほど価値のあるものか知らとの疑いを起し、最近、江戸へ書物材料を集めに行った機会に、料理書とおぼしいものを二巻ばかり持ち来って、自分が感心して読んだ後に、それを金椎に与えると、金椎は喜んで、それを大きな紙に写し取って壁間《へきかん》に掲げました。今も金椎の頭の上に見ゆるところのものがそれです。
この壁間に掲げられた料理の書というものは、無点の漢文ですから、誰にも楽に読みこなせるという代物《しろもの》ではない。また読みこなしに、わざわざ入って来ようというほどの者もないところですから、ただはりつけた当人だけが、朝夕それを読んでは胸に納めるだけのことになっているが、ツイこの間、田山白雲がこの部屋へはいり込んで、はからずこの壁書を逐一《ちくいち》読み破って、アッと感嘆して舌をまきました。
料理書の標題には「随園食箪《ずいえんしたん》」とあるが、白雲はよほど、この料理書の張出しには驚異を感じたと見えて、お手のものの絵筆で、そのある部分に朱を加えたり、評語を書きつけたりしたのが、今でもそのままに残っている。その壁書の下で仕事をしていた金椎は、暫くして、卓にもたれてのいねむりが熟睡に落ちたところであります。
眠るつもりでここへ来たのでないことは、金椎の眼の前に、読みさしの書物が伏せてあることでもわかるが、まだ晩餐《ばんさん》までには時間もあるし、主人の外出というようなことで幾分は気もゆるんだと見え、ついうとうとと仮睡に落ちたものでありましょう。本来、少年のことだから、眠れば、仮睡から熟睡に落つるにはたあいがない。
金椎が仮睡から熟睡に落ちている間、この部屋へ、一人の闖入者《ちんにゅうしゃ》が現われました。
これは最初からの闖入者ではない。闖入する以前に、戸もたたいてみたし、何だかわからない言葉もかけてみたのですが、なにぶんの手答えがないために、こらえきれずして、最初は、極めて臆病に戸を押してみたが、ついにはかなり大胆な態度で、戸を押開き、家の中へ入って来ました。
それでも、計画ある闖入者《ちんにゅうしゃ》でない証拠には、まだオドオドとして、何か案内の許しを乞うような言葉があったのですが、誰もそれに挨拶を与えるものがないので、思いきって床の板に踏み上りました。
これはまた、是非もないといえば是非もないことで、つんぼであった金椎《キンツイ》の耳には、ただでさえ、僅かの案内では耳にうつろうはずもないのを、この時は、前にいう通り、仮睡から熟睡へ落ちた酣《たけな》わの時分でしたから、最初のおとないも、あとの闖入も、いっこう注意を呼び起そうはずはなく、一歩一歩に居直る闖入者の大胆なる態度を、如何《いかん》ともすることができません。
この闖入者は、部屋の一隅に眠れる金椎のあることを発見して、一時はギョッとしたようでしたが、やがてニッと物すごい笑い方をして、いっそう足音を忍び、とにかく、その部屋の中をしげしげと見廻しました。
そうして、余物には眼もくれず、釜や、鍋や、どんぶりや、お鉢や、皿や、重箱の類、あらゆる食器という食器の蓋《ふた》を取って見たり、のぞいて見たりしたが、やがて一方の食卓の前に腰をおろすと、そこらにありとあらゆる食物を掻《か》き集め、皿にもり上げ、さじを取って食いはじめました。
この際、この闖入者の風貌を篤《とく》と見ると、眼が碧《あお》で、ひげの赤い異国人でありました。
田山白雲よりもいっそう肥大な形に、ボロボロになった古服とズボンをつけた、マドロス風の異国人であります。
どこの国の異国人だか、それは一向にわからないが、西洋種であり、マドロス風であり、乞食じみていることは、一見、争うべからざるのみならず、ガツガツ飢えきって、多分、一飯の恵みにあずかろうとしてここへ来て、ツイ出来心で、食物にカジリついたものであることはその挙動でもわかる。要するに、闖入者ではあるが強盗ではない。乞食を目的として来たものだろうが、乞食を職業としているものではあるまい。
流れ流れて来た流浪人としても、陸上からは、こんなのが流れて来るはずがない。太平洋の上を一人で流れて来るはずもない。こういう姿を、この際見るのは、降って湧いたようなものだが、何事の詮索《せんさく》よりも急なのは、飢えである。彼はガブリガブリとあらゆる食物を、手当り次第に食っている。ただ食うのではない、アガキ貪《むさぼ》り、ふるいついて食っている。
単に、この部屋にありとあらゆる食物といってしまえばそれだけのものだが、その材料は、金椎としては、かなりに苦心して集めたもので、またすべて苦心して調味を終えたものもあり、苦心してたくわえて置いた調味料もある。
それを、この闖入者は無残にも、固形のものは悉《ことごと》く食い、液体のものは悉く飲むだけの芸当しか知らないらしい。それを片っぱしから取って、胃の腑《ふ》に送りこむだけのことしか知らないらしい。
今日は、あれとこれを調合し、主客の味覚をいちいち参考とし、明日に持越さないだけの配分を見つもり、その秩序整然たる晩餐の準備が、眠れる眼の前で、無残にも蹂躙《じゅうりん》され、顛覆《てんぷく》されている。それを、全然知らない金椎もまた悲惨であるが、飢えのために、この料理王国のあらゆる秩序を蹂躙し、顛覆せねばならぬ運命に置かれた闖入者の身もまた、悲惨といわねばならぬ。
その壁間にかかぐるところ、支那料理法の憲法なる「随園食箪《ずいえんしたん》」には何と書いてある。試みに田山白雲が圏点《けんてん》を付してあるところだけを読んで、仮名交り文に改めてみてもこうである、
[#ここから1字下げ]
「凡《およ》ソ物ニ先天アル事、人ニ資禀《しひん》アルガ如シ。人ノ性下愚ナル者ハ、孔孟|之《これ》ヲ教フト雖《いへど》モ無益也。物ノ性|良《よろ》シカラズバ、易牙《えきが》之ヲ烹《に》ルト雖モ無味也……」
又|曰《いわ》く、
「大抵一席ノ佳味ハ司厨《しちゅう》ノ功其六ニ居リ、買弁ノ功其四ニ居ル……」
又曰く、
「厨者ノ作料ハ婦人ノ衣服首飾ナリ。天姿アリ、塗抹ヲ善クスト雖モ、而《しか》モ敝衣襤褸《へいいらんる》ナラバ西子《せいし》モ亦《また》以テ容《かたち》ヲ為シ難シ……」
又曰く、
「醤ニ清濃ノ分アリ、油ニ葷素《くんそ》ノ別アリ、酒ニ酸甜《さんてん》ノ異アリ、醋《す》ニ陳新ノ殊アリ、糸毫《しごう》モ錯誤スベカラズ……」
又|曰《いわ》く、
「調剤ノ法ハ物ヲ相シテ而シテ施ス……」
又曰く、
「諺《ことわざ》ニ曰ク、女ヲ相シテ夫ニ配スト。記ニ曰ク、人ハ必ズ其|倫《たぐひ》ニ擬スト。烹調《ほうてう》ノ法何ゾ以テ異ナラン、凡ソ一物ヲ烹成セバ必ズ輔佐ヲ需《もと》ム……」
又曰く、
「味|太《はなは》ダ濃重ナル者ハ只宜シク独用スベシ、搭配スベカラズ……」
又曰く、
「色ノ艶ナルヲ求メテ糖ヲ用ユルハ可ナリ、香ノ高キヲ求メテ香料ヲ用ユルハ不可ナリ……」
又曰く、
「一物ハ一物ノ味アリ、混ズベカラズシテ而シテ之《これ》ヲ同ジウスルハ、ナホ聖人、教ヘヲ設クルニ才ニヨツテ育ヲ楽シミ一律ニ拘ラズ、所謂《いはゆる》君子成人ノ美ナリ……」
又曰く、
「ヨク菜ヲ治スル者ハ須《すべから》ク……一物ヲシテ各々《おのおの》一性ヲ献ジ、一椀ヲシテ各々一味ヲ成サシム……」
又曰く、
「古語ニ曰ク、美食ハ美器ニ如《し》カズト……」
又曰く、
「良厨ハ多ク刀ヲ磨シ、多ク布ヲ換ヘ、多ク板ヲ削リ、多ク手ヲ洗ヒ、然《しか》ル後、菜ヲ治ス……」
[#ここで字下げ終わり]
「随園食箪《ずいえんしたん》」と「戒単」とは支那料理法の論語であり、憲法であります。
今や、その論語と憲法の明章たる下で、蹂躙《じゅうりん》と破壊とが行われている。見給え、この闖入者《ちんにゅうしゃ》は薄と厚とを知らない、醤と油とをわきまえない、清と濃との分も、葷《くん》と素《そ》との別も頓着しない――およそ口腹を満たし得るものは、皆ひっかき廻して口に送る。料理王国の権威は地に委して、すさまじい混乱が、つむじのような勢いで行われている。
この闖入者にとっては、やむを得ざる生の衝動かも知れないが、料理王国の上からいえば、許すべからざる乱賊であります。
革命は飢えから起ることもあるが、飢えが必ず革命を起すとは限らない、飢えが革命まで行くには、時代の圧迫という不可抗力と、煽動屋というブローカーの手を経る必要があるように思う。
だから、ここで行われているのは、実はまだ革命というには甚《はなは》だ距離のあるもので、モッブというにも足りない。ほんの些細のないしょごとに過ぎないでしょう。何となれば、革命のした仕事は取返しがつかないが、モッブの仕事は、あとで相当に整理もできるし、回復もできるはずであります。殊に、飢えが室内で行われ、また室内で回復されている間は、ほとんど絶対的といってよいほど安全で、どう間違っても、その室内者の胃の腑《ふ》を充たす悩みだけの時間であるが、これに反して、飢えが室内から街頭へ出た時はあぶない。
例えば、ありとあらゆる飲食物を、滅茶苦茶に掻《か》きまぜてみたところで、それを悉《ことごと》く食い尽してみたところで、後で多少料理番を狼狽《ろうばい》させるだけのことで、取返しのつかない欠陥というものは残らないはずであります。闖入者がいかにこの場で蹂躙《じゅうりん》をほしいままにしても、それは結局、この金椎《キンツイ》の平和なる仮睡をさえ破ることなくして終るのだからツミはない。
果して、いくばくもなく、胃の腑を充分に満足させた闖入者は、げんなりとして、人のよい顔をし、充ち満ちた腹をゆすぶって、四方の隅々までジロリジロリと見廻しました。
ほんとうに人のよい顔です。十九年ツーロンの牢にいた罪人は、こんなおめでたい顔をしてはいなかった。食に充ち満ちた闖入者は、炉にあった鉄瓶を取って、その生ぬるい湯をガブガブと飲む。
そこで、またも念入りに金椎の寝顔を見てニッコリと笑ったが、これとても、好々たる好人物の表情で、この時、「お前、何をしているの、食べてしまったら、サッサと膳をお洗い……ほんとにウスノロだね」とおかみさんにでも怒鳴られようものなら、一も二もなく、「はい、はい」と恐れ入って、流し元へお膳を洗いに行く宿六《やどろく》の顔にこんなのがある。
しかし、金椎はまだ眼がさめない。そこで、人のよい闖入者《ちんにゅうしゃ》はいよいよ、いい気持になって、深々と椅子に腰をおろして、ついに懐中からマドロスパイプを取り出してしまいました。
パイプに、きざみをつめて、炉の中の火をかき起そうとした時、闖入者は、ハタと膝を打ちました。膝を打った時は無論、パイプは食卓の上に載せてあったので、彼はここで、食後の一ぷくをやる以前に、忘れきっていた重大な一事を思い出したかに見ゆる。
そこで、パイプも、火箸《ひばし》も、さし置いて、彼は立ち上り、よろめいて、そうして戸棚のところへ行って、その戸棚を慎重にあけて、そうして、以前よりはいっそう人のよさそうな顔を、ズッと戸棚の中につき込み、あれか、これかと戸棚の中を物色したものです。
繰返していう通り、これは盗みを目的として来たのではない。眼前口頭の飢えが満たされさえすれば、暗いところをのぞいて見る必要は更になかるべきはずだが、かく戸棚の隅々を調べにかかったのは、衣食足って礼節を知る、という段取りかも知れない。果してこの闖入者は、その礼節を、戸棚の隅から探し出して来た。
「これこれ」
どうして、今までここんところに気がつかなかったろう、という表情で、戸棚の隅から抱え出したのは、キュラソーの一瓶でありました。闖入者は、このキュラソーの一瓶を戸棚の中から、かつぎ出すと、まるっきり相好《そうごう》をくずしてしまって、至祝珍重の体《てい》であります。
実は、もっと以前に、この礼節をわきまえておらなければならないはずだが、飢えが礼節を忘れしめるほどに深刻であったのを、ここに至って、満腹がまた礼節を思い出させたと見える。
満腹の闖入者は、今しこのキュラソーの一瓶を傾けながら、上機嫌になって、ダンス気取りの足ドリで、早くもこの料理場をすべり出してしまいました。
飢えは室内から街頭に出してはならないが、満腹はどこへ出してもさまで害をなさない。ただキュラソーが、人をキュリオス(好奇《ものずき》)に導くのが、あぶないといえばあぶない。
闖入者は満腹に加うるに陶酔を以てして、この料理場からすべり出したが、そこは街道でもなければ、ヴェルサイユへ行く道でもない、次の室から次の室へと、導かるるまでであります。
その次の室というのが、このごろ一室を建て増した食堂兼客室であり、それを廊下によって二つに分れて行くと、その一方が駒井甚三郎の研究室と寝室、他の一方には――若干の客が逗留《とうりゅう》している。
ウスノロな闖入者は、かなり広い食堂兼客室へ来ると、そのあたりの光景が急に広くなったのと、その室が有する異国情調――実は自国情調とでもいったものに刺戟されたのか、いよいよいい気持になって、片手にキュラソーの瓶をかざしながら、足踏み面白くダンスをはじめました。
この一室で、ウスノロの闖入者《ちんにゅうしゃ》はかなり面白く踊ったが、いつまで踊っても、相手が出て来ないのが不足らしく、もう一つその室を向うにすべり出そうとしました。
このウスノロは、それでもまだ、自省心と、外聞との、全部を失っていない証拠には、ダンスの足踏みも、そう甚《はなは》だしい音を立てず、羽目をはずした声で歌い出さないのでもわかるが、本来、音を立てて人前で踊れないほどに、舞踏も物にはなっていないのだから、声を出して歌うほどに、歌らしいものを心得てはいないのだろう。しかし、いい心持はいい心持であって、このいい心持を、一人だけで占有するには忍びないほどの心持にはなっているらしい。
そこで、彼はいいかげんこの食堂で踊りぬいてから次へ……廊下を渡って一方は主人の室――一方は客の詰所の追分道にかかり、そこで、ちょっと戸惑いをしたようです。
戸惑いをした瞬間には、ああ、これは少し深入りをし過ぎたな、との自省もひらめいたようでしたが、そこはキュラソーの勢いが、一層キュリオシチーのあと押しをして、忽《たちま》ち左に道をえらび、とうとう主人の研究室と、寝室の方へと、無二無三に闖入してしまいました。
それにしても、無用心なことです。駒井のこの住居《すまい》には、このごろ著《いちじる》しく室がふえているはずなのに――金椎《キンツイ》ひとりを眠らせて置いて、みんなどこへ行ったのだろう。少なくとも、田山白雲が来ている以上には、清澄の茂太郎もいなければならぬ、茂太郎がいる以上は、岡本兵部の娘もいるかも知れない――そのほか、それに準じて館山の方からも、造船所方面からも、相当に人の出入りがあるべきはず。それを今日に限って、この異国の、マドロス風の、漂流人らしいウスノロ氏の闖入にまかせて、守護不入の研究室までも荒させようというのは、あまりといえば無用心に過ぎる。
しかし、実はこの無用心が当然で、こんな種類の闖入者があろうということは、想像だも及ばないこの地の住居のことだから、それは無用心を咎《とが》める方が無理だろう。
またしかし、ここは、料理場と違って、駒井甚三郎の研究しかけた事項には、断じて掻《か》き廻させてはならないことがあるに相違ない。ここで革命を行われた日には、料理場の類《たぐい》ではなく、たしかに取返しのつかないことがあるに相違ない。さればこそ駒井甚三郎は、いかなる親近故旧といえども、この室へは入場を謝絶してあるはず。
幸いなことに、この室には錠が卸してありましたから、闖入者も如何《いかん》ともし難く、立ちつくして苦笑いを試みました。
研究室の扉があかなかったものだから、闖入者はにが笑いして暫く立っていたが、また泳ぎ出して、次なる寝室に当ってみると、これが難なくあいたのが不幸でありました。
研究室の扉の頑強なるに似ず、ほとんどこれは手答えなしに、フワリとあいたものですから、闖入者は押しこまれるように、この室に闖入してしまいました。
闖入してみると、闖入者が、
「あっ!」
と、キュラソーの瓶を取落そうとして、やっと食いとめながら眼をまるくして、室の一方を見つめます。
寝台の上に半分ばかり毛布をかけて、一人の若い女が寝ていました。
よく眠る家だとでも思ったのでしょう。前の少年は仮睡であるが、これはとにかく、休むつもりで寝台の上にいる――だが病人ではない、こうして、日中も身を横たえておらねばならぬほどの病人とは思えない。それほどにはやつれが見えない。あたりまえの若い娘、ことになかなかの美人である。それと、ねまきを着ているわけではないのだが、これは本式に寝台に横たわっているとはいえ、やはりうたた寝の種類に違いない。
そうしてみると、この国は、よくうたた寝をする国である。毎日一定の時間には、必ず一定の昼寝をするように定められているのか知らん、と、闖入者《ちんにゅうしゃ》は疑ったのではあるまい。思いがけないところに、思いがけない異性を発見したものだから、その好奇心が、極度に眩惑されてしまったものと見える。
だが、好奇心というものは、もとより事を好むものであります。事がなければ、そのまま消滅してしまうものですが、事がありさえすれば、いよいよ増長して、ついに、罪悪の域まで行かなければとどまらないものであります。それを引きとどめるのに、自制心《コントロール》がある。それを奨励するものに、アルコールがある。
今や、このウスノロ氏には、自制心が眼を閉じて、アルコールが活躍している時だからたまりません。
「エヘヘヘ……」
と忽《たちま》ち薄気味の悪いえみを催しながら、おもむろにこの寝台へ近づいてみました。
この際、美しい女でなくとも、単に異性でありさえすれば、好奇心を誘惑するには十二分でありますが、不幸にして、寝台の上なる女は、浮世絵の黄金時代に見る面影《おもかげ》を備えた美しい女でありました。
多分、碧《あお》い眼で見ても、美しい女は美しく見えるだろうと思う。
ウスノロ氏が、ニヤリニヤリと笑いながら、いよいよ近く寝台に寄って来るのを、軽いいびきを立てている当の主《ぬし》は、いっこうさとろうとはしません。
それに、この時はどういうものか、金椎《キンツイ》を驚かさないように、あの室で食事をした以上の慎重さを以て、徐々《そろそろ》と近づいて行き、やがて、寝台の欄《てすり》のところへすれすれになるまで来ても、じっと娘の顔を見たままで、ほとんど手放しで涎《よだれ》を流すような有様で、島田に結った髪がかなり乱れて、着物の襟はよくキチンと合っていたが、鬢《びん》の下へ折りまげた二の腕が、ほとんどあらわになって、しかし、幸いなことに、帯から下はズッと毛布が守っているものですから、いわば、半身の油絵を見せられるような女の姿に見とれている。
そのまま突立っていたウスノロ氏が、どうしたのか、急に呼吸がハズんでくると、その眼の色まで変りかけてきました。
碧《あお》い眼玉は、別に変りようがあるまいと思われるのに、たしかに眼の色も変り、顔の色も変り、ついにはワナワナとふるえ出したもののようにも見える。
「茂ちゃん、いたずらしちゃいやよ」
その時、女がうわごとのように言いました。
「いやよ、いけないよ、茂ちゃん」
女は再び言って、まだ眠りからさめないで、手で顔の上を払いながら、
「いやだってば、茂ちゃん」
ウスノロ氏は指を出して、娘の頬を二三度突ッついてみたものだから、
「茂ちゃん、いやだってばよ」
女は四たびめに、手で自分の頬先を払って、ようやく眼をあいて見て驚きました。
「あ!」
それは茂ちゃんではない、全く茂ちゃんとは似もつかない――似ないといっても、想像以上の、髪の毛のモジャモジャな、眼の碧い、鼻の尖《とが》った、ひげの赤い、服の破れた大の男が、今しも自分を上から圧迫するようにのぞき込んで、棒のような指で、自分の頬をつついているのを見ると、
「いけない!」
娘はパッとはね起きると、大の男が口早に何か言いました。
何か言ったけれども、それは娘にはわからない。恐怖心でわからないのではなく、言った言葉そのものの音がわからない。
「お前は誰だい、あっちへ行っておいで、誰にことわってここへ来たの、あっちへ行っておいで――」
娘は叱りながら、扉の方をさして、立退きを命ずるほどの勇気がある。
そこで大の男がまたチイチイ、パアパアいう。けれども、何のことだかそれが聞き取れない。また聞き取ってやる必要もない。他の寝室へ闖入《ちんにゅう》して、異性に戯《たわむ》れんとするは、狼藉《ろうぜき》中の狼藉である。容赦と、弁解とを、聞き入るべき余地あるものではない。
「あっちへおいでなさいといったら、おいでなさい――人を呼びますよ、誰か来て下さい!」
娘はついにかなり大きな声を立てましたが、ここまで闖入者を許すほどの家だから、この声が有効になるはずはありますまい。
金椎《キンツイ》がいるにしても、あれは、よし眼がさめていたとて、声では驚かされるものではない。
娘にとっては、かなり危急な場合ではあるが、万事、人間のすることはそう手っ取り早くゆくものではない。猫ですらが、鼠をとった時は、一通りその功名を誇ってから後に食いにかかる。仮りにこのウスノロ氏が、思い設けぬ御馳走にありついたとしたところで、食の後には酒、酒の後には若い女と、こう順序があまりトントン拍子に運び過ぎてみると、なんだか自分ながら、果報のほどに恐ろしくもなるだろう。
まして、これは最初から、兇暴な野心を微塵《みじん》も持って来たのではない。かりそめの漂浪者であってみれば、その咄嗟《とっさ》の間に、兇暴性を充分働かせるだけの器量があるとも思えない。
要するにウスノロ氏は、ウスノロ氏だけのことしかしでかし得ないものだろうから、こういう場合に処するには、また処するだけの道があったろうと思われる。落着いてその道を講ずる余裕を失って、狼狽《ろうばい》してことを乱すと、かえって相手の兇暴性をそそり、敵に乗ぜらるるの結果を生むかも知れない。
恐怖が、この娘を狼狽させたが、狼狽から、いよいよ恐怖がわいて来た。
「行っておしまい、誰か来て下さい――」
二度《ふたたび》大声をあげると、娘は腰から下にかけていた毛布をとって、そのまま力を極めて大の男に投げつけたものですから、大の男がまた大あわてにあわてて、その毛布を取除こうとして、かえって深くかぶり、一時は非常に狼狽したが、やがてそれを取払うと、娘が、
「誰か来て下さい――」
四たび叫びを立てたものですから、大の男が堪《たま》らなくなって、その口をおさえました。口をおさえるにはまず右の腕をのばして、軽々と自分の胸のところまで引きつけて、そこで口をおさえると、娘が、両足をジタバタとさせてもがき[#「もがき」に傍点]ました。
こうなった時に、ウスノロ氏に、はじめて本能的の兇暴性がグングンと芽をのばしたように、
「あれ誰か来て――」
その声を、今度は鬚面《ひげづら》でおさえてしまいました。
大の男はそこで、娘の顔に向って、メチャメチャに接吻《せっぷん》を浴せかけようとする。娘はそうはさせまいと争い且つ叫ぶ。
十六
しかし、人生は、そう無限に闖入者《ちんにゅうしゃ》にのみ兇暴性をたくましうさせるの舞台ではない。
無用心ではあるが、無人島ではないこの住居へ、いつまで人間らしい人間の影を見せないということはあるべき道理ではない。
駒井甚三郎が画框《がわく》をかかえ、田山白雲がジャガタラいも[#「いも」に傍点]を携えて、悠々閑々と門内へ立戻って来たのが、その時刻でありました。
白雲は料理場へジャガタラいも[#「いも」に傍点]をほうり込んで、駒井の手から框を受取って、廊下の追分のところまで来た時分に、駒井の寝室がこの騒ぎです。
「誰か来て下さい――」
それと混乱して、一種聞き慣れない野獣性を帯びた声。
二人は、ハッと色めいて、宙を飛ぶが如くに例の寝室まで来て見ると、この有様ですから、無二無三に、
「この野郎!」
腕自慢の田山白雲は、後ろから大の男を引きずり出して、やにわに拳《こぶし》をあげて二つ三つ食らわせましたが、それにも足りないで、倒れているのをのしかかって、続けざまにこぶしの雨を降らせたものです。
と同時に、大の男が泣き叫んで哀れみを乞《こ》うの体《てい》。それも言葉がわかれば、多少の諒解《りょうかい》も、同情も、出たかも知れないが、何をいうにもチイチイパアで、ただ締りなく泣き叫ぶのを、田山白雲が、この毛唐《けとう》! ふざけやがって、という気になって、少しの容赦もなく、いよいよ強く続け打ちに打ちました。
よし、言葉がわからずとも、憎いやつであろうとも、体格が貧弱で、打つに打ち甲斐《がい》のないようなやつでもあれば、白雲もいいかげんにして、打つのをやめたかも知れないが、何をいうにも体格は自分より遥かに大きいから、打つにも打ち甲斐があると思って、容赦なく打ったものでしょう。
駒井甚三郎さえも、もうそのくらいで許してやれ、と言いたくなるほど打ちのめしているうちに、どうしたものか、今まで哀訴嘆願の声だったウスノロの声が、にわかに変じて、怒号叫喚の声と変りました。
それと同時に、必死の力を極めてはね起きようとするから、田山白雲がまた勃然《ぼつぜん》と怒りを発し、おさえつけてブンなぐる。
それをウスノロが必死になってはね起きると、かなりの地力《じりき》を持っていると見えて、とうとうはね起きてしまい、はね起きると共に、力を極めて田山白雲を突き飛ばして逃げ出しました。
いったん突き飛ばされた白雲は、こいつ、生意気に味をやる――と歯がみをしながらウスノロのあとを追いかける。
見ていた駒井は、これは白雲が少しやり過ぎる。あいつも、あのままでは打ち殺されると思ったから、必死の力を揮《ふる》って逃げ出したのだろう、へた[#「へた」に傍点]なことをして怪我でもさせてはつまらない――と心配はしたけれども、仲裁のすきがありませんものでしたから、ぜひなく、二人の先途を見とどけようとして、そのあとを追いました。
本来、田山白雲は、その風采《ふうさい》を見て、誰でも画家だと信ずるものはないように、筋骨が尋常ならぬ上に、武術もなかなかやり、ことに喧嘩にかけては、相手を嫌わぬしれ者[#「しれ者」に傍点]でありましたから、こういう場合に、じっとしておられるわけがない。
ことに、いったん取押えたやつにはね起きられて、突き飛ばされて、逃げられたというのが、しゃくにさわったものらしい。
そこで、廊下を追いつめて来たところが、例の食堂で、ここへ来ると、いつのまにか、料理場へ通う戸が締切られてあったものだから、大の男が逃げ場を失いました。
逃げ場がなくなったものですから、絶体絶命で大の男は、その戸じまりの前に立って、何とも名状し難い妙な身構えをしました。
そこへ田山白雲が追いかけて来て、その身構えを見て、あきれ返りました。
これは窮鼠《きゅうそ》猫をかむという東洋の古い諺《ことわざ》そっくりで、狼狽《ろうばい》のあまりとはいえ、あの身構えのザマは何だと、白雲は冷笑しながら近づいて行って、その首筋を取って引落そうとする途端を、どう間違ったのか、その名状し難い妙な身構えから、両わきにかい込んだ拳《こぶし》が、電火の如く飛びだして、白雲の首からあごへかけて、したたかになぐりつけたものですから、不意を食《くら》った白雲がタジタジとなるところを、すかさず第二撃。
さすがの白雲がそれに堪らず、地響きを立てて床の上へ、打ち倒されてしまいました。
起き上った時の白雲は、烈火の如く怒りました。
だが、最初にばかにしたあの変な身構えの怖るべきことを、この時は気がついたようです。変な身構えが怖ろしいのではない、あの変な身ぶりから飛びだす拳の力が、怖ろしいのだとさとりました。
だから、こいつ、何か術を心得ていやがるなと感づいたのも、その時で、そう無茶には近寄れない、強引《ごういん》にやれないと、気がつきながら起き上って見ると、まだ逃げることも、廻り込むゆとりもない大の男は、同じような変な身構え――それを言ってみると、身体《からだ》の半分を屈して、眼を皿のようにし、両方の拳をわきの下へ持って来て、そのこぶしをしかと握ったところは、たとえば、柳生流の柔術でいえば、乳の上、乳の下の構えというのに似て、組むためではなく、突くためか、打つためか、或いは払うための構えだと見て取りました。
毛唐《けとう》の社会には、こんな手があるのか知ら。しかし、油断して、タカをくくっていたとは言いながら、あのこぶしの一撃でよろめかされ、二撃で完全に打ち倒されてしまったのだから、白雲が、歯がみをするのも無理はない。
今で考えると、この大の男が取っている身構えは、拳闘をする時の身構えであって、この男は相当に拳闘を心得ていて、自分の危急のあまり、その手で白雲を打ち倒したものだから、決して無茶をやったわけでもなく、力ずくで振り飛ばしたわけでもない。先方はつまり、習い覚えた正当の格によって応戦して来たのを、こちらが無茶に、不用意に、近づいたから不覚を取ったものに違いない。
前にもいう通り、田山白雲は画家に似合わず屈強な体格であり、兼ねて武術のたしなみがあり、なかなかの膂力《りょりょく》があって、酒を飲んで興たけなわなる時は、神祇組《じんぎぐみ》でも、白柄組《しらつかぐみ》でも、向うに廻して喧嘩を辞せぬ勇気があり、また喧嘩にかけては、ほとんど無敵――というよりは、その蛮勇を怖れて、相手になり手がないというほどに売込んでいるから、自分もその方面にかけては、十分の自信がある。
絵筆をにぎる人が喧嘩を商売にするのは、どうも釣合わないことのようですが、本来、田山白雲は、絵師たるべく絵師となったのではない。慷慨《こうがい》の気節もあり、縦横の奇才もないではないが、何をいうにも小藩の、小禄の家に生れたものだから、その生活の足し前として絵画を習い出したので、もとより好きな道でもあるが……この点は、三州の渡辺崋山にも似ている。
そこで白雲は、喧嘩が本業だか、絵が本業だか、わからないことがある。どこへ行っても画家とは見られないで、武者修行と見られることの方が多い。
ここにおいて白雲は勃然《ぼつぜん》として怒り、この毛唐味なまねをやる、そんならばひとつ、天真神揚流の奥の手を出して……と本気になってかかりました。
第一に、あの拳を避けて取ッつかまえ、思いきり投げ飛ばして、締めか、逆かで、目に物を見せてくれようという策戦を立てました。
この計策、見事に当って、大の男をズデンドウと投げ出したのは、めざましいばかりです。
投げると共に飛び込んで行った白雲は、無残に大の男の首をしめてしまいました。
「サア、どうだ!」
返答のないのも道理。大の男は一たまりもなく、完全に落されていました。
入口に立って見ていた駒井甚三郎は、田山白雲の武勇の程に驚いてしまい、投げたらば、抑え込みか、逆かで、相当に苦しめて許してやるのだと思っていたところが、グングンしめてしまったものだから、これは過ぎる――いくらなんでもやり過ぎるわいと、またしても白雲の暴力に怖れをなした様子で、
「大丈夫ですか?」
と念を押しますと、
「大丈夫です、ほうって置けば、生き返りますよ」
白雲は、一息入れる。
それと同時に、気にかかることがあって、食堂と、料理場の間の戸、つまり大の男が進退きわまった戸口をあけて見ると、かわいそうに、そこで金椎《キンツイ》が泣き出しそうな顔色をして、料理場の中を、右往左往に狼狽しています。
そうでしょう、自分が一睡の間に、自分の王国は、すっかり荒されて、丹精して晩餐《ばんさん》に供えようとした材料は、すべて食いつくされているのだから。そうして、これから迫った時間の間に、その復興をしなければならぬ。
その復興はできるとしても、誰がいつのまに来て、こんな手きびしく乱暴を働いて行ったのだか、皆目わからない。
いたずらをするとすれば、これは清澄の茂太郎にきまっているが、これは茂太郎のいたずらとしては、規模が大き過ぎている。
ことほどに、自分の持場を荒されて、全然それに気がつかなかったということは、損害の問題ではなく、自分の職務の、責任の問題だという顔をして、それでも差当りの急は、悔いているよりは働かなければならぬ、とりあえず差迫った晩餐の復興を、根本的にやり直すことに全力を注がなければならぬという気持で、悲痛と、憂愁の色をたたえながら、料理場の中をしきりに奔走しているのです。金椎の耳には、ただ今、この隣室で行われた大活劇もはいらなかったものと見える。
そこへ、田山白雲が顔を出したものですから、金椎は申しわけのないような顔をする。
ただいま、泥棒がはいってこの通りでございますと、訴えれば訴えられるのをこの少年は、無言でただ、申しわけのない顔だけをして、一心に働いている。
「金椎君、何かやられたかい、こいつに……?」
白雲はこう言ってみたけれど、金椎の耳には、それが用をなさないと気がついて、例の料理法の憲法の下へ、有合せの筆を取って、
「洋夷侵入、白雲万里」
と書きました。洋夷侵入はわかっているが、白雲万里が何の意味だかわからない。
駒井甚三郎も、この時、室内に入り来《きた》って、被害の実況をよく調査する。
結局、ただ食い荒し、飲み荒しただけで、ほかにはなんらの盗難もないということ。
ただ、秘蔵しっぱなしで、誰も手をつけなかったキュラソーが、一瓶なくなっているが、これとても闖入者《ちんにゅうしゃ》が私したのではない――私したのはわかっているが、それを持ち出してどうのこうのというのではなく、ただ飲んでしまって、いい心持になったのだということがわかり、つまり、あいつは、ただ食に迫ってこの家へ闖入し、飢えが満たされてから、あちらへ戸惑いをして行ったものに過ぎまい、という想像が話題になってみると、白雲も、あまり手きびしくとっちめたのが、むしろかわいそうにもなりました。
しかし、毛唐《けとう》は毛唐に違いない。あんな奴が、どうして一人だけこんなところへ流れ込んだのだろうという疑問は、誰の胸にも浮ぶ。
その時、隣室で、うーんとうなり出したのは、問題の男が息を吹き返したものでしょう。
十七
晩餐の食堂の開かれようとする前、駒井甚三郎と、田山白雲と、例のマドロス氏とが卓を囲んで会話をはじめました。
ところが、まどろこ[#「まどろこ」に傍点]しいことには、駒井の英語は、耳も、口も、目ほどにはゆかないものですから、マドロス氏との会話に、非常に骨が折れるのに、またマドロス氏の言葉が、英語が土台にはなっているが、なまりが非常に多いと来ているから、断線したり、わからないなりでしまったり、要領を得たような得ないような、すこぶる珍妙な会話でありましたが、しかし、この骨の折れる珍妙な会話が、駒井と、白雲とを、興に導くことは非常なものでした。
とにかく、そのしどろもどろ[#「しどろもどろ」に傍点]な会話を綜合してみると、このマドロス氏は、オランダで生れて英国で育ち、マドロスとして、ほとんど沿海の諸国を渡り歩いているうちに、その言語が英語を主として、それら諸国の異分子が、ゴッチャになっているうち、支那の上海《シャンハイ》あたりにいたこともかなり長かったとやらで、支那語もちょいちょい入ります。
駒井の方は、不自由とは言いながら、ともかく、正確な文法から出ているのだが、マドロスの方はベランメーです。
どうしてこんなところへ流れついたか、という疑問に答えたところを、つづり合わせてみると、なんでも日本の北海へ密猟に来て、その帰りがけに、この近海へ碇泊《ていはく》しているうち、勝負事で、仲間にいじめられるかどうかして、船を逃げ出し、その逃げ出す時に万一の用意として、ポテトを一袋持って海へ飛び込んで泳いでみたが、ポテトが邪魔になって思うように泳げない、そこでぜひなくポテトを打捨てて泳いだら、まもなく海岸へ泳ぎついた。こんなことなら、ポテトを捨てるではなかった――今更ポテトが惜しくてたまらない。あのポテトさえあれば、当座の飢えをしのぐことができたのだ。当座の飢えをしのいでさえいれば、こうして人様の家へ闖入《ちんにゅう》して、首をしめられ、地獄の境まで見せてもらうような羽目にも落ちなかったろうに、返す返すも、ポテトに恨みがあるようなことを言いました。
その愚痴がおかしいといって、聞きながら駒井甚三郎が笑い出すと、田山白雲は何のことだかわからないが、マドロス氏がしきりに手まねをしながら、ポテト、ポテトという語を繰返すものですから、白雲が横の方から口を出して、
「ポテトというのは、何ですか?」
「それは例の、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]のことだよ」
「ははあ、あのジャガタラか……」
白雲がなるほどとうなずくところを、駒井が翻訳して、この男が仲間からいじめられて船を逃げ出す時に、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]を一袋持って海へ飛び込んだが、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]が荷になって思うように泳げない、そこでやむなくジャガタラいも[#「いも」に傍点]を打捨てて泳いだら、捨てて間もなく岸であった、こんなことならジャガタラいも[#「いも」に傍点]を捨てるんではなかった、今更ジャガタラいも[#「いも」に傍点]が惜しい、あのジャガタラいも[#「いも」に傍点]さえあれば、飢えに迫って、こんな憂目を見なくても済んだに……と今この男がジャガタラいも[#「いも」に傍点]に向って、かずかずの恨みを述べているところだ……駒井が白雲に話して聞かせると、白雲が、はじめて大口あいてカラカラと笑いました。
「ははあ、いも[#「いも」に傍点]に恨みが数々ござるというわけか」
まもなく、そのジャガタラいも[#「いも」に傍点]が、金椎《キンツイ》の骨折りで巧みにゆであげられ、ホヤホヤと煙を立てて食卓の上に運ばれたところから、マドロス氏は妙な顔をして、そのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を一心にながめやる。
田山白雲は、腹をかかえて笑い、
「さあ、君、遠慮なくやり給え、思わぬところで、わが子にめぐり会ってうれしかろう」
白雲がまず、その最も大きなジャガタラいも[#「いも」に傍点]を取って、皮をむき、塩をつけて、食いはじめました。
そこで三人は、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]を食いながら、その不自由な、間違いだらけの会話を、熱心に続ける。
田山白雲の武勇のことになると、駒井は全く舌をまき、マドロス氏は恐れ入って、自分で自分の咽喉《のど》をしめるまねをして苦笑いをする。
その時に白雲が、かなりまじめになって、しかも慨然とした調子で、次の如く言いました。
「時にとって腕力も必要ですよ、腐れ儒者は、腕力はすなわち暴力と言いたがるけれど、人間がことごとく聖人でない限り、腕力でなければ度し難いことがあるのです」
「美術家たるあなたから、腕力の讃美を聞こうとは意外です、いわんや、その実力を示されようとは……」
「拙者はこれが持前ですよ。もっとも、近頃は少しおとなしくなりました。しかし、理由なき腕力を用うるということは断じて致しませんから、御安心下さい。理由ある場合と、事の急なる場合には、筆の先や、舌の力では、緩慢で堪えきれませんからな」
「しかし、腕力は結局、また腕力を生むことになりはしないか?」
「正義にはかないませんよ。正義を遂行するための腕力で、本当の腕力は、正義の存することのほかには、そう強く揮《ふる》えるものじゃありません。陰険卑劣なオッチョコチョイ、つまり、蔭へまわっては、人を陥穽《かんせい》しようとするような奴、表へ出ては、つかみどころのないような奴を、制裁するのは、腕力に限ります。大地の上へ、ウンと一つ投げつけてやるか、腕の一本も打折ってやると、少しは眼がさめます。早い話が、われわれ社会の偽物《にせもの》どもを退治するなんぞには、これがいちばん近道ですよ」
「偽物退治とは?」
「つまり、絵の偽作をする奴なんです、名家の絵を偽作して、盛んに売込んで儲《もう》ける奴があるんですな。泥棒よりもモットたち[#「たち」に傍点]のよくない奴なんですが、こいつが、われわれ社会の裏面に蠅のように寄生して、始末にいかないことがある。なあに、神品は模造すべからざるものだから、見る人が見れば、問題にはならないが、世間はめくら千人だから、その偽物に欺かれるものが意外に多いです。そういう蠅のような偽物どもを、いちいち取ッつかまえて、町奉行へ訴え出るなんぞは煩《わずら》わしくてたまらないから、大家連は、知って相手にしないことがあると、そいつらがいい気になって増長するものだから、画界の風儀を非常に乱す。そこで拙者は、三四人の腕ききを集め、自分が先発で、いちいちその偽物《にせもの》どもをブンなぐって廻ったことがありました」
「それは、なかなか痛快ですが、暴力沙汰で、あべこべに告訴を受けるようなことはありませんでしたか」
「ありませんとも。暴力じゃありません、正当防衛ですもの。盗みをする奴をつかまえて聞かなけりゃ、打ち殺したって苦しかありませんよ、いわんやブンなぐるくらいは何でもないことです。五六人ブンなぐったら、それで少しは利《き》き目《め》がありました。なかには腕を折られて、ヒイヒイ泣いた奴もありましたよ。ああいう蠅共を退治するには、腕力に限るです」
美術界の神聖のために、その風儀の維持のために、偽作者に、腕力制裁を加えることの正義なる所以《ゆえん》を、白雲は力説しました。
そうして、自分がこの偽作者どものブラックリストをこしらえて置いて、片っぱしからやッつけた経験談を語り出でて、そうして今時の腐れ儒者や、青二才が、腕力すなわち暴力とけなして、自分の卑怯《ひきょう》な立場を擁護しようとする風潮を、あざけりました。
十八
ここで三人の会話に花が咲いている時、海に面した他の一方の座敷で、美婦と、妖童とが、しめやかに問答をする。
岡本兵部の娘は、畳の上に置かれた椅子に腰をかけて、すらりとした足を投げ出しながら糸巻に糸をまいていると、それと相向ったところに清澄の茂太郎は、ちょこなんと坐って、両手に糸の束《たば》をかけ、膝の上には、片時も放さぬ般若《はんにゃ》の面がある。
兵部の娘に糸をまかせながら、清澄の茂太郎は、
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可愛い由松《よしまつ》だれと寝た
だれと寝た
お父さんと寝たなら
よしよし
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小音でうたうと、岡本兵部の娘は、それに合わせるように、
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寝たといな
寝たといな
裾に清十郎と
寝たといな
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そう言いながら、手を休めず糸をまいているところを見れば、少しも変ったところはない。言葉の調子だってその通り、茂太郎に対して親切な姉様《あねさま》ぶりといったような気位が、少しも乱れてはおりません。
これはどうしたのだろう。駒井の手もとへ置いてもらうようになって、その精神がすっかり落ちついて、こうも、たしなみのよいお嬢様の昔に返ったのか。それとも、逢いたがっていた清澄の茂太郎が来たので、その喜びから乱れた心が一時に納まったのか。とにかく、岡本兵部の娘の今の有様は、精神にも、肉体にも、なんらの異状を認めることができず、このままこの家庭の一員として、誰が見ても調子よく納まっているのは、以前を知っている者の眼から見れば、不思議というばかりです。
不思議なのは、そればかりではない。以前を知ったものにとっては、幾多の痛々しいものを知っているでしょう。知って、言わずして過ぐる人の眼には、複雑な嘲笑の色を含んではいるが、当人は、淋しく取澄ましてそれをやり過ごす。それが痛々しいとも見られるし、食えないとも見られる。どちらでも取りようです。
糸を巻かせながら茂太郎は、何か物足らないような風情《ふぜい》で、
「殿様殿様というけれど、どうしてあの人は、殿様なんだろう?」
「どうして殿様だって、あの方は殿様なんだもの」
「だって殿様というものは、槍を立てて、お供をたくさん連れて、乗物に乗って、前触れをして、お通りになるんじゃないか。うちの殿様は、お供もなければ、槍もないし、乗物もない」
「ホホホホ」
それを聞いて、岡本兵部の娘は笑い、
「それはお前、昔のことよ。うちの殿様も、以前はその通りなんでしょう、お大名でこそなかったけれども、立派なお殿様よ」
「今は?」
「今は浪人していらっしゃるから……」
「どうして浪人したの?」
「どうしてだか、知らないわ」
そこで糸巻の糸がこんがらかったのを、兵部の娘が軽くさばく。
「お嬢さん、お前、今日も殿様のお部屋へ行きましたね」
「ええ」
「何をしていたの?」
「寝《やす》んでいたのよ」
「一人で……?」
「無論のことさ」
「叱られるだろう?」
「だって、あそこは静かでいいもの……」
「騒がしいとこはいや?」
「ええ」
「では、どうして胡琴《こきん》をひいたり、あたしに歌をうたわせたりするの?」
「その時は、その時でね」
「ふだんは、静かなところがいいの?」
「ええ……だから殿様のいない時にばかり、あのお部屋へ行って寝るの」
「そう」
茂太郎はまだ心もとない顔をしながら、その問答の一くさりはともかく、それで一段落になると、また、
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可愛い由松だれと寝た
だれと寝た
お父さんと寝たなら
よしよし
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一つことを歌い出すと、、二度、三度、口をついて出るのがこの少年の癖であります。
その歌は、例によってでたらめではあるが、それはいつ、何の時、どこかで一度は鼓膜に触れたことのあるものが、順序不同に口をついて出るのだから、あながち創作ともいえますまい。そこでちょうど、巻かせた糸の一たばが終りになりました。
「どうも御苦労さま」
「お嬢さん、殿様が浪人をするのは、何か悪いことをしたんだろう?」
「いやだ、悪いことなんかする殿様じゃありませんよ」
「だッて悪いことをしなければ、浪人するはずがないじゃないか?」
「そうとばかりは、言われなくってよ」
「それでも、立派に殿様でいられる人が、浪人をするのは、つまり何か悪いことをして、免職になったんじゃない?」
「そんなことがあるものですか」
兵部の娘は、無意識に駒井の弁護をしてきたが、思うように茂太郎の耳には響かないと見えて、
「いい人だってお前……いい人だって、悪いことをすることもありまさあね」
茂太郎から先手を打たれて、兵部の娘は、ちょっと二の句が継げなくなりました。
なるほど、そういわれてみれば、そこに疑いの余地がないではない。ドコといって非点の打ちようのない殿様が、その位地を去らねばならぬまでの事情を、聞いてもみなかったし、考えてもみなかったが、茂太郎から、かりそめに疑われて、はじめて疑いの心が起りました。
だが、この疑いも、自分の弱味を疑われでもしたかのように、何か、弁護の口実を発見しようとあせった揚句、
「それでもお前……天神様をごらん」
「え?」
「天神様をごらんなさいな、菅原道真公を。天神様はあの通りのいいお方でしょう、それでさえ筑紫《つくし》へ流されたじゃありませんか、時平公《しへいこう》の讒言《ざんげん》で……」
「…………」
「讒言に逢っちゃ、誰だって、どんなエライ人だって、たまりませんよ」
彼女は、ようやく菅原道真において、その最も有力な弁護者を見出だしたかのように、一も、二も、讒言ということに持って行ってしまいたがる。
「そうかも知れない」
茂太郎が、それでやや納得《なっとく》の色があるのに力を得て、
「うちの殿様も、つまり、讒言《ざんげん》に逢って、今のように浪人していらっしゃるのよ、だから、わたし、ほんとうにお気の毒だと思うわ」
「それでお嬢さん、お前は、ここのうちの何なの……?」
「わたし?」
「殿様のところへ、お嫁に来たんじゃないでしょう?」
「イヤな茂ちゃん」
「それじゃお妾《めかけ》さん……?」
「茂ちゃん」
「なに?」
「お前、どうしてそんなことを聞きたがるの? お前らしくもない」
「だって、お前は、ここのうちへ、何しに来ているんだかわからないんだもの。もと、殿様のお家と親類なの?」
「そんなことは、どうでもいいから、茂ちゃん、お歌いなさいな」
といって、兵部の娘は糸巻を置いて、胡琴《こきん》を取上げました。
歌えといわれたが、歌わない茂太郎は、
「お嬢さん、弁信さんのことを、悪くいうのをおよし」
と急に思い出していう。
「どうして?」
「どうしてだって、弁信さんは悪くいう人じゃない、あの人を悪くいう方が間違っている」
「わたしは、そんな人、いっこう知らない」
兵部の娘は、三下《さんさが》りの調子で、胡琴を鳴らしてみました。
「お雪ちゃんもいい子だ」
「お雪ちゃんて、どこの子?」
「上野原のお寺の娘よ」
「茂ちゃん、お前は、その娘さんにも可愛がられたろう?」
「可愛がられたさ」
「わたしと、どっちがいい?」
「どっちもだいすき……けれども、お雪ちゃんの方が、お嬢さんより親切ね」
「親切、どんなに親切?」
「どんなに親切ったって、それは口には言えないけれど、お雪ちゃんて人は、ほんとうに親切な人よ、わたしがいないでも、わたしのことを心配していてくれるのよ」
「お雪ちゃんより、わたしの方がこわい?」
「こわかないけれど――」
茂太郎は、この時、立ち上って、般若《はんにゃ》の面をかぶりました。
「茂ちゃん、もう少しお話しよ」
その時は、もう茂太郎の姿は、この座敷の中には見えず……といっても、七兵衛のように、忍術まがいの早業《はやわざ》で、消えてなくなったわけではなく、窓から身をおどらして、室外へ飛び出してしまったのです。
ほどなく洲崎鼻《すのさきばな》の尽頭《じんとう》、東より西に走り来れる山骨《さんこつ》が、海に没して巌角《いわかど》の突兀《とっこつ》たるところ、枝ぶり面白く、海へ向ってのし[#「のし」に傍点]た松の大木の枝の上に、例の般若の面をかぶって腰うちかけ、足を海上にブラ下げた清澄の茂太郎。
北の方《かた》、目近《まぢか》に大武の岬をながめ、前面、三浦三崎と対し、内湾《うちうみ》と、外湾《そとうみ》との暮れゆく姿を等分にながめながら、有らん限りの声を出して歌いました。
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万木《ばんぼく》おふくが通るげで
五百|雪駄《せった》の音がする
チーカロンドン、ツァン
正木《まさき》千石
那古《なこ》九石
那古の山から鬼が出て
鰹《かつお》の刺身で飲みたがる
チーカロンドン、ツァン
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このところより、遠見の番所はさまで遠いところではない。
あの座敷にいた岡本兵部の娘の耳には、明らかにこの歌の音が聞き取れる。歌の音が聞えるばかりではない、ちょっと身をかがめさえすれば、いま出て行った窓のところから、明らかにこの竜燈の松と、その枝の上に身を置いて、海洋の上に高く足をブラ下げながら、対岸三浦三崎のあたりを眼通りにながめて、あらん限りの声をしぼってうたうその人の姿を、まるで手に取るように、ながめることができるのであります。
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弁信さん
お前は知らない
あたしが
どこにいるか
お前には
わからないだろう
海は広く
山は遠い
向うにぼんやりと
山と山の上に
かすんで見えるのは
富士の山
甲州の上野原でも
あの塔の上では
富士の山が
見えたのに
弁信さん
お前の姿が見えない
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清澄の茂太郎は、こういって歌いました。いや、これは歌ではない、単純明亮《たんじゅんめいりょう》に山に向って呼びかけた言葉に過ぎないけれど、茂太郎が叫ぶと、韵文《いんぶん》のように聞える。
清澄の茂太郎は今、般若の面を小脇にかいこんで、砂浜の間を、まっしぐらに走り出しました。
その時分、ちょうど、西の空は盛んに焼けて赤くなり、ところによっては海の水さえが、紅を流したようになりました。夕焼けのために空が赤くなり、従って海が赤くなるのは、あえて珍しいことではないが、きょうに限って、その赤い色が違うようです。
老漁師は、こんなに変った色を好みません。その色ざしによって、なんとか明日の天候を見定めるものですが、この夕べは、十里の砂浜に日和《ひより》を見ようとする一つの漁師の影さえ見えません。
ところどころに、竜安石を置いたような岩が点出しているだけで、平沙渺漠《へいさびょうばく》人煙を絶するような中を、清澄の茂太郎は、西に向ってまっしぐらに走り出しました。
真直ぐに行けば忽《たちま》ち海に没入する道も、まがれば無限である。茂太郎は、その無限の海岸線を走ろうというのですから、留め手のない限り、その興の尽き、足の疲れ果つる時を待つよりほかに、留めるすべはない。
けれども、まっしぐらに走ること数町にして、彼は踏みとどまり、やはり真紅《まっか》に焼けた海のあなたの空に向って、歌をうたう声が聞えます。
だが、その歌は、音節が聞えるだけで、歌詞は聞えない。聞えてもわかるまい。
暫く砂浜の上に立って、例の如く、あらん限りの声を揚げて歌をうたっていたが、真紅な西の空に、旗のように白い一点の雲をみとめると、急に歌をやめて、それを見つめる。
白い一点の雲が動く――動いてこちらへ近づいて来る。
一片の雲だけが、夕陽の空を、こっちへ向いて飛んで来るという現象は珍しいことだ。ことにその色が、いかにも白い。時としては、銀のような色を翻して見せることもある。
雲が自身で下りて来る――まことに珍しいことだ。彼は大海の夕暮に立って、下界に降り来る一片の白雲を、飽くまで仰ぎながめている。
なんのことだ――雲ではない、鳥だ。素敵もない大きな鳥が、充分に翼をのしきって、夕焼けの背景をもって、悠々《ゆうゆう》として舞い下って来るのだった。
信天翁《あほうどり》か――とびか、鷹か、みさごか、かもめか、なんだか知らないが、ばかに大きな、真白な鳥だ。
そのうしろを、黒鉛のような夕暮の色が沈鬱《ちんうつ》にし、金色の射る矢の光が荘厳《そうごん》にする。
なんだ、鳥か――小児が再び走り出したのは、その時からはじまります。雲が心あっておりて来るなら、それに乗りたい、だが、鳥では用がないとでも思ったのだろう。
鳥の方でもまた、お気に召さないならば……と挨拶して、翼の方向をかえる。
清澄の茂太郎は、またも、まっしぐらに砂浜の無限の道を走る。
遠見の番所も見えなくなった。
駒井の住所も、造船所の旗も、模糊《もこ》としてわからない。
空の紅《くれない》の色は漸くあせてゆくと、黒の夕暮の色がそれを包んでゆく。ただ一本、すばらしく長い金色の光が、大山の上あたりまで、末期《まつご》の微光を放っているのが残るばかり。
そこで清澄の茂太郎は、また踏みとどまって、あらん限りの声で歌い出した。
音節が聞えるだけで、歌詞のわからないのは例の通り――
ひとしきり、歌をうたうと、またも、西の空の残光に向って、まっしぐらに走り出す。行くことを知って、帰ることを知らないらしいこの少年にあっては、行くことの危険に盲目で、帰ることの安全が忘却される。
それとも悪魔はよく児童をとらえたがる――鼠取りの姿を仮りて、笛の音でハメリンの町の子を誘い、それを悉《ことごと》くヴェゼルの河の中に落して溺れ死なしたこともある。天の一方に悪魔があって、無限に茂太郎を誘引するのかも知れない。
果して、その日、晩餐《ばんさん》の席に、駒井の家には、新たに外来の漂泊の愛嬌者の来客を一人迎えたけれど――同時に、いつもいて食卓を賑わす一個の同人を失いました。
迎えたのは、申すまでもなくマドロス氏、失うたのは、清澄の茂太郎。
その席で、駒井は、幾度か茂太郎の身の上を心配したけれど、岡本兵部の娘は、一向それを苦にしない。
「あの子は、帰りますよ」
この娘は、深山と、幽谷と、海浜と、人なきところを好む茂太郎を知っている。
山に行けば、悪獣とも親しみ、海に入れば、文字通りに魚介《ぎょかい》を友として怖れないことを知っている。茂太郎の不安は、繁昌と、人気と、淫靡《いんび》と、喧噪《けんそう》の室内に置くことで、山海と曠野に放し置くことの、絶対に安全なのを知っている。
さればこそ、さいぜんも、まっしぐらに砂浜を走る茂太郎を後ろから、最初のうちは呼んでみたけれども、ほどなくあきらめて、そのなすがままに任せてしまった。
その晩餐の席には、料理方の金椎《キンツイ》も、平等に食卓の一方をしめ、お給仕役は岡本兵部の娘が代りました。といっても、兵部の娘もまた、平等に食卓の一部を持っているのだが、好意を以て金椎の労をねぎらうために給仕をつとめるものらしい。
これによって見ると、いつもは、清澄の茂太郎もまた、お給仕役をつとめるのだろう。見たところ、田山白雲も、主人役の駒井甚三郎までも、ほとんどここでは、主客の隔てがないらしい。新来のウスノロ氏は、相変らずこの席の人気者でありました。
兵部の娘に向って、頻《しき》りに面目ながって、ひたあやまりにあやまる形は、またかなり一座の者を喜ばせたようです。
当の兵部の娘さえ、笑って問題にしないくらいだから、むしろ一種の喜劇的人物の点彩を加えたようなもので、この一座の藹々《あいあい》たる家庭ぶりの中に包まれてしまったようなものです。
この新来客の姓名は、当人はトーマスとかゼームスとか名乗ったようでしたが、田山白雲は決然として、ウスノロがいい、ウスノロがいい、ウスノロ君と呼べばてっとり早くっていいではないか――と提案したが、それは少なくとも人格に関する、むしろマドロス君と呼ぼうではないか、と駒井の修正案が通過する。
かくてこのままマドロス君は、駒井一家の家庭の人として包容されるらしいが、駒井甚三郎の心では、これはこれで、また利用の道がある、当分は造船工を手伝わせ――と心に多少の期待を置いているらしい。
こうして席上はかなり陽気でしたけれど、ひとり、耳の聞えない金椎だけが心配そうに、手帳と鉛筆とを持って、岡本兵部の娘の前へ出て来て、
「茂ちゃんは、どうしました?」
と言いながら、手帳と鉛筆をさしつけると、兵部の娘は、直ちに鉛筆を取って認《したた》めました、
「海岸ヲ西ノ方ヘ向イテ行ッテシマイマシタ、ソノウチ帰ルデショウ」
それを見ると、金椎の眉根《まゆね》が不安の色に曇り、思わず窓の外から海の方を見ますと、真の闇ながら、空模様が尋常でない。
十九
宇津木兵馬は、あすは中房《なかぶさ》の温泉に向けて出立しようと、心をきめて寝《しん》につきました。
今頃、中房へ行くといえば、誰も相手にしない。案内者ですらも二の足を踏んで引留めるくらいだから、これはむしろ、誰にも告げないで、単騎独行に限ると思いました。
仏頂寺らの豪傑連はどこを歩いているか、ほとんど寄りつかない。そこでこの連中とは同行のようなものだが、おのおの自由行動を取っているのだから、断わる必要はないようなものの、一応は置手紙をしておこう――それと、防寒の用意だけは多少して行かねばならぬ。場合によっては食糧も――そこで兵馬は、明日出立のことを考えて、今や眠りに落ちようとする時、廊下をバタバタと駈けて来て、兵馬の部屋の障子に手をかけたものですから、ハテ、仏頂寺が帰ったのか知ら、それにしては変な足音だ。
ハッと、眼がさめた。
では女中だろう――それにしても女中ならば、いくらなんでも、もう少ししとやかでなければならぬ。寝ついているお客の座敷へ来るには、一応の挨拶もあるべきものを、バタバタと駈けて来て障子へ手をかけると、早くもそれを引開けて、なんにもいわずに勢いよく闖入《ちんにゅう》したものですから、兵馬もこれは変だと思いました。
こういう場合においての兵馬は、金椎《キンツイ》と違う。
兵馬は、不具でない耳を持っていると共に、敵の動静に対しては極めて敏感なる武術の修養を持っている。
何者の闖入者《ちんにゅうしゃ》が、いかなる場合に来ても、よし熟睡中に来ても、うろたえないだけの心得はある。だから、おのれを守る意味においては、金椎あたりとは全然比較にならないのです。
ハッと眠りをさまして、半眼でもって、早くもその闖入者の動静を見て取ってしまいました。
ところが、この闖入者もまた、金椎の場合におけるものとは全く挙動も、性質も、違っている。
あの時のように、一応、外からのぞいて見たり、おとのうてみたりして、おもむろに闖入に取りかかるというのではなく、バタバタと駈けて来て、いきなり障子をあけて、一言もなしにズカズカと人の座敷へ入り込むのだから、かなり大胆なものです。
けれども、この大胆者は、兵馬を怖れしめないで、驚かせるには驚かせたが、むしろ唖然《あぜん》として、あきれ返るように、驚かせたのです。
この闖入者は、赤いひげのマドロス氏とは違って、艶《えん》になまめいた女でありました。
それは特にめざましいもので、男髷《おとこまげ》にゆって、はなやかな縮緬《ちりめん》の襦袢《じゅばん》をつけた手古舞姿《てこまいすがた》の芸者でありましたから、兵馬といえども、呆気《あっけ》に取られないわけにはゆきません。
ははあ、今夜はお祭で、手古舞が出て大騒ぎであった。だが、手古舞がここへ舞い込んで来るのは、どうしたことの間違いだ。
兵馬は寝たままで半眼を開いて、非常な驚異で、手古舞の挙動を注視していると知るや、知らずや、手古舞の無遠慮はいよいよ甚だしいもので、いきなり、火鉢のところへ来てべったりと坐ってしまい、右の手で火鉢の上の鉄瓶を取ると、左の手で湯呑をひっくり返し、もうさめてしまった鉄瓶の湯を、その湯呑の中につぐと、仰向けにグッと傾けてしまいました。
遠慮のない奴もあったものだな、兵馬は呆《あき》れながら、なお油断なくその挙動を注視していると、お湯を飲むこと飲むこと、立てつづけに、何杯も、何杯も、あおりつけて、忽《たちま》ち鉄瓶を空《から》にしてしまいました。鉄瓶が空になったと見ると、それを下へ置いて、ゲッという息をついて、トロンとした眼で室内をながめて、ぐったり身体《からだ》を落ちつけているところ。
ははあ、酔っているな、酔って、戸惑いをしたな。
本来ならば兵馬は、そこで穏かに警告を与えて立退きを命ずべきはずであったが、放って置いても、やがて当人が気がついた時は、いわれるまでもなく、ほうほうの体《てい》で立退くだろうと、タカをくくったものらしく、だまって女のなすがままに任せていると、
「房ちゃん、いいかげんにしてお起きなさいよ、花ちゃんのお帰りよ、お起きなさいな」
と言いました。
それでも返事がないものだから、女は、
「狸をきめても知らないよ、ほんとに独《ひと》り者《もの》はいい気なものさ」
まず、自分がどこへ来ているのか、お気がつかれぬらしい。
「ほんとに疲れた、わたし、こんなに疲れたことはないわ、こんなにお酒を飲ませられちゃったの……房ちゃん、後生《ごしょう》だから、起きて介抱しておくれな」
それでも、まだ返答がない。
「なんて不実な人でしょう、いったい、独り者なんて、みんな不実に出来てるのよ、起きないと承知しないよ」
この分では起しに来るかも知れないと、兵馬はヒヤリとしたが、これは女の虚勢で、口さきだけのおどしに過ぎないものだから安心する。
その時、女がしきりに畳の上を撫で廻しているのは、多分、煙草がのみたくなって、煙管《きせる》をさがしているものらしい。ところが、なかなか手にさわらないものだから、じれったがり、
「ああ、つまらない、せっかく帰って来ても、お帰りなさいと言ってくれる人はなし、お湯《ぶう》は冷めきってしまってるし、煙草まで隠してしまわなくってもいいじゃないの」
何かにつけて突っかかりたがる。これは、したたかに酔っぱらっている証拠である。兵馬は厄介者が舞い込んだなと思いました。
しかし、警告を与えて立退きを命ずるより、当人の気のつくまで待った方が世話がないと、身動きもしないで寝ていると、この闖入者《ちんにゅうしゃ》は、金椎《キンツイ》をおびやかした者よりも遥かに気が強く、トロンとした眼を兵馬の寝ている方へ据えて、
「お起きよ、房ちゃん――今日のお祭に、面白い弥次馬が出たことよ、妙なおじいさんが飛び出して来てね、すっかり世話を焼いちまったの、ずいぶん皮肉なおじいさんよ、それでも、なかなか言うことが通っているから、油断がならないのさ。それともう一つ面白いことはね……お聞きなさいよ、起きてお聞きなさいてば。若いくせに、何だってそう早寝ばっかりしたがるの、寝られないような苦労もしてごらんな、若いうちはさ――その代り、寝られないようなうれしい思いもさせて上げるからさ。一年に一度のお祭じゃないの、夜どおし起きて騒いだって、罰《ばち》は当るまいじゃないか。狸をきめたってわかってることよ、くすぐって上げるよ、それでも起きなけりゃ、ツネって上げることよ、それがイヤなら、素直にお起き」
今にも飛びついて来るかと思うと、やはり口先だけの虚勢で、頭をぐったりと火鉢の前に下げてしまい、やがてそれが横向きになると、火鉢のふちへひじを置いて、頬杖《ほおづえ》をついて、息づかいが極めて静かなものになりました。
急におとなしくなったものだから、兵馬も、いっそう張合いが抜けて、まあ邪魔にもならないのだから、そのままにという気になって、自分は、寝返りを打って寝入ろうとしたが、そうは急に眠れない。
そのうち、急におとなしくなったかの女が、いよいよおとなしくなったものですから、もしやと思ううちに、スヤスヤと眠りに落ちた息づかいですから、
「おや、おれより先に寝ついたのか」
兵馬は驚いて、枕をそばだてて見ると、女は畳の上に腕を枕にして、いい心持で横になっている。こうなっては仕方がない、ゆり起して帰すよりほかに手段がないと、帯引きしめて兵馬は起き出して来ました。
前後も知らず寝込んでしまっている女を兵馬が見ると、さまで醜いとは思いませんでした。本来、女の酔っぱらいほど醜いものはないのに、これは醜いというよりはかえって、絢爛《けんらん》にして、目を奪うという体《てい》たらくです。
友禅というのか、縮緬《ちりめん》というのか知らないが、これは、眼のさめるほどの極彩色のいしょうをつけて、無雑作《むぞうさ》に片はだぬぎの派手な襦袢《じゅばん》の、これ見よがしなのも、そんなにキザとも思われず、つやつやした髪を、男まげに雄渾《ゆうこん》に結い上げたところもいや味にはならず、なんだか豪侠な気が胸に迫るようにも思われます。
それに、こってりと濃い化粧をした女の顔も、吉原あたりで見る鉄火《てっか》のようなところもあって、年も二十を幾つか越したぐらいのところ、芸者としては、今を盛りの芸者ぶりで、立派に江戸芸者で通るほどの女でありましたから、兵馬も一時はあわてました。
やがて、そばへよって、女の肩のところに手をかけて、
「もし、起き給え!」
と軽くゆすりましたが、女は少しもこたえがありません。
さんざんに疲れた上に、充分に酔っている。酔って、場所の見さかいのないほどになっているのだから、手ごたえのないのも無理はあるまい。
「起きなさい!」
そこで、兵馬は、二度目には、以前より手づよくゆすってみました。
でも、ちょっと女が眉《まゆ》のあたりを動かして、口をゆがめただけで、さっぱり手ごたえがありません。この上は、手荒くたたき起すか、そうでなければ、さいぜんこの女が威嚇《いかく》したように、急所を突ッつくか、痛いところをツネるかしないことには、お感じがあるまい。
兵馬は、この女から、起きろ起きろと威嚇されたことを、今度は自分の方から試みて、どうでも、この女の目をさまさせねばならぬ立場に変ったことを、笑止がらずにはおられません。
しかし、ツネったり、ひっかいたりすることは、兵馬の得意とするところではありません。やむなく、正攻法によって、以前より強い刺戟を与えて、驚かすよりほかはなく、
「さあ、起き給え!」
これでもかと、兵馬は思いきって力を入れて女をゆすると、さすがに、女も夢を驚かされました。
その機会をすかさず二三度突くと、女はようやく頭を起して、酔眼を見開いて、どこともつかずうちながめているから、
「ここは君の来るべきところではない、起きて帰りなさい」
兵馬は、そこで手をゆるめて、忠告を加えたが、酔眼と、ねぼけまなこで見返した女の心には、まだなんにもハッキリした観念がうつらないらしい。そうしてものうげに、
「いいのよ、いいのよ」
といって、またも、ひじ枕で横になろうとするから、兵馬はあわてて、
「いけない、眠ってしまってはいけない!」
「うッちゃっといておくれ、かまわないから――」
こちらで言うべきことを、あちらで言って、女はまた寝込んでしまおうとするから、兵馬は荒々しく、
「しっかりし給え!」
荒々しく、じゃけんに女を動かして、寝つかせないものだから、女もたまらなくなり、じれったそうに、
「意地が悪いねえ、こんなに眠いんだから、寝させたっていいじゃないの?」
それをも頓着なしに、兵馬は、
「起きろ、起きろ!」
ちっとも、惰眠《だみん》の隙を与えないものだから、女は、むっくりと起き上りました。
ああ、気がついたか、世話を焼かせる女だ――と、やっと少し安心していると、起き上った女は、酔眼もうろう[#「もうろう」に傍点]として座敷の中をながめていたが、
「ああ眠い……」
と言って、脱兎《だっと》のように兵馬の寝床へもぐり込み、夜具をかぶってしまいました。
ああ、これでは、また虎を山へ追い込んだようなものだ。
ああ、手がつけられない! 兵馬も、うたた感心して、闖入者《ちんにゅうしゃ》というものの扱いにくいことを、今更しみじみと身に覚えたのでしょう。
この闖入者は、食に飢えたのではない、眠りに飢えているのだ。色欲よりは食欲、食欲よりは睡眠欲が、人間に堪え難いと聞いた。
自分の寝床へもぐり込まれてしまって、兵馬は、唖然として舌をまいたけれども、こうなってみると、かえっておかしくもあり、同情心も出て来るので、この上にいっそう荒々しく、夜具を引きめくって、女をつまみ出そう、という気にはなれません。
かえって、まあ、寝るだけ寝させておいてやれ、という気になりました。
兵馬には、人に同情し易《やす》い癖がある、癖というよりも、これは徳といってしかるべきものかも知れない。自分の足場のかたまらないうちに、他に対しての同情は禁物――とそれは兵馬も充分に心得ておりました。
充分に心得ながら、ツイ吉原へ足が向くようになったのは、そもそもこの同情がいけなかったのだと、のぼせきっているうちにも、よくその理解はついておりました。
今だって、そうです。
酔っぱらいは嫌いである。男の酔っぱらいでさえ、醜態と思っている兵馬が、女の酔っぱらいというものを、この世における最も醜いものの一つに数えたいのは、あながち潔癖とばかりも言えますまい。
だが、こうして、ころがり込んでみると、それをひっとらえて面罵《めんば》をこころみたり、たたき出したりするような気になれないことが、自分の弱味だと思わないでもない。人に言わせれば、相手が相手だから、それでのろい[#「のろい」に傍点]のだと笑うかも知れない。
さて、女の酔っぱらいを醜態の極として、日ごろ、排斥《はいせき》はしていながら、こうして見ると、やはり一種の同情が、兵馬の胸には起るのを禁ずることができません。
どのみち、こういった社会の女だから是非があるまい。自分が嫌いでも、客のすすめで飲ませられることもあるだろう。
またなかには、酒でも飲んで心を荒《すさ》ましておかなければ、たまらない女もあるだろう。
どのみち、好んでこういう社会に入りたがる女ばかりあるものではないから、ここに来るまでには、それぞれ相当の身の上を以て来たのだろうから、それをいちいち、きびしい世間の体面や礼儀で責めるのは、責めるものが酷である。
むしろ、こうして、前後もわからないほどに酔っぱらって、人の座敷へころがり込み、人の寝床へもぐり込んで寝てしまうようなところに、たまらない可愛らしさがあるではないか――世間の娘や、令嬢たちに、こんな振舞をしろといってもできまい。それを平気でやり通すようになっているところに、無限のふびんさがあるではないか。
奥深いところにいる――奥深いところでなくても、普通のいわゆる良家の女性には、どんなにしても、そうなれ近づくわけにはゆかないが、この種類の女に限って、いかなる男子をも近づけて、その翻弄《ほんろう》をさえ許すのである――その解放と、放縦《ほうじゅう》によって、救われなかった男性が幾人ある?
兵馬は、この種類の女を憎いとは思わない。それは清純なる男子の、近づくべからざる種類のものであるとは教えられていながら、今までも、さのみ憎むべきゆえんを見出せなかった。
だから、ここでも、その睡眠を奪う気にはなれず、よしよし、このまま寝るだけ寝かしておけ、寝るだけ寝たあとは、さめるまでのことだ。こよい一夜は、自分の寝床を犠牲にしたところで、功徳《くどく》にはならずとも、罰は当るまい。
兵馬もこのごろは、世間を見ているから、それとなく粋を通すというような、ユトリが出来たのかも知れません。
そこで女は寝るままに任せて、自分は荷物を枕に、合羽《かっぱ》を引きまとうて、火鉢のそばへ横になりました。
二十
夜が明けると、兵馬は早立ちのつもり。
女はそのままにして置いて、出立してしまおうと、まだ暗いうちに浴室まで出かけました。
ところが、その浴室には、もう朝湯の客が幾人かあって、口々に話をしている。
それを兵馬が聞くと、意外でした。
その浴客らの噂《うわさ》は、昨晩、芸者の駈落《かけおち》ということで持切りです。
はてな、と兵馬が気味悪く思いました。
聞いていると、松太郎という江戸生れの芸者が、昨晩、急に姿を隠してしまったということ。
宵のうちは手古舞に出て、夜中過ぎまでお客様と飲んでいたのを見たということだから、逃げたのなら、それから後のことだという。
そこで兵馬が思い当ることあって、なお、その噂に耳を傾けていると、その芸者の身の上やら、想像やら。
その言うところによると、松太郎は江戸の生れで、この地へつれて来られたのは二三年前であったとのこと。
旦那があって、自由にならなかったということ。
それで、少し自暴《やけ》の気味があって、お客を眼中に置かないような振舞が度々《たびたび》あったが、旦那というのは、それの御機嫌をとるようにしていたということ。
こっちへ来るまでには、相当の事情があったのだろうが、来た以上は、当人も往生しなければならないと知って、わがままではあったが、お客扱いは悪くはないから、熱くなっているものが、二人や三人ではなかったということ。
それでもまだ、旦那のほかに、男狂いをしたという評判は聞かない。
だから、今度のも男と逃げたのではあるまい、土地がイヤになって、江戸が恋しくなったのだろうという想像。
いや、旦那というのが、しつこくて、わからず屋で、その上に焼き手ときているので、それで松太郎がいや気がさしたのだろうという。
そうではない、それほどのわからずやでもない、かなり鷹揚《おうよう》なところもあって、松太郎も何か恩義を感じていたと見え――松太郎自身も、近いうちにこの稼業《かぎょう》をやめて、本当のおかみさんになるのだ、とふれていたこともあるのだから、まんざらではあるまい。嫌って逃げたわけでもあるまい。しかし、ああいった女は当てになるものじゃない。とうの昔に、男が来て、しめし合わせておいて、ゆうべのドサクサまぎれに、首尾よく手を取って逃げたのだろう――その男の顔が見てやりたい、土地の者じゃあるまい、江戸の色男だろう――と、指をくわえる者もある。
そこへ三助がはいって来て、旦那なるものの噂《うわさ》になると、兵馬をして全く失笑せしめる。
ゆうべ、女に逃げられたと気がついた旦那なるものの、血眼《ちまなこ》になって、あわて出した挙動というものが、三助の口によって、本気の沙汰《さた》に聞えたり、冷かしにされたり、さんざんなものとなる。
ははあ、眠るということは大した魔力だ。白隠和尚は船の中で眠って、九死一生の難船を知らなかったというが、自分は眠ってしまったから、昨晩あれからその旦那なるものの、うろたえ加減、血迷い加減、また上を下へと、その逃亡芸者を探しまわった人たちの狂奔《きょうほん》というものを、全く知らなかった。
聞くところによると、その旦那なるものは、半狂乱の体《てい》で、自分が先に立ち、人を八方に走らせて、くだんの芸者の行方《ゆくえ》を探索させたのだそうな。お義理で、ここのうちの雇人たちも、朝まで寝られなかったとのこと。
しかし、その結果は絶望で、可愛ゆい芸者の行方は、どうしてもわからない。
手のうちの珠《たま》をとられた旦那というものの失望落胆は、ついに嫉妬邪推に変って、誰ぞ手引をして、逃がした奴があるに違いない、そうでなければ、これほど手際よく行くはずがない――見ていろ、と自暴酒《やけざけ》を飲んで、焦《じ》れているということ。
兵馬は浴衣《ゆかた》を手に通しながら、苦笑いを禁ずることができません。
兵馬は異様な心持で、浴室から自分の座敷へ帰ろうとするその廊下の途中で、また一つの座敷から起る噪音《そうおん》に、驚かされてしまいました。
その座敷の中で、俄《にわ》かに唄《うた》をうたい出したものがあるのです。多分それは寝床の中にいて、宿酔のまださめやらない御苦労なしの出放題《でほうだい》だと思われますが、
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ヤレ出た、鬼熊
ソレ出た、鬼熊
そっちを突ッつけ
こっちを突ッつけ
そっちでいけなきゃ
こっちを突ッつけ
こっちでいけなきゃ
そっちを突ッつけ
ヤレ出た、鬼熊
ソレ出た、鬼熊
ヤレソレ、鬼熊
ドッコイ、キタコリャ
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図抜けた声で唄い出したものがありましたから、通りかかった兵馬が、その声に驚かされたのです。しかし、兵馬は、ただ驚かされただけではなく、その早朝からばかばかしい図抜けた声に、何か聞覚えがあるように思われるのも、いっそう兵馬を驚かしたことに力があったかも知れません。
さりとて、わざわざ障子をあけて、その図抜けた唄の主の首実検《くびじっけん》をしなければならないほどに聞き慣れた声でもありませんでしたから、これにも一種異様のおかしさをこらえて、そのままおのが座敷の方へと足を進ませてしまいました。
兵馬が驚き、また何となしに記憶を呼び起され、ついに一種異様のおかしさを感ぜしめられたのも道理、この声の主こそは、すなわち有名なる道庵先生でありましたのです。
ですから、もう少し何とかすれば、兵馬も、先生に顔を合わせることができて、お互いに知らない間柄でもないから、これはこれはと、額に手をおいて、それからお互いに、多少実になる話があったかも知れません。
もとより、道庵先生も、そのことは知るに由なく、今や蒲団《ふとん》の中に仰向けになって、起きもやらず大声で、ただいまの、「ヤレ出た、鬼熊」をやり出したのであります。
ここに道庵先生が呼ぶ「鬼熊」というのは、大正昭和の頃、千葉県なにがし村に出没した悪漢をさしたのでないことは無論、また道庵先生自身の頭が、タガというものがゆるみきって、底知れずにダラけきってしまったものだから、ついこんなことを口走るようになったというわけでもなく、別にその時代にも、鬼熊という名物が確かに存在していたのであります。
それを嘘だと思うものは、当代の鬼熊が活躍した、その同じ千葉県の成田の不動堂へ行ってごらんなさるとわかります。かしこには立派に、その時代の鬼熊の額がかけてある。
その時代の鬼熊は、現代の鬼熊のように兇暴ではなかったが、力量はたしかに、現代の鬼熊以上でありました。
これは、今日でも実見した人があるかも知れない。
神田鎌倉河岸の豊島屋の「樽転《たるころ》」から出た鬼熊は、何代目とつづいて、酒樽をてまりの如く取って、曲持《きょくも》ち、曲差《きょくさ》しを試むる。
「新し橋」の附近には、「何貫何百目何代鬼熊|指《さす》」とほった大石がころがっていたはず。醤油樽《しょうゆだる》一つずつを左右の手にさげ、四斗樽を一つずつ左右の足にはいて、この鬼熊が、柳原の土手を歩いたことがある――見るほどの人が、その樽を空《から》だろうと疑って調べてみると、空どころではない、豊醸《ほうじょう》の新味が充実しきっている。力持の見世物に出ても、鬼熊が大関でありました。
道庵先生が、ヤレ出た鬼熊、ソレ出た鬼熊、そっちを突ッつけ、こっちを突ッつけ、また出た鬼熊――との蒲団の中から首を出して騒いでいるのは、その鬼熊が、こちらへ興行に来たのかも知れない。それを聞流しにして、おのれが部屋に戻った宇津木兵馬。
例の女はまだよく寝ている。眼をさまさせないように、充分寝るだけ寝させておくように、兵馬はなるべく音を立てないで、出立の身仕度にかかりました。
しかし、兵馬のこの心づかいも忽《たちま》ち無駄になってしまい、女ははからず目をさましました。
目をさました当座は何でもなかったが、枕ざわりが変だと、それから気がついたのでしょう、急に飛び起きて、
「あら!」
その驚き加減というものはありません。
これは気の毒なことをした、と兵馬をしてヒヤリとさせたほどです。
「まあ、わたし、どうしましょう?」
飛び起きて、そこに脚絆《きゃはん》をつけているところの兵馬を見る。
「まあ、どうして、わたし、こんなところへ来てしまったのでしょう?」
「ハハハハ……」
と兵馬が笑う。女は笑うどころではない、唇まで蒼《あお》くなっている。
「御免下さいまし、ほんとうに済みません」
「いや、いいですよ、ごゆっくりお休みなさいまし」
「存じませんものですから……」
女は飛び起きて、なりふりを直しにかかると、兵馬は、
「みんな、大へん心配したそうですよ」
「ああ、わたしとしたことが……つい酔ったものですから、あなた様にも、どんな失礼をしたかわかりません」
「不意にここへ君が来たものだから、多分、部屋違いだろうと思って、帰るように忠告したのだが、君がきかない」
「ああ、悪うございました」
「君がきかないでいるうちに、ここへ、この畳の上へ寝込んでしまうから、見兼ねて、拙者が起しに来ると、早くも拙者の寝床を奪って、君が寝てしまった」
「済みません、済みません」
「その時、無理にでも起せば起すのだったが、それほど眠いものをと気の毒に存じ、そのままにして、君をそこへ寝かしておいて、拙者はここへゴロ寝をしてしまったよ」
「ま、何という失礼なことでしょう、これというのもお酒のせいです、もう、わたし、これからお酒をやめます、一滴もいただきませんから、どうぞ御勘弁下さいまし」
「酒は、やめた方がいいな……」
「のちほど、またお礼に出ますから……」
と、なりふりを直した女は、蒼《あお》くなって恐れ入ったり、恥入ったり、ほとんど前後も忘れて、駈け出そうとするから、
「まあ、お待ちなさい」
兵馬は脚絆《きゃはん》を結びながら、呼び留める。
「ほんとに、あなた様なればこそ、こんなに御親切にして下さいました、ほかのお方でしたら、わたしはどんな目に逢っていたかわかりません」
「いや、それがかえって仇《あだ》となるようでは、お互いに困るから、気をつけて帰り給え、君の旦那というのが、非常に腹を立っているそうだ」
「そうかも知れません」
「ただいま、浴槽《ゆぶね》で聞いたのだが、昨晩は君の姿が見えないために、総出で探し、どうしてもわからないから、君は駈落《かけおち》をしてしまったものときめているらしい」
「え……?」
「だから、そのつもりでお帰りなさい、事がむずかしければ、拙者が行って、証人に立って上げるから……」
「そうかも知れません。そうだとすれば、わたしは、ヒドい目に逢わなければならないかも知れません。ああ、どうしたらいいでしょう。でも、帰らなけりゃならないわ」
「もし、事が面倒になったら、お知らせなさい」
驚きあわてて出て行く芸者の後ろ姿を見て、兵馬は笑止《しょうし》の至りに堪えません。
そこで兵馬は、早立ちをすべきはずのを、わざとゆっくり構え込んで、朝飯を食べました。
何か苦情が起った際には、あの女のために、証人に立つべき義務があると思ったからです。
しかし、幸い、別に問題は起らないと見えて、出て行ったきり、音も沙汰もありませんから、話というものは、すべて大仰なものだ、噂《うわさ》によると、あの旦那なるものは、生かすの、殺すのと、騒ぎ兼ねまじき話であったが、なんの、ことなく納まったところで見ると、すべて、女にのぼせる男というほどのものは、のろい[#「のろい」に傍点]者で、女が眼前へ現われて、泣いたり、あやまったりしようものなら、忽《たちま》ち軟化してしまう。その旦那なるものも、忽ちぐんなりと納まったのだろう。それならば結句仕合せであると思いました。
兵馬は、そのあられもなき艶罪《えんざい》をおそれていたのは、以前紀州の竜神でも、そんなことから、痛くもない腹をさぐられた経験があるので、いささか取越し苦労が過ぎたもののように感じながら、食事を済ましてしまいました。そうして、無事に浅間の宿を立ち出で、松本の市中に入ると間もなく、兵馬は、仏頂寺弥助と、丸山勇仙とが、勢いよく談笑しながらやって来るのを遠くから認めて、場合が悪いと思いました。
ここで見つかってはまずいと思ったものですから、知らない顔で、やり過ごしてしまおうと、自分は道の右側を小さくなって通ると、幸いに、仏頂寺も、丸山も、談笑の方に気を取られて、兵馬あることに気がつかず、難なくやり過ごしてしまいました。
やれ、安心と兵馬は、やり過ごして暫くしてから見送ると、仏頂寺は兎、丸山は雉子《きじ》を携えていました。
あの連中、どこぞ押しかけ客に行って、みやげ物をもらって、早朝から御機嫌よく帰るところを見ると、その到着先は浅間の宿にきまっている。いいことをした。出立が、もう少し遅れようものならば、あの連中につかまって迷惑をするのだったに、まあよかったと思いましたが、同時に、昨晩帰ってくれないでなおよかったとも思います。
昨晩、もし仏頂寺、丸山らがいあわせたところへ、あの女が飛び込んで来たならば、事は無事に納まらないと思い来《きた》ると、兵馬は怖れて、かえってあの女のために、幸運を賀するような気持になります。
全く、その通り。かりに二人がいたところへ、あの闖入者《ちんにゅうしゃ》があったとしたら、そうして、あの女が、あのわがままを働いたとしたらどうだろう。
もしまた兵馬がいないで、仏頂寺と、丸山だけがいる座敷へ、あの女が飛び込んでしまったらどうだろう。
それは想像するまでもない。自分の寝床を明けて女に与え、自分は畳の上に寝て一夜を明かすというような寛容な光景が見られるものか、見られないものか。
鴨が葱《ねぎ》を背負って飛び込んで来たようなもので、二人のために、うまうまと食われてしまうのは、眼に見えている。
あれで済んだのは、自分のためにも、ことに女のためにはドレほど幸運であったか知れないと、兵馬は、二人の後ろ影を見送りながら、気まぐれな、酔っぱらい芸者のために、心ひそかに祝福しました。
行き行きて、町のとある辻まで来た時分、そこに一つの立札があるのを認め、兵馬が近寄って、それを眺めると、
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「信濃国温泉案内」
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とあって、松本を中心としての、各地の温泉場までの里程、道筋が、絵図まで添えて、かかげてある。
時にとっての好《よ》き道しるべと、兵馬は余の方面はさておき、自分の目的地方面をたどると、はしなくもそこに一つの迷いが起りました。
わが行手にあたって、同じく西の方の大山脈のふところに、少なくとも二つの主なる温泉がある。
右なるは、現在目的とする中房の温泉。
左なるは「白骨」と書いてある。
兵馬はそれを、ひとたびはシラホネと読み、再びはハッコツと読みました。
二十一
案の如く仏頂寺、丸山の二人は、宇津木兵馬が立去ってしまったあとの、同じ座敷へ帰って来ました。
そこで、机の上にあった兵馬の置手紙を見て、はアとうなずいたきりで、深くは念頭にとめず、やがて、御持参の雉子《きじ》で酒を飲みはじめたようです。
この連中は、人生の離合集散も、哀別離苦も、さのみ問題にはしていない。きょうあって、あすはなき命と、覚悟はきまっている、そうして、あすは鴉《からす》がかッかじるべえ、ともいわない。感傷がましい言葉が、あえて彼等の口の端《は》に上るということを知らないほど、無感覚に出来ているらしい。
ところが、ここに一つの悪いことは、兵馬の取越し苦労が、この時分になって漸《ようや》く利《き》き目を見せたことで、利き目の見えた時分は、相手が悪くなっていました。
仏頂寺と、丸山とが、こうして仲むつまじく、一つ鍋を突ッつき合っているところへ、喧嘩を売りに来た奴があるのだからたまらない。
「まっぴら、御免なせえまし」
というすご味を利かせたつもりなのが、目白押しになって、不意に押しかけて来ました。
「ナ、ナンダ?」
と鍋の中へ箸《はし》を半分入れながら、仏頂寺弥助が睨《にら》み返すと、
「旦那方、御冗談《ごじょうだん》もいいかげんになすっていただきてえもんでございます」
そいつらがズカズカとはいって来て、膝ッ小僧をズラリと、仏頂寺、丸山の前へ並べたものですから、なんじょうたまるべき、
「何が、どうした!」
「御冗談もいいかげんになすっていただきてえもんでございます」
「何が、何だと!」
「へへへへ、ごじょうだんもいいかげんになすっていただきてえもんで。そんなこわい目をしたって、驚く兄さんとは兄さんが違いますよ、旦那方!」
「何が、何だ!」
仏頂寺が、こぶしを膝において向き直る。丸山勇仙も肉をパクつきながら、途方もない奴等が舞い込んだものだと思いました。だが、いっこう両人ともに、事の仔細がわからない。
こいつ、あの芝居の場の狼狽《ろうばい》を根に持つ奴が、ならず者を廻したのだろう……と一時はそうも思いましたが、それとは、少しどうも呼吸《いき》が違うようだ。
そこで、仏頂寺ほどの豪傑も、まず手が出ないで、何が何だと、煙《けむ》にまかれたような有様でいると、
「おトボけなすっちゃいけねえ、人の大切《だいじ》の玉を、さんざんおもちゃにしておいてからに……」
と並べた膝ッ小僧を、一斉に前へ進めるものですから、仏頂寺弥助が、
「誰が、玉をおもちゃにしたというのだ。いったい、貴様たち、断わりもなく他人の室へ闖入《ちんにゅう》して、その物のいいザマは何だ」
と言いながら、箸をおいて火箸を取ると、鍋の下にカンカンおこっている堅炭の火を一つハサんで、いきなり、それを一番前へ乗り出していた膝ッ小僧へ、ジリリと押ッつけたものだから、
「あつ、つ、つつ……!」
その奴《やっこ》さんが、ハネ上って熱がりました。で、その騒ぎの納まらないうちに、仏頂寺は、
「こいつも、少し出過ぎてる!」
といって、もう一人並んでいた奴さんの、今度は膝ッ小僧ではなく、額のお凸《でこ》へその火を押ッつけたものだから、同じく、
「あ、つ、つ、つ、つ……」
といって、飛び上りました。
「この野郎、もう我慢ができねえ」
余の奴さん連が、仏頂寺をなぐりにかかるのを、仏頂寺は左の手で膝元へ取って押え、その腕をしっかり膝の下へ敷き、片手では例の堅炭の火を取って、その奴さんの小びんの上へおくと、毛と、皮とが、ジリジリと焦《こ》げてくる。
「あ、つ、つ、つ、つ……!」
これは動きが取れないから、焼穴が出来るでしょう。
そこで、宿の亭主が飛んで出るの幕となりました。
何はトモあれ、取押えられている者のためにおわびをして、執りなしをして、助けておいてからのこと。
亭主が口を尽してわびるので、仏頂寺は、焼穴をつくるだけは見合せて、火箸を灰の中に突込み、
「亭主、よく聞きなさい、われわれ二人は昨晩、城下のあるところへよばれて御馳走になり、今朝戻って、この座敷で二人水入らずに酒を飲んでいるところへ、こいつらが、いきなり闖入《ちんにゅう》して来て、われわれの前へ、その薄ぎたない膝ッ小僧を並べるのだ……いったい、こいつらは何者で、何しに来たのだか一向わからん。また、こいつらの言うことが、ガヤガヤ騒々しいばかりで、何を言っているのか一向わからん……ただ、無暗にこの薄汚ない膝ッ小僧を、せっかくわれわれがうまく酒を飲んでいる眼の前へ突き出すから、いささか折檻《せっかん》してやったのだ。お前の顔に免じて、このくらいで許してやるまいでもないが、いったい、何の恨みで、われわれに喧嘩を売りに来たのだか、亭主、そこでお前からよく問いただしてみてくれ。そうして、本人がなるほど悪いと気がついたら、あやまるがよかろう」
仏頂寺からこう言われるまでもなく、仲裁に出る時に、もう亭主はそれを気がついていたので、この奴等が、たのまれておどしに来た当人は、もうすでに立ってしまったのだ。
ここへ、あの芸者がころがり込んで、一夜を明かして、泣き出しそうな顔で立去ったことを、亭主は、知って知らない顔をしていたのだ。
昨夜、あれほど探したのに出て来ないで、今朝になって早く飛び出したのは、どういうわけだか、これは亭主は知らないが、とにかく、この座敷へ昨晩泊ったことは確かである。
さあ、この後日に間違いがなければいいがと、ヒヤヒヤしているうちに、この座敷の主人、すなわち兵馬は無事に出立してしまったから、まあよかった、どう間違っても、当人さえ出て行けば、相手のない喧嘩はできないのだから、まあ何とか納まるだろうと、ホッと息をついているところへ、仏頂寺らが帰ったものだから、また新たな心配が起らないでもありません。
それに心を残して髪結《かみゆい》に行っている間に、この騒ぎが持上って、人が迎えに来たものだから急いで駈けつけて見ると、果して、こんなことになってしまっている。
まあ、まあ、といって、その膝ッ小僧連をつれ出して、委細を言って聞かせ、お前たちが喧嘩を売りに来た当の相手は、モット若い人で、それはもう立去ってしまい、今いるのは、昨日はよそへ泊り、今朝あの座敷へ戻ったばかりの別の人である。お前たち、何というそそっかしいことだ。喧嘩を売る前に一度、わたしに相談をかけたらいいじゃないか。飛んでもない相手に喧嘩を売りかけたものだ――といってたしなめると、膝ッ小僧連も一同ハニかんでしまい、では出直して来るといって、そこそこに立去る。
そのあとで、亭主は改めて仏頂寺らの前へ出て、その勘違いの失礼の段々を、ことをわけて話しておわびをすると、仏頂寺、丸山は、興多くその物語を聞いていたが、
「おやおや、それは意外に色気のある話だ、まさか兵馬が、芸者をこれへ引張り込んで、一晩泊めたとも思われないが、芸者がまた、何と思って兵馬のところへ戸惑いをして来たのか、それもわからない……そうだ、亭主、その芸者をひとつ、これへよんでくれ」
と仏頂寺が言い出したので、亭主がハッとしました。
これはよけいなことをしゃべり過ぎた。呼びに行ったって来るはずはない。来ない、といったところでこの連中、そうかと引込む人柄ではない。
言わでものことを口走ってしまったと、亭主が後難の種を、自分でまいたように怖れ出したのも無理はありません。
しかし、この亭主の心配も取越し苦労で、仏頂寺、丸山の両人は、酒を飲んでいるうちに、いつしか芸者のことは忘れて、酒興に乗じて、何と相談がまとまったか、やがて、あわただしくここを出立ということになりました。
二人の相談によると、急に長野方面に立つことになったらしい。
この連中、思い立つことも早いが、出立も早い。早くも、旅装をととのえ、勘定《かんじょう》を払って宿を出てしまいました。
だから、宿の主人はホッとして、第二の後難を免れたように思います。
これら二人の行方《ゆくえ》は、問題とするに足りない。問題としたって、方寸の通りに行動するものではない。
長野へ行くといって木曾へ行くか、上田へ廻るか、知れたものではない。
だが、こうして、宇津木兵馬も去り、仏頂寺、丸山も去った後の宿に、椿事《ちんじ》が一つ持ちあがりました。さては、まだ滞在中の道庵先生が、何か時勢に感じて風雲をまき起すようなことをやり出したか。
そうでもない。
昨晩のあの芸者が、井戸へ身を投げてしまったということ。
聞いてみると、事情はこういうわけ。あの女の旦那なるものが嫉妬の結果、あの女を縛って戸棚の中へ入れて置いて、その前でさんざんいびったとのこと。
そうしておいて、寝込んでしまったすきをねらって、多分、手首を縛った縄を、口で食い解いたものと見えるが、首尾よく戸棚から逃げ出してしまった。
眼がさめて後、旦那殿は、戸棚をあけて見るといない!
そこで、また血眼《ちまなこ》になる。
本来、憎くてせっかんしたわけでもなんでもない。むしろ、可愛さ余ってせっかんしたのだから、こうなってみると、自分があやまりたいくらいなものだ。そこで、昨晩の騒ぎが再びブリ返されると間もなく、飛報があって、女の死体が井戸に浮いている……
忽《たちま》ち井戸の周囲が人だかり、押すな押すなで、井戸側からのぞいて見ると、さまで深くない水面にありと見えるのは、まごうべくもない昨晩の手古舞《てこまい》の姿。
ああ、嫉妬がついに人を殺した、焼餅もうっかりは焼けないと騒ぐ。旦那殿は、意地も、我慢も忘れて、自分が溺れでもしたように、大声をあげて救いを求める。
水に心得たものがあって、忽ち井戸へ下りて行ったが、つかまえて見ると意外にも、それは着物ばかりで、中身がなかった。
ただし、その着物ばかりは、まごうかたなき昨晩のあの芸者の着ていた手古舞の衣。
では、中身が更に水底深く沈んでいるに違いない。
水練の達者は、水面は浅いが、水深はかなり深い水底へくぐって行ったが、やや暫くあって、浮び出た時には藁《わら》をも掴《つか》んではいなかった。
つづいて、もう一人の水練が、飛び込んでみたがこれも同様。
水深一丈もあるところを、沈みきって隈《くま》なく探しはしたけれど、なんらの獲物《えもの》がない。
そこで、また問題が迷宮に入る。
いしょうだけがあって、中身がないとすれば、その中身はどこへ行った。
ああ、また一ぱい食った!
太閤秀吉が、蜂須賀塾にいた時分とやらの故智を学んで、着物だけを投げ込んで、人目をくらましておいて、中身は逃げたのだ。
どうしても、しめし合わせて知恵をつけた奴がある。
そうして、この場合、いったん、帳消しになって宿の主人を安心させた宇津木兵馬と、仏頂寺、丸山の両名が、またしても疑惑の中心に置かれる。
立って無事だと思ったのが、立ったことがかえって疑惑になる。さては、あの連中、しめし合わせて女をつれて逃げたな。
そこでこの疑惑が、三人を追いかけるのも、是非のない次第です。
二十二
兵馬は、札の辻の温泉案内の前に立ちつくして、安からぬ胸を躍《おど》らせておりました。
そうしているところへ、松本の町の方から、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として、白木の長持をかついだ二人の仕丁《しちょう》がやって来ました。
兵馬が見ると、その長持には注連《しめ》が張って、上には札が立ててある。その札に記された文字は、
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「八面大王」
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妙な文字だと思ったが、ははあ、これはこの附近の神社から、昨今の松本の塩祭りへ出張をされた神様の一体か知らん、とも考えられる。
兵馬は、その長持のあとについて歩き出したが、この長持の悠々閑々ぶりは徹底したもので、到底行を共にするに堪えないから、ある程度でお先へ御免を蒙《こうむ》ることにする。
そうして兵馬が、長持を追いぬけて、有明道《ありあけみち》を急ぐことしばし。
ほとんど一町ともゆかぬ時に、戞々《かつかつ》と大地を鳴らす馬蹄《ばてい》の響きが、後ろから起りました。
そこで、兵馬もこれがために道を譲らねばなりません。道を譲って何気なくその馬を仰ぐと、これもまた驚異の一つでないことはない。
上古の、四道将軍時代の絵に見るような鎧《よろい》をつけた髯男《ひげおとこ》が一人、巴《ともえ》の紋のついたつづらを横背負いにして、馬をあおってまっしぐらにこちらをめがけて走らせて来るのです。
おかしい! 夷《えびす》が今時、何の用あって、この街道を騒がすのだ。しかし、それは、やっぱり以前の長持と同じように、ある神社の祭礼の儀式のくずれだろう――と見ているうちに、馬も、人も、隠れてしまいました。
だが、あの古風な、四道将軍時代を思わせるような鎧はいいが、調和しないのは、あのつづらだ。あれがあまりに現代的で、調和を破ることおびただしい。祭礼の帰りに、質を受け出して来たのではあるまい。同じことなら、もう少し工夫がありそうなものだ。もう少し故実らしいものを背負わせたらよかろう……と、よけいなことながら、そんなことまで、兵馬の頭の中をしばらく往来している時に、
「はい、御免なさいよ」
気がつかないでいた、今の先、その緩慢ぶりにひとり腹を立って追いぬいて来た、あの悠々閑々たる長持が、はや兵馬の眼の前へ来て、道を譲らんことを求めているではないか。
このまま立っていると、やはりこの長持にさえ道を譲らねばならぬ。馬も千里、牛も千里だと思いました。
そこで、兵馬は思案して、今度はしばらくその悠々閑々たる長持氏と行を共にし、少しく物を尋ねてみたいという気になる。
「この長持の中は、何ですか」
「これはね、八面大王の剣《つるぎ》でございますよ」
「刀ですか」
「剣ですよ」
「ははあ……そうして、いま、馬で盛んに飛ばして行った、あれは何ですか」
「あれは八面大王ですよ」
「ははあ……」
兵馬は、それがわかったような、わからないような心持で、
「八面大王というのは、いったい、何の神様ですか」
「左様……」
悠々閑々たる仕丁《しちょう》は、そこで兵馬のために、八面大王の性質を物語りはじめました。こういう場合には、その悠々閑々の方が、話すにも、聞くにも、都合がよい。
八面大王のいわれはこうです――
桓武天皇《かんむてんのう》の御代《みよ》、巍石鬼《ぎせっき》という鬼が有明山に登って、その山腹なる中房山《なかぶさやま》に温泉の湧くのを発見し、ここぞ究竟《くっきょう》のすみかと、多くの手下を集めて、自ら八面大王と称し、飛行自在《ひぎょうじざい》の魔力を以て遠近を横行し、財を奪い、女を掠《かす》め、人を悩ました。
坂上田村麿《さかのうえのたむらまろ》が勅命を蒙って、百方苦戦の末、観音の夢のお告げで、山雉《やまきじ》の羽の征矢《そや》を得て、遂に八面大王を亡ぼした。
その時のなごりで、有明神社の祭礼のうちに、八面大王の仮装がある。
大王にふんする鬼が、附近の女を奪って帰ると、それを、田村麿にいでたつものが、奪い返して大王の首を斬る、という幼稚|古朴《こぼく》な仮装劇が、ある時代に、若いものの手で行われたことがあるという。
つまりはその古式を復興して、いま、馬上で走《は》せて行った鎧武者《よろいむしゃ》が、つまり八面大王なのだ、あれが中房へ行くと、田村麿の手でつかまります――という。
最初の時代には、なんでもあの八面大王が、そこらにいあわす女ならば、女房でも、娘でも、かまわず引っさらって、生《しょう》のままで、荒縄で引っかついで行ったものだが、今は相当遠慮して、女はあのつづらの中へ入れて参ります――という。
では、あのつづらの中には、かりに掠奪された女がいるのか――その女こそいい迷惑だ、と兵馬が笑止《しょうし》がりました。
二十三
こうして仏頂寺、丸山らは、煙の如く長野へ向けて立ってしまい、宇津木兵馬は、アルプス方面の懐ろへ向って参入せんとする場合に、ひとり道庵先生と米友のみが、同じところにとどまっているべき理由も必要も、あるはずはありません。
果《はた》して道庵先生は、起きて朝飯が済むと共に、床屋を呼びにやりました。
床屋が来ると、先生は従容《しょうよう》として鏡の座に向い、何か心深く決するところがありと見え、
「エヘン」
とよそゆきの咳払《せきばら》いをしました。
床屋は先生の心のうちに、それほど深く決心したところがあると悟る由もありませんから、やはり、従前通りの惣髪《そうはつ》を整理して、念入りに撫でつけて、別製の油でもつけさえすれば仕事が済むのだと、無雑作《むぞうさ》に考えて、先生の頭へ櫛《くし》を当てようとすると、
「待ってくれ――少し註文があるですからね」
と右の手を上げて、合図をしました。
ぜひなく床屋が、櫛をひかえて、先生の註文を待っていると、
「ところで、床屋様、わしは今日から百姓になりてえんだよ……武者修行はやめだ、やめだ」
と言いましたから、床屋はよくのみ込めないでいると、道庵が、
「うまく百姓にこしらえてくんな! 茨木屋《いばらぎや》のやった佐倉宗五郎というあんべえ式に、ひとつやってくんな!」
「お百姓さんのように、髪を結い直せとおっしゃるんでございますか、旦那様」
「そうだよ、すっかり百姓|面《づら》に、造作をこしらえ直してもらいてえんだよ」
そこで床屋は変な顔をしてしまいました。
見たところ、相当に品格もある老人で、少々時代はあるが、塚原卜伝の生れがわりといったような人品に出来ているから、相当の敬意を以て接してみると、口の利き方がゾンザイであったり、いやに御丁寧であったりして、結局、この惣髪を、普通の百姓に見るような髷《まげ》に直してしまえ、と註文であります。
床屋が当惑しているに頓着なく、道庵は、鏡に向って気焔を吐き、
「百姓に限るよ、百姓ほど強い者はねえ……いざといえば、誰が食物を作る。食物を作らなけりゃ、人間が活《い》きていられねえ。その生命の元を作るのは誰だ――と来る。この理窟にゃ誰だってかなわねえ、武者修行なんざあ甘《あめ》えもんだ、おれは今日から百姓になる!」
さては先生、先日の芝居で、信州川中島の百姓たちが、大いに農民のために気を吐いたのを見て、忽《たちま》ち心酔し、早くも武者修行を廃業する気になったものと見えます。
つまり先生の考えでは、武芸で人をおどすなどはもう古い、食糧問題の鍵をすっかり自分の手に握って置いてかからなければ、本当の強味は出て来ない――というようなところに頭が向いて、自然、一切の造作をこしらえ直す気になったものと見えます。
床屋は、やむなく、註文を受けた通りに造作にとりかかる。惣髪は惜気もなくそり落して丸額《まるびたい》にし、びん[#「びん」に傍点]のところはグッとつめて野暮《やぼ》なものにし、まげのところも、なるべく細身にこしらえ上げて、やがてのことに、百姓道庵が出来上ってしまいます。
道庵つくづくと、その百姓|面《づら》を鏡に照らし合わせながら、
「尚書《しやうしよ》に曰《いは》く、農は国の本、本固ければ国安しとありて、和漢とも、農を重んずる所以《ゆゑん》なり。農事の軽からざる例は礼記《らいき》に、正月、天子自ら耒耜《らいし》を載せ給ひて諸侯を従へ、籍田《せきでん》に至つて、帝|耕《たがや》し給ふこと三たび、三公は五たび、諸侯は九たびす、終つて宮中に帰り酒を賜ふ、とあり、天子諸侯も農夫の耕作を勤むる故に飢を知り給ひ、さりとて、官ある人、農を業とすべきにあらざれば、年の首《はじめ》、農に先だつて、聊《いささ》かその辛苦の業を手にふれ給ふ、実に勿体《もつたい》なくも有がたき事ならずや……」
滔々《とうとう》としてやり出したものですから、これは気狂《きちが》いではないかと、床屋が顔の色を変えました。
かくてその日、この宿を立ち出でた道庵先生の姿を見てあれば、わざと笠をぬいで素顔を見せたところ、竪縞《たてじま》の通し合羽《かっぱ》の着こなし、どう見ても、印旛沼《いんばぬま》の渡し場にかかる佐倉宗吾といった気取り方が、知っている者から見れば、ふざけきったもので、知らない者は、あたりまえのお百姓と見て怪しまぬほどに、変化の妙を極めておりました。
さて、そのあとから、少し間をおいて続いた宇治山田の米友。これは、前来通りと別に異状はありません。
行き行きて、この二人が、例の芝居小屋の前まで来ると、数日まえの景気はなく、立看板に筆太く、
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「大衆演劇、近日開場」
[#ここで字下げ終わり]
と書いてありました。
それを見ると、道庵先生が足をとどめて、しばらく打ちながめ、
「ははあ、大衆演劇」
と首を傾《かし》げました。
大衆とはいったい何だろう――道庵は、しきりにそれを考えながら、足を運び出しました。そこでひとりごと――
大衆というのは「坊さん仲間」ということで、よくそれ、太平記などに一山の大衆とあるが、大衆が芝居をやるというのは解《げ》せねえ、坊さんが出て芝居をやるというのはわからねえ、いかに物好きな坊さんだって、芝居小屋を借りて、坊主頭を振り立てて踊ろうというほどの豪傑はなかろう。第一、それでは寺法が許すまい。狂言綺語《きょうげんきぎょ》といって、文字のあやでさえもよしとはしない仏弟子が、進んで芝居をやり出そうとは思われぬ。してみると、これはつまり、坊さん役のたんと出る芝居だろう。たとえてみれば道成寺といったように、坊主が頭を揃《そろ》えて飛び出す芝居かも知れない。そこで大衆演劇と名をつけたんだろう。そうに違いない。そうでなければ「かっぽれ」かな……喜撰《きせん》でも踊るのか知ら。
この大衆の文字が、少なからず道庵先生をなやませました。
そうだ――おれは大衆という文字を、一途《いちず》に坊さんの方へばかり引きつけていたのがよくない。外典《げてん》のうちに、つまり漢籍のうちにも、この大衆という文字はないことはなかろう。まてよ、いま、天性備えつけの百味箪笥《ひゃくみだんす》を調べてお目にかけるから――
道庵先生は、自分の頭の中の百味箪笥をひっくり返して、しきりに調べにかかったが、結局、ドコかでその大衆という文字を見たことがあるように思いました。
尚書ではなし、礼記ではなし、四書五経のうちには、大衆という文字はねえ……してみると、諸子百家、老荘、楊墨、孟子、その辺にも大衆という文字は覚えがねえが……でも、どこかで見たようだ。左伝か、荀子《じゅんし》か……
実によけいな心配をしたもので、お手前物の百味箪笥の引出しをいちいちあけて、薬を調べるような心持で、僅か大衆の一句のために、道庵先生が苦心惨憺《くしんさんたん》をはじめました。
宇治山田の米友においては、一向、そんなことは苦にしていない。
彼は精悍な面魂《つらだましい》をして、多田嘉助が睨み曲げたという松本城の天守閣を横に睨み、
「何が何でえ、ばかにしてやがら」
という表情で、松本平の山河をあとにして歩みました。
したが、しばらくあって、何に興を催したか、宇治山田の米友が、松本の町はずれで、ふと大きな声を出して、
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十七姫御が旅に立つ
それを殿御が聞きつけて
とまれとまれと袖をひく
それでとまらぬものならば
馬を追い出せ弥太郎殿
明日は吉日、日もよいで
産土参《うぶすなまい》りをしましょうか
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宇治山田の米友が唄をうたい出したので、驚かされたのは道庵先生です。
「友様、お前も、唄をうたうのかい」
大衆の空想も、なにもすっかり忘れて、道庵が驚嘆しました。
二十四
中房の温泉についた宇津木兵馬は、とりあえず宿について、様子を見たけれど、これぞと心当りの者もない。
一軒の温泉宿が中房の総《すべ》てであります。
どれを見ても、みんな素姓《すじょう》の知れたもの、ただ一組、駈落者らしいのがあるという話だから、それとなく探ってみると何のこと、田舎《いなか》の新婚の夫婦が他愛もなく、じゃれているだけのもの。
とにかく、その夜を明かして翌日。兵馬は炉辺にいて、焚火にあたりながら、入れかわり立ちかわる人、といっても、そう多くの数ではないが、それをとらえて自分が主人顔に話をしてみる。この夏中からかけて入浴に来た客のそれぞれについて、探りを入れてみる。ついでにこの温泉や、附近の人情風俗を聞いてみる。
内湯もある、外湯もある、蒸湯もある。リョウマチや、胃腸の病気や、労症《ろうしょう》や、脳病に利《き》き、婦人の病や、花柳病の類《たぐい》にも効があるということで、婦人客が意外の遠くから来て、長く逗留《とうりゅう》することもあるという。
次にこの宿の設備を見ると、棟がいくつもにわかれて、室の数は五十以上もありそう。
そのなかには、人のありそうでないのもあろう。なかりそうで隠れ療治を試みている者があるかも知れない。ことにこれから奥の野天にある蒸湯の設備は、熱泉のわき出すその上に、簾床《すどこ》をこしらえてよもぎを敷きつめ、その間を通してのぼる湯気で温まるところがあるという。そこへも一応行って見なければならぬ。
程経て、兵馬はその炉辺を立ち、数多い棟々のいくつもの部屋を調べに出かけました。
ほとんど全部が空いている時分でしたから、何の挨拶もなしに兵馬は障子をあけては、部屋部屋を見、また何の挨拶もなしに出て、五十余りと覚しき部屋の大部を検分してみましたけれど、どれも、これはと怪しむべきものは一つもない。
ただふさがっているのが三つあって、その一つは長野あたりの夫婦者と、もう一つは松本辺の御隠居らしいのとで、なんら怪しむべきものはない。ただ、そのうちの一つに、人がいるのだか、いないのだかわからない暗澹《あんたん》たるものがありました。
兵馬が、のぞいて見ると、蒲団部屋《ふとんべや》になっている。
蒲団が山の如く積まれた中に、どうも気のせいか、人がいるように思われてならぬ。女中でもいるのかしらと最初は思いましたが、女中部屋は帳場から遠からぬところにあるし、第一、こんなかけ離れたところへ女を置くはずはない。では、夜番の者でもいるのか知ら。それもうけ取れない。
兵馬は、ただその部屋だけに多少の心を残しましたけれど、一面に蒲団が積み込んであるのだから、それを押しくずしてまで侵入する気にはなれませんでした。
いずれまた篤《とく》と……そこでまた炉辺へ帰って無駄話をしていると、ふと気がついたのは――もっと以前に気がつきそうなものであったのに――今になって気がついたのは、あがりはなに、隅の方へ押しつけられて、つづらが一つ置きばなしにされてあることです。あまり無造作に置き捨てられてあるから、それでかえって兵馬の気がつかなかったとも思われます。
つづらといえば、どんな山の中にでも備えてある日用器具の一つだが、兵馬が特に見覚えのあるように感じたのは、そのつづらに巴《ともえ》の紋がついていることで、そうして、きのうの途中、四道将軍のような鎧武者《よろいむしゃ》がしょって、馬に乗ってまっしぐらに走らせたそれが、このつづらに似ている、いや、それに相違ないのだと兵馬は信じました。
ところで、あれは例の八面大王に扮《ふん》したのが、古例によって、女を奪ってあれに入れて、この山へ来たのだ、そうして田村麿将軍の手でその女を取返されたのだ、ということになっている――ではひとつ、その納まりを聞いてみようではないか。
それを聞いてみると、誰もとんと返事のできる人はない。
第一、そんなお祭の古例をさえ知った者はない。このつづらにしてからが、誰が持って来て、誰が置きっぱなしにしておいたのだか、それすら満足な返事を与えるものがない。
この上、尋ねるすべもなし、また必ずしも探求する必要もないので、兵馬は引返すうちに夜になりました。
どてらを重ねて夜の寒さを防ぎ、人定まった後というけれど、昼のうちからほとんど人の定まったようなところを、兵馬は小提灯《こぢょうちん》をともして、ひとり廊下を歩いて、例の広い部屋部屋の外を通ってみました。
しかし、かりそめの目的は、例の蒲団部屋にあるので、あの蒲団の砦《とりで》のうしろには、優に二人三人の人をかくし住まわすには余りがある、とこう睨《にら》んだのを見過ごすわけにはゆきません。
ほどなく、その部屋の前に立って様子をうかがうと、これは意外千万――たしかにこの蒲団の砦のうしろあたりで火影がする。薄明りながら火をともして、その中に隠れている人があるらしい。
さしったりと、兵馬は胸をおどらせました。そのまま、蒲団を押しくずして乱入しようかとさえ思いましたが、それでも前後を思案するの区別だけは残して、さて、中をつきとめるには、どういう手段を取ったらよいか。無茶に乱入すれば敵の備えがないともいえぬ。尋常に訪《おとの》うては、いよいよ敵に警戒を与えるばかり。雨戸越しにでもはいる手段はないかと、調べてみたが、これもおぼつかない。
ぜひなく、兵馬は、この蒲団の砦《とりで》に向って正面攻撃を行うほかはないと思い、小提灯をたのみに、充分の用意をもって、一方から、その蒲団を崩しにかかりました。
兵馬が、二三枚の蒲団を崩した時分に、中ではフッとその火影が消えてしまいました。ふき消したものに違いない。
こちらの侵入を気取《けど》って、非常に狼狽《ろうばい》しているように思われる。狼狽したからとて、逃げ場はあるまい、はいるに不便なところは、出づるにも不便なはず。兵馬は、前以てこれを見届けておきました。
そうして、一方の手で、ふとんのとりで[#「とりで」に傍点]を崩し崩して行く間に、洞然《どうぜん》として、遮《さえぎ》るもののなきところに達しました。
「だあれ!」
暗い中で、狼狽しきった声は女でありました。兵馬はそれに答えないで、自分の手にある小提灯をつきつけて見ると、女が一人、枕屏風《まくらびょうぶ》の蔭にふとんから起きかかっている。そのほかには誰もいないようです。
「だあれ!」
と女はおどおどしながらとがめたけれど、存外、度胸があるのか、この不意の侵入者に対しても、世の常の女が騒ぐほど、騒いではいないらしいのが不思議です。
「あなた一人ですか」
と兵馬が言いますと、
「ええ、一人よ。なんだって、断わりなしにはいって来たの?」
やはり女は悪びれずに、かえってこちらをとがめるだけの余裕さえあるのを、兵馬は案外の思いをしていると、
「あら、あなたは、あの浅間のあのお客様じゃなくって、まあ、この間は失礼致しました」
「おお、お前は、あの人か」
その時の闖入者《ちんにゅうしゃ》は、ここでは地をかえてしまいました。
闖入して来たのは宇津木兵馬であるが、その闖入に驚かされた人は、身なりこそ変っているが、あの手古舞の酔っぱらい芸妓に違いない。
めぐりあうべき人にめぐりあわないで、めぐりあう必要がない人がついて廻る結果となる。
兵馬は唖然《あぜん》として言うべき言葉を失いました。
底本:「大菩薩峠9」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日第1刷発行
「大菩薩峠10」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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