青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
他生の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)九輪《くりん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この時|海潮音《かいちょうおん》の

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]
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         一

 清澄の茂太郎は、ハイランドの月見寺の三重の塔の九輪《くりん》の上で、しきりに大空をながめているのは、この子は、月の出づるに先立って、高いところへのぼりたがる癖がある。人に問われると、それは、お月様を迎えに出るのだというが、しかし今晩は、どうあっても月の出ないはずの晩ですから、茂太郎も、それを迎えに出る必要はないはずです。
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天には星の数
地にはガンガの砂の数
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 大声あげてうたいました。
 してみると、茂太郎は、星をながめるべくこの塔の上へのぼったものです。
 茂太郎が、星をながめる興味は、今にはじまったことではありません。
「星は雨の降る穴だ」
と教えられた時分に、ふと清澄山の頂《いただき》で、海の上高く、無数の星をつくづくとながめて、
「穴ではない、星だ、星だ」
と叫んだのが最初で、それからこの子は、天界の驚異のうちに、星の観察を加えました。
 見れば見るほど、星の正体がこの子供には神秘にも見え、また親愛にも見え出して来たので、月を迎えに出るのを口実に、ほんとうは星の数をかぞえて帰ることが多かったものです。
 もとより、この子は、天文の観察を、少しも科学の基礎の上には置いていない。
「あの星がいちばん光る」
という直覚の第一歩から踏み出して、それを標準に、夜な夜なの変化を観察して、その記憶を集めているうちに、
「動かない星がある」
という第二段の知識で、北極星を認めたことから進み、今では星座の知識をほとんど備えて、普通の肉眼では六ツしか見えないという牡牛座《おうしざ》の星も、この少年には、たしかに十以上は見えたものらしい。
 星は決して雨の降る穴ではない、どの星も、この星も、おのおの独立した個性を持って大空に光っていると見たこの少年は、昔の杞国《きこく》の人が憂えたと同じように、いつあの星が落ちて来ないものでもないという恐怖に、一時はとらわれましたが、恐怖の対象としては、星の光は、あまりに美しくて、懐かしいので、久しからずして、その怖れから解放されて、驚異のみが加わってゆくのです。
 清澄山や日本寺あたりの空は広く、気は澄んでいて、天候の観察には便利でありましたが、このハイランドは、それに比べると壺中《こちゅう》の天地のようなものでしたから、一時は迷いましたけれど、今ではすっかりお馴染《なじみ》になって、
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天には星の数
地にはガンガの砂の数
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を歌い出すと、おのおのの星が舞い出して、茂太郎の周囲に降りてくるようです。
 色の最も赤い、運動の最もはやい、マースの星が、茂太郎の愛するところの一つでありました。
 茂太郎の天文学は、科学に基礎を置いていないように、迷信にも囚《とら》われておりませんから、西洋ではローマ以来、戦《いくさ》の神と立てられているこの星、東洋ではその現わるるのは戦の前兆として怖れられたこの星も、茂太郎には、ただその色が美しく、そして舞いぶりがことにいさましいのをよろこばすだけのものです。
 すべて、物は、純な心を以て見ないものに、その美しさを示すということがありません。清澄の茂太郎にとっては、天上の星の一つ一つが、充分にその美しさを旋廻して見せるのですから、見れども飽くということを知らず、ある時は星と共に大空の奥深く吸い込まれ、ある時は星が来って、わが周囲に舞いつ、おどりつしているもののように見え、
「弁信さん、星がキレイにおどっているよ、とても綺麗《きれい》……」
と呼びました。
 清澄の茂太郎が、天上の星をながめている時、地上の庭では、弁信法師が虫の鳴く音に耳を傾けております。
「トテモ綺麗だよ」
 茂太郎は天上の星に恍惚《うっとり》として躍動した時、地上の虫を聞いていた弁信は、
「茂ちゃん、わたしは今、虫の音を聞いているところですよ」
 この返事は、塔の上はるかな茂太郎の耳には入らなかったでしょう。
「いろいろの虫が、草むらで鳴いておりますよ」
 おのおのの虫は、おのおのの生を語るが如く、力いっぱいの奏楽を試みている。弁信は、今、その一つ一つが持つ生命の曲を聞きわけようとして離れられないものらしい。茂太郎は、あらんかぎりの愉悦を以て、あらんかぎりのあこがれを捧げて、星をながめているのだが、虫を聞いている弁信の面《おもて》から、泣くが如く、憂うるが如き、一味の哀愁を去ることができません――これは二人の性格の相違にもよるのでしょうが、すべて天上を見るものには、無限のあこがれがあって、地上に眼を転ずる時は、誰しも一味の哀愁をわすれることができないのでしょう。
 そこで、天上と地上の二人の交渉は、暫く絶えてしまいました。
 星はほしいままに天上にかがやき、虫は精いっぱいに地上で鳴いていると、
「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人が仰せになりました」
 弁信法師がこういって、見えない眼をしばたたいたのは、物に感じて、また例のお喋《しゃべ》りを禁ずることができなくなったものでしょう。
「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人が仰せになりましたのは……」
 弁信法師は、地上の虫が咽《むせ》ぶように咽び出して、
「現在の大難を思うも涙、後生《ごしょう》の成仏《じょうぶつ》を思うてよろこぶにも涙こぼるるなり、鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と御遺文のうちから、私が清澄におります時に、朋輩から教えられたのを覚えているのでございます」
といって、あらぬ方《かた》に向き直って、いつもするように、誰をあてにともない申しわけ。
「ええ、私でございますか……いつも申し上げる通り、この眼が見えないものでございますから、耳の方が発達しておりまして、一度聞かせていただいたことはわすれません、二三度、とっくり[#「とっくり」に傍点]と聞かせていただきますと、生涯わすれないのが、幸か不幸か私にはわかりませぬ……ことに、達人高士のお言葉には、必ず音節とおなじような律《りつ》がございますものですから、それが音律の好きな私には、ひとりでに、すらすらと覚えられてしまう所以《ゆえん》でございます」
 弁信は、ふらふらと庭の中を二足ばかりあるいて踏みとどまり、
「日蓮上人は、安房《あわ》の国、小湊《こみなと》の浜でお生れになりました。こういう山国とちがいまして、あちらは海の国でございます、大洋の波が朝な夕なに岸を打っては吼《ほ》えているのでございます……小湊へおいでになった方も多いでございましょうが、あの波の音をお聞きになりましたか……今も波の音が南無妙法蓮華経と響いて聞えるのが不思議でございます、それは日蓮様がお生れになる以前から、やはり南無妙法蓮華経と響いていたのでございましょう……海の波がしらは獅子の鬣《たてがみ》のようだと、人様が申しましたが、私共が聞きますと、大洋の波の音は、獅子の吼える音とおなじなのでございます」
 虫の鳴く音から誘われた弁信の耳には、東夷東条安房の国、海辺の怒濤《どとう》の響が湧き起ったようです。

         二

 その時、塔の上では茂太郎が、けたたましい声で歌い出しました――
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とっつかめえた
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った!
五両の相場
五両の相場は誰《た》が立てた
八万長者のチョビ助が!
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 けれども、下にいた弁信法師の耳には、この時|海潮音《かいちょうおん》の響がいっぱいで、茂太郎のけたたましい声が入りませんでした。
 弁信法師は今|黙然《もくねん》として、曾《かつ》て聞いた片海《かたうみ》、市河、小湊の海の響を思い出しているのです。梵音海潮音《ぼんおんかいちょうおん》はかの世間の声に勝《まさ》れりという響が、耳もとに高鳴りして来たものですから、その余の声を聞いている遑《いとま》がありません。
 こうして、天上のあこがれと、地上の瞑想《めいそう》が、二人の少年によって恣《ほしいまま》にされている時、その場へ不意に一人の殺生者《せっしょうもの》が現われました。
 殺生者――といっても白骨の温泉へ出発した机竜之助が立戻ったわけではなく、極めて平凡なその道の商売人である猟師の勘八が、抜からぬ面《かお》で立戻り、ひょっこりと[#「ひょっこりと」に傍点]この場へ現われたものであります。
「弁信さん、お前、そこで、あにゅう、かんげえてるだあ」
 猟師の勘八は、いま山からもどったばかりのなり[#「なり」に傍点]で、鉄砲をかつぎながら言葉をかけたものですから、
「あ、勘八さんでしたか」
「今、けえ[#「けえ」に傍点]りましたよ」
「そうでしたか、猟はたくさんございましたか」
「大物を追い出すには追い出したでがすが、また追い込んでしまったから、これから出直しをしようと思ってけえ[#「けえ」に傍点]って来たところでがすよ」
「あ、左様でございましたか。そうしてその大物というのは何でございます」
「熊だよ」
「え、熊がこの辺にもおりますか」
「いますとも」
「お怪我《けが》をなさらないようになさいまし」
「有難う。それから弁信さん」
「はい」
「お前さんは、お銀様という人を知っているだろうね」
「お銀様――ああ、知っておりますよ、それがどうしましたか」
「その方を、わしが連れて来ましたよ」
「お銀様を連れておいでになった……勘八さん、お前こそ、どうしてお銀様を知っているのですか」
「山の中で拾って来ました」
「拾って……それは、どうしたわけでしょう」
「委《くわ》しいことは、お銀様から直接《じか》にお聞きなすったらいいだろう」
「本人のお銀様を、お前さんがここへ連れておいでになったのですか、そうしてお銀様はドコにおいでになりますか」
「いま、庫裡《くり》の方へ御案内をして上げておいたから、お前、行って、お目にかかっておやりなさい」
「有難うございます……そうしてなんでございますか、勘八さんがお連れ下すったのはお銀様だけでございますか、それとも、あの若いおさむらい[#「さむらい」に傍点]の方も御一緒にお帰りになりましたか」
「あの方は、けえ[#「けえ」に傍点]りません、お銀様だけ一人連れてきました」
「そうでしたか……お銀様のこれへおいでになった理由は、私にも思い当ることがないではございませんが……」
といって弁信は、何か思案にくれました。

         三

 月見寺の一室に控えているお銀様は、ふと床の間に目をつけて、その草花を生《い》け替える気になりました。
 というのは、青銅の大花瓶に乱雑に投げ込んである秋草は、多分清澄の茂太郎あたりの仕事だろうが、無論、式にも法にもかなってはいない。そこで、お銀様が見かねて、それを整理する気になったのです。
 かなり丹念に、花と枝を整理してゆくと、見ちがえるばかりのあざやか[#「あざやか」に傍点]なものとなりました。
 それでもお銀様は、まだ不足なものがあるように、活《い》け終った草花を、ためつすがめつ[#「ためつすがめつ」に傍点]して、ながめていること暫し、ここといって改めたいところはないが、そうかといって、これだけでは物足りない心持を、どうすることもできないらしい。
 これは、どうしたものだろう。お銀様は、花を活ける手際には、相当の自信を持っているつもりなのに……
 結局、これは、自分の活け方の悪いのではない、この方式で活けた花は、この室内にはうつら[#「うつら」に傍点]ないのだ、と気がつきました。
 花にも、手際にも、難があるのではない、この室そのものが、花と、手際とにそぐわ[#「そぐわ」に傍点]ないのだ。つまりこの室が悪いのだという結論になりました。
 ですから、この室を作り変えない以上は、この花に得心がゆくべきはずがない。室を作り変えるのは、家を作り変えるのだ。問題が、そこまで行くと、お銀様も不本意ながらこのままで安んずるほかはありません。
 そんならば、この室のどこが悪いのだ、一見したところで、無理に作られているとも思われない。仔細に見たところで、世間並みの書院造りの手法様式と変ったものが、あろうとも思われないが、どうも気分そのものが気に喰わない。
 と思って、見廻しているうち、ふと、お銀様の眼にとまったのは、床の間に立てかけであった、長い白鞘物《しらさやもの》です。これは、お寺の床の間には似つかわしからぬもので、今までお銀様が気がつかなかったのは、燈火《あかり》の具合で、隅の柱に隠形《おんぎょう》の印《いん》をむすんでいたからです。
 お銀様は、ようこそあれと、その白鞘の長物をとって、自分の膝の上まで持って来ましたが、やがて行燈《あんどん》の下で、半分ばかり鞘を抜き出してながめ入ったものです。
 この時とても、お銀様はいつもするように、頭巾《ずきん》をまぶかにかぶっていたし、山をのがれてきたのにかかわらず、着物の着こなしは端然たるものです。
 お銀様の眼が怪しくかがやきだしたのは、それから後のことで、息をはずませながら、刀をもとのままにおさめて、もとあったところへ置く手先がふるえているのも不思議でしたが、刀を置いた手を、すぐに棚の戸にかけて、スルスルと押し開くと、中をながめていましたが、手をさしのべて、中から引き出したのは、若い娘などの持ちたがる蒔絵《まきえ》の香箱《こうばこ》であります。
 それを、大事そうに、以前のところまで持って来たお銀様は、嫉《ねた》むような目つきと、おそれをなすような胸のさわぎで、箱の蓋《ふた》を払って見ましたが、中にはやわらかな紙が二三枚、丁寧にたたんで入れてあるだけのものでした。
 これは、水につけて蔭干しにして、やわらかくもみ上げた奉書の紙で、これで刀剣の中身をぬぐうのだとは、お銀様もちゃん[#「ちゃん」に傍点]と知り抜いているので、かたえに刀剣がある以上は、ドコかにこれがなければならない――
 それは、家があれば台所のあるのとおなじことで、お銀様も、幾度か、机竜之助のために、この紙を用意してやった覚えがあるのですが、現在、ここにあるこの紙は、お銀様がこしらえてやったものではありません。
 そう思って見ると、自分が常にこしらえてやったものよりは、揉み方がやわらかである――お銀様は、急にその香箱を持って、自分の鼻先に持って来ると、紛《ぷん》として立ちのぼる香りは椿油の香いであります。椿の油は、刀剣を愛する人の好んで用うるものであると共に、髪の毛の黒いことを望む女の人は、誰でもこれを珍重しますから、ドチラにしてもその香いは不自然ではありません。
 けれども、お銀様は、その油の香いが嫌でした。この場合、お銀様には、奉書の紙の揉《も》み方のやわらかいのが癪《しゃく》にさわったと見え、この紙を取り上げてズタズタに引裂いた時です、
「お嬢様――」
と弁信法師のおとずれの声が聞えたのは――
「はい」
 お銀様は引裂いた紙を、従容《しょうよう》として香箱の中に詰めながら返事をしました。
「弁信さんですね」
「ええ」
と答えたその弁信は、この室へ入って来たのではありません。それは次の間にいるのだか、また廊下の辺にでもたたずんでいたか、夜来て、夜この室に入ったお銀様には、更に見当がつきません。
「お嬢様」
 再びお銀様の名を呼んだ弁信は、前の通りどこにいるか、所在を知らせないで、
「あなたが、何のためにここへおいでになって、何を、私におたずねになろうとするのか、それは、私にようくわかっております。しかし、お嬢様、たとい、あなたがおたずねになろうとするほどのことを、私がいっさい存じておりましたにしても、それを残らず申し上げねばならぬという責《せめ》は、私にないものと御承知下さいまし……つまり、私は、あなたがこれへおいでになって、私にお尋ねになろうとすることに、いっさい御返事を申し上げないことに、きめてしまいました」
 何も尋ねられない先に、弁信はこういって予防線を張ってしまったのは、尋ねられないまでも、その先、その先をいってしまいたがるこのお喋《しゃべ》り法師としては、異数の現象でありました。
「それでは無理におたずねは致しますまい」
とお銀様が冷やかに答えましたが、
「お前が教えてくれなくても、わたし一人で探してみせるから……」
と針をふくんでいいかえしました。しかし、この針も弁信法師の胸には立たず、
「すべての女の人は、男を畏《おそ》れますけれども、あなたは男を畏れるということを知りませぬ、通例の場合では、女一人を男の前へ出すことは危険でございますが、あなたに限っては、女の前へ男を出すことがあぶないのでございます」
 弁信法師一流のいい廻しで、前提を置き、言葉をついで、その註釈を述べようとする時、
「今晩は……」
とその間へハサまったのは、それは弁信の声ではありません。お銀様の挨拶でもありません。清澄の茂太郎が、自分の身体が押しつぶされるほどの夜具《やぐ》蒲団《ふとん》を荷《にな》って、お銀様のいるところへやって来たのです。
「御苦労さま」
とお銀様が言いました。
「ああ、重たかった」
 夜具蒲団を頭から投げおろした茂太郎が、ホッと息をつく有様を、お銀様がつくづくとながめて、
「随分重かったでしょう、よく、これだけ持てましたね」
「随分重かったよ……どちらへお休みになりますか」
といって、茂太郎は座敷の部分を、キョロキョロみまわしますと、
「ええ、ようござんす、そうして置いて下さい」
「そうですか、それじゃ枕を持って来て上げましょう」
 茂太郎は取ってかえしました。
 お銀様は立って、その蒲団を程よいところへしきのべた時分には、弁信法師のことはわすれていました。弁信もまた、それきりで、どこにいたのだか、どこへ行ったのだか、最初からわからないままです。
 まもなく一つの箱枕を持って来た清澄の茂太郎は、燃ゆるばかりの緋絹《ひぎぬ》の広袖の着物を着ていました。
 そこでお銀様が、
「たいそう綺麗《きれい》な着物を着ていますね」
「ええ、もとは坊さんの法衣《ころも》だったのです、それをお雪ちゃんが、あたいに拵《こしら》え直してくれました」
「そうですか」
 茂太郎は今、下着には、あたりまえの袷《あわせ》を着て、その上へいっぱいに緋絹の広袖を着ているのですから、その異形《いぎょう》のよそおいが、たしかに人の目を引きます。けれども、その緋絹が無用になった坊さんの法衣《ころも》を利用したものと思えば、出所が知れているだけに、不思議でもなんでもありません。
「お雪ちゃんというのは、あなたの姉さんですか」
 お銀様は、この子供の言葉尻を利用することを忘れませんでした。
「いいえ、お雪ちゃんは、ここのお寺の娘さん分ですよ」
「そうですか。そのお雪ちゃんは、いまもここにいて……?」
「いいえ……」
 茂太郎が頭を振るのを、お銀様は透《す》かさず追いかけました。
「此寺《ここ》にはいないの?」
「ええ、この間までいましたけれど……」
「この間まで……そうして、今どこへ行ったの?」
「温泉へ行きました」
「温泉へ……?」
「ええ」
「どこの温泉」
「さあ……」
 お銀様の追窮が急なので、茂太郎に困惑の色が現われましたから、お銀様も、ちょっと手綱《たづな》をゆるめる気になって、
「お雪ちゃんという娘さんは、幾つぐらいのお歳なの」
「そうですね、あたいは聞いてみたこともないんだけれど……十七か八でしょう」
「そうして、お雪ちゃんは誰と温泉へ行きました」
「誰とだか……」
「お前、知らないの?」
「ええ。だけども、一人で行ったんじゃないんだよ」
「一人じゃないの、幾人で?」
「三人連れで……」
「その三人は、誰と誰?」
 お銀様の追窮が、やっぱり急になってゆくので、茂太郎の困惑が重なるばかりです。
「それは、わかってるにはわかってるが、弁信さんが、いうなといったからいわれない」
「そう……」
 お銀様も、それ以上は押せなくなりました。しかし、これだけ聞けば、全然得るところがなかったとはいえない。
 そうするとお銀様は、十七八になるお雪という娘の骨を、食い裂いてやりたいほど憎らしくなりました。
「おばさん、お前はなぜ頭巾《ずきん》をかぶっているの……?」
 その時、不意に茂太郎が反問しました。
「これはね――」
 お銀様は行燈《あんどん》の方へまとも[#「まとも」に傍点]に面《おもて》を向けて、
「お前さん、わたしの面《かお》を見たいの?」
といいました。
「見たかないけれど、家の中で頭巾をかぶっているのはおかしいじゃないか」
「お前、おばさんの面《かお》が見たいんでしょう、見たければ見せて上げましょうか」
「見たかないけれど……」
「見たいんでしょう……」
といって、お銀様は膝を進ませて茂太郎の手を取りました。
「見たければいくらでも見せて上げるから、この頭巾の紐《ひも》を解いて頂戴……」
「だって……」
「いい児だから解いて頂戴……」
 お銀様は茂太郎を膝の上へ抱き上げ、そうしてあわただしく自分の頭巾を取ってしまいました。
「おばさん、何をするの」
 清澄の茂太郎がもが[#「もが」に傍点]くと、お銀様は、
「何もしやしません、わたしは鬼子母神《きしもじん》の生れ変りですからね」
といって、放そうとはしませんから、
「いやだ、いやだよ、おばさん」
「怖《こわ》かありませんよ、鬼子母神は人の子を取って食べるのですけれども、わたしは食べやしません、可愛がるだけなのよ、わたしは千人の子供を可愛がってみたい」
「いやだってば、おばさん」
「いいのよ、わたしの面《かお》をごらん」
「え」
といって茂太郎は、頬摺《ほおず》りをするほどさしつけたお銀様の面《かお》を見つめると、
「怖《こわ》い面でしょう、わたしの面は……」
 人に隠して見せまいとつとめた自分の面を、この時に限ってお銀様は、打開いて茂太郎に見せようとします。
 満面が焼けただれて、白眼勝《しろめが》ちの眼が恨みを含んで、呪《のろ》いそのもののような面をまとも[#「まとも」に傍点]に見た人は、誰でもゾッとして身の毛をよだて[#「よだて」に傍点]ないものはありません。しかし茂太郎は、それを怖れないでうるさ[#「うるさ」に傍点]がり、
「怖かありません、おばさんの面は怖くないけれども、こうやって抱かれるのが窮屈でならない、放して下さい」
「お前、ほんとうに、わたしの面を怖いとは思わない?」
 お銀様は、なお、おびやかすように茂太郎の面に、呪いそのもののような自分の面を見せようとすると、
「怖かありません、あたいは人の怖がるものを怖がらないけれど、窮屈なことがいちばんきらいなのよ」
「いいえ、おばさんの面はこわい面でしょう、それにくらべるとお前の面は、綺麗な面ね」
「いいえ、怖かありません、あたい蛇だって、狼だって、何だって怖いと思ったことはないけれど、人に可愛がられるのが大嫌いさ、息が詰まるんだもの……」
「お前の名は何というの?」
「清澄の茂太郎」
「茂ちゃんていうの」
「ああ、おばさん、放して頂戴よ、息苦しくて仕方がないからさ」
「おとなしくして、鬼子母神様《きしもじんさま》の子におなりなさい」
「放して下さい、ほんとに熱苦しいんだもの……よう、おばさん」
「おとなしくしておいで――」
「いやだ、いやだ……おばさん、何をするの、放さないの?」
「わたし一人で淋しいから、茂ちゃん、泊っておいでなさいな」
「息が詰まるじゃないか、おばさん、どうしても放さなけりゃ、あたい、口笛を吹いて狼を呼ぶからいいや」
「何ですって、狼を呼ぶ……?」
「ああ、あたいがここで口笛を吹くと、狼が出てくるんだから……」
「まあ怖い……お前は狼より、わたしの方が嫌いなの?」
「だって、息がつまりそうだもの」
「あたしの顔は、狼より怖い……」
「そんなことはないけれど……」
「わたしの息は、蛇の息より、熱苦しいの?」
「おばさん、堪忍《かんにん》して頂戴ね、あたいは怖いものはないけれど……」
「だから、おとなしく、おばさんのいうことをお聞きなさい、あたしは千人の子供を食べる鬼子母神様の生れ変りなんですもの」
「いけませんよ、おばさん。あ、それじゃ、あたい口笛を吹きますよ」
「吹いてごらん、いくらでも」
 お銀様は、その呪《のろ》いそのもののような面《おもて》に、凄《すご》い笑いを漂わせて、茂太郎の口をおさえました。

         四

 お銀様の膝をのがれ出た茂太郎は、弁信に向っていいました、
「弁信さん、奥にいるおばさんはこわいおばさんですよ、人の子を取って食べるんですとさ」
「そばへ寄らないようにおし」
「嘘でしょう、千人の子供を取ってたべるなんて……」
「それは鬼子母神のことです」
「でも、鬼子母神様の生れ変りだっていいましたよ。ナゼ、鬼子母神様は、人の子を取って食べるの?」
「それは愛に餓えているからです……」
 弁信法師はこういって、その話を打切って、二人は例の如く枕を並べて寝に就きました。
 その夜は無事。

 翌日になって、またしてもこの寺へ一人の珍客がやって来ました。
 それは武州高尾山の半ぺん坊主が、やけに大きな奉加帳《ほうがちょう》を腰にブラ下げて、この寺に乗込んで来たことで、
「こういうわけで、今度お許しが出ましたから、またまた山を崩し、木を伐《き》って、車を仕掛けることになりました。ところで、役人の方はうまくまるめちまいましたが、工事をうまくまるめるには、別にそれ、丸いものが余分にかかりますでな……」
といって、頤《あご》を撫でながら奉加帳をくりひろげたものです。
 奉加帳をひろげて、べらべらと能書《のうがき》を並べた末、
「さて高い声ではいえませんが……そうして登りが楽になりますてえと、山の上へ金持がバクチを打ちに参ります、商売人を連れて、おんか[#「おんか」に傍点]でバクチを打ちに参ります、これがそのテラ[#「テラ」に傍点]といっては出しませんが、この連中の納める杉苗が大したものなんで。それにのぼりが楽になりますてえと、連込みの客もだいぶ入ってまいります、こういうのが、また杉苗を余分におさめるというわけでございますから……その杉苗でございますか、そんなに杉苗をもらってどうするのだとおっしゃいますか……へ、へ、それは徳利の中でも、半ぺんの下でも、どこへでも植えちまいますから御心配下さるな。そういうわけで、この車が出来さえすれば、一割や二割の配当は目の前でございます」
 半ぺん坊主は、言葉たくみに説き立てました。
 その時、応対に出たのが幸か不幸か、弁信でありました。
 弁信は半ぺん坊主のいうところを逐一《ちくいち》聞き終り、その終るを待って、
「御趣意の程、よく承《うけたまわ》りました。承ってみますると、私はそういうことを承らない方が仕合せであったという感じしか致さないのが残念でございます。あのお山は、私もついこの間まで御厄介になっておりましたから、よく存じておりますが、車を仕掛けて人様を引き上げねばならぬほどの難渋《なんじゅう》なお山ではございませぬ、斯様《かよう》に眼の不自由な私でさえも、さまで骨を折らずに登ることができましたくらいですから、御婦人や子供衆たちでも御同様に、さまで骨を折らずに、お登りになることができようと存じます。よし、多少、お骨は折れるに致しましても、そこに信心の有難味もございまして、登山の愉快というものもあるのではございませぬか、信心のためには、木曾の御岳山までもお登りなさる婦人たちがあるではございませぬか。それにくらぶれば、あのお山などは平地のようなものでございます。それに承れば、せっかく、代々のお山の木を切りまして、それを売払っていくら、いくらとのお話でございますが、昔のおきてでは、一枝を切らば一指を切るともございます、お山によっては、山内の木を伐《き》ったものは、死罪に行うところすらあるのでございます、それをあなた方、多年、そのお山の徳によって養われている方が先に立って、そういうことをなされて、御開山方へ何とお申しわけが立つのでございましょう……なおお聞き申しておりますると、せっかく信心の方々が杉苗を奉納なさるのを、あなた方は徳利の中へ入れて、飲んでおしまいになったり、半ぺんの下へ置いて、食べておしまいなさるそうですが、そうして、あなた方は、自分で自分の徳をほろぼしておしまいになることを、自慢にしておいでなさるのですか……樹木は地上の宝でございます、木を植ゆるは徳を植ゆるなりと申されてありまする、あなた方の御先祖代々が、せっかく丹精して、あれまでに育てて霊場を荘厳《そうごん》にしてお置きになるのを、むざむざと伐って、それでよい心持が致しますか……また山の自然の形には、自然そのままで貴いところがあるものでございます、これを切り崩して、後日の埋め合わせはどう致すつもりでございますか。俗世間でも、家相方位のことをやか[#「やか」に傍点]ましく申しますのは、一つは、この自然さながらの形を、重んずるところから出でているのではございませぬか……それほどまでにして、車を仕掛けてあなた方は、いったい、だれをおよびになろうという御了簡《ごりょうけん》なのですか。聖衆は雲に乗っておいでになりまする、信心のともがらは遠きと、高きを厭《いと》わぬものでございます、ゆさんの人たちは足ならしのために恰好《かっこう》と申すことでございます……ところの幽閑、これ大いなる師なりと古人も仰せになりました。出家のつとめは、俗界の人のために清い水を与えることでございます、清い水を与えるには、清いところにおらなければならない約束ではございませぬか……山を荘厳にし、出家が空閑におるのは、俗界の人に、濁水を飲ませまいがためでございます。釈尊は雪山《せつせん》へおいでになりました、弘法大師も高野へ精舎《しょうじゃ》をお営みになりました、永平の道元禅師は越前の山深くかくれて勅命の重きことを畏《かしこ》みました、日蓮聖人も身延の山へお入りになりました、これは世を逃《のが》れて、御自分だけを清くせんがためではござりませぬ……源遠からざれば、流れ清からざるの道理でございます。もし、あなた方が、どうでも人の世のまん中に立ち出で、衆と共に苦しみ、衆と共に楽しむ、の思召《おぼしめ》しでございますならば、いっそ、浅草寺《せんそうじ》の観世音菩薩のように、都のまん中へお寺をおうつしになっては如何《いかが》でございますか……」
 弁信法師が一息にこれだけのことをしゃべって、なお立てつづけようとするから、半ぺん坊主は青くなって、
「話せねえ坊主だなあ」
 奉加帳を小脇に、逃ぐるが如く走り出ました。

         五

 半ぺん坊主が出て行った日の夕方、宇津木兵馬が飄然《ひょうぜん》としてこの寺に帰って来ました。
 その晩、前のと同じ部屋で、兵馬は燈下に行李《こうり》を結びながら、
「私は、明日再び山へ入ります、そうして今度は当分出て来ないつもりです」
と言うと、あちらを向いていたお銀様が、
「どちらの方の山へ?」
とたずねました。
「以前の方の山を、もう少し深く、入れるだけ入ってみようと思います」
「そちらの山を深く行きますと、温泉がございますか?」
「温泉……あちらの方面には温泉がありませぬ」
「わたしは、また温泉のある方の山へ行ってみたいと思います」
「そうですか……では、信州の方面へおいでになるとよろしうございます、甲武信と申しましても、甲州と武州には、温泉らしい温泉がありませぬ」
「あなたは御存じですか」
とお銀様があらたまった質問を、兵馬に向って試みようとします。
「何でございますか」
「このごろ、此寺《ここ》の娘さんはドチラの温泉へまいりましたか」
「ああ、お雪ちゃんですか……あの子は、そうですね、どこでしたか……」
と兵馬が小首を捻《ひね》りました。
「あなたも、そのお雪ちゃんという娘さんを御存じでしょうね」
「知っていますとも、親切なよい娘さんです。わたしもそのお雪ちゃんの親切で、この寺へ御厄介になる縁になったのです」
「そうですか。その娘さんはひとりで温泉へおいでになりましたか?」
「いいえ、ひとりではありますまい、娘さん一人では遠くへは出られますまい……誰か近所の人が附いて行ったようです」
「その近所の人というのは、誰ですか御存じ?」
「知りません、私のいない間のことですから……」
「わたしも、そのお雪ちゃんとやらの行った温泉へ、行ってみたいと思うのですが、それは、あなたのおいでになろうとする山の方角とは違いますか」
「さあ、それが……私の行こうとする方面には、こころあたりの温泉がないのです」
「誰も、そのお雪ちゃんという娘さんの行った先の温泉を、知らないというのが不思議ではありませんか」
「知らないはずはありますまい、留守の人に尋ねてごらんになりましたか」
「尋ねてみましたけれど、誰も教えてはくれません」
「それでは、あとで私が尋ねてみて上げましょう、誰か知っていなければならないはずです」
 そこで、兵馬は、少し進んでたずねてみようかと思いました。
 いったい、この不思議な女の人は、誰をたずねてこの寺へ来たのだ。男の姿に身をかえてまで、一人旅をしてたずねて来たのは、どうもお雪という娘をめあてに来たのではないらしい。よくよくの深い仔細《しさい》があればこそだろうが、今まで兵馬には、そんなことを立入って、たずねてみるほどの余裕がないのでした。
 今となって、燈下にうつるこの女の呪《のろ》わしき影法師を見ると、何か知らん、強くわが胸を打つものがあるように思われてならぬ……男装した女。行くにも、住《とど》まるにも、覆面を取らぬ女……その生涯にはかぎりなき陰影がなければならぬ。道はちがうが、われも多年人を求むる身だ。こう思って兵馬が、新しい感興に駆《か》られた時に、
「あなた、もし、この刀の持主を御存じはありませぬか?」
といって不意に立ってお銀様が持ち出したのは、例の床の間の白鞘《しらさや》の一刀です。
 宇津木兵馬はその刀を見て、こんな刀が、この寺にあったのかと疑いました。
 行李をまとめていた手を休めて、お銀様の手からその刀を受取ると、多大の疑惑を以て、その刀を抜きにかかりました。
 兵馬はまだ刀を見て、その作者を誰といいあてるほどの眼識はない。けれども、刀の利鈍と、品質はわかる。ことに一たび実用に用いた刀……露骨にいえば、最近において人を斬ったことのある刀は、一見してそれとわかる。到るところの社会で、血のりを自慢の刀をよく見せられていたものだから――
 ところで、寺院には似げもない長物《ながもの》を、思いもかけぬ人の手で見せられて、鞘《さや》を払って見るといっそう驚目《きょうもく》に価するのは、その刀が最近において、まさしく人を斬った覚えのある刀に相違ないと見たからです。
 十分に拭いはかけたつもりだけれども、拭いが足りない。
 そこで兵馬は、まずこの刀の作者年代が、誰で、いつごろ、ということは念頭にのぼらないで、
「これは寺の刀ですか、それとも誰か持って来たのですか?」
「この床の間にあったのです」
「それでは、寺の物ですな」
「そうかも知れません」
 兵馬の疑点が一歩ずつ深く進んで行きました。身に寸鉄を帯びざることは、智識の誇りではあるにしても、寺に刀があって悪いという掟《おきて》はない。ただ不審なのは、近き既往においてこの刀が、まさしく血の味を知っていたとのことです。この寺の住持は老齢の身で、盗まれたものさえ、訴えては出ないほどの仁者である。それが、この刀を振り廻そうはずがない。それでは弁信か、茂太郎か。どちらにしても、想像の持って行き場がないではないか。まして、お雪ちゃんにおいてをや。
 同時に閃《ひら》めいたのは……閃めかなければならないのは、過ぐる夜のことで、山窩《さんか》のものだという悪漢が二人、この寺に押込んで、泊り合わせた兵馬のために傷つけられて逃げた、それが町の外《はず》れの火の見櫓の下でおおかみ[#「おおかみ」に傍点]に食われて死んでいた、罰《ばち》はテキ面だと人をして思わしめたのは、遠くもない先つ頃[#「先つ頃」に傍点]のことで、その当座は――今でも、誰も狼に食われたものと信じて疑わない。事実また狼に食われたものに相違ないが、当時、駈けつけて親しく検視をやってみた兵馬だけは、単に狼に食われただけで済ますことはできなかった。けれども、あの場合、狼に食われたことに一切を解決してしまった方が、民心を安んずる上において都合がよかったので、兵馬もこれをこばまなかった。しかしあれは、食われたのは後で、斬られたのが先である。一刀のもとに斬って捨てた手練のほどに戦《おのの》いたのは――戦くだけの素養のあったのは、たしか兵馬一人であったはず。
 これほどの斬り手がどこにひそ[#「ひそ」に傍点]んでいたか。これは今以て兵馬には解決がついていないところへ……見せられたこの刀が、激しい暗示を与える。
「誰がこの刀を持っていましたか?」
「それは、わたくしから、あなたにたずねているのです」
「いや、私にはわかりませぬ、あなたにお尋ねしなければなりません。あなたはこの刀の持主を尋ねて、この寺へおいでになったのですか、その人は、何という人で、何のためにこちらへ来たのですか」
「それは人を殺すことを何とも思わない人です……ですけれども、わたしはその人が忘れられないのです」
「あなたのおっしゃることがよくわかりませぬ」
「それでは、もう一つ付け加えましょう、その人は目の見えない人です……どういう縁故でこの寺へ参りましたかは存じませぬが、今はこの寺にはいませんそうで……温泉へ行ってしまったそうです」
「まだわかりませぬ、もう少しお聞かせ下さいまし」
 話が、それから進むと、お銀様は、ついに兵馬に向って、
「机竜之助」
の名を語らねばならなくなりました。そうでなくてさえ一語一語に、何かの暗示を強《し》いられていた兵馬は、最後に「机竜之助」の名を聞いて、ながめていた白刃を伝って、強烈な電気に打たれたように振い立ちました。
「あ、それだ、その人ならば、あなたが尋ねる人ではない……」
 兵馬の昂奮がお銀様を驚かしたのみならず、あわただしく刀を鞘《さや》に納めて、投げ出した行李《こうり》を再びひきまとめて、
「私は、あなたと共に、その温泉へ行かなければならぬ、その温泉とはどこですか」
 兵馬が最初の当途《あてど》もない甲武信の山入りを放擲《ほうてき》したのと、お銀様と共に、その未だ知られざる温泉へ、発足しようと思い立ったのとは同時です。
 ここに運命の極めて奇なる因縁で、宇津木兵馬とお銀様とは、その翌日、行を共にして尋ね人のあとを追うことになりました。
 温泉の名をハッコツとだけは、知ることができましたが、そのハッコツとはどこ。それは誰に聞いても要領を得ることができませんでした。
 今ならばハッコツの音《おん》から解いて、白骨《しらほね》の字をさぐるのはなんでもないことですけれども、その当時にあって、日本人の一人も、日本アルプスの名を知らないように、信濃《しなの》と飛騨《ひだ》の境なる白骨温泉《しらほねおんせん》の名は、誰の耳にも熟してはおりませんでした。
 ともかくも、温泉として聞えたる信濃の国、諏訪の地名から推《お》して、多分それに近くとも遠くはない地点だろうとの二人の想像は、さのみ無理ではありません。そこで二人は、まず諏訪の温泉を目標として、探索の歩を進めることに相談をきめました。
 欲望を異にして、目的を同じうするこの悪戯《あくぎ》に似たるほどの奇妙な道連れは、単に道連れとしてはおたがいに頼もしいものでありました。なぜならば、お銀様は長途の旅に、兵馬ほどの護衛者を得たわけであり、兵馬はまた今の最も欠乏している路用の上に、最も有力なる後援者を得たということになるのです。事実、お銀様はこの時もまだ多分の金を懐中に入れてありました。なお、これから諏訪の方面へ向けて旅立ちの途中、故郷の有野村へでも手を入れようものなら、自分の所有のうちから、誰にもはばからずに、ほとんど無限の融通をつけるのは何でもないことです。
 お銀様は今も、持てる金のすべては兵馬に附託して、これで旅の用意の万事をととのえるように、そうして乗物も二人分、通しを頼んでもらいたいということをいいました。
 しかし兵馬は、お銀様だけは都合のよい乗物で、自分はドコまでもそれに附添うて、徒歩で行こうと決心をきめて、それによって旅行の準備を進めてしまいました。
 兵馬は計らずして、敵《かたき》の行方《ゆくえ》に一縷《いちる》の光明を認めたと共に、思い設けぬ富有の身となりました。附託されたかなりの大金は、いやでも自分が保管するのが義務のようになっている。この奇怪にしてしかも鷹揚《おうよう》なお嬢様は、今後必要に応じて、いくらでも兵馬のために、支出することを辞せない様子を見せている。
 あてどもない山奥に、半ば自暴《やけ》の身を埋めに行こうと決心した兵馬は、ここにゆくり[#「ゆくり」に傍点]なく、幸運の神に見舞われたようなもので、暫く茫然《ぼうぜん》と夢みる心地でいましたが、若いだけに早くも心に勇みが出て、踏みしめる足許もなんとなく浮き立つように感じ、ほとんどこの何年来にもなかったよろこび[#「よろこび」に傍点]に、心が跳《おど》るのであります。
 そうかといって、この世に代価を払わない幸運というものは一つもない。兵馬にこの幸運を与えた祝福の神は、人の子を取って食う鬼子母《きしも》の神であってみれば、早晩何かの代価を要求せられずしては済むまいと想われる。

         六

 駒井甚三郎は、房州の洲崎《すのさき》に帰るべく、木更津船《きさらづぶね》に乗込みました。
 その昔お角が、清澄の茂太郎を買込みに行く時に乗込んで、大難に遭《あ》ったのとおなじ航路で、おなじ性質の乗合船。
 なるべく人目に立たないように、駒井は帆柱のうしろ、荷物の隅に隠れていました。
 乗合の客は、例のとおなじように、士分階級をのぞいた農工商のものと、今日は、それ以外の遊民が少なからず乗合わせている。
 遊民というのは、玄冶店《げんやだな》の芝居に出てくるような種類の人。赤間の源左衛門もいれば、切られない[#「ない」に傍点]の与三《よさ》もいる。お富を一段上へ行ったようなお角がいないのが物足りない。
 しかし、きょうは、天気も申し分なく、近き将来の時間において、思い設けぬ天候の異変もこれあるまじく、たとえ、お角が乗合わせていたからとて、人身御供《ひとみごくう》に上げられる心配もまずありそうなことはなく――そうそうあられてはたまらない――それで江戸湾内を立ち出でる木更津船の形は、広重《ひろしげ》に描かせて版画にしておきたいほど、のどかなものです。
 隠れているといっても、なにしろ限りある木更津船の甲板の上で、書物を開いている駒井甚三郎の耳には、乗合船特有の世間話が、連続して流れ込んで来るのを防ぐことはできない。ある時は耳を傾けて、これに興を催してみたり、ある時は書物に念を入れて、それを聞き流したりしているうちに、こまったことには、例の遊民の連中がいつか気を揃えて、いたずら[#「いたずら」に傍点]を始めてしまったことです。
「半方《はんかた》が二十両あまる、ないか、ないか」
と中盆《なかぼん》が叫び出すと、
「おい、音公、お前に五本行ったぞ」
 貸元が念を押す。
「合点《がってん》だ」
 向う鉢巻が返答する。
「六三に四六を負けるぞ、負けるぞ」
と中盆が甲高声《かんだかごえ》で呼び立てると、
「はぐり[#「はぐり」に傍点]をうっちゃれよ、打棄《うっちゃ》れよ」
と片肌脱《かたはだぬぎ》がせき立てる。
「一番さい[#「さい」に傍点]てくれ、さい[#「さい」に傍点]てくれ」
 鳴海《なるみ》の襦袢《じゅばん》が居催促をする。
「金公、それ三本……ええ、こっちの旦那、お前さんは十本でしたね」
 貸元は盛んにコマ[#「コマ」に傍点]を売る。
「いいかげんに、やすめ[#「やすめ」に傍点]を売れやい」
「勝負、勝負……」
 駒井甚三郎も、これには弱りました。
 この連中も最初のうちは、やや控え目にしていたのが、ようやく調子づいて来ると、四方《あたり》に遠慮がない。諸肌脱《もろはだぬぎ》になった壺振役《つぼふりやく》が、手ぐすね引いていると、声目《こえめ》を見る中盆《なかぼん》の目が据わる。ぐるわの連中が固唾《かたず》を呑んで、鳴りを静めてみたり、またけたた[#「けたた」に傍点]ましくはしゃ[#「はしゃ」に傍点]ぎ出したりする。
 こうなっては隠れていることも、書物を読むこともめちゃめちゃです。駒井は一方ならぬ迷惑で、避難の場所を求めようとしたが、やはりかぎりある船中に、人と荷物でなかなかそのところがない。ひとり駒井が迷惑しているのみならず、乗合いの善良な客はみな迷惑しているのです。しかし、善良な客が進んで船内の平和を主張するには、どうも相手が悪過ぎる――船頭でさえ文句が附けられないのだから、暫く、無理を通して道理をひっこめておくより思案がないらしい。
 駒井甚三郎とても、相手をきらわないというかぎりはない。見て見ないふり[#「ふり」に傍点]のできるかぎりは、立ち入りたくない。しかし、この船中で見渡したところ、かりにも士分の列につらなっている身分のものは、自分のほかにはいないらしい。万一の場合、義において自分が、船内の平和を保つ役目を引受けなければならないのか、とそれが心がかりになりました。その時分、勝負がついたと見えて、船の上はひっくりかえるほどの騒ぎです。
 こういう場合の役まわりは、宇治山田の米友ならば適任かも知れないが、駒井甚三郎ではあまりに痛々しい。
 それを知らないで、調子づいた遊民どもは、全船をわが物顔に熱興している。
 彼等が、熱興だけならば、まだ我慢もできるが、船中の心あるものを迷惑がらせるのみならず、その善良な分子をも、この不良戯《ふりょうぎ》のうちへ引込まずにはおかないのが危険千万です。
 いわゆる良民のうちにも、下地《したじ》が好きで、意志がさのみ強くないものもあります。見ているうちに乗気になって、鋸山《のこぎりやま》へ石を仕切《しきり》に行く資本《もとで》を投げ出すものがないとはかぎらない。くろうと[#「くろうと」に傍点]の遊民どもも、実はそのわな[#「わな」に傍点]を仕掛けて待っている。
「へ、へ、へ、丁半は采《さい》コロにかぎるて、なぐささい[#「なぐささい」に傍点]、じゃあるめえな」
「じょうだんいいなさんな」
「五貫ばかり売ってもらいてえ」
 罷《まか》り出でたのは乗合いの中の素人《しろうと》にしては黒っぽく、黒人《くろうと》にしては人がよすぎる五十男。
「合点《がってん》だ、さあ五貫……」
 貸元が景気よくコマを売る。
「丁が余る、丁が余る……いかがです、旦那、負けときますぜ、やすめ[#「やすめ」に傍点]を一つお買いになっては……」
「へ、へ、へ」
 前のよりはいっそう人のよかりそうな、純乎《じゅんこ》たる素人が、ワナを眼の前につきつけられて、まんざらでもない心持。
 こうやって彼等の景気は増すばかりで、心あるものの気持は苦々《にがにが》しくなるばかりです。
 暫くしている間に、最初にしたり[#「したり」に傍点]面《がお》をして出た半黒人《はんくろうと》も、まんざら[#「まんざら」に傍点]でもない心持の純素人《じゅんしろうと》も、グルグルとグループの中へ捲き込まれてしまうと、中盆《なかぼん》が得意になって、
「運賦天賦《うんぷてんぷ》のものですから、本職だって勝つときまったものではなし、ドコへ福がぶっつ[#「ぶっつ」に傍点]かるかわかりませんや」
 いざやと壺振りが、勢い込んで身構えをする。
 二三番するうちに、新入者がまた二三枚加わる。加わった当座は多少の目が出ると、有頂天《うちょうてん》になり、やがてそのつぎは元も子もなくして、着物までも脱ぎにかかる。取られれば取られるほど、眼が上《うわ》ずってしまう有様が見ていられない。
 こうなってみると駒井甚三郎も、相手を憚《はばか》ってはいられない。そこで思いきって、一座の方へ進み出でました。
「これこれ、お前たち、いいかげんにしたらいいだろう」
「何が何だと……」
 諸肌脱《もろはだぬ》ぎで壺振りをやっていたのが、まずムキになって駒井に食ってかかりました。
「そういうことをしてはいけない、乗合いのものが迷惑する」
と駒井が厳然としていいました。
 しかし、この遊民どもは、駒井が前《さき》の甲府勤番支配であって、ともかくも一国一城を預かって、牧民の職をつとめた経歴のある英才と知る由もない。このことばには荘重《そうちょう》なものがあって、厳として警告する態度はあなどり難いものがあったとはいえ、今、異様の風采《ふうさい》をして、ことには女にも見まほしいところの青年の美男子であるところに、彼等の軽侮のつけ[#「つけ」に傍点]目がある。そうして見廻したところ、相手は一人であるのに、自分たちは血をすすった一味徒党でかたまっている。こいつ[#「こいつ」に傍点]一人を袋だたきにして、海の中へたたき込むには、何の雑作《ぞうさ》もないと思ったから、多少、事を分けるはずの貸元も、中盆《なかぼん》も、気が荒くなって、
「何がどうしたんだって――人の楽しみにケチをつける奴は殴《なぐ》っちまえ」
「殴っちまえ」
 風雲実に急です。駒井もこうなっては引込めない……かえすがえすも、米友ならば面白いが、駒井では痛ましい。
 その時、帆柱のかげからムックリとはね起きた六尺ゆたかの壮漢、
「こいつら、ふざけや[#「ふざけや」に傍点]がって……」
 盆ゴザも、場銭も、火鉢も、煙草も、手あたり次第に取って海へ投げ込む大荒《おおあ》れの勇者が現われました。

         七

 これほどの勇者が、今までどこに隠れていたか、駒井も気がつかなかったが、乗組みの者、誰も気がついていなかったようです。
 不意に飛び出したこの六尺豊かの壮漢が、痛快というよりは乱暴極まる荒《あ》れ方をして、あっというまもなく、賭場《とば》を根柢から覆《くつが》えしてしまいました。
 さしもの遊民どもが手出しができないのみならず、あいた口がふさが[#「ふさが」に傍点]らないのは、その荒《あ》れっぷりの乱暴と迅速とのみならず、六尺豊かの髯面《ひげづら》の大男の、威勢そのものに呑まれてしまったからです。
 といってこの六尺豊かの髯面の大男、そのものの人体《にんてい》がまた甚だ疑問で、相手を向うに廻して荒れていなければ、これが無頼漢《ぶらいかん》の仲間の兄貴株であろうと見るに相違ない。そうでなければ、船頭仲間の持余し者と見たであろう。しかし、よく見ると、無頼漢でもなければ、船頭仲間の持余し者でもない、れっき[#「れっき」に傍点]としたこの乗合船のお客様の一人で、身なりこそ無頼漢まがいの粗野な風采をしているが、寝ていたところをよくごらんなさい、両刀が置きっぱなしにしてあるのです。しかもその長い方の刀は、人の目をおどろかすほどすぐれて長いものです。
 それですから、さしもの遊民どもも、一層おそれをなしました。
「人の安眠を妨害する奴等、船底へ引込んで神妙にしとれ[#「しとれ」に傍点]」
 中盆と壺振の二人の襟首をひっぱって、船底の方へ投げ込んでしまったのは、あながち怪力というわけではない、呑まれてしまった遊民どもが、自由自在になっているのです。
 そこで、さしも全権を振《ふる》っていたこの連中が、一時に閉塞《へいそく》して、ことごとく船の底へ下積みにされてしまいました。
 船中の者も、この勇者を欽仰《きんこう》することは一方《ひとかた》ではありません。
 その勇気といい、筋骨といい、身に帯びたすばらしい長短の刀といい、天下無敵の兵法《ひょうほう》の達者、誰が見ても疑う余地はありません。最初の口火を切った駒井甚三郎の影は、この勇者の前に隠されて、一人もそれを讃仰《さんごう》するものはないのです。
 駒井もまた、この豪傑が不意に現われて、自分の解決すべき難関を、一気に解決してくれた幸運をよろこびましたから、讃仰者のないのを恨みとする理由はありません。こういう場合においては、第一声を切ることが勇者の仕事で、その出端《でばな》を利用して敵を驚かして、一気に取挫《とりひし》ぐことは、喧嘩の気合を知っているものにはむしろ容易《たやす》いことですが、駒井は閑却されて、あとから出た豪傑が人気を独占しましたけれど、駒井にとっては不足どころではありません。
 こうして一時無頼漢どもに占領されていた船の甲板は、再び良民の天下となって、乗合船そのものの平和な光景が回復されました。
 駒井能登守は思いました。これはこれ一場の喜劇のようなものだが、一代の風潮もこの通りで、進んで身を挺するの勇者さえ現わるれば、悪風を退治するのはむしろ容易《たやす》いことで、悪は本来退治せられるがために存在するものであるのに、怯懦《きょうだ》な人間が、それにこわもて[#「こわもて」に傍点]をして触ろうとしないから、彼等が跋扈《ばっこ》するのだ……本当の勇者が一人出づれば一国がおこる、というようなところまで考えさせられました。
 ただ、ここに現われた勇者は、体格の屈強なるに似ず、勇気の凜々《りんりん》たるに似ず、ドコかに多少の愛嬌と和気がある。駒井甚三郎はともかくもお礼の心を述べておこうと、彼に近づいて、慇懃《いんぎん》に、
「どうも御苦労さまでした……失礼ながら、あなたは何とおっしゃいますか、そうして何の目的で対岸《あちら》へお渡りになるのですか」
 駒井から慇懃に尋ねられた六尺豊かの壮漢は、
「は、は、は、拙者は絵師ですよ、足利《あしかが》の田山白雲といって、田舎《いなか》廻りの絵描きですよ」
 駒井甚三郎も、この返答には、いささか面喰《めんくら》いました。
 誰もが天下無敵の勇者であるように思い、またそう思われても、さしつかえないほどの体格と力量を持ち、今やこの船中では、偶像的にまで渇仰《かつごう》されようとしているその御本人が、「おれは絵師だ……しかも田舎まわりの絵描きだ」と淡泊にぶちまけてしまった気取らない純一さを、駒井は微笑せずにはいられませんでした。さいぜんの蛮勇は真似《まね》ができても、この淡泊は真似ができないと感じました。
 そこで、駒井甚三郎と田山白雲との、うちとけた談話がはじまります。
 田山白雲は、今の画界の現状と、その弊風とを語りました。
「あの書画会というやつ、あれがいけないんです……柳橋の万八で、たいてい春秋二季にやりますな、あれが先輩を傲《おご》らしめ、後進を毒するのです。それとても、書画会が悪いのではない、書画会をそういう機関にした組織そのものが誤ってるんでしょうな。あなたも、万八の書画会へはおいでになったことがありましょう」
「ありません」
「それは話せない、一度はごらんになってお置きになるがよろしい、あれは新進の画家には登竜門になるのですから、あの別席へ陳列されるということは、画家にとってはなかなかの光栄なのですから、若い人たちが勉強します……勉強して、なかなかいいものを作ることがあります、その点だけは画界のためになりますが……」
と、いいながら田山白雲は、そのすぐれて長い刀をいじくりまわすところは、どう見ても塙団右衛門《ばんだんえもん》といったような形で、いやしくも絵筆をとるほどの人とは見えません。しかし、その話しぶりは、時弊を論じても、一概に意地悪くならないところに、やはり風流人らしい一面はあるようです。
「それからがいけないのです、自分の努力を、正直に人に見せている分には難はないのですがね……そのうちに、人の物を審査してみたくなる、これが間違いのもとです。二三回いいのを見せてくれたなと思っているうちに、いつのまにか大家になって、人の物の審査をやり出すのです、そうして後進に訓示をするような口吻《こうふん》を弄《ろう》するんですからいけませんや……それではトテも大物は出ませんね」
「そうでしょう、好んで人の師となるのはよくないことです」
と駒井が軽く相槌《あいづち》を打ちました。白雲は慨然として、
「そこへいくと……浮世絵師とはいいながら、葛飾北斎《かつしかほくさい》はエライところがありましたよ。あの男は相当に名を成した時分にも、書画会へ出るには出ましたがね、雨の降る時などは蓑笠《みのかさ》で、ハイ葛飾の百姓がまいりましたよ、といって末席でコクメイ[#「コクメイ」に傍点]に描いていたものです。年はたしか九十で死にましたかな。死ぬ前も、天われにもう十年の歳をかせば本物が描ける、どうしてもいけなければ、もう五年、といって死んだというのは本当でしょう。おれには猫一匹も描けない、描けないと、絶えず妹に訴えていたというのも、嘘ではあるまい……」
 それから白雲は、当代の画家にはこの己《おの》れを責むる心がなく、社会に真の画家を養成する大量のないことを説き、天然の名勝や、善良な美風が破壊される時に、腹を立てる美術家はないが、舶来の裸物《はだかもの》に指でもさすと、ムキになって怒り出す滑稽を笑い、我が国の古来の大美術はもちろん――近代になって、東州斎写楽《とうしゅうさいしゃらく》の如きでも、その特色を外国人から教えられなければわからないでいる。自分をわすれるにも程のあったものだというようなことを論じているうちに、船が木更津《きさらづ》へ着きました。
 ここで、こそこそと例の遊民どもは上陸し、乗客の大部分も下船しましたが、この二人は船の上に留《とど》まったまま、談論に耽《ふけ》っているのです。
 聞くところによると田山白雲は、保田《ほた》から上陸して房総をめぐり、主として太平洋の波を写生して帰るのだそうです。
 白雲のいうところによると、古来、日本の画家で、水を描いて応挙《おうきょ》の右に出づるものはないが、まだ大洋の水を写したのを見ない、房総の鼻をめぐって見ろと人から勧められたままに、出て来たのだということです。房総の海は自分に何を教えるか知らないといっている。
 駒井は、自分の仮住居《かりずまい》、洲崎《すのさき》の番所の位置をよく説明して、行程のうち、ぜひ足をとどめるようにとのことを勧め、田山は喜んでそれを請け入れました。
「わしは、こうして歩いていると、誰も画家とは見てくれないで困りますよ。いや困りはしません、結局、それが幸いになることもあるのです……そうです、十人が十人、拙者を武芸者だと睨《にら》んでかかるのですな。それが都合のよいこともありますが、滑稽を引起すことも珍しくはない。いや、武術も少しやるにはやりました。拙者の藩は小藩ですからな、僅かに一万石の小藩ですから、家老上席になったところで九十石の身分です。しかし、武術は好きで、ずいぶんやるにはやりましたよ、自慢ではないが、まあ、大抵の喧嘩には負けません。武術も好きでしたが、絵も好きでした。子供の時分、拙者は江戸で生れました。浅草の観世音へ行っては、あの掛額をながめて、絵をかいたものです、あれが拙者の最初の絵のお手本です。文晁《ぶんちょう》のところへも、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と行きました。ありゃ俗物です、俗物ですけれども、一流の親分肌のところもありましたね……絵の本当の師匠は古人にあるのです、古人よりも山水そのものですな。雪舟もいいましたね、大明国《だいみんこく》にわが師とすべき画はない、山水のみが師だ……と。要するに写生です、一も二も写生ですよ……しかし、この写生観は応挙のそれとは性質を異にしているかも知れませんが、写生はすなわち自然で、自然より大いなる産物はありませんからな――いけません、西洋の山水画というものも、うす[#「うす」に傍点]物を通して見るには見ましたが、それは支那のものとは比較になりませんよ。あなたは、支那の山水画を御存じでしょうな、雪舟、その他一二を除いては、日本の山水画も、あれにくらべると侏儒《いっすんぼうし》です、支那の山水画は人間の手に出来たものの最上至極のものです、あれがみんな写生ですよ……西洋画の写生よりも、もっと洗練された写生なんです」
といって白雲は、支那の古代からの、宋、元、明に及ぶまでの絵画の歴史と品評とを始めました。駒井甚三郎はここでもまた、異常なる傾聴を余儀なくされたのです。
 駒井も今まで絵を見ていないということはない。また絵についても当時の上流の士人が持っていただけの教養は持っている。ただ、当時上流の士人が持っていただけの教養以上にも、以外にも出でなかったのみだ。南北の両派、土佐、狩野《かのう》、四条、浮世絵等についての概念を以て、人の高雅なりとするものは高雅なりとし、平俗なりとするものは平俗としていたのが、ここで思いがけない写生一点張りの画論を聞いて、容易ならぬ暗示を与えられたようにも感じました。
 彼は船乗りの小僧、金椎《キンツイ》によって、西洋文明の経《たて》を流れているキリストの教えを教えられ、今はまた、ここで自分が絵画とか美術とかいうものに対する知識と理解の、極めて薄いことを覚《さと》らせられました。
 学ぶべきものは海の如く、山の如く、前途に横たわっている――という感じを、駒井甚三郎はこの時も深く銘《きざ》みつけられました。
 船が保田に着く。田山白雲は、一肩《いっけん》の画嚢《がのう》をひっさげて、ゆらりと船から桟橋へ飛び移りました。
「さようなら、近いうち必ず洲崎の御住所をお訪ね致しますよ」
 笠を傾けて、船と人とは別れました。まだ船にとどまって、館山《たてやま》まで行かねばならぬ駒井甚三郎は、保田の浜辺を悠々《ゆうゆう》と歩み行く田山白雲の姿を見て、一種奇異の感に堪えられませんでした。

         八

 その名のような白雲に似た旅の絵師を、駒井甚三郎は奇なりとして飽かず見送っておりました。
 ほどなく松の木のあるところから姿を隠してしまった後も、髣髴《ほうふつ》として眼にあるように思います。
 しかしながら、人の生涯は、大空にかかる白雲のように、切り離してしまえるものでないと思いました。人情の糸が、必ずどこかに付いていて、大空を勝手に行くことの自由をゆるされないのが人生である。あの男もどこかで行詰まるのではないか。あの男の蔭に、泣いて帰りを待つ妻子眷族《さいしけんぞく》というものもあるのではないか。
 さりとて、人間は天性、漂泊を好む動物に似ている。
 自由を好んで不自由の中に生活し、漂浪を愛して、一定の住居にとどまらなければならない人間。それでもその先祖はみな旅から旅を漂泊して歩いたものだから、時としてその本能が出て来て、人をして先祖の漂浪にあこがれしめるのではないか。物慾の中に血を沸かして生きている人々が、どうかすると西行や芭蕉のあとに、かぎりなき憧憬《どうけい》を起すのは、ふるさとを恋うるの心ではないか。
 左様なことを駒井は考えました。
 船はその夜、保田の港へ泊ることになったものですから、駒井も船の中に寝ることにきめました。この時分には、もう大抵の乗客は上陸してしまって、船は駒井だけのために館山へ廻航するの有様で、船のしたには駒井の携えてきた書物をはじめ、手荷物の類がかなり積み込まれているから、駒井も、ここでちょっと[#「ちょっと」に傍点]船とはわかれられないようになっているのです。
 まだ日脚《ひあし》は高いので、このまま船中に閉じ籠《こも》るのも気の利《き》かない話です。
 そこで、駒井甚三郎は、程遠からぬ鋸山《のこぎりやま》の日本寺へ登ることを思い立ちました。久しく房州にいるとはいえ、この山へ登ってみたいと思いながら、その機会がなかったのを、今日は幸いのことと思って、船頭に向い、
「これから日本寺へ参詣してくる、ことによると今夜はあの寺へ泊めてもらうかも知れない、しかし、明日の午後、船の出帆までには相違なくもどってくる」
といって、笠をかぶり、田山白雲が右の方、保田の町へ入り込んだのとちがって、左をさして、乾坤山《けんこんざん》日本寺の山に分け入りました。
 切石道を登って、楼門、元亨《げんこう》の銘《めい》ある海中出現の鐘、頼朝寄進の薬師堂塔、庵房のあとをめぐって、四角の竹の林から本堂に詣《もう》で、それを左へ羅漢道《らかんみち》にかかると、突然、上の山道から途方もない大きな声で話をするのが聞える。
「羅漢様に美《い》い男てえのはねえものだなあ」
「べらぼうめ、こちと[#「こちと」に傍点]等《ら》は羅漢様からお釣りをもらいてえくれえのものだ」
「ちげえねえ、いよう羅漢様」
「羅漢様――」
「羅漢様――」
 山を遊覧する人間が、大きな声を出してみたくなるのは、妙な心理作用であると思いました。江戸あたりから遊覧に来た連中らしいが、とうとうそれらは羅漢様からお釣りを取ろうという面《かお》を見せずに、あちらの山に消えてしまう。
 さて、石の千体の羅漢はこれから始まる。あるところには五体十体、やや離れて五十体、駒井甚三郎は、その目をひくものの一つ一つをかぞえて行くうち、愚拙《ぐせつ》なるもの、剽軽《ひょうきん》なるもの、なかには往々にして凡作ならざるものがある。無惨なのは首のない仏。しかしながら、首を取られて平然として立たせたもう姿には、なんともいえない超然味がないではない。
 やがて駒井が足をとどめたところには小さな堂があって、その傍らにかなり古色を帯びた石標――「秋風や心の燈《ともし》うごかさず 南総一燈法師」と刻んである。
 それよりも、駒井の心をひいたのは、まだ新しい羅漢様の一つに「元名《もとな》米商岡村ふみ」と刻まれた、その女名前が、妙に駒井の心をなやませました。
 そこを少しばかりのぼってまた曲りにかかる。
 その曲りかどで風が吹いて来ました。
 その風の中からおりて来たのが妙齢の美人です。
 駒井もゾッとしました。高島田に結って、明石《あかし》の着物を着た凄いほどの美人が、牡丹燈籠《ぼたんどうろう》のお露のような、その時分にはまだ牡丹燈籠という芝居はなかったはずですが、そういったような美人が、舞台から抜け出して、不意に山の秋風の中から身を現わしたのだから、駒井ほどのものも、ゾッとするのは無理もありません。
 それだけではありません。見ればその娘の胸に抱えられているものがある。
 娘が後生大事《ごしょうだいじ》に抱えているそれを、よく見ると羅漢様の首でありましたから、駒井はいよいよ怪しみの思いに堪えることができません。
 すれちがって、娘は曲りかどを下へ、駒井は立って見送っていると、一間ばかり行き過ぎた娘があとを振返って、駒井を見てにっこり[#「にっこり」に傍点]と笑いました。
「これからお登りなさるの?」
「ええ」
 駒井は物怪《もののけ》から物を尋ねられたように感じながら頷《うなず》いて見せると、
「お帰りに、わたくしのところへ泊っていらっしゃいな」
 これには急に挨拶ができませんでした。しかし、そこで駒井は、ああ気の毒なと感ずることができました。
 この娘は、その風姿の示す通り、しかるべき家のお嬢様として、恥かしからぬ女性ではあるが、何かにとらわれて気が狂っているのだ。そこで、
「どうも有難う……」
 駒井は愛嬌を以て答えると、娘はうれしそうに踏みとどまって、
「ほんとうに来て頂戴……待っていますから」
「行きます」
 駒井はお世辞のつもりでいいました。
「きっと」
「…………」
 深くは相手にならないがよいと駒井が思いました。常識を逸しているものを苟《いやし》くも信ぜしめるのは、それを弄《もてあそ》ぶと同じほどの罪であるように思われたからです。そこで駒井は自分から歩みを進めて、またも登りにかかりました。
 登る途《みち》は、くの字なりになっていますから、次の曲りかどへ来ると、どうしても、以前の曲りかどを見ないわけにはゆきません。
 以前の娘は、まだそこに立って、駒井の後ろ姿をながめているのと、ピタリと眼が合いました。
「きっと、いらっしゃい」
「行きますから、早くお家へ帰っておいでなさい」
 駒井は早くこの娘を家へ帰してやりたいものだと思いました。家ではまたナゼこういう病人を一人で手放して置くのだろうと、それを心もとなく思っていると、娘は恥かしそうに、
「もし……あなた、そこいらに茂太郎が見えましたら、お帰りにぜひおつれ下さいましな」
 それでは、やっぱり連れがいたのか……そこへにわかに雲がまいて来ました。
 日本寺の裏山はすなわち鋸山で、名にこそ高い鋸山も、標高といっては僅かに三百メートルを越えないのですから、そうにわかに雲を呼び、風を起すほどの山ではありません。しかし、このとき、にわかに雲がまいて来たのは、比較的、風が強かったせいでしょう。山も、木萱《きがや》も、一時にざわめいてきました。
 髪と着物の裾《すそ》をこの風と雲とに存分に吹きなぶらせて、山を駈けおりる女は、羅漢様の首ばかりを後生大事に抱いて、
「いやな人……」

         九

 駒井甚三郎はその晩は日本寺へ泊り、翌《あく》る日は予定の通り船へ戻ると、船も予定の通りに館山へ向けて出帆したものですから、多分、無事に洲崎へ着いていることでしょう。
 これよりさき、保田の町へ入り込んだ田山白雲は岡本|兵部《ひょうぶ》の家へおちつき、その夜は兵部の家の一間で、熱心に主人が秘蔵の仇十洲《きゅうじっしゅう》の回錦図巻を模写しておりました。
 あれほどに写生を主張していた男が、船から上ると早々模写をはじめたことは、多少の皮肉でないこともないが、そうかといって、写生主義者が模写をして悪いという理窟もありますまい。つまり、よくよくこの仇十洲の回錦図巻に惚《ほ》れこんだればこそ、万事を抛《なげう》って模写にとりかかったものと見るほかはない。
 仇十洲の回錦図巻の模写に、田山白雲が寝ることも、飲むことも、忘れていると、
「今晩は……」
 そこへ、極めてものなれた女の声。
「はいはい」
 田山白雲も筆を揮《ふる》いながら洒落《しゃらく》に答えますと、
「入ってもようござんすか」
「ようござんすとも」
「そんなら入りますよ」
「おかまいなく」
 白雲は始終描写の筆をやすめませんでした。白雲の頭は仇十洲の筆意でいっぱいになっているものですから、障子の外のおとずれなどはつけたりで、調子に乗って、うわ[#「うわ」に傍点]の空で返事をしてみただけのものです。
「御免下さい」
 障子をあけて、そこに立ったのは、スラリとした牡丹燈籠のお露です。
「はい」
 それでも田山白雲は筆もやすめないし、頭を後ろへまわして、来訪に答えるの労をも惜しんでいる。
「御勉強ですね」
「ええ、御勉強ですよ」
「お邪魔になりゃしなくって?」
「ええ、お邪魔になりゃしませんよ、話していらっしゃいな」
 白雲は柄《がら》になく優しい声でお世辞をいいました。けれど相変らず模写に頭を取られているものですから、相手の誰なるやを考えているのではありません。
「どうも有難う……何を、そんなに勉強していらっしゃるの?」
 幽霊のような裾《すそ》を引いて、するすると入って来て、後ろから白雲の模写ぶりを覗《のぞ》きにかかりましたけれども、白雲はいっこう平気で、
「ここの主人から借り受けた仇十洲の回錦図巻があまり面白いから、こうして模写を試みているところですよ」
 白雲は、やはり言葉はうわ[#「うわ」に傍点]の空で、頭と、手と、目とが、図巻に向って燃えているのです。
「そんなによいのですか、その絵巻物が?」
「結構なものですよ、全く惚《ほ》れ込んでしまいましたね」
「そうですか、そんなによいものなら、わたしにも見せて頂戴な」
といって無遠慮に図巻の上へ伸ばしたその手が、白魚のように細かったものですから、ここに初めて田山白雲は愕然《がくぜん》としました。
「え」
 そこで初めて振返って見ると、例のゾッとするほどの妙齢の美人です。
「あなたは何ですか」
「幽霊じゃありませんよ」
 疑問を先方が答えてくれましたから、白雲ほどのものが度肝《どぎも》を抜かれました。
「いつ、ここへ入って来ました?」
「いつ……? 今、あなたにお聞きしたんじゃありませんか、それで、あなたがいいとおっしゃったから入って来たのよ」
「そうでしたか、拙者がいいと言いましたか」
「いいましたとも」
「そうでしたか……」
 田山白雲が呆《あき》れ返ってながめると、その上に解《げ》せないことは、この美人が後生大事に胸に抱きかかえているものがあります。
 それが人間の生首でなくて仕合せ。
「あなた、わたし、今日、鋸山の日本寺へ参詣して来たのよ、一人で……」
「そうですか」
「そうしてね、途中で美《い》い男にあいましたのよ、それはそれは美い男」
「そうですか、それは結構でしたね」
 白雲がしょうことなしに話相手になりました。
「あなたより美い男よ……」
「そうですか、わたしより美い男でしたか」
と白雲が苦笑いしました。
「ですけれども、あなたも美い男よ……美い男というより男らしい男ね、あなたは……」
「大きに有難う」
「ですけれども、茂太郎も美《い》い子ね、あなたそう思わなくって?」
「左様……」
「そうでしょう、あのくらい美い子は、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と見当らないわ」
「そうかなあ」
「それに第一声がいいでしょう、あの子の声といったら素敵よ。昔は、わたしが歌を教えて上げたんだけれど、今ではわたしより上手になってしまったわ」
「ははあ、そんなに歌が上手でしたか」
「上手ですとも。あなた、それで、あの子は声がよくって、歌うのが上手なだけではないのよ、自分で歌をつくって、自分で歌うのよ」
「そうですか、それはめずらしい」
「一つ歌ってお聞かせしましょうか」
「どうぞ」
「わたしは茂太郎ほどに上手じゃありませんけれど、それでも茂太郎のお師匠さんなのよ」
「何か歌ってお聞かせ下さい」
「何にしましょうか」
「何でもかまいません」
「それでは、わたしが茂太郎に、はじめて歌の手ほどきをして上げた、あれを歌いましょうか」
「ええ」
「それは子守唄なのよ」
「子守唄、結構ですね」
「それでは歌いますから、よく聞いていらっしゃい」
といって、女は胸に抱いているものをあや[#「あや」に傍点]なすようにして、
[#ここから2字下げ]
ねんねがお守《もり》は
どこへいた
南条|長田《おさだ》へとと買いに
そのとと買うて
何するの
ねんねに上げよと
買うて来た
ねんねんねんねん
ねんねんよ
[#ここで字下げ終わり]
 そうすると、女が歌の半ばにほろほろと泣き出してしまいました。
 田山白雲は胸を打たれて気の毒なものだと思いました。この年で、この容貌《きりょう》で、そしてこの病。
 これが岡本兵部の娘なのか。
 娘は泣きながら両袖を合わせて、抱えたものをいよいよ大事にし、
「ねえ、あなた、茂太郎はどこへ行きましたろう……鋸山の上にもいませんでしたわ」
「そのうち帰るでしょう」
「そうか知ら、帰るかしら、いつまで待ったら帰るでしょう」
[#ここから2字下げ]
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
お山を越えて
里越えて
そうしてお家へ
いつ帰るの……
[#ここで字下げ終わり]
 女は蝋涙《ろうるい》のような涙を袖でふいて、
「ねえ、あなた、この子の面《かお》が茂太郎によく似ているでしょう、そっくり[#「そっくり」に傍点]だと思わない?」
といって、今まで後生大事に胸にかかえていたものを、両手に捧げて白雲の机の上に置きました。それは石の羅漢《らかん》の首ばかりです。
「うむ」
 白雲が挨拶に苦しんでいると、
「似ているでしょう。もし似ていると思ったら、それを描《か》いて頂戴な……」

         十

 田山白雲は保田を立つ時、予期しなかった二つの獲物《えもの》を画嚢《がのう》に入れて立ちました。
 仇英《きゅうえい》の回錦図巻と狂女の絵。その二つを頭の中で組み合わせながら、再び白雲は旅にのぼったものです。

 下谷の長者町の道庵先生が、かねての志望によって、中仙道筋を京大阪へ向けて出立したのも、ちょうどその時分のことでありました。
 先生のは、もっと、ずっと以前に出立すべきはずでしたけれども、米友の方に故障もあったり、何かとさしつかえがそれからそれと出来たものですから、つい延び延びになってしまいました。
 いよいよ出立の時は、近所隣りや、お出入りのもの、子分連中が盛んに集まって、板橋まで見送ろうというのを強《し》いて辞退して、巣鴨の庚申塚《こうしんづか》までということにしてもらいました。物和《ものやわ》らかな豆腐屋の隠居、義理固い炭薪屋《すみまきや》の大将といったような公民級をはじめとして、子分のデモ倉、プロ亀に至るまでがはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]まわってみおくりに来ました。
 しかし、これらの連中は、みな庚申塚でかえしてしまい、あとに残るのは先生と、同伴の宇治山田の米友と二人だけ。
「米友様」
と道庵先生が呼びかけると、
「うん」
と米友がこたえます。
 道庵がしゃれ[#「しゃれ」に傍点]て褄折笠《つまおりがさ》に被布《ひふ》といういでたち[#「いでたち」に傍点]。米友は竹の笠をかぶり、例の素肌《すはだ》に盲目縞《めくらじま》一枚で、足のところへ申しわけのように脚絆《きゃはん》をくっつ[#「くっつ」に傍点]けたままです。二人ともに手頃の荷物を振分けにして肩にひっかけ、別に道庵は首に紐をかけて、一瓢《いっぴょう》を右の手で持ちそえている。米友は独流の杖槍。
「さて米友様、永《なが》の旅立ちというものは、まず最初二三日というところが大切でな……静かに足を踏み立ててな、草鞋《わらじ》のかげんをよく試みてな……そうしてなるべく度々休んで足を大切にすることだ」
「なるほど」
「旅籠屋《はたごや》へ着いたら、第一にその土地の東西南北の方角をよく聞き定めて、家作りから雪隠《せついん》、裏表の口々を見覚えておくこと……」
「うん」
「もしまた、馬や、駕籠《かご》や、人足の用があらば、宵《よい》のうちに宿屋の亭主にあってよく頼んでおくがよい、相対《あいたい》でやると途中困ることがあるものだ。朝起きては膳の用意をするまでに仕度をして、草鞋をはくばかりにして膳に向うようにしなくちゃならねえ」
「うん」
「朝はせわしいものだから、よく落し物をする故、宵のうちによく取調べて、風呂敷へ包んで取落さぬようにしなくちゃならねえ」
「なるほど」
「旅籠屋は定宿《じょうやど》があれば、それに越したことはないが、初めてのところでは、なるたけ家作りのよい賑やかな宿屋へ泊ることだ、少々高くてもその方が得だ」
「そうかなあ」
「道中で腹が減ったからといって、無暗に物を食ってはいけねえ、また空腹《すきばら》へ酒を飲むのも感心しねえ……酒を飲むなら食後がいいな、暑寒ともにあたためて飲むことだよ、冷《ひや》は感心しねえ」
「おいらは酒は飲まねえ」
と米友がいいました。
「そうか、では道中は、別してまた色慾を慎まなければならぬ……道中には、飯盛《めしもり》だの売女《ばいじょ》だのというものがあって、そういうものには得て湿毒《しつどく》というものがある」
 道庵先生は、丁寧親切に米友に向って、道中の心得を説いて聞かせているつもりだが、酒を飲むなの、色慾を慎めのということは、この男にとってはよけいな忠告で、御本人の方がよっぽど[#「よっぽど」に傍点]あぶないものです。
 それでも米友は神妙に聞いていると、ほどなく板橋の宿へ入りました。
「さあ、米友様、ここが板橋といって中仙道では親宿《おやじゅく》だ。これから江戸へは二里八丁、京へ百三十三里十四丁ということになっている、先は長いから、まあいっぷくやって行こう」
と、あるお茶屋へ休みました。
 こうして二人がつれ立って歩くと、こまったことには道庵の方はそれほどでもないが、米友の姿を見て、みかえらないものはないことです。極めて背の低いのが、もう袷《あわせ》を重ねようという時分に、素肌に盲目縞《めくらじま》の単衣《ひとえ》で元気よく、人並より背のひょろ高い道庵のあとを、後《おく》れもせずに跛足《びっこ》の足で飛んで行く恰好《かっこう》がおかしいといって、みかえるほどのものが笑います。
「やあ、チンチクリンが通らあ……」
 正直な子供たちは、わざわざ路次のうちから飛んで出て、米友の周囲にむらがるのです。
 そのたびごとに、米友に腹を立たせまいとする道庵の苦心も、並々ではありません。
「何でも米友様、旅に出たら、堪忍《かんにん》が第一だよ、腹の立つことも旅ではこらえつつ、言うべきことは後にことわれ……お前は頭がいいから、物の見さかいがなく、大名でも、馬方人足でもとっつかまえて、ポンポン理窟をいうが、あれがいけねえ、物言いを旅ではことに和《やわ》らげよ、理窟がましく声高《こわだか》にすな……というのはそこだて……」
 しかし、米友とても、そう無茶に腹を立つわけのものでもなし、道庵とても好んで脱線をしたがるわけでもありませんから、町場を通り過ぎてしまえば、心にかかる雲もなく、道庵はいい気持で、太平楽《たいへいらく》を並べて歩きます。
 太平楽を並べて歩きながらも道庵は、折々立ち止まって路傍の草や木の枝を折って、それをいい加減に小切《こぎ》っては束《たば》ねて歩きますから、米友が変に思いました。この先生は文字通りの道草を食って歩いているのだなとさえ思いましたが、道庵のすることをいちいち干渉していた日には、際限がありませんから、別にその理由もたずねませんでした。
 そうして浦和の宿《しゅく》――江戸より五里三十町、京へ百二十九里二十八町というところへついて、そこで今晩は泊ることになる。
 ここにはあまり、よい宿屋がありませんでした。泊り客を見かけては道庵がいちいち、途中で手折《たお》って来た槐《えんじゅ》のような木の枝を渡していうことには、
「これは苦参《くじん》といって蚤《のみ》よけのおまじないになる。見かけたところ、この宿屋には蚤がいるにちげえねえ、これを蒲団《ふとん》のしたにしいてお寝」
 おかげさまで、その晩は蚤に食われなかったお礼をいうものがありました。そこで米友には、道庵の道草の理由がわかり、
「先生のすることにソツ[#「ソツ」に傍点]はねえ」
といまさらのように、感心をしてしまいました。
 浦和から大宮、武蔵の国の一の宮、氷川大明神《ひかわだいみょうじん》へ参詣して、またまた米友をおどろかせたのは、道庵先生が見かけによらず敬神家で、いとねんごろに参拝祈願する体《てい》を見て驚嘆しました。この先生、いいかげんのおひゃらかしだ[#「おひゃらかしだ」に傍点]と思っているとあて[#「あて」に傍点]がちがう。この殊勝な参拝ぶりを見て、正直な米友が、いよいよ感心をしてしまったのも無理はありません。しかしあとでいうことには、
「すべて、神仏を大切にすることを知らねえ奴に、ロク[#「ロク」に傍点]な奴があったためし[#「ためし」に傍点]がねえ、国々へ行って見な、いい国主ほど神仏を大切にしてらあ、人間だってお前、エラク[#「エラク」に傍点]なるぐらいのやつは、エライ[#「エライ」に傍点]ものの有難味を知ってらあな、薄っぺらなやつだけが神仏を粗末にする」
と言って気焔を吐きました。
 この気焔によって見ると、道庵先生自身はエライ[#「エライ」に傍点]奴の部類に属していて、薄っぺらな奴に属していないという理窟になるのですが、米友はそこまでは追究せず、なるほどそういうものか知らんと思いました。
 宇治山田の米友は、伊勢の大神宮のお膝元で生れたから、神様の有難いことを知っている。そこで道庵につづいて笠を取って、恭《うやうや》しく氷川大明神の前に礼拝をすると、
「こいつは感心だ、見かけによらねえ」
と言って道庵が手をうってよろこびました。
 その時、道庵先生は米友に向って、
「神様を拝むには、少し遠く離れて拝まなくちゃならねえ、あんまり賽銭箱《さんせんばこ》の傍へ寄って拝んじゃならねえ……ちょうど、この鳥居前あたりがいいところだろう」
と神様を拝む秘伝を教えますと、米友が解《げ》せない面《かお》をしました。
「先生」
「何だい」
「どこで拝んだって、心さえ誠ならば、それでよかりそうなものじゃねえか……よしんば賽銭箱の前で拝もうと、鳥居前で拝もうと、信心に変りがなければ、御利益《ごりやく》にも変りはなかろうじゃねえか」
と米友が不審を打つと、道庵はそこだとばかりに、
「それが素人考《しろうとかんが》えというものだ」
と一喝《いっかつ》を試みました。
「そうかなあ」
 米友は無言で何か反省を試むるような気色《けしき》でありましたが、なにぶん解《げ》せない面色《かおいろ》を拭うことができません。
「わかったか」
と道庵からいわれて、
「どうもわからねえ」
と白状しました。正直な米友の心では、神様を拝むのに誠心《まごころ》を論ずるのはよいが、距離を論ずるのは、ドコまでも不当理窟のように思われてならないのです。つまり、お賽銭箱の前で拝もうと、鳥居の前で拝もうと、また自宅の神棚へ招じて拝もうと、誠心に変りがなければよいものだという理窟を、道庵が排斥しながら説き明《あか》してくれないものだから、迷います。
 道庵はそれを相変らずいい気持で、
「は、は、は、は、は……」
と高笑いしたのは、本気の沙汰だか、ふざけ[#「ふざけ」に傍点]ているのだかわかりません。
 しかし、米友としては道庵を信じ、今までとても、気狂《きちが》いじみたところに、あとでなるほどと思わせられたり、ふざけ[#「ふざけ」に傍点]きったのが存外、まじめであったりしたことを、いつもあとで発見させられるものですから、これにも何か相当のよりどころがあるので、それはあとでおのずから教えられることだろうと、押返してたずねなかったのは、つまり米友もそれだけ修行が積んだものでしょう。
 凡庸《ぼんよう》なる科学者を名画の前へ連れて行くと、心得たりとばかりに画面へ顔を摺《す》りつけながら、天文学で使用するような拡大鏡を取り出して両眼に当て、画面の隅々隈々《すみずみくまぐま》までも熱心に見つめる。そうしていう。この線とこの線の間は何ミリメートルある、この紙質は植物性のもので耐久力は何年、この墨を分析してみると成分はこれこれ……というようなことを、おどろくばかり精密に教えてくれる。しかし、最後に、「して、いったい、この画は何を表現しているものですか」とたずねてみると、その科学者がいう、「あ、それには気づかなかった……」
 つまりこの科学者は、その絵の全体が、道釈《どうしゃく》だか、山水だか、人物だか、最後までわからなかったのです。
 これは凡庸なる科学者の罪ではない、遠く離れて画を見ることを知らなかったその罪です。
 道庵先生が、米友に向って、神を拝むには離れて拝めと教えた秘伝も、或いはその辺の理由から来ているのかも知れません。
 しかし、医者はその職業の性質上、科学者でなければならないことを知っているはずの先生ですから、科学を軽蔑するつもりはないにきまっている。近く寄って見ることを悪いとはいわないが、遠く離れて拝むことを忘れてはならないとの老婆親切かも知れません。偉大なる科学者は必ずこの二つを心得ている――というような気焔は揚げませんでした。
 こうして二人は社前を辞して大宮原にかかる。ここは三十町の原、この真中に立つと、富士、浅間、甲斐《かい》、武蔵、日光、伊香保などの山があざやかに見える。
 原の中で米友が草鞋《わらじ》の紐を結び直しました。

         十一

 こうしてある者は南船し、ある者は北馬して江戸の中心を離れる時、例の三田四国町の薩摩屋敷ばかりは、いよいよ四方の浪人の目標となって、ここへ集まるものが絶えません。
 今日も数十人の者が一席に集まって、群議横生のところ。
 いよいよ甲府城を乗っ取るの時機が熟したという者がある。
 さて、甲府を定めて後は、天険《てんけん》によって四方を攻略すること、武田信玄の如くあらねばならぬというものもある。
 それに備えるの要害を利用すること、北条氏康《ほうじょううじやす》の如くでなければならぬというものもある。
 さてまた一方には、相州|荻野山中《おぎのやまなか》の陣屋を焼討して、そこに蓄えられた武器と、軍用金を奪い取るは、朝飯前だと豪語する者もある。
 他の一方には、関東の平野を定めるにはやはり平野から出づるのがよろしい、それには野州の野に越したものはない、栃木の大平山《おおひらやま》、岩舟山《いわふねさん》、出流山《いずるさん》等は、平野のうちの屈竟《くっきょう》の要害だと主張するものもある。
 或いは房総の半島から起ること、源頼朝の如くあってよろしいというものもある。
 水戸を背景として、筑波によることも決して拙策ではないと補修するものもある。
 それよりも手っ取り早いのは、もう少し手強く江戸の内外を荒して、全くの混乱状態に陥れるに越したことはないと唱導するものもある。
 もう少し手強く江戸の内外を荒すというのは、つまり以前よりもモット豪商や富家をおびやかすことと、役人に楯をつくことと、徳川幕府を侮《あなど》ることなどで、それがかなり露骨にこの席で話が進みました。
 本所の相生町で牛耳を取っていた南条力は、この時はひとり、席の中心からは離れてたつみの隅の柱によりかかり、白扇を開いて、それに矢立の筆を執って、地図らしいものを認《したた》めていると、それを覗《のぞ》き込んでいるのが、鬢《びん》をつめて色の浅黒い四十恰好のドコかで見たことのあるような男です。よく考えてみると、それそれ、これは先日、武州の高尾山の宿坊で七兵衛と泊り合わせた神楽師《かぐらし》の一行の中の長老株の男でありました。
 南条は扇面に地図を引いて、席の大勢には関係のない二人だけの内談で、
「こういうふうに地の利がひっぱっているから、ここのところに手は抜けないのだ。江戸を計るものは、甲州を慮《おもんぱか》らなければ仕事ができない、家康も甲州の武田が存する以上は天下が取れなかったのだ、甲州は捨てておけない」
と言いますと、神楽師の長老が眉根を曇らせて、
「甲府が関東の険要であるとおなじ理由によって、飛騨《ひだ》の国が京畿《けいき》の要塞になるのでござる――ごらんなさい」
と言って懐中から一枚の地図を取り出して、南条力の前にひろげ、
「ごらんの通り、飛騨の高山は、彦根に対して俯《ふ》して敵を射るの好地にあるではござらぬか、加賀と尾張の二大藩を腹背に受けているようではござるが、一方は馬も越せぬ山つづき、一方は大河と平野によって別天地をなしてござる、一路直ちに西へ向えば、彦根までは手に立つ藩はござらぬ、飛騨を定めてしかして後に……」
 話ぶりによると、南条力はまず甲州を取らなければならぬといい、神楽師の長老は、それよりも飛騨を取るのが急務であると主張し、おのおの天険と地の利を説いて相譲らないらしいが、なにぶんにも二人の会話は、席の中心を離れた内談だから、中央の高談放言に消されて、その話がよく聞えない。ややあって神楽師《かぐらし》の長老が、
「では、貴殿、ともかく高村卿におあいくだされよ、今明日あたり当地へおつきのはずでござる」
という声だけがよく聞えました。
 その晩、薩摩屋敷へまた数名の新来の客がありました。そのいでたち[#「いでたち」に傍点]はみな先日のお神楽師の連中と同じことでありましたが、なかに一人、弱冠の貴公子がいたことを、邸について後の周囲のもてなし[#「もてなし」に傍点]と、笠を取って面《おもて》を現わした時に初めて知りました。
 翌朝になって見ると、この貴公子は上壇の間に、赤地の錦の直垂《ひたたれ》を着て、髪は平紐で後ろへたれ、目のさめるほどの公達《きんだち》ぶりで座をかまえておりましたが、やがて、その周囲へ集まったこの屋敷の頭株が、みな臣従するほどに丁寧に扱っているのが不思議で、
「そちたち、わしは飛騨の国を取りたいと思うて、そちたちを頼みに来たのじゃ、助力してたもるまいか」
 猫の児をもらいに来たような頼みぶりでこういいましたから、豪傑連中も度胆《どぎも》を抜かれたようです。
 その時に例の南条力が少しく膝を進ませて、
「その儀につきましては、昨日池田殿より一応のお話をうけたまわりましたが、飛騨の国を御所望は、まずおやめになった方がよろしかろうと心得まする」
「何故に?」
 そこで南条力は、昨日お神楽師の長老と内談的に議論をたたかわしたその要領を、再び貴公子の前でくりかえして、結局、飛騨を取るよりも、甲州を略するのが急務だという意見を述べると、それを聞き終った貴公子――昨晩、池田なるものはその名をたしか高村卿と呼びました、
「そちたちは江戸を基《もと》にして考えるからそうなるのじゃ、京都を根本として計略を立てる時には、甲斐を取るよりも飛騨を定むるのが先じゃわい。そちたちが心を揃《そろ》えて助力をしてくりゃるならば、飛騨を取ることは何の雑作もないことじゃ、甲州を定むるのは、その後でよろしい」
 弱冠なる貴公子が取って動かない気象のほど、侮り難いと見て、相良《さがら》総蔵が代って答えました、
「仰せではございますが、われわれの今の目的は、関東を主と致します、飛騨の方面まで手の届きかねる実際は、御逗留の上、したしく御覧あそばせばおわかりになると存じまする」
「うむ。そうして、この屋敷にはただいま、何人の人がいますか」
「都合五百人には過ぎませぬ」
「しからば、そのうち三百人を、わしに貸してたもらぬか」
 豪傑が沈黙してしまいました。かねて高村卿は豁達《かったつ》なお方とは聞いていたが、なるほどその通りだと思ったのでしょう。それと同時に実際、公卿《くげ》さんの中にも豪《えら》い気象の人がいると、舌を捲いたのかも知れません。
 十津川《とつがわ》の時の中山卿、朔平門外《さくへいもんがい》で暗殺された姉小路卿、洛北《らくほく》の岩倉卿、それらは慥《たしか》に公卿さんには珍しい豪胆な人に違いないが、この高村卿の突拍子には格別驚かされる。
 もし、かりにここから三百名の浪士を借り受けたところで、それに伴う兵器食糧はどうするつもりだろう。もしまた仮りに、飛騨《ひだ》の国を乗っ取ってみたところで、それを守る者、或いは後詰《ごづめ》の頼みはどうなるのか、その辺の計画は一向にないらしい。ないところが、またこの人たちの無性《むしょう》に愛すべきところかも知れない。
 豪傑連は、この豪胆な貴公子の意気を喜びましたけれども、その豪胆通りに実際が行われるものでないことを、懇々と説諭しなければならぬ役まわりになりました。
 豪傑連の説諭を聞き終った高村卿は、
「それでは要するに、飛騨の国を取ることに助力ができないというのじゃな。それは意見の相違でぜひもないが、そちたち、勤王《きんのう》を名として、私藩の手先をつとむるような振舞があってはならぬぞ、幕府を倒して、第二の幕府を作るようなことになっては相済まぬぞ」
といってのけ、彼等がなおも弁明をしようとするのを聞かず、意見の合わぬところに助力の望みなし、助力の望みなきところに長居するの必要なし、直ちに帰るといい出しました。
 帰るといい出した英気風発の貴公子は、誰が留めても留まりそうもない。
 十数人のお神楽師《かぐらし》を差図して、荷物をまとめさせたが、ふと膝を打って、
「せっかくのみやげに羅陵王《らりょうおう》を舞うて見せようか、皆々おどれ」
と言い出でました。
 そこで、いったん、包みかけた荷物はほどいて、これらのお神楽師が薩摩屋敷の大広間で、腕をすぐって踊るから、志のあるほどのものは、小者《こもの》端女《はしため》に至るまで、来って見よとのことであります。特に舞台は設けないが、隔てを取払って、縁に居溢《いあふ》れた時は、庭を打通して見物のできるような仕組みです。
 さて、囃子方《はやしかた》の座がととのう。太鼓があり、鼓《つづみ》があり、笛があり、笙《しょう》、ひちりき[#「ひちりき」に傍点]の類までが備わっている。
 そうして、花やかな衣裳をつけて、この十数人が、われ劣らじと踊り出でました。
 この踊りは、一種異様なる見物《みもの》であります。古代の雅楽《ががく》の如く、中世の幸若《こうわか》に似たところもあり、衣裳には能狂言のままを用いたようでもある。
 それに、不思議なのは、一人一役がみな独立して、個々別々に踊っているので、時代と人物には頓着なく、翁《おきな》のとなりに猩々《しょうじょう》があり、猩々のうしろには頼政《よりまさ》が出没しているという有様で、場面の事件と人物には、更に統一というものはないが、拍子《ひょうし》だけはピッタリ合って、おのおの力いっぱいにその個性を発揮して踊りぬいていることです。
 薩摩屋敷のものは、このめざましい見物《みもの》を見せられて盛んによろこびましたが、何ものの特志で、こうして不時に、われわれに目の正月をさせてくれるのだかわからないものが多かったのです。それからまた、一行の神楽師に対する豪傑連中のもてなしが、甚だ丁重《ていちょう》で、いわゆる芸人風情にするものとは行き方がちがっていることを、不思議にも思いました。
 これは申すまでもなく、お銀様が、武蔵と甲斐と相模あたりの山の中で、思いがけなく見せられた一団の舞踊とおなじことで、その指揮をつかさどっていたのも、今で思い合わせると、ここで高村卿と呼ばれている英気風発の公達《きんだち》であったに相違ない。
 前にいった通り、その時分の京都の公卿さんの若手のうちには、きかないのがおりました。中山忠光卿や、姉小路|公知《きんとも》卿や、岩倉|具視《ともみ》卿あたりもその仲間でありましょう。ここに現われた高村卿なるものも、多分その一人であろうと思われる。
 彼等の憂うるところは、徳川幕府よりはむしろ勤皇を名として勢いを作り、幕府の実権をわが手におさめようとする一二雄藩の野心である。ちょうど、足利尊氏《あしかがたかうじ》が最初に勤皇として起り、ついに建武中興をくつがえしたように、徳川を倒すはよいが、徳川を倒した後の第二の徳川が起っては、なんにもならないではないか。これは今のうちに、あらかじめ備えておかなければならぬというのが、当時の気概ある公卿の憂慮でありました。
 京都の公卿をして、再び護良親王《もりながしんのう》の轍《てつ》を踏ましむるなかれという気概のために、憎まるるものがないとはかぎらない。烈しく憎まるる時は暗殺される。幕府と勤皇と両方面に敵と味方を持っていて、その味方に対してまた備うるところがなければならない。しかも位高くして、実力の乏しい当年の公卿の地位もまた、多難なるものがありました。
 その充分なる気概を保留するには、こうして山林にのがれて、舞踊に隠れるの必要があったかも知れない。それとも単にお公卿さん気質《かたぎ》の罪のないやんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]かも知れません。
 この怪異なる総踊りが済んでしまうと、白面にして英気風発の十八九歳とも見られる貴公子は、ひとり赤地の錦のひたたれ[#「ひたたれ」に傍点]を着て、白太刀《しらだち》を佩《は》いたままで、羅陵王を舞いました。
 羅陵王を舞い終るや、その場へ一座をさしまねいて、疾風のような勢いで荷物を整理させ、以前のお神楽師の旅のなり[#「なり」に傍点]した十余名のものに守られて、時を移さずこの屋敷を立退いてしまいました。

         十二

 高村卿の一行が引払ってしまうと、例の南条力と五十嵐甲子雄は、薩摩屋敷の幹部のものと相談して、数名の人夫をひきい、その人夫に荷物をかつがせて、飛ぶが如くにこの屋敷を立ち出でたのは、多分高村卿一行のあとを追いかけるものと思われる。
 それは途中で相《あい》合《がっ》したかどうか知れないが、ともかく、相州荻野山中の大久保長門守の陣屋が焼打ちされて、かなり多量の武器と金銭を奪われたのは、それから十日ほど後のことであります。
 そうして高村卿の一行も、それを後から追いかけた南条、五十嵐らの一行も、薩摩屋敷へは戻って来ないところを見ると、この両者が議論をたたかわした通り、甲斐か飛騨かの方面へ、落合ったのかも知れません。
 そう思って見ると、この間少しばかり途絶《とだ》えていたあやしの神楽太鼓が、またしても、三国《みくに》の裏山にあたって響きはじめたことです。そうして夜ごとに、山の奥へ奥へと響き進んで行くようです。
 甲武信《こぶし》の下に山ごもりをしていた猟師の勘八がこの響きを聞いて、
「またはじめやがったな」
 けれども、この響きを向《むこ》う河岸《がし》の太鼓と聞いておられないことが、まもなく起りました。
 ある日、由緒《ゆいしょ》ありげな数人のものが、不意にこの猟師小屋へ押しかけて来て、食糧品と猟の獲物《えもの》があらば、残らず買ってやるとのことです。
 勘八は驚き呆《あき》れて、取蓄えてあった食物と獲物をそっくり提供すると、この連中はよろこんで、勘八に黄金《おうごん》二枚を与えて行きました。
「小判二枚!」
 勘八は、これはニセ物ではないか、あるいは時間がたてば木の葉に変ってしまうのではないかとさえ疑いました。勘八にとっては臍《へそ》の緒《お》切って以来、少なくとも黄金二枚を手にしたことは初めてでありますから、一時は疑ってみましたが、正真のものであることを信じてみると、うれしくてたまりません。
 こうなった以上は、何も命がけで猪《しし》を追い廻している必要はないと考えましたから、勘八は小屋をほどよく始末して、鉄砲をさげてさと[#「さと」に傍点]へ帰って、とうぶん骨休めをすることにきめました。
 帰る途中、谷間の小流れのところへ来て見ると、何か落ちている。
 近づいて見ると意外にも、それは角《つの》が生えて青隈《あおくま》の入った木彫の面《めん》、俗に般若《はんにゃ》の面と称するものでしたから、手に取り上げて勘八はおどろきました。思いがけないところに、思いがけないものが落ちていた。しかし、子供へのみやげには何よりだと、手に取り上げて見ると、ゾッとするほどのものすごさを感じました。
 これは作《さく》のいいせいだ――と勘八もなんとなくそう思って、つくづくながめると、いよいよすごくなってくるので、これはトテモ[#「トテモ」に傍点]子供のおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]には向かないわいと思いました。とにかく、捨てておくよりは、ひろって帰ったところで、誰も咎《とが》めるものはなかろう……と勘八はそれを大事に持って帰って、とりあえず月見寺へ立寄りました。
 そうして般若の面《めん》をひろって来たと大声で披露すると、どこにいるのだか、暗いところから弁信の声で、
「勘八さん……般若の面をおひろいなさいましたか、それは結構でございます。般若とは六波羅蜜《ろくはらみつ》の最後の知恵と申すことで、この上もなく尊《たっと》い言葉でございますそうですが、それが、どうして恐怖と嫉妬を現わす鬼女《きじょ》の面の名となりましたか、不思議な因縁でございます」
 弁信が暗いところで、こんなことをいい出したものですから、勘八は気味が悪くなりました。実はさいぜんとても、面に現われた鬼女の妬相《とそう》にゾッ[#「ゾッ」に傍点]とするほどおそろしさを見せられていたのに、そこへまた弁信が、何かむずかしい因縁を説き出したものでありますから、勘八は無意識に気味が悪くなり、自分は黄金二枚で果報が充分だ、よけいな面を持って帰って、せっかくの果報が祟《たた》りに変っては災難だと思ったものですから、ではこの面はお寺へおさめてまいりましょうといって、そこに置いて、わが家へ帰ってしまいました。

         十三

 塩尻から五千石通りの近道を、松本の城下にはいって、机竜之助と、お雪ちゃんと、久助の一行は、わざと松本の城下へは泊らずに、城下から少し離れた浅間の湯に泊り、そこで一時の旅の疲れを休め、馬をやとい、食糧を用意して、島々谷《しまじまだに》の道を分け入ることになりました。
 浅間を立つ時に、宿で誰かが久助に向って、こんなことをいうのを、竜之助は耳に留めておりました、
「おやおや、白骨《しらほね》までおいでになるのですか、これから、この寒《かん》に向おうとする時分に……それはそれは大変なことでございます、あちらでは追々《おいおい》、お湯をとざして、大野や松本へ出てまいりまする時分に、あなた方はあちらへおいでになる……そうして冬籠《ふゆごも》りをなさる、いやそれほどの御辛抱がおありになれば、いかなる難病でもなおらぬということはございますまいが……それにしても、まあ、途中だけでも容易なものではございませんよ……いっそ、この浅間の温泉で御養生をなすったらいかがでございますか。それは、お湯はとうてい白骨ほどのきき目はないかも知れませんが、第一、ここにおいでになれば御城下は近し、四時、人の絶えたことはございませんから、心配というものが更にありません。あの、奥信濃の飛騨の国との境、白骨の温泉で冬籠りをなさるというのは、ずいぶん冒険でございます、それはできないことはございますまいが……雪が降り積って、山も、谷も、埋めた時は、全く人間界を離れてしまいますからな、御用意に如才《じょさい》もございますまいが、食物から寒さをしのぐ用意まで、念をお入れになりませんと……それと雪の降る日などは、飢えに迫って猛獣が、人のにおいをかぎつけてまいりますから、それもお気をつけなさいませ」
 しかしながら、それがために、いまさら思い止まるべきものではありません。
 久助だけが徒歩で、お雪と、竜之助は馬に乗り、他の一頭には、米とその他の荷物をつけて、松本をゆっくりと立ち、野麦《のむぎ》街道を島々の村まで来て早くも一泊。
 翌日早朝にここを立って、島々の南谷を分け入りました。
 島々では、案内者がこういうのを聞きました、
「山地は秋の来るのが早いですからね。左様でございます、穂高の初雪は九月のうちに参りますよ。八月の末になりますと、徳本峠《とくごうとうげ》の頂あたりが真赤になって、九月の上旬になりますと、神河内《かみこうち》のもみじ[#「もみじ」に傍点]がととのって参ります。ごらんなさい、この辺も、もう青と紅とがとりどりで、錦のようになってしまいました。これが十月になると、焼ヶ岳も真白になってしまいます。けれども、まだこの道が通えないということはございませんが、十一月になりましては、もういけません」
 とにかくに馬を進ませて行くに従って、秋の色は深くなってゆくばかりです。
「まあいいわ……」
 五彩絢爛《ごさいけんらん》として眼を奪う風景を、正直にいちいち応接して、酔わされたような咏嘆《えいたん》をつづけているのはお雪ちゃんばかりで、久助は馬方と山方《やまかた》の話に余念がなく、竜之助は木の小枝を取って、折々あたりを払うのは、虫を逐《お》うのかも知れません。
「大きな山……」
 檜峠のおり道で、お雪が眼をあげてながめたのは硫黄《いおう》ヶ岳《たけ》です。
「いつも地獄のように火をふいている焼ヶ岳というものが、あの向うにありますよ」
 久助が説明しました。
 五彩絢爛たる島々谷の風光の美にうたれたお雪は、風相|鬼《おに》の如き焼ヶ岳をながめて、はじめて多少の恐怖に打たれました。
「火を吹いているんですか?」
「あれごらんなさい、あのむらむらしているのは雲じゃありません、みんな山からふき出した煙ですよ。焼ヶ岳の頭は、人間ならば髪の毛が蛇になってのぼるように、幾筋も幾筋もの煙が巻きのぼっています」
「そうして、白骨《しらほね》のお湯はその下にあるのですか」

 やがて白骨の温泉場に着いて、顧みて小梨平《こきなしだいら》をながめた時は、お雪もその明媚《めいび》な風景によって、さきほどの恐怖が消えてしまいました。
 もう、客はおおかた引いていますから、この一行は、存分に広い座敷を占領することができ、どっしり[#「どっしり」に傍点]と落着いて、ほとんど[#「ほとんど」に傍点]わが家へ帰った心になりました。
 ことに、竜之助はここへ着くと、まず第一に、「これから充分眠れる」という感じで安心しました。
 これから思う存分に眠るのだ、大地のくぼむほど寝つくのだ、という慾望が何よりも先にこの人の心に起ったのは、今まで身を労することは少なかったとはいえ、その生涯は、ほとんど[#「ほとんど」に傍点]波に任せてただようと同じことの生涯で、夜半夢破れた時は、いつも枕の下に波の声を聞かぬこととてはない。聞くところによれば、ここは飛騨と信濃の境、晩秋より初春まで、住む人もなき家を釘づけにして里へ帰るのだと。恰《あたか》もよし、これからようやくその無人の冬が来るのである。三冬の間をじっくり[#「じっくり」に傍点]と落着いて、ここで飽くまで眠り通すに何の妨げがある。
 竜之助は、その以前は眠ることを怖れたものです。眠ることを怖れたのではない、眠って夢を見ることを怖れましたが、今はそうではありません。
 このごろになって、はじめて夢を見ることの快楽が、少しずつ身にしみて来たようです。
 四境|閑《かん》にして呼吸の蜜よりも甘い時、恍惚《こうこつ》として夢路に迷い入るの快味を味わうものにとっては、この世の歓楽などは物の数ではないとのこと。
 またいう、夢の三昧《さんまい》に入る人は、必ずしも眠ってのみ夢を見るのではない、身を横にして眼をとざせば、雲煙がおのずからにして直前に飛び、神仙が脱化《だつげ》して人間界に下りて来るとのこと。
 今、竜之助は、夢みることに新しい生活を見出し得たかのように夢みていると、お雪が、竜之助の枕もとへ、本を二三冊たずさえてやって来て、
「先生、お退屈でしょう、本を読んでお聞かせしましょうか」
「どうぞ」
と竜之助が夢を現実に振向けると、お雪が、
「王昭君物語という本ですよ。王昭君、御存じでしょう、支那の美人……」
と言って、その本を竜之助の前、行燈《あんどん》の下でくりひろげました。
 お雪は本を読むことが、なかなか達者です。これは支那の物語を、だれか日本文に作り直した物語です。けれどもお雪は、その中に挟まれている漢文や、漢詩まで、苦もなく読みくだくので、竜之助がおどろいているくらいです。お雪になかなかの読書力があって、読み方が流暢《りゅうちょう》なものですから、竜之助も引入れられて、こころよい心持で聞いていました。
「これでおしまい、とうとう一冊読んでしまいました」
 紙数にして五十枚ほどの一冊を、お雪はスラスラと読みおわって、巻《かん》をとざしながら、
「つまり王昭君という方は、絵をかく人に美人にかいてもらえなかったために、あんな運命になったのですね、美人薄命というのを、裏から行ったようなものですね」
と言いました。
「王昭君は本来美人なのだろう、だからやはり美人薄命さ」
 竜之助が答えると、
「それはそうですけれど、本来の美人を、絵をかく人が醜婦にかいてしまったのでしょう、ですから、醜婦として取扱われてしまったんですね。つまり絵をかく人が、筆の先で王昭君を殺してしまったのですね」
「まあ、そんなものだ」
「してみると、人を殺すのは刀ばかりじゃありませんね、筆の先でも、立派に人が殺せるんですから……」
「そうだとも、筆の先でも、舌の先でも……」
と竜之助がいいますと、お雪が、
「わたしなんか美人じゃありませんから……」
 それは謙遜《けんそん》で、お雪ちゃんにもなかなかよいところがあります。
「先生、わたしには、どうしてもまだ一つわからないことがあるのよ、いつかお尋ねしようと思っていましたけれど、つい……」
 お雪がこう言いますと、竜之助が、
「何ですか」
「それはね、この間、塩尻峠の上のあの大変の時ですね、勝負がどうなったんだかちっともわかりませんわ、相手の人たちはいないし、斬られてしまったとばかり思っていた先生が、無事でお帰りになったんですから。わたし、あの時から、あなたは幽霊じゃないか知らんと思いました」
「あれですか、あの時は先方が乱暴をしかけたから、こっちがそれを防いだだけです」
「でも、先方は四人でしょう、そうして、あなたはお一人でしょう」
「ええ……」
「それで、どうしてお怪我がなかったのですか」
「こっちも刀を抜いて防いだから……」
「だって、あなたはお眼が見えないでしょう、眼が見えないで刀が使えますか」
「眼が見えなくたって、手があるじゃありませんか」
「だって、先生……」
「手があるから刀を抜いて防いでいました、そうしたら先方が逃げてしまったのです」
「だって、あなた、斬られたらどうなさるの?」
「斬られなかったから助かりました」
「その斬られないのが不思議じゃアありませんか、先方は眼のあいた人が四人で……」
「それでも、こうして刀を持っていれば斬れないじゃないか」
といって竜之助は、右の指を一本出して刀を構える形をして見せますと、
「斬られないことにきまっているもんですか、刀を持っただけで、斬られないッてことがあるもんですか」
「それでも……こうしていれば斬れないものだ」
 竜之助が横になりながら、右手の指を一本出している形に、お雪はゾッとしました。
「じゃ、あなたは剣術の名人なのですか」
「名人でも何でもないさ、人間が二尺の刀を持って、五尺の身体《からだ》を守れないというはずはないでしょう」
「だって、先生、刀と物差《ものさし》とは違いましょう」
「そうですね、刀と物差は……」
 竜之助は、お雪の比較を珍しそうに暫く考えていましたが、
「同じようなものでしょう、眼をつぶっていても、思う通りの寸尺に切ろうと思えば切れますからね」
「そんなことがあるものでしょうか……」
 お雪もそれを考えさせられましたが、しばらくして気がついたように、
「そうそう、昔、裁縫の名人があって、年とってから眼がつぶれ、不自由をしたそうですけれど、ハサミを持つと、物差をつかわないで、一分一厘の狂いもなくたちものをしたという話を聞きました」
と言いました。
 それそれ、おれは今でも刀を取れば、何人《なんぴと》をものがさないのだと竜之助はいいませんでした。けれどもお雪は、眼が見えなくても、刀は使えるものだとうすうす信ずるようになって、
「それでも先生、もうおよしなさいましよ、ああいう時は早く逃げて、相手になさらないようになさいまし」
「逃げるったって、逃げられないじゃないか」
と竜之助が言いますと、
「全く困ってしまいましたわ。つまり運がよかったんですね」
 ここでも運の一字で、偶然と必至とに結論をつけようとしている時、下の座敷で、にわかに足拍子の音が起って、声を合わせて歌い出したものですから、
「木曾踊りが始まりました」
[#ここから2字下げ]
こころナアー
 ナカノリサン
[#ここで字下げ終わり]
 節面白く歌う木曾節は、
[#ここから2字下げ]
こころナアー
 ナカノリサン
心細いよ
 ナンジャラホイ
木曾路の旅は
 ヨイヨイヨイ
笠にナアー
 ナカノリサン
笠に木の葉が
 ナンジャラホイ
舞いかかる
 ヨイヨイヨイ
[#ここで字下げ終わり]
 お雪も、竜之助も、二階で、その歌と足拍子を、手に取るように聞いておりましたが、
「先生、木曾踊りがはじまりました。夏の盛りの時は、あれが毎晩のようにあったんだそうですけれど、もう人が少なくなったものですから、きょうは納めの木曾踊りだそうですよ」
 お雪は、その歌と踊りの音に、そそられたようですけれども、竜之助は、さほど多感ではありません。
「まだ、あんなに人がいたのですか」
「ええ、総出で踊っているんでしょう、お客様も、宿の人たちも、そうしてきょうは器量一杯に踊って、あすは、みな散り散りに別れるんですって、寒くなりましたから……」
「お雪ちゃん、お前も行って踊りなさい」
と竜之助が言いますと、
「わたし、踊れやしませんわ、ですけれども、ちょっと行って見て参りましょう」
「歌をよく覚えておいでなさい」
「ええ」
 お雪はこの座を立って踊りを見に行きました。

         十四

 お雪が行って見ると、下の座敷を打抜いて、かれこれ五十人ほどの老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、輪を作って盛んに踊っているところでありました。
[#ここから2字下げ]
木曾のナアー
 ナカノリサン
木曾の御岳山《おんたけさん》は
 ナンジャラホイ
夏でも寒い
 ヨイヨイヨイ
袷《あわせ》ナアー
 ナカノリサン
袷やりたや
 ナンジャラホイ
旅の人
 ヨイヨイヨイ
[#ここで字下げ終わり]
 お雪が後から駈けつけて立って見ると、音頭《おんど》を取っていた五十ぐらいの、水々しくふとった婆さんが、お雪を見て、
「あなたもお入りなさいな」
「いいえ、わたし、踊れないんですもの」
「踊れますよ、中へ入っておいでなされば、誰でもひとりでに踊れるようになりますから、お入りなさいな」
「有難うございます」
 お雪がまだ遠慮をしていると、その色気たっぷりの婆さんが、また輪の中へ戻って、
[#ここから2字下げ]
袷《あわせ》ナアー
 ナカノリサン
袷ばかりも
 ナンジャラホイ
やられもせまい
 ヨイヨイヨイ
襦袢《じゅばん》ナアー
 ナカノリサン
襦袢仕立てて
 ナンジャラホイ
足袋そえて
 ヨイヨイヨイ
[#ここで字下げ終わり]
 このお婆さんの頬かぶりと踊りぶりが水際立《みずぎわだ》っておりました。やはりここへ湯治に来ているお客様の一人には相違ないが、いつかこのお婆さんが、一座の指揮者のようになってしまい、すべてはその指揮に従って、喜んで踊っているようです。そう思って見ると、この婆さん、身なりもお召か何かをきて、年には似合わず色気たっぷりで、そのくせ、茶屋料理屋のおかみさんとも見えず、やっぱりこういった派手好きの素人《しろうと》の、裕福な家の後家さんとでもいったようなものでした。
 果して、この総踊りを名残《なごり》に、その翌日になると、泊り客のほとんど総てが別れ別れになって、帰国の途につきました。
 ひとり色気たっぷりな物持の後家さんらしいのは帰りません。その次の日になっても、帰ろうとする模様が見えません。
 で、お雪と顔を合わせるごとに、愛嬌《あいきょう》たっぷりでお世辞を言いました。
 これでは、四十島田をいやがる者まで、ついまきこまれるだろうと思われるほどの愛嬌を売るものですから、お雪も心安くなりました。実際、また今はお雪のほかには女客は、みんな帰ってしまったのですから、いやでも心安くなるのはあたりまえです。
 どこのおかみさんで、どういう人で、いつまでこんなところに逗留《とうりゅう》しているつもりだろう――と、お雪がそれを不審がるのもあたりまえで、それを尋ねもしないうちに、宿の男衆が告げてくれたのは、この人たちにも、かねて疑問となっていたからです。
「ありゃ、飛騨の高山の名代《なだい》の穀屋《こくや》の後家さんですよ、男妾《おとこめかけ》を連れて来ているんですよ、男妾をね」
と言ったものですから、お雪がそうかと思いました。
 ある時、廊下で顔を見合わせた若いのがそれでしょう。色が青ざめてやせていましたが、かなりのやさ[#「やさ」に傍点]男と思いました。
 後家さんは、それを男妾だとはいいません、伴《とも》につれて来た男衆だといっていますけれど、到着早々、誰もそれを信ずるものがなくなってしまったので、若い男は少しばかりきまり[#「きまり」に傍点]を悪がっているが、婆さんはしゃあしゃあとしたもので、どうかすると、泊り客にも思いきったところを見せつけたりなどするものですから、この夏中、評判の中心となっていました。
「あんな婆さんに可愛がられては、男妾もやりきれまい」
 岡焼半分に噂は絶えなかったが、後家さんは闊達《かったつ》なもので、愛嬌で泊り客をなめまわし、身銭《みぜに》をきっておごってみたり、踊りの時などは、先へ立って世話を焼いたりするものですから、つい人心を収攬《しゅうらん》してしまって、この色気たっぷりの後家さんが、この夏中の温泉の座持ちでありました。
 そうしていま帰らなければ、御同様ここで冬籠《ふゆごも》りをするつもりかも知れない。
 久助も、お雪も、その話を聞いて呆《あき》れてしまいました。しかし、呆れてしまった久助も、お雪も、この後家さんに面《めん》と向えば、そのお世辞に魅せられて滑《なめ》らかに話が合って、いい気持になるのが不思議なくらいです。
 ただ、なんだか気の毒で痛々しいのは、後家さんの連れて来た男妾だといわれる男で、ロクロク座敷から顔を出さないで、たまたま顔を出した時も、気の抜けたような色をしているものですから、
「あの分じゃ、今年中には精《せい》も根《こん》も吸い取られてしまうだろう」
 勝手口でよけいな心配をすると、
「とぼしきったら、また新しいのを差代《さしか》えらあな、金に不足はないし、あの色気じゃかなわねえ、この夏中、あの後家さんに吸いつかれたのが、少なくも五人はあったが、それでも吸い取られずに逃げたのが命拾いで、つかまったのが運の尽きさ」
と憎まれ口をきく者もある。
 そんなのを聞きながらも、日一日とお雪は、この色気たっぷりの後家さんと懇意になって、お雪はおばさんおばさんといい、後家さんはお雪さんお雪さんといって、絶えず往来していましたが、ある日、
「お雪さん、きょうはひとつ鬼《おに》ヶ城《しろ》を見物に行こうじゃありませんか」
「参りましょう」
「二人、水入らずで行きましょうね」
「そうしましょう」
 お雪はこの後家さんの誘いを素直《すなお》に受入れて、この地の名所、ついとうし[#「ついとうし」に傍点]から鬼ヶ城の方へ、フラフラと出かけました。

         十五

 そのあとで、机竜之助は、丹前《たんぜん》を肩から引っかけて、両手をその襟《えり》から出し、小机の前に向って、静かに罨法《あんぽう》を施しておりますと、
「御免下さいまし……」
 怖る怖る隔ての襖を開いたものがあります。
「誰です」
 竜之助は別に振向きもしません。振向いたとて見えもしませんから――
「御免下さいまし、お邪魔をしても、さしつかえございますまいか」
「お入りなさい」
と罨法《あんぽう》を施しながら、竜之助が答えました。
「それでは御免下さいまし」
 御免下さいましを三重まで重ねて、おずおずと入って来たのは、二十二三の色の白い、羽織じかけの気の利《き》いた商人風のやさ[#「やさ」に傍点]男であります。
「実は、私は困ってしまいましたものですから、お見かけ申して、あつかましくもお願いに上ったわけなのですが……早く申しますと、私はここを逃げ出したいのでございますが、どう逃げ出したらよろしうございましょう、お察し下さいまし」
 その語尾が、おろおろ声になるほどの嘆願でありましたから、ははあ、これは例の男妾だなと竜之助が思いました。
 その話は、もうお雪から聞いていたのです――
「あの後家さんは男妾を連れて来ているんですって。かわいそうに、その男妾というのは、逃げ出したがって、逃げだしたがって、弱りきっているんですって」
とお雪が、前の晩に竜之助に向って、笑いながら話したことでした。
 それが、この隙《すき》を見て相談に来たのだな、笑止千万なことだと思っていると、その男はにじり寄って、
「恥をお話し申さないとわかりませんが、実はあの婦人につかまりましたのも、私の方にも落度《おちど》がないとは申されませぬ……私の方にもあの後家さんをため[#「ため」に傍点]にしようと思う慾があったから、こうなってしまったんでございますが、これで私には、国に妻子が残してあるんでございます、どうかして逃げるくふうはないものでございましょうか、ただいまにも、私を逃がしていただけないものでございましょうか、お願いでございます」
 馬鹿な奴だ! 意気地のない骨頂《こっちょう》の奴だ。つまり富裕な後家さんからたらされたのを機会に、甘い汁を吸おうと思って、御意《ぎょい》に従ったのが仇《あだ》となり、さんざん、おもちゃにされて精根《せいこん》を吸い取られ、逃げ出しては取つかまり、取つかまり、どうにもこうにも所在が尽き果てて、人の顔を見れば助けを求めているのだ。そこで竜之助は、
「せっかくですが、拙者にも智恵がありません」
 男は泣かぬばかりに、
「弱りました、全く弱りました、この分では、私は殺されてしまいます……いっそ、女を殺してと思いましたけれど、私にはそれだけの力がございません、ああ、もうやがて帰って参りましょう、私は、怖ろしうございます、私はあの女の息をかぐのが、大蛇《おろち》の息をかぐような気持がします、あの女にそばへよられると、道成寺《どうじょうじ》の鐘のように、私の身が熱くなって、ドロドロにとけてしまいそうなんでございます、眼がまわります、苦しうございます」
 五十を過ぎてあぶらぎった好色婆のために、取って押えられて、人目も恥じず、悶《もだ》え苦しむ有様は、むしろ悲惨の極であります。
 久しぶりで竜之助の顔に、微笑が浮みました。
「何がそれほど苦しいのです、そんなに人を苦しめる奴は、懲《こ》らしておやりなさい」
「全く……」
 男は苦しい声で叫びました。
「殺してしまいたいんですけれども、私は意気地なしでございます」
 意気地なしは今はじまったことか――
 その時、思わず竜之助の血が熱くなりました。一番その淫乱の後家をきってやろうかな。五十過ぎたとはいえ、脂《あぶら》ぎって飽くことを知らぬ女の肉体。きってまんざらきりばえのないこともあるまい。
 そうなると、いよいよ冷然たるもので、竜之助は冷罨法《れいあんぽう》をつづけながら、
「これ、若い衆……」
「えッ」
 男妾が、そのつめたい呼び声にヒヤリとします。
「お前は、本心からその女がいやなのか」
「いやでございますとも――死ぬほどいやでございます」
「その女が死ねばお前は助かるのだな、お前の力で殺せれば、殺したいのだが、その力がないとこういったな」
「ええ、その通りでございますとも、自分が殺されるか、あの婦人を殺して助かるかの境でございますが、私は意気地なしで、とても人を殺すことなんぞはできませんから、みすみすあの婦人にいびり[#「いびり」に傍点]殺されてしまうんです」
「よろしい、それでは、わしがお前の代りに、その女を斬ってみよう」
「えッ」
 その時、男妾はゾッとして、
「えッ、ただいま、何とおっしゃいましたか」
 竜之助の、たったいま言った一言を思い返そうとして、まずふるえ[#「ふるえ」に傍点]が先に立ちました。
 冷罨法を施している竜之助は、二度とはそれに答えようとせず、男妾のみが、無暗にふるえ出してせきこみ、
「私に代って、あなた様が、あの婦人を斬っておしまいになる、殺して下さる、それは本当ですか。それは怖ろしいことです、その怖ろしいことを、あなた様が、私に代って、そうして……」
 男妾は自分でせきこんで、自分で咽喉《のど》をつめてしまいました。
「本当でございますか。人を殺せば自分も助かりませんね、これを御承知でございますか。色事は冗談でございましょうとも、人を殺すのは真剣でございます……私はいったい、何を、あなた様に申し上げましたろう、何をおたのみ申したんでしょう」
 一旦、息のつまった男妾はこういって、眼をきょろきょろ[#「きょろきょろ」に傍点]させながら、極度におちつかない心で四方《あたり》を見廻すと、竜之助のかたわらに大小の刀があることが、著《いちじる》しく脅迫的に眼にうつったと見えて、また青くなりました。ほとんど取返しのつかないことをやり出したもののように――
 一切、その狼狽《ろうばい》に取合わない竜之助の冷やかさが、ようやくこの男妾を仰天させました。
「ねえ、あなた様、ただいま、何を申し上げましたか、それは一時の愚痴でございますから、どうかお取消しを願います、お気にさわりましたら、御勘弁下さいまし。なあにほんの取るに足らない色恋の沙汰でございますから、私さえ逃げ出せばそれでいいんでございます。生かすの殺すの、あなた、水の出端《でばな》や主《ぬし》ある間の出来事とは違いまして、生かすの殺すの、そんな野暮なものじゃございません……」
 しかし竜之助は冷罨法《れいあんぽう》を施しつつ答えず。男妾はいても立ってもいられないように、座敷の中を飛び廻って、
「さきほど、あなたのおっしゃったことを、もう一度お聞かせ下さいまし、私に代ってあれを斬ってみようとおっしゃったのは、御冗談《ごじょうだん》でございましょうね。もし、御冗談でございませんでしたら、お取消し下さいまし。あやまります、あやまります、このように……」
 それでも竜之助は返事をしませんでした。返事をする必要がないからでしょう。そこで男妾はまた立ち上って、
「本当のことを申しますと、私もあれが好きなんでございます、年こそ違っておりますけれど、たまらない親切なところがあるんでございますから……生かすの殺すの、それはあなた、一時の比喩《たとえ》、夫婦喧嘩同様な愚痴をお聞かせ申しただけなんでございますから、どうぞ……」
 竜之助のつめたい面《かお》に、抉《えぐ》るように微笑ののぼって来たのはその時です。

         十六

 山地は寒《かん》の至ることも早く、白骨《しらほね》の温泉では、炬燵《こたつ》を要するの時となりました。
 この頃、男妾の浅吉は、別な心持で落着かなくなりました。
 というのは、後家さんの圧迫をのがれよう、のがれようと苦しんでいた男妾が、かえって嫉妬に似た気持で、後家さんを引きつけようとあせる気色《けしき》が、ありありと見え出したことです。
 この二組のほかに、お客というもののない今日《いま》の白骨の全温泉で、おたがいが一家族のように親しくなるのはあたりまえで、おたがいに出入りの密になるのもあたりまえですが、後家さんが、お雪と竜之助のところへ話しに行くと、そのあとで、男妾の浅吉が、額に苦しい汗を出して、やきもき悶《もだ》えはじめます。そうして、ある時は一生懸命の思いで、後家さんに向ってこういうことを言いました、
「おかみさん、うっかりあの座敷へ行ってはいけませんよ……あの久助さんや、お雪ちゃんたちと、懇意にするのはようござんすが、あの浪人者みたような人に、近寄らないようになさいまし」
 そうすると、色気たっぷりの後家婆さんが、
「何ですね、お前、そんなわけにゆくもんですか、この一つ家にいながら……」
と取合いません。
「それでもね、おかみさん、あの人は、どうも気味の悪い人ですから、御用心なさらなくちゃあ……」
「気味の悪い人……そりゃ御病人ですもの。お目が悪いのに、身体《からだ》が少し疲れていらっしゃるんですよ。つきあってごらん、なかなかよいところのある方ですよ」
「いいえ、おかみさん……」
といって男妾《おとこめかけ》の浅吉は、唾《つば》を呑み込んで、何かいおうとして、いうのを憚《はばか》りましたが、思い切って、
「おかみさん、あの方は人殺しをした方ですよ、そうに違いありません、私はそばへ寄ってゾッとしました。いいえ、証拠を見たわけじゃありませんが、たしかに人を斬って身を隠すために、こちらへ来ているんですよ、どうしても私にはそうとしか思われません。ですから、あの人のそばへ寄ると、いつも斬られてしまうようにばかり思われてなりません。ですから、おかみさん、あなたも斬られないようになさいまし」
「何をいってるんですよ、この人は……人様をつかまえて、そんなことをいってごろうじろ、それこそ本当に斬られる種をまくようなものじゃないか。わたしぁ、どんな人だってこわいと思わないよ、こっちの出様ひとつじゃないか、出様ひとつでどうにでもなるものだよ」
「ですけれど、おかみさん、あの方は殺すといったら、キッと人を殺しますよ、あの人情につめたい顔の色をごらんなさい」
「ほんとうにどうかしているよ、この人は……誰か、わたしたちを殺すといいましたか」
「いえ、いえ、そういうわけじゃありませんけれど、盲目《めくら》でいながら、ああして刀をそばへ引きつけておく人には、油断がなりません」
「お前、何かあの方に失礼なことをいって、脅《おど》かされたんじゃないの……」
「いえ、いえ、決してそういうわけじゃございません、おかみさんのお身を心配するあまり、ついよけいなことを申し上げました」
「付合ってごらん、あれで、なかなか苦労人で、世間を見ておいでなさるから。ポツリポツリ話してゆくうちに、だんだん味が出て来るようなお方ですよ、こわいこともなにもありゃしません」
「ですけれども、おかみさん……私が可愛いと思うなら、私に心配をさせないで下さい。ね、私は、いつおかみさんが、あの人に斬られるか……それを思うとヒヤヒヤしつづけですから」
「ほんとうにお前は意気地のない人だ……さあ一つお上りよ」
 後家さんは、炬燵《こたつ》の上の杯を取って男妾に与えました。
 そこへお雪が廊下の外からやって来て、
「おばさん」
「はい、お雪さん、お入りなさい」
と言って、炬燵の上の酒の器《うつわ》だけを下へおろしてしまいますと、お雪は、
「さきほどは有難うございました、お邪魔をしてもようございますか」
「よいどころじゃございません、さあ、お入りなさいまし」
「御免下さい」
 お雪が入って来ると、後家さんは炬燵の一方へ座蒲団《ざぶとん》を出して、ついでに茶棚の上の蕎麦饅頭《そばまんじゅう》のお盆を炬燵の上へ置きました。つまり、お雪が入って来たために、酒と蕎麦饅頭とが炬燵の上で交迭《こうてつ》した結果になりました。
「一つおつまみなさいな」
「どうも御馳走さま」
 三人が炬燵を囲んで世間話がはじまると、やがて先日の木曾踊りのことになり、
「おばさん、まだ、わたしあの歌がよく覚えきれませんから、教えて頂戴な」
 後家さんは喜んでお雪に向って、例の「心細いよ、木曾路の旅は、笠に木の葉が舞いかかる」という歌の文句からはじめて、合《あい》の手《て》までも教え、はては自分が得意になって、かなりの美音でうたい出しましたから、一座もなんとなく陽気になってきました。
 歌を教えてしまうと、後家さんは、
「踊りはこの人が上手だから、教えておもらいなさい」
と男妾《おとこめかけ》の浅吉を指さしました。
「どうぞ、教えて下さい」
とお雪も、それに合わせて浅吉にたのむと、
「どう致しまして、私なんぞ……」
 浅吉がハニかむのを、後家さんは叱るように、
「教えてお上げなさいよ」
「どうぞ、おたのみ致します」
 お雪も面白半分に、浅吉にたのむものですから、浅吉がいよいよ迷惑がり、
「いいえ、ダメですよ」
「そんなことをいわずに踊って見せてお上げなさい……ねえ、お雪さん、あなたも、ただ教わっちゃ駄目よ、一緒に立って、手を取って教えてもらわなくちゃ」
「いいえ、わたしは見せて教えていただけば覚えますから」
「そんなズルいことをいって駄目よ、教わるのに横着をしちゃいけません」
「だって、できもしないのに、きまりが悪いんですもの……」
「ナニ、きまりが悪いことがあるもんですか、若い同志で充分に踊りなさい、わたしが、ここで歌いますから……」
 後家さんがこう言って、二人を立たせようとしたけれども、浅吉はいよいよハニかんで立とうとはせず、お雪も無論手を取ってまで、教えてもらおうとは思いません。
 そこで、木曾踊りの実演は中止の形となりましたが、
「若い人は、遠慮があるからいやよ」
と言って後家さんが急に立ち上って、廊下へ出ました。浅吉と二人ばかりあとに残されてみると、急に座敷がテレてしまって、なるほど、あの陽気な人が一人いるといないでは、こうも違うものかと思わせられるくらいです。
 それでも、お雪は急に暇乞《いとまご》いをして立ち出でるわけにもゆかずに、後家さんの戻るのを待っていたが、その戻るのが意外に手間取《てまど》れるので、もどかしく思いました。多分お手水《ちょうず》にでも行ったのだろうが、それにしては長過ぎるとお雪が待ちあぐむ頃には、浅吉が落着かなくなって、しきりに気を揉んでいる様子が、ありありと見えますから、お雪は、
「おばさん、どうしたんでしょう、帰りが遅い」
 いらいらしていた男妾の浅吉は、やがて声を低くして、
「お嬢さん――」
と、お雪のことを呼びました。
「はい」
 お雪は、この男にも同情を持っているのです。同情というものは、広い意味の同情で、同情の中に異性の思いやりを含むという次第では無論ありません。いわばお雪は誰に対しても親切な娘であります。
「あなたのお連れのあのお方は、あれはお兄さんですか……」
「いいえ、兄ではありません、親類の……」
とお雪が煮えきらない返事をしました。
「お目が悪いんですね」
と言いますと、
「ええ、煙硝《えんしょう》の煙で、お目を悪くしてしまったのだそうですよ」
「それはいけません」
「どういうわけですか、わたしもよくは聞きませんでした」
 二人がボツリボツリとこんな問答をしている間も、席を外《はず》した後家さんは戻って来ません。いったい、どこへ何しに行ったのだ。お雪もようやくもどかしくなりました。
「どうしたんでしょう、おばさん帰りが遅いですね、わたし、お暇致しましょう」
 お雪も、若い男と二人さしむかいでは気が置けると見えて、帰ろうとすると、
「まあ、いいじゃございませんか、お話しなさいまし、もうすぐ帰りますよ」
「それでも……では出直して参りましょう」
「いいえ、よろしうございますよ。それからお嬢さん、まだ本がいくらもございますから、お持ち下さいまし」
「そうですか、それではあとでお借り申しに上りましょう、御免下さいまし」
と、そこそこにお暇乞いをしてお雪は帰りますと、まもなく、自分の廊下のところに立ち止まりました。
 その中でヒソヒソと話し声が聞えたからです。はて、久助さんは下で煙草切りをしているはず。あとは先生一人でいたはず。そこでヒソヒソと話し声がしたものですから、お雪が足をとどめたのも無理はありません。
「実川延若《じつかわえんじゃく》の石川五右衛門、ようござんしたねえ」
と、詠嘆的にいったのは、例の後家さんの声でありました。
 帰って来ないはず。ここで話し込んでいたのだもの――
 それにしても、座興半ばで席を外して、人の座敷へ来て、ゆるゆると話し込んで、しかも役者の噂《うわさ》、おばさんも暢気《のんき》過ぎると、お雪も少し呆《あき》れていると、
「そうすると、隣りの桟敷《さじき》にいた若い人のいうことがいいじゃありませんか、あれでは五右衛門がいい男過ぎる、五右衛門という奴は悪人だから、あんないい男にこしらえてはいけない……ですとさ。悪人をいい男にこしらえては、なぜいけないんでしょう。ですから、わたしがいってやりました、悪人はみんないい男ですよ、いい男だから悪人にされてしまうんですって。醜男《ぶおとこ》だけが誰もかまい手がないから、それでやむを得ず善人でいられるんですって。ですから大抵の女は、善人よりも悪人に惚れますよ、といってやりました」
 後家さんは、水っぽい調子で得意になって、こんなことを言っていましたから、お雪がいっそう呆れてしまいました。
 立聞きをすれば三尺下の地の虫が死ぬというたとえがありますから、お雪はそれを聞きたくないと思いましたけれども、こうなってみると、後家婆さんが得意になって浮《うわ》ついた話の最中へ入るのは厭《いや》な気がしますし、そうかといって、再び浅吉のところへ引返す気にもなりません。
 そこで、お雪は気をかえて、ひとり湯殿へ下りて行きました。

         十七

 お雪が湯から上って来た時分には、後家さんも帰ってしまっていました。けれど、それから後、この後家さんは、いよいよお雪になつこくして、お雪も悪い心持はなく往来しているうちに、どうも後家さんがお雪を、浅吉に近づけよう、近づけようとしていることがわかりました。
 前の時のように、お雪が来ると、自分は座を外《はず》して、浅吉と二人だけを残して置くのが、心あってするように、お雪にも気取《けど》られるほどになりました。
 そうかといって、お雪は怖気《おぞけ》をふるって浅吉を毛嫌いするわけでもありません。また別段に不憫《ふびん》がるというのでもなく、万事を心得て、あたりまえに附合っていられるほど、お雪は素直な気質を持ち合わせていました。
 それに反して、浅吉の方の躍起《やっき》となる有様は、日一日と目立ってゆくのです。
 ある時、お雪は湯から上って帰ると、廊下でただならぬ物争いを聞きました。
 それは珍しくも、あの柔順な浅吉が、主人の後家さんを相手に、一生懸命で何事をか言い罵《ののし》っているところです。
 今日も、たくんでした立聞きではありませんが、行きがかり上、耳に入れないわけにはゆかないので、困っていると、
「おかみさん、あなたという人はほんとうに罪な人ですよ……今だから申しますが、先《せん》の旦那様のお亡くなりになった時だって、ずいぶん噂がありましたよ。穀屋《こくや》の家には今でも青い火が出ると、いわない人はありませんからね」
「ナニ、何ですって。人聞きの悪いことをお言いでないよ」
「申しますとも。あなたぐらい、性悪《しょうわる》の、男ったらしの、罪つくりな女はありませんよ。この夏中だってそうでしょう、わたしが見て見ないふり[#「ふり」に傍点]をしていれば……」
「おや、わたしはお前に監督されなけりゃならないのかい、お前が見ているところで、何かしちゃ悪いのかい」
「だッて、少しは遠慮というものがございましょう、私を前に置いて……」
「だからいってるじゃないか、何を私がお前に遠慮しなけりゃならないの……よく考えてごらん、身分を考えてごらん、わたしは主人、お前は雇人じゃないか」
「…………」
「口幅ったいことをおいいでないよ」
 柔順な若い男は、肥《こ》え太《ふと》った浮気婆さんのために、頭から押しつぶされています。
 聞くとはなし、それを聞いたお雪は、なんというかわいそうな人だろう、またこのおばさんも、なかなかのしたたか者だと思わないわけにはゆきません。
 その日の午後、お雪は花を集めて部屋を飾ろうと思って、近いところの尾根から林の中へ入りました。
 無心で花をたずねて、林の中へ進んで行くと、ふと行手でガサリ[#「ガサリ」に傍点]と音がしましたので、ハッと驚きました。もしや、あんまり深入りして、熊にでもでっくわしたのではないか。
 とおそれて、その音のした林の奥を見ますと、幸いに熊ではありません。たしかに人間の姿であります。先方では気がつかないが、こちらではよくわかります。林の中を、あちら向きになって、うろうろたどって行くのは、まぎれもない、男妾の浅吉の姿でしたから、お雪は、不安な思いでじっとそれを見送りました。
 暫く様子を見ているうちに、お雪がじっとしていられなくなって、顔色を変えて、一散《いっさん》に浅吉のいた方向に向って馳《は》せ出したのは、魂を失うたように、うろうろしていた浅吉が、今しも一本の木の枝を選んで、そこへ紐をかけたのはまさしく縊《くび》れて死のうとの覚悟に相違ありません。
 あなやと、お雪はかけよって、今しも紐へ両手をかけた浅吉の身体《からだ》に抱きつきました。
 お雪に抱き留められた浅吉は、それを振り解《と》くほどの気力もなく、ぐったりと草の上へ倒れて、さめざめと泣きました。
 それを慰めるお雪。追々力をつけられて、死ぬまで思いつめた心の苦しみをお雪に訴える浅吉。つきつめてみると、それは嫉妬からです。あの浮気婆さんとの今までの関係を、浅吉はお雪に向ってことごとく打明け、あの後家さんの容易ならぬ乱行を、こと細かく語って聞かせました。旅役者か何かとくっついて、先《せん》の夫を毒殺したという専《もっぱ》らの評判。そのほか浮名を立てられた相手は今日まで幾人だか知れないが、いいかげんおもちゃにした後は、突き放したり、上手に切り抜けたりして――世間並みの金持後家さんは、若い男につぎ込むのだが、あの婆さんは若い者の生血《いきち》を絞る――若い者だけではない、あの調子だから、目をつけた男は大抵ものにしてしまう。この夏中もどのくらい、聞苦しい噂を聞いたか知れない。そうして現在も……と浅吉は口のあたりをひきつらして、現在にも何か容易ならぬ恨みを持っているのがこらえきれないらしい。お雪はなお一生懸命にそれを慰めて力をつけ、いたわりいたわりして、とにかくも宿の方へと連れて帰りました。
 その帰り道、茶堂橋まで来た時分、お雪は何心なく小梨平の方を仰ぐと、そこの坂道を、こちらへ人の下りて来るのを認めました。同じような笠が揃って四五名、まだ士農工商のいずれともわからないが、こちらへ向いて四五名が隊をなしてやって来る姿が、豆のように見えることは確かです。
 もう、人が入って来ないはずの白骨の温泉。集まった人は、この間、綺麗《きれい》に解散をしてしまったはずの温泉。これから春、雪の解ける時までは、人跡の絶ゆるということを予想していたこの温泉へ、今となって入り込んで来るのは穏かではないようにお雪が感じました。何か特別の目的があり……そうでなければ――お雪がふと思い当ったのは、もしや、あの塩尻峠の時の侍たちがあとを慕って仕返しに来たのではあるまいか。
 そう思って見ると、今し、山道を下って入り込んでくる四五名の人数が、お雪にとっては容易ならぬ脅威のように思われてなりません。そこでなんとなく胸が落着かないで、振返り振返り、茶堂橋を渡ると、右の人たちの姿も、木の間に隠れてしまいました。
 ほどなく、その山かげから歌をうたう声が起りました。遠く響いて来る歌の声は聞えるが、それが何の歌であるかわかりません。ちょっと耳を傾けていたお雪は、ややあって、ああ詩を吟じているのだとさとりました。
 してみれば、これは侍だ。農工商、或いは山方《やまかた》へ出入りの木樵《きこり》炭焼《すみやき》で、詩を吟じて歩くようなものはないはず。
 侍ならば、まさしく塩尻峠の連中があとを慕うて来たのだ。どうしよう、あの人たちの立退くまで、わたしたちは隠れていなければならない。一日や二日ならば隠れおおせるが、もしあれがわたしたち同様に、冬籠《ふゆごも》りをするつもりで来たとすればどうしよう、ほとんど逃れる道はない――
 お雪は、一緒につれた浅吉の身の上よりは、自分たちの近い将来が心配になって、急いで宿へ帰り、浅吉をその部屋へ送り届けて、自分たちの部屋の障子をあけようとすると、中からあわただしくそれを押しあけて、
「お雪さん、お帰りなさい」
と飛んで出た後家さん。その上気した顔と、息のはずんだあわてぶりが、この人らしくもないと思いながら、
「ただいま帰りました」
 そうして一歩なかへ入って、枕を横にしている竜之助の顔を見ると、それが人を斬ったあとのように冴《さ》えておりました。
 幸いにして、山を下って来た笠の一隊は、お雪が心配したほどのものではありませんでした。木曾路を取って京都へ帰ろうとした神楽師《かぐらし》の一行が、ふと道を間違えて、こちらへ入り込んだからやむを得ず、安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨《ひだ》へ抜けようとのことです。
 お雪は、その由を聞いて安心しましたが、疑えば疑えないことはない。第一木曾路を通るものが、ここへ道を間違えたとは間違え過ぎる。しかしそれとても昔の歴史をたどってみれば、全く無理な間違え方ともいえないので、この一行が宿へ到着して、一浴を試みてから炉辺《ろへん》へかたまっての話に、
「上方《かみがた》から東国への道は、この辺が祖道になるのだ。大同年中に伝教大師が衆生化導《しゅじょうけどう》のためとて東国へ下る時に、上神坂越《かみこうざかご》えとあって、つまり飛騨の高山あたり、笠ヶ岳の下、焼ヶ岳の裏を今の上高地を経て、あの島々谷を松本平方面に出られたに違いない。伝教大師もこの道ではよほど難渋されたと見えて、広済《こうさい》、広極《こうきょく》という二院を山中に立てて、後の旅人を憩《いこ》わしむるようにされたとのことだが、その時代、路らしいものはあったにはあったと思われる。しかし、なにしろ今にしてもこの有様だから、大同年間のことは思われるばかりだ。高僧智識が捨身無一物の信念を以て通るか、しからざれば、天下に旅する豪気の武士《もののふ》でなければ覚束《おぼつか》ない。上神坂越えの難たることは、まさに天に上るの難よりも難かったに相違ない」
と説明するところを見れば、地の理にも、歴史にも、そう暗い人たちとは思えません。
 それほどの知識がありながら、わざわざここへ迷い込む由もなかろうではないか。
 その説明者を見ると、ついこの間、芝の三田の四国町の薩摩屋敷で、南条力を相手に地図を示して、飛騨の国の国勢を説いていた、たぶん、池田といった神楽師の一行では長老株――武州の高尾山では、七兵衛と泊り合わせた中の一人によく似ている。
 しかし、かの白面にして豪胆なる貴公子はここにはいません。
 時ならぬ時に、神楽師の一行が、つれづれな温泉宿に舞い込んだという噂《うわさ》を聞いて、浮気者の後家婆さんはいたく喜んで、早速、明朝になったら、ひとつやらせて楽しみましょう……と、お湯の中でお雪に話しました。この婆さんの考えでは、多分、越後の国の角兵衛獅子が、国への戻りに舞い込んだものとでも思ったのでしょう。翌日は早速、人を以てかけ合ってみますと、例の一座の長老が、それを聞いて、ニッコリ笑いながらこう言いました、
「われわれどもは角兵衛獅子ではございません、神楽師であります。古《いにし》えの神楽は神を楽しませ、同時に人を楽しましめんがために行いました。近代の芸術は、神を離れて人間が楽しまんがために作られます。これは悪いことではありません、人が楽しみを求めるのは自然です、自然にその慾求が起れば、これを与えるものの起るのも自然であります。よき慰安を与えらるる時に、人間の気象が快闊になり、高尚になるのも道理であります。そこにわれわれ神楽師の、神に対し、人間に対する御奉公も起って来るのでございます。ひとり悪いのは、人間が要求せざるものをほしいままにこしらえて、無理押付けに人間に売ろうとすることであります。それをやるには誘惑を試みなければなりません、剽窃《ひょうせつ》をも試みなければなりません。近代の芸術はそこで堕落が始まりました。かれらは作物《さくぶつ》を模倣し、盗用することは平気です。そうして無用な宣伝と、誘惑と、買収とを以て、人間にその芸術を売りつけようとするのです――われわれは、その芸術商売人ではないつもりですが、御所望なら何か一曲ごらんに入れてもよろしい」
という返事で、後家さんもちょっと二の句がつげません。
 この神楽師の一行は、早々辞し去るかと思うと、案外にも御輿《みこし》を据《す》えて、逗留の気色《けしき》を示しているのも気が知れない一つ。

         十八

 月見寺を出て、甲府の城下についた宇津木兵馬とお銀様。
 甲府は兵馬にとって最も思い出の多いところ。お銀様にとっては故郷も同様のところ。
 城下に宿を取って、その晩、兵馬は、ひとり町を歩いてみました。
 駒井能登守もいなければ、神尾主膳もいない。南条力も、五十嵐甲子雄も昔のこと。お君も、米友も、ムク[#「ムク」に傍点]犬も、暫くはここの天地に生を寄せていたことがあり、女軽業《おんなかるわざ》のお角の一行も、ここで笛、太鼓を鳴らしたことがありました。
 しかし、それはみな夢のように流れ去って、残るところの山河と、町並だけは相も変らず。兵馬の眼で人間がその昔の時よりも暢気《のんき》に見えるのは、自分にさしさわりない他人ばかり残っているというせいでもあるまい。たしかに甲府の市民にとっても、その昔のような辻斬の脅威がなくなってしまったことだけでも、生命《いのち》のゆとりがのびているのかも知れないと思われるほどです。
 柳町の一蓮寺。その昔、お角の一行が女軽業を打ったところへ来て見ると、そこは相変らず賑やかで、甲府人の行楽のところ。
 以前、お角一行の軽業のあったところには、けばけばしい芝居の興行がかかっているらしい。兵馬はその方へ進んで見ると、何かは知らないが人だかりのする絵看板。
 近づいて見ると、思いきって大きな看板に、黒頭巾《くろずきん》をかぶった黒いでたち[#「いでたち」に傍点]の侍の絵姿。
 兵馬は、それを見てゾッとするほど嫌な気持がしました。
 このごろは、世間が殺伐《さつばつ》だから、芝居にも、切ったり張ったりがはやるのか知ら。
 一流の芝居はそうでもないが、年中、活動しているお茶ッ葉芝居は、へらへら役者をかり集めては、無茶に人殺しをやらせる。
 ことに沢村宗十郎が、宗十郎頭巾をかぶりはじめてから、へらへら役者共が争ってこの頭巾をかぶりたがり、切れもしない刀を抜いては嘔吐《へど》の出るような見得《みえ》を切って得意になっているのが、田舎廻《いなかまわ》りならとにかく、江戸のまんなかではやっている。兵馬は至るところで、この黒頭巾をかぶった、駈け出しのへらへら役者が刀を抜いて、へんな見得を切っている絵看板にでっくわして、自分は通人でもなんでもないが、江戸人の趣味も堕落したものだと思う。そうでなければ清元《きよもと》や常磐津《ときわず》で腐爛《うじゃじゃ》けている御家人芝居。ここへ来ても、こんなものを見せられるのか。こんなものをこしらえて持ち歩く興行師の俗悪もさることながら、こんなものを見て興がる見物が情けない。
 兵馬は正直だから、こんな下等な芝居の横行が、剣法の神聖を冒涜《ぼうとく》するかのように憂えている。できるならばこういう贋物《まがいもの》の黒頭巾を片っぱしからたたききって、少なくとも本物の剣法の見せしめにしてやりたいと腹を立つこともあるのです。
 そうして、一蓮寺のさかり場を離れて、また市中へ取って返すと、宿からはいくらもないところの町並に、
 「無眼流《むげんりゅう》剣法指南」
の看板を認めました。
 それを認めたのは天佑《てんゆう》のようなもので、日中なら、かえって通り過ごしたかも知れません。
 無眼流の名は今でこそあまり聞かないが、武術流祖録中に立派に存在する意義ある一流。
 町並になっている狭い間口の一方を、少しばかり道場構えにして、一方の畳の上ではしらが頭の一人の爺さんが、絵馬《えま》の中にうずまって、しきりに絵馬をかいている。その絵馬をかくための燈《ともし》の光が、取入れた看板に反射していたものですから、それで兵馬が「無眼流剣法指南」の看板を辛《かろ》うじて認めることができたのです。
 無眼流の名を珍しとする兵馬は、ここを素通りすることができないで、
「無眼流の道場というのは、御当家でございますか」
 腰をかがめて丁寧にものを訊ねました。
 その時に絵馬をかいていたおやじが、大きな眼鏡越しにジロリと兵馬を見て、
「はいはい」
と答えました。
「先生は御在宅でございますか」
「はい」
「御在宅ならばお目通りを致したいものでござります」
「はい、お前さんは何しにおいでになりましたか」
「無眼流指南の表札を拝見致しましたゆえに、先生にお目通りを願って、できることなら、一手の御指南にあずかりたいものと存じまして……」
「なるほど、それは結構なお心がけじゃ……しかし先生と申すのは、恥かしながらこのおやじめのことでござりまする」
「ははあ、あなた様が無眼流の指南をなされますか。それは何より」
 兵馬も少し案外に思いましたけれども、事実、こんなのがあるいは隠れたる本当の名人であるかも知れない。名人でないまでも、こういうところに意外な流儀の血統が伝わっているのかも知れない。何か相当の自信がなければ、かりにも一流指南の看板は出せないはずと、少しも軽蔑の色なく慇懃《いんぎん》に挨拶をしますと、おやじ、
「さあ、どうぞお通りなさい」
と言ったが、自分は少しも絵馬描きの手を休めるのではありません。
 お通りなさい、といわれ、兵馬は、ちょっとドコへ通って、ドコへ腰を下ろしてよいのだか、それに迷いましたが、やむなく道場の板の間に足を置いて、畳の方へ腰をかけて、
「御免下さい、無眼流とあるのを珍しいことに存じました」
「はい、当今は一刀流だの、心蔭流だのというのがはやりまして、無眼流などは一向はやりませぬゆえ、こうして、道場の看板だけはかけておりますが、弟子というものが一人もありませんでな……」
 おやじはあまり自慢にもならないことを、平気でこういいました。
「勤番の諸士方で、御指南をこいにまいるものはありませんか」
「ありませんね……ばかにしてね、このおやじをばかにして寄りつきませんよ」
「市中の若い者は……」
「年寄をなぐっても仕方がないといって笑っています」
「失礼ながら、ドチラで無眼流をお学びになりましたか」
「飛騨《ひだ》の高山で習いました……武者修行の途中、あの山中で峨々《がが》たる絶壁の丸木橋を渡りわずろうていると、そこへ目の見えない按摩《あんま》が来て、スルスルと渡ってしまったのを見て、両眼があって、多年武芸をみがきながら、両眼見えずして無心の按摩の得ている極意《ごくい》に及ばないことを知って、ついに無眼流の一流を発明したのは私ではございません、流祖の反町無格《そりまちむかく》のことですよ。その流れをくみまして、こうして無眼流の看板を掲げましたが、いっこう弟子がつきません。今日はお前さんがたいそう神妙に話をなさるから、お相手になって上げましょう」
と言うところは、いかにも勿体《もったい》がついていますから、
「なにぶん、お願い申します」
 このおやじ、むかし取った覚えの竹刀《しない》で立合ってくれるのだろうと期待していますと、おやじは絵馬をかく手をいっこう休めず、道具をつけて立合おうとする気色《けしき》がなかなか見えません。あるいは、こうして悪く落付いたり、勿体をつけたりするだけに自信があるのかも知れないと、兵馬は多少心中たのもしがっているところへ、おやじは、
「で、お前さん、わしはこうして仕事をしているから、遠慮なく打ち込んでおいでなさい、竹刀でも、木刀でも、真剣でもかまいませんから……」
 けれども兵馬は、この老人に打ってかかろうとも、斬ってかかろうともしませんでした。この老人を打ち取っても功名《こうみょう》にはならない。絵馬代用の鍋蓋試合《なべぶたじあい》をはじめたところで芝居にもならない。しかし、それから老人と話し込んでいるうちに、老人の語るところのものには、なかなか聞くべきものがありました。
 竹刀《しない》の稽古と真剣とは全く別物であること。剣術の巧者《こうしゃ》は必ずしも真剣の勇者ではないこと。誰もいいそうなことだが、この老人は相応に実験を積んで来たと見えて、耳新しく聞えました。そのうち、初心の人が、真剣の立合をやむなくせられた場合、すなわち、どうしても刀を抜いて立合わねばならぬ場合には、眼をつぶって立合うに限る――ということから、いったい、人間の眼というものは見るべからざるものを見る時は、害あって益がないものだということ。
 それと同じで、有能者が無能者に負けることの逆理を説き出したのが、なるほどと聞きなされました。
「また、おいでなさい。無眼流の極意は、この見える目をいったんつぶしてしまわなければわかりません」
と老人が最後にいった言葉を意味深く聞いて暇《いとま》を告げ、若干の金を紙に包んで奉納し、なお老人のかいていた絵馬を一枚無心して、それをかついで帰路につきました。
 兵馬はその絵馬をかついで、舞鶴城《ぶかくじょう》の濠《ほり》の近辺を通ると、どうしたものか、一頭の犬が、兵馬の前路をふさいでさかんに吠《ほ》え立てます。
「しッ」
 兵馬が叱ったけれども、犬は容易に尾をまかないで、かえって目を怒らして兵馬に飛びかかろうとする、すさまじい勢い。
 そこで兵馬は小癪《こしゃく》にさわりました。かつて、慢心和尚がいうことには、「人間は、犬に吠えられるようでは、修行が足りない」
 兵馬は、この一言を思い出しました。なるほど、あの和尚は、随分奇抜な風采《ふうさい》で人の門《かど》に立つこともあるが、犬に吠えられたという例《ためし》を見なかった。人を見れば吠えつく悪犬でも、和尚がそばへ寄ると、鳴りをしずめてなついて来るのを、兵馬は実見して不思議なりとしたことがあります。
 和尚にいわせると不思議でもなんでもなく、害心のないところに、敵意の生じようはずはないのだと説明する。
 しかし、すべての人が犬に向って害心を持たずに近寄っても、犬のすべてが敵意を示さないという限りはない。そこに何かの修行があるのだと思いました。
 今しも、こうがむしゃらに吠え立てられてみると、それが頭にあるだけ、兵馬は癪にさわってならない。つまり、この犬は、自分の修行を、頭から無視してかかっているのだ。小癪な犬だと思わないわけにはゆきません。
「狂犬《やまいぬ》が、あっちへ行った、人食《ひとくら》い犬《いぬ》が、あの若い侍に食いついてらあ」
 ははあ、これは狂犬だ。だれかれの見さかいなく食いつくようになっている。あえて兵馬の修行を軽蔑しているのではない。兵馬は、それでやや安んじましたが、犬はいっそう烈しく、尾を振り、牙を鳴らして、兵馬に飛びかかって来るのです。
 そこで、兵馬は、今かついで来た絵馬を肩からおろして、これを左手で縦に構えると、狂犬はさしったり[#「さしったり」に傍点]というようなわけで、猛然としてその絵馬の上へ乗りかかって来たのを、右の手を遊ばしておいた兵馬が、絵馬の下から犬の左の前足をムズとつかむと、ハズミ[#「ハズミ」に傍点]をつけて一振り振って投げました。
 それは実に見事なもので、狂犬はクルクルと中空高く舞い上り、堤上《ていじょう》の松の枝をかすめて、濠《ほり》の真中へドブンと落ち込み、しばしは浮《うか》みも上りません。
「強いなあ、あの侍は」
 歩みをとめた人々が驚嘆して集まるので、兵馬はきまりが悪く、絵馬をかかえて一散に逃げました。

         十九

 ちょうどその日の薄暮《はくぼ》、韮崎《にらさき》方面からこの甲府城下へ入り込んだ武者修行|体《てい》の二人の者。前に進んでいた逞《たくま》しいのが、何を思い出したか、刀の柄袋《つかぶくろ》を丁《ちょう》と打って、
「あ、今になって思い当った」
 突然に叫び出したものですから、同行の丈《せい》の少し低いのがビックリして、
「何だい、何を思い出したのだい」
「あの、例の塩尻峠の……」
と前の逞しいのが、ちょっと後ろを振返りました。これはいのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の斬合いの一人、仏頂寺弥助であって、それに答えて、
「塩尻峠のしくじりを、まだ持越しているのかい」
 それは書生で、医術を心得ているあの時の立会人、丸山勇仙であります。
 斬られて介抱を受けた、二人がいないところを見れば、あの傷がもとで死んでしまったか、そうでなければ、まだ治療最中であろう。
「あれはな、あの男は、武蔵の沢井の机竜之助だ――」
「え、武蔵の沢井の……机?」
「そうだ、そうだ、それに違いない。それと知ったらば出ようもあるのだった」
 仏頂寺弥助が何か思い出して、しきりに残念がるのを、丸山勇仙が解《げ》せない顔をして、
「覚えがあるのか」
「あるとも、あるとも……噂《うわさ》だけで大いに覚えがあるのだ、武州沢井に机竜之助の道場があって、一種不思議な剣術をつかい、人がそれを音無《おとなし》と名づけるという評判を聞いていたから、一度、その門を驚かしてみたいと思っていたのだ」
「武蔵の沢井とは、どちらの方面だ」
「多摩川の奥の高地で、江戸から甲州裏街道、つまり大菩薩越えをするその途中、御岳山の麓あたり。あの辺は、むかし関東の野を追われた平将門《たいらのまさかど》の一族と、甲州武田を落ちて土着した子孫が住んでいる。それで剣術は、甲源一刀流が流行《はや》っている。それだ、その男だ、あれは……」
と言って、仏頂寺弥助が先達《せんだっ》て、塩尻峠の不思議なる盲剣客のことを頻《しき》りに思い返し、
「それと知ったら、また出ようもあったものを……」
と重ね重ね残念がる様子。
 そこで、まだ呑込めないらしい丸山勇仙のために、仏頂寺弥助は、沢井道場、音無の剣術ぶりの物語をし、今その主人公は、行方不明になって、その道のものの問題とされていることを話して聞かせると、丸山勇仙が、
「ははあ、そういうわけで、そういう人物であったのか……なるほど」
と幾度もうなずきましたが、つづいて、
「それで、机竜之助という男はいったい、いい男なのか、わるい男なのか」
「何だ、それは――」
「つまり、机竜之助は美男子であったか、それとも、醜男《ぶおとこ》であったか、それを聞いているのだ」
「妙なことを聞くじゃないか」
「そこが問題だ」
「誰がそんなことを問題にしている」
「いや、それが、なかなかの大問題になったことがあるのだ」
「どうして、それをお前が……第一、机竜之助なるものの存在を、ただいま、拙者の口から初めて聞いたお前が、あの男の容貌の美醜を論ずることでさえが奇妙なのに、それが問題になっていたというのはどこで……いつのことだ。してみればお前は、その以前から竜之助なるものを知っていたのか」
「知っていたのだ……知っていたのをお前からいわれて、今になって気のついた一人だ」
「いつ、どこで」
「大和の国、十津川のあの騒ぎの時よ。実は拙者もあの時、あの乱軍の中へまぎれ込んでいたものだ……その節、たのまれて竜之助なるものの人相書を書いてやったことがある」
 意外にも丸山勇仙が十津川話を持ち出して、その時、よそながら机竜之助にひっかかりのあったようなことをいう。
 仏頂寺弥助が、足を踏みとどめました。
 丸山勇仙が語りつづけていうことには、
「十津川の乱が平《たいら》いで後、藤堂方にたのまれて、拙者は医者の役目をしたり、書記のような真似をしていたが、その時、たのまれて人相書を幾枚も作った……そのなかに、ある少年が親とか兄弟とかの敵《かたき》だといって、人相書を註文して来たから、それを作ってやったのだが……その人の名が、たしか机竜之助、それで甲源一刀流の遣《つか》い手《て》と覚えていた。実は、乱徒のめぼしいものの人相書を幾枚も作らせられた後だから、大抵は忘れてしまっているはずだが、それだけを忘れないでいるのは、つまり、その時に問題が起ったからだ――」
「その問題は?」
「その問題が、それ、机竜之助は美《い》い男か、醜《わる》い男かという問題なのよ」
「ばかばかしい問題じゃないか」
「ばかばかしくないのだ、解釈のしようが人によって全然ちがうのだから……まず拙者がいわれるままに一枚をかいて見せると、それを見た一人が、机竜之助を、こんな美男子にかいてはいけないというのだ。けれども、いわれた通りにかけばこうなる――と主張したところが、そんな美男子ではいけないとおそろしい権幕、拙者のかいた下書をいじくり散らして、勝手な訂正を試みたものだから、それによって新たにかき直してみると、他の方面からまた苦情が出たのに、竜之助は、こんな尖《とんが》った貧相《ひんそう》な男ではないと。こいつには拙者も弱ったのだ、現在その人を見たわけではないのだからな。人の言葉によって、想像を助けられて描くのだから、どっちに附いていいかわからない。拙者がわからないばかりでなく、その席でまた問題が持上ってしまった。それでね、いったい、美男子の標準というものは、どういうのだと根本問題にまで立入って来たが、結局美醜は問題でないが、あの男が非常な魅力を持っていることは争われない、この絵にはその魅力が少しも現われていないということで、また新たに問題が湧き出した。それから拙者がいってやった、拙者は画家ではないから、その魅力なんというものは描き出せないから宜《よろ》しくたのむといってやったら、問題はまあそれだけになったが、不服は両方に残っている。人情というものは妙なものさ、竜之助非美男論者は、ほとんど絵に向って嫉妬のような気分で、どうかしてその尖《とんが》った貧相なものにしてしまいたがる……一方はまた、美と不美とは論外に置くも、ともかくもあの特有の力は表現させてもらわなければならぬ、しかるにこの絵には少しもそれが現われていない、しかしそれが無理な註文ならば、誰にも合点《がてん》されそうな、あたりまえの人相にかいた方が無事だろうと、こういうのだ」
「論より証拠じゃないか、お前は塩尻峠で何を見ていた」
「お前こそ何を見ていた」
 その時、通りかかった濠端《ほりばた》で、人が集まって大騒ぎ。二人は話をやめて、
「何だ」
「ええ、狂犬《やまいぬ》でございます」
「狂犬が、どうしたのだ」
「今、若いお侍が、狂犬を取って投げました、上の方へ遥かに飛んで、松の枝をかすめて、犬がお濠の真中へ落っこちたところであります」
「なあんだ」
 何事かと思えば犬一匹のこと。仏頂寺弥助が冷笑して過ぎて行くところへ、いったん、沈んだ狂犬《やまいぬ》が浮き上って、岸の方へ泳いで来るから、
「それ、狂犬がまた出て来たぞ、浮み上ったぞ」
 人だかりは八方へ散ると、血迷いきった狂犬は、仏頂寺と丸山をめがけて飛びかかったのを、仏頂寺が、
「ええ、畜生」
 一旦、蹴飛ばしておいて、次に踏み殺してしまいました。

         二十

 この二人が甲府の市中を進んで行くうちに、例のヘラヘラ役者の、覆面辻斬の絵看板の辻々に掲げられたのを見ると、仏頂寺が、
「この奴等、いいかげんにしないと、目に物見せてくれるぞ」
と、ちょっと凄《すご》いことを言いました。目に物見せてくれるといったところで、何といっても仏頂寺ほどの者が、ヘラヘラ役者を相手に、本式の立廻りを見せようというわけでもあるまい。何かの機会を見て、懲《こ》らしめのために、かたわ者にしてやるくらいが落ちでしょう。
 やがて、この二人が、柳町の佐野屋という宿へ着いたので、幸か不幸か、そこでバッタリ[#「バッタリ」に傍点]と落合ったのが宇津木兵馬です。兵馬も、この宿に泊っていて、もう少し先に立帰ったところでありました。
 勢い、バッタリと出会《であ》わないわけにはゆきません。出逢《であ》って見れば、一方、仏頂寺は、兵馬が修行時代に道場へ往来して、幾度も竹刀《しない》を合わせたことがあり、丸山勇仙は、十津川の時に藤堂勢に従って、書記みたような役目をつとめ、兵馬のために人相書をかいてやったこともある見知合いのなかです。
「やあ、珍しい、宇津木兵馬君、君はここに泊っていたのか」
 兵馬も、逢いたくもない相手だと思いましたが、のがれるわけにはゆきません。
「これは仏頂寺、丸山の両君」
「君の座敷はどこだ」
 仏頂寺、丸山の両人は、ほどなく兵馬の座敷へ押しかけて来ました。
 兵馬はお銀様を憚《はばか》って、次の座敷へうつしておいて、やむを得ず火鉢をすすめ、この二人に応対すると、
「宇津木君、拙者は机竜之助に出逢ったぞ、しかも最近に――」
「え」
 その言葉は、両様の意味で兵馬を驚かせました。その一つは、多年の敵《かたき》の消息。他の一つは、それを無遠慮に別室のお銀様に聞かせたくないとの心配。仏頂寺と丸山とは、そんなことに頓着なく、兵馬のために吉報をもたらしたつもりで得意になって、
「ついこの間、計らずもあの男に信州の塩尻峠の上で会ったのだが、その時は、それと気づかず、たった今、あれだなと思い出したようなわけだから、無論、おたがいに名乗りもせず、あの男の行先とても聞いてはおかなかったのを残念に心得ている。ところがここで、君に出逢ったのが勿怪《もっけ》の幸いとなった、われわれとても別段急ぐという旅ではないから、これから君と共に引返そう、引返してあの男のあとを慕ってみようではないか。君にとっては不倶戴天《ふぐたいてん》の敵、われわれも、もう一応、会っておかなければならないのだ、共に願ったりかなったりの好都合ではないか。かれはいま眼が見えぬ、眼は見えないが、その太刀先《たちさき》は少しも衰えない、次第によっては、われわれが君のため、後見の役目をつとめてもよろしい、ずいぶん、油断すべき相手ではない」
 案の如く、お銀様に聞かせたくないことを、この男はズバリズバリとしゃべってしまったのみならず、ひとり呑込みで同行をとりきめ、まかりまちがえば、助太刀の役まで引受ける気取りでいる。これは兵馬にとって容易ならぬ有難迷惑だけれども、相手が相手、ことにこう乗り気になっている際では、いやといっても付いて来るに相違ない。そこでいやでもおうでも明日からは当分、この連中と道づれにならなければならぬ運命となる。
 自分は、いいとしても、お銀様が、それは忌《いや》がるにきまっている。そこで兵馬は咄嗟《とっさ》の間《かん》にこう言いました。
「御両君の好意を有難く存じます、おかげで敵《かたき》の手がかりがついて、こんな喜ばしいことはござらぬ。ついては仰せの通り明日早々、御両君の同行を願ってここを出立したいのでござるが、ちょうど、自分はたのまれて、さるところまで人を送り届けねばならぬ責任があるゆえに、一日おくれて……」
 途中しかるべきところで落合おうということを申し出しました。
 やがて二人が帰ってしまうと、静かにお銀様が次の座敷から出て来て、
「宇津木さん、わたしの尋ねて行く人は、あなたの仇《かたき》でしたね」
「そうです」
 聞かれてしまっては仕方がない、兵馬は苦しげに白状しました。
「なんという因縁《いんねん》の戯《たわむ》れでしょうね」
「そうですね、全くなんともいえない忌《いや》な因縁になりました」
「わたしは好きな人を探しに行く、あなたは、どうでも、その人を殺さなければならないのですね」
「その通りです、彼を討たんがために、わたくしはこの年月を苦心致しました」
「けれども、わたしは、またあの人がなければ、生きていられないのですよ」
「私はまた、彼をそのままで置いては、男子の面目が立たぬのです」
「そうして、明日からの旅はどうなさるつもり?」
 これは兵馬が、お銀様に先《せん》を越されました。
「お聞きの通りです、拙者は、あの人たちと行《こう》を共にしなければなりませぬ、辞退しても聞く人たちでありませぬ。そこであなたの御迷惑を考えて、その御相談を致そうと思っていたところなのです」
「どうしても、わたしが邪魔になりましょうね」
「いいえ……私は、あなたのお心任せにするつもりでいます、場合によっては、あの者共の同行をもことわるつもりです」
「どちらにしても結果は同じことですね、わたしはあの人を取りに行く、兵馬さんはあの人を殺しに行く……全く別な目的の二人が、今まで連れ合って歩いていたのです。つまり、あなたとわたくしとは、敵同士《かたきどうし》の間でありました」
「いや、拙者は、ほかの人を怨《うら》むというべき理由を持ちませぬ……あの嫂《あによめ》でさえも……」
と、兵馬はおとなしく言いました。
「それでも、わたしは、あの人を愛します、自然、あの人の立場を危なくする者があれば、力を極めてそれを妨げるのが、わたしの仕事ではありませんか。どうしても、あなたとわたくしとは敵同士です。宇津木さん、あなたがわたくしを邪魔にしなければ、わたくしの方で、あなたを邪魔にしますよ」
「それは御随意に任せるよりほかはありません」
「わかりましたか。それでは、もうあなたとの一緒の旅は今日限り、わたくしの方からお断わりを致しましょう。そうして、これから後はおたがいに敵同士です」
「いいえ……敵《かたき》という言葉は、そう軽々しく用いるものではありますまい」
「でも、わたくしは、生ぬるいことが嫌い、この世の人は敵《てき》でなければ味方、味方でない者はみんな敵です」
「ああ、あなたの考えは偏《へん》し過ぎている、片意地過ぎているようです。拙者は机竜之助を敵《てき》とはするが、あなたを敵とする気にはなれないのです」
「わたくしは、そうではありません、味方でないものはみんな敵です……兵馬さん、お前が机竜之助を討とうとすれば、わたしはあの人の味方ですから、あなたを殺してしまいます」
「よろしい、そのお覚悟なら、それでよろしうございます、拙者もこれから、あなたを敵《かたき》の片われと見ましょう」
「それがよろしうございます。わたしはここで、人をよんで座敷を改めてもらいます、あなたにもお世話になりましたが、どうぞ、お大切《だいじ》に……」
と言って、お銀様は手を鳴らして女中を呼び、更に番頭を呼んでもらって、自分だけ座敷を改めることをたのむと、さっさと、自分のものだけを運ばせて引移ってしまいました。
 兵馬はお銀様の片意地に驚きました。けれどもお銀様を片意地の気質にさせた原因を知っているものですから、いい出した以上は、その意に任せるよりほかは仕方がないとあきらめました。
 さて、こうなってみると、有力な後援者を失った自分は、また貧寒なる一人旅のさすらいだ。しかし、もう今度こそは、相手が塩尻峠を越したことを、歴然とつかんでいる。あの峠を越した以上は、その行先こそしかとわからないとはいい条、袋の鼠のようなものである。今度こそ――という目あてがついたようなものですから、旅嚢《りょのう》の欠乏も、さのみ気にはかかりません。むしろ、ここでお銀様の方から去ってしまったことが、身軽でよいくらいのものです。
 そこで思い出して、預かっていた胴巻の金のすべてを取り出し、女中を呼んで、これをお銀様のもとへ届けさせますと、お銀様から突き戻して来て、
「そんなものは知らない」
と言ったとの返事。それではいけないと兵馬は自身|携《たずさ》えて行って渡すと、お銀様は、
「そうですか、確かにお受取り致しました」
 素直《すなお》にそれを受入れたから、兵馬はそのまま帰って来ました。
 そのあとで、今度はお銀様が改めて女中を呼んで、こういうことをたのみました、
「あの、さいぜんお泊りになった二人づれのお客様で、お一人はたしか仏頂寺様、も一人のお方は丸山様とかおっしゃいましたが、その方に、わたくしが内緒で、ちょっとお目にかかりたいのですが、伺ってよろしうござんすかどうか、お聞き申してみて下さい」
 女中は、そのたのみを心得て立去ろうとするのを、お銀様がまた呼びとめて、
「それから、お伺いしてよろしければ、まことに失礼でございますが、怪我を致しておるものですから、これをかぶったまま失礼を致したいが、このことをお聞き入れ下さるように申し上げておいて下さい」
と念を入れてたのみました。
 仏頂寺と丸山は、見知らない婦人の人が面会をしたいとの申入れを聞いて、不思議に思いました。けれども、辞退するガラでもないから、直《ただ》ちに承知の旨を答えると、そこへお銀様がやって来て、
「御免下さいませ、さきほど、使を以てお願いに上らせましたのを、お聞届け下されて有難う存じます、その節、併せてお願いを致しました通り、少々怪我を致しておるものでございますゆえ、このままで失礼を、おゆるし下さいますように」
 見れば品のよい令嬢姿の女が、顔にはお高祖頭巾《こそずきん》をかぶったままでの、しとやかな挨拶です。二人は一議にも及ばず、
「いかなる御用か存ぜねども、まずこれへお通り下さるよう」
 火鉢の間を分けて、お銀様を招じました。そこでお銀様が二人に向っての頼みというのは、こうです。
 自分は宇津木兵馬の連れの者であるが、兵馬は机竜之助を敵《かたき》と狙《ねら》っていること御存じの通り。自分としては、そのいずれをも傷つけたくない心持であること。
 ついては、あなた方のお計らいで、どうか二人を近づけないようにしていただきたい。自分としては、どちらが傷ついてもいやである。しかし、二人は近づかねばならぬ運命が迫っている。近づけばいずれかが傷つくか、両方が倒れる。それをさせないのは、一《いつ》にあなた方の方寸である。どうか、あなた方の計らいで、宇津木兵馬を机竜之助のそばへ寄せないようにして下さるわけにはゆくまいか。結局これが私の願いでもあり、おたがいのためでもある……ということを、お銀様は言葉をつくして二人に説きました。
 二人は、お銀様のハッキリした語調と、情理ある頼み方に感心しているところへ、お銀様はさいぜん兵馬から受取った路用の全部を、二人の前に提出して、
「これはあの宇津木のために、あなた方がお預かりの上、御自由に処分をなすって下さい」
 仏頂寺と丸山は、眼を見合わせました。

         二十一

 あれから二十日あまりたって、田山白雲は洲崎《すのきき》の駒井甚三郎を訪れました。
「どうです、よい収穫がありましたか」
 駒井から問われて、
「ありました」
「それは結構です。まあ、こちらへ来て、ゆっくりと旅行談をお聞かせ下さい」
 そうして、白雲は、駒井の応接室へ来て、卓《たく》を隔てて椅子に身を載せて相対すると、そこへ金椎《キンツイ》が紅茶と麦のお菓子を持って来て、出て行ってしまいました。
「あなたと別れてから、保田《ほた》へ参りましてな、岡本兵部というものの家へ、取敢えず草鞋《わらじ》をぬぎましたが、そこでまず二つの収穫を得ました」
「そうでしたか、その二つの収穫とは何と何です」
「一つはあの家に秘蔵の仇十洲《きゅうじっしゅう》の回錦図巻と、もう一つはあの家の娘です」
「ははあ」
「仇十洲は御存じの通り、仇英《きゅうえい》のことで、明代《みんだい》四大家の一人です……」
 田山白雲は行李《こうり》を開いて、画帳一冊を駒井の前に置くと、駒井はそれを開いて、まず眼に触れた開頭の文章を読んでみました。
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「仇英、字《あざな》ハ実父、十洲ト号ス、太倉ノ人、呉郡ニ移リ住ム、呉派ノ第一流トイハレシ周東村ニ学ビ、人物鳥獣、山水楼観、旗輩車容ノ類、皆、秀雅鮮麗ト挙ゲラレ、世ニ趙伯駒ノ後身ナリト称セラル、特ニ流麗細巧ヲ極メシ歴史風俗画ニ於テハ艶逸比スべキモノナク、明代工筆ノ第一人者トイフベシ。伝フル所、士女雅宴、楼閣清集等ヲ画ケルモノ多シ……」
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 駒井がそれを読んでいると、白雲は改めていうよう、
「それと、もう一つは岡本兵部の娘です、あれが、なかなかの傑作でした」
「それは、どういう意味でです」
 駒井は画帳を見ながら、岡本兵部の娘の、傑作という文句の意味を問い返すところへ、
「風呂がわきました」
 扉を押して金椎が顔を見せたものですから、駒井は、その方へ向いてうなずいて見せ、次に白雲の方に向き直り、
「風呂がわいたそうですが、おはいりなさってはどうです」
「イヤ、それは有難い、なにぶんこの通りですから……」
 白雲は喜んで立ち上りました。久しく湯の中をくぐらなかったので、身体《からだ》がウザついて来たと見え、お辞儀を忘れて立ち上り、
「遠慮なしに頂戴致しましょう」
「風呂場はあちらです……それから今のあの少年が世話をしてくれますが、あれは耳が聞えない聾《つんぼ》ですから、用事があったらば、手まねで差図をして下さい」
「承知致しました、それではお先に御免をこうむります」
 白雲が風呂場へ立ってしまったあとで、駒井は田山白雲の画帳を、物珍しくいちいち見て行きました。
「これは見たような女だ」
 駒井が、じっと見入ったのも道理、そのうちに一枚の美人の首だけがありました。
 これは模写でもなければ、想像でもありません。まさしく、モデルがあって描いておいたスケッチの類である。しかもその美人の面影《おもかげ》に、どうも見覚えがある――と思ったが、駒井は、咄嗟《とっさ》には思い出せませんでした。しかし、それも、もう一枚めくって見れば、難なく解決されたことで、そこには前に首だけ写生しておいた美人の全身が、妙な旋律を起しながら、胸に物を抱いて、舞を舞うているところが描かれてありました。
 暗澹《あんたん》たる燈火の下で、栄之《えいし》の絵にあるような、淋しい気品のある美人が踊っている。その両袖にしかと抱いているのは人形の首――ではない、乾坤山日本寺《けんこんざんにほんじ》の羅漢様の首。ははあ、白雲はあの狂女をつかまえたのだなと駒井が合点《がてん》しました。
 風呂から上って、駒井甚三郎の衣裳を着せられた田山白雲の形は、珍妙なものとなりました。それは白雲が大兵《だいひょう》の男であるのに、駒井の普通の丈《たけ》は合わず、ことに着慣れない筒袖が、見た眼よりも着た当人を勝手の悪いものにして、ちょいちょい肩をすぼめてみる形が駒井を笑わせる。
「あれから小湊《こみなと》へ参りました」
 白雲は、風呂へ入る以前の岡本兵部の娘の解釈はもう忘れてしまって、早くも話が小湊の浜まで飛んで行きました。
「小湊は、どうでした」
「あそこには長くおりましたよ、十日も逗留《とうりゅう》して、毎日、波ばかり描いていました。これがその波です」
といって白雲は行李《こうり》の中から、また別の画帳一冊を取って、駒井の前に置くと、
「なるほど」
 駒井はそれを受取ってひもといて見ると、一枚一枚にみな海の波です。
「小湊の浜辺は不思議なところで、あそこへ立ってながめていると、あらゆる水の変化を見ることができますな。水が生きている、ということを如実に見て取ることができます。水が生きている、という言葉は面白い言葉です、私が発明したのではありません、ある片田舎《かたいなか》の子供が発明したのです。沼と、池と、水たまりのほかに知らなかった子供が一朝、海のそばへ連れて来られて、最初に絶叫したのがこれです、ああ水が生きてる! この破天荒《はてんこう》の驚異、生きてるという一語は、われわれには容易に吐くことができません。しかし、小湊《こみなと》の浜へ立って見ると、はじめて水が生きている、生きて七情をほしいままに動かしているということを、確実に感受せずにはおられません。まず脈々として遠く寄せて来る大洋の波ですな、あれが生けるものの本体で、突出する岬と、乱立する岩に当って波がくだけると怒ります……波濤《はとう》の怒りは、この世に見る最も壮観なるものの一つですね。堂々として、前路における何物をも眼中に置かずに押しかけて来るところが壮観です。来って物に当ると怒って吼《ほ》えます、そうして、たとい乱離骨灰に崩れても、崩れるその事が壮観たることを失いませぬ。忿怒上部《ふんどじょうぶ》の諸天は、怒りのうちに威相と慈愛とを失わないものですが、波濤の怒りはそれに似ていますな、われわれに壮観を与えて威嚇《いかく》を弄《ろう》さない、戦闘を教えても執念を残さない。巨人の心胸は、さながら怒濤そのもののようです」
 田山白雲はこういって、幾枚も幾枚ものうち、波の怒れる部分だけを取って、駒井の前に積みました。とても筆では間に合わない……といった心持に迫られながら……
 駒井は与えられた絵をいちいち取って、仔細にながめていると、白雲は言葉をついで、
「しかし、海を怒るものとばかり思ってはいけません、歌うものです、泣くものです、笑うものです、また戯《たわむ》るるものです……これを御覧下さい」
と言って白雲は、別に一枚を取って駒井の前にのべながら、
「そうです、海は戯るるものです。戯るるものということを、私は小湊の浜辺でほどよく見たことはありません。御覧下さい、これがその心持をうつしたつもりなのですが、どうして拙者共の筆では……海の怒りはともかくその髣髴《ほうふつ》をうつすことができても、その戯ればかりは、とても、とても……」
 白雲は一枚一枚と、いわゆる海の戯れを駒井の眼前に並べました。
 それは今までと違って、奇岩怪礁に当って水の怒るところとは打って変り、岸辺の砂浜に似たところや、板のような岩の上や、岩と岩との狭間《はざま》に打ち寄する波のあまりが、追いつ追われつしているところを描いたものです。
「ここには海の※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]徊《ていかい》があります、ここには海の静養があります、ここには海の逃避……」
 田山白雲は、着物のゆきたけの合わないこともすっかり忘れてしまいました。
「そういうふうに、小湊の海の浜辺に立つと、あらゆる水の躍動が見られるものですから、つい十日あまりを水の写生で暮してしまいました」
 駒井甚三郎は始終受身で、白雲の語るだけのことを語りつくすまで聞いてしまおうとの態度です。客を好まない人も、客の性質によっては、その貴重な研究の時間をいつまでも、それがためになげうって悔いないだけの余裕はあるようです。
 白雲は興に乗じて語りつづけました。
「われわれの写すところは、形と色とだけの世界ですが……そこで小湊の浜辺には、あらゆる波の形が存在しているとすれば、おのずから、あらゆる波の色も存在している道理でしょう。西洋の画家は色を研究します、東洋とても色を蔑《ないがし》ろにはしませんが、形を写せば、色はおのずから出て来る道理です」
「そうはゆきますまい」
 駒井はこの時、軽い抗議を挟みました。
「どうしてです」
 白雲は熱心な眼をかがやかせて、駒井の抗議を食いとめながら、
「どうして形を写して、色が現わせないのですか」
 改めて見直すまでもなく、白雲の描いた海は、一枚として着色のものはありません、みんな墨で描いたものばかりです。その点を駒井はいいました、
「桜の花だけを描いて、淡紅《たんこう》の色が出ますか、海の動きだけを写して、青く見えますか」
「そこです――」
 白雲は膝を進ませて、
「そこです、私の描いたものにそれが現われなければ、私の恥辱です。森羅万象《しんらばんしょう》をいちいちそれに類似した色で現わさねばならぬという仕事は、私にいわせると細工師《さいくし》の仕事で、美術の範囲ではありません。私は墨で描いたこの海の波に、いちいちの色の変化を現わしたつもり――でなければ現わすつもりでかきました、色ばかりではない、音までも……」
といって白雲は、何か急に悲しい色をその熱した満面に漲《みなぎ》らせ、
「音までも……といいたいのですが、不幸にして、私には辛《かろ》うじて高低の音階の程度だけしか出すことはできません。音律はある程度まで現わし得るかも知れませんが、音相に至っては、今のところ呆然自失《ぼうぜんじしつ》するばかりです。悲しいことです。この悲しさを今回の旅が、つくづくと私に教えてくれました」
 こういった時の白雲の面《かお》は、言おうようなき悲壮なものにうつりましたから、その論旨はわからないながら、その悲壮な色に駒井が動かされました。
 田山白雲は眼の中に涙をさえたたえて、言葉をつづけます、
「私が、浜辺に立って熱心に写生を試みていますと、一人の居士《こじ》が来ていいますことには、田山さん、あなたこの波の音を聞いてどう思いますか……と、こう問われたのです。そこで、ちょっと挨拶に困っていますと、この小湊の浜の波の音は、ところによって違います、あちらの沖で打つ波は、諸法実相と響きます、ここで聞いていると、他生流転《たしょうるてん》の響きに変りますね、汐入《しおいり》の浜では、歴劫不思議《りゃくごうふしぎ》が聞え、妙《たえ》の浦《うら》では南無妙法蓮華経が響きます、そのつもりで波の音を聞きわけてごらんなさい……こういわれましたから、私はナーニとその時は思いましたね、波の音にまで、そんな線香くさい響きがするものかと、その時は頭からばかにしてかかると、その居士《こじ》がいいましたよ、田山さん、あなたは水が生きている、波が七情をほしいままにしているといったではありませんか、生きているものの音《おん》に七情の現われはありませんか?……と、こういわれて私はハッと気がつきました。それお聞きなさい、大海の波の音が、今、諸法実相を教えていますといわれたとき、ゾッとしたのです」
 田山白雲は、大《だい》の身体《からだ》をゆすぶって、その目から涙をこぼして、拳をわななかせました。
 田山白雲は暫くして、昂奮から醒《さ》めたように冷静になって、
「日蓮の遺文集を読み出したのは、小湊滞在中の記念です。私はその十日の間に、日蓮の遺文全部を読みました。片田舎の子供が初めて海を見て、水が生きてる! といったように、人間が生きている! と腹のドン底から動かされたのは、その時です」
と言って白雲は、また行李の中をさぐって、別に一小冊子をとりだしつつ、
「駒井さん、あなたは日蓮をお読みになりましたか。日蓮をお読みになるならば、直接にその遺文集を読まなければなりません、後人の書いた伝記、注釈、すべて無用です。また騒々しいお会式《えしき》の太鼓の雑音の中で、凡僧の説教や、演劇の舞台や、土佐まがいのまずい絵巻物の中から、日蓮上人を見てはいけません。私が泊っていたところの居士が、私に日蓮上人の遺文集全部を貸してくれたものですから、幸いにそこで私は、生ける日蓮にお目にかかるの機縁を得たことを、感謝せずにはおられません」
「それは非常によいことです」
 駒井がそこへ言葉を挟んでいうことには、
「おそらく、あなたの今度の収穫中、それが第一のものでしょう。私もまだ日蓮の概念を知って、内容を知らないものです、あなたの日蓮観をお聞かせ下さい」
「よろしうございます。私は、ほとんど幾晩も徹夜して、この通り、遺文集全部の中から、書き抜いて持っております、日蓮を説明するには、やはり日蓮自身をして説明せしむるより、よきはなかろうと思います」
 白雲の取り出した小さな本は、今度のは絵ではありません。よき根気を以て書いた細字の、数百枚をとじた小本でありました。
「幸いに、拙者を泊めてくれた居士は、まだ世間に流布《るふ》されていない秘本をずいぶん持っていましたからね……『日蓮ハ日本国東夷東条安房ノ国海辺ノ旃陀羅《せんだら》ガ子ナリ!』これは佐渡御勘気鈔《さどごかんきしょう》という本のうちにあるのです。『イカニ況《いはん》ヤ、日蓮|今生《こんじやう》ニハ貧窮下賤《ひんぐうげせん》ノ者ト生レ旃陀羅ガ家ヨリ出タリ。心コソ少シ法華経ヲ信ジタル様ナレドモ、身ハ人身ニ似テ畜身ナリ……』と、これが日蓮自身の名乗りなのです。この名乗りを真向《まっこう》にかざして、一世を敵にして戦いをいどみました。日本という国は、幸か不幸か系図を貴ぶ国柄で、たとえば征夷大将軍になるには、どうしても源氏の系統をこしらえなければならず、たまたま土民の中、乞丐《きっかい》の間から木下藤吉郎のような大物が生れ出でても、その系図の粉飾には苦心惨憺したものです。人間をかざるものが主となって、人間そのものが従になるのです。ですから後光《ごこう》と肩書があって初めて人間が光るので、人間そのものの本質を、泥土の中から光らせるという本当の人間がありません……そこへ行くと日蓮は巨人です、日蓮にもったい[#「もったい」に傍点]らしい系図書をくっつけたのは、みな後人の仕事で、日蓮自身の遺文のどこを読んでみても、おれの先祖は誰々だと誇張したところは一カ所もないのです。私は、小湊《こみなと》、荒海《あらみ》、天津《あまつ》、妙《たえ》の浦《うら》あたりの浜辺に遊んでいる真黒なはなたらしの漁師の子供を見るたびに、聖日蓮ここにありと、いくたび感激の涙をこぼしたか知れません。万代不朽の精神界の仕事をする人にとっては、徹底的の卑賤の出身が、どのくらい幸福であるか知れないということを、特に日蓮において、私は衷心《ちゅうしん》にきざまれました……徹底的のところには、すべての人間相が、少しも姿を隠さずに、眼前に現われて来ます、誰も荒海の漁師の子に、阿媚《あび》と諂佞《てんねい》を捧げるものはありません、真実は真実として、虚偽は虚偽として、人間相そのままが、人間を教育してくれるのです」
 そこへ金椎《キンツイ》が日本のお茶を持って来ました。
 お茶を置いて金椎が、丁寧なお辞儀をして出て行ってしまうと、駒井甚三郎は、そのお茶を白雲にすすめ、自分もすすって、
「今の少年が、あれで熱心な切支丹《きりしたん》の信者なのです、イエス・キリストの……」
と言いますと、
「ははあ」
 熱している面《かお》をさましながら白雲は、気のあるような、ないような返事。
「あれの語るところによると、イエス・キリストも、また、微賤なる大工の子の出身だといっています、そうしてキリストが、世界の歴史を両分し、人間の心を支配しているのだというようなことをいっています」
「ははあ」
 白雲は再び、気のあるような、ないような返事でしたが、急に思い立ったように、
「そうです、そうです。私はキリストのことをよく知りませんけれど、なんにしても西洋の数千年来の文明を指導して来たのですから、そのくらいの抱負はありましょう。日蓮も言っています、『我レ日本ノ柱トナラム。我レ日本ノ眼目トナラム。我レ日本ノ大船トナラム――』これは開目鈔《かいもくしょう》のうちにあります。『日蓮ハ日本国ノ棟梁《とうりよう》ナリ、予《われ》ヲ失フハ日本国ノ柱幢《はしら》ヲ倒スナリ――』これは撰時鈔《せんじしょう》――」
 白雲は再び小冊子をくりひろげて、いちいち書抜きを指点しながら、
「ともかく、こういう真実性を持った巨人が現われて来ますと、凡俗は驚きますよ。人間が生きている! というわれわれの無邪気なる驚異で済まされないのは、その立場をおびやかされやしないかという小人ばらの恐怖です。多年、糊で固めておいた自分たちの立場が、この巨人のために一息で吹き飛ばされては大変だ。そこで狼狽《ろうばい》がはじまります、そこで小人が巨人を殺しにかかります」
「どうも困りものですね、巨人も小人も、共に生きてゆくわけにはゆきませんか」
 駒井が浩嘆《こうたん》すると白雲が、
「それをするには巨人が韜晦《とうかい》して隠れるよりほかはありません……ところが日蓮においては、それが反対で、巨人自身があくまで戦闘的に出でたのですからね、たまりません……しかし、この巨人は、秀吉のように、家康のように、武力を持っているわけでもなんでもなく、前に申す通り旃陀羅《せんだら》の子ですからな、ほんとうに素裸《すっぱだか》です。しかるに敵はあらゆる武器を利用することができます」
といって白雲はお茶を飲みました。そうして嘯《うそぶ》くように気を吐いて、外をながめると、ちょうど窓の開いてあったところから、かぎりもない外洋の一部が眼に入って、そこから心地よい海の風の吹いて来るのを感じました。
「これは日蓮自身もいっています――世には王に悪《にく》まるれば民に悪まれない、僧に悪まれる時は俗に味方がある、男に悪まれても女には好まれ、愚痴の人が悪めば智人が愛するといったふうに、どちらかに味方があるものだが、日蓮のように、すべて悪《にく》まれる者は、前代未聞にして後代にあるべしともおぼえず……生年三十二より今年五十四に至るまで、二十余年の間、或いは寺を追い出され、或いは所を追われ、或いは親類を煩《わずら》わされ、或いは夜打ちにあい、或いは合戦にあい、或いは悪口《あっこう》かずを知らず、或いは打たれ、或いは手を負う、或いは弟子を殺され、或いは首を切られんとし、或いは流罪《るざい》両度に及べり、二十余年が間、一時片時も心安き事なし――『日本国ハ皆日蓮ガ敵トナルベシ――恐レテ是ヲ云ハズンバ、地獄ニ落チテ閻魔《えんま》ノ責ヲバ如何《いかん》セン――』これですから堪りません、悪《にく》まれます――しかし、駒井さん、薄っぺらの、雷同の、人気取りの、おたいこ持ちの、日和見《ひよりみ》の、風吹き次第の、小股すくいの、あやつりの、小人雑輩の、紛々擾々《ふんぷんじょうじょう》たる中へ、これだけの悪まれ者を産み出した安房の国の海は光栄です。今でも小湊の浜辺に立ってごらんなさい、われは日本の柱なりという声を聞かずにおられませんよ」

         二十二

 田山白雲は、ここに当分足をとどめることになって、駒井の造船所を見たり、附近の名所をさぐったり、或いは一室にこもって、駒井のために何か一筆をかき残して置くといっていました。
 白雲の給仕役は例の金椎《キンツイ》です。まもなく白雲と金椎とは心安くなりました。
 今日は白雲が一室にこもって、長い筆をふるいながら絵をかいている。絵をかきながら鼻唄をうたっている。
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ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条|長田《おさだ》へ魚《とと》買いに……
[#ここで字下げ終わり]
 そこへ不意に駒井甚三郎が入って来て、
「田山氏、鉄砲の試験をするから、見に行かないか」
 駒井はこの頃、小銃の製造に苦心していたが、それが出来上ったと見えて、白雲に同行をうながすと、
「お伴《とも》しましょう」
 白雲は直ちに絵筆をなげうちました。
 駒井は軽装かいがいしく、一挺の鉄砲と弾薬を用意して出かけると、白雲は例の駒井から借着の筒袖のつんつるてんで、そのあとについて行きます。
「駒井さん、僕はこういう岩畳《がんじょう》な身体《からだ》をして美人を描いているのに、あんたは虫も殺さないような顔をしていながら、殺生《せっしょう》な武器を作るのですね」
と白雲が言いますと、駒井が、
「なるほど、そういわれればそうですね」
 ほどなく馬場のようなところへ来て見ると、射撃の練習は今にはじまったことではないと見えて、場の一方に的《まと》が幾つもかけてありました。
 ここで駒井が三十間、五十間、百間と位置をかえて鉄砲を打つのを、田山白雲が見て感心しました。
「なるほど、商売商売だ」
 小さな厚紙の的をかけて置いては、それを、パチリパチリとうちおとしてゆく駒井の手腕は鮮かなもので、全く風采《ふうさい》に似合わないはなれ業《わざ》であると感心しないわけにゆきません。ことにこの鉄砲そのものが自分の手で作られ、英国製のスナイドルというのを分解して、それに自分の意匠を加えたものだと聞いては、舌をまかずにはいられません。
 すべて人は、自分の持っていない知識経験には、ことに驚嘆し易《やす》いもので、その驚嘆から、嫉妬も起れば、尊敬も湧くものでありますが、田山白雲が、駒井甚三郎に大なる敬意を持ったのは、この鉄砲の手腕から起りました。
「着弾距離はどのくらいですか」
「左様、これは六百間までは有効のつもりですが……」
「従来のものとの比較はどうですか」
「それは着弾距離において、三分の一以上はすぐれているでしょう、しかし、特長はこの元込《もとご》めにあるのです、これがもう少し思うようになると、日本の戦争が一変します」
「なるほど」
 白雲は銃を駒井の手から借受けて、つくづくとながめて感心をつづけていると、駒井は、ただいま船に据《す》えつける大砲を工夫中であるから、出来上ったら海上へ向けて試射をするから、見て下さいといいました。うちみたところ、瀟洒《しょうしゃ》たる貴公子であるこの人が、なかなか恐ろしい武器の製造者であることを、白雲はいよいよ驚いていると、
「短銃を一つ試験してみましょうか。西洋のピストルです、日本の懐鉄砲《ふところでっぽう》というやつですね」
といって駒井は懐中へ手を入れて、革袋の中から取り出したのが、コルト式の五連発であります。この人は常にこれを懐中にたくわえているらしい。そうしてズンズン的場《まとば》の板のところへ進んで行って、白墨で粗末な人形を一つかいて置いて、十歩の距離に立戻り、
「あの眼をうってみましょうか」
 無雑作《むぞうさ》に切って放った一発が、まさに人形の眼に当りました。
 駒井甚三郎は五連発のピストルを三発打って、あとの二発を白雲に打たせました。そうしていうことには、
「これは今、日本へ渡っている短銃のうちでは最新式のものですが、西洋ではその後、どんな進歩したものが発明されているかわかりません。私の考えでも、いちいちこうして使用したあとで、ケースを抜き取って弾薬を詰めかえる手数が、もう少しなんとかならないかと思います。それと、もう少し形を小さくし、量を軽くしたいものだと思います。その方針で研究していますから、そのうち相当の改良を加えてみるつもりです。今のところは、この小銃と大砲の方へ力を注いでいるものですから、これで満足しているほかはありませんが、これはゆくゆく、てのひらの中へ握り切れるほどの小さなものにして、そうして、威力が減じない程度に改良され得るだろうと思っています。ですからピストル――日本ではそういっていますが、やはりピストルですね、もとはイタリーの地名から出たので、短銃という意味はないのですが、将来はむしろ拳銃とでもいった方が適切になるでしょう――要するにピストルは、進歩するほど小さくなるのが原則であり、大砲は、いよいよ大きくなるのが進歩であります……大砲の工場をひとつ見て下さい」
 駒井は的板《まといた》の下に立てかけた小銃を取って先に立つと、白雲はピストルを持ちながら、的板の弾痕を調べて見ると、いずれも一寸の厚みある板を、無雑作にうちぬいていました。
 こうして二人はブラブラと小さい丘を上り、海岸の造船所に近いところに設けてある駒井甚三郎の鉄砲工場の方へ歩いて行きます。
 駒井甚三郎は、江川、高島の諸流を究《きわ》め、更に西洋の最新の知識を加えて、その道では権威者の随一でしたが、以前は幕府というものが後ろにあって、研究にも、実際にも、非常に便宜を与えられていましたが、今はそうはゆきません。
 工場といっても、ささやかなものではありますが、その道の鍛冶をつれて来たり、自身が素人《しろうと》を教育したりして、ともかく、十七間の船に備えるほどの大砲を修理する設備が整うているのであります。
「これはカノーネルの一種で、関口の大砲製造所で作らせたうちの一つを持って来て、修理を加えているのですが、海軍砲としては最小のもので、万一の際、これが一つ有ったからとて、大した力にはなるまいが、それでもないにはまさると思って工夫を加えています。近々出来上り次第、試射をやってみるつもりですから、田山さん、あなたもぜひ、それまで逗留《とうりゅう》して見て行って下さい……それから、あの船を動かす機関ですが、これは、やっぱり石川島造船所へ伝手《つて》があって払下げてもらった品に、自分相当の工夫を加えているのです。そうですね、大砲の方は近々……船の一切が整うは多分来年の四月頃になりましょう。その時はひとつ進水式をやりますから、また見に来て下さい」
「承知致しました、ぜひそれは見せていただきます。ただ見せていただくだけでは気が済みません……私も、その船の乗組の一人に加えていただけますまいか、どこへでもお伴《とも》を致しますよ」
「そうですか、あなたのような乗組員を得ることは、船のため仕合せですから、私の方から希望を致したいのですが、いかがです、あなたはよくても家族の方が……」
「左様……」
 そこで白雲が、家族のことを考えさせられました。この男とても、大空にただよう白雲の如く、行くも、とどまるも、自由には似ているが、自由ではないのが人間の原則です。
 浅草の露店の時に伴うていた妻子ある以上は、この人の帰りを待っているに相違ない。この人を柱とも杖ともたよっているに相違ない。
「それはなんとか始末をしておきますよ」
 こういう話をしながら、二人は海岸へ出ました。

         二十三

 武州大宮へ参拝した道庵先生は、それを初縁として、今後沿道の神社という神社には、少々は廻り道をしても参拝して行こうとの案を立てて、有無《うむ》をいわさず、米友にも同意をさせました。
 道庵が、こういう敬神思想を発揮するようになったのは、いつもの茶気とばかり見るわけにはゆかない。道庵も実はこのごろ、つくづくと考えさせられているのです。
 考えた結果は、どうしても日本国には、敬神思想を普及せしめなければならぬとの確信を得たものらしい。
 というのは、道庵も十八文で売り出したり、貧窮組のリーダー気取りになってみたり、またデモ倉や、プロ亀あたりとも交際をしてみたが、どうもあんまりたのもしい気がしない。
 デモ倉や、プロ亀ときては、新しい方へ頭をつっこんで、かなり鼻っぱしが強いかと思うと、風向き次第で、からっきし腰が据っていない。そのくせに人をおだてたり、あやつってみようとするケチな了簡《りょうけん》がある。そこで道庵が気がつきました。
 あいつらは平民の味方でも何でもないのだ。飯の種に新しいことを饒舌《しゃべ》り廻るだけで、たとえば大塩平八郎みたように、イザといえば、身を投げ出してかかる代物《しろもの》ではなく、佐藤|信淵《しんえん》のように、経済論から割り出そうという代物でもない。デモの調子のいい時はデモ、プロの風向きのよかりそうな時はプロ、つまり時の運気につれて飛び廻る蠅だ。あんな奴等の存在することは、本当の平民社会の信用を害し、その実際精神をさまたげ、かえって、人間に貴重な忍耐とか、奉公心とかいう方面の徳をすり減らすだけが能だ。
 本来、人間というものは、まだそう完全には出来ていないのだから、畏《おそ》れるところを、知ったり、知らしめたりして、つつましやかな徳を、持たせたり、持ったりしなければ、この社会が成り立つものでないということを、道庵先生がこのごろ思いつきました。
 といって、畏れというのは、サーベルや、鉄砲で脅《おどか》すことではない。権柄《けんぺい》ずくで人民を圧制することでもない。神ほとけを信仰して、畏れる心がほんとうに起らなければならないということに、道庵先生が気がつきました。
「べらぼう様、神様ほとけ様が無《ね》えなんというやつがあるものか、お天道様や水は誰がめぐんでくれたんだ、人間が神様をまつるのは、勿体《もってえ》ねえという心の現われなんだ、勿体ねえという心を持たねえ奴は物を粗末にする、物を粗末にする奴は人間を粗末にする、人間を粗末にする奴は国を粗末にする、国を粗末にする奴が、神様を粗末にするんだ」
 道庵一流の論法でおしきったはいいが、この案が通過すると共に、路傍の稲荷《いなり》や荒神様《こうじんさま》にまで、いちいち幣帛《へいはく》を奉って行くから、その手数のかかること。気の短い同行の米友がかなりの迷惑です。それでもいちいち道庵並みに、神という神にはみな拝礼を遂げて、武州|熊谷《くまがや》の宿へ入りました。
 ここでは規定の神社参拝のほかに、熊谷蓮生坊の菩提寺《ぼだいじ》なる熊谷寺《ゆうこくじ》に参詣をしようと、二人が町並を歩いて行くと、一つの芝居小屋がありました。
 おびただしく市川|某《なにがし》の幟《のぼり》を立てた芝居小屋の前を通ると、小屋の窓から首を出していた一人の気障《きざ》な男を道庵先生が見て、
「あれ……あれは水垂《みずたり》のげん[#「げん」に傍点]公様じゃねえか」
といって、ちょっと足を停めました。
 水垂のげん[#「げん」に傍点]公というのは、江戸ッ児気取りで、人を見ると二言目には百姓といいたがる気障な奴で、そうかといって、当人は芝居の台本を作るだけの頭はなく、劇評をするだけの腕もなく、演芸の風聞を聞きかじっては、与太を飛ばしたり、捏造《ねつぞう》をしたりして得意がっているが、それも旧式の下品な半畳で、とても今時の表へ出せる代物《しろもの》ではないが、ある大劇場に長くいた年功で、鼻ッぱしが強く、江戸ッ児をその鼻の先にかけているのですが、もし、勝海舟や栗本鋤雲《くりもとじょうん》あたりを江戸ッ児の粋《すい》なるものとすれば、この水垂《みずたり》のげん[#「げん」に傍点]公の如きは、下等な江戸ッ児の見本でしょう。その意味で道庵先生が知っているのです。
 大宮から上尾《あげお》へ二里――上尾から桶川《おけがわ》へ三十町――桶川から鴻《こう》の巣《す》へ一里三十町――鴻の巣から熊谷へ四里六町四十間。
 熊谷の宿《しゅく》を通りかかって、芝居小屋の前で、気障《きざ》な男の水垂のげん[#「げん」に傍点]公を見た道庵先生が、
「どうもいけねえ、昔はそれ、芝居に、なかなか見巧者《みごうしゃ》というやつがいて、役者がドジをやると半畳をうちこんだものだが……そいつが隙《すき》がなかったね、聞いていて胸の透くようなやつがあったくらいだから、役者にもピンと来て、悪くいわれてもはげみ[#「はげみ」に傍点]にならあな、舞台に活気も出て来れば、お客も喜ばあな、うちこむ当人も無論いい心持で、それを見得《みえ》にやって来るところが可愛いものさ。ところが今時の半畳屋と来た日にゃ、下等でお話にならねえ、時代が変っているのに頭がなくて、鼻っぱしだけがイヤに強く、人のイヤ[#「イヤ」に傍点]がるようなことをいえば、それで抉《えぐ》ったつもりでいる。あのげん[#「げん」に傍点]公様などがいいお手本さ、あの男の口癖が、二言目には百姓呼ばわりで、あれで江戸ッ児専売のつもりなんだから恐れ入る。なにもげん[#「げん」に傍点]公に恩も怨《うら》みもあるわけじゃねえが、あんな下等なのがおおどころにブラ下っていると、芝居道の進歩の邪魔になる、芝居の方も、も少し向上させなくっちゃいけねえね」
といいました。つまり先生の心持では、あらゆる方面に気を配って、それに親切を尽してやりたいところから、こういう半畳屋を憎む心になったのでしょう。悪く取ってはいけません。
「しかし、そういう下等な奴は下等な奴として、本当の江戸ッ児にはいいところがあるよ、本当の江戸ッ児にはどうして……」
といっているうちに、道庵先生が急に頤《おとがい》を解いて、米友を吃驚《びっくり》させるほどの声で笑い出しました、
「アハハハハハハハ」
「何だ、先生、何がおかしいんだい」
「米友様、あれ見ねえ、あの幟《のぼり》をよく見ねえな」
といって道庵先生が、芝居小屋の前に林立された役者の旗幟を指さしましたが、それをながめた米友には、別になんらの異状が認められません。どこの芝居小屋にもあるように、景気のよい色々の幟が、役者の名を大きく染め出して林立しているばかりです。
「う――ん」
といって、先生がおかしがるほどの理由を、その幟の中から見つけ出すことに、米友が苦しんでいると、
「アハハハハハハハ」
と道庵がわざとらしく、また大声で笑い、
「米友様、よくあの幟《のぼり》の文字をごらん、市川|海老蔵《えびぞう》――と誰が眼にも、ちょっとはそう読めるだろう。ちょっと見れば市川海老蔵だが、よくよく見ると、海老の老《び》という字が土《ど》になっていらあ。だから改めて読み直すと市川|海土蔵《えどぞう》だ、海土《えど》の土の字の下へ点を打ったりなんかしてごまかしていやがら。変だと思ったよ」
「そうかなあ」
 道庵にいわれて米友が、改めてその文字を読み直してみると、なるほど、海土蔵と書いて、海老蔵と読ませるようにごまかしてある。しかし、米友はごまかしてあったところで、ごまかしてなかったところで、道庵先生ほどにそれをおかしいとも悲しいとも思いません。
 というのはこの男は、まだ生れてから芝居というものを見たことのない男ですから、海老蔵が海土蔵であろうと、海土蔵が江戸ッ児であろうとも、大阪生れであろうとも、いっこう自分の頭には当り障りのないことですから、「そうかなあ」で済ましてしまいました。
 これには道庵も張合いがなく、さっさと歩き出して、テレ隠しに、一谷嫩軍記《いちのたにふたばぐんき》の浄瑠璃《じょうるり》を唸《うな》り出しました、
「夫の帰りの遅さよと、待つ間ほどなく熊谷《くまがい》の次郎|直実《なおざね》……」
 変な身ぶりまでして歩くほどに、やがて蓮生山熊谷寺《れんしょうざんゆうこくじ》の門前に着きました。
 道庵と米友は蓮生山熊谷寺に参詣して、熊谷次郎直実の木像だの、寺の宝物だのを見せてもらい、門前の茶店へ休んで、名物の熊谷団子を食べておりますと、そこへ若いのが四五人入り込んで来て、同じように熊谷団子を食べながら、威勢のいい話を始めました。
 それを道庵先生が聞くともなしに聞いていると、いずれも熊谷次郎に関する話で、なんでもこの若い人たちは演劇の作者連で、旧来の一谷嫩軍記《いちのたにふたばぐんき》では満足ができないから、直実に新解釈を下したものを書こうとして、わざわざここまで調べに来たものらしいのです。そこで道庵先生もその心がけに感心し、なお頻《しき》りに団子を食べながら若いものの話を聞いているうち、先生が早くも釣り込まれてしまいました。
「時に、皆様や」
 たまり兼ねた先生が、若いのへ口を出しかけると、先方で、
「何ですか」
「承れば、あなた方は熊谷次郎直実公の事蹟を調べ、演劇にお作りなさるそうですね」
「左様……少しばかり書いてみたいと思って、遊びに来ました」
「それは結構なお心がけで……拙者も、こう見えても芝居の方が大好きでございましてね、ことに熊谷とくると夢中でございます」
「そうですか」
「しかし、あなた方のような血のめぐりのいいお若い方とちがって、この通りの頭でございますから……」
 道庵先生は、ちょっと自分の頭の上へ手をやって、くわい[#「くわい」に傍点]頭を摘《つま》んで見せました。
「どう致しまして」
 若い劇作家連も、道庵の髪の毛をつまんだ手つきを見て、仕方がなしに苦笑いを致しました。
「この通りの頭でございますから、新しいことはあんまり存じませんが、一の谷の芝居はいろいろのを見ましたよ、おめえ方は知りなさるめえ、大柏莚《だいはくえん》を見なすったか」
「いいえ」
「今時は、熊谷といえば、陣屋に限ったようなものだが、組討ちから引込みがいいものさ。わしゃ、渋団《しぶだん》のやるのを見ましたがね、こう敦盛《あつもり》の首を左の脇にかいこんで、右の手で権太栗毛《ごんだくりげ》の手綱《たづな》を引張ってからに、泣落し六法というやつで、泣いては勇み、勇んでは泣きながら、花道を引込むところが得もいわれなかったものさ。今時、ああいうのを見たいたって見られないねえ」
「渋団は好かったそうですね」
「好かったにもなんにも。総じて今の役者は熊谷をやっても、神経質に出来上ってしまって、いけねえのさ」
「なるほど」
「それから、お前さん方、蓮生をレンショウとおよみなさるが、あれも詳しくはレンセイとよんでいただきたいね」
「蓮生坊をレンショウボウとよまずに、レンセイとよむのですか」
「左様、あの時代に蓮生が二人あったんですよ、本家がこの熊谷、それからもう一軒の蓮生が、宇都宮の弥三郎|頼綱《よりつな》」
「なるほど」
「まあ、お聴きなさい、熊谷の次郎が最初に出家をしてね、法然様《ほうねんさま》から蓮生という名前をもらって大得意で――この時は間違いなくレンショウといったものですがね、ある時、武蔵野の真中で、武勇粛々として郎党をひきつれた宇都宮弥三郎と出逢《でっくわ》すと、熊谷が、弥三郎、おれはこの通り綺麗《きれい》に出家を遂げて、法然上人から蓮生という名前までも貰っているのに、お前はいつまでも、侍の足が洗えないのか、かわいそうなものだな、とあざ笑うと、そこがそれ、おたがいに坂東武士《ばんどうぶし》の面白いところで、宇都宮がいうには、よしそんなら、おれも出家して見せるといって、すぐさま、法然上人の許へかけつけて、出家を遂げてしまったのだが、その時の言い草がいい、熊谷に負けるのは嫌だから、拙者にも熊谷と同じ名前を下さい、ぜひ、熊谷と同じ法名《ほうみょう》でなければ嫌だ……」
 その時、道庵は何と思ったか、あわてて自分の口へ手を当てて、子供があわわをするように、
「様、様、様、様」
と続けざまに呼びましたから、若い劇作家連が変な顔をしました。
 実は、ここに長者町一味のならず者がいなかったから幸い。いれば先生は忽《たちま》ち尻尾《しっぽ》をつかまえられてしまう。さいぜんから聞いていれば調子に乗って、渋団だの、熊谷の次郎だの、宇都宮の弥三郎だのと、名優や、坂東武士に向って、しきりに呼捨てを試みていた。苟《いやし》くも人格を表明する者に向って、様づけを忘れた時は、百文ずつ罰金を納めることに自分から約束を出しておいたはず。そこで、先生が、あわてて口を押えたのですけれど、この人たちは気がつきません。そこで先生も、やや安心して、若い劇作家連に向ってひきつづき熊谷の物語をはじめました、
「法然様も、これには驚いてね、法名が欲しければいくらでもしかるべきものを上げよう、なにも熊谷が蓮生《れんしょう》とつけたから、お前もそれと同じ名前でなければいけぬという理由はない、第一、それではまぎれ易《やす》くて、名前をつける意味をなさない……と法然様がねんごろに諭《さと》されたけれども、宇都宮の弥三郎はいっかなきかない、ぜひ熊谷と同じ名前を貰って行かなければ、あいつの前へ幅が利《き》かないという理窟で、法然様もあきれ返り、よしよしと同じ蓮生の名を授けてくれたものだから、宇都宮の弥三郎様が、鬼の首でも取ったつもりで、大喜びで東国へはせ返り、熊谷様の前で溜飲を下げたものだ……それからこっち、本家の方がレンセイ、新家《しんや》がレンショウとこうなったんだ。ここいらが昔の武人のいいところで、今時のヘラヘラ役者が、海老蔵を名乗りたがるとはわけがちがう」
「そういうわけでしたか」
「それからまた或る人が、この二人蓮生に向ってこういう告げ口をしたものさ、熊谷の入道や、宇都宮の入道は無学の者だから、法然様は念仏だけを教えてだましておくんだが、もっと、悧怜《りこう》な人には、もっと高尚な教えを説いて聞かせてるんだ……こういうことを二人の耳へ入れたものがあったからたまらない、二人がムキ[#「ムキ」に傍点]になっておこって、法然様のところまで詰問《きつもん》に出かけ、これも懇々《こんこん》とさとされて引下ったことがある」
「なるほど」
「そうかと思えば、物に触れて無常を感じてみたり、涙を流してみたりするところに美質があるのさ、その無邪気なところをお前さん方、神経質にしてしまってはいけませんよ」
「注意致しましょう」
「それからお前さん方、熊谷様はしの[#「しの」に傍点]党だか、丹《たん》の党だか御存じか」
 若い人たちが煙《けむ》にまかれて聞いているものですから、道庵先生もいい心持になって、やがて、また芝居の方に逆戻りをして、
「熊谷の芝居は嫩軍記《ふたばぐんき》に限ったものさ、あの物語の、さてもさんぬる……で故人|柏莚様《はくえんさま》[#「柏莚様」は底本では「柏筵様」]はこういう型をやったね、一二をあらそいぬけがけの……それ鉄扇をこう構えて、平山熊谷討取れと……」
 興に乗じた道庵先生は、故名優の型をやり出して、あたり近所の煙草盆や煙管《きせる》を無性《むしょう》に掻《か》き集めたり、突き飛ばしたりするものですから、近所迷惑は一方《ひとかた》ではありません。若い劇作家連は面白半分、迷惑半分に聞いてはいるものの、、いっこう面白くないのは宇治山田の米友であります。
 芝居そのものに予備知識のない米友には、こんな物語がばかばかしく、聞いていられるものではありません。
 ぜひなく米友は、盛んに団子を食べました。
 話より団子という洒落《しゃれ》でもありますまいが、団子を食べてまぎらかしていたが、ついにこらえきれず、
「先生、いいかげんにしたらどうだ」
「そうだそうだ、日が暮れらあ」
 大慌《おおあわ》てで団子と茶代を置いて、道庵が外へ飛び出したものですから、皆々ホッとしました。
 団子屋を飛び出してから間もなく、道庵先生が、
「あ、敦盛《あつもり》を手にかけるのを忘れた」
 これはこの土地に、梅本という蕎麦《そば》の名物があったのを、つい忘れて立寄らなかった洒落でしょう。蕨《わらび》の奈良茶、上尾博労新田《あげおばくろうしんでん》の酒屋、浦和|焼米坂《やきごめざか》の焼米、といったような名物に挨拶しながら、熊谷で、梅本の蕎麦を食べないということが心残りになるらしい。負けおしみの強い道庵は、これからまた引返して、その蕎麦屋を尋ねようといい出すかも知れない。
 ところへ、上手《かみて》から聞えて来たのが、
「下に――下に――かぶり物を取りましょうぞ」
 これはいわずと知れた大名のお通りの先触れです。
 どうも大名のお通りというやつは、道庵と米友の性《しょう》に合わない。
 その声を聞きつけた道庵は、顔をくもらせて、
「さあ、いけねえ、友様、面倒だから、そこらへ入《へえ》ってしまおう」
 道庵は、蕎麦のことなんぞは打忘れて、米友を促すと共に、丸くなって脇道へ走り込んでしまいました。
 米友とても、大名の行列があんまり好きではない。
 けれども、先生のように丸くなって逃げる必要はないと思う。大名に借金があるわけではなし、こんなに丸くなって逃げなくてもいいと思うが、道庵がやみくもに逃げ出したものですから、米友もまた、そのあとを追わないわけにはゆきません。
 やみくもに逃げた道庵は、ついに畑の中へ飛び込んで、桑の木へ衝突して、ひっくり返り、そこであぶなくとりとめました。桑の木がなければどこまで飛んで行ったかわかりません。そこへ駈け寄った米友が、
「先生、怪我はなかったかい」
「おかげさまで……」
 畑の中へひっくり返って、羽織をほころばした上に、土をかぶった有様は、見られたものではありません。米友がそれを介抱して、それから廻り道をしてまた本街道に出ると、ちょうど通りかかりの駄賃馬を、道庵が呼び留めました。
 値段をきめて、深谷《ふかや》まで二里二十七町の丁場《ちょうば》を、ともかく馬に乗ることにきめました。
 いよいよ、馬に乗る段になると馬方が、
「旦那、それじゃあ向きが違いますぜ」
と笑ったのも道理。道庵は、馬の頭の方へ自分の尻を向け、馬の尻の方へ自分が向いて乗込んだものだから大笑いです。
「ナアーニ、これが本格だ」
 道庵はすましたもので、向きをかえようとも致しません。
「は、は、は、旦那は御冗談者《ごじょうだんもの》だ」
 馬方どもが笑いますが、道庵は笑いません。
「坂東武士が、敵にうしろを見せるという法はねえ」
 さては、先生、大名の行列を見て戦わざるに逃げた余憤がこんなところへ来て、負惜しみをやり出したな。
 しかし、先生が頑《がん》としてこの乗り方を改めないものですから、馬方もぜひなく、そのまま馬をひき出しました。
 ですから、通行の人が指さしては笑います。
 それをいっこう取合わない道庵は、
「なあに、これが本格の乗り方だよ、笑うやつは古式を知らねえのだ」
というが、大坪流にも、佐々木流にも、こんな乗り方はなかったはず。
 ははあ、読めた。熊谷の蓮生坊が上方《かみがた》から帰る時は、西方浄土《さいほうじょうど》を後にするのを本意にあらずとして、いつでも逆に馬に乗って『極楽に剛の者とや沙汰すらん、西に向ひて後ろ見せねば』と歌をよんだ。先生、その伝を行っているのだな。しかし、東に向いたのでは意味をなさない……やはり、いまおびやかされた、大名の行列に対する意地張りでしょう。
 この逆乗りで納まり返った道庵。

         二十四

 武州沢井の机竜之助の剣術の道場の中で、雨が降る日には、与八が彫刻をしています。
 海蔵寺の東妙和尚が彫刻に妙を得ていたものですから、それを見様見真似に与八が像を刻むことを覚えてしまいました。
 与八のきざむ仏像――実は菩薩《ぼさつ》は大抵お地蔵様に限られているようです。お地蔵様以外のものを刻んだのを見たこともないし、また刻めもすまいと思われる。そのお地蔵様も、木よりは石が多いのです。
 ともかく、ひまに任せてはこうしてお地蔵様を刻んでいるから、その作り上げた数も少ないことではあるまい。これは皆、しかるべき需要者があってする仕事で、これだけでもけっこう商売になりそうですが、与八はこれで金儲《かねもう》けをしている様子もありません。
 与八さんの刻んだお地蔵は相好《そうごう》がいい……と人が賞美して、註文がしきりに来る。
 また、与八さんのこしらえたお地蔵様は功徳《くどく》がある……といって依頼者がつづいて来る。そういうわけで、それからそれと、与八にお地蔵様を刻ませることになったのですが、それを与八が引受けて、山の仕事と、畑と、水車と、子守と、学校との余暇、雨の降る日などを選んでとりかかる。
 百年の後、木食上人《もくじきしょうにん》の稚拙なる彫刻がもてはやさるるところを以て見れば、与八の彫刻にも取るべきところがあるかも知れないが、今のところではそう感心したものではありません。けれども、与八がこしらえたということが、人の心を縁喜《えんぎ》にすると見えて、出来の如何《いかん》は問わないで、みな喜んで頂礼《ちょうらい》して捧げて持ち帰る。
「与八さん、皆さんが、あれほど有難がって頼むんですから、かかりっきりに彫刻をなさいましよ、ほかの仕事は誰でもやれますが、その彫刻は与八さんでなければ出来ない仕事でしょう」
とお松が、かたわらからすすめるくらいです。与八にとってはドレが本職で、ドレが余技ということもないが、一を専《もっぱ》らにするために、他を粗略にするということはないようです。ですから、彫刻のみにかかりきりということはできません。今日は雨が降るから、それで道場の中で彫刻をはじめたものです。
 今とりかかっているのは石の高さ一尺――極めて小さなものです。これはある子供の母が、死んだおさな児へ供養《くよう》の手向《たむ》け。
 相好《そうごう》がいいというのは、単純なる鑑賞の心。功徳があるというのは、多少功利の念が入っているかも知れない。供養のためというのは本当の親心。死んだ子を行くところへ行かしめたい親の慈悲。与八さんの刻んだお地蔵様が、賽《さい》の河原でわが子を救うという。
 与八もこのごろ一つ助かることは、お松が来てくれたので、まず児を育てるの心配がなくなったこと。お松は、郁太郎と登を両手に抱えて、かたわら与八の仕事のすべてに後援を与えている。幸いに、近所から子守も来てくれるし、たのめばいつでも人手が借りられる。剣術の道場は、いつか知らず寺小屋となり、学校となり、与八の製作場となる。
 無心で与八が地蔵を刻んでいる時、どうかすると、ふいと気がさして道場の武者窓を見上げることがある。そこから、誰か顔を出しているようでならぬ。
 誰というまでもない、それは女で――
「与八さん、郁坊は無事ですか」
と恨めしい声。
 その時に与八は、郁太郎の母お浜の面影《おもかげ》を思い浮べるのです。どうも、こうして仕事をしている与八のてもとを、お浜が武者窓からのぞいているような気がしてならないのです。
 そういう時に与八が悲しい思いをする。もろもろの罪業《ざいごう》が、みんな自分を中に置いてめぐるように思い出す。この罪業のためには、持てる何物をも放捨して、答えなければならないという心に責められる。
 与八が道場で彫刻をしている時、お松は母屋《おもや》の座敷で、机によりかかってお手本を書いておりました。
 お手本というのは、ここの道場の学校に来る子供たちのために、西の内の折本をこしらえて、お松がそれに「いろは」と「アイウエオ」から始めて、村名尽《むらなづく》しに至るまで、それぞれ筆を染めているのです。
 子供たちのためにお手本を書くのみならず、このごろでは、娘たちのために古今集《こきんしゅう》を書いてやったり、行儀作法を教えたりすることもあるのです。好んでお松が、人の師となりたがるわけではないが、お松は日頃の心がけもあり、ことに相生町《あいおいちょう》の御老女の家にある時、念を入れて字を習いましたものですから、なかなか見事な筆跡です。またその時に作法や礼式も心がけていましたから、今も、知っている限りのことは、人に伝えるようになったのです。
 人に物を教えるということもまた、自分を教育する一つの仕事になりますものですから、今、お手本を書くにしても、お松は一生懸命であります。
 幸いなことに、登は乳母《うば》がついて来ていてくれるものですから、手数もかからず、郁太郎の方は、もう四つになろうというほどでもあるから、これも、さほど世話が焼けない上に、子守がついていますから、お松はこうして、教育(というのも大袈裟《おおげさ》ですが)の方に身を入れることができるのであります。もう一つ幸いなことは、ほとんど絶家《ぜっけ》のようになっていて、荒れるに任せていた宏大な机の家屋敷が、これらの連中が移り住むことになってから、急に光りかがやきはじめたような有様であります。
 人間の家は、人間が住まなければ駄目なものです。
 お松のここで書いているお手本は、単に道場へ集まる子供たちに分けてやるのみならず、これから三里も五里も山奥の炭焼小屋や、猟師の家庭にまで入ります。
 どうかするとこうしているところへ、武者修行が尋ねて来ることがある。道場の名残《なごり》を惜しむためか、そうでなければ、化物退治にでも来た意気込みでおとのうて見ると、応対に出るのが妙齢なお屋敷風のお松ですから、さすがの武者修行がタジタジで、
「ははあ、では、あなたは机竜之助殿のお妹御でもござるか……」
といってお松の顔をながめ、薙刀《なぎなた》の一手もつかうものかという思い入れをする。
「いいえ、わたくしどもは、ただお留守居をしているだけなんでございます」
 そうしているところへ間もなく、ゾロゾロと草紙をかかえた近辺の子供が集まって来るものですから、武者修行は到底、薙刀をつかう娘ではないとあきらめて退却する。
 海蔵寺の東妙和尚なども、お松の字をことごとく称美して、
「これは見事なものだ、どうしてわしらは遠く及ばない」
と言いました。それも謙遜だろうが、お松の字はお家流《いえりゅう》から世尊寺様《せそんじよう》を本式に稽古しているのですから、どこへ出しても笑われるような字ではありません。
 そこで今までは、東妙和尚からお手本を書いてもらっていた人が、改めてお松をお師匠番にたのむ。こうなるとお松がこの寺小屋の実際上の校長で、その職分を、いよいよ興味あることに思っています。
 しかしながら、現在|仇《かたき》の家に来て、自分たちが知らず識らずその事実上のあるじのようなところに置かれているのに、当の主人は行方《ゆくえ》が知れぬその因縁の奇《くす》しきことを思うと、お松は泣きたくなります。
 早く、郁太郎を成人させて、立派にこの家を嗣《つ》がせて上げたいものだという心持に迫られる時、お松は、郁太郎を父竜之助に似ないで、祖父の弾正の優れたところにあやからせたいと思います。
 ほどなく傘をさして二人、三人、五人と上って来る石段。
 手習草紙を帯からブラ下げて、風呂敷を首根ッ子へ結えたのが、
「誰だい、ここんちへ、お化けが出るなんていったのは、三ちゃんかエ」
「おいらは、聞いたんだよ、よそで」
「悪いや、悪いや、お化けが出るなんて悪いやい」
「だって聞いたんだもの。おいらが、こしらえ事をいったんじゃねえのよ」
「悪いや、お化けが出るなんて」
 こういいながら石段を上る子供連。村里から机の屋敷へのぼるには、かなりの石段を踏まなければならぬ。
「だって、この間も、旅のお侍がいってたよ」
「何だって」
「あの道場へお化けが出るって」
「嘘だあい」
「聞いてみな、今度、旅のお侍が通ったら聞いてみな」
「どんなお化け?」
「知らねえや、おいらは見たことがねえから」
「嘘だい」
 たしなめ役の丈《たけ》の高いのが、お化け説をどこまでも否定する。
「お化けが出たって、夜だけだろう」
「そうさ」
「夜だけなら怖くねえや」
 いちばん背の低いのが怖くないという。
「与八さんがいらあ、与八さんがいるから怖くねえや、与八さんは力があるんだぜ、とても力があるからなあ」
「駄目だよ」
 おでこが差出口《さしでぐち》をする。
「何で駄目だい」
「与八さんは、力があったって、お人好しだから駄目だよ」
「お人好し?」
「ああ」
 どちらもお人好しの意味がよくわからないで、
「お人好しなんていうのはおよしよ、与八さんは、ありゃお地蔵様の生れかわりだって、うちのおっ母《かあ》がいってたよ」
「うちの父《ちゃん》は、与八さんという人は、ありゃお人好しだっていってたよ。だから、力があったって、喧嘩をすることなんかできやしねえ」
「力は喧嘩のためにばっかり使うもんじゃあるめえ」
「だって喧嘩の時に使わなけりゃ、力があったって詰らねえや」
「そうでもあるめえ」
 その時、子供の一人が急に下の方をながめて、
「ああ、それムクが来たよ」
「ムクが来た」
 子供たちのすべてが傘をあみだにして下段の方を見ると、ムク犬が首に小笊《こざる》を下げて、悠々《ゆうゆう》とのぼって来る。
 今ではこの犬も、同じところの屋敷に、同じように客となっている。
 そうして、小笊を首に下げては、里へ買物に行くのを仕事の一つとしている。最初は怖れていた村の子供も、今はこの犬を畏愛《いあい》するようになっている。
 子供たちはムクを中にとりまいて上りはじめる。お化けのことも、お人好しのことも、もう問題にはなっていない。
「犬ハヨク夜ヲ守ル、人ニシテ犬ニ如《し》カザルベケンヤ」
 背の高いのが、大きな声で叫び出す。
「太郎ドンノ犬ハ白キ犬ナリ、次郎ドンノ犬ハ黒キ犬ナリ」
 負けない気で、あとをつづけた鼻垂小僧《はなたれこぞう》。
「油屋ノ縁デスベッテコロンデ……」
と歌い出した涎《よだれ》くり。
 こうして犬を擁《よう》した子供らは、石段をのぼりつめて冠木門《かぶきもん》をくぐると、
「先生」
「与八さあ――ん」
「こんにちは」
「雨が降ります」
 道場の庭は、にわかに騒々しく、賑わしくなりました。
 その時分、与八はもう地蔵の彫刻をやめて、道場の内部には机が並んで、三十人ばかりの子供がズラリと並ぶ。
「先生、こんにちは」
「お師匠様、こんにちは」
 先生といわれ、お師匠様と呼ばれているのはお松です。
「みなさん、雨の降るのに、よく休まないで来ましたね」
 お松はここで三十人の子供を相手に、単級教授をはじめる、介添役《かいぞえやく》は与八。
 ソの字と、リの字の区別のつかないもの、七の字を左へ曲げたがるもの、カの字の肩の丸いのを直したり、やや進んだところで、村名尽《むらなづく》しの読み方、商売往来、古状揃《こじょうぞろえ》の読違えを直してやったり、いま与えてやったお手本へ、もう墨をこぼしたのを軽く叱ったりしていると、そのうしろでは何か物争いをはじめて、取組み合いがはじまるのを与八が取押える。
「お師匠様」
 だしぬけに呼ばれて、お松は振返り、
「何ですか」
「与八さんはお人好しだっていいますが、本当ですか」
「そんなことをいうものではありません」
 お松がたしなめると、当の与八は笑っている。
「お師匠様」
「何ですか、もうすこし小さい声をなさい」
「金太の野郎が、おいらの墨をなめました」
「なめやしないやい、香いをかいでみたんだい、こんな物をなめるかい」
「いけません、人の墨や筆を、だまっていじるものじゃありません」
「あ、先生、宇八が、あとから、おれの頭の毛をひっぱりました」
「いけません」
「お師匠様」
「何ですか」
「三ちゃんが、ここの道場へはお化けが出るって言いました」
「旅のお侍に聞いたんです」
「そんなことをいうもんじゃありませんよ」
「お師匠様、川っていう字は真中から先に書くんですね、端から書いちゃいけないですね」
「そうです、真中から先にお書きなさい」
「先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]は字を書くふりをして、人形の頭を書いています」
「うそだい、うそだい」
「うそなもんか、これ見ろ、墨がこの通り坊主頭になってらあ。先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]は字を書くふりをして、こんな坊主頭を書きました」
「いけません……それから周造さん、お前さんも、人のいいつけ口をするものじゃありませんよ」
「先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]がおいらを睨《にら》みました、帰りに覚えてろといって、拳固《げんこ》をこしらえて見せました」
「静かになさい。多造さん、人をおどかしてはいけませんよ。それから周造さんも、おたあ[#「おたあ」に傍点]といわずに、ちゃんと多造さんとおいいなさい」
「先生、硯《すずり》の水がなくなりました」
「それではみなさん、お手習はこれでおしまいにします、硯と草紙を、ちゃんと正しく、筆を前に置いて、こちらをお向きなさい」
 程経てお松がこういうと、子供たちが静まり返る。お松は自分も座について、
「手をよごしませんでしたか、さあこうして上げてみてごらんなさい」
 三十名の子供が、残らず両手を差し上げると、
「あ、先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]はつばき[#「つばき」に傍点]で、手にくっつけた墨をふいています」
「うそだい」
 ともかくもこれで習字の時間が終って一礼すると、子供らは、切りほどかれたように、与八と、お松の周囲に寄ってたかってかじりつく。
 与八も、お松も、それを叱ろうとはしません。
 沢井道場の今日このごろの有様は、こんなあんばいです。

 今日はお松が、ムク犬をつれて、万年橋を渡ります。
 これはかねて、心がけていた、対岸和田の村に、宇津木文之丞のお墓参りをしようと思っていたのを果すつもりと見える。実は、このお墓参りには、与八も、郁太郎も、乳母《うば》も、登もうちつれて、一緒に出かけようとも思ったのですが、それはどうも憚《はばか》るところが多いと思い返して、お松はムク犬だけをつれて出かけたのです。
 天気がよいのに、秋がすでに闌《たけな》わという時ですから、多摩川をさしはさんだ両岸の山々谷々が錦のようになっています。
 大菩薩へ通ずるこの街道。お松には思い出の多いところ。
 万年橋の上ではたちどまって、川の流れを見下ろしました。
 橋の袂《たもと》で逢った夫婦連れの巡礼。お松はその姿をなつかしくながめて、
「どちらからおいでになりました」
「上方《かみがた》から大菩薩越えをして参りました」
「大菩薩峠の上は、もう雪でしょうね」
「いいえ、まだ雪はございませんでしたが、ずいぶん寒うございました」
「紅葉《もみじ》はどうでした」
「麓《ふもと》がこんなにあかいくらいですから、峠の上はもう冬でございます」
「そうですか、お大切《だいじ》に」
 それだけの問答で別れる。
 海抜六千尺の峠の頂《いただき》に、吹雪よりも怖いものはいなかったか、それまではきかず。
 向うの村へ渡って、改めて沢井を見渡すと、山巒《さんらん》の中腹に塀をめぐらした机の家は、さながら城廓のように見える。
 お松は秋の情景をほしいままにして、山と畑との勾配《こうばい》ゆるやかな道を歩みました。
 と見れば、道ばたの芝の上に置かれた剣術の道具一組。袋に入れた竹刀《しない》につらぬかれたまま置捨てられて、人は見えない。
 あちらの畑の中の柿の木の上で声がする。
「新ちゃん、沢井の道場がこのごろ開けたってなあ」
「そうかい」
「それでね、女の先生が来たんだとさ。女の先生だから薙刀《なぎなた》でも教えるんだろう」
「そうか知ら、薙刀はこわいや」
 お松が通りかかるとも知らず、沢井の道場のこのごろの噂《うわさ》。
「薙刀は一段違いだからな」
「そうさ、薙刀は一段違いだから、油断してかかるとやられるとさ」
「明日あたり見に行こうか」
「見に行こう。だが、先生にしかられると悪いからな」
「見に行くだけならよかろう。それに、薙刀の武甲流というのは、もとは甲源一刀流から出ているのだと先生がいったよ」
「そうか知ら」
「女でも先生になるくらいだから、強いだろうな」
「そりゃ強いさ」
 お松は立ちどまって、柿の木の上の子供の話を聞きながら、おかしさに堪えられませんでした。沢井の道場を開いて、剣を教えずして、文字を学ばしめているのに、それが誤り伝えられて、自分のことが薙刀の師範として子供らの噂にのぼっている。それにしてもこのあたりの子供、柿の木によじながらも武芸の話。路傍に置捨てられた剣術の道具も、この子供のそれに違いない。
 話によれば、近いところの先生の許《もと》へ、剣術の稽古に行くその道草らしい。
 ほどなく、枝つきの柿の実をおびただしく手折《たお》って畑道を駈けて来る二人の少年、年はいずれも十五六。
「あ――」
といってお松と顔を見合わせ、恥かしそうに以前置捨てた剣術の道具の傍へよって、その柿の枝を結《ゆわ》えつけて肩にかける。二人の少年の勇ましい後ろ姿を見るにつけ、思い起すは宇津木兵馬のこと。
 武術は人に敢為《かんい》の気象を教えるが、抗争の念を助長させたくないものだ、との優しい心づくし。

         二十五

 根岸に引移った神尾主膳と、お絹とは、このごろ痛切に金がほしいと思っています。
 誰でも大抵の人は金がほしいと思っているが、この二人にとって、それがいっそう切実なのです。
 神尾主膳はある時、つくづくと思いました、
「金というやつは女とおなじことで、出来る時は逃げても追っかけてくるが、出来ないとなると、追いかけても逃げてしまう」
 お絹もまた口に出して言う、
「どうかして、お金がはいる工夫はないものかしら」
 実際、金というものがない以上は、都会生活の興味の大部分は失われる。こうして不景気に隠れん坊をしているくらいなら、深山《みやま》の中も、根岸の里も、変ったことはない。
 ことに金の有難味を知っている神尾主膳――金を儲《もう》けることの有難味ではない。使う方の有難味を知っている神尾主膳にとっては、金の光と一緒でなければ、どこへも行ってみようという気にならない。
 眼と鼻の先に吉原があろうとも、好きな書画|骨董《こっとう》の売立ての引札を見ようとも、かわり狂言の番付がくばられようとも、しょげるばかりで浮き立たない。
 お絹にあっては、それがいっそう輪をかけた渇望で、この女の持っているすべての虚栄心と不満足は、みな金というところへ落ちて行く。その金が廻らない。廻るべきはずもない。果してこんなところへ思うように廻って来れば、この世に苦労はない。そこで、どうしても廻らないものを、無理に廻そうとする。
 あの当座こそ、二人は外へも出ないで、浮《うわ》ずって暮らしていたが、このごろ、お絹は、小女《こおんな》をつれてちょいちょいと出歩く。どうかすると、朝出て夜おそく帰って来ることさえある。
 それは廻らないものを、無理に廻そうとする算段だと知っているから、神尾もとがめ立てをするわけにはゆかない。けれども、その出て行ったあとでは、神尾もいい心持はしない。ことに夜おそく帰られたりする時には、むらむらと気が変になることもあるが、今の身ではそれもかれこれということはできない。そういう時には、お絹が必ず多少のみやげを持って来るのだから。そのみやげというのは、つまり、差当って二人の生活になくてはならぬ「金」をどこからか借り出して来るからです。
 こうして神尾は、今のところ、お絹の働きによって養われている有様だが、これは神尾にとって不満であるように、お絹にとっても食い足りない。もっと派手に儲けて、もっと派手に遣《つか》いたい。その時にお絹は、お角のことを思い出して、ひとり腹立たしくなる。何か一やま当てて、あの女の鼻を明かすような働きがしてみたいが、どうも足掻《あが》きがつかない。
 こんな謀叛気《むほんぎ》は、神尾も相当に持っていないではないから、二人は顔を見合わせると、あれかこれかと語り合ってみるが、落着くところは資本《もとで》。まとまった金が土台になければ動きが取れないということになる。
 お絹が駒井甚三郎に当りをつけたのは、最初からのことでしたが、手を廻してみると、駒井は房州の方へ行ってしまったとのこと。房州まで逐《お》いかけて行く気にもなれない。
 そこで、方針をかえて、江戸府内の心あたりを訪ねている。
 今日も、小女を連れたお絹は、湯島の方から上野広小路へ出て、根岸の宅へ帰ろうとしました。広小路の賑やかなところを通って行くうちに、五条天神へはいる角のところで、一人の坊さんが立って頻《しき》りに説教をしている様子を見かけました。聞くともなしに聞くと、
「成田山御本尊のお姿、滅多にはおがめない不動尊御本体のおうつしを、このたび御本山のおゆるしを得て皆様に売り出して上げる、一巻が百と二十文、十巻以上お買求めの方には、一割引として差上げる、滅多にはおがめない成田山御本尊の御影像、一枚が百と二十文、十枚以上お買求めの方には一割引……」
 お絹がそれを聞いて、これはお説教ではないと思いました。
 これはお説教ではない、成田山御本尊の絵姿を売っているのだと思いましたが、その坊さんたちの仰々しい錦襴《きんらん》の装いや、不動明王御本尊と記した旗幟《はたのぼり》が、いかにも景気がよいものですから、お絹も足をとどめて、人の肩からちょっとのぞいて見ますと、中央に僧頭巾をかぶった坊さんが、物々しくいいつづけました、
「勿体《もったい》なくも、成田山御本尊不動明王のお姿、滅多には拝めない品を、このたび、衆生済度《しゅじょうさいど》のために、あまねく世間に売り出して差上げる、一枚が百と二十文、十枚以上お買求めの方には一割引――なお、この際お申込みの方には特に景品と致しまして――」
 前に、やはり錦襴の帳台を置いて、その上におびただしい絵像の巻物を積み重ねながら、要するに衆生済度のために、不動尊の絵姿を、一般に公開して売下げるという宣伝であります。
 大江戸は広いものですから、これを聞いて有難涙に暮れながら、お姿をいただいて帰るものもあり、なかにはばかばかしがって、山師坊主の堕落ぶりの徹底さかげんを、あざ笑って過ぐるものもあります。お絹も、その光景を見て、なんだか異様に感じました。
 信仰心などは微塵《みじん》もありそうもないこの女。それでも、不動尊の公開売出しには、少しばかり驚かされたものと見える。
 その場は、それだけで、まもなく根岸の里へ帰って来ました。
 神尾主膳はその時、一室に屈託して、今日もしきりに金のことを考えています。ぜひなく両国の女軽業《おんなかるわざ》の親方お角のところへ無心してやろうかとも思いました。あの女ならば話がわかる。頼みようによっては一肌も二肌も脱ぐ女だが……どうも現在では考え物だ。あの女を呼び寄せれば、こちらの女が黙ってはいない。お角とお絹とは前生《ぜんしょう》が犬と猿であったかも知れない。一から十まで合わないで、逢えば噛み合いたがっている。お角へ沙汰をすれば、あの女は一議に及ばずここへやって来る。お絹と面《かお》を合わせるようなことにでもなれば、この根岸の天地が晦冥《かいめい》の巷《ちまた》になる。それはずいぶん恐ろしい……どうかして、うまくお角を誘《おび》き寄せる工夫はないか。ともかく、手紙をひとつ書いてみようではないか。神尾主膳はその心持で手紙を書きかけたところへ、お絹が帰って来たものですから、その手紙をもみくちゃにしてしまいました。
「ただいま帰りました」
「お帰り」
と言ったが、神尾はやはり苦々《にがにが》しい心持です。
「ああ、今日はずいぶん歩きました」
「どこへ……」
「どこという当てはございませんけれど……」
 神尾はひとりで留守居をさせられている時は気が焦々《いらいら》し、帰って来た瞬間は、人の気も知らないでといういまいましい気分になりますけれど、やがてあまえるような口を利《き》き出されると、つい、とろりとして可愛がってやりたい気になります。そこで、結局、あれもこれも、有耶無耶《うやむや》です。
 やがて、二人|睦《むつ》まじい世間話、
「今の坊さんたちの商売上手には、驚いてしまいました」
「どうして」
「今日、上野の広小路を通りかかりましたところ、坊さんのお説教とばかり思って見ましたら、不動様の御本尊の巻物を売り出しておりましたよ」
「なるほど」
「それもあなた、不動様の功徳《くどく》を述べる口の下から、一巻についていくら、十巻以上は割引……まるで糶売《せりうり》のような景気。でもなかなか売れるようでしたから、ずいぶんお金儲けにもなりましょう。ほんとうに今時の坊さんは商売上手です」
「ははあ」
 この時神尾主膳の耳へは、金儲けという言葉が強く響いて、その金儲けから逆に、お絹の言葉を二度三度思い返しているうちに、ハタと自分の膝をたたきました。
 神尾主膳がハタと膝をたたいたのは、お絹の世間話が暗示となって、こういうことを考えついたのです。
 坊主を利用してやろう――という、ただそれだけのボーッとした謀叛《むほん》の輪廓が浮き上って来ました。というのは、僧は俗より出で、俗よりも俗なり、ということをかねて知っていたからです。出家は人間の最上なるもの、王位を捨ててもそれを求むるものさえあるが、坊主の腐ったのときた日には、俗人の腐ったのより更に悪い、図々しくって、慾が深くって、理窟が達者で、弁口がうまくて、女が好きで……それを神尾主膳はよく心得ていたから、この際、堕落坊主をひとつ利用して、何か山を張ってみようと考えついたのです。
 そこで輪廓のうちへ、お絹の顔が、またボーッと浮んで来ました。
 女だわい――谷中《やなか》の延命院の坊主は、寺の内へ密会所を作って、身分ある婦人を多く引入れた。これは終《しま》いがまずかったが、もっと高尚な、巧妙な方法で大奥を動かして、権勢を握った坊主がいくらもある。
 坊主は、比較的に身分ある婦女子にちかより易《やす》い地位にもいるし、お寺参りをするのは、芝居茶屋へ通うよりは人目がよい。
 感応寺の「おみを」は十一代将軍の寵愛《ちょうあい》を蒙《こうむ》って多くの子を生んだ。そのおかげで感応寺は七堂伽藍《しちどうがらん》を建て、大勢の奥女中を犯していた。花園殿もその坊主にだまされて、身代りに女中が自害したこともある。
 神尾主膳は、そういうことの幾つもの例を手に取るように知っていたから、お絹の今の世間話が、その記憶を残らず蘇《よみがえ》らせて来たもので、それがこの際の謀叛気をそそのかしたものです。
 腹があって、融通がきいて、商売気のある坊主を見つけたいものだ。
 それは、さして難事ではあるまい。清僧を求めるにこそ骨も折れようが、左様な坊主は今時ザラにある――と神尾は、ひとりうなずいてみました。
 どういうつもりか、編笠をかぶって、忍びの体《てい》で、久しぶりで屋敷の中から市中へ向けて神尾が出かけたのは、その翌日のことです。
 昨日《きのう》話に聞いた上野広小路。そこへ立って人の肩から、そっとのぞくと、お絹の話した通り、旗幟《はたのぼり》を立てた坊さんが、物々しく、御本体不動尊の絵像を売っている。その口上も昨日聞いた通り……ただ、昨日の通りでないのが、一通り不動尊の絵像を売り出してから後、改めて、右の頭巾《ずきん》かぶりの坊さんが、その不動尊の絵像を買求めた者に、景品の意味で授ける安産のお守りの効能を、細かく説明していることです。
 右の坊さんは、怪しげな妊娠の原理から説き起して、この安産のお守りの功徳の莫大なることと、これによって、子無き婦人が、玉のような子供を挙げた実例を、雄弁で説いた上に、なお、希望の方は根岸の千隆寺というのへおいでになれば、われわれの師僧が秘法によって、子を求めんとする婦人のために、容易《たやす》く子を得る方法と、安産の加持《かじ》をして下さるということをいいました。
 ははあ根岸の千隆寺。これが近ごろ評判のそれか。自分の侘住居《わびずまい》と程遠いところではないはず。そこに近頃、安産のお守り、子無き婦人に子を授ける御祈祷が行われて、ずいぶん流行《はや》っているということが、侘住居の神尾主膳の耳へまでよく聞えていた。いろいろの副業を持っているお寺だな。その住職なるものは何者か知らないが、なかなかの遣手《やりて》と見える、ひとつあたってみようかな、というこころざしを起しました。
 しかし、今のところへその住職を招くのも嫌だし、自分が行って会見を求めるのも嫌だ、何か機会はないものかと考えているうちに、そうだそうだ、お絹をやることだ、あの女を子を求める子無き婦人に仕立てて……これは打ってつけの役者だわい、と神尾が思いつきました。

         二十六

 それから二三日すると、どういう相談がまとまったものか、お絹が装いを凝《こ》らして、程遠からぬ同じ根岸の千隆寺へ通いはじめました。
 水野若狭守《みずのわかさのかみ》内、神林某の妻という名義で、幸い、この寺の檀家《だんか》のうちにしかるべき紹介者があったものですから、寺でも待遇が違いました。その当座は多くの婦人の中に交わって、お絹も殊勝に護摩《ごま》の席に連なる。
 住職の僧が存外若いのに驚かされました。年配は神尾主膳と同格でしょう。美僧というほどではないが、色は少々浅黒いが、どこかに愛嬌があって、また食えないところもありそうです。
 で、左右の侍僧がたしか十余人。
 席はいつでもいっぱい。しかもそれが六分通りは婦人。あとの四分も、やはり婦人ではあるが、もう婦人の役を終った老婆連と、そのおともらしい男だけ。
 この若い住職は、印の結びぶりも鮮かだし、お経を読むのもなかなかの美声です。
 ともかく、何の信仰心もなしにやって来たお絹でさえも、その席へ連なっていると、悪い心持はしません。
 それはある日のこと、
「神林の奥様、お急ぎでなくば、今日は書院でお茶を一つ差上げたいと、御前《ごぜん》の言いつけでございます」
「それは有難うございます」
 護摩の席が終ったあとで、帰ろうとするお絹を、こういって番僧がひきとめたものですから、お絹が喜びました。
 書院に待たせられていると、ほどなく例の千隆寺の若い住職が、まばゆいほど紅《くれない》の法衣をそのままで、極めてくつろいだ面色《かおいろ》をして現われ、
「お待たせ致しました」
「先日は失礼致しました」
「いや、拙僧こそ。あの時は多忙にとりまぎれて、余儀なく失礼を仕《つかまつ》りました、今日はごゆるりと、お話を承りたいと存じます」
「はい……」
 お絹はどこまでも殊勝な面色《かおいろ》と、武家の奥様という品格を崩さないつもりで、身の上話をはじめました。
 この身の上話は、ここに通いはじめた最初から用意をして来たのですが、今日まで直接に住職に打明ける機会を与えられなかったものです。
「おはずかしい次第でございますが、わたくしが不束《ふつつか》なばっかりに、主人の心を慰めることができません、連添って十年にもなりますが、子というものが出来ませんので、夫婦の中の愛情に変りはございませんが、家名のことを考えますると……」
「御尤《ごもっと》もなこと」
「家名大事と思いまする夫は、妾《しょう》を置くことに心をきめまして、このことをわたくしに相談致しましたが、聞くところでは、夫はもう以前から、そうした女を他に置いてあるのだそうでございます。わたくしと致しましては、それに不服を申そうようはございませぬ、快く夫の申出でに同意を致しまして、妾を内へ入れるようにと申しましたが、それは夫が気兼ねを致しまして……」
 お絹はそこで、自分の苦しい立場を、言葉巧みに住職に訴えました。嫉妬ではないが、女のつとめが果せないために、夫の愛を他の女に分けてやらなければならない恨み。どんな方法によってでも、一人の子供を挙げることさえできたなら、死んでも恨みはないという繰言《くりごと》。それを細々《こまごま》と物語りました。
 聞き終った住職は、
「いや、いちいち御尤もなこと、左様な恨みを抱く婦人が世に多いことでござる。御信心浅からずとお見受け申すにより、八葉の秘法を修《しゅ》してお上げ申しましょう、丑《うし》の日の夜、これへお越し下さるように……」
 案外|無雑作《むぞうさ》に允許《いんきょ》を与えられたものですから、お絹がまた喜びました。この秘法は、授けるまでに人を吟味し、信心を試験することがかなり厳しいと聞いていたのに――
 丑の日の深更を選んで、子無き女のために、子を授くるの秘法が行われる、滅多な者には許さないが、信心浅からずと見極めのついた者にのみ、その修法《しゅほう》が許される。
 という住職の申渡しが、お絹をして、してやったりと心の中で舌を吐いて、うわべに拝むばかりに有難がらせ、あまたたび、住職に拝礼して、いそいそとして千隆寺から帰って来ました。
 一切を神尾主膳に報告して三日目、丑の日という日の夕方、お絹が念入りにお化粧をはじめると、神尾がその傍でニタニタと笑い、
「これからが土壇場《どたんば》だ」
と言いました。
「戦場へ乗込むようなものですわ」
 お絹は度胸を据えながらも、ワクワクしている。
「一人でやるのは心配だ」
と神尾がいいますと、
「お連れがあっては許されませぬ」
とお絹がいう。
 どうもこの女の心持では、秘密の修法を受けに行くおそれよりは、好奇心に駆《か》られている方が多いらしい。だから、取りようによっては、「いいえ、御心配には及びませぬ、わたしは願っても、そういうところへ一人で行ってみたいのですよ」といっているようです。
 今にはじまったことではないが、それが神尾には不満です。神尾でなくったって誰だって、こういう危険を好む女に安心をしてはいられない。今は計るところがあるのだからいいようなものの、もしこれが本当の女房であったらどうだろう。深夜の秘密の修法には、秘密の道場があるに相違ない。その秘密室に隠されたる秘密の罪悪。子をほしがるほどの女に、娘というのはないはずだから、みんな人の妻妾――その秘密が洩れないのは、受ける者が秘密を守るからだろう。
 神尾主膳はこの時、千隆寺の坊主が憎いと思いました。まして美僧でもあろうものなら、殺してやりたいとさえ思いました。
 千隆寺の坊主ども覚えていろ! 思わず血走って一方を睨《にら》んだ目は、酒乱のきざした時の眼と同じことです。
 それと知るや知らずや、お絹は悠々閑々《ゆうゆうかんかん》とお化粧をこらしながら、
「色は浅黒いが、ちょっと乙な坊さんですから、ことによると女の方が迷うかも知れません。しかし御安心なさいまし、こちらは役者がちがいますからね」
とお愛嬌のつもりでいったのが、はげしく神尾の神経に触れたようです。
 飲まない時は酒乱が起らない。酒乱のない限り、神尾は扱い易《やす》い男になっているが、この時はそうでない。飲まないで、そうして、酒乱の時と同じような眼のかがやきを現わして、ブルブルとふるえ、
「お絹!」
「え……」
「お前、今晩、千隆寺へ行くのを止《よ》せ」
「え、何ですか、千隆寺へ行くのは止せとおっしゃるのですか。止せとおっしゃるなら止しもしましょうが、わたしが好んで行きたがるわけじゃないはずです、どなたか、おたのみになったから、柄になくわたしがお芝居を打とうというんじゃありませんか」
 お絹も少しばかり気色ばみました。そのくせ、お化粧の手は少しも休めない。
「いや、止してもらいたい、止めにしてもらいたい」
 神尾はいよいよあせり気味で口早にいいますと、お絹は落着いたもので、
「駄々っ児のようなことをおっしゃったって仕方がありません、止すなら止すように初めから……」
 この時、神尾主膳は物につかれたように立ち上って、
「止せ!」
 お絹の向っていた鏡台に手をかけると、無惨《むざん》にそれをひっくり返してしまったから、
「あらあら」
 これにはお絹も怫《むっ》としました。
 けれどもこの時のは、酒に性根《しょうね》を奪われておりませんでしたから、いわば一時の癇癪《かんしゃく》です。神尾主膳はむらむらとした気分を鏡台に投げつけて、それをひっくり返しただけで、すっと自分の居間へ引上げてしまいました。
「なんて、乱暴でしょう」
 お絹も、さすがに、むらむらとしましたが、酒が手伝っていない以上は、結局、これだけで納まるものだと見くびりながら、倒れた鏡台を起し、
「いやになっちまう」
と言いながら、鏡台を引起して、ふたたび鏡台に向ったが、「じゃ、止《よ》そう、お寺へなんか行くのは止しちまおう、こちらから頼んだわけじゃあるまいし」とは言いません。鏡に向って以前よりは念入りにお化粧をやり直したのは、かえって、「行きますとも……行きますとも。ここまで乗りかけた舟に乗らないでいられるものですか。落ッこちる心配なんかありませんから御安心下さいよ」といっているようです。そうでしょう、落ちる心配はあるまい。落ちたところで、この女は溺《おぼ》れる気づかいのない女です。
 そうして丹念にお化粧を済ましたお絹は、根岸の里の夕闇を、さんざめかして程遠からぬ千隆寺へ乗込んだのは間もない時。
 神尾主膳が酒を飲み出したのはそのあとのことで、お絹とひきちがいに、下男が近所の酒屋へ飛びました。
 お絹は日頃、主膳の酒癖を知っているから、この点は厳しくして酒を禁じていたものです。主膳もまた、その悪癖を自覚しているから、お絹の禁制をかえって力にもしていたようですが、今は、矢も楯もたまらず酒が飲みたくなって、下男を追立てたものです。
 で、居間に入って、ひとりでチビリチビリとやり出した時に、ようやく鬱憤《うっぷん》が、酒杯の中へ燦爛《さんらん》と散り、あらゆる貪著《どんじゃく》がこの酒杯にかぶりつきました。
 やがて癇癪が納まって陶然《とうぜん》――陶然からようやく爛酔《らんすい》の境に入って、そこを一歩踏み出した時がそろそろあぶない。
「誰だ、そこへ来たのは」
 酔眼にようやく不穏の色を浮ばせ、主膳が一喝したのは、まさしく酒乱のきざし[#「きざし」に傍点]と見えました。幸いにそれを真向《まっこう》から受ける相手がいない。
「誰だ、案内もなくそこへ通ったのは?」
 誰もいないはずの人をとがめていると、いないはずのところで、
「はい、これは神尾主膳様」
と返事がありました。
「誰だ、聞覚えのない声じゃ、襖《ふすま》をあけて面《かお》を見せろ」
「神尾の殿様」
「拙者の名を聞くのではない、そちの名をたずねているのじゃ、何者だ」
「御酒宴中のところを、お邪魔にあがりまして相済みませんが……」
「かごと[#「かごと」に傍点]をいわずと、名を名乗れ、案内もなしに、尋ねて来たのは誰じゃ」
といって神尾主膳が、荒々しく向き直りました。
「へえ、どうも相済みませぬ」
 顔を見せないで、声ばかりしている男が、たしかにこの襖の外に来ている。それを聞いて神尾はじれ出しました。
「ただ、済まないでは済むまい、夜陰、人のおらぬはずのところへ忍び込んで来た奴、盗賊に相違あるまい……盗賊でなければ名を名乗れ」
「へえ、恐れ入ります、七兵衛でございます」
「ナニ、七兵衛?」
「左様でございます」
「七兵衛とはどこの何者だ」
「お忘れになりましたか?」
「知らん、左様な者は覚えはない、誰にことわって、何の用で入って来たのだ、不届きな奴」
 神尾主膳は、荒々しく立って長押《なげし》の槍を下ろして、それを突っかけて襖を押開きましたが、誰もおりません。

 ほどなく御行《おぎょう》の松の下に立ったのは裏宿の七兵衛。額の汗をふきながら、
「あぶねえ、あぶねえ」
と言いました。
 この時、生垣《いけがき》の蔭から、不意に槍を持って姿を現わしたのが神尾主膳です。執拗《しつこ》いこと。怪しい者を追いかけて、ここまで槍をつっかけて来たのです。
 神尾主膳には多少槍の心得があって、九尺柄の槍を座に近いところへ置き、いざといえばそれを取ることにしている。いざといわない時も運動の意味で、それをしごいてみることがある。
 今は、そのいざ[#「いざ」に傍点]というほどの場合でもなく、運動のためでもないのに、まさしく酒乱の手ずさみにこの槍がえらばれているもので、こういう際には、平生の技倆以上に思う存分にその槍を使うことが例になっている。かつて染井の化物屋敷では、この槍のためにお銀様が、危うく一命を取られるところでした。
 今はこうして、追わなくてもよい敵を、本城を留守にしておいて追いかけて来たものですから、七兵衛も驚きました。
 また厄介なことにはこういう際には、いやに眼が利《き》き出してきて、暗いところへ逃げ込んだ敵の影も、平生の視力以上に認められるだけの感能が働いてくるようです。神尾主膳の酒乱は、特に凶暴を逞《たくま》しうするために、鋭敏な附加能力といったようなものが現われるのですから始末が悪い。
「あぶねえ」
 驚いた七兵衛は、身をかわして飛び退きましたが、神尾の槍先は、透かさずそれを追いかけて来る。ために七兵衛は、御行《おぎょう》の松を楯に三たびばかりめぐりましたが、無二無三に突きかけて来る神尾の槍先、とてもあなどり難く、ほとんど進退に窮するほどの立場まで突きつめられたので、
「ちぇっ」
といって身を躍らすと、松の幹へ足をかけて、早くも三間ばかり走りのぼってしまいました。突きはぐった神尾主膳、天井裏の鼠をねらうように、槍を空《くう》につき立ててみたけれど、もう駄目です。そこで、あせって、しきりに空をのぞんで突き立てたが、手ごたえがないので、いよいよじれ出しました。
 木の上でホッと息をついた裏宿の七兵衛、
「神尾の殿様……私はあなた様に追われようと思って上ったんじゃありません、あなた様のおためになって上げようと思って上りました、それを、いきなり槍玉にかけようとなさるのは驚きました」
「憎い奴」
「神尾の殿様、落ちついてお聞き下さいまし」
「憎い奴」
「私は、あなた様にお目にかかった上で、ご相談を願いまして、それからひとつ、あの千隆寺へ行ってみようかとこう思いまして、穏かに上ったつもりなのですが……」
「千隆寺?」
 その時、神尾主膳は忘れていた記憶が蘇《よみがえ》って来たものと見え、
「うむ、千隆寺」
と叫んで歯噛みをしました。
「その千隆寺へ、実は七兵衛が、お絹様のおともをして行ってみたかったんです、ところが、どうも、そうはいきそうもございませんものですから、あなた様と御相談をした上で、ひとつ搦手《からめて》から乗込んでみようと、こう思いついて上ったのに、いきなり槍玉の御馳走は驚きました」
 木の上で七兵衛は、なるべく低い声で、ものやわらかに言いますと、主膳の逆上がいくらか引下ったと見えて、
「うむ、では、貴様は盗賊ではなかったのか」
「ええ、まあ、そういうわけでございます」
「では、下りて来い」
「いや、お待ち下さい、もう少し上ってみましょう、千隆寺の庭がここで眼の下に見えますから……」
 なるほど、この御行《おぎょう》の松の上へのぼると、呉竹《くれたけ》の根岸の里の寺々がよく見えます。
 円光寺も見える。正燈寺も見える。金杉の安楽寺までが、それぞれ相当に高い甍《いらか》を見せているが、めざす千隆寺の庭だけが、特に明るい。
 七兵衛が、夜分、遠めの利《き》く眼とはいえ、こうして、上から眺めたんでは、どこにどういう秘密が行われているか、わかるべきはずはない。多分、あの境内《けいだい》に忍び入るには、どの口から向ったのが有利か、それを研究しているのでしょう。
 一方、神尾主膳は、槍を片手に、一時は酔眼をみはって、松の上をながめていたが、やがて、酒乱の峠を越したのか、疲れてしまったのか、しきりに眠くなったと見えて、くずおれるように、松の幹によりかかってみたが、ついに支えきれず、根元へ倒れようとして起き直り、きっと足を踏みしめて、何か呟《つぶや》きながら、歩き出しました。
 どこへ行くのだろう。多分、屋敷へ引返すのだろうと、松の上から七兵衛は、足もとあぶなく、槍を力に、ふらふらと歩いて行く主膳の姿を、こころもとなく見返っていましたが、それも、まもなく、呉竹《くれたけ》の蔭なる小路《こうじ》に隠れて、見えずなりました。
 あとで、ゆっくりと、高見の見物で、千隆寺の境内を隈なく見おろしていた七兵衛。いいかげんの時刻に、ひとり合点《がてん》をして、その松を下りようとすると、例の呉竹の小路の間から、足音が聞えました。
 また思い出して、神尾主膳が戻って来たな、見つかっては面倒だと、いったん下りて来た七兵衛が、そのまま、松の茂みの間に身をひそめています。
 歩いて来たのは二人連れ。神尾主膳が戻って来たのでないことは確かだが、因果なことに、その二人が、御行《おぎょう》の松の根元へ来て、どっかと腰をおろしてしまったことです。
「時に時刻はどうだ」
「まだ少し早かろう」
 そのまだ少し早かろうという時間を、ここでつぶそうとするものらしい。
 七兵衛が苦《にが》い面《かお》をしました。どのみち、長い時間ではあるまいが、少なくとも、この連中が立退かない限り、この松の上からは下りられない。下なる二人は、かなり落着いて、しかし人を憚《はばか》っての話し声でありましたが、頭の上の七兵衛には、それが手に取るように聞き取れる。
「いったい、その立川流というのは、いつの頃、どこで起り出したものだろう」
「それは、今より八百年ほど昔、武蔵の国、立川というところで起ったのだが、その流行の勢いが烈しきにより、まもなく禁制となったにもかかわらず、ひそかに、その法を行うものが絶えなかったとのこと」
「ははあ、武蔵の立川が発祥地で、それから立川流という名が出たのか」
「それを、今時分、千隆寺の山師坊主がかつぎ出して、大分うまいことをしていたのが、今宵はその納め時」
というのが、七兵衛の耳に入りました。そうでなくても、その以前から七兵衛が気取《けど》ったのは、この二人の者は隠密《おんみつ》だ。与力か、同心か、その下の役か、よくわからないが、とにかく、物をいましめるために忍んで来た役向の者に相違ないと、早くも感づいてはいましたが、さてこそ、めざすところは、自分と同じことに千隆寺。そうして、どうやら、この寺へ、以前から目星をつけておいて、今夜は踏込んで、手入れをする手筈がきまっているらしい。
 それはわかったが、わからないのは立川流ということ。
 武蔵の国、立川というところは、七兵衛が江戸への往還の道だからよく知ってはいるが、そこから立川流というものが出たことは知らない。
 千隆寺の坊さんが、立川流という剣術をつかうわけでもあるまい。八百年前に起って、流行の猛烈にして弊害の甚だしきにより、禁制になったという流儀を、ここの坊主が行っているという。

         二十七

 立川流――の流れは、もう少し源が遠く、流れが深いはず。
 しかし、たぶん今ごろは、千隆寺の境内《けいだい》の八葉堂の地下の秘密室では、子を求むる婦人のために、問題の祈祷がはじまったものと覚しい。
 とにもかくにも、ここで、禁制の立川流を秘密に行って、男女を集めているという風聞は、もう、その筋の検挙の手を下すまでに拡がっているというのは、本当らしい。
 お絹という女の好奇心をそそって、今宵その秘密の修法《しゅほう》の席に連《つら》なることを許したはずの、この千隆寺の若い住職というのが、なかなかの曲者《くせもの》だ。
 さあ、いよいよその秘密の伏魔殿が発《あば》かれた日になって見ると、どんな怪我人が、どこから現われて来るか、この若い住職の素性《すじょう》もわかってくれば、その秘法に心酔して、夜な夜なつどう婦人連の顔が明るいところへ出された時、世間をあっ! といわせるかも知れない。
 七兵衛は、そんな事を考えている時、下では、呉竹の間や、稲垣の蔭や、藤棚の下や、不動堂の裏あたりから、黒い人影が幾つも、のこのこと出て来ては、松の幹の下の、以前に話し込んでいた二人の前に集まると、二人の者がいちいちそれに囁《ささや》いて差図をするらしい。差図を受けると集まって来たのが心得て、また闇の中に没入する。その人数|凡《およ》そ十余人を数えることができました。ははあ、いよいよあの人数が千隆寺へ手を入れるのだな――そうなると自分はどういう態度を取ったものか。まあ、もう少し高見の見物。いよいよ事がはじまってから、また取るべき手段方法もあろう、まず危うきに近寄らぬが勝ち。幸い、よき物見の松、と七兵衛は再びこの松に落ちつく心持。
 その時、さいぜんから控えていた二人の者が、やおら立ち上って、しめし合わせながら、闇に消えてしまいました。
 そこで七兵衛も思案して、松の樹を下りましたが、さてどこへどう飛び込んだか、闇の礫《つぶて》のようなもので影がわかりません。
 しかし、松の上で見定めておいた見当によって、千隆寺の境内へまぎれ込んだのは疑いもなく、八葉堂の燈籠《とうろう》の下で、ちらりと見せたのは、たしかに七兵衛の姿でした。
 いや、その前方《まえかた》、燈籠の蔭には、七兵衛でない他の者の姿も、ちらりと影を見せたことがあります。多分、例の隠密《おんみつ》でしょう。
 それから一時《いっとき》ほどして、千隆寺の境内八葉堂のあたりを中心として、沸くが如き喧騒が、根岸の里の平和を、すっかり破ってしまいました。
 火事か、火事ではない、強盗か、いいえ、盗賊でもないそうです。千隆寺へお手が入りました。
 ナニ、どうして? お寺で賭博《ばくち》があったのだそうです。そうですか、それはどうも。いいえ、そうではありません、人殺しの凶状持《きょうじょうも》ちが、あのお寺へ逃げ込んだのだそうです。それはこわい――やや遠方まで、人の胆《きも》を冷させたが、この際、自分の家の戸締りをかたくすればとて、出て見ようとする者はありません。
 八葉堂を中にした千隆寺の庭では、数多《あまた》の坊主どもが、法衣を剥《は》がれて、例の捕吏《とりて》の手に縛り上げられて、ころがされている。婦人たちが泣き叫んで逃げ迷うのを、これは、さほど手荒なことをしないが、一人も逃さず、本堂へ追い込んで見張りをつけて置く。
 なかには、闇にまぎれて裏手から、或いは垣根を越えて、やっと逃げ出したところを、待ち構えていた捕方につかまえられて、有無《うむ》をいわさず、境内へ投げ返された僧侶も、女もある。実際、蟻のはい出る隙間《すきま》もないほどに、手筈はととのっていたものらしい。
 さて、本尊の住職はどうした。その夜、はじめて入室を許されたお絹という女はどうした。これは、縛《いまし》めのうちに見えない。
 捕吏《とりて》たちは、血眼《ちまなこ》になって、住職をとたずね廻るけれども、ついにその姿を見出すことができないで、堂の壇上から裏の藪を越えて、稲荷《いなり》の祠《ほこら》の前まで、地下に抜け穴が出来ていたのを発見した時は、もう遅かったようです。
 これより先、七兵衛は早くも本堂の天井裏に身をひそませて、じっと下の様子を見おろしておりました。
 本堂の中では、お手前物の蝋燭《ろうそく》を盛んにともしつらねさせて、さながら白昼のような中に、引据えられた婦人たちを前に置いて、仮りに訊問の席を開いているのが、天井の七兵衛には、手に取るように見えます。
 しかし、恥と怖れとで、その婦人たちは、いずれも面《かお》を上げている者がありませんから、どのような身分の、どのような縹緻《きりょう》の婦人だか、それはわかりません。
 有合わせの床几《しょうぎ》に腰をかけて、その婦人たちを訊問している二人の侍。その声で覚えがあるが、これはさいぜん御行の松の下で話し合っていたそれに違いない。今は、白昼のような蝋燭の光で、ありありと二人の姿を見て取ることができます。
 その時、七兵衛が疑い出したのは、この役人は町奉行の手か、お寺のことだから寺社奉行の手か。それにしても二人の役人ぶりが少し訝《おか》しいと思いました。仮りにも一カ寺に手を入れるのに、もとより確たる証拠は握っているだろうが、夜陰こうして踏み込むのはあまりに荒っぽい。そう思って、二人の役人を見下ろすと、どうも役人らしくなくて、浪人臭い――ははあ、これは例の四国町あたりの出動かも知れないぞ、と七兵衛が胸を打ちました。
 なるほど、芝の三田の四国町の薩摩屋敷の浪人あたりのやりそうなことだ。てっきり、それに違いないわい。それなら、それで、こっちにも了簡《りょうけん》があると、七兵衛が天井裏でニッと笑いました。
 下では、そんなことは知らず、いちいち婦人たちに訊問をつづけているが、いずれも恥かしがって返事がはかばかしくない。
「その方たち、夫ある身でありながら、こうして夜陰、お籠《こも》りをすることを許されて来たか」
「夫も承知のことでございます、ただ子供がほしいばっかりに……」
と泣き伏してむせぶ者もあります。
「どうだ、祈祷の利《き》き目《め》はあるか」
「はい……」
「聞くところによれば、住職及び徒弟どもの身持ちがよくないとのことだ、何ぞ覚えがあるか」
「…………」
「これは何に用うる品だ」
 問題の役人が手に取って示したのは、畸形《きけい》な裸形《らぎょう》の男女を描いた、立川流の敷曼陀羅《しきまんだら》というのに似ている。
「お祈りの時の敷物でございます」
「ナニ、これを下へ敷いて、その上でお祈りをするのか」
「はい」
 怖る怖る返事をするたびに、七兵衛がその婦人たちの横顔をうかがうと、町家のお内儀《かみ》さんらしいのもあれば、武家出の女房もあるようだし、お妾《めかけ》さんらしいのもあるし、ことに意外なのは、妙齢の娘たちが幾人もいることです。これらの娘たち、何の意味で子供が欲しいのか、問題の役人にもわからないが、七兵衛にもわからない。
 ところで、当の本尊の住職の行方《ゆくえ》はどうなった、問題の役人にはそれが気がかり。来ていたはずのお絹がここには見えない、それが七兵衛の気がかり。そこへ駈けつけた捕吏があわただしく、
「秘密堂の壇の下に、抜け穴がありました」
「ははあ、その抜け穴が……」
 さてこそとこの連中が意気込んで、その抜け穴というのを検分に出かけたあとで、七兵衛はソロソロと天井裏を這《は》い出して破風《はふ》を抜け、いつか廊下の下へおり立って見ると、そこへあつらえたように置き据えられた朱塗の賽銭箱《さいせんばこ》。しかも背負い出せといわぬばかりに紐《ひも》までかけてある。
 それを一揺《ひとゆす》りしてみた七兵衛は、行きがけの駄賃としてはくっきょうのもの、抜からぬ面《かお》で背中に載せると、燈籠の闇にまぎれてしまう。
 ちょうど、それと前後して、御行《おぎょう》の松の下を走る二人の者。前に手を引いているのはお絹で、あとのは千隆寺の住職。二人とも跣足《はだし》。
 ほどなく、神尾主膳の屋敷の中へ再び姿を現わした七兵衛。
 その時分、主膳は前後も知らず眠っておりました。
 その一間へ悠々とお賽銭箱を卸《おろ》した七兵衛は、早くも用意の裸蝋燭《はだかろうそく》を燭台に立て、その下で一ぷく。やがて、賽銭箱の蓋《ふた》を取ってかき交ぜ、燭台を斜めにしてのぞいて見ると、これはありきたりのバラ銭とちがい、パッと眼を射る光は、たしかに一分判《いちぶばん》、南鐐《なんりょう》、丁銀《ちょうぎん》、豆板《まめいた》のたぐい。これは望外の儲《もう》け物。しかしありそうなことでもあると徐《おもむ》ろにその獲物《えもの》の勘定にとりかかろうとするところへ、裏手で篠竹《しのだけ》のさわぐ音。
 ははあ、帰って来たな、と思いました。
 さいぜん、七兵衛が天井裏で眺めていた婦人の中には、お絹の姿が見えなかったのが不思議だが、あの女のことだから、うまく擦《す》り抜けたのだろう。これはたしかにあの女が帰って来たのだな、と思ったから、急にいたずら心が起りました。
 一番おどかしてやろうかなという心持で、フッとその燭台の火を消してしまいました。
 果して、立戻って来て、裏の篠藪からソッと枝折戸《しおりど》をあけて、入り込んで来たのは、千隆寺の住職の手を引いて、跣足《はだし》で逃げて来たお絹。ホッと息をついて、
「お前様、これが、わたくしどもの控えでございます、もう御安心あそばせ」
「いや、おかげさまで助かりました」
 やがて二人は廊下を通りかかると、その一室で音がする。その音は異様な音で、まさしく銭勘定の音であります。金、銀、青銅の類を取交ぜて若干の金を積み、それをザラリザラリと数えては積み、数えては積んでいる物の音ですから、お絹が怪しみました。
 誰かこの座敷で金勘定をしているな――しかしこれは解《げ》せない。解せないのみならず、あるべからざることで、日頃、金がほしい、金がほしいと口に出しているのを、憎い狐狸《こり》どもが知って調戯《からか》いに来たのか。
 そう思うと、ゾッと気味が悪くなりました。
「お前様」
「はい」
「ちょっと様子を見て参りますから、これにお待ち下さいませ」
 お絹は住職をとどめておいて、こわごわとその室に近寄って見ますと、暗い中で、まさしくザラリザラリと銭勘定の音。
「誰?」
 お絹がとがめてみますと、
「私ですよ」
「え?」
「私でございます」
「何をしているのです」
「お銭《あし》の勘定をさせていただいているんでございますよ」
「お銭の勘定……人の家へ来て何だって、そんな無躾《ぶしつけ》なことをなさるんです、いったいお前は誰です」
「私だというのに、わかりませんか」
「わからないよ、声を立てて人を呼びますよ」
「いけません、いけません」
「では、早く出ておいで」
「お絹様、わたくしでございます、七兵衛ですよ」
「七兵衛さん……」
 お絹はあいた口がふさがりませんでした。
「いつ来たの、お前」
「三日ほど前に参りました」
「なんとか挨拶したらよかりそうなものじゃありませんか、だしぬけに人の家へ入って来て、銭勘定なんぞをはじめて」
「でも、これが商売だから仕方がありませんね。いま明りをつけますから、お待ち下さいまし」
と言って、七兵衛が先刻の裸蝋燭《はだかろうそく》へ火をつけた途端に、障子を開いたお絹が見ると、あたりはパッと金銭の小山。
「まあ――」
 お絹はまずその光に打たれてしまいました。

 その翌日になって、お絹から千隆寺の住職を、改めて神尾主膳に引合わせた時、おたがいに呆《あき》れ返って、
「やあ、君か」
という有様でありました。
 千隆寺の住職――その名を敏外《びんがい》――というこの男は、姓を足立といって、本所の林町で相当の旗本の家に生れ、不良少年時代には、主膳と肩を並べて、押歩いた仲間の一人でありました。
 そこで、ガラリと砕けて、お互いの打明け話になってみると、この敏外は、叔父が護国寺の僧で、それを縁故に仏道に入り、無理に坊主にさせられて今日に及んだということであります。
「君などは、坊主になってうまい商売をはじめたものだが、拙者の如きはこの通りの有様でウダツが上らない、何かしかるべき商売があらば世話をしてもらいたいものだ」
と神尾がいいますと、足立敏外和尚はまるい頭をなで、
「ふふん」
と笑いましたが、またつくづくと神尾主膳の面《かお》を見て、
「君のその眉間《みけん》はどうしたのだ」
「これか――」
 主膳は今更のように眉間の傷に手を当てて、
「ちっとばかり怪我をしたのだ、これあるがゆえに、この面《かお》が世間へ出せぬ」
「うむ、ちょうど、眼が三ツあるようだ」
「生れもつかぬ不具者《かたわもの》――」
といって主膳の面《かお》には憤怒《ふんぬ》の色が現われました。それは、いつもこの傷を恨むと共に、骨にきざむほど憎らしくなる思い出は、あのこま[#「こま」に傍点]ちゃくれた、口の達者な怖ろしいほど勘《かん》のいい弁信という小法師のことであります。あいつのためにこうまで、生涯拭えぬ傷を負[#「負」は底本では「追」]わされたと思い出すと、堪らない憎悪の念がいっぱいになるのであります。
「いや、その傷が物怪《もっけ》の幸いというものだ。我々の眼で見ると愛染明王《あいぜんみょうおう》の相《すがた》だ」
「ふふん」
と今度は主膳が冷笑しました。主膳の冷笑は、敏外のよりもすさまじさがある。しかし、敏外住職は存外まじめで、
「その竪《たて》の一眼は、愛染明王の淫眼といって、ことに意味深い表徴《しるし》になっている」
「ナニ、いんがん[#「いんがん」に傍点]」
「左様」
「どういう字を書くのだ」
「淫は富貴に淫するの淫の字――これは愛染明王が大貪著時代《だいどんじゃくじだい》の拭うても拭いきれない遺品《かたみ》だ。横の両眼は悪心降伏《あくしんごうぶく》の害毒削除の威力を示すが、竪の淫眼のみは、いつでも貪著と、染悪《せんお》と、醜劣と、汚辱《おじょく》とを覗いてやまぬものだ」
「ははあ……」
 神尾主膳は苦笑いしながら、何か当てつけられたように感じました。
 暫くしてこの二人は、久しぶりで一石《いっせき》囲むことになって、おたがいに多忙の心を盤の上に忘れてしまいます。
 当分は、この住職殿も、この屋敷の厄介になることだろう。

 一方、廊下の隅の一間には、裏宿の七兵衛がドッカとみこしを据《す》えてしまいました。
 いつも風のように来ては風のように去る男が、今度は動こうともしないで、その一室をわが物ときめこんで、割拠して敢《あえ》てくだらず、という意気込みです。
 そうして、夜になると、蝋燭をともしてザラリザラリとキザな音をさせる。
 これは相変らず、金銀、小粒、豆板、南鐐《なんりょう》、取交ぜた銭勘定をしているに違いないが、金に渇えているお絹にとっては、この音が気障《きざ》でたまらない。
 そこで、この屋敷が、これだけでも、以前の染井の化物屋敷に劣らぬ怪物の巣となりつつあることがわかります。

         二十八

 今日は夕焼のことに赤い日。葉鶏頭《はげいとう》の多い月見寺の庭を、ゆきつ、もどりつしている清澄の茂太郎は、片手に般若《はんにゃ》の面《めん》を抱えながら、器量いっぱいの声で、
[#ここから2字下げ]
やれ行け
それ行け
早駕籠《はやかご》で……
早駕籠で……
赤いもんどの
暁《あけ》の鐘《かね》
そりゃ、暁の鐘
[#ここで字下げ終わり]
と歌いながら、夕焼に赤い西の空に向って、歩調を練習する兵隊さんの足どりで、行きつ、戻りつしていましたが、またも繰返して、
[#ここから2字下げ]
やれ行け
それ行け
早駕籠で……
早駕籠で……
赤いもんどの
暁の鐘
そりゃ、暁の鐘
[#ここで字下げ終わり]
 例の弁信法師が積み上げた石ころのところまで来ると、左に抱えていた般若《はんにゃ》の面を、右に抱え直して、廻れ右をし、
[#ここから2字下げ]
お前とわたしと
駈落《かけおち》しよ
どこからどこまで
駈落しよ
鎌倉街道、駈落しよ
鎌倉街道、飛ぶ鳥は
鼻が十六、眼が一つ
[#ここで字下げ終わり]
 いい心持で、声を張り上げている時、弁信が縁へ現われて、
「茂ちゃん」
「あい」
「あんまり出鱈目《でたらめ》を歌ってはいけません、鼻が十六、眼が一つなんて鳥はありませんよ」
「そうか知ら」
「きまっているじゃないか、考えてごらん、十六の鼻を面《かお》のどこへつけます」
「だって、あたいは考えて歌っているんじゃないのよ」
と答えた茂太郎は、弁信の注意には深い頓着を払わずに、再び歩調を取って歩きつづけ、
[#ここから2字下げ]
あの姉さん
よい姉さん
堺町のまん中で
うんげん絞りの振袖を
口にくわえて
通る時……
淀《よど》の若衆《わかしゅ》が呼び留めて
お前の帯が解けている
[#ここで字下げ終わり]
「茂ちゃん」
 弁信が再び呼びかけたものですから、歌いかけた茂太郎が、
「あい」
「お前、うたうなら子供らしい歌をおうたいよ」
 またも干渉を試みたものですから、茂太郎が首を振って、
「なぜ」
「なぜだってお前……鄭声《ていせい》の雅楽《ががく》を乱るを悪《にく》む、と孔子様が仰せになりました」
「え……」
「歌うんなら、子供らしい歌をおうたいなさい、今のようなのはいけません」
「弁信さん、お前、むずかしいことばかりいうんだね、鼻が十六あってはいけないの、孔子様が歌をうたってはいけないのなんて……あたいが一人でうたって、一人で喜んでるんだから、かまわないじゃないか」
「そういうものではありません……では、わたしがひとつ、白楽天《はくらくてん》の歌をお前に教えて上げましょう」
「白楽天ッてなに――」
「支那の昔の歌よみさ」
「教えておくれ」
「道州の民《たみ》ッていうのを歌いましょう」
「道州の民ッていうのはなに」
「道州ノ民、侏儒《しゅじゅ》多シ」
「道州ノ民、侏儒多シ」
「長者モ三尺余ニ過ギズ」
「長者モ三尺余ニ過ギズ」
「市《う》ラレテ矮奴《わいど》トナッテ年々《としどし》ニ進奉セラル」
「弁信さん、これが歌なの、論語じゃないの」
 茂太郎が、少しく不平の色を現わしました。
「だまって覚えておいでなさい、あとでわけを話して上げますから」
 そこで二人は、黄昏《たそがれ》の縁に腰うちかけて、白楽天の譲り渡しを試みていますと、門をスタスタと入って来る人がありましたから、めざとくそれを見つけた茂太郎が、
「あ、いやな奴……」
というが早いか、身をおどらして、縁の下へ隠れてしまいました。
「誰が来たの」
 弁信が徒《いたず》らに見えない目を動かしているところへ入って来た旅の人が、
「御免下さいまし」
「どなたですか」
「はい、ええ、通りがかりの者でございますが……」
 見ればキリリ[#「キリリ」に傍点]として甲掛《こうがけ》脚絆《きゃはん》の旅の人。口の利《き》き方も道中慣れがしていると見えて、ハキハキしたものです。
「はい」
「つかぬことを承《うけたまわ》るようでございますが……手前は大工が商売でございまして」
「あ、大工さんですか」
「はい、渡り大工といったようなものでございますが、承れば」
 承ればを二度ほど重ねたことほど切口上《きりこうじょう》で、弁信の傍へソロソロとやって来て、
「こちら様の本堂は棟木《むなぎ》から柱、床板に至るまでことごとく一本の欅《けやき》の木でお建てなすったとやら、その評判をお聞き申しましたものですから、こうして通りがかりに伺いましたようなもので、口幅《くちはば》ったい申し分ですが、この道の後学のためにひとつ、拝見をさしていただきたいとこう思いますんで……」
「あ、左様でございましたか」
 弁信法師もまた、さることありと頷《うなず》いて、
「左様なお話を私もお聞き申しておりました、棟より柱、椽《たるき》、縁、床板に至るまで、一本の欅《けやき》を以て建てたのがこの本堂だそうでございます、それはいろいろと因縁話《いんねんばなし》もございますようですが、ともかく、ごゆっくり、ごらん下さいまし……」
 その道の者が参考に見学したいというのだから、見ても見せても、さしつかえないと弁信がのみこみました。
「はい、有難うございます、それでは、とりあえず本堂の方から拝見をいたしまして、次に三重の塔を」
「どうぞ、御自由に。誰か御案内を致すとよろしうございますが、ただいま、人少なでございますものですから、どうか御自由に」
「その方が勝手でございます」
 こういって、旅の男は、スタスタと本堂の方へ行ってしまいました。
 その後で、弁信は何か一思案ありそうな面《かお》をして、
「もう暗いはず、灯《あかり》が無くて見えるか知ら」
 本堂へ廻って行った旅の人は、この薄暗い空気の中で、建築の模様を眺めながら、ジリジリと堂をめぐって、早くも背面へまわりました。
 その時分になって、縁の下から面《かお》を出した茂太郎が、
「弁信さん」
「なに」
「今の人は、もう行ってしまったかい」
「まだ裏の方を見ているでしょう。お前隠れなくてもいいじゃないかね」
「だって……弁信さん、あれはいやな奴だよ、あれはね、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といって、両国橋にいる時に、よくやって来た、いやな奴だ。あたいを捕《つか》まえに来たんじゃないか知ら」
「そうかね、そんな人だったの。でも、旅の大工だといっているから」
「大工じゃない、遊び人なんだよ。何しに来たんだろう、気をおつけ」
「そうね」
 二人は、そのいやな奴が何しにここへ来たかを解《げ》しかねて、気味悪く思いました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵とてもまた、すでに机竜之助在らず、お銀様も、宇津木兵馬も、お雪ちゃんもいないところへ、なんだって今頃になって尋ねて来たのだろう。
 果して見るだけ見、たたくだけたたいてみたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、なあんだ、つまらないという面《つら》をして、以前のところへ戻って来ると、弁信法師は相変らず縁に腰をかけていたが、茂太郎は再び九太夫をきめ込む。
「いや、どうもおかげさまで、大へんによい学問を致しました、まことに結構な建前《たてまえ》で……」
 こんなお座なりを言ったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、未練気《みれんげ》もなく、この寺を辞して出て行ってしまいました。
 そのあとで、弁信は、再び縁の下から這《は》い出した茂太郎をつかまえて、
「支那の道州というところは、どういう土地のかげんか、背の低い人が出るのだそうですね、大人になって身の丈《たけ》が三尺しかないのが出るのだそうです。で、それを矮奴《わいど》と名付けて、年々、朝廷に奉《たてまつ》ることになっていたのです」
「背の低い人間を天朝様へ上げるの。そうして、天朝様では、それを何にするの」
「珍しいから朝廷へ置いて、お給仕にでも使うんだろうと思います、それを道州|任土貢《じんどこう》といいました」
「ジンドコウ?」
「ええ、土地の産物を貢物《みつぎもの》にするという意味なんでしょう」
「そうですか」
「その度毎に悲劇――が起るんですね。つまり任土貢に売られるものは、親も、子も、兄弟も、みんな生別れです、嫌ということができません」
「それは無理でしょう」
「無理です。それですから白楽天が歌いました、任土貢|寧《むし》ロ斯《かく》ノ如クナランヤ、聞カズヤ人生ヲシテ別離セシム、老翁ハ孫《そん》ヲ哭《こく》シ、母ハ児《じ》ヲ哭ス……ある時、その道州へ陽城という代官が来ました」
「支那にもお代官があるの」
「ええ、お代官といったものでしょうか、日本のお大名ともちがうし……お代官よりは、もう少し格がいいんでしょう。その陽城という人が、道州を治めに来ました時、この任土貢《じんどこう》を、どうしても天朝様へ納めることをしませんでした」
「その時には、生憎《あいにく》、背の低い人が見つからなかったのでしょう」
「そうではないのです……陽城公は考えがあって、ワザ[#「ワザ」に傍点]とその背の低い人を朝廷へ奉らなかったのです。そうすると、天子様から再三の御催促がありました、ナゼ任土貢を奉らないのだと……」
「お代官も困ったでしょう」
「ところが、陽城公が詔《みことのり》に答えていうのは……臣、六典ノ書ヲ按《あん》ズルニ、任土ハ有《う》ヲ貢シテ無《む》ヲ貢セズ、道州ノ水土生ズル所ノ者、タダ矮民《わいみん》有ッテ矮奴《わいど》無シ……とキッパリとお断わり申し上げてしまったのですね。つまり、私は昔の書物を調べてみましても、任土貢というものは、その土地に有るものを献上することで、無いものを献上すべきものではござりませぬ、わが道州には矮民というものは有るが、矮奴というものは無い、無いものを献上することはできませぬと、天朝に向って、キッパリとお断わりを申し上げてしまったのです」
 弁信法師はこういって、感慨深く息をついて、
「ところが聖天子は、それを御感心あって、それより以来、矮奴を貢《みつぎ》とすることを悉《ことごと》くおやめになってしまいました。賢臣と明主との間はこうなければならない事です。道州の民のその後の喜びはどのくらいでしょう、老いたるも、若きも、みな喜んで、そこで一家|団欒《だんらん》の楽しみが永久に保たれるようになりましたものですから……道州ノ民、今ニイタルマデソノタマモノヲ受ク、使君《しくん》ヲ説カント欲シテ先ズ涙下《なんだくだ》ル、ナオ恐ル児孫ノ使君ヲ忘ルルヲ、男ヲ生メバ多ク陽ヲ以テ字《あざな》トナス……道州の民は今に至るまで、陽城公の徳を慕うて、そのことを語らんとするにまず涙が下るといった有様で、後の子孫がそれを忘れてはならないというところから、男の子が生れると、多くはそれに陽の字をつけました」
 ひとりで説明し、ひとりで感心している弁信法師。それを聞いていた清澄の茂太郎は、退屈もしないが、さのみ感心した様子もなく、弁信の説明が一段落になった時に、例の般若の面を頭の上にのせて、つと立ち上って庭へ踊り出しました。
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いっちく
たっちく
ジンドコウ
有るものは有るように
無いものは無いように
陽城公が申し上げ
道州|民《たみ》が救われた
天朝様はお見通し
いっちく
たっちく
ジンドコウ
[#ここで字下げ終わり]
と歌いながら、三重塔のある宮の台に走《は》せ上《のぼ》りました。
 その時、宮の台の原には、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が石に腰うちかけて、思案の体《てい》です。
 この野郎、先刻は未練気もなく月見寺を出て行ったはずなのに、まだこんなところにひっかかっているところを見ると、何か思いきれないものが残っているのかも知れない。
「おれという野郎も、わからねえ野郎じゃねえか」
といって柄《がら》にもなく頬杖をついて、いささか悄気《しょげ》て見えるのは、近頃はどうも思うようにがんりき[#「がんりき」に傍点]の眼が出ないで、あっちへ行っては鼻を明《あ》かされ、こっちへ来てはヌカヨロ[#「ヌカヨロ」に傍点]をつかませられ、これも思いきれないで、血眼《ちまなこ》で東西南北を駈けめぐって、なにほどかモノにしようと焦《あせ》っているのが、兄貴の七兵衛の物笑いの種となるばかりでなく、御当人も、少しは気がさしたものらしい。
「さて今晩のところは……」
といって頬杖を外《はず》し、身を起しかけたのは、今晩これからの塒《ねぐら》の心配でしょう。
「うっかりドジを踏んで、粂《くめ》の親分にでも見つかろうものなら……事だ」
 百蔵は真黒な犬目山《いぬめやま》の方を横目に睨《にら》んで見たのは、この男にとっては、この郡内は最も危険区域であり、ことに鳥沢の粂《くめ》という親分には、頭も尻尾も上らないで、いつぞやは、裸にされて、甲州名代の猿橋の上から逆《さか》さまにつるされたことがある。その辺を心配してみると、この危険区域には、うっかり碇《いかり》を卸せなくなるはずです。
 で、結局、どう思案がついたか腰を浮かしながら、
「待てよ……あの寺で、おれの姿を見ると、慌《あわ》てて縁の下へ隠れたのは、ありゃ清澄の茂太郎だ」
とつぶやきました。なるほど、がんりき[#「がんりき」に傍点]ほどの眼力《がんりき》で、子供の隠れんぼを見落すはずもあるまい。
 その時分、幸か不幸か茂太郎は、
[#ここから2字下げ]
いっちく
たっちく
ジンドコウ
[#ここで字下げ終わり]
 そういいながら、ちょうど、この宮の台の原へ馳《は》せ上って、ほとんど、がんりき[#「がんりき」に傍点]の眼前|咫尺《しせき》のところまでやって来たものですから、
「おい――茂坊」
「おや?」
 清澄の茂太郎が、ギョッとして立ち止まりました。
「茂太郎」
「あ、お前は……」
「お前こそ、どうしてこんなところに来てるんだい、両国橋にいれば、ああして人気の上に祭り上げられて、栄耀栄華《えいようえいが》が尽せるのに、なんだってこんな山ん中へ逃げて来ているんだい。叔父さんと一緒に帰《けえ》らねえか、親方もお前を待ちきってるぜ、御贔屓筋《ごひいきすじ》もお前をさがしている。江戸へ行けば、お前は人気の神様で、金の生《な》る蔓《つる》を持っているのに、なんだってこんなところに隠れてるんだい。さあ、叔父さんと一緒に帰らねえか」
 悪獣毒蛇を恐れない茂太郎が、この時、面《かお》の色を真青《まっさお》にして返事ができませんでした。
 清澄の茂太郎は、アッとばかりに立ちすくんでしまいました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、立ち上って左の手で茂太郎の右の手首をつかまえてしまいますと、
「叔父さん」
 茂太郎は悲しい声を出しました。
「何だ」
「堪忍《かんにん》しておくれよ」
「堪忍するもしないもありゃしねえ、お前をよくしてやるんだぜ」
「だって」
「こんな山ん中に隠れているより、江戸へ出りゃあ――両国橋へ帰りさえすりゃあお前、いい着物を着て、うまいものを食べて、人にちやほやされて……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、やさしく言って聞かせるように、
「楽ができて、うまいものが食べられて、人からは、やんやといわれて、それでお金が儲《もう》かるんだ」
といいました。
「叔父さん、あたいは、この方がいいんだよ、こっちにいたいんだから……」
「何をいってるんだ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が、茂太郎の言い分をとりあわないのは、あながち、この子供のいやがるのを拉《らっ》し去ろうというのではなく、自分の推量で、つまり、いま言った通り、江戸へ帰りさえすれば、楽ができて、うまいものが喰べられて、いい着物が着られて、人から可愛がられるのに、こんな山の中へ拐《かどわか》されて来ているのを、不憫《ふびん》がる心もいくらかあるのです。だから、物やさしい声で、
「それから茂坊、お前には御贔屓《ごひいき》があることを忘れやしめえ。貴婦人――というのはなんだが、しかるべき後家さんや、御殿女中なんてのが、お前を可愛がりたがって、やいのやいのをきめていることを忘れやしめえ。叔父さんが話してやるから帰んな……よ、お寺へ話をしてやろう。お寺の誰に話をすりゃいいんだえ」
「叔父さん、御免よ、あたいは江戸へ帰りたくないんだから」
「わからねえことを言いっこなし」
「いいえ。じゃあね、叔父さん、弁信さんに相談して来るから、待っていて頂戴」
「弁信さんてなあ誰だい」
「あたいのお友達……今、縁側に腰をかけていたでしょう」
「あ、あの、小さい坊さんか」
「ええ、あの人に相談して来るから、待っていて下さい」
「それには及ばねえよ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、茂太郎の左の手を容易には放そうとしないで、
「おいらが行って話をつけて上げるから。もともとお前はこっちのものなんだ――こっちといっては少しなんだが……親方のところへ帰る分には、誰も文句のいい手がなかろうじゃねえか」
「でも……」
「いいッてことよ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は茂太郎の手を引張りました。
「ああ、弁信さあん」
 茂太郎は声をあげて助けを求めるの叫びを立てようとするのを、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が早くも、合羽《かっぱ》の中へ抱え込んでしまって、
「おとなしくしな」
 哀れむべし。清澄の茂太郎は、無頼漢《ならずもの》の羽掻《はがい》に締められて、進退の自由を失ってしまいました。せめて、口笛でも吹くだけの余裕があったならば、こういう時に、狼が来てくれたかも知れない。
 しかし、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵とても、この子供を、そうむごく扱うつもりでしているのでないことは、おおよその挙動でも知れる。誰かに拐《かどわか》されて、こんな山の中へ連れ込まれて、動きが取れないでいるのを、再び世に出してやるのだというくらいな腹はあるらしい。だから、むしろ親切でしてやるつもりが見える。
 そうして、とうとうがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵と、清澄の茂太郎とは、どこかへ行ってしまいました。

 一方、弁信法師が狂気のように騒ぎ出したのは、それから後のことであります。
 弁信は、報福寺の提灯《ちょうちん》をともして、寺の門を駈け出して、
「茂ちゃあーん」
と幾度か叫び、幾度かころげましたけれども、返事とてはありません。
「茂ちゃあーん」
 宮の台の、たった今まで百蔵がいた石のところまで来て、またころんで起き上った弁信は、提灯を拾い取って見ると、幸いにまだ火は消えておりませんでした。
「茂ちゃん、どこへ行ってしまった、悲しい」
といって弁信が泣きました。
 もう呼んでも駄目だと思ったのでしょう、提灯をさげたまま、しょんぼりと、宮の台の原の真中に立ちつくしています。
「拐《かどわか》されたんだよ、連れて行ったのは、さきほどお寺を見に来た旅の大工だといったあの人に違いない、それだから茂ちゃんが隠れたのだ、わたしも訝《おか》しいとは思いました、訝しいとは思ったけれど、まさか……と油断していたのが過《あやま》ちでした」
 弁信は、なお暫くの間、そこに立ったままです。
 一時は気がつくと、ハッとして狂気のように驚いたけれども、その驚いた間にも、提灯をつけて飛び出したほどの弁信です。なぜならば、盲目《めくら》であり、勘のよいことにおいて倫《りん》を絶《ぜっ》している弁信自身が、提灯をつけなければ夜歩きのできないはずはないのです。それを、その際《きわ》どい場合にも、寺の名の入った提灯をつけて、そうして飛び出したほどの弁信ですから、いかなる感情の切迫の際でも、理性は冷静に働いているのです。冷静に働く理性と、判断力と、記憶力と、それに倫を絶した勘という直覚力が加わると、他に向ってあせることの愚なのを考えて、自らの能力に訴えることの有利なるを悟らないわけにはゆきません。
 弁信は、宮の台の原のまんなかに立って考えました。時々、その法然頭《ほうねんあたま》を左右に振りながら、そうして、せっかくの提灯の中の蝋燭《ろうそく》が、早や燃え尽きようとするのに、動き出そうともしません。
 ラジオ[#「ラジオ」に傍点]は現代の科学が発明する以前、何千万年の間、この空間に存在していたものであります。けれどもその時代には、各人がアンテナ[#「アンテナ」に傍点]を持つというわけにゆかず、ただ特殊の人だけが、それを聞くことができたのです。天才と修練とによって、透徹された心耳《しんに》を有する人は、この宇宙のラジオ[#「ラジオ」に傍点]を、アンテナ[#「アンテナ」に傍点]も、レシーヴァー[#「レシーヴァー」に傍点]もなしに聞くことができて、それを人間に伝えた時に、人間がそれを神秘とし、奇蹟としました。ある特殊の人は、いつでも、限られたる人の聞くことができない音を聞き、限られたる人の見ることのできない世界を見ているのです。ですから、経文《きょうもん》の世界は、大覚者にとっては夢の世界ではなくして、現実の世界です。
 ここにお喋《しゃべ》りの弁信法師は、暗中に立ってその特有のアンテナ[#「アンテナ」に傍点]を働かしている。
 提灯《ちょうちん》は、とうとう消えてしまいました。蝋燭《ろうそく》がその使命を果して、光明の犠牲を払い尽したから……しかし、それが弁信法師にとってはなんでもありません。光明には光明の使命があり、暗中には暗中の自由がある。特に弁信にあっては、明暗二つの差別が意味をなしません。
 その翌日になると弁信法師は、しょぼしょぼとして檀家《だんか》廻りをはじめました。
「ええ、皆様のおかげで、長々と御厄介になりましたが、昨晩、茂太郎の行方《ゆくえ》がわからなくなりましたものですから、私はこれから、それをさがしに参らねばなりません、お雪ちゃんの帰るまでは、とお約束をしたようなものですけれども、これも余儀ない事情でございますから、あとのところをよろしくお願い申しますでございます……御縁があらば、また直ぐに立帰って参りますが、御縁がないならば、これがお別れになるかも知れません」

         二十九

 信濃の国、白骨の温泉の宿の大きな炉辺で、しきりに猪を煮ているのは、思いがけなく繰込んで来た五人連れのお神楽師《かぐらし》と称する一行のうちの、長老株の池田といった男と、それからもう一人は、北原という同行の男――他の三人の姿の見えないところを以てすると、それは安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨《ひだ》の方面へ行ってしまったのかも知れない。
 残された二人は、悠々寛々《ゆうゆうかんかん》として猪を煮ているところを見れば、この二人だけはここにとどまって、冬を越すの覚悟と見える。
「こんにちは。なかなかお寒うございますね」
 そこへあいそうよく入りこんで来たのは、お雪ちゃんです。
「おや、お嬢さん、おあたりなさいまし」
と北原が、薪を折りくべながらいいますと、
「御免下さいまし」
 いつか、相当の馴染《なじみ》になっていると見えて、お雪はすすめられるままに、炉辺へかしこまり、
「先生」
と言って、池田の方へ向きました。
「え」
 長い火箸で火を掻《か》いていた池田は、お雪ちゃんから、思いがけなく先生と呼ばれたので、ちょっと驚いた眼つきをすると、
「少々、お願いがございますのですよ」
 お雪は相変らず人懐《ひとなつ》こい言葉づかい。池田は少々恐縮の色で、
「何ですか、改まって、私を先生とお呼びなすったり、お願いだなんておっしゃったり、痛み入りますよ」
という。
「いいえ、お隠しになってもわかっておりますよ、守口さんがお帰りの時にそういいました、あの池田先生は良斎といって、京都では国学の方で指折りの先生だから、よく教えておもらいなさいって……ですから、先生にお願いに上りました」
 お雪からこういわれて、池田良斎先生が頭を掻きました。
「守口の奴、よけいなことをいったものだ、なるほど、少しは国学もやるにはやりましたが、指折りの先生だなんて、いやはや」
「先生、わたくしは和歌《うた》をつくりたいと思っていますけれど、思うように出来ませんが、どうしたらよろしうございましょう」
「それは御同様ですよ。また思うように和歌《うた》が出来た日には、人麿《ひとまろ》や、貫之《つらゆき》が泣きますからね」
「それはそうでしょうけれども、せめて形だけでも、ほんの門の中へ入ってみるだけでもよろしいんです……和歌《うた》を作るには、まずどういう順序で作ったらよろしうございましょう、それからお聞かせ下さいまし」
「そうですね……ああいうものは天分ですからね、上手《じょうず》に手引をしてもらったからといって、またたくさんに本を読んだからといって、よい歌が作れるというわけのものではありませんが……まあ多く古今の人の名作を読み、同時に自分も多く作り、そうして、しかるべき人に見てもらうのが何よりでしょうと思います。今まで何かお作りになりましたか、ここへ来て何かお詠《よ》みになりましたかね、お作があるなら、それを拝見したいものです」
 池田は諄々《じゅんじゅん》として答えました。
「二ツ三ツ、詠んでみましたが、とても人様にお目にかけられるような品ではありません」
「遠慮はいけませんよ、出過ぎるのはなおいけませんけれど、人に見られるのを恥かしがっては上達はしません」
「それでは後刻お目にかけましょうが、先生、古人の和歌では、どなたをお手本にしたら、よろしうございましょうか」
「誰を……というのは、ちょっと返答に困りますが、万葉集は読まねばなりません。万葉を御覧になりましたか」
「あ、万葉集はここへ持って参りました」
「それは、よい本をお持ちでした、万葉集一巻あれば、三年この山籠《やまごも》りをしていても、飽きるということはありますまい」
「ですけれども、先生、わたくしには、まだ万葉集の有難味がよくわかりませぬ」
「追々に研究してごらんなさい……私共にもまだまだ、ほんとうに万葉集を読みこなす力は無いのです。この冬仕事にひとつ、お互いにあれを読み砕いてみましょうか」
「お待ち下さい、今、本を持って来てみますから」
 お雪は欣然《きんぜん》として、立って本を取りに自分の部屋へ出かけました。
 そのあとで、猪《いのしし》が煮え出したものですから、池田良斎といわれたのは箸の先で、ちょいとつまんで風味を試み、
「うまい」
と言いました。北原謙次が、
「山陽の耶馬渓図巻《やばけいずかん》の記を読むと、猪を食うところがありますね」
「そうそう、今でもそのあとに、喫猪亭《きっちょてい》というのがある」
「耶馬渓へおいでになりましたか」
「行きました」
「どうですか、いいところですか」
「そうさ、人によってだが、わたしはあまり好かないよ。山陽にいわせると、天下第一等のところになっているが、山陽という男が、その実あんまり歩いてはいないのだからな。それに漢学者流の誇張で書きまくっているのだから、行って見て感心する人より、失望する者が多いだろう」
「山陽は足跡《そくせき》海内《かいだい》にあまねしとか、半ばすとか自慢をしていますが、この辺までは来たことはないでしょう」
「ないとも。耶馬渓を見てさえあのくらいだから、この辺から神高坂《かみこうざか》、穂高、槍、大天井あたりの景色を見せたら、仰天して、心臓を破裂させてしまうかも知れない。妙義だって、よくは見ていないのだ……雲霧晦冥《うんむかいめい》の時の妙義を、上州と信濃のある地点から見て見給え、とても、耶馬渓あたりの比ではないのだよ」
「時に、四面もうみな雪ですね」
「ああ、四面みな雪で懐ろだけが、こうしてあたたまっている」
 二人は猪をパクつきながら、一盞《いっさん》を試みている。

 万葉集を行李《こうり》の中から取り出して、ここに持ち来すべく出て行ったお雪は、廊下でバッタリと男妾《おとこめかけ》の浅吉に出逢いました。
 浅吉は、気の抜けたような面《かお》をして、手に櫛箱《くしばこ》を提げながら、通りかかって来たものですから、
「浅吉さん、どちらへ」
「お雪ちゃん、お寒くなりましたね」
「ええ、寒くなりました、お風呂ですか」
「いいえ、これから、あなたのところへお伺いしようと思っているところです」
「そうですか……」
と言ってお雪は、浅吉の手に抱えている櫛箱に眼をつけますと、
「お内儀《かみ》さんにいいつけられたものですから、仕方なしに……」
「何ですか、浅吉さん」
「あなたのところの先生にお髪《ぐし》を上げておやりなさいって、お内儀さんからいいつけられたのですよ」
「まあ、うちの先生に?」
「ええ」
 浅吉は浮かぬ面《かお》に、一種の恐怖をさえ浮べておりました。
「それは御苦労さま」
「ええ、お前は髪を結《ゆ》うのが上手だから、先生の髪を結ってお上げなさいと、お内儀《かみ》さんにいいつけられたものですから……」
「そうですか、それは御苦労さまでした」
 お雪は愛嬌にいって、浅吉と連れ立って自分の部屋へやって来ましたが、そこへ近づくと、浅吉の恐怖と嫌厭《けんえん》の色が一層深くなって、ゾッと身ぶるいをしました。
 浅吉をつれて自分の部屋へ戻って来たお雪は、障子をあけて見て、
「おや、先生がいらっしゃらない」
 いるとばかり思っていた机竜之助がいませんでしたから、お雪も案外に思い、浅吉も、
「おや、どちらへおいでになったでしょう」
 櫛箱をさげたまま、ぼんやり立っていると、お雪が先へ入って、
「風呂にでもおいでになったのか知ら。まあ、お入りなさい、浅吉さん」
 そこで二人は入りました。浅吉はぼんやりと櫛箱をそこに置いて、炬燵《こたつ》の前にかしこまっていると、お雪は戸棚をあけて行李《こうり》を取り出し、その中から、あれか、これか、と書物をさがしました。
「お雪さん」
 それを、ぼんやり見ながら浅吉が言葉をかけたものですから、お雪は本をさがしながら、
「はい」
「あの、お雪さん、済みませんが、油を持っておいででしたら、少し分けて下さいませんか……頭へつける油を」
「油ですか、ええあります、あります、油なら上等のがありますよ」
「切らしてしまったものですからね、どうぞ、少しばかり」
「油なら上等の椿油がありますよ」
「椿油ですか」
「ええ」
「それは結構ですね」
「それも本物の大島の椿油なんですよ、伊豆の伊東の人からいただいたのがありましたから、それを持って参りました、まだたくさんあります」
「そうですか、大島の椿油なら本物です、ずいぶん、椿油といってもイカサマ[#「イカサマ」に傍点]ものがありますからね」
「それにね、髪へつけるばかりじゃありません、刀の油とぎをするのに、椿油がいちばんいいんですってね」
「そうですか……刀には丁子《ちょうじ》の油がいいと聞きましたが、椿油でもいいのですか」
「椿の方がいいんですとさ」
といいながら、お雪は戸棚の隅から油壺に入れた椿の油を取り出して、浅吉の前に置き、
「たくさんお使いなさいまし」
「有難うございます」
 お雪は再び書物の数を読んで、都合六冊ばかりの本を取揃えると、
「では、わたし、ちょっと下へ行って参りますから、一人でお待ちなすって下さい」
「お雪ちゃん」
 お雪が立って下へ行こうとする袖を、引き留めるようにして浅吉が、
「お雪ちゃん、もう少しここにいて下さいな」
「でも、わたし、よい歌の先生が見つかりましたものですから、教えていただきたいと思います」
「それにしても、私は一人じゃ淋しいから、少しの間ここにいて下さいな」
「いいえ、うちの先生もそのうちに帰るでしょうから」
「お雪ちゃん……後生《ごしょう》ですから」
 浅吉は拝むようにいいましたけれども、お雪は笑って取合わず、
「浅吉さん、弱い人ね、もう少し強くならないと、鼠に引かれちまいますよ」
 お雪は、新しい知識のあこがれがいっぱいで、本を抱えると、欣々《いそいそ》として下へおりて行きました。
 それを追いすがるほどの元気もなく、そのあと浅吉は、ぼんやりとして、お雪から与えられた備前焼の油壺を取り上げて、そっと香いをかいでみました。
 そうして、また油壺を前にして、ぼんやりと、かしこまっていましたが、誰も戻っては来ません。当の人がいないのを幸いに、立帰るほどの元気もなく、主なき炬燵《こたつ》に膝を入れるほどの勇気もなく、油壺を前にして、ぼんやりと、立っていいのか、坐っていいのか、わからなくなりました。
 こうして取残された男妾《おとこめかけ》の浅吉は、いくら待っても、誰も戻っては来ません。
 待ちあぐんでしまった浅吉は、しばらくのこと、ひとまず引取って、また出直そうという気になりました。
 そこで、油壺を取り上げて、戸棚へ仕舞い込んでおこうとする途端に、行李《こうり》の中で、パッと自分の眼を射るものを見つけました。
 お雪が取急いだものですから、行李の中に残された本が整理しきれず、手軽に投げ込まれてあった中に、眼を眩惑《げんわく》するような、極彩色の浮世絵の折本が一冊、ほころびかかっているのを見たものですから、油壺をそこへ差置くと、その折本をたぐってみました。
 見れば、それは源氏の五十余帖を当世風に描いたもので、絵は二代豊国あたりの筆。版も、刷りも、なかなか精巧で、そこらあたりの安本とは、趣の変った情味がゆたかです。
 浅吉は吸い入れられるように、その絵本に見入りました。
 お雪ちゃんという子も、これだから油断がならない。
 浅吉は怖る怖る、その折本を下へ持ちおろして、最初から一枚一枚見てゆくうちに、浮世絵の情味が、自分の身《からだ》の中に溶け込んで、しばらく、われを忘れてしまいました。
「お雪ちゃんという子もわからない子だ、無邪気で人なつこく、同情心が深くって、神様のような心持かと思っていれば、こんな本を内密《ないしょ》で見ているんだもの。それでも、年頃だから、こんな美しい当世風の浮世絵を見ていれば、悪い気持もしないのでしょう、にくらしい」
 浅吉はこの時、お雪を憎らしい子だと思いはじめました。
 事実、浅吉にあっては、このごろ中からお雪ちゃんというものが、読めたような、読めないような、心持になっているのです。
 もう、年ごろなのに、無邪気で清々《せいせい》とした子供のような気分――かと思っていると、なにもかも見抜いて、粋《すい》を通しているようなところもあるし――あの目の見えない人を先生と呼んでいるが、何の先生だか、浅吉にはよくわからない。親類の人でもあるようだし、全く他人でもあるようだし、隔てのないほどにあまえた口を利《き》くかと思えば、全く改まった扱いをしているのを見ることもあるし――私たちの間だって、つまり主人の後家さんの性質や、心持まで、ちゃんとのみこんでいながら、その心持で外《そ》らさず附合っているのかと思えば、全くその辺のことは御存じがなく、ただ自分は、むずかしい御主人のお供をして来ているのだとばっかり、信じきっているようでもある。
 お雪ちゃんという子はわからない子だ、と浅吉は、これまでも幾度か首をひねらせられたのですが、今という今、ほんとに憎らしい子だ、と思いはじめました。
 けれどもなお、一枚一枚と見てゆくうちに、お雪ちゃんを憎らしいと思う心が、いつか知らず絵本の中の主人公に溶け込んで、ついには今様源氏の光《ひかる》の君《きみ》が憎らしくなりました。女という女から可愛がったり、可愛がられたり、さして深い煩悩《ぼんのう》も感ぜず、大した罪という自覚もないくらいだから、罪も作らず、最後には自分の可愛がった女を集めて、いちいちに局《つぼね》を与え、それに花を作らせて楽しむという生涯。男と生れたからには、この光源氏の君のようなのが男冥利《おとこみょうり》の頂上だと、浅吉は、羨《うらや》ましくなりました。そこで勢い浅吉は、一人の後家さんから完全に圧服されてしまって、グウの音も出ない自分というものの意気地無さかげんに、軽少ながら憤りの心をさえ起してみました。
「私だって男だ」
という義憤がむかむかと湧き起ったのは、この男としては珍しいことです。といって、こういう男の義憤も、一概に軽んずるというわけにはゆきますまい。
「私だって男だ」
 浅吉は、わくわくとして、ひとり憤りを発していましたが、まだ誰も帰って来ません。自分ひとり、腹を立っているのだということがわかりました。

         三十

 机竜之助はこの日、湯の宿を出て小梨平の方へ歩いて行きました。
 かたばみの紋のついた黒の着流しのままで、頭と面《かお》は、頭巾《ずきん》ですっぽり[#「すっぽり」に傍点]とつつんではいるが、その頭巾なるものが、宗十郎というものでもなく、山岡でもなく、兜頭巾《かぶとずきん》でもなく、また山国でよく用うるかんぜん[#「かんぜん」に傍点]帽子というものでもなく、ただ、あたりまえの黒縮緬《くろちりめん》の女頭巾を、ぐるぐるとまいて山法師のかとう[#「かとう」に傍点]を見るように、眼ばかり出したものです。
 四面はみな雪ですけれども、山ふところは小春日和《こはるびより》。
 白樺や桂《かつら》の木の多いところをくぐり、ツガザクラ[#「ツガザクラ」に傍点]の生えたところをさまよい、渓流に逢っては石をたたいて見、丸木橋へ来ては暫くその尺度をうかがって、スルスルと渡りきり、雑草多きところでは衣裳を裾模様のように染め、ある時は呼吸せわしく、ある時は寛々《ゆるゆる》として、上りつ下りつして行きました。
 このごろは、だいぶ身体《からだ》もよくなったせいでしょう、こうしているところを前から見ても、横から見ても、誰も病人と見る者はないほどに、姿勢もしゃん[#「しゃん」に傍点]としているし、カーヴの甚だ急に変ずるところでない限り、杖を使わないで歩いて行くところを見れば、誰も、これが盲目《めくら》の人だとはおもいますまい。
 竜之助の、さして行かんとするところは小梨平に違いない。それより遠くへは冒険になるし、それより近いところには、たずねて行って見ようとするものもない。
 小梨平には鐙小屋《あぶみごや》というのがありました。先日、竜之助はお雪の案内で、そこまで散歩を試みたことがあるのです。さればこそ、今日はこうして手放しで、山谷の間を、ひとり歩きができるということになっているのでしょう。
 白昼に見るせいか、今日はたしかに人間の歩き方になっている。本体を宿へ置いて、遊魂そのものだけが街頭に人を斬って歩く時とは違い、少なくとも人間そのものが、足を大地に踏まえて歩いているように見える。
 方二町ばかりの小沼の岸に立った時に、乗鞍《のりくら》ヶ岳《たけ》が、森林の上にその真白な背を現わしました。雪をかぶった乗鞍ヶ岳の背は、名そのままの銀鞍《ぎんあん》です。銀鞍があって白馬はいずこへ行った。それはこれより北に奔逃《ほんとう》して、越後ざかいに姿を隠している。
 沼に沿うて銀鞍が再び森に沈んだところに、いわゆる鐙小屋《あぶみごや》があります。
 竜之助はこの間お雪に導かれて、ここに来た時のことを思い出しました。
「ねえ、先生、ここに綺麗《きれい》なお池がありますのよ。ごらんなさい、この水の澄んでいて静かなこと、透き通るようですわ。あれ、大きな魚が……山魚《やまめ》でしょうか。おお、つめたい、この水のつめたいことをごらんなさい、指が切れるようです、あたりまえの水の何倍つめたいことでしょう。後ろを振返ってごらんなさい、真白な山、あれが乗鞍ヶ岳ですとさ。先生、あなたは、あの山に登ってみたいとお思いにならない……お思いになっても駄目ですわね、あなたには登れませんから。あたし、女でも登ってみたいと思いますわ。今は、雪があって登れませんから、来年、雪が解けた時分には、きっと登ってみますわ。あのお山は一万尺からあるんですってね……木曾の御岳山とどちらかだっていうじゃありませんか。あなたは一万尺の山にお登りになったことがありますか。そらごらんなさい、この金剛杖にも『一万尺権現池』と焼印がおしてありますよ。ああいけませんでした、あなたにはおわかりにならない、あの高い山も、この綺麗な水も、金剛杖におされた焼印も……ほんとにお気の毒さまですね」
と言われたのはちょうど、このところです。
 山登りをする者が誰も携えて行く金剛杖、八角に削った五尺余りなのを、今日も竜之助は携えて来ました。
 ここは日当りがことによくて、風の当りも少ない。竜之助は目的の鐙小屋《あぶみごや》へ行くことを忘れて、暫くそこに立っていました。
 高山の麓《ふもと》、腹、頂《いただき》などには、太古以来といっていいほどの小屋掛けが、思いがけないところに散在する。それがある時は殺生小屋《せっしょうごや》であり、ある時は坊主小屋であり、あるいは神仏混淆《しんぶつこんこう》に似たる室堂《むろどう》であったりする。
 由来、坊主小屋は樹下に眠り、石上を枕とする捨身無一物の出家が、山岳を行く時にかりの宿り[#「宿り」に傍点]と定めた名残《なごり》で、殺生小屋は山をめぐって、生きとし生けるものを殺しつくす生業《なりわい》の猟師が、糧《かて》を置くところと定めていたものだという。持戒者と殺生者とが隣合わせに住むのは、あながち塵の浮世の巷《ちまた》のみではない、高山の上にも、人間が足あとをつける限り、このアイロニーが絶えなかったものと見える。
 ここ、小梨平、無名《ななし》の沼のほとりに立てられた鐙小屋は、いつの世、誰によって、何の目的のために立てられたかわからないが、今でも人が住んでいる。
 けれども、この鐙小屋までは、まだこの沼づたいに相当の距離がある。無名《ななし》の沼の岸を机竜之助は金剛杖をついてではない、それを提げて――静かに歩んで行くと、不意に空《くう》を切って飛んで来た礫《つぶて》が、鏡のように静かで、そして透き通る無名《ななし》の池の中に落ちて、ザンブと音を立てて波紋が、ゆるやかに広がりました。
 そこで、竜之助はハッとして歩みをとどめました。仰いで見たところで、岩石の落ち来るべきところではない、俯《ふ》して見たところで、人の気配のないところ。
 そこで竜之助は歩みをとどめて、石の降って来た方面に面《おもて》を振向けると、第二に飛んで来た石が竜之助の面をかすめて、再び沼の中に落ちて音を立てました。
 第一のものは、いかなるところから、いかなるハズミで飛んで来た外《そ》れ石《いし》か知れないが、第二のものは、たしかに心あってしたものに相違ない。何か自分をめあてに、仕掛ける意図があっての仕業《しわざ》に相違ない。それにしては力の無い石だと思いました。けれども、竜之助の心が動きました。そうして手に提げていた金剛杖の真中を取って、矢止めの型で軽く振ってみた。その杖先に第三の石が飛んで来てカチリと当って下に落ちました。
「ホホホ、驚いたでしょう」
と行手に立って言葉をかけたのは、聞覚えのある声です。いつのまにか叢《くさむら》の上に立ってこちらを見ているのは、例の、飛騨の高山の穀屋《こくや》の後家さんであります。その声を聞くと、竜之助が身顫《みぶる》いをしました。今の悪戯《いたずら》はこいつだ。年甲斐《としがい》もない噪《はしゃ》ぎ方だ。
「ねえ、先生」
と言ってこの後家さんは、そろそろと少し高い所から下りて来て、なれなれしく話しかけました。竜之助を先生と呼ぶのは、お雪ちゃんにカブれたものでしょう。
「貴船様《きふねさま》の前まで出て見ますと、あなたのこちらへおいでになるのが、よく見えたものですから、急いで、あとを追っかけて参りましたよ」
 竜之助のそば近く歩んで来るこの水っぽい後家さんは、よほど急いで来たと見えて、額のあたりに汗がにじみ、まだ息がせいせいしている。
 誰にたのまれて、そう急いで来たのだ。
「ねえ、先生」
と後家さんは、いよいよなれなれしく近づいて来て、息を切り、
「今日はお一人ですか。鐙小屋《あぶみごや》へいらっしゃるのでしょう。留守ですよ、あそこは。神主様は室堂《むろどう》へ行って、おりません……ええ、先廻りをして見届けて参りました。この間はお雪ちゃんに手を引いていただいておいでになりましたのに、今日はお一人でよく道がおわかりなさいましたこと。鐙小屋においでになっても詰りませんから、このお池の周囲《まわり》を歩いてごらんになりませんか。いいお天気で、ホカホカとして春先のような心持が致しますね。このお池を廻って御一緒に宿へ帰りましょう。それともこんなお婆さんと一緒ではおいや……」
 竜之助でなくてもゾッとしましょう。
 無名《ななし》の沼のほとりを、肪《あぶら》ぎった後家婆さんと、竜之助とは、ブラブラと歩いて行きました。
「ねえ、先生、あなたはこの間、お雪ちゃんに護身の手というのを教えておいでになりましたね、あれを、わたしにも教えて下さいましな」
「お前さんが習ってなんにする」
「覚えておいて害にはなりますまい、いざという時……」
「そうです、覚えておいて害にはなりますまい。けれども、あれは若い娘たちのためにするものです。若い時分には、どうも危険がありがちだから、もしこういう場合には、こうして手を外《はず》すとか、この場合にはこうして敵を突くとか、二ツ三ツの心得を、お雪ちゃんに話してみせただけのものです」
「若い時分に限ったことはございますまい、誰だって、あなた、いつ、どういう危ない目に逢うか知れたものじゃありません」
「ははあ……」
 竜之助はそれを聞き流しながら、
「お前さんなんぞは、かっぷくがいいから、そのかっぷくで敵を押しつぶしてしまったら、たいがいの男はつぶれてしまうでしょう」
「御冗談《ごじょうだん》を……」
 後家さんは、まじめに取合われないのを、ちょっとすねてみましたが、
「ねえ、先生」
 暫くして、また改まったように、甘えた口調《くちょう》で呼びかけました。
「ねえ、先生、あなたは人を殺したことがおありなさる?」
 後家さんの肪《あぶら》ぎった面《かお》に、小さい銀色の粒が浮いて来ました。
「何ですって?」
 竜之助は、わざと聞き耳を立てました。
「先生、あなたは人を殺したことがおありなさるでしょう」
「どうして、そんなことを聞くのです」
「でも……」
 ちょうど、道が沼の岸を離れて林の中に入る時分に、後家婆さんは、後ろの方をそっと顧みて、
「それでも、人を殺してみないと、度胸が定まらないっていうじゃありませんか」
「そんなはずはあるまい、人を殺さなくても天性度胸のいい者はいい、臆気《おくびょう》な奴が、かえって大事をしでかすこともあるものさ」
「それはそうでしょう。けれどいちど、人を殺すと、それから毒を食《くら》えば皿までという気になって、腹が出来るというじゃありませんか」
「そうか知ら」
「真剣ですよ、先生、わたしは、真剣で先生にお話し申しもし、先生からお聞き申しもしたいものですから、この通り、話しながらも動悸《どうき》が高くなっているのですよ」
「そうかといって、おれは人を殺しました、と答える奴もあるまい」
「そうおっしゃられてしまえば、それまでですけれど、先生には、わたし、このことをお尋ねしてもいいと思っているから、それでお尋ねしているんですよ。つまり、わたしは、あなたは、たしかに人を殺しておいでなさると見込みをつけてしまったものですから、こんなことを臆面もなくお聞き申すんですが、あなたがお返事をして下さらなければ、わたしの方から白状してみましょうか。これでも、わたし、人殺しをしたことがありますのよ」
 こういって、後家さんは忙がしそうに、四方《あたり》を盗み見ましたけれど、そこは一鳥も鳴かぬ無人のさかいであります。
 強《し》いて人に物を問いかけるのは、必ず自分の身に相当の不安があるからであります。
「幾人!」
 その時、竜之助が反問したのを、後家さんは充分に聞き取れないほどせき込んで、
「幾人って、あなた……」
 鸚鵡返《おうむがえ》しに、
「そう幾度も悪いことができるものですか……わたしは、それでも今は度胸がすっかりすわりましたよ……ですから先生、自分に覚えがあるものですから、人を見れば直ぐにわかりますのよ……この人は人を殺したことがあるかないか、心の底がちゃあんと、わたしには読めるようになりました。ここまで申し上げたら、あなたも、懺悔話《ざんげばなし》をして下すってもいいでしょう」
 ここに至って、後家さんの腹がおちついて来たらしく、言葉が浮いて来て、
「それで、そういう人と見ると、わたしはなんだか、自分の味方を見つけでもしたように、無性《むしょう》にたのもしくなってしまって……なんでもかでも、すっかりぶちまけて、その人にやってしまいたいような気になるのですね、おかしいでしょう」
 道はようやく沼を離れてしまって、林の中深く入って行くようです。
「先生、わたしにばかり白状させてしまっては罪ですよ、懺悔話をお聞かせください、ぜひ、どうぞ」
 度胸がおちついたとはいうものの、手ごたえがないので、不安が不安を追っかけるように、後家さんは竜之助に促《うなが》しました。
 けれども、何としてか、竜之助は答えることなしに、少し歩みを早めて、ずんずんと後家さんより先に立って木立の中深く進んで行くものですから、後家さんは、肪《あぶら》ぎった大きな身体《からだ》をそれに引きずられるように、追いすがるように歩いて、
「あんまり奥へおいでになってはいけません……お池の方へ戻りましょうよ」
 その時、沼のあなたに当って、谺《こだま》を返す一つの呼び声がありました、
「お内儀《かみ》さん――お内儀さん、どちらへおいでになりました」
 それは林を隔て、沼を隔てて呼ぶ浅吉の声にまぎれもありません。
 この声を聞くと後家さんが、いまいましそうな、また、いつになく怖ろしそうな顔になって、声のする方へ向き直ったけれども、そちらへ足をめぐらそうとはしません。
 机竜之助もまた、その時、ずんずんと進んでいた足をとどめて立っていると、
「お内儀《かみ》さん――お内儀さん、お迎えに参りましたよ、お一人歩きをなさると、お危のうございますよ」
 甲《かん》に高い浅吉の呼び声は、感情もまたたかぶって、沼のほとりを、あちらこちらとさがし廻っている様子が、なんとしても穏かには響きません。
「お内儀さあ――ん……」
 聞いていると、どこまでも嫉《ねた》みを持ってものを追い求める声です。
「ねえ、先生……」
 後家さんは、半ば恐怖の色を以て、竜之助にすがるように、
「あれは、うちの浅公ですよ……御存じでしょう、わたしの雇人ですが、このごろ、どうしたものか、わたしを恨んでいます……恨んではいるけれども、口に出しても、手に出しても、何もすることはできない意気地なしなんですが、ああいう意気地なしが思いつめると、また何をしでかすかわかったものではありません……この間の晩も……」
といって、後家さんの唇の色が変って、舌がもつれました。
「ねえ、先生、この間の晩、夜中に、どうも変ですから、ふいに眼がさめて見ますとね、あの野郎がわたしのこの咽喉《のど》をおさえて、こうして……わたしを絞めようとしていたんですね、吃驚《びっくり》して、起き直って、わたしが、とっちめてやりますと、泣いてあやまりましたが、あんなのがかえって怖いのかも知れません。ですから、先生、ぜひ、あの護身の手を一つ教えておいてくださいまし、もし、不意に咽喉でも絞めに来るとか、また刃物でも持って向って来た時には……」
 後家さんが、再び、護身の手のことをいい出した時、竜之助はその左の腕を後家さんの背後から伸ばして、その襟《えり》を取ってグッと絞め、
「左様、後ろから絞められた時は……」
 不意でしたから後家さんが、よろよろとよろけかかりました。
 不意のことでしたから、後家さんも仰天《ぎょうてん》して、よろよろよろけかかるのを竜之助は、
「もし、これを強く絞めようと思えば、こう親指を深く入れて、べつだん力を入れずにグッと引きさえすれば……動けば動くほど深くしまるばかりだ」
と言いながら、後ろから腕を深く入れると、後家さんは、
「あ、あ」
といって息を吹くばかりで口が利《き》けません。後家さんの聞こうとするのは、深く絞める仕方ではなく、絞められた時に、振りほどく手段なのです。ですから、いったんしめた手をゆるめて、その解《と》き方を示すべき時に、竜之助は、無意味にその手をゆるめられなくなりました。
 この男には、かりそめの絆《ほだし》が、猛然たる本能を呼び起すことは珍しくないので、活殺の力をわが手に納めた時に、それを無条件でつっぱなしきれなくなるのがあさましい。かりそめにしめあげた腕はゆるめなければならないのに、人間の肉が苦しみもがく瞬間の、はげしい運動と、熱い血潮に触れると、むらむらとして潜在の本能がわき上ります。
「苦しいか」
「く、く、苦……」
 後家さんは、必死となって竜之助の腕にすがって、その蛇のような腕を振りほどこうともがいたが、それは、さいぜん予告しておいた通りに、もがけばもがくほど深く入るだけで、力を入れるそのことが、いよいよ敵に糧《かて》を与うる理法となっていることを知らない。
 はっ! と落ちたか、落ちない時に、それでも竜之助は手を放しました。手を放すと、肥満した女の骸《むくろ》が、朽木《くちき》のように、自分の足もとに倒れたことを知りました。
 しかし、それは、ほんの少しの間たつと、倒れた後家さんは半眼を見開いて、
「先生、あんまり酷《ひど》い」
といいました。死んだのではなかったのです。
「あんまり酷いじゃありませんか、殺さなくってもいいでしょう、お雪ちゃんに教える時にも、こんなになさったの……?」
 半醒《はんせい》のうちに、後家さんは、竜之助に怨《えん》じかけました。地獄をのぞいていまかえった人というような見得《みえ》で……
 それから、やがてまた二人が相並んで、林の中をそぞろ歩きして行くのを見かけます。
 その時分、林のあなたでは、またも男妾《おとこめかけ》の浅吉が烈しく呼ぶ声、
「お内儀《かみ》さん、どちらへおいでになりましたんですよ、一人歩きは危のうございますよ、お迎えに上りましたよ」
 多分、二人の耳には、以前から、その金切声が再々入っているはずですけれども、あえて耳を傾けようとはしませんでしたが、
「お内儀さあ――ん」
 そこで後家さんが小うるさくなって、
「気が違やしないか知ら、浅公――」
とつぶやきました。
 しかし、その浅公も、もうかなり呼び疲れたと見えて、それからしばらく呼び声が絶えてしまいました。
「ねえ、先生、そういうわけですから、意気地なしほど思い込むと怖いかも知れませんよ。用心のために……殺しちゃいけませんよ、今のように殺さないで、殺しに来るのを避ける法を教えて下さいましな、あれを外《はず》す仕方を教えて下さいましな」
といって、もうケロリとして、今の苦しかった地獄の門を忘れてしまったようです。事実、或いは苦しかったのではないかも知れない。上手にしめられると苦しいと感ずるのは瞬間で、それから後は恍惚《こうこつ》として、甘い世界に入るように息がとまってゆくそうな。こういう図々しい女は、再びその甘い死に方をして、また戻って来る気分を繰返してみたいのかも知れない。
「それを外《はず》すのは雑作《ぞうさ》もない」
といって、竜之助は再び後家さんの首を後ろから締めにかかると、
「先生、殺しちゃいけませんよ」
 今度は後家さんも覚悟の前ではあるし、竜之助も心得て、以前ほど強くは締めず、ゆるやかにうしろから手を廻して、
「これをこうすれば袖車《そでぐるま》……」
「もっと強く締めて下さい」
 その時、サッと木の葉をまいて、風のような大息をつきながら、そこへ馳《は》せつけたものがありました。
「お、お、お、お、お内儀《かみ》さん――」
 真蒼《まっさお》になって、ほとんど口が利《き》けないで、そこに踏みとどまりながら、吃《ども》っていましたから、竜之助も手をゆるめ、後家さんも向き直って見ると、それは男妾の浅吉でありました。
「お内儀《かみ》さん、あぶない――」
「浅吉、お前何しに来たの?」
「え、え」
「何しに来たんですよ、たのまれもしないに――」
「でも、お内儀さん、この節は、お一人で山歩きをなさるのは、お危のうございますよ」
「子供じゃあるまいし」
 後家さんは、ひどく邪慳《じゃけん》な色をして、浅吉に当りました。
「でも、お内儀さん、私は、あなたが今、この方に殺されているのだとばかり思ったものですから……」
 事実、浅吉はそう思って、その主人の急場を救わんがために駈けつけたものに相違ない。ところが来て見れば、当の御本人が至極平気で、かえって助けに来た自分を邪慳にし、
「そんなわけじゃないよ、お前こそ、わたしを殺したがっているくせに……」
「どう致しまして」
「さっきから、なんだって、あっちこっちでわたしを呼び廻っているの。山の中だからいいけれど、世間へ出たら外聞が悪いじゃありませんか」
「どうも済みません」
「いいから、お帰り、お前ひとりでお帰り、わたしはこの池を廻って帰るから……」
「ですけれど、お内儀《かみ》さん……」
「何です」
「お危のうございますよ」
「何が危ない。しつこい人だ、お前という人は。うるさい!」
「けれども……」
「大丈夫だよ、お前こそ一人歩きをして、熊にでも食われないように、気をおつけ」
 後家さんは、こういって浅吉を振りつけて行こうとすると、浅吉の眼の色が少し変りました。
「お内儀さん……どうしても危ない、あの方と一緒に歩いてはいけません」
「何をいっているんだい、失礼な」
「どうぞ、わたしと一緒にお帰りなすって下さいまし」
 浅吉は、とうとう後家さんの袖をつかまえてしまいました。これほどに思い込んで引留めることは、この意気地無しには珍しいことです。
「お放し」
 それを振りもぎって、振向いて見ると、たったいま自分の首を締めた人が、そこに見えない。
「おや?」
 後家さんは、慌《あわ》てて、四辺《あたり》を見廻したけれども、その姿は消えてしまっている。林の中にも、沼の岸にも、それらしいものが見えないから、
「おや、どこへおいでになった?」
 後家さんが、狼狽《うろたえ》ていた時、浅吉は透《すか》さず再びその袖を取って、
「お帰んなさいまし、わたしと一緒に帰れば生命《いのち》に別条はございません」
「何をいってるんだよお前は。お前こそ、わたしにとっては気味が悪いよ」
といって、後家さんはせきこんで、林の中へ駈けて行こうとするのを、浅吉が後ろから必死の力で抱き止めて、
「お内儀さん、あなたは死神につかれています、死神に……」
 男妾の浅吉の必死の力を、さしも大兵《だいひょう》の後家さんが、とうとう突き飛ばしきれず、それに取押えられてしまいました。
 ほどなく薯虫《いもむし》が蟻に引きずられて行くように、この大兵の後家さんが、男妾の浅吉に引っぱられて、沼の岸を逆に戻って行く姿が見えましたが、やがて鐙小屋《あぶみごや》の前へ来ると、断わりなしにその戸をあけて二人が中へ入りました。
 小屋はかなりの広さに出来ていて、正面には神棚があって、御幣《ごへい》の切り目も正しくして新しい。
 浅吉は、小屋の中へ御主人を誘《いざな》って、自分はかいがいしく一方の炉に火を焚きつけて、向い合って話をはじめました、
「ねえ、お内儀《かみ》さん、私はなにも人様の讒訴《ざんそ》をするわけではございませんが……あの方の人相をごらんなさい。昨晩も夢を見ましたよ。私は毎晩のように、このごろは夢を見ますのは、みんなほかの夢じゃございません、お内儀さんも私も、あの方に殺されてしまう夢なんです……昨夜もね、ちょうどそれ、あの無名沼《ななしぬま》なんですよ、あの沼の中に何か白いものが光って見えますから、私が近寄って見ますと、それがあなた、お気にかけなすっちゃいけませんよ、お内儀さんの死骸なんです。あなたが殺されて、あの沼の中へ投げ込まれているのを、私はまざまざと見たものですから、それが気になってたまらないでいるところへ、今日、こうして、あなたが沼の方へ、ズンズンとおいでなさるものですから、遠くで私が見ていますと、なんのことはない、あなたは、沼にすむ魔物に引寄せられておいでなさるとしか見えないものですから、私は我を忘れて、あなたの跡を追いかけて参りました、そうして大きな声をして、あの通りにお呼び申してみました。それでもようございました、危ないところをお助け申しました。これからは決してお一人歩きをなさらないようになさいまし、どうぞ……」
 浅吉は一生懸命でこのことをいいますのに、後家さんは案外平気で、
「お前、このごろ、どうかしているよ」
「いいえ、わたしより、お内儀《かみ》さん、あなたがどうかしておいでなさるのですよ」
と浅吉は例になくせわしく口を利《き》いて、
「あなたは魔物に引摺《ひきず》られておいでなさるんですよ」
「ばかなことを言っちゃいけないよ、どこに魔物がいます」
「いけません、お内儀さん、危ないのは、魔物にひっかかったと思う時よりも、魔物をひっかけたと思っている時の方が危ないのです」
「わけのわからないことをお言いでない、魔物なんてこの世の中にありゃしませんよ、みんなあたりまえの人間ですよ、人間並みにつきあっていさえすりゃ、怖いものなんてあるものか」
「そ、そ、それがいけないのです、お内儀さん、御当人にはわかりませんが、傍《はた》で見ていると、よくわかります、あの人は、今にきっと、お内儀さんも、私も殺してしまう人ですよ、早く逃げないと……」
「逃げたけりゃ、お前ひとりでお逃げ、お前こそ、わたしを殺そうとしたじゃないか、この間の晩のあのざまは何です」
「あれは、お内儀さん、その、夢ですよ。その怖い夢を見たものですから、思わず知らず力がはいって、あんなことになりました。お詫《わ》びをして許していただいたじゃありませんか。もうあれっきり、あのことをおっしゃって下さらないはずじゃありませんか」
「いいよ、そう申しわけをしなくったって。ちっとも怖かないから……第一、お前に人を殺すだけの度胸がありゃ頼もしいさ」
「お内儀《かみ》さん、それをおっしゃらないで下さい、私だって……」
「私だって、どうしたの」
 浅吉がギュウギュウ問い詰められている時に、小屋の裏戸が鳴りました。
 裏口の戸をガタピシとあけて、そこへ現われたのは、狩衣《かりぎぬ》をつけて、藁《わら》はばき[#「はばき」に傍点]、藁靴を履《は》いた、五十ばかりの神主体《かんぬしてい》の男。金剛杖を柱に立てかけて、
「これはこれは」
 おのれが留守中の来客を見て、挨拶の代りに、これはこれはといって、
「は、は、は、は……」
とさも陽気に笑いました。
「お帰りなさいまし、お留守中に失礼を致しました」
 浅吉が申しわけをすると、
「なんの、なんの、そのままにしていらっしゃい。いやどうも、いいお天気で、は、は、は……」
と、いいお天気そのもののように、神主は明るく笑いました。
「あんまりいいお天気だものですから、こうしてブラブラと遊びに出かけました」
と後家さんがいうと、神主は、
「ああ、そうでしたかい、そうでしたかい、よくおいでたの。わしは昨晩、室堂《むろどう》へ泊りましての、御陽光を拝みましての、御分身がすっかり身にしみ渡りましたので、よろこんで下山を致して参りましたわい。さあさあ、もっと火をお焚きなされ、火をたいて陽気になされませ」
 こういって神主は藁靴、藁はばき[#「はばき」に傍点]をとって、炉辺に坐り込み、薪を炉の中にくべました。
「お山の上はずいぶん雪が深うございましたろう、よくおのぼりになりましたね」
「ええ、ええ、もう、積雪膝を没するばかりで、風でも吹いてごろうじろ、とても上り下りのできるものではございません、当分は室堂へお籠《こも》りのつもりで出かけましたが、今朝は御陽光がすっかり身にしみて、この通りの上天気だものですから、一気に室堂から下って参りましたわい」
「御修行でおいでなさればこそ、とても並みの人にはできません」
と後家さんが感心してお世辞をいうと、浅吉が、これに継ぎ足して、
「ほんとに、お羨《うらや》ましうございます、わたしなんぞは、こんな若いくせをしまして、火の傍ばっかり恋しがっているのに、この寒空を、あの高い山まで楽々と上り下りをなさるのは、恐れ入りました、御修行とはいいながら、大したものです」
「なんの、なんの……修行というほどのことではございません、誰にもできることですよ。高いお山の上へ登って御陽光を分けていただきますと、もうこの心持が嬉しくなって、世間が晴々しくなって、この足が自分ながら躍《おど》り立つように軽くなりましてな、山坂を上ることも、下ることも、寒さも風も苦にはなりませんわい。こうして小屋へ帰って、焚火の光を見ますと、火の光がまた、なんともいえない陽気なもので、嬉しくなります、は、は、は……」
 神主は嬉しくてたまらないように、しきりに喜んでいたが、ふと浅吉の顔を見て、
「若衆《わかいしゅ》さん、お前さん、また何か鬱《ふさ》ぎ込んでいますな、いけません、一人鬱いでいると、室内がみんな陰気になりますから、おやめなさい、人間、陰気ということがいちばんいけないのですて……人は陽気がゆるむと、陰気が強くなります。陰気というのは、つまりけがれのことで、けがれは、つまり気を枯らす気枯《けが》れということでござってな、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起るのじゃ。お前さん、陰気だ、陰気だ、これはいけない、いけない、陽気にならっしゃい、ちと外へ出て御陽光を吸っておいでなさい……お前さんがいるために、この小屋の内までが変に陰気くさくなっていましたわい、ドリャお祓《はら》いをして進ぜよう」
と言って元気に老神主は立って、神棚の前の御幣を持って来て、
「朝日権現は万物の親神……その御陽光天地に遍満し、一切の万物、光明温暖のうちに養い養われ、はぐくみ育てらる……」
と言って、二人の頭の上で、しきりにその御幣を振りかざしました。
 この幣束《へいそく》で、お祓《はら》いをしてもらったのだか、祓い出されたのだか、二人はほどなく小屋の外へ出てしまいました。
「ごらん、お前があんまり陰気な顔をしているもんだから、あの神主様にまでばかにされてしまった」
といって、後家さんが浅吉をこづきました。浅吉はよろよろとして踏みとどまるところを、後ろから行って後家さんがまたこづきました。
「ホントに陽気におなりよ、意気地なし、陰気はけがれだと神主様も言ったじゃないか、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起ると神主様がそうおっしゃったよ、ホントにお前はけがれだよ」
「だって、お内儀さん……」
 恨めしそうに後ろを向きながら、浅吉がまたよろよろとよろけて踏みとどまると、
「お前がいると陰気くさくっていけないって、体《てい》よく追っ払われたんじゃないか、外聞が悪い」
といって後家さんが三たびこづくと、浅吉がまたよろけました。
「意気地なし」
 後家さんから四たび突き飛ばされて、二間ばかり泳いで踏みとどまった浅吉は、
「それは御無理ですよ」
 やはり恨めしそうに振返ったけれど、あえて反抗しようでもなければ、申しわけをしようでもありません。小突かれれば小突かれるように、むしろこうして虐待されたり、凌辱されたりすることを本望としているかの如く、極めて柔順なものです。
 そうして、突き飛ばされて、突き飛ばされて、二人の姿は小梨平から見えなくなりました。
 そのやや暫くあとで、机竜之助は、林の蔭から、こっそりと身を現わして、鐙小屋《あぶみごや》に近いところの岩間から湧き出でる清水を布に受けて、頭巾《ずきん》を冠《かぶ》ったなりで、うつむいては頻《しき》りに眼を冷し冷ししていると、小屋の中から手桶をさげて出て来た神主が、
「これは、これは――」
といって、竜之助の仕事を立って見ていましたが、
「それは利《き》きますよ、水でなけりゃいけません、湯では本当の修行になりませんな……白骨の温泉の雌滝《めだき》に打たれるより、この水で冷した方が、そりゃ利き目がありますよ」
「どうも、しみ透るほど冷たい水だ」
と竜之助が眼を冷しながら答えると、神主が、
「トテモのことに、室堂の清水まで行って御覧になってはいかがです、これどころじゃありません……それから一万尺の権現のお池へ行って、神代ながらの雪水をむすんでそれを眼にしめして、朝な朝なの御陽光を受けてごらんなさい、癒《なお》りますよ」
「御陽光というのは何だね」
「朝日権現のお光のことでございます、黒住宗忠様が天地生き通しということをおっしゃいましたのを御存じでしょう」
「知らない」
「三月の十九日に、宗忠様は、もう九死一生の重態の時に、人に助けられて、湯浴《ゆあみ》をして、衣裳を改めて、御陽光をお拝みになりましたから、家の人たちは、もうこの世のお暇乞《いとまご》いを申し上げるのだろうと思っていましたところが、御陽光が宗忠様の胸いっぱいになって、それより朝日に霜の消えるが如く、さしもの難病がことごとく御平癒になりました」
「ははあ」
「久米の南条の赤木忠春様は、二十二歳の時に両眼の明を失いましたけれど、宗忠様の御陽光を受けてそれが癒りましたよ」
「ははあ」
「御陽光に背《そむ》いてのびる人間はなし、御陽光を受けて癒らぬ病人というのはございません……まあ、一度、この乗鞍ヶ岳へお登りなさいませ、そうして、朝日権現の御前に立って、蕩々《とうとう》とのぼる朝日の御陽光を拝んで御覧あそばせ、それはそれは、美麗とも、荘厳《そうごん》とも……」
と言いかけて、美麗荘厳はこの人に向って、よけいなことだと気がつきました。

         三十一

 宿では、お雪ちゃんが炬燵《こたつ》に入って人形に衣裳しているところへ、竜之助がフラリと帰って来ました。
「あ、先生、お帰りなさいまし」
 衣裳人形を片手にして、お雪は帰って来た竜之助を見上げると、竜之助は刀を床の間へ置いて、静かにお雪ちゃんと向い合わせの炬燵に手を入れました。
 お雪はにっこりと笑って、
「お迎えに上ろうと思いましたが、たぶん鐙小屋《あぶみごや》だろうと思ってやめました」
「そうでしたか、わたしも、お雪ちゃんを誘って行こうと思ったが、歌に御熱心のようだから、一人で出かけましたよ」
「ええ、ずいぶん、あの先生偉い先生よ、お歌の方の学問では京都でも指折りの先生ですって……」
「それはいい先生が見つかって仕合せだ」
「全く仕合せよ、あなたには武術の護身の手というのを教えていただくし、あの池田先生には歌を教えていただくし……」
 お雪は心から、自分の今の身の上の幸福を感じているらしい。そうして、今ちょっと手を休めた衣裳人形の着物の襟《えり》を合わせはじめると、竜之助が、
「お雪ちゃん、どうだ、乗鞍ヶ岳へのぼってみようではないか」
「え、お山登りですか、結構ですね。ですけれども……」
 お雪は人形の手を袖へ通して、
「けれども今はいけませんね、せめて春先にでもなってからでしょう」
「ところがいま登ってみたいのだ」
「この雪の深いのに……」
「左様……あの鐙小屋の神主が案内をしてくれるといいました」
「あの神主様が案内をして下さる? それだって、先生、今は行けやしませんよ」
「どうして?」
「どうしてとおっしゃったって……ここには雪はありませんが、外へ出てごらんなさい、山はみんな真白ですよ、吹雪でもあったらどうします」
「それでも、あの神主は、昨晩|室堂《むろどう》へ泊って易々《やすやす》と帰って来た」
「そりゃ、仙人と並みの人とはちがいますよ、山で修行している人と、たまにお客に来た人とはちがいますもの」
「だから、その山で修行した人が先達《せんだつ》をしてくれればいいわけではないか」
「そりゃそうかも知れませんが……わたしは女ですもの。それに先生……」
と言ってお雪は人形の衣裳の前を合わせ、
「あなたは、いったい、山登りをしてどうなさるの、いい景色をごらんになるわけではなし、朝の御来光を拝みなさるわけではなし……それこそ、骨折り損じゃありませんか。それよりは、おとなしく、炬燵《こたつ》に入って休んでおいでなさい、わたしが面白い本を読んでお聞かせしますから……」
 お雪は慰め顔に言いましたが、竜之助が何とも返事をしませんから、なんだか気の毒になって、
「ねえ、先生、わたしが今、何をしているか御存じ?」
「知りません」
「それでも当ててごらんなさい」
「歌を作っているのでしょう」
「いいえ」
「それではお裁縫《しごと》?」
「いいえ」
「わからない」
「あのね……お人形さんに着物を拵《こしら》えて上げているところなのよ、さっき、梅の間の戸棚をあけて見ますと、この衣裳人形がありましたから、有合わせの切れを集めて、こんなに拵えました」
 竜之助は、それを聞いて驚いてしまいました。この娘は自分の周囲に、今、どんな人間がいて、その立場がどうであるかということはいっこう念頭になく、深山の奥で、近づく限りの人を友とし、知り得る限りのことを学び、愛すべきものを愛し、弄《もてあそ》ぶべきものを弄ぼうとして、恐るることを知らない。

 この間、池田良斎は、お雪ちゃんの持って来た万葉集を見てこういいました。
「ああ、これは寛永二十年の活字本で珍しいものだ、今日の万葉集はすべてこれを底本《ていほん》にしているが、普通には千蔭《ちかげ》の略解本《りゃくげぼん》が用いられている、よほど好書家でないとこれを持っていない」
 そうして、北原賢次とお雪ちゃんのために、日本の活字の来歴を一通り話したことでありました。同時に、活字本と、普通の木版本の相違をも、よく説明して聞かせたことでありました。
 活字は、すべて一字一字ずつとりはずしのできるもの。普通の木版は、一面に文章そのままを平彫《ひらぼり》にしてしまうもの。良斎の説によると、日本の活字の最初は、平安朝以前にあったが、最も盛んなのは徳川家康の前後ということ。また近代西洋式の流し込みの活字を創造したのは長崎の人、本木昌造ということになっているが、実は播磨《はりま》の人、大鳥|圭介《けいすけ》がそれより以前に実行している……というようなことまで知っているところを見ると、この人は国学のみならず、現代の知識にもなかなか明るい人と見える。
 その翌日から万葉集の講義が始まりましたが、その講義は良斎らの座敷を選ばず、名物の炬燵《こたつ》を仲介することもなく、この炉辺をそのまま充《あ》てることになりました。
 一冊の万葉集を真中に置いて、炉の一方には良斎先生が陣取り、それと相対して北原賢次とお雪ちゃん――陪聴《ばいちょう》の役として留守番の喜平次も顔を出せば、お雪ちゃんの連れの久助さんも並んでいる。
 池田良斎は、燃えさしの粗朶《そだ》の細いところを程よく切って、それをやや遠くの方から万葉集の字面に走らせ、
[#ここから2字下げ]
こもよ
みこもち
ふぐしもよ
みふぐしもち
この岡に
菜《な》摘《つ》ます児《こ》
家きかな
名のらさね
そらみつ
やまとの国は
おしなべて
吾こそをれ
しきなべて
吾こそませ
われこそはのらめ
家をも名をも
[#ここで字下げ終わり]
 一通り訓《よみ》をして、それからいちいち字義の解釈を下して、全体の説明にうつりました。
「この歌は、雄略天皇様が、あるところの岡のあたりで、若菜を摘んでいる愛らしい乙女を呼びかけておよみになった歌で、これ、そこに籠《かご》を持ちくし[#「くし」に傍点]を持って菜を摘んでいる愛らしい乙女よ、お前の家はどこじゃ、聞きたいものじゃ、名乗れ、自分はこの国を支配する天皇であるぞよ……というお言葉、いかにも上代の平和にして素朴な光景、一国の元首が、名もなき乙女に呼びかけ給う壮大にして、優美な情調が一首の上に躍動している。すべて万葉の歌は……」
と講義半ばのところへ、大戸を押し開いて、あわただしく駆け込んだものがありましたから、講義が一時中止になりました。
「惜しいことをした、ホンのもう一息のところで……」
と言って、講義半ばの空気を壊したことをも頓着せず、炉辺へしがみつくようにやって来て、
「熊を一つ取逃がしてしまった、突くにはうまく突いたが、槍がよれ[#「よれ」に傍点]たから外《そ》れちまった、危ねえところ――」
 猟師は手首の負傷を撫でて、すんでのことに熊の口から助かって、命からがら逃げて来た記念を見せる。鉄砲を持たないこの辺の猟師は、熊を見つけると充分に引寄せて、のしかかって来る奴を下から槍で胸か腹を突く、突っ込んだ瞬間に逃げる――そのあとで熊は突かれた槍を敵と思い込んで、抜くという知恵がなく、かえって自分で抉《えぐ》って、自分で死ぬという。
 熊の襲来で、万葉集の講義が一段落となりました。
 そうしてこの猟師の報告によって、件《くだん》の熊の運命について、おのおのその見るところを語りはじめました。ある者は、熊というものは到底、刺された槍を抜き取るだけの知恵のあるものではない。浅かれ、深かれ、槍を立てた以上は、自分で抉って、自分で傷を深くするだけの器量しかないのだから、これは当然どこかに倒れているに相違ないと言う。
 ある者はまた、それも程度問題で、突き方が非常に浅ければ振りもぎってしまうし、木の根や岩角に当って、おのずから抜け去ることもあるのだから、無事に逃げ去ってしまったろうという。
 どっちにしても、もう少しその運命を見届けて来なかった猟師に落度がある――という結論になって、猟師が苦笑いする。
 池田良斎はそれを聞いて、
「とにかく、熊の下腹まで行って槍を突き上げるとは非常な冒険だ、へたに運命を見届けているより、獲物《えもの》は外《そ》れても、逃げて帰ったのが何よりだ」
と言いましたけれども、猟師は、なかなか諦《あきら》めきれないらしい。
 宿の留守居連中も集まって来て、諦められない猟師を、いっそう諦められないものにする――というのは、熊一頭を得れば一冬は楽に過せる、山に住む人の余得として、これより大きいのはない、それを取外《とりはず》した猟師のために、やれやれ気の毒なことをしたと悔みを言うものですから、猟師がいよいよ諦めきれなくなりました。
「ちぇッ、もしかすると、そこいらに斃《たお》れていやがるか知れねえ、もう一ぺん出直してみよう」
 この連中にとっては、自分たちの生命の危険よりは、熊一頭が惜しいように見える。猟師は、そこでふたたび錆槍《さびやり》をかつぎ出しました。こうなると力をつけた連中も気を揃えて、それに加勢をすることになると、最初には、たしなめた池田良斎すらが、この機会にその熊狩見物を面白いことにして、同行をすることになると、万葉集の講演が、そのままお雪ちゃんだけを残して、熊狩隊に変ってしまいました。
 そこで宿に秘蔵の、鉄砲一挺も持ち出されることになる。この鉄砲とても、いつぞや、塩尻峠のいのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原で持ち出された業物《わざもの》と、弟《てい》たり難く、兄《けい》たり難い代物《しろもの》ですが、それを持ち出した留守居の源五の腕だけは、あの時の一軒屋の亭主よりも上らしい。
 こうして鉄砲が一挺に槍が二本、同勢六人で押し出した熊狩隊は、行く行く熊の話で持切りです。
 熊は必ず一頭では歩かない、親の行くところには必ず子が従うということ。熊の掌《てのひら》の肉がばかに美味《うま》いということ。熊の胆《い》の相場。熊は山を歩くにも、猪や、鹿のように、どこでもかまわぬという歩き方をしない、だから、ここを追えばここへ出るという待ち場所はちゃんときまっている――というようなことを話し合う。
 池田良斎はそれを聞いて、商売商売だと思う。よく朝鮮征伐の物語で、勇士が虎に接近した昔話を読むが、この辺の猟師もそれに負けないことをやる。そうしてかれらは、それを冒険だとも、手柄《てがら》だとも思っていない。かえってその冒険よりも、熊一頭の所得を偉大なものだと信じていることを不思議がる。
 暫く進んで、ようやく山深く分け入った時、
「ソラアいた、いた――ソレ、あすこで動いてるのを見ろやい」
 一人が叫び出すと、すべての眼の色が緊張する。
「一発ブッくらわしてみろ」
 そこに獲物《えもの》の影を認めて、早くも追出しの鉄砲を一発打つと、意外にも向う遥かに人の声、
「人間だよ、人間が一人いるから、気をつけておくんなさいよ」

         三十二

 そこで、熊狩りの一隊が呆《あき》れました。
 彼等が呆れているところへ、お椀帽子《わんぼうし》を冠《かぶ》って、被布《ひふ》を着た旅の男が一人、のこのこと歩いてくるのは、「人間ですよ」と自ら保証した通り、人間が一人、抜からぬ顔をして現われて来ました。
「一体、どうしたんです、旅のお客さん、今時分こんなところを、どこから来てどこに行くのです……危ないこった」
と熊狩りが狩り出したその人間を取巻いて、詰問の体《てい》。
「わしどもは、旅の俳諧師《はいかいし》でございましてね、このたび、信州の柏原《かしわばら》の一茶宗匠《いっさそうしょう》の発祥地を尋ねましてからに、これから飛騨《ひだ》の国へ出で、美濃《みの》から近江《おうみ》と、こういう順で参らばやと存じて、この山越えを致しましたものでございますが……ふと絵図面を見まして、これよりわずかのところに白骨温泉のあることを承知致しましてからに、道をまげて、これよりひとつ、その白骨の温泉に温《ぬく》もって参らばやとやって参りました」
「それは、それは」
 熊狩りの一行は、この俳諧師の出現に機先を折られた様子。
 ともかく、この俳諧師一人をノコノコと平気で歩かせてよこした方の道には、とうてい熊はいないと鑑定しなければならぬ。
 そこで熊狩りの一隊は、陣形と策戦の方針を一変しなければならぬ。
 獲物中心の連中が、ガヤガヤとその陣形と策戦の方針を語り罵《ののし》りながら、方向転換をやっている時、見学の池田良斎は、やや離れて後からくっついて、新たに出現した俳諧師を生捕ってしまいました。
「あなた、俳諧をおやりなさるのですか」
「へ、へ、へ、少しばかり……」
 年の頃は、まだ三十幾つだろうが、その俳諧師らしい風采《ふうさい》が、年よりは老《ふ》けて見せた上に、言語挙動のすべてを一種の飄逸《ひょういつ》なものにして見せる。
「信州の柏原の一茶の旧蹟を尋ねて、只今その帰り道なのでございます」
「ははあ、なるほど、一茶はなかなか偉物《えらぶつ》ですね」
「え」
といって俳諧師は眼を円くし、
「失礼ながら、あなたにも[#「にも」に傍点]一茶の偉さがおわかりですか」
「それは、わたしにも[#「にも」に傍点]、いいものはいい、悪いものは悪いとうつりますよ」
 池田良斎が答えると、俳諧師は驟雨《にわかあめ》にでも逢ったように身顫《みぶる》いをして、
「では一茶の句集でもごらんになったことがございますか」
「あります、あります、『おらが春』を読みましたよ」
「おらが春――たのもしい、あなたが、そういう方とは存じませんでした」
 俳諧師は着物の襟をさしなおして恐悦がりました。仲間《ちゅうげん》みたような風采をしていた良斎の口から、一茶を褒《ほ》められて、自分の親類を褒められたような気になったのでしょう。有頂天《うちょうてん》になった俳諧師は、
「おらが春を本当に読んで下されば、一茶の生活と、人間と、発句《ほっく》の精神とはまずわかります、わかるにはわかりますがね、人によってそのわかり方の違うのはぜひもありません。あなたは、一茶という人間を、どういうふうにごらんになっていますか、それを承りたい」
「そうですね」
 池田良斎がこの質問に逢って、少しく首を捻《ひね》りますと、俳諧師はそれにかぶせて、
「どうですな、一茶の偉いというのは、太閤秀吉の偉いのとは違いましょう、日蓮上人の偉さとも違いましょう、また近代のこの信濃の国の佐久間象山の偉さとも違いましょう、一茶の偉さは、英雄豪傑としての偉さではありませんよ、人間としての偉さですよ、信濃の国の名物中の名物は俳諧寺一茶ですよ……いや、信濃の国だけではありません、この点において一茶と並び立つ人は天下にありません、一茶以前に一茶無く、一茶以後に一茶なしです……」
 俳諧師の言葉に熱を帯びてきました。
 一方の熊狩りはどこへ行ったか姿が見えません。かれらは一頭の熊のために、一頭の熊が与うる生活の資料のために、血眼《ちまなこ》になっているから、山を眼中に置かない。
 こちらは歌人――とは断定できないが――と俳諧師とは、古人を論じて来時の道を忘るるの有様です。
 しかし、どうやら間違いなく二人は白骨の宿へたどりつくと、池田良斎が東道《とうどう》ぶりで、炉辺に焚火の御馳走を始めました。
 ところで、この俳諧師の、俳諧寺一茶に対する執着は容易に去らない。
「古人は咳唾《がいだ》珠《たま》を成すということをいいましたが、一茶のは咳唾どころじゃありません、呼吸がみな発句《ほっく》になっているのです、怒れば怒ったものが発句であり、泣けば泣いたのが発句となり……横のものを縦にすれば、それが発句となり、縦のものを横に寝かせば、それがまた発句です。その軽妙なること俳句数百年間、僅かに似たる者だに見ずと、時代を飛び越した後人がいいましたけれども、それでも言い足りません。一茶の句は滑稽味が多いとおっしゃるのですか。それはやはりあなたも素人観《しろうとかん》の御多分に漏れません。よく一茶を惟然《いねん》や大江丸《おおえまる》に比較して、滑稽詩人の中へ素人《しろうと》が入れたがります。『おらが春』の序文を書いた四山人というのが、それでも、さすがに眼があって、これを一休、白隠と並べて見ました。それでも足りないのです。また一茶の特色を、滑稽と、軽妙と、慈愛との、三つに分けた人もあります、慈愛を加えたのが一見識でございましょう。一茶の句をすべて通覧してごらんになると、森羅万象がことごとく詠《よ》まれぬというはありません、その同情が、蚤《のみ》、虱《しらみ》、蠅《はえ》、ぼうふら[#「ぼうふら」に傍点]の類《たぐい》にまで及んでいることを見ないわけにはゆきますまい。それとまた一方に、一茶を皮肉屋の親玉のように見ている人もあります。つむじ曲りの、癇癪持《かんしゃくも》ちの、ひねくれ者のように見ている人もあります。勧農の詞《ことば》なんぞを読んで、聖人の域だと感心している人もあります。しかし、それはみんな方面観で、当っているといえば、凡《すべ》て当っているし、間違っているといえば、凡てが間違っているのです。本来、一茶のような人間に定義をつけるのが間違いなのです……ごらんなさい、これは天明から文政の間、まあ一茶の盛りの時代に出た全国俳諧師の番附ですが」
といって俳諧師は、行李《こうり》の中から番附を取り出して良斎に見せ、
「本来、風流に番附があるべきはずのものではありませんが……俗世間には、こういうものを拵《こしら》えたがる癖がありましてね。この番附には一茶が入っておりません、たまに入っているかと思えば、二段目ぐらいのところへ申しわけに顔を見せているだけです。しかし、これは仕方がありません、点取り宗匠連が金を使って、なるべく自分の名を大きくしておかないと商売になりませんからね、一つは商売上の自衛から出ているのですが、面白いのは、一茶の子孫連中が、その祖先の有難味にいっこう無頓着で、一茶が最後の息を引取った土蔵――それは今でも当時のままに残っておりますが、左様、土蔵といったところで、一間半に二間ぐらいのあら[#「あら」に傍点]壁作《かべづく》りのおんどる[#「おんどる」に傍点]みたようなもので、本宅が火事に逢ったものだから、一茶はこの土蔵の中に隠居をして、その一生涯を終りました、その土蔵の中へ、ジャガタラ芋《いも》を転がして置きました、たまに、わたしどもみたような人間が訪れて礼拝するものですから、その子孫連中があきれて、何のためにこんな土蔵を有難がるのか、わからない顔をしている有様が嬉しうございました……西洋の国では、大詩人が生れると、その遺蹟は国宝として大切に保護しているそうですが、日本では、一茶のあの土蔵も、やがて打壊されて、桑でも植えつけられるが落ちでしょう。一茶というものは、時代とところを離れて、いつまでも生きているものだから、遺蹟なんぞは、どうでもいいようなものですけれど……一茶の子孫の家ですか、それは柏原の北国街道に沿うて少し下ったところの軒並の百姓家ですが、今も申し上げた通り、自分の先祖の有難味を知らないところが無性《むしょう》に嬉しいものでした。家を見て廻ると、あなた、驚くじゃありませんか、流し元の窓や、唐紙《からかみ》の破れを繕《つくろ》った反古《ほぐ》をよくよく見ると、それがみんな一茶自筆の書捨てなんですよ。知らずにいる子孫は、いい反古紙のつもりで、それを穴ふさぎに利用したものです。あんまり驚いたもんですから、わたしどもはそれを丁寧にひっぺがしてもらって、こうして持って帰りました。それからこの渋団扇《しぶうちわ》、これもあぶなく風呂の焚付《たきつけ》にされるところでした。ごらんなさい、これに『木枯《こがら》しや隣といふも越後山』――これもまぎろう方《かた》なき一茶の自筆。それからここに付木《つけぎ》っ葉《ぱ》があります、これへ消炭《けしずみ》で書いたのが無類の記念です。一茶はああした生活をしながら、興が来ると、炉辺の燃えさしやなにかを取って、座右にありあわせたものに書きつけたのですが、こんなものをその子孫が私どもに、屑《くず》っ葉《ぱ》をくれるようにくれてしまいました。あんまり有難さに一両の金を出しますと、どうしても取らないのです、そういう不当利得を受くべきはずのものじゃないと思ってるんですな。これは、先祖の物を粗末にするというわけじゃない、その有難味のわからない純な心持が嬉しいのですね。それでも一茶自身の書いた発句帳、これはその頃の有名な俳人の句を各州に分けて認《したた》めたもの、下へは罫紙《けいし》を入れて、たんねんにしてあった、これと位牌《いはい》、真中に『釈一茶不退位』とあって、左右に年号のあるもの、これだけは大切に保存していました」
 俳諧師は、話しながら、渋団扇だの、付木っ葉だのを取り出して良斎に見せました。

 その時分、お雪ちゃんは、ただ一人で広い湯槽《ゆぶね》の中につかっておりました。
 今、髪を洗ったばかりと見えて、それをいいかげんに背から湯槽の縁《ふち》へ載せ、首だけだして身体《からだ》をすっかりと湯につけています。
 ここの湯槽は、一間に一間半ぐらいなのが八つあって、その八つの湯槽には、それぞれ名前がついているのだが、そのなかで疝気《せんき》の湯がいちばん熱く、綿の湯というのが名前の如く、やわらかくてぬるいことになっているが、それは盛りの時分のことで、今はどれも同じようなもので、お雪はやわらかな綿の湯につかりながら、白骨《しらほね》の名の起る白い湯槽《ゆぶね》の中を見ていました。この湯槽は石灰分がくッついているせいか、どれも白くおぞん[#「おぞん」に傍点]でいて、湯の水も白いように見えるが、流れ出す湯口を見ると無色透明で入浴の度毎に飲むと利《き》き目があるということだから、お雪も今、それを少しばかり飲んでみました。
 いつもならば、こうしていると誰か入りに来るのですが、今日は全宿の大部分は熊狩りに出動してしまっているし、三階の牡丹《ぼたん》の間へ間替えをした浮気ッぽい後家さん主従は、別段物争いの音も立てず、炉辺で話をしているのは国学者と俳諧師ですから、どう間違っても掴《つか》み合いになる心配はなし、昼日中《ひるひなか》が太古のような静かさで、お雪は自分一人がこの温泉にいるような、いい気持になってしまいました。
 そのうちに、お雪ちゃんが思い出しておかしくてたまらないのは、この間お雪が、竜之助から護身の手を教わったという話を聞いて、宿の留守番の嘉七という若い剽軽者《ひょうきんもの》が、
「わしらはハア、剣術もなにも知らねえが、敵が前から斬りかけて来た時は、ハア、額で受けらあ、後ろから斬りかけて来た時は背中で受けまさあ」
とすました顔でいったことです。
 お雪は、その時の嘉七の言葉と顔付がおかしいといって、ころげるほど笑いましたが、今もそれを思い出すと、ひとりおかしくなって、おかしくなって、ことに嘉七の額が少しおでこだものですから、額で受けらあという言葉が一層|利《き》いたので、今も湯槽《ゆぶね》の中でその思出し笑いが止まらないのです。

         三十三

 さてまた弁信法師は一面の琵琶を負うて、またもうらぶれ[#「うらぶれ」に傍点]の旅に出でました。
 ここは峡中《こうちゅう》の平原、遠く白根の山の雪を冠《かぶ》って雪に揺曳《ようえい》するところ。亭々たる松の木の下に立って杖をとどめて、悵然《ちょうぜん》として行く末とこし方をながめて立ち、
「茂ちゃん、お前のいるところはわたしには、ちゃんとわかっているようで、それで、どうしても逢えないの。今も、わたしのこの耳に、お前が、わたしに逢いたがっているその声が、ようく聞えるんですけれども、わたしにはお前のいるところがわからない」
 弁信は松の梢《こずえ》の上を仰いでこういいました。これはこの法師にとっては珍しいことではありません。いつでも、人なきところに人を置き、声なきに声を聞いては、それを有るものの如く応対するのが、このお饒舌《しゃべ》り坊主の一つの癖であります。
「ですから、昨日《きのう》もああしてお前に逢えないで過ぎました、今日も逢うことができないで暮れようと致します、明日はどうでしょう……どうかして、わたしはお前をたずねだして逢いたいと思うけれども、今日ここで逢えないように、明日|彼《か》のところで逢えないかも知れません、或いは今生《こんじょう》この世で逢えないのかも知れません……といってわたしは、それを悲しみは致しませんよ、今生に逢えなければ後生《ごしょう》で逢いましょう、ね、茂ちゃん」
 弁信はこういって暫く声を呑みましたが、また、ねんごろに言葉をつづけました。
「茂ちゃん、お前は後生というのを知っていますか……人間に生《しょう》を受けたこの世は長くても百年。五十年を定命《じょうみょう》と致すそうでございます。けれども生命の流れは曠劫《こうごう》より来《きた》って源《みなもと》を知ること能《あた》わず、未来際《みらいざい》に流れてその尽頭《じんとう》を知ることができないのですよ。五十年百年の命は、この長き生命の流れに比べますと、電光朝露《でんこうちょうろ》よりも、なお速《すみや》かなものだと思いませんか……後生がないという人は、一日の間に昼夜がないというのと同じことです、死は暫くの眠りでございます……」
 ここに至ると弁信は、茂太郎に向って語るのだか、それとも、他の見えざる我慾凡俗の衆生《しゅじょう》に向って語るのだか、わからない心持になったと見えて、
「皆様、人間の死は一つの眠りでございます、眠りの間にも生命は働いているのでございます……ただ一日の夜は、正確な時間の後に万人平等に来りますけれども、人間の死にはきまりというものがございません、死の来る時だけは、人間の力で知ることができず、制することもできません。皆様、それを恨むのは間違いです、人は病気で死んだ、災難で死んだといいますけれども、この世で病気に殺されたり、災難に殺されたりした者は一人もあるものではございません……いいえ、いいえ、お聞きなさい、そうです、そうです、人間は決して病気や災難で死んだものではありません、この世につかわされた運命が、そこで尽きたからそれで死ぬのです……今生《こんじょう》の善根が、他生《たしょう》の福徳となって現われぬということはなく、前世の禍根が、今生の業縁《ごうえん》となってむくわれぬというためしはございませぬ……十善の戒行《かいぎょう》を修《しゅ》した報いが、今生において天子の位に登ると平家物語から教えられました、『十善天子の御果報申すもなかなかおろかなり』と平家|御入水《ごじゅすい》の巻にございます。帝王の御身ですら、御定業《ごじょうごう》をのがれさせ給わず、ましていわんや……この小智薄根のわたくし……いかなる前生の罪か、この通り不具の身として、人間界に置かれましたわたくし……」
と言って、弁信法師は嗚咽《おえつ》して泣きました。涙がハラハラと雨のように落ちます。たまらなくなったと見えて、杖の上に置いた手の甲に顔をうずめて泣きましたが、
「ねえ茂ちゃん、お前がよく歌った、あの九つや、ここで逢わなきゃどこで逢う、極楽浄土の真中で……という歌が、わたしの耳に残って、今ぞ胸の蓮華《れんげ》の開くように沁《し》み渡ります」



底本:「大菩薩峠8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 五」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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