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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)未《いま》だ
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)根岸|鶯春亭《おうしゅんてい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ
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一
その晩のこと、宇治山田の米友が夢を見ました。
米友が夢を見るということは、極めて珍らしいことであります。米友は聖人とは言いにくいけれども、未《いま》だ曾《かつ》て夢らしい夢を見たことのない男です。彼は何かに激して憤《おこ》ることは憤るけれども、それを夢にまで持ち越す執念《しゅうねん》のない男でした。また物に感ずることもないとは言わないけれども、それを夢にまで持ち込んであこがれ[#「あこがれ」に傍点]るほどの優しみのある男ではありません。しかるにその米友が、珍らしくも夢を見ました。
「あ、夢だ、夢だ、夢を見ちまった」
米友は身体《からだ》へ火がついたほどに驚いて、蒲団《ふとん》からはね起きました。実際われわれは、夢を見つけているからそんなに驚かないけれども、物心を覚えて、はじめて夢を見た人にとっては、夢というものがどのくらい不思議なものだか想像も及ばないことです。
米友とても、この歳になって、初めて夢を見たわけでもあるまいが、この時の狼狽《あわ》て方は、まさに初めて夢というものを見た人のようでありました。
そうしてはね起きて、手さぐりで燧《ひうち》を取って行燈《あんどん》をつけ、例の枕屏風《まくらびょうぶ》の中をのぞいて見ると、そこに人がおりません。
「ちぇッ、よくよくだなあ、まさかと思った今夜もまた出し抜かれちまった」
米友はワッと泣き出しました。米友が夢を見ることも極めて珍らしいが、泣き出すことはなおさら珍らしいことであります。米友は憤《おこ》るけれども、泣かない男です。けれどもこの時は、手放しで声を立てて泣きました。
昼のうちに、あれほど打解けて話しておったその人が、まさか今晩は無事に寝ているだろうと思ったのに、もう出かけてしまった。昨夜の疲れと、その安心とで、ぐっすりと寝込んでしまったおれは、なんという不覚だろう。それに、今まで滅多には見たこともない夢なんぞを、なんだって、こんな時に夢なんぞが出て来たんだろう。あんな夢を見ている間に出し抜かれてしまったのだ。
あまりのことに米友も、一時は声を揚げて泣いたけれども、いつまでも泣いている男ではない、雄々しく帯を締め直して、枕許に置いた例の手槍を手に取ってみたが、どうしたものか、急にまた気が折れて、手槍を畳の上へ叩きつけると、自分は、どっか[#「どっか」に傍点]と行燈の下へ坐り込んでしまいました。
「いやだなあ」
米友は苦《にが》りきって、行燈の火影《ほかげ》に薄ぼんやりした室内を見廻した揚句に、ギックリと眼を留めたそれは、床の間の掛軸です。
「こいつだ、こいつだ、こいつが夢に出て来やがったんだ」
米友がこいつだと言ったのは、勿体《もったい》なくも大聖不動尊《だいしょうふどうそん》の掛軸でありました。かなり大きな軸であるが、ずいぶん煤《すす》け方がひどいものであります。しかしながら、右手に鋭剣をとり、左手に羂索《けんさく》を執り、宝盤山の上に安坐して、叱咤暗鳴《しったあんめい》を現じて、怖三界《ふさんがい》の相を作《な》すという威相は、その煤けた古色の間から燦然《さんぜん》と現われているところを見れば、またかなりの名画と見なければなりません。
日頃、ここに掛けられてあったのを、竜之助はもとより見ず、米友だけが毎日見ていたけれども、この男は別段に不動尊の信者ではありません。
「いやに怖《おっ》かない面《つら》をしている奴だな」
米友は、時々、こんなことを考えて画像を見るくらいのものでありましたが、今は室内を見廻した眼がギックリとそこに留まると米友が戦慄しました。米友をグッと睨みつけている現青黒影大定徳不動明王《げんしょうこくぎょうだいじょうとくふどうみょうおう》の姿はまさしくたった今、夢に現われたその者の姿に紛《まぎ》れもないことです。米友は不動尊の画像を睨めて、我と慄《ふる》え上りました。
米友が不動尊の像を睨んでいる時に、裏の雨戸をホトホト叩く音がしました。
「モシ」
微かながらも人の声がしました。
「はてな」
米友が思案に暮れたのは、もしや竜之助が帰ったのではあるまいかと思ったそれが、まさしく女の声であったからであります。
「もし」
そこで立ち上って、雨戸の傍へ行って、
「誰だエ」
「もし、少々、ここをおあけ下さいまし」
「お門違《かどちが》いじゃございませんか」
米友も小声で言いました。しかし門違いにも門違いでないにしても、弥勒寺《みろくじ》の門を入って人を尋ねるとすれば、ここはその一軒だけです。この深夜に、わざわざここまでとまどいをして入り込む人のあろうとも思われません。
「いいえ」
外の女はこう言いました。それでよけいに、米友の疑問を増したものと言わなければなりません。盲目《めくら》の剣客と二人して隠れているこの弥勒寺長屋、長屋とは言うけれども近所隣りが無い、まして女の近寄るべきはずのところではありません。しかしながら、おとなう声はまさしく女でありますから、
「誰だい、何の用があって、誰を訪ねて来たんだ」
「はい、友造さんという方がおいでになりますか」
「友造は……」
おいらだが、と言おうとしたが米友は思案しました。おれを訪ねてこの夜更けに来る女というのは、全く心当りがないことはない。かの間《あい》の山《やま》のお君も、老女の家のお松も、ここに近いところにいるはずだ。昨日、不意にムク犬がここへ姿を見せたことを思うと、或いはそれらの女性のうちの一人が忍んで来たものと思えば思われないことはない。それで、米友はさいぜんから、戸の桟《さん》へ手をかけながらも、外なる女の声を、じっと耳に留めていたのだが、それは、お君の声でもなければ、お松の声でもありません。さりとて鐘撞堂新道にいるお蝶の声とも思われないし、無論、両国にいる女軽業の親方のお角の声とは聞き取れないから、米友は迷っているのです。
「あの、お君のところから聞いて参りました、そうしてムクにそこまで案内してもらいました」
「エ、お君のところで聞いたって!」
お君と言い、ムク犬と言うことは、米友の信用を高めるのに充分でありましたけれど、しかもお君と呼棄てにするこの女の正体は、更にわからないものであります。しかし、ここまで来た以上は、あけてやらないのも卑怯《ひきょう》であると米友は思いました。どうかするとその筋の目付《めつけ》が女を使用して、人の罪跡を探らせることがある。もしそうだとすれば、自分は本来、さまで暗いところはないのだが、一緒にいる先生は、決して明るい世界の人とは言えない。だから、戸を開く途端に「御用」という声が剣呑《けんのん》ではある。あけてよいものか、悪いものか、それでもまだ米友は、暫し途方に暮れていると、
「あなたがその友造さんじゃありませんか、本当の名は米友さんとおっしゃるのでしょう、内密《ないしょ》のお話があるのですからあけて下さい」
外では存外、落着いた声でこう言いました。よし、ここまで来れば仕方がない、まかり間違ったら二三人は叩き倒して逃げてやろうと米友は、足場と逃げ路を見つくろっておいて、例の手槍を拾い上げ、片手でガラリと雨戸を押し開きました。
「誰だい」
「わたくしでございます」
「お前さん一人か」
「エエ、一人でございます、御免下さいまし」
その女は、男のような風をして、お高祖頭巾《こそずきん》をすっぽりと被《かぶ》っておりました。
いったい、なんにしても人の家へ上るのに、頭巾を取らないで上るというはずはありません。
女は、このまま失礼と断わったものの、座敷へ通っても、やはり頭巾を取ろうとはしないで、
「お前さんが、米友さん?」
こう言って、かなり鷹揚《おうよう》な態度でありました。
「そうだよ」
米友は、極めて無愛想に返事をしました。
「お前さんの噂は、お君から聞いておりました」
お君、お君、と自分の家来でも呼び棄てるように言うのが心外でした。それよりもお君の友達だから、やはり自分も家来筋か何かのように話しかけるのが、米友には心外でした。
「ふん、それがどうしたんだ」
「お前さんは怒りっぽい人だということを聞きました、それでも大へん正直な人だということを聞きました」
「大きなお世話だ」
米友はムッとして口を尖《とが》らしたけれど、女はそれを取合わずに、
「ですから、わたしは、お前さんに尋ねたらわかるだろうと思って来ました、お前さんが知らないはずはないと思って、わざわざこうして尋ねて来ました、ぜひ、わたしに教えて下さい、わたしに隠してはいけません、お前さんがここにいることを突き留めるまでずいぶん骨を折りました、本当のことを言って下さいな」
こう言って、ジリジリと米友に迫るもののようであります。米友は呆《あき》れて、じっとその女の面《かお》を見ようとしました。けれども、いま言う通り面は頭巾で隠してあるのに、わざとその顔を行燈の火影から反《そむ》けようとするのが、どうも面《おもて》を見知られたくないという人のようであります。そうして突然とは言いながら、こうして夜更けに一人でここへ押しかけて来たことは、よほどの突き詰めたものがなければならないような権幕も見られます。落着いてはいるけれども呼吸がせわしくて、その用向は、たしかに物好きや冗談ではなく、真剣の有様が眼に見えるのであります。それですから米友も一概に、それを憤《おこ》り散らすわけにはゆかないで、
「いったい、お前は何しに来たんだ、おいらに何を尋ねようと思って来たんだ」
「さあ、お前さんに尋ねたいのは、あの目の見えない人のこと。あの人を、お前さんはどこへ連れて行きました、それを教えて下さい、お前さんは、きっとそれを知っているに違いない」
「ナニ、目の見えない人?」
米友は眼を円くしました。
「そう、吉原からお医者さんの駕籠《かご》に乗せて、お前さんがその駕籠に附添ってどこへか行ってしまったということを、わたしはちゃんとつきとめました」
「ふーん」
米友は、そう言って、女の面《かお》を見ようとしたが、女はやっぱり面を見せません。
「さあ、言って下さい、お前さんが、もしお金が欲しいなら、わたしの実家《うち》へ行って、いくらでもお金を上げるから、あの人の居所を教えて下さい」
女は、始終ジリジリと米友に詰め寄るかのような勢いでありました。
「うむ――おいらの知っていることで、教えて上げてもいいことなら、銭《ぜに》を貰わなくったって教えて上げらあな。もし、教えて悪いことだったら、銭を山ほど積んだって教えちゃやれねえな。知らなくっても手伝いをして探してやりてえこともあるし、知っていても知らねえと言って隠さなけりゃならねえこともあるだろう……だから、お前はいったい誰だ、どういう因縁《いんねん》で、おいらにそんなことを尋ねるのだか、一通りそれを話してくんな。それもそうだが、さっきから、おいらの癪《しゃく》にさわるのは、お前さんが頭巾を被りながら挨拶をしていることだ、家の中で人と話をするには、頭巾だけは取ったらよかりそうなものだ」
こう言って米友は、手近な行燈《あんどん》を引き寄せて、意地悪くその女の面へパッと差しつけて、あっと自分が驚きました。
今夜は怖《こわ》い晩である。夢に現われた不動尊は、いまだに米友にはその心が読めない。今ここに現われた現実の人は、言葉こそ優しい女人《にょにん》であれ、その面貌《かおかたち》は言わん方なき奇怪なものである。行燈を引き寄せた米友は再びワナワナと慄《ふる》えました。寧《むし》ろ米友自身の形相《ぎょうそう》が凄じいものになりました。
「おいらはいやだ、お前という人は、やっぱり夢じゃねえのか、女のくせに、たった一人でこの夜中に、どういう由《よし》があって、あの人を尋ねて来たんだ、昼間は訪ねて来られねえのか、そうして話をするに、どうしてその頭巾が取れねえのだ」
こう言って怒鳴りました。
「米友さん」
女は存外、優しい声でありますけれども、米友の耳には、頭巾の外《はず》れから、チラと見た夜叉《やしゃ》のような面《おもて》が眼について、その優しい声が優しく響きません。
「米友さん……お前はお君のことを知っているだろう、わたしの身の上が知りたければ後で、あの子によく聞いてごらん、わたしがこうして頭巾を被っているわけも、あの子がよく知っていますから聞いてごらん、お君は美しい子だけれども、わたしは美しい人ではありませんから……」
「そんなことは、おいらの知ったことじゃねえ、美しかろうと美しくあるめえと、頭巾を被って人に挨拶するのは礼儀じゃねえ」
「ああ、わたしはここへ礼儀を習いに来たのじゃありません、米友さん、わたしは、お前さんに礼儀作法を教えていただくためにここへ来たのじゃありません、ぜひ聞かしてもらわねばならぬことはほかにあります、お前でなければ知った人がないから、それで、わざわざ忍んでこの夜更けに訪ねて来ました、きっとお礼はしますから、御恩に着ますから、後生《ごしょう》ですから教えて下さい。お前の知っているお君は美しい子だから、誰にでも可愛がられます、わたしは、そうはゆきません、わたしを可愛がってくれたのは、あの幸内と、それから目の見えない人が、わたしは好きなのです、目の見える人は、わたしは嫌いです、目の見えない人がわたしは好きで好きでたまりません、米友さん、後生だからその人のところを教えて下さい」
女は物狂わしいようになって、泣き出してしまいました。本《もと》もうら[#「うら」に傍点]も知ることのできない米友は呆気《あっけ》に取られて、得意の啖呵《たんか》を切って突き放すこともできません。それのみならず、この突然な、無躾《ぶしつけ》な来客の、人に迫るような言いぶりのうちに、なんだか、哀れな、いじらしいものがあるような心持に打たれて、米友は憤《おこ》っていいのだか、同情していいのだか、自分ながらわからない心持で、眼を円くしているほかはないのであります。
「おいらには、わからねえ」
米友は無意味にこう言って、首を左右に振りながら眼をつぶりました。
「わからないことはありません、お前は、きっと知っているはずなのに、これほどに言っても、お前はわたしに教えてくれない、どうしても教えてくれなければ、わたしも了見があるから……わたしは世間から嫌われています、世間の人からいい笑い物にされています、それは、わたしが生れつきから、そんなであったんじゃありません、継母《おっか》さんが悪いんです、継母さんが、わたしをにくんでこんなにしてしまったのです、その前のわたしは、綺麗《きれい》な子でした、誰も、わたしを賞《ほ》めない人はありませんでした、それだのに、継母さんのためにこんなにされてしまいました、わたしを見る人は、みんなわたしを嫌います、いい笑い物にします、それは無理はありません、ですから、わたしは人に見られるのは嫌いです、ですから、わたしがほんとうに好きな人は眼の見えない人だけなのです。ね、米友さん、わたしの心持がわかったでしょう、わかったら、教えて下さいな、後生だから、あの人のいるところを教えて下さいな、頼みます」
女は平伏《ひれふ》して、米友の前へ手を合わせぬばかりです。しかしながらこれは、いよいよ米友を煙《けむ》に巻くようなものとなりました。
「おいらには、何が何だかよくわからねえが、お前の尋ねるその盲目《めくら》の先生はな……本当のことを言えばこの家にいるんだ」
「エ、この家に?」
「そうさ、この家においらと二人で隠れているんだが、今はいねえ」
「どこへ行きました」
「どこへ行ったか、おいらにもわからねえんだが、夜になると、おいらに黙って、そっと出し抜いて出かけてしまうのだ」
「まあ、どこへ行くのでしょう、そうして、いつごろ出かけて、いつごろ帰ります」
「いつごろ帰るんだろうなあ、朝になって見ると、ちゃんと帰ってるからなあ」
「あ、それではわかった、きっと吉原へ行くのでしょう」
「吉原へ?」
「お前に知れないように、吉原へ行って、またお前に知れないように、ここへ戻っているんでしょう」
「そうじゃねえ」
「それでは、どこへ何しに行きます」
「うむ、そいつは、ちっと言いにくいなあ」
米友は頭を抱えて、畳の上を見つめますと、女はいっそう強く、
「言ってごらん、何を言っても、わたしは怒らないから」
「うむ、お前はいったい、あの盲目《めくら》の先生を、いい人と思っているのか、それとも悪人だと思っているのか」
「わたしは何だかわからない、善い人だか、悪い人だかわからないけれど、わたしは離れられない」
「あいつは、悪人だぜ」
米友は抱えていた頭を擡《もた》げて、こう言いましたけれども、女はさのみ驚きません。
「どうして、あの人が悪いの」
「ありゃ、女が好きだよ」
「エ?」
「そうして、腕が利《き》いてるよ」
「それは知っていますよ」
「女が好きで、好きな女をみんな殺しちまうんだ――腕が利いてるから堪《たま》らねえ」
「米友さん、お前はそのことを本気で言っているの、それを知って、そうだといっているの、エ、それを、わたしが知らないと思ってるの」
「うむ――」
米友は何か知らず、力を入れて唸《うな》りました。女は、米友の近くへ摺寄《すりよ》って、
「さあ、言って下さい、わたしは少しも驚きません、あの人が、女を殺したということを、お前が知っているなら言って下さい、わたしも知っていることを言ってみせます」
「うーむ」
米友が再び唸って、額に皺《しわ》を寄せて、深い沈黙に落ちようとする時に、女は躍起《やっき》となって、真向《まとも》に燈火《あかり》へ面《おもて》を向けて、さも心地よさそうに、
「だから、わたしは、あの人が好きなのです、あの人は、平気で人を殺すから、それで、わたしは、あの人が好きです、あの人は、若い女の血を飲みたがっているのでしょう、わたしが傍にいれば、人は殺さないのです、女は殺さないはずです、わたしが傍にいないから、それでほかの女を殺してしまいます、わたしと離れているから、それで咽喉《のど》が乾いて我慢がしきれないで、女を殺すんです、無理もありません、そうでしょう、毎晩、出かけるのは、吉原へ行くんじゃありません、ここから吉原へ行くんじゃありません、ここから吉原まで、あの人に往来《ゆきき》ができるわけがありません、そんなことをしたがる人じゃありません、あれは辻斬に出るのです、人を斬りに出るのです、それは今に始まったことじゃありません、甲府にいる時もそうでした、あの人は平気で何人でも殺してしまいます。ええ、わたしだけはよく知っています、どこで、どんな人を幾人斬ったということまで、ちゃんと帳面に記してあるんですから。それで今晩も出かけたのでしょう、どっちへ行きました、どの方角へ行きました、米友さん、これから、わたしをその方角へ連れて行って下さい」
二
ちょうど、その晩のことでありました。柳橋の、とある船宿の二階で、手紙を読んでいるのは駒井甚三郎であります。
「殿様、あの、お客様が参りました」
取次いだのは、宿のおかみさんらしくあります。
「あ、待ち兼ねていた、ここへ通してもらいたい」
駒井は読んでいた手紙を巻きながら、待っていると、
「御免下さりませ」
おかみさんに案内されてそこへ面《おもて》を現わしたのは、年の頃五十恰好で、しかるべき大工の棟梁《とうりょう》といったような人柄の男でありましたが、甚三郎を見ると急に改まって、
「これはこれは駒井の殿様でござりましたか、これはお珍らしいところで、思いがけなくお目にかかりまする」
恭《うやうや》しくそこへ両手を突いたが、驚きのうちにも、相当の親しみがあるらしい。
「寅吉、ほんとに暫くであったな」
「いや、もう、ずいぶん思いがけないことでございました、お手紙が届いてから、どなた様かとしきりに思案を致しては参りましたが、駒井の殿様とは、夢にも存じませんことでございました」
「まあ、ともかく、こちらへ入るがよい」
「それでは、御免を蒙りまして」
寅吉と呼ばれた棟梁らしい男は、駒井の傍近く膝行《にじ》り寄って、頭を下げました。
「相変らず壮健《たっしゃ》で結構だな」
「はい、おかげさまで風邪一つ引きも致しませんが、いったい殿様は、その後、どちらにおいであそばしました。江川様にお目にかかった時お聞き申してみましたが、江川様も御存じがないそうでございました、多分、西洋の方へおいでになったんじゃなかろうかと、おっしゃってでございましたが、ここで殿様にお目にかかろうとは、ほんとに夢のようでございます」
「まあ、それを話すと長いことになるがな、拙者は今、房州に行っている」
「へえ、房州においででございますか、房州はどちらでいらっしゃいます」
「房州は洲崎《すのさき》じゃ、もと砲台のあった遠見の番所に隠れていたのが、仔細《しさい》あってこのごろ江戸へやって来た、噂《うわさ》を聞くと、近頃そちは芝の江川のところに来ているそうだから、ぜひとも会ってみたい心持になって、あの手紙を遣《つか》わしたのじゃ、早速、出向いて来てくれて忝《かたじけ》ない」
「どう致しまして、そうおっしゃって下されば、伊豆が長崎におりましょうとも、いつでも出向いて参ります。私はまた小野様か、肥田様か、そうでなければ春山様……といろいろにお案じ申し上げて参りました」
「就いては寅吉、呼び立てたのは、ただ久しぶりでそちに会ってみたくなったのみならず、相談したいこともあってのことじゃ。それより以前に一つ、そちに対して申しわけのないことがある、と言うのは、あの清吉じゃ、あれは房州まで拙者と一緒に行ってくれたが、ここへ来る前の時に、行方知れずになってしまったわい」
「エエ、清の野郎が行方知れずになりましたか、あいつは人間が少し愚図ですからな」
「人間は朴直《ぼくちょく》であって、腕は、お前の秘蔵弟子だけに見所《みどころ》のある男であったが、不意に行方知れずになった、手を尽して捜索したが、どうもわからぬ、あの辺の海は危険な海であるから、ことによると、波に捲き込まれたのかも知れぬ、いずれ帰った上で、また篤《とく》と捜索をせにゃならぬが、それについて、そちに頼みたいのは、そちの弟子のうちで、もう一人、あれに似たようなものを世話してくれまいか。いや一人より二人がよろしい、そちの見立てでしかるべきものを二人ほど連れて房州へ帰りたいものじゃ」
「よろしうございます、たしかにおひきうけ申しました」
寅吉は、甚三郎の頼みを快く承知する。
「では、きまり次第に、その者をこの家まで向けてもらいたい、この家の主人《あるじ》は、もと拙者の家来筋の者じゃ、不在でもわかるようにしておく」
「畏《かしこ》まりました、二三日中には必ず連れて参りまする。それはそうと、殿様には房州で何か、おはじめなさるんでございますか」
「あの海岸でひとつ、スクーネルをこしらえてみたいのじゃ」
「なるほど、それは結構でございます、殿様の御設計ならば、私共がなにも申し上げることはございませんが、材料と手間がいかがでございます、いっそ、石川島でおやりになったらいかがでございますな」
「万事はあちらで相当に間に合わすつもりじゃ、土地の若い者を集めて、相当に教え込んでも使えるだろうから。で、二三の友人に相談もして、その助力も受けることになっているから、秘密というわけにも参るまいが、なるべく表立たぬように、自分共の手一つで仕上げて、そして自分たちの自由に乗り廻せるようにしてみたいと思うている、それには石川島では都合が悪い、戸田へ行こうかとも思ったが、少々遠くもあり、差支えもあって、ついに房州洲崎の地を選んだわけじゃ」
「それはそれは。そういうわけでございましたら、とりあえず間に合いそうな人を差上げておきまして、おっつけ私共も隙《すき》を見てお邪魔に上り、殿様のお差図で働かせていただくと、私共も、どのくらい修業になるか知れません」
「お前が来て見てくれれば何よりだ、遊びに来てもらいたい」
「必ずお邪魔に上ります。それから、なんでございますか、そのお船は、どのくらいの大きさになさる御設計でございます」
「拙者は、今、二つの設計を持っているのじゃ、安政二年に、お前たちがこしらえたシコナと同じものにしようか、それとも、千代田型に法《のっと》って、それに自分の意匠を加えてみようかとも思っている、どのみち、法式は西洋型のものじゃ」
「なるほど。そうしますと無論、軍艦でございますな」
「いいや、軍艦ではない、用心のために大砲を一門だけはのせてみたいが、軍艦にしたくないのじゃ。人も、さほど多く乗せる必要はないが、さりとて大海《たいかい》を乗り切って外国に行くに堪えるだけの、人と荷物とを容れ得るものでなければならん。長さは十七間余、幅は二間半、馬力は六十、小さくとも、その辺でなければなるまいと思うている」
「なるほど」
「まあ、これを一つ見てくれ」
甚三郎は座右の書類の中から、一枚の折り畳んだ絵図面を取り出しました。
「ははあ、お見事なものでございますな」
その絵図面は、駒井甚三郎が自ら引いた西洋型の船の絵図面であります。いま言った通り、スクーネル型の三本柱の船と、それから千代田型の細長い船とが、上下に二つ描かれてあるのであります。
船大工の寅吉、これは豆州《ずしゅう》戸田の人で、姓を上田と言い、その頃、日本でただ一人と言ってもよろしい、西洋型船大工の名棟梁《めいとうりょう》でありました。
寅吉は机の上に展《ひろ》げた船の絵図面を熱心にながめているし、甚三郎もまた、額《ひたい》を突き合わせるようにしてその絵図面をながめて、あれよこれよと、説明し質問し、質問がまた説明に代ったりしているうちに――もうかなりの夜更けであります。遽《にわ》かに人の叫ぶ声があって、たしか第六天の前、それとも柳橋の袂《たもと》あたりの空気が、ヒヤリと振動したのが、ここまで打って響きます。
それで寅吉は、我知らず後ろを振向きました。甚三郎は、なお絵図面の上を見ているが、それでも、耳をすまして何事かを聞かんとしているもののようです。
ワッと崩れた人の声がこの時、また、ひっそりと静まり返ってしまいました。あまりに静まり返ったために、何となく、あたりいっぱいに漂う一道の凄気《せいき》が、ここの一間の行燈《あんどん》の火影《ほかげ》にまで迫って来るようでありました。ほどなく、
「ヤア!」
という気合の声と共に、チャリンと合わせたのは、たしかに霜に冴《さ》ゆる刀の響きでした。駒井甚三郎は、絵図を手に取って首《こうべ》を起して、その物音の方をながめます。ながめたところでそこは壁です。甚三郎はその壁の一方を見つめていると、寅吉は、やはり同じ方面を見つめて、押黙ってしまいました。
「ヤア!」
二度目に気合の声があったのは、それからやや暫く後のことでした。
「斬合い!」
寅吉が身の毛をよだ[#「よだ」に傍点]てると、甚三郎は幾分か興味あるものの如く、その物音に耳を澄ましていましたが、やがて、
「面白い、ドチラも辻斬じゃ、辻斬同士が柳橋を中にして斬り合っているのじゃ、命知らずと命知らずが、ぶつ[#「ぶつ」に傍点]かって、あそこで火花を散らしている」
と言いながら微笑しました。
この時代においては、辻斬ということは、そんなに驚くべきほどのことではありません。深夜に一旦外へ踏み出せば、自分が斬られるか、或いは斬られて倒れているものを発見することは、さして難《かた》いことではありません。
けれども、船宿の二階に離れていて、霜に冴《さ》ゆる白刃の音を、遠音《とおね》に聞いているというような風流は、ちょっとないことです。本来、船宿の二階というものは、真剣勝負の白刃の響きを聞いているべきところではありません。江戸時代の船宿の二階というものは、もう少し違った風流の壇場《だんじょう》でありました。
[#ここから2字下げ]
潮来出島《いたこでじま》の十二の橋を
行きつ戻りつ思案橋
[#ここで字下げ終わり]
昔の船宿の船頭には、潮来節を上手にうたうものがありました。辰巳《たつみ》に遊ぶ通客は、潮来節の上手な船頭を択《えら》んで贔屓《ひいき》にし、引付けの船宿を持たなければ通《つう》を誇ることができませんでした。
偶然とは言いながら、駒井甚三郎は、ここで軍艦製造の相談をしなければならないのは、駒井その人が無風流なる故ではありません。文化文政の岡場所が衰えても、この時代の柳橋は、それほど江戸っ児の風流を無茶にするものではありませんでした。川開きの晩に根岸|鶯春亭《おうしゅんてい》あたりへ逃げて行くほどの風流は、持っていたはずであります。不幸にして、今宵は元の駒井能登守が、見慣れない絵図面を拡げて、スクーネルの、君沢型の、千代田型のと言っている時に聞えたのが生憎《あいにく》、常磐津《ときわず》でもなく、清元《きよもと》でもなく、況《いわ》んや二上《にあが》り新内《しんない》といったようなものでもなく、霜に冴《さ》ゆる白刃の響きであったことが、風流の間違いでした。
「ははあ、殺《や》られたな、相手は一人じゃないわい、どのみち、辻斬をして歩くほどの乱暴者だから、おたがいに倒れるまで未練な助けを呼ぶようなことがない、ましてやこの際、仲裁に出るものがあろうとも思われない、夜番や巡邏《じゅんら》が通りかかっても、見て見ぬふりして通り過ぎるだろう。こりゃ幾人いるか知れんが、この斬合いは長そうじゃ、出て見たらかなりの見物《みもの》であろうわい」
駒井甚三郎は、何か自分ももどかしそうに、寧《むし》ろその斬合いの音に興味を持って耳を傾けているが、寅吉は、さすがに面《かお》を真蒼《まっさお》にして拳を固めています……かくて暫くする時、この船宿の表の戸に突き当る音、続いてバッタリと人の倒れるような音がしました。
三
ちょうど、この晩のこの時刻に、長者町の道庵先生が茅町《かやちょう》の方面から、フラフラとして第六天の方へ向いて歩いて来ました。
いったい、この先生は、こんなところへ出て来なくってもいい先生であります。なるべくは、真剣の場所へは出したくないのですが、こういう先生に限って、出るなと言えば出てみたがり、出てもらいたい時には沈没したりして、世話を焼かせる先生であります。
いかに先生だとはいえ、身に金鉄の装《よそお》いがあるわけではなく、腕に武術の覚えがあるわけではなく、時は、この物騒な江戸の町の深夜を我物顔《わがものがお》に、たった一人で歩くということの、非常な冒険であることを知らないわけはありますまい。知ってそうしてその危険を冒《おか》すのは、つまり酒がさせる業《わざ》であって、先生自身の罪ではありますまい。ただしかし、一杯機嫌で、この真夜中にフラフラと歩き出して前後の危険をも忘れてしまい、ただ無性《むしょう》にいい心持になっているほどに、先生の飲みッぷりは初心《うぶ》なものではないはずだから、何か特別に嬉しいことがあっての上でなければなりません。
先生が唯一の好敵手であった鰡八大尽《ぼらはちだいじん》は、あの勢いで洋行してしまったし、それがために、隣の鰡八御殿は急にひっそりして、道庵の貧乏屋敷に一陽来復の春が来たのはおめでたいが、単にそれだけの嬉しまぎれに、ほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩くものとも思われません。
さりとて、また今時分になって柳橋あたりへ、飲み直しに行こうとするものとも思われない。第六天の神主の鏑木甲斐《かぶらぎかい》という人が、かなり飲《い》ける方で、道庵とも話が合うのだから、これから興に乗じて、その人を嗾《そそのか》そうという企らみのように解釈するのも、余りに穿《うが》ち過ぎているようです。
これは先生のために、極めて真面目に解釈して、先生が深夜、急病人からの迎えを受けて、切棒の駕籠《かご》にも乗らず、お供の国公をも召連れず、薬箱も取り敢《あ》えずに駈けつけて、下地《したじ》のあるところへ病家先の好意で注足《つぎた》しをし、その勢いに乗じて、長者町へ帰るべきものを、どう間違ったか柳橋方面へうろつき出したと見るのが親切で、そうして至当な観方でありましょう。
いつぞやも言う通り、平常はぐでんぐでんの骨無しみたような先生だが、ひとたび職務のことになると、打って変った忠実精励無類の先生のことだから、天下が乱れようとも、行手に危険が蟠《わだかま》ろうとも、深夜であろうとも、辻斬が流行《はや》ろうとも、ひとたび病家の迎えを受けた以上は、事を左右に托してそれを謝絶《ことわ》るような先生ではありません――武士が戦場へ臨む心で、こうしてほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩くのであります。
好い心持で、独言《ひとりごと》を言いながら、第六天の前まで先生が来た時に、
「えーッ、危ないよ」
路次のところから、警告を与える声がありました。
「誰だい、危ねえと言ったのは誰だい、拙者は長者町の道庵だよ、十八文だよ」
「先生、危ねえ、いま柳橋で斬合いが始まってるんだ、そっちへおいでなすっちゃいけません」
「ナナ、ナンダ」
道庵は酔眼をみはって、路次口の暗いところを見込むと、縁台の下に隠れて、そこから先生に警告を与えたのは、やはり、先生の名前を知っている地廻りの若い者と思われます。
それを聞くとどうしたものか、先生の気が忽《たちま》ち大きくなりました。
「ナ、ナニ、斬合いだ、斬合いがどうしたんだ、ばかにしてやがら、斬合いなんぞにおどっか[#「おどっか」に傍点]する道庵とは道庵が違うんだ」
「先生、いけませんよ、そんなことを言ったって駄目ですよ、さむれえ[#「さむれえ」に傍点]が三人で斬り合ってるんだ、早く、こっちへ来て、路次へ隠れておいでなさい。駄目だよ、駄目だよ、そっちへおいでなすっちゃ駄目だというのに」
「憚《はばか》りながら、どこへ出たって押しも押されもしねえ道庵だ、腕くらべなら持って来てみな、そう申しちゃなんだが、人を殺すことにかけては、当時、道庵の右に出でる者は無え……道庵が長者町へ巣を食って以来《このかた》、道庵の匙《さじ》にかかって命を落した者が二千人からある」
「困っちまうな先生、そんなことを言っている場合じゃありませんぜ」
せっかくの親切を無にして道庵先生は、フラリフラリと第六天の前へさしかかりました。
そうすると第六天の鳥居の蔭に、一団《ひとかたまり》になって息を殺している人影が、通りかかる道庵を認めて声を立てないで、手を上げてしきりに招くのが道庵の眼に留ったから、道庵もひょいとそちらを向きました。その時に一団の中から、いきなり飛び出して来た一人の男が、いきなり道庵の手首を取って、だまって鳥居の方へ引きずって行こうとします。道庵はその手を振り切ろうとしたが、なにぶん腰が据わらないので、思うようにならないところを、男はまた一生懸命で、道庵を引張り込もうとします。そうなると道庵は面白半分に、駄々を捏《こ》ねる気になって、足をバタバタさせながら、行かじとします。けれども、道庵を引張りに来た男は、たしかに一生懸命で、これもやはり地廻りの一人でありましょう、道庵をそれと知ったもんだから、自分も怖い中から飛び出して来て、何も知らない道庵のために、行手の危険を防いでやろうとする親切であります。
それも口を利くとあぶないから、黙って遮二無二《しゃにむに》、道庵を引張り込もうとするが、道庵はいま言う通り、ワザと足をバタバタさせて、駄々を捏ねるのだから始末におえません。親切に引張り込もうとした男は、いよいよ焦《あせ》って力の限り引張ると、道庵はまた、いよいよ面白がって、
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「なにがしは平家の侍、悪七兵衛景清《あくしちびょうえかげきよ》と、名のりかけ、名のりかけ、手取りにせんと追うて行く……三保谷《みほのや》が着たりける、兜《かぶと》の錣《しころ》を取りはずし、取りはずし、二三度逃げのびたれども、思う敵なれば遁《のが》さじと、飛びかかり兜をおっとり、えいやと引くほどに……」
[#ここで字下げ終わり]
面白がって道庵は「景清」の謡《うたい》をおっぱじめました。
「先生、謡どころじゃありません、やってますぜ、やってますぜ、斬合いが始まってるんだから、早くこっちへ逃げておいでなさいまし」
ようやく小さな声で、これだけのことを言って、最後の力で引張り込もうとしたが、この場合において三保谷の方が、役者が一枚上であったから始末にゆきません。腕から辷《すべ》って羽織の裾に取りつき、錣引《しころび》きが草摺引《くさずりび》きになったけれども、このたびの朝比奈もまた、あまりに意気地のない朝比奈で、五郎|時致《ときむね》は、またあんまりふざけ[#「ふざけ」に傍点]過ぎた五郎時致でありました。
「先生、怪我があっても知りませんぜ、しっかりしなくっちゃいけません」
せっかく、飛び出した男が持て余している時に、柳橋の角から、星明りの闇夜《やみよ》に現われた人影が一つ、蹌々踉々《そうそうろうろう》として此方《こなた》に向いて歩いて来ます。その手にしている秋の尾花のような白刃が、星明りの闇にもきらめいて、足許のあぶないのは、たしかに重い手傷を負うているものと見られます。それと見た男は道庵を突き飛ばして、あわてて第六天の社内へ逃げ込みました。突き飛ばされた道庵は、あやうくそれを残して踏み直り、これも千鳥足。向うから歩いて来る千鳥足と、こちらから歩いて行く千鳥足とは、同じ足許があぶないながら、たしかに性質が違います。その辺にいっこう御夢中な道庵先生の危ないこと。
暗いところで、よくわからないが、右の手に刀をぶらさげたままで、左の手を以て、右の肩の上をしっかりと押えて、真蒼《まっさお》な面《かお》をしてフラリフラリと歩いて来るのは、年の頃はまだ若い、袴を着けたさむらいであります。
出合頭《であいがしら》に、それとぶっつかった道庵は、
「やア、危ねえ!」
この時ひとたまりもなく、後ろへひっくり返ってしまいました。けれども、それは、一刀の下にきりふせられたのではありません。鉢合せをして打倒《ぶったお》れたまでのことで、道庵が痛い腰を擦《さす》って起き直ろうとした時に、先方のさむらいも同じく後ろに打倒れていることを認めました。しかも、酔っぱらっている道庵は、ともかくも起き直る余裕があるのに、向うへ打倒れたさむらいは、起き上る気力がありません。
「気をつけてもらいたいね」
道庵はこう言って起き上り、倒れた先方の人のところへ行って見ると、その人は虫の息です。道庵は、よくそんなところへ出会《でっくわ》せる男で、いつぞやも伊勢参りをした時に、やはり、こんなような鉢合せから始まって、宇治山田の米友という珍物を掘り出したのは、この先生の手柄であります。
「そーら見ろ、悪いいたずらをすると罰が当るぞよ、世界の立て直しだぞよ」
と言いながら、虫の息で倒れている人の傍へ寄って見て、
「やア、やられたな、右の肩先をバラリズンとやられたな、手傷を押えて、フラリフラリとここまで、やって来たところを、拙者と鉢合せをしたために手傷が裂けて、こうなったのはまことにお気の毒だ、まあ待ち給え、拙者がお手のもので、ひとつ手当をして進ぜるから」
道庵は手負《ておい》を抱《いだ》き起して、一方には自分の羽織を脱いで、その肩先の創口《きずぐち》をしっかりと捲き、血留めをしておいて、さて応急の手当を試みようとしたけれど、遺憾ながら、それはもう手後れでありました。打倒れた途端に、斬られた右の肩先から、ほとんど全身の血を土に飲ませてしまい、道庵先生の羽織一枚は、グチャグチャになってしまい、みるみる、そのさむらいの面《かお》は蝋のように変じて、道庵に抱えられながら、虫の息が、ついに断末魔の息となり、やがて眠るが如く縡切《ことき》れてしまいました。
ここで道庵が人を呼ぶか、どうかすればよかったのだが、この時分は、酔眼いよいよ朦朧《もうろう》として、意地にも我慢にも眠くなって堪らないようでした。斬られたさむらいの屍骸を抱え込んで、どう始末しようという当てがあるでもなく、朦朧たる酔眼を、幾度も幾度もみはって、
「扁鵲《へんじゃく》の言いけらく、よく死すべきものを活かすにあらず、よく活くべきものを活かしむるなり」
こんなことを言いながらも、多少は正気があると見えて、有らん限りの力を入れて、その死骸をせめて往来の片端へでも運んでやろうと、努力を試みているもののようです。しかしながら、それは蟻が一生懸命で生殺《なまごろ》しの虻《あぶ》に取りついているように、ズルズルと引張っては、またはなしてしまい、また引張っては離れ、離れては引張り、引張っているうちに自分の腰が砕け、砕けた腰がまた箝《はま》ると、揉手《もみで》をして取りつき、右が入って抱き込んだかと思うと、勝手が悪いと見えて捲き直してみたり、諸差《もろざ》しになったから、もうこっちのものと思っている途端に、また自分の腰がグタグタと砕けて、力負けをしてしまったり、本人は一生懸命のつもりだろうが外目《よそめ》で見れば、屍骸を玩具《おもちゃ》にして四十八手のうらおもてを稽古しているようで、見られたものではありません。
けれども、この独《ひと》り角力《ずもう》も、もうヘトヘトに疲れきって道庵は、屍骸の腋《わき》の下へ頭を突込んだかと思うと、やがてグウグウ鼾《いびき》を立てて寝込んでしまいました。
四
一方、駒井甚三郎は、船宿の表の戸に突き当った物音を聞くと、沈着な人に似合わず、立ち上って、それを諫止《かんし》しようとする寅吉に提灯をつけさせ、二階の梯子を下りて、表口の戸をあけて外へ出ました。戸をあけて一歩外へ出ると、紛《ぷん》として血の香いが鼻を撲《う》ちます。
甚三郎が提灯を突きつけて見ると、つい土台石の下にのめ[#「のめ」に傍点]っている一つの血腥《ちなまぐさ》い死骸があります。長い刀は一間ばかり前へ投げ出しているのに、左の手では手拭を当て、額をしっかりと押えて、その押えた手拭の下から血が滲《にじ》み出して面《おもて》を染めているから、その人相をさえしかと認めることはできないが、まさしく相当のさむらいであります。
駒井甚三郎は、傍へ差寄って検《しら》べて見ると、すーっと額《ひたい》から眉間《みけん》まで一太刀に引かれて、あっと言いながら、それを片手で押えて夢中になって、ここまで、よろめいて来たものと見えます。よろめいて来て、人の家の戸口と知って、刀を抛《ほう》り出して、その手で戸を二つ三つ叩いたのが最後で、ここに打倒れて、そのままになったものに相違ないと思われます。
もはや、どうしようにも手当の余地はないと見た駒井甚三郎は、関《かかわ》り合《あ》いを怖れてそのまま戸を閉じて引込むかと思うと、そうでなく、提灯を持って、スタスタと柳橋の方へ進んで行きました。寅吉も、駒井が出て行くのに自分も隠れていられないから、甚三郎のあとを追おうとすると、
「寅吉、お前は危ないから出て来るな」
「殿様こそ、お危のうございますよ」
「出て来てはいかん、閾《しきい》より出てはならぬと言うに」
甚三郎は寅吉を抑えて、表へ出さないようにして、自分だけは提灯をさげて橋の方へ出直しました。
閾の中にいて、戸の間から面《かお》だけを出した寅吉は、安からぬ色をして駒井甚三郎の後ろ姿を見送っているが、その心配のうちにも、また安んずるところがあるのは、それはこの殿様が、もとより武芸にかけて何一つおろそかはないが、ことに鉄砲にかけては、海内無双《かいだいむそう》であるということを知っているからであります。そうして、懐中には、いつもその時代最新式の、外国から渡った短銃を離したことのないのも知っているからであります。
駒井甚三郎は、向うへ歩んで行きながら提灯《ちょうちん》の光で地面を照して、気をつけて見ると血汐《ちしお》のあとが、ぽたりぽたりと筋を引いているのであります。斬合いは、たしかに柳橋の上で起っている。どちらがどうともわからないが、その人数は一人ではなく、たしか三人以上の斬合いになっている。もし三人とすれば、必ずや一方は一人、一方は二人であるに相違ない。自分のいるところの門口へ来て倒れたのは、そのうちのどちらか知らないが、まだ二人はたしかに橋の上に残っているはずである。負傷して橋の上に残っていなければ、どちらへか逃げて行ったものであろう。逃げて行ったとすれば、その二人で、この一人を討って立退いたものであろうが、それにしては卑怯である。喧嘩か、意趣か、辻斬か知らないが、二人で一人を斬って、その最期も見届けずに逃げてしまうのは腰抜けである。それはあるべからざることだから、多分、その二人も傷ついて、そこらに斃《たお》れているだろう。駒井甚三郎は、そう思ったから、現場を見届けるために橋の上まで来て、提灯を差し出すと、果せる哉《かな》、橋の欄干にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついている一個の人影を認めることができました。
駒井甚三郎は、その橋の欄干にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついている人影に提灯を差しつけて見ると、それもしかるべき、若いさむらいでありました。
前のは、ともかくも向う傷であったが、これは斬られて後に欄干にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついたのか、逃げ場を失うて欄干にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついたところをやられたのか、後《うし》ろ袈裟《げさ》に、ザックリと思う壺に浴びせられて、二言《にごん》ともなく息が絶えている形であります。その死物狂いで欄干へとりついたのが、木の枝にかじりついた蝉《せみ》のぬけ殻と同じような形であります。
駒井は篤《とく》と提灯の光で、それを見届けた上に、なお徐《おもむ》ろに橋の上を進んで行くのであります。その進んで行く橋板の上はベットリと血だらけですから、ややもすればそれに辷《すべ》って、足を浚《さら》われようとする間を選んで徐《しず》かに歩きました。
左には両国橋が長蛇の如く蜿蜒《えんえん》としている。右手は平右衛門町と浅草御門までの間の淋しい河岸で、天地は深々《しんしん》として、神田川も、大川も、水音さえ眠るの時でありました。
「駒井の殿様」
堪り兼ねたと見えて寅吉が、あとを慕うて来ました。
「お危のうございますよ」
駒井甚三郎は提灯を差し上げて、寅吉の方を照しましたけれど、その時は、もう来るなと言ってとめはしません。
「あッ」
と言って、寅吉は、その橋板に流されている血汐に辷りました。お危のうございますという口の下から、自分が危なく打倒れようとして橋の欄干に取縋《とりすが》った、ついその隣は、例のしがみ[#「しがみ」に傍点]ついた屍骸でしたから、慄《ふる》え上って飛び退きました。
「駒井の殿様、あんまり進み過ぎて、お怪我のないように」
寅吉は橋を渡りきることができないでいたが、駒井甚三郎は頓着なく、橋の向うの板留まで歩いて行きました。
そこで、ゆくりなく拾い上げたのは一口《ひとふり》の刀であります。それを駒井が提灯の光で見ている時、今まで眠れるもののように静かであった大川の水音が、遽《にわ》かにざわついてきました。潮が上げて来たものでもなく、雨が降り出したわけでもなく、水の瀬が開ける音がしたのは一隻の端舟《はしけ》が、櫓《ろ》の音も忍びやかに両国橋の下を潜って、神田川へ乗り込み、この辺の河岸《かし》に舟を着けようとしているものらしい。拾い上げた刀を見ていた駒井は、早くもその舟を認めました。刀を照らした提灯の光で、今時分、河岸へつけようとした怪しの舟の何者であって、どこから来たものであるかを確めようとしました。
それを怪しいと見たのはおたがいのことで、ここまで乗りつけて来た小舟の船夫《せんどう》はまた、櫓を押すことを休めて、橋上を屹《きっ》と見上げました。
この深夜に、長い抜刀《ぬきみ》を片手にかざしながら、橋上にただ一人で突っ立っている光景は、舟の中から見ても穏かなる振舞とは見えません――それで、手を休めて、橋上の人のなさん様を眼も離さず見ていたが、この小舟の中には、この船夫一人ではありません。他に一人の客があって、その客人もまた、船夫と同じような怪しみと熱心とを以て、橋上の人を見つめているのであります。
それがために、せっかく、河岸へ着けようとした舟は河岸へ着かず、神田川を出でて大川に合せんとするところの波に揉まれて漂うています。この怪しい舟の船夫《せんどう》というのは小柄な男で、一人の乗客というのは頭巾を被《かぶ》った女のような姿の人。申すまでもなく、船夫はすなわち宇治山田の米友で、お客はとりも直さずお銀様でありました。
こうして橋の上と下とでは、無言のままに睨み合いをしていました。駒井甚三郎は提灯の光で、その怪しの舟と、乗組の何者であるやを見極めようとしたけれども、提灯の光は充分にそこまで届きません。舟の中なる米友は、同じ提灯の光をたよりに橋上の人を見つめているけれど、提灯の光は朦朧《もうろう》として、思うようにその人の面影《おもかげ》をうつしてくれません。
その時に駒井甚三郎は、ふと己《おの》れの後ろで人の足音を聞き咎《とが》めたから、橋下をのぞんでいた提灯を振向けました。つい、自分の後ろ十間とは隔たらないところに、またしても一個の人影があります。
それは船大工の寅吉ではありません。寅吉とは全く違った両国広小路方面から歩いて来たものです。それも駒井のここにいることを認めて、なるべく忍び足で近づいて来たものと見えました。
「誰じゃ」
この時は駒井甚三郎が、猶予なく言葉をかけました。
「そなたは誰じゃ」
その返事は、まだ少年の声であるらしい。
「何用あって、この夜更けに」
駒井は再び咎《とが》め立てすると、
「そなたこそ、何御用あってこの夜更けに」
少年は甚三郎に反問して来ました。
「橋の上が騒がしい故に、出て見たところであるわい」
「橋の上を騒がしたのは、貴殿ではござらぬか」
少年はジリジリと、二三歩進み寄ります。
「拙者ではない……見受けるところ、そなたはまだ少年のようじゃ、橋の上が騒がしいと知って、一人でここまで来られたか、それともつれがあって来られたか」
駒井甚三郎は提灯を高くして、その少年の姿を見ようとしたけれど、やはり充分に光が届かないのが残念です。
「いかにも、私には三人の連れの者がありました、途中においてその者の姿を見失いたるが故に心許《こころもと》なく、これまで追いかけて参りました」
「おおその三人は……ここに斬られている、多分、これらの人たちがそれではないか」
「ええ?」
離れている少年は、その時に、つつと橋板の方まで馳《は》せ寄って来ました。しかしながら、刀の鯉口は切って、寧《むし》ろ、駒井甚三郎を斬らんとして飛びかかって来るもののようです。駒井は提灯を楯《たて》に、その鋭鋒を避けんとするものであるかの如く見えます。
「その斬られた人々は、いずれにござります」
「これへおいであれ」
甚三郎は自身、橋の上へ引返して案内しようとする。それと並び寄るかのように少年は、刀の柄《つか》に手をかけて、
「貴殿はそもそも、いずれのお方でござる」
こう言って詰問の体《てい》であります。返答の出ようによっては、たちどころに斬ってかかろうとする事の体でありました。駒井甚三郎は提灯をかざして、やはり、その少年の鋭鋒を避けるようにしながら、
「拙者はこの附近に住居《すまい》致す者でござるが、そういう御身は、いずれよりおいでなされた」
そこで、提灯の間に、二人の面《かお》が合いました。いずれも覆面はしておりません。微《かす》かながら提灯の光は、二人の面差《おもざし》を映し出すに充分でありました。
「おお、其許様《そこもとさま》は駒井能登守殿ではござりませぬか」
少年は、驚き呆《あき》れた音声です。
「宇津木君ではないか」
駒井甚三郎もまた呆れ面《がお》です。この少年は宇津木兵馬でありました。駒井甚三郎と宇津木兵馬との会見は、滝の川の西洋火薬製造所以来のことでありました。
二人はまた意外のところで、意外の奇遇を喜びました。兵馬の語るところによれば、兵馬は、ついこの川向うの相生町の老女の家にいて、今夜は同宿の三人のさむらいを尋ねて、このところまで来たということであります。
その三人の同宿というのは、某藩の士分の者であるが、近頃、老女の家に寄寓して、番町の斎藤の道場へ通っておりました。しかるにこの三人が、どうも辻斬がしたくてたまらない様子が見える。近頃しきりに両国橋あたりに辻斬があるとの噂《うわさ》を聞いて、どうも腕が鳴ってたまらないらしい。三人が相談してこの二三日、夜な夜な出歩きをすることが兵馬の眼にもよくわかりました。
兵馬の眼から見れば、彼等はまだまだ辻斬をして歩く腕ではない――別段に、辻斬をして歩く腕というのがあるべきはずのものではないけれど、どうも剣呑《けんのん》に思われてたまらなかった。しかし、兵馬は自分も夜な夜な出歩くことが多いことによって、彼等の相談に乗る隙もなかったし、それを忠告する余裕もありませんでした。
今夜、夜更けて染井方面から帰るとて、両国橋の上で、兵馬は、ふと彼等三人とすれ違いになりました。彼等は兵馬を見ると、逃げるようにして通り抜けるから、それを見送って兵馬はやり過しはしたけれど、また好奇心にも駆られ、心配にもなって、わざと引返して彼等のあとをつけてみようと、広小路まで来たけれども、ついにそこで三人の姿を見失ってしまったということでした。
一旦、郡代屋敷の方面へ行って見た後に、また引返して、柳橋の方へ出て見ると、そこの橋上に立っている人がある。提灯こそ提げているが、手に抜刀《ぬきみ》を携えている事の体《てい》が尋常でない。そこで誰何《すいか》してみたその人は、元の駒井能登守であった。
という話の筋を聞いて駒井甚三郎が、なるほどと思い、
「橋の上に一人、船宿の前に一人、都合二人だけ斬られている、もしや、そなたの尋ねる人かも知れぬ、検分なさるがよい」
甚三郎が先に立って、提灯を照らして兵馬を導いたところは、まず橋の欄干に蝉のぬけ殻のようになって、しがみ[#「しがみ」に傍点]ついている一人のさむらいです。
「あ、これだ、これに相違ござりませぬ、これは田村左四郎と申す某藩の士でござりまする。ああ、無惨なことを致しました」
兵馬は眉をひそめて、後ろ袈裟に斬られた田村の無惨な殺され方をながめていましたが、
「さて、もう一人はこちらに、真甲《まっこう》を割られている」
駒井は橋を渡り返して、かの船宿の前へ来て見ると、前に言う通り、真甲の傷を手拭で押えたまま、刀を投げ出して仰向けに倒れています。
「あ、これは多賀六郎と申す某藩の者、以前は蜊河岸《あさりがし》の桃井《もものい》の道場で、相当の腕利《うでき》きでござりましたのに」
兵馬は、やはり無惨極まる思い入れで、その斬られぶりをよく見ておりましたが、
「して、もう一人、余語《よご》と申すやはり某藩の者がおりましたはず、その者の姿は見えませぬか」
と言って四辺《あたり》を見廻しました。
「まだ一人あったとすれば、それは、やはり斬られているのか、逃げたか」
と駒井も不審がって、そこで三人が一緒になって、もう一人の行方を探そうとして、橋の方へ小戻りして来ました。
それから橋上へ取って返した時分に気がつくと、さいぜん橋の下までやって来た怪しの舟は、もう見ることができません。再び大川へ出てしまったのか、それとも橋をくぐって神田川を溯《さかのぼ》ったのか、いつのまにか見えなくなったけれど、それはこの場合、強《し》いて探究してみなければならないほどのことではありません。
駒井甚三郎は、その時にこんなことを言いました、
「拙者《わし》が甲府にいる時分、あの城下で、ひとしきり辻斬沙汰が多かった、士分、百姓町人、女まで斬られた、ずいぶん、酷《むご》たらしい殺し方をしたものだが、腕は非常に冴《さ》えていた、百方捜索したが遂にわからなかった。あとで聞くと、その斬り手はかく申す駒井ではないかと疑うた者があるそうじゃ、駒井を除いては、あれほどに手が利いて、そうして斬り捨てて巧みに姿を隠すことのできようものが、甲府の内外にあろうとは思われぬ、新任の駒井能登守が、新刀試《あらみだめ》しのために、ひそかに城を抜け出でて辻斬を試みるのだろう、さもなければ広くもあらぬ甲府城下のことだから、おおよその見当がつかねばならぬはず……というわけで、駒井の身辺をしきりに警戒していた者があったとやら。駒井は虫も殺せぬ男のつもりだが、甲府城下ではそれほどに剣呑《けんのん》がられたことがある。辻斬というものは、一度味を占めるとやめられないものだそうだな、一度が二度、三度となると度胸も据《す》わって、毎晩、人を斬らねば眠られぬようになるそうな」
こんなことを言いながら、橋板の上の血痕をよくよく辿《たど》って見ると、その一筋が、平右衛門町から第六天の方へ向いています。それを伝って行ってみると、第六天の社《やしろ》の少し手前のところの路傍に、物の影が横たわっているのをたしかめました。さてこそ! 近寄って見るとしかもその屍骸が一箇ではなく、折重なって二つまであるらしいことが、まず三人の胆《きも》を冷しました。それではここまで追蒐《おっか》けて来て刺違えたのか、ともかくも当の敵《かたき》を仕留めたものと見える。そう思っていると、またも三人の度胆を抜いたことは、その死屍の中から鼾《いびき》の声が起ったことであります。これには駒井甚三郎も、宇津木兵馬も、上田寅吉も一方ならず驚かされないわけにはゆきません。いかなる大剛の人でも、斬り伏せられて鼾をかく人は無いはずです。また人を斬っておいて、鼾をかいて寝込んでしまう人もあるまじきものです。
さすがの三人も、これには驚き入って、ずかずかと近寄り検《しら》べて見ると、下になっている一つはまさしく斬られている人ですが、その斬られている人の腋《わき》の下に首を突込んでいる他の一人が、まさに大鼾をかいているのであります。何のことだか、さっぱりわけがわからないながら、下になっている屍骸を検分するには、ぜひとも、その上になっている鼾の主を取り退《の》けなければなりません。
「これこれ、お起きなさい」
兵馬は、その背中を叩いて、身体をゆすぶると、ようやくにして起き上ったその人は、一見して兵馬もそれと知る長者町の道庵先生でしたから、あいた口が塞がりません。
五
その翌朝、練塀小路《ねりべいこうじ》の西の湯というのへ、見慣れない一人の客が、一番に入って来ました。
この客は差していた両刀を絡《から》げて、無造作に二階番頭に渡して、着物の帯を解きはじめます。見慣れない人ではあるけれども、この辺は旗本だの、御家人だのというものの屋敷が多いから、こんなお客が早天に飛び込んで来たからとて、大して物珍らしいというわけではないが、両刀こそ差しているけれど、また身なりとてさほどに落ちたものとも見えないが、ただ異様なのは、この客が盲目《めくら》の人であることです。盲目であるにかかわらず、いつのまにやって来たか、番台では何とも挨拶のないうちに、早くも二階へ姿を現わして、二階番頭を驚かせたことであります。
それから、人手も借りずに衣類を脱ぎ捨てて、梯子を降りて浴槽へ行く挙動が、ちょっと盲人とは受取れないようです。入って来た瞬間は、いかにも病み上りのような弱そうな人に見えたが、裸体《はだか》になった筋骨は、さほど衰えたものではありません。
二階番頭の老爺は茶道具を整理して、炉の上に茶釜をかけながら、ちょっとばかり首をひねりました。朝湯にしても、夕湯にしても、湯屋のお客は、その縄張りと面触《かおぶ》れが大抵きまったものであります。湯屋の主人と番頭とは、大抵そのお客の面と身分柄とをわきまえているから、たまに新顔の客が来る時は、多少の用心をします。板間かせぎは、どうしてもその新顔の客の中から出るものであるから、その用心もまた無理ではないが、今日のこの早朝の客は、全く新顔であって、全く別な意味で番頭の目を引きました。
しかしながら、僅かの間を置いて朝湯に飛び込んで来た、吉原帰りらしい二人の御定連《ごじょうれん》の騒々しい梯子段の上り方で、急に二階番の老爺も興をさましてしまいました。
湯屋の二階は、一種の倶楽部《クラブ》でしたから、新聞の種になるほどの噂は、まずこのところでさまざまに評判されました。色里から朝帰りの若い者共は、まずこの湯屋へ立寄って、家の首尾の偵察《ていさつ》を試みて、それから帰宅する足場としている。こうしてこの定連の朝湯客のなかには、威勢よく飛び込んで、すぐにトントンと浴槽へ降りて行く者もある。湯はそっちのけにして話し込んでしまう者もある。甚だしいのは、前日の将棋の遺恨忘れ難く、朝湯もそっちのけにし、朝飯を顧みる遑《いとま》なく、ついに午飯《ひるめし》の時になって、山の神に怒鳴り込まれ、あわてて飛び出すものもある。そこで二人三人、知った面《かお》が見えると、昨晩の柳橋の辻斬の話であります。前の晩、柳原で女が殺されたことは、この辺は管轄違いか知らん。それとも、昨晩の柳橋の出来事が大きかったために、それに食われたものか。柳橋の上で侍が三人まで斬られていたということ、その場へ現われて狼藉者を追い散らしたのが長者町の道庵先生であったというようなことから、辻斬に次での道庵先生の評判が呼び物になりました。ところが、威勢よく、その時に二階へ上り込んで来たのが、今も噂の主の道庵先生その人でありましたから、集まっていたものが、やんやと喝采しないわけにはゆきません。
「いよう、長者町の先生」
彼等は、おのおの席を譲って、下へも置かぬもてなしであります。
「先生、昨晩はまたエライ働きをなすったそうで、いつもながら、先生のお手並には恐れ入ったものでげす。ただいまも、みんなその噂をしておりました、なんでも先生は、ああして猫を被《かぶ》っておいでなさるんだが、実は、中国のしかるべき家中の御浪人で、武芸十八般、何一つ心得ておいでなさらぬのはないという評判でございますよ。本業のお医者さんの方は、界隈《かいわい》きっての名人でいらっしゃるし、それに西洋の方の学問まで、ちゃあんと呑込んでおいでなすって、それを知っているともいう面をなさらないところが、お見上げ申したもんだ。いつぞやはまた上野の山下で、持余《もてあま》し者《もの》の茶袋を、ちょいと指先をつまんで締め上げて、ギュウと参らせてしまったところなんぞは、どのくらい柔術《やわら》の方に達しておいでなさるんだか底が知れねえ。昨晩は昨晩で、また命知らずの浪人が何十人というもの、第六天の前から柳橋へかけて斬り結んでいたところへ、先生が通りかかって、一声、言葉をかけると、散々《ちりぢり》バラバラ逃げ去ってしまったということでございますね、どこへ行ってもその評判で持ちきりでございますよ。実際、あの先生は、ああしてふざけ[#「ふざけ」に傍点]ておいでなさるけれど、学問といい、武芸といい、まあ昔で言えば由井正雪といったようなお方だが、世が世だから、ああして酒に隠れてふざけ[#「ふざけ」に傍点]ておいでなさるんだ、町内ではあの先生を大切にしなくっちゃならねえ、あの先生こそ町内の守り神だって、みんなでそう言ってたところですよ」
まんざら、おひゃらかすとも見えないように真顔《まがお》になって、先生を讃《ほ》め立てたから堪りません。
「そんなでもねえのさ」
道庵先生は、ニヤリ笑いながら顋《あご》を撫でて、
「まあ、話半分に聞いてもらいましょうよ。よく言ったものさ、藪《やぶ》にもこう[#「こう」に傍点]の者と言ってね、藪は藪なりに、時々功名手柄をするところがおかしいのさ。昨夜なんぞはお前さん、拙者が通り合せなくてごろうじろ、たしかに焼討ちだね。あのなかにはお前、日本で無双の砲術の名人が隠れていたんだぜ、それがお前さん、舶来のカノーネルというやつを引張り出して柳橋の袂《たもと》へ据えつけ、これから向う岸へぶっ放そうというところへ、折よく拙者が通りかかって、憚《はばか》りながら長者町の道庵だ、と名乗りを揚げて、不足であろうが十八文に免じて拙者に任せてもらいたい、こう言って柳橋の真中へ大手をひろげて突立ったものさ、そうすると、やはりなかには相当のわかった奴もあって、よろしい――ほかの人では任せるというわけにはいかねえが、道庵なら任せてもよろしい――」
「先生、もうたくさんです、そのくらいにしておいていただきましょう」
堪り兼ねたのが両手をかざして、先生の口を抑えようとします。そこで大笑いになりましたが、その間に道庵は大あわてにあわてて、脱いだ衣裳を棚へ押し込んで鍵もかけず、浴槽へ向って逃げるが如く駈け下りました。
あとでは、やはり腹を抱えて笑ったものがあるけれども、それでも先生の人徳で、誰もその法螺《ほら》をにくがるものもなく、あえて軽蔑しようとする者もありません。ああ言って眼に見えた法螺を吹いては、しょげ返ってしまうところが先生の身上だ、あれがエライところだと言って、よけいなところへ有難味をつけるものもありました。
ところへ、湯から上って来た人があります。それはさいぜん、朝湯のい[#「い」に傍点]の一番に入浴した見慣れない盲目《めくら》の人でありました。いつのまに上ったか、もう棚の中から着物を取り出して帯を締めて、二階番のところへ行って預けた大小を受取ると、若干の茶代を置いて、煙の如く梯子段を下りて消えてなくなりました。
二階番も最初から怪訝《けげん》な面であるし、居合わせた定連の者も、呆気《あっけ》にとられてそれを見送って、面を見合わせました。
「盲目だね」
「盲目にしてはおそろしく勘がいい」
「梯子段から上って来て、すーっと消えてしまったところが、眼に残っているような、眼に残っていないような、変な心持だ」
「わたしはまた、ひょっと振返って見た時に、幽霊! と思いましたよ、あの顔色をごらんなさい、まるで生きた人じゃありませんね、この世の人じゃありませんよ」
「いやだね、全くいやな気持のする人だ、一目見ただけでゾッとする人だ、あんなのは、キット戸の透間《すきま》からでも入って来る人ですぜ」
「あんなのがお前、辻斬に出るんじゃないか知ら」
「だって、盲目ではね」
「目が明いていたら、きっとやるに違いない、剣難の相というのは、たしかにあんなのを言うんだろう」
「そうだね、あれこそ剣難の相というんだろう、畳の上じゃ死ねない人相だ、人を斬って業《ごう》が祟《たた》ったから、それで盲目になったんだろう」
「そう言えばそうだ、ありゃ、確かに剣難の相というものだ、人相は争われない」
「全く人相は争われない、剣難の相はどこかに凄味《すごみ》がある、女難の相は鼻の下が長い」
「笑いごとではありません、皆さんが剣難の相とおっしゃったのは、よく当っている、わたしゃね、皆さんよりいちばん先に、あのおさむらいが下から上って来るところを見ました、それからこうやって着物を探って引っかけるところを見ましたがね、右の手首のところを晒《さらし》で巻いていましたよ、その晒の外れに血が滲《にじ》んでいるところを見て、ゾッとしましたぜ」
「え、え!」
「だから、凄いと思いました。今時分、お前さん、真先がけで新顔の朝湯に来てさ、おまけ[#「おまけ」に傍点]に腰の物を大事に抱えてやって来てさ、手首に怪我をしてるんですからな、ただの傷じゃありませんぜ。よく殺気を含んでいると言いますがね、わたしゃ、あの時に直ぐそう思いましたよ、このさむらいは人を斬って来たんだ、その汚れを落すために、朝湯に飛び込んだんだ、そう思ったから、わたしゃいやになって、せっかく裸になりかけたのを締め直して、こうして、つぐんでしまったところですよ」
「へえ――そうかも知れませんね」
一同が面《かお》を見合せた時に、けたたましい音を立てて梯子段を駈け上って来たのは、道庵先生であります。無論、素裸《すっぱだか》です。その時、先生は、いつもの先生とは違って、すさまじい権幕をして、
「どこへ行った、どこへ行った」
と言って、衣裳棚の前で、てんてこ舞[#「てんてこ舞」に傍点]をしている先生の片手には、手拭かと思うと、そうではない、晒の切れを引きずっているが、その晒の切れは、ところどころ血の滲《にじ》んだ細い切れであります。
定連《じょうれん》の朝湯の客は、この物狂わしい先生の挙動を、寧《むし》ろおかしがっていたが、先生は大急ぎで着物を引っかけて、帯を締めると、湯銭も茶代も、そっちのけにして、梯子を下りて表へ飛び出してしまいました。裸で飛び出さなかったのが見《め》っけ物《もの》で、煙草盆を蹴飛ばさなかったのが勿怪《もっけ》の幸いです。
「油断も隙もなりゃしねえ、どうもおかしいと思ったんだ、なんだか横顔にチラリと見覚えがあるから、こいつ、おかしいなと思ったんだ――野郎、伊勢の国のことを忘れたか、船大工のうちで、拙者が目をかけてやったのを忘れやすまい、江戸へ出て来たんなら、出て来たと拙者のところへ、一言《ひとこと》の挨拶があっても悪い心持はしねえ、あの目がよ、あれでじいっと心がけをよく養生をしていりゃあ、どうやら物になる眼なんだが、あの心がけじゃ物にならねえや、いい気味だ、あん畜生――いい気味はいい気味だが、今、どこに何をしているんだ、ああして朝湯に来るんだから、この近所にいるんだろう、近所にいるんなら近所にいるで、とかく近所に事勿《ことなか》れ……ところが、どうだ、悪いことはできねえもんだなあ、この晒の切れが、ちゃんと流し元に落っこっていたやつを、人もあろうにこの道庵に見つけられちまった」
何か重大な発見でもしたかのように、道庵は息せききって走りつづけているけれども、一向、何を追っているのだかわからない。四辺《あたり》をキョロキョロ見廻したけれども、それらしいものは何者も見えません。
さきに、掻《か》き消すように朝湯を抜け出でた盲目の怪人は、四ツ角に待たしておいた手駕籠に乗って、いずこともなく飛ばせてしまったその後のことであります。
六
下仁田《しもにた》街道から国境を越えて、信州の南佐久へ入った山崎譲と七兵衛は、筑摩川《ちくまがわ》の沿岸を溯《さかのぼ》って、南へ南へと走りつづけます。この二人の行手は説明を加えるまでもなく、南条、五十嵐らの浪士のあとを追って行くものであります。しかしてまた南条、五十嵐らの浪士は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百をところの案内として、甲府城をめざして進んで行ったことも明らかであります。彼等は、甲府の城を拠点として、容易ならぬ陰謀を企《くわだ》てんとしていることも明らかであります。
それを察した山崎らは、事の発せざるうちに、その巣窟を覆《くつがえ》してしまわなければならぬ――蓋《けだ》し、南条、五十嵐らは強力《ごうりき》に身をやつして都合五人で、この山道へ分け入ったけれども、必ず何れかに根拠地があって、そこでひとたび合図をすれば、なお幾多の同志が続々と集まって来ることにはなっているだろう。また山崎こそは単身で、あとを追いかけたようなものだが、甲府の地へ足を踏み入れた時は、勤番の武士は一呼《いっこ》して皆、その味方になるべきはずである。
しかしながら、どう間違ったものか山崎と七兵衛との二人は、ついに南条、五十嵐らの一行を突き留めることができないで、甲府の城下に着いてしまいました。山崎も七兵衛も、その用心にかけては優劣のない方ですから、同じ道を通ったならば、彼等に出し抜かれるはずはない。道を違えたものか、或いは横道をして外《そ》らしたものか、それはとにかく、早く甲府の城下へ到着することが先手である、と思ったから二人は、無二無三に甲府の城下へ到着しました。
城下へ着いて見たが、甲府城の内外には別に変ったこともない。今や勤番支配の駒井能登守もおらないし、組頭であった神尾主膳もいないが、そんなことは、別段にこの二人に交渉のあることではありません。
「山崎先生」
「何だ」
「久しぶりで甲府の土地へ足を入れて、はじめて思い出した事がありますよ」
「それゃ何事だ」
「ほかの事じゃございません、百の野郎がここの土地へ、いい寝かし物をしておいたことを、いま私が思い出しました。おそらく、百の野郎も忘れていやがると思いますが、そいつをひとつ取り出して来て、旦那のお目にかけましょうかね」
「何だい、その寝かし物というのは」
「そりゃ刀でございます、名刀が一振《ひとふり》かくしてあるんでございます」
「ナニ、名刀? 名刀なら有っても決して邪魔にはならねえが、名刀にも品がある、お前たちのいう名刀は、あんまり大した代物《しろもの》ではあるまい」
「それがなかなか素敵で、出処が確かなものなんですよ」
「古刀か、新刀か。在銘のものか、ただしは無銘か」
「古刀のパリパリで、たしかやすつな[#「やすつな」に傍点]と言っていましたよ」
「やすつな[#「やすつな」に傍点]? やすつな[#「やすつな」に傍点]もいろいろあるからな、出羽《でわ》にもあれば、下坂《しもさか》にもあるし、薩摩にも、江戸にもあるんだ、出来のいいのもあるが、そんなに大したものじゃなかろう」
「そんなんじゃございません、因州鳥取あたりにそのやすつな[#「やすつな」に傍点]というのはございませんかね」
「因州鳥取にやすつな[#「やすつな」に傍点]という刀鍛冶は聞かねえが……そうそう伯耆《ほうき》の国に安綱があるが、こりゃあ別物だ」
「それそれ、その伯耆の安綱でございますよ」
七兵衛がこういうと、山崎譲は、
「ふふん」
と鼻の先であしらい、
「伯耆の安綱といえば古刀中の古刀で、大同年間の人だ、名刀|鬼丸《おにまる》を鍛えた刀鍛冶の神様と言われる大名人だ、伯耆の安綱がそんなにザラにあって堪るものかい」
七
山崎は、テンで七兵衛のいうことを受附けなかったけれど、七兵衛は確信あるものの如く、
「論より証拠、その品を持って来てお目にかけましょう」
と言って、甲府城の大手の前で山崎と別れました。山崎に別れた七兵衛は、あれから一直線に甲府の市中を東に走って、まもなく酒折村《さかおりむら》まで来ると、そこで本街道を曲って入り込んだのが、酒折の宮であります。
酒折の宮の庭へ入って見ると、松林の間に人が集まって噪《さわ》いでいます。
日本武尊が東征の時、ここに行宮《あんぐう》を置いて、
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新治《にひはり》、筑波《つくば》を過ぎて幾夜《いくよ》か寝つる
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と歌を以て尋ねた時、傍の燭《しょく》を持てるものが、
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かがなへて夜には九夜《ここのよ》、日には十日《とをか》を
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と答えたという事蹟がある。
ここに立てる石碑のうちには、本居宣長《もとおりのりなが》の「酒折宮寿詞《さかおりのみやよごと》」を平田篤胤《ひらたあつたね》の筆で書いたものと、甲州の勤王家|山県大弐《やまがただいに》の撰した漢文の碑もある。七兵衛は、左様な委《くわ》しいことは知らないけれども、この社《やしろ》が由緒《ゆいしょ》ある社であるということは心得ているはずです。右等の碑文が、さほど好事家《こうずか》の間に珍重がられているという理由は知らないが、いずれ俳諧師かなんぞの風流人が、石摺《いしずり》を取っているのだろうと見当をつけました。
これらの連中からわざと遠廻りをして社の裏へ出て、暫く様子をうかがっていると、
「エエ、宝暦十二年、壬午《じんご》夏四月、山県昌謹撰とあるが、宝暦十二年は、いったい今から何年の昔になるのじゃ」
「左様な、宝暦は俊明院殿の時代で、ええと、今からおよそ、一百三年、或いは四年前に当る――」
こんなことを言って風流人は、紙に巻いたものを携え、ゾロゾロ松林の中を出て行ってしまいました。
そこで七兵衛は神社の表へ廻り、参詣をするふり[#「ふり」に傍点]をして扉をあけて、社内へ入り込むと足場を見はからって、梁《はり》を伝わって天井の上へ身を隠してしまいました。
これは申すまでもなく、さいぜん山崎譲の前で誓った、伯耆の安綱の刀というのを取り出しに来たものであろう。その伯耆の安綱の名刀というのは、お銀様の家、藤原家に祖先以来伝わる名刀であって、それをお銀様に頼んで幸内が持ち出し、幸内はその刀のために、神尾の惨忍な手にかかって一命を落し、その刀はまた神尾の手からがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の手にうつり、百は流鏑馬《やぶさめ》の夕べを騒がして、七兵衛と共にいずこともなく逃げ去ったそれであります。
あの後、二人は、この名刀を、この神社の天井裏へ今日まで隠して置いたものと思われる。まもなく身体中|煤《すす》だらけになって出て来た七兵衛は、小脇には油紙に包んだ細長い箱を抱えていました。伯耆の安綱は、やっぱり無事でここにいたものらしい。
七兵衛が箱を抱えて再び社の前へ出て来ると、思いがけなく縁に腰をかけて、煙草《たばこ》をパクリパクリやりながら澄まし返っているものがあります。それが余人ではない、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵でしたから、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]、来ていたのかい」
七兵衛も呆《あき》れ面《がお》です。すばしっこい[#「すばしっこい」に傍点]のは今にはじめぬことだが、かくまで澄まし返って、脂下《やにさが》っていられると癪《しゃく》です。
「兄貴、御苦労、御苦労」
七兵衛の出て来たのを見て、銀張りの煙管《きせる》を縁の上へ抛《ほう》り出して、片手を伸べたものです。
「ふざけるない」
七兵衛が叱りつけると、がんりき[#「がんりき」に傍点]はニヤリニヤリと笑い、
「兄貴も思いのほか人が悪いや、弱い者を苛《いじ》めっこなし、人の物を横取りは風《ふう》が悪いね、なにもお前と、おれの間だから、欲しけりゃあそうと言っておくんなさい、ずいぶん譲って上げねえ限りもねえのだ、だまって持って行かれると心持が悪い……そうしてまた兄貴はこれを持ち出して、いったいどうする気なんだエ、失礼ながら、このなかみの有難さが、兄貴にはまだわかるめえ」
「百、お前の言う通りだ、このなかみの有難さは、俺の眼では睨《にら》みきれねえが、ぜひこいつを拝みてえという人があるんだから、ちっとばかり貸してもらいてえ」
「うむ、そう話がわかりさえすりゃあ、ほかならぬ兄貴に貸惜しみをするような、おれではねえが、まあもう少し待ってもらいてえというのはほかじゃねえ、おれの方にも、この品を一目拝みてえという人があるんだ、それを先口《せんくち》にして、それが済んでから、兄貴の方へ廻すとしようじゃねえか」
「そいつはいけねえ、先口と言えばこっちに割があるんだ、これ見ねえ、この通り、蜘蛛の巣だらけ煤だらけになって、骨を折ってようやく取り出して来たものだ、くわえ煙草で懐ろ手をしている奴に渡せるものか」
「そりゃまたよくねえ、立ってるものは親でも使えということがあるじゃねえか、おれだってなにも兄貴をこき[#「こき」に傍点]使って、くわえ煙草で澄ましていようという不了見じゃねえが、一足後れたのがこっちの不運さ、そんなことを言わずに貸してもらいてえ」
「一足後れたのが手前の不運だから、諦めるがいいや、今日のところは兄貴に譲らなくちゃならねえ」
「ところが、そういかねえのだ、約束をきめて来たんだから、持って帰らねえと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の面《つら》が立たねえというものだ、どうか弱い弟を憐《あわれ》んでおくんなさいまし」
「そう言われるとこっちも同じことだ、これを持って帰らねえと七兵衛の沽券《こけん》が下る、まあまあ兄貴に譲れ」
「そうなると兄貴、おれも意地だから、腕にかけても……と言いてえが、兄貴は両腕そろっているが、おれは悲しいことに一本足りねえ、そうかと言って、みすみす兄貴に譲って引くのも業腹《ごうはら》だから、ここでうまく、馴れ合っちまおうじゃねえか。と言うのは、兄貴の見せてえという人も、おれが見せてやりてえと言った人も、おおよそ筋はわかっているんだ、その人たちはなにも一本の刀を望んじゃいねえ、だいそれた謀叛気《むほんぎ》のある先生方なんだから、長くその手先になって働いてみたところが、ばかばかしいくらいのもんだ。だから兄貴、ここいらで見切りをつけて、二人が馴れ合って、こいつを坊主持ちということにして、江戸へのし[#「のし」に傍点]てしまおうじゃねえか。江戸へ持って行って、こいつをうまく売り飛ばしゃあ、五百や千両の小遣《こづかい》にはありつける代物《しろもの》だ、あんな人たちに附いて謀叛の加勢をするよりは、この方が、よっぽど割だぜ」
南条、五十嵐らの志士は、甲府城を乗っ取って大事を起さんとし、山崎譲はまた彼等の陰謀の裏を掻いて、根を覆えそうとしている間に、おのおの、その一方の手引をして来た七兵衛、がんりき[#「がんりき」に傍点]の両盗は、その方は抛り出して、伯耆の安綱を持って、これから江戸へ飛び出そうという妥協が成立してしまいました。
二人は、この名刀を坊主持ちにして、例の甲州街道を、都合よく縫って通ります。二人の足を以てすれば、ほとんど瞬く間に江戸へ飛んでしまうのだが、その途中どう道を枉《ま》げたものか、その翌朝、二人の姿を高尾山の峰の上で発見するようになりました。
二人は高尾山上の薬王院へ参詣しようというのでもなく、山頂に鎮座するこの山の守護神、飯綱権現《いいづなごんげん》の社前へ一気に上って来ると、社の前に例の箱入りの名刀を供えて、二人とも跪《かしこ》まって柏手《かしわで》を打ち、恭《うやうや》しく敬礼しました。
「南無飯綱大権現」
七兵衛がこう言って拝礼すると、
「南無甚内殿、永護霊神様」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]が続けます。次にがんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「南無飯綱大権現」
と言って跪《ひざまず》くと、七兵衛が、
「南無甚内殿、永護霊神様」
と言ってハタハタと手を拍《う》ちます。こうして二人が、立ったり跪いたりして、祈念を凝《こ》らす言葉を聞いていると、一方が飯綱大権現という時は、一方が南無甚内殿といい、一方が南無甚内殿と言う時は、一方が飯綱大権現というのであります。
この二人のやつらが、殊勝な面《かお》をして神様に拝礼することですから、かなり奇怪なものであるけれど、いったい飯綱権現は、どうかするとこんな連中の信者を持ち易い神様であります。飯綱の本尊は陀祇尼天《だきにてん》ということであるが、その修験者は稲荷《いなり》とも関係があって、よく狐を遣《つか》って法術を行うということであります。飯綱の法術は人を惑わすものであるというところから、変幻出没を巧みにしようという輩《やから》は、この権現の特別な加護を蒙《こうむ》りたいものらしい。七兵衛とがんりき[#「がんりき」に傍点]とが、途中の気紛れにしろ、こうして飯綱権現へ願をかけてみようとする筋合いは読めないことでもないが、ちょっとわからないのはそれに続く、南無甚内殿、永護霊神様という神様の名前であります。甚内殿という神様は、どこにあるのか。また飯綱権現の一名を永護霊神とは呼ばないはずです。
二人は、殊勝な面をして、飯綱権現に祈祷を凝らしておいて、神前に備えた安綱の名刀を、まず七兵衛が取り上げておしいただいてから、
「どうだい、こんな名刀を甚内様に持たしたら、ずいぶん人を斬るだろうなあ」
と言いました。
「うーん、こりゃ人斬庖丁にゃ勿体《もってい》ねえんだ、伯耆の安綱なんて刀は、神様に備える刀で、人を斬る刀じゃねえとよ。滅多に人を斬るには村正がいいね、村正てやつは、なんとなく凄味があっていいね」
がんりき[#「がんりき」に傍点]がこういう返事をしました。
こんなことを言って二人は、山頂の飯綱権現の社から下りて来ました。見受けるところ、二人がわざわざ道を枉《ま》げたのは、単にこうして飯綱権現の前へ安綱を、見せびらかしに来ただけであるようです。
二人が例の刀箱を持って高尾山を下りながら、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が、七兵衛に向って、一つの動議を提出致しました。
「どうだい、兄貴、こうして坊主持ちも根っから新しくねえ、これから江戸へ着くまで、二人で腕っくらべをやろうじゃねえか、おたがいに出し抜いて、せしめた方が、この刀を物にするということにしようじゃねえか、売り飛ばして山分けにするよりは、その方が柄《がら》に合って面白かろうぜ。もし、どっちの手にも落ちなかった時には、こりゃいっそのこと、鳥越の甚内様へ持って行って、さっぱりと納めてしまおうじゃねえか、どのみち、伯耆の安綱なんて刀は、誰が持ったって持ち切れる刀じゃねえ、持ちきれたにしたところで、差料《さしりょう》になる品じゃねえんだ、二人で腕だめしをやった上に、甚内様へ持って行って綺麗《きれい》に納めると、甚内様の供養にもなるし、こちとらの罪滅ぼしにもなろうというものだ。どうしたもんだ、兄貴」
がんりき[#「がんりき」に傍点]からこの動議を提出されると、七兵衛は苦笑いをしながら、
「そいつは面白かろう、手前《てめえ》を相手に腕くらべも大人げねえ話だが、甚内様へ奉納というのは、いいところへ気がついた」
そこで七兵衛も納得《なっとく》したらしい。高尾山から江戸までは、この連中にとっては、ほんの一足であるが、その一足の間に、伯耆の安綱の刀を的《まと》にして、二人が腕くらべをやってみようというようないたずらは、今に始まったことではないが、さいぜんから二人の口に上る甚内様というのは何物か。それは今までに見えなかった人の名であるに拘らず、この碌《ろく》でもない二人ともが、甚内様なるものには相当の敬意を払っていることがわかります。山の上では、甚内様、永護霊神様といい、ここでは鳥越の甚内様と言いました。もし、二人のうちのいずれにもこの伯耆の安綱の刀が落ちなかった場合には、それを鳥越の甚内様へ持って行って納めるということには、二人とも異議がないのであります。よってここに、鳥越の甚内様なるもののいわれ[#「いわれ」に傍点]を一通り、説明しなければならぬ。
八
浅草の鳥越橋の西南に、御書院番の小出兵庫《こいでひょうご》(二千百石)という旗本の屋敷の中に、二人が今いう甚内様の社があるのです。
神に祀《まつ》られるほどの甚内様とは何人ぞ。それは英雄にもあらず、また義人にもあらず、一箇の盗賊に過ぎないのであります。姓を高坂《こうさか》といって、名は甚内。父は甲陽の軍師高坂弾正であるということです。
「天晴《あっぱ》れ手練のこの槍先、受けてはたまらぬ大切《だいじ》の幼な児……」という二十四孝の舞台面は、かなりに高坂弾正の器量を上げるように書いてあります。そのはじめ、容貌を以て信玄に愛せられたところを以て見れば、また非常な美男子であって、その後、「保科《ほしな》弾正|槍弾正《やりだんじょう》、高坂弾正|逃弾正《にげだんじょう》」を以てあえて争わなかったところは、沈勇にして謀《はかりごと》を好む人傑の面影を見ることもできます。武田信玄の股肱《ここう》として、一二を争う智将であったことは疑うべくもない。
その高坂弾正に一人の遺子《わすれがたみ》がありました。幼名を甚太郎といい、後に甚内と改めたその人がすなわち、鳥越の永護霊神として、半ば実在の人となり、半ば荒誕《こうたん》の人となり、奇怪な盗賊として祀らるるに至りました。
父が没してこの遺子は、祖父の高坂|対馬《つしま》に伴われ、没落の甲州をあとにして、摂州|芥川《あくたがわ》に隠れて閑居しているところへ、祖父の知人であった宮本武蔵が訪ねて来て、夜もすがら語り明かした時に、祖父の対馬が甚内を武蔵に預けました。そのとき甚内は、まだ甚太郎といって、年僅かに十一歳であったということです。
十一歳にして宮本武蔵に預けられた甚内は、その時から武蔵に従って江戸に下り、武蔵が神田お玉ケ池の近傍に道場を開いた時(武蔵がお玉ケ池へ道場を開いたことがあるかどうか考えないで伝説をそのまま借用すると)、そこで武蔵から真免流の免許皆伝を受けました。それは甚内が二十一歳の時のことであるということです。
その時分、甚内は人の活胴《いきどう》を試みたく、ひそかに柳原の土手へ出て、往来の人を一刀に斬り倒していたが、或る時、飛脚を斬って金を奪ってから、ついに辻斬が盗賊にまで進んだ。それより悪行が面白くなり、辻斬をしては金を奪い、その金で鎌倉河岸の風呂屋女に耽溺《たんでき》していたが、その悪事が師なる宮本武蔵の耳に入って破門された。そこで諸国の遍歴を志し、その門出に参詣したのがこの高尾山の飯綱権現の社であった。その社の前で、名を甚内と改めて、生涯のある目的を祈願した。それから相州の平塚在に暫く足を留めて、そこで盗賊の首領となった。その後、箱根山へ隠れて強盗の張本となった。高坂甚内は、宮本武蔵に就いて剣道の奥儀を究《きわ》めた上に、強勇にして力量がある。ことに水練に達して久しく水底《みずそこ》に沈み、水の中を行くこと魚の如くであったと言われている。加うるに身体は不死身《ふじみ》であって、一切の刀剣も刃が立たないということでありました。
その頃、「日本三甚内」とうたわれた三人の甚内があった。三人ともに同名で、そうして同じく兇悪なる盗賊であった。右に言う高坂甚内をその随一とし、もう一人は、庄司甚内――である。これは吉原を初めて開いた人であるが、前身はやっぱり盗賊で、剣槍《けんそう》に一流を究め、忍術に妙を得て、その上、力量三十人に敵し、日に四十里を歩み、昼夜眠らずして倦《う》むことなく、それに奇妙なのは盗賊ながら日本を週国して、孝子孝女を探り、堂宮《どうみや》の廃《すた》れたのをおこして歩いたというところが変っている。それともう一人は、飛沢甚内――これも同じく剣術、柔術、早業に一流を極め、幅十間の荒沢《あらさわ》を飛び越えること鳥獣よりも身軽であったところから、自ら飛沢と名乗った。これが捉まった時に、大久保彦左衛門の命乞いによって死罪を許され、身持ちを改め、苗字を富沢とかえ、横目の御用を蒙《こうむ》り、古着屋商売をして無事に天命を終えた。その住宅附近が後に富沢町となった。
かくて高坂甚内は、箱根山に籠《こも》って悪事を働いていたが、詮議が厳しく、箱根山の住居もなり難く、そこを立退いて諸国を徘徊《はいかい》していたが、やがて再び江戸に舞い戻ると赤坂に住居を構え、例によって辻斬、強盗のほかには、表面は剣術を人に教え、内実は無頼の徒を集めて博奕《ばくえき》を業としていた。悪行いよいよ募って、そのころ牛込御門内に住居していた先手役《さきてやく》青山主膳(千五百石)の組与力同心《くみよりきどうしん》が召捕りに向ったところ、同心二人まで深傷《ふかで》を負い、与力も辛《から》き目に遭ってほうほうの体《てい》で逃げかえった。それを聞いて歯噛みをした主膳は、自ら召捕りに向わんとしたけれども、叛逆謀叛人でない限りは奉行自身に召捕りに向うという例はなく、さりとて無敵の悪人であるから、ウカと手を下し、味方を損ずるのも愚であると召捕りの方法を思案しているうちに、甚内が瘧《おこり》を患《わずら》い出したということを聞き込んで、押入ってついにこれを捕縛することができた。それで牢の中へ入れて、病気が癒《なお》った後に改めてお伺いの上、浅草元鳥越橋際において死罪に行うことになった。ところが、生来の不死身であったところから容易に刀剣が身に立たない。よって甚内が日頃所持していた槍を取寄せて磔《はりつけ》にかけてしまった。――その後、引廻しの者の先へ抜身の槍を二本立てる。その一筋の槍は、高坂甚内を磔《はりつけ》にかけた槍であると言い伝えられている。こうして高坂甚内なる無類の兇賊は一生を終ったけれど、その兇賊が神に祀らるるに至った理由はほかにあるのです。
右の高坂甚内は、寛永の中頃から正保年間までの間の人で、その時分の南の仕置場は、本材木町五丁目にあり、北の仕置場は、元鳥越橋の際《きわ》にあったということです。甚内が鳥越橋でお処刑《しおき》になる最後の時の言葉に、瘧《おこり》さえ患わなければ、召捕られるようなことはなかったのだ、我れ死すとも魂魄《こんぱく》をこの土《ど》に留め、永く瘧に悩む人を助けんと言いながら、槍に貫かれて死んだということで、それから甚内様に病気平癒を祈り出す者が多くなった。その願書には男女の別と年齢と、いつごろより患い出したかということと、何卒この病気癒させ給えという祈願とを認《したた》め、上書《うわがき》には高坂様、或いは甚内様と記して奉る。病気は瘧に限ったことはなく、ほかの病気でも瘧と書いて願いさえすれば治る。願が満ちて病気が癒った時は、鳥越橋から魚の干物と酒を河の中へ投げ込んでお礼参りをする。縁日は毎月の十二日で、例祭は八月十二日、甚内が処刑せられた日ということになっている。
二人のいう、甚内様、永護様という変態な神様の縁起《えんぎ》は、大よそこういったようなもので、二人は例の伯耆の安綱を坊主持ちにして、高尾の山の飯綱の社から、浅草鳥越まで行く間に、その名刀の処分をきめようとするのであります。
けれども、これは東海道の道筋などとは違って、何を言うにも十里内外の道中ですから、二人の足では横町を走るくらいのものだから、出し抜こうにも、出し抜くまいにも、あっけないもので、江戸の市中へ入ってしまいました。
江戸の市中へ入って、まもなく二人の姿は昌平橋の袂《たもと》へ現われました。いつぞや貧窮組が起った時に、貧民が群集して、お粥《かゆ》を煮て食べたところに、今日も人だかりがあります。その人だかりの真中に大きな万燈《まんどう》があって、その下で口上言いが拍子木を叩きながら頻《しき》りに口上を言っています。
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安房の国
清澄の茂太郎は
幼い時に
父母に死に別れ……
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口上言いが、甘いような、憐れっぽいような、一種異様な節で、歌ともつかず、口上ともつかぬことを言っていました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、それを聞きながら、ふと万燈の表を見ると筆太に、
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「清澄の茂太郎」
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と書いてある右の方へ持って行って、
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「両国橋女軽業大一座」
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とあったから、ちょっと妙な気持になっていると、七兵衛が、
「百、ありゃ、お前の女房がやってるらしいぜ」
「そうだなあ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]も、なんだか、ムズがゆいような面《かお》つきで万燈をながめていると七兵衛が、
「甚内様は、後廻しにして、両国へ行ってみようか」
「そうよなあ」
「久しぶりで会ってやりたかろう」
「そういうわけでもねえのだが、あいつがこうやって、俺の方に渡りをつけずに、花々しいことをやり出したとすると、ちっとばかり腑に落ちねえところがあるんだ」
「だって、札附きの無宿者のあとを追蒐《おっか》けて、いちいち相談をするというわけにもいかなかろうじゃねえか」
「そりゃそうだが、あいつの器量で、これだけのことをやり出したとすると、後立てがあるに違えねえ、あいつに相当の金を出してやろうという後立ては、まんざら色気のねえ奴とも思われねえんだ、そうだとすりゃ、どういう心持で、あいつがその御厚意を受けたか、その辺がちっと聞きものだ」
「こいつは、ちっとばかり嫉《や》ける」
がんりき[#「がんりき」に傍点]がムズがゆい面をしていると、七兵衛があざ笑いました。
九
その晩のことでありました。両国橋の女軽業もハネて、楽屋の真中に大柄などてら[#「どてら」に傍点]を引っかけて立膝をしながら、長い煙管《きせる》で煙草を輪に吹いているのは、一座の棟梁《とうりょう》のお角であります。
「わたしは、これから柳橋まで行って来るから、あの子が帰ったらどこへも出さないでおくれ、お迎えがあっても、なんとか言って断わっておくれ」
誰にともなく、こんなことを言いつけたが、それでもまだ落着いて煙草をのんでいて、立とうともしません。
傍に茂太郎がいないところを見ると、ここにあの子と言ったのは、その茂太郎のことでありましょう。茂太郎が今宵もしかるべき客筋から招かれたから、出してやったあとで、お角は、こうしてひとりで、物案じをしているらしい。
「どうも、今日のお客は変だよ、後から行ってみようとは思ったけれど、それもおかしいから、ああはしてやったものの、なんとなく気が揉《も》めるのはどうしたんだろう、行ってみようかしら。それも、あんまり腹を見られるようだし、そうかと言って、相手がどうも尋常《ただ》のお客ではないらしいから、ほうっておいてもしや間違いが……間違いといったところで、相手がやっぱり女のお客だから、取って食おうというわけでもなかろうけれど、なんだか、わたしゃ、今日に限って、あの子を人に取られてしまうような気がしてならない。柳橋の殿様へもお伺いしなければならないんだが、それよりもあの子の方が気にかかる。といって、あの子が帰ってからお伺いしたんじゃ、殿様に恐れ多いし……いやになっちまうね。稲ちゃん、稲ちゃん、そこにおいでなら、ちょっと来ておくれ」
「はい」
幕帳《まくば》りで仕切った楽屋の後ろから、かなり美人の部に属する女軽業の娘が面《かお》を出すと、
「あのね、茂太郎を呼んで下すったという今日のお客様は、どんな人だったか、お前知ってるでしょうね」
「あの、桟敷《さじき》においでなさる時に、ちらりとお見かけ申しましたが、切髪でいらっしゃるけれども、なかなか品のよい、美しいお方でございました」
「お前、御苦労だが、若い衆をつれて、ちょっと迎えに行って来てくれないか、わたしはこれから外へ出かけるんだが、あの子が帰っていないと心配になるんだから、お客様の御機嫌を損ねないようにお話をして、早く帰していただくようにね」
「畏《かしこ》まりました」
「近いところだけれど、このごろは物騒だから気をつけてね」
お角は、わざわざ茂太郎を迎えにやっておいても、まだ何か心配が残っているらしく、柳橋へ行こう行こうと言い言い、まだ煙草を吹かしながら、
「なんだか、その切髪のお部屋様らしいお方というが気にかかる」
と言いました。
茂太郎が多くの婦人客から可愛がられて、その席へ呼ばれるのは今に始まったことではないのに、今日のお客に限って、お角が留守の間に、楽屋のものをうまく籠絡《ろうらく》して、茂太郎を拉《らっ》して行ったもののように思われてならない。何か特別に、茂太郎に野心があって、物ずきな若い御隠居の美人が、誘惑を試みたように思われてならない。いつもならば、そんなに心配になることではないのに、前後の事情を聞いてみれば、おかしなことが多い。お角はそのことを、いろいろに思案していたが、やがて、荒っぽく火鉢の縁を叩いて煙管《きせる》を投げ出し、どてら[#「どてら」に傍点]を脱いで帯を締め直しました。ようやく、その柳橋の殿様とやらへ伺候する気になったものと見える。
お角が軽業小屋を出た時分に、雨が降り出していました。
下足番が蛇の目の傘を差しかけて、送って行こうというのを、お角は断わって、傘だけを受取って外へ出ました。
お角がこれから訪ねようとするのは、柳橋の船宿にいる駒井甚三郎の許《もと》であります。ついこの間、その界隈で辻斬沙汰があったところだけれど、まだ宵の口ではあるし、両国から柳橋まで、ほんの一足のところですから、お伴《とも》をつれなくっても心配ではありません。
お角は派手な着物を着て、それに薄化粧さえしているようです。こうしてお角が柳橋に駒井を訪ねるのは、今に始まったことではありません、三日に上げず宵のうちに駒井を訪ねて、でも、そんなに長話はしないで帰ります。駒井もまた、お角の訪ねて来ることを好まないではないらしい。ただ何のために、こうして、しげしげお角が駒井を訪ねて来るのだか、また駒井ほどの人が何用あって、しばしば、お角のような女を近づけるのだか、そこの辺が、どうも腑に落ちないようです。そこで、もとは駒井の先代の家に仲間奉公をしていたというこの船宿の亭主と、おかみさんとは、その噂をして、お角が来るたびに小首を捻《ひね》っているのであります。
駒井の殿様ほどの人が、あんな女を相手になさろうはずはないと思うけれども、そこは、あたりまえに考えてしまうわけにはゆかない。あれほどの殿様が、甲州をしくじ[#「しくじ」に傍点]っておいでになったのも女のためであった。その相手の女というのは、女もあろうに身分違いの女であったということ、わずかに、その賤《いや》しい女一人のために、あれほどの地位を棒に振って、半生涯を埋《うず》めてしまうような羽目《はめ》に陥っておしまいになったのが情けない。
お家柄なら、御器量なら、男ぶりなら、学問武芸なら、何として一つ不足のないあの殿様は、その上に世にも美しい奥方をお持ちでありながら、その奥方はお美しい上に、やんごとなき公卿様《くげさま》の姫君でいらせられるというお話であるのに、それが、好んで身分違いの女をお愛しなさるということこそ、恋は思案のほかである。えらいお方ほど、女にかけては脆《もろ》いものか知らん。それとも駒井の殿様は、あんなお優しい御様子をしながら、やっぱりいかもの[#「いかもの」に傍点]食いでいらっしゃるのかも知れない。そうして世の常の女では食い足りないで、好んでお角のような女をお求めになるのかも知れない、というようなことまで船宿の夫婦は想像してみましたけれど、まさか、どういう御関係でございますと聞いてみるわけにもゆかず、そのままにしておりました。
お角はまた、どんな心持で駒井甚三郎をしげしげと訪ねるのか知らん。そのしげしげと訪ねるうちにも、お角としては念の入り過ぎたほどに、おめかしをして、乳の下あたりの動悸《どうき》を押えながら、そわそわとして通う素振《そぶり》が、よっぽどおかしいものです。さりとてこの女が、駒井甚三郎に恋をしかける女ではない。また男ぶりに、ぽーうと打込むというような女でもない。だから、しげしげ駒井のところへ通うとしても、露骨に言ってしまえば、駒井の懐ろを当て込んで、その信用を取外《とりはず》すまいと心がけているのでありましょう。
駒井甚三郎は落魄《らくはく》したけれども、まだ大事を為すの準備として、相当の資金がいずれにか蓄えてあるはずである。ことによると、お角が両国橋へ旗揚げの資本も、駒井が所持金の一部を割いて貸し与えたのかも知れない。ただ、転《ころ》んでもただは起きないお角が、駒井甚三郎の男ぶりに打込んで、これに入れ上げようとして通うものではなく、かえって駒井を利用するの意味で御機嫌を伺っているのだということだけは、どちらにもよくわかっているはずです。
お角は蛇の目をさして、柳橋の袂へかかりました。
お角が柳橋の袂まで来ると、頬冠《ほおかぶ》りをして、襟のかかった絆纏《はんてん》を着た遊び人|体《てい》の男が、横合いから、ひょいと出て来て、いきなり、お角の差している傘の中へ飛び込んだから、お角も驚きました。
「何をするの」
「お角、久しぶりだな」
それは玄冶店《げんやだな》の与三郎もどきの文句でありました。その文句でお角が気がついて、
「おや、百さんじゃないか」
「うむ、百だよ」
と言いました。この頬冠りこそ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵です。
「なんだってお前、こんなところにいたの、両国へ訪ねて来ればいいじゃないか」
「両国へ訪ねて行ったんじゃ、バツの悪いことがあるから、ここに待ち合せていたんだ」
「雨の降るのに、傘もささないで」
「柳の下に、お前の来るのを、ぼんやりと待っていたんだ」
「わたしはこれから、ちょっとそこまで用足しに行って来るから、お前さん小屋へ行くのがいやなら、そこいらで一杯やりながら待っていておくれ」
「そいつもいやだ、お前《めえ》の行くところへ一緒に行きてえんだ、そうでなくってお前、雨の降るのにこうして、柳の下に立っていられるものかな」
「だって、わたしは、お前さんと一緒じゃ行かれないところへ行くんだから」
「だから、折入ってお伴《とも》が願いたいんだ、亭主と一緒には行けねえところへ、相合傘《あいあいがさ》で乗り込もうという寸法が、面白いじゃねえか」
「お前さん、何かいや[#「いや」に傍点]に気を廻しているね、わたしのこれから行こうとするのは、そんなわけじゃありませんよ、後暗いことなんぞはありゃしませんよ」
「誰もお前に後暗いことがあったとは言わねえ、だから一緒に出かけて、先方のお方にもお目にかかって、お前がいろいろお世話になるんならお世話になるように、俺の方からもお礼を申し上げておきてえのだ」
「あいにく、それがお前さんとは、ちっとばかり話の合わない人なんだから、お目にかかったって仕方がないよ」
「話が合うか合わないか、話してみなけりゃ判らねえや」
「だって、先方《むこう》は殿様だもの」
「おや、殿様だって? どこのどうした殿様だか知らねえが、お前《めえ》が特別の御贔屓《ごひいき》にあずかっている殿様へ、おいらがお礼を申し上げて悪かろう道理はなかろうじゃねえか」
「それにしたってお前、あの殿様とお前さんとは、あんまり桁《けた》が違い過ぎるからね」
「なるほど、このがんりき[#「がんりき」に傍点]と、何とやらの殿様とは、あんまり桁が違い過ぎるけれど、女軽業の親方と駒井能登守とは、あんまり桁が違わねえのかい」
「まあお前さん、それを知っているの、駒井の殿様を御存じなの」
「ばかにするない、甲州勤番支配の時分から先刻御承知の殿様だ、鉄砲が大層お上手だそうだけれど、女にかけては根っから二本棒の殿様だ、身分違いのロクでもねえ女にひっかかって、あったら家柄を棒に振ってしまった殿様なんだ。どこをどうしたか、それをこのごろお前《めえ》が引っかけて物にしているということが、いつまでがんりき[#「がんりき」に傍点]の耳へ入らずにいると思っているのだ。そりゃ痩せても枯れても、もとは三千石の駒井能登守、お前の腕で絞ったら、まだずいぶん絞り甲斐もあるだろうが、そんな気のいい殿様を、お前のようないかもの[#「いかもの」に傍点]に二度三度絞らせておいちゃ、見ても聞いてもいられねえ、お目にかかって御意見を申し上げようと思っているのだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はこう言って歩き出したから、お角も仕方がなしに傘をさしかけて、二人は相合傘の形で柳橋を渡りました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]からこう言ってせがまれると、お角も困《こう》じ果ててしまいます。
無論、いいかげんのお座なりでごまかし了《おお》せる相手ではなし、そうかと言って、駒井甚三郎に引合わせようなどは以てのほかです。会わせないと言えば、こだわりをつけるに相違ない。お角も、この男にだけは尻尾を押えられていると見えて、しょうことなしに相合傘《あいあいがさ》で歩き出してはみたものの、橋を渡りきってしまえば甚三郎の宿は近いのですから、先へ進む気になれません。
「行っても仕方がないから帰りましょうよ、小屋へ帰って、ゆっくり話をしようじゃありませんか」
こう言って賺《すか》してみたけれども、無論おいそれと応ずる男ではありません。
そこで二人は、橋の欄干に添うて、押問答をしておりました。
この時、他の一方の橋の袂《たもと》から、また一組の相合傘が現われました。その相合傘は、こちらの相合傘とはだいぶ趣を異《こと》にしています。こちらは蛇の目の傘であるのに、あちらのは買立ての番傘でありました。一本の傘の下に二人の人が、雨を凌《しの》いでやって来るのは同じこと。またその二人が、一方が男であり、一方が女であることも同じだが、あちらのは、女の人がお高祖頭巾《こそずきん》で覆面をしているのに、男の方は素面《すめん》です。お高祖頭巾の女の面《かお》つきはわからないけれども、素面でいる男の方は、一目見てもそれとわかる宇治山田の米友に紛れもありません。
米友はあの通り背が低いのに、お高祖頭巾の女は人並よりこころもち高いくらいですから、この相合傘はあまり釣合いが取れません。第一、宇治山田の米友というのが相合傘の柄ではありません。お高祖頭巾の女がその番傘をかざして、米友は気の毒そうに例の杖をついて、その傘の下に歩いて来ましたが、柳橋を渡りかかると、怪訝《けげん》な目をして橋の上をながめます。それから神田川の水の流れを、何か思案ありげにながめて渡ります。
「ね、あの晩、この橋の上に立っていた人は、わたしはたしかに見たことのある人のように思いました」
お高祖頭巾が米友に向ってこう言いました。このお高祖頭巾の女というのが、藤原のお銀様であることは申すまでもありません。お銀様がそう言ったから米友は頷《うなず》いて、
「そう言われると、おいらもなんだか見たことのある人のような心持がするんだ」
米友も、以前、舟を漕いで来たあたりを見下ろして返事をしました。この不釣合いな相合傘が、橋の半ばへ進んで来た時に、
「御免なさい」
橋の欄干に立ちもやって押問答していた一方の相合傘とすれ違いになって、傘と傘とが軋《きし》り合いましたから、どちらでも御免なさいと言いました。
御免なさいと言いながら、傘を傾けておたがいに面《おもて》を見合わすと、
「おや、お前は米友じゃない? 友さんじゃないか」
と言ったのはお角の声であります。そう言われて米友はギョッとしました。前にも言う通り、この女軽業の親方お角だけが、宇治山田の米友にとっては唯一の苦手であります。かなり大胆不敵の米友も、お角に一言いわれると身がすく[#「すく」に傍点]むようになるのは、前世の宿縁というものか知らん。
「あッ」
と言って、さすがの米友が舌を捲いて、面《かお》の色を変えてたちどまりました。
「まあ、久しぶりじゃないか、米友さん、お前はこのごろどこにいるの」
舌を捲いている米友をお角が発見したのは、おそらく甲斐の国|石和《いさわ》の袖切坂以来のことでありましょう。あの時にお角は、米友を発見して、転んではならない袖切坂の途中で転びました。
その時にお角は、鼻緒の切れた下駄を藪《やぶ》の中へ抛《ほう》り込んで、さも口惜《くや》しそうに、「友さん、わたしがここで転んだことを、誰にも言っちゃいけないよ」と念を押しました。その時に米友は、「うむ」と固く承知すると、お角はなお、「言うと承知しないよ」と馬鹿念《ばかねん》を押しました。そこで米友は再び、「うむ」と力を入れて返事をすると、お角は、「けれども、お前はキット言うよ、お前の口から、このことがばれるにきまっているよ、もしそういうことがあった時は、わたしはお前をただは置かない……ただは置かないと言っても、わたしよりお前の方が強いんだから、してみると、わたしはいつかお前の手にかかって殺される時があるんだろう、どうもそう思われてならない」その意味がわからないから米友は、「何、何を言ってるんだ」と眼を円くすると、「転んだところを見た人と見られた人が、もし間違っても男と女であった時は、どっちかその片一方が、片一方の命をとるんですとさ」
お角がこんなことを言って自暴《やけ》のような気味であったことを米友は、もう忘れてしまっているに相違ない。しかし、お角の方では、多分それを思い出しているに相違ない。
ここでめぐり会った米友をおかしいと思うと共に、それと相合傘をしていたお高祖頭巾《こそずきん》の女の人を、お角は不審に思わないわけにはゆきません。ところが、お高祖頭巾の女の方では、さいぜんから、ちゃんと心得たもので、頭巾の中からお角の面を見据えるようにしていましたので、お角もなんだか気味が悪く思いました。
「おや、あなたは……」
今度はたしかにお角の方がギョッとしました。お角に呼び留められた米友は、てんで気を呑まれてしまったが、この覆面の女に見据えられたお角は、物怪《もののけ》につかれたように立ち竦《すく》んだのは稀れに見る光景であります。
米友にとってはお角が苦手であるように、お角にとってはお銀様が苦手であります。米友は、お角から言葉をかけられても頓《とみ》には返事ができません。お角は、お銀様に正面から見据えられて、しどろもどろです。
この三スクミの体《てい》を傍から見ていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、委細を知らないから、なんとも口出しがならず、川の流れを横目に見ていました。
「お角さん、お前さんはどこへ行くの」
と言ったのはお銀様であります。
「はい、そこまで、ちょっと用足しに……」
お角としては怪しいほど神妙に返事をしました。
「お連れがおありなさるの」
「いいえ……」
と言ったけれども、それは甚だまずい言抜けに過ぎません。
「もし、御用がないのなら済みませんが、そこまで、わたしと一緒に来て下さいませんか」
お銀様からこう言われたのが、この場合、お角にとっては勿怪《もっけ》の幸いであったらしく、
「はい、お伴《とも》を致しましょう」
と言ってしまいました。それで納まらないがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が向き直るとお角は、それにカブせるように、
「百蔵さん、このお方は、もと、わたしのお世話になった御主人様のお嬢様ですから、わたしはちょっと御一緒に行って参ります、それで今晩はあそこへ行くのはやめましょう、直ぐに帰りますから、両国へ行って待っていて下さい。友さん、お前も両国へおいで」
そこで相合傘が、また二つにわかれました。
お角のさして来た蛇の目の傘には、お銀様が入り、お銀様のさしていた番傘を米友に渡すと、米友は、それを受取って不承不承に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の上へ差しかけます。
蛇の目の傘は両女を容れたまま、もと来た方へ動き出したから、こうなってみるとがんりき[#「がんりき」に傍点]も、それを追蒐《おいか》けて袂を引くのもみっともないとあきらめたのか、だまって見送っているだけでした。
「や、こりゃ、どうも兄さん有難う」
ようやくのことで、番傘を差しかけてくれている米友の好意に気がついてみると、がんりき[#「がんりき」に傍点]も動き出さなければなりません。動き出したところで今度は蛇の目の傘ではなく、番傘で、そうして相合傘の主も、得体《えたい》の知れぬ河童《かっぱ》のような男だから、多少うんざりしないわけにはゆかない。しかしながら、がんりき[#「がんりき」に傍点]はさすがに如才《じょさい》ないところがあるから、金助のように見てくれだけで頭ごなしに米友を侮辱するようなことはありません。
「兄さん、お前さんは、どっちへおいでなさるんだね。わたしゃ、そこいらで、ちょっと一杯やりたいんだが、なんなら附合っておくんなさいな」
と優しく米友を誘いました。
「おいらは、そうしてもいられねえんだ、一杯やるんならおめえひとりでやんねえ、傘はおめえに貸してやらあ」
こう言って米友に番傘を差しつけられたから、さすがのがんりき[#「がんりき」に傍点]も苦笑いをしないわけにはゆきません。せっかくの相合傘の相手が振替えられた上に、その振替えられた相手から刎《は》ねられる始末だから、いやはや、色男も台なしという体《てい》でありました。そうして詮方《せんかた》なく苦笑いをしながら、
「それでも兄さん、わたしが傘を借りてしまったら、お前さんは濡れるんだろう」
「おいらなんぞは濡れたっていいやな、土団子《つちだんご》じゃあるめえし」
米友がこう言いました。米友が土団子じゃあるめえしと言ったのは、洒落《しゃれ》でも警句でもないだけに、おかしいところがあります。どちらかと言えば米友は、土団子のような人間でありますから、がんりき[#「がんりき」に傍点]もおかしく思いながら、
「土団子でねえにしても、お前さんを濡らしちゃ気の毒だ。それじゃあ、わたしはそこいらで一杯やることにしますからね、兄さん、御苦労だが、そこまで送ってやっておくんなさいな。ナニ、どっちでもかまわねえんだ、あいつらが両国の方へ行ったから、同じ方へ行くのも癪《しゃく》だ、代地《だいち》の方へ行きましょうよ」
こう言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]が、橋の上を歩き出そうとすると、
「遠慮をしなくってもいいやな、傘は貸して上げるから、一人で勝手なところへ行きな、おいらは送って行くのは嫌だよ」
「だって、兄さん、濡れたって詰らねえじゃねえか」
「いいよ、おいらは濡れたってかまわねえんだ、ズブ濡れになった方が、気持がいいくらいなものだ」
「自暴《やけ》なことを言いっこなし」
「自暴なんぞを言やしねえ」
「そんなことを言わずに、おとなしく相合傘という寸法で行こうじゃねえか。一人で差したる傘なれば、片袖濡れようはずがない、なんぞは乙なもんだが、フラれて、自暴で、ズブ濡れなんぞは気が利かねえ、兄さん、相合傘とやりましょうよ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は強《し》いて米友を、相合傘に捲き込もうとするけれども、米友は頑として聞かない。ぐずぐずしていると傘を抛りつけて行ってしまいそうですから、相合傘の押売りなんぞは気の利かないことこの上なしだと、がんりき[#「がんりき」に傍点]も呆《あき》れ返ってもてあましている途端に、フイと気のついたことがありました。
「おい、兄さん、ちょっと待ってくれ」
米友を呼び留めたけれども、米友は矢も楯も堪らなくなっていました。開いたなりの傘をそこへ抛り出して、勝手にしやがれという態度で、跛足《びっこ》の足を引きずって、雨の中をさっさと駈け出してしまいます。
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、いよいよテレたもので、苦笑いが止まらず、ぜひに及ばない面《かお》をして、橋の上でグルグル廻っている番傘を片手で取押えて肩にかけ、米友の走り去った方面を見送っていましたが、やがて、あきらめて、橋を渡って代地あたりの闇に消えてしまいました。この時分のこと、例の船宿の二階で、書きものをしながら、お角の来るのを待っていた駒井甚三郎は、約束の時間に至ってもお角の姿が見えないから、なお暫く待っていたけれども、音沙汰がありません。そこで、書きものを始末をして立ち上ると、緞子《どんす》の馬乗袴《うまのりばかま》を穿き、筒袖の羅紗《らしゃ》の羽織を引っかけ、大小を引寄せて、壁にかけてあった大塗笠《おおぬりがさ》を取卸しました。これからいずれへか出かけて行くものと見えます。出かける前に、お角に会っておきたい用件があるのでしょう、もしやと再び机の前に坐り、火鉢の上に手をかざして、更に消息を待っているもののようでしたが、お角の姿は見えないし、ことわりの使もやって来ないから、もうあきらめたものと見えて、大小を取って手挟《たばさ》みました。駒井甚三郎は、近々《ちかぢか》に房州へ帰らなければならぬ。このほど江戸へ上って来たのは、洲崎《すのさき》の海岸で船を造らんがために、その費用と、材料と、大工とを求めんがために、来たものであることは申すまでもありません。お角も茂太郎も、それと一緒には遣《や》って来たものの、駒井にとっては、それは偶然の道連れに過ぎないが、お角や茂太郎にとっては、駒井甚三郎は再生の恩人であります。駒井の役に立つことならば、何を置いてもつとめなければならないし、もし甚三郎が急に立つものとすれば、やはり何を置いても見送らなければならぬはずです。
十
机竜之助は、あの晩から再び弥勒寺《みろくじ》の長屋へは帰りませんでした。染井の化物屋敷へも姿を見せた形跡はありません。練塀小路《ねりべいこうじ》の湯屋を出たのはたしかに、その人であったに相違ないけれど、早駕籠《はやかご》の行先はわかりません。
けれども、天にかくれようはずもなし、地にくぐろう術《すべ》もないから、日ならずどこかへ姿を現わすにはきまっています。姿を現わさないにしても、いずれにか志す所の安住の地があればこそ、駕籠を傭うたものであろう。駕籠屋とても、めくら滅法界に人を載せて走るというはずはありません。その落着くところと、与えらるる酒料《さかて》の胸算用を度外にして、物好きに人を載せて走るということはありません。駕籠屋をつきとめて見さえすれば、大概はわかることでありますが、その駕籠屋が朦朧《もうろう》にひとしいもので、いずれの町内から運んで来て、いずれへ向って走ったか、それを尋ねると煙の如くになってしまいます。さりとて今更、甲州でもあるまいし、神尾主膳をたよって行くでもなし、宇治山田の米友に介抱されるでもなし、明るい日は一寸も独り歩きのできない身になって、その昔のように、鈴鹿峠を越えて、上方《かみがた》の動乱の渦に捲き込まれようとする勇気もなかろうし、よし勇気があったにしたところが身体が許さないし、今は京都で威勢を逞《たくま》しうしている、かの新撰組の手が江戸へ舞い戻ってでも来るようなら、そのうちにはおのずから竜之助を援護する者も出て来ようけれど、今のところ、そんなあてはなし、早駕籠で飛ばしてどこへどう落着こうとするのだか、その見当は、どうもわかり兼ねます。それでも、お銀様との間に意志の疏通が出来ているならば、どこかで謀《しめ》し合わせて二人で身を隠すものとも思われるが、お銀様は、あれからああして、米友を案内にして心当りを探しているくらいだから、ここ暫く、二人の間の縁《えにし》の糸が切れていると見なければなりません。そうしてみると、机竜之助の落ち行く先はいよいよ想像がつかなくなります。
いろいろ思いめぐらしてみると、思い当るところが、たった一つあるにはある。机竜之助には一人の男の子があったはずで、その名は郁太郎といって、それを養っているのが水車番の与八であることは、もう久しいものであります。そう言ってみればなるほど、急に里心がついて、我が子に逢ってみたくなったかも知れない。紀伊の国竜神の奥においても、そのことを見えぬ眼の夢に見て、血の涙をこぼしたことがあるはずです。甲斐の国|躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷でも、峠を一つ越えて甲斐と武蔵の境を抜けさえすれば、そこにわが子の面影《おもかげ》を見ることを、人に語って涙を呑んだこともあるはずです。江戸へ着いて、いずれの時かそれを思い起して、帰心《きしん》矢の如きものあるべきは、情においても、理においても、当《まさ》にしかるべきところがあるが、今では、もう義理にも人情にも泣こうという涙は涸《か》れて、ただただ血に渇く咽喉《のど》が拡大し、夜な夜な飽くまで人の血を貪り飲むの快味に我を忘れ、我を荒《すさ》ましめているに過ぎなかろう。今時分、里心に駆られて故郷《ふるさと》へ帰ってみたって、そこには何の興味もあるべきはずはない。興味はあるべきはずはないけれども、この際、何とはなしに帰りたくなったものと見れば論はないが、肝腎の早駕籠は甲州の裏表の街道、いずれをも飛んで行く形勢はなくて、意外千万のことには、その夜の大引け前になって、竜之助は杖をついて、吉原の大門内を忍びやかに歩いていました。
お銀様は吉原の廓《くるわ》のうちを探していたけれど、その時分には竜之助はあまり吉原へは立入らなかったようです。
今日この時分にここへ入り込んだ竜之助の姿は、あまり人目にはつきませんでした。茶屋から行こうとするのでもなく、以前神尾に連れられて行った万字楼をさして行こうでもありません。茶屋と妓楼《ぎろう》の軒下を例の通り忍びやかに歩いて、巴屋《ともえや》の前へ来ると立ち止まりました。そこで、彼が巴屋の暖簾《のれん》を押分けて入ってしまったきり、出て来ないのは不思議です。
竜之助の姿が巴屋の暖簾の下で消えると、まもなく、
「大隅《おおすみ》さん、大隅さん」
と誰やらの呼ぶ声が聞えました。
「あいよ」
二階の一間で返事をしたのは、若い女の声であります。
「按摩さんが参りましたよ」
「あ、そうですか」
まもなく番新がそこへ連れ込んだのは、按摩さんとは言い条、決して机竜之助ではありません。廓《くるわ》へ出入りするあたりまえの按摩を、番新があたりまえに引張って来たのに過ぎません。まもなく連れ込まれた按摩は、中でハタハタと肩の療治にかかりながら、世間話をはじめているのが、よく聞えます。
「万字楼の白妙《しろたえ》さんは、かわいそうなことを致しました、ほんとにお気の毒でございますよ、まあ、なんて運が悪いことでしょう」
「万字楼の白妙さんが、どうかなすったの」
「花魁《おいらん》はまだあれをお聞きになりませんか。柳原の土手で、あの花魁が殺されてしまいましたよ」
「え、柳原の土手で、あの白妙さんが殺されたって? そりゃ嘘でしょう」
「いいえ、嘘なんぞは申しません、あの花魁が御贔屓《ごひいき》の旦那にひかされて、矢の倉の親御さんのところへお帰りになったのは、つい近頃のことでございましたが、お礼参りだといって柳原の、杉の森の稲荷様へ御参詣になった帰りに、やられてしまいました」
「へえ、ずいぶん、怖ろしいことを聞くものですね、まあ、どうしてそんなことになったのでしょう」
「このごろは、江戸の市中へ辻斬ということが流行《はや》って、行当りバッタリに殺《や》られる人が何人あるか知れません。ほんの近いところですけれども、一人で夜歩きをなさったのが、あの方の落度《おちど》でございますね、その帰りにやられてしまったんでございます。それでも、人の噂には、あれは辻斬ではなかろうということでございます、辻斬ならば、スッパリと抜打ちかなにかにやるんでしょうけれど、あの花魁のは抉《えぐ》ってあるんだそうですから、何か遺恨《いこん》があって、つまり恋の恨みだろうと言って、専《もっぱ》らの評判でございますよ」
「いや、いや、そんな話は、もうよしましょう、今時、まだ恋の恨みで人を殺すような男があるのか知ら」
「そりゃ、ありますともさ、いつになっても、この道ばかりは別でございますからね」
按摩がうっかりこんなことを言った時に、面《かお》がダラリと伸びて、口が耳まで裂けたようでしたから、この部屋にいる人が、みんなゾッとしました。
そこへ、白い羽二重を首に巻いて、十徳《じっとく》を着た、坊主頭の、かなりの年配な、品のよい人が不意に姿を現わし、障子をあける音もなしに入って来たから、眼の見えない按摩のほかは、新造《しんぞ》も禿《かむろ》も一度に狼狽して、
「御前様《ごぜんさま》、ようこそ」
と言って手をつきました。無論、当の花魁の大隅も、按摩をやめさせて居ずまいを直したものです。
ところが、どうでしょう、一度に狼狽して敬意を表した部屋中の人々が、
「おやおや」
と言って面を見合わせたが、その面は、いずれも土のようになっていました。
「たしかに御前様がおいでになりましたね」
新造が言うと、
「ええ、たしかにおいでになりましてよ」
禿《かむろ》が返事をしました。大隅もまた、
「まあ、どうしたのでしょう」
呆《あき》れた上に、歯の根が合わなくなっているようです。取残されているのは按摩さんだけで、それは、きょとんとしてせっかくの話の腰も折られ、療治の手をやめさせられて、ほんとうに手持無沙汰で控えていました。
眼の見えるもの三人は、たしかに入って来た、白羽二重を首に巻いて十徳を着た坊主頭を見たのです。だから、慇懃《いんぎん》に手をついて、めいめいの頭まで下げたのに、下げた頭を上げた時分にはその客はいないのです。入って来たのが、いかにも突然であったのに、消えてしまったのが、またあまりに突然です。前の話があって、ゾッとして寒がっているところへ、それですから、惣身《そうみ》に水をかけられたような思いです。
前代の大隅に熱くなって通っていた浅草のある寺院の住職がありました。法体では吉原へ通えないから、大抵は医者のような姿をして通っていました。この寺は裕福な寺であって、この住職は大隅のためにはずいぶん金を使ったものです。大隅は表面|上手《じょうず》にもてなしたけれど、内々はずいぶん悪辣《あくらつ》な金の絞り方をなしたものと見えます。
「大隅さんは、あんなことをして罰が当らないでしょうか、坊主を欺《だま》すと七代|祟《たた》るということだから、後生《ごしょう》が怖ろしい」
と蔭口を言われたこともありました。しかし、いよいよ熱くなっていた坊さんは、それでもいっこう悔ゆる気色《けしき》がなく、ひきつづいて通っていました。
今も、心安く、すうっと大隅の部屋へ素通りしたものと思っていると、その姿が見えないというわけです。
「御前様のお面《かお》が真蒼《まっさお》でした」
禿が唇を顫《ふる》わして言いました。
「そう言えば、肩のところに血が滲《にじ》んでいたようでした」
それっきり、ものを言う者がありません。
「大隅さん、大隅さん」
やや暫くたって障子の外から呼ぶ声で、一同が息を吹き返したようなものです。
「大隅さん、あなたをお名ざしのお客様をお通し申しました、御初会《ごしょかい》かと聞きますと、そうではないとおっしゃいます、お馴染《なじみ》かとおたずね申しても、そうではないとおっしゃいます、お一人で、ずっとお通りになりましたから、常のお客様と存じましたところが、お目が御不自由のようでございます、まあ、とにかく、お迎えにおいで下さいまし」
廊下に立って誰とも知らず女の声で、こう言う者があったから、大隅は立ち上りました。
大隅を名ざしで来たのは竜之助であります。初会ということでもなし、馴染ということでもないから、多分、二度目でありましょう。してみれば、いつのまにか、一度はこの家の、この女と会うたことがあったのに違いない。
しかしながら、ほんの訪ねて来たというだけで、二人は別れ別れになってしまいました。大隅は自分の部屋へ来て、気分が悪いと言って寝てしまいました。竜之助は疲労がはなはだしいと言って、他のいずれかの部屋で寝てしまいました。
その間には、芸妓、幇間《ほうかん》を揚げて盛んに騒いでいる客もあります。一つの間に、たった一人で、しきりに義太夫を語っている者もあります。ひそひそと内密話《ないしょばなし》をしている者もあります。急がしそうに手紙を書いている人もありました。
竜之助の寝ているところへ、廊下を通った番新が、そっとあけて、屏風の中を覗《のぞ》いて、無事に寝ていることを確めて安心して行ってしまいました。不寝番《ねずのばん》が油を差しに来た時も、ちょっと驚かされたけれども、やっぱり無事に眠っているものだから、安心して行ってしまいました。
寝返りを打った途端に、右の手の傷がヒリリと痛んだために夢が破れた竜之助は、こんしんからの深い息をついて、痛む傷を押えようともせずに、見えない眼を見開きました。さいぜん注《つ》ぎ足して行った行燈《あんどん》のあかりが、明るくその網膜にうつッて来ました。夜が明けても眼が見えないし、昼になっても眼が見えない。寝ても見えないし、起きても見えない。横になっても、縦になっても、見えない眼は、やっぱり見えない。
そもそも今夜、こうしてここへ、女の名を覚えていてやって来たのも、裏を返すというような遊蕩気分に駆られて、やって来たわけではあるまい。すべてが闇黒《あんこく》であって、ただ人を斬ってみる瞬間だけに全身の血が逆流する。その時だけがこの男の人生の火花なのだから、恋とやら、情とやらいうものは、もう無いものになっているはずです。
美しい女もないし、醜い女もない。恋せられたって、愛せられたって、それがどれだけも骨身にこたえるものでもあるまい。金で買われる果敢《はか》ない一夜の情に堪能《たんのう》して、それで慰められて行くならば、何のたあいもない!
この男にとって最も悲惨なのは、夜中に夢が破れることです。その夜中に夢が破れた時、お銀様がいれば辛《かろ》うじて、その裂け目をお銀様が繕《つくろ》うてくれました。宇治山田の米友が一緒にいた時は、その率直な一種の真実味が彼を慰めてくれました。それでも堪えきれない時に、一刀を帯びて人を斬りに出かける。
夜半に夢が破れた時には、その破れ目の傷口から、あらゆる過去が流れ出すのです。
与八に抱かれて行ったその子供が、雲に乗って天上へ舞いのぼると、その雲が火になって燃え出すのは、堪え難い執念です。
今までの過去という過去が残りなく、そこへ並べられる最後に、その中へ現われるのは、いつも我が子の郁太郎の面影《おもかげ》でありました。我が子の面影のみは払おうとして払うことができません。消そうとしても消すことができません。まさに親の因果が子に報うべき現世の地獄を、眼《ま》のあたりに見せらるることが苦しくないではない。幾度か、故郷へ帰って、その見えぬ眼に、わが子を抱いてのち死にたいと思い立ったけれども、今となっては、もうそんな心持はないらしい。
四隣《あたり》、人定まった時に、過去のことと人とを思い出すことが彼にとっては、ひたひたと四方から鉄壁で押えつけられるように苦しい。枕許の水差を引寄せて、水をグッと一口呑んだ時に、つい隣の部屋で、思いがけなく短笛《たんてき》の音が起りました。
一口飲んだ水さえが、火となって胸の中で燃えるかと思われる時に、短笛の音は、一味の涼風となって胸に透《とお》るのです。
この真夜中に、隣の部屋で尺八を吹き出したものがあります。竜之助の持っている風流といえばおそらく、尺八がその唯一のものでありましょう。それは父の弾正が好んで吹いたものであります。それを学んだ竜之助は幼少の時から、それだけは心得ておりました。伊勢から東海道を下る時に、たしか浜松までは、その一管の尺八に余音《よいん》をこめて旅をして来たはずです。浜松へ来て、お絹に逢ってから尺八を捨てました。少しく光明を得ていた眼が、再び無明《むみょう》の闇路《やみじ》に帰ったのも、その時からでありました。
父から尺八を教えられる時に、竜之助はよく、尺八のいわれを聞かされたことであります。臨済《りんざい》と普化禅師《ふけぜんじ》との挨拶の如きは、父が好んで人に語りもし、竜之助にも聞かせました。竜之助には、そのことがわかったような、わからぬような心持がしていました。父が、よくすべてを禅味に持って行くことを竜之助は、むしろ反感を懐《いだ》いていました。普化禅師の物語を聞かされた時も、冷淡に聞き流してしまったもので、尺八そのものの音色《ねいろ》には、どうかすると我を忘れることもあるのが、自分ながら不思議と言えば不思議であります。
気のせいか知らん、このとき隣室に吹いている尺八の音色が、又なく微妙なものに響きます。吹く人の技《わざ》の拙《つたな》からぬことも、吹かれている尺八そのものの稀れなる名器であるらしいことも、竜之助は聞いて取ることができました。
吹いている曲は、たしかに「恋慕《れんぼ》」と思われる。
尺八を吹いているのは金伽羅童子《こんがらどうじ》で、歌をうたっているのが制多伽童子《せいたかどうじ》です。
二人は双子《ふたご》でありました。もとはしかるべきさむらいの子であったとかいうことですが、みなし児になってこの家に引取られ、実の名もあるにはあるが、この楼《いえ》の者は二人を呼ぶに、金伽羅、制多伽の名を以てして、その実の名を呼ぶ者がありません。
かつて素人芝居《しろうとしばい》があった時、この楼の主人が文覚勧進帳《もんがくかんじんちょう》の不動明王に扮《ふん》して、二人がその脇侍《きょうじ》の二童子をつとめたところから、その名が起ったものであります。
二人は、ここの家に拾われて、掃きそうじ[#「そうじ」に傍点]や、庭の草取りや、追廻しをつとめていました。天性、二人は音楽が好きで、楼の人の学ぶのを見まね、聞まねに、さまざまの音曲を覚えています。人定まった後に誰もいないような部屋を選んで、二人はこうして、笛を吹き、歌をうたうのが何よりの楽しみであります。
「ねえ、金伽羅《こんがら》さん、今度はすががき[#「すががき」に傍点]をおやりよ」
とすすめたのは、歌をうたっていた制多伽《せいたか》であります。
「制多伽さん、このお隣には人がいるのよ」
金伽羅童子は、尺八を膝に置いて返事をしました。
「え、人がいるの、お隣に?」
「ええ、病気なんでしょうよ、はじめのうちは大へん苦しがっていたんですけれど、そのうちに癒って寝てしまったようですから、それで、わたしは笛を吹き出しました。あんまり吹いたり、歌ったりして、せっかく寝た人を起すと悪いね」
「そう、でも、病気が癒って寝てしまったんなら、いいでしょう、すががき[#「すががき」に傍点]をもう一つおやりよ、わたしは歌わないで、だまって聞いているから」
「そうしましょうか」
やがて、また、しめやかな尺八の音《ね》が起りました。
「ウーホフ、ホウエヤ……」
こんどはすががき[#「すががき」に傍点]を始めました。淀《よど》みもなく三べん吹き返したすががき[#「すががき」に傍点]は、子供の歌口とは思われないほどに艶《つや》のあるものです。
「うまいね、金伽羅さん」
制多伽は、その短笛の音色に心から感心して賞《ほ》めると、賞められた金伽羅は無邪気に嬉しがって、
「あんまり賞めないで頂戴、笛がいいんだよ、笛のせいで、よく吹けるんだね」
「金伽羅さん、こんどはおかざき[#「おかざき」に傍点]をおやりよ、ね、おかざき[#「おかざき」に傍点]をやって下さいな」
「やりましょうかね。では、おかざき[#「おかざき」に傍点]をやるから制多伽さん、お前、おうたいなさいな」
「あ、歌いましょう」
隣室の人を驚かすことを怖れて、歌わないと言った誓いを忘れて、二人はまた興に入《い》ってしまいました。
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岡崎女郎衆
岡崎女郎衆
岡崎女郎衆はよい女郎衆
岡崎女郎衆はよい女郎衆
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二人を知っている者は、それでよかろうけれども、二人を知らない者にとっては、壁を隔ててするその会話は、一種異様なものに聞えます。まことの金伽羅童子、制多伽童子がこの場へ天降《あまくだ》りして、戯れ遊んでいるのではないかとさえ思われるほどに、世間ばなれがしています。
思いがけなくその幸福を受けたのは机竜之助でありました。次の間で天童の戯れ遊ぶことによって、この世からなる地獄の責めを免れました。「恋慕」を聞き、すががき[#「すががき」に傍点]を聞き、「岡崎女郎衆」を聞いているうちに、いつかは知らず恍然《うっとり》として、夢とうつつの境に抱き込まれました。いいあんばいに、ほとんど一日を寝通して、その日の黄昏《たそがれ》にこの家を出て行きました。駕籠《かご》に乗って帰る途中で、昨夜《ゆうべ》の金伽羅童子と制多伽童子のことが思い出され、あの尺八の音色が忘れられません。
歌の声の可憐なのが、耳許についているようです。
そこで、駕籠の中から、駕籠舁《かごかき》に向って注文しました、
「尺八を一本求めたいが、新しいのでもよし、古いのでもかまわない」
やがて、その望みが叶うて、とある道具屋で、駕籠舁が一本の煤色《すすいろ》した尺八を求めてくれました。
駕籠の中で竜之助は、その尺八の歌口をしめしました。そこで、昨夜の「恋慕」が吹いてみたくなりました。金伽羅童子が吹いためりかり[#「めりかり」に傍点]を、真似るともなく真似て吹いていると、自分ながらいい心持に吹けてたまりません。
三返しまで「恋慕」を吹いて、それから獅子踊の前歌にかかりました。それを吹きはじめると、いよいよゆうべ聞いた金伽羅童子の冴《さ》えた笛の音が、そのまま、この笛に乗り移ったかと思われるほどです。そうして、あの制多伽童子のそれに合せて、うたっている声まで、ありありと、そこにひびいて来るようです。
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身をやつす、賤《しず》が思いを、夢ほど様《さま》に知らせたや、えい、そりゃ、夢ほど様に知らせたや……
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自分の吹いている尺八と、金伽羅童子の尺八と、制多伽童子の歌とが全く一つであって、二つとも、三つとも思われません。
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浅ましや、賤が身は、ただ一夜で落ちて、名を流す、えい、そりゃ、一夜で落ちて名をながす……
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あまり面白いので、
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ヤリ、ヤリ、ヒヒ、ヤリエウホフ
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と吹いて行くと、
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それとても苦しうござらぬ、若いが二たびあるにこそ、えい、そりゃ、枯木で花が咲くにこそ……
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どうしてこんなに面白いのだかわからない。自分で吹いて、自分の音色に聞き惚れていると、金の鈴を振るような制多伽童子の音声が、常住不断に耳もとで鳴りひびいています。心なき駕籠屋も、心して駕籠を揺れないように舁《かつ》いで行くものらしい。
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鎌倉の御所のお庭で、十七小女郎がしゃくを取る、えい、そりゃ、十七小女郎がしゃくをとる……
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しゃくをとるはいいけれど、いったい、この駕籠はどこまでやるつもりだ。
十一
お角があの晩、おそく両国の小屋へ帰って来た時分に、まだ茂太郎が帰っていませんでしたから嚇《かっ》としました。
小屋の者どもを叱りつけて、迎えにやったけれども、そのお客はとうに帰ってしまったとのことです。お角が、むしゃくしゃに腹を立てたのは無理がありません。こうなっては、たしかにかどわか[#「かどわか」に傍点]されたと見るよりほかはない。大切《だいじ》の大切の一枚看板を外されては、明日からの人気にさわる。人気よりも、損得よりも、出し抜かれたことがお角としては口惜《くや》しい。ことに相手が女であるとのこと、しかるべき切髪の、まだ水々しい女であったということが癪にさわってたまらない。その女は若党らしい男をお伴《とも》にしていて、茂太郎を連れ出して、船で柳橋の方へ乗り出したということです。負けない気性のお角を、それと知ってしたことか、知らずにした悪戯《いたずら》か、こればかりは容赦ができないと、お角は歯噛みをして口惜しがりました。
朝になると、染井のお屋敷から参りましたという使の者が、
「へえ、御免下さいまし、染井のお屋敷から、こちらの太夫元へお言伝《ことづけ》がありました、というのはほかじゃございません、こちらの小屋に出ておいでなさる茂太郎さんというのが、どうしたものやら、昨晩、迷児《まよいご》になって、染井のお屋敷のお絹様をたよっておいでになったそうでございます、お絹様も、不憫《ふびん》に思召して、昨晩はあれへお泊め申して、よくよく事情をお聞き申してみまするていと、両国の女軽業《おんなかるわざ》の一座に出ておいでなさるということですから、こちらの太夫元に、もしお心当りがございましたら、早速お引取りにおいで下さるようにと、こういう使の趣で、早々とやって参りました」
それを聞いたお角が、夜具を刎《は》ねのけて、
「いずれ御挨拶を申し上げますから、帰って下さい」
使の者は、ニヤリと笑って帰りました。
なんというばかばかしいことだろう、すっかりあの女に鼻毛を読まれてしまった、どうしたらこの仇《かたき》が打てるだろうと歯ぎしりをしました。ほんとうにそうです。お角として、これから染井の屋敷へ出かけて、あの子を引取りに参りましたと言って、お絹の前へ手が突けるものか、突けないものか。さりとて引取りに行かなければ、向うは、茂太郎を人質に取って、これ見よがしのおもちゃにするにはきまっている。第一、あの呼び物がなくなっては、今日からの一座も打てないじゃないか。お絹という女は虫唾《むしず》の走るほどキザな奴だ、噛んで吐き出してやりたいほどイヤな奴だと、お角は腹が煮えくり返ってたまりません。プンプンして弟子たちに当り散らしているところへ、
「お早う、親方はおいでか」
と言って、やって来たのが七兵衛であります。
ここへ七兵衛が来合わせたことは、お角にとっては仏様でありました。口惜《くや》しまぎれに七兵衛に向ってこのことを語り出すと、七兵衛が面白がって、
「そいつは面白い、そういうふうに仕かけられたんでは、こっちもそのつもりで喧嘩を買わなくっちゃならねえ。しかしお角さん、お前がムカッ腹でどなり込んで行った日には先方の思う壺だ、なんとかいい知恵はねえものかなあ」
七兵衛が面白半分に頭をひねって、小膝をぽんと打ち、
「いい知恵が一つ湧いて来た、それをお前さんに授けるから、上手にやってごらんなさい。その知恵というのはこういうわけなんだ、当人のお絹さんへぶつかっちゃいけないよ、あれはたかをくくったように見せかけておいて、搦手《からめて》から、神尾の大将を責めるんだね。その責道具というのはこういう仕組みにするといい、まず、神尾の殿様へ使を立てて、このたび、ぜひ殿様にお目ききを願いたい掘出し物が出ましたとこう申し上げるんだ、それは何だと来る、お腰の物でございます、刀でございますとこう申し上げると、刀は誰の作だとお言いなさるにきまっている、それはほかではございません、伯耆《ほうき》の安綱でございますと申し上げると、きっと神尾の殿様の眼の色が変るに違いない、そこを附け込んで……ところで、その伯耆の安綱は、もともと神尾の殿様のお持物でございますから、決して代金をいただこうとは存じませんが、お言葉に甘えまして、ただ一品《ひとしな》の望みがございます、その一品と申しますのは、お絹様のお手許においでなさる子供を、決してお絹様のお手からいただこうとは存じませぬ、殿様のお手ずから……こんなことに持ちかけてごらん」
それをお角は大喜びで、悉《ことごと》く呑込んでしまいました。
七兵衛は、お角に知恵を授けてから、持って来た箱入りの品物を手渡ししました。これが伯耆の安綱でありましょう。この時の安綱は、まだ鳥越の甚内明神へは納めないであったものと見えます。甚内様へ納める代りに、お角の手に預けて、その後の幕を見ようともしない七兵衛は、この小屋を立ち出でてどこへ行くかと見れば、品川へ出て、東海道を真一文字に走《は》せ上《のぼ》ります。
十二
お松が、ひとりで気を揉《も》んでいるのみではなく、宇津木兵馬のこの頃は、誰が見ても変ってきたことがわかります。
第一は金銭に困っていること、第二は外へ泊って帰ることが多いこと、この二つは近来になって、ことさらに眼に立つようになりました。
それを、誰よりもいちばん早く見て取ったから、お松の気を揉むのは無理のない話です。
宇津木兵馬はこのごろ、吉原通いが面白くなりました。
あの時のように、東雲《しののめ》と二人で碁を打っているだけでは納まらなくなりました。東雲が勤め気を離れて兵馬を可愛がるようになると、兵馬の心が漸く熱くなってゆきました。
兵馬の傍にはお松という者もあり、お君のような美しい女もいるのに、兵馬はそれに心を取られることがありませんでした。
京都にいた時も、新撰組の連中と島原界隈にずいぶん出入りもしたけれども、ついぞ、その道に溺れるということがありませんでしたのに、ここへ来て東雲に打込むようになったのは、全く思案のほかと言わなければなりません。
人間が純良であるだけに、打込むことが深いと見え、女は商売柄、いくらかの余裕もあり、手管《てくだ》があっても、兵馬は突きつめた心で、その言うことの全部を信用してしまいます。生一本《きいっぽん》に打込むようになると、自分が愛するだけ、他から愛してもらわなければ満足ができないものになってみると、相手はこの上もない大敵であります。幾人の男にも自在に許すことのできる立場にいる女を、恋の相手として持つことほど、気の揉めることはないはずです。落ちて行くところは、他人には指一本もささせずに、己《おの》れの一人の愛情で包んでしまわなければならないということだが、それをするには、この女を身請《みう》けして、生涯を保証するということが第一の問題になっているけれど、それは兵馬の力では覚束《おぼつか》ないことで、女もまたそれを兵馬には期待していないのです。もしそんな場合に立至れば、兵馬でなくてもほかに心当りの客は、いくらもありそうなものです。今のところ、女は兵馬を可愛がり可愛がられて、勤め気を離れているというだけの気分ですけれども、兵馬には、もっと突きつめて、「世の中は金と女が敵《かたき》なり、早く敵にめぐり逢いたし」――いつぞや辻講釈で聞いた冒頭《まくら》の歌が、ひしひしと迫って来るようです。
兵馬に浴びせていた可愛ゆい言葉を、兵馬が去ればまたほかの人に惜気もなく浴びせる。兵馬を可愛がった情けを、また今宵《こよい》はほかの人に許してしまうのだ。さりとては、あんまり浅ましいと兵馬は帰りがけに、泣きたいほどに悶《もだ》えました。
この苦痛に翻弄《ほんろう》されて、へとへとになって相生町の老女の家へ帰って見ると、自分の部屋に人が一人いて、無遠慮に兵馬の机へ寄りかかって物を書いています。
「おお南条殿、いつお帰りになりました」
それは南条力でありました。
「やあ宇津木君、どこへ行っていた」
どこへ行っていたと言われた兵馬は、
「つい、そこまで」
と勢いのない返事です。
「君、面《かお》の色がよくないぞ」
南条はその爛々《らんらん》たる眼で、兵馬の面をジロリと見て、
「君が意気銷沈《いきしょうちん》していると娘たちが心配する、それに君、あまり外泊はせん方がよろしいぞ」
「…………」
兵馬はグッと詰まりました。
その時に南条力は、書きかけていた筆をさしおいて、膝を兵馬の方に向き直らせ、
「君のことだから、そうばかげたこともすまいけれど、はたで見ているものは相当に気を揉むらしい。気を揉ませぬようにしてやってくれよ、周囲《まわり》の者に気を揉ませるのがいちばん毒じゃ」
南条は光る眼をすずしくしてこう言いました。その言葉の節々《ふしぶし》が何もかも心得ているもののようで、真綿で首を締められるように苦しくもあるが、この人だけに頼もしいところもあります。
思案に余った上、兵馬はついに今の胸の中を、南条力に向って打明けました。
それを聞いていた南条力は、
「してみると、その気の毒な女を救うてやりたいが金が無いということに帰するのじゃな。ぐずぐずしていれば他人が引き抜いて持って行くかも知れぬという怖《おそ》れもあるのじゃな。ともかくも傾城《けいせい》一人を身請けするというからには、相当の金がいるはずである、よほど遊んだ金を持っている奴でなければできないことじゃ。宇津木君、君がそんなことに関係したのは柄ではない、よろしく見殺しにするに越したことはないのだが、君もここまで切り出して拙者に相談を打つからには、退引《のっぴき》ならぬ義理もあるのだろう、乗りかかった船で、ぜひに及ばぬ羽目になっているのだろう、ここは一番、拙者が肌をぬいでやろうかな」
こう言って莞爾《かんじ》として笑いました。兵馬にとってはこの一言が頼もしいような、擽《くすぐ》ったいような感じがしました。けれども、冗談《じょうだん》にしろこの男が一肌ぬいでやろうと提言してくれたことは、非常なる心強さで、思わず息がはずむと、
「ところで、その傾城を身請けして、いったい当人はどうするつもりじゃ、宿の女房にでも据えようとするのか、ただしは囲い者にでもしておこうというのか……まあいいわ、その辺はあらかじめ聞いておくべき必要はない。しかし拙者が肩を入れるとしてもだ、世間の金持の遊冶郎《ゆうやろう》のするように、大金を抛《ほう》り出して、馬鹿を尽した引かせ方はせぬつもりじゃ。少々|悪辣《あくらつ》な手段をめぐらすつもりだが、結局は理窟に合って行くやり方をして見せる。つまり正面から掛け合っては、埒《らち》が明かない上に金がかかるから、それで悪辣の手段を講じておいて善後策を上手にやる。その悪辣の手段というのは、女を盗み出すことじゃ、女を盗み出しておいて、親許《おやもと》を説き落してそれから談判させるのだ。女を盗み出すことは拙者に任せるがよい、親許を説き落すことも、拙者に任せるがよい、それがために要する多少の金銭も、拙者が君に免じて立替えてもよろしいが、宇津木君、その交換条件という意味ではないが、君に一つ頼みたいことがある」
と言いました。なるほど、やりそうなことである。南条ならば部下の二三の浪士を差向わして、女を盗み出させるくらいは朝飯前である。そうしておいて威力と和解と両方面から事を纏《まと》めることも、この男としては容易《たやす》い仕事であると思いました。それで兵馬は内心、非常に喜ばしく思って、一も二もなく南条に信頼することに決めました。況《いわ》んや南条から交換条件の意味であってもなくても、頼むと言われて、それを躊躇する気なぞは更にありません。その時に南条がおもむろに言いました、
「君に頼みたいことというのは、拙者共の仕事をするのにとかく邪魔になる奴が一人ある、水戸の浪人で山崎譲といって、鹿取流の棒にかけてはなかなかの達者だが、君の力でそいつをひとつ片づけてくれまいか」
意外にも南条の頼みというのは、宇津木兵馬の力によって、山崎譲を暗殺させようとのことであります。
その翌日の夕方になって、兵馬が、ついまたふらふらと迷うて行く足どりは、吉原の方面であります。
昨夜もここで夜を明かして、今朝帰ったばかりであるのに、またしてもこの門をくぐらなければならないように仕向けたのは誰が悪い。
兵馬が行った時に東雲《しののめ》にはほかの客があって、兵馬は暫く待たせられました。
兵馬は待たされることの、いつになく永いのを感じました。自分を待たせておいて、相手になっている今宵の客というのは何者であろうなどと考えました。
兵馬は実際、自分だけがこの女から可愛がられているつもりでいるのです。外の客はあってもそれは勤めの習いで、その女との本当の愛情は二人の間にのみあるものだと思っているのです。ただ二人の間に不足なのは、金銭が有り余るというわけにゆかないだけのことで、他に金銭を山ほど積むお客が幾らあったとて、二人がおたがいに可愛がるほどの愛情は湧いて来るものではないと思っているのです。遊女に迷うているものの自惚《うぬぼれ》には誰もありそうな心持ですけれど、兵馬のはそれがいかにも初心《うぶ》でした。しかしながら、自分がこうして待っている間に、恋しい女が他の客の相手になっているかと思えば、決していい気持はしません。
そのうちに東雲は、兵馬の許へ帰って来ました。兵馬が悶《もだ》えているほどに女は気にかけてはおりません。
「兵馬さん、わたしは近いうちに身請《みう》けをされるかも知れませんよ」
と例の通り無邪気な愛嬌をたたえて言いました。
「エ、身請けをされる? 誰に」
兵馬は足許から鳥の立つように驚かされました。
「そんなに吃驚《びっくり》なさらなくてもようございますよ、たとえ誰に身請けをされても、あなたとお会いすることのできないようなところへは参りませんから」
東雲の申しわけは、兵馬にとっては少しも申しわけになりません。それでも女は、兵馬に充分の好意を示しているつもりで、逐一《ちくいち》その身請けの話というのを兵馬に向って物語りました。
その話によると、日本橋辺のある大問屋の主人が、東雲を身請けをしようということに話が進んでいるのだそうです。今宵来ていたのはその客であろうと思われます。かなりの老人であるとのことだが、この女を身請けしていずれかへ囲《かこ》って置くつもりらしい。女も、それをまんざらいやとは思っていないらしい。もとより色でも恋でもないが、その通りの老人だから、世話になっているのも長いことではあるまいし、世話になっているうちも首尾さえすれば、どこでも兵馬を迎えて会うことができるからというような都合で、かえってこの廓《さと》にいるよりは勝手であるとの事情が唯一の理由となっているようです。
兵馬はそれを聞いて甚だ慊《あきた》らない。慊らないのみならず、いまさら浅ましさを感ぜずにはおられません。人の力で自由にされたものに、そっと忍んで逢瀬《おうせ》を楽しむというような気にはなれません。女がそれをあたりまえのことのように心得、むしろ手柄のように思っていることが、兵馬には歯痒《はがゆ》くてたまりません。世話になって身を任せる人と、可愛がって楽しむ人とを区別して、平気でその間を取って行くことは、この社会に生い立った女には、ぜひもない観念かと思えば浅ましい。かりそめにも二人の間に本当の愛情があるならば、この際その商人とやらの身請け話を断わらせて、自分の力で万事をしてやらなければ、女の面目を立ててやることも、自分の面目を立てることもできないのだと思われてたまりません。そこへ来ると、自分になければならないことは、右の大商人とやらが積んで身請けをしようとするだけの金を、自分も持っておらなければならぬこと、そうでなければ南条力の力にたよって、非常手段を決行するのみです。その時に兵馬は、南条から頼まれた義理合いずくの交換条件を思い起しました。
「どうあってもこのままには置けない、よろしい、山崎譲を手にかけよう」
ついに兵馬の決心がここまで上りつめ、多年の仇敵に向ける刃《やいば》を、己《おの》れには罪も恨みもない、むしろ新撰組以来の誼《よし》みのある山崎譲に向けようとする兵馬の心には、天魔が魅入《みい》りました。
十三
竜之助を尋ねあぐんだお銀様は、染井の化物屋敷に帰って、土蔵の二階で写経を始めています。針の先で自分の左の指を刺して、そこから滲《にじ》み上る血汐を筆に染めて、法華経《ほけきょう》を序品《じょぼん》から写しはじめました。
今宵もまた、行燈の下で針を出して、左の人差指を刺しました。軟らかいふくらみへ針を立てると、ポッチリと茱萸《ぐみ》のような血が湧いて来ます。お銀様はそのチクリとした痛みと共に湧いて出る血を、さもいい心持のように眺めてから仕事にかかります。
一カ所で足りない時は、二カ所を刺します。指の先では食い足りないと思った時は、二の腕をまくり上げて針を立てます。どうかすると滲み上った血が筆に余って、ダラダラと腕を伝わって流れることもありますけれど、お銀様は一向それを気にするではありません。こんなことをして、法華経二十八|品《ほん》を写し終る時分には、お銀様の身体の血は一滴も無くなってしまうかも知れません。お銀様はそれを承知なんでしょう。それでも不意に書きかけた筆をさしおいて、梯子段《はしごだん》の上り口を見返るのは、どうも人が上って来るような気配がして、トントンと梯子段の途中まで上って来ては、そこで立ち止まっているものがあるように思われてならないからです。
昔、なにがしの聖《ひじり》が経文を写しはじめると、悪魔が苦しがって邪魔に来たということでありますが、お銀様の発心《ほっしん》を妨げる悪魔がそこまで来て、経文の功力《くりき》で上へ昇れないのかも知れません。けれどもお銀様はそれを悪魔だとは思っておりません。たしかに梯子段の下まで来た人がそこで迷うて、二階まで上りきれないものだろうと思っています。その人というのは竜之助ではありません。竜之助とは全く別な人が下まで来て迷うて、ここへは上りきれないものだと思われてならないのです。お銀様が写経の心願を起したのは、甲府の躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷で、神尾主膳の残忍な慾望の犠牲となって虐殺された幸内の菩提《ぼだい》を弔《とむら》わんがために始まったのが、中ごろから、法文をうつす殊勝な心よりも、今はかえって針で肉を刺す痛快味が、お銀様の身にこたえるようになりました。
「お嬢様、乱暴なことをなすってはいけません」
「いいのよ」
幸内の抑える声がしたかと思うと、お銀様はいっそう反抗的に、針を二の腕へブツリと強く刺し込みました。
「あ、痛!」
自分ながら、あんまり強く刺し込み過ぎたのを驚いて、あわてて引き抜こうとしたはずみに、ポツリとその針がなかばから折れてしまいました。ただ折れたんならいいけれど、半分折れたのは肉の中に食い止まっていて、折れたその半分だけが自分の指先に残りました。そこで、さすがにお銀様もハッとしましたけれども、折れた半分の針はどうしても抜くことができません。口を当てて吸い取ろうとして空《むな》しく努力しました。幾度口を当てて吸い上げても、お銀様の舌に磁石の力が備わっていない以上は、肉の中に残った針を引き出すことはできないのです。できないのをお銀様は、自棄《やけ》に吸い上げ吸い上げしたものですから、滲み出る血を、すっかり口中に吸い取りました。紙を開いて、それを吐き出して見ると、白紙の上に牡丹の花を散らしたように真赤な血です。
その時に人の気配がして、いつのまにかお銀様の背後《うしろ》に立っていたのは、悪魔でもなければ、幸内でもありません。それは真蒼《まっさお》な面《かお》をした竜之助でありました。
お銀様はそれを見るや、
「お帰りあそばせ」
肉に食い入っている針のことは忘れて、喜び迎えました。
けれども竜之助は、お銀様が今まで何をしていたか、いま何をしたのだかを見ることができませんから、いよいよ冷然たる上に冷然たるもので、じっと突立っているうちにも、いつもと違っているのは、右の手に一本の尺八を携えていることです。
この人は今まで、どこに何をしていたのだろうということはお銀様もまだ尋ねはしません。竜之助もまたそれを語ろうともしません。尺八と刀とを荒っぽくそこへ投げ出した竜之助は、手さぐりして夜具をはね返すと、その中へもぐり込んで寝てしまいました。お銀様は眼を凝《こ》らしてその挙動をながめていました。
その沈黙が暫く続いてから後、
「もし、あなた」
お銀様は枕許へ坐って優しい言葉をかけました。この時も返事はありません。
「針がここへ刺さって痛くてたまりません、誰か抜いて下さる方があればいいのに」
お銀様は独言《ひとりごと》を言いました。それでもなんとも挨拶がありません。
「半分、この肉の中へ折れ込んでしまっているのですから、とても抜けやしませんね、どんな大力の人だって、この針ばかりは抜き取ることはできやしません、抜かないでおくと、きっとここから肉が腐りはじめるでしょうよ、そうしているうちに、この手を切ってしまわなければ、身体中が腐ってしまいましょう、悪いことをしてしまいましたね」
お銀様は、独言を言って、折れた針の創《きず》から滾々《こんこん》と湧き出す血汐を面白そうにながめています。竜之助はそれを聞いているのか聞いていないのか、相変らず死んだもののように寝込んでいるのは、よくよく疲れきったものと見えます。
「もし、あなた、私の身体《からだ》が腐ってもいいのですか」
お銀様は物狂いでもしたように、荒らかに竜之助を夜着の上から揺ぶりました。それでも答えがありません。
「わたしはこうして血を絞ってお経を書いていました、もし、わたしの身体がここから腐っていいのなら、わたしはもう、この血でお経を書きません、書きかけたお経は反古《ほご》にしてしまいます、この血で歌を書いてしまいます。あなた、お経を書いた方がいいでしょうか、それとも、歌を書いた方がいいでしょうか。お経の有難味は、わたしにはまだ本当にわかりませんけれど、歌の面白味はどうやらわかっていますから、いっそお経をやめて、歌にしてしまいたいのです。信心をはじめて途中でよすと、二倍の祟《たた》りがあるということを、よく世間で言いますから、せっかく血で書きかけたお経をやめてしまえば、怖ろしい祟りがあるでしょう。法盛んなれば魔もまた盛んなりと何かの本に書いてありました、人が善心を起すと、きっと悪魔が片一方から妨げに来るそうです。この針の折れたのは、悪魔の仕業《しわざ》にちがいないと思います、悪魔が針の形に化けて、お経を書くわたしの手の中に食い入りました。これが取れなければ、いくらお経を書いても駄目なんでしょう。もし抜けるものならこの針を抜いて下さいまし、わたしの身体が、悪魔のために腐ってゆくことがおいやならば、この針を抜いて下さいまし。あなたは刀を使うことはお上手ですけれども、この短い針の折れ一本を、どうすることもできますまい。おお痛いこと、ヒリヒリと痛みます。それでもこの痛みはなんだかいい心持よ。もう一本、ここへ針を刺してみましょう、ようござんすか、あなた」
お銀様は、また一本の針をつまみ上げました。
その時に、土蔵の前の車井戸の輪がギーッと軋《きし》りました。誰か水を汲みに来たものと見えます。その車井戸がギーッと軋る音を聞くと、お銀様はゾッと身の毛をよだてました。お銀様は夜中に車井戸の軋る音を何よりも嫌います。その音がいやだから一旦はゾッとしたけれども、すぐにつまみ上げた第二本目の針を、なんの躊躇《ちゅうちょ》なく、ブツリと左の二の腕へ刺し込みました。真紅な血汐の粒がホロホロと湧き上りました。お銀様はそれをチクリチクリと深く刺し込みます。その度毎に少しずつこたえてゆく痛みが、なんともいえない快感を与えるものらしくあります。
その時、車井戸の音がまたキリキリと鳴りました。それと同時にけたたましい物音が、井戸側のあたりで起りました。
「おのれ夜中《やちゅう》、人の住居《すまい》をうかがうとは怪《け》しからん奴じゃ、誰に頼まれて何しに来た、それを言わぬと、この井戸の中へ投げ込むからそう思え、さあ、誰に頼まれて何しに来た、真直ぐに言え」
こう言って罵《ののし》っているのは、ほかならぬ神尾主膳の声であります。しかも主膳が、酔っぱらって酒乱になっている時の声であります。その言うところを察すると、何か怪しの者を捉まえて、それを井戸側まで拉《らっ》し来《きた》ったものらしくあります。お銀様は針の手をとどめて耳を傾けると、
「いいえ、決してそういうわけではございませぬ、わたくしは怪しい者ではございませぬ、安房の国、清澄山から出て参りました弁信と申す盲目《めくら》でございます、この通り眼が見えないものでございます、清澄山からこのお江戸へ出て参りまして、ほかに稼業《かぎょう》もございませんから、少しばかり習い覚えました平家琵琶を語って、門附《かどづ》けを致しておりますのでございます。ごらん下さい、この通り袋に入れて背負っておりますのが、その平家琵琶でございます。ほんとうに拙《つたな》い業《わざ》でございますから、収入《みいり》も至って少のうございます、それでも皆様のお情けで、どうやらその日の暮しに差支えないだけは御報謝をいただきますんでございます。ただいまは本所の報恩寺長屋に御厄介になっているんでございます、長屋でも皆様が、わたくしが眼が不自由なものでございますから、可愛がって、いろいろと世話をして下さいますんでございます」
こう言って申しわけをしているのは、まだ年の若い、なるほど、名乗っている通りの盲法師であるらしい声であります。ところがこの神妙な申しわけは、頭からケシ飛ばされてしまいました。
「黙れ、黙れ、嘘を言うな、貴様はニセ盲目《めくら》だ、誰かに頼まれてこの屋敷の様子を探りに来たものに相違ない、琵琶であれ、三味線であれ、門附けをして歩くほどの者が、この淋しい染井あたりへ、うろついてどうなるのじゃ、本所からここまで、どう間違っても盲目の独《ひと》り歩きができる道ではない、真直ぐに白状せねば、この井戸の中へ生きながら叩き込むがどうじゃ」
これは主膳の声ではなく、福村の声のようです。彼等はこの盲法師を、どこまでも偽物《にせもの》と信じているらしい。何者かの頼みを受けて、この化物屋敷の内状を探りに来たものと信じているらしい。
なるほど、そう疑えば疑われる余地がないではありません。門附けをして歩くと言いながら、田舎《いなか》同様なこの染井あたりへやって来るというのもわからない。また盲目の身で、本所からここまで流して来たというのも充分に不審の価値はあるのであります。それからまたこの化物屋敷の内状というものが、実際、嫌疑をかけられて探られた場合に、痛い所がないとは言えない住居であります。それを引捕えて糺明《きゅうめい》しようというのは、主膳の仕業《しわざ》としては有り得べきことに違いないが、それにしても、生きながら井戸へ投げ込むというのはあまりに惨酷である。さすがにお銀様も、いい心持でそれを聞いているわけにはゆきません……ところで盲法師の申しわけは、少しく意想の外《ほか》でありました。
「それには仔細がございます、わたくしが、こんなところまで迷い込みましたのは、お屋敷の御様子をおうかがいしようなんて、そんなわけではございません、尺八の音色《ねいろ》に聞き惚れて、ついついここまで参りましたのでございます。その仔細と申しますのは斯様《かよう》でございます、わたくしが今晩、町を流して参りますと、ふと尺八の音が聞えました。わたくしは眼が見えませんから、音を聞くことが好きでございます。音には御承知の通り、宮商角徴羽《きゅうしょうかくちう》などの幾通りもございます、また双調《そうじょう》、盤渉調《ばんしきちょう》、黄鐘調《おうしきちょう》といったような調子もいろいろございます、それをわたくしは聞きわけるのが好きでございます。そのほかに音というものは、人の心持によって変化が起るものなんでございます。心に悲しみを持った時は、喜びの調べを吹きましても喜びには響きません、心に楽しみを持ったときは、よし、悲しい音を吹きましても、その悲しみの中に喜びがあるのでございます、身体の壮健《すこやか》な時に吹く音と、病気の前に吹く音とは違っております。失礼ながら、あなた方がお聞きになっては少しも違わないとおっしゃる音を、わたくしが聞けば違ったと申すことがございます。人に災《わざわ》いの起る前にはその音を聞いていると、ひとりでにわかることがあるのでございます……それでございますから、わたくしは、気にかかる物の音色は、聞き過ごしに致すことはできないのでございます。そこで、今晩、聞きました尺八の音色は、近ごろ珍しいものでございました。わたくしはその音色を聞きながら、いろいろと想像を致しまして、ついつい、こんなところまで、おあとを慕って来たようなわけなんでございます。と申しますのは、その方は駕籠《かご》の中で尺八を吹いておいでになりましたんですが、わたくしと同じことに、眼の見えないお方なんでございます。眼の見えない方の吹くのと、眼の見える方の吹くのとは、私にはよくわかるのでございます。ところが、同じ眼の見えないに致しましても、そのお方の眼の見えないのと、私の見えないのとは性質《たち》が違うんでございますね。わたくしの眼は、全くつぶれてしまった眼でございますが、その方のは、どうかするとあきます、再び眼があくべきはずのものを、あかせて上げることができないのでございます。それですから、わたくしの眼は、全く闇の中へ落ちきった眼でございますけれど、そのお方のは、天にも登らず、闇にも落ちない業《ごう》にからまれた眼でございます。それに、わたくしが、どうしても不思議でたまらないと思いますのは、前に、わたくしはその方と一度、逢ったことがあるんでございます。どうしてそれがわかったかと申しますと、駕籠の中で咳をなすった時に気がつきました。いつぞやの晩、神田の柳原の土手というところを通ります時分に、わたくしは怖いものに出会《でくわ》しました、怖ろしいことをして、人を嬲殺《なぶりごろ》しにしているお方がありました、その方が、つまり今夜、尺八を吹いて、駕籠に揺られてこちらの方へおいでになった方なんでございます。その尺八のうちに、本手の『鈴慕《れいぼ》』というのをお吹きになりましたね。俗曲の『恋慕《れんぼ》』とは違いまして、『鈴慕』と申しますのは、御承知でもございましょうが、普化禅師《ふけぜんじ》の遷化《せんげ》なさる時の鈴の音に合せた秘曲なんでございます、人間界から、天上界に上って行く時の音が、あれなんだそうでございます。わたくしはその方がお吹きになった『鈴慕』を聞きまして、下総小金ケ原の一月寺のことを思い出しました。あれは普化宗の総本山でございます。今はおりますか、どうですか、そこに尺八の名人がその時分おいでになりました、以前、私はその方から『鈴慕』を聞かせていただいたのが忘れられません。その時の心持と、今晩の心持とが同じことでございます、人間界を離れて、天上界にうつる心持というのはこれかも知れません。尺八の音《ね》に引かれて、知らず知らずわたくしはここまでおあとを慕って来て、ついに、お屋敷の中まで紛れ込んでしまいました。そういうわけでございますから、決して怪しいものではございません、どうぞお見のがし下さいまし」
一息に語りつづけてしまった弁信の長物語に、抑えつけていた者も呆《あき》れたらしいが、言葉が途切れると急に撥《は》ね返って、
「お喋《しゃべ》り坊主だなあ貴様は。聞かれもしないことまで、よくツベコベと喋るお喋り坊主だ。音がどうあろうと、尺八が鳴ろうと鳴るまいとこっちの知ったことかい、貴様をスポーンとこの井戸の中へ抛《ほう》り込んだら、それこそいい音がするだろう、人間界から天上界とやらへ舞い上ったものを、スポーンと井戸の中の地獄へ逆落《さかおと》しにかけると、それで三界をめぐり歩いたことになる、まあ、この井戸の中へ入れ」
神尾主膳はこう言って、またこの盲法師《めくらほうし》の首の根を押えて吊《つる》し上げようとします。酒乱とは言いながら、ほんとうにこの盲法師を井戸の中へ投げ込むつもりと見えます。
「あ、ほんとうに、わたくしを井戸の中へ投げ込んでおしまいなさるのですか、御冗談に、わたくしを嚇《おどか》してごらんになるのじゃございませんか」
盲法師はいまさら慄《ふる》え上ったようです。
「知れたことよ、貴様ぐらいの小坊主がちょうど投込みごろの小坊主だ、スポーンと投げ込んでみたい、古井戸や坊主飛び込む水の音、スポーン」
神尾主膳は悪謔《あくぎゃく》を弄《ろう》しながら盲法師を抱き上げたものらしい。この時に盲法師は悲鳴を揚げました、
「そりゃ、あんまりお情けないことでございます、お屋敷うちへ足を入れましたのは、いかにも、わたくしが悪いのでございます、お叱りを受けましても、お仕置を受けましても、お恨みには思いませんが、井戸の中へ投げ込みなさるのは、あんまりヒドウございます、それほどの罪ではございません、存じませんことでありますし、何を言いましても、眼が見えないんでございますから、ついつい、こんなことになりました、どうか、お助け下さいまし、井戸へ投げ込むことだけは、おゆるし下さいまし」
盲法師は必死になって神尾の毒手から免れようとして、井戸桁《いどげた》にとりついているもののようです。盲法師とは言いながら死力を出して争うてみると、神尾も無雑作《むぞうさ》には投げ込むことができないと見えます。しかし、こうなってみると、神尾の悪癖はいよいよ嵩《こう》じてくるばかりで、いくら盲法師が事情を訴えても、悲鳴を揚げても、それでは許してやるという気づかいはない。それのみならず、彼が悲鳴を揚げてもがけばもがくほど、かえって神尾の残忍性を煽《あお》るようなものであります。幸内を虐殺したのも、安綱の刀が欲しいとはいうものの、一つはこの残忍性がしからしめたものであります。井戸桁に取付いている盲法師の弁信は、それとは知らず、声を嗄《か》らして悲鳴を揚げました、
「人は死んでも思いというものが残ります、わたくしだけではございません、あなた様に祟《たた》りが出来ます、わたくしを井戸へハメると、あなた様が地獄に落ちますぞ」
もとより、斯様《かよう》な警告に怖れる神尾ではありません。遮二無二、弁信を引捉えて井戸へ投げ込もうと焦《あせ》ります。弁信は、そうはさせじと死力を出して相争うこと前の如くであるが、結局、盲法師は神尾の敵ではありません。ついに井戸桁にしがみ[#「しがみ」に傍点]ついた両の手を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ離されてしまいました。得たりと、神尾は両の手で抱きすくめて、弁信を浚《さら》い上げました。
「あ、誰か助けて下さい、盲法師の弁信を生きながら井戸の中へ投げ込んでしまいます、弁信はそれほどの罪をつくった者ではございません、このお方が無慈悲でございます、このお方は非道でございます、誰か助けて下さる方はありませんか、一生のお願いでございます、後生《ごしょう》のお頼みでございます」
ほとんど断末魔の叫びに等しいこの声が、土蔵の中にいるお銀様をはじめ、寝ている竜之助の耳を驚かさないわけにはゆきません。
「あなた、あれをお聞きになりましたか」
「ああ、聞いている」
竜之助は辛《かろ》うじて答えましたけれども、起き上ってその急に赴こうとする気色《けしき》はありません。かえってお銀様が立ち上りました。
神尾の残忍と兇暴とを知りつくしているお銀様は、この場合に、自分の力でどうすることのできないのを知らない道理はないはずであるのに、それでもじっとはしておられなくなったものと見えます。
今、お銀様が立ち上った足許に触れたのが一管の尺八であります。今までは忘れていました。
「ああ、外の盲法師とやらが、尺八を吹いておいでになったというのは、あなたのことでございましたね、それなら、あなた、助けに行って上げて下さい、あなたの尺八の音に聞き惚れて、あとを慕って来たのだと言っているではございませんか」
お銀様は尺八を片手に持って、再び竜之助を動かしました。この時、外では盲法師の悲鳴が三たび響き出しました、
「わたくしには、どうしてわたくしが、これほどの目に遭わなければならないのですか、それがわかりません、お助け下さいまし」
井戸の車がミシミシと軋《きし》る音を聞いていると、盲法師は神尾の暴力を必死にこらえて、井戸の縄にとりすがっているもののようです。神尾主膳は、無茶苦茶に残忍性が嵩《こう》じて、口も利《き》けないほどに昂奮《こうふん》しているらしく、ただ鼻息のみが荒く、力を極めて一人の盲法師を井戸の中へ投げ込もうとしているもののようです。そうさせじと争う力は、盲目《めくら》の小坊主ながら侮り難きものと見えて、神尾が力を極めてやっても、ややもすればもてあますほどの抵抗力があります。最初は神尾の腕にとりすがってみたが、それを※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ離されると、今度は着物に取付きました。その着物が破れると、今度は井戸桁に取付きました。井戸桁に取付いたのを※[#「てへん+劣」、読みは「も」、第3水準1-84-77]ぎ取られると、今は頼みの綱の井戸縄に、しっかりと抱きついて、物哀れな悲鳴を揚げているのであります。死を怖るることかくの如く、生に愛着することかくの如くなればこそ、神尾の残忍性はいよいよそれに興味が乗ってきます。弁信が素直に殺される気ならば、神尾は、さまで問題にしなかったかも知れません。それにも拘らず、弁信はいよいよ悲鳴の限りを加えて、
「死ぬのがいやなんではございません、死なねばならぬわけがわからないのでございます、殺されるのが怖いのではございません、ここで殺されるほどの罪を、わたくしはまだ作った覚えがございません、死ねとおっしゃればいつでも死にます、わたくしが死んで、ひとさまが助かりますようなことならば、いつでも死んでお目にかけます、また、わたくしの過去の罪と、現世の罪が重いから、こうして殺すのだとおっしゃるならば、幾度でも殺されて、罪ほろぼしを致しますでございます、けれども、今晩、こうして……見ず知らずのあなた様のために、なんにもわけがなくて、ただ、お屋敷のまわりをうろついていたという廉《かど》だけで、生きながら井戸の中へ投げ込まれましては、私には死んでも死にきれませぬ、どうぞ、お助けなすって下さい、どうしてもお殺しなさるならば、私が死ねるようにしてお殺し下さいまし」
必死になって悲鳴を揚げれば揚げるほど、神尾の残忍性に油を加えるものに過ぎません。過去世も未来世もあったものでありません。神尾はついに金剛力を出しました。その力で、わずかに取縋《とりすが》っていた一条の井戸縄の手が離れました。
「あれ――」
凄《すさま》じい音を立てたのが、この世の別れであったかなかったか、弁信はついに井戸の底へ、生きながら投げ込まれてしまいました。
「あっ!」
これと共に絶叫して、後《しり》えに※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と倒れたのが神尾主膳であります。
お銀様は我を忘れて、土蔵の二階から倉の戸前まで一息に駈け下りてしまいました。
二階から駈け下りたるお銀様が、倉の重い戸前をあけるには、かなりの暇がかかりました。
ようやく、それをあけて井戸端まで来て見ると、後ろに倒れた神尾主膳は、福村の手によって頻《しき》りに介抱されています。介抱している福村は、度を失うてあわてきっているのがあまりに大仰《おおぎょう》です。
「早く、何とかしてくれ、誰でもいい、早く何とかしてくれ、大将が死んでしまう、この傷を見るがいい、始末が悪い、この傷を見るがいい」
福村は神尾を抑えたり抱えたりして、うろたえ廻っているのを、お銀様は冷笑気味で後目《しりめ》にかけて、弁信が投げ込まれた井戸へ近づこうとしたが、井戸の屋根の柱につるしてあった提灯の光が、あいにくに、怪我をしたという神尾の面《おもて》を照らしています。神尾主膳の面は、左右の眉の間から額の生際《はえぎわ》へかけて、牡丹餅大《ぼたもちだい》の肉を殺《そ》ぎ取られ、そこから、ベットリと血が流れているのです。福村があわて迷うててんてこ舞[#「てんてこ舞」に傍点]をしているのは、その大怪我のためであることがわかりました。
この点においてはお銀様は冷やかなものでした。神尾の額の大怪我は、むしろ痛快至極なものだと思いました。だから、いくら福村があわてようと噪《さわ》ごうと、いっこう驚かない。神尾が苦しむのは当然であって、ところもあろうに額の真中へ刻印を捺《お》されたことの小気味よさを喜ばないわけにはゆかないが、それにしても、咄嗟《とっさ》の間に、神尾がこの大傷を受けて倒れたのは何に原因するのか、それがわからないなりに井戸の車の輪を見上げると、釣瓶《つるべ》の一方が、車の輪のところへ食い上って逆立ちをしているように見えます。気のせいか、その釣瓶の一端に、神尾の額から殺《そ》ぎ取られた牡丹餅大の肉片が、パクリと密着《くっつ》いているもののように見えました。
お銀様は、そこでホッと息をついて、同時に胸の溜飲《りゅういん》を下げました。ははあ、これだなと思ったのでしょう。盲法師が下へ投げ込まれるとその重みで、一方の釣瓶が急転直下すると一方の釣瓶が海老《えび》のようにハネ上って、そうして、その道づれに神尾の額の肉を、牡丹餅大だけを殺いで持って行ってしまった。
それだと思ったから、お銀様はいよいよ痛快に堪えませんでした。痛快というよりはこの時のお銀様は、まさしく神尾主膳の残忍性が乗りうつったかと思われるほどに、いい心持になりました。うめき苦しむ神尾にも、驚き騒ぐ福村にも、冷然たる白い歯をチラリと見せたきりで、井戸桁へ近寄って、一方の縄をクルリと廻してゆるめると、海老のようにハネ上っている一方の釣瓶が少しく下って来たから、手を高くさしのべてそれを取り下ろして見ると、お銀様の想像した通りに、神尾主膳の額の肉片は、べっとり釣瓶の後ろに密着《くっつ》いていました。
お銀様は、その肉片と神尾主膳の面《おもて》と、うろたえ騒ぐ福村の挙動を見比べながら、徐《しず》かに縄を引いてみると手ごたえがあります。そこで釣瓶を卸して、両の腕《かいな》の力をこめて綱を引いてみると、いよいよ重い手ごたえがあります。生きてはいまいけれども、この綱の重みによって見ると、いま投げ込まれた盲法師は、井戸の底でまだこの縄に取付いていることはたしかです。盲法師は最後の死力で、縄に取りついたまま、その手をはなさないでいるものらしい。そうだとすれば、この縄を手繰《たぐ》ることによって、その死骸を引き上げることもできる、とお銀様はそう思ったものらしく、全力をこめて縄を手繰り出しました。
小坊主とはいえ、人間一人を引き上げることは、女一人の力にはかなりの重荷です。それでもお銀様のこの時には、思いがけない怪力が加わったもののように、誰の助けを借りもせずに、井戸の車が動きます。
その時に竜之助は蒲団《ふとん》の上に起き直って、枕許の煙草盆を引き寄せて、長い煙管《きせる》で煙草を喫《の》みはじめました。
あわて騒いでいた福村は、神尾を肩にかけて、ようやくその場を退去してしまったあとには、お銀様が力をこめて井戸縄を手繰る音が、ミシリミシリと重く軋《きし》って、お銀様は一尺引き上げては休み、二尺引き上げては息をついている様子が手に取るようです。好きでもない煙草を吹かしながら竜之助は、茫然として事の経由を考えています。いったい、あの盲の小坊主なるものが奇怪千万であるとでも思っているのでしょう。
「坊さん、しっかり[#「しっかり」に傍点]して下さい、怪我はありませんか」
これはお銀様の声でありました。その時に、重い車井戸の軋りは止んで、
「はい、有難うございます、どこも怪我はございません」
意外にも、これはハッキリとした小坊主の声。してみれば、たしかに一旦は井戸へ投げ込まれた小坊主は、生きて再び浮び上ったものに相違ない。竜之助はそれを怪しみました。
「どなたか存じませぬが、おかげさまで命が助かりました、一旦、地獄へ落ちたわたくしが、またこの世に生れることになりましたのは、あなた様のおかげでございます。でございますけれど、こうして再びこの世へ生れ更《かわ》って参りましても、業《ごう》が尽きない限り、この世もあの世も同じことの地獄でございます」
小坊主は凄焉《せいえん》たる声で、こんなことを言い出しました。さきほどから聞いていれば、この小坊主の言うことが、いちいち癪にさわらないではない。お銀様も今の言葉を幾分か不快に思ったらしく、
「そんなことを言うものではありません、地獄は怖ろしいところです、この世はまだまだ捨てたものではありませんよ」
お銀様は叱るように言いました。
「私も、つい今までは左様に思いましたけれど、今となってみると、地獄も、そんなに怖いところではないと思いましたよ」
小坊主はこう言って減らず口を叩きました。減らず口ではないけれども、なんとなく小憎らしい口に聞えました。それは、さいぜんは、あれほどまで苦しがって、絶叫したり、号泣したりして死ぬことを厭《いと》い、助けられんことを求めていたのに、助けられ、救い上げられてみれば、かえってすましたもので、さのみ感謝の意を表しているとも思われないからです。感謝の意を表さないのみならず、むしろ、洒蛙洒蛙《しゃあしゃあ》として、よけいなことをしてくれたと言わぬばかりのすまし方であったから、お銀様も面白くなく、そんなら地獄へお帰りなさいと言ってやりたいほどのところを、黙っていると、いい気になって盲法師が、
「つい、今までは、私も、どうかして助かりたいと思いました、生きておりたいと思いましたけれど、井戸へ落ちてしまった時に、生きていたいとか、助かりたいとかいう心持が、すっかりなくなってしまいました、大へん良い心持になりました、ですから、私は、井戸へ落ちましてからは、助けてくれとも、生かしてくれとも、一言《ひとこと》も申しませんでした。幸いに、身体には怪我は一つも致しませんで、しっかりとこの縄を握っておりましたから、水の底へも沈みはしませんでした、わたくしの身体は半分だけ水の中へブラリと下って、半分は水の上に浮き上っておりました、その時、わたくしはどっちでもいいと思いました。再び地の上へ浮き上れなければ、水の底へ沈んでしまっても、嬉しい心持で往生ができると思いました。そうしているうちに、わたくしの身体が少しずつ上へ上へと引き上げられるようでございます……その時も私は、どちらでもよいと思いました」
小坊主の言葉を聞いている竜之助は、煙草盆の縁で煙草の吸殻をハタきます。
その後、染井の化物屋敷へ、また一個の怪物が加わることになりました。その怪物とは、盲法師《めくらほうし》の弁信であります。
二階には竜之助とお銀様とが住んでいるところに、弁信は階下の板の間に一畳の畳を敷いて、その上に安んじていました。土蔵の二階には窓があるけれども、下には窓がありません。尋常の人では昼も燈火《あかり》を点《とも》さなければ堪《こら》えられないところへ、盲法師の弁信は平気で座を構えました。
そこで翌日からの弁信の仕事は、琵琶の手入れをすることです。昨夜の井戸端の騒ぎで、弁信の平家琵琶の上部は滅茶滅茶に毀《こわ》れました。弁信は一挺の鑿《のみ》と若干の材料とを借受けて、手細工で、それをコツコツと修繕に余念がありません。
「この平家琵琶ばかりは、好く人はばかに好きなんでございます、嫌いな人は見向きも致しません、それで、よく世間の人が、平家は江州鮒《ごうしゅうぶな》のようだと申します、好きな人はどこまでも好きでございます、嫌いなものは、てんで見向きも致しません、そこを申したんでございましょうね。わたくしが、この琵琶を習いはじめましたのは……」
お喋り好きなこの小坊主は、余念なく毀れた琵琶の手入れをしながらも、人の足音さえ聞えれば何がな語り出すのであります。人が耳を傾けようものなら、自分の素性来歴までも事細かに喋り出そうとするのだが、ここにはお銀様と、それから屋敷の召使のほかには、あまり近寄るものはありません。相手が無くなると平家の文章を、ひとりで口吟《くちずさ》んで、曲の歌い廻しが思うようにゆかない時は、幾度も謡い直しています。そのくせ、琵琶修繕の手は少しも休むのではありません。ただ捗《はか》がゆかないだけで、どこをどう直しているのだか、この分では、一面の琵琶修繕に半年もかかるかと思われるほどのていたらくです。
「ヘヘエ、やるというほどでもございませんが、好きなものでございますからね。三味線も、ちょっとばかりならお相手を致しましょう。私に琵琶を教えてくれました検校《けんぎょう》が、何でも心得のある人でございましてね、その人から調子だけを教えていただきまして、あとは自分で工夫すると、どうやら当りがつくのでございますから、追々と、いろいろの音曲をやってみたいとこう思ってるんでございます。お寺にいては、そういろいろのものをやるわけには参りませんから、在家《ざいけ》におりますうちに、あれこれと手を出しておきたいと思っているんでございます。それでは芸人になるとおこごとが出るかも知れませんが、私は芸人でよろしうございます、とても名僧智識となって、衆生済度《しゅじょうさいど》を致すようなことは、私共の及ぶところではございませんから、芸人となって、いろいろの面白い音曲を皆様にお聞かせ申し、皆様をお喜ばせ申すことができれば、それで結構でございます。ですから平家琵琶は、あまり多くの人好きが致しませんもの故に、琵琶をやめていっそ三味線に移ろうかと、このごろはそう思っているところでございました。それ故、こうして毀《こわ》れた琵琶に手入れをしてみまして、もし調子が合わないようにでもなりますれば、ここで琵琶をやめて、三味線の方に宗旨替《しゅうしが》えを致しましょうと、そのつもりでこうしてやっているんでございます……合奏ですか、結構でございますね、琵琶はこの通りいけませんから、三味線でお相手を致したいものですが、三味線がございますか。あ、そうですか、先生が尺八で、あなた様がお箏《こと》で、わたくしが三味線で……それは至極よろしうございます、お相手を致しましょう。わたくしは数をあまり多く存じませんから、一つ二つ教えていただきましょう、三度教えていただけば、どうやら独り歩きができるだろうと存じます。それでも私は毎晩、琵琶を流して歩きまするうちに、諸方のお師匠さんの軒下へ立って、いろいろのお稽古を立聞きを致して覚えさせていただいたものがございますから、そのうちで物になっているのを一つ、お相手を致してみたいものでございます」
誰もいないのに弁信は、こんなことを言いながら、暗澹《あんたん》たる土蔵の中の隅っこで、しきりに鑿《のみ》を揮《ふる》っておりました。
その翌日から、この土蔵の中で、思いがけない合奏の音が聞えました。
その合奏も、世の常のお行儀のよい合奏ではありません。机竜之助はあちらを向いて短笛《たんてき》を弄《もてあそ》ぶと、それと六枚折りの屏風一重を隔てたこちらで、お銀様が箏《そう》の琴を調べます。そうすると二階の下の暗澹たるところから、盲法師の弁信が三味線の音をさせるのです。三人とも、離れ離れにいて、それぞれ勝手の形を取り、勝手の曲を奏《かな》ではじめた時が、合奏のはじまる時であります。始まる時に何等の合図もなく、三曲のうちの何れかの一方が音締《ねじ》めをすると、期せずして他の二人が、それぞれの楽器を取り上げるのであります。
「千鳥の曲」を吹きはじめた時は、竜之助はなんとも言われない心持になりました。
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しおの山
さしでの磯に
すむ千鳥
君が御代をば
八千代とぞ鳴く
[#ここで字下げ終わり]
と歌った後に、後歌《あとうた》の「淡路島かよう千鳥の……」が続かなくなりました。それと同時にお銀様も、はたと琴の音をやめてしまいました。
下にいた盲法師の弁信もまた、絃《いと》を半ばに断絶しなければならなくなりました。そこで、せっかく合奏に興の乗りかけた「千鳥の曲」は曲の半ばで立消えになりました。
それでも三人のうち、誰ひとり、文句を言うものはありません。最初に曲をやめたのは竜之助でありましたけれど、聞いたところでは、三人申し合せて同時にやめたもののようであります。陰深《いんしん》な土蔵の中は、無人の境のように静まり返って、やや暫くの後に、
「何か傷心《しょうしん》のことがございましたね」
弁信法師が、やっとのことで、下から上へ向けて言葉をかけました。
二階からは、早速の返事がありません。
「傷心のこと」というのは、少しくしゃれ[#「しゃれ」に傍点]た言葉であります。傷心という言葉を、文字で現わさずに音で現わしたから、二階の二人も、ちょっと戸惑いをして、そのままに受取ることができなかったのかも知れません。
そこで弁信は、三味線をさしおいて、琵琶の修繕にとりかかりました。
「いかがでございます、先生、明晩あたりは町へお出かけになってごらんになりませんか、お伴《とも》を致しましょう。あなた様が短笛を鳴らしてお出かけになりますならば、私が……左様、琵琶はまだ出来上りませんし、三味線では、うつりが悪うございますから、私も、やはり短笛を吹いてお伴を致しましょう。明晩はお天気もよろしうございまして、それにお月夜でございます。時々は、外へおいでになることがおたがいさまに保養でございます。月に浮れて、お江戸の市中を、尺八の音を流して歩くのは、風流ではございませんか」
弁信がこう言って相談をかけると、
「出かけてもいいな」
というのは竜之助の返事でありました。
けれどもその明晩は、そのことが実行されませんで、それから三日目の晩、この二人の盲目が相連れて、染井の屋敷をふらりと出かけました。竜之助は、そのころ市中を歩く虚無僧《こむそう》の姿をして、身には一剣をも帯びておりません。弁信は例のころも[#「ころも」に傍点]を着て、法然頭《ほうねんあたま》を網代笠《あじろがさ》で隠しておりました。二人ともに杖は持たず、同じような尺八を携えて出かけました。土蔵住居の屈託から、こうして、かりそめの風流を試みるつもりであるが、それにしてもあいにく、今宵はまだ月がありません。
お銀様は二人の出歩くことを、あえて異議を唱えないのみならず、なにくれと仕度をしてやって送り出したものです。それは、弁信が附いて行くことが何となしに心恃《こころだの》みになるし、それと、今宵に限って竜之助が、身に寸鉄を帯びずして出て行くということに安心したものと見えます。
十四
ちょうど、その晩のこと、甲州街道を新宿の追分まで上って来た一組の荷馬があります。五頭の馬に、それぞれ荷物を積んで馬方が附添い、最後の一頭のから尻には、三度笠の合羽《かっぱ》の宰領《さいりょう》が乗っていました。その宰領の背恰好《せかっこう》が、どうやら山崎譲に似ているのも道理、声を聞けば、やっぱり山崎譲です。
「おい、久造、おれは、ちょっと思い出したことがあるから、これから内藤の屋敷内へ寄って行かにゃならねえ、お前、御苦労だが、代りに宰領をやってくれ、前の四頭《よっつ》は拘《かま》わねえから新宿の問屋場へ抛《ほう》り込んで、このから尻だけは今夜のうちに、江川の邸へ着けてえんだ、よろしく頼むぜ」
山崎がこう言うと、馬の側《わき》にいた屋敷出入りの飛脚らしい五十男が、
「ようございます、たしかに、私が今夜のうちに、新銭座の江川様へ、このお馬だけはお届け申すことにしますから、旦那様、どうかごゆっくりと御用をお足しなさいまし」
快く引受けたから、山崎は馬から飛んで下りて、
「それじゃあ頼む。それ、この笠をかぶりな、合羽も引っかけて行くがいい、この提灯にはそれ、江川の印があるから、消さねえようにして行ってくれ」
「旦那、それには及びますまい、この菅笠《すげがさ》で結構ですよ」
「そうでねえ、三度笠が定法《じょうほう》だから、冠《かぶ》って行くがよかろう、江川の邸で笑われても詰まらねえからな」
「それじゃ、お借り申すことに致しましょうかな」
「それで、お前のその菅笠をおれに貸してくれ、合羽はおたがいにそれでよかろうじゃねえか」
山崎譲は身代りの印として、久造には自分の冠っていた三度笠を渡し、自分は久造の菅笠をかぶり、江川の印のついた小田原提灯を渡して、新宿の追分から一行と別れてしまいました。
山崎がこうして宰領をして来たのは、甲府の城下から、しかるべき要件があって来たものに相違ないが、内藤家の屋敷内に知る人があって急に思い出した用事から、それへ廻るというのは実は嘘で、山崎にはこの新宿に、ちょっとした馴染《なじみ》の女があったため、ここへ来て、ついそれに会って行きたくなったものらしい。
ところが、この夜に限って大きな間違いが出来てしまったのは、その身代りの宰領が、四谷の大木戸へかかった時分に、何者とも知れず闇の中から躍り出でたものがあって、やにわに馬上の宰領をきって落しました。よほど腕の冴えていたものと見えて、一刀にきって落された宰領は、二言ともなく息が絶えてしまったものです。人々があっと騒ぐ時には、もう曲者《くせもの》の姿はいずれにも見えませんでした。非常な早業であり、非常な手練《てなみ》であったが、止《とど》めを刺す余裕がなかったものか、その必要を認めなかったものか、きり捨てたまま姿を隠してしまいました。懐中の物を奪おうでもなし、荷駄の品物に手をかけようでもありません。何の恨みあって、この宰領を手にかけたものだか、その要領の程が誰にも合点《がてん》がゆきません。
馴染の女と話をしていた山崎譲は、無論、このことを知ろうはずがありませんが、その噂は忽《たちま》ちにして耳へ入りました。
「お代官の江川様へ行く馬方が、大木戸で斬られた」
それを聞くと山崎は、着物を振って立ち上りました。
「どいてくれ、どいてくれ、親類の者がやって来たんだ、どいてくれ」
一足飛びに大木戸まで来て、人だかりを突き退けて前へ出て、ちょうど検視の役人が取調べの真最中へ、臆面《おくめん》もなく面《かお》を突き出して、
「遅かった、遅かった、一足遅かったよ、済まねえことをした。お役人衆、これは拙者の連れの者に相違ござらぬ、拙者が宰領で甲府の城内から、ついそれまでやって来たのが、僅かの行違いでこんなことになりました、委細の申し開きは拙者が致しますが、ともかく、この者の傷所を見せて下さい、どうも合点がいかねえのだ」
山崎は検視の役人に簡単な挨拶をして、ずっと宰領の死骸に近寄って、提灯《ちょうちん》の火をつきつけて、仔細にその斬口を調べたものです。太股に一箇所と、肩から袈裟《けさ》がけ、実に冴《さ》えた斬口です。
全く人違いで斬られたものに相違ない。違われた本人は気の毒だが、違えて斬った者は、たしかにこれを山崎譲と信じて斬ったのに違いない。
こういうことにかけては、山崎は、ここに出張したお役目の役人よりは、遥かに観察が鋭くなければならないはずです。そこで唯一の証拠人であった馬方を捉えて、その前後の模様について訊問を試みました。
馬子の答うるところを綜合してみると、第一その斬り手は大兵《だいひょう》ではなかったこと、むしろ小兵《こひょう》の男で、覆面をしていたこと、斬った後に失策《しま》った! というような叫びを残して行ったこと、その声は細い声であったというようなこと、それらのことが、ほんの取留めのない参考になるだけで、なお四辺《あたり》を提灯の光で隈《くま》なく探して見たけれど、証拠になるべきものは塵一つ落してはありません。
その晩、江戸の西の郊外を只走《ひたばし》りに走っているのは、宇津木兵馬であります。
兵馬の挙動は尋常ではありません。その髪は乱れているし、その眼は血走っているし、第一、どこまで走るつもりか、その見当さえついていないようです。
道を誤れば、月の入るべきところもないという武蔵野の、西の涯《はて》まで走らねばならぬ。川越、入間川を経て、秩父根まで走らなければ、道は窮することなき武蔵野の枯野の末です。
とある森の蔭に立って、兵馬は天を仰いで見ました。その宵はまだ星もありません。このあたりには人家も見えません。たしかに道を過《あやま》ったものと思いました。よろよろと自分を支える力を失うが如く、大きな木の根に腰を卸して、ほっと深い息をついて俛首《うなだ》れてしまいました。
兵馬はまさしく道を過ったものです。その道は、行けども涯《はて》しのない武蔵野の道ではなく、自ら為すべきことの道を過ったものと見なければなりません。
四谷の大木戸で宰領を斬ったのは誰あろう、兵馬の仕業《しわざ》であります。それを山崎譲と見誤って斬ったのがオゾましい。兵馬には山崎譲を斬らねばならぬなんらの恨みがあるのではない、それは南条力に頼まれたからです。南条とても、山崎に私の怨みがあるわけでもなんでもない、彼は大事を成すの邪魔物であると思えばこそ、兵馬の手を借りて片附けさせようとしたものです。それはもちろん、頼まれたりとて承諾すべきことの限りではないのを、かくも兵馬が引受けて手を下すようになったのは、浅ましいことに女ゆえです。南条力の主義や主張に共鳴して、一臂《いっぴ》の力を貸すということであればまだ名分もあるが、事実は、どう言っても女のためであるのを争うことができません。
南条らの一味は、その以前から山崎が江戸へ出るということを探り知って、それを老女の家まで合図をしました。その合図によって兵馬は、大木戸あたりに待ち構えて、ついに物の見事に馬上の者を斬り捨てたけれども、それが物の見事に間違いであったということを覚ったのは、誰よりも斬った当人の兵馬が先です。隙《すき》があってもなくても山崎譲である、そう容易《たやす》く斬れるとは思っていなかったのに、案外なのはその馬上の人です。ほとんど藁人形を斬るよりも容易《たやす》く斬れてしまいました。たとえ無意味にしろ、山崎ならば斬って斬りばえもないではないが、馬に乗って世渡りをして、妻子を養ってゆくだけの男を斬ったところで何になる。それらの妻子や親族の者の歎きの程も思いやられる。斯様《かよう》な愚劣極まる殺生をするために、剣を学んだはずではなかった。いろいろと我が心に弁解を試みて、人を斬ることは何でもない、無用の人を斬るために、夜な夜な辻斬をして歩く者さえある、間違って人一匹|殺《あや》めたことぐらいは物の数ではないのだ、と兵馬は強いて自分の心を落着けようとしたけれど、世の中にこのくらいばかばかしい人殺しはないものと思われてなりません。そのばかばかしい人殺しを甘んじてやって来た、自分というものの馬鹿さかげんこそ底が知れない。ああ、どうして我ながらここまで本心を失うたものかと、それを思い来って無念に堪えられないで兵馬は、火のように燃え上る頭を抑えました。
こうして兵馬が燃えさかる頭を抑えている時に、どこからともなく短笛の響が起りました。眼をあげて見ると、いつしか月が東の空に出ています。
人の姿は見えないが、笛を弄《もてあそ》ぶ風流の人は、わざと月の上らないうちに、武蔵野の外を吹きめぐろうとするものらしい。この短笛の音色が兵馬の頭燃《ずねん》に、一陣の涼風を送らないという限りはありません。兵馬には、その人が何の心あって、何の曲を吹いて来るのだかそれはわかりませんが、その音は柔和にして濃《こま》やかな感情を含んでいる。なだらかにして夢幻《むげん》の境を辿《たど》るようである。一転すると悲壮沈痛にして、抑えがたき感慨が籠《こも》る。朦朧《もうろう》として春の宵の如きところから、寥々《りょうりょう》として秋の夜の月のように冴え渡って行く。
余音嫋々《よいんじょうじょう》としてその一曲が吹き終った時に、ようやく人の足音と話の声が聞え出しました。
「下総の、小金ケ原の、一月寺というのへ行ってごらんになると、今でもあの門前に石碑《いしぶみ》が立ってございます、わたくしには読めませんが、読んだ人の話によりますと『骨肉同胞たりと雖《いえど》も、案内人無くして入ることを許さず』と刻んであるそうでございます。一旦、あの寺へ入りました以上は、父母兄弟でも、案内人に許されなければ、面会ができないものとなっているのでございますが、それが昔は『骨肉同胞たりと雖も、山門に入るを許さず』とあったのだそうでございます。つまり、昔のは、父母兄弟でありましょうとも、案内人が有りましょうとも無かりましょうとも、いったん寺へ入ったものには面会を許さないという、宗門《しゅうもん》の掟《おきて》なのでございましたそうです。それを近頃になって白河楽翁《しらかわらくおう》さんというお大名が、それではあんまり酷《ひど》い、というので、案内人無くして入ることを許さず、と改めさせたのだそうでございます。これはどちらがよろしいでしょうかね、宗門の方から申しますと、『骨肉同胞たりと雖も、山門に入るを許さず』という、卯《う》の毛《け》も入れない厳しいところに情けがあるんだそうでございます、また世間普通の人情から申しますと、楽翁公のなされたように融通をつけるのが道理だと申すものもございます。あなたはどちらがよいとお考えになりますか」
兵馬が見ると、月を背にして歩んで来る二個《ふたつ》の人影があります。前のは背の低い網代笠《あじろがさ》をいただいた小坊主と覚しく、後ろのは天蓋《てんがい》をかぶって、着物は普通の俗体をしている男のようです。
この二人がそこまで来た時に、お喋《しゃべ》り坊主が遽《にわ》かに突立ってしまいました。
「もし、そこにどなたかおいでになりますようですが、どなたでございます」
こう言って見咎《みとが》めたのは無理もないと、兵馬も思いました。
行き暮れて、こんなところに、ただ一人、物案じ顔に休んでいるのを、通りかかった者が見ればギョッとするのも無理はない。兵馬はそこで、とりあえず返事をしました、
「ごらんの通り、このあたりで少々道に迷いました」
「左様でございましたか」
それでも小坊主は動いて来ませんでした。そして突立ったなりで暫く耳を傾けて、
「まだ、お若い方のようでございますな、どちらへおいでになろうとおっしゃるのでございます」
「浅草の方へ出たいと思います」
「浅草へ? それは飛んだ方角違いでございます、と申し上げたところで、私も実は浅草へ参る道は存じませんのでございますが、そちらへおいでになっては違います、今、ちょうど、お月様が上ったようでございますからね、そのお月様の上った方へと歩いておいでなさいまし、そう致しますと、ほどなく人家がございます、人家についてよくお聞きなさいまし、なんでも、お月様のお上りになった方へとおいでになれば間違いはございません」
お喋り坊主は親切にこう言って、道案内をして聞かせましたけれど、やっぱり歩いては来ないでそこに突立っています。
「有難うござる、それでは、あの月をめあてに尋ねて参りましょう。して、この辺は何というところでござろうな」
兵馬は立ち上りながら、こう言って尋ねてみると、お喋り坊主が、
「何というところでございますか、私共にもわからないのでございますが、ずっと参りますると染井から伝中《でんちゅう》の方へ出ますんでございます、もっとも浅草へ参りまするには、染井、伝中へ出ては損でございますから、その辺に、ずっと左へ切れる道がございましょうと存じます、それを尋ねておいであそばすがよろしうございます、多分、巣鴨の庚申塚《こうしんづか》というところあたりへ出る道があるだろうと存じますが、私共はごらんの通り眼が不自由なものでございますから……」
なるほど、どうも様子が訝《おか》しいと思ったら、盲人であったか、道理こそさいぜんから口だけ親切で、身体に気を許さないのがわかった。そこで兵馬はお喋り坊主に会釈《えしゃく》をしながら、その傍を通り抜けると、それと離るること三間ばかりのところに、天蓋をかかげて月を見ている人があります。
多分、月を観ているのだろうと兵馬は思いながら、その人の側を、ずっと摺り抜けて通りました。通り抜ける途端に、風を切って何物かが落ちて来ると覚えたから兵馬は、ひらりと身をかわしたけれども、口惜《くや》しいことに、かわしきれませんでした。右の肩を打たれようとしたのを、肩を開いたために、それが落ちて来て、刀の柄《つか》にのせていた手の甲を辷《すべ》って、右の小指を発止《はっし》と打砕きました。
「痛ッ!」
兵馬は道の側《わき》へ飛び退いて身構えて見れば、月をながめて突立っていた天蓋の人が、手に持っていた尺八を振り上げて、通り抜ける兵馬を音もなく打ち込んで来たものです。
稀代《きだい》の乱暴かなと思いました。よし、それが刃でなくて尺八であったとは言いながら、これ抜打ちの辻斬とあいえらばぬ仕方です。この上もなき無礼、この上もなき狼藉です。この場合でなかったら兵馬と雖《いえど》も、その分には済まされぬところを、兵馬は怺《こら》えました。砕かれた小指を握りながら、月に立っている天蓋の怪しの男の姿をながめながら、兵馬は取合わずに別れて行きました。
指の痛みを堪忍《かんにん》して、宇津木兵馬はその場を立去りましたけれども、かの天蓋の怪しい男を、単純な乱暴人とのみ見るわけにはゆきません。況《いわ》んや狂人の振舞ではありません。
相手の右へ向って摺り抜けるということが、作法の上から間違っていて、それがために彼の怒りを買ったものと見れば、過《あやま》ちはやはり自分にある。そこで兵馬は多少悔ゆるの心を起すと共に、心外なのはこの指の痛みです。
かりそめに振り上げた尺八のために、ともかくもこれだけの傷を負わせられたことは、自分の不覚である。と同時に、どう考えても相手の腕の冴《さ》えを認めないわけにはゆかないことです。そこで兵馬は、かの天蓋の男が只者《ただもの》でないということを考えました。ただそれだけを考えたけれど、混乱した頭脳《あたま》のために、空想はあらぬ方へ持って行かれてしまいます。
兵馬は最初から、吉原へ飛ぶつもりでいました。今となっては、それがあまりに恥かしくてたまらぬことです。そうかといって、本所の相生町の老女の家へ帰って、誰に面《かお》を合せよう。
十五
神尾主膳は眉間《みけん》に怪我したために、病床に呻《うな》って寝ています。
なぜか、主膳は医者を呼ぶことを嫌います。これほどの怪我をして呻りながら、ついに一言医者ということを言いません。医者を迎えようという者があれば、厳しくそれを叱りつけて、寄って集《たか》ってする手療治に任せているのは、一方から言えばこの男の剛情我慢で、一方から言えば、己《おの》れの屋敷へ他人の出入りを許さぬ内部の弱味かも知れません。
うなり通しにうなって、その合間に、
「坊主を呼べ、あのお喋り坊主は癪にさわる小坊主だ、戸惑いをした売卜者《うらないしゃ》のようなよまいごとを喋るのが癇《かん》に触ってたまらん、あれをここへ連れて来て、眼の前で締め殺してくれ、こうして寝ていても、あいつの姿が目ざわりになり、あいつの言い草が耳ざわりになってたまらん」
主膳は噛んで吐き出すように、こう言って罵《ののし》ります。
「大将、あの小坊主は井戸へ落っこってお陀仏ですぜ、死んでしまいましたぜ」
福村が、言いくるめようとすると、主膳は承知しません。
「なあに、死んでしまうものか、あいつは生きて土蔵の中に助けられているのだ、誰か、あの小坊主をここへつれて来て、拙者の眼の前で締め殺してくれ、それでないと拙者の怪我は癒らん」
福村は、当惑しながら、
「冗談じゃねえ、坊主は、疾《と》うに井戸の底に往生しているんだ、小坊主の死霊《しりょう》に悩まされるなんて、大将にも似合わねえ」
それでも主膳は承知しません。どこまでも小坊主が助けられて、土蔵の中にいるものと思い込んで、彼をそこへ引いて来て締め殺せ、締め殺せと繰返すその有様は、あの小坊主の生命を眼の前で断たなければ、自分の命が危ないものと思い込んでいるようです。もてあました看護の連中とても、敢《あえ》て弁信を憐んで主膳の前を言いこしらえるのではないから、ついに主膳のむずかり[#「むずかり」に傍点]に我慢がしきれなくなって、
「どうだ、大将がすっかりかんづいているんだから、坊主を一つここへ引張って来ようじゃねえか。といって、土蔵はこっちの鬼門だから、あの中へ引取られた上は、おいそれとは渡してよこすまいが、なんとか口実をこしらえて引取って来ようじゃねえか、そうもしなけりゃとても、看病人がやりきれねえ」
ついに彼等は相談して土蔵へ、小坊主引取り方を交渉に出かけることになりました。福村が先に立って、御家人崩《ごけにんくず》れが都合三人で、その晩、土蔵の前までやって来たが、彼等にも、この土蔵の中が気味が悪い。美しい腰元のお化けが怖いのではなく、現にこの中に籠《こも》っている幾つかの怪物は、同じ屋敷中にあっても、彼等にとっては治外法権の怪物であります。
土蔵の前まで来るには来たが、彼等は急には訪れようとはしないで、まずこちらに立って中の様子をうかがっておりましたけれど、中には物音が一つするではありません。どちらも真暗で、土蔵の二階の金網の窓から、燈火《ともしび》の光が青く洩れているばかりです。
そのうちに土蔵の戸がガタピシとあいて、中から人が現われました。様子を見ていた連中は物蔭に隠れていると、中から現われたのはまず盲法師の弁信です。今宵は笠もかぶらず、例の法然頭を振り立てて出て来ました。ただおかしいのは、手に九曜巴《くようともえ》の紋のついた、かなり古びた提灯を点《とも》して持って出たことです。それが倉から出て戸前を二三歩あるくと、そのあとから出て来たのは竜之助です。これは頭巾《ずきん》を被《かぶ》って、両刀を帯びて、竹の杖を持っていました。
竜之助が出ると、倉の戸前を引き立ててしまったから、多分、今宵も倉の中では、お銀様一人が留守居をするのでしょう。そうして出かけた二人は、今宵は尺八を持っていないのだから、彼等は別に目的があって出歩くものに違いありません。ただ、わからないのはその提灯です。持って前に立つ人も盲目《めくら》です、あとについてたよりにする人もまた盲目です。盲目が盲目の手引をするのに、持つ人も持たれる提灯も変なものです。それと板倉家の定紋である九曜巴を、弁信が提げ出したことも何の意味だかよくわかりません。
「エエ、その辺にどなたかおいでになりますな、どなた様でございます」
弁信はこの時、例によって聞き耳を立てました。その実、誰も言葉をかけた者もなければ、物音を立てた者もありません。弁信は杖を取り直して、提灯を持ち換えながら誰かに向って、こんなことを呼びかけて立ち止まり、
「ちょっとお断わりを申し上げておきます、わたくしはこれから本所まで行って参りたいものだと存じます。あれから暫く御無沙汰を致しました法恩寺の長屋へ参りまして、皆様に御挨拶を申し上げて来たいと存じまして、これから出かけるところでございます。長屋の衆は、さだめて、わたくしがあれから一度も便りを致しませんものでございますから、死んだものと思っていることでございましょう。かねて、わたくしは左様に申し残しておいたのでございます、こういう身の上でございますから、いつ、どうして、どんなところで間違いが起るか知れませんから、もし、二日も三日もわたくしが帰りませんでしたら、死んだものとお諦め下さいまし、決して、お忙しいところをお探し下さるような御心配をなすっていただいては困ります、と、こう申しておいたものでございますから、多分、長屋の衆も、弁信は死んだものと思っておいでなさるだろうと思います。それでも、こうして無事でいるのでございますから、一応は御挨拶に上らねばならぬとは思っておりましたけれど、こちら様で御懇意になったお方の不思議の御縁に引かされて、今日までこうして御厄介になっておりました、今日から以後も、ことによると、また長く御厄介になりに上るようになるかも知れません、法恩寺の方を引払って、こちら様へ御厄介になるようなことになりますれば、またお屋敷の皆々様にも改めて御挨拶を申し上げ、おわびも申し上げたいと存じております。それで今晩は、これから本所まで、こつこつと歩いて行きたいと存じます。幸い、こちら様が、やはり本所の弥勒寺長屋までおいでになる御用がおありなさるとこうおっしゃるものでございますから、お連れを願いましたのでございます。今晩は二人ともに、あちらへ泊りまして、帰りもなるべくは御一緒に願いたいと存じますが、多分そうは参りますまいかとのお話でございます。わたくしだけは明晩は必ずこちら様へ帰って参りまして、改めて御挨拶を申し上げるつもりでございますから、どうぞ御無礼をお許し下さいまし。ええ、この提灯でございますか。なるほど、盲目が提灯を持っては物笑いと思召《おぼしめ》すでございましょうが、何の意味もあるのじゃございません、わたくしどものために提灯をつけて歩くのではございません、彼方《むこう》からいらっしゃる方が、突き当るとお困りなさるだろうと思いまして、これを持って参ります、御新造様がお倉の中からこれを探して、わたくしに持たせて下さいました」
例によって盲法師の弁信は、誰に問われもしないのに、ベラベラとこんなことを喋りました。二人の盲人は、こうして徐々《しずしず》と屋敷を出て行きました。
福村をはじめ御家人崩れの連中は、それを見ながらどうすることもできません。
二人の行こうとする目あては、多分ただいま弁信が名乗った通りであろうけれど、その歩み行く道筋の光景は更にわかりません。武蔵野の尽くるところには、林もあり、森もあり、畑もあり、江戸の郊外が始まろうとするところには、屋敷もあり、人家もあり、火の見の半鐘もあろうというものだが、二人はただ黒暗々《こくあんあん》の闇を歩いて行くだけです。お喋りの弁信も、どうしたものか、あれっきり沈黙してしまいました。
染井から本所へ行こうとするのは、この二人にとってはかなりの夜道です。もし、きながに歩いて行ったら、夜が明けるかも知れません。急いで行ったところでこの二人は、とても近道を取るというわけにはゆきますまい。あぶなければ途中で、駕籠でも雇うまでのことです。
巣鴨の庚申塚《こうしんづか》あたりへ来たと覚しい頃、急に人声が噪《さわ》がしくなりました。庚申塚へ廻るのは、少し廻り道すぎると思われるけれども、化物屋敷の連中は、江戸の市中へ出るのに好んであちらの方を廻りたがります。二人もまた期せずして、そちらへ廻ったけれども、そのあたりは、いつも寥々《りょうりょう》たる広野の心持のするところです。しかるに今宵は、その辺で人声が噪がしい。
こういう時に、弁信法師は何事を措《お》いてもヒタと歩みをとどめて、仔細らしく小首を傾《かし》げて、その物音の因《よ》って起るところを、じっと聞き定めようとするのがその例です。今もまた、その例に洩るることがありません。
「大層、騒がしいようでございますね」
と言ってたちどまりました。その声は往来で起るのではありません。往来を少し引込んだところの原の中で起る、騒々しい声であります。
「喧嘩でも始まったのかな」
と竜之助が言いました。
「エエ、どうも穏かでない騒ぎ方でございます、多分、喧嘩が始まったのでございましょうと思います、そこへ、仲裁の人が出て、ああのこうのと言って、騒いでいるらしうございます」
そこで弁信は、また静かに歩き出しました。声の因って起るところをたしかめておき、どのみち二人は、その方向へ行かねばならないのです。人の噪ぐ声は、いよいよ近くなりました。その数多《あまた》の人が騒ぎ罵《ののし》る中に、人の泣く声が聞えます。そこで、弁信は再びたちどまりました。
「エエ、エエ、あの中で泣いているのは、あれは女の声でございますぜ、大勢の者に囲まれて、女が泣いているのでございますよ」
なるほど、弁信の鋭敏な耳を待つまでもなく、人の騒ぎ罵る中で、絶え入るばかり悲鳴を揚げているのは、まさしく女の声であります。
「皆さん、それほどまでに恥をかかせないで、いっそ一思いに殺してしまって下さい、私共が悪うございました、殺されても決して皆様をお恨み申しは致しませんから、どうぞ、一思いに二人を殺してしまって下さい、それほどに恥をかかせないで、殺してしまって下さい」
ひいひいと泣いているのは女の声であったけれど、こう言って歎願しているのは男の声です。
「見せしめのためだからこうしてやるのだ、俺たちを恨んじゃならねえぞ」
これは、いきり立った大勢の中から起る声です。
弁信ならずとも、感づくことでありましょう。路傍の原っぱで、大勢の者が、男女二人を捉えて何かの制裁を加えているところです。女が、ただ泣いている、男が只管《ひたすら》にあやまっている、大勢が見せしめのためだということを聞けば、それも直ちに合点《がてん》のゆかねばならぬことで、ここに二人の男女が道ならぬ行いをして、大勢のために極端な私刑を加えられようとしているところに紛《まぎ》れもありません。
「もし、皆さん、少々お待ち下さいまし、どういうわけか存じませぬが、わたくしは通りかかった盲目《めくら》の者でございます」
お喋《しゃべ》り坊主の弁信は、どうしても持って生れたお節介《せっかい》をやめることはできないものと見えます。そこで九曜巴の提灯を振りかざして、大勢の中へ飛び込んだものです。
けれども、それは受入れらるべくもありません。この制裁は、単純なる意味の喧嘩や口論とは違って、これは土地の風儀で、重《おも》なる人が先に立ってやらないまでも、その為すことを黙許しなければならない制裁ですから、立って見ている者のうちにも、必ずやかわいそうだと思う人も、一人や二人ではあるまいけれど、それを、どうとも口出しのできない性質《たち》のものでした。たとえ、役人たちが通りかかっても、それと聞いては、見て見ぬふりをするよりほかはない種類の制裁に属するものでありました。
言うまでもなく不義をした男女です。男には女房があるかないか知れないが、女には確かに夫のある身です。その道ならぬ恋を重ねて露《あら》われた時に加えらるる制裁は、時によりところによっては、非常な惨酷な私刑となって現われて来ることがあります。二人は、その哀れむべき、憎むべき犠牲であってみれば、この場合に弁信|風情《ふぜい》が取付いたとて、詮方《せんかた》のないものであります。
「いけません、いけません、お前さん、こんなところへ来るものではありません」
温和《おとな》しい年寄株の者が、弁信を抑えました。
「ですけれども、かわいそうでございます、大勢して二人の者をお苛《いじ》めなさるのはかわいそうでございますから、なんとかして上げたいものでございます、当人があの通り、わたしどもが悪いから殺して下さいと、あやまっているではございませんか、あやまっている者を殺したって仕方がないではございませんか」
弁信は提灯を振りかざしながら、しきりにその人に縋《すが》りついて、もがきました。
「お前さんにはわからない、ああしてやらなければ、みんなのためにならないのです、だから誰もお詫《わ》びをしてやろうというものは一人もないのだ、それでいいのだから、引込んでおいでなさい」
そう言って温厚なのは離れて弁信をなだめているが、血気なのは男女を取って押えて、その見せしめのためというはずかしめを与えんとしていますが、盲目である弁信には、その振舞がわかりません。しかしながら、暗い中の一方には焚火がしてあって、その明りで見ると、光景は狼藉《ろうぜき》にして酸鼻を極めたものと言うべきです。
男女二人をこの原まで誘《おび》き出して来て、泣いて拒《こば》むのをむりやりに、一糸もつけぬ素裸《すはだか》に剥《む》いてしまったものか、これから剥こうとするものかして、揉み合っているところです。遠く囲んでいる見物の者は、息を凝《こ》らしてその体《てい》をながめて一語を出す者もありません。
この上に、血気の連中が、男女二人の肉体に向って、有らん限りの侮辱を加えようとするものらしい。すでに加えているのかも知れない。男には堪えられる侮辱も、女には堪えられない。むしろ殺された方が遥かにまさる辱《はずかし》めのために、女が身を悶《もだ》えて泣いているのが、弁信にもよくわかります。
ともかくも殺すことは憚《はばか》りがあるから、彼等の制裁はそこまでは行くまいが、当人たちは、そうされるよりは、殺されることを心から訴えて号泣しています。
見物している者の中には女性もありました。見ていられないで面《かお》を蔽《おお》うて逃げ出す者もありました。しかしながら、そのために、たとえ一言でもとりなしを言おうとする者はありません。惨《さん》として一語もなく、そのなりゆきを気遣って泣くものさえありません。泣いて同情を現わすことが自分の弱味になることを怖れたのでしょう。
「あたいのお母ちゃんが殺されるよう」
誰も彼も惨として一語なきところに、咽喉《のど》も裂けるばかりに号泣してこの場へ駆けつけて来たのは、まだいたいけな子供です。
憐れむべきはその子供です。多くの人が鳴りをひそめて見物しているうちに、その子供だけが母なる人の命を助けられんとして、号泣して飛び廻るけれど、誰あって、この子供の訴えを聞いてやるものはありません。誰に取付いても、みんな突き放してしまいます。突き放さないものは、なんと言って慰めてやっていいか、その言葉に苦しんで横を向いてしまいます。
「母ちゃんを殺しちゃいやよう」
七歳か八歳になるほどの女の子です。ついに竜之助の袂に縋《すが》りつきました。
「小父《おじ》さん、母ちゃんを助けて上げて下さい、刀を差している人は、弱い者を助けて上げてもいいでしょう、ね、小父さん」
女の子は竜之助の刀にとりついて、わあわあと泣きます。どこへ行っても突き放された子供は、もはや、その人をたよることなしに、手に触った腰の物を頼むものらしい。
「あれはお前の母親か」
竜之助はこう言って尋ねました。
「小父さん、あれは、あたしの母ちゃんです、みんなの人がああして苛《いじ》めます、あたしは、母ちゃんが何を悪いことをしたか知らないけれど、みんなして、ああして酷《ひど》い目に逢わせるんですもの、誰も、母ちゃんを助けてくれる人は一人もありません」
女の子が必死に縋りつくのを、竜之助も御多分に洩れず、冷やかに突き放しました。
「お前のお父さんを連れて来て助けてもらえ」
女の子は頭を振りました。
「お父さんは駄目です、お父さんは助けてくれません、お父さんが助けてくれないだけならいいけれど、そのお父さんが先に立って、ああして母ちゃんを苛《いじ》めているのですもの」
「エエ、お前のお父さんが先に立って?」
「ええ、お父さんだって、そんなに母ちゃんが憎いのじゃないでしょうけれど、ああして、先に立って、母ちゃんのお仕置《しおき》をしなけりゃならないんですって。だから誰だって、母ちゃんを助けてくれる人はありません。小父さん、どうぞ、頼みます、もう母ちゃんに悪いことをさせませんから、今日は、これで許して上げてくださいまし、どうぞ、頼みます、小父さん」
こう言って女の子が、杖とも柱とも竜之助一人に縋《すが》りつく時に、一方盲法師の弁信は、いよいよ群集の中へ深入りしてしまいました。
「皆さん、人の罪を責めるのは結構なことでございますけれども、それよりも結構なのは、人の罪をゆるして上げることでございます、責められて恨む者はございましても、ゆるされて有難いと思わぬものはございませぬ、どなたも人間でございますから、あやまちの無いという限りはございませぬ、人のあやまちは七度《ななたび》ゆるして上げてくださいまし、ゆるし難いあやまちでも、許して上げるのが功徳《くどく》でございます、悪木《あくぼく》の梢にも情けの露は宿ると申しまして、許し難いものを許して上げるほど功徳が大きいのでございます、どうか、皆様、ここで神様のお心になって下さいまし、仏様のお心になって下さいまし」
こちらから見ていると、弁信の差し上げている提灯《ちょうちん》だけが人波に揉まれて左右に揺れます。ちょうど担《かつ》ぎ上げられた樽御輿《たるみこし》が、担がれたままで自由になっているように、真闇《まっくら》な人波のうごめく中で提灯のみが宙に浮いているようです。
その時に、群集の焦点から、また一つの騒ぎが起りました。それと共に、大波の崩れたように人だかりが四方へ溢れ出しました。
「御亭主殿が気狂《きちが》いになった、御亭主殿が気狂いになって脇差を抜いて荒《あば》れ出した、だれかれの見さかいなく人を斬りはじめた、危ない、逃げろ!」
原っぱに集まった幾百の人波が、真暗な中を右往左往に逃げ惑います。
なるほど、その通りでしょう。群集の逃げ惑う真中に、髪は大童《おおわらわ》になって、片肌を脱いだ男が一人、一尺八寸ほどの脇差を振りかざして、当るを幸いにきって廻っているところは、佐野次郎左衛門の荒れ出したような有様です。
思うに、この男は、不義をした女の御亭主なのでしょう。あまりのことに逆上して、かっと気が狂うてこのていたらくと見えます。
驚いて押えようとした者は、みんな斬られたようです。逃げ迷うて転んだ者も、浅かれ深かれ一太刀ずつは浴びせられているようです。これによって見ると、相応に手は利《き》いているのかも知れません。手の利いていないまでも、気狂いになるほどの逆上に刃物を持たせたのだから、無人の境を行くが如くに群集の中を荒れ狂う勢いは、手がつけられないものらしい。
ただ九曜巴《くようともえ》の提灯だけが一つ、相変らず宙に浮いて、右へ揺れたり左へ揺れたりしているところを見れば、弁信だけはまだ斬られてはいない様子です。生きている間は、持って生れたお喋りが止みそうにも思われません。
「そうれごらんなさい、何か大変が出来ましたでしょう、いくら罪ある者にしましたところで、それを責めることが、あんまりキツいと、きっと咎《とが》があります、許して上げれば、その徳が、いつかはこっちへ向ってかえりますけれども、あんまりキツいことをなさると、恨みがみんなこちらへかかるものでございます。何か大変が出来ましたようですね、何でございます、エ、本当の御亭主さんが気狂いになりましたんですって? そうでございましょう、そういうことにならなければよいにと思いました。敵も味方も見さかいなく斬りつけておいでなさるんですって? それそれ、そういうことになってしまうのでございます、悲しいことですね、なんでも最初に許しておしまいになれば、そんなことにはならないのでございましたのに、許して上げないから、こんな悲しいことが出来ました」
弁信は逃げ惑う人に押し返されながら提灯を振り立てて、こんなことを言いましたけれども、誰とて耳に入れるものはありません。またなるほどと感心して、それを聞いているような場合でもありません。
兇刃を振りかざした気狂いは、もうその背後まで迫って怒号しています。
「おれの女房は美《い》い女だ、美い女だから、おれも好きで女房に貰ったんだ、おれが好きで貰った女房を誰がなんと言うんだ、おれが美い女と見るくらいのものは、ほかの男が見たって美い女だ、だから、どうしたと言うんだ、おれが惚れるくらいの女に、ほかの男が惚れるのはあたりまえだ、それがどうしたと言うんだ、わからねえ奴等じゃねえか、それほど女房が大事なら、箱へ入れて蔵《しま》っておくがいいや、箱へ入れたって虫がつくということがあるじゃねえか、自分の女房に虫が附いたからって、土用干しもできねえじゃねえか、奴等あ、みんな嫉《そね》んでそういうことをするんだな、おれが美い女房を持っているものだから、それをけな[#「けな」に傍点]れがって、寄ってたかって、あんまりひでえことをしやがら、だから承知ができねえ、さあ、矢でも鉄砲でも持って来い、これからはおれが相手だ、おれの女房に指一本だって差させるものか、さあ来い」
自分も血まみれになって、血に染まった白刃を振りかざして、前後の辻褄《つじつま》の合わない啖呵《たんか》を切って、息せきながら弁信の背後《うしろ》まで迫って来ました。盲法師の提灯が危ない。提灯を斬られた切先でその頭が危ない。頭を斬られれば命が危ない。さすがの弁信も狼狽《ろうばい》して逃げ惑いました。
いま打ち下ろした刃《やいば》は、弁信の持っていた九曜巴の提灯をパッと斬り落したらしい。弁信はアッと言って倒れたから、それで第二の刃をのがれることができました。
あとは、真暗闇《まっくらやみ》の広っぱ[#「広っぱ」に傍点]を、その狂人が躍り上り、躍り上って狂い走ります。
その時に、狂人の刃の下に取縋《とりすが》ったものがあります。それは八歳になる女の子でありました。
「お父さん、危ない」
竜之助の耳には、ただその騒がしい物音を聞くのみです。
涯《かぎ》りも知れぬ広い原に、野火が燃え出して、右往左往に人が逃げ走る光景を想像するだけであります。
疾風に煽《あお》られた野火のような勢いで、触れるものをめらめらと舐《な》めて行く一個の狂人を想い浮べるのみであります。
その狂人が、こうも突発的に狂い出した原因は、ほぼわかりました。その狂人のいかなる種類の男に属するかということは、想像があるのみです。
その時に現われた狂人の面影《おもかげ》は、大和の国の三輪の藍玉屋《あいだまや》の倅《せがれ》の金蔵というもののそれにそっくりです。その倅は三輪大明神の社家《しゃけ》、植田丹後守の屋敷に預けられていたお豊に命がけで懸想《けそう》した男であります。その執念深い恋が、ついには物になって、お豊をつれて紀伊の国の竜神へ行って温泉宿の亭主となったその男であります。その宿から火が出て竜神の村を焼いた時に、竜之助はその男を、なんの苦もなく日高川の水上《みなかみ》へ斬って落しました。その後、お豊の話によると、金蔵は嫉妬《しっと》ゆえに狂い出したものだそうです。お豊と、ある前髪の若いさむらい[#「さむらい」に傍点]との間を疑《うたぐ》って、それから狂い出したということであります。取るに足らぬ男ではあったけれども、その執念の深いことは怖るべきものでした。垣根を忍び越えようとして竜之助のために泥田へ投げ込まれた恨みも、植田丹後守が自分を遠ざけるがために、お豊をかくまったことも、ことごとく、彼にとっては恨みの種でありました。ついには鉄砲を持ち出して、お豊以外の邪魔物をすべて撃ち殺そうとして失敗《しくじ》った程の執念であります。弾薬を明神の杉の木の根に埋めて、これを植田丹後守に見つかって、それがために処におられなくなったけれども、恋を捨てることができません。いろいろに浮身《うきみ》をやつして、ついにお豊の心を靡《なび》かせてしまいました。心は靡かないにしても、女をわが物とすることができました。その時のことを、竜之助はよく見て知っていたものです。知ってそのままに、十津川の旗上げに加わりました。
今や、その男の執念がここにめぐって来たものと見えます。竜之助の眼にうつるのは、髪をふり乱した藍玉屋の金蔵であります。斬られつ追われつしているのは、かつて三輪の社頭で見たその時のすべての人々であります。藍玉屋の親爺もあれば、薬屋の夫婦のものもあります。植田丹後守に召使われた男や女たち、それに、はじめて三輪へたどりついた時に、将棋をさして無駄口を叩いていたすべての面《かお》が、いずれも面の色を変えて逃げ惑うている光景がありありと現われます。
阿修羅のように荒れ出した金蔵が、血刀を振りかざして、遥かの彼方《あなた》の野原から此方《こちら》をのぞんで走って来る光景がありありと見えます。
「お父さん、助けて下さい――」
女の子の声が、金《かね》をきるように竜之助のみみもとに響く途端に、竜之助の横鬢《よこびん》を掠《かす》めてヒヤリと落ちて来た狂人の刀。小癪《こしゃく》とも言わずに右手を伸べた竜之助は、狂人の脇差の柄《つか》を握って、邪慳《じゃけん》にそれをひったくると、高く振り上げて、水を掻くように無雑作に振り下ろすと、左の肩から垂直に胸の下まで斬り下げました。日高川の上で金蔵を斬って捨てたのが、やっぱりこの手でした。
「あっ!」
狂人は二言ともなくそこへのめ[#「のめ」に傍点]ってしまいました。
四方《あたり》の原は、大風の吹き荒した後のように静かなものです。
燃えさかっていた野火も消えてしまい、それを消そうと騒ぎ廻った人も在らず、寥々《りょうりょう》たる広野の淋しさを感じた時に、ふと気がつきました。
斬ったのは金蔵ではないが、その女は、もしやお豊とは言わないか。
辱《はずかし》められたる不貞の女の憎み、憎む女の肉を食《くら》い、骨を削りたくなるのは、彼の膏肓《こうこう》に入れる病根であるかも知れない。竜之助は、金蔵を斬ったこの刃で、その女を併《あわ》せて殺したくなりました。彼の右の手には、悪血《あくち》がむず[#「むず」に傍点]痒《がゆ》いほどに湧き上って来る。よし、その女が生きていようとも、すでに殺されていようとも、あくまでこの刃をその女の豊満した肉に突き立てて、その血を啜《すす》らなければ飽かぬ思いが、ぞくぞくと全身にこみ[#「こみ」に傍点]上げて来ました。
竜之助が、男から奪い取ったその脇差を離さないのはこの故です。この広野原のいずれかを尋ねたならば、かならずその女の肉体がころがっているに相違ない。求めてその肉を食《くら》わなければ、渾身《こんしん》に漲《みなぎ》る悪血をどうすることもできない。
それにしても、盲法師の弁信はどうしたろう。提灯が消えてしまったからとて、無事でいるならば、あのお喋り好きが何か文句を言い出さない限りはないのに、それが一言も言わないのは、かわいそうに、これも狂人の刃にかかって敢《あえ》なき最期《さいご》を遂げたのか。原をうずめていた無数の人だかりはどうしたものだ。狂人の勢いに怖れをなして一旦は逃げ散っても、また盛り返して取押えに来なければならないはずであるのに、四辺《あたり》に人の近づく気配はない。
森閑として物淋しさが身に沁《し》みると、夢ではないかと思います。夢でなければ狐につままれたものでしょう。巣鴨の庚申塚あたりには悪い狐が出没する。この場の座興に同勢を狩り催して、二人の盲人をからかってみたものかも知れない。
その時、遠音《とおね》に聞えたのは鶏の鳴く音です。その鶏は宵鳴きをしたものやら、時を告げたものやら、いっこう要領を得ない鳴き音でありました。
続いてビョウビョウと犬の吠えるのが、まだ宵の口であるか、ただしは深夜の物音に驚かされたのか、それもハッキリとわかりません。
曾《かつ》て、十津川の奥から竜神村へ逃げ込んだ時に、頻《しき》りに犬が吠えました。竜神八処の犬が、悉《ことごと》く天に向って吠えるのを聞いた時には、さすがにものすごいと思いました。いま吠えている犬は、まさしくその時の犬であります。机竜之助は、再び紀伊の国の竜神村の人となったのであろう。
空をながめることができたなら、その天には清姫の帯が流れていたかも知れない。天に清姫の帯が流れる時、地にそれをながめた人に祟《たた》りがある、ということを後にお豊の口から聞きました。
恍惚《こうこつ》として立っている竜之助の周囲は、どうしても紀伊の国、竜神村の山の奥であります。
金蔵は斬って落したけれども、その相手のお豊はどこにいる。
「もし、あなた、罪のない人を殺してはいけません、わたしを殺して下さいまし、わたしが悪いのですから、わたしだけを殺して、ほかの人を助けて下さいまし、わたしはお前さんに殺されれば本望でございます」
そこへ縋《すが》りついたのはお豊ではありません、名も知らぬ女です。声にも聞覚えのない女であります。
女もまた、縋りついて、その人が動かない人でありましたから驚きました。
「あ、違いました」
離れようとしたが離れられません。動かない人の手が、早くも蛇のようにからみついておりました。
「あなた様は、どなたでございます、あの人はどちらへ参りました、どうぞ、お放し下さいまし、わたくしは、あの人に殺されなければならない女でございます、どうぞ、お放し下さい」
もがいたけれども、離れることはできません。
あちらの原っぱの方角で弁信法師が、お喋りをはじめたのはこの時分でありました。
「大変なことになってしまいました、一時《いっとき》、わたくしも気が遠くなってしまいました。おや、提灯の火も消えていますね。それでも、御安心下さいまし、わたくしの身体は無事でございます、倒れた拍子に頭を打ったものですから、ほんの一時、気が遠くなっただけのことでございます、もう、なんともございませんから御安心下さいまし。それにしても、あの発狂者《きちがい》はどうなされた、ほんとうにお気の毒なのはあの方でございますが、これも前世の宿業《しゅくごう》の致すところでございましょう、お諦《あきら》め下さいまし。怪我をしたくもないし、おさせ申したくもないものでございます。女の方は、どうなさいました、逃げておしまいなさいましたかな、それとも真先に斬られておしまいなさいましたかな。それにつけても女というものは、罪の深いものでございますな、女一人ゆえに、どのくらい多くの人に間違いが出来るか知れたものではございません。でございますからお釈迦様も、女は怖ろしいものじゃと仰せられました、また女は救われないものじゃと仰せられました」
こう言って、ようやく起き上って来ました。転んでもただは起きないで、喋りながら起きて来ました。序《ついで》に、地に落ちて消えた提灯を手さぐりにして拾って起き上りました。
「おやおや、それにしても、あんまり静かでございますね、お怪我をなすった方もずいぶんおありなさるはずなのに、この近所には、どなたもおいでになりません、皆さん歩いてお帰りになったのですか、たった今、あれほどの騒ぎがありましたところにしては、あんまり静か過ぎますようでございます。まさか、夢ではございますまいね、夢であろうはずはございませぬ。それならば、もしや、あの、狐につままれたと申すものではございますまいか。おお、それそれ、わたくしにはお連れがありました、わたくしはそのことを忘れておりました、お連れの先生は、どうなさいましたでしょう、あの先生のことだから、お怪我をなさるようなことはございますまいが、わたくしのことを御心配になっておいでになるかも知れません、大きな声でお呼び申してみましょうかしら。それともまた、ここで大きな声を出して悪いようなことはございませんか知ら」
弁信は塵《ちり》打払いながら例によって、暫く小首を傾《かし》げていると、その鋭敏な耳に女の声が聞える。
「どうぞここをおはなし下さいまし、人違いで失礼を致しました……苦しうございます」
それを聞くと、弁信は声のした方へ頭をクルリと振向けました。
「どうぞおはなし下さいまし、わたしは苦しうございます……」
女は何者にか捉われの手を逃れようとして苦しみ呻《うめ》いている。半ば蛇に呑まれて、半身だけが地上にのたうち廻って苦しむような、熱苦しい、どろどろした呻きの声であります。
それを篤《とく》と聞き定めた弁信は、消えた提灯を片手に、飛鳥の如く走り出しました。不思議となにものにも躓《つまず》くことなく、声のしたところへ一足飛びに走って来て、
「もし、先生、そこにおいでになりましたか。女のお方も、そこにおいでなさいますね。なんにしても、お怪我が無くてよろしうございました。けれども、あの足音をお聞きなさい、あの人の声をお聞きなさい、大勢の人がまた尋ねに参ります、今度つれて行かれたら、もう助かりませぬ、早くお逃げなさい。先生、わたくしのことは御心配にはなりませぬよう、あなた様は早く、その女のお方を連れてお逃げ下さいまし、先生がお逃げにならなければ危のうございます、早くこの場をお逃げなさいまし。あの通り人の足音と声とが近寄って参りました、お聞きなさいまし」
十六
弁信から逃げろと言われたことが、竜之助にとって思い設けぬ暗示となりました。女もまた、そう言われて、一にも二にもこの人を頼る気になったらしい。
頼ってみるとその人は、意外にも盲目《めくら》の人でありました。強いと思った人は、人並より弱味を備えた人であったことを知った時に、女はその恐怖から解放された心持になりました。この人は怖るべき人ではなく、憐れむべき人である。
女の心が男に向う時、その男が己《おの》れを托するに足りるほどに強い男であることを知った時には、信頼となり、或いは恋愛に変ずることもあります。それと違って、男が弱くして、自分がそれを世話をしてやるという立場に立った時は、女はまたその女らしい自負心が芽を出して、男を愛慕する心も起るものであります。
この不思議な遭逢《そうほう》の二人の男女は、どちらが頼り、どちらが頼られるとも知らずに、その場をおちのびました。けれども、道案内はまさしく女のしたことで、竜之助は万事をその女の導くままに任せたのでしょう。かくて、板橋の宿の、とある旅籠屋《はたごや》にたどりついて、そこで一夜の泊りを求めることとなりました。
多少の疲労とそれから、このごろとしては久しぶりで人を斬った竜之助は、女がまだ起きているうちに、すやすやと夢に入ってしまいました。
いつしか、自分は、振りわけの荷物を揺りかたげて、東海道を上って行った時の旅の姿になっている。ところは鈴鹿峠の下あたりで、その前を一挺の早駕籠が威勢よく駈けて通る。
なんにしても、夥《おびただ》しい急ぎ方だと思いました。
「その駕籠はどこへ行くのだ」
尋ねてみたけれど、駕籠屋は振返っても見ません。
しかしながら、どうも見たような駕籠である。竜之助は駕籠に引添うて走りはじめました。まもなく駕籠は或る家の軒下へ立ちました。そこは、ちょっとした宿場|外《はず》れの、木賃宿《きちんやど》とも思われるほどの宿屋の軒下であります。
これも見たことのあるような行燈《あんどん》がかかっている。筆太に「若葉屋」と記して、側面には二行に「千客万来」と認《したた》めてあるのを明らかに読むことができるのであります。
駕籠は、その掛行燈の下に据《す》えつけられると共に、駕籠屋共は、いずれへ行ってしまったか、影も形も見えません。
竜之助はぜひなく、その宿屋の雨戸をハタハタと叩きました。行燈は、まだまばゆいほどに点《つ》けておくのに、雨戸は、もう一寸の隙間もなく締めきって、叩いてみても、返事もありません。
「お連れさんは?」
当惑して立ちつくしていることやや暫く、すると中から声がありました。
「連れは女だ」
と竜之助は答えました。
「どうぞ、お通り下さいませ、お待ち申しておりました」
雨戸の枢《くるる》を外すのも、やはり女の声でありました。
そこで、やれ一安心という気になって、戸の前に置き据えられた駕籠を振返って見ると、そこにはありません。
「オホホ、もう先廻りをしてここにお待ち申しておりました」
戸をあけて微笑《ほほえ》んでいる女の面《おもて》が、見覚えのある面《かお》であります。
「おお、お前はいつのまに――」
さすがの竜之助も、あっけに取られて、その女の面をながめました。まさしく見覚えのある女には違いないけれども、さて、誰を誰と言っていいかわかりません。
「ずいぶん長いことお待ち致しました、もうおいでになるだろう、なるだろうと思いまして、こうしてお仕事をしてお待ち申していましたけれど、いくらお待ち申してもおいでがありませんから、戸を締めました、それでももしやと気にかかるものでございますから、ああして行燈だけは、夜明し点《つ》けておくことに致しました」
何者とも見当のつかない女は、こう言いながら、懐《なつか》しそうに竜之助の手を取って、広い座敷へ案内しました。
その座敷はかなり広いけれども、なんとなく陰気な感じのするほどに古びた座敷でありました。その中に行燈が一つ、座敷の広いのにしては、あまりに光が暗いと思いました。光が暗いから、それで、部屋がいっそう陰気に見えるのではないかと思われます。
案内されるままにこの座敷へ通ったけれども、竜之助の心は解けているのではありません。
戸を締め切って、行燈だけを点け放しておいたことの理由は、ただいまの女の言葉によって、よくわかったけれども、何故にこの女から、こうまでして自分が待たれるのだか、それはわかりません。また何の由あって、これほどに懐しく、自分をこの女が、旅の宿で待っていてくれるのだか、それもわかりません。
竜之助が、不審に堪えやらぬ面《かお》をして、座敷に通っていると、女はその暗い行燈の下へ坐って、そこで仕事をはじめました。
なるほど、仕事をしながら、今まで待ち明かしたという心持が、嘘とは思われません。
それにしても、自分は旅の身である。ここはいずれの宿《しゅく》か知れないが、旅籠屋《はたごや》には違いない。旅籠屋とすれば、この女は宿のおかみさんか、そうでなければ女中であろう。こうして着いた上からは、とりあえず風呂のかげんを見てくれるか、食事の世話をしてくれるのがあたりまえであろうのに、それらのことは頓着なしに仕事をはじめている。竜之助はそれを憮然《ぶぜん》としてながめていたが、
「それは誰の着物だ」
と言って尋ねてみました。
「誰のといって、あなたわかっているじゃありませんか」
「拙者にはわからない」
「これ、ごらんなさいまし、郁太郎の着物でございますよ」
「え、郁太郎の?」
愕然《がくぜん》として暗い行燈《あんどん》の下を見ると、女は縫糸の一端を糸切歯で噛みながら、竜之助の面《おもて》を流し目に見て笑っています。暗い行燈が、いよいよ暗く、広い座敷が、あんまり広過ぎる。
「おわかりになりましたでしょう」
竜之助は、座右に置いた武蔵太郎の一刀を引寄せました。暗い行燈の下を、瞬《またた》きもせず見つめました。
明《めい》を失うてから久しいこと、切れの長い眼の底に真珠のような光を沈めて、甲源一刀流の名代《なだい》の、例の音無しに構えて、じっと相手を見据えて、毛骨《もうこつ》みな寒い、その眼の色の冴《さ》えを見ることがありませんでした。
「お前は浜だな」
「ええ、左様でございます、あなたとお別れしてから、ずいぶん久しいことになりましたね、今日は、あなたがおいでになるということですから、こうして待っておりました。あなたが恋しいのではございません、郁太郎がかわいそうですからね。だんだん寒くなってゆくのに、あの子は、綿の入った着物一つ着られまいかと思うと、それが心配で、眠れません、どうぞ、あなた、これを郁太郎に持って行って上げてくださいまし。あなたとの間のことなんぞは、どうでもよいではございませんか、恨みを言えばおたがいに際限がありませんからね。もう少しお待ち下さいまし、今、わたくしがこれを縫い上げてしまいますまで」
「うーん」
「もし、あなた、どうなさいました」
前のは夢の声、これは現実の言葉であります。夢とうつつとの境はよくわかるけれども、女の声には変りがありません。してまた、竜之助の心では、現実の女と、夢の女とを、区別することができません。夢にうなされた自分を呼び起している女の声を、やはり夢で見た同じ女とのみ思うよりほかはありません。
板橋駅の、とある旅籠屋の一室に、夢に見たと同じような行燈の下に縫物をしているのは、どこやらに婀娜《あだ》なところのある女房風の女でありました。けれどもその縫っているのは、郁太郎の着物ではありません。乱れた髪かたちを直してから、自分の着物の綻《ほころ》びを繕《つくろ》っているものらしい。
夢にうなされた人の声に驚いた女の人は、針の手を止めて暗い行燈の光で、うなされている人の面《おもて》をさしのぞくと、
「まだ起きておられたのか」
夢から醒《さ》めて、かえって現実の人の醒めているのを不思議がるようです。
「はい、まだ起きてお仕事をしておりました」
女の返事は、まことに、しとやかな返事であります。
「こんな夜更けまで、誰の着物を縫っているのだ」
「いいえ、誰の着物でもございませぬ」
と言いながら、女は再び針の手を運ばせて、
「たいそう夢に、うなされておいでのようでございました」
「ああ、妙な夢を見た」
「怖い夢でございましたか」
「怖いというほどの夢でもないが、見ている間は夢とうつつがよくわからなかったが、醒めてみると、やっぱり夢の通りだ」
竜之助の言うことは、まだ夢とうつつの境に彷徨《さまよ》うているもののようです。
再び夢路に迷い込んだ机竜之助は、またも旅中の人であります。行手を急ぐ一挺の駕籠に附添うて、いずこともなく走り行く己《おの》れを発見しました。
行手を急ぎながらも、心にかかるのは今宵の宿です。昨夕《ゆうべ》は板橋の宿にホッと仮寝の息を休めたけれども、今宵の宿が覚束《おぼつか》ない。どこまで行って、どこへこの女を泊めていいか、それが心にかかる。
まもなく、一つのやや大きな宿駅を通りかかりました。
「ここはどこだ」
たずねてみると、
「八王子の宿《しゅく》でございます」
返事をするものがあったから、不思議に思いました。板橋は中仙道の親宿。八王子は、それとは、方面を変えた甲州街道の一駅であります。昨夜、板橋を出ていつのまに八王子へ来てしまったろうと、訝《いぶか》しさに堪えられません。しかしながら駕籠はいよいよ急ぎます。暫くして行手に山岳の重畳《ちょうじょう》するのを認めました。
「あれは?」
と尋ねると、
「小仏峠《こぼとけとうげ》でございます」
果して甲州街道へ来てしまった。しかし、よく考えてみると甲州街道へ来るのがその目的であったようです。
雲の棚曳《たなび》いている小仏峠の下を見ると、道の両側に宿場の形をなした人家があります。両側の家の前には、水のきれいな小流れが、ちょろちょろと走っています。
「ここは?」
「浅川宿でございます」
と答えた途端に、急いでいた駕籠がピタと止まりました。
駕籠の止まったところを見ると、この宿場としては目立って大きな一軒の旅籠屋《はたごや》の軒下であります。それは昨夜と同じように、表の戸はすっかり締めきってあるのに、掛行燈だけが、かんかんと明るく、昨夕「若葉屋」と書いてあったところに、今宵は「こなや」と仮名文字《かなもじ》で記されてありました。
駕籠《かご》はと見れば軒下に置放しにされて、駕籠屋は影も形も見えません。
そこで竜之助は、その家の戸をハタハタと叩きました。
「どなたでございます」
中から返事がありました。
「浅川宿のこなやというのは当家か」
竜之助は念を押してたずねると、
「いいえ、宅はこなやではございません、花屋でございます」
という二度目の返事です。
そこで竜之助が、はて、と思いました。表の掛行燈にはまさしく「こなや」と書いてあるのに、中の人は「こなや」ではない、「はなや」だという。行燈を見直して、更にたずね直してみなければなりません。
「ここは甲州街道の浅川宿であろうな」
「はい、小仏へ二里、八王子へ二里半の、浅川宿の小名路《こなじ》でございます」
「それならば、行燈に書いてあるこなや[#「こなや」に傍点]が間違いないのだろう」
「いいえ、こなや[#「こなや」に傍点]ではございません、小名路の花屋でございます。いったい、どちらからおいでになりました」
「江戸の駒込から来た」
「駒込はどちら様で」
「以前、当家の養女であったという、お若という人を連れて来た」
「まあ、お若さんがおいでなすったそうですよ」
家の中が、さざめき渡りました。そこで、はじめて中から戸がガラリとあくと、立っている女は透きとおるほど鮮《あざや》かな着物を着ています。
「よく、おいでになりました、さきから、こうして、明りだけは、かんかんと点《つ》けてお待ち申しておりました、あまり遅いものですから、戸だけは締めておきましたが、まだみんな起きているのでございます、さあ、お通り下さいませ」
案内をしてくれたその女は、また見覚えのある女であります。振返って見ると、そこに置き据えられた駕籠は、もうありません。
案内された座敷は、昨夜と違って明るい座敷でありました。朱塗りの雪洞《ぼんぼり》が、いくつも点いて、勾欄《こうらん》つきの縁側まで見えているが、その広い座敷に誰一人もおりません。家内の者はまだ起きていると言ったにかかわらず、入って見れば、ひっそりとして人の気配は更にありません。
ここへ案内をしてくれた女の人は、燈籠《とうろう》の下へ、ぴたりと坐ると、あちらを向いて頻《しき》りに物を書きはじめました。昨夕の女は、旅の客の疲れも知らず面《がお》に仕事をしていたが、今宵はまたお客をさしおいて、あちら向きで物を書いているのは、よほどさし迫った用向に違いない。いかに差迫った手紙とは言いながら、お客をそっちのけにして、あんまり無作法だと思いましたから、
「何を書くのか知らないが、手紙は後廻しにしておいたらどうだ」
苦々《にがにが》しく言い放ったけれども、あちらを向いていた女は向き直ろうともしません。女の書いている巻紙だけが、するすると竜之助の見ている方へ流れて来るのです。雨漏《あまも》りの水が板の間を伝って流れて来るように、紙が眼の前を流れて行くから、いったい、何をそれほど熱心に書いているのだろうと、のぞいて見ると、
[#ここから2字下げ]
花は散りても
春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
往きて帰らぬ
死出の旅
[#ここで字下げ終わり]
と書いてありました。何のつもりで、こんな文句を書き出したのか知ら。その次を読んでみると、やっぱり同じように、
[#ここから2字下げ]
花は散りても
春は咲く
[#ここで字下げ終わり]
次へ次へと読んで行っても、どこまで読んでも同じ文句です。
その手紙がぼーっと白け渡った時分に、あちらを向いていた女が、こちらを向いて、
「あなた、お眼はいかがでございます」
突然にこう言って、暗い燈籠の蔭からたずねました。
「相変らずいけないよ」
女があまりなれなれしく言ったから、それで竜之助も砕けた返事をしました。
「まだいけませんのですか、困りましたね、早くお癒《なお》しなさらなくてはいけません」
「癒るものか」
それは冷罵《れいば》の語気であります。
「癒らないことはございますまい」
「癒るものか」
いよいよ冷淡にハネ返すと、女は何を思ったか、
「それでは仕方がございません、早くあの峠を越えてしまいましょう、あの峠を越えないと、どうも心配でなりません、こうしていても眠れませんもの」
「あの峠とは?」
女の指差したところを振仰いで見ると、それは前にながめた小仏の峠であります。左右を見ると、路の両側には小流れが流れていて、人家のまばらな甲州街道の一駅に相違ない。例の駕籠がどこから出て来たか、その小仏峠の方を指して一散に飛んで行きます。これもいつのまにか旅仕度をしていた竜之助は、やはりその駕籠《かご》に引添うて道を急いで行くうちに、橋を渡ると追分になっていました。
駕籠は追分を左へ一散に急ぐのに、竜之助だけが右へそれてしまいました。右へそれては駕籠を見失ってしまうにきまっているけれども、行手に見える小仏の峠へ出るには、どうしても右へ行かなければならないと思われてなりません。左へ行くのは嘘だと思われてなりません。右へたった一人で急いで行くと、最初のうちは、左の道に、畑や、林や、流れを隔てて駕籠の飛んで行くのがよく見えました。急ぐほどに双方の距離がようやく隔たって、とうとう見えなくなりました。駕籠が見えなくなった時分に、峠も見えなくなりました。
ははあ、小仏へ出るには、あちらの道を通るのがよかったのだな、と気がついたけれども、もう引返す道さえわかりません。四方《あたり》はいっぱいに雲と霧がとりまいて、自分は今、かなりの深山幽谷にさまよっているということを発見しました。
「どうも仕方がない」
と呟《つぶや》いて草鞋《わらじ》の紐を締め直しました。その時に、つい耳もとで、どうどうと水の鳴る音が聞えます。草鞋を結び終って背後を見ると、雲の絶え間に一条の滝がかかっている。さのみ大きな滝とは見えないが、懸崖《けんがい》を直下に落ちて、見上ぐるばかりに真紅《しんく》の色をした楓《もみじ》が生《お》い重なって、その一ひら二ひらが、ちらちらと笠の上に降りかかって来ました。
「あれが蛇滝でございます」
と言う声で気がつくと、そこは小名路《こなじ》の宿でもなければ、小仏の峠道でもありません。中仙道の板橋の宿場|外《はず》れの旅籠屋の、だだっぴろい陰気な座敷の一間で、眼のさめた時に二番鶏がしきりに鳴いていました。
「まだ寝ないのか」
竜之助が驚かされたのは、暗い行燈の下に夜もすがら、まんじりともしなかったらしい女は、思い余って忍び音に泣いているところでありました。
「どうしても眠れません」
何だか知らないが、その声が竜之助の心を嗾《そそ》りました。
「生きている間は眠れまい」
と言ったのは、自分ながら謎《なぞ》のような言葉です。
「本当でございます、わたしは、どうして死んだらよいか、それを昨夜も一晩中考えておりました」
「そして考えついたかな」
「やっぱり人に弄《なぶ》り殺しにされてしまいとうございます」
「なるほど」
寝返りを打つと竜之助は、枕許の刀の下緒《さげお》をずっと引き寄せました。
底本:「大菩薩峠6」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 四」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※「お玉ケ池」「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》」「小金ケ原」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2002年10月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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