青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
黒業白業の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)八幡村《やわたむら》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)百姓|一揆《いっき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「にんべん+就」、第3水準1-14-40]
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         一

 八幡村《やわたむら》の小泉の家に隠れていた机竜之助は、ひとりで仰向けに寝ころんで雨の音を聞いていました。雨の音を聞きながらお銀様の帰るのを待っていました。お銀様は昨日、そっと忍んで勝沼の親戚まで行くと言って出て行きました。今宵はいやでも帰らねばならぬはずなのに、まだ帰って来ないのであります。
 お銀様は、竜之助を連れて江戸へ逃げることのために苦心していました。勝沼へ行くと言ったのも、おそらくは親戚の家を訪《と》わんがためではなくて、いかにして江戸へ逃げようかという準備のためであったかも知れません。
 こうして心ならずも小泉の家の世話になっているうちに、月を踰《こ》えて梅雨《つゆ》に打込むの時となりました。昨日も今日も雨であります。明けても暮れても雨であります。ただでさえ陰鬱《いんうつ》きわまるこの隠れ家のうちに、腐るような雨の音を聞いて竜之助は、仰向けに寝ころんでいるのであります。
 雨もこう降っては、夜の雨という風流なものにはなりません。竜之助はただ雨の音ばかりを聞いているのだが、一歩外へ出ると、そのあたりの沢も小流れも水が溢《あふ》れて、田にも畑にも、いま自分の寝ている縁の下までも水が廻っていることは知らないのであります。
 梅雨《つゆ》になるまでには、花も咲きました、木の葉も青葉の時となったことがありました、野にも山にも鳥のうたう時節もあったのだけれど、それも見ずに雨の時節になって、その音だけが耳に入るのであります。
 竜之助とお銀様との間は、なんだか無茶苦茶な間でありました。それは濃烈な恋であったかも知れないし、自暴《やけ》と自暴との怖ろしい打着《ぶっつ》かり合いであるようでもあるし、血の出るような、膿《うみ》の出るような、熱苦しい物凄《ものすさま》じい心持がここまでつづいて、おたがいにどろどろに溶け合って、のたりついて来たようなものであります。おたがいに光明もなければ、前途もあるのではありません。
 今、お銀様に離るることしばし、こうして雨を聞いていると、竜之助の心もまた淋《さび》しくなります。この人の心が淋しくなった時は、世の常の人のように道心が萌《きざ》す時ではありません。むらむらとして枕許に投げ出してあった刀を引き寄せて、ガバと身を起しました。例によって蒼白《あおじろ》い面《かお》であります。竜之助が引き寄せた刀は、神尾主膳の下屋敷にいる時分に貰った手柄山正繁《てがらやままさしげ》の刀であります。それをまた燈火に引き寄せてはみたけれど、さてどうしようというのではなし、茫然として坐り直して、刀を膝へ置いたばかりであります。
 その時に家の外で、急に人の声が噪《さわ》がしくなりました。
「危ねえ、土手が危ねえ」
という声。
「旦那様、笛吹川の土手も危ないそうでございます、山水《やまみず》も剣呑《けんのん》でございます、水車小屋は浮き出しそうでございます、あらくの材木はあらかたツン流されてしまいました、今にも山水がドーッと出たら大変なことになりそうでございます、誰も今夜は、寝るものは一人もございません」
 小泉の主人にこう言って注進に来たのは、小前《こまえ》の百姓らしくあります。洪水《おおみず》の出る時としてはまだ早い、と竜之助は思ったけれども、この降りではどうなるか知らんとも思いました。
 笛吹川はこれよりやや程遠いけれど、それへ落つる沢や小流れの水が、決して侮り難いものであることは、竜之助も推量しないわけではありません。
 ことに山国の出水《でみず》は、耳を蔽《おお》い難きほどの疾風迅雷の勢いで出て来ることをも聞いていないではありません。不幸にして山国とだけは心得ていても、この辺の地形についてまるきり観測の余地のない竜之助は、果して出水がどの辺に当って起り、どの辺に向って来るんだか、充分に呑込めていないのでありました。白刃の来《きた》ることと、天災の来ることとはあらかじめ測ることができません。いま出水の危険を外に聞いた竜之助が、それと共に自分の立場を考え出したことは、そうあるべきことであります。しかし、それはただ立場を考えただけに過ぎません。盲目的に考えてみただけに過ぎません。ここに引き寄せた手柄山正繁の刀が、それに向って何の役に立つものでないことはよくわかっているはずであります。この時に外で殷々《いんいん》と半鐘を撞き鳴らす音がしました。人の騒ぎ罵る声は、いよいよ喧しくなりました。思うに蓑笠《みのかさ》を着けた幾多の百姓連が、得物《えもの》を携えて出水出水の警戒に当るらしくあります。村の中心ともいうべきこの小泉家へ、それらの百姓がみんないったん集まって、それぞれ部署につくもののようであります。この家では一人残らず起きて、それらの百姓たちの差図や焚出《たきだ》しなどをはじめて上を下へと騒いでいるのが、竜之助には手に取るようにわかりますけれど、誰も竜之助のところへは面《かお》を出すものがありません。手を貸せと言って来る者もなければ、御心配なさいますなと言って見舞うものもありません。この二人のことは、もうこのごろでは小泉家の誰にも、この急に当って思い出されないほどに、交渉が少ないかかり[#「かかり」に傍点]人でありました。
「この水で、お銀は道を留められた、それで帰られないのじゃ、してみれば……」
と竜之助は、はじめてお銀様のことを思いやりました。
 外の騒ぎはますます大きくなって、気のせいか、轟々《ごうごう》として水の鳴り動く音さえ聞えて来るのであります。竜之助は刀をそこへ置いて立ち、障子をあけて縁側へ出て、雨戸を少しばかりあけて外を見ました。外を見たところで、この人の眼には内と同じことに、真暗な闇のほかに何も見えるのではありません。
 しかしながら、外はドードーと雨が降っています。風はあまりないようでありましたけれど、どこかの山奥で、海嘯《つなみ》のような音が聞えないではありません。その近いあたりは、なんでも一面の大湖のように水が張りきってしまったらしく、その間を高張提灯《たかはりぢょうちん》や炬火《たいまつ》が右往左往に飛んでいるのは、さながら戦場のような光景でありました。その戦場のような光景はながめることはできないながら、その罵り合う声は、明瞭に竜之助の耳まで響いて来るのであります。
 その騒がしい声と、穏かならぬ光景とを聞いたり想像したりしてみても、空《むな》しく気を揉《も》むばかりであります。
 竜之助は雨戸を立て切って、また前のところへ帰りました。この出水も気になるし、お銀の帰りも気になるけれど、なんとも詮術《せんすべ》はありません。竜之助は一人で蒲団《ふとん》を取り出して、荒々しくそれを展《の》べて横になりました。外では半鐘の声がしきりなしに聞えるのに、内では、これもまだ早かろうのに一二匹の蚊が出て、ぶーんと耳許で唸《うな》りました。それを掌で発止《はっし》とハタいて打ち落し、うつらうつらと枕に親しみかけました。
 けれども、外はその通りに騒がしいのに、今や全村の犬も鶏も声を揚げてなきだしました。人畜ともに寝ることのできない晩に、竜之助とても安々と眠るわけにはゆきません。ただ横になったというだけで、外の騒ぎを聞き流していようというのであります。
 この東山梨というところは、言わば全体が笛吹川の谷であることは竜之助もよく知っていました。三面から翻倒《ほんとう》して来る水が、この谷に溢れ返る時の怖ろしさも、相当に峡東《こうとう》の地理の心得のある竜之助にとっては、理解ができないでもありません。
 しかし、この時分になっては竜之助は、天災の来ることを怖れるよりは寧《むし》ろ、山が大きな口をあいて裂け、我も、人も、家も、獣も、ことごとくブン流されてみたら面白いだろうという空想に駆られて、かえって外の騒ぎを痛快に思うような心持でいました。外の騒ぎもようやく耳に慣れた時分に、竜之助は眠りに落ちました。
「もし、お客様」
 竜之助が眠った時分になって、誰やら家の外から叫びました。
「もし、お客様」
 見舞に来るならば、もっと早く、まだ眠らない時分に来てくれたらよかりそうなものを、いくら食客《いそうろう》だからといって、今まで一人で抛《ほう》って置いて、ようやく眠りに就いたのを起しに来るとは、大人げないと思えば思えないでもありませんでした。
「あ、誰だ」
と、眠りかけていた竜之助は、その声で直ぐに呼び醒まされました。
「御用心なされませ、今夜はお危のうございます」
「危ないとは?」
「こんなに水が出て参りました、山水がドッと押し出すとお危のうございますから、本家の方へおいでなさいまし、お待ち申しておりまする」
「それは御苦労」
「どうか直ぐにおいで下さいまし」
と言い捨ててその者は行ってしまいました。よほどあわてていると見えて、家の外からこれだけの言葉をかけて、その返事もろくろく聞かないで取って返してしまいました。
 竜之助はあえてその言葉に従って、本家の方へ避難をしようという気は起しませんでした。寧《むし》ろ起き直ってみることさえも億劫《おっくう》がって、せっかく破られた夢を再び結び直すのに長い暇を要することなく、村のあらゆる人々の恟々《きょうきょう》たる一夜を、ともかく熟睡に落ちていた竜之助の安楽も長くはつづきませんでした。
 不意に夥《おびただ》しい叫喚が耳に近いところで起り、つづいて雷の落つるような音がして、家も畳も一時に震動すると気がついて、手を伸ばして枕許の刀と脇差とを探った時に、手に触れたものはヒヤリとして、しかも手答えの乏しいもの。
「水だ!」
 畳の上を水が這《は》っています。
 刀と脇差とを抱えて立ち上った時に、水は戸も障子も襖《ふすま》も一時に押破って、この寝室へ滝の如くに乱入しました。
 あっという間もなくその水に押し倒された竜之助の姿を見ることができません。
 山水の勢いは迅雷の勢いと同じことであります。あっという間に耳を蔽うの隙もありません。
 裏の山からこの水を真面《まとも》に受けたこの家の一部を、メリメリと外から裂いているうちに余の水は、もう軒を浸してしまいました。水が軒を浸す時分には、家の全体が浮き出さない限りはありません。この水は漫々と遠寄せに来る水ではなく、一時にドッと押し寄せた水ですから、土台の腰もまた一時に砕けて、砕けたところを只押《ひたお》しに押したものだから、家はユラユラと動いて流れ出しました。
 四辺《あたり》は滔々《とうとう》たる濁流であります。高い所には高張《たかはり》や炬火《たいまつ》が星のように散って、人の怒号が耳を貫きます。
「助けて!」
という悲鳴が起ると、
「おーい」
と答える声はあるけれど、どこで助けを呼んでどこで答えるのだか更にわかりません。
 避難すべき人は宵のうちから避難し尽したはずであるのに、なお逃げおくれた者があると見えて、彼処《かしこ》の屋根の上や此処《ここ》の木の枝で、悲鳴の声が連続して起ります。多くの家や小屋が、みるみる動き出して徐《おもむ》ろに流れて行きます。
 そのなかの一つの屋根の羽目《はめ》がこのとき中から押破られて、そこに姿を現わしたのは、いったん水に呑まれた机竜之助でありました。破風《はふ》を押破った竜之助は、屋根の上へのたり出でたもののようです。それでも刀と脇差だけは、下げ緒で帯へしかと結んでいたものらしくあります。屋根へ出ると菖蒲《あやめ》の生えていた棟へとりつきました。そこでホッと息をついて、自分の面《かお》を撫でてみました。頬のあたりから血が流れている、何かのはずみに怪我をしたものらしい。手足も身体中もしきりに痛むけれども、今どこにドレだけの怪我したものかわからないのであります。
 とにもかくにも屋根の棟へとりついた竜之助は、そこでホッと息をついて面を撫でてみたが、その創《きず》の大したものでないことを知り、水に浸ったわが身を身ぶるいしたのみであります。四辺《あたり》の光景がどうであるかということは一向にわかりません。またいずこに向って助けを呼ぼうとするものとも見えません。ただ自分を載せているこの家が、徐々として動いていることがわかります。出水の勢いは急であったけれど、家の流される勢いはそれと同じではありません。
 続け打ちに打つ半鐘の音は、相変らずけたたましく聞えるけれども、さきほどまで遠近《あちこち》に聞えた助けを求むる声と、それに応《こた》うる声とはこの時分は、もうあまり聞えなくなりました。面憎《つらにく》いことは、この時分になって雨の歇《や》んだ空の一角が破れて、幾日《いくか》の月か知らないけれども月の光がそこから洩れて、強盗提灯《がんどうぢょうちん》ほどに水の面《おもて》を照らしていることであります。
 その月の光に照らされたところによって見れば机竜之助は、屋根の棟にとりついたまま、さも心地よさそうに眠っていました。月の光に照らされた蒼白い面《かお》の色を見れば、眠っているのではない、ここまでやっとのたり着いて、ここで息が絶えてしまったのかも知れません。屋根はそのままで流れてはとまり、とまっては流れて、笛吹の本流の方へと漂うて行くのであります。
 屋根は洪水《おおみず》の中を漂って行くけれど、それはほかの家につっかかり、大木の幹に遮られ、山の裾に堰《せ》き留められて、或いは暗くなり、或いは明るくなり、或る時は全く見えなくなったりして、極めて緩慢に流れて行くのであります。

         二

 一夜のうちに笛吹川の沿岸は海になってしまいました。家も流れる、大木も流れる、材木や家財道具までも濁流の中に漂うて流れて行くうちに、夜が明けました。
 人畜にどのくらいの被害があったかはまだわかりません。救助や焚出しで両岸の村々は、ひきつづいて戦場のような有様であります。
 恵林寺の慢心和尚は、法衣《ころも》の袖を高く絡《から》げて自身真先に出馬して、大小の雲水を指揮して、百姓や見舞人やを叱り飛ばして、丸い頭から湯気を立てています。
 雲水どもは土地の百姓たちと力を併せて、濁流の岸へ沈枠《しずめわく》を入れたり、川倉《かわくら》を築いたり、火の出るような働きです。ここの手を切られると、水は忽ち日下部《くさかべ》や塩山《えんざん》一帯に溢れ出す。ここの手だけは死力を尽しても防がなければならない。すでに日頃から堅固な堤防があって、昨夜来の不眠の警戒でしたけれども、水の破壊力は、人間の抵抗力を愚弄するもののようでありました。枠を沈めると浮き出し、木牛《まくら》を入れると泳ぎ出し、築いた川倉が見る間に流されて行き、あとからあとから土俵を運んだり石を転がしたり、無用にひとしい労力を昨夜から寝ずにつづけているのでありました。和尚が雲水を叱りとばしているその傍には、珍らしやムク犬がその侍者でもあるかのように神妙に控えています。
 この時のムク犬は、もはやお寺へ逃げ込んだ時のように、痩《や》せて険《けわ》しいムク犬ではありません。火水《ひみず》になって働く大勢の働きぶりと、漲《みなぎ》り返る笛吹川の洪水とを見比べては、自ら勇みをなして尾を振り立てながら、時々何をか促すように慢心和尚の面を仰ぎ見るのであります。
「和尚様、何か御用があったら及ばずながら私をお使い下さいまし」ムク犬は和尚に、自分の為すべきことの命令を待っているかのようでありました。
 そのうちに何を認めたかこの犬は、岸に立って流れの或る処にじっと目を据《す》えました。
 堤防の普請にかかっていた慢心和尚をはじめ雲水や百姓たちが、
「あ、あの犬はどうした、この水の中へ泳ぎ出したわい」
 さすがに働いていた者共も一時《いっとき》手を休めて舌を捲いてながめると、滔々《とうとう》たる濁流の真中へ向って矢を射るように泳いで行く一頭の黒犬。申すまでもなくそれはムク犬であります。
 ムクがこの場合、なんでこんな冒険をやり出したのだか、それは誰にも合点《がてん》のゆかないことです。その濁流の中を泳いで行くめあては、今しも中流を流れ行く一軒の破家《あばらや》の屋根のあたりであるらしく見えます。
 草屋根の流れて行く方向へ斜めに、或る時は濁流の中にほとんど上半身を現わして、尾を振り立てて乗り切って行くのが見えました。或る時は全身が隠れて、首だけが水の上に見えました。また或る時は身体も首もことごとく水に溺れたかと思うと、またスックと大きな面《かお》を水面に擡《もた》げて、やはり全速力を以てその屋根を追いかけて行くのであります。やがて流れて行く屋根に追いついた時分は、ここに堤防を守っていた人々とは相距《あいさ》ることがよほど遠くなって、屋根の蔭に隠れてしまったムク犬の姿は、見ることができませんでした。しかし、屋根だけは相変らず浮きつ沈みつして、下流へ押流されて、これもようやく眼界から離れるほどに遠くなってしまいました。無論、屋根のところへ泳ぎついて、屋根の蔭にかくれてしまってから後のムク犬の姿は、その首でさえも再び水面へは現われませんでした。
 ながめていた沿岸の人たちは、犬のことを中心にしてさまざまな評議です。あの犬は人を助けに行ったのだろうと言う者もありました。水を見て興を抑えることができないで、自ら飛び込んだものであろうという人もありました。いずれにしてもこの水の中へ飛び込むとは思慮のないこと、それが畜生の浅ましさ、あたら一匹の犬を殺してしまったというような話でありました。慢心和尚はその評判を聞きながら、こんなことを言いました。
「昔、淡路国《あわじのくに》岩屋の浦の八幡宮の別当《べっとう》に一匹の猛犬があった、別当が泉州の堺に行く時は、いつもその犬をつれて行ったものじゃ、その犬が行くと、土地の犬どもが怖れ縮んで動くことができなかったということじゃ。さてその猛犬は、単独《ひとり》で海を渡って堺へ行くことがある、犬の身でどうして単独で海を渡るかというに、まず海岸へ出て木を流してみるのじゃ、その木が堺の方へ流れて行くのを見て、犬はよい潮時じゃと心得て、己《おの》れが乗れるほどな板を引き出して来てそれに乗る、そうすると潮の勢いがグングンと淡路の瀬戸を越えて、泉州の堺まで犬を載せて一息に板を持って行ってしまう、そこで板から下りて身ぶるいをして、泉州の堺へ上陸するという段取りじゃ。その潮の流れ条《すじ》というのは、それほど急な流れで至って勢いが強い、この潮へ引き込まれた船は帆を張っても力が及ばないで、ずんずんと一方へ引かれて行くのじゃ。それほどの潮条《しおすじ》があることを、犬はちゃんと心得て、まず木を流して潮時を見ておいて、それから筏《いかだ》をこしらえて載るというのが感心ではないか、それ以来、この潮時を別当汐《べっとうじお》と名づけるようになったという話がある」
 お前たちより犬の方が思慮もあり、勇気もあるから、心配するなというようにも聞えました。

         三

 それから三日目の朝のこと、笛吹川の洪水《おおみず》も大部分は引いてしまった荒れあとの岸を、彷徨《さまよ》っている一人の女がありました。
 面《おもて》は固く頭巾《ずきん》で包んだ上に、笠を深くかぶっていましたから、何者とも知ることができません。
 岸を彷徨《さまよ》うて何かをしきりに求めている様子であり、或る時はまだ濁っている川の流れをながめて、そこから何か漂い着くものはないかと見ているようであり、或る時はまた岸の石ころや、砂地の間を仔細に見て、そこに埋もれている何物かを探すようにも見えました。
 岸を上ってみたり、下ってみたりするこの女の挙動は、外目《よそめ》に見れば、物狂わしいもののようにも見えます。
 差出《さしで》の磯の亀甲橋《きっこうばし》も水に流されて、橋杭《はしぐい》だけが、まだ水に堰《せ》かれているところへ来て、女はふと何物をか認めたらしく、あたりにあった竹の小片《こぎれ》を取り上げて、岸の水をこちらへと掻き寄せました。掻き寄せたものを手に取って見ると、それは白木の位牌《いはい》であります。位牌の文字をながめると意外にも、
「悪女大姉《あくじょだいし》」
 悸《ぎょっ》としたお銀様は――この女はお銀様であります――やがて紙を取り出して、この位牌を包んで懐中《ふところ》へ入れましたが、
「こんなものは要《い》らない、わたしはこんなものを探しに来たのではない」
と言って、いったん懐ろへ入れた悪女大姉の位牌を、荒々しく懐中から取り出してそれを振り上げました。
「こんなものは要らない!」
 お銀様は水の面《おもて》を睨《にら》んで突立っていると、そこへ不意に物の足音がしましたから、お銀様はあわてて、
「おや?」
 驚いて振返ったお銀様は、
「見たような犬だ」
 見たような犬も道理。いつのまにかお銀様の背後《うしろ》に近づいていたのは、自分の実家、有野村の藤原家へ雇われていた召使の女、お君の愛するムク犬であることは、その家のお嬢様であったお銀様が見れば、見違えるはずはないことであります。恵林寺から程遠からぬこの辺に、ムク犬が現われることは不思議はないが、三日前のあの大水の中で溺れることなく、こうして健在でいることが不思議であります。
 お銀様はあの時、お君について駒井家に赴くべくわが家を去って以来、ムク犬の身の上は知りませんでした。
 今ここに偶然めぐり会ってみると、不思議に堪えないながらも、さすがに懐しい心持が湧いて来ないでもありません。
「おや、お前はムクではないか」
と言った時に、ムクの後ろから少し離れた土手の上に、人の影が一つ見えることに、はじめて気がつきました。
 お銀様にとってはついぞ見たことのない人、しかもそれは年増盛《としまざか》りの水気の多い女の人、この辺ではあまり見かけない肌合の、小またの切れ上った女の人が余念なく自分の方を見ていたから、お銀様もまぶしそうにその年増の女を見返していると、向うから丁寧に腰をかがめて笑顔を見せました。お銀様もそれに返しのお辞儀をしました。
「ムクや、ムクや」
 その年増の女の人が、やさしい声をして犬を呼びました。果してこの犬の名をムクという。ムクの名を知っている上は、お君に縁ある人に違いない、と思っているうちに、その年増の女は土手を下って、お銀様に近い川の岸の蛇籠《じゃかご》の傍へやって来ました。
 この年増の女、お銀様にはまだ知己《ちかづき》のない人でしたけれども、これはお君のもとの太夫元、女軽業の親方のお角《かく》であります。ここでムク犬が、お銀様とお角とを引合せる役目をつとめました。
「ちょうど一昨日《おととい》の夕方でありました、うちの男衆がこの出水《でみず》で雑魚《ざこ》を捕ると申しまして、四手《よつで》を下ろしておりますと、そこへこの犬が流れついたのでございます、吃驚《びっくり》してよく見ると、この犬が人間の着物をくわえてそこまで泳いで来ていたものでございますから、驚いて人を呼んで、その人をお助け申して家へお連れ申しましたけれど、どこのお方やら一向にわかりませんので……幸いに呼吸《いき》は吹き返しましてただいま、宿に休んでおいでなさるのでございますが、まだお口をおききなさるようにはなりません。そうするとこの犬がまた、わたしを引張り出すようにして外へ連れ出しましたから、もしやとそのあとをついて来てみると恵林寺様へ入りました。恵林寺様へ入りますとあすこでは、ソレ黒が来た。黒が来たと大勢してこの犬を迎えて、皆さんがお悦びになりました。やがてまたこの犬がわたくしを、川の方へ川の方へと連れて参りますから、もしや、これはもとこの犬の主人であった女の子が、川へ陥《はま》って死んでいるところへ、わたくしを連れて行くのではないかと胸騒ぎがしながら、あとをついて行ってみますと、お君ではなくて、あなた様にお目にかかることができました」
 ムク犬が洪水《おおみず》の中から救い出して来たという人、それが竜之助であったということがわかって狂喜したのは、やや話が進んだ後のことであります。

         四

 宇津木兵馬はどうしても、神尾主膳が机竜之助を隠しているとしか思われません。
 神尾の屋敷は種々雑多な人が集まるそうだから、そのなかに机竜之助も隠れているに相違ないと信じていました。
 けれども、甲府における兵馬は、破牢の人であります。罪のあるとないとに拘らず、うかとはその町の中へ足の踏み込めない人になっているから、長禅寺を足がかりにして、僧の姿をして夜な夜な神尾の本邸と別宅との両方に心を配って、つけ覘《ねら》っていました。
 まず見つけ次第に神尾主膳を取って押えて、直接《じか》に詰問してみよう、神尾を討って捨てても構わないと思いました。彼、神尾は、自分にとって恩義のある駒井能登守を陥《おとしい》れた小人であって、敵の片割れと言えば言えないこともない。その非常手段を取ろうとまで覚悟をきめて様子をうかがうと、このごろ神尾は、病気になって寝ているということを聞き込みました。その病気というのは、犬に噛みつかれた創《きず》がもとだということまでも聞き込むことができました。
 よし、その医者をひとつ当ってみよう。兵馬は例の表《うわべ》だけの僧形《そうぎょう》で、神尾の屋敷の前まで来かかると、門前に人集《ひとだか》りがあります。穏かでないのは、これが城下の人ではなく、蓑笠《みのかさ》をつけ得物《えもの》を取った、百姓|一揆《いっき》とも見れば見られぬこともない人々であります。
「お願いでございます、神尾の殿様」
「お願いでございます」
と彼等は口々に罵《ののし》っておる。
「退《さが》れ退れ、退れと申すに。殿はただいま御病気じゃ、追って穏便《おんびん》の沙汰《さた》を致すから、今日はこのまま引取れと申すに」
 門番はこう言って叱りつけると、
「どうか、殿様にお目にかかりてえんでございます、殿様にお目にかかって、その申しわけがお聞き申してえんでございます」
「聞分けのない者共だ、強《し》いて左様なことを申すと為めにならん」
「そんなことをおっしゃらずに、殿様に取次いでおくんなさいまし、その御返事を聞かなければ帰れねえのでございます、御病気でも、お口くらいはお利《き》きになるでごぜえましょう、どうか、神尾の殿様にお願い申して、長吉と長太とを返していただきてえんでございます、それがために仲間のものが、こうして揃って参《めえ》りましたんでございます」
「そのような者は御主人は御存じがない、ほかを探してみるがよい」
「駄目でございます、ほかを探したって、ほかにいるはずのもんでごぜえません、こちらの殿様にお頼まれ申して参りましたのが、今日で二十日になるけれども、まだ帰って参らねえのでございます」
「左様なことはこちらの知ったことではない、それしきのことに、斯様《かよう》に仰々《ぎょうぎょう》しく多勢が打連れて参るのは、上《かみ》を怖れぬ振舞、表沙汰に致すとその分では済ませられぬ、今のうちに帰れ、帰れ」
「こちら様の方では、それしきのことでございましょうが、私共の方にはなかなかの大事でごぜえます、長吉にも長太にも、女房もあれば子供もあるでごぜえます、亭主を亡くなした女房子供が、泣いているのでございます」
「くどいやつらじゃ、左様なことは当屋敷の知ったことではないと申すに」
「お前様にはわからねえでごぜえます、殿様でなければわからねえでごぜえます、殿様にお目にかかって、長吉の野郎と長太の野郎が、生きているのか死んでしまったのか、そこんところをお伺い申してえんでございます」
「黙れ、穢多《えた》非人《ひにん》の分際《ぶんざい》で」
「黙らねえでございます、穢多非人で結構でございます、穢多非人だからといって、そう人の命を取っていいわけのものではごぜえますめえ、長吉、長太は犬を殺すのが商売でございます、それで頼まれて来たもんでございます、殿様に殺されに来たもんではねえのでございます」
「御主人に対して無礼なことを申すと、奉行に引渡すぞ」
「引渡されて結構でごぜえます、眼のあいたお奉行様にお願《ねげ》え申して、長吉、長太の野郎をかえしていただきましょう、長吉、長太をかえして下されば、わしらは、牢屋へブチ込まれてもかまわねえんでごぜえます」
「よし、一人残らず引括《ひっくく》るからそう思え」
「おい、みんな、一人残らず引括りなさるとよ、ずいぶん引括っておもらい申すべえじゃねえか」
「そうだ、そうだ、引括られるもんなら、みんな一度に引括っておもらい申してえもんだ」
「引括られるとしても、薪《まき》ざっぽうや麦藁《むぎわら》とは違うのだから、ただで引括られても詰らねえじゃねえか、ちっとばかり手足をバタバタさせ、それから引括られた方がよかんべえ」
「その方がいい、そうしているうちには殿様が出て来て、長吉、長太を返しておくんなさらねえものでもあるめえ。さあ、みんな、一度に引括られてみようではねえか」
「こいつら、人外《にんがい》の分際で、武士に対して無礼を致すか」
 門の中から、数多《あまた》の侍足軽の連中が飛び出しました。
 その時代において、人間の部類から除外されていた種族の人に、四民のいちばん上へ立つように教えられていた武士たる者が、こんなにしてその門前で騒がれることは、あるまじきことであります。非常を過ぎた非常であります。兵馬はそれを見て、よくよくのことでなければならないと思いました。この部類の人々をかくまでに怒らせるに至った神尾の仕事に、たしかに、大きな乱暴があるものだと想像しないわけにはゆきません。
 見物のなかの噂によると、事実はこうだそうです。すなわち神尾主膳がこの部落のうちで皮剥《かわはぎ》の上手を二人雇うて、犬の皮を剥がせようとしたところが、やり損じて犬を逃がしてしまった。それを神尾主膳が怒って、無惨にも二人ともに槍で突き殺してしまった。それがついにこの部落の者を怒らして、再三かけ合ったが埒《らち》があかず、ついに今夜は手詰めの談判をするために、こうして大挙してやって来たのであると。
 穢多非人の分際として、苟《いやし》くも士人の門前にかかる振舞をすることは、大抵ならば同情が寄せられないはずでありますけれども、見物の大部は、ややもすれば、
「あれでは、ここの殿様が無理だ、穢多が怒るのが道理だ」
というように聞えるのであります。聞いていた兵馬も、なるほどそう言えばそうだ、たかが犬一疋のために、二人の人間を殺すとは心なき仕業《しわざ》であると、ここでも神尾の乱暴を憎む心になりました。
 そのうちにバラバラと石が降りはじめました。メリメリと長屋塀の一部や、門の扉が打壊されはじめたようであります。
「始まったな――」
 固唾《かたず》を呑んでながめている見物の中にも、石を拾って投げはじめる者もあります。
 そのうちに、穢多《えた》どもがわーっと鬨《とき》の声を揚げて、いよいよ屋敷へ乗り込んだかと思うと、そうでなく、雪崩《なだれ》を打って逃げ出すと、その煽《あお》りを喰って見物が雪崩を打って逃げ惑いました。見れば神尾の門内から多くの侍が、白刃を抜いて切先《きっさき》を揃えて打って出でたところで、その勢いに怖れて穢多非人どもが、一度にドッと逃げ出したもののようでありました。白刃の切先を揃えて切って出でたのは、神尾の家来ばかりではあるまい、この近いところに住んでいる勤番のうちから、加勢が盛んに来たものと見えます。
 穢多のうちには、切られたものも二人や三人ではないらしい。さすがに白刃を見ると彼等は胆《きも》を奪われ、パッと逃げ散ってしまったが、切って出でた侍たちは長追いをせずに、そのまま門の中へ引込んでしまいました。一旦逃げ散った穢多どもは、また一団《ひとかたまり》になったけれども、今度は別に文句も言わずに、門前に斬り倒された数名の手負《ておい》を引担いで、そのままいずこともなく引上げて行く模様であります。
 ともかく、この場の騒動はこれだけで一段落を告げましたけれど、彼等の恨みがこれだけで鎮まるべしとも思えず、神尾の方でもまた、いわゆる穢多非人|風情《ふぜい》から斯様《かよう》な無礼を加えられて、その分に済ましておくべしとも思われないのであります。
 その翌日、聞いてみると、果して昨夜の納まりは容易ならぬことでありました。なんでも、いったん神尾の門前を引上げた彼等の群れは荒川の岸に集まって、手負《ておい》を介抱したり、善後策を講じたりしているところへ、不意に与力同心が押寄せて、片っぱしからピシピシ縄にかけたということであります。縄にかけられないものは、命からがらいずれへか逃げ散ってしまったということであります。
 それだけの評判が長禅寺の境内までも聞えたから兵馬は、また急いで例の姿をして町の中へ立ち出でました。
 右の風聞のなお一層くわしきことを知ろうとして町へ出てみると、町では三人寄ればこの話であります。それを聞き纏《まと》めてみると、長禅寺で聞いたよりはいっそう惨酷《さんこく》なものでありました。
 神尾の門前を引上げた彼等が集まっていたのは、下飯田村の八幡社のあたりと言うことであったということで、そこへ踏み込まれて、ピシピシと縄をかけられた数は二十人という者もあるし、三十人というものもあり、或いは百人にも余るなんぞと話している者もありました。
 その縄をかけられた者共の処分について、ずいぶん烈しい噂《うわさ》が立っていました。一人残らずその場で弄殺《なぶりごろ》しになってしまったというのが事実に近いように聞きなされます。ともかくも、牢内へ繋いでおいて相当の処分をするという手段を取らずに、その場で首をもぎ、手足を斬り、さんざんの弄殺しを試みて、四肢五体を荒川の流れへ投げ込んでしまったということが言い囃《はや》されるのであります。兵馬はありそうなことだと思いつつ、どのみち神尾の身の上にも何か変事があるだろうと予期しながら、その晩は塩山の恵林寺へ帰って泊り、翌日、早朝に立って、また甲府へ帰って見ると昨夜――というよりは今暁に近い時、神尾主膳の邸が何者かによって焼き払われたということであります。兵馬はその委《くわ》しきを知るべく、わざと僧形を避けて徽典館《きてんかん》へ通う勤番の子弟に見えるような意匠を加えて、ひとり長禅寺を立ち出でました。
 兵馬が何心なく通りかかったのは、例の折助どもを得意とする酒場の前であります。この夜もまた、恋の勝利者だの、賭博の勝利者だのが集まって、太平楽《たいへいらく》を並べている。兵馬がその前を通り過ぎた時分に、酒場の縄暖簾《なわのれん》を分けて、ゲープという酒の息を吐きながら、くわえ楊子《ようじ》で出かけた男がありました。それは縞《しま》の着物を着て、縮緬《ちりめん》の三尺帯かなにかを、ちょっと気取って尻のあたりへ締めて、兵馬の前を千鳥足で歩きながら鼻唄をうたい出しました。
 それを後ろから兵馬が見ると、なんとなく見たことのあるような男だ、鼻唄の声までが聞いたことのあるように思われてならぬ。
「はッ、はッ、はッ、何が幸《せえわ》いになるものだかわからねえ、また何が間違えになるものだかわからねえ、人間万事|塞翁《さいおう》が馬よ、馬には乗ってみろ、人には添ってみろだ」
 その途端に、兵馬はようやく感づきました。これはいつぞや竜王へ行く時、畑の中の木の上で、犬に逐《お》いかけられて狼狽《ろうばい》していた男。
 その男の名前も金助と呼ぶことまで兵馬は覚えていました。この男を捉まえてみると面白かろう。
「金助どの」
「おや、どなたでございます」
 振返って金助は、怪しい眼を闇の中に光らせました。
「拙者《わし》じゃ」
 兵馬が、わざと名乗らないでなれなれしく傍へ寄ると、
「ああ、鈴木様の御次男様でございましたね、徽典館へおいでになるのでございますか、たいそう御勉強でございますね、お若いうちは御勉強をなさらなくてはいけません」
 金助は心得面《こころえがお》にこんなことを言って、委細自分で呑込んでしまったものらしく、兵馬はかえってそれがいいと思ったから、自分も鈴木様の御次男様とやらになりすまして、
「金助どの、昨夜の火事は驚いたでござろうな」
「驚きましたにもなんにも、あんなところへ赤い風が吹いて来ようとは思いませんからな」
「お前の家には、別に怪我もなかったか」
「へえ、有難うございます、私の家なんぞには怪我なんぞはございません、よし怪我があってみたところで、私なんぞは知ったことじゃあございません」
「それは何しろよかった」
「鈴木様の御次男様、いや辰一郎様でございましたね。なんでございますか、あの徽典館は昨夜の火事で、屋根へ飛火があってお家が大層いたんでおいでなさるそうでございますが、それでも今晩、学問がおありなさるのでございますか」
「大した損処《そんしょ》もないから、今晩も集まるつもりだ」
「それは結構でございます、お若いうちは御勉強をなさらなくてはなりません、私共みたようになっては追付きませんからな。ただいま何を御勉強でございます、論語でございますか、孟子でいらっしゃいますか、子曰《しのたま》わく君子は器ならずというんでございましょう、子曰わくは結構でございますね、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わずとありましたな、あなた様はちょうどその志学のお年頃でございましょう、ところが私なんぞは三十にして立たず、四十にして腰が抜けというところなんでございます、どうもいけません。しかし辰一郎様、人間は学問ばかりしたからといってそれでいいというわけではありませんね、青表紙をたくさん読んで、活字引《いきじびき》になってみたところで一向つまりませんな、活字引はまだいいけれども、腐れ儒者となった日には手もつけられません、学問は実地に活用しなければつまらねえんでございます。いかがでございます、時々は狂歌、都々逸《どどいつ》、柳樽《やなぎだる》の類《たぐい》をおやりになっては。ああいったものをやりますと、自然に人間が砕けて参りますな、人間にそれだけユトリが出来て参りますな、人間は朝から晩まで子曰わくではやりきれません、風流ということは大切なものでございますよ、ちと、その方を御指南致しましょうかね、は、は、は」
「金助どの」
「はい」
「お前は、これからどこへ行く」
「私でございますか、私はこれから少しばかり淋しいところへ行くのでございます、淋しいところと言ったからとて、別に幽霊やお化けの出るところではございません、古城《ふるじろ》の方へ参るのでございます、古城は、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》は神尾主膳様のお下屋敷まで、これからお見舞に上ろうというんでございます」
「左様か」
 金助は言わでものことまで言ってしまいました。兵馬は計らず都合のよいことを聞いてしまいました。
「ねえ鈴木様の御次男様、昨夕《ゆうべ》の火事は、お驚きなすったでございましょうね」
 金助は同じようなことを繰返しました。
「驚いたとも」
「私も驚きましたよ、まさか、あすこへ、あれほど思い切って赤い風が吹こうとは思いませんからね」
「金助どの、あれは一体、放火《つけび》か、それともそそう火か」
「放火……いや御冗談をおっしゃっちゃいけません、この御城下の、しかも当時飛ぶ鳥を落すほどの神尾主膳様のお邸へ、どこの奴が放火をするもんですか、そそう火にきまってますよ、誰が何と言ったって、そそう火でございます、放火だなんという奴があったら、ここへ連れておいでなさいまし」
「それはそうであろう。して、神尾殿や御一族はいずれに避難をしていらっしゃる」
「神尾様のお立退き先でございますか、それはわかりませんね、よしわかっていても、そればっかりは申し上げられませんね、それを知っているのは大方、この金助ぐれえのもので……おっと危ねえ、そりゃ嘘でございます、神尾の殿様は躑躅ケ崎のお下屋敷へお立退きでございますよ、ええええ、御無事でいらっしゃいますとも、お怪我なんどはちっともおありなさりゃしません、もしお怪我があるという者があったら、ここへ連れておいでなさいまし」
「拙者《わし》も、その神尾殿に会ってお見舞を申し上げたいと思うのだが、どちらにお立退きだかわからない」
「それはそうでございましょう、躑躅ケ崎においでになることはおいでになるに違いないのでございますがね、当分はどなたにも決してお目にかかることはございません。それは御病気なんですよ、前から御病気でもって休んでおいでになったのでございます、この御病気がお癒《なお》りなさるまでは決して、それは御支配様にだってお目にかかることではございません」
「金助どの、それをお前がどうして知っている」
「どうして知っているとおっしゃったって、そこはこの金助でなければわからないのでございます、そこが金助の価値《ねうち》なんでございます」
 酔っているとは言いながら、この金助の言うことは何か心得面でありました。だから兵馬はいよいよ好い獲物《えもの》と思って、
「ところで金助どの、お前に折入って頼みたいのだが、特別に拙者だけを神尾殿に引合せてくれまいか、内々で、ぜひともお話を申し上げねばならぬことがあるのじゃ」
「へえ、それはまた、どういうことでございましょう。しかし、それはせっかくでございますが、どうもそのお頼みばかりは駄目でございますよ、エエ、そりゃもう」
「左様なことを言わずに会わしてくれ」
「会わしてくれとおっしゃったところで、いねえ者はお会わせ申すことはできねえではございませんか」
「ナニ、神尾殿はおらぬと? では、躑躅ケ崎においでになるというのは嘘か」
「エエ、なんでございます」
「今、お前は、神尾殿は躑躅ケ崎の下屋敷に立退いておいでになると言ったではないか」
「そう申しましたよ」
「そんならば、拙者は会いたいのじゃ、会って直々《じきじき》にお話し申したいことがあるから、それをお前に頼むのじゃ」
「なるほど」
「さあ、お前が躑躅ケ崎へ行くというなら、拙者も徽典館《きてんかん》へ行くことをやめて、お前と一緒に躑躅ケ崎へ行く、案内してくれ」
「そいつは困りましたな、そんな駄々をこねて下すっては困ります、お帰りなさいまし、ここからお帰りなすっておくんなさいまし」
「金助!」
 兵馬は金助の手首を取って、グッと引き寄せました。
 兵馬に強く手首を取られたものだから、金助は狼狽《うろた》えました。
「ナナ、何をなさるんで」
「拙者を躑躅ケ崎まで連れて行ってくれ」
「そりゃいけません」
「なぜいかんのだ」
「そりゃいけません」
「神尾主膳殿に会いたいのだ」
 こう言って引き寄せた兵馬の言葉が、あまりに鋭かったから金助もやや激昂《げっこう》して、
「おやおや、お前様は、私をどうしようと言うんで。おや、お前様は鈴木様の御次男様ではねえのだな」
「金助、ほかに見覚えはないか」
「知らねえ」
「よく考えてみろ」
「何だか知らねえけれど、放しておくんなせえ、放さねえと為めになりませんぜ、それこそお怪我をなさいますぜ」
 金助が振り切ろうとするのを兵馬は、地上へ難なく取って押えました。
「金助」
「ア痛い、この野郎、ふざけやがって、餓鬼《がき》のくせに」
「金助、痛いか」
「痛ッ!」
「いつぞや、竜王へ行く途中、貴様が犬に追われて、木の上へ登っていたのを助けてやったその時のことを忘れたか」
「エ、エ!」
「その時のが拙者じゃ、鈴木の次男とやらでもなんでもない」
「ア、左様でございましたか、その時は、どうも飛んだお世話さまになりました、そういうこととは存じませんものでございますから失礼を致しました、どうかお放しなすって下さいまし、痛くてたまらねえんでございますから」
「金助、お前は神尾家の様子をよく知っているようじゃ、拙者はそれをよく聞きたいのじゃ、包まず話してくれ」
「へえ、知っているだけのことはお話し申しますから、ここを放していただきてえんでございます」
「こうしているうちに話せ、神尾主膳殿は躑躅《つつじ》ケ崎《さき》におられるかおられぬか、まずそれを申せ」
「へえ、それは……躑躅ケ崎においでのはずでございますが……」
「いるならば、これから直ぐに拙者を案内致せ」
「どうも、そういうわけには参りませんで……」
「いやいや、貴様の口ぶりによれば、神尾家の内状をよく知っているらしい、隠し立てをすればこうじゃ」
 兵馬は上にのしかかって、金助をギュウギュウ言わせます。
「ア、痛ッ、面《かお》の皮が摺剥《すりむ》けてしまいます、どうか御勘弁なすって下さいまし」
「早く言ってしまえば、無事に放してやる、言わなければ命を取る」
「あ、申し上げます、実はその神尾の殿様は、躑躅ケ崎においでなさるんではねえのでございます」
「それではどこにおられるのじゃ」
「それがその……」
「真直ぐに言ってしまえ」
「ア、痛ッ、ではお前様に限って申し上げてしまいます、神尾の殿様は生捕《いけど》られておしまいなすったのでございます、あの晩、放火《つけび》に来たやつらが神尾の殿様を生捕って、どこへか連れて行ってしまったのでございます」
「それは本当か」
「本当でございますとも。けれども神尾の殿様ともあるべきお方が、穢多《えた》のために生捕りにされたとあっては、御一統のお名前にも障《さわ》りますから、それで、ああして病気お引籠りということになっているんでございます。それも生捕られたのは殿様ばかりではございません、あの御別宅においでになるお絹様というお方も、やっぱり穢多に生捕られてしまったんでございます。その行先でございますか、それはわかりません、いずれ山また山の奥の方へ連れて行かれたんでございましょう」
 金助の白状は嘘《うそ》か真実《まこと》か知らないが、神尾主膳が恨みの者の手によって生捕られたことは、信じ得べき根拠があるようです。
 けれども、それは兵馬が強《し》いて突き留めたいことではありません。神尾が果して机竜之助を隠匿《かくま》っているかいないかということを知りたいのが、兵馬の唯一の望みであります。しかし、不幸にしてそれは金助が全く知らないことでした。兵馬の失望したのは、全く竜之助は神尾の屋敷にいなかったと見るよりほかは仕方がないからであります。少なくともあの火事の晩に避難した者の中には、机竜之助があったと想像することはできませんでした。
「そういうわけでございますからね、私共は実は金《かね》の蔓《つる》を失ったわけなんでございますよ、神尾の殿様を種無しにしたんじゃ、これから先が案じられるのでございましてね、山ん中へ探しに行こうかとこう思ってるんでございます」
 金助はようやく起してもらって、こんな愚痴を言いました。
「お前は今、どこに奉公しているのだ」
「私でございますか、私は今はどこといって奉公をしているわけではねえのでございます、神尾の殿様のお出入りで、どうやらこうして気儘《きまま》に飲食《のみくい》ができて、ブラブラ遊んでいるのでございますよ、当分は、躑躅ケ崎のお下屋敷の片《かた》っ端《ぱし》をお借り申して、あすこに住んでいるのでございます」
「どうだ、その躑躅ケ崎の屋敷とやらへ、拙者を案内してくれないか」
「そりゃよろしうございますけれど、お前様はいったいどちらのお方で、何のためにそんなに神尾様のことをお聞きになるんでございます」
「そんなことは尋ねなくともよい、今晩は拙者をその躑躅ケ崎へ案内して、お前の寝るところへ泊めてもらいたい」
「そりゃ差支えはございませんがね、なんだか気味が悪いようでございますね」
 兵馬はこうして金助を嚇《おどか》しながら先に立てて、躑躅ケ崎の下屋敷へ案内させました。それから屋敷のうちを、やはり金助を嚇して案内をさせて調べてみたけれど、神尾の家来が数人詰めているだけで、別に主人らしい者もありとは見られず、また自分のめざしている人が隠れているらしくも思われませんでした。この上は詮《せん》ないことと思って兵馬は、もはや金助と一緒に泊ってみる必要もないから、なお金助を嚇しておいて、一人だけで引上げました。
 してみれば机竜之助は、すでにこの甲府の土地にはいないらしい。眼の不自由な彼が、それほど敏捷にところを変え得るはずがない。と言って神尾が隠匿《かくま》わなければそのほかに、竜之助を世話をする者があるとは思われないことであります。甲府にいないとすればどこへ行ったろう、誰が介抱してどこへ連れて行ったかということを考え来《きた》ると、兵馬は例のお絹という女のことを思わないわけにはゆかないのであります。
「あ! あの女が世話をして、また江戸へ落してやったのだろう」
 それに違いない。ハタと膝を打ったけれども、そのお絹という女も主膳と一緒に、穢多の仲間に浚《さら》われてしまったとしてみれば、また捉《つか》まえどころがなくなってしまうのであります。
 兵馬は茫々然としてその夜は長禅寺へ帰ったけれど、こうなってみると、ここにも安閑《あんかん》としてはいられないのであります。

 表面は病気で引籠《ひきこも》っているという神尾主膳。内実は穢多に浚われたという神尾主膳。その内々の取沙汰には、甲州や相州の山奥には山窩《さんか》というものの一種があって、その仲間に引渡された時は、生涯世間へ出ることはできないということ、主膳もお絹もその山窩の者共の手に捉えられているのだろうという説もあります。
 そのうちに、神尾主膳は病気保養お暇というようなことで、江戸へ帰るという噂《うわさ》がありました。その前後に神尾に召使われたものは散々《ちりぢり》になって、いつか知らぬうちに神尾家は全く甲府から没落してしまい、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷も売り物に出てしまいました。駒井能登守が甲府を落ちた時は、ともかくも明確に甲府を立退いたけれど、神尾の家が甲府から消えたのは行燈《あんどん》の立消えしたようなものであります。
 駒井能登守の屋敷あとには草がいや高く生え、神尾主膳の焼け跡ではまだ煙が燻《くすぶ》っている時分、甲府の町へ入り込んだ二人の旅人が、神尾の焼け跡を暫く立って見ていたが、
「神尾の屋敷もああしたものだろうよ」
 若い方が言いました。
「ああしたものだろう」
 やや年とった方が答えました。
「駒井能登守の方は、滝の川でともかくも落着きを確めたが、神尾主膳はどうしてるんだ」
「病気でお暇を願って、江戸へ帰ったということだ」
「そいつは表面《うわべ》のことなんだ、内実は穢多《えた》のために生捕られたという評判よ」
「それも裏の裏で、おれが思うには、まだ裏があると思うんだ」
「してみると神尾は江戸へも帰らず、穢多にも捉まらずに、無事にどこかに隠れているとでも言うのか」
「そうよ、あいつはどう見ても、穢多に取捉《とっつか》まるような男でねえ、あの奴等にしたからっても、なんぼ何でもお組頭のお邸へ火をつけて、大将を浚《さら》って行くなんて、それほどの度胸があろうとは思われねえじゃねえか」
「なるほど、そういえばそんなものだが、それにしちゃあ狂言の書き方が拙《まず》いな、拙くねえまでもあんまり綺麗《きれい》じゃねえ」
「どのみち、あの大将も破れかぶれだから、トテも上品な狂言を択《えら》んじゃあいられねえ、そこで病気を種につかってみたり、穢多を玉にしてみたり、どうやらこれで一時を切り抜いたものらしいよ」
「ふむ、そうすると病気も穢多も、みんな狂言の種かい」
「あの火事までが狂言だとこう睨《にら》んでるんだが、どんなものだ。あの大将、いよいよ尻が割れかかって、どうにもこうにも始末がつかねえから、それで奴等にかこつけて、自分で屋敷へ火をつけたんだ」
「なるほど」
「火をつけて罪は奴等へなすりつけておいて、帳尻の合わねえところは焼いてしまった……おいおい、向うから役人みたようなのが来るぜ、気をつけなくっちゃあいけねえ」
 道を外《そ》らして行く二人の旅人、その若い方はがんりき[#「がんりき」に傍点]らしく、やや年とった方は七兵衛らしくあります。
 この二人は何のために、また甲府までやって来たのだろう。ここには駒井能登守もいないし、神尾主膳もいなくなったし、宇津木兵馬も、机竜之助も、お松も、お君も、米友も、ムク犬も去ってしまったのに、なお何かの執着があって来たものと見なければなりません。
 いつぞや持ち出した安綱の刀、それをどこぞへ隠しておいたのを、取り出しに来たものかと思えば、そうでもなく、二人はその足で直ぐに甲府を西へ突き抜けてしまいました。
 それから例の早い足で瞬く間に甲信の国境まで来てしまい、山口のお関所というのは、別に手形いらずに通ることができて、信州の諏訪郡《すわごおり》へ入りました。諏訪へ着いたら止まるかと思うと、そこでも止まりません。いったい、どこへ行くつもりだろうということは、その日のうちにもわからず、その翌日もわからず、三日目になって、ようやく二人の姿を見出すことができました。三日目に二人の姿を見出したところは、もう甲州や信州ではなく、それかといって碓氷峠《うすいとうげ》からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたことは、やや飛び離れております。
 いつ、どうして木曾を通ったか、不破《ふわ》や逢坂《おうさか》の関を越えたのはいつごろであったか、そんなことは目にも留まらないうちに、早や二人は京都の真中の六角堂あたりへ身ぶるいして到着しました。この二人が何の目的あって京都まで伸《の》したものかは一向わかりません。上方《かみがた》の風雲は以前に見えた時よりも、この時分は一層険悪なものになっていました。例の近藤勇の新撰組は、この時分がその得意の絶頂の時代でありました。十四代の将軍は、長州再征のために京都へ上っていました。その中へがんりき[#「がんりき」に傍点]と七兵衛が面《かお》を出したということは、かなり物騒なことのようだけれども、その物騒は天下の風雲に関するような物騒ではありません。
 この二人が徳川へ加担《かたん》したからと言って、長州へ味方をしたからと言って、天下の大勢にはいくらの影響もあるものでないことは、二人ともよく知っているはずであります。二人もまた、決して尊王愛国のために京都へ面を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へかけては二人の世界がようやく狭くなってくるし、ちょうど幸いに、公方様《くぼうさま》は上方へおいでになっているし、江戸はお留守で上方が本場のような時勢になっているから、一番、こっちで、またいたずらを始めようという出来心に過ぎますまい。
「兄貴、上方には美《い》い女がいるなあ、随分美い女がいるけれど、歯ごたえのある女はいねえようだ、口へ入れると溶けそうな女ばかりで、食って旨《うま》そうな奴は見当らねえや」
 まだ宿へ着かない先に、町の中でがんりき[#「がんりき」に傍点]がこんなことを言いながら、町を通る京女の姿を見廻しました。
「この野郎、よくよく食意地《くいいじ》が張っていやがる」
 七兵衛は、こう言って苦笑《にがわら》いをしました。

         五

 この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装を見ることになりました。
 恵林寺へも暇乞《いとまご》いをして、勝沼の富永屋へ着いた兵馬は、別に一人の伴《とも》をつれていました。その伴というのは、この間まで躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の神尾の古屋敷にいた金助です。してみれば、金助も頼む神尾の殿様なるものはいなくなるし、あの古屋敷も売り物に出るというわけで、甲府|住居《ずまい》も覚束《おぼつか》なくなっていたところへ、兵馬に説かれたものか、兵馬を説きつけたものか、この人の伴となって江戸へ脱け出そうとするものらしくあります。
 この俄《にわか》ごしらえの主従が富永屋へ草鞋《わらじ》を脱いだ時分に、富永屋には例のお角もいませんでした。机竜之助もいませんでした。お銀様も、ムク犬もまた姿は見えません。
 兵馬は翌朝、宿を出て笹子峠へかかると、金助が、
「これから私も心を入れ替えてずいぶん忠義を尽しますよ、お前様もこれからズンズン御出世をなさいまし。まあ、私が考えるのに、これからは学問でなくちゃいけませんな、お前様は腕前はお出来になって結構でございます、学問の方も御如才はございますまいが、学問も、どうやら今までの四角な学問よりも、横の方へ読んで行く毛唐《けとう》のやつの方が、これから流行《はや》りそうでございますぜ、今、鉄砲にしてみたところが、どうもあっちのやつの方が素敵でございますからね。お前様もこれから学問をおやりになるならば、毛唐のやつの方を精出しておやりなさいませ、あれが当世でございますぜ」
 金助は、よくこんな巧者な話をしたがります。そうして高慢面《こうまんがお》に、忠告めいたことを言って納まりたがる人間であります。
「私なんぞは、もう駄目でございます、これでも小さい時分から学問は好きには好きでございました、けれどもほかの道楽も好きには好きでございました、親譲りの財産《しんだい》がこれでも相当にあるにはあったんでございますがね、みんなくだらなく遣《つか》ってしまいましたよ、これと言って取留まりがなく遣ってしまいましたよ、なあに、いま考えても惜しいともなんとも思いませんがね、かなりこれでも遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと思ってそれが心配でございますよ、でもまあ、昔と違って今は、まるっきり融通というものが利きませんからね、これで融通が利き出すとずいぶん危ねえものでございます。危ねえと言ったって、こうなれば、疱瘡《ほうそう》も麻疹《はしか》も済んだようなものでございますから、生命《いのち》にかかわるような真似は致しません。何しろ、まあ、これを御縁に江戸へ帰ったら落着きましょうよ、末長くあなた様の御家来になって忠義を尽して往生すれば、それが本望でございますよ、お江戸の土を踏んで、畳の上で往生ができればそれで思い残すことはありませんな。あなた様は、どうか私の分までみっしり出世をなすっておくんなさいまし、出世をなさるには、酒と女……これがいちばん毒でございますからな、この金助が見せしめでございますよ、あの神尾の殿様も見せしめでございますよ、と言って駒井の殿様も、あんまりいいお手本にはなりませんな。どっちへ転んでも楽はできません、やっぱり酒と女で、器量相当に面白く渡った方が得かも知れませんな。してみると、器量相当以上に道楽をして来た私なんぞは、この世の仕合せ者でございましょう、下手に立身出世をして窮屈な思いをするよりは、金助は金助らしく道楽をしていた方が勝ちでございましょう。あなた様の前だが、私しゃあ江戸へ着いたら早速に、吉原へ行ってみてえとこう思います」
 金助は、ぺらぺらと兵馬の前も憚《はばか》らず、こんなことを言いました。
 これから心を入れ換えて忠義を尽しますという口の下から、もういい気になって吉原の話であります。
 兵馬がそれを黙って聞いていると、金助は自分の放蕩した時代のことを、得意になって喋り立てました。その揚句に、
「あなた様は吉原へおいでになったことがございますか、大門《おおもん》をお潜りになったことがございますか」
「まだ行ったことはない」
「では、一度お伴《とも》を致しましょう、ナニ、一度は見てお置きにならなければ、出世ができないという譬《たと》えがございます」
「そんな譬えは聞いたことがない」
「一度は見物にいらっしゃいまし、私は江戸へ着きまして、この荷物を宿へ置いたらその足で、吉原へ行ってみるつもりでございます。こんなことを申し上げると、いかにも馬鹿野郎のようでございますけれど、正直のところ、私共なんぞはそれでございますよ、行く末、英雄豪傑になれるというわけのものではなし、また大した金持になれようという見込みもあるのじゃあございませんですから、いいかげんのところでごまかしてしまうんでございますよ。何楽しみにこの世に永らえているんでございましょう。ただ残念なことには小遣《こづかい》がありませんな。江戸へ着きましたら、少しばかり小遣にありつくような仕事を、お世話をなすっておくんなさいまし。まあ、私共の望みとしてはそのくらいのものでございますねえ」
 兵馬は聞いているうちに、この野郎がかなりくだらない野郎であると思いました。けれどもこんなことを言い言い、自分の心を引いたり目つきを見たりする挙動に、多少、油断のならないところもあるように思いながら、
「金助、お前が、あの神尾主膳の在所《ありか》をさえ確めてくれたら、相当のお礼はする」
「それはなかなか大役でございますねえ」
 金助はわざとらしく大仰《おおぎょう》に言い、
「しかし、あの神尾の殿様は、さすがに苦労をなすったお方だけに、届くところはなかなか届くんでございますから、あそこのところだけは感心でございますがね、あれがまあ、苦労人の取柄《とりえ》でございましょうな」
「苦労したというのはどういうことなのだ」
「どうしてあの方は、なかなか遊んだお方でございますよ」
「苦労したとは、遊んだということか」
「そうあなた様のように生真面目《きまじめ》に出られては御挨拶に困ります、苦労にも幾通りもあるのでございます、日済《ひなし》の催促で苦労するのも苦労でございます、大八車を引っぱって苦労するのも苦労でございますけれど、その苦労とは違いまして、酸《す》いも甘《あま》いも噛み分けた苦労でなくては、苦労とは申されないでございますな」
「神尾主膳という人は、そんなによく物のわかる人か」
「それは人によっては、随分悪く言う者もございますけれど、私なんぞに言わせると、よく分った殿様でございますね、何かというと手首をギュウと取ったり、首筋をグウと押えたりして白状しろなんぞと、そんな野暮《やぼ》なことはなさらずに、金助、これで一杯飲め、なんかと言って下さるのが嬉しうございますね、あの呼吸はなかなか生若《なまわか》い世間知らずのお方にはできません、やはり苦労人でないと……」
「なるほど」
 兵馬は苦笑いをしました。
「そのくらいですから銭《ぜに》は残りません、いつでも貧乏をしていらっしゃるが、ああいうお方に、金を持たして上げたいものでございます、ほんとに金が生きるんでございますけれど、使い道を知っているところへは、金というやつは廻って参りません、因業《いんごう》なやつでございますねえ」

         六

 その後暫くあって、染井の藤堂《とうどう》の屋敷と、染井稲荷《そめいいなり》との間にある旗本の屋敷の、久しく明いていたのに人の気配《けはい》がするようです。
「ああ、化物屋敷《ばけものやしき》に買い手がついたな」
 酒屋の御用聞の小僧なんぞが早くも気がつきました。
 地所が広く、家が大きく、そうして人の住みてのないところは化物屋敷になる。化物が出ても出なくても、化物屋敷であります。どうしても化物が出なければ、人間の口が寄って集《たか》って化物をこしらえてしまいます。
 先代の殿様が、醜男《ぶおとこ》であったにも拘らず、美しいお女中を口説《くど》いたところが、そのお女中には別に思う男があって靡《なび》かない、それで殿様が残念がって、あの土蔵の中で弄《なぶ》り殺《ごろ》しにしてしまったという、あんまり新しみのない筋書の化物が出されてから久しいこと。ようやくこのごろ、人の臭いがするようになったらしいが、土地柄だけに、それほどに新たに移って来た主人の好奇《ものずき》を注意してみようという者もありません。
「小僧、酒屋の小僧」
「へえ」
 閉《とざ》してある裏門の中から、御用聞の小僧が不意に呼び留められたものだから仰天して、
「あ、お化け……」
と言って立ち竦《すく》んでしまいました。
「明日から酒を持って来い、一升ずつ、上等のやつを」
「へえ、畏《かしこ》まりました、毎度有難うございます」
 御用聞の小僧は丸くなって駈け出して、駒込七軒町の主人の店まで一散《いっさん》に逃げて来ました。
「大変……化物が酒を飲みたいってやがらあ」
 唇の色まで変っていたから、番頭や朋輩《ほうばい》の小僧どもも、気味悪く思ったり、おかしく思ったりして、
「どうしたんだ、どうしたんだ」
「あの化物屋敷で、明日から一升ずつ、上等のお酒の御用を仰付《おおせつ》かりました」
「化物屋敷でお酒の御用?」
 次に廻るべき小僧が再び確めに行った時に、ほぼその要領を得て帰りました。それは化物屋敷ではあるけれども、酒の御用を言いつけたは化物ではない。前に言いつけたことが確かであるように、再び念を押しに行った時も、確かに注文したに相違ないのであります。
 しかも最初に御用を言いつけたのは、大風《おおふう》な侍の言いぶりであったのに、二度目に確めに行った時の返事は、なまめかしい女の声であったということが、この酒屋の者の話の種でありました。それから毎日一升ずつの酒が、この屋敷へ運ばれたけれど、御用聞の小僧は、主人らしい人も、奥様らしい人も、また家来衆、雇人たちのような人の面《かお》をも、まだ見かけたことがありません。
「毎度有難うございます……」
と言って酒をそこへ置くと、
「どうも御苦労さま、それから明日はお醤油《したじ》に波の花を……」
というような注文が台所のなかから聞えて、それは女ではあるけれども、さっぱり面を見せないのが変だといえば変であります。売掛けもどうかと思って、その月の半端《はんぱ》の分を纏《まと》めて書付にして出すと、その翌日は綺麗《きれい》に払ってくれました。支払の信用と共に化物の疑念は取れて、それより以上にこの屋敷を怪しがるものはありません。
 この屋敷の一間で庭をながめながら、晩酌を試みているのは化物でもなんでもない、正真《ほんもの》の神尾主膳であります。甲府を消えてなくなった神尾主膳が、ここへ来て浴衣《ゆかた》がけで酒を飲んでいるところを見れば、かくべつ病気であったとも見えないし、また穢多に浚《さら》われて、ここへ流されたものとも見えません。
 それと、面白いことは、神尾の前に晩酌のお相手をしているのが、勝沼の宿屋にいた、もとの両国の女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角《かく》であることであります。
「お角、お前はそんなに金が欲しいのか」
 神尾は盃を置いて、お角の面《かお》を見ました。
「御前《ごぜん》、ほんとに、わたしは今となってお金があったらと思います、何をしようにもお金がなくては動きが取れません、全く水気《みずけ》の切れたお魚のようなものでございます」
「それは御同前だ」
と言って、神尾は苦笑いをしました。
「殿様などは失礼ながら、お金をお持たせ申せば、直ぐに使っておしまいなさるけれども、わたしなんぞはそうではございません、それを資本《もとで》に、一旗揚げてみようというのでございますから、全く心がけが異《ちが》いますよ」
「全く頼もしい、お前に金を持たせれば、何か一仕事やるだろう、そこは拙者も見ているけれど、残念ながら金は無い、拙者は金がない上に、世間に面向《かおむ》けもできん、うっかりすると命までなくする」
「それでございますからね、わたしが少し資本《もとで》を工面《くめん》しさえしますれば、殿様にも御不自由をおさせ申さないようにして上げますし、そのほか、困っているお方には相当に貢《みつ》いでお上げ申すのですけれど」
「してその資本の工面がつけば、何をしてみようというのじゃ」
「それは、やはり太夫元《たゆうもと》をやってみとうございます、今でも両国のあの株を買い戻して、看板を換えて花々しくやってみる分には、そんなに骨の折れたことではございません、軽業を土台にして、目新しいところを二三枚買い込んで、一やま当てるには今が時機なんでございます。その道にかけては、わたしも昔取った杵柄《きねづか》で、今の人たちがやるのを見ていると、間緩《まだる》くて腹が立ってたまりません。この間も両国へ行って見ましたら、やっぱり昔のままの軽業や力持でお茶を濁しているものでございますから、今時、あんまり知恵のない人たちだと、ひとり歯ぎしりをして帰りました。わたしがやっていた時分には、軽業や力持はほんの前芸にしておいて、真打《しんう》ちには、人の思いもつかないものを買い込んで、仲間をあっと言わせ、お客を煙《けむ》に捲いて人気を独り占めにしたものでございます。印度から黒ん坊の槍使いを買い込んで、あすこで打ちました時なぞは、毎日毎日大入り客止めで、大袈裟《おおげさ》のようですけれど、江戸中の人気を吸い取ったような景気でございました。そんなことでずいぶん儲《もう》けもしましたけれど、使いも使いました、一つ当りさえすれば、皆様を五年や十年、遊ばしてお置き申すほどのお金はなんでもないことでございます。今となってみると、あの仕事を手放したのが惜しくてたまりません、ほんのひょっとした意地で、ただみたように、人に株を譲り渡したのがこっちの抜かりでございました、ナニ、金さえあればいつでも買い戻せると思ったのが、あんまりたかをくくり過ぎました」
 お角が、もとの仕事に充分の自信と未練を持っての話を、主膳は首を捻《ひね》りながら聞いていたが、
「強《た》ってその資本が欲しいならば、ひとつその秘策を授けてやろうか」
「お心あたりがございますなら、ぜひ伺いたいものでございます」
「化物《ばけもの》はいるか、あの化物は」
と言って主膳は、荒れた庭のあちらに、大きな土蔵の鉢巻のあたりの壊《こわ》れたところを見上げました。この二人が、かなり下腹に毛のない連中と見えるのに、このほかに、まだこの屋敷に化物がいるのか知らん。
 主膳は化物と言って、土蔵を見ながら、
「は、は、は」
と笑いました。
「いけません」
 お角は自分の口を袖で押えながら、主膳を叱るように言いました。
「聞えやせぬよ、大丈夫」
「御前が左様なことをおっしゃるのは、お悪うございます」
「もう言わん。しかし、お前が言わせるように仕向けるから、つい口が辷《すべ》ったのじゃ、悪い心持で言ったのではない」
と主膳は申しわけのような前置をつけて、それからこんなことを言いました、
「あれはお前も知っているかどうか知らん、あの実家はすばらしい物持で、田地も金も唸《うな》るほどある、しかもその家の一人娘じゃ。あの娘の実家を説き立てさえすれば、少々の金を引出すのはなんでもないことだ。お前、その気があるなら一番やってみたらどうじゃ、甲府から三里離れた有野村の藤原といえば直ぐわかる、そこへ行って主人の伊太夫に会い、これこれのわけでお嬢様をお連れ申したといえば、それこそ謝礼は望み次第じゃ。もし当人を連れて行くのが面倒ならばお前だけ行って、お嬢様はただいまこれこれのところにおりますると注進さえすればよい……しかしあの娘を帰すと、拙者《おれ》の足許が危なくなる、そこはあらかじめ仕組んでおかないと」
「そんなことはできません、わたしはそれほどに計略をしてまでお金を借りたいとは思いません、よし借りられるものにしましても、もう二度と甲州の山の中なんぞへ、入ってみようという気にはなりませんから」
「いや、甲州の山が宝の山なのじゃ、全く以てあの女の実家というものの富は、測り知ることができないほどじゃ、惜しいものよ、あれをあのまま寝かしておくのは」
「心がらでございますね、いくらおすすめ申しても、お家へお帰りなさるお心持になれないのでございますから」
「家へは帰られないわけもあるが、ああ逆上《のぼせ》ても恐れ入る、悪女の深情けとはよく言ったものじゃ」
「わたしは、あれこそ何かの因縁《いんねん》だと思いますね、ただ惚《ほ》れたとか、腫《は》れたとかいうだけのことではありませんね」
「因縁かも知れん。このごろ、拙者もあの女の面《かお》を見ると、なんだかゾクゾクと怖いような心持になるわい」
「あのお嬢様は、たしかに御前を恨んでおいでになります、御前とお面をお合わせになると、きっと横を向いておしまいになりますけれど、御前のお後ろ姿や、横面《よこがお》をごらんになった時の眼つきは別段でございます、全く取殺してしまいそうな、怖い眼つきをなさるのはどういうものでございますか、わたしには合点が参りません」
「それは大きに、そうありそうなことじゃ、ずいぶん恨まれていい筋がある。思えばこの屋敷は化物屋敷に違いない、この神尾主膳と、あの藤原の娘のお銀とが落ち合って、睨み合っているのさえ空怖《そらおそ》ろしい悪戯《いたずら》であるのに、業《ごう》の尽きない机竜之助という盲目《めくら》が、あれが難物じゃ。それにお前だとて、生《なま》やさしい女ではあるまい、あのお絹殿……という女。ああいやになる、いやになる、悪因縁の寄り集まりだ、前世の仇《あだ》ならいいが、この世からの餓鬼畜生に落ちた敵同士が、三すくみの体《てい》で、一つ屋敷に睨み合っているというのは、悪魔の悪戯のようなものだ。酒が苦《にが》い」
 こう言って神尾主膳の眼が、怪しく輝きました。
 神尾主膳の眼が怪しく輝いたのを、お角は変だとは思いました。しかし、この女は主膳に、怖るべき酒乱のあることを知ってはいませんでした。主膳もまた、ここへ来てから、酒乱になるほどには酒を飲んでいませんでした。
「化物屋敷なんて、そんなことがありますものか」
 お角は、主膳の怪しい眼つきを見ながら、そのいやな言葉を打消します。
「拙者《わし》の住むところは、いつでも化物屋敷だ、躑躅ケ崎の古屋敷もかなり化物じみていた」
と言っている時に、不意に、裏手の車井戸がキリキリと鳴りました。その音を聞くと、神尾主膳が急に慄《ふる》え上りました。
「誰か井戸で水を汲んでるな」
「左様でございますね」
「水を汲んじゃいかんと言え」
「それでも、御前」
「いや、水を汲んじゃいかん、拙者はあの車井戸の音が大嫌いだ」
「おおかた、お嬢様が水を汲んでいらっしゃるのでございましょう」
 お角も、車井戸で水を汲んでいる者があることを気がついていました。車井戸の音が嫌いだという神尾の心理状態を、怪しまないわけにはゆかないが、これも酒の上での我儘《わがまま》が出たものと思って、神尾の言うことを軽く受け流しています。
 それにも拘《かかわ》らず、裏の車井戸はキリキリと鳴っています。キリキリと鳴ってはザーッと水をあける音がします。
「まだ水を汲んでいる奴がある、早く行って差止めてしまえ」
「水を汲んでは悪いのでございますか」
「水を汲んで悪いとは言わん、車井戸を鳴らしてはいかんのじゃ」
「それでも、車を鳴らさずに、あの井戸の水を汲むわけには参りますまい」
「拙者《わし》はあの井戸の音が嫌いじゃ、今時分あれを聞くと堪《たま》らん、なにも拙者の嫌いな車井戸を、ワザとああして手繰廻《たぐりまわ》すには及ばんじゃないか」
「それは御前の御無理でございます、何か御用があるからそれで、水をお汲みなさるんでございましょう、御前をおいやがらせ申すために、水を汲んでいらっしゃるのではござんすまい」
「あれ、まだよさんな。よし、拙者が行って止めて来る」
 神尾主膳は刀を提げて立ち上りました。その心持も挙動も、酒の上と見るよりほかには、お角には解釈の仕様がありません。
「まあ、お待ちあそばせ」
 お角は主膳を遮《さえぎ》ってみたけれど、主膳は聞き入れずに縁を下りて、庭下駄を突っかけました。お角はなんとなく不安心だから、それについて庭へ下りました。
 化物屋敷へ人が住むようになったけれども、この庭まではまだ手入れが届いていません。八重葎《やえむぐら》の茂るに任せて、池も、山も、燈籠《とうろう》も、植木も、荒野原の中に佇《たたず》んでいるもののようです。裏手の井戸へ行こうとするらしい主膳の姿が、その雑草の中に隠れるのを、お角はあとを跟《つ》いて行くと、お角の姿もその雑草の中に隠れてしまうほどに、萩や尾花が生《お》い覆《かぶ》さっています。
「誰じゃ、そこで水を汲んでいるのは」
 井戸端にいる人は返事をしませんでした。主膳は焦《じ》れた声で、
「そこで夜《よ》さり水を汲んではいかん、この井戸は、化物屋敷の井戸で、曰《いわ》くのある井戸と知って汲むのか、知らずに汲むのか」
 こう言われたけれども井戸端では、やはり返事がありません。たしかに人はいるにはいるのです。それも白い浴衣《ゆかた》を着た人が少なくとも一人は、しゃがんでいることは誰の眼にもわかります。
「誰じゃ、そこで水を汲んでいるのは」
 しつこく繰返して井戸端へ寄った神尾主膳、酔眼をみはって、
「お銀どのではないか」
 それはお銀様でありました。お銀様は盥《たらい》に向って何かの洗濯をしているところであります。さきほどから神尾が、再三言葉をかけたのが聞えないはずはありません。それに返答をしないのみか、こうして摺寄《すりよ》って来ても見向きもしませんでした。
「洗濯をなさるか、可愛い人へ、お心づくしのために」
 主膳はお銀様の面《かお》を覗《のぞ》きました。お銀様は、その時にツイと立ってまた井戸縄へ手をかけると、神尾主膳は慌《あわ》ててそれを押え、
「はッ、はッ、はッ」
と声高く笑いました。その笑い声を聞くと、お銀様は井戸縄へ手をかけたままで、じっと神尾主膳の面《おもて》を睨めます。
「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷にこれと同じような井戸があった、その井戸で、そなたの好きな幸内とやらに、たんと水を呑ましてやったことがあるわい、それから以来、夕方にこの車井戸の軋《きし》る音を聞くと、拙者は胸が悪くなってたまらぬ、この車井戸の音が癪にさわる」
 お銀様の持っている井戸縄を、片手でもって主膳は横の方から引ったくりました。
「何をなさる」
 お銀様は強い声でありました。
「は、は、は」
 神尾の笑い方は尋常の笑い方ではありません。その笑い方を聞くとお銀様はブルブルと身を慄わせ、
「幸内の敵《かたき》」
 思わずこう言って歯を噛むと、
「ナニ、幸内の敵がどうした、たかが馬を引張る雇人の命、この神尾が手にかけてやったのを過分と心得ろ、敵呼ばわりがおかしい、あッははは」
「ああ、口惜《くや》しい」
「何が口惜しい。なるほど、幸内は拙者の手にかけて亡き者にしてやった、お前の好きな幸内は拙者のためにならぬ故、亡き者にしたけれど、その代り、お前には別に好きな人を授けてやったはず」
「ああ、幸内がかわいそうだ」
 お銀様は火を吐くような息を吐き、神尾の手から井戸縄を奪い取って、力を極めて車井戸を軋《きし》らせました。
「汝《おの》れ!」
 神尾主膳は再びその井戸縄を奪い返そうとして、流しの板の上によろよろとよろめきます。それには頓着なく水を汲み上げたお銀様は、今、流しの板から起き上ろうとする神尾主膳の姿を見ると、むらむらと堪《こら》えられなくなったと見えて、
「エエ、どうしようか」
 汲み上げた水を釣瓶《つるべ》のまま、ザブリと主膳の頭の上から浴びせてしまいました。
「やあ、慮外の振舞」
 慌てて起き上ろうとするところを、お銀様は傍《かたえ》にあった手桶を取り上げて、中に残っていた水を柄杓《ひしゃく》ともろともに、畳みかけて主膳の頭の上から浴びせてしまいました。主膳としても不意であったろうし、お銀様としても、我を忘れた乱暴な仕打《しうち》であります。
「ああ、かさねがさね」
 主膳がようやく起き上った時は刀を抜いていました。その時に後ろから、
「御前、お危のうございます」
 抱き留めたのはお角。お銀様はこの時、もう土蔵の中へ入ってしまいました。
 お角に抱き留められた神尾主膳は、例の酒乱が兆《きざ》して荒《あば》れ出すかと思うと、そうでなく、
「あははは、拙者が悪かった」
と言って、ぐんにゃりと萎《しお》れたのは少しく意外で、お角がかえって力抜けがしました。そこで極めて温和《おとな》しく、いったん抜いた刀をも鞘《さや》へ納めて、
「ズブ濡れだ、いやはや」
 主膳としてはあまりに人のよい態度で、土蔵の前へよろよろと歩いて行き、土蔵の戸前から中を覗き込んで、
「机氏、机氏」
と二声ばかり呼びました。
 土蔵の二階では、何かひそひそと話をしていたらしいのが、はたと止まって、真暗でそうして静かで、何とも返事はありません。
「こんな湿《しめ》っぽいところに、このうんき[#「うんき」に傍点]に籠《こも》っていては堪るまい、ちと出て来さっしゃい、ただいま一酌をはじめたところ、相手が無くて困っているのじゃ」
「いま行く」
 二階では、帯を締め直すような音がしました。
「拙者は水を浴びせられた、それでこの通り五体びっしょりになってしまった、衣裳を替えて待っているから直ぐに出て来さっしゃいよ、酒もあり肴《さかな》もあり、月もそろそろ上るはずじゃ」
 主膳はこう言い残して、またよろよろともとの座敷の方へ取って返します。
 ほどなく土蔵から下りて来た机竜之助は、生平《きびら》の帷子《かたびら》を着て、両刀を差して、竹の杖をついて、案内知ったらしいこの荒蔵《あれぐら》を一人で歩いて行きました。
 びっしょりになった浴衣を着換えた神尾主膳もまた、同じように生平の漆紋《うるしもん》で、前の座敷に盃《さかずき》を手にしながら待っていました。
「暑いな」
 竜之助が言うと、
「なかなか蒸《む》す」
 主膳は答えながら、竜之助の手を取って座敷へ延《ひ》いて坐らせ、
「まず、一献《ひとつ》」
 ここで二人は水入らずの酒盛《さかもり》をはじめる。主膳の機嫌は全く直って、調子よく竜之助に酌をしてやりながら、
「何か面白いことをして遊びたいものだな」
と言いました。
「左様、面白いことをして遊びたい」
 竜之助もまた同じようなことを言って相槌《あいづち》を打ちます。二人が面白いことというは、どちらもその内容が全く不分明でありました。内容が不分明ながらに、二人共に何か気が飢《う》えて、酒のほかにしかるべき刺戟を求めているもののようであります。
「ここの屋敷内には、女が三人いて男が二人」
 神尾は謎のようなことを言いました。
 それに返答もせずに竜之助は、酒を飲んでいました。
「やれやれ、月が出たそうな」
 なるほど、木の間から月の光が洩れて、庭へ射し込んで来るようであります。団扇《うちわ》を鳴らしながら立って柱へ片手を置き、退屈そうに、
「いい風が来る」
 月の上る方を見ていた神尾主膳が、急に何か思いついたように坐りかけて、
「机氏、机氏、ちと思いついたことがある、耳寄りな話」
と言って机竜之助の耳のあたりへ面《かお》をさしつけて、何事をか囁《ささや》いて笑い、
「さあ、これから直ぐに出かけよう」
「よろしい」
 何を思いついたのか、二人はその場で話がきまったらしく、主膳の方は急にそわそわと焦《せ》き立ちました。

         七

 それから暫くたつと、吉原の引手茶屋の相模屋というのへ二挺の駕籠《かご》が着いて、駕籠から出た時に、
「これはお珍らしい、神尾の御前」
と相模屋の内儀《ないぎ》が驚くのを、
「神尾ではない、内密内密《ないしょないしょ》」
と抑《おさ》えて先に通ったのは、やはり神尾主膳でありました。
 それにひきつづいて机竜之助が、手さぐりにして駕籠を出ようとすると、神尾は自分の眼を指さしながら、
「ここが悪い、手を引いてやってくれ」
「畏《かしこ》まりました」
 主膳は先に立ち、竜之助は女に手を引かれて茶屋へ通りました。
「今時分、思い出したように神尾の御前がお出ましになるのはどうしたものだろう、御前は甲府お勝手へお廻りになったと聞いたが……」
 表向《うわべ》は鄭重《ていちょう》に迎えたこの茶屋の内儀が、二人を案内したあとで眉をひそめました。
 ちょうどこの時分に、水道尻の燈明《とうみょう》の方から、馬鹿な面《かお》をして行燈《あんどん》の数をかぞえながら歩いて来る一人の男がありました。それは宇津木兵馬につれられて、甲州から江戸へ出たはずの金助で、
「ちょッ、詰らねえな、俺たちはああして、茶屋から大見世《おおみせ》へ送られる身分というわけじゃあなし、岡場所か、銭見世《ぜにみせ》が関の山なんだけれど、それもこのごろの懐ろ工合じゃ覚束《おぼつか》ねえや、こうして吉原の真中へ入り込んで、景気のいいところを見せつけられながら、たそや[#「たそや」に傍点]行燈の数をかぞえて歩くなんぞは我ながら、あんまり気が利かな過ぎて涙が溢《こぼ》れらあ、なんとか工面はつかねえものかな」
 金助はこんなことを言いながら、声色屋《こわいろや》がお捻《ひね》りを貰うのを羨《うらや》んでみたり、新内語りが座敷へ呼び上げられるのを嫉《そね》んだり、たまにおいらん[#「おいらん」に傍点]の通るのを見て口をあいたりしながら、笠鉾《かさほこ》の間を泳いでいましたが、
「おやおや、ありゃあ、たしかに見たことのあるお侍だ、俺の見た目に曇りはねえはずだが、もう一ぺん見直し……」
 二三間立戻って、いま箱提灯に送られて茶屋を出た、二人連れの武士体《さむらいてい》の跡を逐《お》いました。
「そうれ見ろ、間違いっこなし、見覚えのあるも道理、神尾の殿様があれだ、あれが甲府で鳴らした神尾の殿様だ。もし……」
 金助は後ろから呼び留めようと、咽喉《のど》まで声を出して引込ませ、
「向うも身分があらっしゃるから、うっかり言葉をかけて失敗《しくじ》っちゃあ詰らねえ、いったい、どこの店へお入りなさるんだか、心静かに見届けておいての上……ああ、天道|人《ひと》を殺さずとはよく言ったものだ、金助がこうして詰らなく泳いでいるのを、天が哀れと思召せばこそ、ああしていい殿様を授けて下さる」
 金助は雀躍《こおどり》をして喜びながら、駈け出して行く途端、たそや[#「たそや」に傍点]行燈の下で文《ふみ》を読んでいた侍にぶっつかろうとする。
「無礼者」
「御免下さいまし」
 危なくそれを避けて、今度は天水桶に突き当ろうとして、それも危なく身をかわし、見え隠れに神尾主膳と覚しき人のあとを追って行きました。
 神尾主膳と机竜之助とが、万字楼の見世先《みせさき》へ送り込まれようとする時に、
「もし、殿様、躑躅ケ崎の御前」
 金助がこう言って横の方から呼びかけたので、神尾主膳が振向きました。
「金助……」
「へえ、金助でございます、殿様、どうもお珍らしいところで、エヘヘヘヘヘ」
「貴様もこっちに来ているのか」
「へえ、流れ流れて、またお江戸の埃《ごみ》になりました、殿様には相変らず御全盛で結構でいらっしゃいます」
「いいところで会った、貴様もこの店に馴染《なじみ》があるのか」
「どう致しまして、ここは私共の入るところではございません、こんなところへ入りますと罰《ばち》が当るそうでございます、私共には私共で、身分相当な気の置けないところがあるんでございますけれど、生憎《あいにく》どうも」
「よし、好きなところで遊んで来い、そうして暇を見てここへ話しに来るがよい」
 主膳は紙に包んで幾干《いくらか》の金をやりました。金助は崩れるほど嬉しがって、それを幾度かおしいただきました。
「これこれ、こう来なくっちゃあならねえのだ」
という面をして、お礼の文句を繰返しながら、暇乞いをしてひとまず別れました。天水桶のあたりへ再びうろついて来て、いま神尾主膳から貰った紙包を開いて見ると、
「一両! 占めた」
と言って通りがかりの人を驚かせました。金助は一両の金にありついて、有頂天《うちょうてん》になって喜びながら、一両あればかなりのところで遊べると、一時は大成金になった心持で、どこで遊ぼうかここで遊ぼうかと、足を空《そら》にして歩いていたが、急に、
「待て待て、運の向いて来る時にはトントン拍子に向って来るものだ、ここで金の蔓《つる》にありついたのを、そのまま使ってしまえば一両は一両だ、これを手繰《たぐ》ってみると、裏表に利札《りふだ》がついているやつを、今まで気がつかなかったのが我ながらおぞましい」
と言って、万字屋の方を見ながらニヤリと笑いました。このとき金助の心持は、今までの小成金気分の酔いから、すっかり醒《さ》めてしまって、一両の金に随喜するような心から解放されて、もっと遠大な計画に、一歩を進めることに気がついたらしくありました。そうなると、四百の銭見世や二朱の小見世は金助の眼中になくなって、その面付《かおつき》もいくらか緊張してきました。
「今、さるところで神尾の殿様に会って一両いただきました、とこう言えば、あちらでも一両|下《した》ということはあるめえ、初会が一両に裏を返せばまた一両、こいつは、もう少し仕組みを換えると大やま[#「やま」に傍点]が当らねえものでもなかりそうだ。何しろ、神尾の殿様にしたところが世間の明るい体ではなし、神尾の殿様を見つけたら知らせてくれと頼んだお方の、宇津木兵馬て人はどうやら敵持《かたきも》ちのようだから、ここの間で手管《てくだ》をするとうまい仕事ができそうだ。本所の相生町まではかなり大儀な道だけれども、慾と二人づれでは、さして苦にもならねえのさ。幸いここに一両ある、これをくずすのは惜しいけれども、大慾は無慾に似たりというのはつまりここだ、これを張り込んで景気よく、相生町まで駕籠を飛ばせることだ」
 金助は、ここでからりと心持が変って、廓《くるわ》をあとに大門を飛び出して、景気よい声で辻駕籠を呼びます。

         八

 その晩、宇津木兵馬は不意に、金助が尋ねて来たという案内で、何事かと思うと、
「夜分、こんなにおそく上って済みません。いや、驚きましたね、まだお休みにならず、ちゃんと袴《はかま》を着けて御勉強でございますか、恐れ入りました」
 言わでもの空口《からくち》を言って跪《かしこ》まり、
「まことに穏かならぬことが出来ましたから、それで取敢《とりあ》えず御注進に参りました」
と言って金助は、吉原で見た神尾主膳のことを遠廻しに話した上に、神尾から心づけを貰ったことの暗示をして、兵馬から若干《いくらか》の小遣《こづかい》にありついた上に、せき立つ兵馬を抑えて、わざとゆっくり構え込み、
「しかし、宇津木様、そうお急ぎにならずともよろしうございます、あの里へお入りになったものが、宵《よい》に来て宵に帰るというようなのはたんとございません、それよりか宇津木様、お忘れ物のないように、くれぐれも御用心をしていらっしゃいまし」
「これでよい、何も忘れ物はない」
「左様でもございましょうが、ほかへ参るのと違いまして、あの里へ参るんでございますから、御用心の上に御用心が肝腎《かんじん》でございます、その御用心が足りませんと、飛んだ恥を掻くようなことがあったり、またみすみす大事なものを取逃がすようなことがないとも限りません、あの里ばかりは別な世界でございますからな」
 遠廻しに言うけれども、やはり、その帰するところは同じようなことであります。
「なるほど」
 兵馬は、それを覚《さと》らないほどに迂闊《うかつ》ではありません。そこを金助が見て取って、
「何しろ、先方様は大籬《おおまがき》へ、茶屋からお上りになったんでございますからね、こちらもそのつもりで二十両や三十両がところは用意して参りませんと……」
 金助からそう言われて、兵馬はハタと当惑しました。兵馬の懐中にはその当座の小遣《こづかい》として、二三両の金を持っていたばかりです。「少なくとも二十や三十の金」と言われて兵馬は、金助の態度を憎らしく、図々しいものだと思ったが、
「それもそういうものか知らん、暫く待っていてくれ」
 何を考えたか、兵馬はこの一刻を急ぐ場合に、金助を一人そこへ残してこの間を立去りました。
 兵馬は老女の許しを得て、お松を廊下に呼び出して、
「お松どの、まことに申し兼ねるが無心がある……」
 廊下で立ちながら、苦しそうにこう言いました。
「何でございます、兵馬さん」
 お松は心配そうに兵馬の面《かお》を見ました。兵馬から折入ってこんな無心を言いかけるようなことは、今までにないことでありました。
「申しにくいことだけれども……」
 兵馬は二度まで苦しそうに前置をして、
「急にさしせまった入用《いりよう》が起った故、金子《きんす》を少々用立ててもらいたいが」
 兵馬から苦しそうにこう言われて、お松はかえって安心した様子であります。安心したのみならず、兵馬からこんな無心を言いかけられたことを、かえって嬉しく思うように見えました。
「わたしの持っているだけで、御用に立ちますならば……」
「それが大金というほどではないけれど、差当り少しばかり余分に欲しいのじゃ、二十両ほど」
「二十両」
 お松は繰返して、これも当惑の色が現われました。
「わたしの持っているのが、今、十両ほどありますけれど……」
「拙者《わし》は、僅かに二三両しか持合せがないので困っている」
「どうしましょうね。わたしのを差上げてまだ、大へんに足りないんでございますね、困りました」
 お松はせっかくの兵馬の無心を、充分に満足させることのできぬのを、ひとかたならず悶《もだ》えるように見えます。
「ともかく、それだけを借用したい、あとはまた何とか工夫するから……」
「お待ちなさいませ」
 お松は自分の部屋へ取って返して、紙入れに入れたままを兵馬の手に渡しながら、
「あとは、あの、わたしから御老女様へお願い申してみましょうか」
「御老女へ……それはいかん」
 兵馬は頭を振りました。
「でも、急なお入用《いりよう》ならば、わたしから御老女様へお願いしてみるのがいちばん近道と思います、快く聞き届けて下さるに違いありません」
「しかし、この金の入用な筋道は、御老女様には話せない」
「いったい、何に御入用なんでございます」
「実はそなたの前で言うのも恥かしいが、これから吉原まで行かねばなりませぬ」
「まあ、吉原へ、あんなところへ、これから?」
と言ってお松も、さすがに呆《あき》れたけれど、兵馬の吉原へ行くという意味は、そんなわけのものでないことを知っています。そうしてともかくも、相当の大金を持って、あの里へ行こうというのには、何か重い用向きのあることを察しないわけにはゆきません。それを自分にうちあけられてみると、どうしてもお松として、兵馬が望むだけの金を拵《こしら》えてやらねば済まない心持になりました。
「どういうわけか存じませんが、あなた様が、今時分、あの里までお出かけにならなければならないのは、定めて大事の御用と存じます、お金のお入用も一層大事のことと思いますから、吉原というようなことや、あなた様のことなんぞは少しも知らないようにして、御老女様から融通を願って参ります、他からお借り申すのと違って、御老女様からお借り申す分には、恥にも外聞にもなりは致しませぬ」
「それが困るのじゃ、吉原へ用向きというのはほかではない、そなたの以前|仕《つか》えていた神尾主膳殿が、あすこにいるということを、たったいま知らせてくれた人がある」
「まあ、神尾の殿様が?」
「知らせて来てくれたものの話には、神尾殿は茶屋から上って大籬《おおまがき》とやらに遊んでいるそうな。そこへ近づくには、自分も、やはり茶屋から案内を受けてその大籬とやらへ、上ってみねばならぬということじゃ。その時の用意は……二三十両の金を用意して行かぬと恥を掻くこともあるとやら。恥を掻くのは厭《いと》わぬとして、万一、それがために時機を失するようなことになっては残念」
「そうでございましたか。そうでございましょうとも。そういう場合ならば、充分の御用意をなすっていらっしゃらなければ、殿方のお面《かお》にかかるようなこともございましょう、よろしうございます、わたしから御老女様にお願い申しますから」
「それは堅くお断わり申す、事情はどうあろうとも、吉原へ行くために金を借りたということが後でわかると、御老女にも面目ない」
「兵馬さん、少しお待ち下さいませ、お手間は取らせませぬ、わたし、よいことを考えつきましたから」
 お松はこう言って兵馬を引留めておきながら、廊下をバタバタと駆け込んだところはお君の部屋でありました。
 お松はよいところへ気がつきました。お君の部屋へ飛んで行って手短かに、金の融通を頼むとお君は、なんの苦もなく二十両を用立ててくれました。
 両女の分を合せて三十両を借受けた宇津木兵馬は、それを懐中して、いざとばかりに金助を促してこの家を立ち出で、飛ぶが如くに吉原へ駕籠を向けました。

「お松さん」
 そのあとでお君は、何か心がかりがありそうにお松を呼び、
「そういうわけならば心配することはないようだけれど、なんだかわたしは気にかかってなりませぬ、御老女様には申し上げてはいけないと兵馬さんはおっしゃったそうですけれど、南条様や五十嵐様に御相談申し上げて、御様子を見に行っていただいたらどうでしょう」
 お君から勧められて、お松もその気になりました。

         九

 鐘撞堂新道《かねつきどうしんみち》に巣を食う大道芸人の一群。その仲間が自ら称して道楽寺の本山という木賃宿《きちんやど》。そこに集まった面々は御免の勧化《かんげ》であり、縄衣裳《なわいしょう》の乞食芝居であり、阿房陀羅経《あほだらきょう》であり、仮声使《こわいろづか》いであり、どっこいどっこいであり、猫八であり、砂文字《すなもじ》であり、鎌倉節の飴売《あめう》りであり、一人相撲であり、籠抜けであり、デロレン左衛門であり、丹波の国から生捕りました荒熊であり、唐人飴《とうじんあめ》のホニホロであり、墓場の幽霊であり、淡島《あわしま》の大明神であり、そうしてまた宇治山田の米友であります。
 歯力《はりき》や、鎌倉節や、籠抜けが、修行を済まして本山へ帰った夕方、阿房陀羅経や、仮声使いの面々は山を下って、市中へ布教に出かけようとする黄昏《たそがれ》。
「おいおい、芸州広島の大守、四十二万六千石、浅野様のお下屋敷へ、俺《おい》らのお伴《とも》をして行く者はねえかな」
 籠抜けの伊八は、商売道具の長さが六尺、口が一尺余りの籠を、右の小腕にかかえ込んで、誰をあてともなくこう言い出すと、
「芸州広島の大守、四十二万六千石、有難え、そいつは俺《おい》らが行こう」
 横になって寝ていた丹波の国から生捕りました荒熊が答えると、
「お前じゃあ駄目だ」
 籠抜けの伊八は、言下に荒熊を忌避しました。
 およそ大道芸人のうちでも、丹波の国から生捕りました荒熊の如き無芸で殺風景なものはない。自分の身体を墨で塗り、荒縄で鉢巻をし、細い竹の棒を手に持って、人の店頭《みせさき》に立ち、
「ヘエ、丹波の国から生捕りました荒熊でございッ、ひとつ、鳴いてお目にかける、ブルル、ブルル、ブルル」
 これが、荒熊の持っている芸当の総てであります。ほかの芸人は、それぞれ相当の苦心と、思いつきと、熟練とをもって相当の稼《かせ》ぎをするのに、この荒熊の芸といってはそれよりほかに何物もないから、籠抜けの伊八が一議に及ばずこれを忌避したのは無理もなく、忌避された当人もそれですましている。
「籠さん、あっしじゃあ、いかがでゲス」
 これから夜の稼ぎに出かけようとした阿房陀羅経の寸箆坊《ずんべらぼう》が、荒熊に代って口をかけてみると、
「おやおやお前も、四十二万六千石という格じゃあねえ、黙っておいで」
「おやおや」
 阿房陀羅経は苦笑《にがわら》いして出て行ってしまいます。
「何しろ、芸州広島の大守、四十二万六千石、浅野様のお下屋敷から、俺らの芸をお名ざしで御贔屓《ごひいき》だ、籠抜け一枚でも曲《きょく》がねえと思うから、誰かこの仲間にお相伴《しょうばん》をさせてやりてえと思うんだが、いずれを見ても道楽寺育ちだ、荒熊でいけず、阿房陀羅でいけず、そうかと言って縄衣裳の親方や、仮声使《こわいろづか》いの兄貴でも納まらねえ、なんとか工夫はあるめえかな」
 籠抜けの伊八は、なおそこにゴロゴロしている芸人どもを物色すると、
「それじゃあ、紅《べに》かんさんにお頼ん申したらよかろう」
「なるほど」
 紅かんさんと言い出すものがあって、籠抜けの伊八がなるほどと首を捻《ひね》ったが、
「紅かんさんなら申し分はねえけれど、紅かんさんは聞いてくれめえよ、あの人はこちとら仲間のお大名だから」
「そりゃそうだろう。そんなら新参の友兄いをひとつ、引張り出したらどうだ」
「なるほど、友兄いは思いつきだな」
 籠抜けの伊八は、ようやく得心《とくしん》がいったと見えて、急に元気づいて、
「友兄い、友兄いはいねえか」
 大きな声をして後ろを顧みながら、呼んでみたが返事がありません。
「友兄い、籠さんが呼んでるよ」
 集まった者共が、声を合せて呼んでみたけれども、友兄いなる者は、返事もしなければ姿も現わしません。蓋《けだ》しその友兄いなるものは宇治山田の米友のことです。
 呼んでみたけれども、友兄いなるものは返事もせず、姿も見せないし、探してみてもこの家におり合せないことがわかりました。それから後、籠抜けの伊八は、誰をつれて行くことになったか、昼の疲れで寝込んでしまったのに、米友はそこへ帰って来た模様はありません。
 芸州広島の大守も、四十二万六千石も、肝腎《かんじん》の当人がいないでは、お流れになるよりほかはありませんでした。しかし、米友はただいまここに居合せないまでも、昨今この道楽寺に身を寄せていることだけは、疑いのないことの証拠があります。
 米友はここへ身を寄せて、それらの芸人の仲間に加わって、独得の芸当をして折々、人通りの多い大道に面《かお》を曝《さら》すことを、たしかに見届けた者があります。
 論より証拠、今宵カンテラを点《とも》して、浅草の広小路で梯子芸《はしごげい》をやっているその人が、宇治山田の米友であります。
「さあ、退《ど》いていろ、もう一遍やって見せるからな。危ねえ、子供は遠くへいってろ、怪我《けが》あするとよくねえからな。さあ、これから宙乗りをはじめる」
 紺の股引《ももひき》腹掛《はらがけ》を着た米友は、例の眼をクリクリさせて、自分のまわりを取捲いている群集を見廻し、高さ一丈二尺ほどある漆塗《うるしぬ》りの梯子を大地へ押し出して、それに片手をかけました。
「ちっとばかりことわ[#「ことわ」に傍点]っておくがね、俺《おい》らはこの通り片足が少し悪いんだ、左の足は自由が利くけどな、右の足は人並でねえんだ、その左の一本でこの梯子へ上って芸当をやって見せようというんだから、骨が折れらあ」
「アイアイ、左様でごさい」
 見物の中からこんなことを言い出すものがあったから、見物人一同が哄《どっ》と吹き出しました。吹き出さないのは当人の米友一人だけです。
「冗談《じょうだん》じゃねえ、芸をやる時はこれでも俺らは真剣なんだ、冷《ひや》かしたり、交《まぜ》っ返したりすると芸に身が入らねえや、芸に身が入らなければ、見ている奴も面白くねえし、やっている当人も面白くねえや、どっちも面白くねえものをやって見せるも詰らねえから、俺らは宙乗りをやめて帰るよ」
「なるほど、理窟だ、怒らねえでやってくんな、こっちも真剣で見ているんだからな。それ兄さん、お志だよ」
 見物の中からこう言って、バラリと銭を投げ込んだものがありました。
「有難え」
と言って米友は、足許に転がっていた蕎麦《そば》の笊《ざる》に柄をすげたようなものを、左の手で拾い取ると見れば、その投げた銭をらくにその中へ受け入れて、右の手ではやっぱり梯子を押えています。投げ銭を受けることは本来この男の本芸であるが、今はホンの前芸にやって見せた手際《てぎわ》、その鮮《あざや》かさが、見物の気に入ったものらしく、
「兄さん、怒っちゃいけねえ、それ、しっかり[#「しっかり」に傍点]頼むよ」
 つづいてバラリと投げる銭の音。
「有難え……」
 受笊《うけざる》をそっと動かすと、誂《あつら》えたように銭はその中へザラリと落ちます。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
 またバラリと投げる銭の音。それからひきつづいて、前後左右から面白がってバラリバラリと投げる銭を、一つところにいて、片手では梯子を押えながら、右に左に手をのばし、前や後ろへ身を反《そら》して、受笊一つへザラリザラリと受け入れて、その一銭をも土地の上へ落すことではありません。
「うめえもんだな、あれだけで一人前の芸当だ」
 面白がって投げる見物と、面白がって米友の銭受けを見てやんやと言っている見物。そのうちに米友は、
「もういい、このくらいありゃあ、もうたくさんだから投げるのをよしてくれ……」
 銭受けの笊を下に置いた米友は、片手で押えていた梯子の両側を、両の手で持ち換えて、
「エッ」
と気合をかけると、高さが一丈二尺あって、桟《さん》が十段ある梯子の頂上まで、一息に上ってしまいました。見物が、
「アッ」
と言っている間に、そのいちばん上の桟へ打跨《うちまたが》って尻を下ろした米友は、巧みに調子を取りながら、眼を円くして見物を見下ろしました。
 ここで後見《こうけん》がおれば、太夫さんのために面白おかしく芸当の前触れをして看客《かんきゃく》を嬉しがらせるだろうけれど、米友にはさっぱり後見が附いていません。太夫自身にも、見物を嬉しがらせるようなチャリ[#「チャリ」に傍点]が言えないから、ただ眼を円くして見下ろしているばかりです。
 いちばん上の桟へ踏跨《ふみまたが》った米友は、そこで巧みに中心を取ってはいるが、それを下から見るとかなり危なかしいもので、大風に吹かれるように右へ左へゆらゆらと揺れます。
 暫らく中心を取っていた米友は、
「エッ」
と二度目の気合で、両の手に今まで腰をかけていた桟の板をしっかりと握り、その上体を右へ捻《ひね》ると見れば、筋斗《もんどり》打ってその身体《からだ》は桟の上へ縦一文字に舞い上りました。
「アッ」
 見物が舌を捲いている間、米友はその恰好《かっこう》で梯子の中心を取りました。やはり惜しいと思われるのはせっかくのキッカケに、後見も入らなければ、三味線太鼓も鳴らないことであります。暫くその恰好をつづけた米友は、
「エッ」
と気合を抜くと、また元の形に逆戻りして桟の板に腰を下ろして、崩れかかる梯子の中心を、いいかげんのところあたりで、パッと食い止めて元へ戻して納まりました。
「アッ」
 それで見物は手に汗を握る。取敢えずこれだけの前芸は、米友がエッと言えば、見物がアッというだけの景物《けいぶつ》でありました。やはり、軽口を叩く後見がこの辺へ入らなければ、太夫さんもやりにくかろうし、合《あい》の手《て》が間《ま》が抜けるだろうという心配は無用の心配で、米友は米友らしい一人芸で、客を唸《うな》らすことができるものと認められます。
「さあ、これから、そっちの方へ歩き出すよ、歩きながら、またちっとばかり芸当をして見せる、弘法大師は東山の大の字……」
 自分で口上を述べました。今度は別段に気合をかけないで、桟をつかまえた手と、腰に力を入れるとその呼吸で、梯子は米友を乗せたまま、ヒョコヒョコと動き出して、取巻いた群集の近くへのり[#「のり」に傍点]出します。
「逃げなくってもいい、お前たちの頭の上へブッ倒すようなブキな真似はしねえから、安心して見ているがいい、俺らの方は心配はねえが、後ろの方と前横を気をつけてくんな、江戸には、巾着切《きんちゃくき》りというやつがいる、人が井戸ん中へ入ってる時でもなんでもかまあずに、人の物を盗るような火事場泥棒がいる」
 米友はこう言って、見物にスリと泥棒とを警戒したつもりのようでしたが、井戸の中へ入っている時に、火事場泥棒が出るといった米友の論理は、見物にはよく呑込めませんでした。たしか梯子芸をしているから、それで火事場泥棒を持ち出したのだろうと察したものなどは、血のめぐりのよい方でありました。大部分はその口上なんぞに頓着なく、これからまた梯子の上の一番にとりかかろうとする米友の姿を、固唾《かたず》を呑んで見上げました。
 米友の梯子乗りの芸当は、大道芸としては珍らしいものであります。通りかかるものは立ちどまり、立ちどまったものは引きつけられて、そのあたりは人の山を築きました。この後、彼がどういう芸当をするかを固唾を呑んでながめていた時分に、群集の一角がどよめいて、
「お通りだ、お通りだ」
 東橋《あずまばし》の方から一隊の大名の行列が、こっちへ向いてやって来るのであります。
「それ、お通りだ、お通りだ」
と言って、早く気のついたものはどよめきましたけれども、前の方に、米友の梯子芸に見惚《みと》れていた者は気がつきませんでした。
 通りかかったのは、大名のうちでも大きな大名の行列らしくあります。お供揃いはおよそ三百人もあると見受けられます。御駕籠脇は黒蝋《くろろう》の大小さした揃いの侍が高端折《たかはしおり》に福草履《ふくぞうり》と、九尺おきに提《さ》げたお小人《こびと》の箱提灯が両側五六十、鬼灯《ほおずき》を棒へさしたように、一寸一分の上《あが》り下《さが》りもなく、粛々として練って来ました。
 この大名行列のためにあわてて道をよけた人は、遠くの方からいろいろと噂をはじめる。
「御定紋《ごじょうもん》は、たしかに抱茗荷《だきみょうが》のようでございましたね、抱茗荷ならば鍋島様でございます、佐賀の鍋島様、三十五万七千石の鍋島様のお通りだ」
と言う者がありました。
「いいえ、抱茗荷じゃござんせん、たしかに揚羽《あげは》の蝶でございました、揚羽の蝶だから私は、これは備前岡山で三十一万五千二百石、池田信濃守様の御同勢だと、こう思うんでございます」
 一方からはこんな申立てをするものがある。
「ナニ、そうではござんせん、たしかに抱茗荷、肥前の佐賀で、三十五万七千石、鍋島様の御人数に違いはございません」
「いいえ、揚羽でございましたよ、備前の岡山で、三十一万五千二百石……」
 今までそれとは気がつかないでいて、不意にこの同勢を引受けた人、ことに屋台店の商人《あきんど》などは、狼狽して避《よ》けるところを失う有様でありました。この場合に邪魔になるのは、米友を中心として、梯子芸に夢中になっている見物の一かたまりであります。
「叱《しっ》!」
 先棒が叱ってみたけれど、その一かたまりを崩すにはかなりの時がかかります。後ろの方は気がついても、前の方は全く知らないのであります。尋常ならば、強《し》いてその一かたまりを崩すことなくして通行にさしつかえないはずであったのを、そのお供先はどういうつもりか、米友を囲んだ一かたまりの中へ突っ込んで来ました。
「おやおや、お通りだ、お通りだ」
 はじめて気のついた連中が、驚いて逃げ出したのを、梯子の上で米友は、じっとながめていたが何とも言いません。遠慮して、芸を中止して、このお通りになるものをお通し申して、それから再び芸を始めるのかと思うと、そうでもありません。
「さあ、これから梯子抜けというのをやって見せる……」
「控えろ!」
 大名のお通りには頓着なく、米友が梯子抜けの芸当にとりかかろうとする時に、お供先の侍が、癇癪玉《かんしゃくだま》を破裂させたような声で、見物は、はっと胆《きも》をつぶしました。
 大名のお供先は、米友を中心として、見物の一かたまりが思うように崩れないのが、よほど癪に触ったと見え、物をも言わずにそれを蹴散らしたから、見物のあわて方は非常なものでありました。
 かわいそうに、そのあたりに夜店を出していたしるこ[#「しるこ」に傍点]屋は、このあおりを食って、煮立てていた汁と、焼きかけていた餅を載せた屋台を、ひっくり返されてしまいます。沸騰《たぎ》っているしるこ[#「しるこ」に傍点]の鍋は宙に飛んで、それが煙花《はなび》の落ちて来たように、亭主の頭から混乱した見物の頭上に落ちて来ましたから、それを被《かぶ》ったものは大火傷《おおやけど》をして、
「アッ」
と言いながら頭や顔を押えて、苦しがって転がり廻りました。
 前の方の連中は、喧嘩でも起ったのか知らと振返って見ると、
「あッ、お通りだ」
 喧嘩ならば頼まれないでも、弥次に飛び出して拳を振り廻す連中が、大名の行列と気がついて、悄気返《しょげかえ》って逃げ出しました。
 梯子に跨《またが》ってさいぜんから、この様子を見ていた米友は、キリキリと歯を噛み鳴らして、丸い眼を据えて、狼藉《ろうぜき》を働く侍――いくら人集《ひとだか》りがあるといったからとて、遠慮すればその外を通れない道ではないのに、こうして人間を蹴散らし、踏倒して通る大名行列というやつの我儘《わがまま》と、その我儘を助けるお供の侍どもの狼藉を見ると、口惜《くや》しさに五体が慄えました。
 いったい、このごろの米友は、殿様とか大名とかいうものを、心の底から憎み出しているのであります。殿様とあがめられ、大名と立てられる奴等、その先祖が、どれだけ国のために尽し、人のために働いたか知らないが、今の多くの殿様というやつは薄馬鹿である。その薄馬鹿を守り立てて、そのお扶持《ふち》をいただいて、士農工商の上にいると自慢する武士という奴等が、癪にさわっているのであります。米友の眼には、一人の殿様とやらが歩くのに、二百人も三百人も大の男がそのまわりにくっついて歩かねばならぬことの理由《わけ》がわからないのであります。その上に、こうしてせっかく市民が面白く見物をしたり、遊楽をしたりしている最中を、大手を振って押通り、押しが利かないと、この通り乱暴狼藉を働いて突破する、その我儘が通ることの理由もわからないのであります。それのみならず、この我儘と乱暴狼藉とを加えられながら、平生は人混みで足を踏まれてさえも命がけで争うほどの弥次馬が、意気地なくも、それお通りだ、鍋島様だ、三十五万石だ、池田様だ、三十一万石だと言って、恐れ入ってしまうことが分らないのであります。
 しるこ[#「しるこ」に傍点]の鍋を覆《くつがえ》されて、面《かお》や小鬢《こびん》に夥《おびただ》しく火傷《やけど》をしながら苦しみ悶えている光景を見た時に、米友の堪忍袋《かんにんぶくろ》が一時に張り切れました。
「ばかにしてやがら」
 梯子の上から一足に飛び下りました。飛び下りると共に、人の頭を渡って行って、拳を固めて手当りの近いところの侍の頭を、続けざまに三ツばかりガンと撲《なぐ》りました。
「手向いするか、無礼者」
 その侍が胆をつぶした時分には、米友はつづいて二人三人目ぐらいの侍の頭を片っ端から、ポカポカと撲って歩きました。その挙動の敏捷なこと。
 アッというまに、ものの十人も、つづけてお供先の侍を撲った時に、この大大名の行列は、
「狼藉者《ろうぜきもの》、お供先を要撃する賊がある」
ときいた時は、米友の姿はもう見えません。
 水瓜《すいか》を並べて置いて、そのなかをみつくろって撲ったつもりで米友は、少しばかり溜飲《りゅういん》を下げて、行列の崩れたのを後ろに、今度は群衆の足許を潜《くぐ》って元のところへ走り込むと、その梯子《はしご》を横にして肩にかけ、銭受けの笊《ざる》を腰に差し、
「ざまあ見やがれ」
と言って、一散にその場を走《は》せ出しました。
「あれだ、あれだ、あれが行列へ無礼を加えた奴だ、狼藉者を取押えろ」
 後ろから米友を、追いかけて来るものがあるようです。
「どっちが無礼で、どっちが狼藉なんだ、取押えろも出来がいいや」
 米友はせせら笑いながら、それでも取押えられては詰らないと思って一散に逃げました。弥次馬というものは変なもので、今、鍋島様やら池田様やらのお通りへ無礼を加えたものがあって、それが逃げ出したと聞くと、纏《まと》まって米友をめあてに追蒐《おいか》けて来るらしいのであります。それがために竹屋の渡しの方へ逃げようと思っていた米友は、伝法院の前に逃げ込んでその塀に突き当りました。弥次馬はワイワイ言って、あとから追いかけて来るもののようです。
 そこで米友は、突き当った伝法院の塀へ、肩に引っかけていた梯子をかけてスルスルと上りました。
 米友が伝法院の塀へ上り終った時分に、弥次馬がその塀の下へ押しかけて来てワイワイと言って噪《さわ》ぎます。
 塀へ上ると米友は、その梯子を上からグッと引き上げて、また肩にかけて塀の上をトットと駈け出しました。
「それ、そっちへ行った、こっちへ来た」
 弥次馬は誰に頼まれて、何のために米友を追いかけて来たのだかわかりません。
 米友は追いかける弥次馬を尻目にかけて、塀の上をトットと渡って歩いたが、やがて塀から蛇骨長屋《じゃこつながや》の屋根の上へ飛びうつりました。長屋の屋根の下の者は驚いて外へ飛び出して、弥次馬と一緒になって騒ぐ時分には米友は、そこから飛び下りて淡島様《あわしまさま》の方へ一散に走って行きます。
 そこで弥次馬に弥次馬が重なってくると、米友を追いかける事の理由が、いよいよわからなくなってしまいました。ただ追蒐《おいか》けるがために追蒐ける人間が、雲のように米友のあとを慕って来るのであります。
「何でございます」
「泥棒でございましょうよ」
「何の泥棒でございます」
「梯子を持っているから、半鐘の泥棒でございましょうよ」
というのはまだ出来のよい方でありました。この非常の場合においても、梯子を抱えて走るというのは、米友が商売道具を大切にする心がけと、それから証拠を残しては後日のために悪いという用心とのほかに、これを持っていることが逃げるのにかえって都合がよいからであります。
 追われて行詰った時は、その行詰った塀なり軒なりへそれを倒しかけてスルスルと上って行きます。弥次馬が追いついた時分には上からそれを引き上げて、裏へ飛んで下りたり横へ走ったりします。こうして米友は、淡島様から浅草寺《せんそうじ》の奥山へ逃げ込み、奥山から裏の田圃《たんぼ》へ抜けました。田圃へ来て見ると、もう追いかける人もあとが絶えたようであります。
 どのみち、本所の鐘撞堂へ帰るべき身であるけれども、遠廻りをして帰らねばならぬと思って、四方《あたり》を見廻して突立っていました。米友はまだこんなところへ来たことはないから、そこで暫らく方角を考えて立っていました。
 田圃の真中に立って米友は、ここで梯子の必要がなくなってみると、どう処分するか。それは心配するほどのものはなく、無雑作《むぞうさ》に梯子の一端に手をかけると、それを二つに折ってしまいました。それは本来折れるように出来ている梯子で、二つに折ったのをまた四つに畳みました。なんでもないことで、こうして米友の梯子は折畳みができるようになっている。四つに畳んでしまった後に、桁《けた》は桁、桟《さん》は桟で取り外して、それを一まとめにして、懐中から麻の袋を取り出して、それで包んで背中へ無雑作に投げかけました。物事は他《はた》で見るほど心配になるものではなく、どうするかと見ていた梯子の問題は、米友の一存で手もなく片づけてしまいました。
 その畳梯子を背中に背負った米友は、手拭を出して頬冠《ほおかぶ》りをして、尻を引っからげてスタスタと田圃道を歩き出しました。
 ここで地の理を見ると、右手は畑、左は田圃になっていました。右の方は畑を越して武家屋敷から町家につづいているものらしく、左の方を見ると、そこに一廓《いっかく》の人家があって、あたりの淋しいのにそこばかりは、昼のようにかがやいているのを認めます。
「おい、駕籠屋《かごや》」
 後ろから呼びかけたものがあります。
「駕籠屋?」
 米友は振返ると、二三人づれの侍らしくあります。
「やあ、駕籠屋ではなかったか」
 米友の姿を見て行き過ぎてしまいました。米友は、自分が駕籠屋に間違えられたと思って怪訝《けげん》な面《かお》をして、それをやり過ごしてしまうと、
「もし、旦那、吉原までお伴《とも》を致しやしょう、大門《おおもん》まで御奮発なせえまし、戻りでございやすよ」
 この声は駕籠屋であります。前には駕籠屋と間違えられて、今度は駕籠屋から呼び留められました。
「おやおや、子供か、お客様じゃあねえんだ」
 駕籠屋はこう言って、米友を通り抜いてしまいました。
 ここをいずれとも知らず、わざとウロウロ歩いていた米友。今の駕籠屋の間違って勧めた言葉によって、
「ああ、そうか、あれは吉原だな」
と感づきました。吉原の名は、さすがに米友も国にいる時分から聞いていないことはない。幸い、道草を食って行くには、あの吉原を一見物して来るに越したことはないと、ここで米友は、その明りのする一廓をめあてにして進んで行きました。

         十

 宇津木兵馬は万字楼の東雲《しののめ》の部屋に、東雲を相手にして碁を打っていました。
 兵馬のここへ来た目的は、この花魁《おいらん》を相手に碁を打つことではありません、万事は金助の取計らいであります。
 神尾主膳は、同じ家の唐歌《からうた》という遊女の部屋に納まって、太夫《たゆう》と禿《かむろ》とを侍《はんべ》らせて、朱《あか》い羅宇《らう》の長い煙管《きせる》で煙草をふかしていると、慌《あわただ》しく、
「白妙《しろたえ》さんのお客様が、御急病でいらっしゃいます」
「ナニ、藤原が急病?」
 神尾主膳は、その急報をきいて煙管を投げ捨てて立ち上りました。新造《しんぞ》を先に立てて、白妙の部屋へ駈けつけて、
「藤原、どうした」
 神尾は人をかきのけて中へ入って見ると、夜具の上に俯伏《うつぶ》しに倒れているのは机竜之助であります。そうして蒲団《ふとん》の敷布の上には夥《おびただ》しい血汐《ちしお》のあとがありました。
 神尾はそれを見ると、ああ、この男はここで自殺したのかと思いました。
「これ、気を確かに持て」
 近寄ってその背に手をかけた時に、それは決して自殺したものでないことを知りました。そこに迸《ほとばし》っている夥しい血汐は、その鼻口《はなくち》から吐いたものであって、刃を己《おの》れの身に当てて切って出したものでないことは直ぐにわかりました。
「うむ、神尾殿」
「病気か、苦しいか」
 竜之助の横面《よこがお》を見ると、死人のように蒼ざめていました。
「水を飲ましてくれ」
「うむ、水か、そら、水を飲め、しっかりと気を持たなくてはいかん」
「いや、もう大丈夫」
 竜之助は落着いたらしいが、神尾は焦立《いらだ》って、
「これ、貴様たちは何をしているのだ、早く医者を呼ばんか、医者を呼べ」
「医者はよろしい、医者を呼ぶには及ばない」
と苦しい中から竜之助は、医者を呼ぶことを断わります。
「しかし……」
「医者は要らぬ、ただ、静かなところで暫く休ませてもらいたい、誰も来ないところへ入れて置いてくれさえすれば、やがて癒《なお》る」
 竜之助の望む通り静かな一室へうつされ、医者も固く断わるから、強《し》いて呼ぶこともしませんでした。花魁《おいらん》も禿《かむろ》も誰も来ない中に、ゆっくりと休みたいということであったから、これもその意に任せました。
 部屋の者を差図して、竜之助を介抱させた神尾主膳は、自分の部屋へ引返したが、浮かぬ面色であります。親の敵《かたき》呼ばわりをする者が来ていると言って、自分に不快の思いをさせた金助の告げ口といい、この場の急報といい、なんとなく不安の思いが満ちて、部屋へ帰っても四方《あたり》が白《しら》けてなりません。
 やむなく酒をあおりはじめました。多く酒を飲めば酒乱に落ちることを知っておりながら、なんとなしに酒を飲みたくなりました。
「白妙《しろたえ》も一座へ招いて、芸者を呼んで、もう一騒ぎしよう、そして今夜はほどよく切り上げて拙者は帰る」
 酒が進むと主膳は、陽気に一騒ぎしたくなりました。
 兵馬と東雲《しののめ》の第二局目の碁は、危ないところで兵馬が五目の勝ちとなりました。その時分に、
「白妙さんの部屋で心中」
という噂がここまで伝わって来る。
「心中? まあいやな」
と言って東雲は、眉をひそめました。
「心中ではございません、白妙さんのお客様が御急病なのでございます」
 そこへ新造が報告に来てくれたから、東雲の胸も鎮まりました。
「今度は勝負でございますね、もうお一手合《ひとてあわ》せ、お願い致しましょう」
 東雲は惜しいところで負けたのが、思いきれないようであります。
 兵馬は、それどころではない。碁のお相手は、もう御免を蒙りたいのであります。けれども東雲はいよいよ熱くなって、
「どうぞ、もう一石《いっせき》」
 東雲は、兵馬の心持も知らないで戦いを挑《いど》むから、兵馬も詮方《せんかた》なしに、
「今度は負ける」
 やむを得ず、碁笥《ごけ》の蓋を取りました。
 この時に、万字楼の表通りが遽《にわか》に噪《さわ》がしい人声であります。第三局の碁を打ちはじめようとした兵馬も、東雲も、新造も、その噪がしいので驚きました。新造が立って表の障子を細目にあけて、楼上から見下ろしてハタと締め切り、
「茶袋が参りましたよ、茶袋が」
「おや、歩兵さんがおいでになったの、まあ悪い時に」
と言って、東雲の美しい眉根に再び雲がかかりました。
「茶袋とは何だ」
 兵馬が新造にたずねると、
「歩兵さんのことでございます」
「ああ、このごろ公儀で募った歩兵のことか、あの仲間には乱暴者が多いそうじゃ」
「どうも困ります、あの歩兵さんたちは弱い者いじめで困ります、わたくしどもの方や、芝居町の者は、みんな弱らされてしまいます」
 兵馬は往来に面するところの障子を開いて見下ろすと、なるほど、かなり酔っているらしい一隊の茶袋が、この万字楼の店前《みせさき》に群がっている様子であります。様子を聞いていると、どうやらこの楼《うち》へ直接談判《じかだんぱん》をして、この一隊が登楼しようとする。店ではなんとか言葉を設けて、それを謝絶しようとしているものらしく聞えます。
「我々共を何と心得る、神田三崎町、土屋殿の邸に陣を置く歩兵隊じゃ、ほかに客があるなら断わってしまえ、部屋が無ければ行燈部屋でも苦しくない」
「どう致しまして」
 茶袋は執念《しゅうね》く談じつける。店の者はそれを謝絶《ことわ》るに困《こう》じているらしくあります。

         十一

 宇治山田の米友が吉原へ入り込んだのは、ちょうどこの時分のことであります。
 米友は頬冠《ほおかぶ》りをして、例の梯子くずしを背中に背負《しょ》って、跛足《びっこ》を引き引き大門《おおもん》を潜りました。土手の茶屋で腹はこしらえて来ているし、懐ろには、さきほど浅草広小路で集めた銭が充分に入れてあるから、さのみ貧しいというわけではありません。
 米友が吉原の大門を潜ったのは、申すまでもなく今宵が初めてであります。その見るもの聞くものが、異様な刺戟を与え、その刺戟がまたいちいち米友流の驚異となり、咏歎《えいたん》となり、憤慨となるのは、また申すまでもないことであります。米友が眼を円くして進んで行くと、ふと自分の前を、尖《とが》った編笠を被《かぶ》って肩に手拭をかけて、襟に小提灯をつるした三人一組の読売りが通ります。
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしき京都は三条小橋縄手《さんじょうこばしなわて》池田屋の騒動」
「おや、池田屋騒動って何でしょう」
「稲荷町に池田屋という呉服屋さんがあってよ」
「呉服屋さん? その呉服屋さんがどうしたの」
「どうしたんですか、縄付になったんでしょう」
「縛られてしまったの」
「そうでしょう、縄で縛られたと言っているじゃありませんか」
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしい京都は三条小橋縄手の池田屋騒動……」
「稲荷町の呉服屋さんじゃありませんよ、京都三条と言ってるじゃありませんか」
「そうですね、三条小橋縄手というところなんでしょう、縄付ではなかったのね」
「京都の池田屋さんというのでしょう、京都の騒動をどうしてここまで売りに来るんでしょうね」
「どうしてでしょう、きっとその池田屋さんに悪い番頭があって、お駒さんのような綺麗《きれい》なお嬢さんがあって、それから騒動が起ったといったような筋なんでしょう」
「わたしもそう思ってよ、お駒さんはかわいそうね」
「ほんとにお駒さんはかわいそうよ、言うに言われぬ訳《わけ》あって、夫殺しの咎人《とがにん》と、死恥《しにはじ》曝《さら》す身の因果、ふびんと思《おぼ》し一片の、御回向《ごえこう》願い上げまする、世上の娘御様方は、この駒を見せしめと、親の許さぬいたずらなど、必ず必ずあそばすな……」
「よう、よう」
「買ってみましょうか」
「エエ、新撰組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹《ながそねにゅうどうおきさとこてつ》の一刀を揮《ふる》い、三十余人を右と左に斬って落した前代未聞《ぜんだいみもん》の大騒動、池田屋の顛末《てんまつ》が詳しくわかる」
「おやおや、お駒さんじゃありませんよ、京都へ鬼が出て三十人も人を食ったんですとさ」
「これこれ、読売り」
「へえ、へえ」
「一枚くれ」
「はい、有難うございます」
 覆面した浪士|体《てい》の二人連れの侍が、読売りを呼び留めてその一枚を買いました。
「エエ、これはこのたび、京都は三条小橋縄手池田屋の騒動、新選組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹の一刀を揮い、三十余人を右と左に斬って落した前代未聞の大騒動、池田屋騒動の顛末が委《くわ》しくわかる……」
「ははあ、こりゃ手紙のうつしだ、通常の読売りとは違って、手紙そのままを摺《す》ったものじゃ。手紙というのは近藤勇が、池田屋騒動の顛末を父の周斎に送った手紙じゃ。こりゃかえって面白い」
 浪士体の二人は、かえってその手紙の摺物《すりもの》を喜びました。
 せっかく買おうと思った娘たちは、鬼だの人を食ったのということで怖気《おじけ》が立って、手を引いてしまいました。
 それを聞いていた米友の好奇心は、かなり右の読売りの能書《のうがき》で刺戟されました。米友は新撰組だの近藤勇だのということは、よく知ってはいませんでした。しかし、この時代において、到るところで相当の噂になるほどのことが、まるっきり米友の耳に入らないというはずもありません。近藤勇という人は、人を斬ることが名人だという評判も耳にしないではありませんでした。それを今ここで、「京都は三条小橋縄手の池田屋へきりこんで長曾根入道興里虎徹の一刀を揮《ふる》い、三十余人を右と左にきって落した前代未聞の大騒動」
とこんなに誇張されてみると、米友もまた武芸の人であります。一枚買ってみようと思った時に、右の浪士体の二人に先《せん》を越されてしまいました。
「おい、お武士《さむらい》さん」
 いま、読売りを買った浪士体の男を、米友が呼びかけると、
「何だ」
「その池田屋騒動の読売りというやつを、読んで聞かしておくんなさいな」
「ナニ、これを呼んで聞かしてくれと言うのか」
 子供かと見れば子供ではなし、炭薪《すみまき》の御用聞でもあるかと見れば、そうでもなかりそうだし、豆絞《まめしぼ》りの頬かぶりをしたままで人に物をこうとは、大胆なような、無邪気なような米友を、二人はしばらく熟視して、
「これが聞きたいか、よし、読んで聞かせてやろう」
 それから水道尻の秋葉山《あきばさん》の常燈明の下の腰掛に、二人の浪士体の男は腰をかけて、米友はそれから少し離れたところに、崩し梯子と尻を卸《おろ》して蹲《うずくま》っていました。
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「京都お手薄と心配致し居り候折柄、長州藩士等追々入京致し、都に近々放火砲発の手筈《てはず》に事定まり、其虚に乗じ朝廷を本国へ奪ひたく候手筈、予《かね》て治定致し候処、かねて局中も右等の次第之れ有るべきやと、人を用ひ間者《かんじゃ》三人差出し置き、五日早朝怪しきもの一人召捕り篤《とく》と取調べ候処、豈図《あにはか》らんや右徒党一味の者故、それより最早時日を移し難く、速かに御守護職所司代にこの旨御届申上げ候処、速かにお手配に相成り、その夜五ツ時と相触れ候処、すべて御人数御繰出し延引に相成り移り候間、局中手勢のものばかりにて、右徒党の者三条小橋縄手に二箇|屯《たむろ》いたし居り候処へ、二分に別れ、夜四ツ時頃打入り候処、一ケ所は一人も居り申さず、一ケ所は多勢潜伏いたし居り、かねて覚悟の徒党のやから手向ひ、戦闘|一時《いっとき》余の間に御座候……」
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「なるほど」
 この二人の浪士もまた、米友並みに、何かわざわざ時間を潰《つぶ》す目的のためにここへ入り込んだものとしか思われません。そうでなければ、いくら物好きだからといって、米友を相手にこうして、摺物《すりもの》を読んで聞かせるはずがありません。
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「……折悪《をりあし》く局中病人多く、僅々三十人、二ケ所の屯所に分れ、一ケ所、土方歳三を頭として遣はし、人数多く候処、其方には居り合ひ申さず、下拙《げせつ》僅々人数引連れ出で、出口を固めさせ、打入り候もの、拙者初め沖田、永倉、藤堂、倅《せがれ》周平、右五人に御座候、かねて徒党の多勢を相手に火花を散らして一時余の間、戦闘に及び候処、永倉新八郎の刀は折れ、沖田総司刀の帽子折れ、藤堂平助の刀は刃切《はぎれ》出でささらの如く、倅周平は槍をきり折られ、下拙刀は虎徹故にや無事に御座候……」
[#ここで字下げ終わり]
「なるほど」
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「実にこれまで度々戦ひ候へ共、二合と戦ひ候者は稀に覚え候へ共、今度の敵多勢とは申しながら孰《いづ》れも万夫不当の勇士、誠にあやふき命を助かり申候、先づは御安心下さるべく候……」
[#ここで字下げ終わり]
「なるほど」
 米友はしきりに感心して、近藤勇がはるばる京都から、江戸にいる養父周斎の許《もと》へ宛てたという手紙のうつしを、読んでもらって聞いてしまいました。
 その途端《とたん》に、江戸町一丁目あたりで、つづけざまに二発の鉄砲が起りました。
 米友も驚いたが、二人の浪士も驚いて立ち上ります。
 この時分、万字楼の前で、十余人の茶袋がみんな刀を抜いて振り廻し、多数の弥次馬がそれを遠巻きにして、一人残さずやっつけろと叫んでいる光景は、かなりものすさまじいものでありました。
 その最中、取巻いた群集の後ろで不意に二発の鉄砲が響きました。それと共に哄《とき》の声を上げて一隊の歩兵が――どこに隠れていたものか知らん、刀を抜いて群衆の後ろから無二無三にきり込んで来たので、吉原の廓内《くるわうち》が戦場になりました。
 酒宴半ばにこの騒ぎを聞いた神尾主膳は、さすがに安からぬことに思いました。
 そこへ、主人が飛んで来て、
「ごらんの通りの始末でございます、お客様に万一のお怪我がありましては、申しわけのないことでございます、何卒、この間にお引取り下さいますよう、御案内を申し上げまする。あれは歩兵さん方でございます、はじめに参りましたのが土屋様のお邸の歩兵さん、あとから鉄砲を持って参りましたのが西丸の歩兵さん、今にもこれへ押上って参ることと思います、お腰の物、お懐中物、残らず次へ持参致させました」
「小癪《こしゃく》にさわる奴共」
とおこったけれども、彼等を相手に争う気にもなれません。
 こうして避難させられたお客は神尾主膳だけではなく、この夜、万字楼に登った客は、いちいちこうして避難させられました。
 相当に身分のあるものもあり、相当に勇気のあるものもあったろうけれど、誰ひとり残って、歩兵を相手に取ると頑張るものはありません。すすめられるままに、裏手や非常口から避難してしまいました。宇津木兵馬も無論その一人です。
「金助」
 非常口で兵馬は、金助を見かけたから呼びかけると、
「宇津木様、驚きましたな」
「神尾殿はどうした」
「へえ、神尾の殿様は、もう茶屋へお引取りになってしまいました」
「その茶屋へ案内しろ」
「よろしうございます」
 金助は兵馬の先に立って走る。
「茶屋はどこだ」
「たしかこの辺でございましたっけ」
「ナニ、たしかこの辺、貴様はその茶屋を知らんのか」
「茶屋から送られて参りますまでの途中で、お目にかかったんですから……」
「では、確《しか》としたことはわからんのじゃな」
「何しろこの通りの騒ぎでございますから、顛倒《てんとう》してしまいました」
「この騒ぎはいま始まったことだ、神尾殿を見逃さぬよう、用心を頼んでおいたのはそれより前のことじゃ」
「それは、お頼まれ申したに違いございません、いまお知らせ申そうか、少し後にした方が都合がよいだろうかと思っているうちに、この騒ぎでございましたから」
「金助、貴様は頼み甲斐のない奴だ」
「そういうわけではございませんけれど、何しろこの通りの騒ぎで……」
「何のために拙者《わし》をここまで連れて来たのじゃ」
「どうもまことにあいすみません」
「金助、とぼけるな」
 襟を取ってトンと突くと、金助は一たまりもなくひっくり返ってしまいました。
「まあ、お待ちなすって下さいまし、乱暴をなすっちゃいけません、そんな乱暴をなさると、茶袋といっしょにされてしまいますから」
 やっと起き上ったのを兵馬が再びトンと突くと、金助はまたひっくり返ってしまいました。
「ようございます、それでは、わたくしが内密《ないしょ》でその茶屋をお知らせ致します。お知らせ致しますけれども、決して私が申し上げたように神尾の殿様へおっしゃっては困ります、私が恨まれますからな。さあ御案内を致しましょう。御案内は致しますけれども、多分その茶屋だろうと思いますので……そこにおいでなさるかどうか、もし、そこにおいでなさらなくても私のせいではございませんから、それで御勘弁なすって下さいまし」
「早く行け」
「あれでございます、たしかあの相模屋というのからおいでになったようでございます、あれを尋ねてごらんなさいまし、私はこの天水桶の蔭に隠れておりますから、どうぞ私の名前はお出しなさらないように、そっと当ってみておくんなさいまし」

「神尾殿の許《もと》まで参りまする」
 兵馬は相模屋の店先へ軽く挨拶して、その足で座敷へ上ろうとする。
「はい、お二階にお休みでござりまする」
 自分が軽く出たから茶屋の者も軽く受けました。兵馬は早速二階へ上り、屏風の中に鼾《いびき》をかいて寝ている人の枕許へ近寄って、
「神尾殿、主膳殿」
「う、う、うむ」
 呼び醒《さ》まされた主膳は、唸《うな》るようなことを言って寝返りを打ちました。
「神尾主膳殿」
 兵馬は、主膳の枕許の刀架《かたなかけ》から刀を取って、その鍔音《つばおと》を高く鳴らすと、
「やっ、誰じゃ」
「お目ざめでござりましたか」
「其許《そこもと》は誰でござる」
「拙者は番町の片柳と申すものでござりまする、ちとあなた様に、お尋ね申したい儀がござりまして推参致しました」
「ナニ、拙者に何を尋ねたいのじゃ、其許を拙者は知らぬ」
「親しくお目にかかるは初めてながら、拙者はあなた様が甲府に御在勤の折、よそながらお目にかかりました」
「ナニ、拙者が甲府にいた時分? 其許は甲府から何しにこの拙者を尋ねて来た」
 神尾主膳は不安らしく起き直って、兵馬の面《かお》をながめました。
「私のお尋ね申したいのは、あなた様ではござりませぬ、あなた様にお聞き申したい人がござりまして」
「ナニ、拙者に聞きたい人? それは誰じゃ、誰を尋ねたいのじゃ」
「もしや、あなた様は、机竜之助というものを御存じではござりませぬか」
「知らぬ、左様な人は一向知らぬ」
「御存じない? それは真実でござりますか、真実その者の行方を御存じではござりませぬか」
「全く知らぬ、知ってはおらぬ」
「あの躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷は、あれはあなた様のお邸ではござりませぬか」
「躑躅ケ崎が拙者の何であろうと、其許に尋ねられる由はない。いったい、君は誰に断わってここへ来た」
「ひとりで参上致しました」
「断わりなしに来たか、無礼千万な、帰らっしゃい」
 主膳は起き直って、刀架から刀を取りました。
「まずお控え下されませ」
「黙れ黙れ、物を尋ねるなら尋ねるようにして来るがよい、人の寝込みへ踏み込んで、吟味するような尋ねぶり、小癪千万な」
 主膳は、甚だしく怒りました。
「そのお腹立ちを覚悟で参りました、あなた様がどうあっても、その机竜之助の行方《ゆくえ》を御存じないとおっしゃるならば、私にも覚悟がござりまする」
「ナニ、覚悟がある? 覚悟とはどうしようというのじゃ、小倅《こせがれ》の分際《ぶんざい》で」
「町奉行へ訴えて出まする」
「町奉行へ何を訴える、誰を町奉行へ訴えるのじゃ」
「あなた様のお屋敷へ火をつけた穢多《えた》非人《ひにん》の在所《ありか》を、訴えて出ようと思いまする」
「ナニ、穢多がどうした」
 神尾主膳は歯をギリギリと噛《か》んで、兵馬の面《かお》を睨《にら》めました。
「憎い奴、憎い奴」
 神尾主膳は怒心頭《いかりしんとう》に発したようでしたけれども、その間に多少の不安もあるようです。
「机竜之助の行方をさえお知らせ下さるならば、そのほかには、あなた様に御用のない私でござりまする」
「知らん、右様《みぎよう》な者は知らんと申すに」
 主膳は堪《こら》え兼ねて兵馬の隙をうかがい、刀の柄《つか》に手をかけました。抜打ちに斬って捨てようとするものらしい。
「それはかえってお為めになりませぬ」
 兵馬は主膳の手を押えました。
「放せ」
「左様にお手荒なことをなさると、場所柄でござりまする、あなた様のお名前が出まする」
「憎い奴だ」
 主膳はもがくけれども、兵馬に押えられて刀を抜くことができません。
「あの机竜之助と申す者は、拙者のためには敵《かたき》でござりまする、あの者を討ちたいがために多年、拙者は苦心致しておるものでござりまする、どうぞ武士のお情けを以て、その行方をお知らせ下さりませ」
「知らんと申すに、くどい奴じゃ」
「これほどに申し上げても」
「知らぬものは知らぬ、近ごろ珍しいほど執念深い奴じゃ、その分で置くではないけれど、拙者もこのごろは世を忍ぶ身じゃ、今日は許しておく、帰らっしゃい」
「いいえ、こうして参上致しました以上は、お尋ね申した御返事をお聞き申すまでは、この座を立ちませぬ」
と言いながら兵馬は、右の腕を伸べて、外側から大きく神尾主膳の首を抱きました。
「汝《おの》れ、この主膳を……手込めにしようとするな」
「お返事をお聞き申すまでは、こうしておりまする」
 兵馬は外から大きく神尾主膳の首を抱くと共に、力を極めてそれを自分の胸へ押しつけました。
「アッ、苦しい」
 主膳は苦しがって眼を剥《む》きました。苦しがったけれども、これは金助とは違います、たとえ今の自分が世を忍ぶ身であろうとも、かりにも神尾主膳ほどのものを捉《とら》えて、腕力で強迫して物を尋ねようとは言語道断の無礼であるという怒りは、その苦しさと一緒にこみ上げてきました。いわんや年もゆかぬ小童《こわっぱ》、見も知らぬ推参者にかかる無礼を加えられては、死んでも弱い音《ね》は吹けないのが神尾としての身上《しんじょう》であります。それだから苦しいのを堪《こら》えて、ジタバタしながら兵馬を押し退けて、刀を抜こうとするのであります。
「さあ、お聞かせ下さるか、それとも」
 こうなった以上は、兵馬もまた力ずくであります。力を緩《ゆる》めると、
「無礼な奴、斬って捨てる」
 主膳は直ぐにつけ込んではねあがって刀を抜こうとしますから、兵馬は再びその首を自分の胸へ、いよいよ強く押しつけるよりほかに仕方はありません。
「アッ、苦しいッ、放せ」
「お聞かせ下さらぬ以上は、決してお放し申しませぬ」
「放せッ、苦しい、死ぬ」
「放しませぬ」
「く……」
「さあ、お聞かせ下さい」
「く、死……」
 ほとんど死物狂いで主膳がもがくから、兵馬はそれに応じて満身の力を籠めて抱き締めると、やがて急に主膳の力が抜けました。力が抜けたかと思うと、ガックリとその首を、兵馬の胸へ垂れてしまいました。
「や、息が絶えた、死なれたか」
 兵馬も我ながら驚きました。知らず知らず自分は、神尾主膳を絞《し》め殺してしまったものらしくあります。

         十二

 この場にも意外の変事が起りましたけれど、これを外の騒ぎに比べると物の数ではありません。万字楼の前を中心にして、吉原の廓内で市街戦が起っているようなものであります。
 秋葉山《あきばさん》の大燈籠の下で、近藤勇の手紙の摺物《すりもの》を読んでいた二人の浪士と、それを聞いていた宇治山田の米友の三人は、今の鉄砲の音を聞いて、すわとばかりに駈けつけて見たけれど、騒動の中心たる万字楼のあたりは、近づくことができません。
 吉原廓《よしわらくるわ》の内外の弥次馬という弥次馬は、数を尽して集まってしまったから、後《おく》れ走《ば》せになった三人は、どうしてもその人垣を破ることができません。
「困ったな」
「もしや宇津木の身から起った変事ではないか」
「どうともわからん、ともかく、この人混みを押破ってみよう」
 浪士は人垣を、無理に破って闖入《ちんにゅう》しようとする時に、
「ワアッ――」
と崩れかかる群集。その勢いは大波を返すようだから、進もうとしてかえって押し返されるほかはないのであります。
「困った、なんとかして近づいて、様子を見たいものだ」
「よい工夫はないかな」
 二人の浪士は、事を好んでこの騒動を見たいのみでなく、騒動の中に何か自分に利害関係のある人がいて、その身の上が心配でたまらないらしくあります。
 この時に宇治山田の米友は、路次の軒の下へ蹲《うずくま》って、梯子《はしご》を組立ててしまいました。
 いつのまにか組立てた梯子を、軒へ立てかけた米友は、
「お武家さん、ひとつこの屋根へ登って、見物しようじゃねえか」
「こりゃ梯子、時に取っての見付物《めつけもの》だ」
 この場合において恰好《かっこう》な見付物であり、機敏な思いつきでもあると感心し、二人の浪士はお辞儀なしに、梯子を登り出し、垂木《たるき》のあたりへ手をかけて、上手に屋根の上へはね上りました。
 二人を先に登らせておいて米友は、二人よりはいっそう身軽に屋根の上へはね上ってしまい、梯子に結んでおいた縄を引くと、梯子は刎橋《はねばし》のようにはね上ります。廂《ひさし》の屋根から三階の屋根へもう一度、梯子をかけて三人は、またあいつづいて二階の屋根へ飛び上りました。
「ははあ、万字楼の前に集《たか》っている、あれが歩兵隊の者共だな」
「恥を知らぬ奴等じゃ、こんなところへ来て、騒がしてみたところで何の功名になる」
「もとよりあれは、歩兵隊とはいうけれど、市井《しせい》の無頼漢、幕府も人を集めるに困難してあんなのを集めて、西洋式の兵隊をこしらえようというのだから窮したものじゃ」
「さいぜん、鉄砲の音がしたようだけれど、あの連中、鉄砲を持って来たものと見えるな」
「吉原の廓内で鉄砲を打放《ぶっぱな》すというのは、おそらく前代未聞だろう」
「それにしても宇津木はいったい、どこの何という店にいるのじゃ」
「それがわからないから困ったのよ、あの娘たちに頼まれてここまで出向いて来たけれど、娘たちはただ吉原とばかりで、吉原の何町の何という家へ行ったのだか一向知らん、吉原とさえ言えばそれでわかるように思うているところが、娘たちの身上だ」
「もし宇津木の身に間違いでもあられては、せっかく頼まれて来た我々が娘たちに対して面目がない」
「そうかといってこの場合、迷子《まいご》の迷子の宇津木兵馬やあいと、呼ばわって歩くわけにもゆかない」
「困ったものじゃ」
 二人の浪士は下の光景を見ながら、しきりに困惑しているようであります。
 この二人の浪士は、さきに宇津木兵馬と共に甲府の牢を破って出た南条と五十嵐とであります。
 この時、下界のこの混乱の中へ、どこをどうして紛《まぎ》れ込んだか一挺の駕籠《かご》がかつぎ込まれたのは、奇観ともなんとも言いようがありません。さてはいかなる勇士侠客が仲裁に来たのかと、さしもの群集が暫く鳴りを静めて見つめているうちに、
「ナーンだ、お医者さんか」
と呆《あき》れ返ったのは、それが普通の駕籠ではなく、切棒の駕籠であったからです。本来、吉原へは医者のほかは、乗物では入れないことになっています。
「おい、道庵がやって来たぞ、万字楼に病人を一人取残しておいたから、先生、ぜひひとつ行って助けて来ておくんなさいと頼まれたから、道庵が出向いて来たんだ、ばかにするない」
 切棒の駕籠、すなわちあんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]の中で、しきりに怒鳴っているのが道庵先生です。
 酔っぱらっているとは言いながら先生、飛んでもない所へ出て来たものだと見物の中にはハラハラする者が多かったけれど、先生自身も酔っているし、駕籠舁《かごかき》にもしたたか飲ませているものだから、見ていられない恰好をしてこの騒ぎの中へ、よたよたと舁《かつ》ぎ込んだものです。
 それが忽《たちま》ち茶袋にとっつかまったのはあたりまえです。取捉まって引き出されるまで道庵は気焔《きえん》を揚げていましたけれど、茶袋は取り上げる限りではない。引き出して、天水桶の水をぶっかけて、弄《なぶ》り殺《ごろ》しにも仕兼ねまじきところを、屋根の上にながめていた宇治山田の米友が、
「あっ、ありゃ長者町の先生だ」
 こう言って叫び出すと、例の梯子を小脇に掻《か》い込んで、二階の屋根の上からヒラリと身を躍《おど》らして、その騒動の中心へ飛び下りたものです。
「やいやい、そりゃ、おれの恩のある先生だ、その先生に指でもさすと承知しねえぞ」
 人の頭の上をはね越して行った宇治山田の米友が、例の二間梯子を小車のように振り廻して、茶袋を二三名振り飛ばしたから騒ぎがまた湧き上りました。
 宇治山田の米友は今やこの梯子一挺を武器に、あらゆる茶袋を向うに廻して大格闘にうつろうとする時、遽《にわ》かに群集の一角が崩《くず》れました。
「酒井様のお見廻りがおいでになった、それ、御巡邏隊《ごじゅんらたい》がおいでになった」

 なるほどそこへ現われたのは、当時市中取締りの酒井|左衛門尉《さえもんのじょう》の手に属する巡邏隊の一組です。
 それを見ると、茶袋の歩兵隊の中からまたしても鉄砲の音が聞え、楼々《いえいえ》店々《みせみせ》の畳を担《かつ》ぎ出して、それを往来の真中へ積んで楯《たて》を築くの有様でありました。しかしながらこの騒動はやがて静まって、酒井の巡邏隊が万字楼の前を固めた時分には、もう米友の空《くう》に舞わしていた梯子も見えなくなったし、道庵も倒れてはいないし、あんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]もどこへか取片づけられていました。
 万字楼の前が、人の出入りができるようになった時分に、例のあんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]がまた家の中から舁《か》き出されたが、それを担ぎ出したのは、前の酔っぱらいの駕籠舁とは違った屈強な駕籠舁で、その駕籠わきに附いて行くのが宇治山田の米友で、どういうつもりか、例の二間梯子をそのままにして手放すことをしない。
 廓内を出たこのあんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]は、下谷の長者町の方角を指して行くものらしいから、してみればこの駕籠の中は当然、主人の道庵先生であるべきはずなのに、その当人の道庵先生は、やや正気に立返って、万字楼に踏みとどまっているのであります。
 万字楼に踏み留まった道庵は、相変らずそこで飲んでいるかと思えば、決してそんな呑気な沙汰《さた》ではありません。担ぎ込まれた敵味方の療治とその差図で、てんてこ舞をしているのであります。万字楼そのものが野戦病院みたようで、道庵先生は軍医正《ぐんいせい》といったような格でありました。ここに至ると道庵先生の舞台であります。外へ出しては骨無しみたような先生が、この野戦病院の中で縦横無尽に働く有様は、ほとんど別人の観があります。打身《うちみ》は打身のように、切創《きりきず》は切創のように、気絶したものは気絶したもののように、繃帯を巻くべきものには巻かせたり巻いてやったり、膏薬《こうやく》を貼るべきものには貼らせたり貼ってやったり、上下左右に飛び廻って、自身手を下し、或いは人を差図して、車輪に働いているところは、さすがに轡《くつわ》の音を聞いて眼を醒ます侍と同じことに、職務に当っての先生の実力と、技倆と、勉強と、車輪は、転《うた》た尊敬すべきものであると思わせました。
 ただあまりに勉強と車輪が過ぎて、火鉢にかけた薬鑵《やかん》の上へ膏薬を貼ってしまったり、ピンピンして働いている男の足を取捉まえて繃帯をしてしまったりすることは、先生としては大目に見なければなりません。
「こう忙がしくっちゃあ、トテもやりきれねえ」
 ブツブツ言いながら、先生はついに諸肌脱《もろはだぬ》ぎになって、向う鉢巻をはじめました。その打扮《いでたち》でまた片っぱしから療治や差図にかかって、大汗を流しながら、
「こんなに人をコキ遣《つか》って十八文じゃあ、あんまり安い、五割ぐらい値上げをしろ」
 口ではサボタージュみたようなことを言いながら、その働きぶりのめざましさ。
 主人の道庵先生は、こんなにして働いているのだから、先に返した駕籠に乗って帰った人が先生でないことは勿論《もちろん》であります。先生でなければ誰。医者か病人に限って乗るべきはずの切棒の駕籠、それに医者が乗って帰らなければ、病人に違いない[#「い」は底本では脱落]。

         十三

 酒井の市中取締りの巡邏隊に追い崩された茶袋の歩兵は、彼処《かしこ》の路次に突き当り、ここの店の角へ逃げ込んだのを、弥次馬がここぞとばかり追いかけて、寄ってたかって石や拳で滅茶滅茶に叩きつけて殺してしまいました。その屍骸《しがい》があちらこちらに転がっているのは無残なことです。この騒ぎが、漸《ようや》くすさまじくなりはじめた時分、ちょうど宇治山田の米友が、屋根の上から飛び降りた時分のことであります。若い武士が、肩に一人の人を引掛けて刎橋《はねばし》を跳《おど》り越えて、そっと竜泉寺の方へ逃げて行くらしい姿を見ることができました。一方は田圃《たんぼ》、一方は畑になっている間の道を通って、時々後ろを振返りながら、前へ急いで行く面《おもて》を見れば、それは宇津木兵馬です。その背に引っかけられているのは神尾主膳に紛れもありません。兵馬はこの辺の道筋をよく知らないけれども、向うに黒く見えるのが上野の森であろうとの見当から、ともかく、あの上野の森をめざして行こうとするつもりであるらしく思われます。
「おや、お前たちは、わたしをどうしようというんだい」
 畑の中で金《かね》を切るような声がしたから、兵馬は足を留めました。
「いいから、そんなに怒らないで、駕籠に乗ってお戻んなさいましよ」
「乗ろうと乗るまいと大きなお世話じゃないか、どいておいで、邪魔をしないで、お通し」
「そんなわからないことをおっしゃるもんじゃあございませんよ、山下の立場《たてば》から吉原まで二百五十のきまりの上に、多分の酒代《さかて》までいただいてあるんでございますから、今更どうのこうのっていうわけじゃございませんよ」
「何でもいいから、お通し、先のことが心配になって、気が気じゃあないんだから、通しておくれ」
「いけませんよ」
「この野郎」
 女の方が腹を立って、ピシャリと男の頬を撲《なぐ》りつけたようであります。
「おやおや、打《ぶ》ちやがったな、女だてらに男を打ちやがったぜ、女の子に抓《つね》られるのは悪くはねえが、こう色気なしに打たれちゃあ勘弁がならねえ」
「泥棒!」
「泥棒だって言やがる、こいつは穏かでねえ、こいつはどうも穏かでねえ」
「あれ――人殺し」
「おやおや、人殺し――なおいけねえ、兄弟、その口をしっかり封じてやってくんねえ」
「あれ――この野郎」
「何を言ってるんだ、ジタバタするだけ野暮《やぼ》じゃねえか」
 たしかに一人の女を、二人の駕籠舁が取って押えて、手込めにし兼ねまじき事態と聞きつけた兵馬は、もう猶予するわけにはゆきませんから、神尾主膳を背中から下ろしてそこへさしおいて、今の金切り声の方へ飛んで行きました。
 ところは鷲神社《おおとりじんじゃ》の鳥居の前、二人の大の駕籠舁が、一人の年増の女を取って押えようとしているところ。
「この馬鹿者めが」
 兵馬は横合から一人を蹴飛ばして、一人を突き倒しました。その勢いに怖れて雲助は、霞の如く逃げてしまいました。
「危ないところをお助け下さいまして、有難う存じまする」
 兵馬のために悪い駕籠屋を追い飛ばしてもらったから、女はそこへ手をついてお礼を言いました。
「これは、どちらへおいでなさる」
「はい、吉原へ用事がありまして、山下から頼んで参りました駕籠が、この始末でございます」
「お送り申して上げたいが、拙者もちと急な用事がある……」
「もう、ついそこでございますから、ひとりで参ります」
「吉原は今、あの通りの騒ぎで、うかと近寄れまいと思われるが、用心しておいでなさい」
「有難うございます、いずれ用事が済み次第、お礼に上ろうと存じますが、あの、お住居《すまい》はどちら様でございましょう」
「ナニ、左様な御心配には及ばない。やあ、また吉原の騒ぎが大きくなったようじゃ」
「何でございましょう、あの騒ぎは」
「歩兵隊が入り込んで、乱暴をはじめたのでござる」
「わたしの知合いの人が、ちょうど、吉原に行っていますものでございますから、気が気ではありません。それではこのままで御免下さいまし」
 女がそのまま駈け出すと、暫くして、
「アッ!」
「危ねえ、気をつけやがれ」
 またしても闇の中でバッタリと突き当ったものがあって、女はよろよろとしました。さては逃げ去ったと見せた悪い駕籠屋共が、まだその辺に潜《ひそ》んでいるのであろうと、兵馬は、
「どうなされました」
「誰か参りました、今わたしに突き当りました」
「今の駕籠屋共であろう」
「いいえ、別の人のようでございました、あちらからバタバタと駈けて来て、わたしに突き当ると直ぐに姿を見えなくしてしまいました」
「誰か、そこにいるのは誰だ」
 兵馬は咎《とが》めてみるけれど、誰も返事をする者がありません。
「隠れているな」
 兵馬は進んで行き、
「怪しい奴だ。しかし心配なさらぬがよい、そこまで送ってお上げ申そう」
 兵馬は女の先に立ちました。その時、
「うーむ」
と人の唸《うな》る声。
「あれ、人の唸っているような声が」
 女は、さすがに気味を悪がって、足を留めました。
「ああ」
 兵馬もその唸り声には、驚かされないわけにゆかなかったようです。
「今の悪い奴でございましょう、それとも、あの駕籠屋が、まだそこいらに倒れているのでございましょうか」
「左様ではない、あれは……」
と兵馬は答えて、当惑しました。今、暗い中で唸り出したのは、さいぜん追い飛ばした駕籠屋でもなく、いま出会頭《であいがしら》にお角に突き当った怪しい者でもなく、それとは全く別の人、すなわち、兵馬が吉原の茶屋からこれまで担いで来た神尾主膳が、地上へ差置かれたところで息を吹き返したために、その唸り声に違いないから、それで兵馬は、ハタと当惑しました。
「うーむ、水を持て、水を」
 まさしく神尾主膳の声であります。
「おや、あの声は……」
 女はその声を聞咎《ききとが》めないわけにはゆきませんでした。
「あれは怪しいものではない、拙者の連れの者」
 兵馬はこう言いわけをしました。
「お連れの方でございましたか」
 女もそれだけは安心していると、
「ああ苦しい、水を持て、水を、女中共、誰もおらぬか」
 闇の中で、つづけてこう言い出したから、
「おや、あのお声は?」
 兵馬は女をさしおいて、
「お静かに、静かにさっしゃい」
 地上へ捨て置いた主膳の傍へ寄ると、
「早く水を持てと申すに。女共どこへ行った、拙者はもう帰るぞ」
「ここは吉原ではござらぬ、静かにさっしゃい」
 兵馬は主膳を抱き上げて耳に口をつけて、囁《ささや》きました。
「吉原でない? 吉原でなければどこだ、暗いところだな、化物屋敷か、染井の化物屋敷か、ここは」
 主膳は、人心地《ひとごこち》がなく物を言っているようであります。
 それを聞きつけた女は、[#底本は、改行天付き]
「おやおや、もし、あなた様、そのお方はどなたでござりまする」
 女は、立戻って来ました。そうして、兵馬の抱えている人をさしのぞこうとしますから、
「これは拙者の連れの者で、ちと酒の上の悪い男」
「もし、そのお方のお声に、どうやら、わたくしは聞覚えがあるようでございます」
「なんの、そなたたちの知った者ではない」
 兵馬は、隠した方がよかろうという心持であったけれど、
「誰が、拙者の断わりなしにこんなところへ連れて来た、こんな暗いところへ誰が連れて来たのじゃ、さあ水を持て、水、誰もおらぬか」
 兵馬は隠そうとしても、人心地のない主膳は、うわ[#「うわ」に傍点]言のように声高くこんなことを言い出しました。
 女は立っていることができません。
「あの、そのお方のお声は……どうもわたくしは聞いたことのあるようなお声でございますが、もし間違いましたら、御免下さいまし、そのお方はあの、染井の殿様ではございませんか」
「染井……染井の化物屋敷、こんな陰気臭いところへ、誰が連れて帰った……」
 主膳は切れ切れにこう言って唸りました。
「おお、そのお方は神尾の殿様」
「この人を神尾主膳殿と知っているそなたは?」
「まあ、神尾の殿様でございましたか、よいところでお目にかかりました。殿様をお迎えのためにわたくしは吉原へ飛んで参るところでございますよ、ここでお目にかかろうとは存じませんでした」
 女は喜んで、兵馬の抱いている男を神尾主膳と認めてしまいました。この女というのは、女軽業のお角です。
「いかにも、この方は神尾主膳殿であるが、そういうそなたは?」
 兵馬は再び、お角の身の上を尋ねました。
「これは御免下さいまし、つい慌《あわ》ててしまいまして、申し上げるのを忘れてしまいました、わたくしはこの殿様の……この殿様のお屋敷の奉公人でございます」
「ああ左様か、しからばこの神尾殿のお住居を御存じであろうがな」
「エエ、それは申し上げるまでもございませんが、それよりはこの殿様のお連れのお方は……お連れ様はどちらにおいででございましょう」
「ナニ、この神尾殿に連れがあったのか」
「はい、あの……」
 お角はここで竜之助の名を言おうとしました。その変名は時によっては吉田といった、時によっては藤原といったりする、その人の名をうっかり言ってしまおうとして、はっと気がつきました。
「神尾殿は一人ではなかったのか」
「はい、あの、お友達で、お目の不自由なお方が一人」
「目の不自由な友達が……」
 その時、宇津木兵馬は愕然《がくぜん》として、思い当るところがありました。
「その目の悪い人に逢いたかったのだ、さあ、その人を探しに行きましょう、一緒に吉原へひきかえしましょう」
 兵馬がせき込んで、お角は煙《けむ》に捲かれます。
 その時に思いがけなく、築墻《ついじ》の蔭から、
「宇津木様、早く行っておいでなさいまし、神尾の殿様のところは、わっしが引受けますから、ずいぶん御心配なく」
 こう言ってのそり[#「のそり」に傍点]と出て来たのは、金助の声に違いありません。
「金助ではないか」
「へえ、金助でございます、おいやでもございましょうが、おあとを慕って参りました」
 金助は相変らずしゃあしゃあとしたものであります。
「今、わたしにぶつかったのはお前さんかえ」
 お角がこう言って咎めると、
「へえ、私でございます、飛んだ粗忽《そこつ》を致して申しわけがございません。実はその時、おわびを申し上げてしまえばよいのでございましたが、これには仔細がありそうでございますので、物蔭へ忍んで御様子を窺《うかが》いましてございます」

         十四

 お角に代って染井の化物屋敷へ、神尾主膳を送り込んでその一間へ休ませた後、金助は次の間へ入って煙草をふかしています。
「なるほど、こいつは化物屋敷だ、これだけの構えに、主人のほかには人っ気が無えというのが全く人間放れがしている、何だかこうしているとゾクゾクして淋しくてたまらねえ、身の毛がよだつようだ。おやおや、この浴衣《ゆかた》、吉原田圃で転んだ拍子に、こんなに泥だらけになっていたのを今まで気がつかなかったのはおそれ入る、気がついてみればこんなものは、一刻も身につけてはいられねえ。はてな、きがえはねえかな、こんな場合だからお殿様のお召物であろうとも、お部屋様のお召替であろうとも、何でも構わねえ、手当り次第に御免を蒙《こうむ》って……」
 金助はあたりを見廻すと、衣桁《いこう》に鳴海絞《なるみしぼり》の浴衣があったから、それを取って引っかけて、なおも煙草をふかしている耳許でブーンと蚊が唸ります。
「おやおや、蚊が出やがった、おお痒《かゆ》い、痒い、こいつはたまらねえ」
 いつのまにか蚊に手の甲を、したたかに食われていました。その手を掻いてから、ピシリと顔を打って蚊をハタキ落し、
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武と言いて夜も眠られず、さすがに寝惚《ねぼけ》先生、うまいところを言ったな。どこかにまだ蚊帳《かや》があるだろう」
 金助は立って戸棚をあけると、そこに蒲団《ふとん》もあれば、立派な蚊帳も入れてありました。その蒲団を展《の》べて蚊帳をつり、その中へ煙草盆を引き寄せて、ふんぞり返った金助は、
「だが、陰々と湿っぽい家だな、燈心をもう少し掻き立てて明るくしてやろう。殿様は、よくお休みのようだ、お命に仔細はあるまい、なるほど、すやすやと寝息が聞えるから、まず安心。おや、何か音がしたぜ、風が出たんじゃあるめえな」
 耳をすますと、下駄を穿《は》いて歩んで来るらしい人の足音。
「冗談じゃねえ、人の足音だぜ、しかも暢気《のんき》に庭の中を、カラコロと引摺って歩いて来るのは只者じゃあねえぜ。あのお角とやらいう女の言葉では、誰もいねえ留守の屋敷だと言ったが、誰かいるじゃねえか。こいつは堪らねえ、化物屋敷の化物がおいでなすったんだぜ。人が悪いねえ、拙者を臆病と知りながら、こんなところへ送り込んで、生きながら化物の餌食《えじき》とするなんぞは。いっそ、殿様をお起し申そうか。お起し申したって、死んだも同じように寝癖の悪い殿様だ、なんにもなりゃしねえ。おやおや、いよいよこっちへやって来るぜ、下駄の音がだんだん近くなるぜ、あれ、もう飛石の上のあたりを歩いているんだ。弱ったなあ、とてもこうしちゃいられねえ、何か得物《えもの》はねえかな。得物があってみたところで、おれの腕じゃあ納まりがつかねえ、殿様のお寝間の中へ潜り込んでしまおうか。さあ大変、雨戸へ手をかけたぞ。雨戸には錠《じょう》が下ろしてあるんだろうな、お角さん忘れて錠を下ろさずに行くなんて、そんな抜かりのある女ではなかろうはずだが……化物のことだから、戸の隙間から入って来て、金助さんお怨《うら》めしいなんぞは有難くねえな。おやおや、あけた、あけた、なんの苦もなく雨戸をサラリとあけたぜ。さあ、いよいよ堪らねえ。あれあれ、廊下がミシリミシリ言うぜ、やって来た、やって来た、おいでなすった」
 金助は驚き怖れて、蒲団《ふとん》を頭からスッポリ被《かぶ》って息を凝《こ》らしていました。これは金助の疑心暗鬼ではなく、たしかに庭を歩いて、雨戸をあけて、廊下を歩いて、金助がいま蒲団を被っている部屋の障子の前に立った者があるに相違ないのです。
「お角さん、もうお帰りなさったの」
 障子をあけて、蚊帳の外に立ってこう言ったのは女の声であります。金助は黙っていました、蒲団を頭から被ってガタガタと慄えていました。しかし、燈火《あかり》はカンカンとかがやいていることであるし、喫《の》みかけた煙管《きせる》はそこに抛《ほう》り出してあるのであるし、その煙草の吸殻の煙ものんのんと立ちのぼっているのであるから、外から見ても、内から見ても、人がいないとは言い抜けられない有様であります。
「お角さんはどうしました」
 蚊帳の外の女は再びこんなことを言いました。金助はそれでも返事をしなかったけれど、女は容易に立去ろうともしないで、
「そこに寝《やす》んでいるのはどなた」
「へえへえ、うーむ」
 金助もついに堪《こら》え兼ねて、慄え声で、いま目が覚めたような作り声をして、
「どなた」
 同じようなことを言い、蒲団の隙間からそっと目だけ出して蚊帳の外を見ました。立っているのは寝衣姿《ねまきすがた》の女らしい。
「お前さんはどなた」
「金助でございます」
「金助さんとおっしゃるのは?」
「へえ、ただいま殿様のお伴《とも》をして帰ったばかりでございます」
「お角さんはどうしました、お前さんと一緒に帰りましたか」
「いいえ、あの方は、まだ帰りませんで、吉原へ引返して参りました。わたくしはまたその途中で頼まれまして、こちら様へ殿様をお届け申したついでに、こうして御厄介になっているのでございます」
「それでは帰って来たのは、お前さんと、当家の主人の二人きりなの」
「左様でございます」
「も一人の、その連れの人はどうしました」
「それでございますよ、そのお連れのお方の行方が知れなくなったので、それでお角さんと、もう一人のお方が探しに上ったんでございます、わっしはあとを頼まれて、殿様をこの屋敷へお連れ申したんでございますよ」
「そりゃ嘘でしょう」
「どうして嘘なんぞを申しましょう、本当のことでございます」
「嘘、嘘、お前さんと、あの御別家の奥さんやお角さんと、腹を合せてわたしを欺《だま》して、あの人を隠したんでしょう」
「おやおや、腹を合せて……私があの人をお隠し申すにもお隠し申さないにも、てんでそのお方にお目にかかったことはないのでございますもの……」
「いいえ、お前さんたちの企《たくら》みは、ちゃんとわたしが心得ています」
「わっしどもの企み? いったい私は、こうして今晩はじめてお屋敷へ上ったものでございますよ、それはあちらにいる時分には、殿様にずいぶん御恩を受けましたけれど、江戸へ参りましては、昨晩はからずも吉原で殿様にお目にかかったばかり、なにも人様に怨まれるような企みを致しました覚えはございませんが」
「そんならなぜ、あの人を残して、こちらの主人だけを連れて帰りました」
「なぜ連れて帰ったと、それをわっしにおっしゃっても御無理でございます。いったい、あなた様はどなたでございます」
 金助は、ようやく少しは落着いて、蒲団を押し退けて、全く見当違いの恨みを自分に述べているその女の人の何者なるやを見ようとしました。
「や、大変、ほんもの……」
 金助は必死になって蒲団《ふとん》にしがみついて、またそれを頭から被《かぶ》って絶叫しました。
 蚊帳《かや》の外に立っているのは、女は女に違いないけれども、女の姿をした鬼であります。臆病な金助にはたしかにそう見えました。怖さ半分と、横着半分とで蒲団を被って応対をしていた金助は、ここに至って全くの恐怖に襲われて歯の根が合いません。
「吉原というのも、お前さん、そりゃ嘘だろう」
 女は、いよいよすさまじい声。
「どう致しまして、嘘ではございません」
「嘘を言うのに違いない、そうしてあの人をどこへか隠したのは、あれは御別家の奥さんという人に頼まれて、お角さんが手引をして、わたしに知れないように隠してしまったのだということを、わたしは前から、ちゃんと知っている。お前さん、どこへあの人を隠したか、それを言って下さい」
「ト、ト、飛んでもないことで。あの人にも、この人にも、わっしが隠すなんて、お隠し申すなんて、そんなことはございません、ございますはずがございません」
「お前さん、もしお金が欲しいならいくらでも上げるから、あの人を隠したところを教えて下さい」
「いいえ、お金がどうしようと言うんではございません……まあ、何が何やら存じませんが、あなた様にお怨まれ申しても、わっしは損でございますから、ようく事のわけを申し上げてしまいます。あの吉原で、わっしは神尾の殿様にお目にかかっただけで、そのお連れの方にはいっこう気がつきませんでしたので。あとで承ればそれはお目が……お目が悪い方だそうで」
「その人、その目の悪い人が、なんで吉原へ行ってみようという気になるものか。それを傍《はた》からみんなして連れ出して……」
「いいえ、吉原へおいでになったのは本当でございます、吉原は万字楼という大きな店でございまして、そこへ、私も丁度お客になって登り合せたんでございます、そうすると遽《にわ》かに吉原の中へ大騒動が起りましたんでございます」
「そんなことはありません、それはお前のこしらえごとです。なるほど、ここの主人は吉原とやらへ行ったかも知れないが、その前に、あの人をどこへか隠してしまったのです、あの人を隠しておいて、ここの主人だけが吉原へ行って遊んだものに違いない。ここの主人はそういうことをする人です、それだから一人で帰って来たのです。一緒になったものが、それに目の不自由な人を連れにして行ったものが、それを忘れて一人で帰るなんぞと、そんなことはありません。それはお前さんが、みんなから頼まれた拵《こしら》え事でわたしを欺すのです」
「どうもおそれいりました、それほどにお疑いあそばすなら論より証拠、これから吉原へ行ってごらんなさいまし、わたしのいうことが嘘か本当か、直ぐおわかりになりますから」
「吉原というのは、これから遠いところかえ」
「遠いといったところで知れたものでございます、一里半と思ったら損はございますまい」
「お前、その吉原というところへ、わたしを案内しておくれ」
「いいえ……それはどうも」
「それごらん、わたしを連れて行くことはできまい、お前がつれて行かなければ、わたしは一人で行きます」
 女はこう言って、スーッと出て行きました。

 お角と共に宇津木兵馬が再び吉原の廓内へ引返した時分には騒動は鎮《しず》まって、万字楼の野戦病院も解散され、道庵先生はいずれへ立退いたか姿が見えません。
 たしかに神尾主膳と共にこの楼へ送られて来たのは二人づれであったということ、その一人は盲目《めくら》の人であったということ、その盲目の人がなかばで血を吐いて別室に移されたということ、騒動の時に誰も彼も逃げ出したけれども、結局、その盲目の血を吐いた人だけはひとり別室へ取残されたままでいたこと、それと気がついて、ちょうど近所へ来合せて飲んでいた道庵先生を頼んで、その乗物で助け出してもらおうとしたところから……その後のなりゆきまで漸く聞き出すことができました。その盲目の客が移されたという別室へ来て見れば、夜具と蒲団がそのままにあるばかりで、人の気配はありません。この客は道庵先生が乗って来た切棒の駕籠にうつされて、その駕籠|側《わき》には梯子を持った小兵《こひょう》の男、天から降ったか地から湧いたか、遽《にわ》かに騒動の場へ現われて、多数の歩兵隊を相手に大格闘をした男が附いて門を出てしまったのは、騒動が鎮まったのとほぼ同じくらいの時刻だということでありました。
 これだけのことを兵馬とお角が尋ね上げた時分には、もう夜が明け渡っていました。
 そこでお角と共に長者町へ急ぐことにきめました。お角は兵馬が何故に自分と同じ人を深く尋ねるのだか、それを知ることができませんけれども、自分としてはぜひとも尋ね出して染井の屋敷へ帰らなければならないと思って、どこまでも兵馬と行動を共に、土手から二挺の駕籠を雇って長者町へ飛ばせました。
 長者町へ着いて見ると、道庵先生は帰っているにはいるが寝込んでしまって、容易に起きないのを起して様子をたずねると、いっこう要領を得ません。
 あんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]に乗せて盲目の客を送り出したのは全く道庵の知らないことで、その駕籠|傍《わき》についていた小兵の梯子乗りが知っているだろうとのことです。
 それは近頃、浅草の広小路へ出る梯子乗りの友吉というものであったらしいとのこと。よって兵馬は探りの方針を、この梯子乗りに向けなければならなくなりました。

         十五

 お君は帯をするようになりました。その時にお松が、
「お君さん、おめでとうございます」
と言って祝うと、
「いいえ……」
と言ってまっかな面《かお》をし、
「お松さん、わたしはこの子がやっぱり生れない方が仕合せだと思いますわ」
「何をおっしゃいます、このおめでたい矢先に、そんなことを」
「いいえ、めでたいことではありません、わたしにとっても少しもめでたいことではございませんし、この子にとっても決してめでたいことではございません、この子は父無《ててな》し子《ご》と言われて一生涯、明るいところへは出られませんもの」
「まあ、父無し子……このお子さんは、あのお立派な駒井能登守様とおっしゃる親御様をお持ちではございませぬか」
「いいえ、この子は駒井能登守の子ではございませぬ、わたくしの子でございます、それ故にわたくしは、どのようなことがあっても能登守の子としては育てません、わたくしの子として育てて参ります。それよりか、わたくしはいっそ難産で、この子と一緒に死んでしまえば、それに越したことはないと思っているのでございますよ」
「まあ、聞いてさえゾッとします、わたしはそんなことを聞きたくはありません、もっと面白い話をしましょうよ」
 お松は力一杯に、お君を慰めようとします。
 お君は何を考えたかハラハラと涙をおとしていたが、ふらふらと立ち上りました。
「お君さん、どこへいらっしゃるの」
「はい、わたしは、間《あい》の山《やま》へ」
 その瞳《ひとみ》の色が定まっておりませんから、お松は怖ろしいほど心配になって、
「まあ、お話がありますから、お坐りなさいませ」
 強《し》いてお君の袖を引いて引留めました。
 それからお松は、お君のために心配のあまり、神田の和泉町《いずみちょう》の能勢様《のせさま》というのへ参詣をすることになりました。
 和泉町の能勢様というのは、四千八百石の旗本で、そのお屋敷のうちにお稲荷様があって、そのお稲荷様から能勢の黒札というお札が出る。お札の表には正一位稲荷大明神と書いてあって、そのお札で撫でると、お医者さんでも癒《なお》らない病気が癒るとされてあるものです。ですから、気の変になった人や、狐につかれた人のために、能勢様へお札を貰いに行く者が黒山のようです。
 そこでお松は能勢様へ行って、お君のために稲荷様のお札をいただいて、帰りに和泉橋のところへ出ると、笠をかぶって袈裟法衣《けさころも》に草鞋穿《わらじば》きの坊さんが杖をついて、さっさと歩んで来る。それに引添うて、一匹の真黒い逞《たくま》しい犬が威勢よく走って来るのを見かけました。
「まあ、ムクだね、珍らしい、お前、今までどこにいたの」
 甲州で別れて以来のムクは、お松の傍へ来て、身体をこすりつけて、尾を振って、勇み喜ぶのであります。
「お前さん、この犬を知っておいでか、オホホホ」
 笠の中から、お松を見て笑っているのは慢心和尚です。
「御出家さん、あなたがこの犬をお連れ下さいましたのでございますか」
「はいはい、わしが連れて参りました」
「よくお連れ下さいました、この犬の主人のおりますところを、わたしがよく存じておりますから御案内を致しましょう」
「それはそれは。しかし、わしはほかに用事があっての、お前の方へ行っておられないから、持主によろしく申してくれ」
と言ってこの出家は、ムク犬の頭を三べん撫《な》で、お松に名前を尋ねる隙も与えないで、さっさと行ってしまいました。
 お松は呆気《あっけ》に取られましたけれども、それにしても、笠の中から自分を見ていた坊さんの面《かお》がまるいものだと思いました。

         十六

 道庵先生は、柳橋の万八楼で開かれた書画会へ出かけて行きました。(その席で先生一流の漫罵やまぜっ返しがあったけれどこれを略す。)宴会の時分に、誰の口からともなく、この正月に亡くなった高島秋帆の噂が出ました。そうすると席の半ばにいた道庵先生が、しゃしゃり出てこんなことを言いました、
「四郎太夫はエライよ。実は拙者も長崎の生れでね、(註、道庵先生はこんなことを言うけれど、事実長崎の生れであるや否やは怪しいものである。)高島のことはよく知っているよ。太閤《たいこう》時代からの家柄でね、先祖代々、異国と御直《おじき》商売というのをやっていたからなかなか金持よ、俸禄はたった七十俵五人|扶持《ぶち》しきゃ貰っていねえけれど、五十万石の大名と同じぐらいの金があったそうだよ。そうでなきゃお前、あれだけの仕事ができるものかな、やに[#「やに」に傍点]っこい大名じゃあトテモ高島の真似はできねえね。それだからお前、とうとう謀叛人《むほんにん》と見られちゃったのさ。あれでお前、ほんとに謀叛する気であって御覧《ごろう》じろ、大塩平八郎なんぞより、ズット大仕掛けのことができるんだね。だからお上でも怖くって仕方がねえ、とうとう謀叛人にされちゃってね、牢へまでぶち込まれて晩年は不遇といったようなわけさ。しかしまあ、あの男なんぞはなんにしても近世の人物さ」
 道庵先生は友達気取りで高島四郎太夫の話を始めながら、懐中から取り出したのは千住の紙煙草入の安物であります。
「いや皆さん、これだこれだ、これはその八十文で買った拙者の安煙草入でげすがね……」
 また始まった。高島四郎太夫を友達扱いはよかったけれども、安煙草入を満座の中へさらけ出して、八十文の値段までブチまけるから、それでお里が知れてしまいます。
「この煙草入について四郎太夫を憶《おも》い起すんでございますよ、まあお聞きなさいまし、拙者が若い時分、四郎太夫に奢《おご》らせて、友人両三輩と共に深川に遊んだと思召《おぼしめ》せ、その席へ幇間《ほうかん》が一人やって来て言うことには、ただいま拙《せつ》は、途中で結構なお煙草入の落ちていたのを見て参りました、金唐革《きんからかわ》で珊瑚珠《さんごじゅ》の|緒〆《おじめ》、ちょっと見たところが百両|下《した》のお煙草入ではございません……てなことを言うと、それを聞いた高島が吃驚《びっくり》して腰のまわりを探った様子であったが、やがて赤い面《かお》をして腰から自分の煙草入を抜き取ってね、中の煙草を出して丁寧にハタいて、それを幇間の前へ置いたものさ。幇間が吃驚して、そんなわけじゃございません、旦那様をかついだわけではございません、なんて言いわけをするのを、高島が言うことには、なにもお前らにかつがれたところが恥と思うおれではない、ただ煙草入を落したものがあると聞いて、自分の腰を撫でてみたおれの心が恥かしいと言ったものさね。それで幇間にその煙草入をくれてしまった、それが薄色珊瑚の緒〆に古渡《こわた》りの金唐革というわけだ。その後はこの通り八十文の千住の紙の安煙草入、おれの持っているこれと同じやつ、これよりほかにあの男は持たなかったはずだ。だからおれはこの煙草入を見ると、高島の野郎が懐しくってたまらねえ。そりゃ高島が二十代の時分のことでしたよ……どういうわけでお前、おれが高島とそんなに懇意であるかと言ったところでお前、あれも今いう通り長崎の生れなんだろう、それにお前、医者の方であの男は打捨《うっちゃ》っておけねえ男なんだよ、今でこそ種疱瘡《うえぼうそう》といって誰もそんなに珍らしがらねえが、あれを和蘭《オランダ》から聞いて、日本でためしてみたのは、高島が初めだろうよ。そんなわけで、あの男は金があった上に、おれよりも少し頭がいいから世間から騒がれるようになったのさ。拙者なんぞも、このうえ金があって頭がよくって御覧《ごろう》じろ、じきに謀叛を起して日本の国をひっくり返してしまう、そうなると事が穏かでねえから、こうしてみんなにばかにされながら貧乏しているのさ、つまり人助けのために貧乏しているようなわけさ」
 道庵がこんなことを言って、一座をにがにがしく思わせているうちに、やはり高島秋帆のことが話題になって、次に江川太郎左衛門のこと、それから砲術の門下のことにまで及んでついに、
「時に、あの駒井甚三郎は……」
と言う者がありました。
「なるほど、駒井能登守殿、その後は一向お沙汰を聞かぬ」
「左様、駒井氏」
「駒井甚三郎か、なるほどな」
「甲府から帰って以来、さっぱり消息《たより》を知らせぬ、あの駒井能登守……」
と言って、一座は駒井能登守の噂になりました。これらの連中は能登守が、何によって躓《つまず》いたかをよく知らないものと見えます。よし内々は聞くところがあっても、公開の席へは遠慮をしているらしく見えます。
「不思議なこともあればあるもので、拙者この間、意外なところで駒井殿らしい人を見かけ申したよ」
 これは道庵先生の隣席にいた、遠藤良助という旗本の隠居でありました。
「遠藤殿には駒井甚三郎を見かけたと申されますか、していずれのところで」
 しかるべき大身の隠居らしいのが、遠藤に向って尋ねました。
「実はな、先日、手前は舟を※[#「にんべん+就」、第3水準1-14-40]《やと》うて芝浦へ投網《とあみ》に参りましてな、その帰り途でござった、浜御殿に近いところで、見慣れぬ西洋型のバッテーラが石川島の方へ波を切って行く、手前の舟がそれと擦《す》り違いざま、なにげなくバッテーラのうちを見ますとな、笠を被って羅紗《らしゃ》の筒袖を着て、手に巻尺と分銅《ふんどう》のようなものを持って舳先《へさき》に立っていた人、それがどうも駒井甚三郎殿としか見えないのでござった。手前も一目見ただけで、言葉をかけたわけではなし、しかとしたことは申し上げられんが、今でもあれは駒井甚三郎に相違ないと思うていますな」
「なるほど、バッテーラに乗って、海を測量する、駒井のやりそうな仕事じゃ。ことによるとあの辺に隠れて、何か海軍の仕事をしているのではないか」
「なんにしても、あれが生きておれば結構、あれだけの人材を、今むざむざ葬るのはまことに惜しいものじゃ」
「いったい、駒井が甲州を罷《や》めたのは、神尾主膳との間が面白くないためか、それともほかに何か仔細があってか」
「駒井としては神尾なぞは眼中にあるまい、主膳と勢力争いでもしたように見られては、駒井がかわいそうじゃ」
 旗本の隠居や諸士の間に、駒井の噂がようやく問題になっていたけれど、道庵先生は能登守のことをあまりよく知りませんから、八十文の千住の安煙草入から煙草を出してふかしていました。
 この遠藤良助という旗本の隠居は投網が好きで、上手で、かつ自慢でありました。駒井の噂がいいかげんのところで消えると、それから魚の話にまでうつって行きました。遠藤老人は、人からそそのかされて、得意の投網の話をはじめると、いずれも謹聴しました。
 道庵先生は、そんなことにさまで興を催さないから、思わず大欠伸《おおあくび》をすると遠藤老人は、道庵先生の席を顧みて、
「これはこれは、道庵先生、久しくお見えなさらんな、相変らずお盛んで結構、ちとやって来給え」
「遠藤の御隠居、暫くでございましたな、相変らず投網の御自慢、さいぜんから面白く拝聴しておりますよ、実は拙者もあの方は大好きで、ついお話に聴き惚れて、夢中になって大欠伸をしてしまいましたよ」
「は、は、は、しかしまあお世辞にも先生が、我が党の士であってくれるのは嬉しい」
「ところが、拙者は投網の方はあんまり得手《えて》ではございませんよ、その代り釣りと来たら、御隠居の前だが、おそらく当今では稀人《まれびと》の部でござんしょうな」
「ははあ、先生、釣りをおやんなさるか、ついぞ聞きそれ申したがそれは頼もしいこと」
「君子は釣《ちょう》して網《もう》せずでございますな、いったん釣りの細かいところの趣味を味わった者には、御隠居の前だが、網なんぞは大味《おおあじ》で食べられません」
「なるほど、それも一理」
「拙者はまた天性、釣り上手に出来てるんでございますよ、拙者が綸《いと》を垂れると魚類が争って集まって参り、ぜひ道庵さんに釣られたい、わたしが先に釣られるんだから、お前さん傍《わき》へ寄っておいでというような具合で、魚の方から釣られに来るんでございますから感心なものです」
「そりゃそうあるべきもの、不発《ふはつ》の中《ちゅう》といって、釣りにもせよ、網にもせよ、好きの道に至ると迎えずして獲物《えもの》が到るものじゃ」
「全くその通りでございます、だから世間の釣られに行く奴が、馬鹿に見えてたまらねえんでございます」
「そこまで至ると貴殿もなかなか話せる、ぜひ一夕《いっせき》、芝浦あたりへ舟を同じうして、お伴《とも》を致したいものでござる」
「結構、大賛成でございます、ぜひお伴を致しましょう」
「しからばそのうちと言わず、今夕、この会が済み次第、舟を命ずることに致そう、おさしつかえはござらぬか」
「エ、今夕、今日でございますか。差支えはねえようなものだが……」
 道庵先生はハタと当惑しました。実は先生、行きがかり上、釣りが上手であるようなことを言ってしまったけれども、釣竿の持ち方も怪しいものです。けれどもことここに至ると、今更後ろは見せられない羽目になってしまいました。遠藤老人は、ワザと道庵先生を困らせるつもりかどうか知らないが、先生を断わり切れないように仕向けておいて、女中を呼んで漁の用意をすっかり命じてしまいました。
 こうなると道庵もまた、痩意地を張らないわけにはゆきません。血の出るような声をして、
「ようガス、芝浦であろうと、上総房州《かずさぼうしゅう》であろうと、どこへでも行きましょう、拙者も男だ」
 道庵先生はよけいな口を利《き》いたために、この会が果ててから、遠藤老人に誘われて芝浦へ出漁せねばならぬことになりました。
 道庵を誘い出した遠藤老人は、船頭を雇い、家来をつれて、浜御殿の沖あたりまで舟を漕がせ、得意の投網を試みて腕の冴《さ》えたところを見せました。
 道庵はもとより口ほどのことはなかったけれども、まんざら心得がないでもないらしく、ちょいちょい二三寸ぐらいのところを引っかけては鼻をうごめかせて、その度毎に天地をうごかすような自慢であります。遠藤老人はもとより道庵に口ほどのことは期待していないし、やがて竿で水を掻《か》き廻すようなことになったら、ミッチリ油を取ってやろうと構えていたものを、海の中にはかなり暢気《のんき》な魚もあると見えて、たとえ一匹でも二匹でも、道庵の針にかかるようなものがあるから、その自慢を聞かせられても苦笑いしているばかりです。
 それでもこの一夕はかなり暢気な気分になって、また万八へ帰り、そこで道庵と別れて亀沢町の隠宅へ帰ったのは、夜もかなり更けていました。
 この人は旗本の隠居でも、そんなに大身ではありません。三百石ほどの家督を倅《せがれ》に譲って隠居の身だけれども、若い時分から家の経済が上手でありました。それ故に、今の身分になっても裕福であります。
 こんなに夜が更けて帰っても寝る前に、ちゃんとその日の算盤《そろばん》を置いてみなければ寝られない癖がありました。他《よそ》へ廻して貸付けさせた金の利廻りや、地面家作の取立てや、知行所の上り高というようなことを、倅に代っていちいち算当して、帳面を記しておかねば寝られない癖です。当時、大名にも旗本にも、内緒《ないしょう》の苦しいのが多く、うわべは大身に構えても、町人に借金があって首が廻らなかったり、また札差《ふださし》をさんざん強請《ゆす》るようなことが、少なくとも己《おの》れの家に限ってはその憂いのないことと、利が利を産んで行く未来の算をしてみると、いつも一種の得意に満たされて、言わん方なき快感を催すのでありました。その快感に浸《ひた》されながら、枕について夢を結ぶのが十年一日の如く、この老人の習慣でありました。
 そうかと言って、この老人は吝嗇《けち》と罵《ののし》られるほどに汚い貯め方をするのでもありません。相当のことだけはして、誰にもそんなに見縊《みくび》られもせずに伸ばして行くところは、なかなか上手なものです。今も老人はその算当をしてしまって、幾片《いくひら》かの金を封じにかかると、その窓の下でバタバタと人の走る音がしました。
「はて、今時分」
と封じ金をこしらえる手を休めて老人が小首を傾《かし》げました。老人もかなり夜が更け渡っていることは知っているし、またこの時分は江戸市中がどことなく物騒で、夜更けなんぞは滅多にひとり歩きをするものもないことなぞは心得ているのであります。それを今、窓下でバタバタと人の足音がするから変に思いました。
「あれー、助けてエ」
 絹を裂くような一声。それは確かに女の声で、その声ともろともに、バッタリと人の倒れる音、それが自分の坐っている窓の下で起ったのだから、金を封じてはおられません。
 すっくと立って、窓を押し開いて外を見ました。
 未申《ひつじさる》のあたりに月があって、外面《そとも》をかなり明るく照していましたから、老人の眼にもはっきりとわかります。
 その窓の下の溝《みぞ》のところに、確かに人が斬られて横たわっています。斬られたのは、たった今で、声こそ立てられないけれど、手足はまだピクピクと動いているものらしくあります。
 老人は愕然《がくぜん》として、その道筋の左右を見廻すと、お竹蔵の塀について、榛《はん》の木《き》馬場の方へふらふらと歩いて行く一個の人影を認めないわけにはゆきません。その人影は、頭巾《ずきん》で覆面をした武士の姿に相違ないことも、お倉の壁に反射した月の光で明らかに認めることができるのであります。しかも、それが悠々としてというよりは、ふらふらとして足許危なく歩いて行くのは、或いは傷ついているのかとも思われるほどです。けれども、ガラリと窓をあけた途端に、その覆面の武士はひらりといずこへか身を隠してしまいました。
 遠藤老人はそのままにしておけばよかったのだけれども、実は宵《よい》からの酒気がまだ去らないのに、この老人は若い時から槍が多少の得意でありました。だから長押《なげし》にかけてあった槍を取って、酒気に駆られて、ひとりで表へ飛び出したのは年寄に似気《にげ》なきことでした。
「待て、曲者」
 その槍を構えて、いま辻斬の狼藉者《ろうぜきもの》のふらふらと歩んで行って、ふと隠れたと覚《おぼ》しい榛の木馬場の前まで追いかけました。
 寝静まっていた老人の家の者は誰もそれを知りません。また近所の人とても、更にそれと知って出合う様子も見えないほど夜は更けていました。もしまたそれと知った者があっても、斯様《かよう》な際には、心ならずも空寝入りをして聞き逃すのが例でありました。遠藤老人とても酒の気さえなければ、そうしていたに違いないけれども、酒は、怜悧《れいり》を以って聞えたこの老人をもかほどな無謀なものにしてしまいました。
 辻斬の狼藉者は、たしかに老人の声に驚いて榛の木馬場を後ろへ逃げたようです。しかもその逃げぶりが蹌々踉々《そうそうろうろう》として頼りないこと、巣立ちの鳥のような歩きぶりであります。手を伸ばせば、羽掻《はがい》じめになりそうな逃げぶりでありましたから老人は、
「奴め、怪我をしているな」
といちずにそう思ってしまいました。だから勇気はいよいよ増して一息に追いかけた時に、辻斬の狼藉者は、ふいと角を曲って榛の木馬場の稲荷の社《やしろ》の中へ逃げ込んだものと認められます。
「逃げようとて逃がさんぞ」
 稲荷の前に並んでいた榛の木の間から狙《ねら》って槍をエイと一声、突き込んだけれども槍は流れました。手許へ繰り込んで、二度突き出した時に、榛の木の蔭にいた辻斬の狼藉者は、ふらふらと二足ばかり前へ出ました。
 二度突き損じたと思った老人は、二三歩とびさがりました。そこへ全身を現わした覆面の辻斬の狼藉者は、刀を抜いて腰のところへあてがって、腰から上を屈《かが》めてこっちを見ています。
 三度、突きかけようとした遠藤老人は、どうしたものか、突くことができません。ハッハッと息が切れ出しました。槍がワナワナと顫《ふる》え出しました。突くことができないのみならず、引くこともできないらしくあります。
「エイ!」
 覆面の辻斬の狼藉者の一声が、氷の上を走るように聞えました。それと同時に血煙が立って、かわいそうに遠藤老人は、槍を投げ出して二つになってそこへのめりました。

         十七

 その翌日、弥勒寺橋《みろくじばし》の長屋の中で、
「さあ、お飯《まんま》が出来たよ」
と二枚折りの屏風《びょうぶ》の中を見込んだのは、宇治山田の米友であります。
「どれ、起きようかな」
 屏風の中で、蒲団から半身を起したのは机竜之助であります。以前よりはまた痩《や》せて、色は一層の蒼白《あおじろ》さを加えているもののようです。
「どうもよく寝られるじゃねえか、俺《おい》らなぞは、宵《よい》のうちは早く寝て朝は早く起きてえんだが、お前は宵に寝て朝もまた寝て……もっともお前には、夜の明けるということはねえんだろうな」
と言って米友は苦笑《にがわら》いしました。
「友吉どの、いろいろとお世話になって済まんな」
 竜之助は、まだ全く起き上りはしません。

「お世話になるのならねえの、そんなことはどうでもいいが、俺《おい》らはちっとばかりお前に聞きてえことがあるんだ」
「何を……」
「何をじゃねえんだ、こうして見ていると俺らには、どうもお前の仕方に合点《がてん》のゆかねえことがあるんだ」
「合点のゆかないこと、なにもこれほど世話になっているお前に、迷惑をかけるようなことをした覚えはないつもりだが」
「別に俺らも、お前から迷惑をかけられたとも思わねえが、今朝起きて見て、どうもちっとばかりおかしいことがあるんだ」
「そのおかしいこととは?」
「それだ、お前は、俺らに断わりなしで、ゆんべ夜中にどこへか出かけやしねえか」
「そんなことはない」
「無え? 無えとするとどうも変だぜ。まあいいや、なけりゃねえでいいけれど、お前、何事があってもまだ当分、外へ出ちゃならねえことは知ってるだろう」
「そりゃ承知している」
「お前が外へ出て悪いのみならずだ、俺らも当分は外へ出られねえことも知ってるだろうな」
「それも知っている」
「二人を、そっとここの長屋へ隠してくれた鐘撞堂《かねつきどう》の親方の親切のことも、お前にゃわかってるだろうな」
「それもわかっている」
「何だか委《くわ》しいことは知らねえが、そうして眼が潰《つぶ》れて、その上に身体が弱くて悩んでいるお前の命を、取りてえと覘《ねら》っている奴があるそうだから、俺《おい》らは癪に触って、それでお前のために力になってやりてえと思っているんだ。眼が見えなくなって身体の悪い人間を苛《いじ》めようてのは、これより上の卑怯な仕業《しわざ》はねえから、それで俺らは、できねえながらも、お前のために力になってやりてえと思うんだ。そうは思うんだけれども、その力になってやりてえ俺らも同じように、当分明るくは外へ出られねえんだ。なんでもこの間、浅草の広小路で撲《なぐ》ってやった侍の組だの、吉原で喧嘩をした茶袋だのというのが俺らのすじょうを知って、俺らを取捉《とっつか》めようとして探してるんだそうだ、だから当分、ほとぼりの冷めるまでは、お前と一緒に隠れているがいいというから、それで隠れてるんだ、そのうちに、ほとぼりが冷めたらお前を連れて、お前の行きてえと言うところへ連れて行ってやりてえと、こう思ってるんだ。だからお前、そのほとぼりが冷めるまでは、おたがいに窮屈でも、じっとこうして隠れていなくちゃならねえ。何か用があるんなら、夜になって俺らが、そっと出かけて上手に用をたして来てやるから、遠慮なく言っておくんなせえよ、俺らに気の毒だなんぞと、よけいな気兼ねをして、拙《へた》なことをやってくれると、おたがいの為めにならねえんだからね」
 米友は何か心がかりのことがあると覚しく、神妙な念の押し方をしました。まだ起き上らない竜之助は、黙ってそれを聞き流しています。竜之助が面《かお》を洗いに縁側へ出たあとで米友は、そこらを片づけながら、二枚折りの屏風の中へ入って行きました。
 敷きっぱなしにしてある蒲団《ふとん》の枕許に形ばかりの刀架《かたなかけ》が置いてあって、それに大小の一腰が置いてあります。
 ふと米友は、その大剣の柄《つか》のところに触れてみて、
「はてな」
 その刀を手に取って屏風の外《はず》れの明るいところへ持ち出し、柄に手を当てて撫でてみました。柄は水で洗ったもののようにビッショリです。
「おかしいぞ」
 米友は暫くその刀を見ていたが、柄に手をかけて、引き抜いて見ようと意気込むところを後ろから、
「危ない、危ない、怪我をするからよせ」
 手を伸ばして、その刀を取り上げたのは、いつのまにか後ろに立っていた竜之助でありました。
「は、は、は」
 米友はなんとなくきまりの悪そうな笑い方をして引込みました。朝飯が済んでしまうと、竜之助は少しの間、日当りのよい縁側のところに坐って日光を浴びていましたが、また屏風の中へ隠れてしまいました。
 米友は炉の傍で、大きな鉄瓶の中へ栗を入れて煮ています。栗を煮ながら眼をクリクリさせて黙然《もくねん》と考え込んでいると、
「友吉どの」
と言って屏風の中から、竜之助の声でありましたから、
「何だい」
「お前はたった今、この刀の中身を抜いて見たか」
「抜いて見やしねえ、抜いて見ようとしたところだ」
「それならばよいけれども、この後もあることだから、気をつけて刀には触らぬようにしてくれ、頼む」
「そりゃいけねえ、この狭いところでお前と二人っきりの暮しだ、いつどういうハズミで刀に触らねえとも限らねえや」
「それを言うのではない、今のように刀を抜いて見ようとしては困る」
「抜いて見たからっていいじゃねえか、お前と俺らの仲だもの」
「そうじゃない、刀は切れるものだから、お前に怪我をさせては悪い、それでワザワザ頼むのじゃ」
「御冗談でしょう、こう見えても子供じゃございませんぜ、子供がおもちゃのサーベルをいじるのとは違うんだぜ」
「だから頼むのだ、玩具《おもちゃ》のサーベルならば、怪我をしても知れたものだけれど、刀によっては、血を見なければ納まらぬ刀があるからな」
「面白いね、血を見なければ納まらねえ刀というようなやつに、お目にかかってみてえものだね。権現様の大嫌いな村正の刀というのがそれなんだってね。お前の持っているのは、そりゃ村正か」
「村正ではないけれど……よく切れる刀だ」
と言って竜之助は、どうやら横になって寝込んでしまったもののようです。米友はなお黙ってしきりに栗をゆでていたが、栗もかなりゆだったと見たから、大鉄瓶をさげて流し元へ、その湯をこぼしに行きました。湯をこぼして小笊《こざる》の中へ栗を入れて、それと鉄瓶の水を入れ換えたのを両手に持って、
「栗がゆだった、一つ食わねえか」
と言って屏風の中を覗《のぞ》いて見ると、病人さながらの竜之助が、首をうずめて寝ていた横面《よこがお》が、痛ましいほどにやつれています。そのくせ刀は、濡れた柄《つか》をこころもち斜めにして、あ[#「あ」に傍点]と言えばさ[#「さ」に傍点]と鞘《さや》を抜け出るばかりに置いてあるのが、殺気を流すのであります。
 夜になると風が銀杏《いちょう》の木の葉をひらひらと落して来ました。弥勒寺《みろくじ》の鐘が九ツを打った時分に、屏風の蔭に寝ていた机竜之助はウンと寝返りを打ちました。
 こちらの炉の傍に寝ていた米友は、その寝返りの音を聞くと、蒲団から首だけを出して屏風の方を見ていました。屏風の中はそれっきり静かなもので、すやすやと夢を結んでいるものらしくあります。それで米友も首を引込めて、また枕に就きました。それから、しばらくして屏風の蔭から、すっくと立った人のあった時には、もう米友は眠ってしまったものと見えて、動きません。
 屏風の蔭からそっと忍び足に出た竜之助は、いつのまにか身仕度をしています。面《かお》には覆面をして、羽織を引っかけて、例の刀を左に提げて、ソロソロと屏風の麓を抜き足して歩き出したのは、甲府にいた時と同じような姿であります。ただあの時よりは一層、足許が危なく、屏風から手を放した時は倒れそうに見えました。それでもよろよろとして、細目につけてあった行燈《あんどん》にも、炉端に置いてあった煙草盆にも突き当らず、さぐりさぐり米友の枕許を通り越して、蒲団の一端を跨《また》ごうとした途端に、
「ウーン」
と言って寝像《ねぞう》の悪い米友は足を出しました。その足を避けようとした竜之助は、よろよろとよろめいて、行燈に片手をかけました。さては眼を醒《さ》ましたかと思った米友は、案外にも眼を醒ましたのではなく、やはりよく寝ているのであります。
 行燈のところで、米友の寝息をうかがうらしい竜之助は、左の親指を刀の鍔《つば》にあてがって立っています。もし米友が狸寝入りをしているものならば、竜之助はこれを斬ってしまうつもりでしょう。幸いにして米友は熟睡しています。足を一本、蒲団の外へはみ出しても知らないくらいによく寝ています。
 ほんとに米友がこの場合によく寝ていることは幸いでした。それは米友のために幸いであるのみならず、竜之助のためにも幸いです。いったい、竜之助は米友を米友と知らないでいるように、米友もまた竜之助を竜之助と知らないでいるのであります。おたがいに知らないでいるけれども、米友が竜之助を疑うように、竜之助もまた米友を疑わないわけにはゆきません。話をしているうちに、ちゃんぽんになっていた話が、或るところへ行ってピタリと合うことのあるのが不思議でありました。この前の日に、米友は何か急に思い当ったらしく、竜之助に向って、
「おい、お前は、本当の盲目《めくら》かい、盲目の真似をしているんじゃねえかな」
と言ったことがありました。何のつもりで米友がこう言ったのだか、その時に竜之助は思わずヒヤリとさせられました。米友が竜之助に疑いを懐《いだ》きはじめたのは、蓋《けだ》しこの時からのことであります。けれども、ここで熟睡していたから、その疑いもなんのことはなく、米友が寝像の悪いままでほしいままに寝ていると、行燈に片手をかけていた竜之助も、やや暫く立っていて、やがてまた一足歩き出した途端に行燈の火が消えました。
 細目にしてあった行燈の火が消えたことと消えないこととは、竜之助にとっては、大した障《さわ》りではありますまい。それと共に裏の雨戸が一枚、音もなく開きました。竜之助はその極めて僅かの間から外へ出てしまいました。
 竜之助が外へ出ると共に、むっくりと蒲団を刎退《はねの》けたのが米友であります。
 暗い中から、短気なる米友としては悠々と、壁に立てかけてあった手槍を取って、同じく外へ飛び出しました。

         十八

 この真夜中過ぎた晩に、両国橋の上を、たった一人で渡って行く女の人があります。女一人で今時分この橋を渡って行くことでさえが、思いもかけないことであるのに、その女の人は長い裲襠《うちかけ》の裳裾《もすそ》を引いて、さながら長局《ながつぼね》の廊下を歩むような足どりで、悠々寛々《ゆうゆうかんかん》と足を運んでいることは、尋常の沙汰とは思われません。
 お化粧をしていた面《おもて》は絵に見るもののように美しくありました。裲襠の肩が外れて、着物の褄《つま》も裾もハラハラと乱れていました。見れば真白な素足に、冷々《ひやひや》する露の下りた橋板の上を踏んでいます。
 さすがに賑わしい両国橋の上も下も、天地の眠る時分には眠らなければなりません。
「ムクや、お前わたしと一緒においで、離れちゃいやよ」
と女の人は言いました。それは間《あい》の山《やま》のお君であります。お君の歩くのと一緒に、ムク犬もまたこの橋の上を歩いていました。
 橋の真中へ来た時分に、お君は欄干に寄り添うて、水の流れをながめながら、
「ムクや、お前、離れちゃいけないよ、今度こそは間の山へ帰るんだから、これからお前、その間の道中が長いのだから、お前がついていてくれないと、わたしは、とても間の山までは行けやしない。それにお前は、どうかすると途中で、わたしを捨てたがるんだもの……ずいぶんお前は薄情な犬だこと、わたしよりもお前は、あのお松さんが好きになったのでしょう、だからお前は、わたしのところへは来ないで、お松さんのところへ尋ねて来るようになったのでしょう。お松さんは誰にも好かれます、兵馬さんにも好かれます、御老女様にも好かれます、また出入りのお武士《さむらい》たちもみんなお松様を好い人だと言って賞めています、それだのに、わたしは誰にも好かれません、みんなわたしを嫌います、駒井能登守様も、わたしを捨てて舟で逃げて行きました、お前、そうしておいで、お前を逃がさないように、これからどんなことがあっても、お前とわたしとは離れないように、ちゃんと鎖でつないで上げるから」
 お君は犬に向って、こんなことを言いながら扱帯《しごき》を解いたものと見え、その扱帯の端でムク犬の首をグルグルと巻きました。ムクはけねんに堪えやらぬ面をして主人を見上げながら、主人のする通りになっていると、
「さあ、こうしておいで、こうして行きさえすれば大丈夫、これから後は、お前とわたしが離れることはない、ふたり一緒に間の山へ帰れるから」
 扱帯《しごき》の一端を自分の手に持って橋の上を歩きはじめました。お君は、やはり気が変になっています。草も木も眠っているのだから、何人《なんぴと》もこの主従の異形《いぎょう》な夜行《よあるき》を見てあやしむものはありません。
 少しばかり歩き出した時に、悄々《しおしお》と歩いていたムク犬が後ろを見返りました。
「何をしているの、早く歩かなければ夜が明けてしまいます」
 お君は扱帯の端を強く引張りました。けれどもムク犬にはこたえませんでした。
「早くお歩きよ、夜が明けると少し都合が悪いことがあるんだから」
 それでもムク犬は動きませんでした。
「あれはお前、向う両国で、左へ曲ると駒止橋、真直ぐに行けば回向院、それを左へ曲ると一の橋、一の橋を渡らないで竪川通《たてかわどお》りを真直ぐに行くと相生町」
 お君はこんなことを繰返して、ぼんやりとこし方《かた》をながめながら立っていました。
「おや、誰か人が来るのだね、人が来るからお前はそれを待ってるのかい」
 この夜は真夜中過ぎとはいえ、月のない夜ではありませんでした。鎌よりは少し幅の広い月が、たしか愛宕《あたご》の山の上あたりに隠れていなければならない晩でありました。だから九十六間の両国橋の上に物の影があるとき、それが全く認められない程の晩ではありません。この時分に、橋の左の方の側をふらふらと歩いて行く黒い人影がありました。さてこそムク犬が、それに感づいたのは不思議ではありません。
 その黒い人影というのは、頭巾をかぶって、竹の杖をついた辻斬の人であります。米友を出し抜いて弥勒寺長屋《みろくじながや》を出た竜之助は、いつのまにか、こうしてここまで来ていました。
 お君はゾッとして、
「まあ、なんだか怖くなってしまった、早く行きましょう、お前は誰に見られてもかまわないか知らないが、わたしはそうはゆかないの、夜の明けないうちにこの橋を渡りきらないと、あとから追手がかかるかも知れないから」
 お君は強く扱帯《しごき》を引張りながら西へ向いて歩き出しましたけれど、犬はいっかな身動きもしません。頑《がん》として主人の意に従わないのみか猛犬は、かえって猛然として牙《きば》を鳴らしました。
 犬が牙を鳴らした時に、人が近づいています。
 駒止橋を渡って右手のところに辻番があるにはあるのです。しかしこの番人は、昼のうちお葬式が、橋の上を幾つ通ったかということを数えていればそれで役目の済む番人でしたから、深夜、眠い目をこすって、メソッコを売る必要はなかったかも知れません。
 お君もムク犬も無事にこの橋を渡りかけたように、この人影も無事に橋を渡ってここまで来ました。お君主従が行けば行く、とまればとまるのだから、たしかにそのあとを跟《つ》けて来たものと見られないではありません。
「どなた」
と言ったけれども返事がありません。お君は犬に向って、
「それごらん、お前が早く歩かないから、人が来ているじゃないか、相生町から、お前とわたしを追いかけて誰か来たんでしょう、誰でしょう、御老女様でしょうか、お松さんでしょうか、どなた」
とお君は、犬に向ってこんなことを言いました。けれども犬は答えず、やがて一声高く吠えました。
 いつしか杖を捨てた黒い人影は、刀を抜いています。
 言い知れぬ恐怖に襲われたお君は、そこに立ち竦《すく》んで、よろよろと倒れかかった片手を橋の欄干に持たせた途端に、
「あれ! 誰かお前の前にいる、お前を殺そうとしている、危ない!」

         十九

 弥勒寺橋《みろくじばし》の長屋から、机竜之助のあとを追うて出た宇治山田の米友は、そのあとを追うことにかなり苦しみました。
 なぜならば、外は月の光が暗いので、たしかに目星をつけて行く当の人影は、さながら煙のように、現われたり消えたりして行くからであります。人通りはまるっきり絶えてはいたけれども、弥勒寺橋の長屋を出て西へ向いて真直ぐに行けば、六間堀に浅野の辻番があります。右へ行くと、小浜の辻番があります。
 それを真直ぐには行かないで、少し後戻りをして林町の方へ出ました。林町の河岸地《かしじ》を二の橋まで来た時に、不意に竜之助の姿が見えなくなりました。米友はせき込んで小走りに走って見たところ、やはりいずれにもその姿が見えませんから、残念がって立っている時に、二の橋の欄干の側をフラフラと歩き出したのがやはりその人でありました。
 占めたと思って米友が、そのあとを抜き足で追っかけると、竜之助は煙のように橋を渡ってしまいました。米友がつづいて二の橋を渡ろうとする時に、行手から六尺棒を持った大男の体が見え出しました。
「やあ、あいつが向う河岸の辻番だ」
と米友は当惑して、小戻りして林町の町家の天水桶の蔭へ隠れると、鈴木の辻番は二の橋を渡って、米友の隠れている天水桶の前を、素通りして行ってしまいました。
 それをやり過ごした米友が、天水桶の蔭から出て二の橋を渡りきって、相生町四丁目の河岸地へ来た時分には、不幸にしてまたも竜之助の姿を見失ってしまいました。
「チェッ」
 米友は舌打ちをして忌々《いまいま》しがりました。さてどっちへ行ってみたらよかろう。たしかに橋を渡って真直ぐには行かないだろうと思う理由があります。それは、つい目の先に鈴木の辻番があって、それを通り越してもまたじきに関播磨守《せきはりまのかみ》の辻番に突き当ります。だから、夜分なんの用事かこうして出歩く人が、ことさらに関所の多いところをえらんで通るはずはなかろうと思ったからであります。
 それで米友は、左手の相生町の角を真直ぐに行きました。気のせいか、今夜の辻番はいつもと変って、なんとなく穏かでないらしく、相生町四丁目の向う角にある本多の辻番などは、何か声高《こわだか》に番人の話が聞えます。それでもまあ無事に辻番の眼を潜って、相生町の三丁目から二丁目へかかったけれど、いずれへ向いても人らしいものの影を見ることはできません。
「チェッ」
 二丁目の河岸《かし》を通りかかると、そこに一軒の大きな構えの家の表だけがあいていました。そして、その前に提灯を持った人が二三人出入りをしているので、米友は立ちどまって、はっと気がつきました。この家は箱惣の家であります。前に自分が留守をしていたことのある家、そこで浪人を追い払ったことのある家、またこの間はそこの井戸で、子供を水中から救い出したことの覚えのあるその家だけが物穏《ものおだや》かでないから、米友はギックリと立ちどまって、暫く様子を見なければなりません。
 その家の前に提灯をさげて、二三の人を差図をしているらしいのは、まだ若い女でありました。
「お秋さん、お前は台所町の方へ廻って下さい、お前さんと栄助さんがあちらから廻って、辻番でいちいちお聞き申してみて下さい、そうしてやはり両国橋へ出て、こちらの組と落合うようにして下さい。わたしはどうしても両国を渡ったものとしか思われない、でも途中で辻番に留められているかも知れないから、よく聞いて下さい」
 この差図をしている若い女の人の声、それが、まさに聞いたことのある人の声でしたから、
「おいおい、お前はお松さんじゃねえか」
「おや、どなた」
 女は振返って、
「まあ、お前は米友さんじゃないか」
「うむ、俺《おい》らだ」
「どうしてこの夜更けに、お前さん、こんなところへ……それでもよいところへ来て下すった、今お前、お君さんが行方知れずになってしまったところなの」
「誰がどうしたんだ」
「ああ、米友さん、お前はまだ知らなかったのね、お君さんはこの家に、ずっと前からわたしといっしょに暮らしていたの、そのお君さんが今夜、見えなくなってしまったの、このごろ、古市へ行きたい行きたいと口癖のように言っていたから、その気になって出かけたのかも知れない、いいところへ米友さん来て下すった、お前さんも直ぐに探しに出かけて下さい、ほんとにせっかくおいでなすって早々、お使立てをするようなことを言って済みませんけれど、ほかの人と違って、あの方のことですから、お前さんも、喜んで行って下さるでしょう、早くして下さいまし」
「俺らは別に尋ねる人があって来たんだ、酔興《すいきょう》で歩いて来たんじゃねえや」
「ちょいとお待ち、米友さん、お前なにか腹を立てているの。それでまあ手槍を持って、この夜中を一人で歩いて……提灯も持たないで。何かお前にも急用がおありならば、この提灯を持っておいでなさい、提灯を持って歩かないと、辻番がやかましいから」
 お松は米友を追いかけて、自分の手にしている提灯を持たせようとします。その提灯のしるしには五七の桐がついておりました。
 お松の手から極めて無愛想に、提灯を受取った米友は、さっさと相生町の河岸を駈け抜けて、本所元町まで来てしまいました。それまで来ても一向、机竜之助の姿を認むることはできません。ちょうどこの時分に米友は、どこからともなく、一声高く吠える犬の声を聞きました。それは深夜のことで、ここまで来る間には犬が吠えないではありませんでした。けれども、ここで一声の犬の声を聞いた米友は、思わずブルッと戦慄しました。
 ここにおいて米友は、たったいまお松の言った言葉を思い合せました。いま吠えた犬の声がムクであってみると、米友はそこに何か異常なる出来事が起ったことを想像しなければなりません。ムクに逢わざること久しい米友は、その異常なる出来事を、路傍のこととして閑却するわけにはゆかないのであります。
 米友はその二声目を聞こうとして、両国橋の橋の手前へ現われました。目の前にやはり番所があります。小うるさい、また辻番かと思った米友は、ふと自分の手に持っている提灯を見ると、これだなと思いました。お松の手から受取った提灯を今更のように見廻すと、物々しい五七の桐の紋に初めて気がつきました。
 ちょうどその時であります、行手の両国橋の上で、
「あれ――危ない」
という声。
 柳の蔭へ槍を隠して橋を渡ろうとした米友は、この声を聞くと共に、その槍を押取《おっと》って驀然《まっしぐら》に駈け出しました。
 この時にあたっての米友は、もはや辻番の咎《とが》めを顧慮している遑《いとま》がありません。隼《はやぶさ》のように両国橋の上を飛びました。その時分に、橋の真中のあたりの欄干から身を躍らして……川をめがけて飛び込んだものがあるらしい。
「助けて――」
 絶叫と共に、ざんぶと水の音が立ちました。米友は橋の欄干に、一領の衣類がひっかかっているのを見ました。それは身分ある女の着るべき裲襠《うちかけ》であります。
「おい、どうしたんだ」
 提灯《ちょうちん》をかざして橋の下を見ると、波の上に慥《たしか》に物影があって、しきりに浮きつ沈みつしていることを認めました。
「はい、ムクがいるから助かります、この犬が、わたしを助けてくれます」
 水の中から人の声。
「ナニ、ムクだって? 犬がお前を助けるんだって、それじゃあお前は、君公だな」
 米友は、橋の板を踏み鳴らしました。
「チェッ」
 槍を橋板の上へさしおいて、
「ばかにしてやがら、この尾上岩藤《おのえいわふじ》のお化けみたようなやつが癪《しゃく》に触らあ、何だって今頃、両国橋をうろついてるんだ、駒井能登守という野郎にだまされて、それからいいかげんのところで抛《ほう》り出されて、身の振り方に困ってここへ身投げに来たんだろう、ザマあ見やがれ、俺《おい》らは知らねえぞ、第一、このビラシャラが癪に触らあ、この尾上岩藤が気に喰わねえ、ザマあ見やがれ」
 米友はこう言って罵《ののし》って、欄干にひっかかっている裲襠《うちかけ》を蹴飛ばしたが、それでも提灯をずっと下げて川の中を見下ろし、
「馬鹿野郎」
 たまり兼ねた宇治山田の米友は、提灯をさしおいて帯を解きにかかりました。

 それから両国橋の上へ数多《あまた》の提灯が集まったのは、久しい後のことではありません。
 それをよそにして、矢の倉の河岸《かし》、本多|隠岐守《おきのかみ》の中屋敷の塀の外に立っているのは、例の頭巾を被った机竜之助であります。机竜之助は竹の杖をついてその塀の下に立っていました。ここから見れば、両国橋の側面は、その全体を見ることもできるし、橋の上の人の提灯も、橋の下の舟の提灯も、絵に描いたように見えるけれども、それを眺めているのではありません。
 暫くこうして塀の際に立っていた竜之助は、息をついているのであります。隠岐守の屋敷の隣は一橋殿で、その向うは牧野越中守の中屋敷、つづいて大岡、酒井、松平|因幡守《いなばのかみ》等の屋敷、それから新大橋であります。
 ここへ来て立っている竜之助は、血に渇《かわ》いていました。たった今は両国橋の上で、斬って捨つべかりし人を斬り損ないました。そこにはたしかに邪魔物があった、その邪魔物は人でなくて動物でありました。その動物はもちろん犬であります。
 その犬が……竜之助がここへ来ても、なお不審に思うのはその犬が、猛然としてその主人らしいのを防いでいたけれど、しかも自分に向って、なんらかの親しみがなかった犬とは思われないことであります。ここへ来て、はじめて思い越すよう、伊勢から出て東海道を下る時、七里の渡しから浜松までの道中を、自分のために道案内してくれた不思議な犬があった。自分が全く明を失ったのは、あの犬と離れた後のことである。犬と離れて自分は、ある女の世話になって東海道を下ったが、あれから犬はどこへ行ったやら。いま出逢った犬が、どうもその犬であるような気がしてならぬ。
 斬らんとして斬り損じたことが、今宵に限って、まだ疑問として残されていたけれど、それがために血に渇《かわ》いている心の渇きは、癒《いや》されたものとは思われません。
 犬と人とをもろともに橋の下へ斬り落して、いや、斬り損じて落して、直ぐに刃《やいば》を納めて、橋上を西へ走りました。幸いにして橋番にも怪しまれずに、一気に広小路から元柳橋を越えて、ここの塀下に立ってみると、病み上りの身には、ほとんど堪え難い息切れがします。
 しかし、ともかくここまで来たのは、これから河岸を新大橋へ廻って、新大橋を渡って、弥勒寺橋《みろくじばし》の長屋へ帰るつもりと思わねばなりません。けれどもそれはこのまま、すんなりとは帰れますまい。
 市中の見廻りや辻番が怖いとならば、それは出て来た時も同じこと。このままで帰れないのは、途中のそれらの心配ではなくて、人を斬らんとして斬り損じたことは、水を飲まんとして飲み損じたものと同じことであります。人を斬ろうとして家を出たものが斬らずに帰ることは、水を飲まんとして井戸へ行ったものが、水を得ずして帰るのと同じことであります。
 こうして竜之助は、本多隠岐守の中屋敷の塀の下に立って、河岸に向いて立っておりました。
 竜之助がここに立っているとは知らず、後ろから静かに歩いて来る人があります。それもたった一人で歩いて来ます。提灯も点《つ》けずにこの夜中を一人で歩いて来るのは、不思議に似て不思議にあらず、これはやはり杖をついた按摩《あんま》でありました。笛を吹かないのはこのあたりが、いずれもお屋敷の塀であると知ってのことでしょう。
「もし」
 竜之助がその按摩を呼び留めました。
「はい」
 按摩は驚いたように、ピタリと杖を留めました。
「あの、本所へ参りたいのだが、その道筋は、これをどう参ってよろしいか教えてもらいたい」
「本所へおいでなさるのでございますか、本所はどちらへ」
「弥勒寺橋に近いところまで」
「弥勒寺橋……それならば、両国へおいでなすった方がお得でございましょう、これから少々戻りにはなりますがね」
「その両国へ出ないで、新大橋を渡って行きたいと思うのだが」
「新大橋……左様ならば、これを真直ぐにおいでなさいまし、わたくしもそちらの方へ参りますから、なんなら……」
と言いながら按摩《あんま》は、静かに歩いて竜之助の前を通り過ぎて行きます。
「今、両国に身投げがあったそうでございますね、でも助かったそうでございますよ」
 按摩は自分の気を引き立てるために、わざとこんなことを言って、
「米沢町のお得意へ参りましてな、ついこんなに遅くなってしまいましてな、先方では泊って行けとおっしゃって下すったんですがね、ナーニ夜道は按摩の常だと言って、こうして出て参りましたよ、送って下さるというのを断わりましてな。自慢じゃあございませんが、これが勘《かん》のせいで……わたくしも新大橋を渡って本所へ参るんでございます、これからまだ一軒お寄り申すところがありますから、それへ寄って、本所の二ツ目まで帰るんでございます。按摩ではございますが二ツ目へ帰ります。当節は世の中が物騒でございますから、うっかり夜道はできませんけれど、そこは按摩でございますから……おや、危のうございますよ、ここに水溜りがございますから」
 こう言って按摩が振返った時に、ヒヤリと冷たい風。音もなく下りて来た一刀。
「えッ、目の見えない者を斬ったな!」
 かわいそうに、まだ年の若い按摩でありました。振返った途端に、右の頬《ほお》げたから上下の歯を併《あわ》せて斜めに切って、左のあばらの下まで切り下げられて、二言《ふたこと》ともありません。

 宇治山田の米友が、弥勒寺橋の長屋へ帰って来たのは暁方《あけがた》のことでありました。戸をあけて内へ入って見ると、家の中はまだ暗いけれども、夜前と別に変ったこともありません。土間を見ると、竜之助の穿《は》いて出た草履《ぞうり》がちゃんと脱ぎ揃えてあります。
 そろそろと座敷へ上った米友は、そっと屏風の中を覗《のぞ》いて見ると、竜之助は右枕になってよく眠っておりました。その蒼白《あおじろ》い面《かお》が薄暗い中で、何とも言えず痛々しげに見えるのであります。
「うーむ」
と言って米友は、それを覗きながら腕組みをして唸りました。そうかといって、よく眠っているものを起そうとするでもありません。枕許の刀架を見ると、夜前見ておいたところよりはこころもち前へ進んでいるかと思われるだけで、大小一腰は少しの変りもなく、米友は昨日の朝したように、強《し》いてその刀を取って調べてみようでもありませんでした。
 こうして屏風の上から暫く眺めて唸っていた米友は、思い出したように炉の近いところへ来て火を焚きつけました。
「チェッ」
 火がよく焚きつかないで舌打ちをしました。ようやく火が燃え上った時分に米友は、ぼんやりとその火をながめていました。しばらくぼんやりと火をながめていた米友が、また急に思い出したように立ち上って、流し元へ行って、二升だきの鍋をさげて来ました。鍋の中には昨夕《ゆうべ》のうちにしかけておいた米があります。
 その鍋を自在鍵にかけて米友は、またぼんやりして鍋を見つめました。せっかくの焚火が消えかかるのに驚いて、また慌《あわ》てて薪を加えました。再び盛んに燃え上る火の前に米友は、またぼんやりとして、その火の色と二升だきの鍋の底とを見つめていました。
 そのうちに火が威勢よく燃えて、鍋の中の飯が吹き出すと、米友は慌てて鍋の蓋を取って、またその鍋を見つめて、ぼんやりとしていました。その時屏風の中で寝返りの音がして、さも苦しそうに呻《うめ》く声がしました。その声に驚かされた米友は、眼をギョロギョロさせて屏風の方を見返りました。
「眼の見えない者を斬った!」
 屏風の中の人は、夢か、うつつか、こう言った言葉に思わず身ぶるいして、
「エエ!」
 米友は眼を光らせました。それから尾を引いたような長い唸りが続きました。
 矢庭《やにわ》にその席を立った米友は、また屏風のところへ行って覗いて見ました。さきには右枕になっていた竜之助が、今度は左枕になって寝ていました。蒼白い面には苦悶の色がありありと現われていました。気のせいか、一筋の涙痕《るいこん》が頬を伝うて流れているもののように見えますけれども、やはりよく眠っているには睡っているに違いありません。
 また炉辺《ろばた》へ帰った米友は、火を引いて鍋を自在からこころもち揺り上げました。
 ここに米友は、不思議の感に打たれています。昨夜、この人を追うて出てついに行方《ゆくえ》を見失ったが、それとは別にはからざる人を助けて来ました。
 相生町の老女の家へ、人と犬とを送り届けて、昨夜出た人の行方を心許《こころもと》なく帰って見ればその人は、極めて無事にこうして眠っているのであります。
 そもそもこの人は昨夜、何のためにどこまで行って、いつ帰ったかということが、米友には測り切れない疑問でありました。それよりも眼の見えないはずの人が、目の見える自分を出し抜いて無事に帰っていることが、奇怪千万に思われてなりません。
 こいつは偽盲目《にせめくら》じゃないかと、米友はこの時にもまたそう思い出しました。

         二十

 多分石川島の造船所から乗り出したと思われるバッテーラが、この真暗な中を無提灯で、浜御殿の沖へ乗り出しました。
「どこへおいでなさるんでございます」
 艪《ろ》を押していた若い男が尋ねました。
「西洋へ」
と答えたのは、駒井甚三郎の声であります。
「エエ! その西洋へ、こんなちっぽけな船で?」
「これで行くんじゃない、沖へ出ると大きな船がある」
「へえ、いったい、あなた様は、どうしてそんなお心持におなりなさったんです、何の御用で西洋へおいでなさるのでございます」
 バッテーラを漕ぎ出したのはこの二人。人足の寄場《よせば》であった石川島。敲《たた》きや追放に処せられたもので、引受人がなくて、放してやるとまた無宿人になってしまいそうなものを、ここに集めて仕事をさせておいたから、おそらくここに駒井甚三郎のためにバッテーラを漕いでいるのは、そのなかの一人と思われます。二人とも同じような陣笠を被《かぶ》って、羅紗《らしゃ》の筒袖の羽織を着ていました。
「吉田寅次郎の二の舞だ」
と言ったまま多くを語らず、それをわからないなりで艪《ろ》を操《あやつ》っている若い男は、駒井甚三郎に盲目的に信従している者と見なければなりません。
 やがてこのバッテーラが神奈川へ近くなると、闇の間にきらめく星のようなものがいくつも見え出しました。
「清吉、あれを見ろ」
 甚三郎が指さすところに、三本マストの大船が、海を圧して浮んでいます。

 世相はさまざまであります。一方には尊王攘夷が盛んであると共に、一方にはまた西洋を見なければならぬと悟る者も多くありました。駒井甚三郎はこうしてコッソリと抜け出したけれども、この年、幕府からは向山隼人正《むこうやまはやとのしょう》が正使として、田辺外国奉行支配組頭がこれに添い、別に徳川民部大輔《とくがわみんぶたいふ》は山高石見守《やまたかいわみのかみ》をお傅《もり》として、仏蘭西《フランス》の万国博覧会を視察に出かけるような世の中になりました。その随行としては杉浦愛蔵、保科《ほしな》俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作《みづくり》貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それぞれの人材が出かけることになりました。
 それとはまた別に、長者町に妾宅を構えた鰡八大尽《ぼらはちだいじん》も、御多分に洩れず洋行することになりました。これは政治向の視察よりも商売向を調べたいのですから、数十人の番頭を召連れて、顧問として各種の商人に同行してもらい、それに大尽もかなり年をとっているから、途中万一の心配のため、医者から看護人から、花のような女中まで連れ、その上に、外国へ行っての気候や食物の変化を慮《おもんばか》って日本の食料品を充分積み込み、腕の冴《さ》えた料理人を召抱え、その他、衣類から、酒類から、万事ぬかりなく、向うへ行って附ける味噌まで用意して行こうという騒ぎでありました。
 その前祝いのために、この妾宅で立振舞《たちぶるまい》がありました。それはまた、なかなか盛んなる景気でありました。余興には美人を集めて、鬼ケ島の征伐をするということであります。案内を受けた朝野《ちょうや》の名流は、ゾロ、ゾロ、ゾロと定刻からこの妾宅へ詰めかけて来ました。
 この朝野の名流というのが、いつも大抵きまった面振《かおぶれ》なのであります。何か事があるとゾロ、ゾロ、ゾロと出て来て、ズラリと面《おもて》を並べて設けの席に着きます。
 それから、主人側と来客が鹿爪《しかつめ》らしい声、よそゆきの口調を出しておたがいに、おテンタラの交換をするのであります。主人側は、かく朝野の名流の御来場を賜わりましたことは、不肖《ふしょう》身にとって光栄とするところでございます、テナことを言うのであります。そうすると来賓側も負けない気になって、主人が老いてますます壮《さか》んにして海外雄飛の志を遂げんとするは、商業界のみならず、我々後進のために無上の教訓である、テナことを言うのであります。
 そのおテンタラの交換が済むと、それから主客が打解けての宴会がはじまります。その宴会の前後には余興が行われました。
 余興も例の鬼ケ島の征伐に至ると、もう主客ともに大童《おおわらわ》であります。美人連を鬼に仕立てて、朝野の名流がそれを追蒐《おっか》け廻って、キャッキャッという騒ぎでありました。
 さて、この隣家に控えているのがほかならぬ道庵先生であります。これをそのままで置いては、それこそ道庵先生健在なりやと言いたくなるのであります。ところが先生、どうしたものかいっこう振いません。不在でもあるかと思うと、立派に在宅しているのだから、子分のなかでも気の早いデモ倉というのが堪り兼ねて、
「先生、あれでいいですか、長州征伐の兵隊たちは艱苦《かんく》のうちに、引くことも進むこともできねえで困っているのに、あんな泰平楽《たいへいらく》な旅立ちをしていいもんですか、ずいぶんふざけてるじゃございませんか、先生として、あれをあのままにしておけますか」
 眼の色を変えて詰め寄せて来ました時に、道庵先生は泰然自若《たいぜんじじゃく》として盃を挙げ、
「まあ、打捨《うっちゃ》っておけ、万事はおれの腹にある」
 腹の大きいところを指さしました。けれどもデモ倉には、先生の腹の大きいところを理解するだけの頭がありませんでした。
「先生、いやにすましてるねえ、お腹《なか》がどうかしたんですかい」

 南条|力《つとむ》と五十嵐甲子雄《いがらしきねお》の二人は、上方《かみがた》の風雲を聞いて急に江戸を立つことになりました。宇津木兵馬はそれを送って神奈川まで行きました。
 神奈川の宿《しゅく》の背後《うしろ》の小高い丘の上で三人は休みました。眼の前には神奈川の沖、横浜の港が展開されています。秋の空は高く晴れ渡っています。
 兵馬の眼を驚かしたのは、眼の前の沖に、見慣れぬ三本|檣《マスト》の大船が横たわっていることであります。その当時の漁船や、番船や、また幕府の御用船なども、その大きな黒船の前では、巨人の周囲を取巻く小児のようにしか見えません。兵馬がその巨船に向って、しきりに驚異の眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》っているのを南条力は、莞爾《かんじ》として傍から申しました、
「あれは和蘭《オランダ》でフレガットと呼ぶ種類の軍艦だ、噸数《トンすう》は三千噸、馬力は四百馬力というところだろう、毛唐《けとう》はあれ以上の軍艦を何百も持っている、日本にはあれだけの船を見ることも珍しいのだ、残念なことだ、日本の船であれと競争するのは、大砲へ弓矢を以て向うのと同じことじゃ。大砲といえば、あのくらいの船で、あれに三十ドイムの施条砲《しじょうほう》が二十六門は載っているだろう、それに小口径のやつも十門以上はあるだろう。乗組か、左様、五百人は大丈夫だな。日本でも早くあのくらいの船で、この神奈川の海を埋めてみたいものじゃ。船と大砲のことを考えると、拙者はいつでも駒井甚三郎のことを思う。あの男を西洋へやって、充分に船と大砲の研究をさせておけば、国家のために大した働きをなすのだが、惜しいものだ。あの男はいったい、今どこにいるか知らん、滝の川以来、もう一度会って話したいと思っていたが、ついにその所在を知ることができなかった、これも残念」
 南条力は一種の感慨と、軒昂《けんこう》たる意気を眉宇《びう》の間《かん》に現わしてこう申します。
 神奈川の宿の外れまで二人を送って別れた宇津木兵馬は、その帰りに神奈川の町の中へ入ってみると、そこにも目を驚かすものが多くありました。今まで京都や江戸で見聞した気分とは、まるっきり違った気分に打たれないわけにはゆきませんでした。神奈川の七軒町へ来ると、大きな一構えの建築を見出して屋根の上をながめると、横文字で、No. 9 と記してあります。兵馬はそれを見て、ははあ、これが有名なナンバーナインというものだなと思いました。兵馬はここで岩亀楼《がんきろう》の喜遊という遊女が、外国人に肌を触れることをいやがって、「露をだに厭《いと》ふ大和《やまと》の女郎花《おみなへし》、降るあめりかに袖は濡らさじ」という歌を詠《よ》んで自害したという話を思い出しました。しかしここへ来て見ると、降るアメリカも、意気なイギリスも、揚々と出入りして、遊女たちも露を厭うような、しおらしい風情《ふぜい》はあんまり見受けないようでした。岩亀楼とはどこだか知らないが、兵馬もあの話は誰かのこしらえごとではないかと思いました。
 兵馬の頭はこの新しい開港場へ来ると、いたく動揺してしまいました。何か大きな渦の中へでも捲き込まれて行くような心持で町の中を去って、また小高い丘へ登りました。そこで松の木蔭に坐って横浜の港と東海筋とを、しんみりと眺めました。大きな渦へ捲き込まれそうであった頭の動揺がここへ来ると、また静かになりました。そうして松の木蔭でゆっくりと休みながら海を見ていると、この時にかの大きな船が煙を吐きはじめました。やや暫く見ているうちに、徐々としてその船が動き出しました。
 黒烟《こくえん》を吐いて本牧《ほんもく》の沖に消えて行く巨船の後ろ影を見送っているうちに、兵馬は、壮快な感じから、一種の悲痛な情が湧いて来るのを、禁ずることができません。
 誰を送るともなしに、あの船の行方に名残《なご》りが惜しまれるようになりました。その船が見えなくなった後に、自分は敵《かたき》をうたねばならない身だと思って、雄々しくも、腰の刀を揺り上げて立ちました。



底本:「大菩薩峠5」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 三」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》」「一ケ所」「二ケ所」「鬼ケ島」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2002年9月21日作成
2003年6月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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