青空文庫アーカイブ
大菩薩峠
道庵と鰡八の巻
中里介山
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)贅沢《ぜいたく》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)又|如何《いかん》とも
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「にんべん+尚」、第3水準1-14-30]
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一
下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあってプンプン怒っています。
その気に入らないことを、よく尋ねてみるとなるほどと思われることもあります。それは道庵先生のすぐ隣の屋敷地面を買いつぶして、贅沢《ぜいたく》な普請《ふしん》をはじめたものがあるのであります。道庵先生ほどのものが、他人の普請を嫉《ねた》むということはありません。その普請が出来上るまでは、先生は更に頓着をしませんでしたけれども、いよいよ出来上って、その事情が知れた時に、先生が非常に憤慨してしまいました。その普請というのは、そのころ有名な鰡八大尽《ぼらはちだいじん》というものの妾宅なのであります。
鰡八大尽というのは、その頃の成金の筆頭でありました。みすぼらしい棒手振《ぼてふり》から仕上げて、今日ではその名を知らないもののないほどの大尽であります。それは国内に聞えた大尽であるのみならず、外国人を相手に手広い商売をしました。糸の取引をしたり、唐物《とうぶつ》の輸入をしたり、金銀の口銭《こうせん》を取ったり、その富の力の盛んなことは、外国までも響き渡るほどの大尽でありました。
「おれの隣へ来たのは鰡八の野郎か、それとは知らなかった、口惜《くや》しい」
道庵先生は、それと知った時に歯噛《はが》みをしたけれど、もう追附きません。
その妾宅が出来上ると盛んなる披露の式がありました。集まる者、朝野の名流というほどでもなかったけれど、多種多様の人が集まって、万歳の声が湧くようでありました。それを聞いて道庵先生は、火のように怒ってしまいました。その後とても、毎日毎日、鰡八大尽の妾宅へ詰めかける朝野の名流(?)は少ない数ではありませんでした。その門前の賑やかなことは長者町はじまって以来の景気であります。ところが道庵先生の方は、相変らずの十八文でありました。その門を叩く人も十八文に準じた人で、朝野の名流などはあまり集まらないのであります。
今まで十八文で売っていた道庵先生、長者町といえば酔っぱらいの道庵先生と受取られるほどの名物であった先生が、鰡八大尽《ぼらはちだいじん》の妾宅が出来てからというものは、その名物の株を奪われそうになったのであります。道庵先生が憤慨するのも道理がないわけではありません。鰡八大尽の方とても、ことさらに道庵先生の隣を選んで普請をはじめたわけではなかろうけれど、偶然にそうなったことがおかしなものでありました。ことに門が崩れ、塀が破れ、家が傾いた先生の屋敷の地境《じざかい》へ持って行って、宮殿を見るような大きな建築が湧き出し、その楼上で朝野の名流だの、絶世の美人だのが豪華を極めるところを、道庵先生が、縁側で薬草などを乾かしながら見上げている心持は、どんなものでありましょう。
「いまに見ていやがれ、鰡八の野郎、ヒデエ目に逢わしてやるから」
道庵先生は、こんなわけで、このごろはプンプン怒っているのでありました。
鰡八大尽の方では、こんなわけで、道庵先生を敵に持ったことはいっこう知りませんでした。大尽がその高楼の上から、先生の屋敷と庭とを一眼に見下ろして、
「汚い家だな、何とかして早く買いつぶしてしまえ」
と言って不快な面《かお》をしていました。それで三太夫が人を介して、内々買いつぶしの相談に当らせてみようとすると、あれは有名な変人だから、そんな話を持ち込もうものなら、かえって飛んだ事壊《ことこわ》しになります。まあもう少し時機をお見合せなさいましということであったから、大尽にはそのことを言わないで置いてありましたけれども、ここに鰡八大尽と道庵先生とが、表向いて相争わなければならない事情が出来たのは、ぜひないことと申すより外はありません。
それは鰡八大尽が、ある夜、この妾宅の楼上へ泊り込んだ時に、不意に食あたりに苦しめられて、上を下へと騒がせたことがありました。大尽は非常に苦しみました。いかに大尽の力を以てしても、雇人たちの追従《ついしょう》を以てしても、病気ばかりは医者の手を借らなければならないのであります。その医者とても、この場合においては、遠くの名医博士よりも、近くの十八文を有難く思わねばならないのでありました。そこで家の子郎党たちは、取るものも取り敢えずに道庵先生の門を叩きました。
この時に、道庵先生の門を叩いた家の子郎党たちが心得のある人であったならば、相手がなにしろ道庵先生だということを腹に置いてかかるのだけれど、不幸にしてその連中は、それだけの心得も腹もない連中が、狼狽《あわて》て駈けつけたもんだから、鰡八大尽のためにも、道庵先生のためにも、悪い結果を齎《もたら》すということを夢にも予想はしませんでした。
「今晩は、今晩は」
大尽の家の子郎党は、傾きかかった道庵先生の家の門を、荒々しく叩きました。
「国公、起きて見ろ、いやに荒っぽく門を叩く奴がある、こちとらの門なんぞは、下手《へた》に叩かれたんではひっくり返ってしまわあな」
道庵先生はその音を聞きつけて、寝床の中から薬箱持ちの国公に差図しました。
国公は、慣れたものだから、直ぐに起きて案内に出ました。
「どーれ」
国公が応対に出たけれども、道庵先生の寝ているところと玄関とは、いくらも隔たっていないのだから、先生はその応対の模様を、いつも寝ながらにして聞いていて、それによって病気の模様を察し、急いで駈けつけるべき必要があると認めた時は急いで駈けつけ、悠々《ゆるゆる》していた方が病人のためになると思った時は、わざと悠々したりなどするのが例でありました。
「今、御前《ごぜん》が御急病でいらっしゃる、先生に大急ぎで出かけていただきたい、御前はお気が短くていらっしゃるから、愚図愚図しているとお為めになりません、寝巻のままで決して御遠慮なさるには及びませんから、こういう場合でございますから、失礼は私共からあとで幾重にもとりなして差上げますから、どうか御一緒に願いたいもので」
国公が玄関の戸をあけるを待ち兼ねて、外からこういう挨拶でありました。寝ながら聞いていた道庵先生は、どうも解《げ》せない挨拶だと思いました。第一、御急病でいらっしゃる御前というのは、何者であるかということも解せないのでありました。それに気が短くていらっしゃるから、愚図愚図していると為めにならないという言い分は、考えてみるとおかしな言い分でありました。お気が短くていらっしゃろうと、お気が長くていらっしゃろうと、こっちの知ったことではないのであります。寝巻のままで御遠慮をなさるには及ばないから出て来いという言い草も、ずいぶん変った言い草であります。失礼はあとでとりなして上げるというのは、いったい誰に向って言ったのだろうと、道庵先生も少しく面喰って、世には粗忽《そそっ》かしい奴もあるものだ、頼まれる方へ向ってすべき挨拶を、頼む方からしてしまっている、急病で気が顛倒《てんとう》しているとは言いながら、おかしな奴等だと道庵先生は、腹の中でおかしがっていました。
道庵先生にも解せなかったように、取次の国公にも解せなかったから、眼をパチパチして、
「いったい、どちらからおいでなすったんでございます」
「どちらから? そうそう、それそれ、このお隣の大尽から参りました、大尽がただいま御急病でいらっしゃるから、それでお使に」
使の者がこう言った時に、
「馬鹿野郎!」
道庵先生がバネのように起き上りました。
「何でえ、何でえ」
道庵先生がムックリと跳《は》ね起きて、寝巻の帯を締め直す隙《ひま》もなく、枕許にあった薬研《やげん》を抱えて玄関へ飛び出しました。
もし先生が心得のある武士であったなら、薬研を持ち出すようなことはなかったでありましょうけれど、先生の枕許には、別段に武器の類《たぐい》を備えてありませんでしたから、先生はあり合せの薬研を抱えて飛び出したものであります。そうして玄関へ飛び出した先生の挙動は、確かに鰡八大尽《ぼらはちだいじん》の使者を驚かすに足るものでありました。挙動だけが使者を驚かすのみでなく、その言葉も彼等の度胆《どぎも》を抜くに充分なものでありました。
「さあ承知ができねエ、もう一ぺん言ってみろ、手前《てめえ》たちはどこから、誰に頼まれて来たのか、もう一ぺん言ってみろ」
先生は薬研を眼よりも高く差し上げて、鰡八大尽の使者を睨《にら》みつけたところは、かなり凄《すご》いものでありました。
「私共は、お隣の鰡八大尽の邸から上りました……」
「鰡八がどうした、その鰡八がどうしたと言うんだ」
「鰡八の御前が急に御大病におなりなさいましたから、先生に診《み》ていただきたいと思って上りました」
「それからどうした」
「もともと鰡八の御前は、滅多《めった》なお医者様にはおかかりにならないお方でございます、立派なお医者様をお抱え同様にしてあるのでございますが、なにぶん今晩のところは、急の御病気だものでございますから、よんどころなく先生のところへ上ったわけなのでございます」
「そうか、よんどころなく俺のところへ頼みに来たのか、よく来てくれた」
「何が御縁になるか知れたものではございません、これからこちらの先生も、大尽へお出入りが叶《かな》うようになるかも知れません、もしこれが御縁で大尽のお気に入りにでもなって、お出入りが叶うようになりますれば、使に立った私共までが面目でございます」
「この馬鹿野郎!」
道庵先生はこの時に、眼より高く差し上げていた薬研を、力を極めて玄関先へ投げつけました、薬研は凄《すさま》じい音をして、鰡八大尽の使者の足許へ落ちました。それと共に爆裂弾の破裂するような道庵先生の大音で、
「ざまあ見やがれ!」
使者の連中は、この人並ならぬ道庵先生の挙動と、足許で破裂した薬研の響きで、腰を抜かすほどに驚きました。
物を知らないというのは怖《おそ》ろしいものであります。使者の連中も、最初から道庵先生と心得てかかれば、これほどのことはなかったであろうに、惜しいことに、その辺の注意が行届かなかったから、こういうことになったのは返す返すも残念でありました。
「こりゃ気狂《きちが》いだ」
長居をしてはどういう目に逢うか知れないと思って、あわてふためいて這々《ほうほう》の体《てい》で、使者の連中は逃げ帰ってしまいました。
こうして彼等を追い返したけれども、道庵先生の余憤はまだ冷めないのであります。寝巻のままで庭へ飛び下りました。庭へ飛び下りて用心梯子《ようじんばしご》まで来ると、それへ足をかけて、みるみる屋根の上へ登ってしまいました。雇人の国公は、先生として斯様《かよう》な挙動はありがちのことだから、別段に驚きもしないし、いま物狂わしく屋根の上へ登って行く道庵先生を見ても、それを抱き留めようともなんともしないのであります。
それよりもいま、道庵先生が投げた薬研を、玄関の鋪石《しきいし》のところから拾い上げて、転《ころ》んだ子供をいたわるように撫《な》でていましたが、それが鋪石に当って、多少の凹みが出来たことを惜しいものだと思っています。先生がムキになって何かを抛《ほう》り出して大切の物を創《きず》にするのは、今に始まったことではありませんでした。
この夜中に屋根の上へ登った道庵先生は、それでも辷《すべ》り落ちもしないで、やがて屋の棟《むね》の上へスックと立ちました。
ここから見上げると、鰡八大尽の大厦高楼《たいかこうろう》は眼の前に聳《そび》えているのであります。道庵先生はそれを睨みつけながら、
「鰡八、鰡八」
と突拍子《とっぴょうし》もなく大きな声で怒鳴りました。近所の人はその声に夢を破られたのもあったけれど、すぐにまた例の道庵先生かと思って、わざわざ起きて様子を見届けようとするものもありませんでした。けれども当の鰡八大尽の家では、その大きな声で驚かされないわけにはゆきませんでした。殊に時めく大尽に向って、鰡八、鰡八、と言って横柄《おうへい》に頭から呼びかけるような人は、滅多にないはずなのであります。
ちょうどその高楼の二階の一間で、急病に苦しんでいた鰡八大尽は、いま少しばかりその苦しみが退《ひ》いたので、附添のものもホッと息をついているところへ、外の闇の中から、いずこともなくこの突拍子もない大音で、
「鰡八、鰡八」
と呼びかけたのが耳に入りました。
「あれは誰だ」
と、それが大尽の耳ざわりになったのは、道庵先生にとっては誂向《あつらえむ》きであったけれど、並んでいた人たちにとっては、身体を固くするほどの恐縮なのであります。何かにつけてごまかそうとしている時に、またしても、
「鰡八、鰡八」
と破鐘《われがね》のような大きな声で、続けざまに呼び立てる声がします。
「あれは誰だ」
急病は一時は落着いたけれど、この声で大尽の落着きが乱れて来るようであります。鰡八、鰡八と、事もなげに自分を呼び捨てる怪物が外にあると思えば、よい心持はしないらしくあります。それが怪物であるならば、まだよいけれど、人間であるとしてみれば、打捨ててはおかれないのであります。大尽はその声のする方を睨めていると、
「気狂《きちが》いでございます」
さきに道庵先生のところへ使者に行って逃げ帰ったのが、恐る恐る大尽に向ってこう言いました。
「隣の屋根の上あたりでする声のようだ、隣はいったい何者が住んでいるのだ」
大尽は耳をすまして、なおその声を聞こうとしながら附添の者にたずねると、
「貧乏医者でございます、貧乏な上に気違い同様な奴でございます」
「怪《け》しからん、ナゼ早く買いつぶして立退かせないのだ」
「それがどうも……」
大尽の御機嫌が斜めになるのを、附添の者はハラハラしていると、
「鰡八、病気はどんな塩梅《あんばい》だ、ちっとは落着いたかい」
屋根の上でこういう大きな声がしました。
「怪しからん」
「鰡公」
「憎い奴だ」
「鰡公よく聞け、手前は貧乏人からそれまでの人間になった男だから、ともかくも物の道理はわかるだろう、手前の廻りにいて胡麻《ごま》を摺《す》っている奴等が礼儀を知らねえから、それでこの道庵が癪《しゃく》にさわるんだ、口惜しいと思ったら鰡公、ここへ出て来て、道庵の前へ手を突いてあやまれ、もし、あやまらなければ、この後は道庵にも了簡《りょうけん》がある、と言ったところで、おれは手前より確かに貧乏人だ、貧乏人だから金で手前と競争するわけにゃあいかねえ、そうかと言って剣術や柔術の極意にわたっているというわけでもねえから、腕ずくでも危ねえものだ、けれども、おれにはおれでお手前物の毒というものがある、いろいろの毒を調合して飲ませて、恨みを晴らすから覚悟をしろ」
この道庵先生の露骨にして無遠慮なる暴言は、あたり近所に鳴りはためくほどの大きな声で怒鳴り散らされました。
先生は、それで漸く、いくらかの溜飲《りゅういん》を下げて、屋根の上からおりて来ましたけれど、鰡八大尽は言うばかりなき不快を感じて、病気も忘れて荒々しく寝床を立って、雨戸を押し開いて欄干から外の闇を睨みつけましたけれど、その時分には道庵先生は、もう屋根から下りて、自分の寝床へ潜《もぐ》り込んでしまっていました。鰡八大尽は、かなりに腹が大きいから、そんなに物事を気にかける男ではなかったけれど、この道庵の暴言は聞捨てにならないと思いました。
よし、そんならば、いくら金がかかってもよろしい、あの屋敷を買いつぶせ、あの屋敷も売らないと言えば、その周囲の地面家作を買いつぶして、道庵を自滅させるように仕向けろと、執事や出入りの者にその場で固く言いつけました。
その後、鰡八大尽の御殿と、道庵先生の古屋敷との間を見ていると、ずいぶんおかしなものでありました。
大尽の方では、絶世の美人だの、それに随う小間使だのというものを、高楼に上《のぼ》せて、道庵先生の古屋敷を眼下に見下《みくだ》させながら、そこでお化粧をさせたり、艶《なま》めかしい振舞《ふるまい》をさせたり、鼻をかんだ紙を投げさせてみたり、哄《どっ》と声を上げて笑わせたりなどしていました。それを見た道庵先生の方は、また道庵先生の方で、屋根の上へいっぱいに櫓《やぐら》を組みはじめました、ちょうど大尽の高楼と向い合うように、大工を入れて櫓を高く組み上げさせました。
大尽の方では、その櫓を見ては笑い物にしていました。それは大尽の家の高楼と、道庵先生が大工を入れて急ごしらえにかかる櫓とは比較になりません。そんなことをして張り合おうとする道庵の愚劣を笑っています。
或る日のこと、大尽の家の高楼では、大広間を開放して、例の美人連に合奏をさせ、出入りの客を盛んに集めて、大陽気で浮れはじめたのを道庵が見て、外へ飛び出しました。
まもなく道庵が帰って来た時分には、その背後に二十人ばかりの見慣れない男をつれて来ました。それは年をとったのもあれば、若いのもあり、背の高いのもあれば、低いのもありました。道庵はこの二十人ばかりの見慣れない男を、櫓の上へ迎え上げました。そうして彼等に何事をさせるかと思えば、つづいてそこへ太鼓を幾つも幾つも担ぎあげさせました。
この連中は、馬鹿囃子《ばかばやし》をする連中であります。どこから頼んで来たか知れないが、わずかの間にこれだけの馬鹿囃子を集めることは、道庵でなければできないことと思われます。
大尽の家では、琴や三味線や胡弓で、ゆるやかな合奏の興が酣《たけな》わになる時分に、道庵の櫓では、天地も崩れよと馬鹿囃子がはじまってしまいました。それがために、大尽の楼上の合奏は滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に破壊されて、呆気《あっけ》に取られた美人連と来客とは、忌々《いまいま》しそうな面《かお》を見合せるばかりでありました。それを得たりと道庵先生は、囃子方を励まし立て、自分は例の潮吹《ひょっとこ》の面《めん》を被って御幣《ごへい》を担ぎながら、櫓の真中で、これ見よがしに踊って踊って、踊り抜きました。
道庵先生の潮吹の踊りは、たしかに専門家以上であります。これまでに踊りこなすには、道庵も多年苦心したもので、芸も熟練している上に、自分が本心から興味を以て踊るのだから、潮吹《ひょっとこ》が道庵だか、道庵が潮吹だかわからないくらいに、妙境に入《い》っているのであります。
合奏の興を破られて、敵意を持っていた大尽の高楼の美人連や来客も、道庵先生の踊りぶりを見ると、敵ながら感服しないわけにはゆかないのであります。
道庵の屋根の上では、その都度都度《つどつど》馬鹿囃子がはじまります。馬鹿囃子がはじまると、鰡八大尽の妾宅は滅茶滅茶にされてしまいます。鰡八は、道庵風情を相手に喧嘩をすることを大人げないと思っていますけれども、あんまり無茶なことをするものだから腹に据えかねて、いくらかかってもよいから、道庵を退治するように出入りの者に内命を下しました。
一方、道庵の方では、馬鹿囃子《ばかばやし》が当りに当ったものだから、いよいよいい気になって、このごろでは、道庵も本業の医者をそっちのけにして踊り狂っていました。そうするとまた近所界隈が、それを面白がってワイワイと集まって来ました。ついには道庵先生の庭から屋敷の前まで、露店が出て物日縁日《ものびえんにち》のような景気になりました。
鰡八大尽の妾宅の喧《やかま》しいことと言ったら、それがため夜の目も寝られないのであります。大尽から内命を下された出入りの者は、いかにしてこの暴慢なる道庵を退治すべきかに肝胆《かんたん》を砕きました。その結果どうしても、右の馬鹿囃子に対抗するような景気をつけて、道庵の人気を圧倒しなければならないと、その方法をいろいろと研究中であります。
そのあいだ道庵は、いよいよ図に乗って、これ見よがしに踊り狂い、踊りながら、
「スッテケテンツク、ボラ八さん」
なんぞと妙な節をつけて、出鱈目《でたらめ》の唄をうたいました。それが子供たちの間に流行《はや》って、
「スッテケテンツク、ボラ八さん」
何も知らない子供たちは、道庵の真似をして、大きな声で町の中を唄って歩くようになりました。
大尽の一味の者は、いよいよ安からぬことに思い、ついに大きな園遊会を開いて、道庵を圧倒するの計画が出来上りました。
その計画は、さすがに大きなものでありました。天下の富豪たる鰡八大尽が、費用を惜しまずにやることですから、トテモ十八文の道庵などが比較になるものではありません。
その園遊会の余興としては、決して馬鹿囃子のようなものを選びませんでした。その頃の名流を択《え》りすぐった各種の演芸の粋《すい》を抜いて番組をこしらえました。また主人や出入りの者もおのおの腕に撚《よ》りをかけて、その隠し芸を発揮しようということでありました。その上に、その頃朝鮮から来ていた名代《なだい》の美男子の役者がありました。それに非常な高給を払って、朝鮮芝居を一幕さし加えるということなどは、作者がかなり脳髄を絞っての計画に相違ありません。
これらの計画や選定が、すっかり定まってしまうと、それをなるたけ大袈裟《おおげさ》に世間に触れてもらわねばならぬ必要から、人に金をやって、さんざんに吹聴《ふいちょう》させ、お太鼓を叩かせたものですから、このたびの園遊会の景気は長者町界隈はおろか、江戸市中までも鳴り響きました。
「さすがに大尽の威勢は大したものだ、すばらしい御馳走をした上に、日本の土地では見ることのできない朝鮮芝居を見せてくれるそうだ、鰡八大尽でなければできない芸当だ、さすがにすることが大きい」
江戸市中はこの評判で持ち切ってしまいました。道庵の馬鹿囃子などはこの人気に比べると、お月様に蛍のようなものであります。道庵も少しばかり悄気《しょげ》てきました。これは馬鹿囃子だけでは追付かない、何かほかに一思案と思っているうちに、大尽《だいじん》の屋敷の園遊会の当日となりました。
江戸市中の見物は、我も我もと押しかけて来ましたけれど、大尽の妾宅の門まで来て見ると、急に二の足を踏んでしまいました。
それは園遊会も、朝鮮芝居も、無料《ただ》で接待するものとばかり思っていたら、目玉の飛び出るほど高い場代を徴集するのでありますから、それで集まったものが、あっと二の足を踏みました。
あれほど吹聴したり、評判を立てさせたりしたものだから、無料《ただ》で入れて無料で見せるのだろうと思ったら、目玉の飛び出るほどの場代を取るというのだから、集まって来た人が門の前で二の足を踏みました。
「ばかにしてやがら、大尽がどうしたと言うんだい、鰡八がどうしたんだい」
と言って悪態《あくたい》をつくものもありました。しかしそれは、悪態をつく方が間違っているのであります。大尽だからと言って、この広大な園遊会を開き、それから非常な高給を払って朝鮮役者を招くからには、そのくらいの場代を取ることは、少しも無理はないのであります。無理はないのみならず、日本ではほとんど見ることができないと言われた朝鮮芝居を、こうしてそのまま持って来て、居ながらにして見せてくれるということは、並大抵の興行師などではできないことであります。それですから見物は、大尽の威勢と恩恵とに感涙を流して、場代を払わなければならないのであります。それを無料《ただ》見ようなどというのはいかにもさもしいことであります。
しかし、江戸っ児にも、そうさもしいものばかりはありませんでした。場代が高いと言ってしりごみをして、この珍しいものを見ないで帰るのは、たしかに江戸っ児の沽券《こけん》に触《さわ》ると力《りき》み出すものが多くありました。江戸っ児の腹を見られて朝鮮人に笑われても詰らねえと、国際的に気前を見せる者もありました。それがために、いったん二の足を踏みかけた見物が、みすみす目玉の飛び出るほど高い場代を払って門の中へ入り込むと、人気というものはおかしなもので、ついには我も我もと先を争って切符を買うような景気になって、門内へなだれ込みます。
さすがに鰡八大尽のすることは、こんな些細なことまでも違ったものであります。道庵などは、貧乏人のくせに身銭《みぜに》を切って馬鹿囃子を雇い、家業をそっちのけにして騒いでいるのに、大尽は大評判を立てた上に、こんなことでも充分に算盤《そろばん》を取れるようにするのだから、どのみち相撲にはなりませんでした。しかし、これは鰡八が豪《えら》いというよりも、お附の作者や狂言方の仕組みが上手なので、それがために一段と、大尽の器量を上げたと言った方がいいのかも知れません。
この園遊会も、余興も、朝鮮芝居も、ことごとく大成功でありました。その日一日でおしまいというわけではなく、当分の間、毎日つづくのであります。市中一般においては、これを見なければ話にならないから、毎日毎日、続々と詰めかけて来ました。日のべを打てば打つほど儲《もう》かった上に評判が高いのでありますから、鰡八の御機嫌も斜めではないし、お出入りの人々も恐悦に感ずるし、作者や狂言方のお覚えも結構なものであります。
ここに哀れをとどめたのは道庵先生で、せっかく図に当った馬鹿囃子は、この園遊会と朝鮮芝居のために、すっかり圧《お》されてしまいました。隣からは毎日毎日、この景気で見せつけられているのに、もう馬鹿囃子でもなし、そうかと言って、それに対抗するには上野の山内でも借受けて、和蘭芝居《オランダしばい》の大一座でも買い込んで来なければ追附かないのであります。それは先生の資力では、トテも追附かないことであります。
道庵はそれがために苦心惨憺しました。自分の知恵に余って、子分の者を呼び集めて評定《ひょうじょう》を開いてみましたけれど、いずれ、道庵の子分になるくらいのものだから、資力においても知恵袋においても、そんなに芳《かんば》しいものばかりありませんでしょう。
いよいよ大尽にぶっつかる手術《てだて》がなければ最後の手段は、先生が口癖に言う毒を飲ませることのみだが、口にこそ言うけれど、この先生は毒を飲ませて人を殺すような、そんな毒のある人間ではありません。
二
ここにまた、前に見えた「貧窮組」のことについて一言しなければならなくなりました。貧窮組というのは、一種の不得要領な暴動でありました。明治六年の出版にかかる「近世紀聞」という本に、その時代のことをこんなふうに書いてあります。
[#ここから1字下げ]
「是より先、米価次第に沸騰して、既に大阪市中にては小売の白米一升に付《つき》銭七百文に至れば、其日稼《そのひかせ》ぎの貧民等は又|如何《いかん》とも詮術《せんすべ》なく殆ど飢餓に及ばんとするにぞ、九条村且つ難波村など所々に多人数寄り集まり不穏の事を談合して、初めは市中の搗米屋《つきごめや》に至り低価《ねやす》に米を売るべしとて、僅の銭を投げ出し店に積みたる白米を理不尽に持行くもあり、或は代価も置かずして俵を奪ひ去るもあれど多人数なる故|米商客《こめあきうど》も之を支《ささ》ゆる事を得ず、斯《かく》の如くに横行して大阪中の搗米屋へ至らぬ隈《くま》もなかりしが、果《はて》はますます暴動|募《つの》りて術《すべ》よく米を渡さぬ家は打毀《うちこは》しなどする程に、市街の騒擾《そうじよう》大かたならず、這《こ》は只|浪花《なには》のみならず諸国に斯る挙動ありしが、就中《なかんづく》江戸に於ては米穀其他総ての物価又一層の高料《たかね》に至れば、貧人飢餓に耐へざるより、或は五町七町ほどの賤民おのおの党を組みて、身元かなりの商家に至り押して救助を乞はんとて其町々に触示《しよくじ》し、※[#「にんべん+尚」、第3水準1-14-30]《もし》其の党に加はらざれば金米その他何品にても救助の為に出すべき旨強談に及ぶにぞ、勢ひ已《やむ》を得ざるより身分に応じ夫々《それぞれ》に物を出して施すもあり、力及ばぬ輩《やから》は余儀なく党に加はるをもて、忽《たちま》ち其の党多人数に至り、軈《やが》て何町貧窮人と紙に書いたる幟《のぼり》をおし立て、或は車なんどを曳いて普《あまね》く府下を横行なし、所々にて救助を得たる所の米麦又は甘藷《さつまいも》の類《たぐひ》を件《くだん》の車に積み、もて帰りて便宜の明地《あきち》に大釜を据ゑ白粥を焚きなどするを、貧民妻子を引連れ来りて之を争ひ食へる状《さま》は、宛然《さながら》蟻《あり》の集まる如く、蠅の群がるに異ならで哀れにも浅間《あさま》しかり、されば一町|斯《かく》の如き挙動に及ぶを伝へ聞けば隣町忽ちこれにならひ、遂に江戸中貧民の起り立たざる場所は尠《すくな》く……云々」
[#ここで字下げ終わり]
これによって見ると「近世紀聞」の記者は、貧窮組を蟻の集まる如く、蠅の群がるに異ならずと見たのであります。貧民といえども人間であろうのに、それを蟻や蠅と同じに見られたということは不幸であります。
けれども蟻や蠅に見立てられる貧民自身にとっては、必ずしも物好きでやったことではないらしいのであります。彼等にあっては、天下が徳川のものであろうと、薩長の手に渡ろうと、そんなことは大した心配ではありませんでした。ただ心配なことは、物が高くなって食えなくなるということでありました。
天下国家の大きなことを憂《うれ》うる人には、別に志士という一階級があって、それは殿様から代々|御扶持《ごふち》をいただいて、食うというような賤《いや》しいことには別段の心配のなかった者や、その家庭に生い立った人が多いのであります。けれども、この貧窮組は生え抜きの平民でありました。武士は食わねど高楊枝《たかようじ》、というようなことを言っておられぬ身分の者ばかりでありました。彼等は食いたくてたまらないのであります。世に食いたくてたまらないものが食えなくなるということほど、怖るべき事実はないのであります。蟻や蠅でさえ生きていられる世の中に、人間が食えなくなって生きていられないという世の中は、無惨《むざん》なものといわねばなりません。
それがためであったかどうか知れないが、あの不得要領な貧窮組が勃発して江戸市中を騒がすと共に、有司《ゆうし》も金持も不得要領に驚いてしまいました。ことに驚いたのは金持の連中でありました。一時は生きた空がなくて、金品を寄附したり、慈善会のようなものを起したりして、貧民の御機嫌を取ろうとしてみた狼狽《あわ》て方はかなり不得要領なものでありました。けれどもそれは、誠意のある狼狽て方ではなく、不得要領はいよいよ不得要領な狼狽て方であります。
けれどもその時分の政治は、打てば響くような政治ではありませんでした。徳川幕府が亡びかかった時代の政治でありました。米が高くなろうとも、物価が上ろうとも、幕府の方では、あんまり干渉をしませんでした。いよいよの時までは成行きに任せておいて、何か出たら出た時の勝負というような政治でありました。
金持の連中もまた、儲《もう》けたい奴は盛んに儲け、儲けた上に莫大の配当をしました。そうして、大ビラで贅沢《ぜいたく》や僭上《せんじょう》の限りを尽しました。蟻や蠅なんぞは踏みつぶして通る勢いでしたけれども、その蟻や蠅が多数を組んであばれ出してみると、唇の色を変えて周章狼狽した有様は、滑稽にもまた不得要領の現象でありました。
さすがに緩慢主義の幕府も、こう騒ぎ出されてみると、手を束《つか》ねてばかりはいられませんでした。同じ「近世紀聞」という本のうちに、
[#ここから1字下げ]
「其頃既に庄内藩には府下非常を誡《いまし》めのため常に市中を巡邏《じゆんら》あり、且つ南北の町奉行にも這回《このたび》の暴挙を鎮撫なさんと自ら夥兵《くみこ》を従へつつ普《あまね》く市街を立廻りて適宜の処置に及ばんとするに、貧民は早や食ふと食はぬの界に臨みたるなれば、各《おのおの》死憤の勢ありて小吏等万般説諭なせどもなかなかに鎮まらず、或は浅草今戸町その外処々の辻々へ貧窮人等が張札をして区々の苦情を演《の》べたるうへ、先づ差当り白米の代価百文に付《つき》五合ならねば窮民口を糊《こ》し難しと記し、また或は米穀は固《もと》より諸色《しよしき》の代価速かに引下ぐるにあらずんば忽ち市中を焼払はんなどと書裁《しよさい》なしたる所もあり、斯《かく》なして尚《なほ》貧民等は市街を横行なせる事は日を追つて熾《さかん》なりしが、其頃品川宿に於て施行《せぎよう》を出すを左右《かにかく》と拒みたる者ありとて忽ち其家を打毀《うちこは》せしより人気いよいよ荒立《あらだつ》て、渋りて物を出さぬ家は会釈もなく踏込で或は鋪《みせ》をうち毀し家内を乱暴に及ぶにぞ、蓄財家《かねもち》は皆|戦慄《ふるへおそれ》て家業を休み店を閉めて只乱暴の防ぎをなせば、貧窮人のみ勢ひを得て道路に立ちて威を震《ふる》ひしは実に未曾有の珍事なりけり……さる程に貧民の暴動かくの如くなれば、庄内侯の巡邏方《まはりかた》且つ町奉行の手を以て其の発頭人なる者を追々捕縛なしたりしかど、もとこれ、米価の沸騰より飢餓に逼《せま》るに耐へかねて、かかる挙動に及べるなれば、兎《と》に角《かく》是等を救助せずして静まるべきの筋にあらずとて、先づ救民小屋|造立《つくりたて》の間、本所|回向院《えこういん》、谷中《やなか》天王寺、音羽《おとは》護国寺、三田《みた》功運寺、渋谷渋谷寺の五ケ寺に於て炊出《たきだ》しを命ぜられ普く貧民に之を与へ、其うち神田佐久間町の広場に小屋を設けられて至極の貧人を救助せしかば、是にて府下の騒擾も稍《やや》鎮静に及びたり」
[#ここで字下げ終わり]
幸いにしてこの貧窮組は、それだけの騒ぎで鎮まりました。大塩平八郎も出ないし、レニン、トロツキーも出ないで納まりました。たまたま道庵先生あたりが飛び出して、お茶番を差加えたようなことで、ともかくも納まったのは国家のために大慶至極と申すべきです。
表面、この騒ぎは納まったけれども、それの根本が絶たれたというわけではありません。一時は震え上った富豪たちが、あわてふためいて貧民の御機嫌を取ってみたけれど、表面の暴動が過ぎ去ってしまえば、あとはケロリとして忘れたもののように、書画骨董にばかげた金を出したり、ふざけきった集まりをして見せたり、無用の建築をして見せたり、そんなことで以前よりは一層の太平楽《たいへいらく》を、露骨に見せるようになったのは困ったものであります。
それと共に、一時の雷同に出でないで、心ひそかにこの世の有様を観察し、或いは憤慨している者がようやく多くなってゆきました。
本町一丁目の自身番へ、眼の色を変えて飛び込んだのは、いつもそそっかしい下駄屋の親爺《おやじ》であります。
「大変だ!」
と言ってその親爺は息を切りました。この男のそそっかしいのは今に始まったことではないけれど、今日は眼の色が変ってるだけに、それから貧窮組の騒ぎが納まって間もない時であるだけに、そこに集まる親爺連の胸を騒がせて、
「どうなすった」
種彦《たねひこ》の合巻物《ごうかんもの》を読んでいた親爺も、碁と将棋をちゃんぽんにやっていた親爺も、それの岡目をしていた親爺も、昼寝をしていた親爺も、そこに集まる親爺という親爺が、みんな下駄屋の親爺の大変だという一声で驚かされました。
一体、ここへ集まる親爺連は、かなりいい気なものでありました。外は往来の劇《はげ》しい本町の真中で、内は閑々たる別天地、半鐘がジャンと打《ぶっ》つからない限りは他人の来る気遣《きづか》いはないところで、これらの親爺連の心配になることは、夕飯を蕎麦《そば》にしようか、それとも鰻飯《うなぎめし》とまで奮発しようかというような心配でありました。鰻のついでに酒の隠れ呑みもしなければならないというような心配でありました。その閑々たる空気を、下駄屋の親爺が破って言うことには、
「外へ出てごらんなさい、大変な物だ、そこの雨樋筒《あまひづつ》に生首が一ツ……」
「エ!」
「嘘だ、嘘だ」
「冗談《じょうだん》じゃねえ、善兵衛さん、貧窮組が納まって間もねえ時だ、嚇《おどか》しっこなし」
「生首は嘘だが、まあ外へ出てごらんなさい、大変な張紙だ」
「エ、張紙?」
張紙と聞いてやや安心をしました。やや安心したけれど、それは生首と聞いた時よりも安心したので、この時分の張紙は、生首と聞くのと、ほぼ同じように気味の悪いものでありました。親爺連はせっかくの興を殺《そ》がれたけれど、また別の興味を持って外へ出たり、外を覗《のぞ》いたりして見ると、その自身番の北手の雨樋筒《あまひづつ》に大きな張紙がしてあって、それを通りがかりの人が、大勢して読んではワイワイ騒いでいるのであります。
「また、こんな悪戯《いたずら》をはじめやがった、人騒がせな悪戯だ」
と自身番の親爺は、ブツブツ言いながらその張紙を引っぺがしにかかりました。自分も読まないうち、人にも読ませないうちになるべく早く引っぺがして、町奉行にお届けをする方がよいと思って、邪慳《じゃけん》にそれを引っぺがして、自身番の中へ持ち込んでしまったから、見物の中には一読したものもあろうし、まだ読みかけて半ばのものもあったろうし、これから読もうと思っていた者もあったのが、一同、鳶《とんび》に物を浚《さら》われたような気持になって、自身番へ持ち込んだ親爺連の後ろを恨めしげに見送っていること暫時《しばし》、幸いに大した騒ぎにはならずに散ってしまいました。
自身番の内部へその張紙を持ち込んだ親爺連、額を集めて眼の敵《かたき》のようにそれを読みはじめました。その文言はこうであります。
[#地から9字上げ]「糸会所取立所
[#地から3字上げ]三井八郎右衛門
[#地から3字上げ]其他組合の者共
[#ここから1字下げ]
此者共、めいめい世界中名高き巨万の分限にありながら、足ることを知らず、強慾非道限り無き者共、身分の程を顧みず報国は成らずとも、皇国《みくに》の疲労に相成らざるやう心掛くべき所、開港以来諸品高価のうちには、糸類は未曾有の沸騰に乗じ、諸国糸商人共へ相場状《そうばじよう》にて相進め、頻りに横浜表へ積出させ候につき、糸類悉く払底、高直《こうぢき》に成り行き万民の難渋少からず、畢竟此者共荷高に応じ、広大の口銭を貪り取り候慾情より事起り、皇国の疲労を引出し、一己《いつこ》の利に迷ひ、他の難渋を顧みず、不直《ふちよく》の所業は権家へ立入り賄賂《わいろ》を以て奸吏を暗まし、公辺を取拵《とりこしら》へ、口銭と名付け大利を貪り、奸吏へ金銭を差送り、糸荷を我が得手勝手に取扱ひ、神奈川関門番人並に積問屋共へ申合せ、所謂《いはゆる》世話料受取り、荷物運送まで荷主に拘はらず自儘取扱ひ、不正の口銭貪り取候事、右糸会所取立三井八郎右衛門始め組合の者、他の難儀を顧みず、非道にて所持の金銭並に開港以来貪り取る口銭広大の金高につき、今般残らず下賤困窮人共に合力《ごうりき》の為配当つかはし申すべし、若し慾情に迷ひ其儘捨て置かば、組合の者共一々烈風の折柄《をりから》天火を以て降らし、風上より焼立て申すべく、其節に至り隣町の者共、火災差起り難渋に之れ有るべく候間、前記会所組合の者共名前取調べ置き、類焼の者は普請金並に諸入用共、存分に右の者より請取り申すべく、且つ火災差起り候はば、困窮の者共早速駈付け、彼等貯へ置き候非道の財宝勝手次第持ち去り申すべく、右の趣、前以て示し置き候間、一同疑念致すまじき事」
[#ここで字下げ終わり]
これだけのことを、自身番の親爺のうちでも読むことの達者な眼鏡屋《めがねや》の隠居が、スラスラと節をつけて読み立てました。
下駄屋の親爺は、面白そうに聞いていました。質屋の隠居は、不安らしい面《かお》をして聞いていました。
「なにしろ、事が穏かでごわせんな」
と質屋の隠居は、いとど不安心の色を深くしました。
「はははは、三井さんも、いよいよやられますかな」
下駄屋の親爺は、やはり面白半分に深くは問題にしていないらしくあります。
「ナニ、やる奴に限って先触《さきぶれ》は致しませんな、ただほんのイタズラでございますよ、嚇《おどか》しに過ぎませんよ」
寝ころんで種彦を読んでいる親爺が、やや遠くから言い出しました。
「そうも言えませんぜ、人気のものですからワーッと騒ぐと、何をやり出すか知れたものではござんせん、本所の相生町《あいおいちょう》の箱惣《はこそう》なんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国橋へ曝《さら》されて、やっぱりこの通りの張札をされたんでございますからな」
眼鏡屋の隠居はそれに答えました。
「ああ、鶴亀、鶴亀、そんな話は御免だ」
と質屋の隠居は気を悪くしたと見えて、煙草入を腰に挟《はさ》んで立ち上りました。折角今まで碁を打っていたのに、それを早々逃げ腰になったところを見れば、この親爺連のうちでは、質屋の隠居が一番弱虫であることがわかります。
質屋の隠居が逃げ出したあとで人々の噂《うわさ》によれば、この隠居も、実は張札の糸では組合に入って大分|儲《もう》けている側だとのことでありました。この次に来たら嚇《おどか》して奢《おご》らしてやらずばなるまいなんぞと、あとに残った親爺連はいろいろ評定していました。
斯様《かよう》な張札はこの頃の流行《はや》り物《もの》としたところで、これはあまり物騒過ぎる。このままでは捨てておけないから自身番の親爺連は、これを町奉行の手へ届けることに評定をきめて、二三人の総代がそれを持って表へ出ました。
表へ出たところへ、折よく町奉行の手に属する見廻りの役人が、この自身番へやって来ました。それを幸いに総代は、
「実は斯様な次第でございまして、斯様な張札が……」
役人はそれを聞いてみて一通り読んで後、
「この筆蹟は……」
と首を傾《かし》げました。
その張札を町奉行へ持って来て、その筆蹟をあれこれと評議をしてみたところが、それが道庵の文字に似ているということが、至極迷惑なことであります。
長者町の名物としての道庵は、貧窮組と聞いて喜んで演説までしたけれども、それは至極穏健な演説で、貧窮組にも同情を寄せるし、物持連中にも、なるべく怪我をさせないようにとの苦心をしたものでありました。
道庵はこんな張札をする人物でないということは、お上の役人にもよくわかっているけれど、それにしてもこの筆蹟が道庵ソックリの筆蹟でありました。これはイタズラ者が、わざと道庵の筆蹟を真似て書いて、あとを晦《くら》まそうとした手段であることは明らかだけれど、それがために、いい迷惑を蒙《こうむ》ったのは道庵先生であります。ことにこのごろは鰡八大尽《ぼらはちだいじん》と楯を突き合っている時でもあるし、よしこれは道庵が書かないにしても、道庵に知合いのもの、道庵の許《もと》へ出入りする者の仕業《しわざ》ではないかと、目を着けられるようになったのがかわいそうであります。
三
甲斐《かい》の国の八幡《やわた》村の水車小屋附近で、若い村の娘が惨殺されて村を騒がした後、小泉家には、机竜之助もお銀様もその姿を見ることができなくなりました。
二人はどこへ行ったか、その入って来た時と同じように、この家を去ったのも、誰も知るものはありませんでした。これを想像するに、或いはいったん甲府へ帰って、また神尾主膳の下屋敷にでも隠れるようになったものかも知れません。或いはまたお銀様の望み通りに、江戸へ向けて姿を晦《くら》ましたものかも知れません。とにかく、八幡村にはこの二人の姿は見えないのであります。
或る人はまた、夜陰《やいん》、小泉家から出た二挺の駕籠《かご》が、恵林寺《えりんじ》まで入ったということを見届けたというものもありました。しかし、小泉家と恵林寺とは、常に往来することの珍らしからぬ間柄でありましたから、それを怪しむ心を以て見届けたのではありません。
駒井能登守去って以来の甲府は、神尾主膳の得意の時となりました。けれどもその得意は、あまり寝ざめのよい得意ではありませんでした。心ある人は主膳の得意を爪弾《つまはじ》きしていました。主膳自らもこのごろは、酒に耽《ふけ》ることが一層甚だしくなって、酒乱の度も追々|嵩《こう》じてくるのであります。酒乱の後には、二日も三日も病気になって寝るようなことがあります。
主膳は執念深くも、能登守がお君という女をどのように処分するかを注目し、手討にしたという評判を聞いた後も、その注目をゆるめることなく、そののち向岳寺に、見慣れぬ尼が送り届けられているということを聞いて、途中でその女を奪い取らせようとしました。
お松が神尾の屋敷を脱け出したのは、その間のことでありました。向岳寺から出た乗物を奪わせようと計ったことが、さんざんの失敗に終ったという報告も同時に齎《もたら》されたが、主膳がそれと聞いて何とも言わずに苦笑いして、寝込んでしまったのもその時分のことです。
甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になりました。
別家にいるお絹という女にとっても、このごろは同様に荒《すさ》んだ有様がありありと見えます。出入りの誰彼との間に、いろいろとよくない噂が口に上るようになりました。或いは当主の主膳と、このお絹との間柄をさえ疑うものが出て来るようになりました。
それらの不快や不安を紛らわすためかどうか知らないが、神尾を中心として酒宴を催されることが多くなり、お絹もまた、その別家へ人を招いては騒々しい興に、夜の更くることを忘れるようなことが多くありました。それから勝負事は一層烈しくなり、お絹までが勝負事に血道《ちみち》を上げるようになってしまいました。
このごろのお絹は、自宅へ男女の客を招いては勝負事に浮身《うきみ》をやつしています。
或る時は、思いがけない大金を儲《もう》けることもありました。或る時は、大切の頭飾《かみかざ》りなどを投げ出すようなこともありました。
興が尽きて客が去ったあとでは、なんだか堪《たま》らないほどな淋《さび》しさを感ずるようになりました。その淋しさを消すために、冷酒《ひやざけ》を煽《あお》るようなこともあり、ついには毎夜、冷酒を煽らなければ寝つかれないようになってしまいました。
お松がいればこれほどにはならなかったものであります。お絹はともかくもお松を保護していました。お松もまた何かと言っても、恩人としてその人に忠実でありました。だからお松があることによって、なんとなしに前途に希望を持っていましたけれど、そのお松が逃げてしまってみると、頼む木蔭の神尾の当主というのはこの通りの人物であるし、自分は年ようやくたけて容色は日に日に凋落《ちょうらく》してゆくし、そうかと言って、頼るべき親類も、力にすべき子供もないのであります。それを考えると、前途は絶望あるのみでありました。足許の明るいうち、また故郷の浜松に舞い戻ろう、お絹はこうも思慮を定めました。しかし故郷へ引込むには、引込むようにしなければならないと思いました。先立つものは金であります。その金が全く思うようにならぬ時分に、こんな思慮を定めたことは不幸であります。
「金が欲しい、お金が欲しい」
お絹は痛切にそのことを考えました。それがお絹をして一層、勝負事に焼けつくようにさせてしまいました。
ところが、そんな場合における勝負運は皮肉なもので、勝ちたいと思えば思うほど負け、焦《あせ》れば焦るほど喰い違ってゆくのであります。お絹は身の廻りの、ほとんど総ての物を失ってしまいました。借りるだけの信用のある金は借り尽してしまいました。
今夜も、お絹は堪らなくなって、隠しておいた冷酒を茶碗に注いで飲もうとする時に、本邸の方で大きな声で罵《ののし》るのが聞えます。
それは紛れもなき主人の神尾主膳が、酒乱のために人を罵っているのであります。
それを聞きながらお絹は、また一杯の冷酒を茶碗に注いで、口のところへ持って行ったけれど、それは苦いもののようであります。
「お絹殿、お絹殿」
呂律《ろれつ》も廻らない声でお絹の名を呼びながら、庭下駄を穿いてこちらへ来るらしいのは、まさしく酒乱の神尾主膳の声であります。
このごろでは神尾が酒乱になった時には、誰もみな逃げてしまいます。誰も相手にしないで罵るだけ罵らせ、荒《あば》れるだけ荒れさせて、その醒《さ》める時まで抛《ほう》っておくのであります。
相手のない酒乱に、拍子抜けのしたらしい神尾主膳は、何を思いついたか、お絹の住む別宅の方へ押しかけて来るらしいのであります。その声を聞くと、お絹は浅ましさに身を震わせました。
幸いにして神尾主膳は境の木戸を開こうとして、その錠《じょう》の厳しいのにあぐんだものか、とりとめもなき言語を吐き散らした上に引上げてしまったもののようでありました。
お絹はホッと息をつきましたけれど、苦悶の色が面《かお》に満つるのを隠すことができません。
四
気の毒なのは駒井能登守であります。江戸の本邸に着いたまでは、ともかくもその格式で帰りました。
江戸へ着いてからいくばくもなくして、その姿をさえ認めたものはありません。番町の本邸は鎖《とざ》されて朽《く》ちかかったけれど、新しい主を迎える模様は見えませんでした。
これより先、病気であった夫人は、親戚の手に奪うが如く引取られてしまったということです。家来の者は四分五裂です。
主人の能登守は自殺したという噂《うわさ》もあるし、遠国へ預けられたという噂もありましたが、ただその噂だけで、誰も一向にその消息を知った者はありません。
あまりといえばこれは脆《もろ》い話であります。器量と言い学問と言い、ことに砲術にかけて並ぶ者がないと言われた人であります。未来の若年寄から老中を以て望みをかけられたほどの若い人才が、ほんの一人の女のために身を誤ったとすれば、惜しみても余りあることであります。失敗や蹉跌《さてつ》は男子の一生に無いことではありません。事によってはそれがかえって、後日大成を為す苦《にが》き経験であることも少なくはありません。
けれども能登守のこのたびの失敗ばかりは、とうてい取り返すことのできない失敗であります。能登守というものは、これで全然社会から葬られてしまった結果になりました。能登守自身が葬られてしまったのみならず、遠くはその祖先の名も、近くはその親類の名も、これによって泥土《でいど》に汚《けが》されたと同じような結果になってしまいました。
一死よりも名誉を重んじ、一命よりも門地を尚《たっと》ぶ習慣の空気に生い立ちながら、みすみすこういうことをしでかした能登守には、魔が附いたと見るよりほかはないのであります。それほどの馬鹿でもなかったはずの人が、これより上の恥辱はないほどの恥辱を以て、生きながら葬られたことは、ひとごとながら浅ましさに堪えられないほどのことであります。
それでありながら立派に腹も切れないとは、よくよく腰が抜けたものだと憤慨する人や、ここで腹を切ったら、それこそ恥の上の恥の上塗りだと冷笑する者や、それらの空気の間で、駒井家は見事に没落して、その空《あき》屋敷《やしき》の前を通りかかった者でもなければ、もう噂をいう人もないという時分になってしまいました。
その時分に、王子の滝の川の甚兵衛という水車小舎の附近へ、公儀から役人が出向いて、縄張りがはじまりました。何か目的あってこの土地へ建前《たてまえ》をするもののように見受けられました。ことにそれは、川に沿うて水の流れを利用するらしい計画であります。
土地の人も、最初は何の目的の縄張りであるかを知りませんでした。ほどなく同地の扇屋を旅館として、身分ある公儀の役人が詰めた時に、その縄張りの計画がかなり重大なものであることを悟りました。そこへ来た役人の重《おも》なる者は、沢太郎左衛門と武田斐三郎《たけだひさぶろう》とでありました。この二人は、幕府のその方面において軽からぬ地位の人でありました。扇屋へ招かれた大工の伊三郎だの、鳶《とび》の万蔵だのという者の口から聞くと、このたびのお縄張りは、滝の川附近へ、公儀で火薬の製造所をお建てになる御目論見《おんもくろみ》から出たものだということがわかってきました。
この火薬の製造所は、従来の火薬の製造とは違って、日本において初めての西洋式の火薬の製造所を建てるということなのであります。その計画は、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》と武田斐三郎との両人の企てで、沢太郎左衛門がそれに参加したのは、やや後のことになります。
こうなって来ると思い出されるのは、それにもう一枚、駒井能登守ということでありますが、惜しい哉《かな》、せっかくの人材も烏有《うゆう》のうちに葬られています。
この日本で初めての西洋式の火薬の製造所の工事は、着々と進んで行きました。
最初に縄張りをした甚兵衛水車の附近が、水量が不足だからという理由で、三ツ又の方へ持って行かれました。
工事の頭取には武田斐三郎、それを助けるのは御鉄砲玉薬下奉行《おてっぽうたまぐすりしたぶぎょう》の小林祐三、ほかに俗事役が三人と、そのころ算術と舎密学《しゃみつがく》に通じていた貝塚道次郎というものが、手伝いに出勤することとなりました。
注文の火薬製造機械は、和蘭《オランダ》のアムステルダムから帆前船に積み込まれたという通知もありました。
頭取をはじめ役人たちは扇屋を宿と定めていたけれど、工事の場所には作事小屋があって、そこに絶えず宿直している役人らしい者があります。
その小屋の一室へは、武田斐三郎や貝塚道次郎らが出入りするのみで、他に何人《なんぴと》も出入りすることを許されませんでした。それは、人に知られてはならない火薬上の秘密や、機械類の組立てをするところであろうと、俗事役の者や土方人夫などは、敢《あえ》てそれに近寄ろうとはしませんでした。
この秘密室は、夜になると厳重に錠が下ろされてしまいます。工事の見守りをする夜番の小屋はそこよりズッと隔たったところにあるから、ただ時々にその辺を廻って火の用心をするくらいに過ぎませんでした。この火薬の製造所を計画した小栗上野介は一流の人傑で、幕府においての主戦論者の第一人でありました。勘定奉行にして陸海軍奉行を兼ね、勝も大久保も皆その配下に働いたものであります。この火薬の製造所とても、西の方に起る大きな新勢力に対する用意の一つであることは申すまでもありません。王政維新を叫ぶ西の方の諸藩の人にとって、この火薬製造所の計画が、尋常のものとして見過ごされないのは当然であります。
この工事に入っている土方や人足にも、相当の吟味《ぎんみ》をして入れなければならないはずなのが、どうしたものか、少なくとも、たった一人だけ穏かでない人足を入れてあることは、役人たちの大きな手落ちと言おうか、それともその一人が変装と素性《すじょう》を隠すことの巧《たく》みなためと言おうか、とにかく、その土を担いだり、石を運んだりする人足のうちに、気をつけて見れば、それと気のつけらるべき男が一人あります。
それは、甲府の破獄以来のことを知ったものには、指して言いさえすればすぐわかることなので、あの時、牢屋を破った主謀者、後には偶然、駒井能登守邸にかくまわれた奇異なる武士、また甲州街道では馬を曳いてがんりき[#「がんりき」に傍点]を追い飛ばした馬子、ここでは土を担いだり石を運んだりさまざまに変幻出没するけれど、要するに同一の人で、あのとき南条といわれて通った浪士らしい男であります。
縄張外に立てられた土方部屋を、夜中に密《そっ》と抜け出して手拭をかぶりつつ、作事小屋の方へ忍んで行くのもその人であります。どこへ何の目的あって行くのかと思えば、柵《さく》を乗り越えて、作事小屋の中へ足を踏み込みました。
工事の頭取と公儀の重役とが秘密に会議をする作事小屋の一室――そこをめざしてこの仮装の労働者は忍んで行くもののようであります。この男が秘密室を探ろうとするのは、今夜に始まったことではないのであります。
毎夜のようにその辺を探ろうとして忍ぶものらしいが、いつもその目的を達せずして帰るもののようであります。今宵もまたその通りで、空《むな》しく工夫部屋まで引返したのは、やはり例の秘密室の構造が厳重なのか、或いは中にいる人の用心が周到なので近寄れなかったものと見えます。
そうしているうちに、この火薬製造所の工事は進んで行くのであります。右の南条と覚しき奇異なる労働者は、相変らず毎日石を運んだり土を荷《にな》ったりして、他の労働者と同じことに働いているのであります。
硝石《しょうせき》の精製所も出来ました。硫黄《いおう》の蒸溜所も出来上りました。機械類の磨き方は、鉄砲師の川崎|長門《ながと》と国友松造という者が来て引受けました。水圧器の組立ても出来ました。
その都度《つど》、右の労働者は、役人や仲間のものの気のつかないうちに、家の建前と機械類の構造を注意することは驚くべき熱心さでありました。熱心でそうして機敏でありました。人に気取《けど》られようとする時は、何かに紛らかして、なにくわぬ面《かお》をしている澄まし方などは、そのつもりで見れば驚くべき巧妙さであります。
夜になって人の寝静まった時分には、それらの見取図を頭の中から吐き出して紙に写していることも、誰にも知られないで進んで行きました。紙に写した見取図は、工夫部屋の縁の下を掘って埋めておくことも、誰にも見つけられないで納まって行きました。埋めておいてから例の通り疑問の秘密室の方へ出かけるけれども、そこばかりはどうしても近寄ることができないらしくあります。近寄ることができても、内部の模様はどうしても知ることができないらしくあります。この奇異なる労働者が知ろうとして知ることのできないのは、ただ右の秘密室の内部ばかりであるようです。
しかしながら長い間、間断なく心がけていれば、ついには何物かを得られる機会があるものです。今宵も例の通り秘密室の柵の外まで忍んで、水辺の立木の下に、そっと忍んで考えていると、その柵の一部分の戸が開きました。
打見たところは高い柵であったけれど、その下の一部が開き戸になっていて、内から押せば開くものだということは、今まで気がつきませんでした。
南条といわれた奇異なる労働者は、さてこそと闇の中に眼をみはりました。この人は永らく獄中の経験があったために、暗いところで物を視るの力が人並以上なのであります。
そこに南条が隠れて様子を見張っているということを知らないらしい中なる人は、戸をあけると、スックと外へ身を現わしました。
それを一目見た時に南条は、直ちに見覚えのある人だということがわかりました。まだ年若き侍体《さむらいてい》の者であることは誰が見てもわかることでしたけれど、その若い侍体の人柄に見覚えがあることから、南条はじっと立って動きませんでした。
この人が外へ出ると、開き戸が内から閉されてしまったことを見ると、内にも確かに人がいることに違いないのであります。
内から出た人は、小橋を渡って木立の深みへ身を隠しました。この人をやり過ごして、中なる秘密室の構造に当ってみようか、それともこの人のあとをつけて、その行先を突留めようかと、奇異なる労働者は思案をするもののようでありましたが、その思案は後の方のものにとまったらしく、出て行く人のあとをつけて、木立の深みへ入りました。人影は権現《ごんげん》の社《やしろ》の方をめざして歩みを運ぶもののようであります。
「そこへ行くのは宇津木ではないか」
火薬の製造所をやや離れてから後ろに呼ぶ声を聞いて、前に進んで行った若い侍風の人は、ハタと歩みを止めました。
「誰だ」
闇の中から透《すか》して後ろを顧みたところへ、
「おれだ、南条だ」
と言ってなれなれしく近寄って来たので、
「おお」
と言って前なる人は、驚きと安心とで立って待っていました。呼ばれた通りこれは宇津木兵馬であります。
「久しぶりだった、久しぶりにまた妙なところで会ったものだ」
目の前に立ったのは、甲府の牢内にいる時と、その牢を破ってから後も、苦楽を共にした奇異なる武士の南条でありましたから、
「これは南条殿、全く珍らしいところで……どうしてまたこの夜中に、その身なりで」
「それよりも宇津木、君こそこの夜中にどこへ行ったのじゃ」
「ツイそこまで」
「ツイそことは?」
「近いところに知人《しりびと》があって」
「近いところとは?」
「それは、あの……」
「いや、隠すには及ばない、君が今あの火薬の製造所から出て来たところを見かけて、拙者は後をつけて来たのだ」
「エエ! それでは見つかったか。しかし、余人ならぬ貴殿に見つけられたのは心配にならぬ」
「いったい、あの火薬の製造所の秘密室らしい研究所に隠れているのは、あれは誰じゃ」
「南条殿、貴殿はあの人が誰であるかをまだ御存じないのか」
「知らん」
「それほど鋭いお目を持ちながら……とは言え、誰にも知れぬが道理、実は外から出入りする者は、拙者のほかにないのでござる」
「うむ、そうであろう、おれも長らくあの辺にうろついているが、ついぞその人を見たことがない」
「わかってみれば何でもないこと、あれはな、甲府におられた駒井能登守殿じゃ」
「エエ! 駒井甚三郎か、それとは知らなんだ、なるほど、駒井か、駒井ならばあすこに隠れていそうな人だわい、これで万事がよくのみこめる、そうか、そうか」
南条は幾度も頷《うなず》きました。
「今も能登守殿の話に貴殿の噂が出たところ。貴殿ならば、隠れておられる能登守殿も喜んで会われることと思う」
「会ってみたい、そう聞いては今夜にも会ってみたい」
五
権現社頭から帰って来たのは駒井能登守であります。今は能登守でもなければ勤番の支配でもありません。一個の士人としては到底、世の中に立てなくなった日蔭者の甚三郎であります。
例の滝の川の火薬製造所の秘密室までは無事に帰って来て、真暗な室内の卓子《テーブル》の上を探って、その一端を押すと室内がパッと明るくなりました。
頭巾《ずきん》を取って椅子に腰を卸《おろ》した能登守を見ると、姿も形もだいぶ前とは変っていることがわかります。まずその髪の毛を、当時異国人のするように散髪にして、真中より少し左へよったところで綺麗《きれい》に分けてありました。それから後ろの襟へかかったところまで長く撫で下ろした髪の末端を、鏝《こて》を当てたものかのように軽く捲き上げていました。身につけているのも筒袖の着物と羽織に、太い洋袴《ズボン》を穿《は》いています。
この人としてはこういう形をすることもありそうなことだけれど、その当時にあっては、破天荒《はてんこう》なハイカラ姿でありました。この姿をしてうっかり市中を歩いて、例の攘夷党の志士にでも見つかろうものならば、売国奴《ばいこくど》のように罵られて、その長い刀の血祭りに会うことは眼に見えるようなものであります。幸いなことに、この人はここに引籠っているから、この急進的なハイカラ姿を、何者にも見つからないで済むのでありましょう。
能登守――と言わず、これからは駒井甚三郎と呼ぶ――はいま椅子へ腰を卸すと共に、額に滲《にじ》む汗を拭いて、ホッと息をついて空《むな》しく天井をながめていました。
この室内の模様は、前に甲府の邸内にあった時と、ほぼ同じような書物と、武器と、それから別に、洋式の機械類と薬品などで充満していました。
吐息《といき》をついた駒井甚三郎は、やがて両の手を面《かお》に当て、卓子に臂《ひじ》をついて俯向《うつむ》いていました。それからまた身を起し、肱掛《ひじかけ》に片腕を置いてじっと前の卓上をながめている前には、長さ二尺に幅四寸ほどの小形の蒸気船の模型が一つ置いてあります。
駒井甚三郎は、その蒸気船の模型からしばしも眼は放さずに、手はペンを取って、しきりに角度のようなものを幾つも書いているのであります。この人は、いま出向いて行ったことのために、何か気に鬱屈《うっくつ》があってこうしているのかと思えば、そうではなくて、この小型の蒸気船の模型と、それを見ながら幾つも幾つも線と劃を引張ることに一心不乱であるものらしく見えます。それにようやく打込んでゆくと、急に洋式の算術らしいことを始め、次に日本の算盤《そろばん》を取って幾度か計算を試み、それから細長い形の黒い玉を取っては秤台《はかりだい》の上へ載せ、それを幾つも幾つも繰返して、その度毎に目方を記入しているようでありました。
この時分、夜はようやく更《ふ》けて行って、水車の万力《まんりき》の音もやんでしまい、空はたいへんに曇って、雨か風かと気遣《きづか》われるような気候になってきたことも、内にあって一心にこれらの計算に耽《ふけ》っている駒井甚三郎には、いっこう感じがないらしくあります。
風が出たなと思った時分に、駒井甚三郎は、ふと戸の外を叩く物の音のあることに気がつきました。宇津木兵馬がまた訪ねて来たなと思って、甚三郎は立って戸をあけにかかりました。けれどもそれは宇津木兵馬ではなくて、見馴れぬ労働者風の男でありましたから、
「誰じゃ」
甚三郎は拳銃をさぐって用心しました。
「拙者だ、南条だ」
駒井甚三郎は、その一言で了解することができました。
ほどなく駒井甚三郎と南条なにがしという奇異なる労働者と二人は、前の室内で椅子によって対坐することとなりました。
その以前、やはり不意にこの男が、甲府の駒井能登守の邸を夜中に驚かしたことがあったように。
その時はそれと知らずして驚かしたものでしたが、今はそれと知って訪ねて来たものらしい。
能登守の風采《ふうさい》もその時とは変っているが、南条の風采もやや変っています。
「何をしていた」
と駒井甚三郎が尋ねました。
「ここの工事の人足を働いている」
南条が答えます。
「それは知らなかった」
「こっちも知らなかった」
「どうして拙者がここにいることがわかったか」
「宇津木兵馬から聞いた」
「なるほど――」
南条は室内を一通り見渡したが、例の小型の蒸気船の模型を認めて、
「これは――」
と言って、特に熱心にその船の形を見つめていました。
「これは拙者が工夫中のカノネール、ボートじゃ、ずいぶん苦心している」
「なるほど」
南条は面《かお》をつきつけるようにして、その小形の蒸気船の模型を、前後左右からつくづくとながめ入ります。その熱心さが設計者の駒井甚三郎にとっては、何物よりも満足に思うところらしく、
「よく見てくれ、そして批評をしてくれ、長さは二十間で幅は四間になる、船の構造はまず自分ながら申し分はないつもりだ、機関の装置も多少は研究し、速力も巡陽、回天あたりよりも一段とすぐれたものになるつもりじゃ。しかし、いま問題にしているのはそれに載せる大砲よ、なるべく大口径にして、遠距離に達するように苦心している。それと大砲を据《す》え付くる場所じゃ、ここのプーフに装置するのが最もよかろうと思われる、船体の釣合上、大砲が大き過ぎても困る、と言って従来の例を追うのも愚かなこと、火薬と瓦斯《ガス》の抵抗がどのぐらいまで全体の平均に及ぼすか、それを実地に計ってみたいと苦心している」
駒井甚三郎は、こんなふうに説明しながら、いま秤台《はかりだい》にかけていた細長い形のよい玉を取って、卓子《テーブル》の上から南条の方に突き出しました。
「なるほど」
南条はその船体を見ることが、いよいよ熱心であります。
「どうも、こうして調べて実地に当って見れば見るほど、我ながら知識の足らないことと経験の浅いことが残念でたまらぬ。だから拙者は思い切って洋行してみようと思っているのじゃ」
駒井甚三郎がこう言うと、小型の蒸気船の模型を見ていた南条が、急に駒井の面《かお》を見て、
「ナニ、洋行?」
と言いました。
「その決心をしてしもうた」
「それは悪いことではない、君の学問と才力を以て洋行して来れば、それこそ鬼に金棒じゃ」
「書物と又聞《またぎき》では歯痒《はがゆ》くてならぬ、それに彼地《あっち》から渡って来る機械とても、果してそれがほんとうに新式のものであるやらないやらわからぬ、彼地ではもはや時代遅れの機械が日本へ廻って、珍重がられることもずいぶんあるようじゃ、このごろ、少しばかり火薬の製造機械を調べているけれど、思うように感心ができぬ、何を扨置《さてお》いても洋行したい心が募って、じっとしてはおれぬ」
「大いに行くがよい」
「白耳義《ベルギー》のウェッテレンというところに、最良の火薬機械の製造所があるということじゃ、その工場をぜひ見て来たいものだと思うている、しかし、それは他国の者には見せぬということじゃ、やむを得ずんば職工になって……君のように労働者の風《なり》をして、忍んで見て来たいと思うている」
「君は拙者と違って美《よ》い男だから、労働者にするはかわいそうじゃ。しかしそれだけの勇気のあることが頼もしい。そして、いつ出かけるつもりだ」
「来月の半ばに下田を出る仏蘭西《フランス》の船があるから、それに便乗することに頼んでおいた、それでこの通り頭もこしらえてしまっている」
「一人で行くのか」
「従者を一人つれて行く、そのほかには今のところ伴《つれ》というものはない」
「おれも一緒に行きたいな、羨《うらや》ましい心持がするわい」
と南条は笑いました。
「君が一緒に行ってくれれば拙者も甚だ心強いけれど、それが知れたら、それこそ第二の吉田松陰じゃ」
「それでは諦《あきら》めて、君の帰りと土産《みやげ》とを待っていよう。しかし、君が帰って来る時分には、日本の舞台もどう変っているかわからん、君の土産が江戸幕府のものにならないで、或いはそっくり我々が頂戴するようになるかも知れん」
「そんなことはあるまい」
駒井甚三郎は微笑していました。
この二人は前に言ったように、高島四郎太夫の門下に学んだ頃からのじっこんでありました。その故に地位だの勢力だのというものは頓着なしに、いつも会えばこうして、友達と同じような話をするのであります。
「思い切りのよいのに感心する、我々は西洋の学問と技術はエライと思うけれど、頭までそうする気にはなれぬ」
と言って南条は、この時はじめてらしく駒井甚三郎の刈り分けた仏蘭西《フランス》式の頭髪をながめました。
「ひと思いにこうしてしまった、洋式の蓮生坊《れんしょうぼう》かな」
甚三郎は静かに、艶《つや》やかな髪の毛の分け目を額際《ひたいぎわ》から左へ撫でました。
「でも髷《まげ》を切り落す時は、多少は心細い思いがしたろうな」
「なんの……」
「そうだ、駒井君」
南条はこの時になって、一つの要件を思い当ったらしく、
「君は一人で洋行するそうだけれど、君の周囲に当然起るべきさまざまの故障について、善後の処置が講じてあるのか。一身を避ければ、万事が納まるものと考えているわけでもなかろう」
六
南条と別れた宇津木兵馬は、王子の扇屋へ帰って来ました。扇屋の一間には、さきほどから兵馬の帰りを待ち兼ねている人があります。
いったん尼の姿をしていたお君は、ここへ来ては、やはり艶《あで》やかな髪の毛を片はずしに結うて、綸子《りんず》の着物を着ていました。兵馬は刀をとってその前に坐り、
「まだお寝《やす》みにはなりませんでしたか」
「お前様のお帰りを待っておりました」
「それほどに御執心《ごしゅうしん》ゆえ、よいお返事を聞かせてお上げ申したいが……」
兵馬の言葉が濁って、その様子が萎《しお》れるのを見たお君の面色《かおいろ》に不安があります。
「残念ながら、もはや、この御縁はお諦《あきら》めなさるよりほかはござらぬ」
と言いながら兵馬は、懐中から袋入りの物と帛紗包《ふくさづつ》みとを取り出して、
「これが、能登守殿より御身へお言葉の代り」
その品をお君の眼の前へ置きました。その袋入りの物は短刀であり、帛紗包みは金子《きんす》であることが一目見てわかります。
「わたくしは、そのようなものをいただきに上ったのではござりませぬ」
お君が恨めしそうにその二品をながめていましたが、その眼には涙がいっぱいであります。
「ともかくも」
と言って兵馬は、その二品を前へ出したきりで腕を組んでいました。兵馬の胸にも実は、思い余ることがあるのであります。
「宇津木様、どうぞ殿様のお言葉をお聞かせ下さりませ、縁を諦《あきら》めよと、それが殿様のお言葉でござりましたか」
「能登守殿は、そうはおっしゃらぬ。そうはおっしゃらぬけれど」
「わたくしが殿様から前のようなお情けをいただきたいために、こうして恥を忍んで上りましたものか、どうか、それを御存じないあなた様が恨《うら》めしい」
「それは拙者にもわかっているし、能登守殿も御諒解であるが……」
「それならば、お言葉をお聞かせ下さりませ。わたくしは賤《いや》しいものでござりまするけれど、殿様のお家には二つとないまことのお血筋……そのお血筋がおいとしいために恥を忍んで上りました、殿様のお言葉一つによって、わたくしはこの場で死にまする」
「またしても短気なことを……」
「いいえ、短気なことではありませぬ、わたくしの小さい胸で、考えて考え抜いた覚悟の上でござりまする。殿様のお言葉次第によって、わたくしもこの世にはおられませぬ、恐れ多い殿様のお血筋を、わたくしと一緒にあの世へおつれ申すのが不憫《ふびん》でござりまする、それ故に……」
お君は歔欷《しゃく》り上げて泣きました。
「能登守殿は近いうち、洋行なさるというておられた」
兵馬は要領をそらして、何とつかずにこう言いました。
「洋行なさるとは?」
「この日本の土地を離れて、遠い外国へおいであそばすそうじゃ」
「エエ、遠い外国へ?」
お君は涙を払って兵馬の面《かお》を見つめました。問い返す言葉にも力がありました。兵馬が何とつかずに言ったことが、お君の胸には手強い響きを与えたもののようであります。
「能登守殿がおっしゃるには、自分はもう今の世では望みのない身体じゃ、この隙《ひま》に西洋を見て来たい、いずれ万事は帰ってから後のこと。君女《きみじょ》のことも、どうしてやってよいか自分にはわからぬ、そなたの思うように保護してくれいとのお言葉。帰りは長くて一年、或いはまた……」
「よくわかりました」
兵馬の説明をお君はキッパリと返事をしました。兵馬の重ねて説明することを必要とせぬほどに、キッパリと言い切ってしまいました。
「もうお聞き申すこともござりませぬ、殿様は前から西洋がお好きでございました、わたくしのことなんぞを今ここで申し上げたとて、お取り上げになろうはずがござりませぬ、もうあのお方のお心のうちは、西洋の学問やなにかのことでいっぱいなのでございます、わたくし風情《ふぜい》が何を申し上げたとて、それに御心配をなさるような、賤《いや》しいお方ではござりませぬ、それだけお聞き申せば、もう充分でござりまする」
お君としては冷やかな言い分でありました。その冷やかな言い分のうちには、多くの自棄《やけ》の気味、自棄と言わないまでも、全くの失望をわざと冷淡に言ってのける頼りない心持を、兵馬にあっても見て取れないというわけではありません。
「悪く取ってはなりませぬ、能登守殿のお身の上を推量すると、拙者にはお気の毒でお気の毒で、どうも立入って強いことが言えない」
兵馬はお君を慰めようとして、能登守の身の上に同情を向けさせようとしました。しかしお君は、やはり冷やかな態度を変えるのではありません。
「どう致しまして、わたくしが殿様のお心持を、よからぬように御推量申し上げるなぞと、そのようなことがありますものか、どうか御無事で洋行をしておいであそばすように、蔭ながら祈るばかりでございまする、この下され物もその心で有難く頂戴致しまする」
今まで手にも触れなかった袋入りの物と、帛紗包《ふくさづつ》みの二品を手に取って、お君は懇《ねんご》ろに推しいただきました。
兵馬はなお何か言いたいと思ったけれども、何も言うことがないのに苦しみました。それは余りにお君の態度が神妙であったからであります。余りによく解り過ぎてしまったために、兵馬は何を言ってよいかわからなくなりました。
「宇津木様、もう夜も更けました、どうぞお休み下さいませ。わたくしも疲れました、御免を蒙りとうございまする」
お君は二品を膝に置いて、言葉丁寧に言いましたけれど、兵馬にはそれが、いつものようでなく、冷たい針が含まれているように思われてなりません。さりとて、なんともその上に加えねばならぬ言葉はないので、
「しからば余談は明日のこと、御免を蒙りましょう」
なんとなく物のはさまったような心持で、兵馬は己《おの》れの部屋へ帰って寝ようとしたけれども、まだなんとなく心がかりであります。
次の間の物音によく心を澄ましているらしかったが、何に驚いたか兵馬は、ガバと起《た》って隔ての襖《ふすま》を蹴開いて、お君の寝室へ跳《おど》り入りました。
お君は端坐して、その手には、さきほど能登守から贈られたという袋入りの短刀の鞘《さや》を払っていたのであります。
お君は能登守からの短刀の鞘を払って、あわやと見えるところでした。兵馬はその手を押えました。
「ここで御身を殺しては、能登守殿にも申しわけがない、甲州から頼まれた人たちへも申しわけがない、これまでの苦心が仇《あだ》になる、短慮なことをなされるな」
兵馬に抑えられたお君は、それを争うことができません。お君としては、兵馬の寝鎮《ねしず》まるのを待って、用意の上に用意しての覚悟でありました。けれども、油断なき兵馬の心に乗ずることができませんでした。
「ああ、わたくしの身はどうしたらよいのでございましょう、あの立派な殿様を、世間にお面《かお》の立たぬようにしたのも、わたくしでございます、あなた様にこんな御迷惑をかけるのも、わたくし故でございます、生きていてよいのか、死んでしまってよいのか、わたしにはわかりませぬ」
短刀を取られてしまったお君は、そこへ泣き伏しています。
「お君殿、そなたの身の上を頼まれたは拙者、殺してよい時はこの兵馬が殺して上げる、それまでは不足ながら万事を拙者にお任せ下さい、必ず悪いようには致さぬ、もしそれを聞かずに再びこのような短慮な事をなさる気ならば、拙者にも了簡《りょうけん》がある」
兵馬は言葉を強くしてこう言いました。けれどもお君は、それに対して何の返事もできないのであります。
「さあ、御返事をなさい、この上とも万事を兵馬にお任せ下さるか、それがいやならば、この短刀をお返し申す故、この場で改めて自害をなさい、兵馬が介錯《かいしゃく》をして上げる、介錯した後にはこの兵馬も、そのままではおられませぬ」
兵馬はなお手強く言って、お君の口から誓いの言葉を聞こうとするらしくあります。
「そのお返事のないうちは、この場を去りませぬ」
兵馬はお君に向って、あくまでその返答を迫るのであります。
「宇津木様、わたくしには何もかもわからなくなりました、お前様のよろしきように」
ともかくもその場はお君を取鎮め、万事を我に任せろと頼もしいことを言って力をつけたものの、兵馬自身によくよく衷心《ちゅうしん》を叩いて見ると、それは甚だ覚束《おぼつか》ないことです。身一つの処置をどうしてよいかわからないというのは、お君が自分でわからないのみならず、兵馬はなお分っていないのであります。慢心和尚から頼まれて引受けて来た時もわかってはいない、苦心を重ねてようやく能登守を尋ね当ててそれを計ってみると、いよいよわからなくなりました。
能登守の立場を見れば、それにお君を会わせて自分が帰ってしまうことはどうしてもできないことであります。そうかと言ってまた甲州へ連れて戻るわけにはゆかず……結局、どうすればよいのだか兵馬は、迷いに迷ってしまいました。
迷いに迷った揚句《あげく》に、兵馬が思い起したのは、道庵先生のことであります。この人へ真面目《まじめ》に相談をかけることは、張合いのないようなことだけれど、お君という人を暫らく保護してもらうことは、或いは頼みにならないことでもないと思いました。兵馬はここでともかくも、道庵へ行って相談しようとする心をきめました。
その翌日、兵馬が道庵を訪れようと用意しているところへ案内があって、一人の立派な武士が兵馬を訪ねて来たということであります。
「はて、誰だろう」
兵馬はここへ自分を訪ねて来る立派な武士があろうとは、予期していないことでありましたが、迎えて見ると、それは南条であります。
なるほど、今日ここへ訪ねて来るように言っていたが、前夜の労働者風の姿のみ頭に残っていたから、今こうして立派な武装をしてやって来られると、頓《とみ》にはそれと気がつかなかったのであります。
南条は頓着なく兵馬のいる一間へ打通って、
「いや、おかげさまで駒井とゆっくり話をすることができて面白かった。駒井は近いうち洋行をするそうじゃ。それは結構なことだ、あの男の学問と器量とを以て洋行して来れば、鬼に金棒というものだと賞《ほ》めてやった」
かく言って遠慮なく、駒井能登守のことを話されるのは兵馬にとっては苦痛であります。兵馬にとっては苦痛でないけれど、一間を隔ててお君の耳へそれを入れることが心配になるのです。
南条もそれを呑込んだか知らん、
「君、ちょっと外へ出ないか、滝の川へ紅葉《もみじ》を見に行こう」
南条それがしと宇津木兵馬とは、相携えて扇屋を出ました。
兵馬は、南条が自分をどこへ導いて行くのだか知りません。紅葉というのは出鱈目《でたらめ》で、王子から江戸の市中へ出るらしいのであります。時は夕暮で道は淋しい。
この途中、二人は、いろいろのことを話し合いました。人物の評をしてみたり、甲府以来の世間話をしたりしました。兵馬はこの人のいつも元気であって、好んで虎の尾を踏むようなことをして、屈託《くったく》しない勇気に感服することであります。それで識見や抱負の低くないことも尊敬せずにはおられないところから、ふと自分が迷っている女の処分方もこの人にうちあけてみたならば、また闊達な知恵分別も聞かれはしないかと思いました。
そこで、思いきって一伍一什《いちぶしじゅう》を南条にうちあけて、さてどうしたらよいものかと、しおらしくその意見を叩きました。
それを聞いていた南条は、事もなげにカラカラと笑って、
「君がその婦人を引受けたらよいだろう、駒井から貰い受けたらよいだろう」
「エエ!」
兵馬は眼を円くしました。南条は眼を円くしている兵馬の面《かお》を、調戯《からか》うもののようにながめながら、
「理窟を考えちゃいかん、君がその女の身を心配するならば、いっそ引受けて夫婦になってしまうがよかろう」
兵馬は、返事ができないほどに呆《あき》れてしまいました。
「はははは」
南条は本気で言ったのか冗談《じょうだん》で言ったのか知らないが、高笑いをして、こんなことは朝茶の前の問題といったような体《てい》たらくであります。
「そんなことが……」
兵馬は落胆《がっかり》するほどに呆れが止まりませんでした。前に言う通り、この人の志気や抱負には敬服するけれど、それは時代のことや政治のことだけで、男女の問題にかけては、こんなふうに大ざっぱで、且つ低い観念しか持っていない人かと思えば、大切な問題を、こんな人に打明けたことを悔ゆるの心をさえ起しました。南条はやはり事もなげに言葉をついで、こう言いました、
「それがいけなければ斬ってしまえ、その女を斬ってしまうがよい、こう言えば無慈悲のようだけれども、それは男子らしい処分と言えないこともない、紀州の殿様で、世嗣《よつぎ》の生みの母を手討にしてしまった人がある、生みの母というのは殿様のお手かけであった、腹の賤《いや》しい母を生かしておいては、他日国家の患《うれい》がそこから起り易いとあって、罪もないのに手討にしてしまった。わが子の母をさえ、家門のためには斬ってしまった殿様がある、それを思えば君のひっかかっている女なんぞはなんでもない、一時の小さな情にひっかかっていると大事を誤ることがある、一殺多生《いっさつたしょう》というのはそれだ、その女一人を斬ってしまえば、駒井もひっかかりがなくなる、君も解脱《げだつ》ができる、その女も君に斬られたら往生《おうじょう》ができることだろう。男子はそのくらいの勇気がなくてはならぬ、女々《めめ》しい小慈小仁に捉われているようでは大事は成せぬ」
これはあまりに乱暴な議論であります。さきに慢心和尚は、女を沈めにかけると言って兵馬を驚かせました。それは慢心和尚一流のズボラであったけれど、この男の言う議論は、実行と交渉のある議論であるから剣呑《けんのん》です。
七
兵馬と南条なにがしとがこうして王子を立って、江戸の市中へ向けて出かけて行ったと同時に、これはまた板橋街道の方から連立って、王子の方面へ入って来る二人の旅人があります。
かなり長い旅をして来たものらしく、直接に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して千住《せんじゅ》方面へ出るつもりかも知れません。先に立ったのはやや背の高い男、あとのは中背で前のよりは年も若い男。
「兄貴」
人通りの絶えたところで後のが声をかけました。その声を聞くとなんのことはない、これは執念深い片腕の男、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百でありました。
「何だ」
振返ったのは、取りも直さず七兵衛であります。
「今夜はどこへ泊るんだ」
百蔵は今ごろこんなことを言って、七兵衛に尋ねてみるのもワザとらしくあります。
「どこにしようかなあ」
歩いて来るには歩いて来たものの、二人はまだどこといってきめた宿がないもののようであります。
「今っからこの姿《なり》で、吉原《なか》へも行けめえじゃねえか」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]が言う。
「そうよ」
「王子の扇屋へ泊ろうじゃねえか」
「いけねえ」
七兵衛が首を左右に振りました。
「どうして」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は笠越しに七兵衛の面《かお》を見る。
「あすこはこのごろ、役人が出入りをしている、滝の川の方に普請事《ふしんごと》があって、それであの家が会所のようなことになっているから、上役人が始終《しょっちゅう》出入りをしているんだ」
「そうか」
がんりき[#「がんりき」に傍点]も暫らく口を噤《つぐ》んでしまいました。口を噤んでも二人は、なおせっせと道を歩いているのであります。
「それじゃあどうするんだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]が、また駄目を出しはじめます。
「どうしようか、お前よく考えてみな」
七兵衛は煮えきらないのであります。がんりき[#「がんりき」に傍点]はそれをもどかしがって、
「考えてみなと言ったって、兄貴がその気にならなけりゃ仕方がねえ。実のところは俺《おい》らはモウ小遣銭《こづかいせん》もねえのだ、さしあたってなんとか工面《くめん》をしなけりゃならねえのだが、兄貴だって同じことだろう。命からがらで甲州から逃げて来たんだ、ここまで息をつく暇もありゃしねえ、いくら人の物をわが物とするこちとらだって、海の中から潮水を掬《すく》って来るのとはわけが違うんだ」
「今夜はなんとか仕事をしなくちゃならねえな」
「知れたことよ、そのことを言ってるんだ。いま聞けば、扇屋は何か役人の普請事の会所になっているというじゃねえか、そこへひとつ今晩は御厄介になろうじゃねえか」
「俺もそう思ってるんだ。普請事というのは何か鉄砲の煙硝蔵《えんしょうぐら》を立てるとかいうことなんだそうだ、なにしろお上の仕事だから、小さな仕事ではあるめえと思う、お金方《きんかた》も出張っているだろうし、突っついてみたら一箱や二箱の仕事はあるだろうと思う」
「そいつは耳寄りだ、兄貴、お前はいいところへ気がついていた」
「だから、そうきまったらどこかで一休みして、ゆっくり出かけるとしよう」
「合点《がってん》だ」
こう言って二人は、板橋街道の夕暮を見渡しました。
その晩になって、王子権現の境内へ二つの黒い影が、異《ちが》った方からめぐり合わせて来て、稲荷《いなり》の裏でパッタリと面《かお》が合いました。
「兄貴」
「百か」
前の通り二人は百蔵と七兵衛とです。板橋街道の夕暮で見た二人の姿は、純然たる旅の人でありました。ここでは忍びの者のような姿であります。けれども二人とも脇差は差していて、足もまた厳重に固めていました。
「どうした」
「冗談じゃねえ」
頭と頭とを、こっきらこ[#「こっきらこ」に傍点]とするほどに密着《くっつ》けて、百蔵が、
「役人の会所になっているというから、様子を見ていりゃあ、役人らしいのは一人も泊っていねえじゃねえか、それに普請《ふしん》のお金方《きんかた》とやらも詰めている塩梅《あんばい》はねえし、ふりの宿屋と別に変った事はねえ、なにも俺らと兄貴が、こうして息を詰めて仕事にかかるがものはねえんだ、兄貴にしちゃあ、近頃の眼違いだ、お気の毒のようなものだ」
少しばかり、せせら笑ってかかると、七兵衛はそれを気にかけないで、
「それに違えねえ。おれも様子を見てから、こりゃ抜かったと直ぐに気がついたから、引上げようと思ってると、手前《てめえ》が何に当りをつけたか、奥の方へグングンと入り込んで出て来ねえから、引返すわけにもいかなかったのだ。こりゃあ強《あなが》ち俺の眼違えというわけでもねえのだ、この間までは確かにここが会所になっていたのだが、普請が出来上ったから、あっちへ移ったのだろう、あんまり遠いところでもねえから、ひとつこの足でその新しい普請場の方へ出かけてみよう」
「なるほど」
「さあ出かけよう」
この二人は、板橋街道で打合せた通り、王子の扇屋を覘《ねら》ったものであったに違いないが、その見込みが少しく外《はず》れたものであるらしい。けれども外れた見込みは、遠くもないところで遂げられそうな自信をもっているらしい。七兵衛は、百蔵を引き立て、その方へ急ごうとすると、がんりき[#「がんりき」に傍点]はなぜか、あんまり進まない面《かお》をして、
「普請場とやらへは、兄貴一人で行っちゃあもれえめえか」
「ナニ、おれに一人でやれというのか」
「俺らは、どうもそっちの方は気が進まねえことがあるんだ」
「ハテな」
「実は、扇屋でいま見つけ物をして来たから、その方が心がかりになって、金なんぞはあんまり欲しくもなくなったのさ」
「おやおや」
「そういうわけだから、兄貴一人で普請場へ行って当座の稼ぎをして来てくんねえ、俺らは俺らで自前の仕事をしてみてえんだ」
「この野郎、扇屋の女中部屋の寝像《ねぞう》にでも見恍《みと》れて、またよくねえ了見《りょうけん》を出したとみえるな、世話の焼けた野郎だ」
「まあ、いいから任しておいてくれ、兄貴は兄貴で兵糧方を持ってもらいてえ、俺《おい》らは俺らで、これ見たかということを別にして見せるんだ」
「また、笹子峠のように遣《や》り損《そく》なって泣面《なきつら》をかかねえものだ」
「ナニ、あの時だって、まんざら遣り損なったというものでもねえのさ、それにあの時は相手が相手だけれど、今夜のは、たった一人ほうりっぱなしにしてあるのだから、袋の中の物を持って来るようなものだ」
「まあ、よせと言ってもよすのじゃあるめえから、手前の勝手にしてみるがいい、懲《こ》りてみるのも薬だ」
「有難え」
二人で一緒に仕事をするはずであったのが、ここで二つに分れて仕事をすることになります。
ここで二人のよからぬ者が手筈《てはず》を分けて、一方は火薬製造所の普請場の方へと出かけて行き、一方はまた扇屋をさして出かけて行くことにきまったらしくあります。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の方は、心得て直ぐさまその場から姿を隠したが、七兵衛は少しばかり行って踏みとどまり、
「野郎、いったい何をやり出すんだか」
と言って、七兵衛は普請場の方へ行こうとした爪先を変えて、がんりき[#「がんりき」に傍点]が出て行った方へ素早く歩き出したところを見ると、そのあとをつけて、あの小ざかしい片腕が、何を見つけて何をやり出すのだか、それを突留めようとするものらしくあります。
ややあって七兵衛は、音無川の岸の木蔭の暗いところから、扇屋の裏口を覗《のぞ》いて立っていました。どこといって起きている家はなく、そうかと言って、いまがんりき[#「がんりき」に傍点]が忍び込んでいるらしい物の音も聞えません。けれども七兵衛は、この口を守って、中からの消息《たより》を待って動かないのは、何か自信があるらしいのであります。
果して縁側の戸が一枚あけてあったところから、人の頭がうごめき出でました。
「出たな」
と言って七兵衛は微笑《ほほえ》みました。
なるほど、それは人影である。闇の中でも慣れた目でよく見れば、中から這い出すようにして庭へ下りる人は、小脇に白い物を抱えていることがわかります。その物は何物であるかわからないけれども、それを片腕に抱えて、極めて巧妙に家の中から脱け出して来たものであることが一見してわかります。
七兵衛は、じっとその様子を見ていました。果してその黒い人影は庭へ下り立ったが、そこで前後を見廻して暫らく佇《たたず》んでいました。
待っていたこの裏木戸へ来たら、出会頭《であいがしら》に取って押えてやろうと、ほほえんでいた七兵衛のいる方へは、ちょっと向いたきりで人影は、庭の燈籠《とうろう》の蔭へ小走りに走って行くと、急に姿が見えなくなりました。
「おや?」
七兵衛は少しばかり泡《あわ》を食って、再び眼を拭って見たけれど、それっきり人影が庭から姿をかき消すようになってしまったから、
「出し抜かれたかな」
木の繁みから音無川の谷の中へ下りて見たところが、そこに忍び返しをつけた塀があります。
「こいつはいけねえ」
七兵衛はその下を潜ろうか、上を乗り越えようかと思案したけれど、それは咄嗟《とっさ》の場合、さすがの七兵衛も、どうしていいかわからぬくらいの邪魔物でありました。
「ちょッ」
仕方がないからわざわざ岸へ上って、家のまわりを、遠くから一廻りして表へ出て見ました。
こうして前後を見廻したけれど、いま庭で立消えになったがんりき[#「がんりき」に傍点]の姿は、いずれにも認めることができません。
「野郎、まだ中に隠れているな、おれがあとをつけたことを感づいたもんだから、この屋敷の中で立往生をしていやがる、それともほかに抜け道をこしらえておいたものか、それにしては手廻しがよすぎるが、どうしてもあの裏手よりほかに逃げ道はねえはずなんだが……ハテ」
七兵衛は、また裏の方へ廻って見ました。そこでもまた再びその影も形も認めることができないから、ともかくも中へ入ってみようとする気になったらしく、そっとその木戸を押してみると、雑作《ぞうさ》なく開いた途端に、
「泥棒、泥棒、泥棒」
泥棒、泥棒と騒ぎ立てられた時分には、七兵衛もがんりき[#「がんりき」に傍点]も、さいぜんの権現の稲荷の社前へ来ていました。
「兄貴、細工は流々《りゅうりゅう》、この通りだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は社前のところへ腰をかけて自慢そうに鼻うごめかすと、七兵衛も同じように腰をかけて苦笑い。
「いったい、そりゃ何の真似だ」
「何の真似だと言ったって兄貴、お前と俺《おい》らが甲府でやり損なった仕返しが、どうやらここでできたというもんだ、自分ながら思い設けぬ手柄だ、兄貴の前だけれども、こういうことはおれでなくってはできねえ芸当なんだ。そもそもここへ連れて来た女というのを、兄貴、お前はいったい誰だと思うんだ、お前のその皮肉な笑い方を見ると、またおれが女中部屋の寝像《ねぞう》に現《うつつ》を抜かして、ついこんな性悪《しょうわる》をやらかしたように安く見ていなさるようだが、憚《はばか》りながらそんな玉じゃねえんだ。もっとも、おれもはじめからその見込みで入ったわけではなし、兄貴の差図で入ったのだから、手柄の半分はお前の方へ譲ってもいいようなものだが、兄貴だって、この代物《しろもの》がこの通りということはまだお気がつくめえな。おれが語り聞かした上で、それと合点《がてん》がゆきゃあ、なるほど、百、手前の腕は片一方だが、両腕のあるおれが恐れ入ったものだ、見上げたものだと、ここに初めて兜《かぶと》を脱ぐに違えねえ」
「何を言ってやがるんだ」
「まあまあ、緒《いとぐち》から引き出して話をする。そもそも兄貴とおれとが、甲府のお城のお天守の天辺《てっぺん》でしたあのいたずらから事の筋が引いてるんだ。あの時、二人で提灯をぶらさげて、甲府の町のやつらを噪《さわ》がせて、天狗だとか魔物だとか言わせて、溜飲《りゅういん》を下げてみたけれど、憎らしいのはあの勤番支配の駒井能登守という奴よ、あいつが鉄砲を向けたばっかりにこっちは、すっかり化けの皮を剥がれて、二度とあの悪戯《いたずら》ができなくなったんだ。それも兄貴、あの時に、あの能登守という奴が、打つ気で覘《ねら》いをつけたんなら、兄貴の身体でも、俺らの身体でも微塵《みじん》になって飛ぶはずのところを、ワザと提灯だけを打って落したのが皮肉じゃねえか。あんまり癪《しゃく》にさわるから、その後、なんとかあの能登守に、いたずらをしかけて溜飲を下げてやらなくちゃあ、七兵衛はいざ知らず、がんりき[#「がんりき」に傍点]の沽券《こけん》が下るからと、いろいろ苦心はしてみたけれど、どうも兄貴の前だが、やっぱりあの屋敷には豪勢強い犬がいる、それでうっかり近寄れねえでいたところへ、急にあの能登守がお役替えで江戸詰ということになったと聞いて、手の中の珠を取られたように思った。ところが今夜という今夜、ほんとうに思いがけなく、思う存分にその仕返しができたことを思うと、天道様《てんとうさま》がまだこちとらをお見捨てなさらねえのだ。俺らは甲州から持ち越した溜飲が、初めてグッとさがったんで、嬉しくてたまらねえ。と言って、ひとりよがりをここへ並べて、永く兄貴に擽《くすぐ》ってえ思いをさせるのも罪な話だから、うちあけてしまうが、実は俺らが今ここへ連れて来た女というのは別じゃあねえ、甲府にあって一問題おこした例の、能登守の大切《だいじ》の大切のお部屋様なんだ」
「エエ!」
「どんなもんだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、いよいよ得意になって社殿の中を尻目にかける。この社殿の中へ、その手柄にかける当の者を運び来って隠して置くものらしくあります。それでがんりき[#「がんりき」に傍点]はなお得意になって、七兵衛をも尻目にかけながら、
「俺らは、ただこうして溜飲を下げさえすりゃそれでいいのだ、なにもこのお部屋様を、煮て喰おうとも焼いて喰おうとも言いはしねえのだ、これから先の料理方は兄貴次第だ、よろしくお頼み申してえものだな」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はこんなことを言って、さて猿臂《えんぴ》を伸ばして稲荷の扉の中へ手を入れて、何物をか引き出そうとしました。それは七兵衛にとっても多少の好奇心であり、また心安からぬことでないではありません。この野郎、ほんとうにその女をここへ浚《さら》って来たのかどうか、本来、こういうことを手柄に心得ている人間にしても、あまりに無茶で、乱暴で、殺風景であるから、七兵衛もムッとして苦《にが》い面《かお》をして、がんりき[#「がんりき」に傍点]を睨めていました。
「それこの通りだ」
と言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]が、苦い顔をしている七兵衛の眼の前へ突きつけたのは、やや身分の高かるべき女の人の着る一領の裲襠《うちかけ》と、別に何かの包みでありました。幸いにしてそこには、この裲襠を纏《まと》うていた当の人の姿は見えないから、まず安心というものでしょう。
「これがどうしたんだ」
七兵衛はその裲襠と、がんりき[#「がんりき」に傍点]の面《かお》を等分にながめていると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、
「これがその、講釈で聞いた晋《しん》の予譲《よじょう》とやらの出来損ないだ、おれの片腕では、残念ながら正《しょう》のままであの女をどうすることもできねえんだ、時と暇を貸してくれたら、どうにかならねえこともあるめえが、差当って今夜という今夜、あれを正のままで物にするのはむつかしいから、そのあたりにあったこの裲襠と、床の間にあったこの二品、どうやらこれが金目のものらしいから、引浚《ひっさら》って出て来たのだ。ともかくも、これだけの物があれば、これを道具に能登守にいたずらをしてやる筋書は、いくらでも書けようというものだ。この裲襠を見ねえ、地は縮緬《ちりめん》で、模様は松竹梅だか何だか知らねえが、ずいぶん見事なものだ、それでこの通りいい香りがするわい、伽羅《きゃら》とか沈香《じんこう》とかいうやつの香りなんだろう、これを一番、能登守に持って行って狂言の種にして、奴がどんな面をするか、それを見てやりてえものだ。こっちの方の二品は、こりゃ錦の袋入りの守り刀と来ている、もう一つはズッシリとしたこの重味、この二つとも、殿様からの御拝領なんだろう、まだ結び目も解かず、封も切らずにあるやつが、手つかずこっちへ授かったというのも返す返す有難え話だ。さあ、兄貴、俺らの方はこの通りまずまず当座の仕事としては大当りに近い方だが、兄貴の方の仕事はどうなるんだ、まだこれから出かけてみても遅いわけではあるめえから、その舶来の煙硝蔵《えんしょうぐら》とやらへ、俺らもお伴《とも》をしてみてえものだな」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はひきつづいて手柄話と盗んで来た品物とを、鼻高々と七兵衛の前へ並べて吹聴《ふいちょう》しているのを七兵衛は、やはり苦々しく聞いていたが、
「なるほど、そいつはかなり気の利いた仕事をしたものだ、けれども、その手前《てめえ》が、甲府から持越しの意趣を晴らしてえという当の相手はどこにいるんだ、甲府で失策《しくじ》った能登守という殿様は、いま江戸にも姿が見えねえのだ、そうして田舎芝居の盲景清《めくらかげきよ》のように、恨《うら》みの衣裳を引張り廻してみたところで、肝腎の頼朝公が不足していたんじゃあ、芝居にもなるめえじゃねえか」
七兵衛はこう言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]をばかにしたような面をすると、
「ナーニ、あの女がここにいるからには、大将だってまんざら遠いところにいるでもあるめえ」
「手前は、まだその見当がつかねえのか」
「兄貴、お前はまたそれを知ってるのか」
こんなことを話し合っているうちに、二人の話がハタと止んで、やがて滝の川の方面へ忍んで行くらしくあります。
その翌朝、駒井甚三郎は、例の研究室の前の塀に、ふと妙なものがかかっているのを認めました。皮を剥いだもののように、一枚の裲襠《うちかけ》が塀に張りつけてありました。その上に刀の小柄《こづか》を突き刺して、それに錦の袋に入れた守り刀様のものがぶらさげてありました。
駒井甚三郎がそれを見た時は、まだ夜があけはなれないうちで、誰もその以前に気がついたものはありませんでした。それを一目見ると駒井甚三郎の面《おもて》に、非常な不快な色がサッと流れました。それは裲襠も守り刀も、共に見覚えのある品でありました。篤《とく》と見ているうちにいよいよ不快の色で満たされて、この時はさすがにこの人も、その憤懣《ふんまん》を隠すことができないらしくありました。
けれども、また直ぐに窓掛を下ろして、姿を研究室の奥深く隠してしまいました。駒井甚三郎は再びこの不快な一種の曝《さら》し物に眼を注ぐことはなかったけれど、ほどなくその裲襠と守り刀の袋とは、何者かの手によって取外されて、どこへか隠されてしまいました。
それから程経て、馬を駆《か》ってその普請場から出て行く一個の人影を見ることができました。おそらくそれはその普請場を早朝から巡視に来た役人であったろうけれど、笠を深く被《かぶ》っていたから、誰とも知ることができません。
その人は馬を駆ってやや暫らく行った時に、途中で行会った百姓男を呼び留めて、
「これこれ」
「はい」
「お前は王子の方へ行くと見えるな、気の毒ながらこれを扇屋まで届けてもらいたいものじゃ」
「へえへえ、よろしうございますとも」
頼む人が身分ありげな人であって、頼む言葉も丁寧であったから、頼まれた百姓は恐れ入って承知をしました。幸い、この百姓は扇屋の方へ行くべきついでの百姓でありました。馬上の人が取り出したのは一封の手紙らしくあります。
「ただこの手紙を持って扇屋へ立寄り、名宛の人に渡してもらえばよろしい、名宛の人がおらぬ時は、預けておいてよろしい、返事は要らぬ、これは些少《さしょう》ながらのお礼の印」
「どう致しまして、ほんのついででございますから、こんな物をいただいては済みましねえでございます」
馬上の人はお礼の寸志として、いくらかの金を与えようとしたのを、律義《りちぎ》な百姓は容易に受けようとしませんでした。それを強《し》いて取らせると、百姓は幾度も幾度も繰返してお礼を言い、その手紙を受取り、金の方はいただいていいのだか悪いのだか、まだわからないような面《かお》をしているうちに馬上の人は、
「しからば、確《しか》とお頼み申しましたぞ」
とばかり馬に鞭をくれてサッサと歩ませて行きました。百姓はその後ろ姿を見送って、
「お代官様みたようなエライお方だ、どこのお邸のお方か知らねえけれど」
と言って、その百姓はいま受取った手紙の表を見ると、見事な筆蹟で、
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「扇屋にて、宇津木兵馬殿」
[#ここで字下げ終わり]
と記してありました。
扇屋の一間に、お君は兵馬を待っていました。遅くも帰るであろうと待っていた兵馬は、ついに帰りません。
兵馬の身の上にも何か変事はなかったろうかと、それが心配になって、心細いよりは怖ろしさに堪えられないようであります。
昨夜、床に就いて、うとうととしかけたのはかなり夜が更《ふ》け渡った時分でありました。その時に、枕許に人の足音のすることを、確かにお君は気がついていました。
兵馬を待ち兼ねている心持だけで、それに気がついたのではありません、お君は物を用心する女でありました。こうなってみると、自分の身が何物より大切に思われるし、また頼りなくも思われてならないのに、この女は、古市《ふるいち》にあって、撥《ばち》を揚げて旅人の投げ銭を受けることを習わせられた手練が、おのずから心の油断を少なくしていました。ふと眼が醒《さ》めた時に、
「誰じゃ」
誰じゃと咎《とが》めてみた時に、その応答がなくて、何か急に自分の身《からだ》の上へ押しかかるものがあるように思ったから、急いで褥《しとね》を飛び起きて、
「どなたかお出合い下さい、悪者が……」
こう言って叫びを立てると、
「エエ、いめえましい」
と言って、枕を拾ってお君に打ちつけたのは、怪しい頬冠《ほおかぶ》りの男でありました。
「あれ――」
お君はこの場合にも身を避けることを知って、その投げつけた枕を外すと、それが行燈《あんどん》に当ってパッと倒れて、燈火《あかり》が消えて暗となりました。
「どなたぞ、おいで下さい、悪者が……」
この声で扇屋の上下はことごとく眼をさましました。その騒ぎと暗とに紛れて、悪者は疾《と》うにどこへか出て行ってしまって、扇屋の若い者などは空しく力瘤《ちからこぶ》を入れて、その出合わせることの遅かったのを口惜しがりました。幸いにしてお君の身にはなんの怪我もありませんでした。他の客人にも、家の人にも、雇人にも、女中にもなんの怪我もありませんでした。盗難は……盗まれたものは、それを調べてみるとお君は、面の色を変えないわけにはゆきません。
衣桁《いこう》にかけておいた打掛と、それからさきほど兵馬の手を通じて、主君の駒井能登守が手ずから贈られた記念の二品が、確かになくなっているのであります。これはお君にとっては、身にも換えられないほどの大切な品であります。
さりとてここでその品物の名を挙げて、宿の者にまで駒井能登守の名を出したくはありません。兵馬さえいたならば何とでも相談相手になろうものを、昨夜に限って戻って来ないことを、残念にも怨みにも、お君は一人でハラハラする胸を押えていました時に、帳場から一封の手紙を届けてきました。その手紙が宇津木兵馬宛になっていることを知って、ともかくも自分が預かることにする。まもなく宇津木兵馬は、一人で立帰って来ました。
昨夜の出来事を聞いて驚いた上に、さきほど預けられた手紙を渡されてそれを読むと、急いでいずれへか出かけました。
兵馬の出かけた先は、かの火薬製造所に駒井甚三郎を訪ねんためでありました。いつものところに来ておとのうてみたけれども、もうその人はそこにおりません。誰に尋ねてみることもできず、尋ねてみても知っている人はありません。
兵馬は空しく先刻の手紙を繰展《くりの》べて読んでみると、簡単に、
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「感ずるところあって、当所を立ち退く、行先は当分誰にも語らず、後事よろしく頼む」
[#ここで字下げ終わり]
というだけの意味であります。
駒井甚三郎はついにどこへ向けて立去ったか知ることができません。なにゆえに左様に事を急に立去らねばならなくなったのか、推察するに苦しみました。或いはその企てている洋行の機が迫ったために、こうして急に立去ったものかとも思われるが、どうも文面によるとそればかりではないらしく思われる。
その日のうちに、宇津木兵馬もお君を連れて、扇屋を引払ってしまいました。
八
甲府の躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の、神尾主膳の別邸の広い庭の中に盤屈《ばんくつ》している馬場の松の根方に、もう幾日というもの、鉄の鎖で二重にも三重にも結びつけられている一頭の猛犬がありました。
これは間《あい》の山《やま》のお君にとっては、唯一無二の愛犬であったムク犬であります。影の形に添うように、お君の後ろにもムク犬がなければならなかったのに、それが向岳寺の尼寺から、滝の川の扇屋に至るまで、あとを追った形跡の無いということは寧《むし》ろ不思議であります。
ムク犬を捕えて離さないのは、この馬場の松の老木と、それに絡《から》まる二重三重の鉄の鎖でありました。
松の樹の下に繋がれているムク犬には、誰も食物を与えるものがないらしくあります。
それ故に、さしもの猛犬が、いたく衰えて見えます。真黒い毛が縮れて、骨が立っています。前足を組んで、首を俛《た》れて沈黙しています。
もうかなり長いこと、ここに繋がれているはずなのに、絶えて吠えることをしないから、誰もここにこの犬が繋がれていることをさえ、外では知っている者はないようです。
たまたま附近の野良犬がこの屋敷へ入り込んで、なにげなくこの近いところへ来て、松の樹の下にムク犬の姿を認めると、急にたじろいで、尾を股の間に入れて逸早《いちはや》く逃げ出すくらいのものでありました。
ムクが吠えないのは、吠えても無益と思うからでありましょう。吠えてみたところで、今やこの甲府の界隈《かいわい》には、自分の声を理解してくれるものがないと諦めているためかも知れません。それが無い以上は、いかに自分の力を恃《たの》んだところで、馬場美濃守以来という老木を、根こぎにすることは不可能であるし、大象をも繋ぐべきこの二重三重の鎖を、断ち切ることも不可能であることを、徐《おもむ》ろに観念しているためでありましょう。
こうしてムク犬が沈黙していると、或る日この屋敷の裏口から、怖る怖る入って来た二人の男がありました。
「へえ、御免下さいまし、御本宅の方から頼まれてお犬を拝見に上りました、どなたもおいではございませんか。おいでがございませんければ、お許しが出ているんでございますから、御免を蒙ってお庭先へお通しを願いまして、お犬を拝見が致したいのでございますが、どなたもおいではございませんでございますか」
二人の男は、極めて卑下《ひげ》した言葉で屋敷の中へ申し入れましたけれども、誰も返事をする者がありませんから、そのまま怖る怖る庭の中へ入って行きました。
この二人の男の風態《ふうてい》を見ると、二人ともに古編笠を冠《かぶ》っていました。二人ともに目の細かい籠《かご》を肩にかけて、穢《よご》れた着物を着て、草鞋《わらじ》を穿《は》いていました。籠の中に数多《あまた》の雪駄《せった》を入れたところ、言葉つきの卑下しているところや、態度のオドオドしているところなどを見れば、一見してこれは雪駄直しか、犬殺しかの種類に属する人間たちであることがわかります。
「へえ、御免下さいまし、お犬を拝見に出ましてございます」
誰も挨拶をするものがないのに、卑下した言葉をかけながら、泉水、池、庭を怖る怖る通って、例の馬場の松の大木の下までやって来ました。
「長太、これだこれだ、ここにいたよ、ここにいたよ」
二人はたちどまって、やや遠くからムク犬の姿をながめて指さしました。
「なるほど、こいつは大《でか》い犬だ、近頃の掘出し物だ、殿様が皮が欲しいとおっしゃるのも御無理はねえ、これなら下手な熊の皮より、よっぽど大したものだ。殿様は生皮《いきがわ》を剥《む》けとおっしゃるが、このくらいの奴に荒《あば》れられると、生皮を剥くにはかなり骨が折れる。なんでもいいから殿様は、生きたままでこいつの皮を剥いてみろとおっしゃる、剥くところを御覧になりたいとおっしゃる、そうおっしゃられてみると、こちとらも商売|冥利《みょうり》で、見事に生きたままで皮を剥いてお目にかけますと、言わずにはいられねえ。けれども長太、こいつには、ちっと骨が折れるぞ。いいかげん弱っちゃあいるようだが、無暗に吠えねえで悠々と寝ているところを見ると、肝《きも》っ玉《たま》がありそうな畜生だ。長太、棒を貸しねえ、ちっとばかり突いて怒らしてみねえけりゃあ、どのくらいの奴で、どのくらいにあしらっていいかがわからねえ」
二人は、ソロソロと寝ているムク犬の傍へ近寄って来ました。
二人の犬殺しが、ソロソロと近寄った時に、ムク犬はようやく頭を擡《もた》げました。
頭を上げたけれども、いつものように勇猛の威勢あるムク犬ではありません。二人を見据える眼の力さえ、ややもすれば眠りに落つるような元気のないものであります。
「畜生、弱ってやがる、これなら大丈夫だろう」
二人の犬殺しは、頭を上げたムク犬の相好《そうごう》を暫らく立って見ていたが、一人が棒を取り出して、
「やい、畜生、どうした」
と言って、その棒をムク犬の顋《あご》の下へ突き込みました。その時にムク犬は、眠そうな眼をジロリと※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って、二人の犬殺しの面《かお》を下から見上げました。
「畜生、どうした」
顋の下へ突っ込んだ棒を、犬殺しは自棄《やけ》にコジりました。
その時に、眠っていたようなムク犬の眼が、俄然として蛍の光のように輝きました。それと共に、いま自分の顋の下へ自棄に突っ込んでコジ上げた棒の一端を、ガブリとその口で噛みつきました。
「こいつはいけねえ」
電気に打たれたように、犬殺しはその棒を手放して一間ばかり飛び退きました。犬殺しの手から噛み取った棒は、ムクの口から放れません。牙がキリキリと鳴りました。さしもに堅い樫《かし》の棒の一端は、みるみる簓《ささら》のようにムク犬の口で噛み砕かれていました。
「こん畜生、嚇《おどか》しやがる、こいつはなかなか一筋縄じゃあ行かねえ」
犬殺しは胸を撫でながら、再びムク犬の傍へ寄って来ました。俄然として醒《さ》めたムク犬の勇猛ぶりは、確かにこの犬殺しどもの胆《たん》を奪うに充分でありました。けれどもその繋がれている巨大なる松の樹と、それに絡《から》まっている二重三重の鎖は、また彼等を安心させるに充分であります。
「いけねえ、いくら弱りきった畜生だからと言って、突然《だしぬけ》に棒を出せば怒るのはあたりまえだあな、犬も歩けば棒に当るというのはそれだあな、棒なんぞを出さねえで、もっと素直《すなお》にだましてかからなけりゃあ、畜生だって思うようにはならねえのさ」
犬殺しどもは、何か不得要領なことをブツブツ言って立戻って来て、さきに卸して置いた籠を提げて、またムク犬の傍へ近寄り、
「どうだろう、まあ、この堅い棒を簓《ささら》のようにしやがったぜ、恐ろしい歯の力だ、死物狂いとは言いながら、まだこんなに恐ろしい歯を持った畜生を見たことがねえ、なるほど、これじゃあ殿様がもてあまして、鎖で繋いでお置きなさるがものはあらあ。さあ、こん畜生、今度は棒じゃあねえぞ、御馳走をしてやるんだぞ、それ、これを食え」
籠の中から取り出したのは竹の皮包の握飯《むすび》でありました。これはこの者どもの弁当ではなくて、犬を懐《なつ》けるために、ワザワザ用意して持って来たものらしくあります。
「さあさあ、樫《かし》の棒なんぞをがりがりと噛んでいたって仕方がねえ、これを食って温和《おとな》しくしろ、そのうちに痛くねえように皮を剥《む》いてやるから。殿様に頼まれたんだから、おれたちも晴れの仕事なんだ、あんまり騒がねえように剥《は》がしてくれろよ」
こう言って投げてやった握飯が、鼻の先まで転がって来たけれども、ムク犬はそれを一目見たきりで、口をつけようともしませんでした。
「おやおや、こん畜生、行儀がよくていやがらあ、こんなに痩《や》せっこけて餓《かつ》えているくせに」
二人の犬殺しは、拍子抜けのしたように立っています。
神尾主膳はこの頃、躑躅ケ崎の下屋敷へ知人を集めて、一つの変った催しをすることにきめました。それは或る時、神尾が二三の人と話のついでに、こんなことが問題になりました、
「精力の強い動物は、極めて巧妙にやりさえすれば、皮を剥がれても生きている、生きていて、皮を剥がれたなりの姿で歩くこともできるものだ」
と主張する者がありました。
「そんなばかなことがあるものか、いくら強い動物だからと言って、全身の生皮《なまかわ》を剥がれて、それで生きていられるはずがあるものか、ましてそれで歩ける道理があるものか、途方もないことを言わぬものだ」
と反駁《はんばく》する者もありました。
「それがあるから不思議だ、まず古いところでは、古事記にある因幡《いなば》の白兎の例を見給え」
と言って主張するものは、大国主神《おおくにぬしのかみ》が鰐《わに》に皮を剥がれた兎を助けた話から、
「それは神代《かみよ》のことで何とも保証はできないが、近くこれこれのところで、猫の生皮を剥いでそれが歩き出した、犬を剥いて試してみたところが、それも見事に歩いたということを、確かな人から聞いた」
というような実例をまことしやかに弁じ立てました。反駁する者は、決してそんなことはあるべきはずのものではないと言い、主張するものはいよいよそれが事実あり得ることで、たとえば居合《いあい》の上手が切れば、切られた人が、切られたことを知らないで歩いていたという実例や、八丁念仏の謂《いわ》れなどを幾つも説いて、それは要するに剥《む》いてみる動物の精力の強弱のみではなく、その皮を剥ぐものの手練と、刃物の利鈍によるというようなことを述べて、決してあいくだりませんでした。
しかし、これは両方とも、根拠があるようでない議論でありました。なぜといえば主張する者も、書物や又聞《またぎき》を証拠として主張するのであるし、反駁するものも、常識上そんなことが有り得べきものではないという点から反駁するのでありますから、ドチラもこの事実を、目《ま》のあたり見たものの口から出る議論ではありません。
それを聞いていた神尾主膳は、興味あることに思いました。なるほど常識を以て考うれば、虎や狼にしたところで、皮を剥がれて生きて歩けようとは思い設けられぬこと、しかし主張するものの論から考えると、常識以上の不思議が必ずしもないこととは思われないのであります。そこで神尾主膳は、
「それは近ごろ面白いお話だ、拙者も承っていると、ドチラのお申し分にも、道理がありそうでもあり、ないようでもある、それというのはいずれも、その御実験をごらんなさらぬからのことじゃ、それではいつまで経っても議論の尽きよう道理はござらぬ、なんとそれをひとつ、実地に験《ため》して御覧あってはいかがでござるな」
こう言い出すと、一座はなるほどと思いました。なるほどとは思ったけれど、
「実地に験してみると言ったところで……」
それはなかなか容易な実験ではありません。やはり空想にひとしいものだとあきらめているらしいが、神尾だけは何かの当りがあると覚しく、
「幸い、拙者がその実験に恰好《かっこう》な犬を一頭所持致しておる、その犬は精力あくまで強く、打ち殺しても死なぬ犬じゃ、時によっては十日や二十日食わずとも意気の衰えぬ猛犬である、その犬をおのおの方に試験として提供致そう、ひとつ生皮《いきがわ》を剥がして御覧あってはいかがでござる」
「それは近頃の慰み……」
と言うものもありました。よけいなことと眉を顰《ひそ》めるものもありました。言い出した神尾がかえって乗気になって、
「そうじゃ、近いうちおのおの方はじめ有志のお方に、躑躅ケ崎の拙者屋敷へお集まりを願おう、その庭前《にわさき》において右の犬を験《ため》させて御覧に入れたい、これも一つの学問じゃ」
神尾が進んでその実験を主唱して、それがために日を期して躑躅ケ崎の神尾の屋敷へ、多くの人が招かれることになりました。その集まりの目的は、前に言う通りの残忍なる遊戯のためであります。その残忍なる遊戯に使用さるべき動物は、すなわちムク犬であって、それの遊戯を実行するのは、巨摩郡《こまごおり》から雇われた長吉、長太という二人の犬殺しの名人であって、それを見物するのが主催者の神尾主膳をはじめ、勤番の上下にわたる有志の者であります。
二人の犬殺しは、その前日来、しきりに犬を手慣らすことに骨を折りました。最初の時にガリガリと棒を噛み砕いただけで、その後は、やはり眠そうにしているばかりで、別に二人の犬殺しに反抗する模様も見えませんでした。それで犬殺しは安心したけれども、なお気に入らないことは、いくら食物を与えてもこの犬が、それを欲しがらないことであります。
いろいろにして食物を欲しがるように仕向けたけれど、これだけはついに成功しないで、その試験の当日になりました。
犬殺しどもにもまた大きな責任があります。その皮を剥《む》き損ずるか、剥き了《おお》せるかによって議論も定まるし、自分たちの腕も定まるのでありました。二人が同時に刀《とう》を揮《ふる》って、出来得る限りの巧妙と迅速とを尽して、生きながら犬の皮をクルクルと剥いてしまって、それでなお、いくらかの生命を保たせ得るかどうかというのがその試験の眼目であります。
むつかしいのは皮を剥くそのことでなく、皮を剥くまでの間、生きた犬をどうしてじっとさせて置くかでありました。二人の犬殺しの苦心もまたそこにあって、いろいろに犬を手懐《てなず》けようとしたのもそれがためでありました。しかし、見込み通り二人の犬殺しに懐《なつ》くかどうかは、犬を扱い慣れたこの犬殺しどもにもまだ自信がありません。与える食物は取らないけれど、その温順であるらしいことが、いくらかの心恃《こころだの》みにはなっていただけであります。こうして首へ縄をかけて松の枝へつるし、四本の足へも縄をつけて四方へ張っておいて、身動きのできないようにしておいて、それから仕事にかかるというのが順序であって、それはほぼ見当がついているのであります。
神尾の招いた多くの人は、その当日の定刻に続々と詰めかけて来ました。広間の中や縁のあたりに居溢《いこぼ》れて、みんなの眼は松の木の下の真黒い動物に注《そそ》がれています。なかには立って行って、わざわざその動物の委細を検分しているものもありました。
「ありゃ、元の支配の邸にいた犬ではござらぬか」
「うむ」
こう言ってムク犬を評していたものもありましたけれど、元の支配ということだけすらが、この席では禁句でもあるかのように、
「うむ」
と言って噛み殺すように頷《うなず》いたばかりで、駒井とか能登守とも言うものはありませんでした。ましてお君とか米友とかいうものの名は、誰の口にも上るではありません。
ここで験《ため》し物《もの》になるべき犬に対しても、多少の同情を持ったものがこのなかに無いとは申されません。しかし、集まっているものはみな武士《さむらい》でありました。切捨御免を許されている武士たちでありました。これらの人は時としては人命をも刀の試しに供して、それをあたりまえだと信じている人であり、また時としては左様な残忍な行いもしてみなければ、武士の胆力が据《すわ》らぬと考えているようなものもありましたから、日頃は善良と言われている人でも、残忍な遊戯の前に目をつぶらないことが武士の嗜《たしな》みの一つだと考えもし、人にも奨励するような習慣もある。いわんや生きた人命でなく、たかが一疋の犬だもの。
こうして遊戯の選手に当るべき犬殺しの来るのを待っている間に、例の長吉、長太の犬殺しが、犬潜《いぬくぐ》りから入って来ました。
生きながら皮を剥かれてその動物が、なお生きて動けるかどうかというような議論の、非常識であることは申すまでもありません。それを実行せしめようとする神尾主膳らの心持もまた、人間並みの沙汰《さた》ではありません。それを引受けた犬殺しは、商売だから論外に置くとしても、彼等はそれを引受けて、見事やり了《おお》せるつもりで出て来たのか知らん。やり了せても、やり損っても、武士《さむらい》たちの高圧でぜひなくこんな仕事を引受けたものに相違ないのであります。
それだから彼等には、皮を剥いて、それが生きていようとも死んでしまおうとも、それには責任がなくて、ただ剥ぎぶりの手際の鮮やかなところを御覧に入れさえすれば、義務が済むものと心得ているらしい。
犬殺しが入って来たのを見ると、主人役の神尾主膳を初めとして、見物の人は緊張しました。犬殺しは遠くの方から、怖る怖る地上へ膝行《しっこう》して集まった人たちを仰ぎ見ることをしないで、犬の方へばかり近寄って行きました。
さきほどからの物々しい光景を見ていたムク犬は、今日は、いつものように眠そうな眼が、ようやく冴《さ》えてきたようであります。首を立てて集まっている武士たちを、深い眼つきで見つめておりました。
その有様は、何か事あるのを悟って、いささか用意するところあるもののようにも見えます。
さて、犬殺しが犬潜りから入って来た時分に、ムク犬の眼が爛《らん》としてかがやきました。
やや離れたところへ着いた犬殺しは、二人ともに籠《かご》をそこへ下ろして、籠の中から大きな鎌を取り出してまず腰にさし、それから筵《むしろ》を敷いてその上へ尻を卸し、次に籠の中からいろいろの道具を取り出して、道具調べにかかりました。その道具というのは、一束の細引と、鉄製の環《かん》と、大小幾通りの庖丁《ほうちょう》と、小刀と、小さな鋸《のこぎり》などの類《たぐい》であります。
「長太、どうもあの鉄の鎖が邪魔になって仕方がねえな」
長吉は犬を見ながらこう言って長太を顧みると、長太はもっともという面《かお》をして、
「そうだ、あの鎖を外《はず》してかからなけりゃあ思うようにはやれねえ」
二人は今に至っても、まだムク犬の首に捲きつけられた二重三重の鉄の鎖を問題にしているのであります。実際、あの鎖があっては、皮を剥きにかかる時に、どのくらい邪魔になるかということは、素人目《しろうとめ》にも想像されることです。
「だからおれは、あいつを外してしまって、その代りにこの環《かん》を首へはめて、細引で松の枝へ吊《つる》しておいて仕事にかかりてえと思うのだ」
「けれども、あのくらいの犬だから、細引じゃあむずかしかろうと思われるぜ」
「ナーニ、大丈夫だ、こいつを二重にして引括《ひっくく》れば何のことはあるものか」
「じゃあ、そういうことにしよう、いちばん先に口環《くちわ》をはめるんだな、口環を」
用意して来た革製の口環を取って二人が、やがてムク犬の方へ近寄りますと、今まで伏していたムク犬がこの時に立ち上りました。
「やい畜生、温順《おとな》しく往生しろよ」
二人の犬殺しは尋常の犬殺しにかかるつもりで、左右から歩み寄って、一人は例の握飯《むすび》を投げて、一人は投網《とあみ》を構えるように口環を拡げて、
「それ、こん畜生、口をこっちへ出せ」
呼吸を計って両方から、ムク犬を伸伏《のっぷ》せるようにして口環をはめようとすると、ムク犬は猛然としてその痩《や》せた身体を左右に振りました。
「危ねえ、こん畜生」
二人の犬殺しはその勢いに狼狽したが、
「こいつはいけねえ、どうしても首を松の木へ吊り下げておいてからでねえと」
二人の犬殺しは、手際よく口環をはめてしまうつもりであったところが意外の手強《てごわ》さに、やや当《あて》が外れて、まずどうしても松の枝へ縄をかけて、首を或る程度まで締め上げておいてから、仕事にかからねばならぬと覚《さと》りました。
麻縄の細引へ輪をこしらえ、それをムク犬の首へ投げかけること、それは近寄って口環をはめることよりも遥かに容易《たやす》い仕事でもあり、充分の熟練を持っておりました。
難なくムク犬の首を麻縄で括《くく》って、それを松の枝へ引き通して、悠々と引き上げにかかりました。けれども、不幸にして、最初から捲いてあった二重三重の鉄の鎖が取れていないのだから、ある程度までしか引き上げることはできません。
彼等の目的は、こうして首をしめてしまわない程度において、後足で直立するほどに犬の首を引き上げて、前へ廻って腹を見られるくらいにして置いて、仕事にかかろうというのであります。
すでに首へ縄を捲きつけて、その縄を松の枝から通してしまった以上は、さながらムク犬の身体は起重機にかけられたと同じことであります。若干の力で縄の一端を引張りさえすれば、ムク犬は腹を前にして、前足を宙に上げるような仕掛けにされてしまいました。
ただ例の鎖が捲きつけてあるがために、ある程度より上へは浮かないから、折角捲きつけた首の縄も、ムク犬には更に苦痛を覚えないのであります。だから、次の仕事はどうしても、その鉄の鎖を取外すことでなければなりません。
「なかなか大した鎖だ、合鍵がお借り申してあるから、これで錠前を外すがいい、それ、細引はよく松の樹へ捲きつけておかねえと、鎖を外す拍子に、縄がゆるむと間違えが出来るだ」
周到な用心と警戒の下に、鎖を外しにかかりました。
この前後の間におけるムク犬の身体には、更に隙《すき》がありませんでした。四つの足は合掌枠《がっしょうわく》のように剛《つよ》く突っ張って、その眼は間断なく犬殺しどもの挙動を見廻して、その口からようやく唸《うな》りを立てはじめていました。痩せた身体がブルブルと身震いをはじめました。
広間と縁側とで見物していた武士の連中は、固唾《かたず》を呑みはじめました。犬殺しは、日頃の技倆を手際よく見せようという心であります。武士たちは、前代にもあまり例《ためし》の少ない生きたものの皮剥ぎを、興味を以て見物しようというのであります。ほいと[#「ほいと」に傍点]非人の階級は、頼まれれば生きた人間の磔刑《はりつけ》をさえ請負《うけお》うのであるから、犬なんぞは朝飯前のものであります。また武士たちとても、同じ人間を斬捨てることを商売にしていた時代もあるのだから、たかが生きた犬の皮剥ぎを実地に御覧になるということも、そんなに良心には牴触《ていしょく》しないで、かえって残忍性の快楽をそそるくらいのものでありました。
もし、犬の代りに生きた人間を使用することができたならば、ここに集まる武士たちのうちの幾人かは、もっと痛快味を刺戟されたかも知れません。さすがにそれはできないから、猛犬を以て甘んずるというような種類《たぐい》もあったでありましょう。
犬の首から松の枝へかけた細引を、しかと松の大木の幹へグルグルと絡《から》げておいてから、二人の犬殺しは、ムク犬の首に二重三重に繋がれた鉄の鎖を解きにかかりました。一象の力を以てしても断ち切ることのできない鎖も、錠前を以てすれば、軽々と外すことができるのであります。
「それ!」
長太が外した鎖をガチャリと投げ出した途端に、ムク犬が山の崩れるように吠え出しました。
「失敗《しま》った!」
細引を手に持っている長吉が、絶望に近い叫びを立てました。
「失敗った!」
長吉が絶望的の叫びを為した時に、ズルズルとその手に持っていた細引に引摺られて行きます。
「こいつは堪《たま》らねえ」
長太は狼狽して、長吉の引摺られて行く細引にとりつきました。
これは本当に思い設けぬ大変でありました。鎖を外した瞬間に、聡明なるムク犬は全身の力を集めて前へ飛び出しました。縄は松ケ枝から幹をズルズルと辷《すべ》って、それを結び直す隙を与えませんでした。縄にすがりついた長吉は、これも全身の力を注いで引き留めようとしたけれど、力に余ってズルズルと引摺られた上に横倒しになりました。それに力を合せようと周章《あわ》てた長太ももろともに引摺られて横倒しになりました。
前へ飛び出したムク犬の首には、二人のとりすがっている麻縄と、前から繋いであったそれと、たったいま解かれた鉄の鎖とがくっついています。
麻の縄にとりすがる長吉、長太の二人と鉄の鎖とを引摺って、ムク犬は、口の裂けるような叫びと唸りとを立てました。
「スワ!」
と、広間と縁側とに集まってこの場の体《てい》を見物していた武士たちも、この時に思わずどよめきました。
いったん、麻縄にとりついて横倒しになった長太は直ぐに起き上りました。長吉はなお必死とその縄にすがりついて引摺られて行きました。起き上った長太は、そこへ並べてあった棍棒《こんぼう》を取り上げて、ムク犬の前に迫り、
「こん畜生!」
長太はその棍棒を振りかざして、無二無三にムク犬に打ってかかる。長吉は、なお一生懸命に縄にとりついている。縄にとりついている長吉を引摺りながら、前から棒で打ってかかった長太に向って、烈しき怒りと共に、ムク犬は嚇《かっ》と大口をあきました。
「畜生、畜生、畜生」
たしかにやり損った長太は、夢中になって棍棒を振り上げて、ムク犬を滅多打《めったう》ちに打ちかかりました。けれどもその棒はムク犬の急所に当ることがなく、滅多打ちにのぼせている長太の咽喉の横から、ガブリとムク犬がその巨口を一つ当てましたから、
「呀《あっ》!」
長太は棒を投げ出して仰向けに倒れる時に、ムク犬は、倒れた長太の身体を乗り越えて前へ出ました。縄にすがっていた長吉は、手球《てだま》のようにそれについて引摺られる。
「長太、どうした」
「長吉、放すな」
長太はいよいよ血迷って、噛まれて倒れながらムク犬の身体を抱きました。長吉が引摺られながらも縄を放さないで苦しがっているのも、長太が半死半生になりつつも、このさい猛犬の身体に噛《かじ》りつこうとするのも、もう周章狼狽の極でありますけれど、一つには彼等はこうして身を以てしても、猛犬を引留めなければならないのであります。
自分たちの手抜かりから猛獣の絆《きずな》を絶ってしまったことは、申しわけのない失敗だけれど、それよりもこの死物狂いの猛犬が、あのお歴々のおいでになるところへ飛び込みでもしようものならば、なんともかとも言い難き椿事《ちんじ》を引起すのであります。
だから彼等としても、周章狼狽の極にありながら、身が粉《こ》になるまでも、その責任に当らねばならぬ自覚に動かされないわけにはゆきません。けれどもそれは無益でありました。抱きついた長太はひとたまりもなく振り飛ばされ、引摺られた長吉は二三間跳ね飛ばされました。
事態穏かならずと見て取った見物の武士たちは総立ちです。
さすがに女子供ではなかったから、犬が狂い出したというて、逃げ迷うものはありませんでしたけれど、事の態《てい》に安からずと思って立ち上りました。
二人の犬殺しを振り飛ばしたムク犬は、一散に走ろうとして――その逃げ場を見廻したもののようでしたけれど、いずれの口も固められて、逃れ出でんとするところのないのを見て、烈しい唸り声と共に両足を揃えて、暫らく立っていました。
「こん畜生!」
二人の犬殺しは、いよいよ血迷うて、手に手に腰に差していた大きな犬鎌を抜いて打振り廻して、噛まれた創《きず》や摺創《すりきず》で血塗《ちまみ》れになりつつ、当途《あてど》もなく犬鎌を振り廻して騒ぎ立つ有様は、犬よりも人の方が狂い出したようであります。
この時、神尾主膳は――よせばよかったのですけれども、来客の手前と、例の通り酒気を帯びていたのだから嚇《かっ》と怒って、真先に自分が長押《なげし》から九尺柄の槍を押取《おっと》りました。自身、手を下すまでのこともなかろうに、憤怒《ふんぬ》のあまり、神尾主膳は九尺柄の槍の鞘を払うと共に、縁の上からヒラリと庭へ飛び下りましたから、
「神尾殿、お危のうござる」
皆が留めたけれども、主膳は留まりませんでした。りゅうりゅうとその槍をしごいて、いま身震いして立ち迷うているムク犬の前に、風を切ってその槍を突き出しました。
神尾主膳といえども武術には、また一通りの手腕のあるものであります。怒りに乗じて突き出す槍が、かなり鋭いものであることは申すまでもありません。
ムク犬は後ろへ退《しさ》ってその槍の鉾先《ほこさき》を避けました。勢い込んだ神尾主膳は、逃《のが》さじとそれを突っかけます。
酒の勢いを仮《か》る主膳の勇気は、一座のお客を歎賞せしめるより、寧《むし》ろその無謀に驚かせました。しかし、主人がこうして出たのに、客も黙って引込んではいられないのであります。ぜひなく刀を押取って主膳の後ろ、或いはその左右から応援に出かけました。錆槍《さびやり》を借りて横合より突っかける者もありました。
ムクが主膳の槍先を避けたのは、或いはこの家の主人に遠慮をして避けたのかも知れません。好んで人に喰いつくものでないことを示すために、最初しかるべき逃げ場を求めていたのかも知れません。しかし、こうなってみてはムクとして、自分の生存のためにも立って戦わなければなりません。その相手の武士であると犬殺しであるとに論なく、牙《きば》に当る限りは噛み散らし、顋《あご》に触るる限りは噛み砕いても、この場を逃れるよりほかはないのであります。
いま猛然と突き出した神尾主膳の槍を、ムク犬はスウッと潜《くぐ》りました。その首には前のように鉄の鎖と麻縄とをひいたままで、槍の上からムク犬は、一足飛びに神尾主膳の頭の上まで飛びました。
「小癪《こしゃく》な!」
主膳は槍を手許につめて、身を沈ませて上から飛びかかるムク犬を、下から突き立てようとしました。その隙《すき》を与えることなく、ムク犬はガブリと神尾主膳の左の肩先へ食いつきました。
「呀《あ》ッ」
神尾は槍を持ったまま後ろへ倒れるのを、それッと言って応援の者が、ムク犬に槍を突っかけました。ムクは転じてその槍をまた乗り越えました。ムク犬は単に勇猛なる犬であったのみならず、女軽業の一座に仕込まれたために、比類なき身の軽さを持っていました。そうしてヒラリ、ヒラリと人の頭の上を飛ぶことは、多くの敵手を悩ますことにおいて有利な戦法であります。
それより以後におけるムク犬の荒《あば》れ方は、縦横無尽というものであります。
武士と言わず犬殺しと言わず、その人の頭を飛び越して、ついに座敷の中へ乱入してしまいました。乱入したのではなく、ムクとしては、やはりその逃げ場を求むるために、心ならずも人間の住む畳の上まで上ってしまったものであります。
家の中へ犬を追い入れた時は、たしかに犬にとってはいよいよ有利で、人間にとってはなかなか不利益でありました。単身にして身の軽い犬は、間毎間毎を飛び廻るのに自由であります。
槍を持ったり、刀を持ったり、棒を持ったりして追い廻す人間は、家の中に於ての働きが不自由です。あっちへ行った、こっちへ来た、それ裏へ出た、表へ廻った、縁の下へ潜《もぐ》った、物置へ隠れたと言って騒いでいるうちに、そのいずれの口から逃げ去ったか知れないが、屋敷の中の湧き返るような騒ぎを後にして、ムク犬の姿は、この屋敷のいずれかの場所からか逃げ出してしまったものであります。
山へ逃げた、林へ隠れた、畑にいたと、家の中の騒ぎが外へ出た時分には、ムク犬はそのいずれの場所にもいませんでした。この催しのためにはさんざんの失敗であったけれども、ムク犬のためには意外の救いが偶然のように起り、少なくともこの場所で、残忍な試験に供せらるるだけの憂目《うきめ》は免れることを得て、いずれへか逃げ去りました。しかし、こうなってみると、これから後、どこまでムク犬が逃げ了《おお》せられるかどうかは疑問であります。武家屋敷の召使や附近の百姓らは総出で、狂犬のあとを追うべく、山や、林や、畑から、巻狩《まきがり》のような陣立てをととのえたのは、それから長い後のことではありませんでした。
左の肩先を犬に噛まれた神尾主膳は――一時それがために倒れて気絶したように見えました。駈け寄って介抱したもののために、直ぐに正気はつきましたけれど、それがために主膳の怒りは頂上に達し、
「憎い非人ども!」
威丈高《いたけだか》になって、今しも、ムク犬を追って、外へ出ようとする犬殺しを呼び留めました。
「へいへい」
そこへへたへたと跪《かしこ》まる犬殺しどもに、
「貴様たちは言語道断《ごんごどうだん》の奴等だ、このザマは何事だ」
「誠に申しわけがござりませぬ、温和《おとな》しそうな犬でございましたから、決してこんなことはなかろうと思いまして」
「黙れ! 馬鹿者」
主膳は肩先に療治を受けて布を捲いてもらいながら、そのにえたつような憤懣《ふんまん》を、犬殺しどもの頭から浴びせかけました。犬殺しどもは恐れ入って顔の色はありません。
「もとはと言えば貴様たちの未熟だ、犬にも劣った畜生め、どうしてくりょう」
神尾主膳の眼にキラキラと黄色い色が見えたかと思うと、矢庭《やにわ》にその突いていた槍を取り直し、
「馬鹿め!」
恐れ入っていた長太を覘《ねら》って、胸許《むなもと》からグサとその槍を突き通しました。
「あっ! 殿様!」
長太は、のたうち廻って苦しみました。その手には胸許を突き貫《ぬ》かれた槍の柄をしかと握り、
「殿様、あんまり……そりゃ」
と言って、あとは言えないで七転八倒の苦しみであります。
「殿様、そりゃ、あんまりお情けのうございます」
長太の言えないところを長吉が引取って、眼の色を変え犬鎌を持って立ち上るところを、
「汝《おの》れも!」
と言って、長太の胸から抜いた槍で、また長吉の胸をグサと一突き。
神尾の下屋敷から脱することを得たムク犬は、山へも逃げず、里へも逃げず、首に鎖と縄を引張ったまま只走《ひたばし》りに走って、塩山《えんざん》の恵林寺《えりんじ》の前へ来ると、直ぐにその門内へ飛び込んでしまいました。山へも里へも入らなかったこの犬が、何の心あって寺へ入ったか、犬の心持を知ることはできません。
街道でも門外でも騒いだように、恵林寺の門内へこの珍客が案内もなく飛び込んだ時には、一山の大衆を騒がせました。
「ソレ狂犬《やまいぬ》だ!」
庭を掃いていた坊主は、箒を振り上げました。味噌をすっていた納所《なっしょ》は、摺古木《すりこぎ》を担ぎ出しました。そのほかいろいろの得物《えもの》を持って、このすさまじい風来犬《ふうらいいぬ》を追い立てました。門外へ追い出そうとしてかえって、方丈へ追い込んでしまいます。
一山の大衆は、面白半分にこの犬を追廻すのであります。追われるムク犬は、敢《あえ》てそれに向おうともしない。寧ろ哀れみを乞うようにして逃げるのを、大衆は盛んに追いかけて、あっちへ行った、こっちへ来たと騒ぎ立っています。
例の慢心和尚はこの時、点心《てんじん》でありました。膳に向って糊《のり》のようなお粥《かゆ》のようなものを一心に食べていました。その食事の鼻先へ、ムク犬が呻《あえ》ぎ呻ぎ逃げ込んで来ました。
「そーれ、そっちへ行った」
「やーれ、こっちへ行った」
箒坊主や、味噌摺坊主《みそすりぼうず》は、いよいよ面白がってここまで追い詰めて来ると、
「何だ何だ、やかましい」
慢心和尚は、大きな声で右の坊主どもをたしなめます。
「和尚様、狂犬《やまいぬ》が飛び込みましたぜ、西の方から牢破りをして逃げた狂犬ですぜ、それが今、このお寺の中へ逃げ込んでしまいました、だからこうして追い飛ばしているのでございます」
「よけいなことをするな、そんなことをする暇に、味噌でもすれ」
慢心和尚は、群がっている大坊主や小坊主を叱り飛ばして、
「クロか、クロか、さあ来い、来い」
と言って手招ぎました。
人に狎《な》れることの少ないムク犬が、招かれた慢心和尚の面《かお》をじっと見つめながら、尾を振ってそこへキチンと跪《かしこ》まったのは、物の不思議です。
「狂犬であるか、狂犬でないか、眼つきを見ればすぐわかるじゃ、この犬を狂犬と見る貴様たちの方に、よっぽどヤマしいところがある」
慢心和尚は、こんな苦しい洒落《しゃれ》を言いながら、いま食べてしまった黒塗のお椀を取って、傍にいた給仕の小坊主に、
「もう一杯」
と言ってお盆の上へそのお椀を載せました。小坊主が心得て、いま食べたと同じような、お粥のような糊のようなものをそのお椀に一杯よそって来ると、
「南無黒犬大明神」
と言って推《お》しいただいて、恭《うやうや》しく座を立って、ムク犬の前へ自身に持って来ました。
そのお椀を目八分に捧げて、推しいただいて持って来る有様というものが馬鹿丁寧で、見ていられるものではありません。
「南無黒犬大明神様、何もございませんが、これを召上って暫時のお凌《しの》ぎをあそばされましょう」
縁のところへさしおいて、犬に向って三拝する有様というものは、正気の沙汰ではありません。
しかしながら、なお不思議なことは、神尾の下屋敷で、何を与えられても口を触れることだにしなかったムク犬が、この一椀のお粥とも糊ともつかぬものを、初対面の慢心和尚から捧げられると、さも嬉しげに舌を鳴らして食べはじめたことであります。
九
これより先、浪人たちに怨《うら》まれて、両国橋に梟《さら》された本所の相生町の箱屋惣兵衛の家が、何者かによって買取られて、新たに修復を加えられて、別のもののようになりました。
この家は、主人の箱惣が殺されて以来、一家は四散し、親戚の者も天誅《てんちゅう》を怖れて近寄るものがありませんでしたから、町内で保管し、一時は宇治山田の米友が、その番人に頼まれて、槍を揮《ふる》って怪しい浪人を追ったことなどもありました。
この家は何者によって買取られたか知れないが、持主がかわり修理が加えられると共に、そこに出入りするのは異種異様の人であることが、多少、近所のものの眼を引きました。身分あるらしい武士であり、或いは大名の奥に仕えるらしい女中であり、或いはまた諸国の商人のようなものまで集まりました。女房子供の類《たぐい》は一つも見えないで、これが主人と見えるのは、額《ひたい》に波を打つ大白髪《おおしらが》の老女でありました。
この老女は、気軽におりおりは一人で外出することもあり、また若い女中をつれて外出することもあり、物々しく乗物で乗り出すこともありました。たしかに武家出の人であって、一見して女丈夫とも思われるくらいの権《けん》の高い老女であります。
この老女の家には、前に言う通り絶えず食客がありました。その食客はまた武士であり、商人風の者であり、或いは労働者らしい身なりの者などもありました。けれど老女は来る者を拒《こば》むことなく、ことごとく自分の子供であるかの如く、その広い家を開放して彼等の出入りの自由に任せ、その窮した者には小遣銭《こづかいせん》までも与えてやっているようです。
食客連は、また己《おの》れが屋敷に帰ったような気取りで、或いは黙々として勘考をしているものもあれば、或いは寄り集まって、腕を扼《やく》しながら当世のことを論じて夜を明かすものもありました。
老女にとっては、それが大機嫌であるらしく、食客連の間で議論が決しない時は、老女のところへ持って出て、裁判を請うようなこともありました。
こんなに多くの食客を絶えず世話している老女の手許には、別に幾人かの女中や下働きが置いてありました。しかし、その男女間の別はかなり厳しいもので、食客連の放言高談には寛大である老女も、それと女中部屋との交渉は鉄《くろがね》の関を置いて、何人《なんぴと》をも一歩もこの境を犯すことのないようにしてあることでもわかります。
この老女が何者であろうということが、ようやく近所から町内の評判になる前に、その筋の注意を惹《ひ》かないわけにはゆきません。
けれども、その筋においても、一応|内偵《ないてい》しての上、どうしたものか急に手を引いてしまったらしいようであります。
ここにおいて、老女の身辺には幾多の臆測が加わりました。誰いうとなく、こんなことを言うものがあります。
十三代の将軍|温恭院殿《おんきょういんでん》(家定《いえさだ》)の御台所《みだいどころ》は、薩摩の島津斉彬《しまづなりあきら》の娘さんであります。お輿入《こしいれ》があってから僅か三年に満たないうちに、将軍が亡くなりました。二十四の年に後家さんになった将軍の御台所が、すなわち天璋院《てんしょういん》であります。天璋院殿は島津の息女であったけれども、近衛家《このえけ》の養女として、将軍家定に縁附いたものだということであります。この老女は、その天璋院殿のために、薩摩から特に選ばれて附けられた人であるというのが一説であります。
その説によると、この老女の背後には、将軍の御台所の権威と、大大名の薩摩の勢力とが加えられてあるわけであります。だからそこへ出入りする浪士体の者の中には薩摩弁の者が多く、そうでないにしても、九州言葉の者が多いのが何よりの証拠だということであります。それでこの老女は、薩摩の家老の母親で、天璋院殿のためには外《よそ》ながら後見の地位におり、ややもすれば暗雲の蟠《わだかま》る大奥の勢力争いを、ここに離れて見張っているのだということであります。将軍の御台所も、薩摩の殿様でさえも一目置くくらいの権威があるのだから、ここへ出入りする武士どもを、子供扱いにするのは無理のないことだというような説もなるほどと聞ける。
もう一つの説は、こうであります。
十三代の将軍が、わずかに三十五歳で亡くなった後に、幕府では例の継嗣《けいし》問題で騒ぎました。その揚句《あげく》に紀州から迎えられたのが十四代の将軍|昭徳院殿《しょうとくいんでん》(家茂《いえもち》)であります。この家茂に降嫁された夫人が、すなわち和宮《かずのみや》であります。和宮は時の帝《みかど》、孝明天皇の御妹であらせられました。
それが京都と関東との御仲の御合体のためにとて御降嫁になったことは、その時代において、この上もなき大慶のこととされておりました。
疑問の老女は、和宮様のために公家《こうけ》から附けられた重い役目の人であるというのも、なるほどと聞かれる説でありました。もしそうだとすれば、これは前の説よりも一層、威権を加えた後光《ごこう》であります。それを知ってその筋が、内偵の手を引いたのももっともと頷《うなず》かれる次第でありました。
こんなふうに後光の射すほど、老女の隠れた勢力を信用しているものもあれば、また一説には、ナニあれはそんな混入《こみい》った威権を笠にきている女ではない、単に一種の女丈夫であるに過ぎない。たとえば筑前の野村望東尼《のむらもとに》といったような質《たち》の女で、生来ああした気象の下に志士たちの世話をしたがり、その徳で諸藩の内から少なからぬ給与を贈るものがあり、志士もまたこの家をもっともよき避難所としているに過ぎないという説も、なるほどと聞かれないではありません。
いずれにしてもこの老女がただものでないということと、ただものでないながら、こうして通して行ける徳望は認めなければならないのであります。侠気《きょうき》、胆力、度量、寧《むし》ろ女性にはあらずもがなの諸徳を、この老女は多分に持っているには違いありません。
別に、この老女が愛して、手許から離さぬ一人の若い娘がありました。これは疑問の余地がなく、甲州から男装して逃げて来た松女であります。老女が外出する時も、そのお伴《とも》をして行くのは大抵は松女でありました。
甲州街道でお松の危難を助けて、江戸へ下った南条なにがしもまた、この老女の許《もと》へ出入りする武士のうちの重《おも》なる一人でありました。
南条なにがしは、お松を助けて江戸へ出て、それからこの老女にお松の身を托したということは、おのずから明らかになってくる筋道であります。
或る日、南条なにがしは、不意に一人の人をつれてこの家を訪れ、老女の傍にいたお松を顧みて、
「お松どの、珍らしい人にお引合せ申そう、奢《おご》らなくてはいかん」
と冗談《じょうだん》を言いながら、
「宇津木」
と呼びました。次の間にいた兵馬が、なにげなくこの座敷へ通ってまず驚いたのは、そこにお松のいることでありました。お松もまた一見してその驚きと喜びとは、想像に余りあることでありました。
「まあ、兵馬さん」
甲府以来、その消息を知ることのできなかった二人が、ここで思いがけなく面《かお》を合せるということは、全く夢のようなことであります。
「いや、これには一場の物語がある、君に事実を知らせずに連れて来たのは罪のようだけれど、底を割らぬうちが一興じゃと思うて、こうして連れて来た。お松どのを、御老女の手許までお世話を頼んだのは拙者の計らい、その顛末《てんまつ》は、ゆっくりとお松どのの口から聞いたがよい。今宵は当家へ御厄介になってはどうじゃ、拙者も当分この家へ居候《いそうろう》をするつもりだ」
そこでお松は兵馬を別間へ案内して、それから一別以来のことを洩《も》れなく語って、泣いたり笑ったりするような水入らずの話に打解けることができたのは、全く夢にみるような嬉しさでありました。
こうして二人は無事を喜び合った後に、さしあたって、兵馬の思案に余るお君の身の上のことに話が廻って行くのは自然の筋道です。
甲府における駒井能登守の失脚をよく知っているお松には、一層、お君の身が心配でたまりませんでした。なんにしてもそれが無事で、この近いところへ来て、兵馬に保護されているということは、死んだ姉妹が甦《よみがえ》った知らせを聞くのと同じような心持であります。
そうして二人が思案を凝《こ》らすまでもなく、今のお君の身の上を、当家の老女にお頼みするのが何よりも策の得たものと考えついたのは、二人一緒でした。
兵馬は、ようやくに重荷を卸《おろ》した思いをしました。お松の話を聞いてみれば、若い女を預けて、少しも心置きのないのは実にこの老女である。求めて探しても斯様《かよう》な親船は無かろうのに、偶然それを発見し得たことの仕合せを、兵馬は雀躍《こおどり》して欣《よろこ》ばないわけにはゆきません。
その夜は南条と共にこの家に枕を並べて寝《い》ね、翌朝早々に兵馬は王子へ帰りました。帰って見ればあの事件。
しかし、幸いにお君の身の上は無事で、兵馬と共に扇屋を引払って落着いたところが、この家であることは申すまでもありません。
十
ここに例の長者町の道庵先生の近況について、悲しむべき報道を齎《もたら》さねばなりません。
それはほかならぬ道庵先生が不憫《ふびん》なことに、その筋から手錠三十日間というお灸《きゅう》を据《す》えられて、屋敷に呻吟《しんぎん》しているということであります。
道庵ともあるべきものが、なぜこんな目に逢わされたかというに、その径路《すじみち》を一通り聞けば、なるほどと思われないこともありません。
道庵の罪は、単に鰡八《ぼらはち》に反抗したというだけではありませんでした。鰡八に反抗したということだけでは、決して罪になるものではありません。ただその反抗の手段が、いささか常軌を逸しただけに、その筋でも、どうも見逃し難くなったものと見なければなりません。
道庵先生の隣に鰡八大尽の妾宅があることは、廻り合せとは言いながら、どうしても一種の皮肉な社会現象であると見なければなりません。それで道庵が兄哥連《あにいれん》を狩催《かりもよお》して馬鹿囃子《ばかばやし》をはじめると、大尽の方では絶世の美人を集めたり、朝鮮の芝居を打ったりして人気を取るのであります。
しかしながら道庵の方は、何を言うにも十八文の貧乏医者であります。鰡八の方は、ほとんど無限の金力を持っているのだから、ややもすれば圧倒され気味であることは、道庵にとって非常に同情をせねばならぬことであります。
また一方では、大尽のお附の者共が、盛んに手を廻して、道庵のあたり近所の家屋敷を買いつぶすのであります。そうしてそれをドシドシ庭にしたり、御殿にしたりして、今は道庵の屋敷は三方からその土木の建築に取囲まれて、昼なお暗き有様となってしまいました。
このごろでは、道庵は毎日毎日屋根の櫓《やぐら》の上へ上って、その有様を見て腹を立っていました。そのうちにも何かしかるべき方案を考えて、朝鮮芝居以来の鬱憤を晴らしてやろうと、寝た間もそれを忘れることではありませんでした。
勝ち誇った鰡八側では、これであの貧乏医者を凹《へこ》ましたと思って、一同が溜飲を下げて当り祝などをして、その後は暫らく表立った張り合いがありませんでした。鰡八の方はそれで道庵が全く閉口したものと思い、事実において敵が降参してしまった以上は、それを追究がましいことをするのは大人気《おとなげ》ないと思ってそのままにし、近所へは甘酒だの餅だのをたくさんに配り物をしましたから、さすがは大尽だといって、住宅を買いつぶされた人たちも、あまり悪い心持をしませんでした。すべてにおいて大尽側のすることは、人気を取るのが上手でありました。
焉《いずく》んぞ知らん。この間にあって道庵先生は臥薪嘗胆《がしんしょうたん》の思いをして、復讐の苦心をしていたのであります。
夜な夜な例の櫓《やぐら》へ上っては、ひそかに天文を考え、地の理を吟味して、再挙の計画が、おさおさ怠りがありませんでした。
それとは知らず鰡八大尽《ぼらはちだいじん》のこの御殿の上で、ある日、多くの来客がありました。この来客は決して前のような道庵をあてつけの会でもなんでもなく、ドチラかといえば今までの会合よりは、ずっと品もよく、珍らしくしめやかな会合でありました。
そこへ集まった者はみな名うての大尽連で、今日は主人が新たに手に入れた書画と茶器との拝見を兼ねての集まりでありました。やはり例の通り高楼をあけ放していたから、道庵の庭からは来客のすべての面《かお》までが見えるのであります。なにげなく庭へ出て薬草を乾していた道庵が、この体《てい》を見ると、
「占めた!」
薬草を抛《ほう》り出して飛び上り、
「国公、ならず者をみんな呼び集めて来い」
と命令しました。
ほどなく道庵の許へ集まったのは、ならず者ではなく、この近所に住んでいる道庵の子分連中で、それぞれ相当の職にありついている人々であります。
主人側では新たに手に入れた名物の自慢をし、来客側ではそれに批評を試みたりなどして鰡八御殿の上では、興がようやく酣《たけな》わになろうとする時に、隣家の道庵先生の屋敷の屋根上が遽《にわ》かに物騒がしくなりました。
主客一同が何事かと思って屋根の上を見た時分に、いつのまに用意しておいたものか、例の馬鹿囃子以来の櫓の上に、夥《おびただ》しい水鉄砲が筒口を揃えて、一様にこの御殿の座敷の上へ向けられてありました。
「これは」
と鰡八大尽の主客の面々が驚き呆《あき》れているところへ、櫓の上では、道庵が大将気取りでハタキを揮《ふる》って、
「ソーレ、うて、たちうちの構え!」
と号令を下しました。
その号令の下に、道庵の子分たちは、勢い込んで一斉射撃をはじめました。これは予《かね》て充分の用意がしてあったものと見えて、前列が一斉射撃をはじめると、手桶に水を汲んで井戸から梯子《はしご》、梯子から屋根と隙間もなく後部輸送がつづきました。これがために前列の水鉄砲は、更に弾丸の不足を感ずるということがなく、思い切って射撃をつづけることができました。水はさながら吐竜《とりゅう》の如き勢いで、鰡八御殿の広間の上へ走るのであります。
これは実に意外の狼藉《ろうぜき》でありました。せっかく極めて上品に集まった品評の会が、頭からこうして水をぶっかけられてしまいましたから、主客の狼狽は譬《たと》うるに物がないのであります。ズブ濡れになって畳の上を、辷《すべ》ったり泳いだりしました。驚きは大きいけれども、水のことだから、濡れるだけで別段に怪我はないはずであったけれども、あまりに驚いてしまったものだから、なかには腰を抜かして畳の上の同じところを、幾度も幾度も辷ったり泳いだりしているものもありました。水が胸板《むないた》へ当ったのを、ほんとうに実弾射撃で胸をうち抜かれたと思って、グンニャリしてしまったものもありました。
こうして命|辛々《からがら》で辷ったり泳いだりしているくらいだから、さしも自慢にしていた名物の書画も骨董《こっとう》も顧みる暇はなく、思う存分に水をかけられて転《ころ》がり廻ってしまいます。
この体《てい》を見た道庵先生は、躍り上って悦びました。
「者共でかした、この図を抜かさずうてや、うて、うて」
盛んにハタキを振り廻して号令を下すものだから、道庵の子分の者共はいよいよ面白がって、水鉄砲を弾《はじ》き立てました。弾薬に不足はなかったけれど、そのうちに鰡八の方では、雇人たちがそうでになって雨戸をバタバタと締めきり(なかには、あわてて雨戸と雨戸の間へ首を挟まれる者もあったり)、それで道庵軍は充分に勝ち誇って水鉄砲を納めることになりました。
この時の道庵の勢いというものは、傍へも寄りつけないほどの勢いでありました。すっかり凱旋将軍の気取りになってしまって、
「謀《はかりごと》は密なるを貴《たっと》ぶとはこのことだ、孔明や楠だからといって、なにもそんなに他人がましくするには及ばねえ、さあ、ならず者、これから大いに師を犒《ねぎら》ってやるから庭へ下りろ」
と言って自分が先に立って軍を引上げて、鰯《いわし》の干物やなにかで盛んに子分たちに飲ませました。
子分たちもまた、親分の計略が奇功を奏したのは自分たちの手柄も同じであるといって、盛んに飲みはじめました。道庵は、かねての鬱憤を晴らしたものだから、嬉しくて嬉しくてたまらないで、一緒になって飲み且つ踊っていると、そこへその筋の役人が出張し、グデングデンになっている道庵を引張って役所へ連れて行ってしまいます。
さすがに大尽家でも、このたびの無茶な狼藉《ろうぜき》に堪忍《かんにん》がなり難く、その筋へ訴え出たものと見えます。
それがために道庵は、役所へ引張られて一応吟味の上が、手錠三十日間というお灸になったのは、自業自得《じごうじとく》とはいえかわいそうなことであります。
手錠三十日は、大した重い刑罰ではありませんでした。道庵はこのごろ鰡八を相手に騒いでいるけれども、大した悪人でないことはその筋でもよくわかっているのであります。悪人でないのみならず、道庵式の一種の人物であることもよくわかっているから、お役人も、またかという心持でいました。しかし訴えられてみるとそのままにもなりませんから、道庵をつかまえて来て、ウンと叱り飛ばし、手錠三十日の言渡しをして町内預けです。
それで道庵は、手錠をはめられて自分の屋敷へ帰っては来たけれど、その時は祝い酒が利《き》き過ぎてグデングデンになって帰ると早々、手錠をはめられたままで寝込んでしまいました。眼が醒めた時分に起き直ろうとして、はじめて自分の手に錠がはめられてあったことに気がつき、最初は、
「誰がこんな悪戯《いたずら》をしやがった」
と訝《いぶか》りましたが、直ぐにそれと考えついて、
「こいつは堪《たま》らねえ」
と叫びました。しかし、それでもまだ何だかよく呑込めていないらしく、役所へ引張られたことは朧《おぼろ》げに覚えているけれども、叱り飛ばされたことなんぞはまるっきり忘れてしまっていました。男衆の国公から委細のことを聞いて、はじめてなるほどと思い、いまさら恨めしげにその手錠をながめていました。
ここにまた、道庵先生の手錠について不利益なことが一つありました。手錠といったところで、大抵の場合においては、ソッと附届けをしてユルイ手錠をはめてもらって、家へ帰れば、自由に抜き差しのできるようになっているのが通例でありました。遊びに出たい時は、手錠を抜いておいて自由に遊びに出ることができ、お呼出しとか、お手先が尋ねて来たとかいう時に、手錠をはめて見せればよかったものを、先生は酔っていたために、ついその手続をすることがなく、役所でもまた何のいたずらか先生の手に、あたりまえの固い手錠をはめて帰したから、極めて融通の利かないものになっていました。
そこへ五人組の者が訪ねて来て驚きました。例によってお役人にソッと頼んで、緩《ゆる》い手錠に取替えてもらうように運動をしようとすると、本人の道庵先生が頑《がん》として頭を振って、
「俺ゃ、そんなことは大嫌いだ、そんなおべっか[#「おべっか」に傍点]は、おれの性《しょう》に合わねえ、これで構わねえからほうっておいてくれ」
と主張します。そんなことを言って正直に三十日間手錠を守っているということは、ばかばかしいにも程のあったことだけれど、酔っている上に、頑固を言い出すと際限のない先生のことだから、それではと言ってひとまずそのままにしておくことにしました。
道庵はこうして、ツマらない意地を張って手錠をはめられたままでいるが、その不自由なことは譬うるに物がないのであります。
こんなことなら、五人組の言うことを素直に聞いておけばよかったと、内心には悔みながら、それでも人から慰められると、大不平で意地を張って、ナニこのくらいのことが何であるものかと気焔を吐いてごまかしています。
そうして意地を張りながら、酒を飲むことから飯を食うことに至るまで、いちいち国公の世話になる億劫《おっくう》さは容易なものではありません。当人も困るし、病家先の者はなお困っていました。
二日たち三日たつ間に道庵も少しは慣れてきて、相変らず手錠のままで酒を飲ませてもらい、その勢いでしきりに鰡八の悪口を並べていました。
この最中に、道庵の許《もと》へ珍客が一人、飄然《ひょうぜん》としてやって来ました。珍客とは誰ぞ、宇治山田の米友であります。
この場合に米友が、道庵先生のところへ姿を現わしたのは、その時を得たものかどうかわかりません。
しかし、訪ねて来たものはどうも仕方がないのであります。本来ならば、与八と一緒に訪ねて来る約束になっていたのが、一人でさきがけをして来たものらしくあります。
「こんにちは」
米友は、きまりが悪そうに先生の前へ坐りました。この男は片足が悪いから、跪《かしこ》まろうとしてもうまい具合には跪まれないから、胡坐《あぐら》と跪まるのを折衷したような非常に窮屈な坐り方です。
「やあ、妙な奴が来やがった」
道庵先生もまた、手錠のまま甚だ窮屈な形で、米友を頭ごなしに睨《にら》みつけました。
「先生、どうも御無沙汰をしちゃった」
感心なことに米友は、木綿でこそあれ仕立下ろしの袂《たもと》のついた着物を着ていました。これは与八の好意に出でたものでありましょう。
ここで道庵と米友との一別来の問答がありました。道庵は道庵らしく問い、米友は米友らしく答え、かなり珍妙な問答がとりかわされたけれど、わりあいに無事でありました。
「友公、実はおれもひどい目に逢ってしまったよ」
道庵が最後に、道庵らしくもない弱音を吐くので、米友はそれを不思議に思いました。米友の不思議に思ったのはそれだけではなく、この話の最中に、いつも道庵が両手を上げないでいる恰好が変であることから、よくよくその手許を見ると、錠前がかかって金の輪がはめてあるらしいから、ますますそれを訝《いぶか》って、
「先生、その手はそりゃいったい、どうしたわけなんだ」
と尋ねました。
「これか」
道庵は、手錠のはめられた手を高く差し上げて米友に示し、待っていましたとばかりに、舌なめずりをして、
「まあ米友、聴いてくれ」
と前置をして、それから馬鹿囃子と水鉄砲のことまで滔々《とうとう》と、米友に向って喋《しゃべ》ってしまいました。
これは道庵としては確かに失策でありました。こういうことを生地《きじ》のままで語って聞かすには、確かに相手が悪いのであります。米友のような単純な男を前に置いて、こういう煽動的な出来事を語って聞かすということは、よほど考えねばならぬことであったに拘《かかわ》らず、道庵は調子に乗って、かえってその出来事を色をつけたり艶《つや》をつけたりして面白半分に説き立てて、自分はそれがために手錠三十日の刑に処せられたに拘らず、鰡八の方は何のお咎《とが》めもなく大得意で威張っている、癪にさわってたまらねえというようなことを言って聞かせて、気の短い米友の心に追々と波を立たせて行きました。
「ばかにしてやがら」
米友がこういって憤慨した面《かお》つきがおかしいといって、道庵はいい気になってまた焚きつけました、
「全くばかにしてる、おれは貧乏人の味方で、早く言えば今の世の佐倉宗五郎だ、その佐倉宗五郎がこの通り手錠をはめられて、鰡公《ぼらこう》なんぞは大手を振って歩いていやがる、こうなっちゃこの世の中は闇だ」
道庵先生の宗五郎気取りもかなりいい気なものであったけれども、とにかく、一応の理窟を聞いてみたり、また米友は尾上山《おべやま》の隠ケ岡で命を拾われて以来、少なくともこの人を大仁者の一人として推服しているのだから、いくら金持だといっても、国のためになる人だからといっても、ドシドシ人の住居《すまい》を買いつぶして妾宅を取拡げるなどということを聞くと、その傍若無人《ぼうじゃくぶじん》を憎まないわけにはゆかないのであります。
その翌日、米友は道庵先生の家の屋根の上の櫓《やぐら》へ上って見ました。なるほど、話に聞いた通り、道庵の屋敷の後ろと左右とは、目を驚かすばかり新築の家と庭とで囲まれていました。何の恨みあってのことか知らないが、これでは先生が癇癪《かんしゃく》を起すのももっともだと、米友にも頷《うなず》かれたのであります。
鰡八というのはいったい何者であろうと米友は、その御殿の方を睨みつけましたけれど、その時は雨戸を締めきってありました。これはあの時の騒ぎから、ともかく道庵を手錠町内預けまでにしてしまったのだから、鰡八の方でも寝醒《ねざめ》が悪く、多少謹慎しているものと思われます。
米友には、敢《あえ》て金持だからといって特にそれを悪《にく》むようなことはありません。また身分の高い人だからといって、それを怖れるようなこともありません。恩も恨みもない鰡八だけれど、わが恩人である道庵を虐待して、手錠にまでしてしまった鰡八と思えば、無暗ににくらしくなってたまりませんでした。
道庵が鰡八に楯をつくのは、それはほんとうに業腹《ごうはら》でやっているのだか、または面白半分でやっているのだかわからないのであります。ことに米友をけしかけたことなどは、たしかに面白半分というよりも、面白八分でやったことに相違ないのを、米友に至るとそれをそのままに受取って、憎み出した時はほんとうに憎むのだから困ります。
そうして鰡八という奴の面《つら》は、どんな面をしているか、一目なりとも見てやりたいものだと余念なく櫓の上に立っていると、どうした機会《はずみ》か、今まで締めきってあった雨戸がサラリとあきました。
米友は、ハッと思ってその戸のあいたところを見ました。米友が心で願っている鰡八が、或いは幸いにそこへ面《かお》を出したものではないかと思いました。しかし、それは間違いであって、戸をあけたのは十五六になろうという可愛い小間使風の女の子でありました。
「おや」
その女の子は、戸をあける途端に道庵の家の屋根を見て、その櫓の上に立っている米友に眼がつきました。米友が例の眼を丸くしてそこに立ち尽しているのを見た女の子は、吃驚《びっくり》して少しばかりたじろぎました。
それから、少しばかり引き開けた戸の蔭に隠れるようにして、再び篤《とく》と米友の面《かお》をながめていましたが、
「オホホホホ」
と遽《にわ》かに笑い出しました。それは小娘が物におかしがる笑い方で、ついにはおかしさに堪えられず腹を抱えて、
「ちょいと、お徳さん、来てごらんなさい、早く来てごらんなさいよ」
「どうしたの、お鶴さん」
「あれ、あそこをごらんなさい」
「まあ」
「ありゃ人間でしょうか、猿でしょうか」
「そりゃ人間さ」
「あの面《かお》をごらんなさい」
「おお怖《こわ》い」
「でも、どこかに可愛いところもあるじゃありませんか」
「子供でしょうかね」
「なんだかお爺さんみたようなところもあるのね」
「あれはお前さん、こっちをじっと見ているよ、睨めてるんじゃないか」
「怖いね」
「怖かないよ、子供だよ」
小間使が二人寄り三人寄り、ほかの女中雇人まで追々集まって、米友の面を指していろいろの噂《うわさ》をしているのが米友の耳に入りました。
「やい、そこで何か言っているのは、俺《おい》らのことを言ってるのか」
米友はキビキビした声で叫びました。
「それごらん、おお怖い」
米友に一喝《いっかつ》された女中たちは、怖気《おぞげ》をふるって雨戸を締めきってしまいました。それがために米友も、張合いが抜けて喧嘩にもならずにしまったのは幸いでありました。
やや暫らくして櫓の上から下りて来た米友を、道庵は声高く呼びましたから、米友が行って見ると、道庵は例の通り手錠のままでつく[#「つく」に傍点]然《ねん》と坐っていましたが、米友に向って、暇ならば日本橋まで使に行って来てくれないかということでありました。米友は直ぐに承知をしました。そこで道庵の差図によって米友は、日本橋の本町の薬種問屋へ薬種を仕入れに行くのであります。
仕入れて来るべき薬種の品々を道庵は、米友に口うつしにして書かせました。それに要する金銭の上に道庵は、若干の小遣銭《こづかいせん》を米友に与えて、お前も江戸は久しぶりだからその序《ついで》に、幾らでも見物をして来るがよいと言いました。日のあるうちに帰って来ればよろしいから、しこたま[#「しこたま」に傍点]道草を食って来いという極めて都合のよい使を言いつけました。
米友はその使命を承って、風呂敷包を首根っ子へ結びつけて、仕立下ろしの袂のある棒縞の着物を着て、長者町の屋敷をはなれました。本来、使そのものは附けたりで、恩暇《おんか》を得たようなものだから、米友は使の用向きは後廻しにして、帰りがけに本町へ廻って薬種を仕入れて来ようとこう思いました。
どこへ行こうかしら、暇はもらったけれども米友には、まだどこへ行こうという当《あて》はないのであります。ともかくも、久しぶりで江戸へ出たのだから、御無沙汰廻りをしてみようかと思いましたけれど、それとても、米友が面を出さねばならぬほどの義理合いのあるところは一軒もないのであります。
何心なく歩いて来ると、佐久間町あたりへ出ました。ここで米友は去年のこと、こましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]た若い主人の忠作のために使い廻されて、飛び出したことを思い出しました。あの時の女主人は甲府へ行っているはずだけれど、あの若いこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]た旦那はどうしているか、小癪《こしゃく》にさわる奴だと今もそう思って通りました。
やがて昌平橋のあたりへ来ると、例の貧窮組の騒ぎに自分も煙《けむ》に捲かれて、あとをついて歩いた光景を思い出しました。昌平橋も無意味に渡って、これもなんらの目的もなく柳原の土手の方へ向った時に、ここで変な女に呼び留められたことと、その女が自分の落した財布を拾っておいてくれたことを思い出しました。
「そうだ、あの女はお蝶と言ったっけ、あれでなかなか正直な女だ、あの女の親方という奴もなかなか親切な奴で、俺《おい》らを暫く世話をしてくれたんだ。ああして恩になったり、世話になったりしたところへ、江戸へ来てみれば面出《かおだ》しをしねえというのは義理が悪い。さて今日はこれから、あの家へ遊びに行ってやろうか知ら、本所の鐘撞堂《かねつきどう》で相模屋《さがみや》というんだ、よく覚えてらあ」
ここで米友の心持がようやく定まりました。本所の鐘撞堂の相模屋という夜鷹《よたか》の親分の許へ、米友は御無沙汰廻りに行こうという覚悟が定まったのであります。
手ぶらでも行けないから、何か手土産を持って行きたいと、米友も相当に義理を考えて、何にしようかとあっちこっちを見廻しながら歩いているうちに、柳原を通り越して両国に近い所までやって来てしまいました。
「両国!」
と気がついた米友は、全身から冷汗の湧くように思って身を竦《すく》ませました。両国は米友にとっては、よい記憶のある土地ではないのであります。よい記憶のある土地でない上に、そこへ来るとむらむらとして一種いうべからざるいやな感じに襲われてしまいました。
両国に近いところへ来て米友が、むらむらと不快な感に打たれて堪《たま》らなくなったのは、それは前にもここで心ならず印度人に仮装して、暫くのあいだ人を欺き、自らを欺いたことの記憶を呼び起してその良心に恥かしくなった、それのみではありません。
ここへ来るとお君のことが思い出され、甲州へ置いて来たお君の面影が、強い力で米友の心を押えてきたから、
「うーむ」
と言って米友は、突立ったなりで歯を食いしばりました。
「うーむ」
今はここへ来て、それがいつもするよりは一層烈しい心持になって、歯を食いしばって唸《うな》ると共に身震いをしました。
「能登守という奴が悪いんだ、あいつがお君を蕩《たら》したから、それであの女があんなことになっちまったんだ、御支配が何だい、殿様が何だい」
米友は、傍《かたわら》へ聞えるほどな声で唸りながら独言《ひとりごと》を言っています。お君のことを思い出した時の米友は、同時に必ず能登守を恨むのであります。何も知らないお君を蕩して玩《もてあそ》びものにしたのは、憎むべき駒井能登守と思うのであります。
大名とか殿様という奴等は、自分の権力や栄耀《えいよう》を肩に着て、いつも若い女の操《みさお》を弄び、いい加減の時分にそれを突き放してしまうものであると、米友は今や信じきっているのであります。その毒手にかかって甘んじて、その玩び物となって誇り顔しているお君の愚かさは、思い出しても腹立たしくなり、蹴倒してやりたいように思うのであります。
こうして米友はお君のことを思い出すと、矢も楯も堪らぬほどに腹立たしくなるが、その腹立ちは、直ぐに能登守の方へ持って行ってぶっかけてしまいます。能登守を憎む心は、すべての大名や殿様という種族の乱行を憎む心に、滔々《とうとう》と流れ込んで行くのであります。そのことを思い返すと米友は、甲府を立つ時に、なぜ駒井能登守を打ち殺して来なかったかと、歯を鳴らしてそれを悔《くや》むのでありました。能登守を打ち殺せば、それでお君の眼を醒《さ》まさせることもできたろうにと思い返して、地団駄《じだんだ》を踏むのでありました。
米友の頭では、今でもお君はさんざんに能登守の玩《もてあそ》び物になって、いい気になっているものとしか思えないのであります。間《あい》の山《やま》時代のことなんぞは口に出すのもいやがって、天晴《あっぱ》れのお部屋様気取りですましていることは、思えば思えば業腹《ごうはら》でたまらないのであります。
短気ではあったけれども、曾《かつ》て僻《ひが》んではいなかった米友の心持が、ようやくじりじりと呪《のろ》われてゆくことは、米友にとって重大なる不幸であると共に、斯様《かよう》な単純な男を一途《いちず》に呪いの道へ走らせることは、その恨みを受けた者にとっては、かなりに危険なことでありました。
米友はそこに突立って唸り、歯がみをして独言《ひとりごと》を言って、通る人を不思議がらせ、ついにその周囲へ一人立ち二人立つような有様になった時に気がついて、
「覚えてやがれ」
歯を食いしばったままで、サッサと人混みを通り抜けて、他目《わきめ》もふらずに両国橋を渡って行く挙動は、おかしいというよりは、確かにものすさまじい挙動でありました。
「何だあいつは」
通りすがる人が、みな振返って米友の後ろを見送るほどに、穏かならぬ歩きぶりであります。
十一
両国橋を渡りきった米友は、回向院《えこういん》に突き当って右へ廻って竪川通《たてかわどお》りへ出ました。それからいくらもない相生町の河岸《かし》を二丁目の所、例の箱惣の家の前まで来て見ると、どうやらその頃とは様子が変っているようであります。
あの時は祟《たた》りがあるの、お化けが出るのと言って誰も住人《すみて》の無かったものが、今は立派に人が住んでいるらしくあります。それも商人向きの造作が直されて、誰か然るべき身分の者の別邸かなにかのような住居になっていました。そのほかには、あんまり変ったこともないから米友は、その家の前を素通りをして行ってしまおうとすると、
「あ、おじさんが来たよ、槍の上手なおじさんが来たよ」
バラバラと米友の周囲《まわり》に集《たか》って来たのは、河岸に遊んでいた子供連であります。これは米友がここに留守居をしていた時分の馴染《なじみ》の子供連であります。留守番をしている時分には、米友の周囲がこれらの子供連の倶楽部《くらぶ》になったものであります。子供連は思いがけなくも米友の姿をここに見出したものだから、ワイワイと集まって来て、
「おじさん、槍の上手なおじさん、どこへ行ったの」
「うむ、俺《おい》らは旅をして来たんだ」
「ずいぶん長かったね、ナゼもっと早く帰らなかったの」
「向うで忙がしかったんだ」
「もう御用が済んだのかい、またおじさん遊ぼうよ」
「うむ」
「おじさんがいる時分にはね、みんなしてこの家の中へ入って遊んだんだけれど、今は誰も入れなくなってしまったよ」
「そうかい」
「おじさんが帰って来たから、おいらたちもこの家の中へ入って遊んでいいんだろう」
「そうはいかねえ」
「どうして」
「もうここは俺らの家じゃねえんだ」
「おじさんの家はどこなの」
「俺らの家か、俺らの家は下谷の方だ」
「遠いんだね、もっと近いところへ越しておいでよ」
「うむ」
「おじさん、槍を持って来なかったのかい」
「うむ」
「持って来ればいいに。みんな、このおじさん知ってるかい、背が低いけれど槍が上手なんだよ」
「知ってまさあ。家のチャンなんぞも、そいってらあ、槍でもってここの家へ入った浪人者を追い飛ばしたんだね、おじさん」
「うむ」
「えらいね、おじさんは見たところ、子供のように見えるけれど、あれで子供じゃねえんだって、家のお母アもそいってたよ」
「そうだよ、おじさんは背が低くって可愛いところがあるけれど、あれで年食《としくら》いなんだって。おじさん、幾つなんだい、教えて頂戴よ」
「うむ」
「またおじさんが槍を持って、ここの番人に来てくれるといいなア、そうすると毎日遊びに来られるんだけれど」
「あたいは、おじさんが来たら槍を教えてもらおうや、そうして槍の名人になりたいなあ」
米友はこれらの子供連に取巻かれてワイワイ言われていました。子供連はよく米友を覚えているし、その親たちまでがいまだに米友のことを評判しているのも、その言葉によってうかがわれるのであります。それだから米友は、これらの子供連を路傍の人とも思えないでいると不意に、近いところでけたたましい物音がすると共に、わーっと子供の泣く声です。
「そーれ、金ちゃんちの三ちゃんが井戸へ落っこった!」
「ああ、金ちゃんちの三ちゃんが井戸へ落っこってしまったア」
今まで米友を取巻いていた子供連が、面《かお》の色を変えて叫び出し、河岸に近いところの車井戸の井戸側へ集まりました。
今の物音でも知れるし、子供の泣き声でもわかる。確かに、たった今この井戸の中へ陥《はま》った子供があることは疑う余地がありません。
それを見るや米友は、首根っ子に結《ゆわ》いつけていた風呂敷包をかなぐり捨てて、直ちに井戸側へとりつきました。井戸側へとりついていた時は早や、その棒縞《ぼうじま》の仕立下ろしの着物をも脱ぎ捨てて裸一貫になっていました。裸一貫になったかと思うと、車井戸の釣縄《つりなわ》の一方をあくまで高く吊《つる》し上げて、釣瓶《つるべ》を車へしっかりと噛ませておいて、その縄を伝って垂直線に井戸の底へ下って行きました。
こうして分けて書くと、その間に多少の時間があるようだけれど、その瞬間の米友の挙動は驚くべき敏捷なものでありました。首根ッ子へ結いつけていた風呂敷をかなぐり捨てた時は、井戸端を覗《のぞ》いた時、井戸端を覗いた時は、棒縞の仕立下ろしの着物を脱ぎ捨てて裸一貫になっていた時、裸一貫になっていた時は、釣縄を高く吊し上げた時、縄を高く吊し上げた時は、早や縦一文字に井戸の底へ下って行った時で、ほとんど目にも留まらない早業でありました。
近所の親たちが青くなって井戸側へ駆けつけ、それ梯子《はしご》よ縄よ、誰が下りろ、彼が下りろと騒いでいる時に、井戸の底から米友が大きな声で呼びました。
「大丈夫だ、子供は生きてる、生きてる、心配しずにその縄を手繰《たぐ》ってくれ」
この声で初めて、誰とも知らず助けに下りている者があるということがわかりました。これで近所の親方もおかみさんも総出で、エンヤラヤと井戸縄を手繰《たぐ》り上げると、芝居のセリ出しのように現われて来たのは、五ツばかりになる男の子を小脇にかかえた米友でありました。その子供は声を嗄《か》らして泣いていました。泣いていることが生命が無事であったことを証拠立てるのだから、その母親らしい女は駈け寄って、米友の手から奪うようにその子を抱き上げ、
「三公、まあお前、よく助かってくれたねえ、よく助かってくれたねえ」
ほんとに仕合せなことには、頬のところへ少しばかりきずが出来たばかりで、上手に落ちていましたから、多少、水は呑んでいたようだけれど、見るからに生命の無事は保証されるのであります。
「この井戸へ落ちて、よくまあ助かったねえ、ほんとに水天宮様の御利益《ごりやく》だろう」
附近の親たちはその無事であったことを賀するやら、自分の子供たちが危ないところで遊ぶのを叱るやら、井戸側はまるで鼎《かなえ》のわくような騒ぎになってしまいました。
「ほんとにこれこそ水天宮様の御利益だ」
いい面《つら》の皮《かわ》なのは米友であります。米友の背が低いから子供に見誤ったものか、或いはこの驚きに紛れて逆上《のぼせ》てしまったものか、誰ひとり米友にお礼を言うことに気がつきませんでした。そうしてやたらに水天宮様ばかりを讃《ほ》めているのであります。
母親は米友の手から子供を奪って自分の家へ持って帰りました。弥次馬はそのあとをついて喧々囂々《けんけんごうごう》と騒いでいます。井戸側の少し離れたところに米友は、たった一人で手拭をもって身体を拭いていましたが、やっぱり誰も御苦労だとも、大儀だとも言うものはありませんでした。苦笑いしながら米友は着物を引っかけて帯を結んで、さて、
「あっ!」
と言って、さすがに米友があいた口が塞《ふさ》がらないのは、首根ッ子へ結《ゆわ》いつけていた風呂敷包が、いつのまにか紛失していることであります。
風呂敷包が紛失しているのみならず、財布に入れておいた小銭までが見えなくなっていました。
その風呂敷包みには、道庵から頼まれた薬を仕入れるための金銭が入れてありました。
あまりのことに米友は腹も立てないで、着物を引っかけて苦笑いのしつづけです。
この場合に米友の物を盗み去るのは、火事場泥棒よりももっとひどいやり方でありました。しかし、盗んで行った奴とても、ただ路傍に抛《ほう》り出してあったから、それを浚《さら》って行ったので、こういう場合に米友の抛り出して置いたものと知って盗んだのではありますまい。
また、水天宮様ばかりを讃《ほ》めて、米友に一言の挨拶をもしなかったその子の親たちをはじめ近所の人々とても、決して米友を軽蔑してそうしたわけではなく、驚きと喜びに取逆上《とりのぼせ》て、ついそうなってしまったのであることは疑いもないのであります。
あれもこれもばかばかしくって、さすがの米友も腹を立つにも立てられず、喧嘩をしようにも相手がなく、着物を引っかけて帯を結ぶと、杖を拾ってこの井戸側をさっさと立去ってしまいました。
米友が立去った時分になって、井戸に落っこちた子供の親たちやその近所の者が、またゾロゾロと井戸側へ取って返しました。
それはようやくのことに米友の恩を思い出して、それにお礼を言わなければならないことを、見ていた多くの子供たちから教えられたから、取って返したのです。しかし、それらの人たちが引返して来た時分には、肝腎の米友はもう井戸の側にはおりませんでした。その附近にもそれらしい人の影は見えませんでした。
そこで今度はそれらの人が、あいた口が塞がらないのであります。実に申しわけがないと言って、盛んに愚痴を言ったり、子供らを叱ったりしていましたが、結局、もとこの箱惣の家に留守番をしていて、槍を揮《ふる》って侍を追い飛ばしたことのあるおじさんだということを、子供らの口から確めて、改めてお礼に行かなければならないと言っていたが、さて今ではその男がどこにいるのだか、子供らの話ではいっこう要領を得ません。
「おじさんは、少しの間、旅をしていたんだとさ、そうして今はなんでも下谷の方にいると言ったね、政ちゃん」
子供らの米友についての知識は、これより以上に出でることはできませんでした。
これより先、この騒ぎを聞きつけて、箱惣の家の物見の格子の簾《すだれ》の内から立って外を覗《のぞ》いていた娘がありました。それは米友が井戸から上って、着物を引っかけて、帯を結んでいる時分のことであります。
この娘は、その時はじめて奥の方から出て来て、騒ぎのことはまるきり知りません。どうやら井戸へ人でも落ちたものらしいけれど、その時は井戸側の騒ぎは長屋裏の方へうつって、井戸側には、米友一人が向うを向いて帯を締めているだけのことでありましたから、最初はかくべつ気にも留めないでいました。そのうちに長屋の方からまたゾロゾロと人が引返して来ると、井戸側にたった一人で向うを向いて、着物を着て、帯を締めていた小男は、さっさと歩き出してしまいました。その小男が歩き出した途端に、簾の中から見ていた娘は、
「おや?」
と言って驚きました。再び篤《とく》と見直そうとした時に、
「お松様、お松様」
奥の方で呼ぶ声がします。
「はい」
表へ駈け出そうとした娘は奥を振返りました。この娘はすなわちお松であります。
十二
「お君さん」
と言って、お君がじっと物を考えているところへお松が入って来ました。お君がこうして遣《や》る瀬《せ》ない胸をいだいて物思いに沈んでいる時にも、お松はものに屈託《くったく》しない晴れやかな面《かお》をして、
「わたしは今、珍らしい人に逢いました、たしかにそうだろうと思いますわ」
「それはどなた」
お君もまたお松の晴れやかな調子につりこまれて、美しい笑顔を見せました。
「当ててごらんなさい」
「誰でしょう」
「お前様の、いちばん仲のよいお友達」
「わたしのいちばん仲のよいお友達?」
と言ってお君は美しい眉をひそめました。仲の善いにも悪いにも、このお松をほかにしては、友達らしい友達を持たぬ自分の身を顧みて、お松の言うことを訝《いぶか》るもののようでありました。
「言ってしまいましょう、わたしは、たった今、米友さんに逢いましたよ」
「あの友さんに?」
「はい」
「どこで」
「ついそこで。この家のすぐ前の井戸のところに立っていました」
「あの人が、ここを訪ねて来ましたか。どうして、わたしのいることがわかったのでしょう。それでもよかった」
お君はホッと安心したように息をつきました。それでもよかったというのは、米友が自分を訪ねてここへ来てくれたものと信じているらしいのを、お松は寧ろ気の毒がるように、
「でも、ほんとうに、米友さんだか、どうだか知れませんけれど、わたしが見た目では全く、あの人に違いがありませんでした」
「では、あなたがお取次をして下すったのではないのでございますか、わたしを訪ねてあの人が来てくれたというわけではないのですか」
「どういうつもりですか、さっぱりわかりません、わたしがそれと気がついた時には、もうあの人は井戸側から見えなくなってしまったのでございますもの」
「それで、お前様に、なんとも言わずに行ってしまったのでございますか」
「わたしの方では、たしかに米友さんに違いないと思いましたけれど、向うでは、わたしの姿さえ見ないであちらを向いていました、はっと思う間にどこへ行ってしまったか、言葉をかける隙《ひま》もありませんでした」
「まあ、どうしたのでしょう」
「ほんとに、わたしも訝《おか》しいと思いましたから、もし何かの見損ないではないかと、あとで外へ出て近所の人に尋ねてみますと、いよいよ米友さんに違いないようでございますから、どうも合点がゆきませんの」
「あの人は、少し気象が変っているから、何か気に入らないことがあって行ってしまったのか知ら、もしや、他人の空似《そらに》というものではないかしら」
お君は打消してみたけれど、どうも打消し難い疑いが深くなります。
お君がこの家に預けられているということは、初めのうちは、出入りの人々は誰も知りませんでした。しかし、ここに永く食客のようになっている人々の間には、自然にそれが知れないでいるはずはありません。それらの人々の間にお君のことが問題となって、それとなく用事をかこつけてはお君を垣間見《かいまみ》ようとするようになりました。
食客とは言いながら、これらの連中は皆よき意味での一癖ある連中でしたから、そんなに無作法な振舞はしません。けれども二人三人|面《かお》を合せると、この話に落ちて行くのは争い難いものであります。いったい、あれは何者であろうということが問題の中心でありました。
老女の娘であろうというもの、それはまるきり型が違う、老女の娘でもなければ身寄りの者でもない、しかるべき身分の者の持物であったのを、仔細あって預かっているのだろうということは、誰も一致する見当でありました。
或る日、ここへ二三人づれの浪士体の者がやって来ました。そのなかには、曾《かつ》て甲府の獄中にいた南条と五十嵐との二人の姿を見ることができます。
「ああ、南条が知っている、あの男を責めてみるとわかるだろう」
それで集まった人々が、
「南条君、君に聞いたらわかるだろうと衆議一決じゃ、あの女は、ありゃいったい何者だ」
座中の一人が問いかけました。南条はワザと怖い目をして、
「知らん、拙者は女のことなぞは一向に知っておらん」
と首を振りました。
「そりゃ嘘じゃ、君はたしかに知っている、君が連れて来て老女殿に預けたものと、一同が認定している」
「詰らん認定をしたものじゃ」
「そう言わずに白状したがよろしい、情状はかなりに酌量してやる」
「白状するもせんもない、どこにどんな女がどうしてござるか、拙者共は一向に不案内、おのおのから承りたいくらいじゃ」
「こいつ、一筋縄ではいかぬ、拷問《ごうもん》にかけろ」
「たとえ拷問にかけられても知らぬ、存ぜぬ」
こんなことを言って彼等は大きな声で笑いました。大きな声で笑ったけれど、更に要領を得ることではありませんでした。しかし、一座の者は、これは確かに、南条が知っていながらしらを切るのだろうと認定をしていることは動かせないのであり、ほかのことと違って、こういうことを知っていながら知らない風をするのは罪が深いと、一座の者が南条を憎みました。よし、それならば我々の手で直接に突留めて、南条の鼻を明かしてやろうと意気込むものもありました。
「なにも、そうムキになって拙者を責めるには及ぶまい、お望みがあるならば、本人に向って直接《じか》に打突《ぶっつ》かってみるがよろしい、主《ぬし》のあるものならばやむを得んが、主のない者ならば諸君の器量次第である、もしまた将を射んとして馬を覘《ねら》うの筆法に出でんと思うならば、拙者より先に老女殿を口説《くど》き落すが奥の手じゃ」
南条は多数に憎まれながら、こう言って見得《みえ》を切りました。
「ともかくも、ああして置くのは惜しいものじゃ」
こうして、お君のことがこの家に集まる若い浪士たちの噂に上ってゆきました。
しかし、それだけでは納まることができなくなった時分に、これらの連中のなかでも剽軽《ひょうきん》な一人が犠牲となって――この男ならば、たとえ言い損ねても老女から叱られる分量が少ないだろうと、総てから推薦された一人が、ある時、老女に向って思い切ってそれを尋ねてみました。
「時に、つかぬことをお聞き申すようだが、あの奥にござるあの若い婦人は、あれはいったい主のある婦人でござるか、但しは主のない婦人でござるか……」
額の汗を拭きながらこういうと、老女は果して、厳《いか》めしい面《かお》をして黙ってその男の面を見つめておりました。
せっかく切り出したけれども、こう老女に黙って面を見られると、二の句が継ぎ難く、しどろもどろであります。
「それがどうしたというのでございます」
老女は意地悪く突っ込みました。
「それがその、僕が一同を代表して……」
一同を代表してはよけいなことであります。せっかく自分が犠牲者として一同から推薦され、自分もまた甘んじて犠牲になる覚悟で切り出しておきながら、老女に炙《あぶ》られて脆《もろ》くも毒を吐いてしまって、罪を一同へ塗りつけたのは甚だみにくい態度でありました。
「一同とはどなたでございます」
「一同とは拙者一同」
「何でございます、それは」
苦しがってその男は、脂汗《あぶらあせ》をジリジリと流しました。
「その一同によくそうおっしゃい、女房が御所望ならば、三千石の身分になってからのこと」
「なるほど」
なるほどといったのは何の意味であったか自分もわからずに、恐れ入ってその男は退却して、一同のところへ逃げ込みました。
いわゆる、一同の連中は、逃げ返ったその男を捉まえてさんざんに小突き廻しました。
一同を代表してというのは武士としていかにも腑甲斐ない言い分であるというので、詰腹《つめばら》を切らせる代りに、自腹《じばら》を切って茶菓子を奢《おご》らせられ、その上、自分がその使に行かねばならなくなりました。
しかし一方にはまた、老女の言い分に対して、不満を懐《いだ》くものもないではありません。女房が所望ならば、三千石の身分になってからというのは、我々に対して聞えぬ一言であるという者もあります。老女の言葉の裏には、我々を三千石以下と見ているものらしい。不肖《ふしょう》ながら我々、未来の大望《たいもう》を抱いて国を去って奔走する目的は、三千や一万のところにあるのではない。それを承知で我々を世話して置くはずの老女の口から、なれるものなら三千石になってみろと言わぬばかりの言い分は、心外であると論ずる者もありました。
「ナニ、そういうつもりで老女殿が三千石と言ったのではあるまい、何か他に意味があることであろう」
と言いなだめる者もありました。
三千石の意味の不徹底であったところから議論が沸騰して、それからお君のことを呼ぶのに三千石の美人と呼ぶように、この一座で誰が呼びはじめたともなく、そういうことになりました。
三千石の美人。こうして半ば無邪気な閑話の材料となっている間はよいけれど、もし、これらの血の気の多い者共のうちに、真剣に思いをかける者が出来たら危険でないこともあるまい。老女の睨《にら》みが利いていて、食客連が相当の体面を重んじている間はよいけれど、それを蹂躙《じゅうりん》して悔いないほどの無法者が現われた時は、やはり危険でないという限りはありますまい。
それから二三日して、お松は暇をもらって、相当の土産物などを調《ととの》えたりなどして、長者町に道庵先生を訪れました。
その時分には、先日の手錠も満期になって、手ばなしで酒を飲んでいましたが、話が米友のことになると、道庵が言うには、あの野郎は変な野郎で、ついこのごろ、薬を買いにやったところが、その代金を途中で落したとか取られたとか言って、ひどく悄気《しょげ》て来たから、そんなに力を落すには及ばねえと言って叱りもしないのに、気の毒がって出て行ってしまった。さあ、その行先は、よく聞いておかなかったが、なんでも本所の鐘撞堂《かねつきどう》とか言っていたようだ、と言いました。
米友の行方《ゆくえ》を道庵先生が知っているだろうと、それを恃《たの》みに訪ねて来たお松は、せっかくのことに失望しましたけれど、なお近いうちには便りがあるだろうと言われて、いくらか安心して帰途に就きました。お松が、道庵先生の屋敷の門を出ようとすると出会頭《であいがしら》に、
「おや、お松じゃないか」
「伯母さん」
悪い人に会ってしまいました。これはお松のためには唯一の伯母のお滝でありました。ただ一人の現在の伯母であったけれども、決してお松のためになる伯母ではありません。前にもためにならなかったように、これからとてもためになりそうな伯母でないことは、その身なりを見ても、面《かお》つきを見てもわかるのであります。
「どうしたの、まあお前、珍らしい、こんなところで」
「どうも御無沙汰をしてしまいました」
「御無沙汰もなにもありゃしない、お前、こっちにいたんならいたように、わたしのところへ何とか言ってくれたらよかりそうなものじゃないか、そんなにお前、親類を粗末にしなくったっていいじゃないか、いくらわたしが零落《おちぶ》れたって、そう見下げなくってもいいじゃないか」
「そういうわけではありませんけれど」
「まあ、こんなところで何を言ったって仕方がないから、わたしのところへおいで、前と同じことに佐久間町にいるよ、ここからは一足だよ、わたしも此家《ここ》の先生へ用があって来たけれど、お前に会ってみれば御用済みだよ、さあ一緒に帰りましょう、いろいろその後は混入《こみい》った事情もあるんだから、さあ帰りましょう」
伯母のお滝は、もう自分が先に引返して、お松を自分の家へ連れて行こうというのであります。その言葉つきから言っても、素振《そぶり》から言っても、以前よりはまた落ちてしまったように見えることが、お松には浅ましくて堪りません。
「せっかくでございますけれど伯母様、今日は急ぎの用事がございますから、明日にも、きっと改めてお邪魔に上りますから」
「そんなことを言ったって駄目ですよ、お前はもうこの伯母を出し抜くようになってしまったのだから油断がなりませんよ、お前に逃げられたために、わたしがどれほど災難になったか知れやしない、今日は逃げようと言ったって逃がすことじゃありませんよ」
「伯母さん、逃げるなんて、そんなことはありません」
「ないことがあるものか、京都を逃げたのもお前だろう、それからお前、国々を渡り歩いていたというではないか、それで一度も、わたしのところへ便りを聞かせてくれず、こっちへ来ても、他人のところへはこうして出入りをしていながら、目と鼻の先にいるわたしのところなんぞは見向きもしないじゃないか、ほんとにお前くらい薄情者はありゃしない」
「けれども伯母さん、今日はどうしても上れません」
お松の言葉が意外に強かったものだから、お滝も少し辟易《へきえき》し、
「どうして来られないの」
「今日は、御主人にお暇をいただいて出て参りましたのですから、その時刻までに帰らなければ済みませんもの」
「御主人? お前はどこに御奉公しているの、御主人というのはどういうお方」
「はい。それは……」
お松はこの伯母に、今の自分の居所を言っていいか悪いかと躊躇《ちゅうちょ》しました。けれども、言わなければかえって執拗《しつこ》くなるだろうと思ったから、思い切って言ってしまいました。
底本:「大菩薩峠5」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 三」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※「五ケ寺」「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》」「松ケ枝」「隠ケ岡」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2002年9月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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