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大菩薩峠
伯耆の安綱の巻
中里介山
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(例)白根《しらね》
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一
これよりさき、竜王の鼻から宇津木兵馬に助けられたお君は、兵馬恋しさの思いで物につかれたように、病み上りの身さえ忘れて、兵馬の後を追うて行きました。
よし、その言い置いた通り白根《しらね》の山ふところに入ったにしろ、そこでお君が兵馬に会えようとは思われず、いわんや、その道は、険山|峨々《がが》として鳥も通わぬところがある。何の用意も計画もなくて分け入ろうとするお君は無分別であります。
ムク犬は悄々《しおしお》として跟《つ》いて行きました。そのさま、恰《あたか》も主人の物狂わしい挙動を歎くかのようであります。
丸山の難所にかかった時分に日が暮れると共に、張りつめたお君の気がドッと折れました。
「ムクや、もう疲れてしまって歩けない」
杉の木の下へ倒れると、ムクもその傍に足を折って身を横たえました。
ムク犬が烈しく吠《ほ》え出したのはその暁方《あけがた》のことでありました。お君はそのムク犬の烈しい吠え声にさえ破られないほどに昏睡状態《こんすいじょうたい》の夢を結んでいたのであります。
ムクの吠える声は、快《こころよ》く眠っているお君の耳には入りませんでしたけれど、幸いにそこを通り合せた馬商人《うまあきんど》の耳に入りました。
まだ若い丈夫そうな馬商人は、小馬を三頭ひっぱって、奈良田の方からここへ来かかりましたが、この暁方、この人足《ひとあし》の絶えたところで、犬のしきりに吠えるのが気になります。
「おやおや、この娘さんが危ない、こりゃ病気上りで無理な旅をしたものだ」
この若い馬商人は心得てお君の身体を揉《も》み、懐中から薬などを出してお君に含ませ、
「おい姉さん、しっかりしなさいよ、眠るといかんよ、眠らんで眼を大きくあいておらなくてはいかんよ、わしはこれから有野村の馬大尽《うまだいじん》へ行くのだが……」
ほどなくお君はこの馬商人《うまあきんど》に助けられ馬に乗せられて、有野村の馬大尽というのまで連れて来られました。
馬大尽の家の前まで来て見るとお君は、その家屋敷の宏大なのに驚かないわけにはゆきません。
甲州一番の百姓は米村《よねむら》八右衛門というので、それが四千五百石持ちということであります。和泉作《いずみさく》というのは東郡内で千石の田畑を持っているということであります。この馬大尽はもっと昔からの大尽でありました。
甲州の上古は馬の名産地であります。聖徳太子の愛馬が出たというところから黒駒《くろこま》の名がある。その他、鳳凰山《ほうおうざん》、駒ヶ岳あたりも馬の産地から起った名であります。御勅使川《みてしがわ》の北の方には駒場村というのがあります。この有野村は、もと「馬相野《うまあいの》」と言ったものだそうです。お君が来て見た時、屋敷の近いところにある広い原ッぱや、眼に触れたところの厩《うまや》を見てもちょっとには数えきれないほどの馬がいました。なるほどこれは馬大尽に違いないと思いました。
それのみか、門を入ってからまるで森の中へ入って行くように、何千年何百年というような立木であります。
「一品式部卿《いっぽんしきぶきょう》葛原親王様《かつらはらしんのうさま》の時分からの馬大尽だ」
と馬商人がお君に言って聞かせただけのものはあります。
屋敷の中を流れる小流に架《か》けた橋を渡ってしまった時分に、木の蔭から現われた女の人が、
「幸内《こうない》、幸内」
と呼びました。若い馬商人は、
「はい」
と言って女の人を見てあわてたようでありました。
馬上のお君もまた、その声を聞いてその人を一眼見るとゾッとしてしまいました。妙齢の面《かお》という面は残らず焼け爛《ただ》れているのに、白い眼がピンと上へひきつって、口は裂いたように強く結ばせているから、世の常の醜女に見るような間の抜けた醜さではなくて、断えず一種の怒気を含んでいる物凄《ものすご》い形相《ぎょうそう》です。いっそう惨酷《さんこく》なのは、この妙齢の女の呪《のろ》われたのが、ただその顔面だけにとどまるということです。着《つ》けている衣裳は大名の姫君にも似るべきほどの結構なものでありました。罪の深い悪病のいたずらか、その髪の毛だけを天性のままに残しておいて漆《うるし》の垂れるように黒く、それを見事な高島田に結い上げてありました。姿、形、作り、気品、その顔だけを除いて、もし後向《うしろむ》きにしてこれをながめた時には、誰でも恍《うっと》りとしてながめるほどの美人です。
馬に乗っていたお君は、それを突然《だしぬけ》に前から見てしまいましたから、ゾッとして慄《ふる》え上りました。
「幸内、お前、いま山から帰ったの」
その呪われた妙齢の人は、椿《つばき》の花の一枝を持っていました。そうして若い馬商人《うまあきんど》を幸内、幸内と呼びかけては、こっちへ静かに近寄って来るのであります。
「これはお嬢様、お早うございまする」
幸内と呼ばれた若い馬商人は小腰を屈《かが》めました。
「幸内、それはどこのお方」
と言って、呪われた女の人は、そのひきつれた眼を銀の針のように光らせて馬上のお君を見ました。
その時に、お君は身の毛が立って馬の上にも居堪《いたたま》らないような気がしました。
無論、この時までもムク犬は黙々として馬と人とに従って跟《つ》いて来ていたものですが、ここに至ってその鷹揚《おうよう》な頭を振上げて、呪われた妙齢の女の人の面《かお》をじっと見つめました。
「これは、丸山の下で、難儀をしておいでなさるところを助けて上げたのでございます。まだ身体が弱っておいでなさるようでございますから、女中部屋まで連れて行って休ませて上げたいと思います」
「そう、早くそうしておやり、お薬が要《い》るならわたしのところまで取りにおいで」
「はい、有難うございます」
お君は馬上で聞いて、このお嬢様と呼ばれる人が、面付《かおつき》の怖ろしいのに似もやらず、情け深い人のように思われたのでホッと一安心です。
「それから幸内や、その馬を厩《うまや》へ廻してしまったら、父様のところへ行く前に、わたしのところへ、ちょっとおいで」
「はい」
「嘘《うそ》を言ってはなりませんよ」
お嬢様はこう言って、椿の花の枝を持ったままであちらへ行ってしまいました。嘘を言ってはなりませんよ、の一言《ひとこと》に、針が含まれているようにお君の耳には聞きなされます。しかしながら、お君の胸は、「おかわいそうに……」という同情が無暗に湧いて来て、その呪われたお嬢様のために、ほとんど泣きたくなってしまいました。
二
お君は若い馬商人の幸内に引合わされて、女中の取締りをしているお婆さんに会いました。このお婆さんは幸内から委細の物語を聞いた上で、
「まずい物を食べてみんなの女中と同じように働いてもらいさえすれば、いつまでいても悪いとは申しません」
さしあたり、こう言われたことはお君にとって仕合せでありました。女中はみんなで十五人ほどいました。その女中のうちにもおのずから甲乙があって、本人の柄によって奥向のと下働きのと二つに分れています。
「わたしは、骨の折れるような力業《ちからわざ》はできませんけれど、どうかお台所の方へ廻していただきとうございます」
とお君は、かえって下働きを志願しました。
お君が好んで下働きを志願したのはムクがいるからであります。もし奥向を働くようになって、ムクと離れる機会が多くなると、ムクの世話を人手にかけるのが気にかかる。少しは骨が折れても、朝夕ムクと同じところにいることがどのくらい力になるか知れません。お君の仕事といっては、普通の台所の仕事のほかには、馬にやる豆を煮たり鶏の餌をこしらえてやったりする手伝いで、大して骨の折れるようなことはありません。初めのうちは自分が厄介《やっかい》になる上に犬までつれてと気兼ねをしていましたけれど、これほどの大家《たいけ》で犬一匹が問題にもならず、心安く思っているうちに、ムクは早くも他の女中たちに可愛がられてしまいました。女中取締りのお婆さんもまたムクを、男らしい犬だと言って大へん可愛がるようになりました。
従来この家にいた幾多の犬も、ムクの姿を見た最初は吠《ほ》えたり睨《にら》んだりしてみましたけれど、二三日たつうちに不思議に懐《なつ》いてしまい、ムクが立つと、群犬がその周囲におのずから列を作るようになりました。ムクが牧場《まきば》をめがけて歩を運び出すと、群犬がそれに従って足並みを揃えて繰出すようになりました。
広々とした牧場、その中に逞《たくま》しい馬や、愛らしい小馬の臥たり起きたり鬣《たてがみ》を振ったりしている中を、ムクが群犬の一隊をひきつれて一周する光景は勇ましいものでありました。お君は手拭をかぶって小流れの岸で、ほかの女中たちと一緒に野菜を洗いながら、ムクの勇ましいのを見て自分ながら嬉しくてたまりませんでした。
「こんな威勢のいいところを友さんに見せてやれば、どのくらい喜ぶか知れない、友さんもあんなところに燻《くすぶ》っているよりは、こんなお家へ奉公してお馬の番人にでもなればいいに」
とお君はムクの勇ましさから、米友の身の上を考えました。
それを考え出すと、いったいここの旦那様という方が、どんなお方であろうかということをも考え及ぼさないわけにはゆきません。朋輩《ほうばい》の女中に向って、
「お藤さん、御当家の旦那様はどちらにいらっしゃるのでございます」
「旦那様御夫婦のおいでなさるところは向うの屋根の大きなお家さ、その向うに破風《はふ》のところだけ見えるのが三郎様のおいでなさるところで、ここでは見えないけれど、あの欅《けやき》の木のこんもりとした中にお嬢様のお家があるのですよ」
「お嬢様の……」
お君にはここで前の日に小橋のほとりで会った、かの呪われた妙齢の女の姿がいちずに迫って来ました。
「お君さん、お前はお嬢様に会いましたか、まだですか」
「いいえ……」
とお君は首を横に振ってしまいました。
「そうですか」
と言ったきりで、お藤は気の抜けたような面《かお》をしてお君を見ました。お君はこの場合、お嬢様の身の上のことを尋ねるのだが、なんだかそれは忍びない心持がしたから、取って附けたように、
「まだ、私は旦那様にもお目にかかりません」
「旦那様は、滅多に外へおいでになりませんけれど、どうかするとこの牧場《まきば》へお伴《とも》を連れて出ておいでなさることがありますよ」
「お年はお幾つぐらいでございます」
「もう、いいお年でしょうよ、あの三郎様や、お嬢様の親御さんですから」
「三郎様とおっしゃるのは?」
「こちらの総領のお方、この馬大尽のおあとを取る方なのよ」
「それから奥様は?」
「奥様には、わたしまだお目にかかったことがありません」
と女中のお藤が言いました。
その家の女中でいて奥様を知らないということは、お君の耳には奇異に聞えました。
「わたしが奥様のお面《かお》を知らないばかりでなく、うちの女中で、誰でもまだ奥様にお目にかかった者は無いのですよ。取締りのお婆さんだって、奥様を知っているか知っていないか、あのお婆さんだけは、知っているには知っているでしょうけれど、それも知らないような面をしていますよ」
「それはどういうわけなのでございます、奥様は御別宅の方にでもいらっしゃるのですか」
「どういうわけだか、ほんとに、そう申してはなんですけれど変なお屋敷でございますよ。奥様はこちらにおいでなさるとも言い、また御別宅の方においでなさるともいうのですが、その辺が永年御奉公をしていて、わたしたちにはさっぱりわかりませんの。けれども今の奥様が二度目の奥様で、旦那様よりズットお若い方だなんて、女中たちの中では噂をしているものもあります。なんでも二度目か三度目の奥様に違いないので、あの三郎様やお嬢様の産《う》みのお母さんではないのですね。なんだか変に、こんがらがっていて、とても、こんな大家の財産《しんしょう》と内幕は、わたしたちの頭では算段が附きません。ただおかわいそうなのはあのお嬢様でございますね、あのお方はほんとうにおかわいそうなお方でございますよ」
「お嬢様が……」
どうしても話は、例のお嬢様のところへ落ちて行かねばならなくなりました。
お君が知らないと思って、この女中は、お嬢様のことについてはかなりくわしくお君に話して聞かせました。お嬢様の名はお銀様ということ。それはそれは怖ろしいお面《かお》、と言う時にお藤自身もゾッとして四辺《あたり》を見廻し、お君もあの時の面が眼の前に現われて身の毛が竦《よだ》ちました。なおこの女の語るところによれば、お嬢様のあんなお面になったのは、ただに疱瘡《ほうそう》のためばかりではない、それより前に大きな火傷《やけど》をしたのがああなったのだということでありました。誰かお嬢様にあんな火傷をさせた者があるのだというような口ぶりでありました。
してみれば、天然の病気と人間の手とふたりがかりで、あのお嬢様という人の面を蹂躙《じゅうりん》してしまったことになる。なんという惨《むご》たらしい報いであろうと、お君は、どうしてもそのお嬢様のために心から同情しないわけにはゆきませんでした。
「これほどのお大尽でも、あればかりはどうすることもできませんね。それだからお君さんのような容貌《きりょう》よしに生れついた者は、お金で買えない幸福《しあわせ》を持っているわけですから、大切にしなくてはいけませんよ」
とお藤はお君に向ってこう言いました。野菜類を洗ってしまってから、お君はムクに食物をやろうとしました。
ところが、いつもその時刻には来ているムクが見えませんから、お君は牧場へ出て、遠く眼の届く限りを見渡しました。しかしそこにもムクの姿が見られません。思うに群犬を率いて興に乗じて、あの山の後ろの方まで遠征して行ったものだろうと、お君は強《し》いては心配しませんでした。
この機会に少し牧場の状態でも見ておこうかと、お君はムクを尋ねながらに牧場の方へと歩んで行きました。
今、お君の頭の中では、ムクのことよりも一層、あのお嬢様のことが考えられてたまりませんでした。お君は自分ほど不幸なものはこの世にないと思っていた一人でした。ほとんど幸福というものを持たずに生れて、不幸という浪の中にのみ揉《も》まれて来たのが自分のこれまでの生涯だと思いました。それを今、あのお嬢様と比べて見れば、自分の方が確かに幸福者《しあわせもの》であると言われて、なるほどそうかと思わねばならないことほど無惨《むざん》に感じたのであります。
病気をしたことのない者には、壮健《たっしゃ》で無事でいることの有難味がわからない。ともかくも、人並に生れついたということの有難味が、この時お君にわかってきて、自分ほど不幸な者はこの世にないと思っていた心は、僻《ひが》みであったり我儘《わがまま》であったりしたのではないかとさえ思われました。百万長者の娘に生れたことが、この時にはお君にとって少しも羨望《せんぼう》ではありませんでした。そうしてこの気の毒なお嬢様の身の上に心の中で同情をしながら牧場を歩いて行くうちに、ついつい、お嬢様のお家のあるところだという欅《けやき》の林に近いところまで来てしまいました。もう冬と言ってもよいくらいですから欅の紅葉は、ほとんど八《やつ》ヶ岳颪《たけおろし》で吹き払われていました。木の下には黒くなった落葉が堆《うずたか》く落ちていました。そこへ来てお君は、ここがあのお嬢様のお家であると思って、そっと大きな欅の蔭から垣根の中をのぞいて見ました。
そこにまた庭があって、池や泉水や築山《つきやま》があるのが見えました。そうして縁のところに一人の男の人が腰をかけている様子であります。
「幸内、幸内」
と座敷で呼ぶのは、あのお嬢様の声。呼ばれて、縁に腰をかけているのは、自分を助けて来てくれた若い馬商人。お嬢様の方の姿は座敷の中にいて見えませんけれど、幸内の姿は垣根越しによく見ることができました。
「幸内や、お前に貸して上げるには上げるけれど、お父様に話してはいけません」
「どう致しまして、旦那様のお耳に入りますれば、お嬢様よりは、わたしがどんなに叱られるか知れません」
「では大事に持っておいで。そうして三日たったらきっと返してくれるだろうね」
「それはもう間違いはございません」
「刀や脇差は幾本も幾本もあるのだけれど、この一腰《ひとこし》はお父様が、わけても大事にしておいでなのだから」
「それは、もうよく存じておりまする、三日たてば間違いなくお返し申しまする」
幸内の前へお銀様は、手ずから長い桐の箱をさしおきました。
「これはどうも有難う存じます、お嬢様のおかげで日頃の望みが叶いまして、こんな嬉しいことはござりませぬ」
幸内は箱の上へお辞儀をしました。
「幸内」
「はい」
「お前がこの間つれて来た、あの娘《こ》はどうしています」
「へい、あれはおばさんに願ってお屋敷へ御奉公を致すようになりました」
「あれはお前、お前が前から知っていた子ではないの」
「いいえ、そんなことはございませぬ」
「では、あの山で初めて会ったのかい」
「左様でござります」
「その後、お前はあの娘と口を利きましたか」
「いいえ、あれからまだ会いませんでございます」
「あの娘は容貌《きりょう》がよい子でしたね」
「どうでございましたか」
「あんなことを言っている、あの娘は綺麗《きれい》な子であったわいな」
「面《かお》つきは、そんなでございましたか知ら。何しろ行倒れのような姿でございましたから、見る影はありませんでした」
「姿はやつれていたけれど、ほんとに容貌美《きりょうよ》し、よく作ってやりたい」
「一寸見《ちょっとみ》はよく見えても、作ってみると駄目なんでございましょう」
「いいえ、かまわないでおいてあのくらいだから、お作りをしたら、どのくらいよくなるか知れない、わたしは着物を持っている、髪の飾りも持っている、貸してやりたい」
「お嬢様のそのお言葉をお聞かせ申したら、さだめて有難く思うことでございましょう、あの娘はほんの着のみ着のままで道に倒れていたのでございますから」
「わたしの物をそっくり遣《や》ってしまいたい、わたしなんぞこそ着のみ着のままでいいのだから」
「お嬢様、何をおっしゃいます」
「ほほほ、わたしとしたことが、また我儘なことを言ってしまいました。幸内や、それでよいからお前は早くそれを持っておいで、誰かに見られると悪いから。見られてもかまわないけれど……」
「それではお嬢様、お借り申して参りまする、三日目には必ず持って参りますでございます」
幸内は頭を下げて、その長い桐の箱を風呂敷に包んで暇乞《いとまご》いをしました。
「お前、帰りがけに、あの娘のところへ行って、あの娘に、わたしのところへ遊びに来るように、と言っておくれ」
「はい、畏《かしこ》まりました」
そう言って幸内は、長い桐の箱を小脇にして縁側を離れました。その桐の箱の中にはこのお嬢様の父なる人の、秘蔵の刀が入っているということが話の模様で推察されます。
お君が女中部屋へ帰って針仕事をしている時分に、ポツリポツリと雨が降り出してきました。
「こんにちは」
内にいたお君は、それが幸内の声であることを直ぐに覚《さと》りました。実はもう少し早く幸内がお嬢様の言伝《ことづて》を持って来るだろうと、心待ちにしていないわけでもありませんでした。
「どなた」
それと知りつつもお君は障子をあけると、
「私」
「これは幸内さん、よくおいでなさいました」
見ると幸内は、こざっぱりした袷《あわせ》に小紋の羽織を引っかけて傘をさして、小脇には例の風呂敷包の長い箱をかかえて、他行《よそゆき》のなり[#「なり」に傍点]をしていました。
「さあ、どうぞお入りなさいまし」
お君は愛想よく迎えました。
「わしはこれから、ちと他《よそ》へ行かねばなりませぬ。あの、お君さん、お嬢様がお前さんに会いたいから、手がすいたら遊びに来るようにとお言伝《ことづて》でござんすよ」
「お嬢様から?」
「あい」
「畏まりました、有難うございます」
お君は幸内のお使御苦労にお礼を言いましたが、幸内はそれだけの言伝をしておいてここを出かけて行きました。
お君は暫らく幸内の行くあとを見送っていますと、
「お君さん」
朋輩女中のお藤が後ろから呼びかけました。
「お藤さん」
お君はそれを振返ると、お藤は、
「まあよかったことね、お君さん、お嬢様から招《よ》ばれてよかったことね」
「でも、わたし何かお叱りを受けるのじゃないか知ら」
「そんなことがありますものか、お嬢様はよくよくのお気に入りでないと、こっちから何か申し上げてもお返事もなさらないの、それをお嬢様の方からお招《よ》び出しがあるのだから、お君さん、お前はきっとお嬢様のお気に召したことがあるんだよ」
「そうだとよいけれど、わたしは何かお叱りを受けるんじゃないかと思って」
「そんなことはありませんよ、わたしたちはこうして永いこと御奉公をしているけれど、まだお嬢様から、遊びにおいでとお迎えを受けた者は一人もありませんよ、それだのにお前さんばかり、そんなお沙汰があったのだから、ほんとうに羨《うらや》ましいこと」
「あの、お嬢様はお気むずかしい方ではありませんか」
「いいえ、あれでなかなか察しがあって、よく行届くお方ですけれど、好きと嫌いが大変お強くていらっしゃる、このお屋敷でも、幸内さんのほかにはお嬢様のお気に入りといってはないのですよ」
「幸内さんは、そんなにお嬢様のお気に入りなんですか」
「ええ、幸内さんの言うことなら、お嬢様は大抵のことはお聞きなさいます、だから人が幸内さんとお嬢様とおかしいなんぞと蔭口を利きますけれど、まさかそんなことはありゃしませんよ」
まだあけていた障子の間から外を見ると、笠をかぶって包みをかかえた幸内が、ちょうど、いつぞや入って来た時に、お嬢様と会った小橋の上を渡って行く後ろ影が見えました。
三
お君はお銀様の居間へ上りました。
「お前のお国はどこ」
「伊勢の国でございます」
「伊勢の国はどこ」
「古市でございます」
「古市と言やるは、あの大神宮のおありなさるところ?」
「左様でございます、大神宮様のお膝元《ひざもと》でございます」
「そこで何をしていました」
「あの……」
お君がちょっと返事に困ったところへ、不意に庭先へ真黒な動物が現われました。それはムクでありました。
「ムクや、こんなところへ来てはいけません、ここはお前の来るところではありません」
と言ってお君は、お銀様の手前、ムクの無躾《ぶしつけ》なのを叱りました。
「これはお前の犬なの」
「はい、わたくしの犬なのでございます」
「まあ大きい犬」
「わたしのあとを少しも離れないので力になることもありますが、困ってしまうこともあるのでございます。さあ、早くあっちへ行っておいで」
「そんなに言わなくてもよい、主人のあとを追うのはあたりまえだからそうしてお置き」
「それでも、こんなところへ、失礼でございます」
「そうしてお置き」
ムクは許されたともないのに庭先へ坐ってしまいました。
「温和《おとな》しくしておいで」
お君もぜひなく、そのうえ追い立てることをしませんでした。
「このお菓子を食べさせておやり」
「こんな結構なお菓子を、勿体《もったい》のうございます」
お君はそれを辞退しました。お銀様は別段に強《し》いるでもありません。
「今日は雨が降って淋しいから、お前、その伊勢の国の話をしてごらん、わたしはどこへも出ることがいやだから、他《よそ》の国のことは少しも知らない」
「お嬢様なぞは、お出ましになってごらんあそばさずとも、御本や何かで御承知でございましょうから」
「名所図絵やなにかで、わたしも御参宮のことを知らないではないけれど」
「大神宮様あっての伊勢でございますから、あの通りはたいそう賑やかでございます、その賑やかなところで、わたしは暮らしておりました」
「そこで何を商売に?」
「それはあの……」
かわいそうにお君は、また行詰ってしまいました。
その時、温和《おとな》しく軒下に坐っていたムクは、何に気がついたのか頭を上げて外を見ました。築山の向うの方を暫らく見込んでいたのが、やがて立ち上ってのそのそと雨の中を歩いて行きました。それが様子ありげでしたから、お君もお銀様も共に犬の行く方をながめました。その時に、
「姉様」
と言って庭の方からこの場を覗《のぞ》いたものがあります。
「三郎さん、ここに来てはいけません」
とお銀様は叱るように言いました。
「それでも……」
「お帰りなさい、それにまあ、雨の中を傘もささないで」
お銀様は呆《あき》れて見ていました。お君はやはり呆れたけれど、これはただ見ているわけにはゆきません。そこへ来たのは十歳ばかりの男の子であります。中剃《なかぞり》を入れないで髪をがっそう[#「がっそう」に傍点]にしていました。和《やわら》かい着物に和かい袖無羽織《そでなしばおり》を着て、さきに姉様と呼んだことから見ても、またお銀様が三郎さんと呼んだことから見ても、これはお銀様の弟の三郎様に違いないと思いました。それであるのに誰も附人《つきびと》なしに、一人で雨の中を笠も被《かぶ》らないで大人の下駄を穿いてそこへ、
「姉様」
と言って入って来たから、お君は呆れながらも黙って見ておられませんから、
「坊《ぼっ》ちゃま」
と立って抱いてお上げ申そうとするのを、お銀様が抑えて、
「いいえ、そうしてお置きなさい。三郎さん、お前はここへ来てはいけないというのに、ナゼ帰りません」
「だって……」
三郎さんは、やはり雨の中に立ってお銀様の面《かお》をじっと見ていました。お君はどうしていいのかわかりませんでした。雨の中に傘なしで立った三郎さんの面《かお》を見ると、色の白い品の良いお子さんで、この大家の血統として申し分のないお子さんに見えましたが、ただその頬のあたりが子供にしては肉が落ち過ぎて、それがために、もともと人並より大きい眼が、なお一倍大きく見えるのであります。大きいけれども強い光はなく懶《ものう》いような色で満ちているから、品はよいけれども、どうも賢い子には見えません。
「ここへ来るとお母様に叱られますよ」
「でも……」
三郎さんは大きな眼をキョロリとして、お銀様の方を見ていて立って動こうともしません。雨が降りかかって頭から面に雫《しずく》がたらたらと流れ、和《やわら》かい着物がビッショリと濡れてしまっても、少しも気にかけないのであります。それをまたお銀様は見ていながら、ただお帰りお帰りと言うだけで、立って世話をしてやるでもなければ、お君が立ちかけたのをさえ抑えてしまった心持が、どうしてもお君にはわかりません。
「早くお帰りというに」
お銀様の権幕《けんまく》は凄《すご》くなりました。その釣り上った眼の中から憎悪《ぞうお》の光が迸《ほとばし》るように見えました。ただ姉が弟を叱るだけの態度ではなくて、眼の前にあることを一刻も許すまじき嫌悪《けんお》の念から来るもののようでしたから、お君はいよいよわからなくなって、ほとほと立場に苦しむのでありました。
「姉様、お菓子頂戴」
それでも三郎さんは帰ろうとしないでこう言いました。そのくせ、姉の傍へは寄って来ないで遠くから、いじけるように姉の気色を伺って、やはり雨の中に立っているのでありました。キョロリとした大きい眼の瞳孔《どうこう》が明けっぱなしになってしまっているのを見るにつけ、このお子さんは人並のお子さんではないということを思うて、お君はお気の毒の感に堪えられません。
「いけません」
お銀様はキッパリと断わってしまいました。
見るに見兼ねたから、お君はお銀様の抑えるのも聞かずに立って下へ降りて来て、三郎さんの傍へ寄り、
「坊《ぼっ》ちゃま、雨がこんなに降っておりますから帰りましょう、お召物がこんなに濡れてしまいました」
「打捨《うっちゃ》ってお置きなさい」
お銀様は相変らず怖《こわ》い面《かお》をしています。
「ね、わたしに背負《おんぶ》をなさいまし、あちらのお家へ帰りましょう」
お君は自分のさして来た傘を廻して、それを片手に持ち三郎様へ背を向けました。
お君がせっかく親切に背を向けたにかかわらず、三郎様はその時クルリと向き返って、スタスタともと来た方へ歩き出しました。お君はそのあとから傘を差しかけて追って行こうとするのをお銀様が、
「そっちへ行ってはなりません、そっちのお邸へ行ってはなりません」
命令するような強い声で呼び止めましたから、お君は立ち竦《すく》みました。
三郎様は大きな下駄を引きずって雨の中を笠も被《かぶ》らずに、悠々とあちらへ行ってしまいます。
「お前は、まだ知るまいけれど、此家《ここ》ではお互いの屋敷へは、滅多に往来《ゆきき》をしないようになっています。あの子はそれを申し聞かされているはずなのに、こんなところへ来たからそれで叱りました」
「はい」
「さあ、お前はお上り。あの犬はどうしました、犬が母屋《おもや》の方へ行って悪戯《いたずら》をするようなことはあるまいね」
「あの犬は悪いことは致しませぬ」
お君は再びもとの座に帰りましたけれど、このことからなんとなくそのあたりが白《しら》け渡ったようであります。
お銀様はせっかくお君を相手に、名所の話などをして興を催されようとしていた時に、三郎様が来てその御機嫌を、すっかり損《そこ》ねてしまったようであります。いかに大家とは言いながら、一つ屋敷のうちの親子兄弟別々に家を持っているさえあるに、弟は姉の住居《すまい》へ行っては悪い、姉は弟を送って行くことを止めるとは何ということだろうと、お君は何事もわからないで、ただ悲しい心になって気が深々と滅入《めい》るようでしたから、これではならないと思いました。
そうして、なんとかして不快になったお銀様の心を慰めて上げたいものだと思いました。けれども何といって慰めてよいか取附き場に苦しんでいましたが、そのうちにお君は、床の間に飾ってあった琴を見て、音曲の話を引き出しました。それはこの場合、お君にとってもお銀様にとってもよい見つけものでありました。
「まあ、お前、三味線がやれるの。それはよかった、わたしがお琴を調べるから、それをお前三味線で合せてごらん」
お銀様は大へんに喜びました。それで今の不快な感じが消えてしまった様子を、お君は初めて嬉しく思います。
その雨の日は、夜になっても二人の合奏の興が続きます。
四
神尾主膳はその後しばらく、病気と称して引籠《ひきこも》っておりました。引籠っている間も、分部とか山口とかいうその同意の組頭や勤番が始終《しょっちゅう》出入りしていました。今日はかねて前から企《くわだ》てをしておいたところによって、多くの人が朝から神尾の屋敷へ集まって来ました。
これは神尾の邸の裏の広場で試し物がある約束でありました。試し物はすなわち試し斬りであります。朝から神尾邸へ詰めかけて来た連中は、いずれも秘蔵の刀や自慢の脇差を持って集まりました。
あらかじめ罪人の屍骸《しがい》を貰って来てあって、斬り手の役は小林という剣道の師範役、それに勤番のうちの志願者も手を下して、利鈍《りどん》を試みるということであります。
たとえ罪人の屍骸とは言いながら、人間の身体《からだ》を試し物に使用するということはよほど変ったことであります。しかし、この変ったことを日本の古来においては立派なる一つの儀式としてありました。江戸の幕府では腰物奉行《こしものぶぎょう》から町奉行の手を経て、例の山田朝右衛門がやること。その時は物々しい検視場、そこへ腰物奉行だの、本阿弥《ほんあみ》だの、徒目付《かちめつけ》だの、石出帯刀《いわでたてわき》だのという連中が来てズラリと並び、斬り手の朝右衛門は手代《てがわ》り弟子らと共に麻裃《あさがみしも》でやって来て、土壇《どだん》の上や試しの方式にはなかなかの故実を踏んでやることを、ここに集まった勤番連中は、或る者は小林に試してもらったり、或る者は自分で試したりしてみることになり、見事に斬ったのもありました。斬り損じて笑い物になるのもありました。その度毎に刀の利鈍の評判が出ました。腕の巧拙の評判も出ました。或いは刀は良いけれども腕が怪しいと言われてしょげるもあり、刀はさほどでないが腕の冴えが天晴《あっぱ》れと言って賞《ほ》められるものもありました。
そのなかでも師範役の小林は、さすがに剣道の達者だけあって、斬り方がいちばん上手《じょうず》でありました。今までに試し物を幾度《いくたび》もやった経験や、盗賊を斬って捨てた経験を話して、一座を賑わせましたが、一通り試し物も済んでの上、弟子を連れて辞して帰ろうとする時分に、神尾主膳がそれを呼び留めました。
「小林氏、お待ち下さい、今日は貴殿に見ていただきたいものがある、貴殿の鑑定並びに並々方《なみなみがた》の御意見を聞いておきたい物がある、お暇は取らせぬによって、暫時《ざんじ》お待ち下されたい」
「してその拝見を仰付《おおせつ》けられる品は?」
「ただいま持参致させる、いや、もう来そうなものじゃ、かねて約束しておいたこと故、間違いはないけれどまだ見えぬ、おっつけ見えるでござろう、いま暫らく」
と言って神尾は人待ち顔に見えます。小林師範も神尾が何物を見せてくれるだろうと、坐り込んで待つことになりました。その他一座の連中も多少の好奇心に誘われます。
「神尾殿、我々に見せたい品とおっしゃるその品は?」
「まず、お待ち下され、到着しての上で御披露する」
神尾の言いぶりが事実を明かさないでおいて、あっと言わせようという趣向のように見えます。
そこへ用人が出て来て、
「幸内が参りました、有野村の幸内が推参致しました」
「あ、幸内が来たか、待ち兼ねていた、急いでこれへ」
その席へ呼ばれて来たのは、有野の馬大尽《うまだいじん》の雇人の幸内であります。
幸内は前にお君のところへお銀様の言伝《ことづて》を言った足でこちらへ来たものと見えます。そうして昨晩はどこか甲府の城下へ宿を取っていたものでしょう。
「これは皆様」
と言って幸内は遥《はる》かの下座《しもざ》から平伏しました。ここに集まっている連中は、みんな両刀の者であるのに、幸内ばかりが無腰《むこし》の平民、しかも雇人の身分でありましたから、遠慮に遠慮をして暫らく頭を上げません。幸内の平伏している傍にはその持って来た長い箱が萌黄《もえぎ》の風呂敷に包んで置かれてあります。
「おお、幸内、よく見えた、御列席の方々も其方《そのほう》の来るのを待兼ねじゃ」
「遅れましてなんとも申しわけがござりませぬ」
「遠慮致さず、これへ出るがよい」
「左様ならば御免下されませ」
幸内は恐る恐る出て来ました。
「おのおの方」
と言って、神尾主膳は一同の方に向き直りながら、
「ここに見えたのは、これはおのおの方も御存じのことと思わるるが、有野村の伊太夫の家の雇人じゃ、あの馬大尽の雇人であるが、民家の雇人に似合わず感心なもので、剣術がなかなか達者である、村方でも稽古をし、この城下の町道場へもおりおり通う、いたって手筋がよろしい、お見知り置き下されたい」
と言って紹介しました。幸内は、こんなお歴々の方の中へ剣術が達者だの手筋がよいのと吹聴《ふいちょう》されたから、さすがに面を赭《あか》くしてしまって、
「恐れ入りましてござりまする」
平伏してやっぱり頭が上りません。
「そのように恐れ入らんでもよい、実は今日は其方《そのほう》を上客にしたいくらい。いつもは伊太夫の雇人であるが、今日は位がついて来たのじゃ。例の品は持って参ったことであろうな」
「へへ、恐れ入りまする。せっかくの殿様のお言葉でござりまする故、主人から借受けて参りましてござりまする」
「それは大儀大儀、よく借受けて来た。伊太夫は変人のことでもあり、ことにあの品は滅多に人に見せぬ品であるそうな。其方の働きで、ここまで持参して来たのは何よりのこと」
「これがその品でござりまする」
幸内は、やはり恐る恐る萌黄包《もえぎづつみ》の長い箱を差出しました。
この箱は、前の日、幸内がお銀様から三日の約束で借受けて来た箱であります。この席へ持って出るために幸内は、この箱をお嬢様から借受けたのだということがわかります。
「おお、それそれ」
と言って神尾主膳は、その箱を受取りながら、
「おのおの方に、この品をお目にかけたい。その前に申し上げておきたいことは、この品はあの有野の馬大尽の家に先祖より伝わる秘宝、御列席のうちにも名のみ聞いて実を見んと思わるる向きが少なからぬことと推察致す。門外不出とも言うべきこの品を、この席に限りて一見致すことは仕合せ、充分の御鑑定を承りたいものでござる」
神尾主膳は風呂敷の結び目を解きかけてこう言いましたから、列席の者がなるほどと感心しました。葛原親王《かつらはらしんのう》以来と言われる有野の馬大尽の家には無数の秘宝があるということだが、そのうちにも一本の名刀がある。それは非常な名刀であるという評判だけを聞いていたが、まだ見た者がありません。見ようとしても主人の伊太夫が頑固で容易に見せないとのことでありました。そのうちの名刀を今この席で一見することができるというのは、一座の好奇心の期待に反《そむ》かないことであります。
「それは、それは」
と言って列席がどよみ渡りました。さすがに神尾殿は苦労人だけあって、人を待たしおいて、アッと言わせる趣向がうまいと感じたものもありました。
何か趣向をしておいて、アッと言わせるということは、似非《えせ》茶人や似非通人のよくやりたがることであります。神尾は人を招いた時は、いつでも何かこんなことをしたがるのでありました。そうして、さすがの御趣向だと言われることを以て大得意になる癖がありましたのです。
しかしながら、列席の者のうちには、アッと言ったものばかりはありませんでした。例のいやみな神尾の癖がと、苦々《にがにが》しい面《かお》をして控えているのもありました。その苦々しい面をして控えている者も、神尾のやり方のいやみなのに苦々しい面をしたので、その名刀を見たいという熱望は決して苦々しいものではありません。辞《ことば》を厚うし、身を謙下《へりくだ》っても後学のために見ておきたいと思っていたところでありましたが、神尾があんまり我物顔《わがものがお》に思わせぶりをするものだから、
「いかにも、あの有野の伊太夫が家に名刀があるとはかねて噂《うわさ》に聞いていた。噂に聞いたところによれば、源氏の髭切膝丸《ひげきりひざまる》、平家の小烏丸《こがらすまる》にも匹敵するほどの名剣であるそうな。しかし誰が行っても見せたことはない、見た者もないという。それ故、あの名刀は評判倒れ、実はそれほどでもない剣《つるぎ》を、あんまり評判が高くなった故に、人に見られるのがきまりが悪く、それ故秘して置くという蔭口もござる。今日はそれらの疑いが残らず晴れることでござろう、喜ばしいことでござる」
やや皮肉まじりに言い出でたのは、鉄砲方の平野老人でありました。
「まことこの品が噂通りの名剣であるか、或いはさほどのものではないか、御一見の上でおのおの方の腹蔵なき御意見を承わりたい。拙者とても今日はじめて見る品」
神尾は平野老人の言い方が少し癪《しゃく》にさわったようでありました。しかしこの老人はこの席の中での刀の目利《めきき》でありましたから、多少は警戒しました。万々が一、この刀が評判ほどのものでないとすれば、真先にこの老人から槍が出ると思いましたから、少しは気味が悪いと見えます。それだから自分はまだこの刀を見ていないのだという予防線を張って用心をしておきました。そう言っておけば万々が一、この刀がそれほどのものでなかったにしろ、幾分は責任が逃《のが》れるし、もし評判通り非常な名剣であった時には、思い入りこの老人からとっちめてやろうという腹なのでしょう。
それですから老人の方でも、また多少の意気張りが出て、眼鏡を拭いて掛け直しました。平野老人につづいては師範役の小林が名を得ていました。この両人のほかの者といえども、刀についてはみな相当の眼を持っていないものはありません。或いは平野や小林以上に、眼の肥えていて名の聞えないものが一座の中にいないとは限りません。
一応アッと言わせたけれども、あけて口惜しき玉手箱ではせっかくの趣向がなんにもならぬ。こんなことならば、一応自分が見ておいてから、この席へ出した方がよかったと神尾は、多少自分の軽率を悔ゆるようになりつつ、ようやく包みを解いてしまって、箱を開くと古錦襴《こきんらん》の袋の中には問題の太刀が一|振《ふり》。それから神尾が袋を払って、その白鞘《しらさや》の刀に手をかけて鄭重《ていちょう》に抜いて見ました。
刀身の長さは二尺四寸。神尾主膳がそれを抜いてつくづくと見ると、例の平野老人は眼鏡の面《かお》をそれに摺《す》りつけるようにして横の方から見ました。小林文吾もまたそれを前の方からながめていました。一座の連中は、或いは近いところから、或いは遠いところから、しきりに覗《のぞ》いたり眺めたりしていました。主膳はつくづくと見て、
「うむ」
と考え込んでいましたが、そのままなんらの意見も述べないで平野老人の手へと渡してやりました。平野老人はそれを恭《うやうや》しく受けて改めて法式通り熟覧しました。平野老人は打返して二度まで見ました。
「うむ」
これも唸《うな》るように、うむと力を入れて言ったままで、次なる師範役の小林文吾の手へと渡してやりました。小林師範がそれを受けてしきりにながめましたけれども、これも一言も意見を述べませんでした。そうして、やはり無言のままで次へ渡してしまいました。同じようにしてその刀が列座の人々の手から手に渡されて、いずれも考えを凝《こ》らしてながめていましたが、誰とて、それについて極《きわ》めをつけてみようというものはなく、こうもあろうかという意見をさえ述べるものはありません。そうして無言のままに受取られて刀は席を一巡し、ようやく神尾主膳の手に戻りました。
「さて、いかがでござるな、おのおの方」
その刀を鞘へ納めながら神尾主膳は一座を見廻しました。けれども、誰もまだウンともスンとも言いませんでした。相州物であろうとか、いいや備前とお見受け申すとか、おおよその見当さえ附ける人がありませんでした。おおよその見当を附けてさえ笑われることを恐れるほどに、わからないのがこの刀でありました。
「区《まち》よりいったいに板目肌《いためはだ》が現われているようでござるな」
平野老人がようやくこれだけのことを言いました。相州物とも大和物とも言わないで、肌のことから言い出したのは、大綱《たいこう》を述べないで細論にかかったようなものでありました。この老人も多少てこずったものと見えます。
ともかくも平野老人が、これだけの口を開いてみると、次には小林師範役がなんとか言わなければならない立場になりました。
「模様を一見したところでは、肌が立って地鉄《じがね》が弱いようにも見受けられる……が」
最後のが[#「が」に傍点]というところへ、最も多くの余地を残しておきました。
「左様」
平野老人は呑込んだように頷《うなず》きました。しかし何が左様だか列座の人には、あんまり呑込めないようであります。そこで老人は、
「その地鉄がなあ」
と附け足したけれども、地鉄がどうしたのだか、いよいよ呑込めなくなりました。これだけ言いかけたら、あとは小林師範役か誰かがバツを合せてくれるだろうと思っていたところが、小林はそれからなんとも言いませんでした。一座の者も黙っていましたから、老人は自身の言葉尻を持扱っていると列座の中から、
「則重《のりしげ》……則重……則重ではないか」
と吃《ども》りながらこう言った者がありました。これはそそっかしいので通った市川という御蔵《おくら》の係りでありました。まだ誰も剣呑《けんのん》がって国も言わなければ年代にも触《さわ》ってみないうちに、早くもその銘を言ってしまったところはなるほど、そそっかし屋であり正直者であることがわかります。
「以てのほか」
平野老人は首を振って肯《うけが》いませんでした。市川の言ったことを刎《は》ねつけることによって、自分がもてあました言葉尻が立て直りました。
「則重ではござらぬ」
平野老人は首《かぶり》を振ったから、そそっかし屋の市川は一時《いっとき》、面を赤くしましたけれど、老人があんまり手厳《てきび》しく刎《は》ねつけたものですから、反抗の気味となって、
「そ、そ、そんならば、そんならば、老人のおめききは……」
と言って反問しました。焦《せ》き込むと吃《ども》る癖があるから、いつもならばおかしいのであるけれど、誰も笑いませんで、かえって市川に同情するような心持で、老人の返答を相待っているような者さえあります。それは則重と見たものがこの市川一人ではなく、だいぶ同意見の者があるらしいのです。市川と同意見であるけれども、まだそうも言い出し兼ねている時に市川が皮切りをしたから、わが意を得たりと言わぬばかりに、内心で市川に同情しているらしい者もあります。
「なるほど、則重と言いたいところである、一応はそう言ってみたいところで、市川氏のおっしゃるのも御無理はない、大湾《おおのた》れに錵《にえ》が優《すぐ》れて多く匂いの深いところ、則重の名作と誰も言ってみたいが、それよりはずんと高尚で且つ古いものじゃ」
平野老人はこう言いました。
「そ、そんならば老人のお目利《めきき》は?」
市川は再び老人に返答を促《うなが》したけれども老人は、頓《とみ》に返事ができないで困《くる》しんでいる様子を小林師範が傍《かたわら》から見て、
「これは近頃の好題目、口に出して言うては皆々遠慮がある故に、入札《いれふだ》としてみたらいかがでござるな、各自の見るところを少しの忌憚《きたん》なく紙へ書いて、名前を記さずにこれへ集めてみようではござらぬか」
小林がこう言い出したのは、老人にも救いであり一座もみな同意しました。言い出したいけれども恥を掻くといけないと思って遠慮していたものが多いのを、それが無記名投票になれば恥はかき捨てになり、当れば名誉になるのですから、忽《たちま》ちに多数の同意を得て筆と紙との用意が出来ました。おのおの筆を取って紙片に思う所を書いて捻って盆に載せ、二十余人の者が残らず投票をしてしまった後に開票のことになりました。
開票して見ると、その鑑定に大胆を極めたのもあり、小心翼々と疑問を存したのもあったが、いずれもそれを古刀と見ることには異議はありません、新刀と書いたものは一人もありませんでした。備中《びっちゅう》の青江《あおえ》であろうと書いたり、備前の成宗《なりむね》と極《きわ》めをつけたのもあり、大和物の上作と書いたのもあり、或いは、飛び離れて天座神息《あまくらしんそく》などと記したものもありました。その観《み》るところの区々であるだけ、それだけ捉まえどころが少ないものと見えましたが、さすがに則重と書いたものが六枚ありました。二枚三枚と適合したのはほかにもあったけれど、六枚揃うたのは則重だけでありました。
「どうもわからぬ」
開票してみて、いよいよ刀のえたいが不思議になってしまいました。則重もまた正宗《まさむね》門下の傑物だが、今ここに評判に上っているような宝物としては物足りないのであります。
「それでは、いよいよ則重かな」
一同の面《かお》の色にありありと失望の色が見えまして、それがやや軽侮《けいぶ》の表情に変って行くのを見ていた馬大尽の雇人幸内は、たまらなくなりましたから、
「申し上げまする、これは則重ではござりませぬ、数年前、本阿弥《ほんあみ》様が主人の家へお立寄りになりました時分の御鑑定によりますれば……」
さてこそ本阿弥が引合いに出されて来ましたから、一同は言い合わせたように幸内の面を見ました。本阿弥という名前は、とにもかくにもこの場合、重きをなすのであります。
「本阿弥家の折紙があるならば、あるように最初から言っておくがよい」
と平野老人が呟《つぶや》きました。
「いいえ、折紙があるのではござりませぬ」
と幸内は言いわけをしました。
「どうしたのじゃ」
「本阿弥様は折紙を附けませぬ、手前共の主人も折紙を附けていただくことは嫌いなのでござりまする」
「して、本阿弥がなんと言った」
「本阿弥様が申しまするには、この刀は伯耆《ほうき》の安綱《やすつな》であろうとのことでござりまする」
「ナニ、伯耆の安綱?」
「はい」
「ははあ、伯耆の安綱か」
と言って、いったん鞘《さや》に納められた太刀《たち》が再び鞘から抜け出しました。
「なるほど」
「なるほど」
彼等は手から手に渡してつくづくとながめました。
「それだから言わぬことではない、一見しては地鉄《じがね》が弱いようだけれど、よく見ていると板目が立ち、見れば見るほど刃の中に波が立ち、後世の肌物《はだもの》とはまるで違う」
平野老人は得意になりました。さながら本阿弥を自分の味方に引きつけたように、鼻高々と一座を見廻すと、小林師範役は、
「なるほど、そう言われて仔細に見ると、地鉄に潤《うるお》いがあって、弱いようなところに深い強味がある、全く拙者共の目の届かぬも道理」
と言って服してしまいました。
「伯耆の安綱というのはこれか、名にのみ聞いて、拝見するは今日が初め」
一座は幾度も幾度もその刀を見ました、見れば見るほど感心の体《てい》でありました。主人役の神尾主膳も得意になってしまい、則重といった人々さえ、自説の破れたことは悔いないで、その刀に見惚《みと》れてしまっていました。自然、幸内の肩身も広くなり、
「本阿弥様も、しかと安綱とは仰せになりませんで、もし伯耆の安綱でなければ、それと同じような、またそれよりも上の作であろうと御鑑定になりましたそうでございます」
「なるほど」
「斯様《かよう》な刀には我々共が極めをつけるは恐れ多いと本阿弥様が御謙遜《ごけんそん》になり、主人もまた、極めをつけていただくことが嫌いなのでございまして、ただ宝刀として蔵《しま》って置きましたのでござりまする」
「なるほど」
ここの一座には、安綱を見たものはいずれも初めてでありました。
伯耆の安綱は大同年間の名人、その時代は一千年以上を隔てたものです。よし安綱であってもなくても、それと同格或いは同格以上のものであらば、それは宝物とするのに充分であります。
見直しているうちに、一座は誰とてそれに不服を唱えるものはありませんでした。
「摂州多田院の宝物に童子切《どうじぎり》というのがあるそうじゃ、これは源頼光《みなもとのらいこう》が大江山で酒呑童子《しゅてんどうじ》を斬った名刀、その刀がすなわち伯耆の安綱作ということだが、拙者まだ拝見を致さぬ。その他、大名のうちに、稀には安綱があるとも承ったけれど、いずれもその名を聞くばかり」
と言って平野老人は、再び手許に戻って来た名刀を貪《むさぼ》り見ると、神尾主膳もまた老人と額《ひたい》を突き合せるようにして刀ばかりを見ていました。
五
その席はそれで済みました。主人も客も、始めあり終りある会合を満足して退散しました。
ただここで変なことが一つ起りました。それは幸内の行方であります。幸内はあれから御馳走になって神尾家を辞したのは夕方のことでありました。もちろんその帰る時も小腋《こわき》には、伯耆の安綱の箱を抱えて帰ったのでありましたが、それが有野村へは帰らずに、途中でどこへ行ったか姿が見えなくなってしまいました。
有野村の馬大尽の家では誰も、幸内がこの会合の席まで来たということを知ったものはありません。一日や二日帰らないからと言って、それはいつもあることだから誰も不思議とは思いませんでした。ただ一人、心配なのはお銀様ばかりです。今日で約束した三日の期限が切れるのに、幸内がまだ帰って来てくれないことをお銀様は心配していました。三日の期限が切れたから、直ぐにお父様に咎《とが》められるというわけではないけれど、あの刀は秘蔵の刀である故に、心配になります。
それでも、幸内を信じたお銀様は、やがて幸内が持って帰ることと信じていました。
けれどもその三日も過ぎてしまったその夜も、ついに幸内が帰りませんでした。夜が明けてお銀様は、やや強くそのことを心配しはじめた時分にこの屋敷へ、馬に乗って若党をつれた立派な武士が、不意におとずれて来ました。
その武士が来て案内を乞うと、有野家の執事《しつじ》といったような老人がまず騒ぎはじめました。
「御支配様がおいでになった」
その騒ぎがお銀様の部屋までも聞えると、
「御支配様がお見えになったそうな」
と、お附のようになっているお君を顧みてお銀様が言いました。
「御支配様とはどんなお方でございますか」
とお君が尋ねました。
「それはこの甲府のお城を預かって、勤番のお侍をお差図《さしず》なさるお方」
とお銀様が説明しました。
「それではあの、甲府のお城の殿様でございますね」
とお君が受取りました。
「この甲府には大名はないけれど、あの御支配様が同じお勤めをなさいます」
「こちら様へはたびたび、その御支配様がおいでになるのでございますか」
「いいえ、滅多にそんなことはありませぬ、もしそんなことのある時は、前以てお沙汰があるのに、今日はどうしてまあ、こんなに不意においでになったのでしょう」
不意にこの馬大尽《うまだいじん》へ訪ねて来たのは駒井能登守でありました。
新任の勤番支配が何用あって、先触《さきぶれ》もなく自身出向いて来られたかということは、この家の執事を少なからず狼狽《ろうばい》させました。
「馬を見せてもらいたいと思って、遠乗りの道すがらお立寄り致した次第、このまま厩《うまや》へ御案内を願いたいもの」
こう言われたので執事は安心しました。
こうして駒井能登守は、有野村の馬大尽の伊太夫に案内されてその厩と牧場《まきば》を見廻っています。能登守には若党と馬丁とが附いていました。伊太夫には執事の老人と若い手代とが附いていました。伊太夫は六十ぐらいの年輩でありました。馬を見ながら、あるところは能登守の説を謹んで聞き、あるところは能登守に教えるようなことがあります。
「名馬というものは滅多に出て参るものではござりませぬな、こうして数ばかりはいくらか揃えてござりますれど、いずれを見ても山家《やまが》育ちで……せめてこのなかから一頭なりともお見出しにあずかりますれば、馬の名誉《ほまれ》でござりまする、また拙者共の名誉でござりまする」
こう言って厩を見て行ったが、一つの馬の前へ来ると能登守が、しばらく足を留めていました。伊太夫その他の者もまた同じくその馬の前でとまりました。
「この馬は強い馬らしい」
能登守が立って見ている馬は、今まで見て来た馬のうちでいちばん強そうな栗毛《くりげ》の馬でありました。
「よくそれにお目がとまりました、その辺がここでは逸物《いちもつ》でございましょうな、牧場の方へ参ると駒で一頭、ややこれに似た悍《かん》の奴がござりまするが」
「これで丈《たけ》は?」
手代が主人に代って、
「四寸でござりまする」
「なるほど」
能登守は、まだいろいろとその馬をながめていました。
「お気に召しましたらば、一責《ひとせ》め責めて御覧遊ばしませ」
伊太夫は傍から勧めました。
「どうも、拙者には、ちと強過ぎるようじゃ、馬はまことに良い馬だけれど」
「左様なことはございますまい」
「昔、楠正成卿は三寸以上のを好まれなかったとやら。四寸の強馬《つようま》は分に過ぎたものに違いないが、しかし乗って面白いのは、やはり少々分に過ぎたものを乗りこなすところにあるようじゃ」
「左様でございますとも、そのお心がけさえおありなされば、どのようなお馬にお召しなされてもお怪我はあるまいと存じまする。それに私共にては、見所《みどころ》のありそうな馬には、昔の掟《おきて》通り白轡《しろくつわ》五十日、差縄《さしなわ》五十日、直鞍《すぐら》五十日を馬鹿正直に守って仕込ませました故に、拍子《ひょうし》もわりあいによく出来ているつもりでござりまする」
伊太夫はこんなことを能登守に向って語りました。能登守はこの栗毛の馬に乗ってみようという心を起しました。
ほどなく能登守が馬に乗って勇ましく馬場を駈けさせる姿を、伊太夫はじめこちらから見ていました。
それとは少し異《ちが》ったところで、
「お君や、あのお方が御支配様でありましょう」
と言って、椿の木の下でお君を招いたのはお銀様であります。
「まだお若い方でございますね」
お君も木の蔭に隠れるようにして、やや遠く能登守の馬上姿を見ていました。
「ほんとに、まだお若い方」
とお銀様が言いました。お君が気がつくと、お銀様が馬上の御支配様を見ている眼の熱心さが尋常でないことを知りました。
お銀様も、やはりお若いお嬢様である。お若い殿方を見るのはいやなお気持もなさらないものかと、お君はそぞろに気の毒になってきました。それで自分もその御支配様が、馬に召して、だんだんに近いところへ打たせておいでになる姿を、お銀様と同じようにながめていますと、
「お幾つぐらいでしょうね」
お銀様がこう言いました。
「左様でございますね」
お君は、この時に御支配のお面とお姿とをよくよくとながめました。馬は二人の方へ向いて駈けて来ました。その間はかなりありましたけれど、こちらは木の蔭に隠れていましたから、向うではわかりません。
「お嬢様、御支配様は大へんお綺麗なお方でございますね」
「ええ」
とお銀様はこのとき振返って、お君の顔を見た眼つきに悲しい色が浮びます。
「帰りましょう、失礼だから」
自分が先に立ってさっさと家の方へ行ってしまいます。お君はぜひなくそのあとをついて行きました。
お居間へ帰るとお銀様は、わざとしたような笑顔を作って、
「お君や、お前の髪の毛が少し乱れている、それをわたしが直して上げましょう」
と言い出しました。
「お嬢様、それは恐れ多いことでございます」
と言ってお君が辞退をしました。
「いいから、ここへお坐り」
強《し》いて鏡台の前へお君を坐らせて、お銀様はその後ろへ廻りました。
お銀様は少し乱れたお君の髪を撫でつけてやりました。そうして自分の差していた結構な簪《かんざし》や櫛《くし》を抜き取って、それをお君の頭に差してやりました。
お君は、お銀様がなんでこんなことをなさるのかと変に思われてたまりません。
「お君や、お前、今日はわたしになってごらん、わたしと同じ髪を結って、わたしと同じ着物を着て、そうしてお前がこの家の娘になるといい」
「お嬢様、何をおっしゃいます、飛んでもないことを」
お君は呆《あき》れていますと、
「わたしがお前になって、お前がわたしになった方がよい、ね、そうしてごらん、わたし、こんな髪の飾りも要《い》らない、こんな着物も要らない、帯も要らない」
「まあ、お嬢様」
お君がいよいよ呆れた時に、外でムクの吠える声がしました。
髪の飾りも要らない、着物も要らない、帯も要らないと言ったお銀様は、お君の呆れて言句《ごんく》も出でない間に、ついと次の間に行ってしまいました。
お君はそれも気にかかるけれど、いま吠えたムクの声も気にかかります。障子をあけて見るとムクが、今しも馬に乗って馬場の外へ打たせて行く能登守の馬を追いかけて、その足許に絡《から》みつくようにして吠えています。
「まあ、あの犬が殿様に……失礼な」
お君は驚きました。ムクを呼んで叱らなければならないと思いました。
「お嬢様、ムクが殿様に失礼をするといけませんから呼んで参ります」
と断わって、あわててそこを駈け出して、
「ムクや、ムクや」
お君はやや遠くから呼びました。お君から呼ばれさえすれば、いくら遠くにいてもかえって来るムクがこの時は、いよいよ能登守の馬の足に絡みついて、遠くから見ていると馬と人とを襲うているように見えます。
それを馬上の能登守がもてあましているようでしたから、お君は安からぬことに思うて息を切って、馬場から牧場の方へと枯草の原を駈けて行きました。
そのうちに、駒井能登守はたまり兼ねて馬から下りてしまったようであります。或いはムクが烈しく襲いかかったために落馬をされたのではないかと、お君はいよいよ安からず思いました。
馬から下りた能登守が、馬の口を取っていると、その時にムクも温和《おとな》しくなってしまいました。そこへ息を切ってお君が馳せつけて来て、
「ムク、まあどうしたのです、お殿様へ御無礼を申し上げて」
お君は、せいせい言いながらムクを叱りました。駒井能登守は莞爾《かんじ》としてムクの頭を撫でながら、
「叱ってはいかぬ、こりゃ良い犬じゃ、この犬のおかげでわしは助かったのじゃ」
と言って駒井能登守は、一間ほど前のところの草の中を指さし、
「そこに古井戸がある、その古井戸へ、すんでのことに馬を乗りかけるところであった、それをこの犬が追いかけて来て留めてくれた、初めは狂犬かとも思うて、鞭《むち》で二つ三つ打ち据えたが、それでも退《ひ》かぬ故ようやく気がついた、この犬がいなければ、わしは馬もろともこの古井戸へ落ちて助からぬことであった、ああ危ないことであったわい」
と言って、能登守は汗を拭きました。
「まあ、左様でございましたか。ムクや、よくお殿様に危ないところをお教え申しました、お前はやっぱり良い犬でした」
お君は駈け寄ってムクの首を抱きました。その時、能登守はお君とムクとを見比べていましたが、
「この犬は、お前の犬か」
「はい、わたくしの犬でございます」
「お前はここの家の……」
「雇人でござりまする」
能登守は、お君とその犬との親身《しんみ》な有様をじっと見つめていました。伊太夫はじめ能登守のお伴《とも》の者がそこへ駈けつけたのはその後のことであります。
駒井能登守は有野村の馬大尽のところから帰り道に、
「一学」
と言って若党の名を馬の上から呼びました。
「はい」
「あの犬を大切にしていた娘を、そちは見たような女と思わぬか」
「はいはい、そのことでござりまする、私もそのように申し上げようかと存じておりましたところでござりまする」
「何と思うていた」
「遠慮なく申し上げてもよろしうござりましょうか」
「遠慮なく申してみるがよい」
「左様ならば申し上げてしまいまする、あの女の子は奥方様に生写しでござりまするな」
「そうか、拙者《わし》もそう思うたからそちに聞いてみた」
能登守は莞爾として一学を顧みました。
「左様でござりまする、奥方様より歳は二つ三つ若いようでござりまするが、あれで奥方様と同じお作りを致させますれば、全く以てわたくしたちまで見違えてしまうでござりましょう」
「その通りじゃ」
そうして馬を打たせて、御勅使川《みてしがわ》の岸を東へ歩ませて行きました。
「殿様」
「何だ」
「あの、奥方様はいつごろ、こちらへお見えになりまする」
「それはいつともわからん」
「御病気の御容態《ごようす》は、いかがでござりましょうか」
「別に変りはないようじゃ」
「一日も早くお迎え申したいと、家来共一同、そのことのお噂を申し上げない日とてはござりませぬ」
「年内はむずかしかろう、年を越えてもことによると……」
「来春になりますれば、ぜひお迎えに上りとう存じまする」
「あれもこっちへ来たいと言って、いつの手紙にもそのことを書いてあるが、あの身体では覚束《おぼつか》ない故に留めてある」
「殿様も御心配でございましょうけれど、奥方様もさだめてお淋しいことでございましょう、どうか早くお迎え申したいものでござります」
「一学」
「はい」
「あの栗毛を受取りに行く時、あの女にも何か物を遣《つか》わしたいものじゃ」
「左様でござりまする」
「あの犬のために怪我をせずに済んだのじゃ、犬と持主に心付けを忘れぬように」
「しかるべきものを調《ととの》えまするでござりましょう」
「その時に、一応あの女の身の上を聞いてみるがよい、もし邸へ来るような心があるならば、伊太夫へ話をして呼んでみてもよい」
「はい」
一学は主人が、あの女のことを親切に思うていることに気がつきました。
六
馬大尽の雇人の幸内は、三日目の日が暮れてしまってもついに屋敷へは帰りません。
伯耆の安綱と称せしかの名刀もまた、幸内と共にその行方を失ってしまいました。
この前後のこと、甲府の町うちにおりおり辻斬があります。
三日か四日の間を置いて、町の端《はず》れに無惨《むざん》にも人が斬られていました。その斬り方は鮮やかというよりも酷烈《こくれつ》なるものであります。
一刀の下《もと》に胴斬《どうぎ》りにされていたのもありました。袈裟《けさ》に両断されていたのもありました。首だけを刎《は》ね飛ばしたのもありました。ちょうど神尾主膳の家で刀のためしのあったその夜もまた、稲荷曲輪《いなりくるわ》の御煙硝蔵《ごえんしょうぐら》の裏に当るところで、一つの辻斬があったことが、その翌朝になってわかりました。
斬られたのは幸内ではありませんでした。ところの方角も幸内の帰って行ったのとは違いますし、ことに斬られた本人が近在の煙草屋でありましたから、直ぐに本人の家族へ沙汰があって、これらが駈けつけて泣きの涙です。
町奉行の役人と、前日神尾の家へ集まった師範役の小林文吾とその弟子どもも駈けつけました。
町奉行の検視の役人は、現場に立って面《かお》を見合せて腕を組んで、
「たしかに物取りの仕業《しわざ》ではない」
「勿論《もちろん》のこと。これでこの一月ばかりの間に四つの辻斬」
もう一人が、やっぱり浮かない面をして、現場を今更のように見廻すのであります。
「それがみんな同じ手」
と、もう一人が言いました。
「非常な斬り方である、これはどうも……」
と言って三人の役人が一度に小林師範役に眼を着けました。
彼等にはなんとも解釈がしきれないから、それで小林の意見を促《うなが》すような眼つきであります。
「これだけに斬る者は……」
と言って、小林も頭を捻《ひね》って思案に余るようでありました。
「刀が非常な大業物《おおわざもの》であるか、さもなければ、人が非常な斬り手である」
小林は今その屍骸の斬り口を検査して見て、舌を捲いているところでありました。この一カ月来、これで四度辻斬があったのに、そのうち三度まで小林は立会っていました。
先日神尾の屋敷で試し物があったのも、一つはこの辻斬があったから、それに刺戟されたものであります。
一人二人の間は話の種であったけれども、四人目となっては町の人の戦慄《せんりつ》であります。町の人の戦慄と共に、役向の責任でありました。そうしてこの小林文吾にとっては、まさに剣道の面目ということになりそうです。
「もし当地に住居《すまい》致す者にてこれだけの手腕《うで》のある人あらば、拙者に心当りのないはずはないが……しかしその見当がつかぬ。察するところ、他国の浪人がいずれにか隠れていて、夜な夜な狼藉《ろうぜき》を働くのではないかと思う」
「ともかくも、今夜より一層警戒を厳重に致さねばならぬ」
小林文吾は自宅へ帰っていろいろと考え込んでしまいました。
小林は小野派一刀流を本《もと》として田宮流の居合《いあい》、神道流の槍なども得意としている人であります。彼はこの斬り手がたしかに、城内にある勤番武士のうちの誰かであると見当をつけてしまっていました。城下及び領内にも腕の利《き》いた人がないことはない、百姓町人の間にさえ相当に出来る人を知っているけれども、それらの人にこんな荒っぽい芸当ができるものではない。その斬り方の酷烈なことを見ても、とうてい普通の人情を備えたものにはできない仕業《しわざ》である。さて城内の勤番武士の間にその人ありとすればそれは誰だろう。小林はその見当に思い惑《まど》うています。
城内の勤番のなかに覚えのある者で、一応小林と手を合せない者はないはずであります。それであるのに見当がつかない。思い惑うているそこへ、
「先生」
と言って現われたのは、先刻、辻斬の立会に連れて行った岡村という高弟でありました。
「おお岡村氏」
「先刻は失礼を致しました」
「いや先刻は大儀でござった」
「先生、それにしても腹が立ちまするな」
岡村は何か余憤があるらしく、
「先生、拙者の考えには、この辻斬はたしかに城内の勤番の武士のうちにあると、こう見当をつけましたが如何《いかが》でござりまする」
「それそれ、拙者もそう思っているが、その勤番のうちで、それでは誰と目星をつけ様がない、それで考えが行詰ってしまっている」
「左様、城内の侍ならば、先生と我々との間に大抵の品定めがきまるのでござりまする、それで拙者もいろいろと考えてみましたが、とうとう一つ考え当りました」
「それは誰じゃ」
「先生、意外な人でござりまするよ、それこそは」
「遠慮なく言って見給え」
「そんなら申してみましょう。しかし先生、城内で我々が、まだその腕前を海とも山とも見当のつけられないものがたった一人あるはずでございます、先生もひとつ、それをお考え下さいまし」
「左様な人は……今もつくづくとそれを考えて、考え抜いたけれど、左様な人は一人もないのじゃ」
「それがあるから不思議でございます」
「誰じゃ、言って見給え」
「それは先生、あの今度御新任になった御支配の駒井能登守でございます」
「ナニ、駒井能登守殿?」
小林もさすがにその突飛《とっぴ》な推察に驚かされたようです。しかし、そう言われてみると、城内でしかるべき人として、海のものとも山のものとも知れないのは新任の駒井能登守一人だけです。これを突飛として見れば突飛だが、注意を以て観察すればその人が、一廉《ひとかど》の注意人物でない限りはありません。
「しかし先生、これには寸分も証拠とてはござりませぬ、先生なればこそ、斯様《かよう》なことを申し上げるので、余人へは冗談《じょうだん》にも申されたことではござりませぬ。それを確かめるために、私は今夜からひとつ、忍びを実地に稽古してみとうござりまするが如何《いかが》でござりましょう、先生の御意見は」
「なるほど」
「今夜ということに限らず、これから一心にあの駒井能登守殿の挙動をいちいち探査してみとうござりまする、いかがなもので」
「なるほど」
「そうしていよいよ、これはという動きの取れぬところを押えたら、相手が相手だけに妙ではございませんか」
「うむ、面白い」
ここに至って小林師範役は膝を打ちました。岡村も喜んで、
「では先生も御賛成下さいますな」
「いかにも。やって見給え。しかし相手が相手だけに用心も一層じゃ」
その後、岡村は道場へはあまり姿を見せないようになりました。その当時暫らくは辻斬の噂がありませんでした。岡村はまだなんとも報告を齎《もたら》さなかったけれど、こうして岡村が警戒するために、辻斬もそれを憚《はばか》って当分遠慮をしているのではないかと、小林師範役は心の中で岡村を頼もしがって、そのうち何か面白い報告を齎すだろうと楽しみにしていました。
ところが、それから六日目の朝っぱら、小林師範役がまだ床を離れたばかりの時分に、あわただしく一人の門弟が、
「先生、先生、先生、大変でござりまする、大変」
小林はその慌《あわただ》しさに驚かされました。
「先生、先生、また辻斬がございました、また辻斬が……斬られたのは岡村氏でございます、岡村氏が松蔭御門《まつかげごもん》の跡で袈裟《けさ》に斬られて死んでおりまする」
「ナニ、岡村が?……」
小林文吾も仰天《ぎょうてん》しないわけにはゆきません。押取刀《おっとりがたな》でその場へ駈けつけて見ると、岡村は左の肩から右の肋《あばら》を斜めに断たれて、二つになって無残の最期《さいご》。
小林文吾はあまりのことに、暫らく口も利けないくらいでありました。
七
その晩、一間のうちでしきりに刀を拭《ぬぐ》うているのは机竜之助であります。
竜之助は盲目《めくら》になっているけれども、その一間には丸い朱塗の行燈《あんどん》が立てられて、燈火《あかり》がぼんやりと光っています。
その燈火の下で竜之助は、秋の水の流れるような刀を拭うておりました。
刀は幾本も幾本もあって、白鞘《しらさや》のものや拵《こしら》えのついたものが、竜之助の左の側に積み重ねるようにしてあるのを、右へ取っては拭いをかけて置き換えているようです。
ある時はまたそれを行燈の下で二三度振ってみました。ある時はまたその刃切れを調べるようにしていました。
刀は、いずれも二尺以上のものばかりです。こうして四本かぞえて五本目に抜いた刀は、二尺三寸余りあるように見えます。
「ははあ、これだな、これが手柄山正繁《てがらやままさしげ》だ」
と呟《つぶや》いて竜之助は、それを自分の右の頬に当て、刃を鬢《びん》の毛に触れるようにしていました。
盲目《めくら》であった竜之助には、その刀の肌を見ることができません。錵《にえ》も匂いもそれと見て取ることのできるはずがございません。けれども、
「これは斬れそうだ」
と言いました。刃を上にして膝へ載せてから研石《みがきいし》を取って竜之助は、静かにその刃の上を斜めに摩《こす》りはじめました。竜之助は、いまこの刀の寝刃《ねたば》を合せはじめたものであります。刀の寝刃を合せるには、きっと近いうちにその刀の実用が予期される。明日は人を斬るべき今宵という時に、刀の寝刃が合せられるはずのものであります。
それですから、刀の寝刃を合せる時には大概の勇士でも手が震うものであります、心が戦《おのの》くものでありました。それは怯《おく》れたわけではないけれども、明日の決心を思う時は、血肉がじっとしてはおられないのであります。それはそうあるべきはずです。しかるにこの人は平気で寝刃を合せています。蒼白い面《かお》の色、例の切れの長い眼の縁《ふち》には、十津川で受けた煙硝のあとがこころもち残っているけれども、伏目《ふしめ》になっている時には、それが盲目とは思われないほどに昔の面影《おもかげ》を伝えていました。その面の色はいつ見ても沈んでいる。
音無しの構えに取った時に見る、真珠を水の底に沈めたような眼の光こそ今は見ることができませんけれど、その代りに蒼白い面の表一面に漲《みなぎ》るような沈痛の色、それは白日の下で見るよりは燈火の影で見た時に、蒼涼《そうりょう》として人の毛骨《もうこつ》を寒からしむるものがあります。
今、ようやく寝刃《ねたば》を合せ終ったのは二尺三寸、手柄山正繁の一刀でありました。この刀を斬れるようにして、それから竜之助は何をするつもりであるか知れないけれど、いま竜之助が座を占めて刀調べをしているこの一間、そもそもこの屋敷、それは説明しておく必要がありましょう。
この屋敷は甲府を離るること半里、躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古城跡にある荒れた屋敷であります。そうしてこの屋敷の持主は神尾主膳であって、主膳は前の持主が住み荒らしたのを買い取って、下屋敷のようにしていました。けれども主膳自らはここに来ることが甚だ稀《まれ》であって番人に任せておいたから、いよいよ屋敷は荒れていました。それをこの頃になって、主とも客ともつかぬ者が一人出来ました。それがすなわちこの机竜之助であります。
神尾主膳が何故に机竜之助をここへ置いたかということは、まだ疑問でありましたけれど、ここへ置かれた机竜之助は、囚人《めしうど》でも監禁の相《すがた》でもありません。
竜之助をここへ移したものが神尾主膳でありとすれば、今ここへ刀をあてがっておくその人も神尾主膳でなければならぬ。
神尾主膳の名を騙《かた》って奈良田の奥へ甲州金を取りに行った偽物《にせもの》を殺して、その駕籠《かご》で神尾の邸へ乗り込んだはずの竜之助を、神尾主膳が保護するような形式を取っていることが、不思議であるといえば不思議であります。
竜之助がこの古屋敷に来てから、もうかなりの時がたちましたけれど、まだ一回も外へ出たのを見たものがありません。幾間も幾間もある屋敷の、いずれの間に住んでいるのであるかさえもよくわかりませんでした。しかし、夜になると、屋敷の番人をしている男が食物を運ぶのと燈火《あかり》をつけに来ることによって、そこに人がいることがわかりました。
また庭の幾所に巻藁《まきわら》が両断されて転がっていることによって、この家に住む人が試し物をするのだということが想像できるのであります。
ここに置かれた机竜之助が刀調べをしていることも、その調べた刀によって巻藁の類を試していることも、ひまつぶしとしてはそうありそうなことであります。寝刃《ねたば》を合せていることも、巻藁を切るためであったかと思えば、別段に凄いことではありません。
そこで寝刃を合せ了《おわ》った竜之助が、手柄山正繁の一刀を取り直した時に、広い座敷、およそ二十畳も敷けるこの一間の片隅にあった古びた長持の蓋《ふた》がガタといって動きました。
その音で竜之助は、刀を持ったまま長持の方を向きました。竜之助が長持の方を向いた時に、長持の蓋がまた続けざまにガタガタと二つばかり動きました。三つ目には、もっと烈しい音で、下から力を極めて何か持ち上げるような音で長持が動きました。
屹《きっ》とそれを見つめていた竜之助は、
「騒ぐな、騒いだとて時が来ねば許しはしない」
と長持の蓋に向ってこう言いました。その様、何か心得ているらしく見えます。しかし動きはじめた長持は、竜之助のこの声を聞いて静まることがなくて、かえって烈しい音を続けざまに中から立てて、それに相答うるような有様でありましたが、敢《あえ》て一言も人の言《こと》の葉《は》としてはその中から洩れて来るのではありません。
「おとなしうしておれ、騒ぐとかえってためにならぬ」
竜之助は叱るように、また教えるように、或いは嚇《おど》すようにこう言いました。ところが、その声を聞くと、いや増しに長持が動きました。動くというよりは寧《むし》ろ、長持そのものが荒《あば》れ出したように見えました。もしこの長持の中に人があるならば、こんなに荒れ出す先に、許せとか助けよとか、哀れみを請うべきはずであるのに、そうでなくて、ただただ必死に荒れてのみいるのでありました。その荒れる烈しさをこちらから想像すれば、それはかなり力のある男のする業であると、誰もそう思わないわけにはゆきません。
口では叱るように、教えるように、または嚇すように騒ぐなと言ったけれど、その態度は冷然たるもので、いよいよ動き荒れ出した長持の蓋も箱も中から裂けてしまいそうになってきた時も、竜之助は立とうとも動こうともしませんで、やはり冷然として、その刀を鞘に納めてしまいました。その途端に長持のいずれの部分かが、メリメリと裂けるような音がしたかと思うと、中からもがき出したのは一人の男。
それはちょうど、紺屋《こんや》の藍瓶《あいがめ》の中へ落ちた者が、あわてふためいて瓶から這《は》い上るような形であります。面《かお》も着物も真黒でありました。
古い長持であったから、それで錠前《じょうまえ》も刎切《はねき》れたものであろうけれど、それにしても中からそれを刎切るのは容易な力でありません。渾身《こんしん》の力を絞ってやっと蓋を跳上げて、箱の外へもがき出した一人の男は面も着物も、そっくりと紺屋の藍瓶へ漬けておいたように真黒くなっていました。そのもがき出す身ぶりによって見れば、両手を後ろへ廻して縛られた上に、両足をまた一つに絡《から》げてこの中へ投げ込まれていたものと見えます。
竜之助は今しも鞘へ納めた手柄山正繁の刀を膝元へ引きつけたままで、ただそちらの方を見て坐っているばかりでありました。この刀は白鞘《しらさや》の刀ではありません。それは神尾が差しても竜之助が差しても恥かしからぬほどの拵えのある刀でありました。その刀をこころもち居合に取って、行燈の方向を少し避けるようにしたのは、ここに引寄せて斬って捨てようとの心構えに見えました。
真黒になって手足を縛られた人間が、やっと立ち上った形は、大きな蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》が天上するような形であります。手足こそ縛られているけれども、いっこう猿轡《さるぐつわ》を箝《は》められた模様もないのに、口を利かないのはなぜだろう。なんとも言わないで、蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》の天上するような形をしてやっと長持をもがき出した黒い人影は、人魚の児が這い出したようにして畳の上をのたくって、竜之助の方へと寄って来るのであります。
のたりのたってその男は、ついに竜之助の膝のところまで来ると、その膝を枕にするようにして竜之助の面《かお》を打仰ぎました。
「叱《しっ》!」
竜之助は左の手でそれを払い退けると、その男は執念《しゅうね》く再び竜之助の膝にのたりつくのであります。
「うるさい」
竜之助は再びそれを払い退けました。払い退けられて男は三たび竜之助の膝にのたりつきました。その口を慌《あわただ》しく動かして、咽喉首《のどくび》が筬《おさ》のように上下するところを見れば、これは何か言わんとして言えないのでした。訴えんとして訴えられないものでありました。
突き放され、突き放され、またのたりつく有様は他目《よそめ》には滑稽《こっけい》でもあるけれども、その当人は名状し難い苦しみにもがいているのです。如何《いかん》せん机竜之助は、それを滑稽として見ようにも、また苦悶の極みとして見ようにも、どちらにしても見て取ることができない人でありました。
しかしながら、机竜之助の両眼が暗くて、その人の何者であるやを見て取ることができないにしても、たとえささやかながら行燈《あんどん》の火がある以上は、面《かお》も着物も真黒になってはいるけれど、見知った者には間違いなく、それは馬大尽の雇人の幸内であるということがわかるのであります。
これは馬大尽の家の幸内でありました。伯耆《ほうき》の安綱の刀を持って出て行方《ゆくえ》知れずになった幸内が、今ここにこんな目にあわされていることを誰が知ろう。幸内はそれを今、神か仏か知らないけれども居合せた机竜之助に向って訴えようとするものらしいが、どうしても口が利けないらしい。
「神尾殿が来てなんとかするまで、もとのところで窮命しておれよ」
竜之助は、やはり片手でさぐって、のたり廻る幸内の襟髪《えりがみ》を無造作《むぞうさ》に掴んで、部屋の隅へ突き飛ばしてしまいました。
幸内を振り飛ばした机竜之助は、やがて手柄山正繁の一刀を腰に差して立ち上りました。
振り飛ばされた幸内は、長持の隅のところへ投げ倒されたなりで、今度は動くことをしませんでした。そうしておいて竜之助は、懐中から宗十郎頭巾《そうじゅうろうずきん》を出して冠《かぶ》りました。頭巾を冠ってしまってから、座敷の隅をさぐるとそこに杖が立てかけてありました。その杖を手に取って、行燈の方へ静かに歩み寄って、その火を消そうとすると、廊下に人の足音がしました。それで竜之助は行燈を覗《のぞ》いたような形のままで、その足音に耳を傾けました。
足音は廊下を伝ってこの座敷へ来るのであります。
「机氏、机氏」
と言って竜之助を呼びました。
「おお、主膳殿か」
竜之助はそれを知って、燈火を吹き消すことをやめて、冠《かぶ》っていた頭巾を取って懐中へ押隠すように入れてしまいました。そこへ入って来たのは神尾主膳でありました。
主膳は片手に長い箱を抱えて、
「竜之助殿、貴殿に見せたい品がある、それでワザワザやって来た」
「それはそれは」
主膳は長い箱を目の前へ取り直して、
「いつぞや噂をした伯耆の安綱の刀が手に入った」
「ははあ、安綱がお手に入ったか、それは珍重《ちんちょう》」
主膳が包みを解いて箱の中から出した袋入りの白鞘は、前日試し物のあった日から、幸内と共に行方不明になった馬大尽の家に伝わる宝刀であります。
しばらくして神尾主膳は、燈下でその安綱の鞘を払って竜之助の前に突き出して、
「二尺四寸、大湾《おおのた》れで錵《にえ》と匂いの奥床《おくゆか》しいこと、とうてい言語には述べ尽されぬ」
と言いました。
「篤《とく》と拝見したいものだが、見ることができぬ」
と言って竜之助は笑いました。
「ともかくも手に取って見給え」
主膳はその刀を持ち添えるようにして、竜之助に手渡ししました。
「なるほど」
竜之助は伯耆の安綱の刀を手に取って、持ち試みていましたが、
「安綱といえば古刀中の古刀、誰もその位を争うものはないのだが、さて実力はどれほどのものか知らん」
と言って嘯《うそぶ》くように見えました。
「竜之助殿、貴殿ひとつ試してみる気はないか」
「この安綱を?」
「左様」
安綱を試してみろと言われて、竜之助は首を横に振りました。
「いかに名刀なりとて、千年もたっては隠居同様、ただ名物として奉って置くが無事であろう」
「たとえ千年二千年たとうが、精が脱《ぬ》けるようでは名刀の値打はない、この肌を見給え、この地鉄《じがね》を見給え、昨日|湯加減《ゆかげん》をしたような若やかさ」
「拙者には名刀といわず、無名刀といわず、手に合うたものがよろしい」
「それはそうかもしれぬ、しかし、安綱ほどの刀を試して、千年からの極《きわ》めを破るも面白いではないか。この刀をもって物を斬った話、古くは源頼光《みなもとのらいこう》の童子切と、近代では長曾我部元親《ちょうそかべもとちか》が何とやらしたという話、そのほかは畏《おそ》れかしこんで神棚へ祀るほかには能事がない。事実、切れ味はどんなものか拙者も知らぬ、世間の奴も知らぬ」
神尾主膳は机竜之助をして、伯耆の安綱と称せらるるこの名刀を試させん底意《そこい》があって来たものと見えます。
「それはそうであろう、伯耆の安綱ともいわれる刀で犬猫も斬れまいし、滅多に土壇《どだん》や巻藁《まきわら》をやっても物笑い、それこそ宝として飾って置くが無事だわい」
竜之助は寧《むし》ろ安綱を冷笑するような言葉つきでありました。
「折れても承知、その刀の真の切れ味が知りたい」
と神尾は言いました。
「折れて承知ならば、一番斬ってみようか」
竜之助はこう言いました。
「頼む」
神尾は透《すか》さずこう言いました。
竜之助は打返して、その刀を振り試みていました。
「よし、試してみよう」
竜之助はやはり巻藁か土壇を切るように容易《たやす》く請合《うけあ》ってしまいました。
「それでは、机氏」
と言って、主膳は伯耆の安綱を竜之助に預けて帰ろうとします。
「もう、お帰りか」
「このごろは甲府の市中が物騒でな、我々とても油断しては歩けぬ」
「物騒とは?」
「辻斬が流行《はや》るのじゃ」
「辻斬が?」
竜之助はこの時、苦笑いをしました。主膳は刀を差しながら、
「昨夜も、小林と申す剣道の師範役の高弟が斬られたのじゃ、斬った奴は何者だともまだわからぬ、奉行の手でもわからぬし、城内の者にも心当りがない、しかし斬り手は非常な腕だ、それで甲府の上下、身の毛を慄立《よだ》てているが、困ったものじゃ」
「うむ」
「もし貴殿の眼でも見えたなら、こういう時には、その曲者《くせもの》の眼に物見せてやろうものを、あたら英雄も目無鳥《めなしどり》では悲しいことじゃのう」
「目が見えたら辻斬をして歩く方へ廻るかも知れぬ」
「ははは、そうありそうなことじゃ」
神尾主膳はなにげなく笑いましたが、この時はじめて気のついたように、
「竜之助殿、あの長持の中の物、あれを貴殿にお任せ申そう、安綱の切れ味、ことによったら、あれで試して御覧あれ」
「よろしい」
主膳は別に長持へ近く寄ってそれを改めてみようともしませんでした。竜之助もまた長持から怪しい者が出て来て、自分の膝へ縋《すが》りついたということを語るでもありませんでした。その長持から出た怪しの者も、この時ははやジタバタするではありません。
こうして神尾主膳はこの古屋敷を出て行きました。甲府から半里、駕籠にも乗物にも乗らずに来て、玄関には草履取と提灯持兼帯の男が一人待っているばかりでした。
躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古城は武田家の居城《きょじょう》のあったところ。三面には岡があるけれど、城は平城《ひらじろ》、門の跡や、廓《くるわ》のあと、富士見御殿のあった台の下には大きな石がある。そのあたりは松の木や荊《いばら》が生い茂っている。神尾主膳が本通りを甲府へ帰りついた時分に、大泉寺の鐘が九ツを打ちました。その時分にこの古城のところを机竜之助が歩いていました。やはり宗十郎頭巾を冠《かぶ》って杖を持って刀を差している。その行先はいずれであるか知らないけれども、向って行くところは、やはり甲府の方面であります。
八
その晩、甲府八幡宮の茶所で大欠伸《おおあくび》をしているのは宇治山田の米友であります。
土間には炭火がカンカンと熾《おこ》っている。接待の大茶釜が湯気を吹いて盛んに沸いている。そこで米友は、こちらの畳の上に胡坐《あぐら》をかいて遠慮なく大欠伸をしています。
下には浅黄色《あさぎいろ》の短い着物を着て、上へ白丁《はくちょう》を引っかけて、大欠伸をした米友は、またきょとん[#「きょとん」に傍点]として大茶釜の光るのと、それから立ちのぼる湯気と、カンカン熾《おこ》っている炭火とをながめていましたが、
「どっこいしょ、燈籠《とうろう》のあかりを見て来なくちゃならねえ」
と言ってそこを立ちました。立つ時に米友は億劫《おっくう》そうに烏帽子《えぼし》を冠《かぶ》って、その紐を横っちょの方で結んで、銅の油差を片手に、低い床几《しょうぎ》を片手に持って、草履をつっかけて外へ出ましたのです。
「なんだか知らねえが、今夜はこの八幡様へでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来るそうだから、それで燈火《あかり》を消しちゃあならねえのだ。でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]というのは、どんな奴だか、これも俺《おい》らは知らねえが、恐ろしくでかい[#「でかい」に傍点]奴だという話だ。そのでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が、この八幡へ喧嘩をしかけに来るから、それで八幡様の前を明るくしておけという神主様の仰せだ。だから俺らはその仰せ通り今夜は不寝番《ねずのばん》で、お燈明へ油を差して歩くんだ」
油差と床几を手に持って外へ出た米友が、こんなことを言いました。そうして社の鳥居のところから始めて幾つもある木の燈籠や、石の燈籠をいちいち見て歩いて、消えそうなやつへは油を差して歩きました。歩くといっても、やはり米友は跛足《びっこ》です。それに背が低いからいちいち床几を下へ置いてその上へのって、それから油を差して歩きます。
境内を残る隈《くま》なく見廻って、油を差すべきものには差し終ってから米友は、また茶所へ帰って来ました。そうして熱いお茶を一杯いれて呑んでから、烏帽子《えぼし》を取って叩きつけるように抛《ほう》り出して、また前のところへ胡坐《あぐら》をかいて、前のようにぼんやりとして、接待の茶釜の光るのと炭火のカンカンしているのをながめていましたが、程経てまた大欠伸《おおあくび》をはじめてしまいました。
「眠ってえな」
と言って眼を擦《こす》りながら、
「はははは、笑あせやがら」
なんと思ったか米友はカラカラと笑い出して、
「でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]なんというものは見たことも聞いたこともねえんだ、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来たからったっても、なにもそんなに驚くことはあるめえじゃねえか」
と言いました。何か米友はそのでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]について腑《ふ》に落ちないことがあるようです。
「そのでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が喧嘩に来るから、それを怖がっているような八幡様じゃあ、八幡様の有難味が薄いや、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来たら来たように、俺らがなんとかひとつ掛合ってみてやろうじゃねえか」
米友はしきりにでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]のことを言って当《あて》のない臂《ひじ》を張ってみましたが、それも暫くすると、眠気に負けたらしく、羽目《はめ》へ寄りかかってコクリコクリと漕《こ》ぎ出してしまいました。
「あ、眠っちゃいけねえんだ」
茶釜を溢《あふ》れた沸湯《にえゆ》が、炭火の上に落ちてチューと言った音で米友は眼を醒《さ》ましましたが、すぐにまた漕ぎはじめてしまいました。
やや暫く居眠りをしていた米友が、
「あ、また眠っちまった」
と言って二度目に眼をさました時は、何か気にかかるようなものがあるような様子です。
「はてな、今、足音がした、たしかにここで足音がしたに違えねえんだ」
と言って、米友は眠い目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って鳥居の方から外を見ました。
「誰だい、誰か来たのかい」
と咎立《とがめだ》てをしたけれど、外は闇でよくわかりません。燈籠の火影《ほかげ》の届くところには何者も見えませんでしたけれど、感心なことに宇治山田の米友は、居眠りをしても、その足音を聞き洩らすような油断がありません。
「まさか、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]じゃあるめえな」
と言って座右を顧みた時に、そこに六尺の手槍がありました。
「兄い、なかなか寒いじゃねえか」
気軽に茶所へ入って来たのは、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]でもなければ、八幡様の廻し者でもないようです。竹の笠を被って紺看板《こんかんばん》を着て、中身一尺七八寸ぐらいの脇差を一本差して、貧之徳利を一つ提げたお仲間体《ちゅうげんてい》の男でありました。
「うむ、寒い」
米友は案外な面《かお》をして仲間体の男を見ますと、その仲間体の男は、心安立《こころやすだ》てにズカズカと火の傍へ寄って来て、
「兄い、済まねえがお茶を一杯振舞ってくんねえ」
と言いました。
「いくらでも飲みねえ」
仲間体の男は貧之徳利を土間へ置いて、大土瓶から熱いお茶を注いで飲みました。お茶を飲むところを笠の下から見ると、この仲間体の男は、折助《おりすけ》にしては惜しいほどの人柄に見えました。
「どこへ行ったんだい、もう晩《おそ》いよ」
と米友は咎立《とがめだ》てをするような口ぶりであります。
「ナニ、部屋からの帰りなんだ」
と仲間体の男はなにげなき体《てい》で返事をして、お茶を飲んでしまうと懐中から叺《かます》を取り出して、炭火で火をつけて鉈豆《なたまめ》でスパスパとやり出しました。
「兄い、不寝番《ねずのばん》かい、御苦労だな」
と言いました。
「ははは、不寝番だよ、今夜はでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来るというから、それで寝られねえんだよ」
「ははあ、なるほど」
と言って仲間体の男は頷《うなず》きました。
「でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]がこの八幡様へ喧嘩をしかけに来るんだそうだ、それで八幡様のお庭を明るくしておけと神主様の言いつけだ、だからこうして不寝番をして、時々燈籠へ油を差して歩くんだ」
米友はワザワザ申しわけのように言っていると、
「なるほど、それは御苦労さまだ、油を差すのはいいが、油を売っちゃいけねえよ」
「ばかにしてやがら、油なんぞを売るものか」
「それでも今、コクリコクリとやっていたじゃあねえか、あんなときにでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]がやって来たらどうする」
「そりゃあ、コクリコクリやっていたって、了簡《りょうけん》は眠っちゃあいねえんだ、眼は眠っても心は眠らねえから、誰がどこへ来たということもちゃんとわかる」
「えらい」
と言って米友を煽《おだ》てた仲間体の男は、いい気になって、米友がいま持って歩いた床几《しょうぎ》の上へ腰を卸《おろ》してしまい、
「兄い、睡気ざましに一口|湿《しめ》してみちゃどうだ、いい酒だぜ」
と言って、傍へ置いた貧之徳利を取り上げて少しく振って試み、それから懐中へ手を入れて経木皮包《きょうぎがわづつみ》を一箇取り出しましたが、こんなことをしている間にも、どうやら外の通りを気にかけている様子であります。この男は仲間体に見えたけれども仲間でないことは、その人柄の示す通りであったが、事実もやはりその通り、これは師範役の小林文吾の変装でありました。
小林文吾は言葉も身ぶりも、やっぱり仲間そっくりで、徳利を振ってみて、懐中から経木皮包を取り出しました。
「兄い、うめえ肴《さかな》があるから一口湿してみてはどうだい」
「俺《おい》らは酒は飲めねえんだ」
と米友は断わりました。
「そんなことを言わねえで、一杯つきあったらどうだい」
「酒は飲めねえんだ」
「そうかい、そりゃあせっかくだな」
と小林文吾が、多少気の毒そうに徳利を引込めたから、米友もそれに好意を表する気になりました。
「俺らは飲めねえけれど、お前、そこで飲むなら飲みねえ。ナニ構わねえよ、神様の前だってお前。神様だってお神酒《みき》をあがるんだからな」
「そうかい、それじゃ済まねえが、一杯やらしてもらうとしよう」
小林文吾は米友の好意を得て、また徳利を引き出しました。その徳利から、さきに借りた茶碗へ冷《ひや》で一杯ついで、それを一口飲んでから茶碗を畳の上へ置いて、徳利を炭火の端へ突込んで地燗《じかん》をするように仕掛けました。
「俺が一人で飲んで、お前に見せておいては済まねえ、酒がいけなければ肴《さかな》を御馳走しようじゃねえか。この通り、結構な肴を持って来ているんだぜ、目刺《めざし》だよ、目刺を大相場で買い込んで来たんだ。目刺だからと言って、ばかにしちゃいけねえ、今時《いまどき》、甲州でこんなうめえ目刺が食えるわけのものじゃねえ、ほかの国ならばどんな魚でも食えるんだけれど、この甲州という山国へ来ては、たとえ、目刺にしてみたところが容易なもんじゃねえんだ、昔信玄公が北条と軍《いくさ》をした時分によ、小田原の方から塩を送らなかったものだ、これには信玄公も困ったね、海のねえ国で、塩の手をバッタリ留められてしまったんじゃあやりきれねえ、それを越後の謙信という大将が聞いてよ、おれが信玄と軍をするのは、弓矢の争いで塩の喧嘩じゃねえ、土や城は一寸もやれねえが、北国の塩でよければいくらでもやると言って、度胸を見せたのは名高え話だ。だからお前、いま目刺を持って来るにしたところで、駿河《するが》の国から呼ぶんだぜ。これから駿河の海辺へ出るのには三十里からあるんだ、その間を生肴《なまざかな》が通う時は半日一晩で甲府へ着くから大したものじゃねえか。その半日一晩で着いた生肴の方はなかなか俺たちの口にゃあ入らねえ」
といって小林文吾は、経木皮包を開いて火箸を横にしてそれを炙《あぶ》ろうとすると、見ていた米友が、
「おっと待ってくれ、酒はいいけれど肴の方はよしてもらいてえ、酒は神様も召上るけれど、まだ目刺を八幡様が召上ったという話は聞かねえからな」
「なるほど」
小林は米友の理窟に伏して、強いて目刺を焼こうともしません。
「このごろは世間が騒がしいからな」
ややあって小林は、何ともつかずにこんなことを言いました。
「ははは、世間が騒がしいというのは、あの辻斬のこったろう」
「うむ」
米友が存外平気なのを見て、小林は眼を丸くしました。
「十日ばかり前の晩にこの松山の向うで一人|殺《や》られたんだ、そいつが殺られた時は俺らは、まだこの八幡様へ奉公に来ていなかったんだ。この辻斬というやつは甲府に限ったことはねえんだ、江戸へ行ってみねえ、このごろはあっちこっちでずいぶん流行《はや》っていらあ」
「そんなものに流行られてはたまらねえ」
と小林は額を押えました。
「甲府へはまだ流行って来ねえけれども、江戸でも天誅《てんちゅう》というやつが流行り出してるのだ。天誅というのは、金持やなんかで太《ふて》えことをした奴を踏んごんで行って斬っちまって、その首を曝《さら》したりなんかするんだ、なかには前以て高札を立てて脅《おど》しといて斬る奴なんぞもあるんだ。なんでも薩摩の奴がいけねえんだそうだ、薩摩っぽうが天誅をやりやがるんだ。ナーニ、名前は天誅でその実は泥棒をする奴があるんだ、だから天誅じゃねえ、泥誅[#「泥誅」に傍点]なんだ。俺らが本所に留守番を頼まれていた時分に、その泥誅[#「泥誅」に傍点]を脅《おどか》してやったのはいい心持だった」
米友の気焔は、少しく小林の注意を呼び起したらしく、
「俺も久しいこと江戸へ行って見ねえが、江戸の市中もそんなに物騒なのかい」
「そうさ」
米友はここで江戸通《えどつう》になることに、相応の誇りを感じたものらしく、
「江戸へ行って見ねえ、つまり徳川の政《まつりごと》が末なんだね」
「なるほど」
「何しろ公方様《くぼうさま》のお膝元で天誅や辻斬がやたらにあって、それをお前、役人が滅多《めった》に手出しができねえんだからな。それでまた片一方には貧窮組というのがあるんだ」
「なるほど」
「貧窮組というのは、貧乏人の寄集《よりあつま》りなんだ、貧乏でキュウキュウ言ってるからそれで貧窮組というんだなんて、貧乏を見え[#「見え」に傍点]にして、党を組んで、旗を立てて、車を曳いて押歩いてる」
「なるほど」
「それに比べりゃあ、甲府なんぞは無事なものさ、一人や二人の辻斬は、どうも仕方がなかろうぜ」
「ところが一人や二人じゃねえんだ……」
小林はそれに附け加えて何か言おうとした時に、十日ほど前の晩に人が斬られたという松林の方で、
「鍋や――き、うどん」
自慢の声が長く引いて聞えて来ました。
「来たな、鍋焼が来たぞ」
米友はどうやらその鍋焼うどんを待ち構えているらしくあります。
「鍋や――き……」
二度目に聞えた時に、鍋や――きだけで止まってしまいました。うど――ん、という声を続けるところで急に咽喉《のど》が塞《ふさが》ってしまったらしいから、せっかくの余韻《よいん》が圧殺《おしころ》されたような具合であります。それと同時にガチャンピシンドタンという大騒ぎ、丼《どんぶり》が飛ぶ、小鉢が躍る、箸が降る、汁とダシの洪水《おおみず》。屋台もろともにこの茶所へ転げ込んで、
「ウ――」
と唸ったのは鍋焼饂飩屋《なべやきうどんや》の老爺《おやじ》であります。
「どうした」
小林文吾は、いま転げ込んだ鍋焼饂飩を引き起して、忙《せわ》しく尋ねました。
「そ、そ、そこで斬られた――」
鍋焼饂飩は、股慄《こりつ》しながら、やっとそれだけ言いました。斬られたとは言うけれど、斬られている様子はない。単に脅《おどか》されたものか、或いは他の斬られたのを見て、自分が斬られたと思ったのか。小林は脇差の鯉口《こいぐち》を切りながら、外の闇へ飛んで出ました。
「爺《とっ》さん、しっかりしなくちゃいけねえ」
そのあとで米友が鍋焼饂飩の介抱《かいほう》に廻りました。
鍋焼饂飩は、やっと回復したけれども、まだ生きた空はありません。
「いったい、こりゃどうしたんだい」
と言って尋ねてみましたけれど、その返事がいっこう纏《まと》まりがありません。ただ、鍋焼饂飩《なべやきうどん》をお客に喰わせていると、松の蔭から黒い人影が現われて、そのお客もひっくり返ったが自分も無暗《むやみ》にここへ逃げ込んだというだけの要領でありました。そのお客がどんな人であったか、またその物蔭から出た黒い人影が、どんな形であったか、そんなことはまるっきり要領を得ないから、米友は笑止《おかし》がって鍋焼饂飩に力をつけてやり、お茶を飲ませたり、壊《こわ》れた道具を片附けたりしてやりました。鍋焼饂飩は、まだ歯の根も合わないで、慄《ふる》えながら始末をしているところへ、
「ああ、危ねえ、危ねえ」
と言いながら、またもそこへ入って来たのは風合羽《かざがっぱ》を着た旅の男。
「兄さん、すんでのことに、命拾いをして来たよ」
笠を取ったその人は七兵衛でありました。
「やあ、お前様はさいぜんのお客様」
と鍋焼饂飩が叫びました。
「爺《とっ》さん、飛んだ迷惑をかけちまった、それでもまあ、おたがいに命拾いをしてよかったね」
と言って七兵衛は鍋焼うどんを慰めました。
「でもまあ、命拾いをしたにはしましたがねえ」
と鍋焼饂飩は諦《あきら》めたような、諦められないような返事をして、恨めしそうに壊れた商売道具を見ています。
「商売道具がこわれたね、爺《とっ》さん、俺が立替えるよ」
七兵衛はかなり重味のある財布を首から外して、鍋焼うどんの屋台の上へ投げ出しました。
「こんなにいただいちゃあ、こんなにいただいちゃあ済みませんねえ」
と言って鍋焼饂飩は恐縮してしまいました。それには拘《かか》わらず七兵衛は上《あが》り端《はな》へ腰をかけて、
「やれやれ、こうして俺たちは命からがら逃げて来たのに、また物好きな人もあればあるもので、わざわざ斬られにあとを追蒐《おっか》けて行った人があるようだが、友さん、どうだい、ひとつその槍を担《かつ》いで様子を見に出かけてくれねえか」
七兵衛は米友を顧みて水を向けましたけれど、米友は苦笑いしてそれに応ずる気色《けしき》がありません。
九
その晩はそれで済みました。その近所にべつだん斬られた人もありませんし、鍋焼饂飩《なべやきうどん》も夜明けになって無事に帰ったし、七兵衛もまた明るくなる時分には、どこへ行ったか姿が見えなくなりました。
米友は昨夜の睡眠不足があるから夜が明けると共に、担ぎ出されても知らないくらいに寝込んでしまったから、日がカンカン寝ているところの障子に当るのも御存じがありません。
米友がこうしてグッスリと寝込んでしまっている朝、この八幡宮へ珍らしい二人の参詣者がありました。二人とも同じ年頃の女であります。そうして二人ともに藤の花の模様の対《つい》の振袖を着ておりました。それから頭と面《かお》とはこれも対の紫縮緬《むらさきぢりめん》の女頭巾《おんなずきん》を、スッポリと被《かぶ》っています。
「お嬢様」
と一人の娘が言いました。
「あい」
一人の娘が頷《うなず》きました。一人は慇懃《いんぎん》であって、一人は鷹揚《おうよう》であります。見たところでは頭の先から足のうらまで対《つい》の打扮《いでたち》でありましたけれども、これは姉妹でも友達でもなく、主従の関係にあるらしいことは、今のその挨拶の仕様でよくわかるのであります。
「ここが八幡様でございますね」
「ああ、ここが八幡様」
こう言って二人は石段を登ります。この時はまだほかに参詣の人もありませんし、この近所を通る人も極めて稀《まれ》です。石段といっても五六段ぐらいしかありません。苦もなく二人は登って、二人は鳥居の中へ入って行きました。
お宮の前へ来てから、はじめてそのうちの一人が頭巾を外《はず》しました。そうして現わした面《かお》を見ると眼のさめるほどに美しくありました。それは間《あい》の山《やま》のお君であります。お君は、こんな結構な晴着で頭髪《かみ》も見事に結っていました。
お宮の前へ来てお君だけが頭巾を取りましたけれど、もう一人の娘は決して頭巾を取らないのであります。頭巾を取らないで八幡様のお宮の正面《まとも》を避けるようにして、水屋《みずや》の方へ漫歩《そぞろある》きをしているのに、お君はそれと違って、お宮の前へ出て恭《うやうや》しく拝礼しました。それからお賽銭《さいせん》を紙に包んで、お賽銭箱の中へ投げ込みました。
「君ちゃん」
頭巾を取らない方の娘が呼びますと、
「はい」
お君はやはり恭しく返事をして、頭巾を取らない娘の方へ寄って来ました。
「わたしはここに待っているから、お前だけあちらへ行ってお御籤《みくじ》をいただいて来ておくれ」
頭巾を取らない娘が言いました。
「承知しました、ではお嬢様、暫らくこれにお待ち下さいませ」
「あの、お君や、もし年を聞いたら十九で、午年《うまどし》の男と言うように」
「はい」
「家を出てから今日で七日目になるということや、大切な宝を持って出たということも、聞かれたら答えてもよいけれど、あまり細かくは言わないように」
「はい、よろしうございます」
「それから、わたしの家の名前だの、幸内の名前だの、わたしの名前など、尋ねられても決して言わぬように」
「畏《かしこ》まりました」
お君は頭巾を取らない娘と、これだけの問答をして、一人だけ履物《はきもの》を脱ぎ揃えてお宮の上へあがりました。
ほどなく、お君は一枚の紙を手に持ってお宮の中から出て来ました。
「お嬢様、お御籤《みくじ》をいただいて参りました」
水屋のところに立って待っていた頭巾を取らない方の娘――いちいち頭巾を取らない方の娘とことわらなくても、それはお銀様と言ってしまった方がよいのです。お君の手に持っていたお御籤の紙がお銀様の手に渡されると、お銀様は受取って読みました。お銀様は紫の女頭巾はほとんど眼ばかりしか出さないように深々と被《かぶ》っていました。その眼をじっとお銀様がお御籤の紙上に注《そそ》いで黙読しているのを、お君は傍から覗いていました。お君にはその文字は読むことができないのであります。
「お嬢様、お御籤の表《おもて》は、吉でございますか、凶でございますか」
「この通り八十五番の大吉と出ていますわいな」
「大吉、それは結構でございます、この八幡様のお御籤が大吉と出ますようならば、もう占めたものでございますね」
「まあ、お聞き、大吉は凶に帰るということもあるから、一通り読んでみなくては」
お銀様は小さい声で読みました。
[#ここから2字下げ]
|望用何愁[#レ]晩《ぼうようなんぞおそきをうれへん》
|求[#レ]名漸得[#レ]寧《なをもとめてやうやくやすきをう》
|雲梯終有[#レ]望《うんていつひにのぞみあり》
|帰路入[#二]蓬瀛[#一]《きろほうえいにいる》
[#ここで字下げ終わり]
「君ちゃん」
お銀様はお君を呼ぶのに君ちゃんと言ったり、お君と言ったり、またお君さんと言ったり、いろいろであります。
「はい」
「この文句がわかって?」
「いいえ」
「これだけでは、わたしにもよくわからないから、この下に仮名で書いてあるのを読んで見ましょう、|望用何愁[#レ]晩《ぼうようなんぞおそきをうれへん》という文章の下には『のぞみ事のかなふ事のおそきをうれへず、こころながくじせつをまつべしとなり』と書いてあります」
「はい」
「それから|求[#レ]名漸得[#レ]寧《なをもとめてやうやくやすきをう》という文章の下には『やうやくとはしだいにといふ事也、ほまれのなをもとめ、しだいしだいに名がたかうなり、心安くおもふやうになるべしとなり』と書いてあります」
「まあ、しだいしだいに……」
お君はなんだか充分に呑込めないような面をしました。
「その次に、|雲梯終有[#レ]望《うんていつひにのぞみあり》とは、大きなのぞみごとも、すでにそのたよりを得たということそうな、|帰路入[#二]蓬瀛[#一]《きろほうえいにいる》ということは望みが叶《かな》って帰りには蓬瀛《ほうえい》といって仙人の住むめでたい国へ行くことそうな」
「なんにしても結構なお御籤《みくじ》のようでございます」
「けれどもお君や、心ながくとあったり、しだいしだいとあってみれば、これは急のことではないらしい」
「左様でございますか」
「わたしは急であって欲しい、一日も一刻も早くその望みが叶えて欲しい」
「わたしもそのように思いまする」
「気長く待っていられることと、居ても立っても待ってはいられないことがあるのを、神様は御存じないかしら」
「そんなことはございません」
「でも、このことの晩きを愁えずの、心長く時節を待ての、しだいしだいに望みが叶うのと、そんなことが今のわたしに堪えられようか、わたしはこのお御籤が怨《うら》めしい」
お銀様はどうしたのか、急に眼の色が変って、いきなりそのお御籤の紙を竪《たて》に二つにピリーと裂いてしまいました。
「何をなさいます、お嬢様」
お君が、周章《あわて》てそれを押えようとしたのは遅く、二つに引き裂いたお御籤の紙を、お銀様はクルクルと丸めて、洗水盤《みたらし》の中へ投げこんでしまいました。
「まあ、勿体《もったい》ないことを」
と言って、お君は怨めしそうに、いま投げ込まれたお御籤の紙を見つめていますと、
「お君や、帰りましょう、もうどうなってもわたしは知らない」
お銀様はお君の手を取って引き立てるようにし、自分が先へ立ってお宮の前の鋪石《しきいし》を歩きました。お銀様の挙動には、いつでもこんな気むずかしいことがあります。夕立の空のように急に御機嫌が変って、人に物をやってしまったり、また自分の物を惜気《おしげ》もなくこわしてしまったりします。お君はよくその呼吸を心得ているけれども、この時はあまりお嬢様の我儘《わがまま》が過ぎると思いました。我儘というだけでは済まない、これは罰《ばち》の当ったような仕業《しわざ》と思わないわけにはゆきませんでした。大神宮のお膝元で育ったお君には、神様を粗末にすることは罰当りという観念が強いのであります。
「お嬢様、ナゼあんなことをなさいます、せっかくのお御籤を……罰が当ります」
「何だか、わたしは知らない」
お銀様はお君を引き立てて、お宮の外へ出てしまいました。
「大吉は凶に帰る」
この時、茶所で、米友が昼寝をしていたのはどうも仕方がありません。お銀様は先に立って、
「お城を見て行こう、お城の方へ廻って見物して帰ることにしようわいな、早く」
「お嬢様、今日はこれだけでお帰りなさいませ」
「いいえ、お城を見て行きましょう」
「お城の方へおいであそばすと暇がかかって、お家で御心配になりますから」
「そんなことはかまわない、お城の方へ廻ってみたい、お前いやなら一人でお帰り」
「それではお伴《とも》を致しましょう」
お君はやむことを得ずして、賑かな方へとお銀様に引かれて行くのでありました。その間にお君は紫縮緬の女頭巾を被り直しました。お銀様は、いつもよりは早い足どりでお城の大手の方へ、大手の方へとめざして歩いて行きましたが、どうもお君は、それが少しずつ物狂わしいように思われて、不安の念に駆《か》られないわけにはゆきません。
甲府の城は平城《ひらじろ》ではあるけれど、濠《ほり》も深く、櫓《やぐら》も高く、そうして松の間から櫓と塀の白壁が見え、その後ろには遥かに高山大岳が聳《そび》えている。濠を廻って二人の若い女は大手の門の前へ立ちました。
ここへ来ると、お天守台も御櫓も前に見えなかったのが、よく見えます。
お城の大手の濠の前に立ってお銀様は、
「君ちゃん、わたしは、どうも幸内がこのお城の中にいるようにばかり思われてならない」
と言いました。
「左様でございますか」
と言って、お君も同じくお城の方を見ていました。
「幸内は、お父様の大切なあの刀を、あたしから借りて、この御城内のどなたかへ見せに来たものに違いない、この御城内のお方でなければ、有野村の近所で、あの刀を見たいというような人があるはずはないのだから」
「それもそうでございます、御城内のどなた様へおいでなさいましたか、それがわかりさえしますれば……」
とお君の返事から、お銀様は暫く考えて、
「あの、お君や」
と少し改まったように言いました。
「はい」
「お前は、この御城内に知人《しりびと》がおありかえ」
「いいえ」
お君は、どうして私風情《わたしふぜい》が、御城内のお方になんぞと、首を横に振って眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りました。
「おありだろう」
と言ってお銀様は、意味ありげにお君の面を見ました。
「いいえ、わたくしなんぞが」
とお君は言葉に力を入れて言いわけをしましたけれど、お銀様はそれを肯《き》かないで、
「お前はこの御城内にお親近《ちかづき》の方があるはずなのよ、お前は知らないと言うけれども、わたしはちゃんと知っている」
「お嬢様、どうしてそんなことがございましょう、わたしは他国者《よそもの》でございますから」
「けれどもお前、よく考えてごらん」
「どんなに考えましても」
「そう、お前、知ってるじゃないか」
「いいえ」
「まだわからないの」
「どうしてもわかりません」
「そんなら、わたしが言って聞かせる、それいつぞや、お馬を調べにわたしの屋敷へお見えになった、あの……」
「あ、御支配の駒井能登守様でございましたか」
「そうそう、あのお若い綺麗《きれい》な御支配の殿様のことよ」
「左様でございましたか、それならば、わたしはよく存じておりまする」
「それごらん、知っているくせに」
「それでもお嬢様、あの殿様を、わたし風情《ふぜい》が知っていると申し上げては恐れ多うございますね」
「いいえ、あの殿様はお前を知っている、お前はあの殿様に御贔屓《ごひいき》になっているくせに」
「御贔屓なんぞとお嬢様」
「いいえ、そうではありません、あの殿様からお前に、あんな結構な下され物があったのは、あれは殿様がお前を好いているからなのよ、わたしはそう思っている」
「お嬢様、飛んでもないことでございます、あれはムクの働きなのでございますよ、ムクが殿様のお馬の危ないところを助けたから、ムクへのお礼心で、それで、わたしの方へ、あんな結構な下され物があったのでございますよ」
「そればかりではありません、殿様がお帰りの時に、わたしはじっと見ていました、殿様は幾度も幾度もお前の姿を振返っておいでになりました、お前はそれを知らなかったであろうけれど、わたしはちゃんと見ていました、お前はあの殿様に思われているのに違いない、いいえ、わたしの見た眼に違いはありません」
お君は、お銀様からこの言葉を聞いた刹那《せつな》に、ポーッと面《かお》が赤くなりました。何ということはないが、胸に春風が吹いて、心の波が漂《ただよ》うような嬉しさでいっぱいになりました。けれど別に、お銀様の言葉には針がある、お君はそれを冷たく思いました。
「お嬢様、そんなことをおっしゃって、わたしをお嬲《なぶ》りなさいます」
「いいえ」
お銀様は、冷たい権《けん》のある言葉で首を横に振ったまま、お君の方を見返りもしませんでした。
「お嬢様、もうお帰りになっては如何《いかが》でございます」
「いいえ」
お銀様は、お城の方ばかりを見ていました。お君もせんかたなしにお城の方を見ていると、
「お君や、お前、あの殿様のところへお訪ねしてみる気はないかえ」
「どう致しまして、わたしなどが……」
「そうではありませぬ、お前があの駒井様をお訪ねすれば、駒井様は、喜んで会って下さるに違いない」
「どうしてそのようなことが……」
「ほかの人では、滅多にお会いになるまいけれど、お前が訪ねて行けば、あの殿様はきっと喜んでお会いなさる」
「お嬢様、そのようなお話は、もう御免を蒙《こうむ》りとうございます、お行列でもお通りになるといけませぬから、あちらの方へ参りましょう」
「まあ、お待ち、お君、お前はそんなに帰ることばかり急《せ》かないで、わたしの言うことをよく聞いておいで」
「はい」
「わたしは、お前に頼みたいことがある」
お銀様の言葉は、いよいよ権高くなってしまいました。
「お嬢様、今更、そんなに改まって」
「お前に頼みたいということは、いま言った通りお前はこれから、あの御支配の駒井能登守様のお邸まで行って来ておくれ、わたしはここで待っているから」
「お嬢様、そんなお使いが、わたくしなんぞに勤まるものでございましょうか」
「いいえ勤まります、勤まると思うから、わたしはお前に頼みます」
「まあ、どうしたらよろしうございましょう」
「これから行って、橋を渡って大手の御門へ入り、御門番には、御支配様のところへ通る、有野村の伊太夫から来たと言えば、きっと通して案内してくれますから、そうしてごらん」
「それでもお嬢様、殿様がお会い下さるか、下さらないか」
「まだお前、そんなことを言っているの。きっと会います、きっと殿様は、お前の訪ねたことを喜んで、直ぐにお前をお呼びになるにきまっている」
「お嬢様、それはただお嬢様の御推量だけでございましょう」
「そうではありませぬと言うに。それはお前よりも、わたしの方がよく知っている。そうしてお前、殿様の御前《ごぜん》へ出たら、この間のお礼を申し上げた上で、幸内のことを、よくお頼み申しておくれ、大切の刀を持って行方《ゆくえ》が知れなくなって困っている、もしやこのお城の中のどなたかのお邸でお引止めになりはしないか、それとなく、殿様に申し上げてみておくれ。そうすれば何かお心当りがおありなさるかも知れない、あの殿様はきっと御親切なお骨折りをして下さるに違いない」
「そんならお嬢様、わたしが行って、ともかくもお願い致してみましょうか」
「そうしておくれ」
「わたしなんぞが、お訪ねをしたからとて……」
お君はお銀様の言葉というよりは、その圧力の烈しい命令に押しやられるようになって、大手の橋を渡って御門番の方へと歩みました。お君はお銀様からせがまれて御門番のところへ行き、
「御支配様にお目にかかりたいのでございますが」
「御支配様は太田筑前守様か駒井能登守様か」
「駒井能登守様に」
「何の用で」
門番の足軽は六尺棒を突き立て、お君の姿をジロジロと見渡しておりました。
「あの、有野村の藤原の家から参りました、主人より殿様へのお使いでございます」
「左様か」
足軽は会得《えとく》したような、会得しないような面をして、
「有野村の藤原家とあらば仔細《しさい》もあるまいけれど、御門鑑を御持参か」
「いいえ」
「御門鑑がなければ滅多に通すことはならない……」
と門番は権柄《けんぺい》を作りましたけれど、そのあとへ持って行って、
「のだが……」
という言葉を附け加えて、
「駒井能登守様は格別の思召《おぼしめ》しで、訪ねて来た人は誰でもお通し申すように御沙汰があるから通すまいものでもない」
と言いました。
「有難うございます」
とお君はお辞儀をしました。
「しかし、ただいま御操練《ごそうれん》の最中でいらっしゃるかも知れぬ、一応御様子を伺って来るからお待ち召されよ。して、有野村の藤原の家から来たお前さんは何とおっしゃるお名前じゃ」
「君と申しまする」
「よろしい、有野村の藤原の家から来たお君殿、ただいま取次いで上げる、暫くそこで待たっしゃい」
門番の足軽は権柄《けんぺい》を作ったり、また粗略《そりゃく》にも扱わないように見せたりして、一人が廓《くるわ》の中へ入って行きました。その間、お君は門番の控所で待たせられていました。
お君が門番の控所に腰をかけて待っていると、そこへ通りかかったのは役割の市五郎でありました。前は一蓮寺の境内でお君らの一行が興行をしている時に、木戸を突かれて大騒ぎを起したのがこの市五郎であります。市五郎はたいそう景気のよい身なりをして、懐手《ふところで》で廓の内から御門の外へ出ようとして、計《はか》らずもそこに控えていたお君の姿を見て足を留めて、お君の面《かお》をジロジロと見ました。お君はそれとは気がつかないでいる時、さきに取次に行った足軽が戻って来ました。
「案の如く駒井の殿様は御調練のお差図であるが、お前のことを申し上げると、直ぐにお許しになった」
お君は足軽に導かれて行きます。
門番の控所を出た役割の市五郎は、何か考えながら廓の外へ出た時に、またも一人、柳の木の蔭に立っている妙齢の女を認めました。
市五郎は眼を丸くして後ろから、わざとその女の傍の方へ寄って行きました。
「はてな、不思議なことがあればあるもの、今お城の中に入った女がもうここへ来ている」
市五郎は自分の眼を拭いながら近寄りました。そこへ立っていた女は、いま控所で見たお君の姿と身なりも形も寸分違わないで、ただ頭巾を被っているのと、いないのとだけの相違ですから、あまりの不思議とその女の側近くやって来たために、柳の蔭でお城の方ばかりを向いていた女が急に振返りました。
振向かれて市五郎はタジタジとしました。後姿も衣紋《えもん》も寸分違わないけれど、目深《まぶか》い頭巾の間から現われた眼つきの鋭いこと。
お銀様が振返った時に、一時|悸《ぎょっ》として市五郎は、すぐに足を立て直してなにげなき体《てい》で向うの方へ反《そ》らせます。
市五郎が同心長屋の角を町の方へ入った時分に、何も知らないお銀様は、まだお城の方を見て、お君の帰るのを待っている。
底本:「大菩薩峠3」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年1月24日第1刷発行
1996(平成8)年3月1日第3刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 二」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年10月6日公開
2004年2月6日修正
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