青空文庫アーカイブ
光と風と夢
中島敦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)喀血《かっけつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)南方三|哩《マイル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]
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一
一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血《かっけつ》に襲われた。駈付けた妻に向って、彼は紙切に鉛筆で斯《こ》う書いて見せた。「恐れることはない。之が死なら、楽なものだ。」血が口中を塞《ふさ》いで、口が利けなかったのである。
爾来《じらい》、彼は健康地を求めて転々しなければならなくなった。南英の保養地ボーンマスでの三年の後、コロラドを試みては、という医者の言葉に従って、大西洋を渡った。米国も思わしくなく、今度は南洋行が試みられた。七十|噸《トン》の縦帆船《スクーナー》は、マルケサス・パウモツ・タヒティ・ハワイ・ギルバァトを経て一年半に亘る巡航の後、一八八九年の終にサモアのアピア港に着いた。海上の生活は快適で、島々の気候は申分なかった。自ら「咳と骨に過ぎない」というスティヴンスンの身体も、先ず小康を保つことが出来た。彼は此処で住んで見る気になり、アピア市外に四百エーカーばかりの土地を買入れた。勿論、まだ此処で一生を終えようなどと考えていた訳ではない。現に、翌年の二月、買入れた土地の開墾や建築を暫く人手に委《ゆだ》ねて、自分はシドニー迄出掛けて行った。其処で便船を待合せて、一旦英国に帰るつもりだったのである。
しかし、彼は、やがて、在英の一友人に宛てて次の様な手紙を書かねばならなかった。「……実をいえば、私は、最早一度しか英国に帰ることはないだろうと思っている。そして其の一度とは、死ぬ時であろう。熱帯に於てのみ私は纔《わず》かに健康なのだ。亜熱帯の此処(ニュー・カレドニア)でさえ、私は直ぐに風邪を引く。シドニーでは到頭喀血をやって了った。霧の深い英国へ婦るなど、今は思いも寄らぬ。……私は悲しんでいるだろうか? 英国にいる七・八人、米国にいる一人二人の友人と会えなくなること、それが辛いだけだ。それを別にすれば、寧《むし》ろサモアの方が好ましい。海と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の流謫《るたく》を決して不幸とは考えない……。」
その年の十一月、彼は漸《ようや》く健康を取戻してサモアに帰った。彼の買入地には、土人の大工の作った仮小舎が出来ていた。本建築は白人大工でなければ出来ないのである。それが出来上るまで、スティヴンスンと彼の妻ファニイとは仮小舎に寝起し、自ら土人達を監督して開墾に当った[#「当った」は底本では「当つた」]。其処はアピア市の南方三|哩《マイル》、休火山ヴァエアの山腹で、五つの渓流と三つの瀑布《ばくふ》と、その他幾つかの峡谷断崖を含む・六百|呎《フィート》から千三百呎に亘る高さの台地である。土人は此の地をヴァイリマと呼んだ。五つの川[#「五つの川」に傍点]の意である。鬱蒼《うっそう》たる熱帯林や渺茫《びょうぼう》たる南太平洋の眺望をもつ斯うした土地に、自分の力で一つ一つ生活の礎石を築いて行くのは、スティヴンスンにとって、子供の時の箱庭遊に似た純粋な歓びであった。自分の生活が自分の手によって最も直接に支えられていることの意識――その敷地に自分が一杙《ひとくい》打込んだ家に住み、自分が鋸《のこぎり》をもって其の製造の手伝をした椅子に掛け、自分が鍬《くわ》を入れた畠の野菜や果実を何時も喰べていること――之は、幼時始めて自力で作上げた手工品を卓子《テーブル》の上に置いて眺めた時の・新鮮な自尊心を蘇《よみがえ》らせて呉れる。此の小舎を組立てている丸木や板も、又、日々の食物も、みんな素性の知れたものであること――つまり、其等の木は悉《ことごと》く自分の山から伐出《きりだ》され自分の眼の前で鉋《かんな》を掛けられたものであり、其等の食物の出所も、みんなはっきり[#「はっきり」に傍点]判っている(このオレンジはどの木から取った、このバナナは何処の畠のと)こと。之も、幼い頃母の作った料理でなければ安心して喰べられなかったスティヴンスンに、何か楽しい心易さを与えるのであった。
彼は今ロビンソン・クルーソー、或いはウォルト・ホイットマンの生活を実験しつつある。「太陽と大地と生物とを愛し、富を軽蔑《けいべつ》し、乞う者には与え、白人文明を以て一の大なる偏見と見做《みな》し、教育なき・力《ちから》溢《あふ》るる人々と共に闊歩《かっぽ》し、明るい風と光との中で、労働に汗ばんだ皮膚の下に血液の循環を快く感じ、人に嗤《わら》われまいとの懸念を忘れて、真に思う事のみを言い、真に欲する事のみを行う。」之が彼の新しい生活であった。
二
一八九〇年十二月×日
五時起床。美しい鳩色の明方。それが徐々に明るい金色に変ろうとしている。遥か北方、森と街との彼方に、鏡のような海が光る。但し、環礁の外は相変らず怒濤《どとう》の飛沫《しぶき》が白く立っているらしい。耳をすませば、確かに其の音が地鳴のように聞えて来る。
六時少し前朝食。オレンジ一箇。卵二箇。喰べながらヴェランダの下を見るともなく見ていると、直ぐ下の畑の玉蜀黍《とうもろこし》が二三本、いやに揺れている。おや[#「おや」に傍点]と思って見ている中に、一本の茎が倒れたと思うと、葉の茂みの中に、すうっ[#「すうっ」に傍点]と隠れて了った。直ぐに降りて行って畑に入ると、仔豚が二匹慌てて逃出した。
豚の悪戯《いたずら》には全く弱る。欧羅巴《ヨーロッパ》の豚のような、文明のために去勢されて了ったものとは、全然違う。実に野性的で活力的で逞《たくま》しく、美しいとさえ言っていいかも知れぬ。私は今迄豚は泳げぬものと思っていたが、どうして、南洋の豚は立派に泳ぐ。大きな黒牝豚《くろめすぶた》が五百|碼《ヤード》も泳いだのを、私は確かに見た。彼等は怜悧《れいり》で、ココナットの実を日向《ひなた》に乾かして割る術《すべ》をも心得ている。獰猛《どうもう》なのになると、時に仔羊を襲って喰殺したりする。ファニイの近頃は、毎日豚の取締りに忙殺されているらしい。
六時から九時まで仕事。一昨日以来の「南洋だより」の一章を書上げる。直ぐに草刈に出る。土人の若者等が四組に分れて畑仕事と道拓《みちひら》きに従っている。斧《おの》の音。煙の匂。ヘンリ・シメレの監督で、仕事は大いに捗《はかど》っているようだ。ヘンリは元来サヴァイイ島の酋長《しゅうちょう》の息子なのだが、欧羅巴の何処へ出しても恥ずかしくない立派な青年だ。
生垣の中にクイクイ(或いはツイツイ)の叢生《そうせい》している所を見付けて、退治にかかる。この草こそ我々の最大の敵だ。恐ろしく敏感な植物。狡猾《こうかつ》な知覚――風に揺れる他の草の葉が触れたときは何の反応も示さないのに、ほんの少しでも人間がさわると忽《たちま》ち葉を閉じて了う。縮んでは鼬《いたち》のように噛みつく植物、牡蠣《かき》が岩にくっつくように、根で以て執拗《しつよう》に土と他の植物の根とに、からみ付いている。クイクイを片付けてから、野生のライムにかかる。棘《とげ》と、弾力ある吸盤とに、大分素手を傷められた。
十時半、ヴェランダから法螺貝《ブウ》が響く。昼食――冷肉・木犀果《アヴォガドオ・ペア》・ビスケット・赤葡萄酒《あかぶどうしゅ》。
食後、詩を纏《まと》めようとしたが、巧《うま》く行かぬ。銀笛《フラジオレット》を吹く。一時から又外へ出てヴァイトリンガ河岸への径《みち》を開きにかかる。斧を手に、独りで密林にはいって行く。頭上は、重なり合う巨木、巨木。其の葉の隙から時々白く、殆ど銀の斑点《はんてん》の如く光って見える空。地上にも所々倒れた巨木が道を拒んでいる。攀上《よじのぼ》り、垂下り、絡みつき、輪索《わな》を作る蔦葛《つたかずら》類の氾濫《はんらん》。総《ふさ》状に盛上る蘭類。毒々しい触手を伸ばした羊歯《しだ》類。巨大な白星海芋。汁気の多い稚木《わかぎ》の茎は、斧の一振でサクリと気持よく切れるが、しなやかな古枝は中々巧く切れない。
静かだ。私の振る斧の音以外には何も聞えない。豪華な此の緑の世界の、何という寂しさ! 白昼の大きな沈黙の、何という恐ろしさ!
突然遠くから或る鈍い物音と、続いて、短い・疳高《かんだか》い笑声とが聞えた。ゾッと悪寒が背を走った。はじめの物音は、何かの木魂《こだま》でもあろうか? 笑声は鳥の声? 此の辺の鳥は、妙に人間に似た叫をするのだ。日没時のヴァエア山は、子供の喚声に似た、鋭い鳥共の鳴声で充たされる。しかし、今の声は、それとも少し違っている。結局、音の正体は判らずじまいであった。
帰途、ふと一つの作品の構想が浮んだ。この密林を舞台としたメロドラマである。弾丸の様に其の思いつきが(又、その中の情景の一つが)私を貫いたのだ。巧く纏まるかどうか分らないが、とにかく私は此の思いつきを暫く頭の隅に暖めて置こう。※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が卵をかえす時のように。
五時、夕食、ビーフシチウ・焼バナナ・パイナップル入クラレット。
食後ヘンリに英語を教える。というよりも、サモア語との交換教授だ。ヘンリが毎日毎日、此の憂鬱《ゆううつ》な夕方の勉学に、どうして堪えられるか、不思議でならぬ。(今日は英語だが、明日は初等数学だ。)享楽的なポリネシア人の中でも特に陽気なのが彼等サモア人だのに。サモア人は自ら強いることを好まない。彼等の好むのは、歌と踊と美服(彼等は南海の伊達者《ダンディ》だ。)と、水浴とカヴァ酒とだ。それから、談笑と演説と、マランガ――之は、若者が大勢集まって村から村へと幾日も旅を続けて遊び廻ること。訪ねられた村では必ず彼等をカヴァ酒や踊で歓待しなければならないことになっている。サモア人の底抜の陽気さは、彼等の国語に「借財」或いは「借りる」という言葉の無いことだ。近頃使われているのはタヒティから借用した言葉だ。サモア人は元々、借りる[#「借りる」に傍点]などという面倒な事はせずに、皆貰って了うのだから、従って、借りる[#「借りる」に傍点]という言葉も無いのである。貰う――乞う――強請する、という言葉なら、実に沢山ある。貰うものの種類によって、――魚だとか、タロ芋だとか、亀だとか、筵《むしろ》だとか、それに依って「貰う」という言葉が幾通りにも区別されているのだ。もう一つの長閑《のどか》な例――奇妙な囚人服を着せられ道路工事に使役されている土人の囚人の所へ、日曜着の綺羅《きら》を飾った囚人等の一族が飲食物携帯で遊びに行き、工事最中の道路の真中に筵を敷いて、囚人達と一緒に一日中飲んだり歌ったりして楽しく過すのだ。何という、とぼけた明るさだろう! 所で、うち[#「うち」に傍点]のヘンリ・シメレ君は斯《こ》うした彼の種族一般と何処か違っている。その場限りでないもの、組織的なものを求める傾向が、この青年の中にある。ポリネシア人としては異数のことだ。彼に比べると、白人ではあるが、料理人のポールなど、遥かに知的に劣っている。家畜係のラファエレと来ては、之は又典型的なサモア人だ。元来サモア人は体格がいいが、ラファエレも六|呎《フィート》四|吋《インチ》位はあろう。身体ばかり大きいくせに一向意気地がなく、のろま[#「のろま」に傍点]な哀願的人物である。ヘラクレスの如くアキレスの如き巨漢が、甘ったれた口調で、私のことを「パパ、パパ」と呼ぶのだから、やり切れない。彼は幽霊をひどく怖がっている。夕方一人でバナナ畑へ行けないのだ。(一般に、ポリネシア人が「彼は人だ」という時、それは、「彼が幽霊ではなく、生きた人間である。」という意味だ。)二三日前ラファエレが面白い話をした。彼の友人の一人が、死んだ父の霊を見たというのだ。夕方、その男が、死んでから二十日ばかりになる父の墓の前に佇《たたず》んでいた。ふと気がつくと、何時の間にか、一羽の雪白の鶴が珊瑚《さんご》屑の塚の上に立っている。之こそは父の魂だと、そう思いながら見ている中に、鶴の数が殖えて来て、中には黒鶴も交っていた。その中に、何時か彼等の姿が消え、その代りに塚の上には、今度は白猫が一匹いる。やがて、白猫の周りに、灰色、三毛、黒、と、あらゆる毛色の猫共が、幻のように音も無く、鳴声一つ立てずに忍び寄って来た。その中に、其等の姿も周囲の夕闇の中へ融去って了った。鶴になった父親の姿を見たと其の男は堅く信じている…………云々《うんぬん》。
十二月××日
午前中、稜鏡《プリズム》羅針儀を借りて来て仕事にかかる。この器械に私は一八七一年以来触れたことがなく、又、それに就いて考えたこともなかったのだが、兎に角、三角形を五つ引いた。エディンバラ大学工科卒業生たるの誇を新たにする。だが、何という怠惰な学生で私はあったか! ブラッキイ教授やテイト教授のことを、ひょいと思出した。
午後は又、植物共のあらわな生命力との無言の闘争。こうして斧《おの》や鎌を揮《ふる》って六|片《ペンス》分も働くと、私の心は自己満足でふくれ返るのに、家の中で机に向って二十|磅《ポンド》稼いでも、愚かな良心は、己の怠惰と時間の空費とを悼むのだ。之は一体どうした訳か。
働きながら、ふと考えた。俺は幸福か? と。しかし、幸福というやつ[#「やつ」に傍点]は解らぬ。それは自意識以前のものだ。が、快楽なら今でも知っている。色々な形の・多くの快楽を。(どれも之も完全なものとてないが。)其等の快楽の中で、私は、「熱帯林の静寂の中で唯一人斧を揮う」この伐木作業を、高い位置に置くものだ。誠に、「歌の如く、情熱の如く」此の仕事は私を魅する。現在の生活を、私は、他の如何なる環境とも取換えたく思わない。しかも一方、正直な所を云えば、私は今、或る強い嫌悪の情で、絶えずゾッとしているのだ。本質的にそぐわない環境の中へ強いて身を投じた者の感じねばならない肉体的な嫌悪というやつ[#「やつ」に傍点]だろうか。神経を逆撫する荒っぽい残酷さが、何時も私の心を押しつける。蠢《うごめ》き、まつわるものの、いやらしさ。周囲の空寂と神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる殺戮《さつりく》の残酷さ。植物共の生命が私の指先を通して感じられ、彼等のあがき[#「あがき」に傍点]が、私には歎願のように応える。血に塗《まみ》れているような自分を感じる。
ファニイの中耳炎。まだ痛むらしい。
大工の馬が※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]卵《けいらん》十四箇を踏みつぶした。昨夕は、うち[#「うち」に傍点]の馬が脱出して、隣(といっても随分離れているが)の農耕地に大きな穴をあけたそうだ。
身体の調子は頗《すこぶ》る良いのだが、肉体労働が少し過ぎるらしい。夜、蚊帳《かや》の下のベッドに横になると、背中が歯痛のように痛い。閉じた瞼《まぶた》の裏に、私は、近頃毎晩ハッキリと、限りない、生々した雑草の茂み、その一本一本を見る。つまり、私は、くたくたになって横たわった儘《まま》何時間も、昼の労働の精神的|復誦《ふくしょう》をやってのける訳だ。夢の中でも、私は、強情な植物共の蔓《つる》を引張り、蕁麻《いらくさ》の棘《とげ》に悩まされ、シトロンの針に突かれ、蜂には火の様に螫《さ》され続ける。足許でヌルヌルする粘土、どうしても抜けない根、恐ろしい暑さ、突然の微風、近くの森から聞える鳥の声、誰かがふざけて私の名を呼ぶ声、笑声、口笛の合図…………大体、昼の生活を夢の中で、もう一ぺん、し直すのである。
十二月××日
昨夜仔豚三頭盗まる。
今朝巨漢ラファエレが、おずおずと我々の前に現れたので、この事に就いて質問し、やま[#「やま」に傍点]をかけて見る。全く子供|欺《だま》しのトリック。但し、之はファニイがやったので、私は余り斯《こ》んな事を好まぬ。先ずラファエレを前に坐らせ、こちらは少し離れて彼の前に立ち、両腕を伸ばし両方の人差指でラファエレの両眼を指しながら徐々に近づいて行く、こちらの勿体ぶった様子にラファエレは既に恐怖の色を浮べ、指が近付くと眼を閉じて了う。其の時、左手の人差指と親指とを拡げて彼の両眼の瞼に触れ、右手はラファエレの背後《うしろ》に廻して、頭や背を軽く叩く。ラファエレは、自分の両眼にさわっているのは左右の人差指と信じているのだ。ファニイは右手を引いて元の姿勢に復《かえ》り、ラファエレに眼を開かせる。ラファエレは変な顔をして、先刻頭の後にさわったのは何です、と聞く。「私に付いている魔物だよ。」とファニイが云う。「私は私の魔物を呼び起したんだよ。もう大丈夫。豚盗人は、魔物がつかまえて呉れるから。」
三十分後、ラファエレは心配そうな顔をして、又、我々の所へ来る。さっきの魔物の話は本当かと念を押す。
「本当だよ。盗《と》った男が今晩|寐《ね》ると、魔物も其処へ寐に行くんだよ。じきに其の男は病気になるだろうよ。豚を盗った酬《むくい》さ。」
幽霊信者の巨漢は益々不安の面持になる。彼が犯人とは思わないが、犯人を知っていることだけは確かのようだ。そして、恐らく今晩あたり其の仔豚の饗宴《きょうえん》にあずかるであろうことも。但し、ラファエレにとって、それは余り楽しい食事ではなくなるだろう。
此の間、森の中で思い付いた例の物語、どうやら頭の中で大分|醗酵《はっこう》して来たようだ。題は、「ウルファヌアの高原林」とつけようかと思う。ウルは森。ファヌアは土地。美しいサモア語だ。之を作品中の島の名前に使うつもり。未だ書かない作品中の色々な場面が、紙芝居の絵のように次から次へと現れて来て仕方がない。非常に良い叙事詩になるかも知れぬ。実に下らない甘ったるいメロドラマに堕する危険も多分にありそうだ。何か電気でも孕《はら》んだような工合で、今執筆中の「南洋だより」のような紀行文など、ゆっくり書いていられなくなる。随筆や詩(もっとも、私の詩は、いきぬき[#「いきぬき」に傍点]の為の娯楽の詩だから、話にならないが)を書いている時は、決して、こんな興奮に悩まされることはないのだが。
夕方、巨樹の梢と、山の背後とに、壮大な夕焼。やがて、低地と海との彼方から満月が出ると、此の地には珍しい寒さが始まった。誰一人眠れない。皆起出して、掛蒲団《かけぶとん》を探す。何時頃だったろう。――外は昼のように明るかった。月は正にヴァエア山巓《さんてん》に在った。丁度真西だ。鳥共も奇妙に静まり返っている。家の裏の森も寒さに疼《うず》いているように見えた。
六十度より降《くだ》ったに違いない。
三
明けて一八九一年の正月になると、旧宅、ボーンマスのスケリヴォア荘から、家財道具一切を纏《まと》めて、ロイドがやって来た。ロイドはファニイの息子で、最早二十五歳になっていた。
十五年前フォンテンブロオの森でスティヴンスンが始めてファニイに会った時、彼女は既に廿歳に近い娘と九歳になる男の児との母親であった。娘はイソベル、男の児はロイドといった。ファニイは当時、戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫から脱《のが》れて欧洲に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて自活していたのである。
それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていたファニイの後を追うて、大西洋を渡った。父親からは勘当同様となり、友人達の切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をも斥《しりぞ》けて、最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て彼は出発した。果して加州に着いた時は、殆ど瀕死《ひんし》の有様だった。しかし、兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との離婚成立を待って漸《ようや》く結婚した。時にファニイは、スティヴンスンより十一歳年上の四十二。前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
斯《こ》うして、世の辛酸を嘗《な》めつくした中老の亜米利加《アメリカ》女と、坊ちゃん育ちで、我儘《わがまま》で天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。夫の病弱と妻の年齢とは、しかし、二人を、やがて、夫婦というよりも寧《むし》ろ、芸術家と其のマネージャアの如きものに変えて了った。スティヴンスンに欠けている実際家的才能を多分に備えていたファニイは、彼のマネージャアとして確かに優秀であった。が、時に、優秀すぎる憾《うらみ》がないではなかった。殊に、彼女が、マネージャアの分を超えて批評家の域に入ろうとする時に。
事実、スティヴンスンの原稿は、必ず一度はファニイの校閲を経なければならないのである。三晩|寐《ね》ないで書上げた「ジィキルとハイド」の初稿をストーヴの中に叩き込ませたのは、ファニイであった。結婚以前の恋愛詩を断然差押えて出版させなかったのも、彼女であった。ボーンマスにいた頃、夫の身体の為とはいえ、古い友達の誰彼を、頑として一切病室に入れなかったのも、彼女であった。之にはスティヴンスンの友人達も大分気を悪くした。直情径行のW・E・ヘンレイ(ガルバルジイ将軍を詩人にした様な男だ)が真先に憤慨した。何の為に、あの色の浅黒い・隼《はやぶさ》の様な眼をした亜米利加女が、でしゃばらねばならぬのか。あの女のためにスティヴンスンはすっかり変って了った、と。此の豪快な赤髯《あかひげ》詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙《こうむ》らねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察[#「男性心理への鋭い洞察」に傍点]や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易《へきえき》せねばならなかった。「鋼鉄《はがね》の如く真剣に、刃《やいば》の如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前に兜《かぶと》を脱いだ。
連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多く有《も》っているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、「退潮《エッブ・タイド》」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
四月になると、愈々《いよいよ》屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。スティヴロン氏、或いはストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は少かった)或いはツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、大酋長《だいしゅうちょう》であることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。彼の豪壮(?)な邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄|喧伝《けんでん》された。
やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に暮らすことになった。それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないようになった。原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千|磅《ポンド》も使った彼は、いやでも書《かき》捲《ま》くらざるを得なかったのである。
四
一八九一年五月×日
自分の領土(及び其の地続き)内の探険。ヴァイトゥリンガ流域の方は先日行って見たので、今日はヴァエア河の上流を探る。
叢林《そうりん》の中を大体見当をつけて東へ進む。漸く河の縁へ出る。最初河床は乾いている。ジャック(馬)を連れて来たのだが、河床の上に樹々が低く密生して馬は通れないので、叢林の中の木に繋《つな》いで置く。乾いた川筋を上って行く中に、谷が狭くなり、所々に洞《ほら》があったりして、横倒しになった木の下を屈《かが》まずにくぐって歩けた。
北へ鋭く曲る。水の音が聞えた。暫くして、峙《そばだ》つ岩壁にぶつかる。水が其の壁面を簾《すだれ》のように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登《よじのぼ》れそうもないので、木を伝って横の堤に上る。青臭い草の匂がむんむん[#「むんむん」に傍点]して、暑い。ミモザの花。羊歯《しだ》類の触手。身体中を脈搏《みゃくはく》が烈しく打つ。途端に何か音がしたように思って耳をすます。確かに水車の廻るような音がした。それも、巨大な水車が直ぐ足許でゴーッと鳴った様な、或いは、遠雷の様な音が、二三回。そして、その音が強くなる度に、静かな山全体が揺れるように感じた。地震だ。
又、水路に沿って行く。今度は水が多い。恐ろしく冷たく澄んだ水。夾竹桃《きょうちくとう》、枸櫞樹《シトロン》、たこ[#「たこ」に傍点]の木、オレンジ。其等の樹々の円天井の下を暫く行くと、また水が無くなる。地下の熔岩《ようがん》の洞穴の廊下に潜り込むのだ。私は其の廊下の上を歩く。何時迄行っても、樹々に埋れた井戸の底から仲々抜出られぬ。余程行ってから、漸く繁みが浅くなり、空が葉の間から透けて見えるようになった。
ふと、牛の鳴声を聞きつける。確かに私の所有する牛には違いないが、先方では所有主を見知るまいから、頗《すこぶ》る危険だ。立停り、様子をうかがって、巧《うま》くやり過ごす。暫く進むと、※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24]々《るいるい》たる熔岩の崖に出くわす。浅い美しい滝がかかっている。下の水溜《みずたまり》の中を、指ぐらいの小魚の影がすいすいと走る。ざりがに[#「ざりがに」に傍点]もいるらしい。朽ち倒れ、半ば水に浸った巨木の洞。渓流の底の一枚岩が不思議にルビイの様に紅い。
やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の嶮《けわ》しい面を上って行く。河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨《ほうこう》すること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。榕樹《ガジマル》だ。高さは二百|呎《フィート》もあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺《みね》の中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のように叢《むら》がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋《ドーム》だ。それは層々※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24]々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方《かた》数|哩《マイル》の谿《たに》から野にかけて蜿蜒《えんえん》と拡がる其の影の巨《おお》きさ! 誠に、何とも豪宕《ごうとう》な観ものであった。
もう遅いので慌てて、帰途に就く。馬を繋いで置いた所へ来て見ると、ジャックは半狂乱の態だ。独りぼっちで森の中に半日捨て置かれた恐怖の為らしい。ヴァエア山にはアイトゥ・ファフィネなる女怪が出ると土人は云うから、ジャックはそれを見たのかも知れぬ。何度もジャックに蹴られそうになりながら、漸《ようや》くのことで宥《なだ》めて、連れ帰った。
五月×日
午後、ベル(イソベル)のピアノに合せて銀笛《フラジオレット》を吹く。クラックストン師来訪。「|壜の魔物《ボットル・イムプ》」をサモア語に訳して、オ・レ・サル・オ・サモア誌に載せ度き由。欣《よろこ》んで承諾。自分の短篇の中でも、ずっと昔の「ねじけジャネット」や、この寓話《ぐうわ》など、作者の最も好きなものだ。南海を舞台にした話だから、案外土人達も喜ぶかも知れない。之で愈々《いよいよ》私は彼等のツシタラ(物語の語り手)となるのだ。
夜、寝に就いてから、雨の音。海上遠く微かな稲妻。
五月××日
街へ下りる。殆ど終日為替のことでゴタゴタ。銀の騰落は、此の地に於ては頗《すこぶ》る大問題なり。
午後、港内に碇泊《ていはく》中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・ハミルトンが死んだのだ。
夕方、米国領事館の方へ歩いて見た。満月の美しい夜。マタウトゥの角を曲った時、前方から讃美歌の合唱の声が聞えた。死者の家のバルコニイに女達(土人の)が沢山いて唱《うた》っているのだった。未亡人になったメァリイ(矢張、サモア人だが)が、家の入口の椅子に掛けていた。私と見知越しの彼女は、私を請じ入れて自分の隣に掛けさせた。室内の卓子《テーブル》の上に、シーツに包まれて横たわっている故人の遺骸を私は見た。讃美歌が終ってから、土人の牧師が立上って、話を始めた。長い話だった。灯明の光が扉や窓から外へ流れ出していた。褐色の少女達が沢山私の近くに坐っていた。恐ろしく蒸暑かった。牧師の話が終ると、メァリイは私を中に案内した。故キャプテンの指は胸の上に組まれ、其の死顔は穏かだった。今にも何か口をききそうであった。之程生々した・美しい蝋細工《ろうざいく》の面を未だ見たことがない。
一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた、既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望《せんぼう》の念を私は覚えた。
五月××日
「南洋だより」は、編輯者《へんしゅうしゃ》並びに読者に不満の由。曰《いわ》く、『南洋研究の資料|蒐集《しうしふ》[#ルビの「しうしふ」は底本では「しうしう」]、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。読者のR・L・S・氏に望む所のものは、固《もと》よりその麗筆に係る南海の猟奇的冒険詩に有之候』冗談ではない。私があの原稿を書く時、頭に浮べていた模範《モデル》は、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。「宝島」の作者は何時迄も海賊と埋もれた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて考察する資格が無いとでもいうのか? やり切れないことには、ファニイ迄が亜米利加《アメリカ》の編輯者と同意見なのだ。「精確な観察よりも、華《はな》やかで面白い話[#「話」に傍点]を書かなければ、」と云うのだ。
大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々|厭《いや》になって来た。最近の私の文体は、次の二つを目指している積りだ。一、無用の形容詞の絶滅。二、視覚的描写への宣戦。ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにもロイドにも、未だに此の事が解らないのだ。
「難破船引揚業者《レッカー》」は順調に進捗《しんちょく》しつつある。ロイドの他にイソベルという一層|叮嚀《ていねい》な筆記者が殖えたのは、大いに助かる。
家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、犢《こうし》が牝《めす》牡《おす》各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても知っている。)豚が三十匹余り。家鴨《あひる》と※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別に夥《おびただ》しい野良猫共が跋扈《ばっこ》している由。野良猫は家畜なりや?
五月××日
街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。真昼の大天幕の下、土人の男女の喧騒《けんそう》の中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗《たまのり》の黒熊。ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。
夕方、帰る。何か心|怡《たの》しまず。
六月×日
昨夜八時半頃ロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)がやって来て、一緒に寐《ね》ているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い、と言った。何でも、「今から森の中にいる家族《うち》の者に逢いに行く。」といって聞かないのだそうだ。「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、「あるもんですか。」とミタイエレが言う。直ぐにロイドと、彼等の寝室へ行った。パータリセは睡っている者のように見えたが、何かうわ[#「うわ」に傍点]言を言っている。時々、脅された鼠《ねずみ》の様な声を立てる。身体にさわると冷たい。脈は速くない。呼吸の度に腹が大きく上下する。突然、彼は起上り、頭を低く下げ、前へつんのめるような恰好《かっこう》で、扉に向って走った。(といっても、其の動作は余り速くなく、ぜんまい[#「ぜんまい」に傍点]の弛《ゆる》んだ機械玩具のような奇妙なのろさ[#「のろさ」に傍点]であった。)ロイドと私とが彼をつかまえてベッドに寐かしつけた。暫くして又逃出そうとした。今度は猛烈な勢なので、やむを得ず、みんなで彼をベッドに(シーツや縄で)括《くく》り付けた。パータリセは、そうやって抑え付けられた儘《まま》時々何か呟き、時に、怒った子供の様に泣いた。彼の言葉は、「ファアモレモレ(何卒《なにとぞ》)」が繰返される外、「家の者が呼んでいる」とも言っているらしい。その中《うち》にアリック少年とラファエレとサヴェアとがやって来た。サヴェアはパータリセと同じ島の生れで、彼と自由に話が出来るのだ。我々は彼等に後を任せて部屋に戻った。
突然、アリックが私を呼んだ。急いで駈付けると、パータリセは縛《いましめ》をすっかり脱し、巨漢ラファエレにつかまえられている。必死の抵抗だ。五人がかりで取抑えようとしたが、狂人は物凄い力だ。ロイドと私とが片脚の上に乗っていたのに、二人とも二|呎《フィート》も高く跳ね飛ばされて了った。午前一時頃迄かかって、到頭抑えつけ、鉄の寝台脚に手首足首を結びつけた。厭な気持だが、やむを得ない。其の後も発作は刻一刻と烈しくなるようだ。何のことはない。まるで、ライダー・ハガードの世界だ。(ハガードといえば、今、彼の弟が土地管理委員としてアピアの街に住んでいる。)
ラファエレが「狂人の工合は大変悪いから、自分の家の家伝の秘薬を持って来よう」と言って、出て行った。やがて、見慣れぬ木の葉を数枚持って来、それを噛んで狂少年の眼に貼付《はりつ》け、耳の中に其の汁を垂らし、(ハムレットの場面?)鼻孔《びこう》にも詰込んだ。二時頃、狂人は熟睡に陥った。それから朝迄発作が無かったらしい。今朝ラファエレに聞くと、「あの薬は使い方一つで、一家|鏖殺《おうさつ》位、訳なく出来る劇毒薬で、昨夜は少し利き過ぎなかったかと心配した。自分のほかに、もう一人、比の島で此の秘法を知っている者がある。それは女で、其の女は之を悪い目的の為に使ったことがある。」と。
入港中の軍艦の医者に今朝来て貰ったが、パータリセを診て、異常なしという。少年は、今日は仕事をするのだと言って聞かず、朝食の時、皆の所へ来て、昨夜の謝罪のつもりだろうか、家中の者に接吻した。この狂的接吻には、一同少からず辟易《へきえき》。しかし、土人達は皆パータリセの譫言《うわごと》を信じているのだ。パータリセの家の死んだ一族が多勢、森の中から寝室へ来て、少年を幽冥界《ゆうめいかい》へ呼んだのだと。又、最近死んだパータリセの兄が其の日の午後|叢林《そうりん》の中で少年に会い、彼の額を打ったに違いないと。又、我々は死者の霊と、昨夜一晩戦い続け、竟《つい》に死霊共は負けて、暗い夜(そこが彼等の住居である)へと逃げて行かねばならなかったのだと。
六月×日
コルヴィンの所から写真を送って来た。ファニイ(感傷的な涙とは凡《およ》そ縁の遠い)が思わず涙をこぼした。
友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去を有《も》った仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。コルヴィン、バクスター、W・E・ヘンレイ、ゴス、少し遅れて、ヘンリィ・ジェイムズ、思えば俺の青春は豊かな友情に恵まれていた。みんな俺より立派な奴ばかりだ。ヘンレイとの仲違《なかたが》いが、今、最も痛切な悔恨を以て思出される。道理から云って、此方が間違っているとは、さらさら思わない。しかし、理窟なんか問題じゃない。巨大な・捲鬚《まきひげ》の・赭《あか》ら顔の・片脚の・あの男と、蒼ざめた痩《や》せっぽちの俺とが、一緒に秋のスコットランドを旅した時の、あの二十代の健かな歓びを思っても見ろ。あの男の笑い声――「顔と横隔膜とのみの笑ではなく、頭から踵《かかと》に及ぶ全身の笑」が、今も聞えるようだ。不思議な男だった、あの男は。あの男と話していると、世の中に不可能などというものは無いような気がして来る。話している中に、何時か此方迄が、富豪で、天才で、王者で、ランプを手に入れたアラディンであるような気がして来たものだ。…………
昔の|懐かしい顔《オールド・ファミリアー・フェイシズ》の一つ一つが眼の前に浮かんで来て仕方がない。無用の感傷を避けるため、仕事の中に逃れる。先日から掛かっているサモア紛争史、或いは、サモアに於ける白人横暴史だ。
しかし、英国とスコットランドとを離れてから、もう丁度、四年になるのだ。
五
[#ここから2字下げ]
――サモアに於ては古来地方自治の制、極めて鞏固《きょうこ》にして、名目は王国なれども、王は殆ど政治上の実権を有せず。実際の政治は悉《ことごと》く、各地方のフォノ(会議)によって決定せられたり。王は世襲に非ず。又、必ずしも常置の位にも非ず。古来此の諸島には、其の保持者に王者たるの資格を与うべき・名誉の称号、五つあり。各地方の大酋長《だいしゅうちょう》にして、此の五つの称号の全部、もしくは過半数を(人望により、或いは功績により)得たる者、推されて王位に即《つ》くなり。而して、通常、五つの称号を一人にて兼ね有する場合は極めて稀《まれ》にして、多くは、王の他に、一つ或いは二つの称号を保持する者あるを常とす。されば、王は、絶えず、他の王位請求権保持者の存在に脅されざるを得ず。かかる状態は必然的に其の中に内乱紛争の因由を蔵するものというべし。
[#地付き]――J・B・ステェア「サモア地誌」――
[#ここで字下げ終わり]
一八八一年、五つの称号の中、「マリエトア」「ナトアイテレ」「タマソアリィ」の三つを有《も》つ大酋長ラウペパが推されて王位に即いた。「ツイアアナ」の称号を有《も》つタマセセと、もう一つの称号「ツイアトゥア」の持主マターファとは、代る代る副王の位に即くべく定められ、先ず始めにタマセセが副王となった。
其の頃から丁度、白人の内政干渉が烈しくなって来た。以前は、会議《フォノ》及び其の実権者、ツラファレ(大地主)達が王を操っていたのに、今は、アピアの街に住む極く少数の白人が之に代ったのである。元来アピアには、英・米・独の三国がそれぞれ領事を置いている。併し、最も権力のあるのは領事達ではなくて、独逸《ドイツ》人の経営に係る南海拓殖商会であった。島の白人貿易商等の間に在って、此の商会は正《まさ》しく小人国のガリヴァアであった。曾《かつ》ては此の商会の支配人が独逸領事を兼ねたこともあり、又其の後、自国の領事(此の男は若い人道家で、商会の土人労働者虐待に反対したので)と衝突して之を辞めさせたこともある。アピアの西郊ムリヌウ岬から其の附近一帯の広大な土地が独逸商会の農場で、其処でコーヒー、ココア、パイナップル等を栽培していた。千に近い労働者は、主に、サモアよりも更に未開の他の島々や、或いは遠くアフリカから、奴隷同様にして連れて来られたものである。
過酷な労働が強制され、白人監督に笞《むち》打《う》たれる黒色人褐色人の悲鳴が日毎に聞かれた。脱走者が相継ぎ、しかも彼等の多くは捕えられ、或いは殺された。一方、遥かに久しい以前から食人の習慣を忘れている此の島に、奇怪な噂が弘まった。外来の皮膚の黒い人間が島民の子供を取って喰うと。サモア人の皮膚は浅黒、乃至《ないし》、褐色だから、アフリカの黒人が恐ろしいものに見えたのであろう。
島民の、商会に対する反感が次第に昂《たか》まった。美しく整理された商会の農場は、土人の眼に公園の如く映り、其処へ自由に入ることが許されぬのは、遊び好きな彼等にとって不当な侮辱と思われた。折角苦労して沢山のパイナップルを作り、それを自分達で喰べもせずに、船に載せて他処へ運んで了うに至っては、土人の大部分にとって、全く愚にもつかぬナンセンスである。
夜、農場へ忍び入って畑を荒すこと、之が流行になった。之は、ロビンフッド的な義侠《ぎきょう》行為と見做《みな》され、島民一般の喝采《かっさい》を博した。勿論、商会側も黙ってはいない。犯人を捕えると、直ぐに商会内の私設監獄にぶち込んだばかりでなく、此の事件を逆用し、独逸領事と結んでラウペパ王に迫り、賠償を取るのは勿論、更に脅迫によって勝手な税法(白人、殊に独人に有利な)に署名させるに至った。王を始め島民達は、此の圧迫に堪えられなくなった。彼等は英国に縋《すが》ろうとした。そして、全く莫迦莫迦《ばかばか》しいことに、王、副王以下各大酋長の決議で「サモア支配権を英国に委《ゆだ》ねたい」旨を申出そうとしたのだ。虎に代うるに狼を以てしようとする此の相談は、しかし、直ぐ独逸側に洩《も》れた。激怒した独逸商会と独逸領事とは、直ちにラウペパをムリヌウの王宮から逐《お》い、代りに、従来の副王タマセセを立てようとした。一説には、タマセセが独逸側と結んで、王を裏切ったのだとも云われる。兎に角英米二国は独逸の方針に反対した。紛争が続き、結局、独逸は(ビスマルク流の遣り方だ)軍艦五隻をアピアに入港させ、其の威嚇の下にクー・デ・タを敢行した。タマセセは王となり、ラウペパは南方の山地深く逃れた。島民は新王に不服だったが、諸所の暴動も独逸軍艦の砲火の前に沈黙しなければならなかった。
独兵の追跡を逃れて森から森へと身を隠していた前王ラウペパの許に、或夜、彼の腹心の一酋長から使が来た。「明朝中に貴下が独逸の陣営に出頭しなければ、更に大きな災禍《わざわい》が此の島に起るであろう」云々《うんぬん》。意志の弱い男ではあったが、尚、此の島の貴族にふさわしい一片の道義心を失ってはいなかったラウペパは、直ぐに自己犠牲を覚悟した。其の夜の中に彼はアピアの街に出て、秘かに前の副王候補者であったマターファに会見し、之に後事を託した。マターファは、ラウペパに対する独逸《ドイツ》の要求を知っていた。ラウペパは、ほんの暫くの間、独艦に乗って何処かへ連去られねばならぬ。但し、艦上に於ては前王として出来る限り厚遇すると、独逸艦長が保証していることを、マターファは附加えた。ラウペパは信じなかった。彼は覚悟していた、自分は二度とサモアの地を踏めまいと。彼は、全サモア人への訣別《けつべつ》の辞を認《したた》めて、マターファに渡した。二人は涙の中に別れ、ラウペパは独逸領事館に出頭した。其の午後、彼は独艦ビスマルク号に載せられ、何処へともなく立去った。彼の訣別の辞は悲しいものであった。
「……我が島々と、我が全サモア人への愛の為に、余は独逸政府の前に自らを投出す。彼等は、その欲するままに余を遇するであろう。余は、貴きサモアの血が、我故に再び流されることを望まぬ。しかし、余の犯した如何なる罪が、彼等皮膚白き者をして、(余に対し、又、余の国土に対し)斯《か》くも憤らしめたか、余には未だにそれが解らぬのだ。……」最後に彼は、サモアの各地方の名前を感傷的に呼びかけている。「マノノよ、さらば、ツツイラよ。アアナよ。サファライよ……」島民は之を読んで皆涙を流した。
スティヴンスンが此の島に定住するより三年前の出来事である。
新王タマセセに対する島民の反感は烈しかった。衆望はマターファに集まっていた。一揆《いっき》が相継いで起り、マターファは自分の知らぬ間に、自然推戴の形で、叛軍の首領になっていた。新王を擁立する独逸と、之に対立する英米(彼等は別にマターファに好意を寄せていた訳ではないが、独逸に対する対抗上、事毎に新王に楯《たて》ついた)との軋轢《あつれき》も次第に激化して来た。一八八八年の秋頃から、マターファは公然兵を集めて山岳密林帯に立籠《たてこも》った。独逸の軍艦は沿岸を回航して叛軍の部落に大砲をぶち込んだ。英米が之に抗議し、三国の関係は、かなり危い所まで行った。マターファは度々王の軍を破り、ムリヌウから王を追うてアピアの東方ラウリイの地に包囲した。タマセセ王救援の為に上陸した独艦の陸戦隊はファンガリィの峡谷でマターファ軍のために惨敗した。多数の独逸兵が戦死し、島民は欣《よろこ》んだというより寧《むし》ろ自ら驚いて了った。今迄|半神《セミ・ゴッド》の如く見えた白人が、彼等の褐色の英雄によって仆《たお》されたのだから。タマセセ王は海上に逃亡し、独逸の支持する政府は完全に潰《つい》えた。
憤激した独逸領事は、軍艦を用いて島全体に頗《すこぶ》る過激な手段を加えようとした。再び、英米、殊に米国が正面から之に反対し、各国はそれぞれ軍艦をアピアに急航させて、事態は更に緊迫した。一八八九年の三月、アピア湾内には、米艦二隻英艦一隻が独艦三隻と対峙《たいじ》し、市の背後の森林にはマターファの率いる叛軍が虎視|眈々《たんたん》と機を窺《うかが》っていた。方《まさ》に一触即発のこの時、天は絶妙な劇作家的手腕を揮《ふる》って人々を驚かせた。かの歴史的な大惨禍、一八八九年の大|颶風《ハリケーン》が襲来したのである。想像を絶した大暴風雨がまる[#「まる」に傍点]一昼夜続いた後、前日の夕方迄|碇泊《ていはく》していた六隻の軍艦の中、大破損を受けながらも兎に角水面に浮んでいたのは、僅か一隻に過ぎなかった。最早、敵も味方もなくなり、白人も土人も一団となって復旧作業に忙しく働いた。市の背後の密林に潜んでいた叛軍の連中迄が、街や海岸に出て来て、死体の収容や負傷者の看護に当った。今は独逸人も彼等を捕えようとはしなかった。此の惨禍は、対立した感情の上に意外な融和を齎《もたら》した。
比の年、遠くベルリンで、サモアに関する三国の協定が成立した。その結果、サモアは依然名目上の王を戴き、英・米・独三国人から成る政務委員会が之を扶《たす》けるという形式になった。この委員会の上に立つべき政務長官と、全サモアの司法権を握るべきチーフ・ジャスティス(裁判所長)と、この二人の最高官吏は欧洲から派遣されることとなり、又、爾後《じご》、王の選出には政務委員会の賛成が絶対必要と定められた。
同じ年(一八八九年)の暮、二年前に独艦上に姿を消して以来まるで消息の知れなかった前々王ラウペパが、ひょっこり憔悴《しょうすい》した姿で戻って来た。サモアから濠洲《ごうしゅう》へ、濠洲から独領西南アフリカヘ、アフリカから独逸本国へ、独逸から又ミクロネシアヘと、盥廻《たらいまわ》しに監禁護送されて来たのである。しかし、彼の帰って来たのは、傀儡《かいらい》の王として再び立てられる為であった。
もし王の選出が必要とあれば、順序から云っても、人物や人望から云っても、当然マターファが選ばるべきだった。が、彼の剣には、ファンガリィの峡谷に於ける独逸水兵の血潮が釁《ちぬ》られている。独逸人は皆マターファの選出に絶対反対であった。マターファ自身も別に強いて急ごうとしなかった。いずれは順が廻って来ると楽観的に考えてもいたし、又、二年前涙と共に別れた・そして今やつれ果てて帰って来た老先輩への同情もあった。ラウペパの方は又ラウペパで、始めは、実力上の第一人者たるマターファに譲るつもりでいた。元々意志の弱い男が、二年に亘る流浪の間に、絶えざる不安と恐怖とのために、すっかり覇気を失って了ったからである。
斯《こ》うした二人の友情を無理やりに歪めて了ったのが、白人達の策動と熱烈な島民の党派心とである。政務委員会の指図で否応なしにラウペパが即位させられてから一月も経たない中に、(まだ仲の良かった二人が大変驚いたことに)王とマターファの間の不和の噂が伝えられ出した。二人は気まずく思い、そして、又実際、奇妙な、いたましいコースをとって、二人の間の関係は本当に気まずいものに成って行ったのである。
此の島に来た最初から、スティヴンスンは、此処にいる白人達の・土人の扱い方に、腹が立って堪《たま》らなかった。サモアにとって禍《わざわい》なことに、彼等白人は悉《ことごと》く――政務長官から島巡り行商人に至る迄――金儲《かねもうけ》の為にのみ来ているのだ。これには、英・米・独、の区別はなかった。彼等の中誰一人として(極く少数の牧師達を除けば)此の島と、島の人々とを愛するが為に此処に留まっているという者が無いのだ。スティヴンスンは初め呆れ、それから腹を立てた。植民地常識から考えれば、之は、呆れる方がよっぽどおかしいのかも知れないが、彼はむき[#「むき」に傍点]になって、遥かロンドン・タイムズに寄稿し、島の此の状態を訴えた。白人の横暴、傲岸《ごうがん》、無恥。土人の惨めさ、等々。しかし、此の公開状は、冷笑を以て酬《むく》いられたに過ぎなかった。大小説家の驚くべき政治的無知、云々《うんぬん》。「ダウニング街の俗物共」の軽蔑者《けいべつしゃ》たるスティヴンスンのこととて、(曾《かつ》て大宰相グラッドストーンが「宝島」の初版を求めて古本屋を漁《あさ》っていると聞いた時も、彼は真実、虚栄心をくすぐられる所でなく、何か莫迦莫迦《ばかばか》しいような不愉快さを感じていた)政治的実際に疎いのは事実だったが、植民政策も土着の人間を愛することから始めよ、という自分の考が間違っているとは、どうしても思えなかった。此の島に於ける白人の生活と政策とに対する彼の非難は、アピアの白人達(英国人をも含めて)と彼との間に溝を作って行った。
スティヴンスンは、故郷スコットランドの高地人《ハイランダァ》の氏族《クラン》制度に愛着をもっていた。サモアの族長制度も之に似た所がある。彼は、始めてマターファに会った時、その堂々たる体躯《たいく》と、威厳のある風貌とに、真の族長らしい魅力を見出した。
マターファはアピアの西、七|哩《マイル》のマリエに住んでいる。彼は形の上の王ではなかったが、公認の王たるラウペパに比べて、より多くの人望と、より多くの部下と、より多くの王者らしさとを有《も》っていた。彼は、白人委員会の擁立する現在の政府に対して、曾て一度も反抗的な態度を執ったことがない。白人官吏が自ら納税を怠っている時でも、彼だけはちゃんと[#「ちゃんと」に傍点]納めたし、部下の犯罪があれば何時でも大人しく裁判所長《チーフ・ジャスティス》の召喚に応じた。にも拘《かか》わらず、何時の間にか、彼は現政府の一大敵国と見做《みな》され、恐れられ、憚《はばか》られ、憎まれるようになっていた。彼が秘かに弾薬を集めているなどと政府に密告する者も出て来た。王の改選を要求する島民の声が政府を脅していたことは事実だが、マターファ自身は一度も、まだ、そんな要求をしたことはない。彼は敬虔《けいけん》なクリスチャンであった。独身で、今は六十歳に近いが、二十年来、「主のこの世に生き給いし如く」生きようと誓って(婦人に関することに就いて言っているのだ)、それを実行して来た、と、自ら言っていた。夜毎、島の各地方から来た語り手[#「語り手」に傍点]を灯の下に集めて円座を作らせ、彼等から、古い伝説《いいつたえ》や古譚《こたん》詩の類を聞くのが、彼の唯一つの楽しみであった。
六
一八九一年九月×日
近頃島中に怪しい噂が行われている。「ヴァイシンガノの河水が紅く染まった。」「アピア湾で捕れた怪魚の腹に不吉な文字が書かれていた。」「頭の無い蜥蜴《とかげ》が酋長《しゅうちょう》会議の壁を走った。」「夜毎、アポリマ水道の上空で、雲の中から物凄い喊声《かんせい》が聞える。ウポル島の神々と、サヴァイイ島の神々とが戦っているのだ。」…………土人達は之を以て、来るべき戦争の前兆と真面目に考えている。彼等は、マターファが何時かは立上って、ラウペパと、白人達の政府《マロ》とを倒すであろうと期待しているのだ。無理もない。全く今の政府《マロ》はひどい。莫大《ばくだい》な(少くともポリネシアにしては)給料を貪《むさぼ》りながら、何一つ――全く完全に何一つ――しないでノラクラしている役人共ばかりだ。裁判所長《チーフ・ジャスティス》のツェダルクランツも個人としては厭《いや》な男ではないが、役人としては全く無能だ。政務長官のフォン・ピルザッハに至っては、事毎に島民の感情を害《そこな》ってばかりいる。税ばかり取立てて、道路一つ作らぬ。着任以来、土民に官を授けたことが一度もない。アピアの街に対しても、王に対しても、島に対しても、一文の金も出さぬ。彼等は、自分等がサモアにいること、又、サモア人というものがあり、やはり目と耳と若干の知能とを有《も》っているのだ、という事を忘れている。政務長官の為した唯一のこと、それは、自分の為に堂々たる官邸を建てることを提案し、既にそれに着手していることだ。しかも、ラウペパ王の住居は、その官邸の直ぐ向いの、島でも中流以下の、みすぼらしい建物(小舎?)なのである。
先月の政府の人件費の内訳を見よ。
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裁判所長《チーフ・ジャスティス》の俸給………………………………五〇〇弗《ドル》
政務長官の俸給………………………………四一五弗
警察署長(瑞典《スウェーデン》人)の俸給…………………一四〇弗
裁判所長秘書官の俸給………………………一〇〇弗
サモア王ラウペパの俸給………………………九五弗
[#ここで字下げ終わり]
一斑《いっぱん》推して全豹《ぜんぴょう》を知るべし。之が新政府下のサモアなのだ。
植民政策に就いて何一つ知りもせぬ文士のくせに、出しゃばって、無智な土人に安っぽい同情を寄せるR・L・S・氏は、宛然《さながら》ドン・キホーテの観があるそうな。之は、アピアの一英人の言葉である。あの奇矯な義人の博大な人間愛に比べられた光栄を、先ず、感謝しよう。実際私は政治に就いて何一つ知らないし、又、知らないことを誇ともしている。植民地、或いは、半植民地に於て、何が常識になっているか、をも知らぬ。仮令《たとえ》、知っていたとしても、私は文学者だから、心から納得の行かない限り、そんな常識を以て行為の基準とする訳には行かない。
本当に、直接《じか》に、心に沁《し》みて感じられるもの、それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。所で、今の私にとって、其の「直接《じか》に感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著《あいちゃく》を以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。しかも、斯《こ》うした事柄に於ける私の無力さ! 私は、まだ選挙権さえ有っていない。アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。私が立去ったあとでは、屹度《きっと》舌でも出しているに相違ない。
自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾《どんよく》とが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!
九月××日
マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。マノノのマターファ側の青年共が、ラウペパ側の者の家を襲って焼払ったのだ。島は大混乱に陥った。丁度、裁判所長《チーフ・ジャスティス》が官費でフィジーへ大名旅行中だったので、長官のピルザッハが自らマノノヘ赴き、独りで上陸して(此の男も感心に勇気だけはあると見える)暴徒に説いた。そして、犯人等に自らアピア迄出頭するように命じた。犯人達は男らしく自らアピアヘ出て来た。彼等は六ヶ月|禁錮《きんこ》の宣告を受け、直ぐ牢《ろう》に繋《つな》がれることになった。彼等に附添って一緒に来た、他の剽悍《ひょうかん》なマノノ人等は、犯人達が街を通って牢へ連れて行かれる途中で、大声に呼びかけた。「いずれ助け出してやるぞ!」実弾の銃を担った三十人の兵に囲まれて進んで行く囚人等は、「それには及ばぬ。大丈夫だ。」と答えた。それで話は終った訳だが、一般には、近い中に救助破獄が行われるだろうと固く信じられている。監獄では厳重な警戒が張られた。日夜の心配に堪えられなくなった守衛長(若い瑞典人)は、遂に、乱暴極まる措置を思いついた。ダイナマイトを牢の下に仕掛け、襲撃を受けた場合、暴徒も囚人も共に爆破して了ったらどうだろうと。彼は政務長官に之を話して賛成を得た。それで、碇泊《ていはく》中のアメリカ軍艦へ行ってダイナマイトを貰おうとしたが拒絶され、やっと、難破船引揚業者(前々年の大|颶風《ハリケーン》で湾内に沈没したままになっている軍艦二隻をアメリカがサモア政府に寄贈することになったので、其の引揚作業のため目下アピアに来ている。)から、それを手に入れたらしい。この事が一般に洩《も》れ、この二三週間、流言が頻《しき》りに飛んでいる。余り大騒ぎになりそうなので、怖くなった政府では、最近、突如囚人達をカッターに乗せてトケラウス島へ移して了った。大人しく服罪している者を爆破しようというのは勿論言語道断だが、勝手に禁錮を流罪に変更するのも随分目茶な話だ。斯うした卑劣と臆病と破廉恥とが野蛮に臨む文明[#「文明」に傍点]の典型的な姿態《すがた》である。白人は皆こんな事に賛成なのだ、と、土人等に思わせてはならない。
此の件に就いての質問書を、早速、長官宛に出したが、未だに返辞がない。
十月×日
長官よりの返書、漸《ようや》く来る。子供っぽい傲慢《ごうまん》と、狡猾《こうかつ》な言抜け。要領を得ず。直ちに、再質問書を送る。こんないざこざ[#「いざこざ」に傍点]は大嫌いだが、土人達がダイナマイトで吹飛ばされるのを黙って見ている訳には行かない。
島民はまだ静かにしている。之が何時迄続くか、私は知らぬ。白人の不人気は日毎に昂《たか》まるようだ。穏和な、我がへンリ・シメレも今日、「浜(アピア)の白人は厭だ。むやみに威張ってるから。」と云った。一人の威張りくさった白人の酔漢がヘンリに向い山刀を振上げて、「貴様の首をぶった[#「ぶった」に傍点]切るぞ」と嚇《おど》しつけたのだそうだ。之が文明人のやることか? サモア人は概して慇懃《いんぎん》で、(常に上品とはいえないにしても)穏和で、(盗癖を別として)彼等自身の名誉観を有《も》っており、そして、少くともダイナマイト長官ぐらいには開化している。
スクリブナー誌連載中の「難破船引揚業者《レッカー》」第二十三章書上げ。
十一月××日
東奔西走、すっかり政治屋に成り果てた。喜劇? 秘密会、密封書、暗夜の急ぎ路。この島の森の中を暗夜に通ると、青白い燐光《りんこう》が点々と地上一面に散り敷かれていて美しい。一種の菌類が発光するのだという。
長官への質問書が署名人の一人に拒まる。その家へ出掛けて行って説得、成功。俺の神経も、何と鈍く、頑強になったものだ!
昨日、ラウペパ王を訪問す。低い、惨めな家。地方の寒村にだって此の位の家は幾らでもある。丁度向い側に、殆ど竣工《しゅんこう》の成った政務長官官邸が聳《そび》え、王は日毎に此の建物を仰いでおらねばならぬ。彼は白人官吏への気兼から、我々に会うことを余り望まぬようだ。乏しい会談。しかし、この老人のサモア語の発音――殊に、その重母音の発音は美しい。非常に。
十一月××日
「難破船引揚業者《レッカー》」漸《ようや》く完成。「サモア史脚註」も進行中。現代史を書くことのむずかしさ。殊に、登場人物が悉《ことごと》く自己の知人なる時、その困難は倍加す。
先日のラウペパ王訪問は、果然、大騒を惹起《ひきおこ》す。新しい布告が出る。何人も領事の許可なくして、又、許されたる通訳者なしには、王と会見すべからず、と。聖なる傀儡《かいらい》。
長官より会談の申込あり。懐柔せんとなるべし。断る。
斯《か》くて余は公然|独逸《ドイツ》帝国に対する敵となり終れるものの如し。何時もうち[#「うち」に傍点]に遊びに来ていた独逸士官達も、出帆に際し挨拶に来られぬ旨を言いよこした。
政府が街の白人達に不人気なのは面白い。徒《いたず》らに島民の感情を刺戟《しげき》して、白人の生命財産を危険に曝《さら》すからだ。白人は土人よりも税を納めない。
インフルエンザ猖獗《しょうけつ》。街のダンス場も閉じた。ヴァイレレ農場では七十人の人夫が一時に斃《たお》れたと。
十二月××日
一昨日の午前、ココアの種子千五百、続いて午後に七百、届く。一昨日の正午から昨日の夕刻迄うち[#「うち」に傍点]中総出で、この植付にかかりっきり。みんな泥まみれになり、ヴェランダは愛蘭土《アイルランド》泥炭沼の如し。ココアは始めココア樹の葉で編んだ籠《かご》に蒔《ま》く。十人の土人が裏の森の小舎で此の籠を編む。四人の少年が土を掘って箱に入れヴェランダヘ運ぶ。ロイドとベル(イソベル)と私とが、石や粘土塊をふるって土を籠に入れる。オースティン少年と下婢《かひ》のファアウマとが其の籠をファニイの所へ持って行く。ファニイが一つの籠に一つの種子を埋め、それをヴェランダに並べる。一同綿の如くに疲れて了った。今朝もまだ疲れが抜けないが、郵船日も近いので、急いで「サモア史脚註」第五章を書上げる。之は芸術品ではない。唯、急いで書上げて急いで読んで貰うべきもの。さもなければ無意味だ。
政務長官辞任の噂あり。あてにはならぬ。領事連との衝突が此の噂を生んだのだろう。
一八九二年一月×日
雨。暴風の気味あり。戸をしめランプを点《つ》ける。感冒が中々抜けぬ。リュウマチも起って来た。或る老人の言葉を思出す。「あらゆるイズムの中で最悪なのは、リュウマティズムだ。」
此の間から休養をとる意味で、曾祖父《そうそふ》の頃からのスティヴンスン家の歴史を書始めた。大変楽しい。曾祖父と、祖父と、其の三人の息子(私の父をも含めて)とが、相次いで、黙々と、霧深き北スコットランドの海に灯台を築き続けた其の貴い姿を思う時、今更ながら私は誇に充たされる。題は何としよう? 「スティヴンスン家の人々」「スコットランド人の家」「エンジニーアの一家」「北方の灯台」「家族史」「灯台技師の家」?
祖父が、凡《およ》そ想像に絶する困難と闘ってベル・ロック暗礁岬の灯台を建てた時の詳しい記録が残っている。それを読んでいる中に、何だか自分が(或いは未生の我が)本当にそんな経験をしたかのような気がして来る。自分は自分が思っている程自分ではなく、今から八十五年前北海の風波や海霧《ガス》に苦しみながら、干潮の時だけ姿を見せる・此の魔の岬と、実際に戦ったことがあるのだ、と、確かにそう思えて来る。風の激しさ。水の冷たさ。艀《はしけ》の揺れ。海鳥の叫。そういうもの迄がありありと感じられるのだ。突然胸を灼《や》かれるような気がした。磽※[#「石+角」、第3水準1-89-6]《こうかく》たるスコットランドの山々、ヒースの茂み。湖。朝夕聞慣れたエディンバラ城の喇叭《らっぱ》。ペントランド、バラヘッド、カークウォール、ラス岬、嗚呼《ああ》!
私の今いる所は、南緯十三度、西経百七十一度。スコットランドとは丁度地球の反対側なのだ。
七
「灯台技師の家」の材料をいじっている中に、何時かスティヴンスンは、一万|哩《マイル》彼方のエディンバラの美しい街を憶《おも》い出していた。朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然《きつぜん》として聳える古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇《きく》たるシルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。
幼い頃からひどく気管の弱かった少年スティヴンスンは、冬の暁毎に何時も烈しい咳の発作に襲われて、寐《ね》ていられなかった。起上り、乳母のカミイに扶《たす》けられ、毛布にくるまって窓際の椅子に腰掛ける。カミイも少年と並んで掛け、咳の静まる迄、互いに黙って、じっと外を見ている。硝子《ガラス》戸《ど》越に見るヘリオット|通り《ロウ》はまだ夜のままで、所々に街灯がぼうっと滲《にじ》んで見える。やがて車の軋《きし》る音がし、窓の前をすれすれに、市場行の野菜車の馬が、白い息を吐き吐き通って行く。…………之がスティヴンスンの記憶に残る最初の此の都の印象だった。
エディンバラのスティヴンスン家は、代々灯台技師として聞えていた。小説家の曾祖父に当るトマス・スミス・スティヴンスンは北英灯台局の最初の技師長であり、その子ロバァトも亦其の職を継いで、有名なベル・ロックの灯台を建設した。ロバァトの三人の息子、アラン、デイヴィッド、トマス、もそれぞれ次々に此の職を襲った。小説家の父、トマスは、廻転灯、総光反射鏡の完成者として、当時、灯台光学の泰斗であった。彼は其の兄弟と協力して、スケリヴォア、チックンスを始め、幾つかの灯台を築き、多くの港湾を修理した。彼は、有能な実際的科学者で、忠実な大英国の技術官で、敬虔《けいけん》なスコットランド教会の信徒で、かの基督《キリスト》教のキケロといわれるラクタンティウスの愛読者で、又、骨董《こっとう》と向日葵《ひまわり》との愛好者だった。彼の息子の記す所によれば、トマス・スティヴンスンは、常に、自己の価値に就いて甚だしく否定的な考を抱き、ケルト的な憂鬱《ゆううつ》を以て、絶えず死を思い無常を観じていたという。
高貴な古都と、其処に住む宗教的な人々(彼の家族をも含めて)とを、青年期のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは激しく嫌悪した。プレスビテリアンの中心たる此の都が、彼には悉く偽善の府と見えたのである。十八世紀の後半、此の都にディーコン・ブロディなる男がいた。昼間は指物師をやり市会議員を勤めていたが、夜になると一変して賭博者《とばくしゃ》となり、兇悪《きょうあく》な強盗となって活躍した。大分久しい後に漸《ようや》く顕《あらわ》れて処刑されたが、この男こそエディンバラ上流人士の象徴だと、二十歳のスティヴンスンは考えた。彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。息子の文学者志望宣言(父は初め息子をもエンジニーアに仕立てようと考えていたのだが)は、どうにか之を認め得た父親も、その背教だけは許せなかった。父親の絶望と、母親の涙と、息子の憤激の中に、親子の衝突が屡々《しばしば》繰返された。自分が破滅の淵に陥っていることを悟れない程、未だ子供であり、しかも父の救の言葉を受付けようとしない程、成人《おとな》になっている息子を見て、父親は絶望した。此の絶望は、余りに内省的な彼の上に奇妙な形となって顕《あらわ》れた。幾回かの争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。彼は独り跪《ひざまず》き、泣いて祈り、己の至らざる故に倅《せがれ》を神の罪人としたことを自ら激しく責め、且つ神に詫《わ》びた。息子の方では、科学者たる父が何故こんな愚かしい所行を演ずるのか、どうしても理解できなかった。
それに、彼は、父と争論したあとでは何時も、「どうして親の前に出ると斯《こ》んな子供っぽい議論しか出来なくなるのだろうか」と、自分でいや[#「いや」に傍点]になって了うのである。友人と話合っている時ならば、颯爽《さっそう》とした(少くとも成人《おとな》の)議論の立派に出来る自分なのに、之は一体どうした訳だろう? 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟|反駁論《はんばくろん》、最も子供|欺《だま》しの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。自分の思想は斯んな幼稚なものである筈はないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になって了う。父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。教義に就いての細緻《さいち》な思索などをした事のない父親を論破するのは極めて容易だのに、その容易な事をやっている中に、何時の間にか、自分の態度が我ながら厭《いや》になる程、子供っぽいヒステリックな拗《す》ねたものとなり、議論の内容そのもの迄が、可嗤《リディキュラス》なものになっているのだ。父に対する甘え[#「甘え」に傍点]が未だ自分に残っており、(ということは、自分が未だ本当に成人《おとな》でなく)それが、「父が自分をまだ子供と視ていること」と相俟《あいま》って、こうした結果を齎《もたら》すのだろうか? それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な借物であって、それが、父の素朴な信仰と対置されて其の末梢的《まっしょうてき》な装飾部分を剥《はぎ》去《さ》られる時、その本当の姿を現すのだろうか? 其の頃スティヴンスンは、父と衝突したあとで、何時も決って、この不快な疑問を有《も》たねばならなかった。
スティヴンスンがファニイと結婚する意志を明かにした時、父子の間は再び嶮《けわ》しいものとなった。トマス・スティヴンスン氏にとっては、ファニィが米国人であり、子持であり、年上であることよりも、実際はどうあろうと兎に角彼女が戸籍の上で現在オスボーン夫人であることが第一の難点だったのである。我儘《わがまま》な一人息子は、年歯《とし》三十にして初めて自活――それもファニイとその子供迄養う決心をして、英国を飛出した。父子の間は音信不通となった。一年の後、何千|哩《マイル》隔てた海と陸の彼方で、息子が五十|仙《セント》の昼食にも事欠きながら病と闘っていることを人伝《ひとづて》に聞いたトマス・スティヴンスン氏は、流石《さすが》に堪えられなくなって、救の手を差しのべた。ファニイは米国から未見の舅《しゅうと》に自分の写真を送り、書添えて言った。「実物よりもずっと良く撮れております故、決して此の通りとお思い下さいませぬよう。」
スティヴンスンは妻と義子とを連れて英国に帰って来た。意外なことに、トマス・スティヴンスン氏は倅の妻に大変満足した。元来、彼は倅の才能は明らかに認めながらも、何処か倅の中に、通俗的な意味で安心の出来ない所があるのを感じていた。此の不安は、倅が幾ら年齢を加えても決して消えなかった。それが、今、ファニイによって、(初めは反対した結婚ではあったが)息子の為に実務的な確実な支柱を得たような気がした。美しく・脆《もろ》い・花のような精神を支えるべき、生気に充ちた強靱《きょうじん》な支柱を。
長い不和の後、一家――両親、妻、ロイドと揃ってブレイマの山荘に過した一八八一年の夏を、スティヴンスンは今でも快く思い起すことが出来る。それは、アバディーン地方特有の東北風が連日、雨と雹《ひょう》とを伴って吹荒《ふきすさ》む沈鬱《ちんうつ》な八月であった。スティヴンスンの身体は例によって悪かった。或日エドモンド・ゴスが訪ねて来た。スティヴンスンより一つ年上の・この博識温厚な青年は、父のスティヴンスン氏とも良く話が合った。毎朝ゴスは朝食を済ますと、二階の病室に上って行く。スティヴンスンは寝床の上に起上って待っている。将棋《チェス》をするのだ。「病人は午前中は、しゃべってはいけない」と医者に禁じられているので、無言の将棋である。その中に疲れて来ると、スティヴンスンが盤の縁を叩いて合図する。すると、ゴスなり、ファニイなりが彼を寐《ね》かせ、そして、何時でも書きたい時に寐たなりで書けるように、布団の位置を巧《うま》く、しつらえる。ディナーの時間迄ステイヴンスンは独りで寐たまま、休んでは書き、書いては休みする。ロイド少年の画いていた或る地図から思いついた海賊冒険|譚《たん》を、彼は書続けていた。ディナーの時になると、ステイヴンスンは階下《した》に下りて来る。午前中の禁が解かれているので、今度は饒舌《じょうぜつ》である。夜になると、彼は其の日|書溜《かきた》めた分を、みんなに読んで聞かせる。外では雨風の音が烈しく、隙間風に燭台《しょくだい》の灯がちらちらと揺れる。一同は思い思いの姿勢で、熱心に聞きとれている。読終ると、てんでに色々な註文や批評を持出す。一晩毎に興味を増して来て、父親までが、「ビリィ・ボーンズの箱の中の品目作製を受持とう」と言出した。ゴスはゴスで、又、別の事を考えながら、暗然たる気持で此の幸福そうな団欒《だんらん》を眺めていた。「此の華やかな俊才の蝕《むしば》まれた肉体は、果して何時迄もつだろうか? 今幸福そうに見える此の父親は、一人息子に先立たれる不幸を見ないで済むだろうか。」と。
しかし、トマス・スティヴンスン氏は其の不幸を見ないで済んだ。息子が最後に英国を離れる三月前に、彼はエディンバラで死んだ。
八
一八九二年四月×日
思いがけなくラウペパ王が護衛を連れて訪ねて来た。うち[#「うち」に傍点]で昼食。老人、今日は中々愛想がいい。何故自分を訪ねて呉れないんだ? などと云う。王との会見には領事連の諒解が必要だから、と私がいうと、そんな事は構わぬ、といい、また昼食を共にしたいから日時を指定せよと言う。この木曜に会食しようと約束する。
王が帰ると間もなく、巡査の徽章《きしょう》のようなものを佩《つ》けた男が訪ねて来た。アピア市の巡査ではない。所謂《いわゆる》叛乱者側(マターファ側の者をアピア政府の官吏は、そう呼ぶ。)の者だ。マリエからずっと歩き通して来たのだという。マターファの手紙を持って来たのだ。私も今ではサモア語が読める。(話す方は駄目だが、)彼の自重を望んだ先日の私の書簡に対する返辞のようなもので、会い度いから来週の月曜にマリエヘ来て呉れという。土語の聖書を唯一の参考にして(「我誠に汝らに告ぐ」式の手紙だから、先方も驚くだろう。)承知の旨をたどたどしいサモア語でしたためる。一週間の中に、王と、其の対立者とに会う訳だ。斡旋《あっせん》の実が挙がれば良いと思う。
四月×日
身体の工合余り良からず。
約束故、ムリヌウの、みすぼらしき王宮へ御馳走になりに行く。何時もながら、直ぐ向いの政務長官官邸が眼障りでならぬ。今日のラウペパの話は面白かった。五年前悲壮な決意を以て独逸《ドイツ》の陣営に身を投じ、軍艦に載せられて見知らぬ土地に連れ行かれた時の話である。素朴な表現が心を打った。
[#ここから1字下げ]
「…………昼はいけないが、夜だけは甲板に上ってもいいと言われた。長い航海の後、一つの港に着いた。上陸すると、恐ろしく暑い土地で、足首を二人ずつ鉄の鎖で繋《つな》がれた囚人等が働いていた。其処には浜の真砂《まさご》のように数多くの黒人がいた。…………それから又大分船に乗り、独逸も近いと言われた頃、不思議な海岸を見た。見渡す限り真白な崖が陽に輝いているのだ。三時間も経つと、それが天に消えて了ったので、更に驚いた。…………独逸に上陸してから、中に汽車というものの沢山はいっている硝子《ガラス》屋根の巨《おお》きな建物の中を歩いた。それから、家みたいに窓とデッキとのある馬車に乗り、五百も部屋のある家に泊った。…………独逸を離れて大分航海してから、川の様な狭い海を船がゆっくり進んだ。聖書の中で聞いていた紅海だと教えられ、欣《よろこ》ばしい好奇心で眺めた。それから、海の上を夕陽の色が眩《まぶ》しく赤々と流れる時刻に、別の軍艦に乗移らせられた。…………」
[#ここで字下げ終わり]
古い、美しいサモア語の発音で、ゆっくりゆっくり語られる此の話は、大変面白かった。
王は、私がマターファの名を口に出すことを懼《おそ》れているらしい。話好きな、人の善い老人だ。ただ、現在の自分の位置に就いての自覚が無いのである。明後日、又、是非訪ねて呉れという。マターファとの会見も迫っているし、身体の工合も良くないが、兎に角承知して置く。以後、通訳は、牧師のホイットミイ氏に頼もうと思う。同氏の宅で明後日、王と落合うことに決める。
四月×日
早朝馬で街へ下り、八時頃ホイットミイ氏の家へ行く。王と約束の会見の為なり。十時迄待ったが、王は来らず。使が来て、王は今、政務長官と用談中にて来られぬとのこと。夜七時頃なら来られるという。一旦家に戻り、夕刻又ホイットミイ氏の家に来て、八時頃迄待ったが、竟《つい》に来ない。無駄骨折って疲労甚だし。長官の監視を逃れて、こっそりやって来ることさえ、弱気なラウペパには出来ないのだ。
五月×日
午前五時半出発、ファニイ、ベル、同道。通訳兼|漕手《こぎて》として、料理人のタロロを連れて行く。七時に礁湖を漕出す。気分未だすぐれず。マリエに着きマターファから大歓迎を受く。但し、ファニイ、ベル、共に余が妻と思われたらしい。タロロは通訳としては、まるで成っていない。マターファが長々としゃべるのに、此の通訳は、唯、「私は大いに驚いた。」としか訳せない。何を言っても「驚いた」一点張。余の言葉を先方に伝えることも同然らしい。用談|進捗《しんちょく》せず。
カヴァ酒を飲み、アロウ・ルウトの料理を喰う。食後、マターファと散歩。余の貧弱なるサモア語の許す範囲で語合った。婦人連の為に、家の前で舞踏が行われた。
暮れてから帰途に就く。此のあたり、礁湖|頗《すこぶ》る浅く、ボートの底が方々にぶっつかる。繊月光淡し。大分沖へ出た頃、サヴァイイから帰る数隻の捕鯨ボートに追越される。灯をつけた・十二|丁《ちょう》櫓《ろ》・四十人乗の大型ボート。どの船でも皆漕ぎながら合唱していた。
遅いのでうち[#「うち」に傍点]へは帰れず。アピアのホテルに泊る。
五月××日
朝、雨中を馬でアピアヘ。今日の通訳サレ・テーラーと待合せ、午後から、又マリエヘ行く。今日は陸路。七|哩《マイル》の間ずっと土砂降。泥濘《ぬかるみ》。馬の頸《くび》に達する雑草。豚小舎の柵《さく》も八ヶ所程飛越す。マリエに着いた時は、既に薄暮。マリエの村には相当立派な民家がかなり在る。高いドーム型の茅屋根《かややね》をもち、床に小石を敷いた・四方の壁の明けっぱなしの建物だ。マターファの家も流石《さすが》に立派だ。家の中は既に暗く、椰子殻《やしがら》の灯が中央に灯《とも》っていた。四人の召使が出て来て、マターファは今、礼拝堂にいるという。其の方角から歌声が洩《も》れて来た。
やがて、主人がはいって来、我々が濡れた着物を換えてから、正式の挨拶あり。カヴァ酒が出る。列座の諸|酋長《しゅうちょう》に向って、マターファが余を紹介する。「アピア政府の反対を冒して、余(マターファ)を助けんが為に雨中を馳《は》せ来りし人物なれば、卿《きょう》等は以後ツシタラと親しみ、如何なる場合にも之に援助を惜しむべからず。」と。
ディナー、政談、歓笑、カヴァ、――夜半迄続く。肉体的に堪えられなくなった余のために、家の一隅が囲われ、其処にベットが作られた。五十枚の極上のマットを並べた上で独り眠る。武装した護衛兵と、他に幾人かの夜警が、徹宵家の周囲に就いている。日没から日の出まで彼等は無交代である。
暁方の四時頃、眼が覚めた。細々と、柔らかに、笛の音が外の闇から響いて来る。快い音色だ。和やかに、甘く、消入りそうな…………
あとで聞くと、此の笛は、毎朝きまって此の時刻に吹かれることになっているのだそうだ。家の中に眠れる者に良き夢を送らんが為に。何たる優雅な贅沢《ぜいたく》! マターファの父は、「小鳥の王」といわれた位、小禽《ことり》共《ども》の声を愛していたそうだが、其の血が彼にも伝わっているのだ。
朝食後テーラーと共に馬を走らせて帰途に就く。乗馬靴が濡れて穿《は》けないので跣足《はだし》。朝は美しく晴れたが、道は依然どろんこ[#「どろんこ」に傍点]。草のために腰まで濡れる。余り駈けさせたので、テーラーは豚柵の所で二度も馬から投出された。黒い沼。緑のマングロオヴ。赤い蟹《かに》、蟹、蟹。街に入ると、パテ(木の小太鼓)が響き、華やかな服を着けた土人の娘達が教会へはいって行く。今日は日曜だった。街で食事を摂ってから、帰宅。
十六の柵を跳び越えて二十|哩《マイル》の騎行(しかも其の前半は豪雨の中)。六時間の政論。スケリヴォアで、ビスケットの中の穀象虫の様にちぢかんでいた曾《かつ》ての私とは、何という相違だろう!
マターファは美しい見事な老人だ。我々は昨夜、完全な感情の一致を見たと思う。
五月××日
雨、雨、雨、前の雨季の不足を補うかのように降続く。ココアの芽も充分水を吸っていよう。雨の屋根を叩く音が止むと、急流の水音が聞えて来る。
「サモア史脚註」完成。勿論、文学ではないが、公正且つ明確なる記録たることを疑わず。
アピアでは白人達が納税を拒んだ。政府の会計報告がはっきりしないからだ。委員会も彼等を召喚する能《あた》わず。
最近、我が家の巨漢ラファエレが女房のファアウマに逃げられた。がっかりして、朋輩《ほうばい》の誰彼に一々共謀の疑をかけていたようだが、今はあきらめて新しい妻を見つけに掛かっている。
「サモア史」の完結で、愈々《いよいよ》、「デイヴィッド・バルフォア」に専念できる。「誘拐《キッドナップト》」の続篇だ。何度か書出しては、途中で放棄していたが、今度こそ最後迄続け得る見込がある。「難破船引揚業者《レッカー》」は余りに低調だった。(尤《もっと》も、割に良く読まれているというから不思議だが)「デイヴィッド・バルフォア」こそは「マァスタア・オヴ・バラントレエ」以来の作品となり得よう。デイヴィ青年に対する作者の愛情は、一寸他人には解るまい。
五月××日
C・J《チーフ・ジャスティス》・ツェダルクランツが訪ねて来た。どうした風の吹廻しやら。うち[#「うち」に傍点]の者と何気ない世間話をして帰って行った。彼は、最近のタイムズの私の公開状(その中で彼をこっぴどく[#「こっぴどく」に傍点]やっつけた)を読んでいる筈。どういう量見で来たのだろう?
六月×日
マターファの大饗宴《だいきょうえん》に招かれているので、朝早く出発。同行者――母、ベル、タウイロ(うち[#「うち」に傍点]の料理番の母で、近在の部落の酋長《しゅうちょう》夫人。母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯《たいく》をもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。仕方がない。跣足《はだし》になって岸まで歩く。約一|哩《マイル》、干潟《ひがた》の徒渉。上からはかんかん[#「かんかん」に傍点]照付けるし、下は泥でぬるぬる[#「ぬるぬる」に傍点]滑る。シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過《ひるすぎ》、泥だらけになって、やっとマリエに着く。母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
家の前面の緑地の周囲に、椰子《やし》の葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな矩形《くけい》の三方に土人達が部落別に集まっている。実にとりどりな色彩の服装だ。タパを纏《まと》った者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふった白檀《びゃくだん》を頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
中央の空地には、食物の山が次第に大きさを増して行く。(白人に立てられた傀儡《かいらい》ではない)彼等の心から推服する真の王者へと贈られた・大小酋長からの献上品だ。役人や人夫が列をなして歌を唱《うた》いながら贈物を次々に運び入れる。其等は一々高く振上げて衆に示され、接収役が鄭重《ていちょう》な儀礼的誇張を以て、品名と贈呈者とを呼び上げる。この役人は頑丈な体格の男で、全身に良く油が塗り込んであるらしく、てらてら[#「てらてら」に傍点]光っている。豚の丸焼を頭上に振廻しながら、滝の様な汗を流して叫んでいる有様は、壮観である。我々の持参したビスケットの缶と共に、「アリイ・ツシタラ・オ・レ・アリイ・オ・マロ・テテレ」(物語作者酋長・大政府の酋長)と紹介される声を私は聞いた。
我々の為に特に設けられた席の前に、一人の老いたる男が、緑の葉を頭に載せて坐っている。少し暗い・けん[#「けん」に傍点]のある其の横顔は、ダンテにそっくりだ。彼は、此の島特有の職業的説話者の一人、しかも其の最高権威で、名をポポという。彼の傍には、息子や、同僚達が坐っている。我々の右手、かなり離れて、マターファが坐っており、時々彼の脣《くちびる》が動き、手頸《てくび》の数珠玉の揺れるのが見える。
一同はカヴァを飲んだ。王が一口飲んだ時、全く驚かされたことに、ポポ父子《おやこ》がとてつ[#「とてつ」に傍点]もなく奇妙な吠声《ほえごえ》を立てて、之を祝福した。こんな不思議な声は、まだ聞いたことがない。狼の吠声の様だが、「ツイアツア万歳」の意味だそうだ。やがて食事になった。マターファが喰終ると、又しても奇怪な吠声が響いた。此の非公認の王の面上に、一瞬、若々しい誇と野心の色が生動し、直ぐに又消去るのを、私は見た。ラウペパとの分離以来、始めて、ポポ父子がマターファの許に来てツイアツアの名を讃えたからであろう。
既に食物搬入は済んだ。贈物は順々に注意深く数えられ、記帳された。ふざけた説話者が、品名や数量を一々変な節廻しで呼上げては、聴衆を笑わせている。「タロ芋六千箇」「焼豚三百十九頭」「大海亀三匹」……
それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物の堆《うずたか》く積まれた庭に飛出して、奇妙な踊を始めた。父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地に蹲《かが》まり、其の儘《まま》何ともいえない恰好《かっこう》で飛び跳ね、此の踊の画く円は次第に大きくなって行った。彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有《もの》になるのだ。中世のダンテが忽然《こつぜん》として怪しげな情ないものに変った。此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石《さすが》にサモア人の間にさえ笑声を呼起した。私の贈ったビスケットも、生きた一頭の犢《こうし》も、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。
さて、物語作者酋長《ル・アリイ・ツシタラ》の番が来た。彼は踊らなかったが、五羽の生きた※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]、油入|瓢箪《ひょうたん》[#「瓢箪」は底本では「飄箪」]四箇、筵《むしろ》四枚、タロ芋百箇、焼豚二頭、鱶《ふか》一尾、及び大海亀一匹を贈られた。之は「王より大酋長への贈物」である。之等は、合図の下に、ラヴァラヴァを褌《ふんどし》ほども短く着けた数人の若者によって、食物群中から運び出される。彼等が食物の山の上に屈《かが》み込んだかと思うと、忽《たちま》ち、あやまり無き速さを以て、命ぜられた品と数量とを拾い上げ、サッと、それを又、別の離れた場所へ綺麗に積上げる。その巧みさ! 麦畑にあさる鳥の群を見る如し。
突然、紫の腰布を着けた壮漢が九十人ばかり現れて、我々の前に立停った。と思うと、彼等の手から、それぞれ空中高く、生きた稚※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]《わかどり》が力一杯投上げられた。百羽に近い※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が羽をばたつかせながら落ちて来ると、それを受取って、又、空へ投げ返す。それが、幾度も繰返される。騒音、歓声、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]の悲鳴。振廻し、振上げられる逞《たくま》しい銅色の腕、腕、腕、…………観ものとしては如何にも面白いが、しかし一体何羽の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が死んだことだろう!
家の中でマターファと用談を済ませてから、水辺へ下りて行くと、既に貰い物の食物は舟に積込まれてあった。乗ろうとすると、スコール襲来、再び家に戻り、半時間休んでから、五時出発、またボートとカヌーとに分乗。水の上に夜が落ち、岸の灯が美しい。みんな唱い出す。小山の如く厖大《ぼうだい》なタウイロ夫人が素晴らしく良い声なので一驚する。その途中、又スコール。母もベルもタウイロも私も海亀も豚もタロ芋も鱶も瓢箪も、みんなびしょ[#「びしょ」に傍点]濡れ。ボートの底に溜《たま》った生ぬるい水に漬りながら、九時近く、やっとアピアに着く。ホテル泊まり。
六月××日
召使達が、裏山の藪《やぶ》の中で骸骨を見付けたと言って騒ぐので、みんなを連れて行って見る。成程、骸骨には違いないが、大分、時の経ったものだ。此の島の成人《おとな》としては、どうも小さ過ぎるようだ。藪の・ずうっと奥の・薄暗く湿った辺なので、今迄人目に付かなかったのだろう。そこらを掻廻している中に、又、別の頭蓋骨《ずがいこつ》(今度は頭だけ)が見付かった。私の親指二本はいる位の弾丸の穴があいている。二つの頭蓋骨を並べた時、召使達は、一寸ロマンティックな説明を見付けた。此の気の毒な勇士は戦場で敵の首を取った(サモア戦士の最高の栄誉)のだが、自らも重傷を負うていたので、味方にそれを見せることが出来ず、此処迄這っては来たが、空しく敵の首を抱いたまま死んで了ったのだろうと。(とすれば、十五年前の・ラウペパとタラヴォウとの戦の時のことか?)ラファエレ達が直ぐに骨を埋めにかかった。
夕方六時頃、馬で裏の丘を下りようとした時、前面の森の上に大きな雲を見た。それは、甲虫《かぶとむし》の如き額をした・鼻の長い男の横顔をはっきり現していた。顔の肉に当る部分は絶妙の桃色で、帽子(大きなカラマク人の帽子)、髭《ひげ》、眉毛は青がかった灰色。子供じみた此の図柄と、色の鮮明さと、そのスケールの大きさ(全く途方もない大きさ)とが、私を茫然《ぼうぜん》とさせた。見ている中に表情が変った。たしかに片眼を閉じ、顎《あご》を引く様子である。突然、鉛色の肩が前にせり出して、顔を消して了った。
私は他の雲々を見た。はっ[#「はっ」に傍点]と思わず息をのむばかりの・壮大な・明るい・雲の巨柱の林立。それ等の脚は水平線から立上り、其の頂きは天頂距離三十度以内にあった。何という崇高さだったろう! 下の方は氷河の陰翳《いんえい》の如く、上に行くにつれ、暗い藍《インディゴオ》から曇った乳白に至る迄の微妙な色彩変化のあらゆる段階を見せている。背後の空は、既に迫る夜のために豊かにされ又暗くされた青一色。その底に動く藍紫色の・なまめかしいばかりに深々とした艶と翳《かげ》。丘は、はや日没の影を漂わせているのに、巨大な雲の頂上は、白日の如き光に映え、火の如く・宝石の如き・最も華やかな柔かい明るさを以て、世界を明るくしている。それは、想像される如何なる高さよりも高い所にある。下界の夜から眺める・其の清浄|無垢《むく》の華やかな荘厳さは、驚異以上である。
雲に近く、細い上弦の月が上っている。月の西の尖《とが》りの直ぐ上に、月と殆ど同じ明るさに光る星を見た。黒み行く下界の森では、鳥共の疳高《かんだか》い夕べの合唱。
八時頃見たら、月は先刻より大分明るく、星は今度は月の下に廻っていた。明るさは依然同じくらい。
七月××日
「デイヴィッド・バルフォア」漸《ようや》く快調。
キューラソー号入港、艦長ギブソン氏と会食。
巷間《こうかん》の噂によれば、R・L・S・は本島より追放さるべしと。英国領事がダウニング街に訓令を請いたる由。余の存在は島内の治安に害ありとや? 余も亦偉大なる政治的人物にあらずや。
八月××日
昨日又、マターファの招により、マリエに赴く。通訳はヘンリ(シメレ)。会談中マターファが私をアフィオガと呼んで、ヘンリを仰天させた。今迄私はススガ(閣下に当ろうか?)と呼ばれていたのだが、アフィオガは王族の称呼である。マターファの家に一泊。
今朝、朝食後、大灌奠式《ローヤル・カヴァ》を見る。王位を象徴する古い石塊にカヴァ酒を灌《そそ》ぐのだ。此の島に於てさえ半ば忘れられた楔形《くさびがた》文字的典礼。老人の白髯《はくぜん》を集めて作った兜《かぶと》の飾り毛を風に靡《なび》かせ、獣歯の頸掛《くびかけ》をつけた・身長六|呎《フィート》五|吋《インチ》の筋骨隆々たる赤銅色の戦士達の正装姿は、全く圧倒的である。
九月×日
アピア市婦人会主催の舞踏会に出席。ファニイ、ベル、ロイド、及びハガァド(例のライダア・ハガァドの弟。快男児なり、)も同行。会半ばにして裁判所長《チーフ・ジャスティス》ツェダルクランツ現る。数ヶ月前不得要領な訪問を受けて以来の対面なり。小憩後、彼と組になってカドリルを踊る。珍妙にして恐るべきカドリルよ! ハガァド曰《いわ》く、「奔馬の跳躍にさも似たり」と。我等二人の公敵が、それぞれ、厖大《ぼうだい》にして尊敬すべき二人の婦人に抱きかかえられつつ、手を組み足を蹴上げて跳ね廻る時、大法官も大作家も共に、威厳を失墜すること夥《おびただ》し。
一週間前、チーフ・ジャスティスは混血児の通訳をそそのかして、私に不利な証拠を掴《つか》ませようとあせっていたし、私は私で今朝も、此の男を猛烈に攻撃した第七回目の公開状をタイムズヘ書いていた。
我々は、今微笑を交しつつ、奔馬の跳躍に余念がない!
九月××日
「デイヴィッド・バルフォア」漸く仕上。と同時に、作者もぐったりして了った。医者に診て貰うと、決って、此の熱帯の気候の「温帯人を傷める」性質に就いての説明を聞かされる。どうも信じられない。この一年間、煩わしい政治騒ぎの中で持続的にやって来た労作のようなものは、まさか、ノルウェーでは出来まいに。兎に角、身体は疲労の極に達している。「デイヴィッド・バルフォア」に就いては、大体満足。
昨日の午後街へ使にやったアリック少年が、昨夜遅く繃帯《ほうたい》をし眼を輝かして帰って来た。マライタ部落の少年等と決闘、三・四人を傷つけて来たと。今朝、彼はうち[#「うち」に傍点]中の英雄になっていた。彼は一本糸の胡弓《こきゅう》を作り、自ら勝利の唄を奏で、且つ踊った。興奮している時の彼は中々美少年である。ニュウ・ヘブリディスから来た当座は、うち[#「うち」に傍点]の食事が旨《うま》いとて無闇に食過ぎ、腹が凄くふくらんで了って苦しんだことがあったが。
十月×日
朝来、胃痛|劇《はげ》し。阿片《あへん》丁幾《チンキ》十五滴服用。この二三日は仕事をせず。我が精神は所有者未定《アベイヤンス》の状態にあり。
曾《かつ》て私は華やかな青年だったらしい。というのは其の頃、友人の誰もが、私の作品よりも私の性格と談話との絢爛《けんらん》さを買っていたようだったから。しかし、人は何時迄もエァリエルやパックばかりではいられない。「ヴァージニバス・ピュエリスク」の思想も文体も、今では最も厭《いと》わしいものになって了った。実際イエールでの喀血《かっけつ》後、凡《すべ》てのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。宛《あたか》も、海へ行く場合、私が何時も溺《おぼ》れることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わぬであろう。此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。それは、意識せる・勇気ある・楽しさを以て、以後の生を支えて行くに足るもの――信念に幾《ちか》いものだ。快楽も要らぬ。インスピレーションも要らぬ。義務感だけで充分やって行ける自信がある。蟻の心構を以て、蝉の唄を歌い続け得る自信が。
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市場《いち》に 街頭《まち》に
私は太鼓をとどろと鳴らす
紅い上衣《コート》を着て私の行くところ
頭上にリボンは翩翻《へんぽん》と靡く。
新しい戦士を求めて
私は太鼓をとどろと鳴らす
わが伴侶《とも》に私は約束する
生きる希望と、死ぬ勇気とを。
[#ここで字下げ終わり]
九
満十五歳以後、書くこと[#「書くこと」に傍点]が彼の生活の中心であった。自分は作家となるべく生れついている、という信念は、何時、又、何処から生じたものか、自分でも解らなかったが、兎に角十五六歳頃になると、既に、それ以外の職業に従っている将来の自分を想像して見ることが不可能な迄になっていた。
其の頃から、彼は外出の時いつも一冊のノートをポケットに持ち、路上で見るもの、聞くもの、考えついたことの凡てを、直ぐ其の場で文字に換えて見ることを練習した。其のノートには又彼の読んだ書物の中で「適切な表現」と思われたものが悉《ことごと》く書抜いてあった。諸家のスタイルを習得する稽古《けいこ》も熱心に行われた。一つの文章を読むと、それと同じ主題を種々違った作家の――或いはハズリットの、或いはラスキンの、或いはサア・トマス・ブラウンの――文体で以て幾通りにも作り直してみた。こうした習練は、少年時代の数年に亘って倦《う》まずに繰返された。少年期を纔《わず》かに脱した頃、未だ一つの小説をも、ものしない前に、彼は、将棋《チェス》の名人が将棋に於て有《も》つような自信を、表現術の上に有っていた。エンジニーアの血を享《う》けた彼は自己の途《みち》に於ても技術家としての誇を早くから抱いていた。
彼は殆ど本能的に「自分は自分が思っている程、自分ではないこと」を知っていた。それから「頭は間違うことがあっても、血は間違わないものであること。仮令《たとえ》一見して間違ったように見えても、結局は、それが真の自己[#「真の自己」に傍点]にとって最も忠実且つ賢明なコースをとらせているのであること。」「我々の中にある我々の知らないものは、我々以上に賢いのだということ」を知っていた。そうして、自らの生活の設計に際しては、其の唯一の道――我々より賢いものの導いて呉れる其の唯一の途を、最も忠実、勤勉に歩むことにのみ全力を払い、他の一切は之を棄てて顧みなかった。俗衆の嘲罵《ちょうば》や父母の悲嘆をよそに彼は此の生き方を、少年時代から死の瞬間に至るまで続けた。「うすっぺら」で、「不誠実」で、「好色漢」で、「自惚《うぬぼれ》や」で、「がりがりの利己主義者」で、「鼻持のならぬ気取りや」の彼が、この書く[#「書く」に傍点]という一筋の道に於てのみは、終始一貫、修道僧の如き敬虔《けいけん》な精進を怠らなかった。彼は殆ど一日としてもの[#「もの」に傍点]を書かずには過ごせなかった。それは最早肉体的な習慣の一部だった。絶間なく二十年に亘って彼の肉体をさいなんだ肺結核、神経痛、胃痛も、此の習慣を改めさせることは出来なかった。肺炎と坐骨神経痛と風眼とが同時に起った時、彼は、眼に繃帯《ほうたい》を当て、絶対安静の仰臥《ぎょうが》のまま、囁《ささや》き声《ごえ》で「ダイナマイト党員」を口述して妻に筆記させた。
彼は、死と余りに近い所に常に住んでいた。咳込んだ口を抑える手巾《ハンカチ》の中に紅いものを見出さないことは稀《まれ》だったのである。死に対する覚悟に就いてだけは、この未熟で気障《きざ》な青年も、大悟徹底した高僧と似通ったものを有《も》っていた。平生、彼は自分の墓碑銘とすべき詩句をポケットにしのばせていた。「星影繁き空の下、静かに我を眠らしめ。楽しく生きし我なれば、楽しく今は死に行かむ」云々《うんぬん》。彼は、自分の死よりも、友人の死の方を、寧《むし》ろ恐れた。自らの死に就いては、彼は之に馴れた。というよりも、一歩進んで、死と戯れ、死と賭《かけ》をするような気持を有《も》っていた。死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか? 之は大変|豪奢《ごうしゃ》な賭のように思われた。出発時間の迫った旅人の様な気持に追立てられて、彼はひたすらに書いた。そうして、実際、幾つかの美しい「空想と言葉との織物」を残した。「オララ」の如き、「スロオン・ジャネット」の如き、「マァスタア・オヴ・バラントレエ」の如き。「成程、其等の作品は美しく、魅力に富んではいるが、要するに、深味のないお話[#「お話」に傍点]だ。スティヴンスンなんて結局通俗作家さ。」と、多くの人がそう言う。しかし、スティヴンスンの愛読者は、決して、それに答える言葉に窮しはしない。「賢明なスティヴンスンの守護天使《ジーニアス》(その導きによって彼が、作家たる彼の運命を辿《たど》ったのだが)が、彼の寿命の短いであろうことを知って、(何人にとっても四十歳以前に其の傑作を生むことが恐らくは不可能であろう所の・)人間性|剔抉《てっけつ》の近代小説道を捨てさせ、その代りに、此の上なく魅力に富んだ怪奇な物語の構成と、その巧みな話法との習練に(之ならば仮令早世しても、少くとも幾つかの良き美しきものは残せよう)向わせたのである」と。「そして、之こそ、一年の大部分が冬である北国の植物にも、極く短い春と夏の間に大急ぎで花を咲かせ実を結ばせる・あの自然の巧みな案排《あんばい》の一つなのだ」と。人、或いは云うであろう。ロシア及びフランスのそれぞれ最も卓《すぐ》れた最も深い短篇作家も、共に、スティヴンスンと同年、或いは、より若く死んでいるではないか、と。しかし彼等は、スティヴンスンがそうであった様に、絶えざる病苦によって短命の予覚に脅され通しではなかったのである。
小説《ロマンス》とは circumstance の詩だと、彼は言った。事件《インシデント》よりも、それに依って生ずる幾つかの場面の効果を、彼は喜んだのである。ロマンス作家を以て任じていた彼は、(自ら意識すると、せぬとに拘《かか》わらず)自分の一生を以て、自己の作品中最大のロマンスたらしめようとしていた。(そして、実際、それは或る程度迄成功したかに見える。)従って其の主人公《ヒーロー》たる自己の住む雰囲気は、常に、彼の小説に於ける要求と同じく、詩をもったもの、ロマンス的効果に富んだものでなければならなかった。雰囲気描写の大家たる彼は、実生活に於て自分の行動する場面場面が、常に、彼の霊妙な描写の筆に値する程のものでなければ我慢がならなかったのである。傍人の眼に苦々しく映ったに違いない・彼の無用の気取(或いはダンディズム)の正体は、正しく此処にあった。何の為に酔狂にも驢馬《ろば》なんか連れて、南|仏蘭西《フランス》の山の中をうろつかねばならぬか? 何の為に、良家の息子が、よれよれ[#「よれよれ」に傍点]の襟飾《ネクタイ》をつけ、長い赤リボンのついた古帽子をかぶって放浪者気取をする必要があるか? 何だって又、歯の浮くような・やにさがった[#「やにさがった」に傍点]調子で「人形は美しい玩具だが、中味は鋸屑《おがくず》だ」などという婦人論を弁じなければ気が済まぬのか? 二十歳のスティヴンスンは、気障のかたまり[#「かたまり」に傍点]、厭味《いやみ》な無頼漢《ならずもの》、エディンバラ上流人士の爪弾き者だった。厳しい宗教的雰囲気の中に育てられた白面病弱の坊ちゃんが、急に、自らの純潔を恥じ、半夜、父の邸《やしき》を抜け出して紅灯の巷《ちまた》をさまよい歩いた。ヴィヨンを気取り、カサノヴァを気取る此の軽薄児も、しかし、唯一筋の道を選んで、之に己の弱い身体と、短いであろう生命とを賭《か》ける以外に、救いのないことを、良く知っていた。緑酒と脂粉の席の間からも、其の道が、常に耿々《こうこう》と、ヤコブの砂漠で夢見た光の梯子《はしご》の様に高く星空迄届いているのを、彼は見た。
十
一八九二年十一月××日
郵船日とてベルとロイドとが昨日から街へ行って了ったあと、イオプは脚が痛くなり、ファアウマ(巨漢の妻は再びケロリとして夫の許に戻って来た。)は肩に腫物《はれもの》が出来、フアニイは皮膚に黄斑《おうはん》が出来始めた。ファアウマのは丹毒の懼《おそれ》があるから素人療法では駄目らしい。夕食後騎馬で医者の所へ行く。朧月夜《おぼろづきよ》。無風。山の方で雷鳴。森の中を急ぐと、例の茸《きのこ》の蒼い灯が地上に点々と光る。医者の所で明日の来診を頼んだ後、九時迄ビールを飲み、独逸《ドイツ》文学を談ず。
昨日から新しい作品の構想を立て始める。時代は一八一二年頃。場所はラムマムーアのハーミストン附近及びエディンバラ。題は未定。「ブラックスフィールド」? 「ウィア・オヴ・ハーミストン」?
十二月××日
増築完成。
本年度の year bill が廻って来る。約四千|磅《ポンド》。今年はどうやら収支償えるかも知れぬ。
夜、砲声を聞く。英艦入港せりと。街の噂では、私が近い中に逮捕護送されることになっているらしい。
カッスル社から「壜《びん》の悪魔」と「ファレサの浜辺」とを合せ、「島の夜話」として出そうと言って来る。此の二つは余りに味が違い過ぎて、おかしくはないか? 「声の島」と「放浪の女」とを加えてはどうかと思う。
「放浪の女」を入れることには、ファニイが不服だという。
一八九三年一月×日
引続いて微熱去らず。胃弱も酷《ひど》い。
「デイヴィッド・バルフォア」の校正刷、未だに送って来ない。どうした訳か? もう少くとも半分は出ていなければならない筈。
天候はひどく悪い。雨。飛沫《しぶき》。霧。寒さ。
払えると思っていた増築費、半分しか払えない。どうして、うち[#「うち」に傍点]は斯んなに金がかかるのか? 格別|贅沢《ぜいたく》をしているとも思えないのに。ロイドと毎月頭を絞るのだが、一つ穴を埋めれば、外に無理が出来てくる。やっと巧《うま》く行きそうな月には、決って英国軍艦が入港し士官等の招宴を張らねばならぬようになる。召使が多過ぎる、という人もある。傭《やと》ってある者は、そう大した人数ではないが、彼等の親類や友人が終始ごろごろしているので、正確な数は判らない。(それでも百人を多くは越さないだろう。)だが、之は仕方がない。私は族長だ、ヴァイリマ部落の酋長《しゅうちょう》なのだ。大酋長は、そんな小さな事にかれこれ云うべきではない。それに実際、土人が何程いても其の食費は知れたものなのだから。うち[#「うち」に傍点]の女中達が島民の標準よりは幾らか顔立が良いとかで、ヴァイリマをサルタンの後宮に比べた莫迦《ばか》がいる。だから金がかかるだろうと。明らかに中傷の目的で言ったには違いないが、冗談も良い加減にするがいい。このサルタンは精力絶倫どころか、辛うじて生きながらえている痩男《やせおとこ》だ。ドン・キホーテに比べたり、ハルン・アル・ラシッドにしたり、色んな事をいう奴等だ。今に、聖パオロになったり、カリグラになったりするかも知れぬ。又、誕生日に百人以上の客を招《よ》ぶのは贅沢《ぜいたく》だという人もある。私は、そんなに沢山の客を招んだ覚えはない。向うで勝手に来るのだ。私に、(或いは、少くとも私のうち[#「うち」に傍点]の食事に)好意をもって来て呉れる以上、之も仕方が無いではないか。祝宴等の際に土人をも招ぶからいけない、などと言うに至っては言語道断。白人を断っても彼等を招んでやり度い位だ。其等|凡《すべ》ての費用を初めから計算に入れて、尚、結構やって行ける積りだったのだ。何しろ斯《こ》んな島のこととて、贅沢はしようにも出来ないのだから。兎に角、私は昨年中に四千|磅《ポンド》以上は書捲《かきま》くった。それでなお足りないのだ。サー・ウォルター・スコットを思う。突然破産し・次いで妻を失い・絶えず債鬼に責められて機械的に駄作を書き飛ばさねばならなかった・晩年のスコットを。彼には、墓場のほかに休息は無かった。
又も戦争の噂。実に煮え切らないポリネシア的な紛争だ。燃えそうでいて燃えず、消えかかっていて、猶《なお》、くすぶっている。今度も、ツツイラの西部で酋長等の間に小競合があったばかりだから、大した事はなかろう。
一月××日
インフルエンザ流行。うち中殆どやられる。私の場合には余計な喀血《かっけつ》まで伴って。
ヘンリ(シメレ)が実に良く働いて呉れる。元来サモア人は極く賤《いや》しい者でも汚物を運ぶことを嫌うのに、小酋長たるヘンリが毎晩敢然と汚物のバケツを提げては蚊帳《かや》をくぐって捨てに行っていた。みんなが大抵|快《よ》くなった今、最後に彼に感染したらしく、熱を出している。近頃彼のことを戯れにデイヴィ(バルフォア)と呼ぶことにしている。
病中、又新しい作品を始めた。ベルに書取らせる。英国に捕虜となった一|仏蘭西《フランス》貴族の経験を書くのだ。主人公の名がアンヌ・ド・サント・イーヴ。それを英語読みにして「セント・アイヴス」と題しようと思う。ローランドソンの「文章法」と、一八一〇年代の仏蘭西及びスコットランドの風俗習慣、殊に監獄状態に就いての参考書を送って呉れるよう、バクスタアとコルヴィンとに頼んでやる。「ウィア・オヴ・ハーミストン」にも「セント・アイヴス」にも、両方に必要だから。図書館の無いこと。本屋との交渉に手間どること。此の二つには全く閉口する。記者に追いかけられる煩わしさの無いのは良いが。
政務長官も、裁判所長《チーフ・ジャスティス》も辞職説を伝えられながら、アピア政府の無理な政策は依然変らない。彼等は、税を無理に取立てるために、軍隊を増強してマターファを追払おうとしているようだ。成功するにしても、しないにしても、白人の不人気、人心の不安、この島の経済的疲弊は加わる一方である。
政治的な事に立入るのは煩わしい。此の方面に於ける成功は、人格|毀損《きそん》以外の如何なる結果をも齎《もたら》さない、とさえ思う。…………私の政治的関心(この島に於ける)が減った訳ではない。ただ、長く病臥《びょうが》し喀血などすると、自然、創作に割く時間が制限されるので、此の上にも貴重な時間をとる政治問題が少々うるさくなることがあるのだ。しかし、気の毒なマターファのことを考えると、じっとしていられないような気がする。精神的援助しか与えることの出来ぬ腑甲斐なさ! だが、お前に政治的権力があるとすれば、一体どうしてやり度いのだ? マターファを王にする? 宜しい。そうなればサモアは立派に存続できると思っているのか? 哀れな文学者よ。お前は本当にそう信じているのか? それとも、近い将来に於けるサモアの衰亡を予想しながら、唯感傷的な同情をマターファに注いでいるに過ぎないのか? 最も白人的な同情を。
コルヴィンからの手紙の中に、私の書信が余りに何時も「君の|黒色人及び褐色人《ブラックス・アンド・チョコレーツ》」のことを書き過ぎる、と言って来ている。ブラックス・アンド・チョコレーツに対する関心が私の制作時間を奪い過ぎては困るという・彼の気持は解らぬことはない。しかし結局、彼(並びに他の在英の友人達)には、私が私のブラックス・アンド・チョコレーツに対して如何に親身な気持を有《も》っているかが本当には解っていないのだ。この事ばかりでなく、他の一般に就いても、四年間も会わないで全然違った環境に身を置いている中に、彼等と私との間に、越え難い溝が出来ているのではないか? 此の考は恐ろしい。親しい者が長く離れているのは良くないことだ。泣き度い程会いたく思いながら、会った途端に、案外、双方ともあじきなく此の溝を意識しなければならぬのではないか? 恐ろしいが、之は本当かも知れぬ。人は変る。刻々に。我々は何たる怪物であるか!
二月××日 シドニイにて
自分で自分に休暇を与え、五週間位の予定でオークランドからシドニイヘ遊びに来たのだが、同行のイソベルは歯痛、ファニイは感冒、自分は感冒から肋膜炎《ろくまくえん》。何のために来たのだか解らぬ。それでも当市では、プレスビテリアン教会総会と芸術|倶楽部《クラブ》と、都合二回講演をした。写真を撮られ、像牌《メダリヨン》を作られ、街の通りを歩けば、人々が振返って私を指さし私の名をささやく。名声? 変なものだ。曾《かつ》て自分がそれに成上ることを卑しんだ名士[#「名士」に傍点]に、何時しか成上っているのか? 滑稽《こっけい》な話だ。サモアでは、土人の眼からは、大邸宅に住む白人酋長。アピアの白人連にとっては、政策上の敵か味方か、いずれかだ。その方が遥かに健全な状態だ。此の温帯地の・色彩の褪《あ》せた幽霊然たる風景と比べる時、我がヴァイリマの森の、何という美しさ! 我が・風吹く家の、何たる輝かしさ!
此の地に隠退している、ニュージーランドの父、サー・ジョージ・グレイに会った。政治家嫌いの私が彼に面会を求めたのは、彼が人間であることを――マオリ族に最も博大な人間愛を注いだ人間であることを信じたからだ。会って見ると、果して立派な老人だった。彼は実に良く土人を――その微妙な生活感情に至る迄、知っている。彼は真にマオリ人の身になって、彼等のことを考えてやった。植民地総督として全く異例のことだ。彼は、マオリ人に英人と同等の政治上の権力を与え、土人代議士の選出を認めた。そのため白人移民に欣《よろこ》ばれず、職を辞したのである。しかし、彼の斯うした努力のお蔭で、ニュージーランドは今最も理想的な植民地になっているのだ。私は彼に、サモアで自分のしたこと、しようと欲したこと、其の政治的自由に就いては自分の力の及ぶ所でないとするも兎に角、土人の将来の生活、その幸福の為に今後も尽くそうとしていること等を語った。老人は一々共鳴し、激励して呉れた。曰《いわ》く、「決して絶望するものではない。私は、如何なる場合にも絶望が無用であることを真に悟る迄長生した少数者の一人なのだ。」と。自分も大分元気になった。俗悪を知り尽くして、尚、高きものを失わない人間は、貴ばれねばならぬ。
木の葉一枚をとって見ても、サモアの脂ぎった盛上るような強い緑色と違って、此処のは、まるで生気のない・薄れかかったような色に見える。肋膜《ろくまく》が治り次第、早く、あの・空中に何時も緑金の微粒子が光り震えているような・輝かしい島へ帰りたい。文明世界の大都市の中では窒息しそうだ。騒音の煩わしさ! 金属のぶつかり合う硬い機械の音の、いらだたしさ!
四月×日
濠洲《ごうしゅう》行以来の私とファニイとの病気も漸《ようや》く治った。
此の朝の快さ。空の色の美しさ、深さ、新しさ。今、大いなる沈黙は、ただ遠く太平洋の呟きによって破られるのみ。
小旅行と引続いて病気をしている間に、島の政治情勢はひどく急迫して来ている。政府側のマターファ或いは叛乱者側に対する挑戦的態度が目立って来た。土人の所有せる武器を凡《すべ》て取上げることになるだろうという。今や政府側の軍備が充実したに違いない。一年前と比べて、情勢はマターファに著しく不利だ。役人達・酋長《しゅうちょう》達に会って見ても、戦争を避けようと真面目に考えている者がないのに驚かされる。白人官吏は之を利用して自分等の支配権の拡充を考えるだけだし、土人、殊にその青年共は戦争と聞いただけで、ただもう興奮して了う。マターファは案外落着いている。彼は形勢の不利を自覚していないのだ。彼も、彼の部下も、戦争を、自分等の意志を離れた一つの自然現象と考えているようだ。
ラウペパ王は、彼とマターファとの間に立とうとする私の調停を斥《しりぞ》けた。面と向っている時は極めて愛想の良い男だのに、会わないでいると、直ぐ斯《こ》うだ。彼自身の意志でないことは明らかだが。
ポリネシア式の優柔不断が戦争を容易に起させないであろうことを唯一の頼として、拱手《きょうしゅ》傍観している外はないのか? 権力を有《も》つのは善い事だ。もし、それが、それを濫用しない理性の下にある時は。
ロイドに手伝わせながら「退潮《エッブ・タイド》」遅々として進行中。
五月×日
「退潮《エッブ・タイド》」に苦吟。三週間かかって、やっと二十四頁。それも全部に亘って、もう一度書直しを要するのだ。(スコットの恐るべき速さを考えると厭《いや》になる。)第一、これは作品としても下《くだ》らぬものだ。昔は、前日書いた分を読返して見るのが楽しかったのに。
マターファ側の代表者が政府と交渉の為、毎日マリエからアピアヘ通《かよ》っていると聞いて、彼等をうち[#「うち」に傍点]へ引取って、此処から通わせることにした。毎日往復十四|哩《マイル》では大変だから。但し、この事によって、私は今や公然と叛乱者側の一員と認められるようになった。私への書簡は一々チーフ・ジャスティスの検閲を受けねばならぬ。
夜、ルナンの「基督《キリスト》教の起原」を読む。素晴らしく面白い。
五月××日
郵船日だというのに、やっと十五頁分(「退潮《エッブ・タイド》」)しか送れない。もう此の仕事は厭になった。スティヴンスン家の歴史でも又続けようか? それとも、「ウィア・オヴ・ハーミストン」? 「退潮《エッブ・タイド》」には全く不満だ。文章に就いて云っても、言葉のヴェイルがあり過ぎる。もっと裸の筆が欲しい。
収税吏に新宅の税を督促さる。郵便局へ行き、「島の夜話」六部を受取る。挿絵を見て驚いた。挿絵画家は南洋を見たことがないのだ。
六月××日
消化不良と喫煙過多と、金にならぬ過労とで、全く死にそうだ。「退潮《エッブ・タイド》」百一頁迄漸く辿《たど》りつく。一人の人物の性格がはっきり掴《つか》めない。それに近頃は文章に迄苦労するんだから、話にならぬ。一つの文句に半時間かかる。色々な類似の文句を無闇に並べて見ても、中々気に入るのが見付からない。斯んな莫迦《ばか》げた苦労は、何ものをも産みはせぬ。くだらぬ蒸溜《じょうりゅう》だ。
今日は朝から西風、雨、飛沫《しぶき》、冷々した気温。ヴェランダに立っていたら、ふと、或る異常な(一見根拠のない)感情が私を通って流れた。私は文字通り、よろめいた。それから、やっと説明がついた。私は、スコットランド的な雰囲気とスコットランド的な精神や肉体の状態を見出したからだと悟った。平生のサモアとは似てもつかない・この冷々した・湿っぽい・鉛色の風景が、私を何時しか、そんな状態に変えていたのだ。ハイランドの小舎。泥炭の煙。濡れた着物。ウイスキイ。鱒の躍る渦巻く小川。今此処から聞えるヴァイトゥリンガの水音までが、ハイランドの急流のそれの様な気がして来る。自分は何の為に故郷を飛出して、こんな所迄流れて来たのか? 胸を締めつけられる様な思慕を以て遠くからそれを思出すために、か? ひょいと、何の関係もない・妙な疑念が湧いた。自分は今迄何か良き仕事を此の地上に残したか? と。之は怪しいものだ。何故又私は、そんな事を知りたいと望むのか? ほんの僅かの時が経てば、私も、英国も、英語も、わが子孫の骨も、みんな記憶から消えて了うだろうに。しかも――それでも人間は、ほんの暫しの間でも人々の心に自分の姿を留めて置きたいと考える。下らぬ慰みだ。…………
こんな暗い気持にとりつかれるのも、過労と、「退潮《エッブ・タイド》」の苦しみとの結果だ。
六月××日
「退潮《エッブ・タイド》」は一時暗礁に乗上げたままにして置いて、「エンジニーアの家」の祖父の章を書上げた。
「退潮《エッブ・タイド》」は最悪の作品に非ざるか?
小説という文学の形式――少くとも私の形式――が厭になって来た。
医者に診て貰うと、少し休養をとれ、と云う。執筆を止めて軽い戸外運動だけにすることだ、と。
十一
医者というものを、彼は信用しなかった。医者は、ただ、一時的の苦痛を鎮めて呉れるだけだ。医者は、患者の肉体の故障(一般人間の普通の生理状態と比較しての異常)を見出しはするが、其の肉体の障害と、その患者自身の精神生活との関聯《かんれん》とか、又、その肉体の故障が、其の患者の一生の大計算の中に於て、どの程度の重要さに見積らるべきか、などに就いては、何事をも知らぬのである。医者の言にのみ基づいて一生の計画を変更したりする如きは、何と唾棄すべき物質主義・肉体万能主義であるか! 「何はともあれ、汝の制作を始めよ。仮令《たとえ》、医者が汝に一年の、或いは一月の余生すら保証せずとも、怯《おそ》れずして仕事に向い、而して、一週間に為され得る成果を見よ。我々が意義ある労作を讃うべきは、完成されたる仕事に於てのみではない。」
しかし、少しの過労が直ぐに応《こた》えて、倒れたり喀血《かっけつ》したりするのには、彼も閉口した。如何に彼が医者の言を無視しようとも、之ばかりはどうにもならぬ現実である。(けれども、おかしいことに、それが彼の制作を妨げるという実際的な不便を除いては、彼は、自分の病弱を、余り不幸と感じていないらしく見えた。喀血の中にすら彼は自ら、R・L・S・式をものを見出して、些《いささ》かの満足(?)を覚えていたのである。之が、顔の醜くむくんで来る腎臓炎《じんぞうえん》だったら、どんなに彼は厭《いや》がったことであろう。)
斯《か》くて、若くして自分の寿命の短かいであろうことを覚悟させられた時、当然、一つの安易な将来の途《みち》が思浮かべられた。ディレッタントとして生きること。骨身を削る制作から退いて、何か楽な生業に就き、(彼の父は相当に富裕だったのだから)知能や教養は凡《すべ》て鑑賞と享受とに用いること。何と美しく楽しい生き方であろう! 事実、彼は鑑賞家としても第二流には堕《お》ちない自信があった。しかし、結局、或るのっぴきならぬものが、彼を其の楽しい途から、さらって行って了った。正《まさ》しく、彼でない或るものが。そのものが彼に宿る時、彼は、ブランコで大きく揺上げられる子供の様に、恍惚《こうこつ》として其の勢に身を任せるほかはない。彼は、満身に電気を孕《はら》んだような状態になり、唯、書きに書いた。それが生命をすり減らすであろうとの懸念は、何処かへ置忘れられた。養生したとて、どれ程長く生きられようぞ。たとえ長生したとて、斯《こ》の道に生きるに非ずして、何の良きことがあろうぞ!
さて、そうして茲《ここ》に二十年。医者が、それ迄は生きられまいと云った四十の歳を最早三年も生延びたのである。
スティヴンスンは彼の従兄のボッブのことを何時も考える。三歳年上のこの従兄は、二十歳前後のスティヴンスンにとって、思想上趣味上の直接の教師であった。絢爛《けんらん》たる才気と洗錬された趣味と該博な知識とを有《も》った・端倪《たんげい》すべからざる才人だった。しかも彼は何を為したか? 何事をもしなかった。彼は今パリで、二十年前と同じく、依然、あらゆる事を理解して、しかも、何事をも為さぬ・一介のディレッタントである。名声の挙がらぬことをいうのではない。彼の精神が其処から成長せぬことをいうのだ。
二十年前、スティヴンスンをディレッタンティズムから救ったデエモンは讃えらるべきであった。
子供の時の最も親しい遊道具だった「一|片《ペニイ》なら無彩色・二|片《ペンス》なら色つき」の紙芝居(それを玩具屋から買って来て家で組立て「アラディン」や「ロビン・フッド」や「三本指のジャック」を自ら演出して遊ぶのだが)の影響であろうか、スティヴンスンの創作は何時でも一つ一つの情景の想起から始まる。初め、一つの情景が浮かび、その雰囲気にふさわしい事件や性格が、次に浮かび上って来る。次々に何十という紙芝居の舞台面が、其等を繋《つな》ぐ物語を伴って頭の中に現れ、目前にありあり[#「ありあり」に傍点]と見える其等の一つ一つを順々に描写し続けることによって、彼の物語は誠に楽しく出来上るのだ。薄っぺらで、無性格なR・L・S・の通俗小説と批評家のいう所のものが。他の制作方法――例えば、一つの哲学的観念を例証せんとの目的の下に全体の構想を立てるとか、一つの性格の説明の為に、事件を作上げるとか、――は、彼には全然考えることも出来なかった。
スティヴンスンにとって、路傍に見る一つの情景は、未だ何人によっても記録されざる一つの物語を語る如くに思われた。一つの顔、一つの素振も、同様に、知られざる物語の発端と見えた。真夏の夜の夢の文句ではないが、其等、名と所とを有たぬものに、明確な表現を与えるのが詩人――作家だとすれば、スティヴンスンは確かに生れながらの物語作家に違いない。一つの風景を見て、それにふさわしい事件を頭の中に組立てることは、彼にとって、子供の時から、食慾と同じ位に強い本能だった。コリントンの(母方の)祖父の所へ行く時は、何時も其の辺の森や川や水車に合いそうな物語を拵えて、ウェイヴァリ・ノヴルス中の諸人物を縦横に活躍させたものだ。ガイ・マナリングやロブ・ロイやアンドルウ・フェアサーヴィスなどを。蒼白い、ひよわな少年の頃の其の癖が未だに抜けきらない。というよりも、哀れな大小説家R・L・S・氏は斯うした幼稚な空想以外に創作衝動を知らないのである。雲のように湧起る空想的情景。万華鏡の如き影像の乱舞。それを見た儘《まま》に写し出す。(だから、あとは技巧だけの問題だ。しかも其の技巧には充分自信があった。)之が、彼の・唯一無二の・此の上なく楽しい制作方法であった。之には、良いも悪いもない。他に方法を知らないのだから。「何と云われようとも、俺は俺の行き方を固執して俺の物語を書くだけのことだ。人生は短い。人間は所詮 Pulvis et Umbra じゃ。何を苦しんで、牡蠣《かき》や蝙蝠《こうもり》共の気に入るために、面白くもない深刻な借物の作品を書くことがあろう。俺は俺の為に書く。たとえ、一人の読者が無くなろうとも、俺という最大の愛読者がある限りは。愛すべきR・L・S・氏の独断を見よ!」
事実、作品を書終えるや否や、彼は作者たることを止めて、其の作品の愛読者になった。誰よりも熱心な愛読者に。彼は、まるで、それが他の誰か(最も好きな作家)の作品であるかのように、そして、其の作品のプロットも帰結も何も知らない一人の読者として、心から楽しく読耽《よみふけ》るのである。それが、今度の「退潮《エッブ・タイド》」に限って、我慢にも読みつづけられなかった。才能の涸渇《こかつ》だろうか? 肉体の衰弱による自信の減退だろうか? 喘《あえ》ぎながら、彼は、殆ど習慣の力だけで、とぼとぼと稿を続けて行った
十二
一八九三年六月二十四日
戦争近かるべし。
昨夜、我が家の前の道を、ラウペパ王が面を覆《つつ》み、騎乗して、何用のためか、あわただしく走り過ぎた。料理人が確かにそれを見たという。
一方、マターファはマターファで、毎朝眼を覚ますと、必ず、昨夜《ゆうべ》迄は無かった新しい白人の箱[#「白人の箱」に傍点](弾薬箱のこと)に取囲まれているのを見出すという。何処から集まって来るのか、彼にも分らないのだ。
武装兵の行進、諸|酋長《しゅうちょう》の来往、漸《ようや》く繁し。
六月二十七日
街へ下りてニュウスを聞く。流説紛々。昨夜遅く太鼓が響き、人々は武器を取ってムリヌウに馳《は》せつけたが、何事もなかったと。今の所、アピア市には、事なし。市参事官に尋ねたが、情報なしという。
街から西の渡し場迄行って、マターファ側の村々の様子を見ようと、馬に騎《の》る。ヴァイムスまで行くと、路傍の家々に人々がごたごた立騒いでいたが、武装はしていない。川を渡る。三百|碼《ヤード》で又、川。対岸の木蔭にウィンチェスターを担った七人の歩哨《ほしょう》がいる。近づいても、動きもしなければ声を掛けもしない。目で追うたのみ。私は馬に水を飲ませ、「タロファ!」と挨拶して其処を過ぎた。歩哨隊長も「タロファ!」と応えた。之から先の村には武装兵が一杯に詰めかけている。支那人商人の住む洋館一棟あり。中立旗が門の所に翻る。ヴェランダには人々、女達が多勢立って外を眺めている。中には銃を持った者もいた。此の支那人ばかりではなく、島に住む外国人は皆自己の資財を守るに汲々《きゅうきゅう》としている。(チーフ・ジャスティスと政務長官とがムリヌウからティヴォリ・ホテルに避難したそうだ。)途で土民兵の一隊が銃を担い弾薬筒を帯び、生々した様子で行進して来るのに遇う。ヴァイムスに着く。村の広場《マラエ》には武装した男達が充満。会議室の中にも人々が満ち、その出口の所から外を向いて、一人の演説者が大声でしゃべっている。誰の顔にも歓ばしげな昂奮《こうふん》がある。見知り越しの老酋長《ろうしゅうちょう》の所へ寄ったが、此の前会った時とは打って変って、若々しく活気づいて見えた。少し休んで一緒にスルイを吸う。帰ろうとして外へ出た時、顔を黒く隈《くま》どり、腰布のうしろを捲上《まきあ》げて臀部《でんぶ》の入墨をあらわした一人の男が進み出て、妙な踊をして見せ、小刀を空高く投上げて、それを見事に受けとめて見せた。野蛮で幻想的で、生気に溢《あふ》れた観ものである。以前にも少年がこんな事をするのを見たことがあるから、之は屹度《きっと》戦争時の儀礼みたいなものであろう。
家に帰ってからも、彼等の緊張した幸福げな顔が、頭の中に渦巻いている。我々の中なる古き蛮人が目覚め、種馬の如くに昂奮するのだ。しかし、私は、騒乱をよそに、じっとしておらねばならぬ。今となっては、どうにもならない。私が手出をしない方が、彼等哀れな人々にとって、尚、何等かの役に立ち得るかも知れぬのだ。膿《うみ》がつぶれた後の後始末に就いて、我々が多少の援助をなし得る見込が、まだ、ほんの少しはありそうだから。
無力な文人よ! 私は心を抑え、税を納めるような気持で原稿を書き継ぐ。頭の中には、ウィンチェスターを持った戦士の姿がちらつく。戦争は確かに大きな誘惑《アントレーヌマン》だ。
六月三十日
ファニイとベルを連れ街へ下りる。国際|倶楽部《クラブ》で昼食。食後マリエの方角へ行って見る。先日とは違って今日はまるで静かだ。人のいない道。人のいない家。銃も見えぬ。アピアヘ帰って公安委員会に顔を出す。夕食後、舞踏会に一寸立寄り、疲れて帰宅。舞踏会場で聞く所によれば「ツシタラが今度の紛争の原因を作ったのだから、彼、及び彼の家族は当然罰せらるべきだ」と、レトヌの酋長が言っている由。
外へ出て戦に加わろうという子供じみた誘惑に勝たねばならぬ。先ず家を守ること。
アピアの白人連の中にも恐慌が起りつつある。いざといえば軍艦へ避難することになっているとか。目下、独艦二隻在港。オルランドオも近く入港の筈。
七月四日
此の二三日政府側の軍隊(土民兵)が続々アピアに集結。赤銅色の戦士を満載して風上から入港して来るボートの群。その船首で、とんぼ返り[#「とんぼ返り」に傍点]をして景気をつける男。戦士等が舟の上から発する妙な威嚇的な喊声《かんせい》。太鼓の乱打。調子外れな喇叭《らっぱ》。
アピア市中では赤い手巾《ハンカチ》が売切になって了った。赤ハンカチの鉢巻が、マリエトア(ラウペパ)軍の制服なのだ。顔を黒く隈どった赤鉢巻の青年達で、市中はごった返し[#「ごった返し」に傍点]ている。欧風の洋傘をさした少女と、異様な戦士との連立って行く様は、中々面白い。
七月八日
戦は遂に始まった。
夕食後、使が来て、負傷者等がミッション・ハウスヘ運ばれて来ている旨を告げた。ファニイ、ロイドと一緒に提灯《ちょうちん》を持って騎乗。かなり冷えるが、星の多い夜。タヌンガマノノに提灯は置き、あとは星明りで下る。
アピアの街も、私自身も、妙な昂奮の中にある。私の昂奮は、憂鬱《ゆううつ》な・残忍なものであり、他の人々のは、呆然《ぼうぜん》たる、或いは、憤激せるそれである。
臨時に当てられた仮病院は、長いがらん[#「がらん」に傍点]とした建物で、中央に手術台があり、十人の負傷者がいずれも、附添人に囲まれ、部屋の隅々に横たわっていた。小柄な・眼鏡をかけた看護婦のラージュ嬢が、今日は大変頼もしく見えた。独艦の看護卒も来ていた。
医者は未だ来ていなかった。患者の一人が冷たくなりかかっていた。それは、実に立派なサモア人で、色飽く迄黒くアラビヤ人風の鷲型の風貌をしていた。七人の近親者が取囲んで、彼の手足をさすっていた。肺を射《う》ち貫《ぬ》かれたらしい。独艦の軍医が大急ぎで呼びに行かれた。
私には私の仕事があった。続いて運ばれて来るに違いない負傷者の収容の為に、公会堂を使わせて貰い度いと牧師のクラーク氏等が言うので、街中を走り廻って、(極く最近、私が公安委員会に加わるようになったので)人々を叩き起し、緊急委員会を開き、公会堂を提供することに決めた。(一人の反対者あり。遂に説得す。)この事に就いての費用の拠出も可決。
夜半、病院に戻る。医者は来ていた。二人の患者が死に瀕《ひん》している。一人は腹部をやられた者。顔をゆがめつつ、しかし沈黙せる・傷々《いたいた》しき人事不省。
先刻の・肺を射たれた酋長は、一方の壁際で最後の天使を待つものの如く見えた。家族等が其の手足を支えていた。みな無言。突然、一人の女が、死に行く者の膝を抱いて慟哭《どうこく》した。慟哭の声は五秒も続いたろうか。再び、いたいたしい沈黙。
二時過帰宅。街の噂を綜合すると、戦は、マターファに不利だったらしい。
七月九日
漸《ようや》く戦の結果が明らかになった。
昨日アピアから西に進撃を始めたラウペパ軍は、正午頃、マターファ軍とぶっつかった。但し、滑稽《こっけい》なことに、初めは戦争どころか、両軍の将士が相擁してカヴァを酌みかわし、盛んな交驩《こうかん》が行われたらしい。それが、突然の不注意な一発の偽砲から、忽《たちま》ち乱闘に変じ、本ものの戦争になった。夕刻になって、マターファ軍が退き、マリエ外郭の石壁に拠って昨夜一晩中防戦したが、今朝になって終《つい》に潰《つい》えた。マターファは村を焼いて、海路サヴァイイヘ逃れたという。
長い間此の島の精神的な王者だったマターファの没落に対して、言うべき言葉を知らぬ。一年前だったら、彼は、ラウペパをも白人政府をも容易に一掃し得ただろうに。マターファと共に、我が褐色の友の多くが災害を受けたに違いない。俺は彼等の為に何をしたか? 今後も、何を為し得るか? 蔑《さげす》むべき気象観測者!
昼食後、街へ。病院へ行って見たら、ウル(肺をやられた酋長の名)は、まだ不思議に生きていた。腹をやられた男は既に死んでいた。
斬取《きりと》られた十一の首がムリヌウに持込まれた。土人等の大いに驚き懼《おそ》れたことに、其の首の一つは、少女のであった。しかも、サヴァイイの或る村のタウポウ(村を代表する美しい娘)の首だった。南海の騎士を以て任ずるサモア人の間に在って、之は許すべからざる暴行である。此の首だけは、最上等の絹に包まれ、叮寧《ていねい》な陳謝状と共に、早速、マリエヘ送り返されたそうだ。少女は父の手伝に弾薬でも運んでいた所を射たれたものに違いない。父親の兜《かぶと》の飾り毛にする為に自分の髪を刈ったらしく、男の様な刈上げだったので、首を取られたのだともいう。しかし、何と、彼女の美にふさわしき、選ばれたる最期でありしよ!
マターファの甥のレアウペペだけは、首と胴と両方とも運ばれた。ムリヌウの大通りでラウペパがそれを閲見し、部下の功労に謝する演説をした。
二度目に病院に寄った時、看護婦や看護卒は一人もいず、患者の家族だけだった。患者も附添人も木枕で昼寝をしていた。軽傷の美青年がいた。二人の少女が彼をいたわり、共に左右から彼の枕に枕しておった。他の一隅には、誰も附添っていない一人の負傷者が、打捨てられ、毅然《きぜん》たる様子で横たわっていた。前の美青年に比べて、遥かに立派な態度と映ったが、彼の容貌は美しくはなかった。顔面構造の極微の差が齎《もたら》す何という甚だしい相違!
七月十日
今日は疲れて動けない。
更に多くの首がムリヌウに持込まれたそうだ。首狩の風をやめさせるのは容易なことではない。「之以外のどんな方法で勇敢さを証《あか》し得るか?」又、「ダヴィッドがゴライアスを退治した時、彼は巨人の首を持帰らなかったか?」と彼等はいう。しかし、今度の、少女の首を取ったことだけは、全く恐縮しているようだ。
マターファは無事にサヴァイイに迎えられたという説と、サヴァイイヘの上陸を拒絶されたという説とが行われている。どちらが本当か、まだ判らない。サヴァイイに迎えられたとすれば、尚大規模な戦争が続けられよう。
七月十二日
確かな報道は入らず。流言のみ頻《しき》りなり。ラウペパ軍はマノノヘ向け進発したと。
七月十三日
マターファがサヴァイイを追われ、マノノに戻った由、確報あり。
七月十七日
最近|投錨《とうびょう》したカトゥーバ号のビックフォード艦長を訪う。彼は、マターファ鎮圧の命を受け、明朝払暁、マノノヘ向けて出航すると。マターファの為、艦長の能《あた》う限りの好意を約束して貰う。
しかし、マターファはおめおめ[#「おめおめ」に傍点]と降伏するだろうか? 彼の一統は武装解除に甘んずるだろうか?
マノノヘ激励の書信をやるすべもない。
十三
独・英・米三国に対する敗残の一マターファでは、帰趨《きすう》は余りに明かであった。マノノ島へ急航したビックフォード艦長は三時間の期限付で降服を促した。マターファは投降し、同時に、追撃して来たラウペパ軍のためにマノノは焼かれ掠奪《りゃくだつ》された。マターファは称号|剥奪《はくだつ》の上、遥かヤルート島へ流謫《るたく》され、彼の部下の酋長《しゅうちょう》十三人もそれぞれ他の島々に追放された。叛乱者側の村々への科料六千六百|磅《ポンド》。ムリヌウ監獄に投ぜられた大小酋長二十七人。之が凡《すべ》ての結果であった。
躍気になったスティヴンスンの奔走も無駄になった。流竄者《りゅうざんしゃ》は家族の帯同を許されず、又、何人との文通をも禁ぜられた。彼等を訪ねることの出来るのは牧師だけである。スティヴンスンはマターファヘの書信と贈物とをカトリックの僧に託そうとしたが、拒絶された。マターファは凡ての親しい者、親しい土地と切離され、北方の低い珊瑚《さんご》島で、鹹気《しおけ》のある水を飲んでいる。(高山渓流に富むサモアの人間は鹹水に一番閉口する。)彼はどんな罪を犯したのか? サモアの古来の習慣に従って当然要求すべき王位を、遠慮して気永に待ち過ぎたという罪を犯しただけだ。そのため、敵に乗ぜられ、喧嘩《けんか》を売付けられ、叛逆者の名を宣せられたのである。最後迄忠実にアピア政府に税金を納めていたのは彼であった。首狩禁絶を主張する少数の白人の説を用いて、真先に之を部下に実行させたのは彼であった。彼は、白人をも含めた全サモア居住者の中で(とスティヴンスンは主張する。)最も嘘言《きょげん》を吐《つ》かぬ人間だ。しかも、斯《こ》うした男の不幸を救う為に、スティヴンスンは何一つして遣れなかった。マターファは彼をあんなに信頼していたのに。文通の手段の絶たれたマターファは恐らく、スティヴンスンのことを、親切そうなことを言いながら結局何一つ実際にはして呉れない白人[#「白人」に傍点](ありきたりの白人[#「白人」に傍点])に過ぎなかったのだと、失望しているのではないか?
戦死者の一族の女が、戦死の場所へ行って花蓆《はなむしろ》を其処に拡げる。蝶とか其の他の昆虫が来て、それにとまる。一度追う。逃げる。又追う。逃げる。それでも三度目に其処へとまりに来たら、それは其処で戦死した者の魂と見做《みな》される。女は其の虫を叮寧《ていねい》に捕え、家に持帰って祀《まつ》るのである。こうした傷心の風景が随処に見られた。一方、投獄された酋長達が毎日|笞《むち》打《う》たれているという噂もあった。こうした事を見《み》聞《きき》するにつけ、スティヴンスンは、自らを、何の役にも立たぬ文士として責めた。久しく止めていたタイムズヘの公開状も再び書始められた。肉体の衰弱と制作の不活溌《ふかっぱつ》とに加えて、自己に対し、世界に対しての、名状し難い憤りが、彼の日々を支配した。
十四
一八九三年十一月×日
いやな雨もよいの朝、巨《おお》きな雲。海の上に落ちた其の巨大な藍灰色《らんかいしょく》の影。朝七時だというのに、まだ灯をつけている。
ベルはキニーネを必要とし、ロイドは腹をこわし、私は瀟洒たる[#「瀟洒たる」に傍点]小喀血《しょうかっけつ》。
何か不快な朝だ。我を取囲む錯雑せる悲惨《みじめさ》の意識。事物そのものに内在せる悲劇が作用《はたら》いて救い難い暗さに迄私を塗込める。
生は常に麦酒《ビール》と九柱戯ばかりではない。しかし、私は結局、事物の究極の適正を信ずる。私が一朝眼覚めた時地獄に堕《お》ちていようとも、私の此の信念は変るまい。しかも、それにも拘《かか》わらず、依然として此の生の歩みは辛い。私は私の歩み方の誤を認め、結果の前に惨めに厳粛に叩頭《こうとう》せねばならぬ。…………さもあらばあれ、Il faut cultiver son jardin. だ。憐れむべき人間共の智慧の最後の表現が之だ。私は再び私の・心進まぬ制作に立返る。「ウィア・オヴ・ハーミストン」を又取上げ、又もてあましているのだ。「セント・アイヴス」も遅々として進行しつつある。
私は、自分が、今、知的生活を送る人間に通有の、一つの転換期にあるのだという事を知っているが故に、絶望はしない。しかし、私が、私の文学の行詰りにぶっつかっているのは事実だ。「セント・アイヴス」にも自信が持てない。安っぽい小説《ロマンス》だ。
若い時に、何故、着実平凡な商売を選ばなかったかと、今、ふと、そんな気がする。そういう商売にはいっていたら、今の様なスランプの時にも、立派に自分を支えて行けたろうに。
私の技巧は私を見棄て、インスピレーションも、それから、私が永い間の英雄的な努力によって習得したスタイル迄が失われたように思われる。スタイルを失った作家は惨めだ。今迄無意識に働かしていた不随意筋を、一々意志を以て動かさねばならないのだから。
しかし、一方「難破船引揚業者《レッカー》」の売行が大変良いそうだ。「カトリオーナ」(デイヴィッド・バルフォアの改題)の方が不評で、あんな作品の方が売れるなどとは、皮肉だが、兎に角余り絶望しないで二番芽生を待つことにしよう。今後私の健康が回復して、頭の方まで快くなるようなことは、到底あり得まいが。但し、文学なるものは、考え方によれば、多少病的な分泌に違いないのだ。エマアソンに言わせれば、人の智慧は其の人の有《も》つ希望の有無多少によって計られるのだそうだから、私も希望を失わぬことにしよう。
だが、私は、どうしても芸術家としての自分を大したものと思うことが出来ぬ。限界が余りに明かなのだ。私は自分を単に昔風の職人と考えて来た。さて、今、其の技術が低下したとあっては? 今や私は、何の役にも立たぬ厄介者だ。原因は唯二つ。二十年間の刻苦と、病気とだ。この二つが、牛乳から乳精《クリイム》をすっかり絞りつくして了ったのだ。…………
音高く、森の向うから、雨が近附いて来る。忽《たちま》ち、屋根を叩く猛烈な響。湿った大地の匂。爽《さわや》かに、何かハイランド的な感じだ。窓から外を見れば、驟雨《しゅうう》の水晶棒が万物の上に激しい飛沫《しぶき》を叩きつけている。風。風が快い涼しさを運んで来る。雨はじきに過ぎたが、まだ近処を襲っている音だけは、ザアーッと盛んに聞えている。雨垂の一滴が日本簾《にほんすだれ》を通して私の顔にはねた。窓の前を屋根から、まだ雨水が小川のように落ちている。快し! それは私の心の中にある何かに応えるもののようである。何に? はっきりしない。沼沢地の雨の古い記憶?
私はヴェランダに出て、雨垂の音を聞く。何かおしゃべりがしたくなる。何を? 何か、こう苛烈《かれつ》なことを。自分の柄にもないことを。世界は一つの誤謬《ごびゅう》であることに就いて、など。何故の誤謬? 別に仔細《しさい》はない。私が作品を巧《うま》く書けないから。それから又、大小様々の、余りに多くの下らないうるさい事が耳に入るから。だが、其の、うるさい重荷の中でも、絶えず収入を得て行かねばならぬという永遠の重荷に比べられるものはない。いい気持に寝ころがって、二年間も制作から離れていられる所があったら! 仮令《たとえ》それが癲狂院《てんきょういん》であっても、私は行かないであろうか?
十一月××日
我が誕生日の祝が、下痢のため一週間遅れて今日行われた。十五頭の仔豚の蒸焼。百ポンドの牛肉。同量の豚肉。果物。レモネードの匂。コーヒーの香。クラレット・ヌガ。階上階下共に、花・花・花。六十の馬|繋《つな》ぎ場を急設する。客は百五十人も来たろうか。三時頃から来て、七時に帰った。海嘯《つなみ》の襲来のようだ。大酋長《だいしゅうちょう》セウマヌが自分の称号の一つを私に贈って呉れた。
十一月××日
アピアヘ下り、街で馬車を雇って、ファニイ、ベル、ロイドと共に堂々と監獄へ乗りつけた。マターファ部下の囚人達にカヴァと煙草との贈物をする為に。
鍍金《めっき》鉄格子に囲まれた中で、我々は、わが政治犯達及び刑務所長ウルムブラント氏と共にカヴァを飲んだ。酋長の一人が、カヴァを飲む時、先ず腕を伸ばして盃の酒を徐々に地に灌《そそ》ぎ、祈祷《きとう》の調子で斯《こ》う言った。「|神も此の宴に加わり給わんことを。この集りの美しさよ《ラ・タウマフア・エ・レ・アトウア・ウア・マタゴフイエ・レ・フェシラフアイガ・ネイ》!但し、我々の贈ったのは、スピット・アヴァ(カヴァ)と云われる下等品なのだが。
近頃、召使共が少々怠けるので(といっても一般のサモア人と比べれば決して怠惰とは云えまい。「サモア人は一般に走らない。ヴァイリマの使用人だけは別だが。」と言った一白人の言葉に、私は誇を感ずる。)タロロの通訳で彼等に小言《こごと》を言った。一番怠けた男の給料を半減する旨言渡した。其の男は大人しく頷《うなず》いて、てれた笑い方をした。初めて此処《ここ》ヘ来た頃、召使の給料を六|志《シリング》減じたら、其の男は直ぐに仕事を止めた。しかし、今では、彼等は私を酋長と見做《みな》しているらしい。給金を減らされたのは、ティアという老人で、サモア料理(召使達の為の)のコックだが、実に完璧《かんぺき》といっていい位見事な風貌の持主だ。昔、南海に武名を轟《とどろ》かしたサモア戦士の典型と思われる体躯《たいく》と容貌だ。しかも、之が、箸《はし》にも棒にもかからない山師であろうとは!
十二月×日
快晴、恐ろしく暑い。監獄の酋長達に招かれ、午後、灼《や》けるような四|哩《マイル》半を騎乗、獄中の宴に赴く。先日の返礼の意味か? 彼等は自分達のウラ[#「ウラ」に傍点](深紅の種子を沢山緒に通した頸飾)を外して私の頸に掛けて呉れ、「我等の唯一の友」と私を呼ぶ。獄中のものとしては頗《すこぶ》る自由な盛んな宴であった。花筵《タパ》十三枚、団扇《うちわ》三十枚、豚五頭、魚類の山、タロ芋の更に大きな山を、土産《みやげ》として貰う。とても持ちきれないから、と断ると、彼等の曰《いわ》く、「いや、是非、之等のものを積んでラウペパ王の家の前を通って帰って下さい。屹度《きっと》、王が嫉妬《やきもち》をやくから。」と。私の頸に掛けたウラ[#「ウラ」に傍点]も、元々ラウペパの欲しがっていたものだそうだ。王へのあてつけ[#「あてつけ」に傍点]が囚人酋長等の目的の一つなのだ。贈物の山を車に積み、紅い頸飾りを着け、馬に跨《また》がって、サーカスの行列宜しく、私はアピアの街の群集の驚嘆の中を悠々と帰った。王の家の前をも通ったが、果して、彼が嫉妬《しっと》を覚えたか、どうか。
十二月×日
難航の「退潮《エッブ・タイド》」やっと終る。悪作?
近頃引続いてモンテエニュの第二巻を読んでいる。曾《かつ》て二十歳《はたち》前に、文体習得の目的を以て此の本を読んだことがあるのだから、全く呆れたものだ。あの頃、此の本の何が私に判ったろう?
斯《こ》うしたどえらい[#「どえらい」に傍点]書物を読んだ後では、どんな作家も子供に見えて、読む気がしなくなる。それは事実だ。しかし、それでも尚、私は、小説が書物の中で最上(或いは最強)のものであることを疑わない。読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収され尽すのは、小説の他にない。他の書物にあっては、何かしら燃焼しきれずに残るものがある。私が今スランプに喘《あえ》いでいるのは一つの事、私が斯の道に限無い誇を感ずるのは他の事である。
土人、白人の両方に於ける不人望と、相続く紛争に対する引責とで、遂に政務長官フォン・ピルザッハが辞職した。裁判所長《チーフ・ジャスティス》も近く辞める筈。目下の所彼の法廷は既に閉じられているが、彼のポケットのみは、まだ俸給を受けるべく開かれている。彼の後任はイイダ氏と内定の由。とにかく新政務長官来任迄は、昔のように、英米独領事の三頭政治だ。
アアナの方面に暴動の起りそうな形勢がある。
十五
マターファがヤルートヘ流された後も、土民の一揆《いっき》は絶えなかった。
一八九三年の暮、曾てのサモア王タマセセの遺児が、トゥプア族を率いて兵を挙げた。小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅《せんめつ》)を標榜《ひょうぼう》して起ったのだが、結局ラウペパ王|麾下《きか》のサヴァイイ勢に攻められ、アアナで潰《つい》えた。叛軍に対する所罰としては、銃五十|梃《ちょう》の没収、未納の税金徴収、二十|哩《マイル》の道路工事等が課せられたに過ぎなかった。前のマターファの場合の厳罰と比べて余りにも不公平である。父のタマセセが昔、独逸《ドイツ》人に擁立された虚器《ロボット》だった関係で、小タマセセには一部独逸人の支持があったからだ。スティヴンスンは又、無益な抗議を方々に向って試みた。小タマセセに厳罰を与えよ、というのでは、勿論ない。マターファの減刑を求めたのだ。人々は最早、スティヴンスンがマターフアの名を口に出すと、笑出すようになった。それでも彼はむき[#「むき」に傍点]になって、本国の新聞や雑誌にサモアの事情を繰返し繰返し訴えた。
今度の騒ぎにも矢張首狩が盛んに行われた。首狩反対論者のスティヴンスンは、早速、首を斬取《きりと》った者に対する所罰を要求した。此の乱の始まる直前に、新任のチーフ・ジャスティスのイイダ氏が議会を通じて首狩禁止令を出しているのだから、之は当然である。しかし、此の所罰は実際には行われなかった。スティヴンスンは憤った。島の宗教家共が案外首狩に就いて無関心なのにも、彼は腹を立てた。目下の所サヴァイイ族は飽く迄首狩を固執しているが、ツアマサンガ族は首の代りに耳を斬取るだけで我慢しているのだ。かつてのマターファの如きは、部下に殆《ほとん》ど絶対に首を取らせなかった。努力一つで必ず此の悪習は根絶できるのだと、彼は考えていた。
ツェダルクランツの失政のあとを受け、今度のチーフ・ジャスティスは次第に白人や土人の間に於ける政府の信用を回復しつつあるかに見えた。しかし、小規模の暴動や、土民間の紛争や、白人への脅迫は、一八九四年を通じて、何時も絶えることがなかった。
十六
一八九四年二月×日
昨夜例の如く離れの小舎で独り仕事をしていると、ラファエレが提灯《ちょうちん》とファニイからの紙片とを持ってやって来た。うち[#「うち」に傍点]の森の中に暴民共が多く集まっているらしいから、至急来て欲しい旨、書かれている。跣足《はだし》でピストルを携え、ラファエレと共に下りて行く。途中でファニイの上って来るのに会う。一緒に家に入り、気味の悪い一夜を明かす。タヌンガマノノの方から終夜、太鼓と喊声《かんせい》とが聞えた。遥か下の街では月光(月は遅く出た)の下で狂乱を演じていたようだ。うち[#「うち」に傍点]の森にも確かに土民共が潜んでいるらしいが、不思議に騒がない。ひっそりしている方が却《かえ》って不気味だ。月の出ない前、碇泊中《ていはくちゅう》の独艦のサーチライトが蒼白い幅広の光芒《こうぼう》を闇空に旋回させて、美しかった。床に就いたが頸部《けいぶ》のリウマチスが起って中々眠れない。九度目に寝つこうとした時、怪しい呻声《うめきごえ》が下男部屋の方から聞えた。頸《くび》を抑え、ピストルを持って、下男部屋へ行く。みんな未だ起きていてスウィピ(骨牌《カルタ》賭博《とばく》)をやっている。莫迦者《ばかもの》のミシフォロが負けて大袈裟《おおげさ》な呻声を発したのだ。
今朝八時、太鼓の音と共に巡邏兵《じゅんらへい》風の土民の一隊が、左手の森から現れた。と、ヴァエア山に続く右手の森からも少数の兵が出て来た。彼等は一緒になって、うち[#「うち」に傍点]へ、はいって来た。せいぜい五十名位のものだ。ビスケットとカヴァを馳走してやったら、大人しくアピア街道の方へ行進して行った。
莫迦げた威嚇だ。それでも領事連は昨夜一晩中眠れなかったろう。
先日街へ行った時、見知らぬ土人から青封筒の公式の書状を渡された。脅迫状だ。白人は、王側の者と関係すべからず。彼等の贈物をも受取るべからず…………私がマターファを裏切ったとでも思っているのだろうか?
三月×日
「セント・アイヴス」進行中の所へ、六ヶ月以前に註文した参考書が漸《ようや》く到着。一八一四年当時の囚人が斯《か》くも珍妙な制服を着せられ、一週二回ずつ髭《ひげ》を剃《そ》っていたとは! すっかり書きかえねばならなくなった。
メレディス氏より鄭重《ていちょう》な手紙を戴く。光栄なり。「ビーチャムの生涯」は今なお南海に於ける我が愛読書の一つだ。
毎日オースティン少年の為に歴史の講義をしているほか、最近、日曜学校の先生をもしている。頼まれて面白半分しているのだが、今から菓子や懸賞などで子供達を釣っている始末だから、何時迄続くか分らぬ。
バクスタアとコルヴィンとの立案で、私の全集を出そうと、チャトオ・アンド・ウィンダス社から言って来る。スコットの四十八巻のウェイヴァリ・ノヴルズと同じ様な赤色の装釘《そうてい》で、全二十巻、千部限定版とし、私の頭文字を透かし入りにした特別の用紙を使うのだそうだ。生前に、こんな贅沢《ぜいたく》なものを出して貰う程の作家であるか、どうかは、些《いささ》か疑問だが、友人達の好意は全く有難い。しかし、目次を一見して、若い時分の汗顔もののエッセイだけは、どうしても削って貰わねばならぬと思う。
私の今の人気(?)が何時迄続くものか、私は知らない。私は未だに大衆を信ずることが出来ない。彼等の批判は賢明なのか、愚かしいのか? 混沌《こんとん》の中からイリアッドやエネイドを選び残した彼等は、賢いといわねばなるまい。しかも、現実の彼等が義理にも賢明といえるだろうか? 正直な所、私は彼等を信用していないのだ。しかし、それなら私は一体誰の為に書く? 矢張、彼等の為に、彼等に読んで貰う為に書くのだ。その中の優れた少数者の為に、などというのは、明らかに嘘だ。少数の批評家にのみ褒められ、その代り大衆に顧みられなくなったとしたら、私は明らかに不幸であろう。私は彼等を軽蔑《けいべつ》し、しかも全身的に彼等に凭《よ》りかかっている。我《わ》が儘《まま》息子と、無知で寛容な其の父親?
ロバァト・ファーガスン。ロバァト・バアンズ。ロバァト・ルゥイス・スティヴンスン。ファーガスンは来るべき偉大なものを予告し、バアンズは其の偉大なものを成しとげ、私は唯其の糟粕《そうはく》を嘗《な》めたに過ぎぬ。スコットランドの三人のロバァトの中、偉大なるバアンズは別として、ファーガスンと私とは余りに良く似ていた。青年時代の或る時期に私は(ヴィヨンの詩と共に)ファーガスンの詩に惑溺《わくでき》していた。彼は私と同じ都に生れ、同じ様に病弱で、身を持ち崩し、人に嫌われ、悩み、果は、(之だけは違うが)癲狂院《てんきょういん》で死んで行った。そして彼の美しい詩も今では殆ど人に忘れられているのに、彼よりも遥かに才能に乏しいR・L・S・の方は兎も角も今迄生きのび、豪華な全集まで出版されようというのだ。この対比が心を傷ませてならぬ。
五月×日
朝、胃痛ひどく、阿片《あへん》丁幾《チンキ》服用。ために、咽喉《のど》が涸《かわ》き、手足の痺《しび》れるような感じが頻《しき》りにする。部分的錯乱と、全体的痴呆。
最近アピアの週刊御用新聞が盛んに私を攻撃し出した。しかも、ひどく口汚く。近頃の私は最早政府の敵ではない筈で、事実、新長官のシュミット氏や今度のチーフ・ジャスティスとも、かなり巧《うま》く行っているのだから、新聞を唆《そそのか》しているのは領事連に違いない。彼等の越権行為を私が屡々《しばしば》攻撃しているからだ。今日の記事など、実に陋劣《ろうれつ》だ。初めは腹が立ったが、近頃は寧《むし》ろ光栄を覚えるくらいだ。
「見よ。これが俺の位置だ。俺は森の中に住む一平凡人だのに、何と彼等が俺一人を目の敵《かたき》にやっき[#「やっき」に傍点]となることか! 彼等が毎週繰返して、俺には勢力が無いと吹聴《ふいちょう》せねばならぬ程、俺は勢力を有《も》っている訳だ。」
攻撃は街からばかりではない。海を越えて遥か彼方からもやって来る。こんな離れ島にいても尚、批評家共の声は届くのだ。何と色々な事を言う奴が多いことだ! おまけに、褒める者も貶《けな》す者も、共に誤解の上に立っているのだから遣り切れない。褒貶《ほうへん》に拘《かか》わらず兎に角私の作品に完全な理解を示して呉れるのは、ヘンリイ・ジェイムズ位のものだ。(しかも、彼は小説家であって、批評家ではない。)優れた個人が或る雰囲気の中に在ると、個人としては想像も出来ぬような集団的偏見を有つに至るものだ、という事が、斯《こ》うして、狂える群より遠く離れた地位にいると、実に良く解るような気がする。此の地の生活の齎《もたら》した利益の一つは、ヨーロッパ文明を外部から捉われない眼で観ることを学んだ点だ。ゴスが言っているそうだ。「チャリング・クロスの周囲三|哩《マイル》以内の地にのみ、文学は在り得る。サモアは健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい。」と。或る種の文学に就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!
今日の郵船で着いた雑誌類の評論を一わたり見ると、私の作品に対する非難は、大体、二つの立場から為されているようだ。即ち、性格的な或いは心理的な作品を至上と考えている人達からと、極端な写実を喜ぶ人達からと、である。
性格的|乃至《ないし》心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、と私は思う。何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明をやって見せるのだ。性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ描くべきではないのか? 少くとも、嗜《たしな》みを知る作家なら、そうするだろう。吃水《きっすい》の浅い船はぐらつく。氷山だって水面下に隠れた部分の方が遥かに大きいのだ。楽屋裏迄見通しの舞台のような、足場を取払わない建物のような、そんな作品は真平だ。精巧な機械程、一見して単純に見えるものではないか。
さて、又一方、ゾラ先生の煩瑣《はんさ》なる写実主義、西欧の文壇に横行すと聞く。目にうつる事物を細大|洩《も》らさず列記して、以て、自然の真実を写し得たりとなすとか。その陋《ろう》や、哂《わら》うべし。文学とは選択だ。作家の眼とは、選択する眼だ。絶対に現実を描くべしとや? 誰か全き現実を捉え得べき。現実は革。作品は靴。靴は革より成ると雖《いえど》も、しかも単なる革ではないのだ。
「筋の無い小説」という不思議なものに就いて考えて見たが、よく解らぬ。文壇から余りに久しく遠ざかっていたため、私には最早若い人達の言葉が理解できなくなって了ったのだろうか。私一個にとっては、作品の「筋[#「筋」に傍点]」乃至《ないし》「話[#「話」に傍点]」は、脊椎《せきつい》動物に於ける脊椎の如きものとしか思われない。「小説中に於ける事件[#「事件」に傍点]」への蔑視《べっし》ということは、子供が無理に成人《おとな》っぽく見られようとする時に示す一つの擬態ではないのか? クラリッサ・ハアロウとロビンソン・クルーソーとを比較せよ。「そりゃ、前者は芸術品で、後者は通俗も通俗、幼稚なお伽《とぎ》話《ばなし》じゃないか」と、誰でも云うに決っている。宜しい。確かに、それは真実である。私も此の意見を絶対に支持する。ただ、此の言を為した所の人が、果して、クラリッサ・ハアロウを一度でも通読したことがあるか、どうか。又、ロビンソン・クルーソーを五回以上読んだことがないか、どうか、それが些《いささ》か疑わしいだけのことだ。
之は非常にむずかしい問題だ。ただ云えることは、真実性と興味性とを共に完全に備えたものが、真の叙事詩だということだ。之をモツァルトの音楽に聴け。
ロビンソン・クルーソーといえば、当然、私の「宝島」が問題になる。あの作品の価値に就いては暫く之を措《お》くとするも、あの作品に私が全力を注いだという事を大抵の人が信じて呉れないのは、不思議だ。後に「誘拐《キッドナップト》」や「マァスタア・オヴ・バラントレエ」を書いた時と同じ真剣さで、私はあの書物を書いた。おかしいことに、あれを書いている間ずっと、私は、それが少年の為の読物であることをすっかり忘れていたらしいのだ。私は今でも、私の最初の長篇たる・あの少年読物が嫌いではない。世間は解って呉れないのだ、私が子供であることを。所で、私の中の子供を認める人達は、今度は、私が同時に成人《おとな》だということを理解して呉れないのだ。
成人《おとな》、子供、ということで、もう一つ。英国の下手な小説と、仏蘭西《フランス》の巧《うま》い小説に就いて。(仏蘭西人はどうして、あんなに小説が巧いんだろう?)マダム・ボヴァリイは疑もなく傑作だ。オリヴァア・トゥイストは、何という子供じみた家庭小説であることか! しかも、私は思う。成人《おとな》の小説を書いたフロオベェルよりも、子供の物語を残したディッケンズの方が、成人《おとな》なのではないか、と。但し、此の考え方にも危険はある。斯《か》かる意味の成人《おとな》は、結局何も書かぬことになりはしないか? ウィリアム・シェイクスピア氏が成長してアール・オヴ・チャタムとなり、チャタム卿《きょう》が成長して名も無き一市井人となる。(?)
同じ言葉で、めいめい勝手な違った事柄を指したり、同じ事柄を各々違った、しかつめらしい言葉で表現したりして、人々は飽きずに争論を繰返している。文明から離れていると、この事の莫迦《ばか》らしさが一層はっきりして来る。心理学も認識論も未だ押寄せて来ない此の離れ島のツシタラにとっては、リアリズムの、ロマンティシズムのと、所詮は、技巧上の問題としか思えぬ。読者を引入れる・引入れ方の相違だ。読者を納得させるのがリアリズム。読者を魅するものがロマンティシズム。
七月×日
先月来の悪性の感冒も漸《ようや》く癒《い》え、この二三日、続けて、碇泊中《ていはくちゅう》のキューラソー号へ遊びに行っている。今朝は早く街へ下り、ロイドと共に政務長官エミイル・シュミット氏の所で朝食をよばれた。それから揃ってキューラソー号に行き、昼食も艦上で済ます。夜はフンク博士の所でビーア・アーベント。ロイドは早く帰り、私一人ホテル泊りの積りで、遅く迄話し込んだ。さて、その帰途、頗《すこぶ》る妙な経験をした。面白い[#「面白い」は底本では「画白い」]から、書留めて置こう。
ビールの後で飲んだバーガンディが大分利いたと見え、フンク氏の家を辞した時は、かなり酩酊《めいてい》していた。ホテルヘ行くつもりで四五十歩あるいた頃迄は、「酔っているぞ。気を付けなければ」と自分で警戒する気持も多少はあったのだが、それが何時の間にか緩んで、やがて、あとは何が何やら、まるで解らなくなって了った。気がつくと、私は黴《かび》のにおい[#「におい」に傍点]のする暗い地面に倒れていた。土臭い風が生温《なまぬる》く顔に吹きつけていた。その時、うっすらと眼覚めかけた私の意識に、遠方から次第に大きくなりつつ近づいて来る火の玉の様に、ピシャリと飛付いたのは、――あとから考えると全く不思議だが、私は、地面に倒れていた間中、ずっと、自分がエディンバラの街にいるものと感じていたらしいのだ――「ここはアピアだぞ。エディンバラではないぞ」という考であった。此の考が閃《ひらめ》くと、一時はっと気が付きかけたが、暫くして再び意識が朦朧《もうろう》とし出した。ぼんやりした意識の中に妙な光景が浮び上って来た。往来で俄《にわ》かに腹痛を催した私が、急いで傍にあった大きな建物の門をくぐって不浄場を借りようとすると、庭を掃いていた老人の門番が「何の用です?」と鋭く咎《とが》める。「いや、一寸、手洗場を。」「ああ、そんなら、よござんす。」と言って、うさん臭そうに、もう一度私の方を眺めてから再び箒《ほうき》を動かし始める。「いやな奴だな。何が、そんならよござんすだ。」…………それは確かに、もうずっと昔、何処かで――これはエディンバラではない。多分カリフォルニアの或る町で――実際に私の経験したことだが…………ハッと気がつく。私の倒れている鼻の先には、高い黒い塀が突立っている。夜更のアピアの街のこととて何処も彼処も真暗だが、此の高い塀は、其処から二十|碼《ヤード》ばかり行くと切れていて、その向うには、どうやら薄黄色い光が流れているらしい。私はよろよろ立上り、それでも傍に落ちていたヘルメット帽を拾って、其の黴臭い・いやなにおい[#「におい」に傍点]のする塀――過去の、おかしな場面を呼起したのは、此のにおい[#「におい」に傍点]かも知れぬ――を伝って、光のさす方へ歩いて行った。塀は間もなく切れて、向うをのぞくと、ずっと遠くに街灯が一つ、ひどく小さく、遠眼鏡で見た位に、ハッキリと見える。そこは、やや広い往来で、道の片側には、今の塀の続きが連なり、その上に覗き出した木の茂みが、下から薄い光を受けながら、ざわざわ風に鳴っている。何ということなしに、私は、其の通を少し行って左へ曲れば、ヘリオット・ロウ(自分が少年期を過したエディンバラの)の我が家に帰れるように考えていた。再びアピアということを忘れ、故郷の街にいる積りになっていたらしい。暫く光に向って進んで行く中に、ひょいと、しかし今度は確かに眼が覚めた。そうだ。アピアだぞ、此処は。――すると、鈍い光に照らされた往来の白い埃《ほこり》や、自分の靴の汚れにもハッキリ気が付いた。ここはアピア市で、自分は今フンク氏の家からホテル迄歩いて行く途中で、…………と、其処で、やっと完全に私は意識を取戻したのだ。
大脳の組織の何処かに間隙でも出来ていたような気がする。酔っただけで倒れたのではないような気がする。
或いは、こんな変な事を詳しく書留めて置こうとすること自体が、既に幾分病的なのかも知れない。
八月×日
医者に執筆を禁じられた。全然よす訳には行かないが、近頃は毎朝二三時間畑で過すことにしている。之は大変工合が良いようだ。ココア栽培で一日十|磅《ポンド》も稼げれば、文学なんか他人《ひと》に呉れてやってもいいんだが。
うち[#「うち」に傍点]の畑でとれるもの――キャベツ、トマト、アスパラガス、豌豆《えんどう》、オレンジ、パイナップル、グースベリィ、コール・ラビ、バーバディン、等。
「セント・アイヴス」も、そう悪い出来とは思わないが、兎角、難航だ。目下、オルムのヒンドスタン史を読んでいるが、大変面白い。十八世紀風の忠実な非抒情的記述。
二三日前突然、碇泊中《ていはくちゅう》の軍艦に出動命令が下り、沿岸を廻航してアトゥア叛民を砲撃することになった由。一昨日の午前中、ロトゥアヌウからの砲声が我々を脅した。今日も遠く殷々《いんいん》たる砲声が聞える。
八月×日
ヴァイレレ農場にて野外乗馬競技あり。身体の工合が良かったので参加した。十四|哩《マイル》余り乗廻す。愉快極まりなし。野蛮な本能への訴え。昔日の欣《よろこ》びの再現。十七歳に還《かえ》ったようだ。「生きるとは欲望を感ずることだ。」と、草原を疾駆しながら、馬上、昂然《こうぜん》と私は思うた。「青春の頃女体に就いて感じたあの健全な誘惑を、あらゆる事物に感じることだ。」と。
所で、日中の愉快に引きかえて、夜の疲労と肉体的苦痛とは全くひどかった。久しぶりに有《も》つことのできた楽しい一日の後《のち》だけに、此の反動はすっかり私の心を暗くした。
昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。自分の選ばなかった職業、自分の敢てしなかった(しかし確かに、する機会のあった)冒険。自分のぶつからなかった種々の経験――其等を考えることが、慾の多い私をいらいらさせたものだ。所が、近頃は最早、そうした行為への純粋な慾求が次第になくなって来た。今日の昼間のような曇りのない歓びも、もう二度と訪れることがないのではないかと思う。夜、寝室に退いてから、疲労のための、しつこい咳が喘息《ぜんそく》の発作のように激しく起り、又、関節の痛みがずきずき[#「ずきずき」に傍点]と襲って来るにつけても、いやでも、そう思わない訳に行かない。
私は長く生き過ぎたのではないか? 以前にも一度死を思うたことがある。ファニイの後を追うてカリフォルニア迄渡って来、極度の貧困と極度の衰弱との中に、友人や肉親との交通も一切断たれたまま・桑港《サンフランシスコ》の貧民窟の下宿に呻吟《しんぎん》していた時のことだ。その時私は屡々《しばしば》死を思うた。しかし、私は其の時迄に、まだ、我が生の記念碑ともいうべき作品を書いていなかった。それを書かない中は、何としても死なれない。それは、自分を励まし自分を支えて来て呉れた貴い友人達(私は肉親よりも先ず友人達のことを考えた。)への忘恩でもある。それ故、私は、食事にも事欠くような日々の中で、歯を喰縛りながら、「パヴィリヨン・オン・ザ・リンクス」を書いたのだ。所が、今は、どうだ。既に私は、自分に出来るだけの仕事を果して了ったのではないか。それが記念碑として優れたものか、どうかは別として、私は、兎に角書けるだけのものを書きつくしたのではないか。無理に、――この執拗《しつよう》な咳と喘鳴と、関節の疼痛《とうつう》と、喀血《かっけつ》と、疲労との中で――生を引延ばすべき理由が何処にあるのだ。病気が行為への希求を絶って以来、人生とは、私にとって、文学でしかなくなった。文学を創《つく》ること。それは、歓びでもなく苦しみでもなく、それは、それとより言いようのないものである。従って、私の生活は幸福でも不幸でもなかった。私は蚕であった。蚕が、自らの幸、不幸に拘《かか》わらず、繭を結ばずにいられないように、私は、言葉の糸を以て物語の繭を結んだだけのことだ。さて、哀れな病める蚕は、漸《ようや》くその繭を作り終った。彼の生存には、最早、何の目的も無いではないか。「いや、ある。」と友人の一人が言った。「変形するのだ。蛾になって、繭を喰破って、飛出すのだ。」これは大変結構な譬喩《ひゆ》だ。しかし、問題は、私の精神にも肉体にも、繭を喰破るだけの力が残っているか、どうかである。
十七
一八九四年九月×日
昨日料理番のクロロが「義父《ちち》が他の酋長《しゅうちょう》達と一緒に、明日、何か御相談に上るそうです。」と言った。彼の義父、老ポエは、マターファ側の政治犯、我々を獄中のカヴァの宴に招いて呉れた酋長等の一人だ。彼等は先月の末、漸く釈放されたのである。ポエの入獄中は、私も相当面倒を見させられた。医者を獄中に向けてやったり、病気のためとて仮出獄の手続をしてやったり、再入獄の後は又保釈金を払ってやったりしたのである。
今朝、ポエが他の八人の酋長と共にやって来た。彼等は喫煙室に入り、サモア流に車座になって蹲《しゃが》んだ。彼等の代表者が話し始めた。
「我々の在獄中ツシタラは一方ならぬ同情を我々に寄せられた。今や自分達も、やっと無条件で釈放された訳だが、何とかしてツシタラの厚情への謝意を表したいと、出獄後直ぐに皆で相談した。所で、我々より先に出獄した他の酋長等の中には、その釈放される時の条件として今尚、政府の道路工事に使われている者が随分いる。それを見て、我々もツシタラの家の為に道路を作って、之を心からの贈物としようと相談が一決したのだが、是非とも此の贈物を受けて貰い度い。」と。公道と私の家とを繋《つな》ぐ道路を作ろうというのである。
土人を良く知っている者なら、誰しも斯《か》かる話を余りあて[#「あて」に傍点]に出来ないと思うのだが、兎に角、私は此の申出に非常に感激した。だが、実をいうと、之は、私自身が、道具や食事や給金(之は、先方では要らないというだろうが、結局、老人や病弱者への慰問の形で、やらねばなるまい)のために少からぬ金を使わねばならぬことになるのだ。
併し、彼等はなお此の計画の説明を進めた。彼等酋長達は、これから自分の部落に立帰り、一族の中から働く者を集めて来る。青年の一部はアピア市にボートを持って来て住み、海岸通を通って、働く連中に食糧を供給する役をする。道具だけはヴァイリマで都合して貰うが、決して贈物をして貰わないこと…………等。之は驚くべき非サモア的勤労だ。もし之が実際に行われるとすれば、恐らく此の島では前代未聞であろう。
私は彼等に厚く謝辞を述べた。私は彼等の代表者(此の男を私は個人的に良く知らない)と面を合せて腰掛けていた。彼の顔は、初めの挨拶の時は極めて他処《よそ》行きであったが、進んで、ツシタラが彼等の獄中での唯一の友であったことを語る段になると、急に、燃える様な純粋な感情を露《あらわ》したかに思われた。自惚《うぬぼれ》ではないつもりだ。ポリネシア人の仮面――全く之は白人には竟《つい》に解けない太平洋の謎だが――が斯くも完全に脱棄てられたのを、私は見たことがない。
九月×日
快晴。朝早く彼等[#「彼等」に傍点]が来た。逞《たくま》しい、顔立も尋常な青年ばかりが揃っている。彼等は直ちに我が新道路の工事に着手した。老ポエは頗《すこぶ》る上機嫌。この計画で若返ったように見える。頻《しき》りに冗談を言い、ヴァイリマの家族の友なることを青年等に誇示するかの如く、方々歩き廻っている。
彼等の衝動が、道路完成迄永続きするか、どうか、それは私にとって毫《ごう》も問題でない。彼等がそれを企てたということ。そして、サモアでは未だ曾《かつ》て聞いたこともない様な事を進んで実行し始めたこと。――之だけで充分だ。試みに思え。之は道路工事――サモア人の最も忌み嫌うもの。此の土地では、税の取立に次いで叛乱の原因となるもの。金銭を以てしても刑罰を以てしても容易に彼等を誘うことの出来ない道路工事なのだ。
この一事で、私は、自分がサモアで少くとも何か或る一つの事を成したのだと、自惚《うぬぼ》れていいように思う。私は嬉しい。実際、子供のように嬉しいのだ。
十八
十月に入って、道路はほぼ完成した。サモア人としては驚くべき勤勉と、速度とであった。斯《こ》うした場合にありがちの、部落間の争いも殆ど起らなかった。
スティヴンスンは工事完成記念の宴を華やかに張りたいと思った。彼は、白人と土人とを問わず、島の主だった人々には残らず招待状を送った。所で、驚いたことに、宴の日が近づくにつれ、白人及び白人に親しい土人達の一部から彼が受取った返辞は、悉《ことごと》く断り状だった。子供の如く無邪気なスティヴンスンの喜びの宴を以て、彼等は皆、政治的な機会と見做《みな》し、つまり、彼が叛徒を糾合し、政府に対する新しい敵意を作上げようとしている、と考えたのである。彼と最も親しい数人からも、理由は書かずに、出席できない旨を言って来た。宴は殆ど土人ばかりが来ることになった。それでも、列席者は夥《おびただ》しい数に上った。
当日スティヴンスンはサモア語で感謝の演説をした。数日前、英文の原稿を或る牧師の所へやって、土語に翻訳して貰ったものである。
彼は先ず八人の酋長《しゅうちょう》達に厚く謝辞を述べ、次いで公衆に、此の美しい申出の為された事情と経過とを説明した。自分が初め此の申出を断ろうかと思ったこと。それは、此の国が貧しく饑餓《きが》に脅されており、又、現在、彼等酋長達の家や部落が、長い間の主人の不在のために、整理を必要としていることを、自分が良く知っているからだ、ということ。しかし結局之を受けたのは、此の工事の与える教訓が一千本のパンの木よりも有効だと思ったから、それに、かかる美しい好意を受けることが、何ものにも増して堪《たま》らなく嬉しかったからだ、ということ。
「酋長達よ。諸君が働いて下さるのを見ていて、私の心は温かくなる様な気がしました。それは感謝の念からばかりでなく、或る希望からでもあります。私は其処にサモアの為、良きものを齎《もたら》すであろう約束を読んだのです。即ち、私の申上げたいのは、外敵に対する勇敢な戦士としての諸君の時代は既に終ったということです。今や、サモアを守る途《みち》はただ一つ。それは、道路を作り、果樹園を作り、植林し、其等の売捌《うりさばき》を自らの手で巧《うま》くやること。一口にいえば、自分の国土の富源を自分の手で開発することです。之をもし諸君が行わないならば、皮膚の色の違った他の人間共がやって了うでしょう。
自らの有《も》てるものを以て、諸君は何をしているか? サヴァイイで? ウポルで? ツツイラで? 諸君は、それを豚共の蹂躪《じゅうりん》に任せているではないか。豚共は家を焼き、果樹を切り、勝手放題をしているではないか。彼等は蒔《ま》かざるに刈り、蒔かざるに収穫《とりい》れておるのだ。併し、神は君達の為にサモアの地にそれを蒔かれたのだ。豊かな土地と、美しき太陽と、充ち足りた雨とを、君達に授け給うたのだ。繰返して言うけれども、諸君がそれを保ち、それを開発しなければ、やがて他の者に奪われて了うのです。諸君や諸君の子孫は、皆、外の暗闇にほうり出され、唯泣くよりほかはなくなるのです。私はいい加減に言っているのではない。私は、此の眼でそうした実例を見て来たのです。」
スティヴンスンは、自分の見たアイルランドや、スコットランド高地や、或いはハワイに於ける原住民族の現在の惨めさに就いて語った。そして、其等の轍《わだち》をふまないために、今こそ我々[#「我々」に傍点]は緊褌《きんこん》一番すべきであると。
「私は、サモアとサモアの人々とを愛しております。私は心から此の島を愛し、生きている限りは住居に、死んだなら墓地にと、固く決めているのです。だから、私の言うことを、口先だけの警戒と思ってはいけないのだ。
今や諸君の上に大きな危機が迫って来ている。今私の話した諸民族の様な運命を選ばねばならぬか、或いは之を切抜けて、諸君の子孫が此の父祖伝来の地で、諸君の記憶を讃えることが出来るようになるか、その最後の危機が迫っているのですぞ。条約による土地委員会とチーフ・ジャスティスとは、間もなく任期を完了するでしょう。すると、土地は諸君に戻され、諸君はそれを如何に使おうと自由になるのです。奸悪《かんあく》なる白人共の手の伸びるのは其の時です。土地測量器を手にした者共が、諸君の村へやって来るに違いない。諸君の試錬の火が始まるのです。諸君が果して金であるか? 鉛の屑《くず》であるか?
真のサモア人は之を切抜けねばならない。如何にして? 顔を黒く隈取《くまど》って戦うことによってではない。家に火を放つことによってではない。豚を殺し、傷つける敵の首を刎《は》ねることによってではない。そんな事は、諸君を一層惨めなものにするだけです。真にサモアを救う者とは、道路を開き、果樹を植え、収穫を豊かにし、つまり神の与え給うた豊かな資源を開発する者でなければなりません。こういうのが真の勇者、真の戦士なのです。酋長達よ。貴方方はツシタラの為に働いて下さった。ツシタラは心から御礼を申上げる。そうして、全サモア人が範を貴方方に取れば良いと思うのです。即ち、此の島の酋長という酋長、島民という島民が残らず、道路の開拓に、農場の経営に、子弟の教育に、資源の開発に、全力を注いだら、――それも一ツシタラヘの愛の為でなく、諸君の同胞、子弟、更に未だ生れざる後代の為に、そうした努力を傾けたら、どんなに良かろうと思うのです。」
謝辞というより警告|乃至《ないし》説諭に近い此の演説は、大成功だった。スティヴンスンが案じた程難解ではなく、彼等の大部分によって完全に諒解されたらしいことが、彼を悦《よろこ》ばせた。彼は少年の様に嬉しがって、褐色の友人達の間をはしゃぎ廻った。
新道路の傍には、次の様な土語を記した標が立てられた。
「感謝の道路」
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我等が獄中|呻吟《しんぎん》の日々に於けるツシタラの温かき心に報いんとて 我等 今 この道を贈る。我等が築けるこの道 常に泥濘《ぬかる》まず 永久《とは》に崩れざらん。
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十九
一八九四年十月×日
私がまだマターファの名を挙げるのを聞くと、人々(白人)は妙な顔をする。丁度、去年の芝居の噂でも聞いた時のように。或る者は又、にやにや笑い出す。下劣な笑だ。何は措《お》いてもマターファの事件を可嗤的《リディキュラス》なものとしてはならぬと思う。一作家の奔走だけでは、どうにもならぬ。(小説家は、事実を述べている時でも、物語を語っているのではないかと思われるらしい。)誰か実際的な地位を有《も》つ人物が援《たす》けて呉れなければ駄目だ。
全然面識の無い人物だが、英国下院でサモア問題に就いて質問したJ・F・ホーガン氏に宛て、手紙を書いた。新聞によれば、彼は再三に亘ってサモアの内紛についての質問をしているから、相当この問題に関心を抱いているものと見られるし、質問の内容を見ても、かなり事情にも通じているらしい。此の議員宛の書面の中で、私は繰返し、マターファの処刑の厳に失する所以《ゆえん》を説明した。殊に、最近叛乱を起した小タマセセの場合と比較して、その余りに偏頗《へんぱ》なことを。何等罪状の指摘できないマターファ(彼は、いわば喧嘩《けんか》を売られたに過ぎぬのだから)が千|浬《カイリ》離れた孤島に流謫《るたく》され、一方、島内白人の殲滅《せんめつ》を標榜《ひょうぼう》して立った小タマセセは小銃五十|梃《ちょう》の没収で済んだ。こんな莫迦《ばか》な話があるか。今ヤルートにいるマターファの所へはカトリックの牧師以外に誰も行くことが許されない。手紙をやることも出来ぬ。最近、彼の一人娘が敢然禁を犯してヤルートヘ渡ったが、発見されれば、又連戻されるのだろう。
千浬以内にいる彼を救う為に、数万浬彼方の国の輿論《よろん》を動かさねばならぬなんて、妙な話だ。
もしマターファがサモアヘ帰れるようだったら、彼は吃度《きっと》僧職に入るだろう。彼は其の方面の教育を受けてもいるし、又、そうした人柄でもあるのだから。サモア迄は望めずとも、せめてフィジイ島位まで来られたら、そうして、故郷のそれと違わぬ食事、飲料を与えられ、慾には時々我々と会うことが出来たら、どんなにか有難いのだが。
十月×日
「セント・アイヴス」も完成に近くなったが、急に、「ウィア・オヴ・ハーミストン」を続け度くなって、又、取上げた。一昨年、筆を起してから、何度取上げては、何度筆を投げたことやら。今度こそ何とか纏《まと》まりそうだ。自信というよりも、何だか、そんな気がする。
十月××日
此の世に年を経れば経る程、私は一層、途方に暮れた小児のような感じを深くする。私は慣れることが出来ない。この世に――見ることに、聞くことに、斯《か》かる生殖の形式に、斯かる成長の過程に、上品にとりすました生の表面と、下卑て狂気じみた其の底部との対照に――之等は、如何に年をとっても、私には慣れ親しめないものだ。私は年をとればとる程、段々裸に、愚かになるような気がする。「大きくなれば解るよ。」と、子供の時分に、よく言い聞かされたものだが、あれは正《まさ》しく嘘であった。自分は何事も益々分らなくなるばっかりだ。…………之は確かに、不安である。しかし又一方、このために、生に対する自分の好奇心が失われないでいることも事実だ。全く、世の中には、「自分にとって此の人生は、もう何度目かの経験だよ。最早自分は人生から学ぶべき何ものも無いよ。」といった顔をした老人が、実に沢山いる。一体、どんな老人が此の人生を二度目に生活しているというのだ? どんな高齢者だって、彼の今後の生活は、彼にとって初めての経験に違いないではないか。悟ったような顔をした老人共を、私は(私自身は所謂《いわゆる》年寄ではないが、年齢を、死との距離の短かさで計る計算法によれば、決して若くはあるまい。)軽蔑《けいべつ》し、嫌悪する。其の好奇心のない眼付を、殊には、「今の若い者は」といった式の、やにさがった[#「やにさがった」に傍点]ものの言い方を(単に此の遊星の上に生れ出ることが、たかだか二三十年早かったからというだけで、自分の意見への尊重を相手に強いようとする・あのものの言い方を)嫌悪する。Quod curiositate cognoverunt superbia amiserunt.「彼等驚きによりて認めたるものを、傲《おご》りによりて失いたりき」病苦が私に、さほど好奇心の磨滅を齎《もたら》さなかったことを、私は喜ぶ。
十一月×日
午後の日盛りに私は独りでアピア街道を歩いていた。道からちらちらと白い炎が立っていた。眩《まぶ》しかった。街道の果迄見渡しても人一人見えなかった。道の右側は、甘蔗畑《かんしょばたけ》が緑の緩やかな起伏を見せてずっと北迄続き、その果には、燃上る濃藍色《のうらんしょく》の太平洋が雲母末《うんもまつ》のような小皺《こじわ》を畳みながら、円く大きく膨れ上っていた。青焔《せいえん》に揺れる大海原が瑠璃色《るりいろ》の空と続くあたりは、金粉を交えた水蒸気にぼかされて白く霞んで見えた。道の左側には、巨大な羊歯《しだ》族の峡谷を距《へだ》てて、ぎらぎらした豊かな緑の氾濫《はんらん》の上に、タファ山の頂であろうか、突兀《とっこつ》たる菫色《すみれいろ》の稜線《りょうせん》が眩しい靄《もや》の中から覗いている。静かだった。甘蔗の葉摺《はずれ》の外、何も聞えなかった。私は自分の短い影を見ながら歩いていた。かなり長いこと、歩いた。ふと、妙なことが起った。私が、私に聞いたのだ。俺は誰だと。名前なんか符号に過ぎない。一体、お前は何者だ? この熱帯の白い道に痩《や》せ衰えた影を落して、とぼとぼと歩み行くお前は? 水の如く地上に来り、やがて風の如くに去り行くであろう汝、名無き者は?
俳優の魂が身体を抜出し、見物席に腰を下して、舞台の自分を眺めているような工合であった。魂が、其の抜けがらに聞いている。お前は誰だと。そして執拗《しつよう》にじろじろ睨《ね》めまわしている。私はぞっとした。私は眩暈《めまい》を感じて倒れかかり、危く近所の土人の家に辿《たど》りつき、休ませて貰った。
こんな虚脱の瞬間は、私の習慣の中には無い。幼い頃一時私を悩ましたことのある永遠の謎「我の意識」への疑問が、長い潜伏期の後、突然こんな発作となって再び襲って来ようとは。
生命力の衰退であろうか? しかし近頃は、二三ヶ月前に比べて身体の調子もずっと良いのだ。気分の波の高低はかなりあるにしても、精神の活気も大分取戻しているのだ。風景などを眺めても、近頃は、強烈な其の色彩に、始めて南海を見た時のような魅力を(誰でも三四年熱帯に住めば、それを失うものだ)再び感じている位だ。生きる力が衰えている筈はない。ただ最近多少|昂奮《こうふん》し易くなったことは事実で、そういう時、数年間まるで忘却していた姿の或る情景などが、焙《あぶ》り出しの絵の様に、突然ありありと、其の色や匂や影まで鮮やかに頭の中に蘇《よみがえ》って来ることがある。何だか少し気味が悪い位に。
十一月×日
精神の異常な昂揚と、異常な沈鬱《ちんうつ》とが、交互に訪れる。それもひどい時は一日に数回繰返して。
昨日の午後、スコールが過ぎたあとの夕方、丘の上を騎乗していた時、突然、或る恍惚《こうこつ》たるものが心を掠《かす》めたように思った。途端に、見はるかす眼下の森、谷、巌から、其等が大きく傾斜して海に続く迄の風景が、雨あがりの落暉《らっき》の中に、見る見る鮮明さを加えて浮かび上った。極く遠方の屋根、窓、樹木までが、銅版画の如き輪廓《りんかく》を以て一つ一つはっきりと見えて来た。視覚ばかりではない。あらゆる感覚器官が一時に緊張し、或る超絶的なものが精神に宿ったことを、私は感じた。どんな錯雑した論理の委曲も、どんな微妙な心理の陰翳《いんえい》も、今は見遁《みのが》すことがあるまいと思われた。私は殆ど幸福でさえあった。
昨夜、私の「ウィア・オヴ・ハーミストン」は大いにはかどった。
所で、今朝その酷《ひど》い反動が来た。胃のあたりが鈍く重苦しい感じで、気分が冴えなかった。机に向って昨夜の続きを四五枚も書いた頃、私の筆は止った。行悩んで頬杖をついていた時、ひょいと、一人の惨めな男の生涯の幻影が頭の中を通り過ぎた。その男は、ひどい肺病やみで、気ばかり強く、鼻持ならない自惚《うぬぼれ》やで、気障《きざ》な見栄坊で、才能もないくせに一ぱしの芸術家を気取り、弱い身体を酷使しては、スタイルばかりで内容の無い駄作を書きまくり、実生活に於ては、其の子供っぽい気取のため事毎に人々の嘲笑を買い、家庭の中では年上の妻のために絶えず圧迫を受け、結局は、南海の果で、泣き度い程北方の故郷を思いながら、惨《みじ》めに死んで行く。
ちらりと一瞬、閃光《せんこう》のように斯《こ》うした男の一生の姿が浮かんだ。私ははっ[#「はっ」に傍点]とみぞおち[#「みぞおち」に傍点]を強く衝《つ》かれた思いがし、椅子の上にくずおれた。冷汗が出ていた。
暫くして私は回復した。之は何か身体の工合のせいだ。こんな莫迦《ばか》な考が浮ぶなんて。
しかし、自分の一生の評価の上に、ふと、さしたかげ[#「かげ」に傍点]は中々拭い去れそうもない。
Ne suis-je pas un faux accord
Dans la divine symphonie?
神のあやつる交響楽の中で
俺は調子の外れた弦ではないのか?
夜八時、すっかり元気になった。ウィア・オヴ・ハーミストンの今迄|書溜《かきた》めた分を読みかえす。悪くない。悪くないどころか!
今朝はどうかしていたんだ。俺が下らない文学者だと? 思想がうすっぺらだの、哲学が無いのと、言い度い奴は勝手に言うがいい。要するに、文学は技術だ。概念で以て俺を軽蔑《けいべつ》する奴も、実際に俺の作品を読んで見れば、文句なしに魅せられるに決ってるんだ。俺は俺の作品の愛読者だ。書いている時は、すっかり、厭《いや》な気持になり、こんなものの何処に価値があるか、と思える時でも、翌日読返して見れば、俺は必ず俺の作品の魅力にとらわれて了う。仕立屋が衣服を裁つ技術に自信を有《も》つように、俺は、ものを描く技術に自信を有っていいのだ。お前の書くものに、そんなに詰まらないものが出来る筈はないのだ。安心しろ! R・L・S・!
十一月××日
真の芸術は(仮令《たとえ》、ルソーのそれの如きものではなくとも、何等かの形で)自己告白でなければならぬという議論を、雑誌で読んだ。色々な事を言う人があるものだ。自分の恋人ののろけ話と、自分の子供の自慢話と、(もう一つ、昨夜見た夢の話と)――当人には面白かろうが、他人にとって之くらい詰まらぬ莫迦げたものがあるだろうか?
追記――一旦、床に就いてから、種々考えた末、右の考を稍々《やや》訂正せねばならなくなった。自己告白が書けぬという事は、人間としての致命的欠陥であるかも知れぬことに思い到った。(それが同時に、作家としての欠陥になるか、どうか、之は私にとって非常にむずかしい問題だ。或る人々にとっては極めて簡単な自明の問題らしいが。)早い話が、俺にデイヴィッド・カパァフィールドが書けるか、どうか、考えて見た。書けないのだ。何故? 俺は、あの偉大にして凡庸なる大作家程、自己の過去の生活に自信が有てないから。単純平明な、あの大家よりも、遥かに深刻な苦悩を越えて来ているとは思いながら、俺は俺の過去に(ということは、現在に、ということにもなるぞ。しっかりしろ! R・L・S・)自信が無い。幼年少年時代の宗教的な雰囲気。それは大いに書けるし、又書きもした。青年時代の乱痴気騒ぎや、父親との衝突。之も書こうと思えば書ける。むしろ大いに、批評家諸君を悦《よろこ》ばせる程、深刻に。結婚の事情。これも書けないことはないとしよう。(老年に近く、最早女でなくなった妻を前に見ながら、之を書くのは頗《すこぶ》る辛いことには違いないが)しかし、ファニイとの結婚を心に決めながら、同時に俺が、他の女達に何を語り何を為していたかを書くことは? 勿論、書けば、一部の批評家は欣《よろこ》ぶかも知れぬ。深刻無比の傑作現るとか何とか。併し、俺には書けぬ。俺には残念ながら当時の生活や行為が肯定できないから。肯定できないのは、お前の倫理観が、凡《およ》そ芸術家らしくもなく薄っぺらだからだ、という見方もあるのは承知している。人間の複雑性を底まで見極めようとする其の見方も、一応は解らぬことはない。(少くとも他人の場合に、なら。)だが結局、全身的には解らぬ。(俺は、単純|闊達《かったつ》を愛する。ハムレットよりドン・キホーテを。ドン・キホーテよりダルタニアンを。)薄っぺらでも何でも、俺の倫理観は(俺の場合、倫理観は審美感と同じだ。)それを肯定できぬ。では、当時何故そんな事をした? 分らぬ。全く分らぬ。昔は、よく、「弁解は神様だけが御存じだ」と嘯《うそぶ》いたものだが、今は、裸になり、両手を突き、満身の汗をかいて、「分りませぬ」と申します。
一体、俺はファニイを愛していたのか? 恐ろしい問だ。恐ろしい事だ。之も分らぬ。兎に角分っているのは、私が彼女と結婚して今に到っているということだけだ。(抑々《そもそも》愛とは何だ? 之からして分っているのか? 定義を求めているのではない。自己の経験の中から直ぐに引出せる答を有っているか、というのだ。おお、満天下の読者諸君! 諸君は知っておられるか? 幾多の小説の中で幾多の愛人達を描いた小説家ロバァト・ルゥイス・スティヴンスン氏は、何と、齢《よわい》四十にして未だ愛の何ものなるかを解せぬということを。だが、驚くことはない。試みに古来のあらゆる大作家を拉《らっ》し来って、面と向って此の単純極まる質問を呈して見給え。愛とは何ぞや? と。して、彼等の心情経験の整理箱の中から其の直接の答を求めて見給え。ミルトンもスコットもスウィフトもモリエールもラブレエも、更にはシェイクスピア其の人さえもが、意外にも、驚くべき非常識、乃至《ないし》、未熟を曝露《ばくろ》するに違いないから。)
所で、問題は要するに、作品と、作者の生活との開き[#「開き」に傍点]だ。作品に比べて、悲しいことに、生活が(人間が)余りに低い。俺は、俺の作品のだしがら[#「だしがら」に傍点]? スウプのだしがら[#「だしがら」に傍点]の様な。今にして思う。俺は、物語を書くことしか今迄考えたことがなかった。その一つの目的に向って統一された生活を美しいとさえ自ら感じていた。勿論、作品を書くことが、同時に、人間修業にならなかった、とはいうまい。確かに、なった。しかし、それ以上に、人間的完成に資する所の多い途《みち》は無かったか? (他の世界――行為の世界は病弱な自分に対して閉されていたから、などというのは、卑怯《ひきょう》な遁辞《とんじ》であろう。一生病床にいても、猶《なお》、修業の途はある。勿論、そうした病人の達成する所のものは、余りに偏《かたよ》ったものになりがちだが)自分は余りにも物語道(その技巧的方面)にのみ没入し過ぎてはいなかったか? 漠然とした自己完成のみを目指して生活に一つの実際的焦点を有たぬ者(ソーローを見よ)の危険は、充分考慮に入れた上で、この事を言っているのだ。曾《かつ》て大嫌いだった・之からも好きにはなれまい(というのは、今、南海の我が乏しき書庫に其の作物が一冊も並んでいないからだが)あのワイマアルの宰相のことを、ひょいと思う。あの男は、少くともスウプのだしがら[#「だしがら」に傍点]ではない。いや、逆に、作品が彼のだしがら[#「だしがら」に傍点]なのだ。ああ! 俺の場合は、文学者としての名声が、不当にも、俺の人間的完成(もしくは未熟)を追越し過ぎたのだ。恐るべき危険だ。
ここ迄考えて来て、妙な不安を覚える。今の考を徹底させれば、俺の従来の作品の凡《すべ》てを廃棄しなければならなくなるのではないか。之は絶望的な不安だ。今迄の俺の生活の絶対専制者「制作」よりも権威あるものが現れるということは。
しかし一方、習《ならい》、性となった・あの文字を連ねることの霊妙な欣ばしさ、気に入った場面を描写することの楽しさが、自分を捨去るとは、ゆめゆめ思えない。執筆は何時迄も俺の生活の中心であろうし、又、そうあって差支えないのだ。けれども――いや、恐れることはない。俺には勇気がある筈だ。俺は俺の上に起った変化を懼《おそ》れずに迎えねば[#「迎えねば」は底本では「迎えば」]ならぬ。蛹《さなぎ》が蛾となって飛廻るためには、今迄自分の織成した美しい繭を無残に喰破らねばならぬのである。
十一月××日
郵船日、エディンバラ版全集の第一巻到着。装幀《そうてい》、紙質その他、大体満足。
書簡、雑誌等を一通り読終った後、欧羅巴《ヨーロッパ》にいる人達と私との間の考え方の距離が益々大きくなって来ていることを感じる。私が余り通俗(非文学的)になり過ぎたか、或いは本来彼等が余り狭い考え方に捉われているか、どちらかだ。曾《かつ》て私は法律などを勉強する輩《やから》を嗤《わら》った。(そのくせ私自身弁護士の資格を有《も》っているのだから、おかしいが)法律とは或る縄張の中に於てのみ権威をもつもの。その複雑な機構に通暁することを誇って見たところで、それは普遍的な人間的価値をもつものではない、と考えたからだ。所で、今、私は、文学圏についても、それを言おうと思う。英国の文学、仏蘭西《フランス》の文学、独逸《ドイツ》の文学、せいぜい広い所で、欧米、乃至《ないし》、白人種の文学。彼等はそういう縄張を設け、自己の嗜好《しこう》を神聖なる規則の如きものに迄祭上げ、他の世界には通用しそうもない其の特殊な狭い約束の下に於てのみ、優越を誇っているように見える。之は白人種の世界の外にいる者でなければ判らない。勿論、このことは文学にだけ限るのではない。人間や生活やの評価の上にも、西欧文明は、或る特殊な標準《めやす》を作上げ、それを絶対普遍のものと信じている。そういう限られた評価法しか知らない奴に、太平洋の土着民の人格の美点や、その生活の良さなど、てんで解りっこないのだ。
十一月××日
南海の島から島へと渡り歩く白人行商人の中には、極く稀《まれ》に(勿論、大部分は我利我利の奸譎《かんけつ》な商人ばかりだが)次の二つの型の人間を見出すことがある。その一つは、小金を溜《た》めて、故郷《くに》へ帰り余生を安楽に暮らそうというような量見(之が普通の南洋行商人の目的だ)を全然持合せず、唯、南海の風光、生活、気候、航海を愛し、南海を離れたくないがためにのみ、今の商売を止めないといった様な人間。第二は、南海と放浪とを愛する点では同様だが、之はずっと拗《す》ねた烈しい行き方で、文明社会を故意に白眼視し、いわば、生きながら骨を南海の風雨に曝《さら》しているとでもいった虚無的な人間。
今日、街の酒場で、この第二の型の人間の一人に出遭った。四十歳前後の男で、私の隣の卓子《テーブル》で独り飲んでいたのだ。(足を組んだ膝頭の辺をがくがく顫《ふる》わせながら。)服装《みなり》はひどいが、顔立は鋭く知的である。目の赤く濁っているのは明らかに酒のせいだが、荒れた皮膚に脣《くちびる》だけいやに紅いのは少々気持が悪い。僅か一時間足らずの会話だったが、此の男が英国一流の大学を出ていることだけは確かに分った。こんな港町には珍しい・完全な英語である。雑貨行商人だといい、トンガから来たが、次の船でトケラウスヘ渡るという。(彼は勿論、私が誰であるかを知りはしない。)商売のことは何もしゃべらない。島々に白人の移入した悪質の病気のことを少し話した。それから、自分には何もないこと。妻も、子も、家も、健康も、希望も。何が彼をこんな生活へ入らせたか、という私の愚問に就いては、何といって名指せるような、小説めいた原因なんかありませんよ。それに、こんな[#「こんな」に傍点]生活とおっしゃるが、今の生活だって、そう特殊なものでもないでしょう? 人間という形態をとって生れて来たという一層特殊な事情に比べればね、と笑いながら、軽い空咳《からせき》をした。
之は抗《あらが》い難きニヒリズムである。家に帰って寝に就いてからも、此の男の言葉の・極めて叮嚀《ていねい》な・しかし救いの無い調子が耳について仕方がない。Strange are the ways of men.
此処に定住する前、スクーナーで島々を経《へ》廻《めぐ》っていた間にも、私は実に色々な人間に遇った。
白人は愚か、土人さえ稀なマルケサスの裏海岸に自分で小舎を作り、唯一人(海と空と椰子樹《やしじゅ》の間に全く唯一人)一冊のバアンズと一冊のシェイクスピアを友として住んでいる(そして少しの悔もなく其の地に骨を埋めようとしている)亜米利加《アメリカ》人もいた。彼は船大工だったのだが、若い頃南洋のことを書いた書物を読んで熱帯の海への憧憬に堪えかね、竟《つい》に故国を飛出して其の島に来ると、其の儘《まま》住みついて了ったのだ。私が其の海岸に寄った時、彼は詩を作って贈って呉れた。
或るスコットランド人は、太平洋の島々の中で最も神秘的なイースター島(其処では、今は絶滅した先住民族の残した怪異巨大な偶像が無数に、全島を蔽《おお》うている。)に暫く住んで死体運搬人を勤めた後、再び島から島への放浪を続けた。或る朝、船上で髭《ひげ》を剃《そ》っているとき、彼[#「彼」は底本では「後」]は背後《うしろ》から船長に呼掛けられた。「おい! どうしたんだ? 君は耳を剃落しちゃったじゃないか!」気が付くと、彼は自分の耳を剃落しており、しかも、それを知らなかったのだ。彼は直ちに意を決して、癲病島モロカイに移り住み、其処で、不平もなく悔もない余生を送った。その呪《のろ》われた島を私が訪ねた時、此の男は極めて快活な様子で、過去の自分の冒険|譚《たん》を聞かせて呉れた。
アペママの独裁者テムビノクは今、どうしているかと思う。王冠の代りにヘルメット帽をかぶり、スカアトの様な短袴《キルト》を着け、欧羅巴式の脚絆《ゲートル》を巻いた、この南海のグスターフ・アドルフは大変に珍しいもの好き[#「珍しいもの好き」に傍点]で、赤道直下の彼の倉庫にはストーヴがしこたま[#「しこたま」に傍点]買込まれていた。彼は白人を三通りに区別していた。「余を少しく欺《だま》した者」「余を相当に欺した者」「余を余りにも酷《ひど》く欺した者」。私の帆船が彼の島を立去る時、豪毅《ごうき》朴直な此の独裁者は、殆ど涙を浮かべて、「彼を少しも欺さなかった」私の為に、訣別《けつべつ》の歌をうたった。彼は其の島で唯一人の吟遊詩人でもあったのだから。
ハワイのカラカウア王はどうしているか? 聡明で、しかし常に物悲しげなカラカウア。太平洋人種の中で私と対等にマックス・ミューラアを論じ得る唯一の人物。曾《かつ》てはポリネシアの大合同を夢見た彼も、今は自国の衰亡を目前に、静かに諦観《ていかん》して、ハアバアト・スペンサーでも読耽《よみふけ》っているのであろう。
半夜、眠れぬままに、遥かの濤声《とうせい》に耳をすましていると、真蒼な潮流と爽《さわ》やかな貿易風との間で自分の見て来た様々の人間の姿どもが、次から次へと限無く浮かんで来る。
まことに、人間は、夢がそれから作られるような物質であるに違いない。それにしても、其の夢夢の、何と多様に、又何と、もの哀れにもおかしげなことぞ!
十一月××日
ウィア・オヴ・ハーミストン第八章書上。
この仕事も漸《ようや》く軌道に乗って来たことを感ずる。やっと対象がはっきり掴《つか》めて来たという訳だ。書きながら自分でも何かどっしり[#「どっしり」に傍点]した、分厚なものを感じている。「ジィキルとハイド」や「誘拐《キッドナップト》」の場合も恐ろしく速く書けたが、書いている最中に確かな自信はなかった。もしかしたら素晴らしいものになっているかも知れないが、或いは又、てんで独りよがりの・恥ずべき駄作かも知れないという懼《おそれ》があった。筆が自分以外のものに導かれ追廻されている恰好《かっこう》だったからだ。今度は違う。同じく、楽に、速く進行してはいるが、今度は明かに自分が凡《すべ》ての作中人物の手綱をしっかり抑えているのだ。出来栄の程度も、自分ではっきり判るように思う。昂奮《こうふん》した自惚《うぬぼれ》によってでなく、落着いた計量によって。之は、最低の見積りによっても、「カトリオーナ」より上に位するものとなろう。まだ完結はしていないが、これは確かである。島の諺《ことわざ》にいう。「鮫《さめ》か鰹《かつお》か、は、尾を見ただけで判る」と。
十二月一日
夜はまだ明けない。
私は丘に立っていた。
夜来の雨は漸くあがったが、風はまだ強い。直ぐ足下から拡がる大傾斜の彼方、鉛色の海を掠《かす》めて西へ逃げる雲脚の速さ。雲の断目《きれめ》から時折、暁近い鈍い白さが、海と野の上に流れる。天地は未だ色彩を有《も》たぬ。北欧の初冬に似た、冷々した感じだ。
湿気を含んだ烈風が、まともに吹付ける。大王|椰子《やし》の幹に身を支え、辛うじて私は立っていた。何かしら或る不安と期待のようなものが心の隅に湧いて来るのを感じながら。
昨夜も私は長いことヴェランダに出て、荒い風と、それに交る雨粒とに身をさらしていた。今朝も斯《こ》うやって強い風に逆らって立っている。何か烈しいもの、兇暴《きょうぼう》なもの、嵐のようなものに、ぐっ[#「ぐっ」に傍点]とぶっつかって行きたいのだ。そうすることによって、自分を一つの制限の中に閉込めている殻を叩きつぶしたいのだ。何という快さだろう! 四大の峻烈《しゅんれつ》な意志に逆らって、雲と水と丘との間に屹然《きつぜん》と独り目覚めてあることは! 私は次第にヒロイックな気持になって行った。‘O! Moments big as years.’とか、‘I die, I faint, I fail.’とか、とりとめない文句を私は喚いた。声は風に千切られて飛んで行った。明るさが次第に、野に丘に海に加わって行く。何か起るに違いない。生活の残渣《ざんさ》や夾雑物《きょうざつぶつ》を掃出して呉れる何かが起るに違いないという欣《よろこ》ばしい予感に、私の心は膨れていた。
一時間もそうしていたろうか。
やがて眼下の世界が一瞬にして相貌を変じた。色無き世界が忽《たちま》ちにして、溢《あふ》れるばかりの色彩に輝き出した。此処からは見えない、東の巌鼻《いわはな》の向うから陽が出たのだ。何という魔術だろう! 今迄の灰色の世界は、今や、濡れ光るサフラン色、硫黄色、薔薇《ばら》色、丁子色、朱色、土耳古《トルコ》玉《だま》色、オレンジ色、群青、菫《すみれ》色――凡《すべ》て、繻子《しゅす》の光沢を帯びた・其等の・目も眩《くら》む色彩に染上げられた。金の花粉を漂わせた朝の空、森、岩、崖、芝地、椰子樹《やしじゅ》の下の村、紅いココア殻の山等の美しさ。
一瞬の奇蹟を眼下に見ながら、私は、今こそ、私の中なる夜が遠く遁逃《とんとう》し去るのを快く感じていた。
昂然《こうぜん》として、私は家に戻った。
二十
十二月三日の朝、スティヴンスンは何時もの通り三時間ばかり、「ウィア・オヴ・ハーミストン」を口授して、イソベルに筆記させた。午後、書信を数通したため、夕方近く台所に出て来て、晩餐《ばんさん》の支度をしている妻の傍で冗談口をききながら、サラダを掻きまぜたりした。それから、葡萄酒《バーガンディ》を取出すとて、地階へ下りて行った。瓶を持って妻の傍まで戻って来た時、突然、彼は瓶を手から落し、「頭が! 頭が!」と言いながら其の場に昏倒《こんとう》した。
直ぐに寝室に担ぎ込まれ、三人の医者が呼ばれたが、彼は二度と意識を回復しなかった。
「肺臓|麻痺《まひ》を伴う脳溢血《のういっけつ》」之が医師の診断であった。
翌朝、ヴァイリマは、土人の弔問客達から贈られた野生の花・花・花で埋められた。
ロイドは、自発的に勤労を申出た二百人の土人を指揮して、未明から、ヴァエア山巓《さんてん》への道を斫《き》り拓《ひら》いていた。其の山頂こそ、スティヴンスンが、生前、埋骨の地と指定して置いた所だった。
風の死んだ午後二時、棺が出た。逞《たくま》しいサモア青年達のリレーによって、叢林《そうりん》中の新しい道を、山巓に向って運ばれるのである。
四時、六十人のサモア人と、十九人の欧羅巴《ヨーロッパ》人との前で、スティヴンスンの身体は埋められた。
海抜千三百|呎《フィート》、シトロンやたこ[#「たこ」に傍点]の木に取囲まれた山頂の空地である。
故人が、生前、家族や召使達の為に作った祈祷《きとう》の一つが、その儘《まま》、唱えられた。噎《む》せる程強いシトロンの香の立ちこめる熱い空気の中で、会衆は静かに頭を垂れた。墓前を埋めつくした真白な百合の花弁の上に、天鵞絨《ビロード》の艶を帯びた大黒揚羽蝶が、翅《はね》を休めて、息づいておった。…………
老酋長《ろうしゅうちょう》の一人が、赤銅色の皺《しわ》だらけの顔に涙の筋を見せながら、――生の歓びに酔いしれる南国人の・それ故にこそ、死に対して抱く絶望的な哀傷を以て――低く眩いた。
「トファ(眠れ)! ツシタラ。」
底本:「昭和文学全集 第7巻」小学館
1989(平成1)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第1巻」筑摩書房
1976(昭和51)年3月初版発行
※「李陵 山月記 檸檬 愛撫 外十六篇」文春文庫を参照して、「卓子《テーブル》」「輪索《わな》」「稜鏡《プリズム》」「榕樹《ガジマル》」のルビを補った。
※「著」は本来、「着」の正字である。本作品中に見られる、「愛著《あいちゃく》」は、誤植ではない。
入力:kompass
校正:伊藤時也
2001年8月3日公開
2004年2月4日修正
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