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我が庭
長塚節

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)たゞ[#「たゞ」に「ママ」の注記]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぶら/\と
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 鬱陶しく曇つた春雨の空がいつもの如く井戸流しで冷水浴をしてしはらくするうちに禿げてしまつた、朝のうちに椚眞木の受取渡しをして來たらよからうと母が言ふことであつたが少し用があるから行かれぬとたゞ[#「たゞ」に「ママ」の注記]をいふ、用といふのは外でもない、ホトトギスに庭園を寫生せよといふ題が出て居るので自分のやうな拙劣な手で寫生も恐ろしい譯ではあるがこれも稽古だやつて見やうと思ひついたので野らや林へ出やうとは思ひもよらぬのである、庭のことゝ言へばつひこの二日の日記にもこんなことがある
[#ここから2字下げ]
 ……宵に春雨が降つたらしく家の屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある、松葉に松ももが交つて居るのが目さはりであるが、けさはスツカリ濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\と歩行く、平氏門によつてそして戸袋の方にくつゝいた老梅が一株は蕾勝ちで二株は充分に開いて居る、蕾には一つつゝ露が溜つてその露が折々松葉の上に落ちる、五ひら六ひら散つた梅の花が松葉にひつゝいてるのが言ひやうのない面白さである、まだ散るのでもないのをこれは春雨が夜の間の板面であらふ、空は西の方から拭つたやうに靄が禿げて日の光が竹林の上から斜にさしかゝると溜つて居る露がかゞやいて、落ちるたびにゆら/\と搖れる、たはいもないことをするやうであるが人さし指を曲げてクロブシの上にその蕾にかゞやいてる露をとつてはまだとる、子供の時によくしたことである、こんな心持のよい朝はない、はやく起きたのが嬉しくつてたまらなかつた、即興の歌が八首、七首は立ちどころになつて終の一首はやゝ苦しんだ……
[#ここで字下げ終わり]
 といふやうな塩梅だけはよく似て居るがかうして寫生文を作りはじまつた時はもはやしたゝる露はなくなつて居るのである
 さて庭といつても平凡な庭をどんなに説明したものであらふ、先つ自分の位置を定めねばなるまい、自分はテーブルに向つて椅子に偏つて居るのであるがそのテーブルの置キ所がからである、前に障子が四枚これを開ければ庭でその前が門になつて居る、右手即ち西にも障子四枚これを開けば椽側からぢき書院で、書院の庭の一部分が見える、左手の方は杉帶戸で間が別である、そして障子の角が戸袋になつている、自分の寫生をしやうといふは奧の庭であるが先づ表の障子を開けて見得らるゝ間に限つて見やうと思ふが、戸袋から南へ戸の塀が三間で平氏門、それからつゝいて前の塀が二間これは表庭と奧庭との隔てゝそのへいである、
 三株の老梅が一部分は戸袋にかくれて塀の上から見える、二株は蕾が殆んどなくなつて遲い一株が半は開いて居る、その枝の下に南天の木のうらが一寸出てゐる、梅の枝と平氏門のはしとが距離が二尺でその間から肉桂の梢が見える、半は梅に遮れた肉桂の上には松が二三本スーと立つ、老梅の枝の間からは大小六七本固まつた樅の木が見える、門の椽と塀の上の瓦と一尺ばかりの空虚からは桧葉の植込の一部がかすかに見られる、それから塀の小窓を透しては一寸出て居る南天が二本の幹と、老樹の一部と肉桂の下部とそこに結つてある馬塞垣と肉桂の上に立つてる松と塀と門との空虚から見える桧葉との根方が明かに見える、そして松葉の濡れたのまでがわかる、
 こゝから見た所はざつとこんなものであるがこの門について少し話さうならば、これはしばらくになるが出入の大工が連れて來た見すぼらしい爺の設計である、いつもボロドテラを引つかけて居るので一見鼻持もならないのであるがその仲間には聞えた本所竪川の龜といふので磊落不覊とでもいはふか酒ばかり飮んで居る、それに女が好きといふ始末に終へない奴であるが、その女といふても長く持つて居るのではないのでいゝ加減の時になるとすいとわきへ行つて踪跡も分らないといふ、しかも七十にもなる老爺なるに至つては驚かざるを得ない。素より弟子の一人もあらふ筈がない、そんな塩梅[#「塩梅」に「ママ」の注記]だからどんな仕事を仕掛けても心に慊らないことがあればさつさと他に越いて顧ないのであるが幸に近い所に出來た婆さんにしばらく飽きが來なかつたのと、その心持を呑込んで居たのとで閊のあるやうなことはなかつたのである、しかし門の建まへを組立てる頃はとほに例の癖のために居なかつた、こんな變物がどうして世の中を渡れやうかと思ふと腕が拔群であるためにどこへ行つても珍重されるので彼はむしろ心中に苦しみがない、
 も一つ言つておくのは門の左右に三兩株の風致を助けてあるのが植木屋の注意である
 これが外部から見たところである
 西の障子を開けてたら今まで妻想ひにないていた男猫が逃げて行つてしまつた
 書院の坐敷の向ふの角はやつぱり戸袋でそこには袖垣がある、これは植木屋が自慢の鎧の威の型だといふこれがすぐ目に付く、その下に客が手水を使ふやうにこしらえた竹の棚がある、その流しが小石を交へた叩きである
 袖垣の側にはカリンの木が配合してある、カリンの木の梢は鴨居に防げられて見えぬ、それに小さな青桐が五六本あしらつてあるのが心持ちがよい、それからこれはカリンの木の下に程合の石が据ゑられて八つ手の木のひねびた三尺ばかりなのがその傍に植ゑられて石の上には鐵の燈籠がのつてる、それが一寸の躰の動かしかたで障子にかくれてしまふ、さつきの位置に居て見るのはこれだけである、
 曇り加減になつた日がうらゝかにまたさしくるので松葉の濡れたのがほゞ乾いた、
 机を椽側へ持ち出す
 庭一面が見える
 築山が主であるがそのうしろには十五六本の樅の木が大小塩梅して植ゑてある、サツキ見た梢がこれである、樅の木の中にドウダンが一本交つてる、
 築山の右手に松の植込が十四五本その四五本がカリンの木に邪魔をされて見える、築山からこの植込へかけて心字形の池があるが水もない、
 しかしながら築山や心字形の池が水のないのはおろか松葉がしき込んであつておまけに杉葉などが交つて居るものあるなどに至つてはもはや説明をする勇氣もない、
 只さつき梅の間から見た樅の木が十五六本大小塩梅[#「塩梅」に「ママ」の注記]して築山の背に立つてるのが稍々物になりさふである、樅の木の中には小さなドータンが一本交つてる、
 アヽコンナ陳腐極まる庭であつても、この松葉が拂はれて箒目の行き屆いた朝芝の青々としたのを見れば全く生命のないものでもない、しかしそれはこの椽側からは左手になつた老梅が散つてしまつて油蟲の防ぎに苦心する頃でなければならぬ
 梅の花はまだ散りはじめない[#地から1字上げ](明治三十六年三月)



底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
※誤植と思われる次の箇所も底本のままに入力しました。数字は底本の頁と行数)
しはらくすると(444-2)、目さはりで(444-9)、先つ(445-8)、椽側(445-11他)、偏つて(445-9)、つゝいて(445-13)、越いて(446-13)、居るものある(448-4)、ドータン(448-6)
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2000年5月10日作成
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