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長塚節歌集 中
長塚節
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[表記について]
●ルビは「漢字《ルビ》」の形式で処理した。
●ルビのない熟語(漢字)にルビのある熟語(漢字)が続く場合は、「|」の区切り線を入れた。
●二倍の踊り字(くの字形の繰り返し記号)は「/\」「/゛\」で代用した。
●[#]は、入力者注を示す。
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明治三十七年
青壺集(二)
郷にかへる歌并短歌
草枕旅のけにして、こがらしのはやも吹ければ、おもゝちを返り見はすと、たましきの京を出でゝ、天さかる夷の長路を、ひた行けど夕かたまけて、うす衾寒くながるゝ、鬼怒《きぬ》川に我行き立てば、なみ立てる桑のしげふは、岸のへになべても散りぬ、鮭捕りの舟のともしは、みなかみに乏しく照りぬ、たち喚ばひあまたもしつゝ、しばらくにわたりは超えて、麥おほす野の邊をくれば、皀莢《さいかち》のさやかにてれる、よひ月の明りのまにま、家つくとうれしきかもよ、森の見ゆらく
短歌
太刀の尻さやに押してるよひ月の明りにくれば寒しこの夜は
人々のもとにおくりける歌
一
いにしへのますら武夫も妹にこひ泣きこそ泣きけれその名は捨てず
世の中は足りて飽き足らず丈夫の名を立つべくは貧しきに如かず
二
沖の浪あらし吹くとも蜑小舟おもふ浦には寄るといはずやも
葦邊行く船はなづまず沖浪のあらみたかみと※[#「※」は「楫+戈」、読みは「かぢ」、143-1]とりこやす
三
明治三十五年の秋あらし凄まじくふきすさびて大木あまた倒れたるのちさま/″\の樹木に返りざきせしころ筑波嶺のおもてに人をたづねてあつきもてなしをうけてほどへてよみてやりける歌
いづへにか蕗はおひける棕櫚の葉に枇杷の花散るあたりなるらし
苦きもの否にはあれど羹にゝがくうまけき蕗の薹よろし
くゝたちの蕗の小苞《をばかま》ひた掩ひきのおもしろき蕗の小苞
秋まけて花さく梨の二たびも我行けりせば韮は伐りこそ
明治三十五年秋十月十六日、常毛二州の境に峙つ國見山に登りてよめる歌二首
茨城は狹野にはあれど國見嶺に登りて見れば稻田廣國
國尻のこの行き逢ひの眞秀處にぞ國見が嶺ろは聳え立ちける
松がさ集
なにをすることもなくてありけるほど鎌もて門の四つ目垣のもとに草とりけることありけり。近きわたりの子供二人垣のもとにいよりて物もいはずしてありけり。我れ、この鎌もて汝等が頭斬りてむと思ふはいかにといヘば、大きなるが八つばかりになりけるが、訝かしげなる面貌にて否といふ。我れ汝らが頭きらむといふはよきかうべにして素の形につけえさせむと思ふにこそといヘば、いよ/\訝しみ駭けるさまにて命死なむことの恐ろしといひて垣のもととほぞきて唯否とのみいひけり。小さなりけるは四つばかりになりけるが、そは飯粒《いひぼ》もてつくるにやとこれもいたくおどろけるさまにてひそやかにいひいでけり。腹うち抱ヘられて可笑しさ限りなかりき。罪ある戯れなりかし。メンチといふものを玩ぶとて常に飯粒もてつけ合せけるよし母なるものゝきゝて笑ひつゝかたりけり。
利鎌もて斷つといへどももとほるや蚯蚓の如き洟垂るゝ子等
みゝず/\頭もなきとをもなきと蕗の葉蔭を二わかれ行く
秀眞子ひとり居の煩しきをかこつこと三とせばかりになりけるが、このごろうら若き女のほの見ゆることあるよしいづこともなく聞え侍れば、彼れ此れとひたゞせどもえ辨へず。その眞なりや否やそは我がかゝつらふところに非ず。我は歌をつくりてこれを秀眞がもとにおくる。秀眞たるもの果して腹立つべきか、またはうち笑ひてやむべきか、只これ一時の戯れに過ぎざるのみ、歌にいはく
萬葉の大嘘《おほをそ》烏をそろ/\秀眞《ほつま》がやどに妻はあらなくに
ひとりすむ典鑄司《いもじ》あはれみ思ヘれば妻覓ぎけるか我が知らぬとに
商人の繭買袋かゝぶらせ棚に置かぬに妻隱しあヘや
鷸の嘴かくすとにあらじ妻覓ぐとつげぬは蓋し忘れたりこそ
唐臼の底ひにつくる松の樹の妻を待たせて外にあるなゆめ
馬乗りに鞍にもたへぬ桃尻《もゝじり》の尻据らずば妻泣くらむぞ
粘土を溲《こ》ねのすさびにかゞる手を見せて泣かすなそのはし妻を
あさな/\食稻《けしね》とぐ手もたゆきとふはし妻子らを見せずとかいはむ
尾張熱田神宮寶物之内七種
眞熊野の熊野の山におふる樹のイマメの胴のうづの※[#「※」は「口二つの下に田、その下に一、その下に黽」、147-3]《だ》太鼓
天飛ぶや鵄の尾といひ世の人のさばの尾ともいふ朱塗《あけぬり》の琴
瀬戸の村に陶物燒くと眞埴とりはじめて燒きし藤四郎が瓶
瀬戸物のはじめに燒きしうすいろの鈍青色の古小瓶六つ
春の野の小野の朝臣がみこともち仕へまつりし春敲門の額
熱田のべろ/\祭ベろ/\に振らがせりきといふ兆鼓《ふりつゞみ》
大倭國つたからにかずまヘる納蘇利《なつそり》崑崙八仙の面
尾張のや國造の宮簀媛けせりきといふ玉裳御襲
大阪四天王寺什物之内四種
廏戸の皇子の命の躬《みづか》らつゞれさゝせる糞掃衣これ
物部の連守屋を攻めきとふ鏑矢みれば悲しきろかも
御佛の守の袋七袋|太子《みこ》がもたしゝその七袋
廏戸の皇子がかゝせる十あまり七條憲法《なゝおきてぶみ》見るがたふとさ
明治三十六年七月我西遊を企つるや、格堂に約するに途必ず備前に至らむことを以てす、しかも足遂に大阪以西を踏むに及ばず、頗る遺憾となす、九月格堂遙に書を寄せて我が起居を問ふ、應へず、十一月下旬具さに怠慢の罪を謝して近況を報ず、乃ち兒島の地圖を披きて作るところの短歌五首之をその末尾に附す、歌に曰く
おほ地の形の刷り巻ひらきみれば吉備の兒島は見えの宜しも
なぐはしき苧環草のこぼれ葉ににるかもまこと吉備の兒島は
眞金吹く吉備の兒島は垂乳根の母が飼ふ兒のはひいでし如
燒鎌の利根のえじりと瀬戸の海と隔てもなくばしきかよはむに
茅渟の海や淡路のみゆる津の國へ行きける我や行くべかりしを
時は來れり
ひた待ちし時今來たり眞鐵なす腕振ふべき時今來たり
大君の民にしあれば常絶えず小鍬とる身も軍しに行く
小夜業に繩は綯ひしを大君の御楯に立つか召しのまに/\
ますら男は軍に出づも太腿をいかし踏みしめ軍に出づも
おもちゝも妻も子供も大君の國にしあるを思ひおく勿れ
妻の子はおほに思ふな時に逢ひて大御軍に出づとふものを
隱さはぬますら健夫や大君の召しのたゞちに軍に出づも
うなし毛ゆ脚のうら毛も悉く逆立つ思ひ振ひて立たむ
いけるもの死ぬべくあるを大君の軍に死なば本懐《おもひ》足りなむ
しましくもいむかふ軍猶豫はゞ思ヘよ耻の及くものなきを
迦具土のあらぶるなして忽ちに拂ひ竭さむ夷の限り
恨積む夷をこゝに討たずしてなにするものぞ日本軍は
御軍の捷ちの知らせを隙も落ちず待ちつゝ居れば腕鳴り振ふ
衣
アイヌが日常の器具などを陳列せるを見てよめる歌三首
アイヌ等がアツシの衣は麻の如見ゆ うべしこそ樹の皮裂きて布は織るちふ
アイヌ等がアツシの衣冬さらば綿かも入るゝ蒲のさ穗かも
アイヌ等は皮の衣きて冬獵に行く 鮭の皮を袋にむきし沓はきながら
くさ/″\の歌
榛の木の花をよめる歌
つくばねに雪積むみれば榛の木の梢寒けし花はさけども
霜解のみちのはりの木枝毎に花さけりみゆ古殻ながら
はりの木の花さく頃の暖かに白雲浮ぶ空のそくへに
田雀の群れ飛ぶなべに榛の木の立てるも淋し花は咲けども
煤火たきすしたるなせどゆら/\に搖りおもしろき榛の木の花
はりの木の皮もて作る染汁に浸てきと見ゆる榛の木の花
榛の木の花咲く頃を野らの木に鵙の速贄《はやにへ》はやかかり見ゆ
はりの木の花さきしかば土ごもり蛙は啼くも暖き日は
稻莖の小莖がもとに目堀する春まだ寒し榛の木の花
稻ぐきのもとなどに小さなる穴のあるを堀り返して見れば必ず鰌の潛み居るを人々探り出でゝはあさるなり、これは冬の程よりすることなるが目堀とはいふなり。
春季雜咏
淡雪の楢の林に散りくれば松雀が聲は寒しこの日は
筑波嶺に雪は降れども枯菊の刈らず殘れるしたもえに出づ
淺茅生の茅生の朝霜おきゆるみ蓬はもえぬ茅生の淺茅に
枝毎に三また成せる三椏《みつまた》の蕾をみれば蜂の巣の如
春雨のふりの催ひに淺緑染めいでし桑の藁解き放つ
海底問答
二月八日の眞夜中より
九月にかけて旅順の沖に
砲火熾に交れば、
千五百雷鳴り轟き
八千五百蛟哮え猛び、
世界は眼前に崩壊すべく
思ふばかり凄じかりき。
碧を湛へし海水に、
快げに、遊泳せる鱗《うろくづ》は、
鰭の運動も忙しく、
あてどもなく彷徨ひぬ。
昆布鹿尾菜のゆるやかに
搖れつゝあるも、喫驚と
恐怖のさまを表明せり。
かゝりしかば海の底に、
うち臥し居たる骸骨ども、
齊しくかうべを擡げながら、
うつろの耳を峙てしが、
ばら/\に散亂せる白骨を
綴り合せむと、遽しく
手の骨を探すもの、
脚の骨を探すもの、
頭蓋骨を奪ひあふもの、
混亂の状を呈せし後、
ゆるやかに動搖する水のまにま、
ふら/\として立ちあがり、
物待ちげのさまなり。
偵察に出でし骸骨は、
昆布の根をば力草に、
骨と骨との離るゝまで
ゆき戻りきつ怪しきものゝ
落ち來りたるを報告せり。
導かるゝ儘に骸骨は、
ふら/\として隨ひ行けば、
そこにあらたしき死屍ありて、
顔もわかぬまで焦げ煤けし、
肉破れ骨のあらはなる、
腥きばかりならびたり
骸骨は、うち寄りて肩を抑へつゝ
『白杳なる容貌に、棕櫚の毛を
植ゑしが如き鬚もてる
君はいづこよ來りしぞ。
この騒擾に關係あらむ、
語れ。』と促しかけたれど、
應へもなきをもどかしげに、
『さらば我まづ語らむ。』と
言ひ放ちて、顎の骨の
歪みたるをおし直し、
『我等はもと旅順にありて、
只管天險の比なきを恃み、
黄海の水あせぬとも
この戌陥るベからずと
心竊に驕りしに、
料らず背面の攻撃にあひ、
遁ぐベき路を失ひて
悉く海に溺れ果てぬ。
そをいまの事に思ひしに、
はや十年の月日は經ぬ。
まこと海底にすまひすれば、
寒暑はさらに辨へざりき。』
かくいひてとりおとせる
肋骨を拾ひ揚げながら、
『波打際に浮き寄りしは、
想ふに土中に葬られむ、
我等はすなはち海の底に
白骨となりぬ。然れども
我が安心を人は知らず。
骸骨は命死なず。
骸骨は飢うることなく、
睡眠を欲せず。病を知らず。
未來永劫にかくの如く、
敵の迫害にあふこともなし。
樂しからずや骸骨は。』
いひさして骸骨はまた
『いづこより來しぞ、語れ、君、
昨夜よりの騒擾を、
はや語れ。』と搖り動すに、
死屍は口を開かむとすれば、
海水忽ち入り塞ぎて、
苦しげなるを、骸骨は
『陸上に在りしと海中とは、
すべて自ら異れり、
さればしづかに物いふべし。
只骸骨は自在なり。
骸骨の構造は海にありて、
すべての運動に適したり。』
死屍はすなはち徐ろに、
『我は露西亞の水兵なり。
昨夜旅順の港外にて、
恢復の見込なきまでに
我が軍艦は撃ち破られ、
我等も見るが如くなりぬ。
談話の苦しきこと限りなし、
その他はすべて想像せられよ。』
やうやくこれをいひ畢れば、
『状況はほゞ知悉せり。
されど露西亞は強國なるに
脆からずや。』と訝り問へば、
『我等が國を強國といへど、
恫喝を以て誇るのみ、
世界の人怯懦にして、
我が暴戻を制せむとせず。
義憤にあへばかくの如し。』
骸骨は首肯きて、
『我等も嘗て世界を欺き、
眠れる獅子といひ觸しゝが、
假面はつひに剥がれたり。
弱きものと弱きもの、
君等と我等と睦び居らむ。
我もむかしは孔雀の尾を
飾りし軍帽嚴しく
尖のひらきたる劔を握り、
進むには必ずしりへに立ち、
退くにはさきに立ちたりしが、
かく骸骨となりたれば、
孰れを孰れと分き難し。
まこと貴賤も貧富もなき
自由平等の樂天地は、
はじめて茲に發見すべし。』
死屍は聞きて嬉しげに、
『好誼ある君達かな。
さらば我も語るべし、
稍物いふに馴れしごとし。
我が艦隊の長官は、
白銀の如く輝きたる
二尾の髯を胸に垂れ、
風采すぐれし老將なれど、
昨夜夫人の誕辰に會ひ、
部下を率ゐて市街に上り、
觀劇に耽りしその隙に、
あはれ突撃を蒙りぬ。
我等もさまで弱きにあらねど、
敵の勁きこと比なきなり。』
骸骨は珍らしき物語を聞き、
『君語れ、またさらに語れ、
我等はもと酒煽り
婦女子を捉へ辱めしが、
いま無欲なる骸骨となりては、
徒にそを悔い居るなり。』
死屍は意を得しさまに、
『我等が好みもかくのごとし。
強姦奪掠憚らねば、
市街の商人は武裝して、
我が暴行を防がむとす。
されど君責むる勿れ。
我等が一ケ月の給料は、
好める露酒の瓶を、
傾け盡すにも足らざるを。』
骸骨は話題を轉じ、
『たま/\潮の滿干により、
陸地近く行きみれば、
旅順の砲臺は露西亞の手に
經營されし如くなれど、
防備は寸隙もあらざるや。』
『我が恫喝の特性は、
こゝにもよく顯れたり。
兵粮の運輸乏しきに、
兵勇もさまでおほからず。』
骸骨は小首を傾け、
『憐むべし、陸上の兵はまた
我が運命の如くならむ。』
骸骨のいひも竭きざるに、
死屍は脣なほ青褪め、
『さらばわれ守備の兵に
はやく告げて去らしめむ。』と
鹹水なればかろ/″\と
死屍は泛びあがりしが、
少時にしてまたもどりぬ。
骸骨はみな齊しく
『水に沈みし者時をふれば、
一たび必ず浮べども、
死屍は再び人間に
還ること叶はぬなり。
人間の死を恐るゝは、
骸骨の慰安を知らねばこそ。
我が腦髄は空虚なれば、
思慮も考察も公平なり。』
死屍は未だ骸骨の言を
了解しえぬさまなれど、
感謝の意を以て握手せしが、
俄に眉をうち顰め、
『いかに痛きものぞ。君が手は、』
骸骨は思はず失笑し、
『柔かき手もて握れる故、
我等が手は痛からむ。
されば君記憶せよ。
一日過ぎなば君が手は
ふとしくならむ、その時は
骸骨はなほ痛からむ。
二日過ぎ三日過ぎなば、
さらにふとしく、更にまた
痛かるべし。それよりは
體躯はます/\糜爛して、
癩病の如く見ゆるならむ。
魚族は爭ひてつゝきはじめむ。
かく唯白骨とならば、
君が衣服をつけしさまは
いかに不思議に見ゆベけむ。
その時よりぞ骸骨の
眞味を解しはじむベき。』
うち語りて骸骨は
『陸上の兵遠からず
あと追ひこむ。それまでは
こゝろしづかに待ち居らむ。
骸骨は世に拘らず。』と
いひ畢りて素のごとく、
死屍横はる傍に、
ばら/\になりて打ち臥しぬ。
くさ/″\の歌
滿洲
落葉松《からまつ》と樅とをわかず、はひ毛虫林もむなに、喫み竭し枯らさむときに、鵲はい群れて行きぬ。海渉りゆきぬ。
馬賊 馬賊は魯の仇敵なり劉單子はその統帥にしていま長白山中に匿るといふ
白橿の落葉散り、散りみだれど掃く人なみ、我たち掃く劉單子劉單子、箒伐り木を伐り持ちこ。掻き掃きて川にながさむ、ながさむを見に來。
旅順
をぢなきや嚢の鼠、ふくろこそ噛みてもやれめ、そびらには矛迫め來、おもてには潮沫湧く、穴ごもり隠らむすべも、術なしにあはれ。
韓國
栲衾新羅の埼の、あまり埼、いひき持ち來、悉に引かざりしかば、常たえずさへぐ韓國。ことなぎむいま。
樺太
阿倍比羅夫楯つきなめ、艤ひゆきしかばふと、鰭つ物いむれてあれど、我獲ねば人とりき。いまよりは海の眞幸も、我欲りのまゝ。
雜咏十六首
足曳のやつ田のくろの揚げ土にほろ/\落る楢の木の花
鋸の齒なす諸葉の眞中ゆもつら抽きたてるたむぽゝの花
春の田を耕し人のゆきかひに泥にまみれし鼠麹草《はゝこくさ》の花
うつばりの鼠の耳に似たる葉のたぐひ宜しきその耳菜草
あら鋤田のくろの杉菜におひまじり黄色にさけるつる苦菜《にがな》の花
鍋につく炭掻きもちてこゝと塗りたれ戯れのそら豆の花
春雨の洗へど去らずそら豆のうらわか莢の尻につくもの
筑波嶺のたをりの路のくさ群に白くさきたる一りむさうの花
藪陰のおどろがさえにはひまどひ蕗の葉に散る忍冬の花
きその宵雨過ぎしかば棕櫚の葉に散りてたまれるしゆろの樹の花
よひに掃きてあしたさやけき庭の面にこぼれてしるき錦木の花
かはづなく水田のさきの樹群にししら/\見ゆる莢※[#「※」は「くさかんむり+迷」、177-3]《がまずみ》の花
袷きる鬼怒の川邊をゆきしかばい引き持てこしみやこぐさの花
いちじろくほに抜く麥にまつはりてありなしにさく猪殃々《やへむぐら》の花
暑き日の照る日のころとすなはちにかさ指し開く人參の花
筑波嶺のみちの邂逅《ゆきあひ》にやまびとゆ聞きて知りたるやまぶきさうの花
反古一片
明治三十六年八月八日の夕暮に伊勢の山田につく、九日外宮より内宮に詣づ、目にふるゝ物皆たふとく覺ゆるに白丁のほのめくを見てよめる歌三首
かしこきや神の白丁《よぼろ》は眞さやけき御裳濯川に水は汲ますも
白栲のよぼろのおりて水は汲む御裳濯川に口漱ぎけり
蘿蒸せる杉の落葉のこぼれしを白丁はひりふ宮の垣内に
この日、鳥羽の港より船に乗りて熊野へ志す、志摩國麥崎といふをあとに見てすゝむ程に日は山のうしろに沈みぬ、このとき文※魚[#「※」は「魚へん+搖のてへん無し」、178-10]《とびのうを》というものゝとぶこと頻りなればよみける歌のうち三首
大和嶺に日が隠ろへば眞藍なす浪の穗ぬれに文※魚[#「※」は「魚へん+搖のてへん無し」、179-1]《とび》の飛ぶ見ゆ
眞熊野のすゞしき海に飛ぶ文※魚[#「※」は「魚へん+搖のてへん無し」、179-2]《とび》の尾鰭張り飛び浪の穗に落つ
おもしろの文※魚[#「※」は「魚へん+搖のてへん無し」、179-3]かも※[#「※」は「楫+戈」、読みは「かぢ」、179-3]枕これの船路の思ひ出にせむ
戯れに萬葉崇拜者に與ふる歌并短歌
筑波嶺の裾曲の田居も、葭分になづみ漕ぎけむ、いにしへに在りけることゝ、あらずとは我は知らず、おそ人の物へい往くと、獨往かば迷ひすの、二人しては往きの礙《さは》らひ、妻の子が心盡して、籾の殻そこにしければ、踏みわたる溝のへにして、春風の吹きの拂ひに、籾の殻水に泛きしを、そこをだに超えてすゝむと、我妹子が木綿花つみて、織りにける衣も濡れて、泥にさへいたく塗れて、泣く/\にかへらひにける、おそ人とこを聞く人の、豈嗤はざれや(三十七年六月)
短歌
萬葉は道の直道然れども心して行けおほにあらずして
萬葉は兒の手柏の二面に三面四面に八|面《おもて》に見よ
藍染の衣きる人は藍の如ひいでむとこそ心はあるらめ
筍のひでもひでずも萬葉の閾を超えて外に出でざめや
明治三十七年一月三十一日長妹とし子一女を擧ぐ、長歌一篇を賦しておくる、篇中の地はとし子が居住に接せり、歌に曰く
朝月の敏鎌つらなめ、馬草刈りきほふ處女の、朱の緒の笠緒の原の、したもえの春さりあへず、やすらけくあれし女の子は、垂乳根の母が乳房を、時なくと含む脣、脣のつゝめる奥に、飯粒《いひぼ》なす白齒かそけく、足手振り笑むらむさまを、家こぞり待つらむものぞ、はや大にあれ。
反歌
小夜泣きに兒泣くすなはち垂乳根の母が乳房の凝るとかもいふ
花崗岩といふものは譬へば石のなかの丈夫なり、筑波につづく山々はなべてこの石もて成る(三十七年六月)
天の御影地の御影と天地の神の造りし石の名なるべし
筑波嶺ゆつゞく長山短山天の御影になりのよろしも
夏季雜咏
其一
さみだれの降りもふらずも天霧らひ月夜少なき夏蕎麥の花
なつそばのはなに白める五月雨の曇月夜にふくろふの啼く
干竿に洗ひかけほす白妙の衣のすそのたち葵の花
あさ霧の庭をすゞしみ落葉せる樒がもともたち掃きにけり
にほとりの足の淺舟さやらひにぬなはの花の隱《こも》りてをうく
やまべといふうをの肉も骨も一つにやはらかなるは五月雨のふりいづるまでのことなり
鬼怒川の堤におふる水蝋樹《いぼたのき》はなにさきけりやまべとる頃
やまベは網してとり、鯔《ぼら》は糸垂れてとる
忍冬の花さきひさに鬼怒川にぼら釣る人の泛けそめし見ゆ
即事
鬼怒川の高瀬のぼり帆ふくかぜは樗の花を搖らがして吹く
其二
七月十一日といふより十日が程は全くくふ物を斷ちて水ばかり飲みて打ち過しけり、幼き時より胃のわづらひを癒さむとての企なり。素よりいえなむ日までと思ひ立ちたるなりければ、いつを畢りと豫ねてえ定むベくもあらずと
葉がくりになる南瓜のおぼろには目にみえぬごとおくが知らずも
辰巳のかぜふきて雨のふりつゞきければ鬼怒川いたくまさりて濁れる、水豆の畑にも越えたりなどいふをきゝて
よごれたるおどろがなかに鴨跖草《つゆぐさ》の花かもさかむ水ひきていなば
鴨跖草の花のさくらむ鬼怒川の水のあと見にいつかまからむ
こゝろ計りは慥なれども、脚に力なければ、頓にたゝむとすれば目くるめくこともあり、おほかたは打ち臥す。藪の中にさきたりけるとて百合の花をもて來てくれければ
さゆりばな我にみせむと野老蔓《ところづら》からみしまゝに折りてもち來し
白埴の瓶によそひて活けまくはみじかく折りし山百合の花
いたく欲しとにはあらねど人の物くふをみればうまげなるも片腹いたきおもひするに、まだきにやまべの串をもてきて呉れたるを
鬼怒川のやまべ燒串うまけれどこゝろなの人やけふ持ちて來し
鬼怒川の夏涸水のぬるき瀬にやまベとるらむみにも行かめど
暑さはげしければ、いづこも明け放ちてやすらふ、夏蕎麥の幹うつとて下部の庭にたちて振まふをうちながめつゝ
柄臼を横さにたてゝうつ蕎麥のこぼれて飛ぶをみつゝおもしろ
をちこちに麥うつおと頻りにきこゆるに
となりやに麥はうてども藪こえて埃もこねばおもしろに聞く
連枷《からさを》のとゞろ/\に挨たて麥うつ庭の日車の花
日のうちは暑さに疲れをおぼゆれども、くれ近くなればいさゝか出でありくことあり、
たま/\にたち出でゝみれば花ながら胡瓜のしりへゆがまひて居り
眞日の照り日の照るなベにさぶしらに胡瓜の黄葉おちにけるかも
はや土用にもいりたるに、再びすともいまはやめよと切なるすゝめに止むなくして二十一日の夜はじめて物くふ、二日ばかりして車に乗りていでありく、
いくばくも未だへなくに葉がくりに花なりし菽の莢になりつゝ
車の上にても暑さはげしきに、つくばの山にはノタリといふ雲のかゝりたるを見てちかく雨のふるならむと、少し腹に力もつきたることなれば身も心もいさましく
筑波嶺のノタリはまこと雨ふらばもろこし黍の葉も裂くと降れ
其三
明治三十六年八月十日、熊野に入り那智にやどる、庭に彳めば谷を隔てゝ名に負ふ瀧のかゝれるもみゆるに、かうべをめぐらせば熊野の浦はる/″\として限りを知らず、をりしも月の冴えたる夜なりければ涼しさ肌にしみ透るやうに覺えて心地いふべくもあらざりき。ことしまた暑さに向ひて只管この山のすゞみを偲びてその夜のこころになりてよみける歌十首
山桑の木ぬれにみゆる眞熊野の海かぎろひて月さしいでぬ
ぬばたまの夜の樹群のしげきうへにさゐ/\落つる那智の白瀧
こゝにしてまともにかゝる白瀧のすゞしきよひの那智山よしも
照る月を山かもさふる白瀧の深谷の木むれいまだみわかず
那智山は山のおもしろいもの葉に月照る庭ゆ瀧見すらくも
なちやまの白瀧みむとこし我にさやにあらむと月は照るらし
眞向ひに月さす那智の白瀧は谷は隔てどさむけくし覺ゆ
あたらしき那智の月かも人と來ばみての後にもかたらはむもの
那智山の瀧のをのへに飽かずみむこよひの月夜明けぬべきかも
やまとにはいひ次ぐ那智の瀧山にいくそ人ぞも月にあひける
消息の中より
菜の花は咲きのうらべになりしかば莢の膨れを鶸の來て喰ひ
かぶら菜の莢喫む鶸のとびたちに黄色のつばさあらはれのよき
荊城歌壇を罵る
「いはらき」歌壇の寂寞たるを慨しての所爲に有之隨分極端なる申やうにも相成申候。腹蔵なく申候ヘば「いはらき」歌壇は花も咲かざる雜草の茂れるが如く相見え申候。個々の作者をみれば一つはみちびく人のなきにも因ることと存候ヘども迷ひ居候こと気の毒なるばかりに有之候。かくの如き主意にて作り申候忽卒の際とて語句のみるべきなきは汗顔のいたりに候。
茨城の名に負ふ新聞《ひぶみ》なにしかも蓼さかずて莠しげれる
「いはらき」は我目正しけば蕁麻《いらくさ》の手にも觸るべくあらざるが如
一日には往き還り往き[#「き」に「ママ」の注記]む筑波根も谿に迷はゞ八十日ゆきとも
さもあらずあるべきものをよそりなみ迷へる子等をあはれと思ひき
みな人よまさしき道も己だに求めて行かば行くべきものを
縣路《あがたぢ》の莠はしげししげけれど除きて棄てむ人もあらなく
茨城のうまし大野の秋の田も蒔かねばならずしかにあらずや
秋の田にまかぬにおふるおもだかも花さきしかばおもしろに見る
刈らゆれど嫁菜も花にさくものをやまず培へ園の植草
憶友歌
我が友瀧口玲泉は水戸の人にして早稻田出身の文士なり軍に從ひて近衞に屬し遼陽攻陥の際八月二十六日、大西溝の激戰に右腕に銃創を蒙り浪子山定立病院に收容せられぬ、予頃日水戸に遊びその家人に就きて具に状況を悉すをえたり。玲泉は予が交友中尤も快活なるもの、然も肉落ち眼窩凹めるの状を想見すれば一片哀憐の念禁ぜず、予は渠が創痍の速に癒えて後送せらるゝ日を待つや切なり、乃ち之に一書を贈り、末尾に短歌十五首を附す。素渠が苦悶を慰めむと欲せしに過ぎず、語句の斡旋の如きは必ずしも意を用ゐざるなり。
眞痛みにいたむ腕を抱かひて臥すかあはれ諸越の野に
ますらをや痛手すべなみ黍の幹《から》を敷寢の床も去りがてにあらむ
もろこしは霜の降りきと聞きしかば病手の惱みまして偲ばゆ
籠り居る黍の小床にこほろぎの夜すがら鳴かばいかにかも聞く
をのこやも務めつくせり垂乳根の母ます國へはや歸るべし
活けるもの死にするいくさ然にあるをいきてかへるに何か恨まむ
垂乳根の母がます國もとつ國うまし八洲はまさきくて見よ
那珂川に網曳く人の目も離《か》れず鮭を待つ如君待つ我は
かヘりくとはやも來ぬかもうましらに秋の茄子はいまだみのれり
秋はいまは馬は肥ゆとふ故郷の縣の芋も肥えにたらずや
我が郷の秋告げやらむ女郎花下葉はかれぬ花もしをれぬ
ありつゝも見せまく欲しき蕎麥の花しぼまばつぎてをしね刈る見む
やすらかに胡麻の殼うつひな人に交りて居れば君をこそ思へ
待つ久に遇ふべくあるは青菜引く冬にかあらむいまかあふべき
かへらはゞ我郷訪ひこ見にまかれ足がまたけば手は萎《な》えぬとも(明治三十七年九月上旬作)
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明治三十八年
十月短歌會
此頃の朝掃く庭に花に咲く八つ手の苞落ちにけるかも
朝きらふ霞が浦のわかさぎはいまか肥ゆらむ秋かたまけて
鮭網を引き干す利根の川岸にさける紅蓼葉は紅葉せり
秋の田の晩稻刈るべくなりしかば狼把草《たうこぎ》の花過ぎにけるかも
多摩川の紅葉を見つゝ行きしかば市の瀬村は散りて久しも
麥まくと畑打つ人の曳きこじてたばにつかねし茄子《なすび》古幹《ふるから》
秋冬雜咏
秋の野に豆曳くあとにひきのこる莠《はぐさ》がなかのこほろぎの聲
稻幹《いながら》につかねて掛けし胡麻のから打つべくなりぬ茶の木さく頃
秋雨の庭は淋しも樫の實の落ちて泡だつそのにはたづみ
こほろぎのこゝろ鳴くなベ淺茅生の※[#「※」は「くさかんむりの左下に口、その下に耳。右下に戈」、196-6]《どくだみ》の葉はもみぢしにけり
桐の木の枝伐りしかばその枝に折り敷かれたる白菊の花
あさな/\來鳴く小雀《こがら》は松の子《み》をはむとにかあらし松葉たちくゝ
掛けなめし稻のつかねを取り去れば藁のみだれに淋し茶の木は
芋の葉の霜にしをれしかたへにはさきてともしき黄菊一うね
濁活の葉は秋の霜ふり落ちしかば目白は來れど枝のさびしも
むさし野の大根の青葉まさやかに秩父秋山みえのよろしも
はら/\に黄葉散りしき眞北むく公孫樹の梢あらはれにけり
秋の田に水はたまれり然れども稻刈る跡に杉菜生ひたり
此日ごろ庭も掃かねば杉の葉に散りかさなれる山茶花の花
鴨跖草のすがれの芝に晴るゝ日の空のさやけく山も眞近し
もちの木のしげきがもとに植ゑなべていまだ苗なる山茶花の花
葉鶏頭は種にとるべくさびたれど猶しうつくし秋かたまけて
さびしらに枝のこと/″\葉は落ちし李がしたの石蕗《つはぶき》の花
秋の日の蕎麥を刈る日の暖に蛙が鳴きてまたなき止みぬ
篠のめに萵雀《あをじ》が鳴けば罠かけて籾まき待ちし昔おもほゆ
鵲豆《ふじまめ》は庭の垣根に花にさき莢になりつゝ秋行かむとす
うらさぶる櫟にそゝぐ秋雨に枯れ/″\立てる女郎花あはれ
麥をまく日和よろしみ野を行けば秋の雲雀のたま/\になく
いろづける眞萩が下葉こぼれつゝ淋しき庭の白芙蓉の花
庭にある芙蓉の枝にむすびたる莢皆裂けて秋の霜ふりぬ
いちじろくいろ付く柚子の梢には藁投げかけぬ霜防ぐならし
辣薤《おほみら》のさびしき花に霜ふりてくれ行く秋のこほろぎの聲
鬼怒川の蓼かれ/″\のみぎはには枸杞[※「杞」は底本では「木へん+巳」]の實赤く冬さりにけり
小春日の鍋の炭掻き洗ひ干す籬をめぐりてさく黄菊の花
朴の木の葉は皆落ちて蓄への梨の汗ふく冬は來にけり
鬼怒川のほとりを行く
秋の空ほのかに燒くる黄昏に穗芒白し闇くしなれども
變調三首
一
狹田の、稻の穗、北にむき、みなみに向く、なにしかもむく、秋風のふく。(舊作)
二
粘土を、臼に搗く、から臼に、とゞとつく。すり臼に、籾すると、すり臼を、造らむと、土をつく、とゞとつく。(舊作)
三
黍の穗は、足で揉むで、筵に干す。胡麻のからは、藁につかねて、竿に干す。さぼすや、秋の日や、一しきり、二しきり、むくどりの、騒だち飛むで、傾くや、短き日や。
明治三十年七月、予上毛草津の温泉に浴しき、地は四面めぐらすに重疊たる山嶽を以てし、風物の一も眼を慰むるに足るものあることなし。滞留洵に十一週日時に或は野花を探りて僅に無聊を銷するに過ぎず、その間一日淺間の山嶺に雲の峰の上騰するを見て始めて天地の壯大なるを感じたりき。いま乃ちこれを取りて短歌七首を作る。(十月五日作)
芒野ゆふりさけ見れば淺間嶺に没日に燒けて雲たち出でぬ
とことはに燃ゆる火の山淺間山天の遙に立てる雲かも
楯なはる山の眞洞におもはぬに雲の八つ峰をけふ見つるかも
まなかひの狹國なれど怪しくも遙けきかもよ雲の八つ峰は
淺間嶺にたち騰る雲は天地に輝る日の宮の天の眞柱
淺間嶺は雲のたちしかば常の日は天に見しかど低山に見ゆ
眞柱と聳えし雲は燃ゆる火の蓋しか消ちし行方知らずも
雲の峰
おしなべて豆は曳く野に雲の峰あなたにも立てばこなたにも見ゆ
雲の峰ほのかに立ちて騰波の湖の蓴菜の花に波もさやらず
霜
綿の木のうね間にまきしそら豆の三葉四葉ひらき霜おきそめぬ
かぶら菜に霜を防ぐと掻きつめし栗の落葉はいがながら敷く
此日ごろ霜のいたけば雨のごと公孫樹の黄葉散りやまずけり
藁かけし籬がもとをあたゝかみ霜はふれども耳菜おひたり
あさ毎におく霜ふかみ杉の葉の落ちてたまれど掃かぬ此ごろ
冬の田の霜のふれゝば榛の木の蕾のうれに露垂れにけり
いつしかも水菜はのびて霜除に立てたる竹の葉は落ちにけり
鬼怒川の冬のつゝみに蒲公英の霜にさやらひくきたゝず咲く
此あしたおく霜白き桑はたの蓬がなかにあさる鳥何
をちかたの林もおほに冬の田に霞わたれり霜いたくふりて
變體の歌
一
炭竈を、庭に築き、二つ築き、たえず燒く。厩戸の枇杷がもと、掻き掃きて炭を出す、雨降れど、雪降れど、菰きせて、濡らしもせず。眞垣なる、棕櫚がもと、眞木を積む、※[#「※」は「鹿の下に鹿二つ」、読みは「そ」、204-9]朶を積む、楢の木、櫟の木、そね、どろぶの木、くさぐさの、雜木も積むと、いちじくの、冬木の枝は、押し撓めて見えず。
二
炭出すや、匍匐ひ入る、闇き炭かま、鼻のうれ、膝がしら、えたヘず、熱き竈は、布子きて入る、布子きて入る、熱きかま、いや熱きは、汗も出でず、稍熱きかまぞ、汗は流る、眼にも口にも、拭へども、汗ながる/\。
三
萱刈りて、篠刈りて、編むで作る、炭俵、炭をつめて、繩もて括る、眞木ゆひし、繩を解きて、一括り、二括り、三括りに括る、大き俵、小さ俵、左から見、右から見、置いて見つ、積むで見つ、よろしき炭、また燒いて、復た燒き燒く。
四
炭がまに、立つけぶり、陶物の、管をつなぎ、干菜つる、竹村に、をちかたに、導けば、をちかたに、烟立つ、夜見れば、ふとく立ち、日に見れば、うすく立ち、白烟、止まず立てば、竹の葉は枯れぬ。
五
眞木伐りて、炭は燒く、炭燒くは、櫟こそよき、梔を、つゝき破りて、染汁に、染めけむごと、伐り口の、色ばみ行く、眞木こそよき、櫟こそよき。
六
疱瘡《もがさ》やみ、鼻がつまれば、枳※[#「※」は「きへん+具」、206-11]《けんぼなし》、實を採り來、ひだりの、孔にさし、みぎりの、孔にさし、忽ちに、息は通へど、炭竈の、烟噴き孔、土崩えて、塞がりてありしを、知らずと燒きし、かゝり炭、いぶり炭、へつひには、火が足らず、火鉢には、烟立つ、いぶり炭、かゝり炭。
春季雜咏
杉の葉の垂葉のうれに莟つく春まだ寒み雪の散りくも
椶櫚の葉に降りける雪は積みおける眞木のうヘなる雪にしづれぬ
木の葉掻く木の葉返しの來てあさる竹の林に梅散りしきぬ
梅の木の古枝にとまる村雀羽掻きも掻かずふくだみて居り
小垣外のわか木の栗の枝につく枯葉は落ちず梅の花散りぬ
根をとると鴨兒芹《みつば》の古葉掻き堀れば柿の木に居てうぐひすの啼く
蕷《いも》の蔓枯れてかゝれる杉垣に枝さし掩ひ梅の花白し
鬼怒川の篠の刈跡に柔かき蓬はつむも笹葉掻きよせ
淡雪のあまた降りしかば枇杷の葉の枯れてあり見ゆ木瓜のさく頃
槲《かしは》木の枯葉ながらに立つ庭に繩もてゆひし木瓜あからみぬ
枳殼の眞垣がもとの胡椒の木花ちりこぼれ春の雨ふる
春風の杉村ゆすりさわたれば雫するごと杉の花落つ
桑の木の藁まだ解かず田のくろにふとしくさける蠶豆の花
鬼怒川の堤の水蝋樹《いぼた》もえいでゝ簇々さけり黄花の薺
桑の木のうね間/\にさきつゞく薺に交る黄花の薺
さながらに青皿なべし蕗の葉に李は散りぬ夜の雨ふり
山椒の芽をたづね入る竹村にしたごもりさく木苺の花
樫の木の木ぬれ淋しく散るなべに庭の辛夷も過ぎにけるかも
木瓜の木のくれなゐうすく茂れゝば雨は日毎にふりつゞきけり
我が庭の黐の落葉に散り交るくわりむの花に雨しげくなりぬ
房州行
五月廿二日家を立つ、宿雨全く霽れる、空爽かなるにニンニン蝉のやうなる聲頻りに林中に聞ゆ、其聲必ず松の木に在るをもて人は松に居る毛虫の鳴くなりといふ
うらゝかに楢の若葉もおひ交る松の林に松蝉の鳴く
青芒しげれるうへに若葉洩る日のほがらかに松蝉の鳴く
莢豆《さやまめ》の花さくみちの静けきに松蝉遠く松の木に鳴く
松蝉の松の木ぬれにとよもして袷ぬぐベき日も近づきぬ
二十三日、外房航路船中
安房の國や長き外浦の山なみに黄ばめるものは麥にしあるらし
二十四日、清澄の八瀬尾の谷に炭燒を見に行く
清澄のやまぢをくれば羊歯交り胡蝶花《しやが》の花さく杉のしげふに
樟の木の落葉を踏みてくだり行く谷にもしげく胡蝶花の花さく
二十五日、清澄に來りてより毎夕必ず細く長く耳にしみて鳴く聲あり、人に聞くに蚯蚓なりといふ、世にいふ蚯蚓にもあらず、蚯蚓の鳴かぬは固よりなれど、唯之を蚯蚓の聲なりとして、打ち興ぜむに何の妨げかあらむと
清澄の胡蝶花の花さく草村に夕さり毎に鳴く聲や何
虎杖のおどろがしたに探れども聲鳴きやまず土ごもれかも
山桑を求むる人の谷を出でかへる夕に鳴く蚯蚓かも
胡蝶花の根に籠る蚯蚓よ夜も日もあらじけむもの夜ぞしき鳴く
二十八日、清澄の谷に錦襖子《かじか》を採りてよめる歌八首のうち
萱わくるみちはあれども淺川と水踏み行けばかじか鳴く聲
黄皀莢《さるかけ》の花さく谷の淺川にかじかの聲は相喚びて鳴く
鮠の子の走る瀬清み水そこにひそむかじかの明かに見ゆ
我が手して獲つるかじかを珍らしみ包みて行くと蕗の葉をとる
かじか鳴く谷の茂りにおもしろく黄色つらなる猿かけの花
さるかけのむれさく花はかじか鳴くさやけき谷にふさはしき花
二十九日
蒼海原雲湧きのぼりひた迫めに清澄山に迫め來る見ゆ
八瀬尾の谷に日ごと炭燒く人をおとづれてよみし歌のうち一首
こと足りて住めばともしも作らねど山に薯蕷堀る谷に蕗採る
三十日、清澄山を下りて小湊を志す、天津の町より道連になりたる若き女は漁夫の妻なりといふ、十里ばかり北の濱より濱荻といふ所にかしづきて既に四とせになれど子もなくて只管に夫を手依りしものゝ、夫は補充兵として横須賀に召集せられむとす、夫の歸らむまでは江戸の舊主のもとをたづねて身をつつしみ居らむと思ヘど二人が胸には餘りたれば今は故郷なる父母に咨らむとて行くなりといふ。其言惻々として人を動かす、東京といはずして江戸といふ、何ぞ其朴訥なるや、朴訥なるものは世情を知らず、世情を知らざれば則ち悲しむこと多きなり。乃ち彼が心に代りて作れる歌十首のうち
松魚釣あるみにやりて嘆かぬをいくさといへば心いたしも
清澄の隱るゝ沖に嵐吹き歸らぬ人もありとは思へど
我が背子と夜床に泣けば思ふことかたみいひえず胸には滿つれど
小湊誕生寺の傍より舟を傭ひて鯛の住むといふ海を見に行きて作れる歌のうち
妙の浦こゝだも鯛のよる海と鵜の立つ島をさしてぞ漕ぎ來し
海人の子の舷叩き餌をやれば鰭振る鯛のきらゝかに見ゆ
磯※[#「※」は「さんずい+和」、読みは「なぎ」、215-2]のよろしき日にも鯛のよる貽貝《いがひ》が島は波うちしぶく
磯傳ひに南のかたヘ志して行く
濱荻の網干す磯ゆ遠くみるあられ松原人麥を打つ
濱荻の磯過ぎくれば麥づくり鎌には刈らず根こじ手に曳く
和田附近
あたゝかき安房の外浦は麥刈ると枇杷もいろづくなべてはやけむ
卅一日、まだきに七浦のやどりを立つ
人參の花さく濱の七浦をまだきに來れば小雨そぼふる
すひかづら垣根に淋し七浦のまだきの雨に獨り來ぬれば
野島が崎に至る、巨巖のすき間/\に只さら/\と波のよせ返すのみ、干潮なれば常はえ至るまじき巌のもとをも窺ふ
おもひこし濤は見なくに異草を野島が崎の巌の間に摘む
白濱の野島が崎の松蔭に芝生に交るみやこぐさの花
巨巌のうへ偃ふ松の静けきに雀が來鳴き雨霽れわたる
濱萬年青しげれる磯をさし出の野島が崎は見えのよろしも
根本濱遠望
伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く
布良
布良《めら》の濱かち布刈る女が水を出で妻木何焚く菜種殼焚く
館山灣
萍の菱の白花々々と小波立てり海平らかに
六月一日、館山灣の北を扼する大房の岬に遊ぶ
かさご釣る磯もしづけみ頬白の鳴くが淋しきこれの遠崎
おもしろき岬の松の繩繋ぎ犢の牛に草飼ふところ
二日、孝子塚を見る、孝子は名を伴家主といふ、父母の歿後その像を刻みて之に仕ふること生けるが如く終身渝ることなし、朝廷嘉賞して租税を免ず、事は仁明天皇の承和年間に係る、爾來一千年此郷の士人碑を國分寺に建てゝ之を頌す、近年復た萱野の地に建碑の擧あり、刻むに菊池容齋描く所の伴家主の像を以てせり。
茅花さく川のつゝみに繩繋ぐ牛飼人に聞きて來にけり
いにしへもいまも同じく安房人の誇りにすべき伴家主《あたへぬし》これ
伴家主おやを懐ひし眞心は世の人おもふ盡くる時なく
うらなごむ入江の磯を打ち出でゝおやにまつると鯛も釣りけむ
父母のよはひも過ぎて白髪の肩につくまで戀ひにけらしも
麥つくる安房のかや野の松蔭に鼠麹草《はゝこ》の花はなつかしみ見つ
三日、汐見途上
濱苦菜ひたさく磯を過ぎ來ればかち布刈り積み藁きせて置く
四日、那古の濱より汽船に乗る、知り人の子等四人甲斐甲斐しく渚まで見送りす、一人は人に負はれ、一人はまだ學齢に滿たざれど歩みて來る、此の子畫を描くを好みて常に左の手のみを用ふ、心うれしきまゝに後に母なる人のもとヘよみておくりし歌のうち二首
青梅と雀と描きし左手に書持つらむか復た逢ふ時は
負はれ來し那古《なご》の砂濱ひとり來て濱鼓子花《はまひるがほ》を摘まむ日や何時
炭燒くひま
春の末より夏のはじめにかけて炭竈のほとりに在りてよめる歌十三首のうち
積みあげし眞木に着せたる萱菰に撓みてとゞく椶櫚の樹の花
炭がまを焚きつけ居れば赤き芽の柘榴のうれに没日さし來も
芋植うと人の出で去れば獨り居て炭燒く我に松雀《まつめ》しき鳴く
炭竈の灰|篩《ふる》ひ居れば竹やぶに花ほの白しなるこ百合ならむ
槲木《かしはぎ》のふさに垂りさく花散りて世の炭がまは燒かぬ此頃
炭がまを夜見にゆけば垣の外に迫るがごとく蛙きこえ來
炭がまを這ひ出てひとり水のめば手桶の水に樫の花浮けり
廐戸にかた枝さし掩ふ枇杷の木の實のつばらかに目につく日頃
少弟整四郎四月二十九日を以て征途に上る曰く、自ら訓練せる小隊を率ゐるなりと、予妹二人を伴ひて下野小山の驛に會す、彼等三人相逢はざること既に數年、言なくして唯怡然たり、短歌五首を作りて之を送る
大君の御楯仕ふる丈夫は限り知らねど汝をおもふ我は
我が庭の植木のかへで若楓歸りかへらず待ちつゝ居らむ
淺緑染めし樹群にあさ日さしうらぐはしもよ我がますら男は
竹棚に花さく梨の潔くいひてしことは母に申さむ
おぼろかに務めおもふな麥の穗の秀でも秀でずも問ふ所に非ず
雜詠八首のうち
篠の葉のしげれるなべに樒さき淋しき庭のうぐひすの聲
新墾の小松がなかに作りたる三うね四うねの豌豆の花
青葱の花さく畑の桃一樹しげりもあへず毛虫皆喰ひ
桑の木の茂れるなかにさきいでゝ仄かに見ゆる豌豆の花
行々子の歌
六月なかば左千夫氏の來状近く山百合氏の來るをいふ、且つ添ヘていふ、庭前の槐に行々子頻りに鳴くと、兩友閑談の状目に賭るの思あり、乃ち懐をのべて左千夫氏に寄す
垣の外ははちす田近み慕ひ來て槐の枝に鳴くかよしきり
あしむらに棲める葭剖いかさまに槐の枝に止まりて鳴くらむ
竪川の君棲む庭は狹けれど葭剖鳴かば足らずしもあらじ
五月雨のけならべ降るに庭の木によしきり鳴かば人待つらむか
栗の木の花さく山の雨雲を分けくる人に鳴くかよしきり
みすゞ刈る科野の諏訪は湖に葭剖鳴かむ庭には鳴かじ
稀人を心に我は思ヘども行きても逢はず葭剖も聞かず
我が庭の杉苔がうへを立ち掃くとそこなる庭の槐をぞおもふ
諏訪の短歌會 第一會
九月五日、地蔵寺に集る、同人總べて五、後庭密樹の間には清水灑々として石上に落ち、立つて扉を押せば諏訪の湖近く横りて明鏡の如し、此清光を恣にして敢て人員の乏しきを憂へず、題は秋の田、蜻蛉、殘暑、朝草刈
秋の田のかくめる湖の眞上には鱗なす雲ながく棚引く
武藏野の秋田は濶し椋鳥の筑波嶺さして空に消につゝ(道灌山遠望)
※豆[#「※」は「豆+工」、225-1]《さゝげ》干す庭の莚に森の木のかげる夕に飛ぶ赤蜻蛉
水泡よる汀に赤き蓼の穗に去りて又來るおはぐろ蜻蛉
秋の日は水引草の穗に立ちて既に長けど暑き此頃
科野路は蕎麥さく山を辿りきて諏訪の湖邊に暑し此日は
秣刈り霧深山をかヘり來て垣根にうれし月見草の花
同第二會
七日、布半の樓上に開く、會するもの更に一人を減ず、題は秋の山、霧、灯、秋の菓物
杉深き溪を出で行けば草山の羊齒の黄葉に晴れ渡る空
鹽谷のや馬飼ふ山の草山ゆ那須野の霧に日のあたる見ゆ(下野鹽原の奥)
山梨の市の瀬村は灯ともさず榾火がもとに夜の業すも(多摩川水源地)
瓜畑に夜を守るともし風さやり桐の葉とりて包むともし灯
黄葉して日に/\散ればなり垂れし庭の梨の木枝の淋しも
二荒山いまだ明けねば關本の圃なる梨は露ながらとる
羇旅雜咏
八月十八日、鬼怒川を下りて利根川に出づ、濁流滔々たり、舟運河に入る、
利根川や漲る水に打ち浸る楊吹きしなふ秋の風かも
おぼほしく水泡吹きよする秋風に岸の眞菰に浪越えむとす
同廿三日、雨、房州に航す
相模嶺は此日はみえず安房の門や鋸山に雲飛びわたる
秋雨のしげくし降れば安房の海たゆたふ浪にしぶき散るかも
廿七日、房州那古の濱より鷹の島に遊ぶ
鮑とる鷹の島曲をゆきしかば手折りて來たる濱木綿の花
潮滿つと波打つ磯の蕁麻《いらくさ》の茂きがなかにさける濱木綿
はまゆふは花のおもしろ夕されば折りもて來れど開く其花
卅一日、甲斐の國に入る、幾十個の隧道を出入して鹽山附近の高原を行くに心境頓に豁然たるを覺ゆ
甲斐の國は青田の吉國《よくに》桑の國|唐黍《もろこしきび》の穗につゞく國
古屋氏のもとにやどる矚目二首
梅の木の落葉の庭ゆ垣越しに巨摩《こま》の群嶺に雲騒ぐ見ゆ
こゝにして柿の梢にたゝなはる群山こめて秋の雲立つ
九月一日、古屋志村兩氏と田圃の間を行く、低き山の近く見ゆるに頂まで皆畑なるは珍らし
甲斐人の石臼たてゝ粉に碎く唐黍か此見ゆる山は
三日、御嶽より松島村に下る途上
稗の穗に淋しき谷をすぎくればおり居る雲の峰離れゆく
霧のごと雨ふりくればほのかなる谷の茂りに白き花何
鵯の朝鳴く山の栗の木の梢静に雲のさわたる
韮崎
走り穗の白き秋田をゆきすぎて釜なし川は見るに遙かなり
甲斐に入りてより四日、雲つねに山の巓を去らず
韮崎や釜なし川の遙々にいづこぞ不盡の雲深み見えず
祖母石《うばや》より對岸を望む
いたくたつは何焚く煙ぞ釜なしの楊がうへに遠く棚曳く
臺が原に入る
白妙にかはらはゝこのさきつゞく釜無川に日は暮れむとす
四日、臺が原驛外
小雀《こがらめ》の榎の木に騒ぐ朝まだき木綿波雲に見ゆる山の秀《ほ》
信州に入る
釜なしの蔦木の橋をさわたれば蓬がおどろ雨こぼれきぬ
富士見村
をすゝきの※[#「※」は「木+若」、231-1]《しもと》に交り穗になびく山ふところの秋蕎麥の花
坂室の坂上よりはじめて湖水を見る
秋の田のゆたかにめぐる諏訪のうみ霧ほがらかに山に晴れゆく
六日、諏訪の霧が峰に登る、途上
たていしの山こえゆけば落葉松《からまつ》の木深き溪に鵙の啼く聲
立石の淺山坂ゆかヘりみる薄に飛彈の山あらはれぬ
霧が峰
うれしくも分けこしものか遙々に松虫草のさきつゞく山
つぶれ石あまたもまろぶたをり路の疎らの薄秋の風吹く
霧が峰は草の茂山たひら山萩刈る人の大薙に刈る
八日、鹽尻峠を越えて桔梗が原を過ぐ
しだり穗の粟の畑に墾りのこる桔梗が原の女郎花の花
をみなへし茂きがもとに疎らかに小松稚松おひ交り見ゆ
九日、奈良井を發す
曉のほのかに霧のうすれゆく落葉松山にかし鳥の鳴く
鳥居峠
諸樹木《もろきぎ》をひた掩ひのぼる白雲の絶間にみゆる谷の秋蕎麥
宮の越附近
木曾人の秋田のくろに刈る芒かり干すうへに小雨ふりきぬ
西野川の木曾川に合するほとり道漸くたかし、崖下の杉の梢は道路の上に聳えたり
鋒杉の茂枝がひまゆ落合の瀬に噛む水の碎くるを見つ
須原の地に入る、河聲やゝ遠し
男郎花まじれる草の秋雨にあまたは鳴かぬこほろぎの聲
終日雨やまず
木曾山はおくがは深み思はねど見ゆべき峰も隱りけるかも
十日、夙に須原を發す
木曾人の朝草刈らす桑畑にまだ鳴きしきるこほろぎの聲
長野々尻間河にのぞみて大樹おほし
木曾人よあが田の稻を刈らむ日やとりて焚くらむ栗の強飯《こはいひ》
妻籠《つまご》より舊道を辿る、溪水に襯衣を濯ぎて日頃の垢を流す、又巨巌の蓬を求めて蓙しきて打ち臥す、一つは秋天の高きを仰ぎ、一つは衣の乾く程を待つなり
ゆるやかにすぎゆく雲を見おくれば山の木群のさや/\に搖る
冷けき流れの水に足うら浸で石を枕ぐ旅人われは
馬籠《まごめ》峠を美濃に下る
まさやかにみゆる長山美濃の山青き山遠し峰かさなりて
十一日、釜戸より日吉といふ所へ越す峠に例の蓙をしきて打ち臥すに小き聲にて忙しく鳴く虫あり、日ごろも聞く所なり、蝉の小さなるものなりと或人いふ、ちつち蝉といふものにや、草のなかにあれば假に草蝉とよびて
汗あえて越ゆるたむけの草村に草蝉鳴きて涼し木陰は
日吉より次月《しつき》というところへ越す
なみなヘし短くさける赤土の稚松山は汗もしとゞに
十二日、中山道伏見驛より川を下らむとして成らず、獨り國道を辿る
木曾川のすぎにし舟を追ひがてに松の落葉を踏みつゝぞ來し
木曾川の沿岸をゆく
鱗なす秋の白雲棚引きて犬山の城松の上に見ゆ
各務が原
淺茅生の各務《かゞみ》が原は群れて刈る秣千草眞熊手に掻く
十五日、江崎なる華園氏のもとを辭して大垣に至る
松蔭は篠も芒も異草も皆悉くまむじゆさげ赤し
鯰江の繩手をくれば田のくろの菽のなかにも曼珠沙華赤し
十六日、潮音氏に導かれて大垣より養老山に遊ぶ、途に遙に小爆布をのぞむ
多度山の櫟がしたに刈る草の秣が瀧はよらで過ぎゆく
養老公園
落葉せるさくらがもとの青芝に一むら淋し白萩の花
養老の瀧
白栲の瀧浴衣掛けて干す樹々の櫻は紅葉散るかも
瀧の邊の槭《もみぢ》の青葉ぬれ青葉しぶきをいたみ散りにけるかも
十七日、潮音、蓼圃の兩氏と揖斐川の上流に鮎簗を見る
揖斐川は鮎の名どころ揖斐人の大簗かけて秋の瀬に待つ
揖斐川の簗落つる水はたぎつ瀬ととゞろに碎け川の瀬に落つ
十九日、大垣を立つ、雨
近江路の秋田はろかに見はるかす彦根が城に雲の脚垂れぬ
石山寺附近
蜆とる舟おもしろき勢多川のしづけき水に秋雨ぞふる
粟津
秋雨に粟津野くれば葦の穗に湖靜かなり遠山は見えず
逢阪を越えて山科村に至り、天智天皇の山陵を拜す
秋雨の薄雲低く迫り來る木群がなかや中の大兄すめら
二十日、雨、法然院
ひやゝけく庭にもりたる白沙の松の落葉に秋雨ぞ降る
竹村は草も茗荷も黄葉してあかるき雨に鵯ぞ鳴くなる
白河村
女郎花つかねて浸てし白河の水さびしらに降る秋の雨
一乘寺村
秋雨のしく/\そゝぐ竹垣にほうけて白きたらの木の花
詩仙堂
落葉せるさくらがもとにい添ひたつ木槿の花の白き秋雨
唐鶸《からひは》の雨をさびしみ鳴く庭に十もとに足らぬ黍垂れにけり
下鴨に詣づ、みたらしの上には樟の大樹さし掩ひて秋雨のしづくひまもなし
糺の森かみのみたらし秋澄みて檜皮《ひはだ》はひてぬ神のみたらし
二十一日、伏見桃山
柿の木の林がもとはおしなべて立枝の獨活の花さきにけり
みちのへに草も莠《はぐさ》も打ち茂る圃の桔梗は枯れながらさく
愚庵和尚の遺蹟を訪ふ、庵室の縁の高きは遠望に佳ならむがためなり、戸は鎖したれど時久しからねば垣も未だあらたなり。清泉大石のもとを流る
梧桐の庭ゆく水の流れ去る垣も朽ちねばいますかと思ふ
巨椋《おほくら》の池の堤も遠山も淀曳く船も見ゆる此庵
桃山の萱は葺きけむ此庵を秋雨漏らば掩はむや誰
二十二日、丹波路
何鹿《いかるが》の和知《わち》のみ溪の八十村に名に負ふ栗山いまだはやけむ
丹後舞鶴の港より船に乗りて宮津ヘ志す
眞白帆のはらゝに泛ける與謝の海や天の橋立ゆほびかに見ゆ
二十三日、橋立途上
葦交り嫁菜花さく與謝の海の磯過ぎくれば霧うすらぎぬ
橋立
橋立の松原くれば朝潮に篠葉《しのば》釣る人腰なづみ釣る
成相山に登る
こゝにして竪さに見ゆる橋立の松原通ふ人遠みかも
松原を長洲の磯とさし出の天の橋立海も朗らに
弓の木村より樗峠にのぼる
とりよろふ天の橋立よこさまに見さくる山を來る人は稀
岩瀧村より船にて宮津ヘ渡る
與謝の海なぎさの芒吹きなびく秋風寒し旅の衣に
宮津より栗田村に越ゆる坂路にたちて
鯵網を建て干す磯の夕なぎに天の橋立霧たなびけり
干蕨蓆に曝す山坂ゆかヘり見遠き天の橋立
栗田村より由良港にいたる、右は峻嶺笠を壓して聳へ、左は海濤脚下巖を噛む
由良の嶺に栗田の子らが樵る柴は陸ゆはやらず蜑舟に漕ぐ
眞柴こり松こる子らが夕がヘり疾きも遲きも磯に立ち待つ
二十四日、由良の港を立つ
由良川は霧飛びわたる曉の山の峽より霧飛びわたる
曉の霧は怪しも秋の田の穗ぬれに飛ばず河の瀬に飛ぶ
由良川の霧飛ぶ岸の草村に嫁菜が花はあざやかに見ゆ
四所村間道
からす鳴く霧深山の溪のへに群れて白きは男郎花ならし
諸木々の梢染めなば萱わけて栗ひらふべき山の谷かも
廿五日、攝州須磨寺
須磨寺の松の木の葉の散る庭に飼ふ鹿悲し聲ひそみ鳴く
須磨敦盛塚
松蔭の草の茂みに群れさきて埃に浴みしおしろいの花
舞子濱
落葉掻く松の木の間を立ち出でゝ淡路は近き秋の霧かも
舞子の濱松に迫りてゆく船の白帆をたゆみいし漕ぐや人
明石人丸社
淡路のや松尾が崎に白帆捲く船明かに松の上に見ゆ
明石にやどる此夜大漁
沖さかる船人をらび陸どよみ明石の濱に夜網夜曳く
瀬戸の海きよる鰯は彌水《いやみづ》の潮の明石の潮|※[#「※」は「さんずい+和」、読みは「なぎ」、247-4]に曳く
鰯引く袋をおもみ引きかねて魚籃にすくふ磯の淺瀬に
いわし曳く網のこぼれはひりはむと渚の闇に群れにけるかも
明石潟あみ引くうヘに天の川淡路になびき雲の穗に歿る
廿六日、垂水濱
茅淳の海うかぶ百船八十船の明石の瀬戸に眞帆向ひ來も
廿七日、南禪寺附近
葉※[#「※」は「鶏」の右側を「隹」にした字、248-3]頭《かまつか》もつくる垣内のそしろ田に引板の繩ひく其水車
廿八日、八瀬の里に竈風呂を見る、岩もて洞穴のやうにつくりたるものなり、朝に穴のうちに火を焚けばぬくもり終日去らず、鹽俵をしきて内に入りて戸を閉ぢて打ち臥すなりとぞ、けふは冷えたる儘なり、家のさまは人を待つけしきにて庭には枝豆も作れり
おもしろの八瀬の竈風呂いま焚かば庭なる芋も堀らせてむもの
大原
粽巻く笹のひろ葉を大原のふりにし郷は秋の日に干す
寂光院途上
鴨跖草の花のみだれに押しつけてあまたも干せる山の眞柴か
寂光院
あさ/\の佛のために伐りにけむ柴苑は淋し花なしにして
堅田浮御堂
小波のさや/\來よる葦村の花にもつかぬ夕蜻蛉かも
廿九日、朝再び浮御堂に上る、此あたりの家々皆叺をつくるとて筵おり繩を綯ふ
長繩の薦ゆふ藁の藁砧とゞと聞え來これの葦邊に
湖畔には櫟の木疎らにならびたり
布雲に叢雲かゝる近江の湖あさ過ぎくればしき鳴くや鵙
比叡辻村來迎寺森可成墓
冷かに木犀かをる朝庭の木蔭は闇き椰の落葉や
志賀の舊都の蹟は大津町の北數町にして錦織といふ所に在り、即事
さゝ彼の滋賀の縣の葱作り※朶垣[#「※」は「鹿の下に鹿二つ」、読みは「そだがき」、250-8]つくるあらき※朶垣
澁柿の腐れて落つる青芝も畑も秋田もむかし滋賀の宮
此舊都の蹟は洵に形勝の地なり、以て天智天皇の剛邁果敢の英主なりしを想見すベし
いにしへの近江縣は湖濶く稻の秀國うつそみもよき
うつゆふのさき國大和すみ棄てゝうべ知らしけむ志賀の宮どころ
滋賀つのや秋田もゆたに湖隔つ田上山はあやにうらぐはし
弘文天皇山陵
白妙のいさごもきよき山陵は花木犀のかをる瑞垣
志賀宮の舊蹟を見て此の山陵を拜すれば一種の感慨なき能はず
世の中は成れば成らねばかにかくに成らねば悲し此の大君ろ
卅日、嵯峨に遊びて福田静處先生を訪ふ
一むらは乏しき花の白萩に柿の梢の赤き此庵
導かれて近傍の名所を探る、野々宮
冷かに竹藪めぐる樫の木の木の間に青き秋の空かも
小倉山時雨の亭に至る、くさ/″\の話のうちに茸狩りし趾の小き穴に栗の一つ宛落ちたるは烏のしわざなりなど語らるゝをきゝて 繩吊りて茸山いまだはやければ烏のもてる栗もひりはず
嵯峨より宇多野に到る
小芒の淺山わたる秋風に梢吹きいたむ桐の木群か
十月一日、栂尾
栂尾の槭《もみぢ》は青き秋風に清瀧川の瀬をさむみかも
二日、大津より彦根に渡る
葦の邊の※[#「※」は「魚+入」、253-6]《いり》[#底本のルビ「いり」は「えり」か?]おもしろき近江の湖鴨うく秋になりにけるかも
※[#「※」は「魚+入」、253-7]は水中に竹簀をたて圍みたるをいふ、魚とるためなり
彦根城廓内
鵯の晴を鳴く樹のさや/\に葛も薄も秋の風吹く
天主閣にのぼる
名を知らぬ末枯草の穗に茂き甍のうへに秋の虫鳴く
夕、彦根を去らむとして湖水をのぞむ
比良の山ながらふ雲に落つる日の夕かゞやきに葦の花白し
三日、伊勢に入る
宮路ゆく伊勢の白子は竹簾古りにしやどの秋蕎麥の花
一身田村途上
鵲豆《ふぢまめ》を曳く人遠く村雀稻の穗ふみて芋の葉に飛ぶ
四日、桃澤、奥島二氏と安濃津に遊ぶ、岩田川の河口を贄崎といふ安濃津に集る船は此川に入りて錨を卸す
安濃の津をさしてまともにくる船の贄の岬に眞帆の綱解く
贄崎の※[#「※」は「魚+是」、読みは「なまづ」、255-4]の莚ゆふかげり阿漕が浦に寄するしき浪
五日
伊勢の野は秋蕎麥白き黄昏に雨を含める伊賀の山近し
六日、能褒野に至る、山陵は小なれども神さびたるに、程近き宮はあたり淋しくして形ばかりに齋きたるさまなり
淺茅生のもみづる草にふる雨の宮もわびしも伊勢の能褒野は
秋雨のしげき能褒野の宮守はさ莚掩ひ芋のから積む
四日市より横濱ヘ汽船に乗る、風浪烈しくして伊勢灣を出づる能はず、伊良胡崎の蔭に假泊す
潮さゐの伊良胡が崎の巌群にいたぶる浪は見れど飽かぬかも
夜半(錨を)巻く、雨全く霽れて星かゞやけり
伊良胡崎なごろもたかき小夜ふけに搖りもてくれば心どもなし
七日、船觀音崎に入る
しづかなる秋の入江に波のむた限りも知らに浮ける海月《くらげ》か
十三日、郷に入り鬼怒川を過ぐ
異郷もあまた見しかど鬼怒川の嫁菜が花はいや珍らしき
わせ刈ると稻の濡莖ならべ干す堤の草に赤き茨の實
我がいヘにかヘりて
めづらしき蝦夷の唐茄子蔓ながらとらずとぞおきし母の我がため
唐茄子は廣葉もむなし雜草《あらぐさ》の蚊帳釣草も末枯にして
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明治三十九年
鬼怒沼の歌
上
脚にカルサン、肩に斧、
樵夫分け入る鬼怒沼山、
藤の黄葉に瑠璃啼きて、
露冷けき樹の間を出で、
薄に交る※[#「※」は「きへん+若」、読みは「しもと」、258-8]の栗、
上枝の毬に胸を擦る。
黄苑は、たかくさきほこり、
せむのうの花朱を流す、
たをりの草に朗かに、
白銅磨く湖の水。
山の秀ゆるく四方に遶り
まどかに覆ふ秋の天。
桔梗短くさき浸る、
汀に寄らす天少女、
玉松が枝に領巾解き掛け、
湖水に、糸をさらし練る。
燃ゆるが如き糸引けば、
紅うつくしく澄める水、
白糸練れば忽ちに、
たゝへし水は白銀の如。
青糸解きて打ち浸せば、
琅※[#「※」は「王へん+干」、読みは「かん」、260-6]にほふ底の石。
七彩糸と管に巻く
小|※[#「※」は「竹かんむり+隻」、読みは「わく」、260-8]の糸を引き延べて、
十二の筬に機足踏む。
十二の聲の玉響き。
諸手の眞梭の往きかひに
衣手輕くさゆらぐや、
譬へば霧のさや/\と、
山の梢を渡る如。
妙なる機の聲を慕ひ、
擔ひし斧を杖つきて、
我を忘れて聽く樵夫。
風鐸遠く野に響き、
落葉が下に水咽ぶ。
八十尋錦巻き抱き、
迎ふる雲の穗に乘りて、
振りかヘりみる鬼怒沼媛、
はじめて仰ぐ天女の面曲。
御衣も御くしも悉く、
黄金の光眼を射る。
黄雲ながく尾を引きて、
黄金の瀲※[#「※」は「さんずい+けものへん+奇」、読みは「い」、262-7]湖に搖り、
金線繁りぬ、玉松の葉。
掌大の花さき滿ちて、
花悉く金覆輪。
花辨重く傾きて、
甘露の水の滴るを、
啜りて醒めぬ、悲しき樵夫。
ふとしき樫の柄も朽ちて、
大地に、斧は錆びつきぬ。
身を没したる雜草に、
穗向の風の騒立ちて、
我を駭く湖畔の夕。
下
秋の朝雲あさ燒くる、
眞日の光の奇異しくも、
あめつちなべて黄變して、
草もゆるがぬ日を一日。
暴風來りぬ、ゆゝしきかも。
大樹を摧き、石を飛ばし、
八つ峰嚴しき鬼怒沼山、
爭ひかねて靡かむとす。
山ふところに吹き付くる、
雲のちぎれの雨に凝り、
沛然として降る三日、
土洗はれて山痩する。
どう/″\として石相搏ち、
底鳴り震ふ水の勢。
相交はれる山の尾も、
押し諸向けて激ち去る。
剩雲いまは収るや、
見る目悲しきふところに、
うつし殘る家一村。
恐怖に籠る樵夫が伴、
竊にいたむ人の身の上。
萱の茂りを刈り燒きて、
すなはち作る稗の穗を、
七たび伐りぬ、山の秋。
落葉に拾ふ橡の實を、
碓にくだきて澤にひて、
七たび造りぬ、橡の味噌。
鬼怒沼山に斧とりに、
ゆきて聞えぬ人を悼み、
秋さり毎に物を供へ、
まつり營む人のまこと。
蔓の黄葉を眞探りて、
おどろがさ枝に藷蕷を堀り
霜に赤らむ梢の柿、
澁きを、榾の火に燒きて。
人のまことは物を供へ、
まつりいとなむ淋しき夕。
蓬髪ながく肩に垂れ、
垢つく衣朽ちたるに、
窶れしかひな杖つきて、
柄もなき斧の錆びたるを、
葡萄の蔓に抜き負ひて、
よろぼひ渡る藤の棧橋。
あやしむ人をあやしみつゝ
樵夫はいまぞ還り來れる。
氷塊一片
昨秋予の西遊を思ひ立つや、岡本倶伎羅氏を神戸の寓居に叩かんと約す、予が未發程せざるに先だち、氏は養痾の爲め、播磨の家島に移りぬ、予又旅中家島を訪ふを果さずして歸る、近頃島中の生活養痾にかなヘるを報じ、且つ短歌數首を寄せらる、心爲に動き即愚詠八首を以て之に答ふ(其六首を録す)
津の國のはたてもよぎて往きし時播磨の海に君を追ひがてき
淡路のや松尾が崎もふみ見ねば飾磨の海の家島も見ず
飾磨の海よろふ群島つゝみある人にはよけむ君が家島
冬の田に落穗を求め鴛鴦の來て遊ぶちふ家島なづかし
家島はあやにこほしもわが郷は梢の鵙も人の獲るさと
ことしゆきて二たびゆかむ播磨路や家島見むはいつの日にあらむ
女あり幼にして母を失ひ外戚の老婦の家に生長せり、生れて十七、丹脣常に微笑を湛ヘて嘗て憂を知らざるに似たり、之を見るに一種の感なき能はず乃ち爲に短編一首を賦す
母があらば、裁て着すべき、鬼怒川の待宵草、庭ならば垣がもと、雜草も交へずあらんを、淺川や礫がなかに、葉も花も見るに淋しゑ、眞少女よ笑みかたまけて、虚心たぬしくあらめと、母なしに汝が淋しゑ、見る心から。
麥踏む農婦を見て詠める歌
箒もて打たば捉るベき、蜻※[#「※」は「虫へん+廷」、読みは「あきつ」、270-3]なす數なきものに、己さへ思ひてある、貧しきは暇をなみ、冬墾りと麥のうね/\、鍬もて背子が打てば、をみな子の乳子を抱かひ、家に置かば守る人なみ、笠牀と卯つぎがしたに、獨り置かば凍えすべなみ、暖き肌に背負ひて、七たびも踏むベき麥と、腿立ちの蹈みの搖すりに、こゝろよく乳子は眠りぬ、往還り實《まめ》にし蹈めば、薄衣まとへどぬくゝ、粟も稗も餓ゑばうまけむ、あきつなす數なきものに、自らも思ひてあれば、世をうけく思はずあらめと、人の身を吾はいたみぬ、見るたびことに。
亂礁飛沫
一月十七日、常陸國鹿島郡の南端なる波崎といふ所の漁人の家に到りぬ、地は銚子港と相對して利根の河口を扼す。止まること數日、たま/\天曇りて海氣濛々たり、漁舟皆河口よりかヘりぬ。
ほこりかも吹きあげたると見るまでに沖邊は闇し磯は白波
眞白帆にいなさをうけて川尻ゆ潮の膨れにしきかへる舟
いさりぶね眞帆掛けかへるさし潮の潮目揺る波ゆりのぼる見ゆ
利根川の冬吐く水は冷たけれどかたへはぬるし潮目搖る波
利根川は北風《かたま》いなさの吹き替へにむれてくだる帆つぎてのぼる帆
滿潮河口に浸入すれば河水と相衝き小波を揚げて明に一線を畫す、之を潮目といふ。蓋し淡水と鹹水《かんすい》とを相分つの意なり。
廿一日、夜雪ふりて深さ五寸に及ぶ、此の如きは此地稀に有る所なりといふ。
松葉焚き煤火すゝたく蜑が家に幾夜は寢ねつ雪のふる夜も
波崎のや砂山がうれゆ吹き拂ふ雪のとばしり打ちけぶる見ゆ
しらゆきの吹雪く荒磯にうつ波の碎けの穗ぬれきらひ立つかも
吹き溜る雪が眞白き篠の群の椿が花はいつくしきかも
波崎雜詠のうち
薦かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒き此夜は
利根の河口は亂礁常に波荒れて舟行甚だ沮む、只暗礁あかベ鹿根の二島の間僅に平静なり、大小の船舶皆之より出入す。故に風威一たび加はれば復た近づくべからず。此邊一帶の濱漁人の命を損するもの年に幾十を以て數ふといふ。一月廿二日寒氣凛烈一船底を破りきと傳ふものありければ
利根川や八十河こめて、遙々に濶きながれの、川じりゆ吐き出づる水を、逆むけて打ち寄る波は、※[#「※」は「さんずい+和」、273-8]のよき日にも搖れども、おも楫はあかべが島と、下總のつめの守部、とり楫は鹿島根が巌と、常陸のはての守部に、波ごもりたぐふ二島、二島のひまのなごみに、眞白帆を掛けのつらなめ、鮪舟あさ行きしかど、かヘり來る灘のあらびの、速吸の潮のまに/\、過ちて巖に觸りけむ、そこすぎば安けむものを、速吸の潮のまに/\に、其舟をあはれ。
蜑が家に蛸の生きたるを見てよめる歌
天地の未だ別れず、油なすありけむ時に、濁れるは重く沈みて、おのも/\成りけるがなかに、なりざまの少し足らざる、蛸といふは姿のをかしく、動作《すること》のおもしろきものと、漁人の沖に沈みし、蛸壺に籠りてある時、疣自物曳けども取れぬを、蛸壺の底ひに穿てる、其孔ゆ息もて吹けば、駭きて出づとふ蛸の、こゝにして桶の底ひに、もそろ/\蠢きてあれば、ほと/\に頭叩き、おもしろと我が打てば、うつろあたま堅くそばたち、忽ちに赤に醉ひたるは、蓋しくも憤るならし、眼《まながひ》もくちもおもしろ、蛸といふものは。
近作二三
お伽噺に擬して作れる歌
犬蕨しぬにおしなべ、雪積める山のなだれに、杉の葉をくひつゝある、兔等に猿のいへらく、なにしかも汝が目は赤き、汝が耳は恐れのしるし、溪をだに出でがてにするを、枝渡り空行くことの、我が儕はしかぞかしこき、斯くいヘば兔いヘらく、山媛の我をめぐしと、
石楠の花をつまみ、豆梨の花をつまみ、豆梨を口に吸ひ、石楠を口に吸ひ、我が目らに塗らせりしかば、美しくしかぞ成りしと、いへる時|山毛欅《ぶな》のうつろに、潛み居し小兔いはく、誇らひて汝はあれども、蛸とるとありける時、鱶の來て臀くひければ、室の樹の枝に縋りて、七日まで泣きてありしゆ、汝が族臀は赤く、汝が族木傳ひ渡り、汝が族しかぞ喧し、然かも尚ほこらひ居りやと、小兔のいヘりしかば、憤り猿跳り來、爪立てにつかみかゝれば、枝攀づる業は知らざる、愚かしき兔が伴もは、眞白毛や雪深谷にまがひけるかも。
幼少の折に聞きけることを思ひ出でゝ作れる歌
※[#「※」は「鹿の下に鹿二つ」、読みは「そ」、276-5]朶の、あら垣や、外に立つ、すぐなる柿の木、植竹の、梢ゆれども、さやらぬや、垂れたる枝、梯もてど、届かぬ枝、其枝に、鹿吊りて、剥ぎたりと、老ぞいふ、其老が、皮はぎし、總角に、ありし時、抱かえし、肩白髪、櫓掛け、猪も打ちきと、いヘりきと、老ぞいふ、すぐなる、澁柿の木、澁柿は、つねになれど、小林は、陸穗つくると、蕎麥まけど、荒もせず、あら垣や、※[#「※」は「鹿の下に鹿二つ」、276-10]朶がもと、たまたまも、鼬過ぐと、紅の、芥子散りぬ、箒草こぼれがなかへ、はらはらと、芥子散りぬ
即景
鬼怒川の堤の茨さくなべにかけりついばみ川雀啼く
鬼怒川のかはらの雀かはすゞめ桑刈るうへに來飛びしき啼く
六月短歌會
雨過ぎば青葉がうれゆ湖に雫するらむ二荒山の上
ゆゝしきや火口の跡をいめぐりて青葉深しちふ岩《いは》白根山
藤棚はふぢの青葉のしげきより蚊の潛むらむいたき藪蚊ら
梧桐の葉を打ち搖りて降る雨にそよろはひ渡る青蛙一つ
葦村はいまだ繁らず榛の木の青葉がくれに葭|剖《きり》の鳴く
青草集
六月廿八日常陸國平潟の港に到る、廿九日近傍の岡を歩く、畑がある、麥を燒いて居る、束へ火をつけるとめろ/\消えて穗先がほろ/\落ちる、青い烟が所々に騰る、これは收納がはやいからするのだ相である、
殼竿《からさを》にとゞと打つべき麥の穗を此の畑人は火に燒きてとる
長濱の搗布《かちめ》燒く女は五月雨の雨間の岡に麥の穗を燒く
穗をやきてさながら捨つる麥束に茨が花も青草も燒けぬ
七月五日岩城の平の町赤井嶽に登る山上の寺へとまる、六日下山
赤井嶽とざせる雲の深谷に相呼ぶらしき山鳥の聲
七日、平の町より平潟の港へかへる途上磐城關田の濱を過ぎて
こませ曳く船が帆掛けて浮く浦のいくりに立つは何を釣る人
汐干潟磯のいくりに釣る人は波打ち來れば足揚《あげ》て避けつゝ
平潟港即事
松魚船入江につどひ檣に網《あみ》建て干せり帆を張るが如し
九日午後になりて雨漸く收る、平潟に來てはじめて晴天なり
天水のよりあひの外に雲收り拭へる海を來る松魚船
白帆干す入江の磯に松魚船いま漕ぎかへる水夫の呼び聲
きららかに磯の松魚の入日さしかゞやくなべに人立ち騒ぐ
十日、干潟日和山
群※[#「※」は「亞+鳥」、読みは「からす」、280-8]夕棲み枯らす松の上に白雲棚引く濱の高岡
同關田の濱
こゝにして青草の岡に隱ろひし夕日はてれり沖の白帆に
波越せば巖に糸掛けて落つる水落ちもあへなくに復た越ゆる波
十一日、此日も關田の濱ヘ行く
松蔭に休らひ見れば暑き日は浪の膨れのうれにきらめく
此日平潟より南へわたる長濱といふ所の斷崖の上に立ちて
蟠る松の隙より見おろせば搖りよる波はなべて白泡
枝交はす松が眞下は白波の泡噛む巖に釣る短人
十二日、日立村ヘ行く、田越しに助川の濱の老松が見える
松越えて濱の烏の來てあさる青田の畦に萱草赤し
十三日、朝來微雨、衣ひきかゝげて出づ、平潟より洞門をくゞれば直ちに關田の濱なり
日は見えてそぼふる雨に霧る濱の草に折り行く月見草の花
雀等よ何を求むと鹽濱のしほ漉す※朶[#「※」は「鹿の下に鹿二つ」、読みは「そだ」、282-5]の棚に啼くらむ
松蔭の沙にさきつゞくみやこ草にほひさやけきほの明り雨
松蔭は熊手の趾もこぼれ葉も皆うすじめりみやこ草さく
十四日、磯原の濱を行く
青田行く水はながれて磯原の濱晝顔の磯に消入りぬ
平潟の入江の松魚船が幾十艘となく泊つて居るので陸へのぼつた水夫共が代るがはる船に向つて怒鳴る、深更になつてもやまぬ
からす等よ田螺のふたに懲りなくば蟹のはさみに嘴斷ちてやらむ
十九日、歸郷の途次辻村にて
木欒樹《むくろじ》の花散る蔭に引き据ゑし馬が打ち振る汗の鬣
余が起臥する一室の檐に合歡の木が一株ある、花の美しいのは蕋である、ちゞれ毛のやうなのが三時頃には餘つ程延び出して葉の眠る頃にはさき切る、それ故賑かなのは夕暮である、
蚊帳越しにあさ/\うれし一枝は廂のしたにそよぐ合歡の木
柔かく茂り撓める合歡の木の枝に止りて羽を干す燕
水掛けて青草燻ゆる蚊やり火のいぶせきさまに萎む合歡の葉
赤糸の染分け房を髻華《うず》に挿す合歡の少女は常少女かも
爽かに青帷子の袂ゆる合歡の處女の蔭の涼しさ
合歡の木は夕粧ひの向かしきに何を面なみしをれて見ゆらむ
戯れに禿頭の人におくる
つや/\に少なき頭泣かむより糊つけ植ゑよ唐黍の毛を
おもしろの髪は唐黍《たうきび》白髪の老い行く時に黒しといふもの
唐黍の糊つけ髪に夕立の倚る樹もなくば翳せ肱笠
七月廿五日、昨日より「フツカケ」といふ雨來る、降りては倏ちに晴れ、晴れては復た降りきたる
暑き日の降り掛け雨は南瓜の花にたまりてこぼれざる程
八月八日、立秋
南瓜の茂りがなかに抜きいでし莠《はぐさ》そよぎて秋立ちぬらし
九日、夜はじめて※[#「※」は「虫へん+車」、読みは「こほろぎ」、285-7]をきく
垣に積む莠がなかのこほろぎは粟畑よりか引きても來つらむ
十日、用ありていづ
目をつけて草に棄てたる芋の葉の埃しめりて露おける朝
假裝行列に加はりて予は小原女に扮す、小原女に代りて歌を作る
白河の藁屋さびしき菜の花を我が手と伐りし花束ぞこれ
菜の花に明け行く空の比枝山は見るにすがしも其山かづら
白河のながれに浸でし花束を箕に盛り居ればつぐみ鳴くなり
おもしろの春の小雨や花箕笠花はぬるれど我はぬれぬに
あさごとに戸の邊に立ちて喚ぶ人を花賣われは女し思ほゆ
浄土寺の松の花さびさびたれど石切る村の白河われは
雜詠
朝靄の多賀の城あとの丘の上の初穗のすゝき雨はれむとす(多賀城趾)
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明治四十年
蕨君病むと聞きて
睦岡の杉の茂山しげけれど冬にし病めば淋しくあるらし
冬の日の障子あかるくさゝむ時|蒿雀《あをじ》も來鳴けなぐさもるべし
君が庭の庭木に植ゑしよそゞめのいやいつくしき丹の頬はや見む
命あれば齢はながし網《あみ》繩の長き命をな憂ひ吾が背
左千夫に寄す
蒼雲を天のほがらに戴きて大き歌よまば生ける驗《しるし》あり
大丈夫のおもひあがれる心ひらき※[#「※」は「包みがまえ+二」、読みは「にほ」、289-2]はす花は空も掩む
春の野にもえづる草を白銀の雨を降らして濕ほすは誰ぞ
大丈夫は眠れる隙にあらなくに凝り滯る心は持たず
春の光到らぬ闇に住みなばかくゞもる心蓋し持つべし
大空は高く遙けく限りなくおほろかにして人に知れずけり
雲雀の歌
春の野に群るゝ神の子、
黄金の毛を束ねたる、
小さなる箒もて、
手に/\立ち掃きしかば、
緑しく麥の畑に、
黄金の菜種の花は、
眞四角に浮きてさき出ぬ。
白玉のつどひの如き、
神の子は戯れせむと、
其花の筵の上を、
ふは/\と飛びめぐれば、
柔かく濕れる土に、
ほろ/\と止まず花散る。
其時に神の子一人、
硝子《びいどろ》の管をつけたる、
白銀の長き瓶より
噴き出づる瓦斯を滿たしめ、
風船玉空に放てば、
そを追ふと神の子數多、
碧なる空のなからに、
其玉を捉へ打ち乘り
あちこちと浮きめぐりつゝ
括りたる白糸解きて
其玉の縮まる時に、
ふは/\とおりもて來ると、
風船玉やまず放てば、
飛びあがり/\つゝ、
餘念なく戯れ遊ぶ、
斯る時神の子一人、
蟲あさる雲雀みいでゝ
こそばゆき麥の莖に、
掻きさぐり一つ捉り來て、
小さなる嘴をあけ、
白銀の瓶の瓦斯を、
其腹に滿て膨らまし、
すら/\と空にあがりて、
小さなる其嘴より
少しづゝ吐かしむる時に、
囀りの喉の響は、
針の如つきとほし來ぬ。
菜の花の筵に立ちて、
めづらしむ神の子なベて、
おのがじゝ雲雀とると、
追ひめぐり羽打ち振れば、
麥の穗に白波立ちて、
さきへ/\波は移りぬ。
かくしつゝ神の子どもは、
悉くまひのぼれば、
うらゝかに懶き空に、
滿ちわたる輕き空気は、
左右縦に横に、
こまやかに振動しつゝ、
畑打の耳|※[#「※」は「手へん+歴」、294-8]《くすぐ》りて、
響は止まず。
早春の歌
天の戸ゆ立ち來る春は蒼雲に光どよもし浮きたゞよヘり
春立つと天の日渡るみむなみの國はろかなる空ゆ來らしも
蒼雲のそくへを見れば立ち渡る春はまどかにいや遙かなり
おのづから滿ち來る春は野に出でゝ我が此の立てる肩にもあるべし
おほどかに春はあれども揺り動く榛が花にも滿ち足らひたり
そこらくの冬を潛めて雪殘る山の高嶺は浮き遠ぞきぬ
いさゝかも春蒸す土のぬくもればゐさらひ輕み雲雀は立つらむ
麥の葉は天つひばりの聲響き一葉々々に搖りもて延ぶらし
おろそかにい行き到れる春なれや青める草は水の邊に多し
鷽の歌
うそどりの春がたけぬと鳴く聲に森の樫の木脱ぎすてにけり
うそどりよ汝が鳴く時ゆ我が好む枇杷のはつかに青むうれしも
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明治四十一年
獨
一
とゝ/\と喚べば馳せ來て、
麥糠にふすまを交ぜし、
餌箱《ゑさばこ》に嘴を聚め
忙しく鷄は啄む。
そを見つゝ庭に立てば、
家のうち人もなし。
母は今外に在り。
父共に外にあり。
芋植うる曩の日行きて、
芋植ゑて既に久し。
三人なる家族《やから》なれば、
唯一人我は殘れり。
掛梯子昇り行き、
藁の巣に卵うみて、
牝※[#「※」は「鶏」の右側を「隹」にした字、298-9]《めんどり》の騒ぐ時、
寂しさは纔に破る。
つれ/″\と永き晝、
遠蛙ほのかなり。
濕りたる庭のうち、
はらゝかに辛夷散り
手桶なる茹菜の中に、
菜の花の匂へる見れば、
世の中は春たけぬらし。
我は只一人居り。
つゝみある身をいたはりて、
我が母は外に在り。
すこやかに今なりて、
歸らむと思へば嬉し。
口髭は常剃りしかど、
剃らざれば延びにけり。
二
垣隣人をよびて、
口髭を剃らしむれば、
松葉もてつゝくが如し。
芥子坊主剃り殘されて、
只泣きに泣きし此の方、
斯くばかり疼きことなし。
こそばゆき顎をさすり、
春日さす縁に立てば、
ぱら/\とジヨン馳せ來つ。
午餐する茶を沸すと、
草取りに畑へ行きし、
下婢は今かヘり來らし。
縁側に足を掛け、
我を見るはしき犬、
煎餠をもて行けば、
前足を胸に屈め、
後足に立ちながら、
ワンといヘばワンと吠ゆ。
板の間の猫の皿を、
こと/\と※[#「※」は「鶏」の右側を「隹」にした字、302-1]のつゝくに、
シヽといひて我が立てば、
忽ちに※[#「※」は「鶏」の右側を「隹」にした字、302-3]追ひ立て、
竹藪に迫《せ》め騒がし、
尾を振りて我が許に來る。
桑畑へ鎌もて行く
草取りと野に行けば、
桑の木の枝移り鳴く、
頬白に吠えながら
先へ/\駈けめぐると、
人ならば草臥れむ。
砥を立てゝ鎌を研ぎ、
草取の復た行くを見て、
ぱら/\と馳せ行くを、
煎餠もて喚べは[#「は」は「ば」か?]戻り
煎餠の竭きし時、
ジヨンジヨンといへど還らず。
木瓜の葉は花を包みて、
山吹も今は盛りに、
靜かなる眞晝の庭、
はら/\と雀下りて、
其所此所とあさりめぐる。
明日は又雨なるべし
初秋の歌
小夜深にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ
植草の鋸草の茂り葉のいやこまやかに渡る秋かも
目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばら/\に
秋といヘば譬へば繁き松の葉の細く遍く立ちわたるめり
馬追虫《うまおひ》の髭のそよろに來る秋はまなこを閉ぢて思ひ見るべし
外に立てば衣濕ふうベしこそ夜空は水の滴るが如
おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は近く相迫り見ゆ
からくして夜の涼しき秋なれば晝はくもゐに浮きひそむらし
うみ苧なす長き短きけぢめあれば晝はまさりて未だ暑けむ
芋の葉にこぼるゝ玉のこぼれ/\子芋は白く凝りつゝあらむ
青桐は秋かもやどす夜さればさはら/\と其葉さやげり
烏瓜《たまづさ》の夕さく花は明け來れば秋を少なみ萎みけるかも
晩秋雜咏
即興拾八首
芋がらを壁に吊せば秋の日のかげり又さしこまやかに射す
秋の日に干すはくさ/″\小鍋干す箒草干す張物も干す
葉鷄頭《かまつか》に藁おしつけて干す庭は騒がしくしておもしろきかも
葉鷄頭は籾の筵を折りたゝむ夕々にいやめづらしき
荒繩に南瓜吊れる梁をけぶりはこもるあめふらむとや
はら/\と橿の實ふきこぼし庭の戸に慌しくも秋の風鳴る
おしなべて折れば短くかゞまれる茶の木も秋の花さきにけり
茨の實の赤《あけ》び/\に草白む溝の岸には稻掛けにけり
黄昏の霜たちこむる秋の田のくらきが方へ鴫鳴きわたる
こほろぎははかなき虫か柊の花が散りても驚きぬべし
紅の二十日大根は綿の如なかむなにして秋行かむとす
さきみてる黄菊が花は雨ふりて濕れる土に映りよろしも
此頃は食稻《けしね》もうまし秋茄子の味もけやけし足らずしもなし
繩結ひて糸瓜を浸てし水際の落ち行く如く秋は行くめり
夜なベすと繩綯ふ人よ鍬掛の鍬の光はさやけかるかも
うつくしき籃の黄菊のへたとると夜なべしするを我もするかも
萼とればほけて亂るゝさ筵の黄菊が花はともしかゝげよ
障子張る紙つぎ居れば夕庭にいよ/\赤く葉※[#「※」は「鶏」の右側を「隹」にした字、308-2]頭は燃ゆ
蕨橿堂に寄す
杉山のせまきはざまの晩稻《おく》刈ると夕をはやみ冷たかるらむ
稻曳くに馬も持てりといはなくに妹が押す時車にかひく
白菊は稻掛けたらば亂るべし橿の木蔭は稻な掛けそね
米櫃の底が出でぬと米舂くに白くもあらじ倦むらむ時は
橿の實のいくばく落ちて日暮れよと蒿雀《あをぢ》は鳴けど杵はのどかに
棕櫚の葉を裂きて吊るらむつり柿のゆりもゆるべき杵の響か
米搗くとかゞる其手に何よけむ杉の樹脂《やに》とり塗らばかよけん
冬の日の乏しき庭の綿さねは其所はかげりぬ此所とてや干す
己妻の縫ひし冬衣は着よけむにゆきが合はずとたけが足らずと
ませ垣の黄菊白菊ならぶ如ひなびたれども其妹を背を
戯れに香取秀眞に寄す
秀眞氏の消息たえたること久し、人はいふ其職業に忙殺せられつゝあるなりと、氏の工場は更紗干す庭を前にして水田のほとりにあり、乃ちあたりのさまなど思ひうかべて此歌を作る。
更紗干す庭の螽はおのがじゝいもじ見むとてつどひ來らしき
ヘなつちのよごれ見まくと深田なる螽がともは蓋し來にけり
注連繩のすゝびし蔭にいそはくと煤びたらずやあたらいもじを
おろそかに庭にな立ちそ山茶花の花さヘ否といひて萎まむ
芋の葉の妹もいなまむ二たびは日にはな燒けそさめけむものを
土芋もあらへば白し鑄物する人に戀ひむは浴みして後(明治四十年十月二十日)
潮音に寄す
揖斐川の簗落つる水のとゞとして聞ゆる妻を其人は告らず
はし妻を覓《ま》ぎゝといはず云はずけど子を擧げたらば蓋し知らさむ
柿の木に掛けし梯子のけたの如いやつぎ/\に其子生まさん
こゝにして梯子のけたを子とはいふ其子の數に如かむ子もがも
竹竿に掛干す柿のつぶらかにいやつら/\に其子はあるらめ
としのはに子うみおもなみすべなけば盥の尻を手もて叩かせ
東國《あづま》にはしかぞ尻打つ盥打つ然かする時は子をうむは遠し
はた/\と盥打つ時めぐし子はたらひ/\と足らひたるべし(明治四十年十月二十八日)
暮春の歌
五月のはじめ雨の日にあひてたま/\興を催してよめる
さびしらに母と二人し見る庭の雨に向伏す山吹の花
山吹の花の黄染をそこらくに洗ひ落して雨ぞしき降る
もろ/\の庭の梢は雨注ぎうち搖るゝまで其葉茂れり
水つけばほとぶるものと木のうれも雨しふれゝばいやふくよかに
雨ふりて淋しき庭も※斗菜[#「※」は「耒+婁」、読みは「をだまき」、312-6]の一簇故に足らずしもなし
あらかじめ持てりし雨を悉く土にかへして春は行くめり
菜の花の乏しきみれば春はまだかそけく土にのこりてありけり
すが/\し樫がわか葉に天響き聲ひゞかせて鳴く蛙かも
車前草《おほばこ》の花がさかむとうれしとて蛙は雨にきほひてや鳴く
蛙らは皆塗り込めの畦越えて遠田こち田と鳴きめぐるらし
やはらかに茂き林が梢よりほがら/\と春は去ぬらむ
手紙の歌
明治四十年八月、岡麓氏予が請を容れて或事のために奔走せらる。しばらくしてその事の成就すべきよし報じこされたれば手紙をかくとて其はしに
我が植ゑし庭の葉鷄頭くれなゐのかそけく見えて未だ染めずも
九月にいりて消息なし。心もとなければ書きておくる
天の川あめを流れて、限りなく遠くしあれど、桐の木の梢に近し、其川の近く見えつゝ遠くして音なきが如、我が待てるたより聞えず、夜に日に待てども。
はじめ事もし成らば我が鬼怒川の鮭をおくらんと約しけるを、十月に入りて鮭の季節も末にならむとするに其事の空しからむとするを憂へて月の十九日手紙のかはりに書きておくりける
青笹に包みて鮭はおくらむとことしはやらず欲しといふとも
鬼怒川の鮭を欲りすといふ人はいふベき時は未だ來らず
白銀の鮭を小笹に包まひてやるべくあらば豈憂ヘむや
鬼怒川を晝は淀に居夜されば幾瀬の網も鮭は越すといふ
いさゝかのことのさやりに成らなくば鮭にも人は如かずといはむ
藁燒けば空のまなかに立つ烟の成りも成らぬにけぬといふものか
秋雨の垣根の紫苑うちしなひ心がゝらに我慰まず
さび/\に心おもへばいちはやく辛夷の黄葉散りそめにけり
我が庭の芙蓉の莢のさや/\に心落ち居むは何時の日にかも
此日ごろ秋の落葉の散る庭は掃けばさやけし心はあらず
食稻《けしね》つく臼の底ひに打つ藁のなよ/\しもよこゝろともなく
秋茄子の幹《から》にも似るかこしかたは久々にして絶ゆらくは今
秋風は心いたしもうらさびし櫟がうれに騒がしく吹く
我が心水つく稻の穗も出でずしどろになりて秋ゆかんとす
濃霧の歌
明治四十一年九月十一日上州松井田の宿より村閭の間を求めて榛名山を越ゆ、湖畔を傳ひて所謂榛原の平を過ぐるにたまたま濃霧の來り襲ふに逢ひければ乃ち此の歌を作る
群山の尾ぬれに秀でし相馬嶺ゆいづ湧き出でし天つ霧かも
ゆゝしくも見ゆる霧かも倒に相馬が嶽ゆ搖りおろし來ぬ
はろ/″\に匂へる秋の草原を浪の偃ふ如霧逼り來も
久方の天つ狹霧を吐き落す相馬が嶽は恐ろしく見ゆ
おもしろき天つ霧かも束の間に山の尾ぬれを大和田にせり
秋草のにほへる野邊をみなそこと天つ狹霧はおり沈めたり
榛原は天つ狹霧の奥を深み和田つみそこに我はかづけり
うべしこそ海とも海と湛へ來る天つ霧には今日逢ひにけり
うつそみを掩ひしづもる霧の中に何の鳥ぞも聲立てゝ鳴く
しましくも狹霧なる間は遠長き世にある如く思ほゆるかも
ひさかたの天の沈霧《しづきり》おりしかば心も疎し遠ぞける如
常に見る草といへども霧ながら目に入るものは皆珍しき
はり原の狹霧は雨にあらなくに衣はいたくぬれにけるかも
おぼゝしく掩へる霧の怪しかも我があたり邊は明かに見ゆ
相馬嶺は己《おのれ》吐きしかば天つ霧おり居へだゝりふたゝびも見ず
秋雜詠
葉鷄頭の八尺のあけの燃ゆる時庭の夕はいや大なり
久方の天を一樹に仰ぎ見る銀杏の實ぬらし秋雨ぞふる
秋雨のいたくしふれば水の上に玉うきみだり見つゝともしも
こほろぎのこもれる穴は雨ふらば落葉の戸もてとざせるらしき
鬼怒川は空をうつせば二ざまに秋の空見つゝ渡りけるかも
鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠く聞えて秋たけにけり
稻刈りて淋しく晴るゝ秋の野に黄菊はあまた眼をひらきたり
鵯のひゞく樹の間ゆ横さまに見れども青き秋の空よろし
底本:「長塚節名作選三」春陽堂書店
1987(昭和62)年8月20日発行
入力:町野修三
校正:浜野智
1999年5月19日公開
2002年8月29日修正
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