青空文庫アーカイブ

芋掘り
長塚節

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)外《はづ》され

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(例)一|房《ぼう》も

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(例)ぽつ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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         一

 小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。岡は田と櫟林と鬼怒川の土手とで圍まれて他の一方は村から村へ通ふ街道へおりる。田は岡に添うて狹く連つて居る。田甫を越して竹藪交りの村の林が田に添うて延びて居る。竹藪の間から草家がぽつ/\と隱見する。箒草を中途から伐り放したやうに枝を擴げた欅の木がそこにもこゝにもすく/\と突つ立つて居る。田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外《はづ》されずに立つて居る。「オダ」には黄昏に鴫でも來て止る位のことだらう、見るから淋しげである。鬼怒川の土手には篠が一杯に繁つて居るので近くの水は其蔭に隱れて見えぬ。のぼる白帆は篠の梢に半分だけ見えて然かも大きい。土手の篠を越えて水がしら/\と見えるあたりはもう遙の上流である。だから篠の梢を離れて高瀬船の全形が見える頃は白帆は遙かに小さく蹙まつて居る。土手の篠の上には對岸の松林が連つて見える。更に其上には筑波山が一脚を張つて他の一脚を上流まで延ばして聳えて居る。小春の筑波山は常磐木の部分を除いては赭く焦げたやうである。其赭い頂上に點を打つたやうに觀測所の建物がぽつちりと白く見える。稍不透明な空氣は尚針の尖でつゝくやうに其白い一點を際立つて眼に映ぜしめる。櫟の林は此の狹く連つて居る田と鬼怒川との間をつないで横につゞいて居る。田も遙かのさきは櫟林に隱れて、鬼怒川も上流はいつか櫟林に見えなくなる。櫟の木はびつしりと赭い葉がくつゝいて居る。岡の畑は向へいくらか傾斜をなして居るので中央に立つて見ると櫟の林は半隱れて低い土手のやうに連つて見える。林の上には兩毛の山々が雪を戴いてそれがぼんやりと白い。此の如き周圍を有して岡の畑は朗かに晴れて居るのである。土は乾き切つて既に二三寸に延びた麥は岡一杯に薄く緑青を塗つたやうである。そこにもこゝにも百姓が小さく動いて居る。麥をうなつて居るものもあるが大抵は芋掘りの人々である。四五人の手で芋を掘つて居る畑の縁には馬が茶の木に繋いであつて俵が轉がつて居る。此俵があれば遠くからでも芋掘りの人々であることが解る。馬は退屈まぎれに茶の木をむしることがある。其時一人が駈けて來て轡をがちんと一つ極《き》めつけて叱り飛ばせば復たおとなしくなつてぱさり/\と尾を動かして居るのである。各自の手もとは忙しい。然し岡は只長閑なさまである。日は稍傾いた。忽然筑波山の絶頂から眩い光がきら/\と射して來た。毎日同一の時刻に此の光は此岡へ強く射しかけて來る。百姓の或者は筑波山で火を燃やすのだらうなどといつて居る。然しそれは觀測所のガラス窓が日光を反射するのである。岡の畑に變化が起つたとすれば數時間に只此丈である。ガラス窓の反射はやがて消えてしまつた。芋掘りの人々は勿論此の光は知らなかつた。兩毛の山々がぼんやりした日は西風が吹かないので隨て暖かい。暖かい日は土いぢりの芋掘りには此の上もない日和である。兼次とおすがも街道へおり口の小さな畑で芋を掘つて居る。隣づかりの桑畑は葉が大凡落ちて兼次の芋畑へも散らばつて居る。青いよわ/\した小麥が生え出して居る。小麥は芋の間に二畝《ふたうね》づつ蒔かれてある。芋の莖はぐつたりと茹でたやうである。考へて見ると芋は恐ろしい強情なものであつた。秋の風が日となく夜となく根氣よくいひ寄つてもどうしても厭だ/\といひ通して首を横にばかり振つて居た。秋風が腹を立てゝ其廣い葉を吹つ裂いてもたうとういふことは聽かなかつた。それが秋の末に一夜そつと眞白な霜が天からおりたら理窟はなしにぐつたりと靡いてしまつたのである。おすがは芋の莖を菜刀でもとから切つて先へ出る。菜刀といふのは庖丁のことである。後から兼次が鍬の先で芋の株を掘り起す。ぴか/\と光る鍬の先をざくつと芋の株へ斜に突き立てゝぐつと鍬を持ちあげると大きな土の塊がふわりと浮きる。鍬をそつと拔いて先の株へ移る。小麥へ障らぬやうに極めて丁寧に掘つてはさきへ/\行く。おすがは莖を切り畢ると後へもどつて掘つてある大きな土の塊を兩手で二尺計り揚げてどさりと打ちつける。こまかな土がほぐれてこゞつた子芋の塊から白い毛のやうな根がぞろつとあらはれる。それから芋と芋とを兩手の平でぶり/\とはがしてやがて俵を立てゝ入れる。さうして穴の土を手のさきでならして先の塊をほぐす。乾いた畑に濕つた丸い穴のあとが一つづゝ殖えて行く。日光が其土をあとから/\とこまかに乾かして行く。芋の株を掘り畢つた時に兼次は鍬へついた土を草鞋の底でこき落して茶の木の株へ腰をおろした。鉢卷をとつて額を拭つて居る。小春の暖かさはちく/\と痛いやうに痒いやうに毛穴から汗がにじみ出すのである。おすがも兼次の側へ來た。うつぶしに成つて居た爲かおすがの顏もほてつて居る。村の若者が一人馬へ大根を積んで來た。若者はぱか/\と四つ脚の拍子よく走せて行く馬の後から手綱を延ばして踉いて行く。
「どうした、奴等がつかりしたか」
 兼次を見て若者はいひ捨てゝ去らうとした。兼次はそれには頓着なしに
「大根一本おいてけ」
 立ちあがりながら叫んだ。若者は
「どう/\どうよ」
 馬の口もとを止めて、ぎつしり括つた荷繩から一本引つこ拔いて
「そら二人で喰ふんだぞ」
 と兼次を目掛けて抛つた。大根は茶の木へがさりと止つた。兼次は菜刀で大根をむいて噛りはじめた。大根には幾らかの辛味はあるが兼次の乾いた喉にはそれでも佳味かつた。其所へ又一人鍬を擔いで田甫からあがつて來たものがある。
彼は兼次を見ると
「なんのざまだ奴等アハヽヽ」
 唐突に惡口をいひ出した。
「いゝから羨《やつか》むなえ」
 兼次はすぐにやり返す。
「篦棒いつまでたつても夫婦にも成れねえやうな奴等なんでやつかむかえ。親爺奴きかなけりや喉ツ首でも押してやれ。やくざな野郎だあ」
 平生惡口をいひ合うてる間柄だけに思ひ切つた憎まれ口を叩いて去つた。おすがは彼等が來た時すぐに立つてうつぶした儘さつきのやうに土の塊をほぐして芋をぼり/\とはがして居た。兼次も別に氣にするやうでもなくおすがと別のうねの芋をはがして俵へ入れはじめた。

         二

 兼次とおすがの間柄は久しいものである。それで今では拾い手のない日蔭物といふ形に成つて居る。
 百姓の間に生れた子は隨分粗末な扱ひである。お袋が畑で仕事をして居れば笠の中へ入れて畑境の卯つ木のもとへ捨てゝおく。泣いて泣いて火のついたやうに泣いても滅多に構へつけることもない位だから隨て營養も不足なのか六つ七つまでは發育の惡い子も數々あるが、手足がついたとなると容赦もなくこき使はれるので其故か十七八に成ると驚く程立派な體格を持つやうになる。それと同時に女の一人位は拵へるのである。例令そんなことが無いにしても同年輩の誰彼と屹度夜遊に出掛ける。それがだん/\募つて來ると村の隅から隅までふら/\と押し歩いて小娘でもある家の風呂を覗くといふやうになる。兼次も年頃來た時には自然夜遊に屈託した。さういふ場合に兩親はどうするかといふと、自分が以前に其覺えがあつて格別惡いことゝも思はないし一向平氣といふのではないが仕方がないといふ位なものだ。それだから繩の一|房《ぼう》も綯ひ出すとか朝草の一籠も餘計に刈るとか仕事に差支がなければ怪我に一言もしみ/″\した小言などはいはぬが普通である。兼次が夜遊に屈託した頃兼次の家からでは離れて居るが同じ村のうちで幾らか暮しの樂な因業者の夫婦があつた。代々其家は仙右衞門といつたので其が訛つて「センネモドン」と呼ばれて居た。何時の間に誰が教唆したか所謂小若い衆と稱する兼次等の仲間が其家に惡戲をはじめた。丁度霜が二三度おりた頃で宅地へなつた柿で串柿を拵へて日南の壁へ吊したのがあつた。串柿は下で胡麻の殼を焚けばいつの間にか落ちて了ふといふので或夜そつと其串柿を外して散々いぶして復たそつと掛けて置いた。案の如く柿はそれから一つ落ち二つ落ちて今年の柿はどうかしたといふうちに滿足に乾上つたものはなくなつた。固より惡戲されたといふことは知らう筈がない。惡戲としては極めて成功したのである。惡戲者はつけあがつた。或晩薪や麁朶や日頃汗水垂らして掘つた木の根などが壁に堆く積んであつたのを大勢で持ち運び/\入口の戸を壓して一杯に積んでおいた。翌朝水汲みに出ようとした女房が見付けて騷ぎになつた。夫婦は火のやうになつた。口もきかずに半日かゝつてもとの壁際へ積み直した。若い衆の惡戲であることは分明であるが扨て手の出しやうがない。深く遺恨に思ひながら我慢をしてしまつた。おすがの家は此の仙右衞門の家のうしろで屋敷つゞきである。其近邊では一番物持で土藏も一つは立てゝある。近所隣のものは皆おすがの家の風呂を貰ひに來る。仙右衞門の女房が或晩風呂を貰ひに行くと若い衆がそこらに出沒して居るのを見た。そこで早速おすがの兄貴に告口をした。兄貴が誰だ/\といひながら裏戸へ出るとばた/\と五六人で遁げ出す足おとがした。然し此風呂場で追はれるのは始終あることで追ふ者も長追はしない。それは自分の家の娘に間違があつてはならぬといふのだから娘が湯上りの赤い顏をして綻びでも縫つて居ればそれで安心が出來るからである。遁げた若者は欅の蔭にでも隱れて居ては又のこ/\と出て來る。仙右衞門の女房は此晩茶うけの菜漬が甘いといふのでむしや/\噛つて饒舌つたので一番あとではひることになつた。裸になつたまゝがらつと裏戸を開けて風呂場へ駈けて行つた。おゝ寒いといひ乍ら風呂の蓋をとつて手拭持つた手を突込んだ。さうしてアレと驚いた聲で怒鳴つた。風呂の湯がちつともなくなつてるといふ騷ぎである。寒さが急に身にしみて慄へて居る所へ厩の蔭から一人飛び出して土だらけの大根を後から肩へぶつ掛けて遁出した。女房は激怒したはづみに裸のまゝ闇の中を追ひかけた。さうして何かへ蹶いてどうんと酷い勢で轉がつた。忽ち三四人の聲でわあと怒鳴つて遁げてしまつた。さつきおすがの兄貴へ告口をしたのは仙右衞門の女房であるといふことを傭人から聞いたので若い者は風呂の栓を拔いてそれから大根を背負はして、豫め二人で繩を持つて居て追つて來る所をぐつと繩を引つ張つたから足を拯《すく》はれたのである。女房は口惜しくて翌日は起きなかつた。然し此の事があつてから惡戲はすつかり止んだ。それは間へ人が立つて兎に角若い衆へ謝罪つてどうか惡戲はしないでくれと年嵩の二三人に頼んだからである。兼次も此の惡戲の仲間であつたがいつかおすがの家の傭人と別懇になつた。時には傭人の懷へもぐり込んで泊つて行くこともあつた。以前は大勢で押し歩いたのが屹度一人でおすがの家のあたりへ行つて褞袍《どてら》を被つて立つて居るのが常のやうになつた。おすがゞ風呂へはひると其側へ行つては只立つて居る。おすがは默つてぼちり/\と手拭の音をさせながら成丈長湯をするやうになつた。時にはおすがゞ流し元で洗ひ物をして居ると窓から篠棒を出して知らせをすることもあつた。二人は遂に扱帶《しごき》と兵兒帶とをとりやりして型の如き關係が結ばれてしまつた。若い女の多くは男に執念くつけまはされゝばそこは落花流水の深い仲に陷るのである。互に決して離れまいといふ約束のもとに體につけた一品が交換される。孰れが厭になつても此一品が相手にあるうちは事件はこゞらける。女が親族などに強ひられて嫁にでも行かうとなつた時には男は女をおびき出すことがある。其所には双方から人が掛つてごつたすつたの絡れになつて結局は平氣で女が嫁に行く。そこは財産のある方から幾らかの手切が出るといふ捌きになる。手切の多少で二晩や三晩はごた/\で過る。それでも古來の習慣で此の變則な黄金の威力は大抵の紛擾を解決せしめることが出來る。それが兼次とおすがの間はこんな庖丁で南瓜を割る位な手ごたへでは濟まぬ強い關係が結ばれたのである。然し此の時はまだおすがの家の傭人より外には二人の間を知るものがなかつた。暫時にして若い衆の間にそれが響いておすがを狙ふ者はなくなつた。やがて波動の如く其が村一杯に擴がつた。それでもこんなことは特別の事件が惹き起されなければ人の注意に値せぬのが一般の状態である。此の如くにして幾日は過ぎた。
 或早朝のことである。時候はまだ寒さがぬけぬ頃だ。兼次は深い心配な顏で綽名が四《よ》つ又《また》で通つて居る男の所へ來た。四つ又は豚の仲買をして小才が利くので豚での儲は隨分大きい。あれで博奕が好きでなければ身上《しんしやう》が延びるのだと評判されて居る。兼次の親爺と殊の外別懇である。
「兼ら何だえこんなに早く」
 と四つ又は聞いた。
「おらちつと頼みたくつて來たんだ。おら「ツアヽ」は短氣だから打つ殺されつかも知んねえ」
「なにして又打つ殺されるやうなことに成つたんだ」
「ゆんべ遊びに出て褞袍なくしつちやたんだ。おすがら内の土藏ん所《と》け置いたの今朝盜まつたんだか何んだかねえんだ。それからおらうちへ歸れねえ」
「なんだそんなことかおれが謝罪つてやつから待つてろ」
 四つ又は兼次の家へ行つた。お袋は竈に木の葉を焚いて居る。釜が今ふう/\と吹いて居る。四つ又はすぐに厩へ行つた。さうして
「ツアヽ」おら何でもえゝからおれがいふことを聽いて貰《も》れてえんだ。
 突然にかういひ出した。「ツアヽ」といふのは子が其父に對する稱呼であるが四つ又は格別の懇意である上に年齡が違ふから時としてはかういふこともあるのである。一つは戲談をいふのが好きな性質から四つ又は何時もこんな調子で兼次の親爺に對する。
「なんでえ朝ツぱらから」
 とおやぢは不審相にして半はいつもの戲談でもいはれるやうに微笑しながらいつた。
「ツアヽに打つ殺されつかも知んねえて心配してんだから謝罪りに來たんだ。なんでもかんでも聽いてもらあなくつちやなんねえんだよ」
「解らねえなひどく」
「いやわかつてもわからねえでも世間態もよくねえんだ。實は兼次がことだがおらぢへ來て……」
「あの野郎奴ほんとに夜遊ばかりしてけつかつて」
「さう「ツアヽ」等怒つからしやうがねえ。ゆんべ褞袍|盜《と》られつちやつたといふんだがな。人のうちへ忍び込んでどうしたのかうしたのつて人聞きもよくねえ噺だからまあ餘り騷がねえ方がえゝんだ。褞袍の一枚位仕方あんめえ。此れまでそんなことあつたんぢやなし、いふこと聽いたらよかんべえ」
「そんぢや任せべえ。兼こと連れて來てくろ」
 此れで褞袍の一件は濟んだ。其褞袍は其後盜んだ奴が元の所へ捨てゝ置いたので再び兼次の手にもどつた。兼次はそれを引被つて依然としておすがの許へ通つて居た。

         三

 暑さが漸く催して此から百姓の書入時といふ茶摘の頃までは何の噂もなかつた。春も八十八夜となつて草木のやはらかな緑が四方を飾るやうになるとみじめな姿で顧みられなかつた畑のへりの茶の木のめぐりも赤い襷の女共が笑ひ興じて俄かに賑かになる。さあ焙爐《ほいろ》の糊をかくのだといふうちに茶の葉が延び過ぎるといふ騷ぎである。兼次の家でも茶の葉が強くなつて、もう一日捨てゝおいたらとてもよりつからぬといふので隣近所と「イヒドリ」をして兎にも角にも一日に摘みあげる手筈をした。親爺は朝から焙爐へかゝつて居る。「イヒドリ」といふのは手間の交換でそつちからこつちへ一日仕事に來ればこつちからも一日仕事に行くことである。其頃兼次の家では婆さんが長らく老病に罹つて居た。丁度其日は藥がなくなつたといふので忙しい仲ではあるが鬼怒川を越えて一里ばかりさきの醫者の所まで行かねばならぬことになつた。親爺は毎日蒸し暑い焙爐の前で働いたので幾分ならずもう體が疲れて居る。焙爐を兼次に任せて骨休めながら一寸行つて來ようと思つたのであつたが兼次がいきなり
「ツアヽおれ藥貰ひに行つて來べえ」
 とやつたのでそれでも自分が行くとはいはれぬので澁々と兼次を出してやつた。街道は岡を越えて行く。畑には麥の穗が一杯に出揃つて快げに戰《そよ》いて居る。菜の花がところ/\に麥畑から拔け出してさいて居る。畑の境の茶のうね/\には白い菅笠がならんで麥の穗の上にふわ/\と動いて居る。そこからは幽かな唄の聲が麥の穗末のやはらかな毛から毛を傳はつて來る。空からも土からもむづ/\と暖いさうして暑い氣が蒸し/\て遠きあたりはぼんやりと霞んで居る。若い者の心はもうそわ/\して落ちつかない。兼次は急いで行つて來た。然し歸りには此岡の畑は空しく通過することが出來なかつた。おすがゞ五六人連で茶摘をして居る所へ引つ掛つてしまつたからである。女達は一畝《ひとうね》の茶の木を向合ひになつて手先せはしく摘んで居る。爪先の音がぷり/\と小刻に刻んで聞える。兼次は揶揄《からか》はれながら自分も茶を摘んで乘氣になつて騷いで居る。
「兼ツつあんはおすがさんげばかし贔屓しねえでおら方へも來たらよかつぺなア」
 といつたのはおすがの向うに居た女である。
「ほんとだおいとさん、可笑しかつぺなア」
 少し離れた方からも聲がした。
「そんぢや行くべえ」
 と兼次はおいとの方へ茶の木を押し分けて行つた。
「やだよう、兼ツつあん、構アねえこんなに土だらけにして」
 と泣聲を出したのはおいとの側に下枝を摘んで居た一番小さな子であつた。兼次が其子の籠へ土足を蹈込んだのである。
「駄目だよ、陽氣のせゐだよ、誰だかはどうかしてんだからなア、おいとさん」
 又さつきの少し離れた方から聲がした。此は稍年増なお安であつた。
「おらげもすけたらよかつぺなア兼ツあん、摘んですけなけりや話してやつからえゝよ」
 とお安は又からかふ。兼次はお安の方へ行く。
「あらまあ、兼ツつあんはこんなに小麥踏ンぢやして怒られべえな」
 おいとがこんどは苦情を持ち出す。茶の木に添うては小麥の畑がある。小麥と交ざし作りの豌豆が小麥の莖にからみながら立ちあがつてしほらしい花をびつしりとつけて居る。
「そんなに摘みえゝとこばかし摘んで兼ツつあんはやだよおら、頼まねえよ」
 お安がつゞいて苦情を持ち出す。兼次はお安の肩を叩く。
「おゝひでえまあ、おれことぶつ飛ばしたんだよ、誰さんことかはぶたねえんだんべえな」
「さうだんべえなァアハヽヽヽ」
 みんなが一度に笑出す。おすが許りは默つて居る。こんなことで兼次は散々に暇どつた。空には雲雀が交るがはる鳴いて居る。おやぢが叱る急げ/\といふやうに喉が裂ける程鳴いて居る。それでも兼次は頓着なしに指の先の青くなるまで茶を摘んで居た。漸く氣がついた時に一散走りに走りつづけて家に歸つた。幾ら駈けても後れた時間の取り返しはつかぬ。兼次の姿が見えると親爺は
「何してけつかつた、ぶつ殺されんな」
 と怒鳴つて棒を持つて飛び出した。兼次は青くなつて逃げた。若いだけに足が達者である。親爺が門へ出た時にはもう前の櫟林へ姿は隱れてしまつた。親爺は焙爐の茶が焦げつくので何處までも追ひつめる譯には行かなかつた。兼次が藥貰ひに出た跡で手に餘る茶の葉をいぢつて居たのであるが強くなつた葉はいくら荒筵の上で押し揉んでも容易によりつからぬ。焙爐の火力を強くして只がさ/\な茶を乾かした。疲勞は其癇癪を促した上に焙爐の蒸し暑さは一層親爺の腹をむか/\させたのである。隣近所の二三人が出て漸く兼次を見つけた。さうして例のやうに四つ又へ詫を頼んだ。四つ又はぶらりとやつて來た。
「ツア、獨で太儀《こは》かつぺ」
「こはえな」
「うんこはえ筈だ、つまんねえ料簡《れうけん》出すから」
「何よ又そんなことゆつて」
「なにつて兼ことぶつころすなんて騷いてんぢやねえか」
「此忙しいのにあんまりのさくさして居やがつて小世話燒けたからよ」
「のさくさしたつて「ツアヽ」がにや分んめえ。先生がほかさ行つて居なかつたんで待つてたんだつて云ふんだぞ。「ツアヽ」行つたつて先生が居なくつちや駄目だんべ。それも聞きもしねえでぶち殺すなんてそんな短氣出すもんぢやねえよ」
 お袋は晝餐の菜《さい》の油味噌の豆を熬つて居たが皿へ其豆を入れて四つ又へ出した。さうして
「本當におらぢの「ツアヽ」は短氣なんだから」
 と獨言のやうにいつた。
「えゝからわツら知りもしねえ癖に」
 とおやぢは又かアつとしてお袋を叱りつけた。
「それさうだからえかねえ。婆さまこと見ろまアおれが鹽梅《あんべい》惡いから當てつけに兼こと怒《おこ》んだ。一層おら死んだ方がえゝなんて云つてら。そんだからおれげ任せろよ。隣近所の暇つぶした丈でもつまんめえぢやねえか」
 四つ又は殼竹割である。短氣なおやぢを威したり賺したりいひくるめるのは村でも此の四つ又一人なのである。
「うんそれぢや任せべえ」
 といふことに成つた。
「そんだから愚圖々々しねえで何時でもおれが云ふことア聽くもんだよ」
「おめえぢや仕やうがねえへゝゝゝ」
 此が笑つて收ると四つ又は兼次を連れて來た。さうするとおやぢは
「此葉揉んでくろ、兼」
 といつたやうな譯でさつきの顏とは別のやうである。

         四

 其後いさくさはなかつたが兼次は依然としておすがのもとへ忍んだ。それではおすがの家で捨て置くまいと思ふ筈だがおすがのお袋は少し愚圖な氣のいゝ女で只娘が可愛くて兼次との間を裂かうなどゝいふ料簡《れうけん》は微塵もない。寧ろ村の評判の通り却て兼次の手引をしてやる位なものである。おすがの親爺は夜になればいつでもぐでん/\に醉拂つて前後も知らずに轉がつてしまふ。兄貴は若い嫁と裏の中二階へ昇つて寢てしまふ。それに傭人が兼次の邪魔抔はしないといふことに極つてるのだから攫《つか》まつた追はれたといふ騷ぎも聞かなかつたのである。然し村の噂が高くなると共に親類縁者の少しは小口の聞けるといふ手合が捨ておけないといふことで相談をした結果、それぢや兼次の家は財産は足らぬが貰ふといふなら一層の事おすがをやつたらよからう。嫁にとらぬといふならすつぱり手を切つて兼次をよこさぬやうに掛合はなければならぬと決した。おすがの叔父に伊作といふ博勞がある。此が又兼次の親爺と別懇だ。親爺は恐ろしい馬好で春も暖かになつて毛が拔け代つて古い毛が浮いたやうに幾らか殘つて居るのを見ると堪らなくなつて往來へ引き出しては撫でさすつて居るといふ程なのだから自然博勞の伊作が別懇になつた譯である。だから村では四つ又を除いては立入つた噺の出來るのは此の伊作である。伊作は一晩親族の惣代といふ名目で前條の掛合をした。然しそれは無效であつた。伊作は四つ又程には呑んでかゝることが出來ないのと、事件が改まつて甚だ重大であつたのとで親爺の返辭はきつぱりしたものであつた。嫁に貰ふことは首を切られても出來ないといふのである。いひ出したらもう後へは引かぬのが此の人間の性癖である。否此の家には屹度かういふ性癖の人間が生れるので此は血統である。伊作は古革の大胴亂で幾ら煙草を吸つて見ても名案は出ない。器量をさげた譯だが喧嘩にもならぬから引つ込んでしまつた。親族らは其頑固なのに激昂した。小波瀾が起らねば濟まぬやうな状態になつた。斯の如き時に好いた同士の執るべき唯一の名案は爾來幾多の男女の間に實行されて且つ廢らない。一先づ手に手をとつて出奔するといふのがそれである。少し愚圖なお袋はどうかして兼次とおすがを一緒にしたいといふ心から自分の入智惠で遁がすことにした。兼次は或晩こつそり風呂敷包を抱へ出した。それから二三日たつて兼次が見えなくなつたといふ噂が立つた。其時兼次はおすがの家の土藏の二階に隱れて居てお袋の運ぶ握飯で凌いで居たといふのである。三日たつてから日の暮れるのを待つて二人はお袋の生家の鬼怒川の向うの或村へ行つた。表向から駈落となると双方の仲へ人が立つて纏りがつくといふのが一般の順序であるが、例の如く四つ又が其役目に頼まれた。其頃は梅雨に入つて百姓の體が二つあつても足らぬといふ時であつた。豚の仲買で百姓は餘りせぬ四つ又はこんな時の仲裁の役目には屈強だ。梅雨に入つてから珍らしく朝からきら/\と晴れて心持のよい日であつた。四つ又はぶらりやつて來た。親爺は丁度田の代《しろ》掻きから上つて來た處だ。四つ脚から腹一杯泥だらけになつた馬は厩の柱に繋がれた儘さすがに鬱陶しいと見えて時々ぶる/\と泥を振ひながら與へられた一抱の青草を鼻の先で押しやり/\噛んで居る。口から青い汁がはみ出して居る。厩の柱には天秤にする杉の棒が撓めてぎつしりと縛りつけてある。親爺は藁で括つた股引が股から下は泥だらけになつて顏にも衣服にもはねた泥が乾いて居る。家のうらで厩の側には葵の花が五六本立ちあがつてさいて居る。此葵は夏になれば屹度こゝに咲くので裏戸が開け放してあれば往來からでもすぐ目につく。卵屋の葵がさいたと人々は見て通る。葵は此の家の四季を通じて第一の飾りである。葵の側には此の稀な晴天を幸にお袋が一寸の暇を偸んで洗つた仕事衣が干竿に掛けてある。卵屋といふのは此の家の綽名で幾代か前に卵の商ひをしたものがあつたとかで今に至るまで村では卵屋と呼んで居る。
「代《しろ》掻《か》いたのか」
 四つ又は厩の所へ行つて問ひかけた。親爺は暇があればかうして厩へ行つて馬の食ひ振を見て居るのである。
「やつと今をへた處だ」
 親爺は簡單にかういつて井戸端へ行つた。股引の泥をざつと洗つて家にはひる。四つ又と共に上り框《かまち》へ腰をかける。
「どうした兼が居なくちや仕事が巾《はば》ツたかんべ」
「そんでもどうやらかうやら代だけは出來た」
「忙しい所で濟まねえが今日はおれも頼まれたから來たんだ、惡く思つちや仕やうねえぞ、斷つて置くからな。どうしたもんだいまあ、おすがこと貰あも出來ねえ、兼次が足も自分の持物ぢやねえから止める譯にや行かねえつて伊作男げ斷つたつちいんだがそれも隨分酷え噺ぢやえねか。それに二人はどうしたつて切れねえ縁だ困つたものだぞありやあ。遁げたものはそりや手分けして搜せばどこに隱れたつて分るにや極つて居るやうなものゝ連れて來た所でおめえら方がちやんと極つてなくつちや女の方の身分になつても餘り慰みものにされたやうで世間へ顏向も出來ねえな。何もそんなに頑張らねえで一層のことおすがこと貰つちやつたらどうだ」
「此めえ親類うちから世話されたこともあんだが檢査めえだからつて斷つたんだから其方へ對したつて貰あ所の騷ぎぢやねえ」
「徴兵檢査ツてゆつてもあと三十日が四十日で大概《てえげえ》どうか極らな、そんで兵隊に出たにした所で兩方で極めてだけ置く分にや差支あんめえ。そんなことゆふな理窟つちいものぢやねえか」
「おらどうせ馬鹿だから構はねえが、どうしたつてうんたあ云はれねえ」
「酷くをかしなこといふんだな、そんぢや外に氣にらねえことでもあんのか」
「氣にらねえたつて餘まり人を馬鹿にしべえと思ふんだ。おらぢの野郎が甘口だつて何もお袋まで一緒になつて人の相續人に障るやうなことして呉れねえでもよかんべと思ふんだ。おらどうせ馬鹿だから理窟なんざあ解らねえがさうぢやあんめえか。此間だつて兼が出だす晩にも後で氣がついて見りや裏の垣根《くね》のあたりに二人ばかりうろ/\して居たんだがおらちやんと見當がついてんだ。それぢやおれだつていめえましかんべえ。なあにあんな野郎うちに居なけりや居ねえたつて困らねえから、云ふこと聽かなけりやぶち出すだけだ。おれ幾ら體が弱つたつてあら位な小わつぱにやまあだ自由にされねえ積だから」
「そんなに怒つて騷がねえたつておすがことせえ貰へば怨みもつらみもあんめえ。あつちのお袋だつておすがも可愛いし兼次も可愛いしなんだからこつちせえ譯がわかれば仲よく暮せるつちいもんぢやねえか」
「檢査濟まねえうちはどうしたつて貰あわえから駄目だよ」
 四つ又もどうせ駄目とは思つてもいふだけのことは云つて見ようといふ譯なんだが然しかう出ては槍が降つても迚ても駄目だ。四つ又もそれは知つて居る。
 兼次の家の庭には垣根について栗の大木がある。松と松との間にあるので枝が一方庭の方へばかり延び出して垂れ下つて居る。房の如く長い花が一杯に白く咲いて居る。白い毛の生えた大きな毛蟲が葉をくつて枝の先にくつゝいて居る。栗毛蟲は構はずに置けばみんな葉を骨ばかりにしてしまふ。兼次の兄の太一が毎日長い竹竿で其栗毛蟲を落して居る。栗毛蟲は強くしがみついて容易に離れないのを太一は氣長に叩いて落ちたのを足で踏み潰す。太一は此を近來の役目のやうにして飽きもせずにやつて居る。兼次には男の兄弟が三人もあつたのだ。一人は十になるかならぬで鬼怒川で溺死をした。其次は此の太一である。此も十位の頃から癲癇になつた。病氣が屡起つてから彼は只ぼんやりとしてしまつた。病氣の起る間が遠ざかれば時としては木の根を掘りに行くこともあつたり一日かゝつて米の一臼位は舂くこともあるが、何處でぶつ倒れるか分らないので殊にお袋の心配は止む時がない。彼は人さへ見ればにや/\と笑つて居る。彼は不具な體でありながら年頃來てからは草刈の娘などに戲談をいふこともあるやうに成つた。娘等は往復共にいゝ慰み物にして太一にからかふ。此を見てつらいといつて涙をながすのはお袋である。こんな不幸な出來事から家の相續をする者は兼次より外には無くなつたのである。其大切な兼次が浮かれ出したのだから非常な打撃であるといはねばならぬ。それがおすがのお袋が指金で此間の晩も垣根の所にうろついて居たのはお袋がお安といふ女を連れて來て居たのだと思つて居るので親爺はもう心外で堪らぬのである。太一は五六日前に隣の五右衞門風呂で病氣が起つて踏板を踏み外して足のうらへ五十錢銀貨位の火膨れが出來たとかで變な歩きやうをしながら今日も落花と毛蟲の糞との散らばつた庭に立つて栗毛蟲を叩いて居る。彼はやがて其竹竿を入口の廂へ立て掛けてぼんやりと立つて此の掛合の後半を聞いた。さうして四つ又が持て餘して双方とも暫く無言であつた時に
「ヱヘヽヽヽヽ嫁さま貰つてやれ」
 といつて脇を向きながらにや/\と笑つた。竈の前に心配相な顏をして茶を沸して居たお袋はたぎつた湯を急須にさして上り框へ持つて來た。さうして四つ又の前へ對して極り惡相にして
「太一、わりや默つてろ」
 と叱りつけた。
「ヘヽヽおつかあ」
 と太一は又にや/\と笑つた。親爺は噺の途中から顏がほとつて來て目の玉まで赤くなつて居る。四つ又は暫くたつて又
「そんぢやどうしても今は貰あねえんだな」
 といつた。
「どうしてもおら駄目だよ」
 返辭は淀みがない。
「檢査せえ濟めは嫁の世話しても怒るめえな」
 念を押す。
「怒らねえとも」
 簡單だ。
「ようし齒を拂つて云つたな。そん時はおすがこと世話すつかも知んねえかんな」
 四つ又はこんなことで此場は手を引いた。此の表沙汰の掛合があつてから十日ばかり經つて兼次は親爺と一所に自分の家で働いて居た。卵屋は他人へ對しては恐ろしい意地も張りも強い人間であるが兼次がことゝなると大抵のことは忘れてしまふのである。四つ又は其所の呼吸を知つて居るので元の鞘へ收める役目は彼に丈は容易なことであつた。

         五

 おすがの家では又村の親族が聚つて智惠を絞つた。どうしても此は二人の間を離れさせるのが專一である。それにはおすがを隱すことだと博勞の伊作の考で村の親族の一人が引きとつた。唯の夜遊びでさへ村中押し歩くのだから兼次がおすがを嗅き出すのは牡犬が牝犬を搜すよりも速かであつた。おすがはそれから見習奉公といふ名義で隣村の大盡へ預けられた。然し兼次が其大盡の邸内へ忍び込んだのはおすがゞ行つた其日の晩であつた。其晩兼次はひどい目に逢つた。傭人等が豫め兼次の來ることを知つて主人へ窃に告げたのである。嚴重な主人は傭人に命じて庭の隅へ追ひつめさして捉へた。兼次は地べたへ手をついて謝罪つた。門の外へつき出されてほう/\の態で歸つて來た。娘と千菜物《せんざいもの》は其村の若い衆のものだといふ諺が古くから村には傳つて居る。維新の頃までは若しも他村の男が通《かよ》つてゞも來れば其村の若い衆の繩張を冐したことに成るので散々に叩きのめして其上に和談の酒を買はせたものだといふ。それ程のことはもうないが今でも一つは嫉妬心から一つは惡戲半分から追ひまはすことは往々である。兼次が酷い目に逢つたのも傭人にこんな心持があつたからである。おすがも翌日暇が出た。遉にしほ/\として風呂敷包を抱へて歸つて來た。二人の間に就いては百方策が盡きた。遂に村の旦那へ持つて行くことに成つた。旦那といふのは祖先の餘慶によつて村の百姓をば呼び捨てにするだけの家柄である。大抵の出來事が愈埓明かなくなると屹度旦那の許で裁判を乞ふのが例になつて居る。兼次のことでは旦那も髯をこきおろしながら考へたがやつぱり困つた。卵屋の頑固は叩いて見なくても分つて居る。一先づ本人共の意見を聞かうと最初におすがを呼んだ。おすがはもう埓もない。離れたくないのは山々だけれど離れろといへばそれも素直にいふことを聽くのである。尤も旦那の家へ呼ばれて噺をされるといふことは生來嘗てないことで只恐れてどうもかうもいふことは出來ないのだが眞實死ぬの生きるのといふ程の決心はないのである。おすがはまだ十七にしか成らぬ。次には兼次を呼んだ。卵屋が又變な料簡を起しても困るからとお内儀《かみ》さんの機轉でお安を使つて或日の晝餉の仕事休みに裏庭へ連れ込んだ。お安はおすがと茶摘をして兼次を騷がしたことのある女である。お内儀さんは篤と譯を説いて、此所ですつぱり手を切つてしまふ決心はないかといふと
「わしやどうしても思ひ切れましねえ」
 と彼は斷乎としていひ放つのである。お内儀さんも成程と困つた。
「それ程ならさうとして私も心配してやらうがお前の親爺もあの通りで兵隊前は駄目だといふのだが、幸ひ檢査も濟んでお前も輜重輸卒と極つたのだからもう先が見えてるんだ。其時に成つてからなら嫁の相談も出來るしそれまでの所の辛抱だがどうしたものだ。長いやうでも一年足らずだ。さうしてどこにも障りのないやうにしたらどうだ」
 兼次も此には少し我を折つた。
「それぢやわしも其積りで辛抱して働きませう」
「さうかさうして呉れゝば仲裁人の顏も立つし、親爺の心も解けるといふものだ。愈それと極まれば双方へ兼次が思ひ切つたと表面噺をして一先づ安心をさせるのだが、それには私が一應お前とおすがを逢はしてやるからそこで内實は決して心變りはしないといふ約束をしておくがいゝ。少し辛抱するうちには兵隊も濟むし其上でなら私らも共々心配をして屹度一緒にしてやるが、おすがゞ其間に辛抱が出來なけりやそれこそ夫婦になつても頼みに成らない女だから其時は未練はない筈だがどうだ兼次さうではないかい」
「さうでがす。なあに辛抱しらんねえやうな女ならわしうつちやつちめえまさあ」
「それでは私がお安を使つておすがを呼び出すやうにしてやるから其の時今いつたやうな手筈にしたがいゝ。其代り屹度辛抱をしなくつちや駄目だよ」
「辛抱するつて云つた日にやわしも屹庭辛抱して見せますから」
 兼次は元氣よく家の仕事をして居た。其頃は土用に入つて間もないのであつたが畑の大豆は莢が急に膨れる。青々とした稻草の根元まで暑さがしみ透つて鰌が死ぬといふ位で、百姓は晝は裸に絲楯《いとたて》を着て仕事をする。夜は裸で蚊帳の中に轉がる頃であつた。其日は丁度祇園祭の日であつた。地上には到る所に強い日光を遮る爲に重く深い緑が其手を擴げられるだけ擴げて繁茂して居る。其でも幾日雨の涸れた畑の陸穗は日中は怺へ切れずに葉先が萎れてしまふ。面倒な日が西の林に落ちた時にやつと日光を遮る一日の役目を果した草木は快げに颯々と戰《そよ》ぎはじめる。それから幾十分の後に漸く百姓の暇な時間が來るのである。然し今日は祭の日であるだけに前日に仕事の一區畫をつけて遊ぶものは朝から遊んで居る。十五夜の月が強く青い滑かな夜の空を昇つて欅の木の梢からおすがの庭を照して居る。庭の柿の木は葉がきら/\と濡れたやうに月光を浴びて居る。空は見るから涼しげであるが一日照りつけた太陽のほとぼりはまだ蒸してどこの蔭へ行つても怺へられぬ程である。かういふ時はどこの家も開け放しである。おすがの家は煙がこもつて其煙が廂を傳はつて靜かな夜の中へ彷徨つて行く。晝間から呼ばれて來て居る村の親族が四五人で此の喉のつまるやうな煙の中に坐つて酒を飮んで居る。家のものは忙しく働いて居る。今祭の饂飩を打つて居る所なのだ。男は裸である。女も襦袢一つである。竈の前ではおすがゞ饂飩を茹でゝ居る。釜がぶうつと泡立つてこぼれ出すと大急ぎに手桶の水を一杯注ぐ。泡は忽ちに引込む。茹だつた饂飩は叉手《さて》で揚げて手桶へ入れて井戸端へ行つて冷たい水で曝して「しようぎ」へあげる。「しようぎ」といふのは極めて淺く作つた大きな籠である。籠といふよりは笊の大にして淺きものである。井戸端で少し暇どると饂飩を裁つて居る男があとが出來たと怒鳴る。こんなことでおすがには少しの隙もない。其竈の煙が家一杯にこもつて居るのである。お安が兼次を連れておすがを誘ひ出しに來たのは此時である。兼次は竹藪の蔭へ潛ませてお安は用のある振で行つて見たが全く隙がない。兼次は我慢をして居ればよいものを蚊には螫される。足には痺れがきれる。もどかしく成つて遂そこらをうろついた。其姿をちらりと家のものが見た。兼次ならどうも飛んでもねえことだと、熬豆をかじりながら饂飩をすゝつて居た親族のものはさつきの酒がまはつて居るので下駄を穿いて出だすのもあつた。お安が折角やきもきしても此夜は目的を達することが出來ずにしまつた。内儀さんはそれでは自分のうちへ呼んで逢はせるやうにでもしてやらうといつて居ると二三日たつて兼次はおすがの家で捉まつたといふ噂がはやくも聞えた。内儀さんの苦心もなにも滅茶々々に成つてしまつて事件は又もとへもどつて了つた。
「なんちい馬鹿だんべえなあ」
 とお安はいま/\しがる。外の人々は腹が立つといふよりは呆れて物がいへなくなつた。
 其うちに笑止しな出來事が起つた。祇園が過ぎてから十日ばかりたつてからである。或朝親爺は
「兼、今から仕度しろ、われ見てえなものはおらぢへは置けねえからどこへでもうつちやらなくつちやなんねえ、一緒に行け」
 と親爺は兼次を連れて出た。お袋は餘りの突然なことにあとで獨りで泣いた。晝近くなつて兼次はひよつこり歸つて來た。どうしたのだと聞くと境街道へ連れられて二三里も行くと
「われがことはこゝでうつちやんだ。境へ行くなら此れ眞直だ」
 といつて小遣錢をくれて放されたのだといふ。それで親爺の姿が林の角に隱れた時に自分は林傳ひに先廻りをして來たのだといつた。
 お袋は仕方がないから暫く親類にでも厄介に成つて居ろといつて自分の巾着をはたいて兼次を出してやつた。親爺は晝過になつて歸つて來た。お袋は
「おら兼こと可愛いからあとで泣いたよ」
 とつく/″\いつた。此のお袋が今日まで家内に風波を起さないのはおとなしく我慢をして居るからなので、嘗ては怨みがましいことをいつたことは無かつたのである。

         六

 此の事のあつてから幾らもたゝぬ内におすがの姿も村には見えなくなつた。兼次が連れ出してしまつたのである。能く/\聞いて見ると此もおすがのお袋が一つで旅費までやつたのだといふことだ。彼等は兼次の叔父が聟に行つて居る栃木の在《ざい》へ辿りついた。叔父は國元へ手紙を出した。返事は至極簡單で只捨てゝ置いてくれとあつた。さうかといつて其儘にはおかれぬわけで叔父は遙々相談に來た。然し卵屋は前段の始末で手のつけやうがない。それから村に居た時分に懇意にした博勞の伊作の處へ行つたがおすがの家でも親族や兄が不服なので駈落するやうな不埓なものはもどすことは出來ないといふことであつた。叔父もそれでは自分が暫く預つて置くことにする外はないと兼次のことに就いては深い骨折をしてくれた四つ又にも逢つて此後とも一切の心配を頼むといふやうに云ひ置いて三日ばかり暇どつて歸つた。叔父のもとでは二人は甚だ愉快な月日を送つた。雜木林を借りて木の根を掘り起してそこへ作つた陸稻をたべた口には栃木在の米は實にうまい。おすがの家には土藏まであるがそれでも日常は石臼で挽いた麥を交ぜた飯をたべて居る。百姓の生涯の希望は大抵鹽鮭を菜《さい》にして米の飯をくふやうに成つて見たいといふ以上はないといつてもいゝ位である。叔父の家は暮しがゆるやかであつたので彼等が口腹の慾を滿足させるには十分であつた。少くとも兼次には叔父が肉身であることゝおすがゞ一緒であることゝで薩張もう苦勞はなかつた。おすがは兼次について居るので幾らか肩身の狹い心持はするが辛いことはちつともなかつた。彼等は精一杯働いた。叔父も忙しい時に思ひ掛けぬ手が殖えたので窃かに悦んで止めておいた。秋がふけた。さうして稻刈の時節になつた。故郷では俎板へ鼻緒をすげたやうな「ナンバ」といふものを穿かなければ刈れないやうな深田もあるが、こゝでは草履穿きで稻刈が出來る。田の中で稻扱をする。仕事がどれでも愉快である。赤城の山に雪が積んで冬が來た。其時彼等二人の間にはぢつとして居られぬ心配が湧いた。其心配といふのは改まつてのことではないが此頃に成つてどうにもしやうがなくなつたのである。駈落する以前からおすがは身持に成つて居た。おすがも初は我慢をして居たが此頃では體が兎角大儀になつた。叔父も疾からそれは知つて居るが百姓をするものは明日分娩する其晩まで跣足で仕事をする位のことは普通であるのだからそこは少しも苦勞はないのと一つは愈々腹がかうだからといふ時に返してやらなければ彼等雙方の家で仲々引きとるのに故障をいふだらうといふことでおすがには成るたけ樂な仕事をさせて止めて置いた。冬も寒が來て田甫の榛の木には春の用意に蕾がふら/\と垂れはじめた時にもうこゝらでいゝと思案をして叔父は二人を返してよこした。博勞の伊作へも手紙をつけ又四つ又へもこま/″\と自分の筆の立つだけは書いた。其は自分が行かねば濟まぬわけだが、かういふ日蔭ものを連れてのこ/\村へはひることも極りの惡いことだによつて二人だけ返すのだがどうか惡く思はないでどんなにでもいゝから心配をして貰ひたい、後で卵屋が愚圖々々いふ時にはわしがそこは引きうける。若し只今にも自分が行かねば駄目といふなら葉書をくれゝば直にも飛んで行くからといふのであつた。二人はどこへも手頼る所がないので四つ又の家へ轉がり込んだ。四つ又も困却したが乘つた船で止むを得ない。先づ伊作へ談じて見たがどうも只ではおすがも戻れない。思案の末におすがの家の前の仙右衞門へ少しの間といつておすがを頼んだ。一つは仙右衞門の家は廣い割合に少勢であるのと一つはすぐ前のうちへ置いたならば朝夕おすがの姿を見るうちには兄貴もさう六ケ敷ことばかりもいはれなくなるだらうしお袋が愚固だから誰も因業もいつては居られまいといふ見込をつけたのである。おすがの身の處置をつけて四つ又は卵屋の方へ手を出した。四つ又は隨分此の事件では厄介な役目であるが、四つ又でなければ出來ないと村からいはれて居るのが心中窃に自慢なのである。或晩遲く彼は卵屋へ行つた。此頃は毎日村のどこからかとん/\と箱篩《はこふるひ》の音が竹藪を洩れて聞える。田舍の正月が近づいたので其用意に蕎麥や小麥や蜀黍の粉を挽くのである。卵屋でも此晩蕎麥粉を挽いてる所であつた。お袋は顏から衣物から埃のやうに粉を浴びて莚の上で箱篩の手を動かして居る。親爺は癲癇持の太一と二番挽の糟を挽いて居る。四つ又はくゞり戸開けてはひるとすぐに石臼へ手を貸した。石臼はぐる/\と輕くめぐる。
「寒い思して態々|節挽《せちびき》の傭に來たやうなもんだな」
 と四つ又は笑ひながらいふ。
「當てにもしねえ傭が出來ておれは此れだからうめえな」
 と卵屋も相槌打つて勢よく然かもそろ/\と石臼をめぐす。暫くで蕎麥の糟は全く穴へ掻き込み畢つた。石臼は其儘幾つかごろ/\とめぐして此れで蕎麥挽はやめた。お袋は箱篩の手を止めて上り框《がまち》の冷え切つた火鉢へ粗朶をぼち/\と折り燻べた。煙が狹い家に薄く滿ちた時に火鉢へは燠《おき》が出來て煤けた鐵瓶がちう/\鳴り出した。
「構はねえで篩つておくんなせえ」
 と又四つ又はお袋へ挨拶する。
「篩ふなあしたでもえゝんでがすから」
 とお袋は石臼臺の粉を桶へ移して筵を掛ける。親爺は裏戸口の風呂で暖まる。
「篦棒に寒い晩だなどうも」
 と又四つ又は火鉢へ手を翳す。
「雪がちら/\して來たから寒い筈だ」
 と卵屋は湯から出て土間で褌をしめながらいつた。さうして
「茶よりや蕎麥掻でも拵えろな、腹あつためるにや蕎麥掻の方がえゝや」
 といふと
「蕎麥掻はえゝな、そんだが鰹節はなにか土佐節か」と四つ又は啄を容れる。
「へゝたえしたことをいふな、何處で聞いて來た」
「どこつておら土佐節でなくつちや喰つたことあねえんだ」
 百姓の家に松魚節のあらう筈はないのである。四つ又はこんなことでそろ/\戲談から口火を切る。鐵瓶の湯が沸つたのでお袋は二つの茶碗へ箱篩から附木《つけぎ》で蕎麥粉をしやくつて移す。鐵瓶の湯を注いで箸で掻き交ぜる。お袋は小皿へ醤油を垂らして出す。
「こら饂飩粉ぢやあねえかあんまり白えな」
「四つ又もちつと眼がチクになつたな。そりや一番粉で糟がへえらねえだ。甘かんべえ」
「うん、ずうつとかう喉からほか/\して來たな」
 蕎麥掻の茶碗へ湯を注いで四つ又はふう/\吹きながら飮んで愈々噺を持ち出した。
「おれが云ふことはもう聞き飽きたんべ、おれも呆きれた。そんでも此んでも聞いてもらあなけれやあなんねえんだ」
「又兼が噺か、その噺ならしねえでもれえてえ」
「それだからおれが聞いてくろうつていふんだよ。おすがの腹がえかくなつて今落ち相になつて歸つて來たんだが、どうも此までとは違つてこんだあ捨てゝ置けねえこつたから向の親類でも困つてんだ。おすがも五六日こつち小便も近くなつたといふんだから今夜にもあぶねえんだ。それがうちへ寄せられねゝえんだから今出來る子供の産す場所がねえ譯なんだ。此所のところはまあどうしたもんだな」
「どうするつておら駄目だよ」
「まあようく考《かんげ》えて見てくんねえか、自分の息子が人の大事の娘を引張り出して隨分世間へも外聞を曝して揚句の果が孕ませてそれでこつちゞや嫁に貰ふことも出來ねえが、趣意もつけられねえ腹の子供がどうなつてもえゝつて云ふんぢや向の身に成つても隨分酷かんべと思ふんだな」
「趣意なんざあ文久錢一文でもおら出せねえよ。向で欲しけりやおら兼の野郎呉れつちやつて構あねえ。おら相續人なんざあ外から養子したつてえゝと思つてんだ。おら旦那にいはれたつて聽かねえから駄目だ。旦那に怒られて村に居られなくなりや居らねえたつて構はねえんだから」
「酷くわからねえんだな」
 遉の四つ又も逐にはむつとしてかういつた。卵屋はもう目の玉まで火のやうに赤く成つて居る。
「そりやおれ惡るかんべえ。惡くつたておらさうかたあ云はねんだから、どうぞおれげは其の噺はしねえでくろ」
 といひながら火鉢の向へごろりと轉がつて何とも返辭をしない。胸には激しい動悸が打つて居る。豆ランプの薄闇い光が其燃えるやうな顏をてらして居る。四つ又は手持不沙汰にして居たがやがて裏戸口から小便に出る。雪はいつの間にか地上一杯に白くなつて外は薄明くなつて居る。厩の側には落葉が堆く積んであつて其上にも雪がさら/\と微かな音をさせて白く積りつゝある。馬は人の近づいたのを見てがさ/\と敷き込んである落葉を踏みつけながらフヽフヽと懷しげに鼻を鳴らして馬塞《ませ》棒から首を出して吊つてある飼料《かひば》桶を鼻づらでがた/\と動かして居る。お袋は四つ又の後から出て
「どうぞ惡く思はねえでおくんなせえ。本當にいつでもあゝだから困んだよ」
「思はねえにもなんにも、ありや癖だから」
「そんぢやえゝがなあ」
 といつてお袋は少し躊躇して
「さうとあの兼は煩ひでもした樣子はあんめえかねえ」
「なあに眞ツ膨れに肥えて來たからなんにも苦勞することはねえよ」
「おらあまあ獨りで心配なんだよ。眠つても眠れねえことがとろつ日《び》だよ」
「困つたもんだよ本當に」
 四つ又は火鉢の前へもどる。さうして
「ツアヽ」
 と一聲大きくいつて
「おれも三春へ行つて見てえ積だが、こんだ行く時にや一緒にすべえぢやねえか。豚も醤油粕が高くつて困つてる所へ四掛や五掛の相場ぢや割に合はねえからな」
かういふと卵屋はむつくり起き上つた。
「本當に行くんぢやあんめえ」
「本當だともよ、駒なら草だの藁だのばかし喰はせてみつしら使つて二三年もたてばたえしたもんだな」
「四つ又でも三春へ行つちや目うつりして買ひめえと思ふんだ」
「戲談いつてらそんなことにやおくせは取らねえんだぞおらなんざあ」
「あぶねえな、豚の手にやいかねえから見ろよ」
 噺はいつか賑かになつてさつきの不機嫌もどこかへ行つてしまつた。
「それぢやどうしても兼こたあうつちやんだな。おら今夜はどうでもかうでもうんと云はせべえと思つたんだが當《あて》が外れた。雪で歩けなくなつちやつまんねえからおら歸るぞ、そんぢや、兼次はうつちやるんだな」
「兼が一人で歸るならおら今が今でもゝどすよ」
「うんさうかわかつた」
 こんなことで此場は濁したが四つ又もおすがの身の振方には困つた。博勞の伊作とも相談をする。兎に角急場凌ぎの策をとらなくては成らぬことに差迫つた。其頃仙右衞門とは道一重向隣の綽名を松山といはれて居た家があつた。何か事情があつて家族を連れて他へ移住をすることに成つて家から持地からおすがの兄貴に賣つて立ち退いた。その空家で産をさせるのが妙案だといふので兄貴へ渡りをつける。ところがなか/\承知しない。ごつたすつたやつてたうとうそれぢや自分等へ少しのうち其家を貸してくれろといふのでやつとのこと納得をさせておすがを松山の家へ入れた。仙右衞門も近所の義理で澁々おすがを厄介して居たのだから重荷を卸したやうな心持がした。四つ又もあとはどうでも先づ目先の才覺が首尾よく運んだのでほつと息をついた。

         七

 おすがは女の子を産んだ。他には介抱の仕手もないので、お袋が公然朝から晩までつめ切つて世話をする。嫂も行つて粥でも煮てやるといふわけで、有繋に兄貴も見て居られぬといふことになつた。四つ又の策略はすつかり其圖に當つた。おすがのもとへは兼次もいつか入りこんだ。さうして松山から買つた畑を讓つてもらつて自分の喰ふだけの働きをすることにまでなつた。赤子は笑ふやうになつた。只さへ少し愚圖なお袋は、もう可愛くて迚ても手放すことが出來なくなつて、二人が仕事に畑へ出れば自分は子守をして居る。赤子が泣けば畑へ抱いて行つて乳を飮せる。おすがの兄貴も忙しい仕事の時には兼次を連れて來て働かせるといふやうに成つた。雙方の間は理窟なしに睦ましいのである。斯くして時日は經過した。然し時としては村で口の惡いものは
「兄貴も餘まり構はねえから仕やうがねえ。どうも兼次をあすこへ入れて置くといふのは卵屋の顏を踏みつぶすやうなものだ。あれぢや仲人が幾ら立つても噺の屆かねえな無理もねえ筈だ」
 と噂さをすることはある。旦那のお内儀さんも或時四つ又に向つて
「あの兼次が一件だがね。お前方の指圖で松山のうちへ入れたんだ相だがどうもあれが卵屋では心外に思つてるらしいんだがね。此はお前方にも不似合な計らひだと思ふやうだがまあ一體どうした譯なんだね」
「どうもさういはれるとわし等は誠に惡い者に成る譯なんですが、あの時は全く今夜にもあぶねえといふ腹なんですから始末に困つて一先づまあさうしたんです。卵屋は兼次がことは全くの處呑んででもしまひてえ程可愛いんですがわし等がいふことを聽くとおすが等が方に負けたことになるといふ意地づくなんですから仕やうがねえんです。意地づくでは死んでも負けられねえといふんですからね。それ程可愛い息子のことなら諦めがつき相なものですが息子は可愛いし先は憎いしで理窟をいはれゝばごろつと寢てしまあんですからわしも手古摺つたんですよ。初めは兵隊が濟めば嫁を世話しても苦情はねえことに念はついたんでしたが今ぢや餘ンまりこゞらけたんで云ひ出すことも出來ねえんです」
 四つ又は頭を掻きながらかういふのである。此も無理のない理窟だ。おすがのお袋の料簡を聞いて見ると此は單純なものだ。
「四つ又へ頼んでおくんですから何とかして呉れんでせうが本當に困つたもんでさどうも」
 こんなことに過ぎない。
「赤んぼはそれでも丈夫かい」
 といふと
「へえ兼によく似てまさ」
 平氣でいつて居る。おすがの親爺に此ことを話すと
「世間は角《かど》を立てゝはうまく行きませんよどうも。お互に丸く行くことでなくちや困りますよ」
 こんなことで濟んでるなら人が共々心配をする必要はないのである。それから兄貴へ
「あの一件も困つたものだな」
 といふと
「困つたものですよ」
 といふから
「お前もあゝして二人を引きつけて置くのでは迚ても埓明きやうはないからお前もおすがを捨てることにしてそれで他から拾ふといふことにしたらどうにか示談が出來相なものだと思ふがどう考へて居る」
 斯ういふと
「わしは決してうちへは寄せねえといつたんでがす。實は松山のうちへわしが夜は泊りに行き/\したんですが、毎晩も行つてらんねえから時々お袋等が泊りに行くこともあつたんでがす。さうするとお袋なもんですからおすがも孤鼠々々はひり込むやうに成つたんでさ。それでもはじめはわしこと見ると遁げたんですから。兼次もわしに捉まつた時二度と決して足踏はしませんて證文張つたんでがす。わし今でもちやんと持つてまさあ。そんだからわしはうつちやつた譯なんでがす」
「いやうつちやつた譯でも二人のことをお前の家へ仕事に使つたりして居るのでは駄目ぢやないか」といふと
「忙しい時はほかゝら手もねえもんでがすからね」
 どれを叩いてもちつとも要領を得ない。
 おすがは自分の思つた男とお袋の膝もとに居るのだからちつとも心に苦勞がない。兼次も好いた女と世帶を持つて女の家の貢ぎをうけて居るのだからこれも苦勞はない筈だが只親爺が出逢がしらに短氣を起しはせないかといふ懸念があるばかりであつた。それも今では安心が出來た。或日のことである。田甫でばつたり親爺にでつかはした。親爺は手織木綿の小ざつぱりした絆纏を着て首へ風呂敷包を括つて居た。兼次はぎよつとした。それでもこちらから
「ツア、何處へ行く」
 と言葉を掛けたら親爺は微笑しながら
「うん、絲染めによ」
 といつてすた/\行つてしまつた。かういふ間に始終ひとりで氣を揉んで居るのは兼次のお袋である。親爺が短氣を出すから少しも喙を容れずに我慢して居る。相手になるのは癲癇持の不具者ばかりである。一目見たい孫も表向き抱いて見ることも出來ない。人に頼んで兼次へ衣物をやつたり汁の身の葱や大根をやる位に過ぎぬ。
「おら一日でも思ひ晴々としたことはねえんだよ」
 と十九夜講で女房達の落合つた時には遂ひ洩れることがあるのである。
「おらまあほんにあれがこつちや「ツアヽ」に隱してなんぼ足袋刺してやつたか知んねえんだよ。氷つた所をぢよりゝ/\押し歩いちやあ足袋も草履も一晩しか持たねえんだよ」
 聽き手があればしみ/″\とこぼした。村の同情は此のお袋の一身に集つた。事件の推移はこんな風で卵屋が業を煮やすことのある外表面甚だ平靜のうちに時日が經過して行く。
 世間は復た春が蘇生つた。鬼怒川の土手の篠の上には白帆を一杯に孕んで高瀬船が頻りにのぼる。船頭は胡座をかいた儘時々舵へ手を掛けただけで船は舳がぢやぶ/\と水に逆つてのぼつて行く。冬の辛さがこゝで一度に取り返されるので此の南風の味を占めては迚ても職業がやめられぬといふ時節である。篠の中には鳥馬《てうま》がそつちへこつちへ移りながら下手な鳴きやうをして菜の花から麥畑へ遊びに出る。兼次は此時輸卒として召集された。本來ならば自分の家からほろ醉になつた人々に送られて鬼怒川の渡しへかゝる筈であるのだが彼は變則にも其假住居から立つて行かなければならぬことに成つた。其朝彼は自分の家の近所へだけは暇乞に出た。其態度は狼狽して居た。隣の家では土間へ置いた汁鍋がひつくりかへつて居たので不審に思つて居たが、あとで兼次が隣のうちの「バケツ」を引つくりかへして來たといつたのを聞いたのでそれが兼次の仕業であつたといふことが知れた。有繋に勘當を受けて居る身であるだけに落つかれぬのだらうと人々は噂をした。此の外には一つも話頭に上ることはない。麥が刈られてさうして椋鳥が群をなして空を渡る頃兼次は歸つて來た。村のうちには毎日麥搗く杵の響が大地をゆすつてどこかに聞える。兼次は其麥搗の一人に成つた。麥は夜中から搗きはじめて朝になれば各八斗の量を搗きあげる。椋鳥はしら/\明に西から疾風の響をなして空を覆うて渡る。さうして夕陽の沒する頃西へかへる。空を遙かに飛ぶ時に麥搗は杵持つ手の右と左を持ち換へながら今日も日和だと叫ぶ。椋鳥が少くなつて稻刈になつた。刈田の跡の水のやうな冷たい秋が暮れて又冬が來た。鶸がよわ/\した羽をひろげて切ない鳴きやうをして林から刈田を飛びめぐる。さうして寒さは又小春にかへつて人々は岡の畑に芋を掘つて居るのである。
 短い日は村の林の梢に棚引いた土手のやうな夕雲に眞倒に落ちつゝある。横にさす光は麥の葉をかすつて赭い櫟の林が一しきり輝いた。畑のへりの茶の木の花は白々と光を帶びて居る。筑波山は見る/\濃い紫に染まつて來た。秋の末の晩稻を刈る頃から夕日のさし加減で筑波山は形容し難い美しい紫を染め出す。百姓に聞いて見れば嘗てそんな筑波山は知らぬといふ。知らぬといふのは尤ものことである。日が落ちて殘※[#「日+熏」、第3水準1-85-42]がなほ明かな數十分間は彼等の仕事が尤も捗どる時である。晩餐の仕度をするために女等は今どこの畑からも一人づゝ立つて行く。女等が去つてから百姓の手もとが漸く薄闇きを感じた。頬白が寂し相に桑の枝を飛びめぐる。百姓は自己以外には頓着なしにせつせと芋を俵へつめて居る。兼次はおすがゞ歸つてから車へ俵を積んで引き出した。田甫を越えて坂へ掛つた時には少し積み過ぎた芋俵は彼の力には餘つた。ほつと腰を延して居ると突然後から
「それ/\うんと力《りき》んで見ろ」
 といふ聲がして車が急に輕くなつた。坂の上で振り返つて見たら芋俵を馬に積んで來た兼次の親爺が持つて居た手綱を放して後押してくれたのである。
「誰だと思つたら「ツアヽ」か」
 と兼次は心の底から嬉し相にいつた。馬は獨りで勢よく右の方へぱか/\と走つて行く。親爺は馬のあとから駈けて行く。兼次は腰をくの字に屈めながら足に力を入れて左へ曳いて行く。村の竹藪から昇つた青い煙は畑の百姓を迎ひにでも出たやうに幾筋も棚引いて田甫から岡まで屆かうとして居る。其時黄昏の中を百姓は田甫から相前後して歸つて來る。何處ともなく鴫がきゝと鳴いて去つた。百姓の後姿を村の中へ押し込んでやがて夜の手は田甫から畑からさうして天地の間を掩うた。[#地から1字上げ](明治四十一年三月一日發行、ホトトギス 第十一卷第六號所載)



底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
初出:「ホトトギス」
   1908(明治41)年3月1日第11巻第6号
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2003年10月23日作成
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