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假名遣意見
森鴎外
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)假名遣《かなづかひ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)假名遣|即《すなは》ち
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はつきり[#「はつきり」に傍点]
※[#「彊」の「弓」の代わりに「革」、74-上10]
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私は御覽の通り委員の中で一人軍服を着して居ります。で此席へは個人として出て居りまするけれども、陸軍省の方の意見も聽取つて參つて居りますから、或場合には其事を添へて申さうと思ひます。最初に假名遣《かなづかひ》と云ふものはどんなものだと私は思つて居るか、それから假名遣にはどんな歴史があるかと云ふことに就《つい》て少し申したいのであります。既に今日まで大槻《おほつき》博士、藤岡《ふぢをか》君等のやうな老先生、それから專門家の芳賀《はが》博士等が斯《か》う云《い》ふ問題に就いては十分御述べになつてありますから、大抵盡きて居ります。それから當局の方でも又調査の初めから此事に關係して居られる渡部君の如きは詳しい説明を致されました。其外達識なる矢野君の如き方の議論もありました。又自分の後に通告になつて居ります中には伊澤君のやうな經驗のある人もあります。又其の他諸先生が居られる。然るに私が斯んな問題に就いて此處で述べると云ふのは誠に無謀であつて甚《はなは》だ烏許《おこ》がましいやうに自分でも思ひます。併《しか》し私は少し今まで聽いたところと觀察が違ひますので、物の見やうが違つて居りますので、それを述べて置かぬと云ふと、後に意見が述べにくいのであります。それゆゑ已《や》むことを得ず申します。
一體假名遣と云ふ詞《ことば》は定家《ていか》假名遣などと云ふときから始まつたのでありませうか。そこで此物を指して自分は單に假名遣と云ひたい。さうして單に假名遣と云ふのは諸君の方で言はれる歴史的の假名遣|即《すなは》ち古學者の假名遣を指すのであります。而も其の假名遣と云ふ者を私は外國のOrthographieと全く同一な性質のものと認定して居ります。芳賀博士の奇警なる御演説によると外國の者とは違ふと云ふことでございましたが、此點に於ては少し私は別な意見を持つて居ります。主《お》もに違ふと云ふことの論據になつて居りまするのは外國のOrthographieは廣く人民の用ゐるものである、我邦の假名遣は少數者の用ゐるものであると云ふことであります。併しさう云ふやうに假名遣が廣く行はれて居らぬと行はれて居るとの別と云ふものは、或は其の國の教育の普及の程度にも關係します。又教育の方向、どう云ふ向きに教育が向いて居るかと云ふことにも關係しますのであります。元來物の性質から言つて見れば外國のOrthographieと我が假名遣とは同一なものである、同一に考へて差支ないやうに信じます。一體假名遣を歴史的と稱するのは或る宣告を假名遣に與へるやうなものであつて私は好まない。一體假名遣を觀るには凡そ三つの方面から觀察することが出來ようと思ひます。即ち一は歴史的の方面である。一は發音的即ちPhonetikの方面である。其の外にまだ語原的即ちEtymologieから觀ると云ふ見方がございますけれども、是れは先づ歴史的と或る關係を有つて居るやうに思ひます。一國の言葉が初め口語であつたのが、文語になる時に、此の日本の假名のやうに音字を用ゐて書上げると云ふ、さう云ふ初めの場合には、無論假名遣は發音的であるには違ひない。然るに其の口語と云ふものは段々變遷して來る。一旦書いたものが其の變遷に遲れると歴史的になる。そこで歴史的と云ふことが起つて來ます。それであるから何《ど》の國の假名遣でも保守的の性質と云ふものを有つて居るのは無論である。日本のも同樣と思つて居る。さうして見れば之に對して改正の運動が起つて來ると云ふことは無論なのであります、必然の勢であります。又それを改正しようと云ふには發音的の向きに改正しようと考へるのは是れも亦必然の勢であります。此側の主張は殊に大槻博士の御説が最も明瞭に、最も純粹に私には聽取られました。假に今日發音的に新しく或る假名を定められたと考へませう。さうしたならば此の新しい假名遣が又間もなく歴史的になつてしまふのであります。語原的と申す意味を此處に説明しますると云ふと、是《こ》れは歴史的と密接の關係を有つて居ります。外の國のOrthographieに於て語原的と云ふことには一種の特殊な意味を有たせてあります。一例を以て言ひますると、國語の「すう」と云ふことは之を「すゑ」と云ふときには和《わ》行の「ゑ」を書く。是れは獨逸の例で言ひますと、獨逸で「愛する」と云ふ詞でliebenと云ふ動詞があります。之れを形容詞にするとliebとなります。けれども「プ」の字を書かずに「ブ」の字を書いてある。斯う云ふ意味に假名遣の發音と相違する點を、主《お》もに語原的と外國では申して居るやうであります。斯う云ふ側のことを藤岡君の音義説に於て五十音圖に照して御説明になつたのであります。一體本會の状況を觀ますると云ふと、抑《そもそ》も假名遣と云ふものの存在からして疑はれて居る。有るか無いかの有無の論、少くも定つて居るか定つて居らぬかと云ふ定不定の御論があるのである。當局は兎に角極つた假名遣と云ふものはあるものだとお認めになつて居ります。併し芳賀博士の如きは、三宅《みやけ》博士にお答になつた言葉で見ると云ふと、多少條件付で假名遣の存在を認めて居られるけれども、殆ど極《きま》つて居らぬと云ふやうな風に御述べになつて居るやうに聽きました。其の極つて居らぬと云ふのは少數者しか用ゐて居らぬと云ふ意義であつたやうに聽きました。之に就いては私は後に又自分の意見を申します。自分は假名遣と云ふものははつきり[#「はつきり」に傍点]存在して居るもののやうに認めて居ります。契冲《けいちゆう》以來の古學者の假名遣と云ふものは、昔の發音に基いたものではあるけれども、今の發音と較《くら》べて見ても其の懸隔が餘り大きくはないと思ふ。即ち根底から之《これ》を破壞して新に假名遣を再造しなければならぬと云ふ程懸隔しては居らぬやうに見て居ります。凡《おほよ》そ「有物有則」でありまして口語の上に既に則と云ふ者は自然にある。此の則と云ふことは文語になつて來てから又一層|精《くは》しくなるのであります。世界中で最も發音的に完全な假名は古い所ではSanskritの音字、新しい所では伊太利《イタリア》の音字だと申します。而《しか》も我假名遣と云ふものはSanskritに較べてもそんなに劣つて居らぬやうな立派なものであつて、自分には貴重品のやうに信ぜられまする。どうか斯う云ふ貴重品は鄭重《ていちよう》に扱つて、縱令《たとひ》それに改正を加へると云ふにしても、徐々に致したいやうに思ふのであります。Max Muellerの言葉に「口語に頭絡《とうらく》と※[#「彊」の「弓」の代わりに「革」、74-上10]《きやう》とを加へて文語を作つて居る」と云つて居ります。馬の頭に掛ける馬具であります。日本の文語に於ける假名遣と云ふもの、此の※[#「彊」の「弓」の代わりに「革」、74-上12]は決して朽《くち》て用に堪へぬ樣になつて居るのでは無い、まだ十分力のあるものだと云ふことを自分は信じて居ります。
そこで假名遣の歴史に付きまして自分の觀察を異にして居る點を二、三申したいと思ひます。古代の假名遣、殊に延暦遷都前の假名遣に付きまして大槻、芳賀兩博士等の御論がありました。其の大意は是れは其の當時の國民普通の口語であつて、是れが此頃出來た出來たての假名で發音的に書かれたものである、國民が皆之れを用ゐて居る、丁度現状の反對である、斯う云ふ風な御論がありました。そこでさう云ふ國民全體が用ゐて居りまする假名遣に、本當の存在權があるのである、今日のやうに少數者のものになつては、最早活きて居ない、死物になつて居ると云ふ風に聽取れました。扨《さて》それから時が移つて次の期に入ります。遷都後天暦までと限りませう。是れは古事記傳に斯う云ふ境界を立てたのが初めでありませう。天暦まで即ち十世紀頃であります。此間に音便が生じて來たと云ふことは今までの御論にもありました。此の音便と云ふ者は最早是れは文語の衰替の現象である。其の事は本居あたりでも「くづれたるもの」と云ふことを云つて居ります。衰替の現象であります。併し兎《と》に角《かく》それが直に發音的に寫されて居ります。扨|是迄《これまで》の假名は國民の共有物である、此後には少數者の使ふものになつたと云ふことに多くは見られて居ります。併し斯う云ふ古い時代の假名遣が果して國民一般のものでありましたか。此問題に付いては外國の例を較べて見ますと云ふと、餘程疑ふべき餘地があるやうに思ふ。Max Mueller等はDialect即ち方言と云ふ詞を斯う云ふ所に用ゐます。古代に於ては何處の國でも方言は澤山あつた。其《そ》の中《うち》或る者が勢力を得て、それが文語になると云ふと、他の方言は勢力を失ふからして、其の文語の爲に壓倒せられる。斯う云ふ風に認めて居りまするが、或は我邦の古代でも文語になつて居る言葉の外に澤山の方言があつたのではあるまいかと思ふのであります。さうして見ると假名遣は既に出來た初めから少數者の假名遣を多數者に用ゐさせるものではなかつたらうかと云ふ疑があり得ると思ひます。古い拉甸《ラテン》語の如きはあれはLatiumの中のRomaの上流者の言葉である。それをLivius Andronicusなどの力で文語として、それを編成して、そこで拉甸語と云ふものが段々に歐羅巴《ヨオロツパ》全體にまで行はれるやうになつたと論じて居ります。或は日本のも初めからそんなものではあるまいか。さうして見ると云ふと、昔の假名遣は國民全體の用ゐたものであるから是れは存在する權利があるが、今日は少數者が用ゐるからさう云ふ權利がないと云ふ議論は、或はさう疑も無い事實としては認められぬかとも思ふ。それから中世になりまして次第に此の一旦定つた文語の衰替を來し、言葉が亂れる、それを正さうと思ふ個人の運動が起つたのでありませう。先日も御引きになつた藤原基俊の保延《はうえん》のころ即ち十二世紀の「悦目抄《えつもくせう》」の假名遣、初て此の假名遣で詞の上中下に置く假名と云ふやうなことが出て來ました。次いで所謂定家假名遣が出て參りました。定家假名遣と云ふのは定家卿が「拾遺愚草《しふゐぐさう》」を清書させるときに大炊介《おほひのすけ》親行と云ふ人に之れを命じた、其の親行が書き方を定めたと云ふことに傳はつて居ります。世間に流布《るふ》してゐる定家假名遣と云ふものは親行の孫の行阿の「假名文字遣」に據るので、是れには種々な版があります。假名遣と云ふ語は一體其の邊から起つたのでありませう。此の定家假名遣と云ふものを國語の變遷に伴つて發音的に作つたものだと云ふやうに見た人も前からあります。けれども、どうもさうでないやうに思ふ。兎に角素直に発音に從つて作つたものでない、いろ/\な理窟がある。例へば四聲に由ると云ふやうなことを盛んに説いてあります。此四聲と云ふものに依つて定める定め方は頗《すこぶ》るこじつけ[#「こじつけ」に傍点]ではあるまいかと思はれます。芳賀博士も獨斷だと仰しやいましたが、餘程獨斷でございませうと思ひます。醫者の本を見ますると、中頃に陰陽五行を以て有ゆる病氣のことが説明してあります。丁度あゝ云ふ氣持がします。一體此中頃の定家假名遣と云ふものを國語の變遷と見るべきでありませうかと云ふことが問題であります。一體國語の變遷と云ふものは無論口語即ち方言にのみ有る筈である。是れはさうではなくして文語だけの一時の現象である。變遷と云ふことをMuellerは二つに別つてをりまして、言葉が本當に生長するのが本當の變遷である、それから言葉が衰替して來るのは別であると云つて居りますが、無論生長と云ふことは口語にしか無いのでありまして、假名遣にはないのでありますから、さうして見ると衰替現象であるのは明白であります。此の衰替の中でも殊に定家假名遣などは或時代の一の病氣のやうに見られるのであります。芳賀博士は少し之に付いて杞憂《きいう》を抱いて御出でになる。それは若し斯う云ふ時代の中世の變遷を認めなかつたならば、鎌倉以後の文學が度外視せられはすまいかと云ふのであります。其の主もなる證據は所謂「いひかけ」が證據になつて居る。是れは私はさうは思ひませぬ。「いひかけ」と云ふものは古代は少かつたのであります。萬葉集あたりは極く少い。「名が立つ」を「立田山」にかける等、成程皆同音である。同じ音でなければ「いひかけ」になつて居ない。然るに既に定家卿より前にも、是れが變化して來まして、變つた音の「いひかけ」がある。俊成卿は逢《あ》ひと云ふ波《は》行の「あひ」を草木の和行の藍《あゐ》に、其の外戀を木居《こゐ》にかける。こんな「いひかけ」が出て來ます。是れが成程定家假名遣の出た後には愈※[#原文ではゆすり点が入る]盛んになつて來て居りますけれども、是れは單に修辭上Rhetorik上の問題であります。昔は同音の「いひかけ」と云ふものがあつたのに、後世に至つて類音の「いひかけ」が出來たと斯う認定すれば、それで足つて居るのであります。之に付いて何か後世の人が極まりを付けようと思ふならば、上からかかつて居る假名に書くか、下で受ける方の假名に書くかと云ふことを極めて置きさへすれば、其位な規定を書方に設けたならば、之を認めて置いて一向|差支《さしつかへ》ない。類音の「いひかけ」が新に修辭上に出來たと思へば何の差支もありませぬ。それから定家假名遣と云ふものは、是れは少數者の用ゐたものであると云ふことになつて居ります。之には多少異議を挾み得るかも知れませぬ。北朝の文和、北朝の年號に文和と云ふのがあります、十四世紀の頃、彼の文和の頃に權少僧都《ごんせうそうづ》成俊が萬葉集の奧書をしました。それに「天下大底守彼式《てんかたいていかのしきをまもりて》、而異之族一人而無之《これにことなるやからひとりとしてこれなし》」、「彼式」と云ふのは定家假名遣であります。一人も之れに從はぬ者はないと云つて居りますけれども、併し此の天下と云ふのは詰り教育のある或る社會を指したのでありませうから、成程定家假名遣を國民全體が用ゐたと云ふことにはなるまい。是れは多分少數でありましたでせう。それから古學者の假名遣が出て來ます。前に申しました成俊の萬葉集の奧書などを見ますると云ふと、既に假名遣の復古を企つて居ります。自分の古い假名遣を使ふのを「僻案《へきあん》」だと云つて謙遜して居るけれども、兎に角古い假名遣に由つて假名を施した。それに次いで契冲の「和字正濫抄《わじしやうらんせう》」、これは元祿六年の序があります、十七世紀の頃であります。是等が先づ復古の初りでありまして、其の後の歴史は私が此處《ここ》で述べる必要はありませぬ。芳賀博士は之れをRenaissanceだと云はれました。成程適當のことと思ひます。丁度西洋の復古運動と同じ性質を有つて居るやうに思ふ。此の復古の假名遣は勿論《もちろん》發音的に改正したのではありませぬ。若し定家の假名遣が國語の變遷であつたならばそれを元へ戻さうとする此の復古運動と云ふものは、非常な不道理なものに違ひない。併し前に申します通り定家假名遣と云ふものは一時の流行病であつたから、それを治療しようと思つて和學者が起つたのだらうと私は思ふ。尚ほ進んで考へますると云ふと、發音的の側から見ると、定家假名遣よりか、復古の假名遣の方が餘程發音的なやうに認められます。此の古學者の假名遣も、勿論諸君のお認めになつて居るやうに少數者の用にしかならないのであります。そんなら其の他の一般の人民はどうして居つたかと云ふと、或は定家の式に從つたと認める人もありませう、或は何にも據《よ》らず亂雜に書いたと云ふことも認められませうと思ひます。斯う云ふ統計は殆ど不可能であります。無論定家の假名遣で書くと云ふ人は物語類でも讀むとか、北村季吟などが作つた「湖月抄」とか、あゝ云ふ物でも讀んで居る人の上であつて、其外は矢張亂雜でありませう。又漢學の方に主もに力を入れる人は假名遣などは構はぬと云つて亂雜に安んじて居つたのでありませう。併し是等が多數のものに行はれないと云ふのは教育の方向、若《もしく》は其の普及の程度に依つて定まるのではないかと思はれるのであります。そこで假名遣を排斥すると云ふことは極く最近に起つて參りました。斯う云ふ運動にも例の陳勝呉廣《ちんしやうごくわう》のやうなものが早く前からあるのであります。既に南朝の藤原長親《ふぢはらのながちか》即ち明魏《みやうぎ》法師も假名は心の儘《まゝ》に書けと云ふことを云つて居ります。それから極く近くなりますと、澤山さう云ふ例があります。漢學者の帆足萬里先生、彼の人は嘉永五年に歿しました。彼の人の「假字考」と云ふものに斯う云ふことが書いてあります。「今の世の假名遣と云ふものは正理あるものにあらず、久しく用ゐなれぬれば、強《しひ》て破らんも好からぬ業なるべし、其の掟《おきて》にたがひたりとてあながちに病むべからず」是れは許容説の元祖とも言へませう。それから井上文雄と云ふ先生があります。明治四年に歿しましたが、此の人の「假字一新」と云ふ本があります。是れも假名は心の儘に書けと云ふのであつて、復古の假名遣を排斥しまして、却《かへ》つて定家の方に荷擔《かたん》して居ります。それから井上|毅《こはし》先生の字音假名遣のこと、是れは當局が此席でも御引用になつて居る。斯う云ふやうな沿革を經て來て、さうして今日の假名遣改正の問題が出て參りまして、頗る堅牢《けんらう》な性質の運動になつて來たやうに思ひます。先づ斯う云ふ沿革だと自分は思つて居ります。
是れから少しく自分の意見を述べようと思ひます。最も私が感歎して聞きましたのは大槻博士の御演説でありました。引證の廣いことは固《もと》より、總て御論の熱心なる所、丁度彼の伊太利のRenaissance時代のSavonarolaの説教でも聽いたやうな感がしました。私は尊敬して聽きました。併し其の御説には同意はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。併し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐《おそら》くは偏頗《へんぱ》になりはすまいかと思ふのであります。政治で言つて見ても多數に依ればDemokratie少數ならばAristokratieと云ふ者が出て來ます。此の頃の思想界に於て多數の方から、多數の方に偏して考へますると云ふと、社會説などもそれであります。それから之れに反動して極く少數のものを根據にして主張するNietzscheの議論などもある。之れに據ると多數人民と云ふものは芥溜《ごみため》の肥料のやうなものである、其中に少數の役に立つものが、丁度美麗な草木が出て來て花が咲くやうに、出て來ると云ふ樣な想像を有つて居る。少くも此の假名遣を少數者の用に供する者だと云ふ側から之れを排斥しますれば、其の反對の側に立ちますると云ふと、斯う云ふ風に言へるかと思ひます。一體古來假名遣と云ふものは少數のものであつたかも知れぬ。又近世復古運動が起りましても、此波動は餘り廣くは世間に及んで居ないに違ひない。併し契冲以來の諸先生が出て來られて假名遣を確定しようとせられた運動に、之れに應ずるものは國民中の少數ではあるけれども、國民中の精華であるとも云はれる。斯う云ふ意見を推擴めて人民の共有に之れをしたいと斯う云ふやうな議論が隨分反對の側からは立ち得ると自分は信じます。兎に角多數者の用ゐる者に限つて承認すると云ふ論には同意しませぬ。次に當局始め諸君は假名遣の有無を論ずると共に、假名遣に正とか邪とか云ふことはないと仰しやつたやうに聽きました。渡部主事の御説明は私は初めの日に遲れて出まして半分しか聽きませぬけれども、大變精密な説明でありまして、其の中には自分が斯う言つたらば他の人が斯う言ふだらうが、それは斯うであると云ふやうに、先潜りまでせられまして有ゆる方面の防禦をして居られます。恰《あたか》も其の老吏獄を斷ずと云ふ樣な工合、或はSophistの論とでも云ふ樣な工合に、大變巧みに出來て居りまして、御苦心の程を察するのであります。是れも十分の尊敬を拂つて聽きましたけれども、是れも同意は出來ないのであります。一體正邪と云ふことを説きまするは甚だ聽苦しいことでありまして、所謂芳賀博士の言はれた愛國説などにも關係を有つて來る。一體道義のことなどを口にすることは聽苦しい。口で忠義立をする程卑しいことはありませぬ。哲學者のTheodor Vischerが云ひましたことにdas Moralische versteht sich von selbstと云ふことがある。道義上のことは言を俟たない。これを口癖にVischerは言つて居ました。そんなことを言ふのは一體要らないことである。併し國運の消長が言語に關係を有ち又言語の精華たる文語に關係を有つて居る、隨つて假名遣にも關係を有つて居ることは明白であります。獨逸の如きは新假名遣の運動が盛んに起りまして學校等で隨分廣く用ゐるやうになりましたけれども、Bismarckの生涯、公文書にだけはつひ/\新假名遣を排斥し通した。あゝ云ふ豪傑でありますから何か深い考があつたかも知れませぬ。當局の御説明に倫理には正とか邪とか云ふことがあるけれども、假名遣にそんなことがないと云ふやうなこともありました。けれども倫理だつても矢張變遷は始終あるもので、吾々が仇討とか腹切とか云ふことに對してどう云ふ倫理上の判斷を有つて居つたかと云ふことは、今日と前と較べれば大變な違であります。倫理に於てどんなAuthorityをも認めないとなりますると云ふと、終には善惡の標準がないと云ふやうな騷ぎになります。私も假名遣に絶對的に正と邪があるとは云ひませぬ。併し前にも申します通り口語こそ變遷を致しますけれども、文語に變遷と云ふことはないのであります。衰替現象で變つて來るのでありますからして、口語の變遷を何時も見て居て、其中固つた所を拾ひ上げては假名遣を訂《なほ》して行くと云ふ樣なことならば、漸を以てしても宜しからうと思ひますけれども、其の文語に定まつて居るものは正として、之を法則として立つて置いて宜しいかと思ふのであります。芳賀博士も此の正邪に就いて御論がありまして、河の流の比喩《ひゆ》を御引きになりました。河の流が今日流れて居る處は昔から流れて居る處ではない、必ず河流の方向は變つて居るだらう、さう云ふ變遷の如く此の假名遣の事も考へねばならぬと云ふやうに言はれました。丁度Muellerの書いたものに矢張同じやうな譬《たとへ》があります。言語を河に譬へてあります。言語は流水の如きものであつて必ず變遷する、そこで之を文語として固めてしまふと云ふと、池水のやうになつて腐る、それが腐つてしまふと云ふと、初め排斥せられた方言が何處《どこ》かに殘つて居て、下行水と云ふやうな風に、何處かに殘つて居つて、そのものが何時か頭を持上げて革命的に新しい文語が起つて來る。斯う云ふ譬を引いて居ります。故に此の池水のやうに文語が腐らないやうに假名遣を訂すのは必要でありますけれども、一旦文語となつたものは是れは法則である、正しいものであると云ふことを認めて宜しいかと思ひます。Muellerは同じ工合に又他の譬を使つて居ります。土耳古《トルコ》王は子供の時に遊友達があると云ふと、自分が位に即くと友達を絞殺してしまふ、自分が一人で權を握る。併し言葉は或る方言が勢力を得て文語になつても、同時に其の附近に行はれて居つた方言が皆殺されてはしまはない、何處かに活きて居る、活きて居つてそれ等がいつか革命運動を起す。斯う云ふ風に言語のことを觀察するが宜しいと、斯う云つて居ります。兔に角土耳古の王が王になれば、それが一つの正統な王である。今のやうに腐敗して來て革命的なことが出て來ると云ふことを防ぐには、新しい貴族を作れば好い、新華族を作るやうにして、ぽつ/\腐らないやうにして行けば宜しいかと思ふ。口語の廣く用ゐられて來るやうなものを見ては之れをぽつ/\引上げて假名遣に入れる。さう云ふやうに楫《かぢ》を取つて行くのが一番好い手段ではあるまいかと思ふのであります。私は正則と云ふこと、正しいと云ふことを認めて置きたいのであります。
ところが古い假名遣は頗る輕《かろん》ぜられて、一體にAuthoritiesたる契冲以下を輕視すると云ふやうな傾向がございますが、少數者がして居ることは詰らぬと云ひますと云ふとどうでせう。一體倫理などでも忠孝節義などを本當に行つて居るものは何時も少數者である、それが模範になつてそれを廣く推及ぼして國民の共有にするのであります。少數者のして居ることにもう少し重きを措《お》くのが宜しいかと思ふ。古學者などのAuthorityはさう云ふ風に排斥せられると同時に、單に井上毅先生の字音假名遣説は殆ど金科玉條として立てられるやうでございますが、あれも餘りさう結構な御論ではないかと思ふのであります。一體漢字を假名に書くのは「易《やす》きに由る」のだと云ふのが井上毅先生の議論であります。併し假名に書くのは易きに由ると云ふのを本にすべきではあるまいかと思ひます。何處の國でも國語の中に外國の語が入つて來て國語のやうになる。そこで日本では漢語が國語になる。其の道中の宿場の樣になつて、假名で書いたものが行はれるのであります。中に全然國語になつたものもある。誰も知つて居る文の「ふみ」、錢の「ぜに」の類である。中には消息「せうそこ」などと云つて、是れも殆《ほと》んど假名で通用する國語のやうになつて居る。さう云ふ字は假名遣を廢して「しようそこ」と書いては分りにくいことになつてしまひます。其の外井上先生の今の支那音に引當てての御論と云ふものも餘り正確なものではないかと思ふ。要するに正だとか邪だとか云ふことが絶對的に假名遣にあるとは申しませぬけれども幾分か正しい側と云ふことがあるだらうと思ひます。西洋語のOrthographieのorthosは正と云ふことであります。正しく書く法をOrthographieと云ふ。詞などと云ふやうなものも人の思想を表出するものであるから、正しいと云ふ詞を用ゐるのであります。正しいと云事《いふこと》は言へると思ふ。それから此の正と邪との關係と云ふことに連係しまして街道の譬と云ふものが頻《しき》りに本會に於て行はれて居る。昔の假名遣は舊街道である、其處《そこ》へ持つて行つて發音的の新しい假名遣が作られる、是れは便利なる横道である、何も舊い街道を正道として便利な新しい假名遣を邪道とすることはないと云ふのであります。此の話は少しく自分の見る所では事實に違つて居る樣であります。決してさう云ふ便利な新しい道が出來て居らないのであります。例之《たとへ》ば「つくゑ」と云ふ詞を見ましても、此wの子音に當る「う」と云ふ音、是が響かないのであります。其の響かないのを發音的に書くならば、誰が書いても「つくえ」と阿《あ》行の「え」を書いて居る筈《はず》であります。それならば新しい道が出來て居る譯で、それを認めてやつても宜しい譯であります。併し實際人の書いたのを見ましても、机の「ゑ」は阿行の「え」を書いたり、和行の「ゑ」を書いたり、波《は》行の「へ」を書いたり、有ゆる假名を使つて居ります。さうして見ると人民一般は田とも云はず畠とも云はず、道のない所を縱横に歩いて居るのであります。實に亂雜|極《きはま》つて居る、むちや[#「むちや」に傍点]であります。そこで若し文部省に於て新しく發音的に訂して行きまして、阿行の「え」を書けと云ふ新道を開きますと云ふと、さうすると今度は道が二條出來ます。人民は又二條のどれ[#「どれ」に傍点]にも由らずに縱横に田畠を荒して歩くかも知れないと思ふ。却て問題は複雜になつて來る。さう云ふ關係は獨り此の假名遣のみではありませぬ、文法|弖爾乎波《てにをは》にもございます。例之ば文部省で許容になつて居ります「得せしむ」と云ふ弖爾乎波がある。あれは「得しむ」と云ふ詞である。併し口語では決して「得しむ」も「得せしむ」もない。口語では「得させる」斯う云つて居る。「得さす」と云ふ詞になつて居る。だから口語の變遷即ち言語變遷には何の關係も無くして「得せしむ」と云ふ詞が生じて來た。何故生じて來たかと云ふと、是れは言語の變遷ではない、是れは文盲から生じ來たのである。「得しむ」と云ふ詞を知らない人が「得せしむ」と云ふ詞を書いた。例の惡口の歌に「伊勢をかし江戸ものからに京きこえししとせしとは天下通用」と云ふ間違をひやかした[#「ひやかした」に傍点]歌があります。丁度あゝ云ふ譯で一時流行して來たのであります。斯う云ふことは又弖爾乎波ばかりではない、漢字にもあります。私は勿論何にも知らない、漢字も知りませぬ。併し模糊《もこ》などと云ふ語はどの新聞を見ても「も」の字が米へんになつて居りますが、あれなどは木へんだと云ふことであります。斯う云ふのを一々變遷だと認めて來ると今度は新しい漢字までも拵《こしら》へなければならぬことになつて來ようかと思ひます。兎に角私は今便利な新道が出來て居ると認めるのは觀察を誤つて居るのではないかと思ふ。それから街道の比喩に對して芳賀博士は又別な比喩を出されました。舊《ふる》い街道は是れは街道ではない、廢道になつてしまつて居るのである、荊棘《いばら》が一杯生えて居つて、それを古學者連が刈除いて道にしようと思つたけれども、人民は從つて行かない。斯う云ふやうな比喩を出されました。私共の立場から見ると云ふと、此の假名遣は昔も或は國民の皆が行つた道ではない、初めも或少數者の行つた道であらう。それが段々に大きい道になつて來たのである。縱令《たとひ》中頃定家假名遣が出まして、一頓挫を來しましても少し荊棘が生えましても、荊棘を刈除いて、元《も》との道を擴げて、國民が皆歩むやうな道にすると云ふことが、或は出來るものではないかと云ふやうな、妄想かも知れませぬけれども、想像を自分は有つて居ります。何處の國でも言語の問題に付いては、國語を淨《きよ》めようと云ふことを一の條件にして調査をするのであります。其の國語を淨めると云ふ側から行きますと云ふと、此の假名遣の道を興すのが一番宜しいかと思ふ。元の假名遣を興して、其の中へ新しい假名も採用する。それには先づ舊街道の荊棘を除いて人の善く歩けるやうにしてやります。そこへ持つて行つて文明式のMacadam式の築造をしようともAsphaltを布かうとも、何れでも宜しいと云ふ考であります。
それから街道の比喩と共に許容と云ふことが先頃から問題になつて居ります。此の許容と云ふのはToleranceだと云ふ説明を聽きました。例之ば國で定つた宗教がありまして、人民が外の宗教を信じてもそれを許容する。それがToleranceである。Toleranceと云ふことを使はれる場合は多くは何か正則なものが先きへ認めてある。正則のものがなくてToleranceと云ふことはありませぬ。彼の弖爾乎波《てにをは》の許容になりましたときなどは、まだ元の語格を正則にしてある。それに背いて居る弖爾乎波を許容する。斯うなつて居ります。「得しむ」は正則である、「得せしむ」は許容すると云ふのでありますから、趣意は能く分つて居ります。此の比例が假名遣になつてから狂つて來ました。元の假名遣を正則にして發音的に新に作る假名遣を許容するなら宜しい。然るに發音的に新造する分の假名遣を正則にして、教科書に用ゐるのでありますと、それは許容ではない。之に就いては度々諸方から議論がありました。少し野卑なことを申しまするけれども、此度の假名遣に於けるところの許容と云ふことは、稍※[#原文ではゆすり点が入る]《やゝ》とんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]だと思ふのであります。此の許容に就きまして、どうも私共の見る所では、世間に便利な道が出來て居るから許容すると云ふ、其の便利な道が出來て居ると云ふ御認定が、稍※[#原文ではゆすり点が入る]大早計である。早過ぎる場合が多いやうに思ふのであります。例之ば「得せしむ」と人が書いたところが、それを直に採上《とりあ》げて是れが言語の變遷であると云つて、是れが便利な新道であると云つて、御認めになつて御許容になる。そんな必要はないかと思ひます。文盲の人があつて「得しむ」と云ふ語を知らないで「得せしむ」と書く。決して「得しむ」が不便だから「得せしむ」にしようと云つて書くのではないのであります。さうすると新聞や小説でもさう書く。それが媒介になつて次第に擴がる。是れも古びが着いて一つの歴史的のものになれば、誤謬《ごびう》から生じた詞でも認めんければならぬのでありますけれども、それを急いで認めることはどうも宜しくないかと思ひます。例之ば氣の狂つた人があつて道もない所を奔《はし》り、衆人が附いて行く。直にそれを是れが道だと云つて、大勢が附いて行くから道だと云つて直にそれを道にすると云ふのは、少し其の仕事が面白くないかと思ふ。間違を人のするのを跡を追駈けて歩いて居るやうに、吾々の立場から見ると見えるのであります。斯う云ふ工合で行きますと、例の漢字の間違なども、どうかすると流行つて來る。其の跡を追駈けると云ふと、新しく嘘の漢字の辭書を作らんければならぬ。嘘字盡《うそじづくし》を作ることになりはせぬかと思ひます。何處の國でも國語のことを調べるときには、國語を淨めると云ふことを運動の土臺にして居ります。それに反して斯う云ふ風な仕事をしまするのは國語を濁すのであります。勿論初め誤から生じましても、前に申しまする通り、時代を經て古びが着いて自然に新しい國語のやうになつたと云ふ場合には、無論それを取るべきであります。丁度華族のお仲間に新華族が出來て來るやうな譯であります。それは國語の歴史にも先例がある。例之ば「あらたし」と云ふ語がある。是れが「あたらし」となる。斯う云ふのは是れは口語の變遷に基いて新しい語を認めたのであります。それから同じ許容になつて居る弖爾乎波の中でも「せさす」を「さす」にするやうなことは、是れは口語の方で久しく一般に行はれて居る。斯う云ふのは是れは認めて宜しい。それから種々の漢語の字音に就きまして、間違の例が今までも引かれて居りますが、例之ば畜生と云ふのは本當は「きうしやう」だと申します。さう云ふのは「ちくしやう」と云ふ國語と認めて宜しい。新しい語で言ひましても、輸出《しゆしゆつ》を「ゆしゆつ」と云ふ。此の位に固まつて來れば國語と認めるのに異議はないのであります。併し餘り早まつて認定をしないで、少しづゝ徐々に認定をするのが至當な方法であらうと思ふのであります。さう云ふやうに私は少數の人が用ゐて居つても、其の少數の人が國民の精華とも云ふべき人であるならば、其の用ゐて居るものを廣く國民に及ぼすと云ふことを圖りたいと云ふ考であります。
此考に付いて最も芳賀博士などのお説とは衝突を來たすのであります。芳賀博士は必要不必要と云ふことを論ぜられます。多數の用ゐて居らぬものを多數に強付ける必要はないと云ふのであります。さう云ふことをする權能は文部大臣にあるかどうか疑はしいと、斯う云はれるのであります。芳賀博士の總ての御議論は實に達識な御議論であつて、感服して居ります。併し此の必要不必要の論、文部大臣にさう云ふ權能がありや否やと云ふ御論には、少し私は同意が出來ないのであります。言語の變遷は口語の上にあります。それは自然に行はれて行く。文語の方になりますと云ふと、是れは人工の加つたものである。假名遣も同樣である。併し文語になつてから初めて言語は完全になる。言語が思想を十分に表はすと云ふことが初めて文語になつてから完全になる。假名遣は其の文語の方の法則である。若し我邦の假名遣が廣く人民間に行はれて居なかつたならば、それは教育が遍《あまね》く行はれて居らぬ爲めであらうと思ふのであります。そこで丁度昔初めて假名が出來たときに、それを使ふことを當時の政府が人民一般に施し得た如く、今日の文部大臣が假名遣を一般に教へられると云ふことは正當なる權利と思ふ。權利ではない、義務である。教へなければならぬのであると思ふ。之に反して文部大臣を始め教育の任に當つて居るものは、間違つたことを、正則に背《そむ》いたことをしてはならぬかと思ふ。昔の話に羅馬《ロオマ》のTiberius帝が或る時話をして語格を間違へた。さうすると傍に聽いて居たMarcellusと云ふ人が、今のは違つて居ると批難して云つた。さうするとCapitoと云ふ人が聽いて居つて、帝王の口から出た言葉は立派な拉甸《ラテン》語であると斯う云ひました。さうするとMarcellusの云ふには、成程帝王は人民に羅馬の公民權を與へることは出來よう、併し新しい言語を作ることは出來ない。斯う云つたと云ふ。正則に反いたことをすると云ふ權能は帝王と雖《いへ》どもない。これが必要不必要の論であります。
併しながら必要不必要の論の外にもう一つ論があります。假名遣を國民一般に行はうと云ふことは不可能であると云ふ論があります。此の方の側は大槻博士の御論の中にありました。其の中の最も有力なる論據として仰しやるには、斯うして委員が大勢居るけれども委員の中で一人でも假名遣を間違へないものはないと云ふのでありました。實に其の通りでありまして、自分なども終始間違へますけれども、間違つて居ても、間違つたことは人に聽いて訂して行かう、子供にでも間違つて居ないことを教へてやつて、少しでも正則の方に向けようと云ふことを考へて居るのであります。當局に於ては不可能とまでは申されませぬけれども、困難だと云ふことは申されてあります。是れは一般にさう言つて居ります。困難となれば程度問題であつて、不可能ではないのであります。現に當局に於ては假名遣にも人の意識に入つて居る部分と意識に入つて居ない部分とがあると云ふことを言つて居られる。其の意識に入つて居る部分はいたはつて[#「いたはつて」に傍点]存して置いて、意識に入つて居ないものを直すと、斯う云ふ御論であります。併し或るものは意識に入つて居ると云ふことを認めると云ふと、未だ意識に入つて居らない部分も或は仕方に依つては意識に入り得るものではあるまいかと思ふ。扨《さて》古學者が假名遣のことをやかましく[#「やかましく」に傍点]論じて居るのに、例之ば本居の遠鏡《とほかゞみ》の如き、口語で書く段になると、決して假名遣を應用して居らぬと云ふことを、假名遣を一般に普通語に用ゐるのは不可能である、或は困難であると云ふ證據に引かれますけれども、是れは少し性格が違ふかと思ふ。古學者達は文語と云ふものは貴族的なもののやうに考へて居りますから、そこで貴族の階級を極く嚴重に考へまして、例之ば印度《インド》の四姓か何かのやうに考へまして、ずつと下に居る首陀羅《しゆだら》とか云ふやうな下等な人民は、是れは論外だ、斯う云ふ風に見て居りますから、所謂俗言と云ふものを卑《いや》しんだ爲めに、俗言のときは無茶なことをしたのであります。若し假名遣を俗言に應用する意があつたならば、所謂俗言を稍※[#原文ではゆすり点が入る]重く視たならば、あんなことはしなかつたらうと思ふのであります。それでありますから芳賀博士が、若し本居先生などが今在つたならば決して假名遣を國民に布くなどと云ふことは云はれないだらうと云はれるのは、同意が出來兼ます。本居先生が今在つたならば、必ずや國民に假名遣を教へようとしただらうと思ひます。本居先生のみならず堀秀成先生の如きも、是れは死なれてから間もありませぬけれども、若し今日居られたら矢張假名遣を國民に行はうとしたであらうと思ふ。明治の初年に文部省では假名遣を小學校に使用しました。此の結果に就いても私は見方を異にして居る。たしか[#「たしか」に傍点]江原君でありましたか、存外此の假名遣は兒童に歡迎せられたと云ふことを言はれました。私も其の時はまだ半分子供でありましたが、確に歡迎したのであります。若し彼の時の文部省の方針が確定して動かずに今日まで繼續せられて居つたならば、或は餘程人民に廣く假名遣が行はれて居りはすまいかと思ふ。稍※[#原文ではゆすり点が入る]上の學校、中學以上になつて假名遣を誤る例を頻りに擧げられて、それを以て困難若くは不可能の證明にしようとせられますけれども、是れは周圍に誤が多い、新聞紙を讀んでも小説を讀んでも、皆亂雜な假名遣である、目に觸れるものが皆間違つて居るのでありますから、縱令《たとひ》學校だけでどう教へても誤まるのであります。併し明治初年から今日まで若し假名遣を正しく教へることを努力せられたのであるならば、餘程新聞記者や小説家にも假名遣を知つて居る者が今日は殖えて居まして、新聞や小説が正しい假名を多く書くやうになつて居はすまいかと思ひます。さうしたならば中學以上の人などはそんなに間違へずに書きはすまいかと思ふのであります。
それから、然《しか》らば假名遣を若し國民に教へようとするならば、どうしたらば好いかと云ふ其の方法手段であります。是れはたしか[#「たしか」に傍点]黒澤|翁麿《おきなまろ》あたりの工夫でありませうか、少數のむつかしい[#「むつかしい」に傍点]假名から教へて行くと云ふと、後《あ》との容易《やさ》しいのは自然に分ると云ふ方法があります。今日でも假名遣を教へる人は大抵さう云ふ手段を執るやうであります。一種の記憶法のやうなものであります。斯う云ふ記憶法でありますが、是れなどを猶《なほ》研究したならば、教へる方法は今日よりも一層完全に出來得るかと思ふのであります。假名遣の困難と云ふことに就いては主として字音假名遣のことが擧げられてあります。此の字音のことは洵《まこと》に困難な問題でありまして、古い所の、古いと云つても是れは十八世紀ではありまするが、僧|文雄《ぶんゆう》の「麿光韻鏡」から以來、本居の「漢字三音考」と「字音假名遣」、文政中の太田全齋の「漢呉音圖」、現存して居られる木村正辭先生の「漢呉音圖正誤」、先づ斯う云ふやうな系統で、字音の研究がしてある。大槻先生の仰しやつた通りに實に是れは頭痛のするやうな本であります。詩を作つたことのない者などには所詮覺えられぬと云ふ御論は尤もに聽きました。併しながら是れも其の極く困難な部分は殆ど大槻博士の御演説の中に網羅《まうら》してあつたやうに思ふ。兎に角一場の御演説で困難な部分は網羅し得られるのでありまして、其の外は割合に容易《やさ》しいのであります。此の字音の假名遣に對する、之に處する道を考へまするには、漢語がどの位日本化して居るかと云ふ程度を研究する必要があります。先刻申します通り全く字音が國語に化して居るのがある。それからそれに亞《つ》ぎまして、「文」「錢」の外に、あゝ云ふ類の之に準ずべきものがあります。例之《たとへ》ば「天地」と云ふことは「あめつち」よりか「てんち」の方が行はれて居る。是位に日本化すれば是れは國語と見なければならぬ。それに反して所謂漢字に隱れて居る字音と云ひまするものは、日本化した程度の極く低いものである。字音に隱れて居るから之れを改めることは容易だと云つてありまするけれども、字音に隱れて居る程ならば改めないでも宜しいかも知れないと云ふ一方には理由が立ちます。そこでさう云ふ日本化して居る程度の低いものは除いて、十分日本化して居るものを小學等に教へると云ふことになりますると云ふと、字數が自然に限られることになる。其の少數の字數ならば字音假名遣と雖ども教へられるかと思ふのです。そんなら久しく音の訛つて居るものはどうするか。例之ば今の「輸出《しゆしゆつ》」が「ゆしゆつ」になつて居ると云ふやうなことであります。斯う云ふのは「ゆしゆつ」と云ふ新國語と認めます。是れは音でない、訓だと思へば宜しいのであります。是れは字音としての取扱を停止すれば宜しいのであります。然らば未だ字音の考へられて居らぬものはどうするか。大槻先生は烏帽子の「烏」は「え」であるか「ゑ」であるかと云ふ疑を御引きになりました。斯う云ふことこそ國語調査會と云ふやうな所で定案を作つて、兎に角一つの案を作つてそれを公認せられることが必要であるかと思ふのであります。
併し困難は獨り字音ばかりではない、國語の假名遣にもあります。此の場合では殊に少數のむつかしい[#「むつかしい」に傍点]假名から教へるといふ手段を研究して、其の方法をもう少し完全に作れば、假名遣を廣く教へることが出來ようかと思ひます。諮詢《しじゆん》案では「動詞の活用から出て居る假名」と云ふものだけを保存することになつて居りまするが、其の御趣意は至極結構な御趣意と思ひます。併し實際の案に表はれて居るところはどうも用意周到でないやうに思ふのであります。例之ば和行の假名を以て言つて見ますると「居る」と云ふ語は假名遣を存して置く。是れが名詞になつて、例之ば坐に居る「位」、「圓居」、「芝居」と云ふ假名になると阿行の「い」になるやうに思はれる。又「据う」と云詞《いふことば》でも「すう」と云ふ假名遣が存してある。「つきすゑ」の「つくゑ」又「いしずゑ」の「ゑ」になると、是れは阿行になつてしまふ。斯う云ふことがあつて見ると云ふと、どうも境界がはつきり[#「はつきり」に傍点]しないやうに思ひます。どうも此の案は未だ十分熟して居るまいかと思ひます。教育團とか云ふものの意見と云ふのが、此の頃新聞に出て居りますが、大いに參考すべきことがあるやうに見受けます。大體の論は私は取りませぬけれども、此の諮詢案に對する教育團の意見と云ふものには宜しいところがあるかと思ひます。又國語の假名遣で未だ考へてないもの、例之ば「くぢら」か「くじら」か、「たはら」か「たわら」かと云ふやうなこと、是れも先刻の字音と同じく、斯う云ふことこそ國語調査會などで研究せられて其の結果を公認せられたら宜しいかと思ひます。兎に角字音にも國語にも假名遣に困難はありますけれども、凌ぐべからざる程の困難はないやうに思ひます。
そこで自分の意見を尚《な》ほ約《つゞ》めて申しますれば次の通りであります。第一に假名遣は成程性質上から保守的なものである。併しながら發音的の側から見ても大なる不都合があるものとは認めない。夫故《それゆゑ》に教科書などでは矢張假名遣の正則として之を用ゐられたいと云ふ、此點は陸軍省も一般に其の意見であります。第二は假名遣は發音的に改めると云ふことを爲し得るものである。政府は極く愼重に調査して漸を以て改められるが宜しい。其の時には國語を淨《きよ》めると云ふことを顧慮して、徐々に直されたい。斯う云ふのであります。それから次に第三に此の假名遣を直すに先立つて、國語にも字音にも假名遣の未定問題があるから、さう云ふことは學者の團體にでも命じて兎に角定めさせてそれを公認せられたい。斯う云ふのであります。そこで此の諮詢案と云ふものはどうも未だ熟して居らぬやうに思ふ。尚ほ附け加へて申したい意見があります。どうか政府に於ては純粹に發音による國語の書き方と云ふことを、一層深く研究せられて、丁度西洋で發音學者、Phonetikの學者がいろ/\研究して居るやうに國語を成るたけ完全に發音的に書くと云ふ方法を研究せられたいと斯う思ふのであります。どうも唯今改正案になつて居る發音的の假名と云ふものは發音的でない所があるやうに思ふ。矢野君でありましたか、斯う言はれました、「かう」だの「こう」だの「かふ」だの「こふ」だのを「こう」と書く、それは矢張發音的に「こお」と「お」の字を書いた方が宜しいと云ふことを言はれましたが、御尤《ごもつと》もと思ひます。古い催馬樂《さいばら》などに阿行の母音を後へ添へて書いたやうな例があるかと思ふ。是れなどは寧ろ發音的で書くと云ふ側からは「こう」と書かずに、阿行の「お」を使つて「こお」と書いた方が宜しいやうに思ひます。其の外發音の必要なる研究の他の例を言ひますと、外國の語を書くときに英語で云ふ「あある」と「える」などは別々に表はされない。是れなども何か符號を以て表はすことが必要である。さうなればrとlの音を別々に表すことが出來ると思ふ。さう云ふ發音的に國語を完全に書く法を十分研究して置かれると云ふと、其中からどれだけのものを採つて假名遣に入れると云ふときの基礎にならうと思ふ。さう云ふ元帳を作つて置いてそれから靜に改正をしたいのであります。それからもう一つ申して置きたいのは、小學などの教育に新しい發音假名を教へると云ふことは是れは混雜の原因となる。それは教へなくても宜しいと云ふことであります。是非小學校の初めから假名遣は正しい假名遣を教へるが好い。教科書は正則の假名遣で書いてやりたい。そこで子供に自身で何か書かせる。書かせる段になると云ふと或は發音的に書くかも知れぬ。其の時に發音的に書いたのを誤としない、それを認めてやる。こんな時の教員の參考には、今云つたやうな發音的の書き方の調査が出來て居つたならば、それを使用することが出來るだらう。發音的に書いたのを、それを誤には勘定しない、斯うして行きます。さうすると云ふと一向差支ない。是れが本當の許容である。是れなれば許容と云ふ詞は正當に用ゐられて居るのであります。そこで目に觸れるものは悉く本當の假名遣になつて來る。斯の如くにしたならば、段々小學校から中學校に行くに從つて假名遣を覺えるだらうと思ひます。大略斯う云ふ意見であります。
(明治四十一年六月)
底本:「筑摩全集類聚 森鴎外全集 第7巻」筑摩書房
1971(昭和46)年8月5日第1版発行
入力:山田豊
校正:高橋真也
1999年7月23日公開
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