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白い雌鷄の行方
水野仙子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お店《たな》

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   (数字は、底本のページと行数)
(例)網[#底本では「綱」、109-9]
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    一

 年老いた父と母と小娘二人との寂しいくらし――それは私が十二の頃の思出に先づ浮んで來る家庭の姿であつた。總領の兄は笈を負うて都に出てゐるし、やむなく上の姉に迎へた養子は、まだ主人からの暇が出ないで、姉と共に隣町のお店《たな》に勤めてゐた。町でも繁華な場所に家屋敷はあつたけれど、軒並に賑つてゐる呉服屋や小間物店の間にあつて、私の家ばかりは廣い間口に寂しく蔀が下されてあつた。
 年に一度、少しばかりの米俵を積んだ荷馬車がどこからか來て庭先にとまる。そして馬子がそれを一俵づつ背中に負うて、内庭を通つて倉に運んで行く。私はもの珍しくその後について行つてみると、母は上つぱりを着て手拭を冠つて、もう一人の男と馬子とが擔ぎあげる天秤棒を通した秤の目を取つてゐる。母のうわつぱりの横の方が、糠か何かで白くなつてゐる。時々俵をこぢあけて、一つまみ米をつまみ上げて手の平で吟味する――さうした大人のしぐさを感心して見てゐる私の足許に、ふと「こゝこゝこ、こゝこゝ。」といふ元氣のいゝ鷄の聲がする。奴さん達もう落米を見付けてそれをひろひにやつて來たのだ。
 あゝ、今でもその薄暗い倉の中に動いてゐる母の手拭を冠つた姿と、あのまつ白な雌鷄のちよつぴり傾いた鷄冠とが見えるやうな氣がする。そしてその二つのものが、何といふ女性らしい――否、いふ事が出來れば母性らしさを、共通に私の記臆にとゞめてゐる事であらう。
 私の家で鷄を飼つてゐたのは、後にも先にもその頃が初めてゞあつた。何でもそれは、總ての生物が好きだつた私が、犬を飼つてくれ犬を飼つてくれとせがんだのがはじまりだつたと思ふ。父が實利的な頭から割り出して、犬は大飼を喰ふばかりで何の役にも立たない、猫はそれでも鼠を捕るといふ仕事があるが、犬ばかりは人間に直接な役目をしないといふのがその持論なのであつた。ところで、猫は私達姉妹が大好きなのだけれど、幾ら飼つてもどうしても私の家には育たないのであつた。病氣になつて死ぬか、でなければ車に轢かれる、或はゐなくなつてしまふといふ風に、どうしても大きくならないうちにみんなどうかなつてしまふのであつた。寅年生の者がゐる家には猫が育たないといふ話があるけれど、姉はちようどその寅年生なのであつた。で、猫も駄目なので、犬のかはりに鷄が飼はれたわけであつた。鷄なら玉子を生むからといふのである。
 かうして飼はれるやうになつた鷄が、どこからどうして手に入つたのかなぞは、全然私の記臆にない。私はたゞ珍しくつて嬉しくつて、そして何故ともなく、かすかに得意だつた氣持を覺えてゐる。最初の日は、どこかに行つてしまふのを恐れて、裏庭に出して背負籠をかぶせて置いた。(勿論金網[#底本では「綱」、109-9]の用意などはなかつたし、作らうともしなかつた。)そしてその前に屈んで、私は飽かず彼等に眺め入つた。
 純粹の矮鷄《ちやぼ》にしては少し形の大きい雄鷄は、玉蟲色に光の陰翳する羽根や、黄金のやうに輝く毛をもつて全身を蔽はれ、形よく盛れ上つた尾は長く地を曳くばかりであつた。そしていかにも若い者のやうな元氣で地を掻きながら、首をかしげて雌鷄に合圖をし、又は絶えず周圍の物音に氣を配つて、きつと重い鷄冠を振りたてた。彼は如何にも男性らしく立派であつた。その立派さに對して雌鷄の無彩色なのは、一寸見ると見劣がするやうであつたけれど、雄鷄から暫く目を轉じて彼女を見てゐるうちに、私はたまらなくその雌鷄が好きになつてしまつた。全身が眞白で、綺麗で、ぷくりと脹れてゐる胸のあたりの美しい線が、何ともいへず華奢であつた。小さな丸い首の上に赤い鷄冠がちよんびりついてゐて、それが左の方が少し曲つてゐるのが、前髪に赤いきれをかけた娘のやうに、いかにも女らしかつた。時々小さな潤んだ目を上げて、籠の前に跼んでゐる私を窺ふやうに首をさしのべた。私は無暗と籠の目から菜の葉を差し込んだり、そつと臺所から磨いだお米を握つて來たて、上からぱらぱら振りかけたりした。鑵詰の空鑵に入れて置いた水を、狭い籠の中で雄鷄が足掻く拍子に引つくり返してしまふのを、幾度か充してやつた。
 少年時代の幸福な眠を、私はその夜も母の懷の傍で眠つた。そして一夜の夢の旅から、私のおぼろな意識がだんだん朝の領分に歸りかけた時分に、今迄聞いた事もない、つい近くで、冴々として閧を作る鷄の聲を聞いた。やがて私はぱつちりと眼を開けた。そしてその時はじめて昨日の記臆が瞭然と私の腦裡に歸つたので、私は珍しく自發的に起き上つて、臺所に物音をたてゝゐる母を思ひながら默つて着物の袖に手を通した。
 私が下駄の音をたてゝ鳥屋の前に近づいて行くと、庭の戸がまだ閉つてゐるために薄暗い小屋の中[#底本では「中」が脱字、111-3]から、もう疾うに目覺めてゐるといはぬばかりに、「こゝこゝ」と促すやうに呼んでゐた。雛を少し[#底本では「し」が脱字、111-4]大人にしたやうな「ぴいよぴいよ」といふ優しい雌鷄の聲も遠慮深さうに交つて[#底本では「て」が脱字、111-4]ゐた。
 私がその小さな小屋の戸をはづしてやると、勇んだ足取で出て來た雄鷄は、背伸でもするやうに [#底本では一字欠、111-6]羽搏して、突然力を入れて閧を作り、それから「こゝこゝ」と妻を呼びたてる。私の足が小屋の前に立つてるために、出るのを躊躇してゐた雌鷄は、その聲を聞くと、まつ白くするりと脱け出して、怪訝さうに首をのばしながら見なれぬ庭の中を覗き廻してゐた。
 やがて煙のやうに湯氣の騰る暖い朝餉の膳に私達は向つた。すると母が思ひ出したやうに、
『曉方、どこかの一番鷄が一聲啼くと、すぐに家の鶏が閧を作つたつけ。』と言つた。
『さうだ。』と、無口な姉も口を添へる。
 父は默つてゐたけれど、無論それを知つてるだらうと私は思つたので、自分一人が、この私の家に於ける最初の鶏の啼聲を聞き洩したことを、どんなに殘念に思つたか知れなかつた。

    二

 私は學校から歸ると、必ず自分のおやつを貰ふことゝ、それを喰べながら鶏を眺めることゝを忘れなかつた。おさつの臍の方などを投げてやると、雄鷄は「こゝこ、こゝこ」とつゝき廻しながら雌鷄に譲つてやるのだつた。けれども時々雄鷄が翼をひろげて雌鷄の方に寄つて行くのを見ると、雌鷄が一寸逃げるやうにするので、はじめのうちはよく雄鷄を袂で追ひ拂つたものだつた。雌鷄がいぢめられるのだと思つたものだから。
 ある日のこと、雌鷄はひとりで内庭の方に入つて來て、頻に何かを搜してゐる模樣だつた。
『玉子を生《な》すのかも知れないから、小屋の戸を開けてやつて見ろ。』と、母が言つた。
 それを聞くと、私は何か信じられないものを信ずるやうな期待でいつぱいになつた。言はれるとほりに小屋の戸を開けてやると、彼女はやがて用心しいしいその中に入つて行つた。
 私は幾度か小屋を覗きに行つた。その度に彼女は不安さうに首をのべて、私がどうかしやしないかと窺ふやうに顏を眺めるのだつた。幾ら待つても彼女は巣から出て來ないので、私はやゝ飽いてしまつた。そして折から誘ひに來た友と一所に表に出ていつてしまつた。
 暫くして、何も彼も忘れて表から家の中に飛び込んで來ると、庭の入口に立つてゐた母が、
『ほれ、こんなにめんげのを生《な》した……』と、手の平に粉を吹くばかりに綺麗な、恰好のよい玉子を載せてゐた。
『ほんと? え? これほんとに家の鷄が生《な》したの?』
 私は奇蹟でも見るやうに、母の手から玉子を奪つて、握つて見たり、頬にあてゝ見たりして騒ぎ廻つた。その玉子は家内中の手から手へ渡り、それから私の友達が遊びに來さへすると、必ず出して見せられたのであつた。
 それからといふもの、彼女は大抵一日おきに産卵した。

『おゝ、いゝ鷄がゐやすなあ、どうです卵を生《な》しやすか? これはもう一羽雌鷄を置くといゝんですがなあ、さうしつと大抵卵をかはりばんこに生しやすからなあ。そのうち一つ在の方さ行つた時に、恰好なのを見つけて來てあげやせう。』と、あるとき紙屑を買ひに來た棒手振が、暫く鶏を眺めてゐたあとで言つた。
 その人の手から買はれたものであるかどうかははつきり分らないけれど、とにかくもう一羽の雌鷄が、間もなく一所に遊んでゐるやうになつた。
 それは全身茶褐色の雌鷄で、白い雌鷄に比してどこやら形が武骨であつた。飽く迄も白い雌鷄贔負の私には、その茶色の鷄の眼付が、何となく意地惡さうに見えてならなかつた。また實際彼女は意地惡であつた。ぱらぱらと小麥を撒いてやると、一口二口ついばむと思ふ間に、いきなり白い雌鷄をつゝいて、餌の傍に寄せつけないやうにするのであつた。氣の弱い白い雌鷄は、それに手向はうともしないで、一人で悲しさうに遠のいてゐるので、私はわざといつぱいそこらに餌を撒いてやる。すると茶色のは、自分の方を一粒殘さず拾ひ上げもしないうちに、又やつて來て白い雌鷄をつつく。それを憎らしがつて私はよく茶色の籠をかぶせてやつたものだつた。
 この茶色の雌鷄は一つも卵を生まなかつた。それでゐて燒餠やきで、雄鷄が白い雌鷄を呼ぶやうなけはひがすると、つゝうつと走つて行つて、白い雌鷄をつゝいていぢめた。それにも拘らず白い方はやはり今までどほり卵を生んでゐた。そしてつゝましく群を離れて遊んでゐる事が多かつた。
『この鷄は石鷄だ。』と、あるとき母は奸婦らしい茶色の雌鷄を眺めながら呟いてゐた。
 雌鷄がキメて(臍を曲げる意味)玉子を生まなくなると、盥を被せて置くといゝといふ話がある。在方の百姓家などではよくやるのださうだ。で、母は試に一日茶色の鷄に盥を被せて、その上に石を載せて置いた。夕方ほかの鷄が鳥屋に入る頃、石を取りのけて盥を起して見ると、仕方なささうに地べたに坐つてゐた茶色の雌鷄は、けろりとした顏をして起き上つて、首をさしのべさしのべ、雄鷄の聲のする方へと歩いて行つた。
 二三日經つたけれど、やつぱり彼女は卵を生まなかつた。そしてたうとう最後まで一つも生まないでしまつた。
 ある日、家内に何か忙しい事があつて、夕方になつても彼等を小屋に入れないでゐると、「こゝこゝ」と、妻たちを呼びながら、さつさと庭に入つて來た雄鷄は、いきなりばさばさと強い羽音をたてゝ、煤けた臺所の梁の上に飛び上つた。そしてまた「こゝこゝ」と上の方から呼ぶと、續いて茶色のもまた飛び上つて行つた。
『あらあら、鷄があんなとこさ上つた……』と、私が叫ぶと、
『在の百姓家では、よくあんなとこさ上げて置くから、それを覺えてゝ、はあ夕方になつたから上つて寢るつもりなんだ。』と、母が説明してくれた。
 私は奇異な思をしながらなほよく上を眺めてゐると、雄鷄と茶色の雌鷄とは、煤だらけの梁の上にぴつたりと寄り添つて、胸元をふくらませながらもう寢仕度にかゝつてゐた。それまで下の方にぴよぴよ言つてゐた白い雌鷄は、是もやつとの事で高い梁の上に飛びつくと、茶色のが意地惡さうにひよいと首をつき出すのも待たず[底本では「す」、116-7]、遙に雄鷄から離れたところに寂しく脚を折つて胸をつき出した。それを見ると、私はまた急に憎らしくなつて、高い窓を閉めるために入れてあつた竿を持ち出して、茶色の雌鷄を下からこつこつとつゝいてやつた。

    三

 ある日の事であつた。井戸の側の濕つた地に轉がつてゐた石を掘り返すと、大きな蚯蚓が出て來たので、私は鷄共をそこに呼び集めながら、棒片を持つて猶もやたらにそこらを掘り返した。「こゝこ、こゝこ」といふ嬉しさうな聲が、暫く私の足許に續いてゐた。その時、何の前提もなく、いきなり白い大きなものが、非常に急速な勢で轉がつて來たと思つた刹那、「けつけえつ!」といふ裂かれるやうな叫聲に、私はひつくり返るばかりに驚いて飛びのいた。そしてその白いものが、大きな斑猫だと分つた時に、私は初めて、
『あつ! 大變だ大變だ!』と叫んだのであつた。
 脅された鷄の聲の烈しさに驚いて驅け出して來た母は、
『あつ、こん畜生!』と言ひながら、引きずるやうに鷄を喞へて行く猫を追ひかけたけれど、猫はすばやく隣の塀の下を潜つて、どこかに見えなくなつてしまつた。
 私はただあつけに取られて、何が何だか分らないでゐたが、ふと見ると、白い雌鷄が不安さうに胸に波打たせてゐるので、まあよかつたといふやうな氣がした。猫に捕られたのは、あの意地のわるい茶色の雌鷄だつたのである。
 しばらくしてから私は母として隣の家の庭まで搜しにいつて見たけれど、勿論そこらにぐずぐずしてゐるわけはなし、またどこの猫かも分らなかつたので、私の家ではそのまゝ泣寢入になつてしまつた。
 この思ひがけぬ出來事のために、彼等はまた一夫一婦の平和な生活に還る事が出來た。そして永久に平和であるべき筈であつた。けれども、美人は薄命であると、私はこの白い美しい雌鷄についても言ひたい……
 鋭い猫の牙に咽喉笛を切られた茶色の雌鷄の記臆は、もう次の日から彼等の間に影も見えなかつた。家の者達が注意して裏庭には出さないやうにしたので、一日内庭の固い土の上を仲好くあさつて歩き、時々勝手の上り框に載つて餌をくれと人にせがむやうな顏付をしてゐた。ある時はまた表の軒下に置いた荷車の下で、土を浴びながら羽蟲の取りこなどをしてゐた。
 かうした日の連續なるある日、門口で友達と別れた私が、カバンの中の筆入をがらがらさせながら家の中にはひつて行くと、ふと後にひそやかな足音と「とううとうう」といふ聲がするので振り返つてみると、例の白い雌鷄が一人で寂しさうに私の後について來るのであつた。なんだかその姿がいつもに似ず寂しく思へたけれど、別に氣にもしないで、
『唯今。』と、大きくどなりながら上つて行つた。
 家の中には誰もゐなかつた。私は例ものところにカバンを掛けて、またすぐに裏に出てみると、母と、それからいつも畑仕事に來る日雇人とが、二人とも手に棒片をもつて、
『ほんとに仕樣のない猫だ、この間で味しめたもんだから……』
『今度また來たらぶち殺してくれつから……したがまあ惜しいことをしやしたなあ、もう一足早いとよかつたんだが……』などゝ言ひ合つてゐるのだつた。
 私はどきりとして、
『どうしたの! え、お母さん。』と、その袂を掴んではげしくゆすつた。
『こないだの猫がまた來て、今度は雄鷄を捕つて行つたのよ。』と、母は私にも腹だたしく返事しながら、『ほんとに太い畜生だ、人のゐる前でも何でも飛びかゝつて來るんだから、よつぽどあれは年功を經た猫だわい。』と、殘りをしさうにしてゐた。
 私は直接自分の目に見なかつたその出來事を、半分信じて半分疑ひながら、たゞ默つて二人の顏を見くらべてゐた。そしてその日はそれからおやつを貰ふのも忘れて、猫に捕られた雄鷄の事を考へてゐた。大人達のいふ、惜しいことをしたといふ感じよりも、私にはたゞたゞあの元氣な雄鷄がどういふ風にして死んだかと考へられ、その目を瞑つてぐたりとなつてる姿が目にうかび、鼠を喰べるやうにぼりぼりと喰べられたのかと思ふと、かはいさうでならなかつた。私は長いこと倉の戸前の石に腰を掛けて、ぼんやりと猫に捕られたといふ雄鷄の事や、先刻自分の後について來た白い雌鷄の寂しさうだつた事などを考へてゐた。
 日が暮れて、私達四人の家族が、味噌汁の煙に曇るランプの下で夕餉の膳に向つた時に、母が畑の見まはりに出てゐた父の留守に起つた鷄の一件を、再び忌々しさうに繰り返した。
『まあ仕方がない。どうせ放して置けば取られるんだから、はあ、後は飼はないことだ。』と、父が言つた。
 私は無論内心それに不服はなかつた。なぜなれば、あの白い雌鷄にふさはしかつたあの若い雄鷄を除いては、もう決して他の猛々しい雄鷄を彼女にめあはせるのは、かはいさうのやうな、惡いことのやうな氣が自然にしたからであつた。その時私は、胸のうちにひそかにあの寂しい白い鳥を抱きしめてゐた。
 さて、私は最後にあの白い雌鷄との心ない別離を叙さなければならぬ。
 それはやつぱり私が學校から引けて歸つて來た時のある午後のことである。どこからか貰つたお赤飯の一皿を、佛壇からおろして(佛壇に乘つてるものは、大抵私のとして取つて置かれるものであつた。)無茶な運動のあとの空腹においしく喰べながら、私はふといつも庭に見當る白い姿がないのに氣がついた。そしてその最後の一口を、彼女にやるつもりで掌に握り、裏の方へと搜しに出かけた。
 母は裏口の日蔭に席を敷いて、盥の中で眞綿をかけてゐた。私は『とうとうとう。』と呼びながら草履の音をぴたぴたといはせて、藏のうしろや、木小屋の中や、臺所の梁の上まで搜し廻つた。けれども、あの見なれたひそやかに寂しい姿はどこにも見えなかつた。もしやと思つて小屋の中を覗いて見ると、汚くなつた巣卵が、藁屑の上に轉がつてゐる[#底本では「か」、121-10]ばかりで、やつぱりそこにもゐなかつた。
『鷄がゐない、お母さん。』と、私は、もうぼんやりあることを感じながら、母の前に立つて言つた。
『さうだ、先刻から見えない。』と、母が言つた。
『どこさ行つたの?』
『どこさ行つたか分らない。ひとりでゐなくなつてしまつたんだ。』
 私は強ひて餘計な詮議だてはしなかつた。
 その儘ぼんやりと立ちふさがつて、母の手元を瞶めてゐた。いつもたくみに指先を働して、茹でた繭を開き、中の蛹を取り棄てゝ板の四隅に張りかけるのを見てゐると、自分もやつて見たくてたまらなくなるのだけれど、今日はたゞ默つてそれを瞶めてゐるのであつた。
 ふと掌に何か握りしめてゐるのに氣がついて開いて見ると、彼女に投げてやらうと思つた赤飯の殘が、手の垢に汚れて眞黒くなつてゐるのであつた。それを見ると、私はまた急に白い雌鷄の行方が案じられた。
 私はひとりでにゐなくなつたといふことを、決して信じはしなかつたけれど、その癖やつぱりなぜともなく、彼女が、見えなくなつた雄鷄を探ねて、どこともなくぽつぽつ歩き去つたその寂しい姿が眼に見えてならなかつた。
 さうして私は今でもなほ、彼女が賣られたものと現實的に考へるよりは、雄鷄を探ね探ねて、つい行方知れずになつたものと考へたいのである。



底本:叢書「青踏」の女たち 第10巻「水野仙子集」不二出版 
   1986(昭和61)年4月25日 復刻版第一刷発行
親本:「水野仙子集」叢文閣
   1920(大正9)年5月31日発行
入力:小林徹
校正:柳沢成雄
2000年2月22日公開
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