青空文庫アーカイブ


――ある妻の手紙――
水野仙子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)棲所《すみか》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)眠つてしま[#原文では「ま」が抜けている]ひ
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     一

 まだ九月の聲はかゝらぬのに、朝夕のしんめりとした凉しさは、ちようど打水のやうにこの温泉場の俗塵をしづめました。二三日このかたお客はめつきりと減つて、あちこちの部屋にちらりほらりと殘つてゐる浴衣の人は皆申し合せたやうにおとなしくしてゐます。煙管を煙草盆に叩く音や、女中を呼ぶ手の音や、鈴の音が、絶間なく響く谿流の中に際立つてほがらかに聞えるのも、空虚になつた宿のしづかさを語つてゐます。これでやうやく私は自分の棲所《すみか》にかへつたやうに、安易な心持で朝々の蚊帳をぬけ出る事が出來ます。けれども寂しい。
 今朝、私はこまかに降つてゐる霧の中を、宿の重い山桐の下駄を履いて、音高く橋の上を歩いて見ました。つめたくさわやかな風は、寢卷の上にはおつた袷羽織のなめらかな裏を通つて、袖と袖を離し、縮緬の重さを頼つて、羽織を私の肩から奪はうと企てゝゐました。
『およし、わたしは寒いんだから!』
 私はかう呟きながら川風に逆ひつつ橋を渡つて、それから左の方の道へと足を向けました。左へ、私はこれまでついぞ一度もこの左へは足踏をしてみませんでした。それはますますこの地を奧深く導くところのそれで、小高い宿の廊下に立つて見ると、ちようど地の帶のやうに樹立の下に敷かれてみえるのでした。磐梯の麓をめぐつて行く汽車もそちらへ、さうしてその殘して行く煙の末を見まもりながら、こゝに寄つた郵便屋がまた更に、その左の方の道を辿つて行くのを見る度に、一山越えた里の人家を、そゞろになつかしく思ひやるのでしたけれど、私はやつぱり曾て自分が來た方の道へ、誰か自分を訪ねて來る人に、途中でめぐり合ふことでもあるやうな當もないあこがれをもつて、やつぱりつい右の方の道へと歩いて行くのが常なのでした。
 二つの流もまた右へと走つてゐました。私はその水音に逆ひながら、洗はれたやうに小砂利の現れてゐるでこぼこした道を、きりぎりすの鳴く音を聞き流しつゝ、とぼとぼと辿つて行きました。水際の叢にはまつ白な山百合の花が、くつきりとした襟元をみせてうなだれてゐました。ふりかへつてみると、山の中腹に立つてゐる岩は、青い望樓にのぼつた人間のやうに、さぞちつぽけにみえるだらうと思ふ私を見送つてゐます。また前を見れば山から山にかさなり續いて、その狹間の緑の下から、私の前には一旦隱れてゐる道のつゞきが細く細く、一筋の糸のやうに見えてゐます。前を見ても後を見ても、また横を見ても、この時私の外には、たつた一人の人の影も見る事が出來ませんでした。朝の氣の漲つたぐるりは清淨で、そしてしいんとしてゐました。
 ふと氣がついてみると、こまやかな霧の中を縫つて來たために、私の着物の袖はしつとりと霑つてゐました。さうしてどうしたといふのでせう、その時私は別にこれぞといふ心を覺えることなしに、いつか自分が涙ぐんでゐるのを知りました。そしてそれを知つたはづみに、はらはらとつめたく涙が頬につたはるのを覺えました。

     二

 それは何といふ靜な心の境だつたでせう。そのしづかさに波だたせるやうな身じろぎも恐しく、寸分も今歩いてゐる體の位置を易へまいとするやうに、つめたいものゝつたはる頬をそのまゝにして、私はやつぱりとぼとぼと歩きつゞけてゐるのでした。
 私は今その心持に、殊更な意義をつけたり、またかれこれとむづかしく説明を加へたりしたくありません、それはまた決して出來ない事です。たゞ一年有半私を孤獨にして、すべての愛する者から遠ざけて置く病氣が、そんな風に私を感じ易くしたのだといへば事足ります。あんなにはしやぎやの、却つてあなたを寂しませる位にはしやぎ出すのが常であつた私が、人知れずあなたと私とのためにかくれがを思ひ、寂しいしづかな道を二人のために備へようとしてゐるのを、あなたはお信じになることができますか。もしお信じになつても、それをやはり私の病氣の故に歸して、肉體の元氣の恢復と共に、跡方もなく消えて行く心と御覽になりはしませんか。けれどもそれはさうでないと言つたところで、また或はさうであるかも知れないのですけれど、私は今この現在を餘所にして未來を語りたくはないし、またあなたにも、この現在よりも先に未來を思つて頂きたくはありません。さうして私は今それを信じてゐます、あなたが必ず私のその心に同意を表して下さるだらうといふことを。
 覺えてゐらつしやるでせう、あの今年の冬の二月、田舍の病院であなたを待ち切つてゐた私が、あなたの顏を見るとすぐに、あの寒い障子を開けて、しづかにあなたの目にその庭の雪を指したことを。さうして私は床の上に起きかへつていひました。
『雪は明方に止みましたの、私がふと眼を覺した時には、もうすつかりしづかになつてゐて、どんなに耳を欹てゝも、天地の物音は何一つとして聞くことが出來ないのですよ。私は考へたの、雪は止んだ、天地は死んだのかしら、それとも眠つてるのか知ら、いやいや死んでもゐない、眠つてもゐない……だけども、こんなに息をつかないでも生きてゐられるかしらつてね。そのうちにまた眠つてしま[#原文では「ま」が抜けている]ひましたの、そしていつもよりうんと朝寢をしつちまつたのよ。目が覺めたら、あなたが今日おいでになるつていふ手紙が枕許に置いてありましたのよ。私ね、それを手に取りながら、なぜかふつと昨夜……明けがただつたけれど、目を覺した時のことを思ひ出しましたの、そしてお蔦に障子を開けさせましたらね、ほら、こんなに深くまつ白に積つてたんですよ。綺麗でせう、まだだあれも足跡一つ、指の跡一つだつてつけやしないわ、私、今朝ぢいつとこれを眺めてましたらね、なんだかあなたと私との家が、誰にも知られないかくれ家が、この雪の中に、ちようど蜃氣樓のやうになつて見えて來るやうな氣がしてならなかつたのですよ……』
 しかし私は言ひ足りなさを覺えて自分の胸を抑へました。
『ごらんなさい、何のけがれもない純白な世界、それだのにあの空の青いことは!』

     三

 あなたは私の言はうとして言ひ現せない心を汲んで、優しい目で私を御覽になりながら、しづかに私の手をとつて接吻なさいました。
『有り難う!』
 かう仰しやつたあなたの目にも涙がありましたわ。
 その時二三羽の雀が、ちゝちゝと鳴きながら、枝垂櫻の枝の間を飛び歩いて、ほつそりと枝なりにかゝつてゐた雪を、はらはらとこぼしてをりました。それから私は急に氣がゆるんだやうな、がつかりとした氣持になつて、また床の上に倒れたのでした。
 ねえ、覺えてらつしやるでせう、その時の事を。今朝の私の心持も、やつぱりそれと同じやうな心の感激だつたのでせう。
 それからしばらく經つと、私はあなたに手紙を書きたい氣でいつぱいになつて、たゞ一途にその事ばかり考へながら、同じ道を引き返して來ました。そして矢庭に筆を執りました……けれども、こゝまで書いて來た上で、一體私は何をあなたに言ひ送らうとするのかを考へてみなければならぬやうな氣持になつて來ました。私は一まづ筆をおいて、體を横にして、しばらく思に耽らうと思ひます。
(午後三時書き次ぐ)また少し胸が痛む……あの變な、何ともいへぬ不氣味なうづき、けれどもそれに心を假してゐると、また氣が滅入つて仕樣がないから、構はず先を書いて行きませう。病氣よ私はお前に感謝する、なぜならばお前は私の胸に巣をくつて、そのかはりには、脂肪と垢との健康から私の精神を洗つてくれたから。
 早いものですね、私達が結婚してからもう七年になります。その七年の間、ざつといへばあなたも私も大變不幸でした。それは爭と、煩悶と、迷との年月でした。勿論私達は相愛さなかつたわけではないけれど、しかもそのために却へてくるしみを得ました。二人の結合を折々宿命的に考へることがあつても、これが必然の運命と思ひ切れぬところに、すべての錯誤と、焦慮と、苦惱とがありました。それを分類すれば、第一に二人の性格の相違、あなたは澄まうとする、私は泡を立てる。あなたは眠らうとする、私は笑はうとする。あなたが靜寂を欲すれば、私は歌ひ、話し、踊ることを喜ぶ。さうしてお互に己の欲する所に從つて、讓る事をしませんでした。殊にそれは我儘な私の場合に於てさうでした。
『なんて我儘な女だらう!』
『えゝ、私は我儘よ。』
 それがいけないのですかと言はぬばかりに、私はあなたの情なささうな顏を意地惡く見つめる。
『またヒステリーがはじまつたね。』と、仰しやれば、
『えゝ、私はヒステリーよ。』と、すまし込んで、しかも寧ろ得意さうな顏付をする。
 あなたは默つてしまふ。
 かういふ調子は不斷の有樣でした、しかも私はそれで幸福でしたらうか、いゝえ、決して! さういふ時、私はあなたがいつも諦めたやうな顏をなさるのが殊に大きらひでした。そして默つて机に向つて、こつこつと例の飜譯ものにかゝつてしまふあなたの後姿を、どんなにうらめしく憎らしく眺めやつたことでしたらう。

     四

 一口にいへば、あなたは熱のない人でした。いつも同じやうにたひらかであるかはり、感情が堰かれて迸るといふやうな事もあまりなく、靜に默つて、いつまででも同じ所に坐つてゐられるやうな人でした。私ははじめ、あなたつて人は決して汗をかゝない人のやうに思つてゐました。どんな眞夏でも、あなたの落ち着いた顏を見てゐると、どうしたつてその肌が氣持わるく汗ばんでゐるとは思へないやうでしたもの。暑さ、寒さ、痛さ、痒さにこらへ性のない私は、一面にあなたのさうした枯れたやうな所を好いた癖に、またよくその穩さに意地を燒きました。そして一寸お芝居めいた事のすきな私の計畫は、いつもあなたの興味のない顏色で、忽に崩されてしまふのが常でした。
 たとへば、私は急にあなたに手紙が書いて見たくなつて、(かうして長い間別れてゐる今にして思へば、あゝそんな時もあつたのだつけと思はれますね。)早速その計畫に取りかゝります、といつて書かなければならぬ程の内容を私は別に持つてゐるわけでもないのです。
『今日はほんとによく晴れたお天氣ですこと、あの厭なぎいぎいいふ井戸車の音も、何となく今日はのどかに聞えるではありませんか。あゝ私達の家は今靜に平和です。あなたはこの半日を書齋でおすきな讀書に費し、私は茶の間でお裁縫をしてゐます、ほんとにほんとに落ち着いた靜ないい氣持よ。それではさよなら。』
 私は筆を擱く、それから一寸考へて、『御返事を下さい。』と小さくをはりの方に書き添へる。それを封筒に入れて、すつかり表書をして、女中部屋で居睡をしてゐるふくやを呼んで、これを旦那樣の所に持つて行くやうにと手渡します。
『あの、おうちの旦那樣のところへでございますか?』と、ふくやは不思議さうに私の顏と手紙とを見くらべる。
『あゝ、さうよ。』
 やがてふくやは書齋の方にその足音をたてる、戸が開けられる、併しあなたはまだ振り向かない。
『奧樣から……』といつて、ふくやは一封のかはいらしい手紙を、あなたの机の端の方に置く。その時あなたは初めて目を書物の上から離します、さうして微笑が徐にあなたのしづかな顏にのぼつて來る……
 かうした順序を想像しながら、私は樂しさに滿ちて、一しほ針のはこびをいそしみながら待つてゐます。五分、十分……耳をすましても、併しあなたはまだ返事を託すために、私が豫期した如く、ふくやを呼ばうともなさらない。一時して、私はまたふくやを手許に呼んで見ます。[#原文では読点]
『今の手紙を旦那樣にあげたのかい?』
『はい、お手渡して來ました。』
 何をくだらないといつたやうな顏をふくやはしてゐます。
 それから私はたうとう立ち上つて、そつとあなたの書齋を覘きにまゐります。さうしてすうと障子を開けた時に、極めて何事もなかつたやうに、泰然と片手を火鉢の上にかざし、片手を膝の上に置いて机に向つてゐるあなたの姿が、一瞬の間に私の空想を吹き拂つてしまひます。さうして隱れん坊をして、たつた一人置いてきぼりにされたやうな、寂しい遣瀬ない心をもつて、もはや自分自身にも紙屑のやうに見えるその手紙の上に、冷い私の瞳をそゝいで立ち盡すのでした。

     五

 けれども、そんな事は私達の初期の間でした。私はだんだん私の「あそび」をあなたの上には試みなくなつて來ました。あなたのいつも生眞面目でありたい要求――といふよりは、さうあらなければならぬあなたの生れつきをそつとして置くやうになつて來ました。あなたの心を私の心と共に躍らせようとするのは、鎌倉の大佛さんを搖り動さうとするのに同じだと、私はひそかに思ひました。それでも時々は我を忘れて、『早く、鬼が來たから逃げなさいよ!』と、大佛さんの肩を叩くやうな事をよくやりましたけれど。
 私達は大抵離ればなれな心で過しました。あなたとしてはまた私のしんみりしない心持を、常に寂しく思つて居られるのを私は知つてゐました。けれども、あなたが敢て私の性質に近寄らうとしなかつたやうに、或は企てゝも出來なかつたやうに、私も亦あなたの心に添ふやうに、自分を馴さうとはしませんでしたし、また不可能な事に思つてゐました。私は相變らず快活でした、併し、それはもはや内に向いてゞはなく、外に向いてゞした。私は向日葵のやうに無意識に無意識に、自分の心を惹くものゝ方へとその首をむけてゐるのでした。
 Aはその時分最も近く私達の側を歩いてゐました。あの人はあなたも御承知の通り、私の從姉に當る女の再縁した先の先妻の一人子でした。Aと私との間にさうした縁戚關係の生じたのは、私の十六の時で、たしか二つ違ですから、あの人が十八の時でした。併し私達はそれから四五年の間、一度も會つた事もなければ、そんな人がをるといふ事すらも忘れて過してゐました、Aの一家はその時分仙臺の方に暮してゐたのです。
 あなたと私とが相逢ふやうになつてから、一年ばかり後れてのある夏、私は突然一人の知らぬ青年の訪問をうけました。それがAだつたのです、ちようど病後だとはいつてましたが、青白い顏をして、鋭い眼の上の濃い眉毛が何となく陰鬱に見えました。繪をやるために上京したといつてましたが、あとで從姉からの手紙を見ると、どうも家庭が面白くいかないらしいのでした。どちらかといへば、その從姉をあまり好でなかつた私は、却つてAの方に同情を寄せる位でしたけれど、それだといつて會つて見ればのことで、別にどうといふ考もなく、たゞあの人の話が出れば、すぐにあの事を思ひ出して、そして微笑するだけの事でした。それは、Aが初めて私の家に來た時の容子で、小倉の袴の腰に手拭を棒しごきに下げてゐましたが、その手拭がひどく汚れてゐて、玄關に上る時にそれを引き拔いてはつたはつたと足の埃を拂つたのでした。その時の實直な態度を思ひ出すと、私は今でもやはり微笑まずにゐられません。
 それから私達の白熱的でない戀の成行が、大層な廻り道をした揚句、やつぱりあなたと私とは結婚することになりました。その時にAは私達の前途を祝福するといふやうな、感傷的な手紙を私にくれましたが、私はその當時何も彼も、結婚生活の一大混惑――樂しいといつていゝのか、苦しいといつていゝかわからない――の中にすべてを忘れ去つてゐました。

     六

 Aが私達の家庭に親しく出入するやうになつたのは、それから半年ばかり後の事で、ある小さな新しい團體の展覽[#底本では「覺」]會に彼が出品してる事を、ある新聞の消息で知つて、急に思ひ出して私が手紙を書いたからでした。
 私はあの人をあなたに紹介するのに何の憚も持ちませんでした。彼は見違へる程元氣になつて、あなたがいつも初對面の人に對して殊にさうであるとほり不機嫌に(あなたは自分では決して機嫌を惡くしてるつもりではないと仰しやるけれど、傍からはさう見えるのです。)默りこくつてゐるに反し、よく話したり笑つたりしました。私もまた引き入れられて、笑つたりおしやべりしたりする事によつて、久しく欝結してたものが去つたやうな、ある快さを覺えたのでした。
 それから私はだんだんAの訪問をうけるのを喜ぶやうになつて來ました。格別勤めるといふ事もなく、またこれぞといつて學校にも通つてなかつた彼は、いつも思ひ出したやうにぶらりとやつて來るのが常でした。私はそれをよくあなたがおかへりになるまで引き留めて、お夕飯を一所に頂かうと言ひ張りました。私は、自分に面白い事は、あなたにもまた面白くなければ[#原文では「は」]ならぬ筈と、不用意にいきなり思ひ込んでしまふのが癖でしたから。
 けれどもこの事は、はじめあなたをあまり喜ばせないやうでした。それはあの人を嫌ふといふよりも、あなたはその賑な談笑に、私同樣な愉快を感ずる事ができなかつたからで、あなたの無意識な要求は、自分が默つてゐたい時にはやつぱり私をもおし默らせて置きたいのでした。それにも拘らず、私はあなたが默つてしまへばしまふ程、その場を糊塗する心から、或はあなたのさうした思をAの前に隱さうとする心から、(私にはなぜかあなたのさういふ氣質をあの人に知られるのが[#一字脱「恥」か?]しいやうな氣がしたのです。)微細な心づかひをあなたの上に取られつゝも、ますます賑にはしやぎ出すのでした、さうして鋭敏なAの神經がそれを感じ、いたむやうに私を見るのを知る時、私は恥しさと、寂しさと、腹だたしさのまぜかへしたやうな心を覺え、自分にももはや苦痛であるところの快活さを裝はうとするのでした。
 けれどもAは辭して行く。さうしてあなたは、やつと私が自分のものになつたやうなやすらかさを感じ、しづかに優しく私を御覽になる。けれども私はやつぱり寂しかつたのです、私は疲れ、さうして僅に悲しみ、あなたを劬り、慕ひ、またわつかほど厭ひ、何をどこに求めていゝかわからぬやうな心をもつて、寂しく無言にあなたの首を抱くのでした。
 日向を求めてあらぬ方に向いては咲いても、根を張つた土のしめりを、向日葵とても決して忘れることはできないでせう――やつぱり私も、あなたを餘所にして全き自分があり得ようとも思へないのを、今更にしみじみと考へ耽つてゐます。
 あ、今うしろの山に郭公が啼いてゐる……

     七

 八月末の某日朝。枕に響く谿流の音は、今朝もまた、せめてもに暖く穩な眠から、温泉宿の一間の寂しい女主人の身に私をかへさせてしまひました。昨日も、今日も、明日も、明後日も、恐らくはまたその先の日に於ても、目覺めさへすれば私はこの書きかけた手紙の先を急いで、をはりの數行を言ひたいためにばかり、過ぎし日の醜い姿を寫し出して行かなければなりません。――
『沼尾君は何か僕に不快を抱いてるんではないだらうか――たとへば僕がいつも、沼尾君の留守に來て、上り込んで話してゐるといふやうな事がですね。』
 Aは時々思ひ出したやうに、こんな事を言ひ出しました。
『そんな事はないわ。』と、さういふ時、私はきまつて慌ててかう打ち消すのです。
『あの人はそんな人ぢやないわ。(といふのは、そんなに狹量ではないといふ意味で、その事は私の理想だつたのです。)たゞ人附合がほんとに下手なんですね、自分でもこれぢやいけないと氣を揉むんだけども、何か話したり笑つたりしようと思ふんだけれど、それがさうできないのがあの人の性分なんですよ。』
 この一所懸命な説明に滿足できなくて、私はなほ言葉を次ぐ。
『そらほんとに惡氣なんてちつともない人なんですからね……』
 けれども私はやつぱり言ひ足りなさを覺えて考へ込みます。私はあなたをどうにかしてあの人によく思はれたい、あの人の前にあなたを完全な者にしたい、けれどもそれと同時にまた、この私のどこか寂しいもの足りなさを知つて貰ひたいといふやうな、矛盾した二つの感情の爲に、結局私は口を緘んでしまふのでした。
『お前はほんとに人さへ來てると機嫌がいゝけれど、僕とたつた二人きりの時は、なんだか寂しいやうな、つまらないやうな顏ばかりしてゐるねえ――まるで別人のやうに。』と、いくらか責めるやうに私を御覽になつたあなたの目を私はふと思ひ出します。
 異なる寂しさともの足りなさ……否、同じたぐひの寂しさともの足りなさを、異なる場合にあなたもまた私同樣に感じられてゐらつしやるのでした。私が逐ふ時にそれは無く、あなたが求める時にそれはもう逃げてゐる。
『なぜ二人は同じ時、同じやうにぴつたり、面を向き合せることができないのだらう?』
 私は惱しく唇を噛みます。
『沼尾君はあなたを愛してゐますか?』
 突然Aは彈丸のやうな質問を私に向ける。私は急所を突かれ、そのをのゝきを隱すために目を伏せながらも、間違なく侮辱を感じ、全く機嫌を惡くして、
『えゝ、愛してゐます!』と答へるのだけれど、意地わるく言葉は縺れて、『えゝ、愛してゐるだらうと思ひますわ!』と言つてしまふ。
 けれども、それは言葉が間違つただけのことで、言葉が私の心を裏切つたわけではないのでした。私はぱつと立ち上つて言ひます。
『Aさん、あなたこの頃どんな繪を描いてらつしやるの?』

     八

 ある時、通り魔が私達の道を横ぎつて行つたのです。それは結婚後二年目の年で、それから間もなくあなたはたうとう患ひついてしまつたのでした。私は再びあのどしんと頭を打たれたやうな當時の寒い心を思ひ出したくありません。刺戟や苦惱やになれて來た今にして思へば、その當時の事は、たゞ一寸深き注意を要したに過ぎぬ位の事であつたかも知れないけれど、これといつて一生の根を張るものにめぐり合はず、離れつ即きつしつゝ漂つてゐる浮草のやうな生活の上にあつた私達には、ほんとに恐しいその二年間でした。
 唯一の生計の道であつた語學教師の職を擲つて、落人のやうに私達は茅ケ崎へ越して行きました。あなたの病氣は、それほど進んでゐるのではなかつたのでしたが、それでもあなたはすつかり滅入り込んでゐらつしやいました。私達はお互にめいめいな事を考へるのに無言で、お縁側には徒に暖な冬の日がさしてゐる事などがよくありました。
 まあ私だけについていへば、生も死も共にといふまでに結び合つてゐない愛の隙間から――體[#一體の誤り?]それは誰の罪であつたのでせう? 當時にあつては、あなたも私も決して愛し合ふ可く自分を制しはしなかつたつもりなのだけれども。それでは求めるものは與へらるべく、與へらるゝために私達は切にそれを求めなければならなかつたのでせうか? ――私はひそかに自分の心を滿すものを搜し求めました。
『繪でもやらうかしら?』
 さう心に呟いて、私は試に鉛筆を執り、默祷してるやうに默つて動かぬあなたの横顏を描きにかかります。
『あら、動いちや厭よ。[#「!」か?] まあ、髮の毛が大變のびましたわねえ。』
 さうして今更にあなたの頬のやつれに心が痛む。
『どれお見せ。』と、あなたは手をのばす。
『だめ、ちつとも似ないわ。』
『一寸うまいぢやないか、だが隨分陰欝な顏をしてると見えるねえ、僕は輪廓だけでもそれが見えるぢやないか。』
 何事もすべてはそこに歸して行く。
『髮がのびたから、餘計やつれて見えるのですよ。今度あなた、暖な日にお刈になるといゝわ、床屋を呼んで來ませうか?』
 私はあなたの長く延びた髮の毛に手を突き込んで、指の先でそれをいぢくりながら、急に胸がせくりあげて來るのを覺えて唇を噛むのでした。
『なぜ泣くの?』
たうとう一つ垂つた涙を見つけて、あなたは咎めるやうに私を御覽になる。
『え、何が悲しい?』
 さう言はれても、私は併し答へるすべを知らないのでした。なぜ出る涙であるか、それがはつきり自分にもわかつてゐたならば、私はもつとどうにかしやうがあらうものを、私はたゞ涙が出る故に悲しく、悲しめば悲しむ程、劬られゝば劬られる程またそれにあまへて、涙はとめどもなく私の双つの眼を浸すのでした。

     九

『僕が病氣をしてるから寂しい?』
 あなたはなほもさ[#底本では「ざ」]まざまに問ひ試みて、私の涙の正體を知らうとなさる。
『きつとさうなんだよ……』
 けれども私は默つてかぶりを振る。併しあなたは言ひます。『堪忍しておくれ、そしてもう少し辛抱しておくれ、ね!』
 私はたまらなくなつて、やにはにあなたの膝をゆすつてわめきます。
『さうぢやないの! さうぢやないの!』
 さうしてひたすらに自分を責め、あなたを劬る心で充ちながら、一層激しくすすり上げるのでした。
 かうした場合、私は最も幸福であつたのを今でもはつきり覺えてます。それはある火花の閃のやうに瞬間的なものではあつても、その幸福感は、羅針盤のやうに私の迷ひ易い心の方向を支配するのでした。
 けれども、その私達の航路に於て、穩な日和ばかりは決して續きませんでした。ある時は儘ならぬ運命にぢれて些細な事に爭ひ合ひ、あなたはあなた、私は私の絶望や失意を露骨にして、お互の上に辛い課税をかけ合ひました。あなたはたゞ自己の慰められ、劬られるのを欲し、私はひたすらに強く強く自分の愛され、且つ心の滿される事を望みました。さうしてあなたも私も、それを先づ自分のうちに求め搜す事をせずに、ただもう相手の上にのみ、恰も權利の如くにそれを要求したのでした。
 この誤は、二人の間の間隙を依然として殘したばかりか、到底それは埋められるものではないやうな、間違つた諦を私の心に植ゑてしまつたのです。
 併しこんな事をお讀みになるあなたも息苦しいでせうね、それでもまだ我慢して讀んで下さいますか? 私だつて、いつまでも昔の事を書いてるのは苦しいのですけれど、でもまた一とほり振り返つて見たいやうな氣もするものですから――では、少し疲れたやうですけれど、今日はもう少し書いて置きませう。
 私達は一年あまりで茅が崎を引き上げました。まだすつかりとは行かなかつたけれど、いろいろ生活上の都合もあり、またひそかに東京を戀しがつてゐた私の影響、があなたをさう動したのでした。私は何事よりも先づ、友達や知己に逢へるのを喜び期待して東京に歸りました。
 Aは早速[#底本では「連」]私達を訪ねて來ました。そして時とすると恐しく考深く陰欝であつたにも拘らず、ある時は熱心に自分の藝術について語り、またある時はその仲間達ののんきな生活の話などをして私達を笑はせました。あなたも今は大分彼と打ち解けて、多少彼をなほ若者扱に見る傾はあつても、あなたの善良さは、知らぬ間に彼に對して十分の信頼を置きかけてゐました。
 Aを前に置いて、私の我儘な事や、自己主義的な事やがよく論議されました。時とすると、あなたはほんとに眞面目になつて、私のあなたに對する態度などに就いて、彼に訴へるやうな口吻を洩す事がありました。そんな時には彼はきまつてあなたの肩を持ち、さうして私を貶しめていひます。
『それは確にお光さんがわるいな!』

     十

 けれども私は知つてゐます、あの人は決して心から私を貶しめてゐるのではないといふ事を。それはあの人が遠慮がなくなつてゐるといふ事だつたのです。ですから、私はいつもそんな時には笑つてゐました。またさうした場合、あなたが惡いとはいはれる事よりは、どれだけ自分がいけない者になつてゐた方が、私には嬉しく氣持のいゝ事だつたか知れないのですから。
 Aはあとでよくさう言ひました。
『僕はいつも何かつていふと沼尾君の肩をもつて、お光さんを惡くするやうだが、といつて僕にはそんなにお光さんが惡いとは思へないんだ。たゞどうしてもその場合は沼尾君の方をたてなけりやわるいやうな氣がしてしまふんです。』
 さうしてなほ低くつけ加へます。『僕は、たとへ少し位お光さんが惡くても憎めないやうな氣がする!』
 女といふ小鳥位愛さるゝ事の好きなものはありません、たとへそれが唯一人の自分の飼主からでなくても。さうしてまた彼女は、自分を愛する愛について甚だ敏感であり、かつ自由であります。
 私はAが私を愛してるとまでは思はなかつたけれど、私を好いてる事だけはよく承知してゐました。そしてこの事は、あなたが私を深く愛してゐるとはどうしても思ひ切れなかつたに對し、はつきりと感じられるだけに私に氣持のいゝ事でした。けれども、その事は何も私が自分の心にある制限を加へ、または用心をしなければならぬ程危險な事では決してありませんでした。私は極めて自然に自分の心に從つてあの人に對しました。それはある時は姉の如く、また妹の如く、時には男同志の友達のやうな心であの人を見ました。
 けれどもたゞ一つ不思議だつたのは、あなたと共に三人でゐるよりも、Aと私とたゞ二人でゐる時の方が、より心持が自然であり、樂であつた事です。といつて、私達は何も別に人に聞かれては耻かしいやうな話をし交したわけでもなく、
『まあ、羽織の袖口が綻びてるわ、縫つてあげませうね。』などゝ言つて、針箱などを私は持ち出したりするのでした。
『ねえAさん この頃せいちやんはどうして?』
 この質問は大抵一度私の口から出ました。それは、私達が東京を留守にした間に、彼に出來た戀人の名前で、彼がモデル女の中から發見したしほらしい少女だつたのです。私は一度彼の描いた肖像でその少女を見ました。それに依ると、どこか寂しいところはあるけれども、丸ぽちやな顏立の憎氣のない、さうした境遇のまだしみ切らぬある清さを殘してゐるやうな娘でした。
『どうしてつて、やつぱり方々に雇はれてゐますよ、その事を考へると僕は實にたまらない!』
 彼は心が痛むやうに頭を掴み、『僕にはまだあの女を、さうした屈辱の境遇から救ひ出す程の力もないんです。今にとは思つてるんだけれど……一體あいつの母親が惡黨なんだ!』

     十一

『ほんとに、早くどうにかしてあげたいのねえ。』と、私は彼のいら立つて來る神經を抑へるやうに心を遣ひながら、『今度私の家にあそびに連れてらつしやら[#原文では「う」]ない?』
『ありがたう。この間僕お光さんの話をしてやつたら、大變あなたに逢ひたがつてゐましたよ。』
 それから二人はしばらく彼女の話をするのです。あの人は大層その女を愛してゐるやうでした、そして愛する故の遣瀬なさを、よく私に打ち明けました。私も一所になつてその貧しい少女のために心を勞してました、こんな時に、私は實際あの人の姉さんでもあるやうな氣持になつて、忠告したり、世話を燒いたりするのでした。あの人もまたそれを一向不思議ともせずによく服從してゐました。
 さうかと思ふと、ある時はまた、私がいろんなあなたの話をあの人にするのです。
『私の先生《レエラア》がね……』と、私は始めます。私はあなたをあの人の前にさう呼んでゐたのです、それは私があなたから獨逸語をおそはつてるのから出た言葉で、私は自分で出したこの言葉が非常にすきでした。なぜかといふのに、なかなか覺えないで、あなたから叱られたり、時たまには煽てられたり、ほめられたりして、あなたの前に小さな生徒となつてゐる事が、私にはひどく嬉しかつたから[#原文では「ら」が次の行頭にズレている]なんでせう。
 その私の先生《レエラア》の話が出る時には、あの人はまた私の同情者となり兄となつて、その觀察點から私に同意を與へてくれました。Aはまた私を通じて間接にあなたを愛し、また信頼の心をも持つてゐました。私はそれによつて慰められ、勵まされ、さうして彼との談笑の中に、何となく心が足りるのを覺えたのでした。
 中でも一番私の心を惹いたのは、あの人の物事に對する燒くやうな追求力で、それは彼の藝術に於て、はたまたその戀愛に於て、常に烈しく燃えてゐるその性情でした。それはあなたの深山の水のやうな靜さに比較する時、私の心にはあまりに強烈に反映しましたけれど、またそこに知らず識らず私を引いて行くあるものが潜んでゐました。殊にあの人が自分の藝術と良心について熱心に語る時、私も共に心を躍し、人世に對する邁進の力に滿ちて己の生活を振り返つて見るのでした。
 けれども、私は決してあなたを忘れてしまつたわけではなかつた。それはいかなる場合にも、あなたの片影をも殘さず私の心から、また肉體から削り取つてしまふ事はできなかつたのですから。しかもさうした精神の緊張の場合に、私は最もまじり氣のない心をもつて、あなたを愛さうとの念に燃えたのでした、さうして一散に私の心はあなたへと走せかへります。
 私は彼より亨けた興奮をそゝいで兩手をあなたの首に捲き、世界中に唯一人の最も親しい者としてあなたを痛感するのを快く味はうのでした。
 かくてあなたと私とAと、この三人の關係は、常に三角形をなして、互に關聯しあひました。

     十二

 しめやかに降る雨も、もういかにも秋のものらしい、まだ早いではないかと心細く呟き眺められるけれど、病後の身にしみる何とないつめたさは、やつぱり默つてそれを是認してしまふ。山の奧には秋も早く來るものと見えます、それでは早く來るものは來よ、私はもう寂しさには慣れてしまつた!
 さて、私は漸くこゝまで、私達の遲々としたあゆみを辿つて來ました。更にもう一言、この現在までの間を補ふならば、私はあなたに相次いで病んだといふことです。
 去年のお正月、歌留多に夜更しをしたせいか風邪を引いて、風邪を引いたと思つて、私は一週間ばかり寢込みました。別にどこといつて痛いところもなかつたけれど、たゞ午後になると三十九度近くの熱が出て、そして頭が痛んだのでした。醫者も風邪だらうと言ひました。けれども殊によつたら、輕いチブスの初期かも知れないから、大事にして經過を見てみようと言ひました。けれども私は一週間經つて起き出してしまひました、熱はすつかり去つたわけではなかつたけれど、ひどい發熱さへなかつたら、氣分には別にかはりがなかつたからでした。
 それから間もなく、Aは毎日汚れたマントを着て、黒いソフトを冠つて私達の家に通つて來るやうになりました。それは、かねがね私の肖像を描きたいといつてゐた事を實現するためで、あなたはまたちようどその時分から、再びある書肆の編輯局に勤めるやうになつたのでした。
 私は相變らず元氣に振舞つてました。けれども、風邪がいつまでも尾をひいてゐるやうな氣持で、午後になると惡寒を覺え、やがては顏をまつ赤にして、頭が痛いと言ひ出すのでした。そして時々突發する抑へ難い咳を洩しました。
 それはある日の午後の事でした。私は例のやうに肘掛椅子に腰を下して、あの人の方へは幾らか體をはすかひにした、いつもの姿勢をとつてゐました。私は窓の障子にうつつてゐる木の枝に、時々小鳥の影がさすのを眺めながら、ふと妙にもの寂しい心になつて、一體その寂しさは何から來るのだらうと頻に考へ耽つてゐました。その中にだんだん足の先がつめたくなつて來て、それがだんだん強く、水でもかけられてるやうな感じになつて來た頃には、ぼうつと眼の下のあたりに熱味がのぼり、外から見たら多分それが櫻色になつてゐるのだらうといふやうな氣がされました。さうして瞬をすると、涙が含み出るほど眼球も熱してゐるのに氣がつくのでした。
 その時私は不意に一つ輕い咳をしました。そしてその僅にゆらめいた姿勢が整へられるか整へられぬ間に、續けざまに二つ三つまた咳き入りました。それで漸くすんだと思ふと、どうしたといふ調子なのでせう、私はたうとう肘掛に半身を崩してしまはなければならぬ程、後から後からと咳き入るのでした。私はあの人の方を見はしなかつたけれど、あの人がはじめは一寸筆をとめ、それからだんだん何かある事に氣がついたやうに立ち上つて、氣遣はしく私を眺めながらそこに立ち盡してゐるのを私は感じました。

     十三

 彼はたうとうパレツトを投げ捨てて私の方へ寄つて來ました。そして私の前に立ち、手は出しかねて、息をつめ、眉根に皺をよせて、ぢつと私が咳き入るのを眺めました。私が漸く落ちついてあの人の顏を見上げた時、あの人もまたぢつと私の眼を見入りました。そして明に何かを言はうとして、思ひ返したやうに口許を動しました。
 けれども、私はあの人のいたむやうな目付のうちに、その意を讀みました。
『あなた、傳染《やら》れたのぢやありませんか?……』
 私はあの人の眼のその懸念に答へて、默つてしづかに笑ひました。
『いゝのよ。』
 恐らく、私の眼はかうその時あの人に答へてゐたでせう。
『今日はもうやめませうね。』
『いゝえ、構はないわ!』
『でも……』
『いゝのよ、もう少しやりませうよ。』
 私は遮るやうに彼をとめて、自分から再びもとの位置に體を置きかへました。私は實はそのまゝしづかにじつとして、彼の眼の質問について、自分でもよく考へて見たかつたのです。
 私達はまたしばらく仕事を續けました。日はもうかげつて、窓に映る木の影もなく、障子の棧の一つ一つに、私は思を手繰つては絡みつけました。
『もし果してさうだとしたら?……』
 けれども、不思議にも私の心はその事によつて少しも惑亂しないやうでした。ほんの一寸の間急速な皷動が心臟を襲うたやうであつたけれど、間もなく再び順調にかへり、やがて不自然な微笑が靜に私の唇にのぼつて來るのでした。
『いゝわ!』と、私はやつぱり自分の心に呟きました。それは決して投げやりな心からではなく、いはゞ子供のやうに簡單に、あなたと同じ状態にこの肉體がなるといふ事が、新奇な思ひがけない事であつたために、却つて嬉しいやうな氣を私に起させたのでした。
 併しAはもはやはじめのやうな忘我の境に自分を置く事ができなかつたと見え、間もなく仕事をよしてしまひました。私はいつものやうに彼が繪具箱を片づける間に紅茶を言ひつけて、それから私達は火鉢を圍みました。
 私は相變らず時々咳をしました。その度に彼は氣づかはしさうに、そして愛情をすらこめて私の顏を凝視するのでした。
『ほんとにお光さん、大事にしなけりやいけないな。』
 あの人は漸くたつた一言さう言ひました。けれども私はその深い意味に氣付かぬふりをして、いつもよりも機嫌よくあの人を送り出しました。
 翌日、私はあなたにも默つて、甞てあなたの通つてゐた呼吸器病專門のS病院へ診察をうけに參りました。そして二時間あまりの後には、右の肺尖加答兒といふ診斷を貰つて、別にしよげたやうな顏もせず、私はその門を出たのでした。飽くまでも空想ずきな私は、もしその時別に何でもないと醫者に言はれたならば、恐らく却つてある淡い失望を感じたことだつたのでせう。

     十四

 ちようど三角の一線が萎縮したやうな私の病氣は、絶えずある程度な距離をもつて交渉してゐたあなたやAを、急に自分に引き寄せてしまつたやうな觀を呈しました。
 自分が病んでどれほど健康の尊いかを知つてゐたあなたは、その健康の恢復を望む以外にすべての要求を私から去り、ともすれば自分自身の上にのみ向けやうとしてゐた注意を私の方へ轉回させ、さうしてそこに可憐なる者を發見し、自覺したる愛情をもつて私をいたはり助けました。
 その喜と幸福とを私が漸く贏ち得たときには、私は更に肋膜の方も侵されて、發熱や、不眠や、呼吸困難やのために横つてゐたのでした。けれども、私は初めて全身を擧げてあなたの腕に抱かれるやうな心安さと、精神の緊張と共にだんだんあなたの健康の恢復されて行くのを見る事とによつて、私はしかも樂に、寧ろ喜をさへ感じて自分の病氣を眺めたのでした。
 その時Aがまた急に私の心へ接近して來たことを、私はひそかに感じてゐました。これまであの人と私とは、別に申し合せこそしなかつたけれど、互にこゝより先へは一歩も踏み入れてならないといふ所まで來て、自由に敬愛し信頼してその交友を續けて來ました。さうして私も彼も、敢て一歩をその柵内に踏み入れやうとは決して願ひませんでした。それは却つて吾々の交友のをはりであり、これ以上を近づけば却つて離れ去らなければならぬのを、私達の良心はよく知つてゐました。けれども、病氣といふものはたまたま吾々の心をロマンチツクな傾向に導きます。殊にそれが肺病といふ時に於て、吾々はたやすく自分及び自分の周圍に、ある小説的な事件を空想したがるものでした。
 次の日記は、その後の私達の行動を、初めてあなたに語るでありませう。併しそれは別に日記として私が文字に記して置いたものではなく、私はただそれを明に心に記臆してゐます。今その記臆から、私が日記體としてそれを拔萃しようとするのは、その當時の情意をありのまゝにさらけ出したいからで、多少振り返つた形で書いてゐると、ともすれば自分を辯解し飾らうとする氣味が、知らず識らずの間に出て來るのを防ぐためです。それは私がこの手紙を書き出した動機や目的、または今のこの淨められた心に却つて背くものと思ひますから……
 たゞどうかあなた、私を赦して下さい!
『三月一日。何といふ早い月日だらう、それではもう私が寢ついてからひと月近くにもなるのだらうか。病院がよひがだんだん遠のいて――それは併しいゝ結果からではない、肋膜の水はだんだん私の心臟を壓迫して來る、息が苦しい。入院を申し込んでから五日にもなるけれど、まだ部屋のあいたといふ通知がない。そんなに世の中には病人が多いのだらうか? そしてそれらの人もやつぱりみんな私のやうにいろいろな目に遭ひ、いろいろな心を味つてゐることなのであらう。だけど私は別にもう心のこりなことがないやうな氣もする。相變らず熱は高い。なんだかAさんに逢ひたくつて端書を出す。』

     十五

『三月二日。昨日端書を出してからあの人に逢ひたいといふ自分の心持について考へて見た。逢ひたいといふやうな言葉は、沼尾に對して使ひたくないと思ふけれど、でもそれよりほかに言ひやうのない心持でもある。そしてまたなぜ逢ひたいといつたからつて、私の心はたゞ自然にそれを欲するといふよりほかは仕方がない。けれどもこれは危機ではなからうか? 少くも私達の危機の一歩ではなからうか? しかしこの心持は決して今に初めて味ふ心持ではない、そして私達は常に自分自身が穩であられた。……けれども、今私の心は、何かの來るべきものを豫知して、ゆかしき期待の前に恐れ戰いてゐる。一體何が私達の上に來るのであらう? 何を私の心は窺知し、感じてゐるのであらう?……私は考へたけれどもわからなかつた、たゞその何かを待つ如くに、彼が來るのを待つてゐる心持を知つたより外には……私は死ぬのではなからうか? そのためにかくすべてに滿足し、また執着しなければならないのかも知れぬ。もしそれが永遠なるものゝ導であるならば、私は少しもそれを悲しまぬであらう。たゞどうか、私共の上に落ち來るものが、一時の運命の惡戯ではあつてくれないやうに! けれども、私の心は刻々に、正しくある危きものを感じた、いかにしてもそれは、曾てない事であつた。
「神樣! 私は今日あの人を自分でここに呼びました。けれども今はなぜかそれが惡かつたやうな氣がしてゐます。私はどうしようと願ふのでもありません、たゞどうか私達をして今までの如くあらしめ下さい、何事もなくおすませになつて下さい!」
 私はさう遂に心に念じた。
 午後、彼は來た。私はその足音を聞いた時に、何となく胸が躍つた。けれどもふくやが取り次いだ時にはもう平靜にかへつてゐた。
「端書いつ着いて?」
「今朝。僕着くとすぐに出たんだけれど、一寸音羽に(彼の少女の所)寄つたもんだから……今日行くつて約束してたもんだから……」
「さう、ぢやあよかつたんですのに……」
 私はさうした約束のあつた彼を呼んだ事に就て、今更に羞恥を感じながら彼を見上げた。
「うゝん、もういゝの。」
 彼は別に心のこりなやうすもしてゐなかつた。そして枕許に坐つて、
「どう? 工合は。」と、いつものやうにじつと私の目に見入つた。
 その眼は、戀人とゆつくり逢へなかつた事に就いて、決して私に不平を言つてはゐなかつた。私はそれが嬉しいやうな氣がした、同時にまた怖いやうな氣もした。彼はまた別に、
「何か用事だつたの?」と、私に尋ねやうともしなかつた。それでは、彼もまた私と同じやうな氣持でゐるのだらうか、もしかしたらやつぱり彼も何かを私達のうちに感じてゐるのかも知れない。
 何だか氣味がわるい!
「早く入院したいと思ふんだけれど、なかなか室があかないんですつて。」
 私は極めて平凡な事を話さうと思つた。けれどもその努力は却つて私を不自然な状態に置いた。

     十六

 私はいつになく彼に對して心の不自由であるのを感じた。それは私が自分の心を縛めたからではあるけれど、その抑壓の下には、どうかして危險なく彼と親しみたい、しんみりしたいといふ願が潛んでゐた。そして自分の今の身の上を哀つぽく悲しい空氣で包む事によつて、少しづつ少しづつそのおさへをはねのけてゐた。
「ほんとに思ひがけない病氣をするものねえ、あの元氣な私が!」
 私はやがて、遠い過去を顧るやうに目をじつとあらぬ方にそゝいだ。
「あゝ全く、光ちやんがねえ!」と、彼も何かを考へてゐたやうに答へた。
 ふと氣がついてみると、彼は私をお光さんとは言はずに、光ちやんと呼んでゐるのであつた。それは彼の最も親しさを表す時の、極めて稀な呼びかたなのであつた。
「田舍のお祖母《ばあ》さんがね、大變私のことを心配してるのですつて、そしてね、そんな東京なんぞにゐるから病氣になぞなるんだつていつてね、來い來いつていつて來ますからね、私退院したらすぐ田舍に行かうと思つてますわ、そしたら今度はいつ出て來られるのかわからないけれど……」
「氣を揉まないで、すつかり快くなるまでゐて來る方がいゝな。僕寂しくはなるけれど……」
 彼は默つた。私は觸れてはならないものに觸れたやうなをののきを感じた。
「そのうち、僕一度は是非光ちやんの田舍に行つて見ますよ。」
 會話はとかく切れがちであつた。けれどもその沈默の中に、彼我を通じ前後を縫うてゐる一脈のものが流れてゐた。さうして私達は、何か自分達が永久に別れなければならぬのを豫感したかのやうに、私がやがて田舍に行くといふかりそめのわかれに就て、なごりを惜しむやうな心に自然となつてゐたのであつた。
「光ちやんが田舍に行つてしまふと僕ほんとに寂しくなる……」と、彼は言ひ出した。「それは僕にはせい子つていふ者があるけれど、あれの事を思ふ時に僕はいぢらしくかはいく、自分が力づけられ、そして世の中に對して奮鬪的な氣分になるけれど、慰められるつていふ點からいつたならば、僕は一番光ちやんに負ふ所が多かつたやうに思つてゐる……僕は、もしさういふ事が許されるならば、やつぱり光ちやんを愛してゐたのだと思ふ。そしてこの事はあなたも許してゐてくれたのだと思ふ……たゞ何事もはつきり口に出された事はなかつたけれども、そして、僕はたゞ光ちやんを愛する事は愛したけれども、光ちやんからも愛されやうなぞとは夢にも――あなたの結婚前は一寸そんな事を思つた事もあるけれど、それからは一度だつてそんな事を願ひはしなかつたし、また光ちやんから愛されてゐるとも思はなかつた。たゞ僕は、あなたを愛する事に滿足し、それを光ちやんが拒んでくれない事だけに十分滿足してゐられたんです……のみならず、僕は沼尾君をもあなた同樣に愛さうと思つて苦しんだ、併し僕は沼尾君を憎みこそしないけれど、そしてある程度まで愛してはゐるけれど、あなた同樣にといふことは到底できない、そしてそれは仕方のない事だとも思つてゐる……」

     十七

 あゝ! それは遂に來たのであるか。けれども彼のいふところに間違はなかつた。私は固くなつて、たゞ耳を傾けた。
「それは僕だつて隨分光ちやんを憎んだこともあるけれど、それは併し、愛するがために憎かつたのだつた……」
 彼はまた紡ぐやうにその言葉を續けようとする。
「これからだつて、もし……どうしたの、熱が出て來た?」
 彼は急に心配らしく言葉の調子をかへた。私は實際いつもの時刻が來たのと、その胸を波だたせたのとによつて、兩手で熱い頬を押へながら床の中に喘いだ。
 彼は私の顏の上にその手を置いた。私はそれをはづす事ができ[#底本では「きで」]なかつた。
「あゝ隨分熱くなつてゐる、冷してあげようか?」
 私は默つてかぶりを振つた。そのまゝしばらく沈默が續いた。私は目を閉ぢてゐながら、かれがぢつと腕組をして私を見つめてゐるのを知つた。
「あゝ神樣! もう澤山です、どうかこれより以上の何事もなくすみますやうに!」
 けれども突然彼の手が私の手の上に重ねられた。そしてその手にだんだん力が込められて行つた。私はすくめられたやうになりながら、内心に烈しく神を呼び續けた。
「光ちやん! 堪忍してね! 堪忍して……」
 ……彼はくるりと私に脊を向けて兩手でその顏を蔽うた。……』
『三月五日。今、自分の周圍に見出すものは、白いベツドと、白い掛蒲團と白い看護服と――すべてが白い。夫に伴はれてこの病院に入つたのはたしかあの翌日だつたけれど、それから大分月日が經つたやうな經たないやうな氣がしてゐる。すべての生活が違つた。私は何だかたゞ白いものに包まれてゐる。看護婦にものを言つたり、檢温したり、藥を飮んだり、とどこほりなくやつてはゐるけれど、何だかそれは別な自分のやうな氣がする。何だか一寸忘れものをしたやうな氣持で、始終何か考へよう考へようとしてゐる。殊によつたら自分は死ぬのぢやないかしらなどと時々思ふ――それにつけても、彼はもう來ないかも知れぬ、このまゝ、私が痩せ細つて死ぬ時でも、または再び恢復して小鳥のやうに囀る事を欲する時にも……それではもう吾々の別離は來たのであらうか? こんなに早く、あつけなく、そしてそれを私達が欲しないのに!
 けれども、私の心はやつぱり彼を待つてゐる。自分達の別離であり、それ故に今は別れなければならぬのをよく知りながら、彼を失ふことは私に寂しく味氣ない。私はその唇がこの額に觸れぬ前にそれを拭うた、さうしてそれは、私が私の夫と、彼の少女とに對して僅にのこした白き道であると思つた。けれども、私は彼の心をあまりに邪推したのではなかつたらうか? 自分の危い心をもつて彼の心をも危んだのではなかつたらうか? 彼はたゞ他意なく私にしたしんだゞけであつたのに……?』

     十八

 さあ、今は漸くをはりに近づきました、だけどもう日記はやめませう、たゞどうかもうしばらく私に語らせて下さい。
 一ケ月あまりの入院中、三回程の窄胸術《プンクチオン》をやつたために、私の呼吸は大分樂になりました。あなたは毎夜訪ねて下さる、そのために私は夜になるのがすきでした。夕方から夜にかけて、私はそれをどんなに待つたでせう。それが私の一日のむすびでした、そして十時を期して歸つて行くあなたを見送つてから、やがて電燈を消して貰ひ、闇の中にもほの白く見える寢床の中に、私は靜に眠らうとするのでした。あなたの見えないうちは、私は夜になつても夜になつたやうな氣がせず、また一日が濟まないやうな氣がするのでした。それだのに、私はどうしたといふ慾張だつたのでせう、あなたの外に、私はもう一日々心ひそかに待つたものがあつたのでした、それはAが再び昔の如く私の前に現れる事をでした。けれども彼は遂に來ませんでした。
 私は間もなく、私のすきだつた東京を見捨てゝ田舍に去りました。あなたは何事も知らずにその通知を彼にお書きになりました。
 この旅立は、恐らくは私と彼との永久の別離であらうと私はひそかに思ひました。
『さらば私の夫よ、友よ、あなたがたはほんとにいゝ人達です、どうか私を間に挾む事なく、直接にあなたがたの手を取り合つて下さい、あなたがたの友情を私によつて躓かされることなく、お互に援け合ひ、仲よくしあつて下さい、もしもそれがつひに叶はぬものであるとも、せめては私のゐない間だけでも!』
 これが私のその時の心の願でした。
 そして、それから私達は一體どうなつたか?
 療養のために歸つた田舍で、私は一しきり却つてだんだん惡くなつて行きました。そしてその年の初秋から翌年の花の頃まで、雪深い田舍の病院に埋れて暮さなければなりませんでした。
 それらの日の寂しく靜な記臆は、まだ新しく私のおもひに浮んでゐます。……かくてさうした日のある一日、彼は突然不意にその姿を私の前に現しました。私は再び彼を見ました。そしてそれを信じた時に、私は穩なよろこびと、自分がそれほど重態であつたかといふしづかなうなづきとを得たのでした。その前後全く東京を離れて私に附き添つてゐたあなたも、彼のこの遙々な訪問をひどく喜んで下さいました。私はあなたがひそかに彼を呼んだ事を悟り、涙ぐましい氣持になつて、枕許に並んだあなたがたの顏を見上げました。
 彼はその夜を私の病室で明して、また來るといふことをかりそめに言ひながら、再び遠く歸つて行くのでした。あなたもそれを程近い停車場まで送るといつて、連れだつて出ていらつしやいました。
 あなたがたがやがて病室の窓から見える橋のあたりまで來たと思ふ頃、私はそつと起き上つて窓の前に倚りました。黄ばみそめた銀杏の樹陰に隱れ見えしながら、豆のやうに並んで歩いて行く二人の後姿は、私がかうしてこゝに寂しく見送つてゐる事を知らずに、いつまでもいつまでも、それは永久に振り返る事を許されぬ影のやうに、だんだんと私の目路から去つて行きました。
『恐らくは、あの二人が並んで歩くのもこれが最後であらう!』
 私は何となくさう感じられて心に呟きました。

     十九

 暖爐によつて温められた部屋はあたゝかだつたけれど、障子を開けた時に雪は音もなく外に降つてゐました。それは十二月のなかば、その日東京から着いたあなたの顏色は沈んでゐました。さうして私を見る眼には、愛と憎と僅なよそよそしさと、また自分自身の寂しさといつたやうなものが潜んでゐました。
 私はあなたが襟卷をとり、外套を脱ぐ時の横顏をぢつと見て、何事かゞ東京にあつたのを知りました。そしてそれが必ずAと私との事に關してゞあるのを直感して胸をとどろかせました。でも、私の病氣はその頃だんだんいゝ目が見えてゐたのでした。
 私はあなたの唇がそれのために開かれるのが恐しかつたけれど、またあなたの顏がそのために[#原文では「た」]結ぼれてゐるのも辛く、あなたのお土産を持たせておつたを祖母の家へやり、そしてしづかにあなたが何事かを私に語るのを待ちました。
『おれはA君と絶交する事にして來たよ……』と、あなたはおつしやいました。『併し、この事は別にお前に突然な事でもなければ、又意外な事でもないだらうと思ふがね。』
 私は默つてうなづき、そしてたゞ悲しく寂しくあなたの目を見、それから仰向になつて目を閉ぢました。
『おれは昨夜一晩かゝつてA君にわかれの手紙を書いて來た……』
 そしてあなたは一部始終をお話しになりました。
 その運動はまだ一部の間にしか認められてゐないけれど、新進氣鋭の團體であるF社の展覽會に出品したAの「マダム光子」が、當時相應に評判のよかつたのは、私も新聞でちらりと見て知つてゐました。けれども、それから私と彼との一寸した罪のない噂が、その仲間に傳へられてゐたのを私は今初めて知りました。
『けれどもおれは、そんな噂に就いてどうかういふのではない。それ程お前やA君や、又は自分を侮辱しないつもりだ……たゞ僕はそれによつて不快にされる、いや噂によつて不快にされるのではなく、噂によつておれが常々不快に、または寂しく感じてゐたことをさらにはつきりと感じさせられたのだ。お前とAとの關係――關係といふのに語弊があれば、まづその友愛――おれは常々それをさびしく眺めてゐた。おれは閑却されてゐる――さう思つた事がよくあつた、けれども、そんな氣の起る時にはすぐに自分を反省して、お前に餘所見をさせないだけの愛がおれにないのだと自分を責めた……そして寂しさをこらへて來た……』
 私は身うごきができませんでした。そしたら一ぱいに溜つた涙があやうくこぼれ散るのでしたから……あなたは息を呑んで、そしてまた續ける。
『けれども、おれはもうA君對お前、そのお前對おれの關係に堪へられなくなつた。そしてそれはおれのお前に對する愛を自覺すればするほど堪へられない。今になつて、たゞ自分さへ我慢すればいいやうに思つてゐたのは消極的な考だつたと思ふ、おれはどこまでも、お前が滿足するまでお前を愛して行く! 時にはもどかしいやうな事があるかも知れないけれど、その時にはせめておれの努力を思つて我慢しておくれ……』

     二〇

『おれは隨分考へた、もしお前の成長にどうしてもA君が必要であるならば……と。けれども、おれにはどうしてもさう思ふことはできなかつた。それだからおれは別れる事を斷行した。尤もお前がどこまでもおれについて來るといふ――お前には辛い道かも知れないが――意志を示してくれなかつたならば、おれはたゞ自分だけを不幸な男にしてしまつたかも知れない。けれどもねえ、おれは直接お前に尋ねはしなかつたけれど、いろいろと考へ合せて、とにかくさう判斷したのだ……尤も、それは例のお人好な、僕のうぬぼれかも知れないけれど……』
 あなたは猶一分の不安をもつて私を御覽になりました。私は慌てゝ強くかぶりを振りました、そのために涙がつめたく頬に亂れました。
『もしその判斷が誤らなかつたとすれば、それはくるしみやなやみ[#原文では「くるしなやみやみ」]が、その叡智をおれに貸してくれた[#原文では「れた」が抜けている]のだ……併しA君に手紙を書きながら、僕は却つてさびしく悲しかつた。多少はあつた筈の憎の心はもう消えてなくなつてゐた……あなたの分までも私はこれから彼女を愛して行きませう、さう書かうかしら[#底本では「からしら」]と思つた……』
 私はもはやあなたの言葉を遮らなければなりませんでした。そしてそのために默つて手をのばし、あなたの手を執つて握り、涙に見えわかぬ眸をそゝいであなたを見上げました。
『……すべては濟んだ!…………』
 かうしづかに呟いた時に、私の眼からは更に冷たい涙がはらはらと枕に落ち散りました。
 病氣の洗禮をうけ、そしてそれ以來あなたの愛のあたゝかさに浴してゐる私は、病後の身を靜な田舍に養ひながら、今大變おだやかにそして幸福です。私はもう昔のやうな慾張ではありません、私は子供になり、そしてまた大人にもなりました。寂しいことは依然として寂しいけれど、今はもう決してその寂しさを悔まず、却つてその寂しさを愛してゐます。寂しいといふ事は清潔なものです。私は今でも時々Aのことを考へる事がありますけれど、それは次のやうな言葉をもつてあらはされる至つて靜な氣持なのです。
 道は別れた。それは遂にさうなる道であつたのに、迷路に近い運命の道を尋ねて、お互に紛れ合ひ、躓き、引つ返し、または道づれとなり、離れ、寄り、さうして我々は進んで行く、けれども、おのおのの道にはおのおのの行手がある、さうしてあるところまで共に手を執つて進んだ者も、遂には自分にと定められた道に別れて行かなければならない、道は別れる。
 さらば行きずりの人達! 左樣なら!
 一時は一生の道づれかと思つたAさん! あなたも左樣なら! あなたの道のより廣く、より明るく、祝福にみちてありますやうに!
 それでは私のあなた!今はしづかにとぼとぼと私達の歩を續けませう。その道はどんなに寂しく辛くとも、それが私達にと神の備へられたものであるならば、私は喜んであなたと共にそれを進んで行きませう、私は今自分の歩いてゐる道が、ほんたうの道であるのを思つて、心やすらかに滿足しつゝ微笑んでゐます……と。



底本:「叢書『青踏』の女たち 第10巻『水野仙子集』」不二出版
   1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行
底本の親本:「水野仙子集」叢文閣
   1920(大正9)年5月31日発行
入力:小林徹
校正:おのしげひこ
ファイル作成:野口英司
1999年1月6日公開
2001年2月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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