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四又《よまた》の百合《ゆり》
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)四又《よまた》の百合《ゆり》

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(例)一|軒《けん》

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(例)正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-5]知
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 「正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-5]知《しょうへんち》はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河《かわ》をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうだ」
 こう言《い》う語《ご》がすきとおった風といっしょにハームキャの城《しろ》の家々にしみわたりました。
 みんなはまるで子供《こども》のようにいそいそしてしまいました。なぜなら町の人たちは永《なが》い間どんなに正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-9]知《しょうへんち》のその町に来るのを望《のぞ》んでいたかしれないのです。それにまた町からたくさんの人たちが正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-10]知《しょうへんち》のとこへ行ってお弟子《でし》になっていたのです。
 「正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-11]知《しょうへんち》はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河《かわ》をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうだ」
 みんなは思いました、正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-13]知《しょうへんち》はどんなお顔いろでそのお眼《め》はどんなだろう、噂《うわさ》の通り紺《こん》いろの蓮華《れんげ》のはなびらのような瞳《ひとみ》をしていなさるだろうか、お指《ゆび》の爪《つめ》はほんとうに赤銅《しゃくどう》いろに光るだろうか、また町から行った人たちが正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、81-15]知《しょうへんち》とどんなことを言いどんななりをしているだろう、もうみんなはまるで子供《こども》のようにいそいそして、まず自分の家をきちんとととのえ、それから表へ出て通りをきれいに掃除《そうじ》しました。あっちの家からもこっちの家からも人が出て通りを掃《は》いております。水がまかれ牛糞《ぎゅうふん》や石ころはきれいにとりのけられ、また白い石英《せきえい》の砂《すな》が撒《ま》かれました。
 「正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、82-2]知《しょうへんち》はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河《かわ》をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうだ」
 もちろんこの噂《うわさ》は早くも王宮《おうきゅう》に伝《つた》わりました。
 「申《もう》し上げます。如来正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、82-5]知《にょらいしょうへんち》はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河《かわ》をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうでございます」
 「そうか、たしかにそうか」王さまはわれを忘《わす》れて瑪瑙《めのう》で飾《かざ》られた王座《おうざ》を立たれました。
 「たしかにさようと存《ぞん》ぜられます。今朝《けさ》ヒームキャの向《む》こう岸《ぎし》でご説法《せっぽう》のをハムラの二人の商人《しょうにん》が拝《おが》んで参《まい》ったと申《もう》します」
 「そうか、それではまちがいあるまい。ああ、どんなにお待《ま》ちしただろう。すぐ町《まち》を掃除《そうじ》するよう布令《ふれ》を出せ」
 「申《もう》し上げます。町はもうすっかり掃除《そうじ》ができてございます。人民《じんみん》どもはもう大悦《おおよろこ》びでお布令《ふれ》を待《ま》たずきれいに掃除《そうじ》をいたしました」
 「うう」王さまはうなるようにしました。
 「なお参《まい》ってよく粗匆《そそう》のないよう注意《ちゅうい》いたせ。それから千人の食事《しょくじ》のしたくを申《もう》し伝《つた》えてくれ」
 「かしこまりました。大膳職《だいぜんしょく》はさっきからそのご命《めい》を待《ま》ちかねてうろうろうろうろ廚《くりや》の中を歩きまわっております」
 「ふう。そうか」王さまはしばらく考えていられました。
 「すると次《つぎ》は精舎《しょうじゃ》だ。城外《じょうがい》の柏林《かしわばやし》に千人の宿《やど》をつくるよう工作のものへ言《い》ってくれないか」
 「かしこまりました。ありがたい思召《おぼしめし》でございます。工作の方のものどもはもう万一《まんいち》ご命令《めいれい》もあるかと柏林《かしわばやし》の測量《そくりょう》にとりかかっております」
 「ふう。正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、83-5]知《しょうへんち》のお徳《とく》は風のようにみんなの胸《むね》に充《み》ちる。あしたの朝はヒームキャの河《かわ》の岸《きし》までわしがお迎《むか》えに出よう。みなにそう伝《つた》えてくれ。お前は夜明の五時に参《まい》れ」
 「かしこまりました」白髯《しろひげ》の大臣《だいじん》はよろこんで子供《こども》のように顔を赤くして王さまの前を退《さ》がりました。
 次の夜明になりました。
 王様《おうさま》は帳《とばり》の中で総理大臣《そうりだいじん》のしずかにはいって来る足音を聴《き》いてもう起《お》きあがっていられました。
 「申《もう》し上げます。ただいまちょうど五時でございます」
 「うん、わしはゆうべ一晩《ひとばん》ねむらなかった。けれども今朝《けさ》わしのからだは水晶《すいしょう》のようにさわやかだ。どうだろう、天気は」王さまは帳《とばり》を出てまっすぐに立たれました。
 「大へんにいい天気でございます。修彌山《しゅみせん》の南側《みなみがわ》の瑠璃《るり》もまるですきとおるように見えます。こんな日|如来正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、83-16]知《にょらいしょうへんち》はどんなにお立派《りっぱ》に見えましょう」
 「いいあんばいだ。街《まち》は昨日《きのう》の通りさっぱりしているか」
 「はい、阿耨達湖《アノブダブこ》の渚《なぎさ》のようでございます」
 「斎食《とき》のしたくはいいか」
 「もうすっかりできております」
 「柏林《かしわばやし》の造営《ぞうえい》はどうだ」
 「今朝《けさ》のうちには大丈夫《だいじょうぶ》でございます。あとはただ窓《まど》をととのえて掃除《そうじ》するだけでございます」
 「そうか。ではしたくしよう」
 王さまはみんなを従《したが》えてヒームキャの川岸《かわぎし》に立たれました。
 風がサラサラ吹《ふ》き木の葉《は》は光りました。
 「この風はもう九月の風だな」
 「さようでございます。これはすきとおったするどい秋《あき》の粉《こな》でございます。数知れぬ玻璃《はり》の微塵《みじん》のようでございます」
 「百合《ゆり》はもう咲《さ》いたか」
 「蕾《つぼみ》はみんなできあがりましてございます。秋風《あきかぜ》の鋭《するど》い粉《こな》がその頂上《ちょうじょう》の緑《みどり》いろのかけ金《がね》を削《けず》って減《へ》してしまいます。今朝《けさ》一斉《いっせい》にどの花も開くかと思われます」
 「うん。そうだろう。わしは正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、84-15]知《しょうへんち》に百合《ゆり》の花をささげよう。大蔵大臣《おおくらだいじん》。お前は林へ行って百合《ゆり》の花を一茎《ひとくき》見つけて来てくれないか」
 王さまは黒髯《くろひげ》に埋《う》まった大蔵大臣《おおくらだいじん》に言《い》われました。
 「はい。かしこまりました」
 大蔵大臣《おおくらだいじん》はひとり林の方へ行きました。林はしんとして青く、すかして見ても百合《ゆり》の花は見えませんでした。
 大臣《だいじん》は林をまわりました。林の陰《かげ》に一|軒《けん》の大きなうちがありました。日がまっ白に照《て》って家は半分《はんぶん》あかるく夢《ゆめ》のように見えました。その家の前の栗《くり》の木の下に一人のはだしの子供《こども》がまっ白な貝細工《かいざいく》のような百合《ゆり》の十の花のついた茎《くき》をもってこっちを見ていました。
 大臣《だいじん》は進《すす》みました。
 「その百合《ゆり》をおれに売れ」
 「うん売るよ」子供《こども》は唇《くちびる》をまるくして答えました。
 「いくらだ」大臣《だいじん》が笑《わら》いながらたずねました。
 「十|銭《せん》」子供《こども》が大きな声で勢《いきおい》よく言《い》いました。
 「十|銭《せん》は高いな」大臣《だいじん》はほんとうに高いと思いながら言《い》いました。
 「五|銭《せん》」子供《こども》がまた勢《いきおい》よく答えました。
 「五|銭《せん》は高いな」大臣《だいじん》はまだほんとうに高いと思いながら笑《わら》って言《い》いました。
 「一|銭《せん》」子供《こども》が顔をまっ赤にして叫《さけ》びました。
 「そうか。一|銭《せん》。それではこれでいいだろうな」大臣《だいじん》は紅宝玉《ルビー》の首《くび》かざりをはずしました。
 「いいよ」子供《こども》は赤い石を見てよろこんで叫《さけ》びました。大臣《だいじん》は首《くび》かざりを渡《わた》して百合《ゆり》を手にとりました。
 「何にするんだい。その花を」子供《こども》がふと思いついたように言《い》いました。
 「正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、86-1]知《しょうへんち》にあげるんだよ」
 「あっ、そんならやらないよ」子供《こども》は首《くび》かざりを投《な》げ出しました。
 「どうして」
 「僕《ぼく》がやろうと思ったんだい」
 「そうか。じゃ返《かえ》そう」
 「やるよ」
 「そうか」大臣《だいじん》はまた花を手にとりました。
 「お前はいい子だな。正※[#「※」は「偏」のにんべんが行にんべん、第3水準1-84-34、86-8]知《しょうへんち》がいらっしゃったらあとについてお城《しろ》へおいで。わしは大蔵大臣《おおくらだいじん》だよ」
 「うん、行くよ」子供《こども》はよろこんで叫《さけ》びました。
 大臣《だいじん》は林をまわって川の岸《きし》へ来ました。
 「立派《りっぱ》な百合《ゆり》だ。ほんとうに。ありがとう」王様《おうさま》は百合《ゆり》を受けとってそれからうやうやしくいただきました。
 川の向《む》こうの青い林のこっちにかすかな黄金《きん》いろがぽっと虹《にじ》のようにのぼるのが見えました。みんなは地にひれふしました。王もまた砂《すな》にひざまずきました。
 二|億年《おくねん》ばかり前どこかであったことのような気がします。



底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年7月20日改版初版発行
   1993(平成5)年6月20日改版71版発行
入力:薦田佳子
校正:平野彩子
2000年8月25日公開
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