青空文庫アーカイブ

さるのこしかけ
宮沢賢治


 楢夫は夕方、裏の大きな栗の木の下に行きました。その幹の、丁度楢夫の目位高い所に、白いきのこが三つできていました。まん中のは大きく、両がわの二つはずっと小さく、そして少し低いのでした。
 楢夫は、じっとそれを眺めて、ひとりごとを言いました。
「ははあ、これがさるのこしかけだ。けれどもこいつへ腰をかけるようなやつなら、すいぶん小さな猿だ。そして、まん中にかけるのがきっと小猿の大将で、両わきにかけるのは、ただの兵隊にちがいない。いくら小猿の大将が威張ったって、僕のにぎりこぶしの位もないのだ。どんな顔をしているか、一ぺん見てやりたいもんだ。」
 そしたら、きのこの上に、ひょっこり三疋の小猿があらわれて腰掛けました。
 やっぱり、まん中のは、大将の軍服で、小さいながら勲章も六つばかり提げています。両わきの小猿は、あまり小さいので、肩章がよくわかりませんでした。
 小猿の大将は、手帳のようなものを出して、足を重ねてぶらぶらさせながら、楢夫に云いました。
「おまえが楢夫か。ふん。何歳になる。」
 楢夫はばかばかしくなってしまいました。小さな小さな猿の癖に、軍服などを着て、手帳まで出して、人間をさも捕虜か何かのように扱うのです。楢夫が申しました。
「何だい。小猿。もっと語を丁寧にしないと僕は返事なんかしないぞ。」
 小猿が顔をしかめて、どうも笑ったらしいのです。もう夕方になって、そんな小さな顔はよくわかりませんでした。
 けれども小猿は、急いで手帳をしまって、今度は手を膝の上で組み合せながら云いました。
「仲々強情な子供だ。俺はもう六十になるんだぞ。そして陸軍大将だぞ。」
 楢夫は怒ってしまいました。
「何だい。六十になっても、そんなにちいさいなら、もうさきの見込が無いやい。腰掛けのまま下へ落すぞ。」
 小猿が又笑ったようでした。どうも、大変、これが気にかかりました。
 けれども小猿は急にぶらぶらさせていた足をきちんとそろえておじぎをしました。そしていやに丁寧に云いました。
「楢夫さん。いや、どうか怒らないで下さい。私はいい所へお連れしようと思って、あなたのお年までお尋ねしたのです。どうです。おいでになりませんか。いやになったらすぐお帰りになったらいいでしょう。」
 家来の二疋の小猿も、一生けん命、眼をパチパチさせて、楢夫を案内するようにまごころを見せましたので、楢夫も一寸行って見たくなりました。なあに、いやになったら、すぐ帰るだけだ。
「うん。行ってもいい。しかしお前らはもう少し語に気をつけないといかんぞ。」
 小猿の大将は、むやみに沢山うなずきながら、腰掛けの上に立ちあがりました。
 見ると、栗の木の三つのきのこの上に、三つの小さな入口ができていました。それから栗の木の根もとには、楢夫の入れる位の、四角な入口があります。小猿の大将は、自分の入口に一寸顔を入れて、それから振り向いて、楢夫に申しました。
「只今、電燈を点けますからどうかそこからおはいり下さい。入口は少し狭うございますが、中は大へん楽でございます。」
 小猿は三疋、中にはいってしまい、それと一緒に栗の木の中に、電燈がパッと点きました。
 楢夫は、入口から、急いで這い込みました。
 栗の木なんて、まるで煙突のようなものでした。十間置き位に、小さな電燈がついて、小さな小さなはしご段がまわりの壁にそって、どこまでも上の方に、のぼって行くのでした。
「さあさあ、こちらへおいで下さい。」小猿はもうどんどん上へ昇って行きます。楢夫は一ぺんに、段を百ばかりずつ上って行きました。それでも、仲々、三疋には敵いません。
 楢夫はつかれて、はあはあしながら、云いました。
「ここはもう栗の木のてっぺんだろう。」
 猿が、一度にきゃっきゃっ笑いました。
「まあいいからついておいでなさい。」
 上を見ますと、電燈の列が、まっすぐにだんだん上って行って、しまいはもうあんまり小さく、一つ一つの灯が見わかず、一本の細い赤い線のように見えました。
 小猿の大将は、楢夫の少し参った様子を見ていかにも意地の悪い顔をして又申しました。
「さあも少し急ぐのです。ようございますか。私共に追いついておいでなさい。」
 楢夫が申しました。
「此処へしるしを付けて行こう。うちへ帰る時、まごつくといけないから。」
 猿が、一度に、きゃっきゃっ笑いました。生意気にも、ただの兵隊の小猿まで、笑うのです。大将が、やっと笑うのをやめて申しました。
「いや、お帰りになりたい時は、いつでもお送りいたします。決してご心配はありません。それより、まあ、駈ける用意をなさい。ここは最大急行で通らないといけません。」
 楢夫も仕方なく、駈け足のしたくをしました。
「さあ、行きますぞ。一二の三。」小猿はもう駈け出しました。
 楢夫も一生けん命、段をかけ上りました。実に小猿は速いのです。足音がぐゎんぐゎん響き電燈が矢の様に次から次と下の方へ行きました。もう楢夫は、息が切れて、苦しくて苦しくてたまりません。それでも、一生けん命、駈けあがりました。もう、走っているかどうかもわからない位です。突然眼の前がパッと青白くなりました。そして、楢夫は、眩しいひるまの草原の中に飛び出しました。そして草に足をからまれてばったり倒れました。そこは林に囲まれた小さな明地で、小猿は緑の草の上を、列んでだんだんゆるやかに、三べんばかり廻ってから、楢夫のそばへやって来ました。大将が鼻をちぢめて云いました。
「ああひどかった。あなたもお疲れでしょう。もう大丈夫です。これからはこんな切ないことはありません。」
 楢夫が息をはずませながら、ようやく起き上って云いました。
「ここはどこだい。そして、今頃お日さまがあんな空のまん中にお出でになるなんて、おかしいじゃないか。」
 大将が申しました。
「いや、ご心配ありません。ここは種山ケ原です。」
 楢夫がびっくりしました。
「種山ケ原? とんでもない処へ来たな。すぐうちへ帰れるかい。」
「帰れますとも。今度は下りですから訳ありません。」
「そうか。」と云いながら楢夫はそこらを見ましたが、もう今やって来たトンネルの出口はなく、却って、向うの木のかげや、草のしげみのうしろで、沢山の小猿が、きょろきょろこっちをのぞいているのです。
 大将が、小さな剣をキラリと抜いて、号令をかけました。
「集れっ。」
 小猿が、バラバラ、その辺から出て来て、草原一杯もちゃもちゃはせ廻り、間もなく四つの長い列をつくりました。大将についていた二疋も、その中にまじりました。大将はからだを曲げるくらい一生けん命に号令をかけました。
「気を付けっ」「右いおい。」「なおれっ。」「番号。」実にみんなうまくやります。
 楢夫は愕いてそれを見ました。大将が楢夫の前に来て、まっすぐに立って申しました。
「演習をこれからやります。終りっ。」
 楢夫はすっかり面白くなって、自分も立ちあがりましたが、どうも余りせいが高過ぎて、調子が変なので、又座って云いました。
「宜しい。演習はじめっ。」
 小猿の大将がみんなへ云いました。
「これから演習をはじめる。今日は参観者もあるのだから、殊に注意しないといけない。左向けの時、右向けをした者、前へ進めを右足からはじめた者、かけ足の号令で腰に手をあげない者、みんな後で三つずつせ中をつねる。いいか。わかったか。八番。」
 八番の小猿が云いました。
「判りました。」
「よろしい。」大将は云いながら三歩ばかり後ろに退いて、だしぬけに号令をかけました。
「突貫」
 楢夫は愕いてしまいました。こんな乱暴な演習は、今まで見たこともありません。それ所ではなく、小猿がみんな歯をむいて楢夫に走って来て、みんな小さな綱を出して、すばやくきりきり身体中を縛ってしまいました。楢夫は余程撲ってやろうと思いましたが、あんまりみんな小さいので、じつと我慢をして居ました。
 みんなは縛ってしまうと、互に手をとりあって、きゃっきゃっと笑いました。
 大将が、向うで、腹をかかえて笑いながら、剣をかざして、
「胴上げい、用意っ。」といいました。
 楢夫は、草の上に倒れながら、横目で見ていますと、小猿は向うで、みんな六疋位ずつ、高い高い肩車をこしらえて、塔のようになり、それがあっちからもこっちからも集って、とうとう小猿の林のようなものができてしまいました。
 それが、ずんずん、楢夫に進んで来て、沢山の手を出し、楢夫を上に引っ張りあげました。
 楢夫は呆れて、小猿の列の上で、大将を見ていました。
 大将は、ますます得意になって、爪立てをして、力一杯延びあがりながら、号令をかけます。
「胴上げい、はじめっ。」
「よっしょい。よっしょい。よっしょい。」
 もう、楢夫のからだは、林よりも高い位です。
「よっしょい。よっしょい。よっしょい。」
 風が耳の処でひゅうと鳴り、下では小猿共が手をうようよしているのが実に小さく見えます。
「よっしょい。よっしょい。よっしょい。」
 ずうっと向うで、河がきらりと光りました。
「落せっ。」「わあ。」と下で声がしますので見ると小猿共がもうちりぢりに四方に別れて林のへりにならんで草原をかこみ、楢夫の地べたに落ちて来るのを見ようとしているのです。
 楢夫はもう覚悟をきめて、向うの川を、もう一ぺん見ました。その辺に楢夫の家があるのです。そして楢夫は、もう下に落ちかかりました。
 その時、下で、「危いっ。何をする」という大きな声がしました。見ると、茶色のばさばさの髪の巨きな赤い顔が、こっちを見あげて、手を延ばしているのです。
「ああ山男だ。助かった。」と楢夫は思いました。そして、楢夫は、忽ち山男の手で受け留められて、草原におろされました。その草原は楢夫のうちの前の草原でした。栗の木があって、たしかに三つの猿のこしかけがついていました。そして誰も居ません。もう夜です。
「楢夫。ごはんです。楢夫。」とうちの中でお母さんが叫んでいます。



底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年5月25日発行
底本の親本:「新修 宮沢賢治全集」筑摩書房
入力:山根鋭二
校正:田中久絵
1999年9月8日公開
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