青空文庫アーカイブ

正月とソヴェト勤労婦人
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)嗤《わら》った

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(例)[#地付き]〔一九三一年一月〕
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 ――ヤア、こんちは。
 ――こんちは! どうした、久しぶりだね。
 ――ウン。一時間ばかり暇かい?
 ――何用?
 ――今日は正月、ソヴェト同盟の勤労婦人たちがどんなに暮すか、知ってるだろうからききたいと思ってやって来たんだ。いつだったか支那のソヴェトの正月について面白い話をきいたこともあるから……。
 ――成程。……だがソヴェト同盟じゃ正月って云っても、大したことないよ。二年ばかり前、モスクワで初めての大晦日と正月を迎えた時、どんなにやるのかと思って楽しみにした。ところが勿論日本みたいに除夜の鐘が鳴るわけじゃなし、門松立てるわけじゃなし、元旦に下宿の神さんが「おめでとう」と一言云ったぎりで普通のパンと茶を食ったよ。ヨーロッパ諸国じゃ、日本でもブルジョアが自分達の子供に玩具を買ってやるついでに貧児へ所謂慈善をほどこすクリスマスってやつ、キリスト降誕祭、あれを十二月二十五日にうんと盛にやって、その勢で大晦日正月は越しちまうんだ。
 ――だって、お前、ソヴェト同盟じゃ、あんなにプロレタリアートの階級意識を眠らす毒薬として宗教撲滅運動やってるじゃないか、見たよ、ソヴェトで出してる面白い絵入りの反宗教雑誌を。
 ――確にそうさ。ソヴェト同盟のその運動は革命当時から着手されていた。ところが一九二八年の復活祭、降誕祭の時分はまだそういう祭りを相当賑やかにやってたんだ。……ところでこれを見たか?
 ――はじめてだ、何だい、この赤、緑、黄色の点ポツポツは。
 ――愉快だぜ、ソヴェト同盟は一九二九年の秋から暦をかえちゃったんだ。一九二八年――二九年の経済年度からソヴェトでは生産拡張の五ヵ年計画にとりかかった。
 ――そりゃもう知らない者ないよ。
 ――この五ヵ年計画って仕事は、ソヴェト同盟がヨーロッパ資本主義国の生産に追いつき追い抜こうっていう、大した計画だ。アメリカやドイツの学者は、そんな計画が五十年間に実行され得たとしても驚くべきものだ。それを五年でやるなんて? またボルシェヴィキの気違いがはじまったって嗤《わら》ったもんだ。ソヴェトのプロレタリアートだってやさしい仕事にとりかかっちゃいないことをよく知っている。国家計画部が先に立って、先ず一年三百六十五日を一番生産のために有効に使うにはどうしたらいいかということを考えた。一年には五十二日日曜日がある、十三日いろんな宗教的な祭日がある。祭日の前の早じまいまであって、これまでは一年に七十三日から七十九日、工場と役所で仕事が止った。こんな不経済をやめて、交代に五日目ごとに一日の休日をとって本当にプロレタリアートの、記念日だけ休んで働くことにした。
 ――わかった。それで例えばこの赤ボッチが、また五日目についてるわけだな。間四日が働く日か。成程順ぐり緑や黄色がやっぱり五日目ごとにある。
 ――ここを見ろ。
 ――五月一日、二日。ははあ! やってるな、二日続いた一般の祭日か。
 ――そいからこれを見ろ。
 ――ふん。革命記念日二日。それからこれは何だい? ああレーニンの記念日か!
 ――ところで、どうだい、十二月三十一日、一月一日、何かあるかい!
 ――緑と黄色のボッチだけだ。――じゃ何だな、大晦日も元日もソヴェト同盟じゃ平日なんだね。
 ――その緑のボッチの番のものが三十一日に、黄ボッチが一日に休むだけだ。工場や役所じゃほかの番の者がどしどし働いてるんだ。プロレタリアートのほんとうの一月の記念日は一日じゃない、九日にやるんだ。
 ――はっきりしてら! 全く元旦だなんて、搾取国のプロレタリアートにとって目出度《めでたく》もへったくれもないわけだ。闘争の新年度第一日ってもんだ。
 ――ソヴェト同盟に正月ってもののないの分ったろ。
 ――分った。従って女子供が特別なことをやるってこともないわけさね。
 ――女だって、生産単位としてソヴェトでは男とすっかり同じだ。同じ労働は同じ賃銀を払われる。五日週間で働いてる。元旦だって平日だ。番に当った者だけが休む。特別なことは何にもない。ただ、大晦日の晩、労働者クラブで何か催しがある。芝居とか、キノとか、音楽とか、一家揃ってそこへ行って、暖い、明るい、楽しい年越しするわけさ。
 ――ねえ、オイ! ソヴェトの労働者っていうと、その話だけでも、どうも偉くがっしりしてやがるみたいだが、そいでもいつかヘベレケになることもあるのか?
 ――モスクワへ行ったばかりの時分は、よくウォツカの瓶握ってひょろついてる奴を見たもんだ。焼酎みたいなものなんだから、迚もまわるんだ。道ばたへ、襤褸《ぼろ》みたいにぶっ倒れてるのも見た。革命前までロシアの労働者の飲みようと来たら底なしで、寒ぢゅう襯衣《シャツ》まで飲んで凍え死ぬもんがよくあった。立ち上ることを恐れた。そこで酒で麻痺させたんだ。おまけにツァーはそのウォツカの税でうんと儲けて居た。革命後プロレタリアートは自分の完全な主人になった。が彼等に注ぎ込まれた毒の作用は急に消えない。中毒して本ものの病人もある。習慣的に賃銀を受とると飲んじゃう奴がある。五ヵ年計画で国じゅう真剣なのに、職場でこっそりあおっちゃくたくたしていられては堪らぬ。ソヴェトのプロレタリアートは目覚ましい勢で自己批判を始めた。一九二九年から禁酒運動の盛になったこと、文部省はアルコール中毒患者専門の療養所を開いた。キノで酒の体に及ぼす害、子孫に害を及ぼす恐ろしさ、酒が敵で心にもない反革命的行為に誘惑される実例も見せる。禁酒宣伝の示威行列も見たよ、度々。
 ――誰が示威行列をやるんだ。
 ――ピオニェールだ。婦人労働者が示威したこともある。ピオニェール、コムソモール、自覚ある婦人労働者などはいろんな社会的規律の改善にいつも先へ立って活動する。禁酒奨励運動では、女と子供が実によく働いてる。可愛いピオニェールになってる自分の息子や娘達が凜々《りり》しく隊伍を組んで雪ん中を「酔っ払い親父を排撃する!」って赤いプラカート担いで行進されちゃ、参るのさ、ソヴェトのピオニェールや自覚した婦人労働者はしっかりしてるからな。病院へ入れて中毒を療して貰っても、また悪い癖に戻るようなルンペンは、生産に携る勤労者として価値ないと云っていつまでもくっついて、自分達の生活をダメにさせちゃ置かぬ。
 ――この頃はどうなんだ? ましか?
 ――ずっと増しだ。第一消費組合の店は土曜日、日曜日、例えばメーデーの前日、酔っ払う可能の多い日は一切酒類を売らない。ふだんでも売る店が町の中でどこときまっていて、あとは閉められたのが多い。酒場も減った。酒場でも店でもアルコールの強い酒は売ることを許されない。
 ――ところで、じゃ一月九日――一九〇五年の「血の日曜日」の記念だろう? それはどんなにして行われるんだ?
 ――昼間は普通だ。働く。夜クラブが催しをやる。一九〇五年の革命が世界プロレタリアート解放運動史の上にどんな重大な意味をもっているか、革命的プロレタリアートはどんな歴史的使命をそこで果したかを短く演説する。
 ――男も女も行けるんだろう、そのクラブへは。
 ――そうとも! 家じゅう行くんだ。婆さんも孫も、赤坊だって行くよ。
 ――本当か?
 ――プロレタリアートのソヴェトは、女を封建的に台所の中やオシメのまわりをうろつかせては置かないんだ。女が働く工場には托児所がある。女が男と一緒に芝居を見、演説をきき、時には自分だって演説するクラブの中には大抵「母と子の室」がある。そこに清潔な寝台がある。壁に「赤坊は自分の乳で養え! 牛は人間の子の為に乳を出すのではない」とか「赤坊に規律正しく乳をやれ」とか、プラカートがかかってる。そこへ赤坊を寝かせておけば、責任をもって見てくれる者がいるから女は安心して演説をきいていられるんだ。
 ――そうでなければならないように出来てる。それから、
 ――時には、一九〇五年の革命を目撃した労働者の思い出話もされる。一月九日を記念した詩が本ものの朗読者によって音楽に伴れて朗読される。クラブ劇研究員の芝居、ピオニェールの分列式。ピオニェールの活人画みたいな劇、移動劇団がやって来て大道具をつくって芝居する。キノがある――記念すべき一晩をゆっくり、集団的に、楽しみの裡に階級的意識を鼓舞されつつ過すのだ。
 ――……ソヴェトの労働者たちが世界プロレタリアートにとっての記念日だけを本当の祭日にしてるところは、さすがだ。そして、その祭日の過しかたも各々家へ引こんで個人主義的にやるんでなしに、クラブへ集ってやるところもソヴェトらしい。
 ――なかなか勉強になると思うんだ。あっちのやりかたを見ると。苦しい時だけ、争闘の必要が起った時だけ、急に工場でかたまるんじゃない。ふだんから、機会ある毎に楽しむ時にも男も女も集団的にかたまって、階級としての団結力の強化をはかってる。
 ――然し、ソヴェトは建設期だろ。階級としての富農や成金に対して断然指導勢力を持ってるのはプロレタリアートじゃないか。
 ――そうだ。特に五ヵ年計画の三年目になってる現在では、国内の問題でプロレタリアートが階級的に揺ぐ点なんか在りようない状態だ。が、忘れるな。プロレタリアートは階級として地球をぐるりと一まわりしているんだ。地球六分の五を占める資本国でプロレタリアートがどんな情勢の下にあるかということをソヴェトの男女は念頭にもってる。それに、ソヴェトの社会主義建設にヨーロッパ、アメリカの資本家はどんなにヤッキになってるか。それは公正で紳士的(?)だと云うのを表看板にしているイギリスの第一流新聞タイムスが、書いてることを見たって分る。そのことも階級的立場からはっきり知るのだ。
 ――ほかに鬱《うさ》はらしのしようがなかったんだな、きっと。
 ――それも一つだ。その時分、お前、東京で云えば銀座みたいなところを降誕祭や復活祭の時労働者は歩いちゃいけなかったんだぜ、劇場だって入れなかったんだ。
 ――それどころか学校もだろ?
 ――そうだ。搾取者はその専制に対してプロレタリアートが階級的団結の下に立上る、うかうかしちゃいられないんだ。
 ――そうだとも。男だって女だってプロレタリアートなら、ボヤボヤ炬燵《こたつ》にもぐって正月してるものはないさ。
 ――一九三一年は一つ俺たちの暦でやろう。[#地付き]〔一九三一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「戦旗」
   1931(昭和6)年1月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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