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「処女作」より前の処女作
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)白髪《しらが》

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(例)[#地付き]〔一九三一年九月〕
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 どんな作家でも、はじめて作品が雑誌なら雑誌に発表されたという意味での処女作のほかに、ほんとの処女作というのもおかしいが誰にもよまれず、永年のうちには書いた自分自身さえそのことは忘れてしまっているというような処女作がきっとあるだろうと思う。
 自分の公認処女作は「貧しき人々の群」というので大正五年に『中央公論』に発表された。
 福島の田舎におばあさんが独りで暮していた。小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にのって、窓枠でハンカチに包んだ氷をかいてはしゃぶりながら、その田舎へ出かけて行った。
 毎年毎年、その東北の村で見ていた印象がたたまって小説が書けた。
 はじめは「農村」という題で五六百枚あった。あとで刈りこんで二百枚ぐらいにして「貧しき人々の群」という題にしたんだ。
 日本は人道主義時代で、「白樺」の連中がさかんにトルストイ、ロマン・ローラン、ロダンなどを紹介し、芸術の全部に人類、愛、正義、という文字が鳴りひびいていた時代だ。
 当然、十八歳の作者は、その影響のもとにある。その小説が、いわゆる恋愛ものでないのが、当時一般の注意をひいた。
 けれども、今日みれば、リアリスティックな厚みと素朴な熱誠がその作品のネウチで、農村と農民の生活はどこまでも、幼い人道主義的観点から描かれている。農村の窮乏の資本主義による経済的背景、階級としての農民などという認識は、どこにもない。つまり、断然過去の作品となったものだ。
 だが、現在の自分とすると、この作品にある感じがつながっている。その小説のおしまいに、子供の作者は叫んでいる。
「悲しい兄弟よ、さようなら。今暫くの間左様なら! 今に自分はもっとあなたがたの役に立つものとなって、再び会おう!」
 そういう意味のことを叫んでいる。
 その後数年、自分はブルジョア文学の中で、この世の中に合理的な正義ある生活をうちたてることは、個人個人の自己完成によって実現されるだろうというふうに考えていた。
 ところが、まず結婚生活の破綻で、一つの現実的な疑問にぶつかった。個人だけの力では、家庭というものにつきまとっている因習的な理解さえ根柢的に破壊することは不可能なんだ。
 では、どこに、そういうわれわれの日常生活の意識をかえ、高め、颯爽たる社会的なものにする力があるか?
 唯物史観をよんだ現代われわれの棲む資本主義社会の中で自分がどういう階級に属しているかという客観的な立場がハッキリ分って来た。
 続いてソヴェト同盟へ行った。そこで、三年生活した。勝利したプロレタリアートの社会生活は、日本の一人の女に、どう生き、どう書き、働き、どう死ぬべきかということを、実践で教えた。「貧しき人々の群」という大したネウチもない作品を思い出すのは、今こそ自分は少しはホントにプロレタリア、農民の役に立つものとなったという喜びのためだ。
 今こそ、武器は一本のペンであろうとも、自分はそれをもって守るべき味方と正義と、闘うべき敵を、階級として実感しているんだ。
 悲しい兄弟よ、じゃあない。
 勇敢な闘士、兄弟姉妹よ! 今日は、なんだ。
 その小説のズッと前に、誰も知らない、ほんとの処女作というのがある。
 多分、小学校の六年生か、女学校の一年ぐらいの時だ。例によって夏休みというものがやって来た。
 母親がお嫁に来るとき持って来た小さい黒い机がうちに一つある。子供の多いやりくり最中の家庭だから、母親が自分でその机の前に坐ってる時なんかまるでない。いつも室の隅っこに放り出してある。
 真岡浴衣に兵児帯姿の自分は、こっそりその机をかかえこみ、二畳の妙な小室へ引っこんだ。ツルツルの西洋紙を、何枚も菊半截ぐらいの大さに切って木炭紙へケシの花を自分で描いて表紙とし、桃色の布でとじた。そこへ、筆で毎日何か書いて行った。
 どんな筋だったか、まるで覚えないが、何でも凄い恋愛小説だったことだけは確かだ。
 或る夜、海岸、恋している男と女とが、沖の漁火を眺めながら散歩してる。女は、白い浴衣を着、手に団扇をもって、何とか彼とか男に云ってるところまで書いたら、不意に母親がやって来て、
「百合ちゃん、お前がこれ書いたの?」
 しようがない。うん、と云ったら、母親はちょっとよんでみた。
「まあ、何だろう!」それっきり、どうしたのかそのケシの花の表紙のついたものはどっかへ消えてなくなってしまった。
 さがした。ない。隠されちゃったナ、ぼんやりそう感じながらきっと幾分恨みながらだろうが、いつの間にか忘れてしまった。永い間ズーッと忘れていた。いつだったか近頃になってそのことを思い出した。
 その時分、若く元気で、唱歌をうたいながら洗濯なんかしていた母親は、白髪《しらが》になっている。自分がその桃色の布でとじたものの話をし、
「どこへしまったの?」
ときいたら、
「ホントにねえ、そう云われると、そんなこともあったような気がするね」
と、茫漠とした顔附になった。
「どこにかあるだろうよ、おおかた……」
 母親も忘れていたのだ。
 もう出て来ることなんぞないだろう。
 だが、自分の心の中に鮮かに、あのケシの花の表紙と桃色の切れっぱしの恰好がのこっている。
 それでいて、なかみはまるで思い出せないのだ。
[#地付き]〔一九三一年九月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「若草」
   1931(昭和6)年9月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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