青空文庫アーカイブ

公のことと私のこと
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)私事《わたくしごと》

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(例)[#地付き]〔一九四六年六月〕
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 この社会に公明正大に生きてゆくためには、公私の別をよくわきまえていかなければならない。このことは、よく昔からくりかえして云われて来ております。そして、誰しも一応はわかって暮しているわけでしょうが、昨今私どもが周囲の生活を見まわしたとき、一応は誰にでもわかっている筈の、その公私の区別が、果してあるべきようにはっきりしているでしょうか。
 毎日の実際について、少し観察してみましょう。

 食糧事情は、お互さまにひどいことになって来ました。七時半ごろという今の時間は、どこの御家庭でも、たのしかるべき朝飯の時刻です。一家揃って元気よく、一日の活動に出発する第一の食事をなさるその時間に、ラジオは耳から、心の糧を送ろうとして、この時間のプログラムは考えられているのでしょう。けれども、けさの食卓は、お互さまにいかがなものでしょうか。

 これまで、一家の食事ということは、どこの家でもかかされないことだのに、どういうわけか、めいめいの私事《わたくしごと》という風に考えられて来ました。食事の時間にお客が来ると、来たお客が恐縮するかわりに、却って食事中の主人一家の方があわてて、すまないことでもしているように、失礼いたしまして、と詫びたりします。

 これは、日本独特の習慣であると思います。いい食事をするのも、乏しい食事をするのも、つまりはその一家の金のあるなし、腕のあるなしにだけかかっていることとされていました。そのために、どういう方法にしろ金のありあまっている人々は、健康に害があるほど馬鹿馬鹿しい贅沢な食事をし、金のない者は、人間として生きて働いてゆくだけの体力も保てないほど貧しい食物で、しのいでゆかなければなりませんでした。そして、この、どちらにしても不合理な二つの現象は、めいめいの都合による、私ごとと思われて来たのでした。

 ところが、戦争の結果、日本の大多数の人々は食糧の欠乏にみまわれることになりました。今日、あらわな慢性の飢餓の状態に立ち到るまでには、いくつかの段階があって、そのたびにいろいろな警告が発せられました。配給を公平にせよ、横流しをするな、闇をとりしまれ、公徳心を発揮せよ、と云われたのですが、そのききめは、どの位のものでしたろう。

 これまで、日本のすべての人は、食べるということは、自分の力で、云わばめいめいの分相当に解決してゆくべき「わたくしのこと」として教えこまれ、習慣づけられて来ました。とくに、そのやりくりは、主婦の責任という風に考えられました。人間が、どう食べているか、ということが、一つの社会にとって重大な問題であるという、公の立場から考える習慣はもっていません。そう考えるのは、社会主義のものの考えかたであるとして、むしろ取締られて来ました。

 食物の問題を、この社会にとっての公の問題としてとりあげれば、処罰されかねなかった習慣の中で、物が無くなったからと云って、どうして急に、その解決だけを、公の方法に立ち、社会全体の規模から、解決してゆこうという気持になれるでしょう。本来は、公ごとであるべき、食べることの問題を、こっそりとして、侘しい「私ごと」、女の台所の中のこととして来た、公私さかさまな習慣が、今日のところまで食糧事情を悪化させて来た一つの動機でさえあるようです。

 目下の日本で、最も切迫した公の問題は、食糧危機をどう突破するかということですが、代議士たちの大多数は、これに対してどういう態度をとっているでしょうか。つい先頃の総選挙のとき、三合配給などを公約した候補者について、選挙が終ってからすぐ、新聞社が、三合配給の公約をどうするか、という題目で質問しました。すると、三合配給の公約はしない、現在二合一勺を確保すると云っただけだという答や、「俺は知らんよ」と、まことに鷹揚な首領の返事や「それは落選候補の公約であった」という名回答もありました。

 日比谷の放送討論会などの席上では、大変賑やかに食糧事情対策が論ぜられます。野草のたべかたについての講義――云いかえれば、私たち日本の人間が、どうしたらもっと山羊に近くなるか、とでも云うようなお話まで堂々とされます。これは公の席で、公の議論としてされているのです。

 もし、今日の食糧事情が、真に公の問題としてとりあげられているならば、政府はどうして土地問題の解決というような、根本の、公の方法から、徹底させてゆかないのでしょう。一人一人の財布ではもう背負い切れない負担である「わたくしの方法」買出しに打開策をまかせてみたり、又おどろいてやめさせたりばかりしているのでしょう。
 真に公の声である全日本の人々の、生きて働けるだけ食べられるように、という声に心を合わせて、人民が自分たちで責任をもって食糧の管理をやって見ようという、公の方法に、賛成しないのでしょうか。
 ここでも、公のことと、私のこととが全くさかさまになっております。

 日本の歴史は、ついきのうまで、深い封建性の雲にとざされておりました。そのために、「公」という字の使いかたが、永年のうちに誤られてしまいました。「公」という字は、官僚的な、役所、「お上」のことめいたものばかりを意味するようになってしまいました。
 私という字は、何でも民間のもの、よくてもわるくても公よりは一段力のよわい、社会の立場の低いものと、うけとられるようになりました。
 民主的な国で「公衆」というとき、それは個々の「私」が幾千幾万と、より集った、最も実力のある、決定権をもったものとして、見られています。ところが日本ではどうでしょうか。
「公衆食堂」へ農林大臣が食事に行ったという例があったでしょうか。同じ「公」という字でも、それに「衆」という字がついて公衆となると、それは却って一段と低くなった感じで扱われて来ました。

 今日のように、日本が民主主義の国になろうとして、新しい出発をしたばかりのときには、「公」という字の感じかたにも、混雑があります。「輿論」というと相当の重みをもって通るのに、「公衆の意見」というと、何だか、その程度をうたがわれるような傾きがあります。別の「公」、官僚的な重苦しい「公」で、何となく抑えつける余地でもあるように、扱われています。

 思えば、戦争中、私たち全日本人は「滅私奉公」という一字で、万端をしめくくられて来ました。けれども、今日になって、その時をかえりみれば、「私」を滅して、命までを捧げるべき「公」と云われたものの本体は、たった一握りの特権者たちの、「私」の利益であったことが明瞭にされました。

 自分のこころもち、自分の考えを、どこまでも私ごとという、カラの中に封じておくならば、決して社会は進歩いたしません。
 私たちのめいめいの心もち、考えの中に、ひろくひろく「公」の要素が加って、「私」の見解はとりもなおさず、一つのれっきとした「公」の見解であるというようになって、はじめて日本の民主生活は、現実のものとなってゆくでしょう。[#地付き]〔一九四六年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:NHKラジオ
   1946(昭和21)年6月6日放送
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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