青空文庫アーカイブ

女の手帖
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)逼迫《ひっぱく》

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(例)おさすり[#「おさすり」に傍点]町医は求めない。
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        共学

 期待はずれた今度の内閣改造の中で僅かに生彩を保つのは安倍能成氏の文部大臣であるといわれる。朽木の屋台にたった一本、いくらかは精のある材木が加えられたところで、その大屋の傾くことを支え切れるものではない。腐れ屋台につがれた細い材木が共に倒れて裂かれないことを願うのは多くの人の心持である。
 アメリカから教育に関する専門家たちが大勢来ることになった。そして日本女子大学と英学塾とは早速大学に昇格するための運動を開始した。井上秀子女史が戦時中日本女子大学校長としてどのように熱心に戦争遂行に協力したかは当時の学生たちが、自分たちの経験した過労、栄養不良、勉学不能によって骨の髄まで知りつくしていることだろうと思う。そういう校長を絶対勢力として戴いて、どうして教育の本質を向上させ得るだろう。伸びるためには頭の上がからりとしていなくてはならない。
 若い婦人が真の勉強をするためには女子だけの専門学校では駄目である。共学が誠意をもって実行されなくてはならない。安倍能成氏は文部大臣となって女子に全国の専門学校、大学を開放し得るであろうか、ここに試金石の一つがある。

        大衆課税

 去る十二日の夕餉のテーブルに、なかなか味なおくりものがあった。この日、ラジオの解説の時間は、戦時利得税、財産税というものの正体がつまるところは大衆課税であって、より多くの持てる者が、持たざるものよりも遙に有利に権力によって守られる仕組みにできていることを、確認させたのであった。この課税の方法によると大財産の所有者たちは、とり上げられる税をこの情勢推移の急な時代に四年間支払猶予され、事実上支払わないでもすんでしまいそうな上、出しただけの金は形を変え口実を新しくして堂々めぐりでまた元の懐に戻って来る仕組みになっている。徴収した金は大衆がその中の一割とすこししか持っていない戦時公債を償還して、大企業銀行などをうるおす予定になっている。二万円の区切りは今日の円で二千円だといえばきわめて広汎な家庭が包括されて来るのである。
 実にわかりやすく懐に突込まれる手の形を解説されたのであるが、主婦たちは、どんな感想をもって、これを聴いたであろうか。税のことは男の世界のこととして聴きすてたのであろうか。財閥は決して退治されていない。生計の担当者である彼女たちの一票は少くともそれに反対する人民の意思表示となるべきであると思う。

        安達ヶ原

 群馬の或るところに恐ろしい人肉事件が起った。また再び詳しく話し返すに堪えない残忍な話である。今日、食糧事情はそこまで逼迫《ひっぱく》しているという人もあろうが、難破して漂流している孤舟の中に生じた事件と仮定してさえも、私ども正常の人間性はその残酷さを許し得ないのである。ましてやこの事件は、単純きわまる残忍さが徹底している点で言語道断な特殊な一例である。
 さてここに注目されていることは、不幸なめぐりあわせに陥った被害者が、その家庭で継娘という立場にあったことである。あの記事をよんで、日本中には少くない同じ立場の若い娘たちが、人知れずどんな恐怖にうたれたであろう。昔から可哀そうな少女のお話の女主人公は継娘ときまっていて、ヨーロッパにも「シンデレラ」の物語がある。女の感情生活は社会のひろい風に吹かれていないから、母性も粗野で愛情はともすれば動物的に傾きやすい。「家」という昔ながらの封建のしきたりは、どういう偶然で、どんな女を母という強制として一人の娘の運命にさし向けないとも限らないのである。隣家の小母さんであるならば、鬼女もその娘に手をのばしはしなかったろう。母子関係の常套には新しい窓がひらかれる必要がある。

        被害者

 犯罪に顛落する復員軍人が多いことについて、復員省は上奏文を出し「聖上深く御憂慮」という記事がある。亀山次官は「余りに冷酷な世間」と一般人民に責任がありそうな見出しの話しかたをしている。けれども、今日のこの悲劇の真実の社会的責任はどこに在るか。真面目に「世間」も顛落する不幸な人々も考え直してみるべきである。
 戦争中、虚偽の大本営発表で勝利への妄信に油を注ぎつづけた責任者は誰であったろう。現実がその妄想を打破った幻滅の心を、自力で整理するだけの自主的な「考える力」を必死に否定してあらゆる矛盾した外部の状況に受身に、無判断に盲従することを「民心一致」と強調した責任は、どこにあっただろうか。馬一匹よりもやすいものと命ぐるみ片ぱしから引っぱり出されたのは、人民である。やっと生きて帰って来た世間が冷たいのも、もとはといえば、不幸な人々を引っぱり出した同じその強権によって、愚弄されて来たことを今日の憤りとしている世間の感情があるからである。
 人民同士が互に不幸への憤りを見当違いにぶっつけ合って苦んでいる間は、漁夫の利で「御軫念《ごしんねん》」というような表現の陰にかくれ得る。昨今の事情においては被害者も加害者も、本質においては同じく被害者であることを知って、根本の責任追究のために一致行動し不幸から脱出しなければならない。

        米

 一月十日現在として全国の供出米が割当のやっと二割八分しか集まらなかったことが報じられている。先頃、中国地方の田舎を旅行したときも、話題は供出米が中心となった。自主的に米を供出している村の人たちで営団にその米を渡さず、何とか直接消費者にわたす方法はないかと頭を砕いているところもあった。これらの人々は自分たちの労力と親切との結果が中途で妙なことになるのを見抜いていやがっているのである。
 農林大臣は無策の極、米の専売を考えているという発表をしている。あの記事を尤もと思ってよんだ人民は恐らく一人もないであろう。「専売」はタバコのことだけでも、政府にとってどんなに御都合まかせの収入の道であるかという点で試験ずみである。ましてや日本の支配者は思想の上まで専売を強いた。少くとも現在の政府での専売制は絶対に信頼が出来ないというのが人情である。この判断がどんなに正当かという裏書は現に農林省の官吏たちが職員大会を開いて食糧の人民管理を叫んでいる。これらのその道の人達は自分たちの職域を通じて農林省、農会、営団を貫くからくりに通暁しているからこそ、公正な人民管理を主張しているのである。

        解毒剤

 あらゆる面で、生活の正常な機能を破壊された七千万の日本人民が、今日当面している困難と辛苦とは、実に大きい。
 複雑な重病にかかったとき私たちはどういう医者を求めるだろう。決して、おさすり[#「おさすり」に傍点]町医は求めない。真に科学的にその病原を追究して、科学の方法によって治療することを知っている医者を求める、癒りたい、という欲求をはっきり押し出して、医者をさがす。それこそ人間の当然のやりかたである。人民の社会生活が戦争犯罪的権力によって破壊された今日、それを癒す道は犯罪的な権力を根本的に人民の生活機構から追放して、健全な精神と能力の人民が自分ら人民のために社会を運営してゆく方法しかない。これは動かせない事実である。それにもかかわらず、自分の頸をあのようにも絞めた力に対して、まだ自身弁解の労をとる風があるのは不思議である。人民は、被虐病者《マゾヒスト》ではない筈である。
 真面目な若い一人の特攻隊長が、自身の責任と人民の不幸とに刺戟されて、社会的解毒剤たる共産党に入党したという記事があった。若き率直さをほむべきかな。「選挙対策」に腐心して、一歩一歩人民の真の必要から離れつつある政党の首領たちは、その一歩ごとに「生ける屍」となりつつある。
[#地付き]〔一九四六年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「毎日新聞」
   1946(昭和21)年1月17、18、20〜23日号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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