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貧しき人々の群
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)畏《おそ》るべき

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(例)大変|御利益《ごりやく》のある

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[#「序にかえて」全体、天より2字下げ]

  序にかえて

 C先生。
 先生は、あの「小さき泉」の中の、
  「師よ、師よ
  何度倒れるまで
  起き上らねばなりませんか?
  七度までですか?」
と云う、弟子の問に対して答えた、師の言葉をお覚えでございますか?
  「否!
  七を七十乗した程倒れても
  なお汝は起き上らねばならぬ」
と云われて、起き上り得る弟子の尊さを、この頃私は、しみじみ感じております。
 第一、先ず倒れ得る者は強うございます。
 倒れるところまで、グン、グンと行きぬける力を、私はどんなに立派な、また有難いものだと思っていることでございましょう。
 今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。
 が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。
 ほんとうにドシドシと、
 ほんとうにドシドシドシドシと、真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、また自ら起き上られる者の偉さは、限り無く畏《おそ》るべきものではございますまいか。
 まだ心の練れていない、臆病な私は、若しや自分が、万一倒れるかもしれないことを怖がって、一尺の歩幅で行くところを、八寸にも七寸にも縮めて、ウジウジと意気地なく、探り足をしいしい歩きはしまいかということを、どれ位恐れているでございましょう。
 私は、もう二足踏み出しております。その踏み方は、やがて三度目を出そうとしている今の私にとっては、決して心の踊るように嬉しいものではございませず、またもとより満足なものでは勿論ございません。
 けれども、どうでも歩き廻らずにはいられない何かが、自分のうちに生きているのでございます。
 たといよし、いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、命の限り進んで行くほかないのでございます。
 自分の卑小なことと自分の弱いことに、いつもいつも苦しんでばかりいる私は、一体何度倒れなければならないのか?
 それは解らないことでございます。
 けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。そして、たといどんなに傷はついても、また何か掴んで起き上り、あの広い、あの窮《きわま》りない大空を仰いで、心から微笑出来ましたとき! その時こそどうぞ先生も、御一緒に心からうなずいて下さいませ。
  一九一七年三月十七日  著 者[#「著 者」は天より40字下げ、地より2字上げ]
[#ここで字下げ終わり]

        一

 村の南北に通じる往還《おうかん》に沿って、一軒の農家がある。人間の住居というよりも、むしろ何かの巣といった方が、よほど適当しているほど穢い家の中は、窓が少いので非常に暗い。
 三坪ほどの土間には、家中の雑具が散らかって、梁の上の暑そうな鳥屋《とや》では、産褥《さんじょく》にいる牝鶏のククククククと喉を鳴らしているのが聞える。
 壁際に下っている鶏用の丸木枝の階子《はしご》の、糞や抜け毛の白く黄色く付いた段々には、痩せた雄鶏がちょいと止まって、天井の牝鶏の番をしている。
 すべてのものが、むさ苦しく、臭く貧しいうちに、三人の男の子が炉辺に集って、自分等の食物が煮えるのを、今か今かと、待ちくたびれている。
 或る者は、頭の下に敷いた一方の手を延して、燃えかけの枝で、とろくなった火を掻きまわして、溜息を吐く。或る者は、さも待遠そうに細い足をバタバタ動かしながら、まだ湯気さえも上らない鍋の中と、兄弟共の顔を、盗み視ている。けれども誰一人口をきく者は無く、皆この上ない熱心さで、粗野な瞳を輝かせながらただ、目前に煮えようとしている薯《いも》のことばっかりを、考えているのである。
 逞《たくま》しい想像力で、やがて自分等の食うべき物の、色、形、臭いを想うと、彼等の眠っていた唾腺は、急に呼び醒《さ》まされて、忽ち舌の根にはジクジクと唾が湧き出し、頬《ほっ》ぺたの下の方が、泣きたいほど痛くなる。彼等は、頭が痛いような思いをしながら、折々ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らし合っていた。
 子供等は年中腹を空かしている。腹が張るということを曾てちっとも知らない彼等は、明けても暮れても「食いたい食いたい」という欲にばっかり攻められて、食物のことになると、自分等の本性を失ってがつがつする。
 今も彼等三人が三人、皆同じように「若し俺ら独りで、こんだけの薯が食えたらなあ」と思い、平常はいなければならない兄弟共も、こんなときには何という邪魔になることかと、しみじみと感じていたのである。それだもんで、いつの間にか鶏共が俵の破れから嘴《くちばし》を突込んで、常に親父から、一粒でももったいなくすると目が潰れるぞと、かたく戒められている米粒を、拾い食いしているのなどに、気の付こう筈はなかった。
 鶏共と子供達とは、てんでに自分等の食物のことばかりに気を奪われていたのである。
 ところへさっきから入口の所で、ジイッとこの様子を眺めていた野良犬が、何を思ったか、いきなり恐ろしい勢で礫《つぶて》のように、鶏の群へ躍り込んだ。
 珍らしい米の味に現《うつつ》を抜かしていた鶏共は、この意外な敵の来襲に、どのくらい度胆を抜かれたことだろう! コケーッコッコッコッコッ、コケーッコッコッコッコッという耳を刺すような悲鳴。バタバタバタバタと空しく羽叩きをする響などが、家中の空気を動揺させ、静まっていた塵は、一杯に飛び拡がった。
 あまり騒動が激しいので、かえって犬の方がまごついてしまって、濡れた鼻で地面をこすりながら、ウロウロとそこいら中を、嗅ぎまわった。
 横に垂れ下った舌や、薄い皮の中から見えている肋骨が、ブルブル震えたり、喘いだりしているのである。
 この不意の出来事に、子供等は皆立ち上った。そして、一番年上の子は、火の盛《さかん》に燃えついている木株を炉から持ち上げるや否や、犬を目がけて、力一杯投げつけた。投げられた木株は、ヘラヘラ焔をはきながら、犬の後足の直ぐのところに、大きな音と火花を散らして転げたので、低い驚きの叫びを上げながら、犬は体を長く延して、一飛びに戸外《そと》へ逃げ去ってしまった。
 木株の火は消えて、フーフーと、激しい煙が立ちはじめた。
 この小さい騒ぎを挾んで、彼等の待遠い時は、極めてのろのろと這って行った。
 けれども、ようよう鍋の中から、グツグツという嬉しい音がし始めると、皆の顔は急に明るくなり、微笑した眼が幾度も幾度も蓋を上げては、覗き込んだ。
 これから暫くすると、一番の兄は、まだ朝の食物があっち、こっちに、こびり付いている椀を持って来て、炉の辺に並べた。これから、このホコホコと心を有頂天にさせるような香りのする薯が分けられようと、いうのである。
 一つ二つ三つ四つ。一つ二つ三つ四つ。
 彼は順繰りに分けていたが、不意に、前後を忘却させたほど強い衝動的な誘惑に駆られて、皆の顔をチラッと見ると、弟達のへ一つ入れる間に、非常な速さで自分の椀に一つだけよけい投げ込んだ。
 そして、何気なく次の一順を廻り始めようとしたとき、
「兄《あん》にい、俺《おい》らにもよ」
と、そのとき貰う番の弟が、強情な声で叫んだ。後の者も、真似をして椀をつきつけながら、兄に迫って行った。
 兄は、自分の失敗の腹立たしさに、口惜しそうな顔をしながら、突き出された椀の中に、小さい一切《ひときれ》をまた投げ込んでやった。
 けれども、初めに見つけたすぐ下の子は、兄のと自分のとを、しげしげ見くらべていた後、
「俺ら厭《や》んだあ! お前の方が太ってらあ」
と云うなり、矢庭に箸をのばして、兄の椀からその太った丸いのを、突き刺そうとした。
 物も云わせず、その子供の顔は、兄の平手で、三つ四つ続けざまに殴《ぶ》たれた。彼は火のつくように泣き出した。そして、歯をむき出し、拳骨をかためて「薯う一つよけいに食うべえと思った奴」にかかって行った。
 それから暫くの間は、三人が三巴《みつどもえ》になって、泣いたり喚《わめ》いたりしながら、打ったり蹴ったりの大喧嘩が続いた。仕舞いには、何のために、どうしようとしてこんなに大騒ぎをしているのかも忘れてしまったほど、猛り立って掴み合ったけれども、だんだん疲れて来ると共に、殴り合いもいやになって来た。気抜けのしたような風をしながら、めいめいが勝手な所に立って、互に極りの悪いような、けれどもまだ負けたんじゃねえぞと威張り合いながら、いつの間にかこぼれて、潰れたり灰にころがり込んだりしている大切な薯を見詰めていた。
 皆、早く食べたい、拾いたいと思ってはいるのだけれど、思いきって手を出しかねていると、喧嘩を始めたなかの子が、押しつけたような小声で、
「俺ら食うべ」
とこぼれたものを、拾い始めた。
 これを機《しお》に、ほかの者も大急ぎで拾った。
 そして、また更《あらた》めて数をしらべ合うと、今はもうすっかり気が和らいで、かけがえのない一椀の宝物を出来るだけゆるゆると、しゃぶり始めたのである。
 これは、町に地主を持って、その持畑に働いている、甚助という小作男の家の出来事である。

        二

 ちょうどそのとき、私は甚助の小屋裏の畑地に出ていた。ブラブラ歩いてそこまで来ると、思いがけず子供等の様子が目に付いたので、傍の木蔭から非常な興味を持って、眺めていた。そして薯のことから、喧嘩からすっかりを見てしまったのである。初めの間は、私はただ厭なものだ、あさましいものだと思っていたけれども、だんだん恐ろしいようになり、次で、たまらなく可哀そうになって来た。彼等に対して一切《ひときれ》の薯は、どれほど勢力を持っているものか。若し私に出来ることなら、うんと厭になるほど御馳走を食べさせて遣《や》りたいというような心持も起ったけれども、とうとう、私はどうしてもあの子供等と近づきになって見ようという激しい好奇心に、すっかり打ち負かされてしまった。
 私は、さっさと独りで入って行こうともしたが、何だかばつが悪い。
 向うがいくら子供達でも、何だか極りが悪い。で、私は誰か来て私を連れてってくれればと思いながらぼんやりと立っていた。裏口からは、子供等が口の中で薯をころがしたり、互の椀の中を覗き合ったりしているのがすっかり見える。
 ちょうど好い塩梅に、そのとき甚助の身内の者で、家が傍だもんで、日に一度ずつ子供ばかりで留守居をしている所を見廻っている婆が、いつものように手拭地のチャンチャン一枚で向うから来た。
 私は早速婆にたのんだ。そして、初めて甚助の家へ入って見たのである。そこいら中は思ったより穢く臭かった。
 私が戸口の所に立って、内の様子を眺めていると、婆は、けげんな顔をして、ジロジロ私の方ばかり見ている子供達に、元気の好い声で種々《いろいろ》世話を焼いてやっている。
「ちゃんは今日も野良さ行ったんけ? おとなしく留守をしてろよ。また鉄砲玉(駄菓子)買ってくれっかんな」
 そして黙り返ったまま、婆が何と云おうが返事をしようともしない子供達に、何か云わせようとしきりに骨を折っても、頑固な彼等はただ、臆面のない凝視をつづけているばかりで一言も口をあこうともしない。皆が、憎いような眼をして私ばかり見ているので、だんだん私は来ちゃあ悪かったのかしらんというような心持になって来た。
 婆は、しきりに気の毒がってかれこれとりなしに掛《かか》っても、子供等は一向そんなことには頓着なく婆がいわゆる、「しょうし(恥し)がっていますんだ」という沈黙を続けている。
 私には、なぜ子供等がこんなに黙り返っているのかいっこう訳が分らなかった。それで、幾分蹴落されるような心持になりながらも、しいて微笑をしながら、
「父さんや母さんは? 淋しいだろう?」
と、一番大きい子に云うと、いつの間にか私の後に廻っていた中の子が耳の裂けそうな声で、
「ワーッ!」
とはやし立てた。
 私は非常に驚いたと同時に、胸がムカムカするほど不愉快を感じた。けれども、もう一度私は繰返してみた。
「淋しいだろうね、だあれもいないで」
 腹は立ったけれども、私にはまだ彼等を憫《あわれ》むくらいの余裕はあった。
 年中貧しい暮しをして、みじめに育っている子に、優しい言葉の一つもかけて遣りたかったのだ。が、それにも拘らず、
「おめえの世話にはなんねえぞーッ」
と云う、思いがけない怒罵《どば》の声が、私の魂を動顛させる鋭さで投げつけられたのである。
 私は目の奥がクラクラするように感じた。
 一瞬間に、今まであった総てのことが皆嘘だったような気もする。
 私は、何をどうすることも出来ずにただ立っていた。けれども、心が少し静まると、ジイッとしていられないほどに不可解な憤怒や羞恥が激しく湧き立って、非常に不調和な感情の騒乱は、肉体的の痛みのように、苦しい心持にさせるのであった。
 私は寛容でなければならない。彼等から一歩立ち勝った者の持つ落着きを保ちつづけようとする虚栄心が臆病になりきった心を鞭撻した。けれども空虚になったような頭には何を判断する力もなくなり、歯がガチガチと鳴っている。
 この意外な有様に、婆はすっかりとちってしまった。そして子供の手をグングン引っぱって下に坐らせながら私には、詫びるような眼差しで、
「行きますっぺなあ、おめえ様。礼儀もなんも知んねえで、はあどうも」
と立ち上った。私も、もう帰るだけだと思った。
 婆の先に立って子供等に背を向けたとき、私は自分の上に注がれている憎しみに満ちた眼を思い、野獣のような彼等の前に、どれほど私は臆病に弱く醜く立ち去ろうとしているのかと思うと、このまま消え失せてしまいたいほどの恥しさに、火のような涙が瞼一杯に差しぐんで来たのである。
 私はしおしおと杉並木の路を歩いていた。誰に顔を見られるのも、口を利かれるのも堪らない心持でのろのろと足を運んでいると、いきなり後から唸りを立てて飛んで来た小石が、私の足元で弾んで、コロコロと傍の草中へ転がり込んでしまった。
 シュウという音が鼓膜を打つや否や、私は反動的に身をねじ向けて見ると、まだすぐ近くの甚助の家の前に、子供等が犇《ひしめ》き合って立っている。
 年上の子供は、私が振向くと、手に持っていた小石を振り上げて、威《おど》すように身振りをした。
 私は、子供等の方を見ながらのろのろと杉の木蔭へ身を引きそばめて、二度目の襲撃を防ごうとした。
 私は、手触りの荒い杉の太い幹につかまりながら、訳もなく大きな涙をポロポロとこぼしたのである。

        三

「何ということだ!」
 あのときの様子を思い出すと、私の顔はひとりでに真赤になった。なぜ私は、あれほどの恥辱を受けなければならなかったか? 私が彼等に対して云ったことが悪かったか? 私は確かに悪いことは云わなかったというよりほかはない。私は同情していたのだ。ほんとうに淋しいんだろうにと思っていたばかりだ。私にはちっとも嘘の心持はなかった。どこからどこまでも正直な気持でいたのではないか?
 私にはどうしても彼等の心持が解せない。それ故あの罵りに対しての憤りはより強く深くなるばかりなのであった。
 私は、お前方から指一本指される身じゃあない。
 人が親切に云ってやったのに石までぶつけて、それで済むことなのか?
 私はほんとにあの子供達が厭であった。そして、またいつものようにあのときのことがじき村の噂に上って小《ち》っぽけなおかしい自分が、泥だらけの百姓共の嘲笑の種に引っぱりまわされるのかと思うと、一思いに、あのこともあの子供達も一まとめにして、押し潰してしまいたいほどの心持がしたのである。御飯も食べられないほど私はくさくさした。
 けれども、夕方近くなって、小作男の仁太というのが来て二時間近くも話して行ったことは、私に或る考えの緒口《いとぐち》を与えた。
 彼は、私共の持畑――二里ほど先の村にある――に働いている貧しい小作男で、その男が来ればきっと願い事を持っていないことはないといわれているほど、困っているのである。
 私は彼の衰えた体をながめ、もう何も彼も運だとあきらめているよりほかしようのないような話振りを聞くと、フト甚助のことを思い出した。
 甚助はやはりこの仁太のような小作男だ。
 ああ、ほんとに彼等はこんな気の毒な小作男の子供達であったのだ! この思いつきはだんだん私の心から種々の憤りやなにかを持ち去ってしまった。
 けれども、後にはよく考えなければならない、悲しい思いが深く根差したのである。
 あの男の子等は、今まで、その両親が誰のために働いているのを見ていたのか?
 彼等の収穫を待ちかねて、何の思い遣りも、容赦もなく米の俵を運び去ってしまうのは如何なる人種であるのか?
 実世間のことを少しずつ見聞して、大人の生活が分りかけて来た彼等男の子等の胸は、両親に対する同情と、常に自分等よりもずっとよけいな衣類や食物を持っていて、異った様子をし、異った言葉で話す者共へ対しての憎悪と猜疑《さいぎ》で充ち満ちていたのであろう。
 俺らが大事の両親に辛い思いをさせ涙をこぼさせるのは、あのいつでもその耳触りの好い声を出して、スベスベした着物を着て、多勢の者にチヤホヤ云われている者共ではないか?
 親切らしい言葉の裏には伏兵のあることを、いつとはなく半分直覚的に注入され、「町の人あ油断がなんねえぞ」と云われ云われしている彼等であろうもの、いきなり私が現れて、優しい言葉を掛けたからとて私を信じ得る筈はない。
 彼等の頭には先ず第一に僻《ひが》みが閃いた。
「またうめえこと云ってけつかる!」
 で、一時も早くこの小づらの憎い侵入者を駆逐するために、
「おめえの世話にはなんねえぞーッ!」
と叫んだのであった。
 彼等はもう、いわゆる親切は単に親切でないということを知っている。
 貧乏はどれほど辛いかを知り、その両親へ対して生々しい愛情、一かたまりになって敵に当ろうとする一方の反抗心によって強められた、切なる同情を感じているのである。
 朧気《おぼろげ》ながら、真の生活に触れようとしている彼等に比して、私の心は何という単純なことであろう! 何という臆病に、贅沢にふくれ上っていることであったろう!
 私はまちがっていたのだ。彼等総ての貧しい人々の群に対して、自分は誤っていた。
 私は親切ではあった。けれども幾分の自尊と彼等に対する侮蔑とを持っていたのである。そして、自分自身が彼等から離れ、遠のいた者であるのを思えば思うほど一種の安心と誇り――極く極く小さな気のつかないほどのものではあったが――を感じていたということを偽れようか?
 自分を彼等よりは、立派だと思ったことは、ただの一度もなかったか?
 もちろん、私は意識しながら傲慢な行為をするほど愚かな心事を持っているとは思わないけれども、長い間の習慣のようになって、理由のない卑下や丁寧を何でもなく見ていたということは恐ろしい。
 私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるということに何の差があろう?
 まして、我々が幾分なりとも、物質上の苦痛のない生活をなし得る、痛ましい基《もとい》となって、彼等は貧しく醜く生きているのを思えばどうして侮ることが出来よう!
 どうして彼等の疲れた眼差しに高ぶった瞥見《べっけん》を報い得よう!
 私共は、彼等の正直な誠意ある同情者であらねばならなかったのである。
 世の中は不平等である。天才が現れれば、より多くの白痴が生れなければならない。豊饒《ほうじょう》な一群を作ろうには、より多くの群が、饑餓の境にただよって生き死にをしなければならないことは確かである。
 世が不平等であるからこそ――富者と貧者は合することの出来ない平行線であるからこそ、私共は彼等の同情者であらなければならない。
 金持が出来る一方では気の毒な貧乏人が出るのは、宇宙の力である。どれほど富み栄えている者も、貧しい者に対して、尊大であるべき何の権利も持たないのである。
 かようにして、私は私自身に誓った。
 私は思い返した。
 自分と彼等との間の、あの厭わしい溝は速くおおい埋めて、美しい花園をきっと栄えさせて見せる!

        四

 私は、自分の生活の改革が、非常に必要であるのを感じた。そして、いろいろな思いに満たされながら、自分の今日までの境遇を顧みたのである。
 私共の先代は、このK村の開拓者であった。首都から百里以上も隔り、山々に取り囲まれた小村は、同じ福島県に属している村落の中でも貧しい部に入っている。
 明治初年に、私共の祖父が自分の半生を捧げて、開墾したこの新開地は、諸国からの移住民で、一村を作られたのである。南の者も、北の者も新しく開けた土地という名に誘惑されて、幸福を夢想しながら、故国を去って集って来た。けれども、ここでも哀れな彼等は、思うような成功が出来ないばかりか、前よりも、ひどい苦労をしなければならなくなっても、そのときはもう年も取り、よそに移る勇気も失せて仕方なし町の小作の一生を終るのである。それ故彼等は昔も今も相変らず貧しい。
 そればかりか近頃では、小一里離れているK町が、岩越線の分岐点となってから、めっきりすべての有様が異って来たので、この村も少からず影響を蒙《こうむ》った。そして、だんだんと農民の心に滲《し》み込んで来る、都会風の鋭い利害関係の念と彼等が子供の時分から持っている種々の性癖が混合して、毎日の生活がより遽《あわただ》しく、滞りがちになって来たのである。
 村の状態は決して工合が好いとはいえなかった。長い間保って来た状態から、次の新しい状態に移ろうとする境の不調和が、全体を非常に貧しく落付かなくしているのである。
 けれども祖父はもう十七八年前に亡くなって、ちょうど移住者もそろそろ村に落着いて来、生活が少しずつ、楽になったときの様子ほか見ていない。
 彼は、大体に満足して、村の高処《たかみ》に家を建て、自分等夫婦はそこに住んで、田地の世話を焼いたり、好きな詩を作ったりして世を終った。
 それで、後に残った祖母も、故人の志を守って彼の遺した家に住み、田地を監視し、変遷する世から遠ざかって暮しているのである。
 一年中東京にいた私は、夏になるとK村の祖母の家に行くのを習慣にしていた。そして、二月ほどの間東京では想像もつかないような生活をしているのである。
 私は村中の殆どすべての者に知られている。東京のお嬢様が来なすったと云って、野菜だの果物だのを持って来る者に対して、土産物を一つ一つ配ってやらなければならない。朝から小作男の愚痴を聞き、年貢米を負けてやる相談にのる。そして、かれこれ云うのが面倒なので、さっさと祖母にすすめて許してやると、大変慈悲深い有難い者のように私共を賞めたてる。お世辞を云う。
 私は皆にちやほやされながら、朝夕二度の畑廻りをしたり、池の慈姑《くわい》を掘ったり、持山を一日遊び廻ったり、すっかり地主の馬鹿なお孫さんの生活をしていた。誰からも、干渉がましいこと一つ云われず、存分に拡がっていたのである。
 それでも私は、尊《たっと》そうにされていたことなどを思うのは、今の私にとっては真《まこと》に恥しい。我ながら厭になる。
 何としてもどうにかして、村人の少しなりとも利益《ため》になる自分にしなければならない!
 それで、私は心のうちに種々の計画を立てた。そして、土地の開墾などということは――もちろんそこが人間の生活すべきところとして適当でありまた、栄える希望もあるところならばよいけれども――冬が長く、地質も悪いようなところへ、貧しい一群を作ったとしても、やはり非常に尊いことなのであろうかなどというような疑問がしきりに起ったのである。
 開拓者自身は、或る程度まで自分の希望を満たし、喜ばされ、なおその村の歴史上の人物として称揚されるけれども、はかない移住民として、彼の事業の最後の最も必要な条件を充たしてくれた、沢山の貧しい者共は、どのような報いを得ているか?
 開墾者にとっては、いなければならなかった彼等でありながら、二十年近い今日まで彼等はただ同じように貧乏なだけである。年中貧しく忘れられて死んで行くだけである。
 私は、祖父の時代からの沢山の貧しい者に対して、どうしても何かしなければならない。今日まで、すべきことは沢山あったのに、臆病な自分が見ない振りをして来たのだというような気の済まなさが、農民に対する自分の心を、非常に謙譲なものにしたのである。
 甚助の子が、私にいたずらをした次の日であった。平常より早く目を覚まし、畑地を一廻りして来た私はほのぼのと天地を包んでいる薔薇色の靄《もや》や、裸の足の上に朝露をはね上げて、生々としている雑草の肌触り、作物や樹木の朝明けの薫りなどに、どのくらい慰められたことであろう!
 非常に愉快な心持になって、女中に笑われながら、大炉に焚火《たきび》をしたり、いりもしない野菜を抜いて来たりしていると、東側の土間に一人の女が訪ねて来た。それは、甚助の女房であった。
 私に来てくれと云うので、出て見ると働き着を着て大変にボサボサな髪をした彼女は裸足で立っている。
 女は、私の顔を見ると、
「お早うござりやす。昨日《きんのう》は、はあ俺《お》ら家《げ》の餓鬼共が飛んでもねえ御無礼を致しやしたそうでなえ。おわびに出やした。これ! こけえ出てわび云うもんだぞ――」
と、云いながら手を後に伸ばすと、広い背のかげから、思いがけず男の子が引き出された。
 彼は黙って下を向いている。赤面もせず、ウジウジもせず、ちっとも母親にたよるような様子をしないでつくねんと立っている。
 女は、子供の方へ複雑な流し目をくれながら、しきりに繰返し繰返し勘弁してくれとか、自分等の子達は畜生同様なのだから、どうぞこらしめにうんと擲ってやってくれなどとまで云った。
 けれども私は、人にあまりあやまられたりすることは大嫌いである。自分の前にすべてを投げ出したようにしていろいろ云われると、仕舞いには、自分が恥しくなって来る。何だか、いかにも自分が暴君じみているように思われて、いつも母の云う「いくじなしのお前」になり終《おお》せてしまう。
 今も、その癖が出たとともに、もうどの子が何をしたとか、憎らしいとかいうことは出来るだけ忘れようとつとめ、また実際気にもならなくなっているので、そんなにされることはよけいいやであった。
 で、私が口を酸《すっぱ》くして叱るのをやめろと云っても、彼女《かれ》の方ではそれをあてこすりだと思っているとみえて、だんだん子供にひどくする。
「食うてばかりけつかってからに、碌《ろく》なことーしでかさねえ奴だら。これ! わびしな。勘弁してやっとよ、何とか云いなてば」
と、子供の腕を掴んで、小突《こづ》いたり何かしても、子供の方でもまた強情なだんまりを守っている。
 私には、甚助の女房がどんな心持でいるかよく分った。分っただけに、そんな謂《い》わば芝居を見ているのは辛い。
 私の云うことなどには耳もかさずに、怒鳴っていた彼女は、
「これ! どうしたんだ? う? おわびしねえつむりなんけ?」
と云うと、いきなり大きな掌で、頸骨が折れただろうと思うほど急に子供の首を突き曲げた。
 そして、
「どうぞ御免なして下さりやせ」
と云うや否や、
「行っとれ!」
と叫んで突飛ばした。
 私は息がつまるくらいびっくりしてしまった。けれども、当の母親は満足らしく笑いながら小腰をかがめて、
「お暇潰《ひまだ》れでござりやした」
と畑へ出て行った。
 下女は彼女の後姿を見送りながら、
「甚助さん家《げ》のおっかあは利口もんでやすなりえ、ちゃんと先々のことー考《かん》げえてる」
と嘲笑った。

        五

 村の四辻に多勢人立ちがしている。
 子供等や、鍬を担いだ男女、馬を牽いた他所村の者共まで、賤《いや》しい笑いをたたえて口々に罵り騒いでいる真中には、両手に魚を一切ずつ握った男が、ニヤニヤしながら足を内輪にして立っているのである。
 肩の所に大きな鍵裂《かぎざき》のある女物の着物を着て、細紐で止めただけでズルズルと下った合せ目からは、細い脛《すね》がのぞいている。
 延びたなりで屑糸のような髪には、木の葉や藁切れがブラ下り、下瞼に半円の袋が下って、青白い大きな目玉がこぼれそうに突出ている。紫色の唇を押しあげて、黄色い縞のある反っ歯が見え、鼻の両側の溝には腫物《はれもの》が出来て、そこら一体に赤く地腫れさせている。
 身動きする毎に、魚の臭いや何やら彼やらがごったになって、胸が悪くなるような臭気をあたりにまき散らす。彼は「善馬鹿」という気違いなのである。もうかれこれ五六年前に、気が変になってからはこの村にある家へはよりつかずに、村中を廻って歩いて、行く先き先きで筵《むしろ》を一枚貰ってはその上に寝て暮しているのである。
 どうかして気に入ったところがあると、幾日でも追い立てられるまでは、木蔭などにぼんやりすわって、犬の蚤を取ってやったり、自分がすわったまま手の届くだけ草を一本のこさず抜いたりしている。
 犬がむしょうに好きで、あばれることなどはちっともないので、村の者共は彼の姿を見かけさえすると捕えて、罪なわるさをするのであった。
 そのときも彼はどこかへ四日も行ってやっと帰って来たところなのである。彼は大変疲れたような気がしていた。すぐそこにころがりたいような心持でここまで来ると、友達の犬に見つかって、早速顔中を舐《な》め廻された。それを彼はいかにも嬉しそうにして、だまって犬の顔を見ているところへ、
「善馬鹿! けえったんかあ」
と叫びながら五六人の子供等が馳けて来た。そして、たちまち彼の体は暇でいたずら好きの者共に囲まれてしまったのである。
 皆はてんでに勝手な悪口や戯言《じょうだん》を彼にあびせながら、手に持っている魚を突っついたり、犬をけしかけたりした。
「う! 穢《うだ》て。あげえ犬の舐めてる魚あまた善馬鹿が食うんだぞ。ペッ! ペッ! 狂犬病さおっかかったらどうすっぺ」
「ひとー馬鹿《こけ》にしてけつかる。もうとうに狂犬病さかかってっとよ! この上へ掛るにゃ命が二ついらあ」
「わはははは。ほんによ。うめえや」
「おっととととと」
 人々は急に笑い出した。
 下等な笑声の渦巻の下を這うようにして、善馬鹿の低い甘ったるい、
「へへへへへ!」
という声が飛びはなれて不快に響き渡った。
「厭《や》んなことしてけつかる」
「そんだら行《え》げよ。おめえにいて貰わんとええとよ。フフフフフ」
「や! 鮭が落ちんぞ。馬鹿!」
「ははははは」
 集っている者共は、下等な好奇心に動かされて、互に突き合ったり打ち合ったりして喚きながら、暫くの間大きくなったり、小さくなったりしていた。
 けれども、だんだん人数も減って来ると、前よりもっといやな顔をした善馬鹿が、握った鮭を落しそうにしてよろけながら、道傍の樫の大木の蔭まで来ると、赤ん坊のようにドサンと仰向けに寝た。そして、大口を開《あ》いて、鼻をグーグー鳴らしながら寝込んでしまった。
 犬がそろそろと首を伸して、彼の手に持たせたまま片端から鮭を食べ始めると、子供等は彼のした下等な身振りの真似をしたりしながら、しきりに彼を起しにかかったのである。
 一人の子は「狐のしっぽ」で鼻の穴をくすぐった。
 蹴ろうが怒鳴ろうが、ゆさりともしないので、図に乗った子供達は善馬鹿を裸体《はだか》にし始めた。彼等は掛声をかけながら、だんだん肌脱ぎにさせたとき、いつの間にかそこにおって、様子を見ていた若い者がいきなり、
「そげえなことーするでねえぞ。天道様あ罰《ばち》いお下しなさんぞ」
と真面目に口を出した。
 皆はびっくりして、いたずらの手を止めて男の顔を見ていた。すると、中でも一番頭株らしい十四五の子は、口を尖《とんが》らして、理窟をこね出した。
「わりゃあ朝っぱらから、おっかあに怒鳴られてけつかる癖にして、俺らの世話焼けるんけ? う?」
「おめえあの人知ってるんけ?」
 一人の子がヒソヒソときくと、急にこの子は得意そうな顔になって、一層冷笑的な口吻で叫んだ。
「うん、知ってっとも!」
「水車屋《くるまや》の新さんてだなあ、おめえは。そんで北海道から、食えなくなって、おっかあんげへ戻って来たんだって、こんねえだおめえのおっかあがいってたぞ。いくじのねえ奴だて……」
 皆は声をそろえて笑った。
 けれども、新さんは別に顔色も変えずに、
「考《かんげ》えてからするもんだぞ」
と云いながら行ってしまった。
 それから一しきり、子供達は腹の癒《い》えるほど妙な新さんを罵ったけれども、もう一旦やめたいたずらはまたやる気にもなれず、肌ぬぎにした善馬鹿を、各自《めいめい》が、
「俺らの知ったこっちゃねーえぞ!」
と叫びながら一足ずつ蹴りつけて、ちりぢりばらばらに走《か》けて行ってしまった。

        六

 今年六十八になると自分では云っている善馬鹿のおふくろは、孫と一緒に或る農家の納屋のような所を借りて住んでいる。
 家賃を払わないで済むかわり、まるで豚小屋同然な所で、年中蚤や南京虫の巣になっている。
 それでもまだあの狒々婆《ひひばあ》さま――彼女は顔中皺だらけの上に白髪を振りかぶり、胸から腰が曲って何かする様子はまるで狒々なので皆が彼女の通称にしている――にはよすぎるというほど、善馬鹿の一族は、どれもこれも人間らしいのはいなかった。
 善馬鹿が、まだあんなにならないで一人前の百姓で働いていた時分に出来た、たった独りの男の子は、これもまたほんとうの白痴である。
 女房が愛想をつかして、どこかへ逃げ出してしまってからは、善馬鹿とその子を両手に抱えて、おふくろばかりが辛い目を見ているのである。
 もう十一にもなりながら、その子は何の言葉も知らないし、体も育たない。五つ六つの子ぐらいほかない胴の上に、人なみの二倍もあるような開いた頭がのっているので、細い頸はその重みで年中フラフラと落付いたことがない。そして、年中豆腐ばっかり食べて、ほかの物はどれほど美味《おい》しいものであろうが見向きもしなかった。
 彼は、自分の唯一の食料を、
「たふ」
ということだけを知っているので、村の者達は皆何かの祟《たた》りに違いないと云っている。
 何でもよほど前のことだけれども、町へ大変|御利益《ごりやく》のある女の祈祷者が来たことがあった。そのとき、狒々婆も白痴の孫を連れて行って見てもらうとその女が云うには、幾十代か前の祖先が馬の皮剥ぎを商売にしていたことがあって、その剥がれた馬の怨霊《おんりょう》の仕業なのだから、十円出せば祈り伏せてやるとのことだったそうだけれども、婆にその金の出せよう筈はない。それで、払い落してもらうことは出来ず、またもうそれっきり医者にもかけず、自分でさえ出来るだけは忘れるしがくをしていた。
 このような有様で、狒々婆はいやでも応でも食うだけのことはしなければならないので、他家の手伝いや洗濯などをして廻っている。そして、三度の食事は皆どこかですませて、自分の家へはただ眠るだけに帰るので、村中からいやしめられて、何ぞといっては悪い例にばかり引き出されていた。
 可哀そうがられるために、自分の年も二つ三つは多く云っているとさえ噂されているのである。
 私は、たださえ貧乏な村人のおかげで、ようようどうやら露命をつないでいる婆が気の毒であった。境遇上そうでもしなければ外に生きようがないのだから、ただ馬鹿にしたり酷《ひど》く云ったりすることは出来ない。もうよぼよぼになって先が見えているのに、朝から晩まで他人の家を経廻《へめぐ》って、気がねな飯を食わなければならないのを思うと可哀そうになる。
 で、私は出来るだけ婆に用を云いつけて、食事などもさせ、ちょいちょい古い着物や何かをやった。彼女は私に対して好くは思っているらしいけれども、ひどく貧乏で、恥も外聞もない慾張りな様子が少からず私には気持悪かった。
 食べる物でも、膳にのせてやった物ばかりでなく、残り物があったらどうせ腐るのだからくれろと、ぐんぐん持って行く。そんなときに、若しやらないなどと云おうものなら、もうすっかり不機嫌になってポンポンろくに挨拶もしないで帰ってしまうのである。新しい着物でも着ていると、一つ一つ引っぱってみないでは置かない。
 そんなことがほんとにたまらなく厭であったけれども、私は、貧しい者のうちに入って行こうとしながら、品振《ひんぶ》っている自分を叱り叱りしてようよう馴れるまでに堪えたのである。
 善馬鹿のおふくろが、今までより屡々《しばしば》出入りするようになると共に、だんだん村中の貧しい中でも貧しい者共に接する機会が多く与えられるようになった。
 親父は酒飲みで、後妻は酌婦上りの女で、娘は三年前から肺病で、もう到底助かる見込みはないと云うような桶屋の家族。
 中気《ちゅうき》で腰の立たない男と聾の夫婦。
 それ等の、絶えず愚痴をこぼし、みじめに暗い者の上に私はそろそろと自分のかすかな同情を濺《そそ》ぎはじめたのである。
 もとより私のすることは実に小さいことばかりである。私が力一杯振りしぼってしたことであっても、世の中のことに混れば、どうなったか分らなくなるようなものであるのは、自分でも知っている。
 けれども、私は愉快であった。
 自分は彼等のことを思っているのだということだけでも、私はかなりの快さを感じていたほどである。
 毎日毎日を私は、新しく見出した仕事に没頭して、満足しながら過していたのである。
 けれども、たった一つ私にはほんとに辛いことがあった。それは、善馬鹿の子の顔を見ることである。誰も遊び相手もなく、道傍の木になどよりかかりながらしょんぼりと佇んでいる様子を見ると、ほんとに私は苦しめられた。
 何とか云ってやりたい、どうにかしてやりたい。私はほんとにそう思う。
 が、彼の痩せた体や、妙に陰惨な表情をした醜い顔を見ると、何もしないうちにもう、堪らない妙な心持になって来る。
 彼の眼つきはすっかり私を恐れさせる。私は、彼の傍を落付いて通ることさえ出来ないのであった。
 何だか今にも飛付いて頸を締められそうな気がする。そして、コソコソと出来るだけ彼の目から避けて通り過ぎながら、心のうちには自分が何か彼にしなければならないという感情と、この上もない気味悪さが混乱した、大嵐が吹いているのであった。
 万一どんなか方法によってこの白痴だと思われている子のうちから、何かの輝きが見出される筈であるのを、傍の者が放擲《ほうてき》してしまったばかりで、一生闇の世界で終ってしまうようなことがあれば、ほんとに恐ろしいことである。
 今まで死なないところを見れば、どこかに生きる力は持っているのだ。
 十一年保っていた命の力は大きいものである。ましてここいらの、ほんとに人間を生長させるには不適当なようなすべての状態にある所では殊にそうである。
 空想ではあろうけれども、私は彼の霊と通っている何かが必ず一つはあるだろうということを思い、それに対しての彼は聰明なのじゃあないかなどと思った。
 彼の親父は人間の仲間では気違いである。けれども犬と彼とはどれほど仲よく互に心を感じ合っていることか。
 白痴の心は私にとっては謎である。分らなければ分らないほど、私は何かありそうに、どうにかなりそうに思わずにはいられなかったのである。

        七

 まあ何という素晴らしい。
 朝だ!
 はてしない大空の紺碧の拡がり、山々の柔かな銀青色の連り。
 靄《もや》が彼方の耕地の末でオパール色に輝いている。
 あらゆる木々の葉が笑いさざめき歌っている上を、愛嬌者の露が何という美しさで飾っていることだろう。御覧! お前の大好きなお天道様は、どんなに見事に光り輝いていらっしゃるか!
 ほんとに立派なお姿でいらっしゃる。
 私は、昨日も今日も同じに、円く燦《きらめ》き渡って動いていらっしゃるのを見ると、堪らなく嬉しくなって来る。
  「お早うございます、御天道様!
  いつも御機嫌が好さそうでいらっしゃいますね。
  私もおかげさまで、こうして達者でお目に掛れるのは有難う存じます。
  どうぞ今日もまたよろしくお願い致します。
  私のりっぱなお天道様!」
 風は、木々の葉の露を払い落し、咽《むせ》ぶようなすがすがしい薫りをはらんで、むこうの空から吹いて来る。
 森の木々には小鳥がさえずり、家禽の朝の歌は家々の広場から響いて来る。
 道傍のくさむらの中には、蛇いちごが赤く実り、野薔薇の小さい花が傍の灌木の茂みに差しかかって、小虫が露にぬれながら這っている。
 桑の若葉の葉|触《ず》れの音。
 勇ましく飛び立つ野鳥の群。
 すべては目醒め動いている。
 何という好い朝だろう!
 私は、喜びに心を躍らせながら歩いて行った。畑地を越え、草道を通り、暫くすると私は村にただ一つの小学校のそばに出た。
 そこではもう授業が開始されていて、狭い粗末な教室の中には、小さく色の黒い子供が僅かずつつまっているのが、外から見える。
 私は誰一人いない庭の芝草の上に坐りながら自分の小学校時代を思い出した。種々の思い出が、沢山な友達の面影や教師の様子などをはっきりと思い浮ばせたのにつれて、ちょうど四年ぐらいの時分、ここへ来るとよくこの学校のオルガンを借りたことを思い出した。
 あそこいらの部屋らしかったと思いながら、一人の子供が立ったきり答に窮してぼんやり黒板を見ている教室の中を眺めていた。
 すると、だんだん記憶がよみがえってくるにつれて、最初に自分がオルガンを借りたときの様子がありありと心に帰ってきたのである。
 私はそのとき、白い透き通るリボンで鉢巻のようにし、うす緑色の着物を着ていた。
 外国にいた父から送ってくれた譜本を持って、小学校に行った。そして、たった独りいたまだ若い先生にオルガンを貸して下さいと頼んだのである。
 今でも思い出す顔の丸い、目の小さい人の好さそうなまだ二十三四ぐらいだった教師は、私の様子をジロジロ見下しながら、きっぱりと貸せませんと云った。
 誰か一人に貸すと、他の者にたのまれたとき断れなくなる。そうすると一時間も経たない内にオルガン一台ぐらいめちゃめちゃにされてしまうのだからと、いろいろ理由を説明して拒絶したけれども私はきかなかった。
 私は黙って立っていた。
 先生もだまって立っていた。
 そして暫くの間立っていた先生はやがて少し腹を立てたような声で、
「一体あなたはどこの人なんです?」
と云った。
「私? 岸田の者だわ……」
 たった十ばかりだった私はそのとき何と思ったのだろう!
「岸田の者だわ……」
 私はどのくらい落付いて自信あるらしく云ったことだろう! 名を聞けばきっと貸すということを明かに思って、随分とのしかかった心持で微笑さえしたではないか?
「あ! そうですか。じゃあかまいません。さあお上りなさい」
と、導かれてどういう満足でもってその鍵盤に指を置いたか!
 今になって私はその正直だった若い教師を非常に気の毒に思うと同時に、私自身の態度の心持を堪らなく恥しくすまなく感じない訳には行かない。
 小さい、ものも分らない私にまで、自分の理由のある出言を撤回したあの教師が、あの若さでありながらふだんからどのくらい、自己を枉《ま》げることに馴らされていたかと思うと、ほんとに堪らない。
 若し今の私がその教師だったら?
 私はどうしたってききはしない。ましてそんな人を呑んでかかるような態度を見たら、どのくらい怒るか分らない。かえって叱って叱って、叱りとばして追い帰すだろうのに――。
 私は涙がこぼれそうになった。
 自分は欠点だらけな人間だけれども、そんな恥しい思い出にせめられるのは情ない。
 重く沈んだ心持になって、むこうの窓を眺めていると、子供達の頭の波をのり越えて、一つの顔が自分を見ているのに気が付いた。
 その顔は、殆ど四角に近いほど顎骨が突出て、赤くムクムクと肥っている。
 非常に無邪気な感じを与える峯の太い鼻。睫毛《まつげ》をすっかり抜いたような瞼がピチピチとしている眼は、ふくれ上った眼蓋《まぶた》と盛り上った頬に挾まれて、さも窮屈そうに並んでいる。
 私は、正直そうなどちらかといえば愚直だといえるほどの顔をまじまじ眺めていると、益々あの自分の我儘に己を枉げてくれた教師と非常に似ているように思えて来た。
 で、私は立ち上った。そして、微笑を浮べながら丁寧なお辞儀をした。
 私は満足した。けれども、若者は非常にまごついたらしかった。妙な顔をして、大いそぎで窓わくのそばから離れて、彼方に見えなくなってしまったのである。
 彼は私がふざけたのだと思ったかもしれない。
 けれども、これで、今もなおどこかの空の下で今この同じ日の光りを浴びながら生きているあの日の若い教師に対して、自分はしなければならなかったものを、ようやく果たしたような気がした。
 私はまた幾分か心が安らかになった。そして元来た道を戻って、小川の所へ行って見た。いつも誰かが魚をすくっているそこに今日は甚助の子供達が来ていた。
 子供達は熱心にしていたけれども、流れの工合が悪かったと見えて、網に掛るものは塵《ごみ》ばっかりである。
 暫くだまっていた私はフト、
「ちっともとれないのね」
と云った。
 そのとき、初めて私がいるのに気が付いたらしい子供達は皆ニヤニヤしながら、顔を見合っていたが、中の一人が、おかしい訛のある調子で、
「ちっともとれねえのね」
と口真似をした。
 このいたずらはすっかり私を喜ばせた。
 彼等がそんなことをするくらい私に、馴染《なじ》んで来たのかと思うと嬉しかったので、私はしきりにほめた。
 子供達は、私の笑う顔を薄笑いして見ていたが、急に持って来た鍋や網をとりあげると、何かしめし合せて調子を合せると一時に、
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
と叫んだ。
 そして崩れるように笑うと、岸の粘土《ねばつち》に深くついた馬の足跡にすべり込みながら、サッサと馳けて行ってしまったのである。
 私は、何が何だか分らなかったけれども、ぼんやり川面《かわづら》をながめながら、非常に生々と快く響いた彼等の合唱を心のうちで繰返した。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
 私は小声で口誦《くちずさ》みながら家に帰った。
 そして誰もいない自分の書斎に坐ると、あの子等のしたように大きな口をあけて叫んで見た。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
 ところへ、祖母が珍らしく妙に不機嫌な顔をして入って来て云った。
「お前は一体何を云っているの? そんな大きな年をして馬鹿をおしでない」
 私はちっとも知らなかった。「ほいと」というのは「乞食」を指す方言であったのだ。

        八

 この村の農民共は、子供の教育などということをちっとも考えていない。子供等は生み落されたまま、自然に大きくなって男になり女になりして行くのである。
 もちろん彼等だって子供は可愛い。けれども、すべて単純な感情に支配されている彼等は、子供を育てるにも、可愛いとなると舐殺《なめころ》しかねないほど真暗になって可愛がる。
 が、若し何か気に入らないことや、憎いことをしでもしようものなら、彼等はほんとに可愛さあまって憎さが百倍になってしまう。擲《なぐ》る蹴る罵るくらいはあたりまえで、ひどくなると傷まで負わせて平気である。
 そんなときは、子供だなどという気持はなくただ憎らしい、ただ腹が立つばかりなのである。
 それ故、子供等はよほど健康な生れ附きでないと、大抵は十にならない内に死ぬかどうかしてしまう。
 どんな木の実でも草の実でも、食べたい放題食べ、炎天で裸身《はだか》になっていようと、冬の最中に水をあびようと、くしゃみ一つしない人間が育って行くのである。
 病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供《ひとみごくう》に上るものは決してすくなくない。
 体は丈夫に育っても、親達がその日暮しに迫られているので、子供を学校という暇つぶしな所へはなかなかやられない。
 女の子は早くから母親の代りをして家のことをとりしきってしなければならず、男の子は弟達の世話や畑の小仕事に使われる。
 小作の親達は、子供等が小作の境界《きょうがい》から脱けられるだけの力をつけてやれないので、小作の子は小作で終ってしまうのが、定りのようになっているのである。
 うざうざいる子供等は、だんだん衰えて来る親達に代って、地主共の食膳を肥すべく育っているようなものである。
 そのような様子なので、少し普通でない性格を持った子は堕ちるなら堕ちる所へさっさと堕ちて、少し大きくなればどっか好きな所へ飛び出してしまう。
 まして低能や白痴などはまるで顧みられない。村中の悪太郎の慰み物になっているより外ないのである。
 それゆえ善馬鹿とその子等も、村の者が笑いのたねにこそすれ、心配してやるなどということは夢にも思わない。
 善馬鹿の、名もない白痴の子は、豆腐を食べては子供等に馬の糞を押しつけられたり、髪が延びている所へ藁切れを結びつけられたりしているよりほかないのである。
 だんだん日数が経って、少しずつ自分の願いが叶いそうになって来るにつれて私は益々、白痴の子のことが気になってたまらなくなった。
 それで、私はどうにかして彼に近づこうとした。けれども、それはなかなかな仕事で、私の変に臆病な心持が、どうしても彼の傍に私の足を止めて置かせない。四五度遣りかけてはやめ遣りかけてはやめして、とうとうある日の夕方、彼のかたわらに私は立ちどまった。
 大変なことでもするように、私の胸はドキドキした。私は、人がかたわらへよっても見向きもしない子供の顔を見ながら、何をどう云って見ようかということを散々迷った。
 けれども、どんなことを云ったら、子供の心を引くことが出来るか分らなかったので、四苦八苦してようよう、
「どうしているの?」
と云った。
 この一句が唇をはなれないうちに、私はもう自分のやりそこないに気が付いた。
 どんな人でも、ぼんやりと、目にも心にも何にもたしかな物が写っていないとき、「どうしているの?」と云われたら恐らく、答えに窮するにきまっている。
 私は困ったことをしたと思いながら様子を見ていると、彼は暫くたってからのろのろと、顔を私の方に向けた。そして、非常に突出した、瞬きをすることの少い目玉を据えて、私を見ているような位置になった。
 私も彼を見ていた。私はほんとに注意して、観ていたのである。
 そうすると、だんだん彼の顔付が凄くなって、仕舞いには、「彼の感じ」がそろそろと私の顔に乗り移って来たような気持がして来た。
 もう、私は意地も我慢もなくなった。そして、一散走りに家へ帰ると、力一杯顔を洗い、鏡を見つめて、ようよう気が休まったのである。
 最初の試みは、私の例の幻覚ですっかり失敗してしまった。けれども、それから二度目三度目になると少しずつ彼に馴れて来た。
 が、やはりだまったまま一緒に立っているか、何か云って彼の注意力をためして見るばかりで、一向進むことはない。
 私は彼の囲りを、堂々廻りしているような工合であった。
 善馬鹿の子に対しては、全く何も出来なかったけれども、他のことは少しずつ好い方に向いて行った。
 足の裏の腫物のために悩んでいた百姓は、町の医者に掛って癒った。
 桶屋の娘へは、ときどき牛乳だの魚だのを持たせてやった。
 そして、ほんとに下らないことではあるが、癒った男が畑に出ているのを見たり、甚助の子供が、遣った着物を着ているのを見たりすることは、むしょうに嬉しかった。歩き出しの子供が、面白さに夜眠ることも忘れて歩きたがる通りに、私も一人でも自分の何かしてやることの出来る者が殖えれば殖えるほど、元気が付いた。
 また実際、どれだけしてやったらそれで好いという見越しはつかないほど、いろいろな物が乏しく足らぬ勝であったのだ。
 私は、自分の出来るだけのことを尽そうとした。
 けれども、私は「自分のもの」という一銭の金も一粒の米も持っていないので、誰に何を一つやろうにも一々祖母にたのんで出してもらわなければならない。
 それが、私のしようとすることが多くなればなるほど屡々になり、随ってだんだんたのむのが苦痛になって来る。
 が、然しそれは仕方がなかった。私はほんとに、無尽な財産がほしかった。そして、この村中を驚くほど調った、或る程度まで楽な者の集りにして、貧しい者は人間だと思わないような者共の前に、突きつけてやったらと思わない訳には行かなかったのである。

        九

 いろいろの新しい経験が、私の心を喜ばせたり、驚かせたりしている間に、たゆみない時の力は、せっせと真夏のすべての様子を育て始めた。
 日光は著しく熱くなり、往還にたまった白い塵は、益々厚くなって一吹き風が渡る毎に、灰色の渦巻を起す。
 麦焼きの煙が、青く活き活きした大空に立ちのぼり、輝かしい焔の上を飛び交う麦束や、赤く火照《ほて》った幾つもの顔が、畑地のあちらこちらに眺められた。
 前の池には、水浴をする子供等の群が絶えず、力強い日光のみなぎり渡る水面からは、日焼けのした腕や足が激しい水音を立てて出入し、鋭い叫び声に混ってバシャバシャ水のはねる音が遠くまで響き渡る。
 森林は緑深く、山並みは明るく、稲妻は農民共を喜ばせながら、毎夕変化の多い雲間から、山の峯々を縫う。(稲妻の多いのは豊年のしるしだと彼等は云っている。)そして、家のあたりの耕地は美しい盛りになるのである。
 総ての作物は殆ど実った。
 私の書斎から見えるだけの畑地にも、豆、玉蜀黍《とうもろこし》、胡麻、瓜その他が皆熟れて、蕎麦《そば》の花のまぶしい銀色の上に、流れて行く雲の影が照ったり曇ったりした。
 食べられるようになった杏《あんず》、無花果《いちじく》などの果樹畑のそばから、ゆるい傾斜になった南瓜《かぼちゃ》の畑は、大きな葉かげに赤い大きな実が美しく、馬鈴薯は、収穫時になったのである。
 二人の小作男は、俵と三本鍬と「もっこ」とを持って、朝早くから集った。
 葉のしなびかかった茎を抜き、その後を三本鍬で起して行く。
 背の低い、片目の男が、深く差し込んだ鍬をソーット上の方へ持ちあげて引くと、新しい土にしっとりと包まれた大小の実が踊るように転がり出す。
 それにつれて、思いがけず掘り出された、小さい螻共《けらども》は、滑稽なあわて方をして、男達の股引に這い上ったり、さかさになって軟かい泥の中に、飛び込んだりした。
 私も裸足になり裾をからげて、一生懸命に薯掘りを始めた。
 割合に風の涼しい日だったので、仕事は大変面白かった。
 泥の塊りを手の中で揉んでは、出て来る薯を一つ一つもっこのなかへ投げて行くと、どうかした拍子に恐ろしく妙な物を、手のうちにまるめ込んでしまった。
 私は思わず大声をあげた。止められない力で、グニャッとしたものをまるめると、押し潰されてとび出したドロドロに滑らかな、腐った薯が、手一杯についてしまったのである。
 青黄色い粘液から、胸の悪くなるような臭いが立って、たまらない心持になるので、私は大急ぎで、サクサクな泥の中に両手を突込んで、揉み落そうとした。
 けれども、前からの土がそのドロドロですっかり固まりついたので、なかなかこするぐらいでは落ちようともしない。私は、もううんざりして、泣き出しそうにしていると、笑いながら馳けつけて来た男が、木の切れを横にして、茶椀の葛湯《くずゆ》をはがすように掻き落してくれた。
「大丈夫でやす、お嬢様。命に関わるこたあありゃせん」
 私の周囲には、家の者だのそばの畑にいた小作共まで集って、笑っていたのである。
 ちょいちょいした物が収穫時になって来たので、私共は毎日割合に農民的な生活をした。
 取れた物を小作に分けてやったり、漬けたり乾したり、俵につめたりにせわしかった。
 けれども、それにつれてほんとにいやなことも起って来た。
 ちっとも気の付かないうちに、畑泥棒に入られることである。
 もちろんこんなことは、毎年のことである。決して珍らしいことではないが、皆の気持を悪くさせた。
 盗まれて行く物は少しばかりの物であるけれども、自分等の尽した面倒だの愛情などを、取って行かれるのがよけい腹立たしかったのである。
 で、一日掛りで、一番よく無くなる南瓜に一つ一つ、大きな大きな番号をつけた。
 ふくれ返った赤ら顔の上一杯に、「八」とか「十一」とか筆太に書かれて、ごろっとしている姿は実に見物だった。けれども、皆無駄骨になって、翌朝になれば、中でも大きい方のが無くなっていたりした。
 下女等は一番口惜しがって、ちょっとでも畑地の中にウロウロしている者には、誰彼なしに、怒鳴りつけたり、小石をぶつけたりした。
 正直な彼女は、坐るときはいつも畑地に向いて張番をしていた。
 そんなだったので、私などでさえ夜ちょっと気晴らしに歩いて、うっかり畑に立ちどまっていたりすると大きな声で、
「だんだあ! ぶっぱたくぞーッ」
と叱られたことさえあった。
 ところが或る非常に靄の濃い朝であった。
 多分四時頃であったろう。私は、例の通り何も知らずに寝込んでいると、低いながら只事でない声で、
「早くお起き。よ! ちょっとお起き!」
と云う祖母の声に呼び醒された。
 私はびっくりして飛び起きた。まだよく目が開かないで、よろよろしながら、
「何!?[#「!?」は横1文字、1-8-78] え? どうしたの?」
と云う私を引っぱって祖母は、雨戸に切ってある硝子窓の前に立たせた。
 初めの間は何にも見えなかったが、だんだん目が確かになって来ると、露で曇った硝子越しに、一|箇《つ》の人影が南瓜畑の中で動いているのが見える。
「オヤ!」
 額をピッタリ押しつけて見ていると、どうも盗って行くものを選んでいるらしく、体が延びたり曲ったりしている。
「もう朝だというのに。まあ何て大胆な!」
 暫くすると、体は延びきりになって、小路の方へ出て来た。手には大きな丸い物を持っている。
 南瓜泥棒は、歩き出した。そして、もう少しで畑から出てしまう所へ、スタスタともう一つの人影が近寄って行った。それが祖母であるのは一目で分った。
 私は、ハッとした。一体何をどうしようというのだろう? 私は大急ぎで寝間着を脱いだ。そして、出て行って見ると、それはまたどうしたことだ! 私が何ともいえない心持になって、立ちどまってしまったのは、決して無理ではない。
 赤地に白縞のある西洋南瓜を前にころがして、うなだれて立っているのは、かの甚助じゃあないか!
 私は、自分の眼が信じられなかった。また信じたくなかったけれども、悲しい哉それは間違いようもない甚助だ。
 私は、おずおず彼の顔を見た。そして、その平気らしい様子に一層びっくりしたのである。
 ほんとうに何でもなさそうに彼はただ立っている。ただ頭を下げているだけなのである。
 だまって、祖母の怒った顔を馬鹿にしたように上目で見ている。
 私は恐ろしい心持がした。彼はそうやって立っている。が、私共はこれから一体どうしようというのだろう?
 祖母も私も彼に何か云おうとしていることだけは確かだと思った。
 しかも、さも何でも権利を持っているように、またさもそれを振り廻して見たそうにして立っている自分等に気が付いた。
 私共はきっと何か云うのだろう。何か悪事だといわれていることをしている者を見つけた者が、誰でもする通りの、妙に慰むようにのろのろと、叱ったり、おどしたりするのだろう。
 けれども、彼は私共に見られたくないところを見つけられた。それだけでも十分ではないか? この上何を云うに及ぼう? 千人が千人云い古した言葉を、クドクドと繰返して、荒立った心持になって見たところで互の心には何が遺《のこ》るだろう。やはり持ち古された感じが、さほどの効果もなく喰い入るばかりである。
 私のすることはただ一つだ。
 何から先に云って好いか分らないようにしている祖母を、わきに引きよせて、私は一生懸命にたのんだ。
「どうぞそのまんまお帰しなさいまし。その方が好い」
「だって……お前!」
「いいえ! それで好いんだから。きっと好いにきまっているんだから早くそうなさいまし。よ。早く!」
 祖母は不平らしかったけれども私の頼みを聴いてくれた。
「それを持ってお帰り。けれどもこんなことは、もう二度とおしでない」
と云っただけであった。
 甚助は、さもこうなることをちゃんと前から知ってでもいるように、何の感情も動かされないらしい顔をして、頭を一つ下げると、自分が買ったもののように、ゆったりとかの南瓜を抱えてまだ人通りのない往還へ出て行ってしまったのである。
 私は、悲しいとも腹が立つともいえない心持になっていた。
 けれども幾分の安心を持って、
「私にはたった一つの南瓜で、泥棒呼わりをすることは出来ない」
と心に繰返したのである。

        十

 今まで、私が甚助の家族に対してしていたことは、たかが古着を遣るか僅かばかりの食物や金を遣ったくらいのことである。
 ほんとに小さいことであり何でもないことである。
 第三者から見れば、総てのことは、皆世間並な、誰でも少しどうかした者の考えること、することでめずらしくも尊いことでもない。
 私とてもまた自分の僅かな施しから、大きな報いを得ようとか、感謝を受けようとかは、ちっとも思っていないのである。
 けれども、甚助のしたことは私に軽い失望を感じさせないではいなかった。何だか情なかった。
 それでも、ただ一つのことが、私を慰め力づけてくれたのである。それは、私が初めて自分の思っていた通りに自分を処置することが出来たということだ。
 私は怒りっぽい。じきに腹を立てる性分である。それ故このごろでは、どうかして余り怒りたくない、寛容な心持でいたいとどのくらい願っているか知れない。けれども、自分の家にいて、弟達が何か自分の気持を悪くするようなことをすると、互の遠慮なさがつい怒らせる。それを今度は殆ど怒りを感じないで済んだということは、ほんとに嬉しかった。
 で、私は今度のことを、すぐと明るい方にばかり考えたのである。これからは、畑泥棒などという者は、影も見せないようになるだろうということは、決して空想ばかりではなく思われた。
 けれども、一日二日と経つままに、私の考えていたことは、やはり「実現し得ざる理想」――「お嬢様のお考え」に過ぎなかったということが分って来た。耕地には前にも増して屡々多量ずつの盗難が起るようになったのである。而も大びらに、生々した玉蜀黍が踏み折られていたり、今までは無事でいた枝豆まで根こそぎなくなってしまったり、家から遠くあなたにある池からは、慈姑《くわい》がすっかり盗まれてさえいた。
 この有様に私はすっかりまごついてしまった。どうかして、誰一人厭な目を見ないで、納まりをつけてしまいたい。
 けれども、これにはどうしたら好いのかということになれば何一つ私には分っていないのである。
 まるで、真暗な中で、どこにあるか分らないマッチと手燭を捜しているようで、世馴れない心は、すっかり気味が悪くなり、おびえてしまった。
 その上、何か一つ盗られる度に祖母が、さも辛そうにまた皮肉に、
「今まではなかったこった。ああほんとになかったことだがねえ」
と、つぶやくのを聞かなければならないのである。
 私は、自分のしたことは間違っていなかったと断言出来る。そしてまた、一方では、彼等がこうなるように心を誘われたのは決して無理ではないと思う。
 そうすれば、結局どっちの遣りようが悪かったのだろう? 私は心の命ずるままにしたのだ。彼等もまた必要上、しなければならないような境遇にいたのだ。両方ながら「そうしなければならないから」したのではないか? 彼等もこうならずにはいられなかったのだろうし、私もまたああしなければいられなかったのだ。或は、私の方がこうなる機会を与えたようなものだから、間違っていたかもしれないとも思っては見たけれども、そうだと断定することは出来ない。彼等が間違っていたのかということにも「そうにきまっているじゃあないか」とそれほどの断言は下されない。つまり私には分らないのである。
 このことは、私に種々なことを考えさせた。そして、世の中の多くの多くの事件が、いわゆる明快なる判断力で、まるで何といって好いか素晴らしい無造作で、ドシドシと片づいているのが恐ろしいようになった。けれども、私は、このように種々のことが起り、考えずにはいられなくなって来るのは好いことだと、とにかく思った。そして、起って来るだけのことは正直に受け入れて、正直に考え感じなければならないと思ったのである。
 その晩も私は独りで自分の書斎に坐って、あれからこれへと考えていた。外は非常に月がよかった。で、いつものように灯を消して、真暗な処から世界の異ったように美しく見える、耕地の様子や山並みを眺めながらいたのである。
 すると、暫く経ってから、芝生の彼方の方から何か軽い音が聞えて来た。どうも何かの足音らしく調子を取っている。そして、その草葉のすれるような、押えつけるような音は、だんだん近づいて来た。
 近づくに随ってとうとうそれは人間が忍び込んで来たのだということが分った。
 けれども私はすっかり安心した。なぜなら、輝きのうちをおよぐようにして、小さい子供が長い竿を抱えて、抜き足差し足で入って来たのを見つけたからである。
 彼の行こうとしている方には、家中で一番美味しい杏《あんず》が、鈴なりになっている。
 これですべては分った。私は、今までいた所から少し奥に引っこんだ。そして、子供のしようとすることを見ていたのである。木の下まで忍び寄った子供は、注意深くあたりを見廻した。生垣で隔っている母屋の方にまで気を配った。
 けれども、猫でない彼は、真暗闇の中にこの私が自分の一挙一動を見ていようとは、まさか思わなかったのだ。
 やがて彼は腕一杯に竿を延ばした。顔をすっかり仰向けて、熟した果《み》に覘《ねら》いをつけ、竿の先をカチカチと小さく揺ると、二つ三つポロポロと落ちて来る。
 彼は二三度同じことを繰返した。してみる度毎に結果は好いので、彼はだんだん勢付いて、子供らしい、すっかりそれに熱中した様子になって、四度目のときには、今までよりよほど力を入れて枝を擲《たた》いた。
 木の頭は大きく揺れた。そしてバラバラとかなり高い音を立てながら沢山な果が、下にいる彼の顔の上だの肩の上だのに飛び散ったのである。
 彼は予想外な結果にすっかり有頂天になって、驚きと喜びの混合した、
「ヤーッ!」
という感歎の声を、胸の奥から無意識に発した。
 しかし、まだその声の消えないうちに彼は自分の不用心に気が付いた。急に自分のしていたことがすっかりこわくなった。
 今にも誰か出て来そうに思われて来た彼は、せわしくあちらこちらをながめると、いきなり体をねじ向けて、大きな足音を立てながら、畑地の方へ逃げて行ってしまったのである。
 これを見た私は思わず微笑した。せっかく落した果を皆そのまんま残して、自分の声に嚇かされて逃げて行った彼を見て、怒ることは出来ない。どこの子だか知らないけれども、息を弾《はず》ませて家へ帰りついたとき、彼に遺っているものとては、果物の雨を身に浴びたときの嬉しさとその後のたまらないこわさだけであろう。
 愛すべき冒険者よ! よくおやすみ。あしたもお天気は好かろうよ。
 けれども、彼もまた私に辛い思いをさせる畑荒しの一人だというのは、何という厭なことなのだろう。

        十一

 或る日突然私は桶屋から、金の無心をかけられた。彼は、今までもあまり貧乏なので、祖母からいろいろ面倒を見てもらっていたのだけれども、病人の娘を気味悪がって、家へはあまり近づけられないでいたのである。
 アルコール中毒のようになっているので、手はいつでも震え顔中の筋肉が皆、顎の方へ流れて来たような表情をしている。
 酔うと気が大きくなって、殿様にでもなったように騒ぐけれども、白面《しらふ》のときはまるで馬鹿のように、意気地がなくなって、自分より二十近く年下の後妻に、おとなしく使われているので、皆の物笑いになっている。
 その彼が、祖母が墓参に行った留守へ来たのである。
 大の男がたった五円の金を貰おうとして、幾度お辞儀をし、哀れみを乞うたことか!
 彼は、命にかけてお願いするとか、御恩は一生忘れないとか、それはそれは歯の浮くように人を持ちあげた口吻で、
「お嬢様のおためにゃあ火水も厭いましねえ、はい、そりゃほんのことでござりやす」
と繰返し繰返し云った。
 生れて初めて直接に金を借りようとする者の、極端に己れを低めた言葉態度を見た私は、妙な極り悪さと、自分自身の滑稽らしさとに苦しめられたのである。
 愚にもつかない讃辞を呈せられたり、おだてられたりするのを、別にどうしようでもなく、どうしよう力もなく、聞いてすました様子をしている、こんな小っぽけな一文なしの私は、それを知っていて見たらどんなにみっともなくもまた、馬鹿らしく見えたことであろう。私は、前からよく女中に、私共の遺[#「遺」はママ]っている食物なども、大抵は彼等夫婦で食べてしまって、肝腎の病人には届かないときが多いということを聞いていたので、どんなにしてやったところで、また飲まれてしまうのが落ちだという気がした。
 それに、何に五円要るのだかと云っても、はっきり訳も云わないので、益々私の疑は深くなった。で、私は自分の金は一文も持っていない米喰虫なのだから、今直ぐどうして遣ることも出来ないと断ったのであった。
 けれども、彼の方では、まだお世辞が利かないせいだとでも思ったと見えて、思わず笑い出すほど、下らないことまで大げさに有難がったり、びっくりしたりして喋り立てるので、私はもう真面目に聞いていられなくなった。
 私は、笑って笑って笑い抜いてしまったので、彼も何ぼ何でも自分の口から出まかせに気が付いたと見えて、ニヤニヤ要領を得ない笑いを洩して、うやむやのうちに喋り損をして帰って行ってしまった。
 このことは、初めから終りまで馬鹿馬鹿しさで一貫してはいるが、彼が今無ければどうなるというほどでもない金を「若しあわよくば」というような下心で「せびって見た」というような様子に気が付くと、ただの笑いごとではなかった。
 若しも、私が出してやりでもしようなら、誰も彼もが皆|体《てい》の好い騙《かた》りになってしまいそうだ。
 私のすることが、皆あまり嬉しくない結果ばかり生むのが、益々辛くなって来たのである。
 とにかく、これ等のことがあるようになってからは、私の囲りには、だんだん沢山「得なければならない」者共が集って来た。
 小さい娘の見る狭い世界から抜けていることの、不利益を知るほどの者は、何か口実を設けては訪ねて来るのである。
 ただ雌というだけのようになった女房共の、騒々しい追従笑いや世辞。
 裸足《はだし》で戸外を馳け廻っていた子供の、泥だらけな体が家中をころがり廻る騒ぎ。
 それ等の、何の秩序も拘束もない乱雑には、単に私の毎日をごみごみした落付のないようにしたばかりでなく、家全体をまるで田舎のよく流行《はや》る呪禁所《まじないどころ》のようにしてしまった。
 祖母やその他家族の不平は、私一人に被さって、子供が炉へ水をひっくり返したのも、下らない愚痴を、朝から聞かされなければならないことも皆私がこんなだからだと云われなければならなかった。
 このようなうちにありながらも、私は出来るだけ彼等に好意を持ち続けようと努めた。
 けれども、いそがしい仕事のあるとき、彼等の仲間になって聞き飽きた、その当人よりよく知っているような噂や繰言《くりごと》をじいっとして聞かなければならないのは、ほんとにたまらなかった。
 どうせ、出された物だというように、腹がダブダブするほど茶を飲み菓子をつまんでいる彼等を見ると、私はほとほと途方に暮れたような気がした。
 幾分あきらめたような、希望のあるような心持で、秋風が立つと、祖母がやることにきめている着物の地を染めたり、絞ったりしながら、自分のしていることが自分で分らなくなって来たのを感じていたのである。

        十二

 私の周囲がこのような状態にあるうちに、町の婦人連の間には、或る計画が起っていた。
 町の東北隅に新教の基督《キリスト》教会がある。創立後まださほどの年数は経っていないのだけれども、繁昌するという点に於ては、成功していた。
 初めてここに来た外国人の代には、真面目な信者が少しずつ集るくらいのことで、至極目にも立たないものだったけれども、すぐその後を受けて来た牧師は、非常に気軽な男で「なあにあなた、私共だって人間ですからなあ」というような調子であった。
 それが、町のいわゆる奥様連の同情を得て「面白い牧師さんですわね」ということから、めっきり教会がにぎやかになって来たのである。
 そして、今では三代目のこれも恐ろしく人の好い愚直といったほどの牧師が、殆ど女連の御蔭で維持されているような教会を管理していた。
 いろいろな意味で大切にされていた先代は、去年の夏脳溢血で、ほんとうに天国に行けそうな死にようをしたのである。
 まだ割合に年も若く、絶えず東京風の装《なり》に苦心しているくらいの婦人連は、教会を一つの交際機関として利用していた。そして或るときは説教よりも互の身なりの観察が重要なことであり神の祝福を受けながら着物の柄を考えることが大切であった。そしていかにも「女らしいすべての点」を備えた会合が催されていたのである。
 ところが、この八月の二十四日が先代の牧師の初めての命日であるということは、何か変ったこともがなと思っている婦人連にとっては、この上ない機会となったのである。花の日会などという派手な催しのあることを聞いて、胸をわくわくさせながらもじいっと我慢していた人達なので、何か記念の仕事をしようということは、一も二もなく賛成された。
 そして、いろいろ評議された末、終に故牧師が埋められているK村の貧民に、僅かずつでも「ほどこし」をしようということになった。
 故人が、貧民救済には、随分心を用いていたのだけれども、多用だったり、基金が無かったりして、意のままにはならないで終ってしまったから、自分達がその遺志を継ぐのは当然のことであるというのであった。
 婦人達は皆勢づいた。そして、早速刷物を作って、町中の少くとも誰さんといわれるほどの人へは、残らず配付して、お志の御寄附を勧誘したのである。
 その珍しい印刷物を手にした者は、皆様々の思いに打たれた。或る者は喜び、或る者は身に及ばないことではあるが、どうかして仲間から脱けたくないものだという苦しさに迫られた。
 町中はこの噂で一杯になり、町が始まってから初めてのことだといっても好いくらい、女の人の仕事の稀なこの土地では、天道様が地面から出たような騒ぎであった。
 けれども、じきに種々な苦情が起って来て、関係者を非常に困らせた。
 それは、こんな女が委員だとか何だとか、麗々しく名を出しているのに、一体私はどうしたのだ、というようなことから、誰彼の差別なく名を並べて置くよりは、会長とか副会長とかから、末は馳《はし》り使《つか》いまで明かな役名をつけて置かなければいけないということである。殊に、その候補者の中には自分をも加えている自信ある夫人達は、熱心にその必要を称えたのである。
 女の仕事はとかく事務的でない、責任を感じないといわれているのだから、私共は時局に鑑《かんが》みて出来るだけ完全なことをしなければならないと思いますがということが、だんだん大きな声になって来たので、とうとうすべてを選出することになった。これは益々町を只事でなくした。会長、副会長の望みのない者は、せめて一歩でも誰々の上に出ようとする。甲が思えば乙も願っているので、互の要求が衝突する。表面が平穏でありいわゆる婦人のつつましやかに被われていればいるほど、内輪では青くなり赤くなりして、自分の良人はあの人のよりは上役なのだからと、狭い郡役所の二階でほか役にも立たない権利までも利用して掛ったのである。そして、散々ごたついた末ようよう役割りが定まって、事がどうやら落着いた。もちろん小さい不平は決して納まった訳ではない。会長に選まれた婦人は、町で一番大きな病院長の夫人で山田院長夫人と呼ばれていた。別に力量がある訳でもなしするけれども、若し彼女の野心を満たして置かないと、あとの祟りが恐ろしいというのが最大原因であったのだ。
 彼女は四十余りの大変肥って背の低い人である。化粧に使う鏡は丁度胸ぐらいまでしか映らないものだったので、帯から上と下とはまるで別人のような恰好をしている人である。大きな束髪と耳朶《みみたぶ》や頸がぶちまだらではあっても念入りな彼女の「ちっともかまいません」化粧と、大きな帯で坐っているときの夫人は、実に素晴らしいものだけれども、一旦立とうものなら中心を失ったように大きな重そうな、上半身は内輪にチョコチョコ運ぶ足では、到底支えきれなさそうだ。肩を互い違いに前後に振る癖は、晴れの場所を通るとき、極りが悪いような気もするが、随分得意のときに特別ひどくなって、息のつまりそうな頭をフラフラさせ、千切《ちぎ》れそうに体を振って行く様子を見ると、どんなに敵意を持った者の心でも和らげられてしまう。彼女は、自分が押しも押されぬ会長様と定まってからは、もうすっかり落着いて、ただ人の口の端にのぼる類ない自分の令聞を小耳に挾んでは満足げに、うなずいていた。
 そして町長の夫人が二年前に死去したのは、何という感謝すべきことかと、人知れずその墓に詣でたのである。若し、あの夫人にひょんなことがなかったら、今日自分はどうしてこの位置をかち得ただろう! ほんとうに、まあ何という運の好い自分だろうか! と。
 かようにして、初めはさほど大仰《おおぎょう》にする積りではなかったことがだんだん大きくなって来たので、とうとう奥様達の手には負えないほどになってしまった。
 牧師は、朝から晩まで祈る暇もないようにして、金の保管やら事務の整理にこき使われて、
「それも道のためでございますわ、先生」
といつも言葉を添えては、少し歯に合わない事々は、あらいざらい、まるで川へ芥《ごみ》を流し込むように押しつけられた。
 顎に三本ほど白い髯がそよいで、左の手の甲に小豆大の疣《いぼ》のあるのを一言口を動かす毎に弄《いじ》るので、それが近頃では、大変育って来た彼は、白木綿のヨレヨレの着物に襷《たすき》をかけて、毎日をどれほど短く暮していることか!
 婦人連は顔を見合せる毎に、
「あれがすみますまではお互様にねえ、随分いそがしゅうございますこと」
と、自分等の間だけの符牒で話し合っては嬉しげに笑った。
 物見遊山に行く前のように何だか心嬉しく、そわそわした心持で、わけもなくせわしがっているうちに真に困りきったことが持ちあがってしまったのである。
 これは、どんなにしても、二十四日までの間には合いかねるということである。
 これには皆当惑した。泣いても笑っても、もう追付かないので、何もその日にきっかり出来ずとも、最も良い結果を得さえすれば、三日四日の日などを、故《もと》の先生は気にもお止めなさるまいということになって、一週間の猶予が善良なる故牧師の霊から与えられることになった。
 婦人達の口は、暫く故人の厚徳を称え、確かに天国に安まっているという断言に忙しかったのである。
 いよいよ日が迫って、寄附締切りの日には教会の内壁に紙を下げ、一々寄附金額を書き並べた。そして、その下に犇《ひしめ》き合って、
「あら! まあちょっと御覧なさいましよ。あの方はあんなに出していらっしゃる――。さすが何といってもお暮しの好い方は違いますねえ」
と感嘆する婦人連の間を、筆頭に、
「一金百円也。会長閣下」
と書かれた山田夫人が、気違いのように肩を振り振り歩き廻って、何か云われる毎に、
「いいえ、どう致しまして。お恥かしいんでございますよ」
と云いながら、一金百円也を睨み上げた。
 すべては驚くべき貴婦人らしさで進行して行ったのである。

        十三

 町の婦人連の間に、この計画のあるという噂は、直ぐ私共の耳にも入り、次で村中に拡がった。
 日数が立つままに、だんだんそのことは事実となって来たので、乾いている村の空気は何となし、ザワついて来た。どこでもこの噂をしない所はない。
 貧しい者共は、盆の遊びを繰越して、金も貰わないうちから買いたい物の取捨選択に迷い、彼処《あしこ》の家では俺ら家より餓鬼奴が沢山《たんと》いっから十分に貰うんだろうという羨みなどから、今まで邪魔にしていた子供等を一夜の間に五人も十人も殖やしたいようなことを云っている。そして、たださえ働き者ではない彼等は、こうやって汗水たらして一日働いた幾倍かの物が今に来るのだというような思いに心をゆるめられて村全体にしまりのない気分が漲り渡り始めた。
 が、依然として、私の家には朝から日が暮れるまで、「行けば何《なに》にかなる」と云う者が、来つづけていたのである。
 何だか自分の副業のようにして、愚痴をこぼし哀みを求めて、施されるということは即ち、自分等がどうなるのだということなどを考えもしない、また考えることも出来ないためだ。そういう彼等を見ると、私はいろいろなことを考えさせられた。
「今度のことは好い結果を得るだろうか?」
 これが第一私の疑問である。而も直接自分自身が苦しめられている、疑いなのである。
 彼等はただ貰いさえすれば好い、くれる分には、どんな物でもいやだとは云わない。
 けれども、一枚着物を貰えば、前からの一枚はさっさと着崩して捨ててしまい、よけいな金が入れば下らない物――着ることもないような絹着物だの、靴だの帽子だのという彼等の贅沢品をせっせと買って、ふだん押えられている、金を出して物を買う面白さを充分に貪ってしまうのである。
 それ故、五円あろうが十円あろうが、つまりは無いと同じことで、その金で買った物も、しばらくして困りきっては町へ売ってしまう。
 金も、物品も、その流通する間をちょっと彼等の所へ止まるに過ぎない。
 年中貧しくて、彼等にはただ、ああいう着物も買ったことがあったっけ、あれだけの金も持ったことがあったっけがという記憶だけが、それもぼんやりと遺るばかりなのである。
 私はこのごろになって、ほんとに難かしいものだということをつくづく思っている。寛《ゆる》くすればつけ上る、厳しくすれば怖《お》じけて何を云っても返事もしないようになるのは、彼等の通癖である。
 婦人連が彼等にめぐむことに若し成功したら? ほんとうに、彼等の生活の足しになることが出来たら? それはほんとうに結構なことである。
 けれども、私にとっては、ただ単純に結構なことではすまないのである。
 私は、自分をこの村に関係の深い、この村に尽すべきことを沢山に持っている人間だと思っている。そして、少しずつでもしだした仕事は、失敗しそうになっている。
 そこへ、遠くはなれて、てんでんには別に苦しみもせず、さほどの感激も持たない人達のすることが、彼等の上に非常に効果があるとしたら、この自分は、どこまで小さな無意味な者だろう。
 私は、彼等とはまるで異った心持で、彼等のいわゆる「福の神の御来光」を待っていた。
 ところへ、突然思いがけない事件が持ち上って、村中の者の心を動かした。
 それは水車屋《くるまや》の新さんが豆の俵を持ち出して売ってしまったということである。その二俵の豆は、もちろんよそから粉にするように頼まれたものなのである。
 親の金を持ち出したり自分の家の物を盗んだりした経験の一度や二度、持たない者のないような村人のことであるから、ただそれだけのことなら、皆の茶話にも出ないで消えてしまっただろうが、新さんが名うての正直者で、おふくろがまた、これは名代の慾張りでいろいろ評判を立てられている女なので、皆の好奇心を煽ったのである。何かこの裏には魂胆があるといって、私の家へ来るもので新さんの噂をしない者はないほどだった。
 私は、その新さんという男には、たった二度ほか口を利いたことがない。随って、どんな男だか、はっきりは分らないが、内気そうな低い声で、大変丁寧に口を利く人だと思っていた。私にも、あの男がそんなことはしない、また出来ないと思われたけれども、彼の実のおふくろが家へ来るたんびに、ほんとうに怒って真赤になりながら、
「俺《お》らげの斃《くたば》り損い奴にもはあ、ほんにこまりやす。おめえさまお聞きやしただべえが、飛んでもねえことをしでかしやがってからに……」
と、新さんがその豆を売った金で、町の女郎屋に五日とか六日とか流連《いつづ》けたということを、大きな声で罵った。で、私は親身の親の云うこともまさか嘘だとも思えず、さりとて新さんがそんなことをしたとも思えないで、半信半疑のうちにこのことのなりゆきを見ていたのである。
 一体、水車屋は、二年前に亭主が亡くなってからよくない噂ばかり立てられていた。
 その時分からもう、北海道に出稼ぎに行っていた新さんを呼びよせもしないで、自分独りですべてを取りしきっているのも皆陰に操る者があるので、隣村の伝吉という同じ水車屋が、僅かばかりの桃林も何も彼も自分の物にして、新さんを追い出しに掛っているということは、誰一人知らない者がなかった。
 新さんは、十六の年から北海道にやられて、この五月になるまで、七年の間女房を持てるだけ稼ぎためたら帰って、おふくろにも楽をさせてやり、家の中をちゃんとしたいということばかりを楽しみに、悪遊び一つせずに働いていたのであったそうだ。
 ところが運悪く腎臓病になり、医者にすすめられたので、久し振りに帰って来たときには、八十円の金を持って来た。
 若いに似合わず感心なことだと、私の祖母なども祝いをやったというほど村中の者に尊敬されていたのである。
 けれども、一度借金のことから取り上気《のぼ》せて殆ど狂気になったことがあってからというもの、五厘でも半厘でも金のことにかかると、理も非もなくなる彼のおふくろは、病気だと聞いて、厄介者が何しに来たというように取り扱った。
 それが辛いので、新さんは、町の医者に掛る入費や自分の小遣いなどは皆自分の懐から出して、その上四十円程の金をおふくろに遣りまでした。
 けれども、ときどき不用心に胴巻を投げ出して置くと、僅かずつ中が減って行くということや、大の男をつかまえて、おふくろが何ぞといっては打擲《ちょうちゃく》したり、罵ったりするということまで、私共の耳へ入ったのである。
 それだもんで、村の者は新さんに同情をし、どうしてもおふくろには面白くない噂が立つので、新さんは板ばさみの辛い目に合わなければならなかった。
 ところが、或る日急に新さんはおふくろから、豆を盗んで売り飛ばしたという罪で攻めたてられなければならないことになった。
 正直な彼は大まごつきにまごついて、一体何が誰にどうされたのやらまるで分らないので、返事も出来ずにいるうちに、おふくろの方では村中にこのことを云いふらして歩いた。
 どう考えても新さんにはそのことが分らなかった。いつか、そんなことでもあったかしらと思い出そうとしたところで、まるで覚えはないしするので、煙のうちをでも歩くような気がして、何だか不安な、ほんとうに自分の身に後ろ暗い所でもありそうな日を送っていたのである。
 このような有様で、村中の者共は皆非常な興味を以て、事件の裏にひそんでいることをさぐってみようと思っていた。
 私は何にも彼等に関して知っていなかったので、どう想像することも出来なかったけれども、どこにでもある世話焼きが、自分の本職のようにして、せっせとあちらこちらから探りを入れ始めた。
 そうすると、意外にもその問題の俵などは初めから根もないことで、ただ謝罪金《あやまりきん》に今新さんの持っている金を、皆取りあげようとする方便に捏造《ねつぞう》されたものだという噂が、次第に事実として騒ぎ出されたのである。
 新さんは、飛んでもないことだと思って、おふくろを弁護し、その噂を押し消そう押し消そうと掛った。
 けれども、新さんの心はだんだん暗くなって来た。自分の身が悲しく、ほんとにこのおふくろの実の子かしらんという疑いも起って来たのである。
 私は青い陰気な顔をした新さんが、心配でよけい面窶《おもやつ》れしたような風で暑い日中被る物もなしに、村道をボコボコ歩いているのを見ると、ほんとうに気の毒になった。
 けれども、二十三にもなった男一人が、物の道理も分らないおふくろの自由にされて、苛《いじ》められても恥かしめられても、ただ一言云い争いもせず、ただ彼女の弁護ばかりしているのを見ると、妙な心持にならずにいられなかった。
 何だか、どこかに私共より偉いところを持っているような気がして、どんなに気の毒だと思っても、他の人々へのように、僅かばかり食物をやったりすることは出来ない。
 道でなど会うと、私はほんとうに心から挨拶をして、丁寧に病気の塩梅を聞いた。
 随分気分の悪そうな顔をしているときでも、彼は、
「おかげさまで、だんだん楽になりやす」
とほか云ったことがなかった。

        十四

 新さんのことがあったので、三十一日はかなり早く来た。二百十日前のその日は、大変に朝から暑くて、鈍い南風が、折々木の葉を眠そうに渡った。
 いつもより早く目を覚ました私は、いつもの散歩がてら村を歩いて見た。
 家々はもうすっかり食事までも済ましている。前の広場だの、四辻だのには、多勢の大人子供が群れてガヤガヤ云って騒いでいる。
 けれども、私の驚いたことには、彼等の着物や何かが昨日とはまるで別人のように、汚くなっていることである。女達は、皆|蓬々《ぼうぼう》な髪をして、同じ「ちゃんちゃん」でもいつ洗ったのか分らないようなのを着ている。裸体《はだか》で裸足《はだし》の子供達は、お祭りでも来たようにはしゃいでいるし、ちっとも影も見せないようにして奥に冷遇されていたよぼよぼの年寄や病人が、皆往還から見える所に出て来ている。
 桶屋でも、あの死ねがしに扱っている娘を、今日は、特別に表の方へ出して、ぼろぼろになった寝具を臆面もなく、さらけ出して置く様子は、私に一向解せなかった。
 村中は、もう出来るだけ穢くなって、それでいて私が今まで一度も見たことのないほど活気づいている。
 けれども、見て歩くうちに、だんだん彼等の心がよめて来た。そして、人間もどこまで惨めな心になるものかと、恐ろしいような情ないような心持になってしまった。
 私は、何だか自分の力ではどうしようもないことが、起って来たような気持になって、家へ帰った。
 家の中は相変らず平和に、清潔に、昔ながらの家具が小ぢんまりと落着いている。
 私は、折々縁側に立って向うの街道の砂塵の立つのを見ていた。町からこの村へ来る者は、一人一人ここから見えるのである。
 けれども、昼近くなるまで、町の者らしい者は一人も通らなかった。
 ところが、もう十一時頃になって、沢山の人力車《じんりき》が列になって暑そうに馳けて行った。中には、種々な色の着物が見える。町の婦人達の仕事は、これから始まろうとするのであった。
 村の入口で婦人達は車を下りた。そして、会長夫人を取り巻いて、ガヤガヤ歩き出しの相談をしている周囲を、裸身《はだかみ》に赤ん坊を負ぶった子守だの女房共だのが、グルッととりかこんで、だんだん外側から押しつけ始めた。
 貧乏な女共は、びっくりして町の「奥様方」を観た。
 光る櫛の差さった髪、刺繍《ぬいとり》だらけの半襟、または指中に燦き渡っている赤や青や白の指環をながめた。指環をはめていない人はない。皆手に小さく美しい袋を下げている。まあ帯の立派だこと! どんな白粉ならああむらがなく付くのだろう? あら! あんな洋傘《こうもり》もあると見える!
 女共は頭が痛くなるほど羨ましかった。同じ女に生れて、自分等のように死ぬまで泥まびれでいなけりゃあならない者があるかと思えば、こんなお化粧をして、金を撒いていられる人もある。
 何て立派なんだろう!
 けれども……。
 女達が妙に思ったのは無理もない。町の奥さん方は、ほかは金ぴかぴかでいながら着物は皆メリンスばかりであった。
 それは、「質素を旨とし衣服はメリンス以下なるべきこと」という条件があったので、賢明なる婦人達は、その箇条を正直に最も適当に守ったのであった。
 やがて婦人共は歩き出した。
 派手な色彩の洋傘が、塵《ほこり》だらけの田舎道に驚くべき行列を作った。
 第一に止まったのは桶屋の所である。
 後をゾロゾロついて来た者共は、先を争って間口一杯に立ち塞がったので、妙に暗く息のこもったようになった部屋の中には、股引一つの桶屋と、破けてボロボロになった「ちゃんちゃん」を着た女房が、幽霊のような娘を真中にして、ピッタリとお辞儀をした。
 会長夫人はふくみ声で難かしい漢語を交えながら、今度の自分等の目的を説明した。
 桶屋夫婦は、何のことやらさっぱり分らなかったけれども、ただお辞儀ばかりをしていると、会長夫人はちょっと指で合図をした。
 すると、中の一人が朱塗りの盆の上に大きな水引のかかった包みをのせて差し出し、集った者どもの羨望のささやきにとりまかれて、桶屋の前に据えられた。
 彼等は、飛びつきたいほど嬉しかった。けれども、強いて落着いて云えるだけお礼を云いお世辞を並べながら続けさまに頭を下げた。
 そして、仕舞いには腹が立って来て、
「人こけにしてけつかる。行げっちゃあ!」
と怒鳴りたくなって来るまで、婦人達はだまって頭を上げたり下げたりさせて見ていたのである。
 ついに婦人は動き出した。彼等はホッとした。
 そして、まだ一人二人の女は自分の軒の前にいるのにもかまわず、桶屋夫婦は包みを両方から引っぱって、急いでまごつきながら開けて見た。
 中には五円札が一枚入っていた。
 二人は札の面を見た瞬間、弾《はじ》かれたように顔を見合せて、ニヤリとした。
「当分楽が出来んなあ」
「ほんによ。そんにこんねえだの帯も買《け》えるしな」
 女房は云ってしまってからハッと気が付いて、娘の方を見ると、ぼんやり疲れきったようにして、揉みくちゃになった水引だの、「病人見舞金」と楷書で書いてある包紙を見ている。
 女房はチョッと舌打をして、男に耳こすりをした。亭主もその紙を見て、娘を見て云った。
「なあに大丈夫よ。奴にゃあ分んねえ」
 娘は、暫くすると、よろよろしながら臭い夜具を引きずって、また暗くじめじめした奥へ引っこんでしまったのである。
 婦人連は、一軒一軒に同じ文句を繰返しては、鷹揚《おうよう》に会釈をし、自分の品を上げるとも下げないほどの同情を表した。
 そして特に会長夫人は、いつも「ええ、そう、そう、そう、そうですよ」と胸まで首を曲げて返事をする代りに、今日は黙って大きくうなずくだけであった。而も心の中では「ああよしよし」とつぶやきながら。
 一行は行く先々で感謝せられ尊敬せられまた驚かされた。
 婦人達は皆、自分の仕事に満足した。
「人にほどこしをするのは、何て面白いのだろう!」
 けれども、だんだん疲れて来ると、同じようなお辞儀だの、お礼だのを聞くのにも倦きて来たし、自分等も一々丁寧に同情を表したり説明したりするのも厭になって来て、仕舞いには、会長夫人がちょっと立ちどまって会釈するあとから、直ぐ金包みを投げ込んで、先へ先へと急行しはじめた。
 後についている者共も、だんだん馴れるにしたがって、婦人達に聞えるほどの悪口を云ったり品定めをしたりするようになったので、婦人達は、益々うんざりして来た。
 喉が乾いたり、暑かったり、化粧崩れに気が気でなくなった一行が、皆いらいらした気持で或る百姓家の前に来かかったとき、いきなり行手を塞いで焼けつくような地面に坐り込んだ者がある。
 あまり突然なことにびっくりして、婦人連は後しざりをしようとすると、すぐ手近に立っていた一人の裾を両手で掴みながら、
「おっかねえもんじゃありゃせん。どうぞお願《ねげ》えをお聞き下され」
と涙声を振り絞ったのは、誰あろう善馬鹿のおふくろである。
 婆の後には、善馬鹿と白痴の子がぼんやり立っている。婦人達はまごつき、ついて来た手合は笑いながら立ちどまった。
 狒々婆《ひひばばあ》は軋むような声を張りあげた。
「お情|深《ぶけ》え奥様方! どうぞこの気違《きちげ》え息子と、口も利《もと》んねえ馬鹿な餓鬼を御覧下さりやせ」
「どうぞ奥様! 俺らがようなものこそー憫然《ふびん》がって下さりやせ。どこに俺等ほど情ねえもんがありやすッペ。どうぞお恵み下さいやせ」
 裾をつかまえられた婦人は泣声を立てて、
「まあ、どうしたのです。さあ、そこをお離し! 行きゃあしませんよ。さあ早くお離しってば!」
と、自分の方へ引っぱっても、
「いんえ、離しゃせん。金輪際《こんりんざい》離しゃせん。どうぞ聞いて下され。ほんに俺らがように……」
と尚強く握って地面にへばりついた。あまりのことに婦人達は、総がかりになって、婆を嚇《おど》したり、すかしたりしたけれども、なかなか離しそうにもない。
 皆が、てこずり抜いて、着物の裾を引っぱり合いながら、途方に暮れている様子があまり滑稽なので、周囲の者は、思わずドッと囃し立てた。
 そうすると、いきなり人垣の間を分けて、犬のように飛び出した一人の男の子が、
「やーい! やーい! 醜態《ざま》見ろやい!」
と叫びながら、手足をピンピンさせた。
 甚助の子である。
 その一声に、何か云いたがってムズムズしていた他の悪太郎共の口は一時に開かれた。
「弱《よえ》えなあ。そげえじゃらくらした阿魔ッちょに何出来ッペ!」
「婆様手伝ってんべえか!」
 黄色い砂塵に混って、ワヤワヤ云うどよめきの中を、
「お情深え奥様方! どうぞおきき下され。俺らげの気違えと白痴《こけ》野郎が……どうして生ぎて行《え》かれますッペ!」
と婆の声が、切れ切れに歌のように響き渡った。
 婦人達はすっかり度を失ってしまった。逃げ出したくはあっても、獣のような彼等に敗北して行くのはあまり口惜しい。皆興奮し、ヒステリックになってちょっと指を指されても大声を上げそうになっていると、甚助の子は、ぼんやり立っている善馬鹿の耳端で何かささやきながら、妙な身振りをして彼を突飛ばした。
 突飛ばされて、彼は真直に婦人達の中に入って、
「へ……。へ……」
と笑いながら、見ていられないような様子をしはじめた。
 婦人達は恥かしさと、怒りで真赤になり、袂を顔にあてながら、
「失礼じゃありませんか!」
「あんまりです! 何をするの?」
と叫びながら立ち去ろうとした。
 こうなると貧民共の獣性はすっかり露骨になってしまって、大人までが聞くに堪えない冗談を浴せかけた。
 会長夫人は気が違いそうになった。そして涙を目一杯にためながら、傍の人から金包みを引ったくると、狒々婆の顔へギューギューと押しつけて叫んだ。
「は、早く行って下さい! あまり、あまりひどい。さ! さ! 早くってば! あまり……」
 婆さんはようよう立ち上って、善馬鹿を向うに突飛ばしながら、非常に落付いて、
「どうもお有難うござりやした。おかげさまではあ三人の命がたすかりやす。御恩は決して忘れましねえ」
と云うと、三人一かたまりになって、満足げに行ってしまい、人々の騒ぎはよほど鎮まった。
 さすがの婦人達も暫くは、気抜けのしたように立ったまんま、どうすることも出来ずにいた。
 けれども間もなく、会長夫人は辛うじてその威厳を回復して、群集一同を恐ろしい目で睨み廻した。そして、黙ったまんま皆の先に立って歩き出した。
 何という帰り道のみすぼらしさだろう! 甚助の子は遠くの方から、馬の古鞋《ふるわらじ》をなげつけたり、犬を嗾《けしか》けたりしてついて行ったのである。

        十五

 町の婦人連は来た、金を撒いた、そして帰って行った。
 ただそれだけのことである。けれどもそのために、狭い村中の隅から隅まですっかり掻き廻されてしまった。
 子供等は、盆着を着せられて、村にただ一軒の駄菓子屋の前に、群がってワヤワヤ云っている。
 大人どもは、貰った金を、何にどう使うかということで夫婦喧嘩や親子喧嘩をして、互同士の嫉みが向う三軒両隣りに反目を起させた。
 けれども、私の家だけは、相も変らず「繁昌」しているのである。
 一昨日と同じように今日も彼等は来た。
 が、大抵の者は小ざっぱりした装《なり》をして、下駄まであまりひどくないのを履いている。そして、町の婦人達の来てから帰ったまでのことを、細大洩さず話しては、あの、家まで聞えて来たほどのどよめきの最中に起っていたことに対して、婦人達はどんなに、臆病に意気地がなかったかということを嘲笑した。
 裾にすがりついて離れなかったばっかりで、いくらかをせしめた狒々婆や、善馬鹿をそそのかした甚助の子のことなどは、さも面白い勇ましいことのように彼等を喜ばせたものらしい。
「あの婆様もあげえな体あして案外《あんげえ》偉《えれ》えわえ。あのときの醜態《ざま》あ見せてあげとうござりやしたぞえ」
 皆は、自分等の貰った金高《かねだか》を争って私共に聞かせた。
「俺ら五円貰った!」
「そんじゃおめえ、こすいでねえけえ。俺らなんかたった三両ほかくんねえぞ」
 そして、あんな大袈裟な前触れで来ていながら、たったそれっぽっちずつほか呉れないで、有難がらせようとしたって無理だとか、金の割当て方が不公平だとかいう不平が、彼女等が来ない前よりもっとひどく、町の者への悪感を強くさせた。
 私は来る者毎に今度いくらでも貰って少しは楽だろうと聞いてみると、うんと云う者は一人もいない。
「俺ら見てえな貧乏のどん底さあいるもんが、おめえ様、三両や五両の銭い貰ったって、どうなりやしょう。嚊《かかあ》は何が買えてえ、御亭《ごてい》はこんが買えてえ。そんですぐはあ夫婦喧嘩で、殴り合ってるうちにはあそのくれえの金あ、皆どうにかなってしまいやす。三日経てば、元の木阿彌で相も変らず泥まびれでやすよ」
 それは、ほんとのことであった。一週間も経たないうちに、町から入った金は、また町へ吸いとられてしまって、彼等はまた元のように三円とまとまった金は持たないようになる。
 ちょっとでも余分なものが入れば彼等はせっせと何か買ってしまう。訳も分らずただドンドンと買ったあげくは、元に幾らかの利子までつけて、町へ返済してしまうのである。
 貯蓄の癖が付いていないので、どうしても蓄《た》める気になれない。まして、銀行とか郵便局とかいう所は、金は取りあげてしまってただ一冊帳面をあてがう所のようにほか思われていないので、あずける者などは殆どない。
 だから、私共が溜めろと云ったところで、聞かれることではないのである。金を貰いながら彼等はやっぱり私共で飲食いし、平気で何をくれろとか、どうしてくれとか云っている。
 私は、自分のしていることが極く小さな、例えば金をやるにしても一時にまとまって一円とはやらず、着物にしても、新しいのばかりはやらないので、却って彼等の生活には、さほどの悪い影響も及ぼさないのだと思わないではいられなかった。
 若し私が、頭割に百円ずつもやったとしたら、彼等はその金の尽きるまではのらくらして暮して、また困って来ればどうかしてくれろと、よりかかって来るにきまっている。彼等に対してすることはいつも何でも限りがない。よしんば私が彼等の生活を助けようとして、自分の生計にも窮するほどになったとしたところで、彼等はやはり何か貰おうとする。何か呉れる所だと毎日せっせと押しかけて来るだろう。
 町の婦人連の仕事は、予想通り失敗したとともに、私には、自分は一体どうしたら好いのだ? という恐ろしい疑問が残された。この気持は、甚助のことのときにも私を苦しめた。けれどもあのときは、自分のしていることにかなりの自信を持っていたので、幾分は勢《いきおい》付けられていたのであった。が、今度は、自分のしていることが、どうもほんとうに好いことではないような気がしてならなかった。
 人が自分より力弱い者を憫れむとか、恵むとかいうときに、少しばかりでも虚栄心を持たないだろうか?
 もちろん、すっかり世の中を悟ったというような人は別かも知れないが、少くとも、私共ぐらいの程度の人間では虚心平気に人を恵み、慈善を施すということは、殆ど出来ないことではないかしらん?
 町の婦人達のしたことなどを見ると、慈善などというものは、或る場合には、恵む者が自分の金の自由になり、自分の勢力の盛なことを、自ら享楽する方便にほかならないようにも思われる。
 少くとも、「ほどこす者」と「ほどこされる者」との間には、もう動かせない或る力の懸隔が起るとともに、自分等の位置からいろいろな感情が起って来るだろう。
 それ故、私が随分彼等に対して、丁寧であり謙譲であろうとして努めていても、どこかにやはり「ほどこす者」の態度がきっとあるのだ。
 彼等の仲間にはどうしてもなれない。流れて行く物を拾おうとして、岸から竹竿を延しているので、決して一緒に流れながら掴えようとしていないのを自分で知っている。
 たとい表面的には、畑へも出、収穫の手伝いもし、同情もし、或る共鳴は感じていても、決して同じ者共とはなり得ないのである。
 それなら、私がその同じ流れの中に漂って見たらどうか! なかなか自分の溺れないために人のことなどは見てもいられなくなる。
 岸から竹を延している今までにも私はあきたらなくなって来たと共に、一緒に濁水を浴び、苦しまぎれに引っ掻きもがいて、手も足も出なくなって終ってしまうのは、ただ一度ほかない私の生涯にあまり惨めである。
 で、私はほんとうに、謙譲になり丁寧になって、而も今の不平や恐れをなくするにはどうしたなら好いのか? 私は情ないような心持になってしまった。
 どこかで、
「お前の花園は一体どうしたんだ? もうそろそろ芽生えぐらい生えそうなもんだになあ!」
と嘲笑《わら》われているような気もする。
 けれども、私は諦めの悪い人間だ。どうしても、ものを「あきらめ」て静かに落付いて、次《つい》ではそれも忘れてしまうということが出来ない。
 それ故「世の中というものは、どうせそんなものさ!」と落付いてしまうことが出来ないので、いつでも不平や、悲しい思いや、苦しい思いやをして、「賢明な人々」からは妙な同情を受けているのである。
 今も私は「何でもない、自分が小さいからだけのことだ!」と諦めが着かない。
 いかにも私は小っぽけな細い声を出して、何かゴトゴトいっているに過ぎない者ではあるけれども、もう直ぐの所に大変好いことがあるのに、またその好いことも捜し手を待ちかねているのに、見つけられないでいるのじゃあるまいかということがしきりに感じられる。ほんとに、ただ感じられているばかりなその一重向うの何ものかを求めようとして、私は目を見張ったり、手を動かしたり、ジーッと耳をすませたりしているのである。
 かようなまた新しく湧き出した望みに攻められている間に、村はまた貧乏に戻る前の馬鹿らしい景気よさに賑わっていた。
 村端れに酒屋が一軒ある。今まではさほど繁昌も出来なかったのが、このごろになってから急に客が殖えた。夕方になると野良から帰った百姓達の中心になって、一升と諢名《あだな》のある桶屋だの甚助親子だのが集って来た。
 店先に床几《えんだい》を持ち出して、蚊燻《かいぶ》しをしながら唄ったり踊ったりの陽気さに、近所の女子供まで涼みがてらその囲りに立って見物をする。
 善馬鹿は、いつも皆の酒の肴に悪巫山戯《わるふざけ》をされていた。
 その晩もいつものように酒屋は大騒ぎであった。酒の香りに集って来る蚊をバタバタ団扇《うちわ》で叩きながら床几に寝ころんでいる者の中には新さんも珍らしく混っている。
 皆が、漬物をつまんだり、盃を廻したりしながら、町の婦人達の悪口や愚にもつかない戯言《たわごと》を云ってワヤワヤしている傍に、新さんは黙って、蚊が一匹溺れている自分の盃を見ていた。
「や、ほんに新さんがいたんだんなあ。あまりおとなしいでいんのー忘れてしまったわえ、さ! 一杯明けな。酔えば天地あ広《ひれ》えもんにならあ」
 新さんは酒を飲もうともしなかった。
 けれども、今まで放って置いた気の毒さも混って、皆は急に新さんにいろいろの言葉をかけた。
 あんな化物豆なんか心配しないで、自分は自分でさっさと遊ぶなり、ほかへ出るなりしろと力をつけながら、あの、子を子とも思わない鬼婆なんかぶんなげてやれとかなんとか罵った。
 甚助などは拳骨を振り廻しながら、
「お前さえウンと云や己が黙っちゃ置かねえ」
とまで云った。
 チビリチビリと酒をなめながら、皆の云うことを聞いていた一升は話の絶《き》れ間《ま》を待って、重々しく云い出した。
「一体《いってえ》なあ新さん。お前《めえ》はあげえなおふくろー神様か仏様あみたえに思ってんが、第一《でえいち》のまちげえだぞ。お前のおっかにしろ、どいつのおふくろにしろ皆女子さ。どこの世界《せけえ》だて女子にちげえはねえだ。悪《われ》えこったってすらあな。邪魔んなりゃお前をぼん出そうともすらあな!」
「そらそうだべ。けんどあげえなこって親子喧嘩しちゃ、親父《ちゃん》にすまねえ。俺らせえ黙ってりゃすむこんだかんなあ。俺らそげなことをする気はねえ」
「だからお前は仏性《ほとけしょう》よ、めったにねえ生れつきだんなあ。死んだ親父《ちゃん》の云った通りのことー云ってんぞ」
「そいから見りゃお前は、極道者《ごくどうもん》だんなあ、一升」
 傍から甚助が口を入れた。
「ほんによ。こげえな極道者の行く先あ大方定ってら」
「お前等今頃んなって、そげえなことほざくんか? のれえなあ。見ろ、俺らのそばにゃもうちゃんと地獄がひっついてら。ほかへ行ぎようもねえじゃねえかあ!」
と一升は、自分のそばに坐って漬物を食おうとしている酌婦上りの女房をさした。
「ハハハハハハ。ハハハハハハ」
「好《え》え気になって、ほざいてけつかんから恐ろしいや」
「そうともよ、好え気になれんのも娑婆にいる間だけのこった、なあ新さん。死んだ後のこと、俺らが知るもんけ!
  あとは野となれやま……となーれ。
  ヤ、シッチョイサ!
 か。
 どうだ巧かっぺえ」
 皆は破《わ》れるように喝采した。新さんは妙な笑い方をした。
「面白えなあ。踊りてえなあ。ちゃん!」
 甚助の子が、よろけながら立ち上ったとき、向うから、これも微酔《ほろよい》の善馬鹿が来かかった。
 これで、すっかり元のように賑やかになってしまった。
 彼は皆に呼ばれて、また二三杯のまされた。
「おめえ俺らと仲よしだんなあ。善! 踊んねえか? 面白えぞ」
 甚助の子は、善馬鹿の耳朶を引っぱりながら、床几《えんだい》の周囲《まわり》を引っぱり廻した。
「こりゃうめえ、さ、踊れ。また酒え飲ますぞ」
「踊れよ、相手が好えや。ハハハハハハ」
「そら踊った、踊った!」
 単純な頭を、酒でめちゃめちゃにされた甚助の子は、気違いのようになっていた。
 肌脱ぎになり、両手に草履を履くと、善馬鹿の体中を叩きながら、訳の分らないことを叫んで踊り出した。
「や! うめえぞッ!」
「そーらやれやれ。ええか? 唄うぞ!
 ホラ
  俺らげーの畑でようー……
  ホラ、シッチョイサ!……」
「ワーッハハハハハ」
「ハハハハハハ。ええぞッ!」
「ホラ、しっかりしっかり!」
 善馬鹿は甚助の子に、ベチャベチャと草履で叩かれながら、着物のすそを両手にとって、ザラッ、ザラッと足から先に踊り出した。

        十六

 婦人達が来てから一週間はじきに経った。そして、村はだんだん、元の陰鬱な貧しさに落付き始めた。畑の方もだんだん急がしくなって来たので、自ずと酒屋の床几《えんだい》も淋しくなり、下らないいざこざも少くなった。
 けれども、町の婦人達の記念として、善馬鹿はすっかり酒飲みになってしまった。皆のなぐさみものとなってあっちこっちで飲まされたためであろう。
 私共は、朝から晩まで、彼のだらしなく酔った体が、泥まびれ汗まびれになって、村中をよろけ廻っているのを見るようになった。
 彼はどこの家でもかまわずに、入って行っては、
「酒えくんろー」
とねだる。
 村道添いの家で、彼に酒をほしがられない家は一軒もなかった。けれども大抵の家では酒を一滴か二滴垂らした水を遣ったのだけれども、彼は喜んで酔っていたのである。
 或る日の午後、私共は茶の間の縁側の傍に坐って、胡桃《くるみ》を挽いていた。すると耕地の方から、グルリと廻って庭木戸の中へノッソリ入って来た男がある。びっくりして見ると、善馬鹿だ。
 私は何だか薄気味悪くなって、少し奥の方へいざり込んだ。奥にいた祖母やその他の者も出て来て、半ば気味悪く半ばめずらしそうに、だまって庭に立っている善を見ていると、暫くして彼は低い声でかなりはっきりと、
「酒えくんろー」
と云った。
 下女は直ぐ立って行って、薄く酒の香いのする水を、破《か》けた飯茶碗に入れて来た。そして遠くの方から手をのばして、
「ホラ、ここさ置くぞ」
と縁側の端に置いてやった。
 善馬鹿は下女の手が引っ込むか引っ込まないかに、引ったくるようにして、茶碗をとった。そして、フーフー鼻息を立てて、喉仏をゴクゴクいわせながら一滴もあまさず飲んだ後を、すっかり舐め廻した。
 空っぽの茶碗を持ったままいつまでもそこに立っている。下女は穢いから早く逐い出しましょうと云ったけれども祖母は、狂人や何かにひどくすると、あとできっと「あた(仇)」をするものだからと云って放って置かせた。
 私は久し振りで善馬鹿の顔をツクヅクと眺めた。今日はどうしたのか、いつもよりよっぽど、小ざっぱりとしていて、さほど臭くもなければ穢なくもない。けれども、精神病者に特有な、妙に統一の欠けた手足の動かし方や、目の使いようが、却って凄く見えた。そして、先達て中よりは、すっかり痩せて、頬などはゲッソリこけている。皺も多くなったし、全体に弱っている。やはり酒などを飲んで、始終興奮状態が続いているのがすっかり堪《こた》えてしまったものと見える。
 可哀そうな! あばれるようにでもなったらどうするのだろう。
 私はぼんやり母から聞いた北海道の気違いの話などを思い出していた。すると、いきなり善馬鹿は、ニヤニヤしながら、
「飯が食いてえなあ俺らあ」
とつぶやいた。
 云いようがあまり子供のようなので、私共は皆吹き出してしまった。けれども、私は下女と二人で丼の中に飯と、昼に煮た野菜と漬物を一緒に山盛りにしてまた、縁側の端へ置いた。
 彼は直ぐそれをとった。そして地べたに坐りこむと足の間にそれを置いて両手で、食べ始めた。丼の中ばかりを見つめて、ほんとうにガツガツとまるで飢えた山犬のようにして、掻っ込んだのである。
 見ているうちに、私はあさましくなってしまった。
 獣より情ない姿だ。こんな哀れな人間に生れるくらいなら、猫にでも生れた方がどんなに幸福だったか分らない。彼にとっても、また彼の周囲の者にとっても、遙かにその方がよかったのだと私は真面目に考えた。そして、見ているに忍びなくなって、後を向いてまた胡桃を挽き出した。パチパチいって破れる殻から、薄黄色い果を出しては、挽き臼でつぶすのである。
 暫くすると、善馬鹿は食べてしまって、立ち上ったらしい気配がした。そして、よろけながら両手に空の破《われ》茶碗や丼を下げて、また耕地の方へ出て行く後姿を、私は、臼の柄につかまりながら、何ともいえない心持で見送っていた。秋めいた、穏やかな午後の日射しが、彼の蓬々頭の上に静かに漂っていた。
 暑さのためと、気苦労で、養生の行き届かない新さんの病気は、時候の変り目になってからドッと悪くなった。
 体中が腫《むく》んだので、立っていることさえ苦しいほどなのを、家にいればおふくろの厭味を聞かなければならないのが辛さに、跛《びっこ》を引き引きあてどもなく歩いて、林の中などに何か考えている新さんを見ると、村中のものは、ほんとに気の毒がって、どうにかしてよくしてやりたいものだと心から噂し合った。けれども、この二三日はもうこれも出来ないほどになったので、家の陰の日もろくには射さないような長四畳にごろ寝をしているときが多くなった。
 部屋の直ぐ前から、ズーッと桑畑を越え、野菜の上を越えた向うには、林に包まれた墓地が見渡せた。
 新さんは、足の裏に針の束で突つくような痛痒い痺《しび》れを感じながら腕枕して静かに眺めていると、生々《いきいき》した日の下に踊っている木々の柔かい葉触れの音、傍に流れて行く溝流れのせせらぎが、一つ一つ心の底まで響き渡って、口に云われない憧れ心地になったり、遣瀬《やるせ》なさに迫られて、涙組ましい心持になった。
「あの林のかげにはちゃんがいる」
 新さんはそう思うと、まだ親父の生きていた時分の事々が、遠い夢のように思い出された。
 自分が、まだ七つ八つの頃、あんなに早く死のうなどとは、夢にも思えなかったほど、達者で心の優しかった父親が、自分を肩車に乗せて、食うだけ食えと桃畑の中を歩き廻ってくれた時分の自分等は、どんなに幸福に、嬉しいお天道様を拝んでいたことかと思うと、飛んでも行きたいほどのなつかしさを覚えた。
 それだのにこの広い世の中に、たった二人きりの母子《おやこ》でありながら、この頃のように訳も分らないことで、情ない行き違いをしていなければならないのを思い、自分のもうとうてい癒りそうにない病気を思うと、ほんとうに生きている甲斐もなくなったように感じられた。
 自分がいておっかあの邪魔になるなら、今すぐからでもどこかへ行ってもしまうけれど、どうせは死ぬのも近いうちのことだろうのに、どうぞたった一度で好いから七年前に呼んでくれたように「新や!」と云ってくれたら、どんなに嬉しかろう!
 新さんは、北海道で時蔵という男の所にいたとき、仲間の男で十九になるのが急に病《わずら》いついて、たった三日で死んだときの様子を、マザマザと思い出した。
 その男は死ぬ日まで、
「阿母《おっか》さん! 阿母さん、何故来ないんだ? 俺りゃ待ってるんだぜ」
と云いながら、生れてから別れるまで、ついぞ大きな声さえ出したことのないほど優しい母親のことばっかり話していた。そして、もういよいよというときに、一度|瞑《つぶ》っていた眼を大きくあけて、両手を一杯に延ばすと、
「阿母《おっか》さん!」
とはっきり叫んで、そのまんまとうとう駄目になってしまったときの、あの鋭い声、あの痩せた手が新さんの目について離れなかった。
 どこの山中、野の端に野たれ死をしても、いまわの際に「おっかあ!」と呼んで死ねる者は、何という幸福なことか。新さんは、真面目に自分の死ということを考えていたのである。
 或る殊に暑苦しい日、朝から新さんは身動きもできないほど弱っていた。
 五月蠅《うるさ》い蠅を追いながら、曇った目であてどもなく、高く高くはてもなく拡がった空を見ていると、どこからか飛び込んで来たように、自分はもう生きていられない身だということを確かにハッキリと感じた。
 新さんは、妙に笑いながら、ムズムズと体を動かして顔を撫で廻しながら、
「おっかあー!」
とやさしい声で呼んだ。
 裏口の水音がやんで、濡手のままおふくろは仏頂面《ぶっちょうづら》をして、
「何だあ?」
と入って来た。
「いそがしかっぺえがちょっくら坐って、話してえがんけえ? 俺れえ話しときてえことがあるんだがなあ」
「何だ? 早く云ったらええでねえけえ」
「ま、ちょっとお坐りて。ほんに俺《おい》ら話してえことがうんとある」
 新さんは穏やかな愛情に満ちた眼差しで、まじまじと怒ったようなおふくろの顔をながめた。そして、静かに微笑して頭を動かした。
「なあ、おっかあ! 俺《お》らおめえに相談しとかにゃなんねえと思うことがあるんだが……」
「…………」
「急にこげえなことー云うと、おっかあ気い悪くすっかもしんねえが、俺らもうとうてい助からねえと思ってる。そんで、早く家の仕事うちゃんとするもんを定めときね、誰でもええ。おめえのええと思う者を定めたがええと俺ら思ってる」
 おふくろは妙な顔をしたが、いきなり大きな声で怒鳴った。
「なにいあてこすり云ってけつかる! よけいなこと世話焼かねえですっこんでろ、馬鹿奴! 俺らに貴様の心ん中が分んねえと思うんか?」
「まあ、そげえに怒んなよ、おっかあ! 俺らあてこすりでも何でもねえ、ただ思ってること云ったんだ。……俺ら、北海道さ行《え》がねえ前のことを思うと、ほんに今が辛え。俺ら何んでもおっかあにつくそうと思ってんだ。どんなこってもええ、おめえの思ってんことーすっかり俺れに打ちあけてくんねえか! なあ、おっかあ、俺らはもうどんほども生きらんねえ、そいつが願《ねがい》んだ。昔を思い出してくれねえか?」
「なにい嚇してけつかんだ! 駄目だえ。だまそうたてだまされるもんけ。面《つら》でも洗って出なおせッちゃ」
「そうじゃねえよ、おっかあ! 俺らどうしようにもこの体で出来ねえな分ってんでねえけ。ただ俺ら皆分って死にてえ。どうぞ昔のおっかあと俺で別れてえ、なあおっかあ? こん間《ねえだ》の豆のことだて、俺らにゃどうしても腑に落ちねえ」
「腑に落ちねえがどうしただ? 俺らおめえの云うこたあ分んねえよ。馬鹿! おふくろー悪者にしようとすんーような奴ー持った俺れが因果よ。面白くもねえ。何とでも云えよ。俺れえ一人悪者になってりゃおめえは嬉しかっぺえなあ、おい! 嬉しかっぺえよ」
と神経的に涙をこぼし始めた。
 新さんは情ない顔をして、黙ってこの様子を見ていたが、やがて蒲団の下から胴巻を出すと、
「おっかあ! もうちんとばっかしだが、こりょおめえに預けとく。どうぞそんで埋めとくれ。俺ら持ってても何の益《やく》にも立たねえかんな」
と、母親の膝元に押しつけた。
 おふくろは、ちょっと目を輝かせた。そして少し間が悪そうに、
「そうかあ」
と、云いながら早速これを持って、立って満足げに行く様子を見送ると新さんは、嬉しそうに微笑して目を瞑った。
「おっかあ! おめえも決して悪《われ》え人じゃねえ。が、俺ら辛えや。昔のことー思い出すのが辛えや、なあおっかあ! 俺ら何ちゅう睦まじいこったったろうなあ」
 新さんの眼からは、滝のような涙がこぼれた。押し切ったような苦しい啜り泣きの声が、静かな部屋に悲しく響き渡ったのである。

        十七

 都会から遠く逃れた、名も知られない一小村落に起るいろいろの事件を包含して、秋は去年と同様に、また百年前と同じように育って来た。
 山並みや木々の葉に明かになって来た秋の気候と、まだどこやらに残っている夏の余力がともすれば衝突して、この二三日の天候は非常に悪かった。
 広い空一面に雨雲が漂って、不愉快な湿気が南風の生暖かい吹き廻しと、垂れ下った雲の下で縺れ合っている。遮られがちな太陽《ひ》の光りは、層雲の鈍色《にびいろ》のかたまりに金色の縁取りをし、山並みを暗紫色に立木や家屋などの影を調《ととの》わない形にくっきりと、乾いた地面に印している。
 山から斜に這う風が、パーッと砂煙を舞いのぼせると、実の重い作物が、ザワザワ……ザワ……と陰鬱な音を立ててうねり渡る。雲の絶間から眺められる暗藍色の空からは、折々細い稲妻が閃いて、奥深い所で低い雷がドドドドドドと轟いた。総ては物凄い様子で明けて暮れている。
 その日は特《こと》に険しい天気で、夕方になってからは、恐ろしい風が吹き出したので、百姓達は皆非常な不安に攻められた。今最後の発育を遂げようとしている総ての作物が、荒い風に会い、強雨にたたかれるということは憂うべきことである。
 で、彼等は田の見廻りや何かにせわしく、私共の畑も三人の小作男で、十分に囲われたり突支《つっか》い棒をあてがわれたりした。
 早くから閉め切った部屋の中にとじ籠って、次第に吹き荒れて行く戸外の雨の音を聞いていると、私共は皆何だか気味悪くて離れ離れめいめいの部屋に落着いていられないような気持になった。
 家中は皆茶の間に集った。
 雨戸にガタガタぶつかっては外《そ》れて行く風の音、どこかの軋むキーキーいう響に交って、おびえたような野犬の遠吠えが陰気に凄く皆の心をおびやかして、千切れて飛んで行った。
 風は次第に強くなって来る。薄ら明りの空を走る雲の足なみが早くなるにつれて、東南の暴風は立木という立木、家屋という家屋のあらんかぎりを吹き倒さないでは置かないというように吹き始めた。
 砂煙が短い渦巻になって吹き上り、人気ない往還をあっちこっちとかけずり廻る。樹木の総ては、その頭を狂乱したように打ち振り打ち振り、小枝は白い肌を生々しく引き裂かれて飛び、幹は苦しげに軋み唸り、鋭い悲鳴をあげて揺れている。家屋の角ではぶつかる風がわめき、白い葉裏をひるがえして揉まれる葉が種々な声で泣き叫ぶ。――
 天地が巨人の掌でただ一揉みに揉みつけられるような夜の荒れの最中に、一つの細長い人影が静かに落付いて、往還の角から現れた。
 黒い影は静々とその騒乱のうちを動いて行った。
 頭を真直に保ち、手足が規則正しく動くにつれて、等しい歩調《あしどり》で、ちょうど車の上で動かされている人形のように歩く姿は、この四周《あたり》の畏縮しつくしている万物の中に、いかほど厳《おごそ》からしく見えたことだろう? 惨虐な快楽に耽る暴風にとっては、驚くべき反逆者である。
 彼の延びた髪はさか立って、一吹風が吹き払う毎に、顔中に乱れかかり着物の裾はバタバタとあおられながら足に纏いつく。けれどもそんなことは、何の邪魔にならないらしく、人影は極めて沈着に、余裕を持って進行を続けて行く。
 激しい風に巻き上げられた土砂がいかほど打ちつけようが、上っている頭は決して下らず、面《おもて》を背向《そむ》けようともしない。露出《むきだ》した細い脛に芥が噛みつき、風の渦巻にとられようとする着物が、体中で膨れたりしぼんだり、はためいたりしている。
 けれども彼はただ歩いて行く。行手には何の障害《さわり》もないように、またあったとしてもそれ等を何の努力もなしに圧服することが出来るような勢で、ひた歩きに歩いて行くのである。そして、真直に通っている道の曲り角まで来たとき、この怪しい人影の行手に当って、また他の黒影が現れた。
 立ち舞う塵芥《じんかい》の霧のうちに、その丸くかがまった小さい姿は、まあ何という弱々しさでよろめいて来ることか! 全くその人影はよろめいて来たのである。
 一陣の烈風が、すさまじい響を立てて地上を払い去ると、弄ばれる枯葉のように前後左右に突上げられ押しつけられ小突き廻されて、今にも倒れそうなほどよろけ廻る人影は、暫く立ちよどんではフラフラとまた定まらぬ足元で離魂病者のように動いている。
 両手でしっかり顔を掩い、道一杯にあちらこちらへ吹きよせられ、吹きよせられて来た人影は、思いがけぬ人の足音に驚かされたらしく、掌の中から顔を出して、暗と塵の幕を透して、来かかる者を見ようとした。
 絶えずよろけながら辛くも持ち堪えていた者の前に現れた第一の人影は、どれほど恐ろしく偉大なものに見えたろう!
 第二の影はよろよろと片陰の木の茂みに身を潜めた。
 人影を行き過ぎさせようとしたのである。
 けれども、どうしたことか、今まで正面ばかりを見ていた第一の影は、その木立の前へ来るとピッタリ歩くのをやめた。そして、非常に熱心な態度で反対の方を見守っている。そこには、かなり多くの木々の梢に遮られながらも、村役場の灯火が赤く赤く、非常に目立つ輝きを以てまたたいていたのである。
 第一の人影は、暫く全身の注意を傾けて、その一点の光明を凝視していたが、やがて急に身を躍らせ両手を宙に振りあげて跳ね上ると極度の歓喜《よろこび》と喫驚《おどろき》の混同したような、非常に高く鋭い、
「ワアーッ!![#「!!」は横1文字、1-8-75]」
という叫び声を発するや否や毬のように走り出した。
 二つに折り曲った体、口を開き歯を露出した頭を前へ突出して、瞬きもせず、ただ一方を見守って砂煙のうちを走る彼の体の周囲には、迅《はや》い風音がシュッシュッと後へきれぎれに取り遺されて行ったのである。
 第二の影はまたソロソロと歩き出した。
 両手で顔を掩いよろめく小さい姿は、風のなぶり者となりながら、次第次第に遠くなって行った。

        十八

 夜中の大風は暁方になってから驟雨を誘った。
 降ったり止んだりする雨は、かなり激しく往還を荒して幾条もの小流れが道の左右に付いて、中央に二本通っている車の轍《わだち》の跡の溝には、茶色の泥水がゴッゴッと云って流れて行った。
 農民共は、皆家に籠って鞋《わらじ》造りや繩|綯《な》いに時を費していたけれども、何かせずにはいられない子供等の一群は、村端れの雑木林へ入っていた。
 そこには、秋の早い頃から名もない「きのこ」が沢山頭を出し、稀には「なめこ」が黄色な姿で小さい採集者を、得意の絶頂まで引摺り上げたりすることがあるので、今日も子供等は、わざと険しい天気に「菌《きのこ》がり」を始めたのである。
 彼等は皆一生懸命に捜した。萱《かや》の刈跡を裸足の足の裏にくすぐったく感じながら、グングン林の奥へ奥へと進んだ。
 薄い紙を濡らして重ねたようになっている落葉を掻き分けて爪の間に泥を一杯つめ込んだ彼等は、思わず掴んだ蚯蚓《みみず》を投げつけ合ったり、松葉でくすぐり合ったりしながら、先を争って行くと、一番先に立って林続きの墓地裏に入っていた一人の子は、何物か急に見つけたらしくピタリと足を止めて、注意深く前方を透した。
 この様子にびっくりした子供等は、皆馳け集って、指し示された一点を揺れる梢の間から、ながめた。
 そこには――葉の茂みが泡立つ浪のように崩れている間からは――白い模様のある黒い布が旗のように、はたはたとはためいているのが見えた。
「何だっぺ? 何があげえにヒラヒラしてんだっぺ!」
「ほんになんだっぺ? 行って見べえか?」
「うん、ほんにそれがええ。さ、行って見ろ。俺等こけえ待ってらあ。なあ、源!」
「ああ、ほんにおめえ行って見ろ。俺らこけえに待ってら」
「何《あん》だ、俺れ一人で行《え》ぐのけえ? 厭《や》んだあ、俺れそげえなこと、やんだあ、おめえ等も一緒に来よ!」
「俺等|行《え》ぎだくねえんだもん。おめえ云い出したのでねえけえ。なあ?」
「うん、そうよ」
「そうとも。おめえ云い出したんでねえけえ? 行ってこーよ!」
「おめえ行ってこ。俺等ここで、待ってんべ!」
 行って見ようかと云い出した者はすっかり困ってしまった。で、チッチノホー(じゃんけん)して負けた者が行こうと云っても、何といっても、仲間はきいてくれないので、とうとう、彼が一番先に立ってそのあとから皆が付いて行くということに定まった。
 彼の小さい心は、好奇心と恐怖で張りきり、鼓動が耳の中でしているように感じられた。逃げ出したいほど気味は悪いけれども、もうこうなったからには「弱え奴等」にアッと云わせるだけ強そうでなければならないと覚悟を定めて、彼は、肩を怒らし大股に進んで行ったのである。
 けれどもこの驚くべき勇士の決心は、赤肌をした松の幹の高い所に、二本の青い人間の足がブーラ、ブーラとしているのを見出した瞬間、何の役に立ったろう! 彼はサッと青くなって、跳び上りざま仲間へ向って、
「首縊《くびかか》りだぞッ!」
と叫ぶや否や、蹴飛ばされたように墓石の間をすり抜けて、往還の方へ逃げ去ってしまった。
 この意外な一声に、他の子供等はどのくらい仰天したことだろう!
 彼等は我を忘れて、いろいろな叫び声を上げながら、狭い小道を犇き合って、我勝ちにこの飛んでもない場所から逃げ出した。
 急に、ヒッソリ閑としてあたりには木立ばかりがざわめいて、少しばかりの「きのこ」のささった笹が、投げ捨てられたまま、揺れる二本の足の下で、風に煽られていた。
 子供等の先達で、村の男共はほとんど皆墓地に集った。多勢一塊りになり、努めて付元気を出しながら嘘であれかしと近寄って見ると、何事だろう!
 ほんとうに首縊りだ。
 顔を手拭で包みガックリとうなだれた男が一本の繩に吊る下って、壊れた人形のように他愛もなく体中でブラブラ揺れているのではないか!
 雨にぬれてピッタリと肌に貼りついた着物を透して、気味悪く固まった筋肉が明かに輪郭を見せている。
 七八本ずつ粘りついて刷毛《はけ》のようになって突立っている髪の毛の上には、落葉だの芥だのが附いている。
 彼等は今更胸を打たれた。
「一体《いってえ》誰《だん》だっぺ?」
 皆はしきりに思い出そうとしたけれども、着物の模様にも体の形にも見覚えはなかった。
 もう七年前に或る百姓女が同じ墓地内で縊死したのを見てから、トンとこんな恐ろしいことには出会わなかった農民共は、取りあえず何をどうしたら好いのか、サッパリ様子が分らなかった。
 蓑だの笠だので雨支度をした多勢は、黙り返って茫然《ぼんやり》と、どうしても玩具とほか思えないように風に弄ばれなぶられている人間の体を見ていたのである。
 赤土が雨に流されて、幾条も縞の出来た所には蹴返されて泥まびれになった木の切株と、ふやけた片方の草履がころがり、地上から三四尺隔っている死人の裾から落ちる雫で、下にはポチポチと丸い小さい穴が沢山出来ている。
「早くおろさにゃあなんねえ」
 皆は同じようにそう思いながらまた、同じように誰か云い出す者を待っていた。
 大濤のような音を立てて、風が梢から梢へと吹きめぐって来る毎に、激しく動く体の重味で、あの細い繩がプッツリ切れ、ドサッというと一緒に死骸が落ちて来でもしようものならという恐れが、皆をすっかりおびえさせていたのである。
 手柄顔をした子供達は、自分をいつも擲ったり叱ったりする「おっかねえ父親《ちゃん》」や「兄《あんに》い」が今日はまたどうしたことか、手も出さないでただ立っているだけだという不思議な様子にすっかりびっくりした。
 彼等は片隅に集って、
「ちゃんみたえな大人でもおっかねえんだなあ。――」
「ほんになあ、やっぱりおっかねえと見えら。――」
とささやきながら大人共と死人とを見くらべていた。
 男の死骸が下されたのは、それからやや暫くして村に一人の巡査と墓掘りが来てからのことであった。
 突張った体が戸板の上に置かれ、濡れて解き難くなった手拭を長いことかかってどけると、傍に立っていた一人は、思わず飛びしさって、
「新さんでねえけえ? う? 新さんでねえかよーッ!」
と、気違いのような声で叫んだ。
 急に周囲はどよめいて、沢山の頭が肩越しに一つの顔を覘き込んだ。
「や! 新さんだぞ! 新さんだぞ、こりゃあ!」
「どれ? ちょっとどいて見ね。や! ほーんによ! こりゃあ一体あーんとしたこった!」
「あげえな親孝行息子をとうとうあの鬼婆奴が、こげえな情ねえざまにしくさった! さっさとくたばれっちゃ、ごうつくばり奴!」
 皆は、単純な心で死ということを恐れているところに、あんなに人の好いおふくろ思いの新さんが、昨日まで口も利いていたのが僅かの間にもうこんな情ない様子になっているのを見ると、もうもうすっかり気落ちがしてただ無茶苦茶におふくろが憎らしい。口々に、まだ血気の新さんがどんなにおふくろに酷《いじ》められながらも親思いだったかということを賞め立てた。
「告発したら何という罪名になるでがしょうな? 殴打致死《おうだちし》でもあんめえし……」
 集った中での口利きが、得意らしく云ったけれども、まだ年若な無経験らしい巡査は、まごつきながら、かすれた声で早く家の者を呼べとせきたててばかりいて、そんなことには耳もかさない。
 一人の男は早速、大きな蓑をガサガサガサガサいわせながら耕地を越えて、水車屋の方へ馳けつけた。
 水車屋の家は、向うに小さく見えているのに、行った限《ぎ》りさっきの男はなかなか戻って来ない。皆はやはり新さんと同じような生れ付きで、人が悪く思えない性分だった親父のことなどを話しながら、折々手をかざしては、畑道を動いて来る人影に気をつけていた。
 あまりおそいので、二度目の使が立とうとしたときである。往還の向うから一人の婆が半狂乱の風をしてころがるように馳けて来た。
「やあ誰だべ? あげえにかけてるわ!」
「ほんになあ! 婆さまの癖にえれえ勢なこんだ」
 多勢の注目の中に馳け込んだのは、善馬鹿のおふくろである。
 まあ一体何というなりをしているのだろう?
 白髪が蓬々さかだって、着物の袖が片方千切れているのも知らないように、喉元でハーハー喘いでいるのだもの……。
「ま、善がおっかあでねえけえ。どうしただ。何いそげえに狼狽《あわ》ててんだ?」
「誰《だん》だえ? う? 首縊りしたなあ誰だえ?」
 婆は、真青な顔をして、皆を突きのけながら掛っていた菰《こも》をまくろうとした。
「あんすんだ。新さんよ! 水車屋の新さんが可哀《かわえ》そうにこげえなざまになっただよ!」
「気い落付けて、ゆっくら話しても分んでねえけえ」
 震えている婆を皆はなだめに掛った。
「何に? 新さん? 水車屋の新さんなんけ?」
 彼女は、がっかりしたようにためいきをついた。そしてしばらくだまっていたが、急に顔をしかめると、
「俺らげの善もな行方が知んねえ。そんに、今朝俺らに、どこの奴だか知んねえが、おめえの馬鹿が隣《となん》の村の、沼っぶちとかで妙な風してんのー見たぞと云って来たで……」
と云いながら、ポロポロ涙をこぼした。
 死ぬ筈はないから安心しろといくら慰めても、今度はきっと何か変事があったような気がしているからどうぞ死骸だけでも捜してくれと、婆は皆の前へ土下座をするようにしてたのんだ。
「あれの面倒よく見て置きでもしたら、俺ら案じねえ。けれど碌に飯も食わせねえでいただから、俺ら恐ろしい。きっと死んだら俺ら怨んべえ。どうぞ、どうぞ、こげえにねがうもん! 聞いてくんろーよ!」
 皆は、やはりこの二三日前からの天気は只事ではなかったと思った。
「一夜のうちに、二人も人間がくたばるたあ、何事だべ」
「解くに解かんねえ前世からの因縁事あ、恐ろしいもんだ」
「まったくおっかねえもんだ。が、俺《おい》らの力じゃどうにもしようがねえだ、南無阿彌陀仏……」
「せめても極楽往生させてえもんだなあ」
 集っていた者の半分は、婆を連れて、陰気にのろのろと、離れて行った。
 風が吹くたんびに、菰の端がめくれて、濡れしょぼけた着物だの、足の先だのの見える死骸の番をして、墓場の中に取り残された者共は、ほんとうに真面目な心持で、よく寺の和尚《おしょう》が話す、前世の宿縁とか、極楽とか地獄とかいうことを考えると、何でも黙って堪えていた新さんは、こうして死んで行ってから、自分の見て来たこと、されて来たことを一つ残らず、人間一人や二人はどうでも出来る者に云いつけるのじゃあるまいかと、思われて来た。
 そして、親切にした者には好い報いが来るように、ひどくした者にもそれ相当な恐ろしい報いが降って来そうだ。また新さんは降らせる力を持っているらしい。
「天道様あ罰《ばち》いお下しなさんぞ」
とよく云い云いした言葉も、思いあたる。
 皆は、こんなにも偉かった新さんに、自分達はあんまりよくつくしてやりはしなかったと思うと、堪らなくすまなく、こわくなった。
「新さん。よーく覚えててくんろよ、俺らおめえを憫然《ふびん》に思ってただが、俺ら貧乏だ、どねえにもすっこたあ出来なかっただかんな?」
 動かない菰のもり上りに向って、てんでんの心は、おそるおそるささやいたのである。

        十九

 村中は全く混乱した。
 聞くもいやらしい首縊り!
 まして、あの悪い所といったら爪の垢ほどもない新さんが、そんな情ない死にようをしようとは……。
 それにまた、善馬鹿まで死んだらしいというのだもの。
 一体どうしたということなんだろう? こうなって見ると、こないだ中の空模様は、やっぱり凶《わる》い前兆《しらせ》だったと見えるなあ……。
 皆が同じことばかりを云った。そして、思いがけないときに、思いもかけない人にとり付く死神。ときどきは自分達も狙われることがあるに違いはないおっかない死神が、今は直ぐ体の傍に近よって来ているような気がして彼等は、戸外へ出るのさえもいやがったのである。
 私は、この話を聞いたとき、どうしてもほんとにされなかった。
 私の知っている中で、今日までに死んでしまった人は指を折って数えるほどほかない。私が生れたときのことを知っている人は、今も私を赤ん坊のように思って可愛がっていてくれる。そして、丈夫で勢よく働いているじゃあないか?
 それだのに、善も新さんも、私がほんとうに知ってからまだ二月ほか経たないのにもう死んでしまった。しかもこんなに急に、こんなに気味悪く……。
 一昨日《おととい》まで私は善馬鹿が歩いているのを見ていた。
 ついこないだまでは、「お早う。今日は工合はどう?」と新さんに挨拶していたのに、その新さんはもう死んで冷たくかたくなって、直ぐ埋められてしまおうとしている。――
 私は、どんなに辛くともいやでも、死ぬなどということは思ってもみない、また思いようないこのごろの生活を考えた。
 広い世の中では一日に幾人人が死んで行くだろう? 十人死に、百人死に、千人死んでいるかもしれない。が、その中に私は生きている。しかもこうやって達者で、することも沢山あり可愛がられて生きている。
 私には総て消極的な考えが出来ない。
 私はどんなに困ったことに会っても――もちろん私の狭い天地で湧いたり消えたりすることは何でもない下らないことなのだろうけれども――どうにかやってしまう。
 死のうと思うより先ずどうして突き抜けようかと思う。そして、私は自分の頭の乾《ひ》からび鈍くなり、もうほんとうに生きている意味がなくなるまでは、どんなにしてでも生き抜こうと思って、思い定めているのである。それ故私は、昔の婦人達のようにすぐ命を捨てることは、どんなにしても出来ない。
 私の生活に意味のある間は死ねない。
 けれども私の今直ぐ傍では、こうやって二人も死んでいる。而も皆|尋常《なみ》の死にようをしたのではないじゃあないか?
 私が若し、あの夜あの林へ行きかかって新さんの死のうとするのを助けたとしたら?
 私は一生懸命に止めるだろう。体をなおしてまた働くようにと云うだろう。けれどもそれでほんとうに助けたといえるだろうか。私には、どうしても、ただあのとき、あの木の枝から新さんを離しただけのことじゃあないか。
 私は新さんの一生を守って暮すことは出来ない。年中心を励ましつづけてはいられない。そして、僅かばかり療治され、金をもらい、貧しく辛く淋しい世の中に突き出されたところで、何がうれしかろう。
「俺れは救われた。けれどもどうしようというのだ? 前よりも辛い思いをし、苦しみもがいて生かして置かれることはちっとも欲しくないのだ! お前は一人の人間を助けたということに満足して、いつまでもたのしむだろうが、俺れはいつでも、『あのとき死んだら』と悔まなくちゃあならぬ」
 私はほんとうに、若しあのとき新さんを助けたところで、一生を確かに強く、虐げられずに送らせることが出来なければ、何でもないことになってしまう。
 死のうとする者は救《たす》けるべきだという常套的な感情に支配されて、その者の一生を考えるより先に、自分の心に満足を与えるのじゃあないか?
 私はここに思い至ると、今までのすべてがグザグザに壊《くず》れてしまうように思われた。
 考えて見れば、私が今日までしていたことの大部分は人を恵むということに餓えている心を満たしていたのじゃあないか? 私は彼等に衣服をやり、金をやり、食物をやり、同情したが、それ等は、彼等の一生に対してどんな意味があるのか?
 若し私がほんとうに、大きな愛で彼等をつつみ、深い同情で引きあげようとしたのなら、新さんを死なせずに済んだろう!
 善馬鹿を酒のみにしないで済んだのだろうに。――
 けれども二人は、私がどうも出来ないうちに死んで埋められようとしている。ほんとうに、私がどうもしないうちに、なるだけのことはちゃんちゃんとなってしまったのである。
 新さんが、自分の命の尊さを知るまでに私が力づけることは思いもよらないことであった。
 私はどうしても、彼等を真に愛してはいない。また愛せない! どうしたら好いのだろう。
 私はとうとう失敗してしまったけれども、彼等に対して何かしてやらなければならないという望みばかりが、どれほど私に情ない思いをさせるだろう!
 私は、お前方の前には、罌粟粒《けしつぶ》ほどもない人間だったのだ。お前方には、気に入らないことも馬鹿馬鹿しいことも沢山したかもしれない。私は、今まで尊がられていたいわゆる慈善だとか見栄の親切だとかいうものを、お前方のためを思うばっかりで、散々に打ち壊した。追い払ってしまった。
 けれどもその代りとしてあげるものはどこにあるか?
 私の手は空っぽである。何も私は持っていない。このちいっぽけな、みっともない私は、ほんとうに途方に暮れ、まごついて、ただどうしたら好いかしらんとつぶやいているほか能がない。
 けれども、どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕える。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ。達者で働いておくれ! 私の悲しい親友よ!
 私は泣きながらでも勉強する。一生懸命に励む。そして、今死のうというときにでも好いから、ほんとうに打ちとけた、心置きない私とお前達が微笑み合うことが出来たらどんなに嬉しかろう! どんなにお天道様はおよろこびなさるか?
 私の大好きな、私を育てて下さるお天道様はどんなに、「よしよし」と云って下さるか! あの好いお天道様が。……
 善馬鹿の死骸は夜になってから見つかった。
 隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた。
 沢山の小海老《こえび》の行列が、延びた髪の毛の間を、出たり入ったりしていたという。



底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
   1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年1月1日公開
2003年6月29日修正
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