青空文庫アーカイブ

悔なき青春を
――現場録音 No. 4 No. 5 をよんで――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)(1)[#「(1)」は縦中横]
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 皆様の現場録音を拝見して、きょうの真面目な若い女性の心持に同感いたしました。いくつかの感想もあります。女子職員の声に出されていた質問とその答について順々にとりあげてゆきましょう。
 (1)[#「(1)」は縦中横] 今年度の計画という大きな質問には、どなたもできるかできないかわからない答をさけていられます。ほんとに、私たちは自分の心の中でだけ希望しているけれど、実現のたしかでもないことを他人にふいちょう[#「ふいちょう」に白丸傍点]したくない心をもっています。落付いた心はそういうものです。でも、ふいちょう[#「ふいちょう」に白丸傍点]しないにしても、あなたがた一人一人の胸のうちにはどんな計画があるでしょう。みんな、毎日を無駄にすぎるという感じなしに生きようとしていられます。悔いなく楽しく努力して、さっぱりした気持に生きようとしています。それには、やっぱり勤めている女性とすれば、自分の職場で今年はどうしたい、働く女性としてどう向上してゆくか、という問題もはっきりとりあげられると思います。若い女性という誇や希望には、はっきりと社会に働く若い女性としての力づよい裏づけがあるのですから。それでこそノラクラ令嬢の身につけていない若さの美しささえあるのですから。職場の内での今年の計画、職業上の向上のための今年の計画にふれた答は、もっともっと多くなるべきです。篠山口駅の電話掛の方が「女性としての言葉づかい」を今年の計画に入れていられたのは味わいのふかいことですし、検車区の雑務手として働いている方が、男女同等の賃金に対して女性の責任を感じ、管理部の雑務手の方が、職場内の計画として、やはり女性の働く者としての責任を感じ直そうとしていられるのは心をひきます。
 第一の答と第三の答は自然つながっています。教習所に入ろうとしている方は、女性の社会的地位の向上について考えているし、働く若い女性の誇として実力を高めたいと思う方は、自然と経済の問題も知ろうとしています。
 働く[#「働く」に白丸傍点]若い女性であるというよろこびと誇とはあなたがたの青春を一層かがやかしいものにするはずです。ただ若い娘というだけでは持てないゆたかさと実力があるはずです。結婚して、母になったとき、やはりその経験は子供にとって誇らしいものにもなるでしょう。
 (2)[#「(2)」は縦中横] ほとんどみんな読書が趣味の一つです。本がたかくて何と不便でしょう。組合の文化部に文庫がありますか? 回覧雑誌のグループをこしらえておいでですか? もしまだでしたらおつくりになることです。どんな本をおよみですか? 文芸ものが第一でしょう。けれども、みなさんが女性の幸福を求めていらっしゃるし特に(4)[#「(4)」は縦中横](5)[#「(5)」は縦中横]の問題では切実な意見をおもちですから、日本の女性が社会の間でどんな生きかたをして来たかということをもう一度考えさせるような婦人問題の本を読むことも意味があると思います。
 福鉄に働く女子職員ばかりでなく、すべての職場で、女性は、日本の男にまだつよくのこっている男尊女卑の気風に苦しんでいます。(4)[#「(4)」は縦中横]への答として、すべての若い女性は、男がもっと女性を理解してくれるようにという訴えを示しています。
 日本で、労働組合のなかにさえも、まだ昔の男女差別の習慣がのこっているのは、日本の社会全体が、ついこの間までそんなにひどい封建的なしきたりにとじこめられていたからです。それは、みなさんの御家庭の実際をみてもわかります。めいめいの家の中で、お父さん兄さんたちはなかなか力のある支配者のようです。主婦たるお母さんは決して妻としてお父さんと同等ではありません。そして若い娘は、女の子は、と言われて男の子と差別されます。教育そのものが女学校と中学校で程度がちがい、どうせ[#「どうせ」に傍点]お嫁にゆくのだからと、女の子の勉強は男の子ほど重大に考えられません。男の子はせめて中学か専門へやっても、女の子は高等までで結構とされがちです。男の子と女の子とそんな差別をつけながら、社会へ出て働くときはどうでしょう。男の社会でも官業のなかなどにはなかなか身分や上役下役のけじめがひどいものです。若いものより古手の人に権力があって、若いものがいい意見をもっていても、それはすらりと通らない場合も少くありません。組合の活動そのものを、腹の中で生意気と思う人もいるでしょう。まるで、いたち[#「いたち」に白丸傍点]ごっこです。男は女を目下に見る。女を目下に見る男は上役や父兄や親類から目下に扱われる。同時に姑と嫁、嫂と義妹などの関係では女も同じ封建的な重苦しさを女の間にもっています。
 もう今日では、男女の間の古い差別は、男対女の問題ではなくなっています。日本の社会全体が、男と女、男同士、女同士苦しめあって互に抑えつけあっている封建的な感情から抜け出さなければならない時代です。社会の進歩ということは、ただ憲法がかわったり、民法がかわったりするだけでは実現しません。私たち働く男女が、自分たちの生涯について真面目に考え、選挙についても組合についても、一人ずつ責任をもって、進歩の方へ、民主的な方へと押しすすめるように生活を導いてゆかなければだめです。
 そう考えると、第一の問に、やっぱり重大な意味のひそめられていたことがわかります。私たちが幸福になるということ、婦人の地位が向上するということは、どれも具体的な問題です。職場の女性に設備のわるい職場は現実に幸福でないし、女なんか! という気分の職場が、婦人の社会的価値を認めていず、そこで働く若い女性が幸福でないのは自然です。
 (4)[#「(4)」は縦中横]の答で、現在の男性に女性の価値を理解してほしいと願う声は、そのままそっくり、働くものとして生きることでは男も女も同じ立場なのだからと発展させられるべきです。男が女に対し高びしゃな態度をとっている社会では、その男も、自分を上から高びしゃにやっつける者をもっている社会なのです。若い女も男も、お互のその心持で団結して、明るい職場、明るい社会を作ってゆかなければ、あんまりつまらないと思います。
 (5)[#「(5)」は縦中横]の男女交際ということも、男と女とが、ほんとうにそういう人間らしい心にたってつき合ってゆけば、皆さんが声を揃えて批判しておられるようなじだらく[#「じだらく」に白丸傍点]で範囲をこしたつき合いは生れなくなるでしょう。若さという魔法つかいは、どんな真面目な話題も、簡素なたのしみもそこに青春の男女があれば、魅力的なものにします。下らないエロ雑誌に刺戟されて、働く若い人たちが人間としてならずもの[#「ならずもの」に白丸傍点]のような無責任な男女関係に入ることはあんまり青春の価値を知らなすぎます。いまのデカダンスな空気は若い人の一部に、けじめのない男女関係があたりまえという気分をつくり出しています。けれども私たちは人間の男と女であって、他のけだもの[#「けだもの」に白丸傍点]ではありません。性的にだけ生きているのではなく、性をもつ人間として生きているのです。だから、人間同士の性的な魅力というものは、直接な性の表現ばかりにあるのではありません。どんな真面目な話をしても女は女の声でしか話しません。男女の調和は自然であるだけに、あせってそのたのしさを誇張したら恋愛にも友情にも、真実はうすれます。男と女とは遊ぶだけの仲間ではなく、ともに生きてゆく一生の仲間であり、しっかりと生きてゆく男女の人間としての生活の上に、よろこびも、耐えてゆくべき苦しさや悲しさもあるわけです。そして、愛するということは、一緒にうれしがるばかりではなく、一緒に悲しむことのできる心であり一緒にその悲しさからぬけ出す努力のできる心をいうのだと思います。
 男が女性をリードするばかりでなく、女性も男性を導きます。たよりになるのはお互です。お互にたよりになれる人間の仲間としての男女働くものの誇を心にしっかりともって、社会の進歩を導くものとしての自覚をもって生きてこそ、青春に悔いのない日々が迎えられると思います。
 組合の機関紙で、こんな人間らしい話もできるのだから、何といっても組合は働くもののとりで[#「とりで」に白丸傍点]です。御用組合にしてはたまりません。組合のつよくなることは特に婦人にとって幸福なのですから。
[#地付き]〔一九四八年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「福鉄労報」第41号、国労福知山地方本部
   1948(昭和23)年4月1日発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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