青空文庫アーカイブ

刻々
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)彼方此方《あっちこっち》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)半面|攣《つ》れたような

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)鉄格子のこま[#「こま」に傍点]一つ一つを
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        一

 朝飯がすんで、雑役が監房の前を雑巾がけしている。駒込署は古い建物で木造なのである。手拭を引さいた細紐を帯がわりにして、縞の着物を尻はし折りにした与太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆっくり鉄格子のこま[#「こま」に傍点]一つ一つを拭いたりして動いている。
 夜前、神明町辺の博士の家とかに強盗が入ったのがつかまった。看守と雑役とが途切れ、途切れそのことについて話すのを、留置場じゅうが聞いている。二つの監房に二十何人かの男が詰っているがそれらはスリ、かっぱらい、無銭飲食、詐欺、ゆすりなどが主なのだ。
 看守は、雑役の働く手先につれて彼方此方《あっちこっち》しながら、
「この一二年、めっきり留置場の客種も下ったなア」
と、感慨ありげに云った。
「もとは、滅多に留置場へなんか入って来る者もなかったが、その代り入って来る位の奴は、どいつも娑婆じゃ相当なことをやって来たもんだ。それがこの頃じゃどうだ! ラジオ(無銭飲食)だ、ナマコ一枚だ、で留置場は満員だものなア。きんたま[#「きんたま」に傍点]のあるような奴が一人でもいるかね※[#疑問符感嘆符、1-8-77]」
 保護室でぶつくさ、暗く、反抗的に声がした。
「ひっぱりようがこの頃と来ちゃア無茶だもん。うかうか往来も歩けやしねえや」
 満州で侵略戦争を開始し、戦争熱をラジオや芝居で煽るようになってから、皮肉なことにカーキ色の癈兵の装《なり》で国家のためと女ばかりの家を脅かす新手の押売りが流行《はや》り、現に保護室にそんなのが四五人引っぱられて来ているのであった。
 そんな話を聞いていると、私は左翼の者を引っぱるために、警察が飲食店の女中たちを一人つかまえさせればいくらときめて買収しているということを思い出した。交番の巡査が、何でも引っぱって来て一晩留置場へぶちこみさえすれば五十銭。共産党関係だったら五円。所謂「大物」だとそれ以上――蔵原惟人でいくらになった? そう思うと、体が熱くなるのであった。
 暫くして、私は金網越しに云った。
「――だけれども結局、いくら引っぱって見たところではじまらないわけですね。世の中の土台がこのまんまじゃ。二十九日が来た。ソラ出ろ。……やっぱり食う道はありゃしない」
「ふむ……」
 監房の前の廊下はまだ濡雑巾のあとが春寒く光り、朝で、気がだるんでいないので留置場じゅう森と、私の低いがはっきりした言葉を聞いている。

 ガラガラと戸をあけて金モールをつけた背の高い司法主任が入って来た。片手でテーブルの上に出してある巡邏表《じゅんらひょう》のケイ紙に印を押しながら、看守に小声で何か云っている。顔の寸法も靴の寸法も長い看守は首を下げたまま、それに答えている。
「ハ。一名です。……承知しました。ハ」
 金モールが出て行くと、看守は物懶《ものう》そうな物ごしで、テーブルの裏の方へ手を突込み鍵束をとり出した。そして、私のいる第一房の鉄扉をあけ、
「さア、出た」
 鍵の先で招き出すような風にした。私が立ち上ってそのままあっち向きにぬいであるアンペラ草履をはこうとしたら、
「その紙なんかも持って……引越しだ」
と云った。
「引越し? どこへ?」
 よそへ廻されるのか。瞬間そう思った。が、看守はそれに答えず、
「あっちにゴザのあるのを持って来て」
と命令した。便所へ曲ったところに二枚ゴザが巻いて立てかけてある。その一枚を持って来ると、そこへ敷いた、と廊下の隅、三尺の小窓の下を顎で示した。
「さア、そこへ坐るんだ」
 何でも夜前つかまった強盗を入れるために、一房をあけたらしい。
 自分が廊下を行き来するのを、ほかに見るもののない監房の男たちがじっと眺めているのだが、岨《そわ》が大きな声で、
「えらいところへ出ましたね、寒いゾ」
と、坐ったまま首だけのばして云った。保護室を通りすがったら、
「馬鹿にしてるね!」
 今野が立膝をしたなり腹立たしげに、白眼をはっきりさせて云った。
「ふむ!」
 成程、こういう風な人の動かしかたを、万事につけてやるものであるか。自分は強くそう思った。何も説明せず、先はどうなるのか見当がつかないように小切って命令し、行動の自主性を失わせる。弱い心を卑屈にするにはもって来いのやりかたである。
 強盗が、カラーをとったワイシャツの上に縞背広の上衣だけきて入れられて来たが、留置場は冷淡な空気であった。何もとらずにつかまった。それが強盗としてのその男に対する与太者たちの評価に影響しているのであった。看守だけが、
「――つまらんことをやったもんだな。顔を知られてるにはきまってるでねか。今度やるなら、もっとうまいとこやるんだ! う?」
 監房の金網に顔をさしよせて内を覗きながら云っている。その二十三四の八百屋だという男は、ガンコに頭をたれたきり腕組みをして身動きもしない。
 廊下の羽目からは鋭い隙間風が頸のうしろにあたって、背中がゾーゾーする。自分は羽織の衿を外套の襟のように立てて坐っている。昼になると、小使いがゴザの外のじかにペタリと廊下へ弁当を置き、白湯の椀を置いた。弁当から二尺と隔らないところに看守の泥靴がある。

 保護室があいた。見ると、今野大力が洋服のまま、体を左右にふるような歩きつきで出て来、こっちへ向って色の悪い顔で頬笑み、それから流しの前へ股をひらいて立って、ウガイを始めた。風邪で喉が腫《は》れ、熱が高いのである。
 頃合いを見て自分はゴザから立ち上った。そして彼の横をゆっくり通りすがって便所へ曲りしな小声で訊いた。
「ニュースない?」
「蔵原、やっぱりひとりらしい」
「…………」
 留置場の便所には戸がない。流しから曲ったところが三尺に一間のコンクリで、突当りに曇った四角い鏡が吊ってある。看守が用便中のものを監視する為の仕かけである。窓のない暗い便所にかがんでいる間、自分の頭は細かくいろいろな方面に働いた。そして、聞いたばかりの短い言葉から推察されるあらゆる外の情勢を理解しようとして貪慾《どんよく》になった。出て来て手を洗いながら又訊いた。
「拘留ついた?」
「中川の奴、二十日だって。……ブル新、盛に『コップ』をデマっているらしいよ」
「ほか、無事かしら」
「わかんない。……でも」
 一寸言葉を区切り、やや早口で、
「――無事らしいね」
 彼が誰のことを云っているか分って、私は口に云えぬ感じに捕えられ、黙って大きく深く合点をした。

 特高が留置場へ来た。
 自分を出させ、紺木綿の風呂敷でしばった空弁当がつんであるごたごたした臭い廊下へ出るといきなり、
「女中さんが暇を貰いたいらしい様子ですよ」
と云った。いかにも気を引いて見ようとする抑揚だ。自分はむっつりして黙って歩いた。
 二階の塵っぽい室へ入ると。
「じゃ、一寸これに返事を書いてやって下さい」
と、半紙に書いたヤスの手紙を見せた。面会させてくれと来たが、会わされないから返事だけ書けというのだ。警察備品らしい筆で、
[#ここから1字下げ]
「国の父から電報が参りまして、すぐかえれ、帰らなければこれきり家へ入れないといってまいりました。まことにすみませんがかえらしていただきます。[#地より4字上げ]ヤス
  中條様」
[#ここで字下げ終わり]
 紡績絣に赤い帯をしめた小娘のヤスの姿と、俄にガランとした家と、そこに絡《から》んでいるスパイの気配とをまざまざ実感させる文章であった。仰々しい見出しで、恐らくは写真までをのせて書き立てた新聞記事によって動乱したらしい外の様子も手にとるように察しられる。
 ヤスの生家は×県の富農で、本気なところのある娘だがこういう場合になると、何と云っても真のがんばりはきかない。階級性というものはこういう時こういう具体的な形で現れて来る。ヤスについて自分は兼々そう思っていたことだし、同時に、僅か二ヵ月暮したばかりの動坂の家が空になってもかまわないと思った。特高は自分の横顔をしきりに注視しているが、自分は今度のことを機会に自分達の全生活が全くこれまでと違う基調の上に立てられるようになるものだということは知っているのだ。
 自分は、立ったままテーブルの上にあった硯箱《すずりばこ》を引きよせ、墨をすりおろして筆先をほごしながら、
「御覧なさい、あなたがたのデマの効果がもうあらわれた」
と云い、短く返事を書いた。それを読みかえしていると、後から一人の男がスとよって来るなり、私の手からその半紙をひったくり、黒いむずかしい顔でそれを読み下した。
 グッと腕をのばして、私にはかえさずじかに特高に渡す。特高はいやにお辞儀をしてガラス戸をしめて出て行く。――
 私は、謂わばそのときになって初めてその男とその室の様子とに注意を向けたのであった。
 髪をこってりと櫛目だてて分け、安物だがズボンの折目はきっちり立った荒い縞背広を着たその男は、黒い四角い顔で私を睨《にら》み、
「そこへかけて」
 顎で椅子をしゃくった。自分は腰をおろした。縞背広は向い合う場所にかけ、
「警視庁から来た者だ、君を調べる!」
「――そうですか」
 それきり何も云わず、ポケットから巻煙草を出して唇の先へ銜《くわ》え、マッチをすり、火をつけると、一吹きフーと長く煙をはいた。その手がひどく震えて居る。煙草の灰がたまりもしないのに三白眼でこっちを睨みつめながら指先をパタパタやって灰をおとす。その手も震えている。
 目をうつすと、テーブルの脚のところに何本もしごいた拷問用の手拭がくくりつけてある。――いきなり、その一寸した隙に飛びかかるような勢で、
「何だ! その椅子のかけようは!」
と呶鳴《どな》った。自分は、普通人間が椅子にかけるようにゆったり深く椅子の背にもたれてかけていたばかりだ。
「ここをどこだと思ってる! 生意気な! 警察へ来たら警察へ来たらしくするんだ!」
 吸いかけた煙草を床の上へすて、靴の先で揉み消し、縦に割れた一尺指しをテーブルの上からとり、それで机にかけていた私の肱を小突いた。
「大体貴様は生意気だ。こっちが紳士的に調べてやっても一向云わんそうだから、今日は一つ腕にかけて云わしてやる! 君達ァ白テロ白テロってデマるから、一つその白テロをくわしてやるんだ」
 ドズンと、竹刀《しない》で床を突いた。長い竹刀はちゃんとさっきからその男の横の羽目に立てかけてある。
「共産党との関係を云えッ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「――そういきなり呶鳴ったって、何が何だか分りゃしない」
 そう自分は云った。
「それはどういうことなんです」
「フム。……じゃ一つ一つ行こう」
 特徴的に狭い額に、深い横皺のある賤しい顔つきをした男は警視庁と印刷のしてあるケイ紙を出し、そこへ、
  赤旗
  共青
  資金関係
 そんな風な項目を書き並べた。
「サア、いつから赤旗を読んでる!」
 自分はそういうものは知らない。そう答えるや、
「嘘ォつけェ!」
 狭い室でうしろの窓硝子がビリビリするような大声だ。呶鳴りながら、野蛮な顔の相好を二目と見られぬ有様に引歪め、
「貴様、宮本からもらって読んでるじゃないかッ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
 ドズン!
 何というこれは愚かな嘘であろう。
「知らない、そんなもの」
「知らないィ?」
「知らない」
「人をォ……どこまで馬鹿にするつもりだ」
「知らないんだから仕様がない」
「云わんか」
「…………」
「畜生! いい気になりゃがってェ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
 竹刀が頭へ横なぐりに来た。
「どうだ! 云え※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「…………」
「強情つっぱったって分ってるんだ」
 そして、嬲《なぶ》るように脛を竹刀で、あっち側こっち側と、間をおいてぶった。
「宮本がもうすっかり自白しているんだ。自分が読ましていたことさえ承認したら女のことでもあるし、早く帰してやって貰いたいと云っているんだ」
 侮蔑と憤りとで自分は唇が白くなるようであった。刺すように語気が迸《ほとばし》った。
「――宮本が、どこにつかまっているんです!」
 さすがにためらった。口のうちで、
「いつまでも勝手な真似はさせて置かないんだ」
 ガラス窓からは晴れた四月の空と横丁の長屋の物干とが見える。腰巻、赤い子供の着るもの。春らしい日光を照りかえしながらそんなものが高くほさっている。
 竹刀で床を突いては、テラテラ髪を分けた下の顔をつくって呶鳴る縞背広の存在とガラス一重外のそのようなあたり前の風景の対照はちぐはぐで自分の心に深く刻みつけられるのであった。
 ケイ紙に書きつけた一項一項について、嘘を云っては、
「云わないつもりかァッ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
と竹刀を鳴らし、又、さけた一尺指しで顔を打とうとする。
 三時間ばかりしてケイ紙は白いまんま、自分は留置場へ追い下ろされた。

 その日の夕暮、今野が片手で痛む左の耳を押えたなり蒼い顔をして高等室から監房へかえって来た。
「何ちった?」
 そう云って訊く看守におこった声で今野は、
「あんな医者になんが分るもんか。道具ももって来やしない。ひやしていろと云ったヨ」
と、足をひきずるようにして保護室に入った。風邪で熱が出て扁桃腺が膨《は》れていたところをビンタをくったので耳へ来て、二日ばかりひどく苦痛を訴えた。濡れ手拭がすぐあつくなる位熱があって、もう何日か飯がとおらないのであった。保護室には看護卒をしたというかっ払いが二人いて看守に、
「こりゃきっと中耳炎だね、あぶないですよ旦那放っといちゃ」
などと云い、今野自身も医者に見せろと要求した。
「貴様らァわるいこったら何でも知っていようが、医者のことまじゃ知るまい。余計なこと云うな」
 だが、今日は呻《うな》るように痛いので自分まで要求してやっと医者を呼ばせたのであった。その医者が、ひやしていろ、と、つまり診ても診ないでも大して変りのないことを云ったのだ。
 夜中に酔っぱらいが引っぱって来られ、廊下の隅に眠っていた自分は鼻の穴がムズムズするような埃りをかぶって目を醒した。
 酔っぱらいは保護室へぶちこまれてからも、
「僕ァ……ずつ[#「ずつ」に傍点]に、ずつ[#「ずつ」に傍点]に口惜しいです。僕ァこんなところで……僕ァダダ大学生です!」
 声を出して咽《むせ》び泣いている。
「五月蠅《うるせ》え野郎だナ。寝ねえか!」
 眼の大きい与太者がドス声でどやしつけている。
「ねます! ねますッ。僕ァ……口惜しいです。僕ァ……ウ、ウ、ウ……」
 第二房でも眼をさまし、鈍い光に照らされ半裸体の男でつまっている狭い檻の内部がざわつき出した。
「何だ、メソメソしてやがって! のしちゃえ、のしちゃエ!」
 看守は騒ぎをよそに黒い外套を頭からすっぽり引きかぶって、テーブルの上に突っぷしている。
 物も云わず拳固で殴りつける音が続けざまにした。暫くしずまったと思うと、
「アッ! いけねえ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
 とび上るような声が保護室で起った。
「仕様がねじゃねえか。オイ、オイ、そっち向いた、そっち向いた」
「旦那! 旦那! あけてやって下さい!」
「旦那すんませんがあけて下さい。此奴《こいつ》、柄にもなく泡盛なんか喰《くら》いやがって……」
「フッ! 臭せェ!」
 誰かの上に吐いたのだ。

 自分は今野の体が心配で半分そっちへ注意を引かれた心持で朝十分間体操をやる。病気になってはならない。益々そう思うようになった。
 十時頃、冷えのしみとおったうすら寒さと眠たさとでぼっとしているところへ、紺服の陽にやけた労働係が一人の色の白い丸ぽちゃな娘をつれて来た。
「しばらくここにいな」
「房外かね」
「そうだ」
「さ、ねえちゃん、そこへ坐ってくれ。仲間があって淋しくなくていいだろう」
 娘は、派手な銘仙の両袖をかき合わせるようにして立っていたが、廊下のゴザの上へ自分と並んで坐り、小さい袋を横においた。むっちりしたきれいな手を膝の上においてうな垂れている。中指に赤い玉の指環がささっている。メリンスの長襦袢の袖口には白と赤とのレースがさっぱりとつけてある。――
 程たってから自分は低い声でその娘に聞いた。
「つとめですか?」
「ええ」
「会社?」
「地下鉄なんです」
「……ストアですか?」
「いいえ。――出札」
「…………」
 自分は異常な注意をよびおこされてそれきり暫く黙っていた。地下鉄ではついこの三月二十日から三日間従業員約百名内出札の婦人四〇名が参加して地下の引込線を利用して車輌四台を占領し、全国的注意を喚起したストライキをやった。原因は出征従業員を会社側で欠勤扱いにしたことであった。「触ルト死ぬゾ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と大書した紙をぶら下げた鉄条網に二百ボルトの電流を通じて警官の侵入を防いでいる写真が新聞に出たりした。闘争基金千円を募集し食糧を一ヵ月分車輌の中に運び込んでいること。婦人従業員をふくめた自衛団が組織され、全員十六歳から二十五歳という青年だがその統制が整然としていること。職場の特殊性をすべて争議団側に有利なように科学的に利用している点とともに、革命的指導による極めて新しいストライキの型を示すものであった。交通産業上に歴史的なばかりでなく、これまで日本にあったストライキから見ても、溌溂とした闘争力、計画性、科学的なやりかたで、広い影響を与えた。
 信州でも、地下鉄のストライキとその婦人も勇敢に闘ったやりかたについては話に花が咲いたのであった。
 ストライキは会社と警察を手古摺らせたが強制調停で終った。出征兵士は欠勤とし軍隊の日給をさし引いた賃銀を支給すること、各駅にオゾン発生器をおくこと、宿直手当、便所設置その他を獲得し、婦人従業員の有給生理休暇要求は拒絶されて女子の賜暇を男子と同じによこせ、事務服の夏二枚冬一枚の支給、その他を貫徹した。白鉢巻姿の、決意に燃える婦人争議員の写真が目にのこっている。
 このストライキが起る前、地下鉄の従業員達は出征する従業員を品川駅へ見送りにやらされた。が、その連中は会社側が渡した日の丸の旗を振ることを大衆的に拒絶し、プラットフォームで戦争反対の演説をやって、メーデー歌を合唱したという話がある。又、ストライキに入った第一日に従業員出身の現役兵が籠城中の争議団員のところへやって来て、一緒に「資本家と闘いたい」と申し出た。ストライキ委員会は、それだけの熱意で兵営内闘争をやってくれと云い、兵士と従業員は革命的挨拶を交して別れたということも聞いた。
 地下鉄、出札と聞いた瞬間、自分は一種の重圧をもって稲妻のようにそれらの闘争を思い起した。あのような顕著なストライキ後、敵は何かの形で、経営内を荒すであろう。この内気そうなぽっちゃりした娘さんと敵の襲撃とはどのような関係にあるのだろう。……
 黙っていろいろ考えていると、今度は娘さんの方から口を利いた。
「……警視庁からはいつも何時頃来ますの?」
 自分は、それは全然むこうの風次第だと答えた。現に自分などは一ヵ月近く留置場にぶち込まれているが、警視庁からはその間三四度来たか来ないかだ。娘さんは、うけ口の顎を掬うように柱時計を見上げ、
「ひどいわ」
と云った。
「八時頃来るから、そうしたらすぐ帰してやるって云った癖して!」
 朝の六時頃、いつものとおりに弁当をつめて何の気もなくいざ会社へ出かけようとしているところへ、駒込署だとやって来てそのままひっぱって来てしまったのだそうだ。父親が、偽者かもしれないと心配して警察まで送って来たのだそうだ。
「なんて人馬鹿にしてるんでしょ」
 怒って云って、又袂をかき合わせ下を向いた。
 昼になっても警視庁などからは来ない。小使いが、ヒジキの入った箱弁当を娘さんの分も床《ゆか》へ置いてゆくと、それを見て急に泣き出した。
 自分は、
「泣くのやめなさいよ、ね。あなたの持ってるお弁当を食べたらいいのよ」
 娘さんは、やっと蓮根の煮つけが赤漬ショウガとつけ合わせてあるアルミの弁当をひらいたが、ところどころ突ついたきり、湯ものまぬ。

 午後第一房の強盗が保護室へうつされ、数日ぶりで自分たちは監房へ入れられた。
 娘さんは、帯もしめたままなので段々気がおちつき、
「警察なんて人ばっかり騙《だま》してる!」
 そして、ひそめた声に力を入れ、
「ね、一寸! どうしましょう、憎らしいわね。今朝みんな家でやられたのよ。さっき電話で、二十何人とか云ってたわ……皆をやったんだワ。会社じゃストライキのとき犠牲者は出さないって要求を入れときながら、この間っからドンドン新しい人を入れてたんですもの。ぐるなのね。これでクビにするなんて、卑怯だわ!」
 会社は、ストライキをやった従業員を職場からだと目だつし、それをきっかけに又他の従業員が結束するとこわいので、各住居地の所轄署を動員して今朝一斉に切りはなして引っぱらせたというのが実際の情勢らしかった。
 留置場の弁当では泣き出しながらも会社のやり口は見とおし、
「――一ヵ月ぐらいたってみんなの気がゆるんだ時があぶないって、そ云っていたけれど……全くだわね」
とつくづく考える風であった。やがて坐りなおすように銘仙の膝を動かして娘さんは呟いた。
「でも、私何ていわれたってかまやしない。本当に何も知らないんだから……」
 そして私に向い念を押すようにきいた。
「――組合に入ってなければ大丈夫なんでしょ?」
「組合に入ってたって悪かないじゃないの」
 しかし、自分は娘さんの調子が心もとなくなって云った。
「……組合に入っていないにしろ、ストライキのときはあなたの要求だってみんなと同じだったからこそ闘ったんだから、今更誰が組合に入ってたなんて余計なことは云いっこなしだわね。いい?」
「そうね」
 合点をした。娘さんは××高等女学校出身で、ストライキのときは大衆選挙で交渉委員の一人であったのだそうだ。
 今日は駄目だろうと思っていると四時頃やっと労働係が来て娘さんを出した。暫くして今度は自分が高等によび出され、正面に黒板のある警官教室みたいなところを通りがかると、沢山並んでいる床几の一つに娘さんがうなだれて浅く腰かけ、わきに大島の折目だった着物を着た小商人風の父親が落着かなげにそっぽを向きながらよそ行きらしく敷島をふかしている。
 父と娘とがそれぞれ別の思いにふけっていた様子が留置場へ戻ってからもありありと見え、自分は警察と家族制度というものに就て深く憎悪をもって感じた。
 留置場ではそろそろ寝仕度にかかろうという時刻、特高が呼出したと思ったら、中川が来ている。当直だけのこっているガランとした高等係室の奥の入口のところに膝を組んでかけ、煙草をふかしていたが、自分が緒のゆるいアンペラ草履をはいて入って行くなり、
「――どウしたね」
 尖った鬼歯を現してにやにやしながら顔を見た。つづけて、
「いよいよ二三年だよ」
 自分はまだ椅子にもかけていない。メリンスの小布団のついた椅子にかけながら、(主任の椅子の小布団は羽織裏の羽二重だが、他の連中の小布団は一様にメリンスなのだ)
「何なんです?」
と云った。
「書いてるじゃないか」
「何を?」
「――非合法出版物へ書いてるじゃないか」
「知らない」
「だァって」
 中川はさも確信ありげに顎でしゃくうように笑って、
「現に君から原稿を貰った人間があるんだから仕様がないじゃないか」
「……そりゃ今の世の中には、いろんな種類の月給を貰っている奴があるんだから、そんなことを云う人間があるかもしれない」
 蒼い中川の顔が変った。
「そりゃどういう意味だ」
「…………」
「とにかく、君達の同志はどんな場合にでも決して関係のない人間の名を出すことはしないもんだ。――同志だぜ[#「同志だぜ」に傍点]、それを云っているのは……」
「……知らないものは知らないというしかないじゃありませんか」
 監房に帰って、誰でもそうであろうが、自分は対手の云った言葉、目つき等を細かく思いかえし、敵の陣形を観察し、自身を堅める。

 今野の容態は益々わるい。中耳炎ときまった。自分は、永久に日光が射し込まない奥のゴザ一枚はいつもジットリ穢れでしめっぽい監房の中を歩きながら指を折って日を数えた。こんな状態で二十七日までもつであろうか?
 夜になると保護室の格子の前に水を張った洗面器が置かれた。夜なか誰かがそれで病人の濡手拭をしぼり直してやる。――
 四月二十四日の日暮れがた、高等へ出された時、自分は岩手訛の主任にしつこく今野を出して手当をさせろと云った。
「あなたがたは、いつも家庭の平和とか親子の情とかやかましく云っているのだから、見す見す中耳炎と分っているのに放っといて、一家の主人を留置場で殺すことも出来ないでしょう」
「ふむ」
 いがぐり頭を片手で後から撫であげ、唇をかむようにし、
「――大分苦しいらしいね」
「脳膜炎を起しかけてると思う……調べることなんか無いんだもの、ああやって置くのは実際ひどい」
「いや、医者がもうじき来ます、さっき電話をかけたから」
 暫くして、
「もう来ているかしらんて」
と独言のように云い、スリッパのうしろを鳴らしながら室を出て行った。高等主任だけが机の下にスリッパをおいていて、室にいるときはそれと穿きかえるのである。
 留置場へ戻され、扉があいたと同時に第一房の前の人だかりが目に映り、自分は、もう駄目か! と思わず手を握りつめた。第一房の鉄扉があけ放され、その外では主任、特高、部長、看守が首をのばして内をのぞいているところへ、入るべき場所でないところへ入ったと云う風な表情と恰好をして中年の町医者が及び腰で出て来るところである。うしろの方に佇んでいる自分に看守が、
「大分様子がわるいので……移した」
と囁いた。自分はうなずき、出て来た医者を、
「一寸!」
と呼びとめた。
「脳膜炎の徴候があるんじゃないでしょうか」
「さア」
 留置場じゅうの注目の前に止められて、照れくさそうにしかも狡《ずる》く、言葉をにごした。
「頸のうしろを痛がるのはそうでしょう?」
「……どっち道手術しなけりゃなりませんな」
 明らかに責任回避の態度を示す医者をとりかこんで皆がドヤドヤ出て行った。今晩が関所である。誰しもそれを感じた。監房の真中に布団を敷き、どうやら、思いきり脚をのばして独り今野が寝かされている。こんな扱いを留置場でされることは、もう最期に近いと云うことの証拠ではないか。枕元に、脱脂綿でこしらえた膿《うみ》とりの棒が散乱し、元看護卒だった若者が二人、改った顔つきで坐っている。
 今野は唸っている。唸りながら時々充血して痛そうな眼玉をドロリと動かしては、上眼をつかい、何かさがすようにしている。自分は、廊下の外から枕元の金網に鼻をおしつけるようにして見守った。間もなく、今野は唸るのをやめ、力いっぱい血走った眼で上眼をつかいハッ、ハッと息を切りながら、
「中條さん……切ないよゥ」
 自分はたまらなくなった。錠をはずしてある鉄扉を押しあけ、房の内に入った。高熱で留置場の穢れた布団が何とも云えぬ臭気を放っている。自分は、垢と病気で蒼黒く焼けるような今野の手を確り握り、やつれ果てた頬を撫でた。
「何だか……ボーとなって来たよ」
「頭、ひどく痛い?」
「頸の……ここが(手をそろりと後へやって)痛い……体じゅう何だか……」
 自分は、全く畜生※[#感嘆符二つ、1-8-75] と思い自分の体までむしられる思いがした。
「――今野!」
 夢中になりそうになる、忠実で、強固で、謙遜な同志の膏《あぶら》のにじみ出た顔へぴったり自分の顔をさしよせ、私は全身の力をこめて低く呼んだ。
「今野」
 その声で薄すり目をあけ、こっちを見た。
「まだ死んじゃいけないよ。いいか? 口惜しいからね、死んじゃいけない! いいか?」
「ああ」
「しっかりして……」
「あァ……」かわいた唇をなめて微かに「わかってるヨ」
 二人の若者は、きっちり坐っている膝頭に両手を突っぱり、
「俺たちのような、ヤクザとは違うんだから全く気の毒です」
と云った。自分は一寸でも脳の刺戟を少くするため、額をひやしている手拭を両目の上まできっと下げて置くように頼んだ。
 いつもならとうに鼾《いびき》がきこえている時刻なのだが今夜はどの監房も目をさましている。それでいて別に話し声もしない。自分は廊下に、窓の方を頭にして横になった。

 翌朝、平常どおり八時に出勤して来て凡そ十時頃から、やっと今野を病院へ入れる評定にとりかかった。主任が両手をポケットに入れてやって来て、
「どんな工合かね」
というから、自分は待ちかねていたと云い、若し病院が面倒なら、斯う斯ういう病院へ紹介していいからと、せき立てた。
「ふむ」
 未練そうにもう一度病人を見下し、出てゆく。次に部長が来て、同じことを繰返す。係りの特高が来る。困ったねエと金歯を出していう。そして、その辺を歩いて、出て行く。丁度、じりじりと悪くなるのを番していて、とことん[#「とことん」に傍点]になるのを待っていると云うようである。
 午後一時頃やっと決心したらしく主任が来た。
「じゃもうすぐ入院するようにしるから」
 済生会病院へ行くことになった。特高が、フラフラの目を瞑《つぶ》っている今野を小脇に引っかたげて留置場から出て行った。
(附記。後で分ったことであるがそこの済生会病院では軍医の玉子が治療をした。そんな命がけの手術をするのに、そこを切れ、あすこを切れと、指図されるような不熟練者が執刀した。手術後、ガーゼのつめかえの方法をいい加減にしたので、膿汁が切開したところから出きらず、内部へ内部へと病毒が侵入して、病勢は退院後悪化した。同志今野が、どうも頭は痛くなって来たし変だと思い、苦痛を訴えたら、済生会の軍医は、却ってこれまで一日おきに通っていたのに、もう大分いいから四五日おきに来いと云った。どういうことかと思っているとそれから三日目に極めて悪性の乳嘴《にゅうし》突起炎を起し、脳膜炎を併発し、今度は慶応病院に入院、大手術をした。危篤状態で一ヵ月経ち、命だけをやっととりとめた。)

        二

「――ソラ見えるだろうが」
「見えやしませんよ」
 桜のことを云っているのである。警察署の裏、北向きの留置場では花時でも薄暗く、演武場の竹刀の音、すぐ横の石炭置場の奥にある犬小舎でキャン、キャンけたたましく啼き立てる野犬の声などがする。
 南京虫が出て、おちおち眠られない。
「夏になったらそれこそえらいもんだ。去年ここのところへ」
と、腐れ布団の入っている戸棚わきの柱のわれ目を叩きながら看守が云った。
「イマズをまいたら一どきに八十匹ばし出た」
 花曇りの期節が終ると、いつとなし日光の強さがちがって来て、日がのびた。第一房の金網ばりの高窓からチョッピリ三角形に見える青空と、どこかの家の黄色っぽいペンキを塗ったトタンの羽目が落付かない光で反射するようになった。非人間的な無為と不潔さでしずまりかえっている留置場の永い午後、表通りの電車のベルの音がひろく乾いて近づくにつれ波のように通りぬける。
 看守は多く居睡りをした。監房の中では男たちがシャツや襦袢を胡坐《あぐら》の上にひろげて、時々脇腹などを掻きながら虱をとっている。
 目立って自分の皮膚もきたなくなった。艶《つや》がぬけ、腕などこするとポロポロ白いものがおちる。虱がわき出した。虱の独特なむずつき工合がわかるようになった。おや、と思って襦袢を見ると、小さい小さい紅蜘蛛《べにぐも》みたいな子虱までを入れると十五匹つかまえる。そういう有様である。
 或る日の午後二時ごろ。――一台の飛行機がやって来た。低空飛行をやっていると見えて、プロペラの轟音は焙りつけるように強く空気を顫わし、いかにも悠々その辺を旋回している気勢《けはい》だ。
 私は我知らず頭をあげ、文明の徴証である飛行機の爆音に耳を傾けた。快晴の天気を語るように、留置場入口のガラス戸にペンキ屋の看板の一部がクッキリ映り、相川と大きな左文字が読めている。姿は見えず、飛行機の音だけを聞くのは特別な感じであった。しかも留置場内は、いつもどおり薄らさむくしーんとしている。鉄格子の中の板の間では半裸で、垢まびれの皮膚に拷問の傷をもって、飛行機の爆音の下で虱狩りをしている。――
 帝国主義文明というものの野蛮さ、偽瞞、抑圧がかくもまざまざとした絵で自分を打ったことはない。自分は覚えず心にインド! 印度だ、と叫んだ。インドでも、裸で裸足の人民の上に、やはり飛行機がとんでいる。人民の無権利の上に、こうやって飛行機だけはとんでいるのだ。革命的な労働者、農民、朝鮮、台湾人にとって、飛行機は何をやったか?(台湾霧社の土人は飛行機から陸軍最新製造の爆弾と毒ガスを撒かれ殺戮された。)
 猶も高く低く爆音の尾を引っぱってとんでいるわれわれのものでない飛行機。――
 モスク※[#濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82]のメーデーの光景が思い出され、自分は濤《おおなみ》のように湧き起る歌を全身に感じた。
  立て 餓えたるものよ
  今ぞ日は近し
 これは歴史の羽音である。自分は臭い監房の真中に突立ち全く遠ざかってしまうまで飛行機の爆音に耳を澄した。

 三畳足らずの監房に女が六人坐っている。売淫。堕胎。三人の年とった、ヒスイの簪《かんざし》の脚で頭を掻いては絶えず喋っている媒合《ばいごう》。自分。気違いがそこへ入って来た。ふらつき歩いた土足のまま何と云っても足を洗わない。着物の上にネンネコをひっかけ、断髪にもその着物の裾にも埃あくたをひきずっている。体全体から嘔きたくなるような悪臭がした。弁当を出し入れする戸口のところに突立ったなりどうしても坐らず、グー、グー喉を鳴らしている。
 どの監房でも横にはなっているがまだ眠り切らない。初夏に近い宵らしく下駄の音などが頻りに聞え、外で遊んでいる子供らの甲高い声もする。切れぎれにラジオも響いている。
 自分は畳んだ羽織やちり紙を枕がわりに頭の下へかい、踵の方に力をこめて、背筋をのばすように仰向きに寝ながら、それらの街の音をきき、ぼんやり電球を眺めている。
 電球はいきなりむき出しに、廊下に向う金網の鉄の外枠から下っているのだが、それにはどういう訳か、駒込警察署と、字だけクモリで入れてあるのだ。
 あっちこっちの監房で身じろぎや、あくび、寝入る前の動きがある。何十日でも、日光の射さぬ板の間に坐ったぎりでいるから、体を横にするだけでさえ、手足がくつろぐのであった。
 不図《ふと》太鼓の音が南京虫にくわれて痒《かゆ》い耳についた。ドーン、ドン。ドン、ドン……段々近づいて来るのをきくと、それはキリスト教の伝道であった。益々早く太鼓をうち、何とかして、
  信ずるものは誰れェも
  みィな救ゥくわるゥ
 急に止って歌をやめ、
「みなさァん」
 声のわれた、卑俗な調子で短い演説のようなことをやったかと思うと、すぐドーンドーンドンドンドンと太鼓が鳴り出し、宵のざわめきを越えて、
  信ずるものは誰れェも
と再び同じ歌が進行して来る。近所の教会の連中と見え、子供がたかって意味も知らずに声を張りあげ無味乾燥な太鼓に追いまくられるようにしながら、
  みィな救くゥわるゥ――
と歩いている。留置場の横通りのところで暫くわざとのように太鼓をうっていたが次第に遠のき、今度はやっと聞えるか聞えないところで、
「みなさァん!」
とやっている。
「何だろう、うるさい!」
 荒っぽく寝がえりをうちながら女給が舌うちをした。焦々といやな気持になってそれをきいていたのは自分ひとりでなかった。――

 出たらこの留置場での経験をきっと書いて置こう。自分は段々そういう気になって来た。
 留置場の五十日や百日は何だ。そういう意気で革命的労働者、農民が非人間的な条件の下にもひるまず闘いをつづけているのは本当である。同志小林が「独房」という小説の中で、プロレタリアは、どこにいても自信を失わず朗らかであると云っているのに嘘はない。
 だが、現在の日本の有様では前衛的闘士ばかりか全く平凡な一労働者、農民、勤人、学生でも、留置場へ引ずり込まれ、脅され、殴られ、あまつさえ殺される可能が非常に増している。極めて当然な賃銀値上げ、待遇改善を要求しても直ぐ警察だ。学生や職場の大衆が知識欲をみたすための罪のないサークルや読書会をもっても二十九日、又それをむしかえしての拘留を食う。
 留置場に長くいればいるほど、権力の手のこんだ専暴と、人民は無権利であることを切々と感じる。
 初めて[#「初めて」に傍点]留置場へぶち込まれたからとか、ふだん人並の飯を食べているからとかの問題ではない。
 看守の顔を眺めながら自分は、ソヴェト同盟の革命博物館のことを思い出すのであった。革命博物館には、種々様々の革命的文献の他に帝政時代、政治犯が幽閉されていた城塞牢獄の監房の模型が、当時つかわれた拷問道具、手枷足枷などをつかって出来ている。茶っぽい粗布の獄衣を着せられた活人形がその中で、獣のような抑圧と闘いながら読書している革命家の姿を示している。
 工場や集団農場から樺の木の胴乱を下げてやって来た労働者農民男女の見学団は、賑やかに討論したり笑ったりしながらノートを片手にゾロゾロ博物館の床の上を歩きまわる。が、ここへ来ると、云い合わせたように誰も彼も黙ってしまった。頬が引緊った。自ら密集した。そして焙《や》けつくような視線でいつまでも立ち去らず蝋燭の光に照し出された牢獄の有様を眺め入った。
 がっちりした肩を突き合わせた彼等の密集は底強い圧力を感じさせた。執拗な抗議を感じさせた。彼等が闘いとった権力をもう二度とツァーに返すものかという決意が、まざまざ読みとれ、彼等はやはり言葉すくなに、携帯品預所でめいめいの手荷物をうけとり、職場へ戻って行くのであった。
 日本のこの留置場の有様[#「この留置場の有様」に傍点]が、そうやって革命博物館の内にそっくり示される時が来たら、赤いネクタイを首にかけたピオニェールたちが、どんなにびっくりして、その不潔、野蛮な様子を押し合って眺めるであろう!
 その日のためにも、自分は書いて置く。そう思うのであった。

 メーデーが近づいた或る日、高等室へ出ると、火の気のない錆びた鉄火鉢の中へうず高く引裂いた本が投げこまれている。
 主任が、ズボンの膝をひきしめるようにしながら、
「どうです」
 目でその引裂いたものを指し示し、「朝日」に火をつけた。
 かがんで頁をといて見たら、誰かの「唯物史観」であった。
「あなたがやぶいたんですか」
「いや。今帰った若い者が、もう一切こんなものは読みません、とここで誓って破いて行ったんです」
「ふーむ」
 暫く黙っていたが、主任は乾いた舌をはがそうとするような口の動しかたをして、
「あなた方の考えているようなもんではないじゃないですか」
 自分はにやりとして黙っている。この主任は、事ごとに、彼から見れば所謂心理的[#「心理的」に傍点]な雑談をしかけ、警察的暗示を注入しようとするのが常套手段なのである。
 自分は正面の窓から消防署の展望塔を眺めた。白ペンキで塗られた軽い骨組みの高塔は深い青葉の梢と屋根屋根の上に聳えて印象的な眺めである。同じ窓から銀杏並木のある歩道の一部が見下せた。どういう加減かあっちへ行く人ばかり四五人通ってしまったら、往来がとだえ電車も通らない。不意と紺ぽい背広に中折帽を少しななめにかぶった確りした男の姿が歩道の上に現れたと思うと、そのわきへスーと自動車がよって止り、大股に、一寸首を下げるようにしてその男が自動車へのった。すぐ自動車は動いて行った。音のない、瞬間の光景だ。がその刹那、見ていた自分は急に胸が切ないようになり、息をつめた。――男の自動車の乗り工合のどこかが、今そこに宮本がいるような感じを与えたのであった。
 喉仏がとび出した部長が入って来た。机の引出しをあけて胃散を出してのんで、戦争の話をはじめた。
「失業者の救済なんてどうせ出来っこないんだから、片っぱす[#「す」に傍点]から戦争へ出して殺しっちゃえば世話はいらないんだ」
 極めて冷静な酷薄な調子で云った。
「この社会には中流人だけあればいいんだよ」
「中流人て、たとえばどういう人なんです?」
 自分がきいた。
「僕らの階級さ!」
 自分がいる横のテーブルの上に「メーデー対策署長会議」と厚紙の表紙に書いた綴じこみがのっている。自分がそれに目をつけたのを認め、主任は、煙草のけむをよけて眼を細めながら、書類の間をさがし、
「――見ましたか」
と一枚のビラをよこした。共青指導部の署名で出された、赤色メーデーを敢行せよ! というビラである。
「そういうものが、こっちの方へ却って早く入るんだから妙でしょう」
 狡い、ひひという笑いかたで太い首をすくませた。
「マァ、この懸け声がどの位実現されるか見ものだね」
 留置場へ降りがけ、教習室をとおりぬけたら正面の黒板に、
  不逞《ふてい》鮮人取締
  憲兵隊との連携
と大書してある。

 いよいよメーデーだ。警察じゅう一種物々しい緊張に満ちている。非番巡査まで非常召集され顎紐をかけ脚絆をつけた連中が内庭と演武場に充満して佩剣《はいけん》をならしている。
 高等室では主任と宿直だけがのこり、署の入口のところに二台大トラックが止って、二人の普通の運転手がその上でだらしなく居睡りをしている。
 頻りに電話がかかって来た。
「ハア、ハア、今朝共同印刷へ、明治大学の学生と鮮人労働者が三十人ばかり押しかけましたが……それだけです。ハ、ハ」
 或は、
「こちらは異状ありません、ハ? いや何とも云って来ません」
 警視庁で全市の警察から情報をあつめているのだ。
 丁度上野でデモが解散という刻限、朝から晴れていた空が驟雨《しゅうう》模様になって来た。
「こりゃふるね」
「同じふるなら、早くたのみますね」
 かわりがわり本気で窓から空模様をうかがっている。黒雲は段々ひろがった。やがて若葉の裏を翻して暗く重く風が渡り、暗澹とした夕立空の前にクッキリ白い火見櫓が立ち、頂上のガラスを鈍く光らせたと思うと、パラリ、パラリ大粒なのが落ちて来た。自分は思わず心の内に舌うちをした。
 ザーッ、ザッと鋪道を洗い、屋根にしぶいて沛然《はいぜん》と豪雨になった。
「ふーゥ、たすかった!」
「これでいい。いい塩梅だ!」
「これだけ降っちゃデモれないからな」
 彼等は、上野の山で解散したデモのくずれが、各所で狼火《のろし》のような分散デモを行うことを、かくも戦々兢々と恐怖していたのである。
 自分は初め、何のために高等へ出しておかれたのか分らなかった。初めは恐らく自分に日本の発達した警察網の活動ぶりを示威するつもりであったのだろう。けれども、現実の結果は、彼等の心配、周章の証人となったわけである。
 メーデー警戒で、看守は四十八時間勤務をさせられている。今年のメーデーは特別神経過敏で、警官を半数ずつトラックに載せて一時間おきにつみかえ、待機[#「待機」に傍点]するようにという説があった。しかし、それも余り仰々しいというのでトラックを準備するだけになった。看守が疲労で蒼くむくんだ瞼をし、
「……トラックにのっているはええが、交代の時分にはいずれのったものが降りにゃなるめ。そのとき事件が起きたら、どうするね」
 これには監房じゅうが笑い出し、実に大笑いをした。

 五分苅の、陸軍大尉のふるてのような警視庁検閲係の清水が、上衣をぬぎ、ワイシャツにチョッキ姿でテーブルの右横にいる。自分は入口の側。やや離れてその両方を見較べられる位置に主任が腕組みをしている。
「編輯会議にはあなたも出ていたそうじゃないか、ほかに誰々が出ていました?」
 日本プロレタリア文化連盟では二月選挙のとき「大衆の友」の号外を発行し、ブルジョア選挙のバクロと階級的候補者支持、選挙をどう闘うべきかということのアジプロを行った。その号外がテーブルの上にひろげられている。自分は署名して、ソヴェト同盟の婦人と選挙活動のことを書いているのであった。清水は日本プロレタリア美術家同盟(ヤップ)からは誰が出ていたかと繰返し訊いた。自分は覚えていない。
「――柳瀬が出ていた筈だ……」
「私は元来美術家同盟では知らない人ばっかりだから分らない」
 清水は無骨な指でひろげた号外をたたきながら云った。
「……いや、皆わかってはいるんだがね」
 それからさりげなく、
「是枝操に会いましたか?」
と訊いた。
「……文化団体の人ですか」
「そうじゃない、是枝恭二の細君だ」
「知らないな」
「ふむ」
 改めて、
「この、君の文章の中の『この地球はじめて人間らしい憲法がつくられた』とか『勤労大衆の代表と社会主義社会建設の闘士を選べ!』とか云うのは、どういう意味なんだ」
と詰問した。自分は、
「どれ、一寸見せて下さい」
と注意ぶかくその部分を読みかえして見た。
「……非常にはっきりしているのじゃないかしら。――ソヴェト同盟ではこうであると事実を云っているのだから……」
「日本の労働者は、じゃアどうしろという意味なんです?」
「この記事は、それを扱っていませんね」
 啓蒙的な記事としては、そこが欠点であった。自分はそう思うのであった。
「大体、こんなもの[#「こんなもの」に傍点]に書くという法はないじゃないか※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「…………」
「え? 君の小説こそ読ましてもらいたい。僕はこれでもずっと夏目漱石や君の小説は読んでいたんだからね。……立派に小説が書けるのにこんなもの[#「こんなもの」に傍点]へ書かなくたっていいんです。え? そうでしょう?」
 これは事あたらしく清水がいうばかりではない。中川も云い、駒込署の主任も云う。そしてブルジョア批評家の或るものも同じように云っているところなのである。押し問答の間に、半面が攣《つ》れたような四角い顔をした清水は、
「ヤ、すみませんが……ヤ、これは恐縮です」
など主任に茶をついで貰っている。
 号外の方は小一時間で終った。今度は、ケイ紙などと重ねて机の上に出してある「働く婦人」をとりあげ、片手でワイシャツの腕を、かわりがわり引きあげた。
「これは、あなたが編輯責任ですね」
「そうです」
「こちらも無茶なことは云わんつもりですから、あなたも、これについては責任を負って貰わなくちゃならん。いいですか?」
 自分は、
「私が納得出来れば負うべき責任は負います」
 そう答えた。
「でも、お断りしておきますが、その点できっとそっちの意見と私の考えが一致するとは今から云えないことです」
「いや、分りました」
 編輯部の顔ぶれ、書記局との関係などを訊いた。
「なるほど……赤坊の手を捩《ねじ》るようなものだから放っておいたんだが、この頃メキメキ高度になって来たじゃないですか、え? こんなに高度になっては放っても置けない、え? そうでしょう?」
 四月号の時評だの、投書だののあっちこっちに赤線が引っぱってある。四月の時評は「戦争と私達の生計《くらし》」を中心として、去年秋満州掠奪戦争がはじまってからの「死傷者の数」「軍費」その他中華ソヴェト、ソヴェト同盟の第二次五ヵ年計画の紹介などが書かれていたのである。
「先月号あたりっから、まるで男の雑誌とかわりないようんなった……」
 パラパラ頁をめくった。すると主任が、
「一寸……」
と手をさし出し、「働く婦人」四月号の赤線のところだけをよって貪るように目を通した。酸っぱいような口つきをし、
「…………」
 スリッパを穿いた膝がしらをすぼめて雑誌をかえした。清水は、放っておいたと云うが、「働く婦人」は一月創刊号から毎月発禁つづきである。しかも三月八日に築地小劇場で日本プロレタリア文化連盟が参加した三・一五記念の汎太平洋プロレタリア文化挨拶週間の催しの一つとして「働く婦人の夕べ」をやった時などは、開会一分で、中止、解散、であった。自分がやっと「今日ここに集っていらっしゃる方を見ても若い方が多い。お婆さんは」と云いかけたら、中止! であった。余興は講演とは別に許可をうけ、どれも皆数度公演ずみのものだのに「公安を害す」と禁止した。
 現に地方などでは、「働く婦人」を一冊とるだけにさえうるさく妨害しているのであった。
「……指導は誰がやっているんですか」
 やがて清水が煙草に火をつけて訊いた。
「誰が指導するということはない、編輯会議でするんです」
「しかし、指導しないでこんなに高度になって来るわけはない。ね、――例えばこれを御覧なさい」
 清水は「働く婦人は今度の戦争をどう見るか?」という特別投書欄の鈴木桂子の文章の上を叩いた。
「え? こりゃ一目見たって素人が書いたものじゃない、誰です」
「鈴木桂子と書いてあるじゃありませんか」
「鈴木っていうのは何者だ」
「知りません。投書だもの……」
 自分は、
「一寸考えても御覧なさい」
と云った。
「あなたがたは、高度になったとか女のようではないとか云うが、実際今の世の中で、女は男なみ以上働かされている。それでとる金は半分です。キリキリ女をしぼっている。それでしっかりして来なければその方がどうかしている。あなた方だって、自分の体が満足なら細君を所謂女らしく封じて置けるだろうが一朝永患いをして金がないとなったら、警視庁が五年十年と養ってはくれないでしょう。細君がやっぱり何とか稼がなければならない。そうなったとき時間が永すぎるとか、賃銀がやすすぎるとか云った時、あなた方は決して何だ女らしくない! と細君をどやしはしないのだ」
「……ふむ。……だが、これはどういうことになるかね」
 指で示すのを見ると、やはり同じ投書欄で、愛子という人の投書に、何事も〔三字伏字〕のお為だ云々というところの三字がある。
「…………」
「いいですか? 一ヵ所じゃないですよ。こっちにもある。……こオっと……これ、これはどう云うんです」
 敏子という名で、戦争反対をハッキリのべている文章なのだが、ここでは〔三字伏字〕は御自分の赤子《せきし》が殺されるのを云々という文句がある。自分は、どっちも読み直し、文章そのものに何の咎めるべきところはないと云った。
「――しかしですね」
 清水はぐっとのり出した。
「その文章そのものはそうかもしれないが、前後との関係で、いけないんだ。……大体[#「大体」に傍点]、戦争の記事を扱うのがいけない[#「戦争の記事を扱うのがいけない」に傍点]」
「それは妙だ」自分は云った。「キングを御覧なさい。婦人倶楽部を御覧なさい。子役までつかって戦争の記事だらけです」
「冗、冗談云っちゃいけませんよ」
 不自然にカラカラと清水は笑った。
「扱いようの問題じゃないか。……つまりこういう風に扱うのはいけないと云うわけなんです」
「だが、戦争をしたって不景気が直らず、却ってわるいというのはお互に知りぬいている事実ですよ。従って、戦争が自分たちのためにされているものでないことがわかるようになるのも実際のなりゆきで、そう思うな、ということは出来ない。いいわるいより、先決問題は現実がどうであるかというところにあるわけでしょう」
 清水は、半面|攣《つ》れたような四角い顔をハンケチで拭いて、それをズボンのポケットにしまいながら、声を落して云った。
「よしんば実際はそうであろうとも、この世の中には現実のままで人前には出せないことがあるもんです。そうでしょう? え? たとえば、夫婦関係は現実にはわかり切ったものであるが、それを人前で行う者はない。え? そうでしょう? ありのまま云っては都合のわるい[#「ありのまま云っては都合のわるい」に傍点]ことがある。――ね? そこのことです」
「誰に[#「誰に」に傍点]都合がわるいんでしょう?」
「…………」
 清水は、ふと気を換えるように、
「この詩を知っていますか」
と、イガグリ頭を仰向けるように眼を瞑《つぶ》り、節をつけて何かの漢詩を吟じた。古来孝子は親の、名を口にするのさえも畏れ遠慮するというような意味のことをうたった詩である。
「わかりますか? え? よく聞いて下さい」
 もう一遍、朗吟して、
「この気持だ。――え?」
 満州侵略戦争とそのためのひどい収奪のことも、その戦争の命令者である〔二字伏字〕のことも、人民は見ざる[#「見ざる」に傍点]、聞かざる[#「聞かざる」に傍点]、云わざる[#「云わざる」に傍点]、奴隷として搾られ、そして死ねというわけである。これは理性ある人間にとって不可能なことである。憤りと憎悪とが凍った雪を踏むようにキシ、キシと音をたてて身内に軋《きし》むのを感じる。――
 調べの始ったのは午前十一時前であった。今は夕方の六時だ。自分は憎しみによって一層根気づよくなり腰をおとさず揉み合っている。日本共産党をどう考えるかというようなことである。
 自分は、日本共産党は飽くまでも一つの政党であると云った。合法、非合法はその国の状態によるのであって、決して共産党そのものの本質的属性ではない。清水は、「日本共産党は非合法の秘密結社でアリマシテ云々」と他の誰かの調書にあるとおり、口授を承認させようとするのである。又、「働く婦人」が共産党の宣伝の道具であるというデマゴギーをも押しつけようとした。清水は綴じあわせたケイ紙を見せ、
「しかし、これを御覧なさい、『大衆の友』はちゃんとそうであると言明していますよ」
「そう云った人があるのなら、なお更口真似は出来ない。『働く婦人』の投書だとかそのほか書いてあることが、あなた方から見て共産党の云うところと一致しているのなら、それは、それだけ共産党というものが大衆の真の考え、要求をとりあげていると云うことになります。元は、共産党にあるのではなく、大衆の実際の生活とそこから浸み出す要求にあるのだ」
 夜、九時をすぎて、やっと終った。自分は編輯責任者として尊厳冒涜という条項に該当するのだそうである。時刻が時刻なのですっかり腹がすき、自分が激しい食慾で弁当をたべているむかい側で清水は何も食べず、煙草をふかしている。そして自分は女房には絶対服従を要求しているが、工合がわるいと云えば直ぐ医者にやるしなどということを尤もらしく云っている。彼の表情が次第に変った。四角い顔の半面が攣れていたようなのは消え、赤味も減り、蒼白く無表情に索漠とした顔つきである。肩つきまで下った。カサのない電燈の黄色っぽい光がその顔を正面から照りつけている。冷たい茶を啜り、自分はなお弁当をたべつづけた。――

        三

 メーデーの後、自分に対する襲撃の焦点が急に変って来た。もう「コップ」のことは問題でなく、今は党へ金を出している、それを云えというのである。自分にそのような事実はない。
 中川は、
「だァって、受取った人間がすっかり云ってしまっているんだから君ばっかりがんばったところで仕方がないじゃないか」
 また、もう随分長くて体も弱って来たのだから、云うことを早く云って市ケ谷へ行った方がこんな不潔な留置場に押しこまれているよりずっと健康のためにもよい、等云った。自分はよく眠り、体に気をつけてはいるが、膝頭がこの頃ではガクガクして二階の昇り降りが不便なのは事実である。
 十二日に、看守が、
「又、君たちの仲間がひっぱられたよ」
と云ったので、何事かと思い不安を感じた。特高で十一日の作家同盟第五回大会が解散された新聞を見せた。
「これじゃ、同盟は全部留置場の内へ引越したようなもんじゃないですか、ハッハッハ」
 主任は小気味よさそうに高笑いしている。自分はそのこまかく折目のついた新聞を手にとり、同志川口浩、徳永、橋本、貴司などが引致されたというところを繰かえして読み、これらの人々の闘争を、身近に感じるのであった。
 大会が持たれたという事は、しかし何とも云えぬ鼓舞であった。自分が書く筈で書き終えなかった婦人委員会の報告も、して見れば、誰かによってちゃんと書かれているのだ。そう思い、凜《りん》としたよろこびに満たされた。外では皆結束して働き、自分の部署は、今此処で正しいわれわれの主張のために闘うところに移されてある。それを貫徹するこそ役割の遂行である。そう、きつく確信をもって感じるのであった。

 五月十五日の夕方、三四度ドカドカと大勢して裏階子《うらばしご》をかけ上る跫音《あしおと》が留置場まで聞えた。それきり何のこともない。
 すると、次の朝、無銭飲食で二十日つけられている髪の毛ののびた雑役が、鉄扉の小さい切り戸から弁当を入れてくれながら、
「犬養がやられた」
と云って去った。――犬養がやられた。……犬養は首相である。何処で? いつ? 反動団体の仕業であるのはすぐ感じられた。味噌汁をついで呉れている間にこちらから訊いた。
「どこで?」
「官邸。……軍人だって」
「ふーむ」
 犬養暗殺のニュースは、私に重く、暗く、鋭い情勢を感じさせた。閃光のように、刑務所や警察の留置場で闘っている同志たちのこと、更に知られざる無数の革命的労働者・農民のことが思われた。
 十六日留置場の看守は交代せず、話しかけられるのを防ぐつもりか、小テーブルに突伏して居眠りばかりしていた。
 数日経って特高へ出されると、主任が、
「どうです!」
と、煙草のヤニのついた歯を出してにやにやした。
「ききましたか?」
「……犬養さんが殺されたって?」
「何しろ、撃てッ! と号令をかけてやったんだそうだからなあ……」
 意味深長に、威脅的に云った。
「どうも世の中の方はどんどん進んで行くね、あなたもそうやって坐ってるうちに、いつの間にかおいてきぼりをくいますよ、ひ、ひ、ひ」
 新聞を見せて呉れというと、わざと軍人テロリスト団が首相官邸へ乱入したところ、狙撃したところの書いてある部分だけを一枚よこした。そして、頻りに、
「これは私の老婆心からだが、あなたなんぞもここで大いに将来を考える時だね、この様子じゃ、決して楽観は出来ませんよ……やるなら死ぬ覚悟だ」
と云い、そういう時は、特別声を潜め、言葉をひきのばして云うのである。
 当日軍人テロル団が撒いたというビラを見た。それは田舎の中学生のような空虚な亢奮した文体で書かれ、資本家財閥の打倒! 生産の国家管理! 階級なき新日本の創設! などとスローガンが並べられ、人民を武装蜂起に挑発している。
 スローガンだけあるが、生産を国家管理にするといっても、それはどういう国家がどう生産を管理するのであるのか、階級なき新日本と云っても、犬養を殺し、軍部が暴威を振って階級が無くなるものでもなし、ファシズムの信じ難いほどの非科学性を暴露したビラである。
「……ファシストの理論はなっていないようだが……これで赤松あたりが大分関係があるらしいね。案外な役割を買って出ているらしいですよ」
 最近分裂して国家社会党を結成した赤松のことは関心をひき、自分は、
「今度の事件にでもですか?」
と、ききかえした。
「サア、そこいらのところは分らんですがね。総同盟系が何しろ五万というからね」
 煙草をプカリ、プカリと吹き、
「五万の人間がワーッと動き出せば[#「五万の人間がワーッと動き出せば」に傍点]、放っても置かれまいじゃないですか[#「放っても置かれまいじゃないですか」に傍点]」
 それだけ云って、あとは煙草を指に挾んだままの腕組みで凝《じ》っと横目に私の顔を眺める。――
「…………」
 対手の眼を見つめているうちに、仄《ほの》めかされた言葉の内容が、徐々に、その重要性と具体的な意味とで分って来る。――
 間を置いて、私は歯の間から一言、一言を拇指《おやゆび》で押すように云った。
「――然し、それは窮極において一時の細工だ。歴史は必ず進むように進むからね、帝政時代のロシアでは、サバトフが同じようなことをやった。しかしロシアの労働者は、それを凌いでソヴェトにしたのだから……」
「ふむ……」
 仄めかされた数言は次のような内容に大体釈訳されるのであった。即ち赤松は軍部の指令によって或る革命的カンパニアの日にでも、暴動を挑発する。==総同盟系の反革命的労働者を煽動して、一定の公共物を襲撃させる。すると、直ちにそれを共産党の蜂起とデマり、鎮圧の名目で軍隊を繰り出し、市街戦で革命的労働者、前衛を虐殺し、それをきっかけに戒厳令をも布く。そのような計画が予定のうちにあるキッカケの為に、赤松は総同盟の労働者を最も値よく売ろうとしている、と云うことなのである。
 留置場に戻り、檻の内を歩きながら、自分は深い複雑な考えに捕われ、時の経つのを忘れた。
「働く婦人」などは、もっともっと目に見るように支配階級のこういう陰謀を摘発し、赤松らの憎むべき役割の撃破についてアジプロしなければならぬ。そう思うのであった。

 梅雨期の前でよく雨が降った。中川は十日に一度ぐらいの割で、或る時はゴム長をはいてやって来た。同じ金の問題である。
「君は、さすがに女だよ。もちっと目先をきかして、善処したらいいじゃないか。心証がわるくなるばっかりで、君の損だよ」
 目さきをきかすにも、事実ないことでは仕方ない。
 自分を椅子にかけさせて置き、
「一寸すみませんが田無を呼び出して下さい」
と、特高に目の前で電話をつながせた。
「ア、もしもし中川です。明日の朝早く細田民樹をひっぱっておいてくれませんか。え、そうです。細田は二人いるが、民樹の方です。ついでに家をガサっておいて下さい。――じゃ、お願いします」
 そんな命令をわざわざきかせたりした。
「――これも薯《いも》づるの一つだ」
 そして、嘲弄するように、
「マ、そうやってがんばって見るさ」
 ポケットから赤い小さいケースに入った仁丹を出して噛みながら云った。
「ブルジョア法律は、認定で送れるんだからね、謂わば君が承認するしないは問題じゃないんだ」
「そう云うのなら仕方がない」
 自分は云うのであった。
「事実がないからないと云って、それが通用しないのなら、出鱈目を云っている人間と突合わして貰えるところまで押してゆくしか仕様がない」
 こういう威嚇ばかりでなく、警察では例えば拘留がきまると親族に通知して貰えるキマリである。が、留置場で見ていると、大抵の看守は、いきなり、
「通知人ありか、なしか」
と訊いた。または、
「ここへ通知人ナシと書け」
という。不馴れのものは、自分たちの権利のつかいどころを知らない。云われるままになるしか方策がない。今の場合、自分は、認定で送れるのだと云われても、ただ常識で、そんな不合理なことがあるか! と撥《は》ねかえすばかりなのであった。
「大体、文化団体の連中は、ものがわかるようで分らないね。佐野学なんかは流石《さすが》にしっかりしたもんだ。もっともっと大勢の人間がぶち込まれなけりゃ駄目だと云ってるよ。そうしなければ日本の共産党は強くならないと云っている」
 大衆化のことを、彼等らしい歪めかたで逆宣伝しているのである。
 押問答の果、中川は実に毒を含んでニヤニヤしつつ云うのであった。
「まア静かに考えておき給え。君がここでそうやって一人でがんばって見たところで、外の同志達はどうせ君ががんばろうなんぞとは思ってやしないんだから。――無駄骨だヨ」

 その頃、前科五犯という女賊が入っていて、自分は栃木刑務所、市ケ谷刑務所の内の有様をいろいろ訊いた。栃木の前、その女は市ケ谷に雑役をやらされていて、同志丹野せつその他の前衛婦人を知っているのであった。
 市ケ谷の刑事既決女囚は、昔、風呂に入って体を洗うのに、ソーダのとかし水を使わされていた。それが洗濯石鹸[#「洗濯石鹸」に傍点]になった。同志丹野その他の前衛が入れられてから、そういう人々は、人間の体を洗うに洗濯[#「洗濯」に傍点]石鹸という法があるかと、自分達の使う石鹸を風呂場に残しておいて皆に使わして呉れ、と要求して、今では花王石鹸が入っているのだそうだ。
 そういう話をし、その女は、
「ああいう人達は、とても確《しっか》りしたもんですからね」
と、自分の目撃を誇る調子で云った。
「ああいう人達が沢山入って来るようになってっから、私共の方だって全体にどの位よかったかしれないんですよ。女監守が、無茶に私共をいじめでもすりゃ、ひとのことだって黙ってやしないからね。文句を云うし、どんな偉い人だって目の下で、どこまででも持ち出して行くから、ビクビクものなんですよ」
 或る時女監守が女囚の一人を理由なく殴ったということから、独房の前衛婦人達が結束して抗議をはじめ、大騒ぎになった。男の方からやって来て、抑圧したのだそうだが、
「ふふふふ、その時ね、一人の女監守があわをくって、卒倒しちまったりしたんですよ」
 度々の獄中生活で、その女は二十八という年よりずっと干からびた体であった。骨だった肩にちっとも似合わない白っぽいお召を着て、しみじみ自分の手の甲をさすりながら、
「正直なところ、ああいうところへ入れられると赤く[#「赤く」に傍点]ならずにいられやしませんね。やり方がひどいからね、人間扱いじゃないもの。……」
 女監守は自分のものを干す物干竿と女囚のとをやかましく別にしていて、うっかり間違えて女監守の竿にかけでもすると、
「オイ、オイ! 誰だい? きたならしいじゃないか! 誰が間違えたんだ!」
と、すぐはずさせ、その物干竿に石鹸をつけてもういいという迄洗わせる。
「そいでいて、自分達がコソコソすることって云えば、平気でお香物やおかず[#「おかず」に傍点]の上前をはねてるじゃありませんか! きたならしくないのかねエ」
 刑務所の食糧は糖分が不足しているから、ウズラ豆の煮たのは皆がよろこぶ。ウズラ豆の日だと女監守は各房へ配給する前、一人ずつの皿からへつって自分のところへくすねて置き、休憩時間のお茶うけ[#「お茶うけ」に傍点]にするのだそうであった。香の物は四切れのところを、三切れずつにしてこれも、お茶うけにする。――
「そういうことを見せられちゃね……だから、女監守が休憩の時、よく私共に、共産党の女のひとがどの房とどの房で話しするか見張っていろって云うけれど、誰もそんなこと真面目にきくものはありませんわ。お忠義ぶる女は却っていじめられますよ」
 小声で話していると、いきなり、
「なに講義してる」
 いつの間にか跫音を忍ばせて、岨《そわ》にテロルを加えた赤ら顔の水兵上りの看守が金網に胸をおっつけてこっちを覗いている。
「…………」
「駄目だゾ」
「…………」
 この看守だけは、どんな時でも私に歌をうたわせなかった。迚《とて》も聴えまいと思う鼻うたでも、きっと意地わるくききつけ、「オイ」と低い声で唸って顎をしゃくうのであった。
 あっちへ行ったかと思うと、第二房で、
「……ねえ、そうじらすもんじゃないですよ。……たち[#「たち」に傍点]が悪いや!」
と、如何にも焦々する気持を制した調子で云っている声がする。この看守は煙草が吸いたくてたまらないでいる留置人の鼻先で、指もくぐらない細かい金網のこっち側へわざとバットを転しておいたり、今にも喫わしてくれそうに、ケースの上でトントンとやって見せたりして、猿をからかうように留置人をからかうのであった。そのために、吸いもせずにくたくた古くなったバットを二本、いつもニッケル・ケースに入れてもっているのであった。
「チッ! いけすかない!」
 空巣の加担をし※[#「貝+藏」、429-14]品を質屋へ持って行って入れられている五十婆さんが舌うちした。
「あたし、世の中にこういうとこの人《しと》たちぐらいいやな男ってないわ」
 横坐りをしている若い女給が伊達巻をしめ直しながら溜息をついた。
「刑事なんぞここじゃ横柄な顔してるけど、お店へああいう人《しと》が来ると、まったく泣けるわ。そりゃねちねちしてしつっこいのよ。つんつんすりゃ仇されるしさ、うっかりサービスすりゃエロだってひっかけるしさ。――お店だってよくかり倒されんのヨ」
 引っぱられて来るのは女給が一番多く、そのほかでも、話を聞いて見ると八割までは、媒合、売淫、堕胎など、資本主義社会における女の特殊な不幸を反映しているのであった。

 呼び出されて、いつも通り二階へ行くものと思っていたら昇り口を通りすぎ、主任が先へ歩きながら、
「おっかさんが見えてるんだが……」
 立ち止って、グルリと平手で五分苅頭を撫で、
「――会いますか」
 厭《いと》わしさと期待の混り合った感情が自分を包んだ。
「会いましょう」
 コンクリートの渡りを越え、警察の表建物に入ると、制服巡査が並んで、市民の為の[#「市民の為の」に傍点]事務をとっている。その横に署長室がある。
 ドアをあけると、署長の大テーブルのこっち側の椅子に母親が腰かけている。ドアが開くと同時に白い萎《しぼ》んだ顔を入ってゆく自分に向け、歩くから、椅子にかけるまで眼もはなさず追って、しかし、椅子にかけている体は崩さず、
「……どうしたえ、百合ちゃん……本当にまァ……」
 主任は、爪先で歩くようにして室の角にかけ、此方を見ている。署長は、大テーブルのあっち側で、両手をズボンのポケットに突こみ、廻転椅子の上に反っている。
「どうですね」
「ええ。……体はどうなの?」
 自分は真直母親と口をききはじめた。こういう場面で母娘の対面は実に重荷であった。我々母親は十何年来別々に暮して来ているので、警察で会っても二つの生活の対立の感じは、消すことが出来ないのであった。
「どうやらこうやってはいるけれどもね」
 まじまじ自分を眺め母親は、
「本当に、これじゃあどっちが余計苦労しているのか分らないようだよ、お前はいつ会っても平気そうに笑っているけれど……」
「だって、泣くわけもないもの」
 自分は重く、声高く笑い、自分には興味のない犬だの、小さい妹の稽古だののことに話頭を転じる。母親がいらぬ心痛から妙な計画でも思いついては困ると、自分は留置場の内のことについては、何一つ云わないようにしているのであった。
 話しながら自分はちょいちょい、母親の手提袋を膝にのせて控えている妹の顔に視線をやった。母親との話はすぐとぎれた。すると妹が、
「――やせたわね」
と眼に力を入れて云って、可愛い生毛の生えた口許にぎごちないような微笑を泛《うか》べた。
「そうオ?」
 頬ぺたを押えながら、自分はゆっくりこちらの気持を打ちこむように云った。
「どう? みんな変りなくやっている?――この頃は私の知りもしないこと云え云えで閉口さ」
「そうなの!」
 びっくりしたように目を大きくする。押しかぶせて、
「どう? 何か変ったことないの?」
 意味ありげな顔つきをしている癖に、こういう場面に全く馴れない妹は何も云えず、母親は母親で、やはり気持のはけ口を求め、神経的に真白い足袋の爪先をせわしく動かしている。――心配をしているのは真実なのだが、彼等は、はっきり私の側に立って、たまの機会はどしどし積極的に利用するという確り引立った気分で腰を据えていないから、手も足も出ない有様なのであった。
 母親は、持ち前の性質から、矢張り、そんな犬の仔の話などしておれない気持になり、段々焦立って、遂には議論を私に向ってふきかけ始めるのであった。
「私はね、それが正しいことだとさえ分れば、よろこんでお前の踏台になりますよ。ああ、命なんぞ、どうせ百年生きるものじゃないから、未練はない。だが、どうも私には一点わからないことがある。――国体というものを一体お前はどう思っているのかい?」
 署長は、廻転椅子の上で身じろぎをし、主任は、隅で胡麻塩髯のチビチビ生えた口許を動かす。
 自分は、
「……相変らずね!」
と、全場面に対して湧き起る顫えるような憎悪を抑制して苦々しく笑い、
「そういう議論を、こんなところではじめたってお互の為にろくなことはないんだからね。やめましょう」
 母親は、不服げに、十分意味はさとらず、然しぼんやりそれが何か不利を招くと直覚して黙り込む。だが、すぐ別のことから、同じ問題へ立ち戻る。
 親たちの日常生活は勤労階級の生活でなく、母親は若い頃からの文学的欲求や生来の情熱を、自分独特の型で、些《いささ》か金が出来るにつれ、その重みも加えて突張って暮して来た。社会の実際とは遠くあった。弘道会という今日では全く反動的な会へ、自分の父親が創設した因縁から始終出入りしていた。マルクシズムに対して母親の感情へまで入っている材料は、その会で博士とか伯爵とかが丁寧な言葉づかいで撒布するそのものなのであった。
 母親は保守的になって、しかも仏いじりの代りに国体を云々するようにその強い気質をおびきよせられているのであった。
 疲れるといけないからと母親をかえして、元のコンクリートの渡りを、鼻緒のゆるんだアンペラ草履で渡って来ると、主任が、
「え? 世の中は皮肉に出来ているもんだね」
と声をかけた。
「…………」
「おっかさんは心配していろいろ云われるが、却って対立をはっきりさせる結果になるばかりじゃないですか。ひ、ひ、ひ」
「――――」
 監房に入っても、自分は考えに捕われていた。情勢は、こういう風なモメントを経て、多くの中間層の家庭を様々な形に崩壊させて行くのである。そして、敵は抜目なくその間から自身の利用すべきものを掴むのだ。
 向い合って坐っていた女給が突然、
「いやァ! こわい!」
と袂で顔を押え、体をくねらしたので、自分はびっくりして我にかえった。
「どうしたの?」
「だってェ……あんた、さっきからおっかない眼つきして、私の顔ばっかり見つめてるんだもの……」
「そうだった?」
 思わず腹から笑い出した。自分は、ただいつの間にか一ところを見つめていたばかりで、それが誰かの顔だか壁だか、見ているのではなかったのであった。

 女が三人ばかりで眠っていると、ガチャンとひどい音を立てて監房の扉があき、
「ソラ、はいった、入った」
と面倒くさそうに云っている看守の声、何か押しかえして扉のところに立っている気勢がおぼろ気に感じられた。瞼をとおして、電燈の黄色い光りを感じ、もう一度、隣りの監房の開く音をきいた。誰か入って来たな。そう思い、体を少しずらせて場所をあけ、そのまま又眠りつづけた。(留置場生活が永くなると、特別な場合でない限り、眠ってから入れられて来る者に対して、無頓着に、幾分迷惑にさえ感じるのであった。)
 朝になった。一番奥のところに昨夜入れられて来た若い女が、頬ぺたを濡手拭で押え、房さり髪を切った体をちぢめるようにして起き上っている。布団を畳む時、女給が、
「あのし[#「し」に傍点]と、ひどいけがしてんのよ」
といやらしそうにこっそり云って、せっせと臭い布団を抱え出した。蒼ざめた細面で立っている全体の物ごしで、すぐ左翼の運動に関係ある人と感じられる。
「けが?」
「…………」
 合点する。傍へよって見て、これはひどい。思わず口をついて出た。
「やられたの?」
 合点をし、微《かすか》な笑いを切なそうな眼の中に泛べた。白っぽい浴衣の胸元、前と、血がほとばしってついているのであった。
「――どうだね」
 よって来る看守に向い、その人はやっと舌を動かして、
「医者よんで下さい」
と要求した。
「化膿しちゃうわ。……歯ぐきと頬っぺたの肉がすっかり剥《はが》れちゃってるんだもの」
「……詰らんもの呑んだりするからえげ[#「えげ」に傍点]ねんだ」
「――医者よんで下さい。ね」
「話して見よう」
 薄手な素足でこっちへ来て坐りながら、
「下剤かけるかしら」
 やや心配気に訊いた。私も小声で、
「何のんだの」
「銀紙のかたまり。……私呑みゃしないってがんばってるんだけど」
 第二房へ入れられた男の同志と昨夜十二時頃仕事をすましていざ寝ようとしているとこへ、ドカドカと四五人土足で侵入して来た。その女の同志はハッとして何かを口へ入れてしまったと見ると、彼等は一時に折り重り、殴る蹴る。間に、一人がステッキを口へ突込んで吐かせようと、我武者羅《がむしゃら》にこじ廻したのだそうだ。
「今市電が立ちかけてるのよ、残念だわ」
 留置場の入口が開く毎に、立ってそっちの方を見た。
「きっと職場でも引っこぬきが始ってる」
 市電では、一月に広尾の罷業を東交の篠田、山下等に売られてから全線納まらず「非常時」政策に抗して動揺しているのであった。
 果して、昼ごろ髪をきっちり分けた車掌服の若い男が二人入って来た。一人が看守に住所姓名を云っている間に、他の一人がこっちにチラリと流眄《ながしめ》をくれ、何か合図をした。女の同志は濡手拭で頬を押えたまま金網へすりついて立っている。新たに来た二人は別々の監房へ入れられた。
「くやしいわ、二人とも×××車庫で、しっかりしてる人だのに」
 その日留置場内の人数は割合少く、看守の気も鎮っていた。一緒につかまった男の同志が人馴れた口調で看守に国鉄従業員の勤務状態などを、話しかけている。それにかこつけて、巧に必要な連絡を女の同志に向ってつけているらしい。女の同志はじっとそれに耳を傾け「ふ、あんなこと云ってる」などと頼もしそうに笑った。
 夕方、自分が二階へ出された。すると特高の西片というのが、
「ゆうべの女はどうしてますか」
と云った。
「ひどい有様ですよ、朝から何一つ食べられやしない」
「軟いものぐらい買ってやるからって云って下さい。まさか人間様に相すまないからね[#「まさか人間様に相すまないからね」に傍点]」
 ステッキを口の中へ突込み、あんな負傷をさせたのは、この男なのであった!
 留置場へ戻るとすぐ自分は女の同志に、
「パンと牛乳買って貰いなさいよ」
と云った。
「漬けてなら食べられるから」
「そうしようかしら――じゃ買って下さい」
 看守は小机に頬杖をついたまま、
「きかなけりゃ駄目だ」
「今上で私につたえろと云ったんだから、いいんです」
「金あるのか」
「あるわ、上にあるわ」
 物臭さそうに看守は肩から立ち上って、「小父さァん」と小使いを呼んだ。

 三日ばかりで、組合の男の同志は月島署へまわされた。
 看守が残った女の同志に、
「君ァ、鳩ぽっぽ(レポータア)かと思ってたらどうしてなかなか偉いんだそうじゃないか」
と云った。
「――鳩ぽっぽだわよ」
 そして、濡手拭を頬に当てたまま、ふ、ふと静かに笑っている。
 自分たちは、段々いろいろのことを話すようになった。
「――入って来たらまだあなたがいたんでびっくりしたわ、とっくに出たんだろうと思ってたのに……」
「仕様がないから悠然とかまえてることさ」
 中川が金のことで自分を追及しはじめて間もなく、主任がこんなことを云った。
「ああ、そう云えばあなたの家でつかまった帝大生、ここにいる間は珍しい位確りしていたが到頭|兜《かぶと》をぬいだそうだよ」
 自分は冷淡に、
「ふーん」
と云った。
「あのくらいの大物で、あんなに何も彼も清算するのは近来ないそうだ、びっくりしていたよ」
「…………」
 六十日以上風呂にも入れず、むけて来る足の皮をチリ紙の上へ落しながら、悠然とかまえてることさと云う時、その主任の云ったことを焙るように胸に泛べているのであった。自分は、金のことを云わなければ半年経とうが帰さないと脅かされて、放ぽり込んで置かれるのであるが、その学生と自分の金の問題とが妙に連関しているようで、しかも心当りもなく、結局、どこの誰がどう清算しようと、知らない事は知らない事だと、腰を据えるしか仕方がないのであった。
 女の同志は、
「本庁の奴、私を見て、なァんだもう来ていたのか! って、あきれてたわ」
 この前は拘留があけると警察から真直ステーションへつれてゆかれ、汽車にのせられ、国元へ送り帰されたのだそうだ。鉄道病院の模範看護婦で、日本大学の夜学で勉強したことがある――。
「そこであんまりとんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]な社会学の講義をきかされたんで、妙だ、妙だと思ったのがこっちへ来る始りなのよ」
 可笑《おか》しそうに笑いながら、
「自分で働いてりゃ、馬鹿だってその位気がつくわよ、ねエ」
 サークルの話も出た。文化団体のサークル活動が新しい方針によって実行されるようになってから日の浅いせいもあり、組合のアジプロ活動などと、まだ十分うまく結合、利用されていない――。
「あなた方の活動の日程に、この問題が本気でとりあげられています?」
 女の同志は、
「さあ」
と考え、
「皆が皆、そこまでハッキリ考えちゃいないわね」
 率直に、
「ああ、文化団体か! ってところはのこっているわね」
と云った。だが、交運関係では、既にサークルをもっている職場がいくつかある。自分はそのことを話し、笑いながら、
「どう? 知っていた?」
ときいた。
「知らなかった」
「我々はこれまで、お互にいろんな損をして来ていると思う。我々が偏見をもって反撥していれば、それだけ嬉しがってる奴があるんだから」
「――そう思うと、癪だね」
「ねえ!」
 そんなことを話し合って監房の金網から左手の欄間を見上げると、欅《けやき》は若葉で底光る梅雨空に重く、緑色を垂らしている。――

 ズーッと入って行って横顔を見、自分はおやと目を瞠《みは》った。いつかの地下鉄の娘さんの父親がやって来ている。
「そういう次第でして――私としましては或はもう死んでいるものと思いますが、どうぞ一つ、よろしくお願いします」
 自分は傍のテーブルで新聞をひろげた。
「いや……だが――困ったね」
 主任は、例の酸っぱいような口つきをしながら、鼠色合服の上着の前を左右から掻きあわせつつ、
「どうです……何か変った様子でもなかったですか」
「その晩もごく平常のとおりでして、監視[#「監視」に傍点]は怠らずにいたんですが、あれ[#「あれ」に傍点]がフロからかえって二階へ上りましたもんで、私共もつい気を許して奥へ引込んだのですが……どうも――ほんの二分か三分の間に出てしまったものと見えます」
 ――自分には、そうやって五月蠅《うるさ》く親につきまとわれる娘さんの気分が手にとるように映った。あのぽっちゃりした受口に癇を立てて、ぷりぷりしながら沈んでいる姿まで思いやられるのであった。
 傍で話をきいていて、すぐ死んでしまうとも思えない。さりとて、ストライキの時の確りした友達のところへ駈け込んで、もう二度と家へかえらず新しい生活へ入る決心したのだとも、思えない。いかにも、そういう性の娘さんであった。
 父親は、会社へもねじ込んで行ったのだそうだ。
「同じ切るなら、若いもののことだ、せめて生きられるように切って貰いたかったと云いました。会社の方でも、それはすまなかったとは云っておりましたが……どうも――」
 小商人風の小柄な父親はセルの前をパッとひろげ襦袢を見せて椅子の端にかけ、肩を張って云っている。卑屈なりに今日は精一杯の抗議感を、その切口上のうちに表現しようと力をこめているのが私にまで感じられるのであった。
 主任はいろいろきいている。しかし実は何もする気でない事は、その顔つきで分っている。傍できいていて自分は、この父親の態度が歯痒く、腹立たしいようになった。どうして、ズッパリと、何故娘を殺した! と正面からぶつかって行かないのだろう! 何故|体《たい》あたりに抗議しないのであろう!
 遂に不得要領のまま、
「では――そういう状態ですから一応御報告[#「一応御報告」に傍点]いたして置きます」
 一応御報告[#「一応御報告」に傍点]というところへ云いつくせぬ小心な恨みをこめ、対手にはだが一向|痛痒《つうよう》を与え得ず、父親が去ると、主任は椅子をずらして、
「どうです」
と自分に向った。
「ああいうのをきいて、何と感じます」
「あなた方が益々憎らしい」
「ふむ。――私は飽くまであなた方を憎むね。あんなおっとりした若い娘を煽動してストライキに引こんだのは誰の仕業かね?」
「ストライキをしていた時、あの父親は[#「あの父親は」に傍点]やめさせて呉れと警察へたのみはしなかった。会社が[#「会社が」に傍点]たのんだ。警察は会社のために犬馬の労をとったのだ。――そうでしょう? あの親父さんの本心では、どうして呉れる! と叫んで来たのだ」
 それぎり黙りこみ、新聞を読み出した。が、自分の心は深い一点に凝って、暫く動かなかった。
 おとといのことだ。朝からいかにも陰気な小雨で、留置場の裡はしめっぽく、よごれたゴザが足の裏へベタベタ吸いつくようだった。雨の日、留置場は濡れた鶏小舎そっくりの感じである。シーンとなっていると、三時頃、呼び出された。矢張りべとつくアンペラ草履で二階へ行くと、高等室とは反対の、畳敷の室へ入れられ、見ると、母親が窓近くの壁にもたれて居心地わるげに坐っている。オリーヴ色の雨合羽が袖だたみにして前においてある。自分を引出して来たスパイは、
「……じゃあ」
と云って、珍らしくさし向いにして室の外へ出た。室の外と云っても、ドアをあけ放したすぐ外のところに立っているのである。自分は坐りながら、
「どうしたの、お天気がわるいのに……」
と云った。母親は、一寸だまっていたが、
「――こんなお天気にとても私は家にじっとしてはいられないよ」
 ――何年も母親から感じたことのない、そして、そんな優しさのあることは忘れていた暖みがその時湯気のように自分をつつんだ。
「ありがとう、すまなかったわね」
「親なんてばか[#「ばか」に傍点]なものさ」
「いいわよ、いいわよ。今のような時勢にはいろいろのことがあるさ」
 自分は母親の手をとり、指環がまがっているのを見て、それを直してやった。二階の窓からは雨にぬれた銀杏樹の並木、いろんな傘をさした人の往来、前の電気屋のショーウィンドに円いオレンジ色のシェードが飾ってあるの等、活々と一種の物珍らしい美しさで暗い、臭いところから出て来た目に映った。
 やがて、母親が室の外をのぞくようにして、
「さっきの人、どこにいるかい」
と小声で訊いた。
「そこにいるわ」
 単衣《ひとえ》羽織を着た帯の前のところで母親はそっと手の先だけを動かし、おいでおいでをした。自分は、膝頭で、そばへよって行きながら、はじめ体が熱くなり、段々顔まで赤くなるのを感じた。到頭母は、誰かの、待ちに待った外からのことづけを持って、わざわざこんな日に面会に来てくれたのか。――自分はぴったり母によりそい、羽織の衿を直すようにしながら囁いた。
「何なの?」
「お前」
 私の顔を見上げ、
「どウして」
と体を前へ動かすほど力を入れ、
「云ってしまわないんだよ!」
 びっくりして、自分は腰をおとし母親の白い顔を正面から見直した。
「何をさ」
「何って!」
 さもじれったそうに眉をしかめた。
「もう二人も白状しちまったそうじゃないか。お前が出したものは出したと云って、あやまりさえすればすぐ帰すって、警視庁の人が云っているんじゃないか!」
 顔は熱いまんま、腹の底から顫えが起って来た。
「そんなことを云いに来たの?」
「そんな恐ろしい顔をして……マァ考えて御覧……」
「…………」
 愈々声をひそめ、力をこめ、
「その方がお身のためだって、むこうから云っているんじゃないか! それをお前……」
 動物的な憎悪が両手の平までこみあげて来て自分はおろおろしているような、卑屈を確信と感違いしているような母親の顔から眼をはなすことが出来なくなった。
 自分は、一言一言で母親を木偶《でく》につかっている権力の喉を締めるように、
「私は、金なんぞ、だ、し、て、はいない」
と云った。
「わかったこと? 私は、だ、し、てはいないのよ」
 母親のそばへずっとよって、耳元で云った。
「おっかさんが今何の役をさせられているか分る? ス・パ・イ・よ。むこうは、わけの分らない、只うまく[#「うまく」に傍点]立廻ろうとしている親をそういう風に利用しているのよ。しっかりして頂戴、たのむから……」
 ドアのところで、咳払いがする。自分は母のそばをはなれながら、猶、じっと目を放さず、
「わかった?」
 母親は、むっとした顔でそっぽを向き瞬《まばた》きを繁くしている。――
 やがて袖をさぐってハンケチを出しながら泣き出した。しかしそれは、自分がわるかったとさとって流している涙でないことは、犇《ひし》と私に分るのであった。
 母親が帰ってゆくと、
「暫くこっちで休んで」
と、主任が呼んだ。
「どうでした?」
「ふむ」
「……ふむ、じゃ分らないじゃないですか」
「…………」
 不図見ると、検閲の机の上に「プロレタリア文学」六月号が一冊のっている。自分はあつい掌でそれをとり頁をくった。第五回大会の写真がある。うすい写真の中でも、同志江口が白いカラーをはっきりと、いつもの少し体をねじったような姿勢で壇上に立っているところがある。押し合う会集。「暴圧の意義及びそれに対する逆襲を我々はいかに組織すべきか」という巻頭論文がのっている。貪るように読んだ。同志蔵原をはじめ、多くの同志たちの不撓《ふとう》の闘争が語られてある。その中に自分の名も加わっている。読んでいるうちに覚えず涙がこぼれそうになった。このような涙を見せてやるのは勿体ない。――自分は段々椅子の上で体の向きをかえ、主任の方へすっかり背中を向けてしまった。

 信じられないようなことが事実であった。或る男が没落して、私が作家同盟の或る同志に個人的に貸した金のことに言及した。金、金と云われるのはそのことなのであった。

 二日ばかりかかって書類に一段落つくと、中川は、
「ところで、愈々将来の決心だが……」
と、睨むように私を眺め、万年筆をおいて煙草に火をつけた。
「帰れるか、帰れないかがきまるところだから、よく考えて答えたまえ!」
 夜七時頃で、当直が一人むこうの卓子で何か書いているきり、穢い静かな高等室の内である。
 一切非合法活動をしないと誓えるか、と云った。
「――そんな約束は出来ない」
 自分は、ねんばりづよく押しかえした。
「合法、非合法の境は、そっちの勝手でどうにでもずらすんだから、私が知ったことではない」
 マルクス主義作家として、飽くまでも合理的な文化建設のために働くことを任務とすると、自分は口述した。
「ふむ……」
 煙草をふかしながら、自分の書いた文字を中川はやや暫く眺めていたが、
「――ここは変えられないかね」
 灰をおとした煙草の先で示した。マルクス主義作家として、という文句のところである。
「変えない」
「――いいかね?」
「いけないことがあるんですか?」
 薄い唇を曲げ、
「マルクス主義作家ということは窮極において党員作家ということだよ」
「――私は、字のとおりマルクス主義作家と云っているのです」
 中川は暫く沈黙していたが、前歯の間に煙草を銜《くわ》え、煙をよけるように眼を細めて両手でケイ紙を揃えながら、
「これで帰れるかどうか知らんよ。だがマア君がこれでいいと云うならいいにして置こう。――僕にとっちゃどっちだって同じこった。そうだろう? ハッハハ」
 黒い舌の見えるような笑いかたをした。

 それきり中川は現れず、本当に自分は帰れるのか帰れないのか分らぬ。留置場の時計が永い午後を這うように動いているのなどを眺めていると、焦燥に似た感じが不意に全身をとらえた。これは全然新しい経験なのであった。自分はこのような焦燥を感じさせるところにも、計画的な敵のかけひきを理解した。
 六月二十日、自分は一枚の新聞を手にとり思わず、
「ああ!」
と歓びの声をあげた。顔がパッと赤くなった。十九日の日本プロレタリア文化連盟拡大中央協議会は、開会、即時解散をくったが、文化団体として前例のない勇敢なデモが敢行され、新聞はトップ四段抜きでその報道をのせ、築地小劇場の会場が混乱に陥った瞬間の写真が掲載されている。警視庁特高係山口、明大生の頭を割る。山口が太いステッキを振って椅子の上から荒れ狂い、何にもしない明大生を、わきにいたばっかりに殴りつけ昏倒させたという記事が出ている。大衆の圧力と、彼等の狼狽が、新聞の大きい活字と活字の間から湧きたって感じられる。
「――到頭最後の悲鳴をあげたね」
 主任が、ジロジロ私の上気し、輝いている顔を偸見《ぬすみみ》ながら云った。
「…………」
 自分は黙ったまま、飽かずその記事をよむのであった。

 六月二十八日。自分は八十二日間の検束から自由をとり戻した。



底本:「宮本百合子全集 第四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第四巻」河出書房
   1951(昭和26)年12月発行
初出:「中央公論」
   1951(昭和26)年3月号
※執筆は1933(昭和8)年
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年5月4日作成
2003年7月13日修正
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