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働くために
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)迚《とて》も

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(例)[#地付き]〔一九四一年四月〕
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 この頃は日本の女の服装について、簡単であること、働きよいこと、金をかけないことがどこででも云われている。大変着物に凝っている人たちが、昨今はそれらを又新しい工夫の条件にとりいれて違った形での数奇を示しているのや、それとは全く反対に、衣服は肉体をつつむ袋なりとでもいうように、何でもモンペの観念にひきつけてばかり考案されている単調さも、私たちの生活の現実とは何となしに遠い。
 ごく大ざっぱに云って、私たち人間は皆一日のうち何時間か働いて、何時間かは休息しつつ生活している。着物もつまりは、その生活の二つの基調に適合した変化が必要だし、その必要をみたすことが衣服の最低の条件なのだろうと思う。
 簡単服という言葉はホーム・ドレスを意味する日本名だが、日本の女性たちの生活は、働き着として朝身につけたその簡単着を、いつ、くつろぎ着にかえる時間と余裕とをもっているだろうか。
 家の掃除をしたり洗濯をしたりするときホーム・ドレスで大働きをする主婦たちは、昼飯でもすんでからは、すこし気持のちがう午後の服に着かえるのが、洋服暮しの国々での普通の習慣である。そして、夜もうお客もないくつろぎの時間には、ゆったりとした寛衣にかえて、床に入る迄の休息を楽しむ。男のひとたちにしろ、その時刻には窮屈な上着はぬいで部屋着にくつろぐのである。
 一日のうちのこういう変化は、簡単であること、働きよいこと、金をかけないことと一致して、私たちの生活にもっととり入れられていいことだと思う。衣服にこういう変化を持てるということは、とりも直さず家庭での仕事、外での勤労が規則的に行われること、簡単に着換えられる衣類の形であること、生活の感情の多様さが活かされている社会の雰囲気であるということを語っていて、そこに簡単簡素ということは単調と同じものではないという事実がはっきり示されるわけである。
 自分のことを考えてもつくづく思うのだけれども、日本の服装は実に閉口的に複雑であって、しかも単調だと思う。使わなければならない紐の数、小物の数、いかばかりだろう。その一つ一つに神経がいる。けれども、全体の形は少くともこれ迄は、働く時間の衣類の形もくつろぐ時、外出の時の衣服の形も同じで、動きを語る線の上でのくっきりとした変化というものは持たなかった。平常着を小ざっぱりと趣味をもって、ということは心がけのよい女性たちの念願だと思うが、日本のこれ迄の暮しの感情では、女のふだん着は働き着と同じ性能におかれていて、僅に夕飯後ふだん着の上に羽織られた袢纏が、日本女性のつつましい休息の姿を語っていた。
 其故、この頃いろいろ衣服の改善が云われても、いつも「気が利いていて働きよい平常着」という観念の土台で袂がちぢめられたり、裾が袋にされたりしている。はっきりと働く時間の装はこれ、大働きの終ってからのふだん着はこれと、区別された生活感情で扱われていない。
 家庭でも働き着とふだん着との区分が明瞭につけられると、却ってどちらもその性能をよく活かした形で徹底されるのだろう。私たちの女の生活に向う態度そのものに、そういう区分を生れさせる弾力がなくてはならないのだと思う。昔から日本の婦人の服装の改良というと、明治時代から改良服の系統を脱し得ないのは、いつも働き着とふだん着とが一緒にされて念頭にもち越されていたからなのだと思われる。
 近頃一方に制服ばやりがあると共に、他方では極端な服装の単一化が考えられているけれども、先頃ナチスのヒットラー・ユーゲントが来たとき、割にその近くで接触していた人の話では、ユーゲントたちは制服は一通りだけれども、服装としては六七通りはそれぞれの必要にしたがって持っていた。ユーゲントの制服だけ見て、それだけ真似て、一組の装で万事すませようとするのだったら可笑しい、ということだった。
 衣類の本当の合理化は、その人々の働きの種類によって、休安の目的によって形も地質も考えられるのが当然である。

 人の働きもいろいろで、私の着物は他のものを書く人と同様に独特の痛みかたをする。日本服だから袖口が痛むのはおきまりだけれど、絶えず机にすれるものだから袖口の外側からその下にかけてのところだの、羽織の襟の机に当るところだのが知らないうちに忽ち切れてしまう。それから、いしきが抜ける。これは私の重さもあるけれど、細いひとでも、一日の大部分腰をかけて、気付かない体の動きをつづけているひとは皆ここを切る。
 羽織の袖口が余りバラバラおそろしくなるので、今着ているのは、外側から同じような布地でくるみぶちをとってしまった。細かい絣だから余りみっともなくない。
 そういう羽織を着て、体の半分をくるむような大前掛をかけて、帯は御免蒙って兵児帯である。迚《とて》もしゃんとした帯をしめて仕事をすることは出来ない。
 急にお客様があったりして、私はいつもそのまま出るのだけれど、私のような働きの性質だと、どうしても働き着即ちふだん着しか仕方がない。夏は袂を元禄袖にしているのもある。願くば、このくるみぶち付羽織だの着物だのに、せめて心持よい色彩あれ、と思っている。
 もう一つ私は妙なものを使っている。それは私のせめてものくつろぎ用、寒さしのぎ用だが、部屋着から思いついて、どてら代りに綿入元禄袖のついたけ着物のように縫ったものに、横で結ぶ紐をつけ、寝間着の上から羽織ったり、夜はふだん着の上にひっかけたりして、便利している。
 洋服暮しのとき、部屋着として少しさっぱりした縞や小紋の着物地で拵え、随分重宝してからずっともう幾冬もそれを離さない。日本の部屋で、洋装ぐらしをする女のひとは、案外そんな部屋着が役に立ち、又安楽で、しかも一寸そのまま人前に出ても大して失礼にも当らず、都合いいのではないかしら。縞や模様の気くばり次第で、全くの部屋着の感じにもなるし、落付いて地味な上っぱりともなるのだから。この間、私の伝授で或る若いひとが、近頃よくある紫のしぼりでそれをこしらえて着ているのを見た。とも切れの幅ひろく短い紐をちょんと横に結んだところもなかなか愛らしくて、びらしゃらもしないのである。
 日本の着物の感覚で、色彩的ということがもっとこまやかな味いで感じられるようにならなければうそと思う。
 近頃のけばけばしさ、というと普通にはすぐ懐古風に配色だの縞だのが思い浮べられているけれども、そういう逆もどりも実際には不可能だと思う。
 しぶい色、縞は、昔の日本の室内で近い目の前で見られるにふさわしいのだが、今日の東京の建築物では室内のスケールも変って来ていてその質量感にふさわしいようにという関心が、様々な色のこみすぎた盛り合わせとして現れて、却って色彩的でなくなってしまっている。二色或は三色きりの調和にある実にすがすがしい色彩感。単純な統一の一点に利いている小物の濃いゆたかな色彩、というような整理は、案外されていない。若い人は、雑多な色の間に自分の皮膚の若々しささえもみくしゃにされている。
 日本の若い女のひとが、若さを衣服の赤勝ちな色でだけ示している習慣をよく気の毒にも粗野にも思って眺める。そういう色の溢れた中から、パッと鮮やかな若い眼や唇がとび込んで来ることは非常に稀である。燃えるような紅をもっとしまった効果で、小さく強く、その紅が青春のおどろきとして効果をあげるように使われたら、どんなに美しいだろう。洋装では灰色を瀟洒に着こなしている若い女性は、和服だとやっぱり平凡な赤勝ちに身をゆだねて、自身の近代の顔を殺しているのが今日である。
 どうせ日本服があるなら、羽織を何時でも着て、折角の着物の趣を削ぐ風俗も少し改まればいいと思う。冬でも、おしゃれをしたときは、羽織なしがよい。よっぽど年をとったひとでない限り、たとえ私のようにまん丸であろうとも羽織なしの装はわるくないものだと感じられる。そういう点で、ふだん着とはちがう感情のアクセントがあってもわるくないものだろう。
 日本服だと、着こなしが云われて、その人としてのスタイルというところまでなかなか表現されていないことも、私たちに女の生活の一般化された平面さを考えさせる。年頃の娘さん、令嬢、奥さん、そういう概括はあるけれども、どんな娘さんというその人としてのスタイルを日本服にあらわしている人は極めて尠くて、それより先に金めがあらわれて来てしまっている。目につくのが好みより先に金のかけ工合であるというようなことは、やっぱり女の内面の貧しさを裏がえしに現していると思う。
 日本服というものを、末梢的にこねくって不徹底なみっともないものにするよりも、働くための服装は思い切って東西を問わないその人々の仕事にふさわしいものに変化させて行ったらいいのだろうと思う。
[#地付き]〔一九四一年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人の生活」第二冊、生活社
   1941(昭和16)年4月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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