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現実の必要
――総選挙に際して――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)騰《あ》げられた。

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(例)[#地付き]〔一九四六年四月〕
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 選挙が迫って来ている。人の気質によっては、こういうことに大して心をひかれないたちのものもある。そういう人は、これまで余り選挙などに熱中しないで、時には棄権もして来たかもしれない。信用出来もしない候補者に投票なんかしたくないと思って、良心的に棄権した場合もあったかもしれない。
 しかし、四月十日にきめられている今度の選挙は、私たちに、どんな心もちを抱かせているだろうか。少くとも、これについて無関心ではいられないものが、私たちの生活全体の事情から湧き上って来ている。
 理不尽な戦争を遂行させられて、日本の人民生活は、根本から破壊されている。しかも、幣原内閣は、それに対して決して皆の納得ゆくような方針を実現してはいない。にもかかわらず、現内閣は、よたつきながら、今倒れるか、今倒れるかと思われながら、とうとうモラトリアム公表という重大な危機さえ突破して、どういう工合に作成されたものか、一昨日(三月七日)には憲法改正草案を発表するところまでもち越して来ている。
 私たち七千万の人民は、自分たちの毎日の現実のひどい有様と、この無責任で親切気のない政府の不思議な居据り状態とを見較べて、しんから、このままで生活はどうなって行くのだろうかと思いはじめている。
 そもそも、インフレーションの原因は厖大極まる軍事費のおかげである。当時の代議士たちは、議会の白い建物の中で、一人のこらず夢のように巨額な軍事予算に賛成の手をあげて来たのであった。
 国民経済は全くうちこわされ、各家庭の経済は、ひどいやりくりももうこれぎりという際まで来た。モラトリアムが、インフレ防止の非常措置として布かれた。モラトリアムは物価との睨み合わせで、はじめて本当にものを云うのである。ところが、三月に入ってから、あらゆる物価は騰《あ》げられた。配給の米、醤油、そういう基本になる生活物資が約三倍になった。省線の二十銭区間は六十銭となり、四十銭で勤められた同じ距離が、一円二十銭かかるようになった。電車・バスも、うっかり乗れないものになって来た。電燈料、ガス代、水道料、これらもひどく高くなる。二倍どころでなく上る。いくらかやすくなったのは魚類で十五円のものが十円になった程度である。政府と最も近い関係にある面での物価が、三倍からそれ以上につり上げられて、逓信院ではハガキ二十五銭、封書五十銭にしようとしている。
 これらは、実におどろくべきことである。人民の使える金は、「五人家族五百円標準」ときめて、金を銀行、郵便局へ封鎖し、生きるために欠くことの出来ない生活必需費を、グイ、グイとつり上げている。私たちが、自分たちの頸のまわりで繩が段々締って行くように感じるのが、間違っているだろうか。
 封鎖された金は、人民生活の改善のために使われようとはしていない。政府は、モラトリアムまで布きながら、今だに、軍需産業への補償というようなことを云っている。「欠損をしている」のは、帳面づらだけだと、誰にも分りきった軍需生産者、つまるところは、戦争で儲けつくした者たちに、何故か幣原内閣は、なおも追銭をやらなければならない義理を感じているのである。戦争中、人民から集めた国防献金は七億円あまった。それは、今どこに管理されている。日婦が、一応解散したとき一億円だかの財産があった。それも、どこかの役所にしまいこまれている。
 失業者は二月下旬に五百八十三万人と云われた。これは、日本の失業統計のレコード破りである。これだけの人数が、みんな一ヵ月世帯主三〇〇円、家族数一人につき一〇〇円ずつの預金をどこからか下げて、あらゆる三倍ずつの生計費をまかなって暮し、花見をして、上機嫌で平和の春がうたえるものだと、かりそめにも思うものは無い。
 労働法が出来たけれども、国鉄従業員が尤もな待遇改善を求めると、当局はそれを拒むことの出来ない代りに、忽ち、運賃値上げをして、人民の負担に転化する。逓信院の値上げにしても同様である。何十万人という従業員は、やっといくらか給料がよくなったかと思うと、はや、のっぴきならぬ生活必需費で、増したよりも多くしぼられる。国鉄という一場面、一職場で、よしんば給料が上ったにしろ、日常必需の他の面でハガキ一枚二十五銭になられたのでは、やり切れないのである。まるで、人民はこう云われているように感じる。民主の日本と云い、労働法をつくれと云ったから、その通りにしてやった。云うとおりにすればこんな工合だぞ、と。一つの職場に働く勤労者、一般市民が、待遇改善に成功する他の職場の勤労者に対して、心からの同感や協力を感じないように、何となし迷惑めいた気をもつように、扱われている。働く人民にとって、こういう風に互の一致を裂くように仕向けられているということは、十分注意しなければならない点である。
 農民と都市の勤労者との間にも、同じような離間の方法がとられている。精根つくして自分で米をつくっている農民が、強制供出に応じなければ、刑にふれて牢獄に入れられることになった。供出したがらないには、農業会、統制会、その他の全配給機構への農民の不信任があるのだし、第一には、これまで俺たちは騙されていた、という支配権力に対する深い思いが原因しているのである。
 都会の消費者は、目前の食糧難に気がたって、つい農村を羨み、怨むような気分になる。しかも、双方にそんな思いをさせる政府こそ本当の対手なのである。
 発表された憲法草案は、日本の運命にとっていろいろ真面目な問題を持っている。第十二条に、「凡そ人は法の下に平等にして、人種、信条、性別、社会的地位、又は門地に依り政治的、経済的、社会的関係に於て差別をうくることなきこと」と明記されている。一方、人であって他の動物ではない天皇というものが、全く特殊な立場に固定され、その地位は世襲であり、一代にしろ華族というものが存在するのは、どういう矛盾であろうか。
 更に、この条項を眺めていると、私たちの心には、まざまざと先頃厚生大臣から発表された最低賃銀の規定が浮んで来る。男子三〇歳―五〇歳、四百五十円。女子一五〇円と。「人」といううちに、女子を含まないはずはない。人というなかに、三〇歳未満の青年たちがふくまれないというはずはない。女子の社会勤労が1/3と価づけられているのも不合理であるが、三十歳以下の勤労青年が、最低賃銀のきまりさえも与えられず、女子と共に、雇主にとってごくやすくてすむ労働力として公然と示されていることについて、若い人々は、どう感じているであろうか。
 モラトリアムで学生の学費一五〇円と制限されたが、この食糧難、住宅難、まして交通費の膨脹で、学生は帳面一冊買いにくいこととなった。文化の最も大切な資材である紙は決してやすくなっていない。印刷費は却って上って来ている。憲法草案第二十一条には「国民はすべて研学の自由を保護せらるべきこと」とあるのである。
 五百八十余万人の失業者、そのほかにかくされて深刻な社会問題となっている夥しい女子失業者は、同じく第二十五条「国民は総て勤労の権利を有す」という条項を、ただ書かれた文字として読んでいるだけではない。
 日本の真の民主化のために、なお封建的なのこりものの多く容認されているこの草案は不備なものではあるけれども、それでも、人民の権利と業務との規定では、これまでの日本憲法に明記されることのなかった民主的要素をもっているのである。
 この草案と照し合わせて、私たちの現実を見まわしたとき、すべての人民は、せめてここに云われている範囲までぐらい自分たちの生活が向上されなければ、これでは全く「人」以下だと思わざるを得ない。
 私たちが、人として、故なく奴隷的労働や、その意に添わざる苦役をしないでよいことはこの草案にも云われている。かりに、この草案が決定したとき、政府はこれらの条項に対して、すべてが反対というに近い現実に対し、本当に、どうしようと思っているのだろう。この疑問は、幼稚な言葉であらわされるが、全く、どうしようと思っているかしら、と思う。
 もう何年も、私たちは生きてゆくそのことを、自分たちの努力と分別とでやって来た。政府の力には、見当がついている。
 今回の総選挙が、私たち全人民にとって深い関心事である所以はここにある。選挙前にこの草案が公表されたことは、或る意味がある。長い封建の習慣と、戦争中の圧迫とで、自分でものを考え、判断する癖さえ失くしている日本の多数者に、少くとも「人」は、どのような生きる権利をもっているかという標準を示した。その標準と、今日の底をついた非人間な実際との間に、どんな解決の道があるのだろう。そこに、誰しも新しい政府を思い、その順序として選挙を思い、しかも、真に人民生活の向上をはかる実力ある、自分たちの政治を渇望するのである。偽りない主権在民を、実現したいと思うのである。その現実の力のつよさで、戦争というものの根絶された日本の民主生活の完成を見たいと思うのである。
 すべての人民が、今や自分の分別によって「人」たらんとしているのであるけれども、特に、青少年、婦人にとって、この選挙は、深い深い意義をもっていると思う。国民の中で、最も無権利である女性と青年たちが、戦争の最もひどい犠牲となった。働き盛りの男子が、赤紙一枚で数百万人も殺されたということは、じかに婦人と青年たちの生活の負担となって来ている。平和を確保し、人民社会を建設し、「人」として最も大きい飛躍をとげる原動力は、青年たちと婦人たちでなければならない。
 学生の政治活動が見られるようになり、各種の組合青年部が活溌となって来ているには、抑えることの出来ない必然がある。未来はわれらのものなり、というとき、青年たちの胸に木魂《こだま》する声は何であろうか。犠牲の甚大であった自分たちのこれまでの生活にかけて、その未来をもたらすものは、我等若もの、と応えずにはいられまいと信じる。[#地付き]〔一九四六年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「民衆の旗」
   1946(昭和21)年4月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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