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断想
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)趨《おもむ》こう

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(例)[#地付き]〔一九二〇年一月〕
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 人類が、生命の本然によりて掛ける祈願の前に、私共は謙譲であり、愛に満ちてありたい。
 あらゆる悲惨の彼方へ、あらゆる不正と、邪悪との彼方へ! 其れは利己的な、一寸法師の「我」が探求する事なのではないのだ、と想う。お互の魂の純真な憧憬を尊ばなければ成らない。或る人が、嘗て抱いていた希望を破壊されたからと云って、希望其ものの本質まで否定する事は許されない。
 幸福と云う事、真実な正義と云う事に就て、私共は何《ど》の点からも誤たない理解を持っているだろうか。真の幸福や正義が、瞬間的な、或いは詐偽的な目前の方便で支配され、されるべきものだと思っている事は、恐ろしいと思う。
 如何ほど聖純な祈願も、祈願する者は、私共である。外の何物でもない。そして又、其祈願が如何程失墜したとしても結局は、其祈願を捧げる私共の中に墜ちて来るのでは無いだろうか。
 よきものが或場合受けなければ成らない屈辱や、苦難やを、無頓着らしく冷笑する事は冒涜である。人類の真実な希願を蹂躙する者は、其の同じ足で、自分の生命を踏み躙っているのだ。
 私どもは屡々、自分等の足りなさから、失敗しているのは悲しむべき事実である。今、私共が見ずにはいられない事実であるけれども、私共は、失敗《フェイル》した今日の現象と、其の背後に潜んでいる希願との、恒久性の差を、明かに見て進まなければ成らないのではあるまいか。世界が趨《おもむ》こうとしている方向は、決して幻想郷ではない。人類の意向は、酔狂ではないのだ。
 皆が友と成らなければ成らない。皆が互に、互の献物を大切に仕合ってと[#「と」に「ママ」の注記]運ぶべき処が在るのでは無いだろうか、私共の生活を透して、相互に理解し、心から協力し合える範囲が、若し所謂人情の領域にのみ限られているものとしたら、各自の生活は、余り寂しいものである。
[#地付き]〔一九二〇年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「読売新聞」
   1920(大正9)年1月1日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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