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男女交際より家庭生活へ
宮本百合子

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 先頃の『弘道』に掲載された「日本人の理想に吻合《ふんごう》しない西洋人の家庭生活」と云う記事を読み、種々な感想の湧上るのを覚えました。
 全篇の結論として、目下問題とされている家族制度、家庭生活改善の理想を徒に外国の風習などに摸倣せず、日本は日本民族独特の見地から、識見を以て発足すべきであると云う主旨には、恐らく何人も意義を挾む者はないでしょう。
 あらゆる国々の習俗には、悉《ことごと》く美点と欠点とが並行しています。人間が、或る場合自己の天分によって却って身を過つことがあるように、一国にしても、或る時には、その是とすべき伝統的習俗によって、却って真実な人間的生活に破綻を生ぜしめることが多くあります。それ故、徒に新奇を競うて、外国人の営む生活の形骸を真似るのは、全く笑うべく悲しむべきことです。
 併し、一国の文化、社会状態を観察した場合に、何時も、その裏面、消極的方面のみに注目するのは、果して妥当な態度でしょうか。
 他人の話を聞き、他人に会い、その言動の裡から欠点ばかりを摘発するとしたら、結局自分は、今在るだけの自己を肯定するばかりで、何ら新らしい利益を得たことにならないのではありませんか。同様のことが、外国旅行者にも云えると思います。
 その上、日常生活はまるで日本とは違い、言語まで、その微妙な点で自分達の持合わせた感情とは異った内容を含蓄しているような場合、先ず、変なこと、妙なことの方が、一般の地味な社会生活の基礎よりは目立って見え、注意を牽くのは当然です。一寸見た場合、完全な顔の道具だてを持っている者よりは、大きな痣でも頬にある者の方が人目を欹《そばだ》てしめる。けれども、それが人類に与えられた顔として典型的なものであると云う人はありませんでしょう。
 修辞上の効果から云えば、自己の主張し肯定しようとする一方のものを引立てるために、それと対照する他の一方のものを強調して描くのが賢い方法であるかもしれません。
 併し、或る国の社会状態を紹介し、批評し、未だそれを直接見聞したことのない人々にも、思索の材料として提供しようとする場合、講演者なり、著者なりの眼の着け処は、真に大切なものではないでしょうか。
 最も、公平でなければなりません。美しい方面も、非難すべき方面も、共に見て、その間に横《よこた》わる美なる理由、非とすべき理由を研究しなければならないものではあるまいかと考えるのです。
 例えば、外国人の著書に屡々《しばしば》欧米の婦人運動、又は女性の社会に於ける位置の進化というものの研究材料として、東洋、多く支那、日本のそれを例に引く場合を考えて見ましょう。
 彼等は、日本の婦人が全く奴隷的境遇に甘じ、良人は放蕩をしようが、自分を離婚で脅かそうが、只管《ひたすら》犠牲の覚悟で仕えている。そして、自分の良人を呼ぶのにさえその名を云わず“Our master”と呼ぶ、と云ったと仮定します。
 これを見た日本人は、恐らく、一言を付加せずにはいられない心持が致しましょう。
 勿論、日本にもそんな無情な良人がないことはない。けれども、決して、一般の日本婦人の状態だとは云えない。寧ろ、そんなのは少数の例外で、多くは、良人は妻を扶け、妻は良人を扶けて相|偕《とも》に生活している、と云いましょう。英語に直訳すれば、まるで何だかよそよそしい、卑屈な響になって仕舞うが、日本の女性が良人を、「宅の主人」と呼ぶのは、決して、奴僕《ぬぼく》が雇主を指して云うような感情を持ってはいない。丁度、英語を喋る国の女が、自分の良人を第三者に対して話す時には、ミスター・誰々と姓を呼ぶ、それと共通な心理なのだと抗議を申し込むでしょう。
 言語、習俗が著しく異った場合、斯様な誤謬は起り易い。而して結果としては、双方が見出すべき大なり小なりのよい発見を失って仕舞うのです。表面的の事象から先ず反撥心に支配されて、深い生活の内面、或はよりよい事実を見失うのは、どんなものに対しても、我々の執るべき態度ではあるまいと思わずにはいられないのです。
「日本人の理想に吻合しない西洋人の家庭生活」を読み終ってから、私の心に起ったものは、世の中は見様で何と云う相違があることだろう! と云う驚きでした。例としてあげられた人々、場合は、勿論ありますでしょう。まして、私の狭い見聞は、米国の、而も紐育《ニューヨーク》市附近の知識階級に限られていると云ってよろしいのですから、フランスは勿論、他の国々のことに関しては、謹んで言葉を控えます。けれども、アメリカの風俗も彼等の為に弁護する為ではなく、我々が常識として或る社会の生活を余り偏した一面のみで知っていることは、如何にも反省すべきことと感ぜられます。米国なら米国の社会が現存し、我々と直接間接に交渉を持っていると云う事実は、決してリディキュラスな話で終ることではありません。「人によって見方も違う」と云われた一例として、私は自分の周囲に見聞きした事柄から綜合した観察を述べ、又、違った角度から見た事実を述べて見たいと思います。
 我々が、種々な社会状態、生活現象を観察する場合、先ず予備知識として頭に入れて置かなければならないのはその社会が、どんな個人によって形成されているかと云うことだと思います。
 総体として如何なる気質の人間の集合であるか、箇々の箇人は、その根柢に於て如何なる国民性の上に生存しているか。
 現象は、内に、原因を持たずに現れるものではありません。或る人が何か善行をする。或る男が破廉恥な罪悪を犯す。その善行なり、悪行なりの素因を万人は彼等の心事に見出そうとするように、私共が、或る国民の生活を観察する場合、漠然となりとも正鵠を得た、民族的気質を知らなければいけないと思うのです。
 それなら、米国人は、どんな気質、性格を持っているでしょうか。
 先ず、彼等が箇人主義的な生活をしていると云うことは誰でも申すことです。又、独立的気風に富んでいること、公衆道徳の進歩した国民、終りに驚くべき物質的であると云うのに、恐らく皆の意見は一致しますでしょう。
 如何にも米国人は箇人主義的な国民だと思います。独立的で、同時に今度欧州の大戦に参加してから彼等自身をも驚かした程の一致力を有し、各自が利害に明かで、着々と得るべきものは精神、物質両面ながら獲得して行きます。
 けれども、ここに考えなければならないことは、米国人は、箇人主義と云う一つの主義の上に、意識して彼等の生活を築きあげたのでもなく、又、独立的であるべきと云う道徳的訓練の後に、今日の気風を産み出したのでもない、と云うことです。
 箇人主義と云う思想上の一名詞が考え出されない以前から、既にアメリカ人の生活は、箇人箇性を基本に置いたものであった。アメリカが植民地時代から、独立的気風は各人の内心に燃えていた。それは、遠い昔、政治的思想的に紛糾を重ねた欧州の故国を去って、未開の新土に生活を創始しようと覚悟した程のものは、皆、何等かの意味に於て、強い箇人の自覚と、何物にも屈しない独立心を備えていたからなのです。
 アメリカと云っても、往古の状態は、決して今日我々の知識にある米国ではありませんでしたろう。今はもう人数も減り、圧迫されて仕舞ったアメリカン・インディアンが到る処に生活していました。畑と云う畑もなく、都市と云う都市もない。フランス、スペイン等の各国が、おのおの土地開拓に努力している。
 まるで、私共が、急にアフリカの真中にでも移住したように、絶えず生命の危険に脅かされ、自分の手一つの力で衣食住の要求を充たして行かなければならない場合、人は怯懦《きょうだ》でいられましょうか、他人により縋っていられましょうか。
 日本のように温和な自然に取囲まれ、海には魚介が満ち、山には木の実が熟し、地は蒔き刈りとるに適した場所に生きては、あの草茫々として一望限りもない大曠野の嵐や、果もない森林と、半年もの晴天に照りつけられる南方沙漠の生活とは、夢にも入るまいと思われます。恐ろしく狂暴な自然に抗しながら、健気《けなげ》に良人を扶けて、家を守り、殆ど生命を賭して子を育てる女性に対して、如何なる男性が侮蔑の声を発せられましょう。
 一朝、野蛮人の襲撃に会えば、彼等は、只、彼等の団結によってのみその敵を防がなければならない。一都市の政治的、商業的問題を本国と取定める場合には、誰か、彼等の信任する一人を、あらゆる舌、あらゆる心の代表として選出しなければならない。共和政体は、合衆国が独立を宣言するより以前から、その胚種を持っていたのではないでしょうか。
 困難に困難を忍びながらも、腕さえあればこれだけの収穫は見出せる! 幾エーカーと云う耕地に、小山の如く積みあげられた小麦の穂を眺めて、彼等は思わず誇りに胸を叩いたでしょう、その心持は察せられます。今日、彼等の社会を風靡していると云われる物質主義、精力主義、並に実利主義は、未開の而も生産力の尽くるところを知らない自然に向って、祖先が、本能的に刺戟された一方面の発育であると云えるのではありませんでしょうか。
 源泉は遠い遠い彼方迄|遡《さかのぼ》る、深い真実な人間生活、圏境の裡から湧き出している、それ故、まるで過去の歴史と、開国以来の国民的性格の異った私共が、軽々しくそれ等を批判することは出来ません。その真によい処も悪いところも、傍から考える[#「考える」に傍点]よりはもっと密接に、彼等の生活の髄まで滲み込んでいる訳です。第三者から見ると、どうして、ああかと思う程、自然に、身について或る一特性が善用されているかと思うと、その一方では、何故あれが看過していられるだろうと思うような矛盾が、当然のことのように行われている。そこに、我々が或る国民の生活を観察するに、先ず正しい、広い人類的理想主義の立場から眼を放つことを要とする理由が在ると思われるのです。
 大略、右のような背景の上に現今の米国人の生活が営まれているとすれば、広くは大統領と国民との関係、狭くは、親子、夫婦、雇主対被雇人の関係に至るまで、何等かの形式を通じて、これ等根本の性格に帰着するのは、自明な事実ではありませんでしょうか。
 私は先ず、相当な年齢に達した二人の青年男女に眼をつけましょう。そして、彼等の生活に対する態度、恋愛、結婚に対する見解、並に、親子の感情、生活を追究して見ようと致します。
 若し、東洋の女性が不当に圧迫せられ、退嬰した状態を、男尊女卑と云うならば、確に西洋の人間は、女尊男卑であると云えましょう。まして、米国人は、その点を、特に強調して伝えられていると思います。
 過去に於て中世の騎士気質《ナイトフッド》の伝統を受けている上に、彼等は冒険的な新生活に踏み込もうとするに当って、如何なる危険をも物ともせず随伴して来た女性に向っては、一層深い敬意を抱かせられました。信仰と希望とのみに頼って、勇ましく新天地に活動しようと云う、その雄々しい決心のみでさえ、男性を鼓舞するのに充分であったのに、いざ曠野での生活が始ってからは、勇ましい一人の人間として、頼らず怨まず自己の職分を尽して行く。あらゆる困窮の裡にあって、変らぬ助手とし、友とし、愛人として暖く男子の生涯を護った女性に、彼等祖先は、真個のノストラ・マーター(我等の母)の永遠性を感得せずにはいられなかったのです。まして、その時代には、移住した男子の数より遙に女性のそれは少なかったでしょう。
 それ故米国に於ける原始女性尊重の真意とでも云うべきものは、婦人を実力に於て認め、人格価値の上からは半歩も男子に譲るものではないと云う事実的な結論に加えて、彼等一流の光彩あるロマンティックな輝を添えたものであったのです。
 斯様な社会状態は、長年の間に、他国に見られない女性の自由な発達を遂げさせました。天分があり、才能があり、而して意志のある者なら、自分の望む限り、学術研究に携っても実務に就ても発展することが出来る。完く一箇の自由人、独立人として何者にも制せられず、天職と自覚した方針を戴いて何処までも努力出来ると云う事実は、一般女性の胸に小気味よい覇気と、独立心とを育てました。
 娘は、先ず東洋のように妻になり母になるべきものと云う概念を植付けられる前に、人として如何に生活すべきかを考えさせられます。あらゆる箇性の天分を涵養することを以て主眼とする学校教育は、彼女に希望を表現するに適当な手段方向を教えましょう。純正な宗教観から見れば、とかく云うべきことはあっても教会は、徒に狭い階級的、種族的生活からは一段高く、人類の心から人生を観ることを説き聞せ、友達となる男子は、彼女の裡に尊敬すべきもののあるのを予期した態度で幼年時代から交際している。
 只、女と云う魅力、愛嬌、又処女としてのしおらしさなどは抜きにしても実際彼地には、一箇の人とし、女性として、心から男性に帽を脱せしめるだけの識見、実力を具備した婦人が少くないのです。
 若し、米国の幾千万の女性が右のように完美なものであったら、勿論、男子が払う尊敬は正当であり、当然なものでしょう。然し、そうばかりとは、決して云えません。寧ろ今日の状態では、女性尊重を極度に俗化し、空虚な習俗として全然心ぬきに実行している者と、改めて習慣となったこの風を反省し、それに適当な制限をつけるのを正しいと認めている者との、実際上の対立となっていると思います。
 始めは、真心から発した感情の表現も、時を経実感が失せた時には、空疎な仕来《しきた》りとなってしまいます。その上に生ずる蛆が出来る。現在米国でも、相当の知識階級の、青年男女は、殆ど滑稽な外観のレディファースト(婦人第一)を決して誇ってはいないのです。
 彼等はもう、実際人として尊敬するには塵ほどの価値もないような女が、只、風俗を利用し、婦人を冷遇する男子は、紳士として扱われないと云う異性の弱点につけ込んで、放縦な、贅沢な寄生虫となっている厭わしさを見抜いています。
 又、腹の中では舌を出しながら、歓心を得ようが為許りに丁寧にし、コンベンショナルな礼を守り、一|廉《かど》の紳士らしく装う男子に祭りあげられるのは、女性として如何に恥ずべきことか、と云うことも知っています。正当以上――過度に、尊敬、優遇されることは却って一種の屈辱であることを、真実な若者なら知っています。
 それは、工場に通う女工のような者の中の幾部分や、小僧の幾部分かは、互の遊戯的気分から、わざわざ人中で靴の紐を結ばせ、結ぶような衒《てら》いをしますでしょう。然し、完全な四肢を与えられた者が、自分で自分の足の始末も出来ないでどうしましょう。又、そこまで身を曲げることも出来ないように高く堅いコーセットを胸に巻きつける必要が何処にありましょう。若い、健康な胸は、そのままで美しいのです。恐らく、彼女等の言葉も、私の書くと同じものであると信じます。
 故に、少くとも、高等学校《ハイスクール》以上大学に学ぶ位の若い男女の間は、公平、公明であると云う理想によって結ばれていると云っても誤ってはいますまい。
 教室や学生の倶楽部や、宴会によって、種々な異性同士が紹介されます。喋ったり、遊戯をしたり、一緒に舞踏をしたりして、多数の中で先ず交際が始ります。種々な傾向や種類の人中で自ら他と比較すれば、彼、或は彼女が、どんな性格、傾向であるか漠然とでも予測がつきましょう。
 彼地のように、会合と云えば極特殊なものでない限り必ず男女ともに参集する処では、我国で、恐らく女同士、男同士あい、知人になるような気持で、知人は双方にいくらでも出来ます。けれども、互にその家庭に招き合ったり、一緒に一団となって饗宴に出たり郊外に遊んだりするようなのは決して誰とでも、と云うことではなく、異性の交際が自由であり普通である丈、相互に強い好き嫌い、選択が行われる訳なのです。
 その選択は、これならばどう云う標準によって行われるかと云うことになります。
 好きな友達、嫌いな友達は、何で分れるだろうか。勿論、各人の趣味、専門の方向によりましょう。根本は性格に因るとしても、そこに一貫した共通点は、男子ならば、何より先ず、婦人に対して決して卑劣な言動をしない事が、条件となります。
 女性としては、貞潔な、己を高く持した朗かさを持たなければなりません。
 人格を見抜く力もなく、頭もなく、ちやほやされるままに気位なくあちこちと浮れ廻る娘は、只一人の真友も持ち得ないと同時に、女性に対して無責任、或は破廉恥な挙動をした者は、忽ち、友達仲間から除外されます。
 相当な面目を保った異性間には、何よりも潔白が重要視されます。友達は、飽くまでも友達です。而も、その友情が異性間に於ける場合には、自ら、同性間より微妙な節度と云うものがあります。決して、現在、日本で若い男女間の所謂交際と云うもののように、妙に陰翳があり、感情的で、危いものではありません。
 通り一遍の知人である男子と、第三者を加えず物見遊山に出かけたり、夜会に出たりすることは、正しい身持の娘なら決して仕ないことです。友達でも、或る年頃までは三人以上。二人きりで度々行動を共にするのを見れば、人はもう相互が愛人の関係にあるものと見、他の多くの異性の友人は、或る程度までの遠慮をするのが礼となっています。
 若し右のような不文律がなければ、交際社会に出た許りの十七八の娘は、如何程危険に曝されなければならないか分りません。どんな男性が、どんな心情を抱いて接近して来るか、日本などより遙に多い危険が、女性自身の矜持で防止されているのです。
 斯様にして交際しているうちに、多くの異性の中には、特に自分に興味を持ち、真実を抱いて来る者、又自らも抱く者が見出されて来るのが自然でありましょう。十人十五人の中では、先ずあの四五人が、真個に自分とは話も合い、心持も調和する。そう、あの四五人の中では――誰と、次第に時[#「時」に傍点]が選択を進めます。そして、何時とはなく、双方がより多く会う機会も持ち、より深く知り合い、愛敬し合い、愛人となる場合が多いのです。
 人間が真実に一人の異性を愛した場合、結婚は次に来る最も自然な結果だと思います。自分のこれ程愛する者と、どうかして共通な、心も身も団結した生涯を送りたい。愛する者ともろともに[#「もろともに」に傍点]生きたいと云う切な願が起った時、人間が人間である間は、結婚ほか道がなく思われます。自分の愛も深まり、相手の婦人の愛も知り得て、始めて男子から、求婚を申し出ます。それに、諾、否を与えるのは、最後の女性の自由権です。多くの場合、彼女は同じ幸福に輝きながら手を与えるでしょう。けれども、又、多くの場合、種々な問題も起って来る可能があります。結婚は一生の大事です。互が、最も希望と将来の光輝とを期待することである丈、種々に考慮しなければならない点が、実際問題となって起って来ます。それによって、幾年かの婚約を先ず予備するもの、或は、双方の重要な条件が相容れないためもう最後の一歩と云う点で失望に終るもの等、一方、軽々しく、まるで小荷物の郵送でもするような結婚があると思えば、他方には、苦しい、深刻な場面が展開されているのです。
 例として、或る一対の若者を見出しましょう。彼等は互に愛しています。結婚すれば、自分達がより楽しく、より笑顔多く生活出来ることは分っているけれども、夫妻の生活を安全に支えて行くだけの収入が、男性の方にない。或は、まだ学生生活をしている。若し、彼等が親となった時、その子に完全な扶養を与えることが出来ないと云うような場合、如何に若くても、彼等が社会生活に訓練されていると感心することは、斯様な時にも、決して、無思慮な行動に出ないことです。
 先ず、男が相当な地位に上るまで、或は職に就き得るようになる迄、互に確かな婚約を守って待っている。傍《かたわら》、女性の方も、学校の教師になるなり、事務所に務めるなり何なりして、力相当の蓄積をする。そして、二年なり三年なりの後、安全な基礎に立って生活を始める。日本の風習では、そんな場合、何故、娘なり息子なりの両親、同胞が助けないか、と云う質問、何故、僅かの間、良人の両親の家に起臥《きが》は出来ないのか、と云う疑問が起るかもしれません。
 助けないのは、薄情からではない。親も、若い者達も、自分達の生活を、他人の厄介で営むような恥かしさには辛抱が出来ない。我々[#「我々」に傍点]が結婚するからには、我々[#「我々」に傍点]で生きて行くのだ、と云う、確信があるからなのです。非常な富豪とか、又、一部の交際社会、所謂派手者の間では、親から財産を分与され、二十一で、お雛様のような結婚をする男もないではありません。
 けれども、多数を占めている中位の青年男女は、結婚の問題が起った時、果して自分等は自立して、一箇の家庭を営み得るか否かと云うことを考えずにはいないのです。幸、女子が何か職業を持ってい、その収入と合わせれば、優に二人の生活は保障されると云うような場合、事は容易に運ぶかもしれませんが、婦人が左様なものも持たず、又結婚後、家庭外に職業を持つことなどをよしとしない意見を捨てない女性であったりした時には、男子は苦しい思を抱いて引下らなければならないようなことにもなるのです。
 米国のように、生活の緊張した場所では、最も右のように経済的事情が、若者の難関となることが多いでありましょう。けれども、又異った故障が起ることがある。それは、或る研究なり、職業なりに従事している婦人が、或る異性に愛され、愛した場合です。彼女が、結婚生活に入る迄の仕事としてそれに対してい、結婚と同時にそちらは全然第二義? どうでもよいものにして仕舞う積りでいるのならば難かしいことはありません。日本の生活とは違い、交際も多く、用事も多いながら、建築や、日常風俗の影響から、一日に少くとも午後数時間の余暇は持ち得るあちらの生活では、遣ろうと思えば余技的な研究はいくらでも出来ます。その時間を利用して仕事を持続する丈で満足と思う人ならば簡単です。けれども、或ることを自己の天職と思い、たとい如何に愛を得、幸福を得るとしても、決して、その仕事には変更を与えたくない、それを主にして行かなければ到底安らかに生きられない、と云う時、彼等の間には、真面目な相談が起らずにはいないのです。
 彼等は、若い愛人同士とは思われない程落付いた綿密な態度で、家庭生活のプログラムを議し合うでしょう。
 第一、充分な時間。第二、研究なり仕事なりを実行するに是非必要な精力の経済。これ等が微細な実行問題となっては、種々な部分と、方法とに岐れます。これ等の、相互の生活が結合しないうちは何にも影響のないことであって、いざ一家を持つと種々な面倒や感情の齟齬《そご》を来しそうな点について、出来る丈精密な熟議を凝します。男子も同様な方面に働く人なら云うことはない。然し、そうでなく、或る程度までの趣味[#「趣味」に傍点]位に相手の仕事を見ていた者は、ここで、最大の決心をして女性の要求を拒絶しなければならないか、その深い広い愛で、悦んでそれを承引し得るかと云う境に立たなければならなくなって来るのです。斯様な立場では婦人も苦しみます。けれども、若し男性が、その時一時の気の毒さや興奮から、それを肯《うけが》って、却って後に不幸を招くようなことをするよりは、静に考え、寧ろ結婚するよりは、友達として平和な交際を続けることを勧めるほかないことさえあります。
 斯様に、全く自己の選択と意志によって一旦結婚してからは、彼等夫妻の関係が、真個に強い堅いものになるのは当然でありましょう。愛人とし、友として相互に見出した唯一人の男であり、女である。若し当初に於て誤ったものでないならば、彼等は老年、死に到る迄、胸の底深く純粋な友愛を失うことはないのです。
 けれども、ここに私共の考えなければならないことは、現在の日本の夫婦間には著しく欠乏している友情[#「友情」に傍点]が彼等に於ては感情の基礎となっている為に、或る一部の人からは、女性の奉仕が足りないとか、良人が甘いとか云う非難を聞かされることです。
 勿論、心の賤しい、出鱈目の女ならば、自分は臥床に横って良人を叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]するようなことがないとは云えません。又、人前では虚偽を装って、平常|擲《なぐ》りつける妻の腕を、親切気に保ってやる男もないではありませんでしょう。
 けれども、相当の人格を持った者の間には、夫婦の情愛が、もう一歩鎮り、叡智的になった友情が深く生活に潜入していると思います。妻の知識はいつも良人のそれよりは低いのが常態であり、常に、良人が上位から注ぐ思い遣り、労《いた》わり、一言に云えば人情に縋って生活する状態では、事実に於て、妻も良人も二人の人として肩を並べた心持[#「心持」に傍点]は知り難いものではないかと危ぶまれます。
 妻の要求も良人の要求も、同量の重みを持っている。妻のそれを満すことが目下より容易《たやす》いことであったら、先ずそれを先にし、後良人の方に取かかる。又、場合によっては、それが逆になるようなこともありましょう。お客があって、妻が丁度話しに身が入った時、紅茶を出すべき刻限になった。良人が立って行って、先刻妻の準備して置いた道具を持って来、それに湯を注ぐ。気がついて、夫人も話しながら体を動かして、菓子やその他を配るでしょう。
 何についても、斯様な、安らかな協力があると思います。下婢《かひ》を雇わない二人ぎりの家庭では、必ず妻が独りで食事の準備をすべきものとは思っていません。一緒に、何でも二人のために[#「二人のために」に傍点]都合よくと考えて行動します。故に、或る場合には、大局に於て結果のよい為に、小さい不便を忍ぶことが双方にあるでしょう。それは、二人の負う義務並に責任で、決して相すみません、と云わなければならないことではありません。互に為すべきことを明に弁え、正しく賢く着々と生活を運転させることが彼等の理想であって、理由のない遠慮で仕事も遅らせたり、過度な感情に沈湎して頭を乱すようなことは、見識のない無知として斥けずにはいられないことなのです。
 生きた例として、私はここに或る夫婦の日常を写して見ましょう。私が暫く世話になった大学の先生夫婦です。良人はコロンビア大学に植物を教え、夫人は、同じ大学に、矢張り植物の一分科を受持っています。子供はなく、六室ばかりのアパートメントに住んでいるのです。
 R氏は、大抵朝の九時、十時頃から、午後の四時頃まで大学に行っています。自分の研究室で授業外の時間は研究や書きものに没頭しているのです。けれども、夫人の方は、毎日時間があるのではありません。一週間のうち、月、木、金の日だけは朝から午後まで学校で、あとの日は皆自由時間なのです。
 学校へ行く日は、勿論良人と一緒に起き、朝飯を軽くすませ、戸に鍵を下して出かけます。アパートメントの入口にはいつも玄関番がいて、若し来客でもあった時には氏名、用向を聞いて書きつけて置きます。それを、帰って来た時に渡して呉れるのですが、あちらでは、約束をして置かないで人を訪問するのは、留守へ出掛けるものと定めて置いてよい位、誰でも、接客日でない日には、のらくら[#「のらくら」に傍点]家で時間を潰してはいないものです。たとい在宅であっても、きっとなりふりかまわず、何か仕事をしている。よほどの仲よしか、親類ででもなければ、電話で用だけ足して会わないで帰っても何とも云えない風習ですから、家中空になっても私共が、日本で経験するような不便、不都合はありません。
 で、二人とも学校の時は、勿論昼食は外ですませます。学校の中に、学生や先生のために、便利で健康的な食堂が出来ていて、廉価に滋養のあるランチが得られます。食後、暫く構内の散歩をし、誘い合って帰宅する時間まで、三時間なり四時間なり又研究を続けると云う訳なのです。
 両人に仕事のある日、夕飯は、静に落付いて食べると云うのが主眼で、決して無暗《むやみ》に手のかかったものを幾品も作ることはありません。大抵、米国の中以上の家では、肉汁《スープ》、肉類野菜の一皿。サラダが主なもので、あとは菓子、果物と珈琲位の献立てです。瓦斯《ガス》が自由に使え、いつでも蛇口を廻せば熱湯が出る台処は、働くに着物を汚す場所でもなければ、心持の悪い処でもありません。一時間も準備にかかれば気持よい夕餐が出来ます。
 それを、談笑のうちにしまい、後の洗物や何かは良人も手伝って、七時半頃までには、外出するとも勉強するとも、眠るまでの時を、さっぱり空けて置くことが出来ます。
 R氏の家は、丁度市街に沿うてある細長いモーニングサイド公園に近いので、夕食後三十分か一時間も緩《ゆっ》くりと散歩し、胃も頭も爽かになった時分に帰って、読書と、昼間書いた草稿を夫人に読んで聞かせ、忠言を得て字句の改正をする。夫人は、同じ灯の下で、明日の下調べをしたり、手紙を書いたり、時には長閑《のどか》に編物などを弄《いじ》る。――
 けれども、一週間の他の三日、火、水、土の昼間は、R夫人も却々《なかなか》多忙で家事の多くを弁じなければなりません。
 先ず火曜日は、先週の日曜の朝代えた下着や、敷布や襯衣《シャツ》その他の洗濯日、午後からは訪問と云う日割です。大きいものは一まとめに袋に入れて、朝来ることに定めてある洗濯屋に渡し、小さい手巾《ハンケチ》とか、婦人用の襟飾、絹のブラウズと云うようなものは、皆、家で洗い、それが、乾くまで、必要な箇所を訪問します。四時頃には帰宅し、夕飯の準備をする迄、一時間半もかかってこれに電気鏝をかけ、さっぱりとなったものを仕舞うことが出来ます。夕飯後は、それで、緩くりと本を読むなり、一寸した針仕事をするなり定ってはいない様子です。
 翌日は九時過ぎから通い女中が来て、手伝って部屋部屋の丁寧な掃除が始ります。花を新しく飾ったり、椅子の置き場所を代えたり、一つ部屋もなるたけ目先を変え心持よくして、午後からは接客をします。
 着物もさっぱりしたのに更え、お茶と菓子との支度を客間にして、約束のある人や、その日を待って会いに来る人を待ちます。一週間の間に面会する必要のある人は、相互にさし障りのない限り、一度に、順々話もすませ、次の週の順序も立てて仕舞うのです。
 土曜日は、一週間の買い入れ日です。あちらでは、日曜日は一般に全くの休日で、八百屋から肉屋、文房具屋まで店を閉じてしまいます。それ故、日曜日、次の月曜に入用なものは勿論、買いものは出来る丈この日に纏め、下町の、それぞれで名を売っているよい店で買おうとするのです。
 経済思想に富み、高い常識を持っている主婦は、決して馬鹿な買物はすまいと心掛けています。只廉いもの買いではなく、価と品質との正当なものを得ようとします。従って、店々の競争も、そこを狙って行われる。一般の買物日と定った日に纏めれば、多くの場合、場所により懸け値を少くよい物品を得られると云う訳なのです。
 夜は、時によれば日曜日にかけて、どこか静かな郊外に泊りがけで出かけることもありましょう。どちらにしても、土曜の晩は心置きなく悠《ゆっ》くり愉しむ時として、忙しい週日《ウイークデー》の中から取除にされています。日曜は十一時頃から教会に行き、昼餐は料理店《レストラン》ですませて市外の公園にゴルフをしに行ったり夫婦で夕暮まで郊外の野道を植物採集に逍遙する。
 家に帰って空腹に美味な晩食をとり、湯を浴び、熟睡して、更に新鮮な月曜日を迎えるのです。
 勿論、右のようなのは生活の大体の筋書で、例外も起れば、風雲|啻《ただ》ならないような場合もありましょう。けれども、このR氏夫妻のみならず、真個におのおのの業務に対する明確な責任感と、家庭人としての良心が円満な調和を保っている処では、何処にもこれに似た秩序の正しさと、健康な活動が在るように思われます。
 勿論、人間の生活が徒に秩序正しいので完全なものだとも云えなければ、整然としたのばかりがよいのではありません。然し、我々の生活では、頭や心が何等かの意味に於て混乱している時、願っても順序よい生産的な日常を持つことは出来ないのではありますまいか。
 彼等は、明に二つの独立した車輪です。どちらも一箇として生存し得ない不具品ではない。おのおのの特性を少しも失うことなく、而も友情と云う強靭な調帯によって、結果に於ては二人ながら希望する目的に向って、共同作業を営んでいるのです。
 ここに於て、必然子供の出生と云うことに就ては、多くの場合、明かな意識が加えられて来ます。日本のように、結婚すると間もなく、両親の精神さえ鎮まらないうちに、只管子供の為に忙殺されてのみ日を送るような生活ばかり[#「ばかり」に傍点]を、彼等はよしとしていません。子の為と云うより先に、まず親達が、二人の人間として充実した力と活動とを自分等の為に、要求する者が多い。従って、幾百万あるか分らない結婚者の子供に対する態度は、実際に於て、大体次の三様に分れているのではないかと思います。
 第一、結婚した両性の生活として、親になってこそ始めて使命の完うされるものであると云う立場から、幾人であろうとも生まれ出る子等を、しんから悦び迎える者。根本の立場は同じであっても、経済的事情、健康状態を考慮して、二人三人、質に於て最も優秀な子供を持ちたいと希望する者。
 第二は、結婚生活を、全く当事者間の箇人的結合と云う点にだけ強調して、互の事業を完成させる為、又は、互の精神的肉体的欠点を後代に遺伝させない為、全然子供を期待しないもの。
 最後に、非常な下層民で、生活の機能、人格価値などに対してはまるで無知なものが、熾烈な本能に身を任せて、乞食のように暮しながら無数な子供を産んで行く一群。一方それとは全く反対に、有り余る金はあり、子供の教育に責任を負うに充分な丈の健康と知能とは持ちながら、所謂自由が味えない為、容色が衰えるなどと云う恐怖から、無良心に科学の発達を濫用する者の一群になると思います。
 抑々《そもそも》、産児制限などと云う問題は、総論として一朝一夕に可否を断定し得ないものではありますまいか。それを現在の社会状態に鑑みて是とする者、愛国主義、或は軍備主義の尊重から、国家滅亡論として極端に拒絶する者。又、実際、それに対する箇人の道徳的意識が深正でない場合には、多くの誤りが行われることも事実でしょう。私は、ここでその一般論をとやかく云い度いとは思いません。斯様なことは、最も箇人的な、最も深い人生価値批判の後に解決されることと信じ問題としては各人の宿題にしたまま、先ず進みましょう。
 事実として、深い意識、真面目な期待の下に生れ出た子供等を、彼等の母親達は、随分真剣に愛しています。よく、外国人の女は、我々ほど子供を大切がらない、と云うことを聞きます。けれども、彼女等が子供の為に考え、研究し、秩序を立てて計画しているのを見ると、決して一概にそうは云えない心持が致します。それは、勿論、日本の若い母親のように、暇さえあれば膝に赤児を抱いてもいなければ、歩くに背に負いもしません。日本では、一般に理窟なく、只、「子にほだされる」のを一種の美しい人情として余り過重視してはいませんでしょうか。
 子供が一人生れると、朝から晩までその為に費され、本を読む暇もないのを、忠実な母の多忙と認めすぎてはいませんでしょうか。
 その点では、彼地の母親は可なり考えかたが異っていると思います。彼女等は、先ず、出来る丈深い専門的知識から、子供に必要な、哺乳、散歩、沐浴、衣服交換等の時間表を拵えます。発育に従って種々な変動は起っても、兎に角大体子供の時間表に準じて、今度は自分の仕事を割り当てます。保姆を置くような家庭では、主婦の自由時間はいくらでもありましょうが、普通の下女なしの家や、一人位の助手を雇っている処では、なかなか母に余裕はありません。そこを巧に繰廻し、乳母車に載せて、公園の静かな小路に散歩させる時を、同時に自分の遊歩時間にあてる。又は、三時間目なら、三時間目の哺乳と哺乳との間を抜けて、自分でなければ分らない用事を果す為に外出する。一体、あちらでは、立ち上る位までになった子でない、ほんの嬰児は、多くの場合、彼等の小さい揺籃《クレードル》の中に臥されています。母親は傍に椅子を引寄せて、あやしながらでも、体は自由に仕事が出来ます。いつも母の膝に抱かれているような習慣はありません。そんな風では、子供の健康に悪いのは勿論母が家事どころか身の廻りさえきちんとする事が出来ませんでしょう。
 嬰児で、いつも凝《じ》っと床にいるような時代は、それでも、まだ母親の時間はあるようです。歩き出す、そろそろ外に独りででも出かけたがる。そう云う時代になると、愛情の深い母は、殆ど昼間一杯を、子供中心に過さなければならなくなるらしゅうございます。それでも、紐育のような大都市では、大抵処々にある公園の子供遊場を中心にして、児童に戸外遊戯をさせるので、母親は、転がろうが辷ろうが安全な砂場、芝原に子供を自由に放して、自分は自分の為すべきことに没頭出来る設備になっています。
 丁度、朝十一時頃から午後三時頃まで、日当りの心持よい公園の広場を通ると、私共はよく、ときの声を挙げて悦び遊んでいる子供等の一群と、傍のベンチで、本を読み、編物、小さい縫物、又は不便そうに身を屈めて手紙まで書きながら付添っている保姆、母親を見受けます。
 戸外からは、まだ暖いうちに連れ戻って、体を洗ってやり、大人より早い晩食をとらせ臥床に入らせる。少くとも、夜間だけは、母親の時間、両親だけが、彼等一日の仕事をまとめ、或は悠くりと楽しみ休む時間になるのです。五つ六つになり幼稚園に通う頃になると、子供は次第に、独りで物事を処理することを訓練されます。友達同士の子供の社会で、一人だちで行為することを許されます。若し通路に危険がなく、公園にでも近ければ、子供は独りで一定の時間まで遊ばせられる。朝顔を洗うこと、挨拶すること、自分の着物を出来る丈自分で始末して、玩具や靴、帽子等に対して責任感を持たせられる。小さいながら、年相当一人の紳士とし、又は淑女として、両親の教育は次第に理智的、実際傾向を加味して来るのです。
 可愛ゆいと云っても、徒に贅沢な着物を着せるではなく、ちやほやするではなく、たとい転んで泣いても自分で起きさせ、自分で壊した玩具なら、自分でなおすなり、工夫してそれを巧く使えるようにするなり、何でも自発力で生活させようとする意識は、如何程、彼等親達の心に深い根を下しているか分りません。
 矢鱈に自由を拘束しない代りには、子供に悪感化を与える圏境からは出来るだけ遠ざかる。父が事務所に出勤し、一寸芝居でも見に出かけるには如何にも都合よい下町の家があったのだけれども、子供の為に、生理的、精神的に危険が多いから、自分達は着物一組ずつを儉約して、部屋代の高価な山の手の公園近くの閑静な場所に移る。玩具は、誕生日、名づけ日の祝とクリスマスなどによいものを買ってやる丈だけれども、夏には健康な田舎に避暑をして、単純に自然な田園の生活を経験させる。
 教育方針に対しても、小学校から大学までを順序よく好成績で経なければ、社会人として価値低い者と云うようなペダンティックな考えではなく、所謂学問は、希望次第、能力次第で何処まででもよい。兎に角、一人の公民として立派に生活して行ける丈の実力がありさえすればよいと云う実際的方面から向って行きます。そこに、アメリカ人の実に自由なよい処と、又、実に堪らない俗臭とがある訳ですが、親が、子供を、或る年齢で一人前と認め得ることを理想として育てる処はよいと思います。
 幼年時代から、両親は彼等の能う最大限の愛と努力と研究とで、徐々に、一箇の人としての基礎を子供等に与えてやる。学校は、広い常識と箇々の性格による専門的傾向を暗示する。そして、或る者は丁年になった時を、或る者は専門教育を終了した時を、新たな独立的生活の第一期と定め、それからは、生活方針を完く子等自身の意志によって支配させます。成長して子等も一箇の人間として立ったと云う感銘[#「感銘」に傍点]は、著しく我国に於けるそれとは強度を異にしているように感ぜられます。
 或る年になれば、親子は、完全に同等になります。自分を胎のうちから愛し育てて呉れた者と云うつきない愛、信頼によって、他に比類ない深甚な友愛によって結ばれた横の関係となるのです。何歳になっても、親子、と云うやや階級的な段ではありません。もう、親は親の信念、子は子の信念で生活すべきもの、そして、その結果は、相互を結ぶ友愛から全く各自に責任を負うと同時に、互に苦しませないように、互に蹉跌を生じないようにと配慮して行く。全く、朗らかな人間的な交渉で過されて行くのです。
 互いに倚《よ》りかかりっこで一体に纏まって行こうとするよりは、箇々が独立した存在で、互の間に放射される希望、信任、生気で、人生を暖かく溌溂たるものにして行こうと冀《こいねが》う。夫婦の間でも、同胞の間でも、皆そう云う傾向ではあるまいかと思います。或る箇人、例えば、父、良人、長兄などと云う一人の力に縋って、その人の庇護、その人の助力、その後援によって、一族円満に、金持もなければ貧しい者もない風で暮すのを理想とするよりは、もう一歩、人生に対して積極であると思います。先ず自己を、次に自己の現在の位置を安らかに肯定する丈の自信、よき自尊心を与えられる。一番の兄が富豪であるのに、自分が大学の僅かな月給に生活する助手であっても、自分に退《ひ》けめを感じさせない丈の自立心を持っていると思います。それ故、父が如何程金を積もうとも、娘や息子は、自分の力量相当の働によって生活して行くのを当然であると思う。又、日本の従来の如く、父の没後は長子が戸主となって、事業から交際まで主となって引継ぎをしなければならないのとは異い、幾人か同胞があれば交際、事業などは各自の選択によって行っている場所では、特に長子が多分の遺産を相続する必要[#「必要」に傍点]がありません。
 子の為に[#「子の為に」に傍点]生活するのでもなければ、親の為に[#「親の為に」に傍点]生活するのでもなく、諸共[#「諸共」に傍点]に人として正しく幸福に生活して行き度いと云うのが彼等の衷心の希いである様に思われるのです。
 勿論、これ等のことには、皆他の一面、他の消極があります。或る人は、それ程、暖い友情によって結ばれている夫婦が、何故あれ程頻々と、法廷で離婚訴訟を起すか。何故、金持の後とり娘だと云うと多勢の青年がつき纏うか。どうして、血で血を洗う相続争いが頻出するかと詰問されるでしょう。
 確に、それは世上の大半を覆うている事実です。けれども亦、私の書き連ねた一面も、動かすことの出来ない実相です。私共が箇性的差異として、各自の国民性を持ちながらも、世界人[#「世界人」に傍点]として生活し始めた今日、世界各処に発生し、発達した種々な生活意識、様式を、悉く、人[#「人」に傍点]の価値、人[#「人」に傍点]の理想と云う眼界にまで敷衍して考えたいと思います。
 故に、或る観念に刺衝せられた場合の或る国民は、その観念を知らず、又所有しない他の国民より、人として遙に低下した挙動に出ずることもありましょう。然し、知らないものには分らず為し得ない美挙を同一の観念から、運用の方法、理解如何によって産出することも、又可能であると云わなければなりません。
 私共は、出来る丈、広く、深く、あらゆる人類生活の経験を、自己開発の資料としたく思わずにはいられません。[#地付き]〔一九二二年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「女性日本人」
   1922(大正11)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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