青空文庫アーカイブ

第一回日本アンデパンダン展批評
宮本百合子

 こないだ久しぶりで第一回日本アンデパンダン展覧会を見て、断片的ですけれども、いくつかの印象が残りました。やっぱりあれは面白い展覧会であったと思います。よかれあしかれ、美術の外の分野に働いている私のような者にもいろいろ考えさせましたから。
 あの展覧会には、十何年か昔、日本にプロレタリア文学の運動と一緒にプロレタリア美術という運動があったころ、その指導的な活動をしていた旧「ヤップ」の方々の組織される現実会の会員の作品や、その頃はそういう団体には属していなかったけれども、今日古い画壇の空気にあきたりなくて、民主的な日本の社会の推移とともに自分の芸術を新しく発展させて行こうと計画している方々の作品、そして職場からの作品もありました。
 最後の日にほんの二、三時間見ただけですから、ずいぶん杜撰な印象だろうと思いますが、全体からうけた印象では、この展覧会に出品している方々は、それぞれの個人、それぞれのグループで、熱心に、古い客間の装飾用としての洋画から、ほんとうに今日に生きる私たちの生活の感覚と、そこにあるさまざまの主題を芸術化そうと努力されていることが、しみじみわかります。しかし、文学の方でもそうなのですが、その熱心と探究とは、まだほんとうに新しい芸術の水脈にあたっていないような、つまり摸索の形で、追求が受けとられました。
 ですから、技術的な細かいことのわからない私たちには、追求のさまざまな現われが、疑問として自分の心に残されました。疑問を掻きたてたところにあの展覧会の前進してゆく可能が隠されていたと思います。例えば、現実会のグループの方々の絵は、お互同士が大変よく似た色の感覚で、また素材へ向ってゆく角度にも大変似たものがあるように思いました。ずいぶん色の賑やかな、その賑やかさにおいて不思議な類似をもった絵が多くて、そのなかでは一人一人の画家のテンペラメントというものも弱く表われていたし、現実の受けとり方も、個性が、或いは生活が平均化されていました。
 もと「ヤップ」におられたころ幾つかの絵でおなじみの矢部友衛さん、岡本唐貴さん、寺島貞志さんその他の方々が、現実会の会員として、あの展覧会に出されていた作品は、あの頃と今日と十数年の間に、日本のすべての芸術家が人生の現実と芸術上のリアリズムの問題とでどんなにひどい目に遇ったかということを深く思い返させました。昔の矢部さんの絵は、色調において暗かったし、テーマもパセティックであって、奇麗な絵ではなかったかも知れませんけれども、私の心には今日なお刻まれている画面もあります。人生の現実、社会の歴史の現われ方がパセティックなものにばかり焦点を見るということは、一つのセンチメンタリズムであって、芸術家の広い視野と感受性とは、その反対の寛ろぎや、平安や、歓びを芸術の美として映し出すことは当然です。でも、現実会というその会の名をまじめに考えたとき、私は正直に言って、十人が十人似たような絵を似たような彩りゆたかさで、安易なテーマで描いていることについて不安を感じました。現実というものは、個々において、もっと多様です。リアリズムというものは、何かもう少し違った、動いているもの、遊んでいないもの、突っこんだものだと思います。過去十数年の日本人のおかれた生活があんまり暗かったから、それに対する抗議が、ああいう色彩や空虚なような明るさまで主張されたのでしょうか。おそらく現実会の方々自身が、この問題の本質的な発展のために、まじめに考えていらっしゃることと思います。

 新しくなるということは何という大事業でしょう。新しくありそして生長するということは――。新しくなる道を捜して、崩れてゆく過程は、文学でもはっきり現われています。ブルジョア・リアリズムの限界を感じて、しかも民主主義的な人民の文学の発生に対して自分を合流させなかった作家たちが、高見順からはじまって坂口安吾まで、椎名麟三まで、流れ崩れて、漂っています。芸術の分野で多くの要素を占めている小市民的な階層の作家たちの心情は、進歩的な人はつねに古いものの圧力と戦う意識をもっているけれども、戦いかたにおいて大変主観的であるということは、文学も美術も共通でしょう。
 あの展覧会にあった赤松俊子さんの二つの大きな絵は、その努力と、新しいものと古いものとの歴史的な一種の錯覚の痙攣がみられました。新しくなることのために、どれほど、平凡で分りきったような現実追求がされなければならないかということを飛躍して、画家の主観的な気分の昂揚の中で「新しい」ものを生もうとする苦悩がありました。
 このあいだ赤松さんにお会いしたら、私が深い疑問に感じたこの点を、自分ではっきり把えておられたので、うれしく思いました。しばらく健康を恢復させながら短い時間のうちに、御自分の思っていたよりも早く、芸術家としての彼女の前に積みあげられた乗り越えるべきものを、まともに踏みこえてみようと言っておられました。
 あの展覧会をみたあとで、赤松さんのこの率直な勉強の話をきいて、やっと先が明るくなりました。小市民的なヒロイズムそのものが人民の前衛ではありません。小市民の中にある客観的な、自己陶酔でない、歴史とともに前進してゆく進歩性、つまりブルジョア・リアリズムを着実な生成の過程で発展させてゆこうとする進歩性が、社会と芸術の前衛たりうるのではないでしょうか。前衛という言葉の意味は、歴史性のなかでまじめに考えられるべきでしょう。小市民的な主観性の中での先端、というような意味ではないと思います。文学においても、美術においても、小市民的な先端から、ほんとうに歴史を押し進めてゆく社会的階層の前衛としての本質に移ってゆくことは、芸術以前の生活において容易なことでないのと同じように、芸術の上では、おそろしく根気づよい過程が要求されているのだと思いました。

 職場からの出品は、この展覧会でも、他の場所に陳列された絵からうけた印象も、生活力には溢れているけれども、素人にわかる範囲での技法、ことに色彩の解釈や置きかたなどが、まだまだもとからあるものに支配され、追随していると感じます。そして何処やら、対象の掴みかたがぼんやりしている。つまり、描きたい心は百あって、描けているところが七十から八十で、あと二十の表わしたいという気持が、その客観的に画面に押しだされ切らない空気のなかに、漂っている感じでした。
 自立劇団が大変上手になったけれども新劇のあとを追っているという可能性があるように、絵画のような訓練の要る、材料に費用のかかる芸術では、職場といっても、そこの画家たちはいわゆる労働者ばかりではないでしょう。職場からの絵画のなかに、むしろ絵画以前のエネルギーとして表われている可能性は、現実会の作品や前衛美術会の雰囲気のなかに立ち混って、決して容易でない民主的芸術の前途を暗示しているようでした。
 あの展覧会には、日本画も幾つか出ていました。日本画というものの未来について、これらの日本画家はどんな展望を持っていられるかと興味をもちました。ちょうど私が見ていたとき、三人のアメリカ兵が会場に入ってきて、各室をスースー通りぬけながら最後の一室にやって来て、ああこれはいいと言って、一人混っていた女を先にたてて止まったのは、一枚の日本画の前でした。輸出芸術としての日本画の運命が何と鋭く閃いたでしょう。
 アンデパンダンの日本画家たちは、日本画というものの屈辱的な運命を克服する使命があります。日本画で線というものは何を意味するでしょう。法隆寺の壁画を思いだします。大観の絵と違った世界があることを感じます。この課題が日本画家たちによって、どう解かれてゆくでしょうか。

 内田巖さんのお母さんを描かれた二枚の肖像、永井潔さんの蔵原さんの肖像と男の像、なにか印象にのこります。一口で言いきれないものが残されているのです。
 内田さんという方は、作家からみれば、何か複雑な内部構成をもっている方だと感じます。言ってみれば、二つの極端にちがったものが気質的に内在していて、それを統一している力が、あの絵を描かせているというような感じです。あの絵は、何か一つの力で統率されているけれども、あれが割れたら、どんな人間性と芸術性があるのでしょう。絵の批評とすればトンチンカンなのかしれないけれども、私はそう感じました。だから、一方から言えば、あの絵にある不思議な冷たさ、どこか病的なところを突き抜けた先の内田さんはどういう絵をおかきになるのだろうと思いました。
 永井さんは大変才能のある作家だということを聞いていましたが、作品をみて私も同感しました。けれども、その蔵原惟人の肖像は、小説で言えばモデル小説です。かかれている人の名がわかって見る者は納得するというようなところがあって、画面そのものが何処やらただものでない一個の男をえがき出していて、おやと思ったら、或る人の肖像であったというような、画面の芸術的実在性が弱かったように思います。こんなことを言うのは、絵描きではないからでしょうか。顔は似ているけれど、画面での存在のし具合が、一個のサラリーマンの肖像とどれだけ違ったでしょうか。人間を描くということ、社会的・歴史的人間を描くということは、絵でも小説でも大仕事だと思いました。
 この他幾つかの印象に残っている絵があり、一見平凡のようだったそれらの絵の作者のこの次の作品が楽しみのような気がします。カタログに記録をつけなかったので、はっきり画題までは言えませんが、「都民」という絵には光線がバラバラで画面のまとまりが悪かったけれど、生活的なおもしろさがありましたし、バリカンで頭を刈っている絵とか、傷病兵をかいた絵など、技術的には幼稚にちがいなくても、なにか人生の実感に触れたところがあって心ひかれました。
 若い婦人たちが幾人か習作をだしていたことも注意をひかれました。朱葉会ともちがった絵がここから出ることが期待されます。



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:同上
  (「美術運動」談話筆記録、休刊のため未発表
   1947(昭和22)年12月頃)
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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