青空文庫アーカイブ

情景(秋)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)澱《にご》った

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)チェックの|アンサンブル《ポタージュをのんでいる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#丸ス、1-12-71]
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     秋の景色(十一月初旬)

○曇り日 日曜。ちっとも風がない。
  ○すっかり黄色くなった梧桐の葉、
  ○その落葉のひっかかっている槇の木の枝
  ○きのうの雨でまだしめっぽく黒く見えている庭木の幹。
 離れの方から マンドリンとピアノの合奏がきこえて来る。
◎ひどく雨が降っている。
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 ○遠くの方で、屋根越しに松の梢がまばらに大きく左右へはり出した枝を ゆすっているのが雨中に見える。
 ○柿の木がすっかり葉をおとし、いくつかの熟した実を盛に雨にうたれている。
[#ここで字下げ終わり]
◎バスにのって戸塚の方へ出たら雨がザーザーふっている。バスの前方のガラスを流れている。
 降りる頃には またやんでしまっていた。
◎芝居のかえり。初日で十二時になる(群盗。)アンキーとかいう喫茶。バーの女給。よたもん。
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茶色の柔い皮のブラウズ。鼠色のスーとしたズボン。クラバットがわりのマッフラーを襟の間に入れてしまっている。やせぎすの浅黒い顔、きっちりとしてかりこんだ髪。つれの女の子、チェックの|アンサンブル《ポタージュをのんでいる》(赤、緑、黒的)黒いハンドバッグと手袋とをその男がもってやっている。このよた[#「よた」に傍点]、ちっとも笑顔をせず。
「あっちへつけときましたから」
「おつけになって下さいましたの?」
「ええ」
[#ここで字下げ終わり]
〔欄外に〕
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バアの女給。十二時頃 tea Room でポタージュをたべ トウストをたべる。ヴィンナ、トウストマダムという女 朱 赤と薄クリームの肩ぬき的な洋装、小柄二十四五位
[#ここで字下げ終わり]

 夕方五時すぎ。
[#ここから2字下げ]
電車道のところを見るとさほどでもないが濠の側を見ると、濃くもやが立ちこめて四谷見附に入る堤が ぼんやりかすんで見える。電《街》燈はそれにとけ込んでいる。
○電柱に愛刀週間[#「愛刀週間」に枠囲み]の立看板
◎右手の武者窓づくりのところで珍しく門扉をひらき 赤白のダンダラ幕をはり 何か試合の会かなにかやっている
黒紋付の男の立姿がちらりと見えた。

○花電車。三台。菊花の中に円いギラギラ光る銀色の玉が二つある
能の猩々。
子供の図
あとから普通の電車に赤白の幕をはったのがついてゆく。新議事堂落成祝のため。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕
○皇太子の生れてよろこびの花電車(1933の暮)春日町のところで会った。こちら自動車。ダーやられたとき あの感じを思い出した。
[#ここで字下げ終わり]

     遭遇の場面

○新響のかえり。銀座。男二人女一人
 アラ! ああやっと見つけたという工合だわ
  アミノ と。
◎若松に入ってゆく、奥へゆく。右手に若い男二人こっち側、あっち側に緑郎
[#ここから2字下げ]
鶴「いとこさんがいるよ」
見ると、しきりに何か喋っている
一人がしきりにこっちを見ている、
やがて気がつく。笑う。やがて緑 帽子をぬぐ。(何か自然で、おとなしく しつけよい感じ)
鶴「あのひともこの頃顔がなかなかしっかりして来たね」
「うん、いろいろ書いてやっているからね」
[#ここで字下げ終わり]
 林町の通りへ入ったら後から Head light、そうかな。こっち止る、うしろも止る。すると緑が出て来てドアを外からあけてくれる。そういうものごしの中にある スラリとして細かいところ。

     秋の夕映

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午後五時頃、
 廊下へ出て見るとまるでつき当りの窓が赤い。
 空を見ると
冴えた水色とすこし澱《にご》った焔のような紅色とが横だんだらに空じゅうひろがっている。何だか他の季節の夕やけのように光の暖みを感じられず 只色どりの激しさのみ感じられ、変に不安を刺戟されるような印象である。
 その横まだらの空に 葉を半ば落したサイカチの梢がそびえている。
[#ここで字下げ終わり]

○十一月の或小雨もよいの午後四時。
[#ここから2字下げ]
暗いので部屋に灯がついている。
入った右手の安楽椅子のところに紀 ラクダ毛布を引かついで眠をぶっている。
※[#丸ス、1-12-71]紫矢がすり 赤い友禅のドテラ引かぶって櫛のハの通っていない髪 青い半ぐつした。
室中に何とも云えず重い懶い雰囲気がこめている。
その同じ娘が 人中では顔も小ぢんまり 気どる。スースーとモダン風な大股の歩きつきで。
それに対する反感。
[#ここで字下げ終わり]

     十一月初旬の或日

[#ここから15字下げ]
やや Fatal な日のこと。
梅月でしる[#「しる」に傍点]粉をたべ。
[#ここで字下げ終わり]
 午後久しぶりでひる風呂、誰もいず。髪をあらう、そのなめらかな手ざわりのなごやかさ。
 日当ぼっこ、髪かわかしカン※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ス椅子
 柿モギの声 昔の家のことを思う

 夜。暗い屋敷町
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 歩いている男 ホームスパン的な合外套の襟を立てて靴の音、
 横丁から出て来た犬と少女。すぐつづいて男と女。
 ずっと歩いていて、煙草のすいガラをパッとすてた、火の粉が暗い舗道の上に瞬間あかるくころがる。
[#ここで字下げ終わり]

 夕暮。もう家のなかはすっかりくらい。留守で人の居ない庭へ面してあけ放たれている さっぱりした日本間。衣桁の形や椅子の脚が、逆光線で薄やみの中に黒く見える。つめたいさむさ。土の冷えが来るような 庭のしめり。
○西日のよくあたる梢の上かわだけ紅葉しているもみじ。
○すっかり黄色い七分どおり落ちた梧桐、
○銀杏の葉のふきだまりが土蔵の横に出来ている。
○便所にいる。
[#ここから1字下げ]
 ギャーギャーとまるで お上でものをいうのとはちがった声色で ふざけ笑っている女のこえ。
[#ここで字下げ終わり]

     午後

 サイレンはついききおとしたが 方々の寺で鐘がなり、それに合わせるように 裏通りで 豆腐屋のラッパがしきりに鳴る、そういうあたりの活気をひろ子は 物珍しく感じた。
 頭をあげて そとを見た。
[#ここから1字下げ]
 曇った日
 となりで
   アアちゃん
 という声、シャラシャラおまつりのたすきに鳴るような鈴の音がしている。
[#ここで字下げ終わり]

     或女の人相

 そのひとはどこが変っているというのではないが 目玉が丸く黒くなったようで 瞼の間にある艷やかさが ぬけてしまっている。寂しく不安なような表情、紅がついている小さい口がよく動き たっぷりした頬に白粉があるだけ却って。



底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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