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小園の記
正岡子規
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)僅《わずか》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)鳥|翔《かけ》る様
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
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我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥|翔《かけ》る様もいとゆたかに眺めらる。始めてこゝに移りし頃は僅《わずか》に竹藪を開きたる跡とおぼしく草も木も無き裸の庭なりしを、やがて家主なる人の小松三本を栽ゑて稍《やや》物めかしたるに、隣の老媼の与へたる薔薇の苗さへ植ゑ添へて四五輪の花に吟興《ぎんきょう》を鼓せらるゝことも多かりき。一年軍に従ひて金州に渡りしが其帰途病を得て須磨に故郷に思はぬ日を費し半年を経て家に帰り着きし時は秋まさに暮れんとする頃なり。庭の面去年よりは遥にさびまさりて白菊の一もと二もとねぢくれて咲き乱れたる、此景に対して静かにきのふを思へば万感そゞろに胸に塞がり、からき命を助かりて帰りし身の衰へは只此うれしさに勝たれて思はず三逕就荒《さんけいしゅうこう》と口ずさむも涙がちなり。ありふれたる此花、狭くるしき此庭が斯く迄人を感ぜしめんとは曾《かつ》て思ひよらざりき。況《ま》して此より後病いよ/\つのりて足立たず門を出づる能《あた》はざるに至りし今小園は余が天地にして草花は余が唯一の詩料となりぬ。余をして幾何《いくばく》か獄窓に呻吟するにまさると思はしむる者は此十歩の地と数種の芳葩《ほうは》とあるがために外ならず。つぐの年、春暖漸く催うして鳥の声いとうらゝかに聞えしある日病の窓を開きて端近くにじり出で読書に労《つか》れたる目を遊ばすに、いき/\たる草木の生気は手のひら程の中にも動きて、まだ薄寒き風のひや/\と病衣の隙を侵すもいと心地よく覚ゆ。これも隣の嫗よりもらひしといふ萩の刈株寸ばかりの緑をふいてたくましき勢は秋の色も思はる。真昼過より夕影椎の樹に落つる迄何を見るともなく酔ふたるが如く労れたるが如くうつとりとして日を暮らすことさへ多かり。
今迄病と寒気とに悩まされて弱り尽したる余は此時新たに生命を与へられたる小児の如く此より萩の芽と共に健全に育つべしと思へり。折ふし黄なる蝶の飛び来りて垣根に花をあさるを見てはそぞろ我が魂の自ら動き出でゝ共に花を尋ね香を探り物の芽にとまりてしばし羽を休むるかと思へば低き杉垣を越えて隣りの庭をうちめぐり再び舞ひもどりて松の梢にひら/\水鉢の上にひら/\一吹き風に吹きつれて高く吹かれながら向ふの屋根に隠れたる時我にもあらず惘然《ぼうぜん》として自失す。忽《たちま》ち心づけば身に熱気を感じて心地なやましく内に入り障子たつると共に蒲団引きかぶれば夢にもあらず幻にもあらず身は広く限り無き原野の中に在りて今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる。狂ふにつけて何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつら/\見れば蝶と見しは皆小さき神の子なり。空に響く楽の音につれて彼等は躍りつゝ舞ひ上り飛び行くに我もおくれじと茨葎のきらひ無く蹈《ふ》みしだき躍り越え思はず野川に落ちしよと見て夢さむれば寝汗したゝかに襦袢《じゅばん》を濡して熱は三十九度にや上りけん。
げん/\の花盛り過ぎて時鳥《ほととぎす》の空におとづるゝ頃は赤き薔薇白き薔薇咲き満ちてかんばしき色は見るべき趣無きにはあらねど我小園の見所はまこと萩《はぎ》芒《すすき》のさかりにぞあるべき。今年は去年に比ぶるに萩の勢ひ強く夏の初の枝ぶりさへいたくはびこりて末頼もしく見えぬ。葉の色さへ去年の黄ばみたるには似ず緑いと濃し。空晴れたる日は椅子を其ほとりに据ゑさせ人に扶《たす》けられてやうやく其椅子にたどりつき、気晴しがてら萩の芽につきたるちいさき虫を取りしことも一度二度にはあらず。桔梗撫子は実となり朝顔は花の稍少くなりし八月の末より待ちに待ちし萩は一つ二つ綻《ほころ》び初たり。飛び立つばかりの嬉しさに指を折りて翌は四、あさつては八、十日目には千にやなるらんと思ひ設けし程こそあれある夜野分の風はげしく吹き出でぬ。安からぬ夢を結びてあくる朝、日たけて眠より覚むれば庭になにやらのゝしる声す。心もとなく這ひ出でゝ何ぞと問ふ。今迄さしもに茂りたる萩の枝大方折れしをれたるなりけり。ひたと胸つぶれていかにせばやと思へどせん無し。斯くと知りせば枝毎に杖立てゝ置かましをなど悔ゆるもおろかなりや。瓦吹き飛ばしたる去年の野分だに斯うはならざりしを今年の風は萩のために方角や悪かりけん。此日は晴れわたりてやゝ秋気を覚え初めしが余は例の椅子を庭に据ゑさせ、バケツとかな盥《だらい》に水を湛へて折れ残りたる萩の泥を洗へりしかど、空しく足の痛みを増したるばかりにて、泥つきし枝のさきは蕾腐りて終に花咲くことなかりき。園中何事も無きは只松と芒とのみ。
去年の春彼岸やゝ過ぎし頃と覚ゆ、鴎外漁史より草花の種幾袋贈られしを直に播きつけしが百日草の外は何も生えずしてやみぬ。中にも葉鶏頭をほしかりしをいと口をしく思ひしが何とかしけん今年夏の頃、怪しき芽をあらはしゝ者あり。去年葉鶏頭の種を埋めしあたりなれば必定それなめりと竹を立てゝ大事に育てしに果して二葉より赤き色を見せぬ。嬉しくてあたりの昼照草など引きのけやう/\尺余りになりし頃野分荒れしかばこればかり気遣ひしに、思ひの外に萩は折れて葉鶏頭は少し傾きしばかりなり。扶け起して竹杖にしばりなどせしかば恙《つつが》なくて今は二尺ばかりになりぬ。痩せてよろ/\としながら猶燃ゆるが如き紅、しだれていとうつくし。二三日ありて向ひの家より貰ひ来たりとて肥え太りたる鶏頭四本ばかり植ゑ添へたり。そのつぐの日なりけん。朝まだきに裏戸を叩く声あり。戸を開けば不折子が大きなる葉鶏頭一本引きさげて来りしなりけり。朝霧に濡れつゝ手づから植ゑて去りぬ。鶏頭、葉鶏頭、かゝやく[#「かゝやく」はママ]ばかりはなやかなる秋に押されて萩ははや散りがちなりしもあはれ深し。薔薇、萩、芒、桔梗などをうちくれて余が小楽地の創造に力ありし隣の老嫗は其後移りて他にありしが今年秋風にさきだちてみまかりしとぞ聞えし。
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ごて/\と草花植ゑし小庭かな
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底本:「花の名随筆9 九月の花」作品社
1999(平成11)年8月10日初版第1刷発行
底本の親本:「子規全集 第一二巻 随筆二」講談社
1975(昭和50)年10月発行
※「媼」と「嫗」の混在は底本通りにしました。
※本文は旧仮名遣いですが、ルビは新仮名遣いであると判断して、ルビの拗促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年9月14日作成
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