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正岡子規

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○斯う生きて居たからとて面白い事も無いから、一寸死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒヨコと帰つて来て地獄土産の演説などは甚だしやれてる訳だが、併し死にツきりの引導渡されツきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいつて見たところで、諸行無常老少不定といふので鬼が火の車引いて迎へに来りや今夜にも是非とも死なゝければならないヨ。明日の晩実は柳橋で御馳走になる約束があるのだが一日だけ日延してはくれまいかと願つて見たとて鬼の事だからまさか承知しまいナ。もつとも地獄の沙汰も金次第といふから犢鼻褌のカクシへおひねりを一つ投げこめば鬼の角も折れない事はあるまいが、生憎今は十銭の銀貨も無いヤ。無いとして見りヤうかとはして居られない。是非死ぬとなりヤ遺言もしたいし辞世の一つも残さなけりヤ外聞が悪いし……ヤア何だか次の間に大勢よつて騒いで居るナ。「ビヤウキキトク」なんていふ電報を掛けるとか何とかいつてゐるのだらう。ナニ耳のそばで誰やら話しゝかけるやうだ。何かいふ事ないか、いふ事無いでも無い、借金の事どうかお頼み申すヨ。それきりか、僕は饅頭が好きだから死んだら成るべく沢山盛つて供へてもらひたい。それは承知したが辞世は無いか、それサ辞世の歌一首詠まうと思つたが間に合はないから十七字に変へて見たが、矢張まだ五字出来ないのだが、五文字出来なけりヤ十二字でも善いぢやないか、言つて見たまへ、そんなら言つて見よか「屁をひつて尻をすぼめず」といふのだ、何か下五文字つけてくれ、笑つてちヤいけないヨ、それぢやネ萩の花と置いてはどうだ、それヤどういふ訳だ、どういふ訳も無いけれど外に置きやうは無しサ、今萩がさかりだから萩の花サ、そんな訳の分らぬのは困るヨ、ぢや君屁ひり虫といふのはどうだ、屁ひり虫は秋の季になつてるから、屁をひつて尻をすぼめず屁ひり虫か、そいつは余りつまらないぢやないか、つまらないたツて困つたナ、それぢヤこれではどうだ、屁をひつてすぼめぬ穴の芒かなサ、少しは善いやうだナ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ、迷はずに往つてくれたまへ、迷つたら帰つて来るヨ……イヤに静かになつた。誰やらシク/\泣いてるやうだ。抹香の匂ひがしやアガラ。此匂ひは生きてる内から余り好きでも無かつたが死んで後も矢張善く無いヨ、何だか胸につまるやうで。胸につまるといへばからだが窮屈だね。こリヤ樒の葉でおれのからだを詰めたに違ひない。棺を詰めるのは花にしてくれといつて置くのを忘れたから今更仕方が無い。オヤ動き出したぞ。墓地へ行くのだナ。人の足音や車の軋る音で察するに会葬者は約百人、新聞流でいへば無慮三百人はあるだらう。先づおれの葬式として不足も言へまい。……アヽやう/\死に心地になつた。さつき柩を舁ぎ出された迄は覚えて居たが、其後は道々棺で揺られたのと寺で鐘太鼓ではやされたので全く逆上してしまつて、惜い哉木蓮屁茶居士などゝいふものはかすかに聞えたが、其後は人事不省だつた。少し今、ガタといふ音で始めて気がついたが、いよ/\こりや三尺地の下に埋められたと見えるテ。静かだツて淋しいツて丸で娑婆でいふ寂寞だの蕭森だのとは違つてるよ。地獄の空気は確かに死んでるに違ひ無い。ヤ音がする。ゴーといふのは汽車のやうだがこれが十万億土を横貫したといふ汽車かも知れない。それなら時々地獄極楽を見物にいつて気晴らしするもおつだが、併し方角が分らないテ、滅多に闇の中を歩行いて血の池なんかに落ちようものなら百年目だ、こんな事なら円遊に細しく聞いて来るのだツた。オヤ梟が鳴く。何でも気味の善い鳥とは思はなかつたが、道理で地獄で鳴いてる鳥ぢヤもの。今日は弔はれのくたびれで眠くなつて来た……最う朝になつたか知ら、少し薄あかるくなつたやうだ。誰かはや来て居るよ。ハア植木屋がかなめを植ゑに来たと見える。併しゆうべ迄あつた花はどうしたらう、生花も造花も何んにも一つも無いよ。何やら盛物もあつたがそれも見えない。屹度乞食が取つたか、此近辺の子が持つて往たのだらう。これだから日本は困るといふのだ。社会の公徳といふものが少しも行はれて居らぬ。西洋の話を聞くと公園の真中に草花がつくつてある、それには垣も囲ひも何んにも無い。多くの人は其傍を散歩して居る。それでも其花一つ取る者は仮にも無い。どんな子供でも決して取るなんていふ事は無いさうだ。それが日本ではどうだ。白壁があつたら楽書するものときまつて居る。道端や公園の花は折り取るものにきまつてゐる。若し巡査が居なければ公園に花の咲く木は絶えてしまふだらう。殊に死人の墓に迄来て花や盛物を盗む。盗んでも彼等は不徳義とも思やせぬ。寧ろ正当の様に思つてる。如何に無教育の下等社会だつて――併し貧民の身になつて考へて見ると此窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事も無い。墓場の鴉の腹を肥す程の物があるなら墓場の近辺の貧民を賑はしてやるが善いぢヤないか。貧民いかに正直なりともおのれが飢ゑる飢ゑぬの境に至つて墓場の鴉に忠義だてするにも及ぶまい。花はとにかく供へ物を取るのは決して無理では無い。西洋の公園でも花だから誰も取らずに置くが若しパンを落して置いたらどうであらう。屹度またたく間に無くなつてしまふに違ひない。して見れば西洋の公徳といふのも有形的であつて精神的では無い――ヤ、大勢来やがつた。誰かと思へば矢張きのふの連中だ。アヽ深切なものだ。皆くたびれて居るだらうけれどそれにも構はず墓の検分に来てくれたのだ。実に有り難い。諸君。諸君には見えないだらうが僕は草葉の陰から諸君の厚誼を謝して居るよ。去る者は日々に疎しといつてなか/\死者に対する礼はつくされないものだ。僕も生前に経験がある。死んだ友達の墓へ一度参つたきりで其後参らう/\と思つて居ながらとう/\出来ないでしまつた。僕は地下から諸君の万歳を祈つて居る。……今日は誰も来ないと思つたらイヤ素的な奴が来た。蘭麝の薫りたゞならぬといふ代物、オヤ小つまか。小つまが来ようとは思はなかつた。成程娑婆に居る時に爪弾の三下りか何かで心意気の一つも聞かした事もある、聞かされた事もある。忘れもしないが自分の誕生日の夜だつた。最う秋の末で薄寒い頃に袷に襦袢で震へて居るのに、どうしたかいくら口をかけてもお前は来てくれず、夜はしみじみと更ける、寒さは増す。独りグイ飲みのやけ酒といふ気味で、最う帰らうと思つてるとお前が丁度やつて来たから狸寝入でそこにころがつて居るとお前がいろ/\にしておれを揺り起したけれどおれは強情に起きないで居た。すると後にはお前の方で腹立つて出て往かうとするから、今度はこつちから呼びとめたが帰つて来ない。とう/\おかみの仲裁でやつとお前が出て来てくれた時、おれがあやまつたら、お前が気の毒がつて、あんたほんたうにあやまるのですか、それでは私がすみません、私の方からあやまります、といふので、ヂツと手を握られた時は少しポツとしたよ。地獄ではノロケが禁じてあるから深くはいはないが、あの時はほんたうに最う命もいらないと迄思つたね。したがお前の心を探つて見ると、一旦は軽はずみに許したが男のいふ言は一度位ではあてにならぬと少し引きしめたやうに見えたのでこちらも意地になり、女の旱はせぬといつたやうな顔して、疎遠になるとなく疎遠になつて居たのだが、今考へりやおれが悪かつた。お前が線香たてゝくれるとは実に思ひがけなかつた。オヤまた女が来た。小つまの連かと思つたら白眼みあひにすれ違つた。ヤヤヤみイちやんぢや無いか。今日はまアどうしたのだらう。みイちやんに逢つては実に合す顔が無い。みイちやんも言ひたい事があるであらう。こちらも話したい事は山々あるが最う話しする事の出来ない身の上となつてしまつた。よし話が出来たところが今更いつてみてもみんな愚痴に堕ちてしまふ。いはゞいふだけ涙の種だから何んにもいはぬ。只こゝからお詫びをする迄だ。みイちやんの一生を誤つたのは僕だ。まだ肩あげがあつて桃われが善く似あふと人がいつた位の無垢清浄玉の如きみイちやんを邪道に引き入れた悪魔は僕だ。悪魔、悪魔には違ひないが併し其時自分を悪魔とも思はないし又みイちやんを魔道に引き入れるとも思はなかつた。此間の消息を知つてる者は神様と我々二人ばかりだ。人間世界にありうちの卑しい考は少しもなかつたのだから罪は無いやうな者であるが、そこはいろ/\の事情があつて、一枚の肖像画から一篇の小説になる程の葛藤が起つたのである。その秘密はまだ話されない。恐らくはいつ迄たつても話さるゝ事はあるまい。斯様の秘密がいくつと無く此墓地の中に葬られて居るであらうと思ふと、それを聞きたくもあるし、自分のも話したいが、話して後に若し生き還ると義理が悪いから矢張秘密にしておくも善からう。とにかく今日は艶福の多い日だつた。……日の立つのも早いもので最う自分が死んでから一周忌も過ぎた。友達が醵金して拵へてくれた石塔も立派に出来た。四角な台石の上に大理石の丸いのとは少としやれ過ぎたがなか/\骨は折れて居る。彼等が死者に対して厚いのは実に感ずべき者だ。が先日こゝで落ちあつた二人の話で見ると、石塔は建てたが遺稿は出来ないといふ事だ。本屋へ話したが引き受けるといふ者は無し、友達から醵金するといつても今石塔がやつと出来たばかりで又金出してくれともいへず、来年の年忌にでもなつたら又工夫もつくであらうといふ事であつた。何だか心細い話ではあるが併し遺稿を一年早く出したからつて別に名誉といふ訳でも無いから来年でも出来さへすりや結構だ。併し先日も鬼が笑つて居たから気にならないでもないが何うせ死んでから自由は利かないサ、只あきらめて居るばかりだ。時に近頃隣の方が大分騒がしいが何でも華族か何かゞやつて来たやうだ。華族といや大さうなやうだが引導一つ渡されりヤ華族様も平民様もありやアしない。妻子珍宝及王位、臨命終時不随者といふので御釈迦様はすました者だけれど、なか/\さうは覚悟しても居ないから凡夫の御台様や御姫様はさぞ泣きどほしで居られるであらう。可愛想に、華族様だけは長いきさせても善いのだが、死に神は賄賂も何も取らないから仕方がない。華族様なんぞは平生苦労を知らない代りに死に際なんて来たらうろたへたことであらう。可愛想だが取り返しもつかないサ。正三位勲二等などゝ大きな墓表を建てたツて土の下三尺下りや何のきゝめもあるものでない。地獄では我々が古参だから頭下げて来るなら地獄の案内教へてやらないものでも無いが、生意気に広い墓地を占領して、死んで後迄も華族風を吹かすのは気にくはないヨ。元来墓地には制限を置かねばならぬといふのが我輩の持論だが、今日のやうに人口が繁殖して来る際に墓地の如き不生産的地所が殖えるといふのは厄介極まる話だ。何も墓地を広くしないからツて死者に対する礼を欠くといふ訳は無い。華族が一人死ぬると長屋の十軒も建つ程の地面を塞げて、甚だけしからん、といつて独り議論したツて始まらないや。ドレ一寐入しようか。……アヽ淋しい/\。此頃は忌日が来ようが盂蘭盆が来ようが誰一人来る者も無い。最も此処へ来てから足かけ五年だからナ。遺稿はどうしたか知らん、大方出来ないのは極つてる。誰も墓参りにも来ない者が遺稿の事など世話してくれる筈は無い。お隣の華族様も最う大分地獄馴れて、蚯蚓の小便の味も覚えられたであらう。淋しいのは少しも苦にならないけれど、人が来ないので世上の様子がさつぱり分らないには困る。友だちは何として居るか知らツ。小つまは勤めて居るなら最う善いかげんの婆さんになつたらう。みイちやんは婚礼したかどうか知らツ。市区改正はどれだけ捗取つたか、市街鉄道は架空蓄電式になつたか、それとも空気圧搾式になつたか知らツ。中央鉄道は聯絡したか知らツ。支那問題はどうなつたらう。藩閥は最う破れたか知らツ。元老も大分死んでしまつたらう。自分が死ぬる時は星の全盛時代であつたが今は誰の時代か知らツ。オー寒い/\何だかいやに寒くなつてきた。どこやらから娑婆の寒い風を吹きつけて来る。先日の雨に此処の地盤が崩れたと見えて、こほろぎの声が近く聞えるのだが誰も修理に来る者などはありやしない。オヤ誰か来やがつた。夜になつてから詩を吟じながらやつて来るのは書生に違ひ無いが、オヤおれの墓の前に立つて月明りに字を読んで居やがるな。気障な墓だなんて独り言いつて居やがらア。オヤ恐ろしい音をさせアがつた。石塔の石を突きころがしたナ。失敬千万ナ。こんな奴が居るから幽霊に出たくなるのだ。一寸幽霊に出てあいつをおどかしてやらうか。併し近頃は慾の深い奴が多いから、幽霊が居るなら一つふんじばつて浅草公園第六区に出してやらうなんていふので幽霊捕縛に歩行いて居るのかも知れないから、うつかり出られないが、失敬ナ、悠々と詩を吟じながら往つてしまやがつた。此頃此処へ来る奴にろくな奴は無いよ。きのふも珍しく色の青い眼鏡かけた書生が来て何か頻りに石塔を眺めて居たと思つたら、今度或る雑誌に墓といふ題が出たので其材料を捜しに来たのであつた。何でも今の奴は只は来ないよ。たまに只※[#二の字点、1-2-22]来た奴があると石塔をころがしたりしやアがる。始末にいけない。オー寒いぞ/\。寒いツてもう粟粒の出来る皮も無しサ。身の毛のよだつといふ身の毛も無いのだが、所謂骨にしみるといふやつだネ。馬鹿に寒い。オヤ/\馬鹿に寒いと思つたら、あばら骨に月がさして居らア。
○僕が死んだら道端か原の真中に葬つて土饅頭を築いて野茨を植ゑてもらひたい。石を建てるのはいやだが已む無くば沢庵石のやうなごろ/\した白い石を三つか四つかころがして置くばかりにしてもらはう。若しそれも出来なければ円形か四角か六角かにきつぱり切つた石を建てゝもらひたい。彼自然石といふ薄ツぺらな石に字の沢山彫つてあるのは大々嫌ひだ。石を建てゝも碑文だの碑銘だのいふは全く御免蒙りたい。句や歌を彫る事は七里ケツパイいやだ。若し名前でも彫るならなるべく字数を少くして悉く篆字にしてもらひたい。楷書いや。仮名は猶更。



底本:「日本の名随筆55 葬」作品社
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
   1990(平成2)年2月10日第4刷
底本の親本:「子規全集 第九巻」改造社
   1929(昭和4)年8月発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年9月14日作成
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